日本婦道記
松の花
山本周五郎
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北向きの小窓のしたに机をすえて「松の花」という稿本に朱を入れていた佐野藤右衛門は、つかれをおぼえたとみえてふと朱筆をおき、めがねをはずして、両方の指でしずかに眼をさすりながら、庭のほうを見やった。窓のそとにはたくましい孟宗竹が十四五本、二三、四五とほどよくあい離れて、こまかな葉のみっしりとかさなった枝を、澄んだ朝の空気のなかにおもたげに垂れている。藤右衛門はつやつやとした竹の肌に眼をやりながら、肩から背すじへかけて綱をとおしたようなつかれの凝をかんじた。
藤右衛門は紀州徳川家の年寄役で、千石の食禄をとり、御勝手がかりという煩務をつとめとおして来た。六十四歳のきょうまで、ほとんど病気というものを知らず、いくらか髪に白いものをまじえたのと、視力がややおとろえたのを除けば壮者をしのぐ健康をもっていた。けれどもその年の春さき、老年をいたわるおぼしめしから御勝手がかりの役目を解かれ、菊の間づめで藩譜編纂のかかりを命ぜられてから、おおくは自分の屋敷の書斎にとじこもって、したやくの者たちの書きあげてくる稿本に眼をとおすだけが仕事になり、煩雑な日常から解放されたのであるが、それ以来、かえって身すじにつかれの凝をかんじるようになった。いま机の上にひろげている稿本「松の花」は、藩譜のなかに編まれる烈女節婦の伝記と、紀州家中、古今のほまれ高き女性たちを録したものである。藤右衛門はつねづね、泰平の世には、婦道をただしくすることが、風俗を高めるこんぽんであると信じていた。それでその校閲にはもっとも念をいれ、一字一句のすえまで吟味を加えているのだが、この四五日はなんとなくつかれ易く、ともすれば惘然と筆をやすめていることが多くなった。──身にいとまのあることがかえって悪いのだろう、馴れてくればこんなことも無くなるにちがいない。藤右衛門は自分ではそう考えていた。けれどもその原因はじつはもっとほかにあった。妻のやす女がいま重態なのである。去年の夏からのわずらいがしだいに増悪するばかりで、すでに医師もみはなしていたし当人もすっかりあきらめていた、ことにゆうべはほとんど臨終かと思われ、わかれの言葉もとりかわしたほどである。病気が癌という不治のものだったので、はやくからたがいに覚悟ができていた。かなしさもつらさもいまさらのものではない。ただ臨終が平安であれと祈るほかには、藤右衛門の心はしらじらとした空虚しか残っていなかった。
竹のつやつやと青い肌を見ていた藤右衛門は、小走りにいそいで来る廊下のあしおとを聞いてわれにかえったように筆をとりあげた。
「申しあげます、父上、申しあげます」
長子格之助の声であった。
「あけてよい、なにごとだ」
「病間へおはこびください、母上のごようすが悪うございます」
「……そうか」
「すぐおはこびくださいまし」
藤右衛門は立とうとして、どういうわけか一瞬ためらい、机の上にひろげてある稿本の文字に眼をやった。なんのつもりか自分でもわからなかった。それで硯箱のありどころを直しなどして立ちあがった。渡廊下を母屋へわたり、鉤のてにまがって奥の間、中の間、内客の間とゆくと、そのあたりの廊下にはもう老若の家士たちがつめかけ、いずれも石のように息をころし頭を垂れて端坐していた。藤右衛門がはいっていったとき、妻はまさに息をひきとったところであった。長子格之助、二男金三郎、格之助の嫁なみ女、裾のほうには妻の愛していた婢頭そよもいた。みんなせきあげて泣いていた。
「まことにお安らかな、眠るような御往生でございました」
さいごの脈をとっていた医師がそう云うのを聞きながら、藤右衛門はしずかに枕許へ坐った。
妻の唇にまつごの水をとってやった。もはやなにを思うこともなかった。妻の死顔はこのうえもなく安らかで、苦痛のいろなどはいささかもなかった。藤右衛門はしばらくのあいだ、祝福したいような気持で妻の面を見まもっていたが、ふと夜具のそとに手がすこしこぼれ出ているのをみつけ、それをいれてやろうとしてそっと握った。するとまだぬくみがあるとさえ思えるその手がひどく荒れてざらざらしているのに気づいた。妻の手を握るなどということはかつて無いことだった。だからいまはじめて触るように思い、その皮膚がそのように荒れているのをみつけたとき、藤右衛門はそれまでまるで知らなかった妻の一面に触れたような気がした。
「通夜は半通夜にする、通知にはそれを忘れぬよう、それぞれておちなくはからえ」
やがて彼はそう云って立った。
はなれの書斎へかえって、机の前へ坐ると直ぐ、彼はおちついた身がまえで校閲の筆をとりあげた。頭は冴えているし、心もしずかだった。ただひとところ、からだのどこかに蕭殺と風のふきぬけるような空隙がかんじられた。
弔問の客たちが来はじめたのはそれから一刻あまりのちのことだった。その多くは格之助が応対することで足りた、藤右衛門でなければならぬ客もくどくど悔みをのべるようなことはなかった。今日あることはみんな予期していたし、誰にもいまさらといなぐさめの言葉などはなかった。午すこしまわってから本家にあたる佐野伊右衛門が来た。伊右衛門は二千六百石の老職で、藤右衛門より二歳の年かさである。書斎へはいって来た彼は、机の上を見やりながらさすがにあきれたという顔で云った。
「このさなかに仕事か」
「なにやかや、とりこみつづきでだいぶおくれているものですから」
「いくらおくれているからと申して、今日一日をあらそうことではあるまい、それは仏にたいしても薄情というものだ」
「それでも、べつにさし当ってする仕事はなし、ぼんやりしておるのもこれでなかなかしょざいのないものです」
藤右衛門はそう云ってにが笑いをした。
「なるほど」
伊右衛門はふうと鼻をならした。
「なるほど、しょざいがないというのが本当かも知れぬ、いまさら死別がつらくて泣ける年でもなし、このように人手があまっていては用事もなしとすると、いかにもこれはしょざいがないというかたちか」
「おいそぎでなかったら一盞ととのえましょうか、わたくしはお相手がなりませんけれども、そのうちにはくらんどがみえましょう」
森蔵人、千石の大寄合であるが蔵人がそのまま食ん人に通ずるほどの酒豪だった。伊右衛門も酒ずきではなかなかの組である、いちおう拒むようすだったが、また藤右衛門の心をおしはかったふうで、
「それでは早てまわしに、いまから通夜をはじめるとするか」
と腰をおちつけた。そのまま書斎へしたくをさせた。膳をはこぶ侍たちはみんな眼を泣き腫らしていた、それでいくらか洒脱をじまんにする伊右衛門は、給仕に坐ろうとする若侍の一人をしいてさがらせ、自分で酌をしながら呑みはじめた。間もなく森蔵人がやって来たし、そのほかにも二三人加わる者があって、暮れかかる頃までにぎやかな酒がつづいた。
半通夜ということをかたく守ったので、十時をすぎると弔問客はつぎつぎにかえっていった。そのさいごの客を見送ってから、藤右衛門は朝のままおとずれなかった病間へはいった。なきがらは型どおりに置き直されてあった。枕頭にすえられた経机には樒の枝をかざり、香のけぶりが燈明のまたたきのなかにゆれていた。伽をしていたのは格之助兄弟と家扶の六郎兵衛、用人左内、それに若侍たち四五人だった、女たちは次の間にいた。藤右衛門は香をあげ、しばらく枕頭に坐っていたが、やがてしずかに立ちあがると、
「つかれたであろう、みなよいほどにさがってやすめ、格之助と金三郎で伽をする、遠慮なくさがるがよいぞ」
そう云って部屋を出た。寝間へははいらずに、暗い廊下をふんでまた書斎へかえった。すっかり片付けられた室内に、ひっそりと燭台の火がまたたいていた。机を光に向け直して坐った、頭はやはり冴えているし、想念もおなじしずけさにあった、けれども風のふきとおるような心の空隙だけは、時を経るにしたがっておおきくなるように思えた。かなしみでもない、そういう感動はながい月日のあいだすでに飽きるほどあじわいつくして来た。いま彼の心にかようものはしらじらとした空虚の感である、からだのどこかを暗く塞いでいたものがぽかりと脱れて、そこを蕭々と風のふきとおるような感じがするだけだった。藤右衛門はつと手をのばして稿本をひらいた。それから硯箱の蓋をとった。けれどもそれは校閲をしようと思ったからではなく、習慣でしぜんとそうしたまでのことだった。彼はそのままながいこと空をみつめていた。かなりほど経てからのことであった、遠くから音をしのぶ人のざわめきがきこえて来たので、藤右衛門はふとわれにかえった、耳にたつほどではないが、病間のあたりでかすかに、音をしのばせた看経の声がしはじめた。藤右衛門は鈴をとって強くうち振った。
来たのは金三郎であった。
「お呼びでございますか」
「仏前にまだ誰ぞおるか」
「はい」
障子のそとで、金三郎が廊下に手をつくさまが感じられた。
「誦経の声がするではないか、誰だ」
「……はい」
「誰々がおるのだ」
「はい。家士、しもべの女房どもでございます」
金三郎の声は苦しそうだった。藤右衛門の眉がけわしく歪んだ。掟のきびしい武家屋敷では、家士しもべの女房などが、みだりに奥へはいることはゆるされない。それで藤右衛門は怒りを抑えながら云った。
「誰がゆるしてさようなことをした、伽はそのほうと格之助でせよとかたく申しつけたではないか、ならんぞ」
「父上、おねがいでございます」
しずかに障子をあけ、廊下に平伏したまま金三郎は訴えるように云った。
「あの者どもは母上を、つねづね実の親のようにもおしたい申しておりました。あの者どものかなしみは、世間ふつうのしもべが主人をうしなったのとは違います、肉親の母親をなくしたよりもつらいのです。兄上にもわたくしにもそれがよくわかります。とてもゆるさぬとは申せませぬ、父上。どうぞ今宵一夜のお伽をゆるしておやり下さい、おねがいでござります」
藤右衛門はしばらく眼をとじていたが、やがて低く呟くように云った。
「……よい、ゆけ」
金三郎は障子をしめて去った。
しもべの女房たちまでが、実の親のようにしたっていたという。それは考えるまでもなく差別を無視した云いかたである、日頃の藤右衛門なら一言のもとに叱りつけるところだった、けれども金三郎の言葉のなかにはなにか心をうつものがあった、主人を親よりもたいせつに思うということは、当時の世風としてはきわめてあたりまえなことだ、然し金三郎の云った意味はそのようなものではない、もっとふかく、もっとじかに訴えてくるものがあった。それは亡き妻と、かれらのあいだだけにゆるされるもので、彼にはうかがい知ることもできず、また拒む余地もないことがらのように思えた。──あれはどのようなことをしてやったのであろう。藤右衛門はまたしても、自分の知らぬ妻の一面をみつけておどろかされた。
看経の声はしめやかにつづいていた。十二時をまわってから、それがちょっと途絶えたので、香をあげようと思って立っていったが、襖のそとまでゆくと、部屋のなかで人々のむせび泣く声がしていた。それはいままで誰が泣いたよりも悲痛な、胸を刺しとおす響きをもっていた。かれはそのままそっと廊下へ戻った、すると、格之助が居間からあらわれた。
「あの者たちに夜食をだしてやれ」
藤右衛門はそう云って書斎へかえった。
葬儀はその翌日におこなわれ、なきがらは城西の金竜寺にほうむられた。式のしだいは質素であったが、藩侯から特に使者がつかわされたりして、思いがけなくも名誉なものになった。ほうむりの日の朝から、藤右衛門は書斎にこもって「松の花」の校閲をつづけだした。それまで身のまわりの世話は格之助の嫁にさせていたが、それをやめて松田吉十郎という若侍のうけもちにした、そして食事もずっと書斎へはこばせ、藩譜編纂の用務のある者のほかにはほとんど客に会わなかった。夜ごと、夜ごと、燭のしたで朱筆をとっている彼の耳に母屋の方で音をしのばせて看経する人声がかすかに聞えた。──またあの女房どもか、はばかりがちな低い声でそれは直ぐわかった。またしじまのおりには、庭むこうの家士長屋の方からも、むせぶような念仏の声のつたわって来ることがあった。どちらも遠くへだたったところから途切れ途切れに聞えて来るのだが、その声には肺腑をしぼって哭くものの底知れぬなげきがこもっていた。──どうして妻はあれほどのなげきをかれらに与えるのか、かれらにとって妻はそれほどおおきな存在だったのか。藤右衛門は校閲の筆をやすめて、いくたび不審にうたれたか知れなかった。初七日の法会がすんだ夜である。ひさびさに子供たちと食事をした藤右衛門は、まえから考えていたのであろう、格之助を呼んで、今宵から屋敷うちで看経はならぬと云った。
「供養はいちどに仕すませるものではない、十日二十日の看経より、ながく心にとめて忘れぬこそ、仏へのまことの回向だ」
「よくそう申し聞かせて」
と藤右衛門はつづけて云った。
「今宵からはかたく無用だと云え、それから、その者どもにやすのかたみわけをして遣わそうと思うがどうか」
「かたじけのう存じます、わたくしからおねがい申すつもりでおりました、さぞよろこぶことでございましょう」
「それでは遣わすべき者を呼んでまいれ」
そう云って藤右衛門は立った。
婢頭のそよをつれて亡き妻の居間へはいっていったとき、呼びあげられた家士やしもべの女房たちが、次の間にひかえて平伏していた。部屋のあるじが一年あまりの病間ぐらしで、ながらく使わずにあったためか、そこには婦人の居間らしいなんのにおいもなく、年代を経て古くつやを帯びた調度類が、塵もとめぬ清浄さできちんとならんでいるだけだった。
「どういう品をお出し申しましょう」
「どれでもよい、わしが選ぶから順にとりだしてくれ」
「かしこまりました」
そよは先ず古いほうの箪笥をあけ、抽出の中からつぎつぎに衣類をとりだして藤右衛門の前へならべた。
「格之助、おまえもなみになにか選んでやれ」
藤右衛門は燭をあかるくして、そう云いながら格之助とともに衣類を選みはじめた。
それはみんな着古した木綿物だった、すっかり洗いぬいて色のさめたものや、たんねんに継をあてたものばかりだった。──こんなものを大切そうに箪笥へしまって置くなどとは。そう思いながらみていくと、取り出されるものみな木綿で、どれもいくたびか水をくぐり、なんどか仕立て直された品ばかりである。夏のもの冬のものみんなおなじだった。ややみられたのはふたかさねの紋服と紋服用の帯であったが、そのほかはどれひとつとして新らしいものはなく、まして絹物はひと品もなかった。
「これでしまいか」
藤右衛門はなかばあきれて訊いた。
「はい、あとはお髪道具がひとそろえあるだけでございます」
「そのほかにはもうないのか、まったくこれでしまいなのか」
「……はい、お納戸の長持には、まだお着古しもございますけれど、もう継ぎはぎもならぬほどのお品で、ひとの眼に触れては恥ずかしいゆえ、よいおりをみて焼き捨てよ、との仰せでござりました」
そう云ってそよははらはらと泣いた。藤右衛門はもういちどそこにある衣類をとりひろげてみた。洗い清めてはあった、どんなちいさなやぶれ目にもきちんと継があててあった、けれどもかたみわけとしてひとに遣るには、あまり粗末な品々である。藤右衛門はまだ茫然とした気持からさめることができず、ふりかえって格之助の顔を見た。
「これでは、いかにもみぐるしすぎるように思うが、どうか」
「母上が身におつけになった品ですから、お遣わしになってよろしかろうと存じます。わたくしも一枚、なみに頂戴いたします」
格之助はそう云って、まず自分から古びた袷を一枚ぬきとった。それで藤右衛門もはじめてそよに頷いてみせた。
「ではよいようにわけてやれ」
「かたじけのう頂戴つかまつりまする」
そよはすり寄って、その衣類を敷居ぎわまではこんだ、そして次の間に平伏している女房たちにむかった、しずかに涙を押しぬぐいながら云った。
「旦那さまのおぼしめしで、亡き奥さまのおかたみわけをいたします。……おまえさまたちも知っているとおり、つねづね奥さまはおそれおおいほど、つましいくらしをあそばしておいででした。これまでわたくしたちお末の者が、祝儀不祝儀につけて頂いたものは、それぞれ新らしくお買い上げになった高価な品ばかりでした。おまえさまたちのなかにも羽二重なり、小紋なり、結構な晴れ着の一枚二枚頂戴しないかたはひとりもないと存じます。わたくしどもにはそれほどお心をかけて下さいましたのに、奥さまがお身につけておいであそばしたのは、みなこのような御質素なお品でした。このお品をよく拝んで下さい」
そよは衣類をさし示しながら云った。
「ここにあるのが、紀州さま御老職、千石のお家の奥さまがお召しになったお品です。わたくしたちには分にすぎたくだされものをあそばしながら、御自分ではこのような品をお召しになっていたのです。……この色のさめたお召物をよく拝んで下さい、継のあたった、このお小袖をよくよく拝んで下さい」
そよの喉へ嗚咽がせきあげた、女房たちも声をころしてむせびあげた。藤右衛門はその嗚咽に追われるもののように、卒然と立ってその部屋を出た。
居間へはいると直ぐ格之助が追って来た。
「御きげんを損じましたでしょうか」
彼は父の眼を見上げながら云った。
「そよが申しすごしましたなら、わたくし代ってお詫びをいたします。あのような気性でございますから、母上のおかたみを見てとりみだしたのでございます、どうかゆるしてやって頂きとうございます」
「べつにきげんを損じはせぬ、けれども」
藤右衛門は壁をみつめながら、
「やすはどうしてあのような物を、あのようなみぐるしい物を身につけていたのだ。わしはすこしも気がつかなかった、本当にあんなものしか持っていなかったのか」
「母上は、つましいことがお好きでございました」
「それだけか、つましくすることが好きだから、それだけであのような粗末なものを身につけていたというのか」
格之助はふかく面を伏せていたが、やがて低い声で呟くように云った。
「……お召物だけではございません。お身まわりのことすべてをつましくしておいででした。かようなことを申上げましては母上のお心にそむくかとも存じますが、母上はいつかこのように仰せられていました。……武家の奥はどのようにつましくとも恥にはならぬが、身分相応の御奉公をするためには、つねに千石千両の貯蓄を欠かしてはならぬ」
格之助がそう云うのを聞きながら、藤右衛門はふと、息をひきとったばかりの妻の手の触感を思いだした。夜具のそとにはみ出ていたのをいれてやろうとして、なにげなく握った妻の手はひどく荒れてざらざらとしていた。
「それはおまえに云ったのか」
「いえ、なみをめとりましたとき、あれにそうおさとしくだすったのです。わたくしは次の間からもれ聞いたのですが……はじめて母上の御日常がわかったと思いました」
藤右衛門はじっと自分の右手をみまもっていた。その右のたなごころには、まだあのときの触感がのこっているようだった。──千石の奥の手ではなかった。あの皮膚のかたさ、ひどく荒れた甲は、千石の家の主婦のものではない、朝な夕な、水をつかい針を持ち、厨にはたらく者とおなじ手であった。
やす女は大御番頭九百石の家に生れ、五人きょうだいのなかのただ一人の娘として家族の愛をあつめてそだてられた。顔だちもまるくおっとりとしていたし、たちいふるまいものびやかで、彼女がとついで来てからは、きゅうに家のなかが春風のふきとおるようなにおやかな気分につつまれたものである。よそよりもいちだんと家法のきびしい、規矩でかためたような佐野家の日常とはまるでかけはなれた、のびのびとした雰囲気を身にもっていた。──これで家政のたばねができるだろうか。はじめのうち藤右衛門はいつもそれを案じていたくらいだった。そういうかんじはいつまでも頭から去らなかった。代々質素だいいちの家風で、家計はゆたかであったし、召使の数もおおく、やす女はただ主婦という位置にすわっているだけでよかった、なんの苦労もなく心配もないはずだった。藤右衛門はそう思っていたし、事実また彼の眼にうつる妻の姿は、いつまでもとついで来たときとおなじのびやかさ、明るくおっとりして、千石の老職の妻というおちついたかんじでしかなかったのである。あのひどく荒れた手に触れたとき、藤右衛門はまったく意外だった、皮膚の荒れたその手と、彼の印象にある妻とはどうしても似あわず、自分のまったく知らなかった一面にはじめて触れたような気持だった。
「これほどのことに、どうして気がつかなかったのであろう」
格之助が去ってからも、茫然と自分の手をみまもっていた藤右衛門は、ふとそう呟きながら面をあげた。
三十年もひとつ家の内に起き伏しして、二人の子まで生した夫婦でありながら妻の本当のすがたというものを知らずにすごして来たことが、はじめていま彼にわかった。千石の家の夫人として、なんの苦労もなく、のびやかにくらしているとばかり思っていたが、それは妻のすがたのほんの一部分でしかなかったのだ。良人の眼にもつかず、まして世の人には窺い知ることもできぬところで、妻はそのつとめを全身ではたしていたのだ。
「そうだ、いまにして考えれば思いあたることがしばしばあった」
藤右衛門はふたたび低く呟いた。
まえにも云ったとおり、佐野家はもともとゆたかな家計をもっていた。けれどもきまった食禄でまったくの消費生活をするということは考えるほどたやすくはない。物価のうごきや家族の増減、そのほか眼にみえぬところで出費は年々とかさんでゆくのがふつうだった、しかも武家には格式というものがあって、千石は千石だけの体面を保たなくてはならぬ。佐野家がいかにゆたかな家計をもっていたとしても、これをうけつぐ者にすこしのゆだんでもあれば、たちまち底を洗うことはわかりきったはなしだ。藤右衛門は藩の御勝手がかりとして、四十余年のあいだしばしばそれを痛感して来た。紀州五十余万石の経済ではそのことを痛いほどかんじながら、自分の家のことにはまったく関心をもたなかった。ある年、家臣一統から藩へ献上金をすることがあった、そのとき佐野家からは三百金ずつ前後数回にわたって献上した。──噂にたがわず佐野家は内福だ。家中の人々はそう云って舌を巻いたが、藤右衛門はそれほどにも考えず、自分の家計としてはごくあたりまえだと思っただけであった。そういう例はすくなくない、藩の御勝手つごうで食禄のわたらぬことがつづくとか、非常な物価昂騰とか、百人に近い家士たちのために、年々更新しなければならぬ武具調度の費用とか、ほとんど不時の出費のたえることはないといってよかった。それを佐野家ではきわめてぶじにすごして来た、藤右衛門はどんなばあいにも心を労することなく、うちこんで御奉公をすることができたのである。そして今日まで、それをあたりまえなこととして、誰のたまものとも考えることはなかったのだった。
「なんという迂濶なことだ。なんという愚かな眼だ。自分のすぐそばにいる妻がどんな人間であるかさえ己は知らずにいた」
藤右衛門はおのれを責めるように呟いた。
「佐野の家があんのんにすごして来たのも、自分がぶじに御奉公できたのも、蔭にやすの力があったからではないか、こんな身近なことが自分にはわからなかった、妻が死ぬまで、自分はまるでちがう妻をしか知らなかったのだ」
いたましく皮膚の荒れた手ゆびと、あのように粗末な遺品をとおして、いまこそ藤右衛門にはまことの妻がみえはじめたのである。彼の心にあった空虚なかんじはいつかぬぐい去られたように消えて、その代りに新らしい感動がおおきく脈を搏ちだした。……藤右衛門は立って居間を出た、松田吉十郎がついて来て、書斎に灯をいれて去った。
藤右衛門は机の前にすわった。そこには彼が校閲しかけている稿本が置いてある。藤右衛門はその表紙の「松の花」という題簽をあらためて見なおした、松の緑はかわらぬ操の色だ、そこに撰まれたのはあらゆる苦難とたたかった女性たちの記録である、いまの世にひろめ、のちの世に伝えて、人の心をふるいたたしめる烈女節婦の伝記だ。
「けれども……」
藤右衛門は低く呟きだした。
「烈女節婦はこのように伝記に撰せられるものだけではない、世の苦難をたたかいぬいたこれらの婦人は頌むべきだ。しかし世間にはもっとおおくの頌むべき婦人たちがいる、その人々は誰にも知られず、それとかたちに遺ることもしないが、柱を支える土台石のように、いつも蔭にかくれて終ることのない努力に生涯をささげている。……これらの婦人たちは世にあらわれず、伝記として遺ることもないが、いつの時代にもそれを支える土台石となっているのだ。……この婦人たちを忘れては百千の烈女伝も意味がない、まことの節婦とは、この人々をこそさすのでなくてはならぬ」
藤右衛門は呟きおわって空へ眼をあげた。彼はいま稿本「松の花」に序すべき章句をおもいついたのである。まつりごとをあずかるものの心すべきは、みえざるところをおろそかにせぬことだ、「松の花」はあらわれた烈女たちを伝えるだけでなく、世にかくれたる節婦のおおいことをもあきらかにすべきである、「……やす」藤右衛門は夜の空に妻のおもかげを描きながら呟いた。
「おまえはわしに世にあらわれざる節婦がいかなるものかを教えてくれたぞ」
そして稿本をひらき、しずかに朱筆をとりあげた。
彼はいまふしぎなほど新らしい昂奮を感じていた。燭の光にうつしだされた横顔にも、ひさしくみえなかった充実した色があらわれたし、ひきむすんだ唇のあたりには、まだ御勝手がかりをつとめていた頃のきびしい力感さえよみがえってきた。──妻は生きているのだ、息災でいた頃よりも、あざやかに紙一重の隙もないほどぴったりと彼の心に溶けこんでいる、春風のようにおっとりとした顔、やさしく韻のふかいもの云い、しずかな微笑……なにもかもはっきりと彼の心のなかに生きているのだ、更けてゆく夜のしじまに、彼はあでやかな妻のおもかげと相対するような気持で、しずかに朱筆をはこばせていた。
底本:「山本周五郎全集第二巻 日本婦道記・柳橋物語」新潮社
1981(昭和56)年9月15日発行
1981(昭和56)年10月25日2刷
初出:「婦人倶楽部」大日本雄辯會講談社
1942(昭和17)年6月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井和郎
2019年1月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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