全都覚醒賦
北原白秋
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静かにすゝむ時の輪の
軋つたへて幽かにも──
白光、小鳥にゆるゝごと
明日の香ゆらぐ夢の浪
薄紫にたゞよひて
白帆張りゆく霊の舟
円らに薫る軟かぜの
千里の潮の楽の音と
人が息吹は力ある
いのちの韻、永久に
血の脈搏と大闇の
沈黙やぶりて響くまで──
神澄みわたる雪の夜の
聖きひと夜を神秘なる
天の摂理と黙示との
悟うるべく厳かに
書万巻の廬をいでゝ
雪に清しき頬をうたせ
我、鶴氅のよそほひに
鵝毛みだるゝ玉階を
木々の白彩すりぬけて
台にのぼれば雲霽るゝ
天は金沙の星月夜
あふけば諸辰十二宿
銀の瓔珞かゞやかに
宝座をめぐる天宮の
霊彩高く、端厳と
華麗を尽くし真無量
善美まつたく整へば
燦爛として聖天に満つ
永劫の光明と歓楽に
頌歌あふるゝ微妙さと
香華みだるゝ眩ばゆさに
渇仰熱つく跪づき
涙のごひてさらにまた
燃ゆる瞳をめぐらして
闇に下界をうかゞへば
広量無辺啻円う
包み繞らす雪絹の
無塵の衣、水の帯
無垢清浄のしろ銀の
衾白彩ひきかつぎ
譬へば、仏陀、無憂樹の
栄光の花ふる瑞かけに
蘇生浄化の果をひそめ
いま寂滅の落暉を
瑞雲くだる白蓮華
諸天諸菩薩比丘比丘尼
優婆夷優婆塞うちめぐる
蓮座にかほる大菩提
拈華微笑の尊とさに
しばし涅槃に入るごとく
いと安らかに厳かに
あゝ天が下、天ぐもの
そぎたつきわみ、畳なほる
青垣山の山脈の
むか伏すかぎり、八百潮の
潮の八百路の沖津波
辺にたつかぎり、秀つ国の
権威と光栄つかさどる
全都の偉霊二百万
率つて白日の戦闘の
その激甚と繁雑に
痛み傷つき倦み疲れ
闇にしばらく───白雪に
大傘かざし、深みどり
褪せず枯れざる驕慢に
白日、天の日あひしらひ
夕、月の輪貫きて
夜天の宿を支へつゝ
世の盛衰をひやゝかに
千歳の暦ひるがえし
神さび立てる常盤木の
古るき匂にたゝずみて
更らにすかせば眼に暗らき
九百九町の静まりに
柳やなぎの家を守り
冷たう光る大路の灯
小路は暗らし、病人の
夜の恐怖に血も冷えし
頬に沁み照る燭の火か
小窓を洩れて青白う
一点二点さゆらげる
聴けば巽に、聖代の
新領かけて三千里
古海めぐる二千里の
闇の日の本四方に見て
鎮護まします王城の
夜を警しむる衛兵が
番ふ言葉も震帯び
「休め」「かしこし」「寒し」「いざ」
「さらば」の声の時折に
さては安寧と平和に
市の夢守護る町々の
巡羅が警杖もねぶたげに
ひゞく地心の骨凝り
かくていよ〳〵更けゆけば
遥か水澄む大川の
魚氷にのぼる勢も
夜の大気の寒冷に
輪波耳うちひゞくほか───
大地静かにふしまろび
一夜のなかに蘇る
生存の気と活動の
大なる力、憧憬と
希望の熱情、満ち足ろふ
夢に斎かせ、天ひゞく
高き呼吸と響音と
進歌の律呂譜と納め
啻閴として眠るかな
誇る可きかな常闇に
長き沈黙を圧したる
権力を驕るほゝゑみに
いまはた、呼吸に世を甦生す
巨人のごともうなづきて
我、鐘楼によぢのぼり
夜は余ありとく醒めよ
全都の霊よ、活動の
一指に天を覆へす
威勢しめせと大撞木
闇にひと振、渾心の
力らをこめて鐘撞くや
響殷々、澄みわたる
大気揺がし乱るれば
鳥は驚き友をよび
緑天蓋ゆるがして
百千に乱れ、白銀の
箙背に負ふ神将が
引き番へ射る千束矢の
白羽のごとく光射し
紫雲揺曳びく九重の
大宮めぐり鳴きかはし
靄の御幕ひきかゝげ
東をさせば天津宮
闇の夢戸を押ひらき
いま日の神のいでましに
光白駒、飛ぐるま
万の栄光、千々の彩
百の照姫従へて
白銀の輪の小軋に
雲は彩湧く時をのせ
まづ仄白む東雲を
天に薄するゝ星くづの
光の権者、霊清よく
地に蘇る響音の
幽かに更らにひそやかに
力こもりぬ、ほの〴〵と
朝明の霧に動ぎつゝ
九百九町はやはらかに
醒むるよ。嘗つて夜を高み
天ゆくだせし洗礼の
雪に五濁をそゝげばか
六根清く晶らかに
離垢の法土を現ずるよ
されば朝の気朝の声
清くすゞしく爽やかに
水に輪うち波をつたへ
山の皷膜にひゞくかな
それ日の本は神ながら
神づまります古国の
秀真の国の朝ぎよめ
四方清しき宮霧に
烏帽子、水干白彩の
禰宜が拍手、寒祝詞
朗らに澄むや神殿の
大気森たり朝神楽
はや鼕々とうちいづる
時に聖は先覚の
慈眼めぐらし数珠操りて
うつや鉦皷の律幽に
霧にむせびて三宝の
清きほこりは雲に入り
澄みて菩提をさそふべう
伽藍の朝は磬の音に
はた鐘の音におのづから
清し浄土のかしこさを
涙にあふぐ市びとが
耳をよぎりてあきなひの
声はなやかに、辻々の
車の軋、鈴の音
足駄、華靴、雪に鳴り
繁く急忙しくなりゆけば
いまか市場は武蔵野の
果実、青物、北国の
紅は林檎に、極熱の
禾木、花ぐさ、花たまき
彩に人よぶ賑ひに
美し子らは入りみだれ
朝眼すゞしく惑ふらむ
さては魚河岸舟つくや
江戸は勇健の肌の彩
美くし脛に手に活きむ
魚の幾千溌溂と
銀の鱗をひそらかし
海の新香を飛ばすらむ
こなた森なる学堂の
雪の門守、ねそびれし
寝惚がほなる笑止さに
閂ぬけば夏海の
潮のごとくひたよせて
乱れ入る子の後ろかげ
幸と希望に光る見よ
と見る真紅は朝ぞらの
雲を彩どり譜をそめて
霧にながるゝ美くしさ
時いま、百の工場に
軋轆の音うまるれば
黒煙のぼるよ笛鳴るよ
朝はいよ〳〵新たらしく
生存の力をどよもして
霧晴れゆけば遠海の
朝の青はや、眉せまる
秩父遠山、筑波山
富士、白雪の冠に
玲瓏として玉のごと
朝に臨むよ。この都
あはれ不滅の精力に
歓喜あれよ幸あれよ
驕盛あれよ光栄あれよ
いま悠々と高照り
驕慢栄ゆる天日は
時の白駒駆りすゝめ
白銀の鞭、金の馬具
輪車軋らす光道の
十方かけて煌々と
投ぐる金の矢銀の矢に
赫奕として照りかへす
朝の光に新たまる
都の声よ。戞然と
いま噪然と囂然と
あら蘇る活動の
力、火となり熱となり
電力となり、生類の
血となり燃ゆる肉となり
茲に全都の繁栄と
高き権威を永久に
人を円満にすゝむると
千万の声雑然と
遂に溢ふれて漲りて
天部貫ぬく激しさに
あゝ地に匍匐る六尺の
短躯にひそむ精力の
偉大不滅をまさに見る
高台の朝、樹下の人
あゝ讃嘆と青春の
感涙せちにうちむせぶかな
底本:「白秋全集 1」岩波書店
1984(昭和59)年12月5日発行
底本の親本:「早稻田學報 第百拾貮號」早稻田學會
1905(明治38)年1月1日発行
初出:「早稻田學報 第百拾貮號」早稻田學會
1905(明治38)年1月1日発行
※初出時の署名は「早稲田大学
高等予科文科生北原隆吉(射水)」です。
※「蘇る」と「蘇る」、「神」に対するルビの「しん」と「かん」と「かみ」、「白銀」に対するルビの「しらがね」と「しろがね」の混在は、底本通りです。
入力:フクポー
校正:岡村和彦
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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