樅ノ木は残った
第三部
山本周五郎
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七月中旬の午後、──ひどく暑い日で、風もなく、白く乾いた奥州街道を、西にかたむいた陽が、じりじりと照らしていた。
「そうだ、あいつだ」と伊東七十郎は歩きながらつぶやいた、「どこかで見た顔だと思ったが、たしかに彼に相違ない」
七十郎は、片方の手で額をぬぐった。手の甲に、べっとりと汗が付き、髪の生え際には、汗が乾いて塩になっていた。着ている生麻の帷子も、袴も、汚れてほこりまみれで、萱笠をあみだにかぶり、彼は刀を肩にかついでいた。刀には旅嚢がひっ掛けてあり、その旅嚢が背中へ触らないように、かついでいる刀をあんばいしながら、歩いていた。
そこは陸前のくに柴田郡の、岩入というところで、左に白石川の流れが見え、その流れはいま、街道とはなれつつあるが、広い河原をわたって、川の瀬音はまだはっきり聞えて来た。馬を曳いた農夫がゆきちがい、三頭の黒い牛を追って来た牛方とゆきちがった。三頭ともみごとな黒牛で、埃をあびているのに、その毛はびろうどのように艶つやと光り、そしてどの牛もずっしりと重おもしく、王者のように重おもしく、ゆっくりと歩き、通りすぎるときに、その一頭は、小さな眼で、七十郎を見た。
七十郎は立ちどまって、ほれぼれと牛を見おくった。みごとだな、と彼は思った。みごとに堂々としている、あれは飼われるべき動物ではない。あのくらいの牛になると、人間が飼うのは不自然だ、と思った。
牛はゆっくりと遠のいてゆき、その向うから、二人の供をつれた、旅装の侍が、こちらへ近づいて来た。
七十郎は松並木の影にはいり、そこにあった石に腰をかけた。旅嚢を脇におろし、刀を両足の間に置き、萱笠をもっとあみだにして、額の汗を手でぬぐい、衿をくつろげた。──侍は近づいて来て、そこに七十郎のいるのを認めると、笠で顔を隠すようにしながら、前を通りぬけようとした。
「やあ、しばらくだな」七十郎は無遠慮に呼びかけた、「しばらくだな、渡辺七兵衛、休んでゆかないか」
侍は立ちどまってこっちを見た。それは渡辺七兵衛であった。彼は七十郎と同年配だが、四つ五つも年長にみえる。供の一人は万右衛門といって、これも七十郎には見覚えがあった。
「失礼だが、先をいそぐので」と七兵衛が云った。
「いそぐんならいっしょにゆこう」と七十郎はすぐに立ちあがり、ふたたび旅嚢を刀にひっかけて、肩にかついだ。
万右衛門がむっとした顔で七十郎をにらんだ。渡辺七兵衛は歩きだし、七十郎は彼と並んで歩きだした。刀にひっかけてある旅嚢が、七十郎の背中で揺れ、七兵衛の供の万右衛門が、うしろから眉をしかめながら、それをにらんでいた。
「どうせ船迫で泊るんだろう」と七十郎が云った、「宿は柏屋か伊十か」
「船迫で泊るとはきめていない」
「それなら泊ることにきめるさ、柏屋ではうまい酒を出す、おれが案内するよ」
「失礼だが」と七兵衛が七十郎を見た、「そこもとは、たしか」
「伊東七十郎だ、まさか、知らなかったんじゃないだろうな」
「たしか小野どのの」
「さよう、桃生郡小野の館主、伊東新左衛門の義理の弟だ、正確にいえば新左衛門の妻がおれの姉というわけさ、わかったかね」
「私はよく覚えていないのだが」と七兵衛は冷淡に云った、「これまでにどこかで、正式に紹介されたことがあるだろうか」
「そんなことを気にするな」
七兵衛はまた振向いて、七十郎を見た。七十郎はあけっ放しな微笑で、彼に頷いた。
「気にするな、七兵衛」と七十郎は云った、「おれのほうではよく知ってるし、そっちだってまんざら知らないわけではないだろう」
「噂は聞いているようだ」
「噂だけか」
「伊達家の家臣でもないのに、よく藩邸へやって来て、誰の家へも平気で出入りするし、身分の高下を問わず友達あつかいをする、いったいどうして、誰があんな特権を与えたのか、──みんながそう不審しているようだ」
七十郎はくすくす笑った。
「誰の家へでも、ということはないね」と彼は云った、「誰でも構わずということはない、おれはどっちかというと不拘束な人間だが、それでもわりかた性分は潔癖なんだ、友達あつかいをする値うちのある者は友達あつかいをするが、そうでないやつまで友達あつかいをするほど堕落してはいないよ」
「そうだとすると」と七兵衛が云った、「正式に紹介されたこともないのに、路上でいきなり話しかけたり、名を呼びすてにしたりするのは、どちらの意味だ」
「そんなことを気にするな」
「どちらの意味だ、友達あつかいか、それとも軽侮か」
「もうひとつべつの意味だ」
七十郎はそう云って、振返って、うしろにいる万右衛門を見た。万右衛門はにらみ返し、七十郎は七兵衛に云った。
「だが、その話しはあとのことにしよう」
渡辺七兵衛が、同行を好まないことは、七十郎にもよくわかっていた。七兵衛の態度やその言葉つきで判断すると、いまにも「これで別れよう」と云いだしそうであった。だがそうはさせないぞ。七十郎はその隙を与えなかった。彼は巧みに話を変え、いま三頭のみごとな黒牛がいったが、見なかったかと云い、その返事を待たずに、ああそうだと、高い声をあげた。
「こんど目付役にあげられたそうだな」と彼は七兵衛を見た、「目付役にあげられて、家禄も四百石あまりに加増されたそうじゃないか、出頭の祝いを述べなくちゃあいけないな、おめでとう」
七兵衛は冷淡に会釈を返した。
──あまい野郎だな。
と七十郎は心のなかで思った。会釈の返しかたは冷淡だが、少なからず得意に感じたことは、その表情に隠しようもなく、あらわれていた。こういう単純さがもっとも危険なんだ。七十郎は続けて饒舌を弄しながら、心のなかであの「暗殺事件」を思い返していた。
万治三年七月十九日夜、伊達家の本邸と浜屋敷とで、四人の者が暗殺された。坂本八郎左衛門、畑与右衛門、渡辺九郎左衛門、宮本又市などで、名目は「上意討」であり、討手のうち明らかにわかっているのは、渡辺金兵衛(小人頭)渡辺七兵衛(同)そして小人の万右衛門の三人であった。事後、その趣意を糾問されたとき、七兵衛らは昂然と「殿を悪所遊びに誘い、このたびの大事に至らしめた奸物だから、誅殺したのである」と述べ、なお、自分たちは身命を捨てて決行したもので、いかなる罪科を仰せつけられても満足である、と云ったという。
──こいつらはまじめだったんた。
それが危険なんだ、と七十郎は思った。
坂本、渡辺、畑、宮本の四人が、家中の一部から佞臣といわれていたのは事実らしい。現に、陸奥守綱宗に遊蕩をすすめたのも、かれら四人だったということだ。だが、この四人のうしろに一ノ関(兵部宗勝)がいた。かれら四人は一ノ関のひく糸によって踊った木偶にすぎない。そしてまた、七兵衛らに四人を暗殺させたのも、一ノ関その人であった。一ノ関その人であると、七十郎は認めていた。
四人を使嗾して綱宗に遊蕩をすすめ、かれらを使嗾したという事実、を湮滅するために、七兵衛らを煽動してこれを暗殺した。
──みんな兵部少輔宗勝の仕事だ。
と七十郎は心のなかでつぶやいた。暗殺事件について、評定がおこなわれたとき、七兵衛らを「忠誠の士」である、と主張したのは、兵部宗勝であった。それだけでも、事の真相は歴然たるものだが、こいつらは真相を知らず、自分ではまじめに忠誠の士だと信じている。こういうばか者には、一本みまってやらなければならない。
──面上へ一本、骨にこたえるやつをみまってやろう。
と七十郎は思った。かれらは歩いてゆき、七十郎は活溌にしゃべり続け、七兵衛はその饒舌にひきつけられていた。渡辺七兵衛を軟化させるくらい、七十郎にとってはぞうさのないことで、船迫に着いたときは、もうなんの異議もなく、柏屋という宿へいっしょに草鞋をぬいだ。
風呂で汗をながし、着替えをしてから、中庭に面した座敷で、二人は酒を飲んだ。七兵衛はたいそう機嫌をよくし、酒が進むと、自分はそこもとを誤解していた、と釈明した。
「人間はよく話しあってみなければわからないものだ」と七兵衛はきまじめに云った、「私は人の評に誤られていた、私は伊東どのをまったく違った人柄のように思いこんでいた」
「おたがいさまだ、気にするな」と七十郎は云った、「それから他人行儀などの付けはよそう、おれも呼びすてにするから、そっちも呼びすてにしてくれ、今日はゆっくり飲んで話そう」
「私は酒には強くないのだ」
「刀法では強いだろう、酒なんか弱くったって卑下するには及ばないさ、一ついこう」七十郎は酌をしてやった、「ときに、──供の一人は万右衛門という男じゃあないか」
「知っておられたのか」
「小人の万右衛門といえば、あの事件で剛勇の名が高かった、ひとつここへ呼んでいっしょに飲むとしよう」
七兵衛は手を振った、「せっかくではあるが、あれは少し酒癖が悪いし、供の者を同座させることは」
「作法のやかましい人だな」と七十郎は笑った、「では河原へゆこう、やがて月も昇るだろうし、まだ河鹿が聞けるかもしれない、河原なら万右衛門も同座していいだろう」
「そういう酒はまだ飲んだことがないのだが」
「ではきまった、支度をさせよう」七十郎は宿の者を呼んだ。
酒とさかなを宿の者三人に持たせ、万右衛門を伴れて、かれらは白石川の河原へいった。
白石川は夏涸れで、水が少なく、乾いた大きな石の、いちめんにころがっている広い河原を、水は幾条かに割れたり、大きく蛇行したりしながら流れてい、それでも遠く近く、かなり高い瀬音が聞えていた。かわらよもぎに囲まれた、小石まじりの、平らな場所に席を占め、酒肴をひらいて、三人は飲みだした。──昼の余温が残っていて、そこはまだ暖かく、宿の者はかわらよもぎをむしり取って、蚊いぶしをした。あたりはすっかりたそがれて、川のかなたに船岡の町の灯が見えていた。砦山は黒く、原田家の館のある丘は、ぼうと宵闇に溶けて、もうそれと判別がつかなかった。
「河鹿の声がしないようだな」と七十郎が宿の者にきいた。
宿の者は、月はじめまでは鳴いていたが、と答えた。去年の秋、上流の濁川が荒れて、このあたりの川床もだいぶ変った。そのために河鹿も少ないのかもしれない、と宿の者は云った。
「万右衛門、遠慮なくかさねろ」と七十郎は宿の者の話すのを聞きながして、瓢の酒を万右衛門にすすめた。かなりな大盃で、万右衛門は七兵衛の顔色をうかがいながら、むっつりと、黙って飲んだ。
「おまえの手柄は聞いているぞ」と七十郎は云った、「三年まえの七月十九日の夜だ」
「その話しはやめてもらいたい」と七兵衛が云った。
「謙遜するな」と七十郎が笑った。七兵衛がいやと首を振った、「いや、その話しは困る」
「どうして、三人はみごとにやったし、忠誠の士だという金看板も付いた、なにも謙遜には及ばないじゃないか」
そして片手で膝を打ち、忠誠の士か、ふん、と鼻を鳴らした。七兵衛は穏やかに、あのときのことは聞きたくない、せっかくの酒がさめるから、ほかの話しにしよう、と云った。
「じゃあ、一ノ関の話しでもするか」と七十郎は云った、「そうだ一ノ関がいい、その話ならあの晩の出来事とも無関係ではないからな、ではまず一杯、──」
渡辺七兵衛の顔に、かすかながら警戒の色があらわれた。七月十九日夜の出来事をもちだし、兵部宗勝に話しを転じ、その二つが無関係ではない、という口ぶりに、棘を包んだようなものが、感じられたのである。七兵衛はさりげなく話題を変えようとし、伊東どのの在所はどこであるか、と訊いた。
「また避けるね」と七十郎が云った、「どうしてあの事になると話しを避けるんだ、なにか心に咎めることでもあるのかね」
「つまらないことを云う」と七兵衛は苦笑した。
「おれはつまらなくないんだ」と七十郎は云った、「つまらないどころか、おれはひじょうに興味をもっているし、あの件についてはまだ知りたいことがたくさんあるんだ」
すると七兵衛は肩を固くし、顔を硬ばらせ、しかしまだ怒りは抑えながら、七十郎の言葉を遮って云った。
「そういう話しは聞きたくない、もしもやめないのなら、私は宿へ戻る」
「事実を知るのが怖ろしいのか」
「風説は事実ではない、そこもとの知っているのは単なる風説だ」
「証明することができるか」
「そちらはどうだ」
「おれか、おれはできるさ、口で証明するだけではない、ちゃんと証人までいるよ」と七十郎は微笑し、「そこにね」と云って七兵衛と万右衛門を指さした。手をあげて、真正面から、七兵衛を指さし、万右衛門を指さした。
「私がなんの証人だ」と七兵衛がどなり、七十郎は、怒るな、怒ると損をするぞ、と冷笑した。
「私がなんの証人だというのか」と七兵衛は叫んだ。
「絵解きをするかね」と七十郎が応じた。彼の唇にはまだ冷笑が刻まれており、その眼はするどく、七兵衛の面上に射込まれていた。
「おまえはさっき、──私は人の評に誤られていたと云った、人の評を信じて、この七十郎を誤解していたと云った、それと同じことを三年まえにやったんだ、渡辺七兵衛は兵部宗勝に焚きつけられ、真偽をたしかめもせずに、逆上して屠殺者を買って出たのだ」
「屠殺者だと」七兵衛は口をあき、そして嚇となった、「われわれを、屠殺者だと、いうのか」
「なかんずくおまえは、だ」と七十郎は声をおとして、忘れたのかと云った、「いつかの夜、一ノ関の屋敷の外でも、おまえは人を斬ろうとした、兵部を訪ねたなにがしとかいう浪人を、命ぜられて斬ろうとし、闇討ちを仕掛けた、そうだろう」
七兵衛は口をあいたままで、とび出すほど大きく眼をみはり、右手では反射的に、脇に置いてある刀をつかんだ。
「そうだろう七兵衛」と七十郎は続けた、「きさまは兵部に命ぜられて、罪の有無もわからない浪人者を斬ろうとした、きさまは罪の有無を知らなかった、ただ兵部の言葉を信じ、兵部の命にしたがって斬ろうとした、坂本、畑ら四人もそうだ、きさまは相手の罪科を知らず、自分には斬る理由もなく、他の煽動に乗ってすぐに人を斬る、こういう人間を屠殺者というのだ、渡辺七兵衛、きさまそれでも屠殺者ではないか」
七兵衛は無礼者と叫び、刀を、左手に持ち変えながら立った。蚊いぶしをしていた宿の者は、二人とも、仰天して脇へとびのき、七十郎は静かに立ちあがった。東の遠い山の上に月が出ていて、川波が光り、せせらぎの音の中に、河鹿の声が一つだけ聞えた。七十郎は眼の隅で、万右衛門が刀の柄に手をかけるのを見ながら、自分は左手に刀をさげたまま、七兵衛に向かって、抜くまえに考えろ、と云った。
「兵部邸の外であったことを忘れるな、あのときおれが声をかけなかったら、きさまはあの浪人に斬られていたぞ」
七兵衛は立っていて、万右衛門が抜いた。万右衛門の手に、きらっと刀が光り、七十郎がそっちを見た。万右衛門は月に正面してい、肉の厚い大きな顔の、太い眉と、白い歯とが見えた。
「刀は抜いたときが勝負だぞ」と七十郎が云った。
万右衛門は動かず、七十郎はじっと彼をにらんで、それから微笑しながら、宿の者の一人に、「おい佐平、この二人を宿へ送ってゆけ」と云った。万右衛門が動いた。七十郎は彼を見た。五拍子ばかり万右衛門をみつめていて、それから、棒立ちになっている七兵衛に眼をやり、静かに元の場所へ坐りながら、「伊助はここへ来て酌をしろ」と云った。
宿の者の一人が、近よって来た。
「こうなると主持ちは哀れだ」と七十郎は盃を取って、くすっと笑いながら云った、「おれは斬っても斬られても、迷惑する者も泣く者もない、ところが扶持を貰い、家族縁類があると、そうはいかないからな、──おい佐平、二人を送ってってやれ」
「万右衛門、刀をおさめろ」と渡辺七兵衛が云った。彼は、こっちへ背中を向けている七十郎をにらみ、それからぎごちない口調で訊いた。
「別れるまえに、もう一つ聞いておこう」
「伊助、酒を注げ」
「私が証人だという意味を聞かせてくれ」
「自分でわかる筈だ」
「そこもとの口から聞きたい」
「頭の悪いやつだ」と七十郎は振返って云った、「おまえは自分でしたことがなんであったか、もうとっくに感づいているだろう、坂本たち四人を斬ったことも、兵部邸の外で浪人者を斬ろうとしたことも、──それが忠誠のためではなく、兵部宗勝その人のためであり、自分は単に煽動され利用されたにすぎない、ということを、おまえ自身とっくに感づいている筈だ、そうではないか」
「なぜ私が感づいていると思うのか」
「そこまで自分をばかにするな」と七十郎が云った、「感づいていなければおれを斬る筈だ、もちろん、おれは斬られはしないがね、しかしおまえが刀を抜けなかったのは、おれの云ったことに思い当るふしがあったからだ、もっと詳しく聞きたいか」
「もう充分だ、また会おう」
「たくさんだ、会う必要はない」
「いや会おう」と七兵衛は云った、「そこもとの思案は聞いた、私には私の思案がある、こんど会ったときには、私の思案を聞いてもらおう」
「たくさんだ、おれにはそんな暇はない」
そして七十郎は手を振った。宿の者の佐平と共に二人は去り、七十郎は伊助という若者と、そこに残った。
──颯爽たるものだな。
という声が聞えた。
──颯爽たるものだ、七十郎、いい気持らしいな。
それは七十郎の頭のなかで、冷笑するように聞え、その声の主の顔までが見えた。その声は原田甲斐宗輔の声であり、その顔はなごやかな、しかし皮肉な、微笑をうかべていた。七十郎は恥ずかしさのあまり嚇となった。
「原田ごときがなんだ」と七十郎は思わず云った、「あのくわせ者が、──」
伊助という若者はびくっとし、脇から、おそるおそる彼の顔を見ていた。川の瀬音が高く、河鹿の声が一つだけ、まをおいて、ときに低く、ときに音を張って、聞えて来た。七十郎は強く頭を振った。いま見えた人物の幻像を、うち消そうとでもするように。それから酒を呷って、呟いた。
「くわせ者め」
帯刀は話しをやめて、じっと宇乃の横顔を見まもった。彼は原田家の嗣子で、年は十七歳になる。父の甲斐には似ていない、おそらく母親似なのであろう。色が白く、おもながで、眉が濃く、澄んだいい眼をしている。幼名は采女といい、ずっと病身であったが、十五歳のとき元服し、帯刀宗誠となのるようになってから、眼に見えて背丈も伸びたし健康にもなった。
甲斐も背丈は高いが、帯刀も高い。いまでも五尺五寸ちかくあるが、もっと伸びるだろう。顔は母親に似たようだが、躯つきや性格は父親のを受継いだらしく、その口ぶりも、動作も、おっとりと、老成してみえた。二人は樹蔭の草の上に、腰をおろしていた。そこは砦山の中腹で、東に面し、松林にかこまれていて、向うに船岡の町と、原田家の館のある丘が眺められた。
宇乃は館のほうを見ていた。彼女は十六歳になり、胸や腰のあたりには、すでに、おとなびたまるみがみえるが、顔つきはまだ少女のままで、張のある大きな眼にも、鮮やかに赤い、しめった唇にも、媚びや嬌羞は少しも感じられなかった。
松林の影で、宇乃の顔は青く染っているようにみえた。影に区切られた地面の向うには、初秋の午後の強い日光をあびて、伸びた雑草がいちように葉先を垂れてい、そこから、蒸れた草の香が匂って来た。宇乃は「あら」といって、吃驚したように振向いた。
「どうなさいましたの」
「宇乃こそどうした」と帯刀が微笑しながら云った。宇乃は眼を大きくまたたいた、すると、その眼はもっと大きく、はっきりと澄んだ光を帯びた。
「わたくし、どうか致しまして」
「話しを聞いていなかった」と帯刀が云った、「私の話しを聞かずに、なにか考えごとをしていた、なにを考えていたんだ」
「いいえ、なんにも」と宇乃はかぶりを振った、「わたくしお話しをうかがっておりましたわ、ちゃんとうかがっていて、あら、──」
彼女は赤くなり、帯刀を見あげて、にっと、恥ずかしそうに頬笑んだ。帯刀は、それごらん、というふうに、宇乃を見た。宇乃はその眼に頷いた。
「いいよ、云わなくともわかっている」と帯刀が云った。また父のことだと、彼は思った。宇乃がそんなふうにしているときは、必ず、甲斐のことを想っているのである。これまでたびたび経験しているので、帯刀にはすぐに見ぬくことができた。
「こんどは大丈夫ですわ」と宇乃は膝を直した、「こんどはちゃんとうかがいますから、どうぞあとを話して下さいましな」
帯刀は話しを続けた。
彼は原田家の歴史を語っているのであった。それはほぼ伊達氏の歴史と相伴ったもので、すなわち、右大将源頼朝の旗下であった非蔵人朝宗が、伊達氏の始祖であり、その二代、常陸介宗村の代に、原田家の祖、与次郎がその家臣となった。宗村は常陸から奥州へ所替になり、伊達郡に館を構えて「伊達」を称してから、隠居した陸奥守綱宗までが十九代、原田家も与次郎から甲斐宗輔までが、同じく十九代であった。
原田は古くから宿老の家柄であり、伊達家では一、二の臣といわれて来た。政宗が仙台に移ったとき、原田家も柴田郡船岡へ替り、以来、百年ちかいあいだ、館主として船岡を領していた。
「先祖の逸話はあまり伝わっていない」と帯刀は静かに云った、「十六代の大蔵宗政という人が、輝宗さまのとき相馬の合戦で討死をしたことと、次の左馬助宗時という人、この人は頭もよかったし、戦いにも強かったらしい、幾たびも戦場へ出て功名手柄をたてたが、朝鮮の役で病気になり、二十九歳で亡くなった、そのとき貞山(政宗)さまはたいそう悲しまれて、追悼のため和歌六首を咏まれたということだ」
「それだけですの」
「私が聞いたのはそれだけだ」と帯刀は頷いた、「原田家では、昔から自分の家のことは云わない習慣らしい、特に勲功や美談については、書き遺したり云い伝えたりすることが決してない、まるで、そういうことを恥じてでもいるようなぐあいなんだ」
「ああ、わかりました、わかりましたわ」と宇乃が云った、「あなたのお話しぶりが、おじさまによく似ていらっしゃるからですわ」
「似ているからどうした」
「ですから、あなたのお話しをうかがっていると、すぐにおじさまのことを思いだしてしまうんです、お声は少し細いようだけれど、お話しぶりはそっくりですわ」
「父はこんなに饒舌りはしない」と帯刀は眼を伏せ、いくらか憂いのこもった調子で、呟くように云った、「父はいつも黙っている、これまで私は、父とゆっくり話した覚えがない、そんなことはいちどもなかったようだ、もしかすると、私が父に疎まれているのかもしれないが」
「そんなことがあるものですか」と宇乃はかぶりを振った、「あなたを疎むなんて、そんなことがある筈はありませんわ、おじさまはいつもお口数が少ないし、思っていることもお口には出さないで、心でかよわせる、という御性分ではないでしょうか」
「宇乃は、わかっているように云うな」
「ええわかっていると思います、わたくしにはよくわかるように思いますわ」
帯刀は宇乃を見た。宇乃は続けて云った。
「黙っていらしっても、おじさまのお眼を見ると、なにを考えていらっしゃるか、いまなにを欲しがっていらっしゃるか、宇乃にはすぐにわかりますわ」
「父がなにか欲しがることがあるか」と帯刀は笑った。
宇乃は「まあ」といって羞み笑いをし、茶とか菓子とか、食事などの意味である、と答えた。帯刀は頷いて、宇乃は賢いからなと云った。
「私にはわからない」帯刀は空の向うへ眼をやり、ふと嘆息するような調子で云った、「父はなにか隠している」
宇乃は彼を見た。帯刀は、父はなにか心の内に隠している、と続けた。
「母を離別した理由もわからないし、あんなに親しかった松山の茂庭家や、涌谷の安芸さまと疎遠になったわけもわからない、里見十左衛門も来なくなった、──十左どのは、しんそこ父に傾倒していて、国許と江戸の往来には、必ず船岡で幾日か滞在していったし、いつも、父のためなら死も辞さないというようすだった、それが暫くまえから顔も見せない、街道を通っても、決して船岡へ寄ろうとはしないのだ」
なにかあったのだ、なにか重大なことが起こっているに違いない、と帯刀は云った。
「父は非常な重荷を負っているようだ、理由はわからないが、非常に辛い、苦しい立場にあって、それを一人で踏みこらえているように思う、私にはそう思われる」私はそれが知りたい、父の負っている重荷がなんであるか、父がどんな立場にあるのか知りたい、と帯刀は続けた、「父はお祖母さまにも話さないようだ、お祖母さまは勘づいているかもしれない、あのとおり気丈な方だ、父のことはよく理解しておいでだから、しかし父からは、お祖母さまにはなにも云わないらしい」
それはいい、祖母に心配をかけないのはいいのだ。けれども私は違う、と云って、帯刀は立ちあがった。彼は立ちあがって、館のある丘のほうをみつめながら、低い、訴えるような声で云った。
「私は男だ、年も十七になる、父は私にうちあけてくれなければならない、うちあけてくれないのは、私がたのみにならないからだろうか」
「いけませんわ帯刀さま」と宇乃が立ちあがった。宇乃は立っていって、帯刀の顔を見あげながら云った、「そんなふうにお考えになってはいけませんわ、もしもおじさまになにかあって、その必要があるときが来れば、おじさまはきっとあなたにお話しなさいますわ」
「いや、いやそうじゃあない」と。帯刀は頭を振った、「私は知っている、父は私を嫌っているのだ」
宇乃は眼をみはって彼を見た。父は私を嫌っている、という終りのその言葉は、なにげない調子であるのに切実で、絶望的な響きさえもっていた。宇乃は唾をのみ、帯刀から眼をそらした。そうかもしれない、と宇乃は思った。
甲斐は船岡へ来ても、殆んど館にいることはなかった。山の小屋にこもって、与五兵衛を相手に、狩をしたり、木を伐ったり、また書物を読んだりして暮す。帯刀は男の子だから、そういうときには伴れてゆくのが当然なのに、甲斐はいつも独りであった。館にいるときでも、帯刀とゆっくり話すようなことはなかったし、鹿狩でけがして、あとの養生に青根へ湯治にいったときも、帯刀ではなく宇乃を伴れていった。
──本当にそうかもしれない。
帯刀の云うとおり、本当に甲斐は帯刀を嫌っているのかもしれない。だが、なぜ甲斐は帯刀を嫌うのだろうか。甲斐には男子が四人あるが、二男の仲次郎は飯坂家へ、三男の喜平次は平渡家へ、四男の五郎兵衛は剣持家へと、それぞれ養子にはいり、残っているのは帯刀ひとりである。他の三人の誰かを、特に愛していたようには見えないし、一人だけ残った長男を、どうして嫌うのだろうか。どうしてだろうか、と宇乃は思った。
「どうやら饒舌りすぎたようだ」
帯刀は袴を手ではたき、帰ろうかねと云った。
「お話しはそれだけでしたの」
宇乃は、彼と共に、歩きだしながら、こう云って彼を見あげた。帯刀はあいまいに頷いた。
「もう一つあったのだが」と彼は坂道へかかったとき、低い声で云った、「本当はその話しをしたかったのだが」
「わたくしうかがいますわ」
「それが話せなくなった」
「どうしてですの」
「話してもむだだということがわかった、原田家のことを話しているうちに、もう一つのことは話さないほうがいい、ということがわかったのだ」
宇乃は眼を伏せた。同じようなことがあった、と宇乃は思った。たしかに、いつかどこかで、これと似たようなことがあった。そう思いながら、ふと眼をあげると、坂道の左に、熟れた実をびっしり付けた、茱萸の木があるのをみつけた。宇乃は足を停めて、まあきれいな、と眼をみはった。
「欲しければ折って来ようか」
「ええどうぞ」と宇乃が云った、「おばさまへ、お土産に致しますわ」
帯刀は宇乃の顔を見、すぐにその眼をそらしながら、いやと、首を振った。
「お祖母さまにだ、あの人にではない、土産にするならお祖母さまにだ」
宇乃は「はい」といった。
帯刀の眼はきつく、その声は激しかった。彼が新らしい母になじまないことは、宇乃もよく知っていた。甲斐の二度めの妻は、津田玄蕃の妹で、名を伊久といい、今年二十九歳になる。結婚するとすぐに、甲斐は江戸へ去り、伊久はあとに残った。まだ夫婦とは名ばかりであるし、原田家の主婦としても、その位置は安定していなかった。──館の中で、彼女は殆んど孤立していた。一日にいちど、隠居所へ挨拶にゆくほかは、自分の化粧室で、実家から付いて来た三人の待女を相手に、ひっそり暮しているのであった。
帯刀は「あの人」と云った。彼が伊久女となじまないことは、宇乃も知っていたが、いまの眼の色や、あの人、という言葉つきには、単になじまないばかりでなく、むしろ反感をもち、嫌っているということがあらわれていた。あの方のどこがお気にいらないのだろうか。帯刀の温順な性質を知っているので、宇乃にはそれが意外でもあり、理解がつかなかった。
彼は灌木の繁みをわけて、斜面を登ってゆき、茱萸の枝を折って来た。熟れて紅玉のような色をした実が、びっしりと生っている枝で、彼は手指を傷つけていた。茱萸の枝の棘にひっかけたのだろう。右手の中指に掻き傷があり、血がにじんでいた。
「ちょっと縛りましょう」宇乃はふところ紙を出した。
「いいよ、なんでもない」
「だってとがめるといけませんもの、ちょっと縛るだけ縛っておきましょう」
紙を細長く折り、宇乃は帯刀の手を取って、傷ついた指へ口を当て、血を吸い取った。宇乃の唇が指に触れたとき、帯刀の手がぴくっとなり、彼は息を詰めた。宇乃は吸い取った血を脇へ吐き、それを三度くり返してから、折った紙で傷のところを縛った。
「やっぱり話してしまおう」帯刀は顔をそむけて云った、「私に縁談が起こっている、相手は松山の娘だ」
宇乃はまあと帯刀を見あげ、それはおめでとうございます、と云った。
「私は気がすすまないのだ」と帯刀は云った、「しかしお祖母さまには逆らえない、お祖母さまも松山から来た人だし、その娘と私とは従兄妹に当る、──母があんなことになったうえに、三代も重縁というのは私は好ましくないんだ」
彼は宇乃の顔を見、やはりそこに予期したような反応のあらわれていないことを認めると、するどく眉をしかめて歩きだした。
宇乃は少し彼におくれて歩きながら、青根の宿であったことを思いだしていた。そうだ、あのときだった。さっき帯刀が「話してもむだだ」と云うのを聞いて、その表情や口ぶりが、まえにいちど経験したことのように思えた。同じようなことがまえにもあった、という気がしたのであるが、帯刀が縁談の話しを始めたとき、ああそうだと思い当った。
甲斐の湯治に付いていった青根の宿で、塩沢丹三郎から文をもらった。宇乃はどうしていいかわからず、その手紙を甲斐に見せた。甲斐は当惑したようすで、もうおまえも子供ではないのだから、こういうことは自分で始末をするがよい、と云った。
宇乃はそのままにしておいた。すると或る日、湯殿の控えで、丹三郎からじかに返辞を求められ、宇乃ははっきりと断わりを云った。自分はまだ年も若いし、父の罪でお預けの身だから、と云ったのであるが、本当は丹三郎に対してなんの感情も動かず、むしろ、文などを付けられたことで、かすかながらうとましくさえ思った。
いま帯刀に対しては、うとましいなどという気持は少しも感じない。また、彼は丹三郎のように、云い寄ったりしたわけではない。にもかかわらず、あのときと同じような、一種の感じで躯が固くなった。どうしてだろう。帯刀のうしろから歩いてゆきながら、宇乃はぼんやりと自問自答した。
彼はいちど、話してもむだだと云い、また思い返したように、縁談が起こっていることをうちあけた。これはどういう意味だろうか、自分が青根の宿のときのような、一種の警戒を感じたのは、なぜだろうか。
そんなふうに考えあぐねていると、前をゆく帯刀が、誰かに呼びとめられた。
「ああ、伊東さんですか」と帯刀が立停った。
そこは東陽寺の門前で、呼びとめたのは伊東七十郎であった。彼は船迫のときと同じように、旅嚢をひっかけた刀をかつぎ、笠をあみだにかぶり、汗だらけの顔で、笑っていた。
「久しぶりですね」
「すっかり大人になったな」と七十郎が云った、「館へ小野(伊東新左衛門)が来ているというので、これからゆくところだ、暑いのに山遊びかね」
七十郎は帯刀の持っている茱萸の枝を見、それから、うしろにいる宇乃を見た。かくべつ注意して見たわけではない、一瞥しただけで、すぐに帯刀と並んで歩きだした。
「小野さまは国老になられるのだそうですね」
「よせばいいのに、ばかな人だ」
七十郎はそう云って、ふと振返って、また宇乃を見た。宇乃は俯向いて、ゆっくりと歩いていた。
原田家の隠居屋は、別棟になっている。桁行七間、梁間四間半、茅葺き四注造りで、表てに十帖の座敷が三つ、接待、中の間、上段の間とある。これらは南に面しており、裏の北側に化粧の間と茶の間が続いていた。
上段の間は、おさ欄間、棹縁天床、西面して塗框の本床と、平書院を並べ、その左に袋棚と地袋の床脇がある。床間には山水の大幅が掛けてあり、白磁の香炉から、うす青い煙が、ゆるやかに立っていた。
隠居の慶月院(甲斐の母)は六十五歳になる。痩せてはいるが、しっかりした躯つきで、眼にも力があるし、口のききかたなども歯切れがよく、いまだに親族のあいだで、女丈夫といわれる意味が、その風貌によくあらわれていた。
慶月院と相対して、伊東新左衛門が坐っていた。彼はまえの日にこの館へ着いたのだが、持病があるのと旅の疲れとで、着くとすぐ寝所で躯を休め、いま初めて、隠居所へ挨拶に来たのであった。──青根で甲斐と会ったとき、彼は肥えているようにみえたが、いまはひどく痩せているし、皮膚の色も蒼黒く、艶がなかった。
「痩せたのがいいのです」と新左衛門は軽い咳をした、「四月ごろまでは肥えていたのですが、肥えていたのではなく浮腫だそうで、痩せ始めてからは、立ち居も楽になりましたし、病気も快方に向かっているのだと、医者が申しておりました」
「それが本当ならよいが」と慶月院は危ぶむように彼を眺めた、「見たところ膚のお色も悪い、その咳もこころもとない、もう少し丈夫になるまで、養生されるがよくはありませんか」
「そうできればよいが」新左衛門はこみあげてくる咳を抑え、懐紙で額の汗を拭いて、それから云った、「お聞き及びかと思いますが、吉岡の奥山大学どのが国老を免ぜられますので、どうしてもそのあとを、引受けなければならないことになったのです」
「吉岡どのは御罷免ですか」
「正式にはまだ仰せ出されませんが、江戸ではそう決定しているとのことです」
慶月院は頷き、新左衛門の咳のやむのを待って、そういうことなら、と云った。
「そういうことだとすると、御新任のあなたにはいっそう重荷のかかることでしょう、わたくしは御政治むきのことはかいもく知りません、けれど、松山が国老の任を解かれたのも、吉岡どのが罷免されるのも、なにか裏に糸がひかれているようで、──これはわたくしの独り合点でしょうが、そのあとにあなたが直られるということは」
新左衛門が手をあげて、「わかっております」と遮った、「それは承知のうえのことで、それについてうかがいたいことがあってまいったのです」
慶月院の表情が固くなった。
「──わたくしになにをお訊きなさる」
「船岡どのの御心底です」と新左衛門が云った。
慶月院は眉も動かさなかった、「あれになにか御不審でもあるのですか」
「そこが知りたいのです」と新左衛門は低い声で云った。
彼は伊達安芸と茂庭周防、原田甲斐との極秘の盟約について語った。安芸と周防は外部から、甲斐は兵部宗勝のふところへはいって、相互に連絡を保ちながら、酒井老中と兵部による陰謀の触手を断ち、伊達宗家の安泰を護る、という手筈であったことを述べた。
「私は涌谷さまにも、松山どのにも会って、以上の経緯を聞きました、しかし、御両所とも、いまでは船岡どのの御心底危ぶまれる、と申されるのです」
「松山がですか」と慶月院は云った、「涌谷さまはともかく、松山がそんなふうに云うとは合点がゆきませんね、いったい甲斐のどこがどのように危ぶまれるのですか」
「私は去年、青根の宿で話しあいました」
「それは知っています」
「そのとき船岡どのは、私の問いに答えてくれませんでした、私はすでに国老就任の交渉を受けており、それをお受けするについて、船岡どのの意向を知りたかったのです、御承知のように痼疾があって、余命のほどもわかりません、私で御奉公のできることなら、この首を賭けてもお役に立ちたい、しんじつそう思って相談にでかけたのです、しかし船岡どのはなにも知らぬ、涌谷、松山との盟約などもない、家中の者は火のない煙を騒ぎたてているのだ、と云うばかりで、まったく相手にならないのです」
慶月院は内庭のほうを見た。皺をたたんだ彼女の眉間がひらき、その眼が、ひときわ強い光を帯びるようにみえた。
「──それで」と慶月院は内庭のほうを見たままで反問した、「わたくしにあれの心底を訊きたいと仰しゃるのですか」
「船岡どのはいま、一ノ関の与党になった、という評がもっぱらです」
「わたくしが思うのに」と慶月院はゆっくり云った、「三者の盟約が事実だとすれば、あれが一ノ関さまのふところへはいるのは、初めからの予定だったのではありませんか」
「そのとおりです」
「そうとすれば、一ノ関さまの与党になったと、評の立つことに不審はないでしょう」
「それはそのとおりなのです」と新左衛門は咳を抑えながら云った、「そのとおりですが、初めの約束と、船岡どのの仕方とがしだいにくいちがって来た、一ノ関との関係は密接になるが、涌谷さまや松山どのとは遠ざかるばかりなのです、初め、御内室を離別されたときは、一ノ関を謀る手段だと思われましたが、いまでは松山との縁を切るのが、本当の目的だったのだとさえ、いわれているのです」
「誰がそう云うのですか」
「涌谷さま、松山どの、その他の者も殆んどそうみております」
「あなたはどうなのですか」
「私は青根で話しあいました」
「それでやはり、あなたも甲斐が不審に思われるのですね」
「事実があるのです」と新左衛門は苦しげに云った。
彼はその事実を述べた。
一ノ関の領内にある金山の所属について、甲斐が、一ノ関に属す、と判定したこと。伊達領内の金山は、豊臣秀吉から「永代伊達家の専有」とすると約束され、徳川氏もそれを認めて課税さえもしない。兵部宗勝の所領は、宗家から分けられたものであるから、金山が伊達宗家に属するのは当然である。にもかかわらず、甲斐が強引に一ノ関に属すると判定したのは単に、兵部のふところへはいる手段とは信じがたいこと。また、涌谷と寺池(式部宗倫)との地境論でも、奥山大学から、一ノ関と岩沼(田村右京)の両後見に出された「六カ条」の申入れでも、甲斐はつねに一ノ関の利分になるように計らっているし、それについて、涌谷や松山にはなんの連絡もなく、却って離反する態度が強くなりつつあること、などを新左衛門は語った。
「これに類する、小さな事はほかにもあるのです」と彼は続けた、「私は船岡どのを信じたい、涌谷さまも松山どのもそうでしょうが、私は誰よりも船岡どのを信頼して来たし、いまでも、今後も、信じてゆきたいのです」
新左衛門は眼をあげて、慶月院をみつめながら云った、「御母堂のお考えを聞かせて下さい、船岡どのは盟約を守っておられるのか、それとも、しんじつ一ノ関の与党になってしまわれたのか」
「わたくしにはわかりません」
「貴女は御存じの筈です、ほかの母子ならともかく、貴女の船岡どのを見る眼に狂いはない、どうか御母堂の御意見を聞かせて下さい」
「わたくしにはわかりません」と慶月院は静かに云った。
「宗輔は年も不惑をすぎて、もう母親の手の届くところにはおりません、わたくしの手はもうあれには届きませんし、わたくしはただあれを信じているだけです」
「しかし、御母堂にはなにか、うちあけておられるのではありませんか」
慶月院はゆっくりと、首を振った。
「そうとおぼしきことも、ありませんでしたか」
「ございません、宗輔からそういう話しを聞いた覚えはありません、もし仮に、あれがそのようなことをうちあけたとしたら、わたくしは耳を塞いで叱りつけたでしょう」と慶月院は云った、「宗輔は不敏かもしれませんが男です、そのような大事について、たとえ母親にもせようちあけるようなみれん者なら、わたくしはわが子とは申しません」
「二心はない、と仰しゃるのですね」
「いいえ、わたくしはあれが、原田甲斐宗輔であることを信じているばかりです」
慶月院はそこで新左衛門を見、穏やかな口ぶりで云った。
「ただ一つだけ申しましょう。こんど孫の帯刀に縁談が起こりました、相手は松山の娘です」
「──松山どのの……」
新左衛門は訝しそうな眼をした。慶月院は頷いて云った、「わたくしはこの縁談をまとめるつもりでおります、宗輔にもさして異存はないでしょう、しぜん、あれが松山と絶縁するつもりだという評は、誤っていることになります」
「それは、まことでございますか」
「茶が冷えたようですね」
こう云って、慶月院は、宇乃さん、と呼んだ。静かであるがよく徹る声で、返辞が聞え、まもなく、茶の間に通ずる襖をあけて、宇乃が顔をみせた。宇乃は実の生っている茱萸の枝を持っており、慶月院はそれを眼にとめた。
「山で採ってまいりました」と宇乃がその枝を見せながら云った、「帯刀さまに砦山へ伴れていって頂きましたの、その帰りにみつけたものですから、お慰みにと存じまして、採ってまいりました」
「そう、みごとだこと」と慶月院は云った、「茱萸の実は赤くなれば、喰べてみなくとも熟れたことがわかる、──人の心の奥というものは、……」
新左衛門は隠居所を辞した。
茱萸の実は、喰べてみなくとも、その色で熟不熟がわかる、人の心底というものは……。慶月院の言葉はそこで切れたが、あとにどういう言葉が続くかは、およそ推察することができる。刀自は甲斐を信じきっているのだ、と新左衛門は思った。
館の客間へ戻ると、七十郎が酒を飲んでいた。
「躯のぐあいはどうです」
盃を口へもってゆきながら、七十郎は義兄を見あげた。彼は水をあびてさっぱりとし、借り着の帷子でくつろいでいた。
新左衛門は酒肴の膳を見て、憂鬱に眼をそらし、「うん」といってそこへ坐った。彼は七十郎が酒を飲むことを好まない。七十郎はまた義兄が酒を飲まないことを、玉に瑾だというのであった。
「柏屋に泊ったのを見た者があるというので、来てもらった」と新左衛門は扇子を動かしながら云った。咳が出て、彼は額の汗を拭いた。
「采女にも云いおいて来たが、そこもとにも頼んでおきたいことがある」
「躯のぐあいはいいんですか」
新左衛門は聞きながして、靱負おるか、と呼んだ。
家扶の鷺坂靱負が来ると、手箱と云い、こんどは激しく咳こんだ。七十郎は眼をそむけて、続けさまに酒を呷った。
新左衛門は額から胸までの汗を拭き、靱負の持って来た手箱をあけて、奉書に書いたものを取り出した。これを読んでくれ、と渡されて、七十郎は盃を下に置き、坐り直して、読んだ。
一、忠言あらば卑賤の者たりとも採用すべきこと。
一、親疎によって賞罰を軽重せず、阿諛の者を大敵とすること。
一、両後見、互いに隔心なきこと。
そして後見の伊達兵部と田村右京の名が書いてあった。
「これはまえに見ましたよ」
七十郎はそう云って、紙を巻いた。それは、青根の宿で原田甲斐にも見せたことがある。新左衛門は、それを預かっておいてくれ、と云った。
「出府したら、その三カ条を、誓紙として、両後見から取るつもりだ」
「出すと思いますか」
「拒絶すれば、私は国老にはならない」
七十郎は盃を取った。そして、低い声で、この三カ条をどう役立てるのです、と無関心に訊いた。
「その時が来ればわかる」と新左衛門が云った、「誓紙を取ったら采女に送るが、その写しとして、これはそこもとが持っていてもらいたい、私は必ず取ってみせる」
七十郎は心で頷いた。これなら大丈夫だ、と彼は思った。躯はひどく衰弱してみえるが、それは浮腫がとれたからだろう、両後見から誓紙を取る、必ず取ってみせる、という口ぶりには、ねばり強い精気が感じられた。
「よろしい、預かりましょう」と七十郎は云った、「もし必要なら、松山へも写しを作って渡しましょう」
「松山へ寄るのか」
「そのつもりです」
「いや、松山へはいい」
新左衛門は首を振り、済まないが休息する、と云って立とうとした。七十郎はどうぞと会釈したが、ふと義兄を見あげた。
「ここへは、なにか用でもあったんですか」
新左衛門は、うん、といった。
「刀自に会いに来たんだ」彼はちょっと躇ったが、七十郎の顔を見て云った、「私にはまだ船岡の気持がわからない、青根で話したときは、これはもうだめだと思ったが、あとになって考えると、本心を隠していたような気がしてならない」
「彼は人が変りましたよ」
「いつか私もそう云った」
「青根の話しのあとです」
「私もそう云ったが、しかし船岡はあれだけの人物だ、そうたやすく心変りをする筈はないと思う」
「で、どうだったんです」
「わからない」と新左衛門は太息をついた、「隠居の刀自は信じきっている、だが船岡のことはなにも知ってはいないようだ」
「彼のことは諦めましょう」と七十郎が云った、「私も江戸で会って、膝詰めで話してみたんです、もしも本音があれば、本音を吐かずにはいられないところまで追い詰めました、しかしむだでした、私は原田甲斐という男をよく知っています、ほかの者にはわからないことでも、私にはわかるんです、ほかの者の眼をくらますことができても、私の眼をくらますことはできません、彼は人間が変りました、原田甲斐はもうだめです」
「それは自分で慥かめよう」と新左衛門は云った、「里見十左も同じようなことを云っていた、十左は殆んど船岡を崇拝していたくらいなのに、このまえ来て同じように云っていた、私にはそれが訝しい、これまでもっとも近しかった人間が、そろって船岡から離れてしまう、涌谷さま、松山、そこもと、十左、そして私も、青根このかた私も同じように考えていた、これはなにかある、これにはなにか理由があると思うのだ」
「赤い花を見れば、誰の眼にも赤く見えるものです」
新左衛門はどきっとしたような眼で、七十郎を見た。赤い花、という言葉が、慶月院の云ったことを、思いださせたのである。そしていま七十郎は、誰の眼にも赤い花は赤く見えると云った。もちろん譬えではあるが、甲斐から離反する人たちが、同じ色しか見ていない、という意味にもとることができる。七十郎はもっともよく甲斐を理解していたようだ、けれども、甲斐はいま非常の立場にいる。平生の甲斐を見る眼で、いまの甲斐を正しく判断することができるだろうか。
新左衛門は「うん」と頷き、軽く咳こみながら立ちあがった。
「そうかもしれない、そこもとの云うとおりかもしれない」と立ったまま彼は云った、「だが私は自分で慥かめてみる、もういちど、腹を割って話してみるつもりだ、それが最後の御奉公だと思う」
「最後のですって、──」
「私はもう、いくらも生きられないのだ」
「ばかなことを」
「いや、もう長いいのちではない、それは自分でよく知っている、医者は病気が山を越したと云うし、自分でもときにそうかと思うこともある、だがそうではない、気力の衰えや、躯の芯から精のぬけてゆくことが、自分にははっきりわかる、もう先は短い、ということがわかったから、このいのち一つをお役に立てようと思ったのだ」
「貴方らしいな」七十郎は酒を呷って云った、「おれは治ると云いだす病人は死ぬが、もう死ぬと云う病人は治るものです」
「そこもとには似あわない」と新左衛門が微笑した、「そういう慰めはそこもとには似あわないな、だがもう疲れた、失礼して休息することにしよう」
「いつ江戸へ立たれますか」
「明日の朝、──」そう云って新左衛門は去った。
七十郎は銚子を取ったが、酒がなくなっているので「おい」と高い声をあげた。すると返辞が聞えて、辻村又之助が出て来た。又之助は十四歳になる、甲斐の側仕えにあがったが、江戸へは付いてゆかなかった。彼はむっとした顔つきで、焙った鮎の皿と、銚子とを膳の上に置いた。
「もう鮎もこんなに大きくなったのか」と七十郎が云った。
又之助は黙ってひきさがった。どこかの座敷で、新左衛門の激しく咳こむ声がした。七十郎は手酌で飲みながら、その苦しげな咳を聞くまいとするように、首を振り、そして続けさまに盃をかさねた。
咳はまだ聞えていた。
──御家老まで申上げます、お国許より相原助左衛門が使者にのぼりました。
「内膳に会えと申せ、隼人、あとを聞こう」
──次は渡辺七兵衛からの書状でございます。
「七兵衛だと」
──目付役にあげられ、七月に仙台へまいった、渡辺七兵衛にございます。
「わかった、彼には申付けたことがある」
──すばやく致しました。
「なにかみつけたか」
──鉛奉行に不正があると申します。
「聞こう」
──蔵方の記録をしらべましたところ、十五年以前、在庫の鉛六千貫の内、三千貫は払いかた相済み、三千貫は残りものとなっておりますのに、蔵しらべを致しましたら、二千貫の鉛が不足しておるということです。
「ふむ、十五年以前か」
──記録には、当時の勘定奉行、両名の見届けの判が押してあると申します。
「両人とはなに者だ」
──小染川市左衛門、只木下野とございます。
「うん、よし、考えておこう」
──どうあそばしますか。
「まず考えてみよう」
──すぐに人を遣わすがよいと存じますが。
「隼人はそう思うか」
──小染川、只木の両名を糾問すべきでございます、早く致しませぬと、かれらが気づいて、糊塗の手段をとるおそれがございましょう。
「うん、では誰か遣わそう、誰がよいか」
──今村善太夫と存じますが。
「役目はなんだ」
──目付役でございます、七兵衛と共にさきごろ目付役にあげられました。
「隼人がよければよかろう」
──善太夫は使えます。
「では彼にしよう、次はなんだ」
──増し御合力(勝手もと不如意の理由で、一門一家はじめ全家中に対して献上金を申付ける件)について、涌谷から御異議がまいりました。
「来ると思っていた」
──あらましを申上げます。
「要点だけ聞こう」
──先年の御合力は、小石川堀普請という、公用のためでやむを得なかったが、このたびは公儀から課役があったわけではないし、他に不当の加増なども多いようだから、また家中に不満の声があがると思う、もし必要なら、自分の知行二万二千石をぜんぶ献納してもよい、自分の妻子や家来どもは、一両年ならなんとでも凌ぎをつけるから、それで当座をまかなってもらいたい、ということでございます。
「知行献納か、ふん、そういう手で来たか、あのじじい、そういう手があったのか」
──涌谷でこう云いだされますと、知行を献納すると云う向きが、ほかにも出て来ると存じますが。
「あのじじいめ」
──おそらく、御一門ほか重職へも、この旨を通じてあることでございましょう、いかがあそばしますか。
「岩沼(田村右京)と相談してみよう、今年は亀千代どのの袴着があり、来年は将軍家の初の謁見がある、増し合力はどうしてもやむを得ないのだ、とにかく、すぐに岩沼と相談してみよう」
──次に、伊東新左衛門が出府いたしました。
「病気だと聞いたが」
──昨日到着して、すぐ医者の診察を受け、数日は休養のためにひきこもるとのことでございます。
「三カ条は諦めたのか」
──いや、奥山左内(伊東家の老臣)よりの書面によりますと、三カ条の誓紙がもらえなければ、国老就任は辞退する肚のようで、その仔細は松山にも話したもようだと、書いてまいりました。
「三カ条は呉れてやろう」
──御思案がございますか。
「三カ条は呉れてやる、呉れなければ国老にはならぬ、という言質を取ったうえでだ」
──と、仰せられますと。
「これは強談強請だ、後見職たるわれらを威して誓紙を取ることになる、そうではないか」
──わかりました。
「その誓紙は高くつくぞ、三カ条の誓紙がどんなに高くつくか、いつか彼は知るときが来るぞ」
──次を申上げます。
「重要なことか」
──柿崎六郎兵衛が、しきりに船岡にとり付こうとしております。
「柿崎とは、あの浪人者か」
──お手当を遣わしている浪人者です。
「船岡にどうしようというのだ」
──理由はわかりませんが、すでに両度まで面会しておるということです。
「彼はここへ、宮本新八を売りに来た」
──お役に立つとも誓ってまいりました。
「船岡へもなにか売るつもりであろう」
──呼びつけましょうか。
「見張っておれ、船岡になにを売るか、それを突止めさせろ、それによっては船岡の性根もわかるだろう」
──ではさように申付けます。
「船岡の動静に変ったことはないか」
──ございません。
「里見十左や伊東七十郎らが、甲斐から離れたように聞いたが、それもそのままか」
──まったく離反したようでございます。
「国から使者の用を聞こう」
──只野内膳にございます。
「国からの使者はなにごとだ」
──大槻斎宮より書状にて、里見十左衛門が増し御合力の不当を非難する文書を、諸方へ配っておると申し、その写しを送ってまいりました。
「隼人、読んでみろ」
──涌谷さまのものとほぼ同じようでございます。
「非難とは、なにを非難しているのだ」
──吉岡(奥山大学)どのの依怙による、加増、替地、任免をあげ、増し御合力は一部重臣の私腹を肥やすものだと、箇条を並べてございます。
「いま彼の役目はなんだ」
──小姓頭かと存じます。
「諸方へ配ったというのは家中だけか、それとも幕府国目付へも差出したのか」
──大槻の書状には国目付とはございません。文面から判断いたしますと、国老だけではないかと思われます。
「十左という男は役に立つ」
──はあ。
「彼は、義を見てせずということなし、と評されているそうだ、義を見てせずということなしか、はは、十左は役に立つ男だ」
──申上げます、河野道円がおめどおりを願っております。
「待たせておけ」
──私が会いましょう。
「ここへ来てはならぬと、申した筈だぞ」
──さように申したのですが。
「待たせておけ、おれから屹と申しつかわそう、内膳は、さがってよし」
「隼人、岩沼へ使いにいってくれ、明朝十時、御本家で会いたい、吉岡の処置を決定したいからというのだ」
──いよいよ御罷免でございますか。
「涌谷の書状と、十左の非難がよい材料になる、小野の伊東も出府したことではあるし、ちょうどいい時期だと思う」
──岩沼さまからまた反対が出ることでございましょう。
「岩沼は気の毒な人だ」
──はあ。
「いつも家中のおもわくを気に病み、さりとて正面からおれに楯をつく勇気もない、ぼそぼそとなにか申しては、尻すぼまりに引込んでしまう、いっそものを申さなければよいのだが、黙っているだけの肚もない、右京どのは気の毒な人だ」
──では岩沼へ、お使者に立ちます。
「待て、柿崎と申す浪人者が、船岡へなにを売り込むか、ぬかりなく見張るように固く申付けておけ」
──承知つかまつりました。
「ぬかるなと申せ」
──固く申付けます。
──八方から覗かれている。
と甲斐は思った。
──あの天床も、柱も、壁も襖も、みんな生きていて、その眼でおれを見まもり、その耳でおれの気息をうかがっているようだ。
その寝間の灯は暗くしてあり、家の中はしんと寝しずまっていて、おくみの寝息だけが、断続して、かすかに耳についた。三日まえから、甲斐は、この湯島の家へ来ていた、「くびじろ」の角にかけられた傷が痛む、という理由で。事実、その年の梅雨に、傷は痛みだし、夏じゅうひどくこたえた。八月にはいってからおさまったが、医者は「よほど大事にしないとまた冬に痛みだすだろう」と云っていた。
おくみはよく眠っていた。初めて、甲斐と寝屋を共にしたので、すっかり満足し、安心しているらしい。暗くしてある燈火で、いかにも満足し安心しているような、寝顔が見える。おも長な、色の白い顔の、頬から眼のふちへかけて、ぼうと赤らみ、ゆるく閉じている唇も、まるで切り傷のように鮮やかに赤かった。
おくみは仰向けに寝て、薄い掛け夜具を胸乳のところまで掛け、両手は軽くその端をつかんでいた。解いた髪の毛が、枕の外へ垂れている。それはいちど解いて、自分の夜具へ戻るときに束ねたのだが、いまはまた解けて、枕の外へ垂れているのが、ふとすると生き物のように感じられた。
──どういうことだろう。
甲斐はおくみの寝顔を見まもりながら、心の中で思い返した。彼は四十五歳になる今日まで、幾人かの女を知っている。妻の律とは十六年の余もいっしょに暮し、四人の子を生んだ。けれども、他の幾人かの女たちと同じように、これが自分の女、これが自分の妻である、という実感をもったことはなかった。
おくみともすでに十一年になるが、寝屋を共にしたのはゆうべが初めてであるし、そうなったいまでも、やはり「自分の女」という感じが少しも涌いてこなかった。
彼女たちは、どんなときにも、彼の女であり妻であると同時に、まったく見知らぬ人であった。どういうことだろう、と甲斐は自分に問いかけた。自分には男としての情熱がないのだろうか、性格が冷酷なのだろうか、いやそうは思えない、と彼は自分に云った。そうは思えない。自分は人よりも激しい情熱をもっている、人よりもはるかに激しく、強い情熱をもっていることを知っている。
──また、決して自分は冷酷ではない。
自分が誰よりも感じやすく、情に脆いことを、自分はよく知っている。去った妻の律にも、他の女たちや、おくみにも、不実な気持で接したことはないし、不実なまねをしたためしもない。そんなためしの決してなかったことも、自分は知っている。
甲斐はじっと息をひそめた。ながいこと、じっと息をひそめていて、やがて「そうだ」と心の中で頷いた。
──自分はいつも、誰かに、どこかから見つめられていた。
幼ないときからそうであった。彼は五歳で父に死なれてから、船岡四千余石の館主として、周囲から見まもられて来た。寝ても起きても、いつも誰かに見まもられ、誰かに、うるさく世話をやかれたり、忠告され、意見されて来た。自由だったのは、山ごもりをしているときだけであった。そうだ、山にこもって、与五兵衛といっしょに狩をしたり、木を伐ったりするときだけ、そのときだけ自分は自由な、人間らしい気持になることができた。
──いまはさらに悪い。
いまの彼は、昔とはまるで違った眼と耳で、監視されている。その眼は、いま彼がこうして寝ているときにも、ひそかに彼をうかがい、その耳は彼の動静を聞きすましているのである。自分は誰にも、心をゆるせない。どんなばあいにも、こうして寝ていてさえも、心をゆるめるわけにはいかない。
「そうだ」と甲斐は呟いた、「これでは女に情をうつすことなどはできない、とうていできないことだ」
可哀そうに、と甲斐はおくみの顔を眺めながら、呟いた。するとおくみが眼をあいた。それまで眠っていなかったかのように、眼をあいて、静かに、こちらへ振向き、にっと、甲斐に頬笑みかけた。
「なにか仰しゃいまして」
「いや、なにも云わない」
おくみはまた微笑し、なん刻でしょうか、と云いかけて、ふとその眼をみひらいた。
「あらうれしい、やっぱり夢ではなかったんですね」とおくみは云った、「あたし夢のなかで夢だと思ってましたの」
「夢をみていたのか」
おくみはするすると夜具からぬけだし、甲斐のほうへ来て、彼の夜具の中へはいった。甲斐が場所をあけてやろうとすると、その躯にすがりつき、そっと、彼の肩のところへ顔を伏せた。
「ゆうべのこと、みんな夢だったんだって、夢のなかで思っていたんです」とおくみが囁いた、「誰かがそばにいて、夢だ夢だって、あんたは夢をみていたんだって、若いきれいな女の人のようでしたわ、夢をみただけなのに、可哀そうなひとだ、って云うのよ」
「よく眠っていたようだよ」
「起きていらっしゃいましたの」
「寝顔を見ていた」
「あらひどい、悪いかた」
悪いかた、と云いながら、おくみは片手を、甲斐のふところへ、すべりこませた。甲斐はするままにさせた。いつもなら身をよけるか、手を押し返すかする。そんなふうに狎れた接触は好まないのだが、そのときは黙って、おくみのするままになっていた。
「女の寝顔を見るのは、罪ですってよ」
「そうか、──」
「どんな顔をしていまして」
「きれいだったよ」
「悪いかた、少しもお眠りにならなかったんですの」
「そうらしいな」
おくみは甲斐の寝衣の衿をひろげ、その肌へ頬をすりよせながら、おかしいこと、と含み笑いをした。甲斐は黙っていた。おかしいわ、とおくみが云った。初めての晩には殿がたはすぐに眠るし、女はいつまでも眠れないっていうじゃありませんか、それなのにあたしは、すぐに眠ってしまって、自分が寝顔を見られているのも知らないなんて、なんだかずうずうしいようでいやだわ、恥ずかしい、とおくみは云った。甲斐は黙って、おくみの背を撫でた。
「でも、へんだわ」暫くして、おくみが顔をあげ、甲斐を見あげながら云った、「いつかの晩は、そこの隅にきれいな娘がみえたでしょ」
「知らないね」
「いいえ、ちゃんとみえたんですよ、ですからあたし怖くなって、逃げだしたじゃありませんか」
甲斐は手を伸ばして、団扇を取り、静かにあおぎながら、そうだと思った。自分も遠いこだまのように、おじさま、と呼ぶ声を聞いたように思った。
「そんな気がしただけさ」
「いいえ慥かに見えたんです」
「眼の迷いだ」と甲斐は云った。それは自分の聞いたのが幻聴にすぎなかった、ということを、自分に慥かめるような調子であった。
「そしてまた今夜も」とおくみは続けた、「夢のなかへきれいな女が出てきて、邪魔をするようなことを云うなんて、同じようなことが二度もあるなんてへんだわ」
「少しはなれないか」
「きっと誰か嫉んでいるのよ」
「暑い、少しはなれてくれ」
「誰かいるのね、そうでしょ」
おくみは甲斐の躯へ手をまわした。片手で甲斐の持っている団扇を取って投げ、きっと誰かいるのよ、と云いながらのしかかろうとした。甲斐は顔を急にそむけながら、はっきりした声で「起きているぞ」と云った。
おくみはとびのいた。すると襖の向うで村山喜兵衛の声が聞えた。
「松山さまがみえました」
「──松山だと」
甲斐はいぶかしそうに聞き返し、そして、すぐにゆくからいつもの座敷へとおすようにと云って、「いまなん刻であるか」と訊いた。喜兵衛は襖の向うから、やがて七つ(午前四時)になろう、と答えて去った。
「つまらない」とおくみは云った、「十一年めでようやくおもいがかなったのに、ゆっくりお話しをすることもできないんですもの、つまらないわ」
「着替えをたのむ」と甲斐は起きあがった。
おくみは甲斐に抱きつき、そっと抱きしめたが、すぐにはなれて、自分の衿褄をつくろいながら、立ちあがった。
茂庭周防は裏の小座敷にいた。──外はもう明るんでいるであろう、雨戸が閉っているので、その小座敷は暗く、雪洞の光を横からうけて、周防の顔は片かげりに尖ってみえた。
甲斐は生麻の帷子の着ながしに、脇差だけ持って出て来た。
「急の出府だな」
「昨日の暮れまえに着いた」と周防が云った、「此処へ来るのは危険だと思ったが、もらった手紙について、涌谷さまの伝言があるから押して来たのだ」
「聞かせてもらおう」
「そのまえにきくが」と周防は甲斐を見た、「手紙に書いて来たことには、根拠があるのか」
「根拠はない」
「そこもとの想像か」
甲斐はそうだとうなずいた、「酒井侯のようすで判断したのだ、侯の私に対する態度が、あまりに辛辣で執拗すぎる、なんのためかよく考えてみた」
雅楽頭ほどの人物が、兵部宗勝などを近づけ、兵部の子に自分の養女をめあわせ、一万石の直参大名にしたのはなぜか。さらにさかのぼって、陸奥守綱宗を、ほとんどこじつけに等しい理由で譴責し、これに逼塞を命じたのはなぜか。綱宗隠居のあと、世子のことで難題を出し、あたかも、兵部の子を世子に直せ、といわんばかりの態度を示したのはなぜか。
そして、これらをひっくるめて、伊達六十万石を分割し、兵部に三十万石を与えるとか、片倉小十郎にしかじか、立花大助にこれこれなどと、密約したというのはなぜか。
「私は繰り返し考えてみた」と甲斐は静かに云った、「そして、ふと、川越侍従(松平信綱)の死去ということが頭にうかんだ」
おくみがはいって来たので、甲斐は口をつぐんだ。おくみは周防に挨拶をし、茶をすすめて、甲斐の顔をもの問いたげに見た。甲斐は頷いて、「支度しておいで」と云った。おくみは会釈をして出ていった。
「伊豆守信綱が、去年三月に死んだことを思いだしたときに、こんどの事がすべて計画されたものだ、ということに気がついたのだ」
「もらった手紙には、豆州侯の遺産だと書いてあった」
「伊豆守が計画し、雅楽頭がひき継いだものだ」
「もう少し聞こう」
「まず、伊達六十万石を寸断する密約がある、ということを聞かされたのは松山だ」
「いかにも、私が聞いた」
「知らせたのは誰だ」
「久世(大和守広之)侯だ」と周防は甲斐の眼を見つめながら云った、「小石川の普請小屋へ、久世侯から密使が来て私が呼ばれ、侯自身からしかじかと聞かされたのだ」
「侯は将軍家側衆であった」
甲斐の声は低く、水のように静かであった。周防は訝しそうな顔で、じっと彼の眼を見まもっていた。
「そのとき侯は、早く陸奥守さまの隠居願いを出すこと、亀千代ぎみ相続の願いを出すことをすすめ、なお、白石(片倉小十郎)は六十万石分割の密約で、直参大名になることを承知しているかもしれないから、彼にはすべて内密にするように、と注意されたと聞いたように思う」
「そのとおりだ」
「さて、そこで考えてみよう、将軍家側衆である侯が、どこで、どうして、雅楽頭と一ノ関との密約を知ったか」
「話しの途中だが」と周防が遮った、「久世侯は当代十善人の一に数えられている人だ」
「誰によってだ」と甲斐は周防を見、すぐに、まあいいと云った、「徳川幕府という機構のなかで、十善人の一に数えられていることは認めよう、だが、侯はどこまでも徳川氏の譜代であり、幕府閣僚の一人だ、外様諸侯の代弁者でもなければ、もとより伊達家の庇護者でもない」
「では久世侯も雅楽頭と同腹だというのか」
「いや、そうは云わない、私はただ事実を検討してみたまでだ」と甲斐が続けた、「雅楽頭と一ノ関の密約を、どうして侯が知ったか、ということ、どうしてそれを伊達家に伝える気になったか、ということ、──なぜなら、侯と伊達家とは、侯が雅楽頭の裏を掻くほど、深い関係ではないからだ」
「また」と甲斐は続けた、「密約によって利分を受ける人々のなかに、白石の名を加え、白石には内密にするように、と忠告したことは、重職のあいだに疑心を生じさせ、互いに離反させる原因となった」
「私には信じられない、私は久世侯をかなりよく知っている、侯の人と為りからみて、そこまで企むことができるとは思われない」
「私も侯が企んだと云ってはいない、侯はただ石を投じただけだ、仮に、それが好意から出たにもせよ、石が投げられたこと、それがどんな波紋を起こし、どのようにひろがりつつあるかは、松山も現に見ているだろう、繰り返して云うが、侯は石を投じた、侯は将軍家側衆であった、これが事実だ、この事実は動かすことができない」
「すると、久世侯は使嗾されたというのか」
「侯は十善人の一人だという」
「背後に豆州侯がいたというのだな」
「否というより、然りと云うほうが自然だろう、元和このかた、大名取潰しは幕府の根本政策の一つであり、その主脳は伊豆守であった」
「しかし伊達家には、東照公から永代不易の安堵状が渡っている」
「安芸の福島(正則)はそうではなかったろうか、芸州も同じように永代不易の安堵状が渡されていた、しかし、幕府の権威と実力を確立するためには、一枚の紙きれなど反故に等しい、芸州はひと揉みに潰されている」
周防は自分の膝へ眼をおとし、両手の指を組み合わせた。
「伊達家はいま三大雄藩の一だ」と甲斐は続けて云った。
「もしうまく伊達家を潰すことができれば、加賀の前田や薩摩の島津へも手が付けられるかもしれない」
「そこまで考えるのは、ゆきすぎではないか」
「かもしれない、というのだ」と甲斐は云った、「従来の例では、幕府が外から揉み潰した、しかしこんどは内部から崩壊させる、という手を打っている、六十万石寸断の密約という一石から始まった動揺は、明らかにそれを示しているし、今後もその方向に動いてゆくだろう、そう思えないか」
周防は茶をすすった。それはすでに冷えていたが、周防は殆んど無意識にすすり、それから太息をついた。
「内部から崩壊させる、というこの手が、もし成功するとすれば、幕府は加賀、薩摩にも手をつけるだろう、そんなことは不可能だという証明はどこにもない、むしろ、ありうると考えるほうが自然だ」
「それで」と周防は眼をあげた、「前田家と連絡をとるというのだな」
甲斐は頷いて云った、「加費藩の留守役で奥村藤兵衛という人に、おくみの兄の雁屋信助から糸を付けた、知ってのとおり、信助は唐船をやっているので、加賀藩の抜荷船とかかわりがある、それを手掛りに、引寄せようと思う」
「涌谷さまはそれを待てといっておられた」
「なんのために」
「船岡のことだからぬかりはあるまいが、いまはなにごとも大事のうえに大事をとらなければならぬ、帰国のおりじかに会って、よく話しも聞き自分の意見も述べたい、加賀へ呼びかけることはそれまで待つように、と念を押しておられた」
「私の帰国は春になる」
「それなら僅か半年だ」
「僅か半年」と甲斐は云った。僅か半年と口の中で呟き、周防を見てゆっくりと頭を振った、「いや、この件については、任せてもらうことになる」
「涌谷さまになんと伝えよう」
「ありのままでいい」と甲斐は云った、「私からも手紙を出す、御趣意はたしかにうけたまわりましたと申そう、松山からは、御意見をたしかに申し伝えた、とだけいってもらいたいが、不承知だったといってもいい、私が軽率なことをするかどうか、松山は知っている筈だ」
「それは慥からしいな」と周防は苦笑した、「里見十左はともかく、伊東七十郎まで怒らせたには驚いた」
「彼に会ったのか」
「小野の留守を預かるのだそうで、仙台の屋敷へ訪ねて来た」
「彼を怒らせるのは辛かった」
「しかし効果は一倍だ」
「彼だけは怒らせたくなかった」
「だがほかの誰よりも効果はあった、七十郎は家臣でもないのに、家中の者に深く信頼され、好かれている、そのうえ、彼が船岡に心からうちこんでいたことを、知らない者はなかったからな」
甲斐は雪洞のほうを見た。額に深い皺が刻まれ、その口から、かすかに溜息がもれた。
「小野と会ったか」と周防は訊いた。
「いや、面会の申しこみはあるが、まだ会わない」
「三カ条は取ったそうだな」
「そういうことだ、吉岡の罷免も近いし、小野は国老になるだろう」
そう云って甲斐は小窓のほうへ振向き、「明けたようだな」と呟いた。
「ときに、帯刀どのとの縁談のことだが」
と周防が話しを変えた。だが、甲斐は立ちあがって、その話しはまたのことにしよう、と云い、「いるか」と襖の向うへ呼びかけた。
そのとき裏庭で、けたたましい物音と、人の喚く声が聞えた。裏の喚き声は、「くせ者」とか「逃がすな」と云っているように聞えた。
甲斐は周防を見た。周防は首を振って、「大丈夫、決して跟けられはしなかった」と云った。そこへ襖をあけて、おくみが顔を見せた。甲斐はおくみに、「支度が出来たか」と訊き、松山を案内しておいてくれ、と云った。
彼は小座敷から出て、廊下を曲ってゆき、杉戸をあけて、裏庭を見やった。すっかり夜は明けたが、外は濃い霧で、板塀も木戸もおぼろげにしか見えなかった。その霧の中で、村山喜兵衛と辻村平六のどなるのが聞え、その間合に、「怪しい者ではない、原田どのに面会したいだけだ」と叫んでいる声が聞えた。
「おめにかかればわかる」とその声は云っていた、「まえにもいちどこの家でおめにかかった、私は柿崎六郎兵衛という者だ」
甲斐は黙って聞いていて、それから、「喜兵衛」とそちらへ呼びかけ、ここへお伴れ申せ、なんの用か聞こう、と云った。
喜兵衛と平六に左右を挾まれて、柿崎六郎兵衛がこっちへ近づいて来た。甲斐は廊下に立ったまま、上から静かに見おろした。六郎兵衛はほつれた髪を撫で、衿や袖の歪んだのを直しながら、「暫くでございました」と甲斐を見あげた。
「御意を得たいと、しばしば申し出ましたがお返辞がない、やむなくかような不作法を致したのです」
「用件を聞きましょう」と甲斐が云った。
「他聞を憚るのです」六郎兵衛は左右の二人を見て云った、「このまえすでに申上げましたから、他聞を憚るということはおわかりでしょう、どうかお人払いを願います」
「その話しなら無用です」と甲斐は穏やかに云った、「私には縁もなし、聞く興味もない、どうか引取って下さい」
「原田どの」
六郎兵衛の声には哀願のひびきがあった。しかし、甲斐は向き直ってそこを去った。うしろで、原田どの、と六郎兵衛の呼びかける声が聞えた、「貴方は後悔しますぞ」
だが甲斐はまっすぐに前を見たまま、静かな足どりで去っていった。
洗面をしたあと、鏡の前に坐った甲斐は、鏡面に写っている自分の顔を、じっと見つめた。両の耳のところに、白髪がふえ、額の皺が深くなった。額の深くなった皺と、両の鬢に眼立ってきた白髪とで、すっかり面がわりがしたように見えた。
「ひどい荷を、背負ったものだ」と甲斐は呟いた。
ひどい荷を、と口の中で繰り返したとき、おくみがはいって来た。甲斐は着替えをしようと云って、立ちあがった。
おみやが駿河台下の家へ帰ったとき、兄の六郎兵衛は酒を飲んでいた。時刻は午後五時すぎ、──道場ではまだ稽古の音がして、門人を教える野中又五郎の、よくとおる、甲の高い声が聞えていた。
おみやはさきに新八の部屋へいった。もううす暗くなった部屋の中で、宮本新八は仰向きに寝ころがり、手足を投げだして、だらしなく眠っていた。それまで読書でもしていたものか、傍の小机の上に、一冊の本がひらいたまま置いてある。それでも勉強するような気持になったのね、おみやはこう思って、そっと覗いてみると、それはなにかの浄瑠璃本であった。
「新さん」おみやは彼をゆり起こした、「起きてちょうだい、新さん、あたしよ」
新八は眼をさました。ぼんやりと眼をさまし、そこにいるのがおみやだとわかると、寝たまま手を伸ばして、おみやを抱こうとした。
「だめよ、起きてちょうだい」おみやは彼の手を押し返した。
新八は訝しそうに女を見、足をぼりぼり掻きながら、大きな欠伸をした。それから、もの憂げに起きあがったが、ふいにとびかかっておみやをとらえ、暴あらしく抱いて、そこへ押し倒そうとした。
「よして」とおみやは激しく拒んだ、「人を呼ぶわよ」
「どうしたんだ」
「放してちょうだい」
「どうしたんだ」
「痛いから放してよ」
冷たく固い声であった。新八は手を放し、さらに訝しそうな眼つきで、おみやを眺めやった。どうしたのだ、おみやが拒む筈はない。いつもおみやのほうから求めるし、どんなに求めても飽きるということがなかった。
「兄のところへ来たの」とおみやは云った、「兄に話しがあるのよ、あなたにも話すことがあるの、あとで来るわね」
「どっちでもいいさ」新八はまた欠伸をしたが、こんどはそら欠伸のようであった、「おれのほうには、べつに用はないぜ」
「怒らないで」とおみやは低い声で云った、「いろいろ話して、わかってもらいたいことがあるのよ、怒らないで待っていてね」
「どうせ檻の中のけものさ、云われなくってもここにいるよ」
「すぐに来るわね」とおみやは云った。
新八はまたごろっと横になった。
柿崎六郎兵衛は酔っていた。
湯島の家へ、原田甲斐を訪ねたのは、二、三日まえのことであるが、帰って来ると飲みはじめたまま、寝るときのほか、ずっと飲み続けであった。
そばには女が二人いた。おきの、志保、といって、おきのが二十歳、志保が十九になる。まえにいた三人は出てゆき、この二人は三月に雇いいれたものである。まえの三人は、六郎兵衛の酒癖と乱暴に耐えかね、いとまも取らずに、逃げだしたのであった。いまいる二人も、六郎兵衛の癖には馴れようとはしない。もう五カ月にもなるが、彼の異常な性向には、どうしても応じなかったし、むりに命じでもすれば、すぐにでも出てゆくようすを示した。
──こいつらも長くはないな。
六郎兵衛はそう思いながら、ぎらぎらした眼でおきのを見、志保を見た。上品ぶった面はしているが、ひと皮剥けばこいつらは牝だ、色と欲で固まった牝にすぎない。彼はこれまでに知った女たちの、幾人かを思いだした。色情と物欲のほかには、なにものにも、些かの価値も認めない女たち。六郎兵衛はそういう女たちが好きであった。はっきり色と欲に割切っているほうが、「女」としても扱いやすく、かつ面白かった。
彼はまじめで上品ぶった女を見ると、そのかぶっている皮を剥いで、正躰をあらわしてやりたいという、衝動を強く感じた。あらゆる「女」は女であった。みんな底なしにいろ好みで、嘘つきで、欲が深い。女というやつは、自分がみた夢の話しさえ、正直には云わないものだ。しかし、彼はそれを非難するのではなかった。彼にとっては、それが「女」というものであり、それでこそ愛することができるので、それ以外の女がいるということは、考えもしなかったし、信じられないことであった。
縁側も窓も雨戸を閉め、燭台を三つ脇に置き、片肌ぬぎになって、彼は酒を飲んでいた。三日まえから戸を閉めたままなので、座敷の中は暑く、人いきれと酒の匂いとで、空気は泥水のように重く、濁っていた。声をかけて、その座敷へはいって来たおみやは、暑いのと息苦しいのとで、むっと胸がつかえるように思った。
「お月見の宴が終ったので、二日おいとまが出ました」とおみやは云った。
六郎兵衛はふきげんに妹を見た。その眼は酔のために、どろんと充血していた。
「それで帰ったのか」
「お話しもございます」
「あの件でか──」
六郎兵衛の眼が細くなった。おみやは頷いて、はいといった。
「よし聞こう、おまえたちは座を外せ」と六郎兵衛が云った。
女たち二人が去り、おみやは話した。少しも風がはいらないので、暑さもひどいし息苦しく、おみやは団扇を取って、兄と自分を代る代るあおぎながら、話した。
「それだけか」
聞き終った六郎兵衛は、たしかめるように妹を見た。彼は殆んど泥酔していたが、聞いているあいだに酔がさめたようすで、表情もはっきりしてきたし、充血した眼にも、するどい光があらわれた。
「十一月十日といったな」
「若ぎみのお袴祝いがあるのだそうです」
「十一月十日、間違いないな」
「わたくしはそう聞きました」
六郎兵衛は口の中で、もういちど、十一月十日、と呟き、独りで頷いてから、また妹の顔を見た。
「ほかにはないか」
「はい、ほかにはなにも」
「証文の件はどうだ、一ノ関と証文を取交わしたようだと云ったが、本当に取交わしたようすか」
「それはまだはっきりわかりません」
「ばか者、なんのためにあの邸へはいったか忘れたのか」
「その後あの話しは出ないのです、もしかすると聞きはぐったかもしれませんけれど」とおみやは兄を見て云った。
「わたくしはまだ新参のほうですし、勤めには順がありますから、いくら殿さまの御贔屓でも、絶えずお側にいるわけにはまいりませんわ」
「そんな云い訳は三文の役にも立たん、おれが眼と耳をはなすなと云ったら、云われたとおりにすればいいんだ」
「これまでは、そうして来たつもりです」
「褒めろとでも云うのか」
「いいえ、もうこれ限りわたくしの役は堪忍して頂きたいのです」
六郎兵衛は黙っていた。
「この話を聞いて頂くためにまいったのです、わたくし、もうこういう役は勤めません、これからはどうぞ、わたくしを当てになさらないで下さい」
六郎兵衛は黙って、疑わしげな眼で、じっと妹をみつめた。こいつ変ったぞ。彼は初めて気がついた。
はいって来たときから、おみやのようすは変っていた。顔つきも緊ったし、動作も、口のききようも、以前にはない屹としたものがある。まえにはどこかしら崩れたような、じだらくな媚が感じられ、不道徳な嬌めかしさが匂っていた。それらがいまは、洗ったように、きれいに消え去っている、こんなことは初めてであった。こいつ、と六郎兵衛は心のなかで思った。こいつまた男ができたな、と云いながら、彼は盃を取った。
「酌をしろ、きさま、男ができたな、そうだろう、男ができたんだろう」
おみやは兄の盃に酌をし、まともに兄の顔を見まもりながら、静かに云った。
「そんなこと、兄さんに関係はありません」
「隠してもだめだ、眼を見ればわかる」と六郎兵衛は冷笑した、「きさまという女は、一日でも男なしではいられないやつだ、白状しろ、いったいどんな男に惚れたんだ」
「兄さんには関係のないことよ」
「関係がないって」六郎兵衛は唇を歪めた、「きさま兄に向かって、そんな大きな口をきいていいのか」
「わたくしするだけのことはして来ました」とおみやは云った、「決していばるわけではありませんけれど、これまでいちどだって、あなたにさからったこともなし、ずいぶん辛いときだってがまんして、云われるだけのことはやって来たつもりです」
「嘘をつくな、知ってるぞ」と六郎兵衛が遮った、「きさまは囲い者になったり、寺のかよい大黒になったことを云うんだろう、嘘をつけ、いまになって辛いなどと云ってもごまかされはしない、辛いどころか、きさまはそれが好きだった、きさまにはそれがぴったり合っていたんだ」
「あなたがそう思うのはあなたの勝手です」
「自分に訊いてみろ、おれよりきさま自身がよく知っている筈だ、きさまに限らず、女などというやつはみんな同じだ、おれは知ってるんだ」
「ようございます、それはあなたの仰しゃるとおりだと致しましょう、もうわたくしにとってはどちらでもいいのですから」とおみやは云った、「ただ、──これからさきは、わたくしはわたくしでやってまいります、どうかもう、これまでのようにわたくしを当てになさらないで下さいまし」
「それは本気で云うのか」
「眼をごらんになって下さい」
おみやはまともに兄の顔を見ていた。六郎兵衛は拳をにぎった。なにか兇暴なことをしたいという、激しい衝動がつきあげてき、彼は持っている盃を、膳の上へ叩きつけた。それは皿や小鉢には当らず、塗膳のふちに当って飛び、敷畳の上へ転げた。
──いや待て、それはまずい。
六郎兵衛は危うく、自分を制止した。ここで怒ってはぶち毀しだ。こいつは威したぐらいではびくともしないだろう、あの眼つきが証拠だ。これはとうてい威しではきかない、と六郎兵衛は思った。
「その話しはまた明日のことにしよう」
「その必要はございません」
「まあいい、明日また話すとしよう」
彼は急に酔でも発したように、頭をぐらぐらさせ、風呂へでもはいって、今夜はゆっくり寝るがいいと云い、女を呼んだ。女の一人が来ると、六郎兵衛は、風呂をみてやれ、と命じた。
おみやはその女といっしょに出てゆき、そのまま新八の部屋へはいった、そこはもうすっかり暗く、新八はまだ寝ころがっており、蚊の唸りが聞えていた。
「新さん、起きてちょうだい」
おみやはそう云いながら、行燈に火をいれた。
稽古が終ったのだろう、道場のほうは静かになり、廊下の向うで、野中や島田市蔵や、尾田内記の声が聞えた。行燈がつくと、新八は眩しそうに起き直って、足を投げだしたまま、欠伸をした。
「眼をさましてちょうだい」
「眼はさめてるよ」
「お顔を洗っていらっしゃい、まじめに聞いて頂きたいことがあるんです」
「これまではふざけていたっていうわけか」
「そのことも話しましょう、待っていますから、お顔を洗って来て下さい」
「ごめんだ」そんな必要はないと云って、新八は脛や手をぼりぼり掻き、欠伸をし、そして、頬にとまった蚊を叩いた、「云ったらいいじゃないか、話しはたいていわかってるぜ」
それからおみやの顔を見て云った。
「聞いてるよ」
「あたしいま、兄にも断わって来たの、あたしもう兄とも縁を切るし、この家へも帰らないつもりよ」
「そうらしいな」と新八が皮肉に云った、「おれもそんなこったろうと思ったよ、こんどはどんな男なんだい」
「あなたにははっきり云います」とおみやは眼を伏せた。
おみやは黒田玄四郎のことを話した。同じ酒井邸の者で、新参ではあるし、身分はまだ足軽にすぎないが、算筆が達者なのを認められて、勘定部屋へ勤めている。年は二十五歳くらいだろう、ごく温和しい、まじめな性質で、彼を見ていると、自分が洗われるような気持になる、とおみやは語った。
新八はなにか考えながら聞いていた。おみやの話しは、半ばうわのそらで聞きながら、なにか思いだそうとしているようだったが、ふと、足軽、と呟くなり、おみやの話しを遮った。
「わかった、あのときの男だ」と新八は云った、「いつか向島の土堤で、石川兵庫介さんに掠われようとしたとき、駆けつけて来て助けた男だ、そうだろう」
「ええ、そうです」
おみやはわるびれずにはっきり頷いた。新八はにやっと笑い、さぐるような眼つきで、おみやをじろじろ眺めながら云った。
「わかったよ、よくわかった、もうできちゃったんだな」
「新さん」とおみやが眼をあげた。
「ごまかすな、おれは見ていた」と新八は唇を歪めた、「おれははなれて見ていたんだ。おまえはその男を伴れて、あの茶店へ戻った、気がつかなかったろうが、おれはあのときあとを跟けていって、二人で茶店へはいるのを見たし、半刻ちかくも外で待っていたんだ」
「ええ、そのとおりよ、新さんの見ていたとおりだったわ」
「あのときできたんだな」
「違うわ、それだけは違うわ」
「あのときできたんだ」と新八は自分で頷いた、「おまえはそういう女だ、おれはよく知ってるが、男と二人で、半刻ちかくも茶店の奥にいて、なにもしないなんてことができる性分じゃあない、おまえはあのとき、もう男をものにしていたんだ」
「いいわ、そう思うなら思ってちょうだい、あたしがそんな女だったということは、自分でも知っているし、そうじゃないなんて云いはしません、けれども、黒田さんはあたしなんかとは人間が違うんです」
「味をみてわかったわけか」
「新さん、あたしはまじめに聞いてちょうだいって云った筈よ」
「どう聞こうとおれの勝手だ」と新八は冷笑した、「てめえの情婦ののろけを、まじめな面で聞けるかどうか、考えてみたらわかるだろう、おれにはまだそれほどの洒落っけはないんだから」
「──ごめんなさい」とおみやはまた眼を伏せた、「新さんをそんなふうにしたのはあたしよ、みんなあたしが悪かったんだわ」
「話しを片づけてくれ」新八はそっぽを向いた、「そういう男ができたから、つまりおれに切れろというんだろう」
「あたしのためではなく、あなたのためにそうしたいの、いいえ聞いてちょうだい、あたしまじめに云ってるのよ」とおみやは新八を遮り、指で眼を抑えながら云った、「黒田さんのことものろけなんかじゃないわ、向島のときだって、黒田さんはあたしを近よせもしなかったし、それからあとも同じよ、あの人は女中やお端下にまで騒がれているけれど、いつもきちんと折目を正して、女になんか眼もくれやしないわ」
おみやは話し続けた。
邸内の女たちと同様に、おみやも彼にのぼせあがった。武家屋敷のことで、表てと奥とはきびしく区別されているが、邸内は広いことだし、そうしようと思えば、男と女の会う機会がないわけではない。足軽長屋から、勘定部屋へ、黒田玄四郎は毎日かよっている。その途中で、女たちは巧みに、そして大胆に彼に近づこうとした。彼女は向島で黒田玄四郎に助けられたことがある。そうして、彼と二人だけでいっとき話しをした。したがって、他の女たちよりは親しく呼びかけられるし、玄四郎のほうでもさして避けるようすはなかった。
もちろん会って話す機会はごく稀で、仕切りの垣根ごしに、ちょっと立ち話しをする程度であったが、幾たびか会っているうちに、おみやの気持が変ってきた。玄四郎は、これまでおみやの知っているどの男とも似ていなかった。顔だちも態度も、きっぱりとして清潔で、眼が特にきれいだった。よく澄んだ、きれいなその眼で見られると、自分のすべてが見透かされ、そして洗われるような気持がする。彼に会うたびに、過去の汚れが洗われて、自分がきれいになるようにさえ、思えるのであった。
おみやは初めて、自分がなにをして来たか、ということを思い返し、その罪と汚れの深さに、ぞっとした。心の底からぞっとなり、そこからぬけ出ようと、決心した。
「あたし生れ変ってみる気になったの」とおみやは云った、「できるかできないかわからないけれど、やってみるつもりよ」
新八は顔をそむけた。
彼の顔から、皮肉や嘲弄の色が消え、途方にくれたような、困惑の表情があらわれた。おみやの言葉にはなんの飾りもないし、笑われることも、罵られることも怖れない勇気があった。自分の罪や、汚れた過去を認め、そこからぬけだして、生れ変ってみるつもりだという。新八の皮肉や嘲笑をも避けようとはせず、面上にすすんで唾を受けようとする態度が、新八をしぜんと怯ませたようであった。
「あたしあなたには悪いことをしたわ」とおみやは続けた、「いまさらお詫びを云っても取返しはつかないし、口でお詫びをしようとも思わないわ、それよりあたしお願いがあるの」
「よしてくれ、それだけはまっぴらだ」
「お願いよ、新さん」
「云うことはわかってるんだ」
「ひと言だけ聞いてちょうだい」
「いやだ、それだけはよしてくれ」と新八は首を振った、「あんたは自分の好きなようにできる、この家と縁を切り、柿崎さんと縁を切り私と縁を切って、新らしくやり直すこともできる、だが私は捕われたけものだ」
「だからそのことを」
「いや、たくさんだ」と新八は乱暴に遮った、「私は脱走者だ、外へ出ればいつどこで伊達家の者に捉まるかもわからない、捉まれば殺されるにきまっているし、この家にいたって安全じゃない、柿崎さんは私の保護者のような顔をしているが、心でなにを企んでいるかはわかってる、私は知ってるんだ」
「そんな声を出さないで」とおみやが制止した、「もし聞かれでもしたらどうするの」
だが新八は首を振り、おみやの言葉を遮って云った、「もうおれも子供じゃあない、いつまでもごまかすことはできない、おれは知ってるし、おまえだって知ってる筈だ」
「新さん、お願いよ」
「柿崎さんはおれを売るつもりだ、いや、もう売ってるんだ」と新八は云った、「この道場を造った金は、一ノ関から出たものだし、毎月、多額な手当を一ノ関から引出している、隠してもだめだ、このおれを質にしてそういう金を取っているし、いざとなれば、おれの躯を一ノ関の手へ渡すつもりなんだ」
そうだろう、と新八は声をふるわせた。
いつかは自分を使って、畑姉弟を掠おうとした。それは、自分や畑姉弟を保護し、親のかたきの兵部少輔を討たせてやる、という口実だった。その誘拐が失敗してから、自分は疑いをもち始めた。そしてこの耳と眼で柿崎さんの動静をさぐり、なにを企んでいたか、ということを知るようになった。
「柿崎さんは、一ノ関から金の引出せるあいだおれを放すまい、金が引出せなくなったら、おれの躯を一ノ関に売るだろう」と新八は続けた、「おまえだってそうだ、なにも知らないおれを騙しすかし、飽きるほど好きなようにして、こんどは自分だけ生れ変った女になろうという」
おみやは泣きだした。新八は強く、泣くのはよしてくれと云って、眼をそむけた。
「おれはそれをとやかく云うんじゃあない、おまえのような女が生れ変ろうという、まじめにそうしようとすることは立派だ、しかし、おまえがだめにしてしまったこのおれは、どうもがいてもこの檻からぬけだすことができないんだぞ」
「ですから、あたしはその相談をしようと思って来たんです」
「まっぴらだ」と新八ははねつけた、「柿崎さんとおまえは兄妹だ、おまえも柿崎さんに似ている、二人とも、自分のためにはどんなにでも人を利用するが、利用できなくなれば捨てるか売るかするんだ」
そのとき「饒舌りすぎるぞ」と云う声がし、障子があいた。二人が振返ってみると、柿崎六郎兵衛が立っていた。あけた障子の向うに立って、酔のために蒼くなった顔で、こちらを睨みながら、みやは風呂へゆけ、と顎をしゃくり、新八はおれといっしょに来い、と云った。おみやは、兄さんと云って、立ちあがった。
「おまえは風呂へはいれ」
「待って下さい、兄さん」
「風呂へゆけ、口を出すな」と六郎兵衛は叫んだ。
おみやと新八が、新八の部屋で話していたとき、──こちらの島田市蔵の部屋では、市蔵と砂山忠之進、そして稽古からあがった野中又五郎と、尾田内記とが、集まって話していた。尾田内記は出稽古にいった日で、まだ着替えもしないまま、緊張した顔で坐っていた。他の三人は稽古のあとで、ざっと汗を洗い、帷子に帯の着ながしであった。
「今日、藤沢に会った」と内記は云った、「松平雲州家の稽古を済ませて、出たところで会ったのだ」
「それは珍らしい」と砂山が云った、「江戸にいたのだな」
「石川はどうした」と島田が訊いた。
内記は扇子を使いながら、藤沢といっしょに、いま道場をやっている、と答えた。石川兵庫介が六郎兵衛に腕を折られたとき、藤沢内蔵助は石川と共にこの道場を出ていった。そのまえ、藤沢は柿崎六郎兵衛のやりかたを怒って、みんないっしょに出よう、と主張していた。
藤沢は伊達兵部の用人と会ったことがある。新妻隼人という者で、ひそかに呼びだされて、浅草はたご町の西福寺で会った。新妻はみんなを呼んだのだが、藤沢がまず会いにゆき、その後も二度会った。新妻隼人は、六郎兵衛が伊達兵部から月づき多額な金を受取っていること、それは或る役目を引受けているためで、そこもとたちはそのとき利用されるのだ、ということを告げ、それを承知だろうなと云った。藤沢は野中らにその話しをし、みんないっしょに「この道場を出よう」と主張したのである。われわれは柿崎に利用されているだけだ、道場の稽古も、出稽古も、すべて六人に任せていながら、毎月の手当は極めて些少である。野中、砂山、尾田の三人は家族を持っているが、それでもかつかつ暮すぐらいの手当しか出さない。しかも六郎兵衛自身は、伊達兵部から多額な金を取り、道場の収入も殆んど独占し、素姓の知れない女を三人も抱えて、贅沢三昧に暮している。
──そのうえ、伊達兵部のために、いつかわれわれを使ってなにかするつもりだ。
どんな事をさせられるか、それは新妻隼人も云わなかったが、これだけの道場を開く資金を出し、なお、月づき多額な金を渡している、ということから考えると、その役目がいかがわしいものであることは間違いないであろう、と藤沢は云った。そして、新妻隼人は、「そこもとたちが望むなら、べつに道場を開く資金を出してもよい」と明言したそうで、藤沢はそうすることを主張した。
──連袂して道場を去る。
ということは、当時、野中又五郎が反対した。柿崎を中心にしたかれら七人は、お互いが窮迫した浪人生活のなかで知りあい、六郎兵衛の才覚でここまでこぎつけたのである。六郎兵衛のやりかたには不審もあるが、「ここまでこぎつけた」という事実を忘れたくない。自分が六郎兵衛に意見をするから、とにかく少しようすをみることにしよう、と又五郎は云った。
それで、藤沢が石川と共に去ってからも、野中と島田、砂山と尾田の四人は残ったのであるが、いま、──尾田内記が藤沢に会い、かれらが道場を開いていると聞いて、砂山と島田は、野中又五郎の顔を見た。
「藤沢はおれを待っていたのだそうで、松平雲州邸の前から、その道場へいってみた」と内記は続けた、「場所は神田明神の下の同朋町というところで、古い長屋を改造したそまつな道場だが、門人はもう三十人ほどあるし、結構うまくいっているようだ」
「それは、──やはりいつかの話しの、伊達家の用人の世話か」と島田市蔵が訊いた。
内記はいやと首を振った、「そうではなく、日本橋の丸屋伝右衛門という、海産物問屋の補助だそうだ」
「それはまたどうして」
「石川が丸屋の主人と知りあったらしい、そのいきさつはいずれ石川が話すだろうが、肝心なことはその道場の稽古だ」と内記は云った、「藤沢はむろん刀法を教えているが、石川のほうはやわらというのを教える」
「やわらだって」と砂山が訊いた。
内記はそうだと頷いた、「磯貝なにがし、三浦なにがしという者が、明国人から伝えられたのを、さらにくふうしたのだそうだが」
「ああ、それなら聞いたことがあった」
「こちらの小具足を、もっと精妙にした武術、といってもいいだろう、徒手空拳で敵を倒すのだが、その稽古を見ただけでも、おれは無類だと思った」
「しかし」と砂山がまた訊いた、「石川は片腕ではないのか」
「片腕だ、あのとき打ち折られた右手は、治療ができないので、肩の下から切ってしまったということだ」
「その片腕でそんな武術がやれるのか」
「やれるんだ」と内記は頷いた、「片腕だから完全に教授はできないだろう、いま門人を二人、三浦与次右衛門という師範の道場へかよわせていて、やがてはそれに代稽古をさせるのだというが、石川自身はべつに目的があって、自分だけのくふうをしているようだ」
「べつに目的がある」と島田が訝しそうに訊いた。
「わかった、わかったよ」と砂山忠之進が云った、「柿崎に復讐するつもりだ、この春さきだったか、石川は向島でみやどのを誘拐しようとしたことがある、宮本新八がそう話していたではないか」
「そうだ、石川は復讐するつもりなんだ」と尾田内記が云った、「そして、おれは石川のくふうを見た、勝負のことはわからないが、彼の隻手の術はすさまじい、瓦十枚を手刀で破るし、二本の指で四分板五枚を突きやぶる、それから、五寸釘を拳で板へ打ちこんでみせた」
「力ではないな」
「力ではない術だ、そのうえやわらは躰さばきが敏捷で、刀法とはまったく進退動作が違う、確言はできないが、おれの眼で見たとこだと、彼はたぶん柿崎に勝つだろう、十中八九まで勝つだろうと思う」
野中又五郎が初めて、話しというのはそのことか、と訊いた。
「いや、これからだ」と内記は野中を見た。
藤沢と石川が、そこもとたちも柿崎道場を出て、こっちへいっしょにならないかとすすめた。かれらの道場はやわらが好評で、門人も殖えるばかりだし、将来のみとおしも確実である。みんなが来てくれれば、丸屋伝右衛門から資金を出させて、新らしく道場を建てるつもりだ、と云ったそうで、いま藤沢と石川が表てまで来ている、と内記は囁いた。
「われわれ四人と会って、じかに話したいといって、おれといっしょに来たんだ」
「二人が来ているって」
「夕食をしながら話そうというので、いっしょに来て表てで待っているんだ」
島田と砂山は野中を見た。
──どうするか。
という眼つきである。かれらは野中を信頼していた。腕も一段すぐれているが、野中の誠実さに心から信頼し、これまでもずっと、野中の意見にしたがって行動して来た。それで、いまもまず野中の意向を聞きたがったのであろう。又五郎は手で蚊を追いながら、行燈の火のはためくのを見ていた。
「私は柿崎さんのようすを見て来た」と又五郎は静かに云った、「だが、どうやら見込みちがいだったようだ、柿崎さんは、私の申入れたことを一つも実行してくれない、相変らず女を側に置き、道場のことは見向きもせず、酒浸りになるか、そうでなければ出歩くばかりだ」
「すると、野中の意見は」
「二人に会ってみよう」と又五郎が云ったとき、廊下のかなたで高い叫び声がし、暴あらしい足音と、「誰か来て下さい」という、おみやの声が聞えた。
四人は立って、廊下へ出た。
廊下では、柿崎六郎兵衛と宮本新八と、そしておみやの三人が揉みあっていた。六郎兵衛は新八をひきずってゆこうとし、おみやはそれを止めようとして、六郎兵衛にしがみついていた。
「また例の折檻だ」と島田市蔵が云った、「こうなるともう酒乱というほかはないな」
「いつもとようすが違うぞ」
野中又五郎がそう云って、かれらのほうへ近よっていった。──六郎兵衛は新八の右腕を背中へねじ曲げ、片手でその左の腕を掴み、うしろから小突きながら、廊下を道場のほうへ出ていった。
「どうしたのです」と又五郎が呼びかけた、「なにごとです、宮本がなにかしたのですか」
「来るな、来るな」と六郎兵衛がどなった、「こいつの性根を叩き直してくれるのだ、口出しをするな」
おみやが、野中さま、と云った。どうか止めて下さいまし、どうか兄を止めて下さいましと云いながら、けんめいに六郎兵衛の腕にしがみついていた。
六郎兵衛は、女めと叫び、足をあげておみやを蹴った。太腿のあたりを蹴られて、おみやは横へよろめき、又五郎が危ない、とそれを支えた。六郎兵衛は新八を小突きたて、新八は無抵抗のまま、道場へ突き出されていった。
「灯をつけろ」と六郎兵衛が叫んだ、「おきの、志保、来て道場へ灯をいれろ」
彼は新八を押えたまま、床板を足で踏み鳴らした。又五郎は見ていた。おみやが野中さまと呼びかけ、又五郎は首を振った。そして、いま止めてもむだです、危なくなったら私が出ますから、と云った。二人の女が来て、道場の四方へ灯をつけてまわった。
「きさまは饒舌りすぎた」と六郎兵衛は新八に云った、「度胸も力もないくせに、根性だけは女のように疑いぶかく邪推ぶかい、しかもその長い舌が禍のもとだ、その舌は人を誤りおのれの身を亡ぼす」
「手を放して下さい」と静かに新八が云った、「貴方がいくらどなったところで、もう私はごまかされはしないし、事実が隠せるものでもない、どなるのはやめて、どうしたらいいのか云って下さい」
「いって木剣を取れ」と六郎兵衛は彼を突き放した。新八は前へよろめき、いやですと云いながら、そこへ坐ってしまった。
「貴方に向かって木剣を持ったところでどうなるものではない、好きなようにしたらいいでしょう」
六郎兵衛が「こいつ」と喚いた。
これより少しまえ、道場の杉戸口を細めにあけて、中のようすを覗いている男があった。六郎兵衛の怒号を聞きつけて来たものらしい。杉戸口の外から、眼だけで中を覗いていたが、六郎兵衛がこいつと喚き、大股にいって、木剣を取って戻ると、静かに杉戸をあけて、その男がはいって来た。
杉戸のあく音で野中が振返り、すぐにあっと眼をみはった。それは石川兵庫介であった。六郎兵衛も野中の声で振返ったが、訝しそうに眼をしかめただけで、すぐには誰だかわからないようであった。
石川は紺染めの帷子、葛布の袴で、右の袖先が肩から斜めに、袴前にはさんであった。ちょっと見ると右だけふところ手をしているようで、腰には脇差だけしか差していなかった。
「おれが相手をしよう、柿崎」と石川は云った、「おれが相手だ、柿崎六郎兵衛、この腕の礼をするぞ」
「きさま、石川だな」六郎兵衛はどなり、そして冷笑した、「見れば片輪になったようだが、それでもまだ懲りないのか」
「そうらしいな」と石川が云った、「まだ乱酔してそんな少年に当りちらすようでは、柿崎六郎兵衛は懲りていないらしい、だがこんどはたぶん懲りるだろう」
「帰れ」と六郎兵衛が顎をしゃくった、「おれは片輪の相手はしない、物乞いなら勝手口から来い」
「いさましいな」
そう云いながら、石川兵庫介は歩いてゆき、木剣の二、三を振りこころみてから、その一本を左手に持って、戻った。
「待て石川、それはいけない」と又五郎が出て来た。
彼は二人のあいだへ割ってはいろうとしたが、それより早く、六郎兵衛が脇へとびのき、兵庫介が「止めるな」と云った。止めるな、今日は懲らしてやるだけだ、宮本はどいていろと云い、又五郎はなお、相手は酔っている、勝負のできないほど酔っているんだ、今日はいけない、よしてくれと云った。
新八はとびあがって、脇のほうへとびのき、六郎兵衛は「さしで口をきくな」と又五郎に云って、木剣を高青眼につけた。こんどは残りの腕をもらった、その腕をもらったぞ、石川。よかろう、やってみろ、と石川が木剣をあげ、面上で眉庇のように、横に構えながら「いざ」と云った。
廊下の口へ、島田市蔵が来、尾田内記、砂山忠之進が来た。野中又五郎は走っていって、自分の木剣を取り、万一のときには二人を分けるつもりだろう、両者のほぼ中間に、少しさがってようすをうかがった。
六郎兵衛はすぐ踏込もうとするようすだったが、とつぜん眼をしかめて首を振り、改めて石川を見た。石川兵庫介の、眉庇にとった木剣が、腑におちなかったらしい。六郎兵衛は戸惑ったような眼つきをし、高青眼の木剣を上段へすりあげた。
石川の、面上に横たえた木剣が籠手さがりになり、すっと腰がおちた。木剣が斜めになると同時に、すっと、軽く、腰がおち「えっ」という気合がとんだ。六郎兵衛が、声いっぱいに絶叫し、板敷を踏む足音がびんと反響した。その瞬間に、石川が相手のふところへとびこむのが見えた。それはすばやいというよりは、むしろ緩慢に吸いこまれる、といったような動作に見え、六郎兵衛の木剣が、殆んど石川の頭を打ち砕くように見えた。
たが、結果は逆であった。六郎兵衛の躯はくるっと一回転し、板敷の上へ仰けになって落ちた。どういう技を使ったのか、見ている者にはまったくわからなかったが、石川は六郎兵衛を投げると、起きあがる隙も与えずに押えこみ、片手を衿にかけて緊めた。
「もういい、それまでだ」と野中が叫び、止めようとして駆けよった。すると、石川はすっと立ちあがり、六郎兵衛はぐったりとのびたまま、絶息していた。
「心配するな、生きている」と石川は静かに云った、「ちょっと息を止めただけだ、放っておいてもすぐに気がつく、それよりも、尾田に話した相談のことはどうだ」
「まあ向うへゆこう」と島田市蔵が云った、「向うの部屋へいって話そう」
「いや、よければここを出てからにしよう、藤沢が表てで待ってる、おれは尾田の返辞がおそいから、ようすをみに来たんだ」
島田や砂山や尾田たちが、野中の顔を見た。又五郎はかれらに頷いて、それがいいだろうと云った。石川はなお、そこに茫然と立っている宮本新八に振返って、おまえもいっしょに来いと云い、又五郎も新八に、そうしろと云った。自分は残る、「柿崎にひとこと話して」あとからすぐにゆく、と又五郎は云った。
おみやは兄の脇に坐ったまま、なにも云わずにうなだれており、新八は不決断に、「荷物を持って来ます」と云いながら、石川たち四人と出ていった。
「野中さまもいらしって下さい」とおみやが云った、「兄のことはわたくしが致します、ここはようございますから、どうぞみなさんといっしょにいらしって下さいまし」
「私は柿崎さんに話したいことがあるんです」
「いいえ、どうぞ」とおみやはかぶりを振った、「こんなことになったあとでは、兄も面目ないでしょうし、それに、いまなにを仰しゃっても、おとなしく聞く兄ではございませんわ」
又五郎は黙って頷いた。そこへ、石川兵庫介が戻って来た。戻って来た石川は、杉戸口で立停り、野中又五郎はそれには気づかずに、おみやに云った。
「私は柿崎さんが立ち直ってくれるものと思っていました、私たちは貧困のなかで知りあい、苦労して来たのです、この道場を開く資金や、経営が成り立つまでの金は、柿崎さんがまかなわれた、慥かに、それはそのとおりです、しかしわれわれ六人も安閑としていたわけではない、決して徒食していたわけではない、道場の教授、出稽古、みな六人が分担してやって来た、貴女は御存じないだろうが、道場をここまでもってくるには、われわれもそれだけの努力はして来たのです」
おみやは頷いた。又五郎は続けた。
「だが、柿崎さんはそれを認めなくなった、道場へも出ないし、出稽古もやめてしまい、自分はいかがわしい女たちをひきつけて、酒色におぼれるか、絶えず出歩いてばかりいる、そして六人に対しては、まるで主人のようにふるまい、気にいらぬことがあると、石川の腕を打ち折るという無法なことをする、これではとうてい将来の望みはありません」
おみやは頷いた。
「また、これは藤沢の聞いたことですが、柿崎さんは伊達兵部という人と、なにかひそかに事を謀っているらしい、私もいちど柿崎さん自身から、そんなふうな話しを聞きました。詳しい内容はわからないが、その事で、いざという場合には、われわれ六人を役に立たせるつもりだという、それは伊達兵部の用人から、藤沢が聞いたのです、こういう事情では、とうていこれ以上いっしょにやってゆくわけにはいきません」
「よくわかりました」とおみやが云った、「兄がどういう性分か、わたくしも知っております、みなさんは出ていらっしゃるのが本当だと思います」
「貴女もそう思うのですね」
「はい、さもなければみなさんに、もっと御迷惑のかかるときが来る、とさえ思います」
六郎兵衛が低く呻き、仰むけにのびた躯が、ゆっくりと横向きになった。
「野中、ゆこう」杉戸口から石川兵庫介が呼びかけた。おみやもどうぞと云った。気がつくと却って面倒ですから、どうぞいまのうちに。それでは、と又五郎が立ちあがった。
「みやどの、柿崎に伝言を頼みます」と向うから石川が云った、「こんど出会ったら眼を潰す、必ずその眼を突き潰してみせる、私のこの片手には、鉄甲を砕く力があるのだ、そう伝えて下さい、わかりましたか」
おみやは黙って頷いた。
又五郎が別れを告げて去り、石川が杉戸口から出ていった。六郎兵衛がまた呻き、深い息をして、激しく咳こみながら、横になったままぐっと、足をちぢめた。──おみやは顔をそむけながら、そっと眼を押えた。
──七月二十六日。
奥山大学が国老を免ぜられた。理由は「上下の弾劾による」ということであった。
甲斐はそう書いていた。
──一ノ関(兵部宗勝)は、彼を利用するだけ利用したうえ放りだした。大学はそれに気がつかず、首席国老の位地が、自分の力量によるものと誤信し、権力に酔って、みずから墓穴を掘ったようなものである。
──万治の大変のとき、彼は茂庭周防の罪を鳴らした。綱宗さまに放蕩をすすめたのは茂庭である、と主張し、茂庭のような人間と同席では御奉公ができない、自分は辞任すると云い、一ノ関が支持する態度をみせると、自分ひとりに国の仕置を任せてくれるなら、国老の位地にとどまろうと居直った。
──こうして、茂庭周防が病気を理由に辞任したとき、大学はそれが自分の力によるものであると信じ、以来、しだいに我意をふるって、家中ぜんたいから憎まれ、指弾されるに至った。もちろん、こんどの罷免を自分の過誤によるものとは思わないであろう、すでに江戸番の老職へ、なにやら訴えて来たようである。これからも例の気性で、うるさく騒ぎたてるに相違ない。仙台でどんな工作を始めるかもしれないから、よく注意していて、必要と認めることがあったら知らせてよこすように。
──増し合力について、涌谷(伊達安芸)さまが、自分の知行二万二千石を献上する、と申し出られてから、富塚内蔵允、中島伊勢、また佐兵衛(宗規)さまなどまでが、同じように知行献上を云いだしたので、加役申付の件はそのままになっている。この事では、里見十左衛門が藩政全般の不正を挙げて、諸方へ意見書を出した。自分のところへは来なかったが、松山(茂庭周防)に宛てた書面を見ると、極めて過激な文言が多く、一ノ関はもとより、岩沼(田村右京)さまさえも立腹されているようだ。
──加役の件は、沙汰やみになるであろうが、十左衛門の意見書は禍根をのこすにちがいない。大学が国老罷免になったあとだから、両後見(兵部、右京)はいまのところ不問に付しているが、やがてはかの意見書が、十左衛門にとって大きな禍となるように思われる。
──大学罷免によって、松山が国老に再任されることは確実になった。松山は病弱だから、自分としては辞退してもらいたいが、彼は再任を承諾すると云っている。
──伊東新左衛門の病状はよくない。どうやらこの冬は越せそうもない、というはなしだ。せっかく国老に就任しながら、両後見から三カ条の「誓紙」を取っただけ、というのでは死にきれまいと思う。帰国して養生すれば、恢復の望みがある、ということなら、辞任のうえ帰国するようにすすめたいが、いまは動かすこともできないというし、辞任帰国などは決して承知しないであろう。
甲斐がそこまで書いたとき、支度ができましたと、堀内惣左衛門が知らせに来た。甲斐は「少し待て」と云って、そのまま書き続けた。
──亀千代ぎみ袴着の式は、十一月十日ときまった。当日、なにか事が起こるだろう、という風評がながれている。いつものことだ。なにか起こるかもしれないし、風評のまま終るかもしれない。自分としては、なにごとも起こらぬようにと祈るばかりである。
──今日は九月十三日。自分は綱宗さまから、月見の宴に召されて、これから品川の下屋敷へゆくところである。三年まえおめどおりをしたきり、久方ぶりの伺候だから、お叱りを受けることだろうし、たぶんおむずかりのお相手をしなければなるまい。召されるのは自分ひとり、「泊るつもりで来い」との仰せで、どういう月見になるか、いまからおよそ察しがつく。
──筆じりになったが、帯刀と松山との縁談は、自分が帰国するまでそのままにしておくように。母上はすぐにもまとめたい御意向らしいが、三、四月の頃には帰国するから、と申上げておいてもらいたい。
そして結びの言葉を書き、読み返さずに巻いて封をすると、甲斐は「いいぞ」と云って立ちあがった。──堀内惣左衛門がすすみ寄って来て、七十郎が出てまいったそうです、と云った。甲斐はけげんそうに惣左衛門を見た。
「──七十郎」
「伊東七十郎でございます」と惣左衛門は云った、「小野(伊東新左衛門)どのの病状が悪いという知らせがいったのでしょう、今朝早く、御門のあくと同時に、伊東家へ到着したということです」
甲斐は頷いて、今日は継ぎ裃でゆこう、と云った。御書状はこのまま使者に持たせていいか、と惣左衛門が訊き、甲斐は「よし」といった。
甲斐は駕籠で品川へ向かった。供は村山喜兵衛、矢崎舎人、辻村平六、そして成瀬久馬の四人、べつに挾箱と献上品を運ぶために、小者が三人ついた。品川の下屋敷に着いたのは黄昏で、下屋敷家老の大町備前(定頼)が出迎えた。甲斐は支度を直してから、接待ノ間で再び大町備前と会い、献上品をさしだして、やや暫く対談した。
備前の態度は、三年まえとは違って、極めで慇懃であり、親しげであった。それは、甲斐が国老になったからではなく、どうやら自分と同じく、甲斐も一ノ関の与党である、と信じているためのようで、話のなかでもしきりに、そのことを匂わせるような口ぶりをみせた。甲斐は無表情に、しかし相手の期待にほどよく応じながら、巧みに話題を変えて、綱宗の近況を訊いた。
「さよう、このごろはずっとおちついておられます」と備前は答えた。
綱宗はおちついている。ひところからみると、性格が変ったようである。酒はいまでもかなり飲むが、まえのように乱れることは殆んどないし、半年ばかりまえから、華厳経と詩文の勉強をはじめ、どちらも熱心に続けているようである、と備前は云った。甲斐は「華厳経」と云って、備前の顔を見た。
「さよう、十日に一度ずつ、良源院の住持が来て、講義をされております」
「玄察老ですか」
「──老というと」
「いや、これは」と甲斐は微笑した、「住持は私とさほど年は違わないのだが、いかにも老師の風格があるので、たわむれにそう呼ぶ癖がついていたのです」
「よほど御昵懇とみえますな」
「私も講義を聴いたほうです」
「やはり華厳ですか」
甲斐はあいまいに、なにをというほどのこともないと答え、備前は、今宵は住持も召されている、と云った。ほどなく取次の者が来て、甲斐は立ちあがった。
中ノ口から外へ出て、木戸を二つ通り、奥庭へはいっていった。取次の者が先に立ち、次に甲斐、うしろに成瀬久馬が続いた。
奥庭の小高くなったところに、望岳亭という別殿がある。その建物には二層の楼があって、楼上から、晴れた日には富士が見えるという。甲斐は初めてその別殿へ来るので、すでに昏くなった松林をぬけてゆくあいだ、ふと、船岡の山を歩いてでもいるような、のびやかにおちついた気分になった。
綱宗は楼上にいた。そこは十帖ほどの平座敷で、上段はなく、三方に丹塗の勾欄のある廊をまわし、坐ったままひろい展望をたのしむことができた。
席には綱宗のほかに、三沢初女と、良源院の玄察がおり、老女藤井と、五人の侍女がいて、酒がはじまっていた。玄察は肥えた躯に墨染の法衣だけで、袈裟はかけていなかった。顔もまるく、逞しく濃い眉と、大きな眼とが、荒法師といった感じにみえるし、実際にも増上寺塔頭のなかでは、相当にらみのきく存在のようであった。
綱宗は三年まえよりもいくらか肉が緊って、膚も健康らしく日にやけ、眼光や、ひきむすんだ口もとなどには、意志と力がこもっているようにみえた。
「辞儀はいらない、久方ぶりだ、これへすすめ」と綱宗は甲斐に云った。
「おさきに、船岡どの」と玄察が会釈した。
甲斐は設けられた席に坐り、遅参したのでしょうか、と玄察に訊いた。いや、そうではない、と玄察が答えた。
「私はここが初めてなので、昏れるまえに景色を拝見したいと、お願い申したのです」
綱宗は笑って、和尚はおれが飲みたくなったのを察したのだ、と云い、「まず、遣わそう」と盃を甲斐に与えた。
予想とはちがった静かな酒宴で、話題もごく尋常なものばかりしか出なかった。酒のなかばで綱宗が、原田はまだ鶴千代を見ていないな、と云い、抱いて来て見せてやれと命じた。かような席では、と甲斐は辞退したが、夫人の初女が老女藤井に頷き、藤井はすぐにさがっていった。
「甲斐は国許で猪の牙にかけられたそうではないか」
と綱宗が云った。玄察は盃を持ったまま、面白そうに甲斐を見やった。
「猪ではなく鹿でございます」
「おれは猪だと聞いたぞ」
「くびじろと申す大鹿でございました」
「鹿のほうが姿はよい」
綱宗がそう云うと、夫人と玄察が笑った。
その話しを聞こう、と綱宗が云った。甲斐は盃を置いて話した。玄察にはまえに話したことがある。綱宗がもし玄察から聞いたとすると、省略するわけにはいかないので、「くびじろ」が自分の宿敵であった、ということから話しだした。──殆んど十年ちかいあいだ、追いつめては逃げられたこと、そしてついに、吹雪の中で正面し、勝敗を決する瞬間に、自分の弓弦が切れた。というところまで話したとき、藤井が戻って来た。うしろに、鶴千代を抱いた乳母が続き、侍女が二人付いていた。
甲斐は話しをやめて、座をさがった。
「甲斐に抱かせてやれ」と綱宗が云った。
夫人の三沢初女が鶴千代を抱き取り、自分で立って来て、甲斐に渡した。
綱宗のその第二子は、数えて三歳になる。よく肥えた丈夫そうな子で、甲斐に抱かれると、片言でなにか云い、笑いながらばたばたあばれた。甲斐のぶきような抱きかたを見て、綱宗が、原田は子を抱いたことがないようだな、と笑った。鶴千代は甲斐にかじりつき、両手で耳をつかもうとした。小さな手で甲斐の左右の耳をつかみそうにして、甲斐の眼を見て、つかむのをやめ、こんどは片手で甲斐の頬を打った。
ひた、という柔らかな音が、みんなの耳に聞えた。甲斐は微笑しながら、「もういちど」と云った。鶴千代はまた彼の頬を打ち、打つと同時に泣きだしながら、両手で甲斐の頸に抱きついた。
「おお、お強いお強い」
甲斐は幼児を抱きしめ、静かにその背を撫でながら云った。
「お強いからもう泣きません、はい、もうごきげんが直りました」
「とってやれ」と綱宗が云った。
乳母が寄って来て、抱き取ろうとしたが、鶴千代ははなれなかった。綱宗は「乳母に抱かれ」と云ったが、鶴千代は両手で甲斐の頸にしがみついたまま、泣きじゃくっていた。
甲斐の胸は、ふしぎな感動で、いっぱいになった。しがみついている、幼ない、小さな腕の力と、躰温と、そして頬を濡らす涙とが、皮膚をとおして、身内に深くしみとおり、そのまま血の中に混りあうように感じられた。
「もういい、とってやれ」と綱宗が云った、「おれが悪かった、抱かれたら叩けと、おれが知恵をつけたのだ、耳でも鼻でも引っぱれ、顔を叩いてやれ、と云っておいたのだ」
甲斐は鶴千代を乳母に渡し、綱宗は鶴千代に云った。
「よし、もう泣くな、和子が悪いのではない、甲斐は和子を怒ってはいない、泣きやんで、あちらへいっておやすみ」
乳母たちは去ってゆき、甲斐はふところ紙を出して、濡れた頬を静かに拭いた。玄察は箸を使っていて、綱宗は甲斐に酌をしろと命じ、「くびじろの話しを続けろ」と云った。甲斐は話し続けた。
夫人や侍女たちは、熱心に聞いていたが、綱宗はほかのことを考えているようであった。そのころから飲みかたが早くなり、くっと呷っては酌をさせ、そして、どこかをじっとみつめながら、またくっと呷る、というふうであった。
話しが終って、夫人が甲斐に質問した。甲斐がまさに大鹿の角で突き殺されようとしたとき、鉄砲で大鹿を射って、甲斐の命を救ったというのは、どういう若者であるか。そう訊かれて、甲斐はちょっと返答に困った。夫人がそう質問したのは、甲斐の話しぶりで、その若者が家来ではなく、なにか事情がありそうに感じられたからであろう。甲斐にはありのままには答えられなかった。その若者が、山の娘のことで嫉妬し、鉄砲を持って自分を跟け覘っていた、などということは話せないし、それを話さなければ、その刹那に自分を射たず、大鹿を射ったことや、それが自分を怒らせた、という事情はわかってもらえないだろう。そう思ったので、領内の農夫であった、とだけ答えた。
「原田に話しがある」
綱宗が急に云った。かなり酔ってきたらしい、顔がやや蒼ざめて硬ばり、声は静かだが、眼がきらきらしていた。
「お方のほかはみなさがれ、御坊も遠慮してくれ」と綱宗は云った。
藤井と侍女たちはすぐにさがってゆき、玄察は甲斐を見た。甲斐は眼で頷いた。玄察は礼をして座をさがり、廊下のところへいって外を見た。
「月はいけませぬな」と玄察が云った、「すっかり曇ってしまいました」
そして彼もそこを去った。
綱宗は夫人に眼くばせをした。夫人は立って、銚子を取り、甲斐に酌をした。甲斐はべつにおどろいたようすもなく、静かに礼をして、その酒を飲んだ。
「重ねろ」と綱宗が云った、「このまえ、上府したらすぐに来ると申したのに、今日まで来なかった罰だ、今宵は酔わせるぞ」
甲斐は黙って会釈をし、云われるままに、夫人の酌でゆっくりと、盃を重ねた。
「今日までどうして来なかった」と綱宗は云った。
多用とは云わせない、本郷あたりの隠宅へ、しばしば、数日も保養にゆくということを聞いている。どうしてここへは来なかったのか、と綱宗は云った。
甲斐は静かに答えた、「御承知でないかと存じますが、さきごろから家中に事が多く、江戸番の老職はみな多忙で、ことに私は新任でございますから、なかなか伺候するいとまもございませんでした」
「隠宅へはまいってもか」
「身の保養も御奉公の一つでございます」
「よし、もっと飲め」と綱宗は自分を抑えるように云った、「隠宅のことについては周防(茂庭)から聞いている、そこがどのように使われているかは、周防から聞いてよくわかった、しかし、そう聞くまではおのれと思っていたぞ」
「いろいろと、いやな噂が、お耳にはいるのです」と夫人が云った、「──殿さまはずっと、船岡どのを頼みにあそばしておられますので、噂を聞かれるごとに気を病まれ、会って実否を知りたいと仰せられていたのです」
「お部屋さまに申上げます」
「おれに云え」と綱宗が云った。
甲斐は聞きながして、「お部屋さまに申上げます」と云った、「私がここへ伺候いたさなければ、伺候せぬことについて噂が飛び、伺候いたせば、伺候いたしたことであらぬ噂が飛びましょう。私は力も才もない人間でございますが、もし殿が些かなりとも頼みにおぼしめされるならば、噂やかげ口などに、お耳をかされませぬように、お願い申します」
「そうはいかぬ、そうはいかぬのだ」と綱宗が云った、「ただ甲斐のことだけなら、どんな噂も気にかけずに済むだろう、だがおれの耳にはいるのは甲斐のことだけではない、伊達六十万石の存亡にかかわるような問題が、甲斐の動静とともに伝わって来る」
「それについては、このまえおめどおりのときに、申上げてある筈です」
「いや違う、このまえはすべて事実無根だと申しただけだ」
「ただいまでも、さように申上げるほかはございません」
綱宗の眼がするどく光った。酔いの出た顔がいっそう硬ばり、いまにもどなりそうにみえたが、こんどもまた怒りを抑えて、もっと飲めと云った。お方、酌をしてやれ、今夜こそ酔わせて本心を訊くのだ、「酔え、原田」と云い、自らも盃を取った。
「甲斐はまえに、すべて事実無根だと云い、いまも同様にしか云えぬという、だが、あのときから今日まで、家中にはいろいろと穏やかならぬ事が起こっている、おれに対する幕府の譴責が、兵部と酒井侯の通謀によって作られたように、この三年間に起こった家中の紛争も、やはり兵部の手で操られ、兵部の望む方向へと動かされている、甲斐がいかに事実無根だと申しても、現にそれが事実としてあらわれていることは否定できまい」
「私は酔ったようでございます」と甲斐は盃を置き、両手で顔を押えて、その手を膝におろしながら云った、「酔って申上げることですから、ごきげんに障ったらお許しを願いますが、ただいま仰せられたようなことは、殿が御心痛あそばすべきことではございません、まして、軽がるしく人の名をあげ、臆測に類することをお口に出されることこそ、却って御家の内に不穏の種を蒔くことになります」
「その意見もまえに聞いたぞ」
「六十万石の家中となれば人も多く、ことに、強情と我意の強いのはお国ぶりですから、他の藩中とは違って、些細なことから紛争が起こりがちです、けれども、いざ御家の大事となれば、いずれも身命を賭して御奉公する覚悟にまぎれはありません」
「それは言葉だ、甲斐が当座に云う言葉にすぎない」
「私の申上げることをお聞き下さい」
「たくさんだ、そんな空疎な、言葉だけのものは聞きたくない」と綱宗は云いきった。
甲斐は綱宗の顔をみまもり、「ではお部屋さまに申上げます」と云った。いま云ったように、侍の本心にまぎれはないが、偏屈や我執の強い者が多いから、その摩擦でいろいろと事が起こる。あらぬ噂やかげ口が飛ぶのもそのためで、それをいちいちとりあげたり詮索したりすると、却って事が大きくなるばかりである。家中には老職もおり、御家の安泰を護っているのだから、つまらぬ噂や風聞に迷わされず、ただ聞きながしていてもらいたい。それだけが、殿にとってなにより大事なことである、というふうに甲斐は云った。
「それにまちがいはないか」と綱宗が云った、「どんな風聞にも耳を貸さず、老臣どもを信じて黙って見ていていいのか」
「そのほかにお願い申すことはございません」
「亀千代のことはどうだ」と綱宗はたたみかけた、「亀千代を毒害するということを聞いた、袴着の祝いのときに、毒を盛る計画がある、ということをこの耳で聞いたぞ」
甲斐は黙った。綱宗は刺すような眼で甲斐をにらみ、これも無根の噂として聞きながせというのか、と詰めよった。甲斐は黙っていて、それから、いかにもと頷いた。
「さようなことがあるわけはございません」
「慥かにか」
「慥かに、事実無根でございます」
「証拠をみせろ、事実無根だという証拠があるか」
甲斐は静かな眼で綱宗を見まもり、見まもったまま、そのまえにうかがいます、と反問した、「その噂が仮に事実だとして、なんのために、若君のお命をおちぢめ申すのですか」
「伊達家横領のためだ」と綱宗が云った、「おれを逼塞させたのも、伊達家を横領するためだった、さればこそ、跡目相続のときに入札などということが行われたではないか」
「しかし、亀千代さまが御相続あそばされました」
「だからいま、その亀千代を除こうとする、ということは考えられぬか」
「考えられません」と甲斐が答えた、「若君毒害の風聞は、以前にもございました、私は或る者からその実か否かを訊かれましたので、岩沼(田村右京)さま、寺池(伊達式部)さまという、直系の兄君がお二人も御健在である以上、亀千代ぎみのお命をちぢめても、脇から御家を相続することはできない、それは根もないことだ、と申しました」
「ましてただいまは」と甲斐は続けた、「ましてただいまは、鶴千代さまという乙君さえおわすのです、もしも御家を横領するとすれば、亀千代さま鶴千代さま、岩沼、寺池の御兄ぎみ方まで、お命をおちぢめ申さなければなりません、戦国争乱の世なら知らず、いま泰平の世にさようなことができるとおぼしめしますか」
綱宗は口をつぐんだ。
夫人はほっとしたように、まことにほっとしたように、甲斐の顔を見、そうして綱宗の顔を見た。綱宗はやや暫く黙っていて、やがて甲斐に云った。
「では、──毒害などという説は、どこから、なんのために起こるのだ」
「そのお答えはできません」と甲斐は穏やかに云った、「ただひとつ、誰びとかが、家中に疑心と臆測をひろめ、あわよくば騒動へもってゆこうとしている、家中を騒動に巻きこもうとして、ひそかに策をめぐらせている、ということはあるように思います」
「一ノ関だな」
いやといって、甲斐は綱宗をみつめながら、静かに首を振った。
「そのように人の詮索をなさることがなにより悪いのです」と甲斐は云った、「殿までがさようなことを仰せられては、家中の疑惑や臆説をいっそう強めるばかりです、どうぞ、申上げたことをよくお考えのうえ、今後はいかなる風聞にもお心を迷わされませぬよう、繰り返して、固くお願い申しておきます」
綱宗の表情もおちついてきた。甲斐の言葉をほぼ納得したらしい、眉をひらいて、ではこの話しはよそうと云った。
「周防も原田を頼みにしているようだ、詳しいことは云わなかったが、涌谷と原田と自分が生きてある限り、六十万石は安泰であると思ってもらいたい、と申していた」
「それもお忘れ下さい」と甲斐が遮った、「御家の御安泰を護るのは家臣ぜんたいで、特にたれかということはございません、さような差別はないということを、お忘れなきよう、お願い申上げます」
そうして、綱宗がその意味をも了解したと認め、よろしければこれでさがらせてもらいたい、と云った。
綱宗は良源院を呼んでもう少し飲もう、と云いかけたが、甲斐のようすを見て、いや、と首を振り、ではさがって良源院と二人で飲むがよかろう、おれはもう酔ったようだ、と云い、庇厨子の手筥の中から、一枚の紙を取って、「これを読んでみろ」と夫人に渡した。甲斐は夫人から受取り、それを両手で披いた。
「このごろ少し詩文の勉強をしている」と綱宗は云った、「その詩は李長吉の作で、故郷の昌谷をうたったものだ、それは第七句から第十句までを抜き書きにしたのだが、いや、まあ読んでみてくれ」
甲斐は読んだ。
──竹香 静寂 満てり
粉飾 生翠に塗る
草髪 恨鬢に垂れ
光露 幽涙に泣く。(漆山又四郎氏の訳による)
というのであった。
伊達家の紋は「竹に雀」であるが、竹林の静かな情景をうたった詩句が、綱宗の心を惹きつけたのだろう。また「草髪恨鬢に垂れ、光露幽涙に泣く」というのは、細い草が群生して髪の垂れる如く、その上にむすぶ露が涙のしたたるようだ、という意味であるが、綱宗は逆に、字句そのままを自分の感懐に擬しているようにも思われた。
「これは頂戴してまいって、よろしゅうございましょうか」
「手を笑うな」
「頂戴つかまつります」
甲斐はその紙を持って座をさがった。綱宗は「明朝また会おう」と云った。
綱宗の前をさがるとき、夫人が次ノ間まで送って来て、「お垢付きである」と、綸子の下襲を渡した。常着に使ってくれという、綱宗の意向を伝え、下襲などは不作法であるが、肌につけていてもらいたいのだ、と云っているとのことであった。
夫人は「いま包ませる」と云ったが、甲斐はそのまま受取って、立とうとした。
「御多用でしょうけれども、いとまがあったらどうか、おみまいに来てさしあげて下さい」と夫人は云った、「誰よりも原田どのを頼みにあそばしているのです、あなたはそういう差別はお嫌いのようですけれど、あなたがみえたあとの、御機嫌のよいことは、わたくしなどの眼にもおいたわしいくらいです」
甲斐は黙って低頭した。
「あなたがみえるたびに、わがままを仰せられたり、荒れたことをなすったりします、どんなに迷惑であるかよくわかりますが、原田さまのほかには、決してあんなふうにはなさいません、原田さまお一人だけなのですから」
甲斐は眼を伏せたまま、お部屋さまこそ、と呟くように云った。夫人こそもっとたいへんであろう、という意味なのだが、あとは云わなかったし、夫人にもその意味は通じたようであった。夫人が鈴の緒を引くと、階下で鳴る音が聞え、甲斐はもういちど、いとま乞いをして、そこをさがった。
待っていた玄察と共に、望岳亭を出ると、外はまっ暗な闇で、少し風立っていた。案内の侍が、提灯を持って先に立ち、玄察が次、続いて甲斐、うしろから成瀬久馬が、下襲を両手で捧げて、ついていった。
「樅ノ木へ小鳥が巣をかけましてね」と歩きながら玄察が云った、「なんという鳥かわからなかったが、枝が枯れてはいけないと思って、三日ほどまえに巣を毀させておきました」
良源院の庭にある樅ノ木のすがたが、ふと眼にうかび、久しく見ずにいたな、と甲斐は思った。
「樅ノ木にも巣をかける鳥があるのですかな」と玄察が云った。
甲斐は急に立停った。そこは、ゆるやかな勾配をおりて、松林へはいる手前のところだったが、左手の竹藪の中で人の動くけはいがし、誰かが道へ出て来るように感じたのである。──急に甲斐が立停ったので、久馬も足を停めて、うしろへさがった。すると、一人の男が竹藪の中からとびだして来て、「原田どのか」と呼びかけた。
みんな立停り、先頭にいた案内の侍が、こちらへ提灯をさし向けた。
「原田甲斐どのだな」とその男が云った。
その男は足袋はだしで、袴の股立をしぼっていた。まだ二十一、二だろう、精悍そうな顔だちで、殺気立った眼つきをしているのを、甲斐は認めた。
案内の侍が、高く提灯をさしあげ、甲斐が、「そうだ」と答えた。
男は「奸物」というような叫びをあげ、抜き打ちに甲斐へ斬りつけた。刃がにぶい光をとばし、甲斐はうしろへ躱しながら、左手を振った。案内の侍が狼藉者と喚き、久馬が割ってはいろうとした。甲斐はそれを、彼も自分に襲いかかるものと思ったらしい。大きく跳躍して、男の隠れていた竹藪の中へと、とびこんだ。
「待て、ばかなまねをするな」と玄察がどなった。
男は竹藪の中へ、甲斐を追いつめた。甲斐は望岳亭の地理をまったく知らない、案内の侍は狼藉者と叫びながら、却って、甲斐の所在を知らせるように、提灯をかかげて、竹藪の中へ走りこんで来た。
「成瀬、人を呼んで来い」と玄察が云った。
甲斐は竹藪の中で、男と相対した。どう逃げたらいいかわからないし、ほかにも助勢者がいるかと思った。だが抜合わせてはならない。彼は竹の幹を盾に、相手の刃を避けることだけ考えていた。
──国許の人間だな。
と甲斐は思った。
走りこんで来た案内の侍の、さしだす提灯が、横から光を投げ、男の顔が浮きあがって見えた。男は刀を構えたまま、右へまわって、颯ととびかかった。
玄察の叫び声が聞え、甲斐は左へ逃げた。追いつめる男の刀が、二度、甲斐の袴と、袖とを刺し、男の荒い呼吸が、はっきりと甲斐に聞きとれた。甲斐はまた道へとびだし、男は追って来た。道へ出たとたん、男はちょっと躓いた。ほんの僅かに躓いただけであるが、その僅かな隙を覘っていた久馬が、巧みに、持っていた綱宗の下襲を投げかけた。それはひろがって、男の頭からかぶさり、男はまた躓いて、下襲をかぶったまま、転倒した。
玄察がすばやく、男の背へ馬乗りになって押えつけ、久馬が刀を奪い取った。案内の侍が提灯をかかげて走って来ると、甲斐は「寄るな」と手を振り、玄察に向かって、放してやって下さい、と云った。
「誰か呼んで来い」と玄察がどなった。
だが甲斐は、それには及ばないと制止し、近よっていって、男を頭から包んでいる下襲を、取ろうとした。しかし、思い返したように、その手を止めて、「よく聞け」と男に呼びかけた。
「私はおまえを知らない」と甲斐は云った、「顔も知らないし、姓名も知らない。だが、おまえがなぜ私に闇討ちをしかけたか、という理由はほぼ察しがつく」
「斬れ、おれを斬れ」
「おちついて聞け、私は今夜のことは忘れる、いいか、今夜はなにもなかったことにして、おまえに考える時間をやる」
男はまた「斬れ」と喚いた。
「おちついてよく考えるんだ」と甲斐はなだめるように続けた、「私の首を覘ったのは御家を思う一心からだろう、とすれば、私の首を取らぬうちは死ねない筈だ、御家を思う一念に紛れがなければ、生き延びる限り生き延びて、私を覘う筈だ、そうではないか」
男は黙った。そして荒い、苦しそうな呼吸だけが聞えた。
「ただ、ひとこと云っておくが、他人の評や風説に迷わされるな、事を行うなら、自分で是非の判断をしたうえでやれ」と甲斐は云った。
それから和尚もういいから放してやりましょう、と云い、玄察が立ちあがると、男の躯から下襲を取り、久馬に渡して、歩きだした。
綱宗はそう抜き書きした。しかし、竹林は静かではないな、と甲斐は思った。
御殿のほうに、小酒宴の支度ができていて、老女の藤井が、若い侍女たち二人のさしずをして、給仕に坐った。玄察はよく飲み、よく饒舌った。暗殺者のことは口に出さなかったが、さっき案内に立った侍を呼んで、辛辣にからかった。その侍は川口幾之助といい、二十一歳で、痩せた、気の弱そうな若者だった。
「おまえはいい案内者だ」と玄察は云った。
玄察は彼に盃をやろうとし、川口が手を出すと、その、いまやろうとした盃で自分が飲み、彼が手を引込めると、また盃をやろうとして、また自分で飲んだ。
「おまえは、なかなか、いい案内者だ」
同じ動作を繰り返しながら、玄察はゆっくりと云った。
「あのとき、提灯を持って、駆けまわって、よく見えるように、みちしるべをしたな」
川口幾之助は蒼くなり、痩せた頬をひきつらせながら俯向いた。玄察はそれを見ないふりで、みちしるべはみごとだった、とゆっくり続けた。
「みごとだったが、案内はおまえの役目だからな、殿に申上げるまでもあるまい、私は申上げようとは思わない、船岡どのはもちろん他言する人ではない、せっかくいい案内をしてくれたのに、結果は思わしくなかったようだな、おまえはさぞ残念だろうが、まあ諦めるんだな」
そして、もうよし、と手を振った。
老女はけげんそうに聞いていたし、甲斐はまったく知らぬ顔をしていた。川口が去ってからも、玄察はいかにも腹がいえぬという眼つきで、「今夜は酔いつぶれてくれよう」などと云い、大盃を求めて乱暴に飲んだ。
一刻ほど飲んで、甲斐はさきに寝所へはいった。次ノ間は、村山、矢崎、辻村たちの宿直であった。甲斐は着替えをするときに、振返って久馬を見た。
「拝領のお垢付きで助かった」と甲斐は低い声で云った、「みごとな機転だった」
久馬は黙って平伏した。
──御首尾いかがでしたか。
「酒の支度をさせろ」
──めでたく御談合がついたのですな。
「厩橋侯(酒井雅楽頭)は上機嫌だった」
──それはおめでとうございました。
「まず酒を飲もう」
──給仕はいかが致しますか。
「話しが済んでからでよい、まず祝いに一盞するとしよう」
「遣わそう、祝って飲め」
──頂戴つかまつります。
「東市正(兵部の子)を飯倉の中屋敷へ移す」
──では、……
「婚儀は来春ときまった」
──それはそれは。
「婚儀には京から姉小路卿(名は公量、酒井忠清の夫人の父)もくだられるそうだ」
──いよいよ御万代でございますな。
「おれはこの日を待っていた、待ちかねていたくらいだ、じつをいうと、姫と東市正との婚約は、ながれてしまうのではないかとさえ、思っていたのだ」
──それはまた、いかが致して。
「婚約の期間があまりに長すぎたし、厩橋侯の意中がだんだん計りかねるようになった、隼人も知っているように、初め侯は、一万石ばかりの小大名を縁類にもつつもりはない、と云っておられた」
──さようにうかがいました。
「そのご岩沼(田村右京)と共に亀千代の後見になったとき加増があって、知行は三万石あまりになったが、もちろんそれで侯が満足される筈はない、六十万石を分割して、三十万石の大名にならぬ限り、婚約はそのまま、というふうな態度を示されていた」
──しかしそれについては。
「まあ聞け。おれもそのためにいろいろ手を尽して来たし、家中の内紛はいよいよ深く、確実になりつつある、だが、この内紛がどこまでいったら老中の手がはいるか、また、いざというときに、はたして三十万石がおれのものになるかどうか、という点に疑いがあった、雅楽頭という人物には信じきれないところがある、土壇場でくるっと背を向けそうだ、という感じがだんだんつよくなって来た」
──私には思いもよらぬ仰せです、さようなことがあろうとは、夢にも思いませんでしたが。
「むろんけぶりにも出しはしなかった、しかし心では絶えず警戒をしていたのだ、それで今日は二カ条について談合を申しいれたところ、まったく意外にも、婚儀は来春ときまったし、他の一カ条も、まあ、これを見ろ」
──拝見つかまつります。
「どうだ、隼人はどう思う」
──これは、三十万石分与の証文でございますな。
「おどろいたか」
──六十万石、分割のとき到らば、三十万石を一ノ関に分与すべし。
「侯の自筆自署だぞ」
──これは、これは。
「同文の誓紙二通、侯とおれと連署して、一通はおれ、一通は侯の手許におかれた」
──いよいよ分割は慥かでございますな。
「これは首の根だ」
──はあ。
「この証文は厩橋侯の首の根だ、東市正の婚儀が済めば侯とは親族となり、この証文が侯の首の根を押える、祝うねうちがあるとは思わないか」
──もはや御万代、これ以上の御祝着はございません。
「飲め、隼人、祝って飲め」
──給仕を召しましょうか。
「待て、下屋敷からなにか知らせは来なかったか」
──まいりました。
「それを聞こう」
──船岡どのに闇討ちをしかけた者がございました。
「甲斐に闇討ちだと」
──望岳亭で御酒宴のあと、さがってまいりますところを襲いましたそうで。
「やったか」
──討ち損じました、あわやというとき、成瀬久馬の機転で、曲者は組み伏せられた、ということでございます。
「成瀬久馬とは、かの者ではないか」
──これまではさようでしたが、さきごろからようすが変ってまいり、どうやら、もはやお役には立たぬもようでございます。
「では変心したというのだな」
──そう認めるほかはないような事実が、一、二ならずございます。
「すると、そのままではおけぬだろう」
──なおようすをみたうえ、然るべく処置を致します。
「甲斐を襲ったのはなに者だ」
──まだ判明いたしません。
「捕えなかったのか」
──船岡どのは、その場で放してやり、顔も名も知らぬ、暗殺のことも忘れてやる、よく思案するがよい、と云われたそうでございます。
「なに者ともわからぬのか」
──今年くにもとより江戸番にあがり、つい三十日ほどまえから、お下屋敷へ詰めていた、ということだけはわかっております。
──申上げます。
「なにごとだ」
──ただいま、伊東新左衛門どの危篤という、使者がまいりました。
──殿。
「聞いた、新左が危篤とは思いがけない、新左が危篤とは、待て、隼人、そのほうすぐにゆけ、すぐにだ」
──なにごとかございますか。
「誓紙だ、三カ条の誓紙を取り戻すのだ」
──誓紙を、取り戻す。
「あれは新左衛門がたって求めるので与えたものだ」
──頂けなければ国老はお受けできぬと申しました。
「彼の強要によって与えたものだし、彼が死ぬとすれば与えておく理由はない」
──しかし、いつぞやの仰せでは、誓紙強要ということで、いつかは役に立てるということでしたが。
「それは新左が生きていてのはなしだ、生きていれば役に立つおりもあるが、死んでしまえばそのおりもなくなるし、誓紙だけ残るとすると却って不利になる」
──不利と仰せられますと。
「両後見が伊東新左衛門ひとりに誓紙を与えた、という事実だけが残る、強要したという責を負う新左が死に、与えたという事実だけが残ることは、逆に、後見職になにか越度があったという証明にもなりかねない」
──いかにも。
「すぐにゆけ、いや待て、まず内膳を遣わそう」
──しかし、伊東どのがおとなしく返すでしょうか、おそらく承知はすまいと存じますが。
「だからまず内膳をやるのだ、先に只野内膳をやり、あとから隼人がゆけ、隼人がいったら人払いを求めて話すのだ」
──承知つかまつりました。
「内膳には、そのほうがまいるまで動くなと、よく申しておけ、新左め、新左め」
──内膳を差向けました。
「よし、隼人は半刻ほど待つがいい、もう一つ遣わそう」
──伊東どのへまいらなければなりません、もはや充分でございます。
「では念にいれておけ、成瀬久馬から眼を放すな、疑わしいとみたら、手おくれにならぬよう始末をしろ」
──心得ております。
「次に甲斐を襲った曲者だ、なに者が煽動したか、その煽動者を知っておきたい、できるだけ早く手をまわして、みつけしだいその者を捕えろ」
──さよう備前(大町定頼・下屋敷家老)に申し遣わします。
「咎めもせずに逃がしたとすると、その者は脱走するかもしれぬし、ことによると甲斐が保護をするかもしれぬ」
──船岡どのが、その曲者をですか。
「甲斐はやりかねない、その者が甲斐のやりかたに感動し、脱走して甲斐のふところへとびこめば、甲斐は必ず保護するだろう、彼はそういう人間だ、うん、ことによるとそういう目算で逃がしたとも思える、備前へすぐに急使をやれ」
──さっそく申しつけます。
「おれは席を変える、伊東から戻ったらまいれ、誓紙を待っているぞ」
伊東新左衛門が危篤だと聞いたとき、甲斐は的場で、式部(宗倫)と弓を引いていた。弓を引こうとさそったのは式部であるが、その目的はほかにあったようで、式部はあまり弓を引かず、涌谷(伊達安芸)の横暴について、しきりに訴えていた。
式部は綱宗と同じ二十四歳であるが、綱宗とはちがって、躯も痩せて細いし、中だかでおも長な顔や、神経質そうな眼つきや、やわらかい含み声などが示す、女性的な印象とは反対に、陰気でねばり強い、ひどく執拗な性質をもっていた。
「涌谷の知行はいま二万二千六百石でしょう、じっさいは確実にもっと多い、おそらく二万五千石ちかくはあがるようだ」と式部は云っていた、「表て高と実高の違うことは珍らしくはない、それについてとやかく云うつもりはないが、二千六百石は四年まえに加増されたもので、その新知の分にかなり問題があるんです」
甲斐は的をにらんで、矢をつがえた弓を、静かにあげた。式部は続けた。涌谷では、万治二年に加増されるまえから、しきりに新田を起こしていた。自分の領地は登米郡寺池で、涌谷の領地の北に接しているのだが、新田を起こすとき、涌谷では地境を侵して、自分の領内へ鍬をいれた。その事実は土着の百姓の訴えでわかり、自分は幾たびも抗議した。ところが、涌谷のほうでは逆に、こちらで地境を侵していると云いだし、桃生郡深谷と、遠田郡の小里村、また登米郡の赤生津の三カ所について、こちらの不法を挙げて来た、と式部は云った。
甲斐は弓を射た。弦が鳴り、矢は的に正中した。
「涌谷は表て高でも二万二千六百石、私はその半分の一万二千石です」と式部は云った、「私は年も若いし、領地を貰ったのも新らしい、涌谷は年功もあり、その領地も古いから、昔のことをもちだされると云い負かされてしまう、しかし涌谷のやりかたが無法だということは、現に土着の百姓が知っているので、私としても黙っているわけにはいかないんです」
「地境のことはむずかしゅうございますね」と甲斐が云った、「いつか一ノ関さまと吉岡の奥山大学とで、衣川の片瀬片側の論がありましたが、なにしろ図面が明確でないのですから、お互いにゆずりあってゆくより致しかたがないでしょう」
「船岡は知らないからそう云うが、人間には意地というものもありますよ」
「たしかに」と甲斐はゆっくり頷いた。
「私には意地もあるし、伊達宗家一門としての名聞もあります」式部が云った。
甲斐はまた頷いて、弓に矢をつがえた。片肌ぬぎの、ひき緊った、逞しい肩が、晩秋の午後の陽ざしを吸って、艶つやと光を帯び、弓をあげると、日にやけた皮膚の下で、筋肉の瘤立つのが見えた。
「涌谷は老巧だから、理屈では私はかなわない、しかし地境の是非は事実が証明しているので、理屈がどうあろうとも、私は決してあとへはひかないつもりです」
甲斐の手で弓弦が鳴った。
こころよい弦音とともに、矢は、糸を引くように的へ飛び、まえの矢と殆んど同じ一点に突立った。甲斐は射放したままの姿勢で、静かに右手をおろし、堀内大助が、的から矢を外すのを見やりながら、「それで」と式部に云った、「なにか私で、お役に立つことがあるのでしょうか」
「実地を検分してもらいたいのです」
「私にですか」
「船岡は帰国されるのでしょう」
「来春は番あけになる筈です」
「番があければ帰国されるでしょう」
甲斐は「さて」といってはじめて、構えていた弓をおろし、垜にいる大助を招いた。堀内大助は惣左衛門の二男で、今年十四歳になり、三年まえから甲斐の側に勤めていた。甲斐は、走って来た大助に弓を渡し、ぬいでいた片肌へ袖をとおしながら、番はあけるが、いろいろ多用なので、いつ帰国できるかということはわからない、と云った。
「しかしそう延びることはないでしょう、少なくとも夏までには、帰国されるのではありませんか」
「そうあれば、いいのですが」
「そのときぜひ実地を見てもらいたいのです、ほかの者では涌谷に云い負かされてしまう、ほかの者ではだめです、ぜひ船岡にいって検分してもらいたいんです」
甲斐の額に深い皺がより、唇にあるかなきかの微笑がうかんだ。
「私も、涌谷さまは苦手です」
甲斐がそう云ったとき、矢崎舎人が的場へはいって来た。甲斐は式部に会釈して、そちらへゆき、舎人は「伊東新左衛門が危篤である」と告げた。
甲斐は眼をそむけた。
「云い遺したいことがあるとのことで、すぐおいでが願いたい、という使者の口上でございました」
甲斐はためらうようすだった。新左衛門がなにを遺言したいかは、聞かなくともわかっているし、そこには国から駆けつけた七十郎もいるだろう。ゆけばうるさいことになる。そう思うようすだったが、やがて眼をあげて、まいろうと頷いた。
「ただいま寺池さまのお相手をしているが、やがてまいると伝えておけ」
舎人はすぐに去った。
甲斐が住居へ帰って、着替えをしていると、銀座の鳩古堂から、筆を届けて来た。
甲斐はいつものように、自分で手代の助二郎に会い、箱を取って居間へはいった。机に向かって箱をあけると、これも例の如く、筆が五本、枠に篏って並んでいる。甲斐はまん中にある斑入りの軸の筆を取り、静かに指で捻って、嵌込み細工になっているその軸の上部を抜いた。下のほうを逆さに振ると、細く巻いた薄葉が出て来、甲斐はそれを机の上で、注意ぶかくひろげた。
そこには極めて小さい字で、左のような意味のことが、書いてあった。
──涌谷さまから手紙があった。そこもとの意見をよく思案されたところ、思い当るふしがあるので、いちおう前田家と連絡をとる件は承知する。だが、どこまで話しあうべきかは、いちど会って相談しよう。ついては、来春の番あけを早くして、帰国のうえ会ってもらいたい。いま寺池と地境のことで掛け合っているから、その検分をするという名目で、涌谷へ来るがよかろう。おそくも三月までには会えるように、早いに越したことはないが、三月よりおくれては困る、こう書いて来られたから知らせる。という文面であった。
甲斐は読み終ると、机の上の文筺から鋏を取り、その紙をこまかく寸断したうえで、屑籠の中へ捨てた。
筆を元の箱におさめてから、堀内惣左衛門を呼んでその箱を渡し、屑籠へ手を振って、焼いておくように、と命じた。惣左衛門はただいま、と答えてさがった。
伊東新左衛門の住居は浜屋敷の中にある。甲斐は矢崎舎人と小者だけを供に、歩いて浜屋敷へいった。──伊東家に着いて、控えの間で衣服を直していると、七十郎がつかつかとはいって来た。九月中旬だというのに、紺染めの単衣を着て、葛布の袴をひきずるようにはき、無腰のまま、両手をふところの中で組んでいた。そのために逞しい胸があらわに見えており、酔っているのだろう、顔も赤かったし、その胸までが赤かった。
「ほう、来られましたか」と七十郎は云った、「たぶんおいではあるまいと思っていたんです、使いをやってもむだだって義兄に云ってたんですがね」
甲斐は袴の前を叩きながら、それは気の毒なことをした、と云った。七十郎は甲斐をにらみ、低い声に力をこめて、断わっておきますがね、と云った。
「断わっておきますが、義兄は自分が危篤だということを知っています、原田さんに云うことは、死ぬ人間の最後の言葉です、わかりますか」
甲斐は黙って、舎人のさしだす扇子を取った。七十郎は云った。
「死に臨んだ人間の言葉だということを忘れないで下さい」
甲斐は七十郎を見た。初めて、静かに七十郎を見、そして、七十郎にも似あわない、と微笑した。すると頬に深く皺がより、唇のあいだから、白いきれいな歯が見えた。
「七十郎にも似あわない、なにをそんなにいきごむんだ」と甲斐が云った、「小野は危篤かもしれないが、まだ死んだわけではないだろう」
「私がいきごんでいますか」
「小野は病状が危篤だというだけで、まだ死んではいないし、ことによるともち直して恢復するかもしれない、これは小野に限ったことではなく、人間はみな同じような状態にいるんだ、まぬがれることのできない、生と死のあいだで、そのぎりぎりのところで生きているんだ」
「貴方もですか」と七十郎が訊き返した、「貴方もそのぎりぎりのところで生きているというんですか、そうですか、原田さん」
「私は一般の例を云ったまでだ」
「貴方自身はどうです」と七十郎はたたみかけた、「他人の生死は痛くも痒くもない、どんなにでも達観したようなことが云えますよ、だが、そんなものは山寺の小坊主の寝言だ、死ということを知らない貴方が、死について悟ったようなことを云ったって、聞いているほうにはただ可笑しいばかりです」
「では一つだけ云おう」と甲斐は微笑しながら云った、「私はおとついの晩、品川の下屋敷で、刺客に襲われた」
七十郎は眼をそばめた。なにを云うかといったふうに、眼をそばめて甲斐を見、甲斐は微笑したまま続けた。
「月見の宴に召されて、お盃を頂いたあとのことだ」
「貴方に、刺客ですって」
「望岳亭からさがる途中、暗闇からいきなり、抜き討ちをしかけられた」
七十郎は唾をのんだ。
「幸い命は助かったが、ほんの一歩ちがえば死ぬところだった、嘘も隠しもない、あとでみると袖と袴が切れていた」
「なに者です、それはなに者ですか」
「知らない」と甲斐は首を振った、「私は顔もよく見なかったし、名も訊かずに放してやった、なぜだかわかるか、わからなければ云おうか」
七十郎は聞きましょうと、しゃがれたような声で云った。甲斐は無関心な、あっさりした口ぶりで続けた。
「なぜかといえば、私の首を覘う者はその一人だけではないからだ、ほかにも相当いるようだし、これからも出て来るだろう、現にその七十郎自身も、いつ私を斬ろうとするかわからない、そうではないか」
七十郎は笑った。乾いた笑い声であった。甲斐はやさしい眼で、笑う七十郎の顔を眺めていた。
「私が貴方を斬るんですって」
「もっと笑ってもいいよ」
「私が原田さんを斬るっていうんですか」
甲斐はやさしい眼で七十郎を見まもり、七十郎は怒りのために吃った。彼はふところで組んでいた両手を出し、衿を掻合わせながら、冗談じゃない、と吃った。
「いくらうろたえたって、暗殺者になるほど私は自分を軽蔑しやあしない、ことに貴方を斬るなんて、うぬ惚れてはいけませんよ、原田さん」
甲斐はまた微笑し、では一人減ったわけだな、と云った、「七十郎が私の首を覘わないとすれば有難い、七十郎が覘えば、決して討ち損じはしないだろうからな、しかし、それでも一人減っただけで、ほかに刺客はいくらでもいる、そういう者がほかにいることは、七十郎も知っている筈だ」
「どうしてです」
「知ってはいないか」と甲斐は穏やかに云った、「知らなければ知らぬでいい、刺客というものには、多くのばあい煽動者がある、なにが真実であるかをみきわめる能力がなくて、血気にはやる人間は少なくない、そういう者はたやすく人に動かされ、すぐ壮烈な気分になって、どんなことでもやってのけるものだ」
「私がその、煽動者だというのですか」
「どちらかというと、私はあまりうぬ惚れるほうではない」と甲斐が云った、「首を覘われていることも、煽動者の多いことも、私にはたいして関心がない、そんなことよりまえに、侍の奉公というものはつねに命を賭けたものだ、と教えられたときから、私はいつも死と当面して来たし、死のおそろしさを知って来た、あんまり死を考え、死をおそろしいと思い続けたために、いまでは生よりも死のほうに親しさを感じているくらいだ、こんなことを口にするのは初めてだが、おそらく七十郎にはわかるまい、──小野が危篤だと聞いても、やすらかな往生を願うほかに、私にはなんの感慨もなし、また遺言などをことさら重大だとも考えない、それだけだ」
そして甲斐は廊下へ出た。
七十郎は棒立ちになっていて、甲斐が出てゆくのに気づき、なにか云いかけようと、あとを追って出たが、そのとき玄関のほうから、若い家士が出て、「一ノ関さまからまたお使者です」と告げた。
「追い返してしまえ」と七十郎はどなった。けれども、若い家士の困惑したようすを見ると、思い直したように頷いた。
「よし、おれが会おう、客間へとおしておけ」
若い家士はいそぎ足に、玄関へ戻っていった。
甲斐が案内されたとき、病間では医者が、新左衛門の脈をみていた。下座のほうに、家扶の鷺坂靱負がいて、甲斐に挨拶をし、甲斐のために席をはらった。甲斐はそこで診察の終るのを待った。
その座敷は書院造りの十帖で、床ノ間には書の軸が掛けてあり、香炉から煙があがっていた。窓も襖も閉めきったままで、病人の躰臭がこもっているため、必要以上に香を炷いているらしく、座敷いっぱいがむせるほど匂っていた。──医者が診察を終ると、新左衛門が「どのくらいもつか」と、ひどくかすれた声で、喘ぎながら訊いた。
「いや、正直に云ってもらいたい、あとどのくらいです、今夜が越せますか」
「まだお脈は、しっかりしております」と医者が云った、「御病状がゆだんのならぬ点は事実ですが、お訊ねのようなことにお答えはできません」
「それほどさし迫っているというわけか」
「私は正直に申しております」と医者は云った、「私は昨日、御病状が重大であると申しました、いまでも好転したとは申上げませんが、昨日の御容態より危険が多くなったとは思われません、このお脈のしっかりしていることから判断いたしますと、今夜か明朝か、というほど早急とは考えられません」
新左衛門は「ああ」と喘ぎ、もういいというふうに頷いて、甲斐のほうを見た。
医者は座をさがり、甲斐に会釈をして立ちあがった。次ノ間にいた若い家士が、医者を送ってゆき、甲斐は立って、新左衛門の枕許へいって、坐った。新左衛門は痩せて、干からびたように、小さく、ちぢんでみえた。皮膚は乾いた土色をしてい、唇は白く、おちくぼんだ両眼は膜をかぶったように濁っていた。
「よく来てくれた、御用の暇を欠かして済まない」
「寺池さまの、弓のお相手をしていたところだ」
「靱負」と云って、新左衛門は家扶を見、「起こしてくれ」と命じた。
家扶は迷って、助言を乞うように甲斐を見た。甲斐は立ちあがって、手を貸そうと云い、家扶と二人で、新左衛門の半身を起こし、前に脇息を置いて、凭れかかるようにしてやった。だが、それはむりだったらしい。新左衛門は脇息に凭れて、さもこころよさそうに、二度ばかり深く息をついたが、すぐに首を振って、「だめだ」と云った。だめだ、寝かせてくれと云い、苦痛の呻きをこらえるために、歯をくいしばった。
二人は彼を元のように寝かし、新左衛門はやや暫く、眼をかたくつむって、喘いでいた。
「靱負、遠慮をしろ」とやがて新左衛門が云った。
靱負は次ノ間へさがり、新左衛門は眼をあげて、甲斐を見て、このざまだ、わかるだろう、と力のない声で云った。
「やっぱりだめだった、痩せたのは病気がおさまったからだと思ったが、そうではなく、衰弱し始めていたんだ」
こんどはだめだ、もう時間の問題だ、と新左衛門が云った。甲斐は黙って、静かな表情と、温かい、劬るような眼で、新左衛門を見ていた。
「死ぬことはなんでもない、なん年もまえから、こんどこそ死ぬだろう、という峠を幾たびも越して来た、死ぬ覚悟はできているが、やりたいと思ったことを、やらずに死ぬのがこころ残りだ、どんなにこころ残りか、わかってくれるだろう」
「誰にしても、やりたいことを全部やって、こころ残りなしに死ぬ、というわけにはいくまいと思う」と甲斐が穏やかに、ゆっくりと云った、「もしも小野がし残して、どうしてもやらなければならぬことがあるなら、誰かが小野に代ってやるにちがいない」
「誰かではない、船岡に頼みたいのだ」と新左衛門は云った、「苦しいから単直に云う、一ノ関を除いてくれ、知っているとおり、故人の古内主膳どのは、義山公(故忠宗)に殉死するとき、一ノ関の奸知こそ御家の害になろう、と遺言をされた、それが次つぎに、事実となってあらわれている」
甲斐は黙って、当惑したように、しかし穏やかなまなざしで、新左衛門を見ていた。
「涌谷さまや松山は、船岡と力を合わせて一ノ関に当る、三人協力して、一ノ関の陰謀を潰すと云っておられた、だが涌谷さまは老躰だし、松山は温厚だが小胆だ、小胆といって悪ければ大事をとりすぎる、あの胆の太い、奸知にたけた一ノ関と、真向に対決できるのは、船岡をおいてほかにはない」
新左衛門は言葉を切って、激しく喘いだ。残った命が、その一と呼吸ごとに消えてゆくような、激しい喘ぎであった。
「船岡はまだ、自分を韜晦している、これまで幾たびも問い詰めたが、いちども、自分の肚を割らなかった、そして、周囲に、一ノ関の与党だ、という印象をふり撒いている」と新左衛門は続けた、「私は船岡を疑った、七十郎はいまでも疑っている、だが、病状が急変し、死が、まぢかに迫っていると知ったとき、眼前に死をにらんだとき、私には船岡の肚がわかった、それで使いをやったのだ」
そして新左衛門は、焦点の狂った眼をあげ、そこに甲斐がいることを慥かめるかのように、じっと眸子を凝らした。
「もうなにも訊く必要はない、ただ、最後にひと言、一ノ関を除くと云ってもらいたい、一ノ関のことは引受けた、それだけを、ひと言、聞かせてくれ」
「少しおちつくがいい」と甲斐が云った、「それでは苦痛が増すばかりだ、少し休んで、気をしずめなければいけない」
「云ってくれないのか」
「人間の力には、限度があるようだ」と甲斐はもの柔らかに云った、「小野は自分にできるだけのことをした、もうあとのことに心を労する必要はない、この世のつとめをはたしたら、あとは平安に死ぬことを考えるがいいだろう」
「云ってはくれないのだな」
「言葉が役に立つか」と甲斐は云った、「小野が求めるとおりのことを、私がここで誓言したとして、それで小野が満足するか、満足できると思うか」
新左衛門の眼が、甲斐をみつめたまま動かなくなり、甲斐はその眼に頷いた。心をかよわせるように、頷いて、それから、ゆっくりと首を振った。
「耳や眼は騙されやすい、真偽を晦ますことは、さしてむずかしくはない」と甲斐は云った、「だが騙すことのできないものもある、神、仏、そして魂、もし神仏があり、人間にたましいがあるとしたら、これらは騙すことも晦ますこともできない」
新左衛門の眼は、まだ動かなかった。
「死んで、たましいになれば、なにもかも見とおすことができる、小野もやがて、すべてを見とおすだろう、──ゆくところは同じだ、死ねばみな同じところへゆく、私もあとから追いつくだろう」
そして甲斐は囁くように云った、「つとめは終った、新左衛門、あとは安らかに死ぬことだ」
新左衛門はかすかに頷いた。すると、その眼から涙があふれ出て、枕へこぼれた。甲斐はふところ紙を出し、静かにその涙を拭いてやった。
そのとき七十郎が顔を出し、「用談は済みましたか」と訊いた。甲斐はふところ紙を、袂へ入れながら、振返って頷いた。七十郎ははいって来て、病床の前に坐った。
「また一ノ関から使いです」と七十郎は新左衛門に云った、「同じことを云い張っていてききませんが、どうしますか」
「断われ」と新左衛門が云った、「なんと云おうとも返さぬ、返す理由がない、ならぬと云え」
「そう云うがきかないのです、誓紙は伊東新左衛門その人に求められたもので、しかも国老就任が条件であった、当人が重病で倒れ、国老の任に耐えなくなった以上、その誓紙は返すのが当然である、というのです」
「私はまだ生きている、国老の任も解かれてはいない」と新左衛門は激しく喘いだ、「また、あの誓紙は、私ひとりが受取ったのではなく、伊達家臣ぜんたいに対する、誓約だ、両後見から、全家中が受取った、誓約なのだ」
そこで新左衛門は絶句した。
絶句したとみえた新左衛門は、激しい咳におそわれた。衰弱しきった、骨だけのような躯が、夜具の中でよじれ、いまにも息が止まるかと思われるほど苦しんだ。七十郎は立っていって、うしろへまわり、手をさし入れて、新左衛門の背を撫でた。
甲斐はじっと坐っていた。
喉に痰がからんでいて、それがとれないらしく、激しい咳は止まったかと思うとまたこみあげ、その苦痛とたたかうために、新左衛門の顔はどす黒く変ったし、額はあぶら汗で濡れた。──ようやく痰が切れて、七十郎はそれを拭き取ってやり、それから薬湯で口を湿してやった。新左衛門はやや暫く、精根の尽きはてたように、眼をつむったまま、弱よわしく喘いでい、そうしてやがて、「お聞きのとおりだ」と云った。甲斐に呼びかけたのだろう、甲斐は黙って頷いた。
「一ノ関が、あの三カ条の誓紙を、返せと云って来ている」と新左衛門はとぎれとぎれに云った、「昨日、二人で来て、断わったが承知しない、いまもまた、来ているそうだ、これで、あの誓紙がどんな意味をもつか、船岡にもわかるだろう」
「もう話しはよせ、また苦しむだけだ」
「これだけは聞いてもらう」と新左衛門は続けた、「三力条の誓紙は、必ず、ものをいうときが来る、だからこそ、一ノ関は執拗に、取返そうとするのだ、あれはいつか、必ずものをいうだろう、私は誓紙を采女(養嗣子)に遺す、七十郎に持っていってもらって、采女の手に渡す、決して一ノ関へは返さない」
そのことを覚えていてくれ、と新左衛門は云った。甲斐は静かに、覚えていよう、と頷いた。
「これでいい」と新左衛門は甲斐を見た、「船岡の云うとおり、安らかに死ぬことを考えよう、来てくれてうれしかった、どうかもうひきとってくれ」
「よければもう少しいよう」
「いや、もう充分だ」と新左衛門は云った、「死にざまを見られるのは辛い、どうかひきとってくれ」
甲斐はゆっくりと頷き、暫く新左衛門の顔を見まもっていたが、「ではこれで」と云って、静かに立ちあがった。
その夜、──新左衛門は死んだ。
甲斐が聞いたのは、翌十六日の早朝で、知らせに来たのは七十郎であった。彼は旅装をしていて、庭先からはいり、甲斐は縁先で彼に会った。七十郎は新左衛門の死を告げたのち、自分はこれから「誓紙」を持って国許へ帰る、義兄との約束は忘れないでいてもらいたい、と云い、返辞は聞くまでもない、といいたげに、すぐ去っていった。
「あんた、年を隠してるね」と女が云った。
新八は「うう」とあいまいな声をだしながら、もぞもぞと寝返りをうった。女はうしろから抱き緊め、素肌をぴったり寄せながら、「だめよ、ねかさないよ」と云って、新八の耳たぶを吸い、乱暴に肩をゆすった。
「よせ、眠いんだ」と新八が云い、女の腕を押し放そうとした。女はもっと身をすりつけ、「ほんとの年は幾つよ」と云った。
「少しはなれてくれ」と新八は躯をもがいた、「あつくってしようがない、よせといったらよせ、うるさいぞ」
「ほんとのこと云いなさいよ、そうしたらねかしてあげるよ、云わなきゃこうするから」
「よせ、殴るぞ」
「じゃあ云いなさいよ、でなきゃあたしが当ててみようか、ねえ、あんたはまだ二十まえでしょ」
「ばかを云え」
「二十まえよ、わかるわ」と女が云った、「あんた二十三だって云ったでしょ、あたしもそうかと思ったよ、今夜で五たびめだから、初めは九月だったね、九月の末だったかな、初めてのときいろんなこと知ってるんで、びっくらしてさ、あたしなんかこんなしょうばいしてるのに、聞いたこともないような、いろんなこと知っててさ、それがうまいんだもの、うん、憎らしいよこのひと」
「痛え、ふざけるな」
新八は肱で女を小突いた。女は身をちぢめ、「い」といって彼の肩に歯を当てた。
「二どめのときなんか、あたしあんまり恥ずかしくって、あかりをつけてもおけなかった、悪いったってきりがあるよ、年を訊いたら二十三だって云ったけれど、あたしはもっといってるだろうと思ったよ、くせの悪い五十男だってしないようなことするんだもの、女はこういうひとに身あがりをするんだなって思って、あんたに逢うのがこわくなっちゃったよ」
女はうきうきしていた。まださめない昂奮が、彼女の血をかきたてるらしい。絶えず彼を抱き緊めたり、耳に吸いついたり、手さぐりをしたりした。
なんというやつだ、おれはなんという腐ったやつだ、と新八は思っていた。
「でも今夜でわかった」と女は続けていた、「あんたのは教えられたもので、教えられたことをぶきように真似ているだけだってことがさ、このまえのときと今夜で、それがわかったよ、あんた誰かに教えられたんでしょ、そうだよ、きっとこれがよっぽど好きなひとなんだ、あんなにいろんな勘どころがあるなんて、しょうばいしているあたしなんかだって知らなかったもの、よっぽどだよ」
新八は部屋の中を眺めていた。女の無恥で露骨な饒舌を、うしろに聞きながら、その狭くて暗い部屋の中を、放心したような眼つきで、ぼんやりと眺めていた。そこは風呂屋の二階にある長四帖で、家具らしい物は殆んどなく、一方は障子の入口、一方は押入、左右は板壁になっている。初めてそこへはいったときは、牢屋のようだと思った。
風呂屋に遊女を置くことは、十五年ほどまえに禁じられたが、実際は隠し売女になっただけで、どこの風呂屋にも客の背中をながしたり、茶を汲んだりする女たちがいて、それらがみな客を取るのであった。その風呂屋は、道場からさして遠くない相生町にあり、新八は九月下旬から、もう五たびもかよって来ていた。
石川兵庫介たちといっしょに、明神下の道場へ移ったのは八月で、彼は道場の雑用をするかたわら、兵庫介から柔術、野中又五郎から刀法を教えられた。どちらも稽古はそれほど激しくはなかったし、他の人たち、砂山忠之進、尾田内記、藤沢内蔵助、みな彼にはしんせつだった。島田市蔵だけは、うさん臭そうな眼で見る。口ではなにも云わないし、かくべつ辛く当るわけでもないが、どことなく疑わしそうな、さぐるような眼で彼を見るし、あまり口もきこうとはしなかった。
──そうだ、あの眼だ。
と新八は心のなかで呟いた。
──おれはあの眼が怖い、あれはおれの性根を見ぬいている眼だ、おれがどんなに腐っているか、どんなに堕落した人間かということを、底まで見やぶっている眼だ。
新八は呻き声をあげた。
「どうしたのさ、聞いてるの」と女が新八をゆすった、「ごまかしてもだめだよ、あんたのやりかたは箔が剥げちゃったんだもの、教えられたことは知ってても、そのとおりに繰り返すだけじゃないのさ、だから初めにはびっくらしたけれど、四たび五たびとなるとこっちが却ってじれったくなるよ、今夜なんかじれったいだけだよ、ねえ、ほんとに年は幾つなの、二十まえでしょ」
「少し黙れ、少し黙ってくれ」
「あたしが当ててやる、十九かな、十八かな、きっと十八だよ」
女は手と足で絡みつき、のしかかろうとした。新八は女を押しのけて、乱暴に起き直った。
「うるさくすると帰るぞ」
「帰すもんかさ」
新八は立ちあがった。
女もはね起きて、彼を羽交い絞めにした。帯をしめていないので、寝衣がはだけ、肥えた、肉の厚い、女の躯があらわになった。よせ、本当に殴るぞ、と新八が云い、「殴ってよ、殴んなさい、殴らないのかさ」と女は彼をゆりたてた。女の躯はずっしりと重く、力も強かった。新八はよろめき、女は彼を押倒した。
それから刻が経ち、女は眠っていた。片腕で彼を抱き、片腕と片方の足は夜具の外へ投げだし、そうして、掛け夜具も胸まではいでいた。
新八は眠れなかった。あんまり恥ずかしくって、灯を消さずにはいられなかった。そう云った女の言葉が、錆びた針でも刺しこまれたように、頭の芯で、するどく、ざらざらと痛んだ。おみやのためだ。新八は顔を歪めた。おみやが彼をそんなふうに仕込んだのである。彼はおみやに仕込まれ、それに慣れ、慣れたことからぬけだすことができなくなった。与えられた習慣は彼をとらえ、いまでは抵抗しがたい衝動となって、内部から彼を押えつけ、支配する。どんなに苦しんでも、もがいても、いちどその衝動が起こると、それにうち勝つことはできないのであった。
材木町にいたじぶんは、隣りのお久米に負かされた。かこい者のお久米は、おみやと新八との仲を知っていて、おみやが屋敷奉公にあがったあと、すぐに新八を手なずけてしまった。
「──あのころからだ」と新八は呟いた。
すると女が、鼻声で軽く呻き、彼を抱いている腕が、痙攣するように彼を緊めつけた。安い香料と、強い躯の匂いが混りあって、むっと彼を包んだ。彼は吐きたいように胸苦しくなり、女の腕から身を放そうとした。女はまた呻き声をあげ、寝返りをうって、眠ったまま、片方の腕も彼に絡みついた。新八は荒あらしくその腕を払いのけ、躯をずらせ、そして女を押しやった。
「うるさいね」と女が眠ったまま云った、「しつっこい人だね、触らないでよ、うるさい」
そして、掛け夜具をもっと剥ぎ、ばたっと手足を投げだした。あらわにはだかった胸で、線のゆるんだ、大きな双の乳房が、重たげに揺れ、ぽかんとあいた厚い唇の端から、涎がたれていた。新八は女の寝ざまを見ながら、心のなかでふと、殺してやろうか、と呟いた。
「ふしぎだ」と彼はやがて呟いた。
こんなにも抑えがたい衝動を感じさせるのに、そのあとではいつも、激しい屈辱と嫌悪におそわれる。おみやのときもお久米のときにもそうであった。どちらのばあいも、そのあとで、ふと、殺してやろうか、と思ったことが幾たびかあった。
「これはどういうことだ」と彼は口の中で呟いた、「女のほうでも、こんなことを考えるのだろうか」
そうではないようだ。女にはそんな感情はないらしい、女は陶酔し、満たされ、しかも飽きるようすがない。満たされたことによろこびを感じ、そのよろこびに浸っていようとする。男と女との、この相違はなんだ。
「男と女との、この違いはどういうことだ」と新八は呟いた。
どこかで雨戸を叩く音と、なにか云う人の声が聞え、新八は欠伸をした。おみやはきれいに変った。おれはこの誘惑から、のがれることができないばかりでなく、ますます汚れ、泥まみれになってゆくのに、おみやはきれいに、まるで着ていた物をぬぎ替えるように、あの淫蕩な習慣からぬけだして、生娘のようにきりっとし、清潔な女になった。おれに向かって、まじめな人間になってくれ、と意見をしたようすは、殆んど若い母か、姉のようでさえあった。どうしてあんなに、きれいに変ることができるんだ、どうしてだ、と新八は考え続け、女の寝息がふいに止まった。
女は手足をちぢめ、胸をかけ合わせながら、頭をもたげて、どこかの物音に耳をかたむけた。いやだよ、と女はだらけた声で、独り言のように云った。
「なにかあったんだね、見廻りだよ」
「見廻りってなんだ」
「町方のお調べよ、知ってるくせに」
新八はどきっとした、「役人がこんなところへ、調べに来るのか」
女は息をひそめた。階下に物音と、人の話し声が聞え、女は低い声で、やっぱりうちだよ、と呟いた。
「なか(新吉原)だとこんなことはないんだけれどね、なかには吉原掛りというのがあって、むやみに町方なんぞの手入れはできないんだけれど、こういうところは隠れたしょうばいだから」と女は新八を見た、「兇状持ちがまぎれこんだなんていう口実で、ときには本当にそんなこともあるけれど、たいていは小遣いをせびるために押込んで来るんだよ、あんたなにかあるんじゃなくって」
「なにか、とは」新八は云いかけて首を振った、「おれは浪人だが、侍だから」
「こんなところへ来る役人は下っ端だから、そんなこと遠慮しやしないよ、たぶん下でつかませるだろうけどさ」
新八は起き直った。
──おれは脱走者だ。
ということが頭にうかんだのである。しかしそのとき、梯子段を登って来る人の、話し声が聞え、女がはね起きて、「早く、着物を着てよ」と云った。蒲団を片づけるから、あんたは着物を着てちょうだい、早く。と云い、新八が立ちあがると、女は乱暴に夜具をたたみ、隅のほうへつくね、そして、押しやってあった食膳を、部屋のまん中へ据えた。
新八が着替えて、帯をしめていると、障子があき、「御用」と書いた提灯をかかげて、一人の男がこちらを覗いた。
新八と女は、膳を前にして、さし向いに坐った。男はするどい眼つきで、新八をにらみ、新八はふるえた。おちつけ、おちつくんだ、と新八は思った。だが、下腹に力をいれても、躯のふるえは止まらないし、女が「盃を持って」と囁き、そうしようと思うのだが、手を伸ばすこともできなかった。
提灯をかざして、こちらをにらんでいた男は、うしろへ頷いてから、部屋の中へはいって来、そのあとから二人、同心らしい若者と、目明しらしい、中年の男とがはいって来た。
「このお客さんの酒のお相手をしていたんですよ」と女が云った。
女は派手な色の、着古した寝衣に、半纒をひっかけ、冷たい空の徳利を持って、男に媚びたしなをつくってみせた。同心らしい若者は、立ったまま新八を見おろし、「どこの御藩中か」と訊いた。三人とも女には眼をくれず、新八をとり囲むように立ち、一人は提灯の光を、新八の頭上からさしつけるようにした。
「なにか不審でもあるのですか」と新八が反問した。
「どこの御藩中か、うかがっているのです」
「──浪人しています」と新八は吃った。
同心らしい男はふんと頷き、振返って目明し態の男に「年は若いといったな」と訊いた。そして、また新八に向き直って、住所と姓名を聞きたいと云った。新八は睡をのみ、そして「本所です」と吃りながら答えた。
「本所のどこです」
「本所の、向島の牛御前の近くです」
「あの辺も本所といいますか」
「そう聞いたようですが」
「御姓名は」男は板壁のほうへ眼をやった。
それまで新八を見ていた眼をそらし、言葉つきもしだいに訊問口調になった。新八は、腋の下に汗のにじみ出るのを感じた。──道場のことを云えばいい、天神下の道場をしらべてもらえばわかる、だが、こんなところで遊んだことを知ったら、みんなはどう思うだろう、野中さんたちはなんと云うだろう。新八の眼には、いつも自分を疑わしそうに見ている、島田市蔵の顔が思いうかんだ、──いや、だめだ。それはできない、道場の人たちに知らせることはできない。また、脱走者である以上、本当の名をなのるわけにはいかない、新八はこう思って、野中忠之進である、と答えた。
男は板壁のほうを見ていて、そのままで、「でたらめだな」と低く呟き、それからひょいと、女に訊いた。
「この客は馴染か」
女はいいえと首を振った、「いいえ、ほんの、二度ばかりです」
新八は女を見た。同心らしい男は、やはり立ったままで、ふところから静かに十手を取出した。
新八はかっと逆上した。男が十手を取出すのを見ると、いっぺんに頭へ血がのぼったようになり、われ知らず、なにをすると叫んだ。
「私がなにをした、私になんの不審があるんだ」
「おまえ震えているな」と同心らしい男が云った、「おれがはいって来たときから震えていた、住所もでたらめだし、偽名をなのった、いや、階下で聞いて来たんだ、おまえ此処では新さんと呼ばれているそうじゃないか」
新八はそれはと吃った、「それは、こんなところでは、誰だって本名は云わないでしょう」
「役人に向かってもか」と男が云った。
「いや、そんなことはない、いま答えたのが本名だ」
「慥かだな」と男は念を押した、「ではもういちど、姓名と年を聞こう」
「年は、年は十九歳」
「姓名は、──」
「野中、野中、忠之進」
「忠之進だって」
男はそこで新八の脇に跼み、十手をゆらゆらさせながら、さっきはそうは云わなかったぞ、と云った。新八はみじめに狼狽し、それはできることなら、本名を知られたくなかったからである、と答えた。こんなところで本名をなのっては、身の恥にもなるし、知友に知られても困るから、などと、しどろもどろに云った。
「よし、わかった」と男は立ちあがった、「済まないがちょっと番所まで来てくれ」
「どういう理由です」
「住所を偽わり、名をかたり、年不相応な金を遣っている」
「不相応な金だって」
「そうさ、おまえは此処でだいぶ遊んでいるようだ、女は二度ばかりといったが、階下で訊いたらもう五たびも来ている、そんな金をどうして手に入れた」
新八はふるえた。道場の金をごまかしたという事実が、非常な重さで彼を押えつけ、その重さで、骨が鳴るように思えた。新八はふるえながら、しかしそのくらいのことで、侍一人を拘引できるのか、とけんめいに訊き返した。
「辻斬りがあったんだ」と男は云った、「ゆうべ宵のくちに、御成り小路で辻斬りがあった、浪人ふうで、年ごろも似ているんだ」
「それなら刀を見て下さい」と新八が云った、「人を斬ったかどうか、刀を見ればわかる筈です、階下に預けてある刀を見て下さい」
男は冷笑した。
「それがどうした」と男は冷笑しながら云った、「刀を見るぐらいのことは、云われなくとも知っている、だが、刀は取替えることができるんだぜ、辻斬りをした刀を、そのまま差しているようなばかは、それほどたくさんはいないんだ」
新八は頭を垂れた。
女がそばから、おとなしくいきなさいよ、と云った。いけばわかるじゃないのさ、おとなしくいくほうがいいわよ、と女が云い、目明しふうの男が、手数をかけるな、立たねえかと云った。
──罰だ、罰だ。
いいざまだ、と新八は思った。
同心ふうの男が、繩は掛けないから神妙にしろと云った。三人は新八を前後からはさんで、二階をおりた。刀は二本とも、目明しふうの男が持ち、新八はまる腰のままで、外へ出ると、提灯を持った男が先に立った。
「もう白むころだな」と同心らしい男が云った、「霜がおりてる、今年は少し早いようだな」
新八は足ががくがくした。
調べられたら、どうしたって本当のことを云わなくてはならない。道場の金をごまかし、あんな場所で遊んだことが知れたら、みんなはなんと云うだろう。どう思うだろう。新八は息が詰まりそうになった。
石川や野中たち、特に、島田市蔵のするどい侮蔑の眼が、まざまざと見えるようであった。石川、石川兵庫介、あの人には柔術を習っている。やわら。番所へはゆけない、逃げなければならない。みんなにこのあさましい事実を知られてはならない。逃げよう、教えられた柔術が役に立つかもしれない。やってみよう、と新八は思った。
かれらは西へ向かっていた。和泉橋のほうへゆくらしい、街は灯もみえず、ひっそりと暗く寝しずまっていた。新八は突然、前をゆく男に躰当りをくれた。その男はのめって、提灯が手から飛んだ。あっという声が聞え、新八は右手の横丁へ走りこんだ。叫び声と、足音が、すぐうしろから追って来た。
──町木戸を除けろ。
走りながら彼は思った。足が重く、耳の中が血で塞がったようになり、眼がくらくらした。叫び声と足音は、いつまでも、すぐうしろに聞えた。道は暗く、灯のもれる家もなかった。御成り小路を横切るときに、うしろで呼子笛が聞え、彼は右へ曲った。はなれたぞ、と新八は思った。呼子笛の音は、かなり遠くで聞えた。三人をひきはなしたと思い、夢中で、枯れた草むらに蔽われた石段を駆け登った。そこは崖に付けられた石段で、片方から枯れた草や、灌木が蔽いかかり、勾配の急な石段は、稲妻型に丘の上へ延びていた。
石段を登りきったところで、新八は草むらの中へ身を隠した。内側から肋骨を、槌で叩きでもするように、心臓が荒く激しく動悸を打ち、喉が塞がり、息苦しさのために胸が裂けそうであった。
崖の下で呼子笛がするどく鳴り、人の叫び声が聞えた。捉まる、きっと捉まる、と新八は思った。枯れた草の葉が、彼の頬を刺した。彼はもっと草の茂みの中へもぐってゆき、地面へ低く跼んだ。自分の荒い呼吸や心臓の鼓動が、まるですぐそばにいる他人のもののように、はっきりと高く聞え、それが追手を呼びよせるかと思えた。崖下で「おーい」と呼ぶ声がした、「ここに石段がある、上はなんだ」とその声が云った。新八は息を詰め、地面へ手をついた。
「上は人の家です」と云うのが聞えた、「日本橋の雁屋信助という、海産物商の控え家で、登りきったところが裏木戸になっている筈です」
新八は手で地面をつかんだ。
枯草の根の地面は、霜で浮いていて、冷たくべっとりと、指にねばり付いた。空は明るみはじめ、どこかで小鳥の声がした。新八は口をあいて喘いだ、追手は石段を登って来るらしい。崖下にも人声がして、池之端のほうへ遠のいてゆき、石段を登って来る人のけはいと、草履の音が聞えた。それはすばやく近づいて来、やがて提灯の光が見えた。
「そっちが木戸です」
「この塀は廻ってゆけるか」
「天神のほうへ出られます」
そんな問答に続いて、すぐに、木戸があいていますと云うのと、叩いてみろと云うのが同時に聞えた。
新八は口をあいて喘いでい、からからに干あがった喉が、紙でも擦り合わせるような音をたてた。木戸をあけて、人を呼ぶ声がし、答える声がした。その問答のあいだに、一人がこっちへ来た。提灯の光が近づき、棒のような物で草むらを叩くのが聞え、それがさらに、こっちへ近づいて来た。新八は息を止めた。
「おい、提灯をみせろ」と云う声が、殆んど耳のそばで云われたように、新八に聞えた。新八は眼をつむった。棒で叩かれて、枯草が鳴り、灌木の枝の折れる音がした。だめだ、と新八は思った。
棒は彼のすぐうしろに届き、倒れた草が彼の着物に触れた。彼はちぢみあがった。だめだ、みつかった、と思い、そのとき木戸のほうから、「そっちはどうだ」と呼びかける声がして、いないようです、と答えながら、草の中へはいって来るけはいがした。
新八はとびあがった。
提灯の光と、草を踏みわけて来る、人のけはいとで、新八は逆上し、いきなりとびあがって、その男に躰当りをくれた。あっという声と、「いたぞ」という叫びが起こり、新八は草むらの中を走った。木戸口にいた二人がこちらへ走って来、新八は逆に木戸のほうへ走った。
「そこだ、そっちへゆくぞ」という叫び声や、「待て、逃げてもむだだぞ」という声が新八の耳を打った。
──あさましい、あさましい。
新八はそう思いながら、狂ったように草むらからとびだし、そして、木戸口に立っている男を見ると、前後のふんべつもなく、「助けて下さい」と云いながら、その男のうしろへ走りこんだ。
「助けて下さい、無実の罪で追われているのです、頼みます」頼みますと云って、喘ぎながら、男の袖につかまった。
男は二人いて、一人が提灯を持ち、新八のようすを見た。そこへ追手の者が四人、走りよって来た。新八は提灯を持っている男を見て声をあげた。
「貴方は、矢崎さんですね」
男は新八を見た。
追手の四人がそこへ来て、その男ですと指さし、「おい、神妙にしろ」と云った。新八は哀願するように、貴方は原田さまの矢崎さんでしょう、と云った。
「私は矢崎舎人だが」と相手が云った。
「宮本新八です、お忘れかもしれませんが」と新八はけんめいに云った、「万治三年の大変のときに殺された、いや、上意討になった、宮本又市の弟です」
相手はそばにいるもう一人の男を見た。彼は矢崎舎人で、もう一人は岡本次郎兵衛であった。二人は新八に見覚えがないらしい、だが、新八の言葉で、それが事実だということはわかった。原田家の矢崎ということも、万治の騒ぎや、宮本又市の刺殺されたことなど、知らない人間ならたやすく口には出せない筈である。舎人は頷いて、これは自分の知っている者だが、と町方の者に向き直って云った。
「いったい、どういう罪で、追っているのですか」
「辻斬りの疑いです」と同心らしい男が答えた。
「証拠があるのですか」と舎人が反問し、新八が「証拠なんかありません、ただ年ごろが似ているらしい、というだけなんです」と云った。舎人は相手に、どうですか、と訊き、相手は口ごもって、新八がその若さで風呂屋の売女にかよっていること、辻斬りをしたのが浪人であり、年ごろも似ていることなど、あまり確信のない口ぶりで答えた。
「わかった」と舎人は振返って、岡本次郎兵衛に、眼くばせをしながら、「宮本を伴れていってくれ、あとはおれが話しをつける」と云った。
新八が風呂屋の二階で、女とたわむれていた同じ夜──、湯島のおくみの家では、賑やかな酒宴が催された。甲斐が来たのは久しぶりだったし、芸人たちを呼んだのも久しぶりであった。おくみはからだの違和で寝ていたが、酒宴がはじまるとまもなく、起きだして、甲斐のそばへいって坐った。
おくみは窶れていた。顔色も冴えず、少し痩せて、眼のまわりにしみができていた。おくみは甲斐に酌をしながら、しきりに眼で話しかけたが、甲斐はその眼にはこたえなかった。劬り、包むように微笑するだけで、いつもほど酒もすすまなかった。
酒宴がはじまって、半刻ほどすると、塩沢丹三郎が来た。甲斐は彼を自分の脇へ坐らせ、持っていた盃を彼に与えた。──四月にこの家で、丹三郎のために別宴をひらいた。それから彼は原田家を去って、鬼役にあがり、七カ月になるその夜まで、甲斐に会っていなかった。
「泊る許しが出たか」と甲斐が訊いた。
丹三郎はきちんと坐ったまま、はいと答えた。甲斐は楽にしろと云った。
酒宴は続けられ、男女の芸者たちの、鳴り物や、唄や、踊りなどが、賑やかに、代る代る演じられていった。甲斐はそれらの芸をたのしむというふうでもなく、酒もあまり美味そうではなかった。二度ばかりおくみに「寝なくてもいいのか」と訊いたが、丹三郎にはなにも話しかけなかった。
けれども、丹三郎は聞いていた。口には出さないが、心のなかで、甲斐が自分に話しかけているのを、殆んどその一語一語を、聞くように感じられた。
十時ころに酒宴が終ると、甲斐はおくみに「寝間へ伴れていってやろう」と云って立ちあがった。おくみは甲斐といっしょに、座敷を出てゆきながら、自分の寝間はよごれているから、あなたのお部屋のほうへ支度をさせよう、と云った。
「三日ばかり風呂を使いませんから、おいやかもしれないけれど、おそばに寝かして頂くだけですから、いいでしょ」
「今夜はだめだ」
「どうしてですの、ただおそばで寝かして頂くだけよ」
「今夜はいけない」と甲斐が云った、「丹三郎と話したいことがある、二人だけで、一と晩、いてやりたいんだ」
「つまらないこと、せっかく久しぶりでお会いしたのに」
「からだが悪いんだろう」
「病気じゃあないんです」
「顔色もよくないし、痩せたようだぞ」
おくみはそうかしらと云い、寝間へはいると、襖を閉めるなり、立ったままで、甲斐にそっと抱きついた。甲斐はおくみの背に手をまわした。おくみは甲斐の胸に凭れ、片手で彼の着物の衿をつかんだ。
「ふるえるわ」とおくみが囁いた。
「寒いからだ」
「こんなに、ふるえるわ、恥ずかしい」
「寝るほうがいい」
「あたし、臭いかしら」
甲斐は首を振った。おくみは甲斐の衿をくつろげて、そこへ顔を押し当てながら、うっとりすると囁いた。
「このお肌の匂いを嗅ぐとうっとりするわ、ときどきふっとこの匂いが匂うのよ、いらっしゃらないとき、なにかしていて、急にふっとこの匂いがして、そうすると頭の芯がぼうっとなって、ふふ、いやだわ恥ずかしい」
「寝たほうがいい、さあ、寝かせてやろう」
「もう少し」とおくみはかぶりを振った。
「火がないから寒い、さあ、横におなり」
「少しここにいらしって」
甲斐は「うん」といった。
おくみは夜具の中へはいり、甲斐は掛け夜具のぐあいを直してやった。おくみは、お顔がよく見えないから、灯をもう少し明るくして下さい、と云った。
「そして、こちらの此処へ、お坐りになって」
甲斐は云うままになった。
「こんなお使いだてなんかして、罰が当るかしら」とおくみが云った。
横に寝て、枕の上から、じっと甲斐をみつめ、でも初めてのわがままだから、罰は当らないわねと云い、片方の手をさし出した。甲斐はその手を握ったが、「寒いよ」と云って、すぐに夜具の中へ押し戻した。おくみは指を絡んで放さず、夜具の中で、甲斐の手を握っていた。
「いったいどこが悪いんだ」と甲斐が訊いた。おくみは病気じゃないんです、と云いさして、夜具の中へ顔を隠し、甲斐の手をぎゅっと握り緊めた。甲斐は訝しそうに、そのようすを見ていたが、とつぜん、その顔を歪めた。まるで、急に歯でも痛みだしたかのように、するどく顔を歪め、それから低い声で、そうか、と呟いた。悔恨と自責の色が、甲斐の表情に、いたましいほどはっきりと、あらわれた。
「十日ばかりまえに、診てもらって、わかったんです」と夜具の中からおくみが云った、「ちっとも食がすすまないし、喰べると吐いてしまうし、いつまでもそんなことが続くでしょ、きっとなにかの病気なんだと思って、医者に来てもらったんです、恥ずかしかったわ」
「そうだと云われたときは恥ずかしくって」とおくみは続けた、「本当に恥ずかしくって、足の裏まで赤くなるような気がしましたわ」
甲斐は眼をつむった。
「あたし、赤ちゃんができるなんて、考えたこともなかったんです、年も三十一になっているし、初めからそんなこと頭になかったでしょ、ですから医者にそうだと云われたときは、消えてしまいたいほど恥ずかしかったんですよ」
けれどもうれしかった、とおくみは云って、また甲斐の手を強く握り緊めた。あなたのお子が産めるなんて夢のようだ。まだ夢ではないかと思うくらい、うれしい。十一年も待ったかいがあるし、無事に産むことができれば、あなたに捨てられるときが来ても、その子があなたの代りになってくれる。自分にはもう、無事に産むことのほかに、なにも望むものはない、とおくみは云った。
甲斐は黙っていた。おくみはそっと夜具から顔を出して、「どうかなさいましたの」とさぐるように問いかけた。
甲斐は微笑した。その顔はもう、いつもの柔和さに返っていた。烈しい悔いと自責のために、醜いほども歪んだ表情は、きれいに消え去って、いまは温かく微笑し、額には穏やかな皺がよった。
「ちょっと戸惑いをしているところだ」と甲斐は云った、「これから生れるとすると、孫のようなものだからね」
「あんなこと仰しゃって」とおくみはにらんだ、「お国の奥さまはどうなさいますの、新らしい奥さまをお迎えなすったじゃあございませんか、それでよく孫のようだなんて仰しゃれたものね」
「ちょっと戸惑いをしただけだ」
「おうれしくはないんですか」
「もうおやすみ」と甲斐は静かに手を放し、掛け夜具の衿を直してやった。おくみは甲斐の眼をみつめながら、おうれしくはないんですか、と訊いた。甲斐は微笑して、わからないねと答えた。
「こういうことには、男はいつも戸惑いをするものだ、うれしいかどうか、すぐにはわからないものだよ」
おくみの眼が安堵の色でやわらいだ。甲斐の微笑と、唇のあいだから覗いた、白い、きれいな歯を見て、気持がおちついたらしい。母親がわが子を眺めるような眼で、甲斐を見て、男の子と、女の子と、どちらがお望みかと訊いた。
「女の子なら、おくみに似るだろうね」と甲斐は云った、「おやすみ、私は向うへゆくよ」
「あとでいらしって」
「今夜は丹三郎といてやると云ったろう」
「では朝になってから」
甲斐は頷き、もういちどおやすみと云って、立ちあがった。
灯を暗くし、屏風をまわしていると、襖の向うで、「お支度ができました」と云う女中の声がした。甲斐はおくみの顔を見て、それから、静かに出ていった。
居間に使っている八帖に、夜具を並べて、甲斐と丹三郎は横になった。同じ座敷で、甲斐と夜具を並べて寝る、ということは、丹三郎には思いがけなくもあり、不安を感じたようでさえあった。雪洞を屏風の外に置いたので、そこはほの暗く、炷いた香が爽やかに匂っていた。
「禅の俗書にこんな話しがある」
横になって暫くしてから、甲斐が、穏やかな口ぶりで云った。
「弘安四年に、元寇の役があった、そのとき執権時宗は、某とかいう禅僧のところへいって、大事到来せり、いかんか向前せんと訊いた、禅僧某はかねて時宗の師家だったが、問いに対して、迷惑すべからず、と答えた、時宗は大喝し、元軍討滅の決意をかためたという」
これはおかしい、と甲斐は云った。時宗はそのまえに、元の国使を鎌倉で斬っている。他国の王の使者を斬るということは、そのときすでに決戦の覚悟をきめていたのだろう。にもかかわらず、元軍が来寇したと聞いて、大変なことになった、どうしたらいいかなどと、問いかけにゆくとは思われない。
「楠公にもこんな話しがある」と甲斐はゆっくりと続けた、「兵庫の湊川で、足利勢と決戦するまえに、正成はやはり禅僧それがしを訪ねて、生死関頭を訊いた、禅僧それがしは、一剣天によって寒し、と答えた、正成はなお、その落所は如何と問い返し、僧はこれに大喝を与えた、それで正成は生死を超脱し、いさんで湊川へ出陣したという」
これも信じられない、と甲斐は云った。正成は兵庫へゆくまえに、桜井ノ駅で正行と別れているが、別れに際して恩賜の刀をわが子に与え、自分はこの合戦で死ぬから、おまえはあとに残って、父の遺志を継げと、必死の覚悟を述べている。それを、決戦のまえになって、禅僧の門を敲き、生死関頭を訊く、などということがあるだろうか。
「また、武田勝頼が滅亡したときに」と甲斐は続けて云った、「恵林寺の某という禅僧は、織田勢の手で一山の僧と共に焚殺されたが、そのとき烈火の中にあって、心頭を滅却すれば火もまた涼し、といったそうだ」
かれらは楼門の上で焚殺されたのだ、と甲斐は云った。一人も生き残らなかったのに、その禅僧の言葉を誰が聞き、誰が云い伝えたのか。いや、誰も聞きはしない、禅門が巧みに作った俗話にすぎない。こういう作られた逸話は、ほかにも数えきれないほどある。と甲斐は云った。
そして、そのまま暫く沈黙した。
丹三郎は息をひそめて聞いており、なんのために甲斐が、そんな話しをするのか、と思っていた。家の中はすっかり静かになって、なんの物音も聞えなかった。
「私は、こういう話を、信じなかった」とやがて甲斐が続けた、「相模太郎も、楠木正成も、いちごの大事にたち向かう覚悟はできていた、そのときを前にして、禅僧の門を敲くなどということはある筈がない、これは、恵林寺の僧の逸話と同じように、禅門の作った俗話にすぎない、私はそう思った、ながいあいだ、私はそう思っていた」
甲斐はそこで、また暫く黙った。感情を抑えているようでもあり、自分の云っていることに退屈した、というふうでもあった。けれどもまもなく、もっと穏やかな声で、殆んど独り言のように、甲斐は続けた。
「これらの逸話は、禅の精神を伝えるものではなく、人間のかなしさ、弱さをあらわしているのではないか」と甲斐は云った、「私はちかごろそう思うようになった、時宗や正成が、禅僧に覚悟を問わず、泰然と事にたち向かったとすればいさましい、だが、平生打坐精進して、すでに生死の大事を超脱していながら、そのときに当面して、やはり師家の門を敲かずにはいられなかった、というほうが人間らしい」
「人間とは弱いものだ」と甲斐は言葉を継いだ、「人間はかなしく、弱いものだ、恵林寺の僧がもし大悟徹底していたら、火中であんなことは云わず、黙って静かに死んだことだろう、おそらく従容として、黙って死んだのが事実だと思う、火中にあって、心頭を滅却すれば火もまた涼し、などというのは泣き言にすぎない、けれども、その泣き言を云うところに、いかにも人間らしい迷いや、みれんや、弱さがあらわれていて、好ましい、私には好ましく思われる」
丹三郎は黙って聞いてい、そのまま長い沈黙が続いた。
「つまらぬ話をしたようだ」とやがて甲斐が云った、「この十日には、若ぎみの袴着の祝いがある、知っているか」
「知っております」
「できるなら」と甲斐は口ごもった、「もしできるなら、その日は故障を申上げて、休むがいい」
丹三郎は黙っていた。甲斐は天床を眺めたまま、もしそれが不承なら、と云った。
「いま話した俗書の俗話を、土産に持ってゆくがいい、人は壮烈であろうとするよりも、弱さを恥じないときのほうが強いものだ」
丹三郎は「はい」と答え、甲斐は、眠るとしよう、と云って寝返った。
──おくみがみごもった。
甲斐はそのことを考えた。丹三郎は休みはしない、必ず出仕するだろう。その式日に「置毒される」ということは二度、三度と耳にはいっている。初めてではない、これまでにもそういう噂の立ったことはある。しかし、こんどは単なる風評ではなく、事実になるような予感が、甲斐には感じられた。
──こんどは危ない。
と甲斐は思った。「置毒」が現実に行われるという、証拠はなにもないが、ふしぎにこんどは危ないということが感じられた。丹三郎はまだ十八だ。彼を死なしたくはない、と甲斐は思った。
だが彼はいちずな性格である。鬼役にあがるときの、思い詰めた気持は、いまでも変ってはいないであろう。危険を避けろなどと云っても、承知する人間ではない。危ないと云われれば、むしろすすんでやるほうの人間だ。やむを得まい、彼にはそうさせるよりしかたがないだろう、と甲斐は思った。いちど思いきめて、少しも迷わずに、それをやりとげることのできる人間は、仕合せだ。
甲斐は眼をつむって、おくみが懐妊したということを考えた。おくみ自身「思いもよらなかった」と云ったが、甲斐もそんなことがあろうとは、まったく考えなかった。そうなることは、いわば当然であるのに、ながいあいだ子を持たなかったためか、もう子は欲しくないと思っていたためか、そんな懸念はまったくなかったし、そうと聞かされたときは、突然おとし穴へでも落ちたような気持になった。自分には子は不要だ。いまいる帯刀でさえ、できるなら縁を切ってしまいたい。自分は「独り」でありたい、と甲斐は思った。
いつ眠ったものか、遠く人のざわめきを聞いて、甲斐は眼をさました。丹三郎はまだ眠っており、裏の木戸のあたりで、人の声がしていた。──もう夜の明けるころだろう、甲斐は起きあがって、静かにその座敷を出た。丹三郎は気づいたとみえ、軽い寝息が止まったが、眼はつむったままで、身動きもしなかった。
廊下をおくみの寝間へゆこうとすると、寝間からおくみが出て来て、裏でなにかあるようです、と云った。甲斐は、なにかあれば舎人が知らせに来る、と云い、おくみを寝間へ戻らせ、自分もいっしょにはいった。
それから約半刻、おくみが寝間から出て、甲斐のために洗面の支度をしていると、矢崎舎人が来て、宮本新八という者を捕えたと申上げてくれるように、と云った。
「さっきの騒ぎはそのことでしたの」
「そうです、役人に追われて逃げこんで来たのですが、事情のある者なので、こちらへ引取ったのです」
「そう申上げましょう」とおくみは云った。
甲斐が洗面を終り、着替えをしてから、おくみはそのことを話した。甲斐はちょっと考えてから「ああ」と頷き、舎人を呼んでくれと云って、居間へはいった。
矢崎舎人の話しを聞きながら、ちょうど丹三郎の来あわせていた偶然さに、甲斐は、皮肉なめぐりあわせを感じた。
やがて、舎人がいって、新八を伴れて来、甲斐は舎人をさがらせた。──新八を見るのは初めてである。邸内で見かけたことはあるのだろうが、甲斐には記憶がなかった。年は丹三郎と同年配だというのに、三つも四つも老けてみえるし、怯えたような眼つきや、憔悴した躯つきには、頽廃という感じがつよくあらわれていた。
──これが、良源院から、畑姉弟を誘拐しようとした男か。
甲斐はそう思った。そして、新八のうしろには、柿崎なにがしとかいう、あの浪人者がいたという。柿崎なにがしが、この湯島の家へあらわれたとき、丹三郎が見て、畑姉弟が誘拐されようとしたとき、新八に指図をしていた浪人者だ、と云った。
──運の悪い男だ。
彼は仙台へ護送される途中で、脱走した。仙台へゆけばよかったのである、数年のあいだ預けられていれば、やがて宮本の家名を恢復することができた筈だ。それを、脱走したために、柿崎などという人間につかまり、その手先となり、いまは風呂屋の売女におぼれたりして、役人に追われるようなことになった。運の悪い男だ、と甲斐は思った。
新八は固くなって坐り、両手を膝に支えて、細い頸の折れるほど低く、頭を垂れていた。
「この家を知っていたのか」と甲斐が訊いた。
新八は俯向いたまま、知りませんでしたと答えた。それから、顔をあげて「私は脱走者です、どうか目付役へお渡し下さい」と云った。くたびれはてたような、すっかり観念した口ぶりであった。
「どうして脱走したのだ」と甲斐が訊いた。
「兄のように、殺されると思ったのです、仙台へゆき着くまえに、途中で殺されるかもしれないと思ったのです」
甲斐は頷いた。
「いま考えると、ばかなことをしたと思います、逃げてから今日までのことを考えると、いっそあのとき、殺されるなら殺されたほうがよかったと思います」
「柿崎とは、どうして知りあったのだ」
「あの人の妹に会ったのです」と新八は答えた、「脱走して江戸へ戻って来たとき、道で偶然に会って呼びかけられ、その妹の家へ伴れてゆかれたのです」
「妹とは知りあいだったのか」
「いいえ、はい」と新八は云いよどみ、それから、渡辺九郎左衛門の側女だったと云った。
「渡辺九郎左衛門」
「はい、兄と同じときに上意討になった人です」
「九郎左衛門の側女、それが柿崎の妹だったというのか」
甲斐は口をつぐみ、そうだったのか、と心のなかで呟いた。いつか酒井邸で、見おぼえのある待女が一人いた。のちに、中黒達弥からの手紙で、その侍女が柿崎の妹らしい、ということを知ったのであるが、渡辺九郎左衛門の側女だったとすると、見おぼえがあると思ったのは誤りではなかった。
──たしか、滝尾という名であった。
甲斐はそう思いながら、新八に向かって、「それからどうした」とあとを促した。
新八は話した。彼はすべてを語った。六郎兵衛との関係はもちろん、おみやのこと、お久米のこと、湯女を買いにゆくため、石川らの道場の金をごまかしたことまで、誇張もしないが、少しも隠さずに語った。ふしぎなことに、とうてい口には出しかねるような、恥ずかしいことを告白しながら、新八は却って、解放感とやすらぎを感じ、自分が清められるようにさえ思った。
新八はいま、怯まない眼つきで、甲斐を見て云った、「これでさっぱりしました、どうか目付役へ引渡して下さい、どんな罰でもよろこんで受けます」
「考えておこう」と甲斐が静かに云った、「その年にしては、手痛い経験をしたようだ、おまえのまいっている気持も、およそ察しがつくし、いさぎよく罰を受けようという気持もわかる、だが、いそぐことはない、藩でどういう処罰をするかわからないが、おまえの経験したことと、藩の処罰とはべつだ」
「それはどういう意味ですか」
「いつか改めて話そう」と甲斐はなだめるように云った、「暫くこの家で休むがいい、罪に服するいさぎよさよりも、ほかになにか途がないかどうか、私も考えてみるから、自分でもおちついて考えるがいい」
「しかし、──私がここへ来たことは、役人たちが知っています、役人から目付役へ問い合せがあると思いますが」
「それは私に任せておけ」と甲斐が云った。
藩のほうは自分が引受ける、おまえは暫く躯を休めて、しんじつ罪に服するのがいいかどうか、よく考えてみろ、と云い、それからふと、新八の顔を見まもって、塩沢丹三郎を覚えているか、と訊いた。新八は覚えていますと答えた。
「いまこの家にいるが、会うか」と甲斐は訊いた。新八はたじろいだ。ほんの一瞬ではあったが、明らかにたじろぎをみせ、しかしすぐに「はい」といって甲斐を見た。
「むりにとは云わぬぞ」
「会います、会って詫びなければならないこともありますから」
「ではいっしょに食事をしよう」
甲斐はそう云って振返った。
おくみが来ると、甲斐は「三人で食事をするから」と支度を命じ、新八に向かって、丹三郎がこの春から原田家を出て、若ぎみの鬼役にあがった、ということを告げた。新八は「はあ」と甲斐を見あげ、鬼役という意味に気づいたのだろう、急に顔を硬ばらせながら、低くうなだれた。
「だが、こだわることはない」と甲斐は云った、「彼は自分からすすんで鬼役にあがったのだし、おまえとは関係のないことだ、また、おまえは彼にあやまると云ったが、そんな必要もない」
「それは御存じないからですが」
「いや、それは済んだことだ」と甲斐が云った、「もう済んだことでもあるし、いまあやまって取返しのつくことでもない、云ってみればそのことで傷ついたのはおまえ自身なのだ、そうではないか」
新八はまた頭を垂れた。
「気を楽にして会え」と甲斐が云った、「ことによると、二人はもう二度と会えないかもしれない、おそらく、もう会うことはないだろう、しかしこれもよけいなことだ」と甲斐は首を振った。そうだよけいなことだ、と静かに首を振り、ただ気を楽にして会うがいい、と云った。
だが、丹三郎と新八を会わせたことを、甲斐はひどく後悔した。支度ができて、広間へ移り、互いに目礼を交わしたとき、丹三郎の眼に、烈しい怒りと侮蔑の色があらわれ、それを敏感に感じとった新八は、屈辱のために蒼くなった。憔悴した顔が蒼くなり、肩からちぢまるようにみえ、そうして、低い声で、彼は挨拶を述べた。
丹三郎は冷やかに「しばらく」と云ったきり、二度と新八を見ようとはしなかったし、その表情からは、ついに侮蔑の色が消えなかった。
──舎人から事情を聞いたな。
甲斐はそう思った。新八がここへ逃げこんだ事情を、舎人から聞いたのであろう。畑姉弟を誘拐し損じたことと、ここへ逃げこんだわけを聞けば、丹三郎の気性としては赦すことができないにちがいない。潔癖であることはいいことだ、潔癖でいちずな気性は悪くない。丹三郎の生きかたには紛れもないし迷いもない。すがすがしく、きっぱりと割り切っている。そうだ、だからこそ彼は鬼役を買って出ることができたのだ、と甲斐は思った。
食事はきまずい気分のうちに終った。甲斐は二人をとりなさなかった。かれらはまったく無縁である。流れの中で偶然によりあった木の葉が、すぐに相はなれて、互いの方向へ流れ去るようなものだ。このままでいい、と甲斐は思った。女中たちが食膳をさげ、茶と菓子をはこんで来た。丹三郎は毅然と坐ってい、新八はうなだれたままであった。
──申上げます、河野道円が伺候つかまつりました。
「待ちかねた、これへ」
──道円にございます。
「待っていた、寄れ、これへ進め、道円」
──おそれながら。
「寄れと申すのだ、隼人、襖をはらえ」
「道円、あれから五日になるぞ」
──はあ。
「袴着の祝いは十日にあった、今日はすでに十五日だ」
──おそれながら。
「理由を云え、祝いの当日あの件を行うように命じおいた、そうではなかったか」
──うけたまわりました。
「袴着の祝いの当日、あの件をやれと命じておいた、にもかかわらずなにごとも起こらない、当日なにごとも起こらなかったし、今日に至ってもなにごとも起こらない、どういうわけだ、道円、これはどういうわけなのだ」
──おそれながら、私にも合点がまいりません。
「申せ、理由を申してみろ」
──私は手配を致しました。
「云いぬけは許さんぞ」
──私は手配を致しました。
「では、薬が無効だった、と申すのか」
──そうではございません、事前にこころみまして、その効果を慥かめてございます。
「どのように慥かめた」
──犬、猫、鼠に与えましたところ、いずれも同じ症状を発して吐血し、殆んど即死でございました。
「犬猫には効いたが、人間には無効だというのか」
──さような筈はございません。
「隼人、毒見のしだいを述べろ」
──申上げます。第一に与頭、第二に膳番、第三に小姓頭、以上三人が、若ぎみにたてまつる膳部と同一の物を、べつの器物にとり分け、各自の控え所にてこころみます。それが終りますと、刀番が、膳部を捧げました両手で、べつに器物と箸を持ち、御前にすすみますと、食器ごとに、その蓋の上に中の料理の一部ずつがのせてございますのを、べつに持参した箸でおのれの器物に取り、その場で鬼(毒見)を致します。
「当日は誰と誰がした」
──与頭は米山兵左衛門、膳番は熊田市兵衛、小姓頭は千田平蔵、刀番は塩沢丹三郎でございました。
「塩沢丹三郎とは」
──もと船岡どのの家従でございました。
「よし、聞いたとおりだ道円、当日は四人が毒見をし、四人とも今日まで無事にいる、そのほう薬の効果に間違いなしと云うが、それではこれをどう解釈したらいいのだ」
──私にも合点がまいりません。
「膳部係りの手落ちか」
──膳部係りは指図どおりに致したと申します。
「証拠があるか」
──両名が立会いのうえ致しましたそうで、分量も指図どおり、両名が念に念をいれてやったと申しますし、それに偽わりはないと存じます。
「ではどういうことになる」
──はあ、それがとんと。
「合点がまいらぬだけでは申し訳にならん、どこに疎漏があったか考えてみろ」
──私には思い当るふしがございません。薬も改めて吟味してみましたし、効果に変りのないことも慥かめたのです。当日のものがいかなるわけで無効だったか、私にはまったく見当もつきかねます。
「ばかなことだ、ばかげているぞ道円」
──念のためにおうかがい申します。
「云え、なんだ」
──ただいま、刀番の者が船岡どのからあがった、というようなお話しでしたが。
「それがどうした」
──もしかして、その者がなにか作為をしたのではないかと、思いついたのですが。
「刀番になにができる」
──わかりません。いまここではわかりませんが、その塩沢という者が、もと原田さまの家従だとうかがいまして、もしなにか作為されたとすれば、そのあたりで行われたのではないかと思ったのです。
「船岡に不審があるのか」
──原田さまは底の知れないお方です。
「しかし刀番にどうすることができる」
──しらべてみます。その点を早速しらべることに致します。
「下手に藪を突ついて、しくじると取返しがつかぬぞ」
──心得ました。
「できるだけ早くしろ、待っているぞ」
──おいとまを頂きます。
「よし、さがれ」
──申上げます、只野内膳、おめどおりを願います。
「なにごとだ」
──ただいま、かの者より知らせがまいりまして、船岡どのが前田家の老職と密会するもようだと申しております。
「またか、また船岡か」
──相手は加賀藩の留守役、奥村藤兵衛という人物で、数日うちに密会する手筈だということでございます。
「なんのためだ、前田家の留守役と、なんのために船岡が密会するのだ」
──理由はわかりません。
「船岡、船岡、なんぞというと船岡の名が出る、いざ当ってみるとなにごともない、これだけ充分に手配りをし、起居動作を絶えず監視していて、少しでも疑わしいことがあれば、すぐ仔細にせんぎをする、ずいぶん仔細にせんぎするがなにごとも出てはこない、しかもまた船岡だ」
──しかし、この知らせは捨ておけまいと存じますが。
「跟けさせろ、云うまでもない跟けさせろ、だが、原田はどうして前田家の老職などと知りあったのか」
──日本橋の雁屋信助が仲立ちだということです。
「知っている、湯島の隠宅におるのがその妹であろう」
──雁屋は海産物の問屋と、回船を兼ねている関係で、まえからその留守役と昵懇であったと申します。
「なにか商法かもしれぬな」
──はあ。
「原田は勝手が苦しいといって、いつか胡桃味噌などを作らせたことがある、うまくゆけば大掛りに作って、船岡の財用にするつもりだと云っていた、こんども国の物産を加賀と交易でもしようということではないか」
──それならば、密会などをする必要はないと存じますが。
「密会ということは、かの者が申したのであろう、これまでにも同様のことがしばしばあり、事実をつきとめるたびに空の袋を掴んだ」
──はあ。
「念のために、できたら密会の始終をさぐれと申せ、おそらく袋はまた空であろう、おれはそうだと思う、おれはそう思うのだ、原田という男はあれだけの人間で、人の裏を掻くとか、ひそかになにか企むなどということのできる質ではない、彼は女たちに好かれるそうだが、女に好かれる人間などというものは底が知れている、厩橋侯(酒井忠清)までがまだ疑っておられるが、まあみていろ、おれはもう原田はこっちのものと思っている、まもなくそれがはっきりするだろう」
──いま一つ、申上げたいことがございます。
「また原田か」
──この二日、袴着の祝儀の八日まえに、船岡どのが湯島の家で、塩沢丹三郎と一夜を過したもようだと申します。
「原田が、……塩沢丹三郎とか」
──その日は、かの成瀬久馬が湯島へ供を致しました。久馬からはなんの知らせもございません。彼が役に立たなくなったことは、すでに御承知のことと存じますが、今日かの者の申すには、二日の夜、丹三郎が湯島で一泊したことは間違いないことでございます。
「それをどこで知った」
──賜暇の願いからと申します。
「邸外に出たのか」
──さように届け出たということです。
「道円め、にらんだな」
──はあ。
「隼人、道円にいまの話しを伝えてやれ」
──申し遣わします。
「しかし、なんのためだ、湯島の一夜になにがあったのだ、呼んだのは原田か、丹三郎か、よし、考えてみよう、内膳はかの者によく申しつけて、手ぬかりなきようにと申せ、よし、原田か、原田か……」
彼はその茶屋の前を、二度、ゆき戻りした。六、七軒並んでいる茶屋は、みな新らしい。不忍の弁天社へ橋が架ってから、参詣人がふえたので、掛け茶屋の店を出したのが、しだいに大きくなり、家数も増して、いまではどの店にも若い女を置き、飲み食いもできるようになっていた。
その茶屋の店さきにも、若い女が二人いて、かん高い声で往来の者に呼びかけるので、彼はすぐにはいってゆく勇気が出ないようであった。
「お寄りなさいましな、そこのお武家さん」
三度めに、若い女の一人が、店から出て来て呼んだ。
「なんど往ったり来たりなすっても同じことですよ、お寄りなさいましな」
「私は人と会う約束があるんだ」と彼は編笠を傾けながら云った、「みやという婦人なんだが」
「あらそうですか」と若い女は振返った。
すると店さきにいるもう一人の女が、ええいらしってるわ、と頷き、彼に向かって、「黒田さまですか」と訊いた。彼はそうだと答えた。
「どうぞ、御案内いたします」
彼は店へはいってから、編笠をぬいだ。
その座敷は六帖ばかりで、不忍の池に面したほうが、肱掛け窓になっており、閉めてある障子に、池の水の波紋が映って、揺れていた。おみやは黒田玄四郎を見ると、微笑しながら、ぽっと頬を赤らめ、火桶をずらせて、彼のために席を設けた。
「わがままを申しまして」とおみやは頭を垂れた。
「殿が厩橋へ帰国されたので、いとまがもらえました」
玄四郎は刀をとって左に置きながら坐った。おみやはもういちど詫びを云い、そこへ、この家の主婦とみえる、年配の女が茶と菓子をはこんで来た。
「話しを聞きましょう」
二人きりになるのを待って、玄四郎がおみやを見た。おみやはうなだれていて、「はい」といったが、膝の上で両手をかたく握りしめたまま、やや暫く黙っていた。
──変ったものだ。
と玄四郎は思った。向島の茶屋で逢ったときからみると、まるで人が違うようだ。あのときの、みだらなほどむきだしな、情欲のかたまりのような姿はどこにも見られない。年はもう二十四か五歳になるだろう。あのときのようすでは、男の数も二、三ではなかったらしい。それがいまは、まったくうぶな、生娘のようにしか思えない。
──こんなに変った理由はなんだろう。
と彼は心のなかで思った。
「そんなに話しにくいのですか」と玄四郎が訊いた。
おみやはうなだれたままで、そっとかぶりを振り、お聞き苦しいかもしれませんけれど、聞いて頂きます、と云った。
おみやの話しだしたことが、なにを意味するのか、玄四郎には見当がつかなかった。おみやは自分の過去をすっかり語った。それはちょうど湯島の家で、宮本新八が甲斐に向かってした告白に似ていたが、内容はそれよりもはるかにいまわしく、汚辱に満ちたものであった。
彼女は兄の六郎兵衛のことを語り、自分が兄のために身を売ったことを語った。自分では兄のためだと思ったし、兄に強要されたのも事実であるが、その後の自分をかえりみると、自分でもそれを嫌ってはいなかったようだ。貧乏な生活よりも、衣食住に不足のない暮しがしたい。どうせ望ましいような結婚はできないのだから、いっそ気楽な生涯を送るほうがいい。そう思って兄の云うままに妾奉公もしたし、隠し売女もしたし、寺のかよいだいこくまでしたと、おみやは語った。
玄四郎はそのとき、えっという眼つきをした。
「渡辺九郎左衛門」と彼は反問した、「それは、どこの御家中でしたか」
「仙台さまの御家来でした、御存じの方でしょうか」
「いや、──いや知りません」
玄四郎は不明瞭に口を濁し、「あとを続けて下さい」と云った。
おみやは語り続けた。
玄四郎はさりげなく聞いていたが、心のおどろきは大きかった。そこにも、万治の大変が尾を曳いていたのである。柿崎六郎兵衛が一ノ関にとりいって、月づき多額の手当を貰い、駿河台下に道場まで開いたこと、そしておみやを酒井邸の女中奉公に入れたのも、一ノ関と雅楽頭との関係を、さぐりだすためであったことなど。玄四郎にはあまりに思いがけない話しで、われ知らず自分の立場をも、うちあけたくなった。
──だが待て、慌てるな。
と彼は危うく自分を制止した。
──なんのためにこんなことまで話すのか、その理由を聞いてからにしよう。
こう思って、彼はその続きを待った。
そのときおみやは、話しをやめて、そっと玄四郎を見あげ、すぐにまた俯向いて、これで自分の過去は残らず話した、と云った。
「この春、向島でおめにかかったときのことを思いますと、自分で自分をずたずたにしたいほど、恥ずかしゅうございます」おみやは手で顔を掩った、「あのときから、わたくし自分のして来たことが恥ずかしくなり、これではいけない、できることならまじめな、女らしい女に生れ変りたい、と思うようになりましたの」
「しかし、兄という人がいるのでしょう」
「兄にもそのことを話しました、もうわたくしを当てにしてくれるなと、はっきり断わりを云いましたの」
「それで、──」と玄四郎はおみやを見た、「柿崎どのは承知されましたか」
おみやはかぶりを振った、「承知いたしませんし、いやなら邸からさげてしまう、また元のように身を売らせる、と申して威してまいります」
「逃げるみちがありますか」
おみやは、ありませんと云って、またかぶりを振り、眼をあげて玄四郎を見た。
「あるかもしれませんけれど、わたくし逃げようとは思いません、兄の云うことが威しではなく、本当にそうするとしても、わたくしは逃げ隠れはしないつもりです」
「しかし、邸をさげられたらどうします」
「さげられたにしても、もう兄の自由にはなりません」
「それで済みますか」と玄四郎が訊いた、「柿崎どののやりかたから考えると、とうていそれでは済まないと思う、それよりも」
こう云いかけて、彼はちょっと口をつぐんだ。いま自分の云おうとする言葉が、彼自身の良心を刺し、僅かではあるが胸が痛んだ。しかし、それはほんの一瞬間のことで、彼は自分の課された任務の重さを思い、眼の前に置かれた機会の誘惑を避けることができなかった。
「それよりも、もう暫く柿崎さんの云うとおりにしていたらどうでしょう、いったい、柿崎さんはどういうことをさぐれと云うのですか」
「殿さまと伊達兵部さまとで、なにか事を企んでいらっしゃるらしいのです」
「伊達家に関係のあることですね」
「よくはわからないのですが、仙台の六十万石を分割して、兵部さまに三十万石を与える、という約束ができ、その証書をお二人とり交わしたもようなのですが、兄はその証書を盗んで来いと云うんです」
「そんな、──」と玄四郎は口ごもった、「しかしそんな、三十万石を与えるなどということを、実際にお二人がしたのだろうか」
「証書がとり交わされたことは、わたくしが現に見ていました」
「貴女が、見たんですって」
「一枚は殿さま、一枚は兵部さまが、お互いの手から手へ渡すのを拝見しました」
「人払いもせずにですか」
「殿さまはああいう御気性ですし、わたくしたちはお次におりますから、たいていのことは見えもし聞えもしますの」
玄四郎は茶碗を取った。
「その証書は」と彼は軽い口ぶりで云った、「その証書があれば、柿崎さんは満足されるんですね」
「わたくしにはできません、以前のわたくしなら、盗み出したかもしれませんけれど、もう二度とそんなことは致さないつもりです」
「ちょっと障子をあけましょう」と玄四郎は立ちあがった。
玄四郎は窓の障子をあけ、そこに立って、やや暫く外を眺めやった。ひろい池の水面が、冬の暖かい午後の陽にきらめいていて、蓮の、枯れてしおれた葉を付けたものや、二つに折れたものが、そのきらめく水面に、淡墨で描いたような、複雑な模様を映していた。
「もしも貴女が、柿崎どのの手から逭れて、平安な暮しにはいりたいと思うなら」と玄四郎が云った。
おみやが彼のほうへ振向いた。玄四郎はこちらへ背を向けて立ち、池を眺めたままで、柿崎の望みをかなえてやるほかはあるまい、と云った。
「ではわたくしに、これからも続けろと仰しゃるのですか」
「いや、その証書だけでいいと思う」と玄四郎は云った、「どんな役に立てるのかは知らないが、そういう証書なら、これを最後にと云って渡せば、柿崎どのも貴女を放すと思う」
「わたくしに盗めと仰しゃいますの」
「それが柿崎どのの手を逭れる、確実な手段だと思うのです」
「わたくし兄を知っています」とおみやは云った、「兄はこれでいいと云うことを知らない人間です、証書を取って渡すことは、わたくしがまだ役に立つという証拠をみせるようなもので、兄はさらにあとを続けろと申すに違いありません、それはわかりすぎるくらいわかっていることなんです」
「しかし、ためしてみてもいいでしょう」
「あなたは兄を御存じないからですわ」
「ためしてみませんか」と玄四郎は振返って、まだ窓際に立ったままで云った、「これを最後にといって、もしまだ続けろと強要するようなら、そのとき改めて手段を考えてもいいでしょう」
おみやは玄四郎の顔を見た。
玄四郎は眩しそうに眼をそらした。おみやの眼つきは急に疑いと詮索の色を帯び、なぜ彼がそんなに固執するのか、なにか理由があるのではないか、と気づいたようであった。彼女は多くの経験をして来て、特に、男の気持の動きをみぬくことに馴れていた。いま女にみつめられて、玄四郎がその眼をそらしたとき、おみやは、なにかわけがあると直感し、そして、額のあたりからじりじりと蒼くなった。
「黒田さま、──」とおみやは呼びかけた、「こちらへいらしって下さい」
玄四郎は不決断にこっちへ来、それから元の場所へ坐って、必要もないのに、そこにある刀を置き直した。おみやはそれを見まもりながら、ふるえる声で云った。
「どうぞ本当のことを仰しゃって下さい、どうしてあなたは、その証書を盗めと仰しゃるのですか」
玄四郎は、貴女のために、と云いかけたが、おみやはかぶりを振って遮った。
「お願いです、どうぞ本当のことを仰しゃって下さい」とおみやは強い視線で玄四郎をみつめ、そして、ひそめた声で「どうぞ」と云った。
「あなたは嘘の云える方ではありません、お顔を見ればわかります、どうぞ本当のことを聞かせて下さい、それによってわたくし決心を致します」
玄四郎は頭を垂れた。
おみやは「云ってくれ」と繰り返し、彼はじっと頭を垂れていた。おみやはたしかに人が変った。初めに会ったときの、多情多弁な女ではなくなっている。自分で自分を素裸にするような、告白のしかたでもわかるし、顔つきまでが違ってみえるようだ。
──信じても大丈夫だろうか。
玄四郎は迷った。おみやの変化が動かないものかどうか、誰にも証明することはできないだろう。黙っていれば間違いはない、けれどもその「証書」の誘惑はあまりに強く、それを手に入れたばあいの、大きな価値を考えると、みすみすこの好機を失う気にはなれなかった。
──よし、やってみよう。
もしも間違ったら、自分がその責任をとればいい、思いきってやってみよう、と玄四郎は心をきめ、では、と頭をあげた。
「では話しましょう。私も隠さずに話しますから、聞いて下さい」
おみやは眼で頷いた。
玄四郎は自分がもと原田甲斐の家従で、本当の名は中黒達弥というのだ、ということから話しだした。おみやは身動きもせずに聞いていた。玄四郎は気がつかなかったが、おみやの受けたおどろきは、よほど深く、痛烈なものだったとみえ、蒼ざめた顔は硬ばったまま仮面のようになり、眼は焦点を失って、二つの暗い穴のようになった。玄四郎は話し終って、火桶へ手をかざしながら、おみやを見た。
「これがすべてです」と彼は云った、「自分のためではなく、伊達家六十万石と、全家中の安泰を護るために、私はその証書が欲しい、どんな手段をもちいてもそれを手に入れたいのです」
おみやはぼんやりと玄四郎を見あげた。生気のない、放心したような眼つきであった。
「わかってくれましたか」と彼は云った、「こう話してしまった以上、私の口からはもう盗みだしてくれとは云えません、どうするかは貴女の気持しだいです、いやなら決してしいは致しません、どうか貴女の思うようにして下さい」
「わかりました」とおみやは乾いた声で云った、「黒田さまには、それがお役に立つのですわね」
「仙台藩と全家中のためにです」
「ええ、わかりました」とおみやは眼を伏せた、「わたくし、やってみます」
「やって下さる、──」
「うまくゆくかどうかはわかりません、たぶんうまくゆくと思いますけれど、よほどの隙がなければ仕損じますから」
「いそぐ必要はありません」と玄四郎は云った、「時日に期限はないのです、大丈夫だというときを待って、あせらずにやって下さい」
「わかりました」
「しかし、断わっておきますが」と玄四郎はまたおみやを見た、「もしも気乗りがしないのなら、いやだと云って下すっていいのですよ、もともと無理な頼みだし、非常な危険がともなうのですから、いやになったら、あとからでもいやだと云って下さい、わかりましたね」
おみやは、ええ、と頷いた。
彼女の顔には、虚脱とすてばちの色が、混りあってあらわれ、それまでの単純な表情とはまるでべつな、一種の嬌めかしさ、といったふうなものが感じられた。
「これでお別れ致しましょう」とおみやが云った、「証書のことは心配なさらないで、きっとうまくゆくと思います。なにかお知らせすることがあったら、いつもの木戸のところでお呼び申します」
「待っています」
待っているがあせらないように、と玄四郎が念を押し、おみやは承知した。おみやはけんめいに自分を抑えていた。玄四郎が立ちあがり、刀を差して、編笠を手に出てゆくまで、笑顔こそ作れなかったが、玄四郎にはなにも気づかせずに、廊下まで送りだした。
「──さりとては、また」
座敷へ戻ったおみやは、鼻唄をうたいながら、窓のところへいって、池のほうを眺めやった。いつのまにか、十五六羽の鴨がおりていて、池の面を泳ぎまわったり、枯れた蓮のあいだから、けたたましく飛びたったりした。
「あの人は、なんにも、訊かなかった」と彼女は呟いた、「どうしてここへ呼んだのかも、なぜあんなことまでうちあけて話したかも、なにも訊かなかったし、気にもとめなかった、ばかね、あたしってよっぽどのばかだわ」
おみやの顔がみじめに歪み、その眼が涙でいっぱいになった。
「こういう生れつきなのね」と彼女はまた呟いた、「こういう生れつきなのよ、じたばたしたってどうなるもんじゃない、そうよ、はじめっからわかってたことよ」
しかし、おみやは崩れるように坐り、肱掛け窓に俯伏して、でもひどい、と身をもだえながら嗚咽し、あんまりだ、あんまりひどい、と叫ぶように云った。
「あたし生れ変りたかった、本当に生れ変りたかったのよ」とおみやは云った。
窓框へ俯伏したまま、頭を振り、身もだえし、まるで玄四郎がそこにいるかのように、かすれた声で嗚咽しながら呼びかけ、訴えるのであった。
「これまでの泥だらけな、汚れた躯や気持を洗いおとして、きれいな、つつましい女になりたかったのよ、こんな気持にしたのはあなたなのよ、黒田さん、あなたがあたしをこんな気持にしたのよ」
生れ変って、誰にもうしろ指をさされないような女になることができたら、そうして、あなたがもしおいやでなかったら、あたしはあなたの妻にしてもらうつもりだった。
「むりになりたいんじゃなく、もしかおいやなら、一生ひとりで暮してもいい、ただ、この気持を知ってもらえさえすれば、生涯、尼のように暮しても本望だと思っていたのよ」
けれどもあなたにはわからなかった、勘づきもしなかったわ。ひどい、あなたは男でしょ、女がこんなところへ男を呼びだして、あんな恥ずかしい身の上話をなぜするのか、男ならすぐにそのわけがわかる筈よ。もしも、ほんの少しでもおみやが好きだったら。
「それをあなたは」ああ、とおみやは激しくかぶりを振った、「あたしのことなんか思いやってもくれなかった、あたしの気持なんか察しもしないで、自分のことばかり考えていた、ひどい、あんまりひどいことよ、それなら兄と同じじゃないの、たとえなんのためにしろ、証書を盗みださせるのは、同じことだわ、ちっとも兄と違いはしなくってよ」
それはあんまりだ、黒田さんがそんなことを頼むなんてひどすぎる、あんまりひどい。ほかの人ならともかく、あなたがそんなことを頼むなんて。──おみやはそうかきくどいて、いかにも苦しそうに咽びあげた。
襖の向うで咳の声がし、「お呼びですか」と云うのが聞えた。おみやは坐り直した。女が一人残ったので、なにかまちがいでもあっては、と気遣っているのに相違ない。ようすを見に来たのだ、そう思って、おみやはすばやく涙を拭きながら返辞をした。襖をあけたのは、さっきの年配の女であった。
「お酒が頂けないかしら」とおみやが云った。
「めしあがるならお支度を致します、お口に合うような物はございませんけれど」
「なんでもいいの、酔いさえすればいいんだから」とおみやは笑った、「それと、もしも呼べるなら、男芸者を呼んで下さいな」
「呼べないこともございませんけれど」
「呼んでちょうだい」とおみやは嬌めかしく笑いかけた、「あたし浮気がしたいのよ」
伊東七十郎は、着ながしで歩いていた。──黒の重ね小袖に羽折を着て、足袋こそはいているが、から脛でふところ手をし、高い額を風に吹かせながら、ゆっくりした足どりで、歩いていた。そこは石巻街道で、左には低い丘陵の起伏が続き、右側はひろく、刈田がうちわたして見える。丘陵の日蔭や刈田には、まだら雪が残っており、日蔭のものは青く、日なたのものはまっ白に、日光をあびてきらきらと光っていた。
彼は小野の館(陸前のくに桃生郡小野)を出て来たところで、いい気持に酔っているらしく、歩きながら唐詩を微吟したり、鼻唄をうたったりしてい、腰の両刀が重たそうに見えた。時刻は午後二時、──山根という処へさしかかったとき、うしろから追って来る者があった。七十郎は振向きもせず、追って来た者は二度も三度も、高い声で呼びかけた。
「相変らずだな」と七十郎は聞えないふりをしながら、こう呟いて微笑した、「相変らず、こらえ性のない、老人だ」
「おい、聞えないのか」とうしろで、走りながら、どなった、「おれだ、少し待て」
七十郎は足を停めて、ゆっくりと振返った。里見十左衛門が、そこへ追いついて来た。旅装のままで、右手に笠を持っていた。
「なにをそう慌てる」と七十郎が云った、「道はこのとおり一筋、おれの姿は見とおしだ、そう駆けなくとも追いつくではないか」
「いま、館へいったのだ」と十左は喘ぎながら、七十郎と並んで歩きだした、「すると、石巻へでかけたというので、そのまま追って来た」
「慌てなくとも追いつけたさ」
「石巻へなんの用だ」
「里見老はなに用だ」
「なんの用があって石巻などへゆくんだ」
「そら、もう癇癪が起こった」と七十郎は笑った、「べつになんの用もない、筋をほぐしに妓楼へゆくんだ」
「なにをばかな」
「ばかなことはないさ、義兄(新左衛門)が死んで以来、休みなしに三人分もはたらいて来た、七十五日の法要が済んで、久方ぶりにいとまが出たから、保養にでかけるんだ」
「ばかなことを云う」と十左は拳で額の汗を押しぬぐった、「そんな暢気なことを云っている場合ではないぞ、いいから館へ戻ってくれ」
「御免を蒙る」
「大事な相談があるんだ」
「相談なら妓楼でもできるさ」
「七十郎、──」
「戻るのは御免だ、石巻ならいっしょにゆくよ、そうするがいい、里見老」
「その老をやめろ」と十左が云った、「その老を聞くとむかむかする、おれはまだ老と呼ばれる年ではないぞ」
「たしかに、肝の臓だな」と七十郎が云った、「肝の臓にやまいがあると怒りやすくなるそうだ、いやでたらめじゃない、なんとかいう医書にちゃんと書いてある、なんという医書だったか、日本のじゃない、唐か清のものだったと思うが」
「肝の臓はわかった」と十左が云った、「それよりおれの話しを聞け」
「石巻へいってからだ」
「よし、それではまず一言だけ云おう」と十左は声をひそめた、「七十郎、きさま御家臣に召し出されるぞ」
「突拍子なことを云うな」
「七十郎は御家臣に召し出される、家禄は五百石、これでも石巻へ遊びにゆくか」
「遊びではない保養だ」しかしと云って、七十郎はふいに立停り、振返って、十左の顔を見た、「いまの話しは事実か」
「おれが嘘を云う人間か」
「この七十郎が、──御家臣に召し出される」
「もういちど云うが、家禄は五百石だ」
七十郎は相手の顔をじっと見まもった。そうして、そのままで低く、囁くように、一ノ関かと訊いた。十左は頷いて、一ノ関だと答えた。七十郎は歩きだした。ゆっくりと、やや暫く黙って歩き、それから、ふん、と鼻を鳴らした。
「おれを縛るつもりだな」と彼は呟いた、「野放しでは手が付けられない、領内に住んではいるが、一粒の扶持も貰っていない郷士だ、天下の法に触れない限り、取って押えることはできない、これがもし家臣なら、邪魔だと思えばどうにでも片づけることができる、そこで召し出しというわけか」
「或いは懐柔するこんたんかもしれぬぞ」
「いや、いや違う」と七十郎は頭を振った、「一ノ関は単純な男だ、単純で性急だ、おまけにこのおれを、懐柔するほどの人間とみてはいない、彼の目的は邪魔者を除く手段ということだけだ」
「いずれにしても、拒絶はむずかしい、拒絶すればこうと、二段の策が用意してあるとみなければなるまい」
「待て待て、少しいそぐか」と七十郎が遮った。
向うから百姓が二人、荷駄を一頭ずつ曳いて来かかった。七十郎は歩みよって、どこの者だと訊き、自分の名をなのったうえ、そくばくの銀を渡して、その馬を借りるはなしをつけた。すると、はなしがまとまって、百姓が鞍の荷をおろしかけたとき、うしろから呼びかける者があった。
初めはこっちが呼ばれているとは気がつかず、百姓たちが鞍の荷をおろすのを眺めながら、「石巻までくらべ馬をしよう」などと云っていた。そこへ旅装の侍たちが三人、いそぎ足に追いついて来た。
「その馬を借りるぞ」と先頭の侍がどなった。
十左が振返り、七十郎が振返った。三人はいずれも若く、先頭の一人は髭だらけで、朱鞘の三尺に余りそうな大刀を差していた。かれらはみな逞しい躯つきだったが、特に中の一人は六尺を越す背丈で、固ぶとりに肥えており、直径三寸ほどの大槍を担いでいた。
「百姓、その馬はわれわれが借りるぞ」と髭の若侍がまたどなった。
十左がなにか云おうとし、七十郎がそれを制した。黙っていろ、というふうに手を振り、そして、馬の側へ近よって、百姓から手綱を受け取った。
「待て、その馬に触れるな」と髭の若侍が喚き、七十郎の脇へ歩みよった、「われわれが借りたと云っているのが、聞えないのか」
「ゆこうかな、里見老」と七十郎が十左に云った。
十左もそっちの馬の手綱を手にし、二人の百姓は、さっと畦道のほうへ逃げこんだ。
「やい田舎者、その馬からはなれろ」と若侍が喚いた。
七十郎は振返って、自分の馬の手綱を十左に渡し、ちょっと頼むと云いながら、三人の顔を順に見やった。一人ひとり、ゆっくりと顔を眺め、それから、髭の若侍に向かって、喧嘩かと訊いた。
「喧嘩を売りたいんだな」
「馬をよこせと云うんだ」
「三人で二頭の馬をどうする」
「どうしようとこっちの勝手だ、文句を云わずにそこをどけ」
「ばかなやつだ」
「なんだと」
「ばかなやつだというのだ」七十郎は唾を吐いて云った、「喧嘩を売るということは初めからわかっている、きさまたち三人の面にちゃんと書いてある、馬だなんぞとよけいなことを云わずに、喧嘩なら喧嘩と、男らしく仕掛けたらどうだ」
「いいとも」若侍はうしろへさがった、「それが望みなら相手になろう、だがえらそうな口をきいて後悔するなよ」
「名をなのれ」
「大藤五郎太、そっちの名も聞こう」
「大藤五郎太か、よし」と七十郎は次の男を見た、「そのでかいのもなのれ」
「きさまこそなのれ」と大藤五郎太が叫んだ、「ひとになのらせておいて、自分がなのらないという法があるか」
「田舎者だからな」と七十郎は云い、それから、もういちど躯の大きな若侍に、「名前を聞こう」と云った。
その若侍は髭のほうを見、そして、担いでいた大槍を地面に立てながら、横田凉軒、となのった。
「そっちの男のも聞こう」と七十郎が云い、大藤五郎太が「ふざけるな」と絶叫した。
「ふざけるな、人を嘲弄するなこの田舎者、勝負だ」
そして大刀の柄を握った。
里見十左衛門が笑い、七十郎は三人めの男を見ていた。おい、名をなのっておけ、と七十郎が云った。どうせおまえも勝負するんだろう、まかり違えば死ぬかもしれない、名がわからなくては墓をたてるのに困るからな、七十郎がそう云い終らないうちに、五郎太が刀を抜いた。
七十郎は三人めの若侍を見たままで、その若侍と横田凉軒とは、じりじりと左右へひらいてゆき、凉軒は槍を持ち直した。
「やめろ、七十郎」と十左衛門が呼びかけた、「そんな若輩を相手にどうする、捨てておけ捨てておけ」
「そうはいかぬ、おれがやめるつもりでもこいつらは承知しない、こいつらは初めから喧嘩をする気でいたんだ」と七十郎が云った、「おおかた腕自慢で、人に喧嘩をふっかけてはいい気持になっていたんだろう、いちど懲りるまではその鼻が折れない、世間や人が迷惑するばかりだ、大藤五郎太、横田凉軒、それからそっちの名なしの兵六」
彼は三人を見やり、凉軒の槍をみて、ばかげた槍だ、と笑い、そして身構えをして、さあかかれ、と云った。
「いやちょっと待て」と七十郎は急に手をあげた、「きさまたちに間違いがあっては悪いから、いまなにか捜して来る、ちょっと待て」
「逃げる気か」と五郎太が喚いた。七十郎はそうせくなと云い、畦道へおりていった。二人の百姓はずっとはなれた稲叢のところにおり、七十郎は畦道に立っている稲架から、手ごろの添木を一本抜き取った。それを二度ばかり振ってみたうえ、枯草を挘り取ってきれいに拭き、ゆっくりとこちらへ戻って来て、いいぞ、と三人に云った。
「刀を抜け」と五郎太が赤くなって叫んだ、「武士の作法を守れ、刀と刀だ、抜け」
「侍というものは、三つの場合しか刀を抜かぬものだ」と七十郎が云った、「主君の辱められたとき、誅奸のとき、おのれの武名の立たぬとき、──こんなくだらぬ喧嘩に刀を抜くほど、おれは腰ぬけではない」
「舌の達者なやつだ、怒らせる気だな」と五郎太が遮った、「その手はくわぬ、抜きたくなければ抜くな、ゆくぞ」
「力いっぱいやれ、来い」七十郎は他の二人を見た、「そっちの凉軒と名なしの兵六もゆだんするな、いつこの棒がとんでゆくかわからないぞ、いいか、ゆだんするなよ」
七十郎は棒をゆらゆらさせた。五郎太が刀を上段にあげ、凉軒が槍を構えた。もう一人は刀の柄を握ったまま、陰気なような眼つきで、七十郎の足の動きを見ていた。──そのときにわかに風立って来、ちらちらとこまかい雪が舞いだした。ひろい刈田の上には、明るく日が照っていて、その明るい日光にきらめきながら、粉雪はかなり激しく、かれらの上に舞い落ちて来た。
七十郎の手で棒がゆらりと動いた。つんざくような叫び声が起こり、大藤五郎太が斬りこんだ。五郎太の刀は空を打ち、七十郎の棒は凉軒の額を打って、次に三人めの侍に躰当りをくれ、三転して五郎太の右腕を打った。七十郎の躰はかれらのあいだをすっすっとぬけるように見え、その棒は直角に三度ばかりひらめいただけであった。
凉軒は額を押えて棒立ちになり、五郎太は刀をとり落し、右腕を抱えて苦痛の呻きをあげ、他の一人は刈田の中で尻もちをついたまま、陰気なような眼つきで、惘然とこっちを見ていた。
「だからゆだんするなと云ったじゃないか、どうだ、もういちどやり直すか」と七十郎が云った。
五郎太は苦しそうに呻いているし、凉軒の額からは血が滲み出て来た。他の一人は刈田の中で動かず、粉雪はきらきらと光りながら、かれらの上に降りかかっていた。
「もういい、ゆこう」と十左が云った。
「五郎太と凉軒」と七十郎が云った、「二人ともえものを選び直せ、五郎太の刀は長すぎるし、凉軒の槍は重すぎる、凉軒の槍はばかげているし、五郎太の朱鞘の大刀は滑稽だ、そんなこけおどしな道具はよして、自分の身に相応したものを使え、──それから、後学のために名を聞かせてやる、おれは北村の伊東七十郎という者だ」
そう云ってから、彼はふといやな顔をし、棒をそこへ投げだして馬のほうへいった。いやな顔をしたのは、「颯爽たるものだな」という声がしたからである。穏やかな、少し皮肉な声で、すぐ耳のそばで聞えたように思った。もちろん誰が云ったのでもない、記憶のかなたからよみがえった声だ。
──原田甲斐。
七十郎は舌打ちをし、十左から手綱を受取って、その百姓馬に跨った。
「ゆこう、里見老」と七十郎は怒ったような声で云った。
それから一刻あまりのち。伊東七十郎と里見十左衛門は、石巻の妓楼で酒を飲んでいた。北上川の川口の西を石巻、東岸を湊町と呼び、その妓楼はうしろが河岸に面していた。
雪はやんだが、風はまだ吹いていた。此処は港市だから、諸郡の館主の屋敷があり、また回船業者たちの店も多い。だが町の家並は小さく、棟は低く、こけら葺きの屋根も、軒や羽目板も、灰色に乾き曝されて、家と家はごたごたと肩を寄せあい、地面にしがみついているようにみえ、いかにも土地の季候の荒いことを示していた。
その席には遊女が二人、新造が三人おり、三人の新造が、七十郎と十左に給仕をしていた。
「ばかなはなしだが、勘ちがいしたんだ」七十郎が苦笑しながら云った、「おれはあの三人が、里見老を追って来たと思った」
「おれを追って来たって」
「首を覘っていると直感した」
「この首をか」
「その首をさ」と七十郎は笑った、「おれを家臣に取立てようとするのと同じ意味で、里見十左衛門を片づけたがっている者がある、思い当らないか」
「うん、ないこともない」
「十左は負けない人間だ、不正不義とみれば相手を選ばず噛みついてゆく、ついさきごろも意見書を配ったろう」
「小野へも届けた筈だ」
「おれは見なかったが、義兄から聞いた、その中ではっきり一ノ関を非難していたそうではないか、おい女、酌を忘れるな」
七十郎は盃をさしだし、新造の一人が酌をした。
「単なる非難ではない、根拠があって弾劾したんだ」と十左が云った。
「もちろんそうだろう、おれはそれを聞いていたから、あの三人をてっきり刺客だと思ったんだ」と七十郎が云った、「ところがよく見るとそうではないらしい、三人で修業のために遍歴していて、いくらか強いのでのぼせあがっているだけらしい、可笑しくなったが、途中でやめるわけにもいかないから、ちょっとからかってみたんだ」
「おれは一ノ関を弾劾した」と十左は十左の言葉を続けた、「その意見書を御一家御一門と、重職に配った、もしおれの意見が間違っていたら指摘してもらいたいし、同意なら一ノ関の進退を議してもらいたい、という添書を付けてだ」
「誰かなにか云って来たか」
「水へ石を投じたほどの反響もなかった」と十左は云った、「誰一人、意見書に答える者はない、会えば言を左右に昏ますだけだ、そこで、──おれは一ノ関に会うことにした」
「一ノ関に会う」と七十郎が訊いた。
「会う、この年末に帰国するそうだから、仙台でぜひとも会うつもりだ」
「むずかしいな、一ノ関は会いはしないぞ」
「会わなければ捉まえるさ」と十左が云った、「城中でも路上でも構わない、必ず捉まえて談判するつもりだ」
「そうだな、──」と七十郎は自分に頷き、うんそうだ、と十左に云った、「おれもひとつ会ってやろう」
「一ノ関にか」
「おれを家臣に召し出そうというんだろう、それが事実なら、きっと呼びだしがあるだろうし、訪ねてゆけば会う筈だ」
「会ってどうする」
「十左に会えとでも、すすめようか」と云って七十郎は笑った。
十左は渋い顔をし、七十郎は妓に、なにか唄え、と命じた。十左はそれを制止し、話しておきたいことがあるから、暫く妓たちを遠ざけてくれ、と云った。──妓たちが立ってゆくと、十左は旅嚢から一巻の書状を出して、七十郎に、読んでくれ、と云った。七十郎は盃を置き、それを披いてざっと読みながした。
それは九カ条にわたる「兵部弾劾」の書で、亀千代ぎみの側近が、忠不忠を吟味した人選でなく、兵部の親疎によってなされたこととか、両後見(兵部と右京)のあいだが不和で、事ごとに意見が対立するのは、幕府老中に出した誓紙にもとるとか、奥山大学一人に仕置を任せたため、幾多の禍根を残したが、これも大学を挙用した兵部の責任であるとか、また大学の弟の遠山勘解由を、いまだに評定役にしておくのは不審である、などと述べ、さらに、
──兵部が京都方面から金を借りて、伊達本領の内で大量に米を買い占め、ひそかにあきないをした。
という事実があげてあった。
「だいぶきびしいな」と七十郎は書状を巻いた、「このまえ諸家へ配ったものより、字句がずっと直截で手きびしいようじゃないか」
「それでもまだ遠慮してあるくらいだ」
「米の買い占めというやつは事実なのか」
「必要なら証人を呼びだすこともできる」
七十郎は手酌で飲み、うんと頷いて、十左を見た。
「それで、これをどうする」
「持っていてくれ」と十左が云った、「場合によれば、おれは一ノ関と刺違えて死ぬつもりだ」
七十郎は眼をそばめた。十左は硬ばった微笑をうかべて、それだけだ、と云った。
「これだけ頼んでおけばいい、おれは帰るから、ゆっくり保養するがいい」
七十郎は石巻に三日いて、それから遠田郡北村の、自分の生家にまわり、七日ばかり滞在したのち、小野の館へ帰った。
北村には彼の父母と、兄の家族たちがいて、久方ぶりの彼の帰郷をよろこび、ひきとめて、なかなかはなそうとしなかった。父の伊東利蔵重村は、隠居して宗休となのり、年もすでに八十歳に近かった。兄の善右衛門には、正太夫、友謙、三郎兵衛という男子がおり、長男の正太夫は結婚して、もう子供が一人あった。
「──父上は気が弱っておられるから注意しろ」
兄の善右衛門にそう云われたが、七十郎には、父が気が弱っているようにはみえなかった。このまえ小野で、新左衛門の葬儀があったときも、親族ちゅうの長者として、充分の重みと風格を示した。
「あのときおまえがへんなことを云った」と兄は七十郎に云った、「父上はいつまでも御壮健すぎる、とうてい八十に近い翁とは思われない」
「事実そうだからな」
「それだけならよかったんだ」
「それだけだったと思うがな」
「おまえは酔っていたようだが、人間というものはその年齢があらわれるのが自然だ、あまり壮健すぎ、年よりも若くみえるような者は、突然ぽっくりとまいるものだ、父上もお気をつけなさい」
「冗談じゃない」
「そのとおり云ったんだ」
「冗談じゃない、おれがそんなことを」
そう云いかけて、七十郎は頭を掻き、云ったかな、と口の中で呟いて、いかにも閉口したような眼つきで、兄を見た。
それだけが原因ではないだろうが、どうもちかごろ気が弱っておられる、と善右衛門は云った。酒はもちろん、食事の量も減じ、持薬なども用いるようになった。まえにはしばしば畑打ち、薪割りなどもし、好んで狩に出たが、いまでは殆んどそういうことがないし、睡眠も浅いようである。医者には再三みせたが、躯に病気はない、ということであった。
「父上は誰よりもおまえがお好きだし、おまえの云うことは鵜呑みにお信じなさる、だからこんどは気をつけて、つまらぬことは云わぬようにしてくれ」と兄は云った。
宗休は骨太の、がっちりした躯つきで、白髪になってはいるが、髪の毛も眉も量が多く、眉毛は眼にかぶさるくらい房ふさしていた。七十郎は隠居所まで挨拶をしにいったが、彼を見たとたんに、宗休は涙をこぼした。
七十郎はどきっとした。
「どうも眼が疲れて困る」と宗休はふところ紙を出しながら、ぶきように云い紛らそうとした、「視力に変りはないのだが、すぐに疲れて涙が出てくる、こんどは長くいるのか」
「そうしたいと思うのですが」
「たまにはゆっくりしてゆけ」と宗休は云った。
七十郎は「じつは」と口ごもり、じつはまた京へいって来たいと思うのだが、と云った。宗休は、なにをしにゆく、といいたげな眼で七十郎を見た。
「熊沢了海どののことはいつか申上げたと思います」
「近江の蕃山どのか」
「いま京におられるのですが、ぜひ会って、御意見を聞きたいことがあるのです、手紙でも再三うかがったのですが、どうしてもいちどじかに会って、直接、御意見を聞きたいのです」
宗休は白く厚い眉毛の下から、じっと七十郎の眼をみつめた。
「それは、仙台の紛争、についてか」
「──そうです」
「やめることはできないのか」と宗休は云った、「おまえが、仙台家中の紛争に、かかわっているということは、うすうす知っていた、これまでは小野との関係があるから、やむを得なかったかもしれない、しかし、新左衛門が死に、おつうには子がなかった、采女は養子だから、血からいえば縁が切れたことになる、もうそんなことにかかわっている必要はないではないか」
「それはそうかもしれませんが」
「おまえには学才もあり兵法にも精しい、親の口からこんなことを云うのは愚かしいかもしれないが、文武の道でりっぱに一家を成すことができる筈だ」
「私は、──こういう性分で」と七十郎は頭を垂れて云った、「どうもひとところにおちつくということができませんし、まことに不孝者で、申訳がないと思いますが、お側にはお兄上がいることですし、どうかいま暫く、私のことはお捨ておき下さるようにお願いします」
「それほど、仙台のことが大事なのか」
七十郎は、はい、と頷いた。
「仰しゃるとおり、わが家は伊達家から一粒の扶持にも、あずかっておりません、なんの恩顧もないと、云えば云えるかもしれませんが、領内に住み、代々安穏にすごして来たという事実は動かせません、たとえ主従の関係はなくとも、領内に安住している以上、その家中に不祥の騒動が起こっているのを、よそ眼に見すごすわけにはいかないと思います」
「はっきりした名分だな」と宗休は苦い顔をした、「そんな名分を付会することはない、好きだからやる、と云うだけでいいのだ」
「しかし父上」
「もうよし、わかった」と宗休は手を振った、「ただひとこと云っておくが、無謀なことをして、親兄弟に災禍を及ぼしてはならぬ、それだけはよく心得ておけ」
七十郎は北村に滞在するあいだ、父の言葉が胸につかえていた。
──親や兄弟に災禍の及ばぬようにしろ。
父も年をとったな、と彼は思った。兄は父が気が衰えたと云ったが、正しくそのとおりであろう、まえにはあんなではなかった。あんなめめしいことを云う父ではなかった。男の子が事を為そうというばあい、「親きょうだいに迷惑をかけるな」などという、みれんなことを口にする人ではなかった。
──いっそ義絶してもらうか。
彼はそう思い、幾たびも兄にそう云いかけたが、それもあてつけがましいので、迷い迷いやめてしまった。
「こんどはいつ帰る」
北村を立つときに、兄が道まで送って来て訊いた。七十郎は、わからない、と答えた。
「こんど帰ったら、この土地でおちついてくれ、じつは嫁のはなしもあるのだ」
七十郎は黙っていた。
「おまえも三十代になる、もう身をかためておちつく年だ、父上にはそれだけがお気懸りらしい、おまえには仰しゃらなかったかもしれないが、おりにふれてぐちのようにそのことをお云いなさる」
「私はそういう気持はないな」と七十郎は云った、「まだそんな気持はない、そんな気持になるときが来るとも思われない、そんなことは諦めて下さるように、貴方から云っておいてもらうほうがいいと思う」
「そんなことがおれの口から云えるか」と善右衛門が云った、「父上は誰よりもおまえをお好きだし、おまえによって伊東の家名を世に出したいと思っておられる、御自分の夢をおまえに託しておられるのだ」
「そういうことは迷惑だし、滑稽だな」
「迷惑、滑稽、──」
「父上の夢を実現するために、私がなにかするなどということが考えられるかね、私は私だ、私は自分が是なりと信ずるように生きる、他人の希望に順応したり、掣肘されて生きるようなことは、私にはできない」
「つまり好き勝手なことがしたい、というわけか」
「つめて云えば、そうだ」
善右衛門は弟の顔を見た。
七十郎はかくべつ気負ったようすもなく、平然と兄を見返して、ではこれでと会釈した。善右衛門は辛抱づよく、まあ、よく考えてみてくれと云い、紙に包んだ物を渡して、戻っていった。
──金だな。
そう思って、歩きながら彼は、包みをひらいてみた。おそらく父が呉れたのであろう、小判と小粒とで二十両とちょっとあった。
「有難い、京へゆけるな」
七十郎はそう呟き、またちらちらし始めた粉雪の中を、小野の館に向かって歩み去った。
年が明けて、正月二日に、──仙台城の二ノ丸で、幕府からの国目付の饗応が行われた。国目付は内藤新五郎、天野弥五右衛門の二人で、去年(寛文三年)の三月に着任し、この二月に交代する筈であった。
饗応の席には在国の一門家老が出席し、今年は伊達安芸が相伴した。一ノ関の兵部宗勝も、帰国の途中で、仙台に滞在していたが、彼は名目上、直参大名に列しているので、そこへは出ずに、国目付の宿所へ年賀にゆき、それが済むと一ノ関へ帰った。
兵部が宿所へ年賀にいったのは、彼の立場の微妙さを証明していた。すなわち、身分としては三万石の幕臣でありながら、その知行は伊達本家から出ており、知行所はもちろん伊達領内にあるため、伊達の家臣と共に礼をとる必要はなくても、一ノ関の館主としては、国目付監察下にあるからであった。
けれども、そのとき年賀にいったのは、ほかにもう一つ理由があった。
それは兵部が、江戸から仙台に着いて以来、里見十左衛門がしきりに面会を求め、兵部が拒絶すると、なにやら書状めかしいものを、国目付に呈出した。内容はほぼわかっている、まえにもあったことで、政治の紊乱という名目で兵部を糾弾したものだ。ところが二人の国目付は、「こういうものを読むわけにはいかない」と拒んだ。
──老職の手を通じたものなら受取ろう。
と云ったそうで、もちろん老職がそんなものを国目付に取次ぐわけがないから、十左衛門の奔走は徒労に終ったのであるが、兵部が年賀にいったのは、その礼も兼ねていたのであった。
兵部が一ノ関へ去ってから、数日して、原田甲斐が江戸から到着した。甲斐は船岡の館へは寄らず、まっすぐに仙台へ来た。仙台の屋敷は大町一丁目西ノ南側で、広瀬川を前にした断崖の上にあった。──左に飯坂出雲、右に奥山大学の屋敷があり、奥山家の次が古内源太郎(のちの志摩)その次に茂庭周防の屋敷があった。
仙台へ着いた甲斐は、御霊屋で政宗、忠宗の墓所に詣で、それから登城の礼を済ましたあと、在国の一門一家に帰国の挨拶をして、暫く屋敷にこもった。
船岡からは、家老の片倉隼人と、少年の辻村又之助が来ており、帰国祝いの招宴には、津田玄蕃が周旋をした。これらの規式が終った翌日の朝、まだほの暗い時刻に、甲斐は釣り道具を持って、一人で、前の広瀬川へでかけていった。
門前の道を横切ると、断崖の岩を削って、川へおりる踏段があった。踏段の右には、樹齢二百年ほどの樫があり、高さ十五尺ほどのところで切られているため、幹は太くてずんぐりしており、細い枝が幾十本となく、川のほうへと伸びていた。──幹の上を切ったのは、育ちすぎると、断崖に張った根が、それを支えきれなくなるからで、そのずんぐりした不恰好なすがたは、甲斐にとって馴染のふかいものであった。
甲斐は断崖の途中で立停り、その古い樫や、崖に貼りついている蘚苔や、歯朶などを眺めやった。
崖にはところどころ、岩の割れ目に水が涌いていて、北向きであるために、そこは真夏でも陽のさすことがなく、いつもじめじめしているし、ひんやりと涼しかった。いまは寒さがきびしく、涌き水は氷って、つららが垂れているし、歯朶類は枯れて、みじめにちぢれた葉が、川から吹きあげる風に、音もなくふるえていた。甲斐はそれらを、なつかしそうな、ひそかになにか呼びかけるような眼で、ゆっくりと眺めまわし、それから、川へおりていった。
広瀬川はそこで凹字なりに曲流していた。御霊屋のある丘陵が突出ていて、川は南東から来てその丘陵をめぐり、西南へと流れるのであった。川幅はそこでもっとも広くなるが、いまは水の少ない季節で、広い河原のあいだを、細い流れを合したり離れたりして、それでも、瀬のあるところでは、白く泡立ち、爽やかな音をひびかせていた。
御裁許役所の少し手前に、水の深い淵があった。甲斐はそこへいって、釣りの支度をし、乾いた流木に腰をおろして、糸を垂れた。
対岸の丘陵は松林が繁っていて、御霊屋は見えない、丘の下には小人衆の家が並んでおり、そこから炊ぎの煙がたち昇って、丘の中腹まで、靄がたなびいているように見えた。甲斐はまわりの景色を、静かな眼で、飽かず眺めまわした。かの丘、かの松林、その断崖。広い河原の、白く乾いた岩や砂利、そして、音立てて流れる水。それらがみな、遠い過去からよみがえって来て、彼に呼びかけ、彼に話しかけるように思えた。
甲斐は釣ることを忘れたように、流木に腰をかけ、手に釣竿を持ったまま、いつまでもじっと動かなかった。
対岸の丘の松林に明るく陽がさしはじめたとき、少年の辻村又之助が、茶と菓子を運んで来た。甲斐は茶を喫しただけで、すぐに又之助を戻らせた。
又之助が去ってほどなく、三寸ばかりの鮠が釣れ、ついで二尾釣れた。金色を沈めた黒い肌がぬめぬめと光り、手の中でぴちぴち跳ねると、強く水苔の匂いがした。甲斐はそれをみな水へ放した。釣りあげて、鉤から外すと、そのまま水の中へ放してやり、放された鮠が、白い腹をひらめかせながら、すばやく、流れの中へ消えてゆくのを、甲斐は楽しげに見まもるのであった。──こうして、五尾めに釣ったのを放してやったとき、脇のほうで、そっと呼びかける声がした。
「どうして、逃がしてしまいますの」
甲斐はゆっくり振向いた。
そこに宇乃が立っていた。いつそこへ来たものか、六尺ほどはなれた処に立って、甲斐のほうを、静かに微笑しながら、見まもっていた。
甲斐も微笑しながら頷いた。すると、頬にいつもの皺がより、唇のあいだから、僅かに、白い歯が覗いた。
「ここへおかけ、──」
甲斐はそう云って、腰かけている流木の場所をあけた。
宇乃はゆったりと近よって来て、甲斐のあけたところへ腰をおろした。そのとき、香料と、そだちざかりの乙女の、肌の香が、かなりつよく、あまやかに匂った。
「こんな時刻にどうして来た」と甲斐が訊いた。
「ゆうべの夜なかに立ってまいりました」
「一人でか」
宇乃は、いいえ、とかぶりを振った。
「与五が伴れて来てくれました」
「与五とは、与五兵衛か」
「おめにかかりたくって」と宇乃は云った、なにか口に含んででもいるように、声がこもって聞えた、「お帰りになるまで、待っていられませんでしたの」
「与五と仲よしになったのか」
「与五は鹿の肉をお届けにまいりましたの、ですから宇乃は、おばさまにむりにお願いして、伴れて来てもらいましたのよ」
甲斐は、うん、と頷いた。
宇乃が手をあげて、自分の髪に触ると、香料と肌の香が、またつよく匂った。肌の香はあまやかで、そしてほのかに刺戟的だった。
甲斐の眉が僅かに歪んだ。はっきりした理由はないが、そのほのかに刺戟的な肌の香は、宇乃のからだの成長をあかしている。少女から乙女に、そうしてやがて、女にと成熟してゆくかなしさ。よろこびであると共に、女性であることの宿命的なかなしさといったものが、漠然と、けれどもおもくるしく、感じられたのであった。
「おじさま」と宇乃が訊いた、「お釣りになった魚を、どうして逃がしてしまいますの」
「あれは鮠だからだ」
「鮠ではいけませんの」
「宇乃は寒くないか」と甲斐が振向いた。宇乃は微笑しながら、いいえとかぶりを振った。
「私は鯉を釣りたいんだ」と甲斐が云った。
「鯉でなくてはいけませんの」
「釣るならばね」と甲斐が云った。
それから暫く沈黙が続き、甲斐は竿をあげて、餌を替えた。
「ここはなつかしい場所だ」と糸を投げてから甲斐が云った、「子供のじぶん、仙台へ来ると、この河原でずいぶん遊んだものだ、そのじぶんは、まだあの崖に段々がなくて、御裁許役所の向うからおりなければならなかった」
「泳ぎもなさいまして」
「泳ぎもした、向うの、あの瀬のあたりでね」
宇乃は太息をつき、眼をほそめて、川の左右を眺めやり、それから低く、くすっと忍び笑いをもらした。おそらく、幼ない甲斐が、裸になって、その川瀬で遊んでいる姿でも想像したものであろう。低く忍び笑いをして、すると、頬のあたりが赤くなった。
「いちどこの川で、溺れかかったことがある」と甲斐が云った、「この少し上に淀みがあって、そこで釣っていたんだ」
「お友達と」
「いや独りだった」
宇乃は甲斐を見た。
「おじさまはいつもお独り」
甲斐はあいまいに首を振り、それから、ゆっくりと続けた。
二十年ほどまえの出水で流れが変り、その淀みがなくなって、此処にこの淵が出来たが、当時その淀みには広瀬川の主がいるといわれ、子供たちはみな近づくことを禁じられていた。甲斐はその「主」というのにひきつけられ、いちど見たいという、好奇心が抑えきれず、ひそかにそこへいって釣りをした。
「まあ、主を釣ろうとなさいましたの」
「いや、そうではない、釣りをすれば、主が怒って姿をあらわすだろう、と思ったのだ」
「まあこわいことを」
甲斐は唇で笑った。
三度めにいったとき、大きな魚が釣れた。浮子がくっと沈んだので、竿をあげると軽かった。餌を取られたのだと思い、糸をあげると、なにか掛っている。ごみにでも引掛った感じなので、静かにひきよせると、水際まで来て、魚だということがわかった。
「それはこのくらいあった」と甲斐は釣竿を持っている手と、右手とで、三尺ほどの長さを宇乃に示した。
大きな鱗が、金と黒とで、まるで絵に描いたように、はっきりと見え、口の端には、これも絵のように、ひげが二つあった。甲斐は幼なかったが、それが鯉だということはすぐにわかったし、そんなに大きな鯉を見たのは初めてで、のぼせあがるほど昂奮した。鯉は水際まで来ていて、糸を口にくわえたまま、ゆったりと尾鰭を動かしていた。
幼ない甲斐は、その糸では釣りあげることができない、ということに気づき、糸の一端を流木の枝に巻きつけておいて、脇のほうから静かに川の中へはいっていった。
「手で捕るつもりでしたの」
「抱えあげるつもりだった」と甲斐は微笑した、「私は一と足、一と足と、近よっていった、鯉は水際にじっとしていた、そこは浅いので、水の上に背鰭が少し出て、それがゆらゆらと動いていた、からだはじっとしていて、背鰭だけが、ゆらゆらと動いている、私は大丈夫だと思った、それでも用心して近より、両手で鯉に抱きついた」
宇乃は息を詰めた。
「鯉はやはりじっとしていた」と甲斐は続けた。
抱きついた腕の中で、鯉はじっと動かなかった。彼はぬめぬめと滑る魚躰を押え、身を跼めて、自分の胸へ抱きあげようとした。すると初めて、あたかもその時を計っていたかのように、鯉はすさまじい力で跳ねた。幼ない甲斐は腕を緊め、鯉はするっとその腕からぬけた。鯉はしぶきをあげて水へ落ち、甲斐は全身でつかみかかった。
「私は鯉をつかんだ、たしかにこの手で、鯉のどこかを捉まえ、そのまま深みへひきこまれた」
こう云って甲斐は口をつぐみ、眩しそうな眼つきで、対岸を見やった。
日は高くなり、丘の上の松林は、灰色の幹と、黒みを帯びた濃緑の葉を、くっきりと明るく際立たせていた。宇乃は待ちくたびれたように、それからどうしたのか、と訊いた。すると、水面の浮子がくくっと、斜めに水の中へ引込まれ、釣竿の尖端が、しぼるように撓んだ。宇乃が「おじさま」といい、甲斐が竿をあげた。半ば竿をあげ、立ちあがって、魚の大きさをさぐってから、糸を巧みにあおり、竿を振って、魚をひきよせた。
「まあ大きい」と宇乃も立ちあがって叫んだ。
魚は水際へ来て、右に左に身を振り、尾鰭でしきりに水を打った。さして大きくはないが、尺ちかい鯉で、金色の鱗が、美しく鮮やかに見えた。甲斐は竿を振り、巧みに水際へひきよせ、それから颯と魚をあげた。鯉はきれいに水から抜かれ、河原の石ころの上に落ちて、いさましく、水玉をとばしながら跳ねた。
「おじさま早く、逃げてしまいます」
「およし、宇乃」と甲斐が云った、「触ってはいけない、手が臭くなる」
「でもおじさま、逃げてしまいますわ」
「逃げてもいいんだ」
「どうしてですの」
「坐っておいで」と甲斐は云った。
彼はまだ活溌にはねている鯉を押え、その口から鉤を外すと、鯉はそのままにして、流れで手を洗い、洗った手を拭きながら、元の流木へ腰をかけた。
「深みに落ちたまま、私は溺れて、流されていった」と甲斐は続けた。
宇乃は鯉のほうを見ながら、彼の話すのを聞いていた。鯉は石ころの上でふと動かなくなり、ついで大きく跳ね、少しなぞえになっている河原を、水際のほうへと転げた。
「ずっと流れて、殆んど十町ばかり下で、人に救われたのだが、右手に釣糸を握ったままで、その糸の先にはまだ、その大きな鯉が付いていたそうだ」
「まあ、こわい」と宇乃が云った。
石ころの上の鯉は、ぐったりと伸び、口を大きく二度、三度、喘ぐように動かした。もうすっかり力尽きたようにみえたが、突然、激しく跳ねて、水際へと転げ落ちた。
宇乃がまあこわいと云ったとき、水の音がしたので振返ると、石を洗って流れる、水際の浅瀬に、半ば身を浸して、その鯉の大きな眼が、宇乃のほうを見て、ぐるっ、ぐるっと動いた。宇乃は「あ」といって、甲斐に、両手でしがみつき、その胸へ顔を押しつけた。
甲斐はどうしたと云い、片手で宇乃の背を抱いた。宇乃はふるえていて、しがみついた両手に、けんめいな力のこもっているのが、感じられた。
あの鯉が自分のことをにらんだ、という意味のことを、宇乃がふるえながら云った。甲斐は笑って、宇乃の背を撫で、にらむなら私をにらむ筈だ、と云った。
「見てごらん、もう川の中へ逃げてしまったよ」
宇乃はそろそろと眼を向けた。水際にはもう鯉の姿はなく、水に研がれたまるい石ころが、流れの波紋にゆらゆらと揺れて見えた。宇乃は甲斐から静かにはなれ、ぼうと頬を染めながら、両手で顔を隠した。
石を踏む音がして、少年の辻村又之助が来た。
「伊東七十郎どのがおみえになりました」と又之助が云った。
甲斐は不審そうに又之助を見、七十郎だって、と訊き返した。又之助は、はいといい、いま酒をあがっていると答えた。
「よし、飲ませておけ」と甲斐は云った。
又之助が去ると、甲斐は鉤に餌を付け、淵の中へ投げてから、話しを続けた。──溺れた甲斐を救ったのは、小人衆の女房であった。縫い物をしていると、川のほうで妙な音がする、ごぼごぼという、空壜に水の入るような音と、ひゅう、と息を吸うような音が、川上のほうから、しだいに下って来る。なんだろうと思って、濡縁へ出てみると、甲斐が仰むけになって流れて来る。瀬波の低いところで息を吸い、高いところでは顔が水に沈むため、ごぼごぼと鳴るのであった。
その女房は、はだしでとびだしてゆき、人を呼びながら救いあげた。すると、幼ない甲斐の手が釣糸をつかんでおり、その先に大きな鯉がかかっていた。その鯉があまりに大きく、しかもじっと動かずにいるので、女房は恐怖におそわれ、「川の主だ」と叫んだということであった。
甲斐はそこで暫く黙っていたが、やがて低く、喉で笑った、「その女房は糸を切って、鯉を逃がした、それからながいこと、私が川の主を釣って、その主にひきこまれて、危なく溺れそうになった、という噂が広まったものだ」
「本当に主でしたの」
「どうだかな」甲斐は喉で笑った。
「それから、ここへ鯉を釣りにいらっしゃいますの」と宇乃が訊いた。
甲斐はそっと頷いた、「生きていたら、もういちど会いたいと思ってね」
「もう何十年も経つのでしょう」
「私が九つのときだからね」
「まだ生きているでしょうか」
「その子でもいいんだ」と甲斐が云った。
宇乃はじっと流れを見まもり、心のなかで、くびじろのようだ、と思った。あのくびじろも、ながいこと追っていらしった。おじさまは人間よりも、鹿や魚のほうを愛していらっしゃる。樅ノ木や、鹿や、古い鯉などのほうが、人間よりもお好きなのだ、と宇乃は思った。
──どうしてだろう。
どうしてかしら、と思い、そういう甲斐がいかにも孤独で、寂しい人のように感じられ、われ知らず太息をつきながら、そっと甲斐の横顔を見あげた。するとその、宇乃の視線を感じたのだろう、甲斐が静かに振向いた。
「退屈になったな」と甲斐が云った。
宇乃はいいえとかぶりを振った、「おじさまと二人だけなら、いつまででも」
宇乃は囁くように云った。あまりに低い声だったので、その囁きは流れの音に消され、甲斐には聞きとれないようであった。甲斐は眼をそらしながら頷き、帰ろうかねと云って、竿をあげた。宇乃は、もう少しと云いたげな眼で、甲斐の顔を見まもったが、甲斐は気がないようすで糸を巻き、餌箱を持った。
「わたくしが持ちましょう」と宇乃が餌箱へ手を出した。
甲斐はうしろを見て、その茶道具を持っておくれ、と云った。宇乃は茶道具の入っている竹籠を持ち、淵のほうへ振返った。
「いまの鯉は、そのときの主の子供でしょうか」
「どうだかな」
「そうだとようございますわね」
「どうして」
「どうしてでも」
甲斐は笑って歩きだした。
屋敷へ帰ると、甲斐はゆっくり朝食をとった。伊東七十郎のほかに、訪問者が三人待っており、あとからまた二人来て、それらとの用談が済むと、宮崎筑後から、招宴の使いが来た。筑後は本丸城代で、これまであまり親しいつきあいはなかった。片倉隼人は、断わってもいいだろう、と云ったが、甲斐はゆくと答えさせた。
「七十郎はまだいるか」
「ずっと飲み続けで、だいぶ酔っているようでございます」
「与五が鹿の肉を持って来たそうだが、油焼きにして、少し七十郎に出してやれ」
そう云って甲斐は立ちあがった。
甲斐がはいってゆくと、七十郎は、あぐらをかいている片方の裾を捲り、その裸になった膝をぴたぴたと叩いた。
給仕は誰もいない。すぐ脇に、ぬぎすてた袴がつくねてあり、脇差も投げだしたままで、正月の寒さにもかかわらず、火桶を遠くへ押しやり、着物の衿をはだけて飲んでいた。いかにも狼藉な飲みぶりであるが、甲斐は気づかないようすで坐った。
「貴方は躾がいい、貴方は家従の躾がなかなかいい」といきなり七十郎が云った、「いま伊達の家中で、これだけ勝手に飲める家はほかにはない、家従はみなよく躾けてあるし、酒はいいし、肴もよろしい、二年ほどまえには家政逼迫というように聞いていたが、国老になるとやっぱりみいりが違うんですな、原田さん」
「きげんがいいらしいな」と甲斐が云った、「なにかいいことでもあったのか」
「きげんがいいですって」
「江戸でいさましく宣告した筈ではないか、もう原田を訪ねる必要はないって」
七十郎はにっと笑い、覚えはいいんですね、と云った。そして、盃を呷って、それに手酌で注いで、下に置いてから甲斐を見た。
「記憶もいいし、度量もある」と七十郎は云った、「じつを云うと、門前ばらいをくうかと思っていましたよ」
「用を聞こうか」
「まあせかせないで下さい」と七十郎は盃を取った、「私のような処士は、なかなかこういう御馳走にはありつけませんからね、──一つ受けてくれますか」
「まあやるがいい」
「七十郎の盃はいやですか」
「私は飲みたいときに飲む」
「いまは飲みたくないんですか」
「用を聞こうか」
「貴方はかなしい人だな」
七十郎は手酌で飲み、頭を振りながら、独り言のように呟いた。
「貴方は常識円満で、用心ぶかくて、つまらない失策や、へまなことは決してしない、貴方はいつも無傷だ、つまらない、たまには人間らしく、後悔したり悲しんだり、怒ってどなったりしてみたらどうです、原田さん、そんなふうにとりすましてばかりいて、肩が凝りゃあしませんか」
甲斐は黙っていた。額に深く皺がよっているが、表情は静かで、むしろ退屈そうにみえた。
「返答に及ばず、ですかね」七十郎は「ふん」といった、「いちど原田甲斐を怒らせてみたいんだが、貴方はもの覚えがよくて、度量があって、おまけにひどく狡猾だ」
「よほど云いにくい用らしいな」と甲斐が云った。
「なに、たいしたことじゃない」と七十郎はまた飲んだ、「用というほどのことじゃない、ただ、これからまた上方のほうへでかけるんで、ちょっと貴方の耳にいれておきたいと思うことがあったんです」
「私は聞いているよ」
「そうせかせないでもらいましょう、せっかくの酒が不味くなりますからね」
七十郎は飲もうとして、銚子に酒がないのを知り、大きな声で辻村と呼んだ。又之助、酒がないぞとどなり、それからぐらっと頭を揺って甲斐を見た。
「私が一ノ関に呼ばれたことは御存じでしょう」
「いや、知らないね」
「御存じがない、本当ですか」
「知らないようだな」
「私は一ノ関に呼ばれました」と七十郎が云った、「私を五百石で家臣に召し出してやろうというんです、これも知りませんか」
甲斐は首を振った。七十郎は皮肉に、そいつはふしぎですな、と云った。
「家臣に取立てようということを、後見の一ノ関が知っていて、国老が知らないというのはふしぎだ」
甲斐は微笑して、ふしぎなことはないと思うがと云い、なにか可笑しいことでもあるように、それでどうした、と訊き返した。
「断わりました」
「ほう、五百石では不足か」
「五百石は私には有難い、北村の実家や小野(伊東采女)から小遣をねだっている身の上だから、私にとって五百石はたいまいです、しかし、──それは伊達家から呉れるのではなく、小野の知行から分けるというんです」
甲斐が喉で笑った。
「可笑しいですか」と七十郎が訊いた。
甲斐は「いや」と首を振った、「一ノ関のことを連想したのだ」と甲斐が云った、「一ノ関は直参大名で三万石の領主だが、その所領は伊達本家から分けられたものだ、いまの話しはそれに似ている、あまりよく似ているので可笑しくなったのだ」
「ふん、なるほど」と云って、七十郎も笑いだした。
彼は酔いも手伝っているので、遠慮もなく大声をあげて笑い、「いかにもあのじじいらしい」と、裸の膝を叩いた。辻村又之助が、酒と肴の鉢を運んで来、七十郎は手酌で飲んだ。又之助は去り、七十郎は飲みながら続けた。
「私は云ってやりました、わが伊東家は御領内に住んで、代々の御恩がある、もし伊達家から扶持を下さるというのなら、家禄の多少によらずお受けをしよう、だが、同族の骨肉を食むわけにはまいらない、甥の知行から一粒の米でも貰うようなら、お断わり申す」
甲斐の眼が微笑し、頬に皺がよった。穏やかな、包むような微笑で、相変らずだな、と云いたげであったが、そうは云わずに、いま又之助の運んで来た、肴の鉢を見やった。
「箸をつけるがいい、船岡から持って来た鹿の肉だ」
七十郎は箸を取った。
「一ノ関の渋い顔が想像できるでしょう」と七十郎は食べながら云った、「あのくらい渋い顔はちょっと見られないでしょう、おまけに彼はまずいことを云いました、おそらく半分は探りを入れたつもりだろうが、いま伊達家中には、穏やかならぬ動揺が起こっているようだ、それについてなにか意見があったら聞きたい、などとね、まじめな顔で云いましたよ」
「その味はどうだ」
「話しの腰を折りますね、結構ですよ」と七十郎が云った。
自分は一ノ関の顔を見た。じっと、穴のあくほどみつめていて、それから、「意見のないこともない」と云った。御家中に紛争が絶えないのは、或る少数の、好ましからざる人物が、藩政に不当の干渉をしているためだと思う。自分は処士で、自由にものを云うことができるから、必要のある場合には、その好ましからざる人の名を挙げ、その非行を剔抉するつもりである。自分ははっきりそう云ってやった、と七十郎は肩をそびやかした。
甲斐は沈んだ声で云った。
「益もないことを云う」
「益もない、ですって」
「蜂の巣を突つくようなものだ」と甲斐が云った、「そんなことを云ったところでなんの役にも立たないし、却って身に禍が返ってくる、上方へゆくというのは幸いだ、早くでかけるがいい、七十郎、さもないと自分が突つき出した蜂に刺されるぞ」
「なに、危ないのは一ノ関のほうですよ」と七十郎が笑った、「貴方にだけ云っておきますがね、里見老が一ノ関を覘っているんです」
「十左衛門か」
「里見十左衛門です」と七十郎は云った、「彼は問罪の書状を持って、一ノ関を追いまわしていました、面会はむろん拒絶されましたし、途上で捉まえようとしたが失敗しました、それで十左はますます怒り、一ノ関まででかけてゆくと云っています」
甲斐はそっと眼を伏せた。
「どうしても直接に会って、責任をとるように談判し、きかないときには刺し違えて死ぬ、と云っています、十左はまじめですからね、彼は決して食言しない男です、危ないのは私ではなく、兵部少輔宗勝ですよ」
「さて、──用談は終ったらしいな」と甲斐は静かに立ちあがった、「ゆっくり飲んでいるがいい、私は宮崎筑後に招かれている、──もういちど云うが、旅へ出るなら、早いほうがいいぞ」
──一大事だ、御家老を早く。
「触るな、足に触るな」
──大槻さまに、早く。
──散るな、まわりを固めろ、曲者はまだいるかもしれぬぞ。
「その足に触るな、放せ」
──おそれながら暫く御辛抱のほどを。
「放せ、その手を放せ」
──ここは危のうございます。黒沢の谷地まで御辛抱のほどを。
──散るな、みな集まれ。
──みな集まれ、お側をはなれるな、まわりを固めろ。
──黒沢の谷地だ、いそげ。
「斎宮はまだか、大槻はどこだ」
──ただいま、ただいま。
「曲者はまだいるぞ、谷地までは遠すぎる、ここで医者を待とう、館へすぐ誰かやれ」
──お館へはもう多田がまいりました。
「医者と人数を呼べ」
──御家老です。
──斎宮にございます、いかがあそばしました。
「曲者だ、曲者に矢を射かけられたぞ」
──そのおけがは。
「矢を射かけられた、鹿込の山をおりる途中で、栂の林の中から矢を射かけた者があった、紛れはない、姿も見たぞ」
──権右衛門。
──はっ、お館へは人をやりました。
「はなれるな、まわりに集まれ、斎宮、まわりを固めてはなれるなと申せ、ええくそ、その足に触るなと申すに」
──おけがは足でございますか。
──それは御落馬のときに。
「このばか者、落馬ではない、二ノ矢を避けるために下馬したのだ」
──矢ではございませんか。
「矢ではない、矢はかすった、矢は危うく笠をかすった、二の矢が来ると思って、すぐに下馬したが、そのとき挫いたのだ」
──権右衛門、お鴨場の小屋へまいろう。
「おれはここで医者を待つ」
──お鴨場の小屋がようございます。
「曲者はまだいるぞ」
──これだけお側におります。権右衛門、杢之助、大蔵、肩を貸せ、他の者はまわりを囲め、はなれるな。
「馬蹄の音がするぞ、あれはなんだ斎宮、馬蹄の音がするぞ」
──お館からでございましょう。
──使者が戻りました。
──よし、蔵人はここで待て、人数が来たら曲者を捜すように申せ。
「人数はまわりに置け」
──お側はこれだけで充分です。私の肩におかかり下さい、蔵人、ぬかるなと申せ。
──曲者なんかいるものか。
──しっ、聞えるぞ。
──曲者なんかいるものか、ただ落馬しただけさ、臆病な殿だ。
「医者はなんと申した」
──捻挫でございます。
「挫いただけか」
──幸い軽い捻挫だと申すことで、もはやお館へ御帰還になられても、さしつかえないと申しました。
「休んでゆこう、まだ痛む」
──お褥を当てましょう。
「このほうが楽だ」
──いまお薬湯を温めます。
「斎宮、曲者がわかったぞ」
──と仰せられますと。
「曲者はわかった、ほかにおれを覘う者はない、十左だ」
──十左と申しますと。
「里見十左衛門だ」
──はあ。
「正月に船岡の原田から告げて来た、十左が面会を強要している、とりのぼせておるようだから、面会するときは注意するように、そう告げて来た筈だ」
──いかにも。
「おれが仙台にいるときから、十左はおれを跟けまわしていた、城中でも、道の途中でも、おれをつかまえようとして、絶えず跟けまわしていた」
──しかし、この一ノ関までまいるでしょうか。
「あいつは逆上しておる、仙台のときにそう思った、船岡からもそう告げて来ている、あいつは一徹者だから、逆上すると狂人のようになる、おれを射たのは十左だ」
──手配は致しました。
「あの痴れ者を逃がすな」
──道は塞ぎました。おれば必ず捕えてまいりましょう。
「足が痛む、薬湯はまだか」
──ただいま。
「横になる、手を貸せ、──このほうが楽だ、斎宮、もういちど手配をぬかるなと申してやれ、十左め、ひっ捕えたらこんどこそ糾明してくれる、あの僣上な忠義ぶった面の皮を、こんどこそ引剥いてくれるぞ、誰かおるか、斎宮、斎宮」
──御家老、殿が召されます。
──薬湯をさしあげておけ、やがてまいるあいだ、暫くお側におれ、……権右衛門、たしかにそうか。
──間違いございません。
──曲者ではないのだな。
──栂の林の中には、供の者が十名ほどおりました、その中の誰かの射た矢が外れたものと思われます。
──よし、それを他言するな。
──当人の詮議を致しますか。
──わかったら他言するなと云え、万一にも漏れたら軽くは済まぬ、少なくとも殿のお耳に聞えたら、重科はまぬがれぬぞ。
──承知つかまつりました。
──手配りは解いてよし、おれは御前へ戻る、館から輿をよこすようにと申してやれ。
「まだみつからぬと、すでに五日にもなるのに、あの矢がまだみつからぬというのか」
──手は尽すだけ尽しました。
「捜せ、もっと捜せ、地域は限られておるし、矢は他国の物だ、矢羽根を見れば判別はつく、だが百姓どもにはゆだんするな」
──承知つかまつりました。
「百姓どもの中には、十左に加担している者があるかもしれぬ、ゆだんすると矢を隠されるぞ」
──承知つかまつりました。
「おれは栂の林の中にいる曲者をたしかに見たし、矢は笠をかすめて飛んだ、この耳で、矢羽根のうなりをたしかに聞いたのだ、その矢がみつからぬ道理はない、証拠はその矢だ、みつけるまで捜索しろ」
──申上げます。
──なんだ。
──仙台より、佐々木権右衛門が戻りました。
「待ちかねた、これへと申せ」
──権右衛門、ただいま、戻りました。
──首尾はどうであった。
「即答をゆるす、仔細を申せ」
──里見十左衛門は居宅におりました。
「十左が、仙台にか」
──はあ、十余日まえより風邪ぎみにて、居宅に籠っていたと申します。
「実否を慥かめたか」
──相違ございません。
「痴れ者め、あの痴れ者め、さてはなに者か使ったな、おのれは仙台にいて、この一ノ関へはなに者かをよこしたのだ」
──御家老に申上げます、相原助左衛門どのよりこれを。
──よし、さがっておれ。
「助左からなんだ」
──書状にございます。
「なんとある」
──ただいま、……船岡どのが涌谷へ立ったとございます。
「原田が涌谷へ」
──寺池(式部宗倫)さまの御懇望にて、地境論の実地を検分するため、二月十日、と申しますから、三日まえに仙台を出立したということです。
「寺池へ使者をやれ、検分のもようを知らせるように、それから、原田にも書面で、検分が済んだら一ノ関へたち寄るようにと、申してやれ」
──かしこまりました。
「書状はそれだけか」
──小野の館から奥山出雲(伊東采女の家老)がまいったそうです。
「誓紙はどうした」
──ずっと捜しているが、いまだに発見できぬ、いま暫くの御猶予をと、願ってまいったとございます。
「埒のあかぬ者どもだ、いずれも埒があかぬ、肝の煎れることばかりだぞ」
──さがって寺池へ使者を遣わします。
伊達安芸と伊達式部との、領地の境界の争いは、遠田郡小里村、登米郡赤生津村、桃生郡深谷、という三カ所で起こっていて、甲斐はその現地へ、内検分にでかけた。──内検分は公式のものではなかったし、また甲斐は「同行する」という名目で、正使は目付役の今村善太夫、徒小姓横目の木村長左衛門、検地衆の大内文右衛門の三人であり、ほかに絵図方、筆取などと、これらの供が十余人いた。
甲斐の供は村山喜兵衛と、少年の辻村又之助の二人で、かれらは石巻街道を北に向かい、その日は松島で泊ることになった。
それは仙台を立つときからの予定であったが、松島の少してまえにある、長老坂という処で、甲斐が「自分は湯ノ原で泊る」と云いだした。四五日まえに、ひどく凍てる日が続いたとき、脇腹の古い傷が痛みだした。くびじろの角にかけられたその傷痕は、季候の変りめになると、しばしば痛みだすことがあった。
──二、三日も休めば治るから、湯ノ原の温泉で休養してゆくことにする。
みんなは先にいって、自分には構わず、内検に掛ってもらいたい。さほどおくれずに追いつけると思う、と甲斐が云った。坂を下る途中で、今村善太夫らは松島へ向かい、甲斐と二人の供は、道をそれ、湯ノ原へとはいっていった。
そこは浅い谷間の湯治場で、宿は三軒あるが、二軒は自炊客だけの、掛け小屋同様のものであり、一軒だけは二階造りで、部屋数も三十ちかくあった。これは、伊達家の船蔵が松島湾の法師崎にあり、石巻街道の水主町には、水主たちが住んでいるし、家中の往来も少なくなかったから、それらのためにも、必要な設備がととのっていたのであった。
宿へ着いたのはまだ明るいじぶんで、甲斐はおくみの家にいるときの、「八十島主計」という名を名のった。
湯を浴びて、軽く食事をし、それから酒を命じた。甲斐は独りで飲んだ。喜兵衛と又之助は次の間にいて、酒や肴は又之助がはこんで来るが、用が済むとすぐにさがった。──甲斐は久方ぶりで、孤独と、もの侘しさを楽しんだ。二月といっても、みちのくは春がおそく、夜になると、まだ寒さはかなりきびしい。炭火のたっぷり熾った火桶、湯気を立てている、小さな茶釜。──古びて飴色に光っている柱や、煤けた障子や襖。行燈の光は暗くて、なにやら水墨の軸の掛っている床ノ間も、おぼろげにしか見えない。
落魄して、旅にゆき昏れて、独り、乏しい酒を舐めている、といったふうな感じである。そんなふうに感じる自分の、すき好みな心ざまを、自分でもいくらか恥じながら、しかも甲斐には、それがひそやかに楽しく思われるようであった。
夜の八時ころであろう、酒をはこんで来た又之助に、もう寝てよいと甲斐が云った。すると少年は、宿の主人がお慰みに「盲人の芸者を呼んでもらえまいか」といっている、と告げた。
──二絃琴で語りものをうたう、旅の者ではあるが、暫く滞在しているし、客の評判もよいということであった。
甲斐が承知すると、やがて、宿の主人がその芸者を伴れて来た。黒い無地の布子に、古びた袴をはき、半ば灰色になった髪を、総髪に束ねていた。隼は五十から六十のあいだらしい。躯も顔も痩せていて、きみの悪いほど長い手指は、節くれ、皺だっていた。
吉岡一玄という者である、と披露して、宿の主人はさがった。一玄はかなり横柄な口ぶりで、「どういうものを好まれるか」と訊いた。甲斐は好きなものをやれと答えた。
甲斐の答えを聞くと、一玄はじっと耳をすまし、甲斐の声を吟味でもするように、賑やかなものがよいか、それとも静かなものがよいか、と訊いた。
「どちらでもよい」と甲斐はまた答えた、「自分でやりたいと思うものをやるがいい」
一玄の顔がひき緊った。
甲斐の声からなにかを感じとったらしい。横柄な態度を改め、坐り直して、二絃琴に向かった。
甲斐はその琴を見た。
一玄は琴を弾じながら、うたい始めた。それは太平記の俊基関東下向のくだりで、「路次にて失わるるか、鎌倉にて斬らるるか、二の間をはなれじと思いもうけてぞ、いでられける」というところまでを口語りにし、それから、落花の雪にふみ迷う、──にかかって、初めて低くうたいだした。
琴も唄も、曲は自分で作ったものとみえ、あまり変化もないし、ここが聞かせどころかと思うような、派手な節調もなかった。まるで琵琶の古曲でもかなでるような、単調なうたいぶりであったが、その少ししわがれた声や、響きの低い、こもったような琴の音色には、深い詠嘆のおもむきが感じられ、甲斐はいつか、盃を忘れて聞きいった。
──傾く月の道見えて、明けぬ暮れぬとゆく道の、末はいつくと遠江、浜名の橋の夕潮に、引く人もなき捨て小舟。
と唄はすすんでいたが、甲斐はそこで、われに返ったように顔をあげ、誰か哀れと夕暮の、いりあい鳴れば今はとて、池田の宿に着きたもう、というところで、静かに、「もうよい」と声をかけた。
「お気に召しませぬか」と一玄は手を停めて訊いた。
甲斐は「結構だった」と云った、「結構だが、そのくらいにしよう、酒は飲まぬか」
「頂戴いたします」
酒は頂くが、自分は中年からの盲人で、ひどく勘が悪いから、そそうがあっては困る、と一玄が云った。
「ではもっと寄るがいい、大きいもので遣わそう」と甲斐が云った。
一玄は辞儀して、膝ですり寄った。甲斐は汁椀の蓋を持たせて、酌をし、少しずつ注いで、三杯まで飲ませた。
「二絃琴というのは珍らしい、初めて見るようだが、なにか伝来があるのか」と甲斐が訊いた。
一玄は恐縮したように、思いついたままの手作りである、と答えた。自分の本業は絵を描くことであったが、三十七歳のときに失明し、それからこのようなものを作った。正式の琴は知らないし、就いてまなぶ師もみあたらない。かつて模写したことのある唐琴を、自分流にくふうして、作らせたものである。二絃琴などといっているが、もちろん法はずれであろうし、曲も勝手に作ったのであるから、人に聞かせたり、施与にあずかる価値のないことも知っている。したがって、一つ土地ではすぐ飽きられるから、足の向きしだいに、次から次とながれて来た。この湯ノ原は人情の篤いところで、ふしぎに客が付き、すでに半年あまりいついている、と一玄は云った。
「もう一つまいれ」
甲斐は酌をしてやった。一玄は鄭重に受けて飲んだ。
「言葉のようすでは江戸のように思うが」と甲斐が云った。
「江戸でございます」と一玄は椀の蓋を持ったまま、静かに手を膝に置いて、「旅の座興に身の上話しをしたいが、聞いてもらえるだろうか」と訊いた。
甲斐は手酌で、舐めるように飲み、「聞かせてもらおう」と答えた。
「つまらない話しでございます、もし御退屈のようでしたら、遠慮なくやめろと仰しゃって下さいまし」と一玄は断わりを云った。
彼は残りの酒を一と口飲み、また静かに、その手を膝の上へおろして、やや暫く黙っていた。それから、唇で微笑し、さて、なにから申上げてよいやら、と口の中で呟き、やがて、俯向いたままで話しだした。
生いたちのことは略す、必要もないし興もない。聞いてもらいたいのは、三十歳になってからのことである、と一玄は云った。
「そのころはいちおう名も知られ、生活もできるようになっていました」
自分は大和絵の一派をまなんだのであるが、その派としては、かつてまなんだ師よりも、高く評価されるようになり、幕府の絵師にあげられようとさえした。そのとき、とつぜん絵がわからなくなった。自分の描いた絵を見て、「これは絵ではない」と思い、絵とはどういうものか、という疑いにぶつかった。そして、自分は絵が描けなくなった、と一玄は云った。
「しかし大事なのは、絵が描けなくなったことではございません、絵はまもなく描けるようになりました」と一玄は続けた。
自分では苦心経営のうえ、一段と深い絵の精神をつかんだと思い、新らしい意気ごみで描きはじめた。ところが、世間はその絵を認めてくれなかった。
「私は謙遜に人の評を聞きました、決して自分の仕事だけが是なりとは思わない、世間のどんな人の評もおろそかには聞かず、よしと思われる評は受け入れようとしました、けれども、自分が絵のみちに深くはいってゆけると信じはじめてから、世間は私の絵からはなれ、やがて私には眼もくれなくなりました」
芸術は真に入るほど、世俗からはみすてられる。それはよく知っていたが、自分はおのれが芸術の真に入っている、とは信じられなかったし、世間から超然と生きる自信もなかった。自分の絵のどこかに欠点がある。なにか思い違いをしているのかもしれない、どこが悪いのか。自分はすなおに反省し、念に念をいれて描いた。だが、どう苦心をし、どう描いても、誰も認めてくれようとはしない。云うまでもないことだが、生活は窮迫するばかりであった。
「妻帯していなかったのが、せめてもの仕合せでした」
しばしば食事もぬくようになり、火のない部屋で独り、雪の音を聞きながら、夜を明かしたこともある。骨にしみとおるほど寒い、筑波おろしに吹かれながら、大川端に茫然と佇んでいたり、また、山の手の、どことも知れぬ町を、ひもじさにふるえながら、歩きまわることもあった。
「だが、私にとっては、寒さやひもじさよりも、自分の絵が認められないこと、どうしたらこのまっ暗な状態からぬけ出ることができるか、ということで頭がいっぱいだったのです」
そこまで来て、一玄は耳を傾けながら、御退屈ではないでしょうか、と訊いた。
甲斐は「いや」と云った。
「そのとき私は、とつぜん盲目になってしまいました」と一玄は続けた。
銭湯で湯が眼にはいった。その湯に毒があって、ひと夜のうちに眼が腫れ塞がり、治療もしてもらったが、十日と経たぬうちに、まったく失明してしまった。それからまる三年、この二絃琴で生きてゆこう、と決心するまでのことは省略する。自分は江戸を去って、旅から旅へと、ながれ歩くようになった。そうなってからも、自分は絵のことが忘れられず、頭のなかで、絶えず絵を描いてきた。
「いまでは自在に描けます」と一玄は微笑した、「空想だからたやすいとお思いかも知れませんが、そうではございません、頭のなかで描いても、やはり絵はむずかしく、ときには一つ絵に三、四十日かかることもございます」
空想で描きはじめてから、自分の頭のなかには、大小十五、六幅の絵が溜った。五、六日で完成したものもあり、三、四十日かかったものもある。水墨、着彩──人物や山水や花卉、とりどりであるが、それらは全部、いまでも眼の前に、細部まで、ありありと繰りひろげて見ることができる、と一玄は云った。
「本当に、一枚、一枚、はっきりと見ることができるのです、もちろん、人に見せることはできませんが」
そう云って彼は、くすくすと、忍び笑いをした。それは自嘲のようでもあり、狡猾な笑いのようでもあった。
甲斐は、一つまいれ、と云って、彼に酌をしてやり、彼は慇懃に受けて啜った。
「人に見せることはできませんけれども、そんなことはどちらでもよい」と一玄は続けた、「私が現に筆をとり、心血をそそいで描いた絵も、人には認められませんでした、とすれば、同じことです」
甲斐の額に皺がより、一玄はさらに、静かな口ぶりで云った。
「空想の絵はもちろん、現実にも、しょせん私は、人に理解されない絵を、描きつづけて来たわけです、──お座興に聞いて頂きたかったのは、この話しでございます」
そして彼は、酒を飲んだ。
「人は同じようなものだ」と甲斐が穏やかに云った、「私は少年のころ、古い歌物語で、こういう歌を読んだ、──おもうこといわでぞただにやみぬべき我とひとしき人しなければ」
一玄は口の中でそっと、その歌を繰り返してから、在五中将でございますな、と云った。甲斐は、さよう、業平だと頷いた。
「この世には、おのれと同じ人間はいない、おまえの場合とは違うが、人はみな、誰にも理解されない絵を、心のなかに持っているのではないか」
「貴方さまもですか」と一玄が訊き返した、「船岡の館主である、原田の殿もですか」
甲斐は口をつぐみ、暫くその老盲人の顔を見まもった。もっとなにか云いたげにみえた甲斐の顔が、いつものなごやかな冷静さをとり戻した。たしかに、甲斐はなにか語りたそうであった、旅の宿であることと、老人のうちあけ話しにさそわれて、これまで他人には話したことのないもの、心の奥に秘めて来たものを語りたいようすだった。しかし、船岡の館主と聞いたとたんに、その衝動は冷え、心はうしろへさがった。
「私を知っているのか」と甲斐が訊いた。
「御領内で暫くお世話になり、途上でお声を聞いたことがございます」と一玄は答えた。
「途上で声を聞いただけで、これまで覚えているというのは、盲人の得だな」
「それはお人にもよります」と一玄は微笑した、「たいていの人の声は、朝聞いて夕方には忘れてしまいますが、なかには五年七年経ってからでも、その声を聞けば思いだせる人がございます」
「船岡へはいつごろ来た」
「さようでございます、もはや十年ちかくになりましょうか」
「こんどまいったら館へ寄るがいい、御苦労であった」
そう云って、甲斐は又之助を呼んだ。
一玄はなごり惜しそうで、もう少し話していたいというふうに、もじもじとなにか云いかけたが、又之助がはいって来、甲斐が、また会おう、と云ったので、さも落胆したように、少年に手を引かれて去っていった。
甲斐は膳を下げさせ、明朝三時に起こすこと、馬を三頭用意すること、を命じておいて、寝たが、横になってからも、老盲人のことが、暫く頭を去らなかった。
──おれを知っているなどと云わなければよかった。
船岡の殿などと云われたので、すっかり興が冷めてしまった。あんなことさえ云わなければ、旅の一夜にめぐりあった、見知らぬ者同士で、気楽に話しもできたろうし、心にも残ったことだろう、と甲斐は思った。
「だが羨ましい身分だ」と甲斐は呟いた。
おのれが曲を作り、気ままに二絃琴をかなで、旅から旅へわたり歩く。恩愛もなく、身辺のわずらわしさもない。そうして、頭のなかでは、好ましい絵を描いている。すでに十幾幅かの絵が、頭のなかにはっきりと描かれている。それらの絵は、人に見せることもできないが、決して悪評されることもない。それでいいのだ、と甲斐は思った。
──それが事実なのだ。
人は誰でも、他人に理解されないものを持っている。もっとはっきり云えば、人間は決して他の人間に理解されることはないのだ。親と子、良人と妻、どんなに親しい友達にでも、──人間はつねに独りだ。
甲斐は胸ぐるしくなり、深い息をついた。静かな屋内の遠いどこかで、二絃琴の音がとぎれとぎれに聞えた。
「また客があったのだな」
甲斐はそう呟き、寝返りをうって、眼をつむった。
明くる朝の三時すぎ。甲斐と喜兵衛と又之助は、馬に乗って宿を出た。宿を出るときはまだ暗かったが、瑞巌寺のあたりで明けはじめ、高城川を渡るときには日が昇った。かれらは跑で馬を進め、十時には志田郡の平渡へ着いた。そこで休息して、馬を替え、道を右にとって、出町、阿久戸と、山について北上し、鳴瀬川を渡った大柳で午の食事をした。
大柳は遠田郡であるが、志田郡松山へは二里ばかりしかない。午の弁当を済ましたとき、村山喜兵衛が甲斐を見て、松山へはおいでにならないのか、と訊いた。
「涌谷だ」と甲斐は答えた。
大柳から涌谷までは一望の平野で、刈田や、畠や、荒地の、いちめんにうちわたした中に、鳴瀬川の広い河原だけが、白く乾いて眺められた。平野の中をゆく道の向うに、遠田郡の山なみがあり、やがて、涌谷の町が見えて来た。
甲斐は町はずれから、江合川の堤に出て、大橋を渡った。町人町は川の手前にあり、大橋を渡ると侍屋敷になっていた。侍屋敷は土壁に茅葺きで、黒板塀がまわしてあり、堤に沿って学堂、牢舎、家老屋敷と続いている。そして、道は堀川にゆき当り、石の架け橋を渡ると、城の大手門があった。
村山喜兵衛が先触れにゆき、すると、安芸の子の兵庫宗元と、家老二名、高野仲兵衛、大平一郎兵衛とが、大手門まで迎えに出た。甲斐はそこで、馬を返すようにと命じ、出迎えの三人と共に、城へ登った。
涌谷城は大手門からすぐ石段になり、鉤の手に登り詰めたところが中門、それをはいると左に、二層の太鼓櫓があった。そこは広場で、左に館、右に諸士の詰所や役所が並んでいる。──甲斐は館へゆくまえに、広場の左の端のほうへ足を向けた。
「ここへ来ると、この眺めを見るのが楽しみだ」と甲斐は云った、「私には構わず、先にいっていて下さい」
「私がおりましょう」
兵庫はそう云って、二人の家老に眼くばせをした。高野と大平は去り、甲斐は台地のはずれへいって立った。
台地の外側は白壁の塀で囲ってあり、そこからは高さ七十尺ほどの切立ったような崖で、崖の斜面には杉がびっしりと枝をさし交わしていた。その杉林を越して、向うに、ひろびろとした眺望がひらけ、平野のかなたには黒川郡の山やまや、出羽の国の山なみが、早春の午後の光のなかに、くっきりと青く見えた。
「幾たび聞いても忘れてしまうのだが」と甲斐は手をあげて指さした、「あの黒川郡の山の、ひとところ高い」
兵庫が「ああ」と低く笑いながら遮った。
「七ツ森でございますか」
甲斐も「どうも」と笑った。
「黄金迫の迫という字と、あの七ツ森というのは覚えにくい、迫というのをいつもさかと読んだり、さかりと読んだりしてしまう」
「迫をばさまと読むのがむりでございますから」
甲斐は頷き、眼をほそめて、ひろい展望を楽しげに眺めまわした。
「この眺めを見るのはなん年ぶりだろうか」
そして「ああ」と深く息をついた。
ずいぶん長いあいだ、甲斐は黙って眺めを楽しみ、それから台地を左へと歩いていった。そちらは城の南方で、仙北平野がひらけており、江合川の大きな流れと、川の対岸の町人町を、殆んど眼下に見おろすことができた。
兵庫も黙って、甲斐について歩いた。
「なん年ぶりだろう」
忘れたじぶんに、甲斐はまた独り言のように呟いた。兵庫はそのとき、初めて、静かに云った。
「私がお眼にかかったのは七年まえです、こんどはそれ以来だと思いますが」
「七年、まだ七年ですか」と甲斐が云った、「私にはもっと以前のように思えるが」
「あれからいろいろな事が起こって、身辺が御多忙だったからでしょう、詳しいことは存じませんが、父からあらまし聞いております」
「お父上の御心労こそたいへんです」と甲斐が穏やかに云った、「私などは案山子も同然ですが、涌谷さまの御苦労こそなみたいていではございません、お側におられる貴方も、さぞ御心配のことでしょう」
「父は常づね、頼みにするのは船岡どのお一人だ、と申しております」
甲斐は口の中で、いや、と呟きながら、謙遜に一揖し、話しをそらした。
「あれから七年とすると、貴方はもう」
「二十二歳になります」
「御結婚のことはうかがったようですね」
「去年、長男が生れました」
甲斐は祝いを述べ、兵庫は続けて、長男が生れるとすぐ、寺池(伊達式部)との地境の争いが起こった、と云った。
「まるで地境の争いを持って生れて来たようだ、などと云って、父は笑っておりましたが」
「境論の起こっているのは、ここから見えますか」
「いや、赤生津と小里村はこのうしろに当りますし、深谷は向うに見えるあの」と兵庫は東南を指さした、「あれが旭山ですが、あの山の向うにあるのです」
「今日、そこへ内検分の者が来るのです」
「知らせを受けましたので、涌谷からも人を出してあります、船岡どのもおいでになるのではございませんか」
「私は涌谷さまに申上げたいことがあるのです、検分のほうは名目のようなものです」
「では、──御案内いたしましょう、それとも、もう少しここにいらっしゃいますか」
「いや、どうぞ」と甲斐は目礼した。
兵庫が先に立って、館へゆき、大玄関からはいった。そこには家老以下、重臣が並んでおり、小姓の者二人が先導して、表ての間へとおった。書院造りではあるが、調度類は極めて質素であり、襖は無地の手漉き紙だし、床ノ間には故政宗の消息を仕立てた軸を懸け、伝来の甲冑が飾ってあるばかりだった。安芸がはいって来たとき、甲斐は、床ノ間に飾ってある甲冑を、じっと眺めていた。
安芸は五十歳になっていた。小柄な躯は痩せてみえるが、筋肉がひき緊っているし、陽にやけた膚には、壮年の人のように艶があった。──四年まえ、小石川の普請場で見たときより、髪には白い毛が多くなり、額の皺も深くなったようだが、ぜんたいの相貌はむしろ若く、精気に満ちているように感じられた。
はいって来た安芸は、そこにいる兵庫に、去れ、という眼くばせをし、わが子が去ると、斜めに坐って、甲斐に呼びかけた。
「その鎧を覚えておいでか」
甲斐はじっとしていて、それから静かに、御先代の御着用でございますな、と答えた。安芸は、そうだ、と頷いた。
「父定宗が白石を攻めたときに着たもので、それまで亘理であったのを、初めて伊達の姓をたまわり、御一門に列した記念のものだ」
「たしか、大貫村の御隠居所(故定宗がいた)で拝見し、そのとき御先代から、お話しをうかがいました」
「白石の苦戦ばなしは父の自慢であった」と安芸は微笑した。
小姓の者が茶菓をはこんで来て去り、安芸は坐り直した。甲斐は扇子を膝の上におろし、加賀藩の奥村藤兵衛と会った話しをした。安芸は黙って聞いていたが、聞き終ってからも、暫くものを云わなかった。
「もちろん、事実に関しては云わなかったであろうな」とやがて安芸が甲斐を見た。
甲斐は静かに頷いた、「私の口からは申しませんが、万治の事は諸藩に知れておりますから、およそ察してはいるというようすでした」
「つづめたところ、頼みにはならぬというのか」
「奥村という人物は留守役ですから、彼の意見だけで、加賀藩の意向をきめることは誤りでございましょう、けれども、同じ外様として、幕府の政策にどう対処するかという根本の立場だけは、判断することができると思います」
「人間はみな自分が可愛い」と安芸が云った、「大藩は大藩なりに、わが身が大事と思うのであろう、結束すれば大きな力となるものを、対岸の火事に水を貸さず、やがておのれも孤立することに気づかぬのだ」
「私はまだ、諦めてはおりません、奥村どのにもなお会い、さらにしかるべき重役とも会うつもりです」
「わたしはむだだと思うが」と安芸は首を振った、「しかしそれは船岡に任せるとしよう、──ときに、里見十左衛門には会ったか」
「いや、彼にはみすてられましたから」
「十左にみすてられたと」
安芸はいぶかしそうな眼つきで甲斐を見、それからすぐに、おう、と微笑しながら、うなずいた。
甲斐は茶をすすった。
十左を煽動したのは安芸であった。甲斐が一ノ関の与党になった、ということを云いだし、「あまり近づかぬがよい」と、いうふうな暗示を与えた。十左だけではなく、必要とみたとき、必要と思える者には、みなそういう印象を与えて来たのである。安芸はむかしから、甲斐の性格をよく知り、深い信頼をもっていた。あまりに老成しているのと、どこかつかみどころのない点があって、そこに多少の不安はあったが、頼むに足る人物であることに、間違いはないと思っていた。
甲斐を「一ノ関の与党」であると、安芸が云いだしてから、甲斐を敬慕していた多くの者が、甲斐からはなれたし、中には悪意をいだくようになった者さえある。仙台では血気の若者たちの一部に、原田を除け、という空気さえ出て来たということで、それは期していたことではあるが、さすがに安芸も気がかりになっていた。
「十左には会いませんが」と甲斐が云った、「仙台の屋敷へ七十郎が訪ねて来まして、あらまし話しは聞いております」
「七十郎というと」
「小野の一族で、故新左衛門の義弟に当る者です」
「うん、知っている」
「十左が一ノ関と刺違えるとか申しておりましたが」
「ここへまいったときも、十左はそのように申していた、さようなことをすれば、酒井雅楽頭が黙ってはおるまい、必ず老中を動かして、六十万石に手をつけるであろう、断じてならぬと申しつけておいた」
「一ノ関は用心ぶかい人ですから、刺違えるなどということは、不可能でしょうが、それよりも、十左が諸方へまわしている書状、一ノ関を弾劾した書状のほうが、十左のために案じられるのです」
「一徹な気性で、やむにやまれぬらしい、おれの申すことなども、なかなか承知せぬようだ」
甲斐はまた茶をすすり、それを置いてから、一つお願いがある、と話しを変えた。
「寺池さまとの地境の争いですが、これを譲歩して頂きたいのです」
「このまえにも譲歩したぞ」
「もういちど、お願い申したいのです」と甲斐は云った、「去年のことですが、江戸で寺池さまが私に訴え、一門の面目からもあとへはひけぬ、と申しておられました」
「一門の面目をいえばおれも同じことだ」と安芸が云った、「このまえのときにも明らかに不当な申し分で、感仙殿(故忠宗)さまの御威光をかさに着たやりかただった」
このまえの境論の要だけを聞いておいてもらおう、そう云って安芸は話しだした。
桃生郡西南の地を、一帯に「深谷」といって、そこに式部宗倫の所領の飛地があり、伊達安芸の遠田郡と境を接していた。──ここは寛永十七年の検地で、地境をきめたのであるが、それ以前から、深谷の農夫たちが涌谷領へ入りこみ、無断で新田を起こした。そのとき涌谷領の者が黙っていたので、そのまましぜんと深谷方の勝手にされ、式部の所領に加わってしまった。
そこでようやく、涌谷領遠田郡の者が、違法である、と云いだし、安芸も人を遣って、草萱用水の境を明確にしようとした。ところが式部のほうでは、自分領に間違いなし、と主張してゆずらない。それでは検地図にしたがって、郡境に標を立てることにしよう、と云うと、郡境の標を自分らで立てるのは公儀を軽んずるものである、これは国老に訴えて正式の裁断を求めるべきだ、と云い返して来た。だが、そうまですることは、安芸にとって、いかにもおとなげないし、こと面倒と思ったから、式部の主張するままに、抗議を撤回した。
「そのとき、こと面倒で片づけたのがいかなかった」と安芸は続けて云った、「こちらがへこんだとみたのであろう、こんどは小里村、赤生津の二カ所で地境を侵しはじめ、また、深谷でも大窪村の西にある田地十町あまりを、若生半右衛門に分与した、──これはあまりに涌谷をふみつけにした仕方だ、こちらの領分を、式部の欲のために削り取ったというだけならまだよい、けれども、さらに二カ所で地境を侵し、かすめ取った土地を他の人間に与えるということは、もはや単なる欲のためではなく、涌谷を嘲弄するものだといわなければならない」
そうではないか、と安芸は甲斐を見た。
「よくわかりました」と甲斐は穏やかに頷いた、「お怒りのほどもお察し申しますが、しかし、御承知のとおり一ノ関がうしろにおります、式部さまがさような不法なことをするのは、うしろから一ノ関がたきつけているのだと思います」
「そう思うか」
「相違ないと思います」と甲斐が云った、「ここで正式に訴訟すれば、おそらく、一ノ関は公儀へもちこむことでしょう、かれらは、家中に騒動を起こそうとして、つねに機会を覘い、また、つねにいろいろ策謀しております、郡境の争いとなると、とりあげようによっては公儀の問題になりますから、必ず老中へもちこむに違いありません、そうなると、酒井、一ノ関の、おもう壺にはまると思うのですが」
安芸は口をむすんで沈黙した。甲斐も長いこと黙っていて、安芸の顔におちついた色があらわれるのを認めると、静かに、扇子で膝をはらいながら云った。
「では私は、検分の立会いにまいります」
新八はうっかり歩いていた。
頭の中では、三味線の新らしい手を、つけてみたり消してみたりしながら。──彼は浅草三軒町から、湯島へ帰る途中だったが、ついうっかりしていて、人に呼びとめられ、気がついてみると、上野の広小路へ来ていた。
「新さんじゃないの、どうしたっていうの」
呼びとめたのはおみやであった。
姿は御殿ふうだが、新八を見るまなざしや、その言葉つきは、三年まえに別れたときと違って、それ以前の、嬌めかしく色めいたようすに返っていた。
「あんなに呼んだのが聞えなかったの」とおみやは寄って来た、「なにを考えてたの、どこへゆくの、あれからどうしてたの」
新八はおみやを見て、もう会わない筈だぜ、と云った。おみやは苦笑して、恥ずかしい、それを云わないで、と眼をそらした。
「そのことでもあんたに話しがあるの、ちょっとそこまでつきあってちょうだい、いいでしょ」
「うん、──いいよ」
「うれしい、ついそこの池之端なの、あんたすっかりおとなになったわね」
新八は、よしてくれ、と顔をそむけた。
「さきへいってくれ、並んで歩くと人が見ていけねえ」
「逃げやしないわね」
新八は、うん、といった。
六月の、曇った午後の三時ころで、陽気が狂いでもしたように、肌がひんやりするほど、涼しかった。寛永寺へ参詣した帰りだろう、どこかの大名の行列が、黒門から出て来て、往来の人たちは横丁へ避け、おみやと新八も、いそいで仲町のほうへ道を曲った。
そこから池之端へ出、不忍の池の畔をまわって、弁天の茶屋のほうへゆくあいだ、新八はうしろから、おみやの姿をつくづくと眺めた。おみやは少し肥えていて、ほっそりしたのが自慢だった腰も、肉が付いて厚くなり、肩なども張ってきたようにみえる。躯が小柄であるし、頭や手足が小さいので、厚くなった肩腰が、哀れに老けた感じにみえた。
──そろそろ二十四、五だろう。
と新八は歩きながら思った。
──年を隠して云っていたが、もうそろそろ二十四、五になるじぶんだ、ずいぶんいろいろなことがあったし、苦労もしたからな、老けるのが当然だ、と新八は思った。
見られているのがわかるのだろう、おみやは歩きながら、ときどき振返って、新八をにらんだが、わるびれたようすはなく、むしろ見られることを楽しんでさえいる、というふうなところがみえた。
茶屋の数は一昨年のあのときよりもふえていた。弁天社へ渡る橋口の左右へ、十四、五軒も並び、構えも造りもみな大きくなったが、まえのように、客を呼ぶ女たちはみあたらなかった。おみやは、その一軒の店先で立停り、新八に頷いてから、中へはいっていった。
おみやのあとから、その茶屋へはいり、池の見える小座敷へとおるまでに、新八はそこが、彼女の馴染の店だということに気づいていた。
──あれからまた、なにかあったんだな。
三年まえの八月、柿崎道場の新八の部屋で、おみやは彼に意見をした。自分もまともな女になるから、新八もまじめな人間になってくれと云った。
いまこんな茶屋と馴染になっているところをみると、その後またなにかあったのだろう。あのときのきまじめな、折り目を正した感じはなくなっている。元のままの、嬌めかしく崩れた、投げやりな態度に返っているようだ。可哀そうに、と新八は思った。
おみやはいちど出ていった。なにか注文をしにいったのであろう。戻って来ると、お酒をもらっていいでしょ、とあまえた調子で云った。新八は頷いた。
「久しぶりだもの、いいわね」とおみやは云い、少し離れて坐ると、ながし眼に新八を見て、ふっと頬を染めた。
「そばへゆきたいけれど、しらふではだめだわ、そばへ寄るとあんた怒るでしょ」
「好きなようにしていいよ」と新八は微笑した。
おみやはびっくりしたような眼つきで、新八をじっと眺め、それから、新さんすっかりおとなになったわ、と云った。
「まえには邪険で、いちどだってそんなやさしいことを云ってくれたためしはなかったわ、いつもあたしをいじめてばかりいたわ」
「おれはもう二十一だよ」と新八が云った。
おみやは眼を伏せた。二十一という年のなかに、これまであった事の、かずかずを思いだしたらしい。いちど伏せた眼をあげて、新八を見て、ごめんなさい、と口の中で囁き、すぐにまた眼を伏せた。
「邪険だったなんて、云えた義理じゃないわね、あんたには悪いことばかりして、三年まえにはあんな勝手なまねをして」
「もう済んだことだ」
「勝手なまねだわ、自分で新さんを悪くしておいて、こんどはまじめになれだなんて、自分の都合だけで勝手なことをしていたのよ、ごめんなさい」
「まさか泣くんじゃあないだろうな」と新八が云った。おみやは頭を振り、弱よわしく微笑しながら、まさかね、と云った。それから急に眼をあげて新八を見、気を変えるように、明るい調子で訊いた。
「あれからどうしてたの、あたしずいぶん捜したのよ」
「おれを捜したって」
「あんたをよ、石川さんたちの道場へ三度も五度も訪ねていったわ」
「あそこはあの冬に出てしまったんだ」
「みなさんそう云ってたわ、突然どこかへいってしまったって、それからどうしたの」
中年の女が酒肴の膳をはこんで来、おみやにあいそを云って、すぐに去った。
「はい、新さんから」
おみやは新八に盃をさし、酌をして、自分も盃を持った。こうして、二人で飲むのも久しぶりね、うれしい、ずいぶん逢いたかったのよ、とおみやは云った。
「それで、石川さんたちの道場をどうして出たの、今日までどこでなにをしてたの」
「まあ一つ注ごう」新八はおみやに酌をした。
彼はすっかり話した。おみやにはなにも隠す必要はない、風呂屋の女にかよったこと、町方役人に追われたこと、助けられた湯島の家が、原田甲斐の隠宅だったことなど。そして、女にいれあげた金は、道場から盗んだものだということまで、残らず語った。──おみやは襦袢の袖で、眼を拭き拭き、聞いていた。彼女は自分の罪を感じ、その罪の感じに責められているようであった。
「泣くことはないよ、このほうがよかったんだ」と新八が云った、「みんなおまえのせいだって、いつか云ったことがあった、そのときおまえは、それを認めて、おれを好きだったからだって云った、本当だったんだ、あのころのおれにはわからなかったが、おまえの云ったことは本当だった、いまのおれにはそれがわかるし、たとえおまえがそうしなくとも、おれという人間はやっぱり、同じようになったろうと思う」
持って生れた性分というものは変らない。自分と同じ年ごろの塩沢丹三郎は、自分からすすんで毒見役になった。まさか毒死するようなこともないだろうが、いつ毒死してもいい、という覚悟をきめている。湯島の家で会ったとき、彼がそう覚悟している、ということを自分は感じた。──どういうきっかけで、彼が毒見役を望んだかわからないが、どういうきっかけにしろ、彼にはそうなる気質がもともと備わっていたのだと思う、と新八は云った。
「おれが風呂屋の女などにかよって、町方に追われて逃げまわり、湯島で危なく助けられた、などということは、塩沢からみればさぞかし不潔で、みさげはてたざまだったろう、彼はそういう眼でおれを見た」
おみやは眼を拭いて、新八を見あげた。
「おれはそのときの、彼の眼つきを覚えている、一生忘れないだろうと思う」と新八は続けた、「おれは恥ずかしさで躯がちぢんだ、恥と口惜しさで、腋の下から背中まで冷汗をかいた、しかし心の中では塩沢に云った、おれは知っているぞ、おれはこの躯で、いろいろなことを知った、おまえなんかの想像もつかないようなことを、自分のこの躯で、現実に味わってるんだぞって」
おみやは頷いた。
「そしておれは考えた、このままでへたるものか、おれはおれなりに生きてみせる、石にかじりついてもやってみせるぞって」
湯島で助けられたことはよかった。原田甲斐は事情を聞いて、重職の評定にかけ、「国許預け」というのを「召放し」と改めてくれた。万治の騒ぎ、殊に暗殺事件については、その後いろいろと批判が出ていたので、脱走の件も咎めなしということで片がついた。
「もう逃げ隠れする必要はなくなった」と新八は云った、「誰に憚ることもなく、なにを恐れることもなく江戸の町を歩ける、おれもようやく、人間らしい気持になることができたんだ」
「よかったわね、ほんとによかったわ」
「おまえならわかってくれるだろう」と新八は云った、「世間の眼から隠れて生きるというくらい、みじめな、辛いことはないからな」
「わかるわ、よくわかってよ新さん」おみやはまた眼を拭いた。
新八の言葉が、おみやには深くするどくひびいたようだ。おみや自身が、世間の眼を憚りながら、生きて来たのである。新八が脱走者として、生活する力もなく、伊達家の人たちの眼を恐れ、捉まりはしないか、という不安に絶えず怯えていたように、自分もまた世間の眼から隠れ、人にみつかるのを恐れながら暮して来た。新八はその恐怖から解放され、大手を振って町を歩くことができる。だが自分は──おみやもいちど、自分で自分を解放し、人間らしく生き直そうとした。だがそれはできなかった。おみやはいまでも、人の眼を恐れなければならない。いまでも、──三年このかたの、苦しいみじめな日々を思い返しながら、おみやは新八の気持を、痛みのようにはっきりと理解した。
「それでこれから、どうしようというの」
「おれは芸人になる」と新八が云った。
おみやは眼をみはった。新八は、まえからの望みだ、と云った、「いつか道場のおれの部屋で、おまえは机の上に本があるのを見た、勉強しているのだと思ったらしいが、あれは浄瑠璃本だった」
「わかったわ」とおみやは弱よわしく彼をにらんだ、「きっとお久米さんがすすめたんでしょ」
「お久米か」と新八は唇で笑った、「そうだ、あの女にもそんなことを云われた、しかしそれだけじゃあない、ずいぶん考えてみて、結局それがいちばんおれにふさわしいと思ったんだ」
「あんたの声は唄に向いててよ」
「声なんかどっちでもいい、おれはいま新らしい唄をくふうしているんだ」
「新らしい唄ですって」
「これまでとは違う唄だ」と新八は云った、「義太夫浄瑠璃でもなく長唄でもない、もっと人間の心にしみるような、もっとじかに悲しさや嘆きや美しさを──いや」
新八は首を振り、まだ云えない、口では云えない、と昂奮した調子で云った。おみやは新八の望んでいることが、おぼろげにわかるような気がした。人の心に、もっとじかにしみいるもの。この世の悲しさや、嘆きや、人の情の美しさを、もっと直接にうたい伝えるもの、──義太夫浄瑠璃でもなく長唄でもない、新らしい曲と唄。それはおそらく、彼自身の経験から生みだされるものであろうし、彼なら生みだせるにちがいない。おみやはそう思って、改めて新八の顔を見まもった。
「たやすいことじゃないわね」とおみやが云った。
「たやすいことじゃない」と新八は頷いた。
自分は追放ということにきまってから、薩摩外記について浄瑠璃の稽古をして来た。もちろん湯島の家の許しを受けたうえで、もう二年ちかく稽古にかよい、そのかたわら、隆達節や加賀節などの、小唄の類も聞いてまわっている。そしていま、自分のものを一曲、作りかかっているのだが、三味線の手がむずかしくて、思うように曲がまとまらない。曲のうち二たところだけ、どうしても思うような手が出てこない。それでいま苦心しているのだ、と新八は云った。
彼はそこまで云って、おみやがじっとこっちをみつめているのに気づき、てれたように笑いながら盃を取った、「いい気になって、自分のことばかり饒舌っちまった、一つ酌をしよう」
そして、彼がおみやに酌をしたとき、障子を細めにあけて、茶屋の主婦が覗き、おみやに眼顔でなにか知らせた。
おみやは「そう」と頷き、「さっき頼んだようにしてちょうだい」と云った。
「どうするんだ」と新八はおみやを見た、「まさかきざなことをするんじゃあないだろうな」
「人に逢うの、この隣りへ、あたしに逢う人が来るのよ」
「この隣りだって」
「あたしその人に逢って云うことがあるの、それをあんたに聞いてもらいたいのよ」
新八は、冗談じゃない、と眉をしかめ、おみやはしんけんな眼で、彼の眼をみつめながら、新さん、と云った。
「あたしその人に逢ったら、もうお屋敷へは帰らないつもりなのよ」
新八は口をつぐんだ。
「あたし三年まえ、あんたに立派なようなことを云ったわね、でもやっぱりだめ、自分では本気で、生れ変るつもりだったけれど、あたしに運がないんでしょ、やっぱり元の木阿弥、おんなじことになっちゃったのよ」
「──柿崎さんか」と新八が訊いた。
おみやはかぶりを振り、そのとき、隣り座敷へ人のはいる音が聞えた。主婦がなにかあいそを云い、池に面したほうの、窓の障子をあけながら、すぐおみえになるでしょうと云って出ていった。
新八は声をひそめて、いつか話した人か、とおみやに囁いた。おみやは頷いた。
「向島の、あの侍だな」
「ええそう、黒田玄四郎っていう人よ」
とおみやは囁き、銚子を取って新八に酌をしてから、では済まないけれど独りで飲んでいて下さい、と云った。あたしの云うことを聞いていてね、戻って来たら話すことがあるの、聞いていてくれるわね。うん、聞いてるよ、と新八が答えた。おみやは盃で三杯、手酌で、呷るように飲み、新八に頬笑みかけてから、立ちあがって、静かに出ていった。
そのとき隣り座敷では、酒肴の膳をはこぶらしい物音がしていて、おみやの出てゆく音は聞えなかったであろう。新八は膳を窓際へ持ってゆき、肱掛け窓に凭れて、ゆっくりと飲みだした。
簾を垂れた窓のすぐ下から池で、ひろびろとした水面に、蓮が葉をうち重ねて茂り、そのところどころに、赤く白く、大きな花が咲いていた。空が曇っているので、水もにび色に光っており、ときたま、蓮の茂みの中から、なにかの水鳥が、けたたましく水を叩いたり、ひろい水面へ泳ぎ出て来て、巧みに水へもぐったりした。
「あれがかいつぶりという鳥なんだな」と新八は呟いた。
まもなく、隣り座敷でおみやの声がし始め、新八は盃を持ったまま、じっとその声を聞きすました。男の声は低く、はじめは殆んど言葉が聞きわけられなかった。おみやは酔っていた。襖を隔てて聞くと、酔っていることがはっきりわかった。
おみやの口ぶりはやわらかく、誘惑的で、嬌めいていた。挨拶をするとすぐに、なにか取り出して男の前に置いたらしい、男が、えっ、と驚きの声をあげた。
「ええそうよ」とおみやが、念を押すように云った、「それがお頼みの証書、酒井さまと兵部さまの取り交わした証書です、あけて、よく見てごらんなさいな」
男はなにかあけてみているようだったが、新八はおみやの言葉を聞いて、さっと顔をひき緊め、窓に凭れれていた躯を、起こした。
──雅楽頭と一ノ関の取り交わした証書。
内容はむろんわからないが、雅楽頭と兵部の名は、すぐに万治の騒動を思いださせ、兄の暗殺されたことを思いださせた。伊達家六十万石をめぐって、雅楽頭と兵部がなにごとか企んでいる、ということは、柿崎道場にいるあいだに、六郎兵衛の云うことやすることでほぼわかったし、そのために兄も暗殺されたらしい、ということも、おぼろげながら推察することができた。
現に、いちどは兵部を兄の敵として、その首を覘おうとしたこともある。だが、自分にはそんな力のないことがわかったし、六郎兵衛に利用されているのだと知って、仇討などということは、すっかり断念していた。
新八はもう、兄の仇を討とう、などとは思っていない。初めからそんな気持はなかったようだ。ただ六郎兵衛に示唆されて、いっときいさみ立っただけのようである。──いまではすっかり忘れていたくらいだったが、雅楽頭と兵部の取り交わした証書、ということを聞くと、やはり一種の緊張と、昂奮を感じずにはいられなかった。
「たしかに」と云う、男の低い声が聞え、おみやが「たしかにそれでしょうね」と念を押した。
「筆跡を知らないから、文言で判断するほかはないが、この文言はたしかだと思えるし、一ノ関の花押はまちがいない、よくやってくれました、このとおりです」
「待って下さい、そんなことはなさらないで、どうかお手をあげて下さい」とおみやが云った、「もういちどうかがいますが、これであなたのお望みはかなったわけですわね」
男がなにか答え、おみやが遮った。
「失礼ですけれど、わたくしにいちどお酌をして下さいまし、いちどだけでようございます、それから聞いて頂くことがあるんです、憚りさま、有難う」
おみやは男に酌をさせて飲んだらしい。ちょっと黙っていて、それから続けた。
「いつか此処で、あなたと逢ったとき、あたし自分の身の上をすっかりお話し申しましたわね、人には云えないような、恥ずかしいことまで、洗いざらい話してしまいましたわ、覚えていらっしゃるでしょう、そのときこの証書を盗めって仰しゃったんですもの、お忘れになる筈はないわ、黒田さん、あなた覚えていらっしゃるわね」
男は、覚えている、と答えた。
「それなら、こういうことも思いだして下さい、あたしがなぜ此処で逢って下さいってお願いしたか、どうしてあんなふうに、人には云えないようなことまで、恥を忍んでお話ししたかっていうこと、──どうかそれを思いだして下さい、思いだして下さるまで、あたし頂きながら待っています、いいえ、自分でやりますから結構よ」
おみやは手酌で飲み、男がそれを止めたようだ。おみやは構わず飲み続け、男はちょっと高い声で、およしなさい、と止めた。
「おせっかいはたくさん、それよりいま云ったことを思いだして下さい、思いだせないんですか、忘れてしまったんですか」
男がなにか云った。そのことについては、なにも聞かなかった、と云ったようである。おみやは、そうよ、と云った。そのとおり、あたしはその話しはしなかった、話すつもりでいたが、あなたは証書のことが出るとそれで夢中になって、あたしのことなどは考えてみようともしなかった、そうでしょ、とおみやが云った。
「でも、あのとき、あなたはそれを訊いて下さらなければいけなかったのよ、一と言でも、たった一と言でも訊いて下さらなければね」
おみやの口ぶりには、ますます酔いがあらわれ、言葉もつけつけと無遠慮になった。
「黒田さん、あたし、あのとき云わなかったことを、いまここで云います」
男が、いや、と遮った、「その必要はない、聞かなくともわかっているし、私は責任をはたすつもりだ」
「責任をはたす、ですって、──へえ、どういうふうに責任をはたして下さるの」
「もし貴女が望むなら、私は貴女を妻にするつもりです」と男が云った。
おみやは喉で笑いだした、くくと喉で笑いだし、それから、かなり高く、声に出して笑って、ごめんなさい、と云った。男は沈黙した。
「笑ったりしてごめんなさい、どうして笑ったりしたのかしら、笑うような気持はこれぱかりもなかったのに、そうよ、もちろんあなたを笑ったんじゃありません、自分を笑ったのよ、黒田さん」とおみやは云った、「おととしのあのときだったら、いまのお言葉であたしは泣いたかもしれません、きっと嬉し泣きに泣いたわ、だって、あのときはそのお言葉をうかがいたかったんですもの、いまのお言葉をうかがいたいために、あなたに此処へ来て頂き、恥ずかしい身の上ばなしをしたんですもの、あたしあのとき、なにもかもうちあけて、きれいな気持になって、まじめな女に生れ変るつもりでいたんです、向島で初めて、あなたにお会いしてから、あたしはずっとそういう気持でいましたわ、兄とも縁を切り、そのほかのこともすっかり始末して、まじめな女になるつもりだったんです、本気でそう思いつめていたんです、──ところがあなたは、あたしの気持なんか察しようともなさらず、証書の話しになるとすぐさま、それを盗めと仰しゃった、あなたまでが、──兄のためにさんざん利用され、恥ずかしいおもいをして来て、そういうことからきっぱり手を切ろうと、現に話しているとき、そして、生れ変るためには、あなた一人が頼りだと思っていたときによ、黒田さん」
「私はむりにとは云わなかった筈だ、危険も伴うしむずかしいことだから、気がすすまなかったらよしてもいいと云った筈だ」
「ええそう、そのとおりよ」とおみやが云った、「あなたはそう仰しゃったし、証書を盗みだすかどうかは関係のないことよ、あたしが云いたいのは、あなたまでがあたしを利用しようとなすったことよ、あなたが証書を盗めと仰しゃるのを聞いたとき、あたしがどんな気持だったかわかりますか、わかるわね、いまならおわかりになるわ、わかるからこそ、あたしを妻にしてもいいなんて、仰しゃったんでしょ、そうでしょう、黒田さん」
「私は心にもないことは云わない、貴女さえよければすぐにでも結婚します」
「よして下さい」とおみやがいった、「そんなことを聞くとまた笑いたくなりますから、もうそれだけは二度と口にしないで下さい」
「貴女は酔っているんだ」
「酔うどころか、あたしはもう死んじゃってますよ」おみやは嘲けるように云った、「あのときあなたの云った一ト言で、あなたの知っている滝尾という女は死んでしまいました、あなたの一ト言でよ、黒田さん」
「しかし私は云ったと思う、証書のことを頼んだのは、私自身のためではなく、旧主人と伊達家ぜんたいのためだということを」
「そんなもの潰れちまうがいいわ」とおみやは乱暴に遮った、「伊達家も六十万石も、あたしにはこれっぱかりの縁もありゃしない、そんなもの潰されようとばらばらにされようと、あたしの知ったことじゃないわ」
「しかし私にとっては一身を賭しても護らなければならないものだし、もし私の妻になるとすれば、貴女にとっても」
「よして下さい、よして、それだけはもう云わないようにって、断わったでしょ」おみやは暴あらしく遮った、「まだ云いたいことがあるんだけれど、云ってもしようがないようだし、云う張りあいもなくなったわ、あなたはいい人よ、黒田さん、忠義で生一本で、いかにもお侍らしいお侍よ、だけれども、つまらない人よ、退屈でつまらない人よ、あなたは、──ああさっぱりした、ごめんあそばせ」
「どうするんです」
「人が待ってますの」
おみやは立ちあがった。よろめいたので男が支えようとしたらしい、おみやの、触らないで下さい、と云うのが聞えた。
「あたしのことは心配なさらないでね、あたしはこれっきりお屋敷へは戻りません、あなたにも、もう一生お会いすることはないでしょう、ではお達者で」
男が、滝尾どの、と云った。
「ここの勘定はあたしが払います、どうか心配しないでお帰りなさいまし、ではもういちど、どうぞお達者で」
そう云うと、おみやは廊下へは出ずに、こちらへ来て襖をあけ、新さんお待ち遠さま、と云いながら、じかにこちらの座敷へはいって来た。新八は「あ」といった。そんなことをしようとは思いもかけなかったし、向うには黒田という男がいるので、われ知らず声をあげたのであるが、その声に応ずるように、向うから黒田玄四郎が立って来た。
なにもかも聞かれた、ということに気がついたのだろう、左手に刀を持って、つかつかとこっちへ来て、新八を睨んだ。
「なに者だ」と玄四郎が云った。
彼の顔は蒼ざめて硬ばり、大きくみひらいた眼には、殺気が感じられた。おみやはよろめいて、新八に凭れかかるように坐り、背中を新八に支えられながら、黒田玄四郎を見返った。
「そのほう、なに者だ」と玄四郎は云い、左手の刀を脇へひきつけた。
新八はぞっとした。相手は刀を抜きそうである、返辞によっては斬ってしまうという感じが、相手の眼にも身構えにも、はっきりあらわれていた。
「いや、おれが云う」
おみやがなにかやり返そうとしたとき、新八は彼女を抑えて坐り直し、まっすぐに相手を見あげて云った。
「私は湯島の家で御厄介になっている者です」
「──湯島の家」
「原田さんの御隠宅です」
黒田玄四郎は腑におちないという顔つきで、それはどういうことだ、と訊いた。
「それ以上は云えません」と新八は云った、「もとは伊達家に仕えていました、いまは追放の身の上で、原田さんの御厄介になっています、もちろん伊達家にはなんの関係もありませんし、やがて芸人になるつもりです、どうかなにも心配しないで下さい」
「湯島の家にいるというのは慥かだな」
「いって訊いてみて下さい、名前は新八という者です」
黒田は左手をおろし、なお暫く新八を見まもってから、いま聞いた話しは他言するな、と云った。新八は頷いた。
「私には縁のないことです」と新八は云った、「恥になるから詳しいことは云いませんが、そういういざこざのために、十六歳の年からいやというほど苦しいめにあいました、もうたくさんです、どんな意味でも、私はもうそういうことには関係しませんから、どうか安心してお帰りになって下さい」
黒田は納得したらしい。おみやに向かって目礼し、ではこれで、と云うと、元の座敷へ戻って、あいだの襖を閉めた。
「飲みましょう、新さん」とおみやは手を叩いた、「はっきり云ったわね、たのもしくなったことよ、新さん、二人で飲み直しましょう」
「なにか話しがあるんだろう」
「飲んでから、あたし今日は酔いつぶれるのよ」
「おれは湯島へ帰らなければならないぜ」
「酔ってからのはなしよ」
茶屋の女が、銚子と肴の皿を持ってはいって来、おみやはあとの酒を命じた。女が去ると、おみやは手酌で続けさまに呷り、新八は悲しげにそのようすを眺めた。
「酒なんかでごまかすより、思いっきり泣くほうが気が晴れるぜ」
「あたしが泣くんですって」
「おまえは黒田という男が好きだった、いまでも好きなんだ、隠してもおれにはわかる、おまえにはあの男を忘れることはできやしないよ」
おみやは笑った。
「ばかね、新さん」とおみやは云った、「そんなところはまだ子供よ、あたし黒田さんが好きだったわ、慥かに好きだったけれど、あの証書のことを云われたとたんに嫌いになっちゃったの、おととしの冬、ちょうどこの茶屋でのことよ」おみやはまた飲んだ、「あたしは盗んであげるって約束をし、あの人を先に帰らせてから、独りでお酒を飲んだの、ちょうど宿下りで、お屋敷のほうは三日お暇が出ていたから、つぶれても心配はなかったのよ、あたし酔って、独りでさんざあの人をこきおろしたわ、自分のことはもちろんよ、自分のばかさかげんもやっつけたし、あの人の身勝手な、男らしくもないやりかたを、思う存分こきおろしてやったわ」
「もう少しゆっくり飲んだらどうだ、苦しくなるぜ」
「あんたにはまだ、女の本当の気持はわからないのよ」とおみやは続けた、「あたしが証書を盗みだしたのは、惚れている気持がきれいに無くなっちまったからさ、なんだい男のくせに、男で侍のくせにさ、せっかく真人間になろうと思っている女に、よくもそんなことが頼めたもんだ、義理だか忠義だか知らないけれど、あたしみたような女の力を借りなければならないで、それでも男で侍で候と云えるかってんだわ」
「わかった、もうそのくらいでよしにしろ」
「よすもんか、お酒がないじゃないの、新さん」
「それ以上飲むと、苦しくなるぜ」
新八はとめたが、おみやは手を叩いた。横坐りに膝は崩しているが、まだ躯はしゃんとしており、口のききようも歯切れがよかった。茶屋の女が酒を持って来、空いた器物を片づけて去るあいだも、おみやは辛辣な調子で云い続けた。
あの証書を盗みだすのに二年かかった。みつかれば命はない、いっそやめようかと思ったこともある。だがもう意地であった。女の意地からも、盗みだして、あの人に叩きつけてやりたかった。
「本当はあたし、さっきあの人を犬のように這わせてやるつもりだったのよ」とおみやは唇を歪めた、「でも顔を見ているうちに、そんなことをする気持もなくなっちゃった、そんなことをする必要があるもんですか、あの人はあの証書で手柄を立てるでしょ、あっぱれ忠義な侍だって、褒められたり褒美を貰ったりするでしょ、それでも、あたしのような女の力を借りたってことは、一生あの人に付いてまわるわ、あの人が生きている限り、それだけは忘れることができないのよ、はは」
おみやは声をあげて笑った。それはかさかさと乾いた声で、新八はわれ知らず眼をそむけた。おみやは手酌で呷った。
「わかったでしょ、これであたしの気持がわかったでしょ、新さん」とおみやが云った、「なにが好きなもんか、あんな男、あたしはきれいさっぱりよ、あんな男なんか、初めっから惚れてなんかいやあしなかったわ、惚れてたんなら、あんなもの盗みだしたりするもんですか、ねえ、云ってあげようか」
おみやは新八をながし眼に見、露悪的に微笑しながら云った、「女ってものはね、新さん、好きでない相手だからこそ、からだを売ることができるのよ、もしか相手に、しんそこ惚れていたら、からだを売る代りに死んでしまうわ」
「──だろうね、わかるよ」
「わかるでしょ、新さんならわかるわね、あんたはあたしに似ているんだもの、あたしが似さしちゃったんだわね、あんたには悪いと思ってるの、あたし新さんには悪い女だったわ、でも好きだったんだもの、堪忍してね、あたし新さんが好きだったんですもの、ほんとよ、金も物もなしに、しんから好きになったのはあんただけよ、新さん一人っきりよ、わかるわね」
「少し休むほうがいい、少し酒を休んで横になれよ」
「あたしが酔ってると思うの」
「いいから横になれ、横になって話すほうが楽だよ」
「いいわ、云うことをきくわ、その代り膝を貸してね」
おみやは崩れるように横になり、新八の膝を枕にした。髪が歪んで、蒼くなった顔におくれ毛が垂れた。
──いけるぞ。
と新八は思った。こいつでいける、おみやのかきくどく調子、こいつだ。こいつで新らしい曲をくふうしよう、はでな手は要らない、女の嘆きをそのまま糸に移すんだ。諦めや、みれんや、嘆きや悲しみを、聞く者へじかにぶっつけるんだ、聞く者の胸へじかにひびくような。そうだ、はでな手なんか要るものか、この気持をそのまま糸に移せばいいんだ、と新八は思い、にわかに心が昂ぶって来た。
「おい、ちょっと立つぜ」
「どうするの」
「借りて来る物があるんだ、ちょっと頭をどけてくれ」
新八は立ちあがり、おみやは手枕をした。おみやは手枕をしたまま、頭をぐらぐらさせながら、帰っちゃだめよ、と云った。舌がよくまわらず、唇の端から涎が垂れた。
新八はすぐに戻って来、借りてきた三味線を持って坐ると、爪弾きで調子を合わせた。三味線は胴の裏皮がめくれていて、糸をはじいても反響はなく、破れた樋でも叩くような音がした。おみやが、なによ、どうするの、と舌ったるく訊いた。新八は坐り直して、なに、いたずらだ、と云った。
「お愛嬌にいたずらをしてみるから聞いてくれ、笑ってもいいんだぜ」
新八は三味線を弾きはじめた。三絃の中から、なにかを捜し出そうとでもするように、一音ずつ、まをおいて、ゆっくりと低く音階をたどり、ごく短い一小節がまとまると、それを繰り返した。
手枕をして横になったまま、頭をぐらぐらさせていたおみやは、いつか眠りだしたようすで、頭は動かなくなり、その口から軽い寝息のもれるのが聞えた。
新八はやがて、だめだ、と呟いて手を停めた。思うように音がつかめないらしい、まとまりかけると、これまでに覚えたほかの唄の節がはいるようすで、彼はがっかりしたように、三味線を抱えたまま、ぼんやりとおみやの寝姿を見まもった。
──可哀そうに。
と新八は心のなかで呟いた。かつておみやにいだいていた、恨みや、怒りは、もう少しも残ってはいなかった。おみやに罪はない、おれの性分がおれ自身をこうしたんだ。彼はそう思うようになっていた。湯島の家で暮しているあいだに、自分の経験したことは自分の性分から出たもので、これからさきも、その経験を生かしてゆけばいい、おみやには責任はなかったし、或る意味では感謝してもいいくらいだ、そういうふうに考えていた。
「おれは必ず新らしい唄をあみ出してみせる、おれ自身の経験した、人間の悲しみや絶望感や嘆きを、おみやをとおして、女の哀れさや、愛情のせつなさや、よろこびを、そういうものをうたいあげてやろう」と新八は呟いた。
侍の世界はちがうんだよ、と彼はおみやの寝姿に呼びかけた。おまえは黒田という人を罵った。しかしあの人はなんとも思やあしない、侍というものは、自分や自分の家族よりも、仕える主君や藩のほうが大事なんだ。おまえも武家に生れたそうだし、おれも侍だった。けれども、おれたちにはあんな生きかたはできない。あの人たちからみれば、おれやおまえは堕落した賤しい人間だろう。おれたちからみれば、あの人たちはどこかで間違っている、この世にありもしないもののために、自分や家族をいさんで不幸にしている、というように思える。つまり世界が違うんだ、そして、おれやおまえは、こっちのこの世界で生きるように、生れついているんだ。
「おまえは黒田という人が好きだ、いまでも好きなんだ」と新八は口の中で云った、「あの人を忘れることは、なかなかむずかしいだろう、だができるだけ早く忘れるんだ、おれといっしょにいこう」
おみやの頭がぐらっとした。支えている手から、頭が落ちそうになり、しかしすぐ元のように静かになった。
「いつまで続くかわからないが、別れるときが来るまで、いっしょにやっていってみよう、おまえの云ったとおり、おれとおまえは似ているらしいからな」
彼は三味線を下に置いた。
甲斐は自分の手記に眼をとおしていた。
いま披いているところは、去年(寛文四年)の四月七日の項で、次のように記してあった。
昨日、亀千代ぎみが、初めて将軍(四代家綱)におめみえのため登城した。おめみえは黒書院でおこなわれ、先導役は、老中阿部豊後守、披露役は酒井雅楽頭であった。献上品は友成の太刀、白銀三百枚、時服二十領。──ついで、遠江(伊達宗利)さま、一ノ関(兵部宗勝)さま、岩沼(田村右京)さまが拝謁し、次に、式部(伊達宗倫)さま、左兵衛(伊達宗親)さま、弾正(伊達宗敏)さま、肥前(伊達宗房)さま、以上御一門。さらに茂庭周防、大条監物、自分(原田甲斐)などが謁をたまわった。
服は長袴、各自が馬代の銀を献上し、平伏のままで謁した。
「そうだ、松山(茂庭周防)はこのとき発病していたのだ」と甲斐は口の中で呟いた。
登城してから、いかにもたいぎそうなので、どうかしたかと訊くと、「馴れない長袴が重くて、──」と答えたが、それから数日のうちに、腹痛だといって寝こんだ。拝謁の日に、あの病気が出たのだ、と甲斐は思った。
手記の次の項は五月。
立花飛騨守(忠茂)の隠居と、左近将監鑑虎の家督したこと。また、その項には、──十一月、忠茂は剃髪して好雪と称し、「これからは伊達家の事にはいっさい関係しない」と表明したことが追記してあった。
立花飛騨守の室は、綱宗の姉のなべ姫で、伊達家とは近い親族に当っており、綱宗の逼塞このかた、殆んど絶えまのない紛争に、いつもわずらわされて来た。
──今後は伊達家の問題にはいっさい関係しない。
という表明には、いかにわずらわしかったか、ということがあらわれていて、甲斐はいまその項を読みながら、思わず微笑した。
六月三日には、──亀千代ぎみ登城、両後見これに従い、白書院にて将軍より、「六十二万石領知」の墨付を賜わる、と書いてあった。
「このときの家中のよろこびは大きかった」と甲斐は呟いた。
家中のよろこびは非常なものであった。亀千代が幕府から「世子」と認められたのは万治三年八月であったが、家中にはいろいろ紛争が起こるし、あらぬ流言は弘まるし、伊達家の将来がはたして無事であるかどうか、みなそれぞれに不安をいだいていた。それが、将軍家から「六十二万石安堵」の墨付を賜わったのである。──これで伊達家は安泰だ、一部の人たちを除いて、全家臣がそう思い、さかんな祝宴を催した。
「綱宗さま御逼塞このかた、初めて伊達家に夜が明けたようなありさまだった」と甲斐は呟いた。
「だがむろん、一ノ関の手はゆるみはしない、藩ぜんたいがよろこび祝っているうちにも、一ノ関は隙へ隙へと楔を打っていた」と甲斐はまた呟いた。
亀千代登城のあと、まだ十日と経たないうちに、銀座の鳩古堂を介して、茂庭周防から手紙が来た。それによると、周防は一ノ関に呼ばれて、次のような忠告をされた。
──そこもとが国老として再任されたのは微力ながら自分の推挙によるものである。
奥山大学が国老を免ぜられたのは、家中ぜんたいの要望であったが、大学は自分の陰謀であると曲解し、諸方へその旨を云いふらしている。
そこもとが、寛文元年に、病気と称して辞任したのは、奥山大学の非難が原因であった。それがいまは逆転して、大学は罷免され、そこもとは再任された。これは大学にとって非常な屈辱であろう、おそらく、彼はそこもとに対して怨恨をいだくか、さもなければ、自分に陰謀があると称して、逆にそこもとにとりいろうとするかもしれない。この点はよくよく用心しなければならぬと思う。
柴田外記は悪人の一味に紛れなし、ということを聞いている。「悪人」という意味はよくわからないが、先年来、家中に紛争を起こして、おのれが権力を握ろうとする者が絶えない。たとえば、奥山大学などもそうであろうし、いまは柴田外記までが、同じような野望をいだくようになった、ということだと思われる。これもまた充分に注意していてもらわなければならない。
古内治太夫はそこもとに近づこうとして、いろいろ策を弄している、ということを耳にする。彼はかつて悪人一味であったが、いまは一味からぬけて、そこもとに付き、そこもとを利用して、自分の野心を達するつもりらしい。これはもっぱらの評判だから、念のため伝えておく。
一ノ関の忠告は右のようなものであった。おそらく、同じ意味のことを、大学、外記、古内らにも伝えているだろう。「六十二万石安堵」で、みんな気がゆるんでいるときだから、一ノ関の言動にはよほど気をつけなければならないと思う。
「あのとき周防は寝ていた」と甲斐は自分に云った、「一ノ関に呼ばれて、帰るとすぐに、あの病気が出て寝つき、病床からあの手紙をよこしたのだ」
そして、甲斐は手記を繰り、同じ年の七月二十八日、一ノ関の嗣子、東市正宗興の婚礼の項を見た。
婚姻の相手は、まえから約束のあった人で、酒井雅楽頭の養女ということになっているが、じつは姉小路大納言公量の四女で、その長女は雅楽頭の夫人であった。──婚礼は極めて豪奢だったし、老中からも幾人か客が来たとのことである。甲斐や他の国老重職は、べつに招かれたが、その祝宴も贅をつくしたものであった。
「それから舎人の召し出しだ」と甲斐はまた手記を繰った。
物頭に欠員ができたので、適当な人物がいたら召し出そうという、一ノ関からの話で、甲斐は矢崎舎人をそれに当てた。舎人は首を振った。
──自分は終生お側に仕えたい、お側をはなれて出世するつもりはない。
舎人は頑強にそう云った。
甲斐は塩沢丹三郎の例をあげて説得した。原田家から物頭を一人召し出す、ということは、その人間が伊達の直臣に出世すると同時に、一ノ関の与党の「人質」にされる意味をもっている。したがって、かれらに必要があれば、いつどのような罠にかけられるかもしれない。そのおそれは充分にあるし、罠をかけられた場合にも、甲斐は救いの手をのばすわけにはいかない。なぜなら、甲斐はどこまでも、一ノ関の与党という立場にいなければならないからである。
──丹三郎は十七歳で死ぬ気になってくれた。
丹三郎にはそう決心するだけの理由があったけれども、それがお役に立つ途である、と信じて毒見役を志願した。幸いこれまでは無事だったが、いつ「そのとき」が来るかわからない。
──おまえにも罠をかけられる危険がある、だが、やはり承知してもらわなければならない。
甲斐はこのように説き、そして舎人は承諾した。
矢崎舎人は原田家を出て、いま浜屋敷にお小屋をもらい、物頭として勤めている。原田の家従であるよりは、伊達の直臣になったほうが出世にはちがいない。だが、一ノ関になにかこんたんがある、という直感は動かなかった。
──兵部はおれが与党になったと信じている、信じてはいるが、そのままで安心はしていない、必ず「事実」でたしかめようとするだろう。
方法はわからないが、なにかの手段で自分をためそうとするだろう。甲斐はつねにそう思っていたし、いまでも、その推察が誤っているとは思わない。ああ、と甲斐は眼をつむり、自分の家従を二人まで敵の手に渡した、という、するどい自責のために、低い呻き声をもらした。
襖の向うでおくみの声がした。
甲斐は手記を巻きながら、「おはいり」と答えた。襖をあけて、おくみと乳母がはいって来た。おくみはいちじくを盛った鉢を持ってい、乳母はかよを抱いていた。
「いまこれが日本橋から届きましたの」とおくみが云った、「あまりみごとですから、おめにかけるだけでもと思って」
「うん、みごとだ」と甲斐は云って、乳母のほうを見、かよに向かって微笑した、「また抱っこか、かよはいつも抱っこだな」
かよは誕生を過ぎたばかりであるが、もう達者に歩くことができるし、舌たらずながら、おしゃまな口をきいた。
「おりる、おりるのよ、ばあ」
かよは乳母の手からおりて、甲斐の膝へあがろうとした。おくみはいちじくの皮を剥きながら、いけません、と首を振った。
甲斐が子供を好かないのを、おくみは知っていた、かよが生れたときにもよろこんでくれたし、この家へ来れば抱いたり、あやしたりしてくれる。けれども、かよを見る甲斐の眼の奥に、その柔和な微笑の裏に、かなしいほど冷たい、嫌悪の色があるのを、おくみはたびたび認めたのであった。
「たあたま、抱っこね」とかよはとりついてあまえた。
「よしよし、抱っこしよう」
「かよさん」とおくみが云った。
甲斐はかよを膝の上に抱いた。
かよは母に似ていた。しもぶくれに、ふっくりとおもながで、摘んだように口が小さく、両の頬に深くえくぼがよれる。眉毛は尻あがりであるのに、眼尻は少しさがっていて、その眼はいつも笑っているように見える。甲斐に似ているのはえくぼのよれるところで、そこはちょうど、甲斐の両頬にできる深い皺と、同じところであった。
かよは父親の手を持ち、その指をもてあそびながら、かた言でしきりにお饒舌りをしていた。
「かよたんはね、こんどたあたまのお国へゆくのよ、かあかんといっしょによ、そうですよ、お国へゆくのよ」
「そうか、それはえらいな」
「たあたまのお国は、ええと、ええとね、ええと、かまばっかりなのよ」
「かまばっかりか」
「お山でしょ」
とおくみがいった。
かよは頷いて、「ええそう、かまよ」と云った。
「おかまばっかりで、かまにはちかがいるのよ、ほんとよ、こーんな大きなちかがいて、ちかもお乳をのむのよ」
「そんなに大きくてもか」
「大きいのはのまないのよ、かあかんが怒るのよ、いけませんって、それでものみたいって云うと、お乳が辛あくなるのよ、それで、ええと、それで、ちかはたあたまを、ええと、ええと、ちかは、云わらいないわ」
「鹿が父さんをいじめるのか」
「ちかは悪いのよ、たあたまをいじめて、悪いちかなのよ」
おくみがいちじくを小皿にのせて、甲斐の前へさし出した。皮を剥いたいちじくは、白い肌を出して、果頭の部分が、薄紫色のぼかしになって、えみ割れていた。
「かよも喰べるか」
甲斐はその一つを取ってかよに与えた。おくみが、かよさんはあとで、と云ったが、かよはすばやく歯を当てていた。
甲斐もいちじくを一つ喰べた。かよは喰べるあいだもお饒舌りをやめず、一つ喰べ終ると、すぐに次のに手を出したが、おくみは、いけません、とやさしく睨んだ。またおなかが痛くなるからいけない、一つだけでおやめなさいね、と云い、かよはべそをかいて父親を見た。
「そう、おなかが痛くなるね」と甲斐が云った、「あとで煮てもらってお喰べ、煮て喰べれば大丈夫だよ」
「にいにで喰べる」とかよが母親に云った、「にいにでよ、かあかん」
「ええにいにしてあげましょうね、ばあやに煮てもらって喰べましょ、ばあや」
おくみが呼び、乳母がはいって来ると、かよは父親にしがみついて、ここにいるとかぶりを振った。ばあやが煮て来ればいい、かよは父さまに抱かっているのだ、と強い口ぶりで云い張った。久しぶりに抱かれるので、よほど側をはなれたくないらしい。おちょぼ口を屹とひき緊め、力んだ顔つきで、かよたんは抱っこでいるのよ、と繰り返した。
甲斐の額に皺がよった。可哀そうに、と甲斐は思った。こんな父を持って、年に幾たびと数えるほどしか会えないし、ゆくさきの幸不幸もわからない。母親には兄があるから、生活に困るようなことはないだろうが、父母といっしょに、安穏な暮しができるという望みはない。父である自分は、いつ最悪な立場に立たなければならないかもしれないし、そのおそれは充分にある。おまえは生れて来ないほうがよかったのだ、と甲斐は、またしても、思うのであった。
「よしよし、抱っこで待っていよう」と甲斐は云った、「煮えて来るまで、父さまのお国の話しをしよう」
「ちかのお話よ」
「こんどは川の話しだ」
甲斐は白石川や、濁川のことを話した。
白石川にのぼって来る、鮎や、山女魚や、鰍のことを話した。水にもぐって、石の下に鰭を休めている魚たちを手でつかむことや、簗で捕ることや、矠で突くことなど、それから濁川の、すさまじく荒れた景色や、出水のときの恐ろしさなどを語った。
かよは甲斐の膝の上で、躯を固くし、しんけんな顔つきで、拳をにぎり緊めたまま聞いていたが、ふいに父を見あげて、かよもお魚をつかむのよ、と云い、にぎり緊めた右手の拳を、甲斐に見せた。
そのとき襖の向うで成瀬久馬の声がした。中黒達弥が来た、というのである。甲斐は訊き返してから、奥の部屋へとおしておけと云った。
「お客たまなのよ」とかよは父を不満そうな眼で見あげた。甲斐は頭を撫でてやりながら、すぐに済むよ、と云った。
「すぐに済むのよ」とかよはべそをかき、自分が甲斐に云い聞かせるように、半分泣き声で云った、「お客たますぐに済むのよ」
「ああすぐだ、母さまとこれを喰べながら待っておいで」そう云って甲斐は立った。
裏の小座敷へゆくと、中黒達弥(黒田玄四郎)が汗を拭いていた、いそいで来たのであろう、顔が赤く、額には拭くあとから汗が滲み出てきた。甲斐がはいってゆくと、達弥は手拭をしまって、坐り直した。
「楽にしろ」と甲斐は手を振って、坐った。
達弥は手拭でもういちど汗を拭き、それから、脇に置いてある袱紗包みを解いて、大きな封書を取り出し、それを甲斐に渡しながら、酒井侯と一ノ関とで取り交わした証書である、と云った。甲斐の唇が一本の紐のようにひき緊り、額に深く皺が刻まれた。甲斐はそれを披き、書かれてある文言と、二人の署名を入念に見た。螺鈿細工をする職人が、青貝の細片をたしかめるように、極めて念入りに読み、特に署名の文字と花押とをよくしらべた。
「酒井侯の奥から出たものです、出所に紛れはありません」と達弥が云った、「但し、偽物を作ってあったとすると、それが真偽いずれであるかは、私にはわかりませんが」
「偽物を作るなどということはあるまい」
甲斐は証書を巻いた。ちょっと途方にくれたという表情で、やがて達弥を見やり、訝るように訊いた。
「どうして手にいれた、いつぞや話したあの女か」
「滝尾と申す侍女です」と達弥が答えた。
甲斐は達弥から眼をそらしながら、代償はなんだ、と訊いた。達弥は俯向いて、すぐには答えられないようすだった。甲斐は黙って待った。やがて、達弥がぽつんと云った。
「なにもございません」
甲斐はなお黙っていた。
「滝尾は屋敷をさがりました」
「──どういうことだ」
「これを私に渡した日に、そのまま屋敷へは戻らず、ゆくえも知れなくなりました」
「それだけではわからぬ」と甲斐が云った、「もっと詳しく聞こう、いつのことだ」
「十日ほどまえのことです」と達弥は甲斐を見た、「こちらに新八という者が御厄介になっておりましょうか」
「いまはいない、四、五日まえまでいたが、それがどうした」
「四、五日まえ」と達弥は呟き、それから、ではその男といっしょではないかと思う、と云った。
達弥は池の茶屋での始終を話した。
滝尾と自分との関係には触れなかったし、甲斐もしいて聞こうとしなかったが、およそ推察しているようすで、それなら新八といっしょかもしれぬ、と頷いた。
「新八は侍をやめて芸人になるつもりだ」と甲斐は云った、「事情があって、この家から浄瑠璃の太夫のもとへ稽古にかよっていたが、自分で新らしい語り物をあみだすと云っていた、性分もどうやらそのほうが似あうらしい、ここの家人が浅草あたりに家を持たせ、もう暫く面倒をみてやる、と申している」
「もし二人がいっしょだとしますと、浅草などでは危険ではないでしょうか」と達弥が云った、「この証書の紛失したことがわかれば、嫌疑は必ず滝尾にかかりましょう、すれば捜索の手が伸びると思わなければなりませんし、浅草などは人の眼につきやすい場所ですから、みつかる危険も多いと思いますが」
「それは女自身が考えているであろう」と甲斐が云った、「私が案ずるのはおまえのことだが、このことで疑われるような惧れはないか」
「そういうおそれはないと思います、もし疑われて、事実がわかったとしましても、これがお役に立つとすれば、なに、この命をひとつ投げだせば済むことです」
「女と逢っていたことは、誰かに知られていたか」
「わかりません、侍女たちの中には、知っていた者があったかもしれませんが、私はそういう者がいるとは、聞いたことはございません」
甲斐は暫く考えていて、それから、屋敷を出るがいいな、と云った。
「気づかれてからではおそい、いまのうちに出るほうがいいぞ」
「私はこのままおります」と達弥が云った、「幸い支配に認められて、勘定部屋の常勤めになりましたし、いまでは士分の扱いを受けております、近く扶持も増されるもようですから、これからまだ充分お役に立つことができると思います」
「うん、そうかもしれない」と甲斐はあいまいに呟いた、「この役目を頼んだのはおれだった、おれがおまえにこのいやな役目を頼んだのだ、もちろん、こういうことをしてもらおうと思ったのではないが」
「私は自分の役目を知っております」
「わかってる、おれはこんどの事で、おまえに万一のことがありはしないか、もしもそうだとすれば、無用の危険は避けるほうがよい、と考えただけだ」
「その点では私よりむしろ滝尾のほうが危険です、滝尾のしてくれたことに対しても、ここで私だけが、身の安全を計るというわけにはまいりません、私は屋敷へ戻ります」
達弥が去り、甲斐は元の座敷へ戻った。そこにはかよはいず、おくみが縁先の簾を巻いていた。
午後の陽が傾いて、中庭はすっかり蔭になり、女中の一人が植込へ水を打っていた。甲斐は持って来た証書をそこへ置き、さてどこへしまったものか、と思った。それは重要な価値があった。万治三年、陸奥守綱宗の逼塞から始まり、現在なお続いている、伊達家中の紛争の根は、その証書に記されている。すなわち、「六十万石分割の際には、一ノ関に三十万石を分与する」という文言で、酒井雅楽頭が署名しているのである。
──むろん使いかたによっては、三文の価値もないだろう。
よほどの機会でもない限り、そんなものを出したところで、偽作である、事実無根だ、と云われればそれまでだ。雅楽頭は老中のなかでも筆頭の威勢をもっているし、一ノ関も名目だけではあるが、直参大名に列している。陪臣にすぎない甲斐などの主張、特にそのような非常な意味をもつ証書などで、どんなに主張してみたところで勝敗は明らかだろう。
──但し機会がないわけではない。
よき機会があり、それを逭さなければ、それは重要な価値を生ずる。ことによれば、雅楽頭を取って押えることができるかもしれない。
「問題は機会だ」と甲斐は呟いた。
「なにか仰しゃいまして」
おくみがそう云いながらこっちへ来た。甲斐は、風呂をもらおうと云い、すぐに、雁屋を呼んでくれ、と云った。
おくみの兄、日本橋の雁屋信助を思いだしたのである。自分の屋敷には内通者がいる、この湯島の家も安全ではない。証書の盗まれたことがわかれば、雅楽頭らのあたまにはすぐ「原田甲斐」の名がうかぶに相違ない。したがって、屋敷やこの湯島の家は、いつかれらの手で捜索されるかもしれない。だが雁屋なら比較的そういう心配はないだろう。甲斐はそう考えたのであった。
「では今夜も泊っていって下さいますの」とおくみが訊いた。
甲斐はそれには答えずに、新八は女のことを話さなかったか、と訊いた。おくみは、いいえとかぶりを振り、女となにかあったのか、と反問した。
「いや、話さなければいいのだ」と甲斐は、盆の上のいちじくに手を伸ばしながら云った、「風呂と、雁屋へ使いを頼む」
おくみは立っていった。
甲斐はいちじくを喰べながら、庭のほうを眺めやって、ふと唇に微笑をうかべた。証書の紛失したことがわかったとき、雅楽頭がどう思うかを想像したのである。胆の太い人物だから、さしてとり乱しはしないだろうが、しかし相当に痛いことであろう。とにかく、当分そう露骨な行動はとれなくなるにちがいない、そう思って甲斐は眼をほそめた。
その夜、雁屋信助が来て、帰ったあと、ほぼ一刻ほど経ったころに、老女の鳥羽から使いがあった。
鳥羽は亀千代の守であるが、使いに来たのは、鳥羽の使っている部屋子の少女で、「非常にいそぐから」と云い、手紙を置くと、すぐに帰ろうとした。甲斐は寝所にはいっていたが、少女をすぐには帰さず、待たせておいて手紙を読んだ。それはかなり長文のもので、読みはじめるとまもなく、甲斐の表情が変り、そのほおがひきつるように見えた。
──御膳の物に毒があり、鬼役(毒見)の者三名が死んだ。
ということから、その手紙は書きだしてあった。
──米山兵左衛門、吐血。千田平助、即死。塩沢丹三郎、吐血。
──一ノ関の命令で、医師の河野道円とその子二人は、召捕り押しこめ、料理人二人も押しこめとなり、一ノ関の主張にて、ただちに評定がひらかれたうえ、河野父子三人は刎首、料理人二名も死罪、ということにきまった。
──評定は一ノ関の思うままに操縦された。松山(茂庭周防)は病中で欠席したし、原田どのは賜暇で不在。席に列した国老は、富塚内蔵允、大条兵庫だけで、これらも一ノ関には対抗できなかったし、評定役の人たちはなおさら、一言も異議を述べる者はなかった。
──置毒が行われたときは、かねてうちあわせたことがあるので、自分(鳥羽)はすぐ原田どのに連絡をしたかったが、全家中に禁足の布令が出て、小者下郎までが外出をとめられたため、知らせることができなかった。
──この部屋子も、無事に湯島までゆき着くかどうかわからないが、幸いにしてこの手紙が届いたら、できるだけ早く帰って、必要な処置をしてもらいたい。
そして、自分も居室謹慎を命ぜられた、という文言で、むすんであった。
「丹三郎、──丹三郎、……」と甲斐は低くつぶやいた。彼はその手紙に行燈の火を移し、立っていって、火桶の中ですっかり灰にしながら、使いの部屋子を待たせてある座敷へいった。そこではおくみが、茶菓をもてなしているところだったが、甲斐はおくみをさがらせて坐り、二、三の質問をした。部屋子の少女はおびえていた。十四歳ばかりの、小柄なやせた娘で、顔はあおざめて硬直し、両手は組合わされたまま、見えるほどふるえていた。
鳥羽はどうしているか、罪人たちは仕置きされたかどうか、という甲斐の問いに、少女はただ、知らない、と答えるだけであった。
「わたくしなにも存じません、どうぞすぐおいとまを頂かせて下さい、親元へ帰らなければなりませんから」
「そのお茶をお飲み」と甲斐がやさしく云った。
茶を飲めばおちつくだろうと思ったが、少女はほとんど逆上ぎみで、飲もうとした茶は、手がふるえるため、半分くらいもこぼれて、ひざをぬらしてしまった。
「どうしてぬけ出たのか」と甲斐は質問を変えた。
少女は、不浄門のわきから、と答えた。不浄門のわきに、塀の一部が外れるようになっていて、若侍などがときどき隠れ遊びに出入りをする。伊達屋敷は諸侯の中でも特に門限が厳しいので、そういうぬけ道ができたものであろう。もちろん発見されれば処罰はまぬかれないが、これまでに罰せられた例はない。少女はそこからぬけ出したのであり、それが家法をやぶるものだと知っているので、いっそうおびえている、というふうであった。
「親元へ帰ってどうする」と甲斐はまたきいた。
少女は、親元にいるのではなく、帰ったらすぐ親類へ身を隠すつもりである。それは鳥羽から注意されたことで、金も貰って来た、という意味のことを、おろおろと答えた。
「それならいい」と甲斐はうなずいた、「鳥羽どのにも云われたであろうが、どこへ隠れるにせよ、屋敷で見たり聞いたりしたことは口外しないように、もし人に話したりすると、おまえがみつけだされるもとになる、わかっているな」
「はい、よくわかっています」
「それでも危険な事が起こるようだったら、この家へ来るがよい、それを覚えておいで」と甲斐は云った。
少女を帰らせてから、甲斐はおくみを呼んで時刻をきき、十時少し過ぎだということがわかると、すぐに着替えにかかった。おくみは事情を知らないので、こんな時刻に帰るということが不審でもあり、だいいち御門があかないであろう、と不安そうに云った。
「丹三郎が死にかかっている」と甲斐が答えた、「もうまにあわないかもしれないが、生きていたら一と眼会ってやりたいのだ」
おくみは顔色を変えた、「ではあの」
「云うな、なにも云うな」と甲斐は首を振って遮った。
帰邸しても門がとおれるかどうかわからない。門に入るためには、非常の場合、であることと、自分の国老としての責任を盾に取らなければならないが、どうして「非常の場合」であることを知ったか、ということが問題になるであろう。原田の家従も、もちろん禁足の命令で動けない。動ければ知らせに来たはずである。では誰から聞いたかということが、必ず問題になるに違いない。そのときどう答えるか。
──わからない。
わからないが、ともかく「置毒」ということはもみ消さなければならない。いかなる手段を用いても、それだけは発表させてはならない、と甲斐は思った。
甲斐は成瀬久馬を呼んだ。
たぶん、おくみとの問答を聞いて、丹三郎のことを知ったのであろう、久馬は眼を赤くしていた。甲斐はそれには気づかぬ顔で、これから屋敷へ帰ること、みんな馬でゆくから、すぐに馬の手配をすること、などを命じ、久馬が去ると、おくみに「茶を一服」と云って居間へはいった。
おくみは行燈を明るくし、蚊遣りを焚き、庭に面した障子をあけてから、茶の支度をしに去った。
甲斐の表情はもう平静になっていた。双眼にあらわれた昂奮の色も消え、硬ばった頬のあたりもゆるんで、唇にはいつもの穏やかな、人の心をなごやかにするような、微笑さえうかんでいた。
おくみは女中に手伝わせて、茶の道具をはこんで来、土風炉で、茶を点てた。
甲斐は暗い庭を見やりながら、今年はまだ芙蓉が咲かないな、と思った。その庭の芙蓉はいつも、よそよりもずっと早く咲いた。大輪のみごとな花で、毎年いまじぶんになると、庭の暗がりに白く、ぼうと、にじむように咲いている花を、眺めることができた。
茶は不出来だった。おくみはまだ気持がおちつかないのだろう。湯がこなれていず、おまけにまだ熱かった。甲斐は黙って喫し、茶碗を置いておくみを見た。
「今年はまだ芙蓉が咲かないようだな」
おくみは訝しそうに見かえり、それから、ああと頷いて、虫が付いたので、ついこのあいだ切ってしまった、と云った。神経が尖っているためだろう、切ってしまったと云ってから、それがなにか不吉な前兆ででもあるかのように、怯えたような顔つきをし、眼をそらした。
久馬が知らせに来るまで、二人は黙って坐っていた。
「こんどはいつ来て頂けましょうか」
おくみは甲斐が立ちあがったとき、こらえきれないような口ぶりで訊き、じっと、甲斐の眼を見あげた。甲斐は微笑を湛えた眼で、なだめるようにおくみを見、脇差を差しながら答えた。
「月が替ったら来る」
「きっとでございますね」とおくみが云った。
それは来ることを慥かめるというより、それまで無事でいてくれるか、という意味のようであった。甲斐は頷いて、きっと来ると答え、おちついた足どりで居間を出た。
馬は三頭、伊達家の紋を印した提灯をつけて、久馬が先、村山喜兵衛がしんがりで、夜の街を芝へいそいだ。
──丹三郎、生きていろよ。
馬を駆りながら、甲斐はそう念じた。
即死と、吐血と、分けて書いてあったから、ことによるとまだ命はあるかもしれない。生きているなら会ってやりたかったが、「置毒」をもみ消すことのほうが大事だ。甲斐は歯をくいしばるおもいで、馬をいそがせた。
本邸の門はさしたる故障もなくとおれた。
甲斐はまっすぐに大条兵庫を訪ね、次に富塚内蔵允を訪ねた。どちらも寝所へはいっていたが、起きるのを待って会談し、それからまた門をあけさせて、宇田川橋の一ノ関邸へいった。
大条も富塚も、老女鳥羽の手紙にあったこと以外は知らなかった。三人の鬼役が毒害された、という事実だけですっかりあがってしまい、料理人や河野道円らの処置については、一ノ関の意向がまだわからないというだけであった。
兵部邸では、門を通るのにてまどった。
時刻はもう十二時に近く、兵部は一刻もまえに寝所へはいった、という返事だった。甲斐はねばった。お家の大事について話さなければならない、明朝ではおそいのである、自分が来たと取次いでくれれば、必ず面会を許されるだろう、と繰り返した。
門の番士が、二度まで玄関へゆき、さらに、出て来た取次の侍と話し、殆んど四半刻もして、ようやく門を通ることができた。
玄関には只野内膳がいて、甲斐を接待に案内し、そこで少し待ってから、家老の新妻隼人が奥へ導いた。そこは小書院で、燭台が二基、明るい光を投げており、雨戸が閉っているため、蒸れるほど暑かった。
兵部は入側から、小姓に刀を持たせてはいって来た。白の生絹の単衣の着ながしで、いかにもいま夜具から出て来た、という姿だったし、その顔にも、むりに起こされた人のふきげんな色があった。兵部は座につくとすぐ、隼人に、さがっておれ、という眼くばせをし、懐紙で眼を拭いて、甲斐を冷やかに見た。
甲斐は深夜の訪問を詫び、そして東市正の消息をたずねた。兵部の子、東市正宗興は、結婚してから麻布の下屋敷に住んでいた。兵部の表情が穏やかになり、すすんでわが子の近況を語った。頬骨の高い、神経質そうな顔が、紐でもほどけたようにやわらぎ、その声までがあまく楽しげになった。甲斐はおとなしく相槌をうちながら、兵部に話したいだけ話させ、すっかり話し終ったとみたとき、ではこれで、と会釈した。
「どうしたのだ」と兵部が云った、「帰るというのか」
「お屋形さまのごようすを拝見しておちつきました」と甲斐が云った、「賜暇で保養にまいっていたのですが、なにやら胸さわぎが致しますので、門限はずれですが帰ってみますと、鬼役が三人、毒死したとか申すことで、事実さような事があったとすれば、世間に漏れぬよう、すぐに手配を致さなければならぬと思い、深夜ではありますがお騒がせ申しましたしだいです。しかし、お屋形さまのごようすで、私などがうろたえるまでもなく、然るべく処置されたものと、ようやく安堵を致しました」
「待て、毒死をどうする、というのだ」
「毒死ではございません」と甲斐は穏やかに云った、「毒死などということがある筈はございませんし、また、決してあってはなりません」
「待て原田、──」と兵部が遮った、「亀千代どのにすすめる膳部に毒が入れてあり、鬼役が三人、その毒で死んだということは事実だ、ほかの場合ではない、亀千代どのの膳部だ、これは弑逆の大罪だぞ」
「いや、毒死などの事実はございません」
「事実だ、明らかな事実だ、これは断じて隠蔽すべきことではないぞ」と云って兵部は膝を打った。
甲斐は兵部の眼をみつめ、眉をひそめながら、静かに首を振った。兵部を憐れむような、むしろ、いたましいとでもいうふうに、ゆっくりと首を振り、それから疲れた人のように、深い太息をついた。
「やむを得ません、ではひと言、申上げておきます」と甲斐は少し声を低めた、「東市正さまに不測の事が起こる危険がございます、どうぞくれぐれも御身辺にごゆだんなきよう、お願い申しておきます」
「東市正になにがあると」
「ただ、ごゆだんなきように、と申上げるほかはございません」
そして甲斐は、いとまを乞うように座をすべった。兵部は、待て、と呼びかけた。
「待て原田、待て」と兵部は疑わしそうに甲斐の眼をにらんだ、「毒死の事実が、どうして東市正にとって危険なのだ、これと東市正とどういうかかわりあいがある」
「申上げなければなりますまい」と甲斐が云った。
甲斐は暗い表情になり、膝の上の扇子を、やや暫く見まもっていて、それから静かに兵部を見た。
「いつぞや、私が刺客に襲われたことを、御存じでございますか」
「うん」と兵部はあいまいな口ぶりで、「聞いたことがあるようだな」と云った。
「聞いたように思う、たしか、品川の屋敷であったとか」
「お下屋敷へ伺候したときのことです、幸い供の者と、良源院どのの機転で、危ういところを逭れましたが、その人間がなぜ私を刺そうとしたか、おわかりでしょうか」
「わからぬ、おれにはわからぬが」と兵部は眩しそうな眼をした、「くに者はすぐにのぼせるから、なにか独り合点に思いつめて逆上したのであろう」
「御推察どおりと存じます、国許では、江戸にもむろんございますが、国許では特に、早くから或る風説が根づよく弘まっていて、若者どもの中には、命がけで事を起こそうとしている者がございます」
「或る風説とは、なんだ」と兵部が訊いた。
甲斐は眼をみはった。その質問がまったく意外だったかのように、眼をみはって兵部を見、それから、御存じではなかったのか、と訊き返した。兵部が首を振り、重ねて、「なんだ」というと、甲斐はもっと意外そうな表情をし、口ごもりながら云った。
「六十万石分割の評です」
兵部は平手で顔を叩かれでもしたように、ふっと脇へそむき、そうして、すぐに用心ぶかくその眼を甲斐に戻した。
「六十万石を、分割だと」
「もちろん根もない妄説です」と甲斐は云った、「老中の厩橋(酒井忠清)侯とお屋形さまとのあいだで、──伊達家中になにか紛争を起こして、六十万石を分割し、三十万石をお屋形さまに与えるという契約があり、証文まで交わされているというのです」
「誰が」と兵部は吃った、「なに者がさようなことを」
甲斐は静かに、もちろん、と首を振りながら遮った、「多少なりとも思慮のある者なら、根もない妄説だということはすぐわかります、しかし、血気にはやる者、事を好む者、年が若く分別の足らぬ者などには、虚妄の説ほど信じやすく、いったん信ずればそれを固執して動きません、私を襲った刺客は、私がお屋形さまにくみして、六十万石分割を謀っていると信じたからで、もしこのたびの事が置毒であるとわかれば、かれらはきっと、東市正さまにその鉾を向けることでございましょう」
「なぜ東市正を覘うのだ」
「厩橋侯との契約は、東市正さまとの御縁にある、とかれらは信じております、されば、事の根元が東市正さまにあると思うのはしぜんでございましょう」
「ばかなことだ、ばかげたことだ」と兵部が云った、「それは狂気の沙汰だ、そんな蒙昧な人間がおろうとは思われない、それは船岡の臆測ではないのか」
「私が現に、刺客に襲われたことは、御存じの筈です」
「それで、次は東市正だ、というわけか」
「いや、──よくお考え下されば、お屋形さまにも御推察のつくことです、名はあげませぬが、誰それこそ藩家に害をなす人であると、口に、文書に、触れまわっている者があります」
「里見十左衛門だな」
「名はあげません、しかしそれが一人や二人ではないこと、また無思慮な若者どもが、その煽動に乗って、いかなる暴挙に出ようとしているかは、およそ御推察がつくと思います、私だけの臆測ではございません、多くの事実が示しております」
兵部は、暑い、と云った。
兵部は懐紙で額をぬぐった。彼は甲斐の言葉に強く動かされ、狼狽さえし始めたようである。甲斐は巧みに修辞して、現実にこれという証拠はあげず、しかも証拠をあげるよりも確実に、兵部の心の弱点を攻めた。
──東市正。
兵部はその子を溺愛していた。六十万石分割のことも、東市正が三十万石の領主になる、という夢を実現したいからである。雅楽頭もそこへ罠を仕掛けた。自分の親族にそんな小大名がいては不面目だ、東市正は国持ち大名になるべきである、というふうに。──東市正は、兵部にとって夢と希望そのものであった。甲斐はそこを押えた、疑心の強い兵部にはもっとも効果のある、暗示のかたちをとって。兵部は甲斐の手中に落ちた。
「では、置毒の事実は伏せるほうがよいというのだな」
「さような事実は、なかったのです」と甲斐が答えた、「鬼役三人は単純な食あたりで、医師道円は関係なく、料理人だけ軽い咎めということに致しましょう、少なくとも、妄説に昏まされた者どもの血気がおさまり、東市正さまに累の及ばぬ時期が来るまでは」
「わかった、わかったが」
兵部はおちつきなく、両の手を組み、指を揉みしぼった。
「ことによるとまにあわぬかもしれぬ、すぐ手配をしてもらいたいが、ことによるともう仕置をしてしまったかもしれぬ」
「と仰せられますと」
「いやわからぬ、まにあうかもしれぬ」と兵部が云った、「とにかく処置はいまのようにして、すぐその手配をしてもらおう、明朝はなるべく早く、再評定をひらくことにする」
「承知つかまつりました」
「もしまにあわなかったら」と云いかけ、兵部は「よし」と手を振り、大儀であったと云って、座を立った。
甲斐は本邸へ戻った。
──まにあわぬとはなんだ。
兵部のうろたえた言葉が気にかかった。ことによると仕置をしてしまったかもしれぬと云ったが、河野道円のことであろうか、河野父子三人は、料理人も共に、捕えられて押籠にされているという。老女鳥羽の手紙にはそう書いてあったし、富塚や大条もそう云っていた。押籠になっているものなら、まだ罪科が決定していないのだから、それ以上の仕置をするということはできないであろう。たしかに、いくら無謀でもそれはできない筈である。そこまで考えたとき、甲斐は突然、う、と喉で声を詰まらせた。
「万治のときの事があるぞ」と甲斐は呟いた。
万治三年の大変のとき、坂本、渡辺、畑、宮本の四人が暗殺された。無警告で、「上意討」という名目で、──甲斐は低く呻き声をあげた。
本邸へ戻った甲斐は、住居へはいるとすぐに、目付役と塩沢丹三郎の家へ使いをやった。時刻は午前一時をまわっていたが、目付役からは今村善太夫が来た。
甲斐は書院で善太夫に会い、河野父子と料理人の安否を訊いた。善太夫は「どちらも仕置が済んだ」と答えた。甲斐がそれを知らなかったことを、むしろ意外そうな口ぶりだったし、顔にも、なにをいまごろ、というような、訝しげな色があった。
「仕置とは死罪か」と甲斐が訊き返した。
「河野父子は切腹、料理人は斬首です」と善太夫が答えた。
「それが済んだというのか」
「仕置は済みました」
「いつだ」
「今日、いや、もはや昨日になりますか、昨日の夕刻に相済みました」
甲斐は眼をつむった。
鑿で刻みつけるかのように、はっきりと、甲斐の顔に苦悶の表情があらわれた。これまでかつて、そんなにもあらわに、彼の顔が歪んだことはない。いつも穏やかな、微笑を含んでいるような唇が曲り、眉間にするどい皺が立ち、両頬の肉が切りそがれたように落ちくぼんでみえた。──善太夫はそれを、けげんそうな眼で見まもり、そして、なにか失態でもあったのか、と訊いた。甲斐は眼をつむったまま、なお暫く黙っていたが、やがて力のぬけたような口ぶりで云った。
「仕置は誰の命令でやった」
「それは、もちろん、御老職からだと思います」
「名を聞こう、誰だ」
「御老職の連署でしたが、なにか御不審があるのですか」
「罪名はなんだ」
善太夫はがまんを切らしたように、お訊ねの意味が私にはわかりません、どうしていまになってそんなことを訊くのか。かれらが毒を盛ったということは明白で、死罪ということも評定で決定していたのではないか、と反問した。
「おまえを責めているのではない」と甲斐が云った、「私は保養のため留守であった、それで事の始末を聞きたかったのだ、また、念のために云っておくが、罪名は置毒ではないぞ」
「──なんと仰しゃいます」
「毒を盛ったのではない、罪はまったくべつの事だ」
「私にはわかりません」
「明朝、再評定がある」と甲斐が云った、「その評定によって、罪名がはっきりするだろう、置毒の罪というのは誤りだ、そんな事実はなかった、決してなかった、ということを、同役の者に伝えておいてくれ」
善太夫は肩を怒らせた。
肩を怒らせて、善太夫がなにか云い返そうとしたとき、廊下へ堀内惣左衛門が来た。甲斐はそれを認めるとすぐに、「存命か」と訊いた。惣左衛門は廊下に膝をついて、危篤である、というような意味のことを答えた。はっきり聞えなかったので、甲斐はもういちど存命か、と訊いた。
「存命ではございますが」と惣左衛門が答えた、「もはや、夜明けまではおぼつかなかろう、とのことでございます」
甲斐は、よし、と頷いた。
惣左衛門はなにか訊きたげであったが、甲斐はそのまま向き直ったので、静かに去ってゆき、善太夫が甲斐に云った。
「いまのお申付けはお受けができません」と彼は云った、「現に鬼役三人が毒死しており、国老がたの評定でも、はっきり置毒の罪ときまったのですから」
「評定はやり直す」と甲斐が遮った、「置毒の事実はない、私は国老の責任で云うのだ、戻って同役の者にそう伝えるがいい、屹と申付けるぞ」
面を打つような烈しい調子であり、善太夫ははっとしたように頭を垂れた。甲斐は調子をやわらげ、こんな時刻に御苦労であったと云って、立ちあがった。
辞去する善太夫には構わず、甲斐は居間へはいって惣左衛門を呼び、丹三郎をみまうと云った。なにかみまいに持っていってやりたいが、恰好な物はないかと訊き、惣左衛門は、あとから持参する、と答えた。
「容態は危篤のもようですから、そのままおいで下さるほうがようございましょう」
甲斐は頷いて居間を出た。
塩沢のお小屋は同じ邸内であるが、甲斐の住居からは少し遠かった。空には星も見えず、暗い足元を拾うように歩きながら、甲斐はしきりに口の中で、しまった、とか、どうするか、などと呟き続けた。
──藩主毒殺の陰謀があった、などということが公表されれば、雅楽頭は老中を駆って伊達家に手を付けるだろう。
いかなる手段によっても「置毒」のことは隠蔽しなければならない。それは絶対の条件であるが、河野父子と料理人は、すでに処刑されてしまったという。処刑をいそいだのは、むろん一ノ関であろう。一ノ関はこれを「もの」にしたかった。幼君毒殺の陰謀、弑逆という事実を以て、六十万石分割の機会にしようとしたのだ。その野望はいちおうくい止めた。一ノ関は置毒の事実がなかった、ということに同意した、しかし、医師親子と料理人はすでに処刑されている。それをどうするか、この五人の断罪をどう糊塗するか。──塩沢家の前には、提灯を持って人が待っていたが、甲斐はその前まで来て、またしても、低い呻き声をもらした。
提灯を持って待っていた男は、「組士の菱本市之丞というものである」と名のった。組士は下士で、徒、小姓組、徒組、鷹匠組、給主組などがこれに属している。あとでわかったのだが、市之丞は丹三郎の母たつ女の甥に当っていた。すなわちたつ女の実兄の長男で、そのとき二十一歳であった。
狭い玄関には、たつ女が出迎えていて、煤けたような六帖の客間へ案内をし、言葉少なに、みまってもらった礼を述べた。おもやつれはしているが、挙措もおちついているし、言葉もはっきりと力があった。
「危篤と聞いたが」と甲斐が云った、「容態はどうか」
「はい、いましがた」とたつ女は俯向き、ついいましがた息をひきとったがと、低いけれどもしっかりした声で云った、「お使者を頂きましたとき、そう申しますと、おそれ多いからおみまいは御無用に願ってくれと、繰り返して申しておりました」
「──ひどく苦しんだか」
「がまん強い子でございましたから、口には少しも出しませんでしたけれども」
甲斐は眼をそむけながら、会ってやろう、と云った。
たつ女は躊躇した。部屋もむさくるしいし、息をひきとったばかりで、死躰もまだきれいにしてない。また当人が甲斐にみまわれることをひどく心苦しく思っていたから。などと遠慮を云ったが、じつは見てやってもらいたかったのだろう、甲斐が立ちあがると、いそいで立って、次の間の襖をあけた。
貧しい夜具の上に、丹三郎の死躰は、胸の上で両手の指を組み合わせて、仰向きに寝かされてあった。
枕許に少しはなして、経机を据え、湯呑に樒の葉が一枚入っていた。それだけで、香も、燈明もあげてはなかった。甲斐は夜具のそば近く坐って、じっと死顔を見まもった。
「臨終にこう申しました」とたつ女が脇から云った、「死んでも、香や燈明をあげてはいけない、僧も呼ぶな、読経も供養も無用、自分は成仏するつもりはない」
そこまで云うと、たつ女の喉へ嗚咽がこみあげて来、彼女は両手で口を押えたまま、やや暫く黙っていた。そして、嗚咽がしずまると、用心ぶかく声をととのえながら、やがてお家が安泰となるときが来よう、と丹三郎の遺言を続けた。
「そのときこそ、供養もしてもらい、成仏もしよう、それまでは魂となってとどまり、お館さまやお家を護り続ける覚悟である、と申しておりました」
甲斐は丹三郎の顔をみつめたまま、たつ女の言葉に頷いた。そのとき、菱本市之丞が、いちじくを盛った盆を持ってはいって来、ただいまお屋敷からこれを、と云って、そこへ差出した。甲斐は盆をひき寄せて、丹三郎の枕許へすすめた。
──主家が安泰となるまでは成仏しない、魂となってふみとどまり、甲斐や主家を護り続けるつもりだ。
その言葉はいかにも丹三郎らしい。自分で毒見役を志願したときから、彼は死ぬ覚悟をきめていた。その「覚悟」はひと筋で紛れもなく、動かすことのできないものであった。しかも、彼は死ぬだけでは満足せず、魂となってなお主家を護ろうという。
──たくさんだ、丹三郎。
と甲斐は心のなかで彼に呼びかけた。
──おまえは侍の本分をはたした、もういい、それ以上は執念だ、もう休むがいい、生きているうちにそのつとめをはたしたら、あとはゆっくり休むほうがいい。
するとたつ女が「あ」と声をあげた。
死躰の唇の端から、どす黒くなった血がひと条、頬を伝って流れおちたのである。甲斐は心のなかで、よし、と云いながら、懐紙を出して、きれいにそれを拭き取ってやった。
──それでよし、いまの血で執念は出てしまった、これでゆっくり休めるだろう、丹三郎、ながいこと大儀であった。
たつ女が嗚咽し始めた。
やがて甲斐は向き直って、丹三郎が「犬死」になることを告げた。鬼役が毒死したのだから、本来なら忠死であって、もちろん褒賞もされ、その名も青史に残るであろうが、いまそれができないという事情を述べ、まことに耐え難いが、単に食中毒という発表をしなければならない。その点を了解してくれるように、と頼んだ。たつ女は、承知していますとおちついて答えた。
「丹三郎もそう申しておりましたし、そう致さなければならない、ということもわかっております」とたつ女は云った、「世間にはどう伝えられましょうとも、自分の死ぬことに少しでも意義があり、多少でもお役に立ったと、知って下さる方があれば満足です、丹三郎はそう申しておりました」
甲斐は無表情に頷いた。
ではそのことを忘れないように、と云って、甲斐もまもなく立ちあがった。たつ女に送られて出ると、玄関には村山喜兵衛が待っており、喜兵衛はすぐに提灯へ火を入れた。別れを告げて外へ出ると、空はかすかに明るみはじめてい、なまぬるい南風が吹いていた。
その日、早朝の老臣評定で、「置毒」の事実は否定された。河野父子三人は、奥女中らとしばしば宴遊し、風紀を紊した、という理由で死罪。老女鳥羽は、「奥向きの取締りを怠った」ということで、切米二十両十人扶持を付けて大条玄蕃へ預け。三人の鬼役は食中毒の死ではあるが、「出仕ちゅうの出来事」として遺族に弔慰を賜わった。──河野道円の妻と娘は茂庭周防の館、松山へ永の預けとなり、また、斬罪になった料理人のことは不問に付され、その遺族は手当を与えられて追放の処分を受けた。こうして、三人毒死の事は、辛くも隠蔽された。
──御評定はいかがでございました。
「酒の支度をさせろ、疲れた」
──お数寄屋に支度を致させました。
「女どもはさがれ」
──なにか御機嫌を損じましたでしょうか。
「原田の心底がわからぬ」
──はあ。
「矢崎舎人は家禄召し上げ、領内追放ということに定った、にも拘らず原田は顔色も変えなかった」
──反対する筈だという御意でしたが。
「しない筈がない、原田は必ず反対し、抗議を出す筈だった」
──罪は密通ということでございました。
「もちろん拵えたのだ」
──はあ。
「彼は上田帯刀の妻子を岩ヶ崎へ送るところだった」
──物頭上田帯刀は、お咎めの筋があって家禄没収、その身は片倉さまにお預け、妻子は古内(源太郎)どのに預けとなり、矢崎舎人が命ぜられて、帯刀の妻子を送ってまいった、ということまでは承知しております。
「古内の館、栗原郡岩ヶ崎まで送ったのだ」
──事はその途中でございますな。
「宿で舎人が、上田の妻にみだらなことをしかけた、それを見たという者が訴え出たのだが、事実は違う、事実は上田の妻が旅疲れで、失心して倒れ、付いていた舎人が助け起こしたのだ」
──証人がいたのですか。
「現に見ていた者があり、原田にしかじかと告げたのだ」
──事実をですか。
「失心して倒れ、舎人は助け起こしたにすぎないということをだ、そして、自分は証人になってもよい、と云ったそうだ」
──しかも、原田どのは黙っていたのですか。
「家禄召し上げ、領内より追放という処置に対して、ひと言も抗議をせず、顔色さえ変えずに、黙って連署をした、どうも不審だ、毒害の事のときには、おれはうまうまはめられたと思った、厩橋侯にそう云われて気がついたのだが、むろんはっきりしたことではない、厩橋侯は、うまくもみ消されたのだ、と云われた、せっかく、幼君毒害の陰謀、という事実ができたのに、うまくもみ消されて、大事の機会を失った。甲斐めにいっぱいくわされたのだ、と云われた、だが、家中に血気の者どもが多く、おれを悪人だと覘っている、原田がそう申していたし、そういう不逞の徒の少なくないことは事実だ、おれには三十万石分与の機会も惜しいが、東市正の危険を賭けるわけにはいかぬ、そうではないか」
──仰せのとおりに存じます。
「厩橋侯はまえから、原田は信じかねる、と云っておられた、おれは手の内の人間だとみていたが、毒害の事のときから、彼の挙措に改めて注意し始めた、彼の周囲にも、身辺にも、人を配り、網を張った、以前にやったよりも厳重にだ、しかしなにも掴めない、毒害の事から、すでにまる二年ちかくになる、去年(寛文六年)の正月には松山(茂庭周防)が病死した」
──半年ちかく病んだあとでございました。
「松山は原田のもっとも親しい友だ」
──そればかりでなく、重縁の親族でございます。原田どのの御生母が松山の出であり、原田どのの長男帯刀宗誠どのにも、一昨年の冬、松山から輿入れがございました。
「おれは知っている、原田と周防とはもっとも親しく、心の底から信じあっている友だった、それが、万治の大変を境に、ぴたりと疎遠になった、ぴたりと、枯枝を折って捨てるように、きれいに往来を絶った」
──そのあいだに、妻女離縁という事情がございます。
「知っておる」
──原田どのの、離縁された妻女は、松山どのの家から出ました。養女ですから松山と血のつながりはございませんが、噂によると不貞なことがあったそうで、両家の往来が疎くなったのは、それが一つの原因ではないかと存じます。
「では原田の伜に、茂庭から嫁にはいったのは、どういうわけだ」
──また聞きですが、原田どのの母堂が、両家の仲を元に直すため、原田どのの意見を押し切って、まとめた縁組だということですが。
「それもそうとしよう、それなら去年、周防の病死したときのことはどう解釈する、妻の離別で、いちじ不和になったとしても、伜の縁組で元に返った筈だ、しかも二人は刎頸の交わりがあったのに、周防が病床につき、再起おぼつかなし、となっても、みまいにゆかず、臨終にも訪ねなかった、臨終にもだぞ」
──はあ。
「そうだ、原田は周防の父、佐月の死んだときも同様だった、茂庭佐月の死んだときも、船岡におりながら、葬儀に出なかった、おれが佐月と不仲だったので、おれに遠慮したかと思っていた、わからない、まるで水をつかむようだ」
──私には明瞭だと思われるのですが。
「どう明瞭だ」
──仮に平素が不和であろうとも、古い友が危篤という場合、みまいにゆかぬということは、人情としても不可能なことです、それを臨終と聞いてもみまわなかったとすれば、まったく心がはなれていた証拠でございましょう。
「隼人はそう信ずるか」
──こんどの場合にも、同じことが云えると思います、矢崎舎人は原田どのの家従でございました、物頭という直臣にあげられてから、三年とは経っておりますまい、その舎人が無実の罪に問われ、無実であるという証人がいるにも拘らず、黙って見ているということは、とりも直さず殿への遠慮、なにより殿の御意を重んずる、という証拠であると存じます。
「わからぬ、おそらく隼人の申すとおりであろう、おれもそう思うのだが、どうにも心底の読めぬところがある」
──涌谷さまと寺池さまとの、地境論のときも、よい例ではございますまいか。
「そうだ、あのときも原田は涌谷に付くと思われていた」
──ごく一部の人を除いては、みなそう信じておりました。
「だが彼は寺池の利分になるように証言し、そのとおりに決着した、涌谷と原田とも昔から昵懇であり、ずいぶん親しく往来していた、おれは知っているが、原田は周防とは違った意味で、涌谷に深く心服していた、ところがこれもまた、万治の大変このかたぷっつりと疎遠になっている、おれはそこに、なにかあると思った、周防と疎隔した同じ理由で、涌谷とも往来しなくなったのだと思い、いろいろ手をつくして探索した、だがなにも出て来ない、そこで寺池をそそのかして、無理な地境論をもちかけさせた、明らかに無理押しだ、もし裏になにかあるなら、原田は必ず涌谷に付く筈である、たとえ立会人ではあっても、国老の職権があるのだから理否を正すのに遠慮はない、こう思ったのだがそうではなかった、たしかに原田甲斐はおれの手の内のものだ、たしかに、……しかもなお、ちかごろになって却って、彼の本心がわからなくなり、その性根がつかめなくなった、これぞという原因はなにもない、厩橋侯の疑いに対しても、おれはむしろ反対して来たくらいだ」
──それではなお御不審があるのですか。
「毒害の事が頭からはなれないためかもしれない、おれは東市正の危険を恐れた、いまでも恐れている、東市正だけは安全でなければならない、原田はそれを指摘した、東市正の危険を警告して、置毒の事実を隠蔽した、そこになにかある、なにかあるように思える、原因ということができればその点だけだ、そして、なんだ」
──仙台より急使が到着いたしました。
「会おう、とおせ」
──大槻どのよりの書状にございます。
「よし、隼人読んでみろ」
──はっ。
「この酒は熱いぞ、替えろ」
──事が起こりました。
「なんだ」
──席次の争いが大きくなったもようです。
底本:「山本周五郎全集第十巻 樅ノ木は残った(下)」新潮社
1982(昭和57)年12月25日発行
初出:「日本経済新聞」
1956(昭和31)年3月10日~9月30日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「二の矢」と「二ノ矢」の混在は、底本通りです。
※「第三部」「第四部の冒頭のほぼ三章」の初出時の表題は「原田甲斐─続樅の木は残った」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:富田晶子
2018年3月27日作成
2018年9月21日修正
青空文庫作成ファイル:
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