探偵少年
江戸川乱歩
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ある夕方、千代田区の大きなやしきばかりのさびしい町を、ふたりの学生服の少年が、歩いていました。大きいほうの十四─五歳の少年は、名探偵明智小五郎の少年助手として、また、少年探偵団の団長として、よく知られている小林芳雄君でした。もうひとりの少年は、少年探偵団の団員で、小学校六年生の野呂一平君という、おどけものの、おもしろい少年です。
「なにか、すばらしい事件がおこらないかなあ。怪人二十面相も、ひさしくあらわれないし、ぼく、このうでが鳴ってしかたがないよ。」
ノロちゃんは、うでをさすりながら、いいました。ノロちゃんというのは、野呂一平君の愛称なのです。
「バカだなあ。世間の人が、こわがって、さわぐのが、きみはすきなのかい。」
小林団長にたしなめられて、ノロちゃんはペロッと舌を出して、頭をかきました。
すると、そのとき、むこうの町かどから、ヒョイと、ふしぎなものがあらわれました。ロボットです。鉄でできた、ぶきみなかたちの人造人間です。そいつが、かくばった頭をふりながら、かくばった足で、ギリギリと、歯車の音をさせながら、むこうのほうへ歩いていくのです。
おもいもよらぬところに、人造人間があらわれたのを見ると、ふたりはギョッとして、たちすくんでしまいました。
小林少年がノロちゃんのうでを、グッとつかみました。ノロちゃんが、いきなり逃げだそうとしたからです。
「きみはうでが鳴ってしかたがないと、いったじゃないか。あれはうそなの?」
小林君は、ニッコリ笑って、ノロちゃんにいってきかせました。
「あれはね、銀座なんかを歩いているサンドイッチマンだよ。ほら、いつか銀座で、あいつに広告ビラをもらったじゃないか。ロボットのサンドイッチマンだよ。あれは鉄でなく木でできてるんだよ。」
「あっ、そうか。なあんだ。板ばりのロボットか。」
「だが、へんだねえ。サンドイッチマンが、こんな大きなやしきばかりの町に、すんでいるんだろうか。それに、あんな姿のままで、こんなにとおくまで、やってくるのは、おかしいね。」
小林君がいいますと、ノロちゃんも、ちょうしをあわせて、
「だから、ぼく、あやしいとおもったんだよ。尾行してみようか。」
ふたりの少年は、あやしい人造人間を尾行しました。少年探偵団長と、その団員ですから、尾行にはなれています。ふたりはリスのように、ものかげからものかげにと、身をかくしながら、どこまでも人造人間のあとをつけました。
しばらくいきますと、ふるいレンガべいの門に、からくさもようの鉄のとびらのしまった、大きなうちの前に出ました。
人造人間は、その門の前に立ちどまると、かくばった頭を、クルクルまわして、あたりをながめてから、鉄のとびらを開いて、門のなかへはいっていきます。
「おやっ、ますます、あやしい。あいつが、こんな大きなうちに住んでいるはずがない。ノロちゃん、あとをつけて、門のなかへ、はいってみよう。」
門のなかには、こんもりと木がしげっていて、そのむこうに、ふるいレンガの二階だての、大きな西洋館の入口が見えています。
人造人間は、その入口は見むきもしないで、西洋館のよこを、うらのほうへ、まわっていきます。ギリギリと歯車のきしるような、あのいやな音をさせながら、機械のような歩きかたで、ヒョッコリ、ヒョッコリ、歩いていきます。
西洋館のよこてに、物置小屋があって、その前にはしごがおいてありました。人造人間は、ふじゆうな手で、そのはしごをつかむと、ズルズルと、西洋館の窓の下へひきずっていき、それを二階の窓へたてかけました。
それから、はしごをのぼりはじめたのです。機械人間が、はしごをのぼる姿は、じつに気味のわるいものでした。
「あらっ。窓からはいるつもりだよ。あいつ、どろぼうかもしれない。おまわりさん、呼んでこようか。」
ノロちゃんが、心配そうに、ささやきました。
「まちたまえ。もうすこし、ようすをみよう。」
小林団長はおちついています。人造人間は、とうとう二階の窓までのぼりつきました。
二階の窓は、なかから、しまりがしてないのか、人造人間は、そのガラス戸を、ソーッと開いて、窓のなかへはいっていきました。
「おまわりさんよりも、ここのうちの人に、しらせてあげよう。もし、しらないでいると、たいへんだからね。」
小林君は、そういって、ノロちゃんといっしょに、正面の入口へひきかえしました。
入口のベルをおしましたが、いくら待っても、だれも出てきません。へんだなとおもって、ドアをおしてみますと、音もなく開きました。ここも戸じまりがしてないのです。
窓の小さい、きゅうしきな建物ですから、なかは昼間でもうす暗く、シーンとしずまりかえって、まるで、空家のようです。
「ごめんください。」
大きな声で呼んでみましたが、なんのへんじもありません。ノロちゃんはもどかしくなって、くつをぬいで、いきなり、廊下へあがっていきました。
「だれもいないんですか。ごめんなさーい!」
びっくりするような声で、どなりました。やっぱりシーンとしています。
「へんだなあ。ここ空家かしら。」
そのときです。西洋館のおくのほうから、
「キャーッ、たすけてえ……。」
という女の悲鳴が、聞こえてきました。
ノロちゃんは、それをきくと、くつもはかないで、入口の外へ逃げだしました。野呂一平君は、探偵団員にもにあわない、おくびょうものです。
小林少年は、すばやく、ノロちゃんを追っかけて、ドアのなかへ、ひきもどしました。
ひきもどされたノロちゃんは、大きな目をキョロキョロさせて、なにか出てきたら、すぐ逃げだせるように、へんな腰つきをしています。
「いまのは、小さい女の子の声だったぜ。さあ、いってみよう。ひどいめにあわされていたら、助けてやらなけりゃあ。」
小林君は、ノロちゃんの手を、グッとひっぱりました。
小林君も、くつをぬいで上にあがり、ノロちゃんの手をひっぱって、廊下をグングン、おくへはいっていきました。
「キャーッ、だれか来てえ……。」
またしても、耳をつんざく悲鳴! ノロちゃんは、からだをピクンとさせて、逃げようとしましたが、小林君に、グッとにらみつけられました。
「きみ、それでも少年探偵団員かっ!」
廊下をまがると、むこうの部屋のドアが、開いたままになっていました。そして、その中から、へんなもの音が聞こえてきます。
「あの部屋だ。のぞいてみよう。」
ドアのところまでいって、そっと中をのぞきました。すると、その洋室のテーブルの下に、かわいらしい少女が、グッタリと、たおれていたではありませんか。
たおれていたのは、ピンクの洋服をきた、十二─三歳の少女でした。
「どうしたの? だれが、こんなめにあわせたの?」
小林君がかけよって、少女をだきおこして、たずねました。少女は、よほどこわかったとみえて、口もきけないのです。ただ、つぎの部屋を、ゆびさすばかりでした。
少女が、「あちら、あちら。」というように、ゆびさすので、そのほうを見ますと、つぎの部屋へ通じるドアが、半分ひらいていました。きっと人造人間です。あいつが少女を、つきたおしておいて、あの部屋へ、はいっていったのです。
小林君は、またノロちゃんの手をひっぱって、その部屋へ、はいっていきました。その部屋は、なぜか夜のようにまっ暗でした。
その部屋は、窓のよろい戸が、ぜんぶしめてあって、まっ暗でしたが、てんじょうと、壁の床に近いところに、一つずつ電灯がついていて、それが、こちらへ、強い光をなげています。
「あっ、いた、いた。あいつだっ!」
ノロちゃんは、ギョッとして、また逃げだしそうになりました。部屋のすみに、あの人造人間が、ニューッとたっていたからです。
ふたつの電灯が、こちらをむいているので、そのむこうは、まっ暗です。そこに、ぶきみなロボットが、たちはだかって、こちらを、にらみつけています。
「小林さん、帰ろうよ。ぼく、いやだよ。」
ノロちゃんが、泣きだしそうな声でいいました。
でも、小林君は、ノロちゃんの手をはなしません。
そのとき、おそろしいことがおこりました。ロボットが、右手を高くあげて、サッと、ひとふりすると、その手が、どっかへ飛んでいって、見えなくなってしまいました。
はっとして見つめていますと、こんどは左の手を、サッとふりました。すると左手も、からだからちぎれて、どっかへ、飛びさってしまったではありませんか。
両手のなくなったロボットは、しばらく、電灯のむこうがわを行ったり来たりしていましたが、こんどは右の足を、バレエでもおどるように、パッと、高くあげたかとおもうと、その足も、どこかへ消えてしまいました。
あとには、左の足が一本のこっているばかりです。一本足のロボットです。むかしの本にのっているおばけの絵と、そっくりです。
あまりのふしぎさに、ふたりの少年は身うごきもできなくなって、夢でも見ているような気持で、おばけロボットを見つめていました。
一本足のロボットは、ピョイ、ピョイと、右左にとびあるいていましたが、その一本足も、ヒューッと、どこかへ飛びさって、見えなくなってしまいました。
手も足もなくなったロボットの、首と胴だけが、下に落ちもしないで空中にただよって、ユラユラゆれているのです。
「エヘヘヘヘヘ……。」
ロボットの口が、三日月がたに、キューッとひらいて、気味のわるい笑い声をたてました。
そして、その笑い声が消えないうちに、またもや、こんどは……。
あっとおもうまに、ロボットの胴体が、かき消すように、なくなってしまったではありませんか。
あとには、かくばったロボットの首ばかりが、フラフラと、宙に浮いているのです。そして、その首が、三日月がたの口をパクパクやって、ヘラヘラと笑いながら、空中を、スーッとこちらへ近づいてくるのです。
ロボットの首だけがヘラヘラ笑いながら、空中を、スーッとこちらへ近づいてくるのを見て、おくびょうもののノロちゃんは、いきなり、小林君にだきついて、
「ワー……、たすけてくれえ……。」
と、悲鳴をあげました。
さすがの小林君も、気味がわるくなってきました。
でも、小林君は、逃げだしません。世のなかに、おばけなんているはずがないと、しんじていたからです。ロボットの首が、宙に浮いているのは、きっと、なにか、しかけがあるのだと、かんがえたからです。
それで、こわがるノロちゃんをだきしめて、空中にただよっているロボットの首を、グッとにらみつけました。
小林君は、名探偵明智小五郎の少年助手として、「透明怪人」(この文庫第三十三巻)や「宇宙怪人」(第三十四巻)の事件で、こんなことには、たびたび出あっていますから、それほど、こわいとも思いません。
首ばかりのロボットは、小林君ににらみつけられて、ひるんだのか、スーッと、むこうのほうへ遠ざかっていきましたが、そのまま、パッとかき消すように、見えなくなってしまいました。
しばらく待っていても、なにもあらわれません。ロボットは、まったく、この部屋から消えてなくなってしまったのです。
「ノロちゃん、ロボットは、もう、いなくなったよ。」
ノロちゃんは目をふさいで、小林君にしがみついていましたが、そのとき、やっと、目をひらきました。そして、キョロキョロと、あたりを見まわしていましたが、するとまたしてもなにを見たのか、いきなり、ギュッと小林君にしがみついてきました。
びっくりして、小林君も、むこうを見ますと、ノロちゃんがおどろいたのも、もっともです。電灯のむこうの暗いところに、人間の首だけが、スーッと、浮きあがっているではありませんか。
こんどは、ロボットでなくて、人間の首が、空中にあらわれたのです。しらが頭に、白ひげを長くたらした、おじいさんの首です。キラキラ光る、めがねをかけています。
おじいさんの首ばかりが、空中をフワフワただよっているのですから、じつに、気味がわるいのです。でも、小林君は逃げません。じっと、そのしらがの首をにらみつけていました。
首ばかりのおじいさんは、しばらく空中をユラユラしていましたが、パッと、首の下に、胴体があらわれ、おやっとおもっていると、その胴体の下に、右足がつき、左足がつき、それから両方の肩に、右手、左手と、つぎつぎと、足や手が、どこかから飛んできて、おじいさんのからだに、くっついてしまいました。
そして、ちゃんとしたひとりの人間が、できあがってしまったのです。灰色の洋服をきた、白ひげの、りっぱなおじいさんです。
「ハハハハ、感心、感心、さすがは少年探偵団の団長じゃ。よく逃げださないで、がまんをした。えらいぞ。それにひきかえ、もうひとりの子は、ひどくおくびょうだね。それでも団員かね?」
白ひげのおじいさんは、そういいながら、ツカツカと、ふたりのそばへ近づいてきました。
その声をきくと、ノロちゃんも、小林君の胸から顔をはなして、やっと、おじいさんの姿を見ました。いままで、目をふさいでいたので、どうして、こんなおじいさんがあらわれたのか、わからないものですから、びっくりして、キョロキョロしています。
「あなたは、いったい、だれです?」
小林君は、キッと、おじいさんの顔を見つめて、たずねました。
「わしかね、わしは、さっきのロボットじゃよ。」
おじいさんは、にこにこしています。それでは、あのロボットのなかに、この老人がはいっていたのでしょうか。
もし、そうだとすると、このおじいさんは、やっぱり、悪ものです。
「それじゃあ、となりの部屋の、女の子を、ひどいめにあわせたのは、あなたですね。」
小林君が、おじいさんをにらみつけました。
「ハハハ……、あれかね。あれは、わしの友だちのおじょうさんじゃよ。ミヨ子ちゃん、もういいから、こちらへおいで。」
すると、「はーい。」というかわいい声がして、さっき、となりの部屋にたおれていた、ピンクの服の少女が、にこにこしてかけこんできました。
「あらっ、それじゃあ、あの女の子は、ぼくたちに、うそをついたんだね。」
ノロちゃんが、あきれたように、いいました。
「そうじゃ、うそをついたのじゃ。きみたちを、この部屋に、おびきよせるためにね。」
「なぜ、ぼくたちを、この部屋へ、おびきよせたんですか。」
小林君が、おじいさんに、つめよりました。
「ハハハ、そう、おこるもんじゃない。まあ、こっちへおいで。もっときれいな部屋で、ゆっくり話をしよう。」
そういって、おじいさんは、さきにたって、廊下へ出ました。ふたりの少年は、ともかく、そのあとについていきます。
老人は、少年たちと、ミヨ子ちゃんをつれて、りっぱな洋室にはいりました。
壁いっぱいの本だなに、むずかしい本がズラッとならび、部屋のまんなかには、大テーブルがあって、そのまわりに、ふかふかとしたあんらくいすが、いくつもおいてあります。
「さあ、かけたまえ。これから、きみたちを、おびきよせたわけを話すからね。
わしは、ロボットになって、きみたちの前にあらわれた。きっと、ついてくるじゃろうと思ってね。窓から、このうちへ、しのびこんで見せたので、きみたちは、いよいよ、わしを悪ものだと思った。そして、さっきの部屋まで、はいってきた。それから、ふしぎなことがおこったね。あれはきみたちのどきょうを、ためすためじゃった。だが、どうして、あんなことがおこったか、わかるかね。」
老人が、ブラック=マジックの種あかしをしました。
「あの部屋の電灯は二つとも、きみたちのほうを向いていた。うしろの壁には、黒いカーテンがはってある。そのカーテンの前に、あたまから足のさきまで、まっ黒なきれでつつんだ、わしの助手が立っていたのだが、きみたちには、すこしも見えなかった。そこへロボットがはいってきた。
わしのまっ黒な助手は、黒いきれの袋をいくつも持っていて、ロボットの手や、足や、胴や、首へ、つぎつぎと、かぶせていったのだ。そうすると、かぶせたところだけ消えたように見える。暗い舞台で、白いガイコツがおどりだす奇術があるね。あれは人間が、黒いシャツとズボンに、白いガイコツの絵をかいたのをきて、おどるのだよ。それと同じわけさ。
そのあとへ、このわしが、姿をあらわしたのも同じりくつで、手や足や首に、黒い袋をかぶせてあったのを、つぎつぎと、ぬいでいったのだよ。わかったかね。」
老人は、にやにやと笑いました。
「まだ、きみたちをびっくりさせることがある。わしはロボットから老人になったが、これでおしまいではない。わしは世界一の変装の名人だからね。」
怪老人は、そういったかと思うと、まっ白な頭と、ひげに手をかけて、それを、ひきむいてしまいました。すると、その下から、黒いかみの毛の三十ぐらいの若い顔が、あらわれました。
「ハハハ……、どうだね。若くなっただろう。だが、これが、わしのほんとうの顔かどうか、わからないよ。
まだこの下に、べつの顔がかくれているかもしれないのだよ。ところで、きみたちを、ここへおびきよせたわけだがね。わしは、きみたちの少年探偵団が、すばらしい働きをしたことをよく知っている。そこで、わしは、少年探偵団に知恵くらべの試合をもうしこむのだ。わしがあいてになるから、きみたちに腕だめしがしてもらいたいのだ。」
「試合って、どんな試合です。」
小林君が、びっくりして、ききかえしました。
「わしは魔法博士とよばれている奇術の名人だ。このうちのほかにも、ほうぼうに、ふしぎなうちをもっている。おとなの助手もいるし子どもの助手もいる。このミヨ子という少女も、そのひとりだ。そこで、きみたちの知恵と勇気で、わしの魔法と、たたかってみる気はないか。」
魔法博士はそういって、どこからか黒い箱を持ってきて、そのなかから、ピカピカ金色に光ったものを出して、テーブルの上におきました。それは、金色のトラが、あと足をまげて、うずくまり、まえ足をグッと立てて、空にむかって、ウオーとうなっている、高さ十センチほどの置きものでした。
「これは純金でできている。目にはダイヤがいれてある。
何千万円という、わしのうちの宝物だ。これを知恵くらべの賞に出すのだよ。この黄金のトラを、いまきみたちに渡すから、きみたちは、これをどこかへかくすのだ。わしは、それをさがしだして盗んでみせる。すると、こんどきみたちが、わしを見つけだして、このトラを取りかえすのだ。盗まれてから、二ヵ月のうちに、取りもどしたら、きみたちの勝ちだ。
もし、勝ったら、このトラの宝物をきみたちにあげる。つまり優勝旗みたいなものだね。また二ヵ月のうちに、取りもどせなかったら、きみたちの負けで、トラはわしのものだ。わかったかね。」
魔法博士のふしぎなもうしこみに、二少年は、おもわず、顔を見あわせましたが、ノロちゃんは、
「小林さん、試合のもうしこみに、おうじようよ。そして、ぼくたちの腕まえを見せてやろうよ。」
「うん、感心、感心。ノロちゃんは、おくびょうものかと思っていたが、なかなか勇気があるね。小林君、団長のきみは、このもうしこみを、うけるかね。」
「明智先生に相談してから、きめます。」
「いや、それなら、心配しないでいい。明智さんには、ちゃんと、わしから話しておいた。明智さんは知っているのだ。
もし、きみたちがこまったときには、明智さんに、知恵をかりてもいいという約束もしてある。」
「そうですか、それなら、もうしこみをうけます。少年探偵団員は二十三人おりますが、そのうち、うちで、ゆるしてくださるものだけが、試合にさんかすることにします。じゃあ、この黄金のトラを、ノロちゃんとふたりで、持って帰りますよ。」
二少年は、黄金のトラを持って、明智探偵事務所に帰り、明智先生に、そのことを話しますと、
「あれは雲井良太という、お金持ちの変わりものだ。けっして悪い人ではないから、知恵くらべをやってみるがいい。」
と、おゆるしが出ましたので、すぐに電話れんらくで団員たちに知らせますと、その日は、十五人の団員が、集まってきました。
小林少年と、ノロちゃんと、十五人の少年は、明智探偵事務所の応接間に集まって、黄金のトラのかくし場所について相談しました。すると、ひとりの少年が、
「井上君のうちがいいよ。井上君のおとうさんは、もとボクシングの選手だから、安心だし、それにほかのうちでは、おとうさんか、おかあさんが、ゆるしてくれないだろうからね。」
「うん、井上君のおとうさんは、冒険ずきだからね。それがいいよ。」
みんなが、さんせいしましたので、井上君が、うちに帰って、おとうさんに、相談しますと、
「魔法博士と知恵くらべとはおもしろい。よし、おとうさんも、てつだってやるぞ。」
と、だいさんせいでした。そこで、黄金のトラのかくし場所がきまりました。
小林団長と井上一郎少年とが、黄金のトラを持って、井上君のうちへいき、井上君のおとうさんと三人で、ヒソヒソと相談しました。
それから、夜になるのをまって、小林、井上の二少年はクワをかついで、ソッと井上君のうちの庭に出ると、木のしげった庭のすみを、六十センチメートルほどの深さにほって、そこへ、なにかをうずめ、ていねいに土をかけました。
小林君と井上一郎少年は、庭の土のなかへ、黒いものをうずめてから、二階の一郎君の勉強部屋にとじこもって、なにかやっていましたが、しばらくすると、一郎君は、白い絹糸の毛をはやした大きなオモチャの白犬を、だいじそうにかかえて、小林君といっしょに、二階からおりてきました。これは、一郎君がまだ小さかったころのオモチャです。
魔法博士のことだから、きっと、どこかで見はっているだろうと思ったので、黒い箱だけを、庭にうずめて見せて、黄金のトラは、きれでこしらえた白犬のなかへ、ぬいこんでしまったのです。
それからは、毎日、一郎君のおかあさんか、ねえさんなどが、たえまなく、この白犬をだいていることにしました。学校から帰れば、むろん一郎君がだくのです。
すると、それから四日目の日曜日に、一郎君にあてて、みょうな手紙がきました。
あさっての火曜日の午後四時に、例のものを、もらいにいく。かならず手にいれてみせるから、じゅうぶん用心するがいい。
それには、こんな気味のわるいもんくが、書いてあったのです。
一郎君が、その手紙をおとうさんに見せますと、
「よし、わしがまもってやる。むかしのボクシングの弟子を、ふたりよびよせて、魔法博士がきたら、ひっとらえてやる。」
と、ふとい腕をさすって笑いました。一郎君は小林団長にも、電話でしらせました。すると、
「だいじょうぶだよ。ぼくにも考えがあるから。」
というへんじでした。
さて、いよいよ火曜日です。三時になると、一郎君が学校から帰ってきました。おとうさんは、応接間で、オモチャの白犬をだいて、がんばっていました。ボクサーの青年が、ドアの外と、庭に、ひとりずつ立ち番をしています。井上さんは、白犬を一郎君にわたすとき、ぬいめを、すこし開いて、のぞいて見ましたが、黄金のトラはたしかに、はいっていました。
「だいじょうぶ、まだ盗まれてはいない。いまから四時まで、なにごともなければ、一郎、おまえの勝ちだぞ。これほど、厳重に番をしていれば、いくら魔法つかいでも、どうすることもできないだろうよ。」
おとうさんは、そういってにこにこしていました。一郎君は白犬を、グッとだきしめて、ゆだんなくあたりを見まわします。
四時までは、なにもあやしいことはなかったのです。一郎君はオモチャの白犬をだきしめたまま、すこしも手からはなしません。おとうさんは、一度、手洗いに立ちましたが、すぐ帰って、大きな目をむいて、白犬を見つめています。ドアの外と、庭にいる、ふたりのボクサーも、ちゃんと、もちばについています。アリのはい入るすきまもないのです。
応接間のたなの上には、大きな置時計が、チクタクと秒をきざんでいます。四時一分まえです。
「あと一分間ですね。」
「うん、一分たてば、こっちの勝ちだ。もうだいじょうぶだよ。」
そういいながらも、おとうさんも一郎君も、青い顔をしていました。その一分間が、なんだか、おそろしいからです。
そのとき、チリリリリ……と、けたたましく、たくじょう電話のベルがなりました。おとうさんが、受話器を耳にあてますと、気味のわるい、しわがれ声が聞こえてきました。
「井上さんですか。一郎君のおとうさんですね。わしは魔法博士です。もう三十秒で四時ですよ。四時かっきりに、あれをもらいますよ。あと二十秒です。ウフフフ……そら、もう十秒しかない……。」
置時計が、チン、チン、チン、チンと、うつくしい音で四時をほうじました。おとうさんは、それをきくと、ほっとして、電話のむこうの魔法博士に呼びかけました。
「いま四時をうったのが、聞こえましたか。どうやら、一郎のほうが勝ったようですね。あんたは、約束をまもらなかった。黄金のトラは、ちゃんとここにありますよ。」
「ワハハ……、こいつはおもしろい。わしが約束をまもらなかったといわれるのか? ワハハハ……。」
魔法博士の、とほうもない笑い声が、ひびいてきました。
「なにがおかしいのです。黄金のトラは、ここにありますよ。きみは、盗みだせなかったじゃないか。ハハハ……。」
おとうさんも、負けないで笑いました。
「なんだって? わしが盗めなかったというのか。あんた、なにか思いちがいをしてやしないのかね。もう一度、黄金のトラをしらべてごらん。」
そういわれると、なんだか心配です。おとうさんは、一郎少年の手から白犬をとって、ぬいめを開いてみました。そして、ひと目みると、あっと声をたてないではいられませんでした。黄金のトラは、かげもかたちも、なくなっていたのです。
おとうさんと一郎君は、むちゅうになって、白犬のぬいめをとき、なかのワタを、みんな取りだしてしらべましたが、黄金のトラは、どこにもないのです。
「オーイ、きみたち、あやしいやつを見なかったか。」
おとうさんは、みはりをしている、ふたりの青年に声をかけました。青年たちはおどろいて、かけこんできました。
ふたりのボクサーは、すこしも、もちばをはなれなかったのです。ドアも窓も、しまったままでした。それに、魔法博士は電話をかけていたのですから、ここへこられるはずはありません。
ふしぎな魔法をつかったのでしょうか。博士のからだが、ふたつになって、空気のような目に見えない姿で、この部屋へしのびこんだのでしょうか。
おとうさんと一郎君と、ふたりの青年とで、応接間のなかを、くまなくしらべましたが、どこにもあやしいところはありません。ぬけ穴はもちろん、人間のかくれるような場所もなく、黄金のトラも発見されませんでした。
一郎君はいそいで、小林団長に電話をかけましたが、どこかへ出かけて、るすでした。小林少年は、いったい、どこにいたのでしょうか。
うちじゅうが、おおさわぎになりましたが、ふつうのどろぼうではないので、警察にとどけるわけにはいきません。ただ、ふしぎだ、ふしぎだと、いいあうばかりでした。
六時ごろでした。みんなが応接間に集まっているところへ、一郎君が学校のカバンをさげて、はいってきました。そして、へんなことをいうのです。
「おとうさん、白犬は?」
おとうさんは、びっくりして、一郎君の顔を見つめました。
「おまえは、なにをいってるんだ、白犬は、さっき、こわしてしまったじゃないか。」
「えっ、こわした。それじゃあ、もしや、あれを、盗まれたんじゃありませんか。」
いよいよ、へんです。一郎君は気でもちがったのでしょうか。
「おまえ、学校のカバンをさげたりして、いったい、どこへいってたんだ?」
「ぼく、学校から帰るとちゅうで、むりに自動車にのせられ、さるぐつわをはめられて、へんなうちへつれていかれたのです。そして、いま、自動車で、うちの近くまできて、目かくしをはずされたんだけど、そのときには、もう自動車はどっかへいってしまって、かげも見えなかったのです。」
それから、午後四時には、一郎君とそっくりの少年が、白犬をだきしめて、応接間にいたのだと聞かされて、一郎君はびっくりしてしまいました。
「そいつは、ぼくのにせものです。魔法博士が、ぼくをへんなうちへ、とじこめておいて、そのまに、ぼくとよくにた子どもに、変装をさせて、ここへよこしたのです。
ぼくにばけた子どもが、白犬をだきしめているあいだに、ぬいめをといて、黄金のトラを盗んだのです。おとうさん、そのぼくとそっくりの子どもを、応接間に、ひとりぼっちにしておいたことはありませんか。」
「そういえば、わしが手洗いへいくあいだ、ひとりぼっちになっていた。さては、あのときに、盗みだしたんだな。」
おとうさんも、やっと、そこへ気がつきました。それなら、一郎のからだをしらべればよかったと思っても、もうあとのまつりでした。
そのとき、またチリリリ……と、電話がかかってきました。おとうさんが受話器をとると、さっきと同じしわがれ声で、
「どうです、魔法博士の手なみは? あんなによくにた子どもが、ほかにいるとは思わなかったでしょう……。」
魔法博士の電話の声が、つづきます。
「わしのおおぜいの少年の弟子のなかから、あんたのむすこさんと、よくにた子どもをさがしだし、その少年の顔を、わしのとくいの変装術で、一郎君とそっくりにばけさせた。それから、きょう、一郎君をわしのうちへつれてきて、一郎君の口のききかたや、みぶりを、その少年におぼえさせたのです。
ハハハ……、どうです。わしの魔法の力が、わかりましたか。さあ、こんどは少年探偵団が、黄金のトラを取りかえすのだ。一郎君に、そうおつたえください。」
そして、プッツリ電話がきれました。
さて、お話は、すこしまえにもどります。その日の、午後三時すぎから、井上さんのうちのまわりに、ふしぎなことが、おこっていました。
井上さんの門の前には、こじきのようなきたない少年が、へいにもたれていねむりをしていました。その横のポストのうしろには、酒屋の店員のような子どもが、身をひそめていました。裏門のそばの電柱のかげや、そのむこうのゴミ箱のかげにも、新聞配達とか、牛乳配達のような少年が、かくれていました。それらはみんな、少年探偵団員の変装なのです。
八人の少年が、いろいろの変装をして、井上さんのうちのまわりを、見はっていたのです。また、そこから百メートルほどの町かどに、一台の自動車がとまっていましたが、そのうしろの、荷物をいれるトランクのなかには、団長の小林少年が、やっぱり店員にばけて、身をひそめていたのです。運転手のゆだんを見すまして、そっとしのびこんだのでしょう。
自動車のとまっている近くに、公衆電話のボックスがありました。三十五─六に見える会社員らしい男が、ボックスのなかにはいって、電話をかけています。
その電話ボックスの外に、ひとりの少年が、小さくなってかくれていました。店員らしいふりをしていますが、顔は野呂一平君とそっくりです。あいきょうもののノロちゃんにちがいありません。
男は電話をかけおわると、ボックスを出て小林少年のかくれている自動車にのりこみました。
すると、うしろのトランクのふたが、五センチほど、そっと開いて、なかから、小林君の目がのぞきました。ボックスのかげにいるノロちゃんらしい少年が、それにむかって、しきりに手まねをして見せています。あやしい男が、自動車にのったことを、知らせているのでしょう。
そのあいずを見ると、トランクのふたは、そっとしまりました。しかし、自動車はまだ出発しません。だれかを待っているようです。
しばらくすると、井上さんのうちのほうから、一郎君とそっくりの少年が、いそぎ足にやってきて、キョロキョロと、あたりを見まわしながら、怪自動車に近づきました。
すると、さっき電話をかけた男が、自動車のドアを開き、ニューッと手をのばして、一郎君とそっくりの少年を、なかへ引っぱりこんでしまいました。
ふたたび、トランクのふたが、そっと開いて、小林君の目がのぞきました。ノロちゃんもまた、ボックスのかげから、手まねをして見せました。少年がのりこんだことを知らせているのです。
自動車は出発しました。それが、むこうの町かどに消えると、ノロちゃんは、電話ボックスのかげからとびだしてきました。そこへ、どこからともなく、いろいろの変装をした少年たちが集まってきて、口ぐちに、ささやきあうのでした。
「いまごろ、一郎君が自動車にのって、どっかへいくなんて、なんだか、おかしいね。」
「うん、あいつ、一郎君のにせものかもしれないぜ。」
電話をかけた男は、魔法博士が変装していたのです。あとから自動車にのりこんだのは、一郎君にばけた博士の弟子の少年でした。ですから、少年の服のどこかに、あの黄金のトラがかくされていたはずです。
博士と少年とは、宝物を取りかえして、秘密の場所へかくそうとしているのです。いったい、この自動車は、どこへいくのでしょうか。
小林君は、はやくも、それをさっして、トランクのなかへ、かくれたのですが、ノロちゃんの手まね信号で、いっそうはっきりしました。さすがの魔法博士も、じぶんの自動車に、敵の団長がしのびこんでいようとは、夢にもしりません。
小林君は、どこまでもあとをつけて、黄金のトラのかくし場所を、たしかめてやろうと決心しているのです。
自動車は一時間走っても、まだとまりません。小林君は、せまいトランクのなかで、からだをまげているので、だんだん、肩や腰がいたくなってきました。もう東京の町をはなれたらしく、道がわるくなってきたのが、わかります。そのうちに、のぼり坂になりました。右に左に、きゅうカーブを切りながらのぼっていきます。東京を遠くはなれた、山のなかを走っているらしいのです。
自動車がカーブを切るたびに、小林君のからだは、トランクのなかでゴロゴロところがり、どこかをうちつけるので、もうとても、がまんができないと思いましたが、そのうちに、やっと速度がにぶくなり、自動車はピッタリと、とまりました。腕時計の夜光の針を見ますと、もう七時に近いのでした。外は、まっ暗な夜になっているのでしょう。
自動車がユラユラとゆれて、だれかがおりていったようです。小林君は、トランクのふたをそっともちあげて、外をのぞきました。まっ暗です。そして、すがすがしい木の葉のにおいが吹きこんできました。やっぱり山のなかなのでしょう。
敵に見つかっては、たいへんですから、用心に用心をして、ふたを大きくひらき、あたりを見まわしました。
それから、そっとトランクを出て、暗やみをさいわいに、地の上をはうようにして、自動車のよこにまわり、なかをのぞいて見ますと、魔法博士も少年も運転手も、だれもいないことがわかりました。三人が、どこかへ、黄金のトラをかくしにいったのに、ちがいありません。
そこは、深い山のなかでした。自動車のヘッドライトが消してあるので、あたりはしんのやみです。
三人が、まだ、そのへんにいるのではないかと、やみをすかして見ましたが、なんのけはいもありません。
ふと気がつくと、むこうのほうに、人だまのような赤い火が、ボーっと見えていました。気味がわるいけれども、勇気をふるって近づいてみますと、それは小さな山小屋で、石油ランプのあかりが、窓のしょうじに、うつっているのでした。
あかりがついているからには、人間がすんでいるのだろうと、小林君はその小屋の前に立って、板の戸を、コツコツとたたきながら、声をかけました。
「おじさん、ちょっと、ここをあけてください。」
すると、ゴホンゴホンと、せきの音がして、「だれじゃ。」といいながら、ひとりのじいさんが、戸を開きました。
それは、もう六十ちかい、ひげむじゃのじいさんでした。木こりか炭焼きなのでしょう。
「ぼく、友だちと、はぐれてしまって、道がわからなくなったんです。ここは、いったい、どこですか?」
「ここかね、ここは西多摩郡のはずれの山のなかだよ。なだかい鍾乳洞の近くだ。昼間はバスも通るところだよ。」
その鍾乳洞のことは、小林君もきいていました。よく学生がおおぜいで、探検にいくところです。岩山にほら穴があって、そのなかは、八方に枝道が、わかれている、あの地底の迷路なのです。
「さては、魔法博士たちは、その迷路のなかへ、黄金のトラをかくしにいったんだな。」
小林君は、じいさんに、鍾乳洞への道をきいて、暗やみのなかを、そのほうへ、たどっていきました。けわしい坂道を三百メートルものぼると、やみの中に、やみよりも黒い大きな岩穴が、ポッカリと、口をひらいていました。鍾乳洞の入口です。そっとのぞいて見ると、ずっとおくのほうに、懐中電灯のひかりが、チロチロと動いていました。
「たしかに、そうだ。しかし、魔法博士たちが帰ってしまっても、ぼくひとりでは、迷路にまよって出られなくなるかもしれない。そうだ。つぎの日曜日に、いろいろな道具を用意して、団員たちと、鍾乳洞探検旅行にくることにしよう。そして、みんなのちからで、黄金のトラのかくし場所を、みつけ出すことにしよう。」
小林君は、そう心にきめました。
きょうは日曜日です。いよいよ少年探偵団が、奥多摩の鍾乳洞を探検に出かける日です。団長の小林君と、ノロちゃんと、井上一郎君のほかに、からだのじょうぶな団員ばかり七人、そうぜい十人の探検隊です。朝はやく新宿駅に集合して、電車にのり、べつの電車にのりかえ、それからバスにゆられて、十時ごろに、鍾乳洞のそばの山小屋につきました。
山小屋の戸が開いていたので、なかをのぞきますと、このあいだのじいさんが、火のないいろりの前に、あぐらをかいて、キセルのタバコを、スパスパすっていました。
「やあ、おめえら、鍾乳洞を見物にきただか。気いつけるがええだぞ。あんなかには、枝道があって、まよったら、出られなくなるだからな。」
「だいじょうぶですよ。ぼくたち、ちゃんと用意してきたんです。百メートルもある強いひもの玉を、三つも持ってるんです。このひもを、入口にくくりつけて、それをつたって、はいりますから、道にまよう心配はないのです。」
そのほかに、懐中電灯が六個、登山ようのピッケルが三本、そして、みんなが、おべんとうと、水筒と、呼び子の笛を持っているのでした。
「おじいさんは、猟師ですね。」
小林君が、小屋の壁にかけてある猟銃を見て、いいました。
「うん、猟師が本職だ。この山にはクマがいるでね。このあいだも、大きなやつを、一ぴき、しとめただよ。ときによると、クマのやつ、鍾乳洞の近くまで、のこのこ出てくるだ。」
じいさんは、そういって、にやにや笑いました。
少年たちは、びっくりして顔を見あわせました。
「ハハハ……、なあにしんぺえするこたあねえ、めったに出ねえだ。出ても人の通る道ばたにゃ近づかねえ。おめえら、そんなにおおぜいだから、クマのほうで逃げっちまうだよ。……まあ、気いつけていくがええ、クマよりゃ、穴のなかで、まよわねえようにな。」
そこから鍾乳洞までは、三百メートルほどの、けわしい山道です。このあいだの晩、小林君は魔法博士を見うしなっては、たいへんだと思って、むちゅうで登りましたが、クマが出るときくと、なんだか、気味がわるくなってきます。
十人の少年たちは、大きな木におおわれたうす暗い山道を、一列になって、少年探偵団の歌をうたいながら登っていきました。
「キャーッ!」
山のぼり用の道のまんなかから、とつぜん、びっくりするような悲鳴が、おこりました。みんなが、そこへ駆けよってみますと、ノロちゃんが、まっさおになっているのです。
「うすぐろいやつが、そこのササッパのなかから……。」
といって、道ばたのクマザサを指さしました。
「クマの子どもじゃない?」
「うん、そうかもしれない。ぼくにとびかかって、サッと、あっちのしげみに、かくれてしまったよ。」
それをきくと、ノロちゃんのあとにいた井上君が、ワハハハと笑いだしました。
「なんだい、弱虫だなあ。あれはウサギだよ。茶色のウサギが、道をよこぎったんだよ。」
「なあんだ、ウサギかあ!」
「ノロちゃんはクマが出やしないかと、ビクビクしてるもんだから、クマの子に見えたんだよ。ねえ、ノロちゃん、ぼくがついてるから、だいじょうぶだよ。クマが出たら、金太郎みたいに、ぼくがねじふせてやるからね。」
おとうさんがボクシング選手だけに、井上君は、腕にじしんがあるのでした。
いよいよ鍾乳洞の入口につきました。大きなほら穴が、ガッと、まっ黒な口を開いています。このなかへはいるのかと思うと、勇敢な少年団員たちも、すこしばかり、こわくなってきました。
「さあ、井上君、きみがいちばん力が強いんだから、このひもの玉を持つんだよ。まず、ひものはじを、その岩へ……。」
「よし、ここへ、しっかり結びつけるよ。」
井上少年は、ひものはじを、岩のでっぱったところへ、くくりつけました。
「さあ、出発だ。電池がきれるといけないから、懐中電灯は半分ずつ、つけることにしよう。きみと、きみと、三人だけ。」
そして、十人の少年は、小林団長をさきにたてて、どうくつへふみこんでいきました。
三つの懐中電灯のまるい光が、ゴツゴツした岩はだを、つぎつぎとてらしていきます。足の下もでこぼこの岩ですから、よほど気をつけないと、ころびそうです。井上少年は、ひもの玉を、だいじにかかえて、うしろからついていきます。
くねくねとまがった道を、すこしいきますと、岩穴のてんじょうに、まっ白なものが見えました。
「あっ、鍾乳石だ。ほら、上から白い鍾乳石が……。」
どうくつのてんじょうから、きれいなまっ白な石が、ツララのように、いくつもたれさがっていました。
「あっ、下にもあるよ。でっかいお菓子みたいだ。」
それは、上からたれた石灰分が、かたまってできた、まっ白な石じゅんでした。鍾乳石や石じゅんのことは、学校でおそわっていましたが、見るのは、これがはじめてです。
バタ、バタ……と、どこかで、へんな音がしました。「おやっ!」とおもって、みんなが、たちどまっていると、どうくつのおくのほうから、サーッと、まっ黒なものが、とび出してきました。
「ワーッ、怪物だあ……。」
例によって、ノロちゃんです。ノロちゃんは頭を、両手でかかえて、そこへ、うずくまってしまいました。
「ワーッ、怪物だあ……。」
「ワーッ、怪物だあ……。」
どうくつのおくから、おなじ声が、だんだん小さくなりながら、いくつも聞こえてくるのです。おくのほうにだれか人間がいて、まねをしているのでしょうか。みんなはゾッとして、おもわず、からだをくっつけあいました。
すると、小林団長が、
「おどろくことはないよ。あれは、こだまだよ。ノロちゃんの声が、どうくつに反響したんだ。」
ノロちゃんをおどろかせた怪物は、バタバタと、てんじょうを飛びまわってから、サーッと、どこかへ、いってしまいました。
「なあんだ、あれ、コウモリだよ。怪物じゃないよ。」
井上君は、おかしそうに、いいました。
「ハハハ……、ノロちゃんの声のほうが、よっぽど、こわかったよ。コウモリは、なんにもしやしないよ。」
それから、また、おくへ、おくへと進んでいきますと、岩穴が、だんだんせまくなり、いきどまりになってしまいました。
「あらっ、これで、おしまいかしら。せまいんだなあ。」
「そうじゃないよ。ごらん、あそこに、岩のわれめの小さい穴があるだろう。あそこから、はってはいるんだよ。
ぼくのにいさんが、そういってたよ。にいさんは、まえに、ここへ来たことがあるんだ。」
水野という少年が、岩のわれめをゆびさして、いうのです。そこで、小林団長が、さきにたって、みんな、よつんばいになって、その小さな穴にはいっていきました。
「ワーッ、なんだか、ぼくの首へ落ちてきたよ。ヘビだよ。はやく、はやくとって……。」
さけんだのは、やっぱりノロちゃんでした。うしろにいた少年が、いそいで、ノロちゃんの首をなでてみました。
「なあんだ、水じゃないか。上から水がしたたり落ちたんだよ。ノロちゃんの弱虫!」
「そうかあ。いやにつめたいと思ったよ。」
ノロちゃんは、やみのなかで、ペロッとしたを出しました。
よつんばいになって、七─八メートルも進むと、パッと、あたりが広くなりました。もう、立って歩けるのです。みんなが、広い穴へ出ると、三つの懐中電灯で、グルッと、てらしてみました。
「あっ、枝道だよ。ふたつにわかれている。どっちへ、いったらいいのだろう。」
「さきに、広いほうへ、いってみよう。」
小林団長が、進む道をきめました。
その広いほうの穴を、すこしいきますと、どこからか、ゴーッ、ゴーッという、ぶきみな音が聞こえてくるではありませんか。みんな立ちどまって、「なんだろう?」「なんだろう?」と、ささやきかわしました。
「あっ、わかった。地底の川だよ。ほら、そこに大きな岩のさけめがある。その下のほうに、水がながれているんだよ。その水の音だよ。」
はば一メートル半もある、大きな岩のさけめが、どうくつをよこぎっていました。懐中電灯で、そのなかをてらしても、あまり深いのでなにも見えませんが、その底に水がながれているらしく、ゴーッ、ゴーッという音が聞こえ、つめたい風が吹きあがってきます。
みんなが、その深い穴を、のぞいていますと、岩のさけめの下のほうから、懐中電灯の光のなかへ、なにか大きな鳥のようなものが、フワフワと浮きあがってきました。あっとおもうまに、それが、どうくつのやみのなかへ消えていくと、また、底のほうから、ネズミ色の大きなやつが、いくつも、いくつも、浮きあがってくるのです。
「おどろくことはないよ。コウモリだよ。」
岩のさけめのなかに、たくさんのコウモリがすんでいたのです。それが、懐中電灯の光におどろいて、飛びだしてきたのです。
「さあ、みんな、こんなものに、かまっていないで、もっとおくへ、進むんだ。」
小林団長が、命令しました。
「だって、この岩のさけめは、とても、とびこせないよ。底が見えないほど、深いんだもの。」
「とびこさなくてもいいよ。よくごらん。ここに橋がかけてあるじゃないか。」
見ると、一まいの長い板が、岩のさけめに渡してありました。少年たちは、ひとりずつ、それを渡って、おくへ進みます。しばらくいくと、また、道がふたつにわかれていました。小林団長は、右がわの穴へ進むことにしました。
十人の少年たちは、懐中電灯であたりをてらし、どこかに、黄金のトラがかくしてないかと、二十の目を光らせていましたが、まだなにも発見できません。
それから、たびたび、枝道にぶつかりました。小林団長は、いつも、右へ右へと進んでいきます。おそろしい迷路です。道しるべのひもがなかったら、とても、入口へもどることはできません。
そのとき、うしろのほうで、「あっ。」という声がしたので、みんな、びっくりして、懐中電灯を、そのほうにむけました。すると、そこに井上一郎君が、たおれていたではありませんか。
「だいじょうぶかい? けがはしなかった?」
「うん、だいじょうぶ。岩につまずいたんだよ。」
感心なことに、井上君はころんでも、あのひもの玉を、しっかりだきしめていました。
しばらく進みますと、また、うしろのほうから、
「あっ、しまったっ。」
という声が、聞こえました。やっぱり井上君です。
「どうしたの? また、ころんだのかい?」
「そうじゃないよ。たいへんなことを、しちゃった!」
「えっ、たいへんなことって?」
「さっき、ころんだとき、道しるべのひもが、切れちゃったんだよ。」
「えっ、きみの持ってるひもが?」
「うん、ひっぱると、てごたえがなくて、ズルズルたぐりよせられるんだ。とちゅうで切れたんだよ。ほら、こんなにみじかくなってるよ。」
ひもは、その切れたところまで、すっかり、たぐりよせられていました。
みんなは、おどろいて、井上君のまわりに集まりました。
「それじゃ、道しるべが、なくなってしまったんだね。」
「ぼくらは、もう帰れなくなったんだね。」
ノロちゃんは、ベソをかいています。ノロちゃんばかりではありません。みんな心配で、胸がドキドキしてきました。
「ぼくがわるいんだよ。ぼくがころんだのが、いけないんだよ。みんな、ぼくを、うんと、なぐっておくれ。」
さすが、力じまんの井上君も、泣き声になっています。
小林団長は、ひもの切り口を、懐中電灯でしらべていましたが、はっとしたように、顔をあげてさけびました。
「そうじゃないよ。きみがころんだから、切れたんじゃないよ。
ほら、この切り口をごらん。だれかが、ナイフかハサミで、わざと切ったんだよ。岩かどですり切れたんじゃないよ。」
いかにも、それは、なにかするどいはもので切ったような、切り口でした。
「だれだろう。いったい、だれが、こんないたずらをしたんだろう?」
なんだか、気味がわるくなってきました。
「あっ、わかった。魔法博士だよ、きっと。」
「魔法博士が、どっかに、かくれていて、ぼくらを、このどうくつから、出られなくしたんだよ。」
みんなは、ゾーッとおそろしくなって、だまりこんでしまいました。もう、生きたここちもないのです。
「あっ、いいことがある。みんな、心配しないでもいいよ。ぼくらは、ここを出られるよ。」
小林団長が、明るい声でさけびました。
「ぼくらは、枝道に出くわすたびに、右へ右へと進んできたね。だから、ほら、考えてごらん。帰りにはぎゃくに、左の手で、左がわの岩にさわって、歩いていけば、しぜんに、もとへもどれるんだよ。ね、そうだろう。」
いかにも、よく考えてみると、そのとおりでした。もうだいじょうぶです。
「ばんざーい、やっぱり、団長はえらいなあ!」
ノロちゃんが、いせいのいい声をだしました。ノロちゃんは、ベソをかくのもはやいかわりに、よろこぶのも、まっさきです。
みんな、いきかえったような気持になって、左手で左の岩にさわりながら、あとへ、ひきかえしました。
いくつかの枝道を、ぶじに通りすぎて、あの深い岩のさけめのところまで、たどりつきました。
「あっ、ここだ。ここからコウモリが、たくさん飛びだしたんだ。やっぱり、もとにもどれたねえ。」
みんな、大よろこびです。ところが、懐中電灯で、岩のさけめをてらしていた、ひとりの少年が、
「あっ、たいへんだっ。橋がなくなっている。」
さっき、みんなが渡った板の橋が、消えてなくなっていたのです。はば一メートル半もある深い岩のさけめですから、橋がなくては、とても渡ることはできません。
「やっぱり、そうだよ。魔法博士が、かくれているんだ。そして、板をどっかへ持っていって、ぼくらを、ここから出られなくしたんだよ。きっと、そうだよ。」
ああ、もうだめです。さすがの小林団長も、こうなっては、うまい知恵も浮かびません。三本のピッケルを、ひもでつないで、橋のかわりにしても、とても人間をささえる力はないのです。
このまま、どうくつを出られないとすると、少年たちは、うえ死にしなければなりません。それを思うとおそろしさに、からだがガタガタ、ふるえてくるのでした。
十人の団員が、おそれおののいているのを見て、小林団長は、ここで、みんなを元気づけなければいけないと思いました。
「なあに、そのうちに、きっと、うまい考えが浮かんでくるよ。それより、もうおひるだろう。はらがへっては、いい知恵も出ないよ。このおくの広い場所で、ゆっくり、べんとうをひらこうじゃないか。」
少年たちは、どうくつのおくの広い場所にもどり、懐中電灯をまんなかにおき、このまわりに腰をおろし、リュックのなかからべんとうをとりだして、水筒の水をのみながら、たべはじめました。
みんな、これからどうなるのだろうと心配で、ごはんも、のどをとおりません。
でも、弱虫といわれるのがいやなので、みんな、やせがまんをして、さもおいしそうに、たべています。
すると、そのとき、どこか遠くのほうから、「ウォーッ、ウォーッ。」というおそろしい声が、聞こえてきました。
「おやっ、あれ、なんだろう?」
「人間の声じゃないよ。水のながれる音でもないよ。」
「ずっと、おくのほうだね。ぼく、いって見てくるよ。」
べんとうを、たべおわった井上一郎君が、そういって立ちあがり、懐中電灯を持って、どうくつのおくへ、はいっていきました。
枝道のところへいって、耳をすましていますと、左がわの穴から、また「ウォーッ、ウォーッ。」という、ものすごい声がひびいてきました。
井上君が懐中電灯で、穴のおくをてらすと、まっ暗ななかに、キラキラと金色に光った小さなものが見えました。
「あっ、黄金のトラだっ!」
それは、たしかに、トラのかたちをした金色のものでした。しかし、ふしぎなことに、そのトラは動いているのです。
ノソノソと、こちらへ近づいてくるのです。黄金でできたトラが動くはずはありません。これは、いったい、どうしたというのでしょう。
トラの姿が、だんだん大きくなってきました。はじめは十センチぐらいの小さなトラでしたが、近づくにつれて、みるみる大きくなってくるのです。二十センチ、三十センチ、五十センチ……。
生きています。生きた大きなトラなのです。
でも、なんという、ふしぎなトラでしょう。ぜんしんの毛が、金の糸でできたように、キラキラと、うつくしくかがやいています。二つの大きな目は、ダイヤのようにごこうをはなって、光っているのです。そして、おそろしい牙のある、まっかな口を、ガッとひらいたかとおもうと、
「グルルルル……、ウォーッ。」
「ワーッ、トラだあ! ほんとうのトラが出たあ!」
いくら勇敢な井上君でも、ほんもののトラにはかないません。悲鳴をあげて、逃げだしました。すると、その声が、どうくつにこだまして、
「トラだあ……、トラだあ……、トラだあ……。」
と、いつまでも、気味わるく、ひびくのです。
こちらにいた少年たちは、びっくりして、立ちあがりました。
「井上君、気でもちがったのか。日本の山のなかに、トラがいるはずはないじゃないか。」
小林団長が、しかるようにいいました。
「ほんとだよっ。おばけのトラだあ。金色のトラだあ。ホラ、あそこから……。」
少年たちは、ありったけの懐中電灯をつけて、井上君のゆびさす、ほら穴をてらしました。
ああ、ごらんなさい。その六つの、まるい光のかさなりあったなかへ、おそろしいものがヌーッと、姿を、あらわしたではありませんか。
大きなトラです。ぜんしん金色の大きなトラです。そいつが、まっかな口をひらき、白い牙をむきだして、十メートルほどむこうから、ノソノソと、こちらへやってくるのです。ああ、もう七メートルになりました。五メートルになりました。
「グルルルル……、ウォーッ。グルルル……、ウォーッ。」
ダイヤのように、光った目が、グッとこちらをにらみつけ、まっかな口が、いまにも、かみつきそうです。
少年たちは「ワーッ。」といって、さきをあらそって逃げだしました。しかし、もとのほうへ逃げれば、そこには、深い深い岩のわれめがあるのです。おそろしい谷があるのです。
まえには、目もくらむ深い谷、うしろからは、金色のトラのばけもの。いよいよ、もうだめです。トラにくわれるか、谷に落ちていのちをうしなうか、どちらにしても、たすかるみこみはありません。
「ワーッ、たすけてくれえ……。」
おそろしい、さけび声がおこりました。井上君です。井上君がやられたのです。
井上君は、いちばんあとから逃げていましたが、そこへ、トラがパッととびついてきて、まえ足で、おさえつけてしまったのです。
井上君は、あおむけにたおれて、もがいています。トラはその上から、まっかな口をガッとひらいて、かみつこうとしているのです。それを見ると、少年たちはギョッとして、心臓がのどのところまで、とびあがってくるような気がしました。
少年たちは、そこに立ちすくんだまま、身うごきもできなくなりました。ダイヤのようなトラの目ににらみつけられて、からだがすくんでしまったのです。
トラは、まっかな口でかみつこうとしています。あの口が、もう十センチさがったら、井上君はやられてしまうでしょう。ああ、いまにも、いまにも!
「ワハハハハ……。」
そのとき、どこからか、おそろしい笑い声がひびいてきました。それがどうくつにこだまして、いくにんもの人が、笑っているように聞こえます。
いったい、だれが笑ったのでしょう。少年たちが笑うはずはありません。それに、いまの笑い声は、太いおとなの声でした。
井上君をおさえつけていた金色のトラが、パッと、あと足で立ちあがりました。
少年たちは、いまにも、こちらへとびかかってくるのかと、もう、生きたここちもありません。
「ワハハハハ……。」
またしても、おそろしい笑い声です。そして、その声が消えていったとき、じつに、ふしぎなことがおこりました。
金色のトラは、あと足で立ちあがって、まえ足で、じぶんの頭を、かかえたかとおもうと、そのまえ足を、グッと上にあげました。すると、トラの首が胴体からちぎれて、スーッと空中に浮きあがったのです。首がぬけてしまったのです。そして、その下から人間のじいさんの顔が、ヌーッと、あらわれてきたではありませんか。
ひげののびた、きたないじいさんの顔です。トラのなかに、じいさんがはいっていたのです。
「あっ、さっきの山小屋のじいさんだっ!」
少年のひとりが、さけびました。
「ワハハハハ……、おめえら、たまげただか。日本の山にトラがいるわけはねえ。おらがトラにばけて、ちょっくら、おめえらを、おどかしてくれただあ。」
やっぱり、あの山小屋の猟師のじいさんでした。それにしても、じいさんは、こんなりっぱなトラの皮を、どこから手にいれたのでしょう。また、いったい、なんのために、金のトラなんかにばけたのでしょう。
「エヘヘヘヘ……、いまに、びっくらすることが、おこるだぞ。」
じいさんは、うすきみわるく笑いました。
山小屋のじいさんは、かぶっていたトラの皮を、すっかり、ぬぎすててしまいました。少年たちが、あっとおどろいていると、こんどは、もっとふしぎなことがおこったのです。
じいさんは、むこうをむいて、なにかやっていましたが、クルッと、こちらにむきかえったときには、まるでちがったおそろしい顔に、かわっていました。
「あっ、魔法博士だっ!」
少年団のだれかが、さけびました。
それは、あのぶきみな西洋悪魔のような、魔法博士の顔だったのです。
「アハハハ……、どうだ、おどろいたか。わしじゃよ。わしは山小屋のじいさんにばけて、きみたちのやってくるのを見はっていた。道しるべのひもを切ったのも、板の橋をはずしたのも、このわしじゃ。
それから、この金色のトラの皮を、スッポリかぶって、べつの道からさきまわりをして、きみたちを待っていたのじゃ。」
それをきくと、小林少年が、ツカツカと前に進みました。
「それじゃ、このあいだの晩、ぼくが自動車のトランクにしのびこんで、尾行したのを、ちゃんと知っていたのですか。」
魔法博士は、にやにや笑ってこたえました。
「きみが尾行したことは、むろん知っていたよ。はじめから、きみたちを、ここへおびきよせるつもりだったからね。そして、きみたちのどきょうを、ためしてみたのさ。だから、この鍾乳洞のなかを、いくらさがしても、黄金のトラは、みつからないよ。あれは、もっとべつのところに、かくしてあるのだ。
しかし、まだきみたちが、負けたわけじゃない。はじめに約束したとおり、二ヵ月のあいだに、探しだせばよいのだから。まだ、たっぷり、よゆうがあるのだよ。
さあ、いよいよ、むずかしくなってきたね。きみたちは、もう、まったく手がかりが、なくなってしまったのだ。だが、あんしんしたまえ。きみたちが、こんな冒険をやったほうびに、手がかりをおしえるよ。
きみたち、黄金のトラは、どこにかくしてあるとおもうね。もちろん、このどうくつのなかじゃない。ハハハ……それはね、きみたちの目の前にあったのだよ。いまに、見せてあげるよ。」
魔法博士は、むこうのほら穴へはいっていって、長い板をもちだしてきました。岩のさけめにかけてあった、あの板です。それを、もとのとおりにかけて、みんなが渡りました。
こんどは、魔法博士が、さきに立っているのですから、道しるべのひもなんかなくっても、だいじょうぶです。少年たちは、なんなく、鍾乳洞の外に出ました。
「黄金のトラのかくし場所を、おしえてあげるから、こちらへ、おいで。」
魔法博士は、そういって、山小屋のほうへ、おりていきます。
山小屋へ近づいたとき、さきに歩いていたノロちゃんが、びっくりしたように立ちどまりました。
「あらっ、へんなやつが、のぞいている!」
山小屋のうしろから、ヒョイとのぞいた人間の顔が、その声におどろいて、ひっこんでしまいました。なんだか、ひげむじゃのきたない顔で、山男のようなやつでした。
「ハハハ……、あれはきみたちの、よく知っている人だよ。おい、もういいから、出てきなさい。」
魔法博士によばれて、小屋のかげから、ノッソリあらわれたのを見ると、その男は背広のうえに、ネズミ色のオーバーをきて、りっぱな紳士のふうをしています。それでいて、顔だけが、山男のようにきたないのです。なんだか、気味のわるいやつです。いったい、だれなのでしょう。
「ハハハ……、まだわからないかね。これが、ほんとうの山小屋のじいさんだよ。わしが、このじいさんにばけて、きものをかりたので、じいさんは、わしの服をきているのさ。」
魔法博士の説明で、やっと、わけがわかりました。そういえば、博士のほうも、ピンとはねた口ひげのある顔ににあわない、きたない服をきているのです。
「黄金のトラは、いったい、どこにかくしてあるんですか。」
井上少年が、前に出てたずねました。
「うん、それはね、さっき、きみたちがここへきたとき、わしは、じいさんにばけて、キセルでタバコをすっていたね。おぼえているかい。その目の前にあったのさ。いまでも、きみたちの目の前にあるんだよ。」
魔法博士は、にやにやと笑いました。
少年たちは、それをきくと、山小屋のなかにあがりこんで、せまい部屋を探しまわりましたが、どうしても、見つけることができません。
「ハハハハ……、戸だなや、ひきだしを探したって、だめだよ。ほら、きみたちのすぐ目の前にあるんだ。わしが、どこでタバコをすっていたか思いだしてごらん。いろりの前だったね。いろりには、火がなくて灰ばかりだったね。
ほら、よく見たまえ。このいろりの灰のなかに、ピカッと光ったものが、見えるじゃないか。」
魔法博士は、ひばしでいろりのすみを、さししめしました。そこの灰のなかに、画ビョウのあたまほどの小さい金色のものが、光っているのです。
「ほら、これが黄金のトラの、しっぽのさきだよ。
どうだね、黄金のトラは、ちゃんと、きみたちの目の前にあっただろう。よくおぼえておきたまえ。ものをかくすときは、あいてが、まさかと思うような場所へ、わざと、ほうり出しておくのが、いちばん、うまいかくしかたなんだよ。」
博士は、そういって灰のなかから、キラキラ光る黄金のトラを取りだし、てのひらの上にのせて、ながめるのでした。
「さあ、もう一度、これを、きみたちに渡すから、こんどは、もっとうまくかくしてごらん。きみたちが、いくら知恵をしぼっても、わしは魔法の力で、すぐに盗みだしてみせる。それをまた、きみたちが探すのだ。さいしょから二ヵ月という約束だから、まだ、じゅうぶん日にちがある。そのあいだに、これを取りかえせば、やっぱり、きみたちの勝ちになるのだよ。」
その夕方、小林団長と九人の少年探偵団員は、明智探偵事務所に帰って、明智先生に、きょうのできごとを、くわしく報告しました。すると、明智探偵は、
「うん、きみたちも、よくやったが、魔法博士も、なかなか、うまくかくしたね。こんどはまた、きみたちの番か。うんと知恵をしぼって、うまいかくしかたを考えるんだね。」
そこで、黄金のトラは、ひとまず明智先生にあずけておいて、少年たちは、それぞれうちに帰り、晩のごはんをたべてから、また探偵事務所に集まり、秘密会議をひらきました。
さいしょ集まった十五人の少年のうち、鍾乳洞へ行かなかった五人には、電話をかけてよび集め、応接室の大テーブルをかこんで、相談をはじめました。
厳重な秘密会議です。十五人の少年のうち、事務所の前と、裏口に、ふたりずつ、応接室のドアの前と、窓の外の庭に、ひとりずつ、つごう六人の団員が見はりに立ち、のこる九人で、ヒソヒソと相談をしたのです。
これだけ用心をすれば、いかな魔法博士も、しのびこむことはできません。さて、少年たちは、どんな名案を考えついたのでしょうか。
九人の少年が、長いあいだ相談して、黄金のトラのかくし場所をきめました。そして、九人のなかの今井君と坂口君のうちが、かくし場所にえらばれたのです。今井君のうちはセトモノ屋さん、坂口君は金庫屋さんです。今井君のお店のたなの上には、セトモノの、いろいろな動物のオモチャが、たくさんならんでいました。
黄金のトラを、えのぐでぬりつぶして、セトモノのトラに見せかけ、そのオモチャの動物たちのなかへ、まぜておくのです。魔法博士は、「目の前に、ほうり出しておくのが、いちばんうまい、かくしかただ。」といいました。少年たちは、さっそく、それを、おうようしたのです。まさか、だいじな宝物を店さきへならべておくなんて、だれも気がつかないでしょう。
それから、今井君のお店の動物のオモチャのなかから、黄金のトラによくにた、セトモノのトラを持ってきて、それを、だいじそうにわたでくるんで、小さい箱に入れ、坂口君のお店の金庫のなかへかくしました。
坂口君のお店には、たくさん金庫がならんでいますが、地下室に、いちばん大きい金庫がおいてあるので、そのなかへ、かくすことにしたのです。
今井君のお店の、ほんもののトラのほうは、だれも見はりをしないで、ほうっておきましたが、坂口君のお店の地下室には、少年探偵団員が、ふたりずつかわりあって、たえず見はりばんをしました。夜も坂口君と少年店員とが、地下室の金庫のまえに長いすをならべて、そこで、やすむことにしました。にせもののトラを、なぜそんなにだいじにするのでしょう。
いうまでもなく、敵をあざむく計略です。そうして、さもだいじそうに見はりをして、黄金のトラが、その金庫にかくしてあると、魔法博士に思いこませるためです。
この計略は、まんまと成功しました。にせもののトラを金庫にかくしてから二日めに、坂口君のところへ、みょうな電話がかかってきたのです。
少年店員が、「学校の先生から電話です。」といって、よびに来ましたので、坂口君は、なにげなく電話口に出ますと、ぶきみなしわがれ声が聞こえてきました。
「ずいぶん厳重に、けいかいしているね。ウフフフ、だが、わしはトラをもらいにいくよ。あすの午後四時だ。きっと盗みだしてみせるから、せいぜい用心するがいい。」
坂口少年は、すぐにそのことを、電話で小林団長に報告しました。そして、あくる日の午後には、このまえ鍾乳洞を探検した少年のうちの八人が、坂口君のうちの地下室に集まり、金庫の見はりをすることになりました。小林団長と、セトモノ屋の今井君だけは、どこへいったのか、姿を見せません。それには、なにか、わけがあったのでしょう。
八人の少年のうちには、坂口君はもちろん、力のつよい井上君や、あいきょうもののノロちゃんも、はいっていました。
地下室には、坂口君のお店で、いちばん大きな金庫がすえてあります。そのなかに、セトモノのにせの黄金のトラをいれた箱が、おさめてあるのです。少年たちは、そのまわりに、いすにかけて、ゆだんなく、あたりに目をくばっていました。
午後四時すこしまえになると、坂口君のお店の支配人が、心配そうな顔で地下室へおりてきて、坂口君に声をかけました。
「ぼっちゃん、だいじょうぶですか。もうじき四時ですよ。」
「うん、だいじょうぶだ。でも、ゆだんはできないよ。このまえは、魔法博士の弟子の少年が、井上君にばけて、やってきたんだからね。」
すると、井上君がいいました。
「あのときは、オモチャの犬のなかにかくして、うちの人がだいていたので、ぼくのにせものに盗まれたが、こんどは金庫のなかだから、だいいち、暗号を知らなければ、とびらを開くことができないよ。こんどこそ、だいじょうぶだよ。」
支配人は、それでも、まだあんしんできないのか、
「わたしも、四時すぎるまで、ここで番をしますよ。」
そういって、金庫の前のいすに、腰をおろしました。支配人は金庫のなかにあるのが、セトモノのトラということを知らないのです。それは、少年探偵団員だけの秘密でした。
みんな、だまりこんで、ジロジロと、あたりを見まわしていました。忍術つかいのような博士のことですから、どこから、しのびこんでくるか、わからないからです。
地下室は、おおぜいの少年がいるのに、まるで、空部屋のように、シーンとしずまりかえっていました。いまにも、あやしいやつがはいってくるかと思うと、胸をドキドキさせているのですが、いつまでたっても、なにごともおこりません。
支配人は腕時計を見ながら、つぶやきました。
「四時五分まえです。……二分まえ……、一分まえ……、あっ、ちょうど四時です!」
「あっ、四時だ!」
坂口君と、井上君とが、じぶんの腕時計を見てさけびました。約束の四時が来たのです。しかし、ふしぎなことに、べつに、かわったこともおこりません。
「なあんだ、とうとう、魔法博士は、こなかったじゃないか。」
井上君がいいますと、支配人が、にやにやっと笑いました。
「魔法博士は、ほんとうに、こなかったのでしょうかね?」
「だって、だれも来ていないじゃないか。」
坂口君が、にやにやしている支配人の顔を見て、おこったようにいいました。
「来ていますよ。」
支配人が、みょうなことをいうのです。
「えっ、来ているって、どこに?」
「ここに来ていますよ。」
それをきくと、少年たちは、ギョッとして支配人の顔を見つめました。
支配人は、やっぱり、ニヤリニヤリ笑っています。なんだかその顔が、いつもの支配人とはちがっているようで、うすきみのわるい気持になってくるのです。
「きみは……きみは、いったい、だれだっ?」
坂口君が、おびえた声をたてました。
「ハハハ……、魔法博士が変装の名人だということを、わすれたのかね?」
支配人の顔が、みるみる別の人にかわってくるように、思われました。
「あっ、それじゃ、きみは……。」
「そうだよ。わしは魔法博士だよ。どうだ、おどろいたか。」
それをきくと、八人の少年たちは、サッと、金庫の前にかけよって、そこに立ちふさがりました。魔法博士にとびらを開かせないためです。
「ワハハハ……、いまさら、金庫をまもったって手おくれだよ。黄金のトラは、とっくに魔法の力で、わしが盗みだした。うそだとおもうなら、きみたち、金庫を開いて、あらためてみるがいい。」
「だって、金庫のとびらは、一度も、あかなかったよ。ぼくたちが、ちゃんと見ていた。とびらを開かないで、なかのものが取りだせるはずはないっ。」
「ハハハ……、そこが魔法だよ。ともかく、金庫を開いてみるがいい。」
そういわれると、しらべてみないわけにはいきません。坂口君は暗号の文字ばんを、まわしました。
坂口少年は、重い金庫のとびらを力まかせに開きました。そして、なかから小箱を取りだして、あらためてみますと、わたでくるんだセトモノのトラは、もとのままにはいっているではありませんか。
「なあんだ、ちゃんと、ここにあるじゃないか。」
「ウフフフ……、それが黄金のトラかね。見せてごらん。」
支配人はそういったかとおもうと、いきなり、坂口君の手から、小箱をひったくって、にせもののトラを取りだし、パッと、床になげつけました。
ガチャンと音がして、セトモノのトラは、こなごなに、われてしまいました。
「ワハハハ……、これでも黄金のトラかね。まっかなにせものじゃないか。」
支配人は、カラカラと笑いました。
「そうだよ。それは、にせものだよ。ほんものは、ちゃんと、べつのところにかくしてあるのさ。ハハハ……、魔法博士のくせに、なんにも知らないんだね。」
坂口少年が、勝ちほこっていいますと、支配人は、
「ウフフフ……、ところがね、じつをいうと、わしは魔法博士の弟子でね、ほんとうの博士が、とっくに黄金のトラを、盗みだしているのさ。
うそだとおもうなら、セトモノ屋の今井君のうちへ、電話をかけて聞いてみるがいい。そこに、どんなことが、おこっているか。」
ああ、魔法博士は、なにもかも知りぬいていたのです。少年たちをゆだんさせるために、博士の弟子が坂口君の店の支配人にばけて、こんなおしばいを、やって見せたのです。
「きのう電話をかけたのはね、魔法博士が、ここの金庫をねらっているとおもわせて、きみたちをみんな、ここへ、ひきつけておくためだったのさ。そして、そのすきに、ほんとうの魔法博士が、今井君の店から、黄金のトラを盗みだしてしまったのさ。ハハハハ……、きみたちが、いくら知恵をしぼっても、博士には、かないっこないのだよ。」
支配人にばけた博士の弟子は、カラカラと笑いながら、ゆうゆうと階段をのぼって、地下室から出ていきました。
八人の少年は、あまりのことに、そこに立ちすくんだまま、ぼんやりしていましたが、やがて、坂口少年が気をとりなおして、一階にかけあがり、今井君のお店へ電話をかけますと、やっぱり黄金のトラは、盗まれてしまったことがわかりました。
お話はかわって、やはりその日の、午後四時すこしまえ、セトモノ屋の今井君の店のむこうがわに、一台のから自動車がとまっていました。
そのなかには、小林団長と、今井君と、今井君のにいさんの大学生とが、かくれているのです。
魔法博士は、黄金のトラが、今井君の店に、かくしてあるのを知って、コッソリ、やってくるかもしれないからです。
今井君のにいさんは、自動車の運転がうまいので、少年探偵団のみかたになって、知りあいのガレージから自動車をかり出し、運転席にかくれて、そこに待ちぶせしているのです。小林、今井の二少年もうしろの席にかくれていました。みんな、窓よりひくく身をふせていたので、外からは、だれものっていないように見えるのです。
小林団長は、トラックについている、まるいバックミラーを、ガレージからかりてきて、自動車の窓のところへ出して、下から見ていました。このバックミラーは凸面鏡になっているので、ふつうの鏡よりも、ずっとひろいけしきがうつります。それを、むこうがわのセトモノ屋の店にむけて、黄金のトラの、かくしてあるたなを見はっているのです。
「あっ、へんなじいさんが来たよ。見てごらん。ね、なんだか、あやしいやつだね。」
鏡にそれがうつっていました。大きなめがねをかけ、白いあごひげを胸までたらし、茶色のコートをきて、黒いトルコ帽のようなものをかぶったじいさんが、つえにすがって、ヨチヨチと、セトモノ屋の店へはいっていくのです。
店には、たくさんの客がいました。じいさんは、そのなかにまじって、だんだん、黄金のトラのかくしてあるオモチャのたなのほうへ、近づいていきます。
そして、そのたなの前に立つと、キョロキョロと、あたりをぬすみ見て、スーッと、手をたなの上にのばしました。
「あっ、たいへんだっ。トラを……。」
今井君が、さけびました。
あやしい老人は、セトモノに見せかけてある黄金のトラをひっつかんで、サッと、ふところへいれてしまったのです。店員も、そばにいた客も、すこしも、それに気がつきません。じいさんは、そのまま、コソコソと店の外へ出て、むこうの電車通りのほうへ歩いていきます。
「あのじいさんのあとを、つけてください。」
小林君が、運転席に声をかけました。
セトモノ屋の店を、二十メートルもはなれると、つえにすがってヨボヨボしていたじいさんの足が、にわかに早くなりました。まるで青年のように、おおまたに歩くのです。
小林君たちの自動車は、あいてに気づかれぬように遠くはなれて、ノロノロと、そのあとをつけていきます。
「あっ、へんな自動車がいる。あれにのるのかもしれない。」
電車通りのかどに、青色の大きな自動車がとまっていました。じいさんはツカツカと、そのそばによると、いきなりドアを開いて、うしろの席にとびこみました。そして、その自動車は、おそろしい早さで走りだしたのです。
「にいさん、全速力だよ。あの青い自動車を見うしなわないように。」
今井君が、運転席によびかけました。
「よしっ、こころえたっ。にいさんのうでまえを、見ているがいい。」
映画のような自動車の追跡です。
青と黒の自動車は、二─三十メートルをへだてて、町から町へと、おそろしい早さで走りました。青色自動車は、さびしいほうへ、さびしいほうへと、まがっていきます。そして三十分ほどのちには、大きな川のそばに出ました。
そこは、荒川区の隅田川の上流でした。
青色自動車は、長い橋のてまえで速度をゆるめ、川っぷちを右のほうへまがりましたが、すぐひきかえして、橋を渡っていきます。
「あっ、じいさんの姿が見えない。どうしたんだろう?」
今井君が、それに気づいて、さけびました。
青い自動車には、運転手がのっているだけで、うしろの席は、からっぽです。
「さっき、橋のてまえで速度をゆるめたとき、とびおりたのかもしれない。探してみよう。」
小林君は、今井君のにいさんに、車をとめるようにたのみ、三人は、そこでおりて、川っぷちを右へ歩いていきましたが、じいさんの姿は、どこにも見えません。
そこには、大きな工場のへいが、ズーッとつづいていて、見るかぎり人通りもありません。川っぷちには、コンクリート工事のバラックの事務所がたっています。
小林君は、なにをおもったのか、そのバラックの戸をあけて、のぞいて見ました。なかには、たったひとり、三十五─六歳の労働者が、いすにかけて、タバコをスパスパやっているばかりです。
バラック小屋には、隅田川のほうにも、川岸の道のほうにも、ガラス窓がついていました。そのなかでタバコをすっている労働者は、道のほうをむいていましたから、さっきのじいさんが、外を通れば気がついたはずです。
「おじさん、いま、ここを、トルコ帽をかぶった白ひげのじいさんが、通らなかったですか。」
小林君が、たずねると、その男はジロッと、こちらを見てこたえました。
「うん、じいさんのくせに、かけだしていったぜ。あっちのほうへね。」
「ありがとう。」
小林君は、バラックの戸をしめて、そこに待っていた今井君兄弟といっしょに歩きだしましたが、バラックから、すこしはなれると……、小林君は、とつぜん、立ちどまって、今井君の耳に口をつけ、なにかささやきました。すると、今井君は、うなずいて見せて、
「うん、わかった。しっかりやりたまえ。」
といって、そのまま、にいさんといっしょに、川岸を、ドンドンむこうのほうへ、走っていきました。むろん、白ひげのじいさんを、探すためでしょう。なぜか、小林君だけがあとにのこったのです。
あとにのこった小林君は、川っぷちを伝って、すばやくバラック小屋のうしろに身をかくし、そこの窓から、ソッと、なかをのぞきました。
しばらく、のぞいていましたが、やがてニッコリ笑うと、そのまま橋のたもとへ走っていって、そこにとめてあった、さっきの自動車のなかへ、姿を消してしまいました。
三分ほどすると、自動車のドアがソッと開いて、なかから、みょうな子どもが出てきました。やぶれセーターに、やぶれズボン、あたまの毛は、ボウボウとのびて、一年もふろにはいらないような、まっくろな顔。こじきみたいな少年です。
こじき少年は、両手をズボンのポケットにつっこんで、ブラリ、ブラリと、バラック小屋のほうへ歩いていきます。
小屋のよこまでくると、バラックの壁にもたれて、しゃがんでしまいました。そして、ぼんやりと、隅田川をながめています。
しばらくすると、川しものほうから、一そうの白いランチが上ってきて、バラックのうしろの岸に近づくと、そこへ、よこづけになりました。こじき少年は、バラックのかげに身をかくして、じっと、それを見ていました。
すると、バラック小屋のうしろの戸が開いて、さっきタバコをすっていた男が、黒いふろしきづつみを持って出てきました。そして、あたりを、キョロキョロ見まわしてから、よこづけになっているランチのなかへ、はいっていくのです。
バラックのかげで、それを見ていたこじき少年は、なにをおもったのか、ポケットから紙とエンピツを取りだしました。
その紙に手紙のようなものを書いて、四つにおると、川っぷちの大きな石の上におき、風でとばないように、小石をひろっておもしにしました。それから、地面をはうようにしてランチに近づき、パッとその甲板にとびのると、すばやく、ものかげに、姿をかくしました。
みなさん、この少年は、いったい、なにものでしょうか。
こちらは白いランチの船室のなかです。いま、のりこんできた労働者のような男を、ふたりの船員が、ていねいに、迎えました。
「先生、うまくいきましたか。」
船員がたずねますと、男は、ワハハハと笑って、持っていた黒いふろしきづつみをほどきました。すると、なかから、しらがのカツラや、つけひげや、トルコ帽や、茶色のコートが出てきました。
「さすがに、小林団長はぬけめがない。自動車で見はっていて、わしを、追跡してきたよ。だが、こちらには、おくの手がある。車のなかで労働者に変装して、このバラックへとびこんだ。小林君が戸をあけたときには、はっとしたが、わしの変装が見やぶれるものじゃない。じいさんは、あっちへ逃げたと、うそを、おしえてやったよ。ハハハ……。」
労働者にばけていたのは、魔法博士だったのです。まず白ひげのじいさんに変装して、黄金のトラを盗みだし、自動車のなかで手ばやく労働者にばけて、バラック小屋にかけこみ、タバコをふかして、すましていたのです。
はじめから、ここで船にのるつもりだったので、じぶんのランチを、ここへ、まわすように命じておいたのでした。
「先生、黄金のトラはだいじょうぶですか。」
部下の船員がたずねますと、博士は笑って、
「ちゃんと、ここにあるよ。」
といいながら、ポケットから、セトモノに見せかけたトラを出して、えのぐをこすりとると、ピカピカ光る金色が、あらわれてきました。
「さあ、島へいそぐんだ。全速力だよ。」
島とは、いったい、どこの島なのでしょうか。
お話かわって、こちらは今井君兄弟です。いくら川岸をさがしても、白ひげのじいさんが見つからないので、もとのバラック小屋のそばへ、もどってきました。そのときは、もう、博士のランチが出発したあとでした。さっき、小林団長は今井君に、
「あとで、バラックのよこの大きな石の上を見てくれ。」
と、ささやいていったので……、その石をさがしますと、すぐに見つかりました。石の上に、手紙がのせてあったからです。
その手紙には、さっきのランチのかたちや、色をくわしくしるしたあとに、
「両国橋のそばの、ミナトヤという貸しボート屋へ、いそげ。そこの主人は、明智先生を知っているから、モーターボートを貸してくれる。いちばん早いボートを出させて、ランチのあとを、追跡せよ。」
今井君たちが、隅田川の下流をながめますと、はるかむこうに、手紙に書いてある白いランチが、小さく見えていました。
「あれだっ。あれが魔法博士のランチだよ。」
「よしっ、ランチと自動車のきょうそうだっ。」
今井君のにいさんが、はりきってさけびました。そして、ふたりは、橋のたもとにもどり、自動車にとびのって、全速力で走らせました。
今井君たちの自動車は、二百メートルも川しもの白いランチを追って、川岸を走りましたが、じきに、道が行きどまりになってしまいました。川っぷちに家がならんでいるので、まわり道をしなければならないのです。ランチのほうは一直線に走るのに、こちらは、町かどをグルグルまわっていくのですから、おくれるばかりです。
でも、やっと両国橋のミナトヤにつきました。川しもを見ると、白いランチは、やっぱり二百メートルもむこうを走っています。
すぐに明智先生に電話をかけ、ミナトヤの主人に、快速力のモーターボートを借りることにしました。それには、ミナトヤで、いちばんうでききの青年運転士が、のりこんでいるのです。
今井君たちも、そのボートにのりました。
「むこうに、小さく見える白いランチです。」
「見なれないランチだが、ずいぶん速力がありますね。しかし、このカモメ号は、隅田川第一の快速艇ですから、すぐに追いついてみせますよ。」
カモメ号は出発しました。へさきに滝のような白波をたてて、グングン速力をまし、ランチとのあいだが、みるみる、せばまっていきます。
こちらは、白いランチのなかです。労働者の変装をといて、ピッタリ身についた黒いシャツとズボンをつけ、顔も、あのピンとはねたひげのある、西洋悪魔の顔になっていました。
「先生、へんなモーターボートが近づいてきますよ。おそろしい速力だ。このランチを、追っかけているようですぜ。」
船員のひとりが、双眼鏡を魔法博士に渡しました。博士はそれを目にあてて、
「うん、子どもがひとりと、青年がふたりのっている。ああ、そうだ。あの子どもは今井というセトモノ屋の子だ。わしのあとを追っているんだ。しかし、へんだな。小林君の姿が見えないぞ。……おい、もっと速力が出せないか。これじゃ、じきに追っつかれるぞ!」
サーッ、サーッ、滝のように白波をたてて、矢のように走る二せきの快速艇。あたりの船の人たちはあっけにとられて、見おくっています。
「先生、だめです。もう、これいじょう速力は出ません。モーターボートは、グングンせまってきます。三分もしたら、追っつかれますよ。」
「よし、心配するな。こっちには、まだ、おくの手があるんだ。いまにあっといわせてやるぞ。
島が見えたら、五十メートルぐらいまで近づいて、左へまがるんだ。そして、おきのほうへ、逃げるんだ。」
魔法博士はおなじことを二度くりかえして、ねんをおしてから、船室のドアを開くと、となりの荷物のおいてあるうす暗い小部屋へ、とびこんでいきました。そして、そこにある大きな箱のふたを、開くのでした。
箱のなかから、へんなものを取りだし、博士は、それを黒シャツの上にきました。
きゅうくつなほど、ピッタリ身についたビニールの服です。頭から足のさきまで、ひとつになった、けいべん潜水服です。顔のまえはガラスばりになっていて、手足のさきには大きな水かきがつき、背中には、酸素のボンベ(鉄のくだ)が、二つならんでついています。
そのボンベから、細いくだが、ガラスばりの顔の内がわにつづいていて、それを口にあてれば、水のなかでも、息ができるのです。
この、けいべん潜水服をきた魔法博士は、荷物部屋の小さな戸を開いて、ソッと、うしろのほうをながめました。モーターボートは、もう三十メートルにせまっています。前のほうには、品川のお台場が大きく見えてきました。
魔法博士はさっき、ランチをお台場に近づけてから、左のほう、つまり、おきのほうへ、まがるように命じておきました。運転手は、そのとおりにランチを進めて、お台場から五十メートルほどのところで、きゅうに方向をかえ、おきのほうへ、つきすすみます。
「よしっ、いまだっ!」
ランチが方向をかえたので、博士ののぞいているドアは、うしろのモーターボートからは、見えなくなったのです。それを待ちかまえていた博士は、いきなりドアの外に出て、海へとびこみました。
ビニールの潜水服をきていますから、からだは、すこしも、ぬれません。酸素のボンベで、息はらくにできます。また、大きな水かきで、じゆうに泳げるのです。
博士は海の底を、お台場のほうへ泳いでいきます。そのとき、もし、博士がうしろをふりかえって見たら、なんだか大きなサメのような怪物が、あとを追ってくるのに気づいたでしょうが、博士は、一度も、うしろを見なかったのです。
いや、サメではありません。やっぱりビニールの潜水服をきた、博士よりは、すこし小がらな人間でした。これは、いったい、なにものでしょう?
博士は海の底を、お台場の岸に近づき、石がきをはいあがると、そこの草むらに身をふせて、首をもたげ、夕やみのせまった、おきのほうをながめました。
「ウフフフ……、わしが、逃げだしたともしらないで、モーターボートはランチを追っかけていく。おい、もっと速力を出せ。そして、どこまでも逃げるんだ。」
博士は、おかしそうに、ひとりごとをいって、草むらのなかを、むこうの大きなたてもののほうへ、はっていきました。それは戦争のときたてられた兵隊の家で、壁はやぶれ、柱はゆがんで、こわれたままになっているのです。ばけものやしきみたいです。
博士は、そのまっ暗なたてもののなかで、潜水服をぬぎすてました。
「ハハハ……、じつに、たのしいスポーツだったぞ。はじめは自動車、つぎはランチ、それから、海の底をくぐって、こんどは空の上だ。ハハハ……、いくら少年探偵団が、かしこくても、ここまでは、ついてこられまい。さかなが陸にのぼって、それから、鳥のように空に、まいあがるんだ。」
博士は、わけのわからないことをいって、
「まず、いっぷく。」と、タバコをとりだすのでした。
魔法博士は、ゆっくりとタバコをすってから立ちあがると、たてものを出て、お台場のまんなかの、ひろっぱへ、歩いていきました。
いままで、たてものにかくれて見えませんでしたが、そこには、一台のヘリコプターが、とまっていました。黒シャツ姿の博士は、そのほうへ、いそぐのです。
博士は、ヘリコプターのそうじゅう席にのりこみました。ほかには、だれもいません。博士のこしかけているうしろに、カーキ色のズックでつつんだ大きな荷物が、おいてあるばかりです。なにか機械でも、つつんであるのでしょう。
博士がそうじゅうかんをにぎりますと、巨大なトンボのはねのようなプロペラが、ブルン、ブルンとまわりはじめました。
ヘリコプターは、夕やみの空へ、スーッとのぼっていきました。上からながめると、港区から銀座にかけて、ネオンや電灯が、五色の星をばらまいたように、うつくしくまたたいています。
ヘリコプターは、そのひかりの海の上を通りすぎて、世田谷区のほうへ飛んでいきました。そして、とある大きなやしきの、ひろびろとした庭のしばふの上に着陸しました。
魔法博士は、黒シャツ姿のまま、ヘリコプターをおりて、二階だての大きな西洋館の玄関にまわって、そこから、なかへはいっていきます。ここも、博士のかくれがの、ひとつなのでしょう。玄関のホールへ、黒い服をきた若い男がとびだしてきて、博士をむかえました。
「あ、おかえりなさい。で、うまくいきましたか?」
その男は、博士の部下のひとりでした。
「うん、子どもたちも、なかなかやるよ。ずいぶん、はげしく追っかけられた。予定のとおり隅田川を、例のランチで東京湾に出て、お台場からヘリコプターだ。子どもたちは、モーターボートでランチを追っかけたが、まさか、潜水服で海の底をわたり、お台場へあがろうとは気がつかないからね。ウフフフ……。
それからあとは、あんぜんだったよ。これだけ、のりものをかえて、まわり道をすれば、いくら尾行の名人だって、つけられるものじゃないよ。」
話しながら、ふたりは階段をあがって、二階の大きな書斎へ、はいっていきました。博士はドアをしめて、ポケットから黄金のトラを取りだし、
「ほら、これが、とりかえしてきた黄金のトラだ。これのかくし場所も、ちゃんと考えてある。」
そのとき、庭のヘリコプターのなかに、ふしぎなことが、おこっていました。そうじゅう席の、うしろにおいてあったズックのつつみが、モゾモゾと、動きだしたのです。そして、なかから、こじきのようなきたない子どもが、あらわれました。その子どもは、ヘリコプターをおりると庭をよこぎって、西洋館のほうへ歩いていきます。
西洋館の裏がわから、窓を見あげていますと、二階の大きな部屋に、パッと電灯がつきました。博士が、その部屋へ、はいったらしいのです。
こじき少年は、あたりを見まわして、考えていましたが、ちょうど、その二階の窓の外に、大きな木が立っているのに気づくと、いきなり、その木のみきにとびついて、上のほうへ登っていきます。
じつに、木のぼりのうまい子どもです。まるでサルのようです。そして、二階の窓の高さまで登ると、大きな枝をつたって、しげった葉をかきわけ、じっと、窓のなかをのぞきました。
その部屋は、書斎らしく、四方の壁が、ぜんぶ本だなになっていて、何千さつという、りっぱな本がギッシリつまっています。そこで、魔法博士と、若い男が、なにか話しているのです。
書斎のなかでは、博士が本だなから、一さつの厚い本をぬきとって、若い男に、話かけました。
「どうだ。うまい考えだろう。この本は日本大百科辞典のトの部だ。トラのことが書いてあるトの部だよ。この本のなかへ、黄金のトラを、かくしておくのさ。」
それは、厚さ十センチもある、おそろしく大きな本でした。
博士が、その本をひらきますと、なかのページが、ちょうど黄金のトラのかたちに、ナイフで、くりぬいてありました。
博士は、テーブルにのせておいた、黄金のトラをとって、ページを、くりぬいた穴のなかへ、スッポリとはめこんだのです。そして本をとじると、外からは、すこしもわかりません。なんという、うまいかくし場所でしょう。
博士はトラをかくした辞典を、もとの本だなへもどしました。そこには同じような表紙の辞典が、ズラッとならんでいて、どれがどれだか見わけがつきません。大百科辞典のトの部ということを知らなければ、とても、さがしだせるものではないのです。
そのとき、庭のほうから、ただならぬ犬のなき声が聞こえてきました。
こじき少年は、木の上から、二階の書斎のできごとを、すっかり見てしまいました。さて、おりようとして枝をつたっていますと、とつぜん、木の根元で、「ウウウ……。」という、うなり声がしました。見ると、一ぴきの大きな犬が、こちらを見あげているのです。少年は、すばやく、木のみきをつたいおりて、逃げだそうとしましたが、すると……待ちかまえていた猛犬は、おそろしい声でほえたてながら、少年にとびかかってきました。
少年は右に左に身をかわして、逃げようとしましたが、とうとう、ズボンのおしりのところを、かみつかれてしまいました。猛犬は、そのまま、くいさがって、てこでもはなれないのです。それでも、少年は、犬をひきずって逃げました。
しかし、ああ! だめです。人の足おとが聞こえてきました。犬の声をきいて、うちのなかから、人がとび出してきたのです。それも、ひとりではありません。二─三人の足おとです。
「エス! よくつかまえた。……やい、きさまは、いったい、なにものだっ?」
バラバラッと、三人の人かげが、ゆくてに立ちふさがりました。みんな強そうな男です。
こじき少年は、三人の男のために、とうとうとらえられて、西洋館の応接室に待ちかまえていた魔法博士の前にひきたてられました。博士はジロリと、少年をにらみつけて、
「ウフフ……、うまくばけたな。おい、きみは小林君だろう!」
と、たちまち、見やぶってしまいました。
「そうです。ぼく、しっぱいしました。あのイヌさえいなければ……。」
小林少年は、ざんねんそうに、くちびるをかみました。
「だが、きみは、いったい、どうして、このうちを、探しあてたんだね。」
「ぼくはずっと、おじさんのあとに、くっついていたのです。あのランチにしのびこみ、おじさんが潜水服をきると、ぼくも、あの箱のなかにあった、べつの潜水服をきて、海にとびこんだのです。それから……おじさんが、お台場にあがって、ゆだんをして、タバコをすっているひまに、ぼくはヘリコプターを見つけ、さきまわりをして、ズックをかぶって、そうじゅう席のうしろに、かくれていたんです。」
それをきくと、魔法博士は、びっくりしてしまいました。
「うーん、さすがに小林君だね。そこまで、しゅうねんぶかく、ついてくるとは知らなかった。
だがね、小林君、こうして、つかまってしまっては、やっぱりきみの負けだよ。しかし、きみも、それほどの苦労をしたんだから、これで勝負をきめてしまうのは、気のどくだね。どうだ、もうひとつ、腕だめしを、やってみるか。」
「腕だめしって、どんなことですか?」
「いまに、わかるよ。まあ、こっちへ来たまえ。」
博士は、小林君の手を引っぱって部屋を出ると、廊下をいくつもまがって、おくまった部屋のドアを開きました。
「ここはろうやだよ。わしのうちには、こういうろうやが、ちゃんとできているんだ。ここへは、なんにんも、おとなをとじこめたことがあるが、だれもぬけ出すことができなかった。それほど、厳重にできているんだ。
きみをこのろうやへ、五日間とじこめておく。その五日のあいだに、黄金のトラを盗みだすことができたら、きみの勝ちだ。それができなかったら、きみの負けだよ。どうだ、いくらきみでも、この難題は、とけないだろう。」
博士は、そういって、ニヤリと笑いました。
いかにも、難題です。その部屋は、壁も床も、レンガでかためてありました。
てんじょうは、シックイで、ぬりかためてあります。いっぽうの壁の高いところに、たった一つ小さな窓があるばかりで、その窓には、がんじょうな鉄ごうしがはめてあります。入口には、ふつうの倍もある厚いドアがついていて、とても、やぶることはできません。
「どうだ、やってみるかね。」
「ええ、ぼく、やってみます。五日のあいだに、黄金のトラを、盗みだせばいいのでしょう。」
「うん、そうだよ。だが、このろうやにとじこめられていて、あれが、盗みだせるかね。いくらきみがりこうでも、こればかりは、むずかしいだろうね。が、まあ、やってみるがいい。」
博士はそのまま、外へ出ていきました。
むろん、ドアをしめて、カチンとかぎをかけてしまったのです。
てんじょうのすみに、小さな電灯がついているので、まっ暗ではありません。いっぽうの壁ぎわに、小さなベッドがおいてあります。小林君は、博士がたちさると、いきなり、そのベッドの上によこになって、やがて、グッスリ寝こんでしまいました。なんという、だいたんな少年でしょう。
目がさめると、もう朝でした。小林君はベッドからおり、たったひとつの高い窓にとびつき、鉄のこうしにつかまって、外をながめました。窓のすぐ外に、高いコンクリートべいがそびえています。これでは、外を通る人に、あいずをするために、窓から、なにかをなげても、とても、へいをこさせることはできません。
お昼ごろになると、そのへいの外から、かすかに、大ぜいの子どもの声が聞こえてきました。外はひろっぱで、そこが、子どもたちの遊び場所になっているらしいのです。しかし、ここから声をかけたところで、とても、とどきませんし、また、そんなことをすれば、たちまち博士にさとられてしまいます。とても、ろうやをぬけ出すみこみはありません。
三度の食事は、ドアの下のほうについている小さな窓の戸をひらいて、そこから、さしいれるようになっていました。博士の部下が食事をはこび、ついでに、小林君のようすをうかがって、博士に報告するのです。三日めの夜、その部下が、博士の前にきて、こんなことを、報告しました。
「あの子どもは、ネズミと遊んでいますよ。
ろうやの床のレンガにわれめがあって、そこからネズミが、はいってくるのです。あの子どもは、そのネズミに、パンのたべのこしなんかをやって、手なずけたらしいですね。ネズミのほうでもなれてしまって、あの子どものひざまで、はいあがっているのですよ。」
「ふーん、よほど、たいくつしているらしいな。そのようすでは、牢やぶりなんて、思いもよらないね。」
博士は、安心したように、つぶやくのでした。一日、二日と日がたっていきましたが、ろうやのなかの小林君は、なんにもしないで、毎日ネズミと遊んでいるようすでした。
そして、とうとう、五日間がすぎさり、六日めの朝となりました。
魔法博士は、朝の食事をおわると、いそいでろうやにはいっていきました。
「おい、小林君、約束の五日間はすぎたよ。気のどくだが、きみの負けときまったね。」
すると、ベッドにこしかけていた小林君が、顔をあげて、にこにこしながらいうのです。
「え? ぼくの負けですって? とんでもない。ぼくが勝ったのですよ。」
「えっ、なんだって?」
「ぼくが勝ったのですよ。黄金のトラを盗みだしてしまったのですよ。」
「おい、おい、でたらめも、いいかげんにしたまえ。きみは、このろうやから、一歩も出られなかったじゃないか。ろうやにいて、どうして、トラが盗みだせるんだ?」
「それじゃ、おじさんが、かくした場所をあらためてごらんなさい。黄金のトラがあるか、ないか。」
小林君の自信たっぷりな口ぶりに、魔法博士も心配になってきました。そこで、いそいで二階の書斎へいって、百科辞典のトの部をぬき出して、ひらいてみました。
「あっ!」
ページの穴のなかは、からっぽでした。
博士は、そのままろうやにかけもどって、小林君をにらみつけました。
「小林君、きみはじつにふしぎな子どもだ。いったい、どうして、あれを盗みだしたんだ。」
すると小林君は、すまして、こたえました。
「ネズミですよ。」
「えっ? ネズミとは?」
さすがの博士も、あっけにとられるばかりです。
小林君は、にこにこして説明しました。
「このろうやの床のすみに、レンガのこわれたところがあって、そこからネズミがはいってくるのです。その穴のおくへ手をいれて、さぐって見ますと、地面の下のほうに、いまは使われなくなっている下水の土管がのこっていて、そのわれめから、ネズミが出てくることがわかりました。
ぼくは、昼間、その穴へ耳をあててみました。すると、へいの外の子どもたちの声が、はっきり聞こえてくるのです。そこで、地面の下のふるい土管は、へいの外の空地までつづいて、そこに口をひらいているにちがいないと、考えたのです。
それから、ぼくは、ひまにまかせて、ネズミを手なずけることを、はじめました。
パンをたべのこしておいて、それをえさにして、手なずけたのです。三日めには、ネズミがぼくになれて、ひざにはいあがったり、手をなめたりするようになりました。なぜそんなことをしたかというと、ネズミを使って、へいの外と通信をするためなのです。ぼくはじぶんの毛糸のシャツをほぐして、ながい糸を取りだし、それをネズミの足にまきつけて、穴のなかへ、おいやったのです。」
小林君は、持っていた手帳の紙に鉛筆で手紙を書き、それをおりたたんで、おもてに「これをひろった人は、すぐ麹町六番町十二番地の木村正雄君に届けてください。そうすれば木村君が、たくさんおれいをくれます。」と書いて、毛糸のはじにくくりつけ、それをネズミの足に、グルグルまきつけて、はなしてやったのです。ネズミは土管をつたって、へいの外へ出ます。
そして、ひろっぱのどこかで、足にまいた毛糸がとけて、手紙が地面に落ちるわけです。二度ほど、しっぱいしましたが、三度めに、うまくいきました。ひろっぱで遊んでいる子どもが、その手紙を見つけて、木村君に届けてくれたのです。木村君というのは、少年探偵団員のなかで、いちばんかしこい子どもです。木村君はすぐに、このへいの外へ来てくれました。
木村君への手紙には、「へいの外へ来て、毛糸のはじをさがせ。見つかったら、それに、じょうぶな長いひもを結びつけて、ピン、ピン、ピンと、三度ひっぱれ。」と書いてあったのです。木村君は、そのとおりにしました。それをあいずに、ろうやのなかの小林君は、毛糸をたぐりよせ、それにつづいている、じょうぶなひもをにぎると、両方で、そのはじをもって、通信をはじめたのです。
少年探偵団員は、みんな電信のモールス信号のうちかたを知っていました。それで、ろうやのなかの小林君と、へいの外の木村君とは、そのひもをモールス信号でひっぱって、話しあったのです。そして、小林君のさしずにしたがって、木村君が博士の西洋館にしのびこみ、書斎の百科辞典のなかから、黄金のトラを盗みだしたのです。
小林君が、説明をおわりますと、魔法博士は、ひざをたたいて感心しました。
「えらいっ! おとなもおよばぬ知恵だっ。わしの負けだよ。黄金のトラは、少年探偵団のものだ。なお、ねんのために、わしから明智探偵に電話をかけることにしよう。少年探偵団が勝ちました。おめでとうと、いっておくよ。」
それから数時間ののち、明智探偵事務所の前に、にこにこ顔の明智探偵と、十数名の少年探偵団員が立ちならんで待ちかまえていました。そこへ、もとの学生服にかえった小林少年と、木村少年とが、手をひきあって、もどってきました。
「少年探偵団ばんざーい、小林団長ばんざーい。」
少年たちは、いっせいに、両手をあげて、声をかぎりにさけぶのでした。
底本:「おれは二十面相だ/妖星人R」江戸川乱歩推理文庫、講談社
1988(昭和63)年9月8日第1刷発行
初出:「読売新聞」
1955(昭和30)年9月12日~12月29日
入力:sogo
校正:大久保ゆう
2018年7月27日作成
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