六三制を活かす道
中谷宇吉郎
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そろそろ新学期を迎える頃になると、毎年思い出したように、教育問題が、日々の新聞紙面に、華々しく登場してくる。入学試験が眼前に迫ってくると、受験生徒をもっている家庭では、親も子もなく、一家を挙げての最大の関心は、「教育問題」に向けられる。
しかし教育の問題は、今更述べ立てるまでもなく、国家百年の大計であって、年に一回の入試時期だけの問題ではない。敗戦後の日本は、新憲法の制定、財閥の解体、農地法の実施など、幾多の革命的な変革を強行したが、これらの大変革にも劣らぬものが、六三制という新学制の採用であった。
学制の改革くらいは、それほどの重大事ではあるまいと思われるかもしれないが、実際は、あの学制改革は、ほとんど不可能のことを、強行したともいえるのである。日清、日露の戦に勝ち、朝鮮を併合した明治の時代、すなわちいわゆる日本の最盛期においても、小学校四年の義務教育を、六年に延長することは、かなり困難な事業であった。それを敗戦後の瀕死の国情下において、一気にさらに三カ年も延長することは、そもそも初めから無理を通り越した話である。しかもこの六三制は、全く国情の異なったアメリカにおいて、育成された学制である。それをそのまま鵜呑みにして、貧窮のどん底に落ちた日本へ適用しよう、というのであるから、困難の度は、初めから推して知るべきであった。
しかし敗戦直後の日本としては、現在もそうであるが、とくに当時の話としては、国民更生の道は、その目標を教育におくより外に望みがなかった。朝鮮、満洲、台湾、樺太、千島によって、辛うじて生きていた国が、その全部を失ったあとでは、頼るものは国民の能力だけである。すなわち教育が、将来の日本を考える場合には、最大の課題であった。ところで戦前の日本の教育は、その普及度においても、また学力の程度においても、世界の一流国に比して、そうひけはとらなかった。しかしその教育には、何か謬ったところがあった。常識では考え得られないあの無謀な戦争に、国を挙げて突入したのは、軍閥がどうのこうのということももちろんあるが、その根元には、教育の欠陥があった、と認むべきであろう。そういう意味でも、敗戦後の教育問題は、なんらかの根本的変革を必要としたのである。
そういうところへ、アメリカから、現在の六三制が輸入されてきた。押しつけられたともいい、また英語がよく通じなかったために、単なる示唆を、こっちから進んで受け入れたともいわれているが、そういうことは、どっちでもよい。とにかくアメリカの教育制度が、そのままの形で、敗戦後の日本へ適用されるという無理な話になったのは、事実である。
この無理は、その後十年に近い、当局及び教育者たちの努力にもかかわらず、依然として解消しない。逆に、この無理からくる教育の欠陥が、十年の年月を経て、漸く表面に浮かび出た形である。教育の効果は、善悪ともに、目に見えるまでに、多年の年月を要する点が、恐ろしいのである。
六三制に対する風当りは、この頃相当きびしいようである。まず挙げられるのは、学力低下の問題である。最近にも、某地域の教育研究所で、中学三年生の学力調査をしたところが、「停留所」を正しく書けた生徒は、一六パーセントしかなかった。数学などは、もっとひどく、恐るべき学力低下ということである。
それよりも恐ろしいのは、青少年の道義心の低下である。いろいろな少年犯罪はもちろんのこと、躾の教育というものを知らない子供たちは、まことに不幸である。こういういわゆる大人の嘆きは、旧観念と片付けてしまえば、それまでの話である。しかし真面目に考えてみて、このままで行くと、日本はやがてパチンコと競輪だけの国になるのではないか、という心配がなくもない。
文教当局でも、この点を大いに憂えておられるにちがいない。昨年の末頃から、高校の課程に、倫理科を復活しようという話があり、また社会科から地理や歴史を独立させて、学力の向上をはかろうという案も出ている。それに対して、いろいろな反対意見もあるらしいが、道義心を鼓吹し、学力の向上をはかること自身は、大いに善いことである。ただ問題は、倫理科の復活が、道義心の養成に役立つか否か、地理や歴史を分離することが、学力の向上になるか否か、という点にある。「万全はもちろん望めないが、倫理科の復活は、幾分かは道義心の高揚に寄与するから、やらないよりはよい」といわれるかもしれない。しかしこの問題は、そう簡単には片付けられないように、私には思われる。
現在の新学制に対して、いろいろな改革案が出るのは、要するに「六三制は巧く行かないから」というところからきている。六三制が巧く行っていないことは事実であるが、何故それが巧く行かないかという点をよく吟味しないで、表面に現われたところだけを改革しても、単なる逆コースに終ってしまうであろう。問題は、六三制そのものに欠陥があるのか、日本の国情に合わないのか、あるいはアメリカの六三制を、謬った形で輸入したか、そのいずれかであろう。また日本の国情に合わないとしたら、どういう点が合わないか、というようなことが、問題となるべきである。
最初に採り上ぐべき点は、六三制そのものの良否である。これについては、現在の六三制の本家であるアメリカにおいて、この教育制度が巧く行っているか否かを考察してみるのが、一つの方法である。結論を先にいえば、私の見るところでは、六三制は、アメリカでは、かなり巧く運営されていて、立派に教育効果をあげているようである。それが日本で巧く行かないのは、六三制の制度だけを輸入して、その内容をとり入れなかったからではないかと思われる。
こういう結論に達したのは、一昨々年の夏、子供たち三人を連れてアメリカへ行き、それぞれちがった学校に入れて、二年間通学させてみた体験に基づくものである。三人とも転入学させて貰ったのであるが、一人は大学の二年、一人は高等学校の四年、末の子は小学校の三年に、それぞれはいったわけである。ついでに片付けておくが、アメリカでは、六三制は州によって、少しちがっていて、私たちの住んでいたイリノイ州では、中学が二年制、高校が四年制になっていた。すなわち六二四四制であったが、これも骨組からいえば、六三制である。
こういうふうに、三人の子供が、大学、高等学校、小学校と、それぞれに分れていたことは、たいへん好都合であった。すなわち、アメリカの大学教育、高校教育、義務教育の各々について、内部からそれらを見る機会に恵まれたわけである。その結果、驚くべき「発見」をしたのであるが、それは日本において、少なくも私がアメリカふうと想像していた教育と、実際のアメリカの教育とは、著しくちがっていたという点である。ある場合には、正反対になっていたともいえる。例えば、あとで詳述するが、詰込教育などは、ある時期には、徹底的にやっているのである。
アメリカの教育の実態について、今頃になって驚くのも、ずいぶん時代おくれの話であるが、これは強ち私の迂闊さだけではないであろう。もちろん教育方面の専門学者の間では、周知のことにちがいないが、日本には、一般にこの点がよく知られていない。それでこういう一個人のいわゆる体験談が、他山の石となり得る場合もあるので、私の見たアメリカの六三制を、少し検討してみることにしよう。
資料の出所を明らかにするために、以下少し私事にわたる話もはいるが、その点はあらかじめ了解を願っておくことにする。三人の子供といったのは、皆女の子で、住んでいたのは、シカゴ郊外のウィネッカという町である。人口僅か一万三千の小さい住宅都市で、日本に翻訳すると、シカゴは大阪であり、この町は、芦屋か六甲に相当する。
このウィネッカに住んだことは、アメリカの初等教育を知る上に、非常に幸運であった。というのは、この町にあるクロー・アイランド小学校は、全米でも有名な小学校である。大英百科事典の新版にも、ウィネッカの名前が出ていて、「国際的に知られた、進歩的な初等教育をしている町」と説明がついている。そういう意味では、世界的の小学校といっていいであろう。
末の娘は、日本で小学校の三年生になっていたので、このクロー・アイランドの三年の級に入り、五年生になるまで在学した。PTAの関係で、この二年間、ときどき学校へ行ってみたが、なるほどたいへんな小学校である。一級二十二人から二十四人くらいの児童数で、それに受持の先生と、助手の先生とが、二人つき切りである。体操、音楽、発音などの先生は、もちろんその他にいる。教室は広く、どの部屋も南と西の壁が、全部硝子張りで、日当りは申し分ない。全教室がそうなっているので、校庭から見ると、箱を並べたような妙な恰好の建物である。簡単な実験室風の部屋が、各教室についていて、顕微鏡や生物の飼育箱が置いてある。
児童数が少ないのに、先生は二人つき切りなので、手はよく廻る。できの悪い児童と、成績のよい子とは、同じ教室内で同じ本を使っていても、別のところを習っている。私の子供の場合は、初め英語が全然できなかったのであるが、智能試験の結果、能力は三年生並みだからといって、三年の級に入れてくれた。そして一人だけ一年の本から始めて、三カ月で二年になり、次の三カ月で二年生の課程をすませて、やっと皆の仲間入りができた。そして四年の級に進むまでに、大体追いついて、皆と一緒に四年生になった。これは何も特別な例ではなく、小学校の教育は、各人の能力をのばすのが目的で、極端にいえば、同一クラスの中でも、児童一人一人に別の教育をするのが、理想となっている。
もっともこの小学校は、特殊の例であって、いわば実験学校である。こういう例外をもって、アメリカの初等教育全般を論ずることは、もちろんできない。学校経営の全費用を、児童数で割ると、一年に一人当り四百ドルくらいになる。それに授業料は年に五ドルしかとらないので、あとは全部寄付と町の税金とで賄っている。金持の道楽といってしまえば、それまでの話であるが、見方によっては、これはアメリカ人が理想と考える初等教育なのである。こういう特殊例について、少し不必要なくらい詳述したのは、この学校の教育を通じて、アメリカにおける初等教育の理想を見ようとしたのである。各地を廻って、広く初等教育の実態を調べることも大切であるが、特殊例について、理想とするところを見ることも、また意義があるであろう。
この学校では、朝子供たちは、全くの手ぶらで学校へ行くことになっている。鉛筆一本も持って行ってはいけない。本も紙類も文房具も、全部学校に備えつけてある。帰りも手ぶらで、宿題などは決してない。それに少し極端であるが、弁当も持って行ってはいけないので、昼食は、全部家へ食べに帰る。その程度の距離にある家の子供だけを入れるのである。公立学校であるから、貧富には関係なく、この区域内に住んでおれば、貧乏人の子供でももちろんはいれる。
学校は、子供たちにとっては、まことに楽しいところになっている。各人の能力に応じて、先生は指導をするだけで、無理に学問を教え込むなどということは、決してない。試験なども全くなく、ときどきテストがあるが、それはどの程度まで進んだかを見るためで、文字どおりのテストである。通信簿に相当するものもあるが、採点はしてない。各科目について、どこまで進んだかを、色鉛筆で塗ったものである。例えば、算術は五年の一学期まで塗りつぶしてあり、作文は四年の二学期の中位まで、綴りは四年の一学期までというふうに塗ってある。四年の末期にこの通信簿がきたとすると、算術は標準より一学期分進んでおり、作文はちょっとおくれている。綴りはひどくおくれている、ということが分る。日本流の採点または甲乙丙というのは、各時期における目標を定めて、その何割まで行っているかを試験してみるのである。それとは考え方がまるでちがうので、小学校六年の義務教育というのは、六カ年在学することが義務であって、六年間いて三年生の知識で卒業しても、ちっともかまわない。
こういうやり方であるから、一般的に、いわゆる学力の方は、一向振わない。算術などとくにひどく、小学校の三年で、3+2=5というようなことをやっている。末娘などは、日本の学校で分数の計算まで習っていたのが、3+2=5に後戻りしたので、ひどく驚いていた。六年になって、二桁の掛算が出来ない子供が、ちっとも珍しくない。
ところが、そういう点を、アメリカでは、ちっとも気にしていない。それよりも、通信簿には、理解力とか、社交性とか、という欄があって、その方を皆が重視している。いわゆる学力がつかないことを、誰もそう気にしないのは、一つにはアメリカには入学試験がないからである。この点は重大であるから、後に詳述する。今一つの理由は、義務教育に対する考え方が、まるでちがっているからである。
義務教育というのは、国家が法律の力でもって、国民に義務として強要するものである。一方学問は、よいものではあるが、これは学問を希望する人がやるべきもので、国家の力で強要すべきものではない。事実、学問がなくても、人間として立派な人はいくらもあり、また学問などとは無関係に、一生平穏に暮す、善良な国民もたくさんある。それで義務教育は、何も学問を教える教育である必要はない。従って、学力の低さなどということは、初めからあまり問題にしていない。これは理想論ではなく、事実、掛算などできなくても、社会に出て、ちっとも困らないのである。どんな店にも、それ相当の計算器があるので、算術を知らなくても、結構店員はつとまる。デパートの売場にいる中年の婆さんで、一枚一ドル三十セントのシーツ十枚という計算ができなかった例もある。これは実話である。日本では考えられないことであるが、それでもかまわないのである。
学問を教えることが義務教育でないとすると、何が義務かということになる。答えはきわめて簡単で、善良な市民になるための教育がそれである。一言でいえば、アメリカで理想としている初等教育は、各児童の智能をそれぞれに応じてのばすことと、今一つは、善良な市民となるための道徳教育である。道徳教育といっても、昔の日本の修身のようなものではなく、学校における生活を通じた、躾としての道徳教育である。
アメリカの中産階級の家庭生活を見て、一番意外に思ったことは、子供の躾がきびしいことである。小学生くらいだったら、たいていの大人たちが、パーティなどで賑やかに騒いでいても、子供は時間になると、おとなしくベッドへ行く習慣になっている。食事の時間もやかましく、学校の帰りに友だちの家へ寄るような場合には、一々電話で許可を得なければならない。テレビなども、たいてい一日に何時間と決められている。
こういういわば行儀作法に類する躾は、家庭で行われているので、学校では、あまりやかましくはないようである。学校で、躾あるいは心得として身につけさせているものは、主として精神的な方面である。この精神的な躾を重視する点に、アメリカの義務教育の理想があるのではないかという気がする。
精神的な躾のうちで、一番感じたのは、嘘をつかないという教育を、徹底的にやっている点である。アメリカ人は、感心に嘘をつかない国民であるが、その根元は、小学校教育にあるように思われる。
こういうことをいうと、アメリカにも泥棒もいるし、詐欺漢もいる。そう正直な人間ばかりではない、といわれるかもしれない。しかしそれは見当ちがいの話であって、嘘をつかないということと、正直であるということとは、似てはいるが、別のことである。正直は、高い道徳であって、誰にでも望まれるものではない。しかし嘘をつかないことは、躾の一種であって、これはそういう習慣を身につけさえすれば、誰にでもできることである。箸を右手に持つのと、本質的には、そうちがわない躾である。
日常の生活は、普通イエスとノーとで、たいていの場合は片がつく。何かをきかれた場合、肯定であったら、イエスといい、否定であったら、ノーという。どっちか分らない場合は、「分らない」という。きわめて当り前のことである。そして嘘をつかないというのは、要するにそれだけのことである。これならば、躾あるいは心得として、相当の年数仕込めば、たいていの人間は、そういう習性を身につけることができる。道徳心などという、高級な話をもち出すまでもない。しかしこの「嘘をつかない」という精神的な躾を、身につけさせることは、本当はそう易しいことではない。正直という道徳を知らすことは、教壇からの講義でできる。しかし嘘をつかない習慣は、生活を通じて、訓練するより仕方がない。
子供たちは、学校で楽しくのびのびと勉強しながら、その集団生活の中で、嘘をつかない訓練を受ける。末娘の精神的生長を見ていると、その効果が次第に現われてくる様子が分るような気がした。「お前は嘘つきだ」という言葉は、子供たちにとっては、死刑の宣告にも等しく響くらしい。何かのことで、嘘をいったということになると、たいへんな騒ぎになる。そのときの眼の光で分るのであるが、子供心に本当に真剣なようである。
嘘をつかないというのは、単なる習慣であるが、この習慣が、アメリカの社会生活に、重要な役割を果たしているようである。世界中からの移民の寄合世帯で、しかも黒人やメキシカンを三割近くももっている。それに国民感情の紐帯となるべきもの、すなわち天皇家のようなものもない。そういう国で、あれだけの厖大かつ複雑な生産及び経済の機構が、円滑に動いているのは、皆が嘘をつかないからではないかと思う。
もちろん嘘をつく人間もいるにちがいないが、国民全体としての頭の働き方は、イエスとノーとで、たいていの場合片がついている。返事にこの二種類しかなく、しかも嘘はつかないということになっていると、自分に不利な質問を受けた場合は困る。しかしそういう場合のためには、黙秘権というものがあるから、それを使えばよいわけである。法廷ならば本当の黙秘権であり、友人同士の間ならば、にやにやしていればよい。黙秘権という不思議な権利の意味は、今までよく分らなかったが、今度子供をアメリカの小学校へ入れてみて、初めてその意味が了解された。あれは、嘘はつかないという前提の下に作られた権利なのである。平気で嘘がつける国民には、黙否権はいらない。
嘘をつかないという教育の外に、弱い者をいたわるとか、開拓精神を失わないとか、というような精神的の躾も、よくなされている。これも躾であって、弱い者はいたわるべきだと、修身で教えるのではない。ある日、妻が授業の参観に行っているとき、娘のクラスの中で、身体の弱い子がいて、その子が授業中に居眠りを始めた。そうしたら先生が、唇に指を当てて、シーッと皆に注意をした。そして「メリイは弱いので、居眠りをするのが、一番身体のためによいのです。起こさないように、みんな静かになさい」といった。それで皆もシーンとしたし、先生もそれからは声をおとして、話をつづけたそうである。学校というところは、こういうところなのである。この調子で六年間の訓練を受けたら、たいていの躾は身につくにちがいない。
日本の六三制では、無理に学問を教え込まないという面だけをアメリカから輸入し、肝腎のこれらの精神的な躾の方は伝わらなかったようである。最近の新聞によると、文部省でも、この点を憂慮して、初等教育において、躾の問題を採り上げようとしておられるらしい。しかし当局者の言が新聞に出たところでは、躾という言葉は使いたくない、エチケットという意味だ、というようなことになっていた。何だか躾ということが、悪いことのように、遠慮した言い振りであった。多分記事の短縮化からきた歪曲だろうと思うが、善良な市民となるための道徳的躾を除いては、義務教育の本体はない、という考え方の方が、正しいのではないかと思う。
アメリカにおける高等学校の事情は、二女がニュー・トリア高等学校の四年生として、一年間在学したので、それを通じて、垣間見ることができた。
この学校も、ウィネッカ町の公立学校であって、クロー・アイランド小学校と同様に、全米でも有数の高等学校ということになっている。生徒の数は二千数百名おり、建物も設備も、まことに驚くべき規模である。水泳はアメリカでは一番人気のないスポーツであるが、それでもこの学校には、たしか十二レーンだったかの二十五メートル屋内プールがある。他は推して知るべきであろう。人口一万三千の町の公立学校に、二千数百人の生徒がいるのは、評判がよいために、シカゴ市からも、他の町からも、生徒が集まってくるからである。それでこれもやや例外的な高等学校というべきであろう。しかし高等教育において、アメリカが理想としている姿が、どういうものであるかを見るには、この高等学校などが、最適の学校の一つと思われる。
そういう意味で、二女の勉学の様子に注意していたのであるが、教育の方針が、義務教育とはまるで違っているのに、まず一驚を喫した。しかし考えてみれば、これは違うのが当然である。高校以上では、生徒は学問を教わることを志望して、入学してきたのである。国民の義務として、在籍しているのではない。高校教育の特徴は、猛烈な詰込教育という一語につきるが、これは、初等教育の原理、すなわち無理に教え込まないというのと、なんら矛盾することではない。この学校の生徒は、学問を教わることを志望してきているのであるから、学問を詰め込むのが当然である。それがいやな生徒は、入学してこないはずである。
義務教育では、主として、善良な市民となるための、道徳的な躾の訓練を受ける。それで学問の方は、どうしても、二の次になる。その遅れを取り戻すためにも、また大学に進む準備のためにも、高等学校では、十分な頭脳的訓練を施す必要がある。その訓練は、主として詰込教育と試験という「最旧式の教育手段」で行われている。多くの読者には、定めし意外に感ぜられるであろう。私も実際に子供を入学させてみて、初めて知って驚いたのである。
毎日必ずのように、宿題が出る。何十頁という宿題の紙をもって帰ってきて、夜中の十二時一時まで、うんうんいって、取り組んでいる。うちの子供の場合は、語学のハンディキャップがあるので、とくにひどかったわけであるが、アメリカ人の子供たちにも、相当な重荷であるという話であった。それから、簡単ではあるが、毎週一回必ずテストがある。そして学期の途中には中間試験、学期末には、本試験がある。本試験のときは、夜明けの四時五時まで、あるいは徹夜である。私たちの中学時代と全く同じことをやっているので、思わず苦笑した。こういうことを、三回くり返して、漸く進級するわけであるが、学期境の休みは、一週間くらいずつしかない。高等学校も、大学も、一学習年は九カ月で、あと三カ月は夏休みになっている。この夏休みは、アルバイトのためにあるので、たいていの子供は、この間に働いて、学資を稼ぐ。相当な金持の子供でも同様で、皆がそういう習慣になっているのである。一学習年は九カ月であるが、その間は、要するに宿題と試験との連続である。
試験の内容が、またきわめて旧式である。盲滅法に棒暗記をしなければならないような課目が、相当ある。地理などが、その極端な例で、中南米の地理などになると、たいへんである。グァテマラだの、コスタリカだの、ニカラグァだの、ベネズエラだの、ウルグァイだの、という二十ばかりの国について、各々首府の名前、人口、地勢、物産などを、お経のように丸暗記しなければならない。夜中近くまで、五百頁近くもある部厚い教科書をかかえながら、目をつぶって、こういう妙な国だの町だのの名前を口ずさんでいるのを見ると、何だか世の中が三、四十年も逆戻りしたような気がする。私たちの中学時代には、三府四十三県にわたって、県庁所在地、人口、山の高さ、川の長さ、物産、その他を、試験の前日徹夜して暗誦したものであるが、ああいうやり方と、まるでそっくりなのである。
こういうことを、如何に上手に丸暗記しても、答案を出して、教室を一歩出た途端に、けろりと忘れて頭脳が爽快になってしまうことは、アメリカの教育者だって、十分承知しているにちがいない。そういう無駄なことを、原子力時代の今日まで、まだ固執しているのは、何か考えるところがあるからにちがいない。恐らく頭脳の訓練には、こういうこともまた必要と考えての上ではないかと思う。
訓練といえば、学校内の規則の厳しさには、全く驚き入った。むしろ滑稽というべき程度である。朝の第一時間目は、夏冬を通じて、八時三十分に始まる。実際は、夏時間を採用しているので、夏は七時半からである。その方はまだよいが、冬の八時半は相当こたえる。大体札幌に近い緯度であるから、まだ少し薄暗い。ところが、この八時半というのは、まさに文字どおりであって、八時三十分になると、教室の扉をぴしんと締めて、中から鍵をかけてしまう。一分おくれてもはいれない。
ある晩、二女が「今日はひどい目に遭ったから、明日からもう少し早く行くことにしよう」という話を持ち出した。きいてみたら、教室が二階にあるので、階段を駈け上がっているうちに、八時三十分になったのだそうである。幸い間に合って、飛び込んだ途端に、扉が締まったので、自分はよかった。しかし、五、六間おくれて駈け上がってきた友だちは、間に合わなくて、一時間目は欠席になったというのである。
日本では汽車だって、こういう場合は、駅員が「早く、早く」と声をかけて、お客がステップにとりついた途端に、発車させる。生徒が階段を駈け上がってくるのに、その眼前で、扉を締めてしまうことは、ちょっと常識では考えられない。時間厳守もいいが、こうなると、少し馬鹿げているように思える。しかし好意に解釈すれば、これも訓練の一つなのかもしれない。アメリカ人が、時間の点では、非常に几帳面であることは、よく知られているとおりである。そしてあの身についた時間厳守の習慣が、今日の有機的な生産機構を、円滑に動かしているのである。皆が時間に敏感でなかったら、アメリカの機能は、一遍に止まってしまう。そういう性質の文明なのである。
時間を守るというようなことも、訓練によって身につく性質のものである。頭で理解してできることではない。こういうふうに考えてみると、アメリカの高等教育を一言でいえば、訓練の教育ということができるであろう。
高等学校で、訓練の教育を終って、大学へはいってくる。ここではどういう教育を受けるかというと、これも一言でいえば、それは職業教育である。それに教養をつけるための教育が付加されている。職業と教養との比率は、大学によって違うらしいが、職業教育を重視する大学が多いようである。学生の方も、大部分はそのつもりではいってくる。
日本では、アメリカの大学は、程度が低いと、よくいわれる。そのとおりであるが、それには理由があるのである。大学教育というものに対する考え方がまるでちがうので、学者をつくる気は初めからない。卒業したら、次の日から、あの厖大かつ複雑極まる、アメリカの生産、流通、経済の機構の中に、一つの歯車となって嵌めこまれても、すぐ役に立つ。そういう教育を施すのである。すなわち純粋な職業教育である。日本には、職業教育振興何々会というようなものがあるが、アメリカには、そういうものはまずない。大学教育が、すなわち職業教育であるからである。大学では、ケインズの理論を学び、卒業して銀行にはいると、お札をかぞえる、というふうなことは、アメリカ人の性に合わないらしい。
役に立つことを第一の目的とする。それが大学教育の本然の姿であるか否かは、別の問題である。ただ今日のアメリカの物質的繁栄に、こういう教育が、大いに役立っていることは、事実である。その反面、学者や研究者の養成には、この種の教育は不向きである。私の通っていた研究所でも、若い理学士を大分採用したが、機械の使い方は知っていても、研究に対する熱情や、自然への愛情は、あまり持っていないようであった。しかし先方にいわせれば、学者などは、全体の三パーセントか五パーセントもおれば十分である。そのために、大多数の学生を犠牲にすることはない、というであろう。「学的」かどうかは知らないが、とにかく役に立って、国の生産をあげ、十分な俸給をもらって、一生安楽に暮せればよい、というのが、大多数の学生の希望らしく、また大学の教育の方もそれに合わせているのであろう。
大学卒業後、一部の学生は、大学院に入って修士課程をとり、さらに少数の者が、博士課程をとる。学者や研究者の養成は、この方でやるわけである。
職業教育というと、日本では、何か非常に卑近で実用的なことだけを教える、というふうに考えられ易い。しかし今少し広い意味をもっているので、抽象的なことよりも、具体的な事実を多く教える、という意味も含まれている。
長女は、シカゴに隣接したエヴァンストンという町にある、ノース・ウェスタン大学へはいった。これは全米的に見て、二流の上位といった程度の大学である。初め英文学をやったが、宿題におそれをなして、地質学にかわった。どうせアメリカのカレッジのことだから、英語だって、地質だって、大したちがいはなかろうと、多寡をくくっていたが、一年もしたら、大分様子がかわってきた。いろいろな鉱物の結晶のかけらを持ってきて、この面がどうのこうのというようなことをいう。旅行に出ると、あの岩山は古生代の何とからしいが、それにしては、などと思案なんかして見せる。道端にころがっている石ころの名前は、たいてい知っている。ちょっと見直した形である。
もっとも、これは当然なのであって、そういう教育をしているのである。学校には、大きい実験室があって、結晶などは、ごろごろしている。標本として陳列棚に並べておいて、ちっとも可笑しくないような見事な各種の結晶を、生徒一人一人にたくさんくれる。勝手に割ったり、砕いたりしてよいのである。それに一学期に数回、地質旅行に行って、現場で先生から、詳しく講義をきく、そして標本をうんとかついで帰ってくる。
この旅行が、たいへん勉強になるらしいが、日本では、残念ながら、ちょっと真似ができない。たいてい木曜の午後から出かけ、日曜の晩帰ってくるのであるが、その間に、五、六カ所も見るらしい。距離としては、東京を出て、十和田湖へ行き、秋田、新潟を廻って帰ってくるくらいの程度である。どんな山地へ行っても、道路がよく、自動車が自由なので、こういうことができるのである。乱暴な連中のことだから、八十マイルから百マイルくらい平気でとばすのだそうである。
宿題などを見ていても、問題が甚だ具体的である。油田地帯の地下構造をきめる、という問題だと、既知の油田について、名前だけ伏せて、表面地質図と、ボーリングの資料とを与えて、それで地下構造を描かす、というようなやり方である。いろいろ工夫して、描いてもって行くと、先生の方には答えは分っているので、間違っていると返される。それでまた考え直して、修正した図をもって行く。答えに合うまで、何遍でも、そういうことを、繰り返すわけである。
これならば、なるほど卒業したら、すぐ間に合うわけである。地質学を必要とする役所なり、会社なりへ勤めれば、すぐなんらかの部門で、何かの仕事ができるにちがいない。そういうことを別にしても、こういう具体的な知識を与える教育は、眼界を拡げる上に、大いに役立つものと思われる。眼界を拡げるというのは、普通には興味を感じない事物に、興味を感じ得る、という意味である。職業教育とはいったが、こういう面を考えてみると、アメリカの大学教育も、そう馬鹿にしたものでもない。高級な抽象的議論で、「空の盃をやりとりして」いるよりも、かえって高等かもしれない。
地質学のことは、たまたま子供の一人を通じてのいわゆる体験談に過ぎない。しかし家に遊びにきた相当大勢の留学生の話を総合して考えてみても、アメリカの大学教育は、広い意味での職業教育である、という見方は、そう間違っていないようである。これは理工科方面のいわゆる技術的な面においてばかりでなく、行政、商業等の文科的方面においても同様である。日本ではよく事務と技術とに分けるが、アメリカでは、事務も技術の一種である。
教育制度と社会の情勢とは、縄のように縒り合っている。教育を合理的かつ効果的にするには、社会がそういう教育を受け入れてくれなければならない。ところがそういう社会にするには、教育をよくしなければならない。これでは鼬ごっこである。
アメリカにおける六三制は、前述のように、首尾が甚だ一貫していて、立派に教育効果をあげている。というのは、ああいう寄せ集めの人種を一つの国家にまとめ上げて、アメリカ流の繁栄、少なくとも物質的な繁栄を獲得している、という意味であるが、それは結構なことである。
ところが同じ制度を、日本に適用した場合には、それが巧く行かない。その理由の一つは、この学制に盛られている精神が、輸入されなかったからである。義務教育においては、善良な市民となるべき精神的な躾を身につけさせる。高等教育では、学問の習得に必要な頭脳の訓練をする。大学では、国力の増強に役立つ技能を教え込む、すなわち職業教育をする。このいずれもが、日本の六三制では、あまりはっきりと打ち出されていないようである。原因の半ばは、六三制に対する認識が、現場の教育関係者のところまで、よく透徹していない点にあろう。しかしもっと重大な原因は、社会事情の本質的な差異にある。そのうちでも、一番はっきりしているのは、日本には入学試験があるという点である。どんな理想的な教育でも、入学試験には必ず落第するという教育は、日本では机上の空論に終ってしまう。決して嘘をつかない、弱い者は徹底的にかばうというだけで、入学を許可してくれる高等学校は、恐らく日本にはないであろう。
新中国に蠅がいない如く、アメリカには、入学試験がない。稀れにはあるが、それは例外である。大学の場合には、ときとして資格試験はあるが、これはいわゆる入学試験たる選抜試験ではない。選抜試験というのは、どんなに成績がよくて、入学資格は十分ある学生でも、外にもっとできる学生がいたら、落第させてしまうという残酷な制度のことである。アメリカには、医学関係を除いては、こういう制度は、まずないといっていい。医学の方は、医師会の強力な統制が効いているためで、これはまた別の問題である。
何故入学試験(選抜試験)がないかというと、官立と私立とでは、その理由がちがう。官立では、話がきわめてはっきりしている。官立の学校の費用は、全部税金で賄われている。教授の月給ももちろん税金から支払われる。学校は納税者のものなのである。その子弟が、自分の家へはいって行くのに、教授とか学長とかいう召使が、それを阻止する理由はない。これが民主主義なのである。学生のストライキがないのも、同じ理由による。大学は納税者のものであるが、学生の父兄だけの税金で賄っているのではない。他の納税者にも負担をかけているわけであるから、そういう税金を空費する行動は許されない。「国民の名において」許されないわけである。教育の内容が気に入らなければ、他の大学へ行けばよい。そこにも入学試験はない。だから学生が多数いなくなれば、先生は免職になる。それで教育も改善され、目的は果たせるわけである。
日本も、官立大学に入学試験という奇妙な制度があったり、また学生のストライキというような不可解な現象があるうちは、いくら威張っても、民主主義の国家とはいえない。
私立大学の方は、話が全く別になる。これは理事会という経営者団体が経営している精神的なデパートである。売品は知識であって、これを学生というお客様が、高い料金を払って買いにくる。月謝は普通の大学で、年に七百五十ドル(二十七万円)くらいである。
年に二十七万円も払ってくれる得意を、大学で断わるはずがない。従って入学試験はない。資格試験の方は話が別で、あまりできない学生を入れると、他の得意の迷惑になるし、また本人もただ損になるから、これは断わった方が親切である。ストライキのないのも当然な話である。百貨店へ行って、この店は気に入らないからといって、金だけ払って、品物を持って帰らないお客は、恐らく、世界中どこにもないであろう。
こういうふうに考えてみると、選抜を目的とした入学試験などというものは、官立私立ともに、有り得べからざるものである。それが日本には厳として存在している。そしてこの入学試験があるうちは、如何なる教育論も、けっきょくは、理想論に終ってしまうであろう。
それで六三制をどうするかというようなことを論議する場合には、第一番に、入学試験の問題を片付ける必要がある。そうでないと、すべての議論が、空なものになってしまう。治療の前に、まず診断をするとして、入学試験がある理由は、良い学校に皆が集中するからである。無理もない話であるが、問題は、良い学校とは何かという点にある。それは普通、設備がよく、教授陣が揃い、卒業後の就職に有利で、将来の出世条件にもかなう、という意味に考えられている。とくに後者の方に重点がおかれているので、大学へ子供を入れることを、投資の一種と考える人が非常に多い。商標を買いに行くのである。そうすると、特定の商標に高い価値がある場合、皆がそこに殺到するのは、当然である。
入学試験をなくする唯一の道は、「良い学校」をなくすることで、要するに商標で人を待遇しない社会にすることである。これは全くの夢ではなく、アメリカでは、ややそれに近い形になっている。アメリカでも、大学出は一般に、中学卒業生よりも、月給が高い。しかしそれは、大学出の方が、知識も多くまた能力も高いからである。中学を出ただけでも、同等の能力があれば、大学出と同じ月給を払う。過去の履歴に対して金を払うのではなく、現在の能力に対して払うのが、通念となっている。もちろんこれは理想化した形で、本当は少しちがいがあるが、日本と比較しては、こういう表現にした方が、真に近い。アメリカに入学試験がないのは、この社会通念に基づくので、大学の収容力が、日本と桁はずれに大きいからではない。日本でも、適当な資格試験をすれば、現在の大学の収容力で、大体間に合うのではないかと思う。資格試験の方は、入学志望者のためにも親切な制度である。
職業及び社会的地位について、アメリカ人がどういう通念をもっているかを示す、面白い例を、一つ付け加えておこう。それは私のいた研究所で、一番月給の多いのは、所長ではなく、大工であったという話である。国立の研究所であるから、官等は、米国政府の官等、即ちGS(ガバメント・サーヴィス)何級となっている。大学新卒が普通四級か五級で、順次上がって、新進大学教授級が、十二級である。それからは昇進がおそく、ノーベル賞級で、十五級止まりくらいである。だからそういう学者は、官立のところには、ほとんどいない。月給は官等に付随している。
ところで、この研究所では、付属実験工場の大工が十五級相当の月給を貰い、所長は十二級であった。こういう研究所では、実験工場が絶対必要で、金工と木工がいないと、研究所の機能は止まってしまう。ところがアメリカでは、大工が非常に高く、叩き大工でも、一時間三ドルはとる。それで非常な高給を払わないと、一人前の大工を常傭にはできない。GSで見ると、どうしても十五級に相当する。それで十五級待遇で採用したのである。この点が面白いので、昔の言葉でいえば、所長は奏任官であり、大工は勅任官待遇である。
日本の大学でも似たようなことがあった。戦争中の職工ブーム時代に、職工が皆転出して、実験工場が止まってしまった。止むを得ず、教授並の収入があるようにして、やっと職工を雇った。しかしそれは特別手当とか、実際はやらない夜勤手当とかで胡麻化して、金を払ったので、正式に勅任官待遇にしたわけではない。アメリカでは、こういう場合に、ちゃんと勅任官待遇にするのであって、そこに本質的な違いがある。「勅任官待遇」の大工を、誰もそう不思議に思わないようになれば、入学試験もなくなり、教育を本然の姿に戻すこともできるようになる。
六三制が日本ではあまり巧く行っていないことは、過去十年の成績からみて、否定できない。しかしその原因の半ばは、「入学試験のある国」という国情にある。入学試験があることは、教育が投資であり、有名大学を卒業することは特権であるという事実の裏書である。これはどう考えても、褒められる話ではない。
六三制が日本の国情に合わない一番主な点は、入学試験のない国で生まれた学制を、日本に適用したところにある。しかしこの点は、六三制を変形させるよりも、入学試験をなくする方向に、進むべきであろう。といってもこれは制度の改正や規則云々でできることではない。大工を「勅任官待遇」で採用することを、誰も不思議と思わないような社会になって、初めて可能なことである。前途はきわめて遠いが、目標はそこにおくべきであろう。現実問題として、入学試験をどうするか、と聞かれてもちょっと困るが、「入学試験のない社会にする」という大目的を立てて、一歩ずつその方向に近づく意図をもって、入学試験をするより外に、道はないであろう。
原因の他の半分は、六三制の本来の姿が、一般にはよく了解されていない点にありはしないか、と思われる。私は義務教育において、善良な市民をつくるための精神的躾をすることは、たいへん善いと思っている。進歩的な教育者の中には、初等教育において、旧観念を払拭し、新しいイデオロギーを植えつけるべきだ、と考えている人もあるらしい。しかしイデオロギーなどは、本人に判断力ができてから、本人が選ぶべきもので、初等教育では、その前のこと、すなわちどういう世界になっても、人間として必要な道徳的躾に重きをおくべきものと考えられる。
高等学校において、学問に対する訓練をし、大学では、国富の増産に役立つ知識を与えるというのも、賛成である。学問的には少し低級でも、職業教育で大いに結構である。今の日本で一番大切なことは、国の生産をあげて、自力で生きて行けるようにすることである。教育をその方向に合わすことは、決して教育の恥ではない。
食糧その他の必需品を、外国の援助によって漸く輸入する、というような国情の中にあぐらをかいていて、人類のためなどと叫んでいても始まらない。六三制は、アメリカの制度の輸入だから変更すべきである、という感情論にも賛成できない。
六三制の採用には、非常な無理があったので、大いに混乱をまねいた。しかしこれを変更しようとしたら、なお一層の大混乱になり、結果は一層悪くなるであろう。表面に現われたところだけ見て、下手に部分的な修正をするよりも、六三制の理念をはっきりさせることによって、これを活かすべきである。そしてその道は、われわれ素人にも分るような手近なところにあるのではないかと思われる。
底本:「中谷宇吉郎集 第八巻」岩波書店
2001(平成13年)年5月7日第1刷発行
底本の親本:「文化の責任者」文藝春秋新社
1959(昭和34)年8月20日刊
初出:「文藝春秋 第三十三巻第五号」文藝春秋新社
1955(昭和30)年3月1日発行
※初出時の表題は「六三制を活かす道─入学試験のある国の矛盾を衝く!─」です。
入力:kompass
校正:岡村和彦
2017年4月3日作成
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