銀座街頭
三好達治



 この三月いつぱいで東京都の露店はいよいよ姿を消すことに結着した。ひとしきり歎願運動や署名運動で揉みあつてゐたのもつひに効果がなく、費用をつぎこんだだけが結局馬鹿を見た訳で、もうどうにも仕方のないことになりましたといふやうな歎息は、私のやうな者の耳にまで先刻届いてゐる。私は露店組合とは何の縁故もないが、私の知人には露店商人が二人ゐるので、彼らから事情はあらまし聞かされた。その一人は穏健平凡な現代詩を書いてゐる好人物の詩人で、他の一人は風変りな風俗小説を熱心に書きつづけてゐる小説家である。私は極めて世界の狭い人間であるが、その私ですらも、かうして彼らの仲間にいささか直接のかかはりを持つてゐる位であるから、露店商人とひと口にいつても、──それは地方の相当の都会を一つそつくりひとまとめにした位の内容であらうかと想像される。知人のいふところでは係累をも含めたその総人口は概算十万といはれてゐるさうである。かういふ際の数字は過大になり勝ちのものだが、何しろ軽少な数ではあるまい。露店は交通防火の支障となるのと、都市の美観を損ねるといふので、この度の措置を見るに至つたのださうだが、なるほどさういはれれば無慙なやうに聞える措置の側にも立派に計画的な理由はあるので、現在眼の前に見てあやしまない唯今の街頭風景はたしかに畸型な状態といはなければならない。露店の存廃に就て、この際私には為政者めいた意見はない。私は雑貨屋さんの詩人と古本屋さんの小説家と、二人の知人がさしづめ多少の困難を忍ばなければならないだらうとそれを気の毒に思ふのとともに、また先ほどの十万人の人口がこの都会の中でどう移動を済すか、その迷惑と混乱とを想像していささか暗澹たらざるを得ないけれども、それかといつて現状維持の肩をもたうとするほどの気持にもなりかねる。何しろ混乱は社会生活のあらゆる隅々にまで行渡つてゐて、その支柱とも基幹ともなるべき秩序と調和の方は薄弱無力を極めてゐる現在だから、──いづれ整理は必要にきまつてゐるとして、それを街頭整理露店廃止といふやうなところから、まづ手を染めるのが、しかしながら着手の順序の当を得たものであらうかどうか。それならあの盛り場の国民車はいつ頃姿を消すのだらう。


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 私なんかが学生の頃、もう二た昔の余も以前になるが、その頃は昼間の銀座通りなんかは人通りも今日のやうでなく、歩道はがらんとして紙屑なんかがやたらに散らかつてゐた。灯ともし頃からそろそろ露店も出揃つたが、それも松坂屋側の片側で、千疋屋側からはそれが一寸別世界のやうに眺められた。屋台の組立て、屋根掛け、商品の陳列、点灯、──さうしてその軒並みのおひおひ整ふ時分には、とつぷりと日が暮れる、それをどこかの喫茶店の二階からでも見下ろしてゐる、薄暮から夜景に変るそんな時刻の推移には、何か不思議な情趣があつた。私どもはコーヒーのお代りを命じながら、よくいつまでもそんな窓べで雑談に耽つたものだ。あの頃は露店が都市の美観を害するなどとは、私どもの眼には決して映らなかつた。なつかしい祭礼の夜やアセチリンの匂ひの強い縁日の夜店を、もしかすると思ひ出すともなく思ひ出してゐたかも知れぬ。さうしてまた北原白秋の「思ひ出」や木下杢太郎の「食後の唄」を、そんな窓べでひそかに思ひ浮べてゐたとしても、まだいくらかそれにもどうにかふさはしい雰囲気であつた。先年なくなつた武田麟太郎君のやうに、やけに勢ひこんだ姿勢と服装とで出没する仲間もあるにはあつたが、それも根は無邪気なダンディズムの酔興を多分にまじへてゐただらう。世間はさう静穏とばかりもいへない危機にさしかかつてゐたが、銀座街頭の黄昏には、まだたしかに都会らしいおつとりとした暮靄の美と情趣とが失はれてはゐなかつた。けたたましい消防自動車の三台五台疾走していつた後の路上にも──。

 ああいふ情趣といふものは、ただ大都会の盛り場にのみ特有のものだから、私はいまもこりずに「銀座」の名を心の底で愛してゐる。所用のついでに、私はまたしてもその雑沓の巷に出てみることを厭はない。午前、午後、薄暮、初夜、二更、時刻を撰ぶほどのつもりは今の私にない。つい足のむくままに人ごみにまぎれこんで暫くの間は歩道を押し流されてゐるのである。買物などは時たまで、待人も用件もある訳でないから、そのうちどこかへ押し出される。こんなつまらぬ散歩だから、内心落寞たる気持を覚えるのは、その二三十分ばかりの後のお極りで、今ではそれをも自ら怪しまうとしない習慣である。


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 カフェ・ライオンの名はいつ頃からの創始か、私は好事家でないから調べてみようとも思はないが、とにかく銀座四丁目のこの一角には、私の記憶の最初からそれがあつた。斜め向ひのタイガーといふのは、ひと頃永井荷風さんの名とともに有名であつたが今はない。その旧態依然たるライオンの名は今も存するが、この店先は私が幾度か東京を離れて久方ぶりに上京をしてみると、ほとんどその度ごとにいつも模様が一変してゐた。唯今はビヤホールである。季節はづれの、その上時刻はづれのビヤホールはがらんとしてゐて閑散な上に、ここは広々としてゐて明るく清潔だから、そんな時刻にひま潰しをするには最も適してゐる。私はいつも坐りつけの卓子を撰んで腰を下ろすことができる。私が卓子を撰ぶのはそこから鳩居堂の方にむかつて繁華な街路を硝子越しにぼんやり眺めてゐるのに恰好なからで、先ほどの「思ひ出」も「食後の唄」ももはや今日の私のものではないが、それでもかうしてただぞろぞろと無限につづく群衆の流れを、ここから眺めてゐるのは一種の見ものには違ひない。私はもはや都会の情趣などを喜んでゐるのではない。それはそんな詩的なものではないが、──さういへば近頃の風俗小説家は何と下手糞な退屈な文章を書くではないか、私はあれを読まされるのは御免だから寧ろこれを眺めることを撰ぶだらう。こんなことをいふのは必ずしも飲んべゑの口実ではない。私はまたボードレールのやうに群衆を前にしてひそかな孤独を楽しむものでもない。私はここでは普段よりもいつそう頼りなく茫然自失に近い状態にゐるのである。


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 私は茫然として、横長い窓をスクリーンのやうに眺めてゐた。群衆といふものは、ただとりとめもないもののやうだが、眺めてゐるとそれがどうやら一刷毛一刷毛一つのたしかな運命を、或は私のために一つの幻影を描き上げてゆくやうにも見えてくる。たとへば一箇の折鞄がゆく。立派な新品だが、本来意志的なその品物が、案外風に吹かれる糸瓜のやうにぶらついてゆく。あとから裾さばきの軽い外套をハイヒールが運んでゆく、歩度は急、颯爽、即ち颯爽がゆくのである。ジャンパーは思案顔だ、苦が味ばしつた美男子である。それがつまらぬ流眄りうべんは不用意だつた。女事務員二人、年中無休のおしやべり。お次は完全な暇潰し、繧緻自慢、歩度は緩。かうして眺めてゐると、この種の自慢の鼻つぱしは、案外その数が多い。新聞を読みながら地下鉄へ降りてゆくのは、押出しは立派だが、とんと見当のつきかねる人物だ、革手袋、かうもり、歩度緩、さて何が何だか。分別臭い禿げ頭は、恐らく二昔前の親父そつくりなんだらう。ベレは地下鉄へ駆け降りた、新聞社の給仕だらう。赤ちやんを負ぶつた掻巻から、スカートがちらちら、これは最近の流行だ。──かうして私の眺めてゐるのは、しきりに交替する無言の表情と雑多な服装、そのあし早やな筋立のないフィルムだが、筋立はなくともどうやら一つの輪郭を、漠然とした意味をそれらが暗示しようとするから妙だ。暗示は受取り手の考へ次第の幻影だが、幻影にしたつて一つの現実だらうではないか、虚空に浮ぶ虹だつて定まつた角度にしか見えぬ。

 私は何を見てゐるのだらう。硝子の上を滑つてゆく人影のむかう、電車線路を隔てたむかうには露店の背中がならんでゐる。だんだら染めの揃ひの背中が隙間もなしにつらなつてゐる。そのお揃ひの幔幕のほかの部分は、屋根も軒端も風除けも、これはお揃ひの天幕である。天幕は同じ色目、同じ布地、同じ寸法のものである。軍隊で行軍用に携帯してゐた天幕が、こんなところに流れ寄るやうに落合つて幕舎を張つてゐるのである。軍国主義の形見といへば正にさうだ。それらが隙間もなしにぎつしりのべつに連つてゐるのは、露店の世界も人口過剰の証拠である。以前はもう少しゆとりがあつた。その頃は市街も唯今よりは余ほど立派であつたが、市街の美観を害するなどとはいはれなかつた。それがそこらの建築は遥かに安つぽく貧弱にけばけばしくなつた唯今、反つてその美観を害することになつた。もしかするとあの天幕が禍をなしたのかもしれない。

 敗戦色といへば、あの古天幕にくるまつた露店はたしかにその一つだ。その天幕の向うに見える鳩居堂の屋根に、何がしランプの広告灯ののつかつてゐるのなんかも、さういへばその一つだらうか。名だたる老舗が広告灯をいただくことになつたところで私はそれを揶揄ふつもりはない。時勢はそんな屋上よりも地上の歩道で、もつと激しく混沌とこんがらかつてゐるからである。


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 戦後のこの混乱はさやうに容易にをさまるまい。このやうに大きな混乱は到底もとの形にじつくり持ち直すやうなことでは夢にも落つく訳がないから、大きな全体的な前進、五万里ばかりも霧中を前進してみなければ何とも形がつくまい。前途遼遠誰にも見透しのつくことではない。

 そんなら世の中のどこがそれではいささかなりとも変つただらうか、変らうとしてゐるだらうか。私はここに来てもはや昔の夢を見る力のない眼をあげて、ビヤホールの天井をぼんやり眺めてゐた。そこには梶井基次郎君が嘗て、カフェ・ライオンの天井には冬でも蠅が舞つてゐるといつた。その大正の蠅がその日も私の眼にとまつた。窓外をゆく人の私のために運んできた幻影にもそれがあつた、たしかに何も変つてゐない。変らうとしてもゐない、うつけたものがそこにあつた。世の中は案外静かなのかも知れない。私はそんな驚きとも不安ともつかないものをもつて外に出た。


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 変りはてたものは、しかしながらただ一つ女の服装──服装もだがそれよりもその色彩感覚であらう。これはたしかに変つた、すつかり変つてしまつた。前進、前進、それは今後それなりにもちろん変化は見るだらうが、もう一度もとのところには戻るまい。日本の女達が失つたものは、ただ一つそんなはかない趣味であつたかも知れない。さうして彼女達の失つたその趣味にしてからが実は案外上べの浅薄なものであつたことが、今日からの対比でどうやらはつきりするではないか。私に失はれたものを惜しむ気持はさらにない。彼女達に固有の本質的の感覚でも趣味でもなかつたところのものを、今さら惜むなんかはをかしな話だ。私は今日の若い自由な女達が、たとへ無慙な職業婦人からの感化に無意識に先達されつつであらうとも、彼女らの手放しの好みでけばけばしい原色を選択することには何かしら無理もない理由を認める。それでいいことだ。それは一種の反抗色であらうかも知れないけれども、蹉づくところまで反抗もしてみるがいい。何に反抗しようと欲したものか、それを悟るのは後の話だ。まあ何も彼も後の話としておくのがいいかも知れぬ。私はあの幼穉なけばけばしい原色に於てただその勇気をとる、やつてみろだ、それがずんぐりタイプの大根脚に似合ふかどうかは、私の知つたことではない。彼女達も知つたことではない。誰も知らない、──から当分は面白からう。


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 街頭の服飾はけばけばしく眼を射るやうになつた。更にいつそうさうなつたところで差つかへのないのは前にいつた。けれども日本東京銀座の街頭はいつかう新らしく変つた訳でも、生き生きと活溌になつた(──その混雑を除いては)訳でもないのは、これも先に一寸いつておいた。街頭は相互反射の場所で、空虚な過剰な意識の氾濫交錯する遊び場であるのは事の自然であらうから、それはいい、それもいいが、それにもそれなりの趣き、ニュアンス、風韻の何ほどかはあつてもらひたい、それが大都会の盛り場といふものだらうではないか。これは男女を通じていふのである、いはば街頭心理とでもいふべきそのかりそめの心理にも、何ほどか香気と奥ゆきと若干の稚気ユーモアと眼はしの速さとがあつてはどうであらう。時としてニュース映画の端くれにも感ぜられるほどのものが、東京銀座にはいつかうにない。からきしそんなものがない代りに、妙にいけ図々しい気取りと鼻つ柱とひとりよがりの過剰意識とが、それこそ歩道いつぱいだ。要するに野暮つたく騒々しいお茶つぴいではないか、──即ち原色の反抗色が巷に氾濫する所以だといふのなら、さて困つた、前後矛盾に陥つたまま、私には結論がない。


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 私はなぜこのやうな街頭へ迷ひ鳥のやうにまたしてもうろつき出てくるのであらう。こんな自分を少うし馬鹿々々しく考へたらどうであらう。いや馬鹿々々しいには違ひない。梭のやうに行交ふ自動車をよけながら、私はある時ふとあの大通りの電車線路の上から上下の見通しを見はるかした時に、何か味気なくさう考へた。例の露店の天幕が眼の及ぶかぎり霞を帯びて連つてゐる。交通巡査の呼子が遠く鳴る。風景が一瞬寂寞として見えた。いやに今日も混雑してゐるではないか、と私のうつろな眼はそれをさう見渡してゐたが、私の寂寞は胸を去らうとしなかつた。

 さやうなら! この薄よごれたサーカスのやうな……

 さうだ、それらの天幕は間もなく銀座から影を没して、どこかの田舎町で今度はサーカスの屋根を葺くだらう。さうしてジンタの笛や太鼓の音に、流石に天幕らしく風を孕んでふくらむことだらう。

底本:「日本の名随筆90 道」作品社

   1990(平成2)年425日第1刷発行

底本の親本:「三好達治全集 第一〇巻」筑摩書房

   1964(昭和39)年12

入力:門田裕志

校正:noriko saito

2015年127日作成

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