教祖の文学
──小林秀雄論──
坂口安吾
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去年、小林秀雄が水道橋のプラットホームから墜落して不思議な命を助かったという話をきいた。泥酔して一升ビンをぶらさげて酒ビンと一緒に墜落した由で、この話をきいた時は私の方が心細くなったものだ。それは私が小林という人物を煮ても焼いても食えないような骨っぽい、そしてチミツな人物と心得、あの男だけは自動車にハネ飛ばされたり川へ落っこったりするようなことがないだろうと思いこんでいたからで、それは又、私という人間が自動車にハネ飛ばされたり川へ落っこったりしすぎるからのアコガレ的な盲信でもあった。思えば然しこう盲信したのは私の甚しい軽率で、私自身の過去の事実に於いて、最もかく信ずべからざる根拠が与えられていたのである。
十六、七年前のこと、越後の親戚に仏事があり、私はモーニングを着て東京の家をでた。上野駅で偶然小林秀雄と一緒になったが、彼は新潟高校へ講演に行くところで、二人は上越線の食堂車にのりこみ、私の下車する越後川口という小駅まで酒をのみつづけた。私のように胃の弱い者には食堂車ぐらい快適な酒はないので、常に身体がゆれているから消化して胃にもたれることがなく、気持よく酔うことができる。私も酔ったが、小林も酔った。小林は仏頂面に似合わず本心は心のやさしい親切な男だから、私が下車する駅へくると、ああ俺が持ってやるよと云って、私の荷物をぶらさげて先に立って歩いた。そこで私は小林がドッコイショと踏段へおいた荷物を、ヤ、ありがとう、とぶらさげて下りて別れたのである。山間の小駅はさすがに人間の乗ったり降りたりしないところだと思って私は感心したが、第一、駅員もいやしない。人ッ子一人いない。これは又徹底的にカンサンな駅があるもので、人間が乗ったり降りたりしないものだから、ホームの幅が何尺もありやしない。背中にすぐ貨物列車がある。そのうちに小林の乗った汽車が通りすぎてしまうと、汽車のなくなった向う側に、私よりも一段高いホンモノのプラットホームが現われた。人間だってたくさんウロウロしていらあ。あのときは呆れた。私がプラットホームの反対側へ降りたわけではないので、小林秀雄が私を下ろしたのである。
だから私はもう十六、七年前のあのときから、小林秀雄が水道橋から墜落しかねない人物だということを信じてもよい根拠が与えられていたのであったが、私は全然あべこべなことを思いこんでいたのは、私が甚だ軽率な読書家で、小林の文章にだまされて心眼を狂わせていたからに外ならない。
思うに小林の文章は心眼を狂わせるに妙を得た文章だ。私は小林と碁を打ったことがあるが、彼は五目置いて(ほんとはもっと置く必要があるのだが、五ツ以上は恰好が悪いやと云って置かないのである)けっして喧嘩ということをやらぬ。置碁の定石の御手本通りのやりかたで、地どり専門、横槍を通すような打方はまったくやらぬ。こっちの方がムリヤリいじめに行くのが気の毒なほど公式的そのものの碁を打つ。碁というものは文章以上に性格をいつわることができないもので、文学の小林は独断先生の如くだけれども、本当は公式的な正統派なんだと私はその時から思っていた。然し彼の文章の字面からくる迫真力というものは、やっぱり私の心眼を狂わせる力があって、それは要するに、彼の文章を彼自身がそう思いこんでいるということ、そして当人が思いこむということがその文学をして実在せしめる根柢的な力だということを彼が信条とし、信条通りに会得したせいではないかと私は思う。
彼の昔の評論、志賀直哉論をはじめ他の作家論など、今読み返してみると、ずいぶんいい加減だと思われるものが多い。然し、あのころはあれで役割を果していた。彼が幼稚であったよりも、我々が、日本が、幼稚であったので、日本は小林の方法を学んで小林と一緒に育って、近頃ではあべこべに先生の欠点が鼻につくようになったけれども、実は小林の欠点が分るようになったのも小林の方法を学んだせいだということを、彼の果した文学上の偉大な役割を忘れてはならない。
「それは少しも遠い時代ではない。何故なら僕は殆どそれを信じているから。そして又、僕は、無理な諸観念の跳梁しないそういう時代に、世阿弥が美というものをどういう風に考えたかを思い、其処に何の疑わしいものがない事を確めた。「物数を極めて、工夫を尽して後、花の失せぬところを知るべし」美しい「花」がある。「花」の美しさという様なものはない。彼の「花」の観念の曖昧さに就いて頭を悩ます現代の美学者の方が、化かされているに過ぎない」(当麻)
彼が世阿弥の方法だと言っているところがそっくり彼の方法なのであり、彼が世阿弥に就いて思いこんでいる態度が、つまり彼が自分の文学に就いて読者に要求している態度でもある。
僕がそれを信じているから、とくる。世阿弥の美についての考えに疑わしいものがないから、観念の曖昧自体が実在なんだ、という。美しい「花」がある。「花」の美しさというものはない。
私は然しこういう気の利いたような言い方は好きでない。本当は言葉の遊びじゃないか。私は中学生のとき漢文の試験に「日本に多きは人なり。日本に少きも亦人なり」という文章の解釈をだされて癪にさわったことがあったが、こんな気のきいたような軽口みたいなことを言ってムダな苦労をさせなくっても、日本に人は多いが、本当の人物は少い、とハッキリ言えばいいじゃないか。こういう風に明確に表現する態度を尊重すべきであって日本に人は多いが人は少い、なんて、駄洒落にすぎない表現法は抹殺するように心掛けることが大切だ。
美しい「花」がある。「花」の美しさというものはない、という表現は、人は多いが人は少いとは違って、これはこれで意味に即してもいるのだけれども、然し小林に曖昧さを弄ぶ性癖があり、気のきいた表現に自ら思いこんで取り澄している態度が根柢にある。
彼が世阿弥について、いみじくも、美についての観念の曖昧さも世阿弥には疑わしいものがないのだから、と言っているのが、つまり全く彼の文学上の観念の曖昧さを彼自身それに就いて疑わしいものがないということで支えてきた這般の奥義を物語っている。全くこれは小林流の奥義なのである。
あげくの果に、小林はちかごろ奥義を極めてしまったから、人生よりも一行のお筆先の方が真実なるものとなり、つまり武芸者も奥義に達してしまうともう剣などは握らなくなり、道のまんなかに荒れ馬がつながれていると別の道を廻って君子危きに近よらず、これが武芸の奥義だという、悟道に達して、何々教の教祖の如きものとなる。小林秀雄も教祖になった。
然し剣術は本来ブンナグル練磨であり、相手にブンナグラレル先に相手をブンナグル術で、悟りをひらく道具ではなかった。けれども小林秀雄のところへ剣術を習いに行くと、剣術など勉強せずに、危きに近よらぬ工夫をしろ、それが剣術だと教えてくれる。これが小林流という文学だ。
「生きている人間なんて仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言いだすのやら、仕出かすのやら、自分の事にせよ、他人事にせよ、解った例しがあったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。其処に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。何故ああはっきりとしっかりとしてくるんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」(無常といふこと)とくる。
だから、歴史には死人だけしか現われてこない。だから退ッ引きならぬ人間の相しか現われぬし、動じない美しい形しか現われない、と仰有る。生きている人間を観察したり仮面をはいだり、罰が当るばかりだと仰有るのである。だから小林のところへ文学を習いに行くと人生だの文学などは雲隠れして、彼はすでに奥義をきわめ、やんごとない教祖であり、悟道のこもった深遠な一句を与えてくれるというわけだ。
生きている人間などは何をやりだすやら解ったためしがなく鑑賞にも観察にも堪えない、という小林は、だから死人の国、歴史というものを信用し、「歴史の必然」などということを仰有る。
「歴史の必然」か。なるほど、歴史は必然であるか。
西行がなぜ出家したか、などいうことをいくら突きとめようたって、謎は謎、そんなところから何も出てきやしない、実朝がなぜ船をつくったか、そんなことはどうでもいい、右大臣であったことも、将軍であったことも、問題ではない、ただ詩人だけを見ればいいのだと仰有る。
だから坂口安吾という三文文士が女に惚れたり飲んだくれたり時には坊主になろうとしたり五年間思いつめて接吻したら慌ててしまって絶交状をしたためて失恋したり、近頃は又デカダンなどと益々もって何をやらかすか分りゃしない。もとより鑑賞に堪えん。第一奴めが何をやりおったにしたところで、そんなことは奴めの何物でもない。こう仰有るにきまっている。奴めが何物であるか、それは奴めの三文小説を読めば分る。教祖にかかっては三文文士の実相の如き手玉にとってチョイと投げすてられ、惨又惨たるものだ。
ところが三文文士の方では、女に惚れたり飲んだくれたり、専らその方に心掛けがこもっていて、死後の名声の如き、てんで問題にしていない。教祖の師匠筋に当っている、アンリベイル先生の余の文学は五十年後に理解せられるであろう、とんでもない、私は死後に愛読されたってそれは実にただタヨリない話にすぎないですよ、死ねば私は終る。私と共にわが文学も終る。なぜなら私が終るですから。私はそれだけなんだ。
生きてる奴は何をやりだすか分らんと仰有る。まったく分らないのだ。現在こうだから次にはこうやるだろうという必然の筋道は生きた人間にはない。死んだ人間だって生きてる時はそうだったのだ。人間に必然がない如く、歴史の必然などというものは、どこにもない。人間と歴史は同じものだ。ただ歴史はすでに終っており、歴史の中の人間はもはや何事を行うこともできないだけで、然し彼らがあらゆる可能性と偶然の中を縫っていたのは、彼らが人間であった限り、まちがいはない。
歴史には死人だけしか現われてこない、だから退ッ引きならぬギリギリの人間の相を示し、不動の美しさをあらわす、などとは大嘘だ。死人の行跡が退ッ引きならぬギリギリなら、生きた人間のしでかすことも退ッ引きならぬギリギリなのだ。もし又生きた人間のしでかすことが退ッ引きならぬギリギリでなければ、死人の足跡も退ッ引きならぬギリギリではなかったまでのこと、生死二者変りのあろう筈はない。
つまり教祖は独創家、創作家ではないのである。教祖は本質的に鑑定人だ。教祖がちかごろ骨董を愛すというのは無理がないので、すでに私がその碁に於いて看破した如く彼は天性の公式主義者であり、定石主義者であり、保守家であり、常識家であって、死人はともかく死んでおり、もう足をすべらして墜落することがないから安心だが、生きた奴とくると、何をしでかすか分らず、教祖の如く何をしでかす魂胆がなくとも、足をすべらしてプラットホームから落っこちる、どこに伏兵がひそんでいるか分らない。実にどうも生きるということはヤッカイだ。
だから教祖の流儀には型、つまり公式とか約束というものが必要で、死んだ奴とか歴史はもう足をすべらすことがないので型の中で料理ができるけれども、生きてる奴はいつ約束を破るか見当がつかないので、こういう奴は鑑賞に堪えん。歴史の必然などという妖怪じみた調味料をあみだして、料理の腕をふるう。生きてる奴の料理はいやだ、あんなものは煮ても焼いてもダメ、鑑賞に堪えん。調味料がきかない。
あまり自分勝手だよ、教祖の料理は。おまけにケッタイで、類のないような味だけれども、然し料理の根本は保守的であり、型、公式、常識そのものなのだ。
生きてる人間というものは、(実は死んだ人間でも、だから、つまり)人間というものは、自分でも何をしでかすか分らない、自分とは何物だか、それもてんで知りやしない、人間はせつないものだ、然し、ともかく生きようとする、何とか手探りででも何かましな物を探し縋りついて生きようという、せっぱつまれば全く何をやらかすか、自分ながらたよりない。疑りもする、信じもする、信じようとし思いこもうとし、体当り、遁走、まったく悪戦苦闘である。こんなにして、なぜ生きるんだ。文学とか哲学とか宗教とか、諸々の思想というものがそこから生れて育ってきたのだ。それはすべて生きるためのものなのだ。生きることにはあらゆる矛盾があり、不可決、不可解、てんで先が知れないからの悪戦苦闘の武器だかオモチャだか、ともかくそこでフリ廻さずにいられなくなった棒キレみたいなものの一つが文学だ。
人間は何をやりだすか分らんから、文学があるのじゃないか。歴史の必然などという、人間の必然、そんなもので割り切れたり、鑑賞に堪えたりできるものなら、文学などの必要はないのだ。
だから小林はその魂の根本に於いて、文学とは完全に縁が切れている。そのくせ文学の奥義をあみだし、一宗の教祖となる、これ実に邪教である。
西行も実朝も地獄を見た。陰惨な罪業深い地獄、物悲しい優しい美しい地獄。そして西行の一生は「いかにすべき我心」また、孤独という得体の知れぬものについての言葉なき苦吟をやめたことがなかったし、実朝は殺されたが然し実朝の心はこれを自殺と見たかも知れぬ、と言う。まさしく、その通りだ。邪教も亦、真理を説くか。璽光様が天照大神の生れ変りの如くに。
「西行はなぜ出家したか、その原因に就いて西行研究家は多忙なのであるが、僕には興味がないことだ。凡そ詩人を解するには、その努めて現わそうとしたところを極めるがよろしく、努めて忘れようとして隠そうとしたところを詮索したとて、何が得られるものでもない」(西行)
そして近代文学という奴は仮面を脱げ、素面を見せよ、そんなことばかり喚いて駈けだして、女々しい毒念が方図もなくひろがって、罰が当ってしまったんだ、と仰有る。
然り、詩人を解すには、詩を読むだけで沢山だ。こんなこともした、こんな一面もあった、と詮索して同類発見を喜んだところで詩人を解したわけでもなく、まさしく詩を読むことだけが詩人を解す方法なのだ。小林は詩を解す、という。然り、鑑賞はそれだけでよい。鑑賞家というものは。
然し、ここに作家というものがある。彼の読書は学ぶのだ。学ぶとは争うことだ。そして、作家にとっては、作品は書くのみのものではなく、作品とは又、生きることだ。小林が西行や実朝の詩を読んでいるのも彼等の生きた翳であり、彼等が生きることによって見つめねばならなかった地獄を、小林も亦読みとることによって感動しているのだ。
仮面を脱げ、素面を見せよ、ということはそれを作品の上に於いて行ったから罰が当っただけで、小説という作品の場合に於いては、作家は思想家であると同時に戯作者でなければならぬ。仮面を脱いで素面を見せることは小説ではない。これを小説だと思えば罰が当るのは是非もない。然し作家の私生活に於いて、作家は仮面をぬぎ、とことんまで裸の自分を見つめる生活を知らなければ、その作家の思想や戯作性などタカが知れたもので、鑑賞に堪えうる代物ではないにきまっている。
小説は(芸術は)自我の発見だという。自我の創造だという。作家が自分というものを知ってしまえば、作品はそれによって限定され、定められた通路しか通れなくなる。然し本当の小説というものは、それを書き終るときに常に一つの自我を創造し、自我を発見すべきものだ、と、これは文学技師アンドレ・ジッド氏の御意見だ。ちなみにジッド氏は文学に通暁し、あらゆる技法を心得、縦横に知識を用い、術をつくし、ある時は型を破って、小説をつくる技師であるが、本当の小説家だとは私は思っていない。ジッド氏が自身の小説に於いて、自我を創造、発見したか、私は疑問に思っている。
わが教祖、小林氏も芸術は自我の創造発見だと言うのである。紙に向った時には何もない。書くことによって、創造され、見出されて行くものだ、と言うのだ。私も大いに賛成である。
然し、紙に向って何もないということは自分に就いて何も知らないということではない。ある限度までは知っている。自分というものをある限度まで知悉しない人間が、小説を書ける筈のものではない。一応自分というもの、又、人間というものに通じていなくて、小説の書けるわけはないのだ。尚、そのうえに発見するのであり、創造するのだ。なぜなら、作家というものは、今ある限度、限定に対して堪え得ないということが、作家活動の原動力でもあるからだ。
モオツァルトの作品は殆どすべて世間の愚劣な偶然な或いは不正な要求に応じてあわただしい心労のうちになったもので、予め目的を定め計画を案じて作品に熟慮専念するような時間はなかったが、モオツァルトは不平もこぼさず、不正な要求に応じて大芸術を残した。天才は外的偶然を内的必然と観ずる能力が具わっているものだ、と言う。それはモオツァルトには限らない。チェホフの戯曲も不正な要求に応じて数日にして作られ、近松の戯曲もそうだ。ドストエフスキーも借金に追われて馬車馬の如く書きまくり、読者の嗜好に応じてスタヴロオギンの歩き道まで変えて行くという己れを捨てた凝り方だ。いかにも外的偶然を内的必然と化す能力が天才の作品を生かすものだ。
然しながら、作品に就いて目的を定め計画を案じ熟慮専念する時間がなくとも、少くとも小説作者の場合に於いては、一応人間に通じていることは絶対の条件であり、人間通の裏附は自我の省察で保たれるもの、そして常に一つの作品を書き終ったところから、新らたに出発するものだ。一つの作品は発見創造と同時に限界をもたらすから、作家はそこにふみとどまってはいられず、不満と自己叛逆を起す。ふみとどまった時には作家活動は終りであり、制作の途中に於いても作家をして没頭せしめる力は限界をふみこし発見に自ら驚くことの新鮮なたのしさによる。
生きた人間を自分の文学から締め出してしまった小林は、文学とは絶縁し、文学から失脚したもので、一つの文学的出家遁世だ。私が彼を教祖というのは思いつきの言葉ではない。
彼はもう文学を鑑賞し詩人を解するだけだ。歴史の必然とか人間の必然という自分勝手な角度によって、彼はもう文学や詩人と争い、格闘することがないのである。争うとか格闘するということは、自分を偶然の方へ賭けることだから、彼はもう偶然などは俺にはいらないという悟りをひらいているのだ。詩人のつとめて隠そうとし忘れようとしたものを暴くのは鑑賞のためや詩人を解するためではなく、自分の仮面をはがそうとする同じ働きが他へ向けられただけのことで、普遍的な真理というようなものを暴くんじゃない。仮面を脱ぐということも真理を暴くというのじゃなくて、ただそうせずにいられぬからだというような罰の当った苦悩格闘、そんなものはもう小林には用はない。
常に物が見えている。人間が見えている。見えすぎている。どんな思想も意見も彼を動かすに足りぬ。そして、見て、書いただけだ。それが徒然草という空前絶後の批評家の作品なのだと小林は言う。これはつまり小林流の奥義でもあり、批評とは見える眼だ、そして小林には人間が見えすぎており、どんな思想も意見も、見える目をくもらせず彼を動かすことはできない。彼は見えすぎる目で見て、鑑定したままを書くだけだ。
私は然し小林の鑑定書など全然信用してやしないのだ。西行や実朝の歌や徒然草が何物なのか。三流品だ。私はちっとも面白くない。私も一つ見本をだそう。これはただ素朴きわまる詩にすぎないが、私は然し西行や実朝の歌、徒然草よりもはるかに好きだ。宮沢賢治の「眼にて言ふ」という遺稿だ。
だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず
血も出つゞけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといい風でせう
もう清明が近いので
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波を立て
あんなに青空から
もりあがつて湧くやうに
きれいな風がくるですな
あなたは医学会のお帰りか何かは判りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを言へないのがひどいです
あなたの方から見たら
ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やつぱりきれいな青ぞらと
すきとほつた風ばかりです
半分死にかけてこんな詩を書くなんて罰当りの話だけれども、徒然草の作者が見えすぎる不動の目で見て書いたという物の実相と、この罰当りが血をふきあげながら見た青空と風と、まるで品物が違うのだ。
思想や意見によって動かされるということのない見えすぎる目。そんな目は節穴みたいなもので物の死相しか見ていやしない。つまり小林の必然という化け物だけしか見えやしない。平家物語の作者が見たという月、ボンクラの目に見えやしないと小林がいうそんな月が一体そんなステキな月か。平家物語なんてものが第一級の文学だなんて、バカも休み休み言いたまえ。あんなものに心の動かぬ我々が罰が当っているのだとは阿呆らしい。
本当に人の心を動かすものは、毒に当てられた奴、罰の当った奴でなければ、書けないものだ。思想や意見によって動かされるということのない見えすぎる目などには、宮沢賢治の見た青ぞらやすきとおった風などは見ることができないのである。
生きている奴は何をしでかすか分らない。何も分らず、何も見えない、手探りでうろつき廻り、悲願をこめギリギリのところを這いまわっている罰当りには、物の必然などは一向に見えないけれども、自分だけのものが見える。自分だけのものが見えるから、それが又万人のものとなる。芸術とはそういうものだ。歴史の必然だの人間の必然などが教えてくれるものではなく、偶然なるものに自分を賭けて手探りにうろつき廻る罰当りだけが、その賭によって見ることのできた自分だけの世界だ。創造発見とはそういうもので、思想によって動揺しない見えすぎる目などに映る陳腐なものではないのである。
美しい「花」がある、「花」の美しさというものはない、などというモヤモヤしたものではない。死んだ人間が、そして歴史だけが退ッ引きならぬぎりぎりの人間の姿を示すなどとは大嘘の骨張で、何をしでかすか分らない人間が、全心的に格闘し、踏み切る時に退ッ引きならぬぎりぎりの相を示す。それが作品活動として行われる時には芸術となるだけのことであり、よく物の見える目は鑑定家の目にすぎないものだ。
文学は生きることだよ。見ることではないのだ。生きるということは必ずしも行うということでなくともよいかも知れぬ。書斎の中に閉じこもっていてもよい。然し作家はともかく生きる人間の退ッ引きならぬギリギリの相を見つめ自分の仮面を一枚ずつはぎとって行く苦痛に身をひそめてそこから人間の詩を歌いだすのでなければダメだ。生きる人間を締めだした文学などがあるものではない。
小説は十九世紀で終ったという、ここに於いて教祖はまさしく邪教であり、お筆先きだ。時代は変る、無限に変る。日本の今日の如きはカイビャク以来の大変りだ。別に大変りをしなくとも、時代は常に変るもので、あらゆる時代に、その時代にだけしか生きられない人間というものがおり、そして人間というものは小林の如くに奥義に達して悟りをひらいてはおらぬもので、専一に生きることに浮身をやつしているものだ。そして生きる人間はおのずから小説を生み、又、読む筈で、言論の自由がある限り、万古末代終りはない。小説は十九世紀で終りになったゾヨ、これは璽光様の文学的ゴセンタクというものだ。
人生とは銘々が銘々の手でつくるものだ。人間はこういうものだと諦めて、奥義にとじこもり悟りをひらくのは無難だが、そうはできない人間がある。「万事たのむべからず」こう見込んで出家遁世、よく見える目で徒然草を書くというのは落第生のやることで、人間は必ず死ぬ、どうせ死ぬものなら早く死んでしまえというようなことは成り立たない。恋は必ず破れる、女心男心は秋の空、必ず仇心が湧き起り、去年の恋は今年は色がさめるものだと分っていても、だから恋をするなとは言えないものだ。それをしなければ生きている意味がないようなもので、生きるということは全くバカげたことだけれども、ともかく力いっぱい生きてみるより仕方がない。
人生はつくるものだ。必然の姿などというものはない。歴史というお手本などは生きるためにはオソマツなお手本にすぎないもので、自分の心にきいてみるのが何よりのお手本なのである。仮面をぬぐ、裸の自分を見さだめ、そしてそこから踏み切る、型も先例も約束もありはせぬ、自分だけの独自の道を歩くのだ。自分の一生をこしらえて行くのだ。
小林にはもう人生をこしらえる情熱などというものはない。万事たのむべからず、そこで彼はよく見える目で物を人間をながめ、もっぱら死相を見つめてそこから必然というものを探す。彼は骨董の鑑定人だ。
花鳥風月を友とし、骨董をなでまわして充ち足りる人には、人間の業と争う文学は無縁のものだ。小林は人間孤独の相と云い、地獄を見る、と言う。
あはれあはれこの世はよしやさもあらばあれ来む世もかくや苦しかるべき(西行)
花みればそのいはれとはなけれども心のうちぞ苦しかりける(西行)
風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな(西行)
ほのほのみ虚空にみてる阿鼻地獄行方もなしといふもはかなし(実朝)
吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり(実朝)
秀歌である。たしかに人間孤独の相を見つめつづけて生きた人の作品に相違なく、又、純潔な魂の見た風景であったに相違ない。
然し孤独を観ずるなどということが、いったい人生にとって何物であるのか。
芸術は長し、人生は短しと言う。なるほど人間は死ぬ。然し作品は残る。この時間の長短は然し人生と芸術との価値をはかる物差とはならないものだ。作家にとって大切なのは言うまでもなく自分の一生であり人生であって、作品ではなかった。芸術などは作家の人生に於いてはたかが商品にすぎず、又は遊びにすぎないもので、そこに作者の多くの時間がかけられ、心労苦吟が賭けられ、時には作者の肉をけずり命を奪うものであっても、作者がそこに没入し得る力となっているものはそれが作者の人生のオモチャであり、他の何物よりも心を充たす遊びであったという外に何物があるのか。そして又、それは「不正なる」取引によりただ金を得るための具でもあり、女に惚れたり浮気をしたりするためのモトデを稼ぐ商品であった。
余の作品は五十年後に理解せられるであろう。私はそんな言葉を全然信用していやしない。かりにアンリベイル先生はたしかにそう思いこんでいたにしたところで、芸術は長し人生は短し、そんなマジナイみたいな文句を鵜呑みにし真にうけているだけで、実生活では全然それを信じていないのが人の心というものである。死んでしまえば人生は終りなのだ。自分が死んでも自分の子供は生きているし、いつの時代にも常に人間は生きている。然しそんな人間と、自分という人間は別なものだ。自分という人間は、全くたった一人しかいない。そして死んでしまえばなくなってしまう。はっきり、それだけの人間なんだ。
だから芸術は長しだなんて、自分の人生よりも長いものだって、自分の人生から先の時間はこれはハッキリもう自分とは無縁だ。ほかの人間も無縁だ。
だから自分というものは、常にたった一つ別な人間で、銘々の人がそうであり、歴史の必然だの人間の必然だのそんな変テコな物差ではかったり料理のできる人間ではない。人間一般は永遠に存し、そこに永遠という観念はありうるけれども、自分という人間には永遠なんて観念はミジンといえども有り得ない。だから自分という人間は孤独きわまる悲しい生物であり、はかない生物であり、死んでしまえば、なくなる。自分という人間にとっては、生きること、人生が全部で、彼の作品、芸術の如きは、ただ手沢品中の最も彼の愛した遺品という外の何物でもない。
人間孤独の相などとは、きまりきったこと、当りまえすぎる事、そんなものは屁でもない。そんなものこそ特別意識する必要はない。そうにきまりきっているのだから。仮面をぬぎ裸になった近代が毒に当てられて罰が当っているのではなく、人間孤独の相などというものをほじくりだして深刻めかしている小林秀雄の方が毒にあてられ罰が当っているのだ。
自分という人間は他にかけがえのない人間であり、死ねばなくなる人間なのだから、自分の人生を精いっぱい、より良く、工夫をこらして生きなければならぬ。人間一般、永遠なる人間、そんなものの肖像によって間に合わせたり、まぎらしたりはできないもので、単純明快、より良く生きるほかに、何物もありやしない。
文学も思想も宗教も文化一般、根はそれだけのものであり、人生の主題眼目は常にただ自分が生きるということだけだ。
良く見える目、そして良く人間が見え、見えすぎたという兼好法師はどんな人間を見たというのだ。自分という人間が見えなければ、人間がどんなに見えすぎたって何も見ていやしないのだ。自分の人生への理想と悲願と努力というものが見えなければ。
人間は悲しいものだ。切ないものだ。苦しいものだ。不幸なものだ。なぜなら、死んでなくなってしまうのだから。自分一人だけがそうなんだから。銘々がそういう自分を背負っているのだから、これはもう、人間同志の関係に幸福などありやしない。それでも、とにかく、生きるほかに手はない。生きる以上は、悪くより、良く生きなければならぬ。
小説なんて、たかが商品であるし、オモチャでもあるし、そして、又、夢を書くことなんだ。第二の人生というようなものだ。有るものを書くのじゃなくて、無いもの、今ある限界を踏みこし、小説はいつも背のびをし、駈けだし、そして跳びあがる。だから墜落もするし、尻もちもつくのだ。
美というものは物に即したもの、物そのものであり、生きぬく人間の生きゆく先々に支えとなるもので、よく見える目というものによって見えるものではない。美は悲しいものだ。孤独なものだ。無慙なものだ。不幸なものだ。人間がそういうものなのだから。
小林はもう悲しい人間でも不幸な人間でもない。彼が見ているのは、たかが人間の孤独の相にすぎないので、生きる人間の苦悩というものは、もう無縁だ。そして満足している。骨董を愛しながら。鑑定しながら。そして奥義をひらいて達観し、よく見えすぎる目で人間どもを眺めている。思想にも意見にも動きやしない。だからもう生きている人間どものように、何かわけの分らぬことをしでかすようなことはないのだ。そのくせ彼は水道橋のプラットホームから落っこったが、彼の見えすぎる目、孤独な魂は何と見たか。なにつまらねえ、たとえ死んだって、オレ自身の心は自殺と見たっていいじゃないか。なんでもねえや。
自殺なんて、なんだろう。そんなものこそ、理窟も何もいりやしない。風みたいに無意味なものだ。
女のふくらはぎを見て雲の上から落っこったという久米の仙人の墜落ぶりにくらべて、小林の墜落は何という相違だろう。これはただもう物体の落下にすぎん。
小林秀雄という落下する物体は、その孤独という詩魂によって、落下を自殺と見、虚無という詩を歌いだすことができるかも知れぬ。
然しまことの文学というものは久米の仙人の側からでなければ作ることのできないものだ。本当の美、本当に悲壮なる美は、久米の仙人が見たのである。いや、久米の仙人の墜落自体が美というものではないか。
落下する小林は地獄を見たかも知れぬ。然し落下する久米の仙人はただ花を見ただけだ。その花はそのまま地獄の火かも知れぬ。そして小林の見た地獄は紙に書かれた餅のような地獄であった。彼はもう何をしでかすか分らない人間という奴ではなくて教祖なのだから。人間だけが地獄を見る。然し地獄なんか見やしない。花を見るだけだ。
底本:「堕落論・日本文化私観 他二十二篇」岩波文庫、岩波書店
2008(平成20)年9月17日第1刷発行
2013(平成25)年4月5日第6刷発行
底本の親本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房
1998(平成10)年6月20日初版第1刷発行
初出:「新潮 第四四巻第六号」
1947(昭和22)年6月1日
入力:Nana ohbe
校正:酒井裕二
2015年9月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。