八幡の森
伊藤左千夫
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市川の宿も通り越し、これから八幡という所、天竺木綿の大きな国旗二つを往来の上に交扠して、その中央に祝凱旋と大書した更紗の額が掛っている、それをくぐると右側の屑屋の家では、最早あかりがついて障子がぼんやり赤い、その隣りでは表の障子一枚あけてあるので座敷に釣ってあるランプがキラリと光を放っている、ほのくらい往来には、旅の人でなく、土地のものらしい男や婆さんやがのっそりのっそりあるいている、赤児をおぶった児供やおぶわないのや、うようよ槙屏の蔭に遊んでいる、荒物店の前では、荷馬車一台荷車一台と人が二三人居って何か荷物を薄暗い家の中へ運でいる、空にも星が一つ見えだした、八幡の森にも火が点じた すべて寛やかな落着いた光景、間もなく鳥居の前へくる。
鳥居が薄白く見える、能く見ると少し光っている、トタンで包んだ鳥居は西焼けのあかりを受けて、かすかに光るのであった、左へ鳥居を這入ると、鳥居についた左手に、屑屋の小さな飲食店がある、前に葦簾が立ててあって中の半分は見えない、今カンテラに火をつけて軒口に吊った所で、油煙がぽっぽと立つ 低い茅の軒へ火がつきやしないかと思われる、卵や煮肴やいろいろの食物が、各大小相当の皿に盛られて雑然並べてある、それでも中央の前の柱のカンテラの下には、掛花生に菊の花がさしてある、婆さんらしいのが表へ尻を向けて仕事をしている。家の中ではランプが今一張ついた、これが八幡神社の入口である。
二人は社に向ってゆく、空は未だ全く暗くなってはしまわぬ、右手の農家の前では筒袖をきて手拭を冠った男が藁しべなどを掃いている、左手の何か大きい四角の石で女らしいのが頻りに藁を打って居る、夜なべに縄をなうか、草履でもつくるのであろう。
それから先は両側の松林が幹を差替わす許に遠くつづいて石畳の路を掩うている、奥にはほんのり暗くて何のあるのも判らない、ただ敷石の道が白く長く帯を延した様に奥深く通じて居るのが見える許りである、予等二人が十五六間も進んで這入ってゆくと漸く前面にぼんやり萱葺の門が見えだした。
先年桃林の花を見に来た時此門前に一人の婆さんが茶を売って居ったことを思い出す、近いて見れば無論婆さんは居ない、茶店のあったらしい所には石が三つ四つ並んで居る、見たところ今でもあの婆さんが出るのかどうかは知らないが、兎に角日中は茶店がある様子だ、左右の矢大臣もそれと許りほのかに俤が見える、門を這入る、木の葉が石の上にひたに散ってあるのが下駄にさわる、がさがさする音が耳立って聞える 二人は無言で進む 静なことはこおろぎも鳴かぬ。
正面に社殿が黒くぼっと見えて来た、前に張られた七五三飾が、縄は見えないで、御幣の紙だけ白く並んで下って居るのが見える、社殿の後は木立が低いので空があらわれた、左右の松木立の隙間にあらわれた空の色が面白い、薄い茶色に少しく紫を含んだ、極めて感じのよい色である、油絵にもこういう色は未だ見ない、西洋の写真にこういう色を見ることがある、西焼のあかりが未だ空全体に映っているのであろう、松林にまじっている冬木が幾分の落葉を残していてほんのりとした梢の趣がその空の色と調和がよい 油絵が出来たらなアと思う、空の色がよいなと思った眼を稍下へ見下げると、社殿の右手の木立が西あかりを受けてかあたりが一体にあかるい、そのあかるいのに何となし光がある様に思われる、不折君の所謂絵具の光ということなど思いだす、あたり一面に色ある落葉が散っている、がさがさ落葉を蹈みちらして進む、拝殿の柱に張った七五三と思ったは、社殿二間ほど前に両側にある松に張ってあるのであった、松の根にある唐獅子はただ黒ずんで見える許り目も鼻も判らぬ、台石に点々色がある、落葉かと思って眼を寄せて見れば黒ボクの石の隅々をついだシックイであった、二人社前に正立し帽を脱て黙拝した後右手へ廻る。
先に西あかりを受けた木立の色と思ったは、非常に大きい銀杏である、丈はそれ程でないが、幾百本とも判らぬ幹が総立に一纏りになっているから、全周囲は二三丈もあるであろう、思えば先年参詣の時門前の婆さんが千本銀杏と申しますと云われたのであった、落葉は未だ三分の一にも達しない、光る許の黄葉を薄暗い空気でつつんだ趣き、あかるいようでも物の判らぬ夢のようの感じだ、いやどうしても適当の形容語が出来ない、その銀杏の蔭に立って居ると、黄色い空気の中に這入って居る感じで、そうして、それが薄暗い夜の感じで何とも云えないよい感じである、ステッキで枝を打つとばらばら葉が落ちる、非常に静であるから帽子に落つる音が聞える、その音が夢で聞くような感じのする音である、暫く遊んでいて見たかったが、時刻が時刻故そうもいかないで裏を一週して、西手の白壁がある板倉の脇へ出る、社に板倉は不調和の感じがした。
二人は帰る方向になって西を向くと、西焼けの残光が未だ消え切らないで、木々の隙間から地平線に明るい、今まで暗いと思った松林の根もとがはっきりと見えた、神楽堂の上には背の高くくねった松が空に自分の影を摸様の如くに押して居るのが一寸面白い、直ぐに出て了うのは如何にも惜しいような気がして、屡々銀杏を振返り、あたりの趣を眺めつつ、偶然の思いつきで、趣味深い時刻に来た仕合を語り合いつつ出る。
不知八幡森も予は幾度か見て居るが、つれの人は始めてであるから、一寸立寄ったけれど、もう暗くなって石牌の文字も判らない、森というは名許で今は全く竹藪に変っている、竹藪の中は闇々として暗いばかり空は青ぎるばかりに澄んで、そよとも動かぬ大竹藪の上には二三十の星が冷に光って居た。
底本:「左千夫全集 第二卷」岩波書店
1976(昭和51)年11月25日発行
底本の親本:「馬醉木 第三卷第一號」根岸短歌会
1906(明治39)年1月1日
初出:「馬醉木 第三卷第一號」根岸短歌会
1906(明治39)年1月1日
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
「其」は「その」に、「只」は「ただ」に、置き換えました。
※読みにくい言葉、読み誤りやすい言葉には、振り仮名を付しました。底本は振り仮名が付されていません。
※「許」と「許り」と「ばかり」の混在は、底本通りです。
※初出時の署名は「左千夫」です。
入力:高瀬竜一
校正:岡村和彦
2019年3月29日作成
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