新書太閤記
第二分冊
吉川英治
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「こひ!」
浅野又右衛門は、家に帰ると、すぐ大きな声で、妻の名をどなった。
於こひは、あわただしく、出迎えて、
「お帰りなさいませ」
「酒の支度せい」
いきなりいって──
「お客を拾うて来たぞ」
「それはそれは。どなた様でいらっしゃいますか」
「娘の友達だ」
「ま……」
と、後からはいって来た藤吉郎の姿を見て、
「木下様でございますか」
「こひ」
「はい……」
「武家の妻として、不埒であろうぞ。──今日までわしに黙っておるなぞ。木下殿と娘とは、夙くからお交際をして戴いておるそうではないか。存じておりながら、なぜわしに黙っていたか」
「お叱りうけまして、恐れ入りました」
「恐れ入るではすまない。とんだ親馬鹿を知られてしもうたわ」
「けれどお手紙などいただいても、寧子は、私に隠していたことはございませぬ」
「当りまえじゃ」
「それに、寧子は、聡明でございます。決してまちがいはないと、母のわたくしが、信じておりますゆえ、世間の男たちから、ままつまらぬ文など送られても、左様なこと、いちいち貴方様までの、お耳を煩わすまでもないことと存じまして」
「その通り、そちまでが、わが娘を買いかぶっている。──わからぬぞ、この頃の娘も、若い者も」
と、立ち塞がれて、上がり口に立ち淀んでいる藤吉郎を振り顧って、
「はははは」
と、笑った。
藤吉郎は、ここでも、頭ばかり掻いていた。しかし、恋人の家へ、恋人の父に誘われて来たのは、何か大へんな恩遇に恵まれたような気がして、動悸を覚えた。
「さ。──お通り」
と、又右衛門は、先に立って、客間へ彼を誘った。
客間といっても、わずか十畳の一室が、この邸の、最上の部屋だった。
弓之衆ばかりが住んでいるこのお長屋も、きょう彼が見て来た自分の屋敷と、似たり寄ったりの、小さな貧しい家だった。
もっとも、織田家の一藩のすべてが──老職から足軽まで、そう差別のない程度の、質素ではあったが、何しても、武具のほか、客間にもさして目につく家財もなかった。
「寧子はどこへ行った。寧子のすがたが見えぬではないか」
「自分の部屋におりまする」
と、彼の妻は、客へ、白湯など汲んですすめながらいう。
「なぜお客へ、改めてごあいさつをしに来ぬか。わしがいれば、逃げまわっておる」
「そういうわけではございませぬが、外着をかえて、髪など梳いているのでございましょう」
「いらざること。はやく手伝わせて、酒の支度して来い。まずい手料理など、藤吉郎どのに、お目にかけてみるがよい」
「いや、もう」
と、藤吉郎は、体を固くして、恐縮した。
城内の柴田、林などの、手強い重臣たちからは、ひどく押し太い、厚顔な男と睨まれている彼も、ここでは甚だ羞恥がちな、一箇の好青年でしかなかった。
寧子は、薄化粧して、やがて挨拶に出て来た。
「なんのおかまいも出来ませぬが、父は、この通りはなし好き、どうぞごゆるり遊ばして」
それから、手料理の膳部と、銚子など、楚々と、運んで来た。
「はあ。……はい」
藤吉郎は、又右衛門のはなしには、まるでうつつに答えながら、寧子の身ごなしや、寧子のうしろ姿に見とれていた。
……横顔もいい。
などと思った。
何よりも気に入ったのは、少しも悪びれたふうのない、木綿の生地みたいな、ありのままのところだった。
いやに羞恥んだり、取り澄ましたり──ありがちな女性の媚態がない。
では、ふくよかな女らしさに欠けているかというと、包まれている中に、薄月夜の野の花みたいに香うものがある。ほんのりと、楚々とある。
敏感な藤吉郎の眼や嗅覚がしきりとそれに触れるのであった。彼は、恍惚たるお客様であった。
「どうじゃな、もうお一杯」
「はあ」
「酒はおすきといわれたが」
「さればで」
「どうしたもの。一向に、お過しにならぬではないか」
「だんだんと、頂戴いたしますれば……」
と、席のすそに、蒔絵の銚子を前において、白々と、灯にまたたかせている寧子の顔を、穴のあくほど見入っていた。
寧子の眼が、ふと自分のほうへ動くと、彼はあわてて、
「いや、だいぶ今宵は」
などと、赤い顔を、撫でまわしたりした。
自分のほうが、寧子よりも、よほど取り澄ましているのを感じて、よけい顔が火照ったり、意気地なく思った。
また、心のうちで。
いずれ自分も、然るべき時機には、妻も持たねばならない。持つならば、かかる佳人を持ちたいものだ。
この女性なら、きっと、どんな貧困にも耐えるだろう。艱苦にも闘えるだろう。よい子どもも生むだろう。
現在の彼は、何よりも、家庭を持った後の、艱難と貧窮を考えるのだ。──由来、金銭には意をとめられない自分だし、将来はなおなお、山のような艱難が待っているような気のする自分だからである。
また。良人としての、彼が女性にのぞむものは、もちろん淑徳や容姿もあるが、大要は、
──無智無学にひとしい、百姓をしている自分の慈母を、自分以上、大切に思ってくれる女性。
と、それから、
──陰にあって、表に立つ良人の働きを、いつも機げんよく、励ましてくれる女性。
と、こう二つの望みのほかは、前にいった貧乏を共に楽しむくらいな気概のある女性──であった。
(これなら! ……)と、頻りに、彼は思った。
もっとも、そう狙い出したのは、今夜に始まったことではなく、とうから、
(浅野の娘は佳い)
という世間の評などよりも先に目をつけて、ひそかに、贈り物などもしてみていたのであるが、こう間近く、沁々と、その信念を強めたのは、今宵が初めてだったのである。
「寧子」
「はい」
「ちょっと、木下殿に、おはなしがあるから、そちは失礼して、暫時、退っていやい」
又右衛門が、そういい出した。
さてはと、もう聟殿になったつもりで、いろいろな空想にひたっていた彼は、急に、顔がまた、かあっと熱くなった。
又右衛門は、すこし改まって、
「……時に、木下殿」
「はあ」
「折入っての、打ちあけばなしじゃが」
「はい」
「お気がるで、また、裏表ない其許と見こんで、おはなしするのじゃが」
「何でも、仰せられませ」
藤吉郎は、寧子の父親が、こうして自分に親しみを示してくれることが、ひどく欣しかった。胸のうちで、期待しているようなはなしでなくても、損得なしに、どんなことでも──と誠意を見せて、彼も膝を改めた。
「ほかでもないが、あれもすでに年頃なので」
「……い、いかにも」
喉が、ひからびて、妙に声がつまった。黙って、うなずいていてもよいのに、何か、相づちを打たなければすまない気がして、時々、いわずもがなのことをいった。
「で──実は、諸所からも、家がらに過ぎた縁談なども持ちこまれ、親としても、取捨に迷うておるわけでござるが」
「いや、大きに、左様でござりましょうとも」
「ところがな」
「はい。はい」
「親が、よかろうと見る者は、あれの気にそまぬ節もあったりして」
「それは、分りますな。女の一生は、ただひとつ、幸も不幸も、のばすその手にきまることですから」
「君公のお側にいつもいる──お小姓衆のひとりじゃが──前田犬千代という青年を、其許も、ご存じであろうが」
「は? ……前田殿で」
と、藤吉郎は、目をしばたたいた。又右衛門の云い出し方が、余りに、唐突だったからである。いや、又右衛門としては、充分、順序を追ってはなしているつもりなのだが、藤吉郎の期待とは、余りに話題が離れて来たのだった。
「──そうじゃ。あの前田犬千代どの、家がらもよい出だが、頻りと、人を介して、寧子を妻にと、求めて来られるのじゃ」
「……ははあ」
返辞というより、嘆息に似た声を洩らした。忽然と、強敵のあらわれた感じである。何よりも先に、犬千代のすぐれた背丈が、気もちの上に、のしかかって来た。また、秀麗な眉目や、明晰な言語や、お小姓組に育って、行儀の上品なすがたが、その敵対感の中に、往来しだした。猿、猿、と人がよぶのを、自分でもやむを得ざることと、認めて来たほど、彼は自身の容貌には、元より自信がない。──だから彼にとって、美男ということば程、きらいなものはなかった。前田犬千代は、その美男なのである。
「寧子どのを、おやりなされるつもりなのですか」
思わず、話の先を越して、こう訊いてしまってから、彼も、ちょっと面目を顧みた。
「いや、何」
又右衛門は、そこでかぶりを振って、胸をのばすと、急に思いついたように、冷えた杯を唇へ当てて、
「親としては、あの温厚で沈着な犬千代どのなら、よい聟君と、実はよろこんで──約束までしてしもうたわけでござるが、なんとよ、近ごろの娘は、親の眼がねにも、そのことばかりはと、素直には、頷かぬのじゃ」
「ほ! では寧子どのには、その縁談を、嫌だと、仰っしゃるので?」
「嫌とも、親に対して、よういわぬが、よいとは決して申さぬのだ。……まあ、嫌なのだろうな」
「うむ。なるほど、なるほど」
「──ところで、困っているのは、その縁談の儀でな」
又右衛門の眉には、話しているうち、かなり心痛らしいものが見えて来た。
つまり問題は、武士の一言──ということなのである。
又右衛門は、平常から、前田犬千代には傾倒していた。将来ある青年と見ていた。その犬千代から、
(──寧子どのを妻に)
と、求められたので、彼は一も二もなく、娘よりは自分が先に、歓んでしまったのである。
手がらでもしたような気で、
(──どうじゃな。またとない聟だろうが)
と、寧子に告げると、彼女の顔いろは、案に相違して、少しも楽しまないふうだった。むしろ愁いの色すら濃い。血は同じでも、人生の伴侶を選ぶについては、父娘でも見解の相違のぜひないことが、とたんにはっきり分った。
だが、ここにおいて。
又右衛門の立場はない。
親としても、武士としても、犬千代に対して、合わせる顔はない。
犬千代のほうでは、
(近いうちに、浅野殿の寧子を妻に娶う)
と、人にも語り、人も介して、何かと、具体的に進めてくる。約束の期も迫って来ている。
(──どうも、娘の母が、近頃すこし体がすぐれぬので)
とか。
(──今年は、年まわりが悪いとか、女どもが申しおるので)
とか、みな女どものせいにして、一時のがれをいって来たが、もうその口実も尽き果てて、弱りぬいている次第だが──と、又右衛門は、苦衷をもらして、
「……どうじゃな。其許は、奇才縦横とよく人がいうが、何とか、よい思案はあるまいか」
杯の空をすすって下へ置いた。
酔うにも酔えない顔なのである。
藤吉郎も、ここまでは、独り空想に楽しんでいたが、彼の憂いを聞いてみると、共に憂えずにいられなかった。
(相手がわるい)
と彼は思った。何も、悪人というような意味ではないが、相手が前田犬千代とあっては、話は簡単にすもうとは考えられない。
犬千代は藤吉郎の嫌いな、美男ではあるが、いわゆる美男型の美男ではない。多分に、戦国の粗い土質から育って出た豪毅な気性や、型にはまらない不屈と放縦な面だましいを持っている。
まだ年少十四の時、初めて信長の軍に従いて行って、とにかく、侍首の一つも提げて帰って来たほどな男である。
また、先頃は。
信長の弟信行の臣が、叛乱を起した折も、信長の先手衆に交じって行き、刃も折れるような奮戦をした。また、宮中勘兵衛という者が、犬千代の右の眼へ、一矢射たところ、犬千代は、矢も抜かずに、騎から跳び降りて、勘兵衛を首にし、信長に、首を献じたという男でもある。
とにかく、勇猛な美男なのだ。しかも白皙端麗な面に、一本の針を置いたように右の眼が細く一文字につぶれている。──どうも、信長でも、少々手に余したお小姓に思われた。
「さあ。あの犬千代では」
と、共に憂いを憂えてみたものの、さし当って、藤吉郎にも、よい考えもなかった。
「──いやなに、御心配なされますな。その儀、藤吉郎がひきうけました。何とかなりましょう」
彼は、そういってしまった。その夜は城内へ帰って寝た。結局彼自身は、何も得るところはなかった。又右衛門の憂いを、半分背負って帰っただけであった。
──だが、考えようでは。
好きな女性の父親から、心の憂いを打ち明けられたということは、たとえそれが荷になる憂いでも、光栄に思う心理は青年にある。
父親の信頼──そのものよりも、それほどに、藤吉郎は、真実、寧子が好きだった。
(これが、恋というものか)
自分でも、ふと心づいて、この頃のあやしき心を顧みてみたが、恋と呟くと、何かふと、嫌な気もした。彼は、人がよく口にする、恋ということばが、嫌いだった。
なぜならば、彼は年少から、およそ恋ということばには、深い諦めを持っていた。
境遇も、容貌も、風采も、彼が持って世と闘って来たものは、世の美しい女性などから、あらゆる蔑みと、嘲侮とを、浴びせられて来た。
年少、彼にも、花を悲しんだり、月を傷む気もちは、多分にあった。
多感な血へ、そうしてうけつつ忍んで来た堪忍は、軽薄な美人や貴公子たちの想像も及ばないほど深刻な、忘れ難いものだった。
それにしても、彼も人間である。人と生れ、その嘲蔑を、受けてのみいて、思い知らしてやることを、諦め切っている者では決してない。
(いつかは)
と思い、
(今に。今に)
と、密かには、独りで誓っているのである。
容貌のまずい醜男にも、世の美姫たちが、いかに媚び、いかにひざまずいて、愛を求め争うかを、示してやる。──と思って、むしろそれは、自分を励ます鞭として、いつも心に帯びているのだ。
そういう気もちは、知らぬまに、彼にも彼の女性観や恋愛観を培っていた。恋という文字が、ぴったり来ないのも、それに起因していよう。女性の美へ崇拝的にひざまずく男を彼は蔑視する。恋愛を人生の第一義的に夢想したり神秘視して、甘い涙に遊戯する男どもを、彼は軽侮して虫酢の走るような眼で見る。そういう風に嫌いなのだった。
(……だが、寧子になら、ゆるしてもいいな。おれが、恋をしたといっても──)
好悪は人間の勝手である。彼も自分のことになれば、そんなふうに妥協した。寝つく前に、寧子の横顔を描きながら眠った。
翌日も、彼は非番。城内に、勤めはなかった。ほんとなら、きのう見ておいた桐畑の自分の屋敷を、さっそく手入れしたり、家具の備え付けをしたりするわけだったが、犬千代と出会う折を窺うため、城内にぶらぶらしていた。
犬千代はいつも、信長の側に、行儀よく控えている。藤吉郎とは深く口をきいたこともない。いつも上段からじろっと、信長の臣下を見ている眼は、信長以上に、不遜であった。
藤吉郎なども、時折、信長の前へ出て、何か献言でもしていると、側にいて聞いている犬千代が、にやりと、口端へ笑くぼを作る。
(猿がまた……)
と、いわないばかりに。何となく、人を見透しているような眼で。──藤吉郎には、小癪に思えて、余り交わりをしなかった。
「藤殿、御非番か」
中門の番士と、藤吉郎が今、立話していると、こう声をかけて、通り過ぎた者がある。
何気なく、振り向くと、前田犬千代。──今も今、門番から、きょうは何処かへお使いに出て、御城内にはいない筈──と聞かされていた犬千代であった。
「やあ。……しばらく」
追いすがって、
「犬千代どの。ちょっと、折入って、お話し申したいことがあるが」
藤吉郎が云いかけた。
すると、犬千代は、例の眼ざしで、そしてまた、藤吉郎よりも、ずっと優れている上背丈から見下して、
「公用か。私用か」
「折入ってというからには、私用でござるが」
「然らば、今はならぬ。君公のお使いを帯びての帰り途。私語は憚る。後にいたせ」
膠もない。
つッつと、行ってしまった。
「嫌なやつだ。しかし案外、いいところもあるやつだ」
藤吉郎は、取り残されて、ぽかんとした顔したが、やがて、首を一つ振ると、自分も大股に立ち去った。
城下へ出た。
桐畑のわが新居へ来てみたのだ。すると、門を洗っている者があるし、荷物を担ぎ込んでいる者もある。
「おや、門違いしたか?」
見廻してみると、
「おいおい、木下」
と、台所の方から、男の声がする。
「おう、貴公か」
「貴公かもないものだ、何処へ行っておられたのだ。自分の持った新屋敷を、人に掃除させたり、家事万端までやらせておいて」
それは、藤吉郎が炭薪奉行を勤めていた頃の、お蔵衆や、台所方の同僚たちだった。
「おやおや。いつの間にか、結構住めるようになっているじゃないか」
ひとの家みたいなことを云いながら、藤吉郎は、中へはいった。
どこからか酒が来ている。
新しい塗箪笥もある。茶棚もすわっていた。
それは皆、日頃いつのまにか、彼を慕い、彼を徳としていた者が、彼の栄転を伝え聞いて、持ち込んで来た祝であった。
そういう友達や彼の知己は、祝の品を持っては来たが、暢気な主が見えないので、勝手に掃除をし始め、ついでにと、家具を据えたり、門まで洗ってしまったところだった。
「やあ、どうも、どうも」
藤吉郎は、頭を掻いて、早速、自分で出来ることを手伝った。
彼の出来ることというのは、精々、酒を銚子へ移して、膳へのせることぐらいなものだった。
「まあ、御主人は」
と、薪山以来、恩義に思っている商人たちは、肴の仕度も、買物も、何もかも小まめに働いて尽してくれた。
台所をのぞいてみると、まるく肥えた下婢が、水仕事をしていた。
「さしずめ、手前どもの村から、連れて来た下女。ご不自由でしょうから、当座でも、お使いなすってみて下さい」
と、いう。
藤吉郎は、図にのって、
「ついでに、中間と、用人がわりの、老人一名雇いたいが、いいのがあったら、世話してくれ」
そんなことを云いながら、車座になって、新宅開きの宴が始まった。
(きょうはここへ来てみて、いいことをした。もし主人のわしが見えなかったら)
と、藤吉郎も、密かに恐縮していた。自分は暢気とは思っていないが、どこかに多少は、そんな点もあるかなと思った。
無礼講。
飲むとなれば、これはいうまでもない。ふだんが、礼儀がたいだけに、酒の折は、ひどく素裸な人間性を互いに見せ合う。
これは、この国だけの、地侍の風儀ではない。公卿もそう。室町の公方の武家たちもそう。総じてその頃の酒席の風だった。
隠し芸が出たり、猿楽舞のまねして、箸で器物を叩いたりしていた。
すると、近所に住んでいる同役の妻女が、門口へ歓びを述べに来て、帰って行った。
「おい木下殿。御当家の主人」
「なんだ」
「何だじゃない。貴公、近所の屋敷へは、ひと通り挨拶に廻ったのだろうな」
「いや、まだ……」
「何だ、まだか。──先様から挨拶に来るまで、舞ったり歌ったりしておるやつがあるか。さあ、羽織を着直して、一まわり先へすまして来るがよい。近所へ引っ越しして来たことと、厩衆へ勤めることに相成りましたからよろしくと──そう二つの挨拶をかねて、一軒に一つずつお辞儀して廻るのだ」
四、五日すると、世話する者があって、下婢と同じ村の者という男が、中間奉公を望んで来た。また、一人の若党も、べつな方から召し抱えた。
曲りなりにも、小屋敷一つ持ち、奉公人も抱えて、これで藤吉郎は小扶持にせよ、一戸の主とはなった。
家を出る折は、下婢や若党に、
「行っていらっしゃいまし」
と、送られて出る身となり、例の古着店で買った、青木綿に大きな桐の紋のついているひらひらな陣羽織に、太刀を佩いて、
「行って来るぞ──」
は、悪くない気持であった。
この上に、あの寧子が、宿の妻となっていたら、申し分ないが──と思ったりしながら、今朝も、清洲城の外濠を歩いて来た。
すると、彼方からにやにや笑いながら来る者があった。藤吉郎は濠を覗きながら歩いていたので気づかなかった。寧子のことを考えているかと思うと、彼の頭のうちには、戦時の攻城や籠城が考えられていた。
(──濠とは名ばかり、底は浅いし、十日も降らぬとすぐ底が見えてくる。戦時となれば、土俵の千も投げこめば、攻め口ができてしまう。城内の飲み水も乏しい。このお城の欠点は、水利の悪いことだな。攻めるによく守るには足りない……)
などと独り呟いていると、近づいた背の高い男は、藤吉郎の肩を打って、
「猿殿。今、出仕か」
「……やあ」
藤吉郎は、相手の顔を見あげながら、咄嗟に、先頃からの宿題について、一つの成案と確信を持った。
「これは、よいところで」
と、彼はいった。
偽らない言葉だった。
なぜならそれは前田犬千代だったからである。あれ以来、話す折もなかったところを、折よく、城外で出会ったのは、この問題の幸先がよい。
彼が、それについて、云い出さないうちに、犬千代から口を切った。
「猿殿。いつぞや、何か折入って、わしへ話があるとか、御城内でいわれたが、きょうは公務の途中でないゆえ、聞いてもよいが」
「さ、そのことで」
と、藤吉郎は見まわして、濠端の石の塵を払い、
「立話もならぬ。まあおかけ下さい」
「一体、何事かな」
「寧子どのの身についてで」
「寧子のことで?」
「されば」
「寧子とお身と、何の関りがあるのか」
「仔細あって、かたい約束を取り交わしておるような間がらでして」
「……?」
真面目でいうのか、冗談でもいっているのかと、犬千代は、彼の顔を見澄ましていたが、余りにも、藤吉郎の大真面目な顔つきに、突如として笑い出した。
「ふーむ、そうか。寧子と約束を……。はははは、それは至極よかろう」
犬千代は問題としなかった。恋敵とするには余りに相手が不足すぎる。うぬ惚れでなく、どう公平に較べても、自分を見代えて、この猿殿と約束を交わす物好きな女性はよもあるまい。──町の雑魚女や足軽の娘程度なら知らぬことである。弓之衆の浅野又右衛門の家庭は、典型的な武家の家だし、あの息女には、ひと通りな教養もある。
「そこで……?」
と、犬千代は相手の言葉を、むしろ愛すべき稚気──と恕しているような寛度で、後を促した。
率直に、彼は云い出した。けれどここ生涯の大事とばかり、懸命は顔にあらわれていた。
「犬千代どの」
「なにか」
「あなたは、寧子が好きですか」
「寧子?」
「浅野又右衛門どののお娘」
「ああ。あの女か」
「好きでしょう」
「好きであったら、なんだと申すのか」
「ご注意申しあげたいので。──あなたは何もご存じなく、人を介して、彼女の父親へ婚約を申し込まれたらしいが」
「いけないか」
「いけませんな」
「なぜ」
「でも、寧子と私とは、実は、年久しく想い合っている仲ですから」
「……?」
犬千代はそういう藤吉郎の顔を穴のあくほど見つめていたが、突然、肩をゆすぶって笑った。
相手が、まるで自分を、相手に取らない容子を見ると、藤吉郎は、なおさら、真面目づくって、
「いや、笑い事ではございますまい。寧子は、どんなことがあろうとも、私を裏切って他の男へ縁づくような女ではございませぬし──」
「はははは。左様か」
「固い約束も交わしてあるので」
「それなら、それで宜しかろうが」
「ところが、宜しくない者が一名できてしまいました。寧子の父、浅野又右衛門です。あなたが、婚約の儀を、お取り消し下さらぬ限り、又右衛門どのは、板ばさみとなって、切腹せねばなりませぬ」
「切腹?」
「寧子と私の親しい間がらを、又右衛門どのには、少しもご存じなかったため、あなたのお申し出でに対し、娘を嫁ろうとつい仰っしゃったものと見えますが──今も申した通りの次第で、寧子は断じてあなたの妻にはなりません」
「然らば、誰の妻に?」
と、相手がなじると、藤吉郎は、自分の顔を指でさして、
「かく申す私で」
と、いった。
犬千代は、再び笑ったが、前のような哄笑ではなかった。
「冗談も程にいたせ。猿殿、おぬしは鏡というものを見たことがあるか」
「──では、嘘じゃと仰っしゃるのでござるか」
「寧子が、おぬしなどと、約束するわけはない」
「真実であったら如何なされますか」
「真であったらめでたいわ」
「寧子と私が婚儀をいたしても、その折には、ご異存はございませぬな」
「猿殿」
「は」
「人が嗤うぞ」
「嗤われても何でも、相思のふたりが仲は、どうすることもできません」
「真面目か、いったい」
「かくの如くで」
「女子というものはな、云い寄られた男が、ぞっとする程きらいでも、柳のように、程よう逸らしているものぞ。それをば後になって、自分の愚かと思わず、騙されたなどと恨まぬがよいぞ」
「とにかく、それでは、寧子と私とが、婚儀を挙げる場合になっても、又右衛門どのへ、お恨みはありますまいな。──それもあなたの不明ということになりまするで」
「勝手にせい。──先頃からわしへ用事があるといっていたのはそのことか」
「いや、ありがたいお言葉。ただ今の約束、お忘れないように願いまする」
藤吉郎は、辞儀をしたが、頭を上げてみると、もう犬千代は、彼の前にはいなかった。
幾日か後だった。
藤吉郎は、弓之衆の長屋に、浅野又右衛門を訪れて、
「先日の儀で」
と、きょうは改まった物云いで、申し入れていた。
「その後、犬千代どのに会って、篤とご苦衷のところを、伝えておきました。犬千代どのにも、御息女が自分へ嫁ぐ意志もなし、また、私との間に、約束まであったことなら、ぜひもないゆえ、諦めるほかはなかろうとのことでした」
又右衛門は、彼のはなしが、ひどく独りのみ込みなので、解せぬ顔して聞いていたが、藤吉郎は、云い続けた。
「──とは申せ、犬千代どのにも、もとより未練は多分にござるので、これが、他の男へ縁づくことなら承知できぬが、貴公では仕方がない。貴公と寧子とが、以前から約束があって婚礼いたすものなら、残念だが諦めもし、いっそ男らしく大いに祝福もするが──万一、又右衛門どのが寧子を他の男へ嫁がすようなことであったら──これは承知できん。断じて許されぬ。──とも申しておりました」
「あ。木下氏。ちょっと待ってもらいたい。……何か、其許のはなしを聞いておると、寧子を其許にくれるのはよいが、他の男へ遣わすことは堪忍ならぬ──と犬千代どのがいっているようだが」
「左様でござる」
「解せぬことを。──一体、誰がいつ其許へ寧子を遣わすなどといったか」
「面目もございませぬ」
「何をとぼけ召さるか。そんな偽りを構えて、犬千代どのを騙してくれとは、この又右衛門も頼んだ覚えはおざらぬぞ」
「その通りです」
「然るに何で、でたらめなことを犬千代どのへ伝えたか。まして、寧子と約束があるなどとは、戯れも程こそあれ。もってのほかだッ」
温厚な又右衛門も、やや気色ばんで、
「申す者が、お身のような男だから、聞く方も、冗談とは思うだろうが、かりそめにも嫁入り前のむすめ、迷惑至極じゃ。──困じ果てておる縺れ話を、お身は、よけいに縺れさせて、興がろうとでもいう肚か」
「滅相もない」
と、藤吉郎は首を垂れて、
「かかることのできたのも、私の過ちと、共に心痛しております」
「要らざること」
と、苦りきって、
「よけいな心痛は、もうして貰うまい。もすこし、常識のある男かと、打ち明けたのがわしの過りだ」
「……実に、どうも」
「さ、帰りなさい。何をもじもじしておられる。そういう放言をして歩くからには、以後は断じて、宅へ出入りはお断りする」
「はい。もう祝言すると、披露に及ぶ日までは、慎んでいることにいたしまする」
「ば、ばかなッ」
と、又右衛門も、遂に、温和な面を破って、呶鳴りつけた。
「いつになろうと、誰が、お身などへ寧子をくれるものか。たとえ、嫁けというても、寧子が承知するものでもない」
「さ。そこのところです」
「何が、そこだ」
「恋ほどあやしきものはございませぬ。寧子どのは、私のほかに、良人は持たぬと、胸に秘めておいででしょう。失礼ながら、又右衛門殿には、自分が嫁にゆくような勘ちがいをしておられるのではございませぬか。──私が、妻にと望んでいるのは、寧子どのであって、あなたでございませぬが」
押し太い男もあればあるもの──と、又右衛門は呆れ顔に、黙ってしまった。
今に帰るだろう。
いくら厚顔な男でも、こういうまずい顔を示していれば──。
又右衛門は、そう考えて、いつまでも渋面と無言を守っていた。けれど藤吉郎は、帰るふうもなく坐っていた。
それのみか、恬として、
「藤吉郎、嘘を申すのではありません。いちど寧子どののお胸を、あなた様から聞いて戴きたいものです」
と、いった。
怺えに怺えていた又右衛門は、もう勘弁がならないといったように、後ろを向いて、
「こひ。こひ!」
妻を呼びたてた。
滅多に、大声など出さない良人が、さっきから激している様子に、彼の妻は、襖近くにいたらしかった。
そこを開けて、
「寧子を呼べッ。……呼んで来いッ」
「はい」
しかし、彼女は、心配そうに、良人の顔を仰いでばかりいて、起たなかった。
「なぜ呼ばん」
「でも……」
彼女が宥めかけると、又右衛門は妻の手をついている頭ごしに、
「寧子ッ。寧子ッ」
と、呼び立てた。
寧子は、何事かと驚いたらしく、そこへ来て、母の陰に手をついた。
「はいれ!」
又右衛門は、厳格にいって、すぐ問い糺した。
「そなたは、これにおる木下殿と、まさか、親のゆるさぬ約束事など致しはすまいな」
「…………」
寧子には、唐突だったにちがいない。父の気色と、その前に、首を垂れている藤吉郎の姿とを、つぶらな眼で見くらべていた。
「どうなのだ寧子。家名にもかかわる。また、これから嫁ぐ身の潔白のためにもだ。はっきりといっておくのがよい。──よもや左様なことはあるまいな」
「…………」
寧子は、しばらく黙っていたが、やがて、つつましい容子のうちにもきっぱりした言葉でいった。
「──ございませぬ」
「ム。ないな!」
それみろ、といわぬばかりに──また、何処かでホッとした態で又右衛門は胸を伸ばした。
「……けれど、お父様」
「何か」
「ちょうど、お母さまもいらっしゃるところですから申しあげますが」
「ふム。いうてみい」
「寧子からも、お願いいたしまする。わたくしのようなふつつか者でも、木下様が妻にお望み下さるならば、どうぞ、木下様へおつかわし下さいませ」
「な、なに?」
又右衛門は、舌ももつれるほどな狼狽につつまれた。
「これ、寧子」
「はい」
「そなた、正気でいうのか」
「女子の生涯の大事、かりそめには申されませぬ。自分の口から申すのは、いかにお父様にでも、母様にでも、恥かしゅうてなりませぬが、わたくしの大事は、御両親様にも大事と、面を冒して申しあげました」
「ふ……ウむ」
呻いたきり又右衛門は、わが娘の姿に眼をすえていた。
──偉いッ。
藤吉郎は、心のうちで、寧子の立派な云い方を褒めていた。また、体じゅうがぞくぞくするような欣びに襲われてもいた。──しかしそれ以上に、このさり気ない質朴な武家娘が、どうして自分を見込んだかと──ふと恐ろしいような心地もしていた。
たそがれ頃。
彼は、茫然と歩いていた。
弓之衆の浅野又右衛門の家から出て、桐畑のわが家のほうへ。
(──御両親様がおゆるしくださるならば、木下様へ嫁ぎとうございます)
寧子のいったことばが、その声が、姿が、彼の頭から消えなかった。
こう歩いていても、人ごこちのない程、彼は、正直な歓びに今つつまれていた。けれど、寧子が余りにはっきりいったので、すこし不安な疑いも起った。
(ほんとに、彼女はおれが好きなのかなあ。それ程好きなら、前からもっと、おれに好意を見せていそうなものだが?)
以前から、手紙をやったり、内緒で贈り物を届けたりしていたのに、それに対しては、まだ一度も──俗にいう色よい返辞などはくれたこともない寧子であった。
その反響がない点からも、彼は当然、寧子が自分へ、好意を持っていないものと思っていた。
犬千代へ向って。また、父の又右衛門へ向って。──あんなことを云い張ったのも、実は、藤吉郎の強引に過ぎなかったのである。いちかばちか、とにかく自分の希望を主張して、寧子の心の如何を問わず、娶いうけてしまおう──妻にしなければおかない──という彼らしい押しを試みてみたまでのことだった。
ところが。
(──木下様へなら)
と、寧子のことばだ。
しかも、父母の前で。
自分もいる前で。
何という勇気だろうか。親の又右衛門の驚きよりも、実は、藤吉郎自身が、胆をぬかれたくらい、茫然、歓びと疑いのなかに包まれて、帰って来たのだった。
帰り際まで、親の又右衛門は、あの呆れ顔と、苦虫をかみつぶしたままで、
(では、木下殿へ嫁げ)
とは、許さなかった。
(ぜひもないことだ)
と、娘の云い条に、是認も与えなかった。
むしろ嘆息の態で、
(──世のなかには物好きな者もあればあるものよ)
と、わが娘の心理に、当惑とあわれみと、それに、蔑みさえ持って、黙りきっているままだった。
藤吉郎も居辛くなり、
(いずれ、後日改めて、お願いに出るといたして)
と、帰りかけると、又右衛門は口重げに、初めて、こういった。
(ムム……。ま……考えておくとしよう。考えておく)
寧子へも、藤吉郎へも。
二人へ向って、そういった宣言であった。多分に、不賛成である語気が、その中にこもっていたことはいうまでもない。
──考えておく。
しかしこの言葉は、藤吉郎にとれば、多分なる希望をかけて考えることもできる。少なくも、今までは、寧子の胸がさっぱり明らかでなかったが、寧子の胸さえすわっていれば、又右衛門の意志は、どうにも翻してみせる自信がある。
──考えておく。
は、断りではない。この先の宿題なのだ。藤吉郎は、もう寧子を妻にしたような気がしていた。
「お帰りなさいませ」
わが家へはいって、座敷へ坐っても、まだ考えていた。──その宿題についての、自信やら、寧子の胸やら。また、娶るとしたら、時期の問題やらを。
「中村からお便りが来ておりまする」
と、彼の召使は、彼が坐るとさっそく、一袋の黍の粉と、一通のてがみを前へ持って来た。
手紙は、中村の母からで、ひと眼見ても、懐かしさに、すぐ知れた。
そもじ様、かわりのう、いつもながら御奉公とのこと、何よりも、まずはうれしゅうぞんじそろ。先ごろは、米まんじゅうたくさんに、また於つみにも、衣しょうなど、まいどの贈りもの、礼のことばもおろか、ただ涙に候。
さてまた、
──と、母の文は、細々とこう書き出してあるのである。
実は先頃、彼から母へ、再三手紙を出してある。
その返辞であった。
藤吉郎からいってやったことというのは、自身が小屋敷の一つも持つ身になったことを報じて、同時に、ぜひ母上にも、中村を引き払って、自分の家へ移ってもらいたいという希望であった。
まだ三十貫の小身なので、と申しても、大した御孝養はできませぬが、もう衣食の御不自由はおかけいたしません。
奉公人も、ふたり三人はいるので、永い間、土に荒れたお手で、再び、貧乏屋敷の水仕事をおさせするようなこともないつもりです。
姉の於つみにも、ふさわしい婿でもさがしてやりましょう。酒飲みの養父にも、少しはうまい酒も飲ませて上げられるでしょう。私も近頃は、少しは飲ける口でもあり、一家そろって、以前の貧苦を語り草に、晩の御膳でもいただいたら、どんなに愉悦かわかりません。
ぜひ、そういうことに、おきめ下さいまし。
──と、そんなふうに、先頃便りしておいたのであった。
ところが、今来た母のてがみには、
清洲へ移れとの、お許のことば、なんぼう欣しくぞんぜられ候も、稗粟に困らぬほどの、こん日の暮しも、お許のはたらき、また殿さまの御恩ぞかし。
せっかく、御奉公人の端にたたれ、お上さまの御用、ようやくおん大事の身となりつる折へ、わが身や夫や、たくさんの同胞たち、お許の身にかかり候ては、朝夕は楽しかるびょうとも、何ぞにつけ、御奉公の足でまといにこそ候わめ。
さむらいの御奉公とは、あしたに死に、ゆうべに死し、まい日が覚悟のお勤めとこそ母もうけたまわれ、わたくしの楽しみ事など思うは、まだまだ早き慾とこそ、もったいのうぞんぜられ候。時折のお許が助けにて、母は、着るにもたべるにも、なんの不自由も今はなき身に候。ひゃく姓の仕ごとも、子をそだつるお役も、母のあたりまえなるつとめにこそあれ。むかしおもえば今の身すら、神さま、仏さま、御領主さまの御恩、朝夕手をあわせ暮しおり候。
ゆめ、わが身のことなど、心にかけたまわず、いよいよ御奉公大事に、おいそしみ給われ。母のよろこびも、それに過ぐるものはあらじ。そもじが、霜の夜の門べに云いのこしたるを、今もなお、母はわすれ侍らず、折にふれ思いいで居りそろ……
召使が、前にいるのも知らぬように、藤吉郎は母の文へ、ぼろぼろと涙をこぼして、二度も三度も読みかえしていた。
主人という者は、自分の召使っている奉公人へ、泣き顔などは見せないものである。また、人にも涙などは見せるものでないように、侍は躾けられている。
だが、藤吉郎はそうでない。
余り泣いているので、前にいた彼の召使のほうが、間が悪くなって、もじもじしていた。
「ああ、過っていた。……ごもっともな仰せだ。やはりわしの母上はお偉いな。……そうだ。まだまだ、一身一家の小さい欲望を考える場合ではない」
母の手紙を巻きながら、彼は独り言に、大きく呟いた。
涙がとまらない。……
その眼を、子どものように、肱を曲げてこすりながら、
「そうだ! ……。ここ少しのあいだは、戦争もなかったが、いつ御城下に、兵火が揚らぬとも限らぬ。中村におられた方が、母上や姉弟たちにも、無事でもあるなあ。……いやいや、そういう身勝手な考え方がそもそもいけないと仰っしゃるのだ。あくまで、御奉公第一に」
巻いた手紙を、額にあてて拝みながら、母がそこにいるように、
「──いや、おことば、よくわかりました。仰せのこと、きっと守りまする。あの男なら、お奉公も大丈夫と、殿も許し、人も許すほどになったら、改めて、藤吉郎がお迎えに参りますから、その時は、藤吉郎の住居へ、ぜひにもお移り下さるように──」
黍粉の袋も、次に押し戴いて、召使の若党へ手渡した。
「台所へ持ってゆけ」
「はい」
「何をわしの顔を見るか。泣くべき時に泣くのに何のふしぎがある。……これは、母上が、御自分の手で、夜業に挽いて下された黍粉だ。勝手元の下婢にあずけて、粗末にせぬよう、団子になとして、時折わしに喰わせてくれ。……幼い時からわしはそれが好きでなあ。母上には、それを覚えておいでなさったのだろう」
彼は、寧子のことをすっかり忘れていた。独り喰う夜食の間にも、
「母上には、どんな物を召し上がっていらっしゃるだろうか。わしから時折、かねをお送りしても、相変らず、うまい物は子に喰わせ、良人には酒を買い、御自分は塩や粗菜ばかり喰べておられるのではないか。母上には、長生きをして戴かぬと、大きな張合いがなくなってしまうが……」
眠りについてから、また、
「そうだ。……母さえお迎え申さぬに、妻のことなど……ちと早いぞ。まだ早い」
彼は、反省した。
しかし反省は、諦めではない。寧子を娶ることは、もっと先のほうがよいと考えたまでのことである。
いつか眠っていた。
戛。戛。戛……
馬蹄の音が、すぐ戸外を駈けて行った。一、二騎すぎた後から、また二、三騎駈けつづいて行った。
藤吉郎は、刎ね起きて、
「ごんぞ。ごんぞ」
と呶鳴った。
ごんぞというのは、彼のただ一人の若党の権三のことである。木股村の出なので木股権三と名乗れといっておきながら、藤吉郎が称ぶのは常にごんぞであった。
「あッ、何ですか」
ごんぞは、いつも主人のすぐ隣に寝ていた。召使の者の部屋といってもべつにないからであった。
「物見して来いッ。──何やら火急らしい駒が、お城のほうへ駈けて行った。時刻も時刻」
「はいッ」
ごんぞは、寝衣に太刀を持った身なりで、すぐ戸外へ出て行った。
ごんぞは、直ぐ戻って来た。
主人の藤吉郎が、雨戸を開けて、縁先から夜空を仰いでいたので、ごんぞは、庭へ廻って両手をついた。
「見て参りました」
「何の早馬だ」
「美濃境から次々の急使と見えました。何事が起りましたやら──」
「美濃路から?」
と、彼はまた、夜更けの空へ眼をやって、
「御被官の使いか。または、美濃の斎藤家の使いか」
「美濃衆の早馬も見え、御当家の被官衆の使いも行ったように思われます」
「そうか」
頷くと、彼はすぐ、寝衣の帯を解いていた。
「ごんぞ。──具足櫃を。具足櫃を」
「はッ」
ごんぞは、跳び上がって、主人の前へ、すぐそれを抱えて来た。
彼は間もなく、供も連れず、深夜の道を、お城の方へ駈けていた。
貧しい一領の具足をまとい、太刀を横たえ、革たびに草鞋ばきで、宙を飛んで行った。
美濃──
と、聞いただけで、
「さては」
と、彼には直ぐ思いあたることがあった。ここ数年来、危険な状態をもちつづけている美濃の斎藤家に、内乱が勃発したのではあるまいかということだった。
(──何日かは必ず)
と、藤吉郎は、むしろその遅いのを不審とするほど、やがて来るべきものを、信じていたのだった。
──それだ!
彼は疑わなかった。
来て見ると果たして、清洲城の大手には、はや人馬の影がうごいていた。門を固めていた兵は、彼のすがたが、日頃の恰好とはちがうので、いきなり素槍を向けて来て、
「誰だッ。待て。通ることはならん」
と、叱ったが、藤吉郎が大音を張って、
「これは、お厩衆の一人、木下藤吉郎にてござる。深夜、お城近くへ、頻々と馬蹄の音の相継いで行くのに眼ざめ、何事やらんと、役目がら馳せつけて参った者──」と、いうと、
「やあ、木下殿か」
「おはやいこと」
「ご大儀でござる」
兵は、槍囲いを解いて、彼の颯爽たる姿に、通路を与えた。
武者溜りの前を通ると、赤い火がいぶっていた。その中で、寝起きの武者たちは、籠手の紐をむすんだり、草鞋の緒をかためたり、弓や鉄砲を調べたり──物々しい騒めきを描いていた。
わき見もせず、彼はお厩のほうへ急いで行った。──すると自分より一歩先に、お厩の内から、主君信長の愛馬を曳き出してゆく者があった。
厩番の侍たちは、その若武者に頤で使われて、ただ彼の命じるままに動いていた。見れば、お厩方の者とも見えないので、藤吉郎は追いすがって、
「やあ、そのお駒は、てまえにお渡し給わりたい。厩衆の木下藤吉郎でござる。主君のお馬の口取はこの方の役目でもござれば──」
と、いった。
若い武者は、振り向いた。
そしてニコと笑いながら、
「猿殿か。──おお、殿にはすでに、お表までお出ましになっておられる。はやく曳いて行かれい」
素直に、口輪を渡してくれた。
それは前田犬千代だった。しかし犬千代も藤吉郎も、寧子の問題などは忘れ果てて、主君の愛馬を取りかこみながら、鏘々と、金属的なひびきを立てながら、大玄関のほうへ駈けて行った。
その夜、矢つぎ早に、清洲城へ届いた国境からの通諜は、果たして、美濃の大乱を告げて来たものだった。
それよりも前の年に、稲葉山の斎藤義龍は養父の道三山城守が、自分を廃嫡して、二男の孫四郎か、三男の喜平次をもり立てようとしているのを察して、仮病を構えて、そのふたりを呼びよせ、これを殺してしまった。
道三の怒りは、いうまでもない。
腐えたる国の自壊が始まったのである。年を越えて、ことし弘治二年の四月、浅ましき父子の合戦は、岐阜の里、長良川の畔を、業火の炎と、血みどろの巷にして闘い合った。
国境に駐在している織田家の被官や、道三方の早馬は、
(はや、山城入道様の軍は、合戦にお負けなされ、鷺山の城へも、火がかけられました)
と、急を告げ、
(一刻もはやく、舅御様の軍勢へ、御加勢のお出ましあるように)
と、催促して来た。
信長の妻は、道三の息女であるから、いうまでもなく道三山城守は、彼の舅たる人だった。
信長はすぐ、
「舅殿に御加勢を」
と、いって、寝所から陣令を発し、城内の将兵が、物の具をいでたつ間に、彼はすでに、大玄関まで出ていた。
藤吉郎と犬千代が、駒の口輪に添って、彼の前に鞍をすすめると、信長はいつものように、それへ乗ると、すぐ、つき従う者を後に連れ、用意の遅れている者たちは置き残して、城外へ駈け出していた。
「舅御の仇ぞ。美濃へ斬り入りなば、余の者には眼もくれず、極悪無道の癩殿(義龍のこと)の首を眼がけよ。──ただ癩殿の首を眼がけよ。よいか者ども」
馬上から旗本たちへ、何度も振り向いては云った。
行く程に、人数がふえて、大軍になった。
信長のまわりには、二段三段と、大将をかこむ陣形ができて、やがて、国境の木曾川の東岸まで進んで来た。
その行軍中。
犬千代と藤吉郎とは、旗本のなかに交じって、幾たびか、後になり先になった。
「猿ッ──」
と、呼び捨てに、犬千代は彼を顧みて、
「小がらに似あわず、思いのほか、足は達者だな」
「足ばかりか、戦となれば、おぬしなどに負けはせぬ」
藤吉郎も、気負っていう。
「おぬし、何にでも、気がつよいなあ。戦ばかりか、恋にかけても。──はははは。愛嬌があっていい」
「武士だ。負けるのは、何事にも嫌いでござる」
「然らば、稲葉山へ攻めかかったら、犬千代と、いずれが先に、城乗いたすか、競ってみるか。わしより先へ、城乗の名のりを揚げたら、寧子はくれてやってもよい」
すると、藤吉郎は、行軍中なのに、立ちどまって、大口を開いて哄笑した。
「あははは。あははは」
「何を笑う。猿」
「犬千代。おぬしは、稲葉山へ攻めのぼるつもりかよ」
「もとよりのこと。人におくれはとらぬつもり」
「戦は、眼をあいて、なさるものぞよ。──どうしてこのまますぐ、殿が美濃へ斬り入ろう。美濃の御合戦は、まだ何年か後のことにちがいない。──まず今度は、木曾川までか」
藤吉郎は、予言した。
何をばかな──と、犬千代は耳にもかけなかったが、やがて、木曾川の岸まで来ると、信長は、
「やすめ」
と、陣へ令を下して、次の戦況が来るのを、そこで小半日も待っていた。
美濃の空は、どんより煙っていた。日が暮れると、乱雲は赤々と平原や山岳の上をながれて行くが、木曾川の西岸にある信長の軍は動かなかった。
宵の頃だった。
木曾川を泳ぎ渡って来た男がある。捕えてみると、道三方の落武者だった。信長の前に引っ立てられて来ると、落武者はこう告げた。
「山城守様には、鷺山のお城を出られて、長柄中瀬のほとりに義龍の軍を迎え、おとといからの激戦にござりましたが、遂に、義龍の部下、小牧道家のために、お首を掻かれ、義龍はそのお首を見ると、──乃翁よ、われを恨むな。これも、乃翁がみずから選んだ運命なれば──と、お首を、長良川へ投げ棄てられました。あろうことか、あるまいことか、かりにも子たる義龍が、親と名のある入道様のお首を……」
語るにも、浅ましくて、身がふるえるように、武者はそういって、道三山城守の最期を訴えた。
信長は、暗然と、彼のことばを聞いていたが、
「さては早、舅御の入道様には、敢えなき御最期をとげられてか。……尾州表への注進の遅かりしために、信長、ここまで馳せつけながら御最期の一戦に間にあわなかったのは何とも残念至極」
つぶやきながら、床几を立ってしばらく、夜空の赤い乱雲を仰いでいた。落涙でも抑えているように、あたりの人々には思われた。
が──信長は、屹と、こんどは幕下の人々へ、誓うように、大きな声でいった。
「──遅かったッ。この上は今騒いでもぜひないことだ。ひとまず国元へ引き返して、他日誓って、癩殿の首を討ち取り、亡き入道どのの御無念をはらそうず」
すぐ陣を払って、引き揚げにかかるよう、貝をふかせた。
犬千代は、意外に思った。
いや、彼ばかりでなく、戦に老巧な重臣たちも、信長の命令に、一時は呆然とした。
けれど、木曾川を退いて、尾張のほうへ、暗夜を何里となく歩いてくるまに、
(なるほど、美濃へ討ち入るには、今は時機でない。機会は、今が絶好のようだが、必勝を期して、大策を展べるには──)
と、心ある将士には、自然、信長の肚が解けていた。
犬千代は、信長の深謀よりも、それを行きがけに疾く予言していた藤吉郎という人間に、より以上、考えさせられていた。
「猿、猿と、人も小馬鹿にあしらい、自分もよいほどに視ていたが、あの男は……?」
と、彼は彼を見直して、自分の認識を糺しながら、黙々と、行軍のなかに、足を運んでいた。
藤吉郎も、側にいた。
夜の白む頃、お互いに、顔を見合った。けれど、彼は犬千代に対して、そのことについては何もいわなかった。
「犬千代。おぬしはどう思う。斎藤道三殿は主を殺し、子の義龍は親を殺した。放っておいても、人道のない美濃は亡ぶにきまっているが、それが何日来るかだ? ──。こんどは、義龍のばんだが、その時期は?」
などと話しかけた。
犬千代はもう彼の前では、めったなことはいえないような気負けを覚えていた。そして、この時から、いつのまにか、藤吉郎が自分を呼ぶのに、以前は犬千代殿といっていたのを呼び捨てにしていたが、それもつい、咎められなくなっていた。
北は恵那、西は飛騨や、美濃の山々に囲まれていた。
可児郷の明智城は、明智ノ庄の山間にあった。前時代の旧式な型をもった山城であった。
土岐源氏以来の長い家系と、時流の外にあって、山間の平和を保ってきたその城も、きのうから煙を吐いて、きょうの明け方からは、熾んに火の手をあげて、燃えていた。
外曲輪も、内砦とよぶ本丸の建物も、もう焼け落ちようとしていた。
寄手は、稲葉山の斎藤義龍の兵だった。道三秀龍の居城鷺山を陥して、道三の首を長良川へ斬って捨てた余勢の軍が、ここへ殺到したものである。
明智光安入道は、元より道三秀龍に属していたので、乱が起ると共に、甥の十兵衛光秀や、子の光春と共に、稲葉山の兵に当って戦ったが、各所で敗れ、主の道三も討たれたので、故郷の明智ノ庄へ馳せ帰って、この小城一つを死地として、おとといから寄手の猛襲に防ぎ戦っていたのだった。
「裏切だッ──」
「裏切者があるッ」
炎の中に、味方のそんな声を聞きながら、光安入道も、
「今は……」
と、最後の運命を覚った。
砦の内を見まわすと、火の揚ってない所は、裏山の森林しかなかった。そこの穀倉と、「水の手」とよんでいる貯水池だけは、まだ焼けてなかった。
「十兵衛はどこにおる。十兵衛をさがし求めて来い」
光安入道は、味方の死屍のあいだを駈けながら、なお、生き残って防いでいる兵や将を見るたびにいった。
子の弥平治光春は?
とは一度も叫ばなかった。
「父上。父上」
と、その光春は父の身を案じながら、彼のすがたを、乱軍のなかに見出して、駈け寄って来た。すると、光安入道は、その子へ対しても、すぐいった。
「十兵衛は……十兵衛はいかがいたしたか」
「乾口の門で、敵と斬りむすんでおりまする。何といっても、お退きになりませぬ」
「しッ、死なすなッ……」
光安入道は、しゃがれ声で、子を叱咜しながら、乾口の坂道を、駈けて行った。
「あッ、父上ッ。──てまえが行きます。雑兵輩の中へ、御自身、お踏みこみなされいでも」
光春は、追いすがって、強って父を後方へ引っ返させた。そして、
「──お父上、お父上。裏山の穀倉か、水の手には、まだ焔はかかりません。あれに、しばらく」
「はやく行けッ。──十兵衛を死なしては」
光安入道は、なお、そう云いながら、裏山の森林へよじ登って行った。
光春はわが子である。ここで死なしてもいいと彼は自身の身と共に覚悟していた。
けれど十兵衛光秀は、兄の子である。兄の下野守光綱が、自分に託して世を去った明智家の遺孤なのだ。──死なしては、亡き兄にすまない、と彼は、刻々に迫る城の運命と共に、それをのみさっきから胸に思いつめているのだった。
「……おお」
光安は、うめいて、茫然と立っていた。
水の手の水番小屋をのぞいてみると、城内の女たちや幼い者たちが刺し交えて、嵐のあとの花野のように惨たらしくもみなけなげに、朱のなかに俯伏していた。
従兄弟の弥平治光春は、
「たのむ! ……。十兵衛どの、頼むから、一先ずここは退いてくれ」
と、彼の籠手をつかみ、身をもって、彼の行くてに立ちふさがって、ここで稲葉山の寄手をうけて、斬り死しようと眦を昂げて戦っていた十兵衛を、無理無体に、焦土から引きもどして来た。
「ばかなッ。ここを退いて、どうするかッ」
十兵衛は、絶叫し続けた。
平常の寡言で沈重な彼とは──まったく別人のように、知性をかなぐり捨てた修羅武者になっていた。
「水の手まで。……ともかく水の手まで」
宥めると、振り切って、
「水の手へなど行ってどうするのかッ。もう敵は、外曲輪を破り、本丸の味方からも、裏切が出ている今──」
「父が。……父があれにて、待っています」
「叔父御が」
「お探しして、連れて来いと、さっきからお身を案じながら」
「わしのことなど、なぜお案じなるのか、光秀一箇の生命などは、なにものでもない。たとえ敗るるまでも、稲葉山の逆兵どもを……」
十兵衛は、歯がみをして、動かないのであった。
彼は、自分の敗滅よりも、もっと大きなものに、怒っていた。
それは、人倫の敵に対する、人間の憤りだった。
十兵衛光秀は、文武の士をもって自分でも任じていた。勿論、武道の上でも、人に後れはとるまいとして来たが、士のうちでは、誰よりも劣らないほど書を読んだ。
彼の思想も信念も、聖賢の道によって養われて来た。今、自分の城を、火でつつんでいる敵は、単に、自分の敵というばかりではなかった。
親と名のある道三殿を攻め滅ぼした癩殿(義龍)の部下である。
人道の敵だ。
聖賢の道の敵である。
光秀の怒りはそのために、自分の一命も滅亡も考えなかった。正義に殉じて、大逆の狂兵ばらを、ひとりでもよけいに斬りまくって死のうとするばかりだった。
「犬死なされて、どうしますかッ。──雑兵などを相手に」
「犬死? 弥平治ッ。何が犬死だ。もし、大逆の義龍が、このまま、やすやすと世に栄えたら、それこそ、この世は闇だ、地獄だ。人間は餓鬼だ、鳥獣にも劣る」
「わかっていますッ。……それは分っていますが」
「一光秀が、いくら戦っても、大勢はもうどうする術もないし、敵手にお果てなされた山城守様が、生きかえるわけもないが、ただ──こういう証にはなるぞ。──餓鬼道のような美濃衆の内乱のうちにも、真の人間は、幾人かはいたということだ。そのために、わしは死ぬのだ。わしは死んで悔いない。正義がこれを知ってくれる。おぬしはそれを、犬死というか」
「分っていますッ。けれど……御最期のその前に、ともあれ一応、父の光安に会って下さい。それからでも、思いどおりの決戦はできましょう。死ぬなら、あなたばかりを死なせはしません」
「よしッ……」
と、呼吸も荒く、
「叔父御は、どこだ。どこにおられるのだ。死ぬ前に、一目会おうッ」
従兄弟の駈ける後に続いて、彼も遂に、裏山の水の手へ、駈け上がって行った。
叔父の光安入道は、水番小屋の前に突っ立って、わが子と、甥の来るのを、待ちぬいていた。
「おッ。光春か。……十兵衛にも無事であったか」
「残念ですッ」
二人の若者は、この辺りの森と水の静寂へ避けて、お互い肉親同士の姿を見合うと、さすがに気崩れに襲われて、光安入道の足もとへよろめき仆れた。
「はや、迫りました。無念ながら、祖先以来のこの居城の運命も」
「ムム、迫った! ……」
「……がしかし」
と、十兵衛光秀は、力をこめて云った。
遠い焔の音や、矢さけびの方へ、眦から眸をきっと向けながら云った。
「われわれ一族、主君山城守様に殉じて、ここに討死して果てましょうとも、土岐源氏このかた、数百年、われわれに至るまで、不義不道の賊子は一族から遂に出しませんでした。誇りですッ。武門として、これは、亡びた者ではありません。人道の命脈を完うし、栄光の裡に、武門の旗を焼くだけのことです」
「そうだッ」
光春もいった。光安入道もうなずいた。
「叔父上。欣びましょう。欣んでわれわれは、暴悪な狂兵と戦いつくして、最後の旗を焼きましょう。腕のかぎり、敵を斬って、各〻死地を選びましょう。……お別れです。今生のこと、お礼も何も、申している遑はございません。死出の山で──」
手をついていうと、十兵衛はもう再び、起ちかけていた。
「待て。十兵衛」
「……はッ」
「死のうとするか。飽くまでそちは此処で」
「もとよりのことです。何でお訊ね遊ばしますか」
「わしは……」
光安入道は、立ち昇る空の黒煙を見……また眼を落して、まだ二十五歳の弱冠の甥と、それよりも年下な、わが子の光春とをじっと見くらべた。
「……わしは、死なしたくないのだ。おぬしらは、若いッ。逃げろ!」
「えッ?」
「落ちて行けッ。──光春、十兵衛」
「な、なにを、仰っしゃりますか──この期になって」
「眼前の有様を見て、世の終りと見るのは誤りだぞ。若い生命には、先の世がある。城一つ、落ちたとて焼けたとて、大きな時の移りから見れば──」
「解せぬおことば。叔父上にはわれわれ二人へ、恥を知らぬ士になれと仰っしゃりますか」
「いわるるもよい。おぬしら長い先の生命をもって、やがて、土岐源氏の末に人在りと、いわるる程な者になって、家名をもり返して世に示すならば」
「そんなこと、考えられません。今は、暴逆の義龍の軍に対して、最後の最後まで、戦うことがあるのみです。……武門の正義が、われらの陣です。砦です。ここを落ちて生を日蔭にぬすんでは、武士道はありません。正義は廃れまする」
「いや、そうでない」
「叔父上。あなたは、この期になって、さては怯れに襲われましたな」
「十兵衛。いうたな」
光安入道は、一言、激越に叱ると、子と甥が見ている前で、短刀で自分の喉を横に掻き切って仆れた。
その時、春雷の鳴ったような轟が、大地を揺りあげた。水の手の貯水池にはさざ波が立ち、空には黒煙がいちめんに濃く漲った。
「おう、火薬庫も」
十兵衛は駈けて、木の間から城のほうを偵察していた。その顔も、木々の幹も、不意に赤く照り映えた。城は一瞬に火の海と化し、この山の生木までバリバリと燃えて来たのである。
こんな僻地の小城に似げなく、搦手曲輪の一棟には、たくさんな火薬が貯えられてあった。
鉄砲という新武器に目をつけたのは、美濃では、誰よりも十兵衛が早かった。彼はそのために、九州や堺へも何度か行った。そして逸はやく岐阜の里に鉄砲鍛冶を養成し、自分の居城には、ひそかに火薬も貯えたりしていた。
十兵衛の頭脳は、時代の先見に、明敏であった。鉄砲の構造のように、科学的でもあった。
だが、彼の緻密な推算でも、自分をうごかす運命の率は割り切れなかった。
自分が研究し、自分が指導してつくらせた鉄砲で、彼は今、自分も家臣も攻め立てられているのだった。
また、遠い将来に、この城から討って出て、中原に土岐源氏の旗をひるがえす考えで貯蔵しておいた火薬が、今は、祖先からの城を、一片の焦土に化して、悪鬼のように、人の屍も、山の木々も、焼き立てているのだった。
「…………」
無念とも何とも云いようがなかった。十兵衛光秀は、木蔭からその焔を見下ろしているうちに、
「そうだ! 叔父御のことばに従って、落ちのびよう。生き長らえよう。──生きておらねばこの無念を! ……」
ふと、彼の考えは、一変していたのだった。
するとまた、彼方で、
「十兵衛どの! 父が、父が……何やら申しています。苦しげな息の下で。──十兵衛どの! 聞いてやって下さい。最期です。……もう、こときれかけています」
悲痛な声で、従兄弟の光春が、呼び立てていた。
さっきから十兵衛は、その従兄弟の声にも、自害した叔父の光安入道の姿にも、振り向きもせず──自分は自分で、再び焔のなかへ駈け入って斬り死を! ──と思いつめていたのであったが、
「おッ。叔父上」
駈けもどって、従兄弟と共に、俯伏している光安入道のからだを抱き起した。
「光春。……いるか」
入道の眸は、もう見えないらしかった。
「おります。父上ッ。光春はお側に──」
「十兵衛は」
「叔父上。十兵衛も、これにおりまする」
「ふ……ふたりとも……討死は相ならぬぞ。わしを犬死さすな。御主君に殉じ、この城と運命を共にするのは、わしだけでいい。武門の名は立つ。……早う落ちて行け。わしに関わず、おぬしらは」
「……はい」
「十兵衛。……光春をたのむ。光春をたのむぞよ」
喉を掻き切って、なお、手から離さずにいた短刀で、光安入道は、云い終るなり、鎧の胴のすきまから脾腹へそれを突き立てて果てた。
「光春。お首を」
「あッ……」
光春は、暗然と、眼をくもらせたまま、為す術を知らなかった。
入道の屍の背には、見ているまに、火や灰が降って来た。十兵衛は、従兄弟の意気地ない様子を歯がゆく思ったか、
「ごめん!」
入道の首を掻き落して自分の袖に抱え、
「光春ッ。早く来いッ」
と、先に立って駈け出した。
昼はかくれ、夜になると、獣のように、ふたりは歩いた。
可児郷のうちは、領土内なので、地理もわかっているし、土民の家を叩いても、匿ってくれたが、飛騨街道まで来ると、もう敵の柵や、敵の影ばかり眼について、
「進退きわまったか」
と何度も、観念しかけた。
飛騨川原で、落人狩の敵に発見されて、追われた時は、
「もうだめだ! ……。十兵衛どの、刺し交えて死のう」
と、年下の光春は──まだ埋める場所もなく手に抱き歩いていた父の首級を──そこへおいて云った。
光秀は、首を振った。
「ばかなッ。……ここで刺し交えて死ぬくらいなら祖先の地で死ぬ。こうなったからには、草の根を喰っても生きるのだ」
彼の置いた首級を、今度は、光秀がかかえて走った。
まったく、道もない山を、一夜中西へ西へよじ歩いた。
暁方、一つの道へ出た。
美濃から越前へ出る大日越の嶮路であった。
ここは旅人の往来も稀だし、斎藤一族の勢力にも遠かった。小鳥を落して、羽をむしって生肉を喰らい、山芹や芋の根も、生のまま噛んで歩いた。
こーん。こーん……。と、斧の木魂が檜林の奥から静かにひびいていた。光秀は、従兄弟の手に、旗でくるんだ叔父の首級をあずけて、
「ここで待っておれ」
と、何処へか立ち去った。
しばらくすると、光秀は、手に一挺の鍬と、それから雑人の着る着物や山袴など、一抱えもかかえて、檜林の奥からもどって来た。
「案のじょう、この先に、木挽どもの寝小屋があったので、申しうけて来た」
彼は、光春の手へ、鍬を渡しながら云った。光春は、黙って、それを持つと、
「何処に……」
と、地相を選ぶように、辺りを見まわしていた。
「なるべく、小道からも、遠い所がよい」
光秀は、林の中へはいって、仄暗い木蔭の大地を指さした。光春は、鍬を振って、そこの土をぼくぼく掘った。
「もっと。……もっと」
光秀は、彼の掘る穴へ、そういった。光春は、首級のみ埋ける大きさに掘っていたが、光秀は、人間のはいるような穴になるまで、促していた。
やがて、光安入道の首級は、土中へ深く──そっと置かれた。光秀は、身にまとっている具足をすっかり解いて、
「光春。おぬしのも、脱ぎすてて埋けてしまえ」
と、命じた。
太刀のみ残して、二人は鎧や持物のすべてを、光安入道の墳墓のうちへ共に埋けた。
そして、雑人の着物を着、山袴を穿いたが、余りに、立派な太刀が目立つので、鞘は布で巻き、柄頭の金具は取り捨て、野武士か何ぞのように、わざと無頼な恰好に、それを腰へ横たえた。
「水はないか」
「水は流れておりますが、汲む器がございませぬ」
「いや、ある」
光秀は、林の外へ歩いて行った。どこかで、戛んッ──と、青竹を伐り仆した響きがしたと思うと、間もなく、一節の切竹を持って帰って来た。
切竹の節に、清水を掬い、光安入道の首級を埋けた大地へ手向けて、二人は、いつまでも合掌していた。
チチ、チ、
ピ、ピ、ピッ……
種々な小禽の声が、檜の密林に啼きぬいていた。二人の頭脳は冷たく澄み、明智ノ庄を落ちて来てから初めて真の吾にかえっていた。
「…………」
弥平治光春は、肱で涙を拭いていた。
父が死んだのは戦場であり、その首級は、二日二夜も抱き歩いていたのであるが、涙がこぼれて来たのは、その時が初めてであった。
「光春」
「はい」
「泣くな。おぬしが悲しむと、わしは居ても立ってもいられなくなる。──叔父御は、わしのために、御最期になられたといってもよいのだから」
「そんなことはありませぬ。武将として」
「……だが。……だが叔父御には、わしの父下野守光綱が臨終の折に、幼いわしを、どうぞ頼むぞと、叔父御へお託しになった──その責任感が、いっぱいにあったのだ。お忘れになれなかったのだ」
「それは常に、父の光安も云い暮していたことでした」
「落城が迫った焔の中でも、そればかりを案じていてくだされた。──そしてわし達を落して見事自刃されてしもうた。……勿体ない」
光秀は、もいちど、大地に両手をついて、大地を拝んだ。
「光春! ……。ここで二人は誓おう!」
「はい」
「生き残された光秀の生命は、自身のものであって自身のものではない。わしに代って死んだも同様な叔父御の生命もかかっている。また土岐源氏の御先祖方の遺命もかかっている。──この先、光秀はなおさら、徒らに無為な日を暮してはいられない」
「私とても、同じ心もちでござります」
「そうだろう。そうなくては相すまぬ。──きっと、大志を抱いて、お互いに、家名を興そうぞ。──なあ、光春ッ」
「やります! ……。城地や家臣もみな失って、裸の身一つになったのは、むしろ天の恩恵かもしれません。この二人をして、苦難の中に、研いてみろという神のお示しかも分りません」
「その心で、おぬしもやれよ。光秀もまた、もっともっと修行する。自分を文武の両道に徹しきるまで励んでみせよう」
「ああ、何か──」
光春は、胸を上げて、禽の啼き澄む梢を仰いだ。
「胸が、濶然と、開けたここちがします。十兵衛どの。亡父の霊へよい手向をしました」
「うム。わすれまい。──お互いに!」
ふたりは誓った。
大日越の難所をこえ、ようやく他郷へはいった二人は、しばらく越前の穴馬在に潜んでいたが、美濃の乱も四隣の形勢も、ほぼ見通しがついたので、やがて越前の敦賀へ出、舟で北郡の三国の津へ上陸った。
三国の津の長崎称念寺には、かねて知合の園阿上人がいた。その人を頼って行ったのである。
それから幾年かの間。
寺の門前町に、一軒借りて、二人は寺小屋などしていた。けれど光秀が手習子に教えている時は、光春が旅に出、光春がいる時は、光秀が旅に出て留守だった。
旅は勿論、風雲の下の旅だった。自分を磨きながら、あわせて、諸国の軍備や文化を視察して歩く──それを、武者修行と、時の人々はいった。
信長は、戦わなかった。
機を見るに敏な彼が、なぜ木曾川まで進軍したのに、引き揚げてしまったか。
国境木曾川のすぐ向うには、内乱の火が幾日もいぶっていた。攻め入るには絶好な機会だった。山城守道三の密使が、好条件の誘いをも齎して来ていたのである。
が、彼は川を越えなかった。
「いつもの殿にも似げないこと」
と、家中の多くは不審がった。むしろ歯がゆく思った。
「ははあ、さては信広様の内応事件に、お懲りなされているのだな」
と、いう者もあった。
信広とは、信長の兄信広のことである。
先には、弟の信行が、林佐渡や美作と謀叛を計って、信長を困らせたが、その後また、今度は兄の信広が、美濃の斎藤と内応して、清洲城を乗っ取ろうとした事件がある。
その時の、信広の計略では、
「信長めは、生来、軽挙な質だから、美濃勢が国境を衝けば、すぐ城を空にして出てゆくにちがいない。──その留守に事をなせば何の造作もない」
そういう見通しで、美濃と内通の計画をすすめていた。
そして昨年来、二、三度国境の方面で、無意味な敵の侵略行為が繰り返された。
けれど信長は、その手に乗らなかった。怪しいと感づいて、兄の信広を責め糺した。信広は、参って、
「勘弁せい。もう致さん。これからお前の股肱になって働くから」
と誓って、平謝りに弟へ謝って、事件は落着したものだった。
戦わずに木曾川から帰った信長の心を、家臣は、それと結んで考えてみたりしたのである。
独り藤吉郎だけは、そんな噂に耳を藉したこともない。相変らず、大きな桐紋のついている木綿の陣羽織に、扇子づかいをして、この夏は、せっせと、城勤めに専念していた。
たまたま、犬千代と顔をあわせることはあるが、
「やあ」
と、こちらからいうと、
「やあ」
と、向うからも応じるだけで、寧子のねの字も、どっちからも口に出したことはなかった。しかしこの二人は、恋愛戦や木曾川出陣などを重ねて来てから、暗黙のうちに、お互いの認識を次第に深めて来たようなのである。
同じ、やあ、というにも、以前よりは親密の度が濃くなっていた。
それと共に、
(あいつ、一すじ縄ではいかん男だぞ)
一方が思うと、一方も。
(下手には見下せぬやつだ。気軽なようで底が知れぬし、大雑把なようで、眸づかいは鋭くて細かい)
知り合うほど一面では、こういうふうに、警戒し合っているところもあった。
だが、この二人のみは、なぜ先頃、信長が戦わずに美濃境から帰って来てしまったか? ──などという愚かな暇つぶしの臆測ばなしなどはしなかった。犬千代には分っていた。もとより藤吉郎の胸には、もっと早くから頷けていた。
信長は、戦わない!
そして以来ひたすら自重しているふうだった。
兵馬を練り、食糧を蓄え、この夏の暴風雨で、城壁の石垣や塀が大破すると、すぐ命じて、修繕にかからせた。
二百十日、二十日前後の暴風雨は、毎年のものだった。しかし、尾張を繞って、より以上不気味なそよ風は、べつに吹いていた。西は美濃から、南は三河の松平から。そして東は、駿河の今川義元あたりの動きから──諜報は明け暮れ清洲の孤立化を告げていた。
この頃の暴風雨で、外曲輪の城壁が、百間以上も崩れ落ちた。
その工事で、大工、左官、土工、石工などが、大勢、城内へはいっていた。
唐橋から材木や石を曳き込んだり、所々に工事材料を積んでおいたりするので、城内の通路も濠ばたも、混雑を極めていた。
「足の踏み場もない」
「早く出来上らぬと、そのうちまた、暴風雨が来ると、今度は石垣が危ないぞ」
毎日、そこを通る者は、不便を喞ったが、工事縄張の立札には、
御修築地内
無断不可入
と見え、工事奉行以下の部下は皆、準戦時体制の服装や職権の下に、物々しく働いているので、誰もそこを通るには、通さしてもらうような気兼をもって、いちいち挨拶して行った。
工事は、二十日近くにもなっているが、まだ少しも捗っていなかった。不便は不便だが、誰も、そこでは声を放って苦情をいう者はないのである。
それに、城壁百間の改修は、大工事でもあるから、長くかかるのは、誰も当り前に思っていた。
「これ。今彼方へ参ったのは、何役の誰だ」
工事を督していた奉行の山淵右近が、下役の者へ訊ねていた。
下役は、振り返って、
「お厩衆の木下藤吉郎殿かと思いますが」
と、奉行の指さす後ろ姿を見まもりながら答えた。
「何、木下? ……。ああそうか、よく猿々と噂にいわれる男だの」
「そうです」
「少々、それがしに所存があるから、こんど通ったら呼び止めろ」
右近は、命じておいた。
何が奉行の癇に障ったか、下役には分っていた。毎日、出仕のたびに、藤吉郎はここを通るが、いつも挨拶をしたことがないのである。それに材木など積んであると、踏み越えて通ったりする。勿論、通路に置かれてある場合などは仕方がないにしても、城普請の御用材である以上、一応は普請方の者へ向って、許しを乞うた上、踏むべきであった。
「知らぬのだ、礼儀を」
と、下役たちは、後でいった。
「──何せい、御小人から士分に取り立てられ、ようやくこの頃、御城下に宅地をいただいて、ああやって出仕する身分になったばかりの男だ。無理もないて」
「いや、成上がり者の小威張りほど、眼ざわりなものはない。得て、思いあがっているやつだ。いちど鼻ばしらを折ってやるのも、当人の身のためだぞ」
右近の部下は、手ぐすねを引いて、待っていた。
夕方の退出時。やがて彼のすがたが見えた。
春も夏も秋もない、例の青木綿の陣羽織である。厩衆はほとんど外勤めなので、それで役目も間にあうことは間にあうが、もう身なりなども、飾れば飾れない身ではない。それなのに、相変らず藤吉郎は、自分の身なりなどに費う金は少しも持たないらしかった。
「来たぞ」
普請奉行の下役たちは、眼くばせしていた。
藤吉郎は、木綿陣羽織の──大きな桐紋を背中に見せて、悠々と、通りかかった。
「待て」
「木下氏。待て」
呼び止められて、
「わしか」
藤吉郎は、けろりと振り向いた。
「──いかにも」
「何か御用か」
「されば」
と、下役は、彼の足を止めておいて、奉行の床几へ、何か告げに行った。
薄暮の工事場から、職方や人夫たちは、役人の点呼をうけて、ぞろぞろ帰りかけていた。
奉行の山淵右近は、左官棟梁や大工棟梁などを、自身の床几場へ集めて、あしたの作事について、何か評議中だったが、聞くと、
「猿か──」
と、床几から立って、
「呼び止めたか。では、ここへ連れて来い。ここへ。──説諭しておかぬと癖になる」
と、いった。
藤吉郎はすぐ彼の前へ来た。
やあ──
ともいわなかった。
頭も下げなかった。
城内では、友人の間でも、如才ないといわれている彼としては、珍しく不愛想で、胸を反らしたまま、
(呼び止めて、何用か)
と、いった顔していた。
それが先ず、山淵右近を、いっそう怒らせた。
身分からいえば、彼と右近とでは、比較にならないほど、懸隔てがある。
右近は、清洲城の一聯である鳴海の出城を預けられている山淵左馬介義遠の子だ。織田諸将のうちでも、重臣の者の子である。──青木綿の陣羽織一着で、春も秋も越している彼とは、格がちがう。
(不遜な奴だ)
と、右近の顔は、それからしてまず穏やかでなかった。
「──猿」
「…………」
「おい。猿ッ」
呼んだが、藤吉郎は、返辞をしなかった。
これも、彼としては、いつもと違っていた。藤吉郎のそう呼ばれることは、上は信長から下は友人達まで、口癖のようなもので、彼自身、少しも気になどしていないことだったが、きょうは、常の調子でなかった。
「耳はないのか。猿」
「ばかッ」
「何」
「ひとを呼び止めておいて、たわ言も程にいたせ。猿とはなんだ」
「そちのことを、誰も皆、そう呼ぶゆえにわしも呼んだまでだ。わしは、鳴海城のほうに多くいるから、そちの姓名などよく知らん。それゆえ、人がよく呼ぶように呼んだのが、悪いか」
「悪いッ。──何と呼ぼうと宥していい人間と、宥されぬ人間とがある」
「然らば、わしは宥されんというのか」
「そうだ」
「ひかえろ。許されんのは、そちの不遜だ。毎朝、出仕の折、何で普請の御用材を、踏み跨いで通るか。われわれに会釈せんか」
「それを咎めるのか」
「礼を弁えんやつだ。侍になりたてのそちゆえ、いうて遣わすが、礼儀は武士の重んじるものだ。……それにだ! よく貴様は、ここを通行の際、工事の体を、したり顔して眺めていたり、口のうちでぶつぶつ申したりしておる様子だが、すべて、城の工事と申すものは、戦場と同じ御規則の下にいたしておるのだぞ。不届きな奴め。──以後再びそのようなことがあると、ただはおかぬから左様心得ろ!」
呶鳴りつけて──
「いや、草履取などから、士分に成上がったりなどすると、すぐこうなるから始末がわるいよ。はははは」
と、右近は、周りにいる棟梁や下役たちを顧みて、自分の大きなところも見せるつもりか、笑い捨てて、藤吉郎へ後ろを向けた。
大工棟梁や左官棟梁は、それで事はすんだものと思い、奉行の床几を囲んで、再び工事の絵図面などをひろげていた。
「…………」
だが、藤吉郎は、動かないのであった。右近の背を睨めつけたまま、去ろうともしないのだ。
奉行の下役達が、
「木下氏。もうよい」
「お叱りは、それだけだ。以後、気をつけさえすればいい」
「さ。帰れ」
宥めたり、連れ去ろうとしたが、藤吉郎は耳もかさない顔して、奉行の背中と、棟梁どもの評議とを、睨むように見ていた。
「…………」
そうしているまに、彼の若い気性と、その若い血のなかに持っている理性とが、頭のなかで、彼の哄笑を抑しきれない泡つぶでも立てたように、突然、藤吉郎は、ばかばかしく大きな声で笑いだした。
評議中の棟梁や、下役人たちは、びっくりして図面から顔を上げた。
床几に倚っていた奉行の山淵右近も、きっと、後ろを見て、
「何を笑う!」
と怒った。
藤吉郎は、なお笑って、
「おかしいから笑うのだ」
いうと、
「無礼なことを──」
右近は、憤然と、床几を蹴って立ち上がった。
「とるに足らぬ軽輩と、わしが許しておけば、よい気になりおって、不! 不埒な奴だッ。──作事場には、陣中同様な軍律があるのだぞ。うぬ、斬り捨ててくれるから、それへ直れ」
太刀へ手をかけた。
それでも、相手の顔いろも、棒をのんでいるような体も、びくとも動かないので、右近は、なお躍起に、
「捕えろッ。処置いたすから、逃がさぬように引っ捕えろ」
と、どなった。
右近の家来は、すぐ藤吉郎のそばへ寄った。藤吉郎は、黙って、寄り付こうとする者たちを、嗅ぐように見廻した。──妙な男だとさっきからその心理を疑っていたので、何か不気味で、側へは寄って、彼を囲む構えは作ったが、ひとりも手出しはしなかった。
「右近殿。おぬし、大言は上手だが、することは下手だのう」
「な、なんじゃと」
「お城の工事は、軍律も同様な御制度でするという理は、何のためにある規則か。それも口では云いながら、分っておらんのじゃないかな。──心ぼそいお奉行よ。おかしくなって笑ったが悪いか」
「聞捨てならぬ暴言。うぬ、奉行たるわしに向って」
「聞けよ、まず!」
藤吉郎は、胸を張って、あたりの顔を見まわしながら演舌した。
「今は、泰平の世か、乱世か。これの分らぬ奴は馬鹿である。しかも当、清洲のお城は、四隣みな敵のなかに在る。東に今川義元。武田信玄。北に朝倉義景、斎藤義龍、西に佐々木、浅井。南に三河の松平と──。山ひとえ、川一すじの隣はすべて敵ばかりだ」
気をのまれた形である。彼の声が自信に充ち、また、一個人の感情をいっているのでないから、その大声に気を奪われて、みな思わず聞いていた。
「──そういう状態の中にあってだ。暴風雨がふけば、すぐ壊れるような土塀を、お城の鉄壁とも恃んで、御家中はみな、非常の心構えを弛めずに、四隣を睥睨しておるのだ。……然るに、これぱしの工事に、二十日もかかって、まだのめのめと、悠長な日を費やしておるとは、もってのほかな怠慢。もしこの間隙に乗じて、一夜に襲せて来る敵があったらどうするか」
雄弁は彼の特徴である。ただその持前を余り出しすぎると、饒舌家といわれたり、法螺ふきと思われたり、またか、と人に厭われたりするので、平常は慎んで、なるべく寡黙を守っているのであった。
けれどまた、いう時にはいわなければいけない、とも信じられるので、彼は今、その得意な舌の限り弁じ立てて、周りの者を、聴従させずに措かなかった。
「およそ、お城普請には、三つの法がある。第一が秘速。秘密裡に迅速ということである。第二には堅粗、堅固にして粗なるもよしということである。装飾や美観は泰平になってからやれば宜しい。第三には、常備間防ということだ。──常備間防とは、御普請中だからといって、工事混雑し、平常の備えが欠け、或いは、乱れたりしてはならんと誡めたものである。工事中、いちばん怖ろしいことは、その間隙の生じることだ。たとえ一間の土塀といえども、その間隙から、一国の壊えが来ないとは申されぬ」
雄弁は圧倒する。
奉行の山淵右近は、その間に、二、三度、何か発言しようとしたが、藤吉郎の演舌に抑えられて、ただ唇をふるわせたに過ぎなかった。
左官、大工などの棟梁たちも、組下の者も、最初は唖然として、藤吉郎の声にのまれていたが、彼のいう道理が耳にはいると、暴言や暴力もさし挿めなかった。
いったい誰が奉行なのか、分らなくなってしまった。藤吉郎は、周りの人間たちの頭に、自分のいう意味が届いたと思うと、さらに、立てつづけて云った。
「──然るに、失礼ながら、山淵殿の御工事ぶりは、いったい何事であろうか。どこに迅速があるか、常時の備えがあるか。二十日近くもかかって、まだ一間の塀すら立っていないではないか。土塀下の石崩れの修築が手間どるとお云いだろうが、そんなことで、城普請は陣中の軍律も同様だなどと、広言を吐くのは、身の程を知らなすぎる。──この藤吉郎が敵国の間者なら、虚をついて、この口から討って入るでござろう。左様なことが突発せぬから、悠々と、隠居の茶席普請のようなことをやっておられるが、危うい限りである。御城内へ出仕するわれわれにとっても、毎日、足もとが悪くて迷惑至極だ。その通行を咎めるよりも、よく御評議あって、工事の進捗を早速になされよ。──よろしいか、お奉行のみでなく、組下の与力衆も、また棟梁どもにおいても」
説諭である。
まるで一場の訓示だ。
云い終ると、彼は、
「いやどうも」
と、朗らかに笑った。
「──どうもつい、思う通りなことをいってしまって、失礼いたした。これも朝夕、御奉公大事と思う、お互い様のことでな。……いや、お邪魔いたした。いつのまにか、暗くなりましたぞ。もはやお引揚げであろう。お先に失礼いたします」
奉行以下一同が、あっけにとられているまに、藤吉郎は、さっさと、城外へ帰ってしまった。
翌日。
彼は厩衆の溜にいた。
厩方に勤めてからは、そのほうでも、彼の精勤ぶりは、誰にも劣らなかった。
(あんなに、馬の好きなやつはないな)
と、同僚からも呆れられる程、彼は自身の受け持っている厩廻りの仕事と、また、飼馬に手をつくして、馬と共に起臥していた。
「木下。お召しだぞ」
厩の前に、組頭が来て告げた。藤吉郎は、信長の愛馬山月の腹の下から、
「──誰がで?」
と、訊ねた。
山月の脚に、腫物ができたので藤吉郎は、馬盥の湯で、馬の脛を洗ってやっていたのである。
「お召し──といえば、御主君にきまっておる。殿のお召しだ。はやく行け」
組頭は、そういって、
「おい、誰か、木下に代って、山月をお厩へ入れろ」
と、侍たちのいる溜を振り返って云った。
「いえいえ。やって行きます」
藤吉郎は、馬の腹の下から出なかった。山月の脚を洗い終ると、薬を塗って、布でしばってやり、そして馬の首や毛なみを撫でながら、自分で厩のうちへくくりつけた。
「殿様には、どちらにおいでになりますか」
「お庭先だ。はやく行かぬとごきげんを損ねようぞ」
「はい」
彼は、溜の内へはいって、壁に懸けてある例の青木綿の一張羅を引っかけた。
信長は、庭へ出ていた。
柴田権六と、小姓の犬千代など、四、五名をつれていた。
お鷹衆の者が、何か、その足もとから、身を起して退って行った。
そこへ、入れ代りに、青木綿の陣羽織の彼が、駈け寄った。──と、いっても、十間も遠く離れた所で止まって、すぐ手をつかえていたのである。
「お。──猿か」
「はッ」
「寄れ」
信長は、後ろを見た。
すぐ、犬千代が、床几を置く。
「もっと寄れ」
「はあッ」
「猿。ゆうべかな? ……。そちは外曲輪の普請場で、だいぶ大言を吐いたというではないか」
「は。もうお耳に」
信長は、苦笑した。その大言を吐いた人間らしくもなく、藤吉郎が、自分の前ではひどく恐縮して、顔を赤めているからだった。
「以後、慎め」
信長は、きつく叱って、
「今朝ほどから、山淵右近が、そちが無礼のかどを挙げて、厳ましゅう訴えて来おる。──したが、他の者のはなしでは、そちの大言にも、一理はあるらしいゆえ、宥めつかわした」
「恐れ入ります」
「謝罪して来い」
「は?」
「普請場へ参って、右近に謝って来い」
「てまえがですか」
「当りまえなこと」
「おいいつけなれば、謝って参りますが、よろしいでしょうか」
「不服か」
「恐れながら、悪弊になるかと存じます。なぜならば、てまえの申し条は正しく、彼の仕方は、御奉公に忠実とは申されません。あの程度の御修築に、二十日近くもかかって、なおまだ──」
「猿、待て」
「は」
「わしにまで、そちは、大言を吐くか。そちの演舌は、他の者より聞いておる」
「当りまえなことを申したまでで──大言とは、いささかも思いませんが」
「然らば、そちはあの工事を、幾日で仕遂げてみせるか」
「左様で──」
と、彼もすこし慎重になって考えていたが、即座に答えた。
「多少、手がついておりますから、後三日もあれば難なく竣工──と、存じますが」
「なに。三日」
信長は、声を放った。
柴田権六は、苦い顔して、真にうけている主君をむしろ笑っていた。──ただ犬千代は疑わない眼で、藤吉郎の睫毛のうごきまで、じっと見ていた。
藤吉郎はその場で、主君から普請奉行の大役をいいつけられた。
山淵右近に代って、三日のうちに、城壁百間の修復をやってみろといわれたのである。
「かしこまりました」
彼は、おうけした。そしてすぐ退りそうにしたので、信長は、
「待て待て。汝、そのような安うけあいして、確かにやれるのか。よいのか」
念を押した。そういった信長の気持には、この男に、つめ腹を切らすような失態をさせたくないとする──思いやりがあったのである。藤吉郎は、坐り直して、
「必ず致しまする」
と、云いきった。それでも、信長はまだ、
「猿。──禍いは口からというぞよ。つまらぬ行きがかりの上なら、今のうちにそのような意地は捨てたがよい」
と、なお考慮の余地を与えて諭したが、藤吉郎は、
「いずれ、三日後に、御検分を仰ぎ奉りまする」
とのみいって、主君の前を退ってしまった。
すぐ彼は、厩衆の溜へもどって来て、
「組頭。てまえは、主命によりまして、三日ほど、外曲輪の御普請のほうへ、全力でかかることになりました。その間、どうかよろしく──」
と、挨拶して、その日は、やや早目に、わが屋敷へ帰って来た。
「ごんぞ。ごんぞ」
主人の声に、若党の権三が、奥をのぞいてみると、藤吉郎は、衣服を脱いで、そう立派でもない肉体をまる裸にして見せて、ちょこなんと胡坐をくんでいた。
「なんぞ御用にござりまするか」
「用だ!」
と、元気よく、
「金はあるかな。手元に」
「お金で?」
「さればよ」
「さあ……」
「いつか少々、その方に家事の雑費としてあずけておいた金はどうだ!」
「もう、疾くにございませぬ」
「では、勝手元の金子は」
「お台所のほうも、ずっと前から少しも御用意がございません。で、その由を、先々月か、お耳へ入れましたところ、そうか、よいようにしておけ、と仰っしゃるだけなので、ぜひなく、やりくり算段をしてお暮しを弁じておるような始末で──」
「ふウ……む。では金子はないのか」
「あるはずはございません」
「はてなあ?」
「いかがなされました」
「俄に、人を招いて、振舞いたしたいのだが」
「酒、お肴のことぐらいなら、走りまわって、ごんぞが、町人たちから借り立てて参りまするが」
「そのことよ」
膝を叩いて、
「ごんぞ、頼むぞ」
藤吉郎は、渋団扇を取りよせて、体のまわりを大きく煽いだ。もう秋風も立ち、桐畑の桐の葉も夥しく落ち出しているが、やぶ蚊はなかなか多いのだった。
「して、お客様は」
「御普請の棟梁どもだ。やがて顔をそろえて参るだろう。おれの屋敷へ集まれと、お城で云い渡しておいたからな」
ごんぞを、使いに出して、藤吉郎が裏庭で、行水の湯を浴びていると、表口に誰か客の声がした。下婢が出て行った。
「どなた様でございますか」
客は、笠を脱って、
「御城内の前田犬千代」
といった。
行水から上がって、縁側で浴衣を着ていたこの小屋敷の主は、そこから表をのぞいて、
「やあ。やあ。──誰かと思ったら犬千代か」
無造作に、どなった。
「上がられい。さあ、奥へござれい」
と、自分で敷物など直した。
犬千代は、坐りこんで、
「突然に出向いた」
「めずらしいお越し。──何ぞ急用でも」
「いや、わしの用事ではない。おぬしのことでだ」
「ほ……?」
「ひと事のような顔されるが、それどころではおざるまい。大変な確約を結ばれて、犬千代ですら、陰ながら憂いにたえない。おぬしのことゆえ、充分、成算はあってのことだろうと思うが」
「あ。工事のことでござるか」
「いうまでもない。よしもないことを云い出され、御主君におかれてさえ、人ひとり、要らざることで、腹など切らせとうない──といったようなお顔いろであった」
「三日といってしもうたのでな……」
「成算は、あるのか」
「ない」
「ない?」
「もとより、お城の工事など、てまえは皆目、素人でござれば」
「で、どうするおつもりか」
「ただ、普請に働くものは人間だから、その人間を、完全に使えば、人力の及ぶところまでは出来得ると信じておる」
「さ。……そこがだ」
犬千代は、声をひそめた。
妙な恋仇である。
ひとりの寧子を、二人で想い合ってから、いつかこの二人は、恋仇という相対的な関係から、反対に、親密の度を加えていた。──というてべつだん、胸襟をひらくとか、肝胆相照らすとか、ことばや形の上で、手を握ったわけでも何でもなく、不和な仲に、彼を知り、此方を知って、自然、男と男との交際が始まって来たのであった。
わけて、きょうの犬千代の訪れなどは、真実、藤吉郎の沙汰を、心配して来たものらしく、その様子は、飾らない態度にも、ぞんざいな言葉のうちにも、汲み取れた。
「──そこがとは?」
「山淵右近の気もちになって、きょうのことを、おぬし、考えてみたか」
「さだめし、無念がって、この藤吉郎を、恨んでおることと、察しておる」
「──では、その山淵右近の、日常の行いや、また侍としての、彼の心事をも、観ておらるるか」
「おるつもりだが」
「そうか……」
犬千代は、ことばを切って、
「おぬしが、そこさえ、看破しておれば、わしも安心だが」
「…………」
じっと、藤吉郎は、彼のつぶやく顔を見ていた。
そして、何か頷いた。
「さすがは犬千代。貴公も、眼をつける所へ、よう眼をつけるのう」
「いや、眼の早いのは、おぬしに敵わぬ。──山淵右近へ、それと眼をつけたのも鋭いが……」
「あいや、待った」
藤吉郎が、口を抑えるまねをすると、犬千代も快活に、
「あはははは。いわぬが花か。いうては味ない。いうては味ない」
と、手をたたいて笑い合った。勿論、いえば、寧子の名が出るところであった。
使いに出た若党のごんぞはやがて帰って来た。その後から酒が届き、肴なども届いた。
犬千代が帰りかけると、
「ちょうど、酒が届いた。一献召してお帰りやれ」
藤吉郎はひきとめた。
「せっかくなれば」
と、犬千代も腰をすえ直して、遠慮なく馳走になっていた。しかし、この酒や肴を設けて待った当夜の客は、一人も見えなかった。
「はて。誰も来んなあ。……ごんぞ、どうしたものじゃろう」
藤吉郎が、ごんぞを顧みて、こう噂すると、犬千代が側からいった。
「木下。おぬしは、御普請に関係しておる棟梁たちや、人夫の頭どもを、今夜招いておったのか」
「さればよ。何かの打ち合わせもせねばならず、また、三日の間に、工事を仕終すには、大いに、士気も鼓舞せねばならぬから──」
「はははは。買いかぶったわえ。わしはおぬしを」
「なぜ。なんでそれがしを、買いかぶったといわるるか」
「人いちばい、眼はしのきく男ぞと尊敬していたに、さりとは、お先の見えぬ」
「ふーむ」
藤吉郎は、笑う犬千代を、まじまじ眺めて、
「……そうかなあ?」
と、あいまいに呟いた。
「考えても御覧じ──」
と、犬千代は、いって聞かせるような口調である。
「相手は小人。──小人の中でも小人型の山淵右近ではないか。おぬしのために、首尾よう鼻をあかされることを、祈っておるはずはない」
「勿論だが……」
「というて、彼が、指をくわえて見ておろうか。──わしはそう考えんなあ」
「なるほど」
「極力、おぬしが、不成功に終るよう、邪魔を策しているにちがいない。……さすれば今宵、ここへ来いといわれた棟梁どもでも、来ないと考えたほうが正しかろう。職人、棟梁の輩は、おぬしよりも、山淵右近のほうが、ずんと偉い人と思うているしな」
「いや、分った」
藤吉郎は、あっさり頭を下げた。そして一膝すすめると、
「──ならばいっそ、この酒は、飲めよと、二人へ授かったようなもの。神の御意にまかせて、飲もうではないか」
「飲むのはよいが、おぬしには、明日から三日のうちに誓約があるぞ。よいか」
「よいとも。よいとも。明日はあしたの風というもの」
「お覚悟あるなら、腰すえて飲もう」
多くは飲まないが、話が尽きないのである。犬千代は談論風発であったから、藤吉郎のほうがどうしても聞き手になった。藤吉郎はまた誰とはなす時でも、聞き上手であった。
藤吉郎は、一定の学問をしていない。武家の子弟のように、学問や教養だけで過せばよい日などは、過去に一日もなかったのである。それを不幸とは少しも考えなかったが、世に立つ短所であることはよく弁えていたので、自分より教養のあるものと思えば、その者の知識を、座談のあいだにも、自分の物にしようと努めて心がけていた。──自然、人のはなしを忠実に聞き、また聞き上手な態度になるのだった。
「やあ、よい心地になった。木下、もう寝ろ、もう寝ろ。──明日は早かろう、しっかり頼むぞ」
犬千代は、やがて自分から杯をひかえ、そういうとすぐ帰ってしまった。
犬千代が帰ると、藤吉郎はすぐ横になり、手枕で眠ってしまった。
下婢が来て、枕をあてがったのも、知らないふうであった。
彼は毎夜よく大睡した。眠りつけない夜などは知らなかった。母の夢も見なかった。亡父の夢も見なかった。眠ったが最後、天地も彼もけじめのない、一個の生態でしかなかった。
──だが。
起きると、途端に、彼は彼であった。
「ごんぞ! ごんぞ!」
「はあッ。……もうお目ざめでございますか」
「馬を出せ」
「へ……?」
「馬を曳け」
「お馬を?」
「さればよ。今朝からは早出仕だ。いや、こん夜も明夜も帰宅すまい」
「生憎と、御当家にはまだ、馬も厩もございませぬが」
「わからぬ奴、近所から借りて来い。遊山に乗るのではない、御奉公のため要るのだ。遠慮なく申して曳いて来い」
「でも……夜明けとは申せ、まだ外は暗うございますが」
「寝ていたら、門を叩け。わが事と思うからそちは尻ごみするのだろう。御奉公のためだ、差しつかえはない」
ごんぞは、あたふたと、衣服を纒うと、戸外へ飛んで行った。
何処からか一頭の駒を曳いて彼はもどって来た。門に出て、待ちかねていた無造作な主人は、何処から借りて来たかなどとも訊きはしない。もうわが物のように、それへ乗って、夜明けの闇を駈けていた。
彼は、工事に携わっている主なる職方の棟梁の屋敷を、六、七軒駈けまわった。
大工や石工の棟梁とはいえ、みな扶持取りで、織田家の工匠部に属するものであるから、職方の支配役たる彼らの家は、みな贅沢な居宅を構え、婢妾を蓄えて、藤吉郎の今住んでいる桐畑の中の小屋敷などとは、比較にならないほど堂々としていた。
彼は、一軒一軒、門をたたいて、まだ眠っている外から布令て歩いた。
「集まれッ。集まれッ。御工事にたずさわる輩、一名のこらず、今暁寅の下刻までに、御城内の普請場に勢ぞろいせよ。万一、時遅れたる者は、一切放逐するぞ。──すぐ職方へ申し触れて馳せつけよ。──君命であるッ。君命をもって申しつけたぞ」
次々に、こう伝えて、やがて彼の駒が、汗に濡れた毛並から白い湯気をたてながら、清洲城の濠際へ来た頃には、ちょうど東の空が明るくなりかけていた。
彼は、城門の外へ駒をつなぎ、一息つくと、やがて唐橋の口に立ちふさがっていた。手に太刀を抜き放ち、くわッと射るような眼をして、立っていた。
暗いうちに起された職方の棟梁たちは、何事が起ったかと、各〻の下職を牽いて、次々にやって来た。
藤吉郎は、それらの者へ、
「待て」
と、一応、唐橋の口で堰止めてから、名前、職場の位置、下職や人足の頭数など、いちいち点呼してから、
「通れ」
と、許し、そしてまた、
「静粛に、御普請場にて暫時待っておれ」
と、いい渡した。
彼の概算で、頭数は、ほとんど洩れなく集まった。職人どもは、仕事場に整列したが、不安と疑いに、ざわざわ囁き合っていた。
やがて藤吉郎は、一同の前に立った。唐橋の口で引っ提げていた太刀を、ここでも鞘に入れず、引っさげていた。
「騒めくなッ」
太刀を上げて、その切っ先で命じるようにいった。
「──列を正せ!」
号令である。
職人どもは、びくッとしたが、棟梁たちの顔には、せせら笑いが泛んだ。年齢からいっても、世俗的に見ても、彼らの眼からは、
(なんだこの青二才が──)
としか思えない。
その藤吉郎が、頭から自分らへ、胸を張って臨むなど、片腹痛いと思うのである。それとなお、太刀を抜いて、高圧的に出るなど、生意気な仕ぐさだ──とも反感を催したふうだった。
「一同の者へ云い渡す……」
藤吉郎は、まるで無頓着かのように、大声で云った。
「今日より不肖木下藤吉郎、君命によって、ここの御普請を承ることになった。きのうまでは山淵右近どの、奉行に就かれていたが、今日よりは木下藤吉郎が代って奉行いたす。──ついては」
と、彼の顔は、職人どもの列を右端から左端までずっと見た。
「それがしは、つい先頃まで、御小人の末にあった者で、君恩により台所御用役へ転じ、今では厩衆の一員ではあるものの、まだ御城内のお勤めだに、充分には参らず、ましてや工事向きのことなど、一切弁えんが、ただ御奉公の真心だけは、人におくれは取らぬつもりだ。──こういう奉行、こういうそれがしじゃによって、その方らのうちには、わしの下風については働けんと考える者があるやも知れぬ。工匠には工匠の気質もあること。嫌なら遠慮なく嫌といえ。即座に、解雇してつかわすであろう」
誰も黙っていた。
せせら笑いはつつんでいたものの棟梁たちも、口を閉じていた。
「──ないか、藤吉郎の奉行に不満の者はないか」
重ねて、糺すと、
「へーい」
一様に頭を下げた。
「然らば、直ちに、この方の指揮の下に仕事にかかれ。──その前にあらかじめ申しおくが、戦国多事の折、これぱしの改修に、二十日も費やしおることは断じて許されぬ。今日より三日のうち──三日目の夜明けまでには工事を終る予定である。その心得にて精出して致すよう、確乎と、申しつけたぞ」
棟梁たちは、顔見あわせて、薄笑いをうかべた。子飼からその道の飯をくって、生え際の禿げ上がりかけている彼らとしては、当然、そういう嘲笑にくすぐられるのも、むりはなかった。
藤吉郎は、それに気がついていないではないが、全く無視していた。
「棟梁ども。──石工、大工、左官の頭ども、これへ進め」
「へい」
返辞はしたが──また前へは出て来たが、彼らの顎や、鼻の穴や、眼ざしは皆、冷侮をただよわせて、上を向いていた。
藤吉郎は、いきなりその中の端にいた左官頭を、太刀のみねで、撲りつけた。
「無礼者ッ。腕拱みしたまま、奉行の前へ出るやつがあるかッ。退されッ!」
斬られたと思ったのであろう、その左官頭は、ぎゃッと、大げさに叫んで倒れた。
他の者も、色青ざめて、思わず脚をふるわせた。
「仕事の持場と、坪割を申しわたす。それぞれの頭たる者は、慥と承って、違背ならぬぞ」
続いて、彼は、厳格にいった。
もう誰も、迂かつな顔や、鼻の先で聞いているような態度は改めた。
心服はしていないまでも、静粛にはなった。肚では反抗しても、うわべは怖れた顔していた。
「御城壁百間を、五十に割付け、一組の持場を、二間当てとする。──組には、大工三名、左官二名、石工その他五名、合わせて十名をもって組織する。職方の配置、頭数の振りあては、持場によってちがうゆえ、それは各組の頭と棟梁の按配にまかせおく。──棟梁どもは、一人で約四組から五組の督励に当り、組の仕事を指揮し、職人たちに手すきなきよう、絶えず人数の配りに気をつけ──職方の余裕あるところの者は、すぐ手不足の部署に移し、寸分、息もつく間があってはならぬ」
「へーい」
ともすれば、彼らは、不穏な色を示した。そういう講釈も癪だし、坪割のいいつけにも不平なのである。
「あ。──云い忘れた」
藤吉郎は、語気を昂げて、
「今申した、二間一組の十名の割当てのほかに、一組に対し、人夫八名、職人二名ずつ──これは遊軍として、附けおくであろう。今日までの仕事ぶりを見るに、左官その他の職人どもは、ともすれば、足場を離れ、自分の仕事にあらぬ、材料の持ち運びやら、雑用などに日を暮しておるが、職人が職場に向うは、戦士が敵へ対した時と同じである。部署を離れてはならぬ。大工は大工の──左官は左官の──石工は石工の、道具を手から措くな。戦場で、槍や太刀を、手より離すのと同じであるぞ」
それから、図面によって、部署をきめ、人数を割り当てなどしてから、彼は、
「──かかれえッ!」
と、戦争を開始するような勢いでどなった。
勿論。
彼の腹心ではないが、仕事の下役として、きのうまでの侍たちも、与力していた。
その一人に、拍子木と、太鼓番をいいつけた。
藤吉郎が、かかれというと、太鼓番は、太鼓をたたいた。一鼓六足を踏んで、敵陣へ迫ってゆくように太鼓は鳴った。
かち。かち。かち……
拍子木は、休息だった。
「休め!」
と、彼は石の上に突っ立って、号令していた。休まないでいる者がいると、休めッ、と叱った。
俄然、仕事場の空気は、きのうまでの惰気を一掃して、戦場のような眼つきと、汗の殺気がみなぎった。
だが、藤吉郎は、黙って見ていながら、
(まだ、まだ、こんなことでは──)
と、決して満足な顔いろではなかった。
労働する者は長い労働の体験から教わっている狡い体の使い方を知っている。よく働いているように見せかけながら、実は真実の汗はしぼっていないのだ。彼らの反抗は、服従していると見せて、その実、能率を上げないことで、いささか内心で慰めているのであった。
藤吉郎の過去は汗の中の生活だった。汗の真価を知っている。汗の美しさを知っている。労働は肉体のものだというのは嘘である。労働にも精神がこもっていなければ牛馬の汗と差別はない。──彼は、真実の汗と真実の労力が、どうしたら人間から発揮されるか、口を結んで考えていた。
喰うために彼らは働いている。或いは、親とか妻とか子とかを喰わせるために働いている。いずれにしても、彼らの働く意思は、食のためとか、享楽のためとか、それ以上に出ていなかった。
小さいのだ。卑屈なのだ。
もともと、その程度の望みしか持たない彼らなのである。
藤吉郎は、不愍を催した。
(かつては、自分もそうだった……)
と、思う。
小さい望みしかもたない人間に、大きな働きを求めても無理である。大きな精神を把持させなければ、大きな労力の効果と能率はあがる筈がない。
半日経った。
普請場の一ヵ所に、黙然と、突っ立ったまま、半日はすぐ経った。
まる三日間のうちの半日は、六分の一の時間である。だが、全工事を見渡したところ、朝から少しも捗った跡は見えなかった。丸太足場の上や下で、わあわあと、掛け声や様子ばかりは、懸命にやっているようだが、実際は、偽装に過ぎなかった。むしろ彼らは、肚の中で、藤吉郎の完全なる惨敗を、三日の後に予期しながら、その目企みの下に巧妙な怠け方をしているといっても過言でなかった。
「午だ。──柝を打て」
藤吉郎は、下役へ命じた。
拍子木が鳴って廻る。工事場の物音や喧騒が、いちどに休む。藤吉郎は、職人たちが昼飯の弁当をひらき出したのを見ると、太刀を鞘におさめて、何処かへ立ち去った。
午過ぎの半日も、工事場は、そんな空気で暮れかけた。
いや、午まえよりも、秩序がみだれ、惰気が漂って、山淵右近が奉行していた昨日と、変りがなかった。
それに職人や人足たちは、今夜からは不眠不休で、三日間は、城外へ出さないと云い渡されているので、よけいに労力を惜しんで、横着に立ち廻る算段ばかりしていた。
「仕事止めい。仕事止めーい。一同手を洗って、広場へ集まれーッ」
まだ明るいうちだったが、突然、拍子木を打ちながら、下役の一人が触れ廻った。
「何だろう?」
職人たちは怪しんだ。棟梁にきいてみても、棟梁にも分らなかった。
ともかく一同は、材料置場になっている広場へ行ってみた。するとそこには、野天ではあるが、酒や肴が山とばかり支度してあった。莚の上や、石や材木を席にして、一同を腰かけさせた。そして藤吉郎は、職人たちの真ん中に腰をかけ、杯を挙げながら、
「さて。何もないが、これから三日間。──といっても、はや一日は過ぎたが、無理な仕事をしてもらわねばならんで、今夕だけは、一杯飲んで、存分、体を休めてくれい」
朝の彼とは、別人のように、まず自分から悠長に一杯飲んで、範を示した。
組々の者へ、酒の銚子や、肴なども配って、
「さあ、心おきなく飲んでくれい。酒のきらいな者は、肴でも、甘い物でも」
と、すすめた。
職人たちは、単純に感激した。しかし、奉行の藤吉郎のほうが、先にいい機嫌になってしまいそうなので、三日目の完成を、彼らが、かえって心配しだした。
けれど藤吉郎は、誰よりも、上機嫌で、
「酒は、充分にあるぞ。しかもお上の酒だ。いくら飲んでもお酒倉にあるほどは飲みきれまいが。──飲んだら、踊るもよし、唄うもよし、寝るもよしじゃ。懸り太鼓の鳴るまでは」
といった。
職人たちは、すぐ不平を宥められた。
労役から解かれた上、思いがけない酒肴に出合い、奉行自身も寛いで、自分たちの仲間にまじって、飲みもし、食いもし、話もするので、すっかり欣しくなってしまった。
「話せるな。この旦那は」
などと彼らも、少し酒がまわると、戯れたりした。
だがそれは、下職や人足たちのことで、頭立った棟梁たちは、依然藤吉郎を白眼視していた。
(ふふん……。見え透いた小才を振りまわしゃあがる)
むしろ、反感を募らせていた。こんな所で、酒が飲めるか──といった顔つきで、杯など手にも触れないのである。
「どうだな、棟梁ども」
藤吉郎は、杯を持って、彼らのその白眼視の中へ、自分から起って腰をうつした。
「そち達は、いっこう飲まぬようではないか。棟梁は、一方の武将、責任を思うて、酒も参らぬとみゆるが、まあまあ、案じるな。──出来るものは出来る。出来ぬものは出来ぬ。まちごうて、三日のうちに出来なかったら、わしが腹を切ればすむ……」
と、最も苦りきっている棟梁の一人へ、杯を取らせて、藤吉郎は自分で銚子から注いでやりながら、
「──まあ、心配といえばだなあ……この度の御普請の一事でもないし、もとより、この藤吉郎の一命などでもない。わしは、お前らの住んでおるこの国の運命が心配だ。何度もいうようだが、これしきの普請に、二十日もかかっているような状態では──そうした人心では──この国は亡びるな」
憂いをこめていった。
ふと。彼の声に、職人たちも、しんみりした。
藤吉郎は、嗟嘆するもののように、宵の星を仰いで、
「興る国──亡びる国──おまえらもずいぶん見て来ただろう。国の亡びた民の惨めさも知ってるだろう。──どうも是非のないものだ。われわれ侍の端くれも、重臣も、御主君はもとより、夢寐の間も、一尺の国土たりと、守り防ぎは忘れぬが……国の興亡は、実はお城にあるわけじゃないからな。──では、どこにあるかといえばお前らの中にあるのだ。領民が石垣だ、塀だ、濠だ。──おまえらはこのお城普請に働いて、他家の壁を塗っていると心得ておるか知らんが、そいつは大間違いだ。おまえら自身の守りを築いているのだ。もし、このお城が、一朝にして、灰になったらどうだ。お城だけが、そうなってすむわけはないぞ。御城下は、兵火につつまれる。領内一円は、敵兵の蹂躪に委せてしまう。……阿鼻叫喚だ……。親にはぐれて泣く子、子をさがしてよろぼう老人。悲鳴をあげて逃げまどう若い娘。誰にも顧みられずに巷で焼け死ぬ病人。──ああ、国が亡んだらもう終りだ。おまえらにも、親もあろう子もあろう、妻もあろう病人もあろう。常日頃、よくよく心いたしておくがよいぞ」
「…………」
棟梁たちも、さすがに、冷笑をひそめて、真顔になった。彼らには、財があり、眷族があり、今が幸福だけに、痛切にひびいた。
「──それを、今日、みな安泰にいられるのは、何の力か。もとより、主君の御威光はいうまでもないが、おまえたち領民が、お城を中心に、慥乎と、国土を護っていてくれるからだ。──われわれ武士ばかりが、いくら戦ったところで、おまえたち領民の心が弛んでいたら……」
藤吉郎は、涙ぐむばかりにいった。策や上手でいうのでは決してない。心から、彼はそう憂い、そう信じているのであった。
一瞬、彼の真実なことばに打たれた者達は、酒の酔いもどこへやら、声をのんで、藤吉郎の面を見まもり合っていた。
──と。
どこかで、洟をすするような嗚咽が聞えた。
見るとそれは、棟梁仲間のうちでも、最も古手で幅利きな──そしてきのうから変った新奉行の藤吉郎に対しては、誰よりも露骨に、反抗を示していたあばた顔の大工の棟梁であった。
「ああ。……おれは、おれは」
と、その男は、人前もなく、じゃんか面に、ぼろぼろと涙をこぼし、その涙を、掌で逆さに撫でて嗚咽していたが、人々が驚いて、
(何事か?)
と、自分を振り向いたと意識すると、彼はにわかに、仲間の者を押しわけて、藤吉郎の前へすすみ、
「申し訳ございません。自分の馬鹿や浅慮がよく分りました。どうか手前を、見せしめのため、お縄にかけて、一刻もはやく、お国のため、工事をおいそぎ下さいまし。……まったく悪うございました。手前の考え違いでございました」
大地へ、顔をうつ伏せたままじゃんかの棟梁は、身をふるわしていうのだった。
「……?」
藤吉郎は、初めのうち、ちょっと呆っけにとられた顔をしていたが、ははアと何かうなずくと、図ぼしを指すようにいった。
「うム。……山淵右近に云いふくめられたな。そうであろうが」
「木下様には、それをご存じでございましたか」
「知らいでどうするものか。──山淵右近は、おぬしへも、他の者へも、わしの招きには行くなといったであろう」
「へい……」
「そしてまた、出来得るかぎり、御工事の場所では怠け、わざと仕事を遅滞させ、藤吉郎の命に反けといっただろう」
「は……。はい」
「それくらいなことは、あの男にはある筈の理があるのだ。おぬしらも、ヘタをすれば、首の座に並ぶところじゃったよ。……まあよい、大きななりをして泣くな。悪いと知って白状したからには許してつかわす」
「まだ申し残していることがございます。山淵様がいうには、御工事を、なるべく下手にやって、三日の先まで遅れさせたら、手前どもに、それぞれ莫大な金をやろうと──それは極く内密のことでございますが、そう仰っしゃいました。……けれど木下様のおはなしを聞いてみれば、そんな金に眼をくれたり、山淵様の口にのって、貴方様に楯突いたのは、まったく自分の身を亡ぼすように努めているようなものでございます。すっかり、眼がさめました。どうか、その謀叛組の先棒になったわしを縛って、御工事を、滞りなくおやり遂げくださいまし」
じゃんかは、さすがに、潔くいった。一人で罪を負おうとした。
藤吉郎は、にこと笑った。この男が、この仲間では、いちばん力になることを、すぐ知ったのである。
強い抗敵ほど、一転すれば、真実の味方になる。
彼は、じゃんかの手を後ろへまわして縛る代りに、杯を持たせていった。
「罪は、おぬしらにはない。そう覚ったら、同時に、おぬしらは、善良な領民だ。さあ飲んでくれ。そして一休みしたら仕事にかかってくれい」
じゃんかは、両手で杯を押しいただくと、
「ありがとうございます」
心から頭を下げた。
しかし、酒は飲まなかった。
「おいッ、みんな!」
突然、じゃんかはそう呶鳴るようにいって突ッ立つと、杯を高く挙げて、
「せっかくの思し召だ。これ一杯ずつ飲んだら、すぐ仕事にかかろうぜ。てめえ達も、聞いたろう。木下様のおことばを聞いちゃあ、おれ達は、面目なくて、どうして天道様が、罰をあてなかったか、ふしぎなくらいなものだ。今日まで、喰いつぶして来た米の手前にも、一世一代、働いてみる。ほんとの御奉公をやってみせる。──おらあそう肚をきめた。てめえ達は、どうする⁉」
じゃんかのことばが終ると同時に、他の棟梁も職人たちも、一せいに起ち上がって、
「やろう」
「やりましょう」
異口同音に答えた。
藤吉郎も、飛び上がって、
「やってくれるか!」
「やりますとも」
「かたじけない」
彼も、杯を挙げ──
「では、この酒は、三日の後まで、預かっておくぞ。首尾よく御工事がすんだら、その時こそは、心ゆくまで飲むとして」
「わかりました」
「また、山淵右近が、おぬし達にくれるといった金は、何ほどか知らんが、それも竣工の後は、藤吉郎が身にかなう程の褒美はいたすぞ」
「そんな物は要りません」
じゃんかを始め、職人側の一同は、杯のものだけ一口干すと、
「それッ」
と、ちょうど戦場の武者が先陣を争うように、元の仕事場へ向って、われがちに駈け出した。
その気勢を見送ると、藤吉郎は初めて心から眉をひらいて、
「出来たッ」
と、思わず大きな声で、独り言を洩らした。
けれど、この機を外さず彼もまた、一職人となって、泥仕事の中に立ち交じり、これからまる三晩と二日のあいだの、死にもの狂いな工事の中に、指揮もしたり働きもする決心だった。
──で。職人たちが皆、駈け去った後から、彼も彼方へ急ぎかけると、
「猿。猿」
呼ぶ者がある。
呼びながら、跫音は、彼のそばへ直ぐ駈け寄って来た。宵なので、近づいて来たので初めて分った。これはいつになく落着かない容子をした犬千代であった。
「や。犬千代か」
「おわかれだ」
「えッ?」
「遽かに、わしは他国へ走ることになった」
「ほんとか」
「御殿で、人を斬った。そして御主君から叱られた。当分、牢人する」
「誰を斬ったのか」
「山淵右近をだ……。わしの気もちは、誰よりも、おぬしが知ってくれよう」
「あッ。逸まったことを」
「若気だ! ……。斬った後ですぐそう思ったが、間にあわぬ。性分というものは、抑えていても、無意識に出てしまう。──いや愚痴はよそう。おさらば」
「もう行くのか」
「猿、……寧子をたのむよ。やはりわしには縁がなかった。……可愛がってやってくれよ」
× × ×
その頃──
清洲の城下から鳴海街道のほうへ向って、一頭の悍馬が、闇を衝いて駈けていた。重傷を負ったまま、山淵右近は、その鞍の上にしがみついていた。
鳴海まで、八、九里はあろう。右近を乗せた駒はよく駈けた。
夜なので、人目もなかったが、昼だったら、駒の駈けた後に、滴々と血のこぼれを往来の人は見たであろう。
右近の傷口は、かなり深傷であった。ただ致命を外れてはいた。しかし彼は、
「鳴海城までは──」
と、駒の脚と、わが生命の終りと、どっちが早いかを、夢中に怖れ通しながら、鬣にしがみついていた。
清洲の城内で、前田犬千代にふいに斬りつけられた時、犬千代が、
──奸賊ッ!
と、呶鳴って自分へ飛びかかって来たように覚えている。その奸賊といわれた刹那の声が、彼の頭のしんに、釘を打ちこまれたように消えなかった。
ともすれば霞みかける意識と、駈ける駒の背の風の中で、
(さては発覚したか?)
と、惑い、
(どうして犬千代が知ったろうか?)
などと思った。
同時に、これは鳴海城の一大事でもあり、父や一族の浮沈にもかかわることと思われるので、彼の胸さわぎはよけいに昂まり、その狼狽からこぼれる出血の量もひどくなった。
鳴海城は、清洲を繞る衛星の一つであった。織田家の出城なのである。彼の父、山淵左馬介義遠は、信長の被官の一人で、その城を預かっている者だった。
左馬介は、織田諸将の中では、旧臣のほうであった。
けれど彼は余りに、世の中の眼先にばかり敏感で、大きな将来を見る眼がなかった。
先君の信秀が死んで、信長が、十六、七歳の頃の──最も世間で信長の評判の悪かった時分──また、信長の逆境であった時代──これはいかんと早くも見限りをつけて、羽振りのよい今川義元のほうへ密かに媚態を送って、軍事的な盟約をむすんでおいた。
──鳴海衆変心。
と、聞えたので、信長は、二度も攻めた。鳴海は落ちなかった。
落ちないはずである。大国今川家がうしろで援護しているのであった。軍器、兵力、経済、いうまでもない。
攻めれば攻めるほど、信長の力は消耗される。自己の手足のために、自己の全体を衰弱させてしまう。
信長は、非を悟って、抛っておいたのである。数年間というもの、鼻の先に、この叛賊を生かしておいたのである。
で──今川家は、かえって、山淵左馬介を疑惑しだした。鳴海は、相互から疑いの眼で見られていた。
大国から疑いの眼で視られることは、それ自体、滅亡の予告である。左馬介はどう思ったか、清洲の信長の許へ行って、多年の不心得を詫び、復帰を願った。
(──それみい。元木にまさるうら木なし。わかったらよい。忠勤をはげめ)
信長は一言でゆるした。
それ以来、山淵父子の奉公ぶりには、感心してよいことこそ多かったが、疑わしい行動は見えなかった。
が──この見えないものを、見ていた者が二人あった。
いつも信長の側に坐っている小姓の前田犬千代と、いつも信長の側にはいないが、城内の何処かにいる藤吉郎とであった。
右近も、日頃から、その二人には何となく懸念を抱いていたが、折も折、普請奉行の役を藤吉郎に奪われた翌日、犬千代に斬りつけられたので、
(ばれたか)
と、事の発覚を早合点し、身の深傷にも顛倒して、城内から逃げ出して来たのであった。
鳴海城の城門が見えた時、夜は明けていた。
右近は、それと共に、
「着いた」
と思いながら、馬の背に俯つ伏したまま、意識を失っていた。
気がついた時は、城門の番卒たちに囲まれて、手当を受けている身だった。右近が息をふきかえして起つと、
「お気づきなされた」
「おお、この分なら──」
と、皆は愁眉をひらいた。
すぐ城内の奥へ告げられていたとみえ、左馬介の近侍たちが、二、三名、
「若殿はどこにおられる」
「どんな御様子?」
眼いろを変えて駈けて来た。
家臣らの驚きはいうまでもない。いや、より驚愕したのは彼の父左馬介であった。番卒たちに足もとを援けられながら、やがて本丸の庭まで歩いて来た右近を見ると、
「深傷か。浅傷か」
と、さすがに親心の声を制しきれず、庭に飛び降りて来た。
「父上」
と、父の姿を見ると、右近もそれへ坐ってしまった。そして、無念ですっといったまま、また昏睡しかけた。
「はやく、奥へ奥へ」
と、いいつけながら、左馬介も一緒に室内へかくれた。その面には、取り返しのつかぬものを悔いている色がいっぱいに漲っていた。
元々、右近を清洲城へ出仕させておいたことは、たえず心配なことではあった。──なぜならば、左馬介はまだ本心から織田家へ復帰もしていなければ、服従する心もないからであった。
その右近が、折よく、城壁の普請奉行を命じられたので、左馬介は、年来窺っていた時機到来とばかり、早速、駿府の今川家へ向って先頃から密使を送って、
(織田家を討って、尾張一円を御司権の下へ収めるのは今こそでござる。奇兵五千ほどをもって、東部の国境から一途に清洲へお攻めあらば、自分は鳴海大高の兵を挙げて熱田口から攻め入りましょう。──同時に愚息右近は、清洲の城内にあって、内部から攪乱し、火の手をあげて、寄手に便宜を与えることに相成っておりますれば──)
という意味をもって、今川義元の勇断を促したのである。
だが今川家では、彼の催促にもかかわらず、遽かにうごかなかった。山淵父子は何といっても織田家の古参である。策であるやも測り難い──と、多分に疑惑していたからであった。
第一の密使も、第二の使いも、梨のつぶてなので、左馬介は、おとといも、追っかけに三度目の使いを駿府へやって、
(今を措いては)
と、急を促していた折も折なのである。
右近が斬られて唯ひとり逃げ帰って来た。私闘で斬られたのでないという。こちらの陰謀はすべて清洲へ知れたらしいのだ。山淵左馬介は狼狽した。すぐ一族をあつめて評議にかかった。評議は短時間で一決した。
「かくなる以上は、駿河の御協力があるとないに関らず、軍備をかためて、織田の来襲に備えるしか方法はあるまい。──そのうちに、鳴海の変が伝わって、今川家が起てば、初志のとおり一挙に織田を揉み潰すことは、そう至難ではない」
と、いうにあった。
信長は、きのうから無口であった。
その気持を察して近侍は、誰も犬千代のうわさをしなかった。
しかし、それも信長には物足らないらしく、
「陣中の同士討ちと、城内の刃傷沙汰は、理由にかかわらず、厳罰のこと、固い掟とさだめてある。──あれも惜しい男ではあるが、由来、短慮が困りものじゃ。家中を斬ることこれで二度目だ。これ以上の寛大は、法のゆるさぬところ。また、彼のためにもならん……」
独り呟いたりした。また、夜になると、
「犬千代め。追放されて、何処へ身を寄せたか。牢人も身のくすりじゃ。……これからちと世の苦労をすることであろう」
などと、宿直の老臣へ向って洩らしていた。一方。
藤吉郎がひきうけている城壁の普請の方は、その晩が三日目だった。夜明けまでに竣工していなければ、信長はどう惜しんでも、また一名の惜しい家来につめ腹を切らせなければならなかった。
(あれも困り者ではある。よしないことを人前で云い張って──)
信長は、密かに、臍を噛んでいたのである。犬千代とか藤吉郎とかいう家来は、身分こそ軽いが、そしてまだ年こそ若いが、父信秀の代から仕えている重臣連のうちにも、少ない人材であることを彼はよく知っていた。──いやこの小さい織田の一家中ではなく、広い世間を見まわしてもざらにはない男どもであると、彼は自分の家臣を自惚れていたくらいなのである。
「……大きな損失だ」
無口にもならないではいられなかったのだ。しかし、それ程な嘆息は、老臣にも若い近侍にも聞かせなかった。
その夜は、早めに、彼は紙帳の裡へはいった。そして枕につきかけると、
「殿ッ」
寝所口に重臣の影がうずくまっていう。
「変事でござりまする。鳴海の山淵父子が、叛旗をひるがえし、物々しい防備と──熱田口からの早馬にござります」
「鳴海が……?」
信長は、紙帳を出て、白絹の寝衣すがたのまま、次の間へ移って坐った。
「玄蕃か」
「はッ」
「はいれ」
廻廊をまわって、佐久間玄蕃は次の間の、すそへ来て平伏した。
信長は、団扇をつかっていた。もう夜は新秋の冷気さえ感じるのであったが、木立のふかい城内には、まだやぶ蚊が多いのであった。
「……めずらしくない!」
信長は噛んで吐き出すように、やがていった。
「山淵父子の謀叛なら、癒りかけた腫物が、また少し膿み出したまでのことじゃ。自然にふっきれるまで抛っておけ」
「御出馬は……?」
「無用じゃ」
「御軍勢も」
「膏薬にも及ぶまい。……はははは。防備はしても清洲へ襲せて来るほどな勇気もないであろう。右近のことから、左馬介があわてたまでのことよ。しばし足掻きを遠見しているがよい」
間もなく、再び信長は寝たが、朝の眼ざめは、常よりも早かった。
或いは、よく眠らずに、夜明けを待っていた程であったかもしれない。彼にとっては、鳴海の異変よりも、一藤吉郎の生命のほうが遥かに心配であったかも分らなかった。起き出るとすぐ、近侍を従えて、信長は自身、工事場へ検分にやって来た。
朝の太陽が昇りかけていた。ゆうべまで、戦場のようだったそこには、材木も石も土も、木の屑一つ散らかっていなかった。大地は箒目さえ立ってきれいに掃いてあった。工事場はもう今朝の夜明けと同時に、工事場ではなくなっていた。
信長は、案外だった。
滅多に意外を感じない──また少しぐらい感じても顔色に見せない彼も、三日の短時日に全工事を仕上げて、しかもその後、自分の検分を予想してか、残りの材木や石や塵芥など、すべて城外へ運び出させてしまい、きれいに掃き清めてまである行き届いた手際に、
「おお」
と、思わず機嫌のよい──そして、その上機嫌からこぼれる愕きをも顔に現わして、
「やったのう。──これ見い、猿めが、やりおったことを!」
と、扈従の者を振り向いて、あたかも自分の功名のようにいった。
そしてすぐ。
「彼は、どこに居るのか。余りにも今朝は、誰もここに見えぬではないか。藤吉郎を呼んで来い」
と、命じた。
近侍は、立ちかけたが、
「あれへ、木下殿が参るようにござります」
と、指さした。
大手の唐橋はそこから眼の下に見えた。藤吉郎の姿は駈足で、その唐橋を渡ってくるのだった。
明け方、大手先まで運び出した足場丸太だの、残りの材木だの石だの、また工具や莚のような物は、一先ず山のように濠端に積んであった。三日三晩、一睡もせず働き通した職人や人足たちは、掃き寄せられた芋虫のように、前後不覚にそこらに眠っていた。棟梁どもまでが、共に必死に働いたとみえ、縄帯やら縄襷をかけ、泥まみれの手足を大地へ抛り出して、工事がすむと同時に、そこで寝ていた。
信長は、その光景を遠くから目撃した。同時に彼は、藤吉郎という男の才分に、今まであることを知らなかった点を新たに発見していた。
(猿めは、よく人を使う)
と、密かに驚嘆したのであった。そして、
(心なき日傭どもをさえ、死ぬほど懸命に働かせ得る器量があるところを見れば、訓練ある兵どもを使わせたなら、一かどの采配は取れるだろう。戦へ遣って、百人や二百人は預けても、まず間違いはないな)
と、観たのである。
呉子の兵書にある一章を、信長はふと思い出していた。それは、
オヨソ戦ニ勝ツハ
ソノ極理
兵ヲシテ欣ンデ
死ナシムルニ有
と、いう語だった。
信長は胸の中でくり返してみたが、自分にはまだそれだけの器量があるかないか疑わしかった。──それは、戦略や戦術や権力ではないからである。
「お早いお眼ざめでござりまするな。御城壁、かように致し置きました」
──いう者があるので、信長が足下を見ると、藤吉郎がもうそこへ来て、両手をつかえていた。
「……猿か」
信長は、ふき出した。
藤吉郎の顔を見た途端にである──。なにしろ彼も三日三晩寝ないので、生乾きの荒壁みたいな顔をしていたのである。眼は真っ赤だし、胸も袴も泥まみれだった。
つい笑ったが、信長はすまない気持がして、すぐ真面目になっていった。
「よく致した。──さぞ眠たかろう。存分に一日、眠るがよい」
「ありがとう存じます」
藤吉郎は名誉に感じた。
この、国家一日も安息はできない時代に、
(存分に一日眠れ)
と、信長から労られたことは、最大なお賞めであると欣しく思われたので、寝不足の瞼に、思わず涙が沁みたのであった。
が、彼は、そんな満足を感じながらも、少しもじもじして、
「ええ……その……少々お願いがござりまするが」
と、云い難そうに頬を撫でた。
「何じゃ?」
「──御褒美です」
藤吉郎はいった。
はっきりした言葉なので、近侍たちは驚いた。信長の折角な機嫌が変りはしまいか──と、藤吉郎のためにむしろ惜しんでいた。
「何が欲しい?」
「かねが戴きとうございます」
「たくさんか」
「わずかでございます」
「そちの身に要ることか」
「いや」──と、藤吉郎は、城外の濠ばたを指さして、
「御工事は、てまえが致したのではございませぬ。あれに、疲れ果てて、眠り仆れておる職人どもへ、頒けてつかわす程、なにがしか欲しいのでござります」
「そうか。金奉行へいうて、何ほどでも受けとれ。──だが、そちへも何か歓びをつかわそう。そちの禄は今何ほどか」
「三十貫にござります」
「それしきであったかの」
「勿体ない仰せです」
「加増してくるる。禄百貫に取り立て、槍組へ移して、足軽三十名を預ける」
「…………」
藤吉郎は、黙って大地へ辞儀ばかりしていた。
炭薪奉行だの土木奉行だのは、役目だけからいえば、格の高い譜代の士が勤める地位のものであるが、彼の血は多分に若いのだ。やはり戦の前線に立つ弓之衆とか、鉄砲組とか、現役に加わりたいことは、年来の望みであったのである。
足軽三十名を預かるのは、部将の中では最下級の小隊頭であった。けれど、厩にいるより台所に勤めるより、遥かに彼は欣しかった。
その欣しさに、つい前後の弁えなく、藤吉郎は、お礼を述べた口で、うっかりいってしまった。
「この度の御普請中にも、また、常々にも、てまえ密かに思っている儀にござりますが、当清洲のお城は、どう見ても、水利がよろしゅうございません。籠城となれば、飲料水に乏しく、濠水はややもすれば干上がります。事ある場合は、討って出るしかないお城でございます。──けれど野戦に勝目のない大軍の来襲をうけた場合は」
信長は、そら耳を装って、横を向いてしまった。──が、藤吉郎は、云い出したことを、中途で止めるわけにもゆかないので、
「……手前が常に愚考しますには、清洲よりは小牧山のほうが、水利の便も攻防の利も、遥かに勝っているかと存じます。清洲から小牧へと、お移り遊ばすよう、切におすすめ申し上げまする」
と、献策した。
すると、信長は、
「猿、ひかえろ。図に乗って、よけいな差し出口。──はやく去んで寝ておれ」
睨めつけて叱った。
「……はッ」
藤吉郎は首をすくめた。──教えられた、と彼は思った。失敗は順調の時にしやすい。叱言は先が機嫌がよい時にうっかり喰う。
(……至らぬぞ、至らぬぞ。あのくらいの働きで有頂天になり、その図にのッて、一本窘められるなどは……われながら未熟至極)
その日の午過ぎ──
職人その他一同へ、褒美の分配をすませた後、彼は寝もせず、独り首をふりながら、城下の町を歩いていた。──久しく会わない寧子のすがたを胸に描きながら。
(この頃は、どうしているか)
と、寧子を想うそばから、その寧子の恋を、自分へ譲って、国外へ立ち退いた純情一徹な友の身の上をも、彼はしきりと案じていた。
友とは、いうまでもない、犬千代のことである。織田家に仕えて以来彼が心の友とゆるしているのは、前田犬千代一人しかなかった。
(寧子の家へは立ち寄ったろう。牢人して国外へ去れば、いつ再会の日があるやら知れぬ。──立ち寄って一言ぐらいは、何か告げて行ったに違いない)
そう考えられたのである。
実をいえば、彼は今、恋よりも食物よりも、眠くて堪らなかった。三日三晩というものほとんど寝ていないのである。──が、犬千代の友誼と義気と忠節を思えば、安閑と眠りを貪ってはいられなかった。
(惜しい男だのに……)
男は男を知る。なぜ信長に、犬千代の真価が分っていないのか。山淵右近の逆意は、尠なくも、犬千代と自分には、とうから知れていたことである。信長がそれを覚っていないというのが、彼には解せなかった。右近を斬った犬千代をなぜ罰したか、不満に覚えた。
(いや、御折檻かも知れぬ。お心を割れば、追放なされたのは、かえって大きな御主君の愛かも知れない。──あの君には、うっかりしたことを、小利口顔していうと頭からこつんと一つ頂戴する。ほかの家来たちもいる所で、清洲城の水利の不便を説き、小牧へ御移転のことなど献策したのは、われながらまずかった)
そんなことを考えながら彼は町を歩いていた。元気は変らないが、時々、地面が動くような気がする。睡眠不足な眼に秋の陽がひどく眩ゆい。
「……やッ」
浅野又右衛門の住居が彼方に見えると、彼は眠気もさめたように遠方から笑いかけて足を早めた。そして、
「寧子どの。寧子どの」
と、大声で呼んだ。
この界隈は弓之衆の住宅地で、目立った腕木門や宏壮なやしきはないが、それぞれ小ぢんまりした柴垣の小屋敷や、前庭を抱いた侍の家が閑静に並んでいるのである。ふつうでも大声な性が、久しく会わない恋人の姿を思いがけなく、その家の門前に見かけたので、偽らない感情そのまま、手を振って急ぎ出したので、近所の屋敷一帯は、何事かと思った程だった。
──あら?
と、驚いたように、寧子の白い顔は、振り向いた。
恋は密かに──また誰でも、忍びやかにするものである。
近所の窓が明いたり、奥の父や母にまで聞えるような大声を出されては、処女ごころは、本意なくても、居堪まれるわけはなかった。
寧子はさっきから門の前に立って、ぼんやり秋の空を見ていたが、藤吉郎の声を聞くと、顔を紅らめて、門の内へあわてて隠れかけた。
すると藤吉郎は、また、
「やあ、寧子どの。わしだ。藤吉郎ですッ」
なお大きな声を揚げて、彼女のそばまで駈け寄った。
「ごぶさた致した。公務多端で……どうも」
寧子は、門の中へ、半分かくれかけたが、もう彼が挨拶しているので、余儀なく、
「いつも、お健やかで、何よりでございます」
しとやかに頭を下げた。
「父上には、ご在宅か」
彼が訊くと、寧子は、
「いいえ。留守でございます」
といって、はいれとはすすめずに、かえってそっと、門の外へ少し出て来た。
「又右衛門殿が、お留守では……」
と、藤吉郎はすぐ彼女の迷惑を察して、
「外で、失礼しましょう」
と、自分からいった。
寧子も、それが望みらしく、黙ってうなずいた。
「きょう参ったのは、他ではないのですが、今朝、犬千代が立ち寄りませんでしたか」
「いいえ」
寧子は、顔を振ったが、ほの紅く面に血がうごいた。
「来たでしょう」
「お見えにはなりませぬ」
「……はてなあ」
赤蜻蛉を見送りながら、藤吉郎はちょっと考えこんでいた。
「御当家へも、姿を見せませんでしたか?」
かさねて訊ねながら、寧子の顔を見ると、寧子は、涙をためて、俯向いていた。
「──御勘気をうけて、犬千代は立ち退きましたぞ。お聞き及びか」
「……はい」
「お父上から聞かれたか」
「いいえ」
「では、誰に? ……。いや、お隠しなさることはない。わしと彼とは刎頸の友、何を聞かして下すっても、差しつかえはないのです。……来たのでしょう、ここへ」
「いえ。たった今、知ったばかりでございます。──お手紙で」
「手紙で?」
「はい」
「使いでもよこしてか」
「いいえ。今し方、わたくしの部屋の庭先へ、誰か礫を投げた者があるので、ふと下りてみると、結び文に小石をつつんだのが落ちていました。……見ると、犬千代様の」
云いかけて、声はおろおろ双つの袂につつまれてしまった。しのび泣きして、背を向けているのである。
聡明なる才女──とのみ思っていたが、やはり処女は処女であった。藤吉郎は、今まで見て来た彼女から、また一倍の美しさと、好める点を見出した。
「その手紙、見せてくれぬか。──それとも、人には見せられぬ手紙か」
いうと、寧子は、袂で顔をおおったまま、黙って襟の間からそれを出して、素直に彼の手へ渡した。
藤吉郎はいそいで披いた。
まぎれもない犬千代の筆である。文意は簡単であった。けれど、万言をつくしてある以上、藤吉郎には読めるのであった。
わたくし事にはあらで、やむにやまれぬ儀の候て、さるものを斬り捨て、きょうをかぎり御恩土を立ち退き候なり。ひとたびは、身をもいのちをも、恋にはと思いさだめこそすれ、今はぜひなし、この身にまさる木下蔭こそ、そもじの末もよからめといさぎよう、男と男、云いかため、頼みまいらせて旅立ちもうし候
又右衛門どのへも、この文おしめし、くれぐれお心おさだめあれかし、又の会う日もありやなしや。ひと筆とりいそぎ候ままにあらあらかしく
ねねどのへ
所々、文字は涙にぬれていた。──寧子の涙か、犬千代の涙か。──いや藤吉郎もそれを見ながらぼろぼろ泣いていたのであった。
今か。今か。
鳴海は、戦備えして、清洲のうごきを見ていたが、年は暮れても、信長の攻めて来る気はいはなかった。
「はてな?」
疑心暗鬼は、城将の山淵父子を悩ませた。
彼らの悩みは、もう一つあった。信長に離叛して、しかもその上、駿府の今川家からは、
(果たして、彼の内応は、根も葉もない偽りだった)
と、邪視されたことである。その後いかに釈明しても、不信が取り戻せなくなったことである。
当然、鳴海の城は、孤立になってしまった。
──折も折、
(笠寺の城主戸部新左が、信長に内通して、近く背後から撃ってくる)
と、いう噂が伝わった。
笠寺城は、尾張の押えとして在る、今川の出城の一つだ。
今川の命令としても、信長に内通したにしても、あり得ることだった。
噂は、日が経つほど、濃くなった。山淵父子を繞る一族や家臣のあいだには、動揺の色がようやく見られて来た。
「不意を撃って、笠寺を乗っ取れ。多寡の知れた出城一つ」
殻に籠って、大事をとっていた山淵父子も、遂に、機先を制したつもりで、真夜半から軍をうごかし、笠寺へ朝討ちをかけた。
ところが。
笠寺の方にも、先頃から同じような流言が行われ、同じような動揺があって、戦備おさおさ怠りなく、手具脛ひいていた頃だった。
木戸へ火を放つ。町屋を焼き立てる。
火と火である。
疑心暗鬼と、疑心暗鬼との兵であった。当然、血みどろな激戦となった。
笠寺は崩れた。城将の戸部新左衛門は、駿府の援兵を待ちきれずに、居城を焦土にして、火の中に奮戦して死んだ。
「勝った」
「凱歌をあげろ」
焦土の城へ、なだれ込んだ鳴海勢は、負傷、戦死、夥しかったので、半数以下になっていたが、それでも余勢を駆って、まだ煙のいぶっている焼け跡の城地にのぼり、太刀、槍、鉄砲など一斉に振って、
──わあッ。
──わああッ。
高らかに勝鬨を合わせた。
そこへ鳴海から、惨めな騎馬武者や徒士の兵が、三々五々、逃げくずれて来た。
「何事か」
驚いて、山淵左馬介が訊くと、
「さても、信長めの兵は迅い。どう知ったのか、手薄の留守城へ、一千余りの兵がふいに殺到して、遮二無二攻めたてられましたので無念ながら!」
と、喘ぎ喘ぎの報告だった。
しかも、城地を占領されたのみではなく、まだ体の恢復しきれていない子息の山淵右近は、雑兵に捕えられて、首を刎ねられたともいうのである。
たった今、凱歌をあげていたばかりの山淵左馬介は、暗然と、自失してしまった。自身の攻め取った笠寺の城地は、焼け跡の灰と、領民のいない城下でしかなかった。
「天命ッ」
と、叫びながら、彼はそこで自刃したということである。しかし、天命とわめいたのはおかしい。彼の末路は、彼自身の作った人命である。
信長は、一日で、鳴海と笠寺とを平定した。
清洲の城壁の御普請をやって間もなく、何処へ行ったか、久しく姿を見せなかった藤吉郎も、鳴海、笠寺の二城が尾張のものになると、いつの間にか、帰っていた。
「貴公じゃないのか。両方へ流言を放って、反間をやりに行ったのは」
問うものがあっても、彼は、
「おら知らん」
けろりと、首を横に、振るだけであった。
戦が日常だった。日常の生活が戦だった。
毎年。どんな年でも。
お濠の柳や梅に、鶯が啼いている日でも、国境のどこかしらには戦があったのである。
青田をふく風の中に、平和な田植歌のながれている日でも、国主の兵は四隣の敵を防ぎつつ、日に幾十人となく戦死していたのである。
──が、清洲の城下は、一見どこに戦争があるかのように見えた。
百姓も町人も工匠も、流浪の心配なく自分の職業に精出していた。軍費といえば挙って税を出した。国主からいわれない先に、彼らは、日常の物を節して、お要用の時に備えていた。税を税とは思わなかった。自分たちの安住楽業のためとして、一度の酒を我慢すれば、一尺の国境を守る矢弾になることを、教えられずとも知っていた。
弘治三年から永禄元年、二年──と領内の治績はそういうふうに良くなって来た。事実は、城内の藩庫も、軍費に追われて枯渇し、家中の侍たちの生活も、信長自身の朝夕の代も、切詰めぬいてもまだ窮乏を告げて、
(このままでは、戦いに勝っても、遂には御財政のほうで……)
と、勘定方や、金奉行の者たちが、ひそひそと額を寄せ合って、憂えている状態であったが、信長は、
「祭は、まだかの。──この月は城下の日吉祭であろうが」
などといっていた。
「前の月には、西美濃の津島祭で堀田道空が館まで、祭見に参って、儂も忍びすがたで、踊りぬいたが、踊りはよいもの、日吉祭が待ち遠いのう」
いつも鹿爪らしい顔している柴田修理(権六勝家)にもいうし、生真面目な森三左衛門や加藤図書などの顔見た折もいった。
しかし、この人々には、余りに財政や国境の苦戦が分りすぎているので、その憂国心の余りに、
(──さればで)
とか。
(──御意で)
とか、極めてお座なりの、それも苦々しい返辞しか出なかった。
ただ、池田勝三郎信輝だけは、信長の言葉の下に、
「いや、踊りは自分も好きでござる。踊りは人間を天真爛漫にさせるもので、自分なども、時折は、やしきで独り踊りますがな」
と、いった。
先頃、幾月か前線へ出て、きのう戦場から帰って来た藤吉郎も、末座のほうに居合わせていたが、勝三郎信輝のほうを見て、にやりと笑った。
信長も、にこと頷いた。
何でこう三名が、各〻微笑したのか、それ以外の者にはわからなかった。
日吉祭の日が来た。
それはちょうど農家や町中の盆の行事にもかかるので、城下の者は、一年の楽しみとしていた。
(祭りのあいだは、微罪の者があっても、徒らに縛るな。喧嘩があったら宥めてやれ。盗人を追うよりも、盗み心を起さぬよう、和気を尊んで窮民には施しをせい。──祭日中無礼講の札を建てよ。日頃、油を節約して、暗いに馴れているゆえ、辻々に万燈を建てよ。踊りの群れに行き合うたら、そち達から馬を避け、踊り楽しむ領民どもに、怪我をさすな)
信長は、奉行を呼んで、そう云い渡した。
「畏まりました」
奉行は、退った。
すぐ、配下を集めて、信長の命令を伝え、
「どうも、祭のお好きな殿ではある」
と、苦笑した。
布令書を見合って、配下の役人たちは眉をひそめた。
「これでは、領民どもの遊惰を、御奨励になるようになりはしますまいか。──いかに、年に一度の祭とはいえ」
この戦時下に──と、誰もがすぐに感じることを、誰もが苦々しい顔つきなのだ。
遠く国境にあって、戦っている将兵に対してもである。いや、他人事ではない。自分らの息子、甥、兄弟たちもみな征っているのだ。
「本来なら祭など、むしろ御停止が当然なのに」
と、いう論さえ出る。
誰もうなずいた。
内政上ばかりでなく、他国への聞えもある。今の織田家は、他国という他国は皆、敵国であるのだ。姻戚関係はあっても、斎藤家などは、最も危険な敵だし──駿河、三河、伊勢、甲州、頼む味方など一国もない。
洩れまいと隠しても、尾張織田家の財力の貧困は、先君信秀の代から天下に隠れなきものだ。
その有名な貧国でありながら、先代の信秀は、その頃、風雨もお凌ぎ難く荒れ果てた皇居の御修理料にと、四千貫文を献上したりしている。
それも。功成り名を遂げた信秀ならともかく、朝廷から御嘉賞の勅使が、那古屋へ下ってみると、信秀はその頃ちょうど美濃攻めの激戦に大敗して、わずか数騎と、身をもって遁れ帰って来たというような──惨憺たる悲境の際だったのである。
で、勅使は、折の悪いのを察して、
(ご混雑のご様子なれば)
と、対面を略して都へ帰ろうとしたところ、信秀は、
(綸旨に畏れ多し)
と、常のとおり礼を正して迎えた上、草莽の臣下の微志に対して、叡慮のほど勿体ないと、感泣した。そして席を移すと、その夜、使者のため、連歌の会を催して、しめやかに一夜を犒らった──という風な人であった。
そうした父の血液は、信長に濃く伝わっているにちがいない。いや、成人と共にだんだん似てくるとは、老臣たちもよくいうところである。──財政の困難など、常に、物とも思っていないらしいところなど殊にである。
ようやく、徳になずいて、領民はよく働き、よく税を納める。だがそういう領民よりも、すこし大所の、ずるい富豪などから、お取り立てになっては──、と金奉行が献策した時も信長は、
「ム。釜の底は、追々」
と、いったのみだった。
釜の底よりちょっと肚の底のほうが分らない殿である──と、金奉行もその折いったことだった。
その分らない肚の底に、きょうは城下奉行がぶつかって、
「これは一応、柴田修理殿か、森三左殿へ、そっとお計り申してみよう。苦諫を怖れるは忠臣の道でない。御政道に悪いことは、悪いと申しあげた方が、御奉公の誠意だからな」
配下の者が、すべて好ましくない顔いろなので、奉行も急に考えが変った。
森三左衛門可成は、山城守道三の息女が信長へ嫁した折、内室付として、斎藤家から来た臣で、織田家に仕えてから後も、度々、軍功のあった重臣のひとりである。
で、勿論、奥向もいい。信長のあの性格へ、そう開き直りもせず、やんわりと諫めるには、彼に限る──
「だが、居るか居ないか?」
と、役人のひとりが、表方へ問い合わせてみると、折ふしちょうど登城していて、北の丸へ伺い、何か御内室へお眼通り中だとある。
で──退出を待ち構えているとやがて森可成は、まだ、六、七歳にしかならない髫髪の童の手をひきながら、拝領のお菓子を片手に持って、退って来た。
城下奉行と、添役らは、呼びとめて、一室に迎え、
「実は」
と、憂いをこめて、祭布令の件を相談してみた。
「ごもっともな意見」
可成も、同意を洩らした。
先頃、津島祭の折も、信長が微行で、踊りに出かけたということを、堀田道空から後で聞き、
(滅相もないお振舞)
と、胆を冷やしたことであったし──その後も祭々と日吉祭を待ちわびている口吻も、よく信長から出るので、同憂の君側は、わざとその度に苦りきっているところなのである。
御内室にも、信長の軽率な行状ぶりを、それとなく案じておられた。──実は、日吉祭のわずか三日の問題だが、味方の城下では、祭や踊りに浮かれていると聞いたら、戦線の将兵はどう思おう。敵国からも末期症状と見られるだろう。何よりはまた、民心をつけ上がらせ、平常の御国策も自然に行われなくなろう。
「由々しい問題じゃ。──よろしい。三左がお諫め申しあげてみよう」
「なにぶん」
奉行や添役は、頭を下げた。
可成は、側にいる愛くるしい少年の童髪を撫でて、
「父は、殿様へお眼通りしてすぐ戻って来る。大人しゅうしていやい」
美童は、素直に頷いた。
男かしら? ……と、見惚れていた奉行は、愛想に、
「ようお聞きわけじゃの。お名は?」
と、訊ねた。
美童は、彫って丹を点じたような唇元で、
「蘭丸」
と、答えた。そして出て行く父の後ろ姿を、美麗な眸で見送っていた。
奈良人形のように、両手を膝に重ねたまま、蘭丸は、かなり長い時間、動きもせず待っていた。
やがて、可成は退って来た。
どうか? ──と案じていた人々が、すぐ君前の首尾を訊ねると、可成は先に首を振って見せた。
「お聞き入れはない──。御諫言に出たわしが、かえって御意見を賜って退って来た」
「御不興でしたか」
「されば。──お前方の憂いは自国の民を知らぬものだと先ず仰っしゃられた。祭日の取締りを寛大にしたら、遊惰の風に狎れようなどという心配は、他国の民なら知らぬこと、信長の領民にはないとお怒りなされた」
「…………」
「今川領などの民は、上を見ならう下で、一年をだらだら暮しておるゆえ、年幾日かを、御奉公日とか、御加勢日とか称える例もあるそうなが、信長の持つ領民は、一年三百六十五日が、御奉公日であり、御加勢日であるのだ。たまたまの祭日や盆正月のみが、彼らの慰楽で、平常は日々自粛、日々奉公、弛みもない民だ。──また信長も、今川風の政治は民にいたしておらぬ! ……と、きつい御気色で仰せられた」
祭の夜が来た。
信長の令もあって、祭は例年以上、賑わっているらしい。清洲の城から万燈の灯の海を眺めても分るのであった。
「勝三郎、勝三郎」
広庭の暗がりに佇んでいた信長が、後ろへ呼ぶと、池田勝三郎信輝が、
「はッ。──何ぞ?」
と、側へ寄った。
信長は、笑みを含んで、
「忍ぼうか」
と、囁いた。
「お供いたしましょう」
「小姓ども」
信長は、太刀を取って、腰に佩きながら、
「知れるまでは、老臣どもへも、黙っておれよ」
勝三郎ひとり連れて、庭の木立から中門のほうへ立ち去った。
すると、木蔭から、
「殿。抜け駈けはなりませぬ。手前もお供を仕りましょうず」
と、いう者があった。
「誰だ?」
「藤吉郎です」
「お、猿か。来い」
三名して、中門を走り出してから──信長はまた足をとめた。
「勝三郎。奥へ戻って、能衣裳と仮面とをそっと盗んで来い」
「は」
「三名分ぞ」
「心得ました」
佇んでいると、勝三郎は、間もなく一抱え抱えて来た。
城外へ出てから、濠端で扮装にかかった。信長は天人仮面をかぶって、被衣をかぶった。
「猿。そちは素面でよい。それをかぶれ」
「これは何です」
「法師烏帽子」
「法衣も着ますかな」
「似合うた。──これは叡山の山法師にて候、というて歩け」
「畏まって候」
「出来た出来た。勝三郎は太郎冠者よな」
「さん候」
「では、参ろうか」
「清洲祭へ」──と歩み出しながら、主従、手拍子を交わしつつ低唱に、
「踊らばや……」
「謡わばや」
「月も出しお……」
「傾くまでは」
「束の間ながら……」
「武夫の、つゆの命も」
「つゆの命を、千々年と……」
「名を惜しみ、世を惜しみ」
「戦わば……」
「おくれはせじ」
「守りなば……」
「ゆずりはせじ」
「三年、十年……」
「おろか、百年も」
「戦は常世、常世は戦……」
「たゆみはあらじ」
「さらば、一夜は……」
「踊らばや」
「国守の地鎮めに……」
「足踏みならし」
「国軍、弥征く祷に……」
「諸声諸声、弥挙げて」
「鎧う籠手ども……」
「草刈る手ども」
「ひとつ環なりに……」
「月と共に」
「天地の幸、唱えや」
「花とちる身も」
信長がそこで、調子高く、
「死のうは一定……」
と、つけると、勝三郎も藤吉郎も、笑い出して、
「いけません。殿のお口癖が出ました」
と、止めてしまった。そしていつか三名は、祭の巷に立ち交じっていた。
城下の市坊は、碁盤目になっていた。須賀口から五条川の通りはわけて賑わって、幾組も踊りの輪が踊りながら歩いていた。
花笠をかぶった娘も、尖り笠の若者も、夜露頭巾の武家も、素のままな老人も、童も、百姓町人も、僧侶も、ひとつ輪になり、ひとつ手振りを揃えて、唄っていた。
思い出すとは
忘るるか
思い出さずよ
忘れねば
藻町の辻の空地の向うから、大きな月がさしのぼっていた。そこには一番多くの人が群れていた。誰が音頭を取るのか、音頭取りの声も自慢そうであった。
思えど
思わぬ振りをして
しゃっとして
おりゃるこそ
底は深けれ
踊り唄う人々は、すべてを措いて踊っていた。不平もなかった。生活苦もなかった。血なまぐさい乱世も忘れ、重税や困苦のつかれも忘れ、精いっぱい、愉楽の声をはり上げた。
日頃は拘束されている手を脚を、思うさま伸ばして踊った。
かつらぎ山に
咲く花の候よ
あれをよと
よそに思うた
旅駒の背に
大きな月は、真上になった。踊りの輪は、影法師と二重になった。そこへまた、須賀口の踊手たちが来て一緒になった。両方の音頭取りが、美音を競ってこもごもに澄んだ声をはりあげた。
えくぼの中へ
身を投げばやと
思えども
せんなや喃
鎧の捨てどころなき
「──あっ、この山伏め」
突然、誰かどなった。
「間諜だッ」
「敵国のやつッ」
「逃がすな」
踊りは崩れた。
群集の輪の一角で、不意に刃の光を見たからだった。
だが、その山伏は、群集が発見するよりも早く、何者かに、後ろからその刃の手をつかまえて、大地へ投げつけられていた。
勢いよく叩きつけられた山伏の手から、物騒な直刃の戒刀が、群集の足下へ斜いに飛んだ。
「隠密ッ」
「捕えろ」
常に、敵国のさぐりに対して、領民はよく訓練されていたので、驚きはしなかったが、逃げまわる山伏を追い争ったために、一時は旋風のようになった。
「──鎮まれ、鎮まれ。曲者はこれへ捕えた。立ち騒ぐでない」
踊りの中へ交じって、庶民と一緒に踊っていた信長と池田勝三郎と藤吉郎と、三名の姿がそこにあった。
騒ぎを制しながら、あたりの人影を遠ざけていたのは、藤吉郎であり、組み敷いた山伏の体へ、馬のりに跨がって、締めつけているのは、勝三郎信輝であった。
「おのれ、誰に頼まれて、われわれの御主人を暗討ちしようとした。申せ。実を吐かさねば縊め殺すぞ」
勝三郎信輝は、後の池田勝入である。強力者だし、戦場往来の若者なので、もとより仮借がない。組み敷かれた山伏は、彼の拳を一つ喰らうと、
「ゆるせ。ゆるしてくれ」
と、忽ち悲鳴を揚げた。
「人違いじゃ。人違いして斬りつけたのでおざる。──まったく、夜目の眼違い。手前の意趣ある者と、余りようお姿が似て在すので」
「嘘を申せ。踊りの輪へ紛れ入って、一太刀にと斬りつけたからには、われわれの御主人を、確かに、なにがし様と知って致したことに相違ない」
「いや、まったく。生来が眇目の質。御無礼の罪は、どのようにもお詫びいたしますゆえ、一命だけは」
「ぬけぬけと、やかましい。こう圧え付けるこの方に対しても、そちの手脚のもがきには、どこか侍の手心がある。──こやつ! この面構えを見てもそうじゃ。敵国の諜者にちがいない。何処から来た」
「め、滅相もない」
「いわぬかッ」
「くッ……か……」
「いえッ」
「く、くるしい」
「──美濃か。甲府か。三河か。伊勢か。いずれの隠密だ。口を割らねば、割るようにして訊くぞ」
信長は、踊りの仮装のまま、そこから少し離れて佇んでいた。藤吉郎に制されて遠く退いた領民たちは、まさかその人が信長とは思わなかったが、よしあるお方の微行とは察している様子だった。
「猿……」
小声で、信長は、麾いていた。はッと、寄って行くと、着ている被衣を彼の顔へよせて、何やら囁いていた。
藤吉郎は、黙礼して、
「では」
と、直ぐ、勝三郎の側へ足を移して来た。
勝三郎は、太刀の緒を解いて、山伏を後ろ手に縛し上げようとしていたが、そこへ藤吉郎が来て、
「待て、於勝殿。殿のおことばじゃ」
と、いうことには。──折角、こよいは年に一度の祭、和楽を謳歌しているところ。微罪は咎めるな、罪人は作るな、祭中は無礼講という高札もある。
恐らく、人違いと、その者のいうのは、ほんとであろう。放してやれ──というお慈悲である。放しておやりなされ。
と、藤吉郎も云い添えた。
「アア。ありがとう存じまする」
生命びろいした山伏は、勝三郎の手から解かれると、雀躍りしないばかりだった。
彼方にいる信長の影へ向って、大地から辞儀一つすると、真っ青になった顔を、月に俯向けたまま、直ぐ駈け去ろうとしかけた。
──と、信長は、
「待て。優婆塞どの」
軽く呼びとめた。
そしていうには、
「一命を助けてとらせた礼を残して行きやれ。儂たちも、節に合わせて踊ろう程に、そちの故郷の鄙ぶり一節唄うておみせやれ。盆唄でも、麦搗唄でも」
聞くと山伏は、ほッとした顔いろで、おやすいことと、手拍子打って、月を仰ぎながら鄙唄一つ謡った。
──それをきっかけに、踊りの輪はまた、旋りだした。だが信長主従は、もう輪の中にいなかった。
「猿」
と微行の帰り途、信長は訊いた。
「そちは、諸国を流浪したことがあるそうじゃが、山伏の謡うた盆唄は、何処の唄と、聞いたか」
「駿河と聞きました」
藤吉郎が、言下にいうと、信長はにことうなずいた。
駿河衆は、この地を駿府とは称ばない。府中と称んでいる。
海道一の府をもって任じているからであった。上は義元から今川の一族門葉をはじめ、町人に至るまでが、
(ここは大国の都府)
という自尊を持っていた。
お城もお城といわず、お館或いはただ館という。すべてが公卿風であり、下は京好みだった。
尾州の清洲、那古屋あたりとは、街の色や往来の風俗からしてまるで違っていた。道行く者の足の早さ、眼のつかいよう、言語の調子からして違うのである。府中は、おっとりしていた、衣服の華美の程度で階級が知れた、扇で唇をかくして気取って歩いた。音曲が旺んだった。連歌師がたくさんいた。──どの顔もどの顔も、わが世の春を謳歌した藤原氏の一頃のように、長閑けく見えた。
晴れれば、富士山が見え、霞めば、清見寺の松原越しに、波静かな海が見えた。
自然に恵まれていた。
兵馬は強大だった。
三河の松平氏も、ここの属国に等しかった。
「松平家の血をうけ継いだわしの身はここに。──亡びかけた城をどうにか支えてくれている臣下は岡崎に。……国はあれど主従は別に」
元康は、心のうちで、じっと、自分でつぶやきを噛みしめていた。
この気持──口に出さないこの思いは──明けても暮れても胸を往来していた。
「不愍な家臣ども……」と。
時にはまた、身を顧みて、
「よく生きて在った」
と、思う。
徳川蔵人元康──いうまでもなく後の徳川家康──は今年十八歳だった。
もう子どもがある。
義元の一族、関口親永の娘を、義元の計らいで娶ったのである。それが十五歳であった。元服も同時にした。
子は、この春生れたので、まだ半年ほどにしかならない。
彼が机をおいている居室にまで、時折、泣く児の声が聞えて来た。産後の肥立ちの悪い妻はまだ産室にいた。妻は児を産室から離さなかった。嬰児の声は耳につきやすい、まして十八歳で父となった彼には、初めて聞く骨肉の声でもあった。
けれど元康は、めったに奥へは立たなかった。よく人のいう子の可愛さというような気持は、分らなかった。自分の心のうちを探してみても、どうもそういう愛情は、今のところ、乏しいというよりも見当らなかった。こうした自分が父であることは、子や妻へすまない気がした。
「……不愍な者ども」
と、思うたびに、惻々と胸のつまる心地がするのは、むしろ骨肉でなくて、岡崎の城に、年来、貧窮と屈辱に耐えている家臣たちの身であった。
強いて、子を思えば、
「あれも今に、わしのような困苦と、辛い人の世の旅をしだすのか」
と、傷ましい考えの方が先立ってしまうのであった。
竹千代とよばれた幼少に父とわかれ、六歳で敵国の質子となってから、今日までの流転の艱難を振り返ると──生れ出たわが子へも、人生の悲雨惨風を、思い遣らずにいられなかった。
──だが今は。
表面、人目には、彼の家庭も、府中に栄える今川衆の一家として、同様な身分と幸福らしい館作りには囲まれていた。
「はて。何の物音?」
元康は、ふと、室を出て、縁に立った。
誰か、築土に絡んでいる昼顔の蔓を、外から曳いたものであろう。
蔦、昼顔の蔓は、築土から庭木へまで伸びている。切れた蔓の反動で、梢が微かにゆれていた。
「誰だ?」
元康は、縁に立ったまま、もいちど云ってみた。
悪戯なら、逃げもするだろう。だが、跫音もしなかった。
草履をはいて、彼は築土の裏口をあけて出た。──と、そこに、待ち設けていたように、笈と杖を置いて、一人の男が手をつかえていた。
「甚七か」
「お久しゅうござります」
四年前。元康が、義元のゆるしをようやく得て、先祖の墓参にと、岡崎へ帰った時、その途中から姿を見せなくなったきりの家来──鵜殿甚七なのだ。
笈や杖や、変りはてた甚七の姿を見て、
「山伏となってか」
と、元康の眼は、宥わるようであった。
「はい、諸国を歩くには、かような身なりが、至極便宜でござりますゆえ」
「いつ戻ったか。──府中へは」
「たった今でござります。御門からと存じましたが、また直ぐ、他国へ立つ体、お身内たりとも、知れぬに越したことはないと存じまして」
「……はや、四年になるのう」
「はい」
「諸国から、その都度、細々とそちの見聞は書面で受け取っておるが、美濃路へはいってからは便りがないので──実は案じていた折じゃ」
「美濃の内乱に出会いましたので、関所固めや、駅伝の調べが一頃やかましくて」
「あの折、美濃に居合わせておったか。よい時に美濃にいたの」
「そのまま、一年の余、稲葉山の城下に潜んで、成行きを見ておりましたが、御承知のように、道三山城は相果て、義龍が美濃一円を治めて、一先ず落着いた様子に、京へ上り、越前へ出、北国路を一巡して、先頃、尾州まで立ち戻って参りました」
「清洲へ足を入れたか」
「審さに……」
「聞きたい。さし当って、美濃の将来は、府中におっても、見とおしがつく。──が、容易に推測れぬのが、織田の現状じゃ」
「書面にでも致して、夜中にでもそッと、お届けいたしましょうか」
「いや、書中では」
元康は、築土の裏口を振り向いたが、また何か、思い直しているふうであった。
甚七は、彼の眼であり、また、天下を知る耳であった。
六歳の頃から、織田家へ、また今川家へと、彼の少年時代は、流浪と、敵国の中に送り、その体は、人質として、自由を許されずに過ぎて来た。今日もまだ、その束縛は解かれていない。
眼も、耳も、知性も、人質はふさがれていた。彼自身が努めなければ、誰も、叱りも励ましもしなかった。
──が、結果は反対に、彼が人いちばい旺んな志慾の持主となったのは、幼少時から、余りにもその育ち盛りの眼や耳や行動や知性を、他から抑制され過ぎたためでもあった。
四年も前に、家人の鵜殿甚七を、追放のていにして、諸国へ放ち、居ながら諸州の動静を知ろうとしたなど──その大きな他日の慾望の芽を、もうそろそろ現わしていた一例ともいえよう。
「さての。……ここでは人眼につくし、邸では家人どもが不審ろうし……。そうだ、甚七、あれへ参ろう」
元康は、指さして、先へ大股に歩きだした。
彼の今住んでいる質子邸は、府中のお館を繞る大路小路のうちでも、最も静かな少将之宮町の一角にあった。
そこの築土裏から少し行くと、安倍河原へ出る。
元康がまだ家来の背に負われて歩いた竹千代の幼少から、外へ遊びにといえば、この河原へ来たものであった。悠久と流れている水のすがたにも変りはないし、眺めもいつも同じ河原だったが、元康には、何かと思い出が深かった。
「甚七。その小舟を解け」
元康は、指さして、汀からすぐそれへ乗った。
釣舟か、簗舟であろう。甚七が棹で突くと、笹の葉のように、小舟は瀬から流れへ出た。
「この辺でよい」
主従は、小舟の中で、初めて人眼から解かれたここちで、語らい合った。
元康は、甚七が多年、諸国を経巡って得た知識を、わずか一舟の席で半刻の間に得てしまった。
そして甚七が習得して来たものよりは、遥か、大きなものを、胸奥へ収蔵した。
「そうか。……ここ数年、織田家が信秀の代とちごうて、余り他国へ侵攻して出ぬのは、専ら、内治を整えておったためだの」
「二心ある者は、系類であると、譜代の臣であるとを問わず、思いきって、討つ者は討ち、追う者は追い、ほとんど清洲から清掃されたようでありまする」
「その信長を、一頃は、稀なわがままものよ、阿呆の殿よと、今川家などにおいても、よう笑いばなしに取沙汰があったが」
「もってのほかです。阿呆どころではありませぬ」
「ふむ。──わしも油断のならぬ噂とは思うていたが、いまなお、それが先に頭にあるので、お館などでも、織田といえば、おかしそうに、敵ではないときめておいでになる」
「数年前とは、尾張衆の士気がまるで違うております」
「よい家来には」
「平手中務は相果てましたが、柴田修理権六、林佐渡通勝、池田勝三郎信輝、佐久間大学、森可成など、なお人物は尠なしとしません。わけて近頃、出色の男に、木下藤吉郎ともうす者……至って小身者の由ですが、何かにつけ、城下の領民たちの口端によう名の出る男などおりまする」
「領民は。──信長への、領民の気もちは」
「恐いのはそれです。何国の大将でも、治民には心を傾けておりますゆえ、領民が国主に服従し、国主を崇めておることは一様でありますなれど……尾張ではそこがちと違うように感じられました」
「どう違う」
鵜殿甚七は、ちょっと、考えていたが、端的にそれを、云い現わせないように、
「かくべつ、どうと申して、変った治策も見えませんが、とにかく領民が、信長を中心に、明日を憂いておりません。あの君在ればと安心している様が見えます。尾張の弱小なことも、国主の貧乏な点も、よく弁えていながらです。他の大国の領民のように、戦乱や明日の生活に脅えておらぬのが、不思議に見えるくらいです」
「……ム、ム。なぜかな」
「信長自身が、そうした気性だからでしょう。曇らば曇れ、照る日もある。今はこうだが、未来はこうぞと、指さす的へ、人心を集めております。というて、陰気にいじけている領民ではありません。例えば、祭の行事などにいたしても……」
と、云いかけて、何思い出したか、甚七は語らぬうちに、苦笑しだした。
「その祭については、実は、失敗ばなしがありますので──」
と、甚七は、清洲城下の祭の夜、巷の中にゆくりなく信長主従の微行を見かけ、むらむらと奇功に駆られたまま、信長を刺そうとして、かえって捕えられて、憂き目に会ったことを、
「……どうもこれは、余り自慢にもならぬことですが」
と、話し終って、頭を掻いた。
元康は、笑いもせず、
「そちらしくもないことをする」
と、軽率を誡めた。
「以後は」
と、甚七は、頭を下げながら、余事までしゃべりすぎたことを後悔した。
そして、ひそかに胸のうちで、ことし二十六歳の信長と、十八歳になる元康とを、較べる気もなく思い較べていた。
はるかに、元康のほうが、信長よりは大人の感じだった。稚気というようなものは、元康には少しも見えなかった。
信長も幼少から、荊莿の中に育って来た。元康も苦労の中に人となった。けれど、六歳から他人手に渡されて──それも敵国へ質子として──人の世の冷たさ、酷さを、骨の中まで味わって来た元康の苦労と信長のそれとは、到底、較べものにはならなかった。
六歳で、国を離れ、織田家の擒人となって、八歳再び駿河の質子となり、ようやく十五歳になって、今川義元からも人あつかいをうけ、彼が、
(祖先の墳墓をも払い、亡父の法事もしたければ──)
という願いが許されて、何年ぶりかで岡崎へ帰国した時に、こういう語り草さえ残っている。
彼が、祖先の地、岡崎へ帰ってみると、自分の城の本丸には、今川家の山田新右衛門などという被官が、城代として居すわっているのだった。
ほとんど、今川家の隷属として、辛くも息をつないでいる三河譜代の家臣たちも、何年ぶりかで帰国する若殿を迎え、うれしさやら口惜しさやらで、
(いかにとはいえ、本丸に今川家の家臣を置いて)
と、何とか退いてもらう交渉をしようとしたところ、それを聞いた竹千代は、
(いや、わしは年若じゃが、城代は御老人。諸事古老のおさしずもうけねばならぬ。本丸はそのままにおくように──)
といって、滞留中、二の丸にいて、父の法事なども営んですましたという。
このことは、義元も後で聞いて、
(年に似げなく、分別の篤いことである)
と、すこし不愍そうにつぶやいたそうである。
だが、やはりその時のことで、も一つ、これは義元も知らないことがあった。
竹千代の父広忠の代から仕えている者で、鳥居伊賀守忠吉という老人がいた。年ももう八十を越えた三河武士であったが、竹千代が岡崎逗留中の一夜、そっと、梓の腰を運んで目通りを乞い、そして幼君へ向って沁々というには。
(爺の身も、ここ十年の余、今川家の一役人に異ならず、賦税の取り立てを役目として、牛馬のような勤めをいたしておりますが、年来、忍び忍び心がけて、お庫の内には、爺が御被官の眼をぬすんで蓄えておいた粮米や金銭がござりますぞ。いつこのお城に孤立してお籠りなされようとも、弾薬や鏃も戦うほどは匿してもありまするぞ……ゆめ、お心ぼそく思し召されな。大志をお失いなされますなよ)
竹千代は、それを聞いて、爺よ、とばかり忠吉の手を取って泣き、忠吉もしばし泣き暮れたということであった。
我慢。
三河武士の背ぼねは、我慢の鍛錬で組み上がっていた。君臣ともに、生涯を辛抱から出発していた。
三河武士の辛抱強い実証は、元康の初陣の折にもあらわれていた。
去年。
元康は十七歳で、初めて陣頭に立った。
毎々、三河を脅やかしている鈴木日向守の寺部の城を攻めた時である。
勿論、今川義元のゆるしを得た上のことであるが、その時は、義元から暇をもらって、彼が三州へ帰国していた折なので、全軍の組織も、将兵の質も、すべて純粋な三河勢をもって戦ったのであった。
元康は、譜代の古老や家の子郎党をひきいて、初めて敵地へ進撃したのであるが、敵の寺部の城下まで攻め入ると、
(この度は、城下を焼き払って、ひとまず退軍し、また機をみて、軍をすすめるであろう)
と、所々へ放火したのみで、にわかに三河へ退いてしまった。
初陣とあれば、誰しも、華々しい功名を心がけて、世上の聞えにも衒気を抱くのが青年の常なのに──何となされたことかと、後に訊ねる者があった。すると元康は、
(寺部は敵の幹である。多くの枝葉を持っておる。その本城まで難なく攻め入られたのは、敵に思慮があったからである。よい気になって長陣していたら、敵は、退口を断って、所々の味方とつなぎを取り、われらを重囲に堕してから、本相をあらわして戦い出したにちがいない。武器も兵糧も人数も微弱な三河勢では、長陣しては利なしと考えたので、今度は、城下へ放火して引き揚げたまでのことである)
と、説明した。
酒井雅楽助、石川安芸などの三河の古老どもも、それを聞いて、
(たのもしき御方よ。行く末いかなる大将におなり遊ばすやらん)
と、いって、先々の奉公をたのしみに思うと共に、各〻、老いの身をも養い、留守居の岡崎も大事に守って、ひたすら時節の来るのを、待ちぬいているのであった。
──だが、時節といっても、そうした譜代衆の多くは老年なので、元康ほどな辛抱はしきれなくなったか、元康が寺部攻めの初陣後、今川家へ向って、改めて、
(主人元康儀も、はや御一人前とお成り遊ばしましたからには、何とぞ旧約の如く、岡崎の御被官方を引き揚げられて、城及び旧領など、元康君へお返し給わりますよう。然る上に、われわれ三河武士どもも、永く今川家を盟主と仰ぎ、一層の御加勢を励みたいと存じますれば──)
という意味の、嘆願書をさし出した。
もっとも、嘆願は、今までにも、何度となく、機会を窺っては、三河から今川家へ迫っていたことであるが、今度も、今川義元は、
(まず、もう一両年は)
と、外らして、肯いてくれるふうもなかった。
元康が成人したら、必ず城地を返すと、元康を質子として今川家へよこした時の固い条約だったのである。
義元はもとより、返還する気はなかったろう。十数年の間に、何か三河側に落度があったら取り上げて、完全に収めてしまう肚だったかと思われる。けれど長い年月、とうとうその口実となるような落度は、三河の臣にも、元康にもなかった。三河の隠忍、自重、我慢の強さには、義元もほとほと感じ入るばかりだった。
で、義元としても、当初の条約のてまえ、そうそう無法はいえなくなっていたので、今年、嘆願に出向いて来た三河の古老たちへは、こういって、安心させて帰した。
(明年はいよいよ義元も、年来の宿志を展べて、中原へ旗をすすめ、海道の軍勢をあげて上洛いたすつもりである。その節にはいずれ、尾張をも踏みつぶして押し通ることとなろうゆえ、三河の国境、地域など、義元が親しく正して縄取りして進ぜる。せめて明年の義元が上洛の折まで待つがよい)
三河の古老たちは、義元のこのことばを手形として、帰国したのであった。
これは、嘘ではあるまい。
義元上洛の計画は、今ではかくれもないことで、ただ時期の問題であった。
強大な国富と軍備をもって、それを秘密裡に目標としていた期間はすぎて、
(大挙はいつだ?)
だけが残っている。
今川家でそれを余りに堂々と広言しているので、かえって今川家が、覇を誇示する表情ではないかと観ている向きもあるくらいである。
ただここで、新たに知れた一事は、三河の古老どもへ対して、義元が、
(明年には)
と、時期を確言したことだった。義元の胸にはすでに、決行の時期が熟して来たものと視られ、三河衆にとっては国への一つの土産になった。
──さて。
前にもどって。
安倍川の中ほどに、鵜殿甚七と元康とを乗せて、密談に時を移していた小舟は、やがて話もすんだとみえ、棹さして岸へ帰って来た。
「では、ここで」
と甚七はすぐに、笈を負い、杖を持ち直して、別れを述べた上、
「おことばの由、逐一、鳥居様、酒井様などへ、お伝えいたしておきまする。──その他の儀はべつに?」
と、元康の顔を仰いだ。
元康は、岸へ立つと、すぐ人眼を惧れるもののように、
「舟のうちで、申した以外に、言伝はない。はよう行け」
顎で促してから、ふと、
「国もとの年よりどもへは、元康は丈夫でおる、風邪ひとつひかぬと、伝えてくれよ」
と、いって、ひとり邸のほうへ、帰って行った。
さっきから築土の外に佇んで、遠方近方を見ていた侍女は、河原から帰って来た元康のすがたを見ると、
「奥方様が、何やらお待ちかねでございまする。お探し申して来やいと、幾度も、きつうお焦れ遊ばして」
と、元康へは、云い難そうな顔をしながらも、当惑そうに告げた。
「あ。そうか」
元康はうなずいて、
「今すぐ参ると、そち達で、宥めておいておくりゃれ」
と、自分の部屋へはいった。
座につくと、そこには家臣の榊原平七忠正が来て、待っていた。
「河原へでも、お散歩でございましたか」
「ム。徒然にな。──なんじゃ、何か用か」
「お使いでござりました」
「誰方から」
平七は、答えずに、黙って書面をそれへさし出した。雪斎和尚からである。
元康は、封を切る前に、押しいただいた。太原雪斎和尚は、今川家にすれば、黒衣の軍師であり、元康にとっては、幼少から薫陶をうけた学問兵法の師であった。
簡略な文面であった。
こよい、お館をかこみ、例のごとく談議仕れば、乾門よりおいでを待つ──というのであった。
文面はそれだけだが、「例のごとく」とあるのは、容易でない隠し語であった。義元上洛の首脳部会議を意味するのである。
「使いは」
「立ち帰りました」
「そうか」
「また、夜陰の御伺候でござりますか」
「ムム。夕刻から」
と、元康は何か案じ込む。
榊原平七は、それが数度にわたる重大な軍議ということは、かねて洩れ聞いているので、
「お館様、御上洛の大布令が発せられますのも、はや間近のよう存ぜられますが」
と、元康の顔を窺った。
「む、む……」
と、それにも元康は、余り気乗りのない返辞だった。
従来、今川家が認識するところの尾張の国力や、また、信長の評価と、きょう鵜殿甚七が報じて来たところのそれとは、非常な相違がある。
駿遠三の大軍を動員して、義元が大挙、西上するに当って、当然、捨身の抵抗を予想されるのは、尾張であった。
軍議の席でも、中には、
「何の、海道四万の大軍と、お館の武威をもって進めば、旗鼓の前に血ぬらずして、信長は降って参りましょう」
などと皮相な見解をのべる者もあったが、義元も雪斎和尚以下の主将も、それ程には見くびっていないまでも、元康が考えているほどには、決して、尾張というものを重大視していなかった。
前にも、それについては、元康も意見を吐いたことはあるが、一笑に附されてしまった。何かにつけ、質子の身であり、若年だし、帷幕の錚々たる武将たちの間では、元康の存在など、余りに小さかった。
(──でも、押しても、いうたものか、いわぬものか)
元康は、雪斎の書状を前に、考えていた。──すると、北の方に側近く仕えている老女がまた見えて、奥方が何か最前からひどく御機嫌がわるいので、ちょっとお顔を見せて上げて下さるように──と、当惑顔にいって元康の訪れを促すのであった。
彼の夫人は、自分だけのことしか常に考えていない女性らしかった。
国事とか、良人の立場とかには、まったく無関心であった。ただ自分の起居している奥と、良人の愛情の注意にしか、頭のつかえない人であった。
老女も、それをよく酌んでいるので、元康が、
「今参る」
と、答えたまま、なお、家臣と話し込んでいるのを見ると、重ねてはいえぬように、ただもじもじしていた。
するとまた、追いかけに、奥の侍女が、老女へ囁きに来た。老女は仕方なげに、
「あの……恐れいりますが、奥方さまが、頻りと、おむずかりなされていらっしゃるそうでございますから」
おそるおそる、元康のうしろから、二度までも急を告げた。
元康は、奥の召使たちが、こんな場合には、誰よりも困ることを知っていたし、彼自身、至って気の練れている性なので、
「ほ。……そうか」
と、平七の顔を見て、
「では、支度を整えて、時刻が来たら、奥へ告げてくれるように」
と、座を起った。
奥仕えの女たちは、救われたように、先へ小走りに去った。奥と表との住居は、夫人が彼の顔をしばしば見たがるのも無理でない程、遠く隔離されていた。
幾曲りもある中廊下や橋廊下を越えて、ようやく奥の錠口へはいるのだった。そこは円い築山に北を囲まれて、秋草のゆたかな平庭を広々と南に抱いているので、表の者や、外部の人々は、夫人をさして、築山様とよんでいた。
築山様は、元康が十五歳の時、今川一族の関口家から嫁いだのであるが、輿入の折は、義元の養女という資格であったから、貧しい三河者の質子である聟殿とは、その支度の善美や、盛装の眩ゆさは較べものにならなかった。
三河者。
といえば、今川家では、侮蔑の的であったから、彼女の気位は、築山の一廓に住んでからも、三河者の家来をいやしみ、良人にはわがままと盲愛でのみ接していた。
それに年も、元康よりは上であった。狭い夫婦生活の範囲だけで見る時、年上の築山様には、元康がただ柔順で、今川家に寄ってのみ生存していられる男としか見えなかった。
殊に、この三月の産後から、彼女のわがままや良人への無理は、前よりも募っていた。──元康は彼女によっても、毎日、忍耐を教えられた。
「おう……。きょうは、起きておられたな。すこしは気分も快うおなりか」
元康は、夫人の姿を見ると、そういって、南の障子を手ずから開きかけた。坪の秋草の美しさと、秋の空でも覗かせたら、病妻の心も晴れるであろうと思ったのである。
築山様は病室を出て、寒々しい広間の中程にきちんと冷たい顔して坐っていたが、眉を顰めて、
「開けないでおいて下さい」
といった。
彼女は決して美人ではないが、さすがに深窓で愛しまれた肌目ではあった。それに初産の後のせいか透き徹るような白い顔と指の先をしている。その手をひどく几帳面に膝へかさねて、
「殿。お坐りなさいませ。……すこしお訊きしたいことがあるのでございますから」
心には濃厚なる愛情を湛えながら、面には灰のような冷たい眼と唇をもっていった。
若い良人の通有性といったようなものは、元康には微塵も見られなかった。夫人に対して気の練れている扱いは、老成人のようだった。或いは、彼には彼の女性観があって、最も心の裡に置かるべき者を、心の外に置いて視ているのかも知れなかった。
「なんじゃの」
夫人にいわれた通り、彼は夫人の前に坐った。
築山様は、良人が素直であればある程、何か、理由なく焦々して、
「すこし、伺いたいことがあります。あなた様は今し方、どこへお出ましになりましたか。家臣も召されずただお一人で……」
眼に涙をためていう言葉であった。産後の痩せのまだ回復していない容顔に、危険な感情の血がまざまざ逆上っているのである。
元康は、その容態も性質も知っているので、子をあやすように微笑んでいった。
「おう、今し方のことか。……書見していたが疲れたので、河原までぶらりと独り出てみたのじゃ。お許も、稀れに侍女どもを連れて、ちとそこらを徒歩うてみたがよい。……秋草のさかり、昼の月にすだく虫の音、安倍川は今がよい季節」
築山様は皆まで聞いていないのである。白々しいと、良人を責めるように凝視して、いよいよ常のわがままぶりもなく冷然と畏まって、
「おかしゅうございますこと。虫の音を聞いたり、秋草を見たりして、そぞろ歩きをなされに出たあなた様が、どうして河中へ、小舟など出して、永いこと人眼を避けてお在で遊ばしたのでしょう」
「ほほ。知っていやったか」
「わたくしは、こうして奥に籠っておりましても、あなた様のしていらっしゃるくらいなことは、何でも存じ上げております」
「そうか」
元康は、苦笑したが、鵜殿甚七と会っていたことは、夫人にも明らさまにいえなかった。なぜならば、この夫人は松平元康という者に嫁いで来ても、決して元康の妻となり切っているとは、彼に信じられなかったからである。
里親の家来筋や親戚が訪れてくれば、何でもそれに話してしまうし、義元の奥向きの誰彼へも、始終、文使いなど遣り取りしているのである。
元康にとっては、質子目付の眼よりも、この夫人の悪気のない無分別のほうが、遥かに、警戒を要したのである。
「いや、何気のう河原の小舟に乗りとうなって、独りで水馴棹を持ってみたが、舟と水とは相性のものと思うていたが、さて流れに出てみると、なかなかままに動かぬものじゃな。はははは、子どものような、他愛もないこと。……どこでお許はそれを見ておられたか」
「嘘ばかり仰っしゃいませ。あなた様お一人ではなかったではございませんか」
「されば、わしの姿を見て、後から表の小者が追うて来たが」
「いえいえ、小者風情と、人目を避けて、舟の中で密談を遊ばすわけはございませぬ」
「誰じゃいったい。左様なつまらぬ告げ口をする者は」
「奥にも、わたくしの身を思うてくれる、忠義者もおりまする。──あなた様には近頃よそに女子をかくしてお在で遊ばすのでございましょう。さもなければ、この身をお厭いなされて、三河へ逃げてお帰りになろうと企んでいるのでござりましょう。岡崎には、わたくしの他にも、夫人とお呼びなされている者があるのだという噂も聞いて知っております。……なぜそれをお隠しなさいますか。今川家へのお気遣いで、わたくしを厭々ながら妻としてお在でなさるのでございましょうが」
彼女の病気と邪推のさせるすすり泣きの声が、ようやく外にまで洩れて来た頃、彼方の錠口の端に、榊原平七の姿が見えて、そこから告げた。
「お馬の御用意ができました。──殿、殿、はやお時刻にござりますが」
「お出ましとな!」
元康の答えぬうちに、築山様はそばから口を容れて、
「近頃は、夜中にようお留守がかさみますが、今頃からいったい、何処へお出ででござりますか」
「御館へじゃ」
元康は、取り合わずに、すぐ起ちかけたが、築山様は、それだけの説明では気がすまないのである。
お館へ伺候するのに、何で夕刻からでなければならないのか。また、いつぞやのように夜半までかかるのか。家臣は誰をつれて行くのか。──際限もなく訊き詰るのであった。
錠口にひかえて、元康の立坐を待っている榊原平七は、家来の身でも、余りなと、焦々思っていたが、元康は根気よく、彼女の不審の解けるまで、宥めたり説いたりして、やがてようやく、
「では、行って来るぞ」
と、奥を出た。
築山様は、元康が、またからだが冷えると悪いと、止めるのもきかず、錠口まで送って出て、
「おはやくお戻り遊ばせ」
と、いった。
彼女の愛と貞節の最大な現われ方は、元康が外出する折にいうその言葉だった。
表の大玄関まで通る間、元康は家臣のどの顔を見ても、黙々と口もきかなかった。──が、もう星の白い夕風の中へ、駒の鬣をそよがせて騎り出すと、彼の気持は一掃され、彼にも青年らしい溌剌とした血液のながれている証拠が、その眉にも、言葉にも見えた。
「平七」
「はッ」
「ちと、遅うなったな」
「いえ何、はっきりと、時刻のお示しはなかった御書面、多少は遅刻になりましょうとも」
「そうでない。雪斎禅師のような御老体でも、いつもお時刻は誤った例しがないぞ。われら若年の身が、ましてや質子の分で、重臣方や老師などのお揃いしてある席へ遅参申しては心ぐるしい。急ごうぞ」と、やや駒を早め出した。
口取の郎党に小者三名。それと榊原平七だけが供だった。
平七は、駒の足と、歩調を合わせて駈けて行くうちに、何とはなく眼がしらに熱いものが滲みわいてならなかった。
──可憐しいお心根。
と、そう思うのであった。
築山夫人に対しての堪忍も、お館(義元をいう)に向っての素直な御忠節も、今の境遇にあるうちは──と、ひそかに、忍耐の歯をかんでおられるのだ。自分ら臣下としては、一日もはやく、この君の枷を解き、質子という隷属的な存在から、小さくとも、三河一城の独立した主君に御復帰せしめなければならない。
それを、一日過しでいることは、一日の不忠である。平七は、そう思って、
(今に。今に!)
と、唇をかみつつ、そして自分の誓いに、また、瞼を熱くしながら駈けていた。
二条の濠が見えた。一ノ橋を越えると、もう町屋も平屋敷も、一軒もなかった。きれいな小松原の間に、折々、白壁や宏壮な門の見えるのは皆、今川一族のなにがしの支度邸か役所であった。
「おお。三河殿ではないか。──元康殿、元康殿」
城地を繞る広い小松原は、戦時には武者揃いの広場となり、平時は縦横の道筋がそのまま馬場に用いられていた。手をあげて今、小松の陰の横道から彼を呼んだのは、臨済寺の雪斎和尚であった。
太原雪斎は、
「お出向きか」
云いながら歩み寄って来た。
元康は、あわてて馬を降り、いんぎんに礼をして、
「禅師にも、こよいは御苦労に存じます」
「会状、いつも急で、其許などこそ、大儀でおざる」
「なんの」
雪斎は、供ひとり連れてはいない。巨きな体につりあう足を、うす汚い藁草履にのせて歩いているのだった。
元康も、共に歩み出したが、師礼を執って、肩は並べないように、また、ここまで騎って来た駒も、榊原平七に口輪を取らせて、騎ろうとはしなかった。
「ことしもまた、秋とはなったなあ」
師の呟きを、耳にしながら、元康はことばに現わせない感謝を、ふとその人へ抱いた。
幼少から他国の質子として在る身を、ひともわれも、不遇とはいうが、深く思えば、この太原雪斎の薫陶を得られただけでも、不幸はかえって大幸であったかもしれない。
良師は得難しという。もし三河で無事にいたら、雪斎に師事する機縁には恵まれなかったであろう。同時に、自分の身に持った今の学問も軍学もあるまい。
いや智的な修業よりも、雪斎から絶えず与えられた精神的なものこそは尊い。それは禅だ。元康が雪斎から得た何よりも大きなものであった。
禅家である雪斎が、どうして今川家の館に自由に出入りし、また軍師として帷幕にあるかを、深く知らぬ他国では怪しんで、ために雪斎を軍僧とよんだり、俗禅といったりする者もあったが、血をただすと、雪斎は今川一族の庵原左衛門尉の子で、義元とは血縁のあいだであった。
しかも義元は、駿遠三だけの義元であったが、太原雪斎の道風は宇内に振い、天下の太原雪斎であった。
義元を人としたのも雪斎の訓育であった。小田原の北条氏康と戦って、今川方に敗戦の兆が見えるや否、不利とならぬ間に和議の盟約をむすんで、駿府を救ったのもこの僧であった。
また、北境の強国、武田信玄の女を、北条氏政へ嫁がせて、義元の女を、信玄の子義信に娶わせて──三国盟約を結ばせたなどの政治的手腕にも、巨腕を見せて来た僧である。
だから彼の姿は、決して一杖破笠の孤高を行く清僧ではない。純粋なる禅家ではない。政僧であり、軍僧であり、また怪僧といえばいえる存在だった。──だが偉きな人物は、どう呼んでも、依然、偉きな存在であることに少しの変りもなかった。
(──洞窟にかくれたり、行雲流水に身一つを飄々と送っていたり、そんなのばかりが、高僧ではない。僧もその折々の時勢によって使命がちがう。今のような世の中に、おのれ独り高く取り澄し、身一つの仏果のみ考えて、世俗を厭うかのように、山野の無事を偸んでおるなどという生き方こそ、憎い野狐禅ではある。俗の中には、俗の眼でもわかる偽者しかおらぬが、君子聖人のうちには、らっきょうのように幾皮もかぶっておるのが多いでなあ)
滅多にいわないが、そんなことを臨済寺の縁でもらしたことなども、元康の耳にのこっていた。
「おお、はや参った」
その雪斎の踏み渡って行くのは、乾門の唐橋であった。元康は一足おくれて榊原平七に何か云いおき、また、乗馬も小者の手にあずけて、老師の後から城内へ姿をかくした。
ここが城壁の内とは思われなかった。それほど華麗な館であった。足利将軍の奢侈と室町御所の規模をそのまま移したかのようである。
愛宕、清水をすぐ下に望む大廂の彼方に、夕富士の暮れる頃になると、百間廊下の龕には見わたす限りの燈が連なり、御所の上﨟かと紛う風俗の美女たちが、琴を抱いて通り、銚子をささげて通ってゆく。
「誰じゃ、庭面で──」
義元は、微酔の面に、銀杏扇をかざして云った。
虹のような朱の欄を架けた中庭の反橋を越えて来たのである。扈従の家臣や小姓たちさえ、眩ゆいばかりな衣裳や腰の物を着けていた。
「見て参りましょう」
小姓のひとりが、橋廊下をもどってすぐ庭へ駈け下りた。──誰か、夕闇の広庭で、悲鳴をあげた者があったのだ。義元の耳には女の声と聞えたので、不審に思って足を止めたのである。
「どうしたのやら小姓めは……音沙汰もない。伊予、そちも見て来い」
「は」
河合伊予も、庭へ下りて彼方へ見に走った。庭といっても、夕富士の裾野へ続いているかのように広かった。
橋廊下と廻廊の角の柱にもたれかかって、義元は、扇で手拍子をとりながら京謡を低声に口誦んでいた。女かと疑われるほど、色白に見えるのは、薄化粧をしているからであろう。脂肪に富んだ皮膚は生地から色白な質だった。ことし四十一の男ざかりではあり、世の中のおもしろい、そして得意の絶頂にある義元だった。
髪は公卿風の総髪に結い、歯には鉄漿を黒々と染め、鼻下に髭を蓄えている。二年ほど前から肥り気味になって、胴の長い脚の短い生れつきの体が、よけい畸形に見えて来ているが、黄金の太刀や、高貴な織物の小袖袴は、お館の尊厳をつつんで褄先も余さなかった。
ばたばたと、誰かやがて駈けて来た。──義元は、口誦みを止めて、
「伊予か」
と、いった。
人影は、立ったまま、
「いえ。氏真です」
「なんじゃ、和子か」
嫡子の氏真を呼ぶにも、義元は和子とよんだ。この父の子らしい苦労知らずの青年だった。
「はや黄昏れておるのに、庭面へなど出て何をしておった」
「千鶴めを、折檻しておりました。手討にしてくれんものと、刀を抜きましたら、逃げまわって」
「千鶴……千鶴とはたれじゃ」
「氏真が、愛鳥の世話を申しつけておる、召使の女です」
「侍女か」
「はい」
「なんの落度で、女子など、手ずから成敗しやる?」
「憎いやつです。都の中納言家から、この氏真へと、遥けく贈り下された名禽を、疎漏にも、餌をやるとて、鳥籠から取り逃がしてしもうたのではございませぬか」
氏真は小禽が好きだった。名鳥を求めて彼に贈れば、他愛なく欣ぶことを知っているので、都の公卿からも、贅美な鳥籠と名禽は、居ながらに、屋形のうちの彼の住居の坪には集まった。
一羽の小禽のため、ひとりの人間を手討にするという。むきになって怒っていう。まるで国家の大事のように、氏真はそれを父へも当然にいうのである。
「……何かと思えば」
子にあまい義元も、氏真の愚かな怒りに、暗然とつぶやいた。
臣下の前もある。
いかに自分の嫡男であろうと、こういう暗愚を見せられたら、家臣たちもおのずと氏真を軽んじるであろう。
義元は、そう考えると、大きな愛を示したつもりで、
「たわけ殿よ!」
と、烈しく叱った。
「氏真、そちは幾歳になる。はや元服もとくにすんだ身ぞ。しかもこの今川家を継ぐ嫡男の身にてありながら、小禽ばかり飼い遊んでいて何とする! ちと、禅でもいたすか、軍書でも読め!」
めったに子を叱らない父からいわれたので、氏真も顔いろを失って沈黙した。けれど、平常その父をさえ甘く見ているし、父の行状にも、もう批判の眼の出来ている年頃の氏真なので、かえって、反抗の唇をむすんで、膨れかえっていた。
義元もまた、そこに弱点を感じるのだった。暗愚なほど子は可愛いのである。自身の行状も決して子によい教育を示していないことも知っていた。
「もうよい。以後は慎め。……よいか氏真」
「はい」
「何を不満な顔しておる」
「何も不満には存じません」
「然らば、立ち去れ。小禽など飼っている時世ではない」
「……で。では」
「何じゃと」
「京の唄姫と酒などのんで、昼から舞うたり鼓を打ったりしておる時世だと、仰っしゃいますのか」
「だまれ、小賢しゅう」
「でも、父君には」
「おのれッ」
義元は、持っていた扇子を、氏真の顔へ投げつけて、
「父をあげつらうよりも、そちはそちの分を守れ。兵法軍学に心を寄せるでなし、治民経世について学問をするでなし、左様なことでは、義元の跡はつげぬぞ。父は、若年まで、禅寺にはいって、つぶさに苦行も舐め、数度の合戦も践み、たとえ今はかくあろうとも、なおなお、大志を抱いて中原を望んでおる。そちのような、小胆、小志の者が、どうして義元の子にできたか。義元の今に何の不足もなけれど、ただそちにのみは、憂いを覚える……」
いつのまにか義元の扈従たちも皆、大廊下に指をついてうずくまり、義元のことばに胸をうたれて、等しく暗然とさし俯向いていた。
「…………」
さすがの氏真も、頭を垂れて、足下に落ちている父の扇を見つめていた。
そこへ、表の侍が、
「禅師様にも、松平元康どのにも、またその他の方々も、はや橘の坪におそろいで、お館のお出ましをお待ちかねでございますが」
と、告げて来た。
橘の坪というのは、柑橘の樹の多い南勾配にある別殿で、こよい義元はそこに、臨済寺の禅師を始め、腹心の者を、表向き夜の茶に招くということで、呼んでいたのである。
「お、そうか。……皆そろうてか。儂が主人役、遅れてはなるまい」
父と子との、心を噛むような沈黙の今を──救われたように、義元は云って大廊下を彼方へ歩み去った。
元より茶事というのは表向きだけに過ぎない。義元の同朋、伊丹権阿弥という者が、中門まで手燈を持って出迎えに出ている様など、夜の茶会にふさわしく、灯影のゆらぎ、虫の音など、風流の気につつまれて見えたが、義元が通って、そこが閉まると、一組七名ずつの素槍を引っさげた兵が、絶え間なく、附近を巡って、水も洩らさぬ警戒をしていた。
「お館様」
「──お出ましです」
橘の坪の静かな屋の内に、権阿弥と他一名の同朋の声が、そう警蹕するように奥へ伝えた。
床の低い二十畳ほどの寺院風の一室に、仄かな明りがゆらいでいた。
座には──
臨済寺の雪斎和尚をはじめ、老臣の庵原将監、朝比奈主計などの顔。
右側には、一族の斎藤掃部助、牟礼主水正などの姿の見える端に、松平元康も坐っていた。
「…………」
黙然と、左右の流れは、正座に向って少し頭を下げていた。衣ずれの音も耳立つその静かなあいだに、義元は着席していた。
小姓も近侍一名も、ここへは従えていない。
同朋衆二名だけが、遠く二間か三間へだてて、控えているきりらしいのである。
「遅参申した」
帷幕の人々の礼に対して、義元のあいさつだった。
そしてまた、雪斎へは、特に、
「長老にも、御老体を枉げて」
と、労った。
近頃は、師の姿を見るたびに、体のことについて労ったり訊ねたりするのが、義元の癖になっていた。事実、この五、六年来、雪斎は病みがちで、老いが著しく見えていた。
義元は、弱冠の頃から、この人に薫陶され、この人に鞭打され、またこの人に護られ、励まされ、すべて雪斎の経世と策謀と雄略によって、今日の大を築いて来たことを知っていた。
だから雪斎の老いは、自分の老いのように感じられてならなかった。けれどそれも初めのうちだけで、雪斎に頼らなくても、ここ数年、今川家の勢力はびくともしないばかりか、いよいよ昇天の勢いで隆昌の一方にあることを見ると、いつのまにか、弱冠からの成功もすべて、自分の器量のように思いなされて、
(もはや義元も大人に成り申したれば、治国の政についても、軍議の方策についても、構えてお案じ下さるまい。長老には、余生を充分に楽しまれて、専ら道風の御宣布に心をおそそぎあるがよい)
などと閑話の折など口に洩らして、かえって近頃は、雪斎の介入を、敬遠するような風も見えないではなかった。
しかし、雪斎から見ると、
(困ったもの)
と、幼児を見るような憂いが、今になっても、去らないのであった。
ちょうど、義元の眼から子の氏真を見るように──雪斎から義元をながめると、
(危うい哉)
と、思わずにいられないのであったらしい。義元が、近頃は、自分の多病に事よせて、自分を煙たく思っていると分っていながら、彼は努めて、政治向きにも軍議にも、老骨を運んで来た。
わけて、この春頃から、もう十度にもわたる橘の坪の会議には、病中でも、欠席したことがなかった。
ここの座で、
(やるか? 未だか?)
の二つに一つが決定されることこそ、今川家の浮沈に関する重大事であるからだった。
虫しぐれにつつまれて、いと密やかな裡に、天下一変の大評議は、行われていた。
外の虫の音が、ぱたとやむ時は、警戒の素槍をさげた士の組が、橘の坪の垣外を、ひたひたと通って行く時だった。
「主計。この前の評議の折、申しつけておいた調べ、整うたか」
義元の言に、
「ざッと」
朝比奈主計は、携えて来た書類を展げて、評議に先立って、一応の説明を加えた。
それは、織田家の領地と、藩財の調査や、またそれから算出した兵力、武器などの詳細な書きものであった。
「小藩とは申しながら、近年になりまして、著しく、織田家の財政も立ち直って来たかに見うけられますが……」
主計は云いながら、数字の表を義元に示し、
「尾張一国とは申しますが、尾張の東部南部の──東春日井や知多郷のうちには、御当家で切り取った岩倉城のごときもござりまするし、また、織田に属しておるとはいえ、二心を抱いておる者もあるやに存ぜられますので、先ず、今の情勢では、織田の領邑はおよそ尾張一国の半分以下──五分の二と見れば大差ないかと思いまする」
「ムムなるほど。聞き及ぶ通りの小藩だのう。──して兵数はどれほど出し得るか」
「尾州五分の二領と見れば、その領地額は、約十六、七万石に当りましょうか。一万石について、養兵力をおよそ二百五十人と積ると、織田全体を挙げても、四千内外。──守兵をのぞけば、三千内外の兵しか動かすことはできますまい」
「は、は、は、は……」
突然、義元は笑った。
笑う時は、少し身を斜めにして、美しく染めた唇の鉄漿へ、銀杏形の扇子を当てて笑うのが、彼のいつもする癖だった。
「三、四千とな。……ようまあ、それで一国を支えておるものじゃのう。儂が上洛の途に当って、心すべき敵は織田であると、長老も仰せらるるし、そちどもも織田織田としきりに申すゆえ、主計に仔細を書きあげさせてみたわけじゃが……たんだ三、四千の兵が、義元の軍勢の前に何するものじゃ。鎧袖の一触、蹴ちらして押し通るに何の造作があろう」
雪斎は沈黙していた。
牟礼主水正、庵原将監、斎藤掃部助なども、ひとしく口を緘していた。
義元のうごかない決意を知っているからである。
既に──
この計画は数年来のものであり、今川家の軍備も内政も、あらゆる施設の方向は、義元の上洛と天下制覇の目標にあったのである。──機、今や熟し、義元の胸にも、その鬱勃は、待つまでもなく、迫りきっているのだった。
それを、この春から、いざ決行となりながら、評議をかさね、今もって実現に至らないでいるのは、この中枢部の内にも、まだ時機であるまいという──尚早論者があるからであった。
それは、雪斎和尚であった。
雪斎は尚早論というよりは、もっと消極的に、義元に内治の献策のみすすめた。旗を中原にすすめて、天下統一の大業を義元がなし果そうとする大志に対しては、悪いとはいわないが、決して、賛同を表さなかった。
そういう態度を持している雪斎和尚の気もちの中には、苦しいものがあった。なぜならば、義元に向って弱冠から、
「今川家は当代の名族で在わするぞ。足利将軍の統、もしお世継のなき時は、三河の吉良氏が継ぎ、吉良氏に人のなき時は、御当家今川家から立つことになっておる。すべからく貴方も大志を抱いて、天下の主たるほどの器量を今から養っておかねばならぬ」
と、そういうような訓育をした者は、実に、雪斎自身であったのである。
一城の主たるよりは、一国の君となれ、一国の君たるよりは、十州の太守となれ、十州の太守たるよりは、天下の支配者となれ。
誰も訓えることである。当時の武人教育はそうであり、当時の武家の子弟は皆、風雲の世にそれを望んだ。
雪斎もまた、義元を教育するに、それを眼目とした。そして彼が義元の帷幕に参じてから、今川家の国勢は急激に膨脹した。覇業の階梯を徐々に踏んで来たのである。
──が、雪斎は近年に至って、自分の教育と輔佐の任に大きな矛盾を感じだした。それは義元がいよいよ自信をもって計画を進めつつある天下統一の覇業に、何となく不安を覚え出したことであった。
(器でない。いかんせんお館はその器ではなかった)
義元の行状だの、わけて近年、著しく思い上がって来たふうのある彼をながめて、雪斎の考えは、急角度に、保守的になった。
(今が絶頂だ。彼の君の御器量いっぱいなところだ。思い止まらせねばならない)
そこに雪斎の苦しみが生じ出したのである。今を自分の世盛りと自負慢心している義元が、遽かに、中原進出の大挙を思いとまるはずはなかった。雪斎の諫言は、雪斎の老衰のせいであると嗤って取りあわない。もう天下は半ば、わが掌にあるものとしているのである。
(誰が、させたか)
義元の慢心を責めるまえに、雪斎は自分を責めた。器でない者に、器以上の大望を抱かせたものは、誰でもない、自分ではなかったかと。
(もはやお止めすべきであるまい)
雪斎はもう諫言しなかった。その代りに、評議のたびに、大事に大事を取るべく主張した。
(駿遠三の大軍と義元の威勢をもって、京都まで上るに、何ほどのことがあろう)
と、口ぐせにいう義元をたしなめては、沿道の諸州の実態を探らせ、能うかぎりは戦わずに、未然の外交策と利をもって、無血の上洛を計ったりした。
けれど、京都までの沿道で、強国美濃より近江より何処よりも、すぐ避け得られない門出の一戦は、まず織田という敵だった。
この敵は、小粒だった。しかし外交でいけず、利で行かず、戦って実にうるさい敵なのだ。それもきょうやきのうの敵ではなく、遡れば四十余年も前から、一城を奪られれば一塁を取りかえし、一町を焼かれれば十村を焼きかえし、実に、信長の父の代、義元の祖父の代から、両藩の国境には、両家の白骨を埋め合って来た宿怨のあいだなのである。
織田では、疾く、
(今川上洛)
という風評に、四十余年の臥薪嘗胆の酬わるる時節は来れりと、一大決戦を覚悟しているとのことだし、義元はまた義元で、
(手頃な、上洛陣の血祭り)
と、対織田策を練っている今であった。
──いやもう今宵を最後とする軍議なのであった。
雪斎和尚や元康らが、お館を退って帰途についたのは、もう府中の町には、灯一つ見えぬ深夜だった。
「御運を天に祷るほかない。年老ると、禅骨も愚にかえる。寒いのう」
寒いとも思えぬ夜なのに、銀河の空を仰いで、雪斎はつぶやいた。後で思えば、その頃から彼の老病はかなり篤かったのであろう。その夜を最後に、雪斎はふたたび土を踏まなかった。臨済寺中秋寂寞、ひとりの高僧はひそと死んだ。
冬が近づいた。
まだ臨済寺の菊は晩節のにおい高く咲いていたが、府中の城下から仰ぐと、眉に迫るほど間近な富嶽は、真っ白な雪になっていた。
「降りろッ」
門前町の辻まで、向う見ずに飛ばして来た一騎の悍馬は、四つ辻の角を固めていた士の長槍で、いきなり脚を払われて、竿立ちになって暴れまわった。
「──あッ」
落馬はしなかったが、鞍上の武士は、抛り出されたように降りて、
「何を召さる」
辻を見まわして、そこらに屯している今川家の士たちへ喰ってかかった。
「止めたのだ。──断りなくどこへ参る」
警固の者は、当然のように云い払う。
「臨済寺へ!」
一方も、昂然と、云い返したが、辻固めの士たちは、
「ならぬ」
と、一蹴した。
「なぜ、ならぬのか」
「臨済寺には、今日、お館様をはじめ、重臣方が、雪斎和尚の忌日とて、御参詣遊ばされておる。──家中一統の参拝はもうすんで、皆帰られたが、まだお館様と主なる方々には、御休息中でいらせられる。それゆえ、御帰館までは、この先、往来止めと立札の建っておるのが見えんか」
「見えたればこそ、急ぎ通るのだ。仔細も糺さず、騎馬の脚を撲るとは無礼であろう」
「何、見えたればこそ……だと、高札は、法令であるぞ」
「わかっておる」
「申したな。縛め捕れこの者をッ」
「待てッ」
「後で申せ」
「いや、おん身らの落度になっては気の毒だから先にいうて聞かすのだ。この方のふところには、大高城の守将鵜殿長照様より、お館様への火急な軍状を所持しておるのだぞ」
「や。急使か」
「軍状を所持する場合は、貴人に出会っても、下馬に及ばず、大手唐橋の門内まで、乗りつけも御免に相成っておる」
「勿論」
「故に、臨済寺の門前まで、騎馬のまま駈けようとしたが、なぜ悪い」
「軍状を持った急使とわかれば止めはせん。無断、駈け通るゆえ」
「断っている間などはない」
「では、お通りなさい」
「ただは通らん、謝れ」
「咎めるのも役目だ。謝るほどなら君命を待って腹を切る。謝らん」
「その挨拶気に入った。よし然らば、預けておくぞ」
云い捨てると、急使の武士は、駒の背へとび移って、臨済寺の門へと駈けつけて行った。
禅刹は森としていた。
わけてこの秋、雪斎長老の亡き後は、山門も堂宇も、森も、よけい寂寞の感が深かった。もずの啼く音も、何となく淋しく、肌さむい初冬だった。
けれど、きょうの雪斎四十九日の忌に焼香した今川家の将士の中には、どことなく平和を欠いた騒めきが漲っていた。辻固めの士にまで、殺気に近い緊張が流れていた。──戦がある。長老の死は、お館の上洛の機を早め、隣国の敵は、気勢を得て、虚を衝こうとするにちがいない。
(──だからいずれにしても、合戦は間近くなった)
今川家の人々は、そういう覚悟の中に、刻々と、国境の変を、この二、三日、耳にしていたところなのである。
誰と誰と誰とは残るようにという指名で、その日、法会のすんだ後も、臨済寺の奥書院には、義元を中心に、今川家の幕将二十名ほどが密やかに、何事か評議していた。
巨星雪斎が逝いてから、義元の帷幕には、義元の意見を制する者はいなくなった。いつも黙って末席にいる松平元康は、時勢観でも、今日の方策でも、亡師の雪斎と最も近い意見を抱いていたが、彼は外藩の質子の身だし、余りに若年でもあるし、いうても取り上げられないことは知れすぎているので、一見、意見も何もないように、沈黙をまもり通していた。
「大高表から、ただ今、お飛脚でございます。……はいッ、早馬の御急使が、これなる御書状を、お館様へ即刻お取次あるように申されまして」
廊下仕切の杉戸の外でする声であった。
その取次の僧に対して、何かいっているのは、出入りを見張っていた側衆の人々であろう。
森閑とした禅房の奥なので、芭蕉にかくれている中庭の向うの広書院まで、この声はよく届いて来るのだった。
「何、大高表から飛脚と……」
評議の座は、みな口を噤んで、ひとしく聞き耳をたてた。──折も折、心もとないと思ったらしく、義元は、
「元康。立ってみい」
と、頤を末席に向けた。
「……はッ」
静かに、席のすそから、元康は廊下へ出て行った。
たとえ何者でも、どんな用事を帯びた者でも、評議中は、杉戸から一歩もはいってはならぬと厳命してあるので、元康がそこへゆくまで、取次の僧も見張番の近衆たちも、杉戸の外でまだ応答を繰り返しているだけだった。
「なにか」
元康の顔を見ると、
「はい、実はただ今、これなる御書面を携えた急使が、大高表から夜を日についで馳せつけたとの由で……」
近衆も、僧も、両手をつかえながら、飛脚状をさし出した。
軍状である。味方の大高城から、何か火急な飛脚といえば、容易ならぬこととは直ぐ知れている。
「使者は」
「御本堂に控えております」
「すぐ、お館様へ、御披露申しあげておると伝えて、しばらく休息させておかるるがよかろう」
元康は、それを持って、評議の席へもどって来た。
何事の急報か?
と、案じるもののように、席の諸将も、義元自身も、その間、無言のまま、元康の取次を待ちぬいていた面持だった。
「御前まで」
と、元康は、書状を、朝比奈主計の前へおいて退った。
主計の手から義元の前へ、それは披露された。義元は、すぐ封を切って、一見していたが、
「……猪口才な」
黒々と鉄漿を染めた歯が下唇を噛んでいた。すぐ側に居流れている牟礼主水正や庵原将監のほうへ、書状は無造作に投げられていた。
義元の眸は、じっと、欄間を仰ぎ──順々に書面を一読して廻している幕将たちも、次々に、異様なかがやきを眼に湛えたまま、しばし、沈黙を守り合っていた。
大高城は、尾張本国と知多半島との咽喉にあった。
ちょうど、胴と脚の附け根のような地形に、今川家の勢力は犬牙のように深く蝕い入って、沓掛、大高の二城をつなぎ、織田領の脚部をそこで切断した形になっていた。
前に。
織田方では、大高城の前衛、鳴海を奪回していた。その後、織田方では、なお手をゆるめず、沓掛と大高の二城の間に、急ごしらえの砦を設け、大高城の孤立化を計っていたが、義元上洛のうわさがようやく具体的に進行して来たと知ると、昨今急激に、大高城を包囲してしまい、孤城の運命は完全に迫っている──という書状の内容なのである。
勿論、書面は、大高城の守将鵜殿長照の直筆で、まちがいないものだった。
──援軍を頼む!
と、いうことは一言も書いてはなかった。けれど、以上の急迫を告げているほかに、孤立の城内には、兵糧も乏しく、松杉の木の皮を餅にして喰べ、合戦の日だけは、米の汁を兵に飲ませているなどという窮状の一端などが認めてあった。
「…………」
順々に、書面のまわし読みがすむ間、沈黙を守りあっていた人々は、その間に、籠城者の悲惨な忍耐を、各〻胸にえがいていた。
急使の齎したその書面は、やがて席を一巡して、松平元康の所へ来て終った。元康も一読をすまして、朝比奈主計の手から義元の前へ返した。
「どうしたものか」
義元には、さし当って、よい対策もなかった。
いや義元のみでなく、今川家の参謀といわれる庵原将監にも、名将の聞え高い牟礼主水正にも、すぐそれに答えられる考えもない容子なのである。
「…………」
元康もだまって控えていた。とつこうつ日頃の智慮をしぼっている面持は誰にもあるが、依然、声もない刻々が重くるしくつづいていた。
わけて義元の眉には、身近い苦痛が刻まれていた。織田の抑えとして、大高城に入れてあるそこの主将鵜殿長照は、義元の妹聟にあたる者なのである。私心の上からも見殺しにできないし、また、小藩の織田風情に、大事な要地と妹聟の生命を略取されたと聞えては、上洛の大挙をひかえている威風のてまえとしても、四隣に対しておもしろくない。
「なんぞ、策はないか。……よい思案は。……抛っておいたら大高表の者ども、みすみす餓死ぬであろうが」
重ねて、義元がいった。しかし義元のいっていることは、当然なことと困惑を、繰り返しているに過ぎないのである。
元々、大高城の地理的な位置が無理な所にあった。侵略した敵地に深く、そこだけが突き出していた。で一朝、孤立したとなると、離れ島も同様な地点に置かれた。
その上にも。
ここ半年ほどの間に、織田家では計画的に、鷲津、丸根の砦をはじめ、丹下、中島、善照寺などの各部落や高地に、碁石を布くように砦を構築し、今日の行動を起すまえに、大高を地理的に遮断しているのである。
援軍をやる──といっても容易ではなく、大高へ兵糧を入れる──としてもなおさら難事であった。
すると、一人、
「僭越ですが、私をおつかわし下されば、来年の御上洛まで、持ち支えるよう、大高表の儀、仕すまして参りますが」
と、云い出た者がある。
誰かと、末席のほうを見ると、質子の松平元康なのであった。
松平元康という者は、若いのに似あわず引っ込み思案な男である。境遇は人を作るというから、自然そうなったものだろうが、武断な勇将の器ではない──
常に、彼を見ている今川家の幕将たちは、そういう定評を是認していた。
その元康が、今、
「私が行きましょう」
至難中の至難と目されている大高城の救援に、進んで志願したので、
「え……?」
疑わぬばかりの眼が、いわゆる引っ込み思案な、彼の姿にあつまった。
義元も意外な面で、
「元康。参るというのか」
「はい」
「大高表へ兵糧を入れる工夫があると申すか」
「いささか……」
「ふむ。そちにな……」
義元は、考えていたが、独りで大きく頷いた。
元康の人間をわりあいに知っていたのは、この中ではやはり義元であった。故雪斎和尚が常に彼へ云っていたからである。
(あの小冠者を、いつまで籠の鳥の質子と思うていると間違いまするぞ。今川家の廂に巣喰うて満足しておる燕雀ではおざらぬ。大鵬の雛は、雛のうちから、大鵬になる心得をもて扱っておかぬと、飼い馴れぬものでおざる)
そう聞いても義元は、年久しく信じきれなかったが、加冠して以来、めっきり大人に見られて来た元康の言行や、初陣ぶりなどを見るごとに、雪斎の言葉が思いあたるのであった。
「よかろう。然らば、大高救援の儀、きっと、つつがなく致すであろうな」
「身命を賭して、必ず御安心の相成るように仕ります。──多年御養育うけました御恩返しの一端にも」
と、元康はいった。
彼の身を、質子として、今川家に軟擒しておくことは、政略であって、慈悲ではない。三河併呑の策謀ではあるが、同情や善意ではない。
──にも関わらず、元康は、それを養育を享けた恩といっているのだ。きょうばかりでなく、常に元康は、義元に対して、恩義を感じている容子を何かにつけて表わした。
義元は、自分の肚の底に思い較べて、ふと、不愍を覚えた。──これほどまでに、この一質子は、自分を頼り自分の与えている生に恩を感じているのかと思って。
で、何気なくいった。
「大高の城は、敵地の中だ。まちごうたら全滅、決死の覚悟をもたねば参れぬぞ。──懸命にしてのけよ。もし見事、大高一城の者の生命を救い得た時は、その褒美として、多年、三河におるお許の老臣どもが宿望としておる──当主元康の本国帰城をゆるしてつかわすであろうぞ」
「ありがとう存じまする」
「七歳の折から質子として他国に在る其許、お許も帰りたかろうでの」
「さほどにも思いませぬ」
「お許はさほどに思わずとも、三河の老臣どもは、やはり主は主として身近に置きたいは山々じゃろ。むりもない多年の願い、この度は、大高城において、見事手がらを立てられよ。それをもって──帰してとらせる」
「はい」
元康は、謹んで命をうけた。そしてまた、義元の誓いにも心から礼をのべ、退りかけた。
幕将たちは、多分な不安でさっきから眺めていたが、既に事が決まったので、このうえ充分に用意して行かれよと、大高附近の地理、織田軍の兵質、合戦の心得、小荷駄のことなど、何くれとなく、先輩として事細かに教え合った。
「はい。……はい」
元康は、心得ぬいていることでも、素直に、神妙に、いちいち手をつかえて聞いていた。
例によって、信長は、
──狩猟に参る。
という触れ出しで、供まわりも極めて小人数だし、支度も軽装のまま、早朝、清洲から野外へ駈けたのであった。
だが、いつもの狩場近くの山野へ出ても、鷹を放つ容子もなく、弓弦を掛けるふうもない。
「鳴海じゃ。鳴海へ」
後方から駈けつづいてゆく者たちは、信長のそういう声を聞いたが、何で遽かに鳴海城へ行くのか、信長の気もちは察しられなかった。
鳴海城で、休息、兼ねて昼の弁当を無造作に喰べ終ると、間もなくまた、
「丹下の砦へ向え」
と、令を下し、鳴海から国境の砦々へ接続している軍用路を、駒足のかぎり駈け出した。
徒士や小者は、勿論、落伍してしまった。騎馬の家臣ばかりが信長の前後を約二十騎ほど包みながら、一陣の旋風が移って行くように、丹下村へはいった。
「や。何か」
砦の物見は、手をかざしていた。この附近一帯は、今川領と織田領とが、丘一つ河一つ隔てて対峙している最前線なのである。秋が来ても春が来ても、ここには無事という日はないのである。
「殿!」
楼台の階段から、真下の仮屋へ、物見の兵は、呶鳴った。
ここは戦のない日も、戦時であった。砦の守将水野帯刀は、仮屋の武者溜の一隅に、床几を置いて、陣刀を立てたまま何か黙想していたが、
「おう。何か」
右側の幕を揚げて、望楼のほうを見上げた。
「三郎助。何事だ」
「異な砂けむりが見えました」
「いずれの方から」
「鳴海街道にあたる西の方より」
「では、味方であろうが」
「……それにしても?」
不審るひまに、帯刀はそこを起って、もう望楼へ上っていた。
物見は、そこを一歩も動かないのが、役目の原則なので、守将にも上から言葉をかけたが、帯刀が登って来ると、跪いて、片手をつかえた。
「……オ。なるほど」
うすい黄塵が、見るまに、此方へ近づいて来た。森にかくれ、また畑の彼方に見え、丹下の部落の端れまでかかって来ると、
「あッ。信長様だ」
帯刀は、仰天しながら、望楼から駈け下りた。
そして、砦の柵外まで、出迎えに出ると間もなく、一騎、先に飛んで来た。
丹下村の端れに屯している守備隊の一将だった。
「ただ今、お先触れもなく、清洲城より信長様が、御巡視になって参られます。お報らせまでに」
あわただしく告げて、伝令はすぐ鞭を返して去った。
それと、ほとんど入れちがいに、砦の山すそには、汗と埃にまみれた二十騎の主従が、馬を降りて、何やら高声に話していた。帯刀は、柵門の内へ、
「整列ッ」
と、どなり捨てて、倉皇と山下まで、駈けて行った。
その帯刀と、ぶつかりそうに、駒を捨てた信長は、徒歩で、すこし汗で上気した顔に、微笑を持ちながら登って来た。
余りにも不意である。
この最前線へ、しかも軽装で、予告もなく何で遽かに信長が見えたのか──水野帯刀は尠なからず狼狽した。
ともあれ──
砦の中へ、信長を招じ、守将水野帯刀以下、山口海老丞、柘植玄蕃などの部将も列して、
「いつもながら、御健勝に在して──」
と、挨拶を施した。
が──信長の耳には、取ってつけたような通例の機嫌伺いなどは、聞えもしない顔なのである。
床几を、展望のよい、頃合な所に置かせて、そこから味方の善照寺の砦、中島の砦、鷲津、丸根の塁などを、地形的に頻りと按じ顔に、
「とんと頑強に見ゆるが、大高城の近況はどうじゃの」
「……はッ」
水野、山口、柘植の諸将は、さてはやはりそれがお気懸りで──と、信長の性急な日頃の気もちと思い合わせ、何かしら、鎧の下に、汗をおぼえた。
「されば、敵の城内にはもう疾くに、糧食の蓄えも尽きたはずではござるが、さすがに、衰えた気勢は見せず、かえって、たまたま小人数の奇兵をもって、鷲津、丸根の砦などへ、夜中、逆襲せを仕掛けたりなどして参りまする」
「水の手は断ったか」
「水は、城内に、よい井戸があるので、外部の水の手を遮断しても、遽かに効はございませぬ。──それに冬ともなれば、雪解も蓄えられますゆえ」
「長びくのう」
「…………」
帯刀は、責められたように、無言で頭を下げた。
大高一城を、この附近四ツ五ツの砦で包囲し、完全に糧食の運輸まで遮断しながら、容易に、敵を屈服せしめないでいるのが──無能な長陣のように、自責しているところなので──信長のつぶやきが直ぐ胸にこたえたのである。
「所詮、この分では、年内の落城は覚束ないかと存ぜられます。……で、われわれのみではなく、鷲津砦の飯尾近江守どのにも、善照寺の佐久間左京どの、丸根の佐久間大学どの達も、一挙に、大高へ攻めかかって、踏み潰すに何ほどのことがあろうぞと、度々、清洲表へ意見をさしあげて、御裁決を仰いでおりますが、いつも、わが主君のおゆるしがないために」
云い訳には似てるが──と、思いながらも帯刀がいうと、
「いやいや」
信長は皆まで聞かぬうち、各砦の将士のあせり気味を察して、
「無理いたすな。長陣になるとて斟酌には及ばぬ」
と、いった。
怖ろしく短気に見える信長の一面に、こういう気長な寛度があるのが、帯刀には、ふしぎにさえ思われた。
「帯刀」
「はッ」
「佐久間大学、左京、飯尾近江などにも会うたら、そう伝えい。──大高城は、駿河の府中城ではないほどに、余り過ぎた武者ぶるいは、ここでは無用ぞと。よいか」
「はッ」
「そち達──いや砦の一兵たりとも、信長にとっては、大事な生命ぞ。あだにな捨てそ。近く、駿河の田舎公方が、駿遠三の大軍を誇って、上洛の企てあることも聞き及んでおろうが」
「かくれない儀──疾く承知しておりまする」
「むざと、尾張の国土を、踏み通らせてなろうか。海道の弓取は、義元のほか一名もなしと天下に嗤わるることは、信長の生あるうちは忍べぬことぞ。……何の大高ごとき小城一つ」
信長は、遠くを見て、語尾を唇に噛んだ。
仮に。
今川の上洛軍が、西上を決行する場合、どのくらいな兵力をもって来るか、信長は、もうあらかじめ、概算をつけていた。
彼の領有面積や、常備の兵数から、その留守居を引いても、おそらく二万から二万五千は欠けまいと思われた。
そこで、自身は?
と、胸のうちで比較してみると、全領土を挙げても、四千内外──そのうち四隣の国境や、留守組をひくと、千五百から二千の兵しか動かせないことが分っていた。
(数ではない!)
信長は、信念している。
しかし、戦いはまた、絶対といっていい程、寡は衆に勝てないものでもある。
今川西上の場合は、一たまりもあるまいと、四辺の国は、織田を視ている。──崩れたと見たら、一片の肉に餓狼の寄るように、分け前を争う敵が、今川と呼応してなだれこむにきまっていた。
「死にがいも、生れがいもある時の潮が眼に見えて来た。お汝らも、生命を惜しめ。ならば散り甲斐のある場所で枕をならべよう」
繰り返すように信長はいったが、ふと、詠嘆を口吻から切り捨てて、
「昨夜おそく、清洲にはいった諜報によれば、三河の松平元康は、大高の孤城へ兵糧を送り入れよとの命をうけて、駿府表より立ったとある。──あの三河の冠者は、まだ乳くさい頃より、織田家にも質子としており、その後、今川家にも長年養われて、他人中の憂き艱難には鍛練された人間、若年というても侮れぬぞ。心しておれ。──断じて、大高の兵糧口を固めておろうぞ」
と、いった。
帯刀も、柘植玄蕃も、
(何の抜かりが)
といわぬばかり、ただ、黙礼をもって旨を畏まった。
信長は、それをいうために来たのであろうか。直ぐ床几を立って、砦内の士気を一巡見てまわると、ふたたび近侍二十騎と、次の砦へ駈けて行った。
その夜は、善照寺の砦に泊った。次の日は、鷲津、丸根の二ヵ所を視察し、同じように、将士を激励してまわった。
わずか、二、三日でも、彼が清洲の本城を離れていることは、かなりな冒険であった。正面の敵の来襲は、今、海道の方面にあるものの、伊勢路、美濃路、甲州方面の国境たりとも、決して、安心ではないのである。
「よし」
鞭を返すと、信長は、四日目にはすでに、清洲にいた。清洲から四方を観ていた。
その一行が、帰城したのを見届けると、尾張平野の稲田を、一羽の離れ雁のように、東へ東へ急いで行く男があった。
旅の薬売りのような姿をしていたが、三河領へはいると、どこの柵でも、宿場でも、彼の顔は、士分の者なら知っていた。
言葉もかけずに、目礼だけすると、往来の厳しい宿場の木戸でも、黙って通り抜けることが出来た。
鵜殿甚七なのである。
かつては、山伏で往来していたが、近頃は薬売りとなって出没していた。いうまでもなく、三河方の諜報役が、彼の任務だった。
甚七の足が、岡崎まで走らないうちに、彼は、或る一宿場に溢れている千駄に近い小荷駄隊と、約二千ばかりの軍勢に行き会った。
「甚七。どこへ参る」
小荷駄隊のあいだから、彼の姿を見かけて、こう呼びとめた者があった。振り返ってみると、石川与七郎数正であった。
「やあ、数正か」
甚七は、足をもどした。
石川与七郎数正は、何十頭かの小荷駄隊の一小隊の指揮官として働いているらしく、博労のように馬臭くなって、人馬のあいだに何かどなっていたが、直ぐやって来て、
「久しぶりよなあ、甚七」
「ムム。……誰ともだ」
「おもしろかろう」
「何が」
「おぬしの役目よ」
「ばかな」
鵜殿甚七は、しんから腹が立つように、
「咎もないのに、御勘当の態になって、何年も故郷の土をふまず、大小差す身が、山伏になったり、これこの通り、薬売りのまねしたり……何がおもしろい」
「しかし、諸国の情勢を視、危険を冒して、敵地と自国を、出没して歩くなど、われわれにはない役得だ。馬の飼料を徴発したり、馬のあいだに寝たり、小荷駄隊も、華やかでないなあ」
「おたがいに、陰で働く者があるから、華々しい太刀武者や鉄砲武者に、よい合戦をさせることが出来るというもの。──先ずわれわれは、味方のそれをながめて溜飲を下げるのだなあ」
「時に。織田の領内では、はや固めておろうな。大府、横根のあたりは、どんな様子か。清洲から人数を増して来たようかな」
「左様なことは、ここではいえん。──おいッ、気をつけろ、荷駄馬が一頭、手綱を解いて往来へ外れたぞ」
甚七は、先を急いでいく。
歩いても歩いても、両側の並木から民家の廂まで、馬馬馬馬で埋まっていた。
宿端れや問屋場の附近は、なおさらであった。ここでは穀類や乾菜や、塩、味噌、粉、干魚、鰹節などの俵と籠と袋で幾つも山ができていた。
近郷から運輸してくるのは皆、農夫や人夫であったが、荷駄に積みこんでいるのはみな兵であった。具足や鎧や、顔までも、白い米の粉にまみれている隊将の姿などもあった。わき眼もふらぬ将士が、そうしてがやがや労働している中で、馬は悠々と、あちこちで尿をしていた。
御陣所
と、曲り道の畦に、木札が立ててあった。畦のつき当りに丘の寺が見えた。甚七が、不用意に、すぐ曲りかけると、
「ならん!」
稲むらの蔭から番兵の槍が二本も出て来た。──が、甚七の顔を見ると、
「あ。どうも」
槍を引いて、目礼した。甚七は畦をかなり早い脚で渡った。
寺は、本陣となっていた。小さな禅刹である。ここには、乾物や馬の尿のにおいもしなかった。許されて山門をはいると直ぐ、松平元康のすがたが本堂に見えた。
本堂の四屏を取り外して、元康は、床几に倚り、家臣の群れに取りまかれていた。
図面が一枚、大きく、拡げられてある。評議中とみえて、主なる三河衆の顔はたいがいその周りに見うけられた。
酒井与四郎正親。同、小五郎。
松平左馬助親俊。
鳥居才五郎。
内藤孫十郎。
高力新九郎。
その他、天野、大久保、土屋、赤根などの人々、多くは若武者だった。鳥居忠吉のような老臣の白髪鬢は、一名も見えなかった。
「甚七殿が立ち帰りました」
武者のひとりが伝えると、主従一かたまりの顔が、絵図面の上から斉しく振り向いた。
「甚七か。待ちかねていた」
これへ──と、元康の軍扇は彼をさしまねいた。
主将の元康を中心に、酒井、松平、高力、大久保、天野などの譜代は、こもごもに、甚七に質問を発した。
以下──甚七の探ってきた敵状の答えと、誰彼の質問を一束に記録してみれば。
問「陣地視察中ノ信長ハ、猶、前線ニ止マレルヤ否ヤ」
答「清洲ヘ帰城セリ」
問「出陣ノ様子ハ」
答「見受ケラレズ」
問「人数加勢ノ形勢ハ如何ニ」
答「ナシ」
問「兵糧入レノ松平軍ガ、近ヅキツツアルヲ、敵ハナオ知ラザルナランカ」
答「然ラズ」
問「而モ、加勢モナク、信長ノ出動モナキハ」
答「彼等ニ、御味方遮断ノ自信アルト見ユルナリ」
問「最モ、手強キ敵塁ハ」
答「鷲津、丸根ノ二塁ト見ラレテ候」
問「味方、前進猪突シテ、勝利ノ分アリヤ無シヤ」
答「断ジテコレ無シ」
──と、いったような応答が、かなり細微にわたって交わされた。
何事にも、大事に大事をとって、石橋を叩いて渡る主義の元康は、甚七のほかにも、石川左門、杉浦勝次郎、同八郎五郎など、側物見六名を、ゆうべから今朝にかけて放っておいた。
その物見組の者が、次々に、ここへ帰って来た。
そして幾分かの観察の差はあるが、大部分は、同様な報告をもたらした。
ただ、甚七を加えて、七名の物見が、完全に意見の相違を呈したのは、
(前進して、松平軍に勝味があるか、否か)
という問題であった。
七人のうち、六名までが、
(勝味なし)
と、味方の前進を危ぶんだ。
それは、地形から見ても、人数から見ても、あらゆる角度から見て、大高城へ近づくまでには、味方の全滅を覚悟しなければならない条件のみが備わっていた。いわゆる兵法でいう死地であった。
もっとも、そのために、大高が孤立し、幾度の援軍も、兵糧搬入も失敗して、元康が選ばれて来たわけであるから、今さら、ここで二の足を踏む理由はないわけだった。
要は、
(その死地を如何にして破るべきか。死地を生地にするか)
にあった。
「八郎五郎」
「はッ」
杉浦八郎五郎という物見は、元康からふいに呼ばれて、大きな眼を上げた。
「そち一名だの。このまま、前進して味方に利ありという意見を述べたのは」
「左様でございます」
「何をもって、そう信じたか」
「ふかい理由もございませぬが。鷲津、丸根をはじめ、善照寺、中島、その他数ヵ所の敵の砦は、それを聯絡すれば、大きな敵ではありますが、一箇一箇に見れば、元来、一箇一箇のものでしかございません」
云い方がおかしいので、誰か苦笑をもらしたが、元康は、厳粛になって聞いていた。
「うむ。一箇一箇。それにちがいない。──して?」
杉浦八郎五郎は、よく舌のまわらないような物云いする男だった。
物見役には、動作も鈍くて、すべてがのろい男だったが、元康は、側物見として、大勢の隼の中には、きっと一羽、この鈍な鴉を交ぜて使った。
「はい。……ですからその、敵のたくさんな砦を、一箇一箇に、力を分けさすように、御合戦を計れば、大丈夫、お味方に勝目があると存じましたので」
やっと、思うことを、そんなふうにいって、八郎五郎は、額の汗をふいた。
彼の言葉は、十の考えを、二分しかいってなかった。
元康はそれを、自分の器量に容れて、すぐ何十倍にもして聞いた。
刮然と、彼の前には、活路がひらけて来た。──死地を生地にするの道がついた。
「もうよい。休息せい。──一同も軍議をやめ、兵糧なとつかえ」
元康は、本堂を出て、廻廊を行きつ戻りつ、足馴らししているように、巡っていた。
「首尾よう仕遂げたい」
元康は、合戦の勝敗以上、こんどは功を願った。初陣の時以上、今度は、頻りと、功に逸った。
府中を立つ時、義元は約した。
(今度の事のみは、首尾よう仕果されよ。それを称うて、三河へ帰国の宿望、かなえて取らすであろう程に──)
元康も、早く三河に住みたいのだった。譜代の古老や、自分を待つ臣下たちと、共に暮す日が待ち遠しいのである。
「新九郎、新九郎」
廻廊から、突然、元康は高く呼んだ。自然、声音が張っていた。
何事かと、高力新九郎は駈けて来た。どさと、草摺の響きをさせて、板床へ、ひざまずいた。
「貝を吹け」
元康の眼は、夕焼の雲を山門の梢ごしに見ていた。
群鴉が、黒く飛んでいた。
「はッ。では」
「出軍の──用意を」
「は」
朱房の吹螺を高く手にもち、高力新九郎は、息いっぱい、吹き鳴らした。
準備。──準備。
貝は、寺内の隅々から、畦を隔てた宿場にまで流れて行った。
黙然と、元康主従は、そのまま立っていた。夕焼雲の黒ずんでゆくのを見ながら、時を測っているのだった。
──やがて。
二番貝が鳴ると、出動! そこはかとなく夕闇に揺るぎ出した。あらゆる準備も心支度もすでに出来ているので、本陣五百余の兵馬が山門を出て行くにも、いと静かに、そして僅かな間に過ぎなかった。
元康は、身近の十騎ばかりと、駒を宿場の街道まですすめた。
黒い陣列は、街道を埋めていた。兵員よりも、荷駄馬の数のほうが多いぐらいに見えた。
三番貝は、もう戦気をふくんで、戛々、千余頭の馬と二千の兵の足なみの流れるあいだに鳴りながら行った。
今村、半田、今岡、横根の宿場宿場を、宵の闇から、真夜半に見つつ前進して行った。
大高城は、もう程近い山地にあった。大高までの距離はわずか三十町程しかない。
ここまでひと息に押して来た以上は。──目ざす城はあれぞ、わき見すな、いかなる邪魔も踏みこえよ! と、軍馬の前進へ拍車をかけて、号令するのが、兵法の常道であった。
どう考えたのか、それを、元康は反対に、大高近し! ──と、思われると、
「止めよ」
と、駒を抑え、前後の旗本たちを顧みて、
「ひと汗、拭おうぞ」
と、いった。
「伝えますか」
石川数正が、元康の意を疑って、念を押すと、
「伝えよ、全軍へ」
元康は、ためらいなくいう。
止れ。
止れ。
長蛇の列へ、合図は次々に、伝令されて行った。大高の城が近づくと同時に、敵の丸根、鷲津の砦も間近なので、二千の兵と、千余の荷駄は、火気を戒め、声もひそめ、極力、密かに進んで来たのであった。
だが──
ここまで気負い抜いて来た将兵たちは、止れ、の命令に、かえって気を挫かれたように、
「や。どうしたのか」
と、がっかりした。
将兵たちの頭に直ぐ思い出されたのは、元康の初陣ぶりを見て以来、定評に考えられている、御主君の石橋を叩いて渡る堅実主義が──またここでも大事をとって踏み止まったものだろうということだった。
慎重主義、堅実戦法もよいが、およそ兵を動かすには戦いの機微というものがある。機は寸間に過ぎるものだし、機を逸したら、すでに戦の勝目はまったくつかみ難いといってもいい。
「なぜここで」
と、それを考える将兵は、動かぬ前方の本部をながめて、もどかしく思った。
「このまま遮る敵へぶつかって行き、大高へ荷駄隊を押し通してしまえばよいに、時移している間に、鷲津、丸根の敵方は、いよいよ備え立てして、必死に喰止めるにちがいないが」
誰の憂いもそこにあった。
兵力から見ても、地形から見ても、いずれは無謀な血路を通って、しかも、迅速の機をつかまない以上──到底、千余駄に積んだ脚の重い小荷駄軍を、大高の城門へ無事に入れることは、知れ過ぎているほど、至難な業であった。
出るのか。
退くのか。
このまま、夜を明かすのか。
司令部の意志がはっきり分らないうちは、止まっていても、将兵たちの心は少しも休んではいなかった。
むしろ徒らな武者ぶるいに、
「ちぇッ」
と、地だんだを踏む兵もあり、星にいななく悍馬もある。
が、その焦躁は、そう長い時間ではなかった。前方の伝令は、密やかにまた、電瞬の迅さで、合図を伝えて来た。
すすめ。真一文字に!
と、いう令である。
部隊部隊で、采を振る風が鳴った。真っ黒な長い人馬が、奔流のように動きだした。しかし、目ざす地点は、大高の城ではなかった。ここよりは二里も奥の、国境の先の敵地、寺部の城へ奇襲せよ、という意外な命令なのであった。
「寺部へ、寺部へ!」
口々に云って励まし合ったが、大将元康のいる部隊のほかは、誰にも、何でそんな敵の奥地へ深く襲せて行くのか──まったくその夜の闇のように、元康の意中がわからなかった。
夕立のように、馬も人も、足なみが迅くなった。
二千の将兵の具足が、足音と共に、ざッざッざッと鳴った。
千余駄の馬の口輪や金具が、馬のいななきと一緒に、鏘々とひびいた。
それが黒々と縦隊になって、街道を押して行くのである。行くほどに間もなく、左手の山に、味方の孤城、大高の白壁が見え、柵門が望まれた。
「オオ、火を振っている! 狭間から松明を振っている!」
「味方だ」
「餓死に頻している城の者だ」
駈けつけつつ、それを山に認めた松平勢は、誰も彼も、眼がしらが熱くなるのを覚えた。
ここに味方の──千余頭の小荷駄を積んだ兵糧は来たのだ。
そして、二千の兵も加勢に。
もう半年以上も、あの孤塁に拠って、四面を敵の砦につつまれて、木の皮を喰っている城方の人々は、この夕べ、
(援軍、近し!)
と、知って、どんなに歓喜したことか。暮るる空も待ち遠く、城の狭間から首をのばしていたことか。
誰にも分る。お互いは侍だ。しかもその孤塁のうちには、友もいる、骨肉もいる。
おおウーい。
と、呼べば答えもしそうな距離なのであった。だが、援軍松平勢の縦隊は、少しも足なみを緩めなかった。
いや、部将も大将元康も、
「急げッ」
と、駒首を駆り立て、旗さし物も馬印も、低く伏せて、
「わき見すな! 真っ直ぐに。──さえぎる敵は薙ぎ捨てに、突き伏せたら、踏みこえて通れ」
ここは西へ真っ直ぐに、もう四、五里とはない、熱田街道だ。道は知れているが、進めば進むほど、何で、救援に来た目的の孤城大高を、横に見すてて駈け過ぎてしまうのか、生命は馬前に捨てるものとして来た兵たちも、大将元康の本意を知るに苦しむのだった。
だ、だ、だッ──と、前列がふいに割れた。
「すわ」
と、槍の手は槍を、鉄砲組は鉄砲を、また、手綱を、太刀のつかを、ひしと握りしめたが、
「わき見すな!」
「衝け、衝いて通れッ」
号令は、呶号となった。
まっ黒な人影が、卍になった。隊の後方の者は、通ろうとしたが、通れないのである。もう合戦は、始まっていたのだ。
西側の雑木林から、秩序のない弾音が、ぱちぱちと聞える。赤い蛍のように見えるのは、敵の散兵が、火縄を持って駈けまわる火であろう。
「撃てッ」
組頭の声に、松平方の鉄砲もみな折敷いた。
撃ってくる。
撃ち返す。弾木魂に、一瞬、耳がガーンとすると、もう兵の胆気はすわっていた。──しかし、気がついてみると、その隊だけ、本隊から置き捨てられていた。
聯絡に、戻って来た一騎が、
「なぜ撃つ! わき見すなという令が聞えなかったか、はよう来いッ。進むのだッ」
呶鳴られて、
「まだ進むのか?」
と、隊伍を乱したまま追って、辛くも本隊に合することができた。敵は、鷲津、丸根の砦を出て、絶えず突風のように奇襲をしかけてくる。それと戦い戦い駈け通るのだった。──そしてすでに、大高の城は、一里余も後に見られ、兵は、国境ふかく、敵地を踏んでいた。
それと共に、気づいてみると、千余の小荷駄と、元康の旗本隊約五百が、いつのまにか落伍していた。
「どうしたのか」
全軍の四分の一にあたる人数だし、大将のいる主隊を見失ったので、松平勢はやや動揺しかけたが、そのうちに、
「寺部を奪れッ」
と、いう号令であった。
卒は元より、小隊の組頭ぐらいなところでは、いつも戦は行き当りばッたりだった。大局のことは何も分らないのである。ただ采のうごくまま、号令によって血をかぶり、号令によって突きすすむ。──もしくは退く──それだけの進退しかなかった。
敵の寺部城は、眼の前に在る。けれどこんな敵地の深くへはいって、しかも目的の大高の救援をよそに、何のため無謀な攻撃にかかるのか。
惑いはするが、惑っている間などはない。味方の先鋒はもう木戸へかかり、燃え草を積み、火を放ち、所々の民家をも焼き立てているのだ。
火光のなかに、血戦は始まった。寺部の兵が城内から斬って出て来たのである。これは織田のうちでも精鋭な佐久間大学の麾下のものだ。ここらの砦にいる織田軍の兵は、日頃の退屈を憎んで闘志に満ち満ちていたところでもある。松平勢はかなりの脚速で長途を殺到したばかりなので、
「ござんなれ」
と、ばかり出て来た城兵の戦闘力には、一たまりもなく押し返された。
「三河武士の名折れぞ」
と、乱軍のなかで、人間の声とも思えない声がわめく。
三河武士の名折れぞ。これは三河武士の口癖だった。いや戦国武士のひとしくいった口癖でもある。
戦に敗れるということ以上、敵に嗤われることはもっと辛い恥だった。無二無三な苦戦だった。わずかに諸方へ放った火によって、猛烈な城兵の突撃を幾分かくいとめてはいたが、そのうちに、
「鷲津の兵が背後から来る」
「丸根の敵も」
と、いやがうえにも、松平勢は重囲のなかに、乱れ立った。
当然だ!
誰も思った。
大高城の抑えとして、大高と対峙している敵の幾つかの砦を、まるで無視して、奥地へ進んで来たのである。
その上に、寺部へ火を放けたので、鷲津、丸根の敵は、
「さては、小人数の寺部を目がけて、松平勢は奇襲しかけると見えた」
と、思い、敢えてやり過しておいて、戦い酣と見るや、退路を断って、包囲をちぢめて来たものにちがいない。
「来たかッ。──鷲津、丸根の砦の兵が。──慥かにそれか」
石川数正、酒井与四郎、松平左馬助などの部将たちが、口々にあたりの兵にたずねた。駈け交い駈け交いながら、物見や足軽頭などが、声を嗄らして告げた。
「かなりの大軍です。鷲津、丸根の兵のみか、善照寺、中島などの砦の兵も、挙げてこちらへ襲せて来たようでござる」
聞くと。
石川、酒井などの部将たちは、初めて、合戦の目的を達したように、
「しめたッ」
「全軍、急速に退け」
と、槍を高く振って、炎々と焼けている部落の真ん中を駈け通って、敵の弾音も、また、嗤う声も背にして、潮のように退いて行った。
大高城から二十町ほど距った街道の横に、密生した松山が幾つかある。
そこの松山の頂に、物見していた部将が、谺のような声を出して、山蔭の闇を見下ろしながら、いちいち報告していた。
──寺部の附近で、火の手があがりましたぞ。
火炎は七ヵ所程に。
ややしばらく、間を措いてから。
「鷲津の敵が、寺部のほうへと、駈けつけて行きまする! 二百! 三百余り! ──総勢で、四、五百の兵とみえまする」
山蔭の闇からは、何の答えもない。墨壺のような暗さである。
物見の声が、また響いた。
「おお! 丸根の砦の人数も。──鷲津、丸根の二砦、今は、兵を挙げて、寺部の大事と、駈け行きました」
そのことばが終ると同時に、山間に点々と燃えいぶりだした松明が、二十、三十、五十と増して、そこらの山肌を赤く染めだした。
「それッ」
兵機をつかんだ一軍団が、真っ黒にそこから駈け出した。それは、寺部へ寺部へと驀しぐらに前進するうちに、味方さえ知れぬほど迅速に、熱田街道から横道へ外れて、そこに潜んでいた松平元康の旗下約四百の兵と、千余頭の背へ兵糧を積んでいる小荷駄隊の馬の列であった。
元康の計った兵機は、思うつぼに、大高城への道を開いたのである。
たとえ忠烈な二千の三河武士を血草のなかに捨てる気でも、敵の鷲津と丸根の要砦が、大高への道を抑えている以上、脚の重い輜重馬を千余駄も曳いて通ることは、絶対にできない業であった。
その出来得ない難役へ、今川義元は、質子を向けたが、元康はその難命を欣んでうけて、しかも見事に為果した。
無数の松明が照らす道を、千駄の輜重馬は勇みに勇んで大高城へと通った。餓死にせまっていた城門の中へ、その烈々たる火の明りと、千駄の馬の蹄の音がながれ込んだ時、城内の将兵は、思わず歓呼をあげた。そして自分らのあげる声かぎりの歓呼に、涙をながしていない者は一兵もなかった。
この冬中、国境の小ぜりあいはやや小康を得たかに見えたが、それはかえって大きな動きを取る時の力の準備期であった。
翌、永禄の三年。
肥沃な海道の麦は青々とのびてきた。花がちって、新樹の若葉のにおいが蒸れ立って来た初夏である。義元は、上洛軍の出動を、府中から発令した。
大国今川の大規模な軍備とその旺んな行装は、宇内の眼をみはらせた。また、その宣言は、弱小国の胆をすくませるものだった。
──わが軍の行くをさえぎる者は伐たん。
──わが軍の行くを迎えて礼する者は麾下に加えて遇せん。
と、いうのである。簡単で明確な宣言だ。
しかし、一面から見れば、いかに義元以下の今川家の宗族たちが、天下を人もなげに観ているかがわかる。
陣日誌によれば。
出兵の令は、五月一日に発しられ、今川与党の各領内の諸城へも各部門の将士へも、同時に、出陣令が下った。
端午をすまして、五月の十二日に、義元の本陣は、嫡子の氏真を留守居として府中に残し、沿道の領民が歓呼して見送る中を、歩武堂々、天日の光を奪うばかりな華麗豪壮な武者、馬印、大旆、旗さし物、武器、馬具など絢爛な絵巻をくりひろげて、上洛の途にのぼった。
兵員の実数は、約二万五、六千人と見られたが、称して、四万の大軍とわざと触れて行った。
それより二日前。
前衛軍の先鋒は、十五日に池鯉鮒の宿にはいり、十七日には、鳴海方面に近づいて、織田領の諸村へ、放火していた。
天候は、毎日、暑いくらいな晴天つづきで、麦畑の畝も豆の花のさいている土も白っぽく乾いていた。
その青空へ。
あちこちの部落の焼ける黒けむりがのぼっていた。けれど、織田領のほうからは、鉄砲の音一つして来なかった。百姓たちは、あらかじめ、織田家のほうから避難を命じられていたと見えて、どの家にも、家財一つなかった。
「この分では、清洲も空城となっておろう」
今川家の将士らは、むしろ坦々とした道の無聊に、武装の気懶さを思うくらいだった。
大将義元は、十六日、岡崎にはいったので、刈屋地方その他には、守備隊と監視兵の配備を厳しくした。
岡崎の城には、松平元康をはじめ、元康の手飼の三河武士たちは、ほとんどいなかった。──義元の本陣が通過するにあたって、必ず猛襲して来るであろうと見られている敵の丸根の砦を伐つべしと──疾く前方へ出陣していたからである。
去年。
元康が、大高への兵糧入れに働いた折、義元は、その門出に、
(首尾よう仕果したら、この度こそは三河への帰国の宿望、かなえて得さすであろう)
と、彼へ約したが、その後、義元はそのことを忘れでもしたような顔して、今日にいたるまで何の沙汰もなかったのである。
腹にすえかねた三河武士の硬骨な一部には、
(この機会に)
と、義元の上洛をしおに、画策する動きもないではなかったが、元康はゆるさなかった。そして、唯々として命を奉じ、ふたたび前線へ出て、丸根砦の手強い敵を攻撃していた。
静かであった。清洲の城は、今夜もひそまり返った天地の中に、いつもの通り、無事な灯が点っていた。城下の領民は、
──ああ灯が点っている。
と、特にそれを見まもるのだった。
けれどそれは、今にも襲わんとする暴風雨の前の灯に見えた。そよとも動かないお城の樹々は、むしろ無気味な颱風の中心にかかった時の「死風」の静寂を思わせた。
城内からはまだ、何の布令も領民には出ていない。避難せよとも、抗戦の準備をせよ、ともいわれてない代りに、
(安堵せよ)
という布告もなかった。
商家はいつも通り店をひらいていた。職人は常の如く仕事していた。百姓も耕作していた。
けれど、街道の旅人の往還は、数日前からぴたと止まってしまった。
それだけに、町はさびしい。何となく落着かないものが漂っていた。
「西上して来る今川の大軍は、四万という大軍じゃそうな」
「どう防ぐおつもりやら。……織田様では」
「どうにも、こうにも、防ぎようはあるまい。何というても、今川勢に較べたら、十分の一ほどな御人数にも足らぬからの」
町では、不安な顔と顔とが、顔を合わせれば噂であった。
その中を。
きょうは、佐々内蔵助成政が、春日井郡の居城から、小人数で清洲の本城へ駈けつけてゆき、きのうは、愛知郡上社の柴田権六が登城し、おとといは西春日井の下方左近将監、丹羽郡の織田与市、海東郡津島の服部小平太、羽栗郡栗田の久保彦兵衛、熱田神宮の千秋加賀守と──次々におびただしい織田方の将星が、通るのを見た。
退城して、領地の郡へ、引っ返してゆく将もあるが、尠くも、何分の一かは、先頃から本城にふみ止まっている様子であった。
(今が境目──)
と、漠然とではあるが、領主の浮沈を案じている領民は、そうした将星の頻繁な往来を克明に記憶していて、
(今川家へ降伏なさるか、お家を賭して戦うか、御評議が長びいているのであろう)
と、察していた。
民衆のそういう感覚は、眼に見ない政廟のことではあるが、たいがい当らずといえども遠くないところを覚っていた。事実、その紛議は、幾日も城内で繰り返されていた。いつの場合でも、硬軟ふたつの意見は対立するもので、「万全」と「お家大事」を口にする者は、この際、一応でも、今川家の軍門に降ることを、上策として主張していた。
けれどそれは、長い紛議にはならなかった。信長の肚が先に決まっていたからである。老臣や一族をあつめて評議をひらいたのは、その肚構えを知らすためであって、穏健なる保身の方法や、旧態以下の領土の保持策を訊くためではなかった。
信長の肚を知ると、「心得て候う」と、ばかり勇躍して、持場持場へ帰った将星も多かった。
信長も、また、
「ここに用はない」
と、努めて彼らを即刻陣地へ追い返した。
従って、清洲は、平常と変らないほど、静かでもあったし、特に人数もふえていなかった。しかし、さすがに信長は、ゆうべも夜半に、何度となく起きて、軍飛脚の齎して来た報告を披いたし、今夜も、極めて粗略な夕食をすますと直ぐ、大広間の陣務の席へ着いていた。
そこには、数日来、彼の前を去らずに詰めきっている諸将が、さすがに、沈痛な眉をならべ、織田家興って以来の国難を、各〻がその面上にも湛えていた。
寝不足でありながら皆、青白く冴えきった面をしていた。
森可成、柴田権六、加藤図書、池田勝三郎信輝──その他の帷幕。
席をすこし下って。
服部玄蕃、渡辺大蔵、太田左近、早川大膳などの諸士──物頭格の人々。
次の間、その次の間にも、勿論家中の重なる者が詰め合っていた。
藤吉郎の如きは、ここから遥か、幾部屋の端にいるのか知れなかった。
なべて息づまるような沈黙が、おとといも昨夜も今夜も占めていた。
不吉なので、この場合、噯にも口になど出せないことだが、心ひそかに、
(通夜のような──)
と、その夜の白い燭と並居る人々とを見まわした者もあったろう。
その中で、時折、
──は、は、は、はッ……
と聞えるのは、独り信長の笑う声であった。
どういうことについて語っているのか、末の者にはよく分らないのであるが、頻りと、信長の哄笑するのが、二の間三の間までも、時々聞えて来た。
──かと思うと。
ばたばたばたと、お表から取次役の者が、いつにない早足で、大廊下を駈けてくる。それッと、待ちかまえていた信長の侍側が、戦況の報告を聞き、或いは、前線から来た軍状を取り次ぎ、信長の前に披露する。
「あ。……これは」
代読して、信長へいう前に、柴田権六すらも、顔のいろを変えていた。
「殿」
「何か」
「ただ今、丸根の佐久間盛重の砦から、今暁より四度目の早打が到着いたしました」
「あ。左様か」
信長は、左の脇息を、膝のまえへ置き直して、
「──して?」
「駿河の大軍は、碧海郡の宇頭、今村を経て、夕刻早くも、沓掛に押し迫って来る様子とござりますが」
「そうか」
信長は、いったきりであった。眼は広間の大欄間へ行っている。それは虚ともいえる眼だった。
(──さすがに、当惑してお在でとみえる)
人々は、いかに日頃の彼の剛愎に信頼してみても、そう思わずにはいられなかった。
沓掛、丸根といえば、もう織田家の領土だった。その一線に散在している数ヵ所の要砦が突破されたら、尾州平野は一瀉千里に清洲の城下まで、ほとんど何の支えもないといっていい。
「いかがなされますか」
堪りかねたように、柴田修理権六はいった。
「今川勢は、四万の大軍と聞えまする。お味方は、四千に足らぬ小勢。わけて、丸根の砦には、佐久間盛重の手飼が、たかだか七百ともおりませぬ。──今川の先鋒、松平元康の一手のみでも、二千五百とあれば、怒濤のまえの一舟」
「権六、権六」
「夜明けまで、丸根、鷲津が、防ぎ得ましょうや否やも……」
「権六ッ。聞えぬか」
「はッ」
「何をいうぞ独り語を。──知れたこと、繰り返しても、益はない」
「でも」
云いかけるところへまた、廊下走り忙しい取次の跫音だった。
脇部屋の口元で、直ぐその取次が、
「中島砦の梶川一秀どの、ならびに、善照寺砦の佐久間信辰どのらも、唯今、相前後して、伝令のお使者、早馬でお着。──御報告の急状二通、お手許まで御披露を仰ぎまする」
と、声も物々しい。
玉砕を覚悟している前線からの報告は、皆、悲壮を極めたものだったが、今届いた中島、善照寺の二陣地から来た飛状にも、
(おそらくこれが、御本城への、最後の通牒と相成るでしょう)
と、してあった。
防禦線の味方から本城への遺書にもひとしいその書状にはまた、敵の大軍の配置と明日の彼の攻勢とが予測してあった。
「もういちど、敵の配置の所だけを読みあげてみい」
信長は、脇息を抱いたまま、代読の柴田権六へいった。
権六は、書状のうちの、箇条書になっている部分だけを、信長に限らず、居並ぶ一統の者へも聞かせるように再読した。
一……丸根砦への寄手
約二千五百余
主隊長松平元康
二……鷲津砦への寄手
約二千余
主隊長朝比奈主計
三……側面援隊三千
主隊長三浦備後守
四……清洲方面前進主力
大略六千余人
葛山信貞、その他各隊
五……駿河勢本軍
兵数約五千余
柴田権六は、それに云い足して、註釈を加えた。以上の数字に見えるほかに、敵の潜行的な小部隊が何ほどあるか、その点は不明である。
また、先年来、頑強にもちこたえて来た今川方の大高城が、この際、俄然重要な存在となって来た。何しろ大高は、御領土内へ蚕蝕して来た飛び地にあるので、その地の利がものいうとなると、味方の防禦線は、絶えず背後や側面を脅かされないわけにはゆかない。
「…………」
「…………」
信長をはじめすべての者は、権六勝家のことばが聞えている間も、彼が黙って書状を巻いて信長の前へ納めて後も、深沈とただ白い燭を見まもっていた。
飽くまで戦う!
という方針は決しているのだ。もう評議の余地はないのである。だが、こう手をつかねてなすこともなくいることが一同は苦痛だった。
鷲津、丸根、善照寺などといっても、それは遠い国境ではない。馬腹へ一鞭すればすぐ届くところなのだ。四万と聞える今川勢の潮のような大軍が、もう眼に見えるここちがする。耳に聞えるここちがする。
「雄々しい、御決心もさることながら、玉砕をとるのみが、武門とも思われませぬ。もう一応、御分別あってはいかがにござりましょうや。──たとえこの佐渡が、身に卑怯者の誹りをうけましょうとも、お家維持のためには、なお、御熟考の余地があるものと……押して申し上ぐる次第にござりますが」
沈みきった座の一方から、憂いに溢れた老人の声がした。この中では最古参の林佐渡であった。先に、信長を諫めて自刃した平手中務と共に、先代信秀から信長を頼むと遺言された三老臣のうちで、今生き残っている者はもはや佐渡一人であった。
佐渡のことばは、居ならぶ人々の同感と同情をあつめた。人々はひそかに、信長がこの古老の最後の忠言をうけ容れてくれるようにと祈った。
「……はや、何刻じゃ」
信長は、まるでべつなことを呟いて、それにうろたえる人々の眸を見まわした。
「子の下刻にござります」
誰か、答えた。
次の間のほうの声であった。
それでまた、言葉はとぎれ、夜も更けたという気持と共に、一同の姿も沈みかけたが、
「あいや殿。殿。もう一応の御考慮ありますよう。御評議遊ばしますよう。強って、佐渡よりお願い申しあげまする」
彼は遂に、自分の席をすこし動いて、白髪頭を、信長のほうへすりつけて云った。
「夜も明けなば早や、お味方の兵も砦も、今川勢の前に、一たまりもなく潰えて、取り返しのつかぬ大敗となりましょう。──そうなっての上の和議と、一瞬前に結ぶ和議とでは」
信長は、ちらと見て、
「佐渡か」
「はッ」
「老年の身で長座は大儀であろう。もはやここには、談議することは何もない。夜も更けた。退って休め」
「……余りなおことば」
佐渡は、ぼろぼろと落涙した。お家も末と思われたからである。と同時に、役にも立たぬ老人とされたことも口惜しかった。
「それまでの御決心とあれば、佐渡ももはや御戦意に対し、とやこう申しあぐることはいたしませぬ」
「するな!」
「はいッ。……しかし、御軍議はなされませ。一昨夜も、昨夜、またきょうも宵から、ただこう大勢が、手をつかねて刻々迫る敵の大軍の報告ばかり聞いていて何といたしましょう。──出でて戦うならば戦うように。また、籠城遊ばして敵を城下に引き寄せて悩ましてくれんとなさるなればそのように」
「そうだ」
「それには、加藤殿や柴田殿が最前披瀝された御意見に、この老人も同意にござりまする。殿には、城を出て決戦すると、動かぬ御意のように存じますが」
「左様」
「四万の敵の大軍に対し、お味方にはその十分の一にも当らぬ小勢。平野に出て戦うことは、千に一つの利もござりませぬ」
「籠城に利があるか」
「まだまだ、城壁にたて籠ってのことならば、そこに何らかの策も講じられましょう」
「策とは」
「たとえ、半月一と月の間でも、今川勢を支え止めて、その間に、美濃へ、或いは甲府へ、密使をつかわして、好条件の下に援軍を頼むなり、また戦法としても、寄手をなやます工夫となれば、御座辺にも、智謀の士は尠しとしませぬ」
信長は、天井へ響くような哄笑して、
「はははは。それは佐渡、常時の戦法というものじゃ。織田家にとって、今は、常時か非常な場合か」
「お答えまでもございませぬ」
「十日二十日、わずかな命数を延ばしたところで、持てぬ城は持てぬ。……だが誰がいうた。運命の方向は、人間の眼に、もう最後と見える窮極から転機するものだと……」
「…………」
「按じるに信長には、今が逆境の谷底と見えた。おもしろや逆境。しかも相手は大きい。この大濤こそ、運命が信長に与えてくれた生涯の天機やも知れぬ。など徒らに、小城の殻にたて籠って、穢き長らえを祷ろうや。人間、死のうは一定じゃ。そち達の生命も、この度は信長に捧げよ。共に蒼天の下に出て、広々と、振舞って死のうぞ」
云い断って、信長は、すぐその語気から一転して、
「ちと、誰も彼も、寝不足の面持よの」
微苦笑をもらし──
「佐渡もやすめ。その他の者も、はや眠りについたがよい。まさか、眠れもせぬ程な、小心者はこの中にはおるまい」
と、いった。
そういわれては、寝ないわけにゆかなかった。実際、一昨夜から十分に寝ていた者は、この中では誰もなかった。信長だけは例外に夜も寝、昼寝も摂っていたが、それも寝所に入らず、仮寝の態だった。
「では。明日は明日」
佐渡は、諦めを呟くように、主君へも一同へも会釈して、先に退った。
「御免を蒙りまする」
次に。
また次に。
歯の抜けるように、席にいた者は順々に退座した。
やがて信長は、その広い席に、ただ独りになった。やっと、気が軽々となったような面持でもある。
振り向くと、彼のうしろには、二人の幼い少年が凭れ合って居眠りしていた。小姓の者である。その一人は、佐脇藤八郎といい、ことし十四の少年で、信長の勘気にふれて先年放逐された、前田犬千代の実弟だった。
「於藤。……これ、於藤」
呼びさますと、
「はいッ」
藤八郎は、真っ直ぐになって、口のはたを手の甲で拭いた。
「よう寝るやつ」
「御勘弁くださいまし」
「いやいや、叱るのではない。むしろ賞めてつかわしたいほどじゃ。ははは、信長もちと眠る──。何ぞ、枕になるものを貸せ」
「このまま」
「そうだ。夜も明けやすうなったし、転寝には、よい季節よ。……おう、彼方の千鳥棚にある手筥をかせ。枕に……」
云いながら、信長は、身を曲げて、於藤がそれを持って来るまで肱で頭を支えながら、浮舟のように躯を泛していた。
文筥の蓋には、室町蒔絵の松竹梅の図が盛ってあった。信長は、頭を当てがいながら、
「よい夢枕……」
独りでニコと笑いながら眼をふさいだが、やがて、小姓の於藤が、数多くの燭を一つずつはしから消してゆくうちに、信長の微笑も、雪の解けるように薄らいで、いつのまにやら深々と、鼾声の中の寝顔となっていた。
「殿さまには、御寝なされました……お静かに」
於藤は、侍たちの詰部屋へ、そッと、告げに行った。
「そうか」
と、そこにいる人々も、重苦しい──しかし悲壮な眼いろをもって、頷いた。
もう絶対なものが、誰の胸にも覚悟されていた。
絶対とは、勿論、死以外の何ものでもない。城内は、その夜、死を直前に見つめながら刻々夜半を過していた。
「──死ぬはいいが、いったいどう死ぬのだ?」
不安といえば、それだけだが、まだ誰の胸にも、決まっていなかった。従って肚のすわり切っていない者もあった。
「お風邪めしますな」
誰かそッと来て、信長のうえへ、小掻巻を掛けて行った。さいと呼ぶ侍女であった。
それから──およそ一刻(二時間)ほども眠ったろうか。残燭の灯皿に、油も尽きて、じじじと泣くような音をたてた。
信長は、むくと、頭をもたげ、突然、呼ばわった。
「さいよ! さいよ! ……。誰ぞおらぬかッ」
音もなく杉戸が開いた。
侍女のさいは、そこから手をつかえて、信長のほうを見、静かに後ろを閉めてまた、間近まで来て両手をつかえた。
「お目ざめにござりまするか」
「ウむ。さいか。……刻限は今、何刻頃?」
「丑の刻を、すこし下がった頃かと覚えまする」
「よい機」
「なんと御意なされましたか」
「いや、儂の物の具を直ぐこれへ」
「お鎧を」
「誰ぞに申しつけ、馬にも鞍の用意させよ。そなたは、その間、湯漬をととのえてこれへ持て」
「畏まりました」
さいは心の利く女であったので、信長の身近な用事は、平常もさいが心をくばっていた。
さいは、信長の心をよく知っていた。さてはと思ったのみで、仰々しく立ち騒ぎもしなかった。脇部屋に手枕のまま寝ていた小姓の佐脇藤八郎をゆり起して、宿直の者へ馬の用意を伝え、自分はその間に早くも湯漬の膳部を、信長の前へ運んで来る。
信長は、箸を取って、
「明ければ、今日は五月の十九日であったな」
「左様でござりまする」
「十九日の朝飯は、信長が天下第一に早く喰べたであろうな。美味い。もう一碗」
「たくさんにお代え遊ばしませ」
「膳に添えた三宝の上にあるは何じゃ」
「昆布。勝栗。……ほんの形ばかりに」
「おう。よう気がついた」
信長は、快く湯漬を喰べ終ってから、その勝栗を二つ三つ掌に移して、ぼりぼり喰べ、
「馳走であった。……さい。あの小鼓をこれへよこせ」
鳴海潟とよぶ信長が秘蔵の小鼓であった。さいの手からそれを取ると、信長はそれを肩に当てて、二つ三つ手馴しに打って見て、
「鳴るわ。四更のせいか、常よりもいちだんと冴えて鳴る。……さい、儂が一さし舞おう程に、そなた、敦盛の一節をそれにて調べよ」
「はい」
素直に、さいは小鼓を、信長の手から押し戴いて、調べはじめた。
しなやかな白い掌から、鼓の音は清洲城の広い間ごとへ、醒めよ醒めよとばかり高鳴った。
「……人間五十年、化転のうちをくらぶれば」
信長は立った。
立って、水の如く、静かな歩を運びながら、自身、小鼓の調べにあわせて朗吟した。
「……化転のうちを較ぶれば、夢まぼろしの如くなり、ひとたび、生をうけて、滅せぬもののあるべきか」
いつになく、彼の声は、朗々と高かった。今をこの世の声のかぎり──と、謡うように。
「滅せぬもののあるべきか。是を菩提の種と思いさだめざらんは、口惜しかりき次第ぞと、急ぎ、都に上りつつ、敦盛卿の御首を見れば──」
誰か。
ばたばたと、廊下を走って来た者がある。宿直の内にあった侍であろう。具足の音をさせて、板敷へひざまずき、
「御乗馬の用意、整いました。何時なと、お召しを」
と、いった。
舞の手と足とを、とんと同時に止めながら、信長は、声のほうへ振り向いた。
「岩室長門ではないか」
「はッ。長門でござります」
物頭の岩室長門は、すでに具足を着、太刀を佩き、直ぐにも、信長の馬前に立って、轡を持つよう、身支度をして来た。
──が、見れば、信長自身はまだ鎧も着けず、侍女のさいに鼓を持たせて舞っている様子に、
(おや?)
と、云いたげな、不審の眼を、そこへみはった。
たった今、お表のほうへ、
(御出馬の用意を!)
と伝えて来たのは、取次が小姓の佐脇藤八郎だったし、皆寝不足で疲れているし、神経ばかり尖っている際なので、何かの間違いではなかったのか? ──と、咄嗟に長門は、自分の早支度と、信長の悠長なすがたとに、戸まどいを覚えた程だった。
いつもは、
(馬ッ)
と、信長がいったら、もう近習の支度が間にあわない間に、飛び出している信長なので、長門はなおさら、意外に思ったのであった。
「はいれ」
信長は、舞の手を、休めはしたが、舞のすがたは崩さずに云った。
「──長門。そちは果報者じゃ。信長がこの世の名残と舞う舞を、そちのみが見得るぞ。それにて見物候え」
(さてはやはり)
長門は、主君の心を悟ると、自分の抱いた疑いを恥じながら、広間の端へにじり入って、
「御譜代、家の子も数ある中に、長門一名のみが、殿の御一世の舞を拝見いたすなどは、御家臣の端と生れて、身にあまる果報。願わくば、長門にも、この世の名残に、謡わせていただきとう存じまする」
「うむ。そちが謡うか。──よかろう。さい、初めから」
「…………」
さいは黙って、鼓と一緒にすこし頭を下げた。長門は、信長が舞うといえば、いつもの敦盛と心得ているので、
人間五十年
化転のうちを較ぶれば
夢まぼろしの如くなり
ひと度、生をうけて
滅せぬもののあるべきか
謡っている間に、長門は、信長の幼少の時のお姿から、自分が側近く仕えて来た長年のことなどが、胸のうちに、長い絵巻を繰るように思い出されて来た。
舞う人、謡う人の心と一つになって、鼓を打っていたさい女の白い面にも、涙のすじが燭に光って見えた。しかし、さい女の鼓の音は常よりも冴えて、何か烈しくさえあった。
──花の袂を墨ぞめの
十市の里は墨衣
今着てみるぞ由もなき
信長は、扇を投げて、
「死のうは一定!」
云いながら、手ばやく、鎧を着け、具足をまとい、
「さい。信長が討死と聞えたなれば、すぐこの城に火を放けよ。見穢のう焼け残すなよ」
「畏まりました」
さい女は、鼓を置いて、両手をついたまま、面を上げなかった。
「長門。──貝ッ」
「はッ」
長門は、先へ、大廊下を駈け出して行った。
信長は、可憐しい女童どもの住む奥へ向い、また、この城にある祖先の霊へ対い、心の底から、
「さらば」
と、いって直ぐ、冑の緒をしめながら表方へ走った。ぽう──と、まだ暗い暁天に、出陣の貝は鳴り出していた。
暁の闇は濃い。
雲の断れ間に、小糠星の光が、まだ鮮やかであった。
「御出陣じゃぞ」
「えッ?」
「殿の御出陣とある」
「真か?」
触れまわる表方の小者。
驚いて駈け出合う侍たち。
それも多くは、台所方の者とか納戸の役人とか、戦場の役には立たぬ留守居の老武士が多かった。
挙って、大手の土坡口まで見送りに駈け出して来たのである。それは清洲城内の男の全部といってよい頭数であったが、わずか四、五十人足らずであった。
いかに、城内も信長の身辺も、この際は手薄だったかが知れよう。
信長がこの日の馬は、月輪とよぶ南部牧の駿馬だった。若葉の風暗く、手燭の明りが明滅する大玄関の前から、信長は、螺鈿鞍をおいた駒の背にとび乗り、八文字に開かれている中門から大手の土坡口へ、鏘々と、鎧の草摺や太刀の響きをさせて駈け出して来た。
「おお」
「殿さま」
見送りにかたまっていた留守居の老若は、われを忘れて、土下座から声をあげた。
信長も、
「さらばぞ」
と、右へ云い、また、
「さらば──」
と、左へ云って、暗に、今生の別れを、多年召し使って来た老人どもへ云った。
城を失い、主を失った老人や、女童たちの身の末が、いかに惨めなものであるかを、信長は知っていた。──思わず、眼がうるんで来るのであった。
熱い眼がしらを、じっと、ふさいだ一瞬に、駿馬月輪は、もう城外へ駈けていた。疾風のように、暁闇を駈けていた。
「殿ッ」
「殿!」
「しばらく」
遅れじと、彼の後から駈け続いて来る人々といえば、物頭の岩室長門をはじめ、山口飛騨守、長谷川橋介、それに小姓の加藤弥三郎、最年少者の佐脇藤八郎。
あわせて、主従わずか六騎。
ともすれば、信長の駒脚に、捨てられもせんと、近習の面々は、のめり蹌めくばかり駈けた。
信長は、後も見ない。
敵は、東に。
味方も前線にあり。
すでにそこの死処へ行きつく頃には、陽も高かろう。この国に生れてこの国の土に帰す、実に何でもないことである。永劫の時の流れから今日という一瞬を見れば。
信長は、駈けつつ思う。
「あいや!」
「わが君ッ」
突と、町の辻から、叫ぶ者がある。
「おう、森の人数か」
「さん候う」
「柴田権六にてあるか」
「御意!」
「早かったぞ」
賞めて、鐙立に伸び上がりながら信長、
「して、人数は」
「森可成の手に百二十騎、柴田権六が手に八十騎、あわせて二百余。お供仕ろうずと、控えておりました」
森可成の一手、弓之衆の中に、浅野又右衛門の顔が見え、また、足軽三十人の頭として、木下藤吉郎の顔も、まごまごして交じっていた。
雑兵に少し毛の生えたぐらいな藤吉郎の存在ではあったが、
(いるな。猿も)
ちらと、信長の眼に入った。
彼のその眼は、暁闇の中に気負い立つ二百余の兵を馬上から一眼に見、
(我にこの部下あり!)
と、耀きを加えていた。
敵四万の怒濤へ当るに、数としては、元より一片の小舟、一握りの砂にも足らない兵ではあるが、
(義元にこの部下ありや!)
彼は敢えて問いたい。
将として、人として、ひそかな誇りすら覚えるのだ。
敗るるも自分の兵は、あだには負けない。何ものかを久遠の地上に描きのこして最期の枕を並べるであろうと思う。
「夜明けは近う覚ゆるぞ。──さらば行けッ、続けッ」
信長は、指さした。
そして真っ先に、彼の駒が、熱田街道を東へ駈け出すと、両側の民家の軒ばまで、低く立ちこめている朝霧をうごかして、二百余の兵は、雲の如く、
「わあアッ」
と、声をあげてつづいた。
隊伍も陣列もない。
ほとんど、われがちなのだ。
およそ一国一城の大将の出陣とあれば、民家は一斉に業を休めて軒ばを浄め、かりそめの忌み事にも気をつかってその門出を見送り、兵は旗幟馬印を護って陣列を作り、将は威武を飾って、一鼓六足、国力のある限りな豪壮の美を押して国境へ出て行くのが常であったが──信長は、恬として、そういう方式や虚飾にかまっていなかった。
隊伍すらも充分に整えない早駈けなのである。しかも、死ぬ戦いときまっている。来る者は来い──として彼は先頭を切って駈けていた。
しかし、落伍する者はひとりもなかった。むしろ、進んで行く程、人数が殖えていった。召集が急なので、支度に間に合わなかった者が、飛び入りに横丁から加わったり、追いついて来て、参加するからである。
その鬨の声と跫音に、明け方の眠りをさまされて、
「何か?」
と、路ばたの百姓家や商工の民家では戸を開けた。
そして、寝ぼけ眼で、
「おう、戦だッ」
とは叫んだが、まだ暗い朝霧の中を、眼をさえぎって駈け通った先頭の人が、領主の織田上総介信長であったとは、後でこそ思い当ったが、誰もその時それとは見なかった。
「長門、長門」
信長は、鞍から振り向いたが、岩室長門は、騎馬でなかったので、小半町も遅れている人数の中にいるらしい。
馬首を揃えて、続いて来るのは、柴田権六、森可成。──それに熱田の町の入口から人数へ加わった加藤図書などであった。
「権六ッ」
呼び直して、
「宮の大鳥居が早や見ゆる。熱田神宮の大前にて兵を停めい。信長も参拝して参ろうず」
いう間に、大鳥居の下へかかった。信長がひらりと飛び降りると、約二十名ほどの部下と共に、熱田の宮の祠官でもあり、また神領の代官でもある千秋加賀守季忠が待っていて、
「お早いお着」
と、すぐ駈け寄って、信長の駒を預った。
「お、季忠か」
「はッ」
「迎え大儀である。祈願な捧げ申したい」
「御案内仕ります」
季忠は、信長の先に立った。
杉木立の参道は、霧しずくに濡れていた。季忠は、御手洗の泉屋に立って、
「お嗽ぎを」
と、促す。
信長は、檜柄杓を把って、手を浄め、口をすすいだ。
そして、滾々とあふれる神泉をもう一柄杓掬って、それはぐッと飲みほした。
「見よ! 吉兆ぞ」
信長は仰いでいった。後ろに続く旗本や大勢の兵へも聞えるようにいって、天を指さした。
夜はようやく明けていた。老杉の梢は茜いろの朝陽に染められ、暁烏の群れが高く啼いている。
「神鴉だ!」
「神鴉だ」
信長に和して、周りの侍たちも仰向いた。
その間に。
千秋季忠は、鎧のまま拝殿に上がって、信長に菅莚を与え、その前へ、神酒の三宝を捧げて来て、土器を取らせた。
そして、瓶子を持って、信長へ神酒を注ごうとすると、
「季忠、待て」
と、遮った者がある。
見ると、柴田権六であった。
権六がいうには、
「千秋殿には、当熱田神宮の祠官職たるお役目上、神前のおつとめは当然なことながら、いかに御出陣の火急な際とはいえ、鎧具足のまま神酒を執って、拝殿に侍く作法やある。自身、具足を脱いで、衣冠を着ける遑なくば、他に神官も居られように、なぜそれらの者にさせないか」
咎めると、千秋季忠は、にこと笑って、
「今のおことばは柴田殿か。御注意はかたじけない。──しかし、鎧具足は神衣でござるぞ。わが神々も遠つ御世には、甲冑を召されて聖業の途に立たせられ給うた。不肖季忠も、きょう御合戦のおん供に従うからには、大御祖たちが具足し給うた御心をもって心を鎧い、私慾私心の功名のためには戦わぬ所存でござる。──武人の甲冑は、故に、神官の衣冠にもひとしい清浄と私は信じますが」
権六は、黙った。
そして階下を繞って土下座する二百余騎の将兵の中に、彼も坐った。
信長は、土器を干す。
拍手を高く打って、願文を読んだ。
粛として、将兵はみな、低く頭を下げ、各〻の心の鏡に、神を映し取って、祈念の眼をふさいでいた。
その時、唐突に、神殿の奥で、甲冑の触れ合う響きがして、二度まで拝殿の梁が揺れた。信長は、物の怪にでも憑かれたように、屹と眼をつりあげて、
「おお、あれ聞け。信長の祈願をよみし給うて、きょうの合戦に、神々はわが軍の上に御加勢ありと覚ゆるぞ。──私心我慾、小功の争いなど、穢き戦すな。勝たば、天が下のため、捨身奉公、負くるも、天が下、恥なき武士の死に方せよや」
廻廊に出て、こう呼ばわるように演舌すると、士卒も大地から生え立って、わあと、信長より先へ、参道を争って駈け出した。
信長が熱田の宮を出た時には、所々から馳せ集まった兵数が、いつの間にか、千に近くなっていた。
信長は、熱田神宮の春敲門から南門を出て、再び、馬に乗った。
その日の乗馬月輪は、栗毛の牝馬であったという。後に、信長は愛馬二図の画を描かせて屏風に作らせたが、その中にはこの一頭も描かれていた。
熱田の宮を出ると、それまで、疾風の如くであった信長の態度は、どこか緩々たる余裕を示し、駒の背へ、横乗りに身をのせ掛けて、鞍の前輪と後輪へ両手をかけながら揺られて行った。
もう夜が明けてきたし、雪崩れ打って先駈けを争って行く兵馬の跫音に、熱田の住民たちは、女子供まで、軒下や辻々へかたまって、見物していた。
そして信長の姿を、信長と知ると皆、
「あれが今、軍しに行くお人か」
と、呆れ顔した。
「心もとなや」
「勝ち給うことは、万に一つも、おざるまいげな」
などと囁いた。
清洲から熱田まで、鞍に踏みまたがったまま、一気に駈けて来たので、信長は鞍疲れを癒しているのだった。で、鞍の後輪へやや凭れぎみに横乗りして、
──死のうは一定
忍び草には何としようぞ
一定語りをこす夜の
小謡など口誦さんでいた。
「や、や」
「あの黒煙は」
町端れの辻まで来ると、兵馬は急に立ち淀んだ。
道を海辺にとって、浅瀬を渡渉し、山崎、戸部の方面へ出て行くか、陸地を迂回して知多の上野街道から井戸田、古鳴海へさして行くか、行軍の疑問が起ったのと──同時にはるか、鷲津、丸根の方角と思しき彼方に、二ヵ所の黒煙が立ちのぼっているのを見出したからであった。
信長の眼も、それを見た。
さすがに、悵然と、悲壮ないろを眉にたたえて、
「鷲津、丸根も今、陥ちたとみゆる……」
大息したが、直ぐ、
「海沿い道は、渉れまいぞ。今朝は折ふし満潮の時刻。詮なし詮なし。山の手を駈けこえて、丹下の砦まで急ごうず」
と、旗本を顧みて云った。それと共に、彼は馬から降りて、加藤図書を名ざし、
「熱田の町人頭がおろう。これへ呼べ」
と、いった。
辻の人ごみへ向って、呶鳴るのが聞えた。町人頭はありや、町人頭出でよと、兵たちも叫んで廻った。
恐るおそる、二人の町人が、信長の前へすぐ引き出された。信長は、それに向って云った。
「そちども、信長を見るは、毎度で珍しゅうもあるまいが、今日は、駿河公方が鉄漿染めた珍しい首をやがて見せて進ずるぞ。さるほど、一代未聞のこと、信長が領下に生れた冥加ぞ。曠の合戦、高きへ上って見物ないたせ。それもただではおもしろうない、町頭より熱田中へ触れなまわして、五月の菖蒲幟、七夕の門竹、その他、何にてもよい、敵の遠目に旗差物と見ゆるように仕構えて、木々の梢も、丘の上も、紅白その他の布をもって翩翻と空を埋めよ」
「はい」
「心得たるか」
「ささやかな御奉公。致しまするでござります」
「よしッ」
半里ほど軍馬を進めてふり向くと、熱田の町には、無数の旗や幟がひるがえっていた。──それは清洲の大軍が、熱田まで出動して、兵馬を休めてでもいるように見えた。
ひどい暑さだ。
陽が高くなると、ここ十日以上も雨のなかった大地は、ぼくぼくと馬の蹄に掘られて、その白い埃が皆、全軍の兵へかぶって行った。
後に古老の語り草にもいわれたが、この日、十九日の暑気というものは、まだ夏浅い五月ではあったが、十数年来なかったほどな暑気だったという。
山崎を越え、井戸田村の野道までかかると、
「やッ、敵ッ!」
「物見かッ」
と、突然、陣列が騒いだ。
昼顔の花が白っぽく見える野藪の蔭から、ふいに一人の破具足の男が飛び出したのである。男は、包囲されると直ぐ、槍を高く、直線にさし上げて、抵抗しない意志を示し、
「これは、甲州の名ある侍が成れ果てし浪人者で候。──織田殿に御意得とうて、わざと御馬前に参じまいった。敵方の者と過り下されな」
大音でいった。
信長は、旗本や兵の頭越しに、
「誰にてあるか」
「おお」
と、遠く見つけると、浪人は槍投げ伏せて、大地へひざまずいた。
「武田殿が御内にて、原美濃守が三男、仔細な候て、鳴海の東落合に、年ごろ佗住居な仕る桑原甚内ともうす者でござる」
「ほ、原殿が子か」
信長は、小首をかしげた。
「して、これへの用事は」
「されば、父美濃守に申しつけられ、自分幼年中は、駿河の臨済寺にあずけられ、喝食の修業いたしておりましたれば、治部大輔義元殿がお顔はよう見覚えておりまする。今日の御決戦、いずれは乱軍、左候えば、それがし御陣借な申して、必ず、駿河の大輔殿が帷幕に迫り、鉄漿首を打ち取って御覧に入れ奉らんの所存。──願わくば、この槍一筋、あわれお拾い下されませぬか」
「拾おう!」
信長は、野人のように、無造作な大声でいって、
「甚内とやら、甲州武士の見とおしでは、きょうの合戦、信長勝つと見るか、義元優れりと見るか」
「お答えにも及び申さぬこと。御勝利、疑いもござりませぬ」
「理由は」
「駿河公方の年来の驕慢」
「それだけか」
「四万とは号するものの、敵の布陣の拙」
「ウム」
「また、義元殿が本陣は、昨宵、沓掛を出て、今朝からの暑気に、人馬の疲労はもとより、惰気を生じおるべしと存ぜられます。──何となれば、清洲の御人数は余りにも小、彼の驕慢は、すでに、戦わずして勝ったかの如く思いなしておるやと思われますれば」
信長は、心のうちで、
(この男、使える)
と、思ったらしく、鞍つぼを叩いて、
「いみじくも申した。信長の見るところと合致する。即座に、旗本へ加わり候え」
「はッ、忝う存じます」
甚内は、人数のうちへ、飛び込んだ。道はやや低く、だんだん畑を駒の頭下がりに駈けなだれた。
一条の河があった。
水は浅く、踏み渡るのも惜しいほど澄んでいた。信長は、顧みて、
「この河の名は?」
訊ねると、汗と埃を寄せ合って犇めきつづく旗本の中から、毛利小平太が、
「扇川にて候」
と、答えた。
信長は知っていたが、わざと答えさせたのである。さッと軍扇をひらいて、後方へ振って見せた。
「末広川か。さい先よし。かなめも間近ぞ。渉れ渉れ」
死地へ向って、急いでいるとは知りながら、何か、華々しくさえあって、後ろ髪を引かれるような暗い心地は少しもしないのである。
ふしぎなのは、信長という大将のそうした魅力であった。彼に従いて行く千余の人間は、ひとりも生きて帰ろうとはしていないのに、なぜか、絶望的ではなかった。
絶対の死と。
絶対の生と。
それは二つで一つだった。信長は、誰もが最も迷いやすいその二つの手綱を一つ手につかんで先へ駈けていた。兵の眼から信長の姿を見ると、それは勇敢な死の先駆者にも見え、また大きな生と希望の先達とも仰がれた。いずれにしても、この人の後に従いて行くからには、どういう結果になっても、不平はないという固いものが一軍を貫いていた。
死のう。死のう。死のう!
藤吉郎すらも、それしか、頭の中になかった。
駈けまいとしても、前も後もみな駈けて行くので、怒濤につつまれたように、足も地に止めている間はなかった。また、かりそめにも彼は、部下三十人の足軽を率いている小隊長なので、いくら苦しくなっても、弱音はふけなかった。
死のうぞ。死のうぞ。
平常、細々と女房子の口を糊するに足りるほどな小扶持をうけている部下の足軽までが、皆、はッはッと喘ぐ肚の底で、無言にそういっている血の声が、藤吉郎の肚にまで響いてくる。
こんなにも人間が皆、歓んで生命を捨てに行こうということが、いったい人間の世にあり得ることか。──あり得ないはずのことが、ここでは事実行われているではないか。
ふと、藤吉郎は、
(しまった!)
と思った。
おれは飛んでもない大将に仕えてしまった、と気がついたのである。自分の眼で「この君なれば」と、見込んで奉公したその眼に狂いはなかったが、何ぞ計らん、それはかくも兵たる自分らをして、歓び勇んで死地に飛び込ませる人であった。
(俺にはまだ、世の中に、やりたい事がたくさんある。中村には、おふくろも残っている!)
正直、藤吉郎は、そんなこともちらちら考えた。しかし、それは一瞬の頭のなかの明滅である。一千の兵馬の足音と、炎天に焼けきった鎧具足の音は、ざッ、ざッ、ざッ──と、鳴り揃って、それが皆、
死ねや。死ねや。
と、聞えるのだった。
陽に燃え、汗にぬれ、埃をかぶった藤吉郎の顔は──いや全軍の将兵の顔は皆、やつがしらみたいになっていた。どんな必死の場合でも、頭のすみに、何か余裕といったような、暢気を残している質の藤吉郎も、きょうばかりはそうして何時の間にか、
戦う!
死ぬ。
それしか真っ向に考えてない鉄甲のような、不惜身命になりきって進軍していた。
小山、また小山と、一つ一つ踏み越えて行くほどに、視野の彼方の戦雲の煙は、次第に濃く近く見えて来た。
「やっ、味方らしいが?」
丘道の上へ、軍の先頭が出た時である。血まみれな傷負が一人、よろ這いながら彼方より駈けて来て、何か、意味の聞きとれない絶叫をあげながら近づいて来た。
その兵は、丸根から落ちて来た佐久間大学の郎党であった。
「主人佐久間殿も、敵の大軍と、四方から焼き立てられた炎の中で、勇ましい御最期をとげられ、同じ時刻に、鷲津砦の飯尾近江守殿にも、華々しゅう、乱軍の中に討死と聞えました」
信長の馬前へ、曳かれて来て、その郎党は、傷負の苦しげな呼吸を、自分で励ましながら告げた。
「ひとり生きて、その場を去るのも、面目なしと存じましたが、主人大学のいいつけで、お味方へ、右の次第、お知らせまでに、落ちて参りました。──落ちて来るうしろに、天地も揺がすばかり、敵の勝鬨が聞えました。鷲津も丸根もあの辺り、すでに眼に見えるもの耳に聞えるものは、敵軍でないものはござりませぬ」
聞き終ると、信長は、
「於藤、於藤」
と、旗本の中へ云った。
佐脇藤八郎は、年少なので、大勢の強者ばらの中に、埋まっているように交じっていたが、信長に呼ばれると、
「はいッ」
と、喜び勇んで、主君の鐙の側へかけ寄ってきた。
「お召しでございますか」
「於藤か。清洲を出る折、そちに預けおいた数珠をこれへ」
「お数珠ですか」
藤八郎は、主君のそれを、もし乱軍の中で、落しでもしてはならないと、重責を感じて持っていたらしく、旗風呂敷にくるんで、鎧の上から斜めに掛けて、固く背負いこんでいたが、その結び目を解いて取り出すとすぐ、
「御免」
と、馬上の信長へ捧げた。
信長は数珠をうけ取ると、自身の肩から斜めに胸へ掛けた。それは銀色の大数珠で、彼の着用している萌黄縅しの死の晴着を、なおさら壮美に見せた。
「惜しや、近江も大学も。死出は共に今日の日ながら、信長が働きを、一眼見せもせぬ間に先へ死なしたるは!」
馬の鞍上に、信長は、居住いを正して、そう云いながら、合掌した。
鷲津、丸根の黒煙は、火葬場のようになお、彼方の空を焦がしていた。
「…………」
凝視の眼を、ややしばらくして、刮と後ろへ向けると、信長は、われも忘れたかのように、鞍つぼ打って、
「きょうは、永禄三年、五月十九日にてあるぞよ。信長はじめ、そち達の命日と覚ゆるなれ。平常微禄を与え、これとてよき日も見せぬまに、今日の武運にめぐり合うも、信長に随身なしたる宿命とこそ思い候え。ここより一歩先へ従い来る者は、信長に生命をも与えくれたる者と見ん。さはいえなお、今生に未練ある者は、憚りなく立ち退くがよし。──如何にや、各〻」
高らかにいうと、
「なんとて!」
異口同音に、将兵は応じた。
「わが君をのみ、死なすべき。御無用なお訊ねごと」
「しからば、迂愚なる信長に、全軍みな、生命をもくるるか」
「仰せまでもない儀」
「──ならば! 者どもッ」
大きく、馬腹へ一鞭くれて、
「来いッ。つづけッ。今川勢は早やすぐそこぞ」
先駆する信長の姿は、全軍の駈ける埃につつまれて行った。その埃も、朧な馬上の影も、何か、一瞬神々しくさえ見えた。
道は山間へ。また、低い峠を越えて、いよいよ国境線へ近づくと共に、地形は複雑になって来た。
「おッ、見えた」
「丹下だ。丹下の砦ッ」
喘いで来た兵は、口々に云った。鷲津、丸根の砦の二つまでが、すでに陥ちた後なので、その丹下もどうあろうかと、案じ来た眉がみな晴れた。
丹下はまだ支えていた。そこの味方は、健在だった。信長は着くと直ぐ、守将の水野忠光へ云った。
「もはや、守備は無用。かような小さい殻は、敵へ投げ与えてもよし。信長の軍が望むところのものは、他にあるぞ」
そこの兵力も、すべて、前進軍のうちに加え、休息もとらず、さらに善照寺の砦へと急ぎに急いだ。
そこには、佐久間信辰の守兵がいる。信長の姿を迎えた刹那、砦の兵は、わッと声をあげた。歓呼ではない、半ば、泣いて揚げたような悲壮な動揺めきだった。
「おいでられた!」
「殿が」
「信長様が」
とかく信長とはいかなる大将か、自分らの主君でありながら、まだ端の端までは分りきっていなかったのが事実である。この孤塁に討死と、覚悟をきめていたところへ、突として、信長自身が、出馬して来たことが、意外の余り、兵をして感泣させたのだった。
「御馬前で死ぬものなら」
と、みな奮い立った。
星崎方面へ突き出して働いていた佐々隼人正政次も、三百余の手勢をまとめて、信長の旗本へ集まって来た。
信長は、砦の西の峰に、一応それらの兵をまとめて、人数を点呼した。
この暁方、清洲の城を出た時は、主従のわずか、六、七であったものが、今ここで閲すれば、約三千に近い兵が数えられた。
号して、五千と称した。
信長は静かに思った。
これこそは、尾張半国のわが領土のほんとの全軍であると。留守も後詰もない、織田軍の全部はこれきりなのだ。
「本望!」
何かしら微笑された。
そしてもう指呼のうちに見える敵今川の四万の布陣と、その気勢を見るべく、しばらくの間、旗幟をかくして、峰の一端から形勢を展望していた。
浅野又右衛門の弓隊は、そこの本陣からやや離れた山陰の腹にかたまっていた。弓之衆の一隊ではあるが、今日の合戦に、矢交ぜの戦いなどはないと見越して、みな槍を持っていた。
その中に、藤吉郎の率いる三十人の足軽小隊も交じっていた。休息ッ──という声が、部将からかかると、藤吉郎も、自分の組の者へ、
「やすめ!」
と、号令した。
はッと、みんな大きな息をつくと、ほとんど誰もが一緒に、尻もちつくように山陰の草の中へ、腰を落した。藤吉郎は、湯気の立つ顔を、雑巾のような手拭で、ぐるぐるこすっていた。
「おいッ、誰か、おれの槍を持っていてくれんか。この槍を」
彼がどなると、坐ったばかりの部下のひとりが、
「はッ」
と、起ってきて、彼の槍を預かった。そして藤吉郎の歩いて行く方へ、後から尾いて行くと、
「来んでもいい。来んでもいい」
「組頭、どこへお出でになるんですか」
「供は無用。糞しに行くのじゃ、くさいぞ、帰れ帰れ」
笑いながら、崖道の灌木の中へ、沈んで行った。
彼の部下は、藤吉郎のことばを冗談と思ったのか、佇んで彼の行方を見送っていた。
藤吉郎は、南向きの山の傾斜を少し降りて、山鳥が土を浴びる場所でも探すように、頃合な所を見つけると、悠々、腹帯を解いてしゃがみこんだ。
実をいうと今暁の出陣は、実に急速だったので、身に具足を着ける時間がやっとあったくらいで、雪隠にはいって腹工合を整える遑すらなかったのだ。で、清洲から熱田、丹下と駈けて来るあいだも、どこかで軍馬を休めたら、まず何よりも毎日習慣の物をきれいに脱して心おきなく戦いたいものだと思っていたので、今その思いを果しつつ、息みながら青空を見ていると、何ともいえない爽快を覚えた。
しかし、戦場の慣いで、そうしている間も、油断はならなかった。対陣の場合など、よく敵が陣地を離れて、野糞しているのを見つけると、戯れ半分にも、
「あいつを射止めてやろう」
などという気が起るもので、そういう経験は藤吉郎も持っているから、青空ばかり眺めて、恍惚ともしていられなかった。
山裾から二、三町ほど、先へ眼をやると、黒末川の流れが帯のように蜿って、知多半島の海へ注いでいる。
そこの河畔に、一群の兵が陣取っていた。旗印をよく見ると、味方である。味方の梶川一秀の陣だ。
そこから直ぐ海口の方へ寄って鳴海の城がある。これは一時は織田で墜したが、その後また、駿河勢力に蚕蝕されて、今では敵の岡部元信が固めている。
また、黒末川の東岸から南へ一筋の街道が白く見える。鷲津は、その街道の北側の山地にあり、もう焼かれ尽したか、余燼も力なく、いちめんに野路や海辺を煙らせて見える。
その附近の畑や、部落のまわりに、虫のような小さい人影や軍馬がたくさん見える。山の手のほうに拠っているのが、今川方の将朝比奈主計の軍勢であり、街道よりに陣しているのが、三河の松平元康の兵と見えた。
「たくさんいるなあ」
藤吉郎は、小国の兵馬の中にばかりいるせいか、敵の大規模な兵力を見ると、よくいう雲霞の如く──という言葉がそのままに思い出された。
しかも、松平、朝比奈などの軍は、ほんの敵の一支隊であることを考えると、
「なるほど、信長様の御決心も、これは当然だわい」
と、思った。
いや他人事ではない。
自分も、この世に糞をひるのも、今が最後のものと思った。
「人間て妙なものだなあ。これで明日はもうこの世にいないのか」
そんなことまで考えたりしていると、ふと誰やら下の沢のほうから、がさ、がさ、と、灌木をかき分けて上って来る者がある。
「ヤ、敵?」
戦場でのこの直感は、ほとんど本能的にすぐ頭を突きぬくものだった──敵の物見が信長の居陣の背後を探りに来たものと、彼はすぐ考えたのである。
忙しげに腹帯締めて、起ち上がると、沢から攀じ登って来た顔と、灌木の中からふいに起った彼の顔とが、云い合わせたように双方から見合った。
「やあ。木下」
「おっ? 犬千代か」
「どうした」
「おぬしこそどうした」
「どうもしない。御勘気をうけて以来、牢人して遊んでいたが、殿お討死を覚悟の御出陣と見て、お供に馳せ参じて来ただけのこと」
「そうか、よく来た」
藤吉郎は、眼を熱くしながら、相手の側へ寄って手をのばした。それは旧友前田犬千代。握りあう手と手の裡に、二人は万感をこめていた。
平常かかる折もと、心がけていたのであろう。
犬千代の鎧は華やかだった。小貫から縅まで新しいので、燦爛と眼を射る。
そして肩には、梅鉢の紋打った旗さし物を翳しているのだった。
「よい男振り──」
藤吉郎すら眺めた。
ふと、後に残して来た寧子を想い、彼を考え、そして自分の身に帰って、
「以来、どこにお在でたか」
「佐々殿の舎弟、内蔵助成政どのの好意で、成政どのの乳人の田舎で、時節を待っておった」
「御勘気をうけて、追放されても、他家へ随身の心も抱かずに」
「もとより二心はない。たとえ御追放はうけても、殿の御折檻、この犬千代を真実、人間にして下さろう思し召と思えばむしろありがとうて」
「むウ、むウ……」
涙もろい藤吉郎は、もう瞼を熱くしているのだ。今日の合戦こそ、織田の玉砕であり、全軍一致の戦いと分っていながら、旧主を慕ってこれへ来た友の気もちが、彼には堪らなくうれしいのであり、そしてともすれば瞼の熱くなるわけであった。
「いや、よく分った。それでこそ前田犬千代。殿は今、この上で今朝初めての御休息、今のうちだ、早く来い」
「待ってくれ、木下。──だが俺は、御前へは、出ないつもりだ」
「なぜ」
「この際だから、一兵でもと、御勘気をゆるして下さろうなどというつもりではないが、そんなつもりで来たかと、側臣に見られるのが嫌だ」
「何をばかな。皆死ぬのだ。おぬしも、御馬前で死ぬ気で来たのではないか」
「そうだ」
「しからば、何の斟酌もいるまい。人の思わく、世の口の端などは、生きている上のことだ」
「いや、黙って死ねばいいと思う。それで俺は本望だ。──殿がゆるして下さるも下さらぬもない」
「それもそうか」
「木下」
「む」
「しばらく、おぬしの陣場へ、潜ましておいてくれ」
「関わぬが、俺の組は、足軽隊の中の三十人組。その武者振りでは目立つな」
「こうしていよう」
そこらに落ちていた馬の腹帯らしい古布を、犬千代は頭からかぶって、足軽たちの木下隊へ這いこんでいた。
すこし身伸びをすれば、そこからでも信長の床几場がよく見えた。信長の高い声すら風の加減では聞えてくる。今、彼の前には、佐々隼人正政次が、何やら、命をうけているらしく頭を下げていた。
「──そちが手勢を引っさげて、敵の鳴海を横合から突き崩して見せると申すか」
信長の声である。
政次は、それに答えて、
「鳴海乱れたりと見えましたれば、殿には、無二無三、黒末川にそうてお取りかかりなされませ。そして、敵の朝比奈軍を突きやぶり、松平元康を葬れば、駿河殿の前衛は全からず、義元の本陣へまでも、長駆、迫り得るかと存じまする」
「よしッ」
信長は、断を下して、行けッと言葉に力をこめて云った。そして佐々政次が、すぐ起ちかけると、
「おくれもあるまいが、隼人の手勢のみではちと不足。千秋千秋。そちも行け」
旗本のうちから名指された千秋加賀守季忠が、黙礼したのみで、床几場から立ち去ると、政次の姿も、もうそこに見えなかった。
いや、見えないといえば、藤吉郎の蔭にかがんでいた犬千代も、いつの間にか、見えなくなっていた。
「しばらく! しばらく! 佐々殿しばらく。千秋殿しばらくお待ちをッ」
大声をあげながら軍馬の後を追いかけて来る者があった。
今、信長の前を退って。
そしてこれから短兵急に、敵の鳴海へ奇襲すべく、善照寺の峰下から間道へと、疾風のように通りかけた佐々政次、千秋加賀守、岩室重休などの三百余人の決死隊なのであった。
「止まれッ」
隼人正政次は、
「誰だ?」
馬上から振り返った。
千秋、岩室の二将も、
「何者か?」
怪しんで、辺りへ云った。
もう決死の崖ぷちに足をかけている兵である。いかに覚悟の前といえ、眼はつり上がっている。心の平衡はとれていない。何者かと問えば、何者か? と、同じように動揺めき惑うばかりだった。
「御免ッ、御免ッ」
列の中を、こう叫びながら、掻き分けるように前のほうへ、駈け抜けて来た者がある。
「やッ?」
誰の目にも、すぐとまったのは、その若い武者の翳している旗差物の梅鉢の紋であった。
「おッ。於犬ではないか」
佐々隼人が、そういった声を目あてに、
「犬千代でござります」
と、その馬前へ来て、槍と共に大地へ伏し、
「お伴れください!」
犬千代は、叫んだ。
隼人は、彼が今日あることを、意外とはしなかった。弟の成政から、常々、それとなく噂も聞いていたからである。
(だが、御勘気の者を)
と、岩室、千秋のふたりに憚られて、すぐ答えもし得なかった。
すると、岩室重休が、
「さすがは!」
と、共鳴して、
「さしつかえもおざるまい。今日という今日においては」
「同意同意」
千秋加賀も、大きくうなずきながら、何のためらいもなく云った。
「死出の友よ。一人でも多いは楽しい。於犬どのの心底、弓矢の神も照覧。佐々殿、彼のねがい、許しておやりなされ」
「かたじけない」
隼人は、犬千代にかわって、思わず礼をいった。そして馬上から声にも眼にも思いをこめて、
「ゆるす、ゆるす。物の見事に働かれよ」
「ありがとうございます」
犬千代が起つと、同時に、三百人の縦隊は、再び悲壮な眉と唇に、一死を見つめながら、白昼を真っ黒に駈けていた。
やがて──
鳴海城の搦手の方角に、突貫のどよめきが揚った。
無理押しに、押し攻めたのだ。
無二無三、
わあッ。わあっッ。
と、聞える声海嘯のうちに、前田犬千代の声も交じっていたのである。
だが、程なく。
三百の決死隊が前進したばかりの間道を、たった、四、五名の兵が、火の玉のように血まみれとなって──そのうち一人は騎馬で、善照寺の方へすッ飛んで行った。
信長の陣へは、
(全軍、あらまし、全滅)
が伝えられた。
たった今、信長の前を去って、まだ眼の底に姿も残っている佐々隼人正政次、岩室重休、千秋加賀守らの将もみな、枕をならべて戦死したことが、嘘のように、報告されたのであった。
佐々、千秋などの率いる奇襲隊が、鳴海城の搦手を衝いて、そこの一角を破ったという合図を見たらすぐ、信長は正面から全力をもって当り、一気に鳴海を落して、敵の側面勢力を崩し、一方味方の足場とする作戦であったのである。
で、彼はもう、全軍をひきいて善照寺の山を降り、
「今にも」
と、戦機を待ちかまえていた出鼻であった。
ところへ、
「──味方は総敗れ、佐々、千秋、岩室殿にも、前後して、討死なされました」
と、引っ返して来た傷負から聞いて、彼は、いまさらのように、
「最早か」
と、思わずいった。
死の無造作。死の早さ。嘘か事実かを疑う間もないくらいだった。疾く、こうとは覚悟の前ながらその慌ただしさに、さすがに彼も胸騒いだ。
「む、むウ! そうかッ」
鐙に踏み立って、
「者どもッ」
眉は、黛で描いたように、濃く強く見えるほど、凄まじいその相好の皮膚は、冴えて、血の気も見えなかった。
「一刻まえには、佐久間大学、飯尾近江。今はまた、佐々、岩室、千秋なんど、信長の先駆けして、冥途の前触れに立ったるぞ。憎や、小賢しの敵めら、いで信長がふみ潰して、先駆けの精霊どもに手向せん。──つづけッ、信長に!」
四顧して、大声にいうと、馬首を敵地へ向けて、駈け出そうとした。
「あいやッ」
「殿ッ」
「逸り給うな」
「しばし──しばしの程」
池田勝三郎、柴田権六、林佐渡、その他の旗本たちは、いちどに、鎧の塀を、どっと彼の馬前に作って、
「これより先は、泥田の畦や狭き藪道。一筋押しの御先駆は、可惜、無駄にお生命をすてに逸り遊ばすようなもの。──また、織田家中には、殿のほか、人もなきに似たり。おとどまり候え」
「まずまず……」
人々が信長の駒を抑えて、その蹄の足掻きを、無理に押し返しているところへ──一騎、実にただ一騎──それは意外な方角から、低く飛ぶ鳥影のように来る者があった。
「何者?」
信長の眼が先に見つけた。
「…………」
見まもる全軍の瞳に、それは次第に近づいて来た。旗本の群れのうちから、やにわに躍り出した梁田弥二右衛門が、
「分りまいた。分りまいた。あれよ、この方がかねて、海道の方面へ放ち置いたる家の子の一名でござる」
と、眉に手をかざしながら、狂喜して呶鳴った。
梁田の郎党は、それへ来て、主人の名を呼び廻ったが、その主人弥二右衛門が、信長のすぐ側から声をかけたので、はッと、遠くへ手をつかえてしまった。
「何ぞ、諜報やある?」
信長は、弥二右衛門に轡をとらせながら、梁田の郎党の方へ、自身から駒を緩く進めて行った。
「ござりまする! ござりまするッ! ……。今川勢の主力、義元とその旗本らの本陣は、つい今し方、遽かに道を変えて、桶狭間のほうへ向いました」
「なに?」
爛とした眼で、
「では──大高へは向わずに、義元は、桶狭間へ道をかえたとか?」
信長のことばのうちに、
「オオ、また来る」
一騎二騎、ここへ鞭をあげて来る味方の物見に、人々は異様な眼で呼吸を鳴り鎮めて待っていた。
前の報告につづいて、早物見の者から、さらに、こういう諜報が信長の耳へはいった。
「今し方、桶狭間へと道をかえた今川の本軍は、同所の南、田楽狭間の窪から小高い場所へわたって、本陣を移し、義元殿をまん中に、兵馬を憩わせておる様子に相見えまする」
と、いうのであった。
「────」
信長は、その一瞬、刀の肌のような澄んだ眼をして黙りこんだ。
死。ただ一死と。
一途に、真っ暗に、捨身に、願うらくは潔く──とばかり、この暁から今、陽の中天の頃まで、遮二無二来はしたが、ふとここで、
「あわよくば!」
と、雲の断れ間から一すじの光を見たように、戦いの勝目を、思ってみたのである。
正直。それまでは、
(勝てる)
と、いう自信はなかった。
彼はただ武門の名において、勝とうとしたのみである。あわよくば、
(勝ち得もせん)
と、考えついたのは、この瞬間──実にこの瞬間、ふとひらめいた考えだった。
人間の脳裡には、生活の一瞬一瞬を刻むがように、たえず泡つぶにも似た想念の断片が明滅している。死ぬる間際まで、人間は断れ断れな想念の連続から声を出し身を動かしている。
正しい想念。身を亡ぼす想念。種々な思慮のひらめきの取捨によって、一日の生活が組立てられてゆき、生涯の人生が、織りなされてゆく。
平常の取捨は、熟慮の遑もあるが、生涯の大運は、突として来る。
(右か? 左か?)
は、多くは急場に迫って来るものである。
信長は今、正しくその岐路にいた。そして無意識に、運命の籤を引いていた。人間の素質、あるいは平常の心がまえなどが、こういう際の直感を、迅速に助けて、その方向を誤たしめないことは確かであった。
「────」
結んだまま容易に開かぬ彼の唇が、何か、いおうとした時である。梁田弥二右衛門が、側から呶鳴った。
「殿、よい折! 思うに治部太輔義元には、鷲津、丸根を陥しいれて、織田の手なみ、多寡は知れたり。上洛陣の門出、幸先よしと、すでに慢心な致して、兵馬も誇り立ち、戦気も怠ってあろうずと存ぜられまする。──天機は今、不意を衝いて、義元の幕中へ、攻め入らば、お味方の勝ちは必定」
信長は、彼の昂ぶる声へ合わせて、
「それだ」
と、鞍つぼを叩き、
「弥二右衛門、いみじくもいうたり。信長の意中も、それよ。今こそ義元の首に会わん。田楽狭間は、この道を真東よな」
柴田権六とか林佐渡とかいう重臣たちは、むしろ物見の報告を、非常な惑いと、危惧をもって聞いたので、信長の直感と、その驀進ぶりを、たって止めたが、信長は肯かず、
「卿ら、老朽の智者ども、この期になお、何を惑うぞ。ただ信長につづけ。信長火に入らば火の中へ。信長水の中に入らんには水のそこへ。──さもなくば、田の畦で、儂が行方を見物せい」
一笑を冷やかに浴びせると、信長は静かに、駒首立てて、全軍の突角まで出て行った。
ちょうど正午の頃である。
山中の静寂にも、禽の声すらしなかった。風もなく、焦りつくような炎日なのだ。灌木の葉は皆、合歓のように萎んでいるか、乾煙草のように、からからになっていた。
「その辺、その辺」
一小隊の雑兵をつれて、山芝の多い原山の上へ駈け上がって来た武者がいった。
「おいッ。幕をよこせ」
「雑木を伐れ」
今川勢の先駆兵と見えた。
担いで来た幕を抛り出す。
一方では、大鎌で草を刈る。長柄を振って邪魔な灌木を薙ぐ。
その側から、兵は、幕を展げて、附近の松の木や合歓の木の幹へ張り繞らし、それのない所には、幕杭を打ち込んで、またたくうちに一囲いの幕屋を作った。
「うう、暑い」
「こんな日もめずらしいて」
一汗拭いて、
「見てくれ、俺の汗を。具足の革も金具も焼けて、火に触るようだ」
「具足を脱って、一風入れたら、どんないい心地かと思うが、もうやがて、御本陣のお移りも間があるまいし」
「まあ、とにかく、一息つくとしよう」
雑兵たちは、坐りこんだ。原山の芝地には木が少ない。大きな楠の日陰へみんなかたまり合った。
日陰に憩うと、さすがに少し涼しい。それにこの田楽狭間と呼ぶ原山は、四囲の山々のいずれより低く、盆地の中の丘といった地勢であったから、時々、前方の低地を隔てた真正面の太子ヶ嶽あたりから、青葉時らしい冷たい風が、颯と、一山の木々の葉裏を白く戦がせて落ちて来た。
「……おやッ?」
一人の雑兵がいった。
眼を、空へ吊って。
わらじまめの足の指に、膏薬を貼っていたのが、
「なんだ? おい」
「見ろ」
「何を」
「変な雲が出て来やがった」
「雲が。……む、なるほど」
「降るかな、夕方には」
「雨は欲しいが、俺たち、道普請や荷担ぎばかりして歩く組には、雨は敵が出るよりも禁物だ。桑原桑原、なるべく、あっさり通り雨で欲しいものだ」
今建てた彼方の幕屋にも、頻りに風がうごいて来た。その辺りを、見廻っていた組頭の武者は、
「さあ、起て」
と、部下を促して、
「こよいのお泊りは、大高の城だ。沓掛から大高へ真ッ直に前進と、敵には思わせて、わざと道をかえ、桶狭間からこの間道へと迂回なされたが、晩までには、そこへ御到着の予定。──道々の小橋や、崖や谷づたいの異状なきように、われわれは検めながら先へ進むのだ。──さあ出発するぞ」
その人声も、影も去って、山は元の静寂へ回った。どこかで、昼の螽蟖が啼いていた。
間もなく、盆地の山陰を、遥かのほうから軍馬の気はいがして来た。螺も吹かず、鼓も鳴らさず、山巒の間を縫って、極めて粛々と来るのであったが、五千余騎の兵馬の歩みは、いかに静かにと努めても、天地のあいだその塵烟と蹄の音とを潜めきるわけにはいかなかった。
戞々と、石を蹴り、木の根を踏む馬蹄の音が、はや耳を打って来たかと思うと、馬印、旛、旗さし物など、治部大輔今川義元の本軍は、見るまに、田楽狭間の芝山と低地を、兵と馬と旗と幕とで埋めてしまった。
義元は、人いちばい汗かきのほうだった。日頃はその汗をすらかくことのない生活に馴れているので、体は贅肉と脂肪に富み、四十を過ぎてからは、目に立って肥えていた。
その治部大輔義元には、こんどの軍旅は、少なからぬ苦痛であったに違いない。肥えたわりに背の低い胴長な体に、赤地錦の直垂、大鎧をつけ、胸白の具足に、八龍を打った五枚錣の兜をかぶった。
今川家重代という松倉郷の太刀、左文字の脇差、籠手脛当、沓などとを加えれば、十貫目をも超えるだろうと思われる武装であり、膚へ風のはいる隙まもない装いだった。
炎天を、騎行して来たので、鎧の革も小貫も焦けきっていた──大汗にまみれて彼は今、ようやくたどり着いた田楽狭間の芝山で駒の背から降りた。
「ここは何という土地ぞ」
義元は、幕へかくれるとすぐ訊ねた。
彼が、右すれば右、左すれば左へと、近習、侍大将、参謀、旗本、典医、同朋の者などが、ぞろぞろと護って歩いていた。
「桶狭間より半里、有松と落合村のあいだ──田楽狭間と申す所でござりまする」
侍大将の落合長門が答える。
義元は、うなずきつつ、近習沢田長門守に兜をあずけ、小姓頭島田左京に具足を解かせ、絞るような汗になった鎧下の真っ白な肌着を着かえていた。
ひと風入れて、
「爽やかになった」
と、鎧の胴締めを締め直して、座所へ移ると、そこの山芝のうえには、豹の毛皮をしき、陣中の調度の物なども置かれて、飽くまで彼のいるところには豪奢の光がつき纒っていた。
「……やッ? あの音は」
義元は、早くも同朋の者が沸かしてさし出した茶を一喫しながら、何か、石火矢でも撃ったような轟きに、眼をうごかした。
「はてな?」
侍臣たちも、耳を欹てた。
その中の一人、斎藤掃部助は、幕のすそを掻き上げて、外を見まわしていた。いつの間にか、中天へ伸びて崩れだした雲の峰が、灼熱の太陽を弄んで、名状すべからざる渦流の彩光を描いているのが、人々の眼を、強く射た。
「遠雷です。ただ今のは、遠雷の音でござります」
掃部助が、そこからいうと、
「かみなりか」
義元は、苦笑した。絶えず左の手で腰を軽く叩いていた。侍側の家臣たちも、気にしてはいたが、わざとその故を問わなかった。今朝、沓掛の城を出て発向する折、義元は、どうしたのか駒の背から振り落されて落馬した。その時、打った患部と思うが、その程度を訊ねるのも、何か主君に恥かしい思いを新たにさせる気がするからであった。
どよめきが聞えた。
突然、山裾からここの幕の外へかけて、騒がしい人馬の気はいが感じられた。義元はすぐ旗本の一人へ、
「何か」
と、いった。
見て参れ──という命も待たず直ぐ二、三名は、幕へ風を残して外へ身を翻した。こんどは雷鳴の音ではない。騒然たる馬蹄や兵の跫音は、もうこの山の上のものだった。
それは約二百ほどの騎兵隊なのであった。今し方、先陣の鳴海附近で討ち取った夥しい敵の首級を護って、
(戦況はかくの如し)
と、本陣の義元へ見参に入れ、幸先よき味方の勝利を祝ごうとて、これへ齎して来たものだった。
「何、鳴海へ襲せた敵の首級が届いたとか、わざわざ首を授けに来おった笑止な織田侍の死顔。どれ、並べてみい、視てくれよう」
義元は、機嫌であった。
「床几を直せ」
と、座形を改め、扇子を顔にかざしながら、次々に差し出す首を検分した。
首帳を誌けている者は、七十余首と数えあげた。
その中には、織田軍の侍大将と、今川方にも知られている佐々政次、岩室長門、千秋加賀守の首もあった。
見終ると、義元は、
「血ぐさい。血臭い」
と、顔を振って、後ろの幕を揚げさせた。
そして、鮮やかな真昼の空の乱雲を仰ぎ、
「やれやれ山間らしい涼風が立ちそめて来た。もはや刻限は午ちこうないか」
「いえ、午の刻は、はや過ぎておりましょう」
侍臣が答えると、
「道理で空腹を催した。昼飯をしたためよう。兵馬にも糧食の休みを与えよ」
「はッ」
と、旗下の人々が、令を伝えに出る。幕のうちは、同朋衆や小姓や賄方の者たちの動きで和んだ。折ふしまた、近郷の社や寺々や庄屋などが、連れ立って、祝の酒と土地の産物などを肴に持ち、
(陣お見舞に)
と、称して、献納して行った。
義元は、遠くから、その者たちに眼通りを与え、
「上洛の帰途には、追って、何かの沙汰を下すであろう」
と、善政を約束した。
そして土民の代表者らが立ち帰ると、
「よい折じゃ。酒をひらけ」
と、命じ、再び獣皮の褥にくつろいだ。
幕外の将たちも、こもごもに彼のまえへ来て、鷲津、丸根の勝軍につづいて、鳴海方面の戦況が、刻々、有利に展開していることを祝した。
「これでは、お汝らも、ちと手応えに不足で、物足らなくあろう」
義元は、戯れ顔に、そんなことをいって、近習から伺候の人々にまで、残らず杯を与えて、いよいよ麗しい機嫌であった。
「お館の御威勢によるところなれば、めでとうはござれど、仰せの如く、かように進むところ敵なしでは、日頃鍛えた腕もむなしゅう鳴るばかりで」
「待て待て。明日の夜は、清洲の城へ乗り掛けん。いかに骨細の織田といえ、清洲へかかられたら、少しは、手応えもみせよう。──各〻、貪って軍功をあげい」
「されば、両三日は、いずれ彼処に御滞陣。月も踊りも、清洲で御覧あられましょう」
いつか、陽は陰っていた。
酒に興じていて、誰も気づかぬまに、午の下刻(一時)頃から、暗い真昼に天候が変っていたのである。
一陣の風が、幕のすそを高く吹きあげた。ポツ! ポツ! と、雨さえ交じって来たのである。雷鳴がとぎれとぎれに耳を打った。しかし、義元以下、そこの将領たちは、なお哄笑雑談、明夜の清洲城一番乗りを、ことばの上で気負い合ったり、信長何者ぞと、誇ったりしていたのである。
信長、何者ぞ。
義元の帷幕で、旺んにそう嘲り笑われていた時刻、その信長は、街道の小坂、相原村の中間から、太子ヶ嶽の道なき道を遮二無二越えて、もう義元の本陣へいくらもない地点まで来ていたのであった。
太子ヶ嶽はさして高い嶮峻な山ではない。樫、くぬぎ、欅、もみ、はぜ、などにおおわれている雑木山であった。もとより樵夫が通うくらいなもので、道とてはない所を、五千の人馬が遮二無二急ぐので、木は裂け、草は薙がれ、崖は躍り、谷川は飛沫をあげて駈け渉るのだった。
「落馬したら駒も捨てよ。木枝に絡まれて旗差物を失わば、旗差物も打ち捨てて急げ。要は、今川が本陣の核心へ、真っ向に突き入って、治部大輔が首見ることぞ。身軽がよし、空身が利ぞ。──敵中にはいって敵を突き伏すとも、いちいち首を揚げて手間取るまいぞ。斬り捨てに。突き捨てに。──次へ次へ今生の限り敵にまみえよ。ゆめ、殊勲を人に見せんと思うな。見よがしの殊勲は、すでに殊勲にてはなきぞ。八幡照覧、信長の眼前、ただきょうを一期と無我無性に働く者ぞ真の織田武士なれ」
信長はいう。
叱咤してさけぶ。
それはまた、暴風雨の前駆が吠えて行くようにも聞えた。
午後の空は一変して、墨を流したように晦い。風は、団々たるその雲間からも、谷からも、沢からも、木々の根からも吹き起って、海の中を行くようだった。
「やおれ。田楽狭間は、はや間近ぞ。この沢こえて、彼方の山陰の向うの尾根ぞ。死に支度はよいか。駈けおくれて、末代末孫に、恥を遺物にのこすなよ」
信長の声のする所を軍の主流として、二千の手兵は当然、後れるもあり、散開して進むのもあって、隊形をなしてはいない。しかし、心は、また耳は、絶えず信長の声のするところへ集まっていた。
その信長の叱咤も、今は声も皺嗄れてしまって、何を叫んでいるのか、意味も聞き取れなくなっていた。けれど言葉の意味などは、もう将士に不要になっていた。ただ味方の上に、信長あり! と、分っているだけでよかった。
そのうちに。
槍の穂光りのような大粒な雨が横撲りに打って来た。頬や鼻にぶつかると痛いのである。木の葉を捲いた疾風が伴っているので、何が顔にあたっているのか分らなかった。また突然、山を裂くような雷鳴だった。一瞬、天地は一色になり、豪雨に白く煙った。雨が去ると、沢の底地や崖には、滝津瀬とばかり流れる水と、濁流に浸っている足もととを見出した。
「あッ、あれだッ」
藤吉郎は、呶鳴った。
顔を雨に打たせて、鯉のように睫毛の雫をしばだたいている部下の足軽たちを顧みて指さした。
今川の陣地が見えたのだ。雨に打たれて濡れはためいている幾十の敵の本陣の幕屋がそれ!
眼の下は沢。すぐ彼方は、田楽狭間の丘陵。一跳びの間である。
見ればもうそこへと、味方の甲冑の人影は殺到していた。
槍を、太刀を、長柄を──思い思い引っ提げて、
(身軽が利ぞ)
と、信長からいわれたように、兜は背へ投げ、差物もささず、一筋の槍だけを横たえた者が多かった。
木の間を縫い、芝地の崖を踏み辷りしながら、いちどに敵の幕屋へ攻めかかってゆく人影の上へ、時折、青白い雷光がひらめいて、白い雨、暗い風、まったく晦冥な天地とはなった。
「そらッ、かかるのだッ」
藤吉郎は、そういうと、沢へ駈け下りて、向うの山へ取ッついた。彼の部下は、辷っても転んでも、藤吉郎の側にいた。進んで血戦の中へ駈けこんだというよりも、うろうろしているまに、いつか戦そのものが、藤吉郎の一小隊をも、戦場の中に巻きこんでいたというほうが真実に近かった。
義元の帷幕では、雷鳴のしているうちは、むしろ爽快として笑いどよめいていた。烈風が、ふき募って来ても、四方の幕のすそに重石を置かせ、
「これで暑気も一掃した」
などと未だ杯をめぐらして飲んでいたのである。
が、陣中だし、夕方までに、なお大高まで前進する予定なので、誰も、酒の量をすごして、軍旅の疲れを呼び出すことは、誡めながら飲んではいた。
そのうちに、
「飯が炊げましたが」
と、兵站部の雑兵が来ていう。そうだ、もはや殿へも御膳をさし上げろと、幕将たちも杯を納め、運ばれて来た兵糧米の炊きたてと、大きな汁鍋とを席に見た頃、
ぽつ! ぽつ!
ぽつ! ……
と、鍋へも飯籠へも、また、莚にも、各〻の鎧にも、大きく音を立てて落ちて来た雨の光に、
「やあ、これは」
と、険しい空の形相に気がついて、ようやく莚の位置をかえ始めたのだった。
そこの幕中に、幹の太さ三抱えもある楠の大木があった。義元は、雨をも忌って、梢の下へ寄った。
「ここならば──」
と、後から、人々は義元の敷物やら膳部を、あわててそこへ移して行ったが、楠の巨木は根土をゆるがして、烈風の中に吼えていた。病葉も若葉も、塵のように舞って、人々の鎧へ吹きつけて来るし、炊事している兵站部の、薪のけむりが風圧のために地を低く這って、さなきだに息づまっている義元や幕将たちの眼や鼻をついて来るのだった。
「暫時、御辛抱くださいませ。今、雨覆いの幕を懸けさせまする」
幕将のひとりが、大声で、雑兵たちを呼びたてた。その返辞はなかなかない。真白な雨しぶきと、樹々のうなりに、こちらの声も宙へ攫われてしまうし、彼方の声も届いては来ないのである。ただ、旺んに炊事の煙を吐いている兵站部の幕の蔭で、薪を割る音ばかりが高くしていた。
「足軽頭ッ。足軽頭ッ」
幕将のひとりが、雨を衝いて、外陣のほうへ駈け出して行ったと思うと、異様な声が辺りに湧き上がった。
唸き声。大地の音。打物と打物との烈しい響きなどである。
しかし、暴風雨は、皮膚の外のみでなく、義元の頭脳のうちにも荒れて混乱させていた。
「やッ、何じゃ? 何かッ」
事態の正視がつかない眼いろだった。幕将たちも、惑うばかりで、
「裏切ではないか」
と、いってみたり、
「また、雑兵どもの、喧嘩沙汰ではないか」
と、いったりした。
しかし、何事に依れ、そこらにいた侍側の将士たちは、無意識にも、義元の身のまわりを桶のように囲んで、咄嗟に、警備の形を作った。そして槍を、太刀の柄を、各〻が持ち構えて、
「何かッ、何事かある」
と、どなったが、時すでに、潮の如く、幕中へなだれ込んで来た織田勢は、ついそこの幕の外にも、楠の後方にも、彼方の広い場所にも、雄たけびして、駈け歩いていた。
「敵だッ」
「織田勢だッ」
うろたえ呼ぶ味方の上に、槍が刎ね、燃えさしの薪が飛ぶ。
義元は、楠の大樹を後ろに、ものをいう口を忘失していた。その唇を、黒々と光る鉄漿の歯が噛みしめていた。眼の前の現実を、まだ信じられないもののように立っていた。
義元のまわりには、幕将庵原将監がいた。その甥の同苗庄次郎がいた。侍大将落合長門がいた。近習頭沢田長門守、斎藤掃部助、関口越中守などもいた。その他、
牟礼主水。
加藤甚五兵衛。
四宮右衛門佐。
富永伯耆守。
といった旗本の錚々も、硬ばった顔をひしと並べて、
「謀叛かッ」
「謀叛人かッ」
と、繰り返して呶鳴っていた。
それへ答えるのではないが、すでに営中の彼方此方で、敵だッ、敵々ッ、と叫んでいるのが、耳には聞えているのに、なお、頭のどこかに、
(よもや?)
という気があるため、自分らの耳を疑っていたものである。
しかし、それとて、長い時間ではありえなかった。明らかに織田武士の躍る影を見、身近く尾張訛りの聞きつけない怒号を聞き、二、三、こっちを眼がけて、
「駿河殿よなッ」
喚きつつ、阿修羅のように、槍もろとも、泥水を刎ね上げて突ッかけて来る人間を見ると、
「あッ、織田のッ」
驚愕を革めて、
「織田の奇襲ぞ!」
と、ようやく事態を正しく知ったほどだった。
夜討を襲けられた場合よりも、狼狽はむしろ甚だしかった。信長を見くびっていた点と、白昼であったことと、烈風のため敵を営中に見出すまで、敵の近づく跫音すらも知らずにいたためだった。
いや、それよりも、本営の幕将たちを安心させきっていたものは、味方の前衛にあるともいえる。本陣付の部将松井宗信と井伊直盛の両将は、ここの丘を距ることわずか十町ほど先の地点に屯して、主陣護衛の約束どおり千五百ばかりの兵で、きびしく固めていたはずなのである。
その外陣の衛星から、
(敵、来る)
とも、
(敵、近づく)
とも、何の合図もないまに、義元以下、営中の幕僚たちは、いきなり獅子奮迅の敵影を、眼のまえに見たのである。内乱か、謀叛か、と、疑ったのも無理な狼狽ではなかった。
信長はもとより、前衛部隊のいるような地点には出なかった。太子ヶ嶽を縦横して、いきなり田楽狭間の直前へ駈けあらわれ、鬨の声をあげた時は、もう信長自身でさえ、槍をふるって、義元の幕下の士と、戦っていた。
信長に槍をつけられた敵の士は、それが信長とは恐らく知らなかったろう。
敵の二、三名を突き伏せて、信長はなおも、本陣の幕へ近く駈け寄っていた。
「楠のあたりぞッ」
信長は、味方の強者が、自分のそばを追い越して、驀しぐらに行く姿を見ると云った。
「駿河公方を逃すなッ。義元の床几は、彼処の楠の巨木を繞る幕のうちと覚ゆるぞッ」
地形から視て、彼は、何とはなくそう直感に云ったのである。将の床几をすえる場所というものは、その山相を観れば自然にわかるし、その場所は、一つ山に必ず一ヵ所しかないものだった。
「あッ、殿ッ」
乱軍の中の、ぶつかり合うばかりな出会い頭、誰か、彼の前に、血槍を伏せて、ひざまずいた味方がある。
「誰だッ」
「犬千代めにござります」
「おッ、於犬か。働けッ! 働けッ!」
夜のように、雨は暗く風は地を掃いて、泥水を降らした。
楠の枝や、松の小枝がひっ裂かれては、大地へ叩きつけられて来る。ザ、ザ、ザ、ザ……と義元の兜の上へ、こぼしたような梢の溜り水が落ちた。
「お館様ッ。彼処の内へ。──彼処の蔭へ」
旗本の山田新右衛門、近習の島田左京、沢田長門など、四、五名は義元の身を、八方楯のように囲んで、幕から次の幕へと、急を避けた。
去った瞬間、
「駿河殿やこれにあるッ」
と、残余の幕将へ目がけて、槍をつけて来た織田方の武士があった。
「推参ッ」
と、斎藤掃部助が、槍をあわせた時、敵は、
「信長公の身内、前田犬千代ッ!」
と、喘ぐ息で名乗ったので、
「今川家譜代の臣、斎藤掃部助ッ」
と、彼も応じ、
「かツッ」
と、くだ槍の先も突き折れよと、一挙に圧して行く。
「何をッ」
犬千代は、身をひらき、敵へ空を突かせて、よい機を見たが、長槍を持ち直している遑がなかったので、掃部助の頭を撲りつけた。
かんと、兜の鉢金が鳴った。掃部助は、雨の中へ、両手をついて、四つン這いになった。ところへ、
「高井蔵人ッ」
「四宮右衛門佐ッ」
などと名乗りかける敵の声が耳のそばでした。犬千代が、槍を向け直した時、敵か味方か仰向けに、ぶっ仆れた者がある。その死骸につまずいて、犬千代も蹌めいた。
「木下藤吉郎ッ」
どこかで、名乗っている声がする。犬千代は、にことした。その笑靨へ、風が、雨が、びゅッと打つけてくる。何を見ても、泥であった。何処を見ても、血であった。
辷る、転ぶ。──と、思うと、もう側にいた敵も味方もいない。死骸の上に、死骸が折り重なっている。雨がバチャバチャとその背で音を立てている。武者草鞋は真っ赤だ。血の河を蹴ってすすむ。
庵原将監と名乗って来た者を突き伏せた。しかし、突き捨ててまたすぐ進む。──鉄漿公方はいずれにありや。駿河殿の首級な申しうけん。雨も叫ぶ。風も叫ぶ。
父将監討死ときいて、義元の小姓庵原庄次郎、善戦して、織田武者の群れのなかに死骸となる。
関口越中守、富永伯耆守など、今川軍の名だたる猛将も、それぞれ恥かしくない死に方であった。
勿論、織田の将士で、傷つく者も多い。けれど、敵の十に対して一ほどな死者もなかった。
どこで、どう組んで、敵に捥ぎとられてしまったのか、進軍の途上、信長の馬前にすがって、陣借して参加した甲州牢人の桑原甚内などは、腰から下の具足や草摺は着けていたが、上半身の鎧は失って、半裸体のまま、血あぶらに染んだ槍を握りしめ、
「駿河殿に見参ッ。御大将義元には、いずれに在わすや」
楠の後ろの辺りを中心に、十歩、二十歩、あなた此方、シャ嗄れ声をしぼって駈けまわっていたが、そのうちに、一ヵ所の陣幕のすそが、烈風にふき煽られてぱッと剥くられた刹那、チラと、その中にいた赤地錦の鎧直垂と八龍の兜との人影を、一閃の雷光の下に見つけた。
その義元の声らしく、
「儂にかまうなッ。急場ぞ、急場ぞッ。義元の身辺に、人数は要らぬ!」
烈しい声で、辺りに躁ぐ幕僚や旗本たちを罵っていた。
「──狼狽えずと、敵を退け、みずから首を授けに来たりしこそ幸いなれ、信長めを、討って取れッ。義元の身を護るよりは敵へ当れッ」
さすがに彼も三軍の総帥であった。誰よりもはやく、形勢の全体を察知した。いたずらに右往左往したり、身近に従きまとって、無意味な呶号ばかりしている将士らを腑がいなしと怒っているのだった。
それに鞭打たれて、
「あッ──」
と、彼の身辺を離れた将士は、日頃の鍛錬と恥とを思い起して、各〻、戦いの中へ身を投じて行った。
ばッばッと泥水を刎ね上げて行く幾名かのその足元をやりすごしてから、物蔭に潜んでいた桑原甚内は、確かに、大将義元と見たそこを窺って、槍の先で、濡れた陣幕のすそを払い上げた。
「……やッ?」
義元の姿はもうなかった。
一人の武者もいないのだ。
幕のうちには、大きな木鉢の飯が覆って、雨水の中に飯つぶが白くふやけているのと、四、五本の燃えさしの薪がいぶっているだけだった。
「さては」
早くも義元は、二、三の侍臣だけを連れて落ちたな──と、甚内は覚った。幕から幕を覗いて行った。あらかたの幕は切り裂かれて落ちているか、血に染んで踏みつけてあった。
「そうだッ、馬備え?」
徒歩では落ちまい。すると馬繋ぎへ駈けつけたに違いない。だが、たくさんな幕と乱軍の営内では、どこが敵の馬繋ぎ場か、ちょっと見当もつかないのである。
それに、馬もじっとしてはいなかった。雨と、剣光と、血の中を、馬も狂って、何十頭となく駈けまわっている。
「どこへ潜んだか」
甚内は、槍を立てて、乾からびた喉へ、鼻ばしらから伝う雨水のしずくを飲み下していた。
すると直ぐ眼の前を、自分を敵とも気がつかずに、一頭の青毛の駒の狂うのを、懸命に曳いて行く武者がある。
金砂子の覆輪を取った螺鈿鞍に、燃ゆるような緋房をかけ、銀色の轡に紫白の手綱。──甚内の眼は射られた。
まごうなき大将の乗用である。眼をつけていると、駒はすぐ先の一叢の松の木蔭へ曳かれた。そこにも、幕が仆れている。また、まだ懸けめぐらしてある幕が風雨に大きな波を打っている。
甚内は、一跳びに、
「ござんなれ」
と、ばかり近づいた。幕を払う。
義元はそこにいた。
今しも、義元は、身を潜めていたそこの少し先から、家臣の者が、駒を曳いて来たことを性急に告げ立てたので、幕の外へ、身を移そうとした折だった。
その背を目がけて、
「駿河殿と見うけたり。織田家の懸人桑原甚内、御首をいただきに推参。お覚悟あれッ」
声と共に、槍の柄が、
かんッ──と、響いた。
義元の一閃。
松倉郷の太刀が、振り向きざまに、中断したのである。
「しまッた」
と、跳び退く甚内の手には、槍の柄の手元、四尺ばかりしか残っていなかった。
槍の折れを、投げすてて、
「御卑怯ッ。名乗る敵へ、背を見せ給うかッ」
甚内は、喚いて、腰の剛刀を払い、ふたたび義元の背へ、躍りかかろうとしたせつな、
「やッ、殿へ」
と、甚内の背後から、今川方の平山十之丞が組みつく。
でんと、雨溜りの地へ、十之丞が投げつけられた時、
「おのれッ」
と、同僚の島田左京が、甚内の横から斬りつけた。
身を反らしたが、十之丞に足首をつかまれていたため、かわしきれずに、桑原甚内は、左京の刀下に、真二つになって仆れた。
「殿ッ、殿ッ。──一刻もはやくこの場をお落ちなされませッ。乱れ立ったる味方、気負いぬく敵、拾収はつきませぬ。無念ながら一先ずここは」
喘いでいう島田左京の顔は、左京と見えないほど真っ赤だ。満身、泥にまみれた平山十之丞も、刎ね起きて、左京と共に、
「いざ、お早く」
と、せき立てた。
「あいや」
突忽として、その前へ、
「治部大輔義元殿へ見参ッ。──織田殿の御内にて、服部小平太ともうす者」
声があったかと思うまに、黒縅しに黒鉄の鉢兜を眉ぶかにかぶった偉丈夫を見た。
──だッと、一足、義元の退る前へ、朱柄の大槍はうなりを含んで突いて来た。
「曲者ッ」
と、身をもって遮った島田左京は、太刀をふりかぶるまに突き伏せられていた。平山十之丞、つづいて立ち塞がったが、小平太の烈しい槍先にかけられて、これまた、朱になって、左京の死骸へ折り重なった。
「待たれいッ。何処へ」
電撃の槍は、義元を趁う。
義元は、大きな松の根方を、一めぐり駈け巡ったが、
「推参ッ」
振りかざした松倉郷の太刀の下から、はッたと、小平太を睨めつけたが、
「む、むッ」
突き出した槍は、義元の鎧の脇腹へはいった。しかし、小貫の鍛は良し、義元も剛気、かッと開いた口が、
「下郎ッ」
と、いうと、槍の蛭巻から、斬って落していた。
小平太はあわてず、
「心得た」
と、すぐ柄を投げすてて組まんとばかり、体当りにとびかかった。
義元、
「さはさせじ」
と、膝を折り敷き、八龍の兜を前かがみに、跳びついて来る小平太の膝首のあたりを、がつんと横に払う。
太刀はよし、必死。鎖膝行袴から火を出した。小平太の膝がしらは、柘榴のように割れ、傷口から白い骨が出た。
「──あッ」
小平太は、尻もちついた。義元もまた、前へのめって、兜の前立で地を打った。その顔を上げたかと見えた途端、
「毛利新助秀高!」
と、横あいから名乗った男が、義元の首へ組みついて、諸倒れに転がった。
義元の胴が、ために伸びると、先に突かれた槍の傷口から、噴き出すような血が迸った。
「ちッ、ちぇッ」
下になった義元は、毛利新助の右手の人差指に噛みついていた。掻切られた首となってからも、義元の紫いろの唇と鉄漿染の歯の中には、白い指がはいっていた。
味方が勝ったのか。敵が勝っているのか。
いったいまた、自分らは、どう戦ったのか。
「おウいッ、ここは何処だ」
藤吉郎は、息をついて、われに回ると、誰へともなく、辺りへ呶鳴った。
「……?」
何処のどういう地点まで来ているのか、分っている者は一人もいなかった。彼を、小隊の組頭と頼って、彼のまわりには、十七、八名の足軽が生き残っていたが、どれも皆、うつつの血相である。人間の顔いろではない。
「……はてな?」
藤吉郎は、耳をすました。
雨は、霽れて来た。風も小やみだし、雲の断れまから、また強烈な陽がこぼれている。
夕立のあがり頃から、田楽狭間の阿鼻叫喚も、雷鳴の行方と一緒に、遠く消えて、その後を、実に何のこともなかったように、蝉や蜩が啼いている。
「整列ッ」
藤吉郎は、号令した。
足軽は横隊に並んだ。
頭かずを眼で読むと、三十名の組が十七名に減っている。しかし、そのうちの四名は、組頭の藤吉郎も、見たことのない顔の足軽だった。
「おい、四番目の」
「はッ」
「そちは、何処の組の者だ」
「遠山甚太郎殿の手の者ですが、田楽狭間の西の崖で戦っているうち、崖から辷り落ちて本隊を見失い、ちょうどそこへ、敵を追いかけて来たこの組に交じって、そのままこれまで来てしまいましたので」
「そうか。七番目のは」
「はッ。てまえも、乱軍中に、自分の組で戦っているつもりでしたが、気がついてみると、木下殿の組にいました。──けれど何処の組で働こうと、御奉公は一つと思って」
「そうだ。その通り」
藤吉郎は、そういって、後の者は問わなかった。
恐らく、自分の組下で、戦死した者もあろうが、幾人かは、他の組へ紛れこんで、生きているであろうと思った。
いや、箇々の兵が、乱軍で皆、その所属を見失ったばかりでなく、木下組の小隊そのものが、すでに本陣とも、主隊の浅野又右衛門の軍からも離れて、迷子になっていたのだった。
「──ほぼ勝敗はついたらしいぞ」
藤吉郎は呟きながら、部下を率いて、元の道へ引っ返した。四方の山から沢へあつまって来る濁水は、風雨が霽れてから水かさを増していた。その水に洗われている死骸や、崖の途中に重なっている死骸の夥しさに、藤吉郎らは、生きている身が、奇蹟のような気がした。
「お味方の勝利だぞ。──崩れ立ったは敵。見よ、この辺に死んでいるのは、みな今川の本陣付の侍ばかりだ」
藤吉郎は、指さして、部下へ語った。道々見る敵の死骸によって、潰走して行った敵の主脳部の径路が彼にはやや分って来たからである。
だが、部下の兵らは、
「……はあ」
と、ばかりで、まだほんとのわれに回っていないし、凱歌をあげる気力もなかった。むしろ味方の主隊から迷子になって、わずか十七、八名で、さまよっている心細さに囚われていた。急に戦場の空気が静かになったのは、一方で信長の本軍が全滅しているのではあるまいか。何しろいつ敵に包囲されて、自分らも、そこらに転がっている死骸と同じ姿になろうやも知れない、そうも思う懸念のほうが強かった。
すると、田楽狭間の高地で、わあッ、わあッ、わあッ──と、天地もゆるがすような勝鬨が三度ほど聞えた。
勝鬨の声にも、武者押しの声にも、どこかお国風がある。
声をあわせて、
「わあッ」
と、いうだけでも、駿河衆のそれと、織田武士のそれとは、自然気あいの違うものである。
「勝軍だッ。戦はお味方の勝利なるぞ。それ行けッ」
藤吉郎が先に駈けると、
「わあッ」
今まで、人心地もなかった足軽たちも、突然、
──われ生きたり。
──われ勝てり。
と、武者ぶるいする身心地を取り回して、遅れじと、藤吉郎につづいて、勝鬨の聞える丘のほうへのめッて行った。
「おーいッ」
呼び止める声がした。一方の山の中腹の道からである。
藤吉郎は、小手をかざし、
「味方か」
訊ねると、先からも、
「そこへ見えたは、いずれの隊か。この方は、お使番中川金右衛門」
と、いった。
「浅野又右衛門の手の者。足軽三十人組の木下隊でござる」
口へ手をかざして、大きくいう。
すると、中川金右衛門は、崖の小道を駈け降りて来て、
「足軽の木下隊か。御本陣その他皆、この先の間米山へ移っておられる。浅野殿もそれへ引き揚げられた筈。はやく、そこへ急がれい」
「忝い。──して御合戦のもようは」
「もとよりお味方の大捷。今の勝鬨をお聞きなかったか」
「多分──とは存じたれど」
「すでに、駿河勢は、総くずれとなり、義元殿のお首級も、味方の手にあがりたれば、この上の長追いは無用とのお下知。──全軍ひとまず間米山の御陣地の下へあつまれとの御命令である」
お使番の中川金右衛門は、そう伝えると、すぐ先へ急ぎかけたが、またふり返って、
「これより西の山間には、まだ他に、迷れた味方がおったであろうか。──長追いして、帰らぬ味方を見なかったか」
と、訊ねた。
藤吉郎が、遠方から、
「ない。ない」
首を振って見せると、金右衛門は方角をかえて、他の道へ、味方の迷子を探しに駈けて行った。
間米山は、田楽狭間の少し先、大沢村のうちの小部落にあった。
低い丸い丘である。
見れば、この丘から部落に至るまで、真っ黒に味方の人数で埋まっていた。華やかな色とては何一つなく、泥と血と雨にまみれた三千余の戦兵であった。戦い熄んで、一かたまりになった時、雨も熄み、陽も照り、濛々と、三千の武者いきれから白い湯気が立ちのぼっていた。
村民は、清水を汲んで、陣地へ担いこんでいた。芋を煮ていた。餅をついていた。馬も、草や人参を咥えていた。
「浅野殿の隊は」
藤吉郎は、武者混みへ割って入りながら、帰属する自分の隊をたずね廻った。彼は、血まみれな人々の甲冑にふれると、何か、面目ない気がした。自分も恥なき戦いはしたつもりであるが、これという人目立つ手功は何もないせいであった。
ようやく、本隊へ戻って、彼も武者いきれの中に立ち、初めて心の底から、
「勝ったのだ」
と、むしろ敗れた敵の大軍が、そこの丘から眺めても、もう何処にもいないのが、不思議のようにさえ思われた。
やがて。
丘の上なる信長の前へ、集められて来た敵の首級は、二千五百と数えられた。治部大輔義元の存在も、その中のただ一箇でしかなかった。
敵の首級二千余に対して、味方の死者も少なくはなかった。使番が四方に駈けまわって、引き揚げを令しても、帰らぬ将士が幾十人かあった。
しかし、敵の夥しい死者の数から見れば、味方の犠牲は、何十分の一でしかない。
わけて、敵ながら悲壮を極めたのは、井伊直盛の隊であった。直盛は、田楽狭間の義元の本陣を約十町ほど離れて警備に就いていたが、暴風雨のために、信長の軍が、前衛の警戒線を突破したことをまったく気づかなかった。
それと騒いだ時は、すでに敵は本陣へ突き入り、義元は討たれていたのである。直盛の将士は、その自責から最も奮戦力闘した。直盛が乱軍の中で自刃すると、以下の将士も皆、斬り死するか、自害して、一人も生き残らなかった。
その他、目ざましい最期を遂げて、敵とはいえ、眼に残って消えない武士がたくさんあった。戦い果てて、
(われ彼に勝つ)
と、知ると共に、武士の心には、そうした床しい敵の働きぶりが、味方の得意な顔以上、眼に残った。いつまでも心に刻まれて、暗黙の中に、追慕されていた。
(惜しい敵だった)
(よい死に方だった)
口には出さないまでも、あすはわが身にもあることと思うのだった。そして、今さらのように、
(よい御主君を持ち得たるものかな)
と、勝者の軍にいる自分の幸を思い、戴く人を心に仰ぎ直すのであった。
織田上総介信長。
その信長も、血と泥土にまみれた姿のまま、間米山の中腹に見えた。そこの床几から数歩を距てた地上を今、数名の足軽たちが、鋤鍬を持って、大坑を掘りにかかっていた。坑のまわりには高く土が盛り出されていた。
二千の首級は、一つ一つ検分された上、やがて、その坑へ投げこまれてゆく。信長は合掌して見ていた。周囲の将士も、粛然と口を結んだまま立ち並んでいた。
誰も念仏一ついわない。
しかし、武士が武士を埋葬する最高な礼式をもって、それは行われたのだ。坑に入る首は、これからも生きてまた戦ってゆく武士に、何ものかを訓え残して行った。どんな小者の首一つでも、いけぞんざいには扱えなかった。森厳な気に打たれずにいられなかった。幽玄な生死の境を足もとに見て人間を──武士の人生を、思わずにいられなかった。
誰も皆、掌はひとりでに、鎧の胸に合わさっていた。土がかぶせられ、塚に盛られ、気がつくと、雨後の大空には、美しい虹が懸かっていた。
そこへ、一隊の物見が帰って来た。
これは田楽狭間を潰滅させると直ぐ、大高方面へ偵察に向けられた隊である。大高には、三河の松平元康が、義元の先鋒として働いていた。織田砦の鷲津、丸根を攻め墜した手際から見て、信長は、最も油断のならぬ敵として、重視していたからである。
「義元戦死と聞え、大高の陣中も、一時は騒然とあわてた気配にござりましたが、数度、物見が出た様子で、程なく、事実と知ると、やがてひそまり返り、三河へ引き揚げの準備にかかりましたれば、無謀な戦意はなしと見届けました。三河勢の退去は、恐らく夜を待って行われるかと存じます」
以上の報告を聞き、なお、鳴海に残っている敵の岡部元信の動静をも確かめた上、信長は、
「いで、帰らん」
と、凱旋を宣した。
まだ陽は落ちていなかった。いちど薄れた虹がまた濃く立つ。彼の騎の鞍側には、首一つ、みやげに結いつけられてあった。いうまでもなく、今川治部大輔義元の首級である。
熱田の宮の社前へかかると、信長はひらりと下馬して、
「神前へ御報告な仕ろう」
と、宝前へすすんだ。
凱旋の将士もすべて、宮の中門まで詰めて、黒々と大地に額いた。
遠く、振鈴がひびいた。
宮の森は、篝火で赤くいぶされた。霧とけむりの上に、宵月があった。
信長は、一領の神馬を、宮のお厩に献上して、
「さらば、清洲へ」
と、ふたたび急いだ。
着ている武具は重かったし、体は綿のようにつかれていたが、騎にまかせて月の道を帰る彼の気もちは、もう浴衣がけの人のように気軽く見えた。
清洲の城下は、熱田の町以上にたいへんな騒ぎであった。千戸に万燈をかけ連ねていた。辻には大篝を焚き、家ごとの軒下には、老人も子も若い娘も皆出て、凱旋将士を見ると、
「帰りませ!」
「帰りませ!」
と、熱狂した。
辻にも、黒い人の山が押し合っていた。粛々と、城門へ練ってゆく鉄甲の列のなかに、わが良人やあるとさがし廻る眼。わが子ありと、人へさけぶ老人。恋人の影を求める若い女。しかし、そのすべてが、やがて馬上の信長を夜空に見るや、
「オオ。オオ」
「国主」
「わが国主」
「信長様」
一瞬は、歓呼とどよめきの坩堝であった。彼らにとって、信長こそ、わが子以上のものであり、わが良人以上のものであり、恋人以上の恋人であった。
「──今川治部大輔が首見よや。信長がきょうのみやげはこれぞ。あすからは、そち達にも、国境の憂いはないぞよ。精出して働けよ。働いてよう遊べよ」
馬上、庶民たちの歓呼へ、信長は、右へ向いては云い、左の群集へ向ってはまた答えて行った。
城へはいると、
「さい、さい。何よりは一風呂あみたい。風呂と、湯漬ぞ」
信長はいった。
風呂を出る間に、彼の胸には、きょうの合戦で働いた約三千余の将士に対する賞罰もきまっていた。
すぐ林佐渡と、佐久間修理の二人へ、旨を達しておいた。
梁田弥二右衛門政綱に、沓掛城三千貫の采地を与う──という賞賜を筆頭に、服部小平太、毛利新助など、約百二十余名への賞賜を、信長は、口頭でいって、それを佐渡と修理に記録させた。
小者の端の──誰も知らないようなことまで、信長の眼は、いつのまにか見ていた。
「於犬には、帰参をゆるしてとらす」
最後にいった。
それはすぐ、前田犬千代に、その夜のうちに伝えられた。なぜならば、全軍が城内へはいっても、彼一名は、城外に止まって、信長の沙汰を待っていたからである。
藤吉郎には、何の恩賞もなかった。勿論、藤吉郎も、恩賞の沙汰をうける覚えがなかった。けれど彼は、千貫の知行以上のものを、たったこの一日のうちに身に享けた。それは、生れて初めて、ほんとの生死の線を通って来た尊い体験と、眼のあたり信長から身をもって教えられた戦というものの機微、人心の把握など、総じて、将たる器の大度を見たことであった。
「よい主を持った。信長様に次いで果報者は、この俺だぞ」
彼はそれ以来、信長を主君と仰ぐばかりでなく、信長の一弟子という心をもって、信長の長所に学び、由来無学鈍才な自身を研くことに、一層心をひそめていた。
たしかに、急激な速度で、世の中は変革しかけている。けれどどう眺めても、そう動いてもいないように見えるのが、世の中の表面でもあった。
桶狭間の一戦の大捷は、さすがに十日余りも、清洲の城下を昂奮の坩堝と化して、盆も夏祭も一緒に来たような騒ぎだったが、それも常態に回ると、鍛冶の家には鎚の音が聞え、桶屋の軒には桶を叩く音が洩れ、厩の裏には馬糧を刻む音が静かにして、各〻がその職分に精出し始めると、炎天の城下町は、人通りさえ稀れで、からんと、往来の道ばかり白く乾いていた。
「木下様」
誰か、呼ぶ声に、
「おうい」
藤吉郎は、昼寝していたが、眼をあいて、床莚から首だけ擡げて云った。
「どなたかな?」
「志村の家内でござります」
「やあ、お向いの御内儀か」
「ちとばかり、手作りのそう麺を冷やしましたので」
「また、戴き物でござるか。それは恐縮」
「笊はお貸し申しておきますゆえ、お勝手へ置いて参ります。後でまいちど、清水で晒して、召し上がって下さいませ」
「ごんぞ、ごんぞ」
「お召使は、見えませぬ」
「ごんぞは見えませぬか。では下婢は」
「針を持ったまま、勝手元の部屋で寝てござりまする」
「やれやれ、主人が眠ると、猫までが眠る。では、笊は後からお返しに遣わします。御主人にも、よしなにお伝えを」
口愛想はよいが、物臭く、腹這いのまま、奥から呶鳴っているのであった。
城内ではとかく、白眼視されているが、この桐畑の組屋敷の近所界隈では、彼の人気は至って良かった。それも主人よりは細君のほうに良く、細君よりは娘子供になお良かった。
しかし、きれいな娘を持つ家庭では、独り者の彼に対して、相当周到な警戒をしていた。退屈で困っています。少し話しにいらっしゃいませんか──などという誘いを、娘の親の前でも、平気で彼はいうからであった。
退屈といえば、この五、六日、彼は体をもてあました。ちと遠国まで供を申しつける程に、旅支度いたしておれ。十日以内に出発の沙汰いたす。それまでの間、休養して、余り外出はすな。また、他言もならぬことは改めていうまでもない。
こう信長からいわれて、彼は、その出発を待機していた。支度といっても何もない。留守は、ごんぞと下婢がいる。
「──供を申しつけると仰っしゃったが、御主君のお旅立ちとはおかしいな。何処へお出かけになるのだろ」
起き直って、今もぼんやり考えていた。そしてふと、庭垣に、夕顔の花の蔓を見ると、彼は、寧子のすがたを想い出した。
沙汰の下るまで、余り外出はすなと命じられていたが、夕風がふくと、彼は行水をひと浴みして、寧子の家の前を通ってみた。近頃はなぜか、訪れるのは、羞恥ましくて、それと寧子の両親に会うと、改まって、用事でもないと、こちらの肚を見透されそうなので、ただ、彼女の家の門を、行きずりの人の如く装って、行ったり来たりしてみるだけで、戻って来るのであった。
寧子の家の庭垣にも、夕顔が咲いていた。きのうの夕方は短檠に灯ともしていた彼女の姿を、ちらと外から垣間見て、思いを果したように帰って来たが、夕顔の花より白いその折の横顔を、今ふと思い出したものであった。
「お目ざめでございましたか」
若党のごんぞが帰って来た。
ごんぞは直ぐ、井戸水を手桶に汲んで、藤吉郎が、独り坐っている庭先へまわり、
「ちと、水でも打ちましょう。きょうの暑さはかくべつ。地割れのするほど乾いておりますで」
百坪にも足らぬ狭い庭へ、手桶の水を、何杯か撒いた。
「そうそう、ごんぞ。勝手元に、御近所から到来物のそう麺があるぞ」
「はい。戻る途中で、お向いの御新造さまに出会い、左様に伺いました」
「そちは、どこへ出かけていたのか」
「職人町の辻で、捕物があるとかで、町の者が騒いでおりますゆえ、物見に出向きましたので」
「耳ざとく、よく町へ弥次馬に出かける奴じゃな。捕物とは、盗人でも捕まったか。清洲の御城下に、盗人があったとは珍しい」
「いえいえ、それどころではござりません。職人町の鎹横丁という裏町をご存じでござりましょうが」
「うム」
「あの路地の角の酒屋、二軒目の渋紙屋、その並びの烏帽子折、塗師屋、柄巻職人など住んでいた一と長屋が、一夜のうちに皆、空家になりましてな」
「ふーム」
「夜明けと共に、近所で騒ぎ立ち、直ぐ訴え出ましたので、取調べたところ、あの鎹横丁の一と長屋と職人が皆、稲葉山から廻された美濃の間者だと知れました。──で、なおも近所合壁の者どもを一人一人囲いへ入れて、今朝から厳しく調べておるうちに、二、三、怪しい者が現われたので、引っ縛ろうとすると、やにわに得物を把って手むかい致し、近所の衆、役人方の五、六人も、殺傷された揚句、ようやく捕えましたが、一時はえらい騒動でござりました」
「美濃の諜者が一と長屋に住んでいたのか」
「知らぬも不覚なことでござりました。敵国の人間が、御城下に一かたまりも巣を喰って、悠々と、美濃へ通じているのをば」
「ははは。お互いごとじゃ。──ごんぞ、下婢にいうて、行水の湯を沸かさせておいてくれ」
「そしてまた、お出かけでございましょうな」
「このところ、毎日閑役、一あるきして来ぬと、腹が減らぬ」
やがて薪の煙が、勝手から家の内を吹きながれた。湯浴みして、帷子にかえた藤吉郎は、草履をはいて、庭木戸から外へ歩みかけた。
そこへ、城のお使番の末の者が、訪れた。御用筥から召状を出して手渡すと直ぐ帰って行った。藤吉郎は、あわてて屋内へ戻り、急に衣服を改めて、林佐渡の私邸へ急いで行った。
先頃から待機していた御沙汰なるものを、彼は、家老の私邸で、林佐渡から直接に申しつかって戻って来た。
(──明朝の卯の頃までに、旅装を整え、御城下端れ、西の街道口、豪農道家清十郎宅まで参らるべし)
と、いう沙汰なのである。
それ以外は、
(行けば分る)
とだけで、何も聞かしてはくれなかった。
遠国へ、信長が微行で──その供のうちへ自分も──と、こう考えて来ると、多くを聞かなくても、彼にはほぼ主君の目的のあるところが分るような気がした。
「これは当分、帰れないらしいぞ」
同時に彼は、寧子ともしばしは別れと思って、折ふしの夏の月に、ひと目でもと、途中から会いたさが胸に増して来た。
思いたつと、彼は、矢もたてもない性だった。煩悩の子であった。
彼の心にも住む意馬心猿は、彼を、寧子の家のほうへ駆りたてていた。そして、世間によくある深窓の灯を窺う不良児と、何ら変らない恰好して、藤吉郎も、その家の垣の外をうろついていた。
弓之衆の組長屋なので、この界隈を通る者は、たいがい顔見知りの人たちである。彼は、往来の跫音にも心をおき、家の中の寧子の両親や家族から覚られることもひどく惧れた。
その臆病な、小心な態は、笑うべきものであった。もし藤吉郎自身でも、他人のそういう振舞いを見たら、軽蔑するにちがいなかった。けれど今の彼には、男の面目も、万一の外聞も、反省している遑がなかった。
「寧子は、どうしているか」
彼が求めているのは、つまるところそんな他愛ないことでしかなかった。垣根の隙間から、彼女の横顔と、この夕方の彼女の生活の端を、一目見れば、それで気はすむのであった。
「もう、湯浴みをして、化粧しているかな。親たちと、膳をかこんで、御飯でもたべている折かな?」
三度ぐらい、そこの垣の外を、彼はさあらぬ顔して、行きつ戻りつした。宵なので、誰か一人や二人は往来があるのだった。垣根にすがって覗きこんでいるところを、
「木下殿」
などと知っている者に呼びかけられたら大いに赤面ものである。いやそれよりも、折角、犬千代が手をひき、親の又右衛門も、その後、考え直して来て、寧子と自分との結婚の工作が、このところ好転しかけているものを、自分でぶち壊すような結果を招来する惧れもある。
今は。
そッとしておくに限るのだ。寧子の母も、寧子も、心はきまっていよう。だが、父親の又右衛門がまだ、容易に、肚を決めかねているところだ。七分三分の考慮中で、娘と父、母親と父親とのあいだにも、なかなか易々とは一致をみないままに、ここはお互いが、心の推移を待っているといった按配に──一先ず寧子の縁談は、家庭のうちでは、打ち切られたすがたになっているのであろう。
そこへ。
この前のような短兵急に、厚顔しい押しの一手で、
「寧子を給われ。婚礼の日どりを決めて欲しい」
などと自分でもちかけると、かえって又右衛門の厳格な父性は反撥するかも知れないし、寧子や寧子の母親が、せっかく寄せている好意をも、興さまして、ふと、考え直されでもしたら、取り返しはつかない。
先年までは、犬千代という強敵が居、消極的に、失恋を待っていたら、とても勝目はないので、あらゆる智慮と熱情をもってそれと闘ったが、もう自分の恋を脅威する相手は、
(寧子をたのむ)
といって国外に去り、その後、桶狭間の合戦の後、ふたたび御勘気をゆるされて、城内へ帰参してはいるが、もう以前のように、この家へ近づいているふうも見えないのである。又右衛門が苦にしていた問題の「犬千代との結婚の口約」なるものも、自然解消のままになって、今日では何の憂いもない筈のものになっている。
「焦心る必要はもうない。今はそッとしておいて、又右衛門の気もちが、もう一歩、好転するなり、よい口ききが、他から現われるのを待つのが上策」
藤吉郎は、その辺、心得ぬいていた。──しかし、寧子のことに限っては、彼のそうした賢い思慮と、彼の愚かな垣覗きの心理とが、一箇の彼という中に、べつべつに働いていた。
蚊遣の煙がながれている。台所のほうでは瀬戸物の音が聞える。まだ夕餉も前らしい。
「オオ、働いてござるな」
藤吉郎は、やがて、わが宿の妻ときめている寧子の影を、仄かな明りのさす台所の辺りに見出して、
「あれなら世帯も好う持とう」
などと人眼を忍ぶ急場にも、そんなことまで考えたりした。
彼女の母の呼ぶ声がする。彼女の返辞は、垣の外から覗いている藤吉郎の耳にもひびいた。藤吉郎は、歩き出した。往来を誰か人が通って行ったからである。
「よく働く、そして柔順だ。あの女なら、中村の母にも気にも入ろう。百姓していた姑と、わしの母親を、粗末にするようなことはあるまい」
彼の恋は、煩悩のうちにも、遠大な考えまでした。
「貧乏に耐えよう。虚栄には囚われまい。良人は大事に、良人の陰で助ける女になれよう。おれの欠点も、ゆるすだろう」
何もかもよく考えられる。
第一眉目も麗しい。
あの女性を措いては、おれの妻はない。そうまで、思い込んだ。ひとりでに胸が膨らんでくる。大きな動悸を打っているのだ。──ふウッと、星を仰いで大きな息をついた。気がついてみると、組長屋の一郭を一まわりして、またいつのまにか寧子の家の前に出ているのだった。
ふと、垣の中に、寧子の声がした。水桶を持って、井戸のほうへ行く姿が、夕顔の蔓のすき間から見える。こぼれそうな星明りだし、夕顔の花明りに、その横顔も白々と見えた。
「下婢のする水仕事まで手伝ってするし、あの手で、箏も弾くし……」
藤吉郎は、中村の母親に、わたしの嫁はこういう女性であると、一日もはやく見せたい気がした。涎をたらさないばかりな顔である。その顔を垣へ寄せたまま、彼自身、眺め飽くことを知らない態であった。
井水を汲み上げる音がする。だが寧子は、水桶を提げずに、じっとこっちを振り向いていた。
「ア、気づいたかな?」
思う間に、彼女の姿は、井の側を離れて、裏の木戸のほうへ歩いて来た。藤吉郎は、胸に火を当てているように、熱い鼓動を覚えた。
「……?」
彼女が、そこの木戸を、そッと開けて、外を見まわした時、藤吉郎の影はもう、後も見ずに駈けていた。
遥かな、道の辻を、横へ曲る時、藤吉郎は振り向いて見た。白い顔が、怪訝そうに、まだ木戸の外に立っていた。
「…………」
恨むような眼がこっちを見ているようにも思われた。けれど藤吉郎は、とたんに、明日の卯の刻の旅立ちを考えていた。他言を禁じられている主君のお供である。寧子にもそれはいえないことであった。
彼女の無事を知り、姿を見、ここまで離れて来ると、藤吉郎はもう常の彼に立ち回っていた。一目散に家に帰った。そして眠ることになると実に屈託のない鼾声であった。
若党のごんぞは、いつもの朝より早く起きて、
「旦那さま、お支度なされませ。そろそろお時刻でございますぞ」
枕元に坐って起した。
おうと刎ね起き、顔を洗う、飯を喰う、旅支度にかかる。
こういう起居の手ばやくて活溌なことは、信長仕込みというか、藤吉郎もおそろしく気短かであった。
「行って来るぞ」
何処へとも、召使にも云い残さない。命令の卯の刻すこし前に、彼も、城下外の西の街道口、豪農道家清十郎の宅まで行き着いていた。
「やあ、猿どのか。おぬしもきょうのお供に見えたか」
豪農道家清十郎の門口に立っていた田舎侍が、彼を見ると呼びかけた。
「や、於犬」
これは意外といった顔つきの藤吉郎であった。
その犬千代が来ていることはさして驚くに足らないが、服装がいつもとまるで違う。髪の結いようから大小、脚絆の拵えまでが、どう眺めても草深い田舎から出た野侍としか見えないのである。
「これはまた、どうした仔細」
訊ねかけると、
「御一同もすでにぼつぼつ揃うて在らせられる。はやく通れ」
門衛のように犬千代はいう。
「お汝は」
「わしか、わしは暫時、門番を仰せつけられた。後で通る」
「然らば」
ごめんと通って──藤吉郎は門内の前栽に佇んだ。庭へ通う道と、入口へ向う道との、いずれへ通ったものか一思案という顔だった。
豪農道家清十郎の家は、藤吉郎の眼にもめずらしい旧家だった。吉野朝以前からの建物か、もっと古い時代の物か、想像もつかなかった。姉妹兄弟一族が、みな一囲いの中に生活していたという大家族制の頃の遺風さえ見えて、どっちを見ても長屋があり、棟があり、門の中に門があり通路があった。
「猿どの。此方じゃ」
庭の方の門から、またひとり田舎侍がさしまねく。見ると、池田勝三郎である。
そこをはいると、同じように──といっても服色は雑多だが、田舎武士づくりの家中が二十名もいた。藤吉郎も、かねていわれていたことなので、田舎者に見えることにおいては、人後に落ちない支度では来た。
「……おや」
中庭のほうの縁には、約十七、八名の山伏が、休息していた。それも、家中の屈強な武士たちの変装した群れであった。
中庭の彼方の小座敷には、信長が見えておるらしい。もとより微行であった。道家家でも、主人とほんの家族しか近づいてはいないらしい。藤吉郎は、他の相役と、溜りを作って休んでいた。
「何のお微行であろ」
誰も訊く。誰も知らない。
囁き合って、
「殿にも、きょうのお支度は、まずちとばかり家来も持つ、郷士の伜殿と見たらよいようなお装りなのだ。何かまた、飄気たお遊びでもあることと思うて来たら、そんなふうもなし、厳か、秘かに、ああして供人の揃うのを待っておいでなされる。やはり遠国へ向って、ほんとに旅立ち遊ばすのやも知れぬ。──となると、その行き先だが、誰か、小耳にでも洩れ聞いておらぬかの」
「よう聞かぬが、先頃、林佐渡様のおやしきへ召し呼ばれた時、京のあたりへと伺ったが」
一人のことばに、
「え。京都へ」
人々は声をのんだ。
危険なということが第一と、京都へ上る以上は、信長の胸に、何の大志、何の秘策かがあってのことにちがいないがと、その目的の何か、かえって大きな怪訝しみに囚われたのである。
藤吉郎は、人知れず、
「さてこそ。さてこそ」
独りうなずいて、信長の立ち触れが出るあいだ、邸内の菜園をぶらぶら歩いたり、屋根の子猫に手招きしたりしていた。
信長を囲む田舎武士の一群と、それを遠見に護って歩く山伏の一群とは、やがて幾日かを経て、都へ出ていた。
これは東国の田舎武士にて候、年ごろの望みかのうて、このほど叔父、甥、友ども打語らい、鳰の湖こえ、花の都へ、見物に入りもうして候。
暢んびりと、信長はじめ、人々はそういった態をつくろった。桶狭間に見せたような険しい眼光は、誰もみなしまいこんで、面も言語も、悠長に、そして何処かごつい、東国武士となりすましていた。
宿所は、道家清十郎から、疾く手まわししておいた洛外の腹帯地蔵の在家。山伏たちは、附近の農家や安旅籠へ、ちらかって泊った。
「さて、どう遊ばすかな」
藤吉郎は、信長の行動に、多大な期待と、興味をもって見ていた。
「猿も、供に」
と、いわれる日もある。また、自身は連れて行かれず、他の者を従者として洛中へ出向く日もある。
いうまでもなく、いつも日除笠眉深に、質素で野人そのままな身ごしらえであった。供はせいぜい四、五名。遠く離れて山伏姿の何名かが、それを見護っていたが、彼を彼と知って、近づこうとする刺客があれば、目的は易々たるくらいな程度であった。
「きょうは見物しよう」
と、まったく放心して、洛中の人中を、終日、埃をあみて歩いて帰る日もあったが、また、時ならぬ時刻に、突然出て、公卿堂上の門を訪い、そこの奥で密談した上、すばやく帰ったりする夕べもあった。
一切は、信長の胸三寸の行動で、若い侍臣たちには、何を目的として、乱国の危険な巷に、この冒険を彼が敢えてしているのか、分らなかった。
藤吉郎にも、もとより這般の消息は、知るよしもなかった。けれど彼は彼で、その間、よい見学をしていた。
「京都も変ったなあ」
と、思う。
針を売って、漂泊していた頃、彼は京針を仕入れにここへ出て来たこともある。指折れば、六、七年前でしかないが、皇城の地の世態は、甚だしく変っていた。
室町幕府はあるが、十三代足利義輝の存在は、名ばかりの将軍家であった。
管領細川晴元はあるが、これもあるという名ばかりで、実権はない。
古い池のように、ここの人心も文化も、澱みきっていた。あらゆるものに末期が感じられる。
実際の主権者にある代管領の三好長慶は、その老臣の松永弾正久秀のために左右されていて、ここにも醜い葛藤と、うごきのつかない無能や暴政ばかりあった。民衆の眼にさえ、
「もう遅くはない」
と、自解のきざしを陰口に囁かれている時流だった。
では、その時流は、どう向いてゆくか。といえばこれは誰にも暗澹であった。徒らに華美で浮薄で夜の灯も盛りながら、一面には蔽い難い暗さが人々の心を占めているのも、
「明日は明日」
と、方向のない生活から湧く、どうしようもない濁流であった。
政庁の三好、松永が頼むに足りないとしたら、管領のほかに、世に将軍家の御相伴衆といわれている山名、一色、赤松、土岐、武田、京極、細川、上杉、斯波などという大名たちはどうしているのか。
それらもまた、各自の国々において、同じ時代の悩みにつき当っていた。京都は京都、将軍家は将軍家。より以上、自分たちの国境や内部において、その多端に奔命していた。大きく世を思い、他を顧みる遑などはなかった。
そうした京都へ来て、藤吉郎はまた、その眼に見、耳に聞いた。
朝廷の御衰微の想像以上だったことである。
畏れ多いが──
と、よく下々の噂にも聞かぬ沙汰ではなかったが、御所の築土は破れ果て、御垣守の影すら見えない。栗鼠や野良犬さえそこを越えているのだ。内侍所に雨や月影が洩って、冬ともなれば、御衣の料にすら事を欠くと、勿体なげに沙汰する下々の憂いも真であろう。
誰であったか、その頃。
公卿の常盤井殿へ伺候して拝謁を願い出たら、折しも十二月の中旬というのに、垢じみた衣冠すらなく、夏のままな単衣に蚊帳を上に纒うて会ったということである。
近衛殿あたりでさえも、年に一度の式日に、賓客が馳走を眺めて、口に入れられそうな物は、三宝にのっている小豆餅ぐらいな物であったという。
皇子の御在所も、親王家の宮居も、ありやなしやの状態だった。御料の地も、遠国の御田はもとよりのこと、山科とか岩倉あたりの近くの御田や御林まで、野武士や乱逆の郷士らに荒されて、一粒の供御も上がっては来なかった。弊を正す大名が国々にない。その罪を懲らし、大逆の行為を諭してやる司法者もないのである。──まして庶民の中の弱者の田や畑は知るべきであった。
信長は、実に、その折も折に、京都へ微行で出て来たのであった。
どこの国の大名も考えつかないことだった。
いや上洛して、自己の三軍の覇を誇示し、綸旨を仰ぎ、将軍や管領を強迫し、もって八道へ君臨しようという野望家は、ひとり先にその途上で挫折した今川義元があるばかりでなく、宇内いたる所の国々に割拠する大名豪傑の輩が、みな理想としていることではあったが、単身、京都へ上って、将来の計をなそうとするような──そんな身軽な豪胆さは、信長以外に持ち合わせている者はなかった。
彼が、そうして、三公九卿の門に、密かに往来している間に、何らか、後日の政治的な基礎が、一つぶの胚子ほどでも、蒔かれていたことは間違いなかろう。
彼はまた、幾たびか足を運んで三好長慶の執達を通して、十三代の義輝将軍に会った。
勿論、三好家の館までは、いつものような東国侍の微行すがたで、そこで式服に改め、室町の柳営へ出向いたので、まったく誰も知らぬ会見であった。
室町の柳営は、絢爛な廃墟に似ていた。足利十三代の間になし尽した将軍たちの逸楽と豪奢と、独善的な政の跡を物語る夢の古池でしかなかった。
義輝将軍は、信長を見て、
「お許か、信秀どのの子息信長とは」
と、いった。
力のない声である。
型の如く、近習や作法張った儀式はあるが、精彩がなかった。将軍職の名はあっても、ここに実際の力がないことが、すぐ感じられた。
「信長です」
平伏して、お見知りおきください、と彼はいった。平伏している彼の小さい姿のほうが、遥かに四辺を払い、上段の人を圧し、声に力があった。
「父信秀を、御存じでござりましたか」
義輝将軍は、
「存じおる」
と、うなずいて、信長の父信秀を知った縁故について、記憶を語った。
それは、かつて、皇居の荒廃のあまりの甚だしさに、諸国の豪族に対して、朝廷の御名をもって、
内裏御修理之料献上之諭達
が発せられたことがあった。
ところが、勅にこたえて、奉仕を申し出る大名はほとんど稀れであった。諸国戦乱の絶えまもなく、各〻が自己の存立に汲々としている世情の常とはいっても、浅ましい限りであった。
(これが、皇土皇天の国にあることか)
と、朝臣たちも、雨漏り風の防ぎもない内裏の荒廃をながめて、ただ喞ち嘆くばかりであった。
それは、天文十二年の冬のことであったから、信長の父信秀の立場なども、四隣に強敵をひかえ、微弱な領土と兵力を擁して、一方に勝てば一方において敗れるという有様で、わけても苦境のまっ最中であった。
にも関わらず、勅をうけると、信秀は、すぐ使者を京都に上せ、御料四千貫文を献じ、また、他の有志らと計って、御築土、四足門、唐門などの御修理をもなしとげたのであった。
「いや、お汝の父は、勤王家であるばかりでない、武人にはめずらしい、敬神家でもあったよ」
ごきげんの麗しい日であったとみえ、義輝将軍は、初めて会う信長に、よく話した。
「畏れ多いことじゃが、伊勢神宮の内宮は、往古から二十一年ごとに、新しゅう改造する制であったが、応仁の乱以後は、そのことも廃れて、ここも荒るるにまかせてあったを、お汝の父信秀には、その御式の復古に、いたく力を尽されたそうな。──いずれにせよ、ゆかしい仁であった」
義輝は、そんなことで知っているという意味を、さりげない雑談にいうのであったが、聞く信長には、亡き父に対して、新たな追慕と大愛が思い出され、しばしは、さしうつ向いていたことであった。
信長は、何人よりも、自己を信念することにつよい性質だけに、ともすれば、父と子との情愛を離れては、父をも、さしたる武人とは思わなかったが、自身が実際の世につき進んでみると、何処にもここにも、父の遺して行った子のための捨石が築かれてあったことに気がついて来た。その遠謀と、愛の大きいことが、近ごろ分りかけて来たような気がするのであった。
たとえば、亡き後の子の経営に、平手中務や、その他の良い家臣らに目をかけておいて、遺して行ってくれたのも、今となれば、ひしと有難さを思う。
また先頃の桶狭間の大捷にしてもそうである。あれは自分の乾坤一擲が奏功したのだと一時は思ったが、よくよく後になって考えてみれば、今川の上洛計画は、すでに父の生きていた頃からのことで、父信秀は、小豆坂や、その他の戦場で、幾度かその今川の気鋒を叩きに叩きつぶしていた。そして織田の将士に、強い敵愾心と多年の訓練とを、骨髄にまで、植えこんでおいてくれたものである。
その遺産があったればこそ、田楽狭間の一挙も、あの功を奏したのである。いかに、自己の死を決し、また兵に向って、死ねやとさけんでも、主君として立ってまだ徳の浅い、月日も短い、自身だけの手飼に過ぎない兵と、伝統のない織田家であったら、どうして、あの大捷を博すことが出来得たろうか。
戦い終って後。勝っての後。信長はひとり静かにそう思うことがしばしばであったし、今また、義輝将軍から、計らずも父の遺徳をうわさされたので、こうして義輝が会ってくれたのも、その徳の一つと、沁々、今さら有難さを覚えたことであった。
四方山のはなしの末に、
「こたびは、ほんの微行の上洛。それに尾張の田舎者、何ひとつ、都人のお目に珍しき国産とてもござりませぬが」
と、手土産の目録を献じ、やがて信長は、暇をつげて、退りかけた。
すると、義輝将軍は、
「待つがよい」
と、信長をひき止めて、程なく黄昏れともなろうから、食事をしてゆくがよいと云い、席を饗応の間へ移した。そして、酒を賜うことになった。
東山義政の数奇と風雅をこらした苑があった。紫陽花色の夕闇に、灯に濡れた苔の露が光っていた。どんな席に置かれても、眼上の前でも、至って窮屈がらない質の信長は、眼八分に持ってくる銚子にも、小笠原流の料理、故実のやかましい膳部も、極めてこだわりのない姿で、
「御一献」
と、注がれれば、
「は」
と、素直に受け、
「お箸を」
と、すすめられれば、
「頂戴申す」
と、辞儀して、みな喰べた。
客の食慾をめずらしがるように、義輝将軍はながめていた。
善美や儀式に飽いた将軍家は、信長の喰べるのを見て、年も若いし、田舎者には、都の物が、何を喰べても美味なのであろうと、せめて、そう思うことで、矜を持していた。
「信長」
「は」
「どうじゃの、館の庖丁は」
「結構でした」
「美味か」
「ただ、われら武骨の者には、どのお料理も、塩味がうすうて、かかる味ないお料理は、信長、めずらしく戴きました」
「ははは。むりもない。そちは茶はたしなまぬか」
「飲むすべは、湯の如く、幼きより弁えておりますが、大人のあそぶ茶とやらの道は、不躾みでござります」
「苑を見たか」
「拝見いたしました」
「どう思う」
「小さいと存じました」
「小さい?」
「きれいではありますが、信長の田舎清洲の丘の眺めから較べますと」
「そちには何もわからぬとみゆる。ははは、生もの知りより、あどけのうてかえってよい。したが、そちの躾みとするは何ぞ」
「弓矢。それ以外に、何の弁えもござりませぬ。そのかわり事しあれば、尾張より美濃近江路の敵地もこえて、三日のうちには御所の御垣までいつなと馳せ参ずるが信長の能事にござります。──諸国乱麻、王城の地とて、いつなん時の変あろうも測られませぬ。信長あることを、お覚えおき下さればありがとうぞんじます」
莞爾としていった。
義輝は、見つけない人間と、聞きつけない言葉とに接したようにその笑靨を、見まもっていた。
本来ならば。
その乱世に乗じて、将軍家が前に地方の守護職に任命してある斯波家を亡ぼして、無断、その国主の位置にとって代っている信長である。将軍家の権威として、
「豎子! 何者」
と、これを問注所の白洲へ蹴落しても、当然であっていいのである。
だが、寄りつく大名とて近頃はなく、孤帳寂寞の感にたえなかった将軍家は、むしろ信長の来訪に、無聊をなぐさめられて、なおもはなしたい容子であった。
はなしのうちに、官職や位階でも欲しい意味を仄めかすのかと思えば、それもなく、信長はやがて爽やかに御館を退出した。
京都での滞留は、およそ三十日ばかりで、信長は、
「帰る」
と、触れ出した。
帰るとなると、それも急で、
「明日」
と、気がはやいのである。
山伏、田舎侍などに姿を変えて、分宿していた侍臣たちは、忙しく旅立ちの用意にかかったが、その夜、国元の尾張から使いが来ての書状に、
清洲御立の後、風説頻りと行われおり候、御帰国の方途わけて御細心に、路上の変異くれぐれおん備被遊べく候
御侍側
とあった。
伊賀伊勢路へ出て帰るも、江州から美濃を越えて帰るにしても、敵国また敵国である。
伊勢には、宿年の敵、北畠家があり、美濃には、斎藤。そのほか、一尺の地でも、敵地を踏まずに帰れないことはいうまでもない。
「どう道を選んだが御無事であろうか。いっそ、船路の便ということも考えられるが」
信長の滞在している土豪の家に集まって、その夜家臣たちは、額をあつめて凝議したが、なかなかはなしは纒まらなかった。
すると、池田勝三郎。
信長の居間にあてられている奥のほうからずかずか出て来て、
「御一同、まだ寝ないのか」
と、そこを覗いた。
怪しからぬことを、といわんばかりな顔をして、一名がいった。
「大事なことを評議しておるのに、まだ寝ないのかとは、無礼なおことば」
「御評議中か、それは知らなかった。いったい何の御相談事か」
「殿のお側にありながら、暢気なことをいわれるものかな。宵に着いた飛脚の書状、ご存じないか」
「伺った」
「帰途、万一の変でもあっては一大事。いずれの道からお帰国あったがよいか、それについて、心を砕いておるところだ」
「はははは。いやそのご心配ならご無用。殿にはもう決めておられる」
「え、お決めになっておられると」
「上洛の折は、ちと人数が多すぎて、かえって人目立つ心地がする。帰国の際は、ほんの四、五名がよい。家来どもは家来どもで、ちりぢりに、好きな道を選んで帰れと、そのおつもりでいらっしゃる」
唖然として、一同は、そのままとにかく朝を待った。
朝もまだ仄ぐらいうち、信長はもう支度して洛外を立っていた。池田勝三郎のことばに違わず、山伏姿やその他の家臣二、三十名は後に残して、
「随意、帰国せよ」
と、いって別れてしまった。
附き従う者は、わずかに四人であった。勝三郎はもちろんその中にいたが、最も光栄に感じたのは、木下藤吉郎で、彼もその中に選ばれていた。
「余りのお身軽」
「よいかしら?」
なお、不安にたえない残りの家臣組は、大津あたりまで、見えかくれに信長の姿を守護して行ったが、そののち駅路の馬を雇って、信長たちは、さも気やすげに、瀬田の大橋を東へ去った。
関所の木戸も、幾つかあったが、難なく越えた。信長は、三好長慶から乞いうけた「管領家家人、東国ヘ下ル者」とある往来手形を、木戸へかかるたび、所領の役人へ出して示した。
片田舎の草屋でも、近ごろは茶をたしなむ風がさかんであった。
余りに動流の激しい、そして血なまぐさい世の中なので、その半面の「静」を求め、血ぐさい一瞬を離れて、寂の中に、息をつこうという人々の声なき求めといえるであろう。
元々これは、東山殿の贅美と退屈の果てから生れた貴族趣味のものだったのが、いつのまにか、その東山殿の足利文化を、過去の殻として、次の生々と伸びかけている草民のうちへ、極めて、平民的に、また生活に即して、日常に愛され行われるような傾向になりかけていた。
「動」の生活に対する「静」の一瞬として、この雅境を最も愛し始めたのが、怖ろしく一面に破壊的な、また血なまぐさい日常を持つ武人であり、それを見、草屋の廂の下にまで、平民化して来たのは、近頃、専らそれを業として、一流一派を称しだした茶宗の流れを汲む各地の小茶人達であった。
誰に習んだか、寧子も、その茶をひととおりはやる。
喫むのは好きな父の又右衛門があるので、独り稽古のそら箏を、垣の外ゆく人へいたずらに聴かすのとはちがって、茶をたてるにも、張合いはあるし、それに、朝のしずかな生活と、父娘の和やかなほほ笑みは、瀬戸黒の茶わんにたたえた緑の泡の湯加減から始まるといってよいほど、これは遊戯ではなく、生活の中にはいっているものであった。
「めっきり、庭草が露ぽくなったのう。菊のつぼみは、まだ固いが」
ぬれ縁から、十坪ばかりの囲いをながめて、又右衛門は、つぶやいていた。
「…………」
返辞のないのは、炉の前に、寧子の手が折ふし茶柄杓にかかっていたからである。沸きたぎる釜の湯から酌み出されたそれが、茶わんのうちへ、とうとうと、泉の口でも落したように、部屋の寂寞を快くやぶって注がれると、彼女は、にこと横を向いて、
「いいえもう、表の坪の菊は、二、三輪ほど、よい香を放っておりまする」
「そうか、咲いたか。……今朝も箒を持って掃いたに、気がつかなんだ。花も、武骨者の軒に咲いては、情なしよと、無情かろうな」
「…………」
茶筅のかろい迅い音が、寧子の指さきからササササと掻き立てられている。──が、なぜなのか、又右衛門のことばと共に、彼女の顔には、さっと紅い羞恥らいがさして見えた。
そんなことに、気のつく又右衛門ではない。茶わんを寄せる。押しいただく、飲む──。アアいい朝だといった顔つきである。
だが、ふと、
(娘を、他家へやったら、もうこの茶ものめぬ……)
冬来れば冬枯れる、庭面の移りなど想いながら、ふとそんなことも考えたりしていた。
「ごめん遊ばせ。……」
小襖の外。
「こひか」
妻の顔を見ると、又右衛門は、寧子へ、茶わんを戻して、
「母へも、一ぷく、たてて与えよ」
「いえ。お後で」
見ると、こひは、状筥を持っていた。今、玄関に使いが見えておりますというのである。状筥を膝へ取って、蓋を払うと、
「はてな」
又右衛門は、いぶかしい顔した。
「──殿のお従兄弟様。名古屋因幡守様からのこれは御書面。何事やらん」
にわかに立って、口を漱ぎ、手を浄めて来て、状を拝し直した。主君の御一族とあれば、手紙といえども、その人の前にあるのと同じ礼儀を執るのであった。
その状を読み終ると、又右衛門は妻の顔を見て、
「お使いは、お待ちになっておられるのか」
「はい。けれど御返辞は、御口上でもおよろしいとのこと」
「いやいや、失礼にあたる。ちょっと、硯を」
「はい」
料紙へ、一筆して、又右衛門はすぐ、使いへ戻した。
妻のこひは、手紙の内容が気にかかった。主君の信長の従兄弟にあたる名古屋因幡守から、この末臣の家へ、直々に状を持たせて使いをよこすなどは極めて稀れなことである。
「何の御用であろうな」
それは、又右衛門にも、解せぬらしい。といって、手紙の内容は、至って悠閑な消息に過ぎない。内密の用事でとか、折入ってとかいう言葉は見えなかった。
自分はきょうは一日、堀川添いの閑居へ来て終日読書している。自分の栽った菊がこの好日の下に清香を放っているが訪う人もないのを嘆じている。あなたの御都合はどうか。もしお暇だったら柴門を叩いてくれ。
──これだけの文字に過ぎないのである。けれどこれだけの用事であるはずはない。又右衛門が特に茶にたしなみが深いとか、殊勝な読書子であるとか、風雅に取柄のある漢とかいうのなら知らぬこと、わが家の門に咲いた菊さえ気がつかない。弓の塵ならすぐ目にもつけるが、菊の花などは踏んで通ってしまいそうな人なのである。
「とにかく、参ってみよう。こひ、衣装を出せ」
又右衛門は、起つ。こひと、寧子は、又右衛門の左右から、衣紋よ、袴腰よと、手を添えた。
「行ってくるぞ」
明るい秋の陽の下に立って、又右衛門はいちど我が家を振り向いた。寧子とこひが、揃って、門まで出て、見送っていてくれる。彼の心は珍しく泰平を味わった。乱世の中にもたまたまこんな日がある。にこと笑う。寧子やこひも、にこと笑う。すたすたと彼はもう大股に背を見せて歩いてゆく。弓之衆の同僚の庭や窓から、やあと声をかける人がいる。やあと挨拶して通る。
相かわらず何処のやしきも貧乏と質素な景色である。しかし、織田の御家中はみなかくの如く息災だと、又右衛門はひとり祝福して眺めてゆく。貧乏と質素につきものの子沢山は、弓之衆の組長屋にも沢山いて、屋敷屋敷の垣ごしには、襁褓の干してあるのがひどく眼につく。又右衛門自身が実子を持たぬせいもあろう。ひとりの姪を娘として育てて来たのが、ようやく妙齢となったので、
「やがて、自分の家にも、あのような孫の襁褓が」
と、自然考えられて来る。──それは又右衛門にとって、余り感心したことでなかった。やがて孫から、おじいちゃまなどと呼ばれる日を想像するのは、楽しくなかった。まだそうなるには心外なような自分を足腰に残しているつもりなのだ。つい先頃の田楽狭間でも、人におくれはとらぬつもりで働いたが、
「この先とても」
と、戦場の馳駆を、また、武功帳の筆頭にもなろうことを、決してあきらめてはいないのであった。
「……お、いつのまにやら」
城下町の堀川添いに、彼は、これから訪れようとする人の閑雅な別業を見て立った。それは以前、小さい寺であったのを、信長の従兄弟因幡守が、別宅に造り直した家だった。
玄関に備えてある撞木をもって訪鐘をつく。取次があらわれる。誘われて通ると、名古屋因幡守は、又右衛門の早速の来訪に、斜めならぬ機げんである。よう来てくれた。ことしも戦乱の中だが、菊も栽った。後で、菊畑へ出て見てもらおう──などと隔意もないもてなしである。
だが、主筋の人なので、
「はい。はい」
と、又右衛門は、席を遠くにし、辞を低くしないわけにはゆかない。
それと、何の御用か? が、胸のどこかで、気がかりを持っている。
「又右。もそッと、寛いだがよい。敷物も取るがよい」
「はい」
「ここからも菊が眺められよう。菊を見るは、花を見るのでなく、丹精をながめるのじゃ。人に見せるは、人に誇るにあらで、歓びを分って、人の歓びを歓ぼうとするのじゃ。こういう好日の下に、菊の香を嗅ぐのも、君恩の一つであるな」
「寔に」
「よい御主君を持ったことを、われわれはこの頃、痛切に思うようになった。桶狭間の折に仰いだ信長様のおすがたは、終生、われらの眼底から消えまいと思う」
「畏れながら、あの日のおん姿ばかりは、お人とは思われませなんだ。武神の権化かと思われました」
「しかし、お身らわしらも、共にようやったな。そちは弓之衆じゃが、いずれもあの日は、槍隊となったな」
「御意にござります」
「今川が本陣へかかったか」
「すんでに、彼の丘へ、なだれ打って寄りました折は、敵とも味方ともわからぬ乱れの中で、首取ッた、駿河殿打ッたと、わめき声が聞かれました。後で伺えば、毛利新助どので在したそうな」
「そちの組のうちに、木下藤吉郎という者がおったか」
「おりました」
「前田犬千代は」
「御勘気をうけていた身、御陣借をゆるされて、勝手働きした由でございますが、戦場でも戻ってからも、まだ見かけませぬが、御帰参はかないましたか」
「かのうた。──そちはまだ知るまいが、つい先頃、殿のお供して、京都へ上洛り、無事帰城して、御城内に勤めている」
「京都へ。殿もお上洛りとはいかがなわけでございますか」
「今となっては、申してもさしつかえないが、わずか三、四十の者をお供に召され、御自身も東国侍の何げない熊野詣と装われて、およそ四十日余りも、お留守であったのじゃ。──家中にもすべてその間は御在城のていにしておいたが」
「ははあ」
又右衛門は、驚いた顔した。こういう驚きを、後で知った家中は皆、同じように喫し合ったことであった。
「起たぬか。自身、菊畑へ案内してつかわそう」
促して、因幡守は、縁へすすんだ。沓石に新しい草履を見た。又右衛門は侍くが如く因幡守の後について庭へ出た。菊の栽り方について、因幡守はいろいろな苦心を話した。嫩葉から花を見るまでにするには、風雨の朝夕、子を育てるような細心の注意と愛がなければ、などともいって、
「そちにも、寧子とやらいう愛娘があるそうじゃが、子どもは一人か」
と、訊ねた。
そして、縁へ歩みを移し、また席へ戻ってから、時に嫁につかわす気はあるかないか。ひとり娘とすれば、他家へはやれまいが、聟をとるつもりかなどと、だいぶ話は立ち入って来た。
ははあ、さては用談の内意は、寧子の縁談についてのことであったかと、又右衛門は察して来たが、それにしても主筋のお方からお声があろうとは、思いもうけないことでもあるし、冥加にすぎた面目とも思うのだった。
「おたずねの娘寧子は、実は自分たち夫婦の生した子ではございませぬ。養女なのでござります。生みの親は播州龍野から御当領の愛知朝日村に移り住んでおりまする木下七郎兵衛家利が娘で、一男二女の三人の子の、うちの一女をもらいうけて育てあげたのでござります。木下七郎兵衛が祖先は、平相国の孫維盛より出で、杉原伯耆守が十代の末孫、血すじも正しい者にござります」
親ごころは、つつんでもつつみきれない歓びをすぐ現わして、縷述するのであった。
因幡守は、うなずいて、
「血すじもさることながら、何よりは心ばえのよい娘じゃそうな。よく噂を聞く」
「おそれいりまする」
「──では、どうしても家名はつがせねばならぬの」
「御意にござりまする」
「その聟を、因幡が世話いたそうと思うが、どうじゃな」
「……は」
又右衛門は、身を折るように、額をつけた。何か、ためらいがあった。この問題にさし迫ると、今なお、考え出されたり処置に迷うものがあったからである。
因幡守は、そのためらいも眼にないように、独りのみこみ顔していった。
「よい聟がひとりある。わしにまかせい。悪いようには取り計らわぬが」
「勿体ない。冥加なおことば添え、帰宅のうえ篤と家内どもにも、ありがたい御意をつたえまして」
「相談するがよい。儂が世話しようという聟どのは、ふしぎや寧子が生家とも同苗の木下藤吉郎。そちもよう見知ってる男じゃが」
「えッ……」
又右衛門は、思わずそういってしまった。ぶしつけなと、直ぐ自分の驚き声をたしなめたが、意外とせざるを得なかった。
「返辞を待つぞ」
「はい。いずれ……」
と、だけで、又右衛門はその日は暇をつげて出た。──どうしてとか、どういうわけでとか、問いたさは山々だったが、主筋の人だけに、根ほり葉ほりもできなかった。
帰ってくると、彼の妻は、待ちわびていた。又右衛門からはなしを聞くと、妻のこひは、又右衛門が即答せずに帰って来たのを、むしろ難じるように、
「おうけなされませ。よいおはなしかと私もぞんじまする。縁事には総じて時というものがありますし、こうまでに、藤吉郎どののおはなしが重なるのは、よくよく宿世からの縁も浅からぬことと思われまする。主筋のお声がかりゆえ、よんどころなく遣わさねばなどとお考えあそばさずに、その主筋のお方すら、仲に立って口をおきき遊ばす程、藤吉郎どのには、どこか見所があるのでございます。……あしたにもどうぞご返辞を先様へなされますように」
「だが、寧子の胸も、一応訊いてみねばなるまいが」
「それはいつか彼娘が申したではございませんか」
「ム。……じゃがあの折のとおりな気もちで、今もいるのか」
「あまり口はきかぬ寧子でござりますが、こうと思いさだめたことは、なかなか変える娘ではございません」
「…………」
又右衛門の父性的な取りこし苦労は、ひとりですもうを取って、ひとりで投げすてられたような手もち無沙汰をおぼえた。
ここのところ、とんと顔も見せないので、先も忘れぎみかと思っていた藤吉郎のすがたが、ふたたび家庭の中に、又右衛門夫婦や寧子の胸に、眼の前の人として、大きくうかび出して来た。
翌る日、又右衛門はさっそくに、名古屋因幡守のほうへ、返辞に出向いたらしかった。
帰ってくる早々、
「いや、わからぬもの、案外なおはなしの筋じゃった」
と、妻にいう。妻は、良人の顔いろで、すぐ外のことを知った。都合よくはなしが運び、良人の胸も解けて、寧子の問題に、明るい光がさして来たことを、共に笑顔へあらわした。
「きょうはの、思いきって、どうして因幡守様が、寧子の聟ばなしになど、お口添えあそばすか、そこを、お主筋のお方で、寔に伺い難かったが、──お糺し申してみたところ、何と、前田犬千代から頼みがあって、では、口をきいて遣わそうということになったのじゃそうな」
「え。犬千代どのから、因幡守様へ──。寧子と藤吉郎どのとを媒わせてと、お頼みなされたというのでござりますか」
「何でも先頃、殿様がお微行で京へ上られた道中で、はなしのあったことらしい。──で、信長様のお耳にも、ちらと、入ったのではあるまいかと思う」
「ま。……勿体ない」
「寔に、畏れ多いことだ。旅の徒然などのひまに、犬千代、藤吉郎などが、君前において、あけすけに寧子のことどもをお物語いたしたらしい。その果てに、然らば、因幡が仲立ちして、藤吉郎が望みをかなえてとらせよ、とお声があったものと察しられる」
「では、犬千代どのも、ご承知のうえで」
「その犬千代が、その後も、因幡守様の許へみえて、ぜひお骨折りをと頼んだということゆえ、もうその方の憂いはさらさらない」
「それでは、きょうは因幡守様に、はっきりお答えしておいでられましたか」
「む。何分、おねがい申しますると、いうてもどった」
又右衛門は、これで内々の心配が、からりと霽れたように、胸をそらした。妻のこひも、
「ご安心でございましょうが」
と、良人の歓びを共によろこんだ。
すこし離れた板屋の小間では、寧子がきょうも針を運んでいた。祖母の代からあるという小袖なども引き出して、古糸を抜いて鞠に溜め、布は一きれ一きれ張り物にかけて、ふだんの台所着に縫い直しなどしているのだった。
時折には、独り閉じて、箏をかき鳴らしていることもあった。その古箏も絃も久しいので、
「買ってやらねば」
と、又右衛門は、音を聞くたびに呟いたが、まだまだもう一戦して、名だたる敵の首でも挙げなければ、新しい箏も娘に求めてはやれない家計だった。
しかし、聟が来る。又右衛門も、こひも、そうきまると、何となく心せわしい。
もっとも貧しいながらも、その用意はしているけれど、いったいどんなことにしたものか。
年はこえて、永禄四年。
戦雲のけわしさは依然たる中である。この一家庭のために、世の中は停止していない。
はなしは途中でまたおくれて、夏となり秋八月となった。
すっかりきまると、聟の君は、いたちの道を切ったように、絶えて姿も見せなかったが、いよいよ八月の三日という吉日、浅野家の長屋に、華燭の典は挙げられることになった。
「はて。せわしない」
藤吉郎はつぶやいてみた。悪い忙しさでないからである。
そのくせ忙しいのは、若党のごんぞや下婢や手伝いに来ている人々であって、彼自身は漫然と今朝から家の内や外をぶらぶらしているに過ぎないのである。
「きょうは八月三日だな」
分りきったことを何度も胸の中でただしてみる。時々、押入を開けてみたり、褥に落着いてみたりするが、どうも落着かないし、何も手につかないのであった。
「寧子と婚礼する。おれが聟入りする。いよいよ今夜のことになったが、何だか、急にまがわるいぞ」
祝言のことが知れてから、彼にも似あわず、家の召使たちにも、ひどくこの頃はてれていた藤吉郎であった。聞き伝えて、近所の細君や同役の誰彼が祝い物など持って来ての応対などにも、
「いや、もうその……ほんの内輪の祝言でござって。……まだまだ家内など持つのも、ちと早いと存じてはいたが、どうも、先もいそぐので、止むをえず」
などと顔を赤らめながら、いうことは自分の沽券のいいようなことをいっていた。
前田犬千代に譲らせたり、その犬千代から主筋の名古屋因幡守をうごかしたり、躍起となって、遂に思いを実現させたことなどは、誰も知らないので、
「聞けば、因幡守様のお声がかりだそうな。それにあの浅野又右衛門どのが、聟にとゆるすからには、やはりあの猿どのには、どこか見どころがあるものとみえる」
と、同役はじめ上下の評判は、この婚礼についても、藤吉郎に箔をつけたものにこそなれ、悪い声は生まなかった。
だが藤吉郎は、そんな衆口のよしあしなどはどうでもよい。彼としてはまず第一に中村の母へこの由を報じてやった。自分で飛んで行って云々とつもる話と共に嫁の素姓や人がらなどについてもくわしく告げたかったが、一かどの者となるまでは、母も中村で過そう、そなたも母に心をとられず、お主大事に仕えよといわれているので、
「まだ、まだ」
と、逸る会いたさを抑えて、こんどのことも手紙でばかり消息していた。
母からもしばしば使いが来た。いつの手紙でも使いのはなしでも、その欣びようといってはない容子が会わないでもよく分るのであった。わけて藤吉郎の心をやや慰めたものは、追々と藤吉郎の出仕ぶりが村にも知れ、またこんどは然るべき武家の娘と結婚し、しかもそのお媒人が信長様のお従兄弟にあたる人と聞えたので、村中の者の見る眼が、藤吉郎の母や姉に対してもすっかり変って来たという事実であった。側にいて母に孝養もできない彼には、せめてもの安心であり、またいささか無言のうちに郷里へ示す誇りをも覚えたことであった。
「旦那さま。お髪を上げておきましょう」
ごんぞは、櫛筥を持ち出して、彼のうしろに坐った。
「や。髪も結うのか」
「こよいは、聟の君。そのお髪ではなりますまい」
「ざっとでいい」
鏡蓋をあけて立てる。
藤吉郎は、鏡に向って、真面目な顔していた。なかなかざっとでいいこともないらしい。自分でも笄を持ち、しきりと鬢をなでたり、根を上げよとか下げよとかやかましい。
髪がすむと、庭へ出た。厨では近所の細君と下婢たちが、行水の湯をわかしている。門のほうにはまた、祝いの辞をのべに来る客の声に、ごんぞが慌てて駈け出してゆく。
「ああ、日暮もまぢかい」
白い夕星がもう桐畑の梢に見えはじめている。聟の君も、この夕は、多感であった。
今の彼は、大きな歓びの中にあった。大きな歓びに会うたびに、彼は中村の母が思い出された。そして、その歓びを共にすることのできない今を寂しく思った。
「慾をいえば限りがない。世には母の亡い人すらあるに」
独り彼はなぐさめた。別れてこそいるが、母はまだ石となっている人ではない。また、こうして別れているのも、母の心は自分をして御奉公に専念させ、自分の考えも後日の大を誓っているからである。お互いに、
──もうこれなら。
という日を待って迎えもしよう、母も息子の許へ来よう、という楽しい希望のためにであった。
「俺は倖せ者だ」
沁々、今も思う。幼い時からどんな逆境に泣かされた日でも、自分は不倖せだという考えは持った例のない藤吉郎であるが、きょうはわけても深くそれを思った。よく世間の不遇な人々の中に聞くのは、なぜ人間に生れたろうとか、こんな厭わしい世はないとか、自分ほど不倖せな生れつきはないとか──何でも人間は皆、自分ほど不運で不幸な者はないと思っているものらしいが、藤吉郎は、まだかつて、世の中を、また人生を、そう観て嘆いたおぼえがない。
逆境の日も楽しかった。それを乗りこえて、逆境を後に見返した時はなお愉快だった。
彼はまだ二十六である。自分でも、前途の多難は覚悟しているが、これから先とても、ぶつけて来る困難にベソをかく日があろうとは思わない。どんな濤でものりこえて見せようという覚悟が、強いて覚悟と意識しないでも肚にすわっている。そこに洋々たる楽しさが前途に眺められた。波瀾があればあるほど、この世はおもしろく観じられるのであった。
けれど彼は、
(われこそ天下の何にならん)
とか、
(武士と生れたからには百世に名をのこし、生ける間には一国一城の主とも)
などと、よく城内の若人たちが寄るとさわると、衣の袖をたぐしあげて傲語するような大言壮語はしたことがなかった。実際にまた考えてもいなかった。
彼のねがいは、人並に人たろうとすることであった。彼の誓いはいつも現在の職分に忠実に、草履取となれば草履取になりきり、お台所方に勤めればお台所用人になり切り、お厩士となればお厩者になり切って、その職責を全うするほか他意のないことであった。
その代り彼は、何を勤めても、なくてならない人間になっていた。ずいぶん誹謗もされ、あぶない奸計にもかかりやすい彼であったが、いよいよとなるとやはり、
(なくてならない彼)
であるその根を、今は清洲の重臣でも、容易く抜き捨てることができなかった。それにまた信長が、近頃は彼の才幹を認めだして来ているので、彼の位置は、何といっても相変らず低いものだったが、そういう方の憂いはまずなく、安心して御奉公に尽し得られるという今日の礎はできていた。
──だからこの折に、寧子との結婚を機に、中村の里から母を迎えてもよいのであるが、浅野家のほうでは、嫁にはやれぬ娘とのことで、その結果、入聟というので話はできているのである。その点からも、今はまだ母を呼び迎える時期ではなかった。
それに、祖先はとにかく、母は百姓である。その母をしていじらしい気がね遠慮や恥はかかせたくない。藤吉郎は、そんなことも思ったりして、
「もう一、二年のうちには」
と、ひとり呟きながら、行水の湯盥に浸って、こよいは特別丹念に、黒い襟首など洗っていた。
行水を浴び、浴衣になって家の内へもどってみると、もう家じゅうは人でいっぱいの混雑である。自分の家か他人の家かわからない。何を忙しがっているのか、あれよこれよと、座敷も台所もひとつに眼を廻している。藤吉郎はしばし部屋の隅で蚊を追いながら、他人事のように傍観していた。
「聟さまの、懐紙や持物は、みなお衣裳のうえに添えて置きなされや」
「添えておきました。お扇子も、印籠も」
かん高い声でいいつける。合点する。駈けまわる。
どこの女房か。
どこのお内儀か。
どこの主人か。
そう深い縁者でもないのが、みな親類以上、親身になって働いてくれる。お聟さま、お聟さまの声で、家も外も、持ちきっているのである。
「あ……お城普請の折の大工棟梁あばたも手伝いに見えておるな。左官の女房もやって来ておる。……炭薪奉行の頃から親しい、山の者も村の者も。……何ぞといえば忘れずに皆」
隅でぽつねんと蚊を追っていた聟の君は、そうした人々の顔を思い出して、心のそこから欣しく思っていた。
聟入り、嫁娶りの故実にやかましい老人も中にはいて、
「聟どのの草履がすり切れておるではないか。古草履ではならぬ。新しい草履を召されて、嫁どのの家に着くと、先様の仕女が、すぐそれを取って奥へ持ってゆく。そしてこよいは、嫁方の舅御どのが、その草履の片方ずつを抱いてお寝やるのが古からの仕きたりじゃ。聟どのの足をこうして留めまするという足留めの式でな」
また、ひとりの老婆は、
「松明のほかに、脂燭の用意もしてありましょうな。裸火にしては持ち歩けぬゆえ、消えぬよう、明りに紙覆をかけて、嫁君のお家まで持ってゆく。そして、あちらにも脂燭の御用意がしてあるはずゆえ、御挨拶といっしょに、その灯を、あちらの物に移し、三日三晩は、消えぬよう、神棚にあかあかとぼしておくのでござりますぞ──おわかりかの。誰かよう、聟どのに従いて行く衆が覚えておいて下さらぬとなりませぬが」
と、わが子を聟にでもやるように親切である。気をもんでくれる。ただ世話ずきとのみは片づけられない。藤吉郎は、母こそ側にいなかったが、母が側にいてくれる程、何もかも任していられた。
そのうちに、表のほうで、
「お使いじゃ。嫁御から聟どのへ、お式日の文初めのお使いじゃ」
と、鄭重のうちにもどやどやして、やがて蒔絵の文筥の房長なのを恐々持った近所の内儀が、
「おや、そういえば、聟どのは一体どこにお在でなされてじゃ。まだ行水をつこうておいでかの」
藤吉郎は、縁の端から、
「これにおります。これにおります」
「ま。そんな所に」
と、文筥を恭しく出して、
「嫁御様からの、文初めでござります。お武家のことゆえ、古いお式も、堅く遊ばすものとみえます。聟君からも、何ぞ一筆、書いてお返しなさるのが、お作法でござりますゆえ、一筆、お認めなされませ」
「何と書くのでござりますか」
「ほ、ほ、ほ」
内儀は、笑うのみで、教えてもくれない。そしてただ料紙と硯筥とを藤吉郎の前へ持って来た。
文通いとか文初めとかいう式は、古い平安頃からの聟取りの慣わしらしいが、近頃は戦乱多事な世でもあり、もしまた、聟君が悪筆なために、当惑させてはなるまいという例もしばしばあって、今はめったに行われない儀式なのである。
だが、足利義満将軍の頃に、武家の婚礼儀式はかなり作法やかましく定められたことがあって、それが風習となって今でも家柄の古い武人は、どことなく真似事でもしなければ気のすまない風がある。
聟どののほうは、何もそういうことは頓着ないほうであるし、
(体さえ持ってゆけば)
と、簡単に考えていたが、先の浅野又右衛門夫婦は、それではすまないのであろう、型のごとく文初めの使いをよこしたわけである。
「さ。なんと書いて遣ろう」
藤吉郎は筆を持って当惑した。
文事に深く身を入れたということもないが、村の寺小僧にやられているうち、また、茶わん屋に奉公中にも手習いだけは人並にしているので、そう人前に出せない悪筆とも自身卑下はしていない。
ただ文言に困ったのである。
そこで彼はこう書いた。
よろしき夜にて候
聟どのも、ほどなくまいり語らうべく
書いて、それを持って、
「お内儀、お内儀」
硯筥を取ってくれた近所の細君へ示してたずねた。
「これでいいんでしょうか」
細君はおかしがって、
「いいでしょ。多分」
「あなただって、今の御主人からもらったことがあるんでしょ。覚えていませんか、その時の文句を」
「わすれましたね」
「はははは。当人が忘れるようじゃあ、大したことではありませんな」
文使いが帰る。餅が搗けたという。立ち振舞に、餅をたべる者と酒を酌む者とが、一つ座にあつまって、聟どのを祝ぎ囃したりする。
荷駄馬に、青い布や赤い布を飾って、その背に、当夜の餅を載せて、手紙と共に、中村の母へ持たせてやると、
「さ。お支度を」
と、聟どのは、これから婚家へ着てゆく晴れの麻裃だの袴だの、扇子だのを突きつけられた。
「はい、はい」
何事も、手伝いの女まかせに着せてもらう。
それを着終る頃。
空に新秋八月の宵月がちらとさし、軒ばには、門立ちの松明があかあかといぶされていた。
曳馬一頭、槍二本。その後から、聟どのは、新しい草履で、てくてく歩いた。
先には、二、三人が松明を持ってあるいてゆくのである。貝桶だの、屏風箱だの、唐櫃だのという華やかな祝言の荷は何もないが、鎧櫃一つに衣裳箱ひとつは担わせている。足軽三十人持ちの当時の侍が聟立ちとして、何の負目もないものであった。
負目どころか、藤吉郎自身はひそかな誇りをすら抱いていたであろう。こうしてこよい世話してくれる者や供についてくれた者はみな、縁者でもなければ頼んでつれて来た者でもない。すすんで自分のことのように、こよいの婚礼を歓んだり案じてくれる人々であった。
婚家の座敷に積んでみせる贅沢な荷もつはないが、彼の身はこういう人望を負って行った。
弓之衆の長屋はこよい門ごとにあかあか明りがうごいていた。浅野又右衛門の家一軒の祝い事のために皆、門をひらいているのである。門辺にかがりを焚いている家もあるし、紙燭を持ってわざわざやがて通るであろう聟どのの到着を、婚家と共に、待ち久しげに佇んでいる人々もある。
子を抱いたり、手をひいたり、近所の顔が、近所の火明りに、なんとなく華やいでいた。
そのうちに、彼方の辻から、童たちが駈けて来て、
「来たよ、来たよ」
「お聟さまが見えたよ」
童たちの母親は、子の名を呼んで、静かに、とたしなめて側へ寄せていた。宵月の光が淡く往来に濡れていた。童たちの先触れが露払いとなって、それからは誰も往来をよぎらないことにして、いと静粛にひそまり返っていた。
辻が赤く染まった。
二本の松明が曲って来る。
その後から、聟殿は歩いて来た。曳馬の飾りには、鈴がついているとみえ、松虫の啼く音のようにりんりんと揺れてくる。具足櫃、二本の槍、誰彼と、四、五名の供も来る。このお長屋としてそう見苦しい程でもない。
わけて聟の君の藤吉郎は、至極神妙のていに見えた。小兵ではあるが着飾らない程に身なりも整っておるし、一部でひどく悪口いうほど不縹緻でもないし、才気を鼻にかける男とも見えない。
その夜、長屋垣や門辺に佇んで、眼の前に通るのを見た人たちに、聟殿の人物をどう見たかを正直に問い糺してみたとすれば、一様にみなこういったろうと思われる。
「あたり前なお人や。あれなら寧子さんの聟どのとしたところで、そうおかしいほどでもないがの」
女房たちの評も、その辺が代表的なものであったし、近所住いの侍仲間でも、
「当りまえな人物」
と、いうに一致していた。要するに、男ぶりも見ッともない程ではないが、優れて立派でもないし、人物としても将来そう破格な出世もしまいが、弓之衆の家へ来る聟どのとして不足をいう程でもない──と、いうところが衆評であった。
「お着きなされました」
「聟どののお入り」
「めでとうお迎え申しまする」
又右衛門の家の門辺には、待ちもうけていた縁者や家族たちが、藤吉郎のすがたを迎えて、一頻り揺れる明りに華やいだ。聟どのの家から大事に消えぬように持って来た脂燭の灯を、すぐ婚家の婢が、その家の脂燭に移し灯して、奥へかけこんでゆく。
供と供のあいだに、門挨拶が交わされる。聟の君は、何もいわず、玄関へかかって上がる。沓取人の下婢が、その草履をすぐ取って、これも婚家の奥へ大事そうに運んで行った。
「どうぞ」と、聟どのはただ一人、べつの一室に案内された。ここでしばらく待っているものらしい。藤吉郎はぽつねんと坐っていた。狭い家である。六間か七間であった。ふすまのすぐ隣で手伝い人たちのがやがやが手に取るように聞える。狭い中庭のすぐ向うが台所の水屋なので、そこにも茶わんを洗う音や煮もののにおいが間近だった。
お媒人たる名古屋因幡守は主筋であり大身に過ぎるので、こちらから辞退して、御家臣の某が夫妻で、今夜は手伝いがてら見えているらしい。藤吉郎は、往来を通って来るうちは左程でもなかったが、ここへ坐ると急に自分の動悸が耳について、しきりと口ばかり渇いてきた。
聟の君は置き忘れられたように、いつまでもそこの一間にぽつねんと坐っていた。しかし彼は、行儀をくずすわけにもゆかないので、誰が見ていなくても、威儀端然と正していた。
「…………」
幸いなことに、藤吉郎はむかしから退屈ということを知らない質だった。もとよりこれから華燭の下に、花嫁とまみえる身の聟殿として、退屈など覚えるわけもないが、それにしても彼は、いつのまにやら、その聟の身であることは忘れて、あらぬ空想に、その久しい間を、独りなぐさめていた。
彼の空想は今、途方もないところへ飛んでいた。それは三州岡崎城であった。岡崎城の向背がどう傾くか? これがこの頃の彼の頭脳にあるいちばんの興味であった。それを考えると、こよいの花嫁が、あしたの朝、自分にどういう言葉をいうか、どんな姿で自分に朝のあいさつするだろうか? ──などと空想するよりも、もっと大きく心を囚われてしまうのだった。その岡崎城は今、
(今川へ向くかな?)
とも思われ、
(御当家に傾いて来るかな?)
とも考えられ、岐路の運命にあるものだった。
去年、桶狭間の役に、今川家が大敗して後、三州岡崎の松平家というものは、
──従来どおり今川家に加担で通すか。
──今川家にも織田家にも属せず、この際敢然、孤立を表明するか。
──織田家と和協の道をとるか。
の三つの方策に当面して、遅かれ早かれ、そのひとつを選ばなければならない立場に置かれているのであった。
年久しく、松平家は、今川家という大樹に拠って存立して来た寄生木であった。その根幹は桶狭間で仆れたのである。自立するにはまだ力が足りないし、今川義元の亡き後の今川家そのものも、遺子の氏真も恃むに足りないものだった。
岡崎城は悩んでいる。
巷のうわさや、上層部の政策を、ほのかに洩れ聞く程度の知識ではあったが、藤吉郎は、非常な関心と興味をもって、
(──ここぞ松平元康の器量のわかるところ)
と、眺めているのである。なぜか彼は、その岡崎の城主松平元康という人に、人いちばい関心をもっていた。それは彼が諸国を漂泊中に、つぶさに岡崎城の士風だの、よく多年の艱苦欠乏や隷属的な侮蔑に忍耐して来た上下の実状を目撃しているせいにもよるが、もっと深い原因は、松平元康の通って来た今日までの経歴にあった。
(一国一城の主と生れても、自分以上に艱苦もし、不運な人も世にはいる)
と、その元康の境遇を人のはなしに聞いてから、深く心をひかれていたのだった。
しかもその人は、ことしまだ二十歳の若さと聞いている。桶狭間の合戦の折、義元の先手を承って、味方の鷲津、丸根の砦を墜したあの手際もよかった。
義元討たれぬ──と、知って、夜のうちに、さっと三河へ退いて行った退軍の態度もよかった。
織田の陣中でも、その後の清洲でも、元康の評はよいほうである。従ってよく話題にのぼる人物だ。──藤吉郎もまた、その元康の岡崎城が、やがてどういう方向をとるかなどと、独りそんな空想に耽っていた。
「聟どの。これにおいでか」
襖があいた。藤吉郎はわれに返った。いや聟どのの自身に返って、
「お。これは」
と、そのまま、会釈した。名古屋因幡守の臣で、こよいの名代媒人、丹羽兵蔵夫婦がはいって来たのであった。
「不つつか者ですが、主人因幡守様の名代として、てまえ丹羽兵蔵夫婦が、お媒人役つとめまする。何なと御用仰せ下さるように」
媒人夫婦の挨拶である。
藤吉郎も、ひと通り、
「ご苦労にぞんずる」
と、会釈を返して、勢い聟どのらしく取り澄ました。
媒人夫婦はすぐ、
「縁者どものうち、やむなき用事のため、遅参の者がござって、聟殿にいかいお待たせ申しあげてござるが、さらば早速、これにて、ところあらわしの式仕れば、暫時、それにてお控え下されませ」
と、いう。
藤吉郎はまごついて、
「ところあらわし、とは一体なんでござるか」
「嫁方の舅姑御をはじめ、お身内の縁者どもと、聟どのとの、初の御対面を取り行う古式でござる。──と、いうても、時節がら、また御質素の御家風ゆえ、ほんの顔あわせのみで、さしたる式作法いたすわけでもおざらぬ」
と、いう間に、媒人女房は、
「おざりませ」
と、襖をあけて、次の間にひかえた人々を招く。
いちばん先に、挨拶にすすんで来たのは、舅姑の浅野又右衛門夫婦で、
「よろしゅう」
と、これは知り過ぎている顔であるが、式なので型のごとく挨拶する。
見馴れている二人を見ると、藤吉郎はもっとくだけて、頭でも掻きたいように手がうずいた。
「は。何分」
真面目すぎるほどな聟振りであった。舅姑たちが済むと、
「わたくしは、寧子の妹、おや屋でござります」
十六、七の愛くるしい娘が、羞恥ましそうに三つ指をつかえた。
──おや?
危なくそう云いそうな藤吉郎の眼であった。寧子よりも美人なくらいきれいな娘であった。それよりも寧子にこんな妹があったことを彼は今まで知らなかった。深窓の佳人という言葉があるが、どこにどんな帳裡の名花があるか、武家の家というものは、幾ら手狭でも奥行の知れないものだと思った。
「これはどうも。……私が御縁あって参った木下藤吉郎です。よろしくどうぞ」
これから義兄とよぶ姉上の聟君がこの人かと、おや屋は少女らしい眼で彼の顔をのぞきあげたが、すぐ後からまた縁者の一組が、
「これは、寧子、おや屋の里方の叔父にあたる者。つまり当家の又右衛門どのの家内こひ女の兄、木下孫兵衛家定でござる。初めての御見、この後はわけても御昵懇に」
すぐまた、
「てまえは、こひ殿の姉にあたる者の良人、医師の三雪と申すもの」
と、べつな一組があらわれていう。藤吉郎は、誰が誰の伯父やら姪やら従兄弟やら、覚えきれないほどな縁者に一度に会った。
(多いなあ、親類が)
ひそかにこの後のうるささも思われた。けれどまた、にわかにきれいな妹だの、話せそうな伯父だの、叔母だのが殖えたことも、彼の気もちを賑わした。身寄りのすくない、寡婦の母の手には育てられたが、彼の性格としては、大勢がすきだった。大勢で賑かによく働きよく笑える家庭が理想だった。
「聟殿。しからば、あちらの祝言のお席へ」
媒人夫婦は、こう促して、やがて聟どのを伴って、こよいの曠の席へ──といってもすぐ二間越しのそこもそう広からぬ一間であったが、設けの席へ誘って、聟殿の坐るところへ聟殿を坐らせた。
秋とはいえ屋の内は、まだ蒸し暑い気もする八月の夜なのである。
窓すだれも軒すだれも、まだ夏のまま懸け残されてあった。そこへ洩れてくる虫の音と夜風に、短檠の灯は仄かにたえずうごいている。そして塵一つない婚礼の席は、華燭という文字には当嵌らないほど仄暗かった。
室は八坪ばかりの広さで、何の飾りけもないのがかえって清々と見えた。床には、簀掻藁を展べ、そのうえに薄縁が布いてある。うしろの床には、伊弉諾尊、伊弉冊尊の二神を祀って、そこにも一穂の神灯と、一瓶の神榊と、三宝には餅や神酒が供えられてあった。
「…………」
藤吉郎は身が緊ってきた。そこに坐ってから、ひしと考えさせられたことである。
これへ坐るまでも、決して苟め事や戯れ交じりでないことは勿論だが、その真面目をいっそう真面目に、
「今宵からは」
と、良人となる身の責任やら、変ってくる生活やら、またそれに附随する身寄り縁者の運命までが、みな自分とのつながりを持ってくる、不思議なる儀式の中に自分を見直していたのであった。
わけても。
寧子は好きでならない女性なのである。とくに、他へ嫁ぐところをも或る程度の人力で、彼女の運命を自分へ向け直して、こよいの祝言とまでしてしまった女性であった。
(不幸にさせてはならぬ)
聟の座にすわると共に、最初に彼の思ったことはそれだった。男の力でうごかせば動かすにも足りる運命の弱い女──不愍な女──可憐なるものを──と、思い遣るのだった。
ここでは。
そう長からぬ間に、やがて式事は運ばれた。実にといっていい程、すべてが質素にである。
まず。
聟どのが着座すると程なく、花嫁の寧子は、物吉の女と称う世話女﨟に導かれて、聟どのの隣へ音もなく坐る。その粧いはとみれば、髪には垂鬘をつけて紅白の葛の根がけを用い、打掛は、白無垢の丸生絹に幸菱の浮織──それを諸肩からぬいで帯のあたりに腰袴のように巻いていた。下の小袖も同じような白の生絹である。もう一重その下に、紅梅の練絹をかさねて袖口にのぞかせている。
また、襟元から胸の守りというものを掛けて、それを懐に抱いていた。他には、金釵銀簪のかざりもないし、濃い臙脂や粉黛もこらしていなかった。茅葺屋根に簀掻莚のこの家の家造のとおりに、生地そのままであった。この中に人の心をひく美があれば、それこそまったく粧った装飾の美ではなく、飾らないありのままな生地の美であった。
ただ飾られているのは、そこに把る手を待っている女蝶男蝶の一対の瓶子だった。
「お久しゅう、めでとう、百千秋までも、お添いとげなされませ」
嫁君、聟君、一対に端坐している前へすすんで、物吉の女が、こういいながら、銚子を把る。
媒人夫婦も、縁者一同も、この席にはいない。みな襖どなりに控えているのであった。
「…………」
藤吉郎は杯を持った。
酌人は、寧子へ取り次ぐ。
「…………」
寧子も契りをのむ。
藤吉郎の顔はさすが上気して胸も動悸を覚えたが、寧子は思いのほか落着いていた。
これからの生涯、どんなことに出会おうとも、自ら求めたものとして、親をも神をも恨まじとちかうような決意が、杯のふちへそッと触れる唇に、可憐とも悲壮とも云いようなく見えていた。
聟の君と花嫁との杯事がすむと、陰の間にひかえていた媒人役の丹羽兵蔵が、
音ずれは
松にこと問う
浦風の落葉衣の袖そえて
木蔭の塵を掻こうよ
所は高砂の──
祝謡の一ふしを戦場鍛えのさびた喉で、精いっぱい謡いだした。
尾上の松も年古りて
老の波もよりくるや
木の下蔭の落葉かく
なるまで命ながらえて
なおいつまでか生の松
それも久しき……
ここまで丹羽兵蔵が謡ってくると、何者か、夕顔の花のまばらに白い籬の外の暗がりで、不意に、
「──名所かな。──それも久しき名所かな」
と、謡い取って、唱和した男があった。
兵蔵の祝謡に、家の内も近所もしいんとしていた。それだけに、突然、ぶしつけに垣の外で謡い取った男の声も目立った。
「……?」
兵蔵は、愕いて、ちょっと絶句してしまった。身寄り縁者の人々も驚き顔を見合わせた。聟どのの藤吉郎も、思わず、庭ごしに横を見た。
召使の者であろう。
「誰だッ」
と、その悪戯者を、家の横から叱っていた。
すると、垣の外の人影は、なおも猿楽能の謡口調で、
「──抑〻、これは、九州肥後の国、阿蘇の宮の神主友成とはわが事なり。われまだ都を見ず候ほどに、このたび思いたちて上り候。またよきついでなれば播州高砂の浦をも一目見ばやとぞんじ候」
朗々と、そう云いながら、男は厚顔しくも庭木戸をあけて、中へはいって来るのであった。
つかつかと、藤吉郎は、われも忘れて、花聟の座を離れ、縁先まで歩いて行った。
「おッ。犬千代どのではないか」
「聟どのか」
顔をつつんでいた麻の頭巾を払って、前田犬千代は、
「水掛祝いに来た。さっそくの水掛祝いじゃ。通ってもよいか」
藤吉郎は、手を打って、
「よくぞ来てくれた。上がってくれ、上がってくれ」
「友達も大勢従えて参ったが、よろしいかの」
「よいとも。何の仔細があろうぞ。杯は今すんだ。こよいから某は当家の聟でござれば」
「よい聟取ったな。又右衛門どのからも一献もらおう」
犬千代は、垣の外を振りかえって、暗がりへ手招きした。
「おーい、方々、この家の聟へ水掛祝いしてくれよう。はいりなされ、はいりなされ」
すると、声に応じて、
「水掛祝いしよう。水掛祝いしよう」
と、異口同音にいいながら、庭いっぱい押し込んで来た顔を見ると、池田勝三郎がいる、佐脇藤八郎がいる、加藤弥三郎がいる、また、旧友がんまくが見える、あばたの棟梁もいる。そのほかお厩方や台所方の近年までの同僚など、犬千代に従いて、もう簀掻莚のうえへどやどや上がりこんで坐っていた。
水掛祝いというのは、聟入りした家へ、聟の日ごろ親しい友達らが押しかけて祝う習慣である。婚家はこの際できる限りこれを歓待する義務があり、押しかけ祝いの客たちは、ぞんぶん振舞いに甘えて騒いだあげく、花聟を庭上へひき出して、水を掛けて帰るというのが例であった。いつの時代から流行りだした風習か、花嫁の「そうどう打ち」などという慣わしと共に、室町から戦国頃の婚礼には、きまって行われたことの一つであった。
──だが、今夜の水掛祝いは、すこし気が早い。
ふつう世間であるのは、聟入りしてから半年目とか一年目とかに押しかけるのが例なのに、まだ、杯事の式が今すんだばかりのところへ、
「水掛祝いに参った」
と、犬千代が、しかも大勢で、婚儀の席へ闖入してきたので、
「──これは狼藉な」
と、又右衛門一家はもとより、名代媒人の丹羽兵蔵も驚き呆れるばかりだった。
けれど花聟の藤吉郎は、むしろ非常な歓びらしく、
「よく来た」
と、席をすすめ、
「やあ、貴公もか」
と、めずらしい顔へは愛想などいい、そして、たった今、杯を交わしたばかりの白装束の花嫁をつかまえて、もう、
「寧子、とりあえず、何なりと肴を持て。そしてな、酒だ、酒をたくさんにこれへ」
と、いいつける。
「はい」
寧子も、さすがに、この不意打にはさっきから眼をみはっていた。しかし、かかることに驚くようでは、この良人の妻として生涯添うてはゆけないものと、はやくも分った容子でもあった。
「──かしこまりました」
すぐ次の間で、花嫁は花嫁の雪白な打掛を解いた。そして白小袖のうえに、平常の濃袴を腰にまとい、襷もかけて、立ち働きはじめた。
「かような婚儀があろうか」
一間では、憤然と、怒っている縁者の声もする。
「な、なんじゃ! あの態は。──まるで祝言を荒しに来たようなもの。聟どのも聟どのではないか。寧子、寧子。花嫁がなんたること。止めんか。止めい」
無理もない憤りではある。親類のなかには、こういう立腹屋が必ず一人や二人はいるものでもあった。けれどそれを宥める身寄りもあり、女たちもいて、口を極めて抑えている。
「まあ、まあ」
そこを覗いて、こうなだめたりまた、大勢のどよめきに、うろうろしたりしているのは又右衛門夫婦であった。
又右衛門としては、犬千代と聞いた時、実はどきッとしたくらいであったのが、聟の藤吉郎とも、傍眼で見ても清々しい程、仲よく、打ち興じて、語り合っている様子に、ほッと胸をなでおろしていた。
戦国そだちの、これからの時代はもっと、どうこの世がもんどり打って変るか知れない時勢に臨んでゆく若者輩だ──。これくらいなことはなんでもない。いやこれくらい骨太でなければ、むしろ頼もしくないというものだ。──又右衛門はあわてている中で、そんなふうに思ってみたりした。そしてもう聟ときまった藤吉郎へ、無意識に身びいきの眼がかかっていた。
「寧子よ。寧子よ」
彼も呼びたてた。
「酒が足りねば、酒店へ走らせての、ぞんぶんにこれへ、酒を運べよ。こひ、こひ」
と、また、自分の妻をよび、
「何をうろうろしているのじゃ。酒ばかり来て、皆様に杯が来ておらぬではないか。どうせ馳走はなくも、生味噌、生ねぎ、生生姜、何なと、あるがままのもの持って来い。──やあれ嬉しや、犬千代どの、御一同、ようぞお越し召された。老人もうれしゅうおざる」
「やあ。又右衛門どのよな。お久しいのう。犬千代じゃ。一献、お祝いのおながれ戴こう」
「うむ。参らする」
又右衛門は、慥と、杯を持ち直して犬千代へ酌した。無量な感慨が犬千代のほうにもある。最初のうちは聟舅となる者は、こう二人のはずであった。縁がなかったのだ。ふしぎといえばふしぎ、飽くまで縁である。このうえはお互いに清々ときれいに、ただ侍同志のつきあいでありたい。犬千代も祈った。又右衛門もそう謝しながら杯を酌した。万感という程なものが胸にあっても、心のうちに止めて、仄かにしか色にも言葉にも出さないのが、おたがい侍同志であった。
「いや又右衛門どの、犬千代もうれしゅう存ずる。よい聟とり召された。心からお祝い申す」
と、杯を向けて、
「寧子どのも倖せ、木下も倖せ者よ。大いに飲まずばなるまいと、ここにおる大勢どもを語ろうて押しかけて来た。かまうまいか」
「かまわぬ。かまわぬ」
又右衛門も弾んで、
「夜もすがらでも」
と、受けて飲む。
「はははは。夜もすがら、飲うで謡い明かしたら、嫁君に怒られまいか」
すると、藤吉郎がいった。
「なんの、宅の女房に、そういう躾け方はせぬ。至って貞女者でもござれば」
犬千代は、膝を詰めよせて、戯れかかり、
「これ、もうそのような、厚かましいことをいわるるか」
「いや、謝る。過言過言」
「ただはゆるさぬ。この大杯で──」
「大杯はごめん。小さいほうで頂戴する」
「なんのこの聟めが、意気地のない」
「いや、ごめん」
子らの遊び事のように戯れ合うのだった。だが、そんな酒の中でも、藤吉郎は、こん夜のみに限らず、常に暴酒はのんだ例しがない。幼少の頃の苦い記憶があって、癖の悪い酒のみや、無理強いされる大杯を見ると、その酒に身持のわるい養父の筑阿弥の顔が映って見えてくるのであった。その悪酒によく泣かされた母の顔がすぐ思い泛ぶからだった。
それと彼は、自分の健康の度をよく知っていた。育ちざかりを貧窮の中に伸びて来た体である。人すぐれた骨ぐみでは決してなかった。青年に似あわず人知れず体をいとうことを知っていた。
「大杯は無体じゃ。小さいのにしてくれい。そのかわりに、謡なとうたおう」
「何。うたうか」
返辞のかわりに、藤吉郎はもう膝を鼓に打ちたたいて、謡い出しているのである。
──人間五十年
化転のうちをくらぶれば
ゆめ幻のごとくなり
ひとたび生を得て
滅せぬもののあるべきか
「やい、待て」
犬千代は、謡いかけた藤吉郎の口を抑えて、
「それはお汝が謡ではない筈だぞ。わが君が何ぞというとよくお得意に謡い遊ばす敦盛の謡じゃ」
「されば、清洲の町人友閑をお招きなされて、常々、舞と小謡を遊ばしておられるのをいつのまにか、この方も見様聞き真似で覚えてしもうたのだ。べつにお止謡というわけではないし、謡うて悪いこともあるまい」
「いや、悪い悪い」
「なぜ、わるいか」
「めでたい婚礼の席に、ふさわしゅうない謡を、何も謡うことはない」
「桶狭間へ御出陣の晨、わが君が舞ってお立ちなされたという小謡。これから貧しきわれらの若夫婦が、世の中へ出る門立ちにも、満ざらふさわしくないこともなかろうが」
「そうでない。戦場に立つ覚悟は覚悟、新嫁を迎えた祝事は祝事。友白髪までも、尉と姥のようにまで、長寿もしようと心がけるのが、かえって真の武士というものぞ」
「それよ」
藤吉郎は、膝を叩いて、
「実をいえば、この方の望みといえばそこにある。戦となればぜひないが、仇には死なじ、五十年はおろか、百歳までも、寧子と仲よう添い遂げたい」
「またいうたな。さあ舞え、さあ舞え」
犬千代のせめたてる後について、他の大勢も、舞え舞えと、囃したてた。
「ま、待ってくれ。今に舞うから。今に舞う」
囃す友人たちを、一時のがれにそう宥めておいて、藤吉郎は、
「寧子、酒がないぞ。──この銚子も、この銚子も。ほ、これにもない」
手を叩きながら厨のほうへ振り向いて呼ぶ。
「はい」
と、寧子の返辞だった。
銚子を持って、いそいそとそれに見え、藤吉郎にいわれるまま、素直に酌もする、客たちへも悪びれない。一座のていを、ただ呆れ顔に眺めているのは、縁者どもや、寧子をいつまで子どもとしか見ていなかった親どもだけで、寧子の心はもう良人と一つになりきっているし、藤吉郎もその新妻へ、もう何の気づまりも体裁もなかった。
犬千代は、さすがに、寧子と面と面を合わせると、持前の多感な血が、酒の気と共に、顔へ出てくるのをどうしようもなく、
「これは寧子どので在したか。──いや今宵からは木下殿の御内室。改めて御祝儀な申そう」
と、杯台を、彼女の前へ送って云った。
「誰も彼も、友だちどもは、隠れものう知っておることよ。今さら、面伏せに、云い籠っておるよりは、さらりと、胸のうちを申してしまおう。……のう、木下どの」
「何か」
「しばし、お内儀を拝借もうすが」
「はははは。さあどうぞ」
「よろしいか。さて然らば、寧子どの、聞いていただきたい。──一時は、世間の口の端にもいわるる程、犬千代は、貴女が好きであった。今とても変りはない、寧子どのは、犬千代が好きな女性のおひとりでござる」
「…………」
急に犬千代のことばの節は、真面目になっていたのである。さなきだに、寧子の胸にも、人妻となったばかりの感傷がいっぱいであった。今宵で過ぎる娘時代のうちの一人の男性として、犬千代のことはこの先とも思い出の中から除ききれるはずはなかった。
「寧子どの。……処女心とよく人は危うげに申すが、貴女はよくもこの藤吉郎どのを見立てなされた。──恋というも愚かなほど、好きで好きでならなかったおん身を、この犬千代が木下殿へ譲ったのも、実は貴女以上に、わし自身、木下どのの人間に惚れたからでおざるよ。されば、男が男に恋の引出物として、貴女に熨斗をつけて彼に与え申した。……というては品物のようにするようじゃが、男とは、そんなものよ。ははははは。──いや、そうじゃないか木下」
「うむ、おおかた、そんなお心根かと、遠慮のう娶うたのだ」
「そうとも、こんなよい妻、遠慮などしたら、見損うた男と、犬千代はかえって蔑むぞよ。お汝には、過ぎた女房ぞ」
「ばかを申せ」
「あはははは。何せい欣しい。のう木下、おぬしとわしとが生涯つきあおうが、かかるめでたい夜はあるまいぞ」
「む。あるまいな」
「お媒人の名代殿には、いずれへ退散してしまわれたか。寧子どの、そこらに、小鼓はないか」
「ござりまする」
「犬千代が小鼓をいたせば、誰ぞ立って、幸若舞なと、田楽舞なと、一さし舞わしゃれ。木下どのは話せぬ男で、まだ舞はよう舞わぬそうな」
「……では、お座興に、わたくしがふつつかな舞を一さしお眼に入れましょう」
起ったのは花嫁の寧子なのであった。犬千代や池田勝三郎や、そのほかの豪の者も、これにはあッと眼をみはった。
舞をまうということは、その時代にあっては、さして物改まってすることではなかった。
日常生活の一つとさえいえる程、折にふれ事にふれ、舞を舞った。武家の子女ならたしなみの一つとすらいえる程だった。わけて田楽舞とか幸若舞などは、武家の間に好まれた。天沢和尚が、武田信玄から、
(信長の好みは何か)
と、訊かれた折、
(信長どのの数寄は舞と小謡なそうでおざる)
と、答えたというはなしもある。
その信長は、清洲の町人で友閑という者を、時折城内へ召して、舞を見たり自身舞ったりした。
また、もっと後のことであるが、安土の総見寺で家康に大饗応をした時も、幸若や梅若に舞をまわせ、梅若が不出来であったというので、信長から楽屋へ、
(舞い直せ)
と、叱りにやったなどという例もある。
生きるにつけ、死ぬにつけ、武人が舞を舞った例は、その頃のはなしにも数えきれないほどある。
家康が高天神の城をかこんだ時に、城将の粟田刑部が、
(今生の思い出に、一さし舞いたい)
と、乞うと、
(やさしき心よ)
と、許して、刑部の舞う幸若舞の高館を、敵も味方も見たなどということもあった。
天正十年、秀吉が中国の高松城を水攻めにした折も、孤城五千の部下の生命に代って、濁水の湖心に一舟を泛べ、両軍の見まもる中で切腹した清水長左衛門宗治も、敵の秀吉から贈られた一樽の酒を酌んで、
(見よかし人々)
と、武士の死出を笑って、誓願寺の曲を一さし舞い、舞い終るとすぐ舟のうちで屠腹したと、後の世までの語りぐさに伝わっている。
それとは違う歓びの溢れからであったが、寧子は、犬千代の小鼓に促されて、一扇をひらいて起つと、素直に、幸若のうちの源氏物を一ふし舞った。
「出来た、出来た」
と、自分が舞ったように手をたたいたのは、聟殿の藤吉郎であった。
だいぶ酒のまわったせいもあろう。興に浮いた人々の勢いは熄まない。誰がいい出したか須賀口へ押し襲せようではないかという。須賀口とは清洲の宿駅でいちばん明るい紅燈の巷である。否というような理性家は一人もいそうもない。こよいの聟どのたる藤吉郎からして、
「よし、参ろう」
と、真っ先に腰を上げたものである。呆れる縁者たちを無視して、水掛祝いに来た連中は、それも忘れて聟どのの首にかじりついたり、腰を押したり、手を振ったり、蹌めいたり、暴風の去るように婚礼の席からどやどや出て行った。
「いとしや嫁御寮」
縁者たちは、取り残された寧子の心を思いやって、彼女のすがたを探したが、今舞っていた新妻はもう見えなかった。門の妻戸を押して外へ出ていたのである。そして酔い興じた群れに囲まれてゆく友達の中の良人を追って、
「行っていらっしゃいまし」
藤吉郎の懐に、彼女がさし入れた金入れの巾着が残っていた。それも分らないほど酔っている聟どのでもない。しかし、それではッとしたりするほど初心な聟どのでもない。流れる水のままに押されてゆくように、藤吉郎の振る手も首も、大勢の友につつまれて、紅い夜霧の彼方へ薄れて行った。
いつも、城内の若殿輩が押しかけては、酒陣をかこむ布川という茶屋がある。この須賀口の古駅に織田家や斯波家などの領主よりも以前から住んでいる酒商いの老舗から転化して、茶屋になったものというから、その屋構えの旧さも間の抜けたほどの大まかさも知るべきであるが、清洲の若殿輩にはそれが気に入って、何かといえば、
「布川へ参ろう」
「ぬの川へ」
が、酔うとすぐ囈言のように、誰の口からとも出て来るのであった。
もとより藤吉郎も再三ならず布川に馴染んでいる。いやこういう所に集まる時などは、彼の顔が見えないと、茶屋の者も友達も、一本の歯が足らないような物淋しさを覚えるのが常で、何かの行合わせで、彼を誘わずに来ても、とどのつまりは、
「木下へ伝えてやれ」
「使いを走らせろ」
と、仲間のなかに、彼の姿を見なければ、何となく納まらないくらいなものであった。
その藤吉郎が、こよいは花聟となったことである。平常の酒戦場でも、杯を挙げて披露に及ばずばなるまいと──これは酒のまわっている頭脳で思う常識で──わいわいとその家の門のれんまで押し揉んで来たのである。そして、池田勝三郎やら前田犬千代やら知れないことだが、門のれんから大土間の内へ、
「やいやい。布川の女どもも、男どもも、ばばどもも、みなこれへ出て出迎えぬかやい。三国一の聟殿な引っ連れて参りつるぞ。花聟な誰と思う。木下藤吉郎となんいう男じゃげな。花嫁な誰と思う。清洲の小町といわるる弓長屋の寧子どのじゃげな。──さあ祝え祝え。水掛祝いじゃ」
足もとの危ないのが危ないのへ絡みつく。藤吉郎はその中に揉まれたまま、土間のうちへ蹌めき込む。
呆っ気にとられた茶屋の者も、やがて事の次第が分って笑いどよめいた。祝言の杯を酌んでいる席から聟盗みをして攫って来たのだと聞いて驚きもした。水掛祝いという慣わしはあるが、それでは聟攫いじゃと腹を抱えて聟殿を珍しげに眺め合う。藤吉郎は、逃げるように座敷へ駈けこむ。暁までも聟を擒人にして帰すなと、悪戯好みの友たちは円坐を作って、酒々と性急に呼び立てたりする。
そうしてどれほど飲んだろう。また、何を歌ったり舞ったりしたことか、弁えている者はほとんど幾人もなかったろう。やがての果ては型の如く、手枕、大の字、思い思いの寝相して、そこの広間に酔いつぶれていた。
夜も更ければしんと秋の味がしてくる。八月の庭面はもう秋草だった。酔っぱらいたちが静かになると、虫の音がすだき始める。草の根にまで白い夜露が降りていた。
「……おやッ?」
犬千代が、がばと、突然顔を上げて見まわした。見ると、藤吉郎も首を上げている。池田勝三郎も眼をあいている。
「…………」
眼を見あわせながら、お互いの耳をとがらしていた。庭面を越えた往来に聞えるのである。戞々と、深夜のしじまを破って通る轡の響きで眼をさましたのであった。
「はてな?」
「何であろ」
「だいぶな人数だが……?」
犬千代は、何か思い当ったように、はたと小膝を打って云った。
「そうだ。先頃、三河の松平元康の許へ、使者として渡られた滝川一益殿が、ちょうどもう帰らるる頃。──それではないかな」
「そうだ、織田家につくか、今川家に拠るか、三河の向背も、お使者は胸にたたんで帰られた筈……」
後から後からと、みな眼をさました様子だが、それも待たず、三名は布川をとび出した。そして先へ行く轡の音と、一群の人馬の影を追って、城門のほうへと駈けて行った。
滝川左近将監一益が三河へ使いに立ったのは、去年桶狭間の戦いの後、これで幾度か知れないほどであった。
その任務は、三河の松平元康を説いて、
「織田家と提携しないか」
という外交的な重大使命を帯びてであることは、もう隠れもないこととして、清洲には一般に知れ渡っていた。
もとより三河は、きのうまで、今川家に隷属していた弱国である。尾張は小なりといえども、強大今川に致命的な一撃を与えて、天下の群雄に、
(現代に信長という者あり)
と強く記憶させた、新興の藩力と勝戦の意気を持った領土である。
提結する聯盟するといっても、おのずから織田家はその優位のうえにおいて、松平家を傘下へ誘おうとするのであって、そこにむずかしい外交の呼吸もある。だが、尾張にその懸引があれば三河にもまた、図るところがあるのは当然だ。弱小なれば弱小であるほど、毅然たる態度も必要とする。
(与しやすし)
とみられたら、何の提携の使者など立てて手間暇かけている隣国であろう。一挙、武力の併呑があるばかりである。
しかも実状は、義元の死後、三河一国は今や死活のわかれ目に立っていた。
氏真に拠って、今川加担をつづけてゆくか。
この際、それと絶縁するか。
そして織田家とは?
宿年の国境にふたたび争奪の戦いをくりかえして「孤立三河」から現在の苦境を打開したほうがよいか。それとも、織田家がしきりと提盟を誘うてくるこの機会をつかんで、後図を計るべきだろうか。
岡崎城では、
(この儀如何に)
と、幾たびの評議、幾たびの使者の交換、議論、献策などが、行われて来たかしれなかった。
その間にも、今川氏真と三河与党との小合戦。織田家の出城と、三河方との出先の小競り合いなどは、勿論、熄むまもなかったし、それがいつ大きな発火点となって、両国の運命を賭すものとなるか、決して予測はできなかった。
(始まらないかな?)
と、待っている国々が織田、松平のほかに無数にある。美濃の斎藤、伊勢の北畠、甲州の武田、駿河の今川氏真。
不利である。
松平元康は、戦う気はない。織田信長も、大勝の気負いにまかせて、三河と今戦うことの愚をよく知っている。
とはいえ、
(戦いたくない)
顔は示すべきでない。こちらの足もとを見せたら図にのるのだ。一戦も辞せず、としての外交でなければならなかった。その外交も、彼の容れやすいようにしてやる必要があった。三河武士の硬骨と我慢づよい性質を知っているので、その体面を充分に考えてやることが大事であると信長は思った。
水野下野守信元は、知多郡の緒川を領していて、これは織田幕下だが、血縁からいえば三河の松平元康の伯父にあたる者である。
信長は、その水野信元へ、
「そちからも説け」
と、いってある。
信元は、意をふくんで、岡崎を訪れて、元康にも会い、三河譜代の石川、本多、天野、高力などの諸臣にも会って、側面から誘引に努めた。
正面側面のあらゆる外交的誠意が、ようやく三河一藩をうごかしたとみえて、先頃、松平元康からその儀について明確な返答のある由が伝えられて来たので、滝川一益は、その盟約が調うか不調に終るか、最後的な返答をうけ取るために三河へ使いして──そして今宵、帰り着くと、夜中ながらすぐその足で清洲城へはいったものであった。
一益の通称は、彦右衛門といった。織田方では一方の部隊長であり、鉄砲に詳しく、射撃の上手だった。
が──信長は、彼の射術よりも彼の才智をずっと上に認めていた。
雄弁家ではないが、彼の諄々と物いう弁才は、非常に尤もらしく聞えるのが特長であった。真面目で、常識に富んでいて、それでなかなか眼はしもきくのである。以て、外交の衝に当らせるには適材であると、信長は見ている。
「待っていたぞ」
深夜であったが、信長はもう出座していた。
「ただ今、戻りました」
一益は、旅装もそのまま、平伏していた。
こういう折に、
(汚れ果てた旅装のまま、君前に出ては、御無礼にあたる)
などと思い過して、衣服や髪を整えたり、汗のにおいなど洗い消してから、さてと、御前へ出たりすると、
(花見の使いに行ったか)
などと、頭から不機嫌な叱りをうける例を、まま同僚に見ているので、馬臭い身装のまま、
(ただ今)
と、喘ぎも止まらぬうちに両手をつかえたがよいのであった。
その代りに、信長もまた、使臣を長く待たせておいて、悠々と出座するなどという例しはめったにない。
「どうであった?」
待ち構えていていうのである。
この答えにもこつがある。
よく使いに遣られた者が、戻って来てその任務の返辞をするのに、あれこれと、途中のことやら枝葉の問題ばかり長々といっていて、かんじんな使命の結果は、調ったとも調わないとも、容易にいわない癖の家来がある。
信長はひどくそれが嫌いで、わき道のはなしばかり答えている使臣には、傍眼にもわかるほど眉に焦々といやな気色をただよわせる。それでも気づかずに無駄をいっていると、
「用事は。用事は」
と、注意する。
或る時、信長は、侍臣たちへそのことについて、こう語ったことがある。
「使いを立てた出先の用事が、首尾よいか、不首尾か、待つ身は案じておるものじゃ。要らぬ枝葉のはなしは、後にて足せ。主人の前へ復命に帰りなば、口を開く第一に、お使いのこと、調いましてござりますとか、お使いの儀、残念ながら不調に終りましたとか、肝腎の結果を先に申し告げて、それよりゆるゆると、かくかくの仔細とか、先方のはなしとか、何なりと余談いたすがよいものぞ」
彦右衛門一益も、それは伝え聞いていたし、こんどの重大な外交に選ばれて使いした程の者であるから、信長の姿を仰いで、一礼すると、すぐ先にいった。
「──殿。およろこび下さいまし。三河殿と和協の議、遂に、調いました。しかもほぼ御当家のお望みに近い約定の下に」
「できたか」
「はい。一決いたしました」
「そうか」
信長は、当り前な顔をしていたが、言葉の裏で、彼の心は、息づいていた。
「なお、細目にわたる箇条は、他日、鳴海城を会見の場所として、てまえと、松平家の石川数正殿とで出会い、談合を遂げんと約して立ち帰りました」
「然らば、三河殿始め家臣一統にも早、当家との和盟に異存なく、将来の聯携を約されたというか」
「御意にございます」
「大儀だった」
ここまで聞いてから信長ははじめて、彼の労に一言の犒いをいった。
君臣のあいだに、審さな報告から余談などが交わされたのは、それからのことであったらしい。
滝川一益が、御前を退って、下城して行ったのは、もう夜明け近くであった。
その夜明けの微光が、詰所、武者溜り、狭間廊下、厩の隅々にまでこぼれ渡った頃にはもう、
「御当家と三河殿との和盟が成立したそうだ」
という噂が、明るい朝の顔と顔との間に、呼び交わされていた。
近くまた、両家の代表が、鳴海城で会見を遂げ、正式に調印のうえで、明年──永禄五年正月には、岡崎の松平元康が、この清洲城へ初の訪問をして、信長様と対面あるだろうなどという内々の儀も、密やかながら逸早く家中には知れ渡った。
夜来、須賀口の遊びの出先から、帰城の使者を認めてそれを追いかけ、城中の一室に来てじっと坐り詰めたまま、主君信長の気もちと一つに、三河との和戦はいずれにきまったかを、固唾をのんで待っていた──前田犬千代、池田勝三郎、佐脇藤八郎、そのほかの若侍の面々の中に、ゆうべの聟殿の藤吉郎も、勿論交じっていた。
「欣び召され」
佐脇藤八郎は、小姓組なので、君側でのはなしを、逸早く誰かに聞いて来て、
「……云々じゃ」
と、一同へ告げた。
「きまったか」
およそはこうと予期されていたことではあったが、決定と分ると、誰の眉にも、一層な明るさと、前途への意気が盈ちて見えた。
「……これで戦える!」
誰かつぶやいた。
家中の気もちは、戦いが遁れられるという意味で、三河との同盟を礼讃しているのではなかった。べつな敵へ、全力を向けて戦うことができるために、背後の一国、三河との提結を、心から受けいれたのであった。
「よかったなあ」
「御武運のよさ」
「三河のためにもだ」
「まず、めでたい」
刻々と、方向のうごいてゆく時勢に対して、敏感に喜憂を先にするのは、何といっても、こうした若い人々の仲間だった。
「そうと、お使者の結果を知ったら、何かこう、急に眠とうなってしまった。……考えてみると、ゆうべから寝ていない」
祝福しあう声の中で、ひとりがいうと、藤吉郎が大きな声で、
「わしは違う。それとはあべこべだ。ゆうべもめでたし、けさもめでたし、こう欣びが重なっては、もいちど須賀口へ立ち戻って、新しく飲み直しとうなった」
すると、池田勝三郎が、
「嘘をもうせ。帰りたいのは、寧子どのの許へであろう。やれやれ、初夜の嫁君は、いかに夜を明かしつろう」
からかう尾について、
「はははは。木下殿よ、いらざる我慢なむだに候ぞ。きょう一日、お役のお暇を乞うて、帰ってはどうじゃ。待つ人もあるに」
「ばかな」
藤吉郎は、わざと力む。友だちどもが笑うのを承知のうえである。どっと朝ぼらけの哄笑が廊下へ流れ出た。とうとうとお城の上では太鼓が鳴っていた。各〻、役目に従って、その働くところへ急いで別れ去ったのであった。
「ただ今、戻った」
広くもない浅野又右衛門の家の玄関であるが、藤吉郎が立つと大きく見える。声が高いし、容子が明るいからである。
「──あら」
式台で鞠をついていた寧子の妹のおや屋は、眼をまろくして彼を見あげた。客かと驚いたのであるが、それがゆうべの聟どので、姉の新郎様とわかると、クックッと笑って、奥へ駈けこんでしまう。
「は、は、は、は」
藤吉郎もわけなく笑った。妙におかしい心地なのである。
祝言の席から友達と飲みに出てしまって、そのままお城勤めをすまして今帰ってみると、またゆうべの祝言の時刻に近い黄昏なのである。
もう今夜は門に燎火は焚かないが、三日のあいだは何のかのと内輪の式事や客往来の慣わしがあり、こよいも奥は訪客の声に満ち、玄関には履物の数が多く見える。
「──今戻ったッ」
快活に聟どのはもう一ぺん奥へ呶鳴った。厨も客間も紛れているため、誰も出迎えに出ないからであった。
藤吉郎は思うのである。もう昨夜から自分はここの聟である。舅御をのぞいては主人たる者だ。出迎えの揃わぬうちは上がるまい。
「寧子ッ。今帰ったぞ」
袖垣の彼方の台所らしい方で、びっくりしたように、
「はいッ──」
と、優しい返辞が遠くした。それと共に、むしろ何事かと疑うように、又右衛門夫婦やおや屋や、縁者の者や召使の小侍などが、ぞろぞろと出て来て、彼のすがたにちょっと呆っ気にとられた顔をした。
寧子はそれへ来ると、水仕業していた腰袴を急いで取りはずし、端へ坐って、
「──お帰りあそばしませ」
と、指をつかえて出迎えた。それを見て、他の者もあわてて、
「お戻りなされませ」
と、一度に揃って頭を下げたが、勿論、又右衛門夫婦だけはべつである。この場を眺めに出たようなものだった。
「うむ」
寧子へ向って、また一同の頭に対して、藤吉郎は一つうなずいた。そして箱段を上がってずっとはいると、こんどは自身から舅姑の前へ慇懃に辞儀をして、
「ただ今戻りました。──今日はお城にも何事もなく、御主君にも終日、ごきげんよくわたらせられました」
といった。
実は舅の又右衛門、夜来から苦りきッていたところなのだった。縁者のてまえ、また、寧子の身にもなって見よ、と云い放ちたいくらいな心中だった。のめのめと戻って来たら、客には不体裁でも、頭から一喝は怺えきれまいと、自分でも覚悟していた程だったが、帰って来た顔を見ると、何の屈託もない明るさで、しかも自分までを玄関へ出迎えさせた。
(腹も立たない)
と、呆れ顔から吐息をもらしていると、まず第一の挨拶が、きょう一日のお城の無事と、主君の消息を告げることであったので、律儀な又右衛門は、それに対して、
「おお」
と、思わず坐り直し、
「今、お退城か。お勤め大儀でおざった」
と、肚の虫がいいたいこととはあべこべに、そういって、彼を犒いなどしてしまった。
その夜もおそくまで聟殿は酒の席をとりもっていた。一通りの祝い客は帰っても、縁者の中には住居が遠いために泊りとなる幾組もできる。
新妻の寧子も、召使のつかれ顔に、奥や台所の用事から離れることも出来ず、藤吉郎はやっと家に戻っても、ふたりきりでいる間はおろか、笑顔を交わすひまもなかった。
夜もようよう更け沈み、酒席の物も勝手に下げて、あしたの炊ぎを指図したり、酔いしれて眠った客の縁者たちの枕辺をも細かに気配りして、ほっと、襷をはずしてわが身に回ると、
「どう遊ばしたであろ?」
と、初めて自身の良人となった人をそっと探した。
ふたりのために語らうべくあった一室に、縁者の白髪頭だの、連れ子などが三組も寝ていた。酒もりしていた部屋にはまだ彼女の父母と近親の者が、囁きを洩らしている。
「……何処に?」
濡縁をさまよっていると、傍らの明りもない小者部屋の中から、
「寧子か」
と、呼ぶ。
良人の声である。寧子は声がつまってしまったが返辞はしたつもりである。胸が動悸するのだった。婚礼の杯をするまでは、そんな心地は覚えない人であったのに、ゆうべからは藤吉郎の顔へ眸も向けられなかった。
「……おはいり」
藤吉郎はいう。
寧子の耳には、まだ起きて話している両親の声が聞える。立ち迷うている間にふと縁先の蚊遣りの燃え残っているのが眼についた。彼女は蚊遣りの器を持って、
「そんな所にお休みでございましたか。蚊がおりましょうに」
と、恟々はいった。
床莚へじかに寝ていたのであった。藤吉郎はむっくり起きて、
「アア蚊か。なるほどいる」
「おつかれになりましたろう」
「そなたこそ」
宥って──
「縁者どもはしきりと辞退しぬいていたが、まさか、眼上の年老ったお方達を下部屋へ寝かせて、そなたとわしが金屏のうちにもやすめまい。無理に子連れの小母や御老人などをあれへお寝かし申したのだ」
「……でも、夜の具も召さずに、そんな所でお横になっていらっしゃると」
「大丈夫」
立ちかける寧子を止めて、
「わしの体は地へも寝たし、板床にも、貧しいには鍛えられている──」
と、すこし膝を正して坐り直した。
「寧子、もすこし前へ」
「……は。……はい」
「いうておこう。まだふたりはこうして、厳粛だ。この厳かなきれいな気もちも、夫婦の礼儀も、時経つと、失くなってしまう」
「どうぞ、ふつつかな所、何なりとお叱りくださいませ」
「女房は新しい飯櫃のような物──と誰やらいった。使いこまぬうちは木臭うて役には立たぬし、古くなればタガが外れたがる。だが良人も良人だ。時折、反省いたそう」
「…………」
「長い生涯、お互いが人間、お互いが短所だらけで、友白髪までも添いとげようというのだから、これは容易な業ではない。そこで、今のような気もちのうちに、誓いおうておきたいと思うが、そなたの胸はどうかな?」
「はい。どのような誓いでありましょうとも、必ず守って参りまする」
明晰に、寧子は答えた。
坐り直した藤吉郎も真面目そのものであった。少し怖い顔ですらあった。だが寧子は、こういう謹厳な顔を初めて見たことが、かえって欣しかった。
「まず良人として、妻へ望んでおくことからいおう」
「はい」
「わしの母だ。──祝言の席にはお迎え申さなかったが、わしが妻を娶ったことを、天地の間で、誰よりも、誰よりも、蔭ながら欣んでいて下されているに違いない中村の母者人だ……」
「はい」
「やがては、ひとつ家庭に、其女も共に住むことになるが──良人の世話は第二でよろしい。母上の孝養を、母上のおよろこびを、第一として侍いてもらいたい」
「……はい」
「わしの母は、侍の家には生れたものの、わしの生れる前からずっと中村の水呑み百姓。わしを頭にたくさんの子を貧窮の中にお育てなされ、子を育てることと、貧苦を切り抜けることのほかには、冬の綿子、夏の小袖一枚、自分の身にする楽しみやお生活は、何一つなく過して来られたお人じゃ。……だから世間の知識にもおうとく、言葉も鄙び、礼儀作法とか交際事にもとんとお晦いが──そうした母にも、そなたは嫁女として、心から侍いてくれるか。いや、敬うてお添いできるか」
「できまする。お母あ様のおよろこびは、あなた様のおよろこび。自然できることとぞんじまする」
「──が、其女にも、健在な両親がある。わしにとっても、同様に、大事なお舅姑方だ。わしはおまえに負けないで孝行を尽してあげる」
「うれしゅうございます」
「総じて、一家を持ったらば、良人の気を歓ばせようために、良人の身まわりばかりに気を取られるな。軽くしておくくらいでも愛情は自然に通う。人目にはそれで程よいもの。──良人の母とか、姉とか、召使とかには、努めてもなお足らぬものだ。──殊にわしは、家に母上の笑顔があり、家族どもがみな嬉々として生活していてくれれば、何よりも自分も楽しいことと思う」
「至りませぬが、精出して、そういう家庭を創りまする」
「それから……もひとつ、わしへのことだが」
「はい」
「さだめし其女は嫁ぐ日までの教養として、貞婦の鑑となるよう、お舅どのからも、厳しい庭訓を数々訓えこまれておろうが、この良人は、そう気難しゅうはない。──其女に頼んでおくことはただ一つだ」
「……それは」
「それはだな……良人の御奉公、良人の仕事、すべて日常のわしの働きを、妻たるおまえも共々よろこんでくれればいい。それだけだ」
「……?」
「やさしいことだろう。しかし、やさしくない。年月長く狎れ過ぎた夫婦を見い。良人が何を働いているか知らぬ妻。良人がいかに欣ばせようと苦しんでも欣べない女房どもが、軽輩にはないが、大身方の奥ほど多い。そうなると良人は、ひとつの張合いを失う。天下国家のために働こうという男も、家にあっては、小さい者、あわれな者、弱い者。わけてわが妻によろこばれるのが張合いだ。欣んでさえくれれば、男はまた、あしたの戦場へ、勇気づいて出て行こう。まあ、内助とでもいうことかな」
「かしこまりました」
「ところで、今度は、其女からわしへの希望を聞こう。いうてみい。わしも誓う」
そう訊かれても、寧子は何もいえなかった。黙っていた。
「妻が良人に欲するもの。そなたに望みがいえぬなら、わしが代っていってやろうか」
藤吉郎のことばに、寧子はにこと頷いてみせた。そしてすぐまた、さし俯向いてしまう。
「良人の愛ではないか」
「…………」
「ちがうか」
「……いいえ」
「変らぬ愛だろう」
「ええ」
「よい子を生んでくれ」
寧子は、おののいていた。燭があったら、その顔は丹のように燃えていたろう。
三日の内祝がすんだ次の日である。縁者廻りの第一に彼と新妻は正装して、この度の婚儀に、媒人の声がかりを賜わった主君のお従兄弟、名古屋因幡守を堀川の邸に訪ねて、
「これがその妻の寧子で。お眼にかけに参りました」
と、挨拶をのべた。
見くらべて、
「似合い者じゃ」
と、因幡守は世辞をいった。若木の新しい世立ちをながめるのはよいものであった。因幡守も大いに満足して、酒など与えてもてなしながら、
「恋女房ぞ。喧嘩すな」
などといった。
すこし酔うて、
「また、参りまする」
藤吉郎夫婦は退った。
それから二、三軒廻った。きょうの清洲の町は、自分たち夫婦に眼をあつめている気がした。寧子の麗しい姿に振り向く往来人に、若い良人はむしろ好意を持った。
「そうだ、叔父さんの家へもちょっと立ち寄ってゆこう」
足軽町の横へはいった。足軽の子は足軽の子らしく、この辺わいわいと童戯や、童歌に満ちて道を邪げている。
「叔父さんいますか」
破れ木戸を押すと、非番とみえて、糸瓜棚の下で手造りの竹笠に漆を塗っていた乙若が、
「おう、猿……」
云いかけたが、あわてて自分の口をたしなめ、
「藤吉郎か」
「妻をつれて来ました。眼をかけていただきますよう」
「何をいう。こちこそじゃ。弓之衆の浅野様の御息女。これ、藤吉郎、われは果報者だぞ。お舅様がたにも、飽かれぬようにせねばならぬぞ」
乙若は真実そう思って云いきかせているのである。わずか七年前だ。ここの縁側へよろ這い寄って、針売りすがたの木綿布子一枚、それも旅垢に臭いほど汚れたのを着て幾日も飯を喰べないような空腹をかかえ、飯を与えるとがつがつと箸を鳴らして喰べながら、何か夢みたいなことを訴えていた。
どこへ奉公にやられても腰の落着かない困り者と、聞いていたので素気なく追い返したが──その甥が、この猿が、どうしてまあ今日のような身になったか。
乙若は、眼のまえに置いて見ていても、信じられない気がする程であった。
だから今度の婚礼でも、
「果報のほどが怖ろしい」
とさえ、真実、親身なればこそ、藤吉郎のために、口を酢くしていうのだった。
「まあ、ともあれ、穢い家じゃが、上がってくれい」
あわてて奥の女房にも告げ、自身、案内に立ちかけた時であった。
垣の外で、誰か、
「陣触れ。陣触れでござるぞ。御用意あって、すぐお駈けつけあれ」
と、呶鳴って、その声は、隣から隣へと駈け伝えて行った。
「あ……? 召集のお布令じゃ。出布令の貝が、寄場のほうで鳴っている」
甥の新郎と新婦を導いて、家の内へはいりかけた主の乙若は、そのまま土間口に立ちすくんでしまっている。
その後に、藤吉郎も佇んだまま、遠くで鳴り出した貝の音や、近所の物声に、しばし、耳をすましたが、
「叔父御」
と、急に呼んで、
「召集布令でしょう。すぐお支度して、寄場へ駈けつけなければなりますまい」
「む! また遽かに、戦へ狩り出されるらしい」
「らしいなどと、悠長なお布令ではありません。すぐお出かけなさい。てまえもこれで失礼いたします」
「折角、新妻を携えて見えられたものをな」
「なんの、御斟酌には」
「すまんが、それではまた」
「こうした世の中。いずれ戦からお帰りにでもなったら、日を改めて伺います」
「生きて会えるかどうか」
「はははは、縁起でもない……門出にそんな気の弱いことを仰っしゃるから、叔母御がうしろで泣いているではありませんか。それより大将首でも取っておいでなさい」
「一度でもよいから、そんな軍功をわしが立てさえすれば、嚊や子にも、もすこし人並な暮しもさせてやれようものを。万年足軽の万年貧乏。それに、わしももう年齢が年じゃし」
破れ垣の外でまた、
「乙若どの。聞いたか。急な出布令だぞ。早支度して寄場へござれよ」
同じ足軽組の近所の人々である。陣笠、槍の先など、垣越しに見せて誘い合わせながら、もうわらわらと駈けて行くのだった。
「寧子」
「はい」
「持ち合わせがあるか」
「あるかとは」
「金じゃ。何分なと」
「ゆうべあなたの」
「おお、あの革巾着にあったか」
と、腰をさぐって寧子の手にあずけ、
「これをな、ここの叔母御にやるがよい。叔母御がうろうろ泣くので、子ども達までベソを掻いている。いずれは貧乏、それにこんな滅入りこんだ家族どもを置いて出ては、乙若どのも、よい働きのできよう理はない。──其女は後に残って、皆を励まし、賑わしてな、元気に出してやってくれ、叔父どのを」
「畏まりました。……そして、あなたさまには」
「わしか。わしへも、お召集が来ておろうと思う。ひと足先に、急いで戻る」
「桐畑のお邸のほうへ」
「いいや、聟入りと共に、わしの鎧櫃も、お許の部屋に納められてある。鎧櫃のすえてある所がいつでも帰り場所じゃ。……では、後から来い」
藤吉郎は云い残すと、もう足軽町の裏から駈け出していた。
今朝までは何の気はいもなかったし、因幡守と会った時も、至極無事な容子であったのに、いったい何処へ出陣するのか。
藤吉郎にも、常の勘が働かなかった。いつも合戦といえば、どの方面へと、たいがい彼の直感は的中していたが、やはりここ数日は花聟の頭は幾分時局から遠のいていたものとみえる。
物の具ひっ担いで、侍屋敷の横から駈けて出て来るのに、何人かぶつかった。凡ならぬ迅さで五騎、七騎、お城のほうから駈けて来るのにも出会う。何かしらぬが戦場は遠くだなという予感だけがした。
「木下。木下ッ」
弓長屋の近くまで来ると、誰か、呼ぶ者があった。
振り向いて見ると前田犬千代。
馬上だった。物の具に身をかため、桶狭間の日にも見た梅鉢紋の旗さし物を背から覗かせていた。
「今、立ち寄って、又右衛門どのへ声をかけて来たところじゃ。身支度して、馬揃いの馬場まですぐ集まれ」
「出陣か」
藤吉郎が、足を戻して、鞍わきまで寄ると、犬千代はとび降りて、
「どうだ、その後は」
会釈の代りに、にやと笑う。
「どうだとは」
「いわずもがな。琴瑟相和しておるかどうかと問うのじゃ」
「お訊ねまでもないことを」
「これはかなわぬ。アハハハハ。しかしよい気味、出陣だぞ。出足が遅いと、折も折ゆえ、馬揃いで、大笑いに笑わるるぞ」
「笑われても大事ない。さだめし寧子が辛かろうで」
「もうよせ」
「失礼」
「軽騎二千ほどで木曾川まで急に攻め寄せるのじゃ。黄昏立ちと布令には見ゆる。まだ少々間はあるが」
「では、美濃入りか」
「稲葉山の斎藤義龍どの、にわかに病んで死んだという密報がはいったのだ。そこで嘘か実か、小当りに一当て襲せてみよというので、にわかな出陣なのだ」
「はてな? この五月の中旬頃には、義龍どの御病死と聞えて、動揺めいたことがあったが」
「こんどは、どうやら真実らしい。いずれにいたせ、御当家にとっては、君公の舅君にあたる道三山城守様をば、前に討ち殺した義龍どのだ。人倫の上からも、倶に天を戴かざる舅君の仇ではあるし、中原へ展びんとするには、どうしても足場とせねばならぬ美濃だ。展びまいとしてもそこへ展びずにいない尾張との宿命だ」
「近いなあ、その日も」
「近いどころか、はやくも今宵からは、木曾川へ向って発つのだ」
「いや、まだまだ。君公には御出陣なさるまい」
「柴田どのの監軍、佐久間どの御指揮の下とあれば、信長様には御出馬ないとみえる」
「たとえ義龍どの亡く、その嫡子龍興どのも暗愚とはいえ、美濃の三人衆といわるる安藤伊賀守、稲葉伊予守、氏家常陸介らがあり、また、主家を去って今は栗原山の閑居に隠れおるとは申せ、竹中半兵衛重治のごとき人物もおるうちは、そう易々と参るまい」
「半兵衛重治?」
犬千代は、小首かしげた。
「三人衆の名は疾く隣国へもひびいているが、竹中半兵衛とやら、そんなに人物か」
「いや、人は知らず、わしだけは密かに心服しておるのだ」
「どうしておぬしはそのようなことまで存じておるのか」
「美濃には長くいたことがござるゆえ──」
藤吉郎はただそういうだけに止めていた。針売りの行商をして彷徨い歩いていたことや、蜂須賀村の小六たちの徒党に飼われて、稲葉山の隙を窺っていたりしていた少年の日のことなどは、おくびにも口に出さなかった。
「オ。思わず余談を」
犬千代は、鞍上にもどって、
「では、馬揃いで」
「おう、後刻」
ふたりは、そこの町辻を、裏と表へ駈けわかれた。どっちも若い青雲の夢を抱いて。
「今、戻ったッ」
玄関声とでもいうのか、いつ帰っても上がりしなに先ず大声をとどろかせる。そら聟様のお帰りと、納屋働きの下男から勝手の隅にまで分るのであった。
藤吉郎は今日に限って出迎えも待たず、もう奥へ通ったが、出会いがしらに寧子が姿を現わしたので、
「おやッ?」
びっくりした顔をした。
「お帰りあそばしませ」
寧子はいつもと変りなく、すぐ彼の棒立ちになった足もとへ手をつかえる。
さすがに藤吉郎も、すこし胆を挫がれた。どうして自分より先に寧子が家に帰っていたろうか。後に残って乙若の家内を励ましたり、子供らへ志の物を与えて後刻に帰れ、といいつけて自分が一足先に出たのに?
「……寧子。いつ戻った」
「先ほど戻りました」
「先ほど?」
「はい。後に残って、おいいつけの事もいたしまして」
「ふうむ……」
「あなた様のお志の物をさしあげたところ、叔母さまにも叔父御さまにも、涙をうかべておよろこびなさいました。足軽風情は戦に立つ身より、後に残す大勢の子や老人の生活が気がかり。これで安心して立たれると仰っしゃって」
「そして其女は、どうしてわしより先に、家に帰り着いておるのか」
「あなた様にも御出陣、お門立に遅れてはならじと思いますゆえ、叔母さまにお願いして、御近所の駒を拝借し、近道を急いで帰っておりました」
「何、馬でか」
なるほど、それでは早かったはずと合点はついたが、さらに、部屋へはいって見てから、藤吉郎はもう一度、感に打たれた。
床に清浄な莚が展べてあった。具足櫃がそこに出されてある。籠手、脛当、胴、腹巻などの物具はいうもおろか、金創薬、燧打、弾薬入れ、すべて身に纏うばかりに揃えてあるのだった。
「お支度を」
「うむ。よくぞ、よくぞ!」
思わず賞めそやした。けれど賞めながらふと彼の思うらく。──この女房ばかりは、おれも少し目鑑違いしたらしい。娶う前に観ていた以上どうしても人間が出来ている。浅野家の庭訓や環境のよさにもよろうが、当人の素質そのものが、もとより恋の対象だけにしかならないお人形ではなかったのだ。へたをするとこの女房に愍れまれる良人になり終る惧れすらある。いや宜しい。こういう女房が後詰にあれば、良人は前面に全力を出すことができる。大いに生涯可愛がってやろう。
具足を着け終ると、
「では、お心おきなく」
寧子は、神酒の土杯と、勝栗勝こんぶとを乗せた三宝をそろえて出した。
「留守、たのむぞ」
「はい」
「舅御にも、ご挨拶の暇もない、よしなに其女から」
「母はおや屋を連れて津島へ詣で、まだ戻りませぬ。父はお城の留守詰を仰せつかり、こよいから夜も帰宅せぬと先刻言伝てがござりました」
「さびしゅうないか」
「い……い、いえ」
さし俯向いた。──しかも泣いてはいない。良人の兜を膝に持って、ただ重げな花のすこし風を耐えるに似ていた。
「よこせ」
兜を取って、無造作に藤吉郎は頭にいただいて緒を結んだが、その時、馥郁たる伽羅のにおいが全身に沁みとおった。彼はニコと寧子の顔を見ながら、伽羅の香をかたく結んだ。
底本:「新書太閤記(二)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年5月11日第1刷発行
2004(平成16)年1月9日第18刷発行
初出:太閤記「読売新聞」
1939(昭和14)年1月1日~1945(昭和20)年8月23日
続太閤記「中京新聞」他複数の地方紙
1949(昭和24)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※初出時の表題は「太閤記」「続太閤記」です。
入力:門田裕志
校正:トレンドイースト
2014年11月14日作成
2015年11月16日修正
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