純粋に「日本的」な「鏡花世界」
谷崎潤一郎
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正直に云つて、晩年の鏡花先生は時代に取り残されたと云ふ感がないではなかつた。先生の如く過去に極めて輝かしい業績を成し遂げた人は、いかなる場合にも心の何処かに晏如たるものがあるから、あまり淋しさうにはしてをられなかつたけれども、老後の先生が久しく文壇の主流から置き去りにされてゐたことは否むべくもない。が、その人が既に故人となつた今、その著作には新たに歴史的な意義と、古典的な光彩とが加はつたと見るべきである。そしてわれ〳〵は今一度、近松や西鶴の作品を読むのと同じ観点から、此の、明治大正昭和の三代に亙つて生きた偉大な作家の、独得な世界を窺つて見る必要がある。
自分は今「独得」と云ふ言葉を使つたが、事実先生ほど、人に異なる「独得」な世界に遊んだ作家は少い。傑れた藝術家がいづれも顕著なる個性の持主であることは云ふまでもないが、でも先生ほど、はつきり他と区別される世界を創造した作家は、文学史上稀であると云つてよい。たとへば漱石、鴎外、紅葉等の諸作家も、それ〴〵互に区別される独得な境地を持つてはゐるが、それらの作家の相互の違ひ方よりも、鏡花とそれらの作家との違ひ方の方が大きい。紅葉と鏡花とは師弟の間柄であるけれども、此の二作家の住する世界は似てゐるやうで甚だ似てゐない。鏡花よりは、寧ろ紫式部とかシユニツツレルとかの方が、ずつと紅葉の近くにゐる。一つには、日本には浪漫派の作家が少いので、鏡花がひとり懸け離れて見えるのでもあるが、独逸のホフマンとかテイークとか云ふやうな人々のものを持つて来ても、矢張似てゐない。兎に角、外国の文学を見渡しても、鏡花は誰にも最も似るところの少い作家の一人である。
ところで、斯様な極めて異色ある境地に住する作家は、やゝもすると陰鬱であつたり、ひねくれてゐたりするものだけれども、此の作家はさうでない。此の独得の世界、われ〳〵が呼んで「鏡花世界」と称するものゝ中には、しば〳〵異常な物や事柄が扱はれてゐるにも拘はらず、そこには何等病的な感じがない。それは時として神秘で、怪奇で、縹渺としてはゐるけれども、本質に於いて、明るく、花やかで、優美で、天真爛漫でさへある。さうして頗る偉とすべきは、而もその世界が純粋に「日本的」であると云ふ一事である。
実際先生は、最も欧化的風潮の盛んであつた時代を生き通した作家であるが、その作品は、純乎として純なる日本的産物である。先生の世界に現はれて来る美も、醜も、徳も、不徳も、任侠も、風雅も、悉く我が国土生え抜きのものであつて、西洋や支那の借り物でない。先生も鴎外の飜訳物などに影響されたことがあり、又先生自身、ハウプトマンの飜訳に従事されたこともあるくらゐで、全然外国文学の感化を受けなかつたとは云へないが、しかしそのために、その作品の日本的なる生一本さが、不純にはされてゐない。近松は日本の沙翁であり、西鶴はモーパツサンであり、馬琴はスコツトであるなどゝ云ふコジツケは、或は幾分の真理を含むかも知れないが、わが鏡花先生ばかりは、他の誰でもあり得ない。先生こそは、われ〳〵の国土が生んだ、最もすぐれた、最も郷土的な、わが日本からでなければ出る筈のない特色を持つた作家として、世界に向つて誇つてもよいのではあるまいか。
自分の此の意見を裏附けるためには、個々の作品について例證を挙げる必要があると思ふが、今はその時機でないので、ほんの概括的にこれだけのことを書き留めておく。
底本:「谷崎潤一郎全集 第十九巻」中央公論新社
2015(平成27)年6月10日初版発行
底本の親本:「谷崎潤一郎全集 第二十二巻」中央公論社
1983(昭和58)年6月25日
初出:「図書 三月号(第五十号)」岩波書店
1940(昭和15)年3月5日発行
入力:砂場清隆
校正:きゅうり
2018年10月24日作成
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