池のほとりに柿の木あり
三好達治
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旅行に出て汽車の窓からつと見かける小学校の建もの、その校庭や体操器械など、小さな花壇や鳩小舎など、いつ見かけても心をひかれるもののあるのを覚える。さういふ時に私の心を掠める古い記憶はなつかしい。記憶といつても、何の記憶かさだかでないながら、そのなつかしさだけがついと胸をうつやうな感じである。ありがたいことだと思ふ。私は大ぜいの先生方から、いろいろなことを教つた。──後に上級の学校へ行くやうになつてからもさうであつた、それもさることながら、やはり小学校のじぶんのことをここではいふ。何を教つたかその一かけらさへも思ひ出せないじぶんになつて、まことに、ありがたいことであつたと思ふのである。正直なところを告白すれば、大ぜいの先生方のお名前すら、二三の外は思ひ出せさうでなかなか思ひ出せない、そんなじぶんになつてこれをいふ。
ところで、S先生のお名前だけは、折ふしひよいとした機みに、前後に何の脈絡もなく記憶に浮び上つてくることがある。そのお名前を唇にのぼせてみると、私には何とも説明のつかない情感の蘇つてくるのを覚える。それだけはいつもきまつて、健忘症の私にも、くつきりとあざやかなやうに覚える。「池のほとりに柿あり」といふ拙作は、先年──これももう二十年ばかり以前になる──その心覚えのやうなつもりで認めておいた。ノートのやうなつもりで、柿の木以下事実に即してゐる。
池のほとりに柿の木あり
幹かたむきて 水古りし 堤の上を
ゆきかよふ路もなつかし
草青き小路の彼方
松高く築地は低き学び舎に
われは年ごろ何ごとを学びたりけん
今は記えず
なべては時の「死」の箒 ははき消しゆく
遠かたの跡なきにただ
それさへや はやおぼろめく
師の君の おん影 すがた……
額ひろく 顎しじまり
髭みじかく
顔 つぶらにかがやきて
形やや辣韮に似たまひき
おん声は泉のごとくすずしかりかり
四季つねに紺の詰襟折り目たち
手に細き鞭一枝たづさへたまひき
ああわれはいま遠く消えゆくオルガンのこゑに耳かすごとく
君がおん名のおのづから唇にのぼり来るをなつかしむ
君は一と日命を得て
故郷丹波の国なにがしの郡にしりぞきたまふとて
その日空晴れ 雲飛びて 陽ざし明るき教壇ゆ
ゆくりなき言葉かたちをいぶかしむ 童が耳に
霹靂の言をのらしぬ
はた 壇を下りたまひて ねんごろに
こはまみあげて 声もなき 童が肩に手をおかし
つばらかに別辞のらしたまひぬ
歔欷の声室に満ちたり
日頃はおそき春の日の ひと時は束の間なりき
さらばとて君扉を排したまふとき
つと起ちて そは一たび ただ一たび
鋭ごゑに君が名を呼びしをみな子ありき
その声のなほわが耳にのこれるよ
思ふにわれはかかる日に
さだめなき人の世の絵物語のひとしをり
げにあはれもふかく ゆかしきを学びたりけん
かくてわれ人の世の半ばをすぎぬ──
ただ願はくば けふの日もふるさとの郡の村に
幸くいませと祷みまつる
かの君や いまはたいかに老いたまひけん
作中の事実があつてから、凡そ十年余りをへて、私はある学校の新入生に──私には二た組ばかり下級生に──S君といふ少年を見かけた。その容貌が、思ひなしか先生の面影に似通つてゐるのをあやしんで尋ねてみると、果して、先生の御令息であつた。そのS君とも、その後二三年をへて、また人生の岐路を行き分れたまま、つひにその後の消息を知らない。右の拙作は、そんな奇遇と別離があつてから、更に三十余年を経た後日の追憶的覚え書であつた。S君から先生の近況御健在を承つてから、余ほどの歳時を隔ててゐる。指折り数へてみると、先生は八十歳をいくつか越えてゐられるのでなければ、在世ではないことになる。
拙作の末に「いまはたいかに老いたまひけん」といふのは、さういふ数字を私の胸中では意味してゐるのが、たいそう心もとなくうら淋しくも思はれた。拙作の後、既にまた歳月は二十余年を経た。これを読みかへしてみて、「幸くいませと祷みまつる」とはあつても、語の意味はもう私にとつては変質してしまつてゐるのを覚える。
旅行に出て汽車の窓から見かける小学校、その建ものは、よほど辺鄙な山中に出かけてみても、木造平家建ての、頽然とくづれかかつた低い築地をめぐらしたやうなのは決して見かけることがない。作中に私のいふ小学校の風貌は、今日も私の眼底に歴然と残つてゐるが、今日の洋風建築物とそれはまるで似通つたところがないといつていい。どこにも似通つたところのない赤い屋根、緑の屋根を見かけながらであつても、私はいつも先にいつたやうな、私のものとしての情感を覚えるのを常としてゐる。そして何とはなし、ありがたいことであつたと考へるのを常としてゐる。「池のほとりに柿の木あり 幹かたむきて 水古りし 堤の上を ゆきかよふ路もなつかし……」などとひそかに呟いてみるのである。
底本:「日本の名随筆 別巻52 学校」作品社
1995(平成7)年6月25日第1刷発行
底本の親本:「三好達治全集 第九巻」筑摩書房
1965(昭和40)年4月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2015年1月16日作成
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