古池の句の弁
正岡子規
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客あり。我草廬を敲きて俳諧を談ず。問ふて曰く。
の一句は古今の傑作として人口に膾炙する所、馬丁走卒もなほかつこれを知る。しかもその意義を問へば一人のこれを説明する者あるなし。今これが説明を聴くを得んか。
答へて曰く、古池の句の意義は一句の表面に現れたるだけの意義にして、復他に意義なる者なし。しかるに俗宗匠輩がこの句に深遠なる意義あるが如く言ひ做し、かつその深遠なる意義は到底普通俗人の解する能はざるが如く言ひ做して、かつてこれが説明を与へざる所以の者は、一は自家の本尊を奥ゆかしがらせて俗人を瞞著せんとするに外ならざれども、一は彼がこの句の歴史的関係を知らざるに因らずんばあらず。古池の句が人口に膾炙するに至りしは、芭蕉自らこの句を以て自家の新調に属する劈頭第一の作となし、従ふてこの句を以て俳句変遷の第一期を劃する境界線となしたるがために、後人相和してまたこれを口にしたりと見ゆ。しかるに物換り時移るに従ひ、この記念的俳句はその記念の意味を忘られて、かへつて芭蕉集中第一の佳句と誤解せらるるに至り、終に臆説百出、奇々怪々の附会を為して俗人を惑はすの結果を生じたり。さればこの句の真価を知らんと欲せば、この句以前の俳諧史を知るに如かず、意義においては古池に蛙の飛び込む音を聞きたりといふ外、一毫も加ふべきものあらず、もし一毫だもこれに加へなば、そは古池の句の真相に非るなり。明々白地、隠さず掩はず、一点の工夫を用ゐず、一字の曲折を成さざる処、この句の特色なり。豈他あらんや。
客僅に頷く、いまだ全く解せざるものの如し。更に語を転じて曰く、我今子のために古池の句の歴史的関係を説くべし。子かつ子の胸中より一切記憶に存する所の俳句を取り去り、虚心虚懐以て我言を聴け。古池の句もこれを忘るべし。その外の俳句、芭蕉たると蕪村たるとに論なく、古句たると新句たるとを問はず、他人の作と自己の作と併せて尽くこれを忘れざるべからず。世人皆俳句の発達せる今日の心を以て古池の句を観る、故に惑を生ず。子今俳句いまだ発達せざる古に身を置きて我言を聴かば、必ずや疑を解くことを得ん。客曰く、唯々。
曰く、俳諧の歴史を説くは今我志す所に非ず。しかれども歴史を説かざれば古池の句を解すること能はず。故に古池の句を解するに必要なりと思惟する程度において古俳諧史を説かんとす。古俳諧史の無味乾燥にして、蝋を噛むが如きは徒らに子の欠伸を催すに過ぎざるべきも、その欠伸を催さしむる処、便ちこれ古池の句を牽き出だす所以ならずんばあらず、子姑くこれを黙聴せよ。
俳諧史を説かんとするには先づ連歌を説かざるべからず。連歌は十七字句と十四字句とを相互関聯して百韻を以て終るを普通とする者、その間には月花の定座、打越、去嫌等の規定ありて、代々の連歌師皆力をここに用ゐたりといへども、我説かんとする所に要なければ言はず、ここにはただ連歌の発句を論ずるを以て足れりとす。連歌の発句と俳諧の発句とはほぼ同一の者にして、特に異ならざるべからざる理由ありて異なるに非ず。ただその発達上連歌は和歌より出でたるを以て、和歌慣用の言語材料を用ゐて自ら束縛し、区域を広くし材料を富ましむることを為さざるのみ。されば連歌の発句は到底陳腐と平凡とを免れず。古人を模倣し古句を踏襲し、同一の意匠と同一の語句とを並列して敢て剽窃の恥を知らず、甚しきは自家集中にさへ同一の意匠言語を繰り返して以て自ら得たりとなすが如き、後世よりしてこれを見れば、彼らは何処に幾何の詩美を感得したるかを疑はざるを得ざるなり。連歌の盛んに行はれたる足利時代は和歌の最も衰微せる時代なり。和歌の最も衰微せる所以は、主として旧を貴び様に依り、師伝家流に拘泥して毫も真意を出だす能はざりしにあり。『新古今』以後門派の争ひ烈しく、形式を論じて実際に疎く、花はかく詠むもの月はかく詠むもの、千鳥の名所は何処々々に限り、某の語は某の処にのみ用ゐらるるなど規則づくめになりては和歌は今更に発達すべき寸隙だにあらずなりぬ。かく腐敗し尽せる和歌より出でたる連歌の発句は、和歌と共に腐敗しをるのみならず、詩形の小なるだけその範囲狭くなりて、腐敗はかへつて一層度を高めたる者あり。ある一方より見れば、新詩形を有する発句は和歌の冗漫なるに比してやや新なる者を生じたる事なきにあらねど、そは極めて少数にして、大体は陳腐と平凡との堆積せる言葉の塊のみ。左に例を挙げて一斑を示すべし。
音聞かぬ雨知る花の雫かな 心敬
雨晴れて花に色そふ夕かな 宗祇
雨風も花の春をばさそひけり 宗砌
さればこそ嵐よ雨よ花の時 心敬
春雨の庭にきのふの花もがな 宗祇
わくやいかに野は浅緑花の雨 宗養
花を見ば人無き雨の夕かな 宗祇
心あれや花の旅寐の春の雨 宗牧
雨に猶忘れぬ花の宿りかな 宗祇
春雨をしをれし花のなごりかな 同
雨にけさ明日咲かん花も盛りかな 宗長
春のみかいくかもあらじ花の雨 宗養
降りくらせあけなば花の春の雨 昌叱
時雨にも見ざりし花の千入かな 心敬
雨に花見ればこもらぬ枝もなし 宗長
染めいでよ花の木の芽の春の雨 宗祇
花や知る雨にはぬれぬ木陰かな 同
雨ならぬ夕も花の木陰かな 紹巴
花の色よるやそぼふる春の雨 同
紅やふり出づる花の春の雨 昌叱
花咲けといはぬばかりぞ雨の声 失名
花咲けといさむるや聞く雨の声 紹巴
雨に又花をやどさん陰もなし 失名
山や花色なる雨の薄曇 昌休
雨に咲く花はあわ雪の夕かな 紹巴
以上は花と雨とを配合したる句を列ねたるなり。大体において如何に同様の趣向にして、如何につまらぬ趣向なるかは、一読して直に感ぜざる者なかるべし。中にも「花咲けと」の二句は全く同趣向なり。心敬の「さればこそ」の句の如きは鳥なき里の蝙蝠とやいはん。花の一題にてはいまだ尽さざるを恐る。更に月の句を挙げて如何にその変化せしかを見んとす。
雨ひとり月を思はぬ今宵かな 失名
星の名も一夜は立し秋の月 専順
雲霧も月にかくるゝ今宵かな 兼載
しぐれては雲も名に立つ月夜かな 宗砌
月今宵塵ばかりだに雲も無し 宗長
月に雲塵も付じの今宵かな 宗碩
誰も見よ名高き月は雲も無し 宗養
月を雲も妬みははてぬ今宵かな 宗因
今宵晴れて雲も名に立て秋の月 宗祇
名やあふせ月も一夜の天の川 肖柏
月やあらぬ今宵を埋む千重の雪 心敬
日待の夜名月に
日影さへ待出る月の光かな 紹巴
草も木も月待つ露の夕かな 宗祇
月に住む人は今宵の空も無し 心敬
花は桜月は今宵のみ空かな 宗養
春は花秋は月にも今宵かな 昌休
月今宵古き都の空も無し 紹巴
月夜善しよゝの最中の秋の空 専順
光をも天に満たる月夜かな 生阿
秋こそと見し夜や今宵空の月 宗祇
月の名を雲居に名のる光かな 同
四方に名は漏れ出づる月の雲居かな 宗碩
今宵やは同じ雲居の秋の月 昌休
空やあらぬ今宵光の秋の月 昌叱
名にしあふや今宵の月の都鳥 盛家
いをねぬや水に最中の月の秋 失名
月残る一夜の松の木の間かな 失名
名をとはゞ桂や二木秋の月 失名
名ぞ高き月や桂を折つらん 宗祇
一枝の桂やこよひ秋の月 肖柏
月は猶木の間にしるき今宵かな 宗牧
名や匂ひ月の花咲く草木かな 肖柏
水草のも中の秋は月清し 玄幸
月今宵玉も拾はん渚かな 宗碩
月や知る今宵は晴れし小倉山 宗祇
月の名にかへて小倉の山もなし 宗牧
月に名をかへぬもすむや小倉山 昌叱
連歌の発句の千篇一律なるはこれにても大方は推し量らるべし。最後に挙げたる三句が同じく「小倉山」と「小暗き」との縁語を趣向とするに至りては、その変化なきに驚かざるを得ず。しかれども上に掲げたる句には、月と他の有形物とを配合したる者多きを以て、なほ多少の変化あるが如く感ぜらるべし。もしそれ
名や光今宵ばかりの月もなし 宗砌
月やあらぬ似たる時なき今宵かな 同
一年の月をくもらす今宵かな (?)
一年の影や今宵によるの月 宗祇
秋の月今宵は千代の光かな 同
曇るなよたが名は立たじ秋の月 同
名ぞ今宵おぼろげならぬ秋の月 同
秋の月名もことわりの光かな 同
心あらで月見は秋の今宵かな 同
月は秋あらん限りの今宵かな 宗長
月今宵はるかに照す光かな 同
行末も今宵や幾世秋の月 同
月に先名をさきだつる今宵かな 同
月今宵名は残りけり世々の秋 同
月今宵さても有ける光かな 宗碩
大方の月の名たての今宵かな 同
名を得つとならばかくこそ秋の月 同
今宵さへいくよわが世の秋の月 同
月も今日ねざる夜を待つ光かな 宗牧
心より月よりしるき今宵かな 同
過ぎぬるも及ばぬ月の光かな 同
名高さや猶末々の夜半の月 紹巴
入あとも名やは隠るゝ秋の月 同
惜むなよ今宵明けても秋の月 同
月今宵思ふことなき光かな 同
月今宵思へば変る光かな 同
といふに至りては、殆んど同じ句やら別の句やら一読して区別しかぬるほどに相似相類する者、連歌の発句が全体に変化せざるはいふまでもなく、各人各個の句が如何に趣向に乏しきかを見るに足らん。
以上の例句は固より百が一にも足らざる者、しかもこれを見る者その単調に飽かざるはあらざるべし。もし厖然たる連歌大発句帳を示して、この書冊が尽くこの種の発句にて埋められたるを説かば、誰かその馬鹿げたるに驚かざる者ぞ。
連歌師がその力を尽したるは主として霞、雪、月、花、紅葉、時鳥、等のありふれたる題目にして、その他の題目はその句極めて少きを見る。今古池の句を論ぜんとする際、試みに蛙の句を求むるに、連歌二百年の間僅に
の一句あるのみ。いはんやこの句の如きも蛙の趣を言ひたるにはあらで、『古今集』の序をもぢりたる陳腐なる趣向に外ならざるをや。彼らの趣味が如何に幼稚なりしかは以て見るべし。
連歌の単調此の如し。如何に愚昧なる足利時代の文学者といへども、半人一人のこれに不満なる者なからんや。連歌の最盛時代とも称すべき文明、明応は僅に昨日と過ぎて、余勢なほいまだ衰へざる永正、天文の間にありて、早く既に一転機の動かんとするを見る。
山崎の宗鑑と山田の守武とは共に永正、天文の間に出でて連歌に不満なる者、しかして共に俳諧の上に新方面を開きたり。宗鑑が連歌に対する意見は別にこれを聞くを得ざれども、彼が連歌流行の中にありて独り俳諧に遊びたるは、俳諧の斬新は幾何か連歌の陳腐に勝りたるを感じたるなるべく、将た彼の歌として伝ふる所の
の一首にも、彼が尋常の依様画胡盧的の文人ならざりしことは明かに現れたり。花はともかくも楽しき様を詠むもの、時鳥はただむやみに聞きたき様を詠むものと規則的に定めて、少しも自然の趣味を解する能はざりし当時の歌人連歌師を嘲りて「都のうつけ」と呼びし彼は、必ずや連歌の活気なく変化なきをもどかしく思ひしなるべし。守武は独吟千句を試みんとして、その連歌に倣ふべきか、俳諧を為すべきかに惑ひしは、連歌の千句は古例ありてこれを作るに憚る所なけれども興味少し、俳諧の千句は極めて興味ある如く思はるれども、古例なきがために自ら創むるに憚る所ありしに因るなり。彼がこの二者の選択を自ら決断する能はずして神の御籤に依りたるに、御籤は俳諧を為すべしとありしとかや、便ち俳諧の独吟千句は成れり。これより先連歌師は時に俳諧の発句を成すことあり。例へば
再び鞠古川を渡るとて
まりこ川又渡る瀬やかへり足 道興
の如し。これらは固より一句の言ひ捨てにして、それさへ多くは見あたらず。宗鑑に至りては発句に俳諧を用ゐたるのみならず、連句の上にもこれを用ゐ、遂に集めて『犬筑波』の一書を成せり。しかれども五十韻百韻とまとまりし者はこれを作らざりしが如く、そのこれあるは守武に始まる。連句はここに用なし。今少しく彼らの俳諧の発句なる者を研究せん。
宗鑑、守武の興したる俳諧は連歌以外に一の詩形を造りしにあらず、ただ同じ詩形に、今まで用ゐざりし俗語漢語を用ゐ、今まで歌はざりし滑稽の趣味を述べしのみ。俳諧は陳腐なる連歌に斬新の元素を加へ、窮屈なる連歌に広き区域を借し、まじめなる連歌におどけたる趣向を与へたり。しかれども俳諧は、無趣味なる連歌に趣味を加ふる能はず、模型的連歌に写実を教ふる能はざりき。彼らは僅に滑稽の一方面を得たるに過ぎず、否、滑稽中の下等なる一部分を得たるに過ぎず、句の品格において趣味において、むしろ連歌よりも遥に低き一体を興したるに過ぎず、文学者といはんには彼は余り無識なり。俳諧師といはんには彼は余り野卑なり。しかれども彼が沈澱腐敗せる連歌を蕩揺して他日一新の機を与へたる功は、俳諧史上特に書すべき価値あり、随つて彼らの俚野なる句もまた一読せざるべからず。
彼らの俳諧、即ち滑稽を別てば大約三種となる。一は擬人法または譬喩を用うる者、一は言語上の遊戯に属する者、一は古事、古語、鄙諺等の応用または翻案をなす者、これなり。その擬人法を用ゐたる者は
手をついて歌申し上ぐる蛙かな 宗鑑
いやめなる子供産み置けほとゝぎす 同
花の香を偸みて走る嵐かな 同
青柳の眉かく岸の額かな 守武
鶯の捨子なら啼けほとゝぎす 同
名のりてやそも〳〵こよひ秋の月 同
撫子や夏野のはらの落し種 同
の類なり。その外に譬喩を用ゐたる者は
月に柄をさしたらば善き団扇かな 宗鑑
声なくば鷺こそ雪の一つくね 同
落花枝にかへると見れば胡蝶かな 守武
傘やたゝえ鏡のけさの雪 同
の類なり。言語の遊戯に属する者は
なべて世に叩くは明日のくひ菜かな 宗鑑
真丸に出づれど永き春日かな 同
春寒き年
にが〳〵しいつまで嵐ふきのたう 同
花よりも鼻にありける匂ひかな 守武
声はあれど見えぬや森のはゝきゞす 同
の類なり。成語を用ゐたる者は
花をしぞ思ふをり〳〵赤つゝじ 宗鑑
花よりは団子と誰かいはつゝじ 同
の類なり。(各種を同時に用ゐたるもあり)その浅薄にして野卑なる、固より論評を費さずして知るべし。
彼ら二人が始めたる俳諧は、彼らの自ら作りて自ら娯みしに過ぎずして、一人の弟子もなく、かつ彼らの死後暫しは彼の遺志を継ぐべき人も世に出でざりき。足利氏と縁故深き連歌は足利氏の衰ふると共に衰へ、豊臣氏に至りて紹巴あり、僅にその命脈を保ちしも、太閤薨じ、紹巴没し、豊臣氏尋いで滅び、徳川氏政を江戸に執るに及びて、連歌は僅にその形骸を保つに止まり、しかして松永貞徳の俳諧一派は漸く世に拡まらんとす。貞徳の俳諧は寛永年間に起れり。あたかもこれ徳川氏の基礎漸く固く、戦乱僅に熄んで四民多くは平和を望むの時なりければ、無邪気なる滑稽、野卑なる俳諧も当時の嗜好に合していたく世の持て囃す所となり、終には門末数十人、京に江戸にその勢力を逞うするに至りぬ。加ふるに印刷業の発達は一般の学問に著き進歩を与へたるが如く、俳諧もまたこれによりて都鄙遠境に波及し、忽ち未曾有の盛運に達するを得たり。これを宗鑑、守武らの自ら吟じ自ら聴き独り作り独り喜ぶに比すれば、形勢の変遷、時運の泰否、啻に月鼈霄壌のみならず。しかれども貞門の俳諧を以て鑑武の俳諧に比するに、一歩半歩の進歩なきは勿論、むしろ一層野卑にして一層無味なる俳諧を為したるのみ。貞徳は鑑武を祖述せんとしてその糟粕を嘗めたる者といふべし。
彼が一派の俳諧は、『犬子集』、『鷹筑波』、『毛吹草』を初めとして幾多の書冊に刊行せられ、山なす悪句は幾万といふ限りもなければ、これを思ふだになほ嘔吐を催すの感なきにあらねど、かかる悪句が世に流行したる事を示さざれば、最後に至りて芭蕉の妙趣を感ぜしむること能はざるを以て、うるさくもその悪句を列挙してその一斑を示さん。子また欠伸をこらへてこれを聴かざるべからず。
滑稽の種類は前に説きたるとほぼ同じ。その擬人法に属する者
花に来る蝶や還城楽の舞 失名
とき遅き花にや雨の片びいき 永治
落ち行くは臆病風や花軍 失名
大はらは子をもち月か姫小松 失名
月の顔蹈むは慮外ぞ雲の足 親重
顔見よと月も笠脱ぐ光かな 失名
先ふるは雪女もや北の方 重頼
雪も今いそがしぶりをしはすかな 林甫
その譬喩に属する者
遠山の松やさながら花のしん 弘嘉
遍照の花のぼうしか花頂山 日能
河の瀬の紋所かや花筏 正信
雲は蛇呑みこむ月のかへるかな 貞徳
月弓にかゝりし雲やにぎり皮 失名
月しろの総がまへとよ天の川 望一
花といふ雪のつぼみか玉霰 正信
天と地の中入綿やふじの雪 正依
その言語の遊戯に属する者
今日は花さくじつ迄はつぼみかな 成安
人さそふ山路の花や大天狗 親重
花さんじさんぜぬ人の心かな 弘永
誰も秋の影をや胸にもち月夜 徳元
曇る夜や影言いはん月の友 失名
影たのめ慈悲は上より下り月 重頼
黄にあらであは雪白き朝かな 徳元
春咲くに百早梅ぞ雪の中 日能
その古事成語の応用に属する者
花のためや悪事千里の春の風 慶友
花の宴に見そむる朧月夜かな 永次
功成るや名とげて散りし花心 盛長
夜目遠目笠の内よし月の顔 失名
三五夜の中国一ぞ安芸の月 弘永
武蔵野は今日はな明けそ秋の月 重供
富士のみか一夜にでくる雪の山 貞徳
雪花も木の根にかへる雫かな 弘永
中には各種を雑へ用ゐたるも少からず。なほこの外に多少の例外なきにあらねど、その数極めて少きを以て特にここに挙ぐるの要なし。
これらの句が連歌よりも更に趣味少く、鑑武よりも更に活気に乏しきは一読して誰も知るべし。子、これらの句を見て、余が特に悪句を示したる者と誤解する莫れ。余は初より句を撰ばず、ただ手当り次第に抜き出したるなり。もし百句を示せとならば百句を示すべし。千句を示せとならば千句を示すべし。しかれどもそは徒に煩を増すのみ。千句万句尽く皆この種の句たることを明言しなば則ち足らん。
足利の眠れる世すら連歌の単調に飽きて俳諧を興しし者あり、徳川の天下全く定まり、文運日を追ふて隆盛に赴く時に方りて、木くづ竹ぎれにも劣りてつまらぬ貞門の俳諧がいつまでか能く人心を喜ばしむべき。寛文に至りて変ぜんとしていまだ変ぜざる俳諧は、延宝に至りてやや変動し初めたり。西山宗因は起つて談林派を唱へたり。是において貞徳時代の幼穉なる俳諧は全くその跡を絶ちぬ。談林の俳諧も滑稽の区域を出づる能はざるは貞派と相似たり。これを貞派に比すれば幾分の趣味を増したる点において、一句の結構に活気を生じたる点において、一段の進歩を為したるを見る。
擬人法は貞派俳諧の慣用手段なれども、談林には殆んどその跡を絶ちたり。たまたま
葉茶壺やありとも知らで行く嵐 宗因
天も酔りげにや伊丹の大灯籠 同
白露や無分別なる置き処 同
蛇柳や心のみだれ飛鳥風 露草
の如きありといへども、その間既に多少の趣味を含むこと、彼貞派の乾燥に比すべくもあらず。譬喩の句は
松に藤蛸木にのぼるけしきあり 宗因
もちに消ゆる氷砂糖か不尽の雪 同
錦手や伊万里の山の薄紅葉 同
鴨の足は流れもあへぬ紅葉かな 同
蓬莱や麓の新田干鰯 栄政
呉竹や大根おろし軒の雪 心色
是は又水の月とる麩売なり 未計
の如き、中には奇抜なる者、軽妙なる者もあり。花といへば必ずこれを雲に喩へ、雪と言へば必ずこれを綿に喩ふる連歌派、貞徳派よりは、たしかに一歩だけ深く文学に入りたり。
言語の遊戯を主とする者は
江戸を以て鑑とすなり花に樽 宗因
うつり行くはやいかのぼり紙幟 同
かけまくもかしこやこゝの踊かな 同
宇治橋の神や茶の花さくや姫 同
花や上野とつはた本の人家迄 似春
の如し。古事古語の使用は談林一派の生命ともいふべく、彼らが作句の一半はこの部に属すべき者なり。その例
からし酢にふるは涙か桜鯛 宗因
世の中よてふ〳〵とまれかくもあれ 同
古歌に曰く千とせぞ見ゆる鏡餅 同
有明の油ぞ残るほとゝぎす 同
涼風や猶ながらへば小石川 同
前にありと見れば蛍のしりへかな 同
天にあらばひよこの羽根も星の妻 同
雁啼いて菊屋のあるじのわたり候か 同
今こんといひしは雁の料理かな 同
冬構へ一にたはらや炭俵 同
思ひつゝぬればや壁も雪の色 同
やどれとは御身いかなるひと時雨 同
富士の烟耳に消えけりほとゝぎす 如萍
もみぢ葉や花なき里の二三月 安昌
郭公来べき宵なり頭痛持 在色
革足袋の昔は紅葉蹈み分けたり 一鉄
貞派の好んで俚諺、俗語を用ゐしに変りて、これは好んで和歌、謡曲を用ゐたり。これ談林が品格において既に貞派に勝りたる所以なり。
守武死後凡八十年にして貞徳起り、貞徳起りし後凡三十年にして談林起る。時勢の進歩俄に速度を加へて、今の十年は昔の百年に当り、三日見ざれば刮目して待つこの時、趣味において品格において句法においておのおの一歩を進めたる談林が、更に一歩を進むるがために豈三十年の日子を俟つべきや、談林勃興後十年ならずして、談林は既に衰へ、人々新を競ひ奇を争ふの極、日進月歩、文運復興の機運は漸く熟せり、延宝の末年、其角、杉風が作りし句合の如き、なほ滑稽を離るる能はざりしも、言語の遊戯に属する滑稽は早く跡を斂めて、趣味の上の滑稽を主とするを見る。これ滑稽中の高等なる者なり。
青柳に蝙蝠つたふ夕栄なり 其角
蚊遣火に夕顔白しだい〳〵は 同
夢となりし骸骨踊る荻の声 同
木がらしとなりぬ蝸牛のうつせ貝 同
しほらしき物づくしちよろぎ掻割菜 杉風
夕かな雨杜鵑坐禅豆 同
だい〳〵を蜜柑と金柑の笑て曰 同
曙や霜にかぶなのあはれなる 同
右の中には滑稽を離れたる者すらあれども、必ずしも全体にしかるに非ず。こは比較的佳句を抜きたるなり。越えて三年、天和三年に『虚栗集』(其角編)世に出でたる時は、一般の俳句全く滑稽を離れて、僅に雅致を認めたるが如し。俳諧漸く正路に向へり。しかれども意匠の粗笨複雑にして統一せざる、語句の佶屈聱牙にして調和を欠きたる、いまだ達せざる者一歩なり。例句
礼者敲クレ門ヲ歯朶暗く花明かなり 幻吁
傘にねぐらかさうやぬれ燕 其角
山彦と啼ク子規夢ヲ切ル斧 素堂
青さしや草餅の穂に出でつらん 芭蕉
月に親しく天帝の壻になりたしな 才丸
栗柹は塵壺を秋の行くへかな 仙風
きり〴〵す鼠の巣にて鳴き終りぬ 嵐雪
松原は飛脚ちひさし雪の昏 一晶
これらの中にはほぼ完全せる句もあり。また語句佶屈に失すれどもその趣向は殆んど俳諧の骨髄を得たる者もあり。この時の俳諧界は曙光纔に上りて万物始めて弁ずべきが如し。しかれどもこれらの俳人が佳句を作るは作らんとして作るにあらず、否、作らんとして出来そこなひたる者には非るか。もし吾人が今日より評する所の佳句なる者が当時にも佳句と目せられしならば、この種の句こそ多かるべきに、実際はこれに反して佶屈聱牙なる句の多きを見れば、その佶屈聱牙なる者が一般に賞讃せられしや疑を容れず。正風の萌芽発せんとしていまだ発せざるなり。たまたまに佳句あるは半ば偶然のみ。
翌貞享元年『冬の日』の撰集あり。芭蕉の『野ざらし紀行』あり。『野ざらし紀行』の句を見るはこの際最も必要なり。
野ざらしを心に風のしむ身かな 芭蕉
秋十とせ却て江戸をさす故郷 同
霧しぐれ不尽を見ぬ日ぞ面白き 同
猿を聞く人捨子に秋の風いかに 同
道の辺の木槿は馬に喰はれけり 同
馬に寝て残夢月遠し茶の煙 同
三十日月無し千とせの杉を抱く嵐 同
芋洗ふ女西行ならば歌よまん 同
蔦植ゑて竹四五本の嵐かな 同
秋風や藪も畠も不破の関 同
これらの句は『虚栗』に比して更に一歩を進めたり。『虚栗』の如く粗笨ならず、『虚栗』の如く佶屈ならず。しかれども句々なほ工夫の痕跡ありて、いまだ自然円満の域に達せず。芭蕉はこの時いまだ自然といふ事に気づかざりき。自然といふ事に気づかざりしために一句の細工を免れざりしなり。蔦の句の如きやや自然なれども、「植ゑて」の語はなほ自然ならざる処あり。不破の句は句としては完全なれども、この種懐古の作は和歌にもなほあり得べき趣向なり。芭蕉はいまだ俳諧特有の妙処の存し得べきことを知らざりき。手の届かざること僅に一寸。
翌々貞享三年、芭蕉は未曾有の一句を得たり。
これなり。この際芭蕉は自ら俳諧の上に大悟せりと感じたるが如し。今まではいかめしき事をいひ、珍しき事を工夫して後に始めて佳句を得べしと思ひたる者も、今は日常平凡の事が直に句となることを発明せり。憂き旅寐のはては野ざらしとなるべきかといふ極端の感懐、秋風に捨子が泣きてをるといふ極端の悲哀、かくの如き極端の事を、いはでは面白からじと思ひしは昨日の誤解にて、今日は、蛙が池に飛びこみしといふありふれたる事の一句にまとまりしに自ら驚きたるなり。馬と残夢と月と茶の煙とを無理に一句に畳み込み、三十日の闇と千年の杉とそれを吹く夜風とを合せて十七字の鋳形にこぼるるほど入れて、かくして始めて面白しと思ひし者が、翻然として悟りし今より見れば、これらの工夫したる句はむしろ「蛙飛び込む水の音」の簡単にして趣味あるに如かざるを知りたるなり。芭蕉は終に自然の妙を悟りて工夫の卑しきを斥けたるなり。彼が無分別といふ者、また自然に外ならず。試みに前に列挙したる連歌以後幾多の句を繰り返し、この古池の句の如く自然なる者他にあるかを見よ。一句のこれに似よりたる者だにあらざるべし。似よりたる者だになしとすれば、とにかくに芭蕉は、今まで人の知らざりし処をつかまへたるは明なり。自然といふ一事がある程度まで文学美術の基礎を為すは論を俟たず。自然の基礎に置かれざる文学が文学とするに足らざるは、連歌と鑑武貞宗の俳諧との無味なるにても知るべし。縦し自然といふ事が唯一の方針にあらずとするも、芭蕉が古池の句につきて感じたる処はこの自然にあり。彼がその後の方針は皆自然に向ひて進みたり。
かつこの句の題目が多く世人に忘られたる「蛙」にある事に注意せざるべからず。蛙は和歌に詠めども極めて少し。(『万葉』にいふ「かはづ」は今の蛙に非るべし)連歌にも少きこと前にいへり。貞派の句には多少これあるも、蛙の趣を詠みたるにあらねば蛙の句とするに足らず。その蛙の句は古池を初といふて可なるべし。今連歌以来古池の句に至るまでの蛙の句を列ねて、蛙に対する観念の変遷を知らしむるに便せん。
手をついて歌申しあぐる蛙かな 宗鑑
鶯のもろ声に鳴く蛙かな 紹巴
詠みかねて鳴くや蛙の歌袋 失名
立わかり鳴くや蛙の歌あはせ 失名
苗しろをせむる蛙のいくさかな 未満
和歌に師匠なき鶯と蛙かな 貞徳
鶯と蛙の声や歌あはせ 親重
やり水のついたかいたく鳴く蛙 宗俊
おほて出て田顔あらすないもがへる 盛親
河中で蛙が読むやせんどうか 重頼
降れば鳴く蛙の歌や雨中吟 寛記
くちなはも歌にやはらげ鳴く蛙 弘永
水口に蛇や見ゆらん鳴く蛙 光重
ふけ田なる蛙の歌やぬめりぶし 定時
いくさ場のときの声かや鳴く蛙 信相
長く鳴く蛙の歌や文字余り 永治
歌いくさ文武二道の蛙かな 正章
呪ひの歌か蛇見て鳴くかへる 氏利
許せ蛇けふの日ばかり鳴くかへる 可慶
呑まれなよ軒の蛇腹に蛙また 一和
歌よむは短冊の井のかへるかな 一雪
釈教の歌か寺井に鳴くかへる 閑節
音に鳴くは伊敷が淵の蛙かな 利直
玉の井の蛙の声もうたひかな 秀辰
歌よまでゐるはたくら田の蛙かな 将和
つらね歌の点料かおのが蛙銭 資仲
蛙いくさ井干行の備へかな 破扇
地獄谷の蛙は修羅のいくさかな 之也
生死は閻浮にかへるいくさかな 直安
打ち出でよ蛙いくさに鉄炮津 一雪
河原いくさ四条によるは蛙かな 同
赤蛙いくさにたのめ平家蟹 同
立田川紅葉や朽ちて赤蛙 才麿
歌さへぞしなびたりける干蛙 爾木
から歌を加賀にやはらぐ蛙かな 楓興
古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉
右はほぼ時代の順序に従ふて記したる者、かつ大かたの句は悉く挙げたるなり。悪句また悪句、駄洒落また駄洒落、読んで古池の句に至りて全くその種類を異にするの感あらん。芭蕉の自ら感じたるもここなり。少くとも芭蕉は蛙なる一動物の上に活眼を開きたり。しかれども芭蕉が、蛙を以て特に雅致ありて愛すべき者と思ひたり、と誤解する莫れ。蛙は鶯の如く愛すべき者に非ず、時鳥の如くなつかしき者に非ず、雁の如くあはれなる者に非ず、秋鳴く虫の如く淋しき者に非ず、故に古来の歌人も蛙を詠むこと鶯、時鳥、雁、虫の如く多からざりしなり。ひとり芭蕉に限りて百鳥百虫に勝りてこれを愛すといはんや。かへつて余り美しくも可愛くもなきその蛙すらなほ多少の趣致を備へて、俳句の材料たるを得ることを感じたるなるべし。蛙既に雅致ありとせば、鶯、鵑、雁、虫は言ふに及ばず、あらゆる事物悉く趣致を備へざらんや。芭蕉が蛙の上に活眼を開きたるは、即ち自然の上に活眼を開きたるなり。その自然の上に活眼を開きたる時の第一句が蛙の句なりしは偶然の事に属す。俗宗匠輩がこの句を説くに、特に蛙に重きを置くは固より取るに足らざる謬見のみ。
古池の句が俳諧の歴史上に珍しき句なることは、前に挙げたる例句によりて知るを得べし。されば芭蕉の俳諧はこの一句を限界として一変せり。従つて当時の俳諧界もまたこの一句を中軸として一転せり。縦令事実はしからずとするも、芭蕉は爾か感ぜり。故に芭蕉の将に死せんとして門人その辞世の句を問ふや、芭蕉答へて曰く
昨日の発句は今日の辞世、けふの発句は明日の辞世、吾生涯いひ捨てし句は一句として辞世ならざるはなし。我辞世いかにと問ふ人あらばこの年頃いひ捨て置きし句いづれなりとも辞世なりと申し給はれかし。諸法従来常示寂滅相、これは釈尊の辞世にして一代の仏教この二句より外はなし。古池や蛙飛びこむ水の音、この句に我一風を興せしよりはじめて辞世なり。その後百千の句を吐くにこの意ならざるはなし。ここを以て句に辞世ならざるはなしと申し侍るなり。
といへり。「その後百千の句を吐くにこの意ならざるはなし」とは、古池の句と共に感得せし自然的趣味によりて一生俳句を作りたりとの意なり。芭蕉が古池の句を蕉風の境界線と為ししは自ら明言する所なれども、芭蕉はこの句を以て自家集中第一等の句なりとは言はず、芭蕉の爾か言はざるのみならず、門弟もまた爾か言はず、去来は最も深く芭蕉に教へられし者なれども、古池の句につきて何をも言はず。支考の如く芭蕉を本尊にして自説を誇張する者すら、(『十論』の引例に出だしたる外)古池の句を批評したることなし。しかるにいつの頃よりかこの句を無上の佳句なるが如く言ひなし、はては不可思議なる説をなす者加はりて、その広く世間に知らるると共に一般に誤解せらるるに至りたり。芭蕉は自ら、古池以後いづれの句も皆我句として人に伝ふべしとさへ誇れるに、後人が特に古池の一句を揚ぐるを聞かば、芭蕉は必ず不満なるべし。余らもまた古池を以て芭蕉の佳句と思はず、否、古池以外に多くの佳句あるを信ずるなり。客、頷して去る。
底本:「俳諧大要」岩波文庫、岩波書店
1955(昭和30)年5月5日第1刷発行
1983(昭和58)年9月16日第2刷改版発行
1989(平成元)年11月5日第8刷発行
初出:「ほとゝぎす 第二巻第一号、第二号」
1898(明治31)年10月、11月
※「飛びこむ」と「飛び込む」の混在は、底本通りです。
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:酒井和郎
校正:岡村和彦
2016年6月10日作成
2016年9月22日修正
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