温泉2
中谷宇吉郎
|
もう二十年以上も昔の話であるが、弟といっしょに、しばらくパリで暮したことがある。私は文部省の留学生であり、弟は考古学をやっていて、トロカデロの博物館から僅かばかりの手当をもらっているだけで、二人ともはなはだ貧乏であった。
それでなるだけ生活費のかからぬように暮す必要があった。自費洋行の画学生たちのように、自炊生活をするのがいちばん安いわけであって、それだと当時の金で、一ト月五十円ぐらいで暮せた。しかしそれでは勉強の邪魔になるので、けっきょくモンスーリ公園のはずれにあった、日仏学生会館に入ることにした。
ああいう会館は、生活には非常に便利で、かつ安あがりでもあって、その点は申し分がなかった。しかしなんとなく生活が殺風景になり、それに外国にしばらくいると、みな気分が荒んでくるので、とかく索莫たる感じが漂いがちであった。それで同宿の連中は、よくパリの繁華街のほうへ遊びに出かけたようであった。
しかしわれわれ二人は、金がないというのが主な理由で、だいたい神妙に、毎晩学生食堂でめしを食って、夜は本を読んでくらしていた。昨年学士院賞をもらった数学者のO君も私たちの仲間で、いつでも三人金魚の糞のようにつながって、別棟の食堂へ通ったものであった。
この会館のいちばんの取柄は、風呂がいつでも使えることであった。現在はもちろん当時でも、アメリカでは、浴槽に熱い湯が常時出るのが普通であった。しかしヨーロッパのほうでは、一般の家庭では、いつでも風呂が使えるというわけにはいかなかった。私も弟も温泉地生れで、湯は大いに好きだったので、風呂の点では、この会館が大いに気に入っていた。
夕方そとから帰ってくると、まず一ト風呂浴びる。夜は十二時頃までそれぞれ仕事をしていて、くたびれると誘い合わせて、長い廊下をわたって浴室へ行く。浴槽はそれぞれコンパートの中にあって、それが便所のように並んでいる。湯からあがると、誰かの部屋で涼みながら、とりとめもない話を一時間くらいやって、各々自分の部屋へ帰って寝る。まことに優等生ぞろいであった。
ところで初めのうちは、これで一応満足していたのであるが、少し馴れてくると、日本の風呂のほうが、だんだんなつかしくなってきた。当然のことであって、考えてみれば、西洋の風呂というものは、あれは衛生設備であって、娯楽的要素はぜんぜんないものである。押入れみたいなところへはいって、お棺みたいなものに湯を入れ、その中でじっと横になっているだけである。狭いコンパートいっぱいに湯気がもうもうとしている中で、大急ぎで身体を洗ってとび出すのが普通である。もっとも私たちは、かなり悠々とねそべっていたわけであるが、それでも実は風呂の感じはあまり出なかったのである。
いつか湯あがり後の雑談に、日本の銭湯と西洋風呂との優劣論がでた。伝染病のことを思えば、西洋式のほうが衛生的であるにきまっているが、三人とも文句なく、日本の銭湯の礼讃者であった。ひろびろとした浴室で、湯は浴槽にたっぷりある。流し場では、ざあざあと湯をふんだんに使える。考えてみると、なかなか豪奢なことをやっているもので、あの豪奢を享楽した後だから、いわゆる湯あがりの気分が出るのかもしれない。説明するまでもないことだが、西洋風呂には、流し場がないから、浴槽の中で石鹸を使う。そして薄鼠色になった石鹸水の表面にあかが浮いている中から、あがってくるわけである。神経質な人の中には、この湯を一度流して、また新しい湯を浴槽に入れて、改めて身体を洗う人もあるが、そういうのは少ない。だから西洋風呂は、細菌的には清潔であっても、心理的にはあまり清潔でない。
もともと銭湯のほうが好きな連中のことだから、理窟はどうにでもつけられる。西洋風呂などはつまらないもので、日本の銭湯のほうが、ずっと高級なものだということに、異議なく一致した。心理的に清潔なほうが、たしかに高級である。
ところで問題は温泉である。銭湯はまことに高級なものであるが、どんなりっぱな銭湯でも、温泉にはやはりかなわない。これも、もともと温泉のほうが好きなのだから、話は簡単である。温泉に浸った時の、あののびのびした感じというものは、いったいどこからくるのだろうかというのが、次の重大な課題として提出された。
周囲の景色がよいからとか、都会を離れて田舎へ出かけていくからとか、一般に銭湯ほど混まないからとか、理由はいくらもあげられるが、そういう月並な説明で満足するやからではない。各々物理学と数学と考古学とのうんちくを大いに傾けて、さんざん議論をした。そのあげく、三人ともはたと膝をたたいて「それだ」という結論に遂に到達することができた。それは「普通の湯ではまたいではいるが、温泉ではまたがなくていい」というのである。
この頃の温泉には、普通の銭湯のように、湯槽になっていて、やはりまたいではいるのがある。しかしああいうのは邪道であって、ほんらいの温泉には、低く掘り下げて、湯池になっているべきものである。流しを歩いて、そのままどぶんと湯の中にはいりこめるところに、温泉の値打ちがある。浴槽に手をかけて、足を持ちあげて、またいでやっと湯にはいるくらいなら、なにも温泉まで出かけていくことはない。
温泉に浸る感じは、浴槽のヘリに頭をもたせかけて、長々と身体を浮かせるところにある。それにも高いヘリのある湯槽では、はなはだ不便である。それから、話が少し幽玄になるが、自然界にある浴池は、みな池になっていて、湯槽のような高いヘリはない。鬱蒼たる森に囲まれた浅緑の小さい開け地の中に、水の透明な美しい池があるとする。ニンフがそこで浴みをする時、爪先からそろそろと水底の小砂利を踏んではいっていってこそ、ニンフ水浴の図になる。「やっこらしょ」と枠板をまたいで、水の中にはいるのでは、絵にもなんにもなるものではない。
これはもちろん冗談である。しかし温泉の浴槽が、低く掘り下げられて湯池になっていることが、温泉の感じを出す一つの要素であるという考えは、どうも本当らしい。妙なことに力瘤を入れるようであるが、人間の気持などというものは、あんがいにつまらぬ瑣細なことにひどく左右されるものである。そしてこの場合は、奥のほうで、自然の姿に一脈のつながりをもっているので、とくに有力に効いているのではないかと思われる。
ここでいうのびのびとする感じというのは、考えてみると、かなり複雑な情操である。心理学のことは何も知らないから、そういう意味では何もいえないが、その構成要素の中には、自然に近いという点が一つはいっていることは、まず確かであろう。その他にいま一つの大切な要素としては、豊かであることが必要であろう。けちけちした話では、人間なかなかのんびりはできないものである。
そういえば、温泉の浴槽がああいう形になっているためには、湯が豊富で、いつも流し放しにしておけることが必要である。湯がいつもいっぱいにあふれているから、湯池にしておいても清潔な感じが保てるのである。浴槽が歩く面より低いのであるから、本来ならば、なんとなく薄汚なく見えてもしかたがないところである。事実、この型の温泉で湯が八分目しかない場合を想像してみたら、ちょっと進んではいる気はしない。温泉の徳は、静かに身体をしずめると、湯がザーッと溢れるところにある。その湯が流し場に小氾濫を起して、小桶がぶかぶかと浮いて流れでもすれば、まさに満点である。
銭湯ふうの湯舟では、八分目くらい湯がはいっていれば、誰でも一応満足する。中へはいった時に、湯舟のヘリを越して湯があふれ出ないといって文句をつける人はめったにない。この場合、薄汚ないという感じがあまりしないのは、湯舟には八分目でも、その湯の面は流し場の面よりも高いからであろう。だから燃料を使う湯では、ヘリを高くした湯舟にしなければならないことになる。
それで低く掘り下げた温泉の浴槽がよいというのは、それにいつでも湯があふれているという条件があってのことである。すなわち、始終流し放しにしておくことができて、はじめて温泉の値打がでてくるのである。そしてじゅうらいの日本の温泉は、たいていこの流儀になっていた。これはずいぶん贅沢な話なのである。このごろ有名な温泉場にできる大ホテルなどでは、大理石の湯舟など豪勢なもので、銭湯式のやつがよくある。たぶん温泉の量が足りなくなったからであろう。
こういうふうに考えてみると、ホテルの大理石の湯舟よりも、田舎の温泉地で流し放しにしてある、粗末な石畳みの湯のほうが、ずっと贅沢なものなのである。昼夜の別なく、樋の出口から勢いよく流れ出ているあの湯の熱量を、もし石炭で補給するとしたら、おそらく月に五十トンくらいは燃さなければならないであろう。一トン一万円として、五十万円になる。月に五十万円の湯に浸っているのであるから、少しくらい気宇宏大になってもふしぎではない。だから温泉のほうがのびのびするはずである。
「温泉の湯は、またがなくてもいい」というのは、けっきょくは、無尽蔵に近い地熱という資源を、ふんだんに使うということである。一つの湯口でも、年に五百万円くらいの石炭に相当するわけであるから、まことに景気のよい話である。全国の温泉の湯口が、いくつあるかは知らないが、少なくも数万個はあるであろう。かりに手近なもの二万個をとってみても、それだけで石炭に換算して、一千億円分の熱量を、一年に流していることになる。数値は少しくらい違ってもいいので、とにかくちょっと常識を超絶する莫大な熱量であることだけは確かである。
ところで温泉のもってくる熱量くらいは、地熱からみたらそのほんの一部にすぎない。文字どおりに九牛の一毛である。だから地熱のほんの一部でも、もし巧く利用することができれば、これまた日本の重大なエネルギー資源となる。日本には雨と雪とが非常に多い。したがってきわめて豊富な水資源に恵まれていることは、今日ではようやく常識になりつつある。しかし日本には、この豊富な水力電気資源のほかに、いま一つの大きいエネルギー資源があって、それはこの地熱である。
地熱のことは、何も新しい話ではなく、もうだいぶ以前から、一部の人々の間には、しばしば論議されている問題である。宮城県のある温泉地で、自費をもってボーリングを行ない、大量の過熱水蒸気をえて、それを動力として利用する研究を大半完了した篤志家もすでにある。こういう研究がいま少し進めば、我が国における地熱利用の問題も、急に前途が開けてくるであろう。この種の研究にこそ、国家はいま少し力をいれたほうがよさそうなものである。
地熱利用といえば、いつかの新聞に大々的に報道された「地熱利用発電」の問題がある。九州の別府だったかと思うが、一応の試験に成功したので、いよいよ小規模の発電所を作るという記事を読んだ記憶がある。こういう曖昧なことをいうのは、実は私はこの問題について、今のところあまり興味がないからである。少しさし障りがあるかもしれないが、正直にいえば私は地熱利用までは大いに興味をもっているが、あとの発電のほうには、さしあたってはそう気乗りがしない。地熱などよりももっとずっと手軽にできる水力電源の開発について、ろくな研究もしないでおいて、地熱発電の研究に血道をあげることはないからである。
地熱発電のいちばん発達している国はイタリアであって、ある地域ではすでに相当な成績をあげて、実用にもなっているそうである。イタリアも、日本とよく似た地震国で、火山と温泉とがたくさんある。したがって地熱には大いに恵まれている。それで地熱発電の研究がよくなされたわけである。それでは日本でも大いにやったほうが良さそうなものであるが、ここで考えねばならないことは、イタリアと日本とでは、国情がまるでちがう点である。イタリアには石炭は皆無に近く、また水資源も非常に乏しい国である。そういう国では、地熱発電に大いに力を入れるのが当然である。しかし日本のように有り余る水をふんだんに棄てている国では、地熱発電よりも、この水の利用度をほんの少しばかり向上させるほうに進むのが、順路であろう。だからさしあたってのところは、この地熱発電にはあまり興味がないわけである。もっともこういう研究は、地熱利用のほうに大半の努力が払われるもので、発電のほうには大した困難がない。それでこの研究の結果は、他の地熱利用の問題の解決に、大いに貢献するであろうから、けっして無意味だとはいわない。むしろ奨励すべきことである。地熱発電といったほうが通りがよいのならば、それで大いに進んだほうがよい。ただ、問題の本質を知っておいたほうがよいであろう。
地熱利用について、非常におもしろい考えを提唱しているのは、野口研究所の工藤氏である。以下工藤氏の受け売りであるが、地熱の利用は、過熱水蒸気をそのまま使う工業に応用するのが、いちばん有利であるという説である。まさにそのとおりであろう。過熱水蒸気を多量に必要とする工業は、パルプでも、硫黄精錬でも、そのほかいくらでもある。そういうところで使っている石炭の一部でも、地熱で置きかえられたら、大した国益になるであろう。
地熱利用の実行方法は、原則としては、パイプを打ちこんで、過熱水蒸気を噴出させるだけのことである。そしてそれはすでに試験済みで、そう著しい困難はないことが、よくわかっている。寿命のほうも、何も心配はないので、千年以上も昔から知られている温泉が、今日までもやはり熱湯を流しつづけているところからみても、まず半永久的と考えてよい。原子炉くらいの寿命はあると思って、まずさしつかえないであろう。アメリカの原子力に対して、日本は温泉でもって対抗するというのも、ちょっと悪くない趣向である。世界がみなこういう調子にいけば、まことにめでたい話なのであるが、なかなかそうはいかないようである。以上の話は、まじめな話か、ふざけているのか、ちょっとわからないであろう。冗談と思われる方には、これは、一つの笑話である。ひょっとすると本当かもしれないと思われる方はひとつ関心をもっておいていただきたい。
雪国の温泉へ行って、湯にひたりながら、窓外の雪景色を眺めるのは、だれでもそう嫌いではないであろう。その時あの全山の雪がぜんぶ水力電気であり、この温泉の源たる地熱が、やがては日本の熱エネルギーをまかなってくれるだろうと考えてみるのもちょっと悪くない趣味である。
底本:「中谷宇吉郎集 第六巻」岩波書店
2001(平成13)年3月5日第1刷発行
底本の親本:「黒い月の世界」東京創元社
1958(昭和33)年6月30日
初出:「オール読物 第七巻第三号」文藝春秋新社
1952(昭和27)年3月1日発行
※初出時の表題は「「温泉の有難さ」─科学の眼(Ⅱ)─」です。
入力:kompass
校正:砂場清隆
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。