鍵
谷崎潤一郎
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一月一日。………僕ハ今年カラ、今日マデ日記ニ記スコトヲ躊躇シテイタヨウナ事柄ヲモアエテ書キ留メルヿニシタ。僕ハ自分ノ性生活ニ関スルヿ、自分ト妻トノ関係ニツイテハ、アマリ詳細ナヿハ書カナイヨウニシテ来タ。ソレハ妻ガコノ日記帳ヲ秘カニ読ンデ腹ヲ立テハシナイカトイウヿヲ恐レテイタカラデアッタガ、今年カラハソレヲ恐レヌヿニシタ。妻ハコノ日記帳ガ書斎ノドコノ抽出ニハイッテイルカヲ知ッテイルニ違イナイ。古風ナ京都ノ舊家ニ生レ封建的ナ空気ノ中ニ育ッタ彼女ハ、今日モナオ時代オクレナ舊道徳ヲ重ンズル一面ガアリ、或ル場合ニハソレヲ誇リトスル傾向モアルノデ、マサカ夫ノ日記帳ヲ盗ミ読ムヨウナヿハシソウモナイケレドモ、シカシ必ズシモソウトハ限ラナイ理由モアル。今後従来ノ例ヲ破ッテ夫婦生活ニ関スル記載ガ頻繁ニ現ワレルヨウニナレバ、果シテ彼女ハ夫ノ秘密ヲ探ロウトスル誘惑ニ打チ勝チ得ルデアロウカ。彼女ハ生レツキ陰性デ、秘密ヲ好ム癖ガアルノダ。彼女ハ知ッテイルヿデモ知ラナイ風ヲ装イ、心ニアルヿヲ容易ニ口ニ出サナイノガ常デアルガ、悪イコトニハソレヲ女ノ嗜ミデアルトモ思ッテイル。僕ハ、日記帳ヲ入レテアル抽出ノ鍵ハイツモ某所ニ隠シテアルノダガ、ソシテ時々ソノ隠シ場所ヲ変エテイルノダガ、詮索好キノ彼女ハ事ニヨルト過去ノアラユル隠シ場所ヲ知ッテシマッテイルカモ知レナイ。モットモソンナ面倒ヲシナイデモ、アンナ鍵ハイクラデモ合イ鍵ヲ求メルヿガデキヨウ。………僕ハ今「今年カラハ読マレルヿヲ恐レヌヿニシタ」ト云ッタガ、考エテミルト、実ハ前カラソンナニ恐レテハイナカッタノカモ知レナイ。ムシロ内々読マレルヿヲ覚悟シ、期待シテイタノカモ知レナイ。ソレナラバナゼ抽出ニ鍵ヲ懸ケタリマタソノ鍵ヲアチラコチラヘ隠シタリシタノカ。ソレハアルイハ彼女ノ捜索癖ヲ満足サセルタメデアッタカモ知レナイ。ソレニ彼女ハ、モシ僕ガ日記帳ヲ故意ニ彼女ノ眼ニ触レヤスイ所ニ置ケバ、「コレハ私ニ読マセルタメニ書イタ日記ダ」ト思イ、書イテアルヿヲ信用シナイカモ知レナイ。ソレドコロカ、「ホントウノ日記ガモウ一ツドコカニ隠シテアルノダ」ト思ウカモ知レナイ。………郁子ヨ、ワガ愛スルイトシノ妻ヨ、僕ハオ前ガ果シテコノ日記ヲ盗ミ読ミシツツアルカドウカヲ知ラナイ。僕ガオ前ニソンナヿヲ聞イテモ、オ前ハ「人ノ書イタモノヲ盗ミ読ミナドイタシマセン」ト答エルニキマッテイルカラ、聞イタトコロデ仕方ガナイ。ダガモシ読ンデイルノデアッタラ、決シテコレハ偽リノ日記デナイヿヲ、コノ記載ハスベテ真実デアルヿヲ信ジテホシイ。イヤ、疑イ深イ人ニ向ッテコウイウヿヲ云ウトカエッテ疑イヲ深クサセル結果ニナルカラ、モウ云ウマイ。ソレヨリコノ日記ヲ読ンデサエクレレバソノ内容ニ虚偽ガアルカ否カハ自然明ラカニナルデアロウ。
モトヨリ僕ハ彼女ニ都合ノヨイヿバカリハ書カナイ。彼女ガ不快ヲ感ズルデアロウヨウナヿ、彼女ノ耳ニ痛イヨウナヿモ憚カラズ書イテ行カネバナラナイ。モトモト僕ガコウイウヿヲ書ク気ニナッタノハ、彼女ノアマリナ秘密主義、───夫婦ノ間デ閨房ノヿヲ語リ合ウサエ恥ズベキヿトシテ聞キタガラズ、タマタマ僕ガ猥談メイタ話ヲシカケルトタチマチ耳ヲ蔽ウテシマウ彼女ノイワユル「身嗜ミ」、ア 偽善的ナ「女ノラシサ」、アノワザトラシイオ上品趣味ガ原因ナノダ。連レ添ウテ二十何年ニモナリ、嫁入リ前ノ娘サエアル身デアリナガラ、寝床ニハイッテモイマダニタダ黙々ト事ヲ行ウダケデ、ツイゾシンミリトシタ睦言ヲ取リ交ソウトシナイノハ、ソレデモ夫婦トイエルデアロウカ。僕ハ彼女ト直接閨房ノヿヲ語リ合ウ機会ヲ与エラレナイ不満ニ堪エカネテコレヲ書ク気ニナッタノダ。今後ハ僕ハ、彼女ガコレヲ実際ニ盗ミ読ミシテイルト否トニカカワラズ、シテイルモノト考エテ、間接ニ彼女ニ話シカケル気持デコノ日記ヲツケル。
何ヨリモ、僕ガ彼女ヲ心カラ愛シテイルヿ、───コノヿハ前ニモタビタビ書イテイルガ、ソレハ偽リノナイヿデ、彼女ニモヨク分ッテイルト思ウ。タダ僕ハ生理的ニ彼女ノヨウニアノ方ノ慾望が旺盛デナク、ソノ点デ彼女ト太刀打チデキナイ。僕ハ今年五十六歳(彼女ハ四十五ニナッタハズダ)ダカラマダソンナニ衰エル年デハナイノダガ、ドウイウワケカ僕ハアノヿニハ疲レヤスクナッテイル。正直ニ云ッテ、現在ノ僕ハ週ニ一回クライ、───ムシロ十日ニ一回クライガ適当ナノダ。トコロガ彼女ハ(コンナヿヲ露骨ニ書イタリ話シタリスルヿヲ彼女ハ最モ忌ムノデアル)腺病質デシカモ心臓ガ弱イニモカカワラズ、アノ方ハ病的ニ強イ。サシアタリ僕ガハナハダ当惑シ、参ッテイルノハ、コノ一事ナノダ。僕ハ夫トシテ、彼女ニ十分ノ義務ヲ果タシ得ナイノハ申シワケガナイケレドモ、ソウカトイッテ、彼女ガソノ不足ヲ補ウタメニ、モシ仮リニ、───コンナヿヲ云ウト、私ヲソンナミダラナ女ト思ウノデスカト怒ルデアロウガ、コレハ「仮リニ」ダ、───他ノ男ヲ拵エタトスルト、僕ハソレニハ堪エラレナイ。僕ハソンナ仮定ヲ想像シタダケデモ嫉妬ヲ感ズル。ノミナラズ彼女自身ノ健康ノヿヲ考エテモ、アノ病的ナ慾求ニ幾分ノ制御ヲ加エタ方ガヨイノデハアルマイカ。………僕ガ困ッテイルノハ、僕ノ体力ガ年々衰エヲ増シツツアルヿダ。近頃ノ僕ハ性交ノ後デ実ニ非常ナ疲労ヲ覚エル。ソノ日一日グッタリトシテモノヲ考エル気力モナイクライニ。………ソレナラ僕ハ彼女トノ性交ヲ嫌ッテイルノカトイウト、事実ハソレノ反対ナノダ。僕ハ義務ノ観念カラ強イテ情慾ヲ駆リ立テテイヤイヤ彼女ノ要求ニ応ジテイルノデハ断ジテナイ。僕ハ幸カ不幸カ彼女ヲ熱愛シテイル。ココデ僕ハ、イヨイヨ彼女ノ忌避ニ触レル一点ヲ発カネバナラナイガ、彼女ニハ彼女自身全ク気ガ付イテイナイトコロノ或ル独得ナ長所ガアル。僕ガモシ過去ニ、彼女以外ノ種々ノ女ト交渉ヲ持ッタ経験ガナカッタナラバ、彼女ダケニ備ワッテイルアノ長所ヲ長所ト知ラズニイルデモアロウガ、若カリシ頃ニ遊ビヲシタヿノアル僕ハ、彼女ガ多クノ女性ノ中デモ極メテ稀ニシカナイ器具ノ所有者デアルヿヲ知ッテイル。彼女ガモシ昔ノ島原ノヨウナ妓楼ニ売ラレテイタトシタラ、必ズヤ世間ノ評判ニナリ、無数ノ嫖客ガ競ッテ彼女ノ周囲ニ集マリ、天下ノ男子ハ悉ク彼女ニ悩殺サレタカモ知レナイ。(僕ハコンナヿヲ彼女ニ知ラセナイ方ガヨイカモ知レナイ。彼女ニソウイウ自覚ヲ与エルヿハ、少クトモ僕自身ノタメニ不利カモ知レナイ。シカシ彼女ハコレヲ聞イテ、果シテ自ラ喜ブデアロウカ恥ジルデアロウカ、アルイハマタ侮辱ヲ感ジルデアロウカ。多分表面ハ怒ッテ見セナガラ、内心ハ得意ニ感ジルヿヲ禁ジ得ナイノデハナカロウカ)僕ハ彼女ノアノ長所ヲ考エタダケデモ嫉妬ヲ感ズル。モシモ僕以外ノ男性ガ彼女ノアノ長所ヲ知ッタナラバ、ソシテ僕ガソノ天与ノ幸運ニ十分酬イテイナイヿヲ知ッタナラバ、ドンナヿガ起ルデアロウカ。僕ハソレヲ考エルト不安デモアリ、彼女ニ罪深イヿヲシテイルトモ思イ、自責ノ念ニ堪エラレナクナル。ソコデ僕ハイロイロナ方法デ自分ヲ刺戟シヨウトスル。タトエバ僕ハ僕ノ性慾点───僕ハ眼ヲツブッテ眼瞼ノ上ヲ接吻シテ貰ウ時ニ快感ヲ覚エル、───ヲ彼女ニ刺戟シテ貰ウ。マタ反対ニ僕ガ彼女ノ性慾点───彼女ハ腋ノ下ヲ接吻シテ貰ウヿヲ好ムノデアル、───ヲ刺戟シテ、ソレニヨッテ自分ヲ刺戟シヨウトスル。シカルニ彼女ハソノ要求ニサエアマリ快クハ応ジテクレナイ。彼女ハソウイウ「不自然ナ遊戯」ニ耽ルヿヲ欲セズ、飽クマデモオーソドックスナ正攻法ヲ要求スル。正攻法ニ到達スル手段トシテノ遊戯デアルヿヲ説明シテモ、彼女ハココデモ「女ラシイ身嗜ミ」ヲ固守シテソレニ反スル行為ヲ嫌ウ。彼女ハマタ僕ガ足ノ fetishist デアルヿヲ知ッテイナガラ、カツ彼女ハ自分ガ異常ニ形ノ美シイ足(ソレハ四十五歳ノ女ノ足ノヨウニハ思エナイ)ノ所有者デアルヿヲ知ッテイナガラ、イヤ知ッテイルガユエニ、メッタニソノ足ヲ僕ニ見セヨウトシナイ。真夏ノ暑イ盛リデモ彼女ハ大概足袋ヲ穿イテイル。セメテソノ足ノ甲ニ接吻サセテクレト云ッテモ、マア汚イトカ、コンナ所ニ触ルモノデハアリマセントカ云ッテ、ナカナカ願イヲ聴イテクレナイ。ソレヤコレヤデ僕ハ一層手ノ施シヨウガナクナル。………正月早々愚痴ヲナラベル結果ニナッテ僕モイササカ恥カシイガ、デモコンナヿモ書イテオク方ガヨイト思ウ。明日ノ晩ハ「ヒメハジメ」デアル。オーソドックスヲ好ム彼女ハ毎年ノ吉例ニ従イ、必ズソノ行事ヲ厳粛ニ行ワナケレバ承知シナイデアロウ。………
一月四日。………今日は珍しい事件に出遇った。三ガ日の間書斎の掃除をしなかったので、今日の午後、夫が散歩に出かけた留守に掃除をしにはいったら、あの水仙の活けてある一輪揷しの載っている書棚の前に鍵が落ちていた。それは全く何でもないことなのかも知れない。でも夫が何の理由もなしに、ただ不用意にあの鍵をあんな風に落しておいたとは考えられない。夫は実に用心深い人なのだから。そして長年の間毎日日記をつけていながら、かつて一度もあの鍵を落したことなんかなかったのだから。………私はもちろん夫が日記をつけていることも、その日記帳をあの小机の抽出に入れて鍵をかけていることも、そしてその鍵を時としては書棚のいろいろな書物の間に、時としては床の絨緞の下に隠していることも、とうの昔から知っている。しかし私は知ってよいことと知ってはならないこととの区別は知っている。私が知っているのはあの日記帳の所在と、鍵の隠し場所だけである。決して私は日記帳の中を開けて見たりなんかしたことはない。だのに心外なことには、生来疑い深い夫はわざわざあれに鍵をかけたりその鍵を隠したりしなければ、安心がならなかったのであるらしい。………その夫が今日その鍵をあんな所に落して行ったのはなぜであろうか。何か心境の変化が起って、私に日記を読ませる必要を生じたのであろうか。そして、正面から私に読めと云っても読もうとしないであろうことを察して、「読みたければ内証で読め、ここに鍵がある」と云っているのではなかろうか。そうだとすれば、夫は私がとうの昔から鍵の所在を知っていたことを、知らずにいたということになるのだろうか? いや、そうではなく、「お前が内証で読むことを僕も今日から内証で認める、認めて認めないふりをしていてやる」というのだろうか?………
まあそんなことはどうでもよい。かりにそうであったとしても、私は決して読みはしない。私は自分でここまでときめている限界を越えて、夫の心理の中にまではいり込んで行きたくない。私は自分の心の中を人に知らせることを好まないように、人の心の奥底を根掘り葉掘りすることを好まない。ましてあの日記帳を私に読ませたがっているとすれば、その内容には虚偽があるかも知れないし、どうせ私に愉快なことばかり書いてあるはずはないのだから。夫は何とでも好きなことを書いたり思ったりするがよいし、私は私でそうするであろう。実は私も、今年から日記をつけ始めている。私のように心を他人に語らない者は、せめて自分自身に向って語って聞かせる必要がある。ただし私は自分が日記をつけていることを夫に感づかれるようなヘマはやらない。私はこの日記を、夫の留守の時を窺って書き、絶対に夫が思いつかない或る場所に隠しておくことにする。私がこれを書く気になった第一の理由は、私には夫の日記帳の所在が分っているのに、夫は私が日記をつけていることさえも知らずにいる、その優越感がこの上もなく楽しいからである。………
一昨夜は年の始めの行事をした。………あゝ、こんなことを筆にするとは何という恥かしさであろう。亡くなった父は昔よく「慎レ独」ということを教えた。私がこんなことを書くのを知ったら、どんなにか私の堕落を歎くであろう。……夫は例により歓喜の頂天に達したらしいが、私はまた例により物足りなかった。そしてその後の感じがたまらなく不快であった。夫は彼の体力が続かないのを恥じ、私に済まないということを毎度口にする半面、夫に対して私が冷静過ぎることを攻撃する。その冷静という意味は、彼の言葉に従えば私は「精力絶倫」で、その方面では病的に強いけれども、私のやり方はあまりにも「事務的」で、「ありきたり」で、「第一公式」で、変化がないというのである。平素何事につけても消極的で、控え目である私が、あのことにだけは積極的であるにもかかわらず、二十年来常に同じメソッド、同じ姿勢でしか応じてくれないというのである。───そのくせ夫はいつも私の無言の挑みを見逃さず、私の示すほんの僅かな意志表示にも敏感で、直ちにそれと察しるのである。それはあるいは、私の頻繁過ぎる要求に絶えず戦々兢々としている結果、かえってそんな風になるのかも知れない。───私は実利一点張りで、情味がないのだそうである。僕がお前を愛している半分も、お前は僕を愛していないと、夫は云う。お前は僕を単なる必要品としか、───それも極めて不完全な必要品としか考えていない、お前がほんとうに僕を愛しているなら、もっと熱情があってもよいはずだ、いかなる僕の註文にも応じてくれるはずだと云う。僕が十分にお前を満足させ得ない一半の責めはお前にある、お前がもっと僕の熱情をかき立てるようにしてくれれば、僕だってこんなに無力ではない、お前は一向そういう努力をしようとせず、自ら進んでその仕事に僕と協力してくれない、お前は食いしんぼうの癖に手を拱いて据え膳の箸を取ることばかり考えていると云い、私を冷血動物で意地の悪い女だとさえ云う。
夫が私をそういう眼で見るのも一往無理のないところがある。だけど私は、女というものはどんな場合にも受け身であるべきもの、男に対して自分の方から能動的に働きかけてはならないもの、という風に、昔気質の親たちからしつけられて来たのである。私は決して熱情がないわけではないが、私の場合、その熱情は内部に深く沈潜する性質のもので、外に発散しないのである。強いて発散させようとすればその瞬間に消えてなくなってしまうのである。私のは青白い熱情で、燃え上る熱情ではないということを、夫は理解してくれない。………この頃になって私がつくづく感じることは、私と彼とは間違って夫婦になったのではなかったか、ということである。私にはもっと適した相手があったであろうし、彼にもそうであったろうと思う。私と彼とは、性的嗜好が反撥し合っている点が、あまりにも多い。私は父母の命ずるままに漫然とこの家に嫁ぎ、夫婦とはこういうものと思って過して来たけれども、今から考えると、私は自分に最も性の合わない人を選んだらしい。これが定められた夫であると思うから仕方なく怺えているものの、私は時々彼に面と向ってみて、何という理由もなしに胸がムカムカして来ることがある。そう、そのムカムカする感じは、昨今に始まったことではなく、そもそも結婚の第一夜、彼と褥をともにしたあの晩からそうであった。あの遠い昔の新婚旅行の晩、私は寝床にはいって、彼が顔から近眼の眼鏡を外したのを見ると、とたんにゾウッと身慄いがしたことを、今も明瞭に思い出す。始終眼鏡をかけている人が外すと、誰でもちょっと妙な顔になるものだが、夫の顔は急に白ッちゃけた、死人の顔のように見えた。夫はその顔を近々と傍に寄せて、穴の開くほど私の顔を覗き込んだものだった。私も自然彼の顔をマジマジと見据える結果になったが、その肌理の細かい、アルミニュームのようにツルツルした皮膚を見ると、私はもう一度ゾウッとした。昼間は分らなかったけれども、鼻の下や唇の周りに髯が微かに生えかかっているのが(彼は毛深いたちなのである)見えて、それがまた薄気味が悪かった。私はそんなに近い所で男性の顔を見るのは始めてだったので、そのせいもあったかも知れないが、以来私は、今日でも夫の顔を明るい所で長い間視つめていると、あのゾウッとする気持になるのである。だから私は彼の顔を見ないようにしようと思い、枕もとの電燈を消そうとするのだが、夫は反対に、あの時に限って部屋を明るくしようとする。そして私の体じゅうのここかしこを、能う限りハッキリ見ようとする。(私はそんな要求にはめったに応じないことにしているけれども、足だけはあまり執拗く云うので、已むを得ず見せる)私は夫以外の男を知らないけれども、総体に男性というものは皆あのように執拗いのであろうか。あのアクドい、べたべたと纏わりついてさまざまな必要以外の遊戯をしたがる習性は、すべての男子に通有なのであろうか。………
一月七日。………今日木村ガ年始ニ来タ。僕ハフォークナーノサンクチュアリヲ読ミカケテイタノデ、チョット挨拶シテ書斎ニ上ッタ。木村ハ茶ノ間デ妻ヤ敏子トシバラク話シテイタガ、三時過ギニ「麗しのサブリナ」ヲ見ニ行クト云ッテ、三人デ出カケタ。ソシテ木村ハ六時頃マタ一緒ニ帰ッテ来テ、僕ラ家族ト夕食ヲトモニシ、九時少シ過ギマデ話シテ行ッタ。食事ノ時敏子ヲ除ク三人ハブランデーヲ少量ズツ飲ンダ。郁子ハ近頃酒量ガヤヤ増シタヨウニ思ウ。彼女ニ酒ヲ仕込ンダノハ僕ダガ、モトモト彼女ハ行ケル口ナノダ。彼女ハ勧メラレレバ黙ッテカナリノ量ヲ嗜ム。酔ウヿハ酔ウガ、ソノ酔イ方ガ陰性デ、外ニ発セズ、内攻シ、イツマデモジット怺エテイルノデ、人ニハ分ラナイヿガ多イ。今夜ハ木村ガシェリーグラスニ二杯半マデ彼女ニススメタ。妻ハイクラカ青イ顔ヲシテイタガ、酔ッタ様子ハ見エナカッタ。カエッテ僕ヤ木村ノ方ガ紅イ顔ニナッタ。木村ハソンナニ強クハナイ。妻ヨリ弱イクライデアル。妻ガ僕以外ノ男カラブランデーノ杯ヲ受ケタノハ、今夜ガ始メテデハナイダロウカ。木村ハ最初敏子ニ差シタノダガ、「私ハダメデス、ドウカママニオ酌ナスッテ」ト敏子ガ云ッタカラデアッタ。僕ハカネテカラ、敏子ガ木村ヲ避ケル風ガアルヿヲ感ジテイタガ、ソレハ木村ガ彼女ヨリハ彼女ノ母ニ親愛ノ情ヲ示ス傾向ガアルヿヲ、彼女モ感ヅクニ至ッタカラデハナイデアロウカ。僕ハ僕ノ嫉妬カラソンナ風ニ気ガ廻ルノカト思ッテ、ソノ考エヲ努メテ打チ消シテイタノデアルガ、ヤハリソウデハナサソウデアル。一体妻ハ来客ニ対シテハ不愛想デ、コトニ男ノ客人ニハ会イタガラナイノデアルガ、木村ニダケハ親シムノデアル。敏子モ、妻モ、僕モ、イマダカツテ口ニ出シタヿハナイガ、木村ハジェームス・スチュアートニ似テイル。ソシテ僕ノ妻ハ、ジェームス・スチュアートガ好キデアルヿヲ僕ハ知ッテイル。(妻ハソレヲ口ニ出シタヿハナイガ、ジェームス・スチュアートノ映画ダト缺カサズ見ニ行クラシイノデアル)モットモ妻ガ木村ニ接近スルノハ、僕ガ彼ヲ敏子ニ妻ワセテハドウカトイウ考エガアッテ、家庭ニ出入リサセルヨウニシ、妻ニソレトナク二人ノ様子ヲ見ルヨウニト命ジタカラナノデアル。トコロガ敏子ハコノ縁談ニハドウモ気乗リガシテイナイラシイ。彼女ハナルベク木村ト二人キリニナル機会ヲ作ラヌヨウニシ、イツモホトンド郁子ト三人デ茶ノ間デ話シ、映画ヲ見ルニモ必ズ母ヲ誘ッテ出カケル。「オ前ガツイテ行クカラ悪イ、二人キリデ出シテミナサイ」ト云ウノダガ、妻ハソレニハ不賛成デ、母親トシテ監督スル責任ガアルト云ウ。「ソレハオ前ノ頭ガ時代オクレダカラダ、二人ヲ信用シタラヨイノダ」ト云ウト、「私モソウ思ウノデスケレドモ、敏子ガツイテ来テクレト云ウノデス」ト云ウ。事実敏子ガソウ云ウノダトスレバ、ソレハ自分ヨリモ母ノ方ガ木村ヲ好イテイルトコロカラ、ムシロ自分ガ母ノタメニ仲介ノ労ヲ取ロウトシテイルノデハアルマイカ。僕ハ何トナク、妻ト敏子トノ間ニ暗黙ノ示シ合ワセガアルヨウナ気ガシテナラナイ。少クトモ妻ハ、自分デハ意識シテイナイノカモ知レナイガ、自分デハ若イ二人ヲ監督シテイルツモリカモ知レナイガ、実際ハ木村ヲ愛シテイルヨウニ思エテナラナイ。………
一月八日。昨夜は私も酔ったけれども、夫は一層酔っていた。夫は近頃あまり強要したことのなかった眼瞼の上の接吻を、してくれるようにとしきりに迫った。私もブランデーの加減で少し常軌を逸していたので、フラフラと要求に応じた。それはよいが、接吻するついでに、あの見てはならないものを、──彼の眼鏡を外した顔を、ついウッカリして見てしまった。私はいつも眼瞼に接吻を与える時は、自分も眼をつぶるようにしているのだが、昨夜は途中で眼を開けてしまった。あのアルミニュームのような皮膚が、キネマスコープで大映しにして見るように巨大に私の眼の前に立ち塞がった。私はゾウッと身慄いをした。そして自分の顔が急に青ざめたのを感じた。でもよいあんばいに、夫は眼鏡をすぐにかけた、例によって私の手足を事細かに眺めるために。………私は黙って枕もとのスタンドを消した。夫は手を伸ばしてスイッチをひねり返そうとしたが、私はスタンドを遠くの方へ押しやった。「おい、後生だ、もう一度見せてくれ。後生お願い。………」と、夫は暗い中でスタンドを探ったが、見つからないので諦めてしまった。………久しぶりの長い抱擁。………
私は夫を半分は激しく嫌い、半分は激しく愛している。私は夫とほんとうは性が合わないのだけれども、だからといって他の人を愛する気にはなれない。私には古い貞操観念がこびり着いているので、それに背くことは生れつきできない。私は夫のあの執拗な、あの変態的な愛撫の仕方にはホトホト当惑するけれども、そういっても彼が熱狂的に私を愛していてくれることは明らかなので、それに対して何とか私も報いるところがなければ済まないと思う。あゝ、それにつけても、彼にもう少し昔のような体力があってくれたらば、………一体どうして彼はあんなにあの方面の精力が減退したのであろうか。………彼に云わせると、それは私があまり淫蕩に過ぎるので、自分もそれにつり込まれて節度を失った結果である、女はその点不死身だけれども、男は頭を使うので、ああいうことがじきに体にこたえるのだという。そう云われると恥かしいが、しかし私の淫蕩は体質的のものなので、自分でもいかんともすることができないことは、夫も察してくれるであろう。夫が真に私を愛しているのならば、やはり何とかして私を喜ばしてくれなければいけない。ただくれぐれも知っておいて貰いたいのは、あの不必要な悪ふざけだけは我慢がならないということ、私にとってあんな遊びは何の足しにもならないばかりか、かえって気分を損うばかりだということ、私は本来は、どこまでも昔風に、暗い奥深い閨の中に垂れ籠めて、分厚い褥に身を埋めて、夫の顔も自分の顔も分らないようにして、ひっそりと事を行いたいのだということ、である。夫婦の趣味がこの点でひどく食い違っているのはこの上もない不幸であるが、お互いに何か妥協点を見出す工夫はないものだろうか。………
一月十三日。………四時半頃ニ木村ガ来タ。国カラ鱲子ガ届キマシタカラ持ッテ来マシタト云ッテ、ソノアト一時間ホド三人デ話シテ帰リカケル様子ダッタノデ、僕ハ下ヘ降リテ行ッテ、飯ヲ食ッテ行ケト引キ留メタ。木村ハ別ニ辞退セズ、デハ御馳走ニナリマスト云ッテ坐リ込ンダ。食事ノ支度ガデキル間、僕ハマタ二階ニ上ッテイクガ、敏子ガ一人デ台所ノ用事ヲ引キ受ケテ、妻ハ茶ノ間ニ残ッテイタ。御馳走ト云ッテモ有リアワセノモノシカナカッタガ、酒ノ肴ニハ到来ノ鱲子ト、昨日妻ガ錦ノ市場デ買ッテ来タ鮒鮨ガアッタノデ、スグブランデーニナッタ。妻ハ甘イモノガ嫌イデ、酒飲ミノ好クモノガ好キ、ナカンズク鮒鮨ガ好キダ。───僕ハ両刀使イダケレドモ、鮒鮨ハアマリ好キデナイ。家ジュウデ妻以外ニアレヲ食ウ者ハイナイ。長崎人ノ木村モ鱲子ハ好キダガ、鮒鮨ハ御免ダト云ッテイタ。───木村ハ土産物ナンカ提ゲテ来タヿハナイノダガ、今日ハ始メカラ晩ノ食事ヲトモニスル底意ガアッタノデアロウ。僕ハ彼ノ心理状態ガ今ノトコロヨク分ラナイ。郁子ト敏子ト、彼自身ハドッチニ惹カレテイルノデアロウカ。モシ僕ガ木村デアッタトシテ、ドッチニヨケイ惹キ付ケラレルカトイエバ、ソレハ、年ハ取ッテイルケレドモ母ノ方デアルヿハ確カダ。ダガ木村ハドウトモ云エナイ。彼ノ最後ノ目的ハカエッテ敏子ニアルノカモ知レナイ。敏子ガソレホド彼トノ結婚ニ乗リ気デナイラシイノデ、サシアタリ母ノ歓心ヲ買イ、母ヲ通ジテ敏子ヲ動カソウトシテイル?───イヤソンナヿヨリモ、僕自身ハドンナツモリナノダロウ。ドンナツモリデ今夜モ木村ヲ引キ留メタノダロウ。コノ心理ハ我ナガラ奇妙ダ。先日、七日ノ晩ニ僕ハスデニ木村ニ対シ淡イ嫉妬(淡クモナカッタカモ知レナイ)ヲ感ジツツアッタノニ、───イヤソウデハナイ、ソレハ去年ノ暮アタリカラダッタ、───ソノ半面、僕ハソノ嫉妬ヲ密カニ享楽シツツアッタ、ト云エナイダロウカ。元来僕ハ嫉妬ヲ感ジルトアノ方ノ衝動ガ起ルノデアル。ダカラ嫉妬ハ或ル意味ニオイテ必要デモアリ快感デモアル。アノ晩僕ハ、木村ニ対スル嫉妬ヲ利用シテ妻ヲ喜バスヿニ成功シタ。僕ハ今後我々夫婦ノ性生活ヲ満足ニ続ケテ行クタメニハ、木村トイウ刺戟剤ノ存在ガ缺クベカラザルモノデアルヿヲ知ルニ至ッタ。シカシ妻ニ注意シタイノハ、云ウマデモナイヿダケレドモ、刺戟剤トシテ利用スル範囲ヲ逸脱シナイヿダ。妻ハ随分キワドイ所マデ行ッテヨイ。キワドケレバキワドイホドヨイ。僕ハ僕ヲ、気ガ狂ウホド嫉妬サセテホシイ。事ニヨッタラ範囲ヲ蹈ミ越エタノデハアルマイカ、ト、多少疑イヲ抱カセルクライデアッテモヨイ。ソノクライマデ行クヿヲ望ム。僕ガコノクライニ云ッテモ、トテモ彼女ハ大胆ナヿハデキソウモナイケレドモ、ソウイウ風ニシテ努メテ僕ヲ刺戟シテクレルヿハ、彼女自身ノ幸福ノタメデモアルト思ッテ貰イタイ。
一月十七日。………木村ハアレキリマダ来ナイガ、僕ト妻トハアレカラ毎晩ブランデーヲ用イツツアル。妻ハススメレバ随分行ケル。僕ハ妻ガ一生懸命酔イヲ隠シテ冷タイ青ザメタ顔ヲシテイルノヲ見ルノガ好キダ。妻ノソウシテイル様子ニ何トモイエナイ色気ヲ感ジル。僕ハ彼女ヲ酔イツブシテ寝カシテシマオウトイウ底意モアッタガ、ドウシテ彼女ハソノ手ニハ乗ラナイ。酔ウトマスマス意地ガ悪クナリ、足ニ触ラセマイトスル。ソシテ自分ノ欲スルヿダケヲ要求スル。………
一月二十日。………今日は一日頭痛がしている。二日酔いというほどではないが、昨日は少し過したらしい。………だんだん私のブランデーの量が殖えて行くのを木村さんは心配している。近頃は二杯以上はお酌をしない。「もう好い加減になすったら」と、止める方に廻ろうとする。夫は反対に、前より一層飲ませたがる。差されれば拒まない癖を知っているので、いくらでも飲ますつもりらしい。でももうこの辺が極量である。夫や木村さんの見ている前で取り乱したことは一度もないが、酒を殺して飲むために後が苦しい。私は用心した方がよい。………
一月二十八日。………今夜突然妻ガ人事不省ニナッタ。木村ガ来テ、四人デ食卓ヲ囲ンデイル最中ニ彼女ガドコカヘ立ッテ行ッテ、シバラク戻ッテ来ナイノデ、「ドウナスッタノデショウ」ト木村ガ云イ出シタ。妻ハブランデーガ過ギルト時々中座シテ便所ニ隠レテイルヿガアルノデ、「ナニ、今ニ戻ッテ来ルヨ」ト僕ハ云ッテイタガ、アマリ長イノデ木村ハ気ヲ揉ンデ呼ビニ行ッタ。ソシテ間モナク、「オ嬢サン、チョット変ダカライラシッテ下サイ」ト、廊下カラ敏子ヲ呼ンダ。───敏子ハ今夜モホドヨイ所デ自分ダケサッサト食事ヲ済マシテ部屋ニ引キ取ッテイタ。───「オカシイデスヨ、奥サンガドコニモイラッシャラナイラシイデス」ト云ウノデ、敏子ガ捜スト、妻ハ風呂ニ漬カッタママ浴槽ノ縁ニ両手ヲ掛ケ、ソノ上ニ顔ヲ打ツ俯セニシテ睡ッテイタ。「ママ、コンナ所デ寝ナイデヨ」ト云ッテモ返事ヲシナイ。「先生、大変デス」ト木村ガ飛ンデ来テ知ラセタ。僕ハ流シ場ニ下リテ脈ヲ取ッテ見タ。脈搏ガ微弱デ、一分間ニ九十以上百近クモ打ッテイル。僕ハ裸体ニナッテ浴槽ニハイリ、妻ヲ抱エテ浴室ノ板ノ間ニ臥カシタ。敏子ハ大キナバスタオルデ母ノ体ヲ包ンデヤッテカラ、「トニカク床ヲ取リマショウ」ト云ッテ寝室ヘ行ッタ。木村ハドウシテヨイカ分ラズ、浴室ヲ出タリハイッタリウロウロシテイタガ、「君モ手ヲ貸シテクレタマエ」ト云ウト安心シテノコノコハイッテ来タ。「早ク拭イテヤラナイト風邪ヲ引ク、済マナイガ手伝ッテクレタマエ」ト云ッテ、二人デ乾イタタオルヲ持ッテ濡レタ体ヲ拭キ取ッテヤッタ。(コンナ咄嗟ノ間合ニモ僕ハ木村ヲ「利用」スルヿヲ忘レナカッタ。僕ハ彼ニ上半身ヲ与エ、自分ハ下半身ヲ受ケ持ッタ。僕ハ足ノ指ノ股マデモキレイニ拭イチテヤリ、「君、ソノ手ノ指ノ股ヲ拭イテヤッテクレタマエ」ト木村ニモ命ジタ。ソシテソノ間ニモ木村ノ動作ヤ表情ヲ油断ナク観察シタ)敏子ガ寝間着ヲ持ッテ来タガ、木村ガ手伝ッテイルノヲ見ルト、「湯タンポヲ入レルワ」ト云ッテスグマタ出テ行ッタ。僕ト木村ハ二人デ郁子ニ寝間着ヲ着セテ寝室ヘ運ンダ。「脳貧血カモ知レマセンカラ、湯タンポハオ止メニナッタ方ガヨクハナイデスカ」ト木村ガ云ッタ。医者ヲ呼ボウカドウシヨウカトシバラク三人デ相談シタ。僕ハ児玉氏ナラ差支エナイト思ッタケレドモ、ソレデモ妻ノコウイウ醜態ヲ見セルノハ好マシクナカッタ。ガ、心臓ガ弱ッテイルヨウナノデ、結局来テ貰ッタ。ヤハリ脳貧血ダソウデ、「御心配ハアリマセン」ト云ッテ、ヴィタカンフルノ注射ヲシテ児玉氏ガ帰ッテ行ッタノハ、夜中ノ二時デアッタ。………
一月二十九日。昨夜飲み過ぎて苦しくなり便所に行ったことまでは記憶にある。それから風呂場へ行って倒れたことも微かに思い出すことができる。それ以後のことはよく分らない。今朝明け方に眼が覚めてみたら誰かが運んでくれたのだと見えてベッドに寝ていた。今日は終日頭が重くて起き上る気力がない。覚めたかと思うとまたすぐ夢を見て一日じゅうウトウトしている。夕方少し心持が回復したので、辛うじて日記にこれだけ書きとめる。これからまたすぐ寝るつもり。
一月二十九日。………妻ハ昨夜ノ事件以来マダ一遍モ起キタ様子ガナイ。昨夜僕ト木村トデ彼女ヲ風呂場カラ寝室ヘ運ンダノガ十二時頃、児玉氏ヲ呼ンダノガ〇時半頃、氏ガ帰ッタノガ今暁ノ二時頃。氏ヲ送ッテ出ル〓(トキ)外ヲ見タラ美シイ星空デアッタガ寒気ハ凜烈デアッタ。寝室ノストーブハイツモ寝ル前一トツカミノ石炭ヲ投ゲ込ンデオケバソレデ大体ヌクマルノダガ、「今日ハ暖カニシテ上ゲタ方ガヨウゴザンスネ」ト木村ガ云ウノデ、彼ニ命ジテ多量ニ石炭ヲ投ゲ込マセタ。木村ハ「デハドウゾオ大事ニ。僕ハ帰ラシテ貰イマス」ト云ッタガ、コンナ時刻ニ帰ラセルワケニ行カナイ。「寝具ハアルカラ茶ノ間デ泊ッテ行キタマエ」ト云ッタガ、「ナニ近インダカラ何デモアリマセン」ト云ウ。彼ハ郁子ヲ担ギ込ンデカラソノママ寝室デウロウロシテイタノダガ、(腰掛ケルニモ餘分ノ椅子ガナイノデ、僕ノ寝台ト妻ノ寝台ノ間ニ立ッテイタ)ソウイエバ敏子ハ、木村ガハイッテ来ルト入レ違イニ出テ行ッテ、ソレキリ姿ヲ見セナカッタ。木村ハドウシテモ帰ルト云イ、「イエ何デモアリマセン〳〵」ト云ッテトウトウ帰ッテ行ッタ。シカシ正直ノヿヲ云エバ、実ハソウシテ貰ウ方ガ僕ノ望ムトコロダッタノダ。僕ハ先刻カラ或ル計画ガ心ニ浮カビツツアッタノデ、内心ハ木村ガ帰ッテクレルヿヲ願ッテイタノダッタ。僕ハ彼ガ立チ去ッテシマイ、敏子モモハヤ現ワレル恐レガナイノヲ確カメルト、妻ノベッドニ近ヅイテ、彼女ノ脈ヲ取ッテミタ。ヴィタカンフルガ利イタトミエテ、脈ハ正常ニ搏チツツアッタ。見タトコロ、彼女ハ深イ深イ睡リニ落チテイルヨウニ見エタ。───彼女ノ性質カラ推シテ、果シテホントウニ睡ッテイタノカ寝タフリヲシテイタノカ、ソノ点ハ疑ワシイ。ダガ寝タフリヲシテイルノナラソレデモ差支エナイト思ッタ。───僕ハマズストーブノ火ヲ一層強ク、カスカニゴウゴウ鳴ルクライニ燃ヤシタ。ソレカラ徐々ニフローアスタンドノシェードノ上ニ被セテアッタ黒イ布ノ覆イヲ除イテ室内ヲ明ルクシタ。フローアスタンドヲ静カニ妻ノ寝台ノ側近クニ寄セテ、彼女ノ全身ガ明ルイ光ノ輪ノ中ニハイルヨウナ位置ニ据エタ。僕ノ心臓ハニワカニ激シク脈搏チツツアルノヲ感ジタ。僕ハカネテカラ夢ミテイタヿガ今夜コソ実行デキルト思イ、ソノ期待デ興奮シタ。僕ハ足音ヲ忍バセテイッタン寝室ヲ出、二階ノ書斎ノデスクカラ螢光燈ランプヲ外シテ、ソレヲ持ッテ戻ッテ来、ナイトテーブルノ上ニ置イタ。コノヿハ僕ガトウカラ考エテイタヿデアッタ。去年ノ秋、書斎ノスタンドヲ螢光燈ニ改メタノモ、実ハイツカハコウイウ機会ガ来ルデアロウヿヲ豫想シタカラナノデアッタ。螢光燈ニスルトラジオニ雑音ガ交ルト云ッテ妻ヤ敏子ハ当時反対ダッタノニ、僕ハ視力ガ衰エテ読書ニ不便デアルヿヲ理由ニ螢光燈ニ変エタノダッタガ、───事実読書ノタメトイウヿモアッタニハ違イナイノダガ、───ソンナヿヨリモ僕ハ、イツカハ螢光燈ノ明リノ下ニ妻ノ全裸体ヲ曝シテ見タイトイウ慾望ニ燃エテイタノダッタ。コノヿハ螢光燈トイウモノノ存在ヲ知ッタ〓(トキ)カラノ妄想ダッタノダ。………
………スベテハ豫期ノゴトクニ行ッタ。僕ハモウ一度彼女ノ衣類ヲ全部、何カテ何マデ彼女ガ身ニ纏ッテイルモノヲ悉ク剥ギ取リ、素ッ裸ニシテ仰向カセ、螢光燈トフローアスタンドノ白日ノ下ニ横タエタ。ソシテ地図ヲ調ベルヨウニ詳細ニ彼女ヲ調べ始メタ。僕ハマズソノ一点ノ汚レモナイ素晴ラシイ裸身ヲ眼ノ前ニシタ〓(トキ)ニシバラクハ全ク度ヲ失ッテ呆然トサセラレテイタ。ナゼトイッテ、僕ハ自分ノ妻ノ裸体ヲカヨウナ全身像ノ形ニオイテ見タノハ始メテダッタカラダ。多クノ「夫」ハ彼ノ妻ノ肉体ノ形状ニツイテ、恐ラクハ巨細ニ亙ッテ、足ノ裏ノ皺ノ数マデモ知リ悉シテイルヿデアロウ。トコロガ僕ノ妻ハ今マデ僕ニ決シテ見セテクレナカッタ。情事ノ〓(トキ)ニ自然部分的ニトコロドコロヲ見タヿハアルケレドモ、ソレモ上半身ノ一部ニ限ラレテイタノデアッテ、情事ニ必要ノナイトコロハ絶対ニ見セテクレナカッタ。僕ハタダ手デ触ッテミテソノ形状ヲ想像シ、相当素晴ラシイ肉体ノ持主デアロウト考エテイタノデアッテ、ソレユエニコソ白光ノ下ニ曝シテ見タイトイウ念願ヲ抱イタワケデアッタガ、サテソノ結果ハ僕ノ期待ヲ裏切ラナカッタノミナラズ、ムシロハルカニソレ以上デアッタ。僕ハ結婚後始メテ、自分ノ妻ノ全裸体ヲ、ソノ全身像ノ姿ニオイテ見タノデアル。ナカンズクソノ下半身ヲホントウニ残ル隈ナク見ルヿヲ得タノデアル。彼女ハ明治四十四年生レデアルカラ、今日ノ青年女子ノヨウナ西洋人臭イ体格デハナイ。若イ頃ニハ水泳トテニスノ選手デアッタトイウダケニ、アノ頃ノ日本婦人トシテハ均整ノ取レタ骨格ヲ持ッテイルケレドモ、タトエバソノ胸部ハ薄ク、乳ト臀部ノ発達ハ不十分デ、脚モシナヤカニ長イニハ長イケレ〓(トモ)、下腿部ガヤヤO型ニ外側ヘ彎曲シテオリ、遺憾ナガラマッスグトハ云イニクイ。コトニ足首ノトコロガ十分ニ細ク括レテイナイノガ缺点ダケレ〓(トモ)、僕ハアマリニ西洋人臭イスラリトシタ脚ヨリモ、イクラカ昔ノ日本婦人式ノ脚、私ノ母ダトカ伯母ダトカイウ人ノ歪ンダ脚ヲ思イ出サセル脚ノ方ガ懐シクテ好キダ。ノッペラボウニ棒ノヨウニマッスグナノハ曲ガナサ過ギル。胸部ヤ臀部モアマリ発達シ過ギタノヨリハ中宮寺ノ本尊ノヨウニホンノ微カナ盛リ上リヲ見セテイル程度ノガ好キダ。妻ノ体ノ形状ハ、恐ラクコンナ風デアロウトオオヨソ想像ハシテイタノダガ、果シテ想像ノ通リデアッタ。シカモ僕ノ想像ヲ絶シテイタノハ、全身ノ皮膚ノ純潔サダッタ。大概ナ人間ニハ体ノドコカシラニチョットシタ些細ナ斑点、──薄紫ヤ黝黒等ノシミグライハアルモノダガ、妻ハ体ジュウヲ丹念ニ捜シテモドコニモソンナモノハナカッタ。僕ハ彼女ヲ俯向キニサセ、臀ノ孔マデ覗イテ見タガ、臀肉ガ左右ニ盛リ上ッテイル中間ノ凹ミノトコロノ白サトイッタラナカッタ。………四十五歳トイウ年齢ニ達スルマデ、ソノ間ニハ女児ヲ一人分娩シナガラヨクモソノ皮膚ニ少シノ疵モシミモ附ケズニ来タモノヨ。僕ハ結婚後何十年間モ、暗黒ノ中デ手ヲモッテ触レルヿヲ許サレテイタダケデ、コノ素晴ラシイ肉体ヲ眼デ視ルヿナク今日ニ至ッタガ、考エテミレバソレガカエッテ幸福デアッタ。二十数年間ノ同棲ノ後ニ、始メテ妻ノ肉体美ヲ知ッテ驚クヿヲ得ル夫ハ、今カラ新シイ結婚ヲ始メルノト同ジダ。スデニ倦怠期ヲ通リ過ギテイル時期ニナッテ、私ハ昔ニ倍加スル情熱ヲモッテ妻ヲ溺愛スルヿガデキル。………
僕ハ俯向キニ寝テイル妻ノ体ヲモウ一度仰向キニ打チ反シタ。ソウシテシバラク眼ヲモッテソノ姿態ヲ貪リ食イ、タダ歎息シテイルバカリデアッタ。フト僕ハ、妻ハホントウニ寝テイルノデハナイ、タシカニ寝タフリヲシテイルノニ違イナイト思ワレテ来タ。彼女ハ最初ハホントウニ寝テイタラシイガ、途中カラ眼ガ覚メタノダ。覚メタケレドモ事ノ意外ニ驚キ呆レ、アマリニ羞カシイ恰好ヲシテイルノデ、寝タフリヲシテ通ソウトシテイルノダ。僕ハソウ思ッタ。ソレハアルイハ事実デハナク、僕ノ単ナル妄想デアルカモ知レナイガ、デモソノ妄想ヲ僕ハ無理ニモ信ジタカッタ。コノ白イ美シイ皮膚ニ包マレタ一個ノ女体ガ、マルデ死骸ノヨウニ僕ノ動カスママニ動キナガラ、実ハ生キテ何モカモ意識シテイルノダト思ウヿハ、僕ニタマラナイ愉悦ヲ与エタ。ダガモシ彼女ガホントウニ睡ッテイタノダトスレバ、僕ハコンナ悪戯ニ耽ッタヿヲ日記ニ書カナイ方ガヨイノデハアルマイカ。妻ガコノ日記帳ヲ盗ミ読ミシテイルヿハホトンド疑イナイトシテ、コンナヿヲ書イタラ今後酔ウヿヲ止メハシナイカ。………イヤ、恐ラク止メハシナイデアロウ、止メタラ彼女ガコレヲ盗ミ読ミシテイルヿヲ証拠立テルヨウナモノデアルカラ。彼女ハコレヲ読ミサエシナケレバ、意識ヲ失ッテイル最中ニ何ヲサレタカ知ラナイハズナノデアルカラ。………
僕ハ午前三時頃カラ約一時間以上モ妻ノ裸形ヲ見守リツツ尽キルヿノナイ感興ニ浸ッテイタ。モチロンソノ間タダ黙ッテ眺メテイタバカリデハナイ。僕ハ、モシ彼女ガ空寝入リヲシテイルノダトスレバ、ドコマデソレヲ押シ通セルカ試シテヤレトイウ気モアッタ。最後マデ空寝入リヲセザルヲ得ナイ羽目ニ陥レテ困ラセテヤレトイウ気モアッタ。僕ハイツモ彼女ガ厭ガッテイルトコロノ悪戯ノ数々、───彼女ニ云ワセレバ執拗イ、恥カシイ、イヤラシイ、オーソドックスデナイトコロノ痴戯ノ数々ヲ、コノ機会デアルト思ッテ代ル代ル試ミテヤッタ。僕ハ何トカシテアノ素晴ラシイ美シイ足ヲ、思ウ存分ワガ舌ヲモッテ愛撫シ尽シタイトイウ長イ間心ニ秘メテイタ念願ヲ、始メテ果タスヿガデキタ。ソノ他アラユル様々ナヿヲ、彼女ノ常套語ヲ真似レバ、ココニ書キ記スノモマコトニ恥シイヨウナイロイロナヿヲシテミタ。一度僕ハ、彼女ガイカナル反応ヲ示スカト思ッテアノ性慾点ヲ接吻シテヤッタガ、誤ッテ眼鏡ヲ彼女ノ腹ノ上ニ落シタ。彼女ハソノ時ハ明ラカニハットシテ眼ヲ覚マシタラシク瞬イタ。僕モ思ワズハットシテ慌テテ螢光燈ヲ消シ、一時室内ヲ暗クシタ。ソシテルミナール一錠トカドロノックス半錠トヲ、ストーブノ上ニカカッテイタ湯沸シノ湯ニ水ヲ割リ微温湯ヲ作ッテ飲マシタ。僕ガ口移シニスルト、彼女ハ半バ夢見ツツアルカノゴトキ様子デ飲ンダ。(ソノクライノ分量ヲ服シテモ利カナイ〓(トキ)ハ利キハシナイ。僕ハ必ズシモ睡ラセルノガ目的デ飲マシタノデハナイ。彼女ガ睡ル真似ヲスルノニ都合ガヨカロウト思ッテ飲マシテヤッタノデアル)
彼女ガ睡リ込ンダ(モシクハ睡リ込ンダ風ヲシタ)ノヲ見定メテカラ、僕ハ最後ノ目的ヲ果タス行動ヲ開始シタ。今夜ハ僕ハ、妻ニ妨ゲラレルヿナク、スデニ十分ニ豫備運動ヲ行イ、情慾ヲ掻キ立テタ後デアッタシ、異常ナ興奮ニフルイ立ッテイタ際デアッタカラ、自分デモ驚クホドノヿヲ行ウヿガデキタ。今夜ノ僕ハイツモノ意気地ノナイ、イジケタ僕デハナクテ、相当強力ニ、彼女ノ淫乱ヲ征服デキル僕デアッタ。僕ハ今後モ頻繁ニ彼女ヲ悪酔イサセルニ限ルト思ッタ。トコロデ彼女ハ、彼女ノ方モ数回ニ亙リ事ヲ行ッタニモカカワラズナオ完全ニハ睡リカラ覚メテイナイヨウニ見エタ。ナオ半醒半睡ノ状態ニアルカノゴトクデアッタ。時々彼女ハ眼ヲ半眼ニ見開イタガ、ソレハアラヌ方角ヲ見テイタ。手モユックリト動カシテイタガ夢遊病者ノヨウナ動カシ方デアッタ。ソシテ今マデニナイヿニハ、僕ノ胸、腕、頬、頸、脚ナドヲ手デ探ルヨウナ動作ヲシタ。彼女ハコレマデ決シテ必要以外ノ部分ヲ見タリ触レタリシタヿガナカッタノダ。彼女ノ口カラ「木村サン」トイウ一語ガ譫語ノヨウニ洩レタノハコノ時ダッタ。カスカニ、実ニカスカニ、タッタ一度ダケデアッタガ、確カニ彼女ハソウ云ッタ。コレハホントウノ譫語ダッタノカ、譫語ノゴトク見セカケテ故意ニ僕ニ聞カセタノデアルカ、コノヿハ今モナオ疑問ダ。ソシテイロイロナ意味ニ取レル。彼女ハ寝惚ケテ、木村ト情交ヲ行ッテイルト夢見タノデアルカ、ソレトモソウ見セカケテ、「アヽ木村サントコンナ風ニナッタラナア」ト思ッテイル気持ヲ、僕ニ分ラセヨウトシテイルノデアロウカ、ソレトモマタ、「私ヲ酔ワセテ今夜ノヨウナ悪戯ヲスレバ、私ハイツモ木村サント一緒ニ寝ル夢ヲ見マスヨ、ダカラコンナ悪戯ハオ止メナサイ」トイウ意味デアロウカ。………
………夜八時過木村カラ電話。「ソノ後奥サンハイカガデスカ、オ見舞イニ伺ウハズナノデスガ」ト云ウノデ、「アレカラマタ睡眠剤ヲ飲マシタノデマダ寝テイル、別ニ苦シンデハイナイラシイカラ心配ニ及バヌ」ト答エル。………
一月三十日。あれからまだずっとベッドにいる。時刻は今午前九時半。月曜で夫は三十分ほど前に出かけたらしい。出かける前そっと寝室にはいって来、私が空寝入りしていると、しばらく寝息を窺ってもう一度足に接吻して出て行った。婆やが「御気分はいかがですか」と云ってはいって来たので、熱いタオルを持って来させ、室内の洗面台で簡単に顔を洗い、牛乳と半熟卵を一個持って来させた。「敏子は」と云うと「お部屋にいらっしゃいます」ということだったが姿を見せない。私はもう気分も良くなり、起きて起きられなくはないのだが、寝たまま日記をつけることにして一昨夜以来の出来事を静かに思い返している。いったい一昨日の夜はどうしてあんなに酔ったのかしら。体の工合もいくらかあったに違いないが、一つにはブランデーがいつものスリースタースではなかった。夫はあの日新しいのを一本買って来たのだが、ブランデー・オブ・ナポレオンと書いてある、クルボアジエという名のブランデーであった。私には大層口あたりが好かったので、つい度を過した。私は人に酔ったところを見られるのが嫌なので、飲み過ぎて気分が悪くなると便所へ閉じ籠る癖があるのだが、あの晩もそうであった。私は何十分間ぐらい便所に籠っていたのだろうか。何十分? いや一時間も二時間もではなかったろうか。私はちっとも苦しくはなかった。苦しいよりは恍惚とした気持だった。意識はぼんやりしていたけれども全然覚えがないわけではなく、ところどころ分っている部分もある。あまり長時間便器に跨って蹲踞っていたので、腰や脚が疲れて、いつの間にか金隠しの前に両手をついてしまい、とうとう頭までべったり板の間についてしまっていたことも、うろ覚えに思い出される。そして私は体じゅうが便所臭くなった気がして外へ出たのであったが、その臭気を洗い落すつもりだったのか、まだ足もとがふらついているので人に遇うのが嫌だったのか、そのまま風呂場へ行って着物を脱いだのであったらしい。らしいというのは、何か遠い遠い夢の中の出来事のように記憶に残っているのだが、それから先はどうなったのか思い出せない。(右の上膊部に絆創膏が貼ってあるのは誰かに注射されたのらしいが児玉先生でも呼んだのだろうか)気がついた時はすでにベッドの中にいて、早い朝の日光が寝室を薄明るくしていた。それが昨日の払暁の午前六時頃のことだったらしいのだが、それ以後ずっと意識がハッキリしつづけていたわけではない。私は頭が割れるように痛み、全身がズシンと深く沈下して行くのを感じつつ幾度も眼が覚めたり睡ったりすることを繰り返していた、───いや、完全に覚め切ることも睡り切ることもなく、その中間の状態を昨日一日繰り返していた。頭はガンガン痛かったけれども、その痛さを忘れさせる奇怪な世界を出たりはいったりしつづけていた。あれはたしかに夢に違いないけれども、あんなに鮮かな、事実らしい夢というものがあるだろうか。私は最初、突然自分が肉体的な鋭い痛苦と悦楽との頂天に達していることに心づき、夫にしては珍しく力強い充実感を感じさせると不思議に思っていたのだったが、間もなく私の上にいるのは夫ではなくて木村さんであることが分った。それでは私を介抱するために木村さんはここに泊っていたのだろうか。夫はどこへ行ったのだろうか。私はこんな道ならぬことをしてよいのだろうか。………しかし、私にそんなことを考える餘裕を許さないほどその快感は素晴らしいものだった。夫は今までにただの一度もこれほどの快感を与えてくれたことはなかった。夫婦生活を始めてから二十何年間、夫は何とつまらない、およそこれとは似ても似つかない、生ぬるい、煮えきらない、後味の悪いものを私に味あわせていたことだろう。今にして思えばあんなものは真の性交ではなかったのだ。これがほんとのものだったのだ。木村さんが私にこれを教えてくれたのだ。………私はそう思う一方、それがほんとうは一部分夢であることも分っていた。私を抱擁している男は木村さんのように見えるけれども、それは夢の中でそう感じているので、実はこの男は夫なのだということ、───夫に抱かれながら、それを木村さんと感じているのだということ、───それも私には分っていた。多分夫は、一昨日私を風呂場からここへ運び込んで寝かしつけておいてから、私が意識を失っているのをよいことにして私の体をいろいろと弄んだに違いない。私は彼があまり猛烈に腋の下を吸いつづけるので、ハッとして或る一瞬間意識を回復した時があった。───彼がその動作に熱中し過ぎて掛けていた眼鏡を落したのが、私の脇腹の上に落ちてヒヤリとしたので、とたんに私は眼を覚ましたのだった。───私は体じゅうの衣類を全部キレイに剥ぎ取られ、一絲も纏わぬ姿にされて仰向けに臥かされ、フローアスタンドと、枕元の螢光燈のスタンドとが青白い圏を描いている中に曝されていた。───そうだ、螢光燈の光があまり明るいので眼が覚めたのかも知れない。───それでも私はただボンヤリしていただけであったが、夫は私の腹の上に落ちた眼鏡を拾って掛け、腋の下を止めて下腹部のところに唇を当てて吸い始めた。私は反射的に身をすくめ、慌てて体を隠そうとして毛布を探ったのを覚えているが、夫も私が眼を覚ましかけたのに気がついて私に羽根布団と毛布を着せ、枕元の螢光燈を消し、フローアスタンドのシェードの上に覆いを被せた。───寝室に螢光燈などが置いてあるわけはないのだが、夫は書斎のデスクにあるのを持って来たのだ。夫は螢光燈の光の下で、私の体のデテイルを仔細に点撿することに限りない愉悦を味わったのであろうと思うと、───私は私自身でさえそんなに細かく見たことのない部分々々を夫に見られたのかと思うと、顔が赧くなるのを覚える。夫はよほど長時間私を裸体にしておいたのに違いなく、その証拠には、私に風邪を引かせまいために、───そうしてまた眼を覚まさせまいために、───ストーブを真赤に燃やして部屋を異常に煖めてあった。私は夫に弄ばれたことを、今になって考えると腹立たしくも恥かしく感じるけれども、その時はそんなことよりも頭がガンガン疼くのに堪えられなかった。夫が、───カドロノックスかルミナールかイソミタールか、何か睡眠剤だったのだろう、───水と一緒にタブレットを噛み砕いたものを口うつしに飲ましたが、頭の痛みを忘れたいので私は素直にそれを飲んだ。と、間もなく私はまた意識を失いかけ、半醒半睡の状態に入ったのだった。私が、夫ではなくて木村さんを抱いて寝ているような幻覚を見たのはそれからであった。幻覚? というと、何かぼうっと今にも消えてなくなりそうに空に浮かんでいるもののようだけれども、私が見たのはそんな生やさしいものではない。私は「抱いて寝ているような幻覚」と云ったが、「ような」ではなく、ほんとうに「抱いて寝てい」た実感が今もなお腕や腿の肌にハッキリ残っているのである。それは夫の肌に触れたのとは全く違う感覚である。私はシカとこの手をもって木村さんの若々しい腕の肉を掴み、その弾力のある胸板に壓しつけられた。何よりも木村さんの皮膚は非常に色白で、日本人の皮膚ではないような気がした。それに、………あゝ、恥かしいことだが、………よもやよもや夫はこの日記の存在を知るはずはないし、まして内容を読むわけはないと思うので書くのだけれども、………あゝ、夫がこの程度であってくれたら、………夫はどうしてこういう工合に行かないのだろう。………実に奇妙なことなのだが、私はそう思いながらそれが夢であることも、………夢といっても、一部分が現実で、一部分が夢であることを、………というのは、ほんとうは夫に犯されているのであって、夫が木村さんのように見えているのであるらしいことも、意識のどこかで感じていた。ただそれにしてはおかしいのは、あの内容の充実感だけが、………夫のものとは思われない壓覚だけが、依然として感じられているのであった。………
………もしあのクルボアジエのお蔭であのように酔うことができるのであったら、そしてあのような幻覚を感じることができるのであったら、私は何度でもあのブランデーを飲ましてほしい。私は私にああいう酔いを教えてくれた夫に感謝しなければならない。だがそれにしても、私が幻覚で見たものは、果して実際の木村さんなのであろうか。私は現実には木村さんの容貌衣服を通しての姿態を知っているだけで、まだ一遍もハダカを見たことはないのに、どうしてそれが幻覚になって出て来たのであろうか。あれは私の空想している木村さんであって、現実の木村さんとは違うのであろうか。一度私は、夢や幻覚でなく、実際に木村さんのハダカの姿を見てみたい気がする。………
一月三十日。………正午過木村カラ学校ヘ電話、「御容態ハイカガデスカ」ト云ウカラ「今朝僕ガ出カケル時マデハ寝テイタガモウ何デモナサソウダ。今夜マタ飲ミニ来テクレタマエ」ト云ッタラ、「トンデモナイ、一昨夜ノ晩ハビックリシマシタ、少シ先生モ慎ンデ下サイ。シカシトニカクオ見舞イニ参リマス」ト云ッテイタガ、午後四時ニ来タ。妻モモウ起キテ茶ノ間ニイタ。木村ハ「モウスグ失礼シマス」ト云ッタガ、「今夜ハゼヒ飲ミ直ソウヨ、マアイイマアイイ」ト僕ハ強ク引キ止メタ。妻モ傍デソレヲ聞キナガラニヤニヤシテイタ。決シテ嫌ナ顔ハシテイナカッタ。木村モ口デハソウ云イナガラソノ実腰ヲ上ゲル様子ハナカッタ。木村ハ一昨日ノ深夜、彼ガ辞去シタ後ニワレワレノ寝室ニオイテイカナル事件ガ起ッタカヲ知ルハズハナイノダガ、(僕ハ一昨夜夜ガ明ケル前ニ螢光燈ヲ二階ノ書斎ニ戻シテオイタ)、ソシテマタ、マサカ自分ガ郁子ノ幻影ノ世界ニ現ワレ、彼女ヲ陶酔セシメタヿヲ知ッテイルハズハナイノダガ、ニモカカワラズ、内心郁子ヲ酔ワセタガッテイルカノゴトキ様子ガ見エルノハ何故デアロウカ。木村ハ、郁子ガ何ヲ欲シテイルカヲ知ッテイルカノゴトクデアル。知ッテイルトスレバ、ソレハ以心伝心デアロウカ、アルイハ郁子カラ暗示サレタノデアロウカ。タダ敏子ダケハ、三人デ酒ガ始マルト必ズ嫌ナ顔ヲシテ自分ダケサッサト切リ上ゲテ出テ行ッテシマウ。………
………今夜モ妻ハ中座シテ便所ニ隠レ、ソレカラ風呂場(風呂ハ一日置キナノダガ、当分毎日沸カスヿニスルト妻ハ婆ヤニ話シテイタ。婆ヤハ通イナノデ夕方水ダケ張ッテオイテ帰リ、瓦斯ニ火ヲ付ケルノハワレワレノウチノ誰カナノダガ、今夜ハ時分ヲ見計ラッテ郁子ガ付ケタ)ヘ行ッテ倒レタ。スベテ一昨日ノ通リデアッタ。児玉氏ガ来テカンフルヲ射シタ。敏子ガ逃ゲタノモ、木村ガ適当ニ介抱シテ辞去シタノモ先夜ト同ジ。ソノ後ノ僕ノ行動モ同ジ。ソシテ最モ奇怪ナノハ、妻ノアノ譫語モ同ジ。………「木村サン」トイウ一語ガ今夜モ彼女ノ口カラ洩レタ。彼女ハ今夜モ同ジ夢、同ジ幻覚ヲ、同ジ状況ノ下ニオイテ見タ?………僕ハ彼女ニ愚弄サレテイルト解スベキナノデアロウカ。………
二月九日。………今日敏子が別居させてくれと申し出た。理由は静かに勉強したいからであると云い、幸い別居するに好都合な家があるので急にその気になったのだと云う。それは同志社で彼女がフランス語を教えて貰っていたフランスの老夫人の家で、今も敏子はその老夫人に個人教授を受けているのである。夫人の夫は日本人であるが、目下中風で臥床しており、夫人だけが同志社に教鞭を執ったり個人教授をしたりして夫を養っているのであるが、夫が発病して以来自宅では敏子以外に生徒を取らず、もっぱら出教授を主にしている。家は夫婦二人きりで、間数は廣くないけれども、夫が書斎に使っていた離れ座敷の八畳が今は不用に帰しているから、そこに寝泊りして下されば夫人も病人の夫を置いて外出するのに安心である。電話もあるし、瓦斯風呂の設備もある。敏子が借りてくれれば願ってもない仕合せであると夫人の方から話があった。ピアノを持ち込むのなら、離れ座敷の床下に煉瓦でも敷いてネダを丈夫にし、電話も切り換えができるようにし、便所や風呂場も、夫の病室を通り抜けて行くようになっていて不便であるから、離れから直接行けるように通路をつける、それも極めて簡単に僅かな費用で取りつけられる、夫人の留守中、病人の夫に電話がかかって来ることはめったにないが、あっても一切不問に附することにきめてあるから、敏子はそんなことに一々煩わされないでよいと云う、そういう条件で、部屋代も安くするそうだから、しばらくそうさしてほしいと云うのである。このところほとんど三日置きぐらいに木村さんが来てブランデーが始まり、クルボアジエはすでに二本目が空になり、そのたびごとに私が風呂場で倒れるので、敏子も愛憎が尽きたのであろう。深夜両親の寝室で時々煌々と電燈が点ったり、螢光燈ランプが輝いたりするのも、彼女は気がついて不思議に感じているに違いない。ただし全くそれだけが理由であるのか、他にも私たちに秘している理由があって別居を欲しているのであるか、そこのところは何とも云えない。「パパが何とおっしゃるかあなたが直接聞いてごらん。パパがよいとおっしゃれば私は反対しません」と答える。………
二月十四日。………木村ガ今日妻ガ台所ヘ立ッテ行ッタ留守ニ妙ナ話ヲシタ。「アメリカニポーラロイド(Polaroid)トイウ写真機ガアルノヲ御存ジデスカ」ト云ウノダッタ。ソノ写真機ハ写シタモノガ即座ニ現像サレテ出テ来ル。テレビデ相撲ノ実写ノ後デ、アナウンサーガ取リ口ノ解説ヲスル時ニ、キメ手ノ状況ガ早クモスチル写真ニ撮ラレテ出テ来ルノハポーラロイドヲ使ッテ写スノデアル。操作ハ極メテ簡単デ、普通ノ写真機ト変リハナク、携帯ニモ便利デアル。ストロボノフラッシュヲ用イレバ露出時間モ長キヲ要シナイカラ、三脚ヲ使ワナイデ写セル。目下ノトコロ好事ノ士ガ稀ニ用イルノミデ一般ニ普及シテイナイガ、普通ノ手札型ノロールフィルムニ印画紙ガ重ネテアルモノデ、容易ニ日本デハ手ニ入ラズ、一々アメリカカラ取リ寄セルノデアル。トコロデ木村ノ友人ニソノ機械トフィルムヲ持ッテイル人ガアルノダガ、「オ入リ用ナラ借リテ来テモヨロシュウゴザイマス」ト云ウノダッタ。ソウ云ワレテ僕ハ直チニ一ツノ着想ヲ思イツイタガ、シカシ、僕ニソウイウ機械ノアルヿヲ教エタラ僕ガ喜ブデアロウトイウヿヲ、ドウシテ木村ハ察シタノデアロウカ、ソレガ不思議ダ。彼ハヨクヨクワレワレ夫婦ノ間ノ秘密ヲ知ッテイルモノト思ワナケレバナラナイ。………
二月十六日。………先刻、午後四時頃、ちょっと気になる出来事があった。私は日記帳を茶の間の押入の用箪笥の抽出(私以外には用のない、誰も手を触れることのない抽出)の、臍の緒書だの父母の古手紙だのの重ねてある一番下に突っ込んでおいて、なるべく夫の外出の隙を狙って書くようにしているのだが、忘れないうちに書いておきたいこともあるし、急に書きたい衝動に駆られることもあるので、夫の外出を待っていられず、彼が書斎に閉じ籠っている時にも書く。書斎はこの茶の間の真上にあるので、音は聞えて来ないけれども、夫が今何をしつつあるか、書見をしているか、書き物をしているか、彼は彼で日記をつけているか、それともボンヤリ考えごとをしているか等々のことは、おおよそ私に察知できるような気がするのだが、それは恐らく夫の方も同様であろう。書斎はいつもシーンとして静かなのだけれども、しかし時々、夫が俄然息を詰めて階下の茶の間に注意を凝らし始めたらしく思われる、或る特別にシーンとしてしまう───ような気がする───瞬間がある。私が二階を意識しながら密かに日記帳を取り出して筆を執りつつある時に、ややもするとそういう瞬間が訪れるのであるが、それは私の気のせいばかりでもあるまい。私は音を立てないようにするために、西洋紙にペン字で書くことを避け、かように柔かい薄い雁皮紙を袋綴じにした小型の和装の帳面を作り、それへ毛筆の細字でしたためているのだが、さっきは私としてついぞないことに、書く方に興が乗り過ぎて、ほんの一二秒の間二階への注意を怠っていた。と、その時故意か偶然か、夫が音もなく便所へ下りて来て、茶の間の前を素通りして、用を済ますとまたすぐ二階へ上って行った。「音もなく」というのは、私が主観的にそう感じたので、夫は多分用便をする以外に他意はなかったのであろう。夫としては足音を忍ばしたわけではなく、全く普通の歩き方で階段を下りて来たのを、たまたま私が注意を外らしていたために聞くべき音を聞き損ったのであろう。とにかく私は夫が階段を下り切った時に始めて足音に心づいた。私は食卓に靠れて書いていたのだが、慌てて日記帳と矢立(私はこういう場合に備えて硯を用いず、矢立を用いている。それは父の遺品で、唐木で作った、中国製のものらしい骨董的価値のある矢立である)を卓の下に隠したので、現場は見られないで済んだが、帳面を慌てて隠す時に雁皮の紙を揉みくしゃにしたので、ひょっとしたら、あの紙に特有なぴらぴらした音が聞えはしなかったかと思う。いや、聞えたに違いないと思う。そして、あの音を聞けば雁皮を想像するに違いないし、そうすればそれを私が何の目的で使っているかを、推知したのではあるまいかと思う。私は今後用心しなければいけないが、夫に日記帳の存在を嗅ぎつかれたとすれば、どうしたらよいか。今さら隠し場所を変えたところで、この狭い室内のどこへ隠しても発見されずに済むはずはない。唯一の方法は、夫の在宅中は私も努めて家を空けないようにすることである。私は近頃頭の重い日がつづくので、以前のように頻繁に外出することはなく、錦への買い出しも大概敏子か婆やに任せているのだが、実は木村さんに、朝日会館で「赤と黒」を上映しているのを見に行きませんかと、この間から誘われているのである。行きたいことは行きたいが、何かそれまでに対抗策を考えておく必要がある。………
二月十八日。………昨夜デ僕ハ、妻ノ「木村サン」トイウ語ヲ耳ニスルヿガ四回ニ及ンダ。モハヤアノ譫語ハ、譫語ヲ装ッテイルノデアルヿヲ疑ウ餘地ガナクナッタ。トスルト、何ノ目的デサヨウナヿヲスルノデアロウカ。「私ハホントウハ睡ッテイルノデハナイ、睡ッタフリヲシテイルノデスヨ」トイウヿヲ分ラセテイルノデアルトシテモ、ソレハ、「私ハセメテ相手ヲアナタト思イタクナイノデス、木村サンダト思イタイノデス、ソウシナケレバ感興ガ湧イテ来ナイノダカラ、結局ハソレガアナタノタメデモアリマス」トイウ意味ナノカ、「コレモヤハリアナタヲ嫉妬サセテ刺戟ヲ与エル手段ナノデス。私ハドンナ場合デモ常ニ夫ニ忠実ナル妻デアル以外ノ何者デモアリマセン」トイウ意味ナノカ。………
………敏子ガ今日イヨイヨ別居ヲ決行スルヿニナッテ、マダム岡田ノ家ニ引キ移ッタ。風呂場ト離レ屋トヲ廊下デツナゲルノト、ピアノノ床下ニ煉瓦ヲ積ム工事ハアラカタ終ッタガ、電話ノ切リ換エガマダデアルシ、今日ハ赤口デ日ガ悪イカラ二十一日ノ大安マデ待チナサイト昨日郁子ハ云ッテイタガ、敏子ハ構ワズ行ッテシマッタ。ピアノダケハ運搬ノ都合デ二三日後レルガ、他ノ荷物ハ木村ガ手伝イニ来テ大体運ンダ。(昨夜ノ今日デ郁子ハ例ニヨリ今朝ハマダ昏睡シテイタ。夕方ニナッテヨウヤク起キタノデ引ッ越シノ手伝イハセズニシマッタ)場所ハ田中関田町デアルカラ、ココカラ歩イテ五六分ノ所ダ。木村ガ間借リシテイルノモ百万遍ノ近所デ田中門前町デアルカラ、コノ方ハ関田町ニ一層近イ。木村ハ手伝イニ来タツイデニ、「ヨロシュウゴザイマスカ」ト階段ノ途中カラ声ヲカケテ上ッテ来テ書斎ニハイリ、「オ約束ノ品ヲ持ッテ来マシタ」トポーラロイドヲ置イテ行ッタ。
二月十九日。………敏子の心理状態が私には掴めない。彼女は母を愛しているようでもあり憎んでいるようでもある。だが少くとも、彼女が父を憎んでいることは間違いない。彼女は父母の閨房関係を誤解し、生来淫蕩な体質の持主であるのは父であって、母ではないと思っているらしい。母は生れつき繊弱なたちで過度の房事には堪えられないのに、父が無理やりに云うことを聴かせ、常軌を逸した、よほど不思議な、アクドイ遊戯に耽るので、心にもなく母はそれに引きずられているのだと思っているらしい。(ほんとうを云うと、私が彼女にそう思わせるように仕向けたのである)昨日彼女は最後の荷物を取りに来て寝室へ挨拶に見えた時に、「ママはパパに殺されるわよ」とたった一言警告を発して行った。私同様沈黙主義の彼女にしては珍しいことだ。彼女は私の胸部疾患が、こんなことから悪化して本物になりはしないかを、ひそかに心配しているらしくもあるのだが、そうしてそれゆえに父を憎んでいるらしいのだが、でもその警告の云い方が妙に私には意地の悪い、毒と嘲りを含んだ語のように聞えた。娘の身として母を案じる暖かい気持から云っているようには受け取れなかった。彼女の心の奥底には、自分の方が母より二十年も若いにかかわらず、容貌姿態の点において自分が母に劣っているというコンプレックスがあるのではないか。彼女は最初から木村さんは嫌いだと云っていたが、母───ジェームス・スチュアート───木村さん───という風に気を廻して、ことさら彼を嫌っているらしく装っているので、本心は反対なのではないか。そして内々私に敵意を抱きつつあるのではないか。
………私はできるだけ家を空けないことにしているけれども、いつどんな事情で外出の必要に迫られることがあるかも知れず、夫も授業中であるべき時刻に突然帰宅することがないとも限らず、いかに日記帳を処置しておくべきかについて種々考えた。隠しても無駄であるとすれば、私の留守に夫が果してあの内容を盗み読みしたかどうかを、せめて確かめる方法だけは講じておきたい。せめて私は、夫が内証で私の日記帳に眼を通したかどうかを、知るだけは知りたい。私は何か日記帳に目印をつけておく。夫が内証で中を覗いたか否かは目印を見れば分るようにしておく。その目印は私にだけ分って、彼には分らないようなものであれば一層よい。───いや、彼にも分るようなものの方がかえってよいのではあるまいか。彼が、自分が盗み読みしていることを妻に知られたと悟れば、以後盗み読みすることを慎しむ結果になりはしまいか。(どうだか怪しいものだけれども)───が、いずれにしてもそういう目印を考えることは容易でない。一回は成功するかも知れないが、たびたび同じ方法を用いれば裏を掻かれる恐れがある。たとえば爪楊枝を何ページ目かに挟んでおいて、開けるとパラリと落ちるようにしておく。一回は巧く行くとして、二回目からは夫はその爪楊枝を落さないように取り扱い、それが何ページ目に挟んであるかを勘定して、もとの通りに戻しておくであろう。(夫はそういう点は実に陰険なのである)そうかといって一回々々新しい方法を案出することは不可能に近い。私はいろいろ考えて、試みにスコッチ印のセロファンテープの六〇〇番を適当の長さ(測ってみたら五センチ三ミリあった)に切り、帳面の表紙の或る一箇所を選んで、表と裏とをそのテープで封じてみた。(その位置は天から八センチ二ミリ、地から七センチ五ミリの所であったが、テープの長さや貼る位置はそのつど少しずつ変える必要がある)こうすると、中を読むためにはテープを一度剥がさなければならない。一度剥がして、また新しいテープを同じ長さに切り、同じ位置に正確に貼っておくということは、理論上できなくはないにしても、実際にはとても面倒で煩瑣で、できるものではない。それにテープを剥がし取る時に、どんなに注意深くしても周囲の表紙の表面に擦過した痕を残すことになる。好都合にも私の日記帳の表紙は、ももけやすい奉書に胡粉を塗ったような紙なので、テープを剥がすと、それと一緒に周囲の表面がところどころ二三ミリぐらい剥ぎ取られて行く。この方法を用いると、夫は絶対に、痕跡を残すことなく内容を読むことはできない。………
二月二十四日。………敏子ノ別居以来、木村ハ遊ビニ来ル表向キノ口実ガナクナッタワケダケレドモ、相変ラズ二三日置キニ来ル。僕ノ方カラモ電話ヲカケル。(敏子モ日ニ一度ハ顔ヲ見セルラシイガ長クハイナイ)ポーラロイドハスデニ二晩使用シタ。写真ハ全裸体ノ正面ト背面、各部分ノ詳細図、イロイロナ形状ニ四肢ヲ歪曲サセ彎屈サセ、折ッタリ伸バシタリシテ最モ蠱惑的ナル角度カラ撮ッタ。僕ガコレラヲ撮ッタ目的ハ何ニアルカトイウト、第一ハ撮ルヿ自体ニ興味ヲ感ジタカラダ。寝テイル(モシクハ寝テイルフリヲシテイル)女体ヲ自由ニ動カシテ種々ナ姿態ヲ作ッテミルヿニ愉悦ヲ覚エタカラダ。第二ノ目的ハ、コレラヲ僕ノ日記帳ニ貼付シテオクヿダ。ソウスレバ妻ハ必ズコレラノ写真ヲ見ルニ違イナイ。ソウスレバ彼女ハ今マデ彼女自身気ガツカナイデイタ部分ノ彼女ノ姿態ノ美ヲ発見シ、ソシテ驚クニ違イナイ。第三ノ目的ハ、ソウスレバ彼女モ、僕ガイカニ彼女ノ裸体ヲ見タガッテイルカノ理由ヲ解シ、僕ニ同感───ムシロ感激スルデモアロウカラダ。(本年五十六歳ノ夫ガ四十五歳ノ妻ノ裸体ニカクモ憧レルトイウヿハ希有ノヿダ。ソレヲ考エテミルガヨイ)第四ノ目的ハ、ソウスルヿニヨッテ彼女ヲ極度ニ辱カシメ、彼女ガドコマデシラヲ切ッテイラレルカヲ試シテヤリタイノダ。コノ写真機ハレンズガ暗ク、レンジ・ファインダーガ付イテイナイノデ、目測デ写サナケレバナラズ、僕ノヨウナ未熟ナモノガ撮ッタノデハピンボケニナリヤスイ。ソレニ、ポーラロイド用ノフィルムモ最近ハ非常ニ感光度ノ優レタモノガ出テイルソウダケレドモ、日本デハチョット入手困難ダソウデ、木村ノ持ッテ来タモノハ期限ノ切レタ古フィルムデアルカラ、ヨイ結果ガ得ラレルハズハナイ。一々フラッシュヲ用イナケレバナラナイヿモ厄介デ不便ダ。コノ機械デハ僕ハワズカニ第一ト第四ノ目的ヲ満足サセ得ルニ過ギナイノデ、マダ今ノトコロ貼付スルヿヲ見合ワセテイル。………
二月二十七日。日曜だというのに、木村さんが朝九時半に「赤と黒」を見に行きませんかと云ってやって来た。今は大学志望の学生たちが入学試験の準備に追われているので、教師たちも相当忙しい。三月になればかえっていくらか暇になるが今月は週に何回か学校に残って、補習授業をしてやらなければならない。宿に帰ってからも、時々学校以外の学生で、特に木村さんに指導を仰ぎに来る者もある。木村さんは勘がよくて、ヤマを当てることが名人で、木村さんがここと思ったところはきっと試験に出るのだという。彼のそういう勘のよさは私にも分るような気がする。学問のことはどうか知れないが、勘では私の夫なんかとても木村さんの足元にも及びそうもない。………そんなわけで、今月は日曜だけが一番ゆっくりできるのだそうだが、日曜は夫が朝から家にいるので、私の外出には都合が悪い。木村さんは来がけに敏子に声をかけて来たので、敏子も後から誘いに来た。「自分は一緒に行きたくはないのだが、二人では工合が悪いだろうから、ママのために犠牲になって附き合って上げる」といったような顔をしている。「日曜は朝早く行かないと席がありませんからね」と木村さんは云う。「己は一日家にいるよ。構わないから行って来なさい、『赤と黒』は見たいと云っていたじゃないか」と夫が傍からしきりにすすめる。夫のすすめる理由は分るが、こういう場合のことも考えておいたのであるから、三人で出かけることにした。十時半に入場し、午後一時過ぎ退場。昼の食事に寄るように云ったけれども二人とも宿へ帰った。夫は一日家にいると云ったくせに、私が戻ると入れ違いに三時頃から夕方まで散歩に出かけて帰らなかった。私は夫が留守になると早速日記帳を取り出してみた。セロファンテープは大体元の位置に貼ってあった。表紙も一見擦り切れた痕がなかった。が、拡大鏡をあてて見ると、微かに二三箇所疵のあること(よほど注意深く剥がしたとみえる)が蔽い隠すべくもなかった。私は二段構えをして、テープの外に、内部にも何枚目ということを数えて小楊枝を挟んでおいたが、それも前と違った場所になっていた。今は夫がこの日記帳を盗み読みしたことは疑いない。すると私は、今後日記を附けることを継続すべきであろうか中止すべきであろうか。私は自分の胸中を他人に語ることを欲しないがゆえに、自分自身にだけ語って聞かせるのが目的で日記をつけ始めたのであるが、今や他人に読まれていることが明らかになった以上、中止すべきであるようにも思うけれども、他人というのが夫であり、表面はどこまでも互いに見ない建て前になっているのであるから、やはり継続してしかるべきであるように思う。つまりこれからは、こういう方法で、間接に夫にものを云うのである。直接には恥かしくて云えないことも、この方法でなら云える。しかしくれぐれも、夫が内証で読むことは仕方がないとして、決して読んだということを露骨に云わないで貰いたい。もっとも彼は読んでも読まないふりをする人だから、そんなことを断る必要はないかも知れない。次に、夫はどうであろうとも、私は決して夫の日記帳を読んでいないことを信じてほしい。私が至って舊式な、かりにも他人の手記などを盗み読むことのできるような育ち方をした女でないことは、誰よりも夫がよく知っている。私は夫の日記帳のありかを知っており、時にはそれにそっと手を触れたこともあり、稀には中を開けて見たことさえもないではないが、文字は一字も読んだことはない。それは本当のことなのである。………
二月二十七日。………ヤッパリ推察通リダッタ。妻ハ日記ヲツケテイタノダ。僕ハ今日マデワザトコノヿヲ日記ニ書カズニイタノダガ、実ハ数日前ニウスウス気ガ付イタノダッタ。先日ノ午後、便所ヘ下リテ茶ノ間ノ前ヲ通ッタ〓(トキ)ニ、中硝子ノ中ヲ覗クト妻ガ不安定ナ姿勢デ食卓ニ靠レテイタ。ソノ前ニ僕ハ、雁皮ノヨウナ紙ガ急ニクシャクシャト揉ミクシャニサレル音ヲ聞イタ。ソレモ一枚ヤ二枚デハナイ。恐ラク一冊ニ綴ジタ厚味ノアルモノガ慌テテ荒々シク座布団ノ下カ何カヘ押シ隠サレル音デアッタ。僕ノ家庭デ雁皮ヲ使ウヿハメッタニナイ。僕ハ妻ガ、嵩張ラナイデ音ノシナイアノ紙ヲ何ノ用途ニ使ッテイルカヲ直チニ想像スルヿガデキタ。デモ今日マデハソレヲ確カメル機会ガナカッタガ、今日彼女ガ映画ヲ見ニ出カケタ間ニ茶ノ間ヲ捜シテ、容易ニ探リアテルヿヲ得タ。トコロガ何ト驚イタヿニハ、早クモ僕ニ嗅ギツカレルヿヲ豫想シテ、セロファンテープデ封ジテアルノダ。馬鹿ナヿヲスル女デアル。彼女ノ疑イ深イノニハ呆レル。僕ハ女房ノ日記トイエドモ、無断デ読ムヨウナヿヲスル卑劣漢デハナイ。ガ、ツイ意地悪ナ気持ガ起ッテ、テープヲ上手ニ痕跡ヲトドメルヿナク剥ガスヿガデキルカドウカヲ試シテミタ。僕ハ彼女ニ、「テープデハ駄目ダゾ、コンナモノデハ知ラナイウチニ盗ミ読ミサレルゾ、モットホカノ方法ヲ考エロ」ト注意シテヤリタクナッタノダ。結果ハシカシ失敗ダッタ。サスガニ彼女ノ計画ノ綿密ナノニハ恐レ入ッタ。僕ハ随分注意深ク剥ガシ取ッタツモリデアッタガ、表紙ニ痕ヲツケテシマッタ。結局アレヲ彼女ニ悟ラレルヿナシニ剥ガスヿハ不可能デアルヿガ分ッタ。テープノ寸法モ測ッテアッタニ違イナイト思ウガ、ウッカリ丸メテシマッタノデ調ベルヿガデキナイ。目分量デ同ジクライノ寸法ノテープデマタ封ヲシテオイタ。彼女ガ心付カズニイルハズハナイ。シカシクレグレモ断ッテオクガ、僕ハ封ハ切ッタケレドモ、───中ヲ開イテハ見タケレドモ、文字ハ一字モ読ミハシナイ。アンナ細字デ書イテアルモノヲ近眼ノ僕ガ読ムノハツライ。ソレハ信ジテ貰イタイ。モットモ、僕ガ読マナイト云エバ云ウホド反対ニ「読ンダ」ト思ウノガ彼女ナノダ。読マナイデモ読ンダト思ワレルクライナラ読ンダ方ガヨイヨウナモノダガ、ソレデモ僕ハ断ジテ読マナイ。僕ハ実ハ、彼女ガ日記ニ、木村ニ対スル心持ヲドンナ風ニ告白シテイルカ、ソレヲ知ルノガ恐ロシイノダ。郁子ヨ、願ワクバ日記ニソレヲ書カナイデクレ。僕ハ盗ミ読ミハシナイケレドモ、ソレニシテモ本当ノヿハ書カナイデオイテクレ。譃デモ、木村ハ刺戟剤トシテ利用シテイルニ過ギズ、ソレ以上ノ何者デモナイトシテオイテクレ。………
今朝木村ガ郁子ヲ映画ニ誘イ出シニ来タノハ、カネテ僕ガ頼ンデオイタカラダ。僕ハ、「コノゴロ僕ノ在宅ノ時ニ妻ガ外出シテイルヿガ少ナイ。用事ハスベテ婆ヤニ云イツケテイル。ドウモ変ダト思ウヿガアルカラ彼女ヲ連レ出シテ二三時間過シテ来テクレ」ト云ッタカラダ。敏子モ一緒ニツイテ行ッタノハ、今マデノ慣例ニヨッタノダロウガ、ソレニシテモ彼女ノ気持ヲ解スルニ苦シム。敏子ハ母親ニ似テ母親以上ニ複雑ナトコロガアル。思ウニ彼女ハ、世間ノ多クノ父親ト違イ、僕ガ彼女ヨリモ彼女ノ母ヲ熱狂的ニ愛シテイルラシイノニ憤懣ヲ感ジテイルノデハナイカ。モシソウナラバソレハ誤リデ、僕ハ彼女ラヲ同等ニ愛シテイルノデアル。タダ愛シカタガ全然違ウダケナノデアル。イカナル父親モ、自分ノ娘ヲファナチックニ愛スル奴ハイナイ。イツカコノヿハ敏子ニ説明シテヤラネバナラナイ。………今夜ハ敏子ノ別居後始メテ、四人デ夕食ノ卓ヲ囲ンダ。敏子ハ先ニ去リ、妻ハブランデーノ後例ノゴトクニナッタ。夜オソク木村ガ去ル〓(トキ)僕ハポーラロイドヲ返シタ。「現像ノ面倒ガナイトイウ長所ハアルケレドモ、フラッシュヲ用イルノガ手数デアルシ、ヤハリ普通ノ機械ノ方ガ撮リヨイネ。家ニアルツワイス・イコンヲ使ッテ写シテミヨウカト思ウ」ト云ッタラ、「現像ハ外ヘオ出シニナルノデスカ」ト彼ガ聞イタ。僕ハソノヿヲ種々考エテイタノダガ、「君ガ自宅デ現像シテクレルワケニハ行カナイダロウカ」ト云ッタラ、木村ハチョット困ッタ顔ヲシテ、「オ宅デ現像ナスッタライカガデス」ト云ウ。「君ハ僕ガ何ノ写真ヲ撮ルノデアルカ分ッテイルダロウネ」ト云ッタラ、「ヨクハ存ジマセンケレドモ」ト云ウ。「人ニ見ラレテハ困ル写真ダガ、僕ガ自宅デ現像スルノハ工合ガ悪イ。引キ伸バシモシタイト思ウノダガ、家ニハ暗室ヲ作ルニ適当ナ場所モナイ。君ノ今イル宿ニ作ルヿハデキナイダロウカ。君ニダケハ見ラレテモ仕方ガナイ」ト云ッタラ、「場所ハナイヿモアリマセン、宿ノ主人ニ話シテ見マショウ」ト云ウ。………
二月二十八日。………朝八時、妻ガマダ昏睡中ニ木村ガ来タ。登校ノ途中ニ寄ッタノダト云ウ。僕モマダ寝床ニイタガ、彼ノ声ガスルノデ起キテ茶ノ間ニハイルト、「先生、オーケーデス」ト云ウ。何ノヿカト思ッタラ、暗室ノヿデアッタ。彼ノ宿デハ近頃風呂ヲ立テナイノデ、風呂場ガ空イテイルカラ、アスコヲ使ッテモ構ワナイ、アスコナラ水道モジャンジャン使エルト云ウ。早速ソノ手配ヲシテ貰ウヿニシタ。………
三月三日。………木村ハ試験デ忙シイトイウノニ、僕以上ニ熱心デアル。………昨夜僕ハ長イコト使ッタヿノナカッタイコンヲ取リ出シテ、三十六枚ノフィルムヲ一夜ニ全部写シテシマッタ。木村ハ今日マタ何気ナイ様子デヤッテ来タ。ソシテ「ヨロシュウゴザイマスカ」ト書斎ニハイッテ来テ僕ノ顔色ヲ見ルノデアッタ。正直ヲ云ウト、僕ハコノ現像ヲ木村ニ委嘱スベキデアルカ否カニツイテ、ソノ時マデナオ決シカネルトコロガアッタ。彼ハ郁子ノ裸ノ姿態ヲスデニタビタビ見テイルノデアルカラ、他人ニ委嘱スルトスレバ彼ヲ措イテ他ニナイ。ガ、彼トイエドモ瞬間的ニ部分々々ヲチラリチラリト見テイルニ過ギズ、様々ナ角度カラ蠱惑的ナ姿勢ノトコロヲシミジミト眺メタヿハナイノデアル。ソウイウ彼ニ委嘱スルヿハ、彼ヲアマリニ刺戟スルヿニナリハシナイカ。彼ガソコマデデ蹈ミトドマッテクレレバヨイガ、ソレ以上ノヿガ起ル懸念ガアリハシナイカ。ソウナッタ時ニ、ソレヲ挑発シタ者ハ誰デモナイ僕デアッタトスルト、責メラレテヨイノハ僕ノミデアル。彼ニ責任ハナイヿニナル。トコロデマタ、妻ガソノ写真ヲ見セラレタ場合ノヿモ考エテミル必要ガアル。マズ何ヨリモ、彼女ハ夫ガ自分ノ知ラヌ間ニソンナ写真ヲ撮リ、シカモソレヲ他人ニ現像サセタヿヲ憤ル───アルイハ憤ル真似ヲスル───ヿハ確カデアル。次ニ、彼女ハ自分ノ恥カシイ姿ヲ木村ニ見ラレテシマッタ以上、───シカモ夫ガソレヲサセタノデアル以上、自分ハ木村ト不義ヲスルヿヲ夫ニ許サレタモ同然デアルト考エルニ至ルカモ知レナイ。因果ナヿニ、僕ハソコマデ想像スルトイヨイヨタマラナイ嫉妬ヲ感ジ、ソノ嫉妬ノ快感ノユエニアエテソノ危険ヲ冒シテミタクナルノデアッタ。僕ハ意ヲ決シテ木村ニ云ッタ、「デハコレノ現像ヲ頼ム、絶対ニ誰ニモ見セナイデスベテヲ君自身デシテクレタマエ。現像シタノヲ一往見セテ貰ッタ上デ、中カラ面白イモノヲ選ンデ手札型ニ引キ伸バシテ貰ウ」ト。木村ハ内心ハナハダシク興奮シテイタニ違イナイガ、「ハア」ト云ッテ努メテ無表情ヲ装ッテ、諒承シテ去ッタ。………
三月七日。………今日また書斎の書棚の前に鍵が落ちていた。今年になって二度目である。この前は正月四日の朝であった。夫の留守に掃除にはいったら、水仙の活けてある一輪揷しの前に落ちていた。今朝は臘梅の花が萎んでいるのに心づいて、侘助椿に活けかえようと思って行ったら、あの時と同じ所にあの鍵が落ちていた。これはわけがあるなと思って抽出を開け、夫の日記帳を取り出してみたら、何と、私がしたのと同じようにテープで封がしてあった。これは夫が、「ぜひ開けてみろ」ということをわざと反対に云っているのだ。夫の日記帳は普通に学生が使うノートブックで、表紙はツルツルの厚い西洋紙であるから、私のよりは剥がしやすいように見えた。私はこのテープを、巧く痕跡を留めないように剥がすことができるかどうかを試してみたい好奇心だけに駆られて、───全くただその好奇心のみで、───剥がしてみた。ところが、いくら上手に剥がしてもやはり微かながら痕跡が残る。あんなツルツルの硬い紙でも、どうしても多少の疵がつく。テープの貼られた所だけに型が残るのならよいが、剥がす拍子に周囲に疵がひろがるので、誰かが開けたことは蔽い隠しようもない。私は新しいテープをまた貼っておいたけれども、夫は当然それに心づいて、私が中を盗み読みしたと思うことは疑いない。しかし私は幾度も云う通り、内容は一字も読んでいないことを神かけて誓う。夫は私が猥談を聴くのを嫌がるので、ああいう形で私に話しかけたいのが本意なのかも知れないと思うが、それゆえにこそなおさら私は読むのを厭わしく、汚らわしくさえ思う。私は夫の日記帳を急いでさっと開けてみて、厚みがどのくらいに達したかを測る。それももちろん好奇心からである。私は眼をもって、夫のあの非常に線の細い、神経質なペン字が性急に走っているページ面を、蟻が這うのを見るように見るだけですぐページを伏せる。が、今日はページ面に何か猥褻な写真らしいものが何枚も貼ってあるのに気がついた。私は慌てて眼を閉じ、いつもより一層急いでページを伏せた。一体あれは何だったのだろう。あんな写真をどこから持って来、何の目的で貼ったのだろう。………私に見せるのが目的なのではあるまいか。あの写真に写されている人物は誰なのだろう。突然私に、或るはなはだ厭わしい想像が浮かんだ。この間じゅう、夜中私は夢の中で、時々室内がにわかにパッと明るくなったような感じを抱いたことが一二度あった。当時私は、誰かがフラッシュを用いて私を撮影しつつあるような幻影を見ているのだと思っていた。その「誰か」は、夫であるような気もしたし、木村さんであるような気もしたこともあった。しかし今考えると、あれは夢や幻影ではなかったのかも知れない。事実は夫が───まさか木村さんであるはずはない、───私を写していたのかも知れない。そういえばいつぞや、「お前はお前自身の体がどんなに立派で美しいかということを知らずにいる。一度写真に撮って見せてやりたいね」と云っていたことがあったのを思い出す。そうだ、きっとあの写真は私を撮ったものなのだ。………
………私はときどき昏睡中に、自分が裸体にされることをボンヤリ感じている。今まではそれも自分の妄想ではないかと思っていたけれども、もしあの写真が私のものであるとすれば、やはり事実だったのである。しかし私は、自分が眼覚めている時には許すわけに行かないけれども、知らないうちに写されるのなら許しても差支えないと思う。浅ましい趣味ではあるけれども、夫は私の裸体を見ることが好きなのであるから、せめて夫に忠実な妻の勤めとして、知らないうちにハダカにされることぐらいは忍耐しなければいけないと思う。これが封建時代の貞淑な女房であったら、妻が夫の命に服するのである以上、どんなに忌まわしいイヤらしいことであっても、進んで云いつけに従ったであろうし、従わなければならなかったであろう。まして私の夫は、そういう気狂いじみた遊戯によって刺戟を受けるのでなければ、私を満足させるような行為をなし得ないのであるとすればなおさらである。私は義務を果たしているのみではない。一面私は、貞淑で柔順なる妻であることの代償として、私の限りなく旺盛なる淫慾を充たさして貰っているのである。それにしても夫は、何故私を裸体にするだけで足れりとせず、それを写真に撮った上、恐らくは私に示すのが目的で、その写真を引き伸ばして帳面に貼ったりするのであろうか。極度の淫乱と極度のハニカミとが一つ心に同居している私であることを、最もよく承知している夫ではないか。そうしてまた、夫はあの引き伸ばしを誰に依頼したのであるか。ああいうものを他人の眼に触れさせてまで、そんなことをする必要がどこにあったのであるか。それは私に対する単なるイタズラか、それとも何か意味のあることなのか。いつも私の「お上品趣味」を冷やかしている夫として、私のつまらないハニカミ癖を矯正してやろうという意図なのか。………
三月十日。………コンナヿヲココニ書イテヨイカ悪イカ、妻ガコレヲ読ンダ場合ニドンナ結果ニナルカ疑問ダガ、僕ハ白状スルト、コノ間カラ心身ニ或ル種ノ異状ヲ来タシツツアル───ヨウナ気ガシテイル。「気ガシテイル」トイウノハ、ソレガソンナニ大シタヿデモナイノイローゼニ過ギナイヨウニモ思エルカラダ。本来僕ハ必ズシモアノ方ノ精力ガ常人ニ劣ッテイタワケデハナイ。ダガ中年以後、妻ノ度ハズレテ旺盛ナ請求ニ応ズル必要ガアッタタメニ、早期ニ精力ヲ消耗シ尽シ、今日デハアノ方面ノ慾望ガハナハダ微弱ニナッテシマッタ。イヤ、慾望ハ大イニアルノダガ、ソレヲ裏付ケル体力ガ缺ケテシマッタトイッタ方ガヨイ。ソコデイロイロ不自然ナ、無理ナ方法デ強イテ感情ニ刺戟ヲ与エ、辛ウジテアノ病的ニ絶倫ナ妻ニ対抗シテイル次第ダガ、コンナヿガ果シテイツマデ続クデアロウカト、僕ハトキドキ恐ロシクナル。以前、コノ十年間グライハ、僕ハ常ニ妻ノ攻撃ニ壓倒サレツヅケテイタ意気地ナシノ夫デアッタノニ、最近ノ僕ハソウデモナイ。今年ニナッテニワカニ木村トイウ刺戟剤ヲ利用スルヿヲ覚エ、ブランデートイウ妙薬ヲ見ツケ出シタオ蔭デ、目下ノトコロ、僕ハ自分ニモ不思議ナクライ旺盛ナ慾望ニ駈ラレテイル。ソノ上僕ハ精力ノ補給ヲスルタメニ相馬博士ニ相談シ、大体月ニ一回男性ホルモンノデポヲ用イテイルノダガ、ソレダケデハマダ不足ナ気ガシ、脳下垂体前葉ホルモンノ五百単位ヲ三日カ四日オキニ注射シテイル。(コレハ相馬氏ニハ内証デ、自分デ施シテイルノデアル)シカシ自分ガ珍シクモカヨウニ旺盛ナ状態ヲ維持シ得テイルノハ、恐ラク薬剤ノ利キメヨリモ主トシテ精神的興奮ノシカラシメルトコロデアルニ違イナイ。嫉妬ガ醸ス激シイ情熱、妻ノ全裸体ヲ思ウ存分見ルヿニヨッテ加速度的ニ促進サレル性ノ衝動、ソウイウモノガトドマルトコロヲ知ラヌマデニ僕ヲ狂気ニ導イテイルノデアル。サシアタリハ妻ヨリモ僕ノ方ガハルカニ淫蕩ナ男ニナッタ。僕ハ夜ナ夜ナ、自分ガカツテ夢ニダモ想像シタヿノナカッタ法悦境ニ浸リツツアルノヲ思ッテ、自分ノ幸福ヲ感謝シナイデハイラレナイガ、同時ニマタ、コンナ幸福ガイツマデツヅクハズハナイ、イツカハ報復ガ来ルノデアル、自分ハ刻々ニ命ヲ削リツツアルノデアル、トイウ豫感モシテイル。イヤ、現ニソノ報復ノ前触レデハアルマイカト思ワレル現象ガ、精神ト肉体トノ両方面ニ、スデニ二三ニトドマラズ発生シツツアルノヲ感ジル。コノ間、先週ノ月曜日ノ朝、木村ガ登校ノ途中ダトイッテ立チ寄ッタ日ノ朝デアッタ、僕ハ木村ガ来タノデベッドカラ起キ上ッテ茶ノ間ヘ行コウトシタノデアッタガ、ソノ時奇怪ナヿガ起ッタ。起キタトタンニソノ辺ニアルスベテノ物象ガ、ストーブノ煙突、障子、襖、欄間、柱等々ノ線ガ、カスカニ二重ニナッテ見エタ。ソロソロ年ノセイデ眼ガ霞ムヨウニナッタノカト思ッテ、一生懸命眼ヲ擦ッテミタガ、ソウデハナイラシイ。何カ視覚ニ異状ナ変化ガ起ッタノデアルラシイ。今マデニモ、夏ニナルト脳貧血ヲ起シテ軽イ眩暈ヲ感ズルヿハ時々アッタガ、ソウイウモノトハ明ラカニ違ウ。眩暈ナラ大概二三分間デ平常ニ復スルノダガ、イツマデタッテモ物ガ二重ニ見エルノデアル。障子ノ桟、便所ヤ風呂場ノタイルノ目地、ソレラガスベテ二重ニ見エ、カツ少シズツ歪ンデ見エル。ソノ重ナリ工合ヤ歪ミ工合ハゴク僅カデ、動作ニ不便ヲ感ズルホドノコトハナク、人ニ気付カレルコトモナイノデ、今日マデソノママニシテイルガ、アノ日カラズット、今モソノ状態ガツヅイテイル。不便ヤ苦痛ハナイトイウモノノ、何トナク気味ガ悪イヿハ否定デキナイ。眼科ヘ行ッテ診テ貰オウトハ思ッテイルガ、単ニ眼ダケノ故障デナク、モット致命的ナトコロニ病源ガアルヨウナ気ガシテ、行クノガ恐クモアル。ソレニ、コレハ多分半分以上神経ノ所業ダト思ウケレドモ、トキドキ体ガ急ニフラフラトシテ平衡ヲ失イ、右カ左カ、ドチラカヘ倒レソウニナルヿガアル。平衡感覚ヲツカサドル神経ハドコヲ通ッテイルノカ知レナイガ、イツモ後頭部ノトコロ、チョウド脊髄ノ真上ノトコロニ空洞ガ生ジタヨウナ感ジガシ、ソコヲ中心ニ体ガ一方ヘ傾クノデアル。コンナヿハノイローゼ的現象ダト思エバ思エルノデアルガ、昨日モウ一ツ不思議ナヿガ起ッタ。午後三時頃、木村ニ電話ヲカケヨウトシタラ、毎日ノヨウニカケテイル彼ノ学校ノ電話番号ガドウシテモ浮カンデ来ナイ。度忘レトイウヿハアルガ、ソレハソウイウ忘レカタデハナク、完全ナ記憶喪失ニ似タ忘レカタデアッタ。局番モ、局名モ、スベテガ思イ出セナイノデアッタ。僕ハ驚キカツ慌テタ。試ミニソノ学校ノ校名ヲ思イ出ソウトシテミタガ、ソレモ駄目デアッタ。最モ驚イタノハ、木村ハ木村何トイウ姓名デアッタカト考エテミタガ、ソレモ思イ出セナカッタ。家ニ使ッテイル婆ヤノ名前モ駄目デアッタ。僕ノ妻ノ名前ガ郁子デ、娘ノ名前ガ敏子デアルヿハサスガニ忘レテイナカッタガ、亡クナッタ妻ノ父ノ名前、母ノ名前ハ浮カンデ来ナカッタ。敏子ガ部屋借リヲシテイル家ノ名前モ、ソレガ日本人ヲ夫ニ持ツ佛蘭西婦人ノ家デ、ソノ人ハ同志社大学ノ佛語教師デアルヿハ分ッテイタガ、名前ハドウシテモ出テ来ナカッタ。ハナハダシキハコノ家ノ所在地ノ町名ガ、───左京区トイウヿマデハ分ルガ、吉田牛ノ宮町トイウ名ガ出テ来ナカッタ。僕ハ内心非常ナ不安ニ襲ワレタ。モシコノ状態ガ持続シ、カツソノ程度ガ漸次ニ昂進スルトスレバ、ヤガテ僕ハ大学教授ノ職ニ堪エナクナリハシナイカ。ソレドコロカ単独デ外出スルヿモ、人ト応対スルヿモ不可能ニナリ、結局癈人ニナッテシマウノデハナイカ。タダシ現在ノトコロデハ、記憶喪失トイッテモ思イ出セナイノハ主トシテ人名ヤ地名デアッテ、事柄ヲ忘レテイルノデハナイ。ソノ佛蘭西人ノ名前ハ思イ出セナイケレドモ、ソウイウ佛蘭西人ガイルヿ、ソノ家ニ敏子ガ間借リシテイルヿハ分ッテイル。ツマリ頭ノ中ノ、人物ヤ物ノ名称ヲ伝達スル神経ガ麻痺シタノミデ、知覚ヤ伝達ヲツカサドル組織全部ガ麻痺シテシマッタワケデハナイ。幸イニシテソノ麻痺状態ニ置カレテイタ期間ハモノノ二三十分ニ過ギズ、間モナク遮断サレテイタ神経ノ通路ガ復舊シ、失ワレタ記憶ガ戻ッテ来テスベテガ平生ノ通リニナッタ。ソノ間僕ハ、果シテイツマデ続クカ分ラナイ不安ヲ密カニ怺エツツ、誰ニモ何モ語ラズ、気ヅカレモセズニ過シテシマッタガ、───ソシテソレ以後ハ何ゴトモナク無事ニ過ギテイルノデアルガ、イツ何時、再ビアアイウ状態ガ襲ッテ来ルカモ知レナイトイウ不安、───ソノ状態ガ二三十分デナク、一日モ二日モ、一年も二年モ、事ニヨレバ一生ツヅクヿガアルカモ知レナイトイウ不安ハ、今モナオ消エ去ッテハイナイ。妻ハコレヲ読ンダトシテ、ドウイウ処置ニ出ルデアロウカ。僕ノ将来ヲ慮ッテ、今後ハ行動ニ幾分ノ制御ヲ加エルデアロウカ。僕ノ推測スル限リデハ、恐ラクソンナヿハアルマイ。彼女ノ理性ハ制御ヲ命ジタトシテモ、彼女ノ飽クナキ肉体ハ理性ノ言ニ耳ヲ貸サズ、僕ヲ破滅ニ追イ込ムマデモ満足ヲ求メテ已マナイデアロウ。「何ヲ云ウノダ、夫ハコノトコロ大分好調ガツヅクト思ッタラ、トウトウタマリカネテ降参スルノダナ。攻撃ノ手ヲ少シ緩メテ貰ウタメニソンナ嚇カシヲ云ウノダナ」───グライニ彼女ハ思ウカモ知レナイ。イヤ、ソレヨリモ何ヨリモ、今ノトコロ僕自身ガ自分ヲ制御デキナクナッテイル。僕ハモトモト病気ニ対シテ大胆ナ方デハナク、スコブル臆病ナノデアルガ、今度ノヿニ関シテハ、五十六歳ノ今日ニ至ッテ始メテ生キ甲斐ヲ見出シタ心地デ、或ル点デハ彼女以上ニ積極的、猪突的ニナッテイル。………
三月十四日。………午前中、夫の留守に敏子が来て「ママに話がある」と云った。何か真剣な顔をしている。何の話かと聞くと、「昨日木村さんの所で写真を見たわよ」と、私の眼の中をじっと視つめた。そう云われてもまだ私には分らなかったので問い返すと、「ママ、私はどんな場合にもママの味方よ、ほんとうのことを云ってよ」と云う。昨日、木村さんにフランス語の本を借りる約束をしていたので、通りかかりに寄った。木村さんは留守だったけれどもはいって行って、書棚からその本を抜き取ったら、中に数葉の手札型の写真が挟んであった、───「ママ、あれは一体どういう意味」と云うのだった。「何のことか分らない」と云うと、「なぜ私に隠すのよ」と云う。私はおおよそ、その写真というのは先日夫の日記帳に貼ってあったあれと同じものなのであろう、そしてそれは、やはり想像した通り私の浅ましい姿を撮ったものなのであろう、ということまでは察しがついた。が、何と云って敏子に説明したものか急には返答ができなかった。敏子は実際の事実よりももっとずっと悪質な、よほど深刻な事件が伏在しているように思っていることは推量できた。恐らく敏子は、その写真は私と木村さんとの間に不倫な関係が存在することを示す以外の何ものでもないと、解しているであろう。私は夫と木村さんのため、また私自身のために、直ちに釈明の労を取るべきであったが、事実をありのままに述べたとしても、敏子がそれを素直に受け取ってくれるかどうか疑問であった。私はしばらく考えてから云った。───あり得べからざることのようだけれども、私は実は、世の中に私のそういう恥ずべき姿を撮った写真があるということを、今あなたから聞かされるまでは確かには知らなかったのだ。もしそういうものがあるとすれば、それは私が昏睡している間にパパが撮影したもので、木村さんはただその現像をパパから依頼されたに過ぎない。木村さんと私との間には断じてそれ以上の関係はない。パパがなぜ私を昏睡させ、なぜそんな写真を撮り、なぜその現像を自分でしないで木村さんにやらせたか、等の理由は想像に任せる。現在の娘の前で、これだけのことを口にするさえ私には忍びがたい。もうこれ以上は聞かないでほしい。ただ、すべてはパパの命令に従ってしたことであり、私はどこまでもパパに忠実に仕えることを妻の任務と心得ているので、いやいやながら云われる通りにしたのであることを信じてほしい。あなたには理解しがたいことかも知れないが、舊式な道徳で育って来たママは、こうするよりほかはないのである。ママの裸体写真がそんなにパパを喜ばすのなら、ママはあえて恥を忍んでカメラの前に立つであろう、まして別人ならぬパパ自身が操作しているカメラであるなら。───「ママ、ママは本気で云ってるの?」と敏子は呆れた。「本気よ」と云うと、「私はママを軽蔑する」と憤然たる語調で云った。私は敏子を怒らせるのが少し面白くなって来たので、幾分感情を誇張した気味もあった。「ママは貞女の亀鑑というわけね」と敏子はくやしそうな顔に冷笑を浮かべた。敏子には、パパが現像を木村さんに託した心理状態がどうにも不思議でたまらないらしく、理由なくママを辱かしめ、木村さんを苦しめたと云ってパパを非難して已まないので、「そういうことに娘が立ち入って貰いたくない」と私は云った。「パパがママを辱かしめたとあなたは云うけれども、果して辱かしめたであろうか。ママはそうは感じていない」と、私は云ってやった。「パパはママを今も熱愛しているのである。パパはママの肉体が年齢のわりに若くて美しいことを、誰か自分以外の男性に見せて確かめたい気持があったのだと思う。その気持は少し病的かも知れないけれども、私には分る」───私は夫を擁護する必要を感じたので、云いにくいことをかなり上手に、巧く云ったつもりである。私の日記を盗み読みするに違いない夫は、ここを読んで私がどんなに夫を庇うために苦心したかを察してくれてもよいと思う。「でもそれだけの気持かしら。パパは木村さんがママをどう思っているか知っていながら、随分意地が悪いのね」と敏子は云った。私はそれには答えなかった。敏子は木村さんがあの写真をあの本の間に挟んでおいたのは、「木村さんのすることだから」ただの不注意とは思えない、何か訳があるような気がする、敏子に何かの役目を負わせるつもりかも知れないと云い、木村さんに対する彼女の観察をいろいろ述べるところがあったが、それはここに書かない方が夫のためによいと思う。………
三月十八日。………佐々木ノ帰朝祝賀宴ガアッタノデ十時過ギニ帰宅シタ。妻ハ夕刻カラ外出中トノヿデアッタ。多分映画ニ出カケタノデアロウト察シ、書斎デ日記ヲツケテイタガ、十一時過ギテモ戻ラナイ。十一時半ニ敏子カラ電話デ、「パパチョット来テヨ」ト云ウ。「ドコダ」ト云ウト「関田町ヨ」ト云ウ。「ママハ」ト云ウト「ココニイル」ト云ウ。「モウ遅イカラ帰ルヨウニ云イナサイ、コチラハ婆ヤガ今帰ッタノデ僕一人ダ」ト云ウト、急ニ電話口デ声ヲヒソメテ、「ママガ関田町ノ風呂場デ倒レタノヨ、児玉先生ヲ呼ンデモヨクッテ」ト云ウ。「ソコニ誰ト誰ガイルノダ」ト云ウト「三人ヨ」ト云ウ。「説明ハ後デスルワ。トニカク注射ヲ急イダ方ガイイト思ウワ。パパガ来ラレナイナラ児玉先生ニ来テ貰イマス」ト云ウ。「児玉サンハ呼バナイデモイイ。僕ガ注射シテヤル。オ前ガコッチヘ留守番ニ来イ」───僕ハ昨今ヴィタカンフルノ注射液ヲ絶ヤシタヿガナイノデ、家ヲ空ケタママ、敏子ノ来ルノヲ待タズニ出カケタ。(コンナ時ニ先日ノ記憶喪失ガ襲ッテ来ハシナイカトイウ恐怖ガ、チラト脳裡ヲカスメタ)僕ハ関田町ノ家ノ所在ハ分ッテイタガ、中ヘハイルノハ始メテダ。敏子ガ門ノ前ニ立ッテイテ、庭カラスグニ離レ座敷ヘ案内シ、「デハ私ハ留守番ニ行ッテイマス」ト云ッテ出テ行ッタ。「ドウモ御心配ヲカケマシテ」ト木村ガ挨拶シタ。僕ハ木村ニハ何ノ説明モ求メナカッタ。木村ノ方カラモソノヿニツイテハ一言モ言イ出サナカッタ。ドッチモバツガ悪イノデ、急イデ注射ノ用意ニカカッタ。ピアノノ前ノ畳ノ上ニ寝床ガ取ッテアッテ妻ガ静カニ寝カサレテイタ。ソノ傍ノチャブ台ガ杯盤狼藉ト取リ散ラカサレテイタ。枕元ノ壁ニ妻ノ外出用ノ衣服ガ、敏子ガ洋服ヲ吊ルノニ用イル造花ヤリボンノ飾リノ付イタハンガーニ懸ケテ吊ッテアッテ、妻ハ長襦袢一ツデ寝テイタ。妻ハ年ヨリモ派手好ミナノダガ、ソノ長襦袢ハコトニケバケバシイ感ジガシタ。異常ナ時ト場所ノセイデ特ニソウ感ジタノカモ知レナイ。脈搏ハイツモコウイウ場合ノ脈搏ト同ジデアッタ。「オ嬢サント二人デココマデオ連レシマシタ」トダケ木村ガ云ッタ。体ハ一通リ拭イテアッタガマダ体ジュウニ湿リ気ガアリ長襦袢ガベットリシテイタ。長襦袢ノ紐ガ結ンデナカッタ。一ツ変ッタヿハ、髪ガ解ケテ乱レテイテ襦袢ノ襟ガヒドク濡レテイタ。今マデ自宅ノ浴室デ倒レタ〓(トキ)ハ、髪ハ常ニ束ネテアッテ、コンナニ解ケテイタヿハナイ。コレハ木村ノ趣味ナノカモ知レナイト思ッタ。木村ハコノ家ノ勝手ヲ心得テイルラシク、浴室カラ洗面器ソノ他ヲ運ンダリ湯ヲ沸カシタリ注射器ノ消毒ヲ手伝ッタ。………「ココニ寝カシテオクワケニモ行クマイ」ト、約一時間後ニ僕ガ云ッタ。「母屋ハ早寝デ、マダムハ何モ知ラナイヨウデス」ト木村ガ云ッタ。脈ハ大分ヨクナッテイルノデ連レテ帰ルヿニシ、木村ニ自動車ヲ呼ンデ来サセタ。「ソコマデ僕ガ負ブッテ行キマス」ト木村ガ云ッテ背中ヲ出シタ。僕ガ妻ヲ抱キ起シテ、長襦袢ノママデ木村ノ背ニ乗セ、ハンガーノ着物ト羽織ヲ外シテ上カラ着セタ。庭ヲ横切ッテ門前ノ自動車ノ所マデ行キ、二人ガカリデ車ニ入レタ。小型ノ六十圓ノ事ダッタノデ木村ガ前ニ掛ケタ。ブランデーノ匂イガ襦袢ヤ衣裳ニ浸ミ通ッテイテ車ノ中ガ噎せ返ルヨウダッタ。僕ハ妻ヲ横抱キニシテ腰カケ、冷エ冷エシタ彼女ノ髪ノ中ニ自分ノ顔ヲ埋メ、ソノ足ヲ握リ締メカツ接吻シタ。(木村ニハ見エナイハズデアッタガ気取ッタカモ知レナイ)木村ハ寝室マデ手伝ッテ運ンデカラ「先生、今夜ノヿハ私ヲオ信ジニナッテ下サイ、オ嬢サンガスベテ御存ジデス」ト云ッタ。「モウ帰ッテモヨロシュウゴザイマスカ」ト云ウカラ「アア」トダケ答エタ。木村ガ去ッテカラ、敏子ガ留守番ヲシテイテクレタノヲ思イ出シテ、茶ノ間ヤ敏子ノ部屋ヘ行ッテミタガモウイナカッタ。先刻僕ラガ郁子ヲ自動車カラ抱キオロシタ時ハ玄関ニウロウロシテイタヨウデアッタガ、僕ラト入レ違イニ黙ッテ関田町ヘ帰ッテシマッタラシイ。僕ハイッタン書斎ニ上リ、取リアエズ今夜ノ今マデノ出来事ヲ急イデ日記ニ書キ留メタ。書キナガラ僕ハ、コノ数時間後ニ経験スルヿガデキルデアロウ悦楽ノ種々相ヲ豫想シタ。………
三月十九日。………払暁マデ僕ハ一睡モシナカッタ。昨夜ノ突然ノ事件ハ何ヲ意味スルカ、ソレヲ考エルヿハ恐怖ニ似タ楽シサデアッタ。僕ハマダ木村カラモ、敏子カラモ、妻カラモ、何ノ説明モ聞イテイナイ。聞ク機会ガナカッタカラデモアルガ、アマリ早ク聞キタクナカッタカラデモアッタ。聞カシテ貰ウ前ニ、自分一人デ考エルノガ楽シミデモアッタ。自分デ勝手ニ、コレハコウイウワケナノカ、イヤソウデハナクテコウナノカト、サマザマナ場合ヲ想像シテ嫉妬ヤ憤怒ニ駆ラレテイルト、際限モナク旺盛ナ淫慾ガ発酵シテ来ル。事実ヲハッキリ突キ止メテシマウトカエッテソウイウ快感ガ消エル。妻ハ明ケ方カラ例ノ譫語ヲ始メタ。「木村サン」トイウ語ガ今暁ハ頻繁ニ、或ル時ハ強ク或ル時ハ弱ク、トギレトギレニ繰リ返サレタ。ソノ声ノ絶エテハ続キツツアル間ニ僕ハ始メタ。………瞬時ニシテ嫉妬モ憤怒モナクナッテシマッタ。妻ガ昏睡シテイルカ、眼覚メテイルカ、眠ッタフリヲシテイルカモ問題デナクナリ、僕ガ僕デアルカ木村デアルカサエモ分ラナクナッタ。………ソノ時僕ハ第四次元ノ世界ニ突入シタトイウ気ガシタ。タチマチ高イ高イ所、忉利天ノ頂辺ニ登ッタノカモ知レナイト思ッタ。過去ハスベテ幻影デココニ真実ノ存在ガアリ、僕ト妻トガタダ二人ココニ立ッテ相擁シテイル。………自分ハ今死ヌカモ知レナイガ刹那ガ永遠デアルノヲ感ジタ。………
三月十九日。………昨夜のことを念のために委しく書き留めておこうと思う。昨夜は夫の帰りが夜になることが分っていたので、「私たちも映画に出かけるかも知れない」と、私は前もって夫に断っておいた。四時半頃に木村さんが誘いに来たが、敏子は五時頃おくれて来た。「遅いじゃないか」と云うと、「時間が半端だから食事を済ましてからの方がよくはなくって。ママ、今日は私がサーヴィスするから関田町で御飯を上ってよ。まだ一遍も私の所で落ち着いたことはないじゃないの」と敏子が云った。「かしわを百目買うて来たわ」と、彼女は鶏肉や野菜や豆腐を両手に持って木村さんと私を連れ出したが、「これはここのを寄附して貰うわ」と、まだ半分以上残っていたクルボアジエの罎も提げて出て来た。「それは止した方がいいわ、今日はパパが留守だから」と私は云ったが、「でもせっかくの御馳走にこれがないのは淋しいから」と云うのだった。「御馳走なんかいらないわよ、これから映画を見に行くのにもっと簡単なものがいいわ」と云ったけれども、「すき焼の方がかえって簡単よ」と敏子は云った。ピアノの前に二月堂の卓を二つつないで、瓦斯のカンテキ(鍋やカンテキは母屋から借りて来たのである)ですぐに始めたが、具がいつもより分量が多く、種類もたくさん揃えてあるのに驚いた。葱、糸蒟蒻、豆腐はよいとして、生麩、生湯葉、百合根、白菜等々、───敏子はそれらをわざと一度に運んで来ないで、ときどき、少しずつ、なくなると後から後からと附け足した。かしわも百目ではなかったような気がした。自然、なかなか御飯にならないでブランデーが進行した。「お嬢さんがブランデーのお酌をなさるなんて珍しいことですな」と云いながら、木村さんも平生よりは過した。「もう映画には遅いわね」と、頃あいを見て敏子が云った。私にしても映画を見るには酔いが廻り過ぎていた。が、そう云っても、そんなに量を過したようには感じていなかった。これはいつでもそうなのだけれども、私は酔いを殺して飲むせいで、或る程度まではシッカリしていて、一定の量を超過すると俄然怪しくなるのである。最初私は、今夜は敏子に酔わされるかも知れないなと、内々警戒していないではなかった。しかし、警戒する半面に、多少期待する───あるいは希望する───気持もなかったとは云えない。私は木村さんと敏子との間に、あらかじめ手筈が定めてあったのかどうかは知らない。聞いたところでそんなことを云うはずもないから、聞きもしない。ただ木村さんも、「先生の留守にこんなに飲んでいいですかなあ」とは云っていたが、近頃大分手が上っているので、私と差したり差されたりした。木村さんもそうだと思うが、私には、夫の留守に木村さんと献酬することは、夫の意志に背くことにはならない、という気があった。夫に嫉妬を感じさせることは、夫を幸福にする所以であることも分っていた。だからといって、私は夫を刺戟するのが唯一の目的であったとは決して云わない、が、心にそういう安心があったので、ついグラスの数を重ねたとは云える。それから、今日はこのことをここにはっきり云っておくが、私は木村さんを、恋するというところまでは行っていないが、好いていることは事実である。恋することも、しようと思えばすぐできそうなところまで来ている。夫に嫉妬を起させるためには、ここまで来ることが必要であったからではあるが、もともと木村さんが好きでなかったら、ここまで来なかったでもあろう。そして今までは、ここで厳重な一線を劃して、これ以上の道には蹈み込まぬように努めて来たけれども、これからはひょっとすると、蹈み外すこともありそうな気がしている。私は夫があまり私の貞操を信じ過ぎないようにしてくれることを望む。私は夫の註文に応ずるためにギリギリの瀬戸際まで試煉に堪えて来たけれども、これからは自信が持てなくなっている。………一方私は、いつも夢とも現ともつかない状態で睡っている時に見ることのある、あの裸体の木村さんを、………木村さんかと思うと夫であったり、夫かと思うと木村さんであったりするあの裸体を、………一度夫に邪魔されない時に、この眼で見届けてみたいという好奇心もないことはなかった。私はいつの間にか急激に酔いが廻って来たのを覚えて便所へ隠れたが、「ママ、今日はお風呂が沸いているのよ、マダムは上りはったからママはいらはったらどう」と、便所の外から敏子が云った。私は、風呂へはいれば倒れるであろうこと、その場合に抱き起しに来てくれる者は、恐らくは敏子でなくて木村さんであろうことを、すでに朦朧となっていた意識の隅で感じていた。「ママ、そうなさいよ」と、敏子がもう一度か二度云いに来たのも、ぼんやり分っていた。そして間もなく、ひとりで風呂場を捜しあててガラス戸を開け、着物を脱いたことまでは思い出せるが、それからあとは完全に意識を失ってしまった。………
三月二十四日。………昨夜マタ妻ガ関田町ノ家デ倒レタ。昨夕食後、二人ガ妻ヲ映画ニ誘ウト称シテ連レ出シニ来、十一時過ギテモ戻ラナイノデ、アルイハソンナヿデハナイカト僕ハ早クモ合点シテイタ。アマリ遅イノデ電話ヲカケテミヨウカトモ思ッタガ、ソレモ馬鹿々々シイノデ向ウカラカカルノヲ待ッテイルト、(待ッテイル間ノ待チ遠シサ、イラダタシサ、ソシテマタイツモノ期待ニ胸ヲワクワクサセテイタ気持トイッタラナカッタ)十二時過ギニ敏子ガ一人デコチラニ現ワレ、タキシーヲ待タシテハイッテ来テ、「ママガマタナノヨ」ト云ッタ。映画ノ後デ(ト云ウケレドモ、果タシテシカルヤ否ヤハ怪シイ)母子ガ木村ヲ宿マデ送ッテ行ッタトコロ、木村ガ僕ガ送リマショウト云ッテ、関田町マデ三人デ来テ、ツイ上リ込ンダ。敏子ガ紅茶ヲ入レテ出シタガ、コノ間ノクルボアジエガマダ四分ノ一残ッテイルノガ床ノ間ニ置イテアッタノデ、茶匙ニ一杯ズツ滴ラシテススメタ。ソレガキッカケデ間モナク二人ガシェリーグラスノ遣リ取リヲ始メ、結局罎ヲ空ニシタ。昨夜モタマタマ風呂ガ沸イテイタノデ、先夜ノ通リノ順序ニ事ガ発展シタ。───ト、コレハ敏子ノ釈明トモツカナイ説明デアッタ。「オ前、二人ヲ置イテ出テ来タノカ」ト、僕ハ尋ネタ。「エヽ、電話ヲ切リカエテオカナカッタノデ、母屋ヘカケニ行クノガ工合ガ悪カッタモノダカラ」ト敏子ハ云ッタ。「ソレニ、ドウセ自動車ガ要ルト思ッタノデ、ヤットノヿデ掴マエテ来マシタ」彼女ハ独得ノ意地ノ悪イ眼デ僕ノ眼ヲ覗イタ。「コノ間ハ運ヨクスグニ掴マッタノニ今日ハナカナカ掴マラナイノヨ。電車通リニシバラク立ッテイタケレド、何シロ時刻ガ時刻ダカラ一台モ通ラナイ。アスコノ鴨川タキシーマデ歩イテ行ッテ、寝テイルノヲ叩キ起シテ乗ッテ来タノデス」ト云ッテ、コチラガ聞キモシナイノニ、「家ヲ出タノハモウ二十分以上モ前ナンダケレド」ト独語ノヨウニ附ケ加エタ。僕ハ敏子ガドウイウ底意デソウイウヿヲ云ッテイルノカ察シタケレドモ、ワザト空トボケテ「御苦労サマ。デハ留守番ヲ頼ム」ト云ッテ、注射ノ用意ヲトトノエテ、ソノ車デ出カケタ。僕ニハ依然トシテ、彼ラ三人ガドコマデ合意ノ上デ企ンダ仕事デアルノカハ分ラナカッタ。タダ恐ラクハ敏子ガ主謀者デアルヿ、彼女ガ故意ニ二人ヲ置キ去リニシテ、二十分以上モ途中デ時間ヲ費シテ(二十分ヤ三十分デハナイノカモ知レナイ。一時間モウロウロシテ来タノニ違イアルマイ)来タノデアルヿハ想像デキタ。僕ハ関田町ヘ駆ケ着ケルマデノ間、ソノ二十分乃至一時間中ニアソコノ一室デイカナルヿガ起リ得タカヲ、努メテ考エナイヨウニシタ。妻ハ先夜ト同ジ長襦袢ヲ着テ寝テイタ。壁ノハンガーニハアノ衣裳ガマタダラリト垂レテイタ。木村ガ湯ヤ洗面器ヲ運ンデ来タ。妻ハ人事不省デ先夜以上ニ泥酔シテイルヨウニ見エタガ、ソノ見セカケニモカカワラズ、昨夜ハ特ニ明瞭ニ、ソレガ彼女ノ芝居デアルヿ、実際ニハ意識ヲ持ッテイルノデアルヿガ、僕ニハ分リ過ギルホド分ッタ。脈モ割合ニシッカリシテイタ。コンナ時、僕ハ本気デ注射ヲスルノガ馬鹿気テイルノデ、カンフルヲ射ス真似ヲシテ、ヴィタミンヲ射シテヤルヿニシテイルノダガ、木村ガ気ガ付イテ、「先生、コレデイインデスカ」ト小声デ聞イタ。「ウン、イインダヨ、今夜ハソレホドデモナサソウダヨ」ト、僕ハ構ワズヴィタミンヲ射シタ。………
………妻ハ盛ンニ「木村サン木村サン」ト呼ビツヅケタ。ソノ呼ビ方ハ今マデノ呼ビ方ト声ノ調子ガ違ッテイタ。今マデノヨウナ譫語ジミタ云イ方デハナクテ、底力ノアル、訴エルヨウナ、叫ブヨウナ声デ呼ンダ。エクスタシーニ入ル前後ニオイテ一層ソノ声ガハナハダシカッタ。突然僕ハ舌ノ尖端ニ齕噬ヲ感ジタ。………次イデ耳朶ニモソレヲ感ジタ。………コンナヿハ今マデニナイヿデアッタ。………一夜ニシテ妻ヲカヨウニ大胆ナ、積極的ナ女性ニ変エタノハ木村デアルト思ウト、僕ハ一面激シク嫉妬シ、一面彼ニ感謝シタ。イヤ敏子ニモ感謝スベキデアルカモ知レナカッタ。皮肉ニモ敏子ハ、僕ヲ苦シメヨウトシテカエッテ僕ヲ喜バス結果ニナッテイルヿヲ、………僕ノコウイウ不思議ナ心理ヲ、マサカソコマデハ気ガツカズニイルノデアロウガ。………
………行為ノ後デ今暁物凄イ眩暈ヲ感ジタ。彼女ノ顔、頸、肩、腕、スベテノ輪廓ガ二重ニナッテ見エ、彼女ノ胴体ノ上ニモウ一人ノ彼女ガ折リ重ナッテイルヨウニ見エタ。間モナク僕ハ眠ッタラシカッタガ、夢ノ中デモナオ妻ガ二重ニ見エタ。最初ハ全体トシテ二重ニ見エ、ヤガテ部分々々ガバラバラニ空中ニ散ラバッテ見エタ。眼ガ四ツ、ソノ眼ト並ンデ鼻ガ二ツ、少シ飛ビ離レタ一二尺高イ空間ニ唇ガ二ツ、トイウ風ニ、シカモ極メテ鮮カナ色彩ヲ帯ビテ。………空間ガ空色、頭髪ガ黒、唇ガ真紅、鼻ガ純白、………ソシテソノ黒サモ、紅サモ、白サモ、実物ノ彼女ヨリハハルカニケバケバシク、映画館ノ絵看板ノペンキノヨウニ毒々シカッタ。夢ガコンナニ生々シイ色ヲ帯ビテ見エルノハ神経衰弱ガヨホドヒドイ証拠ダナト、夢ノ中デハッキリトソウ思イナガラ、僕ハジーットソノ夢ヲ視ツメテイタ。右ノ足ガ二ツ、左ノ足ガ二ツ、水中ニアルヨウニ浮遊シテイルノガ、ソノ肌ノ白カッタヿトイッタラナカッタ。シカシ形ハ紛レモナク彼女ノ足デアッタ。足ト並ンデ、足ノ蹠ガマタ別ニ浮カンデイタ。眼ノ前イッパイニ、白イ大キイ塊ガ雲ノ峰ノヨウニ現ワレタト思ッタラ、イツカ写真ニ撮ッタヿノアル、アノ通リノ形状ヲシテ真正面ニコチラヲ向イテイル臀ガアッタ。………ソレカラ何時間後デアッタカ、マタ違ッタ夢ヲ見テイタ。最初ハ木村ガ裸体ノママデ立ッテイルヨウニ思エタガ、胴カラ生エテイル首ガ、木村ニナッタリ僕ニナッタリ、木村ノ首ト僕ノ首トガ一ツ胴カラ生エタリシテ、ソノ全体ガマタ二重ニ見エタ。………
三月二十六日。………これで夫のいない所で木村さんに逢うことが三回に及んだ。昨夜はあの床の間に、まだ栓を開けてない新しいクルボアジエの罎が置いてあった。「あなたが買うて来たの」と云うと、「私知らない」と、敏子が否定した。「昨日外から帰って来たらこの罎が置いてあったのよ。木村さんがお届けになったのかと思っていたわ」と敏子は云ったが、「僕は知りません」と木村さんも云った。「先生ですよ、きっと。僕はそうだと思いますね。意味深重ないたずらですな」「パパだとしたら随分皮肉ね」───二人はそんな風に云い合っていた。夫がこっそり投げ込んで行ったと考えるのが、一番ありそうなことのように思えるけれども、ほんとうのところは私には分らない。敏子か木村さんか、どちらかが買って来たと考えることも、決してなさそうなことではない。水曜日と金曜日はマダムが大阪へ教えに行く日で、帰りが十一時になるのである。この間の晩も、敏子はブランデーが始まると、ほどよい所で消えてなくなって、マダムの部屋にはいり込んでいたのだが、(このことを書くのは始めてである。夫に誤解されることを恐れて差控えていたのであるが、もうその必要もなさそうに思う)昨夜もかなり早くから見えなくなっていて、マダムが帰宅してからもまだしばらく母屋で話し込んでいた。私は意識を失ってから後のことはよく分らない。しかしどんなに酔っていたとしても、最後の最後の一線だけは昨夜も強固に守り通したと思っている。自分にはいまだにそれを蹈み越える勇気はないし、木村さんだって同様であると信じる。木村さんはそう云った、───ポーラロイドという写真器を、先生に貸して上げたのは僕です。それは先生が、奥さんを酔わして裸になさりたがる癖があることを知ったからです。しかるに先生はポーラロイドでは満足できないで、イコンを使って写すようになりました。それは奥さんの肉体を細部に亙って見極めたいという目的からでもあったでしょうが、それよりも、真の狙いは僕を苦しめることにあったのだと思います。僕に現像の役を負わせて、僕をできるだけ興奮させ、誘惑に堪えられるだけ堪えさせて、そこに快感を見出しているのだと思います。のみならず僕のこの気持が奥さんに反映し、奥さんも僕と同様に苦しむことを知って、そこにも愉悦を感じつつあるのです。僕は奥さんや僕をこんなにまで苦しめる先生を、憎いとは思いますけれども、それでも先生を裏切る気にはなりません。僕は奥さんの苦しむのを見て、自分も奥さんとともに苦しみ、もっともっとこの苦しみを深めて行きたいのです。───私は木村さんに云った、───敏子はあなたから借りたフランス語の本の中に、あの写真が挟まっていたのを見つけて、これは偶然にここに挟んであったものとは思えない、何か意味があるのだろうと云っていました、あれはどういうつもりでしたか。───木村さんが云った、───あれをお嬢さんに見せたら、お嬢さんが何かしら積極的に動いてくれるであろうことを豫期したのです。僕はこれといって、何もお嬢さんに示唆したことはありません。僕はお嬢さんのイヤゴー的な性格を知っているので、ああすれば十八日の晩のようなことになるのを期待していただけです。二十三日の晩のことも、今夜のことも、いつもお嬢さんがイニシアチブを取り、僕は黙ってそれに喰っ着いて行ったまでです。───私が云った、───私はあなたと二人きりでこんな話をすることは今が始めてです。いや誰とでも、夫とでも、こんな話を一度もしたことはありません。あなたと私との関係についても、夫はあまり聞こうとはしません。聞くのが恐ろしくもあるのでしょうし、今もなお私の貞操を信じていたいからなのでしょう。私も自分の貞操を信じたいのですけれども、信じても差支えないのでしょうね、それに答えることができるのは木村さんだけです。───お信じ下さい、と、木村さんが云った、───僕は奥さんの肉体のあらゆる部分に触れています、ただ一箇所だけ大切な部分を除いては。先生は紙一重のところまで僕を奥さんに接着させようとするのですから、僕はその意を体して、それを犯さない範囲で奥さんに近づいたのです。───あゝ、それで安心しましたと、私は云った、───それまでにして私の貞節を完うさせて下さるのを有難く思います。木村さんは、私が夫を憎んでいると云われましたが、憎む一面に愛していることも事実です。憎めば憎むほど愛情も募って来ます。あの人は、あなたというものを間に入れ、ああいう風にあなたを苦しませなければ情慾が燃え上らない、それも結局は私を歓喜させるためだと思えば、私はいよいよあの人に背くことができなくなります。でも木村さんはこういう風に考えることはできないでしょうか、私の夫と木村さんとは一身同体で、あの人の中にあなたもある、二人は二にして一であると。………
三月二十八日。………大学ノ眼科デ眼底ノ検査ヲシテ貰ウ。気ハ進マナカッタノデアルガ、相馬博士ガ切ニススメルノデイヤイヤ行ッテ見タ。眩暈ハ脳動脈硬化ノ結果デアルト云ワレル。ソノタメニ脳ガ充血シ、眩暈ヤ複視現象ガ起ッタリ意識ノ昏濁ガ生ジタリスル。ヒドクナレバ失心スルヿモアル。夜中小便ニ起キタ時、急激ナ動作ヲ起シタ時、体ノ向キヲ突然変エタ時等ニ特ニ眩暈ヲ感ジマセンカト云ワレテ、ソノ通リデアルト答エル。平衡感覚ガ失ワレテ、体ガ倒レソウニナッタリ、地下ヘ滅入リ込ムヨウニ感ジタリスルノモ、内耳ノ血管ノ血行ガ悪クナッテイルカラダト云ワレル。内科デ相馬博士ニモ診テ貰ウ。今マデ血壓ヲ測ッタヿハナカッタノダガ、今日始メテ測ラセラレ、心電図ヲ取リ、腎臓ノ検査モサセラレル。コンナニ血壓ガ高イトハ思ワナカッタ、相当注意ヲ要シマスネト、相馬氏ハ云ッタ。ドノクライアルノカト云ッテモナカナカ教エテクレナカッタ。トニカク上ハ二百以上、下も百五六十アル、上ト下トノ差ガ少イノガ最モヨロシクナイ傾向デアル、君ハヤタラニホルモン剤ヲ飲ンダリ射シタリシテイルガ、補腎ノ薬ヨリハ血壓降下剤ヲ飲ムヿデスナ、ソシテ、失礼デスガコイトスヲ慎シムヿデスナ、アルコールモ止メナケレバイケマセンナ、刺戟物ヤ塩辛イモノモイケマセンナ、ソウ云ッテ相馬氏ハ、ルチンCヤ、セルパシールヤ、カリクレインヤ、イロイロトソノ方ノ薬ノ連用ヲススメ、今後モ絶エズ気ヲ付ケテ血壓ヲ測ルヨウニト云ッタ。
僕ハワザトコノヿヲ隠サズ日記ニ書キ、妻ガイカナル反応ヲ示スカヲ見ルヿニスル。サシアタリ僕ハ医師ノ忠告ニハ耳ヲ藉サナイ。妻ノ方カラ何カノ示唆ガアルマデハ、事件ハ従来ノ方向ヲ取ッテ進ムデアロウ。僕ノ豫想スルトコロデハ、妻ハコノ記事ヲ読ンデモ読マナイフリヲシテ、マスマス淫蕩ニナルデアロウ。ソレガ彼女ノ肉体ノイカントモシガタイ宿命ナノデアル。同時ニ僕モ、ココマデ来テハ後戻リハデキナイ。先夜以来、アノ場合ノ妻ノ態度ガニワカニ積極的ニナリ、種々ナル技術ヲ進ンデ弄ブヨウニナッタヿモ、一層僕ヲソノ方ヘ押シヤル動力ニナリツツアル。───彼女ハ依然トシテ事ニ当ッテ一言モモノヲ云ワナイ。黙々トシテ、動作ヲモッテサマザマナ愛情ノ表現ヲスル。常ニ半睡半醒ノ状態ヲ装ッテイルノデ、燈火ヲ暗クスル必要ハナイ。酔エルガゴトク眠レルガゴトクニシテ嬌羞ヲ含ンデイルサマガ何トモイエナイ。───僕ハ最初ハ、相当ノ間隔ヲ置イテ木村ヲ妻ニ接触サセタ。トコロガ次第ニ刺戟ニ馴レルニ従ッテソレデハ満足ガ得ラレナクナリ、木村ト妻トノ間隔ヲダンダンニ縮メテ行ッタ。縮メレバ縮メルホド嫉妬ガ増シ、増セバ増スホド快感ガ得ラレ、最後ノ目的ガ達セラレル。妻モソレヲ希望シ、僕自身モソレヲ希望シテトドマル所ヲ知ラナイ。正月以来三箇月ニナルガ、病的ナ妻ト競争シテヨクモココマデ対抗シテ来タモノカナト、ワレナガラ感心サセラレル。僕ガドンナニ妻ヲ愛シテイルカトイウヿガ、今コソ彼女ニモ分ッタト思ウ。サテコレカラハドウナルカ。ドウシタラコレ以上情慾ヲ駆リ立テルヿガデキルカ。コノママデハマタスグ刺戟ニ馴レテシマウ。スデニ僕ハ、普通ナラバ姦通シテイルト認メラレテモ仕方ノナイ状態ニ二人ヲ置イタ。僕ハ今モナオ妻ヲ信ジテ疑ワナイ。彼女ノ貞操ヲ傷ツケルヿナシニ、彼ラヲコレ以上接触サセルニハドウイウ方法ガ残ッテイルカ。ソレハ僕モ考エルガ、ソレヨリ先ニ彼ラガ考エ出サズニハ措カナイデアロウ。彼ラトイウ中ニハ敏子モ含メテ。………
僕ハ妻ノヿヲ陰険ナ女ダト云ッタガ、ソウイウ僕モ彼女ニ劣ラヌ陰険ナ男デアル。陰腎ナ男ト女ノ間ニデキタノデアルカラ、敏子モ陰険ナ娘デアルヿニ不思議ハナイ。ダガソレ以上ニ陰険ナノガ木村デアル。揃イモ揃ッテ陰険ナノガ四人マデモ集ッタトハ呆レルホカハナイ。ソシテ世ニモ珍シイ廻リ合セト云ウベキハ、陰険ナ四人ガ互イニ欺キ合イナガラモ力ヲ協セテ一ツノ目的ニ向ッテ進ンデイルヿデアル。ツマリ、ソレゾレ違ッタ思ワクガアルラシイガ、妻ガデキルダケ堕落スルヨウニ意図シ、ソレニ向ッテ一生懸命ニナッテイル点デハ四人トモ一致シテイル。………
三月三十日。………午後敏子が誘いに来、嵐山電車の大宮終点で木村さんと落ち合い、三人で嵐山に行く。これは敏子の発議によるのだそうであるが、まことによいことを思いついてくれた。学校が休暇中なので木村さんは体が空いているのである。川の縁を散歩し、ボートを出して嵐峡館の辺まで行き、渡月橋のほとりで休憩し、天竜寺の庭を見る。久しぶりに健康な外気を呼吸する。これから時々こういう遊びもしたいと思う。夫は若い時から読書にばかり耽っていて、こういう所へ連れて来てくれたことはめったにない。夕方帰路につき、三人が百万遍で電車を下りるとバラバラにめいめいの家に帰る。今日はあまりに爽快な時を過したので、夜もブランデーの卓を囲む気分にはなれなかった。………
三月三十一日。………昨夜夫婦は酒の気なしに寝に就いた。夜中、私は蛍光燈の煌々とかがやく下で夜具の裾の方から左の足の爪先を、わざとちょっぴり外に出してみせた。夫はすぐに気がついて私のベッドへはいって来た。アルコールの力を借りないで、眩い燭光を強く浴びつつ事を行って成功したのは珍しいことであった。この奇蹟的な出来事に夫は明らかに異常な興奮の色を示した。………
………関田町のマダムも私の夫も目下休暇中なので大体朝から家にいる。もっとも夫は毎日必ず一二時間は外出し、その辺をうろついて帰って来る。それは散歩が目的なのではあるが、もう一つの目的は、私に彼の日記帳を盗み読ませる餘裕を与えるためだと思う。夫が「ちょっと出て来る」と云って出かけるたびに、「この際に僕の日記を読んでおけ」と云われているように私は感じる。そうされればされるほど、なおさら私は読みはしないが、しかしそれなら私の方も、夫にこの日記帳を盗み読ませる機会を作ってやらなければなるまい。………
三月三十一日。………妻ハ昨夜僕ヲ驚喜セシメタ。彼女ハ酔ッタフリモシナカッタ。光ヲ消スヿモ要求シナカッタ。ソシテ進ンデサマザマナ方法デ僕ヲ挑発シ、性慾点ヲ露出シテ行動ヲ促シタ。彼女ガコンナニ種々ナ技巧ヲ心得テイルトハ意外デアッタ。………コノ突然ノ変化ガ何ヲ意味スルカハ追イ追イ分ッテ来ルデアロウ。………
眩暈ガアマリ激シイノデ、ヤハリ気ニナッテ、児玉氏ノ所ニ行ッテ血壓ノ検査ヲシテ貰ウ。氏ノ顔ニ驚愕ノ色ガ浮カブ。血壓計ガ破レテシマウホド血壓ガ高イト云ウ。至急スベテノ仕事ヲ廃シ、絶対安静ノ必要ガアルト云ワレル。………
四月一日。………敏子が洋裁の河合女史を連れて来た。この人は洋裁を教える傍らアルバイトに婦人服の注文に応じている。税金がかからないので市価より二三割安くできる。敏子はいつもこの人に拵えて貰っている。私は女学生時代に制服を着たことがある以外、洋服を身につけたことがない。私は趣味が古風であるし、体つきが和服に向いているので、今さら洋服でもないのだけれども、敏子がしきりに勧めるので、試しに一つだけ拵えてみる気になった。どうせ知れることだけれども、きまりが悪いので今日の午後、夫の外出中に来て貰う。生地や型は敏子と女史に考えて貰う。脚が少々曲っているので、なるべくスカートを長くして、膝の下二インチぐらいにしてくれるように頼む。曲っているというほどでもない、西洋人にもこの程度のはざらにありますと女史は云う。生地の見本をいろいろ見せて貰う。ツイードの鼠と小豆色のグレンチェックのアンサンブル、───モード・エ・トラヴォーに出ている型を示して、これになさいと二人が云うのでそうする。一万圓以下でできそうだけれども、靴も買わなければならないし、アクセサリーも多少は揃えなければならない。………
四月二日。午後より外出。夕刻帰宅。
四月三日。朝十時外出。河原町T・H靴店で靴を買う。夕刻帰宅。
四月四日。午後より外出。夕刻帰宅。
四月五日。午後より外出。夕刻帰宅。
四月五日。………妻ノ様子ガ日々変ッテ来テイル。コノトコロホトンド毎日午後ニナルト(朝カラノヿモアル)一人デ出カケテ行キ、四五時間ヲ費シテ夕飯前ニ戻ルノデアル。夕飯ハ僕ト二人デシタタメル。ブランデーハ飲ミタガラナイ。大概シラフデアル。今ハ木村ガ暇ナノデ、ソレト関聯ガアルヿハ察セラレル。ドコヘ行クノカ分ラナイ。今日午後二時過ギ敏子ガヒョッコリ顔ヲ出シテ、「ママハ」ト尋ネタ。「今時分ハイツモ留守ダ。オ前ノ所デハナイノカネ」ト云ウト、「ママモ木村サンモサッパリ見エナイ。ドコヘ行クノカシラ」ト首ヲヒネッタ。ソノ実彼女モグルデアルヿハ察スルニカタクナイ。………
四月六日。………午後より外出。夕刻帰宅。………このところ私は連日外出している。私が出かける時、夫は大概在宅している。いつも書斎に引き籠って机に向っているらしいけれども、───机の上には何かの書物がページを開けて置いてあり、それに眼を曝しているような姿勢を取っているけれども、───実際には何も読んでいるのではあるまい。多分夫の頭の中は、私が出かけてから帰って来るまでの数時間の間、私の行動を知ろうと思う好奇心でいっぱいで、他事を考える餘裕なんかないであろうと想像される。もっともその間に、夫は必ず茶の間へ下りて用箪笥の抽出から私の日記帳を取り出して盗み読みすることは間違いない。だがあいにくと、夫は私の日記帳がそのことに関して何も語るところがないのを発見するであろう。私はわざとここ数日間の行動を曖昧にし、「午後より外出、夕刻帰宅」とのみ記している。私は出かける時、二階の書斎に上って行って障子を細目に開け、「ちょっと出かけて来ます」と挨拶してコソコソと逃げるように階段を下りる。どうかすれば階段の途中から声をかけてそのまま出て行く。夫も決して私の方を振り返らない。「うん」と微かに頷くこともあり、その返辞も聞えないこともある。しかし私は、夫に私の日記帳を盗み読む時間を与えるのが目的で外出するのでは、もちろんない。私は或る会合の場所で木村さんと逢っているのである。どうしてそういう方法を取るようになったかというと、私は白昼健康な太陽光線の照っているところで、いささかもブランデーの酒気を帯びない時に、木村さんの裸体に触れてみたかったからである。私は関田町の家で、夫や敏子のいない所であの人に会ってはいるけれども、いつも最も肝要な瞬間、───肌と肌とを擦り着けて相抱き合う時になると、たわいなく泥酔してしまうのである。かつて一月三十日の日記に書いたこと、「私が幻覚で見たものは、果して実際の木村さんなのであろうか」という疑問、また三月十九日の条に書いたこと、「木村さんかと思うと夫であったり、夫かと思うと木村さんであったりするあの裸体を、一度夫に邪魔されない時に、この眼で見届けてみたい」という好奇心が、いまだに満たされないままに胸にわだかまっていたのである。私はぜひとも夫というミディアムを中に入れないところの、これこそ正しく生身の木村さんに違いないという人を、半意識状態でない時に、青白い蛍光燈の下ではなく、真っ昼間のあかりの下でしみじみと眺めてみたかったのである。………
………嬉しくもまたはなはだ奇異なことなのであるが、現実に確かめ得た木村さんその人は、今年の正月以来幾度となく幻覚で出遇ったことのある、あの姿が正しくそれであることが分った。いつぞや私は夢の中で「木村さんの若々しい腕の肉を掴み、その弾力のある胸板に壓しつけられた」と書き、「何よりも木村さんの皮膚は非常に色白で、日本人の皮膚ではないような気がした」と書いたが、今度始めて現実に見た木村さんは、やはりその通りの人であった。私は今度こそ疑いもなくこの手を持ってあの若々しい腕をムズと掴み、あの弾力のある胸板にこの胸を強く押し着け、あの日本人離れのした色白の皮膚に私の皮膚を吸い着けさせた。だがそれにしても、私のかつての幻覚がかくまで現実と一致していたとは何という不思議であろう。私が夢で空想していた木村さんの影像が、ぴったり実物に当て篏まったということは、何だか単なる偶然の出来事のようには感じられない。何か前の世からの約束事で、生れぬ先から私の脳裡にあの人が住んでいたのではないか、あるいは木村さんという人に何か怪しい神通力があって、自分の姿を思うがままに私の夢に通わせることができたのではないか、というような気がする。………木村さんの影像が今や紛れもない現実として感じられるに従って、夫と木村さんとは全然別なものとして切り放されるようになった。「夫と木村さんとは一身同体で、あの人の中にあなたもある、二人は二にして一である」と云った言葉を、私はハッキリとここで取り消す。私の夫という人は優形で痩せぎすな外見だけがやや木村さんに似ているけれども、その他の点では何も似ていない。木村さんは見たところ痩せぎすのようだけれども、裸体にしてみるとその胸板には思いのほかの厚みがあって体じゅうに溌剌とした健康感が溢れているのに、夫はいかにも骨組が脆弱で、血色が悪く、皮膚に少しも弾力がない。白い下から紅みがさしている木村さんの皮膚にはつやつやとした潤いと膩味があるのに、青黝い夫の皮膚は金属性に乾き切っている。アルミニュームのようにツルツルなのが今もって気味が悪い。私には夫を嫌悪する気持と愛する気持とが相半ばしていたのであったが、この頃は日々嫌悪一方に傾いて行きつつある。………あゝ、私はおよそ自分とは性の合わない、何という嫌な人を夫に持ったのであろう、もしこの人の代りに木村さんが夫であったらと、日に何度となく溜息が出る。………
………ここまで来てもまだ私は最後の一線を越えずにいる、───と云ったら、夫はそれを信じるであろうか。が、信じようと信じまいとそれが事実なのである。もっとも「最後の一線」というのは、非常に狭義に解釈しての、ほんとうの最後の線であって、それを犯さない限りにおいてなさざるところなしと云ってもよいかも知れない。それというのが、封建的な両親に育てられて来た私の頭には、因襲的な形式主義がいつまでもコビリ着いていて、精神的にはどうあろうとも、肉体的に、夫が常に口癖にするオーソドックスの方法で性交をさえ行わなければ、貞操を汚したことにはならないという考えが、どこかに潜んでいるからである。そこで私は、貞操の形式だけは守りながらそれ以外の方法でならどんなことでもしているというわけである。具体的にどういうことかと問われては困るけれども。………
四月八日。………午後ノ散歩ニ出テ四条通ノ南側ヲ河原町方面カラ西ヘ向ッテ歩イテ行ッタラ、藤井大丸ノ前ヲ数丁進ムト妻ニ出遭ッタ。妻ハ或ル商店デ買イ物ヲシテ、歩道ヘ出テ来タトコロデアッタガ、僕ノ五六間前ヲ僕ノ方ニ背ヲ向ケテ、ヤハリ西向キニ歩イテ行ク。時計ヲ見タラ四時半デアル。時刻カラ考エテ、妻ハ帰宅ノ途中デアッタラシイノデアルガ、西向キニ歩イテイルノハ、恐ラク僕ヨリ先ニ僕ヲ見付ケテ自分ノ方カラ避ケタノニ違イナイ。僕ノ平素ノ散歩道ハ大体東山方面デ、四条方面ヘ来ルヿハメッタニナイノデ、コンナ所デ僕ヲ見付ケタ彼女ハ不意ヲ食ッタヿト思ワレル。僕ハ足ヲ速メテ距離ヲ縮メ、一間手前マデ追イ着イタ。僕モ声ヲ掛ケナケレバ彼女モ後ヲ振リ返ラナイ。ソシテソレダケノ間隔ヲ保チナガラ二人ハ進ンダ。何ヲ買イ物シテイタノカト、彼女ノ出テ来タ商店ノ前ヲ通リカカリニ覗イテミル。婦人服ノアクセサリーヲ売ル店デ、レースヤナイロン製ノ手袋、各種ノイヤリング、ペンダント等々ガウィンドウニ飾ッテアル。洋服ヲ着タヿノナイ妻ガコンナ店ニ用ハナイハズダガト、思ッタトタンニハット驚イテ眼ヲ見張ッタ。気ガ付イテミルト、僕ノスグ前ヲ行ク彼女ノ左右ノ耳朶カラ、真珠ノイヤリングガ垂レテイル。和服ニコウイウモノヲ着ケル趣味ヲイツカラ彼女ハ覚エタノデアルカ。今始メテコレヲ買ッテ早速着ケテ出テ来タノデアルカ、ソレトモ僕ノ見テイナイトコロデ時々コンナヿヲシテイルノデアルカ。ソウイエバ彼女ハ先月アタリカラアノ茶羽織トイウ丈ノ短イ羽織ヲ着テイルノヲシバシバ見カケタ。今日モアレヲ着テ歩イテイル。本来古風ナ身ナリガ好キデ、当世風ノ流行ヲ追ウヿハ嫌イダッタノデアルガ、コウシテ見ルト、コウイウ身ナリモ似合ワナクハナイ。コトニ意外ナノハ耳環ガ似合ッテイルヿデアル。僕ハフト、芥川龍之介ノ書イタモノノ中ニ、中国ノ婦人ハ耳ノ肉ノ裏側ガ異様ニ色ガ白クテ美シイト云ッテイルノヲ読ンダヿガアルノヲ思イ出シタ。妻ノ耳ノ肉モ裏側カラ見ルト冴エ冴エト白クテ美シイ。アタリノ空気マデガ清冽ニ透キ徹ッテイルヨウニ見エル。ソシテ、真珠ノ玉ト耳朶トガ互イニ効果ヲ助ケ合ッテイルノデアルガ、アノ耳ニアノ真珠ヲ下ゲルヿヲ考エツイタノハ彼女自身ノ知慧デハアルマイ。ソウ思ウト僕ハ例ニヨリ嫉妬ト感謝トノ相半バスル気持ヲ味ワワサレタ。妻ニコウイウエキゾチックノ美ガアルヿヲ、彼女ノ夫タル者ガ発見スルヿガデキナイデ、他人ニ見ツケ出サレタノハ口惜シイケレドモ、夫トイウモノハ見馴レタ妻ノ見馴レタ姿ヲノミ見タガルモノデ、カエッテ他人ヨリモ迂濶ナノカモ知レナイ。………妻ハ烏丸通ヲ越エテナオマッスグニ歩イテ行ク。左ノ手ニハンドバッグト一緒ニ、今ノ商店ノ包ミ紙ラシイモノニ包ンダ、細長イ平ベッタイ包ミヲ持ッテイルガ、中身ハ何デアルカ分ラナイ。西洞院ヲ超エタトコロデ、僕ハ彼女ニモウ尾行シテイナイヿヲ知ラセルタメニ電車通リヲ北側ヘ渡ッテ、ワザト彼女ニ見エルヨウニ彼女ヲ追イ越シテ進ンダ。ソシテ四条堀川カラ東行スル電車ニ乗ッタ。………僕ガ帰宅シタ約一時間後ニ妻モ帰宅シタ。妻ノ耳ニハモウアノ真珠ガ下ッテイナカッタ。多分アノハンドバッグノ中ニ入レテアルノデアロウ。サッキノ買イ物包ミハ提ゲテイタガ、僕ノ見テイル前デハソレヲ解カナカッタ。………
四月十日。………夫は彼の日記の中に彼自身の憂慮すべき状態について何ごとかを洩らしているであろうか。自分では自分の頭のことや体のことをどの程度に考えているのであろうか。彼の日記を読まない私にはそれは想像できないけれども、実は私はもう一二カ月前から、彼の様子が変調を来たしていることに気がついていた。彼はもともと血色のすぐれない顔つきをしているのだが、最近は特に色つやが悪くて土気色をしている。階段を上り下りする時にしばしばよろけることがある。元来記憶力のよい人であったのが、近頃は顕著に度忘れをする。人と電話で話しているのを聞いていると、当然知っていべきはずの名前が浮かんで来ないで、マゴマゴしていることがある。室内を歩きながら、突然立ち止まって眼をつぶったり柱につかまったりする。少し慇懃な手紙を書くには巻紙へ毛筆でしたためるのだが、字体がひどく拙劣になりつつある。(書道というものは老年になるほど熟達するのが普通である)誤字や脱漏が目立って多くなっている。私が見るのは封筒の上書きだけであるが、日附や番地を間違えるのは始終である。その間違え方もはなはだ不思議で、三月とすべきを十月としたり、自宅の所番地にとんでもないでたらめを書いたりする。叔父に宛てた封書の上書きに、「之介」の字を「の助」と書いていたのには、少からず驚かされた。「四月」とすべきを「六月」と書いて、「六」の字を消して御丁寧にも「八」の字に直しているのもあった。日附や番地の場合だと、あまり見苦しいものは私がそっと訂正してから出すのであるが、「の助」の時は計らいかねて、「之介」が「の助」になっていますよと、何気ないように注意を与えた。夫は明らかに狼狽しながら、「そうだったかね」とわざと平気を装って云い、すぐには書き直そうともしないで、それを机の上に置いた。が、封筒は私が気を付けて眼を通すようにしているからよいが、本文にはどんな間違いがあるか知れたものではない。夫の頭が変であることは、すでに友人や知己の間には相当知れ渡っているのかもしれない。ほかに相談相手もないので、先日児玉先生にそれとなく夫を診察して貰うように頼んだところ、「そのことで僕も奥さんにお話したいと思っていました」と云う。児玉先生の話だと、夫は自分でも不安になったとみえて、相馬博士に診て貰っているらしいのであるが、博士があまり嚇かすので、博士を敬遠して児玉先生の所へ相談に来たのだそうである。児玉さんは専門でないからはっきりしたことは云えないけれども、「血壓の高いのにはびっくりしましたよ」と云う。「どのくらいあるのです」と云うと、「奥さんに申し上げてよいか悪いか分りませんが」と躊躇してから、「御主人の血壓を血壓計で測ろうとしたら、度盛りの最上部を突破してまだいくらでも上って行くのです。機械が破れそうになったので、慌てて止めてしまいましたが、あの工合だとどのくらいあるか知れませんな」と云う。「主人は知っているのでしょうか」と云うと、「相馬博士から再三の警告があったにもかかわらず、それを守っておられないようですから、寒心すべき状態であるということを隠さず申し上げておきました」と云う。(児玉先生からそういう注意があった以上は、夫に読まれても差支えないと思うので、始めてこのことを書くのである)夫をさような状態に陥れたのには、私に大半の責任がないとは云えない。私の飽くなき要求がなかったならば、夫もああまで淫蕩生活に浸り込むことはなかったであろう。(児玉先生とこの話をした時、私は恥かしさで真っ赧になったが、よいあんばいに児玉さんは私たちの夫婦関係の真相を知らない。私は徹頭徹尾受け身で、働きかけるのはいつも夫の方であり、ひとえに夫自身の不摂生が今日の結果を招いたのであると、児玉さんは思い込んでいるのである)夫にしてみれば、すべては妻を喜ばすのが目的でこういう風になったのであると云うでもあろう。それを私も否定するつもりはないが、私は私で、どこまでも夫に忠実な妻として仕えて来、夫を喜ばすためには随分忍びがたいことをも忍んで来たのである。敏子に云わせれば「ママは貞女の亀鑑」なのだそうで、取りようによってはそうも云えなくはないと思う。………が、まあ、どっちがよいの悪いのと今さら責任のなすり合いをしたところでしょうがない。要するに夫も私も、互いが互いを嗾け合い、唆かし合い、鎬を削り合い、どうにもならない勢いに駆られて夢中でここまで来てしまったのである。………
ここで私はこんなことを書いてよいか悪いか、夫がこれを読んだ場合にどんな結果になるか分らないが、体の工合が寒心すべき状態にあるのは夫ばかりでなく、実は私もほぼ同様であることを書きとめておこうと思う。私がそれを感じたのは今年の正月末頃からであった。もっとも前に、敏子が十ぐらいの時に二三度喀血した経験があり、肺結核の症状が二期に及んでいると云われ、医師に注意を促がされたことがあったが、案ずるほどのこともなく自然に治癒してしまったので、今度もそんなに気にしてはいない。───そうだ、あの時も私は医師の忠告を無視して不養生の限りを尽したのであった。私は死を恐れないわけではなかったが、私の淫蕩の血はそんなことを顧慮する隙を与えなかったのであった。私は死の恐怖に眼を閉じて一途に性の衝動の赴くままに身を委せた。夫も私の大胆さと無鉄砲さに呆れ、今にどうなるであろうかと案じながらも結局私に引き擦られて行った。運が悪ければもうあの時に私は死んでいたのかも知れないのだが、どういうわけかあんな乱暴をしながら直ってしまった。───今度も私は、正月の末に豫感があり、時々胸がむず痒いような生温いような感じを覚えたことがあるので、変だと思っていたのであったが、二月の或る日、この前の時と全く同じ泡を交えた鮮紅色の血液が痰とともに出た。分量は多くないのだけれども、そういうことが二三回つづいた。今は一時的に治まっているようだけれども、いつまたあれが始まるかも知れない。体がだるくて手のひらや顔が妙に火照るところを見ると、熱があるに違いないと思うけれども、私は測ってみようとはしない。(一度測ったら七度六分あったので、それきり測らないのである)医者にも診て貰わないことにしている。盗汗を掻くことも始終である。この前の経験に徴して今度も大したことはあるまいと思っているものの、タカを括って安心しているというわけでもない。ただ幸いにも私は胃が丈夫なのが取柄であると、この前の時に医者に云われた。こういう病気は痩せて来るのが普通であるが、奥さんは食慾が衰えないのが不思議ですねと、よくそう云われた。でもこの前の時と違うのは、おりおり胸が気味悪く疼くことと、午後になると毎日のように疲労感が襲って来ることである。(その疲労感に抵抗しようとして私は一層木村さんに接触する。午後の倦怠を忘れるためにはぜひとも木村さんが必要である)前にはこんなに胸が疼いたことはなかった。またこんなに疲れることもなかった。事によったら今度は次第に悪化して救いがたいことになるのかも知れない。どうもこの胸の痛むのはただごとでないという気もする。それに、不養生の程度もこの前どころの段ではない。この病気には過度の飲酒が最も有害であると聞いているのに、正月以来飲み続けて来たブランデーの量を考えると、これで病勢が昂進しなければ奇蹟であるというほかはない。今から思うと、この間中あんなに酒に酔いしれて前後不覚に陥ったのは、いずれは長くない命であるというやけ半分の心持が、潜在的に手伝っていたのかも知れない。………
四月十三日。………妻ノ外出時間ガ昨日アタリカラ変更サレルノデハナイカト、カネテ僕ハ豫期シテイタガ、果シテソノ通リデアッタ。トイウノハ、木村ノ学校ガ始マッテ、ソロソロ昼間ノ逢引ガ不可能ニナルカラデアル。コノ間ジュウハ午後早クカラ出カケルヿニナッテイタノニ、コノ一両日落チツイテイルナト思ッタラ、昨日ノ夕刻、五時頃ニマズ敏子ガ現ワレタ。スルト申シ合ワセタヨウニ妻ガ立ッテ身支度ヲ始メタ様子デアルノガ、二階ニイテモスグニ分ッタ。妻ハ上ッテ来テ障子ノ外カラ「出カケテ来マス、ジキニ戻リマス」ト云ッタ。例ニヨッテ僕ハタダ「ウン」ト云ッタ。「敏子ガ来テイマスカラ夕飯ハ敏子ト上ッテ下スッテモイイワ」ト、階段ノ途中ニ立チ止リナガラ妻ガ云ッタ。「オ前ハドウスル」ト僕ハ意地悪ク尋ネタ。「私ハ帰ッテカラ食べマス、待ッテイテ下サレバ一緒ニイタダキマスケレドモ」ト云ッタガ、「僕ハ先ニ食ベル。オ前モ食ベテ来タライイ。ユックリシテ来テ構ワナイヨ」ト僕ハ答エタ。フト僕ハ、彼女ガドンナ身ナリヲシテイルカ見タクナッテ、不意ニ廊下ヘ出テ階段ヲ覗イタ。彼女ハスデニ階段ヲ降リ切ッテイタガ、アノ真珠ノイヤリングヲ昨日ハモウ家ノ中デ着ケテイタ。(僕ガ廊下ヘ出テ来ルトハ豫期シテイナカッタノデアル)ソシテ、左ノ手ニ白イレースノ手袋ヲ篏メ、右ノ手ニソレヲ篏メヨウトシテイルトコロデアッタ。先日彼女ガ提ゲテイタ買物包ミノ中身ハコレダッタノダナト思ッタ。意外ナトコロヲ僕ニ見ラレテ彼女ハバツガ悪ソウデアッタ。「ママ、ヨク似合ウワヨ」ト敏子ガ云ッタ。………六時半過ギニ食事ノ用意ガデキタヿヲ婆ヤガ知ラセテ来タノデ、茶ノ間ヘ下リテ行クト敏子ガ待ッテイタ。「マダイタノカ、飯ナラ一人デ食ッテモイイゼ」ト云ウト、「タマニパパノオ相手グライスルモノヨト、ママガ云ウノヨ」ト云ウ。何カ云イタイヿガアルンダナト察シタ。全ク、敏子ト二人デ夕餉ノ膳ニ就クナドトイウヿハ珍シイ。ソウイエバ夕食時ニ妻ガ留守ノヿモ珍シイ。妻ハコノトコロ外出ガチデアルガ、イツモ晩ノ食事ノ時ニハ家ニイル。家ヲ空ケルノハ大概夕食ノ前カ後デアル。ソノセイカ僕ハ何カ空白ガデキタヨウナ淋シサヲ覚エタ。コンナ気持ニナッタヿハメッタニナイ。敏子ガイテクレルヿガカエッテヨケイ空白感ヲモタラスノデ、実ハ有難迷惑デアッタガ、敏子ノヿダカラソレモ計算済ミダッタカモ知レナイ。「パパ、ママハドコヘ行カハルノカ分ッテハルノ」ト、膳ニ向ウト敏子ガ始メタ。「ソンナヿハ分ラナイサ、ソコマデハ知リタクナイカラネ」ト云ウト、「大阪ヨ」ト、ズバリト云ッテ反響ヲ見テイル。「大阪?」ト、ツイ乗リ出シテ云イカケタ言葉ヲ僕ハ怺エテ、「ヘエ、ソウカネ」ト、ツトメテ無表情ニ答エタ。三条カラ舊京阪ノ特急デ四十分デ京橋ニ着ク、ソコカラ歩イテ五六分ノ所ニソノ家ハアル。───「モット委シク教エマショウカ」ト云ウノデアッタガ、黙ッテイルト続ケテアトヲ云イソウナノデ、「ソンナヿハ聞カナイデモイイ。オ前ガソレヲ知ッテイルノハドウイウワケダ」ト、僕ハ話ノ方向ヲ外ラシタ。「適当ナ場所ガアルヿヲ私ガ教エテ上ゲタノヨ。京都デハ人目ニツキヤスイカラ、京都カラ遠クナイ所デ、ドコカナイデショウカト木村サンガ云ウカラ、オ友達ノ或ルアプレノ人デソウイウヿニ委シイ人ニ聞イテ上ゲタノヨ」ソウ云ッテ敏子ハ、「パパ、少シイカガ」ト、クルボアジエヲ注イデ出シタ。近頃ブランデーハ用イナイヿニシテイタノダガ、昨日ハ敏子ガ膳ノ上ニ持チ出シテイタ。僕ハ照レカクシニ一口飲ンダ。「立チ入ッタヿヲ聞クヨウダケレド、パパハドウ思ウテハルノ」ト敏子ガ云ッタ。「ドウ思ウッテ、ドウイウヿサ」「ママガ今デモパパニ背イテイナイト云ッタラ、ソレヲ信用シヤハルツモリ」「ママハオ前トソンナ話ヲシタヿガアルノカ」「ママハシヤハリマセン、木村サンカラ聞イタノデス。奥サンハ先生ニ対シテイマダニ貞節ヲ保ッテオイデデスト、アノ人ガ云ウノヨ。ソンナ阿呆ラシイヿヲ私ハ真ニ受ケハシナイケレドモ」───敏子ガマタシェリーグラスヘイッパイニ注ギ足シタノデ、僕ハ躊躇ナク受ケテ乾シタ。マダイクラデモ飲ム気ニナッタ。「オ前ガ真ニ受ケヨウト受ケマイトオ前ノ勝手ダ」「パパハドウナノ」「僕ハ云ワレルマデモナク郁子ヲ信ジル。タトイ木村ガ郁子ヲ汚シタト云ッタトシテモ、ソンナヿハ信ジナイ。郁子ハ僕ヲ欺クヿガデキルヨウナ女デハナイ」「フフ」ト敏子ガ口ノ内デ微カニ笑ッタ声ガシタ。「デモ、カリニ汚サレテハイナイトシテモ、汚サレルヨリハ一層不潔ナ方法デ或ル満足ヲ───」「止メナイカ敏子」ト、僕ハ叱リツケタ、「生意気ナヿヲ云ウノハ止セ。親ニ対シテ云ッテヨイヿト悪イヿトアル。ソンナヿヲ云ウ貴様コソアプレダ。貴様コソ汚レタ奴ダ。用ハナイカラサッサト帰レ」「帰ルワ」ト云ウト、茶碗ニ飯ヲ盛リカケテイタノガ、ソノ飯ヲパット飯櫃ヘ投ゲ込ンデ出テ行ッテシマッタ。………
………敏子ニ虚ヲ突カレタアトノ心ノ動揺ガ、長イ間静マラナカッタ。敏子ガ「大阪ヨ」ト素ッ破抜イタ時、僕ハ鳩尾ノ辺ガピクント凹ンダヨウナ気ガシタガ、イツマデモソノ感ジガ続イテイタ。トイッテ、僕ハ全然ソウイウヿヲ想像シテモイナカッタワケデハナイ。想像シナガラ努メテソノヿヲ考エナイヨウニシテイタノニ、イキナリハッキリト聞カサレタノデギクリトシタ、トイウノガ偽ラザル気持カモ知レナイ。ソレニシテモ、場所ガ大阪デアルノハ初耳デアッタ。ソレハドウイウ家ナノカ、普通ノ品ノヨイ旅館カ、アルイハ待合カ、モット柄ノ悪イ温泉マークノヨウナ家カ。………考エマイトシテモソノ家ノ様子、室内ノ空気、二人ノ寝テイル恰好マデガ浮カンデ来テ仕方ガナカッタ。………「アプレノオ友達ノ人ニ聞イタ」?───僕ハ何トナク四角ナ壁デ仕切ラレタ安アパート風ノ一室ヲ聯想シ、畳デナクベッドニ寝テイル姿ヲ描イタ。オカシナヿダガ、畳ノ部屋ニ布団ヲ敷イテ寝テイラレルヨリ寝台ニ寝テイテクレル方ガ望マシイ気ガシタ。「何カ非常ニ不自然ナ方法」───「汚サレルヨリハ一層不潔ナ方法」───イロイロナ姿勢、イロイロナ手足ノ位置ガ考エラレタ。………敏子ガ突然アンナ素ッ破抜キヲシタノハナゼカ、アレハ彼女自身ノ意志デ云ッタノデハナク、郁子ガ云ワセタノデハナイカ、トイウ疑問ガ湧イタ。郁子ハソノヿヲ自分ノ日記ニ書イテイルカドウカ知ラナイガ、書イテイタトシテモ僕ガソレヲ読マナイデ(アルイハ読マナイフリヲシテ)イルヿヲ恐レテ、否応ナシニ僕ニソノヿヲ認メサセルタメニ敏子ヲ使ッタ? 一番肝腎ナヿハ、───ソシテ一番気ニナルヿハ、───今度コソ郁子ハスベテノモノヲ木村ニ捧ゲ尽シテシマッタノデハナイカ、ソシテ敏子ノ口ヲ介シテソノ諒解ヲ僕ニ求メテイルノデハナイカ。「ソンナ阿呆ラシイヿハ真ニ受ケナイ」ト敏子ガ云ウノハ、郁子ガ云ワセテイルノデハナイカ。………今考エルト僕ハ、「彼女ガ多クノ女性ノ中デモ極メテ稀ニシカナイ器具ノ所有者デアルヿ」ヲ日記ニ書イタノハ誤リデアッタ。ヤハリアレハ書カナイ方ガヨカッタ。彼女ハソノ器具ヲ、夫以外ノ男性ニ試ミテミタイトイウ好奇心ニ、果シテイツマデ抗シ得タデアロウカ。………従来僕ガ妻ノ貞節ヲ信ジテ疑ワナカッタ一ツノ理由ハ、彼女ガドンナ場合ニモ僕トノ情交ヲ拒マナイヿニアッタ。彼女ガドコカデ彼ト逢ッテ来タヿガ明ラカデアル時ニモ、ソノ夜夫カラ挑マレテ怯ム色ヲ見セタヿハ一度モナイ、バカリカ挑ンデ来ルノデアル。コレハ彼女ガ彼トハ実事ヲ行ッテイナイ証拠デアルヨウニ思ッテイタケレドモ、他ノ女性ナラトニカク、僕ノ妻ハ午後ニソウイウヿガアッテ夜ニ及ンデマタアッタトシテモ、───ソウイウ日ガ数日続イタトシテモ平気ナ体質ナノデアル。愛スル相手ト逢ッタアトデ嫌イナ相手ト行ウヿハ、堪エラレナイ苛責デアルベキハズダガ、彼女ハ例外ナノデアル。彼女ガ僕ヲ拒ンデモ、彼女ノ肉体ハ拒ムヿヲ知ラナイ。拒モウトシテモ誘惑ニ打チ克チ得ズ、カエッテソレヲ喜ビ迎エル。ソコガ淫婦ノ淫婦タル所以デアルヿヲ、僕ハ見落シテイタノデアッタ。………
昨夜妻ガ帰宅シタノハ九時デアッタ。十一時僕ガ寝室ニ入ッタ〓(トキ)ハ彼女ハスデニベッドニイタ。………僕ハ豫期以上ニ積極的デアル彼女ヲ見出シテ驚クホカハナカッタ。僕ハ完全ニ受ケ身ニ立タサレタ。房中ニオケル彼女ノ態度、取リ扱イブリ、アシライ方、等々ニ間然スベキトコロハナカッタ。媚ビノ呈シ方、陶酔ヘノ導キ方、漸々ニエクスタシーヘ引キ上ゲテ行ク技巧ノ段階、スベテハ彼女ガソノ行為ニ渾身ヲ打チ込ンデイル証拠デアッタ。………
四月十五日。………自分ノ頭脳ガ日ニ日ニ駄目ニナリツツアルヿガ自分ニモ分ル。正月以来、他ノ一切ヲ放擲シテ妻ヲ喜バスヿニノミ熱中シテイタラ、イツノマニカ淫慾以外ノスベテノヿニ興味ヲ感ジナイヨウニナッタ。モノヲ思考スル能力ガ全ク衰エテ一ツヿヲ五分ト考エツヅケル根気ガナイ。頭ニ浮カブノハ妻ト寝ルヿニ関シテノ妄想ノ数々バカリデアル。昔カラドンナ場合デモ読書ヲ廃シタヿハナカッタノニ、終日何モ読マズニイル。ソノ癖長イ間ノ習慣デ机ニ向ッテダケハイル。眼ハ書物ノ上ニ注ガレテイルガ、何モ読ンデイルノデハナイ。第一眼ガチラチラシテモノガ非常ニ読ミニクイ。文字ガ二重ニ見エルノデ同ジ行ヲ何度モ読ム。今ヤ自分ハ夜ダケ生キテイル動物、妻ト抱擁スル以外ニハ能ノナイ動物と化シ終ッタ。昼間書斎ニ籠ッテイル時ハタマラナイ倦怠ヲ覚エル一面、云イヨウノナイ不安ニ襲ワレル。外ヲ散歩シテイルトイクラカ不安ガ紛レルケレドモ、ソノ散歩ガダンダン不自由ニナリツツアル。トイウノハ、眩暈ガヒドクテ歩行ニ困難ヲ伴ウヿガシバシバナノデアル。路上デ仰向ケニ倒レソウニナルヿモ始終デアル。散歩ニ出テモアマリ多クヲ歩カヌヨウニシ、ナルベク人通リノ少イ所、百万遍、黒谷、永観堂辺ニ杖ヲ曳イテ、主ニベンチデ休憩シテ時間ヲツブスヿニシテイル。(脚ノ力モ弱ッテイテ歩キ過ギルトジキニ疲レル)………
………今日散歩カラ戻ッテ来ルト妻ガ洋裁ノ河合女史ト茶ノ間デ話シテイル。僕ガ茶ヲ飲ミニハイロウトスルト、「今オハイリニナラナイデ。二階ヘ行ッテイテ下サイ」ト云ウ。覗イテミルト妻ガ洋服ヲ着セテ貰ッテイルノデアル。シキリニ二階ヘ行ケト云ウノデ書斎ニ上ル。「チョット出カケテ来マス」ト、階下デ妻ノ声ガシテ、彼女ト河合女史トガ出テ行ク様子デアル。二階ノ窓カラ路ヲ歩イテ行ク二人ヲ見オロス。妻ノ洋装ヲ見ルノハ始メテデアル。コノ間カラ和服デアクセサリーヲ着ケテイタノハ、コノタメノ用意ダッタノデアル。ガ、正直ノトコロ、妻ノ洋装ハ似合ッテイルトハ云イニクイ。不恰好デ背ノ低イ河合女史ニ比ベルト、優雅ナ体ツキノ妻ノ方ガ似合イソウナモノダケレドモ、身ニツイテイナイ感ジデアル。女史ハ馴レテイルノデ着コナシガ巧イ。妻ハ、アノイヤリングヤレースノ手袋ガ、和服デ着ケテイタ時ノヨウニハ似合ッテイナイ。和服ダトアレガエキゾチックニ感ジラレタノニ、洋服ダト取ッテ付ケタヨウデ、シックリシナイ。服ト、体ト、アクセサリートガバラバラノ感ジデアル。近頃ハ和服ヲ洋服ノヨウニ着コナスヿガ流行ルヨウダガ、妻ハ反対ニ、洋服ヲ和服ノヨウニ着テイル。洋服ノ下カラ、和服向キニデキテイル体ツキガ透イテ見エル。肩ガアマリニモ撫デ肩デ、コトニガニ股ノ脚ガイケナイ。細クテスッキリシテイルノダケレドモ、膝ノ下カラ踝ニ至ル線ガ外側ヘ曲ッテイテ、靴ヲ穿イタ足首ト脛トノ接合点ガ妙ニ脹レボッタク膨ランデイル。ソレニ体ノコナシガ、手ノ持ッテ行キヨウ、足ノ運ビヨウ、頸ノ振リヨウ、肩ヤ胴ノ動カシヨウ等々ガ、スベテ和服流ニシナシナシテイテ締マリガナイ。シカシ僕ニハマタ、ソノナヨナヨトシテ締マリノナイ体ツキ、不細工ニ歪ンデイル脚ノ曲線ガ変ニナマメカシク感ジラレタヿモ事実デアル。コウイウ不思議ナナマメカシサハ、彼女ガ和服ヲ着テイタノデハ現ワレナイ。僕ハ向ウヲ歩イテ行ク妻ノ後姿ヲ見送リナガラ、───分ケテモスカートノ下カラ踝ノ辺ノ歪曲美ニ見惚レナガラ、今夜ノヿヲ考エテイタ。………
四月十六日。………午前中錦へ買い出しに行く。私が自分で食料品を買い漁りに行く習慣も、もう長いこと怠りつづけていたのであったが、───近頃は万事婆や任せにしていたのだが、それでは何だか夫に対して済まないような、主婦の勤めをおろそかにしているような気がしていたので、久しぶりに出かける。(でも私には買い出しなんぞよりもっと大切な勤めがあり、夫を喜ばせるための忙しい仕事が控えているので、なかなか錦へ行く暇などはなかったのだ)行きつけの八百屋の店で筍と蚕豆ときぬさやを少々買う。筍を見たので思い出したが、今年はとうとう花の咲いたのも知らないうちに過してしまった。去年はたしか敏子と二人で、疏水のふちを銀閣寺から法然院の方へ花見をして歩いたことがあった。もうあの辺の花も残らず散ったことであろう。それにつけても今年は何という慌しい落ち着きのない春を送ったことか、あッという間にこの二た月三月が夢のように過ぎてしまった。………十一時に帰って来て書斎の花を活けかえる。今日はマダムが庭にあるのを届けてくれたミモザの花にする。夫はつい今しがた起き出したらしく、私が花を活けている時にようやく二階へ上って来た。朝は早起きの夫なのであるが、近頃はよくこんな風に寝坊をする。「今お起きになったの」と云うと、「今日は土曜だったのか」と云ってから、「明日は朝から出かけるんだろうね」と、まだ睡気の残っているような薄寝惚け声で云った。(その実寝惚けているのではない。大いに気に懸けているのである)私は肯定とも否定とも付かない返辞を、口の内でもぐもぐと云っただけであった。………
二時頃、玄関に「御免下さい」という声がして見知らぬ男がはいって来た。石塚治療院から参りましたと云う。指壓の治療師だそうである。誰もそんな者を頼んだ覚えはないはずだがと思っていると、婆やが出て来て「旦那様が呼んでくれとおっしゃいましたので、私が頼みました」と云う。おかしなこともあるものである。夫は昔から見知らぬ人間に足腰を揉ませたりすることが嫌いなたちで、今まで按摩やマッサージの類に体を触らせたことはないのである。婆やに聞くと、この間から旦那様が肩が凝ってたまらない、首が廻らないくらいだとおっしゃっていらっしゃいましたので、非常に上手な指壓の先生がいるのですが、譃だと思って試してごらんになりませんか、それはそれは不思議なくらい、一度か二度で忘れたように直りますと云って、熱心にお勧めしておいた、そうしたらよほどおつらいのだとみえて、ではその人を頼んでほしいとおっしゃいましたので、と云う。五十恰好の、あまり人相のよくない、痩せた、黒眼鏡を掛けた男である。盲人かと思ったがそうでもないらしい。私がうっかり「按摩さん」と呼んだら、婆やが慌てて「按摩さんと云うと怒るのです、先生と呼んで上げて下さい」と云う。寝室で、夫を寝台に寝かしておいて、自分もベッドに上り込んで治療する。白い清潔な上っ張を着ているけれども、何だか薄汚い感じ。こんな男に神聖なベッドに乗って貰いたくない。夫が按摩嫌いなのももっともだと思う。「えらく凝ってますな、じきに楽にして上げます」などと云う。変に見識ぶっているのが滑稽である。二時から始めて四時頃まで、約二時間も揉む。「もう一回か二回で楽になります、明日も来て上げます」と云って帰って行く。夫に「どんな工合で」と聞くと、「いくらか楽になったようだが、体じゅうをミリミリと強くおさえるので、痛くて、好い気持ではない」と云う。「明日も来て上げると云ってましたね」と云うと、「まあもう一二回やらせてみよう」と云う。よほど凝るのだとみえる。………
「明日は朝から出かけるんだろうね」と云われてみると、「今日もこれから出かけるんです」とは云いにくかったけれども、そうも行かないわけがあるので、四時半頃に洋服に着換え、イヤリングを着けた耳朶をわざと寝室へさし出して、「出かけて来ます」という顔つきをして見せる。「あなた散歩は」と、照れ隠しに聞いてみる。「うん、僕も出かける」と云いながら、夫は指壓のあとでぐったりとして、まだ寝台に横になっていた。………
四月十七日。夫にとって重大な事件の起った日、私にとっても重大な日であったことに変りはない。事によると今日の日記は生涯忘れることのできない思い出になるのではないかと思う。従って今日一日の出来事は細大隠すところなく刻明に書いておきたいのだけれども、しかしそういっても早まったことはしない方がよい。やはり今のところ、今日の朝から夕刻まで私がどこでどういう風に時間を消費したかについては、あまり委しくは書かない方が賢明である。とにかく私は、今日の日曜日をいかにして過すかは前からきめておいたのであるから、その通りにして過した。私は大阪のいつもの家に行って木村氏に逢い、いつものようにして楽しい日曜日の半日を暮らした。あるいはその楽しさは、過去の日曜日のうちでは今日が最たるものであったかも知れない。私と木村氏とはありとあらゆる秘戯の限りを尽して遊んだ。私は木村氏がこうしてほしいと云うことは何でもした。何でも彼の注文通りに身を捻じ曲げた。夫が相手ではとても考えつかないような破天荒な姿勢、奇抜な位置に体を持って行って、アクロバットのような真似もした。(いったい私は、いつの間にこんなに自由自在に四肢を扱う技術に練達したのであろうか、自分でも呆れるほかはないが、これも皆木村氏が仕込んでくれたのである)ところで、いつもは彼とあの家で落ち合うと、合ってから別れるギリギリの時間まで、一秒の暇も惜しんで全力的にそのことに熱中し、何一つ無駄話などはしないのであるが、今日はふっと、「郁子さん、何を考えているんですか」と、木村が眼敏く気がついて私に尋ねた瞬間があった。(木村はとうから私のことを「郁子さん」と呼んでいるのである)「いゝえ別に」と、私は云ったが、その時、ついぞないことに、夫の顔がチラリと私の眼の前を掠めた。どうしてこんな時に夫の顔が浮かんで来たのか不思議であったが、私が一生懸命にその幻影を打ち消すように努めていると、「分っていますよ、先生のことを考えているんですね」と、木村が図星を指して云った。「どういうわけか、僕も先生のことが気になっていたところなんです」───そう云って木村は、あれきり閾が高くなって御無沙汰をしているので、近々お伺いしなければならないと思っていた、実は国元へ手紙を出して、鱲子をお届けするように云いつけてやったのだが、まだ届いていないでしょうか、などと云った。その話はそれで途絶えて、二人は再び享楽の世界に浸り込んだのであったが、今から思うとあれは何かしら虫が知らせたのかも知れない。………五時に私が帰って来た時、夫は外出中であった。婆やに聞くと、今日も指壓の先生が来て二時から四時半ぐらいまで、昨日より三十分以上も長く治療していた。肩がこんなにひどく凝るのは血壓の高い証拠であるが、医者の薬なんぞ利きはしない、どんなに偉い大学の先生にかかってもそう簡単に直るはずはない、それより私にお任せなさい、請け合って直して上げる、私は指壓ばかりでなく、鍼や灸も施術する、まず指壓をして利かなかったら鍼をする、眩暈は一日で効験が現われる、などとあの男は云ったという。血壓が高いといっても、神経に病んで頻繁に測るのはよろしくない、気にすれば血壓はいくらでも上る、二百や二百四五十あっても不養生をして平気で生きている人が何人もいる、むやみに気にしない方がよい、酒や煙草も少しぐらいは差支えない、あなたの高血壓は決して悪性のものではないから、大丈夫良くなりますと云ったとやらで、夫はすっかりあの男が気に入ってしまい、これから当分毎日来てくれ、もう医者は止める、と云っていたという。六時半に夫は散歩から帰って来、七時に二人で食事をした。若筍の吸い物、蚕豆の塩うで、きぬさやと高野豆腐の焚き合せ、───昨日錦で買って来た材料を婆やが料理したのである。ほかに六十目ほどのヒレ肉のビフテキ。(野菜を主にして脂肪分の濃厚なものは控えるように云われているのだが、夫は私との対抗上毎日缺かさず牛肉の何匁かを摂取している。スキヤキ、ヘット焼、ロースト等々いろいろであるが、半生の血のたれるステーキを最も好んで食べる。嗜好よりは必要のために食べるので、缺かすと不安を覚えるらしい)───ステーキは焼き加減がむずかしいので、私がいる時は大概私が焼くのである。鱲子がようよう届いたとみえて、それも膳の上に載っていた。「これがあるからちょっと飲もうか」ということになって、クルボアジエを運んで来たが、たくさんは飲まなかった。先日私の留守中に敏子と喧嘩をした時に、夫があらかた罎を空にしてしまって、底の方にほんのちょっぴり残っていたのを二人で一杯ずつ乾したのであった。夫はそれからまた二階に上った。十時半に風呂が沸いたことを二階へ知らせた。夫が入浴したあとで私も浴びた。(私は今日は二度目である。さっき大阪で浴びたので、浴びる必要はなかったのであるが、夫に対する体裁上浴びた。今までにもそんなことは何回かあった)私が寝室にはいった時、夫はすでにベッドにいた。そして私の姿を見るとすぐにフローアスタンドを点じた。(夫は昨今、あの時以外はあまり寝室を明るくすることを好まなくなっていた。それは動脈硬化の結果が眼にも来ていて、周囲の物象がキラキラと二重にも三重にも瞳に映り、視覚を強く刺戟して眼を開けていられないらしいのである。で、用のない時は薄暗くしておいて、あの時だけ螢光燈をいっぱいにともす。螢光燈の数は前より殖えているので、その時の明るさはかなりである)夫は急に明るくなった光の下に私を見出して、驚きの眼をしばだたいた。なぜかというのに、私は風呂から出ると、ふと思い付いて、イヤリングを着けてベッドに上り、わざと夫の方へ背中を向けて、耳朶の裏側を見せるようにして寝たからである。そういうほんのちょっとした行為で、今までしてみせなかったことをしてみせると、夫はすぐに、簡単に興奮するのである。(夫は私を世にも稀なる淫婦であるように云うけれども、私に云わせれば、夫ぐらい絶えず慾望に渇え切っている男はいない。朝から晩まで、どんな時でも夫はいつもあのことばかり考えていて、私の極めて僅かばかりの暗示にもたちまち反応を呈せずにはいない。隙を見せれば即座に切り返して来るのである)間もなく私は夫が私のベッドの方へ上って来、うしろから私を抱きすくめて耳の裏側へ激しい接吻をつづけざまに注ぐのを、眼をつぶったまま許していた。………私はそんな工合にして、今ではどんな意味ででも愛しているとは云い得ないこの「夫」という人に、自分の耳朶をいじくらせることを、決して不愉快には感じなかった。木村に比べると、何という不器用な接吻の仕方であろうと思いながら、この「夫」の変にくすぐったい舌の感触を、そう一概に気味悪くは感ぜずに、───まあ云ってみれば、その気味の悪いところにもおのずから一種の甘みがあるという風に思いながら、味わうことができたのであった。私は「夫」を心から嫌っているには違いないが、でもこの男が私のためにこんなにも夢中になっているのを知ると、彼を気が狂うほど喜悦させてやることにも興味が持てた。つまり私は、愛情と淫慾とを全く別箇に処理することができるたちなので、一方では夫を疎んじながら、───何というイヤな男だろうと、彼に嘔吐を催しながら、そういう彼を歓喜の世界へ連れて行ってやることで、自分自身もまたいつの間にかその世界へはいり込んでしまう。最初私は、自分自身は恐ろしく冷静であって、ただいかにすれば彼をこれ以上悩乱せしめることができようかと、一途にその面白さに惹かれ、彼が今にも発狂しそうに喘ぐさまを意地悪く観察しつつ、自分の技術の巧みさに自分で酔っているのであるが、そうしているうちに、次第に自分も彼と同じように喘ぎ出し、同じように悩乱してしまう。今日も私は、昼間木村と演じた痴戯の一つ一つを、そのままもう一度夫を相手に演じてみせ、彼と木村とがどういう点でどういう風に違うかを味わい分けることに興味を感じていたのであったが、───そして昼間の相手と比べて、この男の技の拙劣なのに憐愍をさえ催していたのであったが、どういうわけか、そうしているうちに結局私は昼間の場合と同じように興奮してしまった。そして木村を抱き締めたと同じ力でこの男を強く抱き締め、この男の頸に一生懸命しがみ着いた。(ここらが淫婦の淫婦たる所以であると、この男は云うのであろう)私はおよそ何回ぐらい、彼を抱き締め抱き締めしたかは覚えていない、が、私が何分間かの持続の後に一つの行為を成し遂げたとたんに、夫の体がにわかにぐらぐらと弛緩し出して、私の体の上へ崩れ落ちて来た。私はすぐに異常なことが起ったのを悟った。「あなた」と私は呼んでみたが、彼はロレツの廻らない無意味な声を出すのみで、生ぬるい液体がたらたらと私の頬を濡らした。彼が口を開けて涎を滴らしているのであった。………
四月十八日。………こういうことが起った際の心得として、かねて児玉さんから聞かされていた事柄を、私は即座に思い出した。私は彼の下に壓し潰されていた私の体を、静かに外へ引きずり出した。(彼の体は弛緩してから急に体重が増したように、重くどっしりとのしかかっていた。私は彼の頭の部分をできるだけ動揺させないようにしながら、彼の顔の下にある私の顔を、骨を折ってゆっくりと引き退けた。いや、その前に、彼の眼鏡が邪魔になるので、それを第一に取り外した。その時の、眼を半眼に見開いた、顔面筋肉がすっかり弛んだ「眼鏡のない顔」の気味悪さといったらなかった)私は自分だけ寝台を下りて、俯向きに倒れている彼を、注意深く、極めて徐々に仰向きの位置に直した。心持頭部を高く支えておくために、枕やクションを上半身の下に入れてやった。眼鏡のほかには体じゅうに一絲をも纏っていなかったが、(私もその時までイヤリングのほかには何も身に着けていなかった)安静が絶対条件であることを慮って、やはり裸のままにして、その上から寝間着をそっと被せておいた。───全身の左半分に麻痺が来ていることが分った。───時間を知っておこうと思って、棚の上の置時計に眼を遣った。午前一時三分であった。気が付いて螢光燈を消し、ナイトテーブルの小さいスタンドだけを点して、シェードの上に布を被せた。関田町と児玉先生とにすぐ来てくれるように電話し、敏子には途中氷屋を起して氷を二貫目買って来ることを命じた。(私はかなり落ち着いているつもりであったが、受話器を持つ手がふるえていた)約四十分後に敏子が来た。私が台所で氷嚢や氷枕を捜していると、彼女は氷を提げてはいって来て、それを走りの板の上に置き、私がどんな表情をしているかを、光る眼で素早く看て取ってから、そ知らぬ風をして氷を割り出した。私は彼女にパパの様子を手短かに話した。彼女は顔色一つ変えず、今さら驚くには当らないと云わぬばかりに「ふん、ふん」と頷いて、氷を割る作業をつづけた。それから二人で寝室へ行き、麻痺の側と反対の側を特に冷やすように氷嚢と氷枕を当てた。二人とも必要以外の言葉は一言も交えなかった。互いに顔を見ようともしなかった。───見るのを避けるようにしていた。───
二時に児玉さんが来た。私は敏子だけを枕元にいさせて、病室の外で児玉さんを迎え、夫がいかなる状態において発病したかを、───敏子には云わずにおいた事柄を、ざっと話した。またも私は顔を赧くした。児玉さんの診察はなかなか入念で慎重であった。「懐中電燈を貸して下さい」と云って、瞳孔を照らして対光反射の検査をし、「何か箸の棒のようなものはありませんか」と云った。敏子が台所から割箸を持って来た。「ちょっとの間部屋を明るくして下さい」と、螢光燈を点じさせた。児玉さんは、病人の右の足の蹠と左の足の蹠の表面を、その棒の先で踵から爪先へソロソロと数回擦り上げた。(バビンスキー反射というのだと、あとで児玉さんが教えてくれた。棒で擦り上げてみて、どちらかの側の足の趾が反射的に反りかえる場合には、その反対の側に脳溢血があったものと認められる。御主人はどこか右側の脳の一部が切れたものと思わなければなりませんなと、いうことであった)次に児玉さんは、病人が着ていた掛布団を剥ぎ、病人の上に被せてあった寝間着を、下腹の辺まで捲り上げた。(夫が素裸で臥ていたことに、その時始めて児玉さんと敏子が心付いた。螢光燈の明るさの下で夫の下半身が露出されたので、二人はハッとしたらしいが、私の方が一層きまりが悪かった。私は自分がつい一時間前まで、この人のこの体を自分の体の上に乗せていたということが、何だか信じられない気がした。私はしばしば自分の素裸の体をこの人に見られ、何十回となく写真にまで撮られているのであるが、自分は彼の素裸の体を、こういう角度で全身像の形においてしげしげと観察したことはない。しようと思えばできたのであるが、今まで努めてそうすることを避けていた。彼が裸でいる時はできるだけぴったり寄り添って抱き着くようにし、全身像が見えないようにした。彼は私の各部分々々について、恐らくは毛孔の数まで調べ尽していたらしいが、私は彼の体の恰好については、木村のそれを知り尽しているようには知っていなかったし、知りたくなかった。知れば一層嫌いになることが豫想されていたからであった。私はこんな貧弱な体の人と寝ていたのかと、不思議に感じられた。私のことをガニ股だと云うが、彼のガニ股は私どころの段ではないことが、こういう姿勢で臥かしてみると、改めて合点された)それから児玉さんは、病人の左右の脚を一尺五六寸ほどの間隔に開いて、睾丸がよく見えるようにした。そして件の箸の棒をもって、睾丸の根元の両側の皮膚の上を、またさっきのように擦った。(睾丸を吊っている筋肉の反射を見るのだということを、あとで説明して貰った)二度も三度も、代る代る両側を擦った。右の睾丸はゆっくりと鮑が蠢めくように上り下りの運動をするが、左の睾丸はあまり運動する様子がなかった。(私も敏子も眼の持って行き場に困った。敏子はとうとう出て行ってしまった)次に体温、血壓の検査をした。体温は普通。血壓は百九十餘。これは出血の結果幾分低下したものと思われるとのことであった。
児玉さんは一時間半以上もベッドの側の椅子に掛けて、経過を見守っていてくれた。その間に腕の静脈から血を一〇〇グラム抜き取った。濃厚葡萄糖五〇プロにネオフィリン、ヴィタミンB1、ヴィタミンK等を注射した。「午後にまた伺いますが、相馬先生に一度お出でを願った方がよござんすな」ということであったが、云われないでも私はそうするつもりでいた。「親戚に知らせる必要があるでしょうか」と云うと、「もう少し様子を見てからでよいでしょう」と云う。児玉さんが去ったのはかれこれ午前四時。送り出す時、至急看護婦を寄越してくれるように頼んだ。
午前七時、婆やが来たので、敏子が午後にまた来ると云って、いったん関田町に帰った。
敏子の出て行くのを待って木村の宿へ電話する。詳細に容態を知らせる。今のところ見舞に来ることは差控えた方がよい旨を告げる。気が済まないからちょっとでも行かしてほしいと云う。が、病人は半身不随で言語は自由を缺いているけれども、意識は全然昏濁しているというのでもないらしい、だから木村の顔を見て興奮する恐れがないとは云えない由を語る。では病室へは通らない、玄関まででも行かしてくれと云う。
九時頃から夫が鼾を掻き始める。夫は常に鼾を掻く癖があるのだが、今日のは特別に物凄い鼾で、いつものと違うように思う。それまでは朦朧たる意識が働いていたように見えたが、いつの間にか昏睡状態に入ったらしいのである。また木村に電話して、この工合なら病室へ通っても差支えないと云ってやる。
十一時頃児玉氏より電話。相馬博士と連絡が取れた、午後二時そちらへ往診に見えられる由であるから、私も立ち合いますと云う。
午後零時半過ぎに木村が来る。月曜日の授業の合間に抜けて来たのである。病室に通り、三十分ほど枕元に侍坐する。私も傍に付き添う。木村は椅子に掛け、私は夫の寝台(私の寝台には病人が寝ているので)に腰掛けて、二三のことを話し合う。病人の鼾がこの時目立って雷のごとくになる。(ほんとうの鼾かしら? と、ふとそんな気がする。私の顔に危惧の色が浮かんだのを見て、木村も同じことを考えたらしかったが、もちろん二人とも口に出しては云わなかった)午後一時木村辞去。看護婦が来る。小池という可愛らしい二十四五歳の婦人。敏子も来る。私はようやく手が空いたので、この間に食事する。昨夜以来何も食べていなかったのである。
二時相馬博士来診。児玉さんも見える。今朝と容態の変ったところは、昏睡状態に陥ったことと、八度二分ほど発熟したことである。博士の所見も大体児玉さんと違わないらしい。博士もバビンスキー反射を検べたが、睾丸の両側を擦る検査(提睾筋反射という由)はしなかった。瀉血もあまりしない方がよいというのが、博士の意見らしかった。その他こまごまと専門語で児玉さんに注意が与えられる。
博士と児玉さんが去ったあとで、今日も指壓師が治療に見えた。敏子が出て、「あなたの治療のお蔭で父はこういう結果になりました」と皮肉交りに云い、玄関から追い返す。さっき児玉さんが、「二時間以上もそんな過激な指壓をしたのは良くなかったですな、あるいはそれが直接原因になったかも知れませんな」と云ったのを、敏子も聞いていたからである。(児玉さんは真の原因が他にあることを知っていて、いささか私を慰めるつもりで、責任を指壓に持って行ったのかも知れない)「私があの人を紹介したのが悪いのでございます、えらいことをいたしました」と婆やがしきりに詫びを云う。
三時過ぎに、「ママ、少し横にならはったらどう」と敏子が云うので、しばらく睡眠を取らして貰うことにする。ただし、寝室には病人が寝ているし、敏子や看護婦が詰めているし、茶の間もこの際は出入りが多い。敏子の部屋が空いているけれども、彼女は自分が使わない時でも他人に使われることを嫌い、襖や本箱やデスクの抽出等に悉く鍵を掛けているので、私もめったにはいったことがないのである。で、二階の書斎を貸して貰うことにして、板敷の床に夜具布団を敷いて寝る。これから当分、看護婦と私がときどき交代でここに寝ることになりそうである。しかし床にははいってみたが、とうてい寝られそうもないので諦める。それよりも昨日以来の出来事を書き留めておきたかったので、この間に寝ながら日記をしたためる。(先刻二階へ上る時、そのつもりで矢立と日記帳とを敏子に感づかれないように持って上って来たのである)一時間半を費して十七日の朝から今までの出来事を記し終る。そして日記帳を書棚の蔭に隠し、今眼が覚めたようにして階下に下りる。五時少し前である。
病室に行ってみると、病人が昏睡から覚めた様子である。折々うっすらと眼を開けて周囲を見ている。もう二十分ほど前からのことであるという。今朝の九時からおおよそ七時間餘睡りつづけたわけである。二十四時間以上昏睡がつづくと危険なように聞いておりますが、よいあんばいでございましたと小池看護婦が云う。だが左半身の動作は依然として自由を缺いているようである。
五時半頃、病人が口をもぐもぐさせる。何かものを云いたげである。(発音不明瞭ではあるが、今暁発病の直後よりはやや聴き取れるようになった気がする)右の手を少し動かして、腹の下の方を指し示す。小便がしたいのであろうと察し、溲瓶を当ててみるが排尿しない。しきりに懊れているように見える。「おしっこですか」と云うと頷くので、また当ててみるが出ない。長時間尿が溜っているので、下腹部が張って苦しいはずなのであるが、膀胱が麻痺して、出て来ないのであるらしいことが分る。児玉さんに電話で指図を仰ぎ、カテーテルを取り寄せて小池さんが導尿してくれる。多量の排尿を見る。
七時、牛乳と果汁少量を吸い口をもって病人に与える。
十時半頃婆やが自分の家に帰る。家庭の事情でどうしても泊るわけには行かないのだそうで、その時刻まで働いていてくれたのである。敏子が私はどうしましょうと云う。泊っても差支えないのだが、私が泊ってはかえって都合の悪いこともありはしないでしょうか、という意味が含まれているものと察せられる。泊ってくれてもどちらでもよい、病人は小康を保っているようだから、別に心配はないようである、急変があれば知らせて上げてもよい、と私は答える。「そうね」と云って、彼女も十一時に関田町に去る。
病人はウトウトしているが、あまり熟睡はしていないらしい。
四月十九日。………午前零時、小池さんと二人で無言のまま病室にいる。病人に明りが射さないようにして、ランプの蔭で新聞雑誌等を読んで時間を消す。小池さんに二階で少しお休みなさいと勧めても寝ようとしない。五時頃夜が明けかかってからようやく寝に行く。
雨戸の隙間から日が射して来たので、病人はなおさら安眠が得られないらしい。いつの間にか眼をぼんやり開けて、顔を私の方に向けている。眼で私を捜しているようでもある。私が側の椅子に掛けているのが見えないのか、見えるのに見えないふりをしているのか、よく分らない。口を動かして何か云っている。ほかの言葉は不明瞭で聴き分けられないが、一箇所だけ聴き分けられる───ような気がする。気のせいかも知れないが、き───む───ら、と云っているように思える。そのあとは口をあぶあぶ云わせるだけであるが、き───む───ら、のところは、どうもそうに違いないように聞える。(ほかの部分も、もっと明瞭に云おうと思えば云えるのかも知れない。照れ隠しにあぶあぶとごまかしているのかも知れない)二三度それを繰り返して云ってから、また黙って眼を潰ってしまった。………
七時頃婆やが、少し後れて敏子が来る。八時頃小池さんが起きて来る。
八時半病人に朝食を取らせる。ゆるい粥を一碗、卵黄、林檎汁等。私が匙で掬って食べさせる。病人は小池さんよりも、なるべく私に身の周りの世話をして貰いたがっている風が見える。
十時過ぎに尿意を催す。溲瓶を当ててみるがやはり出ない。小池さんが導尿しようとすると、それを嫌うらしく、カテーテルをあっちへ持って行けという風な手つきをする。仕方なくまた捜瓶を当ててみる。十数分経過しても依然として出て来ない。ひどく苛々する様子である。「気持がお悪いでしょうけれども、これで出しておしまいになった方がようございます。ね、そうなさいませ、一遍にお楽になりますよ」と、小池さんが子供を諭すように云って、またカテーテルを持ち出す。病人は何か分らないことを繰り返して云い、手で何ごとをか示そうとするごとくである。小池さん、敏子、私、三人でしきりに聞いてみる。結局、「カテーテルを使うならお前が使ってくれ、敏子と看護婦はあっちへ行っていろ」ということを、私に向って話すのであるらしい。カテーテルは看護婦でなければ扱うことができないのであるから、小池さんに導尿して貰わなければならないことを、敏子と二人で辛うじて納得させる。
正午病人が昼食を取る。大体朝と同じような食事であるが、食慾はかなりあるように思える。
午後零時半木村が来る。昏睡から覚めたこと、意識が少しずつ回復しつつあるらしいこと、木村という名を口にしていたように思えたこと、等々を告げ、今日は玄関で帰って貰う。
午後一時児玉さん来診。経過良好、まだ油断はならないがこの分なら順調であると云う。血壓最高が一六五、最低一一〇。体温三七度二分に低下。今日もバビンスキー反射と提睾筋反射の検査をする。(提睾筋検査の時、病人がどんな顔をするかと思って懸念していたが、どんよりとした、無感覚な瞳を虚空に向けて、されるがままにされていた)葡萄糖、ネオフィリン、ヴィタミン等を静注する。
発病のことは努めて人に知らせないようにしていたのだが、追い追い学校方面に知れてしまい、見舞客、電話の問い合せ等が午後からときどきある。果物籠、花束等を方々から貰う。関田町のマダムが見え、自分の夫と同病であることを知って大いに同情してくれる。そして、これも家の庭に咲いたのですと云ってライラックの花を置いて行く。敏子がそれを瓶に揷して病室に運び、「パパ、マダムが庭のライラックを切って来て下すったのよ」と云って、病人によく見えるような位置に台を持って来て据える。貰い物の果物の中に病人の好きな伊豫柑があったので、ミクサーで絞って与える。
三時、敏子と小池さんに頼んでおいて二階に上り、日記をつけてから睡眠を取る。今日はさすがに睡気が溜っていたので、約三時間ぐっすりと眠る。………敏子今夜は夕飯後間もなく、午後八時に引き上げる。婆や九時半頃に去る。………
四月二十日。………午前一時、小池さんが二階へ寝に行く。そのあと私一人病室に附き添う。病人は宵からうつらうつらしていたようであったが、小池さんが去ってから十数分後、どうも眼を覚ましているらしいけはいを何となく感じる。薄暗い蔭の方に臥ているので、はっきり分らないのであるが、微かな身じろぎとともに口をムニャムニャさせたような気がしたからである。そうっと覗き込んでみると、推察の通り、いつの間にか眼を開けている。その眼は私の顔を超えて、もっと向うの方を見ている。あの、敏子が活けたライラックの花、───病人の眼はそこに注がれているらしい。スタンドの光線を遮蔽して、室内のほんの一部分だけを、辛うじて新聞が読める程度に明るくしてあるのだが、その明るい光の圏の端の方に、ライラックが仄白く匂っている、───その白い影を、見るともなく視詰めて何か考えているような眼つきである。私は何がなしにハッとした。昨日、敏子があの花を持って来て、「マダムが庭に咲いていたのを切って来て下すったのよ」と云った時、今そんなことを聞かせないでもよいのにと、───敏子はどんなつもりで云ったのか知れないが、───私は思ったのであった。あの時多分病人はあの言葉を聴き取ったであろう。───聴き取らなかったとしても、あの花を見ればあの木が植わっている関田町の庭を思い出したであろう。そしてあの家の離れ座敷を思い出し、あそこで起った過去の夜の出来事の数々を思い出したであろう。───そう思うのは思い過しかも知れないが、私は病人の眼を見ると、何かそのことと関聯のある妄想が、あの空虚な瞳の奥に浮かんでいるのではあるまいか、という気がした。私は慌ててスタンドの明りをその花から外らした。………
………午前七時ライラックの花瓶を病室から運び出し、ガラスの花器に揷した薔薇に置き換える。………
………午後一時児玉さん来診。体温六度八分に低下。血壓は再び上る傾向を示す、最高一八五、最低一四〇。そのためネオヒポトニン注射。今日も睾丸の検査がある。玄関まで送って出て児玉さんと話す。膀胱の麻痺がつづいていて、今朝も小池さんが導尿したこと、導尿のたびごとに病人が懊れること、ちょっとしたことが神経に触って興奮する様子が見えること、口と手足が思うように利かないために一層イライラするらしいこと、等々について相談する。鎮静と安眠のためルミナールを用いることにする。………
………敏子今日は午前中は見えず、夕刻五時頃から来る。………十時頃より病人の鼾が聞え始める。これは一昨日の異様な鼾と違い、いつもの安眠の鼾らしい。先刻夕食後注射したルミナールが利いて来たのだとみえる。敏子寝顔を覗いてみて、「よいあんばいにすやすや休んではるらしいわ」と云い、間もなく去る。相前後して婆やも去る。小池さんを二階へ寝に行かせる。十一時近く電話が鳴る。出てみると木村である。「こんな時刻に失礼ですが」と云う。(今なら私が一人でいることを、敏子が教えたのではあるまいか)その後の御容態を聞かして下さいと云う。経過を話して、今夜は睡眠剤の注射が利き、鼾を掻いて熟睡している由を告げる。「ちょっと今から伺ってお顔を見るわけに行きませんか」と云う。「お顔」とは誰のお顔の意味なのかと思う。「来たら私が裏口から外へ出るまで、庭で待っていてほしい。玄関のベルを押してはいけない。出て行かなかったら、都合が悪いのだと察して帰ってほしい」と、電話口でできるだけ小声で答える。十五分後、微かな足音が庭に聞える。病人は依然安らかに鼾ごえを立てている。彼を裏口から上げて女中部屋で三十分ほど話す。………病室へ戻って来ても、まだ鼾ごえが続いていた。………
四月二十一日。………午後一時児玉さん来診。血壓最高一八〇、最低一三六。昨日よりまた少し下ったけれどもなお安心とは云えない。せめて最高が一七〇台に下り、最低との開きが五十以上にならなければと云われる。体温は六度五分でようやく平熱になる。尿も今朝来溲瓶を用い辛うじて排尿するようになる。食慾は相当、持って行けば何でも受け付けるけれども、今のところやや固い目の流動物のみを与える。………
二時、病人を小池さんに頼んで二階に上る。日記をつけてから五時まで眠る。病室へ下りて来てみると、敏子が来ている。五時半、夕食前三十分に今日もルミナールを射す。薬が利いて来るのは四五時間後であるから、当分毎日この時刻に睡眠剤を射して夜間の安眠を謀った方がよいであろうという、児玉さんの意見があったからである。ただし、小池さんに云い含めて、病人には睡眠剤であることを知らせず、血壓降下剤だということにしておく。………
………六時、夕食の膳がナイトテーブルに運ばれて来たのを見、病人が何か云いたいことがあるらしく口を動かす。二度も三度も繰り返して一つことを云う。何のことか聞き取れない。私がスプーンで粥を掬って持って行くと、その手を抑えるようにしてなおも云う。私の給仕が気に入らないのかと思って、敏子が代ってみ、小池さんが代ってみるが、給仕のことではないらしい。そのうちに、病人の云っていることがだんだん私に分って来る。病人はさっきから、びーふーてーき、びーふーてーき、と云っているのである。突飛のようであるが、どうもそう云っているに違いない。ビフテキ、───ビフテキ、───そう云って、訴えるがごとき眼つきでチラと私を見、すぐまた眼を潰る。………私には病人が何を訴えつつあるのかほぼ想像することができたが、他の二人には分らなかったことであろう。(敏子には分ったかも知れない)私は二人に気づかれないように、病人に向って微かに首を振って見せ、「今そんなことを思ってはいけない、当分の間我慢なさい」という意味を匂わせたつもりであるが、病人にそれが読めたかどうか。でも病人は、それきりもうそのことを云わず、おとなしく口を開けて私がさし出す粥をすすった。………
八時、敏子が去り、九時、婆やが去る。十時、病人が鼾を掻いて熟睡し始める。小池さんを二階へ行かせる。十一時、庭に足音が聞える。裏口から女中部屋へ通す。十二時、彼去る。鼾ごえがなお続いている。
四月二十二日。………病状には格別の変化もない。血壓昨日よりまた少し高い。睡眠剤で夜間は安眠するらしいけれども、昼間はとかくもやもやしたものが頭に浮かんで来るらしく、ややもすればイライラする様子が見える。一日十二時間以上睡眠を取らせることが必要であると、児玉さんは云うのであるが、正味熟睡しているのは六七時間に過ぎないであろう、その他の時間は、ウトウトしているようにはみえるが、ほんとうに寝ているのかどうかアテにならない。(大体において、鼾を掻いていない時は眠りの浅い時、せいぜい半睡半醒の状態にいる時であると、私は長年の経験によって判断している。いや、その鼾さえも、今のはニセの鼾ではないかと凝い得る場合がないではない)児玉さんの許可を得て、明日からルミナールを日に二回、午前中に一回と、午後に一回と用いることにする。………
………いつもの時刻に敏子が去り、婆やが去る。十時に病人の鼾が始まる。十一時に庭に足音が聞える。………
四月二十三日。………発病以来今日で一週間である。午前九時、朝食後、小池さんが膳を台所へ下げに行き、私と二人きりになった隙を見て病人が唇を動かす。にーき、にーき、と云っている。昨日の、びーふーてーき、に比べて今日はよほど発音がしっかりしている。にーき、にーき、───日記のことが気にかかるのであるらしい。「日記をお附けになりたいの? でもまだ無理よ」と云うと、「ちがう」と云って首を振る。「違うの? 日記のことと違うの?」と云うと、「お前の日記───」と云う。「私の日記?」と云うと、頷いて、「お前は───お前は日記を───どうしている?───」と云う。「私は昔から日記なんか附けていません、そんなこと、あなた知ってはるやありませんか」と、私はわざと意地悪く空とぼけてやる。すると口辺に力のない薄笑いを浮かべて、「あゝ、そうだったか、分ったよ」という風に頷いている。病人が微かながらも笑顔を見せたのは始めてであるが、ちょっと意味の分らない、謎のような笑いである。小池さんは病人の膳を台所へ運んだついでに茶の間で自分の食事を済ませ、十時頃病室に戻る。そして、黙って病人の腕へルミナールを射そうとする。「何の注射?」と、病人が尋ねる。午前中のこの時刻に注射されたことがないので、不審を抱いたらしいのである。「まだ血壓が少しお高いようですから、下げる注射をするのでございます」と、小池さんが答える。
午後一時児玉さん来診。二時半頃から病人が鼾を掻き出したのを見て、私は二階へ上る。が、五時に下りて来てみると、もう鼾ごえが止んでいる。小池さんに聞くと、ほんとうに熟睡したのは一時間足らずで、それからは夢うつつの境を彷徨しつつあるように見えたと云う。やはり睡眠剤を飲んでも夜間のようには寝られないらしい。夕食後二回目の注射をする。………
きっちり十一時、庭に足音を聞く。………
四月二十四日。………発病以来今日が二度目の日曜である。朝から見舞客が二三人見える。いずれも上らずに帰って貰う。………児玉さん本日は来診せず。病人は格別の変化なし。二時頃から敏子が来る。彼女はこのところ毎日夕刻から来て、二三時間病室に詰めるようにしていたのに、今日は珍しく昼間から出て来た。父が鼾ごえを立てている傍で、「今日はお客様が多くはないかと思って」と、そう云って私の顔色を見ている。私が何とも云わないでいると、「ママ、買い物が溜っていはしないの。………たまの日曜に外の空気を吸うて来やはったらどう?」などと云ったりしている。いったい彼女は自分一人だけの考えで云っているのか、彼から頼まれているのであるか。………彼にそんな気があったのなら、昨夜私に匂わしそうなものだけれども、何もそんな話は出なかった。………直接私には云い出しにくいので、敏子に云わせたのであろうか。それとも敏子が勝手に気を廻しているのであろうか。………ふっと私は、ちょうど今、この時刻に、あの大阪の宿で私の来るのを心待ちにしている彼の様子を思い描いた。………ひょっとしたら、ほんとうにそんなことになっているのかも知れない、───そんな妄想まで浮かんで来たが、でもそんなことがあるはずはないと思って打ち消す。打ち消しても打ち消しても、もし待っていたらどうしよう、と、また妄想が湧いて来る。が、どう考えても今日の私はあそこまで出かける時間はない、そんなに長く家を空けるわけには行かない、せめてこの次の日曜ぐらいにならなければ、などと思う。………しかし私は、ほかにいささか気にかかっていたことがあるので、「ではちょっと、錦辺まで買い物に行って来る。一時間以内に帰るわ」と、敏子に断って、三時過ぎに家を出た。そして大急ぎでタキシーを拾って御幸町錦小路まで飛ばした。私はまず、食料品の買い出しに来たという証拠に、錦の市場で麩だの湯葉だの野菜物だのを買った。それから三条寺町まで歩いて、いつもの紙屋で大判の雁皮を十枚と表紙用の厚紙を一枚買い、それを私の日記帳の大きさに裁って貰い、皺にならないように巧く包装して貰って、買い物袋の野菜物の下に入れた。それから河原町通りでタキシーを拾って、───いや、八百屋の店で彼を電話口へ呼び出したことも書き洩らしてはならない。「いゝえ、今日はどこにも出かけず、家にいました」と彼は云った。事によれば誘いがかかりはしないかと思っていたらしい口ぶりでもあったが、一二分話しただけであった。───四時少し過ぎに帰宅した。(一時間より多少過ぎていたかも知れない)私は玄関の傘立ての蔭に雁皮の包みを隠し、買い物袋は台所の婆やに渡した。………病人はまだ寝ているようには見えたけれども、鼾は止んでいた。………
………私が気にかかっていたことというのは、昨日病人が「お前は日記をどうしている」と云った、あの言葉なのである。私が日記をつけていることを、表向きは知らない体を装っていたはずの夫が、どうして突然あんなことを云い出したのか。頭が混乱していたために知らないはずになっていたことをウッカリ忘れたのであろうか。それとも、「もう僕は知らないふりをする必要を認めなくなった」と云うのであろうか。私が咄嗟の返辞に困って、「日記なんか附けていない」と答えると、「分ったよ」と云って変な笑い方をしたのは、「空惚けるのは止せ」という意味だったのであろうか。───何にしても、夫は彼の発病以後も私が日記を附けることを継続しつつあるかどうか、それを知りたいのに違いなく、継続しているのなら、何とかしてそれを読ませて貰いたいのに違いあるまい。盗み読みができなくなった彼としては、おおびらに私の許可を求めたい下心があったためにあんな言葉を洩らしたのだと、私は推測せざるを得ない。とすると、彼から公然とそういう申し出があった場合のことを、早速考えておかねばならない。この正月から四月十六日に至るまでの私の日記は、もし求められれば、私はいつでも彼の前に取り出して見せるであろう。しかし十七日以後の日記があることは、決して彼に知らせてはならない。私は彼に云うであろう、───「この帳面は始終あなたが盗み読みしていたのですから、隠しても仕方がありませんが、今さら見せるまでもありますまい。それでも見たいと云うのならいくらでも見て貰いますが、見れば分る通り、十六日で日記は終っているのです。あなたが病気になってからは、私は看護に忙しくて日記どころではなかったし、書くような材料もありませんでした」と。───で、私は彼に十七日以後空白になっている日記帳を開けて見せ、彼を安心させなければならない。私が雁皮を買って来たのは、十六日までの分と、十七日以後の分と、日記帳を二冊に分けて製本し直すためなのである。………
………昼寝の時間に外出したので、帰宅後五時から一時間半ほど二階に上る。六時半に下りて来る時に、日記帳を持って下り、茶の間の用箪笥の抽出に入れておく。敏子、夕食後八時に去る。十時小池さんを二階へ行かせる。十一時、庭に音が聞える。………
四月二十五日。………午前零時、送り出して勝手口の戸締りをする。それから約一時間、病室にいて鼾ごえに耳を澄ます。熟睡しているのを見届けて茶の間に入り、日記帳の製本に取りかかる。二冊に分けて、十六日までの分は用箪笥の抽出に収め、十七日以後の分は二階へ持って行って書棚に隠す。この仕事に一時間を費す。二時過ぎ頃から病室に戻る。病人はずっと眠りつづけている。………
午後一時、児玉さん来診。格別の変化なし。このところ血壓も一八〇より一九〇内外を上下している。もう少し下ってくれないものかと、児玉さんは首をかしげる。昼間は依然十分な安眠が得られないらしい。………
………十一時、庭に音が聞える。………
四月二十八日。………十一時、庭に………
四月二十九日。………十一時、庭に………
四月三十日。………午後一時、児玉さん来診。………来週早々、今一度相馬先生に見てお貰いになった方がよござんすなと云う。………
………十一時、庭に………
五月一日。………発病以来三度目の日曜である。………敏子、この前の日曜と同じ時刻、午後二時過ぎに現われる。そうではないかと豫期していた通りである。父の寝息を確かめるような風をしてから、「買い物かたがた息抜きに散歩していらっしゃい」と、小声ですすめる。「どうしようかしら」と、私が躊躇していると、「パパは大丈夫、今しがた寝やはったところよ。………行ってらっしゃいよママ。今日は関田町で昼間から風呂が沸いているのよ、ついでに寄って風呂を貰っていらっしゃい」と云う。何かわけがあることと察し、「ではちょっと一二時間」と云って、三時頃に買い物袋を提げて出かける。まっすぐ関田町へ行ってみる。マダムは留守で、木村が離れに一人でいる。先刻敏子から電話があって、「今日はマダムが和歌山へ行って夜おそくまで不在であるが、私もこれから病人の所へ出かけるので、済まないけれども二三時間留守番に来ていてほしい。夕刻までには帰って来る」ということで、呼び寄せられたのであるという。風呂は沸いていなかったが、風呂の代りに木村がいたというわけである。………ざっと半月ぶりに少しゆっくり話し合うことができたけれども、やはり何となくセカセカして落ち着いた気分にはなれなかった。………彼を残して五時に関田町を出て、時間がないので、───病人が眼を覚ましはしないかと心配なので、───大急ぎで近所の市場で買い物をして帰宅する。「お帰り。早かったわね」と、敏子が云う。「パパは」と云うと、「今日は珍しくよう寝たはる。もう三時間以上になるわ」と云う。なるほど凄い鼾ごえである。「お嬢さんにお願いして、お風呂へ行って参りました」と、小池さんが云う。湯上りの色つやのよい顔をてかてかさせている。あ、そうだったか、小池さんは銭湯へ行って来たのか、───私は何がなしにハッとする。何かしら敏子が作為を施したらしいことを感じる。───もっとも、夫が臥床してからは、家の風呂を沸かしたことは二三度しかない。私も、小池さんも、婆やも、大概隔日か三日置きぐらいに、昼間のうちに銭湯へ浴びに行くことにしているのであるし、今日あたりは小池さんが行く番であるから、行って来るのに不思議はない。が、敏子はそれを計算に入れて、病人と自分と二人きりになるように、私を外へ出したのではあるまいか。ついウッカリして、そういう場合が生じ得ることに、私は考え及ばなかった。いつもなら当然気が付くのであるが、(小池さんの風呂は長湯で、五六十分はかかるということも、私は知っていたはずであるが)「関田町で風呂が沸いている」と云われて、さてはと胸をときめかせて思慮を失ったのである。───私は「しまった」と思いながら、二人に病人を預けておいて、「いつもの午睡をするために」二階へ上った。
すぐに私は、書棚の蔭に隠してある日記帳を取り出して、念のために調べてみたが、セロファンテープで封をしておけばよかったのであるが、まさかそこまで用心深くはしなかったので、盗み読まれていたにしても、証拠を見付けようはなかった。───いや、やっぱり自分の疑心暗鬼に過ぎないのだ、と、私はそうも思い直してみた。自分は少し気を廻し過ぎた、日記帳を二つに分けたこと、後の部分が二階の書棚に隠してあること、等々を、彼らがどうして知るはずがあろう。私はそう思って一とまず安心し、その時はそれで済んだのであったが、………午後八時、敏子が関田町へ去ってしまうと、またそのことが気にかかった。私は台所へ行って婆やに聞いてみた。今日の午後、私が外出したあとで誰かが二階の書斎へ上りはしなかったか。すると意外にも、「はあ、お嬢さんがお上りになりました」と云う。婆やの話だと、私が出かけてから十五分ほどたって小池さんが銭湯へ出かけた、それから間もなく敏子が二階へ上って行ったが、二三分で下りて来て病室に戻り、「何か旦那様とお話しになっていらっしゃる御様子でした」と云う。でも病人は鼾を掻いていたはずだが、と云うと、「その鼾ごえがぱったり止んでいました」と云う。そして敏子は「旦那様としばらく話をなすってからもう一度二階へ上り、またすぐ下りておいでになった、そのあとで小池さんが銭湯から戻って来られました」と云う。でも、夕刻私が帰って来た時には病人の鼾ごえが聞えていたのに、と云うと、「奥さんのお留守中は止んでいて、お帰りになる少し前からまた始まっていたのです」と云う。───
どうやら私の疑心暗鬼が当っており、思い過しが思い過しでなかったことが分りかけて来たのであるが、それでも私にはまだ腑に落ちかねることがあった。ここで一往敏子の今日の行動を順に並べてみると、───午後三時、口実を設けて私を外へ出してしまう。次に小池さんを風呂へ行かせる。次に病人が自ら眼を覚まして敏子に告げたか、敏子から病人に働きかけたか、そこのところは不明であるが、彼女は私の日記帳が茶の間の用箪笥に入れてあることを知り、それを捜し出して病人の枕元へ持って来る。病人が、この帳面は四月十六日で終っているが、十七日以後の分も必ずどこかに秘してあるに違いない、己が読みたいのはその方であるから捜してくれと云う。そこで彼女は二階の書棚を探って見つけ出す。次にそれを病室へ持参して病人に見せる。あるいは読んで聞かせる。次に二階へ持って上って元の場所に収めて来る。小池さんが戻って来る。病人が再び安眠を装う。五時過ぎ、私が帰って来る。───と、こういう風になるのであるが、これだけのことが私の外出中の二三時間に、こうすらすらと運ぶということは、ちょっと普通には考えられない。そこで、思い出したのは、私はこの前の日曜(四月二十四日)にも、敏子にすすめられて午後に外出したのであった。とすると、敏子のこの仕事は、多分あの日曜日から取りかかっていたのではないか。すでに病人は二十三日の土曜の朝、私と二人きりでいる時に、「にーき、にーき」と口走って、私の日記を読みたがっている意を明らかにした。それなら、二十四日の午後、私がいなくなった留守に、敏子と小池さんのいる前(その時も小池さんは銭湯へ行っていたのかも知れないが、婆やは確かな記憶がないと云う)でも、同じ言葉を口走らなかったと誰が云えよう。病人は、私に訴えても取り合ってくれないので、敏子に訴えた。───それは最も有り得ることだと云わなければならない。私は敏子には、私の日記の存在をかつて知らした覚えはない。しかし木村を通してでも、またそうでなくても、何かの折々に感づいていたことであろうし、まして病人が口走ったとすれば、直ちにピンと来たであろう。「ヨウダンス、───」と、病人が茶の間の方を指さす。敏子が茶の間へ行って用箪笥の抽出を捜してみる、が、もはや日記帳はそこに置いてないことが知れる。「分った、きっと二階だわ」と、敏子が云って二階を捜す。そんな場面が私には想像される。───とにかくそういう風にして、まずこの前の日曜に十七日以後も日記を附けていることが知れる。そして今日の日曜に、日記帳が用心深く二冊に製本し直されており、一冊は二階に、一冊は階下に置かれていることが分る。───それならできないことではない。───
さしあたっての私の当惑は、もしこの推定が当っているとすれば、これから以後の日記をどうしたらよいか、ということであった。私はいったん附け始めた日記を、障害に出遇ったからといって、中絶する気にはなれなかった。そうかといって、これ以上盗み読まれることは、避けられるだけは避けた方がよい。今日から私は、昼寝の時間に二階で書くことを止めにする。そして深夜、病人と小池さんの寝るのを待ってしたため、某所に隠しておくことにする。………
六月九日。………長い間、私は日記をつけることを怠っていた。去月一日、すなわち病人が第二回目の発作を起して斃れた日の前日をもって私の日記は終っており、それ以後今日まで三十八日間というもの、私はあとを書き継ぐことを中止していた。それは、病人の突然の死去によって当分の間いろいろな家事上の雑務が生じ、多忙であったからでもあるが、彼の死の結果として、さしあたり先を書き継ぐ興味が、───というか、張り合いが、というか、───なくなったからでもある。その「張り合いがなくなった」という事情は、今日といえども変っていない。だから私は今後も日記をつけることをしないかも知れない。少くとも、再び日記を始めることにするかどうかは、今のところ未定であると云ってよい。が、今年の正月一日以来百二十一日の間毎日書きつづけて来た日記が、あんな風にポツリと切れてしまったままになっているので、あれに一往の結末をつけておく方がよいとは思う。日記の体裁の上からいってもそれが必要であると思うし、亡くなった人と私との性生活の闘争についても、ここらでもう一度振り返ってみて、そのいきさつを追想してみるのも徒爾ではない。故人が書き遺して行った日記、───分けてもこの正月以来の日記と、私のそれとを仔細に読み比べてみるならば、闘争の跡は歴々と分るのであるが、なお私としては、故人の生前には書き記すことを憚っていた事柄がかなりあるので、最後にそれの幾分を書き加えて、過去の日記帳に締めくくりをつけたいのである。
病人の死が突然であったことは今も書いた通りである。後に記すような事情で、正確な時間は分らないのであるが、死んだのは五月二日の午前三時前後───ではなかったかと思う。当時看護婦の小池さんは二階で寝ており、敏子は関田町に去っており、病室には私だけが附き添っていた。しかし私も、午前二時頃病人がいつものように安らかに鼾を掻いているのを見て、密かに病室を抜け出して茶の間に行き、四月三十日の夕刻以後五月一日にかけての出来事を書き留めつつあった。というのは、私はその前々日、つまり夫の発病以後四月三十日までは、毎日午後の午睡の時間を利用して、二階でそっと、その前日の午後からその日の午後に至る出来事を記すことにしていたのであるが、五月一日の日曜に、はからずも秘密にしていた第二冊目の日記帳が病人や敏子に盗み読まれている事実を知り、当日はいつもの時間に二階で記すことを止め、以後は深夜の時刻を選んで筆を執り、日記帳の隠匿場所を変更することにきめたのであった。(変更する場所をどこにしたらよいかについては、すぐには思い当らなかったので、私は一とまず日記帳を以前の場所に収めておいて、その時は二階を下りた。そしてその夜、敏子や婆やが去るのを待って、小池さんが寝に行く少し前に取りに上り、それをふところに入れて下りて来た。そのすぐあとで小池さんが上って行った。私はまだその時も適当な隠し場所を考えつかないで困っていた。今夜じゅうに考えつけばよいのであるが、已むを得なければ茶の間の押入の天井板を一枚剥がして、その上に揷し込むことにしようか、などと思案していた)で、五月二日の午前二時過ぎ、茶の間にはいって懐中していた帳面を取り出し、四月三十日の夕刻以後の出来事を記していると、ふと、つい先刻まで聞えていた病人の鼾ごえが、いつからか聞えなくなっているのに心づいた。病室と茶の間とは壁一と重しか隔たっていないのであるが、私は書く方に気を取られていたので、それまで知らずにいたのである。私は、「………今日から私は、昼寝の時間に二階で書くことを止めにする。そして深夜、病人と小池さんの寝るのを待ってしたため、某所に隠しておくことにする。………」と、ここまで書き終った時に気がついて筆を止め、しばらく隣室に耳を傾けていた。が、それきり声が聞えて来る様子がないので、書きさしの日記帳を卓の上に置き、立って病室に行ってみた。病人は静かに仰向いて、顔を真正面に天井に向けて寝ているようであった。(発病の日に私が眼鏡を外してやってから、病人は一度も眼鏡を掛けたことがなかった。彼の寝ている時の姿勢は、大体において仰向けであったが、そのために一層、あの「眼鏡のない顔」を見せられる場合が多かった)「ようであった」というのは、病室ではスタンドのシェードに布を被せて病人に光線が直射せぬようにしていたので、蔭のところに臥ている病人の顔が、急にはハッキリ見定めがたかったからである。私は椅子に腰かけて一と息つき、薄暗いところにいる病人を見据えたのであったが、何か異常に静か過ぎる感じがしたので、シェードの布を上げて病人の顔に露骨な光線があたるようにした。と、病人の眼は半眼に見開かれて、斜めに、寝台の裾の方の天井に注がれたまま、凝然と動かなくなっていた。「死んだのだ」───私はそう思って傍へ寄り、手に触れてみると、冷たくなっていた。枕元の時計は三時七分を指していた。であるから、五月二日の午前二時数分後から三時七分に至る間において死去した、ということだけが云える。そして恐らく寝ている間に、ほとんど何の苦痛もなく逝ったらしいことは想像できる。私は臆病な人間が恐怖を怺えて深淵の底を覗き込むように、「眼鏡のない顔」を数分の間息を凝らして視詰めてから、───新婚旅行の夜の記憶がとたんに鮮かに蘇生った。───再び急いでシェードの布を被せたのであった。
相馬博士も児玉さんも、第二回目の脳溢血の発作がこの病人にこんなに早く襲って来るであろうとは、豫期していなかったということを翌日云われた。昔、といっても今から十年ぐらい前までは、一度脳溢血に罹ると、それから二三年、もしくは七八年を経て二度目の発作に襲われる例が多く、大概な人はその時に駄目になったものであるが、近年は医術の進歩によって、そうとも限らないようになった。一度罹ってもそれきり罹らない人もあり、二度罹ってもまた再起する人もあり、三度も四度も罹りながらなお天寿を保っている人も、しばしば見受けるようになった。お宅の御主人は学者の方に似合わず、摂生に関しては無頓着なところがあり、ややともすると医師の忠告をお用いにならない風があったので、再発の恐れが全くないとは云えなかったけれども、こんなに早くそれが来るとは思わなかった。まだ六十歳には達しておられないことであるし、ここでいったん、徐々ながらも健康を回復され、今後数年、巧く行ければ十数年は活動をおつづけになるであろうと考えていたのに、かような結果になったのは意外である。───と、博士も児玉さんもそう云ってくれた。博士や児玉さんがほんとうにそう思っておられたかどうかは、もちろん推測の限りではない、人の命数はいかなる名医にも豫断できないものであるから、二人がそう思っておられたとしても不思議はないが、正直に云って、私は大体豫期していたことが豫期した時に起ったと思い、あまり意外な感は抱かなかったのであった。豫期したことが豫期した通りに起らないこともあり得るし、むしろその方が普通であるが、私と夫の場合には、私の豫測が適確に当ったのである。そのことは娘の敏子にしても、同様に感じているだろうと思う。
そこで、もう一遍夫の日記と私の日記とを読み返し、照らし合わしながら、夫と私とがこういう風な発展の後にこういう風な永別を遂げるに至った事の次第を、今こそあけすけに跡づけてみたいのである。もっとも、夫はすでに何十年も前、私と結婚する以前から日記をつけていたそうであるから、彼と私との関係を根本的に究めるためには、そういう古い日記から読み直すのが順序であるかも知れない。が、私のようなものがそんな大仕事に手をつける資格はない。二階の書斎の、梯子を掛けなければ届かない高い所にある戸棚には、夫の日記帳が何十冊となく埃にまみれて積み重ねてあるのを知っているけれども、私はそんな厖大な記録に眼を通すほどの根気はない。故人は彼自身も云っている通り、去年までは私との閨房生活のことは努めて日記に附けないようにしていた。彼がそのことを遠慮なく記すようになったのは、───というよりは、ほとんどそのことばかりを記す目的をもって日記を書くようになったのは、今年の正月以来のことで、同時に私もこの正月からそれに対抗して附け始めたのであるから、まずそれ以後の彼と私とが代る代る語るところを対比して見、その間に漏れているところを補って行けば、二人がどんな風にして愛し合い、溺れ合い、欺き合い、陥れ合い、そうして遂に一方が一方に滅ぼされるに至ったかのいきさつが、ほぼ明らかになるはずで、それ以前の日記にまで溯る要はないように思う。夫は本年一月一日の記において、私のことを「生レツキ陰性デ、秘密ヲ好ム癖ガアル」と云い、「知ッテイルヿデモ知ラナイ風ヲ装イ、心ニアルヿヲ容易ニ口ニ出サナイ」性質の女であると云っているが、これはたしかにその通りであることを否定しない。概括的に云えば、私よりも彼の方が何層倍か人間が正直にできており、従ってその記すところにも虚偽が少いことは認めざるを得ないけれども、そう云っても彼の言葉にも、全く譃がないというわけでもない。たとえば「妻ハコノ日記帳ガ書斎ノドコノ抽出ニハイッテイルカヲ知ッテイルニ違イナイ」けれども、「マサカ夫ノ日記帳ヲ盗ミ読ムヨウナヿハシソウモナイ」と云ったり、「シカシ必ズシモソウトハ限ラナイ理由モアル」が、「今年カラハソレヲ恐レヌヿニシタ」と云ったりしているが、実はその後段において告白している通り、「ムシロ内々読マレルヿヲ覚悟シ、期待シテイタ」というのが本心であったことを、私は夙に見破っていた。正月四日の朝、彼が書棚の水仙の花の前にわざと抽出の鍵を落しておいたのは、私に日記を読んで貰いたくてたまらなくなった証拠であるが、そんな小細工をしてくれないでも、私はとうから盗み読みをしていたのであることを、ここで白状することにしよう。私は私の一月四日の記において、「私は(夫の日記帳を)決して読みはしない。私は自分でここまでときめている限界を越えて、夫の心理の中にまではいり込んで行きたくない。私は自分の心の中を人に知らせることを好まないように、人の心の奥底を根掘り葉掘りすることを好まない」と云っているが、ほんとうを云えばそれは虚言である。「私は自分の心の中を人に知らせることを好まない」けれども、「人の心の奥底を根掘り葉掘りすること」は好きなのである。私は、彼と結婚したその翌日あたりから、ときどき彼の日記帳を盗み読む習慣を持ち始めていた。私は彼が「その日記帳をあの小机の抽出に入れて鍵をかけていることも、そしてその鍵を時としては書棚のいろいろな書物の間に、時としては床の絨緞の下に隠していることも、とうの昔から知ってい」たのであり、決して「日記帳の中を開けて見たりなんかしたことはない」どころではない。ただ今までは、われわれ夫婦の性生活につながりのある問題はあまり扱われていたことがなく、私には無味乾燥な学問的な事柄が多かったところから、めったに身を入れて見たことはなかった。時折ぱらぱらとページをめくってみる程度で、わずかに「夫のものを盗み読んでいる」ということだけに、或る満足を覚えていたに過ぎなかったのであるが、彼がそのことを記すことを「恐レヌヿニシタ」今年の正月一日の記から、私は当然の結果として彼の記述に惹き付けられた。私は早くも正月二日の午後、彼が散歩に出かけた留守中に、彼の日記の書き方が今年から変化していることを発見した。ただし私が盗み読みをしていることを夫に秘していたのは、生来「知ッテイルヿデモ知ラナイ風ヲ装」うのが好きであるためばかりではない。盗み読んでは貰いたいのだが、読んでも読まない風をしていてくれるようにというのが、恐らくは夫の注文であるらしいことをも、察していたからである。
彼が私を、「郁子ヨ、ワガ愛スルイトシノ妻ヨ」と呼び、「何ヨリモ、僕ガ彼女ヲ愛シテイルヿ」は「偽リノナイヿデ」あると云っているのは、真実に違いないと思う。私はその一事については寸毫も彼を疑っていない。が、同時に私も当初においては彼を熱愛していたことを、認めて貰いたいのである。「遠い昔の新婚旅行の晩、………彼が顔から近眼の眼鏡を外したのを見ると、とたんにゾウッと身慄いがしたこと」も事実であり、「今から考えると、私は自分に最も性の合わない人を選んだらしい」ことも、時々彼に面と向ってみて、「何という理由もなしに胸がムカムカ」したことも事実であるに相違ないが、そうだからといって、私が彼を愛していなかったということにはならない。「古風ナ京都ノ舊家ニ生レ封建的ナ空気ノ中ニ育ッタ」私は、「父母の命ずるままに漫然とこの家に嫁ぎ、夫婦とはこういうものと思」わされて来たのであるから、好むと好まないとにかかわらず、彼を愛するよりほかに術はなかった。まして私には「今日モナオ時代オクレナ舊道徳ヲ重ンズル一面ガアリ、或ル場合ニハソレヲ誇リトスル傾向モア」ったのである。私は胸がムカムカするたびに、夫に対しても、亡くなった私の父母に対しても、そういう心持を抱く自分自身を浅ましいとも、申しわけがないとも感じ、そんな心持が起れば起るほど、なおさらそれに反抗して彼を愛するように努めたし、また愛し得ていた。なぜかというのに、生れつき体質的に淫蕩であった私は、どうでもこうでもそうするよりほかに生き方はなかったからである。当時の私が、夫に対して何かの不満を持っていたとすれば、それは夫が私の旺盛な慾求に十分な満足を与えてくれないという点にあったが、それでも私は、彼の体力の乏しさを咎めるよりは、自分の過度な淫慾を恥じる気持の方が強かった。私は彼の精力の減退を歎きながらも、そのために愛憎を尽かすどころか、一層愛情を募らせつつあった。しかるに、彼は何と考えたのか、この正月からそういう私に新しい眼を見開かせてくれたのである。彼が「今日マデ日記ニ記スコトヲ躊躇シテイタヨウナ事柄ヲモアエテ書キ留メルヿニシタ」真の動機が何であったかは、よく分らない。「僕ハ彼女ト直接閨房ノヿヲ語リ合ウ機会ヲ与エラレナイ不満ニ堪エカネテコレヲ書ク」と云い、私の「アマリナ秘密主義」、私のいわゆる「身嗜ミ」、「アノ偽善的ナ『女ラシサ』」、「アノワザトラシイオ上品趣味」に反感を抱き、それを打破してやりたいために「コウイウヿヲ書ク気ニナッタ」と云っているのは、果してそれだけが理由だったのであろうか。恐らくは他に重大な原因もあったことと思われるけれども、日記は不思議にもそのことについて明瞭には記すところがない。あるいは彼自身も、ああいう日記を書きたくなった心の経過、その由って来るところを理解していなかったのかも知れない。とまれ私は、自分が「多クノ女性ノ中デモ極メテ稀ニシカナイ器具ノ所有者デアルヿ」を、始めて教えられたのであった。私が「モシ昔ノ島原ノヨウナ妓楼ニ売ラレ」た女であったとしたら、「必ズヤ世間ノ評判ニナリ、無数ノ嫖客ガ競ッテ」「周囲ニ集マ」ったであろうことを、私は始めて知ったのであった。ところで、「僕ハコンナヿヲ彼女ニ知ラセナイ方ガヨイカモ知レナイ。彼女ニソウイウ自覚ヲ与ユルヿハ、少クトモ僕自身ノタメニ不利カモ知レナイ」にもかかわらず、彼があえてその不利を冒す気になったのはなぜであろうか。彼は私のその「長所ヲ考エタダケデモ嫉妬ヲ感」じ、「モシモ僕以外ノ男性ガ彼女ノアノ長所ヲ知ッタナラバ、………ドンナヿガ起ルデアロウカ」不安であると云っているが、その不安をことさら隠すところなく日記に書き記すということは、ひょっとすると、私にそれを盗み読んで貰い、そうして彼を嫉妬せしめるような行動を示して貰うことを、期待しているのではあるまいかという風に、私は取った。この推測が当っていたことは、「僕ハソノ嫉妬ヲ密カニ享楽シツツアッタ」、───「僕ハ嫉妬ヲ感ジルトアノ方ノ衝動ガ起ル」、───「ダカラ嫉妬ハ或ル意味ニオイテ必要デモアリ快感デモアル」(一月十三日)───等々とあるので明らかであるが、もうそのことは一月一日の日記の中でうすうす私には想像できたのであった。………
六月十日。………八日に私はこう書いている。───「私は夫を半分は激しく嫌い、半分は激しく愛している。私は夫とほんとうは性が合わない………」と。そうしてまたこうも書いている。───「だからといって他の人を愛する気にはなれない。私には古い貞操観念がこびり着いているので、それに背くことは生れつきできない」、───「私は夫のあの………愛撫の仕方にはホトホト当惑するけれども、そういっても彼が熱狂的に私を愛していてくれることは明らかなので、それに対して何とか私も報いるところがなければ済まない」と。亡くなった父母に厳しい儒教的躾を受けた私が、仮にも夫の悪口を筆にするような心境に引き入れられたのは、二十年来古い道徳観念に縛りつけられて、夫に対する不満の情を無理に抑壓していたせいもあるけれども、何よりも、夫を嫉妬せしめるように仕向けることが結局彼を喜ばせる所以であり、それが「貞女」の道に通ずるのであることを、おぼろげながら理解しかかっていたからである。しかし私はまだ、夫を「激しく嫌」うと云い、「性が合わない」と云っているに過ぎず、すぐそのあとから「他の人を愛する気にはなれない」、夫に「背くことは生れつきできない」と、弱音を吐いているのである。私はすでにその時分から、潜在的には木村を恋しつつあったのかも知れないが、自分ではそれを意識していなかった。自分は夫に貞節を尽さんがために、心ならずも彼の嫉妬を煽るような言葉を、恐る恐る、それも大変遠廻しに洩らしていただけであった。
だが、十三日に、「木村ニ対スル嫉妬ヲ利用シテ妻ヲ喜バスヿニ成功シタ」、───「ソウイウ風ニシテ努メテ僕ヲ刺戟シテクレルヿハ、彼女自身ノ幸福ノタメデモアルト思ッテ貰イタイ」という語、「僕ハ僕ヲ、気ガ狂ウホド嫉妬サセテホシイ」、───「妻ハ随分キワドイ所マデ行ッテヨイ。キワドケレバキワドイホドヨイ」、───「多少疑イヲ抱カセルクライデアッテモヨイ。ソノクライマデ行クヿヲ望ム」という語が出て来るのを読んでから、私は急角度をもって木村のことを考えるようになった。「少クトモ妻ハ、………自分デハ若イ二人ヲ監督シテイルツモリカモ知レナイガ、実際ハ木村ヲ愛シテイルヨウニ思エテナラナイ」と、七日に夫がそんな風に書いているあたりでは、私はむしろ「イヤらしい」というように感じ、いくら夫に嗾けられてもそういう道に外れたことができるものかと、反撥を感じていたのであったが、「キワドケレバキワドイホドヨイ」と云われるに及んで、私の心に急回転が起った。私が意識するより前に、私に木村を好む様子があるのを見て夫が嗾けたのか、嗾けられたので無から有が生じたのか、そこのところはよく分らない。が、私は自分の好奇心が木村の方へ傾いたのを明瞭に意識し出してからも、なおしばらくは、夫のために「心ならず」もそのように「努めて」いるのであると、自らを欺いていた。───そう、私は今「好奇心」という語を使ったが、当時は夫を喜ばすために夫以外の人間にちょっとした好奇心を持ってみるのだ、という風に自分に云い聴かせていた。一月二十八日に、始めて人事不省になった時の心理状態を云えば、木村に対する自分の気持が夫のためのものであるのか、自分自身のためのものであるのか、その辺の境界があの晩あたりから自分にも分らなくなって来たので、その苦しさをごまかそうとしていたのであった。あの晩から、二十九日、三十日の朝にかけて、私はずっと寝通していた。「彼女ノ性質カラ推シテ、果シテホントウニ睡ッテイタノカ寝タフリヲシテイタノカ、ソノ点ハ疑ワシイ」と夫が書いているあの二日間、私は決して「寝タフリヲシテイタ」のではないが、そうかといって完全に意識を失いつづけていたとは云いがたい。あの時の半睡半醒の状態は、大体あの折の日記に書いた通りであるが、「彼女ノ口カラ『木村サン』トイウ一語ガ譫語ノヨウニ洩レタ」ことについては、多少書き添える必要があろう。あれは「ホントウノ譫語ダッタノカ、譫語ノゴトク見セカケテ故意ニ僕ニ聞カセタノデアルカ」どちらであるかといえば、その中間ぐらいであったといえよう。私は「寝惚ケテ、木村ト情交ヲ行ッテイルト夢見」つつあったのであるが、とたんに「木村さん」という譫語を口走ったのを、朦朧とした意識の底で感じていた。「あゝ浅ましいことを口走っているな」と思いながら云っていた。そして、こんな言葉を夫に聞かれて恥かしいと思う一方、聞かれた方がよかったという気持も、ないではなかった。しかしその次の夜、「『木村サン』トイウ一語ガ今夜モ彼女ノ口カラ洩レタ。彼女ハ今夜モ同ジ夢、同ジ幻覚ヲ、同ジ状況ノ下ニオイテ見タ」のであろうかと云っている三十日の夜の場合は違う。あの夜は私は明らかに或る目的をもって寝たふりをし、譫語のように見せかけてあの言葉を云った。はっきりした意図と計画に基いていたとまでは云いがたいが、───やはり幾分は寝惚けていたかも知れないが、───寝惚けているのを意識しながら、良心を麻痺させるのにそれを利用した。「僕ハ彼女ニ愚弄サレテイルト解スベキナノデアロウカ」と夫は云っているが、あるいはそう解するのが当っているかも知れない。あの譫語には、「木村サントコンナ風ニナッタラナア」という気持と、「夫があの人を私に世話してくれたらなあ」という気持と、二つの願望が籠っていたに違いなく、それを分って貰うためにあの言葉を云った。
二月十四日に、木村は夫にポーラロイドという写真機のあることを教えた。「僕ニソウイウ機械ノアルヿヲ教エタラ僕ガ喜ブデアロウトイウヿヲ、ドウシテ木村ハ察シタノデアロウカ、ソレガ不思議ダ」と云っているが、それは私にも不思議であった。夫が私の裸体像を撮影したがっているだろうなどとは、私にしても察知してはいなかった。仮に察知していたとしても、そんなことを木村に知らせてやる隙などはなかった。あの時分、私は毎夜のように泥酔して木村の腕に凭りかかりつつ抱き運ばれていたけれども、夫婦間の秘戯に関することはおろか、ついぞ打ち解けた談合などを彼と遣り取りしたことはなかった。ありていに云って、彼とは酔って運ばれるだけの関係で、夫の眼を掠めて話し合う機会などあるはずはなかった。私はむしろ敏子が怪しいと睨んでいた。木村にそんな暗示を与えた者があるとすれば、敏子を措いて他にない。彼女は二月九日に、関田町に別居させてほしい旨を申し出ており、静かな場所で勉強したいというのを理由に挙げているが、「静かな場所」を欲するというのは、深夜両親の寝室で時々煌々と電燈が点ったり、螢光燈ランプが輝いたりするのに辟易しているという意味であろうことは、推測するにかたくなかった。多分彼女は、螢光燈に照らされている寝室内の光景を夜な夜な隙見していたに違いないが、───ストーブがゴウゴウと呻りを立てて燃えていたので、足音を忍ばせるには好都合であったはずだ。───とすれば、私を裸体にしてさまざまな姿態に置きかえることに限りない愉悦を覚えていた夫の所作をも、悉く見て知っていたであろうことも想像できる。とすればまた、彼女がそのことを木村に話したであろうことも想像できる。これらの想像が当っていたことは後日に及んで明らかになったが、私は十四日の夫の日記を読んだ時に、おおよそそこまでは察していた。つまり、当時私が裸体にされて弄ばれていたことは、私自身より先に敏子が知り、木村に報告していたはずであった。
それにしても、木村は何のために「ソウイウ機械」のあることを夫に教えたり、私の裸体を撮影することを示唆したりしたのであろうか。このことについては、ついまだ木村に聞いてみるのを忘れていたが、察するところ、一つには夫にそういう智慧を授けて彼の歓心を得たかったのであろう。が、一つには、そうすれば他日夫の撮影した裸体写真を、自分も手に入れることができるようになることを、期待したからなのであろう。そしてその方が主たる目的だったのであろう。夫がやがてポーラロイドで満足できず、ツワイス・イコンを使うようになり、それを現像する役目が木村に廻って来るようになるのを、───細かい先の先まではどうか知れないが、大体そういうようなことが起り得ることを、木村は恐らく見通したのであろう。
二月十九日に、「敏子の心理状態が私には掴めない」と書いているが、実は或る程度は掴めていた。今述べたような工合で、私は彼女がわれわれ夫婦の閨房の情景を木村に洩らしたであろうことは、ほぼ推していた。彼女は木村を、心密かに愛しているのであり、それゆえに「内々私に敵意を抱きつつある」ことも分っていた。彼女は、「母は生れつき繊弱なたちで過度の房事には堪えられないのに、父が無理やりに云うことを聴かせ」ているのであると解し、その点では私の健康を気づかい、父を憎んでいたのであるが、父が妙な物好きから木村と私とを接近させ、木村も私もまたそれを拒まない風があるのを見て、父を憎むとともに私をも憎んだ。私はそれを随分早くから感づいていた。ただ、私以上に陰険である彼女は、「自分の方が母より二十年も若いにかかわらず、容貌姿態の点において自分が母に劣っている」ことを知っており、木村の愛がより多く母に注がれていることを知っているがゆえに、まず母を取り持っておいて徐ろに策を廻らすつもりでいたことも、私には読めていた。しかし二人を取り持つについて、彼女と木村との間にあらかじめどれだけの連絡があったのかは、いまだに私によく分らない。たとえば、彼女が関田町へ間借りしたのは、螢光燈に辟易したためばかりでなく、木村の下宿が近いということも、初めから考慮の中にあったことと思われるけれども、それは木村の入れ智慧だったのか、彼女が単独で思いついたことなのか。あれは敏子が勝手にお膳立てをしたので、「僕は据え膳の箸を取っただけだ」と、木村は云っていたけれども、真相はどうなのであろうか。私はそういう点については、今も木村を信用していない。
敏子が私を嫉妬していたように、私も内心敏子に対してかなり激しい嫉妬を燃やしていた。にもかかわらず、私は努めてそのことを人にも悟らせず、日記にも書かないようにしていた。それは私の持ち前の陰険性のゆえでもあるが、それよりも、自分の方が娘よりも優れているという自信を持っていたところから、その自尊心を自ら傷つけたくなかったからであった。なおもう一つ、私が敏子を嫉妬する理由のあること───というのは、木村が彼女をも愛しているかも知れないという疑いのあること───を、夫に知られるのを何よりも私は恐れた。夫自身も、「モシ僕ガ木村デアッタトシテ、ドッチニヨケイ惹キ付ケラレルカトイエバ、ソレハ、年ハ取ッテイルケレドモ母ノ方デアルヿハ確カ」であると云いながら、「ダガ木村ハドウトモ云エナイ」と云い、「サシアタリ母ノ歓心ヲ買イ、母ヲ通ジテ敏子ヲ動カソウトシテイル」かも知れないと、多少疑念を挟んでいた時もあった。で、私は夫にそういう疑念を抱かせることを最も嫌った。木村は一途に私一人を愛しているもの、私のためにはいかなる犠牲をも惜しまないでいるものと、夫に思わせておきたかった。そうでなければ、夫の木村に対する嫉妬が生一本で強烈なものにならないからであった。
六月十一日。………夫は二月二十七日に、「ヤッパリ推察通リダッタ。妻ハ日記ヲツケテイタノダ」と云い、「数日前ニウスウス気ガ付イタ」と云っているけれども、実際はよほど前からハッキリと知っており、かつ内容を盗み読みしていたものと思う。私もまた、「自分が日記をつけていることを夫に感づかれるようなヘマはやらない」───「私のように心を他人に語らない者は、せめて自分自身に向って語って聞かせる必要がある」───などと云っているのは、真赤な譃である。私は夫に、私には内証で読んで貰うことを欲していた。「自分自身に向って聞かせ」たかったことも事実であるが、夫にも読ませることを目的の一つとして書いていた。では何のために音のしない雁皮紙を使ったり、セロファンテープで封をしたりしたかといえば、用もないのにそういう秘密主義を取るのが生来の趣味であったのだ、というよりほかはない。この秘密主義は、私のことをそう云って嗤う夫にしても同様であった。夫も私も、互いに盗み読まれることは分っていながら、途中にいくつもの堰を設け、障壁を作って、できるだけ廻りくどくする、そして、相手が果して標的へ到達したかどうかを曖昧にする、それが私たちの趣味であった。私が面倒な手数を厭わずセロファンテープ等を使ったのは、自分だけでなく、夫の趣味に迎合するためでもあった。
私は四月十日になって、始めて夫の健康が尋常でないことを日記に書いている。───「夫は彼の日記の中に彼自身の憂慮すべき状態について何ごとかを洩らしているであろうか。………彼の日記を読まない私にはそれは想像できないけれども、実は私はもう一二カ月前から、彼の様子が変調を来たしていることに気がついていた」と。夫自身がこのことを自白したのは、三月十日の記事からであるが、実際は、彼が自分で気がつくより先に、私の方が知っていたのではないかと思う。私はしかし、いろいろの理由から、最初のうちはわざとそれに気がつかないふりをしていた。それは夫をいたずらに神経過敏にさせることを恐れたからでもあるが、それ以上に、神経過敏の結果として、彼が房事を慎しむようになることを一層恐れたのであった。私は夫の生命を心配しないわけではなかったが、飽くことを知らぬ性的行為の満足の方がもっと切実な問題であった。私は何とかして彼に死の恐怖を忘れさせ、「木村トイウ刺戟剤」を利用して嫉妬を煽り立てることに懸命になっていた。………が、私のこの気持は、四月にはいってから次第に変った。三月中、私はたびたび、自分がいまだに「最後の一線」を固守している旨を日記に書き、夫に私の貞節を信じさせるように努めたのであったが、「紙一重のところまで」接着していた私と木村の最後の壁がほんとうに除かれたのは、正直に云うと三月二十五日であった。翌二十六日の日記に、私と木村のそらぞらしい問答が記されているが、あれは夫を欺くための拵えごとであった。そして、私の心に重大な決意ができ上るようになったのは四月上旬、四日、五日、六日、あたりであったと思う。夫に誘導されて一歩一歩堕落の淵に沈みつつあった私であるが、まだそれまでは、夫の要請黙しがたく苦痛を忍んで不倫を犯しているかのように、───そうしてそれは舊式な道徳観から見ても、婦人の亀鑑と仰がれてもよい模範的行為であるかのように、自分を欺いていたのであったが、その時あたりから、私は全く虚偽の仮面を投げ捨ててしまった。私はきっぱりと、自分の愛が木村の上にあって夫の上にはないことを、自ら認めるようになった。四月十日に、「体の工合が寒心すべき状態にあるのは夫ばかりでなく、実は私も同様である」と書いているのは、深い魂胆があってのことで、ありようは、私は病気でも何でもなかった。もっとも、「敏子が十ぐらいの時に二三度喀血した経験があ」り、「肺結核の症状が二期に及んでいると云われ」たのは事実であるが、それでも「医師の忠告を無視して不養生の限りを尽し」て、幸運にも「案ずるほどのこともなく自然に治癒してしま」い、それ以後再発したことはなかったのであった。従って、「二月の或る日、この前の時と全く同じ泡を交えた鮮紅色の血液が痰とともに出た」ことも、「午後になると毎日のように疲労感が襲って来」て、「おりおり胸が気味悪く疼」いたことも、「今度は次第に悪化して救いがたいことにな」りそうで、どうやら「ただごとでない」ような気がしたことも、すべて根も葉もない虚構で、それは夫を一日も早く死の谷へ落し込む誘いの手として書いたのであった。私も死を賭しているのであるから、あなたもその気におなりなさいと、私は夫にそう云って聞かせるのが目的であった。あれから以後の私の日記は、もっぱらその目的に添って書かれているのであるが、書くだけでなく、場合によっては喀血の真似事をさえ演じて見せる用意をしていた。私は彼を息う暇なく興奮させ、その血壓を絶えず上衝させることに手段を悉した。(第一回の発作以後も、私は少しも手を緩めずに、彼を嫉妬させるべく小細工を弄しつづけた)彼の肉体的破滅がそう遠くない時期に迫っているらしいことは、木村がよほど以前からそれとなく豫言していたが、私も、そして恐らくは敏子も、そういうことに勘の鋭い木村の直覚を、なまじな医師の判断よりもアテにしていた。
それにしても、私の体質に淫蕩の血が流れていたことは否み得ないとして、夫の死をさえたくらむような心が潜んでいたとは、どうしたわけであろう。いったいそんな心が、いつ、どんな隙に食い込んだのであろう。亡くなった夫のような、ひねくれた、変質的な、邪悪な精神で、執拗にジリジリと捻じ曲げられたら、どんな素直な心でもしまいには曲って来るのであろうか。そうではなくて、私の場合は、昔気質な、封建的な女と見えたのは環境や父母の躾のせいで、本来は恐ろしい心の持ち主だったのであろうか。このことはもっとよく考えてみなければどちらとも云えない。と同時に、終局においてやはり私は亡くなった夫に忠実を尽したことになるのである、夫は彼の希望通りの幸福な生涯を送ったのであると、云えるような気がしないでもない。
敏子のことや木村のことも、今のところ疑問の点がたくさんある。私が木村と会合の場所に使った大阪の宿は、「ドコカナイデショウカト木村サンガ云ウカラ」敏子が「オ友達ノ或ルアプレノ人」に聞いて教えてやったのだというけれども、ほんとうにそれだけが真実であろうか。敏子もあの宿を誰かと使ったことがあり、今も使っているのではないであろうか。
木村の計画では、今後適当な時期を見て彼が敏子と結婚した形式を取って、私と三人でこの家に住む、敏子は世間体を繕うために、甘んじて母のために犠牲になる、と、いうことになっているのであるが。………
底本:「鍵」中公文庫、中央公論社
1973(昭和48)年12月10日初版発行
1983(昭和58)年12月25日6刷発行
初出:「中央公論」中央公論社
1956(昭和31)年1月、5月~12月
入力:kompass
校正:酒井裕二
2016年5月25日作成
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