十和田湖
泉鏡太郎
|
「さて何うも一方ならぬ御厚情に預り、少からぬ御苦労を掛けました。道中にも旅店にも、我儘ばかり申して、今更お恥しう存じます、しかし俥、駕籠……また夏座敷だと申すのに、火鉢に火をかんかん……で、鉄瓶の湯を噴立たせるなど、私としましては、心ならずも止むことを得ませんので、決して我意を募らせた不届な次第ではありません。──これは幾重にも御諒察を願はしう存じます。
──古間木(東北本線)へお出迎ひ下すつた以来、子の口、休屋に掛て、三泊り。今また雑と一日、五日ばかり、私ども一行に対し……申尽くせませんまで、種々お心づかひを下さいましたのも、たゞ御礼を申上げるだけでは済みません。御懇情はもとよりでございますが、あなたは保勝会を代表なすつて、湖の景勝顕揚のために、御尽力をなすつたので、私が、日日社より旅費を頂戴に及んで、遥々と出向きましたのも、又そのために外なりませんのでございますから、見聞のまゝを、やがて、と存じます。けれども、果して御期待にかなひますか、如何か、その辺の処は御寛容を願ひたう存じます。たゞしかし、湖畔五里余り、沿道十四里の間、路傍の花を損なはず、樹の枝を折らず、霊地に入りました節は、巻莨の吸殻は取つて懐紙へ──マツチの燃えさしは吹き消して、もとの箱へ納めましたことを憚りながら申し出でます。何は行届きませんでも、こればかりは、御地に対する礼儀と真情でございます。」
「はあ──」
……はあ、とそつ気はないが、日焼けのした毛だらけの胸へ、ドンと打撞りさうに受け容れらるる、保勝会の小笠原氏の──八月四日午後三時、古間木で会うてより、自動車に揺られ、舟に揉まれ、大降小降幾度か雨に濡れ、おまけに地震にあつた、裾短な白絣の赤くなるまで、苦労によれ〳〵の形で、黒の信玄袋を緊乎と、柄の巌丈な蝙蝠傘。麦稈帽を鷲掴みに持添へて、膝までの靴足袋に、革紐を堅くかゞつて、赤靴で、少々抜衣紋に背筋を膨らまして──別れとなればお互に、峠の岐路に悄乎と立つたのには──汽車から溢れて、風に吹かれて来た、木の葉のやうな旅人も、おのづから哀れを催し、挨拶を申すうちに、つい其誘はれて。……図に乗つたのでは決してない。……
「十和田の神も照覧あれ。」
と言はうとして、ふと己を顧みて呆れ返つた。這個髯斑に眼円にして面赤き辺塞の驍将に対して、爾き言を出さむには、当時流行の剣劇の朱鞘で不可、講談ものゝ鉄扇でも不可い。せめては狩衣か、相成るべくは、緋縅の鎧……と気がつくと、暑中伺ひに到来の染浴衣に、羽織も着ず、貝の口も横つちよに駕籠すれして、もの欲しさうに白足袋を穿いた奴が、道中つかひ古しの蟹目のゆるんだ扇子では峠下の木戸へ踞んで、秋田口の観光客を──入らはい、と口上を言ひさうで、照覧あれは事をかしい。
「はあ。……」
「えゝ、しかし何は御不足でも医学博士、三角康正さんが、この一行にお加はり下すつて、篤志とまでも恩に着せず、少い徳本の膝栗毛漫遊の趣で、村々で御診察をなすつたのは、御地に取つて、何よりの事と存じます。」
「はあ、勿論であります。」
「それに、洋画家の梶原さんが、雨を凌ぎ、波を浴びて、船でも、巌でも、名勝の実写をなすつたのも、御双方、御会心の事と存じます。尚ほ、社の写真班の英雄、三浦さんが、自籠巌を駆け上り、御占場の鉄階子を飛下り、到る処、手練のシヤターを絞つたのも、保勝会の皆様はじめ、……十和田の神……」
と言ひかけて、ぐつとつまると、白のづぼん、おなじ胴衣、身のたけ此にかなつて風采の揚がつた、社を代表の高信さん、傍より進み出でゝ、
「では此で、……おわかれをいたします。」
小笠原氏は、くるり向直つて、挙手をしさうな勢ひで、
「はあ。」
これは、八月七日の午後、秋田県鹿角郡、生出を駕籠で上つて……これから三瀧街道を大湯温泉まで、自動車で一気に衝かうとする、発荷峠、見返茶屋を、……なごりの湖から、向つて右に見た、三岐の一場面である。
時に画工──画家、画伯には違ひないが、何うも、画工さんの方が、分けて旅には親味がある(以下、時に諸氏に敬語を略する事を恕されたし。)貫五さんは、この峠を、もとへ二町ばかり、樹ぶり、枝ぶり山毛欅の老樹の、水を空にして、湖の雲に浮いた、断崖の景色がある。「いゝなあ、この山毛欅一本が、こゝで湖を支へる柱だ。」そこへ画架を立てた──その時、この峠を導いて、羽織袴で、阪へ掛かると股立を取つた観湖楼、和井内ホテルの御主人が、「あ、然やうで。樹木は一枝も大切にいたさなければ成りませんな。素人目にも、この上り十五町、五十六曲り十六景と申して岩端、山口の処々、いづれも交る〴〵、湖の景色が変りますうちにも、こゝは一段と存じました。さいはひ峠上の茶屋が、こゝへ新築をいたすのでございます。」背後の山懐に、小屋を掛けて材木を組み、手斧が聞こえる。画工さんは立処にコバルトの絵の具を溶いたし、博士は紫の蝶を追つて、小屋うらの間道を裏の林に入つたので。──あと四人は本道を休茶屋へ着くと、和井内の主人は股立を解いて、別れを告げたのであつた。(註。観湖楼の羽織袴は、特に私たちの為ではない、折から地方の顕官の巡遊があつた、その送迎の次手である。)
写真班の英雄は、乃ちこの三岐で一度自動車を飛下りて、林間の蝶に逍遥する博士を迎ふるために、馳せて後戻りをした処である。──
方々の様子は皆略分つた、いづれも、それ〴〵お役者である。が、白足袋だつたり、浴衣でしよたれたり、貝の口が横つちよだつたり、口上を述損つたり……一体それは何ものだい。あゝそつと〳〵私……です、拙者、拙者。
英雄三浦の洋装の、横肥にがツしりしたのが、見よ、眉の上の山の端に顕はれた。三岐を目の下にして、例の間道らしいのを抜けたと思ふが、横状に無理な崖をするりと辷つて、自動車の屋根を踏跨ぐか、とドシンと下りた。汗ひとつかいて居ない。尤も、つい此の頃、飛行機で、八景の中の上高地の空を飛んだと言ふから、船に乗つても、羽が生えて、ひら〳〵と、周囲十五里の湖の上を高く飛びさうでならなかつた。闊歩横行、登攀、跋渉、そんな事はお茶の子で。──
思へば昨日の暮前であつた。休屋の山に一座且聳えて巌山に鎮座する十和田神社に詣で、裏岨になほ累り累る嶮しい巌を爪立つて上つた時などは……同行した画工さんが、信の槍も、越の剣も、此を延長したものだと思へ、といつたほどであるから、お恥かしいが、私にしては生れてはじめての冒険で、足萎え、肝消えて、中途で思はず、──絶頂の石の祠は八幡宮にてましますのに、──不動明王、と念ずると、やあ、といふ掛声とゝもに、制吒迦の如く顕はれて、写真機と附属品を、三鈷と金剛杵の如く片手にしながら、片手で、帯を掴んで、短躯小身の見物を宙に釣つて泳がして引上げた英雄である。岩魚の大を三匹食つて咽喉を渇かすやうな尋常なのではない。和井内自慢のカバチエツポの肥つた処を、二尾塩焼きでぺろりと平げて、あとをお茶漬さら〳〵で小楊子を使ふ。……
いや爰でこそ、呑気らしい事をいふものゝ、磊々たる巉巌の尖頂へ攀ぢて、大菩薩の小さな祠の、たゞ掌に乗るばかり……といつた処で、人間のではない、毘沙門天の掌に据ゑ給ふ。宝塔の如きに接した時は、邪気ある凡夫は、手足もすくんでそのまゝに踞んだ石猿に化らうかとした。……巌の層は一枚づゝ、厳かなる、神将の鎧であつた、謹んで思ふに、色気ある女人にして、悪く絹手巾でも捻らうものなら、たゞ飜々と木の葉に化して飛ぶであらう。それから跣足になつて、抱へられるやうにして下つて、また、老樹の根、大巌の挟間を左に五段、白樺の巨木の下に南祖坊の堂があつた。右に三段、白樺の巨木の下に、一龍神の祠があつた。……扉浅うして、然も暗き奥に、一個人面蛇体の神の、躯を三畝り、尾と共に一口の剣を絡うたのが陰影に立つて、面は剣とゝもに真青なのを見た時よ。
この祠を頂く、鬱樹の梢さがりに、瀧窟に似た径が通つて、断崖の中腹に石溜りの巌僅に拓け、直ちに、鉄の階子が架る、陰々たる汀こそ御占場と称するので──(小船は通るさうである)──画工さんと英雄とは、そこへ──おのおの……畠山の馬ではない、……猪を抱き、鹿をかつぐが如き大荷のまゝ、ずる〳〵と梢を沈んだ。高信さんは、南祖坊の壇の端に一息して向うむきに煙草を吸つた。私は、龍神に謝しつゝも、大白樺の幹に縋つて、東が恋しい、東に湖を差覗いた。
場所は、立出でた休屋の宿を、さながら谷の小屋にした、中山半島──此の半島は、恰も龍の、頭を大空に反らした形で、居る処は其の腮である。立てる絶壁の下には、御占場の崖に添つて業平岩、小町岩、千鶴ヶ崎、蝋燭岩、鼓ヶ浦と詠続いて中山崎の尖端が牙である。
相対向ふものは、御倉半島。また其の岬を大蛇灘が巻いて、めぐつて、八雲崎、日暮崎、鴨崎、御室、烏帽子岩、屏風岩、剣岩、一つ一つ、神が斧を打ち、鬼が、鉞を下した如く、やがては、巨匠、名工の、鑿鏨の手の冴に、波の珠玉を鏤め、白銀の雲の浮彫を装ひ、緑金の象嵌に好木奇樹の姿を凝らして、粧壁彩巌を刻んだのが、一目である。
折から雨のあとの面打沈める蒼々漫々たる湖は、水底に月の影を吸はうとして、薄く輝き渡つて、沖の大蛇灘を夕日影が馳つた。
再び云ふ、東向うに、其八雲、日暮崎、御室の勝に並んで半島の真中一処、雲より辷つて湖に浸る巌壁一千丈、頂の松は紅日を染め、夏霧を籠めて紫に、半ば山肌の土赭く、汀は密樹緑林の影濃かに、此の色三つを重ねて、ひた〳〵と映つて、藍を浮べ、緑を潜め、紅を溶かして、寄る波や、返す風に、紅紫千輪の花忽ち敷き、藍碧万顆の星倐ち開いて、颯と流るゝ七彩の虹の末を湖心最も深き処、水深一千二百尺の青龍の偉なる暗き口に呑む。
それが、それが、目の下にちら〳〵と、揺れに、揺れる。……夜の帳はやゝ迫る。……あゝ、美しさに気味が悪い。
そこに、白鳥の抜羽一枚、白帆の船ありとせよ。蝸牛の角を出して、櫓を操るものありとせよ、青螽の流るゝ如き発動汽艇の泳ぐとせよ。
私は何となく慄然とした。
湖ばかり、わればかり、船は一艘の影もなかつた。またいつも影の形に添ふやうな小笠原氏のゐなかつたのは、土地の名物とて、蕎麦切を夕餉の振舞に、その用意に出向いたので、今頃は、手を貸して麺棒に腕まくりをしてゐやうも知れない。三角さんは、休屋の浜ぞひに、恵比寿島、弁天島、兜島を、自籠の岩──(御占場の真うしろに当たる)──掛て、ひとりで舟を漕ぎ出した。その間に、千年の杉の並木を深く、私たちは参詣したので。……
乃ち山の背面には、岸に沿ふ三角さんの小船がある。たゞその人が頼りであつた。少々怪我ぐらゐはする覚悟で、幻覚、錯視かと自ら怪しむ、その水の彩りに、一段と、枝にのびて乗出すと、余り奇麗さに、目が眩んだのであらう。此の、中の湖の一面が雨を呼ぶやうに半スツと薄暗い。
ために黒さに艶を増した烏帽子岩を頭に、尾を、いまの其の色の波にして、一筋。御占場の方を尾に、烏帽子岩に向つて、一筋。うね〳〵と薄く光る水二条、影も見えない船脚の波に引残されたやうなのが、頭丸く尖り胴長くうねり、脚二つに分れて、たとへば(号)が横の(八)の字に向合つて、湖の半を領して浮び出た、ものゝ形を見よ。──前日、子の口の朝の汀に打ち群るゝ飴色の小蝦の下を、ちよろ〳〵と走つた──真黒な蠑螈に似て双ながら、こゝに其の丈十丈に余んぬる。
見る〳〵、其の尾震ひ、脚蠢き、頭動く。……驚破、相噛まば、戦はゞ、此波湧き、此巌崩れ、われ怪し飛ぶ、と声を揚げて「康正さーん。」博士たすけよ、と呼ばむとする時、何と、……頸寄り、頬重り、脚抱くと視るや、尾を閃めかして接吻をした。風とゝもに黒い漣が立蔽つた。
「──占は……占は──」
谺に曳いて、崖下の樹の中、深く、画工さんの呼ぶのが聞こえて、
「……凄いぞう。」
と、穴に籠つたやうな英雄の声が暗い水に響いた。
「やあ、これは。」
高信さんが、そこへ、ひよつくり顕はれた、神職らしいのに挨拶すると、附添つて来た宿屋の番頭らしいのが、づうと出て、
「今これへ、おいでの皆様は博士の方々でおいでなさりまするぞ。」
十四五人、仙台の学校からと聞く、洋服の紳士が、ぞろ〳〵と続いて見えた。……
──のであつた。──
時に英雄が発荷峠で……
「博士は、一車あとへ残らるゝさうです。紅立羽、烏羽揚羽、黄と白の名からして、おつにん蝶、就中、(小紫)などといふのが周囲についてゐますから、一寸山から出さうにもありませんな。」
──この言は讖をなした。翌々夜の秋田市では、博士を蝶の取巻くこと、大略斯の通りであつた。もとより後の話である。
私はいつた。
「蝶々の診断をしてゐるんだ。大湯で落合ひましやうよ、一足さきへ……」
……実は三日余り、仙境霊地に心身共に澄切つて、澄切つた胸さきへ凡俗の気が見透くばかり。そんなその、紅立羽だの、小紫だの、高原の佳人、お安くないのにはおよばない、西洋化粧の化紫、ござんなれ、白粉の花ありがたい……早く下界へ遁げたいから、真先に自動車へ。
駕籠を一挺、駕籠屋が四人、峠の茶屋で休んだのが、てく〳〵と帰つて来た。
「いや、取紛れて失念をしようとした。ほんの寸志だよ。」
高信さんが、銀貨を若干、先棒の掌へポンと握らせると、にこりと額をうつむけた処を、
「いくら貰うたかい。」
小笠原氏が、真顔で、胡麻髯の頬を寄せた。
「へい。」と巌丈に引握つた大きな掌をもつさりと開ける、と光る。
「多からうが。多いぞ。お返し申せ。──折角ですが、かやうな事は癖になりますで、以来悪例になりますでな。」
お律義お律義、いつもその思召で願ひたい、と何の道此処は自腹でないから、私は一人で褒めてゐる。
「いや〳〵、それはそれ、これはこれ、たゞ些少の志ですから。……さあ〳〵若い衆、軽く納めて。」
馴れて如才ない扱ひに、苦つた顔してうなづいて、
「戴いて置け。礼を言へい。」
「それ、急げ。」
英雄は、面倒くさい座席になど片づくのでない。自動車も免許取だから、運転手台へ、ポイと飛び上ると、「急げ。」──背中を一つ引撲く勢ひだから、いや、運転手の飛ばした事。峠から下す風は、此の俗客を吹きまくつた。
「や、お精が出ますなあ。」
坂の見霽で、駕籠が返る、と思ひながら、傍目も触らなかつた梶原さんは、──その声に振返ると、小笠原氏が、諸肌ぬぎになつて、肥腹の毛をそよがせ、腰に離さなかつた古手拭を頸に巻いた。が、一役済まして、ほつと寛いだ状だつたさうである。「さすがに日当りは暑いですわい。」「これから何方までお帰りです。」法奥沢村の名望家が、「船さ出れば乗るのですがな、都合さ悪ければ休屋まで歩行きますかな。月がありますで、或は陸路を子の口へ帰るですわい。」合はせて六里余、あの磽确たる樵路を、連もなく、と思ふと、三角先生に宜しく、と挨拶して、ひとり煢然として峠を下る後態の、湖は広大、山毛欅は高し、遠見の魯智深に似たのが、且軍敗れて、鎧を棄て、雑兵に紛れて落ちて行く宗任のあはれがあつた。……とその夜、大湯の温泉で、おしろひの花にも似ない菜葉のやうなのに酌をされつゝ、画家さんが私たちに話したのであつた。
──却説前段に言つた。──海岸線まはりの急行列車が古間木へ(此の駅へは十和田繁昌のために今年から急行がはじめて停車するのださうで。)──着いた時、旅行に経験の少い内気ものゝあはれさは、手近な所を引較べる……一寸伊豆の大仁と言つた気がしたのである。が、菜の花や薄の上をすらすらと、すぐに修善寺へついて、菖蒲湯に抱かれるやうな、優しいのではない。駅を右に出ると、もう心細いほど、原野荒漠として、何とも見馴れない、断れ雲が、大円の空を飛ぶ。八方草ばかりで、遮るものはないから、自動車は波を立てゝ砂に馳しり、小砂利は面を打つ凄じさで、帽子などは被つて居られぬ。何、脱げば可さゝうなものだけれど、屋根一つ遠くに見えず、枝さす立樹もなし、あの大空から、遮るものは唯麦藁一重で、赫と照つては急に曇る……何うも雲脚が気に入らない。初見の土地へ対しても、すつとこ被りもなるまいし……コツツンと音のするまで、帽子の頂辺を敲いて、嵌めて、「天気模様は如何でせうな。」「さあ──」「降るのは構ひませんがね、その雷様は──」小笠原氏は、幌なしの車に、横ざまに背筋を捻ぢて、窓に腰を掛けたやうな形で飛び飛び、「昨日一昨日と三日続けて鳴つたですで、まんづ、今日は大丈夫でがせうかな。」一行五人と、運転手、助手を合はせて八人犇と揉んで乗つた、真中に小さくなつた、それがしの顔色少からず憂鬱になつたと見えて、博士が、肩へ軽く手を掛けるやうにして、「大丈夫ですよ、ついて居ますよ。」熟々案ずれば、狂言ではあるまいし、如何に名医といつても、雷神を何うしようがあるものではない。が、面食つて居るから、この声に、ほつとして、少しばかり心が落着いた。
落着いて見ると……「あゝ、この野中に、優にやさしい七夕が……。」又慌てた。丈より高い一面の雑草の中に、三本、五本また七本、淡い紫の露の流るゝばかり、且飛ぶ処に、茎の高い見事な桔梗が、──まことに、桔梗色に咲いたのであつた。
去ぬる年、中泉から中尊寺に詣でた六月のはじめには、細流に影を宿して、山吹の花の、堅く貝を刻めるが如く咲いたのを見た。彼は冷き黄金である。此は温かき瑠璃である。此日、本線に合して仙台をすぐる頃から、町はもとより、野の末の一軒家、麓の孤屋の軒に背戸に、垣に今年竹の真青なのに、五色の短冊、七彩の糸を結んで掛けたのを沁々と床しく見た、前刻の今で、桔梗は星の紫の由縁であらう。……時に靡きかゝる雲の幽なるさへ、一天の銀河に髣髴として、然も、八甲田山を打蔽ふ、陸奥の空は寂しかつた。
われらは、ともすると、雲に入つて雲を忘るゝ……三本木は、柳田国男さんの雑誌──(郷土研究)と、近くまた(郷土会記録)とに教へられた、伝説をさながら事実に殆ど奇蹟的の開墾地である。石沙無人の境の、家となり、水となり、田となり、村となつた、いま不思議な境にのぞみながら、古間木よりして僅に五里、あとなほ十里をひかへた──前途の天候のみ憂慮はれて、同伴に、孫引のもの知り顔の出来なかつたのを遺憾とする。
八人では第一乗溢れる。飛ぶ輻の、あの勢ひで溢れた日には、魔夫人の扇を以て煽がれた如く、漂々蕩々として、虚空に漂はねばなるまい。それに各荷が随分ある。恁くいふ私にもある。……大きなバスケツトがある。読者知るや、弴さんと芥川(故……あゝ、面影が目に見える)さんが、然も今年五月、東北を旅した時、海を渡つて、函館の貧しい洋食店で、弴さんが、オムレツを啣んで、あゝ、うまい、と嘆じ、
と、芥川さんが詠じて以来、──東京府の心ある女連は、東北へ旅行する亭主の為に鰹のでんぶと、焼海苔と、梅干と、氷砂糖を調へることを、陰膳とゝもに忘れない事に成つた。女に心があつてもなくても、私も亭主の一人である。そのでんぶ、焼海苔など称ふるものをしたゝか入れた大バスケツトがあるゆゑんである。また不断と違ふ。短躯小身なりと雖も、かうして新聞から出向く上は、紋着と袴のたしなみはなくてなるまいが、酔つ払つた年賀でなし、風呂敷包で背負ひもならずと、……友だちは持つべきもの、緑蝶夫人といふ艶麗なのが、麹町通り電車道を向うへ、つい近所に、家内の友だちがあるのに──開けないと芬としないが、香水の薫りゆかしき鬢の毛ならぬ、衣裳鞄を借りて持つた。
次手に、御挨拶を申したい。此の三本木の有志の方々から、こゝで一泊して晩餐と一所に、一席の講話を、とあつたのを、平におわびをしたのは、……かるがゆゑに袴がなかつた為ではない。講話など思ひも寄らなかつたからである。しかし惜しい事をした。いま思へば、予て一本を用意して、前記(郷土会記録)載する処の新渡戸博士の三本木開墾の講話を朗読すれば可かつた。土地に住んで、もう町の成立を忘れ、開墾当時の測量器具などの納めた、由緒ある稲荷の社さへ知らぬ人が多からうか、と思ふにつけても。──
人と荷を分けて積むため、自動車をもう一台たのむ事にして、幅十間と称ふる、規模の大きい、寂びた町の新しい旅館の玄関前、広土間の卓子に向つて、一休みして巻莨を吹かしながら、ふと足元を見ると、真下の土間に金魚がひらひらと群れて泳ぐ。寒国では、恁うして炉を切つた処がある。これは夏の待遇に違ひない。贅沢なものだ。昔僭上な役者が硝子張の天井に泳がせて、仰向いて見たのでさへ、欠所、所払ひを申しつかつた。上からなぞは、と思ひながら、止せばいゝのに、──それでも草履は遠慮したが、雪靴を穿いた奥山家の旅人の気で、ぐい、と踏込むと、おゝ冷い。ばちやんと刎ねて、足袋はびつしより、わアと椅子を傾けて飛上ると、真赤になつて金魚が笑つた。あはは、あはは。
いや、笑事ではない。しばらくして──東は海を限り、北は野辺地に至るまで、東西九里、南北十三里、周囲十六里。十里まはりに笠三蓋と諺にも言ふ、その笠三蓋とても、夏は水のない草いきれ、冬は草も見ぬ吹雪のために、倒れたり、埋れたり、行方も知れなくなつたと聞く。……三本木原の真中へ、向風と、轍の風に吹放された時は、沖へ漂つたやうな心細さ。
早く、町を放れて辻を折れると、高草に遥々と道一筋、十和田に通ふと聞いた頃から、同伴の自動車が続かない。私のは先へ立つたが、──説明を聞くと、砂煙がすさまじいので、少くとも十町あまりは間隔を置かないと、前へ進むのはまだしも、後の車は目も口も開かないのださうである。──この見果てぬ曠野に。
果せるかな。左右見渡す限り苜蓿の下臥す野は、南部馬の牧場と聞くに、時節とて一頭の駒もなく、雲の影のみその幻を飛ばして一層寂しさを増した……茫々たる牧場をやゝ過ぎて、道の弧を描く処で、遠く後を見返れば、風に乗つた友船は、千筋の砂煙をかぶつて、乱れて背状に吹きしなつて、恰も赤髪藍面の夜叉の、一個水牛に化して、苜蓿の上を転げ来たる如く、もの凄じく望まれた。
前途七里焼山の茶店に着いて、少時するまで、この友船は境を隔てたやうに別れたのである。
道は大畝りに、乗上り乗下つて、やがて、野は迫り、山来り、巌近づき、川灌いで、やつと砂煙の中を抜けたあたりから、心細さが又増した。樹はいま緑に、流は白い。嵐気漓る、といふ癖に、何が心細い、と都会の極暑に悩むだ方々からは、その不足らしいのをおしかりになるであらうが、行向ふ、正面に次第に立累る山の色が真暗なのである。左右の山々は、次第次第に、薄墨を合せ、鼠を濃くし、紺を流し、峰が漆を刷く。
「さあ〳〵さあ、そろ〳〵怪しくなりましたな。」
「怪談ですか。」
「それ処ですか、暗く成つて来ましたなあ、鳴りさうですね。鳴りさうですね。」
三角さんが、
「大丈夫、よく御覧なさい、あの濡れたやうに艶々と黒くすごい中に……」
小笠原氏が口を入れて、
「あの中が、これから行く奥入瀬の大渓流でがすよ。」
だから、だからいはぬ事ではない、私は寒気がして来た。
「いゝえ、──黒く凄い中に、薄く…光る…は不可ませんか。」
と博士が莞爾して、
「黒く凄い中に、紫色が見えましやう。高山は何処もこの景色です。光線の工合です。夕立雲ではありません。」
白皙蒲柳の質に似ず、越中国立山、剣ヶ峰の雪を、先頭第四十何人目かに手鈎に掛けた、登山においては、江戸の消防夫ほどの侠勢のある、この博士の言を信ずると、成程、夕立雲が立籠めたのでもなさゝうで、山嶽の趣きは墨染の法衣を襲ねて、肩に紫の濃い袈裟した、大聖僧の態がないでもない。が、あゝ、何となくぞく〳〵する。
忽ち、ざつとなつて、ポンプで噴くが如く、泥水が輪の両方へ迸ると、ばしやんと衣裳鞄に刎ねかゝつた。運転手台の横腹へ綱を掛けて積んだのである。しまつた、借りものだ、と冷りとすると、ざつ、ざぶり、ばしやツ。弱つた。が、落着いた。緑蝶夫人の貸し振を思へ。──「これは、しやぼん、鰹節以上ですな。──道中損ずる事承合ですぜ。」「鞄は汚れたのが伊達なんですとさ。──だから新しいのを。何うぞ精々傷めて来て下さいな。」最う一つ落着いたのは、……夏の雨だ。こゝらは最う降つたあとらしい、と思つたのである。
「小笠原さん、降つたんですね。」
「いや、昨日の雨ですわい。」
御勝手になさい、膠のないこと夥しい。然やうでございませうとも、成程晴れたのではない。窓をたよるほど暗さが増して気の滅入る事又夥しい。私は家が恋しくなつた。人間女房の恋しく成るほど、勇気の衰へる事はない。それにつけても、それ、その鞄がいたはしい。行つた、又ばしやり、ばしやん。
以て、この辺既に樹木の茂れる事思ふべし。焼山は最う近い。
近い。が焼山である。唐黍も焦げてゐやう。茄子の実も赤からう。女気に遠ざかる事、鞄を除いて十里に余つた。焼山について休んだ処で、渋茶を汲むのはさだめし皺くたの……然ういへば、来る道の阪一つ、流を近く、崖ぶちの捨石に、竹杖を、ひよろ〳〵と、猫背へ抽いて、齢、八十にも余んなむ、卒塔婆小町を正で見る婆さんが、ぼやり、うつむいて休んでゐた。そのほかに殆ど人影を見なかつたといつても可い。──あんなのが「飲ましやい。」であらうと観念したのであつたから。
「今日は──女房さん。」
珊瑚の枝を折つてゐた、炉の焚火から、急いで立つて出迎へた、もの柔かな中形の浴衣の、髪の濃いのを見た時は、慌てたやうに声を掛けた。
焼山の一軒茶屋、旅籠に、雑貨荒物屋を兼ねた──土間に、(この女房さんなら茶も熱い)──一椀を喫し、博士たちと一息して、まはりの草の広場を、ぢつと視ると、雨空低く垂れつゝ、雲は黒髪の如く野に捌けて、棟を絡ひ、檐に乱るゝとゝもに、向うの山裾に、ひとつ、ぽつんと見える、柴小屋の茅屋根に、薄く雨脚が掛かつて、下草に裾をぼかしつゝ歩行くやうに、次第に此方へ、百条となり、千条と成つて、やがて軒前に白い簾を下ろした。
この雫に、横頬を打たれて、腕組をして、ぬい、と立つたのは、草鞋を吊つた店の端近に踞んだ山漢の魚売で。三枚の笊に魚鱗が光つた。鱗は光つても、其が大蛇でも、此の静かな雨では最う雷光の憂慮はない。見参、見参などゝ元気づいて、説明を待つまでもない、此の山深く岩魚のほかは、予て聞いた姫鱒にておはすらむ、カバチエツポでがんせうの、と横歩行きして見に立つ勢ひ。序にバスケツトを探つて、緑蝶夫人はなむけする処のカクテルの口を抜いた。
「凄い婆さんに逢ひましたよ。」
「大雨、大雨。」
と、画工さん、三浦さんがばた〳〵と出た、その自動車が、柴小屋を小さく背景にして真直に着くと、吹降を厭つた私たちの自動車も、じり〳〵と把手を縦に寄つた。並んだ二台に、頭からざつと浴せて、軒の雨の篠つくのが、鬣を敲いて、轡頭を高く挙げた、二頭の馬の鼻柱に灌ぐ風情だつたのも、谷が深い。
が、驟雨の凄じさは少しもない。すぐ、廻り縁の座敷に、畳屋の入つてゐたのも、何となく心ゆく都の時雨に似て、折から縁の端にトントンと敲いた茣蓙から、幽に立つた埃も青い。
はじめよりして、ものゝ可懐しかつたのは、底暗い納戸の炉に、大鍋と思ふのに、ちら〳〵と搦んで居る焚火であつた、この火は、車の上から、彼処に茶屋と見た時から、迷つた深山路の孤屋の灯のやうに嬉しかつた。女房の姿に優しかつた。
壁天井、煤のたゞ黒い中に、火は却つて鮮かである。この棟にかゝる蔦はいち早くもみぢしよう。この背戸の烏瓜も先んじて色を染めよう。東京は遥に、家は遠い。……旅の単衣のそゞろ寒に、膚にほの暖かさを覚えたのは一杯のカクテルばかりでない。焚火は人の情である。
ひら〳〵と揚がり、ひら〳〵と伏して、炉に靡く。焚火は襷の桃色である。かくて焼山は雨の谷に美しい。
ひそかに名づけて、こゝを村雨茶屋といはうと思つた。小降りになつた。白い雲が枝に透く。
「何を煮てゐなさるんですか、女房さん。」
出立つ時、私は、納戸のその鍋をさしてきいた。
「はい?」
「鍋に何を煮なさいますか。」
「小豆でございます。」
と言ふと、女房は容子よく、ぽつと色を染めた。
私はその理由を知らない。けれども、それよりして奥入瀬川の深林を穿つて通る、激流、飛瀑、碧潭の、到る処に、松明の如く、灯の如く、細くなり小さくなり、また閃きなどして、──子の口の湖畔までともなつたのは、この焚火と、──一茎の釣舟草の花のあつたことを忘れない。
「しばらく、一寸。」
焼山を一町ばかり、奥入瀬口へ進んだ処で、博士が自動車を留めていつた。
「あの花を知つてゐなさいますか──一寸、お目に掛けませう。」
自動車を引戻し、ひらりと下りるのに、私も続くと、雨にぬれた草の叢に、優しい浅黄の葉を掛けて、ゆら〳〵と咲いたのは、手弱女の小指さきほどの折鶴を乗せよう、おなじく折つた小さな薄黄色の船の形に連り咲いた花である。「一枝」と意を得ると、小笠原氏の顔を出して、事もなげに頷くのを視て、折り取る時、瀬の音が颯と響いた。
やがて交る〴〵手に翳した。
釣舟草は浮いて行く。
忽ち見る、車の輻は銀に、轍は緑晶を捲いて、水が散つた。奥入瀬川の瀬に入つたのである。
これよりして、子の口までの三里余は、たゞ天地を綾に貫いた、樹と巌と石と流の洞窟と言つて可い。雲晴れても、雨は不断に降るであらう。楢、桂、山毛欅、樫、槻、大木大樹の其の齢幾干なるを知れないのが、蘚苔、蘿蔦を、烏金に、青銅に、錬鉄に、刻んで掛け、鋳て絡うて、左右も、前後も、森は山を包み、山は巌を畳み、巌は渓流を穿ち来る。……
色を五百機の碧緑に織つて、濡色の艶透通る薄日の影は──裡に何を棲ますべき──大なる琅玕の柱を映し、抱くべく繞るべき翡翠の帳の壁を描く。
この壁柱は星座に聳え、白雲に跨がり、藍水に浸つて、露と雫を鏤め、下草の葎おのづから、花、禽、鳥、虫を浮彫したる氈を敷く。
氈の上を、渓流は灌ぎ、自動車は溯る。
湖の殿堂を志す、曲折算ふるに暇なき、この長い廊下は、五町右に折れ、十町左に曲り、二つに岐れ、三つに裂けて、次第々々に奥深く、早きは瀬となり、静なるは淵となり、奔るは湍となり、巻けるは渦となつて、喜ばせ、楽ませ、驚かせ、危がらせ、ヒヤリとさせる。目の前に、幾処か、凄じき扉と思ふ、大磐石の階壇は、瀧を壇の数に落しかけ、落つる瀧は、自動車を空へ釣る。
呪なく、券なきに、この秘閣の廊下、行く処、扉おのづから開け、柱来り迎ふる感がある。
──惟ふに人は焼山をすぎて、其第一の扉展くとともに、心慄くであらう。車の轍を取つて引くものは、地でなく、草でなく、石でなく、森の壁を打つて、巌の柱に砕くる浪である。衝き入る自動車は、瀬にも、淵にも、瀧にも、殆ど水とすれ〳〵に、いや、寧ろ流の真中を、其のまゝに波を切つて船の如くに溯るのであるから。
巌の黒き時、松明は幻に照し、瀬の白き時、釣舟草は窓に揺れた。
全体、箱根でも、塩原でも、或は木曾の桟橋でも、実際にしろ、絵にせよ、瑠璃を灌ぎ、水銀を流す渓流を、駕籠、車で見て行くのは、樵路、桟道、高い処で、景色は低く下に臨むものと思つて居たのに、繰返していふが、此の密林の間は、さながら流に浮んで飛ぶのである。
もとより幾処にも橋がある。皆大木の根に掛り、巨巌の膚を穿つ。其の苔蒸す欄干を葉がくれに、桁を蔦蔓で埋めたのが、前途に目を遮るのに、橋の彼方には、大磐石に堰かれて、急流と奔湍と、左より颯と打ち、右より摚と潜り、真中に狂立つて、巌の牡丹の頂に踊ること、藍と白と紺青と三頭の獅子の荒るゝが如きを見るとせよ。角度を急に曲つて、橋を乗る時を思はれよ。
釣舟草は浮いて行く。
中に一所、湖神が設けの休憩所──応接間とも思ふのを視た。村雨又一時はら〳〵と、露しげき下草を分けつゝ辿ると、藻を踏むやうな湿潤な汀がある。森の中を平地に窪んで、居る処も川幅も、凡そ百畳敷きばかり、川の流が青黒い。波、波、波は、一面に陰鬱に、三角に立つて、同じやうに動いて、鱗のざわ〳〵と鳴る状に、蠑螈の群る状に、寂然と果しなく流れ流るゝ。
寂しく物凄さに、はじめて湖神の片影に接した思がした。
三方は、大巌夥しく累つて、陰惨冥々たる樹立の茂は、根を露呈に、石の天井を蜿り装ふ──こゝの椅子は、横倒れの朽木であつた。
鱗の波は、ひた〳〵と装上つて高く打つ。──所謂「石げど」の勝である。
馬の胴中ほどの石の、大樫、古槻の間に挟つて、空に架つて、下が空洞に、黒鱗の淵に向つて、五七人を容るべきは、応接間の飾棚である。石げどはこの巌の名なのである。が、魔の棲むべき岩窟を、嘗て女賊の隠れ家であつたと言ふのは惜い。……
隣郷津軽の唐糸の前に恥ぢずや。女賊はまだいゝ。鬼神のお松といふに至つては、余りに卑しい。これを思ふと、田沢湖の街道、姫塚の、瀧夜叉姫が羨しい。が、何だか、もの欲しさうに、川をラインとか呼ぶのから見れば、この方が遥にをかしい。
雲は黒くなつた。淵は愈々暗い。陰森として沈むあたりに、音もせぬ水は唯鱗が動く。
時に、廊下口から、扉の透間から、差覗いて、笑ふが如く、顰むが如く、ニタリ、ニガリと行つて、彼方此方に、ぬれ〳〵と青いのは紫陽花の面である。面でない燐火である。いや燈籠である。
しかし、十和田一帯は、すべて男性的である。脂粉の気の少い処だから、此の青い燈籠を携ふるのは、腰元でない、女でない。
木魅、山魅の影が添つて、こゝのみならず、森の廊下の暗い処としいへば、人を導くが如く、あとに、さきに、朦朧として、顕はれて、蕚の角切籠、紫陽花の円燈籠を幽に青く聯ねるのであつた。
釣舟草は浮いて行く。
焚火は幻に燈れて続く。
車の左右に手の届く、数々の瀧の面も、裏見る姿も、燈籠の灯に見て、釣舟草は浮いて行く。
瀧のその或ものは、雲にすぼめた瑪瑙の大蛇目の傘に、激流を絞つて落ちた。また或ものは、玉川の布を繋いで、中空に細く掛かつた。その或ものは、黒檀の火の見櫓に、星の泡を漲らせた。
やがて、川の幅一杯に、森々、淙々として、却つて、また音もなく落つる銚子口の大瀧の上を渡つた時は、雲もまた晴れて、紫陽花の影を空に、釣舟草に、ゆら〳〵と乗心地も夢かと思ふ。……橋を辷つて、はツと見ると、こゝに晃々として滑らかなる珠の姿見に目が覚めた。
湖の一端は、舟を松蔭に描いて、大弦月の如く輝いた。
水の光を白砂にたよつて、子の口の夕べの宿に着いたのである。
「御馳走は?」
「洋燈。」
といつて、私はきよとりとした。──これは帰京早々お訪ねに預かつた緑蝶夫人の問に答へたのであるが──実は子の口の宿が洋燈だつたので、近頃余程珍しかつた。それが記憶に沁みてゐて、うつかり口へ出たのである。
洋燈も珍しいが、座敷もまだ塗立ての生壁で、木の香は高し、高縁の前は、すぐに樫、槻の大木大樹鬱然として、樹の根を繞つて、山清水が潺々と音を寂に流れる。……奥入瀬の深林を一処、岩窟へ入る思ひがした。
さて御馳走だが、その晩は、鱒のフライ、若生蕈と称ふる、焼麩に似たのを、てんこ盛の椀。
「ホツキ貝でなくつてよかつたわね。」
「精進のホツキ貝ですよ。それにジヤガ芋の煮たの。……しかしお好み別誂で以て、鳥のブツ切と、玉葱と、凍豆腐を大皿に積んだのを鉄鍋でね、湯を沸立たせて、砂糖と醤油をかき交ぜて、私が一寸お塩梅をして」
「おや、気味の悪い。」
「可、と打込んで、ぐら〳〵と煮える処を、めい〳〵盛に、フツフと吹いて、」
「山賊々々。」
と冷かしたが、元来、衣裳鞄の催促ではない、ホツキ貝の見舞に来たのだから、先づ其次第を申述べる処へ……又近処から、おなじく、氷砂糖、梅干の注意連の女性が来り加はつた。次手だから、次の泊の休屋の膳立てを紹介した。鱒の塩やき、小蝦のフライ、玉子焼、鱒と芙萸の葛かけの椀。──昼と晩の順は忘れたが、鱒と葱の玉子綴、鳥のスチウ、鱒のすりみと椎茸と茗荷の椀。
「鱒、鱒、鱒。」
「ます〳〵出ます。」と皆で笑ふ。何も御馳走を食べに行く処ではない。景色だ、とこれから、前記奥入瀬の奇勝を説くこと一番して、此の子の口の朝ぼらけ、汀の松はほんのりと、島は緑に、波は青い。縁前のついその森に、朽木を啄む啄木鳥の、青げら、赤げらを二羽視ながら、寒いから浴衣の襲着で、朝酒を。──当時、炎威猛勢にして、九十三度半といふ、真中で談じたが、
「だからフランネルが入つてるぢやありませんか、不精だね。」
と女房めが、風流を解しないこと夥しい。傍から、
「その為の鞄ぢやあないの。」
で、一向に涼しさなんぞ寄せつけない。……たゞ桟橋から、水際から、すぐ手で掬へる小瑕の事。……はじめ、羽の薄い薄萠黄の蝉が一疋、波の上に浮いて、動いてゐた。峨峰、嶮山に囲まれた大湖だから、時々颯と霧が襲ふと、この飛んでるのが、方角に迷ふうちに羽が弱つて、水に落ちる事を聞いてゐた。──上げてやらうと、杖で、……かう引くと、蝉の腹に五つばかり、小さな海月の脚の様なのが、ふら〳〵とついて泳いで寄る、食つてゐやがる──蝦である。引寄せても遁げないから、密と手を入れると、尻尾を一寸ひねつて、二つも三つも指のさきをチヨ、チヨツと突く。此奴と、ぐつと手を入れると、スイと掌に入つて来る。岩へ寄せて、ひよいと水から取らうとすると、アゝ擽つたい、輪なりに一つピンと刎ねて、ピヨイとにげて、スイと泳いで、澄ましてゐる。小雨のかゝるやうに、水筋が立つほど、幾らでも、といふ……半から、緑蝶夫人は気を籠めて、瞳を寄せ、もう一人は掌をひら〳〵動かし、じり〳〵と卓子台に詰寄ると、第一番に食意地の張つてる家内が、もう、襷を掛けたさうに、
「食べられるの。」
「そいつが天麩羅のあげたてだ。ほか〳〵だ。」
緑蝶夫人が、
「あら、いゝ事ねえ、行きたくなつた。」
「私……今からでも。」
度し難い! 弱つた。教養あり、識見ある、モダンとかゞ羨しい。
読者よ、かくの如きは湖の宮殿に至る階の一段に過ぎない。其の片扉にして、写し得たる一景さへこれである。五彩の漣は鴛鴦を浮べ、沖の巌は羽音とゝもに鵜を放ち、千仭の断崖の帳は、藍瓶の淵に染まつて、黒き蠑螈の其の丈大蛇の如きを沈めて暗い。数々の深秘と、凄麗と、荘厳とを想はれよ。
──いま、其の奥殿に到らずとも、真情は通じよう。湖神のうけ給ふと否とを料らず、私は階に、かしは手を打つた。
ひそかに思ふ。湖の全景は、月宮よりして、幹紫に葉の碧なる、玉の枝より、金色の斧で伐つて擲つたる、偉なる胡桃の実の、割目に青い露を湛へたのであらう。まつたく一寸胡桃に似て居る。
底本:「新編 泉鏡花集 第十巻」岩波書店
2004(平成16)年4月23日第1刷発行
底本の親本:「日本八景」鉄道省
1928(昭和3)年8月1日
初出:「東京日日新聞 朝刊第一八三五一号~第一八三五九号」東京日日新聞社
1927(昭和2)年10月1日~9日
「大阪毎日新聞 夕刊第一五九五〇号~第一五九五三号、第一五九五五号~第一五九五九号」大阪毎日新聞社
1927(昭和2)年10月13日~16日、18日~22日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「十和田湖」となっています。
※初出時の署名は「泉鏡花」です。
入力:日根敏晶
校正:門田裕志
2016年8月31日作成
2016年9月2日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。