鼠の湯治
中谷宇吉郎



 この話は、北大のY教授の研究室でなされた、鼠に湯治をさせる話である。

 ちょっと聞くと、少し唐突な話のようであるが、温泉が外傷の治癒に効くという昔からの信条を科学的に調査するために、鼠に傷をつけて、それを温泉に浸して、果してどれ位治癒に貢献するかということを調べたのだから、別に妙な話ではない。

 事の起りは、外傷の自然治癒について、量的の研究はあまりないので、それを研究してみようというのであったそうである。最初に手をつけたのは、その研究室員の一人O君であった。まず沢山鼠を飼って、その各々に大体一定の大きさの傷を胴の所につけて置いて、その面積を毎日プラニメーターで測るのである。そして傷が治って行くにつれて、その面積の減少して行く様子を、時日の函数として図に描いて見るというのがその実験の方法であった。勿論鼠は生きているのだから、そうおとなしくプラニメーターで傷の面積を測らせてはくれない。それで、薄いパラフィン紙を押しつけて傷の形を写し取って、その面積を測ったのだそうである。

 ところで、こういう実験は、相手が何しろ生き物であるから、そう簡単に測定値が巧く一本の曲線の上に載って、その曲線が数式で現わされるという風には行かないのは当然である。測定値は大体時日の経過と共に小さくはなって行くが、随分ばらばらに散っていて、一つや二つの例を見たのでは、一体どういう曲線が基準になっていて、それから個々の測定値がどう偏倚しているのか、まるで見当が付かないのが普通である。

 O君の初めの目的は、食物が外傷の自然治癒にどう影響するかを見るつもりだったそうである。昔から脂っこいものを食べると、傷の治りが遅いという風なことがいわれているので、そのような言い伝えが科学的に立証されるかどうかを調べるのも一つの目的であった。

 まず大体似たような条件の鼠を二十匹か三十匹くらいだったか集めて一つの群とする。そしてそのような群を四つ作って、第一群は標準食、第二群は脂肪食、第三群は蛋白食、第四群は澱粉食という風に、食餌をそれぞれ特別に選んで、その食餌で相当の期間養って置く。そして鼠の身体がすっかり決ったところで、円形に近く皮膚を切り取って傷をつけて、その自然治癒を毎日観測するのである。こういう風にあまり組織立てて、初めからちゃんとした体系を立てて研究を始めるのは勿論良いことではあるが、それだけになかなか面倒なことも起きるのである。一番困ることは、無闇と沢山資料が出来ることである。一枚一枚の図がどういう曲線にしたら良いか分らないようなばらばらの形のものが、百枚近くも一度に出て来ては、ちょっと困るのである。

 実はO君も少々手を焼いたと見えて、「一体物理の方では、こんな時にどうやるんですか」という相談がきたのである。それでとにかく資料を一度全部纏めて見せて貰ったのであるが、なるほどO君が閉口しただけのことはある。どの図も実に点がばらばらになっていて、またその配置が出鱈目でちょっと手の付けようがないのである。どれか基準になるらしい真妙な鼠が二、三匹いれば、その治癒曲線をまず作って、その曲線の型とそれを現わす実験式とを見付けて、後はその実験式中の変常数パラメーターを色々かえて、他の図も無理遣りにその型の中に押し込めてしまうという狡い常套手段もちょっと用いられそうもない。ただ一つの手掛りというのは、この治癒曲線は何か指数曲線の組合せのようなものになりはしないかという心当りである。自然現象の中で一番簡単な機構の一つとして、いつでも現在在る量の一定割合だけ増減するような現象は指数曲線で現わせるのであるから、傷もまず最初の一日に一定割合だけ治り、次の日には又その日の現在の傷の大きさの一定割合だけ治るとすると、傷の面積は指数曲線をなして減少して行くはずである。ところが実際の点の配列を見ると、特に初めのうちは、一時最初の時よりも傷が大きくなったりすることがあるので、とてもそう簡単には行かない。

 とにかく個々の例については、偏倚が大き過ぎるので何も云えそうもない。それでは沢山の例を各群ごとに平均したら、その偏倚が消えて平滑な曲線が得られはしないかというのは、誰でも考えることである。しかしそれをやってみても、なるほど平滑な曲線は得られるが、どうもその曲線の形は、統計的の平均から出た外観上だけの結果らしくて、治癒の機構を示すものとは受け取り難い点が見えて仕方がない。初めは多分原理的には何か簡単な事柄で、それに個々の生物の個性が入るために偏倚が加わっているだけのことだろうと思ってとりかかったのであるが、これではちょっと手の付けようがない。

 平均をとると物理的性質が消えてなくなる場合はいくらもあるが、その中でこのような種類の研究に起りやすい例の一つとして考えられるのは、曲線の性質が場所によって異なり、かつ一定の性質の曲線が占める範囲が各々の例についてまちまちであるという場合である。そんな時に平均をとると、ちがった性質の点の平均をとることになるから、嘘の結果が出て来ることがある。平均をとって出て来た結果が嘘か本当かは、まず勘で判断するより仕方がない。こうなると物理的研究も少々あやしいものである。もっとも正統の物理学ではそんな問題はあまり取扱わないから、こんな白状をしても物理学の権威を損うことにはならないだろう。

 個々の例では偏倚が大きいために基準の性質が分らず、平均をとって偏倚を消してしまうと、本当の性質も同時に消えてしまうということになると、面倒でも個々の例について、基準の性質が分るまで睨んでいるより仕方がない。そういう場合に図が百枚もあると面倒である。どうせ色々な性質の点の配置を各々の図について比較しながら睨むのであるから、並べてみなくてはならない。ところが百枚の図を並べる机はない。もしあったとしても皆に眼が届くわけのものでもない。それで仕方がないから、図を皆憶えるまで何度でもひっくり返して眺めるのである。沢山の図を繰って行くうちに、前に見たような形だなと思って、その前の図を直ぐ探し出せるようになれば大丈夫である。そこまで行けば、何か結果の出せるものなら、必ず出てくると思って間違いない。

 鼠の傷の場合は、実は何でもないことだったのである。傷を作ってから数日の間は、傷の正規の自然治癒は起きないのである。その間は傷がかえって拡がったり、一時治りかけてそれが止ったり、色々勝手な経過をとるのである。こういう治癒への彷徨期間、すなわち傷が治ろうか治るまいかとまごまごしている期間があって、それから正規の治癒曲線に従って治って行くのである。この正規の治癒曲線は、大抵の場合は簡単な指数曲線であった。彷徨期間の長さが、鼠により条件によって色々異なり、それから治癒が始るのであるが、その指数曲線の減り方をきめる変常数パラメーターが、また鼠によって異なるということが分ったのである。そういう経過が基準の性質であって、それに生物の実験に特有な著しい偏倚が附加されるのであるから、百枚の曲線の形を憶えてしまうまではなかなか分らなかったのである。

 ここまで分れば傷の治り方を、彷徨期間と指数曲線の変常数すなわち治癒係数という二つの数値で現わすことが出来るのである。そうすると食餌の問題とか、色々薬品を塗ったり手当をしたりした時の効果を、かなりの程度まで数量的に現わすことが出来るようになる。脂肪食の影響は、たしか彷徨期間を長くする方に効いたようであった。治り方が遅いというような言葉も、一般には実は随分曖昧な意味に使われているのである。完全に傷がなくなってしまうまでの期間が長いという意味よりも、初めのうちのすなわち傷が大きくて苦しい期間が長いという意味に使われることが多いらしい。それだとすると昔からの言い伝えと、この鼠の実験の結果とはよく一致しているのである。

 ところで温泉の効き目の問題であるが、色々の温泉について、その温泉に浴したための治癒係数の変化が分ったら随分面白い問題である。それでY教授は、助手の人と二百匹ばかりの鼠とを引き連れて、近所の或る温泉へ出かけることになった。もっとも鼠と一緒に入湯するのでは外の御客が困るので、温泉付の貸別荘を借りることに話が決った。随分羨しい暢気な研究のように見えるが、実は、毎日沢山の鼠に食餌を与えたり、時間をきって温泉に浸したりするので、なかなか楽な仕事ではなかったそうである。

 鼠は温泉が好きだということが真先に分った。金網の籠に入れたまま、温泉に入れてやるのであるが、温泉の温度がちょうど良い加減だと、鼠達はひどくのんびりした顔付で、金網につかまって首だけ出して静かにしていたという話であった。中にはそのまま居眠りなんかして、手を離して湯に潜り落ちて、慌てて馳け上るような奴もいたそうである。

 傷の治り方も大変早かったということである。もっとも温泉の温度が高過ぎると、鼠が苦しがり、そんな時には治り方も悪かった。それである組は温度を色々変えた湯に浸し、他の組は入湯の時間と度数とを色々変えてみるという風に、沢山の実験が繰り返された。そして最も有効な入浴の方法および条件が見出されたわけである。


 この頃伊豆のI温泉に、傷病兵の治療所が出来て、白衣の兵士が沢山きている。話によると、成績が大変良いそうで、どんどん治って帰って行くという気持の良い消息である。きっとあのY教授の研究なんかも随分役に立っていることだろうと思う。鼠も少しは痛い目にも遭ったが、立派に御国のために役立ったわけである。

 Y教授の研究室の仕事はこれで済んだわけではない。温泉が外傷の治癒に有効だということは分ったとして、温泉のどの成分が効いたか、あるいは温泉に何か特有な効能があるのかという点について、さらに進んで実験室内の研究が沢山されたのである。内容の詳しい話は大概忘れたが、なかなか面白い話であった。

(昭和十三年七月)

底本:「中谷宇吉郎集 第二巻」岩波書店

   2000(平成12)年116日第1刷発行

底本の親本:「続冬の華」甲鳥書林

   1940(昭和15)年71日刊

初出:「思想 第一九五号」岩波書店

   1938(昭和13)年81日発行

入力:kompass

校正:岡村和彦

2017年1025日作成

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