書簡 大杉栄宛
(一九一六年七月一五日 二信)
伊藤野枝



宛先 東京市麹町区三番町六四 第一福四萬館
発信地 大阪市北区上福島



 すこし甘へたくなつたから、また手紙を書きたいの。野枝公もうすつかり悄気しょげてゐるの。だつて来ると早くからいぢめられてゐるんだもの、可哀さうぢやない? でもね、随分おとなしいのよ。けれど、もう大阪なんか本当にいやになつちやつた。野枝公もう帰へりたくなつたの。もう帰へつてもいい? まだ早い? だけど、こんなぢやいやだわ。叔母なんて、あなたとの手紙のやりとりだつて、あんまりしちやいけないなんて云ひ出すんですもの。あたしそんなこと云はれちややりきれないわね。帰へつてもいい? もう四五日暮したら帰へつてもいいでせうね。叔父の帰つて来るまでなんてゐること出来やしない。

 叔父でも叔母でも、あなたに誘惑されたのだと思つて、今あなたから離しておきさへすれば、元にもどるのだと信じてゐるのですね。そんな馬鹿な事つてありはしません。私はもう断然ここの家とも今度きりで交渉をたつて仕舞はうかと思つてゐます。かうしてゐたつて一日中のべつにぐず〳〵云はれては、唯さへ暑くてうるさいのに大変ですもの。

 見せろ〳〵つて云ふので『生の闘争』を見せました。堺さんの序文に幸徳こうとくさんの後を受けてゐるんだと書いてあつたのと、あの表に無政府主義とあつたのに猶驚いて、大変だと思つたんですね。仕方がありませんわ、理屈を云つたつて。もう一ぺん考へた事に一生懸命にしがみついてゐるのですからね。叔母はもうどうしても私がもう一ぺん思ひ返してくれなくては困ると云つて、是非さうさせると云ふやうな訳なのです。随分大変でせう。野枝公もうすつかり閉口してゐるんです。

 私には大阪と云ふ土地は本当に性に合はない処だわ。矢張りあなたのそばが一等いいわ。野枝公すつかり計画が外れていやになつちやつたけど仕方がない。

[『大杉栄全集』第四巻、大杉栄全集刊行会、一九二六年九月]

底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1──『青鞜』の時代」學藝書林

   2000(平成12)年531日初版発行

底本の親本:「大杉栄全集 第四巻」大杉栄全集刊行会

   1926(大正15)年98

※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。

入力:酒井裕二

校正:雪森

2016年14日作成

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