怪人と少年探偵
江戸川乱歩

作者のことば



 怪人二十面相はまほうつかいのようなふしぎなどろぼうです。二十のちがった顔を持つといわれる変そうの名人です。名探偵明智小五郎あけちこごろうの助手小林こばやし少年と少年探偵団の団員たちは、この怪人をむこうにまわして、ちえの戦いをいどむのです。

「こども家の光」昭和三十五年八月号


どろぼう人形


 ここは東京のまんなかにある、大きなデパートの男の洋服売り場です。時は、まよなかです。

 まよなかのデパートは、昼間のこんざつにひきかえて、ものすごいほど、静かです。

 ちん列台には、みな白いきれがかけてあるので、まるで白い墓がならんでいるようなかんじです。

 守衛しゅえいが二人ずつ一組になって、大きな懐中かいちゅう電灯をてらしながら、たえずデパートの中を、見まわっています。いま、ちょうど、二人づれの守衛が、洋服売り場へやってきました。

 売り場には、洋服のきれじなどが、いっぱいかけてあります。そのまえに、洋服をきた男の人形が、いくつも立っているのです。

 懐中電灯のまるい光が、その人形の一つの顔を、てらしました。

 はでな、しまのせびろをきた人形です。その顔は、色のついたビニールをぬったもので、できていて、目やまゆげが、黒い絵の具で、書いてあるのです。

 懐中電灯の光は、その顔を、スッと、かすめて、むこうへ、遠ざかっていきました。

 そして、二人の守衛の姿が、階段のほうへ、消えていったかとおもうと、へんなことがおこりました。

 いまの人形が、かすかに身うごきをしたのです。遠くに小さな電灯が、ついているだけで、あたりは、うすぐらいのですが、たしかに人形は、動いたようです。

 それから、もっと、みょうなことが、始まったのです。人形の手が、そっと上のほうへ、あがっていって、目のへんを、なでました。すると、人形の目がパッチリ、開いたではありませんか。目のところだけが、ふたのように開くしかけになっているらしいのです。

 その開いた、二つのあなから、のぞいているのは、生きた人間の目でした。パチパチと、まばたきをして、目の玉が、キョロキョロと、動くのです。

 人形のからだが、フラフラと、ゆれたかとおもうと、足を高く上げて、そのちん列場の、ひくいかこいを、またぎこし、そのまま、通路を歩いていくではありませんか。

 人形が歩くのです。

 やがて、人形は、階段をあがり始めました。うすぐらい階段を、まるで遊病者ゆうびょうしゃのように、のぼっていくのです。階段を二つのぼると、そこは時計や宝石の売り場でした。

 人形は、宝石のちん列だなにかぶせてある、白いきれをまくると、ポケットから、合鍵あいかぎをとりだして、あついガラスの戸をあけました。

 そして、ちん列だなの中へ、手を入れて、ダイヤのゆびわや、真珠しんじゅの首かざりなどを、手あたりしだいに、つかみとると、それをみんな、自分のワイシャツの中の、腹巻きに、しまいこんでしまいました。

 この人形は、宝石どろぼうだったのです。どろぼうが人形にばけて、洋服売り場に立っていて、夜のふけるのをまって、仕事を始めたのです。

 たくさんの宝石をぬすんでしまうと、人形は階段をおりて、洋服売り場にかえり、なにくわぬ顔で、もとの場所に、立ちました。もう目のふたを、しめたとみえて、絵の具で書いた人形の目です。顔も、手も、からだも、どこから見ても、人形です。まるでかかしのように、シャンと立って身うごきもしません。


ふしぎな変装


 あくる日の朝になりました。デパートの店員たちが、売り場へやってきました。そして、ちん列台の白いきれを、とりのけたり、そのへんの、そうじをしたりしました。

 あのどろぼう人形は、もとの場所に、なにくわぬ顔で、立っています。だれも、それが人間だとは気がつきません。

 そのうちに、開店の時間がきて、ぼつぼつお客さんが、はいってきました。しかし、だれも、どろぼう人形には、気がつきません。

 そのころ、宝石売り場のほうは、大さわぎになっていました。デパートにやとわれている探偵が、そこへ集まって、警察へ電話をかけるやら、支配人をよんでくるやら、ごったがえしていました。

 開店してから一時間ほどたったころです。洋服売り場を、子どもを連れた女のお客さんが、通りかかりました。子どもは六つぐらいの、いたずららしい男の子でしたが、おかあさんの手をはなれて、どろぼう人形の立っている、低いかこいの中へ、入っていってしまいました。

 そして、どろぼう人形の足にさわったのです。さわったかとおもうと、子どもは、へんな顔をしました。ふしぎそうに、人形のひざから、もものほうへ、手でさわっていきましたが、びっくりしたように、かこいのそとへ、とび出してきました。

「ママ、あの人形の足、あったかいよ。グニャグニャしてるよ」

 おかあさんのそばによって、ささやくように、言いました。

「ほんと?」おかあさんは、うたがわしそうに、聞きかえします。

「ほんとだよ。ママも、さわってごらん」

 おかあさんは、おもわず、手をのばして、人形の足にさわってみました。そして、ハッとしたように、手をひっこめました。それは生きた人間の足に、ちがいなかったからです。

 いそいで、むこうにいる店員のところへいって、そのことを知らせました。

「えっ、なんですって?」店員はびっくりして、人形のほうをふりむきました。そして、もう一人の店員といっしょに、人形をしらべるために、こちらへやってくるのです。

 それがわかったので、どろぼう人形は、パッと、かこいからとびだして、にげだしました。おおぜいのお客さんのあいだを、くぐりぬけて人形が走っていくのです。みんな、おどろいて立ちどまったまま、あっけにとられていました。

 どろぼう人形は、ちん列場をグルグル走りぬけて、店員だけのつかうドアのなかへ、消えてしまいました。その中には、支配人室や、応接間や、物おきべやなどがあります。どろぼう人形は、その物おきべやにとびこんで、大きな箱の積んである、すみっこにかくれると、みょうなことをはじめました。

 いきなり、顔の皮を、めくりとったのです。それは、うすいビニールでできたお面でした。耳のうしろまでつづいたお面です。それをはぎとると、中から、三十五、六才の男の顔があらわれました。つぎには、両手にはめていた、手ぶくろのようなものを、ぬきとりました。ビニールの手ぶくろで、人形の手にみせかけてあったのです。それから、手ばやく、上着とズボンをぬぎ、両方とも、うらがえしにして、もとのように身につけました。

 洋服の表は、はでなしまですが、うらはじみな無地むじの茶色です。うらがえしても、ちゃんとした、せびろなのです。変装のためにつくった、表もうらも使える洋服なのです。

 洋服の変装がすむと、こんどは、顔の変装です。ポケットから出した小さな鏡を見ながら、鼻の下に、つけひげをつけ、しゃれためがねをかけました。そして、小さな箱にはいっている、絵の具と筆で、顔の変装をしました。

 おおいそぎでやったので、ぜんたいで、二分ほどしか、かかりませんでした。

 パッと、物おきべやをとびだすと、むこうの支配人室のドアを、ソッと開いて、中をのぞきました。支配人はどこへいったのか、へやの中はからっぽです。

 どろぼう人形は、へやにはいって、ドアをしめ、支配人の大きなつくえのむこうに、どっかりと、こしをおろし、つくえの上にあったペンをとって、紙になにか書きはじめました。

 しばらくすると、コツコツと、ドアにノックの音がして、三人の店員の顔がのぞきました。さっき、おっかけてきた店員たちが、ほうぼうさがしたあとで、ここへやってきたのです。どろぼう人形は、下をむいて、字を書きつづけています。

「いま、だれかきませんでしたか」

 店員の一人が、たずねました。

「いいや、だれもこないよ。どうしたんだ、おおぜいで」

 人形は、やっぱり下をむいたまま、支配人の声をまねて、しかりつけるように言いました。

「人形にばけていたやつが、にげたんです。もっとほかを、さがしてみます」

 店員たちは、そういいすてて、いそいで、かけだしていきました。

 それを見おくって、どろぼう人形は、つくえのむこうに、すっくと立ちあがり、ニヤニヤとうすきみわるく、わらいました。


顔の動かない男


 デパートの洋服売り場の人形にばけて、宝石をぬすんだ怪人は、店員におわれて、こんどはデパートの支配人にばけ、店員たちをごまかして、そのまま、おおぜいのお客さんにまぎれこんで、デパートから、にげだしてしまいました。

 新聞はこの事件を、「人形怪盗あらわる」という見出しで、でかでかと書きたて、東京じゅうのひょうばんになりました。

 それから三日めの夕方近いころです。少年探偵団の井上一郎いのうえいちろう少年とポケット小僧こぞうが、ちょっと用事があって、練馬区ねりまくのはずれのさびしい町をあるいていました。

 少年探偵団というのは、名探偵明智小五郎の少年助手の小林君が団長となって、小学校の上級生や中学生でつくっている少年探偵の組合で、これまでにも、明智探偵をたすけて、たくさんのてがらをたてているのです。

 井上君とポケット小僧は、その少年探偵団のなかでも、よく知られている団員でした。井上君は中学一年ですが、おとうさんが、まえに拳闘けんとうの選手だったので、おとうさんにならって、拳闘ができるのです。それに、少年探偵団では、いちばん力の強い少年です。

 ポケット小僧は、年は小学校五年生ぐらいです。しかし、おそろしく小さなからだで、幼稚園の子どものように見えます。ポケットへはいるほど小さいというので、ポケット小僧というあだをつけられていました。

 でも、このポケット君は、たいへんかしこくて、すばしっこいのです。おとなをびっくりさせるような、はたらきをすることがあります。

 ふたりは、むろん、人形怪人の事件をしっていましたので、町をあるきながら、むちゅうになって、その話をしていました。

「あいつ変装の名人だね。だが、明智先生にはかなわないよ。先生はなににだって、ばけられるんだからな。それに、小林団長だって、変装はうまいよ。女の子にばけたときなんか、まるでわからないんだもの」

 ポケット小僧が、とくいらしく言いました。

「だが、デパートの人形にばけるなんて、おそろしいやつだよ。そして、たくさんの宝石をぬすんで、にげちゃったんだからな。もし、そいつにでくわしたら、ぼく、このうでをふるってやるんだがなあ」

 井上君は、うでをなでながら、言うのでした。ふたりは、背の高さが、おとなと子どもほどちがいましたが、たいへんなかがいいのです。

 そこは、人どおりの少ない、さびしい町でした。ふと気がつくと、むこうから、ひとりのみょうな男が、あるいてくるのです。

 グレー(灰色)のせびろをきて、同じ色のソフトをかぶって、まっすぐ前をむいて、わきめもふらず、あるいてくるのですが、そのようすがなんだか、へんでした。ふたりは、すれちがってしまうまで、その男をみつめていました。

「あいつ、へんだぜ。顔がちっとも動かなかったよ。目も動かなかったよ」

 ポケット小僧がささやきますと、井上君もうなずいて、

「まるで、人形の顔みたいだったね」

と言ってから、はっとしたように、立ちどまりました。

「ねえ、井上さん、ひょっとしたら、あいつ人形怪人じゃないだろうか」

「うん。しかし、町をあるくときに、人形にばけているのは、へんだね」

「なにか、わけがあるのかもしれないよ。ねえ、あいつを、尾行びこうしてみようじゃないか」

「うん、そうしよう」

 ふたりは、こっそり、あやしい男のあとをつけました。少年探偵団員は、いつも尾行の練習をしているので、みんな尾行がうまいのです。めったに、相手に気づかれるようなことはありません。顔の動かない男は、しばらくあるくと、そこにある小公園へ、はいっていきました。

 もう夕方なので、公園の中はがらんとして、人かげもありません。たったひとり女の子がベンチにこしかけて、本を読んでいました。小学校三年ぐらいの、かわいい女の子です。本にむちゅうになって、だれもいなくなったのに、気がつかないのかもしれません。

 あやしい男は、その少女を見つけると、ベンチのほうへ、ちかづいていきました。

 ふたりの少年は、木のかげにかくれて、じっと、そのようすを見つめています。

 顔の動かない男は、いったい、なにをしようというのでしょう。


マンホールのひみつ


 男はベンチのそばによると、いきなり、少女に声をかけました。

「おじょうさん、あんた野村のむらみちさんでしょう」

「ええ、そうよ」

 少女はびっくりしたように、本から目をあげて、男の顔を見ました。

「あんたのおうちの人からたのまれたんだが、おかあさんが、道でけがをされて、近くの山田やまだ病院へかつぎこまれている。おとうさんは、おかあさんにつきっきりだから、おじょうさんを、さがして、つれてくるようにって、たのまれたのですよ。さあ、すぐ、わたしといっしょに、きてください」

 野村みち子さんは、おかあさんがけがをしたときくと、しんぱいで、まっさおになって、なにを思うひまもなく、いそいでベンチから立ちあがると、男といっしょに、あるきだしました。

 みち子さんは、考えがたりなかったのです。見知らぬ人に、なにか言われても、そのまましたがってはいけません。じぶんでおうちまで行って、たしかめてみるのです。道に、赤電話があったら、それで、おうちの人とはなしてみるのです。

 もし、男が、そんなことをしてはいけないと言ったら、なおあやしいことになります。そうなったら、大声で、たすけをもとめればいいのです。

 少女が男につれられていくので、ふたりの少年は、また、そのあとをつけました。

 ぐるぐる町かどをまがって、だんだん、さびしいほうへ行きます。

 そして、なんどめかの町かどを曲がったとき、二少年が、いそいで、そのかどまでいってみますと、ふしぎ、ふしぎ、男と少女とは、どっかへ消えてなくなっていました。

 人どおりのない、やしき町のコンクリートべいが、ずうっと、むこうまでつづいています。近くに曲がりかどはありません。男と少女は、まだ五十メートルも、行ってはいないはずですから、すがたが見えないのは、おかしいのです。

 どこかのうちの門の中へ、はいったのではないかと、一けん一けん、げんかんまで行って、たずねてみましたが、そういう人はこないという返事です。

 ふたりは、道のまんなかに立って、長いあいだ、考えていました。

 まさか、けむりのように、きえてしまうはずはないのですから、どこかへ、かくれたのにちがいありません。といって、どこにかくれる場所があるのでしょう?

「あっ、そうかもしれない。あれだよ。あの中が、あやしいよ」

 ポケット小僧が、とんきょうな声をだして、むこうの地面をゆびさしました。そこにはマンホールの、まるい鉄のふたがあるのです。

「えっ、マンホールの中かい」

「うん、悪者わるものは、よくこれを使うんだよ。あの中へ、かくれていれば、だれも気がつかないからね。きっと、ぼくらに尾行されていることを知って、かくれたんだよ」

「じゃあ、あの鉄のふたをあけてみようか。ふたりであけられるかしら」

「だいじょうぶだよ。きみの力なら、あけられるよ」

 そこで、ふたりは、そこへ行って、力を合わせて、鉄のふたを持ち上げ、横へずらせて、中をのぞいてみました。

「だれもいないよ」

「おかしいな。ここのほかに、かくれるところはないんだがなあ」

「あっ、あれ本だよ。さっき女の子が読んでいた本にちがいないよ」

 マンホールの底に、一さつの少女小説の本が落ちていました。

「あの本が落ちているからには、ここへかくれたにちがいない。だが、それから、どうしたんだろう。そとへ出たら、ぼくらにみつかるから、出たはずはない。きっと、このあなの中に、ひみつの道があるんだよ。よしっ、さがしてみよう」

 井上君は、そう言って、マンホールの中へ、おりようとしました。

「あっ、ちょっとまちな。こういうときは、BDバッジを、道に、まいておくほうがいいよ。ぼくらの身に、もしものことがあったときの用意にね」

 BDバッジというのは、少年探偵団の銀色のバッジで、団員たちは、いつでも、そのバッジを、二十も三十も、ポケットの中にいれているのです。それにはバッジのほかに、いろいろの使いみちがあって、いまのように、団員があぶない場所へはいるとき、そのいりくちに、ばらまいておいて、味方みかたに知らせるという、使いかたもあるのです。

 ふたりは、それをばらまいてから、マンホールの中へ、おりていきました。そして、おそろしいひみつを発見するのです。

 ああ、そのひみつとは、いったい、どんなことでしょうか?


地獄の入り口


 少年探偵団の井上少年とポケット小僧は、野村みち子ちゃんという少女を、うそをついて、どこかへつれていく、あやしい男のあとをつけていきました。

 その男は、少女といっしょに、さびしい町のマンホールの中へ、消えてしまったのです。

 二少年は、そのマンホールの、重いふたを、わきにずらせて、中へおりてみました。

「あれっ、へんだね。これは水道や下水やガスのマンホールじゃないよ。鉄管なんかどこにもないんだもの」

「うん、ひょっとしたら、悪者が、かってに造ったマンホールかもしれないね。そして、ここを、秘密の出入り口に使っているんだよ」

「それなら、どこかに、奥へ行ける道があるはずだね」

 ふたりは、マンホールの底に立って、回りのかべを調べました。

 すると、目の前のコンクリートのかべに、スーッと、細いわれ目が、できてきました。そして、それが、だんだん、太くなっていくではありませんか。

「あっ、かくし戸だっ。向こうへ、開いていく」

 それは四角いコンクリートのドアでした。なにもしないのに、それが、ひとりでに開いていくのです。悪者が、わざと、中から開いているのかもしれません。

 二少年は、ここで用心しなければならなかったのです。うっかりすると、敵のわなに落ちるかもしれないからです。

 しかし、井上君もポケット小僧も、大たんな少年ですから、にげだすことなど少しも考えません。

 かくし戸が開いたのをさいわいに、すぐ、その中へ、もぐりこんでいきました。

 まっくらです。ふたりとも万年筆型の懐中電燈を持っていましたから、それを出して、照らしてみました。だれもいません。コンクリートのかくし戸は、電気じかけで、遠くから、あけたり、しめたりできるのかもしれません。

 くらいトンネルのような横穴を、しばらく行くと、またドアがあって、それも、ひとりでに、すうっと開きました。

 ドアの向こうは、小さいへやのようになっていて、血のように赤い電燈が、ぼんやりついていました。

「うふふふふ……やってきたね。待っていたよ。いま、きみたちに、おもしろいものを見せてやるぞ」

 しゃがれた、低い声が聞こえてきました。ぎょっとして、へやのすみを見ると、そこのいすに、なんともいえない、きみのわるいやつがこしかけていました。

 頭には、もじゃもじゃと、しらががみだれ、白いあごひげが、胸をかくし、せなかは二つに折れたように曲がった、八十ぐらいのじいさんです。それが、こじきのような、ぼろぼろの服をきて、うずくまっているのです。

「きみはだれですかっ」

 井上少年が、少しもおそれないで、たずねました。

「わしは地の底のぬしじゃよ」じいさんのしゃがれ声が、答えます。

「ここへ、人形みたいな顔の男の人が、小さい女の子を連れて、はいってきたでしょう」

「うふふふふ……はいってきたよ。だが、きみたちは、それをどうしようというのだね。女の子を助けにきたのかね」

「そうです。女の子は、かどわかされたのです。ぼくたちは、それをたしかめて、警察に知らせるのです」

「うふふふふ……なかなか、勇気のある子どもたちじゃ。そんなら、奥へはいって、調べてみるがいい。だが、用心しなさいよ。ここは地獄の入り口だ。いろいろなおそろしいものがいるぞ。うふふふふ……おそろしいものがね」じいさんは、それっきり、からだを二つに折るようにして、うつむいたまま、だまりこんでしまいました。二少年は、少しきみがわるくなってきました。

「ね、もうわかったから、そとへ出て、警察に知らせようよ」

 ポケット小僧が、そっとささやきました。井上君も、その気になって、さっきはいってきたドアのところへ、かけよりましたが、押しても、引いても、ドアが開きません。がんじょうな、ドアですから、いくら井上君の力でも、どうすることもできません。

「あっ、ぼくらは、とじこめられてしまった」

 そうです。もう、そとへ出られなくなってしまったのです。

「しかたがない。奥へはいってみよう。奥には、どっかへぬけられる道があるかもしれない」ふたりは、そのへやの小さい出入り口から、奥へ、ふみこんでいきました。


たるの中


 また、トンネルのような穴を、五メートルほどすすむと、小さなドアがあって、べつのへやに出ました。さっきと同じぐらいの、コンクリートかべの、せまいへやです。

「あっ、いけない。また、ドアがしまっちゃった」ポケット小僧がさけびました。いま、はいってきたドアが、いつのまにか、ぴったりしまって、いくら引いても、開かないのです。

「あははは……」どこかから、わらい声が、ひびいてきました。さっきのじいさんではありません。もっとしっかりした声です。

「そのドアは、もう開かないよ。きみたちは、とりこになってしまったのだ。きみたちに、見せるものがある。ほら、ここだ。へやのすみだ。大きなたるがおいてあるだろう。見えたかね。そのたるの中に、なにがはいっていると思うかね。うふふふふ……」

 天井てんじょうから、小さなはだか電球がさがっていて、へやの中を、ぼんやりと照らしています。そのへやのすみに、ビールだるのようなものが立ててありました。ほかには、なんにもなくて、たるだけが、ぽつんと、置いてあるのです。

 二少年は、そのみょうなたるを見て、顔を見あわせました。

「なにがはいっているんだろう。……あっ、ひょっとしたら……」

 井上君が、言いかけて、息をのみました。

「うん、そうかもしれない。さっきの女の子があの中に……」

 ポケット小僧も、ちゅうとで、ことばをきりました。

 たるの中に、あのかわいい女の子が、手足をしばられて、おしこめられているすがたが、まぼろしのように見えてくるのです。

 いや、もしかしたら、あの女の子は、もうころされてしまったのかもしれません。そして、その死がいが、たるにつめてあるのかもしれません。ふたりは、そう思うと、まっさおになってしまいました。

「うふふふ……なにを考えているんだ。早くたるをあけてごらん。中から、なにが出てくるか……」また、あの声が聞こえてきました。

「よしっ、調べてみよう」

 井上君が、勇気をふるって、たるのそばへ近よっていきました。そして、両手でいきなり、たるをごろっところがしたのです。すると、ふたがとれて、中から、ぱっと、ひとかたまりの青黒いものが飛びだしてきました。もつれあった、なわのようなものです。「あっ、へびだっ」ポケット小僧が、さけびました。

 たるの中には、何百なんびゃっぴきというへびが、とじこめてあったのです。

 それが、いっぺんに、ゆかにあふれ出すと、一ぴき、一ぴきにわかれて、かまくびをもたげて、赤黒い舌を、ぺろぺろさせながら、こちらへ、はいよってくるのです。

「わあっ、助けてくれえ……」ポケット小僧は、大たんなこどもですが、へびはだいきらいでした。悲鳴ひめいをあげて、へやのすみへ、ちぢこまってしまいました。

「だいじょうぶだよ。毒へびじゃないよ。みんな青大将あおだいしょうだよ」井上君は、まっさきに進んできたへびのしっぽをつかむといきなり、風ぐるまのように、ふりまわしはじめました。さすがに、井上少年は、へびなんかへいきなのです。


BDバッジ


 井上君たちが、へびにかこまれてこまっていた、ちょうどそのころ、おなじ練馬区にすんでいる、少年探偵団員で、小学校六年生の、山村始君が、小公園の中を通りかかりました。人形のかおをした怪人が、野村みち子ちゃんをかどわかしていった、あの小公園です。

 すると、小公園のかたすみで、小学校一年生ぐらいの、小さな三人の男の子が、地面に銀貨のようなものをおき、手にもっているべつの銀貨をなげて、それにあてっこをしてあそんでいるのに気がつきました。

「きみたち、そんなこと、やるとしかられるよ」

 山村君は、おもわず、こえをかけました。銀貨のやりとりをする、ばくちのようなことをやっているのではないかとおもったからです。

 ところが、そばによって、よく見ますと、それは銀貨でないことがわかりました。少年探偵団の記章のBDバッジだったのです。三人のこどもが、みんな一つか二つずつ、BDバッジをもっているのです。山村君はびっくりしました。

「きみたち、それ、どうしてもっているの? だれかにもらったの?」

と、たずねますと、こどものひとりが、こたえました。

「ひろったんだよ。あっちのマンホールのそばにおちてたんだよ」

「ふうん、それみんな、そこにおちてたの? いくつあった?」

「六つだよ」

「ちょっと、見せてごらん」

 山村君は、BDバッジをあつめて、うらをしらべました。バッジのうらには、針のさきで、持ち主の名がほってあるはずだからです。

 四つのバッジには「いのうえ」と、ほってあり、二つのバッジには「ポケット」と、ほってありました。

「あっ、井上君とポケット小僧だっ」

 これが地面に、ばらまいてあったからには、ふたりの身の上に、しんぱいなことが、おこっているのかもしれません。

「そのマンホールって、どこにあるの?」

 山村君は、こどもたちに、あんないさせて、公園から六、七百メートルはなれた、さびしい町の、マンホールのところまで、いってみました。

「たしかに、ここにおちていたんだね」

「そうだよ。マンホールのまわりに、ばらまいてあったよ」

 井上君とポケット小僧は、このマンホールの中へ、はいっていったのかもしれないとおもいました。しかし、鉄のふたは重いので、山村君ひとりでは、どうすることもできません。

「そうだ。ともかく、小林団長に知らせよう」

 山村君は、商店のならんでいる町のほうへ、かけ出していって、赤電話で、明智探偵事務所の小林少年に、このことを知らせました。

「よしっ、じゃあ、ぼくが自動車をとばしていくから、そこにまっててくれたまえ」小林団長はそう言って、場所をくわしくきいてから、電話を切りました。

 三十分ほどすると、小林団長は「アケチ一号」の自動車を運転して、かけつけてきました。

 そして、山村君とふたりで、マンホールのふたを、ずらせて、中へはいってみましたが、コンクリートのひみつ戸はしまったままになっていて、ふたりの力では、どうすることもできません。

 小林少年は、自動車へもどって、無電で明智事務所をよび出し、明智先生に、このことをほうこくしました。

「たしかに、あやしいマンホールです。鉄管なんか一つも通ってません。それに、コンクリートのひみつ戸があるんですが、どうしても、あきません。警視庁の中村なかむらさんにれんらくして、コンクリートをこわしてもらってはどうでしょう」

 すると、明智先生は、

「そんな手あらいことをしては、あい手がにげてしまうよ。そのマンホールから、ちかくの、どっかのやしきの中へ、ひみつの通路ができているにちがいない。君たちふたりで、一けん一けん、しらべてみるんだ。あいてにさとられぬようにね。見つかったら、野球のボールが、おたくのへいの中へおちましたから、ひろわせてくださいと、言えばいいんだ。こういうしらべは、君たちのような少年のほうが、うまくいくんだよ」

「じゃあ、やってみます」

 小林少年は、げんきよくこたえて、無電をきり、いよいよ、山村君とふたりで、そのきんじょの、大きなやしきを、一けん一けんしらべてみることになりました。


電話の声


 こちらは、井上少年とポケット小僧です。

 ふたりは、やっとへびの部屋からのがれて、さらに、おくのほうへ、すすんでいきました。ほんとうは、もときたほうへ、にげ出したいのですが、はいってきたドアは、みんなひとりでに、しまってしまってどうしてもひらかないので、おくへすすむほかに、みちはないのでした。へびの部屋から小さいドアをあけて、そとへ出ますと、そこはトンネルのような、せまい通路になっていました。

 まっくらです。ふたりは懐中電燈をてらして、すすんでいきました。十メートルもいきますと、上へのぼる、せまい階段があります。地下道から一階へあがる階段でしょう。すると、ここはもう、どこかのやしきの、建てものの下なのかもしれません。

 階段をあがると、頭の上を、板戸のようなものが、ふさいでいましたが、さわってみると、よこにすべるようになっていることがわかりました。ここにもかぎはかかっていないのです。

 ふたりは懐中電燈をけして、板戸をよこにひらくと、上の部屋に出ました。

 うすぐらい、ろうかのようなところです。まどには、あついカーテンがしまっていますが、まだ夕方なので、どこからか、ひかりがもれてくるのでしょう。ふたりは、足おとをたてないように、あるいていきました。

 すると、どこかから、人の声がきこえてくるではありませんか。その声のほうへいくと、ドアがありました。その、ドアの中のへやで、だれかがしゃべっているのです。

「あなたは野村さんですね。おじょうさんのみち子ちゃんは、おあずかりしています。いや、けっして、手あらなことはしません。だいじにしますよ。ぼくは、人を殺したり、きずつけたりすることは、だいきらいなのです。かならずおかえしします。そのときは、みち子ちゃんは、今よりげんきになっているでしょう。

 しかし、ただはおかえししませんよ。おたくのたからものと、ひきかえです。えっ? そらっとぼけても、だめですよ。ぼくはちゃんと知っているのです。

 あなたが二十年まえに、フランスの美術商からお買いになった、ヨーロッパのある国の王妃おうひ宝冠ほうかんです。

 あれには、あらゆる宝石がちりばめてありますが、ルビーがいちばん多いので、くれないの宝冠とよばれていますね。あれをちょうだいしたいのですよ。いくらたからものでも、みち子ちゃんには、かえられないでしょう。

 きょうから三日め、十七日ですね、その十七日のよるの十時に、あの宝冠を箱に入れたまま、みち子ちゃんのあそんでいた小公園の、東のすみの石のベンチの上にのせておいてください。わかりましたか。小公園の石のベンチの上に、よるの十時までにですよ。そうすれば、宝冠をちょうだいしたあとで、すぐに、みち子ちゃんを、おたくのげんかんへおとどけしますよ。

 では、おやくそくしましたよ。十七日の十時をのがしてしまうと、みち子ちゃんは、永久にかえらないかもしれません。あなたは、だいじなおじょうさんを、なくしてしまうのです。わかりましたね」

 やっぱりそうです。人形のかおをした怪人が、電話をかけている声でした。みち子ちゃんを、人じちにして、野村さんのたからものを、手にいれようとしているのです。

 井上少年とポケット小僧は、ドアのまえに立ちすくんでいました。どうすればいいのか、きゅうには、決心がつかなかったからです。すると、へやの中から、みょうなわらい声がきこえてきました。

「ははははは……おい、そこのこどもたち、そんなところに、まごまごしていないで、ドアをあけて、はいったらどうだ。かぎはかかっていないよ。ひとりはポケット小僧とかいうチンピラだな。きみのことはきいているよ。なかなかすばしっこいそうだな。まあ、こっちへ、はいるがいい」

 それをきくと、ふたりはかおを見あわせましたが、もうこうなったら、あいての言うままになるほかはありません。ふたりは、だいたんにも、ドアをサッとひらいて中へはいっていきました。


おとし穴


 少年探偵団の井上少年とポケット小僧は、地下道から、どこともしれぬ建物にはいり、その中の一つのへやで野村みち子ちゃんをかどわかした怪人と、向かいあって立つことになりました。

 へやの正面に大きなデスクがおいてあって、その向こうに、人形のような、ぶきみな顔をもった怪人が、こしかけていました。

 デスクの上には、卓上電話があり、そのそばに、ウィスキーのびんと、グラスがおいてあります。怪人はウィスキーを、ちびちびやりながら、みち子ちゃんのおとうさんに、ゆすりの電話をかけていたらしいのです。

「きみたちは、じつに勇気があるねえ。こどもばかりで、マンホールから、このおそろしいうちへしのびこむなんて、いのちしらずだよ。いったい、しのびこんで、どうするつもりだったんだね」

「きみが、あの女の子をどうするのか、見とどけて、たすけ出すためさ。ぼくらは少年探偵団だからね」

 井上少年が、すこしもおそれないで、いいました。

「ふうん、かんしん、かんしん。だが、きみたちふたりきりで、そんなことができると思っているのかね」

「ぼくたちのうしろには、明智小五郎先生がついているんだ。小林団長がいるんだ、それから警視庁の中村警部が、おおぜいのおまわりさんをつれて、やってくるのだ」

 井上君は、ほこらしげに、いうのでした。

「だが、どうして、れんらくするんだい。きみたちは、もう、おれのとりこになっているんじゃないか」

「ぼくたちには、いろいろな方法があるよ。きっとにげ出して、明智先生や小林団長に、れんらくしてみせるよ」

 ポケット小僧も、まけないで、かんだかい声をたてました。

「はははは……、のんきなことをいっている。おれが、きみたちを、にがすとでも思っているのかい。にがすどころか、これから、きみたちに、おもしろいものを見せてやるよ。いや、おもしろいのではない。おそろしいものだ。きみたちは、かわいそうだが、うんと苦しまなければならない。じごうじとくと、あきらめるんだね」

 人形の顔の怪人は、ニヤニヤわらいながら、きみのわるいことをいうのです。

「ふふん、おもしろくって、おそろしいものかい。はやく見せてもらいたいな。それはいったい、どこにあるんだい」

 井上君が、やせがまんをはって、つよそうなことをいいました。

「ここにあるんだよ。いいか。ほらっ……、わははははは……」

 どこかで、カチッと音がしたかと思うと、ふたりの少年の足の下は、なんにもなくなってしまいました。つまり、立っていた、ゆか板が、パタンとおちて、そこへ、まっくろな大きな穴がひらいたのです。ふたりは、アッというまに、ふかい穴の中へ、おちこんでいきました。

 そのままおちたら、おしりやせなかを、ひどくうって、けがをしたかもしれませんが、ふたりは、こういう冒険には、なれていたので、すぐ、足をグッとまげて、とびおりの姿勢しせいになり、下へ足がついたときに、ピョイピョイと、とぶようにしました。五メートルもある、ふかい穴でしたが、ふたりとも、そのおかげで、すこしもけがをしなかったのです。

 そこは二メートル四方ほどの、ふかい地下室で、かべもゆかもコンクリートです。窓もドアもなにもなく、四角な井戸の底のような場所でした。

 上を見あげますと、おとし穴になっているゆか板が、二つにわれて、たれさがり、その穴の上から、人形の顔がのぞいていました。

「わはははは……おれのうちには、いろいろな、しかけがあるんだ。ボタンをおせば、ゆか板が口をひらいて、きみたちを、のんでしまう。これもそのしかけの一つだよ。どうだね、とても、あがれまい。コンクリートのかべには、なんの手がかりもないんだからね。きみたちには、しばらく、そこにはいっていてもらうんだ。そのうち、おもしろいことが、いや、おそろしいことがおこるからね」

 そして、人形の顔が、ひっこんだかと思うと、おとし穴の板が、パタンとしまって、穴の中は、まっくらになってしまいました。

 ふたりは、しばらくのあいだ、穴の底に、うずくまったまま、だまりこんでいましたが、やがて、ポケット小僧が、つぶやくようにいいました。

「ぼくたち、冒険をやりすぎたかもしれないね」

「うん、この穴からは、とてもにげだせない。あいつは、ぼくたちを、どうするつもりだろう。なんだか、こころぼそくなってきたね」

 井上君もげんきがありません。ふたりとも、こうかいしはじめているのです。

「おもしろくて、おそろしいものって、いったいなんだろうね」

 さすがのポケット小僧も、しんぱいで、声がふるえていました。井上君は、万年筆型の懐中電燈を出して、コンクリートのかべを、てらしていましたが、なにを見つけたのか、「あっ」と、声をたてました。

「あれ、なんだろう?」

 懐中電燈のまるい光が、コンクリートのかべの上のほうを、てらしています。その光の中に、黒いまるい穴が見えるのです。直径十五センチぐらいの穴です。

「あっ、ひょっとしたら……」

 ポケット小僧も、あることに気づいて、思わず、さけびました。ああ、その小さな黒い穴は、いったい、なんだったのでしょうか。


窓の顔


 少年探偵団長の小林少年と、BDバッジを見つけた山村少年は、あのマンホールのちかくにある大きなやしきを、一けん一けん、さぐりあるいていました。

 もう太陽がしずみかけて、あたりは、うすぐらくなっていました。

 二けんは、なんのあやしいこともなく、いま三げんめのやしきに、しのびこんだところです。コンクリートべいに、鉄の門がついていて、大きい門はしまっていましたが、わきの小さい門が、あいていたので、そこから、しのびこんだのです。なんだか、あやしげなやしきでした。庭には、ぼうぼうと草がのびていますし、古ぼけた木造の二階建て洋館は、おばけやしきのように、あれはてています。

 門に名札が出ていないので、だれのうちかわかりません。もしかしたら、あき家かもしれないのです。しかしここには何者かが、住んでいるという感じがします。人間だか、人間でない動物だかわかりませんが、なにかがいるにちがいないと思われました。

 小林、山村の二少年は、ポーチのよこの、やぶれたかきねから、うら庭のほうへしのびこんでいきました。そして、建物を、よこから、ながめたのですが、やっぱり、どの窓もしまったままで、人のけはいはありません。そのくせ、このうすぐらい建物の中には、なにものかが、うごめいているという感じが、だんだん、つよくなってくるのです。

 ふたりは、あれはてた庭の木のしげみにうずくまって、目のまえの建物を、じっと見つめていました。空はまだ、あかるいのですが、庭は、ほとんど、くらくなり、大きな建物が、黒い怪物のように、そびえているのです。

 そのとき、ふたりは、ギョッとして、きき耳をたてました。とつぜん、家の中から、人の声がひびいてきたからです。

「たすけてえ……、だれかきてえ……」

 二階の窓から、白いものが、のぞきました。人の顔です。それも、小さいこどもの顔のようです。

「あっ、女の子だっ」

 小林君が思わず声をたてました。

 それは野村みち子ちゃんだったのです。怪人のすきをうかがって、窓ぎわにかけより、たすけをもとめたのにちがいありません。

 しかし、小林君たちは、みち子ちゃんが怪人にかどわかされたことは、すこしも知りませんから、その女の子がだれかは、わからないのですが、いずれにしても、小さい女の子が、たすけをもとめるというのは、ただごとではありません。この家にあやしいやつが、住んでいることは、もうまちがいないのです。

「たすけてえ……、たすけてえ……」

 また、つんざくような、さけび声。

 すると、その少女の顔のうしろから、もう一つの顔が、ヌーッとあらわれたかと思うと、少女をだきすくめるようにして、そのまま、おくへきえていきました。小林君は、夕やみの中に、その顔を見ました。それはお面のように、動かない顔でした。じつに、えたいの知れない、きみのわるい顔だったのです。

「あっ、あの人形みたいな顔。ひょっとしたら、デパートで人形にばけて、宝石をぬすんだやつかもしれないぞっ」

 小林君は、ハッと、それに気がついたのでした。


水が! 水が!


 二メートル四方ぐらいの、ふかい井戸の底のようなコンクリートの地下室におちこんだ井上少年とポケット小僧は、懐中電灯で、コンクリートの壁の上のほうに、直径十五センチほどの丸い穴があいているのに気づきました。

 なんだかきみのわるい穴です。空気ぬきの穴かとおもいましたが、どうもそうではなさそうです。いまに、あの穴から、なにかおそろしいものが出てくるのではないかと気が気ではありません。

 やがて、ドドドド……と、みょうな音がきこえてきました。

「あっ、そうだ。やっぱりそうだっ」

 ポケット小僧が、ひとりごとをつぶやきました。

 りこうなポケット君は、はやくも、それを察したのです。

 穴から、チョロチョロと、なにか、ながれ出してきました。はじめは、ひかった、ほそいひものように見えましたが、それが、たちまち、ふとくなり、しまいには、しぶきをたてて、まるで発射するようないきおいで、とび出してくるのです。

 水です。水がおそろしいはやさで、あふれ出しているのです。もう、せまいコンクリートの床が、すっかり水におおわれてしまいました。

「あっ、わかった。水ぜめだっ」

 ポケット小僧がさけびました。

「えっ、水ぜめって?」

「ぼくらは、水におぼれて、死んでしまうのだよ。あの穴は、ぼくらの背の倍もある。水がいっぱいになれば、おぼれてしまうよ」

「きみはおよげるかい」

 井上君が、まっさおになって、ききました。

「およげるよ。きみは?」

「ぼくのクラスで、いちばんおよぎがうまいんだよ」

 そのとき、頭の上から、大きなわらいごえが、きこえました。

「わはははは……きみたち、せいぜいおよぐんだな。だが、何時間およげるね。その水は一日や二日では、ひかないんだぜ。そんなにながくおよぎつづけられるかね。わはははは……それじゃ、あばよ」

 人形の顔をもつ怪人が、高いおとし穴の口から、そう言ったかとおもうと、パタンと、そこの戸をしめてしまいました。その戸は上のへやの床板と見わけられないようにできているので、こんなところに、おとし穴があるなんて、だれにもわからないのです。いよいよ運のつきです。

 丸い穴から、あふれ出す水のいきおいは、すこしもおとろえません。おそろしい音をたてて、おとし穴の床におち、床にたまる水は、だんだんふかくなっていきます。

 水はもう、立っているふたりの、ひざのちかくまでのぼってきました。

 まだ秋のはじめですから、つめたくてたまらないほどではありません。ふたりは、いざとなったら、およぐつもりで、上着やズボンをぬいで、その用意をはじめました。

「ぼくたち、たすかるだろうか」

 井上君が、心ぼそいこえを出しました。

「BDバッジを、だれかが見つけて、小林団長に知らせてくれるかどうかで、きまるよ。ぼくは、きっと、知らせてくれるとおもうよ。あんなにたくさん、ばらまいたんだもの」

 ポケット小僧は、井上君をはげますように、いうのでした。


警官隊


 こちらは、小林少年と、BDバッジを見つけて知らせた山村少年です。

 にせのマンホールのちかくの家を、かたっぱしから、しらべて、一軒のあやしげな家にしのびこみ、二階の窓から、小さな女の子が、たすけをもとめているのを見ました。女の子は、すぐに、なにものかに、へやのおくのほうへ、ひきもどされてしまいましたが、そのひきもどした男の顔が、人形のように見えたのです。

「あいつは、新聞でさわがれている人形怪人かもしれないぞ」

 小林少年は、そうおもいましたが、夕ぐれのくらい光で、ちらっと見たばかりですから、もっとたしかめてみなければなりません。

「こんなときの用意に、いいものをもってきたよ」

 小林君は、そうささやいて、胸のボタンをはずすと、その中にかくしていた、大きなうすべったいものを、とりだしました。それは四十センチ四方ほどの四角なボール紙でした。そのかたがわに、まっくろにすみがぬってあります。そして、まんなかに直径一センチぐらいの、小さな穴があいているのです。

「それなんです?」

 山村君が、ふしぎそうな顔をして、たずねました。

「これは、のぞき板っていうんだよ。七つ道具には、はいっていないけれども、夜の探偵には、役にたつときがある。ぼくが発明したんだ」

「どうやって使うの?」

「いまにわかるから、見ててごらん。ほうら、一階のまどにあかりがついた。外はすっかり夜だからね」

 小林君は、そういいながら、あかるくなった窓のほうへちかづいていきました。見つかっては、たいへんですから、五、六メートルへだたったところから、中をのぞいてみますと、そこはげんかんのホールというような、ひろいへやで、てすりのついた階段が見えています。

「ここがいい、いまに、だれか、あの階段をおりてくるかもしれないからね」

 小林君はそうささやいて、のぞき板のボール紙を、黒いほうをむこうにむけて、顔にあてました。すると、顔はすっかりかくれてしまいます。そして、あの小さな穴に目をくっつけて、むこうを見るのです。

「きみは、とおくにいたまえ。ぼくひとりで、のぞくからね」

 そういって、窓にちかよると、窓わくの右下のすみに、のぞき板をくっつけるようにして、じっと中をのぞきました。黒くぬったボール紙ですから、中から見ると、まっくらな庭と、見わけがつきません。まさか、そんなボール紙を顔にあてて、のぞいているなんて、おもいもよらず、うっかり見のがしてしまいます。小林少年は、うまいことを考えついたものです。

 しんぼうづよく、そうして待っていますと、しばらくして、二階からひとりの男がおりてきました。さっきのやつにちがいありません。ああ、やっぱりそうです。そいつの顔はお能の面のようにうごかないのです。人形の顔です。

 その男は、小林君がのぞき板でのぞいているのを、すこしも気づかないで、階段をおりると、ろうかをむこうへまがっていってしまいました。小林君は、窓ぎわをはなれて、山村少年のそばによると、ささやきごえでいいました。

「やっぱりそうだった。ここは人形怪人のすみかにちがいない。あのマンホールは、この家に通じているんだ。そして井上君とポケット小僧は、この家のどこかに、とじこめられているのかもしれない。そればかりじゃない。さっき、たすけをもとめた小さい女の子もいる。明智先生に電話をかけよう。そして、警視庁の中村警部にれんらくしてもらうんだ」

 そこで、二少年は、あやしいやしきを、ぬけ出し、ちかくの町の公衆電話にかけつけて、明智探偵事務所に電話をかけました。

 人形怪人の家から百メートルほどはなれた町角で、待っていますと、五分ほどして、二台のパトロール・カーが、やってきました。警視庁の本部から無電の命令をうけて、ちかくの町から、かけつけたというのです。話しているところへ、また一台、また一台、つごう四台のパト・カーがあつまったのです。そして十一人のおまわりさんが、車をおりると、人形怪人のやしきへちかづいていきました。

「中村警部も明智探偵といっしょに、あとからこられるそうです」

 おまわりさんのひとりが、小林君にいいました。警官隊は表門、裏口、庭の中と、わかれわかれになって、ぐるっと、あやしい家をとりかこみました。そして、中村警部たちが来るのを待つことになったのです。

     ×     ×     ×     ×

 そのとき、おとし穴の中の井上少年とポケット小僧は、だきあって水の中にたちすくんでいました。

 上の丸い穴からたきのようにながれおちる水は、すこしもいきおいがおとろえず、地下室にたまった水は、もうふたりの腰のへんまできていました。そして、その水面が、ジリリジリリとあがってくるのです。

 ああ、もう、おなかまでのぼってきました。外には警官隊が、なにもしないで待っています。明智探偵と中村警部は、いつやってくるのでしょうか。早く、早く。早くしないと間にあいません。早くしないと井上君とポケット小僧が、おぼれてしまうではありませんか。


口まで水が


 井上君とポケット小僧は、まっくらな、井戸の底のような、コンクリートの地下室に、水につかって立っていました。上の穴からは、どうどうと、たきのように、水がながれつづけています。それがせまい地下室にたまって、もう腹のへんまで、つかっているのです。水はグングンましています。もう胸のへんまできました。井上君は胸のへんですが、からだの小さいポケット小僧は、首まで水につかっているのです。ふたりは、さっきぬいだ上着とズボンを小さくたたんで、頭の上にのせて、あごから、細引きでしばりました。懐中電燈も、いつでもとりだせるように、細引きのあいだにさしこみました。

 少年探偵団員は、日ごろから、長い細引きを、腰にまきつけて、用意しています。なにか冒険をやるときには、きっと細引きがいりようだからです。服を頭の上にくくりつけたのは、その細引きでした。

「井上さん、もうぼくは立っていられないよ」

 ポケット小僧が、かなしそうな声を出しました。

「ああ、きみは、背がひくいからね。水はどこまできた?」

 くらやみの中で井上君がたずねます。

「あごまできたよ。もうじき、口までくるよ。そうすると、ものも言えないし、いきもできなくなるよ」

「じゃあ、およぐんだよ。ぼくのからだにつかまってれば、らくだからね。さあ」

 そういって、井上君は両手をさし出しました。ポケット小僧は、手さぐりで、それにつかまり、足をはなして、水にうきながら、井上君のからだに、だきつきました。

「うん、そうしてればいい。らくに浮いてるんだよ。いつまでおよいでいなければならないか、わからないのだからね。ぼくも、いまに、およぐよ」

 そのうちに、水は井上君の首まで、のぼってきました。

「たすけにきてくれるだろうか」

 ポケット小僧が、こころぼそい声でいいました。

「きっとくるよ。こういうときには、あくまで、がんばるんだ。そうすれば、きっと運がひらけてくるよ」

 井上君は、けなげに、こたえました。

「あっ、いけない。水が口まできた。もう、ものが言えない。ぼくもおよぐよ。からだをくっつけて、浮いていようね」

 井上君も、からだを浮かせました。さむいという気候ではありませんが、やっぱり水の中はつめたいのです。いつまで、このつめたさを、がまんできるのでしょうか。


人形のへや


 小林少年たちが見つけた、あやしい家には、明智探偵と中村警部が、五人の制服警官をつれて、かけつけていました。まえにきていた十一人のパト・カーの警官とあわせて、警官のかずは十六人です。小林君から、くわしい話をきくと、すぐに家の中へ、ふみこむことになり、明智探偵と中村警部と小林少年のほかに、八人の警官がつづきました。

 のこる八人の警官は、家の表と裏に立ちばんをすることになりましたが、そのうちの三人は、そとのマンホールを見はるのです。怪人がそこからにげだすのを、ふせぐためです。

 げんかんの戸は、なんなくひらきました。家の中はまっくらで、ガランとしていて、まるであきやのようです。みんなはスイッチをおして電燈をつけながら、へやからへやと、しらべてまわりました。しかし、どこにも人かげはありません。

 ひとつだけ、みょうなへやがありました。どのへやもあきやのように、からっぽなのに、そのへやだけは、いっぱいものがおいてあるのです。

「や、これはどうだ。よくもこんなにあつめたな」

 中村警部が、びっくりしたような声をたてました。

 それは人形のへやでした。洋服屋のショー・ウィンドーにあるような、男や女や子どものマネキンが、おもいおもいの衣しょうをつけて、二十個ぐらいも立ちならんでいるのです。人形怪人といわれるだけあって、人形をあつめるのが道楽どうらくなのかもしれません。

 一方には、ガラスばりの陳列ちんれつだなのようなものが、おいてあって、その中に、いろいろな宝石や金銀のかざりものが、ピカピカと光っています。人形怪人が、ぬすみためたものでしょう。

「あっ、あの人形、うごきましたよ」

 小林君が、いちはやくそれに気づいてさけびました。

 すそのひらいた洋服をきた、かわいらしい少女人形が、りっぱなせびろをきた紳士人形に、つかまえられて、身もだえしているのです。たしかにうごいているのです。

「ははははははは、人形にばけるとは、うまいかくればしょだったね。しかし、もうだめだよ。そのお面をぬいで、こちらへ出てきたまえ。きみがつかまえているのは、野村みち子ちゃんじゃないかね」

 明智探偵がわらいながらいいますと、紳士人形は、あきらめたように、顔につけていたお面をとって、こちらへ出てきました。

「しかたがねえ。こいつが、にげだそうとするものだから、つい、うごいてしまった。おい、おめえもお面をとるがいい」

 すると、人形の中から、もうひとり、モーニングをきた男が、お面をとって、おずおずと出てきました。人形にばけていたのは、このふたりの男と少女だけで、あとは、ほんとうの人形でした。中村警部が、ひとつひとつさわってあるいて、たしかめたのです。

「あんた、野村みち子ちゃんだね」

 明智探偵が、少女の手をとって、たずねますと、少女はうなずいてみせました。

「こいつらは、あんたのおとうさんをおどかしていたんだよ。わたしは、おとうさんから、そうだんをうけたので、よく知っている。それで、あんたをたすけにきたんだよ」

 こうして、野村みち子ちゃんは、ぶじにたすけ出されました。また、怪人がぬすみためた宝石なども、とりかえすことができたのです。

「きみたちふたりのうち、デパートで宝石をぬすんだのは、どちらだね」明智探偵は、ふたりの男をにらみつけて、たずねますと、せびろの男が、にくにくしげに、こたえました。

「おれたちは、なんにも知らねえ。ただのやといにんだよ。首領しゅりょうはとっくに、にげてしまった。おまえさんがたにつかまりっこはねえよ」

 うそをいっているようにもみえません。ふたりとも、あまりりこうそうな顔でもありませんから、これがあのすばしっこい怪盗とは、考えられないのです。しかし、もしにげたとすれば、見はりの警官につかまるはずです。まだそんな知らせがないところをみると、どこか家の中に、かくれているのではないでしょうか。


かすかな足音


 地下室の水の中では、井上君とポケット小僧が、もう一時間もおよいでいました。およぐといっても、ふつうにおよぐわけではなく、両手でコンクリートの壁にすがって、身を浮かせていればいいのですが、じっとしていては、しずんでしまうので、ときどき、足をうごかさなければなりません。

 つめたさに、からだがしびれたようになって、いまにも気をうしないそうです。

「おやっ……、井上さん、聞こえるかい」

 とつぜん、ポケット小僧が、はずんだ声でいいました。

「なにが?」

「ほら、足音だよ。上をだれかがあるいているよ。ひとりじゃない。おおぜいの足音だ」

「あっ、そうだね。BDバッジがとどいて、ぼくらをたすけにきてくれたのじゃないかしら」

「うん、きっとそうだよ」

 まっくらな水の中のふたりはうれしそうに、ことばをかわしましたが、やがて、足音はだんだんとおざかっていって、またもとの、シーンとしたしずかさに、もどってしまいました。

「おうい、ぼくたちここにいるよう。たすけてえ……」

 ポケット小僧が、死にものぐるいの声を、はりあげました。

 しかし、みんなは、とおくへ行ってしまったらしく、なんの手ごたえもありません。


地底の声


 明智探偵と、小林少年と、中村警部と、おおぜいのおまわりさんの力で、怪人の家にとじこめられていた、野村みち子ちゃんは助け出されました。これで、もう怪人はみち子ちゃんのおとうさんを、おどかして、宝石を手に入れることはできなくなったわけです。怪人の家の一室には、ぬすみためた宝石や、金銀の美術品が、たくさん置いてありました。これも、すっかりとりもどしましたから、すぐに、もとの持ち主にかえせるわけです。ところが、怪人がどこへかくれたのか、まだ見つかりません。手下が、ふたりつかまりましたが、怪人のかくれ場所は、このふたりも知らないというのです。それから、井上君とポケット小僧を、助け出さなければなりません。この少年たちが、どこにかくされているかも、まだすこしもわからないのです。そこで、またしても、さがしがはじまりました。いく組にもわかれて、あちこちのへやをさがすのです。明智探偵と、小林少年と、三人のおまわりさんが、懐中電燈をつけて、一階のへやからへやをまわっていました。

「あっ、なんだか、かすかな声がしましたね」小林少年が、すばやく、それを聞きつけて、明智探偵の顔を見ました。たしかに、聞こえます。かすかに、かすかに、

「助けてくれえ……、ぼくら、ここにいるんだよう……」

 小林君は、なにを思ったのか、いきなり床に身をふせて、床板に耳をつけました。

 その声は床の下からくるように感じられたからです。

「ぼく井上だよう……」

「ぼくポケット小僧だよう……」

「水の中にいるんだよう。死んじまうよう……」

 ほそい声が、はっきりと聞こえました。

「先生、井上君と、ポケット小僧です。水ぜめにあっているらしいのです」

 しかし、そこへ行く道がわかりません。

「この床板を破りましょうか」警官のひとりが、どなりました。

「いや、待ってください。破るのには時間がかかる。もっといい方法があるかもしれません」

 そのへやのまん中に、大きな机と、りっぱないすが置いてありました。そのほかには、なんの道具もないのです。小林君は、いきなり、懐中電燈を持って、その大机の下へ、もぐりこみました。いままでの、たびたびのけいけんで、床のおとし穴を開くボタンが、机の板の下がわに、ついているかもしれないと思ったからです。

「あっ、あったぞっ……」

 机の色と同じで、ちょっと見たのではわからないような、小さなポッチが見つかったのです。小林君はグッとそれを押しました。


もうだめだ


 そのとき、地底の水の中では、井上君とポケット小僧が、おたがいのからだをだきあって、ブクブクと、しずみかけていました。さっき死にものぐるいの声で、どなったので、もう、最後の力がつきてしまったのです。手も足もしびれてしまって、もう水に浮いていることができません。

「井上さん、苦しい。助けて」

 ポケット小僧が、井上君にしがみついてきました。

「あっ、いけない。しっかりするんだっ」

 しがみつかれたので、井上君もしずみそうになりました。このまま、ふたりが、だきあって、しずんでしまえば、もうおしまいです。なんとしても、がんばらなければ……。

 井上君は、いきなり、ポケット小僧のよこっつらを、ピシャッと、たたきつけました。むろん元気づけるためです。たたかれたポケット君は、ニヤニヤとわらいました。もう気がとおくなりかけて、ゆめみごこちなのです。

 そして、またしても、井上君のからだに、しがみついてきました。

「あっ、いけない。それじゃ、ぼくもしずんでしまうよ」

 しかし、ポケット君には、もうなにも聞こえません。井上君は、コンクリートの壁に手をあてて、がんばりました。でも、つかれきっているので、ズルッ、ズルッと、手がすべって、からだが水の中へ、しずんでいきます。口を水から出しているのが、やっとでした。あっ、いけない。口のすみから、ドッと水が、ながれこんできました。ポケット小僧のおもみで、下へ下へと、引っぱられるからです。

「ああ、もう、だめだっ……」井上君は、水にむせながら、最後の悲鳴をあげました。そして、だきあったふたりは、グングン水の底へ、しずんでいくのです。


なわばしご


 パタンと音がして、へやの床板が二つにわれました。小林少年のおしたボタンがはたらいて、おとし穴の口が開いたのです。そこへ、はらばいになって、懐中電燈を、さしつけてみると、ふたりの少年が、いま、ゴボゴボとしずんでいくところでした。いつも腰にまきつけているナイロンのなわばしごには、細いナイロンのひもに、三十センチおきに、足がかりの玉がついています。それに足のゆびをかけて、おりたり、のぼったりするのです。少年探偵団の七つ道具とはべつに、おもな団員が持っている、たいせつな道具です。

 小林君は、そのなわばしごのはしを、ふたりのおまわりさんに、にぎっていてもらって、スルスルと、つたいおりていきました。

「井上君、ポケット君、助けにきたぞっ。しっかりするんだっ」

 しかし、返事はありません。ふたりとも、気をうしなっているのです。スーッと、水の底へしずんでいくのです。

 小林君は、服のまま、水の中へとびこみました。そして、まずポケット小僧のからだに、なわばしごのはしを、まきつけて、しっかりくくってから、合図をしました。

 すると、上のおまわりさんが、力を合わせて、これを、引っぱりあげてくれるのです。小林君はそのあいだ、水の中をおよいでいました。

 そして、つぎには井上君を助け、最後に小林君は、なわばしごを、つたって、もとのへやにかえりました。

 こうして、井上君とポケット小僧は、すくわれたのです。みんなのかいほうをうけて、やがて正気にかえりました。


怪人のゆくえ


 しかし、人形怪人のほうは、まだ見つかりません。そとには、見はりのおまわりさんがいるのですから、逃げだすことはできません。家の中にいるにちがいないのです。

 小林少年は、井上君が、すこし元気づくのを待って、たずねてみました。

「人形怪人が、どこにかくれているか、きみには、わからないかい?」

「地下道はさがしたの?」

「地下道って?」

「マンホールへ出る地下道だよ。あすこはいりくんでいるから、いいかくれ場所だよ」

「よし、それじゃ、そこをさがそう」

 小林少年が、そのことをつたえますと、中村警部が十人ほどのおまわりさんをつれて、地下道へ、ふみこんでいくことになりました。あのきみのわるいじいさんのいたへやも、へびがウジャウジャいたへやも、みんなこの地下道の中です。そのほかにも、小さいへやがいくつもあって、まるで迷路のようになっているのです。

 おまわりさんたちは、てんでに、懐中電燈をてらして、その地下道へのりこんでいきました。

「あっ、あやしいやつがいたぞっ」

 さきにたったおまわりさんが、さけびながら、ひとつの小べやへ、とびこんでいきました。

「それっ」というので、みんなが、そこへはいってみますと、あっ、だれもいません。さっきのおまわりさんはどこへ行ったのでしょう。迷路ですから、方々に出入口があるので、さがすのもたいへんです。

「わはははは……」

 どこからか、人をばかにしたような、わらい声がひびいてきました。


しばられた怪人


 怪人のすみかから、へいの外のマンホールへ続いている、ひみつの地下道へ、中村警部と十人のおまわりさんが、ふみこんでいきました。宝石どろぼうの怪人が、地下道へかくれたらしいというので、それをとらえるためです。

 おまわりさんたちは、手に手に懐中電燈をもっていましたけれども、曲がりくねった地下道ぜんたいを、てらすことはできません。すみずみに、くらやみがあって、なにものが、かくれているかもしれないのです。

 そのうちに、ひとりのおまわりさんが、「あっ、あやしいやつがいる」とさけんで、どこかへ、かけだしていきました。

 みんなは、そのあとを追いましたが、小べやのいくつもある地下道ですから、どこへはいっていったのか、なかなか見つかりません。あっちへいったり、こっちへいったり、まごまごしているうちに、時間がたっていきました。

「おうい、みんなきてくれ。とうとう、つかまえたぞう」

 とおくのほうから、さっきのおまわりさんのどなりごえが、きこえてきました。

「それっ」というので、みんなは、そのほうへ、かけだしました。

 さきにたったおまわりさんが、そこへ懐中電燈をむけました。

 まるい光のなかに、人形のようなぶきみな顔の男が、おまわりさんと、とっくみあっているすがたが、てらしだされました。

「あっ、あいつだっ。みんな、かかれっ」

 中村警部がどなりました。

 すると、四、五人のおまわりさんが、かさなるようにして、怪人にとびつき、そこへ、くみふせてしまいました。

 カチンという音がして、怪人の両手に手じょうが、かけられました。

「手じょうだけでは、あんしんできない。細引きで、しばりあげるんだ」

 警部のさしずにしたがって、しばろうとしましたが、怪人は、きちがいのように、手足をバタバタやって、なにかさけんでいます。しかし、おまわりさんのほうは、おおぜいですから、とても、かなうものではありません。やがて怪人は、手も足も、グルグルまきにしばられて、身うごきもできなくなってしまいました。

 それでも、まだ、なにかわめいています。

「ちがう。ちがうったら。お面をとってくれ。このお面をとってくれっ」

 やっと、怪人のいっていることがきこえました。「ちがう」とは、なにがちがうのでしょうか。


マンホールから


 お話かわって、こちらは、へいの外のマンホールのそばです。

 そこには、ふたりのおまわりさんが、しゃがんで、見はりばんをしていました。もし、怪人がここからにげようとしたら、つかまえるためです。

「おい、マンホールのふたが動いたようだぜ」

 ひとりのおまわりさんが、ささやくようにいいました。

「あっ、そうだ。動いている。あいつは、ここからにげるつもりだなっ」

 ふたりのおまわりさんは、マンホールのふたが開いて、怪人が頭を出したら、すぐに、とっつかまえてやろうと、身がまえをしました。鉄のふたは、ジリッ、ジリッと動いて、すきまがだんだん大きくなっていきます。

 そのすきまから、声がきこえてきました。

「だれかいませんか。てつだってください、ひとりでは重いですよ」

 なんだかへんです。怪人ならば、おまわりさんに、てつだってくれなんて、いうはずはありません。

 ふたりは、鉄のふたに手をかけて、横にずらしました。そして、中をのぞくようにして、どなりました。

「だれだっ、そこにいるのは」すると、中から、

「ぼくだよ。ぼくだよ」

といって、ぬっと、顔を出したのを見ると、その頭には、おまわりさんのぼうしをかぶっていました。怪人ではなくて、なかまのおまわりさんだったのです。

 やがて、ふたをぜんぶ開いて、おまわりさんが、はいだしてきました。

「怪人は、いま、このむこうの地下道で、つかまりました。もう、だいじょうぶです。ぼくは中村警部さんの用事で、ちょっと、そこまで出かけます」

 そういって、いきなり、かけだしていきました。

「つかまったら、もう見はりにもおよばないな」

「いや、いちど、つかまっても、またにげだすことだってある。やっぱり、ゆだんをしないで、見はっていよう」

 ふたりのおまわりさんは、もとのように、そこに、しゃがんで見はりをつづけるのでした。


お面をとれば


 ここでまた、地下道にもどります。

 手足をしばられて、ころがされた怪人は、へんなことを、どなりつづけています。

「ばかやろう。さっきから、あんなにいっているのが、きこえないのかっ。このお面をとってくれ。そうすれば、すっかりわかるんだ。はやく、とってくれ」

 怪人は、ぴったりと、顔にくっついた、ビニールのお面をかぶっていたのです。怪人の顔が、いつも、人形のように見えたのは、そのためでした。

 お面とわかれば、とれといわれなくても、とって、すがおを見なければなりません。

 中村警部は、ころがっている怪人の上に、かがみこんで、ビニールのお面を、かわをむくように、とりさりました。

「あっ、きみは……」

 警部が、びっくりして、さけんだのです。

 お面の下から、あらわれたのは、警部がつれてきた、部下のおまわりさんの顔だったからです。

「わたしです。まんまとしてやられました。さっきから、あれほど、どなっているのに、だれもきいてくれないものだから……」お面をはがれたおまわりさんが、ざんねんそうにいうのです。

 中村警部には、すぐに、事のしだいが、わかりました。

 怪人はこの警官を、地下道の小べやに、ひっぱりこんで、じぶんの服を着せ、お面をかぶせ、じぶんは警官の服を着て、とっくみあいながら、「怪人をつかまえた」といって、みんなを、よんだのです。そしてみんなが、怪人の服とお面をつけた警官に、とびかかっているすきに、その場をにげだしてしまったのです。

「そうだっ。マンホールから、にげたかもしれないぞっ」

 警部は、そこへ気がつきました。そばにいたおまわりさんを、ふたりつれて、すぐに、マンホールへ、いってみました。マンホールの鉄のふたは、開いたままです。

 中村警部は、そこから、はい上がって、見はりのおまわりさんに、声をかけました。

「いま、ここから、警官がひとり、出ていかなかったかね」

「出ていきました。中村警部さんのいいつけだといっていました」

「きみたちの知らない顔だったね」

「はい、わたしたちはパトロール・カーのものですが、出ていったのは警部さんといっしょにきた人で、顔見知りではありません」

 そこから、まちがいがおこったのです。もし、同じ部の警官ばかりが、きていたら、怪人のばけたおまわりさんは、すぐに見やぶられたにちがいありません。

「その警官が、宝石どろぼうの怪人だったのさ」

 中村警部が、がっかりしたように、つぶやきました。

「えっ、あれが怪人ですって。じゃあ、どうして警官の服を着ていたのです」

「それはね、こういうわけなんだ。うまい手だよ」

 警部は、事のしだいを話してきかせました。それを聞くと、見はりのおまわりさんは、じだんだふんで、くやしがりましたが、もうあとのまつりです。


葬儀そうぎ自動車


 人形怪人は、おまわりさんにばけて、マンホールから、にげだしてしまいましたが、それより、すこしまえのことです。

 中村警部が、怪人をさがすために、おおぜいの警官をつれて、地下道へはいっていったとき、あとにのこった明智探偵と小林少年は、へやのすみへいって、なにかひそひそと、そうだんをしていました。

「ぼくは、野村さんのうちへ、みち子ちゃんを送っていく。そして、そこに、しばらくいるつもりだ。もしも、ということがあるからね。車は中村君のをかりることにするから、きみはアケチ一号を使うがいい。ぬかりなくやるんだよ」

「ええ、わかりました。もし、あいつが、いつもの魔法をつかって、逃げだしでもしたら、けっして見のがしません」

 そして、ふたりは右ひだりにわかれて、それぞれの自動車へ急いだのですが、このふしぎな会話は、いったい、なにを意味していたのでしょう。それは、まもなく、わかるときがくるのです。

 さて、お話はもとにもどって、マンホールから、逃げだした人形怪人です。

 警官の服をきて、みんなをごまかしたことは、じきわかるのですから、いつまでも警官服を着たままで、歩いているわけにはいきません。非常線でもはられたら、いっぺんに、つかまってしまいます。

 警官服の怪人は、さびしいやしき町を、いそぎあしで歩いていきます。かどをまがりました。すこし広い町です。むこうに、一台の葬儀自動車がとまっています。怪人は、そのりっぱな葬儀車のほうへ、ちかづいていくのです。

 怪人の百メートルほどうしろから、一台の自家用車が、ノロノロと、あとをつけるように進んでいました。その車は、色もかたちも、アケチ一号にそっくりでした。

 怪人は、あやしい自動車に尾行されているなどとは、すこしも知らず、葬儀自動車のそばによると、いきなり、そのうしろのとびらをひらいて、中へとびこみ、また、ピッシャリと戸をしめてしまいました。

 葬儀車の中には、あかあかと電燈がついていました。まんなかに、大きな箱が置いてありましたが、棺桶かんおけではありません。怪人はそのふたを開きました。

 中には、いろいろな服や、着物や、かつらや、つけひげや、化粧道具などが、いっぱいはいっています。怪人の変装箱なのです。

 ああ、なんという、きばつなおもいつきなのでしょう。これは怪人の変装用自動車だったのです。そとから見れば、ふつうの葬儀車ですから、だれもうたがいません。それに、窓がありませんから、中でなにをしていても、外からはわからないのです。

 変装箱のむこうに、鏡がかかっています。怪人は、その鏡にむかって、これから変装をはじめるのです。

「よし、出発してくれ。ゆっくり走るんだ。ゆくさきは、練馬区、知っているだろう。みち子のおやじのうちだ。野村家だよ」

 怪人は、運転席の部下にめいれいすると、箱の中から一枚の写真をとりだし、それを見ながら、変装にとりかかりました。

 その写真は、どうして手にいれたのか、中村警部の半身像でした。せびろすがたです。怪人は、化粧筆をとって、いろいろな絵の具をまぜあわせながら、自分の顔をいろどっていくのです。

 じつに名人です。たちまち、顔がかわってきました。いままでの怪人の顔は消えうせて、まったくべつの顔ができあがったのです。それは、中村警部とそっくりの顔でした。

 それから、写真のせびろと似たような服を箱の中からとり出して、それを見につけました。

「うふふふふ、よくできたぞ。こんなら、ちょっと見たのじゃ、わからない。だいじょうぶ、ごまかせる。これで、野村家へのりこむんだ。そして、くれないの宝冠を手にいれるのだ。なんと、ぬけめのない、かんがえじゃないか。みんなおれのすみかへ、集まっている。警察も、明智探偵も、少年探偵のチンピラどもも、あすこへ集まって、野村家はからっぽだ。そのすきをめがけて、宝冠をちょうだいにあがるのだ。うふふふ……

 そのうえ、中村警部にばけて、先生をあっといわせるのだからな。われながら、すばらしいおもいつきだよ……おい、もういいから、とばしてくれ。何分あれば先方につく?

 なに五分。そうか、もうそんなに来ていたのか。よし、よし、ともかく、いそいでくれ」


やみの中の口笛


 やがて、葬儀車は、野村さんのやしきのそばにつきました。

 怪人は百メートルほどてまえで、車を止めさせると、まず、うしろのとびらを、すこし開いて、あたりに人のいないことをたしかめてから、いきなりパッと、そとへとびだし、そのまま、野村さんの門のほうへ急ぐのでした。

 ところが、そのとき車をおりたのは、怪人ひとりではありません。さいぜんから、ずっと尾行をつづけていた、アケチ一号とよく似た車からも、黒い人影が、とびおりたのです。みなさんおさっしのとおり、それは小林少年でした。

「中村警部とそっくりだ。しかし、まさか中村さんが葬儀車にのっているはずはない。怪人の変装にきまっている。うまいもんだなあ」

 小林少年も変装の名人でしたが、それだけに、相手のうでまえが、よくわかるのです。

 小林少年は、ぴったりと、へいにからだをつけて、くらやみの中をすかしてみました。

 野村さんの門は、まだ開いたままです。中村警部にばけた怪人は、門をくぐって、どうどうと、げんかんのほうへ歩いていきます。

 ベルをおすと、書生しょせいがドアを開きました。

「わたしは、警視庁の中村です。みち子ちゃんは、もうかえっているでしょうね。それについて、ちょっと、ご主人に、お話ししたいことがあるのですが」

 書生は、いちどおくへはいって、すぐにもどってきました。そして「どうぞ、こちらへ」といって、応接室へ案内するのでした。

 小林少年は、怪人がドアの中へ消えるのを見さだめてから、ソッと門内へすべりこみました。

 門からげんかんまでは五十メートルもあって、たくさんの木がうえてあります。小林少年は、腰をかがめ、その木のあいだをぬうようにして、裏口とのさかいにちかづきました。そして、やみの中に身をひそめながら、口笛をふきました。西洋の民謡のひとふしらしく、ヒュー、ヒュー、ヒューッと、なんだかものさびしいメロディです。おなじふしを、二、三ど、くりかえしていると、裏庭とのさかいの戸が、音もなくスーッと開いて、黒い人影があらわれました。

 小林少年は、そのほうへ、近づいていきます。大きいのと、小さいのと、ふたつの影が、かさなりあうように見えました。

 なにかひそひそと、ささやいています。

「あいつは、中村警部にばけています。そして、げんかんから、どうどうとのりこみました。気をつけてください。おそろしく変装のうまいやつです」

 小林少年のそんなことばが、とぎれとぎれに聞こえてきました。

「ふーん、さすがにあいつだな。相手にとって、不足はない。いまに、とっちめてやるから、見ているがいい」

 なんだか、聞いたような声です。

 しかし、まっくらで、顔が見えないので、たしかめることができません。

 読者のみなさんは、もうとっくに、おわかりですね。その人は、小林少年と話しおわると、また戸をあけて、裏庭のほうへ、はいっていきます。

 小林少年も、そのあとにしたがいました。


にん二役


 中村警部にばけた怪人は、応接室にはいると、いちどは、いすにこしかけましたが、あんないした書生が「ちょっと、お待ちください」といって、出ていってしまうと、なにを思ったのか、すっと立ちあがって、ろうかへ出ていきました。

 そして、うすぐらいろうかのすみに、身をかくすと、ポケットから、ぐにゃぐにゃしたビニールの仮面をとりだして、あたまから、すっぽりとかぶりました。れいの人形仮面です。

 それから、せびろの上着をぬぐと、くるっと、うらがえしにして、また、それを着ました。うらも、おもてと同じように、できている、変装用の上着なのです。しかも、そのうらがわは、赤のひといろ、まるで道化師のようなまっかな上着でした。

 そこへ、ろうかのむこうから、この家の主人の野村さんが、和服すがたでゆったりと、歩いてきました。みち子ちゃんが、とりもどせたので、すっかり安心しているのです。

 それをみると、人形怪人は、ろうかのすみから野村さんの前に、ぬーっと、まっかなすがたを、あらわしました。

「あっ、きみはだれだっ」

 野村さんが、びっくりして、どなりつけました。

「世間では、おれのことを人形怪人といっている。いうまでもなく、くれないの宝冠を、もらいにきたのだ」

 たしかに人形の顔をもった怪物です。野村さんは、そいつが、はやくも、この家にあらわれた、すばやさに、おどろいてしまいました。

「中村さん、くせものです。はやくきてください」

 すぐよこの応接室にいるはずの中村警部に、大声で、よびかけました。

 ところが、その中村警部が、じつは、にせもので、仮面をかぶって、ここへあらわれているのですから、いくらよんでも、くるはずはありません。

 怪人と野村さんとは、ろうかのまんなかで、むかいあって、つったっていました。

 じりっ、じりっと、怪人が、こちらへ近づいてきます。それにつれて、野村さんは、だんだん、あとずさりをしていくのです。

 ふたりの間に、応接室のドアがあります。やがて、怪人はそのドアのまえに、たどりつきました。

 さっと、身をひるがえして、ドアを開き、応接室の中へ、とびこんでいきました。

「やっこさん、警部さんがいるとも知らず、応接室へはいっていったぞ。いまに、ひどいめにあうだろう」

 野村さんは、そう思って、しばらく、耳をすまして、待っていましたが、なにごともおこりません。応接室の中は、しーんと、しずまりかえっています。

 野村さんは、ふしぎに思って、おずおずとドアに近づき、そっと、ドアを開いてみました。

 すると、正面のいすに、中村警部らしい、せびろの人が、こしかけているのが見えました。ほかには、だれもいません。

「中村さんですか、わたし野村です」

と、まず、あいさつをしておいて、

「いま、ここへ、あいつが、とびこんできたはずですが……」

「あいつとは、だれですか」

「人形の顔をもって、まっかな服をきたやつです。くれないの宝冠を、もらいにきたといいました」

「人形怪人ですか」

「そうです。じぶんで、そう名のりました」

「おかしいですね。ここへはだれも、はいってきませんでしたよ」

 にせの中村警部は、なにくわぬ顔で、答えました。

 そのときです。とつぜん、へやのどこかから、きみのわるい笑い声がひびいてきました。

「うふふふ……、おれはここにいるよ。魔法をつかっているから、きみたちの目には、見えないのだ。くれないの宝冠は、きっと、ちょうだいするからね」

 天井から、聞こえてくるようでもあります。ゆか下からひびいてくるようでもあります。とんと、方角がわかりませんが、へやの中にはちがいないのです。しかし、怪人のすがたは、どこにも見えません。

「その宝冠というのは、どこにおいてあるのですか」

 にせの中村警部が、たずねました。

「わたしの書斎しょさいの金庫の中です」

「そこへ行ってみましょう。あいつは魔法つかいみたいなやつですから、金庫なんか、わけなくあけるでしょう。ひょっとしたら、もうぬすまれているかもしれませんよ」

 中村警部のことばに、野村さんは青くなってしまいました。すぐ警部をあんないして書斎へ行ってみました。


金庫の中


 書斎には、だれもいません。金庫も開いたようすはありません。かんのんびらきの、でっかい金庫です。そのとびらがぴったりしまっています。

「しかし、ゆだんはなりません。いちど金庫を開いて、調べてみるほうがいいでしょう」

 にせの中村警部がいいました。野村さんに金庫を開かせて、宝冠をうばいとるつもりにちがいありません。

 そのとき、警部は、うっかり、ズボンのポケットに手をいれました。そのひょうしに上着がめくれて、まっかなうらが、ちらっと見えたのです。野村さんは、それに気がつき、ふっと、おそろしいことをかんがえました。

腹話術ふくわじゅつ……」と、ひとりごとのようにつぶやきます。

「えっ、なんですって?」

 警部が、びっくりして、野村さんの顔を見つめました。

「さっきの怪人の声は、腹話術じゃなかったでしょうか」

 野村さんが、みょうな笑いをうかべて、いいました。

「えっ、腹話術ですって? その腹話術をだれがやったというのです」

「むろん、わたしではありません」

「すると、ぼくが……」

 警部が、あきれたような顔をしてみせました。

「そうです。あなたです。あなたのほかには、だれもいなかったのです。中村さん、なぜ、こんなことをいうか、おわかりですか。あなたの上着のうらですよ。ボタンをはずして上着をひろげて見せてくれませんか」

 それをきくと、警部の手が、ぱっと、ズボンのポケットから、あがりました。その手には、ピストルがにぎられていました。

「手をあげろ。そして、そのいすに、かけるんだ。すこしでも動いたら、ピストルのたまがとびだすぞ。さあ、金庫のダイヤルの暗号をいうんだ」

 にせ警部は、とうとう正体をあらわしました。そしてピストルのさきで、野村さんの胸を、コツコツたたきながら、ダイヤルの暗号をいえとせまるのです。野村さんはしかたがないので、暗号文字をこたえました。それはミチコというのでした。かわいいみち子ちゃんの名をとったものです。にせ警部は、ピストルを、いつでもとりだせるように、上着のポケットにいれると、金庫の前にしゃがんで、ゆっくりダイヤルをまわすのでした。まわすたびに、カチッ、カチッと、てごたえがあって、金庫のじょうがはずれました。おもい鉄のとびらが音もなく開きます。

 五センチ、十センチ、二十センチ、開きながら、にせ警部は、金庫をのぞきこみました。中はとびらのかげになっているので、はじめは、よくわかりませんでしたが、やがて、そのへんてこなものがはっきり見えてきました。

 にせ警部は、それを見ると、「あっ」とさけんで、つったちあがり、タジタジと、あとずさりをしました。さすがの怪人も、これにはどぎもをぬかれたのです。


ピストルの名人


「き、きさま、なにものだっ」

 怪人がどなりつけました。その大きなものは人間だったからです。

 金庫の中から、小林少年のニコニコ顔があらわれました。

「ぼくは明智探偵の助手の小林だよ。ぼくは、きみのあとをつけたのさ。葬儀車の中で変装したことも、ちゃんと知っている。そこで、さきまわりをして、金庫の中にかくれて、きみを待っていたのだよ。

 きみは中村警部じゃない。人形怪人だ。もうこのへやから、逃げだすことはできないよ」

「ウーン、またしても、チンピラめが、じゃまをしやがったなっ」

 中村警部に、ばけた怪人は、まっかになって、くやしがりました。そして、手ばやくポケットから、ピストルをとりだすと、ピッタリと、小林君の胸に、ねらいをつけました。

「手をあげるんだ。へんなまねをすると、ぶっぱなすぞっ。そのままじっとしているんだ。きょうは、ひとまずひきあげる。じゃまするやつは、だれであろうと、ようしゃはしない。ピストルのたまがおみまいするのだ。いいか」

 怪人はピストルをかまえながら、ジリッ、ジリッと、あとずさりをはじめました。

 そのときです。入口のドアがサッと開きました。そして、シューッという、はげしいおと。怪人の手から、ピストルが宙にはねあがり、床にころがりました。

 怪人がびっくりしてふりむきますと、明智探偵がニッコリわらって、立っていました。手には小がたのピストルをかまえています。

 明智のうったピストルのたまが、怪人のピストルにあたって、宙にはねあがったのです。

 たいしたうでまえです。怪人の手をすこしもきずつけないで、ピストルだけを、うちおとしたのです。めったにピストルなんかつかわないのですが、いざつかうとなれば、明智はこれほどの名人でした。

「こんどは、きみが手をあげるばんだよ。でないと、こいつが、きみの心臓のまんなかをぬくからね。もうすこし、ぼくのうでまえを、お目にかけようか」

 むこうの柱に、大きなカレンダーがかかっていました。それに、美しい女の人が、トランプのカードを持っている絵が印刷してあります。カードはハートの5でした。

「いいかい。あのカードの五つのハートを、射ぬいてみせるよ」

 ピストルが、かまえられました。五つの赤いハートに、つぎつぎと、穴があいていきました。ひとつもそれだまはなく、五つとも完全に命中したのです。


明智先生バンザーイ


「小林君、そいつのピストルを、よく調べてごらん、たまがはいっているかね」

 明智探偵が、みょうなことをいいました。

 小林少年は、床におちているピストルを、ひろいあげて、調べていましたが、おどろいたように明智先生の顔を見ました。

「たまははいっていません。このピストルはおもちゃです」

「やっぱり、そうだったか。ぼくの思ったとおりだ。おい、人形怪人君、きみは血を見るのがきらいなんだね。だから、ほんとうのピストルは、持たないことにしているんだね」

 明智探偵が、いみありげなわらいをうかべて、怪人の顔を見ました。

 怪人はそれを聞くと、ギョッとしたように、明智の目を見かえしましたが、そのまま、だまりこんでいます。

「きみは変装の名人だ。小林君に聞くと、葬儀車の中で変装したそうだが、それを聞いていなければ、ぼくでもだまされるところだったよ。それほど中村警部にそっくりなんだ。

 じつにうまい変装だ。こんなに変装のうまいやつは、日本にふたりといないはずだ。しかも、そいつは、おもちゃのピストルをつかった。血を見るのがきらいなんだ。どんなわるいことでもするが、人ごろしだけは、ぜったいにしないという大どろぼう。それもめずらしいね。おそらく、日本にただひとりかもしれない。

 ハハハ……、こんどは人形怪人とおいでなすったね。とほうもないことを考え、世間をびっくりさせて、よろこんでいる。そんなすいきょうなどろぼうは、ほかにいないよ。ねえ、二十面相君」

 それを聞くと、へやの中は、シーンとしずまりかえってしまいました。野村さんも、小林少年もあっけにとられて、身うごきもせず、明智探偵の顔を、見つめているのです。

 ああ、怪人二十面相、名探偵明智小五郎の好敵手こうてきしゅ、怪人二十面相。人形怪人が、あの二十面相だったとは。そのとき、シーンとしずまりかえったへやの中に、わらいごえが、ひびきわたりました。

「ワハハハハ……、明智君、しばらくだったなあ。いかにも、おれは二十面相だよ。そうでないといったって、君がしょうちするはずはない。君のことだから、おれの部下から、おれの正体をきき出しているにちがいない。だが、おれはまだ、きみにつかまるとはいっていないよ。きみはピストルをもっているが、それでおれをうつ気はない。血を見るのがきらいなのは、おれとおなじことだからね。さあ、そこをどきたまえ、おれはここからたちさるのだっ」

 二十面相は、明智をつきのけるようにして、ドアのほうへすすみました。そして、へやをとびだそうとしたのですが、なにを見たのか、ギョッとして、たじたじと、あとずさりをしました。

 ドアのそとから、ふたりの警官が、ヌーッと、はいってきました。ふたりとも、見あげるような大男です。

 このふたりは、明智が野村みち子ちゃんを、ここへおくりとどけるおりに、いっしょについてきた警官でした。いざというときに、あらわれるために、明智のさしずで、ろうかにまちかまえていたのです。

 それから恐ろしい、とっくみあいが、はじまりました。二十面相は、柔道三段のうでまえですから、なかなか、てごわい相手です。しかし、こちらはおおぜいです。ふたりの警官と、明智探偵と、小林少年や野村さんもてつだいましたので、五対一です。いくら二十面相がつよくても、五人にひとりでは、かないっこありません。たちまち手錠をはめられてしまいました。

 しばらくして、警視庁から、犯人の護送車がやってきました。そのころには、おそろしい水ぜめにあった井上君とポケット小僧も、元気をとりもどして、野村さんのうちへきていました。そして、小林少年といっしょに、げんかんのまえに立って、二十面相がつれていかれるのを見おくったのです。護送車がはしりだしたとき、三人はおもわず、声をそろえてさけびました。

「明智先生バンザーイ、少年探偵団バンザーイ」

底本:「江戸川乱歩全集 第23巻 怪人と少年探偵」光文社文庫、光文社

   2005(平成17)年720日初版1刷発行

底本の親本:「こども家の光」家の光協会

   1960(昭和35)年9月~1961(昭和36)年9

初出:「こども家の光」家の光協会

   1960(昭和35)年9月~1961(昭和36)年9

※「電灯」と「電燈」の混在は、底本通りです。

入力:sogo

校正:北川松生

2016年34日作成

青空文庫作成ファイル:

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