救われた稀本
──寺田寅彦著『物理学序説』
中谷宇吉郎



 この書は未完であり、かついわば草稿であって、まだ十分な推敲を経たものではない。しかしこの書は、わが国では類例の少い独自の著述である。このままの形でも、真に学問を愛し、科学の本質を知りたいと願う人々に、一度熟読をすすめたい本である。

 終戦直後、九州のある友人から、むつかしい質問をうけたことがある。それは公共的な意味で使いたい紙の手持ちが少しあるが、それを新生日本の糧として残すという意味で、本にして少数の人に配っておきたい、その目的にかなうような本を、明治・大正・昭和を通じて一冊だけ選んで貰いたいというのである。

 これはずいぶんむつかしい話であるが、いろいろ考えあぐんだ末、結局私はこの『物理学序説』を推薦した。ずいぶん大胆な話であるが、私の知っている範囲内では、そういう無理な註文に対しては、外にいい考えが浮かばなかったのである。実はこの『物理学序説』には私は前から少し因縁のようなものがあった。この原稿は危く誰の眼にもふれないで、湮滅いんめつしてしまう危険がたぶんにあったのであるが、幸運にも全集編纂の時に、世に出ることになったのである。

 この原稿は、岩波書店で昔『科学叢書』というものが計画された時に、そのうちの一冊として書き始められたものである。全集編輯者の調べられたところによると、大正九年(一九二〇)十一月十二日に稿を起し、予定の三分の一余りのところで中止されて、未完結のまま残されていたものである。先生にこういう意図があったことは、初めは誰も余りよく知らなかったようである。

 大正十五年の秋ごろかと思うが、理研で先生の助手をつとめていたころ、よく毎晩のようにおそくまで、曙町の応接間でいろいろな話をきいたことがある。ある晩のこと、先生は日本の物理学界の現状と、研究者の心構えとについて、大いに気焔をあげられたことがあった。その時の話の中に「僕はそのうちに『物理学序説』というものを書くつもりだ。今はとても忙しいし、それにどうも差障りがありそうだから、今に六十になって停年になったら、一つそれを書いて、大いに天下の物理学者に、物理学というものはどういうものかを教育してやるつもりだ」というような話があった。

 先生は大勢の人の前では非常なはにかみ屋であったが、二三人の弟子たちを前にして、実験室の中やお宅の応接間などで話をされる時は、よく「気焔をあげ」られたものである。特に機嫌がよい時には、灸所をついた大気焔が、つぎつぎと出て来たものであった。この時の話もそのうちの一つであって、当時は別にそう特に重要な話だとも思っていなかった。

 先生が亡くなられて、全集編纂の話が出た時に、私はふとその時の話を思い出した。それでその話をお宅の方にも岩波書店の小林君にもしておいた。その後いろいろな人が書斎の中を整理して、その都度この草稿が問題になったのであるが、ついに見付からなかったということであった。もっともそういう話があったことは事実であるが、それは腹案であったかもしれず、ちゃんとした草稿ができていたかどうかは確かでなかった。それで探す方にも力がはいらなかったのかもしれない。ところが小林君が、先生がそういうことを言われた以上、きっとどこかにあるにちがいないといって、とうとうその草稿を書斎の中から見付け出したのであった。それは、先生の海洋物理学の講義の原稿らしいフルスカップの裏に書かれてあったのである。

 草稿についていた別の紙に、全体の予定らしい数字が書いてあって、それでみると、約三分の一くらいが出来ていたようである。この本はその三分の一の未完稿と、二つの附録とを纏めたものである。この『序説』には少くも二つの附録が伴なう予定であったことが、本文によって知られるのであって、その一は『自然現象の予報』であり、その二はポアンカレーの『偶然』を訳されたものである。そのうち『予報』の方は、本文の中にその内容が相当詳しく再出されているので、或は完成の際にははぶかれたものかもしれないが、『偶然』の方は、附録として是非必要なものである。

 この原稿は、僅か三分の一しかできていないのであるが、それでも十分にその企図を察し得る極めて独自な著述である。全集の編輯者の言の如く「これは種々なる意見を単に綜合したやうなものではなく、ことごとく著者の立場に於て表現したものである。そこには極めて自由な考察が示されてゐるばかりでなく、更に読者自身の思索を誘発するところが多いと思」われるのである。

 わが国のこの種の著述の中には、哲学者が科学を論じたものは二三見受けられるが、深い哲学的教養をもった科学者で、しかも常に研究の第一線を歩みつつある人によって、この種の問題がとり上げられたことはほとんどないようである。むしろそういう人がほとんどいなかったと言った方が、適当であるかもしれない。科学の学徒にとってはもちろんであるが、一般の知識人にとっても、この後者の方が科学の本質についての理解を深めるのに役立つことが多い。科学の研究に体験のない人の科学論には、時々隔靴掻痒の感を伴なうことがあって、それがこの種の問題に対する科学者の関心を低めさせる原因となる場合がかなり多かったようである。

 優れた科学者の科学本質論では、各種の概念的事項の説明に、適切な具体的の例が豊富に引用され得るという強味がある。そういう例を、この書からはいくらでも拾い出すことができる。例えば極めて本質的な問題であるところの能知と所知とを説明するに当って、人間が物差で測定をする場合があげられている。この場合測定者の眼や手は器械になっているので、能知者たる人間が遠くに退いていることには問題はない。次に測り方の上手下手もなお科学の範囲内とすることができる。そのためには「測定結果を精密なコンパレーターの結果と比較しそれに近いほど上手だ」ということにすればよい。その時の「観測者の眼の判断は所知者である」からである。「しかし如何にすれば上手になれるかという事はもはや学でなくて術である」という記述などは、能知と所知との雑りやすい巧い例をとりあげたものであろう。

 物理学は物の理を考える学問であるという常識論を吟味する場合に、物理学における物というのは、実は物ではなく、再現可能でかつ箇々の物質や物体を離れた物の概念である点を明らかにし、その例として前者には、幽霊と化学書にある稀有元素とをあげ、後者は比重を例として説明してある。「必要に応じていつでも吾人の前に再現され直接あるいは間接に吾人の感覚の窓を通して認識され得べき可能性を有する事が科学的論理的に証明され得る」ためには、幽霊は落第である。たとえ「ある時代においてすべての人が幽霊の存在を信じ」それが「一つの共通な認識(それは感性的でないとしても)の表現」となっていても、それは「感性を通して認識され、必要あらば自分の眼前に再現され得べしと信ぜらるる」稀有元素とは異なるのである。

 物理学は物の学ではなく、箇々の物を離れた概念の学であるというような重要な点の説明に、比重のような簡単な物性がとりあげられているが、この著者によって解説された場合には、その説明が如何に生きて来るかを読者は理解されるであろう。

「時」と「空間」との問題は、哲学にとっては千古の課題であるが、物理学にとっても極めて重要な問題である。相対性原理以前の物理学においては、時は空間における等速運動を仮定することによって、初めて客観的に取り扱われ得るに至り、空間の尺度で測ることによって、科学の領域にとり入れられて来た。しかしこの方法によっては、即ち時を線で現わすことによっては、主観的時間の特徴たる不可逆性は全く疎外され、すべての変化は可逆的となる。力学における時は、進行と逆行とが等価的である。この点は主観的の時の説明には重大な欠陥となる。しかし物理的現象でも、時なる線は一方向きにのみ進行するのが、宇宙現象の実際であって、熱力学の第二法則が、その点を明確に規定している。あらゆる変化の進行に際して、エントロピーは常に増し、決して減ずることがないというのが第二法則である。熱の現象の中で最も普遍的な摩擦の現象を無視した力学においてのみ、時は可逆的な形で導入されるのである。熱力学の第二法則から再び立ち戻って「主観的時間の経過を考える時に、それが一つの物理器械として考えた人間という器械的体系のエントロピーの増加と密接な関係があることを認めることが出来る」のである。ここまで踏み込んで初めて古典的クラシカルな物理学にとり入れられている時の意味が、本統に理解されるであろう。

 更にこの「時」と「空間」との問題は、物理学の方では、周知の如く、アインシュタインの相対性原理の提唱によって、文字通りに画期的な飛躍をみた。相対性原理における時空の概念の説明は、一時流行を極めたこの問題の通俗科学書に溢れたものである。しかし私は不幸にして、そのいずれからも十分納得のゆく理解が得られなかったような気がする。アインシュタイン自身の筆による普及書すらも、なお本統に一般科学人にその真意を伝えるのに、適切な解説を与えるものであったか否かには、幾分の疑念がある。少くも私自身にとっては、本書の第二編第五章『数と空間時間』ほどの簡潔にして明快、しかもこの問題の真髄を衝いた解説を、外には知らない。

 光が相対性原理において特別無上な地位を占めていることの意味は、「光が物質等を一切無くした空間の中に起る唯一の現象であって、空間そのものに固有な現象である」ばかりでなく、更に進んで「吾人の幾何学的空間を組み立てて行く時に直線なるものの Prototype(原型)となるものは光の進行で」ある点を深く考察することによって、その本意を理解することができるのである。その説明としては「吾人の空間の骨骼こっかくは光線である」というこの本の中の言葉ほど簡潔な説明は、外にはちょっと見当らないようである。

 先生はかつて「僕の相対性原理はラウエの本で勉強しただけだよ」という話をしておられたことがある。しかしもちろんそれだけでは満足されなかったようである。「著者は吾人の空間が元来人間に無関係に先天的非ユークリッドであるのを従来ユークリッド的に誤認していたのをアインシュタインの研究によって始めて迷夢が一掃されこれで空間時間の問題が窮極的に解決が付いたとは考えないのである」と明記されてある。そして相対性原理において根本的な意味のある光線が、単なる線でなく、それが一つの等速運動である点に、より深い意味を見出そうと試みておられる。それは時と空間よりも、運動がもっと原始的なものであるという考えから来ているのである。時が物理学にとり入れられるためには、それが空間的の尺度で測られなければならない。空間化された線的時間において、「今」という Zeitpunkt は、幾何学における点ではなく、ある時間閾の領域内では、二つの継起する出来事はしばしば前後の順序を顛倒して感ぜられる。そういう領域は「相互に重なり合いつつ進行して行く。かくのごとくなる事によって始めて連絡せる時間の知覚が成立する」。

 一方空間の知覚においても、異なる点の空間的分布が同時に認知されるとすることには無理がある。文字の形のようなものは、一度に眼に見えるようであるが「吾々がその字画を覚え込んでしまうまでにはどうしても何遍もその字画の線をどうにかいう順序にたどって習熟する事は事実で」あり、図形でももちろん同様である。こういう追跡作用がいつでも必要であるとすれば「空間の知認には時を要する」ことになる。こういう考察から、先生は時と空間とは、運動という原始的知覚の分解によって生じたものであるという考え方に傾いておられたようである。哲学者の中には、もちろんそういう考えの人も沢山あったであろうし、先生もベルグソンなどから影響を受けられた点もかなりあるようである。しかし科学者としての先生は、この考えを説明するのに「ミンコウスキーの時空を合した四元の「世界」四元的線として現わるるものはすなわちこの原始的知覚の数学的模像である」という言葉で表現しておられる。「こう考えて来ると時間や空間はただ運動を表わす便宜的座標に過ぎなくなり、この運動を refer する為の座標軸は無数に可能になり、それ等の各々の座標には時と空間とが必ず結びついて来るのである。この座標軸の選定はただどのものを静止と見るかによるばかりである」。相対率原理の最初の部分、即ち最も重要な部分の意味を、これほど明白に説いたものは、外には余りないように思われる。「運動を純粋な時間と空間とに分解した事は非常に便宜であるにかかわらず、ある意味では失敗であったと考える事が出来」「その偏見が相対率原理の研究によって救われた」ともいうことができるのである。

 時と空間とは、運動という更に基本的な知覚の分解から得られたという先生の考えは、更に進められて、『時と空間との量子説』という一見突飛なような示唆となってこの書の中に提出されている。物質の素量説、即ち原子構造論は、現代ではもう常識となっており、プランクの勢力エネルギーの素量説も、今では疑う人は無い。しかしこれ等の物質及び勢力エネルギーの不連続は、すべてその根柢に連続的な空間時間を考えての上のことである。先生が提出された問題は、空間時間それ自身に非連続性が考え得られないかというのである。即ち空間時間の値を現わす数が、一定の間隙で進行し、その間隙内の空間や時間内では、数値は一定で、時の前後も空間的の右左も無いとするのである。最もわかりやすくいえば、微積分の dx や dt に相当する物理的な量で、任意には決められない値のものが、自然の中に実際にありはしないかという問題なのである。この考えは現在のところでは、まだ突飛な奇説と思われるかもしれない。しかし運動量に素量があるとすれば、運動を分解した時と空間とにも素量があってはならないとは断言できないであろう。現在のところ、相対論的量子力学は行き詰りの形にあるということを、その方面の専門家の人からきいたことがあるが、この時空の不連続性の考えなども最近になって一部の物理学者によって取り上げられているそうであるが、或はその打開に役立つようになるかもしれない。

 哲学的な考察というものが、わが国の科学者の一部の人には、全く無益の精神力の戯れと思われている傾きがある。それには理由もあるのであって、本格的な研究を自分では何もせずに、哲学書から拾った「深奥な言葉」の羅列を業とする人が、その方面にかなりあったことが禍しているのではないかと思われる。しかし人間の思考の「型」少くとも現代人の科学的な思考の「型」は、すでに希臘ギリシアの哲学者によって作り出され、それより一歩も出ていないような気がすると、よく先生は言っておられた。内容はつぎつぎと変って行くが、容器は変らないのである。そういう透徹した眼で、深く科学の本質を見極めた哲学的な思索が、見方によっては人間の思索の一つの現われであるともいえる物理学に、役に立たないわけはない。この書の中にもその良い例が見られるのであって、現代の量子力学における電子の概念の示唆が、立派にこの本の中に書き残されているように私には思われる。

 先生がこの草稿を書かれたのは、一九二〇年から二五年くらいまでの間と推定される。その時代は、ちょうど現代の量子力学の基礎をなすところのド・ブロイやシュレーディンガーなどの論文がぼつぼつ出はじめる直前のころであった。前期の電子論が発達の極に達し、その大きさ、剛性、荷電の分布などと、議論は尽きるところを知らず、煩瑣哲学の趣きがありありと物理学の上に現われて来ていた。ちょうどそのころに先生は、第二編第三章の『実在』の章に見られるような哲学史的考察を物理学の上に施して「著者は過去の歴史に徴しまた現在の物理学を詮議して見た時に、少くも今のままの姿でそれ(物理学の進歩の径路)が必然だという証明は存しないと思うものである。もし果して然らば物理学の所得たる電子等も未だ決して絶対的確実な実在の意味を持たぬものであって、これに関する観念が全然改造さるる日もあるだろうと信じて居る」と断言されているのである。

 今から考えてみれば、世界中の学者がかかって、電子の性質について煩瑣哲学的な研究を積み重ねるべく、無駄な努力を払っていたわけである。そういう趨勢の由って来たるところは、電子の粒子性の実験に誘われるままに、誰もが何時の間にか、電子を野球の球のようなものが極度に小さくなったものという風に思い込んでいたことにあるのであろう。電子をそういう意味での「実在」と思い込んでしまえば、いろいろな物性をそれに賦与するのも自然の勢いである。まして昔から物質の第一性質と考えられて来た不可入性などについては、疑問をもった人はほとんどなかったわけである。しかし先生は、その点までも指摘しておられるのである。「若し今日電子の色を黒いとか赤いとか云えば学者は笑うに相違ないが、電子が剛体であるとか弾性であるとかいうのはそれ程怪しまない。まして電子の不可入という事について疑う人は極めて稀だと云ってよい。しかし著者は此の如き仮定の必然性を何処にも認め得ない」と言っておられる。「可触物体の力学を応用する便宜上」から電子に形を与え、普通の意味での物性を賦与したのは、無理のない傾向ではあるが、それには便宜という以上には「必然な要求のない事を承認し」ておく必要があったのである。先生のこの言から十年を待たずして、ド・ブロイによって電子の物性は除去され、シュレーディンガーの式によって規定されるところの形も不可入性もない数学的表現が電子であるということになってしまった。そしてこの基礎から出発した量子力学が、今日遂に原子力の秘密を開放するまでに発達したのである。機械を作った人間が機械に隷属せしめられることがしばしばある如く、人間は自分で作った物理学にとらえられて悩む場合が案外多いのである。そういう場合に、研究者を混迷の淵から救い出してくれるものは、科学の本質についての深い考察である。その点について異論を唱える人はないであろうが、問題は研究者を救い得るほどの深い本質的な哲学的考察が少い点にある。役に立たない哲学を嫌う実用主義の科学者も、この書によって、哲学的思索が案外自分たちの眼の前ですぐ役に立つ、しかも一番重要な点において役に立つことを悟るであろう。「科学上の真なるものにして応用のないという事はそれ自身矛盾のある言葉である」と言われた先生は、実用や応用ということを常に重視しておられた。そしてそのためにも哲学的の思索を必要とする点が、この書によって示されているのである。「今日の科学を盛るべき容器は既に希臘ギリシアの昔に完成してそれ以後には何等の新しきものを加えなかった」と感じておられた先生にとっては、それは当然のことであったのであろう。

 哲学の歴史は、人間の思索の道筋の歴史である。「科学者が外界の現象を取り入れてそれを秩序立てる時に用いる一種の型は畢竟するに哲学的な思索の種々な型のいずれかにあたらないものはない」。科学史上に名をとどめている古来の科学者は、いずれもこの「型」の所有者であった。

 近代の物理学は、あらゆる現象を力学的数式の形で与えようとする方向に進んで来た。ニュートンの仕事はそういう意味で、極めて重要なものであったことは、事あたらしくいうまでもない。物理学における「説明」の意味は、その大部分が、力学的数式によって表現されることを意味して来た。ニュートンは光学を力学の一部に包含すべく、光の粒子説を提出した。そして彼の時代において知られていたあらゆる光の現象を、その仮説によって論理的矛盾もなく、また経験とも衝突することなく、説明することができた。その説明というのは「媒質中における微粒子の運動を数学的に規定する事によって光の現象をそれから演繹」したことである。この力学的取扱いという問題は、時を可逆的に取り扱う点、及び力学の基礎がすべて等量関係であるために、すべての現象を等量関係の記載に引き直す点において、重要な意味をもっているのである。ここでは因果律は等量関係で表現され、物理学における「何故」を How? に限定することになるからである。物理学は How? の学問、即ち記載の学問であって Why? の学問ではないということは、それが実証論的性質の学問である以上、本質的には何人も異議はないであろう。しかしそれが一般にかなり浅薄な意味で流布されている点については、先生は意見があったように思われる。しかしこの草稿はちょうどそこまで筆が進んだところで切れているのである。

 力学的自然観という容器の問題は、それが因果律まで遡る点において、極めて重要な問題である。光や音が純粋に力学的に取り扱われ、それが一応の成功をおさめたことは、誰も知る通りである。十九世紀においてマクスウェルの理論が出て、電磁現象もまた力学の中に包含されるに至り、電磁力学の確立をみたわけである。それが二十世紀にはいって、電子論の急激な進歩につれて、物質を全部電気と見る考え方に導かれ、いわゆる電気物質観が盛んになって来た。この場合も「物質というものを電気に置き換えただけで、物理学全体を通じて力学的取扱いは依然として変らな」かった。即ち内容は変っても、容器は変らなかったのである。

 力学は、すべての現象を質量と空間と時間との要素だけで云い現わそうとする学問である。相対性原理によって、従来不変とされていた質量が、速度によって変ることが知られ、勢力エネルギーにも惰性を賦与せざるを得なくなった。それで質量の力学はエネルギーの力学に発展したのであるが、力学的取扱いという容器は依然として残ったのである。

 質量が速度によって変化することから更に前進して、物質と勢力との転換なる考えに到達せざるを得ないことになった。それで物質不滅の法則という自然科学全般の基礎をなす法則が覆えされてしまった。しかしこの新しい考えから導かれた電気即物質論は、物質の観念を改造して、勢力エネルギーと質量との和が不変であるという新しい物質不滅の法則を確立したのである。ここでも容器は変らなくて、その中に盛られるものが変ったのである。物質と勢力との和が一定であるというようなことは、一般にいろいろな場合について、実験的に証明することはできないものである。極く特別な場合についてのみ、実験的根拠が与えられているにすぎない。むしろその和を飽くまでも不変とみて、もしその法則にあてはまらない場合があったら、その分だけを未知として残すといった方が適当である。そういう風にいっても、この法則の価値が減少するものではない。この原理に基づいた原子爆弾は、現実にできたのである。

「物質の不滅性はこれも昔から考えられたものでこの一見変転極まりなき世界に何物か不滅不増の物を考えんとする要求から起ったものであって、その要求の眼鏡を通して世界を見、その要求に応ずるように自然界を掘りくずして行って掘り当てたものがすなわち物質の質量であったのである」。質量の意味は、この説明によって初めて本統に理解されるのであって、「普通物理学書にある質量の定義は無意味に近いものが多いから誰でも腑に落ちかねる」のである。ニュートンの第二法則F=maにおいて、加速度aは問題ないとして、力Fか質量mか、いずれかを先に決める必要がある。マッハ以来、人間の筋肉や皮膚の感覚から来るところの力の概念をまず決めて、mは惰性係数として定義する流儀が、少くも物理学者の間には採用されている。先生もその考え方によっておられたのであるが、感覚から得られた力の概念の中から、純粋な力学的の力を抽出する場合には、この物質不滅の要求から来た質量が、補助的役割をしたものと考えられたようである。この考えに従えば、質量はニュートンの法則と物質不滅の法則との歩み寄りで生まれた概念であるともいえよう。質量をそういう意味に解釈すれば、それが勢力エネルギーに転換され得ることは、何もそう不思議ではない。物の実質が忽焉として宇宙から消滅して、物でない勢力エネルギーが生まれたという風な考え方は不必要なのである。

 問題は人間の作った概念であるところの質量から、現実に原子力が得られる点にある。これは、古来の哲学者の何人をも悩まして来た『自己と自己以外』の問題に関係している。科学の科学たる所以ゆえんは、その中で取り扱う対象が自己を含まない点にある。即ち「所知者ばかりを抽出してそれらの間の普遍的関係を論」ずるものが科学である。ところでそういう所知者ばかりの間に、普遍的関係が成立するということ、即ち「科学が成立する為の条件は重大な問題でありそのような問題には能知者の吟味がすぐに必要になるのは明らかな事である」。この点については、先生は極めて明白な態度を示し、「科学はそのような事の可能であるという前提で打ち切ってそこで科学自身と他の哲学の部分との境界を立ててしまうのである」としておられる。

 それはもちろん妥当な意見であろうが、この種の著書としてははっきり言い切っておられる点が、ちょっと目あたらしい感じを与える。この書の特徴の一つは、曖昧な言い現わし方が全然ない点にある。デカルトが、経験的な知識の根柢を薄弱なりとして、自然研究の確実な方法を数学に求めたことの説明においても、その好例が見られる。デカルトが数学的方法の出発点として公理的なものを探究し、「action at distance の否定からエーテルを考えエーテルの運動状態が物質であるとした」点は、現代科学の考えにまで滲潤して残っている。その点では立派に科学的であるといえるのであるが、「この公理は無論経験で証明される性質のものでなく形而上学的の意味しかないものである」。この点について先生は「彼は今日の科学者とは全然異っているのである」と明瞭に述べておられる。カントの認識論の説明には、もっと愉快な例がある。カントの認識論は結局現象論であって、その一つの重要な問題は、客観的存在が主観の所産であるにもかかわらず、普遍性、必然性を有する点にかかっている。その点についてカントは「そのような普遍な非個人的な組織が出来得る所以を人間精神作用の根柢にある先験的統覚(die transzendentale Apperzeption)と呼ぶものに帰した」のであるが、先生はそれを「これは科学的の眼からは窮策と見えるものである」と評されている。先生はカントを十分理解し重視されていたのであるが、「窮策」と思われたところは、その通りに書かれたのである。この評もまたデカルトの評の如きも、哲学者には或は異論があるかもしれないが、明晰無類の表現であることには間違いないであろう。こういう表現は、草稿だから見られるので、完成された本の形では、或は辞句の訂正があったかもしれない。そういう意味で、先生の意図を窺う上には、草稿の方がより興味深いものであるともいえよう。もっとも草稿である以上、誤字や誤記のある点は否みがたい。例えば三九頁五行目の「悉く物と云はれない」は「悉く物と云はれやう」の誤記であろう。また一〇七頁七行目の「考へなければ」は「考へれば」の書き違いと思われる。そういう例は外にもあるかもしれないが、それ等は少し注意して読めばわかることで、大して問題とするまでもないことである。

 この書が未完結で終ったことは誠に遺憾ではあるが、これだけでも先生の物理学に対する思想の方向を、ある程度まで窺い知ることができるのである。全集編輯者も言っておられるように、人間的要素からの離脱が自然科学の理想であるというプランクなどの主唱を、軽々に妄信することをいましめる先生の気持が、この草稿の全体を通じて浸みわたっている。

「我々のあらゆる学問は人間にして始めて可能な貴重な特有な学問であると同時にまた結局は人間の学問に過ぎなくて神や天使の学問でない事を念頭に置いてかからねばならない」という言葉もある。

「科学が中世後文芸復興とともに急に進歩するに至った一つの大いなる理由は実に科学がこの区別(所知のみを対象とするか能知が入るかの)を自覚して自己から切り離され自由な天地に放たれたのにあるのである。しかし全く自由になったつもりでいても実はやはり別の世界に移ったのでなくて何処までも自分のかこいから出た訳ではなく、ただ自分の Spielraum を得たというに過ぎない」のである。

「人間の有するいわゆる外界の模像を普遍化し系統化するものが人間に内在しなければ外界は支離滅裂して認識は成立しない。そうするといわゆる実在も「我れ」あって始めて存立するものである」ことは明らかである。

 こういう言葉を拾い出してみると同時に、第二編第四章の『感覚』と、第五章の『数と空間時間』とに、如何に先生が力を注いでおられるかを考え併せてみれば、この特異な先生の「人間的な物理学」の特徴を、よく了解することができるであろう。人間的な物理学といっても、物理学の窮極が人間性からの解放にあることはもちろんである。ただ物理学は人間が作ったものであることを常に反省することが、人間性からの解放をもたらす所以ゆえんなのである。その点は、第二編の最後に附加された註からも窺うことができる。即ち「Planck その他は Anthropomorphism(人間本位主義)からの解放を主張して居る。無論これらの人の云うような意味ではそうである。しかしこの言説が悪い意味に曲解さるる恐れを防ぐ為に著者は特に感覚と空間時間との関係を取り立てて見たのである」。

 軽々に人間性を無視しようとする物理学者は、例えば「偶然」が一部の役割を占めるような現象の解明には不適当である。現象を支配する要素が少数であり、かつ因果関係が明瞭で、機械的の法則によって現象が単義的にきまる場合は、決定論的な取扱いができるので問題はない。そして従来の物理学は、そういう種類の現象の方を、より多く取扱って来たのである。しかし実際の自然現象の中には「原因あるいは条件と考えるべき箇条が限りもなく多数で複雑でありまた原因の微少な変化によって生ずる結果の変化が有限である」ような場合が沢山ある。その時は結果は全く偶然によって支配されるのである。しかし「複雑さが完全に複雑であればそこに自ら一つの方則が成立しこれによって統計的に種々の推論をする事が出来るのである」。即ちその場合は偶然の法則を武器として、問題の解決ができることになる。

 条件が少数で因果関係が簡単な場合は、決定的の取扱いができる。また完全に複雑であれば、偶然の法則が適用し得る。しかし「一番工合の悪いのは複雑さが中途半端な場合である」。そしてそういう場合が、実際の自然現象では、極めてしばしば起きていることを知らなければならない。それが物理学の中に目立ってはいって来ないのは、物理学者が「そういう困難に会う事をなるべく避けるようにして問題を二つの極端な見方のいずれかに牽きつけて行」っているからである。当然開拓されてしかるべき物理学のこの広い領域の開拓は、人間的な物理学の省察なくしては、とうてい遂行され得ないのではないかという気がする。その点についてもこの本は種々の示唆を与えるものであろう。

 もともとこの書は、問題を解決するために書かれた本ではなく、問題を提出するために書かれたものである。草稿と一緒に全体のプランを書いた紙片が見付かったのであるが、その一節に「教ゆるに非ず問題を提出するなり」という一句があったところをみると、先生もその点は意識されていたものであろう。

 全集によって初めてこの草稿が世に出て以来、既に十年になんなんとする年月が経っている。その間私はその反響を心待ちにしていたのであるが、学界からも一般知識人からも何の反響もなく、一二の例外を除いては、ほとんど話題にすら上らなかったようである。全集編纂の時にこの草稿が見付かっていなかったら、今度の戦災によって焼失したであろう確率は極めて大きかったと思わねばならない。先生のお宅の応接間も書斎も全部焼けてしまったからである。それだったら、日本が産んだ極めて少数な本のうちの一冊であるこの書も、誰の眼にもふれずに永久に失われてしまったことであろう。そういう時期に、この書が広く一般に普及し得る形で世に出ることになったことも、一つの因縁であるような気がする。

(昭和二十一年八月)

底本:「中谷宇吉郎集 第五巻」岩波書店

   2001(平成13)年25日第1刷発行

底本の親本:「秋窓記」青磁社

   1949(昭和24)年131日刊

初出:「物理学序説」岩波書店

   1947(昭和22)年45日刊

※初出時の表題は「後書」です。

入力:kompass

校正:砂場清隆

2017年1124日作成

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