科学と国境
中谷宇吉郎



はしがき


 科学と国境という問題は、以前から論議されてきた課題であるが、原子力の解放にまで到達した今日の新しい時代になってみると、急激にその切実さを増してきた感がある。

 第二次世界大戦の前頃、一時この問題が、大分騒がれたことがある。あの時代は、一口にいえば、国家主義的な風潮が、世界的に瀰漫びまんした時代であった。従ってこの問題は、とかくそれぞれの国における軍の機密の問題と、関連がつけられ勝ちであった。しかしそれは表面に現われた形であって、その根元には、科学の世界性と超国家主義的風潮との争いがあったといった方がよいであろう。

 当時流行した言葉の中に、「科学に国境なし、されど科学者に祖国あり」というのがあった。確かパスツールの言だったように記憶しているが、それは誰でもよい。この言葉は、当時の国家主義者たちにも、耳ざわりがよかったし、又ジャーナリズムの上でも、大いにもてはやされたものである。

 この言葉は、文字どおりに素直に解釈した意味では、誰にも同感されるであろう。しかし祖国などというと、どうしても、一旦緩急あればというような連想が浮ぶので、暫く敬遠しておいた方がよさそうである。

 この言葉でも感ぜられるように、科学と国境の問題は、従来は戦争を背景として、考えられる傾向があった。それももちろん重大な案件であるが、それだけならば、まだ話が簡単であるともいえる。戦争をしなければ済む話であるし、又何といっても、戦争の期間は、非戦争状態の期間よりも短いからである。

 一番厄介なことは、世界が今日のような形の科学文明の時代になって来ると、この問題が、平時においても、非常に深刻な意味をもって来る点である。地震や台風のような天災も怖いが、じりじりと亡び行く国土の問題の方が、或る意味では、もっと恐ろしい。そういう意味で、本文では、平時における「科学と国境」の話を含めて、採り上げることにしよう。

 初めに断っておくべきことは、科学という言葉の意味である。ここでは、もちろん自然科学を指しているが、それは学問的な定義で使っているわけではない。敗戦後の西独逸ドイツが、今日非常に健全な復興振りを示したのは、科学による国家の再建を国是としたからである、とよくいわれる。こういう場合に使われる科学という言葉は、実はその意味が、甚だ曖昧なのである。しかし今日我が国で、科学による増産とか、科学的な対策とか、という風に使われているのは、この曖昧な意味での科学である。

 科学の本来の姿は、自然の本性を見窮め、その間に秘められている法則を見つける学問、といっていいであろう。従って、科学は直接国民の幸福とか、国力の恢復とかに寄与するものではない。そういうことを目的としていないのであるから、当然な話である。しかし人間が生物として、この自然界に住んでいる以上、自然界の理法をよく知れば、いろいろ便宜が得られる。従って、科学は実用を目的としていないが、実用は科学から生れるのである。

 もっともこういうことは、今までにもしばしば言われている話で、何もこと新しく述べ立てるまでもない。しかしこの言葉、即ち実用は科学から生れるというのが、案外の曲者で、実はそう容易には生れないのである。そしてその間に、国境の問題が奥深くはいり込む余地があるように思われる。


科学と実用


 今日の日本にみなぎっているいろいろな弊風の中で、その一つとして、私は「科学尊重」の弊風を算え上げたいと思う。もちろんこれは逆説的な言い方であって、真意は、科学と実用との問題について、今少し一般の注意を促したいという意味である。

 先日、台風十四号のすぐ後、ある報道関係の人が訪ねて来て、予報があたらなかった点について、感想をきかれた。予報の問題自身は別として、その会話の中に、一寸面白い一節があった。それは、気象台の施設や予算についての話に引き続いて「気象学がもっと進歩したら、台風の予報は、今よりも精確に出来ましょうか」という質問があったことである。

 もちろんこれは軽い意味での会話のつなぎであるが、ただ一寸面白く感ぜられたことは、こういう質問は、日本以外では、どこの国でもきけないであろうと思われる点であった。私は「それは進歩という言葉の定義の問題で、アメリカ流にいえば、台風の予報に役立たなかったら、それは気象学の進歩ではなく、退歩というふうになりましょう。ソ連流にいっても、多分同じでしょう」と答えておいた。

 それきり忘れていたのであるが、今度の洞爺丸事件について、又天気予報が一部で問題になった。その時或る新聞に、気象台はあまり学究的に過ぎるという議論が出ていたので、思い出したわけである。台風十五号の時にも、予報が完全とはいえなかったが、それは「学究的に過ぎた」からではなく、過ぎなかったからである。即ち台風の機巧メカニズムに、未だわれわれに知られていない要素があったために、局地的な現象、たとえば津軽海峡に出現した予想外の突風の予報までは、力が及ばなかったのである。まさか五十五メートルの風が吹くことを予想して、出港したわけではあるまい。

 十五号台風の詳細な気象調査は、まだ印刷になっていないので、詳しいことは分らないが、本当に台風の予報を精確にやろうと思えば、台風の機巧そのものを、もっと学究的に研究する必要があることには間違いがない。観測点を殖やしただけで、片のつく問題ではないように、私には思われる。

 その当否は別として、前の「気象学が進歩したら、予報はあたるか」という質問や、この「学究的に過ぎるから」という議論などが、案外端的に、日本人の科学に対する考え方を物語っているように思われる。

 われわれが十分理解しておくべきことは、アメリカやソ連と日本とでは、科学に対する一般の考え方が、大分ちがっているという点である。ソ連のことは推測であるが、少くもアメリカでは、科学といえば、役に立つものと、初めから思い込んでいる。そして又実際に役にも立っているのである。ところが日本では、実用を離れた真理の探究という感じが濃厚である。もちろんこの真理の探究から、実用も生れて来るとは考えているが、その点をかなり甘く見ている風潮がありはしないか。

 科学が実際に役立つまでには、いろいろな段階がある。そして原理の発見は、そのほんの第一歩である。もちろん原理の発見なくしては、実用化は出来ない。しかし原理が分れば、やがて実用化の時期が来るというような生易しいものではない。今日の急行列車を牽いて疾走している大型機関車も、原理は鉄瓶の蓋を湯気がもち上げる現象と同じである。これは極端な例であって、鉄瓶から機関車が安々と生れて来ると思う人は誰もない。しかし純粋な科学が、実際に役立つまでには、それほど極端ではないが、多かれ少かれ、これに類似したことがあるのである。

 最初の原理の発見には、もちろん優れた頭脳による精神労働力を必要とする。しかしそれを実用化するには、少くも量的には、それの数十倍、或は数百倍の精神労働力が必要である。この後の方の努力、即ち科学を実際の役に立てる仕事が、日本では、とかく軽視されがちであった。もっともこれは地味な仕事で、じりじりと良くなって行くような性質のものである。飛躍的な段階が無いために、ジャーナリズムなどの対象には不向きであり、従って一般の注意を惹く機会も少い。一方日本人の間に旧くから浸み込んでいる学問尊重の気風、少し意地悪くいえば事大思想の一つの現われであるが、この気風が原理の発見というような、高遠で且つぱっとする仕事に対して、著しい尊崇感を抱かすことになる。そのこと自身は善いが、その余弊として、科学を実用化する地味な面の仕事を、軽視する風潮を生むことが、困るのである。

 日本は基礎科学の研究では、ほぼ世界的の水準に達したが、その工業化の面で、著しく劣っている、というのが、今では常識になっている。そして工場と研究所との連絡とか、中間試験の奨励とか、という風なことがよくいわれている。しかしそれ等よりも、もっと大切なことは、科学を実用化する面の仕事、従来の日本風の考えでは、準科学とも称すべきものが、「本当の科学」である、という観念に切り換えることではないかと思われる。アメリカでは、科学といえば役に立つものと思い込んでいる、と前にいったが、この準科学が、アメリカでは科学なのである。

 科学がそういう方向に発達することの可否については、後に述べることにして、ここでは、科学というものは、なかなか実用になるものではない、本当に科学を役に立てるには、科学に対する考え方から変えてかからねばならないという点を、強調するに止めておく。このことが、国境との関連を論ずる場合の基点になるのである。


電波探知機と原子爆弾


 科学を実用化することが、如何いかに困難であり、又そこに何故国境の問題が介在するかという点について、少し例を挙げてみよう。

 太平洋戦争で、無敵を誇っていた日本の海軍が、あれほど惨めな敗け方をしたのは、先方に電波探知機があったからである。盲と目明の戦争では、勝負にならないのが当然で、弱かったなどという話ではない。日本にも電波探知機はあったが、性能の上では、問題にならなかった。

 電子機械の花形というべき電波探知機とても、原理はきわめて簡単である。電波は金属面から反射して来る性質があるので、方向性をもった電波を照射し、それが飛行中の飛行機から反射して来るのを受けるというだけのことである。

 この現象の発見は、たしか一九二八年だったと思う。偶然のことで、私はこの発見の経過を知っているのであるが、倫敦ロンドンのキングス・カレッジの地下室で、実験をしていた時の話である。当時この現象の発見者アップルトン教授は、階上の実験室で電離層の研究をしていた。ところがその研究用の照射電波に、邪魔がはいって困るので、何か電波源がないかと、方々の実験室を、調べて廻ったことがある。その後暫くして、それはクロイドン飛行場に来る飛行機に原因するということが分った。

 原理だけならば、この時既に発見されたわけである。しかしその後英国政府が、この研究に莫大な費用を使い、特別の便宜もはかったらしいのであるが、それが独空軍の倫敦爆撃に対して、実際に役立つようになったのは、第二次大戦にはいって、大分経ってからのことである。その間約十五年もかかっている。そればかりでなく、太平洋戦争になって、米英間に軍事技術の協定が行われ、一応完成されたこの電波探知機が、米国で更に改良され、大量生産に移されて、初めて実用兵器となったわけである。これなどは、国防上最優先の研究であるから、第一級の智能を注入し、研究費なども十分に計上したにちがいない。それでもこれだけの年月がかかったのである。

 電波探知機よりも、もっと良い例は、原子爆弾であろう。水爆のことは、まだ内容が全然分らないので、ウラニウム爆弾のことだけを書く。

 この爆弾の原理は、遠く遡れば、アインシュタインの相対性原理にまで及ぶが、もっと具体的にいえば、一九三八年にハーンとストラスマンが発見した、ウラニウムの核分裂の現象が、第一の礎石となり、ついでフェルミが確立した連鎖反応の実験が、第二の礎石となったと、言っていいであろう。一九四五年広島に投下された原子爆弾は、核分裂という新しい基礎的な発見から、僅か七年にして、完成されたものである。

 これほどの大問題で、七年というのは、恐るべき超スピードであって、その点では、アメリカは一つの奇蹟を現出したといって、差し支えない。太平洋戦争の直前に、アメリカの原爆製造計画が伝わって来た時に、日本の原子科学者たちは、誰も今度の戦争に間に合おうとは思わなかった。

 戦後になって、その秘密が分ったのであるが、アメリカ政府はこの研究に、二十億ドルの巨費を使い、三千人に余る科学者及び技術者を動員したのである。それに金や人数よりも、もっと大切なこと、即ち一流の科学者たちの挺身的な熱意が、この事業に一つの脊骨を与えていた。

 ハーンたちの核分裂現象の発見は、偉大な発見ではあるが、原子爆弾を実際に作る仕事に較べては、いわば鉄瓶の蓋の動きを見附けたことに相当する。以下それを機関車に仕立上げるまでの仕事は、二十年前の常識では、半世紀もかかるように思われよう。しかし近代科学の恐るべき能率と組織とは、それを七年にして為しとげたのである。

 最初の発見の翌年、一九三九年には、ウラニウム二三五の同位元素が、遅い中性子で核分裂をすることが、理論的に導き出された。その実験的確認には、ウラニウム二三五を分離する必要があるが、それは次の年、一九四〇年三月に完成、すぐコロンビア大学で、前の理論を確認する実験が行われ、四月三日にはもう成功している。

 一方この核分裂の際に出る勢力を、原爆にまでもって行くには、連鎖反応が必要なのであるが、その理論及び実験は、一九四〇年の初頭から始められ、同年後半に完成、原子炉設計に必要な資料が得られた。そして原子炉第一号は、翌一九四一年七月に建設された。太平洋戦争開始の年である。こういう大事業が、いずれも半年か一年の短期間のうちに、つぎつぎと出来上って行ったことは、まことに驚くべきことである。この速度なればこそ、半世紀と思われたことが、七年にして出来たのである。

 この奇蹟の出現については、今一つの重大な要素がある。それはアメリカの国力である。最初の原子炉では、肝腎の連鎖反応は確認出来なかったが、それは資料のウラニウムの純度が低かったことが、主な原因である。それで問題は、ウラニウムの精錬に帰することになった。こういう問題になると、アメリカの工業は偉大な力を発揮した。たまたまアイオワ州立大学に、この方面の優れた冶金学者がいて、その協力もあって、忽ちにして問題を解決してしまった。日本にも、これからウラニウム鉱石を探そうという話があるらしいが、純度の高いウラニウムの精錬法一つでも、並大抵の仕事ではない。


科学の実用化と国力


 電波探知機にしても、原子爆弾にしても、それ等を実際に作り上げたものは、アメリカの国力である。そして後者の場合、そういう国力を注ぎ込む的を与えたものは、ハーンたちの発見したウラニウム核分裂の現象である。

 ところでハーンたちのこの発見は、アメリカでなされたものではなく、独逸ドイツで研究されたものである。もちろん独逸政府とても、これを放っておくわけがなく、直ちに原爆製造の計画を立てたのである。現代の原子物理学を創成した物理学者の一人、有名なハイゼンベルク教授を委員長とし、第一級の原子物理学者たちを集めて、この仕事にとりかかったのである。

 実はルーズヴェルトは、初め原爆には気乗薄であって、出来るかどうか分らない計画に、多額の費用を出す気は全然なかった。しかし独逸の原爆製造が、大いに進捗したという諜報がはいったので、慌てて正式にマンハッタン計画という原爆製造計画を立てたわけである。その発表は、一九四一年十二月六日のことで、真珠湾攻撃の前日であった。これでも分るように、アメリカの原爆は、初め独逸を目標にして作られたのであるが、完成の三ヶ月前に、独逸が壊滅してしまったので、広島へ投下されたわけである。

 この三ヶ月というのは、全く偶然のことで、今少しヒットラーが頑張っていたら、或は原爆がもう少し早く出来ていたら、第一の原爆は、伯林ベルリンに落されたはずである。その場合に、ハーンたちは、どういう立場に立つであろうか。もっと分り易くいえば、もしウラニウム核分裂現象の発見が、日本の物理学者の手によってなされたのだったら、われわれはそれをどう評価したらよいのだろうか、という問題になる。これは有り得ないことではなく、核分裂現象の発見くらいは、当然日本の学者たちによってなされてもよかった実験である。研究用のウラニウムくらいは、買い込んであったし、学者の頭脳だって決して劣っていない。

 問題は、核分裂現象の発見くらいのところまでは、日本で十分出来るが、原子爆弾は恐らく出来ないであろうという点にある。それは国力の問題、即ち工業水準の問題である。二十億ドルの研究費を、もし出せても、それは使えない。こういう研究に必要な資材を、一億ドルも調達することは、恐らく出来ないであろう。一九四三年の夏には、加州大学のローレンス教授の研究室だけで、四百六十五名の研究員が働いていたが、それだけの人間が、一人の指導者の下で研究の出来る設備も、組織も、到底日本では考えられない。

 要するに、これは国力の問題である。独逸の場合も、戦後米国の調査班が、ハイゼンベルクを訪ねて調査した結果、独逸は恐らく当分の間原子爆弾は作れなかっただろうという結論になった。独逸の科学をもってしても、当時の国力では、原子爆弾は出来なかったのである。こういう意味では、ソ連が現在原爆及び水爆をもっているということは、まことに驚くべきことである。頭脳の方では、大戦後いち早く、伯林ベルリンのカイザー・ウィルヘルム研究所から、一流の科学者を約半数、家族とともに、ソ連国内に移したこともあり、そうこと欠かないかもしれないが、工業技術力が、この水準に達した点が、驚異に値するのである。独裁政治の強味で、相当無理な重点主義がとれるという点を、割引して考えての話である。

 原爆の場合は、独逸で発見された原理が、アメリカで実際化し、それが日本に投下されたわけである。水爆の場合は、まだ内容が分らないが、将来その秘密が公開された場合、その中に日本の原子科学者の研究が、もちろん間接的ではあろうが、一部利用されていたということが、絶対に無いとは断言出来ない。原子核の研究と原子力の研究とはちがうが、その間に関係がないとはいわれない。水爆をつくるには、原子核の秘密を知らなければならない。原子核方面の立派な研究ならば、何等かの面で、原子核の秘密を解明している。間接にも役に立たない研究ならば、それは学問的にも価値のない論文である。悩みはこの点にあるわけである。間接的の場合は仕方ないとして、直接の場合、即ちハーンたちの核分裂のような場合には、その結果を秘密にしておいたらよい、という論も出るかもしれない。国家主義的の立場にある人ならば、そういうであろう。しかしそれは、仮りにその立場を認めるとしても、不可能のことである。ウラニウム核の分裂というような、その時まで全然考えてもいなかった新しい現象を、最初に発見した時には、これが数年にして原子爆弾になろうとは、夢にも思わなかったにちがいない。それまで心配したら、アインシュタインの相対性原理まで、秘密にしておかねばならないであろう。要するに、科学の研究は止めるより仕方がない。

 本来は人類の幸福を目指した科学が、人類に不幸をもたらすとしたら、それは科学の罪ではなく為政者の罪である。科学は絶対に平和のためにのみ使わねばならない。という意見は、こういうところから出て来るわけである。というのは、戦争に絶対反対という立場をとっていても、科学の研究をやっている以上、それがどこかの国で兇悪な兵器をつくるのに、役立つことが有り得るからである。


科学と国境


 ところで一方には、その理想に到達するまでは、どうしても現在の国境の制軛せいやく下で、ものごとを考えねばならないという点がある。その場合、戦争さえ無ければ、科学は無条件に国民に幸福を齎すものになるかというに、そうばかりともいえない点に問題がある。

 前には、話を分り易くするために、兵器を例にとって説明したが、似たようなことは、平和産業の場合にも、いくらもある。科学というものが、本来実用を目的としたものではなく、これを実用化するには、又別の努力が要る。科学の進歩につれて、いずれの問題も、その内容がますます複雑化し、規模は大きくなる。それを実用化した場合の利益も大きいが、一方それを完遂するには、厖大な国力を必要とする。

 こういう時代に於て、例えば日本で、真理のため、人類の文化のために或る研究をして、立派な成果を得たとする。ところが日本にはそれを実際の役に立てる力がなく、その結果は、それを実用化し得る国力をもっている大国、例えばアメリカやソ連のような国を、ますます富ますことになる、という場合も起り得るのである。大国のためになるだけならば、それもよいが、そういう国の工業がますます発達して、生産のコストが下り、経済的原爆が、平和の姿のままで、知らないうちに落ちていたという結果になっては、大いに困るわけである。

 もちろんこの場合、ギブ・エンド・テークの原則は成り立っているので、本当のところは、日本の科学が諸外国を利しているよりも、外国の科学から日本が受けている恩恵の方が大きいのではないか、という議論が出るであろう。そのとおりであるが、日本が外国の科学から受けた恩恵は、二通りに考えられるので、その一つはちょん髷を結っていた日本人に、近代科学を教えてくれたことと、今一つは、出来上った科学技術の輸入によって、日本を準近代国家にすることが出来たという点とである。もちろん日本での科学的発見を、日本で実用化して、国民の生活水準向上に資した例もあるが、全体から見たら、ほんの一部に過ぎない。外国で研究された科学的成果を、日本で実用化して、国富の増加に役立てたという例も、非常に少いであろう。

 ひどくエゴイスティックな議論になったが、こういうことを言うのは、今の日本が常態でないからである。現在の事情のままでは、この四つの島からの生産で、九千万人の人間が生きて行くことは、ほとんど不可能に近い。栄枯盛衰は、どこの国にもあることである。建国以来初めてという苦境に陥っている日本としては、少し不義理ではあるが、外国の科学から受けた恩恵に対する御返しよりも、自国の国民のために自国の科学を活用するという方向に、今少し力を入れた方がよいであろう。

 この議論は、何も基礎科学を止めて、実用化のための科学だけをやれ、というのではない。科学を実際に役に立たすには、基礎から始めなければならないことは、間違いがない。ただ基礎的な研究をする場合に、立地条件を考え、日本の国というものを、考えの背景の中におく方が望ましいという意味である。

 新聞記事で見ただけであるが、先頃原子炉築造の予算が、国会を通ったのに対して、学界の方にいろいろ反対意見が出たという話があった。この問題はもう解決したらしいので、今更意見を述べる必要もないが、もしこの話が本当だったとしたら、如何にも不思議な話である。

 日本の原子方面の理論的研究は、質に於ても、また量に於ても、世界の第一線に伍している。ところでその方面の科学者たちは、何のために研究しているかといえば、原子力を平和目的に使用し、将来の日本国民ひいては人類の幸福のために、研究して居られることと思う。この場合、日本国民と人類とに順位をつけるとしたら、日本の税金を使っての研究ならば、日本国民の方が先であろう。ところで、日本で原子力の利用に着手しようとしたら、まず日本に原子炉を造るのが第一歩である。原子炉一つ持たないでは、着手すら出来ない。それで、反対があったとしたら、その理由は全く了解に苦しむ。戦争目的に使用される懸念があるというのならば、戦争目的に使われない方に努力すべきである。それを防止する確信がないのならば、原子核の研究そのものを止めるべきであろう。日本での原子炉築造だけに反対したのでは、日本では永久に原子力の利用は出来ず、一方理論的研究の方は、外国に於て、戦争目的の原子力利用にも、応用される可能性があるからである。

 こういう問題が、少くとも新聞面を賑わすというのは、科学と国境の問題について、一般の理解が浅いからではないかという気がする。何か私の思いちがいであれば、仕合せである。


フェルミの訴訟事件


 科学と国境の問題は、戦時の問題でなく、平和状態に於ても、一層重大である。そしてその重要性は、科学の進歩につれて、将来ますます増して来るものと思われる。

 それならばどうすればよいかというと、又同じ話になるが、日本の立地条件に即した、民族の生きるための科学に、もっと力を入れるというのが、今のところ考え得る唯一の道である。その科学は大部分、前にいった準科学のような形になると思われるが、それが本当の科学と思い込むより仕方がない。その内容は、前に書いた『民族の自立』(新潮社発行一時間文庫)と同じようなことになるので、本文では繰り返さない。唯一つ、個人の科学者の心得を追加すれば、それはもう少し損得を考えて研究をした方がよいのではないかということになる。いささか奇矯の言を弄すると思われるかもしれないが、これは真面目な話のつもりである。

 それについて、一つの面白い実例がある。それは、昨年のアメリカ科学界を賑わした、フェルミの訴訟事件である。

 原子爆弾の製造に、第二の礎石をおいたエンリコ・フェルミは、いうまでもなく一九三八年のノーベル賞受賞者で、原子核物理学の方では、ほとんど神様扱いをされている大学者である。シカゴ大学の原子炉で、連鎖反応を初めて実証した彼の仕事は、原子爆弾の可能性を実験的に確めたばかりでなく、原子力の解放という、人類の歴史上最大の事件の一つに対して、その道を拓いたといってもいいであろう。神様扱いをされても、そう不思議ではないのである。ところが、この神様が、アメリカの原子力委員会を相手に訴訟を起して、三十万ドルの賠償金をとったのであるから、話が面白いのである。

 フェルミは、今はシカゴ大学の教授をしているが、もとは伊太利の物理学者である。そして彼の有名な「中性子照射による元素の変換」という世紀の実験は、彼のローマ大学教授時代になされたものである。大戦中に、ムッソリイニ治下の伊太利を逃れて、アメリカへ来て、現在の原子力委員会の前身たる原爆委員会マンハッタン・プロゼクトで、最有力メンバーの一人として活躍した。原子力研究史上の金字塔たる連鎖反応の実験も、このメムバーとして遂行したわけである。

 ところで、フェルミは、彼のノーベル賞受賞の研究「中性子の照射による元素の変換」について、一九四〇年にちゃんと特許をとっておいたのである。こういう基礎的な新しい現象の発見に、特許をとられては、その後の原子力解放の仕事は、皆これに縛られて、手も足も出ない。しかし戦争中のことであり、とくに原爆の製造には、一日を争っていたので、アメリカ政府としては、そんな特許などにかまってはおられない。それで強行して原爆をつくってしまったわけである。発明者のフェルミが、自分のところの委員であるからと思って、多寡をくくったのかもしれない。

 ところが、戦争がすんでから、フェルミは、この特許権侵害の賠償金を払えという訴訟を起したのである。この研究は、ローマ大学時代にやったものだから、アメリカ政府としては、この特許を使う権利がない。当時の協同研究者たち、現ローマ大学のアマルヂ教授を初めとする七人の助手の分を含めて、合計三十万ドルを請求したのである。原子力委員会としては、恐らく寝耳に水の感があったであろう。さんざんごたごたしたらしいが、けっきょくこれは正式の訴訟になり、最後に、昨年七月三十一日に、フェルミ側が勝って、これだけの金を貰ったのである。ローマ大学に残っている御連中は、思いがけないボーナスにびっくりしたにちがいない。

 これはなかなか面白い事件であって、この結果から、いろいろな議論が引き出せそうである。心臓の問題が一番の驚異であるが、それは本文とは関りがないので触れないことにする。第一に、この事件を、キュリイ夫人の場合と比較してみると、非常に興味が深い。キュリイ夫人がラジウムを発見した時には、友人たちから、早く特許をとることを大いに勧められた。しかし夫人は、学問は人類に共通なものであるからといって、特許は一切とらなかった。それで今日、ラジウムに関する限り、特許の心配はいらないのである。

 素直に考えれば、キュリイ夫人の心事の方が、たしかに崇高である。フェルミのやり方は、何といっても、少しあくどいという感じがする。しかし考えようによっては、フェルミの流儀にも、立派な言い分があるように思われる。貧乏な伊太利が、あまり豊かでもない懐から、無理に研究費を絞り出して研究する。その結果は、或は人類共通のものかもしれないが、それを実用化する能力のある金持のアメリカが、無料でそのうちから自分に必要なことだけ使うのは、どうも可怪しいともいえる。三十万ドルくらい払うのは当り前だという議論も成り立つであろう。キュリイ夫人の場合と、フェルミの場合とでは、何となく時代がちがうという感じがする。要するに、キュリイ夫人の時代は、良い時代だったのである。

 キュリイ夫人の時代を懐しむのもよいが、日本の今の場合は、フェルミ流の考え方にした方がよいのではないかという気がする。損得を考えるといったのは、この意味である。

 このフェルミの訴訟事件の話は、今後の日本の科学に対して、一つの示唆を与えるものとして引用したのである。中性子の照射による元素の変換というような発見は、誰にでも出来るものではないが、それほどでなくても、日本の発明に外国の特許をとり、智能の輸出という、飢餓輸出とは正反対な輸出をすることは、もっと考えられてよい。というのは、政府の方でも、報道関係でも、もう少し重視すべきであろうという意味である。日本化薬のペニシリンピリミジンが最近米国の特許をとり、又東京通信工業のテープレコーダーの特許が、有利な条件で、アーマー研究所と技術提携した話など、ごく一部の人にしか知られていないようである。日本の科学者が、もう少し容易に外国特許をとり得るように、したいものである。

 こういう外貨は、発明者又は一会社の収入になるから、国民の生活安定には役立たないと思われるかもしれないが、その心配はない。外貨は全部政府にはいるからである。それに現在日本国内での生産のために、外国へ支払っている特許料は、おびただしい額に上っている。智能の輸出入を、金銭に換算して考えるのは、下品であるなどといわないで、その収支のバランスをとるために、もっと科学を活用することも、この際の一案であろう。


科学と国民性


 もっとも特許の問題は、科学国策の上では、二次的のもので、大勢を動かすものは、別にある。国内の問題については、既に述べたが、国際的にも、国力の差と無関係に、科学を活用し得る分野がある。この場合、科学は本来の姿のままで、堂々と乗り出して良いのである。

 少し大上段の話になったが、何も新しいことではなく、科学の国際協力に、一役を果すというに過ぎない。もっとも従来科学の国際協力というと、或る特定の題目について、世界各国の学者が、互に知識を交換するとか、或は共通の問題について、それぞれの国で観測をする、とかいうことが多かった。その一番良い例は、水沢の緯度観測所である。

 それ等ももちろん奨励すべきであるが、今一つ全然ちがった面もある。それは科学の底に浸透している国民性を、科学の国際協力に活かすという道である。科学の真理そのものは、もちろん国民性などのはいり込む余地はないが、そのやり方には、民族によって、差があってちっともかまわないし、又実際にはっきりした区別がある。現代の原子物理学の基盤である波動力学に於ける、仏蘭西フランスのド・ブローイの論文と、独逸ドイツのボルンやシュレーディンガーの論文とを較べてみたら、その間の差は、まことに驚くべきものである。

 国民性ばかりでなく、社会状態のちがいも、また科学の外観を著しく異るものにする。その一番よい例は、アメリカであろう。科学は役に立つものと思い込み、又実際に役に立てているアメリカでは、どうしても研究が、計画的になる傾向がある。計画的には、組織的と事務的との二つの要素があって、下手をすると、事務的に陥り易い。初めから終りまでの研究計画を、きちんと立てて、その計画書の章をそのままに追って、実験を進めて行くという風なやり方になり易いのである。能率を上げ、早く実用化をするには、この方法がよいのであるが、そして日本では少しその真似をした方がよいと思われるが、しかしこれが万全ではない。本当に独創的な研究は、こういうやり方からは生れないし、又全く知られていない現象の発見も、この方法では期待されない。

 その一つの良い例は、近年の人工降雨の研究である。原子爆弾その他、大規模の研究計画が、いずれも美事に完遂されたことに自信を得たわけでもあるまいが、終戦の年頃から、人工降雨計画を、相当大規模に採り上げたのである。日本にもよく知られているように、ラングミュア博士やシェファー博士たちが、人工降雨の手段として、人工降雪の研究を始め、最初の数年間は、まことに華々しい進歩を見せた。それに力を得て、研究費なども十分に出して、方々でこれを実用化にまで押し進めようという研究を始めたのである。しかし最近になって、その進歩はかなり行き詰った形になった。

 原因は、多分この問題には、まだ知られていない要素が隠されているからではないかと思われる。もしそうだったら、アメリカ流の「計画的研究」は、その解決に不向きなのである。

 それについて、例を一つ挙げてみよう。人工降雨理論の別の一面に、雲粒が互に衝突してくっついて、雨滴になる機巧の研究がある。この場合、雲粒が互に衝突する確率を計算しなければならないのであるが、それには流体力学の厄介な計算が必要である。独逸の学者も、気象台の今井博士も、この計算をされているが、近似解しか得られていない。それでラングミュアは、電子計算機を使って、その完全な解を得たのである。

 それ以来、当のラングミュアはもちろんのこと、数人の学者が、この完全解を使って、雨滴の出来る理論を作ろうとしたが、いずれも巧く行かない。当然のことで、近似解を少しくらい精密にしても、降らない雨が降るはずはないのである。

 秘密は、「衝突してくっつく」ところにあるので、衝突の計算だけでは、要素が一つ抜けている。水と水とが触れ合っても、くっつかない場合がよくあるので、池に降り込む雨滴が、水面を球になって転がる現象は、誰でも見ているとおりである。それでこの場合、必要なのはくっつく確率の研究なのである。

 水面に落ちた水滴が、何故暫くはくっつかないかというと、それは水の表面に空気の分子が吸着しているからである。この研究は、もう二十年近くも前に、理研の寺田寅彦先生の下で、現在東大にいる筒井教授が、詳しくやっているのである。

 それで雲粒がくっつく機巧の研究には、水滴の表面に吸着している空気の分子層の研究を逸することは出来ない。もちろんこれはほんの一例で、この問題だけならば、アメリカでも直ぐ着手しようといっていたから、間もなく片附くと思う。しかし人工降雨の研究には、もっと重大な未知の要素があるように思われる。そしてその研究には、設備にも研究費にも恵まれない日本の方が、かえって有利ということも有り得る。負け惜しみも少しあるが、そればかりではない。というのは、そういう現象の発見には、自然をよく見て自然を愛する心持が必要である。アメリカの社会組織も、生活様式も、それには適しない。

 これは自分の狭い見聞内の話であるが、外にも同様なことが有るのではないかと思われる。英国の剣橋ケンブリッジのキャヴェンディシュ研究所は、封蝋と燐寸マッチの棒とで、世界の物理学界を嚮導して来たといわれる。アメリカの科学界では、それは過去の話だという人もあるが、そうばかりとも言えないような気がする。今の日本の状態でも、まだ日本の科学が、世界の科学の中で、或る一面を担当することが出来るのではないかと思っている。


 科学には国境はないが、科学を実生活に役立てるには、強い国境の制軛がある。科学による国の再建は、この国境の制軛に支配されないような方向に、科学を進めなければならない。国境のない本来の科学は、その国際性を活かすところに意義があるが、その場合にも国民性が、その一つの要素となっている。科学と国境という大問題も、煎じつめれば、これくらいのことになるのではないかと思われる。

(昭和二十九年十月 於東京)

底本:「中谷宇吉郎集 第七巻」岩波書店

   2001(平成13)年45日第1刷発行

底本の親本:「知られざるアメリカ」文藝春秋新社

   1955(昭和30)年525

初出:「文藝春秋 第三十二巻十八号」文藝春秋新社

   1954(昭和29)年121日発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※初出時の副題は「水爆時代と科学の実用化」です。

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校正:岡村和彦

2018年1224日作成

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