魔法人形
江戸川乱歩
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小学校六年生の宮本ミドリちゃんと、五年生の甲野ルミちゃんとが、学校の帰りに手をひきあって、赤坂見附の近くの公園にはいっていきました。その公園は、学校とふたりの家とのまん中ほどにある、千平方メートルぐらいの小さな公園で、みどりの林にかこまれ、三分の二は芝生、三分の一は砂場になっていて、砂場のほうには、ぶらんこやすべり台、芝生のまわりには、屋根のあるやすみ場所や、ベンチなどがあります。
いつもは、ぶらんこやすべり台で、たくさん子どもが遊んでいるのですが、その日はどうしたわけか、ひとりも子どもの姿が見えません。芝生のほうもがらんとしてだれもいないのです。
「まあ、さびしいわねえ。きょうはどうしたんでしょう?」
ミドリちゃんが、ふしぎそうにいいました。ミドリちゃんはからだも大きく、ふっくらした顔の色つやがよくて、快活な、しっかりした子でした。
「でも、あそこにふたりいるわ。おじいさんと、小さな子どもと……。」
ルミちゃんが、そのほうを指さしました。
ルミちゃんは、ミドリちゃんにくらべると、ずっと小がらで、人形のようにかわいい顔をしていました。
「あら、ほんと。あんなすみっこにいるもんだから、気がつかなかった。あのおじいさん、すばらしいひげね。」
なんだかやさしそうなおじいさんなので、ふたりは、つい、そのほうへ近づいていきました。
大きな木の下のベンチに、みごとな白ひげを、胸にたらしたおじいさんが、ちょこんと腰かけていました。灰色の背広をきて、小さな鳥うち帽をかぶっています。その鳥うち帽の下から、まっ白な毛がふさふさとたれ、まゆも口ひげも、長いあごひげも、みんなまっ白です。
そのおじいさんの膝に、五つか六つぐらいの、かわいい男の子が腰かけています。その子は、あらいこうしじまの背広に、同じがらの鳥うち帽を、かぶっていました。ほおがリンゴのように赤くて、大きな黒い目をくりくり動かしています。
ふたりの少女が、手をつないで近よってくるのを見ると、白ひげのおじいさんは、にっこり笑いました。黒いふちのめがねの中から、ほそい目が、やさしそうに光っています。
「ほら、かわいいおねえちゃんがいらっしたよ。坊や、お友だちになっていただくかい?」
おじいさんが、ひざの上の男の子にいいました。
すると、坊やの黒い目が、くるくると動き、赤い口が、ぱくぱくと、ひらいたり、とじたりしました。
「うん。ぼく、こっちのおねえちゃんがすきだよ。」
かん高いきいきい声です。それにしても、この坊やの口と目は、なんて大きいのでしょう。赤いくちびるを、ぱくぱく動かすと、まるで、耳までさけるように見えます。かわいいけれども、へんな子です。
「こっちのおねえちゃんて、この子かい?」
おじいさんが、ルミちゃんのほうを指さして見せました。
「うん、そうだよ。」
坊やが、きいきい声で答えました。
「ハハハ……。ぼうやが、あなたがすきだっていいます。あなた、なんてお名まえ?」
おじいさんが、笑いながらたずねました。
ルミちゃんは、すきだといわれたので、ポッと顔を赤くして、はずかしそうに答えました。
「甲野ルミっていうの。」
「おお、ルミちゃんだね。いい名だ。わたしは、青山にすんでいる黒沢というものですよ。坊や、このおねえちゃんはね、ルミちゃんだよ。」
「うん、ルミちゃんと、握手しよう。」
坊やが大きな口を、ぱくぱくさせました。
「ハハハ……。坊やが、あなたと握手がしたいんですって。」
坊やは、小さな手を、グッとこちらへさしだしました。
じぶんをすきだといってくれたので、ルミちゃんのほうでも、このかわいい坊やがすきになってしまいました。それで、右手を出して、坊やの小さな手をにぎりました。
おやっ、なんというつめたい、かたい手でしょう。坊やの手は、まるで木でできているように、ちっとも、うごかないのです。こちらがにぎっても、にぎりかえしもしないのです。ルミちゃんはびっくりして、手をはなしました。
そして、へんな顔をして、坊やをじっと見つめています。この坊やは、いったい、生きているのでしょうか。木かなにかでこしらえた、人形ではないのでしょうか。すると、おじいさんが、さもおかしそうに笑いだしました。
「ハハハ……。やっと、わかったかね。この坊やは人形なんだよ。ジャックという名だよ。わたしのだいじなかわいい人形なのさ。」
「ああ、わかった。おじいさんは腹話術師なのね、坊やのかわりに、おじいさんが、口を動かさないで、子どもの声でしゃべっていたのでしょう。」
ミドリちゃんがいいあてました。いつか、パパとママといっしょに寄席へいったとき、腹話術を見たことがあったのです。でも、そのときの人形は黒んぼうの人形で、はじめから人形ということがわかったのに、おじいさんの人形は、ほんとうの坊やのようによくできているので、いままで気がつかなかったのです。見れば見るほど、まるで生きているような人形です。
「そうだよ。よくわかったね。ふつうの腹話術の人形とちがって、これは、わたしがたんせいしてこしらえた、上等の人形だから、なかなか見わけがつかないのだがね。あんたは、りこうなおじょうさんだね。なんていう名?」
「宮本ミドリっていうの。それじゃあ、このお人形、おじいさんがつくったの?」
「うん。わたしは人形師なんだ。人形をつくるのが本職だよ。腹話術は、ちょっと、なぐさみにやっているだけさ。しかし、なかなかうまいだろう?」
「ええ。この坊やが、ほんとうにしゃべっているように聞こえたわ。」
「こうして、わたしの右手が、人形の服の下から背中へはいっているのだよ。人形の首にしかけがあって、指でそれをひっぱると、目が動いたり、口をぱくぱくやったりするのだ。ほら、ごらん! またしゃべりだすから……。」
おじいさんがそういったかと思うと、坊やの目がくりくりと動き、赤い大きな口が、ぱくぱくしはじめました。
「ルミちゃん、ぼくと遊ぼうね。ぼく、ルミちゃんがとてもすきだよ。ミドリちゃんは、そんなにすきじゃない。だから、ぼく、ルミちゃんに話すんだよ。ね、ぼくのおじいちゃんは人形をつくる名人なんだよ。おじいちゃんの家にはね、ウジャウジャ人形がいるんだよ。おとなの男もいるし、女もいるし、おじょうさんもいるし、ぼくみたいな子どもも、たくさんいる。それから、動物だっているんだよ。クマや、サルや、犬や、ネコや……。」
そういうたびに、かんじょうをするように、大きな目を、くるっ、くるっと動かします。ほんとうにかわいい坊やです。
ルミちゃんは、その顔を見ていると、人形だとわかっていても、やっぱり、坊やがすきでたまりませんでした。それに、白ひげのおじいさんが人形づくりの名人だと聞くと、このおじいさんもすきになり、おじいさんの家にある、たくさんの人形が見たくなりました。
「美しいおねえさまの人形もあるの?」
「うん、あるよ。ゆうぜんのふり袖を着て、きんらんの帯をしめた、うっとりするようなおねえさまがいるよ。そして、そのおねえさまが、やさしい声で歌をうたうんだよ。」
「まあ、歌をうたうの? 人形が?」
「うん。ぼくのおじいちゃんは名人だからね。機械じかけの人形をつくるんだよ。歌もうたうし、ものもいうし、歩くこともできる。おじいちゃんの人形は、みんな生きているんだよ。ぼくだって生きているだろう?」
ルミちゃんは、坊や人形の話を、目をかがやかして聞きいっていました。もう、おじいさんの家の人形が見たくてしょうがないのです。
そのときミドリちゃんが、「ちょっと。」といって、ルミちゃんの手をひっぱって、すこしはなれたところへつれていきました。
「ね、もう帰りましょうよ。ものをいったり歩いたりする人形なんて、なんだか気味がわるいわ。ね、帰りましょうよ。」
ミドリちゃんがささやきましたが、ルミちゃんは、いうことをききません。すっかり、おじいさんがすきになってしまったからです。それに、坊や人形が、ルミちゃんだけすきだといったので、ミドリちゃんは、やきもちをやいて、いじわるをいっているのだと思いました。
「あたし、もっと坊やのお話を聞きたいわ。ミドリちゃん、さきに帰ってもよくってよ。」
ルミちゃんはそういって、ミドリちゃんの手をふりはらって、ベンチの前にもどりました。
ミドリちゃんは、しかたがないので、しばらく待ってから、また、はなれたところへルミちゃんをひっぱっていって、帰るようにすすめましたが、ルミちゃんは、どうしてもいうことをききません。とうとう、けんかになってしまいました。
「じゃあ、あたし、さきに帰るわ。」
ミドリちゃんはそういって、さっさと公園の外へ出ていくのでした。
あとに残ったルミちゃんは、白ひげのおじいさんにさそわれて、とうとう、おじいさんの家へいってみることになりました。
「なあに、すぐ近くだよ。公園の外に自動車が待たせてあるから、わけはないよ。晩のごはんまでには、お家へおくってあげるからね。」
おじいさんは、やさしい声でそんなことをいいました。
よく考えてみれば、腹話術のおじいさんが、自動車を待たせて、公園のベンチに腰かけているなんて、なんだかへんではありませんか。ルミちゃんは、もっと用心しなければ、いけなかったのです。いくらやさしいおじいさんだって、はじめてあった人につれられていくなんて、いけないことでした。
しかし、ルミちゃんは、歌をうたったり、歩いたりする人形が見たくて、もう夢中でした。なにも考えているひまもなかったのです。
おじいさんは、坊や人形をだいて歩きだしました。ルミちゃんはそのあとからついていきます。
公園の出口に、りっぱな自動車がとまっていて、おじいさんが近づくと、運転手がとびだしてきてドアをひらきました。
坊や人形を中にはさんで、おじいさんとルミちゃんが、うしろの席に腰かけますと、自動車は、すぐに走りだしました。町かどをあちこちとまがりながら、進んでいきます。もう、ルミちゃんのまったく知らない町です。なんだか、心ぼそくなってきました。
「おじいさん、まだ遠いの?」
「なあに、もうすぐだよ。」
そんな会話が、なんどもくりかえされましたが、なかなか車はとまりません。さっきおじいさんは、「青山に住んでいる黒沢というものだ。」と名のりました。公園は赤坂見附の近くにあるのですから、青山まで、そんなに遠いはずはありません。自動車は、さっきからもう二十分いじょうも走っていました。ルミちゃんは、ここでまた、うたがってみなければいけなかったのです。ルミちゃんは、おじいさんが青山といったのを聞きもらしたのでしょうか。
それからまた十分ちかくも走って、やっと自動車がとまりました。なんだか、焼けあとの原っぱのようなさびしいところです。その原っぱの、草のぼうぼうはえた中に、古い一階だての木造の西洋館が立っていました。
「さあ、ここがわたしの家だよ。」
おじいさんは自動車をおりて、右手で坊や人形をだき、左手でルミちゃんの手をひいて、草の中を歩いていきます。
「ルミちゃん、この坊やもね、ほんとうは歩けるんだよ。いいかい、ほら、ごらん。」
そういって、右手にだいていた人形を、そっと地面におろしますと、これはどうでしょう。坊や人形は、そのままたおれもしないで、機械じかけのようなへんなかっこうで、ピョコピョコと、歩きだしたではありませんか。
「ルミちゃん、はやくいらっしゃい。こっちだよ。」
歩きながら、坊や人形がそんなことをいうのです。まるで生きているようです。しかし、これも、おじいさんの腹話術にちがいありません。
おじいさんは、ポケットから大きなかぎを出して正面のドアをひらき、ふたりの人間と、ひとりの人形が、その中へはいっていきました。そして、入口のドアがパタンと閉まったとき、ルミちゃんは、なんだかゾーッと、からだが寒くなってきました。なんともいえない、恐ろしい気がしたのです。こんな気味のわるいところへこなければよかったと、後悔しはじめたのです。
「おじいさん、あたし、もう人形なんか見なくてもいいから、帰りたいわ。ねえ、帰らして!」
ルミちゃんがそういいますと、おじいさんはやさしく笑って、
「ハハハハ……。なにをいいだすんだね。これからおもしろいものを見るんじゃないか。さあ、そんなことをいわないで、こちらへいらっしゃい。」
そういって、かたくルミちゃんの手をにぎったまま、うす暗い廊下を、ぐんぐんとはいっていくのです。夕がたですから、家の中は、もううす暗くなっています。廊下のドアをひらいて、部屋にはいりました。部屋はまっ暗です。あとでわかったのですが、その部屋の窓には、ぜんぶ、あつい黒ビロードのカーテンがしめてあったのです。
「待ちなさい。いま、ろうそくをつけるからね。」
おじいさんはそういって、マッチを出して、机の上のろうそくに火をつけました。古めかしいしょく台に、三本のろうそくが立っているのです。その赤ちゃけた光が、部屋の中をぼんやりと照らしました。
ルミちゃんは、かすかな光で、部屋の中を一目見ると、「あっ。」といったまま、立ちすくんでしまいました。かなり広い部屋でしたが、その四方の壁ぎわに、洋服を着た人間や、和服を着た人間や、はだかのままの人間が、ウジャウジャと立っていたからです。
この家には、こんなにたくさん人が住んでいるのかしらと、びっくりしましたが、よく考えてみると、それはみんな人形なのでしょう。あっちをむいたり、こっちをむいたりして、ただ、じっと、つっ立っているばかりで、すこしも動きません。でも、なんてよくできた人形でしょう。みんな、生きた人間とそっくりではありませんか。
たくさんの人形が、しいんとしずまりかえって、身うごきもせずつっ立っているありさまは、じつに気味のわるいものです。見ていると、ゾーッとこわくなってきます。
「ああ、ルミちゃんは、ふり袖のおねえさまが見たいのだったね。いま、呼んであげるよ。」
おじいさんはそういって、机の横についている、たくさんのおしボタンの一つを、グッとおしました。
すると、部屋のむこうのすみのドアが、スーッと音もなくひらいて、そこから、目もさめるような美しいものが、あらわれました。十七─八のきれいな女の人です。髪は島田にゆって、長いたもとのゆうぜんの着物を着て、ピカピカ光るきんらんの帯をしめて、しずかに、こちらへ歩いてくるのです。
ルミちゃんは、こんな美しい顔を、いままで一度も見たことがありません。ただもう、ぽかんと口をあけて、見とれているばかりです。
そのきれいなおじょうさんは、すり足のような、みょうな歩きかたで、だんだんこちらへ近づいてきました。近づくにしたがって、その顔はいよいよ美しく、着物や帯はかがやくばかりにあでやかです。
「あら、お客さまね。まあ、かわいいわね。どこのかた?」
人形の小さい口がひらいて、白い歯が見えました。まつげの長い黒い目が、ぱちぱちとまたたきました。
「これはルミちゃんだよ。おまえに会いたいというので、つれてきたんだよ。」
おじいさんが答えました。
「まあ、ルミちゃんっていうの。仲よしになりましょうね。」
玉をころがすような美しい声です。ああ、これがほんとうに人形でしょうか。この美しい声が、おじいさんの腹話術なのでしょうか。ルミちゃんには、とてもそうは思えませんでした。
「ハハハ、……びっくりしているね。どうだ、わしが、たんせいをこめてつくりあげた人形だよ。ルミちゃんは、この美しいおねえさまと、いつまでも遊んでいたいとは思わないかね。いや、それよりは、ルミちゃんもこんな人形になりたいとは思わないかね。ウフフフ……、わしは、生きた人間を人形にすることもできるのだよ……。」
それを聞くと、ルミちゃんは、ぞっとして、顔から、サーッと血がひいていくような気がしました。そして、からだがぶるぶるふるえてきました。
「あたし、人形になるの、いやだわ。」
ルミちゃんは、ふるえ声で答えました。
「いやかね? だが、もうじき人形になりたくなるかもしれないよ。あちらへいって、このおねえさま人形と遊んでくるがいい。さあ、紅子、ルミちゃんをおまえの部屋へつれていってあげなさい。」
おねえさま人形は、紅子という名でした。
そこで紅子さんは、おじいさんにいわれたとおり、ルミちゃんの手をひいて、じぶんの部屋へつれていきました。
そこは、鏡台や、美しいたんすや、ガラス箱にはいったお人形などの飾ってある、きれいな部屋でした。ここも、窓に黒いカーテンがかけてあって、机の上のしょく台に、ろうそくの火がちろちろとゆれていました。
紅子さんは、ルミちゃんをすわらせ、じぶんも、そのそばにすわり、やさしい顔で、じっとルミちゃんを見つめるのでした。
「おねえさまはほんとうに人形なの? そうじゃないでしょう。生きているんでしょう?」
ルミちゃんは、さっきからふしぎでたまらなかったので、まずそのことをたずねてみました。
「ええ、生きているの。でも、半分しか生きていないのよ。そして、もうじき、あとの半分も死んでしまって、ほんとうのお人形になるの。」
紅子さんは、なんだかわけのわからないことをいいました。ルミちゃんは、びっくりして、まじまじと紅子さんの顔を見つめるばかりです。
「ほほほほほ……。わたしのいいかたが悪かったわね。でも、半分生きているというのはほんとうなのよ。おじいさんがそばにいないのだから、わたしの声が、おじいさんの腹話術でないことはわかるでしょう。それから、わたしが歩くのも、からだを動かすのも、機械じかけではなくって、わたしがじぶんで動かしているのよ。」
「じゃあ、おねえさまは生きているのだわ。どうして、半分死んでいるなんていうの?」
「ではね、ルミちゃんによくわかるように、わたしの身のうえ話をしましょうか。」
「ええ。」
ルミちゃんは目をかがやかせて、じっと紅子さんの美しい顔を見つめました。
「わたし、ここのおじいさんは、ずっとまえから知っていたのよ。でも、ここへきたのは、つい二週間ぐらいまえなの。なぜわたしがこの家へきたかといいますとね、あるとき、おじいさんがわたしの顔をつくづくながめて、『紅子さんは、いまが、一生のうちでいちばん美しいときだよ。』というの。わたしは、じぶんでもなんだかそんなふうに思っていたので、『年をとりたくない。いまのままで年をとらないでいたいわ。』と、ひとりごとのようにいったのです。すると、おじいさんが、へんな笑いかたをして、『年をとらないくふうがあるよ。』というじゃありませんか。『では、どうすればいいの。』ときくと、『わたしのうちへおいで。いまの美しさのまま、しょうがい年をとらないようにしてあげる。わしは魔法つかいだからね。』というのよ。そのとき、わたし、魔法をかけられてもかまわないから、一生美しくいたいと思ったのよ。そして、おじいさんの口ぐるまにのって、とうとうこんなことになってしまったのよ。」
こんなことって、どういうことなのでしょう、ルミちゃんには、まださっぱり、わけがわかりません。
「おじいさんはね、魔法つかいのような発明家なのよ。ふしぎな薬を発明したのよ。その薬を注射すると、人間のからだが、だんだんかたくなっていって、人形になってしまうのよ。ルミちゃん、わかる? わたし、その薬で、もう半分ぐらい人形になってしまっているのよ。ほら、ここをさわってごらんなさい。」
紅子さんが両手を前に出したので、ルミちゃんは、それにさわってみました。おやっ、なんてかたくて、すべっこい手でしょう。それに、このつめたさはどうでしょう。土の上にごふんをぬって、みがきをかけたお人形のはだと、そっくりではありませんか。ルミちゃんは、ハッと手をひいて、なんともいえないへんな気持になって、思わず涙ぐんでしまいました。
「さあ、こんどはここへ、さわってごらんなさい。」
紅子さんが、美しい顔をルミちゃんに近よせて、右のほおを出しましたので、ルミちゃんは、またそのほおにさわってみました。手と同じように、つめたくて、かたくて、すべっこいのです。生きた人間のはだではありません。
「わかって? こんなふうに、外がわから、だんだんかたまっていって、しまいには、おなかの中までこちこちになって、そして、もう息もできなければ、ものをいうことも、できなくなってしまうのよ。つまり、人間が人形にかわるのよ。そのかわりに、わたしの若さと美しさは、永久に、すこしもおとろえないで残るのだわ。人間は、どうせいつかは死ぬんでしょう? それに、わたし、長生きして、しわくちゃのおばあさんなんかになりたくないわ。たとえ人形になってしまっても、いまの若さでいたいのよ。ルミちゃんはまだ小さいから、そういう気持はわからないでしょうね。」
ルミちゃんは、くいいるように紅子さんの顔を見つめて、ふしぎな話を聞いていました。ルミちゃんにだって、紅子さんの気持が、まったくわからないわけではありません。しかし、うすうすその気持がわかるだけに、かえって恐ろしくなってくるのでした。
ルミちゃんは、こわい夢をみているのではないかと思いました。胸の中に、つめたい風が吹いているような感じがして、目には、涙があふれてくるのです。
そのとき、うしろにかすかな音がしたので、ルミちゃんは、ギョッとしてふりむきました。すると、いつのまにはいってきたのか、そこに、あの魔法つかいのおじいさんが、うす気味わるく、にやにや笑って立っていました。
「ルミちゃんも、おねえさまのように、人形になりたいとは思わないかね。ルミちゃんが人形になったら、どんなにかわいいだろうね。」
ルミちゃんは、それを聞くと、ゾーッとして、いきなりいすから立ちあがりました。
「いやよ。あたし、人形になんかになるのいやだわ。」
そう叫んで、部屋から逃げだそうとしました。
「おっと、どっこい。逃げようたって、もうだめだよ。さあ、おとなしくしておいで。いまに、かわいい、かわいいお人形さんにしてあげるからね。」
魔法つかいのおじいさんは、ルミちゃんのからだを、しっかりだきとめて、耳のそばに口をよせて、恐ろしいことをささやきつづけるのでした。
赤坂見附に近いルミちゃんの家では、ルミちゃんが夜になっても帰らないので、大さわぎになっていました。
ルミちゃんのおとうさんの甲野光雄さんは、ある大きな会社の重役で、たいへんお金持ちでした。ルミちゃんは、その甲野さんのひとりっ子ですから、おとうさんやおかあさんの心配は、ひととおりではありません。
学校や、お友だちのうちや、ほうぼうへ電話をかけたり、つかいを出したりして、ルミちゃんのゆくえをさがしましたが、やがて、お友だちの宮本ミドリちゃんが、公園でルミちゃんとわかれたこと、そのときルミちゃんは、白ひげの人形つかいのおじいさんと話をしていたから、あのおじいさんの家へつれていかれたのではないか、ということなどがわかりました。
ミドリちゃんはまた、おじいさんが、「わたしは青山に住んでいる黒沢というものですよ。」といったあのことばも、ちゃんとおぼえていました。
甲野さんは、すぐにこのことを警察に知らせましたので、警察では、青山の黒沢というおじいさんを探しましたが、そういう白ひげのおじいさんは、どうしても見つけることができませんでした。
あのおじいさんは、名まえも住まいも、でたらめのうそをいったのにちがいありません。しかたがないので、警察では、おじいさんが人形をだいてベンチにこしかけていたという公園のまわりの店屋などを、一軒一軒しらべましたが、これという聞きこみもないままに、一日二日と日がたっていきました。
ルミちゃんのおとうさんやおかあさんの心配は、ひととおりではありません。おとうさんの甲野さんは、会社も休んでしまって、新聞に「たずね人」の広告を出したり、毎日警察へ出かけて、捜索のようすをたずねたり、ルミちゃんをさがしだすために夢中になっていました。おかあさんは、神社におまいりして、「どうかルミちゃんがぶじでいますように。」とおいのりしたり、うらないにみてもらったり、すこしも家にじっとしてはいられないのでした。
そんなふうにして、ルミちゃんがいなくなった日から、もう十日もたってしまいました。その十日めの午後のことです。甲野さんの家へ大きな荷物が配達されました。郵便ではなくて、運送屋がトラックにつんで持ってきたのです。
それは、りんご箱をひとまわり大きくしたような、長さ一メートル半ばかりの長っぽそい木の箱を、こもでつつんだものでした。
さしだし人の名はありませんが、あて名はたしかに甲野光雄さまとなっており、住所もまちがいないので、ともかく受けとりました。
甲野さんの家の女中さんたちが、こもをといてみますと、中は白い木の箱で、そのおもてに、毛筆の大きな字で、
と書いてあるではありませんか。
女中さんたちは、ギョッとして顔を見あわせました。そして、あわててこのことを奥へ知らせたのです。
それを聞くと、ルミちゃんのおとうさんとおかあさんは、びっくりして玄関へとびだしてきましたが、「甲野ルミの棺」と書いた木箱を見ると、ふたりともハッとして、まっさおになってしまいました。おかあさんは、もう涙ぐんでいます。
ふたりとも、箱をあけるのが恐ろしいので、いつまでも、だまってつっ立っていました。でも、そうしていてもしかたがないので、おとうさんの甲野さんは、思いきって箱をあけてみることにし、金づちや釘ぬきを持ってこさせました。
箱のふたは、釘でうちつけてありましたが、金づちの柄でこじあけると、すぐにひらきました。そして、いつでもふたがとれるようになっても、それをとりのけて中を見るのが恐ろしいのです。
甲野さんは、まだしばらくためらっていましたが、とうとう決心して、サッとふたをとりました。
ああ、やっぱりそうでした。箱の中には、ルミちゃんが横たわっていました。学校へいったままの服装です。
おかあさんは、そのルミちゃんのからだに取りすがって泣きふしました。女中さんたちのあいだに、「ワーッ。」という泣き声がおこりました。
甲野さんも、目にいっぱい涙を浮かべて、泣きふしているおかあさんをしずかにひき起こし、箱の中のルミちゃんの姿を、じっと見つめました。
ああ、これがルミちゃんの死がいなのでしょうか。かわいらしい黒い目を、ぱっちりと、見ひらいています。顔も青ざめてはいないで、うっすらと赤みがさし、いまにも笑いだしそうな明るい表情です。
甲野さんは、ふしぎそうに首をかしげて、ルミちゃんのからだを、あちこちと、しらべてみました。殺されたとすれば、どこかにきずがあるだろうと思ったからです。
しかし、いくらさがしても、きずあとなんか一つも見あたりません。それに、ルミちゃんのからだのようすが、どうもへんなのです。ルミちゃんは、こんなに軽かったでしょうか。生きていたときの半分もめかたがないように思われます。
それに、顔も手も足も、なんだかこちこちして、いやにかたいのです。いくら死がいだって、こんなにかたくなるはずがありません。甲野さんは、指のつめでルミちゃんの顔をたたいてみました。すると、こつこつと音がするではありませんか。
「あっ、これは人形だよ。泣くことなんかありゃしない。だれかが、ルミちゃんとそっくりの人形を送ってきたんだよ。」
甲野さんにいわれるまでもなく、もうそのときは、おかあさんも、人形だということを気づいていました。
女中さんたちは、
「あらまあ、お人形さんでしたの?」
「棺なんて書いてあるもんだから、すっかりだまされちゃった。」
「でも、この人形、なんてルミちゃんによくにているんでしょう。かわいいわね。」
などと、にわかに明るい声をたてるのでした。
甲野さんは腕ぐみをして、じっと考えこんでいました。
これはいったい、どういういみなのでしょう。なんのために、ルミちゃんとそっくりの人形を送ってきたのでしょう。これはなにか、深いわけがあるのではないでしょうか。
そのときおかあさんは、なにかに気づいて、ハッとしたように甲野さんの顔を見あげました。
「ねえ、あなた。この洋服は、たしかにルミちゃんのですわ。ここに、かぎざきをなおしたあとがあるでしょう。これは、わたしがじぶんでなおしてやったのですもの、よくおぼえてますわ。」
すると、人形のからだに、ルミちゃんの洋服が着せてあるのでしょうか。いったい、どうしてそんなことをしたのでしょう。あるいは、ルミちゃんは、洋服をぬがされ、はだかにされて、どこかに閉じこめられているのではないでしょうか。
おかあさんは、まっ暗なつめたい部屋に、はだかのルミちゃんがころがされている姿が、まざまざと目の前に浮かんでくるようで、もう気が気ではありません。ルミちゃんがかわいそうで、またしても、目にいっぱい涙があふれてくるのでした。
甲野さんもおかあさんも、そこまでは気がつきませんでしたが、読者のみなさんは、知っていますね。箱の中に横たわっていたのは、ほんとうに人形だったのでしょうか? もしかしたら、あの魔法つかいのおじいさんが、ルミちゃんを人形にしてしまったのではないでしょうか?
おねえさま人形の紅子さんは、だんだん、からだがかたくなっていって、しまいには、ほんとうのお人形になってしまうのだといいました。それと同じことが、ルミちゃんのからだにも、おこったのではないでしょうか。
おとうさんとおかあさんは、ともかくも、ルミちゃん人形のはいった箱を奥ざしきにはこばせて、その前にすわって、心配そうに顔を見あわせながら考えこんでいました。
するとそのとき、隣の部屋にある電話のベルが、けたたましくなりひびいたので、甲野さんが受話器を耳にあてました。
おかあさんがこちらから見ていますと、受話器をとった甲野さんの顔がサッと青ざめ、ギョッとしたように目が大きく見ひらかれるのが、よくわかりました。
「き、きみは、いったい、だれだっ?」
甲野さんが、どもりながらどなりつけました。受話器を持つ手が、ぶるぶるふるえています。
甲野さんがびっくりしたのは、むりもありません。受話器からは、じつに恐ろしいことばが聞こえてきたのです。
「甲野光雄さんかね。わしは黒沢というものだ。きみのルミちゃんは、わしがあずかっている。なぜあずかっているかは、いうまでもないことだ。きみから身のしろ金をちょうだいしたいからだ。一千万円でよろしい。それも、どこそこへ持ってこいというのじゃない。わしのほうから取りにいく。きみの書斎の机のひきだしへ、札たばを入れておけばよろしい。あすの夜十時に、きっと取りにいく。そのとき、警察などをよんで、わしをつかまえようとしたら、ルミはほんとうに人形になってしまうぞ。わしは、生きた人間で、人形をつくる方法をこころえているからね。そして、どこかのショーウィンドーに飾るのだ。それがいやだったら、わしをとらえようとしてはいけない。わかったかね。あすの晩は、べつに、わしのはいる入口を用意しておいてくれなくてもよろしい。いくらかぎがかかっていても、わしには、自由にひらく力があるのだ。それじゃ、約束したよ。もし、このわしのさしずにしたがわなかったら、ルミが人形になるのだ。わかったね。」
そして、こちらがなにも答えないうちに、電話がきれてしまいました。
「まあ、あなた、いまの電話、だれからでしたの? あなたのお顔、まっさおですわ。」
ルミちゃんのおかあさんが、じぶんも青くなって、心配そうにたずねました。
甲野さんは、女中さんたちをとおざけておいて、おかあさんに、電話のいみを、話してきかせました。
「警察にとどけるのがあたりまえだが、そうすると、新聞に書きたてられる。身のしろ金をわたそうとしても、わたせなくなる。あいつは、やけくそになって、ルミをどんなめにあわせるかもしれない。それよりも、わしは、そっと私立探偵にたのもうと思う。明智小五郎という名探偵がいる。わしの友だちがせわになったことがあるので、明智さんの腕まえはよく知っている。一千万円がおしいのではない。ルミの命が一千万円で買えるなら安いものだ。しかし、なにもしないでむこうのいうままになるのも残念だし、金だけとられてルミが帰ってこなかったらたいへんだ。それで、腕のある探偵にたのんで、そういうことがないように、よく相談しようと思うのだよ。」
甲野さんのいうことはもっともなので、おかあさんも、それに賛成しました。
そこで甲野さんは、奥まった部屋のべつの電話で、明智探偵事務所を呼びだしますと、子どもらしい声が電話口に出ました。
「明智先生は事件で旅行中です。四─五日お帰りになりません。いそぎのご用ですか?」
「じつは、ひじょうに重大な、いそぎの用件なのですが、こまったな。」
「では、ぼくがおうかがいしましょうか。ぼく、先生からるす中のことをまかされている、小林というものです。」
「ああ、きみが、うわさにきいている小林君ですか。それじゃあ、すぐきてくれませんか。」
甲野さんは、小林少年のてがら話を、いろいろ聞いていました。それに、小林少年にあえば、明智探偵の旅行さきもわかり、電話で相談することもできるのですから、ともかくきてもらうことにして、道じゅんを教えました。
麹町アパートの明智探偵事務所と、赤坂の甲野さんの家とはごく近いので、それから二十分もたったころには、応接間のテーブルをかこんで、甲野さん夫婦と小林少年とが、ひそひそ話をしていました。
「電話でも黒沢と名のっていたが、これはどうも偽名らしい。ルミの友だちが、『青山の黒沢』といったのをおぼえていたので、警察では、青山へんを手をつくしてしらべたが、黒沢という家は発見できなかったのです。」
甲野さんが説明しますと、小林少年は、しばらく考えていましたが、
「ルミちゃんの人形は、運送屋がはこんできたのですね。おうちのかたで、その運送屋の名をおぼえている人はないでしょうか。」
「それは女中さんが知っているかもしれません。」
そこで、女中さんたちを呼んでたずねてみますと、荷物をうけとった女中さんは、運送屋が送り状をのこしていかなかったので、名まえはおぼえていないと答えましたが、もうひとりの女中さんが、たいへんものおぼえがよくて、トラックの横に大きく書いてあった運送屋の名をおぼえていました。それは「木の宮運送店」というのでした。
「めずらしい名まえですから、同じ店がたくさんあるはずはありません。電話帳を見ればわかるでしょう。ぼくは、ともかくその運送店をさぐってみます。それから、明智先生に電話で相談したうえで、きょうのうちに、人形じいさんの家へしのびこんでみます。いまはまだ二時ですから、じゅうぶん時間があります。それには、このままの姿ではだめです。ぼく、女の子に変装します。そして、人形じいさんと知恵くらべをやるのです。」
てきぱきと、こともなげにいう小林君の顔を、甲野さんは感心して見つめていましたが、
「あんたが女の子にばけるんだって? 相手に気づかれないように、そんな変装ができるかしら。」
と、心配らしくたずねました。
「だいじょうぶです。ぼく、なんどもやったことがあるんです。いつも、ばれたことはありません。ぼくのからだにあう女の子の洋服も和服も、いつでもつかえるように、事務所にちゃんと用意してあります。」
「それならいいが、いずれにしても、明智先生に電話で相談のうえでやってくださいよ。もし、あいてに気づかれたら、ルミがどんなことになるかわからないのだからね。わしのほうは、あすの晩までに、一千万円の現金を用意しておきます。金をわたすのは、すこしもおしいわけではない。ただ悪人をそのままほうっておくのが残念なのです。それで、ルミをとりかえしたあとで、そいつをつかまえてやりたいのですよ。」
「わかりました。ですから、ぼくは、甲野さんとはなんの関係もないものとして、探偵します。お金を取りにくるじゃまなどは、けっしてしません。ただ、あいての住みかをつきとめておいて、ルミちゃんが帰ってこられたあとで、警察に連絡するつもりです。そして、つかまえてもらいます。」
「では、やってみてください。くれぐれも、あいてにさとられないようにね。」
そこで、小林少年はいとまをつげると、いそいで明智探偵事務所へひきかえしました。
小林少年は事務所に帰ると、木の宮運送店の住所をしらべ、電話で明智探偵のおとなの助手を呼んで、その店をしらべてもらうことにしました。
なぜ、おとなの助手を呼んだかといいますと、こういうことは、警察の刑事だといってしらべたほうがうまくいくのですが、それには、子どもの小林君ではだめだからです。
おとなの助手は、刑事らしい服装をして杉並区の木の宮運送店にいき、今日の昼すぎに赤坂の甲野さんのうちへ、ほそ長い木箱をはこんだのは、だれにたのまれたのかとたずね、なんなくその人物の住所をききだしました。それは、おなじ杉並区の原っぱの中の一軒家に住んでいる、白ひげの老人で、みょうな人形ばかり作っている、かわりものだということでした。名まえは赤堀鉄州というのです。
それがわかったので、小林少年は、明智探偵の旅行さきの大阪のホテルへ電話をかけて相談しますと、「よく注意して、やってみたまえ。」と、おゆるしが出ました。明智探偵も、小林君の腕まえをよく知っていたからです。
そこで小林君はかつらをつけ、おけしょうをし、洋服をきて、十四─五歳のかわいい少女にばけてしまいました。そして自動車に乗って、助手に教えられた杉並区の一軒家へといそぐのでした。そのころは、もう日ぐれに近くなっていました。
ずっとてまえで自動車をおりて、その原っぱへ近づいていきますと、むこうに、平家だてのこわれかかったような、古い西洋館が見えてきました。
板ばりに青いペンキがぬってあるのですが、そのペンキがほとんどはげてしまって、板もところどころくさっているようです。まわりには草がぼうぼうとはえ、どう見ても、おばけやしきという感じです。見ると、そのおばけやしきのほうから、ひとりの青年が自転車をひっぱって、草の中を、こちらへ歩いてくるのです。牛乳屋のようでした。少女にばけた小林少年は、その青年が近づくのをまって声をかけました。
「あのう、ちょっとうかがいます。」
すっかり女の声になっています。小林君は、なかなか名優でした。
青年は、かわいらしい少女に呼びかけられたので、にこにこして立ちどまりました。
「あの西洋館、赤堀鉄州という人の家でしょう?」
「ああ、そうだよ。このへんじゃあ、おばけやしきの、おひげさんといってるよ。気味のわるいじいさんだよ。」
「そのおじいさん、いま、家にいるでしょうか。」
「きのうからるすだよ。じいさんはひとりものだから、いま、あの家にはだあれもいやしないよ。おひげさんはかわりもので、ときどき、ふらふらっと、どこかへ出かけて、帰らないことがあるんだ。そのたんびに、牛乳をくさらせてしまう。ぼくの配達した牛乳が、きのうのままドアの外におきっぱなしになっているんだよ。」
青年は、なかなかおしゃべりです。
「そのおじいさん、人形を作るのでしょう? それから、腹話術もできるんでしょう?」
「腹話術はどうか知らないけれど、人形は作るよ。あの家には、気味のわるい人形が、ウジャウジャいるよ。きみ、おひげさんを知っているの? だが、あんな家に近よらないほうがいいよ。ひどいめにあうかもしれないよ。」
「ええ、あたし、いかないわ。お友だちにおじいさんのことをきいたものだから、ちょっとおたずねしただけよ。どうもありがとう。」
そして、西洋館とはんたいのほうへ歩きだしたので、青年も「さいなら!」といって、自転車に乗り、あとをふりかえりながら、むこうへ遠ざかっていきました。
少女の小林君は、青年の自転車が見えなくなるのを待って、ぶきみな西洋館のほうへひきかえしました。
入口のドアに近よって、とってをまわしてみると、ガチッと音がして、たやすく開いたではありませんか。
「おやっ、かぎもかけていないのかしら。」
と、おどろきながら、そっとのぞいて見ました。中はうす暗くて、いまにも、すみのほうから怪物があらわれそうな気がします。
さすがの小林君も、なんだか気味がわるくなって、しばらくためらっていましたが、ルミちゃんが、この家のどこかに閉じこめられているかもしれないと思うと、にわかに勇気が出てきました。
そのまま中にはいって、ドアをしめ、玄関をあがって、暗い廊下を奥のほうへ、しのび足で歩いていきます。
ところが、十歩も歩かないうちに、ギョッとして立ちどまりました。なにかしらやわらかいものが、サーッと、小林君の顔をなでたからです。
では、やっぱり人間がかくれていたのかと、きっと身がまえをしてよく見ますと、顔のまえに、長い髪の毛がさがっていることがわかりました。
それは人間の髪の毛でした。髪の毛の上に、女の顔があります。つまり、その女は、てんじょうからさかさまにぶらさがっていたのです。
白い着物をきて、たもとがだらんとたれています。顔はまっさおで、くちびるから赤い血が流れているのです。
その顔のものすごさに、小林君は、おもわず逃げだしそうになりましたが、ふと思いかえして、もう一度、じっと女の顔を見つめてみました。
「なあんだ、おばけ人形じゃないか。」
小林君は笑いだしました。それは、見せもののおばけやしきで、てんじょうから見物の頭の上にとびついてくる、あの幽霊の人形だったのです。
怪老人は、ぶきみな人形ばかり作っているというのですから、廊下に幽霊人形がぶらさげてあっても、べつにふしぎではありません。
そこをとおりすぎて二─三歩いくと、ドアが開いていました。暗くてはっきりはわからないけれど、その中は広いアトリエのような部屋で、むこうの壁ぎわに、奇怪な人形どもが、ウジャウジャ立っているらしいのです。
少女姿の小林君は、だいたんに、その広い部屋へはいっていきました。
そばまでいってみますと、ウジャウジャと立っているのは、やっぱり人形でした。しかも、それがみんな、ゾッとするようなおばけ人形、幽霊人形ばかりなのです。
小林君は、それらの人形に、一つ一つさわってみました。ルミちゃんが、おばけ人形の中に、かくされているかもしれないと考えたからです。
しかし、どれも、こちこちした人形ばかりで、生きた人間がかくされているようすもありません。
人形どものまえに、大きな箱のようなものがおいてありました。よく見ると、それは、むかしのよろいびつでした。怪老人は、よろいをきた武士の人形なども作るのかもしれません。
大きなよろいびつですから、人間がかくれることもできます。
「もしや、この中にルミちゃんが……。」
と思うと、小林君は、胸がどきどきしてきました。
しばらくためらっていましたが、思いきって、よろいびつの重いふたを両手で持ちあげ、中をのぞいてみました。
中はまっ暗ですが、なにもかくれているようすはありません。手をいれてさぐってみると、まったく、からっぽであることがわかりました。
それから、小林君は、そのアトリエの中を十分しらべたうえ、ほかの部屋もくまなくさがしまわりました。ほかの部屋といっても、せまい西洋館なので、古くさいベッドのおいてある部屋、物置きのような部屋、台所などでぜんぶでした。どの部屋にもかぎのかかった戸だななどは一つもなく、ルミちゃんのかくしてあるような場所は、まったく見あたらないのでした。
「ルミちゃん……ルミちゃん……おとうさんにたのまれて、さがしにきたんだよ。もしいたら、安心してへんじをしなさい。きみを助けにきたんだから……。」
そんなふうに、いくども呼んでみましたが、なんのてごたえもありません。
「やっぱり、ほかの場所へかくしたんだな。それでなければ、入口にかぎもかけないでおくはずがない。」
小林君はそう思って、ルミちゃんをさがすのはあきらめましたが、このまま立ちさる気はありません。怪老人がいつ帰ってくるか、わからないのですから、どこかにかくれていて、老人の正体を見きわめてやろうと考えています。
すると、そのとき、入口のほうでバタンという音がして、こつこつと廊下を歩く足音が聞こえてきました。怪老人が帰ってきたのかもしれません。
小林君は、すばやくアトリエにかけこんで、さっきのよろいびつに近づくと、重いふたを持ちあげて、その中にうずくまり、じぶんでふたをしめました。
しかし、ピッタリしめてしまっては息ができませんので、手帳にはめてあった鉛筆を、ふたのあいだにはさんで、すこしすきまを作っておいたのです。顔を横にすれば、そこから外をのぞくこともできます。
そうして、息をころして待っていますと、足音の主が、広間の中へはいってきました。
「電灯会社のやつ、いじの悪いまねをしやあがる。六ヵ月ぐらい料金がたまったって、なにも電灯線を切ってしまうことはないじゃないか。だが、電灯なんかつかなくても、おれはへいきだぞ。ほら、ここにちゃんと、ろうそくというものがある。これさえありゃ、べつに不自由はしないのさ。ウフフフ……。」
しわがれた老人の声です。そして、シュッとマッチをする音がしたかと思うと、あかちゃけたろうそくの光が、よろいびつの中までさしこんできました。
小林君は、顔を横にして、すきまからのぞいてみました。
やっぱり白ひげの老人です。それが、ろうそくを胸のへんで持っているので、下からの逆光線に照らされて、じつにものすごい顔に見えます。
やせこけたほお、高いワシ鼻、太いまゆ、ギョロリとした目、大きな口、長い白ひげ、モジャモジャのしらが頭……。
服は、古ぼけた黒い背広のようです。
そのうすきみのわるいじいさんは、高いワシ鼻を、しきりにくんくんいわせて、においをかいでいましたが、やがて大きな口で、にやりと笑いました。
「おやっ、へんだぞ。だれかここへはいってきたやつがあるな。くんくん……たしかにそうだ。おしろいのにおいがする。女だな。」
そういって、じろりと、よろいびつのほうを見ました。
少女にばけた小林君は、箱の中でギョッとして、首をちぢめました。
「さとられたかしら。でも、まさか、よろいびつの中とは気がつかないだろう。もうすこし、ようすをみてやろう。」
と、息をころしてのぞいていますと、怪老人はむこうへ歩いていって、道具箱をがたがたいわせていましたが、そこからなにかを取りだすと、またこちらへやってきました。そして、大きな口をいっぱいにひらいて、いきなり笑いだすのでした。
「ワハハハ……うまいことを思いついたぞ。おれの知恵はどんなものだ! ワハハハ……さあ、しごとだ、おもしろいしごとをはじめるぞ。ワハハハ……。」
じいさんは、気ちがいのように笑っているのです。笑うたびに大きな口がぱくぱく動いて、黄色い歯がむきだしになり、そのあいだから、どす黒い舌が、へらへらとのぞくのです。それが下のほうから、ろうそくの光に照らされるのですから、その気味わるさといったらありません。
「しごとをするといって、こいつは、いったい、どんなしごとをするんだろう。のんきらしく、彫刻でもはじめるつもりだろうか?」
箱の中の小林君は、心の中でそんなことを考えながら、なおも見つめていますと、怪老人は、左手にろうそくを持ち、右手に大きな金づちをさげていることがわかりました。
老人は、背中をまるくして、まるでゴリラのようなかっこうで、よたよたと、こちらへ歩いていきましたが、よろいびつから二メートルほどのところへ近づくと、パッと、一とびによろいびつにとびかかり、その上に腰をおろしてしまいました。
「ワハハハ……しめたぞ。おい、中にいるやつ、おれの声が聞こえるかね。ワハハハ……おれが、よろいびつのすきまに気がつかないほど、のろまだと思っていたのかね? おれの目は、ネコの目だよ。どんな小さなものでも、見のがしっこないのだ。
おれがしごとをするといったのを、聞いていたかね。いったいなんのしごとだと思ったね? ワハハハ……それはね、釘と金づちのしごとさ。つまり、きさまをいけどりにするしごとさ。ほら、こうするのだ。聞こえるかね? これは、釘をうつ音だぜ。」
怪老人は、にくにくしくいいながら、よろいびつのふたに、長い釘をトントンとうちこみはじめました。さっき老人がふたの上にこしかけたとき、はさんであった鉛筆がおれてしまったので、ふたはピッタリしまっています。老人は、それを上から釘づけにしようとしているのです。
「ワハハハ……。中にかくれているのは、若い女の子らしいね。女探偵かね。女のくせにだいたんなやつだ。おれは、女の子にはやさしくするほうだが、おれの秘密をさぐりにきた女探偵とあっては、しょうちができない。こうして閉じこめてしまうのだ!」
小林君は、しまったと思いました。さっき老人が金づちを持っているのを見たとき、なぜ気がつかなかったのでしょう。あのとき箱からとびだしてしまえば、こんなめにあわなくてもすんだのです。
こんながんじょうなよろいびつの中へ閉じこめられたら、息がつまって死んでしまうばかりです。
小林君は、ありったけの声をふりしぼって叫びました。
「あたし、探偵じゃないのよ。中学生なのよ。原っぱで遊んでいて、うっかりここへはいってきたのよ。あけて! でないと、お友だちがさがしにくるわよ。そして、あたしのおとうさんに知らせるわよ。」
小林君は、こんなさいにも、少女にばけていることをわすれないのでした。
「ウフフフ……、なにかいってるね。やっぱり女の声だね。しかし、なにをいっているのか、すこしもわからないよ。こうして釘をうってしまえば、いくら叫んでも、もう聞こえやしないのだ。」
小林君は、力をこめて、ふたをおしあげようとしましたが、じいさんが上に乗っかっているので、びくとも動きません。そうしているうちにも、釘は二本、三本、四本と、みるみるうちにうちこまれていくのです。
小林君は、全身の力をふるって、箱の中であばれまわり、叫びたてましたが、なんのかいもありません。ふたは、完全に釘づけにされてしまいました。
小林君は、あんまりあばれたので、のどがからからにかわいて、心臓がおそろしい早さでうっています。いや、それよりも、なんだか息が苦しくなってきました。むかしの職人が作ったがんじょうなよろいびつですから、ふたをしめると、空気がまったくかよわなくなってしまうのです。
すっかり釘をうってしまった怪老人は、立ちあがって、
「ワハハハ……これでよしと。さて、きさまのもがく音でも聞きながら、それをさかなに、いっぱいやるとしようか。」
といいながら、部屋のすみからウイスキーのびんとコップを持ってきて、よろいびつの上に、どっかりと腰をおろし、ウイスキーを、ちびりちびりと飲みはじめました。
「ワハハハ……まだあばれているな。女の子にしちゃあ、なかなか、しゅうねん深いぞ。だが、いくらあばれたって、この箱がびくともするものか。ワハハハ……。」
じいさんは、ひっきりなしにウイスキーを飲みながら、気ちがいのように、とんきょうな声で笑いつづけるのです。
箱の中の小林君は、だんだん息ぐるしさがひどくなってきました。とうとう、このまま死んでしまうのかと思うと、残念でたまりません。さすがの少年名探偵も、まっ暗な箱の中で泣きだしたくなってきました。
もうすっかり、よっぱらってしまった老人は、またなにか、わけのわからぬことを、しゃべりだしました。
「だが、待てよ。このままではおもしろくないぞ。ああそうだ。おい、おじょうさん、おれはいいことを思いついたぞ。待て待て、いま、きさまを楽にしてやるからな。ちょっとのがまんだ。すぐ楽になるぞ。ワハハハ……。」
そういって、じいさんは、よろよろと立ちあがりました。
箱の中の小林君は、かすかに、「楽にしてやるぞ。」という声が聞こえ、老人が立ちあがったようすなので、思わずギョッとして耳をすましました。
「楽にしてやる。」とは、いったい、どういう意味でしょう。
「もしや、あいつは、ぼくを殺すつもりじゃないかしら? そうだ、きっとそうだ。ただ箱の中へ閉じこめただけでは、きゅうには死なないから、なにか、もっと早く殺すことを思いついたのにちがいない。」
小林君は、そう思うと、ゾーッとして、心臓がとまってしまうような気がしました。
怪老人のかすかな足音が、よろいびつのそばをはなれて、どこかへ遠ざかっていきましたが、まもなく、またもどってきました。楽にする道具をとりにいったのにちがいありません。
「ピストルじゃないかしら。あいつは、箱の外からいきなりピストルをうって、ぼくを殺すのじゃないかしら。」
小林君の全身から、つめたい汗がにじみだしてきました。
「あいつは気ちがいだ。あいつの目は、気ちがいの目だ。殺人狂にちがいない。」
小林君は、もうかくごをきめました。いまにも、パンと音がして箱の横っぱらに穴があき、じぶんの胸へ、なまりのたまがとびこんでくるのだと、かんねんしました。
「明智先生!」
思わず、なつかしい先生の名を呼びました。にこやかな先生の顔が、まぶたの中に、はっきり浮かんできました。
しかし、どうしたのでしょう。かくごをしていたピストルの音は、いつまでたっても聞こえないではありませんか。
そのかわりに、ごしごしと板をひっかくような音が、聞こえてきました。そして、そのたびに、よろいびつが、かすかにゆれるのです。
ああ、わかりました。なにかで、よろいびつの外がわを、こすっているのです。いや、穴をあけようとしているのです。きっと、するどい刃ものでしょう。刀かもしれません。むかしの長い刀のきっさきで、板をごしごしこすっているのです。
「ああ、そうだったのか。ピストルではなくて、刀だったのか。気ちがいじいさんは、刀でぼくをつき殺そうとしているのだな!」
そのとき、小林君のまぶたの中に、ふしぎなものが浮かんできました。ずっとまえに見た、奇術の舞台です。ちょうど、このよろいびつのような四角な箱の中へ、ひとりの少女が閉じこめられるのです。
そこへ、西洋の魔法つかいのようなかっこうをした奇術師が、ピカピカ光る長い剣を、七─八本もかかえてあらわれます。そして奇術師は、この剣を一本一本、四方から箱の中へつきとおすのです。
見物人には、箱の中の少女が、たくさんの剣でつき殺されたように見えます。箱の中からは、少女のかなしい叫び声が、見物人のたましいを、ゆすぶるように聞こえてくるのです。
「あれだ。いまにぼくは、あれとそっくりのめに、あわされるのだ!」
ギリギリという刃ものの音は、だんだん箱の板にくいこんできます。やがて、するどいきっさきが、あらわれるでしょう。しかし、小林君のからだは、箱の中いっぱいになっているので、身をかわすすきまはありません。きっさきは、まともに胸をつきとおすにちがいないのです。
小林君は、もうたまらなくなって、あの奇術の少女のように、かなしい叫び声をあげようかと思いました。
そのとき、ブツッと音がして、箱の板に穴があきました。暗くてよくはわかりませんが、刀のきっさきのようなものが、すぐ目の前にあらわれたのです。
小林君は、ハッとして目をつぶりました。もう殺されたと思いました。ところが、ふしぎなことに、どこもいたくはないのです。いつまでたっても、なにごとも起こりません。
目を開いてみると、板に大きな穴があいて、そこから、ろうそくの光がさしこんでいました。むろん、そこから空気もはいってくるわけです。気のせいか、いくらか、息が楽になったようです。
「ワハハハハ……おじょうさん、びっくりしているね。殺されると思ったのかね? ワハハハ……まだ殺さないよ。ちょいと、寿命をのばしてやったのさ。息がつまって死んでしまっちゃあ、おもしろくないからね。息ぬきの穴をこしらえてやったのさ。どうだ、おれの声がよく聞こえるだろう?」
いかにも、怪老人のしわがれ声が、いままでよりはっきり聞こえます。酒くさい老人の息のにおいさえ、ただよってくるのです。
「ねえ、おじいさん、いったいあたしを、どうしようっていうの?」
小林君は、あくまで女の声で、板の穴に口をよせるようにして叫ぶのでした。すると、よっぱらいじいさんのわめき声が、答えました。
「ワハハハ……心配かね? なあに、おまえを取って食おうとはいわないよ。ただね、ちょっと酒のさかなにするまでさ。おまえの声が聞こえなくては、酒がうまくないからね。ワハハハハ……。」
怪老人は、またよろいびつにこしかけて、ピチャピチャと、舌なめずりをしながら、ウイスキーを飲みはじめました。一口飲んでは、わけのわからないことを、しゃべりちらすのです。そして、とほうもない笑い声をたてるのです。はじめから気ちがいみたいなやつが、すっかり、よっぱらったのですから、いうことは、めちゃめちゃでした。
小林君は、ばかばかしくなって、口をつぐんでしまいました。よっぱらいになにをいっても、むだだと思ったからです。
怪老人は、それから三十分ほども、いいたいままの悪口をたたいていましたが、そのうちに、だんだん、ろれつがまわらなくなり、ことばのほかに、みょうな音がまじるようになってきました。いびきです。箱にこしかけたまま、いびきをかきはじめたのです。
とつぜん、ガチャンとガラスのわれる音がしました。手に持っていたウイスキーのびんか、コップが、床に落ちたのでしょう。
まもなく、どしんと大きなひびきをたてて、怪老人が、箱からころがり落ちました。そして、あとは、しいんとしずまりかえったアトリエの中に、老人のいびきの音だけがつづいていました。
じいさんはとうとう、よいつぶれてしまったのです。小林君は、このまに逃げださなければと思いました。そして、ありったけの力をふるって、頭と肩で箱のふたをおしあげようとしました。
しかし、がんじょうなよろいびつは、びくともしません。なんどもなんども、ぶっつかっているうちに釘がゆるんで、ふたがいくらか持ちあがったように思われましたが、小林君はもう力がつきて、ぐったりとなってしまいました。
そうしてじっとしていますと、箱の外で、かすかな音がしているのに気がつきました。老人が目をさましたのかと思いましたが、いびきは、あいかわらず聞こえているのです。そのいびきにまじって、もっとべつの、かすかな音をたてているものがあるのです。
老人のほかに、なにものかがいるのです。それにしても、いつのまに、だれがはいってきたのでしょう。ごそごそと動く音のほかに、かすかな息づかいさえ聞こえてくるではありませんか。
小林君はゾーッとしました。アトリエの中へ、老人とはべつのなにものかがしのびこんで、こっそりと、なにかやっているのです。人間でしょうか。それとも、人間よりも、もっと恐ろしいやつでしょうか。
じっと息をころして、聞き耳をたてていますと、やがて、そのかすかな音はやんでしまいましたが、べつに立ちさった足音も聞こえません。うす暗い部屋のすみに、じっと、うずくまっているのかもしれません。しかし、なんのために? ああ、いったいなんのために?
小林君は、どうしていいのかわかりません。しのびこんできたやつに、声をかけようかとも思いましたが、もし怪老人の仲間だったら、たいへんです。
ためらっているうちに、時間がたっていきました。しかし、いくら待っても、さっきのあやしい音は、もう聞こえてきません。老人のいびきのほかは、しいんと、しずまりかえっています。
まっ暗なせまい箱の中で、じっとしているのは、じつにへんな気持です。やがて、小林君はまた、きみょうなもの音に気づきました。こんどは、人間が動いている音ではありません。パチパチと、なにかがはぜるような音です。
そのうちに、へんなにおいが箱の中までただよってきました。もののこげるにおいです。では、あのかすかな、パチパチという音は、火が燃えているのでしょうか。
ああ、たしかにそうです。こげるにおいは、だんだん強くなってきました。パチパチとはぜる音は、いよいよはげしくなってきました。
そればかりではありません。箱の穴から、スーッと白い煙がはいこんできました。
煙はますますこくなり、むせっぽくなってきました。そして箱の穴に、ろうそくの光とはちがった、ぶきみな赤い光が、ちろちろとまたたき、箱のまわりが、みょうに熱くなってきたではありませんか。火事です。アトリエが火につつまれているのです。
どうして火事がおこったのでしょう。よっぱらいの老人が、ろうそくをたおして、その火が燃えうつったのでしょうか。いや、そうではなさそうです。さっきのかすかなもの音、なにものかがしのびこんできたようなもの音が、あやしいのです。
箱の中の小林君は、気ちがいのようにあばれだしました。死にものぐるいの力で、めちゃめちゃに、もがきまわったのです。
肩や、ひじや、ひざに、かすりきずができて、血が流れてきました。しかし、そんなことにかまっているひまはありません。めったむしょうに、あばれつづけているうちに、死にものぐるいの力はおそろしいもので、さしもがんじょうなよろいびつも、めりめりと音をたててこわれはじめました。いや、こわれるよりもさきに、ふたにうちつけてあった釘がゆるんで、パッとふたが開いたのです。そして小林君は、よろいびつの中に立ちあがっていました。
見ると、あたりはいちめんの火の海でした。部屋じゅうに、煙がもうもうとうずまき、一方の壁は半分焼け落ちて、まっかなほのおが、何千ともしれぬ毒蛇の舌のように、めらめらとてんじょうをなめていました。床には黄色い煙がはいまわり、そのあいだから赤いほのおが、バッ、バッと音をたてて燃えあがっていました。
老人はと見ると、その煙の中にたおれたまま、むせかえりながら、ごろごろと、イモ虫のようにころげまわっています。よっぱらって、足が立たないのでしょうか。いや、そうではありません。いつのまにだれがしばったのか、老人は、手も足も、あざ縄で、ぐるぐるまきにしばられているのです。
いくら悪人でも、焼け死ぬのをほうっておくわけにはいきません。それに、さいわい手足をしばられているのですから、助けだしたところで、逃げられる心配はないのです。
小林君は、力まかせに老人の足をひきずって、床の燃えていないところをえらびながら、部屋の外へ出ました。廊下はまだ燃えていません。やっぱり老人の足をひきずったまま、廊下から入口のドアの外へ。そして、たてものから、ずっとへだたった草の中へ老人を寝かせました。そして小林君は、いきなり町のほうへかけだすのでした。
いつのまにか日がくれて、外はまっ暗になっていました。しかし、まだよいのうちですから、町のたばこ屋は店をひらいていました。
小林君は、そこへとびこんでいきました。
「あのおばけやしきの西洋館が火事です!」
と叫んでおいて、赤電話の受話器をとると、まず、一一九をまわして、火事の場所を知らせたあとで、警視庁の捜査課を呼びだし、知りあいの中村警部に、いそいで、ことのしだいをつげました。明智探偵は旅行中なのですから、さしずめ、中村警部の助けをもとめるほかはなかったのです。
すぐに現場へいくという中村警部のへんじをきいて、小林君は、怪老人をころがしておいたところへ、とってかえしました。もうそのころには、近所の人たちが原っぱへ集まってきて、いっぱいの人だかりになっていました。
怪老人は、もとの場所にころがっていました。もういびきはかいていません。けれど、ぐったりと死んだようになってたおれています。
そのときはもう、西洋館ぜんたいがまっかなほのおにつつまれていました。何千何万ともしれない赤いヘビが、のきをつたい、やねにはいあがり、やみの空にのぼろうとでもするように、あれくるっていました。
そのとき、するどいサイレンの音をひびかせて、消防自動車がやってきました。たちまちホースが何本ものばされ、燃えくるう西洋館に、ふんすいのように水がそそぎかけられましたが、もう西洋館を助けることはできません。建物ぜんたいに火がまわってしまったからです。
西洋館をかこむ木立ちは、絵のぐをぬったように、まっかにいろどられていました。そして、えたいのしれないぶきみな風が、そのへんいったいを、くるいまわり、もくもくと上がる黄色い毒煙を、右に左にあおっていました。
そのとき、じつにふしぎなことが起こったのです。そのうずまく煙の中から、材木のはぜわれる音にまじって、異様な声が聞こえてきました。ほのおにたわむれる怪鳥のなき声でしょうか。いやいや、そうではありません。鳥が笑うはずはないのです。それは、気ちがいのような人間の笑い声でした。ほのおと煙のむこうがわから、なにものかが、人の不幸をよろこぶように、笑いくるっていたのです。
ああ、こののろわれた笑い声には、いったい、どういういみがあったのでしょうか。
その夜ふけ、赤堀鉄州老人は、杉並警察署のしらべ室で、署長と、警視庁の中村警部と、二─三人の刑事たちにとりまかれていました。老人は、手足の縄をとかれ、木のいすにかけさせられていたのです。
酒のよいもさめて正気にかえった怪老人は、まるでキツネにつままれたような、とんきょうな顔で、キョロキョロとみんなの顔を見まわしていました。
「きみのうちは、すっかり燃えてしまったんだぞ。いったい、どうしてじぶんの家へ火をつけたんだ?」
杉並署の部長刑事が、老人の顔をのぞきこみながら、おどかすようにいいました。
「火をつけた? そんなばかなことが。……あっ、そうだ。おれは焼き殺されるところだった。おれはだれかにしばられて、ころがされていた。だが、どうして助かったのだろう。あっ、そうだ。だれかがおれの足をひっぱって、助けだしてくれたんだ。」
「そうとも。ほうっておいたら、きみはいまごろ黒こげになっていたんだぞ。」
それを聞くと、怪老人の顔に、異様な恐怖の色が浮かびました。青ざめていた顔がいっそう灰色になって、ぶきみな大きな目が、とびだすほど見ひらかれ、鼻のあたまに、びっしょり汗がわいてきました。
「いけないっ! たいへんだっ! おれはすっかりわすれていた。おれは人を殺してしまった!」
老人は、わけのわからないことをわめきだしました。
「おい、しっかりしろ。なにをいっているんだ。だれを殺したというのだ。」
「女だ。かわいい女の子だ。おれのアトリエへしのびこんで、よろいびつの中にかくれていたので、上から釘をうって出られなくしてしまったのだ。そしておれは酒を飲んだ。ずいぶん飲んだ。なにがなんだかわからなくなってしまった。あの女の子は、よろいびつに閉じこめたままだ。おい、きみたち、火事場のあとに、人間の死体が見つからなかったか? ああ、おれはたいへんなことをしてしまった。え、きみ、どうだった? 死体はなかったか? それとも、あのよろいびつを、だれかはこびだしてくれたのか。きみ、そいつをしらべてくれ。ああ、たいへんなことになったぞ。」
どうも、しらばっくれているのではなさそうでした。赤堀鉄州という、このきみょうな老人は、ほんとうに、少女の身のうえを心配しているようでした。
「ハハハ……安心しろ! きみがよろいびつに閉じこめた女の子は、ちゃんとここにいる。さあ、よく見るがいい。」
部長刑事はそういって、みんなのうしろに立っていた、少女姿の小林少年を呼びだして、老人の前に立たせました。
「あっ、そうだ。この子だ。ふしぎだなあ。おまえはどうして助かったのだ。……だが、待てよ。あっ、いけない。おい、きみたち、こいつはどろぼうだぞ! おれの家へしのびこんだ。空巣ねらいだ。そうでなくて、よろいびつなんかに、かくれるはずがない。きみたち、こいつをつかまえて、縄をかけてくれっ!」
怪老人は、そばに立っていた刑事にむしゃぶりついて、わめきたてました。それを見ると、中村警部が、はじめて口を開きました。
「なにをいっているのだ。この子は、どろぼうどころか、有名な私立探偵だよ。」
「なにっ、こんな小さな女の子が、私立探偵だって?」
怪老人の大きな目が、またとびだすほど見ひらかれました。
「小林君、かつらをとって、すがおを見せてやりたまえ……。これは、ほんとうは男の子なんだよ。名探偵明智小五郎の有名な少年助手、小林芳雄君だよ。」
小林少年は、すっぽりと、かつらをとって見せました。すると、その下から、少年の頭があらわれたではありませんか。
「あっ、それじゃ、きみは男の子だったのか。うん、知っている。小林という少年助手のことは、新聞で読んで知っている。そういえば、新聞の写真とそっくりの顔だ。だが、それにしても、きみはなぜ、おれのアトリエへしのびこんだのだ。しかも、女の子にばけたりして……。」
どうも、ようすがおかしいのです。もしこの老人が、甲野ルミちゃんをさらって、身のしろ金をゆすった本人だとすれば、こんなことを、ぬけぬけといえるはずがないではありませんか。
それからまた、部長刑事と怪老人の問答がつづきました。
小林君は、甲野さんから、ルミちゃんの事件は、警察に知らせないようにといわれていましたが、もうこうなったら、かくすわけにはいきません。中村警部にすっかり話してしまいました。杉並署の署長や部長刑事も、中村警部からそれを聞いて、なにもかも知っているのです。
「きみは、赤堀鉄州という人形師だね。」
部長刑事が、怪老人をにらみつけてたずねました。
「そうだよ。おれはおばけ人形をつくる名人だよ。」
「赤坂の甲野光雄という金持ちを、知っているだろう?」
「ふうん、聞いたような名だが、べつに知りあいではないね。」
「まだしらばっくれているな。きみは、その甲野さんのむすめの、ルミちゃんという、かわいい女の子を、さらっただろう。」
「さらった? おれがかね。」
「そうだよ。そして、ルミちゃんとそっくりの人形を木の箱に入れて、甲野さんの家へ、運送屋にとどけさせただろう。」
それを聞くと、赤堀老人は、びっくりしたように目をむきました。
「とんでもない、おれは、そんなこと、まるで知らないよ。」
「だが、こちらには、ちゃんと証人があるんだぜ。木の宮運送店の店員だ。その店員は、たしかに赤堀鉄州という人形師にたのまれて、木箱をはこんだといっている。」
「それじゃあ、その店員にあわせてもらいたいもんだね。顔を見れば、おれか、おれでないか、すぐにわかることだ。」
老人のびっくりしたようすが、真にせまっていて、どうも芝居らしくないので、中村警部と署長は、いぶかしげに顔を見あわせました。
「それじゃ、木の宮の店員を呼びだすことにしよう。そのあいだに、ルミちゃんの事件を、このじいさんに話してやりたまえ。」
署長が部長刑事に命じました。そして、ひとりの刑事が運送店へ出かけていくのでした。部長刑事は、公園でルミちゃんがさらわれたことから、電話で一千万円の身のしろ金をゆすってきたこと、運送屋がルミちゃん人形をとどけたこと、小林少年が、運送屋から赤堀老人の西洋館をききだして、女の子に変装して、そこへしのびこんだことなどを、すっかり話してきかせました。
「うーん、そういうわけだったのですか。それで、女の子がよろいびつにかくれていたわけがわかりましたよ。そうとは知らぬものですから、あんなひどいめにあわせてごめんなさいよ、小林君。」
老人はにわかに、ていねいなことばになって、そこに立っている小林少年に、すまないという顔をして見せるのでした。
「いや。そればかりじゃない。手足をしばられて、焼け死ぬばかりになっていたわしを、きみが、火事場から救いだしてくれたのですね。どうもすまんことをしました。かんべんしてください。まったくどろぼうだと思いこんでいたので、ああして、よろいびつに閉じこめて、あとで警察へひきわたすつもりだったのです。きみ、どうか、かんべんしてくださいよ。」
そういって、いかにもはずかしそうにしているのを見ると、アトリエでろうそくの光をうけて、恐ろしい悪人にみえた顔が、みょうにおどけた、こっけいな感じにかわってきました。
小林君は、なんだか老人がかわいそうになりましたが、どうしても、たしかめたいことがあったので、それをたずねてみました。
「そういえば、ぼくにも、ふにおちないことがあるんですよ。アトリエが火事になったとき、あんたは、よいつぶれたまま縄でしばられていた。ぼくは、よろいびつの中にいたので、だれがしばったかわからないのです。まさかじぶんで、じぶんをしばったわけではないでしょう。だれがしばったのか思いだせませんか。」
すると、老人は頭をかいて、
「じつにだらしのない話だが、わしは、なにもおぼえていないのです。寝ている間に、だれかにしばられてしまったのです。」
といったまま、考えこんでしまいました。
そのとき、さっき出ていった刑事が、木の宮運送店の店員をつれてはいってきました。
「きみにあの木箱の配達をたのんだのは、この人ではないかね。」
部長刑事が、店員を老人の前に呼んでたずねました。
「ちがいます。やっぱり白いひげをはやしていましたが、この人とはちがいます。」
店員は、一目見て、きっぱりといいきりました。
「だが、赤堀鉄州という人形師は、この人だよ。きみの店へ配達をたのんだのも、赤堀鉄州だったね。」
「そうです。名まえはそうでしたが、そのときの人は、この人じゃありません。」
これで、赤堀老人のうたがいがはれたわけです。
「待ってくださいよ。これには、なにか深いわけがありそうですよ。」
老人は、しきりに首をふりながら、ゆっくりしゃべりはじめました。
「まあ、聞いてください。そのルミちゃんとかの人形を送ったのは、むろん、わしではありません。そいつは、わしの名まえをかたったのです。そして犯人はこのわしだと思いこませておいて、ほんとうのことがわからないうちに、わしを焼き殺そうとしたのです。
そいつは、わしがよいつぶれていたのをさいわいに、身うごきができぬようにしばっておいて、アトリエに火をつけたのです。そうだ。それにちがいない。そうして、わしが焼け死んでしまえば、死人に口なしで、わしが犯人だったということになって、じぶんには、うたがいがかからない。ちくしょうめ、うまく考えやがったな。」
「待ちたまえ。犯人は、あすの晩、身のしろ金を、甲野さんのところへ取りにくるといっているんだぜ。いま犯人が死んだことになれば、身のしろ金が取れないじゃないか。」
部長刑事が、よこやりを入れました。
「うーん。それもそうだが、そこにはまた、べつのてがあるかもしれん。ルミちゃんという女の子はまだ発見されていないのだから、その子をだいじにかくしておいて、すこし日がたってから、さもじぶんがみつけたような顔をして、甲野さんのところへつれていくというてもある。そのじぶんには、きっと懸賞金がついていますよ。一千万円というわけにはいくまいが、そうとうの金をせしめることができる。どうです、この考えは?
いや、ルミちゃんさえかくしておけば、ほかにまだ、いろいろなやりかたがあります。犯人と思いこまれたわしが死んでしまって、ルミちゃんのかくし場所がわからないとなると、これはたいへんなさわぎになりますよ。そこで、真犯人のほうでも、いろいろなてが考えだせるというものです。」
老人は、とくいらしく、しゃべりつづけるのでした。
「すると、きみが白ひげをはやした人形師で、真犯人とよく似ていたので、かえだまにつかわれたというわけだね。とすれば、同じ人形師のなかまのことだから、きみには、その真犯人の心あたりがありそうだね。きみとよく似た人形師といえば、いったいだれだろうね。」
部長刑事がたずねますと、赤堀老人は首をふって、
「ところが、そういう心あたりは、まったくないのです。じつにふしぎですよ。しかし、わしも、そいつに焼き殺されかけたのですから、なんとしても、かたきがうちたい……。ねえ、小林君。わしをひとつ、明智先生に紹介してくださらんか。わしは先生に弟子入りしますよ。そうして、警察と力をあわせて、真犯人をさがしだします。きっと、さがしだしてお目にかける。ねえ、小林君、どうかわしを先生にひきあわせてください。」
老人は、しんけんになって小林少年にたのむのでした。
さて、よく日の朝のことです。甲野さんの家では、大さわぎがおこっていました。女中さんが、ルミちゃんの寝室へなにげなくはいってみますと、ベッドの上に、ルミちゃんが、すやすや眠っていたではありませんか。ゆくえの知れなかったルミちゃんが、いつのまにか、家へ帰っていたのです。
女中さんの知らせで、おとうさんやおかあさんが寝室へかけつけてきましたが、ルミちゃんは、いくら起こしても目をさましません。いそいでお医者さまを呼んで見てもらいますと、ねむり薬を飲まされていることがわかりました。なにものかが、ルミちゃんをねむり薬で眠らせておいて、夜のうちに、ここへはこんできたのにちがいありません。
ルミちゃんのおとうさんの甲野さんは、そのとき、やっと気がついて、いそいで書斎へいって、机のひきだしをしらべてみました。
ああ、やっぱりそうでした。机の右がわの三つのひきだしへ入れておいた、たくさんの札たばが、すっかりなくなっていたのです。あの怪老人は、約束のとおりルミちゃんをかえして、一千万円の札たばを持っていってしまったのです。
甲野さんは小林少年と相談したうえで、このことを警察にとどけました。すると、すぐに警官がやってきて、眠りからさめたルミちゃんに聞きただし、怪老人の住みかをさがして、とうとう、あの西洋館を見つけだしましたが、そのときには、怪老人は、早くもどこかへ、姿をくらましたあとでした。
たくさんの人形も、ふり袖姿の紅子さんも、みんないなくなって、その西洋館は、がらんとした空家になっていたのです。
× × ×
それから一月ほどは、なにごともなくすぎさりました。警察は、怪老人の捜索をつづけていましたが、なんの手がかりも見つかりません。明智探偵は、事件の四日あとに大阪から帰って、小林君に、くわしい話を聞きました。
しかし、ルミちゃんが帰って、ともかく事件はおわったのですから、怪老人が、また、なにか悪だくみをするまでは、手がかりのつかみようがないのです。
ところが、その一月ほどたったある日のこと、渋谷区の神山さんの家に、みょうなことがおこっていました。
神山さんは、銀座の宝玉堂という宝石商の社長で、渋谷駅から一キロほどのやしき町に、りっぱな西洋館の邸宅を持っていました。
神山さんには、中学一年生の進一君と、小学校五年生のサナエちゃんという、ふたりのこどもがありました。そのふたりが、いまサナエちゃんの部屋で、なにかいいあらそっているのです。
「サナエの人形きちがい! そんなに人形ばっかりだいじにしていると、いまにおまえも人形になっちゃうぞ!」
進一君が、妹をからかいました。
「いいわよ、にいさんのいじわる! この人形がみんなあたしの味方だから、にいさんなんか、いくらいじめたってへいきよ!」
人形きちがいといわれるのも、もっともでした。その部屋には、壁いっぱいのガラス戸だながあって、その中に、ありとあらゆる人形が飾ってあるのです。
サナエちゃんは、四つぐらいのときから、人形がすきでたまらなくなっては、おねだりをして買ってもらった人形が、いつのまにか、こんなにたまってしまったのです。
おとうさんやおじさんたちが旅行のおみやげにくださった、いろいろの地方の人形が、こけし人形をはじめとして、ウジャウジャならんでいます。
すこし大きいのでは、かぶき人形、なよなよとした姿のロマンス人形、目の青い西洋人形、船長のおじさんにもらったイタリアの大理石人形、京都できのかわいいさんぱち人形、ミルクを飲む人形、寝かすと、「おぎゃあ。」となく赤ちゃん人形。もっと大きいのでは、文楽人形のおひめさま、サナエちゃんと同じくらいの大きさの西洋の少女人形、電気で動くロボット人形まで、かずかぎりもなくならんでいるのです。
サナエちゃんの人形ずきは、学校でも近所でもひょうばんで、「人形むすめ」という、あだなさえついていました。
にいさんの進一君は、サナエちゃんがそんなにたくさん人形を持っているのが、うらやましいのです。でも、男の子が人形なんか集めるわけにはいきませんから、負けおしみで「人形きちがい。」なんてからかうのです。
「にいさんだって、探偵きちがいだわ。名探偵、明智小五郎の弟子だなんて、いばっているんですもの。明智探偵にあったこともないくせに!」
「なんだと? なまいきいうな。明智先生には二度もあってるよ。話をしたこともあるんだよ。ぼくは少年探偵団の団員だからね。団長の小林さんは、明智先生の弟子だから、団員のぼくらだって弟子なんだよ。ほら、このB・Dバッジを見ろ! これを持っているのが少年探偵団員の証拠じゃないか、ワーイ、ざまをみろ!」
進一君は、ポケットから、ピカピカ光ったB・Dバッジをひとにぎりとりだして、ジャラジャラと音をさせながら、サナエちゃんの鼻の先へつきつけて見せるのでした。
そのとき、ドアが開いて女中さんが顔を出しました。
「サナエちゃん、玄関へ、へんな人がきましたよ。大きな美しい人形を売りにきたらしいのです。それはすばらしい人形よ。おくさまが、その人と話していらっしゃるの。いってごらんなさい。」
人形と聞くとサナエちゃんは、もう夢中です。パッといすからとびあがると、ばたばたと、玄関のほうへかけだしていきました。
「ほんとうに人形むすめだなあ! ぼく、たまげたよ。」
進一君は、あきれたようにつぶやきましたが、そのくせ、じぶんもじっとしていられなくなって、サナエちゃんのあとから、のこのことついていくのでした。
いってみますと、玄関のホールの板の間に、やせた背の高い男が、目もさめるような、美しい女の人形をだいて立っていました。おかあさんが、すみのほうから、あきれたように見つめています。
男は黒い服を着ていました。まん中からわけた髪の毛が、気味のわるいほどまっ黒です。高いワシ鼻の下に、ぴんとはねた黒いひげがはえていて、ものをいうたびに、それがぴくぴく動くのです。
みょうにキラキラ光る目、さかだったまゆげ。ひたいには、何本も横じわがきざまれています。若いのか、年よりなのか、見れば見るほどわからなくなるような、気味のわるい男です。
サナエちゃんが出てきたのを見ると、男は、にやにや笑いながら話しかけました。
「ああ、そこへおいでになったのは、おじょうさまですね。おじさんは、ちゃんと知っていますよ。あなたは人形がだいすきでしょう。人形をどっさりお持ちですってね。しかし、こんなりっぱな人形はありますまい。え? どうです? ごらんなさい。まるで生きてるようじゃありませんか。あなたのおねえさまに、ちょうどよろしいですよ。この人形はね、ユリ子といいましてね、ひとつ、おどらせてお目にかけましょうか。」
男は、だいていた人形をじぶんの前に立たせ、うしろから、両手を人形のわきの下に入れて、おどりをおどらせるのでした。
人形は十五─六の美しいむすめさんでした。きれいな髪かざりをつけ、はでなゆうぜんのふり袖に、きんらんの帯をしめ、うっとりするような、かわいらしい顔をしていました。
その人形が、両手をしなやかに動かし、ふり袖をひらひらさせて、おどっているのです。ほんとうに生きているようです。おどりにつれて、顔も動き、こちらを見て、にっこり笑ったように思われました。
サナエちゃんは、いつかおとうさんにつれられて、文楽の人形を見にいったことがあります。あの文楽の人形のおどりと、よくにているのです。いや、あれよりももっといきいきして、まるで、生きた人間がおどっているように見えるのです。
「おかあさま、あれ売りにきたの?」
サナエちゃんは、もう、ほしくてたまらないという顔で、おかあさんを見あげました。
「ええ、そうよ。」
「あたし、ほしいわ。こんなすばらしい人形、見たことないわ。」
すると男は、早くもそれを聞きつけて、おどりの手をとめると、
「おじょうさま、お気にいりましたか? おかあさまにおねだりなさい。きっと買ってくださいますよ。こんなりっぱな人形が、たった一万円なのです。衣装だけでも、三万円の値打ちはありますよ。おくさま、いかがです。おじょうさまが、あんなにほしそうにしていらっしゃるじゃありませんか。」
十五─六歳のむすめと同じ大きさで、ほんもののゆうぜんの着物に、ほんもののきんらんの帯をしめているのですから、一万円とは、おそろしく安いねだんです。
「では、おとうさまにおたのみしてあげましょう。」
おかあさんは、そういって奥へはいっていきましたが、じきにもどってきて、その人形を買いとることにしました。
「おじょうさまのお部屋まで、持ってまいりましょう。そして、おじょうさまのお集めになった人形を、拝見したいものでございます。」
男はそういって、また、にやりと笑いました。
サナエちゃんは、人形が手にはいることになったので、もう夢中です。気味のわるさもわすれて、その異様な男を案内して、じぶんの部屋へいそぐのでした。
部屋にはいると、男はガラス戸だなの中の人形たちを見て、じぶんの持ってきたユリ子人形を長いすにかけさせ、おかあさんから代金をうけとると、いくどもおじぎをして帰っていきました。
サナエちゃんは、みんなが部屋を出ていって、ユリ子人形とさしむかいになると、三十分ほども身動きもしないで、じっと人形を見つめていました。うれしさに、気がとおくなるほどでした。
やがてサナエちゃんは、ふと人形に呼びかけました。
「ユリ子ねえちゃま!」
長いすにかけている人形の目がこちらを見たように思われました。きっと、聞こえたのにちがいありません。
「あたし、ねえちゃまが好きよ。好きで好きでたまらないわ。」
サナエちゃんは涙ぐんでいました。
涙でかすんだ目で、じっと見つめていますと、ユリ子人形がにこやかに笑って、「さあ、だっこしてあげますから、いらっしゃい。」といっているように見えました。
「おねえちゃま!」
サナエちゃんはそう叫んで、人形の胸にとびついていきました。
進一君は、なんだか心配になってきました。人形を買ってから三日ほどたったのですが、サナエちゃんが、あんまり人形に夢中になって、ほんとうに気でもちがうのではないかと、気づかわれたからです。
進一君は、どうもあの人形はあやしいと思いました。だいいち、売りにきた男が気にいりません。あいつは、西洋の悪魔みたいな顔をしていました。ひょっとしたら、魔法つかいかもしれません。魔法つかいの持ってきた人形なら、魔法の人形です。サナエちゃんがあんなに夢中になるのも、その魔法にかかっているからでしょう。
その晩進一君は、恐ろしい夢を見て、真夜中に、ふと目をさましました。
なんだか、へんな感じがします。どこかで、とほうもないことが起こっているような気がして、しかたがないのです。ひょっとしたら、サナエちゃんがどうかしたのではないかと、心配になってきました。
進一君は、ベッドから出て、手早くまくらもとにあった服をきました。そして廊下に出ると、足音を立てないようにして、隣の部屋の前にしのびより、そっとドアをあけてみました。
サナエちゃんは、ベッドの上で、すやすやと寝ています。心配したようなことは、なにも起こっていなかったのです。
またそっとドアをしめて、廊下に出ました。そして、じぶんの寝室にもどろうとしていますと、どこからか、かすかに、こつこつという音が聞こえてきました。
たちどまって、じっと耳をすましました。
廊下のまがり角のむこうから聞こえてくるようです。こつ、こつ、こつ、こつ。だれかが歩いているのでしょうか。しかしスリッパが、こつ、こつという音をたてるはずはありません。水道の水がしたたっている音かと思いましたが、そうでもないのです。ネズミが、板をかじっているのでしょうか。それともちがいます。
進一君は、なんだか胸がどきどきしてきました。どうも、ただごとではありません。魔性のものが近づいてくるような感じです。
足音をしのばせて、廊下のまがり角までいってみました。たしかにその音は、まがり角のむこうから聞こえてくるようです。
進一君は、からだをかくして、かたっぽうの目だけで、そっとのぞいてみました。
うす暗い廊下のむこうから、パッと巨大な花がひらいたような美しいものが、こちらへ歩いてきます。
進一君は、ギョッとして、からだがしびれたように動かなくなってしまいました。顔をひっこめようとしても、ひっこめられないのです。
それは、ユリ子人形でした。ゆうぜんのふり袖に、きんらんの帯のあの美しい人形が、こつ、こつ、こつと歩いてくるのです。
「早く顔をひっこめなければ、あいてに気づかれる。」
と思っても、からだがいうことをききません。ひっこめることができないのです。
「あっ、気づいたな!」
そうです。たしかに気づいたのです。人形は立ちどまって、ジーッとこちらを見つめています。まがり角の壁から、はんぶん出ている進一君の顔を、穴のあくほど見つめています。
息のつまるような、にらみあいでした。おたがいの目から出る光線が、空中でぶつかりあっているのです。それにしても、なんという恐ろしい目でしょう。あの美しい顔の目だけが、まるで、ヘビのようにぶきみです。たしかに生きた目です。人形の目ではなくて、人間の目です。
進一君は、この恐ろしいやつと、にらみあっているのが、たまらなくなってきました。いまにも気をうしないそうでした。
しかし、このにらみあいは、人形の負けでした。あいてには、生きていることを見つかったという弱みがあります。とうとう人形は、クルッとむこうをむきました。そしていきなり逃げだしたのです。
こちらが勝ったとわかると勇気がわいてきました。進一君は人形の後を追っかけるのでした。
人形は、むこうの部屋のドアを開いて、その中へかくれました。サナエちゃんの部屋です。寝室ではなくて、昼間の部屋です。あのたくさんの人形がならべてある部屋です。
進一君は、その部屋のドアの前にかけよりました。ドアはぴったりしまっています。とってをまわしてみました。かぎはかかっていません。人形が、かぎを持っているはずもないのです。
思いきって、ドアを開きました。そして、部屋の中へとびこんでいきました。
ユリ子人形は、長いすに腰をかけていました。進一君は、その顔をじっとみつめました。ふしぎ! ふしぎ! 人形は、もう生きてはいませんでした。
ゆうぜんの着物の肩をおさえて、ゆすぶってみました。なんのてごたえもなく、ぐらぐらするばかりです。顔にさわってみました。こちこちした人形の顔です。手にさわってみました。やっぱりこちこちした人形の手です。ああ、いったい、これはどうしたことでしょう。
進一君は、命のなくなった人形の美しい顔を、じっと見つめているうちに、心のそこから、ゾーッと恐ろしくなってきました。
そのあくる日、進一君は、おとうさんに夕べのことを話しましたが、おとうさんは、
「そんなばかなことがあるもんか。おまえはきっと、寝ぼけて、とんでもない思いちがいをしたのだろう。」
と、てんでとりあってくださいません。
進一君が、それでも、「ぼく、たしかに見たんだ。」といいはりますと、「それじゃあ、人形部屋へいってみよう。」と、ふたりでそこへはいってユリ子人形をしらべましたが、いくらしらべても、ほんとうの人形で、これが動きだすなんて、まったく考えられないことでした。
おなかの中に機械じかけのある自動人形ではないかと、それもよくしらべましたが、なんのしかけもないことが、はっきりわかったのです。
しかし進一君は、夕べ寝ぼけていたとは、どうしても思えないのでした。おとうさんの神山さんも、進一君が一生けんめいにいいはるものですから、すこし心配になってきました。
神山さんは、ひとりで奥の居間にはいると、そこへおかあさんをよびました。
その居間の床の間のよこに、大きな金庫がすえてあります。その金庫の中に、神山さんのだいじな宝物がしまってあるのです。
「そんなばかなことがあるはずはないが、もしあれがあやしい人形だとすると、この金庫の中の宝物をねらっているのかもしれない。」
ふとそんなことを考えると、宝物が金庫の中にあるかどうかを、たしかめてみなければ安心ができないような気持になってきたのです。
それでおかあさんをよんで、ふたりきりで、そっと金庫から宝物をとりだしてみました。
大きな四角い、皮の箱です。神山さんは、それをちゃぶ台の上において、しずかにふたを開きました。
すると、皮箱の中のビロードの台座の上に、目もくらむような宝冠が、さんぜんとかがやいていました。
「ああ、やっぱりわしの思いすごしだった。人形がこれを盗みにくるなんて、ばかなことがあるはずはないのだ。」
神山さんは、安心したようにつぶやきました。
「まあ、いつ見ても美しいこと! でも、ぶじでようございましたわね。」
おかあさんも、うっとりと宝物をながめながら、胸をなでおろすのでした。
それは神山さんが、ついこのごろ、ある外国の宝石商会から買いいれた、むかしヨーロッパのある国の女王さまの持ち物であった、黄金の冠でした。ダイヤモンドやルビーや、そのほかいろいろの宝石がちりばめてあって、五色のほのおが燃えたっているように見えるので、だれいうとなく、「ほのおの宝冠」と名づけられていました。
神山さんは、こんなりっぱなものを店へおいてはあぶないと思って、自分の家の金庫の中へ、たいせつにしまっているのです。
「しかし、念のために、金庫のダイヤルの暗号をかえておこう。そうすれば、おまえとわしのほかには、だれもこの金庫を開くことができないのだからね。」
神山さんは、そういって、しばらく考えていましたが、
「そうだ、サナエという暗号にかえよう。これなら、むすめの名だから、わしもおまえも、わすれるはずがないからね。」
といって、皮箱のふたをしめ、それを金庫の中にもどし、とびらを閉めると、ダイヤルをまわして暗号をかえるのでした。そのとき、障子の外で、かすかなもの音がしましたが、神山さんたちは、すこしもそれに気づかなかったのです。
障子の外には、ユリ子人形が立ちぎきをしていました。
ああ、やっぱりユリ子人形は生きていたのです。あれほどしらべても人形としか見えなかったのに、またしても人形部屋をぬけ出して、こんな遠い部屋まで立ちぎきにやってきたのです。
それはまだお昼まえでしたが、進一君とサナエちゃんは学校へいっていますし、女中さんたちは、台所やせんたく場にいて、広い家の中が、からっぽになっていたのです。
ユリ子人形は立ちぎきをしてしまうと、だれに気づかれる心配もなく、人形部屋へもどることができました。
それにしても、人形がどうして動きだすのでしょう。これには、なにか秘密があるはずです。ひょっとしたら、ユリ子人形を売りにきた、あの西洋悪魔のようなやつが、遠くから魔法をつかっているのではないでしょうか。
進一少年は、中学校の帰りに電車にのって、千代田区の麹町のアパートへいきました。そこの明智探偵事務所をたずねて、少年探偵団長の小林君に相談をするためです。
進一君は、夕べのふしぎなできごとを、夢だったといいきることは、どうしてもできないので、団長の小林少年の知恵を、かりようとしたのです。
ところが、事務所へいってみると、明智探偵も小林少年も、どこかへ出かけていて、少女助手のマユミさんが、るすばんをしていました。
マユミさんは、一年ほどまえに明智探偵の助手になった十八歳のむすめさんで、少年探偵団員たちから、「探偵団のおねえさま」とあがめられ、したしまれていました。
マユミさんは、探偵助手になるとまもなく、「妖人ゴング」(この全集三十七巻)のために恐ろしい目にあいましたが、その事件もおわって、いまでは、勇敢な少女名探偵になっていました。あの事件で、知恵もからだも、きたえられたので、もう、どんな男にも負けないほどの、すばしっこい、冒険ずきな女探偵になっていました。
進一君は、この「探偵団のおねえさま」と仲よしなので、すこしも気がねはありません。小林団長はどこへいったのかとたずねますと、明智先生といっしょに、ある事件のために名古屋方面へ出かけて、あさってでなければ帰らないということがわかりました。
それではというので、進一君は夕べのできごとを、すっかりマユミさんに話して、どうすればいいかと相談をしました。
「おかしいわね。あなた、ほんとうに夢を見たんじゃないの?」
「ぼくのおとうさんも、夢を見たんだろうというんだけれど、ぼくは、夢だとは思えないのです。たしかに、起きていたんです。」
「なにか秘密があるのね。その人形を売りにきた、西洋悪魔みたいな顔の人が、あやしいわ。きっと、なにかたくらんでいるんだわ。神山さん(進一君のこと)は、人形じいさんの事件、知ってるでしょう? 甲野ルミちゃんという子がさらわれた事件よ。その西洋悪魔みたいな男は、あの人形じいさんと、なにか関係があるんじゃないかしら。あたしには、なんだかそんなふうに思われるわ。」
「そうでしょうか。そうすると、妹のサナエがさらわれるんじゃないでしょうか?」
進一君はひどく心配になってきました。
「そうともきめられないわね。もっとほかに目的があるかもしれないわ。あなたのうちに、なにか、どろぼうにねらわれるようなものが、あるんじゃないの?」
「ああ、そういえば、西洋の女王さまの宝冠があるんです。おとうさんは、お金にかえられないたいせつな宝物だといって、うちの金庫にしまっているのです。」
「じゃあ、それをねらっているのかもしれないわね。でも、そんなとりこしぐろうばかりしていてもしかたがないわ。だれか少年探偵団の人を電話でよんで、相談してみましょう。」
マユミさんは、そういってしばらく考えていましたが、
「ああ、すっかりわすれていた。いまに、ふたりの団員が、ここへ遊びにくるのよ。井上一郎君と、ノロちゃんよ。ノロちゃんは、おくびょうものでたよりにならないけれど、井上君は、知恵も力もあって、たのもしいわ。井上君のくるのを待って、相談してみましょうよ。」
「井上君ならいいですね。ぼく、あの人すきですよ。それに、ノロちゃんだって、あいきょうものだし……。」
進一君も、さんせいするのでした。
やがて、井上君とノロちゃんがやってきました。そこで、四人が探偵事務所の客間のテーブルをかこんで、相談をはじめました。
「やっぱり、いつものやりかたが、いちばんいいよ。神山君の家のまわりを、そっと見はっているんだ。そして、あやしいやつが出てきたら、あとをつけるんだよ。」
井上少年が、すっかり話を聞いたあとで、意見をのべました。
「夜もかい? 夜中もかい?」
ノロちゃんが心配そうにたずねます。
「おそくなると、うちでしかられるというんだろう? ぼくだってそうだよ。だから、夜の九時ごろには、チンピラ隊とこうたいするのさ。チンピラ隊は、夜中だってへいきだからね。」
チンピラ隊というのは、小林団長が上野公園などで集めた浮浪少年たちです。明智探偵はそれらの少年に、すりやかっぱらいをはたらかぬようによく教えて、「ありの町」という労働者の会の会長をやっている友だちにたのんで、そこに住みこませ、くずひろいなどをやらせてあるのです。そして、なにか事件がおこると、「ありの町」の事務所へ電話をかけて、少年探偵団のてつだいをさせることになっているのです。
「じゃあ、それにきめましょう。むろん、あたしもいくのよ。小林さんがいないときには、あたしが少年探偵団の指揮官ですもの。あたし、男の服をきていくわ。そして、危険なことは、まっさきにあたしがやるのよ。みんな、とめるんじゃないのよ。あたし、冒険がしたくって、腕がむずむずしているんだから……。」
マユミさんは、青年のようなかっぱつな口調でいうのでした。
すぐに「ありの町」へ電話をかけて、チンピラ隊のうち、手のあいているこどもを、よびよせました。
そして、日のくれるのを待って、マユミさんと井上君とノロちゃんと、チンピラ隊三人と、あわせて六人が、それぞれ、きたない服をきて変装すると、自動車で神山進一君の家のそばまでいきました。
それから、ばらばらにわかれて、神山家のへいのまわりのものかげに身をかくし、なにかあやしいことが起こるのを、待ちかまえるのでした。
神山進一君は、みんなより一足さきに家へ帰りました。進一君は家の中で、あのあやしい人形を見はっている役目です。
夜になって、なにかあやしいことが起こったら、二階の窓から、万年筆がたの懐中電灯を、パッ、パッ、パッ、と三度ずつ、つけたり消したりすることをつづけて、外の少年たちに、知らせる約束でした。この万年筆がたの懐中電灯は、「探偵七つ道具」の一つなのです。
夜になり、夕ごはんがすみ、勉強の時間がすみ、ベッドにはいるころになっても、べつになにごともおこりません。
進一君は、昼間の服をきたままベッドにはいりましたが、外で見はりをしている仲間のことを考えると、眠れるものではありません。
「もう九時すぎだから、井上君とノロちゃんは、家へ帰ったかもしれない。だが、マユミさんとチンピラ隊は、まだ残っているだろう。まっ暗やみの中で、なにか起こるのを、じっと待っているだろう。」
そう思うと、なんだか、みんなにすまないような気がするのでした。
それから三十分もたったころです。進一君は、なぜか胸がどきどきしてきました。家じゅうの人がみんな寝てしまって、シーンとしずまりかえっています。そのしずかな中を、あの美しいユリ子人形が、こっそり歩いているのではないかと思うと、もうじっとしていられなくなりました。
進一君はベッドを出て、そっとドアをあけ、廊下へ出ました。電灯が消してあるので、まっ暗です。足音をたてないように、壁をつたって、人形部屋のほうへ歩いていきました。
進一君はハッとして立ちどまりました。かすかに、ものの動くけはいが感じられたからです。
そこは、廊下がTの字になっていました。壁にからだをくっつけるようにして見ていますと、むこうの廊下が、ほのかに明るくなったような気がします。
うす暗い中にもはっきり見える、ゆうぜんもようが、ひらひらとしました。ユリ子人形です。おばけ人形は、白い四角なふろしきづつみのようなものを胸にだきしめて、むこうの廊下を、スーッととおりすぎていきました。
こんどこそ、夢ではありません。ユリ子人形は、やっぱり生きていたのです。しかし、あの白いふろしきづつみは、いったいなんでしょう?
「あっ、そうだ! あの大きさ、あの四角い形、あれは、『ほのおの宝冠』の皮箱にちがいない。やっぱりそうだった。あいつは宝冠を盗むために、この家へはいりこんできたのだ!」
進一君は、とっさにそこへ気がつきました。そして、あいてにさとられぬように、あとをつけました。
ユリ子人形は、廊下のつきあたりまでいくと、そこの階段をのぼりました。階段の上は庭に面した廊下で、いくつもガラス窓がならんでいます。
おばけ人形は、そのまん中ほどまでいくと、そっとガラス窓を開きました。
「あっ、窓から庭へとびおりるつもりかしら? それなら、なにも二階へあがらなくても、下の廊下の窓を開けばいいのに……。」
進一君は、ふしぎに思って、ずっとこちらの窓のそばで、ようすをうかがっていました。
すると、人形は、胸にだいていた白いふろしきづつみを、両手で頭の上にさしあげました。
「おやっ、いったいなにをするんだろう?」
と思うまもなく、白いふろしきづつみは、まっ暗な庭へ、パッとほうりだされたではありませんか。
白いものが、スーッと曲線をえがいて、下の地面へ落ちていくのが見えました。
「あっ! わかった。庭のやみの中に、だれかが待ちうけているのだ。そして、ふろしきづつみを受けとって、逃げだすつもりなんだ!」
進一君は、それと気づくと、そこの空部屋のドアを、そっと開いてすべりこみ、おもてがわに面した窓に近づいて、音のしないようにそれを開くと、万年筆がたの懐中電灯をとり出して、パッ、パッ、パッと三度ずつ、つけたり消したりすることを、なんどもつづけるのでした。
× × ×
そのとき、へいの外のまっ暗な道に、ヘッドライトを消した一台の自動車がとまっていました。
まっ黒な服をきた男が、白いふろしきづつみをかかえて、へいをのりこえ、そこへ、走ってきたかと思うと、開いていたうしろのドアから、自動車の中にとびこみました。すると自動車は、音もなく動きだし、どことも知れず遠ざかっていくのでした。
そのとき、自動車のうしろで、みょうなことが起こっているのを、怪人物は、すこしも気づかなかったようです。
男がへいをのりこして走ってくるまでは、自動車のうしろの荷物を入れるトランクのふたが、三センチほど開いていました。
それが、男の足音をきくと、ちょうど敵におそわれた貝が、貝がらの口をとじるように、ピッタリしまったではありませんか。
どうやら、トランクの中に人間がかくれているらしいのです。それはチンピラ隊のひとりではないでしょうか。それとも、もしかしたら、男姿のマユミさんがトランクの中に身をひそめて、怪人物のすみかをたしかめようとしているのではないでしょうか。
進一君は、懐中電灯のあいずをしておいてから、すばやくかけ出しました。ユリ子人形がサナエちゃんの人形部屋へもどらないうちに、さきまわりをして、待ちかまえているつもりなのです。
進一君は、こんやは、はじめからその計画でした。いままで、ユリ子人形を追っかけたときは、人形よりもあとから、人形部屋へはいったのです。すると、そこにいるのはいつも、たたけばこちこちと音のする、ほんとうの人形でした。
ですから進一君は、生きて動く人形が、こちこちの人形とかわるところを、見てやりたいと思いました。それには、人形よりさきまわりをして、人形部屋の中に、かくれていなければならないのです。
進一君は、いまこそ、さきまわりをするときだと思いました。
ユリ子人形は、あの四角いふろしきづつみをなげてから、そのまま窓のところに立って、じっとまっ暗な庭を見おろしていました。下にいる男が、うまくつつみを受けとって逃げだすのを、たしかめようとしているのです。
そのとき進一君が、懐中電灯のあいずをした窓は、ユリ子人形のいる窓よりも、ずっと人形部屋に近かったので、だいじょうぶ、さきまわりができるのです。
進一君は、足音をたてないようにかけ出して、人形部屋へはいりました。そして壁のスイッチをおすと、パッと電灯がつきました。
その光で、ひと目、部屋の中を見たとき、進一君は、「あっ!」と声をたてて、立ちすくんでしまいました。
いつのまにかユリ子人形が、ちゃんと、部屋に帰っていたからです。
「そんなはずはない。廊下は一本なんだから、ぼくのほうがはやかったにきまっている。ユリ子人形は、まだ廊下をはんぶんも歩かないころだ。」
進一君は、そう考えました。それにまちがいはないのです。
「はてな?」と、こくびをかしげていましたが、やがて、ハッとあることに気がつきました。
「あっ! そうだ。ユリ子人形はふたりいるんだ。ひとつは、こちこちの、ほんとうの人形、もうひとつは、そっくり同じ着物をきた、生きた人間! そうだ! そうにきまっている。いままで、どうして、そこへ気がつかなかったのだろう。
ぼくが追っかけてきたときには、人間のほうは、おしいれの中かなんかにかくれてしまって、人形のほうだけが、いすにこしかけているもんだから、ごまかされたんだ。生きた人間がいっぺんに、こちこちの人形にかわってしまったように見えたんだ。
それじゃこんどは、こっちが、おしいれの中にかくれて、あいつの帰ってくるのを待ちぶせしてやろう。」
進一君は、とっさのあいだに、これだけのことを考えました。そして、すばやくおしいれにはいって、ふすまを細めに開き、じっと、ようすをうかがっていました。
すると、こつ、こつ、こつ、こつと、廊下に、人形の足音が、聞こえてきたではありませんか。あくまで人形が歩いていると思わせるために、足になにか、かたいものをはいているのでしょう。つまり、人形が生きて動くという、怪談をつくり出して、みんなをおどかそうとしているのです。
進一君は、息をころして、ふすまのすきまから目をみはっていました。心臓のどきどきする音が聞こえるほどです。
ドアがスーッと開きました。ああ、はいってきたのです。ユリ子人形が、はいってきたのです。
こちらにこしかけているユリ子人形、ドアのところに立っているユリ子人形、そっくりです。着物のもようも、帯も、そして、顔までも。
長いふり袖、はでなゆうぜんもよう、ピカピカ光るきんらんの帯、美しい人形がふたりならんでいるのです。
進一君は、息もできないほどでした。こんなふしぎなことが、あるものでしょうか、人形とそっくりの顔をした少女が、もうひとりいるなんて。
いや、そうではありません。少女が人形に似ているのではなくて、この少女をモデルにして、人形をつくったにちがいありません。それならべつに、ふしぎでもなんでもないのです。
ユリ子人形とそっくりの少女は、ドアの前をはなれて、こちらへ歩いてきます。やっぱり、このおしいれの中へかくれるつもりでしょう。
進一君は、グッと心をひきしめました。このぶきみな少女と、たたかわねばならないのです。
少女は、もう二メートルほどに近づきました。一メートルになりました。いまです!
進一君は、パッとふすまを開いて、おしいれの中からとび出しました。
「あっ!」
少女が、おどろきの叫び声をたてました。そして、くるっとうしろをむくと、いきなり、ドアのほうへかけ出すのでした。
「まてっ!」
進一君も、すぐに、そのあとを追いました。ドアをとび出して、廊下を走りました。
少女は、走りながら、帯をといています。帯が、すっかりとけました。庭にめんした窓に走りより、そこに出ているくぎに、帯のはじをひっかけました。そして、あっと思うまに、少女は、窓の外へとび出したのです。
進一君も、その窓へかけつけました。少女はくぎにひっかけた帯をつたって、庭へおりていきます。そして、パッと地面へとびおりました。
「おうい、だれかきてくれえ。……ユリ子人形をつかまえてくれえ……。」
進一君は、ありったけの声を、ふりしぼって叫びました。そして、じぶんも、帯をつたって、庭へおりていくのです。
少女は庭におりると、へいのほうへ走りながら、ふり袖の着物をぬぎすててしまいました。その下に、黒のうすいワンピースを着ていたのです。
進一君も、庭へとびおりました。そして少女のあとを追いながら、
「おうい、はやくだれか、ユリ子人形をつかまえてくれえ……。」
と叫びましたが、だれも家の中から出てくるようすがありません。
少女はもう、へいによじのぼっていました。かるわざ師のように、身の軽いやつです。進一君もへいの下にかけつけて、少女の足をひっぱろうとしましたが、もうまにあいません。へいの上に、すっくと立った少女のすがたは、パッと、外の道路へとびおりてしまいました。
それにしても、この少女は、このあいだから、いったいどこにかくれていたのでしょう。ずっと、おしいれの中にいるわけにはいきません。ひょっとしたら、あの黒いワンピースを着て、ふり袖や帯をかかえて、毎晩、外からしのびこんでいたのかもしれません。
そのときへいの外には、三人のチンピラ隊が待ちかまえていました。チンピラたちは、進一君の叫び声をきいたのです。
「ユリ子人形を、つかまえてくれ。」
とは、いったい、どういういみなのかと、ふしんに思いましたが、しかしカンのいいチンピラたちには、すぐにさっしがつきました。ユリ子人形は、いまに、この道路へ逃げだしてくるだろうと、へいの外の地面に身をふせて、待ちかまえるのでした。
むこうのへいの上に、黒いかげが動きました。そして、またしても、進一君の叫び声がしたかと思うと、その黒いかげが、パッと地面にとびおりました。
ユリ子人形はふり袖を着ていると聞いていたのに、この少女は黒い洋服のようです。長いあいだまっ暗なところにいて、やみに目がなれているので、チンピラたちには、それがよくわかりました。
「へんだなあ。あれ、ユリ子人形だろうか?」
「だって、へいからとびおりたんだから、まちがいないよ。」
「じゃあ、あいつを、つかまえようか。」
「もちろんさ。」
チンピラたちは、そんなことをささやきあったかと思うと、地面にふせていたのがパッと立ちあがり、恐ろしいいきおいで、少女のそばにかけよりました。
少女はへいからとびおりて、ちょっと、ころんだものですから、たちまち、チンピラたちにつかまってしまいました。
「あらっ、あんたたち、あたしをどうしようっていうの。まあ、きたないこじきの子どもじゃないの!」
少女は、らんぼうなことばで、チンピラたちをしかりつけました。そして、ふりはなして、逃げだそうとするのですが、どうして、はなすものではありません。
「なにい、こじきだってばかにするねえ。おいらは少年探偵団の別働隊で、チンピラ隊っていうんだ。明智先生の弟子だぞっ!」
三人のチンピラは、口ぐちに、そんなことをわめきながら、少女の上にのしかかって、組みふせてしまいました。
そのときです。とつぜん、やみの中から太い声が聞こえてきました。
「こらっ、チンピラども、その子をいじめると、しょうちしないぞっ!」
びっくりしてふりむくと、そこに、ボーッと、大きな男の姿が、立ちはだかっていました。黒いセーターをきた男です。
「あっ、てめえ、どこのやろうだっ!」
チンピラのひとりが、どなりかえしました。
「なまいきいうな。さあ、その子をはなせっ。」
男は、いきなりそばによると、チンピラの手をつかんだり、首をつかんだりして、ひとりずつ、地面になげつけました。
「ワーッ、いてえ!」
「てめえ、悪者のなかまだなっ! 逃がすものかっ。」
なげられても、チンピラたちは起きあがって、男にむしゃぶりついていくのでした。
しかし、男はひどく力が強くて、チンピラ三人ではとてもかないません。みんなひどくなぐりつけられて、へたばってしまいました。
「ざまあみろ。もう動けないだろう。それじゃ、あばよ!」
男はにくまれ口をのこして、少女をひったてると、その手をとって、やみの中へ逃げさってしまいました。
そのときになって、やっと門のほうから、神山さんと進一君がかけつけましたが、もうあとのまつりでした。ユリ子人形にばけていた少女を、ついにとり逃がしてしまったのです。
× × ×
そのころ、宝冠のつつみを持った男の自動車は、世田谷区のはずれの、さびしい原っぱの中にある、古い西洋館の前にとまっていました。
男は、白い四角なふろしきづつみを、だいじそうにかかえて車をおりると、運転手になにかささやいてから、その西洋館の門の中へ、はいっていきました。
それは赤れんがの二階建ての西洋館で、よほどむかしに建てられたものとみえて、西洋のばけものやしきみたいな、ぶきみな、ものです。
へいはこわれ、門の鉄のとびらはいびつにゆがみ、ツタにおおわれた西洋館は、やみの中に、やみより黒い巨大な怪物が、うずくまっているような感じでした。
門のとびらがこわれているので、かぎがなくても、自由にはいれるのです。男が門の中に消えると、自動車のうしろのトランクが、しずかに開いて、中からひとりの若ものが、はい出してきました。男の子の服をきたマユミさんです。やっぱりマユミさんが、トランクにかくれていたのです。マユミさんは、なにか四角な白いつつみを、こわきにかかえています。おやっ? これはどうしたというのでしょう。さっきの男が持っていた白いつつみと、そっくりです。
マユミさんは、いつのまに、こんなつつみを手にいれたのでしょう。あの男から、とりかえしたのでしょうか。いや、そうではありません。さっきの男も、たしかに同じようなつつみをかかえていました。
ごらんなさい。あの男は、赤れんがの西洋館の入口に立って、かぎでドアを開いています。そこの石だんの上に、ちゃんと、白いつつみがおいてあるではありませんか。
ところが、ふしぎなことに、マユミさんが、自動車のトランクから出てしまっても、まだトランクの中で、なにか、もごもご動いているものがあります。
マユミさんは、犬かネコでも、つれてきたのでしょうか?
いや、動物ではありません。人間の子どもです。トランクの中から、すばやくとびだしてきたのは、七つか八つぐらいに見える、ちっちゃな男の子でした。
顔はまっ黒によごれ、ぼろぼろの服をきています。チンピラ隊のひとりで、名まえはポケット小僧という少年です。
ポケット小僧とは、へんな名ですが、ポケットにはいるほど、小さいといういみなのです。十二にもなっていて、七つか八つぐらいに見えるほど小さいので、そんなあだなでよばれるようになりました。
しかし、からだは小さいけれども頭はいいし、ひどくすばしっこい少年で、これまでにも、いろいろ手がらをたてたことがあります。チンピラ隊だいいちの人気ものでした。
ポケット小僧は、マユミさんを、たいへん尊敬していますので、マユミさんが自動車のトランクにかくれて、怪人のすみかへいくのを、だまって見ていられなかったのです。じぶんもいっしょについていって、マユミさんをまもりたいと思ったのです。
マユミさんが、トランクの中へしのびこんだとき、すぐあとから、ポケット小僧が、もぐりこんできましたので、おろそうとしましたが、どうしてもおりません。すみっこのほうにくっついて、てこでも動かないのです。
トランクの中であらそっていて、運転手に気づかれたらたいへんですから、マユミさんも、つい、そのままにしておいたのです。いま、あやしい西洋館の前で、トランクからポケット小僧があらわれたのは、そういうわけだったのです。
ふたりは、ひじょうにすばやく、トランクからすべり出したので、運転手はすこしも気づかず、そのまま車を出発させ、むこうのほうへ、遠ざかっていきました。
マユミさんとポケット小僧は、やぶれた門をはいって、西洋館の玄関のほうへいそぎました。ひごろ、音をたてないで走ることを練習しているので、ふたりとも、いくら走っても、すこしも足音がしないのです。
怪人は、西洋館の入口のドアの前にたって、なにかコトコトやっていました。かぎでドアを開こうとしているのでしょう。
あたりは、まっ暗です。西洋館の窓からは、すこしもあかりがさしていません。まるで空家のように、しずまりかえっているのです。
怪人は、宝冠のはいった白いふろしきづつみを、石段の上において、しきりにドアを開こうとしています。かぎがよくあわないのか、ずいぶんてまどるようです。
すると、そのとき、石段のへんのやみの中に、もうろうと、ネズミ色の影が近づいてきました。暗くてよくわかりませんが、どうやら人間のようです。
その影は、石段に近よったかとおもうと、そのまま、また、スーッと遠ざかって、やみの中へとけこんでしまいました。
怪人は、すこしも、それに気がつきません。やっとドアが開いたので、石段においてあったふろしきづつみを持って、ドアの中にはいり、中から、カチンとかぎをかけてしまいました。
マユミさんとポケット小僧は、一度門を出て、どこかへいきましたが、三十分もすると、また、西洋館の門の前にもどってきました。見ると、マユミさんは、あの白いふろしきづつみを持っていません。ポケット小僧もから手です。いったいあのふろしきづつみを、どうしてしまったのでしょう?
「おねえさん、もう、よしたほうがいいよ。こんなばけものやしきの中へはいったら、どんな恐ろしいめにあわされるか、わかりゃあしないよ。」
ポケット小僧が、マユミさんのうわぎをつかんで、ひそひそと、ささやきました。
「いいのよ。このまま、警察へ連絡してもいいんだけれども、もうちょっと、さぐっておきたいの。どろぼうのかしらが、どんなやつだか、この家には、どんなしかけがあるか、それをしらべておかなけりゃあ、名探偵の助手のはじだわ。あんた、帰りたければ、さきにお帰りなさいな。」
マユミさんは、じゃけんにいって、小僧をつきはなしました。
「いやだい。おれ、帰るもんか。どこまでも、おねえさんのあとから、ついていくよ。」
ポケット小僧は、おこったようにいって、もうひとことも口をきかず、だまりこんで、マユミさんのあとからついていくのでした。
マユミさんは、門をはいって、西洋館のよこてへ回っていきました。どの窓にも、あかりは見えません。まるで、家じゅうの人が、死にたえたように、シーンと、しずまっているのです。
マユミさんは、どこかにしのびこむすきまはないかと、だんだん、奥のほうへ歩いていきました。
すると、ひとつの窓の中に、かすかなあかりが見えたではありませんか。おやっと思ってたちどまり、その窓のそばによって、そっと、中をのぞいてみました。
ガラス窓の中に、あついカーテンがさがっていて、そのあわせめが、開いています。
マユミさんは、窓ガラスに顔をつけるようにして、のぞきました。
電灯ではなくて、テーブルの上のろうそくが、赤ちゃけた光をなげています。そのにぶい光の中に、ふたりの男がテーブルをへだてて、むかいあっていました。せまいすきまなので、ふたりの顔が、はんぶんくらいずつしか見えません。
しかし、そのひとりは、宝冠のつつみを持って、自動車に乗ってきた男にちがいありません。
そのむこうがわにいるのは、ふしぎな人物です。頭を、まん中からきれいにわけてなでつけ、キュッとさかだったまゆの下に、ほそい目がキラキラと光り、高いワシ鼻、ぴんとはねたまっ黒な口ひげ、三角がたのあごひげ。西洋悪魔の絵とそっくりの顔です。それが、黒いビロードのガウンをきて、ひじかけいすに、ゆったりとこしかけているのです。
「先生がお帰りになるのを待っていました。先生、うまくいきましたよ。ユリ子人形が、金庫の暗号をたちぎきして、盗みだしてくれたのです。それをうけとって、ここへ持ってきました。先生の計略は、みごとにあたりましたね。」
自動車に乗ってきた男が、しゅびよく宝冠を盗みだしたことを、西洋悪魔のような男に報告しているのです。西洋悪魔を、先生、先生とよんでいます。
この西洋悪魔みたいなやつは、神山さんのうちへ、ユリ子人形を売りにきた男ですが、こいつの正体はいったい、何者でしょう。むろん、人形じいさんと関係があるのにちがいありません。もしかしたら、人形じいさんと同じ人かもしれません。魔法つかいのことですから、どんな顔にでもばけられるのでしょう。
「うん、あのユリ子は、なかなか知恵がはたらくからね。きっと、うまくやってくれると思っていたよ。……では、その宝物を、見せてもらおうか。」
先生とよばれた西洋悪魔が、いかにもうれしそうな顔でいいました。
男はすぐに、テーブルの上においてあった、白いふろしきをほどきます。中から四角い皮ばりの箱が出てきました。男は、その箱のふたに両手をかけて、うやうやしく持ちあげましたが、持ちあげたかとおもうと、「あっ!」という叫び声が聞こえてきました。西洋悪魔と、部下の男とが、一度に叫んだのです。
箱の中は、からっぽだったのです。「ほのおの宝冠」は、かげもかたちもありません。そして、宝冠のかわりに、ビロードの台座の上に、一枚の紙がおいてありました。
西洋悪魔は、いそいで、その紙をとって読んでいます。読むにしたがって、かれの顔が、まっかになってきました。さかだっているまゆが、いっそうさかだち、ほそい目が、リンのようにかがやき、赤いくちびるをひきしめて、ぎりぎりと、歯がみをしているのです。
マユミさんは、その紙にかいてある文章を、ちゃんと知っていました。
それは、
きみは、ユリ子人形をつかって、うまくやったと思っているだろうが、上には上があるのだ。宝冠は、たしかにかえしてもらったよ。どうして宝冠を、箱の中から、ぬき出したかわかるかね。ユリ子人形は、たしかに、宝冠のはいった箱を盗みだした。それなのに、いつのまにか、宝冠が消えてしまったのだ。
お気のどくさま!
と、いうのです。なぜそれをしっていたかといいますと、じつは、この文章は、マユミさんが、じぶんで書いたからです。
マユミさんは、宝冠が盗まれそうだとわかったとき、神山進一君から、箱の色や大きさをきいて、にたような箱を手にいれ、その中へこの手紙をいれて、ちゃんと用意しておいたのです。ほんものと同じように、白いふろしきでつつむことも、わすれませんでした。
その白いふろしきづつみを持って、自動車のトランクにかくれ、男が、ほんもののつつみを西洋館の入口の石段において、かぎを、ガチャガチャやっているすきに、そっと、ほんものとにせものとを取りかえて、逃げだしたのです。そして、宝冠のつつみを、近くのお友だちの家にあずけておいて、また、西洋館へひきかえしたというわけでした。
マユミさんは、じぶんのトリックがうまくいったので、うれしくてたまりません。夢中になって窓の中をのぞいていました。それが、ゆだんでした。すこしも気のつかないまに、マユミさんのまわりには、恐ろしい怪物がおしよせていたのです。
窓をのぞいていたマユミさんは、ふと、じぶんのうしろに、なにかうごめくけはいを感じました。あれはてた庭の草むらが、さやさやと、かすかな音をたてているのです。
マユミさんは、ゾーッとしました。ふりむくのがこわいのです。ポケット小僧ではありません。あの子が、こんな音をたてるはずはないのです。なんだか、大きなヘビが、草むらをわけて、はいよってくるような感じなのです。
しかし、いくら恐ろしくても、このままじっとしていたら、どんなひどいめにあうかもしれません。思いきってうしろを見るほかはないのです。
マユミさんは、そう決心すると、パッと、うしろをむきました。
まっ暗です。まっ暗な中に、なにやら大きなものが、もやもやと、うごめいています。
いままで、ろうそくの火を見ていたので、やみに目がなれていません。しかし、それがだんだんなれてきました。すると、そこにうごめいているものが、ぼんやりと、見わけられるようになったのです。
マユミさんは、心臓がとまってしまうような気がしました。そこには、どんなおばけや幽霊よりも、もっと恐ろしいやつが、ヌーッと、たちはだかっていたからです。
そいつは、ふつうの人間の倍もあるようなからだで、ごつごつした岩のような、かっこうをしていました。ぜんたいに、鉄のような黒い色で、頭が、おそろしくでっかくて、四角ばっているのです。
ふたつのまんまるい目が、まっかに光っていました。口は大きくて、のこぎりのような歯が見えています。四角ばった手足が、まるで鉄の板でできているようで、それが、ちょうつがいで動くみたいに、ぎくしゃくと、歩いてくるのです。
マユミさんは、これは人造人間にちがいないと思いました。そいつが、やみの空をうしろにして、ヌーッと、つったっているありさまは、なんともいえない気味のわるさでした。命のない作りものだと思うと、いっそう恐ろしいのです。
ポケット小僧はどうしたのかと、キョロキョロと、そのへんを見まわしましたが、どこにも姿が見えません。いったい、どこへいったのでしょう。あんなチンピラでも、こういうときに、そばにいてくれれば、いくらか、こころづよいでしょうに!
やっぱり人形です。命がなくて動く人形です。人形じいさんも、こんどの西洋悪魔も、人形づくりの名人です。むすめ人形が動いたのは、トリックでした。しかし、ここには、機械じかけで動くロボットがいるのです。恐ろしい人造人間がいるのです。
しかも、それがひとつだけではありません。やみの中から黒い鉄の大入道が、つぎからつぎと、あらわれてくるではありませんか。同じかたちのロボットです。目には電灯がしかけてあるのでしょう。みんな、まっかな目を光らせています。赤いネオンのような色です。それが、またたきでもするように、パッ、パッと、ついたり消えたりしているのです。
ロボットは、みんなで五つでした。でも、マユミさんには、それが二倍にも三倍にも感じとられたのです。
みなさん、想像してごらんなさい。まっ暗やみの庭に、人間の倍もあるような大きな鉄の機械人間が、五つもあらわれて、まっかな目をパチパチやりながら、ちょうつがいの足で、のっし、のっし近づいてきたら、その恐ろしさはどんなでしょう。たいていの人なら、きっと気をうしなってしまうにちがいありません。
ロボットたちは、ギリ、ギリ、ギリという、歯車の音をたてて、もう目の前に近づいてきました。
マユミさんは、逃げようとしました。ロボットとロボットのあいだをくぐって、逃げようとしました。
しかし、どうしても逃げられないのです。ロボットは、まるで人間のように、マユミさんの逃げるほうへ、足をあげたり、手を出したりして、じゃまをするのです。鉄の手はおそろしい力で、はねのけることなど思いもよりません。
「助けてえ……。」
マユミさんは、とうとう、悲鳴をあげてしまいました。そして、西洋悪魔のいる窓のそばへ逃げもどりました。西洋悪魔でもなんでも、ロボットよりは、ましだと思ったのです。
その窓は、いつのまにか、まっ暗になっていました。ろうそくを消してしまったのでしょう。
がらがらっと、ガラス戸の開く音がしました。そして、まっ暗な部屋の中から、ニューッと、二本の手が出てきたかとおもうと、やにわに、マユミさんの両腕をつかんで、かるがるとつりあげ、あっというまに、部屋の中へ、ひきいれてしまいました。
西洋悪魔か、あの部下の男か、どちらかです。しかし、どちらにしても、あいては人間です。マユミさんは、恐ろしい人造人間にとりかこまれているよりは、どんなにましだかしれないと、思いました。
「きさまは、何者だっ。」
やみの中から、ふとい声がきこえました。西洋悪魔の声です。マユミさんは、部屋の床にころがされたまま、だまっていました。すると、こんどは部下の男の声で、
「先生、ひょっとしたら、こいつが、くせものかもしれませんよ。どうもおかしいことがあるんです。あっしはさっき、玄関のドアをあけるのに、ちょっとてまどった。そのあいだ、ふろしきづつみを石段の上においといたのです。
そのすきに、なかみをぬかれたか、それとも、べつの箱のつつみと、すりかえられたかしたにちがいない。いま思いだしてみると、そのときから、ふろしきづつみが、いやに軽くなったのです。ああ、そうだ。そうにちがいない。
先生、こいつは、敵のまわしものですぜ。まさか、明智小五郎じゃあるまいが、明智の手下にちがいない。ぶちのめして、どろをはかせましょうか。」
男は、やっと、そこへ気がついたようです。
「いや、おれに、まかせておけ。おれは、ちょっと、こころあたりもある。もし、こいつが明智の手下だとすると、だいじな人じちだよ。ひとつ、明智先生へのおみやげに、こいつにおれの魔力を見せてやろう。ウフフフフ……。」
西洋悪魔は、ぶきみな声で、さもおかしそうに笑うのでした。
「おい、きみは何者だ。男の服をきているが、どうも女らしいね。ああ、わかったぞ。明智探偵の助手に、マユミという少女がいると聞いたが、きみはそのマユミだろう。宝冠のつつみをすりかえたのもきみにちがいない。え、そうだろう? さあ、はくじょうしたまえ。」
西洋悪魔が、恐ろしい顔になって、せめたてるのです。
マユミさんは、どう答えたらいいのかわからないので、だまって、あいてをにらみつけていました。
「答えられないかね。それじゃ、おれのいったことが、あたっていたんだね。きみの顔に、そう書いてあるよ。ウフフフフ……まあいい。せっかくきてくれたんだから、おもしろいものを見せてあげよう。きみのびっくりするようなものだよ。そして、まあ、とうぶんここに、滞在するんだね。え、わかったかね。きみはもう一生、明智探偵のところへは帰れないのだよ。」
ことばはおだやかですが、じつに恐ろしいいみがこもっていました。西洋悪魔は、マユミさんを、いつまでも、この家にとりこにしておくつもりなのです。
「さあ、こっちへきたまえ。おもしろいものを見せてやる。おれは美術家だからね。人形も作るし、そのほか、いろいろなものを作る。そして、おれの作ったものには、みんな、たましいがはいって動きだすのだ。さっきのロボットも、やっぱり、おれが作ったものだよ。」
西洋悪魔は、そういって、マユミさんの手首を、ギュッとにぎりました。まるで鉄でしめつけられるような恐ろしい力です。ふりほどくことなど思いもよりません。
ぐんぐんひっぱられるままに、マユミさんは立ちあがって、そのあとからついていきました。
ドアの外の廊下に出て、むこうがわのドアから、べつの部屋にはいりました。
「しばらく、ここに待っていたまえ。いまにきみを、いいところへ案内してやるからね。」
西洋悪魔はそういって、ピシャンと、ドアを閉めると外からかぎをかけて、どこかへいってしまいました。
マユミさんは、ドアのそばに立って、部屋の中を見まわしました。なんのかざりもない、がらんとした部屋です。まん中に大きなテーブルが、ひとつおいてあるばかりです。そのテーブルのむこうに、ひとりの男がいすにかけていました。
みょうな男です。まっかな背広をきて、恐ろしくでっかい、みどり色のちょうネクタイをしています。頭の毛は、西洋人のように茶色で、ふさふさして、顔は、あぶらでもぬったように、てらてらと光っています。そして、茶色のモジャモジャしたまゆげの下に、まんまるな目が、じっと、こちらを見ているのです。
気味のわるいことに、その目が、こちらを見たまま、すこしも動きません。まばたきもしないのです。いや、目ばかりではなく、からだぜんたいが、まるでミイラのように、ちっとも動かないのです。
マユミさんは、なんだかゾーッとして、逃げだしたくなりました。しかし、逃げるところがありません。たった一つのドアに、さっき、西洋悪魔が、かぎをかけていってしまったからです。
「きみ、こちらへきたまえ。」
子どものような、かんだかい声が聞こえました。テーブルの男がいったのでしょう。しかし、口はすこしも動きません。目も動きません。
まるで腹話術でもやっているような感じです。
マユミさんが、へんじもしないでつったっていますと、その男は、また、同じことをくりかえしました。
「きみ、こちらへきたまえ。」
それを聞くと、マユミさんは、なんだか、大きなじしゃくに引きよせられるような気がしました。歩きたくないと思っても、しぜんに、足が前に出るのです。
そして、テーブルのほうへ、三足ほど進みますと、
「えへへへへ……。」と、なんともいえない、へんてこな笑い声が聞こえました。テーブルの男が、目も口も動かさないで笑ったのです。その笑い声がまだおわらないうちに、恐ろしいことがおこりました。
マユミさんの立っている足の下の床が、なくなってしまったのです。
マユミさんは、一瞬、からだが宙に浮いたかとおもうと、スーッと、深い深い谷そこへ落ちこんでいくような気がしました。そして、どしんと、しりもちをつきました。
マユミさんの歩いていた床板が、落とし穴になっていて、そのふたが、開いたのです。それで、からだが、宙に浮くような気がしたのです。その下に、すべり台のようなものがついていて、マユミさんはその上をすべって、地下室に落ちたのでした。
上の部屋のテーブルのむこうにいた気味のわるい男は、西洋悪魔が作った人形で、あの声は、テープレコーダーの声だったかもしれません。人形は、「こちらへきたまえ。」といって、マユミさんを、落とし穴の上まで、歩かせるだけの役目だったのでしょう。
地下室は、ひどくうす暗くて、目がなれるまでは、なにがなんだかよくわかりませんでしたが、やがて、ぼんやりと、あたりが見わけられるようになりました。
そこは、森のようなところでした。家の中に森があるなんてへんですが、大きな木が立ちならんでいるのですから、森にちがいありません。写真で見た南洋のジャングルのような、ものすごい森です。
マユミさんは、夢を見ているのではないかと思いました。地下室に森があるなんて、ふつうには考えられないことです。
ジャングルには、見たこともないような、みょうな木がしげっています。枝ではなくて、ふといつるがむやみにのびて、おたがいに巻きつきあっているのです。木の葉は、みんな恐ろしく大きく、まっさおな巨人のうちわのような形や、ふつうのシダを千倍にしたような形のものなどが、ウジャウジャと、かさなりあっているのです。
そんな、おばけのような木の葉のしげったむこうに、チラッと、まっかなものが見えました。その色が、あんまりあざやかなので、火が燃えているのではないかと思ったほどです。
マユミさんは、あっけにとられてしまいました。そして、とりこになったこともわすれて、そのジャングルの中を、見てまわりたいような気持になりました。
そこで、しりもちをついたおしりをさすりながら、おずおずと、ジャングルの中へはいっていきました。
ヘビのようにもつれている、つるのような木の枝や、巨大な木の葉のあいだを、くぐって歩いていきますと、さっきの、まっかなもののそばにきました。
それは、びっくりするほど巨大な赤い花でした。ユリの花を千倍にしたような形です。それを見ると、マユミさんは、じぶんが十センチぐらいのこびとになったような気がしました。その巨大な花を、ふつうのユリの花とすれば、マユミさんは、チョウくらいの大きさなのです。
ふと気がつくと、背中のほうで、ごそごそ動いているものがありました。なんだか人間の手のようです。ギョッとしてふりむくと、ふとさ五センチもあるような長いつるが、ヘビのように、マユミさんに巻きつこうとしているのです。
びっくりして逃げようとしましたが、そのつるは、まるで生きもののように、とっさにパッとのびて、あっというまに、マユミさんのおなかを、ひと巻きしてしまいました。
恐ろしい力です。一度巻きつけば、もうはなすものではありません。つるは、ぜんまいのように、くるくると、木のみきのほうへちぢんでいって、あっというまに、マユミさんを、空中につりあげてしまいました。
マユミさんは、手足をばたばたやって、のがれようとしましたが、ぐんぐん、上につりあげられるばかりです。
マユミさんは、いつか本で読んだことがあります。南洋のジャングルの中には、恐ろしい木があって、つるで人間を巻きこんで、たべてしまうというのです。人をくう木です。
これはきっと、その、人をくう木にちがいないと思いました。
「助けてえ……。」
マユミさんは、空中でもがきながら、悲鳴をあげました。すると、
「えへへへへへ……。」
と、ジャングルにひびきわたる、恐ろしい笑い声がおこりました。おばけの木が笑ったのでしょうか。その木は、ふたかかえもあるふといみきで、その上のほうに、なんだか、人間の顔みたいなものがありました。木のみきのしわが、目や、鼻や、口に見えるのです。
あの口が、ガッとひらいて、いまにも、くわれてしまうのではないかと、生きたここちもありません。
「えへへへへ……。まあ、ゆるしてやるよ。この森には、まだ、いろいろとおもしろいものがあるから、ゆっくり、見物するがいい。」
そんな声がしたかと思うと、木のつるがずっと下にさがって、マユミさんを地面におろし、巻きついていたのが、くるくると、はなれてしまいました。
マユミさんは、しばらくのあいだ、そこにたおれたまま、ぐったりとしていましたが、ふと気がつくと、むこうのしげみのあいだで、なにか、ちろちろと動いているものが見えました。
なんだか、青黒い、ぬめぬめしたやつです。そいつが、大きなシダのような葉をかきわけて、ヌーッと、こちらへ出てきました。
マユミさんは、大きなにしきヘビではないかと、ギョッとしましたが、ヘビではありません。足があるからです。
ああ、ワニです。ヘビよりも恐ろしい、人くいワニです。
でも、青黒いからだのワニなんて、あるでしょうか。
そいつが、はんぶんばかり姿をあらわしました。形は、ワニとそっくりです。とび出した二つの大きな目、とんがった口を、ぱくぱくと開くたびに、赤黒い長いしたが、ちろちろと、ほのおのようにとび出します。
ああ、わかった。トカゲです。ふつうのトカゲの、何千倍もあるような、おばけトカゲです。からだが、ぬめぬめと光っていて、チョロッ、チョロッと歩くところが、トカゲそっくりなのです。
ヘビほどこわくはないけれど、こんな大きなトカゲなら、人間をくってしまうかもしれません。
マユミさんは、逃げたいのをがまんして、じっとしていました。身動きしたら、パッと、とびかかってくるだろうと思ったからです。
大トカゲは、チョロチョロとはい出してきました。そして、マユミさんのそばまでくると、首をもたげて、じろりと、こちらの顔を見ました。そして大きな口を、ガッと開き、あの赤黒いほのおのようなしたを、ぺろぺろと出して、いまにもマユミさんの顔をなめそうにするのです。
マユミさんは、からだがしびれたようになって、動くことも、どうすることもできません。声さえ出ないのです。
大トカゲは、マユミさんのまわりを、ぐるぐるまわりはじめました。えものを見つけたうれしさに、おどりまわっているようなかっこうです。
しかし、ほんとうは、そうでないことがわかりました。大トカゲも、なにかを恐れて逃げてきたのです。
「ねえさん、用心するがいいよ。いまにジャングルの王さまがやってくるからね。おれは、あいつがこわいのだよ。まっぷたつにひきさかれてしまうからね。ねえさん、おれのみかたになって、助けておくれよ。」
大トカゲは、マユミさんのまわりをぐるぐるまわりながら、子どものようなきいきい声で、そんなことをいいました。
このジャングルでは、木がものをいったり、トカゲがものをいったりするのです。西洋悪魔が魔法の力でこしらえたジャングルですから、なにからなにまで、ふしぎなことばかりです。
マユミさんは、大トカゲが、あんがい弱虫なので、すこし安心しましたが、ジャングルの王さまとは、いったい何者でしょう。どんな恐ろしいやつがあらわれてくるのかと、こんどはそれが心配になってきました。
「そらっ、きたきた。ジャングルの王さまがやってきた。ねえさん、用心するがいいぜ。」
大トカゲが、また、きいきい声でいいました。
すると、むこうの木のしげみが、がさがさと動いて、そこから、人間の倍もある大きな手が、ヌーッとあらわれました。茶色の毛におおわれていて、てのひらは、まっ黒です。
やがて、もう一本の手があらわれ、両手で木の葉をかきわけながら、恐ろしい顔を、のぞかせました。
顔も茶色の毛でおおわれ、その中に、ギロリとした目が光っています。ひらべったい鼻、黄色い歯をむきだした、耳までさけた口。ああ、ゴリラです。このジャングルには、ゴリラがすんでいたのです。
巨大なゴリラは、もう全身をあらわし、ふといみじかい足で、よたよたと、こちらへ近づいてきます。
そのものすごいかっこうを見ると、マユミさんは、もうがまんができません。
「キャーッ!」
と、悲鳴をあげて、逃げだそうとしました。
そのとき、ゴリラの口から、「グルルルル……。」というような恐ろしい声がひびき、パッと、こちらへとびかかってきたではありませんか。
マユミさんは、いまにもつかみ殺されるのかと、おもわず、地面に身をふせましたが、ゴリラがとびかかったのは、マユミさんではなくて、大トカゲでした。
「キューン! 助けてくれえ……。」
大トカゲのきいきい声が、ひびきわたりました。
ゴリラは、大トカゲにとびつくと、いきなり、毛むくじゃらの両手を、上あごと下あごにかけ、「グルルル……。」とうなって、大トカゲの首を持ちあげました。
つぎの瞬間には、じつに恐ろしいことがおこったのです。ゴリラは大トカゲの口を、両手で、グーッと開いたかとおもうと、そのままめりめりと、しっぽのほうまで、まっぷたつにひきさいてしまったのです。
ところが、ふしぎなことに、大トカゲは、ひきさかれても、血が出ないのです。そして腹の中には、はらわたでなくて、大きいのや、小さいのや、たくさんの歯車が、ウジャウジャとはいっていました。
まっぷたつにひきさかれると、その歯車が、ジャラジャラと音をたてて、地面にこぼれ落ちたではありませんか。
この大トカゲも、生きているのではなくて、歯車のしかけで動く作りものでした。西洋悪魔は、人形だけでなく、動物までこしらえる、ふしぎなうでを持っていたのです。大トカゲが、きいきい声でしゃべったのも、きっと、テープレコーダーのしかけでしょう。
ゴリラは、大トカゲの腹の中から、歯車がこぼれ落ちたのを見ると、いきなり両手で、それをかきまわしました。すると、歯車のあいだから、レコードのテープらしいものが、クシャクシャにもつれて、あらわれたのです。
ゴリラは、大トカゲのしがいを、めちゃめちゃにふみつぶしてしまうと、こんどは、そこに、ぼんやりとつっ立っていたマユミさんのほうに、恐ろしい顔をむけました。
マユミさんは、もう生きたここちもありません。いまにとびかかってきて、さっきの大トカゲのように、まっぷたつにひきさかれるのかと思うと、いまにも気がとおくなりそうでした。
ゴリラは、黄色い歯をむきだして、にやにやと笑いました。いや、笑ったのではないのでしょうが、そんなふうに見えたのです。そして、毛むくじゃらの両手を、ニューッとのばして、マユミさんをつかまえようとしました。
そのときです。ピューッと、むこうのまっ黒な空から、恐ろしい風がふいてきました。立ちならぶ大きな木の枝やつるが、魔女の髪の毛のように、いっぽうへなびきました。
サーッという音が聞こえました。なにか恐ろしく大きなものが、空からふってきたのです。
あんまり大きいので、はじめはなんだかわかりませんでしたが、それは、一羽の巨大なワシでした。かたほうが二メートルもあるような、大きな羽をひろげて、風をきって、舞いおりてきたのです。ゴリラは、マユミさんから目をはなして、ギョッとしたように、空を見あげました。大ワシのほうでも、人間のマユミさんなんかには目もくれません。まっしぐらにゴリラをめがけて、つっかかってきたのです。
そこで、ジャングルの王さまと、空の王さまとの、ものすごいたたかいがはじまりました。
大ワシは、その大きなするどいくちばしで、ゴリラののどをめがけて、とびかかってきます。ゴリラは「ウオーッ。」とうなって、両手で、大ワシの首をつかもうとします。しかし、大ワシにも、二本のたくましい足があります。その指のするどい爪が、ゴリラの肩や胸にくいいるのです。
ワシが、大きな羽をばたばたやると、飛行機のプロペラのような風がおこり、マユミさんは吹きとばされそうになりました。あたりの木の枝も、ざわざわとゆれ、小さい草などは根もとからおれて、ほこりのようにとびちるのです。
あっ! ゴリラがたおれました。大ワシは巨大な羽でゴリラをつつむようにして、くちばしで、あいてののどをせめています。
ゴリラはやられてしまったのでしょうか。どうしてどうして、ジャングルの王さまは、そんな弱虫でありません。
「ガアアッ、ウオオッ……!」
という、恐ろしいうなり声がひびきわたりました。そして、ふとい毛むくじゃらの二本のうでで、大ワシの首を、ぐいぐいと、じぶんの胸にしめつけています。そのたびに、大ワシのくちばしが、じぶんののどにくいいるのですが、そんなことには、びくともしません。ゴリラの首は、あつい毛皮に松ヤニをぬり、そこへ砂をぬって、鉄のようにかたくなっています。さすがの大ワシも、このかたいのどを、くいやぶることができません。
「グルルルン、ゲゲゲゲゲ……。」
みょうな音がひびきました。大ワシが首をしめられて、悲鳴をあげたのです。
大ワシは、もうあいてをせめる力もなく、苦しまぎれに大きな羽を、ばたばたとはばたくばかりです。そのはばたきも、だんだん、おとろえていきました。
くるっと、ゴリラが上になりました。そして、その巨大な重いからだで大ワシを下じきにして、おしつぶそうとしています。両手は、あいてののどをしめつけたまま、すこしもゆるめません。
とうとう、大ワシは動かなくなってしまいました。ゴリラは、首をしめていた手をはなして、こんどは大ワシの羽をねじちぎり、腹をひきさきました。
すると、ああ、これはどうしたことでしょう。大ワシのはらの中からは、またしても、かぞえきれないほどの大小の歯車が、ジャラジャラとこぼれ出したではありませんか。
この大ワシも、西洋悪魔がこしらえた作りものだったのです。
マユミさんは、それを見て、ホッと安心しました。大トカゲも、大ワシも、作りものだったとすると、ヒョッとしたら、ゴリラも、歯車で動く作りものかもしれないと思ったからです。
でも、あの恐ろしい目でにらまれ、黄色い歯をむき出されると、やっぱり気がとおくなるほどこわいのです。
マユミさんは、逃げだしたいと思いました。いまなら逃げられると思いました。しかし、逃げようとしても、足がたちません。からだじゅうがしびれたようになって、そこにうずくまったまま、どうすることもできないのでした。
ゴリラは、勝ちほこったように立ちあがって、「ウオーッ、ウオーッ。」と、うなり声をたて、両手でじぶんの腹を、ボーン、ボーンとたたくのでした。かちどきをあげているのです。
すると、それがあいずだったのか、ジャングルの奥のほうから、「きい、きい。」と叫び声をたてながら、たくさんのサルが出てきました。
一ぴき、二ひき、三びき……、八ひき。みんなで八ひきです。顔とおしりのまっかな、ふつうのサルどもです。ゴリラは人間のおとなよりも、ずっと大きいのですが、いま出てきたサルどもは、人間のこどもくらいのからだです。みんなジャングルの王さまのけらいなのでしょう。ゴリラのまわりをとりかこんで、うやうやしく王さまを見あげながら、一ぴきずつ、そこへうずくまるのでした。
ゴリラは、それに答えるように、もう一度、「ウオーッ。」とうなってから、マユミさんのほうをふりむきました。そして、こんどはおまえの番だぞ、といわぬばかりに、のっし、のっしと、こちらへやってくるではありませんか。
「キャーッ! たすけてえっ……。」
マユミさんは、からだがしびれているので、逃げることはできませんから、ありったけの声をふりしぼって、叫ぶばかりです。
ゴリラの巨大な毛むくじゃらのからだが、一メートルまで近づきました。
もうだめです。いまに、首をしめられるか、両足を持って、まっぷたつにひきさかれるかと思うと、マユミさんは、頭から、スーッと血がひいたようになって、なにも見えなくなってしまいました。気をうしなったのです。
ところが、そのとき、なんともわけがわからないことが起こりました。
「ウオーッ!」
ゴリラが、おこったようなうなり声をたてました。けらいのサルたちが、ゴリラの足にからみついてきたからです。一本の足に、三びきずつのサルがかさなりあって、とりついているのです。
ゴリラは、足でけちらそうとしましたが、小さいサルでも、六ぴきの力にはかないません。あっというまに、ゴリラはそこへころがってしまいました。
「きい、きい、きい、きい……。」
サルどもは、よろこびの叫び声をたてて、ゴリラのからだの上へ、かさなりあっていきました。ゴリラは、四本の手足をめったむしょうに動かして、はらいのけようとしますが、逃げてはあつまり、逃げてはあつまり、執念ぶかくせめてくるので、どうすることもできません。
「ガアアッ、ウオーッ……。」と、恐ろしい声で、ほえるばかりです。
マユミさんは、ふと気がつくと、一ぴきのサルに、だき起こされていました。その毛むくじゃらのからだにさわったので、ギョッとして悲鳴をあげようとしましたが、そのとき、人間のことばが耳のそばで聞こえました。
「だいじょうぶですよ。ぼく小林です。いまに、あいつの秘密をあばいてやるから、見ていらっしゃい。」
マユミさんは、夢ではないかと思いました。じぶんを助け起こしてくれたサルが、人間のことばをしゃべっているからです。
「わかりますか。ぼく小林ですよ。」
そんなこといわれたって、わかるはずがありません。あいてはサルです。サルが小林だなんて、さっぱりわけがわかりません。しかしその声には、聞きおぼえがありました。明智探偵の助手としては、マユミさんよりせんぱいの、小林少年の声です。
「あなた小林芳雄さんなの。」
マユミさんは、かすかな声でたずねました。
「そうですよ。マユミさんを助けにきたのです。いまに、明智先生や中村警部もここへやってきますよ。」
「それじゃあ、あの西洋悪魔は。」
「あれをごらんなさい。ほら、あすこにいますよ。」
マユミさんは、キョロキョロとあたりを見まわしました。
あの恐ろしいゴリラは、おおぜいのサルに、ひどいめにあっています。サルどもは、よってたかって、ゴリラの頭を、スポッとぬきとってしまいました。ぬきとったといっても、首ではありません。ゴリラの仮面をぬがせたのです。あのゴリラの中には、人間がはいっていたのです。ゴリラの頭の部分をぬきとってしまうと、その下から人間の顔があらわれました。
あっ、西洋悪魔です。黒い髪の毛をまん中からわけて、ぴんとはねた口ひげと、あごひげをはやした、あの西洋悪魔が、ゴリラの毛皮をかぶってばけていたのです。
ばけのかわをはがされたので、もうしかたがないと思ったのか、西洋悪魔は、着ていたゴリラの毛皮もぬぎすててしまい、ぴったり身についた黒いシャツとズボンの姿になって、すっくとそこに立ちあがりました。
「やいっ、きさまたち、気でもちがったのかっ。手下のくせにおれを、こんなめにあわせるとは、なにごとだっ。」
恐ろしい声で、どなりつけるのです。すると、一ぴきのサルが、人間のこどもの声で答えました。
「おれたち、おまえの手下じゃないよ。おまえの手下は、むこうの部屋に、みんなしばりあげてあるのさ。」
「えっ、なんだって? それじゃあ、きさまたちはいったい何者だ。」
「少年探偵団と、チンピラ別働隊だよ。おらあ別働隊のほうさ。だが、団長もいるよ。ほらマユミさんのそばにいる、あの大きいサルが小林団長だよ。」
ああ、これはどうしたことでしょう。小林団長のひきいる少年探偵団とチンピラ隊とが、いつのまにか地底のジャングルへしのびこんでいたのです。
あとになってわかったのですが、このてがらをたてたのは、マユミさんが、ロボットにせめられているとき、どこかへいなくなってしまったポケット小僧でした。ポケット小僧は、やはりチンピラ別働隊のひとりで、ポケットへはいるほど、からだが小さいというので、そんなあだなをつけられていたのです。
からだは小さいけれども、たいへんすばしっこい子どもで、マユミさんがあぶないと見ると、すぐに町へとび出していって、小林団長に電話をかけて、西洋悪魔のすみかをしらせ、それから、じぶんはこの家にとってかえして窓からしのびこみ、からだの小さいのをさいわいに、だれにも知られないように、家じゅうを歩きまわって、地底のジャングルの秘密もしらべてしまったのです。
地底のジャングルは、むろん、西洋悪魔がつくったこしらえもので、その奥に楽屋のような部屋があり、そこに八人の少年がサルの毛皮をきて、ゴリラ大王のけらいになって、ジャングルへ出ていくということも、すっかりわかってしまったのです。
電話を聞いた小林団長は、すぐにそのことを明智探偵に知らせ、じぶんは、近くの少年探偵団員五人と、チンピラ隊五人を呼びあつめ、自動車でこの家へかけつけました。そして、ポケット小僧とうちあわせたうえ、楽屋へとびこんでいって、八人の少年をしばりあげ、声を出さないようにさるぐつわまではめたのです。それから、団員とチンピラ隊から八人の少年をえらんで、サルの毛皮を着せ、ゴリラのけらいになりすまして、ジャングルの中へあらわれたというわけでした。ゴリラが、ふいをうたれておどろいたのも、むりはありません。
八ぴきのサルは、つぎつぎと毛皮をぬいで、正体をあらわしました。白シャツに下着だけの少年たちや、ボロボロのセーターをきたチンピラどもです。奥のほうから、サルにならなかった、ふたりの学生服の少年も出てきました。
小林少年も毛皮をぬいで、シャツ一まいの姿をあらわしました。そして、マユミさんの手をとって、にこにこしながら、西洋悪魔の顔をながめるのでした。
西洋悪魔は、にくにくしげに少年たちの顔を見まわしていましたが、とつぜん、おかしくてたまらないというように笑いだしました。
「ワハハハハハ……。小林君、なかなかあじなことをやるね。ワハハハハ……、だが、おれが、きみたちみたいなこどもに負けると思っているのかね。おれは、魔法つかいだぜ。このうちには、きみたちの思いもつかない恐ろしいしかけがある。いまに、泣きべそをかかないように、用心するがいいぜ。ワハハハハハ……。」
西洋悪魔は、笑いながら、五─六歩右へよったかとおもうと、地面のある場所を、足でグッとふみつけました。すると、みんなの目の前が、パッとまっかになって、バン、バン、バン、バンと、恐ろしい音がとどろきました。
赤い火の棒が、てんじょうに吹きあがって、それが、美しい金色の粉になって、地面に落ちてくるのです。
花火です。どこかのボタンを足でふむと、花火があがるようなしかけがしてあったのです。
みんなが、金色の花火に見とれていますと、その花火の音があいずだったのでしょう。ジャングルの木のみきのむこうから、ひとり、ふたり、三人、四人、五人、まっ黒なシャツとズボンの、西洋悪魔と同じような姿の男が、魔物のようにあらわれてきました。
「ワハハハハ……。おれのほんとうのけらいがやってきたぞ。さあおまえたち、このチンピラどもをかたっぱしからひっくくってしまえ。あのむすめも、逃がすんじゃないぞ。」
西洋悪魔が、勝ちほこったようにどなりました。
こちらはこどもが十人、あいては西洋悪魔をいれて六人です。とてもかないません。逃げようにも、黒シャツの男たちは四方からあらわれたので、逃げるにすきがありません。
男たちは、にやにや笑いながら、両手をひろげて近づいてきます。ひとりの少年が、たちまちつかまって、「ワーッ。」と、悲鳴をあげました。
そのとき、へんなことが起こりました。ジャングルの木のみきのうしろから、またしても黒いかげが、ボーッとあらわれてきたのです。
おやっ! こんどは、ぼうしをかぶって、制服をきています。おまわりさんの制服です。ひとり、ふたり、三人……七人です。それが、つぎつぎとあらわれて、黒シャツの男たちのうしろへ近づいてくるではありませんか。
「あっ! 中村さん。」
小林少年が思わず叫びました。それは警視庁の中村警部だったのです。ほかの六人は、その部下の警官たちです。
「おお、小林君、この子どもの案内でやってきたよ。」
中村警部はそういって、うしろにいた小さい少年を、前におし出しました。
「あっ、ポケット小僧!」
「小林さん、よかったねえ、もうだいじょうぶだよ。明智先生も、いまにここへくるよ。」
ポケット小僧が、おどるようなかっこうをして叫ぶのでした。
警官たちは、いきなり黒シャツの男たちにとびかかっていき、あちこちで、恐ろしいとっ組みあいがはじまりました。
西洋悪魔は、身をかわしながら逃げまわっていましたが、またしても、大声で笑いだしたではありませんか。
「ワハハハハハ……。なに、明智がきたって? そいつはゆかいだ。この家に、どんなしかけがあるかも知らないで……。」
ひとりの警官が、西洋悪魔にとびついていきました。
「おっとどっこい、きさまたちの手にあうおれじゃない。いまに、ほえづらかくなよ。」
パッととびのいて、木のかげに走りこんだかと思うと、カチッと音がして、とつぜん、ジャングルの中がまっ暗になってしまいました。電灯のスイッチをきったのです。
しかし警官たちは、こういうときの用意に、みんな懐中電灯を持っていました。あちらでもこちらでも、パッ、パッと懐中電灯が光り、その光線が空間をとびまわるのでした。
「ワハハハハ……。ここまでおいて、ほら、ここだよ。ワハハハハハ……。だが、用心するがいいぜ。この家には、いろんなしかけがあるんだからね。恐ろしい番人がかってあるんだからね。ワハハハ……。ほら、ここだよ、ここだよ。」
西洋悪魔は、じぶんのいるところをおしえるように、パンパンと、手をたたきました。そして、その音が、だんだんむこうのほうへ遠ざかっていくのです。
あいつはいま、「番人がかってある。」といいました。「かってある。」というからには、それは人間でなく、なにか恐ろしい動物なのかもしれません。この地底の暗やみには、ゴリラや大トカゲや大ワシのほかに、まだ動物がかくれているのでしょうか。
警官たちは、てんでに、懐中電灯を照らしながら、手の音のするほうへと、つきすすんでいきました。
ジャングルの大きな木のみきのあいだをとおりすぎると、むこうに、まっ黒なほら穴の入口があります。そこへ西洋悪魔がかけこんでいくのが、懐中電灯の光で、チラッと見えました。
「あっ、あすこにほら穴がある。いま、あいつが逃げこんだぞ。みんなあの穴へとびこむんだ!」
中村警部が、大きな声で命令しました。ふたりの勇敢な警官が、その穴へかけこんでいきます。
ふたつ角をまがると、懐中電灯の光のなかに、西洋悪魔がこちらをむいて、たちはだかっているのが見えました。そして、にやにや笑いながら、手まねきをしているではありませんか。
西洋悪魔の部下たちは、まだジャングルの中で、あとにのこった四人の警官や少年探偵団員たちと、とっ組みあいをしていました。もう、手錠をはめられてしまったかもしれません。
ですから、ほら穴の中の西洋悪魔は、ひとりぼっちです。それなのに、どうしてあんなにおちつきはらっているのでしょう。こちらはふたりの警官と、中村警部と、あとからかけこんできた小林少年とポケット小僧の五人です。いくらなんでも、ひとりぼっちの西洋悪魔が、かなうはずはありません。
あんまりあいてがおちついているので、うすきみわるくなってきました。警官たちも、そこに立ちどまったまま進もうとしないのです。
そのときです。どこからか、「ウオーッ……。」という恐ろしいうなり声が、ひびいてきました。人間ではありません。動物の声です。猛獣のうなり声です。
みんなはギョッとして、声のするほうを見ました。懐中電灯を、そのほうにむけました。
右手にべつのほら穴の口がひらいています。そこが枝道になっていたのです。あのうなり声は、どうやら、その枝道の奥からひびいてきたようです。
「あっ!」
まっさきに立っていた警官が、思わず声をたてました。なにを見たのでしょう? その枝道の穴の中に、なにかいるのでしょうか。
ピカッと光りました。金色のものです。そして、それが、だんだん大きくなってきます。なにものかが、穴の中から、こちらへ出てくるのです。
「ワハハハハ……。おい、用心しろ。番人が出てきたぞっ。いまに、きさまたち、くわれてしまうぞ。」
西洋悪魔は、そんなおどかしをいって、おもしろそうに笑っています。
「あっ、トラだっ!」
小林君が、それに気づいて叫びました。みんなは、たじたじとあとじさりをしました。
穴の中から、ヌーッとあらわれたのは、一ぴきの大きなトラでした。しかも、そいつは金色に光っているのです。黄金のトラです。
「ガア……ウオーッ……。」
黄金の巨大なトラは、穴の外へ全身をあらわして、まっかな口をガッと開くと、また一声うなりました。
「ほら、あのおまわりさんをやっつけろ。あっちがわにいるのは、みんな、おれの敵だ。わかったか。」
西洋悪魔は、大声でトラをけしかけました。トラはそれにしたがって、ヌーッとこちらをむきました。二つの目が、らんらんとかがやいています。
「ウオーッ……。」
するどい牙をむきだして、もう一度うなりました。そして、のそり、のそりと、こちらへ近づいてきます。
警官たちも、小林君も、逃げごしになっていました。ところが、ポケット小僧だけは、へいきです。にやにや笑いながら、もとの場所につっ立っているではありませんか。
「おい、ポケット小僧、あぶないよ。はやく逃げろ!」
小林君が、心配して声をかけますと、小僧は、こちらをふりむいて、いみありげに、また、にやりと笑いました。いったい、これはどうしたわけでしょう?
ところが、そのとき、みょうなことが起こりました。
こちらに近づいていたトラが、ふっと立ちどまったのです。そして、ゆっくりと、まわれ右をしました。西洋悪魔のほうに、むきなおったのです。
「おい、なにをしている。こっちじゃない。そこのおまわりを、やっつけるんだ。」
西洋悪魔はびっくりして、トラをどなりつけました。
しかしトラは、ゆうゆうと西洋悪魔のほうへ近づいていきます。そして、一メートルほどに近よったかと思うと、「ウオーッ……。」とひと声、パッとおどりあがって、いきなり、西洋悪魔にとびかかったではありませんか。
「ギャーッ……。」
西洋悪魔が、恐ろしい叫び声をたててたおれました。
トラは、その上にのしかかって、いまにも、相手ののどへくいつきそうにしています。
「ワハハハハ……。」
どこからか、西洋悪魔のとはちがった、ほがらかな笑い声がひびいてきました。
みんながびっくりして、そのほうをながめます。
トラの出てきたあのほら穴から、だれかの姿があらわれました。
「あっ、明智先生っ!」
小林君が、うれしいおどろきの叫び声をたてました。
それは名探偵明智小五郎でした。いつのまに、こんなところへきていたのでしょう。いつもの黒い背広をきた、すらっとした姿が、そこに立ちはだかっていました。
「ワハハハハ……、赤堀さん、もういいから、皮をぬぎたまえ。」
明智探偵が、わけのわからないことをいいました。赤堀さんとは、いったいだれでしょう。どこにいるのでしょう。
すると、へんなことが起こりました。西洋悪魔の上にのしかかっていたトラが、あと足で立ちあがって、なにかもがもがやっていたかと思うと、おなかが、たてにスーッとさけて、中から、人間のしらが頭が、ニュッと出てきたではありませんか。
ああ、これはいったい、どうしたというのでしょう。
黄金のトラは、ほんとうのトラではなかったのです。トラの毛皮の中に、人間がはいっていたのです。あのうなり声は、毛皮の中に、なにかそんな音を出す笛が、しかけてあったのでしょう。口がひらくのも、ちょうつがいになっていて、中の人間が、口でそれを動かしていたのにちがいありません。
すっかり毛皮をぬいでしまったのは、しらがの老人でした。どこかに、見おぼえがあります。ああ、そうだっ! 赤堀鉄州老人です。小林君が少女にばけて、おばけやしきにのりこみ、よろいびつにかくれていると、外から釘をうちつけてしまった、あのよっぱらいじいさんです。じいさんは、明智探偵の弟子になりたいといっていましたが、いつのまにか、こっそり弟子入りをして、明智探偵の手だすけをするようになっていたのでしょう。
赤堀じいさんは、たおれている西洋悪魔をにらみつけて、どなりはじめました。
「こら、きさま、よもや、おれの顔を、わすれやしまい。きさまは、この赤堀鉄州の名まえをかたって、木の宮運送店にルミちゃん人形を、甲野さんのところへとどけさせただろう。西洋悪魔に姿をかえているが、きさまは、あの人形じいさんにきまっている。わしを焼き殺そうとした、あの人形悪魔だっ。
わしは、そのうらみをはらそうと思って、明智先生に弟子入りした。そして、ここにいるポケット小僧の手びきで、明智先生といっしょに、ここへしのびこんできた。
きさまの計略は、ポケット小僧が、みんなさぐり出していたんだ。だから、きさまの手下がこのトラの毛皮をきて、ここへあらわれるということもちゃんとわかっていた。
そこで、明智先生が先手をうって、この毛皮の中にはいっていたきさまの手下をひっとらえ、しばりあげて穴の奥にころがし、かわりに、わしが毛皮にはいって、ここへあらわれたのだ。
ワハハハハ……、ざまを見ろ。わしは、とうとううらみをはらしたぞ。ああ、わしはせいせいした。こんな気持のいいことはない。ワハハハハ……、やい人形悪魔め、おもいしったかっ。」
赤堀老人はそういって、たおれている西洋悪魔を、思いきり、けりとばすのでした。
これで、ポケット小僧が、へいきな顔をしていたわけがわかりました。明智探偵や赤堀老人を、ここへ案内したのは、ポケット小僧だったのです。
「ちくしょうめ!」
西洋悪魔は、むくむくと起きあがり、恐ろしい顔で、ポケット小僧につかみかかろうとしました。
それを見ると、明智探偵がつかつかと前に出て、西洋悪魔をつきとばしました。
「おい、じたばたしないで、もう、かんねんするがいい。きみの秘密は、なにもかも、みんなわかってしまったのだ。」
西洋悪魔は、ほら穴の壁に背中をくっつけて、明智をにらみかえしながら、
「なに、おれの秘密だと。ワハハハハ……、きさまに、それがみんなわかってたまるものか。おれのほうには、奥の手があるんだぞっ。」
「その奥の手も、わかっている。もう運のつきだと思うがいい。」
明智はしずかに、いってきかせるのでした。
「地の底に、これだけのしかけをつくったのは、さすがに人形悪魔だ。しかし、種をわってみれば、みんな子どもだましにすぎない。あのジャングルは、ひじょうに広いように見えるが、あれはパノラマ館のしかけで、ほんとうの木は、わずかしかないのだ。あとはみんな、壁にあぶら絵がかいてあるのだ。光線のぐあいで、その絵とほんものとのさかいめが、わからないようにしてあるので、あんなに広く感じられるのだ。きみのとくいの奇術にすぎない。
大ワシや大トカゲも、てんじょうから、目に見えないような細いじょうぶなひもで、つってあったのだ。それを、あやつり人形のように動かして、さも、生きているように見せかけたのだ。木のみきが怪物の顔に見えたのも、木そのものが、はりこの作りものだから、わけのないことだ。声は、みんなテープレコーダーだよ。ハハハハ……、種をあかせば、子どもだましじゃないか。
きみが人形じいさんになって、いろいろな人形や動物をつくり、世間をおどろかそうとしたのは、なんのためだ。それは、金や宝石をぬすむためにもつかわれたが、もっとほかに、目的がある。」
「フフン、それをきさまが、知っているのか。」
西洋悪魔は、にくにくしくいいはなちました。
「きみの目的は、世間をあっといわせたかったのだ。世間の中でも、このぼくを、あっといわせたかったのだ。なぜかというと、きみはぼくに、たびたび、ひどいめにあっている。そのうらみが、はらしたかったのさ。それほどぼくをうらんでいる男、また、世間をあっといわせてよろこぶ男は、ほかにはない。え、きみ、きみのほんとうの名をいってやろうか。」
明智は、そこでことばをきって、にこにこと笑いました。すると、西洋悪魔は、まるで神さまの前に出たほんとうの悪魔のように、両手で顔をかくして、逃げだそうとしました。
「待てっ、きみのほんとうの名は、怪人二十面相だっ!」
ピシッと、むちでうつような名探偵の声でした。西洋悪魔は、顔をおさえたまま、ギョッとしたようにたちすくみました。しかし、すぐに気をとりなおして、顔から手をはなすと、血ばしった目をカッとひらいて、明智探偵をにらみつけるのでした。
「きさま、またしてもおれを、ひどいめにあわせやがったなっ。よし、もうこうなれば、さいごの切り札だっ。いまに見ろっ。」
と叫ぶやいなや、パッと走りだしました。ほら穴の奥にむかって、矢のようにかけ出したのです。
「それっ」というので、明智探偵も、中村警部も、ふたりの警官も、小林少年も、そのあとを追いました。ところが、ポケット小僧だけは、みんなとはんたいの方角に走りだしたではありませんか。ポケット小僧は、いつでも、いがいなことばかりやる少年です。はんたいの方角というのは、つまり、ほら穴の入口のほうへもどっていくわけです。いったい、なにをしにいくのでしょうか。
こちらでは、明智探偵たち五人が一生けんめいに追っかけましたが、西洋悪魔の二十面相は、もう死にものぐるいですから、その早いこと。なかなか追っつけるものではありません。
二十面相は、ほら穴の奥の部屋のようなところへ、逃げこみました。逃げこんだかと思うと、そこが、パッと明るくなりました。二十面相は、燃えるたいまつをふりかざしているのです。そこにたいまつが用意してあって、いつのまにか、ライターで、それに火をつけたのです。
「ワハハハハ……、さあ、おれのさいごを見てくれ。そのかわり、きさまたちも、みんな死んでしまうのだ。この地下道も、ジャングルも、その上にたっている西洋館も、みんな、吹っとんでしまうのだ。」
二十面相は、気ちがいのようにわめきました。たいまつの赤い火に照らされて、西洋悪魔の顔が、赤おにのように恐ろしく見えます。
たいまつを、ぐるぐるふりまわしているその下に、一つの大きなドラムカンがおいてあります。
あっ、たいへんです。きっと、あのドラムカンは、火薬がいっぱいつまっているのでしょう。二十面相は、その中へたいまつを投げこむつもりです。そうすると、火薬が爆発して、なにもかも、こっぱみじんになってしまうでしょう。
「さあ、かくごしろ。みんないっしょに死ぬんだぞっ。」
それを聞くと中村警部も警官たちも、まっさおになってしまいました。とびかかって、たいまつをもぎとろうにも、そのひまはありません。一歩ふみ出せばあいつはきっと、たいまつを投げこむでしょう。それを思うと身うごきもできません。
「ワハハハハ……。」
なにがおかしいのか、明智探偵がいきなり笑いだしました。中村警部たちは、びっくりしてその顔を見つめます。明智は気でもちがったのではないかと、うたがったのです。
「ワハハハハ……、投げこんでみたまえ。シュッと音がして、火が消えてしまうよ。おい、二十面相、ぼくは、きみの秘密はすっかり知っているといったじゃないか。むろん、その火薬の秘密も知っていたのだ。だから、火薬に水を、たっぷりかけておいた。見ろ! そのドラムカンの中は水びたしだ。きみのさいごの切り札は、すっかりだめになってしまったのだ。」
それを聞くと、二十面相はギョッとしたように、たいまつの火で、ドラムカンの中をのぞきました。明智のいったとおり、その中は水びたしです。
二十面相は、もう、ものをいう力もなく、へなへなと地面にうずくまってしまいました。
「それっ。」というと、ふたりの警官が、とびついていきました。たちまち手錠がはめられ、そのうえ用意の縄で、ぐるぐる巻きにしばられてしまいました。
そこへ、ポケット小僧をさきにたてて、おおぜいの少年がかけつけてきました。その中にマユミさんもまじっています。
「あれが二十面相だよ。明智先生は、とうとう、二十面相をつかまえてしまったんだよ。」
「ワーッ、すてき。明智先生ばんざーい!」
いちばんおくびょうもののノロちゃんが、まっさきに叫び、みんなも、それにあわせて、高らかに、明智先生と少年探偵団のばんざいを、となえるのでした。
底本:「魔法人形/サーカスの怪人」江戸川乱歩推理文庫、講談社
1988(昭和63)年5月6日第1刷発行
初出:「少女クラブ」講談社
1957(昭和32)年1月号~12月号
入力:sogo
校正:大久保ゆう
2018年5月27日作成
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