門
夏目漱石
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宗助は先刻から縁側へ坐蒲團を持ち出して日當りの好ささうな所へ氣樂に胡坐をかいて見たが、やがて手に持つてゐる雜誌を放り出すと共に、ごろりと横になつた。秋日和と名のつく程の上天氣なので、徃來を行く人の下駄の響が、靜かな町丈に、朗らかに聞えて來る。肱枕をして軒から上を見上ると、奇麗な空が一面に蒼く澄んでゐる。其空が自分の寐てゐる縁側の窮屈な寸法に較べて見ると、非常に廣大である。たまの日曜に斯うして緩くり空を見る丈でも大分違ふなと思ひながら、眉を寄せて、ぎら〳〵する日を少時見詰めてゐたが、眩しくなつたので、今度はぐるりと寐返りをして障子の方を向いた。障子の中では細君が裁縫をしてゐる。
「おい、好い天氣だな」と話し掛けた。細君は、
「えゝ」と云つたなりであつた。宗助も別に話がしたい譯でもなかつたと見えて、夫なり默つて仕舞つた。しばらくすると今度は細君の方から、
「ちつと散歩でも爲て入らつしやい」と云つた。然し其時は宗助が唯うんと云ふ生返事を返した丈であつた。
二三分して、細君は障子の硝子の所へ顏を寄せて、縁側に寐てゐる夫の姿を覗いて見た。夫はどう云ふ了見か兩膝を曲げて海老の樣に窮屈になつてゐる。さうして兩手を組み合はして、其中へ黒い頭を突つ込んでゐるから、肱に挾まれて顏がちつとも見えない。
「貴方そんな所へ寐ると風邪引いてよ」と細君が注意した。細君の言葉は東京の樣な、東京でない樣な、現代の女學生に共通な一種の調子を持つてゐる。
宗助は兩肱の中で大きな眼をぱち〳〵させながら、
「寐やせん、大丈夫だ」と小聲で答へた。
夫から又靜かになつた。外を通る護謨車のベルの音が二三度鳴つた後から、遠くで鷄の時音をつくる聲が聞えた。宗助は仕立卸しの紡績織の脊中へ、自然と浸み込んで來る光線の暖味を、襯衣の下で貪ぼる程味ひながら、表の音を聽くともなく聽いてゐたが、急に思ひ出した樣に、障子越しの細君を呼んで、
「御米、近來の近の字はどう書いたつけね」と尋ねた。細君は別に呆れた樣子もなく、若い女に特有なけたゝましい笑聲も立てず、
「近江のおほの字ぢやなくつて」と答へた。
「其近江のおほの字が分らないんだ」
細君は立て切つた障子を半分ばかり開けて、敷居の外へ長い物指を出して、其先で近の字を縁側へ書いて見せて、
「斯うでしやう」と云つた限、物指の先を、字の留つた所へ置いたなり、澄み渡つた空を一しきり眺め入つた。宗助は細君の顏も見ずに、
「矢つ張り左樣か」と云つたが、冗談でもなかつたと見えて、別に笑もしなかつた。細君も近の字は丸で氣にならない樣子で、
「本當に好い御天氣だわね」と半ば獨り言の樣に云ひながら、障子を開けた儘又裁縫を始めた。すると宗助は肱で挾んだ頭を少し擡げて、
「何うも字と云ふものは不思議だよ」と始めて細君の顏を見た。
「何故」
「何故つて、幾何容易い字でも、こりや變だと思つて疑ぐり出すと分らなくなる。此間も今日の今の字で大變迷つた。紙の上へちやんと書いて見て、ぢつと眺めてゐると、何だか違つた樣な氣がする。仕舞には見れば見る程今らしくなくなつて來る。──御前そんな事を經驗した事はないかい」
「まさか」
「己丈かな」と宗助は頭へ手を當てた。
「貴方何うかして入らつしやるのよ」
「矢つ張り神經衰弱の所爲かも知れない」
「左樣よ」と細君は夫の顏を見た。夫は漸く立ち上つた。
針箱と糸屑の上を飛び越す樣に跨いで茶の間の襖を開けると、すぐ座敷である。南が玄關で塞がれてゐるので、突き當りの障子が、日向から急に這入つて來た眸には、うそ寒く映つた。其所を開けると、廂に逼る樣な勾配の崖が、縁鼻から聳えてゐるので、朝の内は當つて然るべき筈の日も容易に影を落さない。崖には草が生えてゐる。下からして一側も石で疊んでないから、何時壞れるか分らない虞があるのだけれども、不思議にまだ壞れた事がないさうで、その爲か家主も長い間昔の儘にして放つてある。尤も元は一面の竹藪だつたとかで、それを切り開く時に根丈は掘り返さずに土堤の中に埋て置いたから、地は存外緊つてゐますからねと、町内に二十年も住んでゐる八百屋の爺が勝手口でわざ〳〵説明して呉れた事がある。其時宗助はだつて根が殘つてゐれば、又竹が生えて藪になりさうなものぢやないかと聞き返して見た。すると爺は、それがね、あゝ切り開かれて見ると、さう甘く行くもんぢやありませんよ。然し崖丈は大丈夫です。どんな事があつたつて壞えつこはねえんだからと、恰も自分のものを辯護でもする樣に力んで歸つて行つた。
崖は秋に入つても別に色づく樣子もない。たゞ青い草の匂が褪めて、不揃にもぢや〳〵する許である。薄だの蔦だのと云ふ洒落たものに至つては更に見當らない。其代り昔の名殘りの孟宗が中途に二本、上の方に三本程すつくりと立つてゐる。夫が多少黄に染まつて、幹に日の射すときなぞは、軒から首を出すと、土手の上に秋の暖味を眺められる樣な心持がする。宗助は朝出て四時過に歸る男だから、日の詰る此頃は、滅多に崖の上を覗く暇を有たなかつた。暗い便所から出て、手水鉢の水を手に受けながら、不圖廂の外を見上げた時、始めて竹の事を思ひ出した。幹の頂に濃かな葉が集まつて、丸で坊主頭の樣に見える。それが秋の日に醉つて重く下を向いて、寂そりと重なつた葉が一枚も動かない。
宗助は障子を閉てゝ座敷へ歸つて、机の前へ坐つた。座敷とは云ひながら客を通すから左樣名づける迄で、實は書齋とか居間とか云ふ方が穩當である。北側に床があるので、申譯の爲に變な軸を掛けて、其前に朱泥の色をした拙な花活が飾つてある。欄間には額も何もない。唯眞鍮の折釘丈が二本光つてゐる。其他には硝子戸の張つた書棚が一つある。けれども中には別に是と云つて目立つ程の立派なものも這入つてゐない。
宗助は銀金具の付いた机の抽出を開けて頻に中を檢べ出したが、別に何も見付け出さないうちに、はたりと締めて仕舞つた。夫から硯箱の葢を取つて、手紙を書き始めた。一本書いて封をして、一寸考へたが、
「おい、佐伯のうちは中六番町何番地だつたかね」と襖越に細君に聞いた。
「二十五番地ぢやなくつて」と細君は答へたが、宗助が名宛を書き終る頃になつて、
「手紙ぢや駄目よ、行つて能く話をして來なくつちや」と付け加へた。
「まあ、駄目迄も手紙を一本出して置かう。夫で不可なかつたら出掛けるとするさ」と云ひ切つたが、細君が返事をしないので、
「ねぇ、おい、夫で好いだらう」と念を押した。
細君は惡いとも云ひ兼たと見えて、其上爭ひもしなかつた。宗助は郵便を持つた儘、座敷から直ぐ玄關に出た。細君は夫の足音を聞いて始めて、座を立つたが、是は茶の間の縁傳ひに玄關に出た。
「一寸散歩に行つて來るよ」
「行つて入らつしやい」と細君は微笑しながら答へた。
三十分許して格子ががらりと開いたので、御米は又裁縫の手を已めて、縁傳ひに玄關へ出て見ると、歸つたと思ふ宗助の代りに、高等學校の制帽を被つた、弟の小六が這入つて來た。袴の裾が五六寸しか出ない位の長い黒羅紗のマントの釦を外しながら、
「暑い」と云つてゐる。
「だつて餘まりだわ。此御天氣にそんな厚いものを着て出るなんて」
「何、日が暮れたら寒いだらうと思つて」と小六は云譯を半分しながら、嫂の後に跟いて、茶の間へ通つたが、縫ひ掛けてある着物へ眼を着けて、
「相變らず精が出ますね」と云つたなり、長火鉢の前へ胡坐をかいた。嫂は裁縫を隅の方へ押し遺つて置いて、小六の向へ來て、一寸鐵瓶を卸して炭を繼ぎ始めた。
「御茶なら澤山です」と小六が云つた。
「厭?」と女學生流に念を押した御米は、
「ぢや御菓子は」と云つて笑ひかけた。
「有るんですか」と小六が聞いた。
「いゝえ、無いの」と正直に答へたが、思ひ出した樣に、「待つて頂戴、有るかも知れないわ」と云ひながら立ち上がる拍子に、横にあつた炭取を取り退けて、袋戸棚を開けた。小六は御米の後姿の、羽織が帶で高くなつた邊を眺めてゐた。何を探すのだか中々手間が取れさうなので、
「ぢや御菓子も廢しにしませう。それよりか、今日は兄さんは何うしました」と聞いた。
「兄さんは今一寸」と後向の儘答へて、御米は矢張り戸棚の中を探してゐる。やがてぱたりと戸を締めて、
「駄目よ。何時の間にか兄さんがみんな食べて仕舞つた」と云ひながら、又火鉢の向へ歸つて來た。
「ぢや晩に何か御馳走なさい」
「えゝ爲てよ」と柱時計を見ると、もう四時近くである。御米は「四時、五時、六時」と時間を勘定した。小六は默つて嫂の顏を見てゐた。彼は實際嫂の御馳走には餘り興味を持ち得なかつたのである。
「姉さん、兄さんは佐伯へ行つて呉れたんですかね」と聞いた。
「此間から行く行くつて云つてる事は云つてるのよ。だけど、兄さんも朝出て夕方に歸るんでせう。歸ると草臥れちまつて、御湯に行くのも大儀さうなんですもの。だから、さう責めるのも實際御氣の毒よ」
「そりや兄さんも忙がしいには違なからうけれども、僕もあれが極まらないと氣掛りで落ち付いて勉強も出來ないんだから」と云ひながら、小六は眞鍮の火箸を取つて火鉢の灰の中へ何かしきりに書き出した。御米は其動く火箸の先を見てゐた。
「だから先刻手紙を出して置いたのよ」と慰める樣に云つた。
「何て」
「そりや私もつい見なかつたの。けれども、屹度あの相談よ。今に兄さんが歸つて來たら聞いて御覽なさい。屹度左樣よ」
「もし手紙を出したのなら、其用には違ないでせう」
「えゝ、本當に出したのよ。今兄さんが其手紙を持つて、出しに行つた所なの」
小六はこれ以上辯解の樣な慰藉の樣な嫂の言葉に耳を借したくなかつた。散歩に出る閑があるなら、手紙の代りに自分で足を運んで呉れたらよささうなものだと思ふと餘り好い心持でもなかつた。座敷へ來て、書棚の中から赤い表紙の洋書を出して、方々頁を剥つて見てゐた。
其所に氣の付かなかつた宗助は、町の角迄來て、切手と「敷島」を同じ店で買つて、郵便丈はすぐ出したが、其足で又同じ道を戻るのが何だか不足だつたので、啣え烟草の烟を秋の日に搖つかせながら、ぶら〳〵歩いてゐるうちに、どこか遠くへ行つて、東京と云ふ所はこんな所だと云ふ印象をはつきり頭の中へ刻み付けて、さうして夫を今日の日曜の土産に家へ歸つて寐やうと云ふ氣になつた。彼は年來東京の空氣を吸つて生きてゐる男であるのみならず、毎日役所の行通には電車を利用して、賑やかな町を二度づゝは屹度徃つたり來たりする習慣になつてゐるのではあるが、身體と頭に樂がないので、何時でも上の空で素通りをする事になつてゐるから、自分が其賑やかな町の中に活てゐると云ふ自覺は近來頓と起つた事がない。尤も平生は忙がしさに追はれて、別段氣にも掛からないが、七日に一返の休日が來て、心がゆつたりと落ち付ける機會に出逢ふと、不斷の生活が急にそわ〳〵した上調子に見えて來る。必竟自分は東京の中に住みながら、ついまだ東京といふものを見た事がないんだといふ結論に到着すると、彼は其所に何時も妙な物淋しさを感ずるのである。
さう云ふ時には彼は急に思ひ出した樣に町へ出る。其上懷に多少餘裕でもあると、是で一つ豪遊でもして見樣かと考へる事もある。けれども彼の淋しみは、彼を思ひ切つた極端に驅り去る程に、強烈の程度なものでないから、彼が其所迄猛進する前に、それも馬鹿々々しくなつて已めて仕舞ふ。のみならず、斯んな人の常態として、紙入の底が大抵の場合には、輕擧を戒める程度内に膨らんでゐるので、億劫な工夫を凝すよりも、懷手をして、ぶらりと家へ歸る方が、つい樂になる。だから宗助の淋しみは單なる散歩か觀工場縱覽位な所で、次の日曜迄は何うか斯うか慰藉されるのである。
此日も宗助は兎も角もと思つて電車へ乘つた。所が日曜の好天氣にも拘らず、平常よりは乘客が少ないので例になく乘心地が好かつた。其上乘客がみんな平和な顏をして、どれもこれも悠たりと落付いてゐる樣に見えた。宗助は腰を掛けながら、毎朝例刻に先を爭つて席を奪ひ合ひながら、丸の内方面へ向ふ自分の運命を顧みた。出勤刻限の電車の道伴程殺風景なものはない。革にぶら下がるにしても、天鵞絨に腰を掛けるにしても、人間的な優しい心持の起つた試は未だ甞てない。自分も夫で澤山だと考へて、器械か何ぞと膝を突き合せ肩を並べたかの如くに、行きたい所迄同席して不意と下りて仕舞ふ丈であつた。前の御婆さんが八つ位になる孫娘の耳の所へ口を付けて何か云つてゐるのを、傍に見てゐた三十恰好の商家の御神さんらしいのが、可愛らしがつて、年を聞いたり名を尋ねたりする所を眺めてゐると、今更ながら別の世界に來た樣な心持がした。
頭の上には廣告が一面に枠に嵌めて掛けてあつた。宗助は平生これにさへ氣が付かなかつた。何心なしに一番目のを讀んで見ると、引越は容易に出來ますと云ふ移轉會社の引札であつた。其次には經濟を心得る人は、衞生に注意する人は、火の用心を好むものは、と三行に並べて置いて其後に瓦斯竈を使へと書いて、瓦斯竈から火の出てゐる畫迄添へてあつた。三番目には露國文豪トルストイ伯傑作「千古の雪」と云ふのと、バンカラ喜劇小辰大一座と云ふのが、赤地に白で染め拔いてあつた。
宗助は約十分も掛かつて凡ての廣告を丁寧に三返程讀み直した。別に行つて見やうと思ふものも、買つて見たいと思ふものも無かつたが、たゞ是等の廣告が判然と自分の頭に映つて、さうして夫を一々讀み終せた時間のあつた事と、それを悉く理解し得たと云ふ心の餘裕が、宗助には少なからぬ滿足を與へた。彼の生活は是程の餘裕にすら誇りを感ずる程に、日曜以外の出入りには、落ち付いてゐられないものであつた。
宗助は駿河臺下で電車を降りた。降りるとすぐ右側の窓硝子の中に美しく並べてある洋書に眼が付いた。宗助はしばらく其前に立つて、赤や青や縞や模樣の上に、鮮かに叩き込んである金文字を眺めた。表題の意味は無論解るが、手に取つて、中を檢べて見やうといふ好奇心はちつとも起らなかつた。本屋の前を通ると、屹度中へ這入つて見たくなつたり、中へ這入ると必ず何か欲しくなつたりするのは、宗助から云ふと、既に一昔し前の生活である。たゞ History of Gambling(博奕史)と云ふのが、殊更に美裝して、一番眞中に飾られてあつたので、それが幾分か彼の頭に突飛な新し味を加へた丈であつた。
宗助は微笑しながら、急忙しい通りを向側へ渡つて、今度は時計屋の店を覗き込んだ。金時計だの金鎖が幾つも並べてあるが、是もたゞ美しい色や恰好として、彼の眸に映る丈で、買ひたい了簡を誘致するには至らなかつた。其癖彼は一々絹糸で釣るした價格札を讀んで、品物と見較べて見た。さうして實際金時計の安價なのに驚ろいた。
蝙蝠傘屋の前にも一寸立ち留まつた。西洋小間物を賣る店先では、禮帽の傍に懸けてあつた襟飾りに眼が付いた。自分の毎日掛けてゐるのよりも大變柄が好かつたので、價を聞いて見樣かと思つて、半分店の中へ這入りかけたが、明日から襟飾りなどを懸け替た所が下らない事だと思ひ直すと、急に蟇口の口を開けるのが厭になつて行き過ぎた。呉服店でも大分立見をした。鶉御召だの、高貴織だの、清凌織だの、自分の今日迄知らずに過ぎた名を澤山覺えた。京都の襟新と云ふ家の出店の前で、窓硝子へ帽子の鍔を突き付ける樣に近く寄せて、精巧に刺繍をした女の半襟を、いつ迄も眺めてゐた。その中に丁度細君に似合さうな上品なのがあつた。買つて行つて遣らうかといふ氣が一寸起るや否や、そりや五六年前の事だと云ふ考が後から出て來て、折角心持の好い思ひ付をすぐ揉み消して仕舞つた。宗助は苦笑しながら窓硝子を離れて又歩き出したが、それから半町程の間は何だか詰らない樣な氣分がして、徃來にも店先にも格段の注意を拂はなかつた。
不圖氣が付いて見ると角に大きな雜誌屋があつて、其軒先には新刊の書物が大きな字で廣告してある。梯子の樣な細長い枠へ紙を張つたり、ペンキ塗の一枚板へ模樣畫見た樣な色彩を施こしたりしてある。宗助はそれを一々讀んだ。著者の名前も作物の名前も、一度は新聞の廣告で見た樣でもあり、又全く新奇の樣でもあつた。
此店の曲り角の影になつた所で、黒い山高帽を被つた三十位の男が地面の上へ氣樂さうに胡坐をかいて、えゝ御子供衆の御慰みと云ひながら、大きな護謨風船を膨らましてゐる。それが膨れると自然と達磨の恰好になつて、好加減な所に眼口迄墨で書いてあるのに宗助は感心した。其上一度息を入れると、何時迄も膨れてゐる。且指の先へでも、手の平の上へでも自由に尻が据る。それが尻の穴へ楊枝の樣な細いものを突つ込むとしゆうつと一度に收縮して仕舞ふ。
忙がしい徃來の人は何人でも通るが、誰も立ち留つて見る程のものはない。山高帽の男は賑やかな町の隅に、冷やかに胡坐をかいて、身の周圍に何事が起りつゝあるかを感ぜざるものゝ如くに、えゝ御子供衆の御慰みと云つては、達磨を膨らましてゐる。宗助は一錢五厘出して、其風船を一つ買つて、しゆつと縮ましてもらつて、それを袂へ入れた。奇麗な床屋へ行つて、髮を刈りたくなつたが、何處にそんな奇麗なのがあるか、一寸見付からないうちに、日が限つて來たので、又電車へ乘つて、宅の方へ向つた。
宗助が電車の終點迄來て、運轉手に切符を渡した時には、もう空の色が光を失ひかけて、濕つた徃來に、暗い影が射し募る頃であつた。降りやうとして、鐵の柱を握つたら、急に寒い心持がした。一所に降りた人は、皆な離れ〴〵になつて、事あり氣に忙がしく歩いて行く。町のはづれを見ると、左右の家の軒から家根へかけて、仄白い烟りが大氣の中に動いてゐる樣に見える。宗助も樹の多い方角に向いて早足に歩を移した。今日の日曜も、暢びりした御天氣も、もう既に御仕舞だと思ふと、少し果敢ない樣な又淋しい樣な一種の氣分が起つて來た。さうして明日から又例によつて例の如く、せつせと働らかなくてはならない身體だと考へると、今日半日の生活が急に惜くなつて、殘る六日半の非精神的な行動が、如何にも詰らなく感ぜられた。歩いてゐるうちにも、日當の惡い、窓の乏しい、大きな部屋の模樣や、隣りに坐つてゐる同僚の顏や、野中さん一寸と云ふ上官の樣子ばかりが眼に浮かんだ。
魚勝と云ふ肴屋の前を通り越して、其五六軒先の露次とも横丁とも付かない所を曲ると、行き當りが高い崖で、其左右に四五軒同じ構の貸家が並んでゐる。つい此間迄は疎らな杉垣の奧に、御家人でも住み古したと思はれる、物寂た家も一つ地所のうちに混つてゐたが、崖の上の坂井といふ人が此所を買つてから、忽ち萱葺を壞して、杉垣を引き拔いて、今の樣な新らしい普請に建て易へて仕舞つた。宗助の家は横丁を突き當つて、一番奧の左側で、すぐの崖下だから、多少陰氣ではあるが、其代り通りからは尤も隔つてゐる丈に、まあ幾分か閑靜だらうと云ふので、細君と相談の上、とくに其所を擇んだのである。
宗助は七日に一返の日曜ももう暮れかゝつたので、早く湯にでも入つて、暇があつたら髮でも刈つて、さうして緩くり晩食を食はうと思つて、急いで格子を開けた。臺所の方で皿小鉢の音がする。上がらうとする拍子に、小六の脱ぎ棄てた下駄の上へ、氣が付かずに足を乘せた。曲んで位置を調へてゐる所へ小六が出て來た。臺所の方で、御米が、
「誰? 兄さん?」と聞いた。宗助は、
「やあ、來てゐたのか」と云ひながら座敷へ上つた。先刻郵便を出してから、神田を散歩して、電車を降りて家へ歸る迄、宗助の頭には小六の小の字も閃めかなかつた。宗助は小六の顏を見た時、何となく惡い事でもした樣に極りが好くなかつた。
「御米、御米」と細君を臺所から呼んで、
「小六が來たから、何か御馳走でもするが好い」と云ひ付けた。細君は、忙がしさうに臺所の障子を開け放した儘出て來て、座敷の入口に立つてゐたが、此分り切つた注意を聞くや否や、
「えゝ今直」と云つたなり、引き返さうとしたが、又戻つて來て、
「其代り小六さん、憚り樣。座敷の戸を閉てて、洋燈を點けて頂戴。今私も清も手が放せない所だから」と依頼んだ。小六は簡單に、
「はあ」と云つて立ち上がつた。
勝手では清が物を刻む音がする。湯か水をざあと流しへ空ける音がする。「奧樣是は何方へ移します」と云ふ聲がする。「姉さん、ランプの心を剪る鋏はどこにあるんですか」と云ふ小六の聲がする。しゆうと湯が沸つて七輪の火へ懸つた樣子である。
宗助は暗い座敷の中で默然と手焙へ手を翳してゐた。灰の上に出た火の塊まり丈が色づいて赤く見えた。其時裏の崖の上の家主の家の御孃さんがピヤノを鳴し出した。宗助は思ひ出した樣に立ち上がつて、座敷の雨戸を引きに縁側へ出た。孟宗竹が薄黒く空の色を亂す上に、一つ二つの星が燦めいた。ピヤノの音は孟宗竹の後から響いた。
宗助と小六が手拭を下げて、風呂から歸つて來た時は、座敷の眞中に眞四角な食卓を据ゑて、御米の手料理が手際よく其上に並べてあつた。手焙の火も出掛よりは濃い色に燃えてゐた。洋燈も明るかつた。
宗助が机の前の坐蒲團を引き寄せて、其上に樂々と胡坐を掻いた時、手拭と石鹸を受取つた御米は、
「好い御湯だつた事?」と聞いた。宗助はたゞ一言、
「うん」と答へた丈であつたが、其樣子は素氣ないと云ふよりも、寧ろ湯上りで、精神が弛緩した氣味に見えた。
「中々好い湯でした」と小六が御米の方を見て調子を合せた。
「然しあゝ込んぢや溜らないよ」と宗助が机の端へ肱を持たせながら、倦怠るさうに云つた。宗助が風呂に行くのは、いつでも役所が退けて、家へ歸つてからの事だから、丁度人の立て込む夕食前の黄昏である。彼は此二三ヶ月間ついぞ、日の光に透かして湯の色を眺めた事がない。夫ならまだしもだが、稍ともすると三日も四日も丸で錢湯の敷居を跨がずに過して仕舞ふ。日曜になつたら、朝早く起きて何よりも第一に奇麗な湯に首丈浸つて見樣と、常は考へてゐるが、偖其日曜が來て見ると、たまに悠くり寐られるのは、今日ばかりぢやないかと云ふ氣になつて、つい床のうちで愚圖々々してゐるうちに、時間が遠慮なく過ぎて、えゝ面倒だ、今日は已めにして、其代り今度の日曜に行かうと思ひ直すのが、殆んど惰性の樣になつてゐる。
「どうかして、朝湯に丈は行きたいね」と宗助が云つた。
「其癖朝湯に行ける日は、屹度寐坊なさるのね」と細君は調戲ふ樣な口調であつた。小六は腹の中で是が兄の性來の弱點であると思ひ込んでゐた。彼は自分で學校生活をしてゐるにも拘はらず、兄の日曜が、如何に兄にとつて貴といかを會得出來なかつた。六日間の暗い精神作用を、只此一日で、暖かに回復すべく、兄は多くの希望を二十四時間のうちに投げ込んでゐる。だから遣りたい事があり過ぎて、十の二三も實行出來ない。否、其二三にしろ進んで實行にかゝると、却つてその爲に費やす時間の方が惜くなつて來て、つい又手を引込めて、凝としてゐるうちに日曜は何時か暮れて仕舞ふのである。自分の氣晴しや保養や、娯樂もしくは好尚に就いてゞすら、斯樣に節儉しなければならない境遇にある宗助が、小六の爲に盡さないのは、盡さないのではない、頭に盡す餘裕のないのだとは、小六から見ると、何うしても受取れなかつた。兄はたゞ手前勝手な男で、暇があればぶら〳〵して細君と遊んで許ゐて、一向頼りにも力にもなつて呉れない、眞底は情合に薄い人だ位に考へてゐた。
けれども、小六がさう感じ出したのは、つい近頃の事で、實を云ふと、佐伯との交渉が始まつて以來の話である。年の若い丈、凡てに性急な小六は、兄に頼めば今日明日にも方が付くものと、思ひ込んでゐたのに、何日迄も埒が明かないのみか、まだ先方へ出掛けても呉れないので、大分不平になつたのである。
所が今日歸りを待ち受けて逢つて見ると、其所が兄弟で、別に御世辭も使はないうちに、何處か暖味のある仕打も見えるので、つい云ひたい事も後廻しにして、一所に湯になんぞ這入つて、穩やかに打ち解けて話せる樣になつて來た。
兄弟は寛ろいで膳に就いた。御米も遠慮なく食卓の一隅を領した。宗助も小六も猪口を二三杯づゝ干した。飯に掛ゝる前に、宗助は笑ひながら、
「うん、面白いものが有つたつけ」と云ひながら、袂から買つて來た護謨風船の達磨を出して、大きく膨らませて見せた。さうして、それを椀の葢の上へ載せて、其特色を説明して聞かせた。御米も小六も面白がつて、ふわ〳〵した玉を見てゐた。仕舞に小六が、ふうつと吹いたら達磨は膳の上から疊の上へ落ちた。それでも、まだ覆らなかつた。
「それ御覽」と宗助が云つた。
御米は女だけに聲を出して笑つたが、御櫃の葢を開けて、夫の飯を盛ひながら、
「兄さんも隨分呑氣ね」と小六の方を向いて、半ば夫を辯護する樣に云つた。宗助は細君から茶碗を受取つて、一言の辯解もなく食事を始めた。小六も正式に箸を取り上げた。
達磨はそれぎり話題に上らなかつたが、これが緒になつて、三人は飯の濟む迄無邪氣に長閑な話をつゞけた。仕舞に小六が氣を換へて、
「時に伊藤さんも飛んだ事になりましたね」と云ひ出した。宗助は五六日前伊藤公暗殺の號外を見たとき、御米の働いてゐる臺所へ出て來て、「おい大變だ、伊藤さんが殺された」と云つて、手に持つた號外を御米のエプロンの上に乘せたなり書齋へ這入つたが、其語氣からいふと、寧ろ落ち付いたものであつた。
「貴方大變だつて云ふ癖に、些とも大變らしい聲ぢやなくつてよ」と御米が後から冗談半分にわざ〳〵注意した位である。其後日毎の新聞に伊藤公の事が五六段づゝ出ない事はないが、宗助はそれに目を通してゐるんだか、ゐないんだか分らない程、暗殺事件に就ては平氣に見えた。夜歸つて來て、御米が飯の御給仕をするとき抔に、「今日も伊藤さんの事が何か出てゐて」と聞く事があるが、其時には「うん大分出てゐる」と答へる位だから、夫の隱袋の中に疊んである今朝の讀殼を、後から出して讀んで見ないと、其日の記事は分らなかつた。御米もつまりは夫が歸宅後の會話の材料として、伊藤公を引合に出す位の所だから、宗助が進まない方向へは、たつて話を引張たくはなかつた。それで此二人の間には、號外發行の當日以後、今夜小六がそれを云ひ出した迄は、公けには天下を動かしつゝある問題も、格別の興味を以て迎へられてゐなかつたのである。
「どうして、まあ殺されたんでせう」と御米は號外を見たとき、宗助に聞いたと同じ事を又小六に向つて聞いた。
「短銃をポン〳〵連發したのが命中したんです」と小六は正直に答へた。
「だけどさ。何うして、まあ殺されたんでせう」
小六は要領を得ない樣な顏をしてゐる。宗助は落付いた調子で、
「矢つ張り運命だなあ」と云つて、茶碗の茶を旨さうに飮んだ。御米はこれでも納得が出來なかつたと見えて、
「どうして又滿洲抔へ行つたんでせう」と聞いた。
「本當にな」と宗助は腹が張つて充分物足りた樣子であつた。
「何でも露西亞に秘密な用があつたんださうです」と小六が眞面目な顏をして云つた。御米は、
「さう。でも厭ねえ。殺されちや」と云つた。
「己見た樣な腰辯は、殺されちや厭だが、伊藤さん見た樣な人は、哈爾賓へ行つて殺される方が可いんだよ」と宗助が始めて調子づいた口を利いた。
「あら、何故」
「何故つて伊藤さんは殺されたから、歴史的に偉い人になれるのさ。たゞ死んで御覽、斯うは行かないよ」
「成程そんなものかも知れないな」と小六は少し感服した樣だつたが、やがて、
「兎に角滿洲だの、哈爾賓だのつて物騷な所ですね。僕は何だか危險な樣な心持がしてならない」と云つた。
「夫や、色んな人が落ち合つてるからね」
此時御米は妙な顏をして、斯う答へた夫の顏を見た。宗助もそれに氣が付いたらしく、
「さあ、もう御膳を下げたら好からう」と細君を促がして、先刻の達磨を又疊の上から取つて、人指指の先へ載せながら、
「どうも妙だよ。よく斯う調子好く出來るものだと思つてね」と云つてゐた。
臺所から清が出て來て、食ひ散らした皿小鉢を食卓ごと引いて行つた後で、御米も茶を入れ替へるために、次の間へ立つたから、兄弟は差向ひになつた。
「あゝ奇麗になつた。何うも食つた後は汚ないものでね」と宗助は全く食卓に未練のない顏をした。勝手の方で清がしきりに笑つてゐる。
「何がそんなに可笑しいの、清」と御米が障子越に話し掛ける聲が聞えた。清はへえと云つて猶笑ひ出した。兄弟は何にも云はず、半ば下女の笑ひ聲に耳を傾けてゐた。
しばらくして、御米が菓子皿と茶盆を兩手に持つて、又出て來た。藤蔓の着いた大きな急須から、胃にも頭にも應へない番茶を、湯呑程な大きな茶碗に注いで、兩人の前へ置いた。
「何だつて、あんなに笑ふんだい」と夫が聞いた。けれども御米の顏は見ずに却つて菓子皿の中を覗いてゐた。
「貴方があんな玩具を買つて來て、面白さうに指の先へ乘せて入らつしやるからよ。子供もない癖に」
宗助は意にも留めない樣に、輕く「さうか」と云つたが、後から緩くり、
「是でも元は子供が有つたんだがね」と、さも自分で自分の言葉を味はつてゐる風に付け足して、生温い眼を擧げて細君を見た。御米はぴたりと默つて仕舞つた。
「あなた御菓子食べなくつて」と、しばらくしてから小六の方へ向いて話し掛けたが、
「えゝ食べます」と云ふ小六の返事を聞き流して、ついと茶の間へ立つて行つた。兄弟は又差向ひになつた。
電車の終點から歩くと二十分近くも掛る山の手の奧丈あつて、まだ宵の口だけれども、四隣は存外靜かである。時々表を通る薄齒の下駄の響が冴えて、夜寒が次第に増して來る。宗助は懷手をして、
「晝間は暖たかいが、夜になると急に寒くなるね。寄宿ぢやもう蒸汽を通してゐるかい」と聞いた。
「いえ、未です。學校ぢや餘つ程寒くならなくつちや蒸汽なんか焚きやしません」
「さうかい。夫ぢや寒いだらう」
「えゝ。然し寒い位何うでも構はない積ですが」と云つた儘、小六はすこし云ひ淀んでゐたが、仕舞にとう〳〵思ひ切つて、
「兄さん、佐伯の方は一體どうなるんでせう。先刻姉さんから聞いたら、今日手紙を出して下すつたさうですが」
「あゝ出した。二三日中に何とか云つて來るだらう。其上で又己が行くとも何うとも仕樣よ」
小六は兄の平氣な態度を心の中では飽足らず眺めた。然し宗助の樣子に何處と云つて、他を激させる樣な鋭どい所も、自らを庇護ふ樣な卑しい點もないので、喰つて掛る勇氣は更に出なかつた。たゞ
「ぢや今日迄あの儘にしてあつたんですか」と單に事實を確めた。
「うん、實は濟まないがあの儘だ。手紙も今日やつとの事で書いた位だ。何うも仕方がないよ。近頃神經衰弱でね」と眞面目に云ふ。小六は苦笑した。
「もし駄目なら、僕は學校を已めて、一層今のうち、滿洲か朝鮮へでも行かうかと思つてるんです」
「滿洲か朝鮮? ひどく又思ひ切つたもんだね。だつて、御前先刻滿洲は物騷で厭だつて云つたぢやないか」
用談はこんな所に徃つたり來たりして、遂に要領を得なかつた。仕舞に宗助が
「まあ、好いや、さう心配しないでも、何うかなるよ。何しろ返事の來次第、己がすぐ知らせてやる。其上で又相談するとしやう」と云つたので、談話に區切が付いた。
小六が歸りがけに茶の間を覗いたら、御米は何にもしずに、長火鉢に倚り掛かつてゐた。
「姉さん、左樣なら」と聲を掛けたら、「おや御歸り」と云ひながら漸く立つて來た。
小六の苦にしてゐた佐伯からは、豫期の通り二三日して返事があつたが、それは極めて簡單なもので、端書でも用の足りる所を、鄭重に封筒へ入れて三錢の切手を貼つた、叔母の自筆に過ぎなかつた。
役所から歸つて、筒袖の仕事着を、窮屈さうに脱ぎ易へて、火鉢の前へ坐るや否や、抽出から一寸程わざと餘して差し込んであつた状袋に眼が着いたので、御米の汲んで出す番茶を一口呑んだ儘、宗助はすぐ封を切つた。
「へえ、安さんは神戸へ行つたんだつてね」と手紙を讀みながら云つた。
「何時?」と御米は湯呑を夫の前に出した時の姿勢の儘で聞いた。
「何時とも書いてないがね。何しろ遠からぬうちには歸京仕るべく候間と書いてあるから、もうぢき歸つて來るんだらう」
「遠からぬうちなんて、矢つ張り叔母さんね」
宗助は御米の批評に、同意も不同意も表しなかつた。讀んだ手紙を卷き納めて、投げる樣にそこへ放り出して、四五日目になる、ざら〳〵した腮を、氣味わるさうに撫で廻した。
御米はすぐ其手紙を拾つたが、別に讀まうともしなかつた。それを膝の上へ乘せた儘、夫の顏を見て、
「遠からぬうちには歸京仕るべく候間、何うだつて云ふの」と聞いた。
「何れ歸つたら、安之助と相談して何とか御挨拶を致しますと云ふのさ」
「遠からぬうちぢや曖昧ね。何時歸るとも書いてなくつて」
「いゝや」
御米は念の爲、膝の上の手紙を始めて開いて見た。さうして夫を元の樣に疊んで、
「一寸其状袋を」と手を夫の方へ出した。宗助は自分と火鉢の間に挾まつてゐる青い封筒を取つて細君に渡した。御米はそれをふつと吹いて、中を膨らまして手紙を収めた。さうして臺所へ立つた。
宗助は夫限手紙の事には氣を留めなかつた。今日役所で同僚が、此間英吉利から來遊したキチナー元帥に、新橋の傍で逢つたと云ふ話を思ひ出して、あゝ云ふ人間になると、世界中何處へ行つても、世間を騷がせる樣に出來てゐる樣だが、實際さういふ風に生れ付いて來たものかも知れない。自分の過去から引き摺つてきた運命や、又其續きとして、是から自分の眼前に展開されべき將來を取つて、キチナーと云ふ人のそれに比べて見ると、到底同じ人間とは思へない位懸け隔たつてゐる。
斯う考へて宗助はしきりに烟草を吹かした。表は夕方から風が吹き出して、わざと遠くの方から襲つて來る樣な音がする。それが時々已むと、已んだ間は寂として、吹き荒れる時よりは猶淋しい。宗助は腕組をしながら、もうそろ〳〵火事の半鐘が鳴り出す時節だと思つた。
臺所へ出て見ると、細君は七輪の火を赤くして、肴の切身を燒いてゐた。清は流し元に曲んで漬物を洗つてゐた。二人とも口を利かずにせつせと自分の遣る事を遣つてゐる。宗助は障子を開けたなり、少時肴から垂る汁か膏の音を聞いてゐたが、無言の儘又障子を閉てゝ元の座へ戻つた。細君は眼さへ肴から離さなかつた。
食事を濟まして、夫婦が火鉢を間に向ひ合つた時、御米は又
「佐伯の方は困るのね」と云ひ出した。
「まあ仕方がない。安さんが神戸から歸る迄待つより外に道はあるまい」
「其前に一寸叔母さんに逢つて話をして置いた方が好かなくつて」
「さうさ。まあ其内何とか云つて來るだらう。夫迄打遣つて置かうよ」
「小六さんが怒つてよ。可くつて」と御米はわざと念を押して置いて微笑した。宗助は下眼を使つて、手に持つた小楊枝を着物の襟へ差した。
中一日置いて、宗助は漸く佐伯からの返事を小六に知らせてやつた。其時も手紙の尻に、まあ其内何うかなるだらうと云ふ意味を、例の如く付け加へた。さうして當分は此事件に就て肩が拔けた樣に感じた。自然の經過が又窮屈に眼の前に押し寄せて來る迄は、忘れてゐる方が面倒がなくつて好い位な顏をして、毎日役所へ出ては又役所から歸つて來た。歸りも遲いが、歸つてから出掛る抔といふ億劫な事は滅多になかつた。客は殆んど來ない。用のない時は清を十時前に寐かす事さへあつた。夫婦は毎夜同じ火鉢の兩側に向き合つて、食後一時間位話をした。話の題目は彼等の生活状態に相應した程度のものであつた。けれども米屋の拂を、此三十日には何うしたものだらうといふ、苦しい世帶話は、未だ甞て一度も彼等の口には上らなかつた。と云つて、小説や文學の批評は勿論の事、男と女の間を陽炎の樣に飛び廻る、花やかな言葉の遣り取りは殆んど聞かれなかつた。彼等は夫程の年輩でもないのに、もう其所を通り拔けて、日毎に地味になつて行く人の樣にも見えた。又は最初から、色彩の薄い極めて通俗の人間が、習慣的に夫婦の關係を結ぶために寄り合つた樣にも見えた。
上部から見ると、夫婦ともさう物に屈托する氣色はなかつた。それは彼等が小六の事に關して取つた態度に就て見ても略想像がつく。流石女丈に御米は一二度、
「安さんは、まだ歸らないんでせうかね。貴方今度の日曜位に番町迄行つて御覽なさらなくつて」と注意した事があるが、宗助は、
「うん、行つても好い」位な返事をする丈で、其行つても好い日曜が來ると、丸で忘れた樣に濟ましてゐる。御米もそれを見て、責める樣子もない。天氣が好いと、
「ちと散歩でもして入らつしやい」と云ふ。雨が降つたり、風が吹いたりすると、
「今日は日曜で仕合せね」と云ふ。
幸にして小六は其後一度もやつて來ない。此青年は、至つて凝り性の神經質で、斯うと思ふと何所迄も進んで來る所が、書生時代の宗助によく似てゐる代りに、不圖氣が變ると、昨日の事は丸で忘れた樣に引つ繰り返つて、けろりとした顏をしてゐる。其所も兄弟丈あつて、昔の宗助に其儘である。それから、頭腦が比較的明暸で、理路に感情を注ぎ込むのか、又は感情に理窟の枠を張るのか、何方か分らないが、兎に角物に筋道を付けないと承知しないし、また一返筋道が付くと、其筋道を生かさなくつては置かない樣に熱中したがる。其上體質の割合に精力がつゞくから、若い血氣に任せて大抵の事はする。
宗助は弟を見るたびに、昔の自分が再び蘇生して、自分の眼の前に活動してゐる樣な氣がしてならなかつた。時には、はら〳〵する事もあつた。又苦々しく思ふ折もあつた。さう云ふ場合には、心のうちに、當時の自分が一圖に振舞つた苦い記憶を、出來る丈屡呼び起させるために、とくに天が小六を自分の眼の前に据ゑ付けるのではなからうかと思つた。さうして非常に恐ろしくなつた。此奴も或は己と同一の運命に陷るために生れて來たのではなからうかと考へると、今度は大いに心掛りになつた。時によると心掛りよりは不愉快であつた。
けれども、今日迄宗助は、小六に對して意見がましい事を云つた事もなければ、將來に就て注意を與へた事もなかつた。彼の弟に對する待遇方はたゞ普通凡庸のものであつた。彼の今の生活が、彼の樣な過去を有つてゐる人とは思へない程に、沈んでゐる如く、彼の弟を取り扱ふ樣子にも、過去と名のつく程の經驗を有つた年長者の素振は容易に出なかつた。
宗助と小六の間には、まだ二人程男の子が挾まつてゐたが、何れも早世して仕舞つたので、兄弟とは云ひながら、年は十許り違つてゐる。其上宗助はある事情のために、一年の時京都へ轉學したから、朝夕一所に生活してゐたのは、小六の十二三の時迄である。宗助は剛情な聽かぬ氣の腕白小僧としての小六を未だに記憶してゐる。其時分は父も生きてゐたし、家の都合も惡くはなかつたので、抱車夫を邸内の長屋に住まはして、樂に暮してゐた。此車夫に小六よりは三つ程年下の子供があつて、始終小六の御相手をして遊んでゐた。ある夏の日盛りに、二人して、長い竿のさきへ菓子袋を括り付けて、大きな柿の木の下で蝉の捕りくらをしてゐるのを、宗助が見て、兼坊そんなに頭を日に照らし付けると霍亂になるよ、さあ是を被れと云つて、小六の古い夏帽を出してやつた。すると、小六は自分の所有物を兄が無斷で他に呉れてやつたのが、癪に障つたので、突然兼坊の受取つた帽子を引つたくつて、それを地面の上へ抛げつけるや否や、馳け上がる樣に其上へ乘つて、くしやりと麥藁帽を踏み潰して仕舞つた。宗助は縁から跣足で飛んで下りて、小六の頭を擲り付けた。其時から、宗助の眼には、小六が小惡らしい小僧として映つた。
二年の時宗助は大學を去らなければならない事になつた。東京の家へも歸へれない事になつた。京都からすぐ廣島へ行つて、其所に半年ばかり暮らしてゐるうちに父が死んだ。母は父よりも六年程前に死んでゐた。だから後には二十五六になる妾と、十六になる小六が殘つた丈であつた。
佐伯から電報を受け取つて、久し振りに出京した宗助は、葬式を濟ました上、家の始末をつけ樣と思つて段々調べて見ると、有ると思つた財産は案外に少なくつて、却つて無い積の借金が大分あつたに驚ろかされた。叔父の佐伯に相談すると、仕方がないから邸を賣るが好からうと云ふ話であつた。妾は相當の金を遣つてすぐ暇を出す事に極めた。小六は當分叔父の家に引き取つて世話をして貰ふ事にした。然し肝心の家屋敷はすぐ右から左へと賣れる譯には行かなかつた。仕方がないから、叔父に一時の工面を頼んで、當座の片を付けて貰つた。叔父は事業家で色々な事に手を出しては失敗する、云はゞ山氣の多い男であつた。宗助が東京にゐる時分も、よく宗助の父を説き付けては、旨い事を云つて金を引き出したものである。宗助の父にも慾があつたかも知れないが、此傳で叔父の事業に注ぎ込んだ金高は決して少ないものではなかつた。
父の亡くなつた此際にも、叔父の都合は元と餘り變つてゐない樣子であつたが、生前の義理もあるし、又斯う云ふ男の常として、いざと云ふ場合には比較的融通の付くものと見えて、叔父は快よく整理を引き受けて呉れた。其代り宗助は自分の家屋敷の賣却方に就て一切の事を叔父に一任して仕舞つた。早く云ふと、急場の金策に對する報酬として土地家屋を提供した樣なものである。叔父は、
「何しろ、斯う云ふものは買手を見て賣らないと損だからね」と云つた。
道具類も積ばかり取つて、金目にならないものは、悉く賣り拂つたが、五六幅の掛物と十二三點の骨董品丈は、矢張り氣長に欲しがる人を探さないと損だと云ふ叔父の意見に同意して、叔父に保管を頼む事にした。凡てを差し引いて手元に殘つた有金は、約二千圓程のものであつたが、宗助は其内の幾分を、小六の學資として、使はなければならないと氣が付いた。然し月々自分の方から送るとすると、今日の位置が堅固でない當時、甚だ實行しにくい結果に陷りさうなので、苦しくはあつたが、思ひ切つて、半分丈を叔父に渡して、何分宜しくと頼んだ。自分が中途で失敗つたから、責めて弟丈は物にしてやりたい氣もあるので、此千圓が盡きたあとは、又何うにか心配も出來やうし又して呉れるだらう位の不慥な希望を殘して、又廣島へ歸つて行つた。
それから半年ばかりして、叔父の自筆で、家はとう〳〵賣れたから安心しろと云ふ手紙が來たが、幾何に賣れたとも何とも書いてないので、折り返して聞き合せると、二週間程經つての返事に、優に例の立替を償ふに足る金額だから心配しなくても好いとあつた。宗助は此返事に對して少なからず不滿を感じたには感じたが、同じ書信の中に、委細は何れ御面會の節云々とあつたので、すぐにも東京へ行きたい樣な氣がして、實は斯う〳〵だがと、相談半分細君に話して見ると、御米は氣の毒さうな顏をして、「でも、行けないんだから、仕方がないわね」と云つて、例の如く微笑した。其時宗助は始めて細君から宣告を受けた人の樣に、しばらく腕組をして考へたが、何う工夫したつて、拔ける事の出來ない樣な位地と事情の下に束縛されてゐたので、つい夫成になつて仕舞つた。
仕方がないから、猶三四回書面で徃復を重ねて見たが、結果はいつも同じ事で、版行で押した樣に何れ御面會の節を繰り返して來る丈であつた。
「是ぢや仕樣がないよ」と宗助は腹が立つた樣な顏をして御米を見た。三ヶ月ばかりして、漸く都合が付いたので、久し振りに御米を連れて、出京しやうと思ふ矢先に、つい風邪を引いて寐たのが元で、腸窒扶斯に變化したため、六十日餘りを床の上に暮らした上に、あとの三十日程は充分仕事も出來ない位衰へて仕舞つた。
病氣が本復してから間もなく、宗助は又廣島を去つて福岡の方へ移らなければならない身となつた。移る前に、好い機會だから一寸東京迄出たいものだと考へてゐるうちに、今度も色々の事情に制せられて、つい夫も遂行せずに、矢張り下り列車の走る方に自己の運命を托した。其頃は東京の家を疊むとき、懷にして出た金は、殆んど使ひ果たしてゐた。彼の福岡生活は前後二年を通じて、中々の苦鬪であつた。彼は書生として京都にゐる時分、種々の口實の下に、父から臨時隨意に多額の學資を請求して、勝手次第に消費した昔をよく思ひ出して、今の身分と比較しつゝ、頻りに因果の束縛を恐れた。ある時はひそかに過ぎた春を回顧して、あれが己の榮華の頂點だつたんだと、始めて醒めた眼に遠い霞を眺める事もあつた。愈苦しくなつた時、
「御米、久しく放つて置いたが、又東京へ掛合つて見樣かな」と云ひ出した。御米は無論逆ひはしなかつた。たゞ下を向いて、
「駄目よ。だつて、叔父さんに全く信用がないんですもの」と心細さうに答へた。
「向ふぢや此方に信用がないかも知れないが、此方ぢや又向ふに信用がないんだ」と宗助は威張つて云ひ出したが、御米の俯目になつてゐる樣子を見ると、急に勇氣が挫ける風に見えた。こんな問答を最初は月に一二返位繰り返してゐたが、後には二月に一返になり、三月に一返になり、とう〳〵、
「好いや、小六さへ何うかして呉れゝば。あとの事は何れ東京へ出たら、逢つた上で話を付けらあ。ねえ御米、左うすると、爲やうぢやないか」と云ひ出した。
「それで、好ござんすとも」と御米は答へた。
宗助は佐伯の事をそれなり放つて仕舞つた。單なる無心は、自分の過去に對しても、叔父に向つて云ひ出せるものでないと、宗助は考へてゐた。從つて其方の談判は、始めから未だ嘗て筆にした事がなかつた。小六からは時々手紙が來たが、極めて短かい形式的のものが多かつた。宗助は父の死んだ時、東京で逢つた小六を覺えてゐる丈だから、いまだに小六を他愛ない小供位に想像するので、自分の代理に叔父と交渉させ樣抔と云ふ氣は無論起らなかつた。
夫婦は世の中の日の目を見ないものが、寒さに堪へかねて、抱き合つて暖を取る樣な具合に、御互同志を頼りとして暮らしてゐた。苦しい時には、御米が何時でも、宗助に、
「でも仕方がないわ」と云つた。宗助は御米に、
「まあ我慢するさ」と云つた。
二人の間には諦めとか、忍耐とか云ふものが斷えず動いてゐたが、未來とか希望と云ふものゝ影は殆んど射さない樣に見えた。彼等は餘り多く過去を語らなかつた。時としては申し合はせた樣に、それを回避する風さへあつた。御米が時として、
「其内には又屹度好い事があつてよ。さう〳〵惡い事ばかり續くものぢやないから」と夫を慰さめる樣に云ふ事があつた。すると、宗助にはそれが、眞心ある妻の口を藉りて、自分を飜弄する運命の毒舌の如くに感ぜられた。宗助はさう云ふ場合には何にも答へずにたゞ苦笑する丈であつた。御米が夫でも氣が付かずに、なにか云ひ續けると、
「我々は、そんな好い事を豫期する權利のない人間ぢやないか」と思ひ切つて投げ出して仕舞ふ。細君は漸く氣が付いて口を噤んで仕舞ふ。さうして二人が默つて向き合つてゐると、何時の間にか、自分達は自分達の拵えた過去といふ暗い大きな窖の中に落ちてゐる。
彼等は自業自得で、彼等の未來を塗抹した。だから歩いてゐる先の方には、花やかな色彩を認める事が出來ないものと諦らめて、たゞ二人手を携えて行く氣になつた。叔父の賣り拂つたと云ふ地面家作に就いても、固より多くの期待は持つてゐなかつた。時々考へ出した樣に、
「だつて、近頃の相場なら、捨賣にしたつて、あの時叔父の拵らへて呉れた金の倍にはなるんだもの。あんまり馬鹿々々しいからね」と宗助が云ひ出すと、御米は淋しさうに笑つて、
「又地面? 何時迄もあの事ばかり考へて入らつしやるのね。だつて、貴方が萬事宜しく願ひますと、叔父さんに仰しやつたんでせう」と云ふ。
「そりや仕方がないさ。あの場合あゝでも爲なければ方が付かないんだもの」と宗助が云ふ。
「だからさ。叔父さんの方では、御金の代りに家と地面を貰つた積で入らつしやるかも知れなくつてよ」と御米が云ふ。
さう云はれると、宗助も叔父の處置に一理ある樣にも思はれて、口では、
「その積が好くないぢやないか」と答辯する樣なものゝ、此問題は其都度次第々々に背景の奧に遠ざかつて行くのであつた。
夫婦がこんな風に淋しく睦まじく暮らして來た二年目の末に、宗助はもとの同級生で、學生時代には大變懇意であつた杉原と云ふ男に偶然出逢つた。杉原は卒業後高等文官試驗に合格して、其時既に或省に奉職してゐたのだが、公務上福岡と佐賀へ出張することになつて、東京からわざ〳〵遣つて來たのである。宗助は所の新聞で、杉原の何時着いて、何處に泊つてゐるかを能く知つてはゐたが、失敗者としての自分に顧みて、成効者の前に頭を下げる對照を耻づかしく思つた上に、自分は在學當時の舊友に逢ふのを、特に避けたい理由を持つてゐたので、彼の旅館を訪ねる氣は毛頭なかつた。
所が杉原の方では、妙な引掛りから、宗助の此所に燻ぶつてゐる事を聞き出して、強いて面會を希望するので、宗助も已を得ず我を折つた。宗助が福岡から東京へ移れる樣になつたのは、全く此杉原の御蔭である。杉原から手紙が來て、愈事が極つたとき、宗助は箸を置いて、
「御米、とう〳〵東京へ行けるよ」と云つた。
「まあ結構ね」と御米が夫の顏を見た。
東京に着いてから二三週間は、眼の回る樣に日が經つた。新らしく世帶を有つて、新らしい仕事を始める人に、あり勝ちな急忙しなさと、自分達を包む大都の空氣の、日夜劇しく震盪する刺戟とに驅られて、何事をも凝と考へる閑もなく、又落ち付いて手を下す分別も出なかつた。
夜汽車で新橋へ着いた時は、久し振りに叔父夫婦の顏を見たが、夫婦とも灯の所爲か晴れやかな色には宗助の眼に映らなかつた。途中に事故があつて、着の時間が珍らしく三十分程後れたのを、宗助の過失でゞもあるかの樣に、待草臥れた氣色であつた。
宗助が此時叔母から聞いた言葉は、
「おや宗さん、少時御目に掛ゝらないうちに、大變御老けなすつた事」といふ一句であつた。御米は其折始めて叔父夫婦に紹介された。
「これが彼……」と叔母は逡巡つて宗助の方を見た。御米は何と挨拶のしやうもないので、無言の儘唯頭を下げた。
小六も無論叔父夫婦と共に二人を迎ひに來てゐた。宗助は一眼其姿を見たとき、何時の間にか自分を凌ぐ樣に大きくなつた弟の發育に驚ろかされた。小六は其時中學を出て、是から高等學校へ這入らうといふ間際であつた。宗助を見て、「兄さん」とも「御歸りなさい」とも云はないで、たゞ不器用に挨拶をした。
宗助と御米は一週ばかり宿屋住居をして、夫から今の所に引き移つた。其時は叔父夫婦が色々世話を燒いて呉れた。細々しい臺所道具の樣なものは買ふ迄もあるまい、古いので可ければと云ふので、小人數に必要な丈一通り取り揃えて送つて來た。其上、
「御前も新世帶だから、嘸物要が多からう」と云つて金を六十圓呉れた。
家を持つて彼是取り紛れてゐるうちに、早半月餘も經つたが、地方にゐる時分あんなに氣にしてゐた家邸の事は、ついまだ叔父に言ひ出さずにゐた。ある時御米が、
「貴方あの事を叔父さんに仰やつて」と聞いた。宗助はそれで急に思ひ出した樣に、
「うん、未だ云はないよ」と答へた。
「妙ね、あれ程氣にして入らしつたのに」と御米がうす笑をした。
「だつて、落ち付いて、そんな事を云ひ出す暇がないんだもの」と宗助が辯解した。
又十日程經つた。すると今度は宗助の方から、
「御米、あの事は未だ云はないよ。どうも云ふのが面倒で厭になつた」と云ひ出した。
「厭なのを無理に仰やらなくつても可いわ」と御米が答へた。
「好いかい」と宗助が聞き返した。
「好いかいつて、もと〳〵貴方の事ぢやなくつて。私は先から何うでも好いんだわ」と御米が答へた。
其時宗助は、
「ぢや、鹿爪らしく云ひ出すのも何だか妙だから、其内機會があつたら、聞くとしやう。なに其内聞いて見る機會が屹度出て來るよ」と云つて延ばして仕舞つた。
小六は何不足なく叔父の家に寐起してゐた。試驗を受けて高等學校へ這入れゝば、寄宿へ入舍しなければならないと云ふので、其相談迄既に叔父と打合せがしてある樣であつた。新らしく出京した兄からは別段學資の世話を受けない所爲か、自分の身の上に就いては叔父程に親しい相談も持ち込んで來なかつた。從兄弟の安之助とは今迄の關係上大變仲が好かつた。却つて此方が兄弟らしかつた。
宗助は自然叔父の家に足が遠くなる樣になつた。たまに行つても、義理一遍の訪問に終る事が多いので、歸り路には何時も詰らない氣がしてならなかつた。仕舞には時候の挨拶を濟ますと、すぐ歸りたくなる事もあつた。かう云ふ時には三十分と坐つて世間話に時間を繋ぐのにさへ骨が折れた。向ふでも何だか氣が置けて窮屈だと云ふ風が見えた。
「まあ可いぢやありませんか」と叔母が留めてくれるのが例であるが、さうすると、猶更居にくい心持がした。それでも、たまには行かないと、心のうちで氣が咎める樣な不安を感ずるので、又行くやうになつた。折々は、
「何うも小六が御厄介になりまして」と此方から頭を下げて禮を云ふ事もあつた。けれども、それ以上は、弟の將來の學資に就ても、又自分が叔父に頼んで、留守中に賣り拂つて貰つた地所家作に就いても、口を切るのがつい面倒になつた。然し宗助が興味を有たない叔父の所へ、不精無精にせよ、時たま出掛けて行くのは、單に叔父甥の血屬關係を、世間並に持ち堪へるための義務心からではなくつて、いつか機會があつたら、片を付けたい或物を胸の奧に控へてゐた結果に過ぎないのは明かであつた。
「宗さんは何うも悉皆變つちまいましたね」と叔母が叔父に話す事があつた。すると叔父は、
「左うよなあ。矢つ張り、あゝ云ふ事があると、永く迄後へ響くものだからな」と答へて、因果は恐ろしいと云ふ風をする。叔母は重ねて、
「本當に、怖いもんですね。元はあんな寐入つた子ぢやなかつたが──どうも燥急ぎ過ぎる位活溌でしたからね。それが二三年見ないうちに、丸で別の人見た樣に老けちまつて。今ぢや貴方より御爺さん〳〵してゐますよ」と云ふ。
「眞逆」と叔父が又答へる。
「いえ、頭や顏は別として、樣子がさ」と叔母が又辯解する。
こんな會話が老夫婦の間に取り換はされたのは、宗助が出京して以來一度や二度ではなかつた。實際彼は叔父の所へ來ると、老人の眼に映る通りの人間に見えた。
御米は何う云ふものか、新橋へ着いた時、老人夫婦に紹介されたぎり、曾つて叔父の家の敷居を跨いだ事がない。向から見えれば叔父さん叔母さんと丁寧に接待するが、歸りがけに、
「何うです、些と御出掛けなすつちや」などゝ云はれると、たゞ
「難有う」と頭を下げる丈で、遂ぞ出掛けた試はなかつた。流石の宗助さへ一度は、
「叔父さんの所へ一度行つて見ちや、何うだい」と勸めた事があるが、
「でも」と變な顏をするので、宗助は夫限決して其事を云ひ出さなかつた。
兩家族はこの状態で約一年ばかりを送つた。すると宗助よりも氣分は若いと許された叔父が突然死んだ。病症は脊髓腦膜炎とかいふ劇症で、二三日風邪の氣味で寐てゐたが、便所へ行つた歸りに、手を洗はうとして、柄杓を持つた儘卒倒したなり、一日經つか經たないうちに冷たくなつて仕舞つたのである。
「御米、叔父はとう〳〵話をしずに死んで仕舞つたよ」と宗助が云つた。
「貴方まだ、あの事を聞く積だつたの、貴方も隨分執念深いのね」と御米が云つた。
夫から又一年ばかり經つたら、叔父の子の安之助が大學を卒業して、小六が高等學校の二年生になつた。叔母は安之助と一所に中六番町に引き移つた。
三年目の夏休みに小六は房州の海水浴へ行つた。そこに一月餘りも滯在してゐるうちに九月になり掛けたので、保田から向ふへ突切つて、上總の海岸を九十九里傳ひに、銚子迄來たが、そこから思ひ出した樣に東京へ歸つた。宗助の所へ見えたのは、歸つてから、まだ二三日しか立たない、殘暑の強い午後である。眞黒に焦げた顏の中に、眼だけ光らして、見違へる樣に蠻色を帶びた彼は、比較的日の遠い座敷へ這入つたなり横になつて、兄の歸りを待ち受けてゐたが、宗助の顏を見るや否や、むつくり起き上がつて、
「兄さん、少し御話があつて來たんですが」と開き直られたので、宗助は少し驚ろいた氣味で、暑苦しい洋服さへ脱ぎ更へずに、小六の話を聞いた。
小六の云ふ所によると、二三日前彼が上總から歸つた晩、彼の學資は此暮限り氣の毒ながら出して遣れないと叔母から申し渡されたのださうである。小六は父が死んで、すぐと叔父に引き取られて以來、學校へも行けるし、着物も自然に出來るし、小遣も適宜に貰へるので、父の存生中と同じ樣に、何不足なく暮らせて來た惰性から、其日其晩迄も、ついぞ學資と云ふ問題を頭に思ひ浮べた事がなかつたため、叔母の宣告を受けた時は、茫然して兎角の挨拶さへ出來なかつたのだと云ふ。
叔母は氣の毒さうに、何故小六の世話が出來なくなつたかを、女丈に、一時間も掛かつて委しく説明して呉れたさうである。それには叔父の亡くなつた事やら、繼いで起る經濟上の變化やら、又安之助の卒業やら、卒業後に控えてゐる結婚問題やらが這入つてゐたのだと云ふ。
「出來るならば、責めて高等學校を卒業する迄と思つて、今日迄色々骨を折つたんだけれども」
叔母は斯う云つたと小六は繰り返した。小六は其時不圖兄が先年父の葬式の時に出京して、萬事を片付けた後、廣島へ歸るとき、小六に、御前の學資は叔父さんに預けてあるからと云つた事があるのを思ひ出して、叔母に始めて聞いて見ると、叔母は案外な顏をして、
「そりや、あの時、宗さんが若干か置いて行きなすつた事は、行きなすつたが、夫はもう有りやしないよ。叔父さんの未だ生きて御出の時分から、御前の學資は融通して來たんだから」と答へた。
小六は兄から自分の學資が何れ程あつて、何年分の勘定で、叔父に預けられたかを、聞いて置かなかつたから、叔母から斯う云はれて見ると、一言も返し樣がなかつた。
「御前も一人ぢやなし、兄さんもある事だから能く相談をして見たら好いだらう。其代り私も宗さんに逢つて、篤くり譯を話しませうから。どうも、宗さんも餘まり近頃は御出でないし、私も御無沙汰許してゐるのでね、つい御前の事は御話をする譯にも行かなかつたんだよ」と叔母は最後に附け加へたさうである。
小六から一部始終を聞いた時、宗助はたゞ弟の顏を眺めて、一口、
「困つたな」と云つた。昔の樣に赫と激して、すぐ叔母の所へ談判に押し掛ける氣色もなければ、今迄自分に對して、世話にならないでも濟む人の樣に、餘所々々しく仕向けて來た弟の態度が急に方向を轉じたのを、惡いと思ふ樣子も見えなかつた。
自分の勝手に作り上げた美くしい未來が、半分壞れかゝつたのを、さも傍の人の所爲ででもあるかの如く心を亂してゐる小六の歸る姿を見送つた宗助は、暗い玄關の敷居の上に立つて、格子の外に射す夕日をしばらく眺めてゐた。
其晩宗助は裏から大きな芭蕉の葉を二枚剪つて來て、それを座敷の縁に敷いて、其上に御米と並んで涼みながら、小六の事を話した。
「叔母さんは、此方で、小六さんの世話をしろつて云ふ氣なんぢやなくつて」と御米が聞いた。
「まあ、逢つて聞いて見ないうちは、何う云ふ料簡か分らないがね」と宗助が云ふと、御米は、
「屹度左うよ」と答へながら、暗がりで團扇をはた〳〵動かした。宗助は何も云はずに、頸を延ばして、庇と崖の間に細く映る空の色を眺めた。二人は其儘しばらく默つて居たが、良あつて、
「だつて夫ぢや無理ね」と御米が又云つた。
「人間一人大學を卒業させるなんて、己の手際ぢや到底駄目だ」と宗助は自分の能力丈を明らかにした。
會話はそこで別の題目に移つて、再び小六の上にも叔母の上にも歸つて來なかつた。それから二三日すると丁度土曜が來たので、宗助は役所の歸りに、番町の叔母の所へ寄つて見た。叔母は、
「おや〳〵、まあ御珍らしい事」と云つて、何時もよりは愛想よく宗助を款待して呉れた。其時宗助は厭なのを我慢して、此四五年來溜めて置いた質問を始めて叔母に掛けた。叔母は固より出來る丈は辯解しない譯に行かなかつた。
叔母の云ふ所によると、宗助の邸宅を賣拂つた時、叔父の手に這入つた金は、慥には覺えてゐないが、何でも、宗助のために、急場の間に合せた借財を返した上、猶四千五百圓とか四千三百圓とか餘つたさうである。所が叔父の意見によると、あの屋敷は宗助が自分に提供して行つたのだから、たとひ幾何餘らうと、餘つた分は自分の所得と見傚して差支ない。然し宗助の邸宅を賣つて儲けたと云はれては心持が惡いから、是は小六の名義で保管して置いて、小六の財産にして遣る。宗助はあんな事をして廢嫡に迄されかゝつた奴だから、一文だつて取る權利はない。
「宗さん怒つちや不可ませんよ。たゞ叔父さんの云つた通りを話すんだから」と叔母が斷つた。宗助は默つてあとを聞いてゐた。
小六の名義で保管されべき財産は、不幸にして、叔父の手腕で、すぐ神田の賑やかな表通りの家屋に變形した。さうして、まだ保險を付けないうちに、火事で燒けて仕舞つた。小六には始めから話してない事だから、其儘にして、わざと知らせずに置いた。
「さう云ふ譯でね、まことに宗さんにも、御氣の毒だけれども、何しろ取つて返しの付かない事だから仕方がない。運だと思つて諦らめて下さい。尤も叔父さんさへ生きてゐれば、又何うともなるんでせうさ。小六一人位そりや譯はありますまいよ。よしんば、叔父さんが居なさらない、今にしたつて、此方の都合さへ好ければ、燒けた家と同じ丈のものを、小六に返すか、それでなくつても、當人の卒業する迄位は、何うにかして世話も出來るんですけれども」と云つて叔母は又外の内幕話をして聞かせた。それは安之助の職業に就てゞあつた。
安之助は叔父の一人息子で、此夏大學を出た許の青年である。家庭で暖かに育つた上に、同級の學生位より外に交際のない男だから、世の中の事には寧ろ迂濶と云つても可いが、其迂濶な所に何處か鷹揚な趣を具へて實社會へ顏を出したのである。專門は工科の器械學だから、企業熱の下火になつた今日と雖、日本中に澤山ある會社に、相應の口の一つや二つあるのは、勿論であるが、親讓りの山氣が何處かに潛んでゐるものと見えて、自分で自分の仕事をして見たくてならない矢先へ、同じ科の出身で、小規模ながら專有の工場を月島邊に建てゝ、獨立の經營をやつてゐる先輩に出逢つたのが縁となつて、其先輩と相談の上、自分も幾分かの資本を注ぎ込んで、一所に仕事をして見樣といふ考になつた。叔母の内幕話と云つたのは其所である。
「でね、少し有つた株をみんな其方へ廻す事にしたもんだから、今ぢや本當に一文なし同然な仕儀でゐるんですよ。それは世間から見ると、人數は少なし、家邸は持つてゐるし、樂に見えるのも無理のない所でせうさ。此間も原の御母さんが來て、まあ貴方程氣樂な方はない、何時來て見ても萬年青の葉ばかり丹念に洗つてゐるつてね。眞逆左うでも無いんですけれども」と叔母が云つた。
宗助が叔母の説明を聞いた時は、ぼんやりして兎角の返事が容易に出なかつた。心のなかで、是は神經衰弱の結果、昔の樣に機敏で明快な判斷を、すぐ作り上げる頭が失くなつた證據だらうと自覺した。叔母は自分の云ふ通りが、宗助に本當と受けられないのを氣にする樣に、安之助から持ち出した資本の高迄話した。それは五千圓程であつた。安之助は當分の間、僅かな月給と、此五千圓に對する利益配當とで暮らさなければならないのださうである。
「其配當だつて、まだ何うなるか分りやしないんでさあね。旨く行つた所で、一割か一割五分位なものでせうし、又一つ間違へば丸で烟にならないとも限らないんですから」と叔母が付け加へた。
宗助は叔母の仕打に、是と云ふ目立つた阿漕な所も見えないので、心の中では少なからず困つたが、小六の將來に就いて一口の掛合もせずに歸るのは如何にも馬鹿々々しい氣がした。そこで今迄の問題は其所に据ゑつきりにして置いて、自分が當時小六の學資として叔父に預けて行つた千圓の所置を聞き糺して見ると、叔母は、
「宗さん、あれこそ本當に小六が使つちまつたんですよ。小六が高等學校へ這入つてからでも、もう彼是七百圓は掛かつてゐるんですもの」と答へた。
宗助は序だから、それと同時に、叔父に保管を頼んだ書畫や骨董品の成行を確かめて見た。すると、叔母は、
「ありあ飛んだ馬鹿な目に逢つて」と云ひかけたが、宗助の樣子を見て、
「宗さん、何ですか、彼事はまだ御話をしなかつたんでしたかね」と聞いた。宗助がいゝえと答へると、
「おや〳〵、夫ぢや叔父さんが忘れちまつたんですよ」と云ひながら、其顛末を語つて聞かした。
宗助が廣島へ歸ると間もなく、叔父は其賣捌方を眞田とかいふ懇意の男に依頼した。此男は書畫骨董の道に明るいとかいふので、平生そんなものの賣買の周旋をして諸方へ出入するさうであつたが、すぐさま叔父の依頼を引き受けて、誰某が何を欲しいと云ふから、一寸拜見とか、何々氏が斯う云ふ物を希望だから、見せませうとか號して、品物を持つて行つたぎり、返して來ない。催促すると、まだ先方から戻つて參りませんからとか何とか言譯をする丈で甞て埒の明いた試がなかつたが、とう〳〵持ち切れなくなつたと見えて、何處かへ姿を隱して仕舞つた。
「でもね、未だ屏風が一つ殘つてゐますよ。此間引越の時に、氣が付いて、こりや宗さんのだから、今度序があつたら屆けて上げたら可いだらうつて、安がさう云つてゐましたつけ」
叔母は宗助の預けて行つた品物には丸で重きを置いてゐない樣な、ものゝ云ひ方をした。宗助も今日迄放つて置く位だから、あまり其方面には興味を有ち得なかつたので、少しも良心に惱まされてゐる氣色のない叔母の樣子を見ても、別に腹は立たなかつた。それでも、叔母が、
「宗さん、何うせ家ぢや使つてゐないんだから、なんなら持つて御出なすつちや何うです。此頃は彼いふものが、大變價が出たと云ふ話ぢやありませんか」と云つたときは、實際それを持つて歸る氣になつた。
納戸から取り出して貰つて、明るい所で眺めると、慥かに見覺のある二枚折であつた。下に萩、桔梗、芒、葛、女郎花を隙間なく描いた上に、眞丸な月を銀で出して、其横の空いた所へ、野路や空月の中なる女郎花、其一と題してある。宗助は膝を突いて銀の色の黒く焦げた邊から、葛の葉の風に裏を返してゐる色の乾いた樣から、大福程な大きな丸い朱の輪廓の中に、抱一と行書で書いた落款をつく〴〵と見て、父の生きてゐる當時を憶ひ起さずにはゐられなかつた。
父は正月になると、屹度此屏風を薄暗い藏の中から出して、玄關の仕切りに立てて、其前へ紫檀の角な名刺入を置いて、年賀を受けたものである。其時は目出度からと云ふので、客間の床には必ず虎の双幅を懸けた。是は岸駒ぢやない岸岱だと父が宗助に云つて聞かせた事があるのを、宗助はいまだに記憶してゐた。此虎の畫には墨が着いてゐた。虎が舌を出して谷の水を呑んでゐる鼻柱が少し汚されたのを、父は苛く氣にして、宗助を見る度に、御前此所へ墨を塗つた事を覺えてゐるか、是は御前の小さい時分の惡戲だぞと云つて、可笑しい樣な恨めしい樣な一種の表情をした。
宗助は屏風の前に畏まつて、自分が東京にゐた昔の事を考へながら、
「叔母さん、ぢや此屏風は頂戴して行きませう」と云つた。
「あゝ〳〵、御持ちなさいとも。何なら使に持たせて上げませう」と叔母は好意から申し添えた。
宗助は然るべく叔母に頼んで、其日は夫で切り上げて歸つた。晩食の後御米と一所に又縁側へ出て、暗い所で白地の浴衣を並べて、涼みながら、畫の話をした。
「安さんには、御逢ひなさらなかつたの」と御米が聞いた。
「あゝ、安さんは土曜でも何でも夕方迄、工場にゐるんださうだ」
「隨分骨が折れるでせうね」
御米は左う云つたなり、叔父や叔母の處置に就いては、一言の批評も加へなかつた。
「小六の事は何うしたものだらう」と宗助が聞くと、
「さうね」と云ふ丈であつた。
「理窟を云へば、此方にも云ひ分はあるが、云ひ出せば、とゞの詰りは裁判沙汰になる許りだから、證據も何もなければ勝てる譯のものぢやなし」と宗助が極端を豫想すると、
「裁判なんかに勝たなくたつても可いわ」と御米がすぐ云つたので、宗助は苦笑して已めた。
「つまりは己があの時東京へ出られなかつたからの事さ」
「さうして東京へ出られた時は、もうそんな事は何うでも可かつたんですもの」
夫婦はこんな話をしながら、又細い空を庇の下から覗いて見て、明日の天氣を語り合つて蚊帳に這入つた。
次の日曜に宗助は小六を呼んで、叔母の云つた通りを殘らず話して聞かせて、
「叔母さんが御前に詳しい説明をしなかつたのは、短兵急な御前の性質を知つてる所爲か、夫ともまだ小供だと思つてわざと略して仕舞つたのか、其所は己にも分らないが、何しろ事實は今云つた通りなんだよ」と教えた。
小六には如何に詳しい説明も腹の足しにはならなかつた。たゞ、
「左うですか」と云つて六づかしい不滿な顏をして宗助を見た。
「仕方がないよ。叔母さんだつて、安さんだつて、さう惡い料簡はないんだから」
「そりや、分つてゐます」と弟は峻しい物の云ひ方をした。
「ぢや己が惡いつて云ふんだらう。己は無論惡いよ。昔から今日迄惡い所だらけな男だもの」
宗助は横になつて烟草を吹かしながら、是より以上は何とも語らなかつた。小六も默つて、座敷の隅に立てゝあつた二枚折の抱一の屏風を眺めてゐた。
「御前あの屏風を覺えてゐるかい」とやがて兄が聞いた。
「えゝ」と小六が答へた。
「一昨日佐伯から屆けて呉れた。御父さんの持つてたもので、おれの手に殘つたのは、今ぢや是だけだ。是が御前の學資になるなら、今すぐにでも遣るが、剥げた屏風一枚で大學を卒業する譯にも行かずな」と宗助が云つた。さうして苦笑しながら、
「此暑いのに、斯んなものを立てゝ置くのは、氣狂じみてゐるが、入れて置く所がないから、仕方がない」と云ふ述懷をした。
小六は此氣樂な樣な、愚圖の樣な、自分とは餘りに懸け隔つてゐる兄を、何時も物足りなくは思ふものゝ、いざといふ場合に、決して喧嘩はし得なかつた。此時も急に癇癪の角を折られた氣味で、
「屏風は何うでも好いが、是から先僕はどうしたもんでせう」と聞き出した。
「夫は問題だ。何しろ此年一杯に極まれば好い事だから、まあよく考へるさ。おれも考へて置かう」と宗助が云つた。
弟は彼の性質として、そんな中ぶらりんの姿は嫌である、學校へ出ても落付いて稽古も出來ず、下調も手に付かない樣な境遇は、到底自分には堪へられないと云ふ訴を切に遣り出したが、宗助の態度は依然として變らなかつた。小六があまり癇の高い不平を並べると、
「其位な事で夫程不平が並べられゝば、何處へ行つたつて大丈夫だ。學校を已めたつて、一向差支ない。御前の方が己より餘つ程えらいよ」と兄が云つたので、話は夫限頓挫して、小六はとう〳〵本郷へ歸つて行つた。
宗助はそれから湯を浴びて、晩食を濟まして、夜は近所の縁日へ御米と一所に出掛けた。さうして手頃な花物を二鉢買つて、夫婦して一つ宛持つて歸つて來た。夜露に中てた方が可からうと云ふので、崖下の雨戸を明けて、庭先にそれを二つ並べて置いた。
蚊帳の中へ這入つた時、御米は、
「小六さんの事は何うなつて」と夫に聞くと、
「未だ何うもならないさ」と宗助は答へたが、十分許の後夫婦ともすや〳〵寐入つた。
翌日眼が覺めて役所の生活が始まると、宗助はもう小六の事を考へる暇を有たなかつた。家へ歸つて、のつそりしてゐる時ですら、此問題を確的眼の前に描いて明らかにそれを眺める事を憚かつた。髮の毛の中に包んである彼の腦は、其煩はしさに堪えなかつた。昔は數學が好で、隨分込み入つた幾何の問題を、頭の中で明暸な圖にして見る丈の根氣があつた事を憶ひ出すと、時日の割には非常に烈しく來た此變化が自分にも恐ろしく映つた。
それでも日に一度位は小六の姿がぼんやり頭の奧に浮いて來る事があつて、その時丈は、彼奴の將來も何とか考へて置かなくつちやならないと云ふ氣も起つた。然しすぐあとから、まあ急ぐにも及ぶまい位に、自分と打ち消して仕舞ふのが常であつた。さうして、胸の筋が一本鉤に引つ掛つた樣な心を抱いて、日を暮らしてゐた。
其内九月も末になつて、毎晩天の河が濃く見へるある宵の事、空から降つた樣に安之助が遣つて來た。宗助にも御米にも思ひ掛けない程稀な客なので、二人とも何か用があつての訪問だらうと推したが、果して小六に關する件であつた。
此間月島の工場へひよつくり小六が遣つて來て云ふには、自分の學資に就ての詳しい話は兄から聞いたが、自分も今迄學問を遣つて來て、とう〳〵大學へ這入れず仕舞になるのは如何にも殘念だから、借金でも何でもして、行ける所迄行きたいが、何か好い工夫はあるまいかと相談を掛けるので、安之助はよく宗さんにも話して見やうと答へると、小六は忽ちそれを遮ぎつて、兄は到底相談になつて呉れる人ぢやない、自分が大學を卒業しないから、他も中途で已めるのは當然だ位に考へてゐる。元來今度の事も元を糺せば兄が責任者であるのに、あの通り一向平氣なもので、他が何を云つても取り合つて呉れない。だから、たゞ頼りにするのは君丈だ。叔母さんに正式に斷わられながら、又君に依頼するのは可笑しい樣だが、君の方が叔母さんより話が分るだらうと思つて來たと云つて、中々動きさうもなかつたさうである。
安之助は、そんな事はない、宗さんも君の事では大分心配して、近い中又家へ相談に來る筈になつてゐるんだからと慰めて、小六を歸したんだと云ふ。歸るときに、小六は袂から半紙を何枚も出して、缺席屆が入用だから是に判を押して呉れと請求して、僕は退學か在學か片が付く迄は勉強が出來ないから、毎日學校へ出る必要はないんだと云つたさうである。
安之助は忙がしいとかで、一時間足らず話して歸つて行つたが、小六の所置に就ては、兩人の間に具體的の案は別に出なかつた。何れ緩くりみんなで寄つて極めやう、都合がよければ小六も列席するが好からうといふのが別れる時の言葉であつた。二人になつたとき、御米は宗助に、
「何を考へて入らつしやるの」と聞いた。宗助は兩手を兵兒帶の間に挾んで、心持肩を高くしたなり、
「己ももう一返小六見た樣になつて見たい」と云つた。「此方ぢや、向が己の樣な運命に陷るだらうと思つて心配してゐるのに、向ぢや兄貴なんざあ眼中にないから偉いや」
御米は茶器を引いて臺所へ出た。夫婦はそれぎり話を切り上げて、又床を延べて寐た。夢の上に高い銀河が涼しく懸つた。
次の週間には、小六も來ず、佐伯からの音信もなく、宗助の家庭は又平日の無事に歸つた。夫婦は毎朝露の光る頃起きて、美しい日を廂の上に見た。夜は煤竹の臺を着けた洋燈の兩側に、長い影を描いて坐つてゐた。話が途切れた時はひそりとして、柱時計の振子の音丈が聞える事も稀ではなかつた。
夫でも夫婦は此間に小六の事を相談した。小六がもし何うしても學問を續ける氣なら無論の事、さうでなくても、今の下宿を一時引き上げなければならなくなるのは知れてゐるが、左うすれば又佐伯へ歸るか、或は宗助の所へ置くより外に途はない。佐伯では一旦あゝ云ひ出した樣なものゝ、頼んで見たら、當分宅へ置く位の事は、好意上爲てくれまいものでもない。が、其上修業をさせるとなると、月謝小遣其他は宗助の方で擔任しなければ義理が惡い。所が夫は家計上宗助の堪える所でなかつた。月々の收支を事細かに計算して見た兩人は、
「到底駄目だね」
「何うしたつて無理ですわ」と云つた。
夫婦の坐つてゐる茶の間の次が臺所で、臺所の右に下女部屋、左に六疊が一間ある。下女を入れて三人の小人數だから、此六疊には餘り必要を感じない御米は、東向の窓側に何時も自分の鏡臺を置いた。宗助も朝起きて顏を洗つて、飯を濟ますと、此所へ來て着物を脱ぎ更へた。
「夫よりか、あの六疊を空けて、あすこへ來ちや不可なくつて」と御米が云ひ出した。御米の考へでは、斯うして自分の方で部屋と食物丈を分擔して、あとの所を月々幾何か佐伯から助て貰つたら、小六の望み通り大學卒業迄遣つて行かれやうと云ふのである。
「着物は安さんの古いのや、貴方のを直して上げたら、何うかなるでせう」と御米が云ひ添へた。實は宗助にも斯んな考が、多少頭に浮かんで居た。たゞ御米に遠慮がある上に、夫程氣が進まなかつたので、つい口へ出さなかつた迄だから、細君から斯う反對に相談を掛けられて見ると、固よりそれを拒む丈の勇氣はなかつた。
小六に其通りを通知して、御前さへそれで差支なければ、己がもう一遍佐伯へ行つて掛合つて見るがと、手紙で問ひ合せると、小六は郵便の着いた晩、すぐ雨の降る中を、傘に音を立てゝ遣つて來て、もう學資が出來でもした樣に嬉しがつた。
「何、叔母さんの方ぢや、此方で何時迄も貴方の事を放り出したまんま、構はずに置くもんだから、それで彼仰やるのよ。なに兄さんだつて、もう少し都合が好ければ、疾うにも何うにか爲たんですけれども、御存じの通りだから實際已むを得なかつたんですわ。然し此方から斯う云つて行けば、叔母さんだつて、安さんだつて、夫でも否だとは云はれないわ。屹度出來るから安心して居らつしやい。私受合ふわ」
御米にかう受合つて貰つた小六は、又雨の音を頭の上に受けて本郷へ歸つて行つた。しかし中一日置いて、兄さんは未だ行かないんですかと聞きに來た。又三日許過ぎてから、今度は叔母さんの所へ行つて聞いたら、兄さんはまだ來ないさうだから、成るべく早く行く樣に勸めて呉れと催促して行つた。
宗助が行く行くと云つて、日を暮らしてゐるうちに世の中は漸く秋になつた。その朗らかな或日曜の午後に、宗助はあまり佐伯へ行くのが後れるので、此要件を手紙に認めて番町へ相談したのである。すると、叔母から安之助は神戸へ行つて留守だと云ふ返事が來たのである。
佐伯の叔母の尋ねて來たのは、土曜の午後の二時過であつた。其日は例になく朝から雲が出て、突然と風が北に變つた樣に寒かつた。叔母は竹で編んだ丸い火桶の上へ手を翳して、
「何ですね、御米さん、此御部屋は夏は涼しさうで結構だが、是からはちと寒う御座んすね」と云つた。叔母は癖のある髮を、奇麗に髷に結つて、古風な丸打の羽織の紐を、胸の所で結んでゐた。酒の好きな質で、今でも少しづゝは晩酌を遣る所爲か、色澤もよく、でつぷり肥つてゐるから、年よりは餘程若く見える。御米は叔母が來るたんびに、叔母さんは若いのねと、後でよく宗助に話した。すると宗助が何時でも、若い筈だ、あの年になる迄、子供をたつた一人しか生まないんだからと説明した。御米は實際さうかも知れないと思つた。さうして斯う云はれた後では、折々そつと六疊へ這入つて、自分の顏を鏡に映して見た。其時は何だか自分の頬が見る度に瘠けて行く樣な氣がした。御米には自分と子供とを連想して考へる程辛い事はなかつたのである。裏の家主の宅に、小さい子供が大勢ゐて、夫が崖の上の庭へ出て、ブランコへ乘つたり、鬼ごつこを遣つたりして騷ぐ聲が、能く聞えると、御米は何時でも、果敢ない樣な恨めしい樣な心持になつた。今自分の前に坐つてゐる叔母は、たつた一人の男の子を生んで、その男の子が順當に育つて、立派な學士になつたればこそ、叔父が死んだ今日でも、何不足のない顏をして、腮などは二重に見える位に豐なのである。御母さんは肥つてるから劍呑だ、氣を付けないと卒中で遣られるかも知れないと、安之助が始終心配するさうだけれども、御米から云はせると、心配する安之助も、心配される叔母も、共に幸福を享け合つてゐるものとしか思はれなかつた。
「安さんは」と御米が聞いた。
「えゝ漸くね、あなた。一昨日の晩歸りましてね。夫でつい〳〵御返事も後れちまつて、まことに濟みません樣な譯で」と云つたが、返事の方は夫なりにして、話は又安之助へ戻つて來た。
「あれもね、御蔭さまで漸く學校丈は卒業しましたが、是からが大事の所で、心配で御座います。──夫でも此九月から、月島の工場の方へ出る事になりまして、まあ幸と此分で勉強さへして行つて呉れゝば、此末ともに、さう惡い事も無からうかと思つてるんですけれども、まあ若いものゝ事ですから、是から先何う變化るか分りやしませんよ」
御米はたゞ結構で御座いますとか、御目出たう御座いますとか云ふ言葉を、間々に挾んでゐた。
「神戸へ參つたのも、全く其方の用向なので。石油發動機とか何とか云ふものを鰹船へ据ゑ付けるんだとかつてね貴方」
御米には丸で意味が分らなかつた。分らない乍らたゞへえゝと受けてゐると、叔母はすぐ後を話した。
「私にも何のこつたか、些とも分らなかつたんですが、安之助の講釋を聞いて始めて、おやさうかいと云ふ樣な譯でしてね。──尤も石油發動機は今以て分らないんですけれども」と云ひながら、大きな聲を出して笑つた。「何でも石油を焚いて、それで船を自由にする器械なんださうですが、聞いて見ると餘程重寶なものらしいんですよ。夫さへ付ければ、舟を漕ぐ手間が丸で省けるとかでね。五里も十里も沖へ出るのに、大變樂なんですとさ。所が貴方、此日本全國で鰹船の數つたら、夫こそ大したものでせう。その鰹船が一つ宛此器械を具へ付ける樣になつたら、莫大な利益だつて云ふんで、此頃は夢中になつて其方ばつかりに掛つてゐる樣ですよ。莫大な利益は有難いが、さう凝つて身體でも惡くしちや詰らないぢやないかつて、此間も笑つた位で」
叔母はしきりに鰹船と安之助の話をした。さうして大變得意の樣に見えたが、小六の事は中々云ひ出さなかつた。もう疾に歸る筈の宗助も何うしたか歸つて來なかつた。
彼は其日役所の歸り掛けに駿河臺下迄來て、電車を下りて、酸いものを頬張つた樣な口を穿めて一二町歩いた後、ある齒醫者の門を潛つたのである。三四日前彼は御米と差向ひで、夕飯の膳に着いて、話しながら箸を取つてゐる際に、何うした拍子か、前齒を逆にぎりゝと噛んでから、それが急に痛み出した。指で搖かすと、根がぐら〳〵する。食事の時には湯茶が染みる。口を開けて息をすると風も染みた。宗助は此朝齒を磨くために、わざと痛い所を避けて楊枝を使ひながら、口の中を鏡に照らして見たら、廣島で銀を埋めた二枚の奧齒と、研いだ樣に磨り減らした不揃の前齒とが、俄かに寒く光つた。洋服に着換える時、
「御米、己は齒の性が餘程惡いと見えるね。斯うやると大抵動くぜ」と下齒を指で動かして見せた。御米は笑ひながら、
「もう御年の所爲よ」と云つて白い襟を後へ廻つて襯衣へ着けた。
宗助は其日の午後とう〳〵思い切つて、齒醫者へ寄つたのである。應接間へ通ると、大きな洋卓の周圍に天鵞絨で張つた腰掛が并んでゐて、待ち合してゐる三四人が、うづくまる樣に腮を襟に埋めてゐた。それが皆女であつた。奇麗な茶色の瓦斯暖爐には火がまだ焚いてなかつた。宗助は大きな姿見に映る白壁の色を斜めに見て、番の來るのを待つてゐたが、あまり退屈になつたので、洋卓の上に重ねてあつた雜誌に眼を着けた。一二册手に取つて見ると、いづれも婦人用のものであつた。宗助は其口繪に出てゐる女の寫眞を、何枚も繰り返して眺めた。夫から「成効」と云ふ雜誌を取り上げた。其初めに、成效の祕訣といふ樣なものが箇條書にしてあつたうちに、何でも猛進しなくつては不可ないと云ふ一ヶ條と、たゞ猛進しても不可ない、立派な根底の上に立つて、猛進しなくつてはならないと云ふ一ヶ條を讀んで、それなり雜誌を伏せた。「成效」と宗助は非常に縁の遠いものであつた。宗助は斯ういふ名の雜誌があると云ふ事さへ、今日迄知らなかつた。それで又珍らしくなつて、一旦伏せたのを又開けて見ると、不圖假名の交らない四角な字が二行程並んでゐた。夫には風碧落を吹いて浮雲盡き、月東山に上つて玉一團とあつた。宗助は詩とか歌とかいふものには、元から餘り興味を持たない男であつたが、どう云ふ譯か此二句を讀んだ時に大變感心した。對句が旨く出來たとか何とか云ふ意味ではなくつて、斯んな景色と同じ樣な心持になれたら、人間も嘸嬉しからうと、ひよつと心が動いたのである。宗助は好奇心から此句の前に付いてゐる論文を讀んで見た。然し夫は丸で無關係の樣に思はれた。只此二句が雜誌を置いた後でも、しきりに彼の頭の中を徘徊した。彼の生活は實際此四五年來斯ういふ景色に出逢つた事がなかつたのである。
其時向ふの戸が開いて、紙片を持つた書生が野中さんと宗助を手術室へ呼び入れた。
中へ這入ると、其所は應接間よりも倍も廣かつた。光線が成るべく餘計取れる樣に明るく拵らへた部屋の二側に、手術用の椅子を四臺程据ゑて、白い胸掛をかけた受持の男が、一人づゝ別々に療治をしてゐた。宗助は一番奧の方にある一脚に案内されて、是へと云はれるので、踏段の樣なものの上へ乘つて、椅子へ腰を卸した。書生が厚い縞入の前掛で丁寧に膝から下を包んで呉れた。
斯う穩やかに寐かされた時、宗助は例の齒が左程苦になる程痛んでゐないと云ふ事を發見した。夫ばかりか、肩も脊も、腰の周りも、心安く落ち付いて、如何にも樂に調子が取れてゐる事に氣が付いた。彼はたゞ仰向いて天井から下つてゐる瓦斯管を眺めた。さうして此構と設備では、歸りがけに思つたより高い療治代を取られるかも知れないと氣遣つた。
所へ顏の割に頭の薄くなり過ぎた肥つた男が出て來て、大變丁寧に挨拶をしたので、宗助は少し椅子の上で狼狽た樣に首を動かした。肥つた男は一應容體を聞いて、口中を檢査して、宗助の痛いと云ふ齒を一寸搖つて見たが、
「何うも斯う弛みますと、到底元の樣に緊る譯には參りますまいと思ひますが。何しろ中がエソになつて居りますから」と云つた。
宗助は此宣告を淋しい秋の光の樣に感じた。もうそんな年なんでせうかと聞いて見たくなつたが、少し極りが惡いので、たゞ、
「ぢや癒らないんですか」と念を押した。
肥つた男は笑ひながら斯う云つた。──
「まあ癒らないと申し上げるより外に仕方が御座んせんな。已を得なければ、思ひ切つて拔いて仕舞ふんですが、今の所では、まだ夫程でも御座いますまいから、たゞ御痛み丈を留めて置きませう。何しろエソ──エソと申しても御分りにならないかも知れませんが、中が丸で腐つて居ります」
宗助は、左うですかと云つて、たゞ肥つた男のなすが儘にして置いた。すると彼は器械をぐる〳〵廻して宗助の齒の根へ穴を開け始めた。さうして其中へ細長い針の樣なものを刺し通しては、其先を嗅いでゐたが、仕舞に糸程な筋を引き出して、神經が是丈取れましたと云ひながら、それを宗助に見せて呉れた。それから藥で其穴を埋めて、明日又入らつしやいと注意を與へた。
椅子を下りるとき、身體が眞直ぐになつたので、視線の位置が天井から不圖庭先に移つたら、其所にあつた高さ五尺もあらうと云ふ大きな鉢栽の松が宗助の眼に這入つた。其根方の所を、草鞋がけの植木屋が丁寧に薦で包んでゐた。段々露が凝つて霜になる時節なので、餘裕のあるものは、もう今時分から手廻しをするのだと氣が付いた。
歸りがけに玄關脇の藥局で、粉藥の儘含嗽劑を受取つて、それを百倍の微温湯に溶解して、一日十數回使用すべき注意を受けた時、宗助は會計の請求した治療代の案外廉なのを喜んだ。是ならば向ふで云ふ通り四五回通つた所が、さして困難でもないと思つて、靴を穿かうとすると、今度は靴の底が何時の間にか破れてゐる事に氣が付いた。
宅へ着いた時は一足違で叔母がもう歸つたあとであつた。宗助は、
「おゝ、左うだつたか」と云ひながら、甚だ面倒さうに洋服を脱ぎ更へて、何時もの通り火鉢の前に坐つた。御米は襯衣や洋袴や靴足袋を一抱にして六疊へ這入つた。宗助はぼんやりして、烟草を吹かし始めたが、向ふの部屋で、刷毛を掛ける音がし出した時、
「御米、佐伯の叔母さんは何とか云つて來たのかい」と聞いた。
齒痛が自から治まつたので、秋に襲はれる樣な寒い氣分は、少し輕くなつたけれども、やがて御米が隱袋から取り出して來た粉藥を、温ま湯に溶いて貰つて、しきりに含嗽を始めた。其時彼は縁側へ立つた儘、
「何うも日が短かくなつたなあ」と云つた。
やがて日が暮れた。晝間からあまり車の音を聞かない町内は、宵の口から寂としてゐた。夫婦は例の通り洋燈の下に寄つた。廣い世の中で、自分達の坐つてゐる所丈が明るく思はれた。さうして此明るい灯影に、宗助は御米丈を、御米は又宗助丈を意識して、洋燈の力の屆かない暗い社會は忘れてゐた。彼等は毎晩かう暮らして行く裡に、自分達の生命を見出してゐたのである。
此靜かな夫婦は安之助の神戸から土産に買つて來たと云ふ養老昆布の罐をがら〳〵振つて、中から山椒入りの小さく結んだ奴を撰り出しながら、緩くり佐伯からの返事を語り合つた。
「然し月謝と小遣位は都合して遣つて呉れても好ささうなもんぢやないか」
「それが出來ないんだつて。何う見積つても兩方寄せると、十圓にはなる。十圓と云ふ纏つた御金を、今の所月々出すのは骨が折れるつて云ふのよ」
「夫ぢや此年の暮迄二十何圓づゝか出して遣るのも無理ぢやないか」
「だから、無理をしても、もう一二ヶ月の所丈は間に合せるから、其内に何うかして下さいと、安さんが左う云ふんだつて」
「實際出來ないのかな」
「夫りや私には分らないわ。何しろ叔母さんが、左う云ふのよ」
「鰹舟で儲けたら、其位譯なささうなもんぢやないか」
「本當ね」
御米は低い聲で笑つた。宗助も一寸口の端を動かしたが、話はそれで途切れて仕舞つた。しばらくしてから、
「何しろ小六は家へ來ると極めるより外に道はあるまいよ。後は其上の事だ。今ぢや學校へは出てゐるんだね」と宗助が云つた。
「さうでせう」と御米が答へるのを聞き流して、彼は珍らしく書齋に這入つた。一時間程して、御米がそつと襖を開けて覗いて見ると、机に向つて、何か讀んでゐた。
「勉強? もう御休みなさらなくつて」と誘はれた時、彼は振り返つて、
「うん、もう寐よう」と答へながら立ち上つた。
寐る時、着物を脱いで、寐卷の上に、絞りの兵兒帶をぐる〳〵卷きつけながら、
「今夜は久し振に論語を讀んだ」と云つた。
「論語に何かあつて」と御米が聞き返したら、宗助は、
「いや何にもない」と答へた。それから、「おい、己の齒は矢つ張り年の所爲だとさ。ぐら〳〵するのは到底癒らないさうだ」と云ひつゝ、黒い頭を枕の上に着けた。
小六は兎も角も都合次第下宿を引き拂つて兄の家へ移る事に相談が調つた。御米は六疊に置き付けた桑の鏡臺を眺めて、一寸殘り惜しい顏をしたが、
「斯うなると少し遣場に困るのね」と訴へる樣に宗助に告げた。實際此所を取り上げられては、御米の御化粧をする場所が無くなつて仕舞ふのである。宗助は何の工夫も付かずに、立ちながら、向ふの窓側に据ゑてある鏡の裏を斜に眺めた。すると角度の具合で、其所に御米の襟元から片頬が映つてゐた。それが如何にも血色のわるい横顏なのに驚ろかされて、
「御前、何うかしたのかい。大變色が惡いよ」と云ひながら、鏡から眼を放して、實際の御米の姿を見た。鬢が亂れて、襟の後の邊が垢で少し汚れてゐた。御米はたゞ、
「寒い所爲なんでせう」と答へて、すぐ西側に付いてゐる一間の戸棚を明けた。下には古い創だらけの箪笥があつて、上には支那鞄と柳行李が二つ三つ載つてゐた。
「こんなもの、何うしたつて片付樣がないわね」
「だから其儘にして置くさ」
小六の此所へ引移つて來るのは、斯う云ふ點から見て、夫婦の何れにも、多少迷惑であつた。だから來ると云つて約束して置きながら、今だに來ない小六に對しては、別段の催促もしなかつた。一日延びれば延びた丈窮屈が逃げた樣な氣が何所かでした。小六にも丁度それと同じ憚があつたので、居られる限は下宿にゐる方が便利だと胸を極めたものか、つい一日〳〵と引越を前へ送つてゐた。其癖彼の性質として、兄夫婦の如く、荏苒の境に落付いてはゐられなかつたのである。
其内薄い霜が降りて、裏の芭蕉を見事に摧いた。朝は崖上の家主の庭の方で、鵯が鋭どい聲を立てた。夕方には表を急ぐ豆腐屋の喇叭に交つて、圓明寺の木魚の音が聞えた。日は益短かくなつた。さうして御米の顏色は、宗助が鏡の中に認めた時よりも、爽かにはならなかつた。夫が役所から歸つて來て見ると、六疊で寐てゐる事が一二度あつた。何うかしたかと尋ねると、たゞ少し心持が惡いと答へる丈であつた。醫者に見て貰へと勸めると、夫には及ばないと云つて取り合はなかつた。
宗助は心配した。役所へ出てゐても能く御米の事が氣に掛つて、用の邪魔になるのを意識する時もあつた。所がある日歸りがけに突然電車の中で膝を拍つた。その日は例になく元氣よく格子を明けて、すぐと勢よく今日は何うだいと御米に聞いた。御米が何時もの通り服や靴足袋を一纏めにして、六疊へ這入る後から追いて來て、
「御米、御前子供が出來たんぢやないか」と笑ひながら云つた。御米は返事もせずに俯向いてしきりに夫の脊廣の埃を拂つた。刷毛の音が已んでも中々六疊から出て來ないので、又行つて見ると、薄暗い部屋の中で、御米はたつた一人寒さうに、鏡臺の前に坐つてゐた。はいと云つて立つたが、其聲が泣いた後の聲の樣であつた。
其晩夫婦は火鉢に掛けた鐵瓶を、双方から手で掩ふ樣にして差し向つた。
「何うですな世の中は」と宗助が例にない浮いた調子を出した。御米の頭の中には、夫婦にならない前の、宗助と自分の姿が奇麗に浮んだ。
「ちつと、面白くしやうぢやないか。此頃は如何にも不景氣だよ」と宗助が又云つた。二人は夫から今度の日曜には一所に何所へ行かうか、此所へ行かうかと、しばらく夫許話し合つてゐた。夫から二人の春着の事が題目になつた。宗助の同僚の高木とか云ふ男が、細君に小袖とかを強請られた時、おれは細君の虚榮心を滿足させる爲に稼いでるんぢやないと云つて跳ね付けたら、細君がそりや非道い、實際寒くなつても着て出るものがないんだと辯解するので、寒ければ已を得ない、夜具を着るとか、毛布を被るとかして、當分我慢しろと云つた話を、宗助は可笑しく繰り返して御米を笑はした。御米は夫の此樣子を見て、昔が又眼の前に戻つた樣な氣がした。
「高木の細君は夜具でも構はないが、おれは一つ新らしい外套を拵えたいな。此間齒醫者へ行つたら、植木屋が薦で盆栽の松の根を包んでゐたので、つく〴〵左う思つた」
「外套が欲しいつて」
「あゝ」
御米は夫の顏を見て、さも氣の毒だと云ふ風に、
「御拵らえなさいな。月賦で」と云つた。宗助は、
「まあ止さうよ」と急に侘しく答へた。さうして「時に小六は何時から來る氣なんだらう」と聞いた。
「來るのは厭なんでせう」と御米が答へた。御米には、自分が始めから小六に嫌はれてゐると云ふ自覺があつた。それでも夫の弟だと思ふので、成るべくは反を合せて、少しでも近づける樣に〳〵と、今日迄仕向けて來た。その爲か、今では以前と違つて、まあ普通の小舅位の親しみはあると信じてゐる樣なものゝ、斯んな場合になると、つい實際以上にも氣を回して、自分丈が小六の來ない唯一の原因の樣に考へられるのであつた。
「そりや下宿からこんな所へ移るのは好かあないだらうよ。丁度此方が迷惑を感ずる通り、向ふでも窮屈を感ずる譯だから。おれだつて、小六が來ないとすれば、今のうち思ひ切つて外套を作る丈の勇氣があるんだけれども」
宗助は男丈に思ひ切つて斯う云つて仕舞つた。けれども是丈では御米の心を盡してゐなかつた。御米は返事もせずに、しばらく默つてゐたが、細い腮を襟の中へ埋めた儘、上眼を使つて、
「小六さんは、まだ私の事を惡んでゐらつしやるでせうか」と聞き出した。宗助が東京へ來た當座は、時々是に類似の質問を御米から受けて、其都度慰めるのに大分骨の折れた事もあつたが、近來は全く忘れた樣に何も云はなくなつたので、宗助もつい氣に留めなかつたのである。
「又ヒステリーが始まつたね。好いぢやないか小六なんぞが、何う思つたつて。己さえ付いてれば」
「論語にさう書いてあつて」
御米は斯んな時に、斯ういふ冗談を云ふ女であつた。宗助は
「うん、書いてある」と答へた。夫で二人の會話が仕舞になつた。
翌日宗助が眼を覺ますと、亞鉛張の庇の上で寒い音がした。御米が襷掛の儘枕元へ來て、
「さあ、もう時間よ」と注意したとき、彼は此點滴の音を聞きながら、もう少し暖かい蒲團の中に温もつてゐたかつた。けれども血色の可くない御米の、甲斐々々しい姿を見るや否や、
「おい」と云つて直起き上つた。
外は濃い雨に鎖されてゐた。崖の上の孟宗竹が時々鬣を振ふ樣に、雨を吹いて動いた。此侘びしい空の下へ濡れに出る宗助に取つて、力になるものは、暖かい味噌汁と暖かい飯より外になかつた。
「又靴の中が濡れる。何うしても二足持つてゐないと困る」と云つて、底に小さい穴のあるのを仕方なしに穿いて、洋袴の裾を一寸許まくり上げた。
午過に歸つて來て見ると、御米は金盥の中に雜巾を浸けて、六疊の鏡臺の傍に置いてゐた。其上の所丈天井の色が變つて、時々雫が落ちて來た。
「靴ばかりぢやない。家の中迄濡れるんだね」と云つて宗助は苦笑した。御米は其晩夫の爲に置炬燵へ火を入れて、スコツチの靴下と縞羅紗の洋袴を乾かした。
明る日も亦同じ樣に雨が降つた。夫婦も亦同じ樣に同じ事を繰り返した。その明る日もまだ晴れなかつた。三日目の朝になつて、宗助は眉を縮めて舌打をした。
「何時迄降る氣なんだ。靴がじめ〳〵して我慢にも穿けやしない」
「六疊だつて困るわ、あゝ漏つちや」
夫婦は相談して、雨が晴れ次第、家根を繕つて貰ふ樣に家主へ掛け合ふ事にした。けれども靴の方は何とも仕樣がなかつた。宗助はきしんで這入らないのを無理に穿いて出て行つた。
幸に其日は十一時頃からからりと晴れて、垣に雀の鳴く小春日和になつた。宗助が歸つた時、御米は例より冴え〴〵しい顏色をして、
「貴方、あの屏風を賣つちや不可なくつて」と突然聞いた。抱一の屏風は先達て佐伯から受取つた儘、元の通り書齋の隅に立てゝあつたのである。二枚折だけれども、座敷の位置と廣さから云つても、實は寧ろ邪魔な裝飾であつた。南へ廻すと、玄關からの入口を半分塞いで仕舞ふし、東へ出すと暗くなる、と云つて、殘る一方へ立てれば床の間を隱すので、宗助は、
「折角親爺の記念だと思つて、取つて來た樣なものゝ、仕樣がないね是ぢや、場塞げで」と零した事も一二度あつた。其都度御米は眞丸な縁の燒けた銀の月と、絹地から殆んど區別出來ない樣な穗芒の色を眺めて、斯んなものを珍重する人の氣が知れないと云ふ樣な見えをした。けれども、夫を憚つて、明白さまには何とも云ひ出さなかつた。たゞ一返
「是でも可い繪なんでせうかね」と聞いた事があつた。其時宗助は始めて抱一の名を御米に説明して聞かした。然しそれは自分が昔し父から聞いた覺のある、朧氣な記憶を好加減に繰り返すに過ぎなかつた。實際の畫の價値や、又抱一に就ての詳しい歴史などに至ると宗助にも其實甚だ覺束なかつたのである。
所がそれが偶然御米のために妙な行爲の動機を構成る原因となつた。過去一週間夫と自分の間に起つた會話に、不圖此知識を結び付けて考へ得た彼女は一寸微笑んだ。この日雨が上つて、日脚がさつと茶の間の障子に射した時、御米は不斷着の上へ、妙な色の肩掛とも、襟卷とも付かない織物を纏つて外へ出た。通りを二丁目程來て、それを電車の方角へ曲つて眞直に來ると、乾物屋と麺麭屋の間に、古道具を賣つてゐる可なり大きな店があつた。御米はかつて其所で足の疊み込める食卓を買つた記憶がある。今火鉢に掛けてある鐵瓶も、宗助が此所から提げて歸つたものである。
御米は手を袖にして道具屋の前に立ち留まつた。見ると相變らず新らしい鐵瓶が澤山並べてあつた。其外には時節柄とでも云ふのか火鉢が一番多く眼に着いた。然し骨董と名のつく程のものは、一つもない樣であつた。ひとり何とも知れぬ大きな龜の甲が、眞向に釣るしてあつて、其下から長い黄ばんだ拂子が尻尾の樣に出てゐた。それから紫檀の茶棚が一つ二つ飾つてあつたが、何れも狂の出さうな生なもの許であつた。然し御米にはそんな區別は一向映らなかつた。たゞ掛物も屏風も一つも見當らない事丈確かめて、中へ這入つた。
御米は無論夫が佐伯から受取つた屏風を、幾何かに賣り拂ふ積でわざ〳〵此所迄足を運んだのであるが、廣島以來かう云ふ事に大分經驗を積んだ御蔭で、普通の細君の樣な努力も苦痛も感ぜずに、思ひ切つて亭主と口を利く事が出來た。亭主は五十恰好の色の黒い頬の瘠た男で、鼈甲の縁を取つた馬鹿に大きな眼鏡を掛けて、新聞を讀みながら、疣だらけの唐金の火鉢に手を翳してゐた。
「さうですな、拜見に出ても可うがす」と輕く受合つたが、別に氣の乘つた樣子もないので、御米は腹の中で少し失望した。然し自分からが既に大した望を抱いて出て來た譯でもないので、斯う簡易に受けられると、此方から頼む樣にしても、見て貰はなければならなかつた。
「可うがす。ぢや後程伺ひませう。今小僧が一寸出て居りませんからな」
御米は此存在な言葉を聞いて其儘宅へ歸つたが、心の中では、果して道具屋が來るか來ないか甚だ疑はしく思つた。一人で何時もの樣に簡單な食事を濟まして、清に膳を下げさしてゐると、いきなり御免下さいと云つて、大きな聲を出して道具屋が玄關から遣つて來た。座敷へ上げて、例の屏風を見せると、成程と云つて裏だの縁だのを撫でてゐたが、
「御拂になるなら」と少し考へて、「六圓に頂いて置きませう」と否々さうに價を付けた。御米には道具屋の付けた相場が至當の樣に思はれた。けれども一應宗助に話してからでなくつては、餘り專斷過ぎると心付いた上、品物の歴史が歴史だけに、猶更遠慮して、何れ歸つたら能く相談して見た上でと答へた儘、道具屋を歸さうとした。道具屋は出掛に、
「ぢや、奧さん折角だから、もう一圓奮發しませう。夫で御拂ひ下さい」と云つた。御米は其時思ひ切つて、
「でも、道具屋さん、ありや抱一ですよ」と答へて、腹の中ではひやりとした。道具屋は、平氣で、
「抱一は近來流行ませんからな」と受け流したが、じろ〳〵御米の姿を眺めた上、
「ぢや猶能く御相談なすつて」と云ひ捨てゝ歸つて行つた。
御米は其時の模樣を詳しく話した後で、
「賣つちや不可なくつて」と又無邪氣に聞いた。
宗助の頭の中には、此間から物質上の欲求が、絶えず動いてゐた。たゞ地味な生活をしなれた結果として、足らぬ家計を足ると諦らめる癖が付いてゐるので、毎月極つて這入るものゝ外には、臨時に不意の工面をしてまで、少しでも常以上に寛ろいで見やうと云ふ働は出なかつた。話を聞いたとき彼は寧ろ御米の機敏な才覺に驚ろかされた。同時に果して夫丈の必要があるかを疑つた。御米の思はくを聞いて見ると、此所で十圓足らずの金が入れば、宗助の穿く新らしい靴を誂らへた上、銘仙の一反位は買へると云ふのである。宗助は夫もさうだと思つた。けれども親から傳はつた抱一の屏風を一方に置いて、片方に新らしい靴及び新らしい銘仙を並べて考へて見ると、此二つを交換する事が如何にも突飛で且滑稽であつた。
「賣るなら賣つて可いがね。どうせ家に在つたつて邪魔になる許だから。けれども己はまだ靴は買はないでも濟むよ。此間中見た樣に、降り續けに降られると困るが、もう天氣も好くなつたから」
「だつて又降ると困るわ」
宗助は御米に對して永久に天氣を保證する譯にも行かなかつた。御米も降らない前に是非屏風を賣れとも云ひかねた。二人は顏を見合して笑つてゐた。やがて、
「安過ぎるでせうか」と御米が聞いた。
「左うさな」と宗助が答へた。
彼は安いと云はれゝば、安い樣な氣がした。もし買手があれば、買手の出す丈の金は幾何でも取りたかつた。彼は新聞で、近來古書畫の入札が非常に高價になつた事を見た樣な心持がした。責めてそんなものが一幅でもあつたらと思つた。けれども夫は自分の呼吸する空氣の屆くうちには、落ちてゐないものと諦めてゐた。
「買手にも因るだらうが、賣手にも因るんだよ。いくら名畫だつて、己が持つてゐた分には到底さう高く賣れつこはないさ。然し七圓や八圓てえな、餘り安い樣だね」
宗助は抱一の屏風を辯護すると共に、道具屋をも辯護する樣な語氣を洩らした。さうしてたゞ自分丈が辯護に價しないものゝ樣に感じた。御米も少し氣を腐らした氣味で、屏風の話は夫なりにした。
翌日宗助は役所へ出て、同僚の誰彼に此話をした。すると皆申し合せた樣に、夫は價ぢやないと云つた。けれども誰も自分が周旋して、相當の價に賣拂つてやらうと云ふものはなかつた。又どう云ふ筋を通れば、馬鹿な目に逢はないで濟むといふ手續を教へて呉れるものもなかつた。宗助は矢張横町の道具屋に屏風を賣るより外に仕方がなかつた。それでなければ元の通り邪魔でも何でも座敷へ立てゝ置くより外に仕方がなかつた。彼は元の通りそれを座敷へ立てゝ置いた。すると道具屋が來て、あの屏風を十五圓に賣つてくれと云ひ出した。夫婦は顏を見合して微笑んだ。もう少し賣らずに置いて見樣ぢやないかと云つて、賣らずに置いた。すると道具屋が又來た。又賣らなかつた。御米は斷るのが面白くなつて來た。四度目には知らない男を一人連れて來たが、其男とこそこそ相談して、とう〳〵三十五圓に價を付けた。其時夫婦も立ちながら相談した。さうして遂に思ひ切つて屏風を賣り拂つた。
圓明寺の杉が焦げた樣に赭黒くなつた。天氣の好い日には、風に洗はれた空の端ずれに、白い筋の嶮しく見える山が出た。年は宗助夫婦を驅つて日毎に寒い方へ吹き寄せた。朝になると缺かさず通る納豆賣の聲が、瓦を鎖す霜の色を連想せしめた。宗助は床の中で其聲を聞きながら、又冬が來たと思ひ出した。御米は臺所で、今年も去年の樣に水道の栓が氷つて呉れなければ助かるがと、暮から春へ掛けての取越苦勞をした。夜になると夫婦とも炬燵にばかり親しんだ。さうして廣島や福岡の暖かい冬を羨やんだ。
「丸で前の本多さん見た樣ね」と御米が笑つた。前の本多さんと云ふのは、矢張り同じ構内に住んで、同じ坂井の貸家を借りてゐる隱居夫婦であつた。小女を一人使つて、朝から晩迄ことりと音もしない樣に靜かな生計を立てゝゐた。御米が茶の間で、たつた一人裁縫をしてゐると、時々御爺さんと云ふ聲がした。それは此本多の御婆さんが夫を呼ぶ聲であつた。門口抔で行き逢ふと、丁寧に時候の挨拶をして、ちと御話に入らつしやいと云ふが、遂ぞ行つた事もなければ、向ふからも來た試がない。從つて夫婦の本多さんに關する知識は極めて乏しかつた。たゞ息子が一人あつて、それが朝鮮の統監府とかで、立派な役人になつてゐるから、月々其方の仕送で、氣樂に暮らして行かれるのだと云ふ事丈を、出入の商人のあるものから耳にした。
「御爺さんは矢つ張り植木を弄つてゐるかい」
「段々寒くなつたから、もう已めたんでせう。縁の下に植木鉢が澤山並んでるわ」
話は夫から前の家を離れて、家主の方へ移つた。是は、本多とは丸で反對で、夫婦から見ると、此上もない賑やかさうな家庭に思はれた。此頃は庭が荒れてゐるので、大勢の小供が崖の上へ出て騷ぐ事がなくなつたが、ピヤノの音は毎晩の樣にする。折々は下女か何ぞの、臺所の方で高笑をする聲さへ、宗助の茶の間迄響いて來た。
「ありや一體何をする男なんだい」と宗助が聞いた。此問は今迄も幾度か御米に向つて繰り返されたものであつた。
「何にもしないで遊んでるんでせう。地面や家作を持つて」と御米が答へた。此答も今迄にもう何遍か宗助に向つて繰り返されたものであつた。
宗助は是より以上立ち入つて坂井の事を聞いた事がなかつた。學校を已めた當座は、順境にゐて得意な振舞をするものに逢ふと、今に見ろと云ふ氣も起つた。それが少時くすると、單なる憎惡の念に變化した。所が一二年此方は全く自他の差違に無頓着になつて、自分は自分の樣に生れ付いたもの、先は先の樣な運を持つて世の中へ出て來たもの、兩方共始から別種類の人間だから、たゞ人間として生息する以外に、何の交渉も利害もないのだと考へる樣になつてきた。たまに世間話の序として、ありや一體何をしてゐる人だ位は聞きもするが、それより先は、教へて貰ふ努力さへ出すのが面倒だつた。御米にもこれと同じ傾きがあつた。けれども其夜は珍らしく、坂井の主人は四十恰好の髯のない人であると云ふ事やら、ピヤノを彈くのは惣領の娘で十二三になると云ふ事やら、又外の家の小供が遊びに來ても、ブランコへ乘せて遣らないと云ふ事やらを話した。
「何故外の家の子供はブランコへ乘せないんだい」
「詰り吝なんでせう。早く惡くなるから」
宗助は笑ひ出した。彼は其位吝嗇な家主が、屋根が漏ると云へば、すぐ瓦師を寄こして呉れる、垣が腐つたと訴へればすぐ植木屋に手を入れさして呉れるのは矛盾だと思つたのである。
其晩宗助の夢には本多の植木鉢も坂井のブランコもなかつた。彼は十時半頃床に入つて、萬象に疲れた人の樣に鼾をかいた。此間から頭の具合がよくないため、寐付の惡いのを苦にしてゐた御米は、時々眼を開けて薄暗い部屋を眺めた。細い灯が床の間の上に乘せてあつた。夫婦は夜中燈火を點けて置く習慣が付いてゐるので、寐る時はいつでも心を細目にして洋燈を此所へ上げた。
御米は氣にする樣に枕の位置を動かした。さうして其度に、下にしてゐる方の肩の骨を、蒲團の上で滑らした。仕舞には腹這になつた儘、兩肱を突いて、しばらく夫の方を眺めてゐた。夫から起き上つて、夜具の裾に掛けてあつた不斷着を、寐卷の上へ羽織つたなり、床の間の洋燈を取り上げた。
「貴方々々」と宗助の枕元へ來て曲みながら呼んだ。其時夫はもう鼾をかいてゐなかつた。けれども、元の通り深い眠から來る呼吸を續けてゐた。御米は又立ち上つて、洋燈を手にした儘、間の襖を開けて茶の間へ出た。暗い部屋が茫漠手元の灯に照らされた時、御米は鈍く光る箪笥の環を認めた。夫を通り過ぎると黒く燻ぶつた臺所に、腰障子の紙丈が白く見えた。御米は火の氣のない眞中に、少時佇ずんでゐたが、やがて右手に當る下女部屋の戸を、音のしない樣にそつと引いて、中へ洋燈の灯を翳した。下女は縞も色も判然映らない夜具の中に、土龍の如く塊まつて寐てゐた。今度は左側の六疊を覗いた。がらんとして淋しい中に、例の鏡臺が置いてあつて、鏡の表が夜中丈に凄く眼に應へた。
御米は家中を一回回つた後、凡てに異状のない事を確かめた上、又床の中へ戻つた。さうして漸く眼を眠つた。今度は好い具合に、眼蓋のあたりに氣を遣はないで濟む樣に覺えて、少時するうちに、うと〳〵とした。
すると又不圖眼が開いた。何だかずしんと枕元で響いた樣な心持がする。耳を枕から離して考へると、それはある大きな重いものが裏の崖から自分達の寐てゐる座敷の縁の外へ轉がり落ちたとしか思はれなかつた。しかも今眼が覺めるすぐ前に起つた出來事で、決して夢の續ぢやないと考へた時、御米は急に氣味を惡くした。さうして傍に寐てゐる夫の夜具の袖を引いて、今度は眞面目に宗助を起し始めた。
宗助は夫迄全く能く寐てゐたが、急に眼が覺めると、御米が、
「貴方一寸起きて下さい」と搖つてゐたので、半分は夢中に、
「おい、好し」とすぐ蒲團の上へ起き直つた。御米は小聲で先刻からの樣子を話した。
「音は一遍した限なのかい」
「だつて今した許なのよ」
二人はそれで默つた。たゞ凝と外の樣子を伺つてゐた。けれども世間は森と靜であつた。いつまで耳を峙てゝゐても、再び物の落ちて來る氣色はなかつた。宗助は寒いと云ひ乍ら、單衣の寐卷の上へ羽織を被つて、縁側へ出て、雨戸を一枚繰つた。外を覗くと何にも見えない。たゞ暗い中から寒い空氣が俄かに肌に逼つて來た。宗助はすぐ戸を閉てた。
鐉を卸して座敷へ戻るや否や、また蒲團の中へ潛り込んだが、
「何にも變つた事はありやしない。多分御前の夢だらう」と云つて、宗助は横になつた。御米は決して夢でないと主張した。慥に頭の上で大きな音がしたのだと固執した。宗助は夜具から半分出した顏を、御米の方へ振り向けて、
「御米、御前は神經が過敏になつて、近頃何うかしてゐるよ。もう少し頭を休めて能く寐る工夫でもしなくつちや不可ない」と云つた。
其時次の間の柱時計が二時を打つた。其音で二人とも一寸言葉を途切らして、默つて見ると、夜は更に靜まり返つた樣に思はれた。二人は眼が冴えて、すぐ寐付かれさうにもなかつた。御米が、
「でも貴方は氣樂ね。横になると十分經たないうちに、もう寐て入らつしやるんだから」と云つた。
「寐る事は寐るが、氣が樂で寐られるんぢやない。つまり疲れるからよく寐るんだらう」と宗助が答へた。
斯んな話をしてゐるうちに宗助は又寐入つて仕舞つた。御米は依然として、のつそつ床の中で動いてゐた。すると表をがら〳〵と烈しい音を立てゝ車が一臺通つた。近頃御米は時々夜明前の車の音を聞いて驚ろかされる事があつた。さうして夫を思ひ合はせると、何時も似寄つた刻限なので、必竟は毎朝同じ車が同じ所を通るのだらうと推測した。多分牛乳を配達するためか抔で、あゝ急ぐに違ないと極めてゐたから、此音を聞くと等しく、もう夜が明けて、隣人の活動が始つた如くに、心丈夫になつた。さう斯うしてゐると、何所かで鷄の聲が聞えた。又少時すると、下駄の音を高く立てゝ徃來を通るものがあつた。そのうち清が下女部屋の戸を開けて厠へ起きた模樣だつたが、やがて茶の間へ來て時計を見てゐるらしかつた。此時床の間に置いた洋燈の油が減つて、短かい心に屆かなくなつたので、御米の寐てゐる所は眞暗になつてゐた。其所へ清の手にした灯火の影が、襖の間から射し込んだ。
「清かい」と御米が聲を掛けた。
清は夫からすぐ起きた。三十分程經つて御米も起きた。又三十分程經つて宗助も遂に起きた。平常は好い時分に御米が遣つて來て、
「もう起きても可くつてよ」と云ふのが例であつた。日曜とたまの旗日には、それが、
「さあ最う起きて頂戴」に變る丈であつた。然し今日は昨夕の事が何となく氣にかゝるので、御米の迎に來ないうち宗助は床を離れた。さうして直崖下の雨戸を繰つた。
下から覗くと、寒い竹が朝の空氣に鎖されて凝としてゐる後から、霜を破る日の色が射して、幾分か頂を染めてゐた。其二尺程下の勾配の一番急な所に生えてゐる枯草が、妙に摺り剥けて、赤土の肌を生々しく露出した樣子に、宗助は一寸驚ろかされた。それから一直線に降りて、丁度自分の立つてゐる縁鼻の土が、霜柱を摧いた樣に荒れてゐた。宗助は大きな犬でも上から轉がり落ちたのぢやなからうかと思つた。然し犬にしては幾何大きいにしても、餘り勢が烈し過ぎると思つた。
宗助は玄關から下駄を提げて來て、すぐ庭へ下りた。縁の先へ便所が折れ曲つて突き出してゐるので、いとゞ狹い崖下が、裏へ拔ける半間程の所は猶更狹苦しくなつてゐた。御米は掃除屋が來るたびに、此曲り角を氣にしては、
「彼所がもう少し廣いと可いけれども」と危險がるので、よく宗助から笑はれた事があつた。
其所を通り拔けると、眞直に臺所迄細い路が付いてゐる。元は枯枝の交つた杉垣があつて、隣の庭の仕切りになつてゐたが、此間家主が手を入れた時、穴だらけの杉葉を奇麗に取り拂つて、今では節の多い板塀が片側を勝手口迄塞いで仕舞つた。日當りの惡い上に、樋から雨滴ばかり落ちるので、夏になると秋海棠が一杯生える。其盛りな頃は青い葉が重なり合つて、殆んど通り路がなくなる位茂つて來る。始めて越した年は、宗助も御米も此景色を見て驚ろかされた位である。此秋海棠は杉垣のまだ引き拔かれない前から、何年となく地下に蔓つてゐたもので、古家の取り毀たれた今でも、時節が來ると昔の通り芽を吹くものと解つた時、御米は、
「でも可愛いわね」と喜んだ。
宗助が霜を踏んで、此記念の多い横手へ出た時、彼の眼は細長い路次の一點に落ちた。さうして彼は日の通はない寒さの中にはたと留まつた。
彼の足元には黒塗の蒔繪の手文庫が放り出してあつた。中味はわざ〳〵其所へ持つて來て置いて行つた樣に、霜の上にちやんと据つてゐるが、蓋は二三尺離れて、塀の根に打ち付けられた如くに引つ繰り返つて、中を張つた千代紙の模樣が判然見えた。文庫の中から洩れた、手紙や書付類が、其所いらに遠慮なく散らばつてゐる中に、比較的長い一通がわざ〳〵二尺許廣げられて、其先が紙屑の如く丸めてあつた。宗助は近付いて、此揉苦茶になつた紙の下を覗いて覺えず苦笑した。下には大便が垂れてあつた。
土の上に散らばつてゐる書類を一纏にして、文庫の中へ入れて、霜と泥に汚れた儘宗助は勝手口迄持つて來た。腰障子を開けて、清に
「おい是を一寸其所へ置いて呉れ」と渡すと、清は妙な顏をして、不思議さうにそれを受取つた。御米は奧で座敷へ拂塵を掛けてゐた。宗助はそれから懷手をして、玄關だの門の邊を能く見廻つたが、何處にも平常と異なる點は認められなかつた。
宗助は漸く家へ入つた。茶の間へ來て例の通り火鉢の前へ坐つたが、すぐ大きな聲を出して御米を呼んだ。御米は、
「起き拔けに何處へ行つて入らしつたの」と云ひながら奧から出て來た。
「おい昨夜枕元で大きな音がしたのは矢つ張夢ぢやなかつたんだ。泥棒だよ。泥棒が坂井さんの崖の上から宅の庭へ飛び下りた音だ。今裏へ回つて見たら、此文庫が落ちてゐて、中に這入つてゐた手紙なんぞが、無茶苦茶に放り出してあつた。御負に御馳走迄置いて行つた」
宗助は文庫の中から、二三通の手紙を出して御米に見せた。それには皆坂井の名宛が書いてあつた。御米は吃驚して立膝の儘、
「坂井さんぢや外に何か取られたでせうか」と聞いた。宗助は腕組をして、
「ことに因ると、まだ何か遣られたね」と答へた。
夫婦は兎も角もと云ふので、文庫を其所へ置いたなり朝飯の膳に着いた。然し箸を動かす間も泥棒の話は忘れなかつた。御米は自分の耳と頭の慥な事を夫に誇つた。宗助は耳と頭の慥でない事を幸福とした。
「さう仰しやるけれど、是が坂井さんでなくつて、宅で御覽なさい。貴方見た樣にぐう〳〵寐て入らしつたら困るぢやないの」と御米が宗助を遣り込めた。
「なに宅なんぞへ這入る氣遣はないから大丈夫だ」と宗助も口の減らない返事をした。
其所へ清が突然臺所から顏を出して、
「此間拵えた旦那樣の外套でも取られ樣ものなら、夫こそ騷ぎで御座いましたね。御宅でなくつて坂井さんだつたから本當に結構で御座います」と眞面目に悦の言葉を述べたので、宗助も御米も少し挨拶に窮した。
食事を濟ましても、出勤の時刻にはまだ大分間があつた。坂井では定めて騷いでるだらうと云ふので、文庫は宗助が自分で持つて行つて遣る事にした。蒔繪ではあるが、たゞ黒地に龜甲形を金で置いた丈の事で、別に大して金目の物とも思へなかつた。御米は唐棧の風呂敷を出してそれを包んだ。風呂敷が少し小さいので、四隅を對ふ同志繋いで、眞中にこま結びを二つ拵えた。宗助がそれを提げた所は、丸で進物の菓子折の樣であつた。
座敷で見ればすぐ崖の上だが、表から廻ると、通りを半町許來て、坂を上つて、又半町程逆に戻らなければ、坂井の門前へは出られなかつた。宗助は石の上へ芝を盛つて扇骨木を奇麗に植付けた垣に沿ふて門内に入つた。
家の内は寧ろ靜か過ぎる位しんとしてゐた。摺硝子の戸が閉てゝある玄關へ來て、ベルを二三度押して見たが、ベルが利かないと見えて誰も出て來なかつた。宗助は仕方なしに勝手口へ廻つた。其所にも摺硝子の嵌まつた腰障子が二枚閉ててあつた。中では器物を取り扱ふ音がした。宗助は戸を開けて、瓦斯七輪を置いた板の間に蹲踞んでゐる下女に挨拶をした。
「是は此方のでせう。今朝私の家の裏に落ちてゐましたから持つて來ました」と云ひながら、文庫を出した。
下女は「左樣で御座いましたか、どうも」と簡單に禮を述べて、文庫を持つた儘、板の間の仕切迄行つて、仲働らしい女を呼び出した。其所で小聲に説明をして、品物を渡すと、仲働はそれを受取つたなり、一寸宗助の方を見たがすぐ奧へ入つた。入れ違に、十二三になる丸顏の眼の大きな女の子と、其妹らしい揃のリボンを懸けた子が一所に馳けて來て、小さい首を二つ並べて臺所へ出した。さうして宗助の顏を眺めながら、泥棒よと耳語やつた。宗助は文庫を渡して仕舞へば、もう用が濟んだのだから、奧の挨拶はどうでも可いとして、すぐ歸らうかと考へた。
「文庫は御宅のでせうね。可いんでせうね」と念を押して、何にも知らない下女を氣の毒がらしてゐる所へ、最前の仲働が出て來て、
「何うぞ御通り下さい」と丁寧に頭を下げたので、今度は宗助の方が少し痛み入る樣になつた。下女は愈しとやかに同じ請求を繰り返した。宗助は痛み入る境を通り越して、遂に迷惑を感じ出した。所へ主人が自分で出て來た。
主人は予想通り血色の好い下膨の福相を具へてゐたが、御米の云つた樣に髭のない男ではなかつた。鼻の下に短かく刈り込んだのを生やして、たゞ頬から腮を奇麗に蒼くしてゐた。
「いや何うも飛んだ御手數で」と主人は眼尻に皺を寄せながら禮を述べた。米澤の絣を着た膝を板の間に突いて、宗助から色々樣子を聞いてゐる態度が、如何にも緩くりしてゐた。宗助は昨夕から今朝へ掛けての出來事を一通り掻い撮んで話した上、文庫の外に何か取られたものがあるかないかを尋ねて見た。主人は机の上に置いた金時計を一つ取られた由を答へた。けれども丸で他のものでも失くなした時の樣に、一向困つたと云ふ氣色はなかつた。時計よりは寧ろ宗助の叙述の方に多くの興味を有つて、泥棒が果して崖を傳つて裏から逃げる積だつたらうか、又は逃げる拍子に、崖から落ちたものだらうかと云ふ樣な質問を掛けた。宗助は固より返答が出來なかつた。
其所へ最前の仲働が、奧から茶や莨を運んで來たので、宗助は又歸りはぐれた。主人はわざ〳〵坐蒲團迄取り寄せて、とう〳〵其上へ宗助の尻を据ゑさした。さうして今朝早く來た刑事の話をし始めた。刑事の判定によると、賊は宵から邸内に忍び込んで、何でも物置かなぞに隱れてゐたに違ない。這入口は矢張り勝手である。燐寸を擦つて蝋燭を點して、それを臺所にあつた小桶の中へ立てゝ、茶の間へ出たが、次の部屋には細君と子供が寐てゐるので、廊下傳ひに主人の書齋へ來て、其所で仕事をしてゐると、此間生れた末の男の子が、乳を呑む時刻が來たものか、眼を覺まして泣き出したため、賊は書齋の戸を開けて庭へ逃げたらしい。
「平常の樣に犬がゐると好かつたんですがね。生憎病氣なので、四五日前病院へ入れて仕舞つたもんですから」と主人は殘念がつた。宗助も、
「夫は惜い事でした」と答へた。すると主人は其犬の種やら血統やら、時々獵に連れて行く事や、色々な事を話し始めた。
「獵は好ですから。尤も近來は神經痛で少し休んでゐますが。何しろ秋口から冬へ掛けて鴫なぞを打ちに行くと、どうしても腰から下は田の中へ浸つて、二時間も三時間も暮らさなければならないんですから、全く身體には好くない樣です」
主人は時間に制限のない人と見えて、宗助が、成程とか、左うですか、とか云つてゐると、何時迄も話してゐるので、宗助は已を得ず中途で立ち上がつた。
「是から又例の通り出掛けなければなりませんから」と切り上げると、主人は始めて氣が付いた樣に、忙がしい所を引き留めた失禮を謝した。さうして何れ又刑事が現状を見に行くかも知れないから、其時はよろしく願ふと云ふやうな事を述べた。最後に、
「何うかちと御話に。私も近頃は寧ろ閑な方ですから、又御邪魔に出ますから」と丁寧に挨拶をした。門を出て急ぎ足に宅へ歸ると、毎朝出る時刻よりも、もう三十分程後れてゐた。
「貴方何うなすつたの」と御米が氣を揉んで玄關へ出た。宗助はすぐ着物を脱いで洋服に着換ながら、
「あの坂井と云ふ人は餘つ程氣樂な人だね。金があるとあゝ緩くり出來るもんかな」と云つた。
「小六さん、茶の間から始めて。夫とも座敷の方を先にして」と御米が聞いた。
小六は四五日前とう〳〵兄の所へ引き移つた結果として、今日の障子の張替を手傳はなければならない事となつた。彼は昔し叔父の家に居た時、安之助と一所になつて、自分の部屋の唐紙を張り替へた經驗がある。其時は糊を盆に溶いたり、篦を使つて見たり、大分本式に遣り出したが、首尾好く乾かして、いざ元の所へ建てるといふ段になると、二枚とも反つ繰り返つて敷居の溝へ嵌まらなかつた。それから是も安之助と共同して失敗した仕事であるが、叔母の云付けで、障子を張らせられたときには、水道でざぶ〳〵枠を洗つたため、矢張り乾いた後で、惣體に歪が出來て非常に困難した。
「姉さん、障子を張るときは、餘程愼重にしないと失策るです。洗つちや駄目ですぜ」と云ひながら、小六は茶の間の縁側からびり〳〵破き始めた。
縁先は右の方に小六のゐる六疊が折れ曲つて、左には玄關が突き出してゐる。其向ふを塀が縁と平行に塞いでゐるから、まあ四角な圍内と云つて可い。夏になるとコスモスを一面に茂らして、夫婦とも毎朝露の深い景色を喜んだ事もあるし、又塀の下へ細い竹を立てゝ、それへ朝顏を絡ませた事もある。其時は起き拔けに、今朝咲いた花の數を勘定し合つて二人が樂にした。けれども秋から冬へ掛けては、花も草も丸で枯れて仕舞ふので、小さな砂漠見た樣に、眺めるのも氣の毒な位淋しくなる。小六は此霜ばかり降りた四角な地面を脊にして、しきりに障子の紙を剥がしてゐた。
時々寒い風が來て、後から小六の坊主頭と襟の邊を襲つた。其度に彼は吹き曝しの縁から六疊の中へ引つ込みたくなつた。彼は赤い手を無言の儘働らかしながら、馬尻の中で雜巾を絞つて障子の棧を拭き出した。
「寒いでせう、御氣の毒さまね。生憎御天氣が時雨れたもんだから」と御米が愛想を云つて、鐵瓶の湯を注ぎ注ぎ、昨日煑た糊を溶いた。
小六は實際こんな用をするのを、内心では大いに輕蔑してゐた。ことに昨今自分が已むなく置かれた境遇からして、此際多少自己を侮辱してゐるかの觀を抱いて雜巾を手にしてゐた。昔し叔父の家で、是と同じ事を遣らせられた時は、暇潰しの慰みとして、不愉快どころか却つて面白かつた記憶さへあるのに、今ぢや此位な仕事より外にする能力のないものと、強いて周圍から諦めさせられた樣な氣がして、縁側の寒いのが猶のこと癪に觸つた。
それで嫂には快よい返事さへ碌にしなかつた。さうして頭の中で、自分の下宿にゐた法科大學生が、一寸散歩に出る序に、資生堂へ寄つて、三つ入りの石鹸と齒磨を買ふのにさへ、五圓近くの金を拂ふ華奢を思ひ浮べた。すると何うしても自分一人がこんな窮境に陷るべき理由がない樣に感ぜられた。それから、斯んな生活状態に甘んじて一生を送る兄夫婦が如何にも憫然に見えた。彼等は障子を張る美濃紙を買ふのにさへ氣兼をしやしまいかと思はれる程、小六から見ると、消極的な暮し方をしてゐた。
「斯んな紙ぢや、又すぐ破けますね」と云ひながら、小六は卷いた小口を一尺ほど日に透かして、二三度力任せに鳴らした。
「さう? でも宅ぢや小供がないから、夫程でもなくつてよ」と答へた御米は糊を含ました刷毛を取つてとん〳〵とんと棧の上を渡した。
二人は長く繼いだ紙を双方から引き合つて、成るべく垂るみの出來ない樣に力めたが、小六が時々面倒臭さうな顏をすると、御米はつい遠慮が出て、好加減に髮剃で小口を切り落して仕舞ふ事もあつた。從つて出來上つたものには、所々のぶく〳〵が大分目に付いた。御米は情なささうに、戸袋に立て懸けた張り立ての障子を眺めた。さうして心の中で、相手が小六でなくつて、夫であつたならと思つた。
「皺が少し出來たのね」
「何うせ僕の御手際ぢや旨くは行かない」
「なに兄さんだつて、さう御上手ぢやなくつてよ。それに兄さんは貴方より餘つ程無精ね」
小六は何にも答へなかつた。臺所から清が持つて來た含嗽茶碗を受け取つて、戸袋の前へ立つて、紙が一面に濡れる程霧を吹いた。二枚目を張つたときは、先に霧を吹いた分が略乾いて皺が大方平らになつてゐた。三枚目を張つたとき、小六は腰が痛くなつたと云ひ出した。實を云ふと御米の方は今朝から頭が痛かつたのである。
「もう一枚張つて、茶の間丈濟ましてから休みませう」と云つた。
茶の間を濟ましてゐるうちに午になつたので、二人は食事を始めた。小六が引き移つてから此四五日、御米は宗助のゐない午飯を、何時も小六と差向で食べる事になつた。宗助と一所になつて以來、御米の毎日膳を共にしたものは、夫より外になかつた。夫の留守の時は、たゞ獨り箸を執るのが多年の習慣であつた。だから突然この小舅と自分の間に御櫃を置いて、互に顏を見合せながら、口を動かすのが、御米に取つては一種異な經驗であつた。それも下女が臺所で働らいてゐるときは、未だしもだが、清の影も音もしないとなると、猶の事變に窮屈な感じが起つた。無論小六よりも御米の方が年上であるし、又從來の關係から云つても、兩性を絡み付ける艷つぽい空氣は、箝束的な初期に於てすら、二人の間に起り得べき筈のものではなかつた。御米は小六と差向に膳に着くときの此氣ぶつせいな心持が、何時になつたら消えるだらうと、心の中で私に疑ぐつた。小六が引き移る迄は、こんな結果が出やうとは、丸で氣が付かなかつたのだから猶更當惑した。仕方がないから成るべく食事中に話をして、責めて手持無沙汰な隙間丈でも補はうと力めた。不幸にして今の小六は、此嫂の態度に對して程の好い調子を出す丈の餘裕と分別を頭の中に發見し得なかつたのである。
「小六さん、下宿は御馳走があつて」
こんな質問に逢ふと、小六は下宿から遊びに來た時分の樣に、淡泊な遠慮のない答をする譯に行かなくなつた。已を得ず、
「なに左うでもありません」ぐらゐにして置くと、其語氣がからりと澄んでゐないので、御米の方では、自分の待遇が惡い所爲かと解釋する事もあつた。それが又無言の間に、小六の頭に映る事もあつた。
ことに今日は頭の具合が好くないので、膳に向つても、御米は何時もの樣に力めるのが退儀であつた。力めて失敗するのは猶厭であつた。それで二人とも障子を張るときよりも言葉少なに食事を濟ました。
午後は手が慣れた所爲か、朝に比べると仕事が少し果取つた。然し二人の氣分は飯前よりも却つて縁遠くなつた。ことに寒い天氣が二人の頭に應へた。起きた時は、日を載せた空が次第に遠退いて行くかと思れる程に、好く晴れてゐたが、それが眞蒼に色づく頃から急に雲が出て、暗い中で粉雪でも釀してゐる樣に、日の目を密封した。二人は交る〴〵火鉢に手を翳した。
「兄さんは來年になると月給が上がるんでせう」
不圖小六が斯んな問を御米に掛けた。御米は其時疊の上の紙片を取つて、糊に汚れた手を拭いてゐたが、全く思も寄らないといふ顏をした。
「何うして」
「でも新聞で見ると、來年から一般に官吏の増俸があると云ふ話ぢやありませんか」
御米はそんな消息を全く知らなかつた。小六から詳しい説明を聞いて、始めて成程と首肯いた。
「全くね。是ぢや誰だつて、遣つて行けないわ。御肴の切身なんか、私が東京へ來てからでも、もう倍になつてるんですもの」と云つた。肴の切身の値段になると小六の方が全く無識であつた。御米に注意されて始めてそれ程無暗に高くなるものかと思つた。
小六に一寸した好奇心の出たため、二人の會話は存外素直に流れて行つた。御米は裏の家主の十八九時代に物價の大變安かつた話を、此間宗助から聞いた通り繰り返した。其時分は蕎麥を食ふにしても、盛かけが八厘、種ものが二錢五厘であつた。牛肉は普通が一人前四錢でロースは六錢であつた。寄席は三錢か四錢であつた。學生は月に七圓位國から貰へば中の部であつた。十圓も取ると既に贅澤と思はれた。
「小六さんも、其時分だと譯なく大學が卒業出來たのにね」と御米が云つた。
「兄さんも其時分だと大變暮し易い譯ですね」と小六が答へた。
座敷の張易が濟んだときにはもう三時過になつた。さう斯うしてゐるうちには、宗助も歸つて來るし、晩の支度も始めなくつてはならないので、二人はこれを一段落として、糊や髮剃を片けた。小六は大きな伸を一つして、握り拳で自分の頭をこん〳〵と叩いた。
「何うも御苦勞さま。疲れたでせう」と御米は小六を勞はつた。小六は夫よりも口淋しい思がした。此間文庫を屆けてやつた禮に、坂井から呉れたと云ふ菓子を、戸棚から出して貰つて食べた。御米は御茶を入れた。
「坂井と云ふ人は大學出なんですか」
「えゝ、矢張左樣なんですつて」
小六は茶を飮んで烟草を吹いた。やがて、
「兄さんは増俸の事をまだ貴方に話さないんですか」と聞いた。
「いゝえ、些とも」と御米が答へた。
「兄さん見た樣になれたら好いだらうな。不平も何もなくつて」
御米は特別の挨拶もしなかつた。小六は其儘起つて六疊へ這入つたが、やがて火が消えたと云つて、火鉢を抱えて又出て來た。彼は兄の家に厄介になりながら、もう少し立てば都合が付くだらうと慰めた安之助の言葉を信じて、學校は表向休學の體にして一時の始末をつけたのである。
裏の坂井と宗助とは文庫が縁になつて思はぬ關係が付いた。夫迄は月に一度此方から清に家賃を持たして遣ると、向から其受取を寄こす丈の交渉に過ぎなかつたのだから、崖の上に西洋人が住んでゐると同樣で、隣人としての親みは、丸で存在してゐなかつたのである。
宗助が文庫を屆けた日の午後に、坂井の云つた通り、刑事が宗助の家の裏手から崖下を檢べに來たが、其時坂井も一所だつたので、御米は始めて噂に聞いた家主の顏を見た。髭のないと思つたのに、髭を生やしてゐるのと、自分なぞに對しても、存外丁寧な言葉を使ふのが、御米には少し案外であつた。
「貴方、坂井さんは矢つ張り髭を生やしてゐてよ」と宗助が歸つたとき御米はわざ〳〵注意した。
それから二日ばかりして、坂井の名刺を添へた立派な菓子折を持つて、下女が禮に來たが、先達ては色々御世話になりまして、難有う存じます、何れ主人が自身に伺ふ筈で御座いますがと云ひ置いて、歸つて行つた。
其晩宗助は到來の菓子折の葢を開けて、唐饅頭を頬張りながら、
「斯んなものを呉れる所をもつて見ると、夫程吝でもないやうだね。他の家の子をブランコへ乘せて遣らないつて云ふのは嘘だらう」と云つた。御米も、
「屹度嘘よ」と坂井を辯護した。
夫婦と坂井とは泥棒の這入らない前より、是丈親しみの度が増した樣なものゝ、それ以上に接近しやうと云ふ念は、宗助の頭にも御米の胸にも宿らなかつた。利害の打算から云へば無論の事、單に隣人の交際とか情誼とか云ふ點から見ても、夫婦はこれよりも前進する勇氣を有たなかつたのである。もし自然が此儘に無爲の月日を驅つたなら、久しからぬうちに、坂井は昔の坂井になり、宗助は元の宗助になつて、崖の上と崖の下に互の家が懸け隔る如く、互の心も離れ離れになつたに違なかつた。
所がそれから又二日置いて、三日目の暮れ方に、獺の襟の着いた暖かさうな外套を着て、突然坂井が宗助の所へ遣つて來た。夜間客に襲はれ付けない夫婦は、輕微の狼狽を感じた位驚ろかされたが、座敷へ上げて話して見ると、坂井は丁寧に先日の禮を述べた後、
「御蔭で取られた品物が又戻りましたよ」と云ひながら、白縮緬の兵兒帶に卷き付けた金鎖を外して、兩葢の金時計を出して見せた。
規則だから警察へ屆ける事は屆けたが、實は大分古い時計なので、取られても夫程惜くもない位に諦らめてゐたら、昨日になつて、突然差出人の不明な小包が着いて、其中にちやんと自分の失くしたのが包んであつたんだと云ふ。
「泥棒も持ち扱かつたんでせう。それとも餘り金にならないんで、已を得ず返して呉れる氣になつたんですかね。何しろ珍らしい事で」と坂井は笑つてゐた。それから、
「何私から云ふと、實はあの文庫の方が寧ろ大切な品でしてね。祖母が昔し御殿へ勤めてゐた時分、戴いたんだとか云つて、まあ記念の樣なものですから」と云ふ樣な事も説明して聞かした。
其晩坂井はそんな話を約二時間もして歸つて行つたが、相手になつた宗助も、茶の間で聞いてゐた御米も、大變談話の材料に富んだ人だと思はぬ譯に行かなかつた。後で、
「世間の廣い方ね」と御米が評した。
「閑だからさ」と宗助が解釋した。
次の日宗助が役所の歸りがけに、電車を降りて横町の道具屋の前迄來ると、例の獺の襟を着けた坂井の外套が一寸眼に着いた。横顏を徃來の方へ向けて、主人を相手に何か云つてゐる。主人は大きな眼鏡を掛けた儘、下から坂井の顏を見上げてゐる。宗助は挨拶をすべき折でもないと思つたから、其儘行き過ぎやうとして、店の正面迄來ると、坂井の眼が徃來へ向いた。
「やあ昨夜は。今御歸りですか」と氣輕に聲を掛けられたので、宗助も愛想なく通り過ぎる譯にも行かなくなつて、一寸歩調を緩めながら、帽子を取つた。すると坂井は、用はもう濟んだと云ふ風をして、店から出て來た。
「何か御求めですか」と宗助が聞くと、
「いえ、何」と答へた儘、宗助と並んで家の方へ歩き出した。六七間來たとき、
「あの爺い、中々猾い奴ですよ。華山の僞物を持つて來て押付やうとしやがるから、今叱り付て遣つたんです」と云い出した。宗助は始めて、此坂井も餘裕ある人に共通な好事を道樂にしてゐるのだと心付いた。さうして此間賣り拂つた抱一の屏風も、最初から斯う云ふ人に見せたら、好かつたらうにと、腹の中で考へた。
「あれは書畫には明るい男なんですか」
「なに書畫どころか、丸で何も分らない奴です。あの店の樣子を見ても分るぢやありませんか。骨董らしいものは一つも並んでゐやしない。もとが紙屑屋から出世してあれ丈になつたんですからね」
坂井は道具屋の素性を能く知つてゐた。出入の八百屋の阿爺の話によると、坂井の家は舊幕の頃何とかの守と名乘つたもので、此界隈では一番古い門閥家なのださうである。瓦解の際、駿府へ引き上げなかつたんだとか、或は引き上げて又出て來たんだとか云ふ事も耳にした樣であるが、それは判然宗助の頭に殘つてゐなかつた。
「小さい内から惡戲ものでね。あいつが餓鬼大將になつて能く喧譁をしに行つた事がありますよ」と坂井は御互の子供の時の事迄一口洩らした。それが又何うして華山の贋物を賣り込まうと巧んだのかと聞くと、坂井は笑つて、斯う説明した。──
「なに親父の代から贔屓にして遣つてるものですから、時々何だ蚊だつて持つて來るんです。所が眼も利かない癖に、只慾ばりたがつてね、まことに取扱ひ惡い代物です。それについ此間抱一の屏風を買つて貰つて、味を占めたんでね」
宗助は驚ろいた。けれども話の途中を遮ぎる譯に行かなかつたので、默つてゐた。坂井は道具屋がそれ以來乘氣になつて、自身に分りもしない書畫類をしきりに持ち込んで來る事やら、大坂出來の高麗燒を本物だと思つて、大事に飾つて置いた事やら話した末、
「まあ臺所で使ふ食卓か、たか〴〵新の鐵瓶位しか、彼んな所ぢや買へたもんぢやありません」と云つた。
其内二人は坂の上へ出た。坂井は其所を右へ曲る、宗助は其所を下へ下りなければならなかつた。宗助はもう少し一所に歩いて、屏風の事を聞きたかつたが、わざ〳〵回り路をするのも變だと心付いて、夫なり分れた。分れる時、
「近い中御邪魔に出ても宣う御座いますか」と聞くと、坂井は、
「どうぞ」と快よく答へた。
其日は風もなく一仕切日も照つたが、家にゐると底冷のする寒さに襲はれるとか云つて、御米はわざ〳〵置炬燵に宗助の着物を掛けて、それを座敷の眞中に据ゑて、夫の歸りを待ち受けてゐた。
此冬になつて、晝のうち炬燵を拵らえたのは、其日が始めてゞあつた。夜は疾うから用ひてゐたが、何時も六疊に置く丈であつた。
「座敷の眞中にそんなものを据ゑて、今日は何うしたんだい」
「でも、御客も何もないから可いでせう。だつて六疊の方は小六さんが居て、塞がつてゐるんですもの」
宗助は始めて自分の家に小六の居る事に氣が付いた。襯衣の上から暖かい紡績織を掛けて貰つて、帶をぐる〳〵卷き付けたが、
「こゝは寒帶だから炬燵でも置かなくつちや凌げない」と云つた。小六の部屋になつた六疊は、疊こそ奇麗でないが、南と東が開いてゐて、家中で一番暖かい部屋なのである。
宗助は御米の汲んで來た熱い茶を湯呑から二口程飮んで、
「小六はゐるのかい」と聞いた。小六は固より居た筈である。けれども六疊はひつそりして人のゐる樣にも思はれなかつた。御米が呼びに立たうとするのを、用はないから可いと留めた儘、宗助は炬燵蒲團の中へ潛り込んで、すぐ横になつた。一方口に崖を控えてゐる座敷には、もう暮方の色が萠してゐた。宗助は手枕をして、何を考へるともなく、たゞ此暗く狹い景色を眺めてゐた。すると御米と清が臺所で働く音が、自分に關係のない隣の人の活動の如くに聞えた。そのうち、障子丈がたゞ薄白く宗助の眼に映る樣に、部屋の中が暮れて來た。彼はそれでも凝として動かずにゐた。聲を出して洋燈の催促もしなかつた。
彼が暗い所から出て、晩食の膳に着いた時は、小六も六疊から出て來て、兄の向ふに坐つた。御米は忙しいので、つい忘れたと云つて、座敷の戸を締めに立つた。宗助は弟に夕方になつたら、ちと洋燈を點けるとか、戸を閉てるとかして、忙しい姉の手傳でもしたら好からうと注意したかつたが、昨今引き移つた許のものに、氣まづい事を云ふのも惡からうと思つて已めた。
御米が座敷から歸つて來るのを待つて、兄弟は始めて茶碗に手を着けた。其時宗助は漸く今日役所の歸りがけに、道具屋の前で坂井に逢つた事と、坂井があの大きな眼鏡を掛けてゐる道具屋から、抱一の屏風を買つたと云ふ話をした。御米は、
「まあ」と云つたなり、しばらく宗助の顏を見てゐた。
「ぢや屹度あれよ。屹度あれに違ないわね」
小六は始めのうち何にも口を出さなかつたが、段々兄夫婦の話を聞いてゐるうちに、略關係が明暸になつたので、
「全體幾何で賣つたのです」と聞いた。御米は返事をする前に一寸夫の顏を見た。
食事が終ると、小六はぢきに六疊へ這入つた。宗助は又炬燵へ歸つた。しばらくして御米も足を温めに來た。さうして次の土曜か日曜には坂井へ行つて、一つ屏風を見て來たら可いだらうと云ふ樣な事を話し合つた。
次の日曜になると、宗助は例の通り一週に一返の樂寐を貪ぼつたため、午前半日をとう〳〵空に潰して仕舞つた。御米は又頭が重いとか云つて、火鉢の縁に倚りかゝつて、何をするのも懶さうに見えた。斯んな時に六疊が空いてゐれば、朝からでも引込む場所があるのにと思ふと、宗助は小六に六疊を宛てがつた事が、間接に御米の避難場を取り上げたと同じ結果に陷るので、ことに濟まない樣な氣がした。
心持が惡ければ、座敷へ床を敷いて寐たら好からうと注意しても、御米は遠慮して容易に應じなかつた。それでは又炬燵でも拵えたら何うだ、自分も當るからと云つて、とう〳〵櫓と掛蒲團を清に云ひ付けて、座敷へ運ばした。
小六は宗助が起きる少し前に、何處かへ出て行つて、今朝は顏さへ見せなかつた。宗助は御米に向つて別段其行先を聞き糺しもしなかつた。此頃では小六に關係した事を云ひ出して、御米に其返事をさせるのが氣の毒になつて來た。御米の方から、進んで弟の讒訴でもする樣だと、叱るにしろ、慰さめるにしろ、却つて始末が好いと考へる時もあつた。
午になつても御米は炬燵から出なかつた。宗助は一層靜かに寐かして置く方が身體のために可からうと思つたので、そつと臺所へ出て、清に一寸上の坂井迄行つてくるからと告げて、不斷着の上へ、袂の出る短いインヷネスを纏つて表へ出た。
今迄陰氣な室にゐた所爲か、通へ來ると急にからりと氣が晴れた。肌の筋肉が寒い風に抵抗して、一時に緊縮する樣な冬の心持の鋭どく出るうちに、ある快感を覺えたので、宗助は御米もあゝ家にばかり置いては善くない、氣候が好くなつたら、ちと戸外の空氣を呼吸させる樣にしてやらなくては毒だと思ひながら歩いた。
坂井の家の門を入つたら、玄關と勝手口の仕切になつてゐる生垣の目に、冬に似合はないぱつとした赤いものが見えた。傍へ寄つてわざ〳〵檢べると、それは人形に掛ける小さい夜具であつた。細い竹を袖に通して、落ちない樣に、扇骨木の枝に寄せ掛けた手際が、如何にも女の子の所作らしく殊勝に思はれた。かう云ふ惡戯をする年頃の娘は固よりの事、子供と云ふ子供を育て上げた經驗のない宗助は、此小さい赤い夜具の尋常に日に干してある有樣をしばらく立つて眺めてゐた。さうして二十年も昔に父母が、死んだ妹の爲に飾つた、赤い雛段と五人囃と、模樣の美くしい干菓子と、それから甘い樣で辛い白酒を思ひ出した。
坂井の主人は在宅ではあつたけれども、食事中だと云ふので、しばらく待たせられた。宗助は座に着くや否や、隣の室で小さい夜具を干した人達の騷ぐ聲を耳にした。下女が茶を運ぶために襖を開けると、襖の影から大きな眼が四つ程既に宗助を覗いてゐた。火鉢を持つて出ると、其後から又違つた顏が見えた。始めての所爲か、襖の開閉の度に出る顏が悉く違つてゐて、子供の數が何人あるか分らない樣に思はれた。漸く下女が退がりきりに退がると、今度は誰だか唐紙を一寸程細目に開けて、黒い光る眼丈を其間から出した。宗助も面白くなつて、默つて手招ぎをして見た。すると唐紙をぴたりと閉てゝ、向ふ側で三四人が聲を合して笑ひ出した。
やがて一人の女の子が、
「よう、御姉樣又何時もの樣に叔母さんごつこ爲ませうよ」と云ひ出した。すると姉らしいのが、
「えゝ、今日は西洋の叔母さんごつこよ。東作さんは御父さまだからパパで、雪子さんは御母さまだからママつて云ふのよ。可くつて」と説明した。其時又別の聲で、
「可笑しいわね。ママだつて」と云つて嬉しさうに笑つたものがあつた。
「私夫でも何時も御祖母さまなのよ。御祖母さまの西洋の名がなくつちや不可ないわねえ。御祖母さまは何て云ふの」と聞いたものもあつた。
「御祖母さまは矢つ張りバヾで可いでせう」と姉が又説明した。
夫から當分の間は、御免下さいましだの、何方から入らつしやいましたのと盛に挨拶の言葉が交換されてゐた。其間にはちりん〳〵と云ふ電話の假聲も交つた。凡てが宗助には陽氣で珍らしく聞えた。
其所へ奧の方から足音がして、主人が此方へ出て來たらしかつたが、次の間へ入るや否や、
「さあ、御前達は此所で騷ぐんぢやない。彼方へ行つて御出。御客さまだから」と制した。其時、誰だかすぐに、
「厭だよ。御父つちやんべい。大きい御馬買つて呉れなくつちや、彼方へ行かないよ」と答へた。聲は小さい男の子の聲であつた。年が行かない爲か、舌が能く回らないので、抗辯のしやうが如何にも億劫で手間が掛かつた。宗助は其所を特に面白く思つた。
主人が席に着いて、長い間待たした失禮を詫びてゐる間に、子供は遠くへ行つて仕舞つた。
「大變御賑やかで結構です」と宗助が今自分の感じた通を述べると、主人はそれを愛嬌と受取つたものと見えて、
「いや御覽の如く亂雜な有樣で」と言譯らしい返事をしたが、それを緒に、子供の世話の燒けて、夥だしく手の掛る事などを色々宗助に話して聞かした。其中で綺麗な支那製の花籃のなかへ炭團を一杯盛つて床の間に飾つたと云ふ滑稽と、主人の編上の靴のなかへ水を汲み込んで、金魚を放したと云ふ惡戲が、宗助には大變耳新しかつた。然し、女の子が多いので服裝に物が要るとか、二週間も旅行して歸つてくると、急にみんなの脊が一寸づゝも伸びてゐるので、何だか後から追ひ付かれる樣な心持がするとか、もう少しすると、嫁入の支度で忙殺されるのみならず、屹度貧殺されるだらうとか云ふ話になると、子供のない宗助の耳には夫程の同情も起し得なかつた。却つて主人が口で子供を煩冗がる割に、少しもそれを苦にする樣子の顏にも態度にも見えないのを羨ましく思つた。
好い加減な頃を見計つて宗助は、先達て話のあつた屏風を一寸見せて貰へまいかと、主人に申し出た。主人は早速引き受けて、ぱち〳〵と手を鳴らして、召使を呼んだが、藏の中に仕舞つてあるのを取り出して來る樣に命じた。さうして宗助の方を向いて、
「つい二三日前迄其所へ立てゝ置いたのですが、例の子供が面白半分にわざと屏風の影へ集まつて、色々な惡戲をするものですから、傷でも付けられちや大變だと思つて仕舞ひ込んでしまひました」と云つた。
宗助は主人の此言葉を聞いた時、今更手數をかけて、屏風を見せて貰ふのが、氣の毒にもなり、又面倒にもなつた。實を云ふと彼の好奇心は、夫程強くなかつたのである。成程一旦他の所有に歸したものは、たとひ元が自分のであつたにしろ、無かつたにしろ、其所を突き留めた所で、實際上には何の効果もない話に違なかつた。
けれども、屏風は宗助の申し出た通り、間もなく奧から縁傳ひに運び出されて、彼の眼の前に現れた。さうして夫が豫想通りつい此間迄自分の座敷に立てゝあつた物であつた。此事實を發見した時、宗助の頭には、是と云つて大した感動も起らなかつた。たゞ自分が今坐つてゐる疊の色や、天井の柾目や、床の置物や、襖の模樣などの中に、此屏風を立てて見て、夫に、召使が二人がゝりで、藏の中から大事さうに取り出して來たと云ふ所作を付け加へて考へると、自分が持つてゐた時よりは慥に十倍以上貴とい品の樣に眺められた丈であつた。彼は即座に云ふ可き言葉を見出し得なかつたので、いたづらに、見慣れたものゝ上に、更に新らしくもない眼を据ゑてゐた。
主人は宗助を以てある程度の鑑賞家と誤解した。立ちながら屏風の縁へ手を掛けて、宗助の面と屏風の面とを比較してゐたが、宗助が容易に批評を下さないので、
「是は素性の慥なものです。出が出ですからね」と云つた。宗助は、たゞ
「成程」と云つた。
主人はやがて宗助の後へ回つて來て、指で其所此所を指しながら、品評やら説明やらした。其中には、さすが御大名丈あつて、好い繪の具を惜氣もなく使ふのが此畫家の特色だから、色が如何にも美事であると云ふ樣な、宗助には耳新らしいけれども、普通一般に知れ渡つた事も大分交つてゐた。
宗助は好い加減な頃を見計らつて、丁寧に禮を述べて元の席に復した。主人も蒲團の上に直つた。さうして、今度は野路や空云々といふ題句やら書體やらに就いて語り出した。宗助から見ると、主人は書にも俳句にも多くの興味を有つてゐた。何時の間に是程の知識を頭の中へ貯へ得らるゝかと思ふ位、凡てに心得のある男らしく思はれた。宗助は己れを耻ぢて、成るべく物數を云はない樣にして、たゞ向ふの話丈に耳を借す事を力めた。
主人は客が此方面の興味に乏しい樣子を見て、再び話を畫の方へ戻した。碌なものはないけれども、望ならば所藏の畫帖や幅物を見せても可いと親切に申し出した。宗助は折角の好意を辭退しない譯に行かなかつた。其代りに、失禮ですがと前置をして、主人が此屏風を手に入れるに就て、何れ程の金額を拂つたかを尋ねた。
「まあ掘出し物ですね。八十圓で買ひました」と主人はすぐ答へた。
宗助は主人の前に坐つて、此屏風に關する一切の事を自白しやうか、しまいかと思案したが、ふと打ち明けるのも一興だらうと心付いて、とう〳〵實は是々だと、今迄の顛末を詳しく話し出した。主人は時々へえ、へえと驚ろいた樣な言葉を挾んで聞いてゐたが、仕舞に、
「ぢや貴方は別に書畫が好きで、見に入らしつた譯でもないんですね」と自分の誤解を、さも面白い經驗でもした樣に笑い出した。同時に、さう云ふ譯なら、自分が直に宗助から相當の値で讓つて貰へば可かつたに、惜しい事をしたと云つた。最後に横町の道具屋をひどく罵しつて、怪しからん奴だと云つた。
宗助と坂井とは是から大分親しくなつた。
佐伯の叔母も安之助も其後頓と宗助の宅へは見えなかつた。宗助は固より麹町へ行く餘暇を有たなかつた。又夫丈の興味もなかつた。親類とは云ひながら、別々の日が二人の家を照らしてゐた。
たゞ小六丈が時々話しに出掛ける樣子であつたが、是とても、さう繁々足を運ぶ譯でもないらしかつた。それに彼は歸つて來て、叔母の家の消息を殆んど御米に語らないのを常として居つた。御米はこれを故意から出る小六の仕打かとも疑つた。然し自分が佐伯に對して特別の利害を感じない以上、御米は叔母の動靜を耳にしない方を、却つて喜こんだ。
それでも時々は、先方の樣子を、小六と兄の對話から聞き込む事もあつた。一週間程前に、小六は兄に、安之助がまた新發明の應用に苦心してゐる話をした。それは印氣の助けを借らないで、鮮明な印刷物を拵らえるとか云ふ、一寸聞くと頗る重寶な器械に就てであつた。話題の性質から云つても、自分とは全く利害の交渉のない六づかしい事なので、御米は例の通り默つて口を出さずにゐたが、宗助は男だけに幾分か好奇心が動いたと見えて、何うして印氣を使はずに印刷が出來るか抔と問ひ糺してゐた。
專門上の知識のない小六が、精密な返答をし得る筈は無論なかつた。彼はたゞ安之助から聞いた儘を、覺えてゐる限り念を入れて説明した。此印刷術は近來英國で發明になつたもので、根本的にいふと矢張り電氣の利用に過ぎなかつた。電氣の一極を活字と結び付けて置いて、他の一極を紙に通じて、其紙を活字の上へ壓し付けさへすれば、すぐ出來るのだと小六が云つた。色は普通黒であるが、手加減次第で赤にも青にもなるから色刷抔の場合には、繪の具を乾かす時間が省ける丈でも大變重寶で、是を新聞に應用すれば、印氣や印氣ロールの費を節約する上に、全體から云つて、少くとも從來の四分の一の手數がなくなる點から見ても、前途は非常に有望な事業であると、小六は又安之助の話した通りを繰り返した。さうして其有望な前途を、安之助が既に手の中に握つたかの如き口氣であつた。かつ其多望な安之助の未來のなかには、同じく多望な自分の影が、含まれてゐる樣に、眼を輝やかした。其時宗助は何時もの調子で、寧ろ穩やかに、弟の云ふ事を聞いてゐたが、聞いてしまつた後でも、別に是といふ眼立つた批評は加へなかつた。實際斯んな發明は、宗助から見ると、本當の樣でもあり、又嘘の樣でもあり、愈それが世間に行はれる迄は、贊成も反對も出來かねたのである。
「ぢや鰹船の方はもう止したの」と、今迄默つてゐた御米が、此時始めて口を出した。
「止したんぢやないんですが、あの方は費用が隨分掛るので、いくら便利でも、さう誰も彼も拵える譯に行かないんださうです」と小六が答へた。小六は幾分か安之助の利害を代表してゐる樣な口振であつた。夫から三人の間に、しばらく談話が交換されたが、仕舞に、
「矢張何をしたつて、さう旨く行くもんぢやあるまいよ」と云つた宗助の言葉と、
「坂井さん見た樣に、御金があつて遊んでゐるのが一番可いわね」と云つた御米の言葉を聞いて、小六は又自分の部屋へ歸つて行つた。
斯う云ふ機會に、佐伯の消息は折々夫婦の耳へ洩れる事はあるが、其外には、全く何をして暮らしてゐるか、互に知らないで過す月日が多かつた。
ある時御米は宗助に斯んな問を掛けた。
「小六さんは、安さんの所へ行くたんびに、小遣でも貰つて來るんでせうか」
今迄小六に就て、夫程の注意を拂つてゐなかつた宗助は、突然此問に逢つて、すぐ、「何故」と聞き返した。御米はしばらく逡巡つた末、
「だつて、此頃能く御酒を呑んで歸つて來る事があるのよ」と注意した。
「安さんが例の發明や、金儲けの話をするとき、其聞き賃に奢るのかも知れない」と云つて宗助は笑つてゐた。會話はそれなりでつい發展せずに仕舞つた。
越えて三日目の夕方に、小六はまた飯時を外して歸つて來なかつた。しばらく待ち合せてゐたが、宗助はついに空腹だとか云ひ出して、一寸湯にでも行つて、時間を延ばしたらといふ御米の小六に對する氣兼に頓着なく、食事を始めた。其時御米は夫に、
「小六さんに御酒を止める樣に、貴方から云つちや不可なくつて」と切り出した。
「そんなに意見しなければならない程飮むのか」と宗助は少し案外な顏をした。
御米は夫程でもないと、辯護しなければならなかつた。けれども實際は誰もゐない晝間のうち抔に、あまり顏を赤くして歸つて來られるのが、不安だつたのである。宗助は夫なり放つて置いた。然し腹の中では、果して御米の云ふ如く、何所かで金を借りるか、貰ふかして、夫程好きもしないものを、わざと飮むのではなからうかと疑ぐつた。
其うち年が段々片寄つて、夜が世界の三分の二を領する樣に押し詰つて來た。風が毎日吹いた。其音を聞いてゐる丈でも、生活に陰氣な響を與へた。小六はどうしても、六疊に籠つて、一日を送るに堪えなかつた。落ち付いて考へれば考へる程、頭が淋しくつて、居たゝまれなくなる許であつた。茶の間へ出て嫂と話すのは猶厭であつた。已を得ず外へ出た。さうして友達の宅をぐる〳〵回つて歩いた。友達も始のうちは、平生の小六に對する樣に、若い學生のしたがる面白い話を幾何でもした。けれども小六はさう云ふ話が盡きても、まだ遣つて來た。それで仕舞には、友達が、小六は、退屈の餘りに訪問をして、談話の復習に耽るものだと評した。たまには學校の下讀やら研究やらに追はれてゐる多忙の身だと云ふ風もして見せた。小六は友達からさう呑氣な怠けものゝ樣に取り扱はれるのを、大變不愉快に感じた。けれども宅に落ち付いては、讀書も思索も、丸で出來なかつた。要するに彼位の年輩の青年が、一人前の人間になる楷梯として、修むべき事、力むべき事には、内部の動搖やら、外部の束縛やらで、一切手が着かなかつたのである。
夫でも冷たい雨が横に降つたり、雪融の道がはげしく泥つたりする時は、着物を濡らさなければならず、足袋の泥を乾かさなければならない面倒があるので、如何な小六も時によると、外出を見合せる事があつた。さう云ふ日には、實際困却すると見えて、時々六疊から出て來て、のそりと火鉢の傍へ坐つて、茶などを注いで飮んだ。さうして其所に御米でもゐると、世間話の一つや二つはしないとも限らなかつた。
「小六さん御酒好き」と御米が聞いた事があつた。
「もう直御正月ね。貴方御雜煑いくつ上がつて」と聞いた事もあつた。
さう云ふ場合が度重なるに連れて、二人の間は少しづゝ近寄る事が出來た。仕舞には、姉さん一寸こゝを縫つて下さいと、小六の方から進んで、御米に物を頼む樣になつた。さうして御米が絣の羽織を受取つて、袖口の綻を繕つてゐる間、小六は何にもせずに其所へ坐つて、御米の手先を見詰めてゐた。これが夫だと、何時迄も默つて針を動かすのが、御米の例であつたが、相手が小六の時には、さう投遣に出來ないのが、又御米の性質であつた。だからそんな時には力めても話をした。話の題目で、稍ともすると小六の口に宿りたがるものは、彼の未來を何うしたら好からうと云ふ心配であつた。
「だつて小六さんなんか、まだ若いぢやありませんか。何をしたつて是からだわ。そりや兄さんの事よ。さう悲觀しても可いのわ」
御米は二度許り斯ういふ慰め方をした。三度目には、
「來年になれば、安さんの方で何うか都合して上るつて受合つて下すつたんぢやなくつて」と聞いた。小六は其時不慥な表情をして、
「そりや安さんの計畫が、口でいふ通り旨く行けば譯はないんでせうが、段々考へると、何だか少し當にならない樣な氣がし出してね。鰹船もあんまり儲からない樣だから」と云つた。御米は小六の憮然としてゐる姿を見て、それを時々酒氣を帶びて歸つて來る、何所かに殺氣を含んだ、しかも何が癪に障るんだか譯が分らないでゐて甚だ不平らしい小六と比較すると、心の中で氣の毒にもあり、又可笑しくもあつた。其時は、
「本當にね。兄さんにさへ御金があると、何うでもして上げる事が出來るんだけれども」と、御世辭でも何でもない、同情の意を表した。
其夕暮であつたか、小六は又寒い身體を外套に包んで出て行つたが、八時過に歸つて來て、兄夫婦の前で、袂から白い細長い袋を出して、寒いから蕎麥掻を拵らえて食はうと思つて、佐伯へ行つた歸りに買つて來たと云つた。さうして御米が湯を沸かしてゐるうちに、煑出しを拵えるとか云つて、しきりに鰹節を掻いた。
其時宗助夫婦は、最近の消息として、安之助の結婚がとう〳〵春迄延びた事を聞いた。此縁談は安之助が學校を卒業すると間もなく起つたもので、小六が房州から歸つて、叔母に學資の供給を斷わられる時分には、もう大分話が進んでゐたのである。正式の通知が來ないので、何時纏つたか、宗助は丸で知らなかつたが、たゞ折々佐伯へ行つては、何か聞いて來る小六を通じてのみ、彼は年内に式を擧げる筈の新夫婦を豫想した。其他には、嫁の里がある會社員で、有福な生計をしてゐる事と、其學校が女學館であるといふ事と、兄弟が澤山あると云ふ事丈を、同じく小六を通じて耳にした。寫眞にせよ顏を知つてるのは小六許であつた。
「好い器量?」と御米が聞いた事がある。
「まあ好い方でせう」と小六が答へた事がある。
其晩は何故暮のうちに式を濟まさないかと云ふのが、蕎麥掻の出來上る間、三人の話題になつた。御米は方位でも惡いのだらうと臆測した。宗助は押し詰つて日がないからだらうと考へた。獨り小六丈が、
「矢張り物質的の必要かららしいです。先が何でも餘程派出な家なんで、叔母さんの方でもさう單簡に濟まされないんでせう」と何時にない世帶染みた事を云つた。
御米のぶら〳〵し出したのは、秋も半ば過ぎて、紅葉の赤黒く縮れる頃であつた。京都に居た時分は別として、廣島でも福岡でも、あまり健康な月日を送つた經驗のない御米は、此點に掛けると、東京へ歸つてからも、矢張り仕合せとは云へなかつた。この女には生れ故郷の水が、性に合はないのだらうと、疑ぐれば疑ぐられる位、御米は一時惱んだ事もあつた。
近頃はそれが段々落ち付いて來て、宗助の氣を揉む機會も、年に幾度と勘定が出來る位少なくなつたから、宗助は役所の出入に、御米は又夫の留守の立居に、等しく安心して時間を過す事が出來たのである。だから此年の秋が暮れて、薄い霜を渡る風が、つらく肌を吹く時分になつて、又少し心持が惡くなり出しても、御米は夫程苦にもならなかつた。始のうちは宗助にさへ知らせなかつた。宗助が見付けて、醫者に掛ゝれと勸めても、容易に掛からなかつた。
其所へ小六が引越して來た。宗助は其頃の御米を觀察して、體質の状態やら、精神の模樣やら、夫丈に能く知つてゐたから、成るべくは、人數を殖やして宅の中を混雜かせたくないとは思つたが、事情已を得ないので、成るが儘にして置くより外に、手段の講じやうもなかつた。たゞ口の先で、成るべく安靜にしてゐなくては不可ないと云ふ矛盾した助言は與へた。御米は微笑して、
「大丈夫よ」と云つた。此答を得た時、宗助は猶の事安心が出來なくなつた。所が不思議にも、御米の氣分は、小六が引越して來てから、ずつと引立つた。自分に責任の少しでも加はつたため、心が緊張したものと見えて、却つて平生よりは、甲斐々々しく夫や小六の世話をした。小六には夫が丸で通じなかつたが、宗助から見ると、御米が在來よりどれ程力めてゐるかが能く解つた。宗助は心のうちで、此まめやかな細君に新らしい感謝の念を抱くと同時に、かう氣を張り過ぎる結果が、一度に身體に障る樣な騷ぎでも引き起して呉れなければ可いがと心配した。
不幸にも、此心配が暮の二十日過になつて、突然事實になりかけたので、宗助は豫期の恐怖に火が點いた樣に、いたく狼狽した。其日は判然土に映らない空が、朝から重なり合つて、重い寒さが終日人の頭を抑え付けてゐた。御米は前の晩にまた寐られないで、休ませ損なつた頭を抱へながら、辛抱して働らき出したが、起つたり動いたりするたびに、多少腦に應へる苦痛はあつても、比較的明るい外界の刺戟に紛れた爲か、凝と寐てゐながら、頭丈が冴えて痛むよりは、却つて凌ぎ易かつた。兎角して夫を送り出す迄は、しばらくしたら又何時もの樣に折り合つて來る事と思つて我慢してゐた。所が宗助がゐなくなつて、自分の義務に一段落が着いたといふ氣の弛みが出ると等しく、濁つた天氣がそろ〳〵御米の頭を攻め始めた。空を見ると凍つてゐる樣であるし、家の中にゐると、陰氣な障子の紙を透して、寒さが浸み込んで來るかと思はれる位だのに、御米の頭はしきりに熱つて來た。仕方がないから、今朝あげた蒲團を又出して來て、座敷へ延べたまゝ横になつた。夫でも堪えられないので、清に濡手拭を絞らして頭へ乘せた。それが直生温くなるので、枕元に金盥を取り寄せて時々絞り易へた。
午迄こんな姑息手段で斷えず額を冷やして見たが、一向はか〴〵しい驗もないので、御米は小六のために、わざ〳〵起きて、一所に食事をする根氣もなかつた。清にいひ付けて膳立をさせて、それを小六に薦めさした儘、自分は矢張り床を離れずにゐた。さうして、平生夫のする柔かい括枕を持つて來て貰つて、堅いのと取り替へた。御米は髮の損れるのを、女らしく苦にする勇氣にさへ乏しかつたのである。
小六は六疊から出て來て、一寸襖を開けて、御米の姿を覗き込んだが、御米が半ば床の間の方を向いて、眼を塞いでゐたので、寐付いたとでも思つたものか、一言の口も利かずに、又そつと襖を閉めた。さうして、たつた一人大きな食卓を專領して、始めからさら〳〵と茶漬を掻き込む音をさせた。
二時頃になつて、御米は漸つとの事、とろ〳〵と眠つたが、眼が覺めたら額を捲いた濡れ手拭が殆んど乾く位暖かになつてゐた。其代り頭の方は少し樂になつた。たゞ肩から脊筋へ掛けて全體に重苦しい樣な感じが新らしく加はつた。御米は何でも精を付けなくては毒だといふ考から、一人で起きて遲い午飯を輕く食べた。
「御氣分は如何で御座います」と清が御給仕をしながら、しきりに聞いた。御米は大分可い樣だつたので、床を上げて貰つて、火鉢に倚つたなり、宗助の歸りを待ち受けた。
宗助は例刻に歸つて來た。神田の通りで、門並旗を立てゝ、もう暮の賣出しを始めた事だの、勸工場で紅白の幕を張つて樂隊に景氣を付けさしてゐる事だのを話した末、
「賑やかだよ。一寸行つて御覽。なに電車に乘つて行けば譯はない」と勸めた。さうして自分は寒さに腐蝕された樣に赤い顏をしてゐた。
御米はかう宗助から勞はられた時、何だか自分の身體の惡い事を訴たへるに忍びない心持がした。實際又夫程苦しくもなかつた。それで何時もの通り何氣ない顏をして、夫に着物を着換さしたり、洋服を疊んだりして夜に入つた。
所が九時近くになつて、突然宗助に向つて、少し加減が惡いから先へ寐たいと云ひ出した。今迄平生の通り機嫌よく話してゐただけに、宗助は此言葉を聞いて一寸驚ろいたが、大した事でもないと云ふ御米の保證に、漸く安心してすぐ休む支度をさせた。
御米が床へ這入つてから、約二十分許の間、宗助は耳の傍に鐵瓶の音を聞きながら、靜な夜を丸心の洋燈に照らしてゐた。彼は來年度に一般官吏に増俸の沙汰があるといふ評判を思ひ浮べた。又其前に改革か淘汰が行はれるに違ないといふ噂に思ひ及んだ。さうして自分は何方の方へ編入されるのだらうと疑つた。彼は自分を東京へ呼んで呉れた杉原が、今も猶課長として本省にゐないのを遺憾とした。彼は東京へ移つてから不思議とまだ病氣をした事がなかつた。從つてまだ缺勤屆を出した事がなかつた。學校を中途で已めたなり、本は殆んど讀まないのだから、學問は人並に出來ないが、役所でやる仕事に差支へる程の頭腦ではなかつた。
彼は色々な事情を綜合して考へた上、まあ大丈夫だらうと腹の中で極めた。さうして爪の先で輕く鐵瓶の縁を敲いた。其時座敷で、
「貴方一寸」と云ふ御米の苦しさうな聲が聞えたので、我知らず立ち上がつた。
座敷へ來て見ると、御米は眉を寄せて、右の手で自分の肩を抑えながら、胸迄蒲團の外へ乘り出してゐた。宗助は殆んど器械的に、同じ所へ手を出した。さうして御米の抑えてゐる上から、固く骨の角を攫んだ。
「もう少し後の方」と御米が訴へるやうに云つた。宗助の手が御米の思ふ所へ落ち付く迄には、二度も三度も其所此所と位置を易えなければならなかつた。指で壓して見ると、頸と肩の繼目の少し脊中へ寄つた局部が、石の樣に凝つてゐた。御米は男の力一杯にそれを抑えて呉れと頼んだ。宗助の額からは汗が煑染み出した。それでも御米の滿足する程は力が出なかつた。
宗助は昔の言葉で早打肩といふのを覺えてゐた。小さい時祖父から聞いた話に、ある侍が馬に乘つて何處かへ行く途中で、急に此早打肩に冒されたので、すぐ馬から飛んで下りて、忽ち小柄を拔くや否や、肩先を切つて血を出したため、危うい命を取り留めたといふのがあつたが、其話が今明らかに記憶の燒點に浮んで出た。其時宗助は是はならんと思つた。けれども果して刄物を用ひて、肩の肉を突いて可いものやら、惡いものやら、決しかねた。
御米は何時になく逆上せて、耳迄赤くしてゐた。頭が熱いかと聞くと苦しさうに熱いと答へた。宗助は大きな聲を出して清に氷嚢へ冷たい水を入れて來いと命じた。氷嚢が生憎無かつたので、清は朝の通り金盥に手拭を浸けて持つて來た。清が頭を冷やしてゐるうち、宗助は矢張り精一杯肩を抑えてゐた。時々少しは可いかと聞いても、御米は微かに苦しいと答へる丈であつた。宗助は全く心細くなつた。思ひ切つて、自分で馳け出して醫者を迎に行かうとしたが、後が心配で一足も表へ出る氣にはなれなかつた。
「清、御前急いで通りへ行つて、氷嚢を買つて醫者を呼んで來い。まだ早いから起きてるだらう」
清はすぐ立つて茶の間の時計を見て、
「九時十五分で御座います」と云ひながら、それなり勝手口へ回つて、ごそ〳〵下駄を探してゐる所へ、旨い具合に外から小六が歸つて來た。例の通り兄には挨拶もしないで、自分の部屋へ這入らうとするのを、宗助はおい小六と烈しく呼び止めた。小六は茶の間で少し躊躇してゐたが、兄から又二聲程續けざまに大きな聲を掛けられたので、已を得ず低い返事をして、襖から顏を出した。其顏は酒氣のまだ醒めない赤い色を眼の縁に帶びてゐた。部屋の中を覗き込んで、始めて吃驚した樣子で、
「何うかなすつたんですか」と醉が一時に去つた樣な表情をした。
宗助は清に命じた通りを、小六に繰り返して、早くして呉れと急き立てた。小六は外套も脱がずに、すぐ玄關へ取つて返した。
「兄さん、醫者迄行くのは急いでも時間が掛かりますから、坂井さんの電話を借りて、すぐ來る樣に頼みませう」
「あゝ。左うして呉れ」と宗助は答へた。さうして小六の歸る間、清に何返となく金盥の水を易へさしては、一生懸命に御米の肩を壓し付けたり、揉んだりして見た。御米の苦しむのを、何もせずにたゞ見てゐるに堪えなかつたから、斯うして自分の氣を紛らしてゐたのである。
此時の宗助に取つて、醫者の來るのを今か今かと待ち受ける心ほど苛いものはなかつた。彼は御米の肩を揉みながらも、絶えず表の物音に氣を配つた。
漸く醫者が來たときは、始めて夜が明けた樣な心持がした。醫者は商買柄丈あつて、少しも狼狽へた樣子を見せなかつた。小さい折鞄を脇に引き付けて、落付き拂つた態度で、慢性病の患者でも取り扱ふ樣に緩くりした診察をした。其逼らない顏色を傍で見てゐた所爲か、わく〳〵した宗助の胸も漸く治まつた。
醫者は芥子を局部へ貼る事と、足を濕布で温める事と、夫から頭を氷で冷す事とを、應急手段として宗助に注意した。さうして自分で芥子を掻いて、御米の肩から頸の根へ貼り付けて呉れた。濕布は清と小六とで受持つた。宗助は手拭の上から氷嚢を額の上に當てがつた。
兎角するうち約一時間も經つた。醫者はしばらく經過を見て行かうと云つて、夫迄御米の枕元に坐つてゐた。世間話も折々は交へたが、大方は無言の儘二人共に御米の容體を見守る事が多かつた。夜は例の如く靜に更けた。
「大分冷えますな」と醫者が云つた。宗助は氣の毒になつたので、あとの注意を能く聞いた上、遠慮なく引き取つて呉れる樣にと頼んだ。其時御米は先刻よりは大分輕快になつてゐたからである。
「もう大丈夫でせう。頓服を一回上げますから今夜飮んで御覽なさい。多分寐られるだらうと思ひます」と云つて醫者は歸つた。小六はすぐ其後を追つて出て行つた。
小六が藥取に行つた間に、御米は、
「もう何時」と云ひながら、枕元の宗助を見上げた。宵とは違つて頬から血が退いて、洋燈に照らされた所が、ことに蒼白く映つた。宗助は黒い毛の亂れた所爲だらうと思つて、わざ〳〵鬢の毛を掻き上げて遣つた。さうして、
「少しは可いだらう」と聞いた。
「えゝ餘つ程樂になつたわ」と御米は何時もの通り微笑を洩らした。御米は大抵苦しい場合でも、宗助に微笑を見せる事を忘れなかつた。茶の間では、清が突伏したまゝ鼾をかいてゐた。
「清を寐かして遣つて下さい」と御米が宗助に頼んだ。
小六が藥取りから歸つて來て、醫者の云ひ付け通り服藥を濟ましたのは、もう彼是十二時近くであつた。それから二十分と經たないうちに、病人はすや〳〵寐入つた。
「好い塩梅だ」と宗助が御米の顏を見ながら云つた。小六もしばらく嫂の樣子を見守つてゐたが、
「もう大丈夫でせう」と答へた。二人は氷嚢を額から卸ろした。
やがて小六は自分の部屋へ這入る、宗助は御米の傍へ床を延べて何時もの如く寐た。五六時間の後冬の夜は錐の樣な霜を挾さんで、からりと明け渡つた。それから一時間すると、大地を染める太陽が、遮ぎるものゝない蒼空に憚りなく上つた。御米はまだすや〳〵寐てゐた。
そのうち朝餉も濟んで、出勤の時刻が漸く近づいた。けれども御米は眠りから覺める氣色もなかつた。宗助は枕邊に曲んで、深い寐息を聞ゝながら、役所へ行かうか休まうかと考へた。
朝の内は役所で常の如く事務を執つてゐたが、折々昨夕の光景が眼に浮ぶに連れて、自然御米の病氣が氣に罹るので、仕事は思ふ樣に運ばなかつた。時には變な間違をさへした。宗助は午になるのを待つて、思ひ切つて宅へ歸つて來た。
電車の中では、御米の眼が何時頃覺めたらう、覺めた後は心持が大分好くなつたろう、發作ももう起る氣遣なからうと、凡て惡くない想像ばかり思ひ浮べた。何時もと違つて、乘客の非常に少ない時間に乘り合はせたので、宗助は周圍の刺戟に氣を使ふ必要が殆んどなかつた。それで自由に頭の中へ現はれる畫を何枚となく眺めた。其うちに、電車は終點に來た。
宅の門口迄來ると、家の中はひつそりして、誰もゐない樣であつた。格子を開けて、靴を脱いで、玄關に上がつても、出て來るものはなかつた。宗助は何時もの樣に縁側から茶の間へ行かずに、すぐ取付の襖を開けて、御米の寐てゐる座敷へ這入つた。見ると、御米は依然として寐てゐた。枕元の朱塗の盆に散藥の袋と洋杯が載つてゐて、其洋杯の水が半分殘つてゐる所も朝と同じであつた。頭を床の間の方へ向けて、左の頬と芥子を貼つた襟元が少し見える所も朝と同じであつた。呼息より外に現實世界と交通のない樣に思はれる深い眠も朝見た通りであつた。凡てが今朝出掛に頭の中へ収めて行つた光景と少しも變つてゐなかつた。宗助は外套も脱がずに、上から曲んで、すう〳〵いふ御米の寐息をしばらく聞いてゐた。御米は容易に覺めさうにも見えなかつた。宗助は昨夕御米が散藥を飮んでから以後の時間を指を折つて勘定した。さうして漸く不安の色を面に表はした。昨夕迄は寐られないのが心配になつたが、斯う前後不覺に長く寐る所を眼のあたりに見ると、寐る方が何かの異状ではないかと考へ出した。
宗助は蒲團へ手を掛けて二三度輕く御米を搖振つた。御米の髮が括枕の上で、波を打つ樣に動いたが、御米は依然としてすう〳〵寐てゐた。宗助は御米を置いて、茶の間から臺所へ出た。流し元の小桶の中に茶碗と塗椀が洗はない儘浸けてあつた。下女部屋を覗くと、清が自分の前に小さな膳を控えたなり、御櫃に倚りかゝつて突伏してゐた。宗助は又六疊の戸を引いて首を差し込んだ。其所には小六が掛蒲團を一枚頭から引被つて寐てゐた。
宗助は一人で着物を着換えたが、脱ぎ捨てた洋服も、人手を借りずに自分で疊んで、押入に仕舞つた。それから火鉢へ火を繼いで、湯を沸かす用意をした。二三分は火鉢に持たれて考へてゐたが、やがて立ち上がつて、先づ小六から起しに掛ゝつた。次に清を起した。二人とも驚ろいて飛び起きた。小六に御米の今朝から今迄の樣子を聞くと、實は餘り眠いので、十一時半頃飯を食つて寐たのだが、夫迄は御米も能く熟睡してゐたのだと云ふ。
「醫者へ行つてね。昨夜の藥を戴いてから寐出して、今になつても眼が覺めませんが差支ないでせうかつて聞いて來て呉れ」
「はあ」
小六は簡單な返事をして出て行つた。宗助は又座敷へ來て御米の顏を熟視した。起して遣らなくつては惡い樣な、又起しては身體へ障る樣な、分別の付かない惑を抱いて腕組をした。
間もなく小六が歸つて來て、醫者は丁度徃診に出掛ける所であつた、譯を話したら、では今から一二軒寄つてすぐ行かうと答へた、と告げた。宗助は醫者が見える迄、斯うして放つて置いて構はないのかと小六に問ひ返したが、小六は醫者が以上より外に何にも語らなかつたと云ふ丈なので、已を得ず元の如く枕邊に凝と坐つてゐた。さうして心の中で、醫者も小六も不親切過ぎる樣に感じた。彼は其上昨夕御米を介抱してゐる時に歸つて來た小六の顏を思ひ出して、猶不愉快になつた。小六が酒を呑む事は、御米の注意で始めて知つたのであるが、其後氣を付けて弟の樣子をよく見てゐると、成程何だか眞面目でない所もある樣なので、何時かみつちり異見でもしなければなるまい位に考へてはゐたが、面白くもない二人の顏を御米に見せるのが、氣の毒なので今日迄わざと遠慮してゐたのである。
「云ひ出すなら御米の寐てゐる今である。今ならどんな氣不味いことを双方で言ひ募つたつて、御米の神經に障る氣遣はない」
此所迄考へ付いたけれども、知覺のない御米の顏を見ると、又其方が氣掛になつて、すぐにでも起したい心持がするので、つい決し兼てぐづ〳〵してゐた。其所へ漸く醫者が來て呉れた。
昨夕の折鞄を又丁寧に傍へ引き付けて、緩くり卷烟草を吹かしながら、宗助の云ふことを、はあ〳〵と聞いてゐたが、どれ拜見致しませうと御米の方へ向き直つた。彼は普通の場合の樣に病人の脉を取つて、長い間自分の時計を見詰めてゐた。それから黒い聽診器を心臟の上に當てた。それを丁寧に彼方此方と動かした。最後に丸い穴の開いた反射鏡を出して、宗助に蝋燭を點けて呉れと云つた。宗助は蝋燭を持たないので、清に洋燈を點けさした。醫者は眠つてゐる御米の眼を押し開けて、仔細に反射鏡の光を睫の奧に集めた。診察は夫で終つた。
「少し藥が利き過ぎましたね」と云つて宗助の方へ向き直つたが、宗助の眼の色を見るや否や、すぐ、
「然し御心配になる事はありません。斯う云ふ場合に、もし惡い結果が起るとすると、屹度心臟か腦を冒すものですが、今拜見した所では双方共異状は認められませんから」と説明して呉れた。宗助はそれで漸く安心した。醫者は又自分の用ひた眠り藥が比較的新らしいもので、學理上、他の睡眠劑の樣に有害でない事や、また其効目が患者の體質に因つて、程度に大變な相違のある事などを語つて歸つた。歸るとき宗助は、
「では寐られる丈寐かして置いても差支ありませんか」と聞いたら、醫者は用さへなければ別に起す必要もあるまいと答へた。
醫者が歸つたあとで、宗助は急に空腹になつた。茶の間へ出ると、先刻掛けて置いた鐵瓶がちん〳〵沸つてゐた。清を呼んで、膳を出せと命ずると、清は困つた顏付をして、まだ何の用意も出來てゐないと答へた。成程晩食には少し間があつた。宗助は樂々と火鉢の傍に胡坐を掻いて、大根の香の物を噛みながら湯漬を四杯ほどつゞけ樣に掻き込んだ。それから約三十分程したら御米の眼がひとりでに覺めた。
新年の頭を拵らえやうといふ氣になつて、宗助は久し振に髮結床の敷居を跨いだ。暮の所爲か客が大分立て込んでゐるので、鋏の音が二三ヶ所で、同時にちよき〳〵鳴つた。此寒さを無理に乘り越して、一日も早く春に入らうと焦慮るやうな表通の活動を、宗助は今見て來たばかりなので、其鋏の音が、如何にも忙しない響となつて彼の鼓膜を打つた。
しばらく煖爐の傍で烟草を吹かして待つてゐる間に、宗助は自分と關係のない大きな世間の活動に否應なしに捲き込まれて、已を得ず年を越さなければならない人の如くに感じた。正月を眼の前へ控えた彼は、實際是といふ新らしい希望もないのに、徒らに周圍から誘はれて、何だかざわ〳〵した心持を抱いてゐたのである。
御米の發作は漸く落ち付いた。今では平日の如く外へ出ても、家の事がそれ程氣に掛ゝらない位になつた。餘所に比べると閑靜な春の支度も、御米から云へば、年に一度の忙がしさには違なかつたので、或は何時も通の準備さへ拔いて、常よりも簡單に年を越す覺悟をした宗助は、蘇生つた樣にはつきりした妻の姿を見て、恐ろしい悲劇が一歩遠退いた時の如くに、胸を撫で卸した。然し其悲劇が又何時如何なる形で、自分の家族を捕へに來るか分らないと云ふ、ぼんやりした掛念が、折々彼の頭のなかに霧となつて懸かつた。
年の暮に、事を好むとしか思はれない世間の人が、故意と短い日を前へ押し出したがつて齷齪する樣子を見ると、宗助は猶の事この茫漠たる恐怖の念に襲はれた。成らうことなら、自分丈は陰氣な暗い師走の中に一人殘つてゐたい思さへ起つた。漸く自分の番が來て、彼は冷たい鏡のうちに、自分の影を見出した時、不圖此影は本來何者だらうと眺めた。首から下は眞白な布に包まれて、自分の着てゐる着物の色も縞も全く見えなかつた。其時彼は又床屋の亭主が飼つてゐる小鳥の籠が、鏡の奧に映つてゐる事に氣が付いた。鳥が止り木の上をちらり〳〵と動いた。
頭へ香のする油を塗られて、景氣のいゝ聲を後から掛けられて、表へ出たときは、それでも清々した心持であつた。御米の勸通髮を刈つた方が、結局氣を新たにする効果があつたのを、冷たい空氣の中で、宗助は自覺した。
水道税の事で一寸聞き合せる必要が生じたので、宗助は歸り路に坂井へ寄つた。下女が出て來て、此方へと云ふから、何時もの座敷へ案内するかと思ふと、其所を通り越して、茶の間へ導びいていつた。すると茶の間の襖が二尺ばかり開いてゐて、中から三四人の笑ひ聲が聞えた。坂井の家庭は相變らず陽氣であつた。
主人は光澤の好い長火鉢の向側に坐つてゐた。細君は火鉢を離れて、少し縁側の障子の方へ寄つて、矢張此方を向いてゐた。主人の後に細長い黒い枠に嵌めた柱時計が懸つてゐた。時計の右が壁で、左が袋戸棚になつてゐた。其張交に石摺だの、俳畫だの、扇の骨を拔いたものなどが見えた。
主人と細君の外に、筒袖の揃ひの模樣の被布を着た女の子が二人肩を擦り付け合つて坐つてゐた。片方は十二三で、片方は十位に見えた。大きな眼を揃へて、襖の陰から入つて來た宗助の方を向いたが、二人の眼元にも口元にも、今笑つた許の影が、まだゆたかに殘つてゐた。宗助は一應室の内を見回して、此親子の外に、まだ一人妙な男が、一番入口に近い所に畏まつてゐるのを見出した。
宗助は坐つて五分と立たないうちに、先刻の笑聲は、此變な男と坂井の家族との間に取り換はされた問答から出る事を知つた。男は砂埃でざらつきさうな赤い毛と、日に燒けて生涯褪めつこない強い色を有つてゐた。瀬戸物の釦の着いた白木綿の襯衣を着て、手織の硬い布子の襟から財布の紐見たやうな長い丸打を懸けた樣子は、滅多に東京抔へ出る機會のない遠い山の國のものとしか受け取れなかつた。其上男は此寒いのに膝小僧を少し出して、紺の落ちた小倉の帶の尻に差した手拭を拔いては鼻の下を擦つた。
「是は甲斐の國から反物を脊負つてわざ〳〵東京迄出て來る男なんです」と坂井の主人が紹介すると、男は宗助の方を向いて、
「何うか旦那、一つ買つて御呉」と挨拶をした。
成程銘仙だの御召だの、白紬だのが其所ら一面に取り散らしてあつた。宗助は此男の形裝や言葉遣の可笑しい割に、立派な品物を脊中へ乘せて歩行のを寧ろ不思議に思つた。主人の細君の説明によると、此織屋の住んでゐる村は燒石ばかりで、米も粟も収れないから、已を得ず桑を植ゑて蠶を飼ふんださうであるが、餘程貧しい所と見えて、柱時計を持つてゐる家が一軒丈で、高等小學へ通ふ小供が三人しかないという話であつた。
「字の書けるものは、此人ぎりなんださうですよ」と云つて細君は笑つた。すると織屋も、
「本當のこんだよ、奧さん。讀み書き算筆の出來るものは、己より外にねえんだからね。全く非道い所にや違ない」と眞面目に細君の云ふ事を首肯つた。
織屋は色々の反物を主人や細君の前へ突き付けては、「買つて御呉れ」といふ言葉をしきりに繰り返した。そりや高いよ幾何々々に御負けなどゝ云はれると、「値ぢやねえね」とか、「拜むからそれで買つて御呉れ」とか、「まあ目方を見て御呉れ」とか凡て異樣な田舍びた答をした。その度に皆が笑つた。主人夫婦は又閑だと見えて、面白半分に何時迄も織屋を相手にした。
「織屋、御前さうして荷を脊負つて、外へ出て、時分どきになつたら、矢張り御膳を食べるんだらうね」と細君が聞いた。
「飯を食はねえでゐられるもんぢやないよ。腹の減る事ちうたら」
「何んな所で食べるの」
「何んな所で食べるちうて、矢つ張り茶屋で食ふだね」
主人は笑ひながら茶屋とは何だと聞いた。織屋は、飯を食はす所が茶屋だと答へた。それから東京へ出立には飯が非常に旨いので、腹を据ゑて食ひ出すと、大抵の宿屋は叶はない、三度々々食つちや氣の毒だと云ふ樣な事を話して、また皆を笑はした。
織屋は仕舞に撚糸の紬と、白絽を一匹細君に賣り付けた。宗助は此押し詰つた暮に、夏の絽を買ふ人を見て餘裕のあるものは又格別だと感じた。すると、主人が宗助に向つて、
「何うです貴方も、序に何か一つ。奧さんの不斷着でも」と勸めた。細君もかう云ふ機會に買つて置くと、幾割か値安に買へる便宜を説いた。さうして、
「なに、御拂は何時でも可いんです」と受合つて呉れた。宗助はとう〳〵御米のために銘仙を一反買ふ事にした。主人はそれを散々値切つて三圓に負けさした。織屋は負けた後で又、
「全く値ぢやねえね。泣きたくなるね」と云つたので、大勢がまた一度に笑つた。
織屋は何處へ行つても斯ういふ鄙びた言葉を使つて通してゐるらしかつた。毎日馴染みの家をぐる〳〵回つて歩いてゐるうちには、脊中の荷が段々輕くなつて、仕舞に紺の風呂敷と眞田紐丈が殘る。其時分には丁度舊の正月が來るので、一先國元へ歸つて、古い春を山の中で越して、夫から又新らしい反物を脊負へる丈脊負つて出て來るのだと云つた。さうして養蠶の忙しい四月の末か五月の初迄に、それを悉皆金に換へて、又富士の北影の燒石許ころがつてゐる小村へ歸つて行くのださうである。
「宅へ來出してから、もう四五年になりますが、何時見ても同じ事で、少しも變らないんですよ」と細君が注意した。
「實際珍らしい男です」と主人も評語を添えた。三日も外へ出ないと、町幅が何時の間にか取り廣げられてゐたり、一日新聞を讀まないと、電車の開通を知らずに過したりする今の世に、年に二度も東京へ出ながら、斯う山男の特色を何處迄も維持して行くのは、實際珍らしいに違なかつた。宗助はつく〴〵此織屋の容貌やら態度やら服裝やら言葉使やらを觀察して、一種氣の毒な思をなした。
彼は坂井を辭して、家へ歸る途中にも、折々インヷネスの羽根の下に抱へて來た銘仙の包を持ち易へながら、それを三圓といふ安い價で賣つた男の、粗末な布子の縞と、赤くてばさ〳〵した髮の毛と、其油氣のない硬い髮の毛が、何ういふ譯か、頭の眞中で立派に左右に分けられてゐる樣を、絶えず眼の前に浮べた。
宅では御米が宗助に着せる春の羽織を漸く縫ひ上げて、壓の代りに坐蒲團の下へ入れて、自分で其上へ坐つてゐる所であつた。
「貴方今夜敷いて寐て下さい」と云つて、御米は宗助を顧みた。夫から、坂井へ來てゐた甲斐の男の話を聞いた時は、御米も流石に大きな聲を出して笑つた。さうして宗助の持つて歸つた銘仙の縞柄と地合を飽かず眺めては、安い〳〵と云つた。銘仙は全く品の良いものであつた。
「何うして、さう安く賣つて割に合ふんでせう」と仕舞に聞き出した。
「なに中へ立つ呉服屋が儲け過ぎてるのさ」と宗助は其道に明るい樣な事を、此一反の銘仙から推斷して答へた。
夫婦の話はそれから、坂井の生活に餘裕のある事と、其餘裕のために、横町の道具屋などに意外な儲け方をされる代りに、時とすると斯う云ふ織屋などから、差し向き不用のものを廉價に買つて置く便宜を有してゐる事などに移つて、仕舞に其家庭の如何にも陽氣で、賑やかな模樣に落ちて行つた。宗助は其時突然語調を更へて、
「何金があるばかりぢやない。一つは子供が多いからさ。子供さへあれば、大抵貧乏な家でも陽氣になるものだ」と御米を覺した。
其云ひ方が、自分達の淋しい生涯を、多少自ら窘める樣な苦い調子を、御米の耳に傳へたので、御米は覺えず膝の上の反物から手を放して夫の顏を見た。宗助は坂井から取つて來た品が、御米の嗜好に合つたので、久し振りに細君を喜ばせて遣つた自覺があるばかりだつたから、別段そこには氣が付かなかつた。御米も一寸宗助の顏を見たなり其時は何にも云はなかつた。けれども夜に入つて寐る時間が來る迄御米はそれをわざと延ばして置いたのである。
二人は何時もの通り十時過床に入つたが、夫の眼がまだ覺めてゐる頃を見計らつて、御米は宗助の方を向いて話しかけた。
「貴方先刻小供がないと淋しくつて不可ないと仰しやつてね」
宗助は是に類似の事を普般的に云つた覺は慥かにあつた。けれどもそれは強がちに、自分達の身の上に就て、特に御米の注意を惹く爲に口にした、故意の觀察でないのだから、斯う改たまつて聞き糺されると、困るより外はなかつた。
「何も宅の事を云つたのぢやないよ」
此返事を受けた御米は、しばらく默つてゐた。やがて、
「でも宅の事を始終淋しい〳〵と思つてゐらつしやるから、必竟あんな事を仰しやるんでせう」と前と略似た樣な問を繰り返した。宗助は固よりさうだと答へなければならない或物を頭の中に有つてゐた。けれども御米を憚つて、それ程明白地な自白を敢てし得なかつた。此病氣上りの細君の心を休める爲には、却つてそれを冗談にして笑つて仕舞ふ方が善からうと考へたので、
「淋しいと云へば、そりや淋しくないでもないがね」と調子を易へて成るべく陽氣に出たが、其所で詰つたぎり、新らしい文句も、面白い言葉も容易に思ひ付けなかつた。已を得ず、
「まあ可いや。心配するな」と云つた。御米はまた何とも答へなかつた。宗助は話題を變へやうと思つて、
「昨夕も火事があつたね」と世間話をし出した。すると御米は急に、
「私は實に貴方に御氣の毒で」と切なさうに言譯を半分して、又それなり默つて仕舞つた。洋燈は何時もの樣に床の間の上に据ゑてあつた。御米は灯に背いてゐたから、宗助には顏の表情が判然分らなかつたけれども、其聲は多少涙でうるんでゐる樣に思はれた。今迄仰向いて天井を見てゐた彼は、すぐ妻の方へ向き直つた。さうして薄暗い影になつた御米の顏を凝と眺めた。御米も暗い中から凝と宗助を見てゐた。さうして、
「疾から貴方に打ち明けて謝罪まらう〳〵と思つてゐたんですが、つい言ひ惡かつたもんだから、夫なりにして置いたのです」と途切れ〳〵に云つた。宗助には何の意味か丸で解らなかつた。多少はヒステリーの所爲かとも思つたが、全然さうとも決しかねて、しばらく茫然してゐた。すると御米が思ひ詰めた調子で、
「私にはとても子供の出來る見込はないのよ」と云ひ切つて泣き出した。
宗助は此可憐な自白を何う慰さめて可いか分別に餘つて當惑してゐたうちにも、御米に對して甚だ氣の毒だといふ思が非常に高まつた。
「子供なんざ、無くても可いぢやないか。上の坂井さん見た樣に澤山生れて御覽、傍から見てゐても氣の毒だよ。丸で幼穉園の樣で」
「だつて一人も出來ないと極つちまつたら、貴方だつて好かないでせう」
「まだ出來ないと極りやしないぢやないか。是から生れるかも知れないやね」
御米は猶と泣き出した。宗助も途方に暮れて、發作の治まるのを穩やかに待つてゐた。さうして、緩くり御米の説明を聞いた。
夫婦は和合同棲といふ點に於て、人並以上に成功したと同時に、子供にかけては、一般の隣人よりも不幸であつた。それも始から宿る種がなかつたのなら、まだしもだが、育つべきものを中途で取り落したのだから、更に不幸の感が深かつた。
始めて身重になつたのは、二人が京都を去つて、廣島に瘠世帶を張つてゐる時であつた。懷姙と事が極つたとき、御米は此新らしい經驗に對して、恐ろしい未來と、嬉しい未來を一度に夢に見る樣な心持を抱いて日を過ごした。宗助はそれを眼に見えない愛の精に、一種の確證となるべき形を與へた事實と、ひとり解釋して少なからず喜んだ。さうして自分の命を吹き込んだ肉の塊が、目の前に踴る時節を指を折つて樂しみに待つた。所が胎兒は、夫婦の豫期に反して、五ヶ月迄育つて突然下りて仕舞つた。其時分の夫婦の活計は苦しい苛い月ばかり續いてゐた。宗助は流産した御米の蒼い顏を眺めて、是も必竟は世帶の苦勞から起るんだと判じた。さうして愛情の結果が、貧のために打ち崩されて、永く手の裡に捕へる事の出來なくなつたのを殘念がつた。御米はひたすら泣いた。
福岡へ移つてから間もなく、御米は又酸いものを嗜む人となつた。一度流産すると癖になると聞いたので、御米は萬に注意して、つゝましやかに振舞つてゐた。其所爲か經過は至極順當に行つたが、どうした譯か、是といふ原因もないのに、月足らずで生れて仕舞つた。産婆は首を傾けて、一度醫者に見せる樣に勸めた。醫者に診て貰ふと、發育が充分でないから、室内の温度を一定の高さにして、晝夜とも變らない位、人工的に暖めなければ不可ないと云つた。宗助の手際では、室内に煖爐を据ゑ付ける設備をする丈でも容易ではなかつた。夫婦はわが時間と算段の許す限りを盡して、專念に赤兒の命を護つた。けれども凡ては徒勞に歸した。一週間の後、二人の血を分けた情の塊は遂に冷たくなつた。御米は幼兒の亡骸を抱いて、
「何うしませう」と啜り泣いた。宗助は再度の打撃を男らしく受けた。冷たい肉が灰になつて、其灰が又黒い土に和する迄、一口も愚癡らしい言葉は出さなかつた。其内何時となく、二人の間に挾まつてゐた影の樣なものが、次第に遠退いて程なく消えて仕舞つた。
すると三度目の記憶が來た。宗助が東京に移つて始ての年に、御米は又懷姙したのである。出京の當座は、大分身體が衰ろへてゐたので、御米は勿論、宗助もひどく其所を氣遣つたが、今度こそはといふ腹は兩方にあつたので、張のある月を無事に段々と重ねて行つた。所が丁度五月目になつて、御米は又意外の失敗を遣つた。其頃はまだ水道も引いてなかつたから、朝晩下女が井戸端へ出て水を汲んだり、洗濯をしなければならなかつた。御米はある日裏にゐる下女に云ひ付ける用が出來たので、井戸流の傍に置いた盥の傍迄行つて話をした序に、流を向へ渡らうとして、青い苔の生へてゐる濡れた板の上へ尻持を突いた。御米はまた遣り損なつたとは思つたが、自分の粗忽を面目ながつて、宗助にはわざと何事も語らずに其場を通した。けれども此震動が、何時迄經つても胎兒の發育に是といふ影響も及ぼさず、從つて自分の身體にも少しの異状を引き起さなかつた事が慥に分つた時、御米は漸く安心して、過去の失を改めて宗助の前に告げた。宗助は固より妻を咎める意もなかつた。たゞ、
「能く氣を付けないと危ないよ」と穩やかに注意を加へて過ぎた。
兎角するうちに月が滿ちた。愈生れるといふ間際迄日が詰つたとき、宗助は役所へ出ながらも、御米の事がしきりに氣に掛つた。歸りには何時も、今日はことによると留守のうちに抔と案じ續けては、自分の家の格子の前に立つた。さうして半ば豫期してゐる赤兒の泣聲が聞えないと、却つて何かの變でも起つたらしく感じて、急いで宅へ飛び込んで、自分と自分の粗忽を耻づる事があつた。
幸に御米の産氣づいたのは、宗助の外に用のない夜中だつたので、傍にゐて世話の出來ると云ふ點から見れば甚だ都合が好かつた。産婆も緩くり間に合ふし、脱脂綿其他の準備も悉く不足なく取り揃へてあつた。産も案外輕かつた。けれども肝心の小兒は、たゞ子宮を逃れて廣い所へ出たといふ迄で、浮世の空氣を一口も呼吸しなかつた。産婆は細い硝子の管の樣なものを取つて、小さい口の内へ強い呼息をしきりに吹き込んだが、効目は丸でなかつた。生れたものは肉丈であつた。夫婦は此肉に刻み付けられた、眼と鼻と口とを髣髴した。然し其咽喉から出る聲は遂に聞く事が出來なかつた。
産婆は出産のあつたつい一週間前に來て、丁寧に胎兒の心臟迄聽診して、至極御健全だと保證して行つたのである。よし産婆の云ふ事に間違があつて、腹の兒の發育が今迄のうちに何處かで止つてゐたにした所で、それが直取り出されない以上、母體は今日迄平氣に持ち應へる譯がなかつた。其所を段々調べて見て、宗助は自分が未だ嘗て聞いた事のない事實を發見した時に、思はず恐れ驚ろいた。胎兒は出る間際迄健康であつたのである。けれども臍帶纏絡と云つて、俗に云ふ胞を頸へ捲き付けてゐた。斯う云ふ異常の場合には、固より産婆の腕で切り拔けるより外に仕樣のないもので、經驗のある婆さんなら、取り上げる時に、旨く頸に掛ゝつた胞を外して引き出す筈であつた。宗助の頼んだ産婆も可成年を取つてゐる丈に、此位のことは心得てゐた。然し胎兒の頸を絡んでゐた臍帶は、時たまある如く一重ではなかつた。二重に細い咽喉を卷いてゐる胞を、あの細い所を通す時に外し損なつたので、小兒はぐつと氣管を絞められて窒息して仕舞つたのである。
罪は産婆にもあつた。けれども半以上は御米の落度に違なかつた。臍帶纏絡の變状は、御米が井戸端で滑つて痛く尻餠を搗いた五ヶ月前既に自ら釀したものと知れた。御米は産後の蓐中に其始末を聞いて、たゞ輕く首肯いたぎり何にも云はなかつた。さうして、疲勞に少し落ち込んだ眼を霑ませて、長い睫毛をしきりに動かした。宗助は慰さめながら、手帛で頬に流れる涙を拭いて遣つた。
是が子供に關する夫婦の過去であつた。此苦い經驗を甞めた彼等は、それ以後幼兒に就て餘り多くを語るを好まなかつた。けれども二人の生活の裏側は、此記憶のために淋しく染め付けられて、容易に剥げさうには見えなかつた。時としては、彼我の笑聲を通してさへ、御互の胸に、此裏側が薄暗く映る事もあつた。斯ういふ譯だから、過去の歴史を今夫に向つて新たに繰り返さうとは、御米も思ひ寄らなかつたのである。宗助も今更妻からそれを聞かせられる必要は少しも認めてゐなかつたのである。
御米の夫に打ち明けると云つたのは、固より二人の共有してゐた事實に就てではなかつた。彼女は三度目の胎兒を失つた時、夫から其折の模樣を聞いて、如何にも自分が殘酷な母であるかの如く感じた。自分が手を下した覺がないにせよ、考へ樣によつては、自分と生を與へたものの生を奪ふために、暗闇と明海の途中に待ち受けて、これを絞殺したと同じ事であつたからである。斯う解釋した時、御米は恐ろしい罪を犯した惡人と己を見傚さない譯に行かなかつた。さうして思はざる徳義上の苛責を人知れず受けた。しかも其苛責を分つて、共に苦しんで呉れるものは世界中に一人もなかつた。御米は夫にさへ此苦しみを語らなかつたのである。
彼女は其時普通の産婦の樣に、三週間を床の中で暮らした。それは身體から云ふと極めて安靜の三週間に違なかつた。同時に心から云ふと、恐るべき忍耐の三週間であつた。宗助は亡兒のために、小さい柩を拵らえて、人の眼に立たない葬儀を營なんだ。しかる後、又死んだもののために小さな位牌を作つた。位牌には黒い漆で戒名が書いてあつた。位牌の主は戒名を持つてゐた。けれども俗名は兩親といへども知らなかつた。宗助は最初それを茶の間の箪笥の上へ載せて、役所から歸ると絶えず線香を焚いた。其香が六疊に寐てゐる御米の鼻に時々通つた。彼女の官能は當時それ程に鋭どくなつてゐたのである。しばらくしてから、宗助は何を考へたか、小さい位牌を箪笥の抽出の底へ仕舞つてしまつた。其所には福岡で亡くなつた小供の位牌と、東京で死んだ父の位牌が別々に綿で包んで丁寧に入れてあつた。東京の家を疊むとき宗助は先祖の位牌を一つ殘らず携えて、諸所を漂泊するの煩はしさに堪えなかつたので、新らしい父の分丈を鞄の中に収めて、其他は悉く寺へ預けて置いたのである。
御米は宗助のする凡てを寐ながら見たり聞いたりしてゐた。さうして布團の上に仰向になつた儘、此二つの小さい位牌を、眼に見えない因果の糸を長く引いて互に結び付けた。それから其糸を猶遠く延ばして、是は位牌にもならずに流れて仕舞つた、始めから形のない、ぼんやりした影の樣な死兒の上に投げかけた。御米は廣島と福岡と東京に殘る一つ宛の記憶の底に、動かしがたい運命の嚴かな支配を認めて、其嚴かな支配の下に立つ、幾月日の自分を、不思議にも同じ不幸を繰り返すべく作られた母であると觀じた時、時ならぬ呪咀の聲を耳の傍に聞いた。彼女が三週間の安靜を、蒲團の上に貪ぼらなければならないやうに、生理的に強ひられてゐる間、彼女の鼓膜は此呪咀の聲で殆んど絶えず鳴つてゐた。三週間の安臥は、御米に取つて實に比類のない忍耐の三週間であつた。
御米は此苦しい半月餘りを、枕の上で凝と見詰めながら過ごした。仕舞には我慢して横になつてゐるのが、如何にも苛かつたので、看護婦の歸つた明る日に、こつそり起きてぶら〳〵して見たが、それでも心に逼る不安は、容易に紛らせなかつた。退儀な身體を無理に動かす割に、頭の中は少しも動いて呉れないので、又落膽りして、ついには取り放しの夜具の下へ潛り込んで、人の世を遠ざける樣に、眼を堅く閉つて仕舞ふ事もあつた。
其内定期の三週間も過ぎて、御米の身體は自からすつきりなつた。御米は奇麗に床を拂つて、新らしい氣のする眉を再び鏡に照らした。それは更衣の時節であつた。御米も久し振に綿の入つた重いものを脱ぎ棄てゝ、肌に垢の觸れない輕い氣持を爽やかに感じた。春と夏の境をぱつと飾る陽氣な日本の風物は、淋しい御米の頭にも幾分かの反響を與へた。けれども、夫はたゞ沈んだものを掻き立てて、賑やかな光りのうちに浮かした迄であつた。御米の暗い過去の中に其時一種の好奇心が萠したのである。
天氣の勝れて美くしいある日の午前、御米は何時もの通り宗助を送り出してから直に、表へ出た。もう女は日傘を差して外を行くべき時節であつた。急いで日向を歩くと額の邊が少し汗ばんだ。御米は歩き〳〵、着物を着換える時、箪笥を開けたら、思はず一番目の抽出の底に仕舞つてあつた、新らしい位牌に手が觸れた事を思ひつゞけて、とう〳〵ある易者の門を潛つた。
彼女は多數の文明人に共通な迷信を子供の時から持つてゐた。けれども平生は其迷信が又多數の文明人と同じ樣に、遊戲的に外に現はれる丈で濟んでゐた。それが實生活の嚴かな部分を冒す樣になつたのは、全く珍らしいと云はなければならなかつた。御米は其時眞面目な態度と眞面目な心を有つて、易者の前に坐つて、自分が將來子を生むべき、又子を育てるべき運命を天から與へられるだらうかを確めた。易者は大道に店を出して、徃來の人の身の上を一二錢で占なふ人と、少しも違つた樣子もなく、算木を色々に並べて見たり、筮竹を揉んだり數へたりした後で、仔細らしく腮の下の髯を握つて何か考へたが、終りに御米の顏をつく〴〵眺めた末、
「貴方には子供は出來ません」と落ち付き拂つて宣告した。御米は無言の儘、しばらく易者の言葉を頭の中で噛んだり碎いたりした。それから顏を上げて、
「何故でせう」と聞き返した。其時御米は易者が返事をする前に、又考へるだらうと思つた。所が彼はまともに御米の眼の間を見詰めたまゝ、すぐ
「貴方は人に對して濟まない事をした覺がある。其罪が祟つてゐるから、子供は決して育たない」と云ひ切つた。御米は此一言に心臟を射拔かれる思があつた。くしやりと首を折つたなり家へ歸つて、其夜は夫の顏さへ碌々見上げなかつた。
御米の宗助に打ち明けないで、今迄過したといふのは、此易者の判斷であつた。宗助は床の間に乘せた細い洋燈の灯が、夜の中に沈んで行きさうな靜かな晩に、始めて御米の口から其話を聞いたとき、流石に好い氣味はしなかつた。
「神經の起つた時、わざ〳〵そんな馬鹿な所へ出掛るからさ。錢を出して下らない事を云はれて詰らないぢやないか。其後もその占の宅へ行くのかい」
「恐ろしいから、もう決して行かないわ」
「行かないが可い。馬鹿氣てゐる」
宗助はわざと鷹揚な答をして又寐て仕舞つた。
宗助と御米とは仲の好い夫婦に違なかつた。一所になつてから今日迄六年程の長い月日をまだ半日も氣不味く暮した事はなかつた。言逆に顏を赤らめ合つた試は猶なかつた。二人は呉服屋の反物を買つて着た。米屋から米を取つて食つた。けれども其他には一般の社會に待つ所の極めて少ない人間であつた。彼等は、日常の必要品を供給する以上の意味に於て、社會の存在を殆んど認めてゐなかつた。彼等に取つて絶對に必要なものは御互丈で、其御互丈が、彼等にはまた充分であつた。彼等は山の中にゐる心を抱いて、都會に住んでゐた。
自然の勢として、彼等の生活は單調に流れない譯に行かなかつた。彼等は複雜な社會の煩を避け得たと共に、其社會の活動から出る樣々の經驗に直接觸れる機會を、自分と塞いで仕舞つて、都會に住みながら、都會に住む文明人の特權を棄てた樣な結果に到着した。彼等も自分達の日常に變化のない事は折々自覺した。御互が御互に飽きるの、物足りなくなるのといふ心は微塵も起らなかつたけれども、御互の頭に受け入れる生活の内容には、刺戟に乏しい或物が潛んでゐる樣な鈍い訴があつた。それにも拘はらず、彼等が毎日同じ判を同じ胸に押して、長の月日を倦まず渡つて來たのは、彼等が始から一般の社會に興味を失つてゐたためではなかつた。社會の方で彼等を二人限に切り詰めて、其二人に冷かな背を向けた結果に外ならなかつた。外に向つて生長する餘地を見出し得なかつた二人は、内に向つて深く延び始めたのである。彼等の生活は廣さを失なふと同時に、深さを増して來た。彼等は六年の間世間に散漫な交渉を求めなかつた代りに、同じ六年の歳月を擧げて、互の胸を堀ほ》り出した。彼等の命は、いつの間にか互の底に迄喰ひ入つた。二人は世間から見れば依然として二人であつた。けれども互から云へば、道義上切り離す事の出來ない一つの有機體になつた。二人の精神を組み立てる神經系は、最後の纖維に至る迄、互に抱き合つて出來上つてゐた。彼等は大きな水盤の表に滴たつた二點の油の樣なものであつた。水を彈いて二つが一所に集まつたと云ふよりも、水に彈かれた勢で、丸く寄り添つた結果、離れる事が出來なくなつたと評する方が適當であつた。
彼等は此抱合の中に、尋常の夫婦に見出し難い親和と飽滿と、それに伴なう倦怠とを兼ね具へてゐた。さうして其倦怠の慵い氣分に支配されながら、自己を幸福と評價する事丈は忘れなかつた。倦怠は彼等の意識に眠の樣な幕を掛けて、二人の愛をうつとり霞ます事はあつた。けれども簓で神經を洗はれる不安は決して起し得なかつた。要するに彼等は世間に疎い丈それ丈仲の好い夫婦であつたのである。
彼等は人並以上に睦ましい月日を渝らずに今日から明日へと繋いで行きながら、常は其所に氣が付かずに顏を見合はせてゐる樣なものゝ、時々自分達の睦まじがる心を、自分で確と認める事があつた。その場合には必ず今迄睦まじく過ごした長の歳月を溯のぼつて、自分達が如何な犧牲を拂つて、結婚を敢てしたかと云ふ當時を憶ひ出さない譯には行かなかつた。彼等は自然が彼等の前にもたらした恐るべき復讐の下に戰きながら跪づいた。同時に此復讐を受けるために得た互の幸福に對して、愛の神に一辯の香を焚く事を忘れなかつた。彼等は鞭たれつゝ死に赴くものであつた。たゞ其鞭の先に、凡てを癒やす甘い蜜の着いてゐる事を覺つたのである。
宗助は相當に資産のある東京ものゝ子弟として、彼等に共通な派出な嗜好を學生時代には遠慮なく充たした男である。彼は其時服裝にも、動作にも、思想にも、悉く當世らしい才人の面影を漲らして、昂い首を世間に擡げつゝ、行かうと思ふ邊りを濶歩した。彼の襟の白かつた如く、彼の洋袴の裾が奇麗に折り返されてゐた如く、其下から見える彼の靴足袋が模樣入のカシミヤであつた如く、彼の頭は華奢な世間向きであつた。
彼は生れ付理解の好い男であつた。從つて大した勉強をする氣にはなれなかつた。學問は社會へ出るための方便と心得てゐたから、社會を一歩退ぞかなくつては達する事の出來ない、學者といふ地位には、餘り多くの興味を有つてゐなかつた。彼はたゞ教場へ出て、普通の學生のする通り、多くのノートブツクを黒くした。けれども宅へ歸つて來て、それを讀み直したり、手を入れたりした事は滅多になかつた。休んで拔けた所さへ大抵は其儘にして放つて置いた。彼は下宿の机の上に、此ノートブツクを奇麗に積み上げて、何時見ても整然と秩序の付いた書齋を空にしては、外を出歩るいた。友達は多く彼の寛濶を羨んだ。宗助も得意であつた。彼の未來は虹の樣に美くしく彼の眸を照らした。
其頃の宗助は今と違つて多くの友達を持つてゐた。實を云ふと、輕快な彼の眼に映ずる凡ての人は、殆んど誰彼の區別なく友達であつた。彼は敵といふ言葉の意味を正當に解し得ない樂天家として、若い世をのび〳〵と渡つた。
「なに不景氣な顏さへしなければ、何處へ行つたつて驩迎されるもんだよ」と學友の安井によく話した事があつた。實際彼の顏は、他を不愉快にする程深刻な表情を示し得た試がなかつた。
「君は身體が丈夫だから結構だ」とよく何處かに故障の起る安井が羨ましがつた。此安井といふのは國は越前だが、長く横濱に居たので、言葉や樣子は毫も東京ものと異なる點がなかつた。着物道樂で、髮の毛を長くして眞中から分ける癖があつた。高等學校は違つてゐたけれども、講義のときよく隣合せに並んで、時々聞き損なつた所抔を後から質問するので、口を利き出したのが元になつて、つい懇意になつた。それが學年の始りだつたので、京都へ來て日のまだ淺い宗助には大分の便宜であつた。彼は安井の案内で新らしい土地の印象を酒の如く吸ひ込んだ。二人は毎晩の樣に三條とか四條とかいふ賑やかな町を歩いた。時によると京極も通り拔けた。橋の眞中に立つて鴨川の水を眺めた。東山の上に出る靜かな月を見た。さうして京都の月は東京の月よりも丸くて大きい樣に感じた。町や人に厭きたときは、土曜と日曜を利用して遠い郊外に出た。宗助は至る所の大竹藪に緑の籠る深い姿を喜んだ。松の幹の染めた樣に赤いのが、日を照り返して幾本となく並ぶ風情を樂しんだ。ある時は大悲閣へ登つて、即非の額の下に仰向きながら、谷底の流を下る櫓の音を聞いた。其音が鴈の鳴聲によく似てゐるのを二人とも面白がつた。ある時は、平八茶屋迄出掛けて行つて、そこに一日寐てゐた。さうして不味い河魚の串に刺したのを、かみさんに燒かして酒を呑んだ。其かみさんは、手拭を被つて、紺の立付見た樣なものを穿いてゐた。
宗助は斯んな新らしい刺戟の下に、しばらくは慾求の滿足を得た。けれども一と通り古い都の臭を嗅いで歩くうちに、凡てがやがて、平板に見えだして來た。其時彼は美くしい山の色と清い水の色が、最初程鮮明な影を自分の頭に宿さないのを物足らず思ひ始めた。彼は暖かな若い血を抱いて、其熱りを冷す深い緑に逢へなくなつた。さうかといつて、此情熱を焚き盡す程の烈しい活動には無論出會はなかつた。彼の血は高い脉を打つて、徒らにむづ痒く彼の身體の中を流れた。彼は腕組をして、坐ながら四方の山を眺めた。さうして、
「もう斯んな古臭い所には厭きた」と云つた。
安井は笑ひながら、比較のため、自分の知つてゐる或友達の故郷の物語をして宗助に聞かした。それは淨瑠璃の間の土山雨が降るとある有名な宿の事であつた。朝起きてから夜寐る迄、眼に入るものは山より外にない所で、丸で擂鉢の底に住んでゐると同じ有樣だと告げた上、安井は其友達の小さい時分の經驗として、五月雨の降りつゞく折抔は、小供心に、今にも自分の住んでゐる宿が、四方の山から流れて來る雨の中に浸かつて仕舞ひさうで、心配でならなかつたと云ふ話をした。宗助はそんな擂鉢の底で一生を過す人の運命ほど情ないものはあるまいと考へた。
「さう云ふ所に、人間がよく生きてゐられるな」と不思議さうな顏をして安井に云つた。安井も笑つてゐた。さうして土山から出た人物の中では、千兩凾を摩り替へて磔になつたのが一番大きいのだと云ふ一口話を矢張り友達から聞いた通り繰り返した。狹い京都に飽きた宗助は、單調な生活を破る色彩として、さう云ふ出來事も百年に一度位は必要だらうと迄思つた。
其時分の宗助の眼は、常に新らしい世界にばかり注がれてゐた。だから自然が一通四季の色を見せて仕舞つたあとでは、再び去年の記憶を呼び戻すために、花や紅葉を迎へる必要がなくなつた。強く烈しい命に生きたと云ふ證劵を飽迄握りたかつた彼には、活きた現在と、是から生れやうとする未來が、當面の問題であつたけれども、消えかゝる過去は、夢同樣に價の乏しい幻影に過ぎなかつた。彼は多くの剥げかゝつた社と、寂果た寺を見盡して、色の褪めた歴史の上に、黒い頭を振り向ける勇氣を失ひかけた。寐耄けた昔に彽徊する程、彼の氣分は枯れてゐなかつたのである。
學年の終りに宗助と安井とは再會を約して手を分つた。安井は一先郷里の福井へ歸つて、夫から横濱へ行く積りだから、もし其時には手紙を出して通知をしやう、さうして成るべくなら一所の汽車で京都へ下らう、もし時間が許すなら、興津あたりで泊つて、清見寺や三保の松原や、久能山でも見ながら緩くり遊んで行かうと云つた。宗助は大いに可からうと答へて、腹のなかでは既に安井の端書を手にする時の心持さへ豫想した。
宗助が東京へ歸つたときは、父は固よりまだ丈夫であつた。小六は子供であつた。彼は一年ぶりに殷んな都の炎熱と煤煙を呼吸するのを却つて嬉しく感じた。燬く樣な日の下に、渦を捲いて狂ひ出しさうな瓦の色が、幾里となく續く景色を、高い所から眺めて、是でこそ東京だと思ふ事さへあつた。今の宗助なら目を眩しかねない事々物々が、悉く壯快の二字を彼の額に燒き付けべく、其時は反射して來たのである。
彼の未來は封じられた蕾のやうに、開かない先は他に知れないばかりでなく、自分にも確とは分らなかつた。宗助はたゞ洋々の二字が彼の前途に棚引いてゐる氣がした丈であつた。彼は此暑い休暇中にも卒業後の自分に對する謀を忽かせにはしなかつた。彼は大學を出てから、官途に就かうか、又は實業に從はうか、それすら、まだ判然と心に極めてゐなかつたに拘はらず、何方の方面でも構はず、今のうちから、進める丈進んで置く方が利益だと心付いた。彼は直接父の紹介を得た。父を通して間接に其知人の紹介を得た。さうして自分の將來を影響し得る樣な人を物色して、二三の訪問を試みた。彼等のあるものは、避暑といふ名義の下に、既に東京を離れてゐた。あるものは不在であつた。又あるものは多忙のため時を期して、勤務先で會はうと云つた。宗助は日のまだ高くならない七時頃に、昇降器で煉瓦造の三階へ案内されて、其所の應接間に、もう七八人も自分と同じ樣に、同じ人を待つてゐる光景を見て驚ろいた事もあつた。彼は斯うして新らしい所へ行つて、新らしい物に接するのが、用向の成否に關はらず、今迄眼に付かずに過ぎた活きた世界の斷片を頭へ詰め込む樣な氣がして何となく愉快であつた。
父の云ひ付で、毎年の通り虫干の手傳をさせられるのも、斯んな時には、却つて興味の多い仕事の一部分に數へられた。彼は冷たい風の吹き通す土藏の戸前の濕つぽい石の上に腰を掛けて、古くから家にあつた江戸名所圖會と江戸砂子といふ本を物珍しさうに眺めた。疊迄熱くなつた座敷の眞中へ胡坐を掻いて、下女の買つて來た樟腦を、小さな紙片に取り分けては、醫者で呉れる散藥の樣な形に疊んだ。宗助は小供の時から、此樟腦の高い香と、汗の出る土用と、砲烙灸と、蒼空を緩く舞ふ鳶とを連想してゐた。
兎角するうちに節は立秋に入つた。二百十日の前には、風が吹いて、雨が降つた。空には薄墨の煑染んだ樣な雲がしきりに動いた。寒暖計が二三日下がり切りに下がつた。宗助はまた行李を麻繩で絡げて、京都へ向ふ支度をしなければならなくなつた。
彼は此間にも安井と約束のある事は忘れなかつた。家へ歸つた當座は、まだ二ヶ月も先の事だからと緩くり構へてゐたが、段々時日が逼るに從つて、安井の消息が氣になつてきた。安井は其後一枚の端書さへ寄こさなかつたのである。宗助は安井の郷里の福井へ向けて手紙を出して見た。けれども返事は遂に來なかつた。宗助は横濱の方へ問ひ合はせて見やうと思つたが、つい番地も町名も聞いて置かなかつたので、何うする事も出來なかつた。
立つ前の晩に、父は宗助を呼んで、宗助の請求通り、普通の旅費以外に、途中で二三日滯在した上、京都へ着いてからの當分の小遣を渡して、
「成る丈節儉しなくちや不可ない」と諭した。
宗助はそれを普通の子が普通の親の訓戒を聞く時の如くに聞いた。父は又、
「來年また歸つて來る迄は會はないから、隨分氣を付けて」と云つた。其歸つて來る時節には、宗助はもう歸れなくなつてゐたのである。さうして歸つて來た時は、父の亡骸がもう冷たくなつてゐたのである。宗助は今に至る迄其時の父の面影を思ひ浮べては濟まない樣な氣がした。
愈立つと云ふ間際に、宗助は安井から一通の封書を受取つた。開いて見ると、約束通り一所に歸る積でゐたが、少し事情があつて先へ立たなければならない事になつたからと云ふ斷を述べた末に、何れ京都で緩くり會はうと書いてあつた。宗助はそれを洋服の内懷に押し込んで汽車に乘つた。約束の興津へ來たとき彼は一人でプラツトフオームへ降りて、細長い一筋町を清見寺の方へ歩いた。夏も既に過ぎた九月の初なので、大方の避暑客は早く引き上げた後だから、宿屋は比較的閑靜であつた。宗助は海の見える一室の中に腹這になつて、安井へ送る繪端書へ二三行の文句を書いた。其内に、君が來ないから僕一人で此所へ來たといふ言葉を入れた。
翌日も約束通り一人で三保と龍華寺を見物して、京都へ行つてから安井に話す材料を出來る丈拵えた。然し天氣の所爲か、當にした連のないためか、海を見ても、山へ登つても夫程面白くなかつた。宿に凝としてゐるのは、猶退屈であつた。宗助は匆々に又宿の浴衣を脱ぎ棄てゝ、絞りの三尺と共に欄干に掛けて、興津を去つた。
京都へ着いた一日目は、夜汽車の疲れやら、荷物の整理やらで、徃來の日影を知らずに暮らした。二日目になつて漸く學校へ出て見ると、教師はまだ出揃つてゐなかつた。學生も平日よりは數が不足であつた。不審な事には、自分より三四つ日前に歸つてゐるべき筈の安井の顏さへ何處にも見えなかつた。宗助はそれが氣にかゝるので、歸りにわざ〳〵安井の下宿へ回つて見た。安井の居る所は樹と水の多い加茂の社の傍であつた。彼は夏休み前から、少し閑靜な町外れへ移つて勉強する積だとか云つて、わざ〳〵此不便な村同樣な田舍へ引込んだのである。彼の見付出した家からが寂た土塀を二方に回らして、既に古風に片付いてゐた。宗助は安井から、其所の主人はもと加茂神社の神官の一人であつたと云ふ話を聞いた。非常に能辯な京都言葉を操る四十許の細君がゐて、安井の世話をしてゐた。
「世話つて、たゞ不味い菜を拵らえて、三度づゝ室へ運んで呉れる丈だよ」と安井は移り立てから此細君の惡口を利いてゐた。宗助は安井を此所に二三度訪ねた縁故で、彼の所謂不味い菜を拵らえる主を知つてゐた。細君の方でも宗助の顏を覺えてゐた。細君は宗助を見るや否や、例の柔かい舌で慇懃な挨拶を述べた後、此方から聞かうと思つて來た安井の消息を、却つて向ふから尋ねた。細君の云ふ所によると、彼は郷里へ歸つてから當日に至る迄、一片の音信さへ下宿へは出さなかつたのである。宗助は案外な思で自分の下宿へ歸つて來た。
夫から一週間程は、學校へ出るたんびに、今日は安井の顏が見えるか、明日は安井の聲がするかと、毎日漠然とした豫期を抱いては教室の戸を開けた。さうして毎日又漠然とした不足を感じては歸つて來た。尤も最後の三四日に於る宗助は早く安井に會ひたいと思ふよりも、少し事情があるから、失敬して先へ立つとわざ〳〵通知しながら、何時迄待つても影も見せない彼の安否を、關係者として寧ろ氣に掛けてゐたのである。彼は學友の誰彼に萬遍なく安井の動靜を聞いて見た。然し誰も知るものはなかつた。たゞ一人が、昨夕四條の人込の中で、安井によく似た浴衣がけの男を見たと答へた事があつた。然し宗助にはそれが安井だらうとは信じられなかつた。所が其話を聞いた翌日、即ち宗助が京都へ着いてから約一週間の後、話の通りの服裝をした安井が、突然宗助の所へ尋ねて來た。
宗助は着流しの儘麥藁帽を手に持つた友達の姿を久し振に眺めた時、夏休み前の彼の顏の上に、新らしい何物かゞ更に付け加へられた樣な氣がした。安井は黒い髮に油を塗つて、目立つ程奇麗に頭を分けてゐた。さうして今床屋へ行つて來た所だと言譯らしい事を云つた。
其晩彼は宗助と一時間餘りも雜談に耽つた。彼の重々しい口の利き方、自分を憚かつて、思ひ切れない樣な話の調子、「然るに」と云ふ口癖、凡て平生の彼と異なる點はなかつた。たゞ彼は何故宗助より先へ横濱を立つたかを語らなかつた。又途中何處で暇取つた爲、宗助より後れて京都へ着いたかを判然告げなかつた。然し彼は三四日前漸く京都へ着いた事丈を明かにした。さうして、夏休み前にゐた下宿へはまだ歸らずにゐると云つた。
「夫で何處に」と宗助が聞いたとき、彼は自分の今泊つてゐる宿屋の名前を、宗助に教へた。それは三條邊の三流位の家であつた。宗助は其名前を知つてゐた。
「何うして、其樣な所へ這入つたのだ。當分其所にゐる積なのかい」と宗助は重ねて聞いた。安井はたゞ少し都合があつてと許答へたが、
「下宿生活はもう已めて、小さい家でも借りやうかと思つてゐる」と思ひがけない計畫を打ち明けて、宗助を驚ろかした。
それから一週間ばかりの中に、安井はとう〳〵宗助に話した通り、學校近くの閑靜な所に一戸を構へた。それは京都に共通な暗い陰氣な作りの上に、柱や格子を黒赤く塗つて、わざと古臭く見せた狹い貸家であつた。門口に誰の所有とも付かない柳が一本あつて、長い枝が殆ど軒に觸りさうに風に吹かれる樣を宗助は見た。庭も東京と違つて、少しは整つてゐた。石の自由になる所だけに、比較的大きなのが座敷の眞正面に据ゑてあつた。其下には涼しさうな苔がいくらでも生えた。裏には敷居の腐つた物置が空の儘がらんと立つてゐる後に、隣の竹藪が便所の出入りに望まれた。
宗助の此處を訪問したのは、十月に少し間のある學期の始めであつた。殘暑がまだ強いので宗助は學校の徃復に、蝙蝠傘を用ひてゐた事を今に記憶してゐた。彼は格子の前で傘を疊んで、内を覗き込んだ時、粗い縞の浴衣を着た女の影をちらりと認めた。格子の内は三和土で、それが眞直に裏迄突き拔けてゐるのだから、這入つてすぐ右手の玄關めいた上り口を上らない以上は、暗いながら一筋に奧の方迄見える譯であつた。宗助は浴衣の後影が、裏口へ出る所で消へてなくなる迄其處に立つてゐた。それから格子を開けた。玄關へは安井自身が現れた。
座敷へ通つてしばらく話してゐたが、さつきの女は全く顏を出さなかつた。聲も立てず、音もさせなかつた。廣い家でないから、つい隣の部屋位にゐたのだらうけれども、居ないのと丸で違はなかつた。この影の樣に靜かな女が御米であつた。
安井は郷里の事、東京の事、學校の講義の事、何くれとなく話した。けれども、御米の事に就ては一言も口にしなかつた。宗助も聞く勇氣に乏しかつた。其日はそれなり別れた。
次の日二人が顏を合したとき、宗助は矢張り女の事を胸の中に記憶してゐたが、口へ出しては一言も語らなかつた。安井も何氣ない風をしてゐた。懇意な若い青年が心易立に話し合ふ遠慮のない題目は、是迄二人の間に何度となく交換されたにも拘はらず、安井はこゝへ來て、息詰つた如くに見えた。宗助も其所を無理にこぢ開ける程の強い好奇心は有たなかつた。從つて女は二人の意識の間に挾まりながら、つい話頭に上らないで、又一週間ばかり過ぎた。
其日曜に彼は又安井を訪ふた。それは二人の關係してゐる或會に就て用事が起つたためで、女とは全く縁故のない動機から出た淡泊な訪問であつた。けれども座敷へ上がつて、同じ所へ坐らせられて、垣根に沿ふた小さな梅の木を見ると、此前來た時の事が明らかに思ひ出された。其日も座敷の外は、しんとして靜であつた。宗助は其靜かなうちに忍んでゐる若い女の影を想像しない譯に行かなかつた。同時にその若い女は此前と同じ樣に、決して自分の前に出て來る氣遣はあるまいと信じてゐた。
此豫期の下に、宗助は突然御米に紹介されたのである。其時御米は此間の樣に粗い浴衣を着てはゐなかつた。是から餘所へ行くか、又は今外から歸つて來たと云ふ風な粧をして、次の間から出て來た。宗助にはそれが意外であつた。然し大した綺羅を着飾つた譯でもないので、衣服の色も、帶の光も、夫程彼を驚かす迄には至らなかつた。其上御米は若い女に有勝の嬌羞といふものを、初對面の宗助に向つて、あまり多く表はさなかつた。たゞ普通の人間を靜にして言葉寡なに切り詰めた丈に見えた。人の前へ出ても、隣の室に忍んでゐる時と、あまり區別のない程落付いた女だといふ事を見出した宗助は、それから推して、御米のひつそりしていたのは、穴勝耻かしがつて、人の前へ出るのを避けるため許でもなかつたんだと思つた。
安井は御米を紹介する時、
「是は僕の妹だ」といふ言葉を用ひた。宗助は四五分對坐して、少し談話を取り換はしてゐるうちに、御米の口調の何處にも、國訛らしい音の交つてゐない事に氣が付いた。
「今迄御國の方に」と聞いたら、御米が返事をする前に安井が、
「いや横濱に長く」と答へた。
其日は二人して町へ買物に出やうと云ふので、御米は不斷着を脱ぎ更へて、暑い所をわざ〳〵新らしい白足袋迄穿いたものと知れた。宗助は折角の出掛を喰ひ留めて、邪魔でもした樣に氣の毒な思をした。
「なに宅を持ち立てだものだから、毎日々々要るものを新らしく發見するんで、一週に一二返は是非都迄買ひ出しに行かなければならない」と云ひながら安井は笑つた。
「途迄一所に出掛けやう」と宗助はすぐ立ち上がつた。序に家の樣子を見てくれと安井の云ふに任せた。宗助は次の間にある亞鉛の落しの付いた四角な火鉢や、黄な安つぽい色をした眞鍮の藥鑵や、古びた流しの傍に置かれた新らし過ぎる手桶を眺めて、門へ出た。安井は門口へ錠を卸して、鍵を裏の家へ預けるとか云つて、走けて行つた。宗助と御米は待つてゐる間、二言、三言、尋常な口を利いた。
宗助は此三四分間に取り換はした互の言葉を、いまだに覺えてゐた。それは只の男が只の女に對して人間たる親みを表はすために、遣り取りする簡略な言葉に過ぎなかつた。形容すれば水の樣に淺く淡いものであつた。彼は今日迄路傍道上に於て、何かの折に觸れて、知らない人を相手に、是程の挨拶をどの位繰り返して來たか分らなかつた。
宗助は極めて短かい其時の談話を、一々思ひ浮べるたびに、其一々が、殆んど無着色と云つていゝ程に、平淡であつた事を認めた。さうして、斯く透明な聲が、二人の未來を、何うしてあゝ眞赤に、塗り付けたかを不思議に思つた。今では赤い色が日を經て昔の鮮かさを失つてゐた。互を焚き焦がした燄は、自然と變色して黒くなつてゐた。二人の生活は斯樣にして暗い中に沈んでゐた。宗助は過去を振り向いて、事の成行を逆に眺め返しては、此淡泊な挨拶が、如何に自分等の歴史を濃く彩つたかを、胸の中で飽迄味はひつゝ、平凡な出來事を重大に變化させる運命の力を恐ろしがつた。
宗助は二人で門の前に佇んでゐる時、彼等の影が折れ曲つて、半分許土塀に映つたのを記憶してゐた。御米の影が蝙蝠傘で遮ぎられて、頭の代りに不規則な傘の形が壁に落ちたのを記憶してゐた。少し傾むきかけた初秋の日が、じり〳〵二人を照り付けたのを記憶してゐた。御米は傘を差した儘、それ程涼しくもない柳の下に寄つた。宗助は白い筋を縁に取つた紫の傘の色と、まだ褪め切らない柳の葉の色を、一歩遠退いて眺め合はした事を記憶してゐた。
今考へると凡てが明らかであつた。從つて何等の奇もなかつた。二人は土塀の影から再び現はれた安井を待ち合はして、町の方へ歩いた。歩く時、男同志は肩を並べた。御米は草履を引いて後に落ちた。話も多くは男丈で受持つた。それも長くはなかつた。途中迄來て宗助は一人分れて、自分の家へ歸つたからである。
けれども彼の頭には其日の印象が長く殘つてゐた。家へ歸つて、湯に入つて、燈火の前に坐つた後にも、折々色の着いた平たい畫として、安井と御米の姿が眼先にちらついた。それのみか床に入つてからは、妹だと云つて紹介された御米が、果して本當の妹であらうかと考へ始めた。安井に問ひ詰めない限り、此疑の解決は容易でなかつたけれども、臆斷はすぐ付いた。宗助は此臆斷を許すべき餘地が、安井と御米の間に充分存在し得るだらう位に考へて、寐ながら可笑しく思つた。しかも其臆斷に、腹の中で彽徊する事の馬鹿々々しいのに氣が付いて、消し忘れた洋燈を漸くふつと吹き消した。
斯う云ふ記憶の、次第に沈んで痕迹もなくなる迄、御互の顏を見ずに過す程、宗助と安井とは疎遠ではなかつた。二人は毎日學校で出合ふ許でなく、依然として夏休み前の通り徃來を續けてゐた。けれども宗助が行くたびに、御米は必ず挨拶に出るとは限らなかつた。三返に一返位、顏を見せないで、始ての時の樣に、ひつそり隣りの室に忍んでゐる事もあつた。宗助は別にそれを氣にも留めなかつた。夫にも拘はらず、二人は漸く接近した。幾何ならずして冗談を云ふ程の親みが出來た。
其内又秋が來た。去年と同じ事情の下に、京都の秋を繰り返す興味に乏しかつた宗助は、安井と御米に誘はれて茸狩に行つた時、朗らかな空氣のうちに又新らしい香を見出した。紅葉も三人で觀た。嵯峨から山を拔けて高雄へ歩く途中で、御米は着物の裾を捲くつて、長襦袢丈を足袋の上迄牽いて、細い傘を杖にした。山の上から一町も下に見える流れに日が射して、水の底が明らかに遠くから透かされた時、御米は
「京都は好い所ね」と云つて二人を顧みた。それを一所に眺めた宗助にも、京都は全く好い所の樣に思はれた。
斯う揃つて外へ出た事も珍らしくはなかつた。家の中で顏を合はせる事は猶屡あつた。或時宗助が例の如く安井を尋ねたら、安井は留守で、御米ばかり淋しい秋の中に取り殘された樣に一人坐つてゐた。宗助は淋しいでせうと云つて、つい座敷に上り込んで、一つ火鉢の兩側に手を翳しながら、思つたより長話をして歸つた。或時宗助がぽかんとして、下宿の机に倚りかゝつた儘、珍らしく時間の使ひ方に困つてゐると、ふと御米が遣つて來た。其所迄買物に出たから、序に寄つたんだとか云つて、宗助の薦める通り、茶を飮んだり菓子を食べたり、緩くり寛ろいだ話をして歸つた。
斯んな事が重なつて行くうちに、木の葉が何時の間にか落ちて仕舞つた。さうして高い山の頂が、ある朝眞白に見えた。吹き曝しの河原が白くなつて、橋を渡る人の影が細く動いた。其年の京都の冬は、音を立てずに肌を透す陰忍な質のものであつた。安井は此惡性の寒氣に中てられて、苛いインフルエンザに罹つた。熱が普通の風邪よりも餘程高かつたので、始は御米も驚ろいたが、それは一時の事で、すぐ退いたには退いたから、是でもう全快と思ふと、何時迄立つても判然しなかつた。安井は黐の樣な熱に絡み付かれて、毎日其差し引きに苦しんだ。
醫者は少し呼吸器を冒されてゐる樣だからと云つて、切に轉地を勸めた。安井は心ならず押入の中の柳行李に麻繩を掛けた。御米は手提鞄に錠を卸した。宗助は二人を七條迄見送つて、汽車が出る迄室の中へ這入つて、わざと陽氣な話をした。プラツトフオームへ下りた時、窓の内から、
「遊びに來給へ」と安井が云つた。
「何うぞ是非」と御米が言つた。
汽車は血色の好い宗助の前をそろ〳〵過ぎて、忽ち神戸の方に向つて烟を吐いた。
病人は轉地先で年を越した。繪端書は着いた日から毎日の樣に寄こした。それに何時でも遊びに來いと繰り返して書いてない事はなかつた。御米の文字も一二行宛は必ず交つてゐた。宗助は安井と御米から屆いた繪端書を別にして机の上に重ねて置いた。外から歸るとそれが直眼に着いた。時々はそれを一枚宛順に讀み直したり、見直したりした。仕舞にもう悉皆癒つたから歸る。然し折角此所迄來ながら、此所で君の顏を見ないのは遺憾だから、此手紙が着き次第、一寸で可いから來いといふ端書が來た。無事と退屈を忌む宗助を動かすには、この十數言で充分であつた。宗助は汽車を利用して其夜のうちに安井の宿に着いた。
明るい燈火の下に三人が待設けた顏を合はした時、宗助は何よりも先づ病人の色澤の回復して來た事に氣が付いた。立つ前よりも却つて好い位に見えた。安井自身もそんな心持がすると云つて、わざ〳〵襯衣の袖を捲り上げて、青筋の入つた腕を獨で撫でてゐた。御米も嬉しさうに眼を輝かした。宗助にはその活溌な目遣が殊に珍らしく受取れた。今迄宗助の心に映じた御米は、色と音の撩亂する裏に立つてさへ、極めて落ち付いてゐた。さうして其落ち付きの大部分は矢鱈に動かさない眼の働らきから來たとしか思はれなかつた。
次の日三人は表へ出て遠く濃い色を流す海を眺めた。松の幹から脂の出る空氣を吸つた。冬の日は短い空を赤裸々に横切つて大人しく西へ落ちた。落ちる時、低い雲を黄に赤に竈の火の色に染めて行つた。風は夜に入つても起らなかつた。たゞ時々松を鳴らして過ぎた。暖かい好い日が宗助の泊つてゐる三日の間續いた。
宗助はもつと遊んで行きたいと云つた。御米はもつと遊んで行きませうと云つた。安井は宗助が遊びに來たから好い天氣になつたんだらうと云つた。三人は又行李と鞄を携へて京都へ歸つた。冬は何事もなく北風を寒い國へ吹き遣つた。山の上を明らかにした斑な雪が次第に落ちて、後から青い色が一度に芽を吹いた。
宗助は當時を憶ひ出すたびに、自然の進行が其所ではたりと留まつて、自分も御米も忽ち化石して仕舞つたら、却つて苦はなかつたらうと思つた。事は冬の下から春が頭を擡げる時分に始まつて、散り盡した櫻の花が若葉に色を易へる頃に終つた。凡てが生死の戰であつた。青竹を炙つて油を絞る程の苦しみであつた。大風は突然不用意の二人を吹き倒したのである。二人が起き上がつた時は何處も彼所も既に砂だらけであつたのである。彼等は砂だらけになつた自分達を認めた。けれども何時吹き倒されたかを知らなかつた。
世間は容赦なく彼等に徳義上の罪を脊負した。然し彼等自身は徳義上の良心に責められる前に、一旦茫然として、彼等の頭が確であるかを疑つた。彼等は彼等の眼に、不徳義な男女として耻づべく映る前に、既に不合理な男女として、不可思議に映つたのである。其所に言譯らしい言譯が何にもなかつた。だから其所に云ふに忍びない苦痛があつた。彼等は殘酷な運命が氣紛に罪もない二人の不意を打つて、面白半分穽の中に突き落したのを無念に思つた。
曝露の日がまともに彼等の眉間を射たとき、彼等は既に徳義的に痙攣の苦痛を乘り切つてゐた。彼等は蒼白い額を素直に前に出して、其所に燄に似た烙印を受けた。さうして無形の鎖で繋がれた儘、手を携えて何處迄も、一所に歩調を共にしなければならない事を見出した。彼等は親を棄てた。親類を棄てた。友達を棄てた。大きく云へば一般の社會を棄てた。もしくは夫等から棄てられた。學校からは無論棄てられた。たゞ表向丈は此方から退學した事になつて、形式の上に人間らしい迹を留めた。
是が宗助と御米の過去であつた。
此過去を負はされた二人は、廣島へ行つても苦しんだ。福岡へ行つても苦しんだ。東京へ出て來ても、依然として重い荷に抑えつけられてゐた。佐伯の家とは親しい關係が結べなくなつた。叔父は死んだ。叔母と安之助はまだ生きてゐるが、生きてゐる間に打ち解けた交際は出來ない程、もう冷淡の日を重ねて仕舞つた。今年はまだ歳暮にも行かなかつた。向からも來なかつた。家に引取つた小六さへ腹の底では兄に敬意を拂つてゐなかつた。二人が東京へ出たてには、單純な小供の頭から、正直に御米を惡んでゐた。御米にも宗助にもそれが能く分つてゐた。夫婦は日の前に笑み、月の前に考へて、靜かな年を送り迎へた。今年ももう盡きる間際迄來た。
通町では暮の内から門並揃の注連飾をした。徃來の左右に何十本となく並んだ、軒より高い笹が、悉く寒い風に吹かれて、さら〳〵と鳴つた。宗助も二尺餘りの細い松を買つて、門の柱に釘付にした。それから大きな赤い橙を御供の上に載せて、床の間に据ゑた。床には如何はしい墨畫の梅が、蛤の格好をした月を吐いて懸つてゐた。宗助には此變な軸の前に、橙と御供を置く意味が解らなかつた。
「一體是や、何う云ふ了見だね」と自分で飾り付けた物を眺めながら、御米に聞いた。御米にも毎年斯うする意味は頓と解らなかつた。
「知らないわ。たゞ左樣して置けば可いのよ」と云つて臺所へ去つた。宗助は、
「斯うして置いて、詰り食ふためか」と首を傾けて御供の位置を直した。
伸餠は夜業に俎を茶の間迄持ち出して、みんなで切つた。庖丁が足りないので、宗助は始から仕舞迄手を出さなかつた。力のある丈に小六が一番多く切つた。其代り不同も一番多かつた。中には見掛の惡い形のものも交つた。變なのが出來るたびに清が聲を出して笑つた。小六は庖丁の脊に濡布巾を宛がつて、硬い耳の所を斷ち切りながら、
「格好は何うでも、食ひさいすれば可いんだ」と、うんと力を入れて耳迄赤くした。
その外に迎年の支度としては、小殿原を熬つて、煑染を重詰にする位なものであつた。大晦日の夜に入つて、宗助は挨拶旁屋賃を持つて、坂井の家に行つた。わざと遠慮して勝手口へ回ると、摺硝子へ明るい灯が映つて、中はざわ〳〵してゐた。上り框に帳面を持つて腰を掛けた掛取らしい小僧が、立つて宗助に挨拶をした。茶の間には主人も細君もゐた。其片隅に印袢天を着た出入のものらしいのが、下を向いて、小さい輪飾をいくつも拵へてゐた。傍に讓葉と裏白と半紙と鋏が置いてあつた。若い下女が細君の前に坐つて、釣錢らしい札と銀貨を疊に並べてゐた。主人は宗助を見て、
「いや何うも」と云つた。「押し詰つて嘸御忙しいでせう。此通りごた〳〵です。さあ何うぞ此方へ。何ですな、御互に正月にはもう飽きましたな。いくら面白いものでも四十返以上繰り返すと厭になりますね」
主人は年の送迎に煩らはしい樣な事を云つたが、其態度には何處と指してくさ〳〵した所は認められなかつた。言葉遣は活溌であつた。顏はつや〳〵してゐた。晩食に傾けた酒の勢が、まだ頬の上に差してゐる如く思はれた。宗助は貰ひ烟草をして二三十分ばかり話して歸つた。
家では御米が清を連れて湯に行くとか云つて、石鹸入を手拭に包んで、留守居を頼む夫の歸を待ち受けてゐた。
「何うなすつたの、隨分長かつたわね」と云つて時計を眺めた。時計はもう十時近くであつた。其上清は湯の戻りに髮結の所へ回つて頭を拵える筈ださうであつた。閑靜な宗助の活計も大晦日には夫相應の事件が寄せて來た。
「拂はもう皆濟んだのかい」と宗助は立ちながら御米に聞いた。御米はまだ薪屋が一軒殘つてゐると答へた。
「來たら拂つて頂戴」と云つて懷の中から汚れた男持の紙入と、銀貨入の蟇口を出して、宗助に渡した。
「小六は何うした」と夫はそれを受取ながら云つた。
「先刻大晦日の夜の景色を見て來るつて出て行つたのよ。隨分御苦勞さまね。此寒いのに」と云ふ御米の後に追いて、清は大きな聲を出して笑つた。やがて、
「御若いから」と評しながら、勝手口へ行つて、御米の下駄を揃えた。
「何處の夜景を見る氣なんだ」
「銀座から日本橋通のだつて」
御米は其時もう框から下り掛けてゐた。すぐ腰障子を開ける音がした。宗助は其音を聞き送つて、たつた一人火鉢の前に坐つて、灰になる炭の色を眺めてゐた。彼の頭には明日の日の丸が映つた。外を乘り回す人の絹帽子の光が見えた。洋劍の音だの、馬の嘶だの、遣羽子の聲が聞えた。彼は今から數時間の後又年中行事のうちで、尤も人の心を新にすべく仕組まれた景物に出逢はなければならなかつた。
陽氣さうに見えるもの、賑かさうに見えるものが、幾組となく彼の心の前を通り過ぎたが、その中で彼の臂を把つて、一所に引張て行かうとするものは一つもなかつた。彼はたゞ饗宴に招かれない局外者として、醉ふ事を禁じられた如くに、又醉ふ事を免かれた人であつた。彼は自分と御米の生命を、毎年平凡な波瀾のうちに送る以上に、面前大した希望も持つてゐなかつた。かうして忙がしい大晦日に、一人家を守る靜かさが、丁度彼の平生の現實を代表してゐた。
御米は十時過に歸つて來た。何時もより光澤の好い頬を灯に照らして、湯の温のまだ拔けない襟を少し開ける樣に襦袢を重ねてゐた。長い襟首が能く見えた。
「何うも込んで込んで、洗ふ事も桶を取る事も出來ない位なの」と始めて緩くり息を吐いた。
清の歸つたのは十一時過であつた。是も綺麗な頭を障子から出して、たゞ今、どうも遲くなりましたと挨拶をした序に、あれから二人とか三人とか待ち合したと云ふ話をした。
たゞ小六丈は容易に歸らなかつた。十二時を打つたとき、宗助はもう寐やうと云ひ出した。御米は今日に限つて、先へ寐るのも變なものだと思つて、出來る丈話を繋いでゐた。小六は幸にして間もなく歸つた。日本橋から銀座へ出て夫から、水天宮の方へ廻つた所が、電車が込んで何臺も待ち合はしたために遲くなつたといふ言譯をした。
白牡丹へ這入つて、景物の金時計でも取らうと思つたが、何も買ふものがなかつたので、仕方なしに鈴の着いた御手玉を一箱買つて、さうして幾百となく器械で吹き上られる風船を一つ攫んだら、金時計は當らないで、こんなものが中つたと云つて、袂から倶樂部洗粉を一袋出した。それを御米の前に置いて、
「姉さんに上げませう」と云つた。それから鈴を着けた梅の花の形に縫つた御手玉を宗助の前に置いて、
「坂井の御孃さんにでも御上げなさい」と云つた。
事に乏しい一小家族の大晦日は、それで終りを告げた。
正月は二日目の雪を率て注連飾の都を白くした。降り已んだ屋根の色が故に復る前、夫婦は亞鉛張の庇を滑り落る雪の音に幾遍か驚ろかされた。夜半にはどさと云ふ響が殊に甚しかつた。小路の泥濘は雨上りと違つて一日や二日では容易に乾かなかつた。外から靴を汚して歸つて來る宗助が、御米の顏を見るたびに、
「是や不可ない」と云ひながら玄關へ上つた。其樣子が恰も御米を路を惡くした責任者と見傚してゐる風に受取られるので、御米は仕舞に、
「何うも濟みません。本當に御氣の毒さま」と云つて笑ひ出した。宗助は別に返すべき冗談も有たなかつた。
「御米此所から出掛けるには、何處へ行くにも足駄を穿かなくつちやならない樣に見えるだらう。所が下町へ出ると大違だ。どの通もどの通もから〳〵で、却つて埃が立つ位だから、足駄なんぞ穿いちや極が惡くつて歩けやしない。つまり斯う云ふ所に住んでゐる我々は一世紀がた後れる事になるんだね」
こんな事を口にする宗助は別に不足らしい顏もしてゐなかつた。御米も夫の鼻の穴を潛る烟草の煙を眺める位な氣で、それを聞いてゐた。
「坂井さんへ行つて、さう云つて入らつしやいな」と輕い返事をした。
「さうして屋賃でも負けて貰ふ事にしやう」と答へた儘、宗助はついに坂井へは行かなかつた。
其坂井には元日の朝早く名刺を投げ込んだ丈で、わざと主人の顏を見ずに門を出たが、義理のある所を一日のうちに略片付て夕方歸つて見ると、留守の間に、坂井がちやんと來てゐたので恐縮した。二日は雪が降つた丈で何事もなく過ぎた。三日目の日暮に下女が使に來て、御閑ならば、旦那樣と奧さまと、夫から若旦那樣に是非今晩御遊びに入らつしやる樣にと云つて歸つた。
「何をするんだらう」と宗助は疑ぐつた。
「屹度歌加留多でせう。小供が多いから」と御米が云つた。「貴方行つて入らつしやい」
「折角だから御前行くが好い。己は歌留多は久しく取らないから駄目だ」
「私も久しく取らないから駄目ですわ」
二人は容易に行かうとはしなかつた。仕舞に、では若旦那がみんなを代表して行くが宜からうといふ事になつた。
「若旦那行つて來い」と宗助が小六に云つた。小六は苦笑ひして立つた。夫婦は若旦那と云ふ名を小六に冠らせる事を大變な滑稽のやうに感じた。若旦那と呼ばれて、苦笑ひする小六の顏を見ると、等しく聲を出して笑ひ出した。小六は春らしい空氣の中から出た。さうして一町程の寒さを横切つて、又春らしい電燈の下に坐つた。
其晩小六は大晦日に買つた梅の花の御手玉を袂に入れて、是は兄から差上げますとわざ〳〵斷つて、坂井の御孃さんに贈物にした。其代り歸りには、福引に當つた小さな裸人形を同じ袂へ入れて來た。其人形の額が少し缺けて、其所丈墨で塗つてあつた。小六は眞面目な顏をして、是が袖萩ださうですと云つて、それを兄夫婦の前に置いた。何故袖萩だか夫婦には分らなかつた。小六には無論分らなかつたのを、坂井の奧さんが叮嚀に説明して呉れたさうであるが、夫でも腑に落ちなかつたので、主人がわざ〳〵半切に洒落と本文を並べて書いて、歸つたら是を兄さんと姉さんに御見せなさいと云つて渡したとかいふ話であつた。小六は袂を探つて其書付を取り出して見せた。それに「此垣一重が黒鐵の」と認めた後に括弧をして、(此餓鬼額が黒缺の)とつけ加へてあつたので、宗助と御米は又春らしい笑を洩らした。
「隨分念の入つた趣向だね。一體誰の考だい」と兄が聞いた。
「誰ですかな」と小六は矢つ張り詰らなさうな顏をして、人形を其所へ放り出した儘、自分の室に歸つた。
それから二三日して、たしか七日の夕方に、また例の坂井の下女が來て、もし御閑なら何うぞ御話にと、叮嚀に主人の命を傳へた。宗助と御米は洋燈を點けて丁度晩食を始めた所であつた。宗助は其時茶碗を持ちながら、
「春も漸やく一段落が着いた」と語つてゐた。そこへ清が坂井からの口上を取り次いだので、御米は夫の顏を見て微笑した。宗助は茶碗を置いて、
「まだ何か催ふしがあるのかい」と少し迷惑さうな眉をした。坂井の下女に聞いて見ると、別に來客もなければ、何の支度もないといふ事であつた。其上細君は子供を連れて親類へ呼ばれて行つて留守だといふ話迄した。
「それぢや行かう」と云つて宗助は出掛けた。宗助は一般の社交を嫌つてゐた。已を得なければ會合の席などへ顏を出す男でなかつた。個人としての朋友も多くは求めなかつた。訪問はする暇を有たなかつた。たゞ坂井丈は取除であつた。折々は用もないのに此方からわざ〳〵出掛けて行つて、時を潰して來る事さへあつた。其癖坂井は世の中で尤も社交的の人であつた。此社交的な坂井と、孤獨な宗助が二人寄つて話が出來るのは、御米にさへ妙に見える現象であつた。坂井は、
「彼方へ行きませう」と云つて、茶の間を通り越して、廊下傳ひに小さな書齋へ入つた。其所には棕梠の筆で書いた樣な、大きな硬い字が五字ばかり床の間に懸つてゐた。棚の上に見事な白い牡丹が活けてあつた。その外机でも蒲團でも悉く綺麗であつた。坂井は始め暗い入口に立つて、
「さあ何うぞ」と云ひながら、何所かぴちりと捩つて、電氣燈を點けた。それから、
「一寸待ち給へ」と云つて、燐寸で瓦斯煖爐を焚いた。瓦斯煖爐は室に比例した極小さいものであつた。坂井はしかる後蒲團を薦めた。
「是が僕の洞窟で、面倒になると此所へ避難するんです」
宗助も厚い綿の上で、一種の靜かさを感じた。瓦斯の燃える音が微かにして次第に脊中からほか〳〵煖まつて來た。
「此所にゐると、もう何所とも交渉はない。全く氣樂です。悠くりして居らつしやい。實際正月と云ふものは豫想外に煩瑣いものですね。私も昨日迄で殆どへと〳〵に降參させられました。新年が停滯てゐるのは實に苦しいですよ。夫で今日の午から、とう〳〵塵世を遠ざけて、病氣になつてぐつと寐込んぢまいました。今しがた眼を覺まして、湯に入つて、それから飯を食つて、烟草を呑んで、氣が付いて見ると、家内が子供を連れて親類へ行つて留守なんでせう。成程靜かな筈だと思ひましてね。すると今度は急に退屈になつたのです。人間も隨分我儘なものですよ。然しいくら退屈だつて、此上御目出たいものを、見たり聞いたりしちや骨が折れますし、又御正月らしいものを呑んだり食つたりするのも恐れますから、それで、御正月らしくない、と云ふと失禮だが、まあ世の中とあまり縁のない貴方、と云つてもまだ失敬かも知れないが、つまり一口に云ふと、超然派の一人と話しがして見たくなつたんで、それでわざ〳〵使を上げた樣な譯なんです」と坂井は例の調子で、悉くすら〳〵したものであつた。宗助は此樂天家の前では、よく自分の過去を忘れる事があつた。さうして時によると、自分がもし順當に發展して來たら、斯んな人物になりはしなかつたらうかと考へた。
其所へ下女が三尺の狹い入口を開けて這入つて來たが、改ためて宗助に鄭重な御辭儀をした上、木皿の樣な菓子皿の樣なものを、一つ前に置いた。それから同じ物をもう一つ主人の前に置いて、一口もものを云はずに退がつた。木皿の上には護謨毬ほどな大きな田舍饅頭が一つ載せてあつた。それに普通の倍以上もあらうと思はれる楊枝が添へてあつた。
「何うです暖かい内に」と主人が云つたので、宗助は始めて此饅頭の蒸して間もない新らしさに氣が付いた。珍らしさうに黄色い皮を眺めた。
「いや出來たてぢやありません」と主人が又云つた。「實は昨夜ある所へ行つて、冗談半分に賞めたら、御土産に持つて入らつしやいと云ふから貰つて來たんです。其時は全く暖たかだつたんですがね。これは今上げやうと思つて蒸し返さしたのです」
主人は箸とも楊枝とも片の付かないもので、無雜作に饅頭を割つて、むしや〳〵食ひ始めた。宗助も顰に傚つた。
其間に主人は昨夕行つた料理屋で逢つたとか云つて妙な藝者の話をした。此藝者はポツケツト論語が好きで、汽車へ乘つたり遊びに行つたりするときは、何時でもそれを懷にして出るさうであつた。
「それでね孔子の門人のうちで、子路が一番好だつて云ふんですがね。其所謂を聞くと、子路と云ふ男は、一つ何か教はつて、それをまだ行はないうちに、又新らしい事を聞くと苦にする程正直だからだつて云ふんです。實の所私も子路はあまりよく知らないから困つたが、何しろ一人好い人が出來て、それと夫婦にならない前に、また新らしく好い人が出來ると苦になる樣なものぢやないかつて、聞いて見たんです……」
主人は斯んな事を甚だ氣樂さうに述べ立てた。其話の樣子からして考へると、彼はのべつに斯ういふ場所に出入して、其刺戟にはとうに麻痺しながら、因習の結果、依然として月に何度となく同じ事を繰り返してゐるらしかつた。よく聞き糺して見ると、しかく平氣な男も、時々は歡樂の飽滿に疲勞して、書齋のなかで精神を休める必要が起るのださうであつた。
宗助はさういふ方面に丸で經驗のない男ではなかつたので、強ひて興味を裝ふ必要もなく、たゞ尋常な挨拶をする所が、却つて主人の氣に入るらしかつた。彼は平凡な宗助の言葉のなかから、一種異彩のある過去を覗く樣な素振を見せた。然しそちらへは宗助が進みたがらない痕迹が少しでも出ると、すぐ話を轉じた。それは政略よりも寧ろ禮讓からであつた。從つて宗助には毫も不愉快を與へなかつた。
其内小六の噂が出た。主人は此青年に就いて、肉身の兄が見逃す樣な新らしい觀察を、二三有つてゐた。宗助は主人の評語を、當ると當らないとに論なく、面白く聞いた。そのなかに、彼は年に合はしては複雜な實用に適しない頭を有つてゐながら、年よりも若い單純な性情を平氣で露はす子供ぢやないかといふ質問があつた。宗助はすぐそれを首肯つた。然し學校教育丈で社會教育のないものは、いくら年を取つても其傾があるだらうと答へた。
「左樣、それと反對で、社會教育丈あつて學校教育のないものは、隨分複雜な性情を發揮する代りに、頭は何時迄も小供ですからね。却つて始末が惡いかも知れない」
主人は此所で一寸笑つたが、やがて、
「何うです、私の所へ書生に寄こしちや、少しは社會教育になるかも知れない」と云つた。主人の書生は彼の犬が病氣で病院へ這入る一ヶ月前とかに、徴兵檢査に合格して入營したぎり今では一人もゐないのださうであつた。
宗助は小六の所置を付ける好機會が、求めざるに先だつて、春と共に自から回つて來たのを喜こんだ。同時に、今迄世間に向つて、積極的に好意と親切を要求する勇氣を有たなかつた彼は、突然此主人の申し出に逢つて少し間誤つく位驚ろいた。けれども出來るなら成丈早く弟を坂井に預けて置いて、此變動から出る自分の餘裕に、幾分か安之助の補助を足して、さうして本人の希望通り、高等の教育を受けさしてやらうといふ分別をした。そこで打ち明けた話を腹藏なく主人にすると、主人は成程々々と聞いてゐる丈であつたが、仕舞に雜作なく、
「そいつは好いでせう」と云つたので、相談は略其座で纏まつた。
宗助は其所で辭して歸れば可かつたのである。又辭して歸らうとしたのである。所が主人からまあ緩くりなさいと云つて留められた。主人は夜は長い、まだ宵だと云つて時計迄出して見せた。實際彼は退屈らしかつた。宗助も歸れば只寐るより外に用のない身體なので、つい又尻を据ゑて、濃い烟草を新らしく吹かし始めた。仕舞には主人の例に傚つて、柔らかい坐蒲團の上で膝さへ崩した。
主人は小六の事に關聯して、
「いや弟などを有つてゐると、隨分厄介なものですよ。私も一人やくざなのを世話をした覺がありますがね」と云つて、自分の弟が大學にゐるとき金の掛つた事抔を、自分が學生時代の質朴さに比べて色々話した。宗助は此派出好な弟が、其後何んな徑路を取つて、何う發展したかを、氣味の惡い運命の意思を窺ふ一端として、主人に聞いて見た。主人は卒然
「冒險者」と、頭も尾もない一句を投げる樣に吐いた。
此弟は卒業後主人の紹介で、ある銀行に這入つたが、何でも金を儲けなくつちや不可ないと口癖の樣に云つてゐたさうで、日露戰爭後間もなく、主人の留めるのも聞かずに、大いに發展して見たいとかとなへて遂に滿洲へ渡つたのだと云ふ。其所で何を始めるかと思ふと、遼河を利用して、豆粕大豆を船で下す、大仕掛な運送業を經營して、忽ち失敗してしまつたのださうである。元より當人は、資本主ではなかつたのだけれども、愈といふ曉に、勘定して見ると大きな缺損と事が極つたので、無論事業は繼續する譯に行かず、當人は必然の結果、地位を失つたぎりになつた。
「それから後私も何うしたか能く知らなかつたんですが、其後漸く聞いて見ると、驚ろきましたね。蒙古へ這入つて漂浪いてゐるんです。何處迄山氣があるんだか分らないんで、私も少々劍呑になつてるんですよ。夫でも離れてゐるうちは、まあ何うかしてゐるだらう位に思つて放つて置きます。時たま音便があつたつて、蒙古といふ所は、水に乏しい所で、暑い時には徃來へ泥溝の水を撒くとかね、又はその泥溝の水が無くなると、今度は馬の小便を撒くとか、從つて甚だ臭いとか、まあそんな手紙が來る丈ですから、──そりあ金の事も云つて來ますが、なに東京と蒙古だから打遣つて置けば夫迄です。だから離れてさへゐれば、まあ可いんですが、其奴が去年の暮突然出て來ましてね」
主人は思ひ付いた樣に、床の柱に掛けた、綺麗な房の付いた一種の裝飾物を取り卸した。
それは錦の袋に這入つた一尺ばかりの刀であつた。鞘は何とも知れぬ緑色の雲母の樣なもので出來てゐて、其所々が三ヶ所程銀で卷いてあつた。中身は六寸位しかなかつた。從がつて刄も薄かつた。けれども鞘の格好は恰も六角の樫の棒の樣に厚かつた。よく見ると、柄の後に細い棒が二本並んで差さつてゐた。結果は鞘を重ねて離れない爲に銀の鉢卷をしたと同じであつた。主人は
「土産にこんなものを持つて來ました。蒙古刀ださうです」と云ひながら、すぐ拔いて見せた。後に差してあつた象牙の樣な棒も二本拔いて見せた。
「是や箸ですよ。蒙古人は始終是を腰へぶら下げてゐて、いざ御馳走といふ段になると、此刀を拔いて肉を切つて、さうして此箸で傍から食うんださうです」
主人はことさらに刀と箸を兩手に持つて、切つたり食つたりする眞似をして見せた。宗助はひたすらに其精巧な作りを眺めた。
「まだ蒙古人の天幕に使ふフエルトも貰ひましたが、まあ昔の毛氈と變つた所もありませんね」
主人は蒙古人の上手に馬を扱ふ事や、蒙古犬の瘠せて細長くて、西洋のグレー、ハウンドに似てゐる事や、彼等が支那人のために段々押し狹められて行く事や、──凡て近頃彼地から歸つたといふ弟に聞いた儘を宗助に話した。宗助は又自分の未だ曾て耳にした事のない話丈に、一々少なからぬ興味を有つてそれを聞いて行つた。其うちに、元來此弟は蒙古で何をしてゐるのだらうといふ好奇心が出た。そこで一寸主人に尋ねて見ると、主人は、
「冒險者」と再び先刻の言葉を力強く繰り返した。「何をしてゐるか分らない。私には、牧畜をやつてゐます。しかも成功してゐますと云ふんですがね、一向當にはなりません。今迄もよく法螺を吹いて私を欺したもんです。それに今度東京へ出て來た用事と云ふのが餘つ程妙です。何とか云ふ蒙古王のために、金を二萬圓許借りたい。もし貸してやらないと自分の信用に關わるつて奔走してゐるんですからね。その取始に捕まつたのは私だが、いくら蒙古王だつて、いくら廣い土地を抵當にするつたつて、蒙古と東京ぢや催促さへ出來やしませんもの。で、私が斷わると、蔭へ廻つて妻に、兄さんはあれだから大きな仕事が出來つこないつて、威張つてゐるんです。仕樣がない」
主人は此所で少し笑つたが、妙に緊張した宗助の顏を見て、
「何うです一遍逢つて御覽になつちや、わざ〳〵毛皮の着いただぶ〳〵したものなんか着て、一寸面白いですよ。何なら御紹介しませう。丁度明後日の晩呼んで飯を食はせる事になつてゐるから。──なに引つ掛つちや不可ませんがね。默つて向に喋舌らして、聞いてゐる分には、少しも危險はありません。たゞ面白い丈です」としきりに勸め出した。宗助は多少心を動かした。
「御出になるのは御令弟丈ですか」
「いや外に一人弟の友達で向から一所に來たものが、來る筈になつてゐます。安井とか云つて私はまだ逢つた事もない男ですが、弟が頻に私に紹介したがるから、實はそれで二人を呼ぶ事にしたんです」
宗助は其夜蒼い顏をして坂井の門を出た。
宗助と御米の一生を暗く彩どつた關係は、二人の影を薄くして、幽靈の樣な思を何所かに抱かしめた。彼等は自己の心のある部分に、人に見えない結核性の恐ろしいものが潛んでゐるのを、仄かに自覺しながら、わざと知らぬ顏に互と向き合つて年を過した。
當初彼等の頭腦に痛く應へたのは、彼等の過が安井の前途に及ぼした影響であつた。二人の頭の中で沸き返つた凄い泡の樣なものが漸く靜まつた時、二人は安井も亦半途で學校を退いたといふ消息を耳にした。彼等は固より安井の前途を傷けた原因をなしたに違なかつた。次に安井が郷里に歸つたといふ噂を聞いた。次に病氣に罹つて家に寐てゐるといふ報知を得た。二人はそれを聞くたびに重い胸を痛めた。最後に安井が滿洲に行つたと云ふ音信が來た。宗助は腹の中で、病氣はもう癒つたのだらうかと思つた。又は滿洲行の方が嘘ではなからうかと考へた。安井は身體から云つても、性質から云つても、滿洲や臺灣に向く男ではなかつたからである。宗助は出來る丈手を回して、事の眞疑を探つた。さうして、或る關係から、安井がたしかに奉天にゐる事を確め得た。同時に彼の健康で、活溌で、多忙である事も確め得た。其時夫婦は顏を見合せて、ほつといふ息を吐いた。
「まあ可からう」と宗助が云つた。
「病氣よりはね」と御米が云つた。
二人は夫から以後安井の名を口にするのを避けた。考へ出す事さへも敢てしなかつた。彼等は安井を半途で退學させ、郷里へ歸らせ、病氣に罹らせ、もしくは滿洲へ驅り遣つた罪に對して、如何に悔恨の苦しみを重ねても、何うする事も出來ない地位に立つてゐたからである。
「御米、御前信仰の心が起つた事があるかい」と或時宗助が御米に聞いた。御米は、たゞ、
「あるわ」と答へた丈で、すぐ「貴方は」と聞き返した。
宗助は薄笑ひをしたぎり、何とも答へなかつた。其代り推して、御米の信仰に就いて、詳しい質問も掛けなかつた。御米には、それが仕合せかも知れなかつた。彼女はその方面に、是といふ程判然した凝り整つた何物も有つてゐなかつたからである。二人は兎角して會堂の腰掛にも倚らず、寺院の門も潛らずに過ぎた。さうして只自然の惠から來る月日と云ふ緩和劑の力丈で、漸く落ち付いた。時々遠くから不意に現れる訴も、苦しみとか恐れとかいふ殘酷の名を付けるには、あまり微かに、あまり薄く、あまりに肉體と慾得を離れ過ぎる樣になつた。必竟ずるに、彼等の信仰は、神を得なかつたため、佛に逢はなかつたため、互を目標として働らいた。互に抱き合つて、丸い圓を描き始めた。彼等の生活は淋しいなりに落ち付いて來た。其淋しい落ち付きのうちに、一種の甘い悲哀を味はつた。文藝にも哲學にも縁のない彼等は、此味を舐め盡しながら、自分で自分の状態を得意がつて自覺する程の知識を有たなかつたから、同じ境遇にある詩人や文人などよりも、一層純粹であつた。──是が七日の晩に坂井へ呼ばれて、安井の消息を聞く迄の夫婦の有樣であつた。
其夜宗助は家に歸つて御米の顏を見るや否や、
「少し具合が惡いから、すぐ寐よう」と云つて、火鉢に倚りながら、歸を待ち受けてゐた御米を驚ろかした。
「何うなすつたの」と御米は眼を上げて宗助を眺めた。宗助は其所に突つ立つてゐた。
宗助が外から歸つて來て、こんな風をするのは、殆んど御米の記憶にない位珍らしかつた。御米は卒然何とも知れない恐怖の念に襲はれた如くに立ち上がつたが、殆んど器械的に、戸棚から夜具蒲團を取り出して、夫の云ひ付け通り床を延べ始めた。其間宗助は矢つ張り懷手をして傍に立つてゐた。さうして床が敷けるや否や、そこ〳〵に着物を脱ぎ捨てゝ、すぐ其中に潛り込んだ。御米は枕元を離れ得なかつた。
「何うなすつたの」
「何だか、少し心持が惡い。しばらく斯うして凝つとしてゐたら、能くなるだらう」
宗助の答は半ば夜着の下から出た。其聲が籠つた樣に御米の耳に響いた時、御米は濟まない顏をして、枕元に坐つたなり動かなかつた。
「彼所へ行つて居ても可いよ。用があれば呼ぶから」
御米は漸く茶の間へ歸つた。
宗助は夜具を被つた儘、ひとり硬くなつて眼を眠つてゐた。彼は此暗い中で、坂井から聞いた話を何度となく反覆した。彼は滿洲にゐる安井の消息を、家主たる坂井の口を通して知らうとは、今が今迄豫期してゐなかつた。もう少しの事で、其安井と同じ家主の家へ同時に招かれて、隣り合せか、向ひ合せに坐る運命にならうとは、今夜晩食を濟す迄、夢にも思ひ掛けなかつた。彼は寐ながら過去二三時間の經過を考へて、其クライマツクスが突如として如何にも不意に起つたのを不思議に感じた。且悲しく感じた。彼は是程偶然な出來事を借りて、後から斷りなしに足絡を掛けなければ、倒す事の出來ない程強いものとは、自分ながら任じてゐなかつたのである。自分の樣な弱い男を放り出すには、もつと穩當な手段で澤山でありさうなものだと信じてゐたのである。
小六から坂井の弟、それから滿洲、蒙古、出京、安井、──斯う談話の迹を辿れば辿る程、偶然の度はあまりに甚だしかつた。過去の痛恨を新にすべく、普通の人が滅多に出逢はない此偶然に出逢ふために、千百人のうちから撰り出されなければならない程の人物であつたかと思ふと、宗助は苦しかつた。又腹立しかつた。彼は暗い夜着の中で熱い息を吐いた。
此二三年の月日で漸く癒り掛けた創口が、急に疼き始めた。疼くに伴れて熱つて來た。再び創口が裂けて、毒のある風が容赦なく吹き込みさうになつた。宗助は一層のこと、萬事を御米に打ち明けて、共に苦しみを分つて貰はうかと思つた。
「御米、御米」と二聲呼んだ。
御米はすぐ枕元へ來て、上から覗き込むやうに宗助を見た。宗助は夜具の襟から顏を全く出した。次の間の灯が御米の頬を半分照らしてゐた。
「熱い湯を一杯貰はう」
宗助はとう〳〵言はうとした事を言ひ切る勇氣を失つて、嘘を吐いて胡魔化した。
翌日宗助は例の如く起きて、平日と變る事なく食事を濟ました。さうして給仕をして呉れる御米の顏に、多少安心の色が見えたのを、嬉しい樣な憐れな樣な一種の情緒を以て眺めた。
「昨夕は驚ろいたわ。何うなすつたのかと思つて」
宗助は下を向いて茶碗に注いだ茶を呑んだ丈であつた。何と答へていゝか、適當な言葉を見出さなかつたからである。
其日は朝からから風が吹き荒んで、折々埃と共に行く人の帽を奪つた。熱があると惡いから、一日休んだらと云ふ御米の心配を聞き捨てにして、例の通り電車へ乘つた宗助は、風の音と車の音の中に首を縮めて、たゞ一つ所を見詰めてゐた。降りる時、ひゆうといふ音がして、頭の上の針線が鳴つたのに氣が付いて、空を見たら、此猛烈な自然の力の狂ふ間に、何時もより明らかな日がのそりと出てゐた。風は洋袴の股を冷たくして過ぎた。宗助には其砂を捲いて向ふの堀の方へ進んで行く影が、斜めに吹かれる雨の脚の樣に判然見えた。
役所では用が手に着かなかつた。筆を持つて頬杖を突いた儘何か考へた。時々は不必要な墨を妄りに磨り卸ろした。烟草は無暗に呑んだ。さうしては、思ひ出した樣に窓硝子を通して外を眺めた。外は見るたびに風の世界であつた。宗助はたゞ早く歸りたかつた。
漸く時間が來て家へ歸つたとき、御米は不安らしく宗助の顏を見て、
「何うもなくつて」と聞いた。宗助は已を得ず、何うもないが、たゞ疲れたと答へて、すぐ炬燵の中へ入つたなり、晩食迄動かなかつた。其内風は日と共に落ちた。晝の反動で四隣は急にひつそり靜まつた。
「好い案排ね、風が無くなつて。晝間の樣に吹かれると、家に坐つてゐても何だか氣味が惡くつて仕樣がないわ」
御米の言葉には、魔物でもあるかの樣に、風を恐れる調子があつた。宗助は落ち付いて、
「今夜は少し暖たかい樣だね。穩やかで好い御正月だ」と云つた。飯を濟まして烟草を一本吸ふ段になつて、突然、
「御米、寄席へでも行つて見やうか」と珍らしく細君を誘つた。御米は無論否む理由を有たなかつた。小六は義太夫などを聞くより、宅に居て餠でも燒いて食つた方が勝手だといふので、留守を頼んで二人出た。
少し時間が遲れたので、寄席は一杯であつた。二人は坐蒲團を敷く餘地もない一番後の方に、立膝をする樣に割り込まして貰つた。
「大變な人ね」
「矢つ張り春だから入るんだらう」
二人は小聲で話しながら、大きな部屋にぎつしり詰つた人の頭を見回した。其頭のうちで、高座に近い前の方は、烟草の烟で霞んでゐる樣にぼんやり見えた。宗助には此累々たる黒いものが、悉く斯う云ふ娯樂の席へ來て、面白く半夜を潰す事の出來る餘裕のある人らしく思はれた。彼は何の顏を見ても羨ましかつた。
彼は高座の方を正視して、熱心に淨瑠璃を聞かうと力めた。けれどもいくら力めても面白くならなかつた。時々眼を外らして、御米の顏を偸み見た。見るたびに御米の視線は正しい所を向いてゐた。傍に夫のゐる事は殆んど忘れて眞面目に聽いてゐるらしかつた。宗助は羨やましい人のうちに御米迄勘定しなければならなかつた。
中入の時、宗助は御米に、
「何うだ、もう歸らうか」と云ひ掛けた。御米は其唐突なのに驚ろかされた。
「厭なの」と聞いた。宗助は何とも答へなかつた。御米は、
「何うでも可いわ」と半分夫の意に忤らはない樣な挨拶をした。宗助は折角連れて來た御米に對して、却つて氣の毒な心が起つた。とう〳〵仕舞迄辛抱して坐つてゐた。
家へ歸ると、小六は火鉢の前に胡坐を掻いて、脊表紙の反り返るのも構はずに、手に持つた本を上から翳して讀んでゐた。鐵瓶は傍へ卸したなり湯は生温るく冷めてしまつた。盆の上に燒き餘りの餠が三切か四片載せてあつた。網の下から小皿に殘つた醤油の色が見えた。
小六は席を立つて、
「面白かつたですか」と聞いた。夫婦は十分程身體を炬燵で暖めた上すぐ床へ入つた。
翌日になつても宗助の心に落付が來なかつた事は、略前の日と同じであつた。役所が退けて、例の通り電車へ乘つたが、今夜自分と前後して、安井が坂井の家へ客に來ると云ふ事を想像すると、何うしても、わざ〳〵其人と接近するために、こんな速力で、家へ歸つて行くのが不合理に思はれた。同時に安井はその後何んなに變化したらうと思ふと、餘所から一目彼の樣子が眺めたくもあつた。
坂井が一昨日の晩、自分の弟を評して、一口に「冒險者」と云つた、その音が今宗助の耳に高く響き渡つた。宗助は此一語の中に、あらゆる自暴と自棄と、不平と憎惡と、亂倫と悖徳と、盲斷と決行とを想像して、是等の一角に觸れなければならない程の坂井の弟と、それと利害を共にすべく滿洲から一所に出て來た安井が、如何なる程度の人物になつたかを、頭の中で描いて見た。描かれた畫は無論冒險者の字面の許す範圍内で、尤も強い色彩を帶びたものであつた。
斯樣に、墮落の方面をとくに誇張した冒險者を頭の中で拵え上た宗助は、其責任を自身一人で全く負はなければならない樣な氣がした。彼はたゞ坂井へ客に來る安井の姿を一目見て、其姿から、安井の今日の人格を髣髴したかつた。さうして、自分の想像程彼は墮落してゐないといふ慰藉を得たかつた。
彼は坂井の家の傍に立つて、向に知れずに、他を窺ふ樣な便利な場所はあるまいかと考へた。不幸にして、身を隱すべきところを思ひ付き得なかつた。若し日が落ちてから來るとすれば、此方が認められない便宜があると同時に、暗い中を通る人の顏の分らない不都合があつた。
そのうち電車が神田へ來た。宗助は何時もの通り其所で乘り換えて家の方へ向いて行くのが苦痛になつた。彼の神經は一歩でも安井の來る方角へ近づくに堪えなかつた。安井を餘所ながら見たいといふ好奇心は、始めから左程強くなかつた丈に、乘換の間際になつて、全く抑えつけられてしまつた。彼は寒い町を多くの人の如く歩いた。けれども多くの人の如くに判然した目的は有つてゐなかつた。其内店に灯が點いた。電車も燈火を照もした。宗助はある牛肉店に上がつて酒を呑み出した。一本は夢中に呑んだ。二本目は無理に呑んだ。三本目にも醉へなかつた。宗助は脊を壁に持たして、醉つて相手のない人の樣な眼をして、ぼんやり何處かを見詰めてゐた。
時刻が時刻なので、夕飯を食ひに來る客は入れ代り立ち代り來た。其多くは用辯的に飮食を濟まして、さつさと勘定をして出て行く丈であつた。宗助は周圍のざわつく中に默然として、他の倍も三倍も時を過ごした如くに感じた末、遂に坐り切れずに席を立つた。
表は左右から射す店の灯で明らかであつた。軒先を通る人は、帽も衣裝もはつきり物色する事が出來た。けれども廣い寒さを照らすには餘りに弱過ぎた。夜は戸毎の瓦斯と電燈を閑却して、依然として暗く大きく見えた。宗助は此世界と調和する程な黒味の勝つた外套に包まれて歩いた。其時彼は自分の呼吸する空氣さへ灰色になつて、肺の中の血管に觸れる樣な氣がした。
彼は此晩に限つて、ベルを鳴らして忙がしさうに眼の前を徃つたり來たりする電車を利用する考が起らなかつた。目的を有つて途を行く人と共に、拔目なく足を運ばす事を忘れた。しかも彼は根の締らない人間として、かく漂浪の雛形を演じつゝある自分の心を省みて、もし此状態が長く續いたら何うしたら可からうと、ひそかに自分の未來を案じ煩つた。今日迄の經過から推して、凡ての創口を癒合するものは時日であるといふ格言を、彼は自家の經驗から割り出して、深く胸に刻み付けてゐた。それが一昨日の晩にすつかり崩れたのである。
彼は黒い夜の中を歩るきながら、たゞ何うかして此心から逃れ出たいと思つた。其心は如何にも弱くて落付かなくつて、不安で不定で、度胸がなさ過ぎて希知に見えた。彼は胸を抑えつける一種の壓迫の下に、如何にせば、今の自分を救ふ事が出來るかといふ實際の方法のみを考へて、其壓迫の原因になつた自分の罪や過失は全く此結果から切り放して仕舞つた。其時の彼は他の事を考へる餘裕を失つて、悉く自己本位になつてゐた。今迄は忍耐で世を渡つて來た。是からは積極的に人世觀を作り易へなければならなかつた。さうして其人世觀は口で述べるもの、頭で聞くものでは駄目であつた。心の實質が太くなるものでなくては駄目であつた。
彼は行く〳〵口の中で何遍も宗教の二字を繰り返した。けれども其響は繰り返す後からすぐ消えて行つた。攫んだと思ふ烟が、手を開けると何時の間にか無くなつてゐる樣に宗教とは果敢ない文字であつた。
宗教と關聯して宗助は坐禪といふ記臆を呼び起した。昔し京都にゐた時分彼の級友に相國寺へ行つて坐禪をするものがあつた。當時彼は其迂濶を笑つてゐた。「今の世に……」と思つてゐた。其級友の動作が別に自分と違つた所もない樣なのを見て、彼は益馬鹿々々しい氣を起した。
彼は今更ながら彼の級友が、彼の侮蔑に値する以上のある動機から、貴重な時間を惜まずに、相國寺へ行つたのではなからうかと考へ出して、自分の輕薄を深く耻ぢた。もし昔から世俗で云ふ通り安心とか立命とかいふ境地に、坐禪の力で達する事が出來るならば、十日や二十日役所を休んでも構はないから遣つて見たいと思つた。けれども彼は斯道にかけては全くの門外漢であつた。從つて、此より以上明瞭な考も浮ばなかつた。
漸く家へ辿り着いた時、彼は例の樣な御米と、例の樣な小六と、それから例の樣な茶の間と座敷と洋燈と箪笥を見て、自分丈が例にない状態の下に、此四五時間を暮してゐたのだといふ自覺を深くした。火鉢には小さな鍋が掛けてあつて、其葢の隙間から湯氣が立つてゐた。火鉢の傍には彼の常に坐る所に、何時もの坐蒲團を敷いて、其前にちやんと膳立がしてあつた。
宗助は糸底を上にしてわざと伏せた自分の茶碗と、此二三年來朝晩使ひ慣れた木の箸を眺めて、
「もう飯は食はないよ」と云つた。御米は多少不本意らしい風もした。
「おや左樣。餘り遲いから、大方何處かで召上がつたらうとは思つたけれど、若し未だゞと不可ないから」と云ひながら、布巾で鍋の耳を撮んで、土瓶敷の上に卸した。それから清を呼んで膳を臺所へ退げさした。
宗助は斯ういふ風に、何ぞ事故が出來て、役所の退出からすぐ外へ回つて遲くなる場合には、何時でも其顛末の大略を、歸宅早々御米に話すのを例にしてゐた。御米もそれを聞かないうちは氣が濟まなかつた。けれども今夜に限つて彼は神田で電車を降りた事も、牛肉屋へ上つた事も、無理に酒を呑んだ事も、丸で話したくなかつた。何も知らない御米は又平常の通り無邪氣に夫から夫へと聞きたがつた。
「何別に是といふ理由もなかつたのだけれども、──つい彼所いらで牛が食ひたくなつた丈の事さ」
「さうして御腹を消化す爲に、わざ〳〵此所迄歩るいて入らしつたの」
「まあ、左樣だ」
御米は可笑しさうに笑つた。宗助は寧ろ苦しかつた。しばらくして、
「留守に坂井さんから迎ひに來なかつたかい」と聞いた。
「いゝえ、何故」
「一昨日の晩行つたとき、御馳走するとか云つてゐたからさ」
「また?」
御米は少し呆れた顏をした。宗助は夫なり話を切り上げて寐た。頭の中をざわ〳〵何か通つた。時々眼を開けて見ると、例の如く洋燈が暗くして床の間の上に載せてあつた。御米はさも心地好ささうに眠つてゐた。つい此間迄は、自分の方が好く寐られて、御米は幾晩も睡眠の不足に惱まされたのであつた。宗助は眼を閉ぢながら、明らかに次の間の時計の音を聞かなければならない今の自分を更に心苦しく感じた。其時計は最初は幾つも續けざまに打つた。それが過ぎると、びんと只一つ鳴つた。其濁つた音が彗星の尾の樣にぼうと宗助の耳朶にしばらく響いてゐた。次には二つ鳴つた。甚だ淋しい音であつた。宗助は其間に、何とかして、もつと鷹揚に生きて行く分別をしなければならないと云ふ決心丈をした。三時は朦朧として聞えた樣な聞えない樣なうちに過ぎた。四時、五時、六時は丸で知らなかつた。たゞ世の中が膨れた。天が波を打つて伸び且つ縮んだ。地球が糸で釣るした毬の如くに大きな弧線を描いて空間に搖いた。凡てが恐ろしい魔の支配する夢であつた。七時過に彼ははつとして、此夢から覺めた。御米が何時もの通り微笑して枕元に曲んでゐた。冴えた日は黒い世の中を疾に何處かへ追ひ遣つてゐた。
宗助は一封の紹介状を懷にして山門を入つた。彼はこれを同僚の知人の某から得た。其同僚は役所の徃復に、電車の中で洋服の隱袋から菜根譚を出して讀む男であつた。かう云ふ方面に趣味のない宗助は、固より菜根譚の何物なるかを知らなかつた。ある日一つ車の腰掛に膝を並べて乘つた時、それは何だと聞いて見た。同僚は小形の黄色い表紙を宗助の前に出して、こんな妙な本だと答へた。宗助は重ねて何んな事が書いてあるかと尋ねた。其時同僚は、一口に説明の出來る格好な言葉を有つてゐなかつたと見えて、まあ禪學の書物だらうといふ樣な妙な挨拶をした。宗助は同僚から聞いた此返事を能く覺えてゐた。
紹介状を貰ふ四五日前、彼は此同僚の傍へ行つて、君は禪學を遣るのかと、突然質問を掛けた。同僚は強く緊張した宗助の顏を見て頗る驚ろいた樣子であつたが、いや遣らない、たゞ慰み半分にあんな書物を讀む丈だと、すぐ逃げて仕舞つた。宗助は多少失望に弛んだ下唇を垂れて自分の席に歸つた。
其日歸りがけに、彼等は又同じ電車に乘り合はした。先刻宗助の樣子を、氣の毒に觀察した同僚は、彼の質問の奧に雜談以上のある意味を認めたものと見えて、前よりはもつと親切に其方面の話をして聞かした。然し自分は未だ嘗て參禪といふ事をした經驗がないと自白した。もし詳しい話が聞きたければ、幸ひ自分の知り合によく鎌倉へ行く男があるから紹介してやらうと云つた。宗助は車の中で其人の名前と番地を手帳に書き留めた。さうして次の日同僚の手紙を持つてわざ〳〵回り道をして訪問に出掛けた。宗助の懷にした書状は其折席上で認めて貰つたものであつた。
役所は病氣になつて十日許休む事にした。御米の手前も矢張り病氣だと取り繕つた。
「少し腦が惡いから、一週間程役所を休んで遊んで來るよ」と云つた。御米は此頃の夫の樣子の何處かに異状があるらしく思はれるので、内心では始終心配してゐた矢先だから、平生煑え切らない宗助の果斷を喜んだ。けれども其突然なのにも全く驚ろいた。
「遊びに行くつて、何處へ入らつしやるの」と眼を丸くしない許に聞いた。
「矢張鎌倉邊が好からうと思つてる」と宗助は落ち付いて答へた。地味な宗助とハイカラな鎌倉とは殆んど縁の遠いものであつた。突然二つのものを結び付けるのは滑稽であつた。御米も微笑を禁じ得なかつた。
「まあ御金持ね。私も一所に連れてつて頂戴」と云つた。宗助は愛すべき細君のこの冗談を味ふ餘裕を有たなかつた。眞面目な顏をして、
「そんな贅澤な所へ行くんぢやないよ。禪寺へ留めて貰つて、一週間か十日、たゞ靜かに頭を休めて見る丈の事さ。それも果して好くなるか、ならないか分らないが、空氣の可い所へ行くと、頭には大變違ふと皆云ふから」と辯解した。
「そりや違ひますわ。だから行つて入らつしやいとも。今のは本當の冗談よ」
御米は善良な夫に調戯つたのを、多少濟まない樣に感じた。宗助は其翌日すぐ貰つて置いた紹介状を懷にして、新橋から汽車に乘つたのである。
其紹介状の表には釋宜道樣と書いてあつた。
「此間迄侍者をしてゐましたが、此頃では塔頭にある古い庵室に手を入れて、其所に住んでゐるとか聞きました。何うですか、まあ着いたら尋ねて御覽なさい。庵の名はたしか一窓庵でした」と書いて呉れる時、わざ〳〵注意があつたので、宗助は禮を云つて手紙を受取りながら、侍者だの塔頭だのといふ自分には全く耳新らしい言葉の説明を聞いて歸つたのである。
山門を入ると、左右には大きな杉があつて、高く空を遮つてゐるために、路が急に暗くなつた。其陰氣な空氣に觸れた時、宗助は世の中と寺の中との區別を急に覺つた。靜かな境内の入口に立つた彼は、始めて風邪を意識する場合に似た一種の惡寒を催した。
彼はまづ眞直に歩るき出した。左右にも行手にも、堂の樣なものや、院の樣なものがちよい〳〵見えた。けれども人の出入は一切なかつた。悉く寂寞として錆び果てゝゐた。宗助は何處へ行つて、宜道のゐる所を教へて貰はうかと考へながら、誰も通らない路の眞中に立つて四方を見回した。
山の裾を切り開いて、一二丁奧へ上る樣に建てた寺だと見えて、後の方は樹の色で高く塞がつてゐた。路の左右も山續か丘續の地勢に制せられて、決して平ではない樣であつた。其小高い所々に、下から石段を疊んで、寺らしい門を高く構へたのが二三軒目に着いた。平地に垣を繞らして、點在してゐるのは、幾多もあつた。近寄つて見ると、何れも門瓦の下に、院號やら庵號やらが額にして懸けてあつた。
宗助は箔の剥げた古い額を一二枚讀んで歩いたが、不圖一窓庵から先へ探し出して、もし其所に手紙の名宛の坊さんがゐなかつたら、もつと奧へ行つて尋ねる方が便利だらうと思ひ付いた。それから逆戻りをして塔頭を一々調べに懸ると、一窓庵は山門を這入るや否やすぐ右手の方の高い石段の上にあつた。丘外れなので、日當の好い、からりとした玄關先を控えて、後の山の懷に暖まつてゐる樣な位置に冬を凌ぐ氣色に見えた。宗助は玄關を通り越して庫裡の方から土間に足を入れた。上り口の障子の立てゝある所迄來て、たのむ〳〵と二三度呼んで見た。然し誰も出て來て呉れるものはなかつた。宗助はしばらく其所に立つた儘、中の樣子を窺つてゐた。何時迄立つてゐても音沙汰がないので、宗助は不思議な思ひをして、又庫裡を出て門の方へ引返した。すると石段の下から剃立の頭を青く光らした坊さんが上つて來た。年はまだ二十四五としか見えない若い色白の顏であつた。宗助は門の扉の所に待ち合はして、
「宜道さんと仰しやる方は此方に御出でせうか」と聞いた。
「私が宜道です」と若い僧は答へた。宗助は少し驚ろいたが、又嬉しくもあつた。すぐ懷中から例の紹介状を出して渡すと、宜道は立ちながら封を切つて、其場で讀み下した。やがて手紙を卷き返して封筒へ入れると、
「能うこそ」と云つて、叮嚀に會釋したなり、先に立つて宗助を導いた。二人は庫裡に下駄を脱いで、障子を開て内へ這入つた。其所には大きな圍爐裏が切つてあつた。宜道は鼠木綿の上に羽織つてゐた薄い粗末な法衣を脱いで釘に懸けて、
「御寒う御座いませう」と云つて、圍爐裏の中に深く埋けてあつた炭を灰の下から掘り出した。
此僧は若いに似合はず甚だ落付いた話振をする男であつた。低い聲で何か受答へをした後で、にやりと笑ふ具合などは、丸で女の樣な感じを宗助に與へた。宗助は心のうちに、この青年がどういふ機縁の元に、思ひ切つて頭を剃つたものだらうかと考へて、其樣子のしとやかな所を、何となく憐れに思つた。
「大變御靜な樣ですが、今日はどなたも御留守なんですか」
「いえ、今日に限らず、何時も私一人です。だから用のあるときは構はず明け放しにして出ます。今も一寸下迄行つて用を足して參りました。それがため折角御出の所を失禮致しました」
宜道は此時改めて遠來の人に對して自分の不在を詫びた。此大きな庵を、たつた一人で預かつてゐるさへ、相應に骨が折れるのに、其上に厄介が増したら嘸迷惑だらうと、宗助は少し氣の毒な色を外に動かした。すると宜道は、
「いえ、些とも御遠慮には及びません。道の爲で御座いますから」と床しい事を云つた。さうして、目下自分の所に、宗助の外に、まだ一人世話になつてゐる居士のある旨を告げた。此居士は山へ來てもう二年になるとかいふ話であつた。宗助はそれから二三日して、始めて此居士を見たが、彼は剽輕な羅漢の樣な顏をしてゐる氣樂さうな男であつた。細い大根を三四本ぶら下げて、今日は御馳走を買つて來たと云つて、それを宜道に煑てもらつて食つた。宜道も宗助も其相伴をした。此居士は顏が坊さんらしいので、時々僧堂の衆に交つて、村の御齋抔に出掛ける事があるとか云つて宜道が笑つてゐた。
其外俗人で山へ修業に來てゐる人の話も色々聞いた。中に筆墨を商ふ男がゐた。脊中へ荷を一杯負つて、二十日なり三十日なり、其所等中回つて歩いて、略賣り盡してしまふと山へ歸つて來て坐禪をする。それから少時して食ふものがなくなると、又筆墨を脊に載せて行商に出る。彼は此兩面の生活を、殆んど循環小數の如く繰り返して、飽く事を知らないのだと云ふ。
宗助は一見こだわりの無ささうな是等の人の月日と、自分の内面にある今の生活とを比べて、其懸隔の甚だしいのに驚ろいた。そんな氣樂な身分だから坐禪が出來るのか、或は坐禪をした結果さういふ氣樂な心になれるのか迷つた。
「氣樂では不可ません。道樂に出來るものなら、二十年も三十年も雲水をして苦しむものはありません」と宜道は云つた。
彼は坐禪をするときの一般の心得や、老師から公案の出る事や、其公案に一生懸命噛り付いて、朝も晩も晝も夜も噛りつゞけに噛らなくては不可ない事やら、凡て今の宗助には心元なく見える助言を與へた末、
「御室へ御案内しませう」と云つて立ち上がつた。
圍爐裏の切つてある所を出て、本堂を横に拔けて、其外れにある六疊の座敷の障子を縁から開けて、中へ案内された時、宗助は始めて一人遠くに來た心持がした。けれども頭の中は、周圍の幽靜な趣と反照するためか、却つて町にゐるときよりも動搖した。
約一時間もしたと思ふ頃宜道の足音が又本堂の方から響いた。
「老師が相見になるさうで御座いますから、御都合が宜しければ參りませう」と云つて、丁寧に敷居の上に膝を突いた。
二人は又寺を空にして連立つて出た。山門の通りを略一丁程奧へ來ると、左側に蓮池があつた。寒い時分だから池の中はたゞ薄濁りに淀んでゐる丈で、少しも清淨な趣はなかつたが、向側に見える高い石の崖外れ迄、縁に欄干のある座敷が突き出して居る所が、文人畫にでもありさうな風致を添へた。
「彼所が老師の住んでゐられる所です」と宜道は比較的新らしい其建物を指した。
二人は蓮池の前を通り越して、五六級の石段を上つて、其正面にある大きな伽藍の屋根を仰いだまゝ直左りへ切れた。玄關へ差しかゝつた時、宜道は
「一寸失禮します」と云つて、自分丈裏口の方へ回つたが、やがて奧から出て來て、
「さあ何うぞ」と案内をして、老師のゐる所へ伴れて行つた。
老師といふのは五十格好に見えた。赭黒い光澤のある顏をしてゐた。其皮膚も筋肉も悉とく緊つて、何所にも怠のない所が、銅像のもたらす印象を、宗助の胸に彫り付けた。たゞ唇があまり厚過るので、其所に幾分の弛みが見えた。其代り彼の眼には、普通の人間に到底見るべからざる一種の精彩が閃めいた。宗助が始めて其視線に接した時は、暗中に卒然として白刄を見る思があつた。
「まあ何から入つても同じであるが」と老師は宗助に向つて云つた。「父母未生以前本來の面目は何だか、それを一つ考へて見たら善かろう」
宗助には父母未生以前といふ意味がよく分らなかつたが、何しろ自分と云ふものは必竟何物だか、其本體を捕まへて見ろと云ふ意味だらうと判斷した。それより以上口を利くには、餘り禪といふものゝ知識に乏しかつたので、默つて又宜道に伴れられて一窓庵へ歸つて來た。
晩食の時宜道は宗助に、入室の時間の朝夕二回あることゝ、提唱の時間が午前である事などを話した上、
「今夜は未だ見解も出來ないかも知れませんから、明朝か明晩御誘ひ申しませう」と親切に云つて呉れた。夫から最初のうちは、詰めて坐はるのは難儀だから線香を立てゝ、それで時間を計つて、少し宛休んだら好からうと云ふ樣な注意もして呉れた。
宗助は線香を持つて、本堂の前を通つて自分の室と極つた六疊に這入つて、ぼんやりして坐つた。彼から云ふと所謂公案なるものゝ性質が、如何にも自分の現在と縁の遠い樣な氣がしてならなかつた。自分は今腹痛で惱んでゐる。其腹痛と言ふ訴を抱いて來て見ると、豈計らんや、其對症療法として、六づかしい數學の問題を出して、まあ是でも考へたら可からうと云はれたと一般であつた。考へろと云はれゝば、考へないでもないが、それは一應腹痛が治まつてからの事でなくては無理であつた。
同時に彼は勤を休んでわざ〳〵此所迄來た男であつた。紹介状を書いて呉れた人、萬事に氣を付けて呉れる宜道に對しても、あまりに輕卒な振舞は出來なかつた。彼は先づ現在の自分が許す限りの勇氣を提さげて、公案に向はうと決心した。それが何れの所に彼を導びいて、どんな結果を彼の心に持ち來すかは、彼自身と雖も全く知らなかつた。彼は悟といふ美名に欺かれて、彼の平生に似合はぬ冒險を試みやうと企てたのである。さうして、もし此冒險に成功すれば、今の不安な不定な弱々しい自分を救ふ事が出來はしまいかと、果敢ない望を抱いたのである。
彼は冷たい火鉢の灰の中に細い線香を燻らして、教へられた通り坐蒲團の上に半跏を組んだ。晝のうちは左迄とは思はなかつた室が、日が落ちてから急に寒くなつた。彼は坐りながら、脊中のぞく〳〵する程温度の低い空氣に堪へなかつた。
彼は考へた。けれども考へる方向も、考へる問題の實質も、殆んど捕まえ樣のない空漠なものであつた。彼は考へながら、自分は非常に迂濶な眞似をしてゐるのではなからうかと疑つた。火事見舞に行く間際に、細かい地圖を出して、仔細に町名や番地を調べてゐるよりも、ずつと飛び離れた見當違の所作を演じてゐる如く感じた。
彼の頭の中を色々なものが流れた。其あるものは明らかに眼に見えた。あるものは混沌として雲の如くに動いた。何所から來て何所へ行くとも分らなかつた。たゞ先のものが消える、すぐ後から次のものが現はれた。さうして仕切りなしに夫から夫へと續いた。頭の徃來を通るものは、無限で無數で無盡藏で、決して宗助の命令によつて、留まる事も休む事もなかつた。斷ち切らうと思へば思ふ程、滾々として湧いて出た。
宗助は怖くなつて、急に日常の我を呼び起して、室の中を眺めた。室は微かな灯で薄暗く照らされてゐた。灰の中に立てた線香は、まだ半分程しか燃えてゐなかつた。宗助は恐るべく時間の長いのに始めて氣が付いた。
宗助はまた考へ始めた。すると、すぐ色のあるもの、形のあるものが頭の中を通り出した。ぞろ〳〵と群がる蟻の如くに動いて行く、あとから又ぞろ〳〵と群がる蟻の如くに現はれた。凝としてゐるのはたゞ宗助の身體丈であつた。心は切ない程、苦しい程、堪えがたい程動いた。
其内凝としてゐる身體も、膝頭から痛み始めた。眞直に延ばしてゐた脊髓が次第々々に前の方に曲つて來た。宗助は兩手で左の足の甲を抱える樣にして下へ卸した。彼は何をする目的もなく室の中に立ち上がつた。障子を明けて表へ出て、門前をぐる〳〵駈け回つて歩きたくなつた。夜はしんとしてゐた。寐てゐる人も起きてゐる人も何處にも居りさうには思へなかつた。宗助は外へ出る勇氣を失つた。凝と生きながら妄想に苦しめられるのは猶恐ろしかつた。
彼は思ひ切つて又新らしい線香を立てた。さうして又略前と同じ過程を繰り返した。最後に、もし考へるのが目的だとすれば、坐つて考へるのも寐て考へるのも同じだらうと分別した。彼は室の隅に疊んであつた薄汚ない蒲團を敷いて、其中に潛り込んだ。すると先刻からの疲れで、何を考へる暇もないうちに、深い眠りに落ちて仕舞つた。
眼が覺めると枕元の障子が何時の間にか明るくなつて、白い紙にやがて日の逼るべき色が動いた。晝も留守を置かずに濟む山寺は、夜に入つても戸を閉てる音を聞かなかつたのである。宗助は自分が坂井の崖下の暗い部屋に寐てゐたのでないと意識するや否や、すぐ起き上がつた。縁へ出ると、軒端に高く大霸王樹の影が眼に映つた。宗助は又本堂の佛壇の前を拔けて、圍爐裏の切つてある昨日の茶の間へ出た。其所には昨日の通り宜道の法衣が折釘に懸けてあつた。さうして本人は勝手の竈の前に蹲踞まつて、火を焚いてゐた。宗助を見て、
「御早う」と慇懃に禮をした。「先刻御誘ひ申さうと思ひましたが、よく御寢の樣でしたから、失禮して一人參りました」
宗助は此若い僧が、今朝夜明がたに既に參禪を濟まして、夫から歸つて來て、飯を炊いでゐるのだといふ事を知つた。
見ると彼は左の手で頻りに薪を差し易へながら、右の手に黒い表紙の本を持つて、用の合間々々に夫を讀んでゐる樣子であつた。宗助は宜道に書物の名を尋ねた。それは碧巖集といふ六づかしい名前のものであつた。宗助は腹の中で、昨夕の樣に當途もない考に耽つて、腦を疲らすより、一層其道の書物でも借りて讀む方が、要領を得る捷徑ではなからうかと思ひ付いた。宜道にさう云ふと、宜道は一も二もなく宗助の考を排斥した。
「書物を讀むのは極惡う御座います。有體に云ふと、讀書程修業の妨になるものは無い樣です。私共でも、斯うして碧巖抔を讀みますが、自分の程度以上の所になると、丸で見當が付きません。それを好加減に揣摩する癖がつくと、それが坐る時の妨になつて、自分以上の境界を豫期して見たり、悟を待ち受けて見たり、充分突込んで行くべき所に頓挫が出來ます。大變毒になりますから、御止しになつた方が可いでせう。もし強いて何か御讀みになりたければ、禪關策進といふ樣な、人の勇氣を鼓舞したり激勵したりするものが宜しう御座いませう。それだつて、只刺戟の方便として讀む丈で、道其物とは無關係です」
宗助には宜道の意味がよく解らなかつた。彼は此生若い青い頭をした坊さんの前に立つて、恰も一個の低能兒であるかの如き心持を起した。彼の慢心は京都以來既に銷磨し盡してゐた。彼は平凡を分として、今日迄生きて來た。聞達程彼の心に遠いものはなかつた。彼はたゞ有の儘の彼として、宜道の前に立つたのである。しかも平生の自分より遙かに無力無能な赤子であると、更に自分を認めざるを得なくなつた。彼に取つては新らしい發見であつた。同時に自尊心を根絶する程の發見であつた。
宜道が竈の火を消して飯をむらしてゐる間に、宗助は臺所から下りて庭の井戸端へ出て顏を洗つた。鼻の先にはすぐ雜木山が見へた。其裾の少し平な所を拓いて、菜園が拵えてあつた。宗助は濡れた頭を冷たい空氣に曝して、わざと菜園迄下りて行つた。さうして、其所に崖を横に掘つた大きな穴を見出した。宗助は少時其前に立つて、暗い奧の方を眺めてゐた。やがて、茶の間へ歸ると、圍爐裏には暖かい火が起つて、鐵瓶に湯の沸る音が聞えた。
「手がないものだから、つい遲くなりまして御氣の毒です。すぐ御膳に致しませう。然しこんな所だから上げるものがなくつて困ります。其代り明日あたりは御馳走に風呂でも立てませう」と宜道が云つて呉れた。宗助は難有く圍爐裏の向に坐つた。
やがて食事を了えて、わが室へ歸つた宗助は、又父母未生以前と云ふ稀有な問題を眼の前に据ゑて、凝つと眺めた。けれども、もと〳〵筋の立たない、從がつて發展のしやうのない問題だから、いくら考へても何處からも手を出す事は出來なかつた。さうして、すぐ考へるのが厭になつた。宗助は不圖御米に此所へ着いた消息を書かなければならない事に氣が付いた。彼は俗用の生じたのを喜こぶ如くに、すぐ鞄の中から卷紙と封じ袋を取り出して、御米に遣る手紙を書き始めた。まづ此所の閑靜な事、海に近い所爲か、東京よりは餘程暖かい事、空氣の清朗な事、紹介された坊さんの親切な事、食事の不味い事、夜具蒲團の綺麗に行かない事、などを書き連ねてゐるうちに、はや三尺餘りの長さになつたので、其所で筆を擱いたが、公案に苦しめられてゐる事や、坐禪をして膝の關節を痛くしてゐる事や、考へるために益神經衰弱が劇しくなりさうな事は、噫にも出さなかつた。彼は此手紙に切手を貼つて、ポストに入れなければならない口實を求めて、早速山を下つた。さうして父母未生以前と、御米と、安井に、脅かされながら、村の中をうろついて歸つた。
午には、宜道から話のあつた居士に會つた。此居士は茶碗を出して、宜道に飯を盛つて貰ふとき、憚かり樣とも何とも云はずに、たゞ合掌して禮を述べたり、相圖をしたりした。此位靜かに物事を爲るのが法だとか云つた。口を利かず、音を立てないのは、考への邪魔になると云ふ精神からださうであつた。それ程眞劍にやるべきものをと、宗助は昨夜からの自分が、何となく耻づかしく思はれた。
食後三人は圍爐裏の傍でしばらく話した。其時居士は、自分が坐禪をしながら、何時か氣が付かずにうと〳〵と眠つて仕舞つてゐて、はつと正氣に歸る間際に、おや悟つたなと喜ぶことがあるが、さて愈眼を開いて見ると、矢つ張り元の通の自分なので失望する許だと云つて、宗助を笑はした。斯う云ふ氣樂な考で、參禪してゐる人もあると思ふと、宗助も多少は寛ろいだ。けれども三人が分れ〳〵に自分の室に入る時、宜道が、
「今夜は御誘ひ申しますから、是から夕方迄しつかり御坐りなさいまし」と眞面目に勸めたとき、宗助は又一種の責任を感じた。消化れない堅い團子が胃に滯うつてゐる樣な不安な胸を抱いて、わが室へ歸つて來た。さうして又線香を焚いて坐はり出した。其癖夕方迄は坐り續けられなかつた。どんな解答にしろ一つ拵らへて置かなければならないと思ひながらも、仕舞には根氣が盡きて、早く宜道が夕食の報知に本堂を通り拔けて來て呉れゝば好いと、夫ばかり氣に掛かつた。
日は懊惱と困憊の裡に傾むいた。障子に映る時の影が次第に遠くへ立ち退くにつれて、寺の空氣が床の下から冷え出した。風は朝から枝を吹かなかつた。縁側に出て、高い庇を仰ぐと、黒い瓦の小口丈が揃つて、長く一列に見える外に、穩かな空が、蒼い光をわが底の方に沈めつゝ、自分と薄くなつて行く所であつた。
「危險う御座います」と云つて宜道は一足先へ暗い石段を下りた。宗助はあとから續いた。町と違つて夜になると足元が惡いので、宜道は提灯を點けて僅一丁許の路を照らした。石段を下り切ると、大きな樹の枝が左右から二人の頭に蔽ひ被さる樣に空を遮つた。闇だけれども蒼い葉の色が二人の着物の織目に染み込む程に宗助を寒がらせた。提灯の灯にも其色が多少映る感じがあつた。其提灯は一方に大きな樹の幹を想像する所爲か、甚だ小さく見えた。光の地面に屆く尺數も僅であつた。照らされた部分は明るい灰色の斷片となつて暗い中にほつかり落ちた。さうして二人の影が動くに伴れて動いた。
蓮池を行き過ぎて、左へ上る所は、夜はじめての宗助に取つて、少し足元が滑かに行かなかつた。土の中に根を食つてゐる石に、一二度下駄の臺を引つ掛けた。蓮池の手前から横に切れる裏路もあるが、此方は凸凹が多くて、慣れない宗助には近くても不便だらうと云ふので、宜道はわざ〳〵廣い方を案内したのである。
玄關を入ると、暗い土間に下駄が大分並んでゐた。宗助は曲んで、人の履物を踏まない樣にそつと上へのぼつた。室は八疊程の廣さであつた。其壁際に列を作つて、六七人の男が一側に並んでゐた。中に頭を光らして、黒い法衣を着た僧も交つてゐた。他のものは大概袴を穿いてゐた。此六七人の男は上り口と奧へ通ずる三尺の廊下口を殘して、行儀よく鉤の手に並んでゐた。さうして、一言も口を利かなかつた。宗助は是等の人の顏を一目見て、まづ其峻刻なのに氣を奪はれた。彼等は皆固く口を結んでゐた。事ありげな眉を強く寄せてゐた。傍にどんな人がゐるか見向きもしなかつた。如何なるものが外から入つて來ても、全く注意しなかつた。彼等は活きた彫刻の樣に己れを持して、火の氣のない室に肅然と坐つてゐた。宗助の感覺には、山寺の寒さ以上に、一種嚴かな氣が加はつた。
やがて寂寞の中に、人の足音が聞えた。初は微かに響いたが、次第に強く床を踏んで、宗助の坐つてゐる方へ近付いて來た。仕舞に一人の僧が廊下口からぬつと現れた。さうして宗助の傍を通つて、默つて外の暗がりへ拔けて行つた。すると遠くの奧の方で鈴を振る音がした。
此時宗助と並んで嚴肅に控えてゐた男のうちで、小倉の袴を着けた一人が、矢張無言の儘立ち上がつて、室の隅の廊下口の眞正面へ來て着座した。其所には高さ二尺幅一尺程の木の枠の中に、銅鑼の樣な形をした、銅鑼よりも、ずつと重くて厚さうなものが懸つてゐた。色は蒼黒く貧しい灯に照らされてゐた。袴を着けた男は、臺の上にある撞木を取り上げて、銅鑼に似た鐘の眞中を二つ程打ち鳴らした。さうして、ついと立つて、廊下口を出て、奧の方へ進んで行つた。今度は前と反對に、足音が段々遠くの方へ去るに從つて、微かになつた。さうして一番仕舞にぴたりと何處かで留まつた。宗助は坐ながら、はつとした。彼は此袴を着けた男の身の上に、今何事が起りつゝあるだらうかを想像したのである。けれども奧はしんとして靜まり返つてゐた。宗助と並んでゐるものも、一人として顏の筋肉を動かすものはなかつた。たゞ宗助は心の中で、奧からの何物かを待ち受けた。すると忽然として鈴を振る響が彼の耳に應へた。同時に長い廊下を踏んで、此方へ近付く足音がした。袴を着けた男は又廊下口から現はれて、無言の儘玄關を下りて、霜の裡に消え去つた。入れ代つて又新らしい男が立つて、最前の鐘を打つた。さうして、又廊下を踏み鳴らして奧の方へ行つた。宗助は沈默の間に行はれる此順序を見ながら、膝に手を載せて、自分の番の來るのを待つてゐた。
自分より一人置いて前の男が立つて行つた時は、良暫くしてから、わつと云ふ大きな聲が、奧の方で聞えた。其聲は距離が遠いので、劇しく宗助の鼓膜を打つ程、強くは響かなかつたけれども、たしかに精一杯威を振つたものであつた。さうして只一人の咽喉から出た個人の特色を帶びてゐた。自分のすぐ前の人が立つた時は、愈わが番が回つて來たと云ふ意識に制せられて、一層落付を失つた。
宗助は此間の公案に對して、自分丈の解答は準備してゐた。けれども、それは甚だ覺束ない薄手のものに過ぎなかつた。室中に入る以上は、何か見解を呈しない譯に行かないので、已を得ず納まらない所を、わざと納まつた樣に取繕つた、其場限りの挨拶であつた。彼は此心細い解答で、僥倖にも難關を通過して見たい抔とは、夢にも思ひ設けなかつた。老師を胡麻化す氣は無論なかつた。其時の宗助はもう少し眞面目であつたのである。單に頭から割り出した、恰も畫にかいた餠の樣な代物を持つて、義理にも室中に入らなければならない自分の空虚な事を耻ぢたのである。
宗助は人のする如くに鐘を打つた。しかも打ちながら、自分は人並に此鐘を撞木で敲くべき權能がないのを知つてゐた。それを人並に鳴らして見る猿の如き己れを深く嫌忌した。
彼は弱味のある自分に恐れを抱きつゝ、入口を出て冷たい廊下へ足を踏み出した。廊下は長く續いた。右側にある室は悉く暗かつた。角を二つ折れ曲ると、向の外れの障子に灯影が差した。宗助は其敷居際へ來て留まつた。
室中に入るものは老師に向つて三拜するのが禮であつた。拜しかたは普通の挨拶の樣に頭を疊に近く下げると同時に、兩手の掌を上向に開いて、夫を頭の左右に並べたまゝ、少し物を抱へた心持に耳の邊迄上げるのである。宗助は敷居際に跪づいて形の如く拜を行なつた。すると座敷の中で、
「一拜で宜しい」と云ふ會釋があつた。宗助はあとを略して中へ入つた。
室の中はたゞ薄暗い灯に照らされてゐた。其弱い光は、如何に大字な書物をも披見せしめぬ程度のものであつた。宗助は今日迄の經驗に訴へて、これ位微かな燈火に、夜を營なむ人間を憶ひ起す事が出來なかつた。其光は無論月よりも強かつた。且月の如く蒼白い色ではなかつた。けれどももう少しで朦朧の境に沈むべき性質のものであつた。
此靜かな判然しない燈火の力で、宗助は自分を去る四五尺の正面に、宜道の所謂老師なるものを認めた。彼の顏は例によつて鑄物の樣に動かなかつた。色は銅であつた。彼は全身に澁に似た柿に似た茶に似た色の法衣を纏つてゐた。足も手も見えなかつた。たゞ頸から上が見えた。其頸から上が、嚴肅と緊張の極度に安んじて、何時迄經つても變る恐を有せざる如くに人を魅した。さうして頭には一本の毛もなかつた。
此面前に氣力なく坐つた宗助の、口にした言葉はたゞ一句で盡きた。
「もつと、ぎろりとした所を持つて來なければ駄目だ」と忽ち云はれた。「其位な事は少し學問をしたものなら誰でも云へる」
宗助は喪家の犬の如く室中を退いた。後に鈴を振る音が烈しく響いた。
障子の外で野中さん、野中さんと呼ぶ聲が二度程聞えた。宗助は半睡の裡にはいと應へた積であつたが、返事を仕切らない先に、早く知覺を失つて、又正體なく寐入つてしまつた。
二度目に眼が覺めた時、彼は驚ろいて飛び起きた。縁側へ出ると、宜道が鼠木綿の着物に襷を掛けて、甲斐々々しく其所いらを拭いてゐた。赤く凍んだ手で、濡雜巾を絞りながら、例の如く柔和しいにこやかな顏をして、
「御早う」と挨拶した。彼は今朝も亦とくに參禪を濟ました後、斯うして庵に歸つて働いてゐたのである。宗助はわざ〳〵呼び起されても起き得なかつた自分の怠慢を省みて、全く極の惡い思をした。
「今朝もつい寐忘れて失禮しました」
彼はこそ〳〵勝手口から井戸端の方へ出た。さうして冷たい水を汲んで出來る丈早く顏を洗つた。延び掛かつた髯が、頬の邊で手を刺す樣にざら〳〵したが、今の宗助にはそれを苦にする程の餘裕はなかつた。彼はしきりに宜道と自分とを對照して考へた。
紹介状を貰ふときに東京で聞いた所によると、此宜道といふ坊さんは、大變性質の可い男で、今では修業も大分出來上がつてゐると云ふ話だつたが、會つて見ると、丸で一丁字もない小廝の樣に丁寧であつた。かうして襷掛で働いてゐる所を見ると、何うしても一個の獨立した庵の主人らしくはなかつた。納所とも小坊主とも云へた。
此矮小な若僧は、まだ出家をしない前、たゞの俗人として此所へ修業に來た時、七日の間結跏したぎり少しも動かなかつたのである。仕舞には足が痛んで腰が立たなくなつて、厠へ上る折などは、やつとの事壁傳ひに身體を運んだのである。其時分の彼は彫刻家であつた。見性した日に、嬉しさの餘り、裏の山へ馳け上つて、草木國土悉皆成佛と大きな聲を出して叫んだ。さうして遂に頭を剃つてしまつた。
此庵を預かる樣になつてから、もう二年になるが、まだ本式に床を延べて、樂に足を延ばして寐た事はないと云つた。冬でも着物の儘壁に倚れて坐睡する丈だと云つた。侍者をしてゐた頃などは、老師の犢鼻褌迄洗はせられたと云つた。其上少しの暇を偸んで坐りでもすると、後から來て意地の惡い邪魔をされる、毒吐かれる、頭の剃り立てには何の因果で坊主になつたかと悔む事が多かつたと云つた。
「漸く此頃になつて少し樂になりました。しかし未だ先が御座います。修業は實際苦しいものです。さう容易に出來るものなら、いくら私共が馬鹿だつて、斯うして十年も二十年も苦しむ譯が御座いません」
宗助はたゞ惘然とした。自己の根氣と精力の足らない事を齒掻く思ふ上に、夫程歳月を掛けなければ成就出來ないものなら、自分は何しに此山の中迄遣つて來たか、それからが第一の矛盾であつた。
「決して損になる氣遣は御座いません。十分坐れば、十分の功があり、二十分坐れば二十分の徳があるのは無論です。其上最初を一つ奇麗に打ち拔いて置けば、あとは斯う云ふ風に始終此所に御出にならないでも濟みますから」
宗助は義理にも亦自分の室へ歸つて坐らなければならなかつた。
斯んな時に宜道が來て、
「野中さん提唱です」と誘つて呉れると、宗助は心から嬉しい氣がした。彼は禿頭を捕まへる樣な手の着け所のない難題に惱まされて、坐ながら凝と煩悶するのを、如何にも切なく思つた。どんなに精力を消耗する仕事でも可いから、もう少し積極的に身體を働らかしたく思つた。
提唱のある場所は、矢張り一窓庵から一町も隔つてゐた。蓮池の前を通り越して、それを左へ曲らずに眞直に突き當ると、屋根瓦を嚴めしく重ねた高い軒が、松の間に仰がれた。宜道は懷に黒い表紙の本を入れてゐた。宗助は無論手ぶらであつた。提唱と云ふのが、學校でいふ講義の意味である事さへ、此所へ來て始めて知つた。
室は高い天井に比例して廣く且つ寒かつた。色の變つた疊の色が古い柱と映り合つて、昔を物語る樣に寂び果てゝゐた。其所に坐つてゐる人々も皆地味に見えた。席次不同に思ひ々々の座を占めてはゐるが、高聲に語るもの、笑ふものは一人もなかつた。僧は皆紺麻の法衣を着て、正面の曲彔の左右に列を作つて向ひ合せに並んだ。其曲彔は朱で塗つてあつた。
やがて老師が現はれた。疊を見詰めてゐた宗助には、彼が何處を通つて、何處から此所へ出たか薩張分らなかつた。たゞ彼の落ち付き拂つて曲彔に倚る重々しい姿を見た。一人の若い僧が立ちながら、紫の袱紗を解いて、中から取り出した書物を、恭しく卓上に置く所を見た。又其禮拜して退ぞく態を見た。
此時堂上の僧は一齊に合掌して、夢窓國師の遺誡を誦し始めた。思ひ〳〵に席を取つた宗助の前後にゐる居士も皆同音に調子を合せた。聞いてゐると、經文の樣な、普通の言葉の樣な、一種の節を帶びた文字であつた。「我に三等の弟子あり。所謂猛烈にして諸縁を放下し、專一に己事を究明する之を上等と名づく。修業純ならず駁雜學を好む、之を中等と云ふ」云々といふ、餘り長くはないものであつた。宗助は始め夢窓國師の何人なるかを知らなかつた。宜道から此夢窓國師と大燈國師とは、禪門中興の祖であると云ふ事を教はつたのである。平生跛で充分に足を組む事が出來ないのを憤つて、死ぬ間際に、今日こそ己の意の如くにして見せると云ひながら、惡い方の足を無理に折つぺしよつて、結跏したため、血が流れて法衣を煑染ましたといふ大燈國師の話も其折宜道から聞いた。
やがて提唱が始まつた。宜道は懷から例の書物を出して頁を半ば擦らして宗助の前へ置いた。それは宗門無盡燈論と云ふ書物であつた。始めて聞きに出た時、宜道は、
「難有い結構な本です」と宗助に教へて呉れた。白隱和尚の弟子の東嶺和尚とかいふ人の編輯したもので、重に禪を修行するものが、淺い所から深い所へ進んで行く徑路やら、それに伴なふ心境の變化やらを秩序立てゝ書いたものらしかつた。
中途から顏を出した宗助には、能くも解せなかつたけれども、講者は能辯の方で、默つて聞いてゐるうちに、大變面白い所があつた。其上參禪の士を鼓舞する爲か、古來から斯道に苦しんだ人の閲歴譚抔を取り交ぜて一段の精彩を着けるのが例であつた。此日も其通りであつたが或所へ來ると、突然語調を改めて、
「此頃室中に來つて、何うも妄想が起つて不可ない抔と訴へるものがあるが」と急に入室者の不熱心を戒しめ出したので、宗助は覺えずぎくりとした。室中に入つて、其訴をなしたものは實に彼自身であつた。
一時間の後宜道と宗助は袖をつらねて又一窓庵に歸つた。其歸り路に宜道は、
「あゝして提唱のある時に、よく參禪者の不心得を諷せられます」と云つた。宗助は何も答へなかつた。
其内、山の中の日は、一日々々と經つた。御米からは可なり長い手紙がもう二本來た。尤も二本とも新たに宗助の心を亂す樣な心配事は書いてなかつた。宗助は常の細君思ひに似ず遂に返事を出すのを怠つた。彼は山を出る前に、何とか此間の問題に片を付けなければ、折角來た甲斐がない樣な、又宜道に對して濟まない樣な氣がしてゐた。眼が覺めてゐる時は、之がために名状し難い一種の壓迫を受けつゞけに受けた。從つて日が暮れて夜が明けて、寺で見る太陽の數が重なるにつけて、恰も後から追ひ掛けられでもする如く氣を焦つた。けれども彼は最初の解決より外に、一歩も此問題にちかづく術を知らなかつた。彼は又いくら考へても此最初の解決は確なものであると信じてゐた。たゞ理窟から割り出したのだから、腹の足には一向ならなかつた。彼は此確なものを放り出して、更に又確なものを求めやうとした。けれども左樣ものは少しも出て來なかつた。
彼は自分の室で獨り考へた。疲れると、臺所から下りて、裏の菜園へ出た。さうして崖の下に掘つた横穴の中へ這入つて、凝つと動かずにゐた。宜道は氣が散る樣では駄目だと云つた。段々集注して凝り固まつて、仕舞に鐵の棒の樣にならなくては駄目だと云つた。さう云ふ事を聞けば聞く程、實際にさうなるのが、困難になつた。
「既に頭の中に、さう仕樣と云ふ下心があるから不可ないのです」と宜道が又云つて聞かした。宗助は愈窮した。忽然安井の事を考へ出した。安井がもし坂井の家へ頻繁に出入でもする樣になつて、當分滿洲へ歸らないとすれば、今のうちあの借家を引き上げて、何處かへ轉宅するのが上分別だらう。こんな所に愚圖々々してゐるより、早く東京へ歸つて其方の所置を付けた方がまだ實際的かも知れない。緩くり構へて、御米にでも知れると又心配が殖える丈だと思つた。
「私の樣なものには到底悟は開かれさうに有りません」と思ひ詰めた樣に宜道を捕まへて云つた。それは歸る二三日前の事であつた。
「いえ信念さへあれば誰でも悟れます」と宜道は躊躇もなく答へた。「法華の凝り固まりが夢中に太鼓を叩く樣に遣つて御覽なさい。頭の巓邊から足の爪先迄が悉く公案で充實したとき、俄然として新天地が現前するので御座います」
宗助は自分の境遇やら性質が、夫程盲目的に猛烈な働を敢てするに適しない事を深く悲しんだ。况んや自分の此山で暮らすべき日は既に限られてゐた。彼は直截に生活の葛藤を切り拂ふ積りで、却つて迂濶に山の中へ迷ひ込んだ愚物であつた。
彼は腹の中で斯う考へながら、宜道の面前で、それ丈の事を言い切る力がなかつた。彼は心から此若い禪僧の勇氣と熱心と眞面目と親切とに敬意を表してゐたのである。
「道は近きにあり、却つて之を遠きに求むといふ言葉があるが實際です。つい鼻の先にあるのですけれども、何うしても氣が付きません」と宜道はさも殘念さうであつた。宗助は又自分の室に退いて線香を立てた。
斯う云ふ状態は、不幸にして宗助の山を去らなければならない日迄、目に立つ程の新生面を開く機會なく續いた。愈出立の朝になつて宗助は潔よく未練を抛げ棄てた。
「永々御世話になりました。殘念ですが、何うも仕方がありません。もう當分御眼に掛かる折も御座いますまいから、隨分御機嫌よう」と宜道に挨拶をした。宜道は氣の毒さうであつた。
「御世話どころか、萬事不行屆で嘸御窮屈で御座いましたらう。然し是程御坐りになつても大分違ひます。わざ〳〵御出になつた丈の事は充分御座います」と云つた。然し宗助には丸で時間を潰しに來た樣な自覺が明らかにあつた。それを斯う取り繕ろつて云つて貰ふのも、自分の腑甲斐なさからであると、獨り耻ぢ入つた。
「悟の遲速は全く人の性質で、それ丈では優劣にはなりません。入り易くても後で塞へて動かない人もありますし、又初め長く掛かつても、愈と云ふ場合に非常に痛快に出來るのもあります。決して失望なさる事は御座いません。たゞ熱心が大切です。亡くなられた洪川和尚などは、もと儒教をやられて、中年からの修業で御座いましたが、僧になつてから三年の間と云ふもの丸で一則も通らなかつたです。夫で私は業が深くて悟れないのだと云つて、毎朝厠に向つて禮拜された位でありましたが、後にはあのやうな知識になられました。これ抔は尤も好い例です」
宜道は斯んな話をして、暗に宗助が東京へ歸つてからも、全く此方を斷念しない樣にあらかじめ間接の注意を與へる樣に見えた。宗助は謹んで、宜道のいふ事に耳を借した。けれども腹の中では大事がもう既に半分去つた如くに感じた。自分は門を開けて貰ひに來た。けれども門番は扉の向側にゐて、敲いても遂に顏さへ出して呉れなかつた。たゞ、
「敲いても駄目だ。獨りで開けて入れ」と云ふ聲が聞えた丈であつた。彼は何うしたら此門の閂を開ける事が出來るかを考へた。さうして其手段と方法を明らかに頭の中で拵えた。けれども夫を實地に開ける力は、少しも養成する事が出來なかつた。從つて自分の立つてゐる場所は、此問題を考へない昔と毫も異なる所がなかつた。彼は依然として無能無力に鎖ざされた扉の前に取り殘された。彼は平生自分の分別を便に生きて來た。其分別が今は彼に祟つたのを口惜く思つた。さうして始から取捨も商量も容れない愚なものゝ一徹一圖を羨んだ。もしくは信念に篤い善男善女の、知慧も忘れ思議も浮ばぬ精進の程度を崇高と仰いだ。彼自身は長く門外に佇立むべき運命をもつて生れて來たものらしかつた。夫は是非もなかつた。けれども、何うせ通れない門なら、わざ〳〵其所迄辿り付くのが矛盾であつた。彼は後を顧みた。さうして到底又元の路へ引き返す勇氣を有たなかつた。彼は前を眺めた。前には堅固な扉が何時迄も展望を遮ぎつてゐた。彼は門を通る人ではなかつた。又門を通らないで濟む人でもなかつた。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であつた。
宗助は立つ前に、宜道と連れだつて、老師の許へ一寸暇乞に行つた。老師は二人を蓮池の上の、縁に勾欄の着いた座敷に通した。宜道は自ら次の間に立つて、茶を入れて出た。
「東京はまだ寒いでせう」と老師が云つた。「少しでも手掛りが出來てからだと、歸つたあとも樂だけれども。惜い事で」
宗助は老師の此挨拶に對して、丁寧に禮を述べて、又十日前に潛つた山門を出た。甍を壓する杉の色が、冬を封じて黒く彼の後に聳えた。
家の敷居を跨いだ宗助は、己れにさへ憫然な姿を描いた。彼は過去十日間毎朝頭を冷水で濡らしたなり、未だ曾て櫛の齒を通した事がなかつた。髭は固より剃る暇を有たなかつた。三度とも宜道の好意で白米の炊いだのを食べたには食べたが、副食物と云つては、菜の煑たのか、大根の煑たの位なものであつた。彼の顏は自から蒼かつた。出る前よりも多少面窶れてゐた。其上彼は一窓庵で考へつゞけに考へた習慣がまだ全く拔け切らなかつた。何所かに卵を抱く牝鷄の樣な心持が殘つて、頭が平生の通り自由に働らかなかつた。其癖一方では坂井の事が氣に掛かつた。坂井と云ふよりも、坂井の所謂冒險者として宗助の耳に響いた其弟と、其弟の友達として彼の胸を騷がした安井の消息が氣にかゝつた。けれども彼は自身に家主の宅へ出向いてそれを聞き糺す勇氣を有たなかつた。間接にそれを御米に問ふことは猶出來なかつた。彼は山にゐる間さへ、御米が此事件に就いて何事も耳にして呉れなければ可いがと氣遣はない日はなかつた位である。宗助は年來住み慣れた家の座敷に坐つて、
「汽車に乘ると短かい道中でも氣の所爲か疲れるね。留守中に別段變つた事はなかつたかい」と聞いた。實際彼は短かい汽車旅行にさへ堪へかねる顏付をしてゐた。
御米は如何な場合にも夫の前に忘れなかつた笑顏さへ作り得なかつた。と云つて、折角保養に行つた轉地先から今歸つて來たばかりの夫に、行かない前より却つて健康が惡くなつたらしいとは、氣の毒で露骨に話し惡かつた。わざと活溌に、
「いくら保養でも、家へ歸ると、少しは氣疲が出るものよ。けれども貴方は餘まり爺々汚いわ。後生だから一休したら御湯に行つて頭を刈つて髭を剃つて來て頂戴」と云ひながら、わざ〳〵机の引出から小さな鏡を出して見せた。
宗助は御米の言葉を聞いて、始めて一窓庵の空氣を風で拂つた樣な心持がした。一たび山を出て家へ歸れば矢張り元の宗助であつた。
「坂井さんからは其後何とも云つて來ないかい」
「いゝえ何とも」
「小六の事も」
「いゝえ」
其小六は圖書館へ行つて留守だつた。宗助は手拭と石鹸を持つて外へ出た。
明る日役所へ出ると、みんなから病氣はどうだと聞かれた。中には少し瘠せた樣ですねと云ふものもあつた。宗助には夫が無意識の冷評の意味に聞えた。菜根譚を讀む男はたゞ何うです旨く行きましたかと尋ねた。宗助は此問にも大分痛い思をした。
其晩は又御米と小六から代る〴〵鎌倉の事を根掘り葉掘り問はれた。
「氣樂でせうね。留守居も何も置かないで出られたら」と御米が云つた。
「それで一日幾何出すと置いて呉れるんです」と小六が聞いた。「鐵砲でも擔いで行つて、獵でもしたら面白からう」とも云つた。
「然し退屈ね。そんなに淋しくつちや。朝から晩迄寐て入らつしやる譯にも行かないでせう」と御米が又云つた。
「もう少し滋養物が食へる所でなくつちあ、矢つ張り身體に可くないでせう」と小六が又云つた。
宗助は其夜床の中へ入つて、明日こそ思ひ切つて、坂井へ行つて安井の消息をそれとなく聞き糺して、もし彼がまだ東京にゐて、猶しば〳〵坂井と徃復がある樣なら、遠くの方へ引越して仕舞はうと考へた。
次の日は平凡に宗助の頭を照らして、事なき光を西に落した。夜に入つて彼は、
「一寸坂井さん迄行つて來る」と云ひ捨てゝ門を出た。月のない坂を上つて、瓦斯燈に照らされた砂利を鳴らしながら潛戸を開けた時、彼は今夜此所で安井に落ち合ふ樣な萬一はまづ起らないだらうと度胸を据ゑた。それでもわざと勝手口へ回つて、御客來ですかと聞くことは忘れなかつた。
「能く御出です。何うも相變らず寒いぢやありませんか」と云ふ常の通り元氣の好い主人を見ると、子供を大勢自分の前へ並べて、其中の一人と掛聲をかけながら、じやん拳を遣つてゐた。相手の女の子の年は、六つ許に見えた。赤い幅のあるリボンを蝶々の樣に頭の上に喰付けて、主人に負けない程の勢で、小さな手を握り固めてさつと前へ出した。其斷然たる樣子と、其握り拳の小さゝと、之に反して主人の仰山らしく大きな拳骨が、對照になつて皆の笑を惹いた。火鉢の傍に見てゐた細君は、
「そら今度こさ雪子の勝だ」と云つて愉快さうに綺麗な齒を露はした。子供の膝の傍には白だの赤だの藍だのゝ硝子玉が澤山あつた。主人は、
「とう〳〵雪子に負けた」と席を外して、宗助の方を向いたが、「何うです又洞窟へでも引き込みますかな」と云つて立ち上がつた。
書齋の柱には例の如く錦の袋に入れた蒙古刀が振ら下がつてゐた。花活には何處で咲いたか、もう黄色い菜の花が插してあつた。宗助は床柱の中途を華やかに彩どる袋に眼を着けて、
「相變らず掛かつて居りますな」と云つた。さうして主人の氣色を頭の奧から窺つた。主人は、
「えゝ些と物數奇過ぎますね、蒙古刀は」と答へた。「所が弟の野郎そんな玩具を持つて來ては、兄貴を籠絡する積だから困りものぢやありませんか」
「御舍弟は其後何うなさいました」と宗助は何氣ない風を示した。
「えゝ漸く四五日前歸りました。ありや全く蒙古向ですね。御前の樣な夷狄は東京にや調和しないから早く歸れつたら、私もさう思ふつて歸つて行きました。何うしても、ありや萬里の長城の向側にゐるべき人物ですよ。さうしてゴビの沙漠の中で金剛石でも搜してゐれば可いんです」
「もう一人の御伴侶は」
「安井ですか、あれも無論一所です。あゝなると落ち付いちや居られないと見えますね。何でも元は京都大學にゐたこともあるんだとか云ふ話ですが。何うして、あゝ變化したものですかね」
宗助は腋の下から汗が出た。安井が何う變つて、どう落ち付かないのか、全く聞く氣にはならなかつた。たゞ自分が主人に安井と同じ大學にゐた事を、まだ洩らさなかつたのを天祐の樣に有難く思つた。けれども主人は其弟と安井とを晩餐に呼ぶとき、自分を此二人に紹介しやうと申し出た男である。辭退をして其席へ顏を出す不面目丈は漸と免かれた樣なものゝ、其晩主人が何かの機會につい自分の名を二人に洩らさないとは限らなかつた。宗助は後暗い人の、變名を用ひて世を渡る便利を切に感じた。彼は主人に向つて、「貴方はもしや私の名を安井の前で口にしやしませんか」と聞いて見たくて堪らなかつた。けれども、夫丈は何うしても聞けなかつた。
下女が平たい大きな菓子皿に妙な菓子を盛つて出た。一丁の豆腐位な大きさの金玉糖の中に、金魚が二疋透いて見えるのを、其儘庖丁の刄を入れて、元の形を崩さずに、皿に移したものであつた。宗助は一目見て、たゞ珍らしいと感じた。けれども彼の頭は寧ろ他の方面に氣を奪はれてゐた。すると主人が、
「何うです一つ」と例の通り先づ自分から手を出した。
「是はね、昨日ある人の銀婚式に呼ばれて、貰つて來たのだから、頗ぶる御目出度のです。貴方も一切位肖つても可いでせう」
主人は肖りたい名の下に、甘垂るい金玉糖を幾切か頬張つた。これは酒も呑み、茶も呑み、飯も菓子も食へる樣に出來た、重寶で健康な男であつた。
「何實を云ふと、二十年も三十年も夫婦が皺だらけになつて生きてゐたつて、別に御目出度もありませんが、其所が物は比較的な所でね。私は何時か清水谷の公園の前を通つて驚ろいた事がある」と變な方面へ話を持つて行つた。斯ういふ風に、夫から夫へと客を飽かせない樣に引張つて行くのが、社交になれた主人の平生の調子であつた。
彼の云ふ所によると、清水谷から辨慶橋へ通じる泥溝の樣な細い流の中に、春先になると無數の蛙が生れるのださうである。其蛙が押し合ひ鳴き合つて生長するうちに、幾百組か幾千組の戀が泥渠の中で成立する。さうして夫等の愛に生きるものが重ならない許に隙間なく清水谷から辨慶橋へ續いて、互に睦まじく浮てゐると、通り掛りの小僧だの閑人が、石を打ち付けて、無殘にも蛙の夫婦を殺して行くものだから、其數が殆んど勘定し切れない程多くなるのださうである。
「死屍累々とはあの事ですね。それが皆夫婦なんだから實際氣の毒ですよ。詰りあすこを二三丁通るうちに、我々は悲劇にいくつ出逢ふか分らないんです。夫を考へると御互は實に幸福でさあ。夫婦になつてるのが惡らしいつて、石で頭を破られる恐れは、まあ無いですからね。しかも双方ともに二十年も三十年も安全なら、全く御目出たいに違ありませんよ。だから一切位肖つて置く必要もあるでせう」と云つて、主人はわざと箸で金玉糖を挾んで、宗助の前に出した。宗助は苦笑しながら、それを受けた。
こんな冗談交りの話を、主人はいくらでも續けるので、宗助は已むを得ず或る邊までは釣られて行つた。けれども腹の中は決して主人の樣に太平樂には行かなかつた。辭して表へ出て、又月のない空を眺めた時は、其深く黒い色の下に、何とも知れない一種の悲哀と物凄さを感じた。
彼は坂井の家に、たゞ苟くも免かれんとする料簡で行つた。さうして、其目的を達するために、耻と不愉快を忍んで、好意と眞率の氣に充ちた主人に對して、政略的に談話を驅つた。しかも知らうと思ふ事は悉く知る事が出來なかつた。己れの弱點に付いては、一言も彼の前に自白するの勇氣も必要も認めなかつた。
彼の頭を掠めんとした雨雲は、辛うじて、頭に觸れずに過ぎたらしかつた。けれども、是に似た不安は是から先何度でも、色々な程度に於て、繰り返さなければ濟まない樣な虫の知らせが何處かにあつた。それを繰り返させるのは天の事であつた。それを逃げて回るのは宗助の事であつた。
月が變つてから寒さが大分緩んだ。官吏の増俸問題につれて必然起るべく、多數の噂に上つた局員課員の淘汰も、月末迄に略片付いた。其間ぽつり〳〵と首を斬られる知人や未知人の名前を絶えず耳にした宗助は、時々家へ歸つて御米に、
「今度は己の番かも知れない」と云ふ事があつた。御米はそれを冗談とも聞き、又本氣とも聞いた。稀には隱れた未來を故意に呼び出す不吉な言葉とも解釋した。それを口にする宗助の胸の中にも、御米と同じ樣な雲が去來した。
月が改つて、役所の動搖も是で一段落だと沙汰せられた時、宗助は生き殘つた自分の運命を顧りみて、當然の樣にも思つた。又偶然の樣にも思つた。立ちながら、御米を見下して、
「まあ助かつた」と六づかし氣に云つた。其嬉しくも悲しくもない樣子が、御米には天から落ちた滑稽に見えた。
又二三日して宗助の月給が五圓昇つた。
「原則通り二割五分増さないでも仕方があるまい。休められた人も、元給の儘でゐる人も澤山あるんだから」と云つた宗助は、此五圓に自己以上の價値をもたらし歸つた如く滿足の色を見せた。御米は無論の事心のうちに不足を訴へるべき餘地を見出さなかつた。
翌日の晩宗助はわが膳の上に頭つきの魚の、尾を皿の外に躍らす態を眺めた。小豆の色に染まつた飯の香を嗅いだ。御米はわざ〳〵清を遣つて、坂井の家に引き移つた小六を招いた。小六は、
「やあ御馳走だなあ」と云つて勝手から入つて來た。
梅がちらほらと眼に入る樣になつた。早いのは既に色を失なつて散りかけた。雨は烟る樣に降り始めた。それが霽れて、日に蒸されるとき、地面からも、屋根からも、春の記憶を新にすべき濕氣がむら〳〵と立ち上つた。脊戸に干した雨傘に、小犬がじやれ掛ゝつて、蛇の目の色がきら〳〵する所に陽炎が燃える如く長閑に思はれる日もあつた。
「漸く冬が過ぎた樣ね。貴方今度の土曜に佐伯の叔母さんの處へ回つて、小六さんの事を極めて入らつしやいよ。あんまり何時迄も放つて置くと又安さんが忘れて仕舞ふから」と御米が催促した。宗助は、
「うん、思ひ切つて行つて來よう」と答へた。小六は坂井の好意で、其所の書生に住み込んだ。其上に宗助と安之助が、不足の所を分擔する事が出來たらと小六に云つて聞かしたのは、宗助自身であつた。小六は兄の運動を待たずに、すぐ安之助に直談判をした。さうして、形式的に宗助の方から依頼すればすぐ安之助が引き受ける迄に自分で埒を明けたのである。
小康は斯くして事を好まない夫婦の上に落ちた。ある日曜の午宗助は久し振りに、四日目の垢を流すため横町の洗湯に行つたら、五十許の頭を剃つた男と、三十代の商人らしい男が、漸く春らしくなつたと云つて、時候の挨拶を取り換はしてゐた。若い方が、今朝始めて鶯の鳴聲を聞いたと話すと、坊さんの方が、私は二三日前にも一度聞いた事があると答へてゐた。
「まだ鳴きはじめだから下手だね」
「えゝ、まだ充分に舌が回りません」
宗助は家へ歸つて御米に此鶯の問答を繰り返して聞かせた。御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、
「本當に有難いわね。漸くの事春になつて」と云つて、晴れ〴〵しい眉を張つた。宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、
「うん、然し又ぢき冬になるよ」と答へて、下を向いたまゝ鋏を動かしてゐた。
底本:「漱石全集 第四卷 三四郎 それから 門」岩波書店
1966(昭和41)年3月25日発行
1975(昭和50)年3月10日第2刷発行
初出:「朝日新聞」
1910(明治43)年3月1日~6月12日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「成効」と「成效」、「漸やく」「漸く」、「僞物」と「贋物」の混在は、底本通りです。
※底本巻末の注解は省略しました。
入力:阿部哲也
校正:染川隆俊
2018年12月24日作成
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