サーカスの怪人
江戸川乱歩
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ある夕がた、少年探偵団の名コンビ井上一郎君とノロちゃんとが、世田谷区のさびしいやしきまちを歩いていました。きょうは井上君のほうが、ノロちゃんのおうちへ遊びにいったので、ノロちゃんが井上君を送っていくところです。
ノロちゃんというのは、野呂一平君のあだなです。ノロちゃんは団員のうちでいちばん、おくびょうものですが、ちゃめで、あいきょうもので、みんなにすかれています。
井上一郎君は、団員のうちで、いちばんからだが大きく、力も強いのです。そのうえ、おとうさんが、もと拳闘選手だったので、ときどき拳闘をおしえてもらうことがあり、学校でも、井上君にかなうものは、ひとりもありません。その大きくて強い井上君と、小さくて弱いノロちゃんが、こんなに仲がよいのはふしぎなほどでした。
ふたりは、両側に長いコンクリートべいのつづいた、さびしい町を歩いていますと、ずっとむこうの町かどから、ひとりの紳士があらわれ、こちらへ歩いてきました。ねずみ色のオーバーに、ねずみ色のソフトをかぶり、ステッキをついて、とことこと歩いてくるのです。
二少年は、その人のすがたを、遠くから、ひと目みたときに、なぜかゾーッと身がちぢむような気がしました。むこうのほうから、つめたい風が吹いてくるような感じで、からだが寒くなってきたのです。
しかし、夕ぐれのことですから、その人の顔は、まだ、はっきり見えません。ふたりは、そのまま歩いていきました。紳士と二少年のあいだは、だんだん近づいてきます。そして、十メートルほど近よったとき、やっと、紳士の恐ろしい顔が見えたのです。
ノロちゃんが、「アッ!」と、小さい叫び声をたてました。井上君は、それをとめようとして、グッと、ノロちゃんの腕をつかみました。
ああ、恐ろしい夢でも見ているのではないでしょうか。その紳士の顔は、生きた人間ではなかったのです。まっ黒な目。はじめは黒めがねをかけているのかと思いましたが、そうではなかったのです。目はまっ黒な二つの穴だったのです。鼻も三角の穴です。そして、くちびるはなくて、長い上下の歯が、ニュッとむき出しになっているのです。それは骸骨の顔でした。骸骨が洋服をきて、ソフトをかぶり、ステッキをついて、歩いてきたのです。
二少年は、夕ぐれどきのお化けに出あったのでしょうか。あれを見てはいけないと思いました。あの顔を見ていると、恐ろしいことがおこるような気がしました。ふたりは、コンクリートべいのほうをむいて、立ちどまり、骸骨の顔を見ないようにしました。そして、はやく、いきすぎてくれればよいと、いのっていました。
ふたりのうしろを、いま、骸骨紳士が歩いていくのです。こと、こと、と靴の音がしています。その音が、ちょうど、ふたりのまうしろにきたとき、ぱったり聞こえなくなってしまいました。
骸骨紳士が立ちどまったのです。あのまっ黒な目で、ふたりのうしろすがたを、じろじろ見ているのではないでしょうか。
二少年は、そう思うと、恐ろしさに息もとまるほどでした。井上君には、ノロちゃんの、がくがくふるえているのが、よくわかります。
いまにも、うしろからつかみかかってくるのではないか、あの長い歯で、食いつかれるのではないか、そして、まっ暗な地の底の地獄へ、つれていかれるのではないかと思うと、生きたここちもありません。
しかし、なにごともおこらないで、すみました。やがてまた、ことり、ことりと、靴の音が聞こえはじめ、それが、だんだん遠ざかっていくのです。
その靴音が、ずっと遠くなってから、ふたりは、おずおずとふりむきました。そして、町のむこうを見ますと、骸骨紳士の歩いていくうしろすがたが、小さく見えています。
「ねえ、ノロちゃん、ぼくたちは少年探偵団員だよ。このまま逃げだすわけにはいかない。あいつのあとをつけてみよう。お化けなんているはずがないよ。きっと、あやしいやつだ。さあ、尾行しよう。あいてに気づかれぬように、尾行するんだ。」
ノロちゃんは、こわくてしょうがありませんけれど、強い井上君といっしょなら、だいじょうぶだと思いました。それで、井上君のあとについて、骸骨紳士を尾行しはじめたのです。
尾行のやりかたは、小林団長から、よくおそわっていました。あいての二十メートルほどあとから、いつあいてがふりむいても、見つからないように、電柱や、いろいろなもののかげに身をかくして、こんきよくついていくのです。
骸骨紳士は、ぐるぐると、町かどをまがりながら、どこまでも歩いていきます。あたりはもう暗くなってきました。だんだん、尾行がむずかしくなるのです。
そうして、一キロも尾行をつづけたでしょうか。ふと見ると、むこうに大きなテントがはってあって、音楽の音が、にぎやかに聞こえてきました。サーカスです。ひじょうに大がかりなサーカスが、そこの広いあき地に、かかっているのです。骸骨紳士は、そのサーカスの前へ近づいていきました。
おどろくほど、でっかいテントばりのよこには、なん台も大型バスが、とまっています。ゾウやライオンやトラなどをいれるための、頑丈な鉄のおりのついた大トラックもならんでいました。大型バスは、サーカスの曲芸師たちが寝とまりをしたり、楽屋につかったりしているのです。
大テントの正面の上には、ビロードに金文字で「グランド=サーカス」と、ぬいとりをした幕がかかり、いろいろな曲芸の絵をかいた看板が、ずらっと、かけならべてあります。その下には馬がなん匹もつながれ、一方のかこいのなかには、大きなゾウが、鼻をぶらんぶらんと、動かしています。それらのありさまが、テントの天井からつりさげた、いくつもの明るい電球で、あかあかと照らされているのです。
ひるまは、その前は黒山の人だかりなのでしょうが、日がくれたばかりのいまは、二、三十人の人がばらばらと、立ちどまっているばかりです。
骸骨紳士は、人のいるところをさけて、大テントの横のほうへ、とことこ、と歩いていきます。そして、そのすがたは、テントのかげに見えなくなりました。二少年は、見うしなってはたいへんと、そのまがり角まで走っていって、そっと、のぞいて見ましたが、ふしぎなことに、そこにはだれもいないのです。
大テントの横手は、五十メートルもあるのですから、そのもうひとつむこうの角を、後のほうへまがるひまはなかったはずです。いくら走っても、そんな早わざができるはずはありません。テントのそとがわは原っぱですが、そこにも人かげがないのです。
骸骨紳士は、やっぱり化けものだったのでしょうか。化けものの魔法で、煙のように消えうせてしまったのでしょうか。
「わかった。あいつ、テントの下をくぐって、中へしのびこんだんだよ、そして、ぼくらを、まいてしまったんだよ。」
ノロちゃんが、すばやく、そこに気がついて叫びました。
「うん、そうかもしれない。ぼくらも、正面の入口から、中へはいって、しらべてみよう。あんな恐ろしい顔だから、すぐにわかるよ。」
井上君は、そういって、もうサーカスの入口のほうへ、かけ出していました。
ちょうどそのころ、サーカスの中では、まんなかの丸い土間に、はなやかな曲馬がおこなわれていました。テントのそとにつないであった七頭の馬が、うつくしい女の子を乗せて、ぐるぐると回っているのです。金糸銀糸のぬいとりのあるシャツを着た女の子たちは、馬の上で、いろいろな曲芸をやって見せています。
ふつうのサーカスの三ばいもあるような、広いテントの中は、むし暑いほどの満員の見物でした。見物席は板をはった上にござをしいて、見物はその上にすわっているのですが、正面の見物席のうしろの一だん高くなったところに、幕でかこった特別席が、ずっとならんでいます。ひとつのしきりに、六人ずつかけられるようになっていて、そういうしきりが、十いくつもならんでいるのです。
その特別席の前には、すわっている見物のあたまが、ずっと、まんなかの演技場まで、いっぱいならんでいるのです。特別席の中ほどのすぐ前のところに、おとうさんと、おかあさんにつれられた、ひとりの小学生がすわっていました。五年生か六年生ぐらいの少年です。
その少年が、ふと、うしろをふりむきました。見物はみんな演技場のほうを、むちゅうになって見つめているのに、この少年だけが、なぜか、ひょいとうしろを見たのです。
天井も、左右も、幕でしきられた箱のような特別席が、ずっとならんでいます。どの席にも五、六人の男や女の顔がかさなりあっていましたが、まんなかへんの、ひとつのしきりには、まるで歯のぬけたように、がらんとして、だれもいないのです。そこだけ、へんにうす暗くて、ほら穴の入口のような感じなのです。
そのからっぽの席へ目がいったとき、少年は、なぜかゾーッとしました。うす暗いしきりのなかに、ボーッと、白いものが浮きあがって見えたからです。
それは大きな黒めがねをかけた人間の顔のようでしたが、すぐに、そうでないことがわかりました。黒めがねではなくて、二つの黒い穴なのです。鼻のあるところも、三角の穴になっていました。そして、その下に、白い歯がむき出しています。……骸骨です。骸骨の顔だけが、宙に浮いていたのです。
少年はギョッとして、そのまま、正面にむきなおりました。そして、サーカスの見物席に骸骨がいるはずはない、きっと、ぼくの目がどうかしていたのだ。と、じぶんにいい聞かせましたが、もう曲馬など目にはいりません。やっぱりもう一ど、うしろを見ないでは、いられなかったのです。
こわいのをがまんして、ヒョイとふりむきますと、やっぱり、そこには、骸骨の顔が浮いていました。いや、よく見ると浮いているのではなくて、骸骨がソフトをかぶって、オーバーを着て腰かけているのです。ソフトやオーバーが、ねずみ色なので、ちょっと見たのではわからなかったのです。顔だけが宙に浮いているように見えたのです。
なんど見なおしても、骸骨にちがいないので、少年はとうとう、隣のおとうさんのからだをゆすぶって、
「おとうさん、うしろに、へんなものがいる!」とささやき、そのほうを指さして見せました。
おとうさんは、びっくりして、うしろをふりむきました。それに気づくと、おかあさんもふりむきました。だれの目にも、それは骸骨としか見えないのです。
「アラッ!」
おかあさんが、びっくりして、おもわずかん高い声をたてました。
すると、その近くにいた見物の人たちが、みんな、うしろをふりむいたのです。そして、オーバーを着た骸骨を見たのです。
見物席いったいが、にわかに、ざわめきはじめました。大テントの中の千人いじょうの見物の顔が、全部うしろをむいたのです。そして、特別席のあやしいものを見つめました。もうだれひとり曲馬など見ている人はありません。
そのとき、まんなかの丸い演技場のはじのほうを、数人の人が走ってきました。さきにたっているのは、井上少年とノロちゃんです。そのあとからサーカスのかかりの人が三人、走ってくるのです。井上君は骸骨のいる特別席を指さして、「あすこだ、あすこだ。」と、おしえています。
そのさわぎに、演技場をぐるぐる回っていた七頭の馬も、ぴったりとまってしまいました。それらの馬の背なかで、曲芸をやっていた少女たちも、いっせいに特別席のほうを見つめています。
大テントの中の全部の人の顔という顔が、特別席を見つめたのです。
特別席の骸骨紳士は、何千の目に見つめられても、べつに、あわてるようすはありません。かれは、しずかにイスから立ちあがりました。そして、特別席の前のほうへ、ズーッと、出てきたのです。恐ろしい骸骨の顔が、電灯の光をうけて、くっきりと浮きあがりました。
それを見つめている千の顔は、まるで映画の回転が、とつぜん、とまってしまったように、すこしも動きません。声をたてるものもありません。大テントの中は、一瞬、死んだように、しずまりかえったのです。
骸骨紳士は、特別席のしきりの前にあるてすりにもたれて、ぶきみな白い顔を、ヌーッと、見物たちのほうへつき出しました。そして、にやりと笑ったのです。くちびるのない歯ばかりが、みょうな形に開いて、ゾッとするような笑いかたをしたのです。
見物席のあちこちに、「キャーッ!」という、ひめいがおこりました。息をころして怪物を見つめていた見物席が、稲のほが風にふかれるように、波だちはじめました。みんなが席を立って逃げだそうとしたからです。
そのとき、井上君とノロちゃんをさきにたてた、サーカスの男の人たちは、見物のあいだをかきわけて、骸骨紳士の席へ近づいていました。そのあとからは、べつのサーカスの人たちが、ふたりの警官といっしょにかけつけてきます。
「ウヘヘヘヘ……。」
なんともいえないきみのわるい笑い声が、大テントの中にひびきわたりました。骸骨紳士がみんなをあざけるように、大笑いをしたのです。そして、サーッと特別席のおくのほうへ、身をかくしました。
そのしきりのうしろにも、幕がさがっています。そこから、そとへ逃げだすつもりでしょう。
「アッ、逃げたぞッ。みんな、うしろへまわれッ!」
だれかが叫びました。サーカスの男たちは、特別席のはじをまわって、そのうしろへ走っていきます。
骸骨紳士は、前とうしろからとりかこまれ、どこにも逃げ場所はなかったのに、こんどこそ、煙のように消えうせてしまいました。
かれのあらわれた席の両方にならんでいる特別席には、大ぜいの見物が腰かけていたのですから、そのほうへ逃げることはできません。前には千の目がにらんでいて、こちらもだめです。残るのはうしろだけです。しきりの幕をくぐって、特別席のそとへ逃げるほかはないのです。
しかしそちらには、サーカスの人たちがかけつけていました。また、特別席の横のほうにはすわる席があって、そこからは、特別席のうしろがよく見えるのですから、骸骨紳士が幕をくぐって逃げだせば、すぐにわかるはずです。ところが、その見物たちは、なにも見なかったというのです。サーカスの人たちも、特別席のうしろをくまなくさがしましたが、なにも発見できませんでした。
そのころには、大テントのそとにも、サーカスの人たちが、さきまわりをしていました。テントの下をくぐって逃げだすかもしれないと思ったからです。しかし、骸骨紳士は、そこへもあらわれません。まったく、かげもかたちもなくなってしまったのです。怪物は、吹きけすように消えうせたのです。
このさわぎで、見物人の半分ぐらいは帰ってしまいましたが、勇敢な見物人が残っていて、よびものの空中曲芸を見せろと、やかましくいいますので、演技をつづけることになりました。
そのとき、木下ハルミという美しい女曲芸師が、大テントを出て、楽屋につかっている大型バスのほうへいそいでいました。ハルミさんは、空中サーカスの女王といわれている、この一座の花がたですが、空中曲芸をつづけることになったので、忘れものをとりにいくために、テントを出たのです。
大テントのそばのあき地には、車体の横に「グランド=サーカス」と書いた大型バスが、いく台もとまっています。ハルミさんは、その一つに近づくと、バスのうしろにおいてある三だんほどの踏みだんをかけあがって、そこのドアを開きました。曲芸師たちは、さっきのさわぎで、みんな大テントのほうへいっているので、バスの中にはだれもいないはずです。
だれもいないと思って、サッとドアを開いたのです。ところが、そこには、うす暗い電灯の下に、ねずみ色の服をきて、同じ色のソフトをかぶったままの男が腰かけていました。このバスは女ばかりの楽屋につかっているのですから、そこに男がいるなんて、思いもよらないことでした。ハルミさんは、ハッとしてその男を見つめました。
バスの中には、両側に、ずっと棚のようなものがとりつけてあって、その上に、化粧をするための鏡がならべてあるのです。男は、その鏡の一つの前に腰かけて、じぶんの顔を鏡にうつしていました。ですから、こちらからは横顔しか見えないのですが、なんだか、いやなきみのわるいかんじです。
「あら、そこにいるの、だれ?」
ハルミさんが、とがめるようにいいますと、男がヒョイとこちらをむきました。
ああ、その顔! 目のあるところが、まっ黒な大きな穴になっていて、鼻も三角の黒い穴、その下に上下の歯がむき出している。あいつです。さっき特別席から消えた骸骨紳士が、こんな所にかくれていたのです。ハルミさんは、「キャーッ!」と叫んで、踏みだんをとびおり、大テントのほうへかけ出しました。
ハルミさんがかけだしますと、骸骨紳士が、バスの中からヌーッとあらわれて、踏みだんをおり、ハルミさんのあとを追って、大またに歩いてくるのです。
ハルミさんは、うしろを見ないで走っているので、すこしも気がつきません。
骸骨紳士の足は、だんだん早くなり、しまいには、宙に浮くように足音をたてないで走りだしました。そして、ハルミさんのすぐうしろまで追いついて、いまにも、長い手をのばして、ハルミさんの肩をつかみそうになったではありませんか。
もしハルミさんが、うしろをふりむいたら、あまりの恐ろしさに、気をうしなってしまったかもしれません。それほど、骸骨紳士は、ハルミさんにくっつくようにして走っているのです。でも、なぜか、ハルミさんを、とらえようとはしません。ただ、くっついているばかりです。
さいわい、ハルミさんは、一どもうしろを見ないで、大テントの裏にたどりつき、そのまま中へかけこみました。
「助けてえ……、がいこつが……がいこつが……。」
大テントの裏口をはいると、幕でしきった通路になっていて、いろいろな曲芸の道具がならべてあります。そこに立っていた道具がかりの木村という男が、ハルミさんを、だきとめるようにして、
「アッ、びっくりするじゃありませんか。いったいどうしたっていうんです。」
と叫びました。
「あら、木村さん、バスの中に、あの骸骨がいたのよ。追っかけてきやしない? ちょっと、そとをのぞいてみて。」
「エッ? あいつがバスの中にかくれていたんですって。」
木村は、そういって、ハルミさんのはいってきた裏口から、そっと顔を出して、そとを見ていましたが、
「なんにも、いやしませんよ。あんた、気のせいじゃないのですか? こわいこわいと思っているもんだから……。」
「いいえ、たしかにいたのよ。バスの中の鏡の前で、じっと、じぶんの顔を見ていたのよ。それがあの骸骨だったのよ。」
ハルミさんは、いいはります。
すると、通路の横にある団長室の幕があいて、サーカス団長の笠原太郎が出てきました。
「なんだ。そうぞうしい。なにをさわいでいるんだ。」
笠原団長は四十歳ぐらいの、がっしりしたからだの男でした。むらさき色のビロードに、ピカピカ光る金のぬいとりをした、だぶだぶのガウンをきて、頭には、同じ色のビロードに赤いふさのついた、トルコ帽をかぶっています。
「アッ、団長さん、三号のバスに、さっきの骸骨がかくれているんです。それで、あたし、むちゅうで逃げてきたんです。」
「なにッ、骸骨が? よしッ、みんなを集めろッ。そして、三号バスをとりかこんで、あいつを、ひっとらえるんだッ!」
団長が大きな声で命令しました。すると、道具がかりが、かけ出していって、サーカス団員の男たちを呼び集めてきました。そして、十何人の男たちが、三号バスをとりかこみ、入口からのぞいてみますと、バスの中にはだれもおりません。逃げだしたのだろうと、そのあたりを、くまなく捜索しましたが、なにも発見することができませんでした。
骸骨男は、いったい、どこへかくれてしまったのでしょう? ハルミさんを、大テントの裏口まで追っかけてきたのですから、バスの中にいないのは、あたりまえですが、大テントのそとの広場をすみからすみまでしらべても、どこにも見あたらないというのは、どうしたわけでしょう。テントの中へしのびこめば、まだ開演中ですから、サーカス団員や見物たちの目につかないはずはありません。
またしても、怪物は、煙のように消えうせたのです。骸骨男は、なにかふしぎな魔法をこころえてでもいるのでしょうか。
そのあくる日の午前のことです。客を入れるまえに、見物席のまんなかの丸い演技場で、五人のおとなの道化師と三人の子どもの道化師が、新しい出しものの練習をしていました。
道化師のことですから、それぞれちがった、きみょうな服装をしています。赤と白のだんだらぞめの道化服をきて、同じとんがり帽子をかぶり、顔には、まっ白におしろいをぬり、くちびるをまっ赤にそめ、両のほおに、赤い丸をかいた男、赤地に白の水玉もようの道化服をきた男、どうたいに大きな西洋酒のたるをはめて、首と足だけを出し、たるの両がわに丸い穴をあけて、そこから両手を出しておどっている、たるのお化けみたいな男、じぶんの頭の五ばいもあるような、はりこの首をかぶって、チョコチョコ歩いている男、ひとめ見て、プッと吹きだすような変なかっこうをした男ばかりです。
三人の子ども道化師たちも、なんともみょうな姿をしていました。そのうちふたりが少年で、ひとりが少女でしたが、みんな十歳ぐらいの子どもで、それが、白と、赤と、赤白だんだらの大きなゴムまりの中にからだを入れて、首と手足だけをそとに出し、よちよちと歩いているのです。まるで、大きなまりが歩いているように見えるのです。
おとなの道化師たちは、「ほうい、ほうい。」というような変なかけ声をして、さかだちをしたり、とんぼがえりをしたり、たるを着ている男は、ごろんと横になって、そのへんを、ぐるぐる、ころがりまわったり、あるいは道化師どうし喧嘩のまねをして、なぐりあいをしたり、なぐられた男は、おおげさに、ピョンと横だおしになって、ごろごろ、ころがったり、ありとあらゆる、こっけいなしぐさを練習するのでした。
それが、ひととおりすむと、こんどは、たるにはいった男だけは、べつにして、あとの四人のおとなが、四方にわかれて、ふしぎな玉なげをはじめました。
玉は、大きなゴムまりにはいった三人の子どもです。そのまりを両手で持ちあげて、「ヤッ!」とほうると、あいての道化師が、「ヨッ!」と受けとめる。ゴムまりの中にはいっている子どもたちは目が回って、ひどく苦しいのですが、それにならすために練習するわけです。
白と、赤と、赤白だんだらの巨大なまりが、四人の道化師によって、つぎつぎと、投げられたり、受けとめられたりして、見ていると、じつに美しいのです。ただ投げるばかりでなく、ごろ玉にしてころがしてやり、それを相手が受けとることもあります。そのときには、子どもの首と手足の出た玉が、ごろごろと、横にころがっていくのです。
しばらくすると、赤のゴムまりにはいっている少年がころがされて、ひとりの道化師に受けとめられたとき、大きな声で、
「ちょっと、待って……。」
と叫びました。
「なんだ、いくじのないやつだな。これくらいで、もう、まいってしまったのか。」
道化師が、しかるようにいいます。
「ううん、ぼく、こんなこと、へいきだよ。そうじゃないんだよ。いま、へんなものが見えたんだ。ちょっと、とめて……。」
「なに、へんなものだって?」
道化師はそういって、ゴムまりの回るのをとめてやりました。すると、少年はゴムまりから出ている右手で、むこうを指さしながら、
「あのたるだよ。あのたるの中から、いま、へんなものがのぞいたんだよ。」
四人のまり投げの道化師たちから、ちょっと、はなれたところに、大きな西洋酒のたるが、ちょこんとおいてあります。たるの化けものみたいな道化師が、たるの中で、すわってやすんでいるのです。首や手もひっこめてすわっているので、ただ大きなたるがおいてあるように見えるのです。
「へんなものがのぞいたって? どこに。」
道化師はたるのほうを見ましたが、べつに変ったようすもありません。
「なんにもありゃしないじゃないか。ぐるぐる回されて目が回ったので、そんな気がしたんだよ。あのたるの中には、丈吉君が、すわって、なまけているばかりさ。」
「ううん、そうじゃない。ぼく、たしかに見たんだよ。あの中には、へんなやつがかくれている。お化けみたいなやつだよ。」
少年がいいはるので、道化師も思わず、そのたるを見つめましたが、すると、そのとき、びっくり箱の中から、人形の首がとび出すように、たるの上に、ヒョイととびだしたものがあります。
それを見ると道化師は思わず、「アッ。」と叫びました。そして、立ちすくんだまま、身うごきもできなくなってしまいました。「アッ。」といったときには、もう、そのへんなものは、たるの中へひっこんで、見えなくなっていましたが、ひと目見れば十分です。そいつは、まっ黒な大きな目をもっていました。鼻が三角の穴になっていました。上下の歯がむき出しになっていました。骸骨です。たるの中には道化師の丈吉でなくて、骸骨がかくれていたのです。
「おい、みんな!」
その道化師が、ほかの三人に目くばせをしました。そして、ぬき足、さし足、むこうにおいてあるたるのそばへ、近よっていきました。三人も、おずおずと、そのあとからつづきます。
たるのそばによって、おっかなびっくり、そっと上からのぞいて見ました。すると、そのとき、大きなたるが、いきなり、ごろんと横だおしになりました。
みんなが、アッとひるむまに、たるの中から、ぴったりと身についたまっ赤なシャツとズボン下の男がとび出して、恐ろしいいきおいで、むこうへ逃げていきます。そいつの顔は、あの恐ろしい骸骨でした。骸骨は道化師丈吉に化けて、まっ白な顔のお面をかぶって、さっきまで、みんなをごまかしていたのです。
まっ赤なシャツの骸骨男は、丸い演技場のむこうのはしまで走っていくと、そこにさがっている長い丸太にとびつきました。その丸太の両側には、三十センチぐらいのかんかくで、三センチほどの木ぎれが、うちこんであります。骸骨男は、その木ぎれに足をかけて、するすると丸太の上にのぼっていき、大テントの天井のぶらんこ台に、たどりつきました。そして、台の上から、下をのぞいて、あの長い歯で、にやにやと笑っているではありませんか。
道化師たちは身が重くて、とても丸太をのぼることはできません。空中サーカスの男たちを、呼ぶほかはないのです。
「おうい、三太、六郎、吉十郎、みんなきてくれえ。骸骨がぶらんこ台にのぼったぞう。あいつをひっとらえてくれえ。」
水玉もようの道化師が、ありったけの声で、空中サーカスの名人たちを、呼びたてました。
すると、楽屋口から、肉じゅばんに、金糸のぬいとりのあるさるまたをはいた屈強な男たちが、つぎつぎと、とび出してきました。
「あそこだ、ほら、あのぶらんこ台の上だ。」
道化師が、指さすところ、地上五十メートルの大テントの天井、ぶらんこ台の小さな板の上に、まっ赤なシャツをきた、へんなやつがうずくまっているのが、小さく見えました。
「やあい、おりてこうい! でないと、おれたちがのぼっていって、つき落としてしまうぞう、そこから落ちたら、いのちがないぞう!」
空中サーカスの吉十郎が、両手で口をかこって、高い天井へどなりました。
すると、それに答えるように、天井から、
「ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、……。」
と、お化け鳥のなくような声が、おりてきました。骸骨が、長い歯をぱくぱくやって、笑っているのです。
「ようし、いまにみろ!」
吉十郎は、ふたりのなかまを、手まねきして、天井から、ぶらさがっている、丸太の下までかけつけると、いきなり、それをのぼりはじめました。さすがは空中サーカスの名人たち、まるでサルのように、やすやすと、丸太をのぼり、天井のぶらんこ台にたどりつきました。
そして、そこにうずくまっている骸骨男を、とらえようとしたときです。まっ赤なシャツが、ぱっと、空中にもんどりうって、天井の横木からさがっているぶらんこに、とびうつりました。そして、ぶらんこは、みるみる、ツーッ、ツーッと、前後にゆれはじめたのです。
ぶらんこ台の上の三人の曲芸師は、もう、どうすることもできません。骸骨の乗ったぶらんこは、ますます、はげしくゆれるばかりです。
ごらんなさい! ぶらんこは、もう、大テントの天井につくほど、はずみがついてきました。しかし、そのとき、ぶらんこをとりつけた横木の丸太の上を、ひとりの男がヘビのように、はいだしてきたではありませんか。空中サーカスの名人吉十郎です。かれは、横木の上に身をよこたえ、両手を、ぶらんこの縄にかけて、ゆれるぶらんこを、上に引きあげようとしているのです。
その力で、ぶらんこは、きみょうなゆれかたをしました。このまま引きあげられたら、骸骨男は、ぶらんこから、ふり落とされて、五十メートル下の地面へ、たたきつけられるほかはありません。
しかし骸骨男もさるものです。それと気づくと、とっさに、パッと、身をひるがえして、ぶらんこからはなれました。まっ赤なシャツが、宙におどりあがったのです。
下から見あげている道化師たちは、思わず、「アッ!」と声をたてて、手にあせをにぎりました。ぶらんこをはなれた骸骨男は、そのまま、サーッと、地上へ落ちてくるように見えたからです。落ちれば、むろん、いのちはありません。
「ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、……。」
あのお化け鳥の笑い声が、天井から、ふってきました。でも、ふってきたのは声だけで、骸骨男のからだは、ぶらんこから五メートルもへだたった天井の横木へ、みごとに、とびついていました。
地面の道化師たちの口から、「ワアッ!」という声があがりました。
それから、高い天井の、丸太をくんだ足場の上の恐ろしい鬼ごっこが、はじまりました。
逃げるのは、まっ赤なシャツの骸骨男、追っかけるのは三人の空中曲芸師、足場をつたって、右に左に逃げる骸骨男を、さきにまわって、待ちうけたり、ぴょんと丸太から丸太へとんで、足を引っぱろうとしたり、きわどいところまで、追いつめるのですが、骸骨男は、いつも、するりと身をかわして、たくみに逃げてしまいます。人間わざとは思えないほどです。
やがて、吉十郎と、もうひとりの曲芸師が、一本の丸太の上を、前とうしろから、じりじりと近づいていきました。骸骨男は、はさみうちになったのです。いくら魔物でも、もう逃げるみちはありません。吉十郎の手が、グッとのびました。ああ、骸骨男は、いまにも、つかまれそうです。うしろの曲芸師の手も、足のほうへ、のびてきました。もう絶体絶命です。
その瞬間、骸骨男のからだが、するっと下へ落ちてきました。もうだめだと思って、とびおりたのでしょうか。
いや、そうではありません。かれのまっ赤なシャツのからだは、宙にとまっています。ああ、わかった。かれは長いほそびきを用意していたのです。ほそびきのはしについていた鉄のかぎを丸太にひっかけて、ほそびきを下にたらし、それを伝っておりてくるのです。
吉十郎は、そのほそびきを、たぐりあげようとしましたが、そのときには、骸骨男は、もう地上七メートルほどのところまで、すべり落ちていました。そして、パッと手をはなすと、地面へとびおり、そのまま、大テントの裏口のほうへ、矢のようにかけ出していきました。
アッとおどろいた道化師たちが、とまどいしながら、そのあとを追っかけます。天井の三人の曲芸師も、骸骨男ののこしたほそびきを伝って、地上におりると、おそろしいいきおいで、追跡をはじめました。しかし、骸骨男のすがたは、もう、どこにも見えないのでした。
道化師のできごとがあってから、三日ほどたつと、またしても、恐ろしいことがおこりました。
それは、昼間のことで、サーカスの大テントの中は、満員の見物で、うずまっていました。そして、テントの天井の、目もくらむほど高いところで、空中サーカスがはじまっていたのです。
テントの天井の両方で、ぶらんこがゆれていました。いっぽうのぶらんこには吉十郎が、もう一つのぶらんこには、人気もののハルミさんが、ふたりとも足をまげて、さかさまにぶらさがり、恐ろしいいきおいで、空中をいったりきたりしていました。
ぶらんこにさがったふたりは、サッと、近づいたかと思うと、またスーッとはなれていくのです。
ころあいを見て、吉十郎が、「ハッ。」と声をかけました。ハルミさんも、それにこたえて、「ハアッ。」と叫びました。そして、ぶらんこにかけていた足を、まっすぐにのばすと、ハルミさんのからだは、ぶらんこをはなれて、空中におどりだしたのです。
下の見物席では、何千という顔が上をむいて、手にあせをにぎって、これを見つめています。
両手をのばして、空中におよいだハルミさんに、吉十郎のぶらんこが、サーッと近づいてきました。吉十郎は両手をひろげて待っています。ハルミさんは、その手をつかみさえすればいいのです。
「キャーッ……。」
ハルミさんの口から、恐ろしいひめいがほとばしりました。
そのとき、ハルミさんは、空中をとびながら、吉十郎の顔を見たのです。そして、吉十郎だとばかり思っていたのが、そうでないことに気づいたのです。
それは骸骨の顔だったのです。あのいまわしい骸骨の顔が、グウッと、こちらへ、おそいかかってきたのです。
ハルミさんは、あまりのこわさに、あいての両手にすがりつくのもわすれて、ひめいをあげながら、下へ落ちていきました。
五十メートルの高さから、まっさかさまに落ちていくのです。見物席から、ワアッ……という声がおこりました。
そのまま地面に落ちたら、ハルミさんは死んでしまいます。
ああ、あぶない! ハルミさんの白いからだは、だんだん速度をまして、矢のように、落ちているではありませんか。
しかし、ハルミさんのからだは、地面までとどきませんでした。地面の十メートルほど上で、まるでゴムマリのように、ピョンピョンとはずんだのです。……そこには、太い網が、いっぱいにはってあったからです。
ハルミさんは助かりました。やがて、網の上に、むくむくと起きあがり、網のはしまで歩いていって、そこから地面にとびおりました。
サーカスの人たちが、四方から、そこへかけより、ハルミさんをだいて、楽屋へはこぼうとしました。
「あたし、だいじょうぶよ。それよりも、あれを、あれを!」
ハルミさんは、そういって、天井のぶらんこを指さします。
みんなが上を見あげました。
骸骨の顔になった吉十郎は、どこへいったのか、もうすがたが見えません。ただ、ぶらんこだけが、はげしくゆれているばかりです。
「吉十郎さんの顔が、骸骨になったのよ。それで、あたし、びっくりして……。」
下からは、それがはっきり見えなかったので、みんなは、なぜ、ハルミさんが吉十郎の手につかまらなかったのかと、ふしぎに思っていたのです。
「おうい、吉十郎がテントの上へのぼったぞう……。」
サーカス団員のひとりが、そんなことを叫んで、かけよって来ました。
吉十郎は、ぶらんこの綱をつたって天井の丸太にのぼりつき、そこから、テントのあわせめをくぐって、テントの上へ出てしまったのです。
ほんとうの吉十郎なら、そんなへんなまねをするはずがありません。あれは、やっぱり、骸骨男だったのでしょうか。
それから大さわぎになり、空中曲芸のできる男たちが、天井にのぼりついて、テントの屋根をしらべましたが、もう吉十郎に化けた男のすがたは、どこにも見えないのでした。
「あれが骸骨男だったとすると、吉十郎は、いったい、どうしたんだろう?」
ひとりの団員が、そこに気づいて、吉十郎の部屋に使っている大型バスにかけつけて、しらべてみました。
すると、バスの中のかたすみに、手足をしばられ、さるぐつわをかまされた吉十郎が、ころがっていたではありませんか。
さるぐつわをとって、たずねますと、
「うしろから、パッと、鼻と口をおさえられた。おそろしくいやな臭いがしたと思うと、それっきり、なにもわからなくなってしまった。」
というのです。骸骨男は、吉十郎に、麻酔薬をかがせてしばっておいて、吉十郎の衣装をつけて、ぶらんこに乗り、ハルミさんをおどろかせたのです。
それにしても、骸骨男は、ぶらんこの下のほうに、網がはってあるのを知っていたはずです。ハルミさんを落としても、けがもしないことが、わかっていたはずです。それなのに、どうして、あんなまねをしたのでしょう。ただ、ハルミさんをこわがらせるためだったのでしょうか。あの怪物が、なんのために、こんなことをするのか、それがまだ、よくわからないのでした。
そのばん、八時ごろのことです。笠原サーカス団長のふたりのかわいい子どもが、団長用の大型バスの中で、おとうさんの団長の帰ってくるのを待っていました。サーカスは、いまおわったばかりで、おとうさんは、まだ帰ってこないのです。
にいさんは笠原正一といって、小学校六年生、妹はミヨ子といって、小学校三年生です。団長の子どもですから、ほかのサーカスの子どもとはちがって、曲芸はあまりしこまれないで、学校の勉強にせいをだすようにいいつけられていました。でも、ふたりとも、曲芸もいくらかできるので、ときたま、サーカスに出ることもあります。
サーカス団は、日本じゅうまわるので同じ学校をつづけることはできません。いくさきざきの小学校へ転入して、長くて三ヵ月、短かいときは一ヵ月ぐらいで、またほかの学校へかわるのです。ふつうの子どもには、そんなに学校をかわるのは、とてもつらいのですが、正一君も、ミヨ子ちゃんも、なれっこになってなんとも思っていません。ふたりのおかあさんは、三年ほどまえになくなって、いまは、おとうさんだけなのです。
こんどは東京の中で、場所をかえて、長く興行することになっていますので、三ヵ月いじょう同じ学校にかよえるわけです。ふたりは、たいへんよろこんでいました。
その学校で、正一君と同じクラスに、少年探偵団員のノロちゃん(野呂一平君)がいたことは、まことにふしぎなえんでした。ノロちゃんは人なつっこい子ですから、新しくはいってきた笠原正一君と、まっさきにお友だちになってしまいました。
そのことから、この『サーカスの怪人事件』に、少年探偵団が、ふかい関係をもつことになるのです。
さて、大型バスの中には、団長とふたりの子どものベッドがとりつけられてあり、いっぽうの窓ぎわには、長い板がついていて、そこが正一君たちの勉強の机にもなり、また、その上に、鏡などがおいてあって、化粧台にもなるのです。あまり明るくない車内の電灯が、そこをてらしています。
正一君とミヨ子ちゃんは、そこのベッドに腰かけて、おとうさんの帰りを待っていましたが、ふと気がつくと、ミヨ子ちゃんが、かわいい目をまんまるにして、うしろのガラス窓を、見つめていました。そして、にいさんの正一君に両手で、しがみついてくるのです。
正一君も、ギョッとして、その窓を見ました。
窓のそとはまっ暗です。闇の中に、ボーッと、白いものが、ただよっています。それが、だんだん、窓ガラスへ近づいてくるのです。近づくにつれて、はっきりしてきました。
アッ、骸骨です!
あの恐ろしい骸骨がやってきたのです。
ふたりはベッドをとびおりて、だきあって、バスのすみに身をちぢめました。
骸骨は、窓ガラスに、ぴったりと、顔をつけて、こちらを見ています。黒い穴のような目、三角の穴になった鼻、長い歯をむき出した口、その口がキューッとひらいて、けらけらと笑っているではありませんか。
正一君もミヨ子ちゃんも、あまりのこわさに声をたてることもできないで、まるで磁石でひきつけられるように、窓の骸骨を、じっと見つめていました。どうきが恐ろしくはやくなり、のどがからからにかわいて、いまにも死ぬかと思うばかりです。
しばらくすると、骸骨の顔が、窓ガラスから、スーッとはなれていきました。たちさったのでしょうか? いや、そんなはずはありません。入口のほうへまわって、ドアをあけてはいってくるのかもしれません。
やがて、こつ、こつと、足音が聞こえてきました。きっと骸骨の足音です。
アッ、音がかわりました。バスの後部の出入り口においてある木の段をあがる音です。いよいよ、骸骨がはいってくるのです。正一君とミヨ子ちゃんは、そう思っただけでも、息がとまりそうでした。
ドアのとってが、クルッとまわりました。そして、ギーッとドアの開く音。アッ、暗やみの中に立っています。ボーッと、人のすがたが立っています。
「おまえたち、そんなところで、なにをしているんだ?」
ドアからはいってきたのは骸骨ではなくて、おとうさんの笠原さんでした。
正一君とミヨ子ちゃんは、「ワアッ。」と叫んで、おとうさんに、とびついていきました。そして、いま、窓のそとから骸骨がのぞいたことを、ふるえながらつげるのでした。
「なにッ、骸骨が?」
笠原さんは、いきなり、バスのそとへとび出していきました。そして、そのへんにいたサーカス団員たちを集めて、懐中電灯で照らしながら、あたりを、くまなく捜しましたが、怪人のすがたはどこにも見えないのでした。骸骨男は、いつでも、すがたを消す術をこころえているのですから、どうすることもできません。
骸骨男がなんのためにサーカスにあらわれるのか、その目的はすこしもわかりませんが、こんなことが知れわたったら、見物がこなくなってしまうので、笠原団長は警察にうったえて、どうかして、このお化けみたいな怪物を、とらえようとしました。
警察でも大ぜいの制服、私服の警官を、サーカスにはいりこませて、手をつくして怪物の捜索をしましたが、なんの手がかりを、つかむこともできないのでした。
笠原正一君は、なんだか、じぶんたちきょうだいが怪物にねらわれているような気がして、こわくてしかたがありませんので、学校で、友だちのノロちゃんにそのことを話しますと、ノロちゃんは、それを少年探偵団長の小林君にしらせました。そこで、いよいよ、少年探偵団がこの怪事件にのりだすことになったのです。
この事件の主任は、警視庁の中村捜査係長でしたが、小林少年は中村警部とは、したしいあいだがらなので、警部にあって、少年探偵団に、正一君とミヨ子ちゃんの見はりをやらせてくれとたのみました。
「そうか。野呂君と団長の子どもと仲よしなのか。それなら、昼間とよいのうちだけ、きみたちに見はりをたのもう。警察でも見はっているけれども、おとなでは目につくからね。きみたちのような少年諸君のほうが、あいてにさとられなくていい。それに、きみの腕まえは、わたしもよく知っているからね。
しかし、夜なかはだめだよ。まあせいぜい、夜の八時ごろまでだね。そのあとは、わたしの部下にかわらせる。きみの団員は小学五、六年から、中学一、二年の子どもだ。そんな子どもに、夜ふかしをさせちゃ、おとうさんたちにしかられるよ。
それから、わたしの部下たちが、いつも近くにいるからね。もし、あやしいやつをみつけたら、よびこの笛をふくんだよ。子どものくせに、怪物に手むかったりしたら、ひどいめにあうかもしれないからね。いいかい? わかったね。」
中村警部は小林少年に、くどくどと、いいきかせるのでした。
小林君も、ひごろ明智先生から、いわれているので、そのことは、よくこころえていました。大ぜいの団員の中から、からだが大きくて力の強い少年で、おとうさんや、おかあさんが、ゆるしてくださるものだけを、六人えらび出し、小林君が隊長になって見はりをやることにしました。
骸骨の顔が、窓からのぞいた日のよくじつです。小林少年と六人の団員は、学校から帰ると、せいぞろいをして、正一君とミヨ子ちゃんのバスのまわりに集まりました。
みんな変装をしています。浮浪少年のようなきたない服を着て、顔も黒くよごしています。明智探偵事務所には、そういう変装用のきたない服が、たくさんそなえてあるので、小林君が、それを持ちだして、みんなに着かえさせたのです。
バスのおいてある原っぱには、いちめんに草がはえ、小さな木もありますし、バスがたくさんならんでいるのですから、かくれるところは、いくらでもあります。
少年団員のあるものは、小さな木のかげに、あるものは、バスの車体の下に、あるものは、長くのびた草の中に、腹ばいになり、また、あるものは、バスの後部の出入り口の木の階段のかげに身をかくすというふうに、はなればなれになって、四方から正一君のバスを見はっていました。
昼間はなにごともなく、やがて、夜になりました。少年たちは、べんとうのかわりにポケットに入れてきた、パンをかじって、じっと、かくればにがまんをしています。
あたりが、まっ暗になってきました。見あげると、空に星がキラキラかがやいています。むこうの大テントの中には、あかあかと電灯がついて、バンドの音が、はなやかに聞こえてきます。まだサーカスはおわらないのです。やがて、最後のよびものの空中曲芸が、はじまるところでしょう。
浮浪児に変装した小林少年は、正一君のバスの出入り口の木の階段のかげに、身をかくして、ゆだんなく、あたりを見まわしていました。バスの中には、正一君とミヨ子ちゃんが、机がわりのだいで、本を読んでいるのです。
しばらくすると、むこうの大テントの中の電灯が、だんだん暗くなっていきました。サーカスがおわったのです。見物たちの帰っていく足音や、話し声が、ざわざわと聞こえてきます。
それからまた、しばらくすると、サーカス団の人たちが、それぞれのバスへ帰ってくるのが、うす明かりにながめられました。正一君たちのバスへも、おとうさんの笠原さんが帰ってきました。笠原さんはむろん、少年探偵団が、見はりをしていることをよく知っているので、バスの階段をのぼるとき、そこにかくれている小林少年をみつけて声をかけました。
「ごくろうですね。うちの正一たちのために、きみたちがこんなにしてくれるのは、なんとお礼をいっていいか、わかりませんよ。しかし、もう夜もふけたから、こんやは帰ってください。あとは警察のほうで、見はりをしてくれますから。」
と、やさしくいうのです。小林君は、
「はい、もうじき帰ります。」
と答えましたが、笠原さんが、バスの中にはいってドアをしめても、持ちばを動くようすがありません。中村警部は八時ごろに帰れといいましたが、少年たちは八時半までがんばろうと、もうしあわせていたのです。いまはまだ八時ですから、もう三十分見はりをつづけるつもりなのです。
あたりは、しいんと、しずまってきました。大テントの電灯が消えたので、空の星が、いっそうはっきり見えます。そのへんは、にぎやかな商店街から遠いので、八時でも深夜のようにしずかなのです。
じっとかくれていると、時のたつのがじつに長く感じられます。八時半までのわずか三十分が、二、三時間に思われるのです。
しかし、やっと、腕の夜光時計が八時半になりました。そこで、小林君は、みんなを集めて帰ろうかと、考えていますと、そのとき……、バスの中から、キャーッというひめいが聞こえて、いきなりバスのドアがあき、二つの小さいかげが、木の階段をころがり落ちてきました。正一君とミヨ子ちゃんです。
小林君は、とっさに立ちあがり、ふたりをだきとめるようにして、どうしたのだと、たずねますと、正一君は、
「あいつがバスの中にいる。骸骨が、ぼくらにつかみかかってきた。早く逃げなけりゃあ……。」
と、声もたえだえにいうのでした。ああ、これはいったい、どうしたことでしょう。だれもバスの中へ、はいったものはありません。それなのに骸骨男があらわれたという正一君たちは、夢でも見たのでしょうか。
小林少年は、すぐに、よびこの笛をふいて警官隊にしらせました。するとむこうの闇の中から、あわただしい靴音がして、五人の警官がかけつけてきました。
「バスの中に骸骨男がいるんです。はやくつかまえてください。」
小林君が、叫びました。
「よしッ。」
警官のひとりが、バスのうしろの出入り口へ突進しました。
「おいッ、あけろ! ここをあけろ!」
警官は、にぎりこぶしで、出入り口のドアをたたいて、どなっています。
いつのまにかドアがしまって、ひらかなくなっていたのです。怪物が、中から鍵をかけてしまったらしいのです。
しかし、バスの中にいるのは、骸骨男だけではありません。正一君と、ミヨ子ちゃんのおとうさんの笠原さんも、いるはずです。骸骨男は、笠原さんをひどいめにあわせているのではないでしょうか。
すると、そのとき、バスの中から恐ろしい音が聞こえてきました。なにかがたおれる音、めりめりと、板のわれる音、どしん、どしんと、重いもののぶっつかる音!
笠原団長と骸骨男が、とっくみあってたたかっているのにちがいありません。もの音は、ますますはげしくなるばかりです。大型バスが、ゆれはじめたほどです。
「窓だ! 窓をやぶるんだ。」
警官のひとりが、どなりました。
「じゃあ、肩にのぼらせてください。ぼくが、やぶります。」
少年探偵団の井上一郎君が、その警官のそばへかけよりました。井上君は団員のうちで、いちばん力が強く、おとうさんに拳闘までおそわっている勇敢な少年でした。
「よしッ! 肩ぐるまをしてやるから、窓ガラスを、たたきやぶれ!」
警官は井上君を、ひょいと、だきあげて、じぶんの肩にまたがらせました。
井上君はナイフのえで、いきなりバスの窓ガラスを、たたきやぶって大きな穴をあけ、そこから手を入れて、とめがねをはずして、ガラッと窓をひらきました。
のぞいてみると、バスの中は、電灯が消えてまっ暗です。もう、かくとうはおわったらしく、ひっそりとして、なんの音も聞こえません。
「おじさん、だいじょうぶですか?」
井上君が、どなりました。すると闇の中から、「うう……。」という苦しそうな声が、聞こえてきました。
ああ、笠原団長はやられてしまったのでしょうか。そして、骸骨男は、闇の中にうずくまって、はいってくるやつに、とびかかろうと、待ちかまえているのではないでしょうか。
そのとき、人の動くけはいがしました。いつまでも、ごそごそと動きまわっているのです。
「ふしぎだ。消えてしまった。暗くてわからない。あかりを、あかりを!」
笠原団長の声のようです。
「懐中電灯をください。」
井上君がいいますと、警官が懐中電灯を渡してくれました。井上君は、それをつけて、窓からバスの中を照らしました。
まるい光の中に、よつんばいになっている笠原さんが、照らしだされたのです。その光におどろいたように、笠原さんは、よろよろと立ちあがりました。
ああ、そのすがた! パジャマは、もみくちゃになって、ところどころ破れ、顔にも、手にも、かすりきずができて血が流れ、パジャマにも、いっぱい血がついています。
その血だらけの顔が、懐中電灯の光の中に、大うつしになって、ヌーッとこちらへ近づいてきました。
「それを、かしてくれ……。」
井上君は、いわれるままに、懐中電灯を笠原さんに渡しました。
笠原さんは、それをふり照らして、バスの中をあちこちしらべていましたが、
「ふしぎだ。消えてしまった。どこにもいない……。」
とつぶやいています。
「骸骨男がいなくなったのですか。」
井上君が、たずねます。
「うん、いなくなった。消えてしまった。」
その問答を聞いた警官が、下からどなりました。
「ともかく、入口のドアを、あけてください。かぎがかかっているのです。」
笠原さんは、よろよろと、ドアのほうへ近つくと、かぎ穴にはめたままになっていたかぎを、カチッとまわし、ドアをひらきました。
待ちかまえていた警官たちが手に手に懐中電灯を持って、バスの中へなだれこんでいきました。
しかし、いくら探しても骸骨男はいないのです。
笠原さんは顔の血をふきながら説明しました。
「わたしが、ベッドでうとうとしていると、あいつは、いきなり、のどをしめつけてきたのです。むろんあいつですよ。骸骨の顔をした怪物です。
わたしは、びっくりしてはね起き、あいつと、とっ組みあいました。わたしも、そうとう力は強いつもりですが、あいつの腕ときたら、鋼鉄の機械のようです。
死にものぐるいのたたかいでした。だが、わたしは、むこうのすみへおしつけられたとき、すきを見て両足で、あいつの腹を、力まかせにけとばしたのです。
さすがの怪物も、よほどこたえたとみえて、こちらのすみに、ころがったまま、起きあがることもできません。わたしは、その上から、とびついていったのです。
ところが、そのとき、ふしぎなことがおこりました。上からおさえつけると、あいつのからだが、スーッと小さくなっていったじゃありませんか。そして、いつのまにか、消えてなくなってしまったのです。……じつにふしぎです。わたしは、わけがわかりません。」
警官たちもそれを聞くと、顔見あわせてだまりこんでしまいました。
骸骨男は人間にはできない化けものの魔法を、こころえていたのでしょうか。化けものか、幽霊でなければ、きゅうに、からだが小さくなったり、消えてしまったりできるものではありません。
「アッ! へんですよ。ここを見てください。」
懐中電灯を持って、バスの中をはいまわってしらべていた井上君が、叫ぶようにいいました。
警官たちが近づいて、井上君の指さすところを見ますと、バスの床板に、六十センチほどの四角な切れめがついていることが、わかりました。
「おしてみると、ぶかぶかしてます。ほら、ね。」
井上君が、力をこめて、そこをおしますと、グーッと下へさがっていくのです。
「アッ、ばねじかけの落とし穴だ。あいつは、ここから逃げたんだな!」
警官がそう叫んで足をふみますと、そこにぽっかり四角な穴があきました。
骸骨男のからだが、小さくなったように思ったのは、怪物がそこから下へぬけだしていったからです。まっ暗なので、そこに穴のあることがわからなかったのでしょう。
やっぱり怪物は、お化けや幽霊ではありませんでした。悪がしこい人間なのです。まえもって、ちゃんと、そういうぬけ穴をつくっておいてから、バスの中へあらわれたのです。
これでみますと、いままでに、たびたび消えうせたのも、みな、これに似たトリックをつかったのにちがいありません。
それから、警官隊と少年探偵団員は、懐中電灯をふり照らして、バスのまわりの原っぱを、くまなく捜しまわりましたが、なにも発見することができませんでした。骸骨男は、すばやく、どこかへ逃げさってしまったのです。
そこで、みんなはひとまず、ひきあげることになりましたが、ふたりの少年が最後まで残って、だれもいなくなった、まっ暗な大テントのそばを歩いていました。少年探偵団長の小林君と団員の井上君です。
「ぼくは、どうしてもわからないことがあるんだよ。あいつが、ぬけ穴から出たのはたしかだけれど、それからさきがふしぎなんだ。」
小林君が、深い考えにしずんで、ひくい声でいいました。
「え、それからさきって?」
井上君が、聞きかえします。
「ぬけ穴をぬければ、バスの下へおりてくるはずだね。」
「うん、そうだよ。」
「ところが、あのとき、バスの下へは、だれも出てこなかったのだよ。」
「え、どうして、それがわかるの?」
「ぼくが、ずっと、バスの下にかくれていたからさ、きみがおまわりさんの肩にのって、窓をやぶるまえからだよ。」
「へえ、団長は、ずっとバスの下に、かくれていたの? どうりで、みんながさわいでいるのに、団長のすがたが見えなかったんだね。」
「そうだよ。だれかひとりは、バスの下を見まもっていたほうがいいと思ったのさ。だから、ぬけ穴から、あいつが出てくれば、ぼくが、見のがすはずはなかったんだよ。」
「ふうん、へんだなあ。やっぱり、あいつは忍術つかいかしら?」
「そうかもしれない。そうでないかもしれない。明智先生にきかなければわからないよ。でも、ぼく、なんだかこわくなってきた。ほんとうにこわいんだよ。」
勇敢な小林団長が、こんなにこわがるなんて、めずらしいことでした。井上君は、びっくりしたように小林少年のよこ顔を見つめました。
すると、そのときです。ふたりの目の前に、恐ろしい夢のような、じつに、とほうもないことがおこりました。
闇の中にサーカスの大テントが、ボーッと白く浮きだしています。そのテントのかげから、なんだか灰色の巨大なものが、ヌーッとあらわれてきたのです。三十メートルほどむこうから、人間の何十倍もある巨大なものが、こちらへ近づいてくるのです。
小林、井上の二少年は、ギョッとして、そのばに立ちすくんでしまいました。
巨大な灰色のものは、ゆっくり、こちらへやってきます。もう十五メートルほどに近づきました。
「あッ、あれはゾウだよ。サーカスのゾウが、おりから逃げだしたのかもしれない。」
小林君がささやきました。
なるほど、それは一ぴきの巨大なゾウでした。しかし、ゾウとわかると、またべつのこわさに、おそわれるのです。踏みつぶされたり、鼻で巻きあげられたりしたら、たいへんだという、こわさです。
ふたりは、いきなり逃げだそうとしました。
すると、「ケ、ケ、ケ、ケ……。」というゾッとするような笑い声が、どこからか聞こえてきたではありませんか。
ふたりは逃げながら、思わずふりかえりました。
巨ゾウの背なかの上に、ふらふらと動いているものがあります。そいつが、笑ったのです。
「アッ、骸骨……。」
それは、あの骸骨男でした。いつも着ているオーバーや洋服をぬいで、はだかで、ゾウの背なかにまたがっているのです。
はだかといっても、人間のからだではありません。ぜんしん骸骨のからだなのです。白いあばらぼね、腰のほね、細ながい手足のほね、学校の標本室にある骸骨とそっくりです。そのほねばかりが、ゾウの背なかで、ふらふらとゆれているのです。
あいつは、からだまで骸骨だったのでしょうか。ほねばかりのからだに、洋服を着て、靴をはいて、ステッキをついて歩いていたのでしょうか。
ふたりの少年は、あまりのふしぎさに、三十メートルほどのところに立ちどまったまま、ぼうぜんとして、この奇怪なものを見まもっていました。
巨ゾウは少年たちには目もくれず、大テントにそって、のそのそと歩いていきます。その背なかに、白い骸骨がゾウに乗って、さんぽでもしているように、のんきそうに、ふらふらと、ゆれているのです。
「アッ、わかった。あいつ、黒いシャツを着ているんだよ。シャツに白い絵のぐで、骸骨の形がかいてあるんだよ。」
「なあんだ。じゃあ、やっぱり人間なんだね。」
「そうだよ。でも人間だとすると、骸骨よりも恐ろしいよ。化けものや幽霊よりも、もっと恐ろしいのだよ。」
小林君は、いかにも、こわそうにささやくのでした。
「ケ、ケ、ケ、ケ、ケ……。」
ゾウの上の骸骨が、また、ぶきみな笑い声をたてました。そして、なにか白いものを、サーッとこちらへほうってよこしたではありませんか。
それは四角な西洋封筒のようなものでした。まっ暗な空中をひらひらと飛んで、二少年とゾウとのなかほどの地面に落ちました。
そして、二少年が、あっけにとられて立ちすくんでいるあいだに、巨ゾウはテントにそって、だんだんむこうへ遠ざかっていき、灰色の巨体が、闇の中へボーッととけこんで、見えなくなってしまいました。
それを見おくると、二少年は恐ろしい夢からさめたように、闇の中で顔を見あわせました。
「テントの中に、おまわりさんがふたり残っているから、すぐに知らせよう。」
ふたりは、いそいで、地面に落ちている封筒のようなものをひろいあげると、大テントの入口にむかってかけだしました。
テントの中の幕でしきった小べやのようなところに、ふたりの警官が腰かけていました。そこだけに、小さな電灯がついています。
二少年は、警官のそばへいって、いまのできごとをくわしく話し、ひろった封筒を、さし出しました。
警官のひとりが、それを受けとって開いて見ますと、中には、つぎのような異様な文章を書いた紙がはいっていました。
笠原太郎君
数日中に恐ろしいことがおこる。きみは、そのきみの手でじぶんの子どもを殺すことになるのだ。それがきみの運命だから、どうすることもできない。いくら用心しても、この運命をまぬがれることはできないのだ。
ふたりの警官は、それを読むと、びっくりして顔を見あわせました。
「すぐに本庁へ知らせなければいけない。それから、笠原さんにも、これを見せておくほうがいいだろう。」
ひとりの警官は、本庁へ電話をかけるためにとびだしていきました。残った警官は、二少年をつれて、笠原さんの大型バスへいそぎました。
笠原さんは、顔や手にほうたいをして、バスの中のベッドに寝ていましたが、警官がはいってくるのを見て、ベッドの上に起きなおりました。そして、警官からことのしだいを聞き、恐ろしい手紙を読むと、まっ青になってしまいました。
「すぐに警官隊を呼んで、あいつをつかまえてください。ゾウに乗っていたとすれば、まだそのへんに、うろうろしているかもしれません。わたしはゾウのバスをしらべてみます。そのバスには、ゾウ使いの吉村という男が番をしているのです。どうしてゾウを盗みだされたか、わけがわかりません。」
それから笠原さんは、警官や少年たちといっしょに、ゾウのおりになっている大型バスへかけつけましたが、番人の吉村というゾウ使いは、さるぐつわをはめられ手足をしばられて、遠いところにころがされていました。そして、ゾウは、いつのまにか、もとのバスにもどっていました。骸骨男は、ゾウをもどしておいて、はやくもどこかへ逃げさったのです。なんというすばしっこい怪物でしょう。
それにしても、骸骨が残していった手紙は、いったい、どういういみなのでしょうか。
小林少年は、そんなばかなことが起こるはずがないと思いました。しかしそう思う下から、なんともいえないぶきみな考えが、むらむらとわきあがってくるのを、どうすることもできないのでした。
笠原さんは、骸骨男の手紙を読んでから、すっかりおびえてしまって、バスの中などでくらさないで、もっと、厳重な家に住むことにしました。
さいわい、おなじ世田谷にアメリカ人の住んでいた西洋館があいていましたので、すぐに、そこを借りることにして、ふたりの子どもといっしょに、その西洋館にひっこしをしました。そこから毎日、サーカスの大テントへかようつもりなのです。
笠原さんは、じぶんたち親子と女中さんだけではこころぼそいので、サーカス団員の中から、力が強く勇気のある三人の男をえらんで、西洋館に住まわせることにしました。そして、三人が交代で、昼も夜も、正一君たちの部屋の見はりばんをすることになったのです。
さて、ひっこしをすませた、あくる日のお昼ごろのことです。
笠原さんが、これからサーカスへいこうとしているところへ、電話がかかってきたので、受話器を耳にあてますと、きみの悪いしわがれ声が聞こえてきました。
「うふふふ……、バスではあぶないと思って、西洋館へ逃げこんだな。うふふふ……、だが、おれは魔法つかいだ。どんなところへだって、しのびこむよ。うふふふ……、それよりも、気をつけるがいい。きみのかわいい子どもを、じぶんで殺さなければならない運命なのだ。それは家をかえたくらいで、のがれられるものではない。うふふふふ……気のどくだが、きみは、そういう運命なのだよ。」
そして、ぷっつり電話がきれてしまいました。
笠原さんは青くなって、二階の正一君とミヨ子ちゃんの部屋へかけつけました。その部屋の前には、ひとりのサーカス団員が、イスにかけてがんばっています。
「いま、骸骨男から電話がかかってきた。もうここへひっこしたことをしっている。ゆだんはできないぞ。しっかり、番をしてくれ。だが、子どもたちは、だいじょうぶだろうな。」
「だいじょうぶです。窓には鉄ごうしがはまってますから、そとからは、はいれません。入口はこのドアひとつです。ほら、聞こえるでしょう。歌の声が。正一ちゃんも、ミヨ子ちゃんも、元気に歌をうたっていますよ。」
「うん、そうか。」
笠原さんはドアをひらいて、ちょっと、中をのぞくと、安心したようにうなずいて、
「だが、わしはこれから、サーカスのほうへ出かけるから、あとは、くれぐれもたのんだぞ。いいか。」
「はい、三人でかわりあって、じゅうぶん見はっていますから、ご心配なく。」
団員は、さも自信ありげに答えるのでした。
笠原さんは、そのまま出かけていきました。サーカスは夜までやっていますから、帰りはおそくなるでしょう。
その日の四時ごろのことです。西洋館の門の前に、一だいのトラックがとまって、ふたりの男が、電柱ほどもある太い棒のようなものをトラックからおろし、それをかついで玄関へやってきました。
ベルをならしたので、サーカス団員のひとりがドアをあけますと、ふたりの男はいきなり、その棒のようなものを、西洋館の中へかつぎこみながら、
「こちらは、近ごろ、ひっこしをされた笠原さんでしょう。みの屋から、これをおとどけにきました。」
「エッ、みの屋だって? それは、いったい、なんだね?」
サーカス団員が、めんくらったように聞きかえしました。
「じゅうたんですよ、三部屋ぶんのじゅうたんですよ。」
長さは二メートルあまり、太さは電柱よりも太いような、でっかい棒は、三部屋ぶんのじゅうたんを、かたく巻いたものでした。
サーカス団員は、へんな顔をして、
「じゅうたんを注文したことは聞いていないね。まちがいじゃないかね。」
「いいえ、まちがいじゃありません。この町には、ほかに笠原という家はないのです。それに、ひっこしをした家も、ここ一けんです。まちがいありませんよ。」
「だが、ぼくは聞いていないので、代金をはらうわけにはいかないが……。」
「代金ですか? それなら、もうすんでいるんですよ。前ばらいで、ちゃんといただいてあります。それじゃ、ここへおいていきますよ。」
ふたりの男は、そのでっかい棒を、玄関の板の間のすみへ横にころがしておいて、さっさと帰っていきました。
サーカス団員は、きっと笠原さんが注文したのだろうと思ったので、笠原さんの帰るまで、そのままにしておくことにしました。
やがて、なにごともなく日がくれ、正一君とミヨ子ちゃんと三人の団員は、食堂に集まって、ばんごはんをたべていました。
ちょうどそのころ、玄関の板の間のうす暗いすみっこで、ふしぎなことが起こっていたのです。
そこに、横だおしになっている棒のように巻いたじゅうたんが、まるで生きもののように動きはじめたではありませんか。
じゅうたんの棒が、しずかにごろんところがって、巻いてあるじゅうたんのはじがとけ、またもうひとつ、ごろんところがると、とけたじゅうたんが倍になり、三どめに、ごろんところがったとき、中から、なにか、まっ黒なものがはいだしました。
それは人間の形をしていました。ぴったり身についた黒シャツと黒ズボン、黒い手ぶくろに、黒い靴下、ぜんしん、まっ黒なやつです。
そいつが、立ちあがって、こちらをむきました。その顔! やっぱりそうでした。骸骨です。骸骨の顔です。
骸骨男は、じゅうたんの中にかくれて、しのびこんだのです。なんという、うまいかくれ場所でしょう。そとからは、三まいの大きなじゅうたんが、かたく巻いてあるように見えますが、中は、人間ひとり、横になれるほどの空洞になっていたのです。
まっ黒な骸骨男は、廊下の壁をつたって、奥のほうへしのびこんでいきます。食堂の前をとおって、台所へ。しかし、食堂にいたおおぜいの人はだれも気がつきません。
ああ、ぶきみな骸骨男は、いったい、なにをしようというのでしょう。
その夜の八時。笠原さんはまだ帰ってきません。正一君とミヨ子ちゃんは、もう、ベッドにはいりました。ふたりの部屋のドアの前には、昼間とはべつのサーカス団員が、大きな目をギョロギョロさせて、ゆだんなく見はりをつとめています。
ところが、しばらくすると、ふしぎなことがはじまりました。
団員の大きな目が、だんだん細くなっていくのです。しまいには、まったく目をつぶってしまって、こっくりと、首が前にかたむきました。
びっくりして、パッと目をひらき、ちょっとのあいだは、しゃんとしていましたが、また、まぶたが合わさって、こっくりとやります。
そんなことを、なんどもくりかえしているうちに、その団員は、とうとう、ぐっすり、寝こんでしまい、イスからずり落ちて、へんなかっこうで、いびきをかきはじめました。
そのとき、一階の食堂でも、おなじようなことが起こっていました。ふたりの団員が食堂にのこり、見はりの順番がくるのを待ちながら話しをしていたのですが、ふたりとも、いつのまにか、こっくり、こっくりと、いねむりをはじめていたのです。
台所では女中さんが、おさらを洗ってしまって、やれやれと、そこのイスに腰をおろしたかと思うと、これも、こっくり、こっくりです。
家じゅうがみんな寝こんでしまいました。これは、いったい、どうしたことでしょう? さっき食事のあとで、おとなたちはコーヒーを飲みました。なんだか、ひどくにがかったようです。女中さんも、台所で同じコーヒーを飲みました。ひょっとしたら、なにものかが、コーヒーの中へ、ねむり薬をまぜておいたのではないでしょうか。いや、なにものかではありません。もし、そんなことをしたやつがあるとすれば、あのじゅうたんの中から出てきた骸骨男にきまっています。
こちらは、寝室の中の正一君です。ミヨ子ちゃんは、まだ小さいので、むじゃきに寝いってしまいましたが、正一君は、なんだかこわくて、なかなか眠れません。このあいだ、バスの中へあらわれた骸骨男の顔を思いだすと、恐ろしさに、からだがふるえてくるのです。
ドアのそとには、力の強い団員ががんばっていますし、窓には、頑丈な鉄ごうしがついているのですから、あいつが寝室の中へはいってくる心配は、すこしもありませんが、それでもなんだか、こわくてしょうがないのです。
ふと、聞き耳をたてると、こつこつと音がしていました。ギョッとして、思わず、息をころしました。
こつこつ、こつこつ……。
「おとうさんだよ。ここをあけておくれ。」
ドアのむこうがわなので、なんだか、ちがう人の声のように聞こえました。でも、こわくてしょうがなかったときですから、おとうさんと聞くと、とび起きてドアにかけより、かぎをまわして、それをひらきました。用心のために、中からかぎがかけてあったのです。
ドアが、スーッとひらきました。
そして、そこに立っていたのは、おとうさんではなかったのです。いままで、そのことばかり考えていた、あいつです。身の毛もよだつ骸骨男です。
正一君は、アッといって、いきなりベッドのほうへ逃げだしました。しかし、あいてはおとなです。すぐに、うしろからとびかかって、正一君をだきすくめてしまいました。
正一君は、無我夢中であばれましたが、とても、かなうはずはありません。骸骨男は、どこからか、大きなハンカチのようなものをとりだして、それを正一君の口と鼻におしつけました。
いやな臭いがしたかと思うと、気がとおくなっていきました。正一君は、もう目をふさいでいましたが、暗いまぶたのうらに、あのいやらしい骸骨の顔が千ばいの大きさで、にやにや笑っていました。世界じゅうが、骸骨の巨大な顔で、いっぱいになったのです。
正一君が、ぐったりすると、骸骨男はべつのふろしきのようなものを取りだして、正一君にさるぐつわをはめ、それから用意していたほそびきで、手と足を念いりにしばりました。
同じ部屋のベッドにねているミヨ子ちゃんは、ぐっすり眠っていたので、このさわぎを、すこしもしりませんでした。それほど、骸骨男は、手ばやく、しずかに、ことをはこんだのです。
さっきのコーヒーにねむり薬をまぜたのは、やっぱり骸骨男でした。廊下では、イスからずり落ちたサーカス団員が、まだ眠りこけています。一階にいる人たちも同じありさまなのでしょう。骸骨男は、だれにじゃまされる心配もなく、思うままのことがやれるわけです。
かれは、しばりあげた正一君をこわきにかかえると、ゆうゆうと階段をおりて、玄関の板の間にもどり、じぶんがかくれていたじゅうたんの空洞の中へ、正一君を入れて、もとのとおりに巻きつけ、それから、ひもでしばって、とけないようにしました。
そして、玄関のドアのところへいくと、ポケットから、まがったはり金をとりだし、かぎ穴にさしこんで、しばらく、こちゃこちゃやっていましたが、やがて、カチンと音がして、錠がはずれ、ドアがひらきました。このはり金は、どろぼうが、錠やぶりにつかう道具なのです。
骸骨男はそとに出ると、ドアをしめ、また、あのはり金をつかって、そとからかぎをかけ、そのまま、どこかへたちさってしまいました。
笠原さんがサーカスから帰ってきたのは、それから三十分もたったころでした。
玄関のベルをおしましたが、だれもドアをあけてくれません。なんども、なんども、ベルをおしました。それでもなんのこたえもないのです。
笠原さんは、心配になってきました。るすのまに骸骨男がやってきて、家じゅうのものをしばって、動けなくしたのではないだろうか。そして、正一とミヨ子を、どうかしてしまったのではあるまいか。そのとき、ふと、じぶんのポケットにあいかぎがはいっていることを思いだしました。いそいで、それを取りだし、ドアをひらいて、家の中にとびこみ、大声で、団員の名を呼びながら、奥のほうへはいっていきました。
食堂までくると、ふたりの団員が、しょうたいもなく眠っていることがわかりました。台所をのぞいてみると、女中さんまで眠っているのです。
二階の子どもたちの部屋が心配です。笠原さんは、とぶように二階へかけあがり、正一君たちの寝室の前にいってみますと、そこにも、見はりの男が、床にたおれて、寝こんでいるではありませんか。
ドアをひらいて、寝室にとびこみました。ミヨ子ちゃんは寝ていました。しかし、正一君のベッドは、もぬけのからです。
「ミヨ子、ミヨ子、起きなさい。にいさんはどこへいったのだ?」
ミヨ子ちゃんは、びっくりして目をさましましたが、さっきのことは、なにも知らないで寝ていたので、にいさんがどこへいったのか、答えることができません。それでも、おとうさんが、こわい顔をして、どなりつけるので、とうとう泣きだしてしまいました。
ミヨ子ちゃんにたずねてもわからないので、笠原さんは、廊下にもどって、たおれているサーカス団員のからだを、はげしくゆすぶり、大声で、その名を呼びました。
すると、やっとのことで男は目をさまし、ぼんやりした顔で、あたりを見まわしています。
「おいッ、どうしたんだ。正一のすがたが見えないぞ。きみは、なんのためにここで、番をしていたんだ。」
「アッ、団長さんですか。ぼく、どうしたんだろう。へんだな。どうして眠ってしまったのか、さっぱり、わけがわかりません。正ちゃんがいませんか。」
「なにを、いっているんだ。きみだけじゃない。下でも、みんな眠りこんでいる。いったい、これは……。」
笠原さんは腹がたって、口もきけないほどです。
「アッ、そうか。それじゃあ、あれがそうだったんだな。」
団員が、とんきょうな声をたてました。
「エッ、あれって、なんのことだね?」
「ねむり薬です。あのコーヒーにはいっていたのです。ばかににがいコーヒーだった。」
「ねむり薬? うん、そうか。して、だれがそれをいれたんだ。」
「わかりません。はこんできたのは女中です。しかし、女中の見ていないすきに、だれかが、いれたのかもしれません。」
「だれかって、戸じまりはどうしたんだ。だれかが、そとからはいることができたのか。」
「いや、戸じまりは厳重にしてありました。みんなで見まわって、たしかめたから、まちがいありません。そとからは、ぜったいに、はいれないはずです。」
それでは、どうして、コーヒーの中へ、ねむり薬がはいったのでしょう。また、正一君がいなくなったのは、なぜでしょう。
「よしッ、それじゃ、すぐに、みんなをたたき起こして、正一をさがすんだ。ひょっとしたら、家の中のどこかにいるかもしれない。」
そして、みんながたたき起こされ、西洋館の中はもちろん、庭から塀のそとまで、くまなくしらべましたが、正一君はどこにもいないことが、あきらかになりました。
さて、そのあくる日の朝はやくのことです。きのうの運送屋のふたりの男がやってきて、あのじゅうたんはまちがえて配達したのだからといって、玄関のすみにころがしてあった、棒のように巻いたじゅうたんを受けとると、おもてのトラックにつんで、たちさってしまいました。
こちらは、だれも注文したおぼえがないのですから、取りもどしにきたのはあたりまえだと思っていました。そのじゅうたんの中に、正一君がとじこめられているなどと、だれひとり、うたがってもみなかったのです。
骸骨男のトリックは、まんまと成功しました。それにしても、かわいそうな正一君は、これから、どんなめにあわされるのでしょう? あの手紙にあったように、おとうさんの手にかかって殺されるというような、とほうもないことが、起こるのではないでしょうか?
明智探偵事務所の書斎で、明智小五郎と小林少年が話していました。
小林君は、笠原正一少年がゆくえ不明になったことを、報告しているのです。
みんなが、ねむり薬でねむらされたのです。正一君はそのあいだに、つれだされたらしいのですが、何者が、どこから、つれだしたのか、まったくわかりません。家じゅうの戸にはみんなかぎがかかっていて、どこにも出入り口はなかったのです。正一君は、煙のように、戸のすきまからでも出ていったとしか考えられません。犯人はむろん、あの骸骨男です。あいつがまた魔法をつかったのです。
明智探偵なら、このなぞがとけるにちがいないというように、小林君は先生の顔を、じっと見つめるのでした。
「あいつは、笠原さんが自分の手で、正一君を殺すのだと、いったのだね。」
「そうです。それが恐ろしいのです。」
明智探偵は、しばらく考えていましたが、ふと思いついたようにたずねました。
「きのうは、ひっこしで、まだいろいろな荷物がはこびこまれていたわけだね。なにか大きな荷物が、いちど持ちこまれて、またそのまま、持ちだされたというようなことは、なかっただろうか。」
小林君は、それをきくと、ハッとしたように目をみはりました。
「そういえば、へんなことがありました。正一君たちの見はりばんをするために、あそこにとまっているサーカス団員が、こんなことを話していたのです。きのう、運送屋が、じゅうたんの巻いたのを持ってきたのだそうです。こちらは、注文したおぼえがないといっても、代金をいただいているからといって、むりにおいていったのだそうです。ところが、けさになって、その運送屋が、またやってきて、きのうのじゅうたんは、あて名をまちがえたのだといって、とりかえしていった、というのです。」
「それじゃ、きみは、そのじゅうたんを見たわけではないね。」
「ええ、ぼくがあそこへいったときには、もう、運送屋が、取りもどしていったあとでした。」
明智探偵はそれを聞くと、すぐにデスクの上の電話の受話器をとって、笠原さんのうちを呼びだしました。
「こちらは明智探偵事務所ですが、笠原さんはおいでですか……。え、お出かけになった? ……あなたは? ああサーカス団のかたですね。いま小林君に聞いたのですが、きのう、じゅうたんが持ちこまれたそうですね。あなたはそれを、ごらんになりましたか。ああ、あなたが受けとったのですか。じゅうたんは巻いてあったのですね。その大きさが知りたいのですが、長さは? ……二メートルぐらいですね。太さは? ……五十センチ? そんなに太かったのですか。ああ、三部屋ぶんですね。わかりました。……ところで笠原さんは、いつごろ出かけられたのですか……いましがた? サーカスへいかれたのですか。え? そうじゃない? どこです? 射撃場ですって? 銃の射撃を練習しておられるのですか。その射撃場はどこにあるのです? 世田谷区の烏山町。芦花公園のむこうですね。烏山射撃場というのですね。その射撃場の電話番号はわかりませんか。え? 三二一の五四九〇ですね。いや、ありがとう。」
明智探偵はいちど受話器をかけると、すぐにまたはずして、いま聞いたばかりの番号を呼びだしました。
「烏山射撃場ですか? あなたは? ……ああ、射撃場の主任さんですね。射撃の練習はもうはじまっていますか。え、まだですって。そこへ、グランド=サーカスの笠原さんがいっておられますか。え? まだきておられない? きょうは何人ほど、練習にこられるのですか。……三人ですか。笠原さんもそのひとりですね。わかりました。ぼくは私立探偵の明智小五郎です。いますぐに自動車でそちらへいきます。三十分はかかるでしょう。ぼくがいくまで、射撃の練習をはじめないでください。ぜったいに射撃をやってはいけません。わかりましたか。人の命にかかわることです。殺人事件が起こるかもしれないのです。かならず、ぼくがいくまで待ってください。わかりましたね。」
明智探偵は、くどいほど念をおして電話をきりました。
「先生、お出かけになるのですか。」
小林君が、めんくらったように、たずねました。小林君には、明智先生が、なにを考えているのか、すこしもわからないのです。
「うん、大いそぎで、自動車を呼んでくれたまえ。そして、きみもいっしょにいくのだ。ぼくの考えちがいかもしれない。しかし、いって、たしかめてみるまでは、安心ができない。ひょっとしたら、正一君がおとうさんの笠原さんに、殺されるかもしれないのだ。」
「エッ? 正一君が? それじゃあ、骸骨男のいったとおりになるかもしれないのですね。」
「そうだよ。だから大いそぎだ。すぐに車を呼びたまえ。」
笠原さんは、ときどき、サーカスのぶたいに、出ることがあります。なが年きたえた腕で、空中曲芸でもオートバイの曲乗りでも、なんでもできるのです。なかでも射撃術は名人で、遠くから助手のくわえているタバコをうち落とすことができます。助手の顔をすこしもきずつけないで、タバコだけをうち落とすのです。またトランプのカードをまとにして、ハートならハートのしるしを、上からじゅんばんに、ひとつひとつ、いぬいて見せることもできるのです。
ですから、笠原さんは、射撃の腕がおちないように、日をきめて射撃場にかよい、練習をしているのですが、きょうは、ちょうどその練習日なので、烏山射撃場へやってきたのです。
ほんとは、正一君のことが心配で、射撃どころではないのですが、警察にもとどけたし、小林少年に、明智探偵に話してくれるようにもたのんだので、そういう専門の人たちが、正一君のゆくえを捜してくれるのを、待つほかはありません。
笠原さんが、いくらやきもきしても、しかたがないのです。それに、家にいて、くよくよしていては、気がめいるばかりですから、ちょうど練習日だったのをさいわいに、おもいきって射撃場へやってきたわけです。
烏山射撃場は小さな事務所のたてもののほかは、なにもない広い林の中です。いっぽうに、たまよけの高い土手がつづいて、その前に白い砂が山のようにつんであり、その砂の中ほどに、三つのまとが立っているのです。
笠原さんはいつも、その三つのまんなかのまとで、練習することにしていました。あとの二つは、ほかの人がつかうのです。
笠原さんは事務所から銃を持ちだすと、射撃のスタンドに立って銃にたまをこめ、いまにも練習をはじめようとしていました。
そこへ、事務所の主任が、あたふたと、かけつけてきたのです。そして、両手をふりながら、
「待ってください。待ってください。」
と、叫びました。
「どうしたのです。なぜとめるのです。」
笠原さんが、ふしん顔で、聞きかえしました。
「すこし、わけがあるのです。すみませんが、十分ほどお待ちください。事務所でおやすみねがいたいのです。」
「十分ぐらいなら待ってもいいが、わけをきかせてもらいたいね。わしも、いそがしいからだだからね。」
「二十分ほど前に電話がありまして、いまから三十分もしたら、そこへいくから、それまで、ぜったいに射撃をやってはいけないというのです。」
「ふうん、いったい、だれがそんな電話をかけてきたんだね。」
「有名な私立探偵の明智さんです。人の命にかかわることだから、かならず待っているようにと、たびたび、念をおされました。」
「エッ、明智探偵がそんなことをいったのか。おかしいな。こんなところで、人の命にかかわるような事件が起こるはずはないのだが……しかし、明智さんがそういったとすれば、待ったほうがいいだろうな。よろしい。事務所で、しばらくやすんでいることにしよう。」
笠原さんはそういって、銃を持ったまま、主任といっしょに、事務所のほうへ、もどっていきました。
しばらくすると、事務所の前に、自動車がとまって、明智探偵と小林少年がおりてきました。
主任が出むかえ、事務所の中にあんないしますと、小林少年が、そこにやすんでいる笠原さんを見つけて、明智探偵にひきあわせました。
「明智先生ですか、はじめておめにかかります。小林君や少年探偵団の人たちには、いろいろ、ごやっかいになっています。」
笠原さんが、ていねいにあいさつしました。
「小林君から聞きますと、お子さんがゆくえ不明になられたそうで、ご心配でしょう。これからはわたしも、およばずながら、おてつだいするつもりですよ。」
「ありがとうございます。名探偵といわれるあなたが力をかしてくだされば、こんな心じょうぶなことはありません。それにしても、あなたは、電話で、射撃の練習をしてはいけないと、おいいつけになったそうですが、それは、どういうわけでしょうか。」
「ちょっと心配なことがあるのです。……わたしの思いちがいかもしれませんが、しらべてみるまでは安心できません。」
「しらべるといいますと?」
「この射撃場のまとをしらべるのです。……だれか、シャベルを持って、わたしについてきてくれませんか。」
明智探偵は、主任にたのみました。主任はそこにいた若い男に、そのとおりにするように命じました。
明智探偵はその男をつれて、まとの立っている白い砂山のほうへ、歩いていきます。そのあとから、小林少年と、笠原さんと、主任と、それから射撃の練習にやってきたふたりの紳士とが、ぞろぞろとついていきます。
まとのところへくると、明智は、シャベルを持った男に、三つならんでいるまんなかのまとのうしろの砂を、ほるように命じました。
男はシャベルを白い砂山に入れて、さっく、さっくと砂をかきのけていきます。
すると、五、六ど、シャベルをつかったばかりで、砂の下から、みょうなものがあらわれてきたではありませんか。
「それを、きずつけないように、そっと砂をのけてください。」
明智がさしずをします。男が、シャベルをよこにして、しずかに砂をのけていくにつれて、そのみょうなものは、だんだん大きくあらわれてきました。
「やっぱりそうだ。これはじゅうたんを巻いたものですよ。さあ、みなさん、手をかしてください。これをそとへ引きだすのです。」
そこで、みんなが力をあわせて、長いじゅうたんの棒を、砂のそとへ引きずりだしました。
明智は、巻いたじゅうたんのあちこちを、手でたたいてしらべたあとで、しばってあるひもをといて、じゅうたんをころがしながら、ひろげていきました。
「アッ!」
みんなが、おもわず叫び声をたてました。ごらんなさい。じゅうたんのまんなかが、空洞になっていて、そこにひとりの少年が、とじこめられていたではありませんか。
「アッ、正一だ。おい正一。しっかりするんだ。明智さん、これが、かどわかされたわたしの子どもですよ。」
笠原さんは、手足をしばられた正一君をだきおこし、縄をとき、さるぐつわを、はずしてやりました。
「正一、だいじょうぶか? どこもけがはしていないか。」
すると、気をうしなったように、ぐったりしていた正一君が、目をひらいて、ワッと泣きだしながら、おとうさんの胸にしがみついてきました。
「よし、よし、もうだいじょうぶだ。安心しなさい。これからはもう、けっしてこんなめにはあわせないからね。」
正一君は、べつにけがもしていません。じゅうたんには、ちゃんと空気のかようすきまが作ってあったので、息がつまるようなこともなかったのです。
「明智先生、ありがとう。あなたのご注意がなかったら、わしは、この子をうち殺していたところです。わしがいつも使う、まんなかのまとのすぐうしろに、この子がいたわけですからね。よかった、よかった。明智先生は、正一の命の恩人です。正一、先生にお礼をいいなさい。おまえは明智先生と、それから小林君のおかげで、命びろいをしたんだよ。」
それにしても、なんという恐ろしい思いつきでしょう。じゅうたんの棒の中にかくれて、笠原さんの家にしのびこみ、そのじゅうたんに正一君をとじこめて、笠原さんの射撃のまとのうしろの砂山にうずめておくとは! 悪魔でなければ、考えられない悪だくみです。
それを、たちまち気づいて、射撃をとめさせた明智探偵の知恵は、たいしたものです。名探偵の名にはじぬ、じつにすばやいはたらきでした。
それからというもの、笠原さんの西洋館の警戒は、いっそう厳重になりました。サーカス団員だけでなく警視庁のうでききの刑事が三人ずつ、夜昼こうたいで、笠原邸につめることになったのです。
そうなると、台所のしごともふえるので、いままでの女中さんのほかに、明智探偵のしょうかいで、ひとりの若い女中さんが、住みこむことになりました。その新しい女中さんは、まだ十五、六のかわいい少女でしたが、なかなかしっかりもので、じつによく働きます。しかし、この女中さんには、へんなくせがありました。まよなかに、家の中を歩きまわるのです。だれにも気づかれないように、こっそりと、歩きまわるのです。
射撃場の事件があってから五日ほどたった、あるまよなかのことです。少女の女中さんは、またしても、じぶんの寝室をぬけだして、二階の廊下をまるで泥坊のように、足音をしのばせて歩いているのでした。
女中さんは、廊下のまがり角にきたとき、ふと、立ちどまりました。かすかな音が聞こえたからです。廊下の角に、身をかくして、音のしたほうを、そっとのぞいてみました。
すると、うす暗い廊下のむこうから、へんなものが歩いてくるではありませんか。刑事さんが見まわりをしているのかと思いましたが、そうではありません。刑事さんが、あんなものすごい顔をしているはずがないのです。そいつは、ぴったり身についた黒いシャツを着て、顔は、ああ、あの骸骨とそっくりだったのです。
骸骨男です。またしても骸骨男は、厳重な戸じまりをくぐりぬけて、家の中へ、はいってきたのです。むろん、正一君かミヨ子ちゃんを、ねらっているのにちがいありません。女中さんは、声をたてて、みんなを呼ぼうか、どうしようかと、考えているようでしたが、なにか決心したらしく、いきなり、まがり角から、ひょいと、とびだしました。そして、骸骨男のまえに立ちふさがったのです。
この大胆なふるまいには、骸骨男のほうがおどろいてしまいました。
もし、声でもたてられたら、一大事です。骸骨男は、アッと、小さく叫んで、いきなり、逃げだしました。
勇敢な女中さんは、そのあとを追っていきます。いったい、この女中さんは、なにものでしょう。どうして、こんな大胆なことができるのでしょう。少女に追っかけられているとわかると、骸骨男は、いっそうあわてたようです。かれは、すこし廊下を走ると、いきなり、ある部屋のドアをひらいて、その中に逃げこみました。
少女は、すぐに、そのドアの前に、かけつけたのですが、さすがに、ドアをひらくのをためらいました。骸骨男がドアのうちがわに待ちかまえていて、とびかかってくるのではないかと思ったからです。
少女は、ソッとかぎ穴から、のぞいてみました。かぎ穴からは部屋のいちぶしか見えませんが、そこには、だれもいないのです。ドアのうしろに、かくれているようすもありません。
思いきって、ドアのとってをまわしてみました。かぎはかかっていません。そっとひらきました。一歩、部屋の中へはいりました。……部屋はからっぽでした。
その部屋は、だれも住んでいない空き部屋で、すみにベッドがおいてあるだけです。少女は、そのベッドのそばへいってクッションをたたいてみたり、ベッドの下をのぞいたりしましたが、どこにも人のすがたはありません。
窓には鉄ごうしがはまっています。この部屋には戸だなもありません。人のかくれる場所はまったくないのです。
骸骨男が、この部屋へ逃げこんだことはまちがいありません。それでいて、部屋の中にはだれもいないのです。幽霊のように消えうせてしまったのです。
少女は、おおいそぎで二階をおり、懐中電灯を持って、裏口から庭へ出ていきました。
骸骨男が、二階の窓から逃げたとすれば、その下の庭へおりたにちがいありません。そのすがたを見きわめようとしたのです。
しかし、庭にも、なんのあやしい人かげもありません。すばやく、逃げさってしまったのでしょうか。しかし、それなら、庭のやわらかい土の上に、足あとが残っているはずです。
少女は、空き部屋の窓の下の地面を、家のはしからはしまで、懐中電灯で照らしながら、念いりに、見てまわりましたが、足あとは一つもありません。
笠原さんの家は一けんやですから、隣りの屋根へとびうつって、逃げるというようなことはできません。また、空き部屋のがわは、一階のほうが、すこし出ばっていて、せまい屋根がついているので、骸骨男は、むろん、その屋根から、地面へおりたはずです。
少女は、その屋根のがわの地面を、くまなく、しらべたのです。しかも、そこには、足あとらしいものが、まったく残っていなかったのです。
もしや、そのせまい屋根の上に身をふせて、かくれているのではないかと、すこし遠くへいって、屋根の上を見わたしましたが、それらしいかげも見えません。夜ふけでも、空のうす明かりで、人がいるか、いないかはわかるのです。
骸骨男は、やっぱり、下におりて、逃げさったとしか考えられません。しかも、やわらかい地面に、ひとつも足あとを残さないで、逃げさったのです。
頑丈な窓の鉄ごうしを、ぬけ出したのも、じつにふしぎですが、すこしも足あとを残さないで、地面を歩いていったとすれば、これもふしぎです。あいつは、やっぱり幽霊のように、地面に足をつけないで、ふわふわと、空中を飛んでいったのでしょうか。
少女は家の中にもどって、みんなに、このことをしらせましたので、大さわぎになりました。三人の刑事がさきに立って、二階の空き部屋をしらべましたが、壁にも、天井にも、床にも、ぬけ穴などないことがわかりました。窓の鉄ごうしにも、いじょうはありません。
それから、みんなで、懐中電灯をふり照らしながら、庭や塀のそとをくまなく捜しましたが、骸骨男が逃げさったらしいあとは、どこにも残っていないのでした。
それから、二日めの、まよなかのことです。
正一少年は、おとうさんの笠原さんと、同じ部屋に、ベッドをならべて眠っていました。
妹のミヨ子ちゃんは、まだ小さいのだから、もしものことがあってはと学校もやすませて、台東区にある笠原さんのしんせきのうちへ、あずけてあるのです。ですから、寝室には、ミヨ子ちゃんのすがたは見えません。
この寝室は、二日まえ骸骨男が逃げこんだ、あの二階の空き部屋の隣にあるのです。やっぱり、窓には、頑丈な鉄ごうしがはめてあります。
ドアのそとの廊下には、刑事とサーカス団員が、長イスに腰かけて、がんばっています。三人の刑事と、三人の団員がかわりあって、朝まで見はりばんをつとめるのです。
これでは、骸骨男がしのびよるすきがありません。正一君はあんぜんです。たとえ見はりの目をかすめて、寝室にはいれたとしても、正一君の隣のベッドには、力の強い笠原さんが寝ているのです。正一君を、むざむざ、骸骨男の思うままにさせるはずがありません。
そのとき、正一君は、恐ろしい夢を見ていました。
うす暗い空から、豆つぶのようなものが、いっぱい、ふってくるのです。それが、下へ落ちてくるほど、だんだん、大きくなってきます。ピンポンの球ぐらいの大きさの白いものが、たくさん、正一君の頭の上に落ちてくるのです。
よく見ると、その白いものには、まっ黒な目と、三角の黒い鼻と、歯をむき出した口がありました。骸骨の首です。何十、何百ともしれぬ骸骨の首が、ふってくるのです。
正一君は、死にものぐるいで逃げだしました。しかし、いくら走っても骸骨の雨はやみません。どこまでいっても、空は骸骨でいっぱいなのです。
正一君は、走りつかれて、地面にたおれてしまいました。その頭の上へ骸骨がふってくるのです。ピンポンの球が、ちゃわんほどの大きさになり、おぼんほどの大きさになり、スーッと、目の前にせまってくるのです。
やがて、骸骨の顔は、目の前におおいかぶさるほどの大きさになりました。それにかくされて、ほかの骸骨は、もう見えません。巨人のような、たった一つの骸骨の顔が、正一君をおしつぶさんばかりに近づいてきたのです。
正一君はキャーッと叫びました。すると、骸骨の恐ろしい口が、パクッとひらいて、いきなり、正一君の肩に食いついてきたではありませんか。
「これ、正一、どうしたんだ。しっかりしなさい。」
おとうさんの笠原さんが、ベッドをおりて、うなされている正一君を起こしてくれたのです。
「こわい夢でも見たのか。」
骸骨に食いつかれたと思ったのは、おとうさんが、正一君の肩をつかんで、ゆり動かしていたのです。
「ああ、ぼく、こわい夢見ちゃった。でも、もうだいじょうぶ。」
正一君が、元気な声で答えましたので、おとうさんは、そのまま、寝室のいっぽうにあるドアをひらいて、洗面室へはいっていきました。
正一君は、おとうさんを安心させるために元気なことをいいましたが、ほんとうは、こわくてしょうがないのです。眠れば、またこわい夢を見るのかと思うと、目をふさぐ気になれないのです。
「どうして、おとうさんは、こんなにおそいのだろう。なぜ、はやく洗面室から帰ってこないのだろう?」
正一君がふしぎに思っていますと、その洗面室の中で、どしんと、もののたおれるような音がして、「ううん。」という、うめき声が聞こえてきました。
正一君はギョッとして、ふとんの中に、もぐりこみましたが、そのまま、しいんとしてなんのもの音も聞こえません。
「どうしたんだろう。おとうさんが、洗面室でたおれたのかしら。」
おずおず、ふとんから顔を出して、そのほうを見ました。
「アッ?」正一君は、心臓がのどまで、とびあがってくるような気がしました。
あいつがいるのです。あの恐ろしい骸骨男が、部屋のすみから、こちらへ、歩いてくるのです。ぴったり身についた、黒いシャツとズボン、黒い手ぶくろ、黒い靴下、顔は、いま墓場から出てきたような骸骨です。
正一君はベッドの上に起きあがって、逃げだそうとしましたが、逃げることができません。ヘビにみいられたカエルのように、じっと、怪物の顔を見つめたまま、わき見ができないのです。声をたてることも、身うごきすることも、できないのです。
「うふふふふ……、こんどこそ、もう逃がさないぞ! おれのすみかへ、いっしょにくるのだ!」
骸骨の長い歯の口が、がくがくと動いて、そこから、きみの悪い声が聞こえてきました。
それからどんなことがあったか? 正一君は、もう、無我夢中でした。
さっきの夢のつづきのように、骸骨の顔が、目の前いっぱいに、近づいてきたのです。
正一君は、もう死にものぐるいです。やっと声が出ました。
「キャーアッ……。」と、つんざくようなひめいをあげました。そして、めちゃくちゃに手と足を動かして、ていこうしました。
しかし、骸骨男は鉄のような腕で、正一君をベッドから引きずりおろし、床にころがして、その上に馬のりになると、まるめた布を口の中におしこみ、てぬぐいのようなもので、口のところをしばってしまいました。さるぐつわです。正一君は、もう声をたてることができません。
そうしておいて、どこからか、二本のほそびきを取りだすと、正一君の手をうしろにまわして、しばりあげ、足もしばってしまいました。
正一君のからだが、スーッと宙に浮きあがりました。骸骨男がだきあげて、こわきにかかえたのです。そうして、どこかへ、つれていくのでしょうが、怪物は、いったい、どうして、この寝室から出るつもりなのでしょう。
ドアのそとには、刑事とサーカス団員ががんばっています。窓には鉄ごうしがはめてあります。洗面室は、寝室から出入りできるばかりで、ほかに出口はありません。いよいよ、骸骨男が魔法をつかうときがきたのです。
それにしても、さきほど洗面室へはいっていった笠原さんは、なにをしているのでしょう。なぜ、正一君を助けにきてくれないのでしょう。
しかし、笠原さんは、洗面室から出られない、わけがあったのです。正一君がひどいめにあっていることは、よくわかっていても、助けにこられない、わけがあったのです。
さっきの正一君のひめいは、むろん廊下まで聞こえました。そこの長イスにがんばっていた、刑事とサーカス団員は、ハッとして立ちあがったのです。
刑事は、つかつかとドアの前にいって、とってをまわしました。しかし、中からかぎがかかっていて、どうすることもできません。
あいかぎはあるのですが、それをどこかへおいて、骸骨男にぬすまれては、たいへんだというので、二つとも笠原さんが持っていました。寝室の中からは、ひらくことができますが、そとからはぜったいに、あけられないのです。
「笠原さん、ここをあけてください。いまの叫び声は、どうしたのです。なにか、あったのですか。」
刑事が、大声でよびかけましたが、中からは、なんのへんじもありません。しいんと、しずまりかえっています。
「おかしいな。ひょっとしたら……。」
「たしかに、あれは、正一さんの叫び声でした。くずくずしてはいられません。やぶりましょう! このドアをやぶって、中へはいりましょう!」
サーカス団員が、息をはずませていいました。
「よし、それじゃ、ぼくがドアをやぶりますよ。」
刑事は、そういったかと思うと、廊下のはしまであとずさりして、いきおいをつけて、ドアにぶっつかっていきました。すると、恐ろしい音がしましたが、ドアはびくともしません。ひじょうに頑丈なドアです。
そのさわぎに、ほかの刑事や団員も、下からかけあがってきました。あのかわいらしい女中さんも、そこへやってきました。みんな、しんけんな顔つきです。骸骨男のことを考えているからです。あの幽霊のような骸骨男が、ふしぎな魔法で、寝室の中へしのびこんだかもしれない。そして正一少年をひどいめにあわせているのかもしれないと、思ったからです。
刑事は、二ど、三ど、ドアにぶつかっていきました。そのたびに、めりめりという音がして、三どめには、ドアの板がやぶれ、すこし、すきまができました。
そのすきまにむかって、また、ぶつかっていきます。だんだん穴が大きくなりました。そこへ手をかけて、力まかせに、板をはがし、とうとう、人間が出入りできるほどの、穴をあけてしまいました。
刑事とサーカス団員たちは、ひとりひとり、その穴から寝室の中へはいっていきました。
「オヤッ! だれもいないじゃないか。」
寝室はからっぽになっていました。正一君も、おとうさんの笠原さんも、どこかへ消えてしまって、二つのベッドの上には、毛布やふとんが、みだれているばかりです。みんなは、ベッドの下や、たんすのうしろなどをさがしまわりました。しかし、どこにも人かげはないのです。
刑事たちは、二つの窓をひらいて、鉄ごうしをしらべましたが、かわったことはありません。ちゃんと、窓わくにとりつけてあります。そこからだれかが出ていったなどとは、どうしても考えられないのです。
あのかわいらしい女中さんは、部屋のすみに立って、そのようすをながめていましたが、ハッとしたように、聞き耳をたてました。なんだか、みょうな音がしたからです。人のうなっているような音です。どうやら、洗面室のドアの中からのようです。
女中さんは、そのドアを、そっとひらいてみました。
「アラッ、たいへん! こんなとこに、団長先生が……。」
団長先生とは笠原さんのことです。うちのものは、笠原さんを、そうよんでいるのです。
みんなが、そこへ、集まってきました。
笠原さんは、パジャマの上から手足を、ぐるぐるまきにしばられ、タオルで、さるぐつわをはめられて、洗面台の下にたおれていました。そのさるぐつわの下から、うめき声をたてていたのが、女中さんの耳にはいったのです。
みんなで、なわとさるぐつわをときますと、笠原さんは、
「あいつは、どこにいます。つかまりましたか。」
といいながら、キョロキョロと、あたりを見まわすのです。
「あいつって、だれです。だれかいたのですか。」
刑事のひとりが、たずねました。
「骸骨のやつです。わしがこの洗面室へはいったかと思うと、あいつが、うしろから組みついてきたのです。あいつの腕は鉄のように強くて、とてもかないません。またたくまに、しばられてしまいました。……しかし、正一は? あいつは正一を盗みだしにきたにちがいないのだが、正一は、ぶじですか。どこにいます。」
「いや、それが……正一さんは、どこかへいなくなってしまったのです。むろん、骸骨男のすがたも見えません。」
「そんなばかなことはない。正一はちゃんと、むこうのベッドに寝ていたのです。それに、あんなひめいをあげたじゃありませんか。骸骨男に、ひどいめにあわされたのです。そのふたりが、消えてなくなるなんて、そんなはずはない。ドアは、きみたちが、やぶらなければならなかったほど、ちゃんと、しまりがしてあった。窓には鉄ごうしがはまっている。この部屋には、天井にも、壁にも、床にも、ぬけ穴なんて一つもない。骸骨男と正一は、いったいどうして出ていったのです?」
「わたしたちも、それがわからないので、とほうにくれているのですよ。まるで、空気の中へとけこんでしまったとしか考えられません。」
刑事が答えました。
それから、笠原さんもいっしょになって、みんなで、寝室の中はもちろん、家じゅうの部屋、庭から塀のそとまで、くまなくしらべましたが、骸骨男がとおったらしいあとは、どこにもないのでした。それらしい足あとも、まったく、ありません。
怪人骸骨男は、またしても、みごとな魔法をつかいました。かんぜんな密室の空気の中へ、とけこんでしまったのです。
しかし、このお話は、怪談ではありません。骸骨男はお化けのように見えますが、この世にお化けなんて、いるはずはないのですから、いくら、ふしぎに見えても、やっぱり人間のしわざにちがいないのです。
人間なれば、煙のように消えることは、できないはずです。これには、なにか思いもよらない秘密のトリックがあるのです。ああ、それは、いったい、どんな秘密なのでしょうか。
正一君が、骸骨男といっしょに、消えうせてしまったあくる日には、骸骨男の捜査本部が、警察署におかれたので、お昼すぎには、笠原さんも刑事たちも、そのほうへ出かけ、笠原さんのお家には、るすばんのほかはだれもいなくなってしまいました。
そのすきを見すまして、あの探偵ずきのかわいい女中さんは、そっと二階にあがり、正一君がつれさられた寝室にしのびこみました。そして、部屋の中をすみからすみまで見てまわったあとで、窓の鉄ごうしを、とくべつ念いりにしらべました。
鉄ごうしの下がわのわくは、二本のボルトでとめてあることがわかりました。ボルトというのは、鉄の棒のさきにねじがきってあって、そこへ、ナットという六角形の金物をはめて、スパナ(ねじまわし)でしめつけるようになっているものです。
「へんだなあ。こんな鉄ごうしのとめかたって見たことがないよ。」
女中さんは、男の子のような声で、ひとりごとをいいながら、こんどは、鉄ごうしの上のほうをしらべていましたが、
「あッ、わかった!」
と叫ぶと、いきなり寝室をかけだし、どこからかスパナをさがしだして、もどってきました。そして、スパナを持った右手を、窓の鉄ごうしのすきまからそとに出し、下がわのわくのしめつけてある六角のナットのねじをもどして、二つのナットをはずしてしまいました。そして、両手を鉄ごうしにかけて、グッとおしてみますと、スーッと、むこうへひらいていくではありませんか。鉄ごうしの上のほうが、ちょっと見たのでは、わからないような、ちょうつがいになっていて、鉄ごうしぜんたいが、むこうへひらくのです。
鉄ごうしの右がわのわくも、左がわのも、そとから四つずつのナットで、しめつけてあるように見えますが、それはにせもので、ただナットだけが、とりつけてあって、ボルトはないのです。ですから、下がわの二つのナットさえはずせば、鉄ごうしが、上のちょうつがいで、いくらでもむこうへひらくようになっているのです。
「これで、寝室のなぞがとけたぞ!」
女中さんは、また、男の子の声でひとりごとをいいましたが、すぐに、隣の空き部屋へとんでいって、そこの窓の鉄ごうしをしらべました。すると、そこにも同じしかけがしてあって、下がわの二つのナットをはずせば、鉄ごうしがひらくようになっていました。
まえのばんに、骸骨男が、この部屋に逃げこんで消えてしまったのは、この鉄ごうしのそとに出て、ナットをもとのようにしめておいて、一階とのあいだにあるせまい屋根の上にしゃがんで、かくれていたのでしょう。
そして、女中さんが、懐中電灯で庭の足あとをしらべたときには、また、部屋の中にもどって、かくれていたのにちがいありません。
それから、正一君をつれさったときも、寝室のほうの鉄ごうしをひらいて逃げたのでしょうが、しかし、あのとき庭をしらべても、やっぱり足あとがなかったのは、なぜでしょう。このときは、人がいっぱいいたので、もう一ど寝室へもどるというようなことは、できなかったはずです。
女中さんは、そんなことを、心の中で考えていましたが、どうも、ふにおちないところがあります。そこでふと思いついて、鉄ごうしから、窓の下の屋根へ出てみる気になりました。
庭にめんしたがわだけ、一階のほうが出っぱっていて、そこに一メートルほどのはばの屋根が、ずっと、つづいているのです。
女中さんは、その屋根の上を、ネコのように四つんばいになって、隣の寝室の窓のほうへ、はっていきましたが、ちょうど、こちらの空き部屋と寝室とのあいだの壁の前で、みょうなことを発見しました。そこの屋根が、はば五十センチ、長さ二メートルほど、ほかの屋根と色がちがっているのです。さわってみますと、そこだけ、かわらでなくて、鉄の板でできているらしいのです。見たところは、形も、色もかわらとそっくりですが、鉄の板をかわらをならべたような形にして、かわらと同じ色をぬったものだということがわかりました。
女中さんは、そのほそ長い鉄の板に、手をかけて、ひっぱってみました。するとこれも、ちょうつがいになっていて、ふたのようにひらくのです。うすい鉄の板ですから、そんなに重くはありません。
「ああ、あいつは、ここにかくれていたのかもしれない。」
女中さんは、鉄の板の下が、ほそ長い空洞になっていて、人間が横になってかくれられるのにちがいない、と思いました。
そこで、力をこめて、その鉄の板を、グッとひらいたのですが、ひらいたかとおもうと、女中さんは「アッ!」と声をたてて、そのまま、身うごきもできなくなってしまいました。
じつに、おどろくべきものを発見したのです。ああ、これは、どうしたことでしょう。その空洞の中には、手足をしばられ、さるぐつわをはめられた、ひとりの少年が、ぐったりとなって、横たわっていたではありませんか。
それは正一君でした。骸骨男にさらわれたとばかり思っていた正一君が、こんなところに、かくされていたのです。
いったい、これは、どうしたわけでしょうか? 骸骨男は、正一君を、つれさったのではないのです。すると、あいつは、まえのばんに空き部屋で消えたときと、同じように、家の中へ、もどったのでしょうか。そうにちがいありません。庭に足あとが残っていなかったのが、なによりの証拠です。
さあ、わからなくなってきました。骸骨男は、一ども、そとへ逃げなかった。いつも家の中にもどって、どこかにかくれていた。しかしそれなら、あの大ぜいの人たちに見つからぬはずはありません。骸骨男はどうして、みんなの目をくらますことができたのでしょうか?
女中さんは、屋根の空洞に横たわっている正一君を、助けだすこともわすれて、このふしぎななぞをとくために、一生懸命に考えました。目をつむり、全身の力を頭に集めて、いっしんふらんに考えました。
そうして、考えているうちに、女中さんの顔が、だんだん、青ざめてきたではありませんか。目はおびえたように、まんまるにひらき、口はすこしあいたままで、まるで人形のように、からだが動かなくなってしまったのです。
「ああ、恐ろしい。そんなことがあっていいものだろうか。」
女中さんは、ふるえ声で、ひとりごとをいいました。やっぱり男の子の声です。
「そうだ。きっとそうだ。よしッ、ためしてみよう。もし、そうだったとしたら……。」
女中さんはそういって、屋根の鉄の板を、ソッとしめてしまいました。正一君を助けださないことに決心したのです。正一君には気のどくだけれども、ある恐ろしい事実をたしかめるためには、このままにしておかなければならないと、考えたのです。
そして、かわいい女中さんは、まだ、青ざめた顔のまま、部屋の中へもどり、鉄ごうしのナットを、もとのとおりにしめてから、階段をおりていくのでした。
その日の夕がた、笠原さんの家の玄関へ、大きなトランクをさげたひとりの男が、たずねてきました。
だぶだぶした背広をきて、とりうち帽をかぶり、鼻のひくい、目じりのさがった、口の大きなおどけたような顔の三十五、六の男です。
そのとき、笠原さんは、捜査本部から帰って家にいましたので、玄関に出て、用向きをたずねますと、その男は、
「あっしは、旅まわりの腹話術師です。おやかたのグランド=サーカスの余興に、つかっていただきたいと思いまして。腹話術は東京の名人たちにも、ひけはとらないつもりです。ひとつ、ためしに、やらしてみていただけませんでしょうか。」
とたのむのでした。
「そうか。いま、家はとりこみちゅうだが、腹話術師はひとりほしいと思っていたところだ。あがってやってみるがいい。」
笠原さんは、そういって、腹話術師を応接間へとおしました。
そして、家じゅうのものを、そこへ集めて、腹話術を見物することになったのです。
刑事さんたちは、もうこのうちにおりませんので、サーカス団員三人と、女中さんたちとが見物人です。
「おや、ひとり女中がたりないね。ああ、あの新しくきた若いのがいない。どうしたんだね。」
笠原さんがたずねますと、いちばん年うえの女中さんが、答えました。
「あの子は、お昼すぎに、まっ青な顔をして、からだのぐあいがわるいから、ちょっと、うちへ帰らせてもらいますといって、出ていったまま、まだ帰らないのでございます。」
「ああ、そうか。あの子は、なんだかへんな子だね。」
笠原さんは、そういったまま、腹話術師に、芸をはじめるように命じました。腹話術師は、持ってきた大トランクをひらいて、十歳ぐらいの子どもの大きさの人形を、二つとりだしました。一つは日本人の男の子、一つは黒んぼの男の子です。
その両方を、かわるがわるつかって、いろいろとおもしろい腹話術を、やってみせるのでした。そして、ひととおり芸がおわると、
「うん、なかなかうまいもんだ。よろしい。きみをサーカスに入れることにしよう。その給金の話なんかもあるから、わしの居間へいって、ゆっくり、相談しよう。さあ、こちらへきたまえ。」
笠原さんは、そういって、応接間を出ていきます。腹話術師は二つの人形を大トランクにしまって、それをさげて、笠原さんのあとにつづきました。
それから三十分もたったでしょうか。腹話術師は、給金の話もつごうよくきまったとみえて、ニコニコしながら、玄関へ出てきました。そして、笠原さんに見おくられて、れいの大トランクをさげて、門のそとへたちさりました。
門から五十メートルもいったところに、一台のりっぱな自動車が待っていて、腹話術師は、それに乗りこみ、自動車は西のほうにむかって出発しました。
旅まわりの腹話術師が、こんなりっぱな自動車を待たせておくなんて、なんだか、おかしいではありませんか、それほど、お金もちのはずはないのです。
それよりも、もっとへんなのは、腹話術師が車に近づいてきたとき、自動車のうしろの荷物を入れる場合、これも大カバンと同じなまえで、トランクというのですが、そのトランクのふたが、二センチほど持ちあげられて、そこから二つの目が、じっと、そとをのぞいていたことです。自動車のトランクの中に、なにものかが、しのびこんでいるのでしょうか。
腹話術師は、それともしらず、運転手にさしずをして、西へ西へと走らせました。
やがて京浜国道に出て、横浜をとおりすぎるころには、もうすっかり日がくれて、あたりは、まっ暗になっていました。
それから、また、車は西へ西へと走ります。あたりが、だんだんさびしくなり、山みちにさしかかってきました。ぐるぐるまわった、登り坂です。どうやら、大山の入口に、さしかかったようすです。
笠原さんの家を出てから、三時間もたったころ、やっと、自動車がとまりました。うっそうと木のしげった山の中です。いったい、腹話術師は、こんなところへきて、なにをするつもりなのでしょう。
かれは、れいの大トランクをさげて、自動車をおりました。
「おい、きみ、懐中電灯を照らして、さきに歩きたまえ。」
運転手にそう命令して、じぶんは大トランクを、「よっこらしょ。」と、肩にかつぎました。よほど重いトランクのようです。
そして、懐中電灯の光をたよりに、ふたりは、森の中へ、わけいっていくのでした。
まっ暗な山みちに、からっぽになった自動車が、とりのこされていました。が、ふたりのすがたが、森の中へはいっていくと、その自動車のうしろのトランクのふたが、スーッとひらいて、中からひとりの人間が出てきました。
十五、六歳の男の子です。その子どもが、自動車のヘッドライトの前をよこぎるときに、ちらッと見えたのですが、顔はまっ黒で、かみの毛はぼうぼうとのび、ぼろぼろの服を着たこじきのような少年です。
そのこじき少年も、腹話術師たちのあとを追って、森の中へはいっていきました。
トランクをかついだ腹話術師と運転手が、ぐねぐねまがった森の中のほそ道を百メートルもすすむと、そこに小さな、炭やき小屋がたっていました。
小屋の中には、だれか人間がいるらしく、ぼんやりと石油ランプの光が見えています。
腹話術師はその小屋の前にくると、トランクをおろして小屋の板戸を、とん、とんとんとん、とん、とんとんとん、とへんなちょうしをつけてたたきました。このたたきかたが暗号になっているのかもしれません。すると中から、板戸がギーッとひらいて、もじゃもじゃ頭に、ぶしょうひげをまっ黒にはやし、カーキ色のしごと服をきた、四十あまりの炭やきみたいな男が、ヌッと顔を出し、恐ろしい目で、こちらを、じろじろと見るのでした。
「おれだよ。なかまだよ。ところで、やっこさんのようすはどうだね?」
腹話術師が、らんぼうな口をききました。
「ああ、おまえか。やっこさんは、あいかわらずよ。だまりこんで、考えごとをしている。もうひところのように、あれなくなったよ。」
「めしは食わしてるだろうな。」
「うん、そりゃあ、だいじょうぶだ。うえ死になんかさせやしないよ。」
「よし、それじゃあ、やっこさんに、おめにかかることにしよう。」
腹話術師は、そういって、また、大トランクをかついで、小屋の中にはいりました。
小屋の中は三坪ほどのせまい部屋で、いっぽうの土間には、まきやしばが、うずたかくつんであり、板の間には、うすべりをしいて、そのまんなかに、いろりがきってあります。そして、すすけた天井から、つりランプがさがっているのです。
「じゃあ、いつものように、案内したまえ。」
腹話術師がいいますと、炭やき男は部屋のすみへいって、うすべりをはがし、その下の板を、とんとんとたたいて、グッと持ちあげました。そこが一メートル四方ほどのあげぶたになっているのです。
そのふたの下には、深いほら穴があって、石をつんだ階段が見えています。
「きみ、やっぱり懐中電灯を照らして、さきへおりてくれ。」
腹話術師は、運転手にそう命令して、じぶんは、そのあとから大トランクをかついで、一段、一段と下へおりていくのでした。
石の階段を、十二ほどおりると、こんどは、横穴になっていました。立って歩けるほどのトンネルです。そこをすこしいくと、正面に頑丈な板戸がしまり、大きな錠でしまりができていました。
かぎでその錠をひらきますと、そのむこうに、まっ暗な部屋があり、なにか、かすかに動いているようです。
運転手が、そこへ、パッと懐中電灯の光をむけました。
その光の中にあらわれた人間! これが人間といえるでしょうか。髪もひげものびほうだいにのびて、そのあいだから、まっ青なやせおとろえた老人の顔がのぞいています。ぼろぼろになった服の胸がはだけて、あばらぼねが、すいて見え、まるで骸骨のようです。
ああ、このあわれな老人は、なにものでしょう? また、あやしい腹話術師の正体は? かれの大トランクの中にはいっているのは、はたして人形ばかりだったでしょうか?
自動車のトランクの中からはい出した、こじきのような少年は、腹話術師たちのあとをつけました。そして、ふたりが、炭やき小屋にはいったのを見とどけると、その小屋の窓のそとに、からだをくっつけて、戸のすきまから、じっと、小屋の中をのぞいていました。
腹話術師と運転手が、小屋の床板をはずして、地の底へおりていくのが見えました。この小屋には地下室があるのです。こじき少年はそれを見ると、しばらく考えていましたが、やがて、なにを思ったのか、小屋の入口の板戸の前までいって、そとから、とんとん、とん、とたたきました。
「だれだッ、戸をたたくやつは?」
中から、炭やき男のふとい声が、どなりました。
こじき少年は、くすくす笑いながら、ひとことも、ものをいわないで、また、だん、だん、だんと、こんどは、もっとはげしく戸をたたくのでした。
「だれだッ! うるさいやつだな。いまごろ、なんの用があるんだ。まて、まて、いまあけてやるから……。」
男の声が戸口に近づいて、板戸が、ガラッとひらかれました。
「オヤッ、へんだな。だれもいないじゃないか。おい、いま戸をたたいた人、どこにいるんだ?」
男は、暗がりのそとを見まわしながら、ふしぎそうにいいました。
しばらく待っても、だれも出てこないので、男は戸をしめて、小屋の中へもどりましたが、すると、またしても、だん、だん、だんと、おそろしい力で戸をたたくものがあるのです。
「ちくしょう。うるさいやつだ。さては、いたずらだな。たぬきのやつめ、人間をからかいにきやあがったな。よし、ひっつかまえてくれるから、待っていろ!」
ガラッと戸がひらいて、ひげむじゃの炭やき男が、そとへ、とびだしてきました。むこうの木のしげみの中で、がさがさという音がしています。男は腕まくりをして、そのほうへ、かけだしていきました。
そのすきに、小屋の横にかくれて、長い糸で、むこうの木の枝をゆすっていたこじき少年が、糸をはなして、こっそり、戸口からすべりこみ、さっきのぞいておいた床のあげぶたのところへいくと、それをあげて、すばやく地下室へすがたをかくしてしまいました。
「やっぱり、たぬきのやつだ。どっかへ逃げてしまやあがった。いたずらたぬきにも、こまったものだな。」
男は、ぶつぶついいながら小屋へもどってきましたが、あげぶたは、もとのとおりに閉まっているので、こじき少年が、地下室へおりていったことは、すこしも気づきません。そのまま、いろりのそばに、あぐらをかいて、たばこをふかしはじめました。
こじき少年は、足音をたてないように注意して、地下室の階段をおり、つきあたりの戸のそばに立って、耳をすましました。
すると、戸のむこうから、腹話術師らしい声が聞こえてくるのです。
「笠原さん、おもしろいおみやげを持ってきたぜ。いま、このトランクから出して、見せてやるからな。」
オヤッ! 笠原さんが、いつのまに、こんな山の中へきているのでしょう? 少年はふしぎに思って、板戸のすきまから、中をのぞいてみました。頑丈な板戸ですが、たてつけがわるくて、ほそいすきまができているのです。
のぞいてみると、そこには、じつに異様な光景が、くりひろげられていました。
正面にすわっているのは、やせおとろえた老人でした。しらがまじりのかみの毛は、クシャクシャとみだれ、口ひげも、ほおひげも、のびほうだいにのびて、まるで、ながわずらいの病人のようです。
よくふとった腹話術師が、その老人の前に大トランクをおいて、いま、ひらこうとしているところです。いっぽうのすみには運転手が立って、懐中電灯でトランクを照らしています。笠原さんのすがたは、どこにも見えません。
少年は胸をどきどきさせて、すき見をつづけました。
「さあ、これがおみやげだッ!」
腹話術師が、パッと、トランクのふたをひらきました。アッ! トランクの中にはひとりの少年が、きゅうくつそうに足をまげて、閉じこめられているではありませんか。
腹話術師は、その少年をだきあげてトランクから出し、老人の前のコンクリートの床にほうりだしました。
手と足をしばられ、口には、さるぐつわをはめられています。
「アッ! 笠原正一君だッ!」
こじき少年が、思わずつぶやきました。
こじき少年よりも、もっとおどろいたのは、やせおとろえた老人です。老人はよろよろと立ちあがって、そこにころがされている少年のそばによりました。
「おお、おまえは正一ではないか。ああ、わしばかりでなく、おまえまでが、こんなめにあわされるとは! 悪人! 悪人! きさまは、なぜ、わしたちを、こんなに苦しめるのだッ? そのわけをいえ。さあ、そのわけをいってくれ!」
老人は、せいいっぱいのしわがれ声をふりしぼって、叫ぶのでした。
「それはおまえさんの心にきいてみるがいい。おれは、あの人の部下だから、くわしいことは知らない。あの人は、おまえさんに、よっぽどのうらみがあるらしいよ。」
腹話術師が、そっけなく答えました。「あの人」とは、いったいだれのことでしょう。
「わしには、それが、まったくわからないのだ。おまえたちの親分は、いったい何者だ。わしにはすこしも心あたりがない。わしを、こんなところへ閉じこめておいて、グランド=サーカスの団長になりすました男が、何者だか、まったくわからないのだ。そのうえ、こんどは、わしの子どもまで、こんなひどいめにあわせるとは……。」
「べつに、ひどいめにあわせたわけじゃない。おまえさんと、親子いっしょに住ませてやるために、この子を、ここへつれてきたんだよ。そのうちに、妹のミヨ子も、ここへつれてきてやるよ。ハハハハ……。」
腹話術師は、相手をばかにしたような笑い声をたてるのでした。
それを、じっとのぞいていたこじき少年は、なんともいえない、ふしぎな気もちがしました。いったい、これはどういうわけなのでしょう。このやせおとろえた老人が、ほんとうの笠原団長で、あのもうひとりの笠原さんは、にせものだとでもいうのでしょうか。
このあと、地下室でどんなことが起こったか。それは、のちにわかるのですから、お話をとばして、それから三日めのできごとにうつります。その三日めの午後でした。笠原団長の西洋館へ、名探偵明智小五郎がたずねてきました。
明智は骸骨男のことで、お話したいことがあるというので、笠原さんは、ていねいに応接室にとおしました。ふたりがテーブルをはさんで、イスにかけますと、そこへ女中さんが、コーヒーをはこんでくるのでした。
「明智さん、あなたがおせわくださった若い女中が、三日ばかりまえ、からだのぐあいが悪いといって、うちへ帰ったままもどってきませんので、きのうも、あなたの事務所へ、お電話したのですが、ひどくぐあいが悪いのでしょうか。」
笠原さんが、心配そうな顔でたずねました。
「いや、これには、ちょっと、わけがあるのですよ。あの子は、べつに病気ではありません。しかし、もう二どと、ここへは帰ってこないでしょう。」
明智が、みょうなことをいいました。
「エッ? それはどういうわけですか。」
笠原さんは、へんな顔をして聞きかえします。
「あとでお話しますよ。それよりも、きょうは、おもしろいものを持ってきましたから、まずそれをおめにかけましょう。」
明智はそういって、持ってきたふろしきづつみをとくと、中から、びっくりするようなものを取りだしました。
「アッ、それは……。」
「骸骨男のかぶっていたどくろ仮面です。わたしは、とうとう、これを手に入れました。いや、そればかりではありません。骸骨男の秘密が、すっかり、わかってしまったのです。」
といって明智探偵は、笠原さんの顔を、じっと見つめました。
「エッ、骸骨男の秘密が……。」
笠原さんは、おどろきのあまりイスから立ちあがりそうにしました。なんだか、顔の色がかわっているようです。
明智は、骸骨の頭をテーブルの上において、説明をはじめました。
「あいつは、これをかぶって、みんなをこわがらせていたのです。ほら、こうして、かぶるのですよ。」
明智は、骸骨の頭を両手で持って、じぶんの頭へ、すっぽりとかぶせました。すると、まるで明智が、とつぜん、恐ろしい骸骨男になったように見えるのでした。
「こういうふうにして、化けていたのですよ。ほんとうに、骸骨の顔をもった男がいたわけではありません。頭からかぶるのですから、この骸骨は人間の顔より、ずっと大きいのです。それで、いっそう恐ろしく見えたのです。むろん、こしらえたものです。」
笠原さんは、それを聞いても、べつにおどろくようすもなく、腕ぐみをして、じっと目をつぶって、まるで眠ってでもいるように見えるのでした。明智は話しつづけます。
「骸骨男は、サーカスのテントの中でも、大型バスの中でも、またこの家でも、たびたび、煙のように消えうせましたね。その秘密は、このどくろ仮面にあったのです。どこかへ、ちょっとかくれて、どくろ仮面をぬいでしまえば、まったくべつの人になれるのですからね。
そのとき、べつの洋服を用意しておいて、着かえてしまえば、いっそうわからなくなります。犯人はきっと、べつの服装を用意しておいたのですよ。
まず、この家の二階の部屋から、骸骨男が消えうせた秘密、二どめには、骸骨男と正一君とが、消えてしまった秘密を、お話しましょう。その秘密は、わたしの少年助手の小林君が発見したのですよ。あなたにもお知らせしないで、わたしは小林君を、ここへ女中として住みこませたのです。」
「エッ、小林君が女中に?」
笠原さんは、つむっていた目をひらいて、ふしぎそうに聞きかえしました。
「小林君が女の子に変装したのです。そして、この家の女中になって、いろいろと、さぐりだしたのです。」
明智はここで、二階の窓の鉄格子が、ちょうつがいで開くようになっていること、屋根に、かくれ場所ができていることなど、女中に化けた小林少年の発見した秘密を、くわしく話して聞かせました。
「ところが、そういうしかけがあったにしても、どうしてもわからない謎が、ひとつ残るのです。屋根のかくれ場所は、人間ひとりしかはいれません。正一君を、そこへかくすと、骸骨男のかくれ場所がなくなってしまうのです。庭におりなかったことは、足あとがないので、はっきりしています。骸骨男は、いったい、どこへ、かくれてしまったのでしょう?
あのとき刑事たちが、家の中は、すみからすみまでしらべました。しかしあやしいやつは、ひとりもいなかったのです。これはいったい、どうしたわけでしょう。そこに恐ろしい秘密があったのですよ。」
明智はここで、ことばをきって、笠原さんの顔を見つめました。笠原さんはつぶっていた目を、パッと開いて、明智の顔を見ながら、なぜか、にやにやと笑うのでした。
「で、その秘密が、やっとおわかりになったのですね。」
「そうです。秘密いじょうのことがわかりました。笠原さん、犯人はいつでも、みんなの目の前にいたのです。それでいて、だれもその人をうたがわなかったのです。
なぜ、うたがわなかったかというと、その男は、犯人にねらわれている被害者だとばかり、みんなが思いこんでいたからです。
グランド=サーカスは、あんなにたびたび骸骨男があらわれたので、客がこなくなってしまいました。そのため、いちばん、そんをするのは、笠原さん、あなたでした。
骸骨男は正一君をねらいました。その正一君は、あなたの子どもです。ここでも、いちばん苦しむのは、あなただったのです。
そのあなたが、どくろ仮面をかぶり、骸骨男に化けていたなんて、だれも、考えつかないことでした。そこに、あなたの恐ろしい秘密があったのです。
いつも、骸骨男が消えたあとに、あなたがあらわれています。しかし、だれもうたがわなかったのです。あなたと骸骨男と同じ人だなんて、どうして想像できるでしょう。
いつか、大型バスの中から骸骨男が消えたのも、バスの床に、かくし戸がついていたというのはごまかしで、じつは、きみが、ひとりしばいをやって、取っくみあっているように見せかけたのです。きみと骸骨男とは、ひとりなんだから、取っくみあえるはずがありませんからね。
この秘密をといたのも、小林君でした。三日まえ、あなたの部下の腹話術師が、正一君をかくしたトランクを自動車に乗せて、大山の山中の炭やき小屋へいったとき、小林君は、こじき少年に変装して、あの自動車のうしろの荷物を入れるトランクの中に、かくれていたのですよ。そして、炭やき小屋の地下室に、だれが閉じこめられているかということを、すっかり、さぐりだしてしまいました。
笠原さん、もう警察にもわかってしまったのです。あなたの部下の腹話術師と、運転手と、炭やきに化けた男はとらえられ、地下室に閉じこめられていた、ほんとうの笠原さんと正一君は助けだされました。
おっと、ピストルなら、こちらのほうが、はやいですよ。それに、きみは、人を殺すのは、きらいなはずだったじゃありませんか。」
明智は、すばやく、ポケットから、小型の黒いピストルを出して、膝の上で笠原のほうにむけました。
笠原は、追いつめられた、けだもののような顔で、じっと、明智をにらみかえしていました。ピストルを出そうとしたら、先手をうたれたので、ポケットに入れた手を、そのままにして、ぶきみな笑い声をたてました。
「ウフフフフ……、さすがは名探偵だねえ。よくもそこまで、しらべがとどいた。それにしても、小林というちんぴらは、じつにすばしっこいやつだ。おれも、あの子どもが、女中に化けているとは、すこしも気がつかなかったよ。
ところで、明智君。おれを、どうしようというのだね。証拠がなくては、どうすることもできないじゃないか。」
笠原は、ふてぶてしく、そらうそぶいて見せるのでした。
「証拠なら、おめにかけよう。ちょっと女中さんを呼んでくれたまえ。」
女中さんがくると、明智は、玄関のそとに待っている人を、呼び入れてくるようにたのみました。しばらくして、女中さんの案内で、ひとりの老人が応接室へ、はいってきました。ちゃんとした新しい背広をきていますが、やせおとろえた顔は、あの地下室に閉じこめられていた老人に、ちがいありません。
老人は一年間、あの地下室に閉じこめられていたので、すっかりやせおとろえ、年よりのように見えますが、じつは、ここにいる笠原と同じくらいの年ごろで、もとはよくふとっていたのです。
「笠原君、そこへこられたのが、グランド=サーカスのほんとうの持ちぬしの笠原太郎さんだよ。そちらの笠原さん。一年のあいだ、あなたに化けていたのは、この男です。」
明智が、きみょうな紹介をしました。
ほんとうの笠原さんは、つかつかと、テーブルのそばに近より、にせの笠原は、すっくと、イスから立ちあがって、まっ正面からにらみあいました。たっぷり二分間ほど、ふたりとも、まっ青になって、からだをぶるぶるふるわせながら、にらみあっていました。
「ああ、明智さん、わしには思いだせません。十五年まえの遠藤平吉は、こんな顔ではなかった。しかし、こいつは、変装の名人だから、どんな顔にでもなれるのでしょう。いまのこいつの顔は、一年まえのわしと、そっくりです。」
ほんとうの笠原さんが、しわがれ声でいうのです。
「わしは、きのう、明智さんに、いろいろ話を聞いているうちに、やっと、思いだした。わしを、こんなひどいめにあわせるやつは、遠藤平吉のほかにはない。遠藤とわしとは、青年時代にグランド=サーカスの曲芸師だった。ところが、わしが、そのグランド=サーカス団長の二代目をゆずられたので、遠藤はひどく、わしをうらんで、サーカスをとびだしてしまった。
いや、そればかりではない。わしは、三年まえに、遠藤が悪いことをして、警察につかまったときに、証人になって、こいつがやったにちがいないと申したてたことがある。遠藤は、それをまたうらんだ。それで、こいつは、わしを、ほろぼしてしまおうとしたのだ。わしばかりではない、わしの子どもまで、ひどいめにあわせて、わしを苦しめたのだ。」
ほんとうの笠原さんは、そこまで、いっきにしゃべって、ちょっと口をつぐむと、かわって明智が立ちあがりました。
「きみの本名が遠藤平吉ということは、ぼくも三年まえにきいた。
しかし、いまのきみには、かぞえきれないほど、名まえがある。顔も、そのときどきに、まったく、ちがってしまう。
きみは二十の顔を、いや、四十の顔をもっているのだッ!」
そういって、明智探偵は、まっこうから、にせ笠原の顔に、人さし指をつきつけました。
「おい、二十面相! それとも四十面相と呼んだほうが、お気にいるかね。いずれにしても、とうとう、きみの運のつきがきたのだ。この家のまわりは、二十人の警官にとりかこまれている。きみはぜったいに、逃げだすことができないのだ!」
「きみは笠原さんに深いうらみがあったので、グランド=サーカスが、いちばんさかんになったときを見すまして、いよいよ、復讐をはじめたのだ。しかし、きみの目的は、そればかりじゃなかったね。」
明智探偵が、こわい顔で、二十面相をにらみつけました。すると二十面相は、ふてぶてしく笑いながら、
「アハハハハ……、もちろんだよ。おれの目的は、ほかにあった。おれには、笠原よりも、にくいやつがいる。だれだと思うね。いうまでもない、きみだよ。明智小五郎だよ。」
笑い顔が、パッとかわって、恐ろしい表情になりました。二十面相は、ぎりぎりと歯ぎしりをしているのです。
「おれはきみのために、かぞえきれないほど、ひどいめにあっている。いつでも、きみがじゃまをするのだ。そして、おれは牢屋につながれる。だがね、明智君。おれには、牢屋の鉄ごうしなんかないもどうぜんだ。ゆうゆうと牢屋をぬけ出すのだ。なんのためだと思うね? ほかでもない、きみに復讐がしたいからさ。きみをアッといわせて、かぶとをぬがせてやりたいからさ。
わかったかね、明智君。こんどの骸骨男も、ほんとうは、きみがあいてだった。むろんおれは、人殺しはきらいだ。あの射撃場の事件でも、ほんとうに正一を殺す気はなかった。きみに腕だめしをさせてやったのさ。
もし、きみがぼんくらで、あのときおれをとめにこなかったら、おれはわざとねらいをはずしてうつつもりだったよ。ウフフフフ……、それともしらないで、きみは、あわてふためいて、射撃場へやってきたね。」
それを聞いて、明智は、ニコニコと笑いました。
「そうだったのか。それほどきみは、ぼくと知恵くらべがやりたいのだね。そんなら、知恵くらべは、いまだよ。きみはここから、逃げられるかね? 逃げる知恵があるかね?
この部屋には、ぼくと笠原さんがいる。きみはひとりだ。それにこれを見たまえ、ぼくは、ちゃんとピストルを持っている。そして、この家のまわりは、二十人の警官が取りまいているのだ。いや、そればかりじゃない。ぼくのほうには、もっと奥の手がある。どんな奥の手だかは、いまはいえないがね。
どうだ、きみの知恵で、このかこみをやぶって、逃げだすことができるかね?」
「ウフフフフ……、おい、明智君、きみは勝ちほこったような顔をしているね。だが、だいじょうぶかい? きみのほうに、奥の手があれば、おれにだって奥の手がないはずはないよ。たとえば、この西洋館だ。きみたちは、事件がおこってから、いそいでこのうちを買ったと思っているだろうが、そうじゃない。ここはずっとまえから、おれのかくれがのひとつなんだ。でなければ、二階の窓の鉄ごうしが、ちょうつがいで開いたり、屋根に人間のかくれる穴があったりするはずがないじゃないか。
ウフフフフ……、どうやら、すこしばかり、きみがわるくなってきたらしいね。そうだよ。この家には、どんなしかけがあるか、わからないのだよ。用心したまえ。おい、明智君、なんだか顔色がよくないじゃないか。」
二十面相は、あくまで、人をくっています。
しかし、明智はへいきなものです。明智のほうでは、二十面相の秘密をすっかり知っているからです。
「で、その秘密のしかけをつかって、逃げるというのかね。ハハハハハ……、まあ、やってみるがいい。」
「え? やってもいいのかね。」
「いいとも、やってみたまえ。」
「よしッ、それじゃあ、こうだッ!」
二十面相が立ちあがって、パッと、二、三歩うしろにさがったかと思うと、カタンと音がして、たちまち、そのすがたが消えうせてしまいました。
いや、消えうせたのではありません。応接室の床に落としぶたがあって、それが開き、二十面相のからだは、地下室へ落ちていったのです。
それを見ると、明智探偵は、窓のそばへとんでいって、持っていたピストルを空にむけて、ダーンと発射しました。なにかのあいずです。
明智探偵が、落としぶたのところへ、ひきかえすと、ばねじかけのそのふたは、もとのとおりに閉まっていました。
「明智先生、どうしてもあきません。下からかぎをかけたのでしょうか。」
ほんものの笠原さんが、そこにしゃがんで、両手の指で落としぶたを開こうと、ほねおっていました。
「いや、そうじゃない。ボタンをおせばいいのです。どこかに、小さなおしボタンがあるはずです。」
明智はそういって、しきりに、そのへんを捜していましたが、テーブルの下の床に、そのボタンがあるのを発見して、グッと、スリッパでふみつけました。
すると、カタンと音がして、落としぶたが開き、そこに、まっ暗な四角い穴が開きました。
そのとき廊下に、どやどやと足音がして五人の警官が、かけつけてきました。まっさきに、明智探偵の心やすい警視庁の中村警部の顔が見えました。
「ピストルのあいずがあったので、やってきた。アッ! やっぱり地下道へ逃げたな!」
「そうだ。きみたちも、いっしょに、きてくれたまえ。……アッ、そうだ。ひとりだけ、ここに、番をしているほうがいい。入れちがいに逃げられては、こまるからね。」
いったかと思うと、明智はいきなり、まっ暗な四角い穴の中へ、とびこんでいきました。
穴の下には、はしごもなにもないので、穴のふちにぶらさがって、パッと、とびおりるほかはないのです。
中村警部は、ひとりの警官を、そこにのこし、あとの三人といっしょに、つづいて地下道にとびおりました。みなピストルをとりだして、いざといえば発射する用意をしています。
そのとき、まっ暗な地下道に、ひとすじの青白い光が、パッと、ひらめきました。明智が懐中電灯をつけたのです。
その光で見ると、地下道はトンネルのように、ずっとむこうまでつづいています。そのむこうのまがり角へ、チラッと人影がかくれました。二十面相が逃げていくのです。
「二十面相まてッ!」
中村警部のどら声が、地下道にこだまして、ものすごくひびきました。
明智の懐中電灯をたよりに、みんなはトンネルのまがり角までかけつけました。むこうを、二十面相が逃げていくのが見えます。
二十面相は、走りに走って、とうとうトンネルのいきどまりまできました。そこに鉄のとびらが閉まっています。二十面相は、ポケットから鍵を取りだして、そのとびらを開きました。
ここさえ出れば、草ぼうぼうの原っぱです。どちらへでも、逃げられます。
ところが、そのとびらを開いたかと思うと、二十面相は、「アッ!」といって立ちすくみ、いきなり、うしろへ走りだしました。
どうしたのでしょう。うしろには明智と四人の警官が、待ちかまえているではありませんか。
いや、逃げだしたはずです。その鉄のとびらのむこうには、ここにも五人の警官が待ちかまえていて、とびらが開くと、ドッとトンネルの中へなだれこんできたからです。
トンネルは一本道です。前からも、うしろからも警官隊です。どこにも逃げるところはありません。二十面相はとうとう、ふくろのネズミになってしまいました。
もうだいじょうぶです。しかし、あいてには、まだ、どんな奥の手があるかもわかりません。けっして、ゆだんはできないのです。
警官たちは、トンネルの両方から、そのまんなかにいる二十面相を、じりじりと、はさみうちにしていきました。
オヤッ、どうしたのでしょう。いくら懐中電灯で照らしても、二十面相のすがたが見えません。トンネルには、どこかに、枝道でもあるのではないでしょうか。
「アッ、ここにいた。つかまえたぞッ!」
どなり声が、トンネルの空洞に、こだましました。
「どこだッ?」
「ここだ、ここだ。」
声をたよりに、明智が懐中電灯を照らしながら、近づいていきますと、とつぜん、パッと、だれだかの手が、懐中電灯をたたき落としました。そのひょうしに、光が消えてしまって、あたりは、しんの闇になりました。警官隊は、ひとりも懐中電灯を用意していなかったので、もうどうすることもできません。
闇の中で、恐ろしいこんらんが、おこりました。
「おいッ、なにをするんだ。ぼくだよ、ぼくだよ。みかただよ。」
警官の声です。みかたどうしが、取っくみあっているのです。
「おいッ、みんな、入口をかためろ! 闇にまぎれて、逃げられるかもしれんぞッ。」
中村警部がどなりました。
「だいじょうぶです。入口のそとには、ぼくらの仲間を、ふたり残しておきました。ちゃんと見はっていますよ。」
警官のひとりが答えました。
「だれか、懐中電灯を持ってきたまえ。こんなに暗くては、どうすることもできない。」
中村警部の声に、ひとりの警官が、鉄のとびらのほうへ、いそいでかけだしていきました。
闇の中のこんらんは、まだつづいています。
「ワッ! いたい。ぼくだよ、ぼくだよ。」
「二十面相! どこにかくれている。出てこいッ!」
「アッ、そこにうずくまってるのはだれだッ?」
「ぼくだよ。まちがえるなッ。」
「いたいッ! こんちくしょう。」
「うぬッ! 二十面相だなッ。さあ、こい!」
闇の中の、そんなさわぎが、五分ほどもつづいたでしょうか。すると、やっと入口のほうから、怪物の目玉のような懐中電灯の光が二つ、こちらへ近づいてきました。
ひとりの警官が、両手で、二つの懐中電灯をふり照らしながら、かけてきたのです。
中村警部は、懐中電灯の一つを受けとって、立ったり、しゃがんだりしている警官のすがたを、つぎつぎと照らしていきました。
ところが、光の中にあらわれたのは、明智探偵と警官ばかりで、二十面相のあのガウンすがたは、どこにもありません。
「諸君! みんなもとにもどって、両方の入口をかためてくれたまえ。ぼくと明智君だけで、もういちど、念いりに捜してみる。」
中村警部はそういって、警官たちを、両方の入口へたちさらせ、明智とふたりが、一つずつ懐中電灯を持って、トンネルの中を、ずっと歩いてみました。しかしどこにも、あやしいすがたはないのです。
「消えてしまった。あいつ、また忍術をつかったな。明智君、いったいこれは、どうしたことだろう。」
中村警部が、残念そうにいいました。
「ともかく、そとへ出てみよう。ぼくは、あいつの魔法の種が、わかったような気がする。」
明智はそういって、さきに立って、鉄のとびらのほうへ歩いていきました。
とびらのそとに、コンクリートの階段があって、それをのぼると、原っぱの草むらのなかに出ました。
穴の入口は、人間ひとり、やっとくぐりぬけられるほどの、せまいもので、それが草におおわれているのですから、地下道の入口とは気がつきません。この入口をつかわないときは、ふたがしてあるとみえて、それらしいひらべったい石が、そばにおいてありました。
その原っぱには、七人の警官が立っていました。さっきトンネルの中へはいってきた五人と、見はりばんをしていたふたりです。
もう夕がたで、あたりはうす暗くなっていました。
「きみたちのうち、ここに残って見はりをしていたのは、だれだね。」
明智がたずねますと、ふたりの警官が前に出てきました。
「きみたちは、ずっと、この入口を見はっていたのだね。」
「はい、そうです。」
「で、さっき、中へはいったのは何人だったね。」
「五人か、六人です。アッ、そうです。たしか六人でした。」
「六人だって。しかし、ここには、きみたちのほかに、五人しかいないじゃないか。」
「いえ、もうひとり、さきに出てきた人があります。」
「ああ、それは懐中電灯を捜しにきた警官だろう。」
「いや、ちがいます。あの人は、どっかへいって、懐中電灯をかりだしてきて、また穴の中へはいっていきました。ついさっき、そこから出ていったのは、べつの巡査です。」
「おかしいね。ぼくはさっき、地下道の中で、こちらからはいってきた警官の人数を、ちゃんと、かぞえておいた。たしかに五人だった。その五人はここにいる。そのほかに、ひとり出ていったとすると、五人が六人にふえたことになるね。いったい、きみたちは、そのひとりで出ていった警官の顔を、よく知っているのかね。」
「いいえ、知らない人です。きょうは警視庁と所轄警察のものと、ごっちゃになっていますので、顔を知らない人も、たくさんいるのです。」
「ふうん、それで、その巡査は、どこへいったのだね。」
「わかりません。その人は、中村警部さんの命令で、近くの交番へ電話をかけにいくのだといって、むこうへ走っていきました。」
「そりゃ、へんだぞ。ぼくは電話をかけろと、命令したおぼえはない。」
中村警部が、びっくりして、どなりました。
「で、その巡査は、手になにか持ってなかったかね。」
明智がたずねますと、警官はうなずいて、
「持ってました。なんだか、ふろしきづつみのようなものを、わきの下にはさんでいました。」
「わかった。そいつが二十面相だよ。」
明智がしずかにいいました。
「エッ、その警官が二十面相だって?」
中村警部が、びっくりして聞きかえします。
「うん、そうだよ。そのほかに考えようがない。あいつは、こんなときの用意に、警官の制服を手に入れて、トンネルの中のどこかへ、かくしておいたのだ。
さっき、ぼくの懐中電灯をたたき落としたのも、あいつにちがいない。まっ暗になって、みんなが、どうし打ちをやっているすきに、あいつはガウンをぬいで、警官の服にきかえたのだ。そしてガウンをまるめて、ふろしきづつみのようにして、こわきにかかえ、なにくわぬ顔で、出ていったのだ。
二十人からの警官がきているのだから、みんな顔見知りとはかぎらない。制服をきて警官の帽子をかぶっていれば、仲間だと思ってしまう。それに、もうこんなにうす暗くなっていて、顔もはっきり見えやしないのだからね。」
明智の説明に、中村警部は「ううん。」とうなってしまいました。警官に化けて逃げだすなんて、なんという悪知恵のはたらくやつでしょう。
「だが、それなら、早く手配をしなけりゃあ。非常警戒をしなけりゃあ。」
中村警部があわてるのを、明智はしずかに、手でおさえるようにして、
「中村君、だいじょうぶだよ。安心したまえ。これがあいつの奥の手なら、ぼくのほうには、それより上の奥の手が、ちゃんと用意してあるんだ。あいつは、きっと、つかまえてみせるよ。」
明智は、さも自信ありげに、きっぱりと、いいきるのでした。
お話は、すこし前にもどって、二十面相が警官の制服を着こみ、地下道の入口に番をしていたふたりの巡査を、うまくごまかして、裏の原っぱを、町のほうへいそいでいるときです。その原っぱに、ふしぎなことが起こりました。
原っぱには、人間の腰までかくれるほど、草がいっぱいはえているのですが、その草むらが、風もないのに、ざわざわと、動きはじめたのです。それも一ヵ所ではありません。あちらでもこちらでも、動いているのです。
草むらに、なにか動物がかくれていて、いちどに動きだしたのでしょうか。大きなヘビが草をわけて、はっているような、気みのわるい、動きかたです。
その動物は、警官に化けた二十面相のあとを追って、進んでいくようにみえます。あちこちの草の動きが、そのほうへそのほうへと、うつりかわっていくのです。
「ねえ、きみ、あのおまわりさん、あやしいよ。キョロキョロあたりを見まわして、逃げていくじゃないか。あとをつけてみよう。」
「うん、あいつ、ひょっとしたら、骸骨男の二十面相かもしれないぜ。明智先生は、たとえ警官でも、見のがしてはいけないっていわれたからね。」
そんなささやき声が、動いている草むらの中から、聞こえてきました。
すがたは見えないけれども、ひとりは小林少年、もうひとりは井上一郎君の声でした。
草むらの中を、はうようにして進んでいたのは、けだものではなくて、少年探偵団員だったのです。草むらは、ほうぼうで動いているのですから、その人数は、ふたりや三人ではありません。すくなくとも十人ぐらいの少年たちが、草むらに身をかくして、あやしい人間が出てくるのを、待ちかまえていたのです。
もう、夕がたで、あたりはうす暗くなっていました。その夕やみの中を、あやしい警官は、草をわけて走っていましたが、原っぱの中の小島のように、こんもりと、ひくい木のしげったところへくると、いきなり、そのしげみの中へ、とびこんで、すがたをかくしました。
「いよいよ、へんだな。みんなで、あのまわりを取りかこんで、見はっていることにしよう。」
「じゃ、みんなに連絡してくるよ。」
井上君が、草の中をはっていって、近くにいる団員にそのことをささやきました。すると、その団員が、つぎの団員にささやき、たちまち、小林少年の命令が、みんなにつたわりました。そして少年たちは、草むらに身をかくしたまま、木のしげみを、グルッと取りかこんで、あやしい警官をとり逃がさないように、見はりをつづけるのでした。
しばらくすると、がさがさと木の枝が動いて、しげみの中から、思いもよらぬひとりの老人があらわれました。
ねずみ色の背広に、ねずみ色のとりうち帽子をかぶった、しらがあたまの老人です。背中をまるくして、ステッキにすがって、草むらの中を、とぼとぼと、むこうへ歩いていきます。
「へんだぞ。変装したのかもしれない。しらべてみよう。」
小林少年は、井上君にそうささやいておいて、そっと木のしげみに近づき、かさなりあった枝をわけて、その中へしのびこみました。
よく捜してみても、そこにはもう、だれもいません。やっぱり、あいつは、老人に変装して逃げだしたのです。警官のすがたのままでは、気がついて、追っかけられる心配があるからでしょう。むろんこういうときの用意に、しげみの中へ、老人の服をかくしておいたのにちがいありません。
そんなら、警官の服がここに残っているはずだと、あたりを捜してみますと、木のしげみの奥にそれがまるめて、つっこんであるのを発見しました。
ふろしきづつみのようにして、こわきにかかえていた、ガウンのまるめたのも、いっしょにおいてありました。
小林君は、いそいで、しげみをとび出すと、井上君にささやきました。
「巡査の服が残してあるよ。だから、あの老人が二十面相だ。追跡しよう。……もうひとりいるといいな。」
「それじゃあ、ノロちゃんをつれていこうか。」
「うん、それがいい。そして、あとの団員たちには、明智先生に、このことをつたえるようにいってくれたまえ。」
井上君は、すぐそばの草むらにかくれていた、ノロちゃんの野呂一平君を呼び、そこにいたもうひとりの少年に、みんなに明智先生のところへいくように、連絡をたのみました。
そして、小林、井上、野呂の三少年は、やっぱり草の中に身をかがめて、大いそぎで、あやしい老人のあとをつけるのでした。
怪老人は、原っぱを出て、大通りまでくると、そこを走っていたタクシーを呼びとめて、乗りこみました。
ものかげにかくれて、それを見ていた三少年は、相手に逃げられてしまっては、たいへんですから、いそいで大通りにとび出しましたが、さいわい、すぐうしろから、からのタクシーが走ってきましたので、小林少年は手をあげて、それを呼びとめ、三人いっしょに乗りこみました。
「ぼくはこういうものです。犯人を追跡しているのです。あの青い車を見うしなわないように、つけてください。」
小林君は、そういって、運転手に名刺をわたしました。
運転手は、へんな顔をして、その名刺を見ていましたが、びっくりしたように、うしろをむいて小林君の顔をながめました。
「じゃあ、あんたが、明智探偵の有名な少年助手の小林さんかい。わかったよ。あの車、見うしないはしないから安心しな、だが、あいつは大ものかい?」
まだ若い元気な運転手は、目をかがやかせてきくのでした。
「うん、大ものだよ。いまにわかるよ。たのむよ。相手に気づかれないようにね。」
二十面相の車は青いボディー、小林君たちのは黒いボディー、その二台の自動車の追っかけっこがはじまりました。
東京の町で、自動車を尾行するのは、けっしてやさしいしごとではありません。たくさんの自動車が、むこうからも、こちらからも、すれすれになって走っているのです。ほかの自動車にあいだへはいられたら、むこうが見えなくなってしまいます。四つ角で赤信号が出たら、青になるまで止まっていなければなりません。そのあいだに、あいては遠くはなれてしまいます。
しかし、小林君たちの乗った車の運転手は、頭のいいすばしっこい青年でした。それに名探偵の助手と聞いていさみたっているので、じつにうまく運転して、けっして相手を見うしないません。執念ぶかく青い車のあとを追いつづけました。
二十分も走ると、小林君は、ハッとしました。むこうに、見おぼえのあるグランド=サーカスの大テントが見えてきたからです。
二十面相が笠原さんに化けて、その団長をつとめていたサーカスです。
かれは、もとのふるすへもどって、いったい、なにをしようというのでしょう。
青い車はサーカスの前でとまり、怪老人がおりていくのが見えました。
こちらの車は、相手に気づかれぬよう、ずっと、てまえにとめて、三少年もおりました。
怪老人は、テントの中へはいっていきました。
いよいよへんです。サーカスには、まだ見物がいるのです。楽屋にも、たくさんのサーカス団員が出番を待っています。二十面相はその大ぜいの中へはいっていって、どうするつもりなのでしょう。
小林少年はそれを見ると、ノロちゃんに、なにかささやきました。すると、ノロちゃんは、大いそぎで町のほうへ走っていきました。笠原邸にいる明智探偵に、電話でこのことを、知らせるためです。
あとに残った小林、井上の二少年は、怪老人のはいっていったテントの裏口に近づき、そっと中をのぞいてみました。
もうそこには、怪老人のすがたはありません。ひとりのサーカス団員が、きょとんとした顔で立っていました。
小林君は、その団員のそばへ近づいていって、話しかけました。
「ぼくをおぼえてますか。明智探偵の助手の小林です。」
すると、若い団員は、にっこりして、
「おぼえているよ。で、なにか用事があるのかね。」
「いま、背中のまがったおじいさんが、はいっていったでしょう。」
「うん、はいっていった。笠原団長からの使いだといってね。」
「あれは、たいへんなやつですよ。」
小林君はそういって、団員の耳に口をよせ、しばらく、なにかささやいていました。
それを聞きおわると、団員はまっ青になってしまいました。笠原団長が怪人二十面相だったと聞いて、腰をぬかさんばかりにおどろいたのです。
「で、いまはいっていったじいさんが、その二十面相だというのか。」
「そうです。まちがいありません。いま電話で知らせましたから、じきに警官隊がかけつけてきます。それまで、逃がさないようにしておきたいのです。みんなに知らせないで、おもな人だけにそういって、あの老人のゆくえを捜してください。どんな恐ろしいたくらみがあるかわかりませんからね。」
そこで団員は、楽屋へはいっていって、副団長格の空中曲芸師に、そのことをつたえ、四、五人で、そのへんをしらべてまわりましたが、怪老人のすがたは、どこにもありません。楽屋にいた大ぜいのものが、ひとりも老人を見ていないのです。
では、客席のほうへまぎれこんだのかと、円形の馬場をひとまわりしてみましたが、見物席にもそれらしいすがたは見えません。怪老人はテントの裏口へはいったかと思うと、そのまま消えてしまったのです。
怪老人が消えてから十分もたったころ、見物席に、恐ろしいざわめきがおこりました。見物たちは、さきをあらそって、大テントのそとへ逃げだそうとしています。そのこんざつは、ひととおりではありません。
ころんで、泣きさけぶ子ども、ひめいをあげる若い女の人、おしつぶされそうになって、入口をめざす人のむれ、わきかえるようなさわぎです。
そんななかにも、見物席にふみとどまっている勇敢な人たちもありました。その人たちの目は、いっせいに、大テントの天井を見つめています。
高い高い天井の空中曲芸のぶらんこ台に、ポックリと異様なもののすがたが見えました。あいつです。あのいまわしい骸骨男です。ぴったりと身についた黒いシャツとズボン、顔は骸骨そっくりの、あの怪物です。二十面相は背中のまがった老人から、とくいの骸骨男にはやがわりをしたのです。骸骨の仮面と黒シャツは、いくつも用意してあって、サーカスの中の秘密のかくし場所にも、ひとくみ、かくしてあったのでしょう。
空中では、骸骨男がぶらんこに乗って、いきおいよくふりはじめました。だんだん高く、しまいには、テントの天井につくほどもはげしく、そして、それが、いちばん高くあがったとき、パッとぶらんこをはなれて、空中におどりだしました。下には網がはってありません。そのまま落ちれば命はないのです。
残っていた見物たちは、アッと声をたてて、手に汗をにぎりました。
しかし、骸骨男は落ちなかったのです。天井に横たわっている丸太にとびついていました。そして、丸太から丸太へと、まるでサルのように身がるにとびうつっていきます。
とうとう、むこうがわのぶらんこ台までたどりつきました。そのぶらんこ台からは、曲芸師が下におりるための長い綱がさがっています。骸骨男は、その綱にとびついたかと思うと、スウッと、地面の近くまですべりおりてきました。それから、その長い綱を、ぶらんこのようにふりはじめたのです。
だんだん、いきおいがついてきました。長い綱のふりこですから、サアッ、サアッと、円形の馬場を横ぎって、見物の頭の上までとんできます。そして、むこうへふったときには、正面の楽屋の入口までとどくのです。
サアッ、サアッ、……巨大な時計のふりこです。さきに骸骨のぶらさがったふりこです。じつにみごとな光景でした。こわいけれども、美しい光景でした。
その大ふりこが、むこうの楽屋口に近づいたとき、骸骨男は、またしても、パッと手をはなしたではありませんか。
骸骨男の黒いからだは、綱をはなれて、矢のようにとびました。なにかにぶっつかったら、おしまいです。
しかし骸骨男はよほど曲芸の名人とみえて、宙をくるくるとまわりながら、楽屋の入口の白いカーテンの前に、ひょいと立ちました。そして、パッとカーテンをまくると、そのまま、楽屋の中へ消えてしまったのです。
サーカス団員たちは、みんなまんなかの砂場に出て、骸骨の空中曲芸を見あげ、口々になにかわめいていましたが、怪人が、楽屋に消えたのを見ると、「ワアッ。」と叫んで、そのあとを追いました。
しかし、カーテンのむこうには、もうだれもいません。出没自在の怪人は、またしても、どこかへ消えてしまったのです。
みんなが、そのへんをうろうろしながらさわいでいますと、楽屋の奥から、でっかいものがあらわれました。ゾウです。ゾウが歩いてくるのです。
見ると、ゾウの頭の上に、骸骨男がまたがっているではありませんか。手には猛獣をならす、長いムチを持っています。
あいにく、ゾウ使いの男が、そのへんにいないので、どうすることもできません。みな、ワアワアとさわぐばかりです。
ピシッ、ムチがなりました。その音にゾウがかけだしたのです。楽屋口のカーテンをくぐって、円形の馬場へ走りだしたのです。
見物席に、ワアッという声があがります。勇敢な見物たちも、これを見ては逃げださずにはいられません。そう立ちになり、入口のほうへ、なだれをうってかけだすのでした。
骸骨男はゾウの頭の上に、すっくと立ちあがっていました。そして、ピシッ、ピシッと、ムチをならしています。ゾウは円形の馬場を、ぐるぐるまわりはじめました。
「ワハハハハ……。」
恐ろしい笑い声が大テントいっぱいにひびきわたりました。骸骨が、おかしくてたまらないというように、笑っているのです。
「ワハハハハハ……。」
ゾウの頭の上に立ったまま、ムチをふりながら、いつまでも笑いつづけているのです。
骸骨男は、とうとう、気がちがったのでしょうか。それとも、二十面相をつかまえることのできない、サーカスの人たちや警官を、あざ笑っているのでしょうか。
小林、井上、野呂の三少年が、楽屋口にむらがっているサーカス団員のうしろから、このふしぎな光景をながめていました。骸骨男が、なぜこんな曲芸をやっているのか、その気もちがわかりません。
ぐるぐるまわっているゾウが、楽屋口の前をとおりました。そのとき、頭の上に立っている骸骨男の顔に、おどろきの色があらわれました。骸骨男の目と小林少年の目とが、ぶっつかったのです。骸骨男は、そのときはじめて、テントの中に小林君のいることをしりました。
骸骨男の笑いがとまりました。そして、恐ろしい声がひびいてきました。
「そこにいるのは、明智の弟子の小林だなッ。」
走っていたゾウが立ちどまりました。骸骨男がとめたのです。怪人の目は、じっと小林君をにらみつけています。
小林君は、サーカス団の人たちをかきわけて前に出ました。そして、相手の目をにらみかえしながら叫びました。
「そうだよ、明智先生の弟子だよ。きみが警官に化けて、あの地下道からぬけだしたことは、もうすっかりわかっているんだ。いまに明智先生が、ここへこられるよ。……アッ、サイレンだ。おいきみ、あの音が聞こえるかい、警察自動車のサイレンだよ。警官隊が到着したのだ。きみはもう、逃げられないよ。」
ウー、ウー、というサイレンの音が、テントのそとへ近づいていました。ピシッ、ムチがなったかと思うと、やにわにゾウが、テントの入口へむかってかけだしました。骸骨男は、ゾウの頭の上でおどるように、ちょうしをとっています。まだ残っていた見物たちのあいだに、「ワアッ。」というどよめきがおこりました。
小林少年たちとサーカスの団員が、骸骨男のゾウを追って、テントのそとにかけ出しました。入口のそとの原っぱには、見物の人たちが大きな輪をつくって、ワアワアとさわいでいます。その見物の輪のなかに、さっきのゾウが、きょとんとして立っていました。
そこには、ゾウに乗っていた骸骨男のすがたが見えないのです。
「あっちへ逃げた。あっちへ逃げた。」
見物たちは、口々にわめきながら、テントの裏のほうを指さしています。
小林君やサーカスの人たちは、そのほうへかけつけました。裏口からはいって、楽屋をさがしましたが、だれもいません。みんなそとへ出てしまって、楽屋はからっぽなのです。骸骨男のすがたも、どこにも見えません。
原っぱでは、むこうの大型バスの中で、やすんでいたゾウ使いの男が、さわぎを知ってかけ出してきて、ゾウをテントの中につれもどすのでした。
そこへ警視庁の白い自動車が三台、警官をいっぱい乗せてやってきました。明智探偵は中村警部といっしょに、まっさきの車に乗りこんでいました。
ふたりは自動車をおりると、見物たちに、ようすを聞き、警官隊に大テントのまわりを、グルッと取りかこむよう命じておいて、三人の警官だけをつのって、テントの裏口にいそぎました。
「アッ、先生……、あいつは、また消えてしまいました。」
テントにはいると、小林少年がとび出してきて、明智探偵に、いままでのことを、報告するのでした。
それから、明智探偵と中村警部たちも、いっしょになってほうぼうを捜しまわりましたが、骸骨男はどこにも見えません。
しばらくすると、小林少年が明智探偵のそばによって、ひそひそとささやきました。
「うん、そうか。きみが見つけたんだね。よし、行ってみよう。」
明智探偵は、そばにいた中村警部に目くばせをして、みんなで、小林君のあとからついていきました。
小林、井上、野呂の三少年が案内役です。大テントの中の楽屋の隣に、動物のおりのおいてある場所があります。
おりには小さな車がついていて、サーカスがはじまると、原っぱにおいてあるトラックからおろして、ここへ運ぶようになっているのです。
そこにはいると、ムッと動物のにおいがしました。むこうに大きなおりが三つならんで、その中に一ぴきずつライオンがいました。寝そべっているのもあれば、のそのそ、おりの中を歩きまわっているのもあります。
その横に、トラとヒョウのおりが並んでいます。みんな人になれた動物ですから、大ぜいが、どかどかとはいってきても、おどろいて吠えるようなことはありません。トラもヒョウものんきそうに、のそりのそり、とおりの中を歩いています。
こちらのほうに、クマのおりがおいてあって、その中におそろしく大きなヒグマがうずくまっていました。
小林少年は、そのクマのおりの前に立ちどまって、うしろにいたサーカス団の人に、
「このおりを、あけてください。」
といいました。
「エッ。これをあけるんですって、そんなことをしたら、大へんですよ。こいつは、おそろしく気のあらいやつですから。」
サーカスの人は、びっくりして小林君の顔をながめるのでした。
小林君はニコニコしながら、サーカス団員の耳に口をよせて、なにかささやきました。
「エッ、このクマのなかに?」
団員は、おったまげた顔で、クマを見つめていましたが、
「アッ、いけねえ。鍵がはずれている。」
と叫びながら、おりの戸に近づきました。
そのときです。おりの戸が、中からパッと開き、大グマが「ごうッ……。」とうなりながら、いきなり、みんなの前にとび出してきたではありませんか。
それを見ると小林少年が、せいいっぱいの声で叫びました。
「こいつは、ほんとうのクマじゃありません。クマの毛がわの中に、二十面相がかくれているのです。恐れることはありません。みなさん、つかまえてくださいッ。」
サーカス団の人々と警官とが、クマにとびかかっていきました。
「うおうッ……。」
恐ろしいうなり声をたてて、あと足で立ちあがったクマは、人々にのしかかるようにして、戦いをいどんできます。
恐ろしい組みうちが、はじまりました。
「うおうッ、うおうッ。」
サーカスの団員のひとりがクマの下じきになって、もがいています。三人の警官が、上になっているクマをおしころがそうと、とびかかっていきました。
それから、組んずほぐれつ大格闘がつづきました。
「さあ、つかまえたぞ。はやく縄を縄を……。」
ひとりの警官はクマの背なかにしがみつき、ひとりの警官は、クマの前足をはがいじめにし、ふたりのサーカス団員は、クマのあと足に、すがりついています。
ひとりの警官は、腰にさげていた縄をとりだそうとしました。しかし、そのひまはなかったのです。
「アッ……。」という声が、おこりました。クマにとりついていた人たちが、はずみをくって地面にころがりました。その人たちの下には、クマの毛がわだけが、ひらべったくなって残っていたのです。
毛がわの腹には、かくしボタンがついていて、そこから人間が出入りできるように、こしらえてありました。二十面相は、とっ組みあいのあいだに、そのボタンをひとつひとつはずしておいて、みんながクマをつかまえたと思って安心しているうちに、パッとそこからとび出したのです。
それは骸骨男のすがたでした。恐ろしい骸骨が、人々をかきわけ、つきとばしながら、弾丸のように走っていくのです。
みんなが、ふいをうたれて、アッとおどろいているまに骸骨男は、その部屋の入口にさがってるカーテンのむこうへ、すがたを消してしまいました。
そのとき、「ひひひ……ん。」というウマのいななき声が、聞こえてきました。
「アッ、あいつ、ウマに乗って逃げるつもりだッ。」
中村警部が叫びました。
「よしッ、追っかけるんだ。ぼくはウマに乗る。きみたちは自動車で追っかけたまえ。」
明智もそういって、かけだしました。明智探偵は、どんなスポーツでもできるのでした。乗馬もお手のものです。
明智はサーカスの楽屋にとびこんで、そこにあった長いほそびきのたばをつかみとると、テントの中のうまやにかけつけ、いちばん強そうなウマをえらんで、それをひき出して、くらの上にとびのりました。
そのとき、二十面相の骸骨男はウマに乗って、もうテントのそとに出ていました。原っぱにのこっていた見物たちの「ワアッ、ワアッ……。」という声が、聞こえてきます。
名探偵と怪人二十面相との、ふしぎな競馬競走がはじまったのです。明智探偵は、うまく二十面相に追いつくことができるでしょうか。
くりげのウマにまたがった骸骨男は、しきりにムチをならしながら、原っぱをかけています。もう夜ですが、大テントのまわりにたくさんの電灯がついているので、原っぱは昼のように明るいのです。大ぜいの見物たちは、ウマにまたがった骸骨男を見おくって、「ワアッ……ワアッ……。」とさわいでいます。
骸骨男のすがたが、むこうの大通りをまがって見えなくなったころ、同じくりげのウマに乗った明智探偵が、原っぱへとび出してきました。
「あっちだよう、あっちだよう。」
見物の中から、骸骨男の逃げた方向をしらせる声が、わきおこりました。
明智はたくみにウマの向きをかえて、そのほうへかけていきます。まるで競馬を見ているようです。見物の中から「名探偵しっかりやれえ……。」という叫び声がおこり、それにつづいて、「ワアッ……。」というときの声があがりました。
警視庁の三台の自動車のうち、一台を残して、二台が原っぱを出発したのは、それよりすこしあとでした。こちらはパトロールにつかう自動車ですから、ウマよりはやく走れます。しかし追いついても、ウマを止めることはむずかしいので、べつの道から先まわりをして、自動車を道のまん中へ横にして、ウマを止めてしまうつもりです。
まっ先の自動車には、中村警部と三人の警官、その膝の上に、小林、井上、野呂の三少年が乗せてもらっていました。
大通りに出ると、ずっとむこうにウマをとばす明智のすがたが見えました。
骸骨男のウマは、それよりもっと先を走っているらしいのですが、夜のことですから、はっきり見えません。
警察自動車には、小型のサーチライトがつみこんでありました。ひとりの警官が、それをとり出して、自動車を走らせたまま、屋根の前にとりつけたスイッチをおしますと、パアッと光の棒がのびて、百メートルも先を白く照らしだしました。
「アッ、ずっと向こうを骸骨男のウマが走っている。……アッ、角をまがったぞ。よし、うしろの車に近道をして、あいつの前に出るように通信したまえ。」
中村警部のさしずで、運転席に乗っていた警官が、無線電話の送話器をとり、
「百三十六号、百三十六号、こちらは中村警部。百三十六号車は、近道をして二十面相のウマの前に出てください。こちらはこのまま、追跡をつづけます。」
と叫びました。すると、すぐ前にある拡声器から、
「百三十六号、了解。」
という返事がきました。この無線電話は警視庁の本部に通じるのですが、それがそのまま、ほかの車にも聞こえるので、すぐ返事ができるわけです。
中村警部たちの自動車は、サーチライトを照らし、ウーウーとけたたましくサイレンをならしながら、明智探偵のウマのあとを、どこまでも追っていきました。
まだよいのうちですから、このウマと自動車の追っかけっこを見て、町は大さわぎになりました。まっさきに走っていくのは骸骨です。骸骨がウマに乗っているのです。
町の人たちは、こんなふしぎなものを見るのは、はじめてですから、みんな家のなかからとび出してきて、あれよ、あれよ、と見おくっています。人道を通っている人たちも、みんな立ちどまってしまい、自動車まで止まるさわぎです。白い警察自動車がサイレンをならしてやってきたら、ふつうの自動車は道をあける規則ですから、こちらの車は、なんのじゃまものもなく、思うぞんぶん走れます。
骸骨男は、ウマのしりに、ピシッ、ピシッと、ムチをあてて、あちこちと町角をまがり、だんだん、さびしいほうへ逃げていきます。
ほとんど人通りのない広い通りに出ました。両がわには大きな屋敷がならび、しいんと、しずまりかえっています。しかし、二十メートルおきぐらいに明るい街灯が立っているので、明智探偵は、骸骨男を見うしなう心配はありません。もう、ふたりのあいだは、五十メートルほどにせまっていました。
骸骨男のウマは、すこしつかれてきたようです。めちゃくちゃな乗りかたをして、むやみにムチでひっぱたくものですから、ウマがよけいにつかれるのです。
明智はなるべく身を軽くして、ウマが走りやすいようにしていました。ムチもつかいません。ですから、こちらのウマは、まだつかれていないのです。元気いっぱいに走っています。
骸骨男とのあいだが、だんだん、ちぢまっていきました。四十メートル、三十メートル、二十メートル、ああ、もう十メートルほどになりました。手に汗にぎる競馬です。うしろのウマが、ぐんぐん、前のウマにせまっているのです。
そのとき明智は、たずなをはなして、腰のかげんでウマを走らせながら、両手でほそびきのたばをほぐし、結び玉をつくって、大きな輪にしました。そして、それを右手に持って、クルッと頭の上でまわしはじめたのです。
アッ、投げ縄です。明智は投げ縄の術を知っていたのです。その縄を前の骸骨男の首にひっかけて、ウマから引きずりおろそうとしているのです。
小林少年は、うしろの自動車から、それを見ていました。
「おい、あれをごらん! 明智先生はカウ=ボーイみたいに、投げ縄ができる人だよ。」
となりの井上君をひじでつついて、ほこらしげにいうのでした。
「うん、さすがに明智君だな。こんなかくし芸があるとは知らなかった。」
中村警部も感心したように、つぶやきました。
前の二とうのウマは、もう目の先にいます。強いサーチライトの光が、それを照らしているのですから、どんなこまかいことも、ありありと見えるのです。
二とうのウマは、矢のようにとんでいます。骸骨男がひょいとうしろをふり向きました。明智のウマのひづめの音が聞こえたからでしょう。かれは明智の頭の上で、ぐるぐるとまわっているほそびきに気がついたようです。
そのときです。明智の右手がパッとのびました。そして、まわっていたほそびきが、輪をつくったまま、サーッと宙を飛んだのです。
うしろの自動車では、小林君たちが思わず、アッと声をたてました。
サーチライトの光の中に、骸骨男が、まっさかさまにウマから落ちるのが見えます。投げ縄は、みごとに命中したのです。
骸骨男のウマは、そのまま走りさってしまいました。明智のウマが、地面にころがった骸骨男よりも前にすすみました。骸骨男は、首にかかったほそびきで、ずるずると、地面を引きずられています。
骸骨男の左手が、首のほそびきにかかっていました。そうしなければ、首がしまって死んでしまうからです。そして、右手でなにかやっています。黒いシャツのポケットから、なにかとり出しました。よく見えません。しかし、ピカッと光ったようです。
アッ、ナイフです。ナイフをほそびきにあてました。サッと右手が動きました。すると、プッツリと、ほそびきが切れてしまったのです。
骸骨男は、むくむくと起きあがりました。そして、やにわにかけ出したではありませんか。
自動車の中の小林少年たちは、またしても、アッと声をたてて、手に汗をにぎりました。
そこは、ちょうど十字路でした。骸骨男は、それを右にまがってかけ出したのです。明智は、まだ気づかないで、まっすぐに走っていきます。
「車を止めろ! そして、あいつを追っかけるんだッ!」
中村警部がどなりました。キーッとブレイキの音をたてて車が止まりました。パッとドアをひらいて、警官たちがかけ出しました。小林君たちも、そのあとにつづきます。
自動車には運転がかりの警官が残って、みんなのあとを追いながら、サーチライトを照らしてくれました。
骸骨男は黒い風のように走っていきます。そのはやいこと。警官たちは、とてもかないません。
そのとき、町のむこうの方から、パッと、ギラギラ光った二つの目玉があらわれました。自動車のヘッドライトです。それは、先まわりをした警察自動車でした。ヘッドライトの中に、骸骨男のすがたがはいったので、すぐ車を止めて、中からどやどやと警官がおりてきました。
骸骨男は、はさみうちになったのです。もうどうすることもできません。とうとう、覚悟をきめて立ちどまりました。
そこへ、前とうしろから警官たちがとびかかっていって、おりかさなるようにして、怪物をとらえ、手錠をはめたうえ、ぐるぐる巻きにしばりあげてしまいました。手錠だけでは、あぶないと思ったのです。
明智探偵も、その場にもどってウマからおり、中村警部と顔を見あわせて、この大とりものの成功をよろこびあっていました。
「明智君!」
しばりあげられた二十面相の骸骨男が、くるしそうな声で呼びかけました。
「ぼくの負けだよ。もうこれいじょう奥の手はないから、安心したまえ。しんみょうに、さばきをうけるよ。しかし、きみが投げ縄の名人とは、知らなかったね。見たまえ、首にこんな傷ができたよ。」
いかにも、二十面相の首には、ほそびきですれた、まっ赤なあとがついていました。
こうして、さすがの怪人二十面相も、ついにとらわれの身となったのでした。
小林、井上、野呂の三少年は、このありさまを見て、うれしくてたまりません。ちゃめのノロちゃんは、もうだまっていられなくなりました。
「明智先生、ばんざあい! 明智大探偵、ばんざあい!」
おどりあがるようにして叫びました。
それを聞くと、いかめしい警官たちも、思わず顔をほころばせ、その笑い声が、しずかな町にひびきわたるのでした。
底本:「魔法人形/サーカスの怪人」江戸川乱歩推理文庫、講談社
1988(昭和63)年5月6日第1刷発行
初出:「少年クラブ」大日本雄辯會講談社
1957(昭和32)年1月号~12月号
入力:sogo
校正:茅宮君子
2017年9月24日作成
2017年10月13日修正
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