長崎留学
中谷宇吉郎
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維新の先覚者たちが、蘭学の勉強のために長崎へ行ったことは今更とり立てていい出すまでもないことであろう。しかしこの長崎留学の問題はよく考えて見ると、なかなか意味の深い示唆を与えてくれる問題であるように私には思われる。
一般にあの先覚者たちは、蘭学を学び西欧諸国の新知識を吸収して、維新の大業のある意味での基礎を作ったと考えられているようである。しかしわずかばかりの単語を通辞から教わったり、大変な苦労をして辞書のひき写しをしたりして得た外国語の知識そのものは大したものではなかったのであろうという気がする。例えば今の中学卒業程度の英語の知識と同じ程度の蘭語の知識でも、あのような状況の下では習得することはむつかしかっただろうと思われるのである。
ところで現今の中学卒業生の語学の力では、実際に外国の文化の吸収に役立つかというに、それは勿論全く「役に立たない」というのが一般の意見である。それで中等学校の外国語を全廃してしまえというような議論が出ている位である。しかしこの「役に立たない」というのは実は問題である。外国語の知識というものが全く単なる道具に過ぎないものならば、そのような意見が成り立つかも知れない。しかし、維新の先覚者たちの蘭語が役に立っている所をみると、中等学校の英語も役に立っているのであろう。それは西洋の意識を覗かせてくれるという一番大切な点において役に立っているのであると自分には思われる。
落語に大きい茄子の話がある。「家位の大きさか」というと「いやいや」と答える。「それでは山位か」ときくと「どうして、どうして」という。よろしく問答があって「それでは一体どれ位の大きさなのか」という段になって「まるで闇夜にへたをつけたようだ」という話があるが、この笑いは私には日本の意識から生れたものと思われるのである。
ところでこの話とピクイック先生が、ある晴れた秋の朝、二階の窓から前の露路を眺めてはたと小膝を打つ場面とをくらべて見る。「なるほど、哲学はこの露路のようなものだ」と、先生は大真面目に感心するのである。「そうだ、奥行は長いが、なるほど幅は狭い。本当の人生の勉強には旅に出なければならない」と大決心をして旅行に出る。それを発端として展開されるあのディッケンスのユーモアは完全な英語の意識の一つの現われであろう。
この英語の意識はディッケンスを読むに足るだけの語学の知識はなくとも、現代の吾々には十分に感得出来るのである。それは吾々の父や祖父の時代において、既に西洋の意識を十分にとり入れているからである。冬彦先生が初めて英語を学ばれた時には、「猿は二本の手を持つ」という文句が非常に不思議に感ぜられたそうである。吾々の民族は、この一世紀の間に、このような外国語の簡単な一句々々を通して西洋の意識をとり入れてきたのである。そしてもう現代の教育を受けた人々には、落語の大きい茄子の話は作れなくなってしまったほど、頭の働き方が変ってきたのである。
維新の先覚者たちにとっては蘭語の単語の一つ一つが、まるで東洋三千年の文化と全く異るところの未知と驚異との別の世界を覗く窓のように見えたことであろうと思われる。そしてその窓を一つ一つ覗いては驚異の眼をみはるごとに、彼らの頭は一段々々と広くなって行ったのであろう。そういう効果は西欧の文明に関する知識を学ぶことによって得られるものではなく、「猿が手を持つ」という言葉に不思議を感ずることによって生れるものであろう。もっともこういういい方は少し極端な話であるが、一面の真理はあると私には思われるのである。
こういう風な考え方をすれば、現代の完備した組織の下で教育を受ける子供達はある意味では不幸であるともいい得よう。私が幼時の頃を過した北陸の旧い小さい城下町には、その頃アルハベットを知っていた人がいたが、その人にはエギリスという渾名がついていた。今からわずか三十年位前の話であるが、その頃までも北陸の一隅にはそのような土地が残されていたのであった。ところがこの頃行ってみると、その町の小学校にもピアノが設えつけられていて、唱歌の時間には子供達が二部合唱をしていた。長崎留学の時代からわずか百年にも足らぬ間に、よくもこう国の隅々まで西洋意識が浸み込んで、それがよく消化されたものと感心した。
ところでもう今となっては、外国語の勉強によって新しい次元の意識を得て、頭の働きの領域を拡めるようなことは考えられない。それで維新時代の蘭学に相当するような、民族に新しい眼を開かせるための教養を次の時代の用意に求めるとしたら、色々議論が出ることであろう。現在何々教育と銘を打ったものは、各々それを自負しているのであろう。しかしその中のあるものは我田引水の説かも知れない。例えば私にそれを聞かれたら、「本格的の科学教育である」と答えるような類のものもあるであろう。
底本:「中谷宇吉郎集 第二巻」岩波書店
2000(平成12)年11月6日第1刷発行
底本の親本:「冬の華」岩波書店
1938(昭和13)年9月5日刊
初出:「文藝春秋 第十六巻第一号」
1938(昭和13)年1月1日発行
入力:kompass
校正:岡村和彦
2017年6月13日作成
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