モノグラム
江戸川乱歩
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私が、私の勤めていたある工場の老守衛(といっても、まだ五十歳には間のある男なのですが、何となく老人みたいな感じがするのです)栗原さんと心安くなって間もなく、恐らくこれは栗原さんの取って置きの話の種で、彼は誰にでも、そうした打開け話をしても差支のない間柄になると、待兼ねた様に、それを持出すのでありましょうが、私もある晩のこと、守衛室のストーブを囲んで、その栗原さんの妙な経験談を聞かされたのです。
栗原さんは話上手な上に、なかなか小説家でもあるらしく、この小噺めいた経験談にも、どうやら作為の跡が見えぬではありませんが、それならそれとして、やっぱり捨て難い味があり、そうした種類の打開け話としては、私は未だに忘れることの出来ないものの一つなのです。栗原さんの話しっぷりを真似て、次にそれを書いて見ることに致しましょうか。
いやはや、落しばなしみたいなお話なんですよ。でも、先にそれを云って了っちゃ御慰みが薄い。まあ当り前の、エー、お惚気のつもりで聞いて下さいよ。
私が四十の声を聞いて間もなく、四五年あとのことなんです。いつもお話する通り、私はこれで相当の教育は受けながら、妙に物事に飽きっぽいたちだものですから、何かの職業に就いても、大抵一年とはもたない。次から次と商売替えをして、到頭こんなものに落ちぶれて了った訳なんですが、その時もやっぱり、一つの職業を止して、次の職業をめっける間の、つまり失業時代だったのですね。御承知のこの年になって子供はなし、ヒステリーの家内と狭い家に差し向いじゃやりきれませんや。私はよく浅草公園へ出掛けて、所在のない時間をつぶしたものです。
いますね、あすこには。公園といっても六区の見世物小屋の方でなく、池から南の林になった、共同ベンチの沢山並んでいる方ですよ。あの風雨にさらされて、ペンキがはげ、白っぽくなったベンチに、又は捨て石や木の株などに、丁度それらにふさわしく、浮世の雨風に責めさいなまれて、気の抜けた様な連中が、すき間もなく、こう、思案に暮れたという恰好で腰をかけていますね。自分もその一人として、あの光景を見ていますと、あなた方にはお分りにならないでしょうが、まあ何とも云えない、物悲しい気持になるものですよ。
ある日のこと、私はそれらのベンチの一つに腰をおろして、いつもの通りぼんやり物思いに耽っていました。丁度春なんです。桜はもう過ぎていましたが、池を越して向うの活動小屋の方は、大変な人出で、ドーッという物音、楽隊、それに交っておもちゃの風船玉の笛の音だとか、アイスクリーム屋の呼び声だとかが、甲高く響いて来るのです。それに引きかえて、私達の居る林の中は、まるで別世界の様に静で、恐らく活動を見るお金さえ持合せていない、みすぼらしい風体の人々が、飢えた様な物憂い目を見合せ、いつまでもいつまでも、じっと一つ所に腰をおろしている。こんな風にして罪悪というものが醗酵するのではないかと思われるばかり、実に陰気で、物悲しい光景なのです。
そこは、林の中の、丸くなった空地で、私達の腰かけている前を、私達と無関係な、幸福そうな人々が、絶えず通り抜けています。それが着かざった女なんかだと、それでも、ベンチの落伍者共の顔が、一斉にその方を見たりなんかするのですね。そうした人通りが一寸途絶えて、空地がからっぽになっていた時でした、ですから自然私も注意した訳でしょうが、一方の隅のアーク燈の鉄柱の所へ、ヒョッコリ一人の人物が現れたのです。
三十前後の若者でしたが、風体はさしてみすぼらしいというではないのに、どことなく淋し気な、少くとも顔つき丈は、決して行楽の人ではなく、私共落伍者のお仲間らしく見えるのです。彼はベンチの明いた所でも探す様に、暫くそこに立ち止まっていましたが、どこを見ても一杯な上に、彼の風采に比べては、段違いに汚らしく怖らしい連中ばかりなので、恐らく辟易したのでしょう、あきらめて立去り相にした時、ふと彼の視線と私の視線とがぶつかりました。
すると彼は、やっと安心した様に、私の隣の僅ばかりのベンチの空間を目がけて近づいて来るのです。そうした連中の中では、私の風体は、古ぼけた銘仙かなんか着ていて、おかしな云い方ですがいくらか立勝って見えたでしょうし、決して外の人達の様に険悪ではなかったのですから、それが彼を安心させたと見えます。それとも、これはあとになって思い当ったことですが、彼は最初から私の顔に気がついていたのかも知れません。イエ、その訳はじきにお話ししますよ。
どうも私の癖で、お話が長くなっていけませんな、で、その男は私の隣へ腰をかけると、袂から敷島の袋を出して、煙草を喫い始めましたのですが、そうしている内に、段々、変な予感みたいなものが、私を襲って来るのです。妙だなと思って、気をつけて見ると、男が煙草をふかしながら、横の方から、ジロジロと私を眺めている、その眺め方が決して気まぐれでなく、何とやら意味ありげなんですね。
相手が病身らしいおとなし相な男なので、気味が悪いよりは、好奇心の方が勝ち、私はそれとなく彼の挙動に注意しながら、じっとしていました。あの騒がしい浅草公園の真中にいて、色々な物音は確に聞えているのですが、不思議にシーンとした感じで、長い間そうしていました。相手の男が、今にも何か云い出すかと、待構える気持だったのです。
すると、やっと男が口を切るのですね。「どっかで御目にかかりましたね」って、おどおどした小さな声です。多少予期していたので、私は別に驚きはしませんでしたが、不思議と思い出せないのですよ。そんな男、まるで知らないのです。
「人違いでしょう。私は一向御目にかかった様に思いませんが」って返事をすると、それでも、相手はどうも不得心な顔で、又しても、ジロジロと私を眺め出すではありませんか。ひょっとしたら、こいつ何か企らんでるんじゃないかと、流石に気持がよくはありませんや、「どこでお逢いしました」ってもう一度尋ねたものです。
「サア、それが私も思い出せないのですよ」男が云うのですね。「おかしい、どうもおかしい」小首をかしげて「昨今のことではないのです。もうずっと先から、ちょくちょく御目にかかっている様に思うのですが、本当に御記憶ありませんか」そういって、却って私を疑う様に、そうかと思うと、変に懐し相な様子でニコニコしながら私の顔を見るじゃありませんか。
「人違いですよ。そのあなたの御存じの方は何とおっしゃるのです。お名前は」って聞きますと、それが変なんです。「私もさい前から一生懸命思い出そうとしているのですが、どういう訳か、出て来ません。でも、お名前を忘れる様な方じゃないと思うのですが」
「私は栗原一造て云います」私ですね。
「アア左様ですか、私は田中三良って云うのです」これが男の名前なんです。
私達はそうして、浅草公園の真中で名乗り合いをした訳ですが、妙なことに、私の方は勿論、相手の男も、その名前にちっとも覚えがないというのです。馬鹿馬鹿しくなって、私達は大声を上げて笑い出しました。すると、するとですね、相手の男の、つまり田中三良のその笑い顔が、ふと私の注意を惹いたのです。おかしなことには、私までが、何だか彼に見覚えがある様な気がし出したのです。しかも、それがごく親しい旧知にでも廻り合った様に、妙に懐しい感じなんですね。
そこで、突然笑いを止めて、もう一度その田中と名乗る男の顔を、つくづく眺めた訳ですが、同時に田中の方でも、ピッタリと笑を納め、やっぱり笑いごとじゃないといった表情なんです。これが外の時だったら、それ以上話を進めないで別れて了ったことでしょうが、今云う失業時代で、退屈で困っていた際ですし、時候はのんびりとした春なんです。それに、見た所私よりも風体のととのった若い男と話すことは、悪い気持もしないものですから、まあひまつぶしといった鹽梅で、変てこな会話を続けて行きました。こういう工合にね。
「妙ですね、お話ししてる内に、私も何だかあなたを見たことがある様な気がして来ましたよ」これは私です。
「そうでしょう。やっぱりそうなんだ。しかも道で行違ったという様な、一寸顔を合せた位のとこじゃありませんよ、確に」
「そうかも知れませんね。あなたお国はどちらです」
「三重県です。最近始めてこちらへ出て来まして、今勤め口を探している様な訳です」
して見ると、彼もやっぱり一種の失業者なんですね。
「私は東京の者なんだが、で、御上京なすったのはいつ頃なんです」
「まだ一月ばかりしかたちません」
「その間にどっかでお逢いしたのかも知れませんね」
「いえ、そんな昨日今日のことじゃないのですよ。確に数年前から、あなたのもっとお若い時分から知ってますよ」
「そう、私もそんな気がする。三重県と。私は一体旅行嫌いで、若い時分から東京を放れたことは殆どないのですが、殊に三重県なんて上方だということを知っている位で、はっきり地理も弁えない始末ですから、お国で逢った筈はなし、あなたも東京は始めてだと云いましたね」
「箱根からこっちは、本当に始めてなんです。大阪で教育を受けて、これまであちらで働いていたものですから」
「大阪ですか、大阪なら行ったことがある。でも、もう十年も前になるけれど」
「それじゃ大阪でもありませんよ。私は七年前まで、つまり中学を出るまで国にいたのですから」
こんな風にお話すると、何だかくどい様ですけれど、その時はお互になかなか緊張していて、何年から何年までどこにいて、何年の何月にはどこそこへ旅行したと、細いことまで思出し、比べ合って見ても、一つもそれがぶつからない。たまに同じ地方へ旅行しているかと思うと、まるで年代が違ったりするのです。さあそうなると、不思議で仕様がないのですね。人違いではないかと云っても相手は、こんなによく似た人が二人いるとは考えられぬと主張しますし、それが一方丈ならまだしも、私の方でも、見覚えがある様な気がするのですから、一概に人違いと云い切る訳にも行きません。話せば話す程、相手が昔馴染の様に思え、それにも拘らず、どこで逢ったかは愈々分らなくなる。あなたにはこんな御経験はありませんか、実際変てこな気持のものですよ。神秘的、そうです。何だか神秘的な感じなんです。ひまつぶしや、退屈をまぎらす為ばかりではなく、そういう風に疑問が漸層的に高まって来ると、執拗にどこまでも検べて見たくなるのが人情でしょうね。
が、結局分らないのです。多少あせり気味で、思い出そうとすればする程、頭が混乱して、二人が以前から知合いであることは、分り過ぎる程分っているではないか、なんて思われて来たりするのです。でも、いくら話して見ても、要領を得ないので、私達は又々笑い出す外はないのでした。
併し要領は得ないながらも、そうして話し込んでいる内に、お互に好意を感じ、以前はいざ知らず、少くともその場からは忘れ難い馴染になって了った訳です。それから田中のおごりで、池の側の喫茶店に入り、お茶をのみながら、そこでも暫く私達の奇縁を語り合った後、その日は何事もなく分れました。そして分れる時には、お互の住所を知らせ、ちとお遊びにと云い交す程の間柄になっていたのです。
それが、これっきりで済んで了えば、別段お話する程のことはないのですが、それから四五日たって、妙なことが分ったのです。田中と私とは、やっぱりある種のつながりを持っていたことが分ったのです。始めに云った私のお惚気というのはこれからなんですよ。(栗原さんはここで一寸笑って見せるのです)田中の方では、これは当てのある就職運動に忙しいと見えて、一向訪ねて来ませんでしたが、私は例によって時間つぶしに困っていたものですから、ある日、ふと思いついて、彼の泊っている上野公園裏の下宿屋を訪問したのです。もう夕方で、彼は丁度外出から帰った所でしたが、私の顔を見ると、待っていたと云わぬばかりに、いきなり「分りました、分りました」と叫ぶのです。
「例のことね。すっかり分りましたよ。昨夜です。昨夜床の中でね、ハッと気がついたのです。どうも済みません。やっぱり私の思い違いでした。一度も御逢いしたことはないのです。併し、御逢いはしていないけれど、満更御縁がなくはないのですよ。あなたはもしや、北川すみ子という女を御存じじゃないでしょうか」
藪から棒の質問で一寸驚きましたが、北川すみ子という名を聞くと、遠い遠い昔の、華やかな風が、そよそよと吹いて来る様な感じで、数日来の不思議な謎が、いくらかは解けた気がしました。
「知ってます。でも、随分古いことですよ。十四五年も前でしょうか、私の学生時代なんですから」
というのは、いつかもお話ししました通り、私は学校にいた時分は、これでなかなか交際家でして、女の友達などもいくらかあったのですが、北川すみ子というのはその内の一人で、特別に私の記憶に残っている女性なのです。××女学校に通っていましたがね。美しい人で、我々の仲間の歌留多会なんかでは、いつでも第一の人気者、というよりはクィーンですね、美人な代りにはどことなく険があり、こう近寄り難い感じの女でした。その女にね(栗原さんは一寸云い渋って、頭をかくのです)実は私は惚れていたのですよ。しかもそれが、恥しながら片思いという訳なんです。そして、私が結婚したのは、やっぱり同じ女学校を出た、仲間では第二流の美人、イヤ今じゃ美人どころか、手におえないヒステリィ患者ですが、当時はまあまあ十人並だった御承知のお園なんです。手頃な所で我慢しちまった訳ですね。つまり、北川すみ子という女は、私の昔の恋人であり、家内にとっては学校友達であったのです。
併しそのすみ子を、三重県人の田中がどうして知っていたか、又それだからといって、何故私の顔を見覚えていたか、どうも腑に落ちないのですね。そこで段々聞訊して見ますと、実に意外なことが分って来ました。田中が云うには、丁度その前の晩に、寝床の中でハッとある事を思い出したのだ相です。どういう訳で私を見覚えていたかについてですね。で、すっかり疑問が解けて了ったので、早速そのことを私に知らせようと思ったのだけれど、あいにく、その日は(つまり私が彼を訪問した日ですね)就職のことで先約があった為に、私の所へ来ることが出来なかったというのです。
そんな断りを云ったあとで、田中は机の抽斗から、一つの品物を取出して、「これを御存じじゃないでしょうか」というのです。見ると、それは艶かしい懐中鏡なんですね。大分流行遅れの品ではありましたが、なかなか立派な、若い女の持っていたらしいものでした。私が一向知らないと答えますと、
「でも、これ丈は御存じでしょうね」
田中はそういって、何だか意味ありげに私の顔を眺めながら、その二つ折りの懐中鏡を開き、鹽瀬らしいきれ地にはめ込みになった鏡を、器用に抜き出すと、そのうしろに隠されていた一枚の写真を取り出して、私の前につきつけたものです。それが、驚いたことには、私自身の若い時分の写真だったではありませんか。
「この懐中鏡は私の死んだ姉の形見です。その死んだ姉というのが、今云った北川すみ子なのですよ。びっくりなさるのは御尤もですが、実はこういう訳なんです」
そこで田中の説明を聞きますと、彼の姉のすみ子は、ある事情の為に小さい時分から、東京の北川家に養女になっていて、そこから××女学校にも通わせて貰ったのですが、彼女が女学校を卒業するかしないに、北川家に非常な不幸が起り、止むを得ず郷里の実家に、つまり田中の家に引取られて、それから暫くすると、彼女は結婚もしない内に病気が出て死んで了ったというのです。私も私の家内も、迂濶にも、そうした出来事を少しも知らないでいたのですね。実に意外な話でした。
で、そのすみ子が残して行った持物の中に、一つの小さな手文庫があって、中には女らしくこまごました品物が一杯這入っていた相ですが、それを田中は姉の形見として大切に保存していた訳です。
「此写真に気がついたのは、姉が死んでから一年以上もたった時分でした」田中が云うのですね「こうして懐中鏡の裏に隠してあるのですから、一寸分りません。その時は何でも、ひまにあかして、手文庫の中の品物を検査していたのですが、この懐中鏡をひねくり廻している内に、ヒョッコリ秘密を発見して了ったのです。で、昨夜寝床の中でその写真のことを思い出し、それですっかり疑問が解けた訳でした。なぜといって、私はその後も折がある毎にこのあなたの写真を抜き出して、死んだ姉のことを思い浮べていたのですから、あなたという人は、私にとっては忘れることの出来ない、深いお馴染に相違ないのです。先日御逢いした時には、それを胴忘れして、写真ではなく実物のあなたに見覚えがある様に思い違えた訳なのです。又あなたにしても」田中はニヤニヤ笑うのですね「写真までやった女の顔を御忘れになる筈はなく、その女の弟のことですから、私に姉の面影があって、それをやっぱり以前に逢った様に誤解なすったのではありますまいか」
聞いて見れば、田中の云う通りに相違ないのです。併し、それにしても腑に落ちないのは、写真はまあ、色々な人にやったことがあるのですから、すみ子が持っていても不思議はありませんけれど、それを彼女が懐中鏡の裏に秘めていたという点です。何だか彼女と私と立場が反対になった様な気がしましてね。だって片思いの私の方にこそ、そうした仕草をする理由はありましょうが、すみ子が私の写真なぞを大切にしている道理がないのですからね。
ところが、田中にして見ますと、私とすみ子との間に何か妙な関係があったものと、独断して了って、尤もそれは無理もありませんけれど、その関係を打開けて呉れといって迫るのです。で、彼が云うのですね。姉の死因は無論主として肉体的な病気の為には相違ないけれど、弟の自分が見る所では、外に何かあったのではないかと思う。というのは、例えば生前起っていた縁談に、姉が強硬に不同意を説えたことなどから考えると、誰か心に思いつめている人があって、それが意のままにならない、という様なことが姉の死を早めたのではないか、とね。実際すみ子は国へ帰ってから一種の憂鬱症に罹り、それの続きの様にして死病にとりつかれたのだ相ですから、田中の言う所も尤もではあるのです。
さあ、そうなると、いい年をしていて、私の心臓は俄に鼓動を早めるのですね。虫のいい考え方をすれば、片思いは私の方ばかりでなくて、すみ子も同じ様に、云い出し兼ねた恋を秘めて、うらめしい私達の婚礼を眺めていたのだとも想像出来るのですから。あの美しいすみ子が、そうして死んで行ったとすれば、私はどうすればいいのでしょう。嬉しいのですね。何だかこう涙が喉の所へ込み上げて来る程嬉しいのですね。
でも一方では、「こんなことが果して本当だろうか」という心持もあるのです。すみ子は私などに恋するには、余りに美しく、余りに気高い女性だったのですから。そこで、私と田中との間に妙な押し問答が始ったのですよ。私は大事を取る様な気持で、「そんなことがある筈はない」と云えば、田中は「でも、この写真をどう解釈すればいいのだ」とつめ寄る。で、そうして云い合っている内に、私は段々感傷的になって行って、遂には私の片思いを打開けて、そう云う訳だから、すみ子さんの方で私を思っていて呉れたなんてことはあり得ないと、実はその反対をどれ程か希望しながら、まあ強弁した訳なんです。
ところが、話し話し懐中鏡を弄んでいた田中が、ふと何かに気がついた様子で「やっぱりそうだ」と叫ぶのですよ。それが、大変なものを発見したのです。懐中鏡のサックは、さっきも云った様に鹽瀬で作った二つ折のもので、その表面の麻の葉つなぎかなんかの模様の間に、すみ子の手すさびらしく、目立たぬ色糸で、英語の組合せ文字の刺繍がしてあったのですが、それがIの字をSで包んだ形に出来ているのです。
「私は今までどうしても、この組合せ文字の意味が分らなかったのです」田中が云うのですね「Sは成る程すみ子の頭字かも知れませんが、Iの方は、実家の田中にも養家の北川にも当てはまらないのですからね。ところが、今ふっと気がつくと、あなたは栗原一造とおっしゃるではありませんか、イチゾウの頭字のIでなくてなんでしょう。写真といい、組合せ文字といい、これですっかり姉の思っていたことが分りましたよ」
重ね重ねの証拠品に、私は嬉しいのか悲しいのか、妙に目の内が熱くなって来ました。そういえば、十数年以前の北川すみ子の、色々な仕草が、今となっては一々意味あり気に思い出されます。あの時あんなことを云ったのは、それでは私への謎であったのか、あの時こういう態度を示したのは、やっぱり心あってのことだったのかと、年甲斐もないと笑ってはいけません、次から次へ、甘い思出に耽るのでした。
それから、私達は殆ど終日、田中は姉の思出を、私は学生時代の昔話を、事実が遠い過去のことである丈に、少しも生々しい所はなく、又いや味でもなく、唯懐しく語り合いました。そして、別れる時に、私は田中にねだって、その懐中鏡と、すみ子の写真とを貰い受け、大切に、内ぶところに抱きしめて、家へ帰ったことでした。
考えて見れば、実に不思議な因縁と云わねばなりません。偶然浅草公園の共同ベンチで出逢った男が、昔の恋人の兄弟であって、しかも、その男からまるで予期しなかったその人の心持を知るなんて、それも、私達が以前に逢っているのだったら、さして不思議でもないのですが、まるで見ず知らずの間柄で、双方相手の顔を覚えていたのですからね。
そのことがあってから、当分というものは、私はすみ子のことばかり考えて居りました。あの時私に、なぜもっと勇気がなかったかと、それも無論残念に思わぬではありませんが、何をいうにも年数のたったことではあり、こちらの年が年ですから、そんな現実的な事柄よりは、単に何となく嬉しくて、又悲しくて、家内の目を盗んでは、形見の懐中鏡と写真とを、眺め暮し、夢の様に淡い思出に耽るばかりでした。
併し、人間の心持は、何と妙なものではありませんか。そんな風に、私の思いは決して現実的なものではなかったのに、ヒステリィ患者とは云いながら、これまでさして厭にも思わなかった家内のお園が、際立っていとわしくなり、すみ子が睡っている三重県の田舎町が、そこへ一度も行ったことがない丈に、不思議にもなつかしく思えるのですね。そして、しまいには、巡礼の様なつつましやかな旅をして、すみ子のお墓参りがして見たいとまで願う様になったものです。こんな風の云い方をしますと、今になっては身体がねじれる程いやみな気がしますけれど、当時は、子供の様な純粋な心持で、本当にそれまで思いつめたものなんです。
田中から聞いた、彼女の優しい戒名を刻んだ石碑の前に、花を手向け香をたいて、そこで一こと彼女に物が云って見たい。そんな感傷的な空想さえ描くのでした。無論これは空想に過ぎないのです。仮令実行しようとしたところで、当時の生活状態では、旅費を工面する余裕さえなかったのですから…………。
で、お話がこれでおしまいですと、謂わば四十男のお伽噺として、仮令お惚気とは云え、一寸面白い思出に相違ないのですが、ところが、実はこの続きがあるのですよ。それを云うと、非常な幻滅で、まるきり他愛のない落し話になって了うので、私も先を話したくないのですけれど、でも、事実は事実ですから、どうも致方ありません。ナニ、あんなことで自惚れて了った私にとっては、いい見せしめかも知れないのですがね。
私がそんな風にして、死んだすみ子の幻影を懐しんでいるある日のことでした。一寸した手抜かりで、例の懐中鏡とすみ子の写真とを、私のヒステリィの家内に見つかって了った訳なんです。それを知った時には、困ったことになった。これで又四五日の間は、烈しい発作の御守をしなければなるまいと、私はいっそ覚悟を極めて了った程でした。ところが、意外なことには、その二品を前にして、私の破れ机の所に坐った家内は、一向ヒステリィを起す様子がないのです。そればかりか、ニコニコしながらこんなことを云うではありませんか。
「まあ、北川さんの写真じゃありませんか。どうしてこんなものがあったの。それに、まあ珍しい懐中鏡、随分古いものですわね。私の行李から出て来たのですか、もうずっと前になくして了ったとばかり思っていましたのに」
それを聞きますと、私は何だか変だなとは思いましたが、まだよく分らないで、ぼんやりして、そこにつっ立って居りました。家内はさも懐し相に懐中鏡を弄びながら、
「あたしが、この組合せ文字の刺繍を置いたのは、学校に通っている頃ですわ、あなた、これが分って」そういって、三十歳の家内が妙に色っぽくなるのですよ「一造のIでしょう。園のSでしょう。まだあなたと一緒にならない前、お互の心が変らないおまじないに、これ縫ったのですわ。分って。どうしたのでしょうね。学校の修学旅行で日光に行った時、途中で盗まれて了ったつもりでいたのに」
という訳です。お分りでしょう。つまりその懐中鏡は私が甘くも信じ切っていたすみ子のではなくて、私のヒステリィ女房のお園のものだったのです。園もすみも頭字は同じSで、飛んだ思い違いをした訳です。それにしても、お園の持物がどうしてすみ子の所にあったか、そこがどうも、よく分りません。で、色々と家内に問い訊して見ました所、結局こういうことが判明したのです。
家内が云いますには、その修学旅行の折、懐中鏡は財布などと一緒に、手提の中へ入れて持っていたのを、途中の宿屋で、誰かに盗まれて了った。それがどうも、同じ生徒仲間らしかったというのです。私も仕方なく、すみ子の弟との邂逅のことを打開けたのですが、すると家内は、それじゃこれはすみ子さんが盗んだのに相違ない。あなたなんか知るまいけれど、すみ子さんの手癖の悪いことは級中でも誰知らぬ者もない程だったから、じゃきっとあの人だわと云うのです。
この家内の言葉が、出鱈目や感違いでなかった証拠には、その時にはもう抜き出してなくなっていた、鏡の裏の私の写真のことを覚えていました。それも家内が入れて置いたものなんです。多分すみ子は、死ぬまで、この写真については知らずにすぎたものに相違ありません。それを彼女の弟が、気まぐれに弄んでいて、偶然見つけ出し、飛んだ感違いをした訳でしょう。
つまり、私は二重の失望を味わねばならなかったのです。第一にすみ子が決して私などを思ってはいなかったこと、それから、若し家内の想像を誠とすれば、あれ程私が恋いしたっていた彼女が、見かけによらぬ泥坊娘であったこと。
ハハハハハハ、どうも御退屈さま。私の馬鹿馬鹿しい思出話は、これでおしまいです。落ちを云って了えば、此上もなくつまらないことですけれど、それが分るまでには、私も一寸緊張したものですがね。
底本:「江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣」光文社文庫、光文社
2005(平成17)年11月20日初版1刷発行
底本の親本:「創作探偵小説集第四巻 湖畔亭事件」春陽堂
1926(大正15)年9月
初出:「新小説」春陽堂
1926(大正15)年6月
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。
入力:金城学院大学 電子書籍制作
校正:門田裕志
2017年9月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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