怪奇四十面相
江戸川乱歩



二十面相の改名


「透明怪人」の事件で、名探偵、明智小五郎あけちこごろうに、正体を見やぶられた怪人二十面相は、そのまま警視庁の留置場に入れられ、いちおう、とりしらべをうけたのち、未決囚みけつしゅうとして東京都内のI拘置所こうちしょに、ぶちこまれてしまいました。

 二十面相といえば、これまでに、なんどとなく、ろうやぶりをして、逃げだした怪物ですから、拘置所でも、とくべつの注意をして、もっとも、見はりにつごうのよい、げんじゅうな独房どくぼう(ほかの人といっしょにしないで、ひとりだけ入れておく牢屋)をえらび、ふつうの見はりのほかに、ふたりの看守が、交代で、夜も昼も、たえまなく、その独房のまえに、立ちばんをすることになりました。

 なにしろ、「透明怪人」という、とほうもない大事件の犯人が、みごとにつかまり、しかも、その犯人が怪人二十面相と、わかったのですから、世間は、もう、このうわさで、もちきりです。新聞も、怪人がつかまったいきさつを、くわしく書きたてますし、人がふたりよれば、お天気のあいさつのかわりに、二十面相の話をするという、ありさまです。

 名探偵、明智小五郎の名声は、この大とり物によって、いやがうえにも高くなり、「透明怪人」をとらえた、日本のシャーロック・ホームズとして、西洋の新聞にも、明智のてがらばなしが、大きくのせられたほどです。

 この人気をあてこんで、二つの映画会社が、「透明怪人」事件の映画をつくることになりましたが、芝居のほうでも、日比谷ひびやと、浅草あさくさの二つの劇場で、「透明怪人」劇が上演されるというさわぎでした。

 ところが、二十面相が拘置所に入れられてから、五日めのことです。東京でも、いちばん読者の多い「日本新聞」に、つぎのような記事がデカデカとのせられ、世間をアッとおどろかせました。

「四十面相」と改名

  いよいよ大事業にのりだす

   拘置所内の二十面相から本紙によせた不敵の宣言

 きのう午後二時、I拘置所内の二十面相からのような奇怪な投書が、本社編集局に配達された。I拘置所に問いあわせると、係官かかりかんがすこしも知らないうちに、なにかふしぎな手段によって、この投書を郵送したことがあきらかとなった。二十面相は係官にむかって、「おれは大奇術師だ。牢屋から、だれにも知られないで、手紙をだすくらいは、あさめしまえだよ。」と、うそぶいていたという。つぎはその投書の全文である。


『わたしは明智小五郎にまけた。しかし、これで、かぶとをぬいでしまったわけではない。ちかく再挙さいきょをはかることは、もちろんだ。奇術師のわたしには、どんなあついとびらも、どんなげんじゅうなじょうまえも、すこしも、やくにたたないのだ。わたしは、いつでも出たいときに、拘置所を出られる。

 しかし、そのまえに、世間に知らせておきたいことがある。それは、わたしの名まえについてだ。世間では、わたしを二十面相と呼んでいるが、わたしは大不平だ。わたしの顔は、たった二十ぐらいではない。その倍でも、まだ、たりないほどだ。もっとも少なく見ても、わたしは、四十以上の、まったくちがった顔を、もっているつもりだ。そこで、わたしは、これから、四十面相と、なのることにした。二十面相を卒業して四十面相になったのだ。こんどは、わたしを四十面相と呼んでもらいたい──。さて、改名のてはじめに、わたしは、いままでに、いちども手がけなかったような、大事業にとりかかるつもりだ。それが、どんな事業だかは、また、あらためて通信する。』

 この記事を読んだ世間の人々が、アッとぎょうてんしたことはいうまでもありません。しかし、いちばんおどろいたのは、I拘置所長です。未決囚から、かってに、新聞社へ手紙なぞだされては、拘置所というものは、ないもどうぜんです。拘置所ばかりでなく、検察庁や警察の名誉にもかかわるわけです。

 そこでI拘置所長は、部下をしかりつけて、もんだいの投書が、どうして、そとへもちだされたのか、そのすじみちを、手をつくしてしらべさせましたが、すこしもわかりません。じつにふしぎです。ほんとうに、魔法でもつかわなければ、そんなことができるはずはないのです。

 拘置所では、ふたたび、そんなことがおこらないように、いよいよ、見はりを、げんじゅうにしました。

 ところが、それから二日ののちには、またしても、おなじ「日本新聞」に、四十面相の第二の投書が発表されたのです。

四十面相の新事業

 「黄金どくろ」の秘密

   I拘置所からふたたび通信

 I拘置所にとじこめられている四十面相は、前回の投書にひきつづいて、またもや、左のような第二の通信を、本社に送ってきた。こんども、I拘置所では、この手紙が出された方法については、想像さえできないと言っている。

『前回のわたしの通信を、貴紙きしにのせてくださったことを感謝する。つづいて、ここに第二の通信をおくる。まえの通信に、あたらしい事業に着手すると書いたが、その事業の一部分を、読者に知らせておきたい。

 わたしの新事業とは〝黄金どくろ〟の秘密を、あばくことである。それ以上くわしいことは、いまは言えないが、もし、わたしが、その秘密を発見することができたならば、日本じゅうを、いや、世界じゅうをおどろかすような、大事件となることを、確信をもって、予告する。

 それには、まず、このI拘置所を脱出しなければならない。だが、その日も、目のまえにせまっている。わたしは、やすやすと、牢やぶりをしてみせる。そのかどでにあたって、本紙読者諸君の健康をいのるものである。』


 ああ、なんという、ぼうじゃくぶじんの言いぐさでしょう。拘置所の囚人が、まもなく牢やぶりをするぞと、言いふらしているのです。

 この記事を読んだ世間は、ふたたび、わきかえりました。拘置所でも、よういならぬじたいとみて、いよいよ警戒をげんじゅうに、四十面相の独房には、ピストルで武装した五人の看守が、すこしもゆだんなく、見はりをつづけることになりました。

 それにしても、四十面相のやることは、とんと、がてんがいきません。牢やぶりをするぞと、新聞に書けば、ますます、見はりが、げんじゅうになるばかりではありませんか。自分で、自分を、しばっているようなものです。

 ところが、あとになって考えてみますと、それが、じつは、大奇術師の秘密の「手」であったことがわかりました。四十面相が、新聞にあんな投書をしたのは、なにも名誉心のためではありません。あれは牢やぶりに、ぜひとも必要な、てだてにすぎませんでした。ああ、なんということでしょう。怪人四十面相の、わるぢえは、まったく、おくそこが、知れないほどです。


弁護士の帽子


「日本新聞」に四十面相の第二の通信がのったあくる日、I拘置所長のところへ、四十面相事件のかかりの木下きのした検事から、電話がかかってきました。

 いま、そちらへ、明智探偵がゆくから、四十面相に面会させるように、ということでした。

 所長はそれを聞くと、なんとなくホッとしました。四十面相が牢やぶりを宣言しているさいに、かれをとらえた名探偵が、来てくれるというのは、ねがってもないことでした。

 まつほどもなく、明智探偵の自動車が、拘置所の玄関に、着いたので、所長は明智を、ていねいに、自分の部屋へあんないさせました。

「いや、じつは、わたしのほうから、おいでをねがいたいと、思っていたところです。四十面相のやつは、あの新聞社への手紙を、げんじゅうな独房のなかから、どうして送るのか、そのやりかたが、まったく、わからないのです。このうえは、もう、あなたにでもおしらべねがうほかはないと、考えていたのですよ。」

 明智は、それに答えて、

「ぼくも、そのことで、おたずねしたのです。木下検事にたのまれてね。ねんのために、裁判所の面会許可証も、用意してきました。これをごらんください。一度、ぼくを、四十面相に、あわせてくださいませんか。ぼくが話をすれば、あるいは、あいつの秘密が、わかるかもしれません。」

 この明智のことばを、所長は、まちかねていたように、

「どうか、おねがいします。わたしとしては、どんなことがあっても、あいつの脱獄をふせがねばなりません。ひとつ、よい知恵を、おかしください。」

 そこで、所長は看守長をよんで、明智をひきあわせ、できるだけ、べんぎをはかるように言いつけ、看守長は、さっそく、明智を、四十面相の独房へ、あんないしました。

 ふつうなれば、面会室へよびだして、話をするのですが、あいては魔術師のようなやつですから、独房から一歩でも、そとへ出すのは、あぶないので、明智のほうから独房へはいって、話すことにしたのです。

 独房のまえには、腰にピストルをつけた五人の看守が、いかめしく、番をしていました。看守長はそのひとりに命じて、かぎで独房の扉を、ひらかせました。明智は看守長にむかって、

「では、しばらく、あいつと、さしむかいで話したいとおもいますから、看守のかたたちを、すこし、はなれたところへ、遠ざけてくれませんか。」

「しょうちしました。では、われわれは、廊下のむこうのほうで、おまちしていますから。」

 看守長は、五人の看守といっしょに、独房のまえをはなれ、廊下のはじに、ひきさがります。明智はひとりで、独房にはいり、中から扉をしめました。いよいよ、四十面相と名探偵の、さしむかいです。

 看守長は、もし、ふたりのあいだに、あらそいでもおこったら、かけつけるつもりで、耳をすましていましたが、独房の中からは、ひくい話しごえが、とだえがちに、もれてくるばかりでした。

 そして、二十分ほども、たったでしょうか、ふたたび、扉がひらいて、明智探偵が、にこにこしながら、廊下に、すがたをあらわしました。

「すみました。どうか、かぎをかけてください。」

 五人の看守は、独房のまえの、もとの位置につき、中に四十面相がいることを、たしかめたうえ、ひとりが、扉にかぎをかけました。

 明智と看守長は、そのまま、所長室にもどり、明智は、まちかねていた所長のまえに腰をかけると、すぐに、話しはじめるのでした。

「四十面相が、通信をする秘密は、わかりました。弁護士が共犯者ですよ。」

 所長はおどろいて、

「エッ、弁護士ですって? あれの弁護士は鈴木君です。わたしは鈴木君とは長年の親友ですが、けっして、そんな、悪いことをする男じゃない。なにかの、まちがいではありませんか。」

「いや、弁護士が悪いのではありません。本人がすこしも知らないまに、四十面相の通信係を、つとめていたのです。四十面相は、フランスの紳士盗賊、アルセーヌ・ルパンのまねをしたのですよ。

 弁護士だけは、いつでも、自由に、未決囚と面会することができるし、未決囚のほうから、すきなときに、弁護士をよぶこともできます。しかも、弁護士にかぎって、立会人がつきません。ふたりきりで話ができるのです。四十面相は、それを利用したのですよ。

 鈴木弁護士は、いつもソフト帽をかぶってくるそうですね。そして、独房の中で話をするときには、それを、横の台の上に、のせておくのです。四十面相は、弁護士がわきみをしているすきに、そのソフトの下に手をいれ、うちがわのビンがわのなかへ、小さくたたんだ紙きれをいれておきます。ごく、うすい紙で、それに、こまかい字で、手紙が書いてあるのです。弁護士は、すこしも知らないで、そのソフトをかぶって、事務所にかえります。すると、弁護士の書生にすみこんでいる、四十面相の部下が、ソフトのビン皮のなかをしらべて、手紙をとりだすという、じゅんじょです。

 部下のほうから四十面相に通信するときも、同じやりかたで、弁護士のソフト帽がつかわれます。

 つまり、鈴木弁護士の帽子は、郵便配達のカバンのやくを、つとめていたわけですよ。」

 これを聞いた所長と看守長は、あいた口が、ふさがりませんでした。

「フーン、弁護士の帽子とは、考えたな。よろしい、さっそく、このことを鈴木君に知らせます。そして、書生に化けている部下を、ひっくくってしまいます。しかし、明智さん、あなたは、よくそこまでおわかりになりましたね。あいつが、うちあけたのですか。」

「そうです。あいつの口から、きいたのです。四十面相とは、ながいあいだの、つきあいですからね。あいつのやりくちは、たいてい、わかっているのです。ぼくは、ルパンのまねじゃないか、と思ったので、『弁護士の帽子だね。』と、言ってやりました。すると、あいつはニヤリと笑って、うなずいてみせたものですよ。悪人も四十面相ほどのやつになると、みれんらしく、かくしだてなんか、しないものです。」

 明智が話しおわると、所長は、ていねいに頭をさげて、

「ありがとう。おかげで、あいつの通信のみちをたつことができます。ですが、明智さん、脱獄のほうはだいじょうぶでしょうか。あいつには、われわれの思いもよらない、牢やぶりの手があるのじゃないでしょうか。」

「それは、わかりませんね。ルパンも脱獄したことがあります。あいつは、その手をもちいるかもしれませんよ。」

「それはどんな方法です。参考のために、きかせてください。なんとしても、脱獄だけはふせがなくてはなりません。」

「それでは、あとから、怪盗ルパンの伝記を、おとどけしましょう。その伝記のなかの『ルパンの脱獄』というのをお読みになれば、わかりますよ。」

 明智はそういって、なぜか、ニヤリと、ふしぎな笑いをもらしました。


小林少年


 それから、まもなく、明智探偵は、所長と看守長の見おくりをうけて、拘置所を出ると、またせてあった自動車にのりました。

 その自動車には、運転手のとなりに、十四、五歳の少年助手が、チョコンと腰かけています。茶色のセーターをきて、小さな鳥打帽をかぶり、顔はあぶらで黒くよごれていますが、なんとなく、かわいらしい少年です。

 自動車は矢のように走っています。しかし、ふしぎなことに、明智探偵事務所とは、まるでちがった方角です。日比谷から有楽町のほうにまがって、やがて、とまったところは、世界劇場の楽屋口でした。

 明智探偵は、車をおりると、まるで、そこが、自分のうちででもあるように、世界劇場の楽屋口へ、はいっていきます。すると、運転助手の、まっ黒な顔をした少年も、明智のあとを追って、チョコチョコと楽屋口に走りより、その中へ、すがたをけしました。

 楽屋口をはいって、階段を二つのぼったところに「村上時雄むらかみときお」と書いた木札のかかった部屋があります。明智がこの部屋のドアをあけると、中から、ひとりの俳優らしい青年が顔をだして、「おかえりなさい。」と、あいさつしました。

 明智探偵が、劇場の楽屋へ来たのに、「おかえりなさい。」とは、なんだか、へんなあいさつではありませんか。ところが、そのつぎには、もっと、ふしぎなことが、おこりました。

 明智は「村上時雄」の部屋にはいると、正面においてある鏡のまえに、ドッカと、あぐらをかいたのです。すると、さっきの青年が、うやうやしく、お茶をもってきます。明智はそのお茶をすすりながら、

「やっと、まにあったね。ぼくの出まで、何分ある?」

 とたずねます。

「あと十分です。」

「よし、服装はこのままでいいね。ちょっと、明智役の書きぬきを見せてくれ。すこし、せりふを、かえたいところがあるんだ。」

 といって、青年のさしだす脚本の書きぬきをうけとり、ねっしんに読みはじめました。

 読者諸君、これはいったい、どうしたことでしょう。名探偵、明智小五郎が、楽屋の鏡のまえにすわって、まるで役者のように、せりふの書きぬきを読んでいるのです。明智は、気でもちがったのでしょうか。

 いや、このなぞは、諸君が一度、世界劇場のおもてに、まわってみれば、すっかり、とけるのです。

 劇場の正面に、大きな看板が出ています。それには一メートル四方ほどの字で、

 と、書いてあります。つまり、世間をさわがせた「透明怪人」の事件を、芝居にしくんで、いま、この世界劇場で、上演しているのです。その看板の、横のほうには、

名探偵明智小五郎

透明怪人・二役主演

        村上時雄

 と、大きく書いてあります。村上時雄というのは、この一座の主役俳優なのです。そして、その村上が、透明怪人と明智探偵を、はやがわりで演じるわけなのです。

 すると、いま楽屋にはいった明智探偵は、じつは村上時雄なのでしょうか。かれを出むかえた青年は村上の弟子らしいのですが、その弟子が、すこしも、うたがっていないところをみると、これはもう、明智の役にふんした村上に、ちがいありません。

 さあ、わからなくなってきました。拘置所をたずねて、四十面相に面会したのは、たしかに、この明智です。それが、じつは村上時雄という役者だったとすると、いったい、どういうことに、なるのでしょうか。

 さて、もう一度、楽屋のほうにもどります。明智探偵にふんした村上時雄は、書きぬきを読みおわると、鏡にむかって、ちょっと顔をなおしてから、ひとりで部屋を出て、うすぐらい廊下を、舞台へおりる階段のほうへ、歩いていきます。

 ところが、そのとき、みょうなことが、おこりました。見ると、村上の五メートルほどあとから、小さな人かげが、ソッと尾行びこうしているではありませんか。それは、さっきの自動車運転助手の、かわいらしい少年です。

 村上は、それともしらず、せまい階段を、トントンとおりていきます。少年は、かげのように、そのあとをつけるのです。そして、階段を半分ほどおりたとき、少年のふんだ階段の板が、ギーッと大きな音をたてました。少年はハッとして、立ちどまりましたが、さきにたつ村上は、べつに気づいたようすもありません。

 少年は、二度と音をたてないように、用心ぶかく階段をおりて、下の廊下に立ちました。そして、なおも尾行をつづけようとしていますと、そのとき、とつぜん、むこうをむいて歩いていた村上が、とつぜん、クルッと、こちらをむきました。

 逃げだすひまも、なにもありません。村上はパッと少年にとびかかって、いきなり、そのからだを、だきすくめてしまいました。

「さわぐんじゃない。大きな音をたてると、しめころしてしまうぞ。さあ、白状しろ、きさま、なにものだ。なぜ、おれのあとをつけるんだ。おやッ、きさま、さっきの自動車の助手だな。ハハア、すると、おれがここを出たときから、つけてたんだな。」

 明智のふんそうをした村上は、小声で、そんなことを言いながら、少年のからだをグイグイと、階段の下の暗やみの中へ、押していきます。少年は、されるままになって、ひとことも口をききません。

「フフン、わかったぞ。きさま、明智の助手の小林だな。顔にすみなどぬって、ごまかしているが、おれには、ちゃんとわかるんだ。明智のさしずで、おれのあとをつけたんだろう。きさま、それじゃあ、なにもかも知っているなッ。」

 村上は、いまにもくいつきそうな、おそろしい顔をして、少年をにらみつけました。

「知っているよ。」

 少年は、しずかな声で、はじめて、口をききました。

「フーン、それじゃあ、おれの正体もか。」

「そうだよ。きみは村上時雄じゃない。いま、拘置所から、脱獄してきたばかりの、二十面相、いや、四十面相だッ。」

 小林少年は、ズバリと、言ってのけました。


怪人対小林少年


 それをきくと、あいては、ギョッとしたように、小林君をつかんでいた手をゆるめましたが、たちまち、気をとりなおして、うすきみ悪く、ニヤニヤと、笑いだすのでした。

「ウフフフ……、えらい、えらい、きみはりこうだねえ。探偵の助手にしておくのはおしいくらいだ。おれも、きみのような弟子がほしくなったよ……。ところで、おれが四十面相だったら、きみはどうしようと、言うんだね。」

 そして、明智探偵のふんそうをした四十面相の顔が、グーッと小林の目のまえにせまり、両腕が小林君の肩を、おそろしい力で、しめつけてくるのでした。でも、小林君はへいきです。

「どうもしないよ。もう、この劇場は、警官隊に、とりかこまれているんだよ。きみは、いまに、つかまるばかりだよ。」

「ウヌッ、それじゃ、きさまは。」

 さすがの四十面相も、サッと顔色がかわったようです。

「きみが楽屋にいるあいだに、ぼくが明智先生に電話をかけたんだよ。そして、先生からすぐに警察へれんらくしたので、いまごろは、世界劇場のまわりは、おまわりさんに、とりかこまれているはずだよ……。それで、きみ、どうするの? もう、とても逃げられやしないよ。」

 そのとき、四十面相は、すっかり、どきょうをきめたようにみえました。かれは、この危急ききゅうのばあいに、おちつきはらって、ニヤニヤ笑いだしたのです。そして、大きなてのひらで、小林少年の頭を、さもかわいいといわぬばかりに、なでているのです。なんという、おくそこのしれない怪物でしょう。

「警官隊が、この劇場をとりまいているというのかい。ハハハ……、ゆかいだねえ。おれは、こういう冒険が三度のめしよりも、すきなんだよ。小林君、見ててごらん。おれは、かならず、逃げてみせる。みごとに、やってのけるよ。まあ、ゆっくり見物したまえ。」

「で、どうするの?」

「これから舞台へ出て、芝居をやるのさ。」

 明智のふんそうをした四十面相は、小林少年をつきはなすと、そのままあとも見ないで、舞台のほうへ立ちさるのでした。ちょうど、そのとき、「透明怪人」劇に明智のやくが、登場する時間がきていたからです。

 ああ、なんという大胆不敵、警官隊が劇場をかこみ、ジリジリとその輪をせばめているというのに、かれは舞台に出て、満員の見物の前で、芝居を演じようというのです。かれは、はたして、この難局を、うまく切りぬける自信があるのでしょうか。

 こうして、全日本をおどろかせた、あの世界劇場の大活劇がいよいよ、はじまろうとしているのです。


劇場のとり物


 そのとき、世界劇場の見物席は、一階も二階も三階も、われかえるような満員でした。あれほど、世間をさわがせた「透明怪人」の芝居ですから、めずらしさにかられた人々が、われもわれもと、おしかけて、毎日、切符売場には長い行列がつづくのです。

 舞台では「透明怪人」劇が、最高潮さいこうちょうにたっしていました。場面は、れいの大防空ごうのなかの、二十面相のかくれがです。背景には、いちめん岩窟がんくつの道具だて、そのまんなかに、一つの部屋があり、ふしぎなかたちの機械や、化学実験の道具などが、ところせまく、ならんでいます。

 芝居のすじは、じっさいの事件とは、すこしちがって、その部屋へ、明智探偵に化けた二十面相があらわれ、この事件の捜査主任の中村係長が、その正体を見やぶるということになっています。

 小林少年を、うす暗い廊下にのこして、舞台にいそいだ四十面相は、いましも、実験室の入り口から、ヌーッとすがたをあらわしました。いうまでもなく、明智小五郎のふんそうです。しかし、見物はそれが、あのおそろしい四十面相だなどとは、すこしも知りません。俳優の村上時雄だと思いこんでいます。有名なモジャモジャ頭のカツラに、あかるい空色の背広を着た明智があらわれると、見物席ぜんたいにわれるような、はくしゅがおこりました。

 しばらくすると、舞台の実験室の、べつの入り口から、背広すがたの中村捜査係長が、はいってきました。むろん、これも俳優がふんした中村係長です。にせ明智は、それを見ると、ふいをつかれて、ハッとしたように身がまえをします。中村係長は、ツカツカと、そのまえに近づき、右手をあげて、あいての顔を、まっこうから指さしながら、いきなり、どなりつけるのでした。

「きさま、よくも、けたな。」

「なに、化けたとは?」

 にせ明智は、わざと、いぶかしそうに、聞きかえします。

「きさまは、明智探偵ではない、透明怪人の首領だろう。警察では、もうすっかりわかっているのだ。こんどこそ、逃がさないぞ。」

 中村係長は、さけびながら、部屋の入り口にむかって、あいずをします。すると、そこから、五人の制服警官が、とびだしてきて、サッと、にせ明智のまわりをとりかこみました。それを見ると、にせ明智は、さもおかしそうに、大きな声で笑いだしました。

「ワハハハ……、きみたちの人数はそれっきりか。たった五人では、ちっとものたりないね。おれは、けっして、つかまらないよ。魔術師には、きみたちの夢にもしらない、おくの手があるのだ。」

 舞台のやりとりが、そこまですすんだとき、とつぜん、見物席のうしろのほうに、ふしぎな、ざわめきが、おこりました。満場の見物の顔が、なにごとかと、いっせいに、そのほうをふりむきました。

 うしろには、そとの廊下から見物席への入り口が、六ヵ所にひらいています。そのぜんぶの入り口から、ピストルで武装した警官が、三、四人ずつ、はいってくるのがみえました。いかめしい顔つきで、見物席のイスのあいだを、グングンと舞台のほうへ、すすんできます。じつに、ものものしい光景です。

 この思いもよらぬできごとに、見物席は、シーンと、しずまりかえってしまいましたが、見物のうちには、これも、芝居のすじではないかと思った人もあるようです。なにしろ、きばつな「透明怪人」劇のことですから、見物をアッと言わせるために、こんな芝居を、しくまないとも、かぎらぬからです。

 しかし、よく見ると、いま、はいってきた二十数人の警官は、どうも俳優らしくありません。舞台の、芝居の警官とくらべると、まるで、感じがちがうのです。

 すると、そのとき、またしても、アッというようなことが、おこりました。こんどは舞台のほうです。舞台の両がわにある俳優の出入り口から、それぞれ五、六人の武装警官があらわれ、実験室のまんなかに立っている、にせ明智のほうへ、ジリジリと、せまっていくのです。

 ぜんたいで三十数人にすぎませんが、よくめだつ警官服ですから、まるで、舞台も見物席も、武装警官で、いっぱいになったように感じられました。

 さっき、舞台のにせ明智が言ったように、芝居のほうの警官は、中村係長と五人の巡査じゅんさだけです。そのほかの三十数人は、芝居とかんけいのない、ほんものの警官です。いまは、見物たちにも、それがハッキリとわかりました。

 いったい、まあ、これはどうしたというのでしょう。見物席は、にわかに、さわがしくなりました。われさきにと立ちあがって、ことのしだいを見きわめようとします。気のよわい女の人などは、席を立って、逃げだすという、さわぎです。

 だれよりも早く、この警官隊に気づいたのは、舞台のまんなかにいる四十面相のにせ明智でした。かれは、見物席のうしろからと、舞台の両がわから、あらわれた三十余人の、ほんものの警官をにらみまわしながら、またしても、人もなげに、カラカラと笑いだすのでした。

「ワハハハ……五人ぐらいでは、ものたりないと言ったら、たちまち数倍の警官隊があらわれたね。これなら、敵にとって、ふそくはないぞ。いよいよ魔術師のうでまえを、お目にかけるときがきたようだな。諸君、どうか、お見おとしのないように。」

 四十面相のにせ明智は、そんな、おどけを言いながら、見物席にむかって、ものものしくおじぎをしてみせるのでした。


消える怪人


 ひとりの背広の紳士が、見物席のうしろからあらわれた警官隊の、まっさきに立っていましたが、このとき、その紳士はヒラリと舞台にとびあがり、ツカツカと俳優たちのそばへ近づいていました。この紳士こそ、ほかならぬ、ほんものの中村係長だったのです。

 俳優のふんした中村係長と、ほんものの中村係長とが、こうして舞台のまんなかで、顔をあわせました。じつに、ふしぎな光景です。

「あなたはだれです。これは、いったい、どうしたことです。」

 俳優の中村係長が、めんくらって、どもりながら、たずねます。

「われわれは、あいつを、つかまえにきたのです。ぼくは警視庁捜査一課の中村です。」

「アッ、あなたが中村さん……。」

 俳優の中村係長は、おどろきのあまり、タジタジとあとじさりをしました。

「しかし、なぜですか? あの男は、わたしどもの座長の村上時雄という俳優です。村上が、なにか悪いことでもしたのでしょうか。」

「いや、あの男は村上じゃない。拘置所からぬけだしてきたばかりの四十面相だ。われわれは確証をにぎっている。説明はあとでします。そこを、どいてください。」

「エッ、この男が、あの、四十面相……。」

 俳優の中村係長は、まっさおになって立ちすくんでしまいました。

 この、舞台での問答が、前のほうの見物に聞こえたから、たまりません。たちまち、それが、口から口へとつたわり、「四十面相だッ。」「あれが魔術師の四十面相だッ。」という、おそれにみちた、つぶやきが、場内ぜんたいにひろがって、見物席はわきたつような、さわぎになりました。

 気の強い連中は、舞台のほうへおしかける。老人や、女、子どもは、こわさがさきにたって、われがちにと、出口のほうへ、なだれをうつ。おしたおされて、うめく声、子どもの泣きごえ、女の悲鳴、まるで、大地震おおじしんでもおこったようなさわぎです。

 このとき、舞台の四十面相は、三方から、せまる警官隊に、おいつめられて、大きな化学実験台のうしろに、しりぞいていました。背景の黒ビロードの幕のまえに、にせ明智の空色の背広が、クッキリとうきだしてみえています。

「ワハハハ……、じつにゆかいだ。この冒険はたまらないよ。諸君、四十面相のさいごを見とどけてくれたまえ。諸君は、あとにもさきにも、こんな大芝居を、二度と見ることは、できないだろう……。それでは、諸君、おさらば……。」

 かれの声が、だんだん、かすかになっていったかと思うと、ふしぎ、ふしぎ、四十面相のにせ明智の顔が、フッと、かきけすように、見えなくなってしまったではありませんか。あとには、首のない空色の背広だけが、立っているのです。

 つぎには、その背広の上着が、ヒラヒラと空中にまいあがり、ひとりでにネクタイがとけ、ワイシャツがぬげたかと思うと、その下には、からだがなくて、まったくの、からっぽなのです。アッと、おどろくまに、こんどは、ズボンがズルズルと下へさがっていって、腰から下にも、なかみのないことがわかりました。つまり、洋服やシャツをぬいだ四十面相のからだは、かんぜんに、消えてなくなったのです。透明怪人になってしまったのです。

 警官たちは、このふしぎを見せられて、思わず、立ちすくんでいましたが、そこへ、舞台の横から、いきなり、小林少年が、とびだしてきました。そして、大声に、わめくのでした。

「中村さん、いつもの手です。あいつのとくいなブラック・マジックです。四十面相は洋服とシャツの下に、もう一枚、黒いシャツとズボンを着ていたのです。そして、黒いきれで、顔をつつんだのです。すると、黒幕のまえでは、なにも見えなくなってしまうのです。あいつは、黒幕のあわせめから、舞台のうしろへ、逃げました。はやく追っかけてください。全身まっ黒な怪物が、四十面相です。」

 ソレッというので、警官隊は、黒ビロードの幕におしかけました。二枚の幕が、まんなかで、かさなっていて、そこから舞台のうらへ、出られるのです。中村係長がさきになって、その黒幕をくぐりぬけました。

 ガランとした、ひろい舞台うらには、小さなはだか電灯が、ところどころにぶらさがっているばかりで、しばらくは、なにも見えません。

 やがて、目がなれるにつれて、うす暗いすみずみが、ハッキリ見えてきましたが、すると、見あげるような高い天井から、まるで大きなクモのように、まっ黒な人間のかたちをしたものが、ほそいひもで、ぶらさがっていることが、わかりました。


塔上の怪獣


 その下へ、近よって、よく見ると、三十センチおきぐらいに大きなむすび玉のある、ほそい黒いひもが、天井からさがっているのです。全身まっ黒な怪物は、そのひもをつたって、足の指をむすび玉にかけて、スルスルと、のぼっていくのです。

「とまれッ。とまらぬと、ピストルをうつぞッ。」

 中村係長が、天井にむかって、どなりました。しかし、黒い怪物は、すこしも、ひるまないで、ますます、速度をはやめて、のぼっていきます。のぼりながら、からだを左右にふるものですから、黒いひもが、ふりこのようにゆれはじめました。むろん、ピストルのねらいを、はずすためです。

「ぶっぱなせッ。」

 中村係長のするどい、さけび声におうじて、一発、二発、三発、ピストルが火をふきました。しかし、警官のピストルは、あいてを殺すためではなく、ただ、動けなくするのが、目的ですから、ひじょうに、ねらいがむずかしいうえに、まとは、ブランブランと、はげしくゆれているのです。なかなかあたるものではありません。

 黒い怪物は、ついに、天井の近くにひらいている、小さな窓にたどりつきました。そして、窓わくにまたがると、黒いひもを、スルスルと、てばやく、たぐりあげて、そのまま窓のそとへ、すがたを消してしまいました。

 むすび玉のある黒いひもは、四十面相の七つ道具の一つで、じょうぶな絹糸をよりあわせて、つくったものです。のばせば、何十メートルの長さになり、まるめてしまえば、ポケットに、はいるという、べんりな、なわばしごです。

 その絹糸のなわばしごは、世界劇場の屋根のいっぽうにそびえる、円形の塔の頂上に、むすびつけてありました。そこから、窓をくぐって、舞台うらにさがっていたのです。四十面相が、いざというときのために、まえもって、用意したのです。

「屋根へ逃げたぞ。みんな、そとに、まわれッ。」

 中村係長のさしずで、数人の警官を、舞台うらにのこして、みんな劇場のそとにかけだしました。

 そとは、もう夕がたでした。世界劇場の建物にも、そのへんのビルディングにも、もう電灯がつき、となりの大新聞社の電光ニュースは、夕やみのなかに、うつくしく動いていました。

 劇場のまわりは、おそろしい人だかりです。怪人四十面相が、屋根へ逃げたということは、またたくまに知れわたり、人々の顔はいっせいに、空をむいています。

 ふつうのビルディングでいえば、六階ほどの高さの、劇場の屋根のいっぽうに、西洋のむかしのお城のような、まるい塔がそびえているのです。その塔の上は、たいらになって、そのまわりに、パリのノートルダム寺院の屋上の、あの有名な彫刻をまねた、コンクリートの怪獣が、はるかに地上を見おろしてならんでいます。うすぐらくなった空に、それらの怪獣の、異様なすがたが、黒くクッキリと、うきあがっているのです。

 そのとき、地上の群集の中から「ワーッ。」「ワーッ。」というかんせいがあがりました。怪獣と怪獣とのあいだを、なにか黒いものが、チョロチョロと動くのが見えたからです。あまり高いのと、夕やみのために、ハッキリ見さだめることはできませんが、たしかに怪獣とはべつのかたちのものが、動いたようです。まさか、コンクリートの怪獣に、たましいがはいって、動きだしたのではありますまい。

 中村係長のさしずで、数人の警官が、塔の中をかけのぼり、いちばん上の部屋までたどりつきました。しかし、塔の屋上へ出る口は、四十面相が、上からふさいでしまったので、どうすることもできません。警官たちは、窓から身をのりだして、屋上の怪人にむかって、なにか、さけんでいるばかりです。その窓から半身をのりだした警官のすがたが、地上からも、かすかに見えています。地上の群集は、こく一こくと、その数をまし、劇場の前を通っている電車も自動車も、いまは立ちおうじょうのありさまです。

 しばらくすると、遠くのほうから、サイレンの音が、聞こえはじめ、ひじょうな早さで、それが、近づいてきました。警官隊が、塔の下の群集を、せいりしはじめました。群集は車の下じきになることをおそれて逃げまどい、波がひくように、たちまち、ひろい道がひらけました。けたたましいサイレンの音をたてて、そこへ、のりこんできたのは、二台の消防自動車でした。中村係長がきてんをきかせて、近くの消防署に、おうえんをもとめたのです。

 赤い自動車の上から、はげしいエンジンのひびきとともに一本のはしごが、グーッと空にのびています。同時に、いま一台の自動車から、まぶしいほどのまっ白なものが、塔の上をめがけて、矢のように、とびついていきました。探照灯たんしょうとうのひかりです。

 ごらんなさい。探照灯にてらしだされた塔上には、けだもののからだに、鳥のはねがはえ、人間の顔をもつ、ノートルダムの怪獣が、おそろしい形相ぎょうそうで、下界の群集を見おろしています。その怪獣のせなかに手をかけて、スックと立っている、ひとりのまっ黒な人間。「アッ、あすこにいる。」「あれが四十面相だッ。」群集のなかからわきあがる、おどろきの声。怪獣と肩をくんで、地上の大群集をあざわらっているのは、まぎれもない怪人四十面相の、すさまじいすがたでした。

 それにしても、四十面相は、これから、どうするつもりなのでしょう。ぜったいに、逃げみちがないではありませんか。脱獄したと思ったら、もう、つかまってしまう運命なのでしょうか。


空にうく怪人


 塔の屋根のしたの部屋には、数人の警官がつめかけて、窓から身をのりだし、上のほうをにらみつけて、くちぐちに、なにかさけんでいますが、屋根のでっぱりが、じゃまになって、四十面相のすがたを見ることができません。

 その部屋の天井には、屋根への出入り口があり、そこへ鉄のはしごが、かかっていたのですが、四十面相は、まえもって、そのはしごをとりはずし、どこかへかくしてしまい、屋根への出入り口は、上からふたをして、ひらかぬようにしておいたのです。ですから、警官たちは、すぐ頭のうえに四十面相がいることを知りながら、どうすることもできないのでした。

「はしごだ。だれか、はしごを持ってこい。それから、長いかなてこを持ってくるんだ。そして、はしごにのぼって、屋根への出入り口を、たたきこわすんだ。」

 ひとりのおもだった警官がさけぶと、若いふたりの警官が階段をかけおりていきましたが、しばらくすると、木のはしごと、長い金てこを持って、もどってきました。

 すぐさま、はしごがかけられ、強そうな、若い警官が、金てこをもって、その頂上に、のぼりつきました。

 ドシン、ドシンと、天井に金てこがあたるたびに、くぎでうちつけた出入り口のふたが、ギイギイと音をたてて、すこしずつ、ひらいていきます。

 ああ、さすがの四十面相も、いよいよ運のつきです。もうどこにも逃げる場所がありません。出入り口がひらいて、そこから警官隊が屋根の上にのぼってくれば、いくら四十面相が強くても、あいては、おおぜいです。とても、かなうものではありません。

 といって、塔の上から、とびおりたら、骨がくだけてしまいます。絹糸のなわばしごはありますが、それをつたっておりるにしても、下には、たくさんの警官がまちかまえているのですから、たちまち、つかまってしまいます。

 もう、ぜったいぜつめいです。逃げても、逃げなくても、つかまるにきまっているのです。

 ところが、そのとき、じつにふしぎなことが、おこりました。どうしても、逃げられっこない四十面相が、まんまと逃げたのです。思いもよらないやりかたで、みごと逃げてしまったのです。いったい、それは、どんなやりかただったのでしょうか。

 まだ、塔の屋根の出入り口が、すっかりひらききらないまえでした。劇場のまえに、むらがっている、地上の群集から、「ワーッ、ワーッ。」という声が、わきおこりました。

 それまで、地上の群集は、探照灯にてらしだされた塔の上を、息をころしてみつめていました。「いまに、警官たちが屋根へのぼっていくだろう。そうすれば、塔の上の大とり物が、はじまるのだ。それを見のがしてなるものか。」と、目をさらのようにしてみつめていました。

 すると、塔の上の空中に、なにかユラユラとゆれているのが見えました。夜といっても、空はうす明かるく、そこに黒い小さなものが、ブランコのように、ユラユラしているのが、ぼんやりと、見えたのです。

 消防車の探照灯係も、それに気づいたとみえ、強いひかりが、そのゆれているものに、パッと、むけられました。

 おお、ごらんなさい。まっ黒なすがたの四十面相が、塔の屋根をはなれて、空へのぼっていくではありませんか。なにかにひかれるように、夜の空高く、ズンズンのぼっていくのです。

「やあ、アドバルーン(広告気球)だ。アドバルーンにぶらさがっているのだ。」

 だれかが、さけびました。夜空を、まるいふうせんが、ユラユラとのぼっていたのです。探照灯がそれをてらしだしました。大きなふうせんから、つながさがり、そのつなに、赤い布でつくった透、明、怪、人という大文字がむすびつけてあります。「透明怪人」劇のアドバルーンなのです。

 アドバルーンは、塔の屋根から、つなで空にういていたのですが、四十面相はそのつなを切って、赤い布の大文字にすがりつき、大ふうせんのとびさるままに、身をまかせたのです。

 ちょうどガスをつめたばかりで、大ふうせんは、はちきれんばかりに、ふくらんでいます。そして、グングン空へのぼっていくのです。

 探照灯の白いひかりが、それを追っかけ、まるいふうせんは銀色に光っています。その下にさがっている赤い布の大文字、その大文字にとりすがっている、まっ黒な怪人四十面相のすがた。

 探照灯のひかりのなかの、銀色のたまは、だんだん小さくなっていきます。夜空を高くたかく、どこまでものぼっていくのです。

 もう四十面相のすがたは、見えなくなりました。大文字さえも見えなくなりました。

 そして、あの大ふうせんが、野球のボールのように、小さくなってしまいました。

 じつに、いのちがけの冒険です。アドバルーンのガスは、すこしずつ、もれていきます。いつかはふうせんがしなびてくるのです。そして浮く力がなくなり、やがて落下するにきまっています。それがもし、ひろい海の上だったら、どうするのでしょうか。

 そうでなくて、陸におちても、やっぱり同じことです。もう、四十面相のことは、日本じゅうの警察に知れわたっているのですから、どこに落ちても、たちまち、つかまってしまいます。

 四十面相は、いったい、どうするつもりなのでしょうか。


校庭の異変


 ここは千葉ちば市川いちかわ市から、あまり遠くないS村の、S小学校の校庭です。

 世界劇場の塔から、四十面相が、アドバルーンでとびさった、あくる日のお昼すぎのことです。ちょうど、やすみ時間で、生徒たちは、S小学校のひろい校庭に、みちあふれていました。

 野球をするもの、かけっこをするもの、すみのほうにかたまって、女の子らしいあそびをしている女生徒たち、ほうぼうから、ワーッ、ワーッ、という声があがって、たいへんな、さわがしさでした。

 そのとき、まっさおに晴れわたった空の、はるかかなたにポッツリと、黒い点があらわれ、それが、すこしずつ大きくなっていきました。

 その黒い点が、だんだん、ふくれて、野球のボールほどになったとき、校庭であそんでいた生徒のひとりが、やっと、それに気づきました。

「みてごらん、ホラ、あすこから、へんなものが、とんでくるよ。」

 すると、まわりにいた、ほかの生徒たちも、空のかなたをみつめました。

「へんだなあ。あれ、空とぶ円盤かもしれないよ。」

「まさか。でも、だんだん大きくなるね。こっちへ、とんでくるんだよ。」

 そのまるいものが、フットボールぐらいの大きさになったときには、校庭にいた生徒のぜんぶが、空をみつめていました。何百人の男の子と女の子が、もう身うごきもしないで、一つところを、みつめているのです。いままで、さわがしかったのが、シーンと、しずまりかえって、なんだか、おそろしいような感じでした。

「やあ、なんだか、さがっているよ。赤い字だよ。」

「ふうせんだ。やあ、銀色に光ってらあ、あれ、広告ふうせんだよ。」

 はじめは黒く見えていたのが、大きくなるにしたがって、銀色に光ってきたのです。

「アドバルーンだ。あれ、アドバルーンっていうんだよ。」

 みんながガヤガヤ言っているあいだに、その銀色の大ふうせんは、風におくられて、グングンちかづいてきました。

「やあ、へんだなあ。つなに人間がぶらさがってらあ。まっ黒な人間が、ぶらさがってらあ。」

 少年たちは、怪人四十面相が、アドバルーンにつかまって逃げたことを、まだ知りません。ですから、まっ黒な人間のさがったふうせんが、とんできたのが、ふしぎでしかたがありませんでした。

 あまり、さわがしいので、先生たちも、校庭へ出てこられましたが、先生にもわけがわかりません。みんなといっしょに、空をながめて、ふしぎがるばかりです。

 大ふうせんは、もう、みんなの頭の上に、せまっていました。浮く力をうしなって、おそろしい、いきおいで、落ちてくるのです。ガスがぬけてしまったのか、銀色の大ふうせんは、いっぱい、しわがよっています。

「わあ、でっかいなあ。」

 ほんとうに、でっかいふうせんです。

「あの黒い人、死んでるのかしら。ちっともうごかないわ。」

 女の子が、目ざとく、それに気づいて、かんだかい声で、さけびました。

「ほんとだ。死んでるのかもしれないね。」

「わあ、たいへんだ。ふうせんは、ここへ落ちてくるよ。」

 いかにも、大ふうせんはS小学校の校庭をめがけて、グングン落ちてくるのです。

「みんな、あぶないから、教室のほうへ、よるんだ。」

 先生のさけび声に、生徒たちは、なだれをうって逃げまどいます。

「ワーッ、落ちた、落ちた。」

 ワーッ、ワーッという、さわぎのなかに大ふうせんは校庭に落ちてきました。そして地面とすれすれに、フワフワと風にふきおくられています。そのうしろのつなには、かたちのくずれた赤い布の大文字がくっつき、あのまっ黒な人間も、いっしょに、ズルズルと地面をひきずられていくのです。

 上級生のゆうかんな少年たちが、十人ほど、大ふうせんにむかって、かけよりました。そして、みんなで、つなにすがりついて、ふうせんが風にふかれるのを、ひきとめてしまいました。

 すると、先生がたも、そこへ、かけつけて、まっ黒な人間を、だきおこそうとしました。

「アッ、これは人間じゃない。」

「エッ、人間じゃないって?」

「さわってみたまえ、ゴツゴツしている。こんなかたい人間って、あるもんか。」

 ふたりの男の先生は、ふしぎそうに、顔を見あわせていましたが、ひとりの先生が、いきなり、その黒い人間のかぶっていた、ふくめんをはぎとりました。

「なあんだ。こりゃあ人形じゃないか。よくショウウインドウにかざってある、マネキン人形だよ。」

「どうりで、なんだか、かたいとおもった。やっぱり人間じゃなかったのだね。」

 先生は安心したように、つぶやくのでした。それを聞くと、生徒たちも、ワーッと、そこへかけよりました。そして、黒衣こくいの人形をとりかこんで、押すな押すなのさわぎです。

 それから、まもなく、学校の小使いさんの知らせによって、駐在所の警官が、かけつけてきました。警官は怪人四十面相がアドバルーンで逃げたことを、ちゃんと知っていたのです。しらべてみると、たしかに、世界劇場のアドバルーンでした。透、明、怪、人という大文字が、なによりのしょうこです。

 それなのに、そのふうせんに、ぶらさがっていたのが、四十面相ではなくて、人形だったとは、いったいどうしたわけなのでしょう。警官は首をかしげて、考えこんでしまいました。

 読者諸君、このわけが、おわかりですか。

 あの悪がしこい四十面相が、海のまんなかへ落ちるかもしれないアドバルーンなどで逃げるはずがありません。かれは、いざというときの身がわりに、まえもって、人形を用意しておいたのです。黒いシャツを着せ、黒ふくめんをさせた人形を、塔の屋上の、コンクリートの怪獣のかげに、かくしておいたのです。

 そして、その人形をアドバルーンのつなに、しばりつけ、さも、自分が空中へ逃げたように見せかけたのです。警官隊も、消防官も、この思いもよらぬ、ごまかしに、まんまとひっかかってしまったのです。

 しかし、それなら、ほんとうの四十面相は、いったい、どこへ、かくれてしまったのでしょう。警官隊にとりかこまれた、あの塔の上から、逃げるみちは、空へでものぼるほかには、まったくなかったはずではありませんか。

 そこが奇術師の怪人四十面相です。かれは、みんなの目を、アドバルーンに、ひきつけておいて、そのすきに、ふしぎな手品を、つかったのです。あのおおぜいの警官隊の目を、みごとに、くらましてしまったのです。


警官と乞食少年


 お話はもとにもどって、黒衣の人形をしばりつけたアドバルーンが、世界劇場の塔から、とびさった、すぐあとのことです。怪獣のならんでいる塔の屋根から、ほそい黒いひもが、スーッとさがり、そのひもをつたって、ひとりの制服の警官が、劇場の屋上へ、おりてきました。

 そこは塔のうしろがわなので、だれも見ているものはありません。それに、みんなアドバルーンに気をとられていたので、このふしぎな警官に注意するものは、ひとりもありませんでした。

 警官は、いま、つたいおりた、ほそいひもを、手もとにたぐりよせると、それをまるめて、ポケットにおしこみ、屋上の出入り口から、劇場のなかへはいっていきました。

 それから五分ほどのち、世界劇場の正面玄関から、さっきの制服警官が、大きなふろしきづつみをかかえて、出てきました。ふろしきのなかみは、なんだかわかりませんが、直径五十センチほどのまるくて、うすべったいものです。大きなおぼんのようなかたちです。

 劇場の前のひろばには、まだおおぜいの人々が、むらがっていました。そのなかには警官の一隊も、まじっているのです。その警官のひとりが、いま、玄関から出てきた、ふしぎな警官に、声をかけました。

「きみはどこの署の人ですか。その大きな荷物は、なんです?」

 すると、ふしぎな警官が、にこにこしながら、こたえました。

「ぼくは警視庁のものですよ。中村係長さんの命令で、しょうこ品を、持ってかえるのです。」

「みょうなかたちのものですね。それは、いったい、なんですか。」

「ぼくにもわかりませんよ。ふろしきに、つつんだまま、渡されたのです。係長さんは、なにか、お考えがあるのでしょう……。じゃあ、しっけいします。」

 ふしぎな警官は、そう言いすてて、人ごみを、かきわけながら、どこかへ、立ちさってしまいました。

 それから、また十分ほどのちのことです。中央ちゅうおう区の、とあるさびしい屋敷町を、さっきの、ふしぎな警官が、テクテクと、歩いていました。やっぱり、まるい大きな、ふろしきづつみを、こわきにかかえているのです。

 街灯もまばらな暗い町です。両がわには大きな邸宅のコンクリートべいや、板塀や、こんもりした、いけがきなどが、つづいています。まだ日がくれたばかりなのに、人通りは、まったくありません。東京のまんなかに、こんなさびしい町があったのかと、あやしまれるほどです。

 ふしぎな警官は、そのさびしい暗い町を、コツコツと、歩きながら、おもしろくてたまらない、というように、ニヤニヤ笑っていました。

「ウフフフ……、うまくいったぞ。われながら感心するほどだ。さっきのおまわりさん、中村係長にあったら、おれのことを報告するだろうな。係長のおったまげる顔が見えるようだ。係長はこんな荷物を、渡したおぼえはないんだからな。

 しかし、四十面相が制服警官にけて、逃げだしたなんて、まさか気がつくまい。四十面相はアドバルーンにのって、空をとんでいるはずじゃないか。フフフ……、アドバルーンにさがっていたのは、人形で、ほんものの四十面相は、警官になりすまして、こんなところを、歩いているなんて、どんな名探偵にだって、わかりっこないよ。」

 ふしぎな警官は、ブツブツと、口のなかで、そんなことをつぶやいていました。

 では、この警官は、じつは、怪人四十面相だったのでしょうか。そうです。これが、かれの大奇術なのです。みんながアドバルーンに気をとられているすきに、かれは絹糸のなわばしごで、塔の屋根からおり、劇場のなかを通って、玄関に出たのです。

 警官の制服は、脱獄を用意しているあいだに、部下に命じて黒衣の人形といっしょに、塔上の怪獣のかげに、かくさせておいたものです。なんという用心ぶかさでしょう。脱獄して俳優に化けたあとで、まんいち、正体を見やぶられたときのことを、まえもって、ちゃんと考えておいたのです。そのときはアドバルーンを利用して、警官に化けてと、なにからなにまで、いちぶのすきもなく、用意してあったのです。

 かれは、アドバルーンに人形をくくりつけ、つなをきりはなすと、てばやく、その警官服を身につけて、なにくわぬ顔で、むらがる群集と、警官隊の前にすがたをあらわしたのです。

 どろぼうが警官に化けるとは、なんという、きばつな思いつきでしょう。しかし、考えてみれば、これがいちばん安全なのです。警視庁と所轄警察署の警官が、いりまじっていて、おたがいに顔を知らないのですから、そこへ、まったく見おぼえのない警官があらわれても、だれも、うたがうものはないのです。

 それにしても、警官に化けた四十面相が、こわきにかかえている、まるい荷物は、いったい、なんでしょうか。これは、世界劇場のなかから、持ってきたのにちがいありませんが、あのふろしきのなかには、なにが、つつんであるのでしょう。おそろしく用心ぶかい四十面相のことですから、これも、なにか危急のばあいの、奇術の種かもしれません。

 ふしぎな警官は、まだニヤニヤ笑いながら、暗い町を、コツコツと、歩きつづけています。

 ところが、よく見ると、その町を歩いているのは、四十面相だけでないことが、わかってきました。四十面相の二十メートルほどあとから、小さな人間が、すこしも足音をたてないで、こっそりと尾行しているではありませんか。

 それはゾッとするほど、きたならしい、乞食の少年でした。かみの毛は、モジャモジャにのびて、目の上までたれさがっています。ジャンパーのようなものを着ているのですが、それがボロボロにやぶれ、ズボンも、すそがちぎれて、ひざっこぞうが見え、顔も手も足も、まっ黒によごれて、まるで黒んぼうのような少年です。クツもはかず、すあしに、わらぞうりをはいているのです。そうです。読者諸君が、お気づきになったとおり、これは少年名探偵、小林君の変装すがたでした。

 世界劇場のまわりの大群集のなかで、たったひとり、アドバルーンのごまかしを、もしやと、うたがった人間がありました。それが小林少年だったのです。

 ずっとまえに、明智探偵が手がけた事件で、犯人がアドバルーンにぶらさがって、逃げたことがあります。それをヘリコプターで追っかけると、犯人だとばかり思っていたのが、じつは人形であったことがわかりました。小林君は、明智探偵から、その話をきいていたものですから、アドバルーンが、とぶのを見ると、すぐそれを思いだしたのです。

 そこで、小林君は、おおいそぎで楽屋にとびこむと、顔や手足に、うす黒いえのぐをぬり、衣装部屋にあった、いちばんきたない服を、はさみでズタズタにきりさいて、身につけ、モジャモジャ頭のカツラをかぶって、劇場の屋上にのぼり、塔からおりてくるやつを、見はっていたのです。

 また、小林君は、悪がしこい犯人が、警官に化けた事件に、たびたび、であっていましたので、ふしぎな警官のすがたを見ると、すぐに、それとさとりました。そして、尾行をはじめたのです。中村係長に知らせようとしたのですが、きゅうには見つからなかったので、ただひとりで尾行したのです。

 暗い町は、どこまでも、つづいています。そのさびしい町を、コツコツと歩く四十面相のにせ警官、あとからコッソリつけていく、きたない乞食少年。じつに奇妙な光景です。

 とつぜん、にせ警官が、立ちどまったかと思うと、すばやく、うしろをふりむきました。尾行に気づいたようです。

 乞食少年はハッとして、おおいそぎで、そばのいけがきの下へ身をふせましたが、もう、まにあいません。さとられてしまったのです。

 にせ警官は、いきなり、かけだしました。そして、むこうの四つかどを、まがるのが見えました。あいてにさとられたからには、もう、やぶれかぶれです。乞食少年も足音たかく、それを追いました。ところが、そのとき、またしても、じつにふしぎなことが、おこったのです。

 小林君の乞食少年が、四つかどまでかけつけて、にせ警官のまがったほうを見ますと、そこには、まったく人かげがありませんでした。両がわには高いコンクリート塀がつづいて、まっすぐに、見とおせる町なのですが、にせ警官は、どこへ消えたのか、かげもかたちもありません。

 両がわのコンクリート塀は、よじのぼるには高すぎます。地面には四十面相のとくいのかくれ場、マンホールもありません。むこうのまがりかどまでは百メートルもあり、いくら足がはやくても、そこをまがるような時間はなかったはずです。


赤いポスト


 小林君は、やにわにかけだして、むこうの町かどまで行ってみました。しかし、どちらを見ても、人かげはありません。しかたがないので、また、もとのところまで、もどってきました。そして、そこに、つっ立ったまま、ながいあいだ、じっとしていました。ちょうど、ネコがネズミを見うしなったときのように、あたりを見まわしながら、息をころして、じっと考えていたのです。しかし、夜の屋敷町には、なんのかわったことも、おこりません。まるで、この世から、人間がいなくなってしまったように、シーンと、しずまりかえっているばかりです。

 さすがの小林君も、とうとう、あきらめたようです。チェッと舌うちをして、肩をすぼめると、そのまま、もと来たほうへ、立ちさってしまいました。

 小林君がいなくなって、しばらくのあいだは、なにごともおこりませんでした。町は、水の底のように、しずまりかえっていました。ところが、十分ほどたったかと思われるころ、じつに、なんともいえない、きみの悪いことが、はじまったのです。

 その町かどのコンクリートの塀の前に、赤い郵便ポストが立っていました。遠くの街灯のひかりが、ボンヤリと、それをてらしています。その赤いポストが、しずかに、しずかに、ジリッ、ジリッと、まわっているのです。コンクリートでできたポストが、まるで生きもののように、からだをまわしていたのです。

 ポストの上のほうに、手紙をいれる横に長い穴があります。そのまっ黒な穴のなかから、なにかキラッと、光るものが見えました。目です。人間のだか、動物のだかわかりませんが、二つの大きな目が、そこから、そとをのぞいているのです。ポストを、ジリッ、ジリッとまわしながら、その二つの目が、あたりを、くまなく見まわしているのです。

 つぎには、もっと、きみの悪いことが、おこりました。

 赤いポストが、まわるだけでなくて、横にうごきだしたのです。ゆっくり、ゆっくり、まるで虫がはうように、コンクリートの塀にそって動いているのです。そして、いつのまにか、もとの場所から十メートルもへだたったところへ、行っていました。ポストは生きているのです。生きて、歩きだしたのです。

 ところが、そのつぎには、もっと、もっと、おそろしいことが、おこりました。

 ポストの下の石の台が、ユラユラと動いて、その下から、黒い手ぶくろをはめた、人間の手が二本、ニュッと出たのです。そして、その手が、石の台を、かるがると持ちあげたかと思うと、石の台も、赤いポストも、クルクルと、まきあがるように、上のほうへちぢんでゆくのです。みるみる、ポストの三分の一ほどが、地面から上のほうへもちあがり、その下から、ニューッと二本の足が、あらわれました。黒い警官のズボンとクツです。

 ポストは、まだまだちぢんでゆきます。警官服の胸があらわれ、肩があらわれ、ついに顔まであらわれました。ああ、やっぱりそうでした。ポストの中にかくれていたのは、四十面相だったのです。四十面相の顔が、遠くの街灯のひかりをうけて、ニヤリと笑いました。

 ポストは、四十面相の頭の上で、大きな赤いおぼんのように、ひらべったく、ちぢんでいました。コンクリートのポストが、そんなにちぢんでしまうなんて、いったい、どうしたしかけなのでしょう。

 これは、四十面相の発明したかくれみのでした。そのポストは、たくさんのうすいかねの輪を、かさねあわせてつくったもので、ちょうど手品師の持っているステッキのように、自由にのびたり、ちぢんだりするのです。のばせばポストの高さになり、ちぢめれば五センチほどのあつさの、大きなおぼんのようになってしまうのです。まあいってみれば、うすい金属でできた、ちょうちんのようなものだったのです。

 それにポストと同じ赤いペンキがぬってあって、金属の輪のつぎめも、ひじょうに、うまくできているので、うすぐらい場所では、ほんもののポストとそっくりに見えたのです。

 四十面相は、さっき、小林君に尾行されていると気づいたとき、町かどをまがると、かかえていたふろしきづつみを、おおいそぎでほどき、赤い、大きなおぼんのようなものを、頭の上にのせて、カチッと、とめがねをはずしたのです。すると、かさなりあっていた、うすい金属の輪が、サーッと下におりて、ポストのかたちになってしまいました。金の輪でできた石の台まで、ちゃんとついています。ふろしきをといてから、ポストのかたちができるまで、三十秒もかからなかったでしょう。

 こうして、四十面相は、みごとに忍術を使いました。ポストというかくれみのの中にはいって、この世から、すがたを消してしまったのです。なんとまあ、きばつなかくれみのではありませんか。

 その町かどには、もともと、ポストはなかったのです。しかし、小林君は、そんなことは知りません。いちども来たことのない町ですから、ほんとうのポストだと、思いこんでしまったのです。まさか、四十面相が、こんな、のびちぢみ自在のポストを、用意していようとは、いくら名探偵の小林君でも気がつくはずがありません。小林君は、このお化けポストに、まんまとだまされてしまったのです。

 四十面相は、かくれみののポストを、五センチほどにちぢめてしまうと、ポケットに入れておいたふろしきで、もとのようにつつみました。大きなおぼんのかたちになったのです。

 かれは、そのふろしきづつみを、ひとふり振って、ヒョイと、コンクリートの塀の中へ、投げこみました。そして、そのそばに立っていた電柱に、両手をかけたかとおもうと、まるでサルのように、スルスルとそれをのぼり、そこから塀の上にとびついて、そのまま、その大きな屋敷の中へ、すがたをかくしてしまいました。

 四十面相は、そのあいだも、たえずニヤニヤ笑っていました。小林少年というチンピラ探偵に、まんまといっぱいくわせたのが、ゆかいでたまらなかったのです。

 しかし、チンピラ探偵は、はたして、いっぱいくわされたのでしょうか。子どもながらも、明智探偵のだいじな弟子です。しかも、あいては、うらみかさなる怪人四十面相です。むざむざ、まけてしまうはずはありません。凶賊きょうぞくと少年探偵のたたかいは、いよいよ、これからなのです。

 それにしても、四十面相は、このコンクリート塀の大邸宅に、しのびこんで、なにをするつもりでしょう。ただ、そこから、べつの町へぬけだして、逃げるだけのためだったのでしょうか。もっとほかに、大きなもくろみが、あったのではないでしょうか。


やみの中の少女


 四十面相がコンクリート塀の中へ、消えたあと、町はまたシーンと、しずまりかえって、なんの動くものもありません。映画の回転が、とつぜん、ピッタリと、とまってしまったような感じです。

 まちどおしい時間が、ノロノロとすぎて、やがて五分もたったころです。さっき四十面相の、にせポストが立っていた町かどの、こちらから、小さな人間のすがたが、ヒョイと、街灯のひかりの中にあらわれました。ボロボロの服を着た乞食少年です。

 小林君は、立ちさったと見せかけて、町かどのこちらがわの、まっ暗なところに、かくれていたのです。そして、四十面相が塀の中へ、はいってしまっても、用心ぶかく、しばらく、ようすをうかがってから、あらわれたのです。

 小林君はチョコチョコと、れいの電柱のところまで、走っていって、そこでまた、じっと耳をすましていましたが、やっと決心したように、電柱にとびつくと、スルスルと、それをのぼって、四十面相と同じように、コンクリート塀の上にまたがり、ヒラリと、中へとびおりました。

 そこは、ひろい庭で、大きな木が林のように、ならんでいます。小林君は、もの音をたてぬように、気をつけながら、そのまっ黒な木の幹のあいだを、用心ぶかく、すすんでいきました。

 どこからか、赤いひかりが、さしています。それを目あてに、あるいていきますと、やがて、林のようなところをぬけて、ひろい場所に出ました。

 むこうに、洋館がヌーッと黒い巨人のように、そびえています。その一階の右のすみの窓が一つだけ、明かるく光っているのです。

 小林君は、その窓のほうへ、歩きかけたのですが、とつぜん、ハッとして、立ちどまりました。すぐ横の、大きな木の下に、なにか動いているものがあったからです。

 四十面相が、まちぶせしていたのでしょうか。いや、そうではありません。そこに立っていたのは、もっと小さな人間だったのです。小学校一年生ぐらいの、かわいい女の子だったのです。オカッパ頭の赤い色の洋服をきた女の子が、両手を目にあてて、シクシクと泣いていたのです。

 そんな小さな女の子が、たったひとりで、まっ暗な庭に立っているなんて、ただごとではありません。どこか、近くにおとながいるのではないかと、しばらく、ようすを見ていましたが、どこにも、それらしいすがたは見えないのです。

 小林君は、思いきって、女の子のそばにより、ソッと、その肩に手をのせました。すると、女の子はビクッとして、小林君を見あげましたが、乞食の少年のすがたを、こわがって、逃げだすかと思うと、逃げだすどころか、いきなり、おそろしいいきおいで、小林君にすがりついてきました。そして、小林君のからだを、だきしめるようにして、ブルブルふるえているではありませんか。

「どうしたの? きみ、ここのうちの子なの?」

 小林君がささやき声でたずねますと、少女は、コックリとうなずいてみせました。

「どうして、こんなところに、いるの?」

「あたしこわいの。」

 少女も、あたりをはばかるように、ささやき声で答えました。

「こわいって、なにがさ。」

「地下室にいるの。お化けがいるの。」

 小林君は、いくらお化けがいるにしても、こんなまっ暗な庭のほうが、もっとこわいはずではないかと思いました。こわければ、おとうさんかおかあさんのところへ、行けばいいのにと思いました。

「きみのおとうさんは、おうちにいないの?」

「いないの。さがしても、いないの。」

「おかあさんは?」

「死んだの。もうせん、死んじゃったの。」

「女中さんは?」

「ばあやでしょう。ばあやは、おつかいに行ったの。」

「じゃあ、きみのうちは、おとうさんと、きみと、ばあやと、三人きりなの?」

「ウン。」

「すると、きみは、ひとりぼっちなんだね。」

「ウン。」

 どうもへんです。こんな大きな洋館に、たった三人で住んでいるのでしょうか。しかも、おとなはふたりとも、どこかへ行ってしまって、小さな女の子を、ひとりぼっちにしておくなんて、なんというじゃけんな人たちでしょう。いったい、ここの主人というのは、なにをしている人でしょうか。

「きみのおとうさんは、どんな人なの? おつとめがあるの?」

博士はかせなの。」

「エ、博士だって? じゃあ、学者なんだね。」

「そうよ、えらい博士なのよ。」

「なんの博士なの?」

「ご本の博士なの。ご本がどっさりあるの。」

 少女には、それ以上のことは、わからないようです。

「きみ、いつから、この庭にいるの。」

「いまよ。いま逃げてきたのよ。」

「どこから?」

「地下室から。」

「きみのお部屋は、地下室にあるの?」

「ううん、あたしのお部屋は、あすこよ。」

 少女は、たった一つ電灯のついている窓を、ゆびさしました。

「じゃあ、どうして地下室へ、いったの?」

「音がしたからよ。」

「で、地下室に、何がいたの?」

「お化けよ。お化けが三びきいるの。」

 少女は、ふるえ声で答えて、もっとつよく、しがみついてきました。


金色の骸骨がいこつ


 小林君は、少女にだきつかれながら、すばやく頭をはたらかせて考えました。

 そのときまでは、少女のお化けというのは、四十面相のことかもしれないと、思っていたのですが、「三びき」だとすると、四十面相ではありません。では、さっき、ここへ、しのびこんだ四十面相は、いったい、どこにいるのでしょう。

 もしかすると、このかわいらしい少女が、やっぱり四十面相のなかまで、小林君を、だまそうとしているのかもしれません。すると、四十面相も、庭の林のなかのどこかに、すがたをかくして、ふたりのようすを、うかがっているのではないでしょうか。

 そう考えると、少女がかわいい、あどけない顔をしているだけに、いっそう、きみが悪くなってきました。

「あぶない、あぶない。うっかり、ゆだんはできないぞ。四十面相のやつは、じつに思いもよらないことを考えだす、魔術師だからな。」

 小林君は、じゅうぶん心をひきしめて、あらためて、少女の顔を、しげしげとながめました。むこうの窓のひかりで、ボンヤリとしか見えませんが、見れば見るほど、むじゃきなかわいい顔です。こんな七つかそこいらの、小さな女の子が、悪人のまわしものだなんて、どうしても考えられないことです。

「その地下室って、どこなの? ふたりで、いっしょに、行ってみよう。」

 小林君は、少女をためすように、言いました。

「こわくないの?」

 少女は小林君の顔を、びっくりしたように、見あげるのです。

「こわいもんか。ぼくは、強いんだよ。お化けなんか、ひどいめに、あわせてやる。」

「ほんとう? 大きなお化けが、三びきもいるのよ。」

「三びきだろうが、五ひきだろうが、へいきだよ。さあ、行ってみよう。」

 小林君は、むろん、お化けなんか信じません。きっと、その地下室には、なにかあやしいやつが、しのびこんでいるのに、ちがいないと考えたのです。

 小林君の墨をぬった、まっ黒な顔や、ボロボロの服が、かえって、いかにも強そうに見えたのでしょう。少女は小林君といっしょになら、地下室へ行ってもよいと、考えたようです。ふたりは、手をひきあって、洋館にちかづいていきました。

 少女のゆびさすドアをひらいて、中にはいり、少女のみちびくままに、暗い廊下をグルグルまわって、地下室の階段をおりました。

 階段の上に、小さな電灯がついているだけで、地下室のせまい廊下は、まっ暗でしたが、少女は自分の家ですから、手さぐりでも、わかるのです。

 階段をおりるころから、少女はまたブルブルふるえだしました。地下室にいる化けものが、よっぽどこわいのにちがいありません。しかし、あいてにさとられては、たいへんですから、小林君は少女の手をしっかりにぎり、息をころして、ネコのように音をたてないで、歩いていくのです。

 すこし行くと、少女はピッタリ立ちどまりました。すぐ目の前に、たてにスーッと、ほそい、光ったすじが見えます。それはドアの板のすきまから、部屋の中のひかりがもれているのでした。

 少女は小林君の手をひっぱって、そのすきまから、のぞいてみよという、身ぶりをしました。小林君は用心ぶかく腰をひくめて、そのすきまの、いちばんひろいところへ目をあてましたが、ちょっと、のぞいたかと思うと、ギョッとしたように、目をはなしました。

 あまりへんなものが見えたので、じぶんの頭がどうかしたのではないかと、うたがったのです。

 気をしずめて、もう一度、のぞいてみました。やっぱりそうです。そこには、まったく思いもよらない、へんてこなものがいたのです。少女が言ったとおり、それは三びきのお化けでした。

 部屋のまんなかに、まるいテーブルがあって、その上に、ふるめかしい西洋のしょくだいに、三本のローソクが立って、赤いほのおが、ゆれていました。テーブルをとりまいて三つのイスがおかれ、そこに三人の怪物が腰かけているのです。それは、三つの骸骨がいこつが、手まねや身ぶりをしながら、ひくい声でなにかしきりと話しあっているのでした。

 いったい、骸骨が生きた人間のように、動いたり、ものを言ったり、するなんて、そんなばかなことが、あるものでしょうか。小林君はいよいよ、自分の頭を、うたがわないではいられませんでした。おそろしい夢を見ているのか、それとも気でもちがったのかと、自分が、こわくなってきました。

 こわいのを、がまんして、じっと見ていますと、もっとふしぎなことが、わかりました。その三つの骸骨は、金色をしていたのです。骸骨というものは、白いのがあたりまえですが、ここにいるのは金色の骸骨なのです。身うごきをするたびに、それがローソクの火にてらされて、純金のように、キラキラと光るのです。

 ああ、地下室に、ひたいをあつめて、なにごとかささやきあう、三つの黄金の骸骨。これは、いったい、なにを意味するのでしょう。そこには、どんなおそろしい秘密が、かくされていたのでしょう。


骸骨の呪文じゅもん


 骸骨たちのうしろのかべは、三方とも、本だなになっていて、りっぱな本がギッシリつまっていました。それらの本のせなかの金文字が、ローソクの光にてらされて、チカチカと光っています。

 小林君は、この、なんともいえぬ、ふしぎな光景を見て、自分の頭が、どうかしたのではないかと、あやしみました。いったい黄金の骸骨なんて、この世にあるものでしょうか。しかも、その金色の三つの骸骨が、まるで生きた人間のように、話をしているのです。身うごきしたり、口をきいたりしているのです。そんなばかなことがあってもいいものでしょうか。

 一つの骸骨の、耳までさけた大きな口が、ガクガクと動きました。そして、みょうなしわがれた声が聞こえてくるのです。

ゆなどきんがくのでるろも。」

 すると、その右がわの骸骨が、それにこたえるように、歯ばかりの口を、ガクガクやりました。

むくぐろべへれじしとよま。」

 つづいて、三人めの骸骨が、口を動かしました。

とだんきすのをどすおさく。」

 それから、また三人めの骸骨は、その同じことばを、いくども、くりかえしました。日本語でも、英語でも、フランス語でもないのです。ひょっとしたら、それは骸骨たちの住んでいる地獄のことばかもしれません。それとも、なにかの呪文なのでしょうか。金色の骸骨どもは、おそろしい呪文をとなえて、だれかを、のろっているのでしょうか。

「わからん。」

 とつぜん、ひとりの骸骨が、日本語をしゃべりました。すると、それにつづいて、あとのふたりの骸骨も日本語で言うのです。

「ウン、いくら考えても、わからん。」

「いくら、となえても、わからん。」

「よし、それじゃあ、今夜は、これだけにしておこう。おたがいに、もっとよく考えるんだね……。では、つぎの金曜日、夜の八時、また、ここであうことにしよう。」

 ひとりの骸骨が、そう言って、立ちあがりました。そのひょうしに、ローソクのほのおがゆれて、金色のどくろや、あばら骨が、キラキラと光りました。

「ウン、それがいい。毎日、毎日、考えるんだ。そして、また、金曜日に相談するんだ。どんなことがあっても、この秘密は、とかねばならぬ。」

「そうだ。どんなことがあっても。」

 あとのふたりも立ちあがりました。そして、三つの骸骨は、ゆっくりと、こちらへ、歩いてくるのです。

 小林少年は、それを見ると、そばにいた少女の手をとって、すばやく、ドアの前をはなれ、まっ暗な廊下のおくへ、身をかくしました。そこの、つきあたりのかべに、少女といっしょに、ピッタリからだをくっつけて、骸骨たちが出てきても、気づかれないようにしたのです。

 そうして、息をころしていますと、スーッとドアがひらいて、ローソクのひかりが、その出入り口のへんを、ボンヤリと、明かるくしました。そこへひとりの骸骨が出てきましたが、すると、パッと、黒い大きな布のようなものがひらめいて、金色の骸骨を、スッポリとつつんでしまいました。つまり、骸骨が黒いマントのようなものを、頭からかぶったのです。

 つぎに出てきた骸骨も、おなじように、黒いマントをかぶりました。三人めの骸骨も、マントをかぶりました。すると、金色の骨ぐみは、まったくかくれてしまって、そこには、まっ黒な三つの影法師かげぼうしのようなものが、立っているばかりでした。

 その三つの黒い影法師は、小林少年たちのかくれている廊下の、はんたいのほうへ歩いていき、やがて、階段をのぼるすがたが、その上にある電灯のひかりをうけて、ハッキリと見えました。

 小林少年は、三人の黒法師が、階段をのぼりきってしまったとき、そのあとをつけてやろうと、決心しました。少女が足手まといですが、こわがって、ふるえているのを、おきざりにするわけにはいきません。しかたがないので、少女の手をひいたまま、尾行をすることにしたのです。

 少女の手をかたくにぎって、だまって、ついてくるように、あいずをして、足音をしのばせて、階段をのぼりました。

 階段の上に頭だけだして、のぞいて見ますと、三つの黒法師は、うす暗い廊下を、むこうのほうへ歩いていくのが見えます。

 ひとりの黒法師は、とちゅうでわかれて、二階への階段をあがっていきました。あとの二つの黒法師は、そのまま、廊下をまっすぐにすすみ、つきあたりを右へまがりました。そこは、この建物の玄関の方角らしいのです。

 小林君は少女の手をひいて、階段から、廊下に出ました。そして、ささやき声で、少女にたずねます。

「きみのおとうさんのお部屋は、二階にあるんだろう?」

「ええ、そうよ。」

 少女が、ふるえ声で、かすかに、答えます。

「よし、それじゃ、こっちへ、おいで。あすこに玄関があるんだろう。ふたりのやつは、玄関のほうへ出ていったんだ。どこへゆくか、見とどけてやろう。こわいことはないよ。ぼくがついているから、だいじょうぶだよ。」

 小林少年は、そうささやいて、グングン少女の手をひっぱるのでした。


少女の父


 玄関にたどりついて、ソッとドアをあけてのぞきますと、ふたりの黒法師は、むこうに見える石の門の、スカシもようの鉄の扉をひらいて、そとへ出ていくところでした。

 玄関はまっ暗ですし、そとには、門の上に電灯がひとつ、ついているだけですから、ものかげにかくれてゆけば、あいてに、さとられる心配はありません。小林君は、少女の手をひっぱって、門のところまでしのんでいきました。

 門の石の柱に身をかくして、そとを見ますと、すぐ目の前に、ヘッド・ライトを消した一台の自動車が、とまっていました。黒マントをかぶった、ふたつの骸骨は、いま、その自動車にのりこんでいるところです。自動車のドアがひらいて、ふたりのまっ黒な海ぼうずのような怪物が、そのなかへ、すいこまれるように消えていきました。

 そして、エンジンの音が、かすかにしたかと思うと、自動車は、スーッと動きだし、見るまに、やみのなかへ、とけこんでいきました。あとは、いちめんの暗やみです。なにも見えません。なにも聞こえません。死んでしまったような、しずけさです。

 骸骨が自動車にのって、どこかへ行ったのです。いったい、これはほんとうのできごとなのでしょうか。小林君は、おそろしい夢を見たのではないでしょうか。いや、夢ではありません。夢でないことが、やがてわかってきます。そして、夢よりも、もっとおそろしいことが、おこるのです。

 小林君と少女とは、しばらく、門の柱のところへ立ちつくしていました。少女はブルブルふるえながら、しっかりと小林君に、だきついていました。

「さあ、もうおうちへはいろう。そして、きみはおとうさんの部屋へ、いくんだな。」

 小林君は少女の手をとって、玄関のほうへ歩きながら、言うのでした。

「だって、おとうさまは、まだおかえりにならないわ。」

「いや、きっと、もうおかえりになっているよ。二階のお部屋へ、いってごらん。ぼくも部屋のそとまで、ついていってあげるよ。でもね、おとうさんに、ぼくのこと言うんじゃないよ。骸骨を見たことも、言うんじゃないよ。いいかい。」

「どうして? どうして言っちゃいけないの?」

「もし、きみがおとうさんに話すと、骸骨が、きみをひどいめに、あわせに来るからさ。」

「ほんと? ほんとに来るの? じゃあ、あたし、話さないわ。」

 少女は、またブルブルふるえだすのでした。

 ふたりは玄関をはいって、廊下を、おくのほうへすすんでいきました。そして、さいぜん、ひとりの骸骨がのぼっていった階段の下まできたとき、少女がギョッとしたように、立ちどまりました。

「いけない。二階へいっちゃいけない。二階に、さっきのお化けがいるわ。まだ、きっと、いるわ。」

「だいじょうぶだよ。もういやしないよ。二階には、お化けでなくて、きみのおとうさんがいるばかりだよ。」

 少女は、階段の下の柱につかまって、動こうともしませんでしたが、小林君はささやき声で、いろいろと、ときつけて、やっと二階へあがることを、しょうちさせました。

「いいかい、ぼくはおとうさんの部屋のそとまで、いくだけだよ。きみはひとりで、部屋へはいるんだよ。そして、ぼくのことは、おとうさんに、なにも言わないんだよ。わかった?」

 少女がうなずくのを見ると、小林君はその手をとって、音をたてないように気をつけながら、階段をのぼりました。そして、廊下をすこしゆくと、少女がひとつのドアをゆびさしました。それがおとうさんの部屋だったのです。

 少女はまだこわがっていましたけれど、小林君にせきたてられて、そのドアを、ソッとほそめにひらいて、部屋のなかをのぞきました。小林君も、少女の頭の上から、そのドアのすきまに目をあてました。

 部屋のなかには、さっきの骸骨がいたのでしょうか。いや、そうではありません。そこの安楽イスには、ひとりの、りっぱな紳士が、ゆったりと腰かけていました。言うまでもなく、少女の父の博士なのです。

 黒い背広をきた五十歳ぐらいの紳士で、はんぶん白くなったかみをオールバックにし、黒いふちのロイドめがねをかけ、口ひげと、三角がたのあごひげを、はやしています。いかにも、学者らしい顔つきです。

 それにしても、いったい、この博士は、いつのまに、かえってきたのでしょう。小林君も少女も、さっきから門のところにいたのですから、博士がかえってくれば、であったはずです。どうも、おかしいではありませんか。

 つい、さいぜん、ひとりの骸骨が、二階へあがっていきました。そして、いま来てみると、骸骨のすがたは、どこにもなくて、そのかわりに、少女のおとうさんの博士が、いつのまにか、あらわれていたのです。これは、いったい、どうしたわけなのでしょうか。

 小林君は、もう、ちゃんと、そのわけを知っていました。しかし、少女に話してきかせるには、およびません。そこにいたのは、少女のおとうさんに、ちがいないのです。小林君は、だまって、少女のせなかを押して、部屋の中へはいれという、あいずをしました。

 少女はドアをひらいて、「おとうさま。」とさけびながら、かけこんでいきました。博士はそれを見ると、にこにこ笑って、両手をひろげます。少女はその両手のなかへ、たおれこむようにして、博士のひざにすがりつきました。

「おとうさま、どこへいらしったの? あたし、こわかったわ。ひとりぼっちなんですもの。」

「おお、ごめん、ごめん。おとうさまはね、だいじなご用があったんだよ。それに、ばあやが、もっとはやく、かえると思ったんだよ。さびしかったかい。ごめんね。だが、こわいことなんか、ありゃしないよ。なにも、こわいものなんか、いやしないよ。」

「いたわ、お化けが……。」

「エッ、お化けが? どこにさ。」

「地下室よ。」

「なんだって? おまえ、地下室へ行ったのか。地下室で、なんか見たのか。」

 大きなメガネのなかで、博士の目がギラギラと光りました。そして、おそろしい顔で、少女をにらみつけているのです。

 少女は、ハッとしたように、口をつぐみました。さっき小林君に言われたことを、思いだしたからです。あのことをおとうさまに言えば、おそろしい骸骨が、またやってくるにちがいないと、思ったからです。

「地下室で、なんだか音がしたの。」

「それだけかい。おまえ、地下室へ行ったんじゃないのかい。」

「行ったんじゃないわ。こわいんですもの。」

 それを聞くと、博士は、やっと安心したように、目をほそくして、にこにこ笑いだしました。

「いい子だ、いい子だ。もう、けっして、ひとりぼっちにしないからね。ごめんよ。さあ、おとうさまが、おもしろいお話をしてあげよう。ひざの上におのり。」

「ええ、おもしろいのよ。こわいお話はいやよ。」

 少女は、父のひざに腰かけて、あまえるように言うのでした。


第四の骸骨


 小林少年は、父と子が、なかよく話しだしたのを、見とどけると、ソッと二階をおりて、まっ暗な裏庭へ出ました。まだそのへんに、四十面相が、かくれているような気がするので、庭の林のなかを、ひとまわりして、かえるつもりだったのです。

「三びきの骸骨は、つぎの金曜日の夜の八時に、また地下室であうという、やくそくをした。こんどは、もっとはやくから、あの地下室にしのびこんで、骸骨どもの秘密をさぐってやろう。そうすれば、きっと、おもしろいことが、わかってくるにちがいない。」

 小林君は、そんなことを考えながら、庭の林のなかへ、はいってゆきました。

 林のなかは、まっ暗です。手さぐりをしなければ、歩けません。そのやみのなかを、小林君は、すこしも足音をたてないで、ネコのように、しずかに歩きました。ときどき立ちどまっては、じっと、耳をすますのです。そして、また歩きだし、また立ちどまり、大きな木のみきを、ぬうようにして、すすんでゆきますと、むこうの、やみのなかに、なにか、キラッと光ったものがあります。

 小林君はハッとして、立ちどまりました。そして木の幹にからだをかくすようにして、じっと、そのほうをみつめました。

 そこには、なにか生きものがいるのです。ガサガサとの葉のすれる音がして、そのものが、こちらへ、ちかづいてきました。

 それは、やみのなかでも、ピカピカ光るものでした。金色のかたまりが、宙にういています。それには、ふたつのまっ黒な穴があります。金色の、長い歯ならびが見えます。その下に、金色のあばら骨、腰の骨、長い手、長い足……、黄金の骸骨です。ここにもまた、ひとつの骸骨が、かくれていたのです。

 さっきの地下室にいた骸骨のひとりでしょうか。いや、小林君は、そうでないことを知っていました。ふたつの骸骨は、自動車にのって、立ちさったのです。もうひとつの骸骨は、二階へあがったまま、おりてこなかったのです。おりてこなかったわけがあるのです。すると、ここにいるのは、第四の骸骨です。骸骨がまたひとつ、ふえたのです。

 しかし、小林少年は、それを見ても、いっこう、おそれるようすはありません。逃げだそうともしません。大胆にも、いままでかくれていた木の幹をはなれて、その金色の骸骨の前へ、ツカツカと、すすんでゆくではありませんか。

 やみのなかへ、ガサガサ音をたてて、小さな人かげが、あらわれたのを見ると、かえって骸骨のほうが、ビックリしたようです。金色の骸骨は、ハッとして、その場に、立ちすくんでしまいました。

 そうして、骸骨と少年とは、長いあいだ、じっと、にらみあっていました。

「ウフフフ……、わかったぞ、きさま、チンピラ探偵の小林だな。」

 骸骨が、金色の歯をガクガクさせて、ぶきみな、しわがれた声で、ものを言うのです。

「そうだよ。そして、きみは四十面相だろう。」

 小林君も、ズバリと言ってのけました。

「フフン、えらいぞ。さすがはチンピラ名探偵だ。感心だねえ。おれは、つくづく、きみが、かわいくなったよ。」

 骸骨は、金色の腕を、あばら骨の前に、くみあわせて、さも、たのしそうに笑うのでした。小林君もまけてはいません。

「ぼくも、きみのはやわざには、ほんとうに、感心したよ。巡査に化けたかと思うと、郵便ポストになり、こんどは、骸骨にまで、化けるんだからねえ。ぼくなんか、はじめから、乞食の子のままで、はずかしいくらいだよ。」

「ウフフフ……、それじゃあ、ひとつ、おたがいに、なかよくしようじゃないか。おれは、ほんとうに、きみがすきなんだからね。ところで、きみは、おれのはやわざの秘密が、わかるかね。」

「わかっているよ。きみは、今夜、この家の地下室に、三人の骸骨があつまって、相談することを、知っていたんだ。それで、劇場を逃げだすときから、おまわりさんの服の下に、ちゃんと、骸骨のシャツを着ていた。だから、おまわりさんの服をぬぎさえすれば、すぐに骸骨に化けられたんだよ。」

 それは、ピッタリと身についた、まっ黒なシャツとズボンでした。その前とうしろに、金色のえのぐで、骸骨の絵がかいてあったのです。頭にも黒い布をかぶり、それも金色のどくろが、かいてあったのです。暗いところでは、まっ暗なシャツやズボンが見えないで、金色の絵だけが、うきあがるものですから、ほんとうの骸骨のように感じられたのです。

 地下室にいた三つの骸骨も、やっぱり、生きた人間が、そういう変装をしていたのです。小林君は、それを、ちゃんと見ぬいていました。ですから、骸骨が自動車にのっても、また、二階へあがった骸骨が、消えてしまって、そのかわりに、少女のおとうさんがあらわれても、すこしも、おどろかなかったのです。

 四十面相の骸骨は、小林君のことばを聞いて、またしても、さも、たのしそうに笑いました。

「えらい、ますます感心だねえ。すると、きみは、さっきの地下室のようすを、のぞいていたんだね。そして、あの三人の変装を、見やぶってしまったんだね。」

「そうだよ。そして、あの三人のうちのひとりが、ここの主人の博士だったことも、知っているよ。そして、きみは、あの三人の秘密を、ぬすみだすために、同じような変装をして、ここへ、しのんできたということもね。」

「ホホウ、そこまで、気がついたかい。ところで、その秘密というのは、なんだろうね。三人の男が、金色の骸骨の変装をして、地下室にあつまるのは、いったい、なんのためだろうね。え、きみには、それがわかるかね。」

「それはね、黄金どくろの秘密。ね。そうだろう。その秘密を、ぬすみだすのが、きみの大事業なんだろう。いつか『日本新聞』に、きみ自身で公表したじゃないか。」

 ずぼしをつかれて、さすがの四十面相も、ちょっと、だまりこんでしまいました。しかし、やがて、気をとりなおすと、一歩まえに出て、ぶきみな声でたずねるのです。

「で、きさま、その黄金どくろの秘密が、なんだか、知っているのか。」

「それは知らない。だが、いまに発見してみせるよ。」

「フフン、えらいねえ。きみは、おれと知恵くらべをする気なんだね。ひとつ、お手なみをはいけんしようかねえ……。で、きみ、こわくないのかい。」

 金色の骸骨は、わざと声をひくめて、そう言うと、また一歩、小林君のほうへ、ちかづいてきました。いまにも、つかみかかりそうな、ようすです。

 まっ暗な、ひろい庭のなかです。声をたてても、たすけにきてくれる人はありません。洋館の二階には、少女と博士とがいますけれど、二階からおりて、ここまで来るのには、そうとうな時間がかかります。そのまに、あいては、小林君に、さるぐつわをかませて、こわきにかかえて、すがたをくらましてしまうでしょう。

 小林君は、それを考えると、さすがにゾッとして、思わず逃げごしになりました。

「ワハハハハ……。」

 四十面相はなにを思ったのか、いきなり笑いだしました。まるで気でもちがったように、おそろしいしわがれ声で、腹のそこから笑っているのです。


通り魔


 その笑い声をきくと、小林君は、ハッとして、思わず逃げだしそうになりました。骸骨が、いまにもとびかかってきて、小林君をこわきにかかえ、どこかへ、つれさるのではないかと、思ったからです。

「ワハハハハ……、こわいか。ふるえているじゃないか。」

 四十面相の骸骨が、ユラリと一歩、小林君のほうに近づいて、しわがれ声で言いました。

「こわいもんか。ただ、きみにつかまらないように、用心しているだけさ。」

 小林少年もまけてはいません。

「ハハハ……、やっぱりこわいんじゃないか。だが、安心したまえ。なにもしやしないよ。きみはかわいいからね。きみがおれを尾行したり、ふいにおれの前に、あらわれたりするのが、じつにたのしいのだよ。きみはおれの秘密を、なんでも見やぶってしまうからね。あいてにとって、じつにゆかいなんだよ。」

「フフン、それで、きみは、これからどうするつもりなの。ぼくは、どこまでも、しゅうねんぶかく、きみにつきまとってやるよ」

「おもしろい。そこがすきなんだよ。だが、今夜は、これでおわかれだ。きみは、もう、おれを尾行することは、できないのだよ。」

「じゃあ、逃げるのかい。」

「フフフフ……、まあ、逃げるのだろうね。しかし、また、じきにあえるよ。きみはきっと、おれの前にあらわれるからね。」

「で、どうして、逃げるの?」

「きいてごらん。なんだか音がしているねえ。エンジンの音のようだね。遠くのほうから、だんだん近づいてくる。ホラね。」

 しずまりかえった夜の空気をふるわせて、かすかに自動車の近づいてくる音が、聞こえています。小林君は、とっさに、その意味をさとりました。しかし、どうすることもできません。金色の骸骨は、サッと身をひるがえして、もう走りだしていました。小林君も、思わず、そのあとを追いましたが、遠くのひかりをうけて、ときどき、キラッキラッと光る金色の骸骨は、林の中をくぐりぬけて、うらのコンクリート塀に近づき、いきなり、パッと、とびあがったとみるまに、たちまち、塀の頂上に、よじのぼっていました。

 からだの小さい小林君には、とても、そのまねはできません。やっと塀にとびついて、ひじょうな苦心をして、塀の上に顔をだしたときには、四十面相は、もう、そとがわへとびおりていたのです。

 それは、じつに、みごとな曲芸でした。小林君は、そのはなれわざを見て、敵ながら、すっかり感心してしまったほどです。

 一台のオープン・カー(屋根のない自動車)が、むこうの町かどから、矢のように走ってきました。そして、それが四十面相ののぼりついた塀の下を、通りすぎたとき、金色の骸骨のからだが、サーッと空中におどり、アッと思うまに、自動車の座席の中へおちていきました。つまり、四十面相は塀の上から、走っている自動車に、とびのったのです。じつに、あざやかな演技でした。

 自動車は、すこしも速度をゆるめず、そのまま、べつの町かどをまがって、消えていきました。むろん、まえもって、うちあわせてあったのでしょう。その自動車の運転手は、四十面相の部下にきまっています。

 まるで通り魔のようなできごとでした。アッというまに、今までそこにいた骸骨も、自動車も、見えなくなり、あとには、死にたえたような、夜のしずけさがあるばかりでした。

 小林君は、ゆっくりと、塀のそとへおりて、自動車の消えさったほうをながめながら立っていました。敵のためにみごとに、だしぬかれたのです。では、小林君はまけたのでしょうか。いや、どうも、そうではなさそうです。そのしょうこに、小林君は、ニヤニヤ笑っていたのです。笑いながら、こんなひとりごとを言っていたのです。

「四十面相君、気のどくだが、きみは、逃げられないんだよ。このつぎの金曜日には、きみはどうしても、ここへ来ないわけにはいかないんだ。勝負はそのときだよ。こんどこそ、ぼくのおくの手をだして、アッと言わせてやるからね。ああ、金曜日がまちどおしいなあ。」

 小林君は、そう言って、またニヤリと、ふしぎな笑いをもらすのでした。


巨大な昆虫


 お話は、つぎの金曜日の夜にとびます。場所は博士邸、時間は午後八時すこしまえです。

 博士邸の一階の、うす暗い、ひろい廊下を、いっぴきの巨大な虫のようなものが、スーッとはっていくのが見えました。

 その虫は、カブトムシのように、黒くて、つやつやした、せなかをしているのですが、そのせなかには、エビのように、たくさんのふしがあるのです。まっ黒な、サソリといったほうが、よいかもしれません。

 しかし、そのものは、かたちは虫のようですが、大きさは、カブトムシの何万倍もあるのです。大きなイヌほどもある虫の化けものです。それが六本ではなくて、四本のあしで、ゴソゴソと、廊下のおくの、やみの中へ消えていったのです。そこには、地下室への階段があるはずです。

 うす暗い廊下は、そのまま、シーンとしずまりかえっていましたが、やがて、二階からの階段に人の足音がして、このまえの夜と同じような、黒マントで身をつつんだ人物が、廊下にあらわれ、地下室の階段のほうへ、ゆっくり、歩いていきました。主人の博士にちがいありません。黒マントの下にはれいの黄金骸骨のシャツを着ているのでしょう。

 まもなく、こんどは、玄関の扉のひらく音がして、同じ黒マントの人物が、そとからはいってきました。そして、かげのように、スーッと廊下を通り、地下室へと、おりていきました。まだ、もうひとり来るはずです。でないと、人数がそろいません。

 やがてほどなく、また玄関に音がして、第三の黒マントが、廊下にあらわれました。そして、地下室の階段のほうへ歩いていったのですが、とつぜん、廊下にならんでいる、ひとつのドアが、パッとひらき、そのまっ黒な部屋の中から、もうひとりの黒マントが、とびだしてきました。さきに地下室へおりたふたりとは、べつの人物です。つまり、第四の黒マントなのです。

 それを見ると、玄関からはいってきた黒マントは、びっくりして立ちどまり、

「やあ、おそくなって……。」

 と、言いかけましたが、あいては、ものをも言わず、いきなり、こちらへ、くみついてきました。

「だ、だれだ、きみは……。」

 さけぼうとしたときには、もう、あいてのてのひらが、口をふさいでいました。おそろしい無言の格闘です。ふたりのマントが、コウモリのはねのように、ひるがえり、その下から金色の骸骨の変装があらわれ、二ひきの骸骨が、くんずほぐれつの、あらそいをつづけたのです。

 しかし、それも、ちょっとのまでした。ドアからとびだしてきた第四の人物のほうが、たちまち、あいてをたおして、その上に馬のりになってしまったのです。そして、てばやく、大きなハンカチをまるめて、あいての口におしこみ、よういしていたなわをとりだして、身うごきもできないように、手あしをしばってしまいました。

 それから、勝ちほこった黒マントは、しばられたままにたおれている人物の足を、両手で持って、さっき出てきた、まっ暗な部屋の中へ、ズルズルとひきずりこみました。そして、ふたたび、廊下に出ると、ドアをピッタリしめて、なにくわぬ顔で、ゆっくりと地下室の階段へと歩いていくのでした。

 この第四の黒マントが、なにものであるか、読者諸君は、とっくにおわかりでしょうね。そうです、この男は怪人四十面相だったのです。かれは、骸骨のすがたをした人物のひとりに化けて、地下室の会合の、なかまいりをしようというのです。そして、なかの秘密を、さぐろうとしているのです。

 それにしても、いちばんさいしょ、地下室のほうへ消えていった、あの巨大な虫のような怪物は、いったい、なにものだったのでしょう。これも読者諸君には、だいたい、想像がついているかもしれませんね。

 いよいよ、奇々怪々の知恵くらべが、はじまろうとしているのです。「黄金どくろの秘密」をめぐって、希代きだいの怪人と、少年名探偵の、勝負がはじまろうとしているのです。


三つの黄金どくろ


 それから三十分ほどのち、地下室では、三人の骸骨が、テーブルをかこんで、秘密の話をつづけていました。

「わしはどうも、読みかたが、ちがっていたんじゃないかと思いますがね、ひとつみんなが、どくろをテーブルの上にだして、べつの読みかたをしてみようじゃありませんか。」

 金色の骸骨のひとりが、そう言って、そばにまるめてある黒マントの中から、キラキラ光る黄金のかたまりをとりだして、テーブルにのせました。

 それは、実物の半分ぐらいの大きさの、金製のどくろでした。どくろのかざりものというのは、なんだかへんですが、やっぱりかざりものとして、つくったとしか考えられません。ものずきな美術家が、きまぐれにこしらえたものでしょう。ほんものそっくりに、じつによくできているのです。

 あとのふたりの骸骨もそれにならって、同じような黄金どくろをテーブルの上にだしました。ものずきな美術家は、ひとつだけではたりないで、まったく同じ黄金どくろを、三つもつくったのでしょうか。それとも、これには、もっと、ふかいわけがあるのでしょうか。

 骸骨のひとりが、その黄金どくろを、さかさまにして、後頭部の首にちかい部分を上にし、グッと目を近づけて、そこをみつめました。

 その後頭部のすみに、ちょっと見たのではわからないような、小さな小さな字で、三行のひらがなが、ほりつけてあるのです。

ゆなどきんがくのでるろも。これじゃあ、いくら考えてもわからない。それで、わしは、横に読んでみたのですよ。すると、ゆんでながるどくろきのも、となる。これでも、やっぱりわからないが、どくろという三字には、意味がある。なんだか見こみがあるように思うのです。あんたがたのふたつのどくろの字も、そういうふうに横に読んで、そして、三つのどくろの字をつなぎあわせたら、なにか意味ができてくるのじゃないかと、気がついたのですよ。ひとつならべてみてください。」

 三つの黄金どくろが、テーブルのまんなかに、後頭部を上にして、あつめられました。

 三人は上半身をまげて、その上におおいかぶさるようにして、黄金の表面のかすかなひらがなを読むのでした。

 三人はしばらくのあいだ、三つのどくろを、いろいろにくみあわせて、読みくらべていましたが、けっきょく、つぎのように、ならべるのが、いちばん意味がありそうだということになりました。

「ね、これで、いくらか、意味のわかるところがある。まず、いちばん右がわから、読んでみると、きのもきどくろじま、となるが、きのもきというのは、わからないけれども、どくろじま髑髏島どくろじまの意味じゃないでしょうかね。」

 ひとりが言いますと、べつの骸骨が、うなずきながら、

「ウンそうだ、そうだ。右から二行めは、どくろんをさぐれよ、となる。どくろにも意味があるし、さぐれよは、さがしてみよというわけでしょうね。だが、そのあいだのんをというのがわからない。」

 すると、いまひとりの骸骨が、三行めを読みました。

ながるだのおくへと、これはむずかしい。ながるは流るという意味でしょうね。そのつぎのだのはわからないが、おくへとは、奥へと、奥のほうへと、という意味じゃないでしょうかね。」

「さいごの第四行めにも、意味がありますよ。ゆんでとすすむべし。このゆんでとはわからないが、すすむべしは進むべしで、進みなさいというわけでしょう。」

「ウン、だんだん、わかってくるようですね。ひとつ、いま読んだとおり、紙に書いてみましょう。」

 ひとりの骸骨が、それはたぶん、主人の博士なのですが、テーブルの上に紙をひろげて、鉛筆で、つぎのように書きしるしました。

きのもきどくろじま

どくろんをさぐれよ

ながるだのおくへと

ゆんでとすすむべし

 三人は、このふしぎな文句を、なんども、口の中でとなえながら、ながいあいだ考えていましたが、やがて、ひとりが、ポンとひざをたたいて、口をひらきました。

「わかった、三つでなくて、四つなんですよ。われわれは、いままで、この黄金どくろを、三つしかないものと、思いこんでいた。しかし、この文句がうまくつづかないのは、黄金どくろがもう一つあるしょうこです。ごらんなさい。きのもきどくろんながるだ、つづきぐあいがわるいのは、このもきろんるだのところですよ。だから、のあいだに、三字ずつひらがながぬけているとしか考えられない。つまり、われわれの知らない黄金どくろが、もうひとつ、どこかにあるのですよ。」

「ウン、そうだ。そのほかに、考えようがありませんね。」

「だが、その、もうひとつの黄金どくろが、どこにかくれているか、こいつをさがすのは、たいへんなしごとですよ。われわれ三人が、どくろクラブをつくって、こんな骸骨の着物をきて、ここに、あつまるようになるまででも、なみたいていの苦心ではなかったのですからね。わしはもう、ウンザリしましたよ。」

「いや、われわれの大目的を、たっするまでには、まだまだ、いろいろな、苦労をしなければなりません。いまから、よわねを、はいちゃいけませんね……。では、これからは、三人が力をあわせて、そのもうひとつの黄金どくろを、さがすのです。どんなことがあっても、さがしださなければなりません。なにしろ、何百億、何千億ともしれない、大宝庫を発見するためですからね。」

 それから、三人は、しばらくのあいだ、相談をつづけましたが、夜もふけたので、またつぎの金曜日に、あつまることとして、そとから来たふたりの客は、黒マントで身をつつみ、博士邸を立ちさることになりました。

 博士はふたりを、玄関まで見おくっておいて、ふたたび地下室にひきかえし、テーブルのまえに腰かけて、そこにおいたままになっていた、ふしぎな、かな文字をしるした紙を、じっとみつめながら、しきりと考えにふけるのでした。


歩く百科事典


 博士が、鉛筆で、その紙に、なにか書きこみながら、むちゅうになって、考えごとをしているとき、地下室の一方に、じつにふしぎなことが、おこっていました。

 この地下室は、博士の秘密研究室で、三方のかべは、天井まで本だなになっていて、そこに日本と西洋のむずかしい本が、ビッシリつまっているのですが、その一方の本だなのいちばん下の段にならんでいる、二十冊もある大きな西洋の百科事典が、まるで、生きもののように、モゾモゾと動きはじめたのです。金文字のはいった、皮表紙のせなかが、ヘビがのたうつように、クネクネと動きだしたのです。やっぱり、この洋館は、化けもの屋敷なのでしょうか。

 その百科事典は、博士のうしろのほうにあったので、博士は部屋のなかに、そんな怪事がおこっていることを、すこしも知りません。

 百科事典の動きかたは、ますますはげしくなってきました。二十冊の大きな本のせなかが、波のようにゆれるのです。そして、ついには、二十冊の本が、ゴロッと、本だなのそとへ、ころがりだしてしまいました。

 ところが、ゆかの上にころがったのを見ると、それは、本ではなくて、なんだか巨大な虫のようなものでした。なるほど、本のせなかは、二十冊ぶん、ちゃんとそろっています。そして、それが、波うっています。しかし、せなかだけで、本そのものは、なにもなく、大きな生きものがくっついているのです。つまり、いっぴきの生きもののうしろに、二十冊の本のせなかだけが、まるで、亀のこうのようにかぶさっていたわけです。

 見ていると、百科事典の背表紙をしょった生きものは、四本の足で、ソロソロとはいはじめました。これです、これです。いちばんさいしょ、うす暗い廊下をはっていた、カブトムシかサソリの化けもののようなやつは、この百科事典の背表紙をせなかにつけた怪物だったのです。背表紙の金文字が、あんなにチカチカ光ってみえたのです。

 それから、つぎには、もっとふしぎなことがおこりました。その怪物が、ヌーッと、うしろのあしで立ちあがったのです。すると、怪物の顔が、よく見えるようになりましたが、おどろいたことには、それは人間の子どもの顔でした。つまり、小林少年の顔だったのです。

 小林君が、このまえの晩、四十面相が逃げさったあとで、ニヤリと笑ったのは、このおくの手を考えついたからでした。あいてが郵便ポストに化けるなら、こちらは百科事典に化けてやるぞと、ふてきな考えを、心の中にもっていたからです。

 小林君は、どうかして、三人の骸骨の話を聞きたいと思いました。ドアのすきまからのぞくのでは、じゅうぶん聞きとれませんし、人にみつかるきけんがあります。そうかといって、地下室の中には、かくれる場所もありません。そこで、本だなのうちの、いちばん大きな本に化けることを、考えついたのです。

 小林君は、明智探偵事務所から製本屋に注文して、地下室の西洋百科事典とそっくりの背表紙の二十冊分、つながっているものをつくらせて、それを亀のこうのように、せなかにつけたのです。そして、だれも来ないうちに、地下室にしのびこみ、ほんものの百科事典をぬきだして、廊下のすみの、物置きのようなところにかくし、そのあとの本だなへ、自分が手足をちぢめて横になり、せなかの百科事典の表紙をそとにむけて、ジッと、息をころしていたのです。二十冊分の背表紙で、すっかり、からだがかくれてしまいますから、そとから見れば、そこには、百科事典が、ならんでいるとしか思えないのです。

 忍術には水遁すいとんの術、火遁かとんの術、木遁もくとんの術などいろいろありますが、小林君の発明したのは「書遁しょとんの術」とでもいうのでしょう。人の目の前にいながら、それと気づかれないのですから、これは、たしかに忍術にちがいありません。

 四十面相は、金色の骸骨に化けて、博士邸にしのびこみ、小林少年は、百科事典に化けて、地下室に身をかくしました。この変装くらべは、どちらが勝ちでしょうか。骸骨などよりも「書遁の術」という新発明のほうが、はるかにすぐれていたのではないでしょうか。それがしょうこに、四十面相のほうでは、小林君が地下室にしのびこんでいたことを、すこしも知らないのに、小林君は、四十面相が、三人の骸骨のひとりになりすまして、いまの密談にくわわっていたことを、ちゃんと知っているのです。

 百科事典の背表紙をしょって立ちあがった、小林君は、テーブルに向かって考えごとをしていた博士のうしろへ、ソッとしのびより、博士の肩ごしに、前の、かな文字の紙をのぞきこみました。

 金色の骸骨のすがたをした博士は、むちゅうになって考えていたので、うしろから、そんな怪物がのぞいていることは、すこしも気づきません。やっぱり、鉛筆で、しきりとなにか書いています。


どくろの秘密


 しばらくすると、骸骨すがたの博士が、ヒョイと、うしろをふりむきました。小林君の息が、博士の耳のうしろを、くすぐったからです。

 骸骨のふたつの大きな目と、百科事典の化けものの少年の目とが、火ばなをちらすように、にらみあいました。

「きみはだれだ。どこから、はいってきた。」

 金色の骸骨の口が、パクパクうごいて、ぶきみな、ひくい声がもれてきました。

「ぼくは四十面相を追っかけているのです。明智探偵の助手の小林っていうのです。」

「フーン、そうか。明智探偵の名はよく知っている。小林という、すばしっこい少年助手がいることも、話にきいている。しかし、その小林君が、どうして、わしのうちへ、はいってきたのかね。ここには四十面相なんて、いやしないじゃないか。」

「いたのですよ。いましがた、ここを出ていったばかりです。」

「ばかなことを言いなさい。ここには、わしのほかに、ふたりの骸骨がいたばかりだ。ふたりとも、わしの親戚のものだ……。わしたちは、ある秘密の相談をするために、こんな骸骨のシャツを着て、会議をひらいているが、けっして、悪事あくじをはたらいているのではない。四十面相などとは、なんのかんけいもない。」

「ところが、あの骸骨のひとりに、四十面相が化けていたのですよ。あいつは、そうして、あなたがたの秘密を、さぐりだしにきたのです。」

「いや、そんなことはない。にせものなれば、黄金どくろを持っているはずがない。わたしたちは、みんな一つずつ、黄金どくろを持っている。それがなによりのしょうこなのだ。」

「じゃあ、ぼくもしょうこを見せてあげましょう。それはたぶん、一階のどこかの部屋に、ころがっているはずですよ。」

 小林君は、博士を手まねきしながら、ドアのそとへ出ていきます。博士は、そうまで言われて、もしやという、うたがいがおこったのでしょう。そのまま、小林君といっしょに、地下室の階段をのぼって、一階の廊下に出ました。

 小林君はさきに立って、廊下にならんでいるドアを、つぎつぎとひらいて、なかをのぞいてゆきましたが、ある部屋のドアをひらくと、ハッとしたように立ちどまって、博士のほうをふりむき、目で「ここだ。」という、あいずをしました。

 博士もいそいで、その部屋にはいってみますと、ガランとしたあき部屋のゆかに、金色の骸骨が、ながながと、横たわっていました。口には、さるぐつわをはめられ、手と足を、グルグルまきに、しばられているのです。

 ふたりはおどろいて、そのそばにかけよりさるぐつわをとり、なわをといて、ようすをたずねますと、その人は、まさしく、博士の親戚の人のひとりで、廊下を歩いていると、とつぜん、自分とおなじ骸骨のシャツを着た男が、とびだしてきて、アッと思うまに、こんなめにあわされてしまった。そのとき黄金どくろも、とられてしまった、と言うのでした。

 博士は、この骸骨男と、小林君を、書斎にあんないして、イスをすすめ、骸骨のふくめんをとって、顔をあらわしました。

 小林君が、このまえすきみした、主人の博士にちがいありません。半分白くなったオールバックの頭と三角がたのあごひげに見おぼえがあります。博士はデスクの上からロイドめがねをとって、かけました。すると、いよいよ、あのときの博士の顔と、そっくりになるのでした。

 あき部屋にたおれた骸骨男も、ふくめんをとりさりました。これも五十歳をこした中老の、りっぱな紳士です。頭の毛はうすく、でっぷりふとった、あから顔で、ひげはありません。

 博士はその紳士に、いままでのことを、ひととおり説明したあとで、小林君のほうに、向きなおりました。

「小林君、きみは、わしたちの味方だろうね。つまり、四十面相の怪人は、おたがいの敵というわけだね。」

「もちろんです。ぼくは四十面相のやつには、ふかいうらみがあるのです。ですから、四十面相が、あなたがたの秘密を、ぬすんだとすれば、ぼくは、あなたがたの味方になって、四十面相のじゃまをしてやりますよ。それにしても、黄金どくろの秘密というのが、なんのことだか、ぼくには、すこしもわかりません。それを話してください。」

 小林君が、ハキハキした口調で、たずねました。

「ウン、黄金どくろの暗号の文句は、きみも、すっかり聞いてしまったのだから、かくしてもしかたがない。じつは、わたしたちは、何百億、何千億という、ばくだいな宝のありかを、さがしている。さっき、地下室で、きみが聞いた暗号をとけば、その宝のありかが、わかるのだ。

 くわしいことは、あとで話すが、いまから百年ばかりまえに、ある人が、ばくだいな金のかたまりを、どこかへかくして、そのかくし場所を、三つの黄金どくろに、暗号でほりつけておいたのだ。

 わしは、ながいあいだ苦心をして、そのことを発見した。黄金どくろの秘密は、わしが持っているが、あとのふたつをさがすのに、ずいぶんほねをおった。そして、やっと、ふたつのどくろの持主をみつけて、暗号のけんきゅうをはじめたところなのだ。

 だが、わしたちは、けっしてどろぼうをやるのじゃない。百年まえに金のかたまりをかくしたのは、大阪の大金持の、黒井惣右衛門くろいそうえもんという人だが、わしは、その四代めの子孫にあたる黒井十吉くろいじゅうきちというものだ。ついこのあいだまで、大学でドイツ文学をおしえていた。ここにおられるのは松野まつのさんという、ミシン製造会社の社長さんで、やはり惣右衛門の子孫だ。それからさきに帰ったもうひとりは、八木やぎさんという貿易会社の社長さんで、やっぱり惣右衛門の子孫なのだ。つまり、わしたちは、先祖の宝物をさがしだそうとしているのさ。」

「わかりました。ところが、黄金どくろをもっている、惣右衛門さんの子孫は、三人だと思っていたのが、そうではなくて、四人だったことがわかったのですね。」

 小林少年は、さっき地下室で聞いたことをすばやく思いだして、たずねました。

「そうなんだ。そのほかに、考えようが、ないのだ。」

「ああ、きっとそうです。四十面相のやつが、そのもうひとつの黄金どくろの、ありかを知っているのですよ。でなければ、あんな苦労をして、あなたがたの会議の席へしのびこむわけがありません。」

 それを聞くと、黒井博士は顔色をかえて、思わずイスから立ちあがりました。

「ウーン、そうか。しまった。すると、あいつは、もう、すっかり暗号をといてしまったかもしれない。小林君、なぜ、もっとはやく、わしにおしえてくれないのだ。あいつを逃がしては、とりかえしがつかないじゃないか。」

「いいえ、逃がしゃあしません。ちゃんと、つかまえています。」

「エッ、つかまえているって? どこに……。」

「ぼくには、チンピラ別働隊という、たくさんの部下があります。今夜、ぼくが、ここへしのびこむまえに、そのうちの、二十人のすばしっこい少年たちを、おたくのまわりへ、配置しておきました。けっして、四十面相を逃がすようなことはありません。いまに、なにか知らせがあります。ぼくは、チンピラどもの腕まえを、信じています。」

 小林君は、リンゴのようなほおを、いっそう赤くして、さも、自信ありげに、言いきるのでした。


チンピラ隊


 お話は、すこしまえにもどります。

 地下室の秘密会議がすんで、ふたりの骸骨すがたの客が、立ちさって、まもなくのことです。

 博士邸のうらのコンクリート塀のそとに、一台のオープン・カーがとまっていました。運転手は、人まち顔に、塀の上をみつめています。

 すると、チラッと、コンクリート塀の上に光るものが見えました。金色の骸骨の頭です。それが、スーッと、まっ暗な空のほうへ、のびあがっていくように見えました。あたまの下に胴体は見えません。大きなマントでつつまれているのです。

 自動車がしずかに動きはじめました。そして、骸骨の頭の、ま下にちかづいたとき、パッと、大きなコウモリが、ネズミ色のはねをひろげて、宙をとんだように見えました。マントをひるがえして、骸骨男が、自動車の座席へ、とびおりたのです。いつかの晩と同じでした。いうまでもなく、これは怪人四十面相なのです。

 四十面相が席につくと、自動車はそのまま、おそろしい早さで走りだしました。町かどをまがりまがって、まるで黒い風のように走るのです。

 二十分も走ったころ、自動車は、場末ばすえの、みすぼらしい町にとまりました。店屋がならんでいるのですが、夜ふけなので、おおかた戸をしめています。

 とまった自動車から、ひとりのじいさんがおりて、その暗い町を歩いていきました。茶色のダブダブの服をきて、モジャモジャのしらが頭を、みぎひだりにふって、ねこぜになって、ヨボヨボと歩いてゆくのです。

 おや、こんなおじいさんが、自動車にのっていたのでしょうか。骸骨すがたの四十面相が、とびおりたときには、ほかに、だれも、のっていなかったはずです。では、四十面相はどうしたのでしょう。見ると、自動車の上には、運転手がいるばかりです。四十面相と、このじいさんと、いつのまに、いれかわったのでしょう。

 いや、いれかわったのではありません。四十面相が化けたのです。骸骨のシャツをぬいで、自動車の中に用意してあったカツラをかぶり、茶色の洋服をきて、てばやく老人に化けてしまったのです。なにしろ、四十の顔をもっているやつですから、老人に化けるなど、わけもないことなのでしょう。

 老人は、その町を三十メートルほど歩くと、いっけんの、きたならしい古道具屋の中に、はいってゆきました。店の前には、首のもげた石地蔵だとか、かけた石どうろうだとか、いろいろなガラクタものが、ところせまく、ならんでいます。

 老人はその店の中へはいると、古いよろいや、大きな仏像などが立ちならんでいる部屋の、小さな机の前に腰かけました。すると、奥のほうから、十四、五歳の、きたない小僧がかけだしてきて、老人の前で、ピョコンとおじぎをしました。

「おかえりなさい。」

「ウン、おそくなった。かわったことはなかったかな。」

 四十面相は、声まで、すっかり老人になりきっています。

「ハイ、だんなが出ていってから、ひとりも客はきません。」

「そうか。よしよし、おまえはもう、奥へいって寝なさい。戸じまりはわしがするから。」

 小僧は、またピョコンとおじぎをして、くらい奥の間のほうへ、きえていきました。これでみると、四十面相は、この古道具屋のおやじになりすましているのです。

 ところが、ふしぎは、そればかりではありません。老人がおりたあとの自動車に、もっと奇妙なことがおこっていました。

 それは新型の自動車で、後部がズッと出っぱっていて、そこがトランクになっているのですが、老人がおりたすぐあとで、そのトランクのふたが、音もなく、スーッとひらいたのです。そして、中から、まっ黒な顔をした、ルンペンのような子どもが、ヌッとあらわれました。頭の毛がひどくのびて、ボロボロの服をきた、十三、四の少年。

 少年は、キョロキョロと、あたりを見まわしていましたが、いきなり、ウサギのようにピョイと、そとへとびだすと、トランクのふたを、ソッとしめました。運転手は、むこうを向いているので、すこしも気がつきません。やがて自動車は、少年をそこにのこしたまま、どこかへ走りさってしまいました。

 少年は、ネズミのように、チョロチョロと走って、老人のはいった古道具屋のまえに近づき、石地蔵のかげに、身をかくして、店の中をジッとのぞきこむのでした。

 なかでは、老人が卓上電話の受話器を、耳にあてて、しわがれ声でしゃべっていました。

「ハイ、さようで、今夜はおかえりがございませんので? ハイ、では、また、あすの朝、お電話いたします。どうか、よろしくおつたえを。ハイ、ハイ、さようなら。」

 老人は、受話器をおくと、「チェッ。」と、舌うちをしました。

「しかたがない。それじゃあ、わしもねるとしようか。」

 そして、老人は、戸じまりをするために、入り口のほうへ、やってくるようすです。それを見ると、少年は、ソッと石地蔵のそばをはなれて、またネズミのようなすばやさで、その場を走りさりました。

 町かどを二つほどまがると、そこに公衆電話があります。

 少年はいきなり、そのなかへとびこんで、受話器をはずし、番号をまわしました。そして、あいてが出ると、

「朝日薬局さんですね。お店にチンピラ隊の三吉がいるでしょう。ちょっと電話に出してください。オオ、三吉か。おれチンピラ千太せんただよ。報告するからね。すぐ、小林団長のところへ、かけつけるんだよ。」

 そして、いま見たことを、早口にしゃべるのでした。

 朝日薬局というのは、れいの博士邸から、さほど遠くない町にあるのです。小林少年は、あらかじめその薬局の主人にたのみこんで、チンピラ隊の三吉という少年を、そこにまたせておき、電話があったら、すぐ博士邸へかけつけるように命じておいたのです。

 千太の電話を聞きおわった三吉が、博士邸へとんでいって、ことのしだいを、小林少年に知らせたことは、いうまでもありません。


小林少年の危難


 さて、そのあくる日の午前八時ごろのことです。

 四十面相が化けた古道具屋のおやじは、大きな仏像や、古いよろいや、人形や、刀剣とうけんなどにかこまれて、れいの小机の前に腰かけ、電話の受話器を耳にあてていました。

「モシ、モシ、宮永さんですか。エ、ちがいますか、モシ、モシ、九段の三八五〇番ではありませんか。ヤッ、しつれいしました。」

 老人は、舌うちしながら、受話器をかけて、もう一度、ダイヤルをまわしました。

「モシ、モシ、九段の三八五〇番ですか。宮永さんですね。てまえは、美術商の福井でございますが、ご主人さまは、おめざめでございましょうか。ハイ、ハイ、では、ちょっと、お話もうしあげたいんですが……。」

 老人が、むちゅうになって、話しているとき、そのうしろのほうで、なにかユラユラと動いたものがあります。ゴタゴタといろいろなものがならべてあるので、昼でもうす暗い部屋です。その中に、ものののように、ゆらぐものがあったのです。

 老人のうしろのほうに、古いよろいがかざってありました。鉄はさび、糸はボロボロになった、きたないよろいですが、すねあても、ちゃんとそろっていて、人間が着て立っているように、かざってあるのです。頭にはかぶとがのせられ、その下から、赤銅色しゃくどういろのお面のようなほおあてが見えています。

 そのよろいが、まるでせいあるもののように、動いたのです。上半身が、機械じかけのように、ジリジリと、前のほうにかたむき、ちょうど、老人の電話の声に、聞き入っているようなかたちになったのです。そのとき、かぶととほおあてのすきまに、なにかキラッと光ったものがあります。ガラスのようでもあり、人間の目のようでもありました。

 老人は、それにはすこしも気がつかず、電話で話しつづけています。

「アア、宮永さんでいらっしゃいますか。どうも、お呼びたていたしまして。てまえ、福井のおやじでございます。おはようございます。ハイ、ハイ、れいの品でございますが、じつは、ぜひおゆずりねがいたいとぞんじまして。ハイ、すっかり、ほれこんでしまいました。あれほどの細工は、めったにあるものではございません。エッ、代金でございますか。それは、もう、おおせのとおり、いかほどでも。エヘヘヘ、ハイ、ハイ、ともかく、一度お目にかかりまして……。これから、すぐに、おうかがいいたしても、よろしゅうございましょうか。ハイ、九時ごろには、そちらさまへ、つくようにいたします。では、ごめんくださいまし。」

 受話器をおくと、老人はニヤリと、ぶきみな笑いをうかべました。それにしても、じつにうまく化けたものです。しわだらけの顔、まっ白なふといまゆ、モジャモジャのしらが頭、老眼鏡のなかで光っている目の色まで、すっかり老人になりきっています。

 老人は、イスから立って、帽子かけのほうへゆこうとしましたが、なにを思ったのか、びっくりしたように、その場に立ちどまってしまいました。そして、立っているうちに、老人のしわだらけの口の両はじが、キューとつりあがって、なんともいえぬ、いやな笑い顔になり、目はじっと、ひとつところを、にらみつけています。そこには、あのあやしいよろいが立っているのでした。

「ああ、よかった。うっかり見のがすところだった。このよろいはどうかしている。たしかにへんだ。」

 じっとみつめていると、まるで息でもしているように、よろいが、かすかに、かすかに、動いているではありませんか。

「ウフフフ、こわいのかね。なんだかふるえているじゃないか。よろいがふるえるわけはなかろう。むろん、なかに人間がかくれているのだ。あさはかなさるぢえだよ。

 おまえ、だれだね。あててみようか。チンピラ探偵さんじゃろう。エッ、ちがうかね。ドレ、ドレ、ひとつお顔を、はいけんしよう。」

 老人は、いきなり手をのばしてかぶとをはねのけ、ほおあてをめくりとってしまいました。すると、その下から、あんのじょう、小林少年の、かわいい顔があらわれたではありませんか。

「ホーラね、わしの思ったとおりじゃ。いつもながら、きみはすばしっこいねえ。どうしてここがわかったんだね。このしらがのおやじが、四十面相だと、どうして感づいたんだね。わしはこわくなってきたよ。だが、わしの目は、なんでも見とおしだ。とても、ごまかすことはできやしない。オイ、小林君、いままでは、あまい顔をみせていたが、もう、こんどはゆるせないぞ。しばらく苦しい思いをさせてやる。」

 そう言ったかと思うと、老人はポケットから、大きなハンカチをとりだして、いきなり小林君の口の中へおしこんで、まず、声をたてられないようにしてしまいました。そして、よろいをはぎとり、小林君の小さいからだを、こわきにかかえて、部屋のすみの階段を、二階へとのぼってゆきました。

 二階には、がんじょうな板戸いたどをはめた部屋があり、しかも、その板戸には、大きな錠まえがついているのです。

 老人は板戸をあけて、中にはいりました。そして、すみの押しいれから長いほそびきをとりだすと、たたみの上に、小林君をころがしておいて、手も足も、グルグルまきに、しばりあげてしまいました。

「サァ、これでいい。しばらく、がまんしているんだ。まさか、うえ死には、させやしないからね。」

 老人は、そう言いすてて、部屋のそとに出ると、板戸をしめて錠まえにガチンとかぎをかけました。そして、階段をおりてゆく足音がきえたあとは、あたりはひっそりと、しずまりかえってしまいました。

 小林君は、ころがったまま、部屋の中を見まわしました。右と左はかべ、いっぽうは板戸、のこるいっぽうは窓になっていますが、そこには、がんじょうな鉄のこうしがとりつけてあるのです。これでは、逃げだす見こみは、まったくありません。

 小林君は、とうとう、まけてしまったのでしょうか。四十面相が、さっき、かけていた電話は、なにを意味するのでしょう。「れいの品」というのは、第四の黄金のどくろのことではないのでしょうか。もしそうだとすると、小林君が、ここにかんきんされているあいだに、四十面相は、やすやすと、第四の黄金どくろを手に入れ、暗号をといてしまうかもしれません。そして、ほんとうの持主である博士たちを、だしぬいて、財宝のありかを、発見してしまうかもしれません。

 小林君はほんとうに、まけたのでしょうか。いや、いや、まだ、まけたとはきまりません。少年ながらも、おそろしい知恵をもっている小林君のことです。どんなふだを用意していないともかぎりません。

 それにしても、四十面相が宮永という人と、やくそくした九時までには、もう四十分ほどしかありません。どこにも出口のない密室にかんきんされ、しかも、グルグルまきにしばられて身うごきもできない小林君が、そのわずかの時間に、どうして、四十面相のじゃまをすることができるのでしょう。まったく、見こみがないように、みえるではありませんか。では、小林君は、やっぱり、まけてしまったのでしょうか。


魔法の種


 しかし、読者諸君、手足をグルグルまきにしばられて、たたみの上にころがっている小林君の顔を、ちょっと、ごらんなさい。もうだめだと、あきらめてしまって、グッタリしていたでしょうか。どうして、どうして。かれは、にこにこ笑っているのです。リンゴのようなほおは、すこし青ざめていましたが、けっして、あきらめた顔ではありません。

 小林君は、自信ありげでした。なにか、思いもおよばないような、てだてを、ちゃんと、用意していたのかもしれません。なわをとき、密室をぬけだすてだてです。そして、四十面相をひきとめるてだてです。百科事典に化けたほどの小林君ですから、なにか、とほうもない魔術を思いついたのかもしれません。

 よく見ると、うしろ手にしばられて、ころがっている、小林君の右手の指が、機械のように、小さく動いていました。人さし指と中指が、しばられたなわの中で、ゴシゴシ、ゴシゴシと、まるで、のこぎりのように、たえまなく動いているのです。

 一分もたたないうちに、なわの一本が、プツンと切れ、たちまちなわがゆるんで、両手が自由になってしまいました。

 むろん、小林君の指がなわを切ったのではありません。指のあいだに、はさんでいた安全カミソリのような、はものがなわを切ったのです。小林君は、さっき、よろいの中からひきだされ、二階へはこばれるあいだに、ポケットにかくしていた、カミソリのようなはものを、指のあいだにはさんで、しばられたときの用意をしていたのです。

 両手が自由になれば、あとは、なんでもありません。さるぐつわをとり、足のなわをほどき、見るまに、からだぜんぶが、自由になってしまいました。

 それから、小林君は立っていって、入り口のドアを押したり、引いたりしてみましたが、ビクともうごきません。たしかに、そとからかぎがかかっています。つぎに、小林君は、押しいれの戸をあけて、中をのぞいてみました。

「ウン、いいものがあるぞ。これをつかってやろう。」

 ひとりごとを言いながら、押しいれの中から、三枚の座ぶとんをだして、たたみの上におくと、こんどは、きていたセーターをまくりあげて、腹のところに、かくしていた、一つのふろしきづつみを、ひきだしたかと思うと、いきなり、そこにあぐらをかいて、ふろしきをひろげました。

 ふろしきの中には、二十センチほどの長さの竹のつつが三本と、しぼんだゴムふうせんのようなものが三つ四つと、針金の輪になったたばが一つ、はいっていました。

 小林君は、それらの品を見て、さもおかしそうに、ニヤニヤと笑いました。どうやら、これらの奇妙な品々が、小林君の魔法の種らしいのです。

 小林君は、ふろしきの上を見まわしていましたが、まず、しぼんだゴムふうせんの一つをとって、口にあてると、プーッと、息をいれはじめました。

 ふうせんは、みるみる、ふくれてきます。へんな色です。半分ほどは、まっ黒で、半分ほどは、すこし黄色がかった白っぽい色がぬってあるのです。それが、またたくまに、小林君の顔と同じぐらいの大きさに、ふくらみました。小林君の顔がふたつになったような感じです。

 そうです。ほんとうに顔がふたつになったのです。ゴムふうせんは、人間の首のような、かっこうにできていました。

 頭は黒く、耳と鼻がすこし出っぱり、まゆも、目も、口もちゃんとかいてあります。しかも、それが小林君と、そっくりの顔なのです。

 小林君は、ゴムふうせんのはじを糸でしばり、それを自分の顔のまえにもってきて、にらめっこをしました。

「ウフフフ……、よくできたねえ、おまえ。ぼくとそっくりだよ。まるで、鏡を見ているようだ。」

 小林君は、そんなことを言って、ゴムふうせんのほうを、指でポンとはじいてみました。すると、少年の顔をしたふうせんは、「いや、いや。」というように、首を左右にふるのでした。

 小林君は、このゴムふうせんで、いったい、なにをしようというのでしょう。三枚の座ぶとん、三本の竹のつつ、針金のたば、これが、どんな魔法の種になるのでしょうか。竹のつつは、なんだか花火のつつに、似ています。ふうせんと花火、それから、座ぶとんと針金、読者諸君、この秘密が、おわかりですか。つぎの章を読むまえに、ひとつ、小林君の魔法をあててみてください。

 老人に化けた四十面相は、小林君を二階にとじこめ、安心して、出かける用意をしていました。机の上をせいりし、金庫にかぎをかけ、小僧をよんで、留守ちゅうのことを言いつけ、さていよいよ、出かけようとしたときに、とつぜん、

「火事だあ、火事だあ。」

という、さけび声が、二階のほうから、ひびいてきました。

 おどろいて、階段の下にかけより、上を見ますと、かすかに白い煙が、はいおりてきます。どうしたわけか、二階で火事がおこったのです。さけんでいるのは、なんだか、小林君の声らしいのです。少年は、密閉された部屋の中で、煙にむせているのかもしれません。

「いけないッ、小林をたすけなければ……。」

 四十面相は、とっさに、そう考えました。かれは、いくら悪いことをしても、けっして、人を殺さないというのを、じまんにしていました。もし、小林君がやけ死にでもしたら、日ごろのじまんが、むだになってしまうのです。

 四十面相は、いきなり、階段を、かけあがりました。見ると小林君をとじこめた部屋の板戸のすきまから、黄色い煙がもうもうと、ふきだしています。うたがいもなく、中に火事がおこっているのです。

 小林君のさけび声は、バッタリととだえてしまいました。火にかこまれて、もう気をうしなっているのかもしれません。

 四十面相は、いそいで、ポケットからかぎたばを、とりだしました。かれは、うちじゅうのかぎを、金の輪にはめて、いつもポケットに、いれているのです。そのかぎたばから、一つのかぎをよりだし、板戸の錠まえをひらきました。

 ドアをあけると、パッと顔にふきつけてくる、おそろしい煙のうず。四十面相は、思わず、目をふさいで、タジタジと、あとじさりをしましたが、気をとりなおして、目をひらき、煙の中をすかして見ますと、部屋のむこうのすみに、小林少年がしばられたまま、たおれているのが、かすかに見えました。

 四十面相は、ハンカチで、口と鼻をおおい、勇気をふるって部屋の中へ、とびこんでいきました。そのとき、かれと、いれちがいに、ひとりの小さな人間が、スーッと部屋から出て、入り口の板戸をしめ、そとから、錠をおろしてしまったのを、すこしも知りません(その錠は、かぎがなくてもしまる南京錠なんきんじょうでした)。四十面相は、むこうにたおれている小林君のすがたに気をとられ、わきめもふらずに、まっしぐらに、そのほうへ、すすんでいったからです。

 部屋の中へはいってみると、思ったほどの煙もなく、どこにも火はもえていませんでしたが、四十面相は、そこまで考えるひまもなく、いきなり小林君のところへ、ちかづいて、たすけおこそうとしました。

 ところが、小林少年の首のところに、手をかけて、グッとひっぱると、ギョッとするような、へんなことがおこりました。少年の首が、とつぜん、胴体からはなれて、フワフワと、宙にういたのです。そして、まるで、お化けのように、たたみとすれすれに、むこうのほうへ、ころがっていくのです。

 さすがの四十面相も、この怪異を見て、びっくりしましたが、たちまち、ことのしだいをさとって、そこにころがっている小林少年の胴体を、つかみあげました。すると、あんのじょう、それは座ぶとんをまるめて、その上から、ネズミ色の大ぶろしきをかぶせ、なわをグルグルまきつけて、人間の胴体らしく見せかけたものに、すぎませんでした。

 あたりを見まわしても、どこにも火のもえているようすはなく、三本の竹のつつが、あちこちにころがって、それが煙をふきだしているばかりでした。その竹のつつは、花火ではなくて、火をつけると、もうもうと煙をふきだす発煙筒だったのです。

 これが小林君の魔法でした。忍術の火遁の術に似ていますが、火はもえなかったのですから、煙遁えんとんの術とでもいうのでしょうか。つまりゴムふうせんと、座ぶとんと、ふろしきで、自分の身がわりをつくり、発煙筒に火をつけて、ドアのすきまから煙をだし、「火事だあ、火事だあ。」とさけんで敵をおびきよせ、敵が身がわり人形に、気をとられているすきに、部屋から逃げだすという、うまいくふうだったのです。

 小林君は、古道具屋の店にしのびこむときに、まんいち発見されたら、どうなるかということを考え、四十面相にしばられ、部屋にとじこめられたばあいのために、ちゃんと、こういう用意をしておいたのです。

 それにしても、ふろしきの中にあった針金のたばは、どこにも、つかわれなかったようですが、いったい、なんのために、用意したのでしょうか。それはこういうわけです。もし、その部屋に、座ぶとんもなにもなかったとすれば、身がわり人形の胴体をつくることができません。針金はそのときの用意なのです。針金をのばして、人間のからだのようにおりまげ、その上からふろしきをかけておけば、座ぶとんなどよりも、いっそう、ほんものらしく見えるのです。ふろしきが、ばかに大きかったのも、その色が、小林君のきているセーターやズボンと同じだったのも、みな、ちゃんと考えて、用意したことなのです。

 四十面相が、それらの、いっさいのことを、さとったときには、小林少年は、もう遠くへ逃げてしまっていて、いまさら、追っかけても、むだなことがわかっていました。さすがの四十面相も、こんどは、まんまと、いっぱいくわされたのです。

 もうグズグズしてはいられません。小林少年は、この四十面相のかくれがを、警察にしらせたかもしれないからです。いまにも、警官の一隊が、この古道具屋へ、おしよせてくるかもしれないからです。

 そうかといって、電話でやくそくした宮永家へも、うっかり行くわけにはいきません。小林君がよろいの中にかくれて、あの電話をきいていたとすれば、宮永氏のうちを電話帳でしらべて、先まわりをしているかもしれないからです。そして、そこにも警官がまちぶせていないとはかぎらないからです。

 四十面相は、もうどうすることも、できなくなってしまいました。では、かれは、いよいよ、小林君にまけて、かぶとをぬいだのでしょうか。そして、宮永氏の黄金どくろも、古道具屋の店もすてて、身ひとつで、逃げだしたのでしょうか。いや、いや、怪人四十面相は、そんな気のよわい男ではありません。こんな冒険が、なによりも、すきなのです。身があやうくなればなるほど、たのしくなり、わる知恵が、わきあがってくるのです。

 四十面相は、三本の発煙筒を、窓から庭へなげすて、部屋を出ようとしました。しかし、入り口の板戸には、そとから、錠がおりていて、おせども、ひけども、ビクともするものではありません。こんどはぎゃくに、四十面相のほうが、密室にとじこめられてしまったのです。

 四十面相は、ニヤリと笑いました。かれにとって、板戸の一枚ぐらい、やぶるのは、あさめしまえのしごとです。

 かれは、いきなり、肩で、板戸にぶっつかりました。二度、三度、ぶっつかっていると、板戸はメリメリと音をたてて、そのまんなかに、大きな穴があきました。四十面相は、両手でその穴をひろげ、そこをくぐって、いきなり、そとへ、とびだしました。そして、やっぱり、ニヤリニヤリと笑いながら、いそいで、階段をかけおりるのでした。

 しかし、かれは、これから、なにをしようというのでしょう。どうして、このあぶない立ちばを、のがれようというのでしょう。

「なにくそッ、四十面相の知恵を、はたらかせるのは、こんなときだぞ。いまにみろチンピラ探偵め、アッと言わせてやるから。」

 かれは、そんな、のろいのことばをはきながら、なにかいそがしそうに、用意をはじめるのでした。


明智探偵の登場


 小林少年は、四十面相を、まんまと、二階の部屋にとじこめて、古道具屋の店をかけだすと、見おぼえておいた、近くの公衆電話まで、ひといきに走って、そこにある電話帳をしらべました。

 小林君は、さっき四十面相が電話でしゃべっていた、宮永という姓と、九段の三八五〇という電話番号を、ちゃんとおぼえていました。一度聞いたことは、けっしてわすれないという、地獄耳です。探偵にとっては、これが、ひじょうにだいじなことです。

 小林君は、電話帳をひろげ、まず見だしで宮という字のページをみつけ、宮永という姓のならんでいるところをひらいて、その中から、九段の三八五〇番をさがしました。指でたどってゆくと、その番号が、ありました。宮永庄太郎という人で、住所は靖国神社やすくにじんじゃの近くの、ある町で、番地もハッキリわかりました。

 それをたしかめると、小林君は送話器をはずして、明智探偵事務所をよびだし、明智先生に電話口に出てくださるように、たのみました。

「先生ですか、ぼく小林です。いま、あいつを、古道具屋の二階にとじこめて、公衆電話までかけつけたところです。ええ、ふうせんと発煙筒で、うまくやったのです……。あいつは、九段の宮永という人の所へ、九時に行くことになっています。その宮永という人が、第四の黄金どくろを持っているらしいのです。あいつは古道具屋のじいさんに化けて、それを買いとろうとしているのです。宮永という人の住所は……。」小林君はその所の名と番地を言いました。「ぼくはすぐ、そこへかけつけます。先生も来てください。ぼくのような子どもでは、あいてが信用しません。なるべく先生にごめいわくかけないつもりでしたが、こんどは、たすけてください。でないと、失敗するかもしれません。それから、警察のほうへも、先生から電話してください……。エッ、あいつですか、だめです。いまごろは、もう二階のドアをやぶって逃げだしたかもしれません。ですから、宮永という人に、先生から電話で、だれが来ても、あわないように、言ってください。番号は九段の三八五〇です……。じゃあ、ぼくは、タクシーをひろって、宮永さんのところへ、かけつけます。先生もできるだけ早く、来てください。」

 てきぱきと、必要なだけのことを話し、「しょうちした。」という明智先生の返事をきくと、電話を切って、公衆電話のそとへ、とびだしました。

 タクシーをひろうのに、ちょっと、てまどったので、小林少年が、九段の宮永家についたときには、九時十分になっていました。

 宮永氏のうちは、靖国神社の近くの、しずかな屋敷町にあるりっぱな邸宅です。その大きな門をはいって、玄関のベルをおすと、わかい女中が出てきました。

「明智探偵事務所の小林というものです。明智探偵からお電話したはずですが……。」というと、女中はニッコリ笑ってみせて、

「ええ、わかっております。明智先生はもう来ていらっしゃいますよ。あなたが、おいでになることも、うかがっていました。どうかこちらへ……。」

 と、先に立って、応接間へあんないするのでした。

「やっぱり先生だなあ。なんて、すばやいのだろう。」

 小林君は感心しながら、女中のあとについて、りっぱな洋ふうの応接間にはいりました。見ると、まるいテーブルをかこんで、明智先生と、主人の宮永さんらしい人とが、話をしていました。そして、テーブルの上には、黒い博士邸の地下室で見たのと、そっくりの黄金どくろが、さんぜんと、かがやいていたではありませんか。

「ああ、小林君、おそかったねえ……。宮永さん、これが助手の小林です。まだ子どもですが、こんどの事件は、すっかり、ひとりでやっているのですよ。」

 明智探偵が、紹介しますと、主人の宮永氏も、にこにこして、

「やあ、小林くんですか。きみのことは、新聞でよく読んでいますよ。だが、こんなかわいらしい少年だとは思わなかった。さあ、ここへおかけなさい。いま、先生から、きみのてがら話をうかがったところですよ。」

 と、テーブルのまえの、ソファをすすめるのでした。

 宮永氏は、五十歳ぐらいの、りっぱな紳士です。頭は、もうほとんど白くなり、にゅうわな目に、ふちのほそいメガネをかけ、かりこんだ口ひげのある、つやつやした顔、和服のきながしに、へこおびをまきつけて、大きなソファに、ゆったりと、かけています。

「宮永さん、いまもお話したとおり、小林君は古道具屋に化けた四十面相を、一室にとじこめてきたのですが、相手が相手ですから、けっして、ゆだんはできません。いまごろは、その部屋からぬけだして、なにか、思いもよらぬ変装をして、おたくのまわりをうろついているかもしれません。」

 明智が言いますと、宮永氏は、きみ悪そうに、あたりを見まわしながら、

「まさか、あの老人の道具屋が、有名な四十面相とは、思いもよりませんでした。じつにおどろくべき変装術ですね。あなたがたが、おいでくださらなかったら、わたしは、この黄金どくろを、あいつに、売りわたしてしまうところでした。これは十年もまえに、ある道具屋から手に入れたのですが、そんなふかいいわれがあろうとは、すこしも知らなかったのですよ。」

「そうでしょう。四十面相は、そこへ、つけこんだのです。これは、金のねうちとしても、たいへんなものですが、それよりも、どくろのあごのうしろに、小さな字できざんである文句に、おそろしいねうちがあるのです。何百億、何千億という、ねうちがあるのです。四十面相は、このかなの文句を、見たことは見たのでしょうな。」

 明智がたずねますと、宮永氏はうなずいて、

「むろん、見ております。しかし、わざわざ買いとろうというのを見ると、まだ、この文句をおぼえていないのかもしれません。それとも、その三人のかたに買いとられては、たいへんだと、先手をうったのでしょうかね。」

「おそらく、その、両方でしょう。この文句は、すこしも意味がわからないのですから、紙にうつしでもしなければ、そらでは、ちょっとおぼえにくいでしょうね……。それにしても、これは、じつにふしぎな文句ですね。」

 明智は、そう言いながら、前にある黄金どくろを、手にとって、うらがえして見るのでした。そこには、豆つぶほどの小さな字で、つぎのような三行の文句が、ほりつけてありました。

ゆるのり

んなさと

でんがざ

「ゆるのり、んなさと、でんがざ。なんのことか、まるでわかりませんね。宮永さんは、この文句について、考えてごらんになったことがありますか。」

「なにしろ、たいせつな美術品のことですから、いちおうは考えてみました。友だちにも見せました。しかし、だれにもわからないのです。なにかの暗号かもしれないとは思いましたが、お話のような、おそろしいねうちのある暗号だなんて、想像もしませんでした。」

「フーン、たくさんのお友だちに、見せられたのですね。すると、そのなかに、四十面相か、四十面相の手下のやつが、お友だちに化けて、まじっていたかもしれませんね。でなければ、とつぜん、古道具屋に変装して、買いにくるはずがありませんよ。」

 明智はそう言って、じっと暗号文字に見入っていました。その、意味のない文句を、頭の中に、きざみこむように、おそろしい目で、にらみつけていました。

 やがて、黄金どくろをテーブルにおくと、明智は「ちょっと、お手洗いを。」と言って、立ちあがり、宮永氏が呼んでくれた女中のあとについて、部屋を出てゆきました。


変装術


 それから、じつにみょうなことが、はじまったのです。明智探偵ともあろうものが、とほうもないことを、やりだしたのです。

 手洗い所にはいって、あんないの女中が立ちさると、探偵は、入り口のドアをしめて、ポケットから、針金のまがったものを、とりだし、それをかぎ穴にいれて、カチカチ音をさせていたかと思うと、ピチンとかぎがかかってしまいました。つまり、自分を、手洗い所の中へ、とじこめてしまったのです。そとから、だれかがあけようとしても、ひらかないようにしたのです。明智は、いったい、なにをはじめるつもりでしょう。

 部屋の一方に洗面台があって、その上のかべに、大きな鏡が、はめこみになっています。明智はその前に立って、自分の顔を、鏡にうつしました。

「フフン、明智先生、きみとも、もうおさらばだよ。」

 みょうなひとりごとを言って、ニヤリと笑ったかと思うと、かれは、自分の頭を両手でつかんで、モジャモジャのかみの毛を、いきなり、はがしはじめました。すると、頭の皮が、スルスルと、めくれてしまったではありませんか。いや、頭の皮ではありません。それは、ひじょうによくできたカツラだったのです。

 カツラをはいでしまうと、その下から、ほんとうの頭があらわれました。すそのほうを、みじかくかって、七三に分けた黒いかみの毛です。

 とくちょうのあるモジャモジャ頭がなくなると、明智の顔が、すっかり、かわってしまいました。それは、もう、明智探偵ではありません。えたいのしれぬ、ひとりの、あやしげな男です。

 男は、カツラを洗面台におくと、こんどは、ポケットから、銀色の、まるいコンパクト(おしろい入れ)を出して、パチンとひらき、その中にはいっている赤黒いえのぐのようなものを、両手の指につけると、それを、顔いちめんにぬりつけるのでした。

 鏡のなかの男の顔は、みるみる赤黒くかわっていきました。それから、黒いチョークのようなもので、まゆげをふとくぬり、目のまわりも、うす黒く、いろどりますと、いままでの、白い明智の顔が、日にやけた、わかい労働者の顔に、かわってしまいました。

 男は鏡をのぞいて、さも、まんぞくらしく、ニヤリと笑いましたが、つぎには、着ていた黒い背広とズボンとワイシャツを、てばやく、ぬぎすてました。すると、ワイシャツの下に、きたないセーターを、着こんでいることがわかりました。

 それから、上着とワイシャツは、小さくまるめて、洗面所のすみにあったくず箱の底におしこみ、ズボンは、うらがえしにして、はきました。すると、いままでの、黒の背広のりっぱな紳士が、たちまち、うすぎたない労働者の若者にかわってしまいました。ズボンのおもては、きれいな黒ラシャですが、それをうらがえすと、きたないカーキ色のもめんに、かわるのです。おもてと、うらと、両方つかえる、変装用のズボンなのです。

 たった三分でした。三分のあいだに、明智探偵は、きたないセーターに、カーキ色のズボンをはいた若者に、はやがわりをしてしまったのです。

 その男は、すっかり、みなりをかえると、もういちど、鏡のなかをのぞきこんで、ぶきみな笑いを、もらしましたが、セーターのすそをまくって、腹のへんにかくしていた、もみくちゃになった鳥打帽をとりだし、その中にまるめてあった、十センチ四方ほどの紙をたばにしてとじたものを、左手にもち、鳥打帽は頭にのせました。これですっかり、用意ができたのです。

 男は、さっきの、まがった針金で、入り口のドアをひらくと、ソッと廊下に出ました。さいわい、あたりに、人かげもありません。男はまたニヤリとして、すこしも足音をたてない歩きかたで、かげのように、玄関までたどりつき、そのまま、門のほうへ、歩いていきました。

 そのじぶんには、宮永家の門前には、私服や制服の警官が四、五人、見はりをしていました。明智探偵からの電話で、警視庁から、かけつけた人たちです。

 変装した男は、左手に持った紙のたばを、ヒラヒラと、見せびらかすようにして、警官たちの前を、通りかかりましたが、すると、ひとりの警官が、

「オイ、きみはだれだね。」

 と、よびかけました。

「電灯会社です。メーター調べですよ。」

 若者は、手にした紙のたばを、警官の目のまえに、さしだしました。それは電灯のメーターの数字を書きいれる、印刷した紙をとじたものでした。

「アア、そうか。よろしい。」

 警官がうなずいてみせると、若者はピョコンと、ひとつ、おじぎをして、そのまま、いそぎあしに、立ちさってしまいました。

 警官たちは、古道具屋の老人に化けた四十面相を、まちぶせていたのです。それは、これから、やってくるはずでした。中から出てくる人を、うたがう必要は、すこしもなかったのです。電灯会社のメーター調べという答えに、アア、そうかと、見のがしてしまったのは、むりもないことでした。

 ところが、それから五、六分たったかと思うころ、一台の自動車が、門前にとまり、中から、黒い背広を着た明智探偵があらわれ、警官たちのそばへ、近づいてきました。

「アッ、明智先生ですか。」

 ひとりの私服の警官が、みょうな顔をして、明智の前に、立ちふさがりました。

「ヤア、ごくろうさん、ぼくのまえに、だれもこなかっただろうね。」

 明智が、にこにこしてたずねますと、警官は目をパチパチさせて、ひどく、どもりながら、へんなことを、言いだしました。

「あなたは、ほんとうに、明智先生ですか。」

「ほんとうだとも。なにか、あやしいと思うわけがあるのですか。」

「それがあるのですよ。わたしたちは、十分ほどまえに、ここへついたのですが、ここのうちの女中にきいてみると、明智先生と小林君とが、いま客間で、ご主人と話しているところだということでした。ですから、明智先生は、このうちのなかに、おいでになるとばかり思っていたのですよ。そこへ、いまごろになって、また先生がこられるというのは……。」

「エッ、ぼくが、うちのなかにいるって? まちたまえ。それじゃあ、きみたちがここへ来てから、だれか、この門を出ていったやつがあるね。あるだろう?」

「出ていったといえば、ついいましがた、電灯のメーター調べの男が、出ていったばかりですが……。」

「どのくらいまえだね。」

「五分ほどまえです。」

「それじゃ、もうおっかけても、しかたがないね。たぶん、もうひとりのぼくが、メーター調べに化けて、きみたちの目をくらましたのだよ。」

「エッ、もうひとりの明智先生ですって?」

 警官は、びっくりしたように、明智の顔をみつめました。

「たぶん、それが四十面相だ。きわどいところで、ぼくに先手をうって、黄金どくろの文句を、ぬすみに来たんだ。あいつは、変装の名人だよ。これまでにも、たびたび、このぼくに化けたことがある。そして、もくてきをはたすと、こんどはメーター調べに変装して、きみたちをだしぬいたのさ。あいつのやりそうなことだ。たぶん、この、ぼくの想像は、まちがいないよ。宮永さんにあって、聞いてみればわかることだが……。」

「先生、もうしわけありません。つい、ゆだんしてしまいました。それじゃ、宮永さんに、たしかめてから、非常線をはります。風体ふうていはハッキリわかっているのですから。」

「だめだよ。いまごろは、もう、メーター調べの服装をぬいで、まったくちがったものに、化けてしまっているよ。あいつは魔法使いのような、変装の名人だからね。」

 明智は、にが笑いをしながら、警官たちを、そこにのこして、門の中へはいっていきました。

 そして、宮永さんと小林少年にあってみますと、明智の想像が、ピッタリとあっていたことが、わかりました。四十面相の変装術は、小林少年にさえ、見わけられなかったのです。小林君は、さっきまで客間にいた男を、ほんとうの明智先生と、信じていたのでした。

 こうして、四十面相は、第四の黄金どくろの秘密を、まんまとぬすんでしまったのです。そこにほりつけてある、暗号のかな文字を、しっかりおぼえこんで、立ちさったのです。いまごろは、もう、四つのどくろの文句をくみあわせて、秘密をといてしまったかもしれません。

 明智探偵は、おおいそぎで、宮永さんの黄金どくろの文句を調べ、小林君から聞いていた、三つの黄金どくろの文句と、ひきくらべました。しかし、この、奇妙な暗合が、そうやすやすと、とけるものではありません。そこで、明智は、事務所にかえってから、暗号をとくことにして、ひとまず、宮永さんにいとまをつげ、小林君をつれて、門前にまたせてあった自動車に、のりこむのでした。


暗号解読


 その日のお昼すぎ、明智探偵事務所の客間に、三人の客がつめかけていました。黒井博士と、松野、八木の、三つの黄金どくろの持ちぬしです。

 明智は宮永さんのうちから帰ると、一室にとじこもって、暗号をしらべましたが、三十分ほどで、すっかり、それをといてしまいました。そこで、三つの黄金どくろの持ちぬしに電話をかけ、事務所にあつまってもらって、こんごの計画について、相談をすることにしたのです。

 客間のテーブルをかこんで、明智探偵、小林少年、黒井博士、ミシン会社の社長の松野さん、貿易会社の社長の八木さんの五人が、イスにかけていました。テーブルの上には、三人の客が持ってきた三つの黄金どくろが、ならべてあり、明智は白い紙を前において、それに鉛筆で、かな文字を書きながら、暗号の説明をしているところです。

「この三つのどくろに、ほりつけてある、かな文字を、ふつうに読むと、こんなふうになりますね。」

 明智はそう言いながら、紙の上に、つぎのようにしるしました。

「小林君から聞きますと、いつかの晩の、あなたがたの会合で、このひとつひとつの文句を横にして、おわりのほうから、ぎゃくに、ならべてごらんになった。こんなふうにですね。」

 そして、明智はまた、紙にそれを書いてみせるのです。

「これで、かなり意味が、ついてきました。しかし、この第一の文句と、第二の文句とが、どうもうまくつづかない。そこで、あなたがたは、このあいだに、もうひとつ、第四の黄金どくろの文句が、はいるのではないか、つまり、三つだと思っていたどくろが、じつは、四つあるのではないかと、気づかれたのですね。

 ところが、その第四の黄金どくろを、四十面相が、さがしだしてくれた。われわれは、いまでは、その第四のどくろの呪文を、ハッキリ知っているのです。それを、ここへ書いてみましょう。」

「上のほうは、縦に読んだもの、下のほうは、それを横にして、おわりのほうから、ならべたものです。さっきの三つのどくろの文句と同じやり方です。さて、この下のほうの四行の文句を、さっきの三つの文句の第一と第二のあいだに入れてみましょう。

「これで、うまくつづいたようです。右のほうから、縦につづけて、読んでみますよ。いいですか。」

 明智はえんぴつで、かなをたどりながら、つぎのように、読みくだしました。

きのもりとざきどくろじまどくろのさがんをさぐれよながるるなんだのおくへとゆんでゆんでとすすむべし

「口調はいいですね。もう、ぬけたところはないようです。しかし、この意味をとくのは、ちょっと、むずかしい。百年もまえに書かれたという、むかしの文章ですからね。でも、むかしの文章を、読みなれた人には、じきにわかるのです。

 いいですか、まず、『きのもりとざき』と読むのです。ここで切るのですよ。これは土地の名まえです。きのというのは、漢字で書くと、『紀の』となります。『紀伊きいの国の』という意味です。むかしは『きいの国』を『きの国』とも言ったのです。つまり、今の和歌山県ですね。

 そこで、私は、和歌山県の地図をだしてみました。すると、新宮しんぐう串本くしもとのあいだの海岸に、森戸崎もりとざきというみさきがあるのです。この文句の『もりとざき』にあたるわけですね。

 これで、『きのもりとざき』は、わかりました。つぎは『どくろじま』です。漢字で書けば髑髏島どくろじまですね。和歌山県の森戸崎のそばに『どくろじま』という島があるのではないでしょうか。

 わたしは、友だちの名簿をくって、串本から東京に出てきている人を、さがしあてました。そして、その人に電話をかけて、森戸崎のそばに『どくろじま』という島がないかと、たずねてみました。すると、わたしの思ったとおりでした。森戸崎から四キロほど沖合いに、ぞくに『どくろじま』とよばれている、小さな、人の住んでいない島があることが、わかりました。

 その島は、森戸崎のうしろの峠の上から、ながめると、骸骨の頭のような形をしているので、むかしから、『どくろ島』とよばれているのだそうです。さしわたし六百メートルほどの、岩でできた、小さな島で、そのまわりには、海面にあらわれていない岩がたくさんあって、海の水が、白いあわをたてて、うずをまいているという、あぶない場所だそうです。そのうえ、島のかたちがきみの悪いところなのですから、漁師たちも、めったに、この島へは、近よらないということでした。なんと、宝物を、かくすのには、くっきょうの場所ではありませんか。」

 明智は、ここで、ちょっと、ことばをきって、三人の客を見ました。黒井博士たちは、黄金どくろのなぞが、いまにも、とけそうになってきたので、もう、いっしょうけんめいです。明智の顔をじっとみつめたまま、身うごきするものもありません。

「さて、第二行めは、『どくろのさがんを』で、きるのです。『さがん』というのは、漢字で書けば、『左眼』だろうと思います。つまり、左の目ですね。どくろ島には、二つの目のように見える、岩穴があるのではないでしょうか。左眼というのは、その左のほうの岩穴のことかもしれません。そこを『さぐれよ』です。その左の岩穴を、さがせという意味でしょう。

 第三行めの『ながるるなんだ』は、『流るる涙』です。涙のことを、むかしは『なんだ』といいましたね。つまり、この行は、『ながれる涙の奥のほうへ』という意味です。

 しかし、涙とは、いったいなんでしょう。岩でできた島が涙をながすはずがありません。この涙というのは、おそらく、滝のように水がながれだしているのです。左の目にあたる岩穴から、水が流れだしているので、それを、涙にたとえたのでしょう。その水のながれだす穴の奥のほうへという意味です。

 第四行めの『ゆんでゆんで』は、これもむかしのことばで、弓手ゆんで弓手と書くのです。弓をもつほうの手、すなわち左手の意味です。で、この行は、左のほうへ、左のほうへ、『すすむべし』、すすんで行けというのですね。

 もう一度、ぜんたいの意味をつづけて言いますと、和歌山県、森戸崎の沖にある『どくろ島』の、水の流れだしている岩穴の中にはいって、左へ、左へとすすんで行け、というのです。きっと、そのおくに、大金塊が、かくしてあるのです。」

 明智の説明がおわりますと、三人の客は、すっかり、感心してしまって、しばらくのあいだ、だまりこんでいましたが、やがて、黒井博士が、口をひらきました。

「いや、じつに明快です。さすがは、明智さんだ。これで、百年間の秘密が、すっかり、とけてしまったわけですが、それにつけても、ちょっと心配なことがあります。四十面相は、われわれの三つのどくろと、宮永さんのどくろの文句を、みんな知っているはずです。あいつのほうでも、暗号を、といてしまったというようなことは、ないでしょうか。」

 そうです。それが、このさい、なによりも気がかりでした。松野さんも、八木さんも、心配らしく明智の顔をみつめます。

「たぶん、あいつも、いまごろは、暗号をといたでしょう。わたしと四十面相とは、ものを考える力が、ほとんど同じぐらいなのです。わたしに、とける暗号なら、あいつにも、とけるはずです。」

「すると、あいつは、もう和歌山県へ、出発したかもしれませんね。」

「そうです。わたしも、それを心配しているのです。しかし、わたしには、ひとつ、うまい考えがあります。それについては、あなたがたの、しょうだくをえなければなりませんが、この大金塊のことが、世間に知れわたることは、ごめいわくでしょうか。」

「いや、めいわくということはありません。なにも他人のものをとるわけではなく、先祖がかくしておいた金塊を、その子孫が、さがすのですから、だれにもはじることはありません。しかし、この秘密が、世間にひろがって、わるものに、先手をうたれるのが、こわいのです。そのために、いままでは、ごく秘密に、事をはこんできたのです。」

「わかりました。それならば、だいじょうぶです。わたしの考えというのは、あなたがたが、だれよりもはやく、どくろ島へ行ける方法なのですから。たとえ、四十面相が、もう東京を出発したとしても、あいつを追いこして、ずっとはやく、せんぽうにつけるという方法なのです。」

「ホウ、そんな、うまい方法があるのでしょうか。」

 黒井博士は、びっくりしたように、聞きかえしました。

「新聞社の飛行機ですよ。わたしはH新聞の重役とこんいなので、じつは、さっき電話で、相談してみたのです。ひじょうにおもしろいニュースを、きみの社で、ひとりじめにすることができるのだから、数時間、飛行機を使わしてくれぬかと、たのんだのです。くわしいことは、なにも言わなかったのですが、あいては、ぼくを信用して、しょうちしてくれました。社でもいちばん、しっかりした操縦士をつけて、貸してやろうというのです。」

「フーン、そいつは、おもしろいですね。しかし、その飛行機には、おおぜいは乗れないでしょうね。」

「操縦士のほかに三人しか乗れません。それで、あなたがた三人のうち、ふたりと、ここにいるわたしの助手の小林とが、飛行機に乗って、先発されては、いかがですか。わたしが行けるといいのですが、人のいのちにかかわる大事件を引きうけていますので、どうしても、手がはなせません。小林はまだ子どもですが、いままでの働きでもわかるように、じゅうぶん、わたしの代理がつとまると思います。」

「ああ、なにからなにまで、明智さんの知恵には感じいりました。おっしゃるとおりにしましょう。」

 黒井博士は、いさみたって言うのでした。


まっ黒な目


 飛行機には小林少年と、三人の黄金どくろの持ちぬしのうちの、黒井博士と松野さんが乗って、さきに出発し、もうひとりの八木さんは、どくろ島探検の助手をやとって、あとから、汽車で行くことになりました。

 黒井博士と松野さんと小林少年とは、双眼鏡、懐中電灯、長いロープ、登山用のピッケルなど、怪島探検の道具を、いろいろ用意し、みがるな服装で、飛行場にいそぎ、ぶじ新聞社の飛行機にのりこみました。

 その小型飛行機は、一時間もかからないで、名古屋市の郊外の飛行場に着陸、そこには、電話でたのんでおいた自動車が、まちかまえていました。三人はやすむひまもなく、その自動車にのりこんで、急行電鉄の駅にかけつけ、電車で三重県の南の終点まで、それからまた自動車をやとって、森戸崎の近くのさびしい漁師町につきました。

 明智が暗号文をといて、新聞社とうちあわせ、いそぎにいそいで、出発の用意をととのえたのが、午後三時でした。名古屋までは一時間でも、それからさきが四時間ほどかかったので、森戸崎についたのは、もう夜の八時半ごろでした。

 その漁師町には、さいわい、小さな宿屋がありましたので、三人は、そこへとまることにし、東京の明智探偵のところへ電報をうち、また、急行電鉄の終点の駅に、とめおきの電報で、あとからくる八木さんにあてて、町の名と宿屋の名を知らせました。

 もし、四十面相が、三人よりはやく、東京を出発したとしても、せいぜい二時間か三時間のちがいしかないはずです。旅客機でとぼうとしても、時間がうまくあいませんから、汽車で来るほかはないのです。それなら、いまごろは、まだ汽車に乗っているか、終点の駅についたばかりでしょう。その駅から、汽車も電車もない道が、ひじょうに長いのですから、とても今夜のまには、あいません。どこかで、ひとばんとまって、あすの朝、自動車をたのむことになるでしょう。ですから三人が、あすの夜あけに、船に乗れば、四十面相に、先手をうたれる心配は、すこしもないわけです。

 三人は、二通の電報をうたせたあとで、宿屋の主人を呼んで、どくろ島のことをたずねてみました。

 主人は六十歳にちかい、正直そうなじいさんでしたが、三人が、どくろ島を探検すると聞くと、「とんでもない。」といわぬばかりに目をまるくして、顔のまえで、手をふってみせるのでした。

「どんな事情が、おありか、ぞんじませんが、それは、およしなさいませ。あれは魔の島です。おそろしいぬしがすんでいるのです。」と、さも、こわそうに言うのです。黒井博士は、にこにこして、

「いったい、どんな主がすんでいるのですか。」

と、たずねました。

「それは、だれも知りません。その主を見たものは、死んでしまったからです。もう五、六年まえのことですが、みんなが、とめるのもきかずに、このまちの、ひとりの若い漁師が、どくろ島のほらあなのなかへ、はいったのです。それは『底なしのほらあな』と言われているのですが、その漁師は、どこまで、穴がつづいているか、さぐってみるのだと言って、懐中電灯をもって、ひとりで、おくへ、おくへと、はいっていったのです。

 友だちの漁師たちは、ほらあなのそとで、長いあいだ、まっておりました。いまに出てくるか、いまに出てくるかと、まっておったのです。すると……。」

 宿屋の主人のじいさんは、そこで、ことばをきって、さも、おそろしそうに、あたりを見まわすのでした。

「すると、どうしたのですか。」

 小林少年が、まちかねて、たずねます。

「すると、ほらあなの、ずうっと、おくのほうから、かすかに、キャーッという、悲鳴が聞こえてきたのです。みんなが、まっさおになって、顔みあわせていますと、しばらくして、ほらあなの中から、その若い漁師が、ころがるように、とびだしてきました。

 見ると、魔ものにひきさかれたのか、岩かどでやぶれたのか、着物はズタズタにちぎれ、顔色は土のようで、『たすけてくれッ。』と、さけんで、そこにたおれたまま、気をうしなってしまいました。

 友だちたちは、その若者をかいほうして、船に乗せ、うちまでとどけてやりましたが、若者は、それから熱病になって、とこについたまま、みんなが、なにをたずねても、返事もせず、みょうなうわごとばかり口ばしりながら、ひと月もたたないうちに、死んでしまいました。魔ものにみいられて、とり殺されたのです。」

「それで、その若者は、どんなうわごとを、口ばしったのですか。」

 黒井博士が、たずねますと、じいさんは、また、こわそうに、あたりを見まわして、

「いろんなことを、言ったそうです。しかし、そのわけは、だれにもわかりません。さようです。こんなことを言ったそうです。ええと……、『おそろしいッ。たすけてくれッ。でっかい、まっ黒な目が、にらんでいる。』とね。まっ黒な目というのは、どんな目だか、わかりませんが、それが、たえず、まぼろしのように、あの男に、つきまとっていたらしいのですよ。

 それからもうひとつ、おぼえていますが、『金色の化けものだ。金色のまさかりのような歯で、おれをくい殺そうとした。』と、いうようなことを、口ばしったそうです。なんにしても、あのほらあなのおくには、えたいのしれない、化けものがすんでいるにちがいありません。

 それからというもの、漁師たちは、けっして、あのどくろ島へ、ちかよらないのです。悪いことはもうしません。だんなさまがたも、すいきょうなまねは、およしなさるが、よろしゅうございます。だいいち、あの島へ、船を出せとおっしゃっても、みんな、こわがっておりますから、だれも、しょうちいたしますまい。」

 じいさんの話をきいて、三人は顔を見あわせました。化けものなどを、信じもしなければ、こわがるわけでもありませんが、船をたのむことができないというのは、じつに、こまった話です。黒井博士はしばらく考えたあとで、ひざをのりだして、じいさんを、ときつけようとしました。

「いや、わたしたちの探検には、ふかいわけがあるので、けっして、やめることはできないのです。それに、その化けものは、ほらあなのおくにいるのでしょう。だから、ほらあなへ、はいらなければいいじゃありませんか。ただ、船を、あの島へつけてくれればいいのですよ。お礼はじゅうぶん出します。勇気のある人をさがしてください。」

 そんなふうに、たのんでも、じいさんは、なかなか、しょうちしませんでしたが、黒井博士は、お礼の金高きんだかを、だんだん、せりあげて、しまいには、船の持ちぬしにも、船をこいでくれる人にも、また、島のあんないをしてくれる人にも、ひとりに十万円ずつ、お礼をすると、言いだしたものですから、じいさんも考えなおして、「それじゃあ、ひとつ、心あたりを、たずねてみましょう。」ということになり、部屋を出てゆきましたが、三十分ほどして、三人のたくましい漁師をつれて、かえってきました。

「この三人が、十万円ずつくださるなら、船を出すともうしております。しかし、島にあがって、ごあんないはしますが、けっしてほらあなの中へは、はいらないから、それだけは、念をおしておいてくれ、と言うのです。」

 見ますと、ひとりは船の持ちぬしという五十ぐらいの漁師で、あとのふたりは、二十四、五歳の、くっきょうな若者です。

 そこで、黒井博士は、松野さんや小林少年とも、相談して、この三人をやとうことにきめ、あすの朝、夜があけしだい、船を出すようにたのみ、そのほかの、こまごましたことを、いろいろ、うちあわせたうえ、漁師たちをかえし、三人も、床につきました。


どくろ島


 そのあくる朝、夜のしらじらあけに、ゆうべたのんでおいた漁師たちが、宿屋へ三人をむかえにきました。船の用意が、できたというのです。

 黒井博士たちは、手ばやく身じたくをして、探検用の道具類と、宿屋につくらせておいた、みんなのおべんとうを、大きなリュックに入れて、若い漁師にかつがせ、浜に出ました。

 見ると、ちょうど、いま太陽が水平線にのぼろうとしているところで、たなびくむらさきの雲のあいだに、おどろくほど、大きな、まっかな、まるいものが、ジリッ、ジリッと、目に見えて、大きく、すがたを、あらわしているのでした。

 波うちぎわに、小さなさんばしがあって、そこに、いっそうの小船が、うかんでいました。ふつうの漁船にモーターをつけたものです。どこの海岸にもある、あの、ポンポンと音をたてて走る小船です。

 みんなが、その船にのりこむと、年とった漁師が、とものほうのモーターのところに、腰かけて、機械を操縦します。見おくりにきていた宿屋の主人が、「ごきげんよく。」と、あいさつしたとき、黒井博士は、

「じゃあ、信号のこと、くれぐれもたのみますよ。」

 と、声をかけました。主人はコックリと、うなずいてみせます。「信号」というのは、いったい、なんのことでしょう。その意味は、まもなく、わかるときがくるでしょう。やがて、小船はさんばしをはなれ、みるみる、岸からとおざかって、ポンポン、ポンポンと、いさましく、沖のほうへすすんでいきました。

 もうそのころには、太陽が水平線の上のほうにのぼって、いままで、むらさき色にかすんでいた、遠くの海面が、まっかにそまった空の下に、あかあかとてりはえて、ハッキリ見わけられるようになっていました。

「アア、あれだ。あれが、どくろ島だ。」

 小林少年が、船の中にたちあがって、沖のほうを、ゆびさしながら、さけびました。

 あかい空の下に、クッキリと、うきあがっている、まっ黒な岩のかたまり。見るからに、ぶきみな島のすがたです。

「おじさん、あれを、どうして、どくろ島っていうの。ちっとも、似てないじゃないか。」

 小林君が、じっと、そのほうをみつめて、たずねます。すると、年とった漁師が答えました。

「ここからじゃ、わかんねえだよ。だが、峠の上からながめるとね、あの島あ、しゃれこうべ、そっくりだあ。おっかねえ島だぞ。」

 正面から見ては、どくろのようではありませんが、ゴツゴツした岩かどが、きみ悪く、そびえて、いかにも、魔ものでもすんでいそうな、おそろしい島です。

 朝なぎで、波はたちませんが、ときどき、大きなうねりが、船をフワッとうかせます。すると、むこうの、まっ黒な島が、スーッとあがったり、また、さがったりするように見えるのです。

 船がすすむにつれて、どくろ島は、だんだん、大きくなってきました。近づけば、近づくほど、ものおそろしい、すがたです。

 やがて、岩ばかりの怪島が、目の前いっぱいに、たちふさがり、船はどくろ島の岸につきました。

「見なさるとおりの、おっかねえ島だ。船をつけるとこは、ここのほかには、ねえだよ。」

 年とった漁師が、モーターをとめると、若い漁師が、さおをあやつって、小さな入江のようになったところへ、うまく船をつけました。もうひとりの若者が、すばやく、岩の上にとびあがり、船のへりをおさえます。そして、みんなは、つぎつぎと、岩の上にあがりました。


手旗てばた信号


 そのとき、黒井博士は、岩の上に立って、三人の漁師を見まわしながら、むずかしい顔をして、みょうなことを言いだすのでした。

「きみたちに、ちょっと、言っておくことがある。きみたちは、四十面相という、どろぼうのうわさを、聞いているだろうね。」

 すると、若者のひとりが、答えました。

「知っているとも。あの、四十もべつの顔をもっているという、大どろぼうでしょう。新聞やラジオでおれたちも、みんな知っている。その四十面相が、どうかしたのかね。」

「その四十面相が、ここへやってくるかもしれないのだ。」

「エッ、ここへ?」

「そうだよ。わたしたちの探検のじゃまをしに、やってくるはずなんだ、きみ、五郎さんとかいったね。」と、博士は、若者のひとりを指さしました。「きみは、手旗信号ができるんだってね。それをやってもらいたいのだよ。どこか高いところへあがって、町のほうを見ていてくれないか。リュックの中に双眼鏡があるから、それで、宿屋の屋根の上を見はっているんだ。

 宿屋の主人にたのんで、もうひとり、手旗信号のできる人が、やとってある。もし、町へ、東京ものらしい人間が、やってきたら、その人が、宿屋の屋根にのぼって、手旗信号をおくる手はずになっているんだよ。それを読んで、わたしたちに、知らせてもらいたいのだ。

 きょう、町へやってくるのは、四十面相だけじゃない。わたしたちの友だちも、やってくるはずだ。それは八木という人だよ。だから、手旗が、八木が来たと信号したら、この船で、むかえにいってもらいたい。

 また、もし、手旗が、名のわからない人が来たと信号したら、けっして、この島へ、ちかよらせてはいけない。そいつが、べつの船でやってくるようだったら、みんなが力をあわせて、島へあがらせないように、じゃまをするのだ。

 きみたちも、聞いているだろうが、四十面相というやつは、人をころしたり、きずつけたりすることが、だいきらいだから、けっして、あぶないことはない。ただ、じゃまをすればいいのだ。わかったかね。」

 お礼がほしいためとはいえ、魔もののいる島へ、すすんで、やってくるほどの人たちですから、それを聞いても、さしてこわがるようすはありません。ふたりの若者などは、かえって、いさみたつようにみえました。

「じゃあ、おれ、このがけをのぼって、見はりをするから、おめえ、リュックをしょって、あんないしろよ。」

 五郎という若者は、リュックの中から、双眼鏡と、赤と白の手旗をとりだし、そのまま、いっぽうのがけのほうへ、歩いてゆきました。

 そこで、黒井博士は、年とった漁師にむかって、

「きみは船にのこって、やはり見はりをしてくれたまえ。」

 と、さしずし、つぎに、のこった若者に、よびかけました。

「さあ、その、ほらあなのところへ、あんないしてくれたまえ。この島には、大きなほらあなが、ふたつあるんだってね。町のほうから見て、左にあたるほらあなへ、行くんだよ。」

 すると、リュックを、肩にかけた若者が、

「わかってます。それが、魔もののすんでいるほらあなだよ。だんながたは、魔ものにあいにきたんだからね。」と言って、大声に、笑いました。大胆らしい男です。

 そこで、若者を、先頭せんとうにたてて、出発したのですが、無人島のことですから、道というものがありません。ただ、デコボコの岩が、どこまでもつづいているばかりです。四人は、一列になって、岩から岩と、つたいながら、だんだん、島の中心へと、はいっていきました。

 しばらく、すすむと、がけとがけに、はさまれた、谷底のようなところへ、さしかかりました。両がわの、びょうぶのような岩は、いよいよ高くなり、その底を歩くのですから、あたりは、夕がたのように、うす暗いのです。いまにも、そのへんの岩かどから、怪物がとびだしてくるのではないかと、さすがの小林少年も、すこし、うすきみが悪くなってきました。

「オヤッ、あの音は、なんだろう。」

 とつぜん、黒井博士が立ちどまって、あたりをながめました。

 耳をすますと、島のまわりには、うちよせている波の音とちがった、ドドドド……という、きみの悪いひびきが、どこからか、聞こえてきます。巨大な怪物が、ほらあなから、はいだして、こちらへ、近づいてくるのではないでしょうか。

「なあに、おどろくことはないよ。あれが、ほらあなさ。」

 さきにたつ若者が、こともなげに、いうのです。

「あれが、ほらあなだって? ほらあなから、あんな音がでるのかね。」

「そうじゃない。滝ですよ。滝が流れだしている音さ。」

 ああ、なるほど、「ながるるなんだのおくへ」でした。ほらあなからは、涙が流れていなければなりません。つまり、水が流れていなければなりません。そうでなくては、あの暗号の文句と、合わないことになります。

 それから、またしばらく、すすみますと、さきにたっていた若者が、とんきょうな声をたてました。

「ホーラ、あれが滝だよ。見えるだろう。ほらあなから、滝が流れているのが。」

 岩かどを、ひとつまがると、はるかむこうに見あげるばかりの高いがけがそびえ、その下のほうに、大きなほらあなが、まっ黒な口をひらいているのが、見えました。その口から、おそろしい、いきおいで、水が流れだしているのです。

 水のおちる高さは、二メートルぐらいで、滝というよりも、激流といったほうがよいかもしれません。その下には、谷川のように水が流れていますが、それは、海が、まがりくねって、いりこんで、入江のようになっているのです。

「ふしぎだねえ。こんな小さな島の、どこから、あんな水が、わきだすのだろう。」

 黒井博士が、滝をみつめて、小首をかたむけました。すると、リュックをしょった若者が、

「あれは、わきだすんじゃない。やっぱり海の水だよ。このむこうがわの、岩のさけめに、うちよせた海の水が、こちらへ、流れだしてくるのさ。だから、ひきしおになれば、あの滝は、なくなってしまうんだ。」と、説明しました。

「フーン、すると、ひきしおまで、またなければ、ほらあなの中へ、はいれないわけだね。きょうはいつごろ、ひきしおになるんだろう。」

「まだ二時間はあるだろうね。これからだんだん、滝のいきおいが、よわくなるが、すっかり水がひくのは二時間あとだね。」

 二時間というのは、このさい、ひどく、まちどおしいことでしたが、まさか、あの激流の中へ、とびこんでゆくわけにもいきません。しかたがないので、岩づたいに、滝のちかくまで行って、そのへんのようすを、見さだめたうえ、五郎という若者が、手旗信号をやるために、のぼっている岩山の下まで、ひきかえし、五郎のすがたを見まもりながら、ひとやすみすることにしました。

「あすこにいるのが、五郎君で、きみはなんとかいったね。」

 黒井博士が、たいくつまぎれに、若者に、話しかけました。

「おれは、大作だいさくってんだよ。五郎とは親友さ。いのち知らずの大作って、あだなをされているんだよ。」

「フーン、いさましいあだなだね。それじゃあ、きみは、こわいものなんか、ないんだろう。わたしたちと、いっしょに、ほらあなの中を、探検する気はないかね。」

「そりゃあ、はいってもいいが、まあ、よしとこう。人間ならこわくないが、化けものは、にがてだからね。」

と言って、大作はニヤニヤと笑うのでした。

「ゆうべ、宿の主人から、あのほらあなで、化けものを見て、死んだ男の話を聞いたが、そのとき、きみも、ほらあなのそとにいたんじゃないかね。」

「そうだよ。みんなで、あいつをまっていたんです。すると、あの熊吉のやろう、人を人とも思わねえやつだったが、それが、まるで、ゆうれいのように青ざめて、穴から、ころがりだしてきた。こっちのほうが、ゾーッとしたよ。だから、おれは、化けものだけは、にがてなんだ。だんながたは、化けものが、こわくないのかね。」

「そのまえから、ここに魔ものがすんでいるという、うわさがあったんだね。」

「そうとも。ずうっと、むかしから、おそろしい主が、すんでいるという、言いつたえがあるんだよ。だから、だれも、ここへ、ちかよらなかったが、熊吉のやろう、よこぐるまをおして、おれが見とどけてやるなんて言って、とうとう、あんなめにあったのさ。」

 そのとき、岩に腰かけて、この話をきいていた小林少年が、スックと立ちあがって、岩山の上を、指さしながら、

「ア、手旗信号をやってる。きっと、だれか、町へきたんですよ。」

とさけびました。みんな立ちあがって、そのほうを見あげます。

「タ……レ……カ。タ……レ……カ。」

 小林君が、手旗信号を、声を出してよみました。岩の上の五郎は、「だれか。」「だれか。」とたずねているのです。それを、なんども、くりかえしたあとで、五郎は、肩からさげていた皮サックから、双眼鏡をとりだして、目にあてました。宿屋の屋根の手旗信号を見ているのでしょう。さて、読者諸君、そのとき漁師町へやってきた人物は、だれなのでしょう。味方の八木さんの一行でしょうか。それとも、敵の四十面相でしょうか。


洞窟探検


 岩の上の若者は手旗で、「タレカ。」とたずねておいて、またしばらく双眼鏡を目にあてていましたが、やがて、にこにこして、岩山をかけおりてきました。そして、息をはずませながら、

「八木さんです。八木さんが、ふたりの人をつれて、いま、着いたっていうんです。」

 と、どなりました。

「よし、それじゃ、すぐに船で、むかえにいくんだ。じいさんに、そう言ってくれたまえ。」

 黒井博士が、さしずしますと、若者は、どくろ島の岸にまっている船のところへ、走っていって、年とった漁師に、このことをつたえました。すると、その小船は、ポンポンと発動機の音をさせて、島をはなれていくのでした。

 小船がむこうの岸について、八木さんたちを乗せてかえってくるのに、一時間あまり、かかりました。黒井博士たちは、まちどおしい思いをして、それをまっていましたが、やがて、かえってくる小船の形が、だんだん大きくなり、乗っている人の顔も見わけられるようになりました。

「オヤ、八木さんは、頭に、ほうたいを、まいている。左手にもまいている。どうしたんだろう。けがでもしたのかな。」

 黒井博士が心配らしく、つぶやきました。いかにも、船の上に、こちらをむいて立っている八木さんの頭と、左手に、白いきれが、まきつけてあるのが見えます。

 しばらくすると、発動機のポンポンいう音が、パッタリやんで、小船は、岩の入江の中へ、しずかにすべりこんできました。そして、八木さんたちの一行の三人が上陸します。

「どうしたんです。けがをしたのですか。」

 まず、それをたずねますと、八木さんは、にが笑いをして、

「ころんだのですよ。とちゅうで、自動車をおりて、やすんでいるときに、ちょっとしたがけから、転がり落ちたのです。さいわい、消毒薬やほうたいを用意していたので、その場で手あてをしました。なあに、たいしたことはありません……。それから、ここにいる、ふたりは、東京からつれてきた、わたしの知りあいで、登山の大家です。気ごころもしれていますし、こんどの探検には、うってつけの人たちです。」

 と、そばに立っている、ふたりの青年を、紹介しました。ふたりとも二十五、六歳で、漁師の若者にもまけない、りっぱな体格の、たのもしげな青年です。

 おたがいに、東京でわかれてからのことを話しあっているうちに、ひきしおの時がきたとみえて、漁師の若者が、洞窟の滝がとまったと、知らせてきました。

 それではというので、漁師に持たせてあったリュックの中から、べんとうをとりだして、まず、おなかをこしらえてから、岩のデコボコ道を、洞窟の入り口までたどりつき、いよいよ、その中へ、はいることになりました。

 漁師の若者のふたりは、化けものをこわがって、どうしても、はいりませんので、探検隊は、黒井博士、松野さん、八木さん、小林少年、八木さんのつれてきたふたりの青年の、つごう六人です。

 六人がめいめい、一つずつ懐中電灯を持ち、黒井博士たちはステッキを、小林君とふたりの青年は、登山用のピッケルを持っています。これが、いざというときの武器にもなるわけです。

 洞窟の中には、たくさん枝道があって、迷路のようになっていると聞いていたので、道をまよわないために、リュックの中に用意してきた、長い麻ひもを、洞窟の入り口の岩かどに、しばりつけ、そのひもを持って、だんだん、のばしながら、すすんでいくことにしました。そうすれば、道にまよって、かえれなくなる心配がないからです。

 登山になれた青年のひとりが、さきにたち、麻ひものたばをのばしながらすすむと、そのあとから、黒井博士、小林少年、松野さん、八木さん、いまひとりの青年というじゅんで、洞窟の中へ、はいりました。

 みんなが、ふりてらす懐中電灯で、あたりはよく見えるのですが、頭の上からのしかかる、デコボコの黒い岩はだが、まるで巨大な怪獣の口の中のようで、なんともいえぬ、おそろしさです。それに、いつも水が流れているため、岩がヌメヌメと、すべりやすく、ころばないように歩くだけでも、たいへんです。

 洞窟の入り口は、見あげるほど、大きいのですが、すすむにつれて、だんだん、せまくなり、やがて、道がふたつになっているところに、さしかかりました。怪獣の、のどのおくが、ふたつの穴にわかれているのです。右の穴は、いままでと同じヌメヌメした、ひろい道。左の穴はせまくて、いきなり、上のほうへのぼる坂道になっています。

「むろん、この小さいほうの穴へ、はいるんだよ。暗号に『ゆんでゆんでとすすむべし』と書いてあったんだからね。」

 黒井博士が、さしずしました。『ゆんで』とは、左のほうという意味の、むかしのことばです。

 その小さい穴にはいると、坂道は、かなりきゅうで、よつんばいにならなければ、歩けないほどです。

「アア、わかった……。ぼくはふしぎに思っていたのですよ。あんなに滝のように水が流れるんだから、もし、穴が下のほうにむいていたら、水がたまってしまって、とても、はいれないはずですからね。ところが、こっちの穴は、こんな、きゅうな坂になっているので、水がはいらないのですね。だから、安全な、宝ものの、かくし場所なんですね。」

 小林君が言いますと、黒井博士も、うなずいて、

「そうだよ。わしも、いま、それを言おうと思っていたところだ。じつに、安全なかくし場所だね。ひきしおの時のほかは、水が流れだしていて、とても、はいれないし、たとえ、水がとまっても、まさか、こんなところに、宝ものが、かくしてあろうとは、だれも考えないからね。」

 しばらく、その坂になった穴をのぼると、たいらな道になり、つぎには、くだり坂にかわりました。右に左に、まがりながら、穴は、どこまでも、下へ下へとおりていきます。二百メートルも用意した、大きな麻ひものたばが、もう四分の一も、のびていました。つまり、入り口から五十メートルほど、おくのほうへ、すすんでいたのです。

 穴はもう、ひどくせまくなって、ところによっては、しゃがまなければ、すすめないほどです。そうかと思うと、とつぜん、ひろくなって、懐中電灯のひかりが、天井の岩にとどかないほどの場所もあり、それがまた、にわかに、せまくなるのです。

 ずいぶん、ながいあいだ、下のほうへおりていきましたが、いまでは、ほとんど、たいらな道になりました。たいらといっても、岩穴のことですから、道はひどいデコボコで、うっかりしていると、つまずいて、ころぶのです。そのうえ、だんだん、枝道が多くなり、そのたびに左へ左へと、すすんでいくのですから、いま、どのへんにいるのか、まるで、けんとうもつきません。

 のぼり坂よりはくだり坂のほうが、ずっと長かったので、もう、海面よりも下にいるのでしょうが、それが、入り口から、どの方角にあたるのか、すこしもわかりません。

 いったい、このほらあなは、どこまでつづいているのでしょうか。二百メートルの麻ひもが、すっかりなくなっても、まだ、宝のかくし場所に、たっしなかったら、どうするのでしょう。いや、それよりも、黒井博士や小林君たちは、なにか、おそろしいことに、であうのではないでしょうか。漁師の若者が見たという、あの、えたいのしれない化けものは、どこにいるのでしょうか。それとも、化けものより、もっとおそろしい、なにごとかが、ゆくてのやみのなかに、まちかまえているのではないでしょうか。


動くかべ・走る小人


 麻ひもが百メートルものびたところで、道は、またひろい場所に出ました。岩の天井は、懐中電灯のひかりも、とどかないほど高く、左右の岩かべも、遠くはなれて、人々は、はても知らぬ暗やみに、つつまれているような、なんともいえぬ心ぼそさでした。

 その暗やみを、麻ひもにすがって、トボトボと歩いていますと、人間の世界から、何千キロもはなれた、遠い遠い地獄の底にいるようで、ふたたび、生きて人間界に、かえることができるのかと、うたがわれたほどです。

 そのとき、ひろいやみの中に、おそろしいさけび声が聞こえました。

「アッ、岩が動いている。あれ、あんなに、あんなに……。」

 それは人間の声とも思われぬ、ものすごいひびきでした。そして、同じことばが、

「あんなに、あんなに、あんなに……。」

 と、暗やみのほうぼうから、かさなりあって、ひびいてくるのです。おおぜいの人が、どこかに、かくれてでもいるように。

 みんなは、びっくりして、立ちどまりましたが、やがて、それは「こだま」にすぎないことが、わかりました。小林少年がとんきょうな声をたてたので、それが、ひろい洞窟に反響して、同じことばが、いくつも、いくつも、聞こえてきたのです。

「こだま」とわかったので、安心しましたが、しかし、「岩が動く」というのは、ゆだんがなりません。もしや地底に異変がおこって、洞窟そのものが、くずれるのではないでしょうか。人々は、やはり、立ちすくんだまま、小林君の懐中電灯がてらしている岩かべを、みつめました。

 五メートルほど、はなれた、ひろい、デコボコの岩かべを、懐中電灯の、まるいひかりが、ゆっくりと移動しています。てらされた岩かべは、灰色に見えます。その灰色のかべぜんたいが、まるで波のように、ユラユラと、ゆれているのです。稲のが風になびくような感じで、耳をすますと、サーッ、サーッと、異様な音さえ、聞こえてきます。

 岩ぜんたいが動いているとすれば、みんなの立っている地面もゆれて、からだがフラフラするはずですが、そんなようすは、すこしもありません。じつに、ふしぎです。

「わかった。」

 ずっと、かべに近づいて、そこを、にらみつけていた小林少年がさけびました。すると、暗やみの、むこうのほうから、「わかった、わかった、わかった……。」と、れいの「こだま」が、ものすごく、ひびいてきました。

「カニですよ、大きなカニが、岩かべを、おおいかくすほど、かさなりあって、ウヨウヨ動いているんです。」

 またしても、小林君の声が、「こだま」をともなって、ひびきわたりました。

「ワッ、こちらにもいる。わしのズボンにも、のぼってきた。」

 これは黒井博士の声です。そのへんは、カニの巣になっているとみえ、灰色の大きなやつが、ウジャウジャ、はいまわっているのです。みんな足のほうからはいのぼってくるカニを、はらいおとすのに、大さわぎをしました。

 一行は、逃げるようにして、おくのほうへ、すすみました。それから、枝道を、いくつか通りすぎて、麻ひもが百二十メートルものびたころ、またしても、とつぜん、

「ワーッ。」

 という、だれかの、さけびごえが、ひびきました。さっきのような「こだま」にはなりませんが、ワーン、ワーンという異様な反響をともなって、じつにものすごく、聞こえるのです。

「この洞窟には、動物がいる。」これは黒井博士の声でした。

「いま、わしのからだに、ぶっつかったやつがある。サルのように立って歩く動物だ。人間とすれば、小人のような、小さなやつだ。」

「気のせいじゃありませんか。ここには、立って歩く動物なんか、いるはずがないんだが。」

 松野さんの声です。黒井博士のすぐつぎにいたはずの松野さんの声が、ずっとうしろのほうから、聞こえてきました。さっきのカニのさわぎで、麻ひもを持つじゅんじょが、メチャメチャになってしまったのです。

「いや、ほんとうですよ、ぼくもそいつを見ました。サルのようなやつでした。」

 八木さんの声です。かれは出発のときとはぎゃくに、黒井博士のうしろに、いるのでした。

 ふたりが見たとすると、気のせいとはいえません。なにか、あやしいやつがいるのです。それが、ひょっとしたら、漁師の若者が見たという、化けものかもしれません。しかし、黒井博士も八木さんも、そいつのすがたを、ハッキリ見たわけではありません。黒い影のようなものが、前のほうから、とびだしてきて、博士のからだにぶっつかり、アッというまに、うしろのほうへ、走りさってしまったのです。

 この探検隊には、お化けなんか信じる人はひとりもいないのですが、しかし、げんに、黒い小人のようなやつが、あらわれたのですから、さすがの博士たちも、なんだか、ゾーッと、うすきみが悪くなってきました。それで、前にすすむことをためらって、そこに立ちすくんでいました。

 と、うしろのやみの中から、

「キ、キ、キ、キ……。」

 という、なんとも言えない、いやな笑いごえがひびいてきました。えたいのしれぬ動物が、探検隊の人たちを、あざわらっているのです。

 そのときは、懐中電灯の電池をけんやくするために、六人のうち三人だけが電灯をつけていたのですが、怪物があらわれたとなると、そんなことに、かまってはいられません。みなが懐中電灯をつけて、笑いごえのしたほうへ、ふりてらしながら追っかけていきました。

 しかし、怪物はすばやいやつで、いくらさがしても、もう、そのへんには影もないのでした。

 ひどくきみが悪くなってきましたが、いまさら、あとへ、ひきかえすわけにはいきません。また、はてしもない、暗やみの旅を、つづけるほかはないのです。

「みんな、つかれただろうから、このへんで、ひとやすみして、元気をつけよう。わしは、こんなおりの用意に、コーヒーを水筒に入れて、もってきたから、みんな、これをひと口ずつやりたまえ。」

 黒井博士は、そう言って、大きな水筒を肩からはずし、コップをそえて、あとにいる人にわたしました。

 みんなは、つかれてもいたし、のどもかわいていたので、そこに、腰をおろしてつぎつぎと、その水筒のコーヒーをのむのでした。そのコーヒーは、ひどくにがくて、ふだんなら、すこしもおいしくないのでしょうが、そんなおりですから、ひとびとは、よろこんで、のんだのです。

「みんな、のんだかね。」

 黒井博士は、かえってきた水筒を、うけとりながら、たしかめるように、言いました。

「みんな、のみましたよ。じつにおいしかった。」

 うしろにいた八木さんが答えました。しかし、あとになってわかったのですが、そのにがいコーヒーをのんだのは、六人のうち三人だけでした。そして、ふしぎなことに、水筒の持ちぬしの、黒井博士も、のまなかったうちの、ひとりだったのです。

 みんなは、ひとやすみすると、また立ちあがって、歩きだしました。ときがたつにつれて、やみは、ふかくなるばかりでした。それに、空気は氷のようにつめたく、ふるえだすほどの、寒さでした。

「なんだか、懐中電灯が暗いね。電池がよわくなってきたんだ。やっぱり、けんやくしたほうがいい。これからは、一つだけつけて、あとは、消しておくことにしよう。」

 博士はそう言って、さきにたっている青年の懐中電灯だけをのこして、あとは、みんな消させました。すると、あたりは、いよいよ暗くなり、なんともいえぬ、心ぼそさですが、もし、電池をつかいつくして、まったく、ひかりがなくなったら、それこそたいへんですから、だれも、苦情を言うものは、ありませんでした。

 すると、そのとき、ゆくてのやみの中から、またしても「キ、キ、キ、キ……。」という、怪物の笑いごえが聞こえてきました。みんながゾッとして、立ちどまると、その声が、矢のように、近づいてきたかと思うと、黒い、小人のようなものが、サーッと、人々のそばを通りぬけ、うしろの、やみに消えていきました。そして、その、うるしのようなやみの中から、また、「キ、キ、キ、キ……。」と笑うのです。

 まるで、悪夢にうなされているような気持ちでした。夢であやめもわかぬやみの中をたったひとり、トボトボ歩いている、あのおそろしい気持ちです。この世ではなくて、あの世の旅です。人間界ではなくて、地獄の旅です。

 麻ひもが百六十メートルまで、のびました。あと四十メートルで、いよいよ、つきてしまうのです。それが、つきるまでに、もくてきの場所に、つくことができるのでしょうか。心ぼそさは、こく一こくと、ますばかりでした。

 それから、すこし行くと、足音の反響が、ゴーン、ゴーンと異様にひびく、ひろい場所に出ました。さきに立つ青年の懐中電灯が、ゆくてのやみを、白い矢となって、移動します。

 すると、そのクルクルまわる、あわいひかりの中に、もうろうとして、じつに、おどろくべき光景が、あらわれてきました。世界が一変したような感じでした。いままで黒かった岩かべの色が、まったくかわったのです。そして、そこに、思いもおよばないような、巨大なおそろしいものが、まちかまえていたのです。人々は懐中電灯のひかりで、かすかに見える、その巨大なものを、ぼうぜんとながめていました。それがなんであるか、きゅうには、はんだんできなかったのです。

 もう電池をおしんでいるばあいではありません。六つの懐中電灯が、つぎつぎと、ひかりをはなち、それが、ひろい洞窟の正面の巨大な、なにものかを、てらしました。そこで、やっとそのおそろしいものの、ぜんたいのすがたが、わかったのですが、すると、人々は「アッ。」と、声をのんだまま、もう身うごきもできなくなってしまいました。

 漁師の若者を、きちがいにし、そのいのちをとった、化けものというのは、これだったのです。若者が気がちがうほど、それを、おそれたのも、けっして、むりでないことがハッキリわかりました。


大どくろ


 そこは、岩の天井の高さが五メートル、ひろさも同じぐらいある、ガランとした、暗やみの、ほらあなでした。入り口から百五十メートル以上も、はいった、ふかいところなので、つめたい、まっ黒な空気が、まるでこおったように動かず、人間世界を遠く遠くはなれた地獄に落ちた気持ちでした。

 六人は、てんでに、懐中電灯を、そのほらあなの、正面の岩かべに、ふりむけました。すると、岩かべぜんたいが、ギラギラと、目もくらむひかりを、はなったのです。黄金のかべです。さしわたし五メートルもある、ひろいかべが、すっかり黄金につつまれて、かがやいていたのです。

「アッ、金だ。これが、かくされた、宝ものだ。」だれかが、狂喜のさけびごえを、あげました。

 しかし、ふしぎなことに、このよろこびのさけびは、そのまま、プッツリとぎれて、みんな、シーンと、しずまりかえってしまいました。なんともいえない妖気ようきにうたれて、口をきくことも、身うごきすることも、できなくなったのです。

「アッ、まっ黒な目だ。まっ黒な目がにらんでいる。」

 それは小林少年の、おびえた声でした。黄金のかべには、上のほうに、ふたつの大きな穴が、ならんでいました。まっ黒な穴です。あまり大きくて、わからなかったのですが、ハッと気がつくと、それは二つの目にちがいありません。

 そういえば、鼻にあたる場所に、うすきみの悪い三角がたの大きな穴があり、その下に、巨人の金歯がズラッと、ならんでいるではありませんか。ああ、おののような歯。これが、あの漁師の若者をきちがいにした、おそろしい巨人の歯ならびだったのです。

「まっ黒な目でにらみつけた。」

「斧のような歯で、かみつこうとした。」

 若者は、熱病にうかされて、そんなことを、口ばしったというではありませんか。それが、この黒い目と、金色の歯なのです。

 黄金のかべに、目があり、鼻があり、口があるとすると、かべそのものが、一つの顔なのでしょうか。そうです。ジーッと見ていますと、かべぜんたいが、巨大な顔であることが、わかってきます。しかも、それは骸骨の顔なのです。黒井博士たちが、持っていた、あの黄金どくろを、何万倍にした、巨人のどくろだったのです。これを見たとき、学者の黒井博士でさえ、気が遠くなるほど、びっくりしました。まして、迷信ぶかい漁師が、この巨大な黄金どくろを、化けものと考えたのは、むりもありません。ふかいふかい洞窟のおくに、こんなものが、かくしてあろうなどとは、思いもよらぬことです。思いもよらぬ場所で、思いもよらぬものを見れば、たいていの人は、化けものに、であったと思うのです。

 それにしても、博士たちの先祖は、こんな大きなものを、どうして、ここへ持ちこむことができたのでしょう。黒井博士は、いかにもふしぎだというように、首をかしげながら、その大どくろに近づいて、懐中電灯で、しらべてみました。松野さんや八木さんも、そばによって、どくろの黄金のはだに、さわってみるのでした。

「わかった、わかった。たくさんの黄金の板を、はこんできて、ここで、つぎあわせたものだよ。そうでなければ、ここまで、はこんでくる道で、みんなに見られてしまうわけだからね。」

 いかにも博士の言うとおり、それは何百何千という金の板を、金のびょうでつなぎあわせて、どくろのかたちに、つくったものでした。博士たちの先祖は、よほどかわりものだったとみえて、手数をいとわず、こんな怪物を造りあげておいたのです。

 しかし、それは、ただ、ものずきというだけではありません。ぶきみな洞窟のおくの、やみの中に、こんなおそろしいかたちにして、黄金をかくしておけば、たとえ、洞窟にはいるものがあっても、ひとめ見て、逃げだしてしまうにちがいないからです。げんに、漁師の若者は、化けものと信じきって、熱病にかかって、死んでしまったではありませんか。ここに、黄金をかくした人の、ふかい考えがあったのです。


悪魔の知恵


 黒井博士は、大どくろの黄金板を、指でコツコツたたいて、鋲でとめたぐあいを、しらべていましたが、そばにいる松野さんと八木さんにむかって、言うのでした。

「この何千枚という、金の板をはがすのは、大しごとですね。道具も、持ってこなかったし、われわれ六人の力では、ちょっと、むりかもしれませんね。」

「そうですよ。われわれは、いったん陸にかえって、てきとうな技師をたのんで、おおぜいの人をつれて、もう一度、出なおしてくるほかはないでしょうね。それに、土地の警察にも、とどけでて、保護をねがう必要があります。なにしろ、この宝ものは、怪人四十面相が、ねらっているのですからね。」

 松野さんが考えぶかく言いました。

「わたしも、それがいいと思う。しかし、手ぶらで、かえったのでは、なかなか、土地の人が、信用しないだろうから、この金の板を二、三枚はがして、しょうこに持ってかえることにしよう。道具がなくても、二枚や三枚、はがすのは、なんでもありませんよ。」

 博士は、そういって、大どくろのあごのへんを、コツコツたたいていましたが、

「なんにしても、めでたい。われわれは、とうとう、もくてきをたっしたのです。これだけの黄金は、じつに、ばくだいなねうちですよ。われわれは、これを国庫におさめて、そのかわりに、紙幣をもらえばいいのだから、国のためにも、たいへんな、利益になるわけです。ながいあいだ、暗号を研究した、かいがありましたね。おたがいに、こんなうれしいことはない……。しかし、しごとにかかるまえに、いっぷくしましょう。みなさんも、ずいぶん、つかれたでしょう。」

 博士は、洞窟の一方のすみに、腰をおろし、ポケットから、タバコを出して、火をつけました。人々も、それにならって、思い思いの場所に、腰をおろして、水筒の水をのんだり、タバコをすったりするのでした。

 そうして、しばらくやすんでいるうちに、ふしぎなことがおこりました。まず松野さんが、コックリ、コックリと、いねむりをはじめ、それから、八木さんも、小林少年も、ふたりの青年も、つぎつぎと、おなじように、コックリ、コックリ、やりだしました。しばらくすると、腰をおろしていたのが、グッタリと、横になり、つめたい岩の上に、ながながと、ねそべるものもあり、グーグーと、いびきの音さえ聞こえ、みんな、前後も知らず、ねこんでしまったようすです。

 六人のうちで、たったひとり、おきていたのは黒井博士です。博士はみんなの肩を、つぎつぎとゆりうごかして、ほんとうに寝てしまったことをたしかめると、なぜか、ニヤリと笑いました。半白はんぱくのフサフサしたかみの毛、太いふちのロイドめがね、三角がたのあごひげ、その、ひとくせありげな博士の顔が、うすきみ悪く、ニヤリと、笑ったのです。

「オヤオヤ、みなさん、たわいもなく、寝こんでしまいましたね。これはどうしたことです。わたしひとり、のこされては、さびしいじゃありませんか。だが、みなさん、これから、どんなことが、おこると思いますね。いいですか。一そうの快速艇が、どこからともなく、この島へやってくるのです。それには、十人の、わしの友だちが乗っている。うでっぷしの強いやつばかりです。

 快速艇は、もういまごろは、島の岸についている。十人の友だちが上陸して、小船の番をしている、じいさんの漁師を、ひっとらえ、それから、洞窟の入り口にまっている、ふたりの若者を、ひっとらえ、三人とも、しばりあげてしまう。

 そうしておいて、十人の友だちは、この穴へはいってくる。麻ひもの道しるべがあるから、まよう気づかいはない。いま、じきに、ここへやって来ますよ。そして、ねむっているみなさんを、しばってしまう。あとには、わしと、十人の友だちだけだ。なにをしようと、だれも、じゃまをするものはない。そこで、わしたちは、なにをはじめると思いますね。ウフフフ……。」

 黒井博士は、そう言って、さもうれしそうに、ぶきみな笑いをもらすのでした。

 そのとき、ねむっていた五人の中から、人の声が聞こえてきました。

「むろんきみたちは、金の板を、すっかり、はがしてしまうのさ。そして、それを穴のそとへ、はこびだし、快速艇につみこんで、どこともしれず、ゆくえをくらます。フフン、じつに、うまく考えたねえ。悪魔の知恵は、おくそこが知れないねえ。ワハハハ……。」

 ひともなげな、たかわらいが、洞窟に反響して、ワーン、ワーンと、おそろしい、ひびきをたてました。

 黒井博士は、ギョッとして、思わず身がまえました。

「だれだッ、いま、笑ったのは、だれだッ。」

「ぼくだよ。きみのひとりごとが、あんまりおもしろかったので、つい目がさめてしまったのだよ。」

 そう言って、ノコノコおきあがってきたのは、顔にほうたいをした八木さんでした。

「さては、きみは、さっきのコーヒーを、のまなかったな。」

「のまなかったよ。なんだか、すこし、にがすぎたのでね。」

 さっき、とちゅうで、黒井博士が、みんなにのませたコーヒーには、ねむりグスリが、はいっていたのです。みんなは、そうとも知らず、コーヒーをのんだので、こんなに、ねむりこんでしまったのです。しかし、六人のうち、ほんとうに、コーヒーをのんだのは三人だけでした。あとの三人は、のむまねをして、のまなかったのです。それは黒井博士と八木さんと、それからもうひとり……。そのひとりが、だれであったか、読者諸君は、もうおわかりでしょうね。

「フーン、すると、八木さんは、いまの、わしのひとりごとを、すっかり、聞いたのですか。」

 黒井博士が、いちじのおどろきから立ちなおって、おちつきはらった声で、たずねました。

「聞きましたよ。そして、悪魔の知恵に、すっかり、感心してしまったのです。」

 八木さんは、博士のほうへ、近づきながら、これも、おちついた声で答えました。ふたりとも、左手に懐中電灯をもって、おたがいの顔をてらしあいながら、話しているのです。

「で、きみはどうするつもりです。わしの味方になりますか、それとも、敵にまわりますか。」

「味方になれば、この黄金を、ふたりで山わけにしよう、と言うのですか。」

「マア、そんなことですね。山わけでは、これだけの計画をたてた、わしのほうが、ちと、ひきあわないがね。」

「しかし、山わけでは、ぼくは、ふしょうちですよ。」

「エッ、ふしょうちだって? それじゃ、どうすればいいのだ。」

「みんなもらいたい。きみはこの黄金について、なんの権利も、持っていないのだ。」

 八木さんの声は、だんだん、強くなってきました。博士はそれを聞くと、またギョッとしたように、ひと足、うしろにさがりました。三角ひげが、異様にふるえ、ロイドめがねの中の、両眼がグッとほそくなって、みるみる、邪悪じゃあく形相ぎょうそうにかわってきました。

「ナニッ、この黒井博士が、なんの権利も、持っていないというのかッ。」

「黒井博士は権利を持っている。だが、きみは黒井博士じゃない。まっかな、にせものだッ。」

 八木さんのはげしい声が、洞窟内にひびきわたりました。


どくろの歯


 黒井博士と八木さんとは、あんこくの洞窟の中に、あいたいして立っていました。おたがいの懐中電灯にてらされた、ふたりの顔には、はげしい敵意がもえています。

「きみはなにも知らないだろうが、きみたち三人が飛行機で出発したあとで、東京にはみょうなことが、おこっていたのだ。」

 八木さんが、はじめました。ほうたいで半分かくれた顔に、するどい目が光っています。

「きみたちが出発したあとで、ぼくは、黒井博士邸に電話をかけた。しかし、いくらベルがなっても、だれも電話口へ出てこない。なんど、かけても同じことだ。そこで、ぼくは、ふと、うたがいをおこした。念のために、自動車で博士邸へ行ってみた。玄関がしまって、ひっそりしてる。だれもいないらしい。博士がいないのはわかっているが、博士の娘さんと、やとい人がいるはずだ。おかしいと思ったので、ぼくは窓をやぶって、うちの中にはいってみた。すると、小さい娘さんが、さるぐつわをはめられ、手足をしばられて、部屋にたおれていた。おとうさんは? と聞くと、二階だというので、二階をさがしまわった。すると、げんじゅうにかぎをかけた、押しいれの中に、黒井博士その人が、しばられたまま、正体もなく、ねむっていた。麻酔薬をのまされたのだ。

 黒井博士がふたりになった。ひとりは飛行機で出発した。ひとりは、家の中でしばられていた。どちらが、ほんとうの博士であるかは、いうまでもない。しばられていたほうが、ほんものなのだ。すると、ここにいる黒井博士は、まっかなにせものに、ちがいない。」

「夢でも見たんだろう。そんな、バカなことが、あってたまるものか。きみは、いったい、わしをだれだと言うのだ。」

 黒井博士は、いたけだかに、つめよりました。ところが、八木さんのほうは、そのとき、にこにこと、笑ったのです。その笑い顔には、どこやら見おぼえがあります。八木さんは、あいての顔を、まっすぐに、指さしながら、さけびました。

「きみは、怪人四十面相だッ。」

 それを聞くと、博士はタジタジとなりましたが、まだ、かぶとはぬぎません。

「しょうこがあるか。」

「しょうこは、これだッ。」

 さけびざま、八木の手がすばやく、博士の頭にのびました。そして、アッというまに、半白のカツラが、ひんむかれ、ロイドめがねが、はねとばされ、三角のあごひげが、むしりとられました。その下から出てきたのは、黒々としたかみの、わかわかしい顔です。

「さすがに変装の名人だ。黒井博士とソックリだったよ。だが、もうこうなったら、おしまいだね。きみは、ふくろのネズミだ。」

 化けの皮を、むかれた、四十面相は、もう、悪びれてはいません。かれのほうでも、ニヤリと、笑いかえしました。

「フーム、えらい。さては、きみは……明智小五郎だなッ。ほうたいの変装とは古いぞ。それをとって、すがおを見せてもらいたいな。」

 四十面相が見やぶったとおり、八木さんに変装していたのは、名探偵、明智小五郎でした。かれは笑いながら、にせけがのほうたいを、とりさりました。

 かくして、おたがいに、うらみかさなる巨人と怪人とは、地底のあんこくの中で、黄金の大どくろを前にして、異様な対面をとげたのです。

「ワハハ……、明智君、ひさしぶりだね。しかし、きみはたったひとりだ、小林のチンピラも、ふたりの青年も、よく寝ている。一対一だね。ところが、おれのほうには、まもなく十人の味方がやってくる。一対十では、いくら名探偵でも、手の出しようがあるまい。気のどくだが、こんどもまたおれの勝ちだね。」

 四十面相は、おちつきはらって、せせら笑うのでした。しかし、明智のほうでは、そんなことには、すこしも、おどろきません。

「れいの快速艇の十人だね。ところが、こっちには、十五人の警官隊が、いまごろは、もう、この島へ上陸しているんだよ。ぼくはむこうの村につくまえに、とちゅうで、警察署によって、うちあわせておいたのだ。

 四十面相と聞いて、警察の人たちは、むしゃぶるいをした。そして、くっきょうな十五人の警官が、大がたの快速艇にのって、もう島についているころだ。きみのほうの快速艇は、警察船と見て逃げだしたか、それとも、この岩の上で、ひとりのこらず警官隊にほばくされたか、いずれにしても、もう、きみの味方は、ひとりもいないはずだよ。」

 それを聞くと、四十面相のひたいに、ふといかんしゃくすじが、ムクムクと、ふくれあがりました。顔色は激怒のあまり、むらさき色になっています。

「フーム、よくも、そこまで、手がまわった。さすがは明智だ。ほめてやるぞ……。こうなれば、おれは、ふくろのネズミだ。ふくろのネズミが、なにをやるか、きさまも、よく知っているだろう。おれは人殺しはきらいだ。しかし、おいつめられたネズミは、死のものぐるいで、なんだってやるぞッ……。これを見ろ。サア、きさまのいのちと、ひきかえだ。警官隊が来ないうちに、おれを逃がすか。それとも、きさまが死ぬか。どちらをとる?」

 四十面相は、いきなりポケットからピストルをとりだして、明智の胸につきつけました。しかし、明智はビクともしません。やっぱりにこにこ笑いながら、あいての青ざめた顔を、ながめています。

「そこをのけッ。でないと、ぶっぱなすぞ。」

「気のどくだが、逃がすことは、できない。うつなら、うってみるがいい。」

 四十面相は、明智のおちついた、笑い顔を見ると、むしょうに、はらがたちました。もう、がまんができないのです。ピストルのひきがねにかかった指が、グーッと、まがりました。カチッと、ピストルは発射されたのです。

 名探偵は胸から、血を流して、たおれたでしょうか。いや、どうしたわけか、明智はへいきな顔で、にこにこしています。あせった四十面相は、またカチッと、ひきがねをひきました。こんどもだめです。すこしも手ごたえがありません。

「ハハハ……、きみはぼくの、いつものくせを知らないとみえるね。ぼくはあいてが飛び道具を持っているときには、そのたまをぬいたうえでなくては、勝負をしないのだよ。さっき、ここへくるみちで、サルのような声をたてる小人があらわれたね。その小人がきみにぶっつかった。そのとき、きみのピストルと、ぼくのピストルを、とりかえたのだよ。ふたつのピストルは、おなじ型だった。そして、小人がきみのポケットに、すべりこませたぼくのピストルには、実弾が一つもはいっていなかったのだ。きみのポケットから、ぬきとったやつは、これ、ここにある。こっちにはちゃんと、たまがはいっているんだ。サア、手をあげたまえ。」

 明智はそう言って、自分のポケットから、ピストルを出し、四十面相の胸に、ねらいをさだめました。主客しゅかくてんとうです。さすがの四十面相も、あまりのことに、あっけにとられてしまいました。そして、たまのないピストルを、地面にほうりだして、思わず両手をあげるのでした。

「すると、あの小人は……。」

「ごぞんじの小林少年さ。まっ暗ななかで、きびんに、はたらいたので、だれも、それとは気づかなかった。こういうときは、あのリスのように、すばしっこい少年が、いちばん、やくにたつのだよ。」

「ちくしょう。また、あのチンピラに、してやられたのかッ。」

 四十面相は、いかりにもえて、洞窟の中を、見まわしました。

「ハハハ……いくら、さがしたって、小林はもうここにはいないんだよ。小林もコーヒーはのまなかった。さっきまで、ねむったふりをしていたばかりだよ。エ、どこへ行ったというのか。察しが悪いね。小林は、ぼくの代理に、警官たちを、でむかえに行ったのだよ。しばらく、そうして、まっていたまえ。いまに、小林が十五人の警官を、ここへ、あんないしてくるはずだ。」

 四十面相は、もう、かんねんしたのか、そこに立ったまま、手むかいもしなければ、逃げだそうともしませんでした。顔色は死人のようにまっさおです。

 それから十分もたったころ、洞窟のはるかむこうから、おおぜいのクツ音が、ぶきみな反響をともなって、聞こえてきました。そして、そのクツ音は、だんだん高くなり、やがて、おびただしいひかりが、岩のまがりかどから、あらわれました。十五人の警官隊が、ふりてらす懐中電灯です。

 洞窟の中は、昼のように、明かるくなりました。そのひかりの洪水の中へ、いかめしい制服の警官隊が、列をなしてなだれこみ、その先頭に、われらの少年名探偵、小林君のいさましいすがたが見えました。かれは、リンゴのようなほおに、かわいらしい微笑をうかべ、まるで部隊長のように、とくいな顔つきでした。

 四十面相は、もうすっかりまいっていました。かれは明智のピストルと、警官隊のすがたに、おびえて、だんだん、あとじさりをし、いまは、黄金の大どくろの口のへんに、もたれかかって、肩で息をしながら、うつろな目で、こちらを見つめていました。

 どくろの斧のような巨大な歯ならびは、ちょうど、四十面相の肩のへんにかかっています。十いくつの懐中電灯が、そこに集中しました。ギラギラ光る黄金どくろの巨大な歯は、にくむべき怪人四十面相に、かみついています。心なき黄金どくろも、四十面相の悪念あくねんをにくんで、いま、最後の刑罰をくわえているかのように、見えるのでした。

 かくして、さしもの怪人四十面相も、ついに、ほばくせられ、小林少年のながいあいだの苦労が、むくいられる時がきたのでした。

底本:「怪奇四十面相/宇宙怪人」江戸川乱歩推理文庫、講談社

   1988(昭和63)年18日第1刷発行

初出:「少年」光文社

   1952(昭和27)年1月号~12月号

入力:sogo

校正:岡山勝美

2016年34日作成

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