球皮事件
中谷宇吉郎
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この話は寺田先生が航空船の爆発の原因を調査された時の研究室の内部の話である。もう十三、四年も前の話であるし、その当時新聞にも、通俗科学の雑誌にもこの内容は出たことがある。それにさらに詳しい研究報告も英文で書かれて理研の報文に当局の許可を得て出版されているのだから、今頃書くのは少し陳腐の感がないでもないが、それだけに別に差し障りのあることもないだろうと思われる。
問題はある航空船が、ある場所で初めて爆発したことがあって、先生がその原因調査の会の嘱託として、その原因を調べられたのである。丁度私はY君と一緒にその頃先生の指導の下に水素の爆発の実験をしていたので、丁度良い塩梅にその研究の御手伝いをすることが出来たのである。この話は純粋に物理的の研究方法としてみても非常に興味が深く、かつ先生がいかに優れた科学者であったかということを示す良い例でもあるが、その外にちょっと探偵小説風な興味もある珍しい話なのである。
冬の初めのある日、先生は珍しく少し興奮されたらしい顔付で、実験室にはいってこられた。そしてY君と私とを呼ばれて「丁度君達の水素の方の実験と直接関係のあることだから、一つ御苦労だが今の実験をちょっと止めて、飛行船の爆発の実験をやって貰いたいのだが」という話を切り出されたのであった。話はこうなのである。ある航空船が全く原因不明で、某日某時○○の上空で爆発をして、乗組員は全部焼死し、黒焦げの器械の残骸が畑の中で発見されたというのである。それで、それだけの材料がここに提供されて、その原因を究明して、今後の対策をはかりたいというのが今度の新しい実験の目的なのである。
きいてみるとこれは大変な話で、普通に考えたら、こんな難問を初めから本気で真面目に引きうける人は、先生のような責任の地位にある人の中には少いのである。ちょっと考えると、これは手の付けようのない難問で、いくら先生でもこれをどう解決して行かれるかということは全く見当がつかなかった。それだけにこれは千歳一遇の好機であると、Y君と私とは非常な興味を持って、胸を躍せながら先生の実験の命令を待ったのであった。そういう場合、先生は非常に優れた教育者としての一面を遺憾なく発揮されて、この実験がどういう意味を持つか、どうしてこの実験が必要になったかという由来を詳しく話されたのである。
「こういう問題は兎に角、最初に出来るだけ詳しく当時の事情を知ることが必要である」ということをまず教えられた。先生は、色々当日の気象状態、航空船の模様から途中の飛行状態と出来るだけ詳しい情報を集められたのだそうである。そしてそれを一々吟味して行かれた中に、一つちょっと変だと思われたことがあった。それは丁度爆破の直前に、航空船から「只今非常にかぶって(動揺のこと)難飛行を続けている」という意味の無電がきたのであるが、それに対して基地の方からある命令を出してやった無電には返事がなかったという点なのである。爆破の時刻は精確なことは分らないが、大体その頃ということは分っていた。この返事がなかったという点に先生は着目されて次のような疑問を持たれたのであった。即ち、航空船が無電を打った時に何かの原因で水素に点火したとすると、それから一、二分して爆破が起り、従ってこっちから打ってやった無電に返事をするひまがなく墜落したとするとこの点は説明出来るのである。無電を打つには高電圧の高周波を用いるので、火花の発生する機会は沢山あるが、普通の状態では航空船の水素は気嚢の中にあり、火花はその中でとぶことは考えられないので別に大した危険はない。しかしこの場合のように機体が動揺して揉まれている時には、水素の流出する機会も多く、無電を打った時の火花がその漏洩した水素の噴孔に点火する機会も多くなるという風に説明すれば、なるほど前後の事情がよく了解出来るのである。
それで差し当り水素を細い硝子管の先から噴出させて、それに点火し得る最小限度の火花の大きさはどれ位かということを早速実験して貰いたいという御話なのであった。そんな簡単なこと位誰か前にやってありそうなものだが、実は我々の知っている範囲内の文献にはないのである。しかしそんなことなら装置も何も要るものではない。早速水素を吹き出させて、その水素の噴流と空気とが巧い割合に混じていそうな所を狙って、変圧器だの百ボルトの交流だのの小さい火花をとばせてみると面白い程よく火がつくのであった。段々火花を小さくして行っても、火の点け方も巧くなるせいか、しまいには二ボルトの乾電池で針金の先を付けたり離したりして出来る、やっと目に見えるかどうかという程の小さい火花でも十分点火することが出来るようになった。「これ位の小さい火花で良いのなら、いくらでも発生する機会はある。どうも少し有望らしいぞ」と先生も乗気になっておられたようであった。
その間に先生は、航空船の構造と無電の配線のこととを調べておられたらしい。そしてある日銀白色の布片を持って上機嫌で実験室へはいってこられて、出し抜けに「君達分ったよ。やはり思った通りだった」という御話なのである。「航空船ではアースがないから、気嚢をアース代りに使ってるんだ。当り前のことだがね。だから発信すると、気嚢の上に接地電流が流れるんだ。それがまた×千ボルトというのだから、君達の実験で分ったようにそんな小さい火花でも点火するのだったら、この球皮(気嚢の皮)の上に、×千ボルト位の交流を通して、この上にそれ位の小さい火花が出るかどうかやってみてくれ給え」といって、その銀白色の布片を渡されたのであった。この球皮は表面にアルミニウムの粉を入れた塗料が塗ってあるので、「これは電気の良導体ということになっているのだが、それだったら火花が出ないはずなのだ。しかし兎に角やってみ給え」といい残して帰って行かれた。
それで早速その球皮の電導度を測ってみたのであるが、やってみて驚いたことには、良導体どころか、大変な絶縁体なのである。もっともアルミニウムの粉は表面が酸化物で蔽われていて、その酸化皮膜は非常に良い絶縁物であることは前から分っていることではあるし、それがゴムようの塗料で塗りつけてあるのだから、全体としては電気の絶縁体であることは、考えてみれば当然なのである。絶縁体ならばその表面に火花のとぶこともまた当然なのである。それで普通の交流を有り合せの変圧器でちょっと高圧にして、それからとってきた針金の先をこの球皮の上にあてがってみると、全面にわたって星のようにチカチカと細かい火花が飛ぶので全く驚いてしまった。次の日先生のこられるのを待ち兼ねて、この話をすると、先生は早速自分でやってみられて大変喜ばれた。「やっぱりやってみなければ分らないものだな。今ちょっとで僕もこれを良導体と思う所だった」と笑いながら、いつまでも子供が玩具をいじるような顔をして、星のような火花を出して喜んでおられた。そしてその日の中に、もうこの火花がアルミニウムの粉が少数集った集団間の狭い間隙をとぶ特殊の火花であるとの見当をつけて、次の実験の手順をいい付けて帰って行かれた。
そこまで行くと後は誠に簡単である。やるべきことは山のように出てくるが、全体の見通しは美事にきまって坦々たる大道を行くように研究は進んで行った。まず顕微鏡の下に球皮を置いてその上に火花を出させて写真に撮る。しばらく電流を通し続けていると表面の性質が変化して行くのであるが、その状態変化を調べる。火花の性質が分ると、今度はこの球皮上の火花で水素に点火するかどうかを確める。もっとも問題なく点火するのであった。それで今度は当時使っていた実際の無電機を借りてきて、それを発信させながら球皮の上に持って行ってみると、果して同じように小さい火花が一面に出る。そこへまた水素の噴孔を持って行くと、勿論火が点くのであった。
それで愈々無電発信による航空船爆破の模型実験になるのであるが、そのためには太鼓の胴のような枠に球皮を張って、その面へ無電機の接地電線をとりつける。その球皮張りの太鼓の中へは水素を流し入れ、球皮の一点に小さい孔を作ってそこから水素を漏洩させておくのである。勿論航空船の気嚢全体に相当する位の電気容量のコンデンサーを入れておくという風な細かい注意は沢山要るのであるが、そんなことは大した問題ではない。すっかり用意をととのえて、無電機を働かせてみると、果して水素に火が付いてしばらくすると球皮に燃え移り、やがて全体が猛然と爆発するのであった。なお念のためにと、航空中の状況に似せるために、扇風器で風を吹きつけてみても、その火は吹き消せず、かえって焔を球皮上に沿ってなびかせるために燃焼を助けるという点まで確めて、この実験は一段落となったのである。原因が分ってしまえば対策の方はもう問題ではない。実に快刀乱麻を絶つとはこういうことであろう。
こう書いて見ると、何でもないことのように思われるのであるが、実際には各段階でそれぞれ派生的な事柄が沢山あって、その都度ちょっと迷うのであるが、先生はいつも何でもないように次々と実験の方向を指示して研究を進められた。まるで嚢中の物を探るように、暢気な顔をしながら、指図をしておられたことを今更のごとく思い出すのである。Y君も私も面白くなって夢中になってやっていると、先生は飄然としてはいってこられて、「僕がいないと実験が捗どるね。僕がきて気焔ばかり揚げていると、どうも邪魔をするようだ。しかし今夜もやりますか。それだったら一つ牛肉でも喰ってきませんか、また邪魔をするようだがね」といって、大学前の肉屋へ連れて行かれたようなこともあった。
これでこの話は終るのであるが、今になって考えてみると、この話は単に寺田先生が非常に優れた科学者であったことを示す話として大切なばかりでなく、この事件の解決には先生の人としての傑さがよく出ていると思われるのである。それというのは、この頃の学者の中には純粋な学問上の研究を重視する余りこの話に出てくるような題目の研究は自分ではやらないばかりでなく、他の人のこの種の研究まで軽蔑的な目で見る人もあるような気がする。暢気な仕事のようには書いたが、この研究をされた時の先生の態度には恐ろしく真剣な所があって、先生の御自身の物理学の体系には直接関係のないように見えるこの研究も、国家的の立場から必要な研究と思われれば、正に全能力を傾けて遂行するという意気込が、あのおだやかな先生の言動の中にほの見えていたのである。それでなくては、いくら先生でもこの難問をこのようにてきぱきと解決されることは出来なかったのではないかと思われる。この一文が、幾分でも国家的に必要なしかし外見上はちょっと卑近な題目のように見える問題の研究を鼓舞することに役立てば、筆者にとっては望外の喜びであり、またこの一文の目的も達せられるのである。
底本:「中谷宇吉郎集 第一巻」岩波書店
2000(平成12)年10月5日第1刷発行
底本の親本:「冬の華」岩波書店
1938(昭和13)年9月10日刊
入力:kompass
校正:砂場清隆
2017年11月24日作成
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