家庭小言
伊藤左千夫




 近頃は、家庭問題と云うことが、至る所に盛んなようだ。どういう訳で、かく家庭問題が八釜敷なって来たのであろうか。其の原因に就いて考えて見たらば、又種々な理由があって、随分と面白くない原因などを発見するであろうと思われる。乍併しかしながら、此の家庭問題を、色々と討究して、八釜しくいうて居る現象は、決して悪い事でない、むしろ悦ぶべき状態に相違ないのであろう。只其の家庭問題を、彼是云うて居る夫子其の人の家庭が、果して能く整うて居るのであろうか、平生円満な家庭にある人などは、却って家庭問題の何物たるかをも知らぬと云うような事実がありはせまいか、是れは少しく考うべき事であると思う。予は現に、人の妻と姦通して、遂に其の妻を奪った人が、家庭の読物を、発刊しようかなどと云って居るのを、聞いたことがある。猶予自身の如きは、幸に家庭の不快など経験したことがないので、家庭の問題などは、主人の心持一つで、無造作に解決せらるるものと信じて居った。殊更に家庭の円満とか家庭の趣味とか、八釜しく云うことが、却っておかしく思われて居った。

 それは、今日世上に、家庭問題を論究しつつある人々の内にも、必しも不円満な家庭中の人ばかりは居るまい、人の模範となるべき家庭を保って居る人も、多いであろうけれども、実行の伴わない論者も、決して少くはあるまいと思う。円満な家庭中の人が、却って不円満な家庭の人から講釈いわるるような、奇態の事実がありはせまいか。云うまでもなく、家庭問題は、学術上の問題ではない事実の問題であるから、実験に基づかぬ話は、何程才学ある人の云うことでも、容易に価値を認めることの出来ないが普通である。世の学者教育家などの、無造作に家庭問題を云々するは、少しく片腹痛き感がある。世に家庭の事を云々する人には、如何なる程度の家庭を標準として説くのであろうか、予は常に疑うのである。家庭という問題に就いて、一つの標準を立て得るであろうか、其の標準が立たないとした時には、何を目安に家庭問題を説くか、すこぶる取り留めなき事と云わねばならぬ。元来、家庭と云うものは、其の人次第の家庭が成立つものであって、他から模型を示して、家庭というものは、是々にすべきものなどと、教え得べきものでないと思う。

 人々に依り、家々に依り、年齢に依り、階級に依り、土地により、ことごとく家庭の趣味は変って居る。今少しく精細に云って見るならば、役人の家庭、職人の家庭、芸人の家庭、学者の家庭、新聞記者、政治家、農家、商家、其の外に貧富の差がある、智識の差がある、夫婦諸稼の家庭もある、旦那様奥様の家庭もある、女の多い家、男の多い家、斯く数えて来たらば際限がない。一個人に就いても決して一定して居ない、妻のない時、妻のある時、親というものになっての家庭、子に妻なり婿なりの出来てからの家庭、此の如き調子に家庭の趣というものは、千差万別、少しも一定して居るものでない、標準などいうものの立ち様のないのが、家庭本来の性質である。されば世の家庭談とか云うものは、実は其の人々の思々を云うたものに過ぎない訳で、それを以て、他を律することも出来ず他を導くことも出来ない筈のものである。家庭教育、家庭小説、家庭料理、家庭何々、種々な名目もあって、家庭に対する事業も沢山あるようだが、実際家庭を益するような作物があるか否かは疑問である。飛んだ間違った方向へ応用されると、却て家庭を害するような結果がないとは云えぬ。何れ商売上手の手合の仕事とすれば、害のない位をモッケの幸とせねばならぬが、真面目に家庭談を為すものや、本気に家庭作物を読む人々は、先ず此の家庭の意義を、十分に解して居って貰い度いものである。

 予の考は、家庭の意義を根本的に云うならば、其の人の性格智識道徳等から、自然に湧くべき産物である。高くも低くも、其の人だけの家庭を作るより外に、道はないのであろう。甲の家庭を乙が模し、丙の家庭を丁が模すると云うような事は、とてても出来ないことじゃと信ずる。其の人を解かずして其の家庭を解くは、火を見ないで湯を論ずるようなものである。湯の湧く湧かぬは、釜の下の火次第である、火のない釜に、湯の湧きようはない。家庭の趣味如何を問う前に、主人其の人の趣味如何を見よ、趣味なき人に趣味ある家庭を説くは、火のない釜に、湯の沸くを待つようなものだ、こう云うて了えば、家庭問題と云うものは、全く無意義に帰して終う訳だ。然り教導的に家庭を説くは、全く無意義なもので、家庭を益することは少く、害する方が多いに極って居る。

 乍併、家庭は尊いものだ、趣味の多いものだ、楽しみ極りないものだ。人間の性命は、殆ど家庭に依って居ると云ってもよい位だ。されば、人各家庭の事実を説くは、甚だ趣味ある事で、勿論他の参考にもなることである。只自身家庭趣味の経験に乏しく、或は陋劣なる家庭にありながら、徒らに口の先、筆の先にて空想的家庭を説くは、射利の用に供せらるる以外には、何等の意義なしと云ってよかろう。

 家庭趣味の事実を談ずることは、談者自ら興味多く、聴く人にも多くの趣味を感じ、且つ参考になることが多い。故に家庭の事は、人々盛に談ずべしだ、面白い事も、悲しいことも、人に談ずれば面白いことは更に面白さを加え、悲しいことは依って悲しみを減ずる。家庭の円満を得ない人は勿論、家庭円満の趣味に浴しつつある人でも、能く談ずれば其の興味を解することが益深くなってくる。今迄はうかと経過した些事にも、強烈な趣味を感ずる様になってくる。何事によらず面白味を知らずに其の中にあるより、面白味を知って其の中にあれば、楽しみが一層深いものである。山中の人山中の趣になれて、却て其の趣味を解せざるが如く、家庭趣味に浴しつつある人も、其の趣味を談ぜざれば、折角身幸福の中にありながら、其の幸福を、十分に自覚しないで過ぎ去る訳である。

 他が為に家庭趣味を説くはいやしい、人の各自に其の家庭趣味を談じて、大いに其の趣味を味うというは、人世の最大なる楽事であるまいか。

 吾が新仏教の同人諸君、願わくは大いに諸君の家庭を語れ、予先ず諸君に先じて、吾がボロ家庭を語って見よう。

「新仏教」明38・1



 今一くさり理窟を云って置かねばならぬ。予は先に、今の家庭説は、家庭を害する方が多いと云った、何故に家庭を害するか、それを少しく云うて置かねばならぬ。

 世人多くは、家庭問題は、今日に始まったものの如く思って居るらしいが、決してそうではない。吾々が幼時教育を受けた儒教などは、第一に家庭を説いたものである。かの灑掃応対進退の節と説き、寡妻にのっとり、兄弟に及ぶと云い、国を治むるのもとは、家を治むるにありと云い、家整うて国則整うと云い、其の家庭の問題を如何に重大視したか、詩経などの詩を見ても、家庭をうとうたものが多いのである。則ち家庭問題は、実に人世至高の問題として居ったことが判る。只古のは、根本的精神的であって、今のは物質的の末節を云うが多いのである。人格問題、修養問題を抜きにした、手芸的話説が多いのである。根を説かずしてまず末を説く、予が家庭を害すること多いと云うは、此の顛倒の弊害を指したのに過ぎぬのである。

 能く家を整えて、一家をして、より多くの和楽幸福を得しむると云うことは、人間の事業中に在って、最も至聖なるものである。大きく云えば国家の基礎、社会の根柢を為すのである。至大至高の問題と云わねばならぬ。何等の修養なき、何等の経験なき青年文士や、偏学究などに依って説かるる家庭問題、予は有害無益なるを云うに憚らぬ。家庭の主人公なるが如く心得、家庭の事は、男子の片手間の事業かの如く考えて居るのが、今日家庭を説くものの理想らしいが、これが大間違の考と云わねばならぬ。

 大なり小なり、一定の所信確立して、人格相当の家庭を作れる場合に至って、物質的家庭趣味の選択に取りかかるべきが順序である。己一身の所信覚悟も定まって居らず、如何にして家族を指導し、一家を整え得べき。精神的に一家が整わぬ所へ、やれ家庭小説じゃ、家庭料理じゃ、家庭科学じゃ、家庭の娯楽じゃと、騒ぎ立てることが、如何に覚束なきものなるか、予は危険を感ぜざるを得ないのである。

 既に、今日の教育と云うものが、学問的に偏し、技芸的に偏し、人格的精神的の教育が欠如して居るかと思ふ。是等の教育に依って、産出する所の今日の多くの青年を見よ、如何に軽佻浮華にして、人格的に精神的に価値なきかを。如此かくのごとき青年が順次家を成し、所謂いわゆる家庭を作るに当って、今日の如き家庭説、半驕奢趣味の家庭談を注入したる結果が、如何なる家庭を現じ来るべきか。

 座して衣食に究せず、其の日其の日を愉快に経過するを以て、能事とせる家庭ならば、或は今日の家庭説を以て多くの支障を見ぬのであろう。然れども、如此種族の家庭が、社会に幾許かあるべき。多くは一定の職業を有して、日々其の業務と家事とに時間を刻みつつあるのである。家庭料理などと、洒落れて居られる家は少いのじゃ。既に処世上、何等確信なき社会の多くが、流行に駆られて今の世にあっては、斯くせねばならぬかの如くに誤解し、日常の要務をば次にして、やれ家庭の趣味じゃ、家庭の娯楽じゃと騒ぎ散らす様であったならば、今の家庭説は徒らに社会に驕奢を勧めたるの結果に陥るのである。

 今日の事は、何事によらず、根本が抜けて居って、うわべ許りで騒いでいる様じゃ。宗教界などを見ても、自己の修養をば丸で後廻しとして、社会を救うの、人を教うるのと、すこぶる熱心にやって居る輩もあるようなれど、自分に人格がなく修養がなくて、どうして社会を教うることが出来るであろうか、己が社会の厄介者でありながら、社会を指導するもないものだ。見渡した所、社会の厄介にならぬ宗教家ならば、まず結構じゃと云いたい位だ。文学者とか云う側を見てもそうである、文芸を売物に生活して居るものは、「ホーカイ」「チョボクレ」と別つ所がないのは云うまでもないが、偉らそうにも、詩は神聖じゃ、恋は神聖じゃなどと騒ぎ居るのである。匹夫野人もいさぎよしとしないような醜行陋体を、世間憚らず実現しつつ、詩は神聖恋は神聖を歌って居るところの汚醜劣等の卑人が、趣味がどうの、美がどうのと云うてるのに、社会の一部が耳をかしてるとは、情ないじゃないか。

 今の家庭を云々するものも、どうか厄介宗教家や、汚醜詩人のそれの如くならで、まず何より先に、自己の家庭を整えて貰いたい。今の家庭問題に注意する人々に告ぐ、自分は自分だけの家庭を作れ、決して家庭読物などの談に心を奪わるるなかれ。今の家庭説とて、皆悪いことばかりを書いてあると云うのではない、本末を顛倒し、選択を誤るの害を恐れるのである。真の宗教、真の詩、真の家庭、却て天真なる諸君の精神に存するということを忘れてはならぬ。

「新仏教」明38・2



 調子に乗って大きな事を云い散らしてしまった。心づいて自らかえり見るとにわかにきまりが悪くなった。埒もなき家庭談を試みようとの考であったのに、如何にも仰山な前提を書き飛ばした。既に書いてしまったものを今更悔いても仕方がないが、一度慚愧の念に襲われては、何事にも無頓着なる予といえども、さすがに躊躇するのである。

 乍併ここで止めて了うては余りに無責任のようにも思われる。諸君も語れ予先ず語らんなど云える前言に対しても何分此の儘止められぬ、ままよ書過しは書過しとして兎に角今少し後を続けて見ようと決心した。遠き慮りなき時は、近き憂ありとは、能くも云うたものじゃと我から自分を嘲ったのである。

 予の家庭は寧ろ平和の坦道を通過して来たのであるが、予は自らの家庭を毫も幸福なりしとは信じない、悲惨と云う程の事もなかった代り、尋常以上の快楽もなかった。云わば極めて平凡下劣の家庭に安じたのである、或一種の考から其の下劣平凡の家庭を却て得意とした時代もあった。

 予は十八歳の春、豊かならぬ父母に僅少の学資を哀求し、始めて東京に来って法律学などを修めた。政界の人たらんとの希望からである。予が今に理窟を云うの癖があるは此の時代の遺習かと、独りでひそかにおかしく思っとる。学問の上に最も不幸なりし予は、遂に六箇月を出でざるに早く廃学せねばならぬ境遇に陥った。何時の間にか、眼が悪くなって府下の有名な眼科医三四人に診察を乞うて見ると、云うことが皆同じである、曰く進行近視眼、曰く眼底充血、最後に当時最も雷名ありし、井上達也氏に見て貰うと、卒直なる同氏はいう、君の眼は瀬戸物にひびが入った様なものじゃ。大事に使えば生涯使えぬこともないが、ぞんざいに使えば直ぐにこわれる、治療したって駄目じゃ只眼を大事して居ればよい。そうさ学問などはとてても駄目だなあ。こんな調子で無造作に不具者の宣告を与えられてしまった。

 最早予は人間として正則の進行を計る資格が無くなった。人間もここに至って処世上変則の方法を採らねばならぬは自然である。国へ帰って百姓になるより外に道はないかなと考えた時の悲しさ、今猶昨日の如き感じがする。学資に不自由なく身体の健全な学生程、世の中に羨しいものはなかった、本郷の第一高等学校の脇を通ると多くの生徒が盛に打毬をやって居る、其の愉快げな風がつくづく羨しくて暫く立って眺めた時の心持、何とも形容の詞がない。世の中と云うものは実に不公平なものである、人間ほど幸不幸の甚しきものはあるまい、相当の時機に学問する事の出来なくなった人間は、未だ世の中に出でない前に、運を争うの資格を奪われたのである、思う存分に働いて失敗したのは運が悪いとして諦めもしようが、働く資格を与えぬとは随分非度い不公平である、いまいましい。それでも運好く成功した人間共は、其の幸福と云うことは一向顧みないで、始めから自分達が優者である如く威張り散らすのである。予は茲で一寸天下の学生諸君に告げて置きたい。学資に不自由なく身体健全なる学生諸君、諸君の資格は実に尊い資格である、諸君は決して其の尊い資格をおろそかにしてはならぬ。

 何程愚痴を云うても返ることではない、予は国へ帰った。両親は左程には思われぬ、眼を病めば盲人になる人もある、近眼位なら結構じゃ、百姓の子が百姓するに不思議はない、大望を抱いて居ても運がたすけねば成就はせぬもの、よしよしもう思い返して百姓するさ。一農民の資格に安じて居る両親は頗る平気なものである。結句これからは落着いて手許に居るだろう、よい塩梅だ位に思っているらしい風が見える、何もかも慈愛の泉から湧いた情と思えば不平も云えない。

 父は六十三母は五十九余は其の末子である。慈愛深ければこそ、白髪をかかえて吾児を旅に手離して寂しさを守って居るのである。今修学の望が絶えて帰国したとすればこれから手許に居れという老父母の希望に寸毫の無理はないのだ。勿論其の当時にあっては予も総べての希望を諦め老親の膝下しっか稼穡かしょくを事とする外なしと思ったが、末子たる予は手許に居るというても、近くに分家でもすれば兎に角、さもなければ他家に養子にゆくのであるから、老親の希望を遺憾なく満足させるは、少しく覚束ない事情がある。

 学問を止めたかとて百姓にならねばならぬと云うことはない、学問がなくとも出来ることが幾らもある、近眼の為に兵役免除となったを幸に、予は再び上京した。勿論老父母の得心でない、暫く父母に背くの余儀なきを信じて出走したのである。併し再度出京の目的は自己の私心を満足させんとの希望ではない、衣食を求むるため生活の道を得んがため、老親の短き生先を自分の手にて奉養せんとの希望のためであった。予が半生の家庭が常に変則の軌道を歩したと云うも、一は眼病で廃学した故と生先短き親を持った故とである、殊に予の母は後妻として父の家に嫁がれ予の外に兄一人あるのみで、然かも最もおそき子であるから吾等兄弟が物覚のついた時分には老母の髪は半分白かった。如此事情のもとに生長した予は子供の時より母の生先を安ずるというのが一身の目的の如くに思って居ったのである。眼病を得て処世上正則の進行を妨げらるるに及びては、いよいよ私心的自己の希望を絶対に捨てねばならぬ事になった。

 老母の寿命がよし八十迄あるとするも、此の先二十年しかない。いわんや予が生活を得るまでには猶少くも三四年は間があって、母の命八十を必し難しとすれば、予は自分の功名心や、遠い先の幸福などに望を掛けて、大きな考を起す暇がないのである、年少気鋭の時代は何人にもある、予と雖も又其の内の一人であれば、外国へ飛び出さんとの念を起せるも一二度ではなかった。只予の性質として人の子とあるものが只自己一身の功業にのみ腐心するは不都合である、両親を見送っての後ならば、如何なることを為すとも自己の一身は自己の随意に任せてよいが、父母猶存する間は父母と自分との関係を忘れてはならぬ。よし遂に大業を遂げたりとするも、其の業の成れる時既に父母は世に存せざるならば、父母に幸福を与えずして自己の幸福を貯えた事になる。人の子として私心的態度と云わねばならぬ。世の功名家なるものに人情に背けるの行為多きは、其の私心熾なるが故に外ならぬ。

 常に以上の如き考を抱いて居った予は、遠大な望などは少しもない。極めて凡人極めて愚人たるに甘ぜんとしていた。予は一切の私心的希望を捨てて、老母の生先十数年の奉養を尽さんが為に、凡人となり愚人となるに甘ぜんと心を定めた時に不思議と歓喜愉快の念が内心に湧いたのである。他人の為に自己の或る点を犠牲にして一種の愉快を得るは人間の天性であるらしいが、予が老いたる父母の生先の為に自己の欲望を捨てたのであるから、何となく愉快の念が強い。之に依って見ると人間の幸不幸という事は、人々精神の置きどころ一つにあるのであるまいかと思った。令名を当世に挙げ富貴の生活を為すは人世の最も愉快なるものに相違ないが、予の如き凡人的愉快も又云うべからざる趣味がある。神は必しも富貴なる人にのみ愉快を与えぬのである、予一人の愉快のみでない、老いたる父母が予の決心を知って又深く愉快を感じたは疑を要せぬ。

 僅に二円金を携えて出京した予は、一日も猶予して居られぬ、直に労働者となった。所謂奉公人仲間の群に投じた。或は東京に或は横浜に流浪三年半二十七歳と云う春、漸く現住所に独立生活の端緒を開き得た。もとより資本と称する程の貯あるにあらず、人の好意と精神と勉強との三者をたよりの事業である。予は殆ど毎日十八時間労働した、されば予はたちまち同業者間第一の勤勉家と云う評を得た。勤勉家と云えば立派であるが当時の状況はそれほど働かねば業が成立せぬのだ。此の時に予の深く感じて忘れられぬは人の好意である。世人は一般に都人の情薄きを云えど、予は決してそうは思わぬ。殆ど空手業を始めた困苦は一通りでない。取引先々の好意がなくて到底やりとおせられるものでない。予に金を貸した一人の如きは、君がそれほど勉強して失敗したら、縦令たとえ君に損を掛けられても恨はないとまで云うた。東京の商人というもの表面より一見すると、如何にも解らずや許りの様なれど、一歩進めた交際をして見ると、田舎の人などよりは遥かに頼もしい人が多い。堅実な精神的商人が却て都会の中央に多いは争われぬ事実じゃ(少しく方角違いなれば別に云うべし)。

「新仏教」明38・4

底本:「作家の自伝102 伊藤左千夫」日本図書センター

   2000(平成12)年1125日初版第1刷発行

底本の親本:「左千夫歌論集 卷三」岩波書店

   1931(昭和6)年41

初出:一「新佛教 第六卷第一號」新佛教徒同志會

   1905(明治38)年11

   二「新佛教 第六卷第二號」新佛教徒同志會

   1905(明治38)年21

   三「新佛教 第六卷第四號」新佛教徒同志會

   1905(明治38)年41

入力:高瀬竜一

校正:noriko saito

2017年311日作成

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