高度八十マイル
中谷宇吉郎
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少しかわった話をしよう。
今まで世界中で、いちばん高いところまで上った記録は、高度八十マイルである。そしてこの記録をつくったのは、人間ではなくて、猿である。
人間ののぼりえた最高記録は、この猿のつくった記録からみたら、まことにお恥ずかしいものである。飛行機による記録は、高度十五マイルであって、八十マイルからみたら、五分の一にも足りない。それでも二、三年前に、アメリカ海軍のスカイ・ロケット機が、この最高記録を作った時は、大いに世間を驚かしたものである。
ところで猿がどうしてそんな高いところまでのぼれるかというと、それはロケットの中へ入れて打ちあげるからである。オハヨー州デイトンの空軍基地に、航空医学研究所というものがあって、そこで今までに五回、猿をロケットに入れて打ちあげたことがある。そのうちの一回が、八十マイルの高度まで達したのであるが、これが生きたものが空へあがった最高の記録である。
猿をロケットで打ちあげるなどというと、いかにもとっぴな話のようにきこえるが、これは超音速飛行機の操縦や、宇宙旅行のロケットの研究に、きわめてたいせつな実験なのである。というのは、そういう超音速度の飛行には、必ずいちど、重力の影響がほとんどきかない期間が伴なう。宇宙旅行用ロケットの場合は、地球の重力圏外に出ればもちろんのこと、それまでいかなくても、遠心力との釣合で、重力がぜんぜん感ぜられない状態になることがある。すなわち人間の身体が宙に浮いてしまうのである。
いつか月世界旅行の映画が、日本へもきたことがある。あの中に、人間も物体もみな宙に浮いている画面があったが、あのとおりのことが、ほんとうに起るのである。映画の場合は、ふわふわと宙に浮いていて、いかにもきらくそうに見えたが、あれはもちろんトリック撮影である。映画ならそれでよいが、ほんとうにそういう超音速の飛行をする場合、身体が宙に浮いていては、操縦になにか支障が起るかもしれない。それで重力のない世界での人体の生理という問題が、今後の航空医学では、たいせつな問題の一つになってきたわけである。
こういう研究は、実験をしてみるよりほかに道がない。温度や圧力はもちろんのこと、たいていの物理的条件は自由にかえられるが、重力の働かない世界を、実験室内でつくることは絶対にできない。唯一の方法は、実験者を、自由落下の状態にしておくことである。自由に空中を落下している間は、そのものには、重力が感ぜられない。エレヴェーターが降り始める時に、スーッと背筋をみょうなものがはしるような感じになるが、あれが重力が弱くなった時の感じである。
それならエレヴェーターの中で実験をしてみたらよい、と思われるかもしれないが、あれでは時間が短かすぎる。エレヴェーターでゾーッとするのは、降り始める瞬間だけで、あとすぐああいう感じはなくなる。自由落下の場合は、速度がどんどん増していくのであるが、エレヴェーターでは、すぐ一定速度になってしまう。速度が一定になれば、それは力学的には動いていないのと同じことで、重力は普通どおりに感ぜられる。普通のエレヴェーターで、重力が弱くなって感ぜられるのは、降り始めの瞬間だけである。それでエレヴェーターの綱が切れて、箱が自由落下をする場合でないと、今の目的にはかなわない。
それでは綱を切って、落してやれば良いわけであるが、厄介なことには、自由落下の速度は非常に大きく、百メートル落ちるのに、五秒もかからない。それで何十階のビルディングの上から落してやっても、せいぜい五秒か十秒程度しか実験ができない。それくらいの短時間内の生理的状態を調べてみても、あまり参考にはならない。それでもっとうんと高いところから落してやって、その落下中の生物の状態を研究する必要がある。それにはロケットがいちばんいいので、五十マイル以上も上昇したロケットは、落ちてくるのに、二分ないし三分間かかる。そしてその間は、中のものにはぜんぜん重力が感ぜられないのである。それだけの時間があれば、いろいろな生理作用の研究がかなりできるので、猿をロケットに入れて打ちあげることになったわけである。
もっともただ打ちあげただけでは、なんにもならないので、いろいろな自記測定装置を設置しておく必要がある。脈搏と血圧と呼吸運動とを、それぞれ自記させる装置を入れてやって、落下中の猿のそれらの生理要素を自記させ、その記録をあとから調べてみた。その結果によると、初めにちょっとした変動が見られたが、ぜんたいとしては、目だった変化が認められなかった。現在までの結果では、重力の働かない世界でも、少なくとも循環系統と呼吸作用とは、正常に働くものと認めてよいようである。生理的には、この二つがいちばんたいせつなものであるから、今のところ、重力のない世界でも、生物の身体はだいたい普通どおりに働くものと見てよい、という結論になっている。エレヴェーターで降りる時のことを考えてみると、あのスーッとする感じがいつまでも続いては、なにか身体の作用に変化が起りそうに思われるかもしれない。しかしどうもあれは、重力のある世界から、ない世界へ移りかわる途中の状態の感じらしい。ぜんぜん重力のない世界へはいってしまえば、ああいう感じはないのであろう。
というのは、この猿を打ちあげる実験と平行して、いま一つ別の研究がなされているのである。それは鼠をロケットに入れて打ちあげる実験である。鼠の場合は、生理作用の研究というよりも、むしろ心理状態の研究といったほうがいいようなものである。それは鼠をかごに入れて、それをロケットの中にしこむ。そして映画の撮影機を装置しておいて、自由落下中の鼠の行動を、映画に撮ってみるという、少々変った研究なのである。撮影機や照明装置などは、もちろん自動的に働くようになっている。
こういう装置をしたロケットを打ちあげて、それが落ちてきてから、フィルムを回収して、それを現像してみた。そうしたら、鼠が宙に浮いた状態で、悠然として気持よさそうに空中を歩いているところが、画面に現れてきたそうである。その鼠の行動や表情には、宙に浮いているという点以外には、なんら変ったところが見られなかった。それで重力の無い世界は、生理的に安全であるばかりでなく、神経的にも決して心配する必要はないらしいということになった。もっとも人間と鼠とは違うかもしれないが、もし違ったとしたら、それはどうも、人間は心配性というよけいなものをもっているため、ということになりそうである。
こういう研究は、超音速飛行に関する航空医学の研究としてなされているのであるが、同時に宇宙旅行用ロケットの研究の一部にもなる。
宇宙旅行の研究に、猿を八十マイルの高空まで打ちあげたり、鼠が宙に浮いたまま遊んでいる映画を撮ったりするというのは、ちょっと俳味があって、なかなかよろしい。アメリカの科学者の中にも、しゃれた研究をする男がいるものである。
この文章は、昭和二十八年、すなわち今から五年前に書いたものである。昨年ソ連が人工衛星に犬を乗せて飛ばすことに成功した時、日本では「宇宙時代」来るといって、大騒ぎをした。そのこと自身は、科学の一大勝利であって、大いに騒いでよいことであるが、その騒ぎかたに、何か浮ついたところがあるように感ぜられた。科学というものは、宝探しとはちがうのであって、大きい発明や発見が、とつじょとしてでてくるものではない。それらはじりじりとできあがっていくものである。人間が宇宙を征服するまでにはたくさんの基礎研究が必要であって、それらはいずれも長い年月のかかる仕事である。本文は五年前に書いた旧い文章であるが、そのひとつの例として意味があるのではないかと思っている。
底本:「中谷宇吉郎集 第八巻」岩波書店
2001(平成13)年5月7日第1刷発行
底本の親本:「黒い月の世界」東京創元社
1958(昭和33)年7月5日
初出:「自然 第八巻八号」
1953(昭和28)年8月1日発行
付記「黒い月の世界」東京創元社
1958(昭和33)年7月5日
※初出時の表題は「高度80哩」です。
入力:kompass
校正:砂場清隆
2016年3月4日作成
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