群集の人
THE MAN OF THE CROWD
エドガア・アラン・ポー Edgar Allan Poe
佐々木直次郎訳
|
あるドイツの書物3について、〝es lässt sich nicht lesen〟──それはそれ自身の読まれることを許さぬ──と言ったのは、もっともである。それ自身の語られることを許さぬ秘密というものがある。人々は夜ごとにその寝床の中で、懺悔聴聞僧の手を握りしめ、悲しげにその眼を眺めながら死ぬ、──洩らされようとはしない秘密の恐ろしさのために、心は絶望にみたされのどをひきつらせながら死ぬ。ああ、おりおり人の良心は重い恐怖の荷を負わされ、それはただ墓穴の中へ投げ下すよりほかにどうにもできないのだ。こうしてあらゆる罪悪の精髄は露われずにすむのである。
あまり以前のことではない。ある秋の日の黄昏近くのころ、私はロンドンのD──コーヒー・ハウスの大きな弓形張出し窓のところに腰を下していた。それまで数か月の間私は健康を害していたのだが、その時はもう回復期に向っていた。そして体の力がもどってきて、倦怠とはまるで正反対のあの幸福な気分、──心の視力を蔽うていた翳── άχλυς ἤ πρἱν έπῆεν4 がとれ、知力は電気をかけられたように、あたかもかのライプニッツ5の率直にして明快な理論がゴージアス6の狂愚にして薄弱な修辞学を凌駕するごとく、遙かにその日常の状態を凌駕する、といったような最も鋭敏な嗜欲にみちた気分、──になっているのであった。単に呼吸することだけでも享楽であった。そして私は、普通なら当然苦痛の源になりそうな多くのことからでさえ、積極的な快感を得た。あらゆるものに穏やかな、しかし好奇心にみちた興味を感じた。葉巻を口にし、新聞紙を膝にのせながら、あるいは広告を見つめたり、時には部屋の中の雑然たる人々を観察したり、あるいはまた煙で曇った窓ガラスを通して街路をうち眺めたりして、私はその午後の大部分を楽しんでいたのであった。
この街は市の主要な大通りの一つで、一日じゅう非常に雑踏してはいた。しかし、あたりが暗くなるにつれて群集は刻一刻と増して来て、街燈がすっかり灯るころには、二つの込合った途切れることのない人間の潮流が、戸の外をしきりに流れていた。夕刻のこういう特別な時刻にこれに似たような場所にいたことがそれまでに一度もなかったので、この人間の頭の騒然たる海は、私の心を愉快な新奇な情緒でみたしたのであった。ついには、店の内のことに注意することはすっかり止めて、戸外の光景を眺めるのに夢中になってしまった。
初めのうちは、私の観察は抽象的な概括的な方向をとっていた。通行人を集団として眺め、彼らをその集合的関係で考えるだけであった。しかしやがて、だんだん詳細な点に入ってゆき、姿、服装、態度、歩き振り、顔付き、容貌の表情、などの無数の変化を、精密な感興をもって注視するようになった。
通り過ぎてゆく人々の大部分は、満足した事務的な風采をしていて、ただ人込みを押しわけて進んでゆくことだけしか考えていないように見える。彼らは眉をひそめ、眼をくるくると廻す。側を通る人にぶつかられても、少しもいらいらしたような様子を見せず、ただ身装を直して急いで歩いてゆくのだ。他の連中は、これもなかなかたくさんいるが、動作がせかせかしていて、顔をほてらせ、周囲の人がひどく込んでいるのでそのために孤独を感じているかのように、独り言をいい独りで身振りをする。自分の道をじゃまされると、この連中は急につぶやくのをやめて、その代りに身振りの方をいよいよ盛んにし、そして唇にはぼんやりしたような大げさな微笑を浮べながら、じゃまをしている人間が通り過ぎるのを待っている。つきあたられると、そのつきあたった者にむやみにお辞儀をし、いかにも当惑しきったような顔をする。この二つの大きな階級については、今まで記したこと以上に特にはっきりしたところは何もない。彼らの服装は、まさに端正と名づけらるべきものに属している。彼らは疑いもなく、貴族、大商人、弁護士、小売商人、株式仲買人──上流社会の者や、社会の俗人──閑人や、自分自身の仕事に忙しく携わり、自己の責任の下に業務を行なう連中──である、彼らは大して私の注意を惹き起さなかった。
商店や会社の事務員といった連中は一目瞭然たるものであった。そしてそれに私は二つの著しい区別を見分けた。いかがわしい商店などの若い事務員──きちんと合った上衣をつけ、磨きあげた長靴をはき、髪を油でてかてか光らせ、横柄な唇をした若い紳士たちがいる。何となく動作のはしっこいこと、それをほかにもっとよい言葉がないので事務机風7と名づけてもいいが、それを除いては、これらの人々の身嗜みは、約十二か月ないし十八か月前にはこの上なく上品であったものの正確な模写であるように、私には思われた。彼らは上流階級のうち棄てた流行を身につけていた。──そして、これがこの階級の最上の定義を含んでいるのだ、と私は信ずる。
信用ある商館の上の方の事務員、すなわち「世慣れたしっかり者」といった方も、間違うはずはなかった。楽に坐れるように仕立てた黒または茶色の上衣とズボン、白の襟飾りとチョッキ、広い丈夫そうに見える靴、厚い靴下とゲートル、などでそれとわかるのだ。彼らはみんな頭が少しばかり禿げていて、右の耳は、永年ペンを挾むのに使ったので、頭から離れてつき出ているという奇妙な癖がついている。彼らがいつも両手で帽子を脱いだりかぶったりすること、がっしりした古風な型の短い金鎖のついた懐中時計を持っていること、なども私は見てとった。彼らの気取りといえば体面を損じないということであった、──もしそういう立派な気取りというものが実際あるならだ。
威勢のよい面構えをした人間もたくさんいたが、これはあらゆる大都会に横行しているあのしゃれた掏摸の輩に属する連中だということが、私にはたやすくわかった。私はこれらの手合をよく詮索するように気をつけてみた。そして一体どうして紳士たちがこいつらを本物の紳士と間違えるのか想像しかねた。袖口がひどく脹れていることや、いやに何の腹蔵もなさそうな様子をしていることで、すぐ怪しいと気づかれるはずなのだ。
賭博者どもも少なからず見つけたが、これはもっとたやすく見分けがつく。彼らは、ビロードのチョッキに、変り模様のネッカチーフ、鍍金の鎖に、金銀線細工のボタン、というまさにいかさまぺてん師の服装から、嫌疑のかかり易くないことこれに及ぶものなし、という物堅く飾らない牧師の服装に至るまで、あらゆる種類の服装を身につけていた。それでも、この連中はみんな、酒浸りのために黒ずんだ顔色、ぼんやりした朦朧たる眼、固く結んだ蒼い唇、などで区別がつくのだ。その上、私がいつでも彼らを看破することのできる特性は、他にもう二つある。話をする声の調子の用心深く低いことと、拇指を他の指と直角をなす方向に普通以上に拡げることだ。こういういかさま師どもと一緒に、習慣は幾分異にしているが、やはり一つ穴の貉といったような種の連中を、私はしばしば認めた。これは、小才を利かしてごまかして活計を立てる方々、と定義してもよかろう。彼らは二つの隊に分れて公衆を餌食にしているように思われる、──すなわち伊達者の隊と、軍人の隊とだ。前者ではそのおもな特徴は長い捲毛と微笑とであり、後者では肋骨ボタンをつけた上衣としかめ面とである。
上品と名づけられているものの階段を下って、私はもっと暗くもっと深い考察の題目を見出した。顔の他のところはみんなただ卑劣な謙遜の表情だけを表わしているのに、眼ばかりが鷹のように光っているユダヤ人の行商人たち。ただ絶望のためにやむなく夜の闇の中に恵みを乞うているまだ性質のいい物貰いに、苦い顔を見せる体格のがっしりした職業的な乞食ども。確かにもう死神の手の中にありながら、それでも何か思いがけない慰め、何かの失った望みを捜し求めでもするかのように、一人一人の顔を哀願するように眺めながら、群集の中をとぼとぼとよろめき歩いてゆく、弱々しい蒼ざめた病人たち。長時間の遅くまでの労働から何の喜びもない家庭へと帰ってゆく内気な若い娘たち。彼女たちは無頼漢どものじろりと見る眼に憤って見返すよりも涙ぐんで身を縮め、そいつらにじかに触れられてさえ避けることができないのだ。また、あらゆる種類、あらゆる年齢の私窠子、──表面はパロス島8の大理石で内部は汚物でみたされているかのリューシアン9の彫像を思わせるような、女盛りの正真正銘の美人──ぼろを着た、胸の悪くなるような、もう全くだめな癩病やみ──若返ろうとする最後の努力をして、宝石をつけ脂粉をごてごてと塗り立てている、皺のよったの──まだ恰好も十分ついていないほんの子供のくせに、永い間の交際でその道の恐るべき嬌態もすっかり上手になっていて、悪行では姐さんたちと肩を並べようという激しい野心に燃えているのなど、また、数えきれぬほどいる何とも言えない酔っ払いども、──ぼろっきれを着て、顔に打傷をつけ、どんよりした眼をして、呂律の廻らぬ舌でしゃべりながら、よろめいてゆく者──よごれてはいるが破れておらぬ着物を着て、肉欲的な厚い唇、丈夫そうな赮らんだ顔をして、少しふらつきながらも肩で風を切ってゆく者たち──かつて以前は上等の地であったもので、今もなお念入りに十分ブラッシをかけた着物を着ている連中──不自然なくらいしっかりした軽快な足取りで歩いているが、その顔色はすごいまでに蒼ざめ、眼は恐ろしく血走って赤く、群集の中を大股に歩きながら、手にあたるものは何でもみんな震える指で掴みかかる者ども。以上のような連中のほかに、パイ売り、荷担ぎ、石炭運搬人夫、煙突掃除人。それからオルガン弾き、猿廻しに、歌う者と呼売りする者とが組になっている小唄の読売り人。ぼろを着た職人たちや、あらゆる種類の疲れ切った労働者たち。そして、すべてが騒々しく乱雑に躍動していて、それが耳にやかましい音を立て、眼に疼くような感覚を与えるのだった。
夜が深くなるにつれて、私にはこのシーンの興味もますます深くなってきた。というのは、群集の一般的性質が著しく変ってきた(穏やかな方の人々が次第にひき上げてゆくと共におとなしい趣がなくなり、夜更けがあらゆる種類の醜穢をその洞穴から押し出すにつれて、粗野な方の趣が前より一層無遠慮にはっきりと浮き上ってきたのだ)ためばかりではなく、最初かげってゆく日影と争うている時には弱々しかったガス燈の光線が、いまやついに優勢となって、あらゆるものの上に燦然たる、ちらちらする光を投げかけたからである。すべては黒く、しかし燦爛としていた、──ちょうどタータリアン10の文体が譬えられているあの黒檀のように。
その光の強烈な効果は、私をしていやおうなしに一人一人の容貌の吟味をさせた。そして、窓の前を過ぎ去る光の世界が迅速なために、箇々の顔に一瞥以上を投ずることはできなかったが、それでも、その時の私の特殊な心の状態では、その一瞥の短い間にさえ、しばしば、永い年月の物語を読みとることができるように思われるのであった。
額をガラスにくっつけて、こうして一心に群集を詳しく見ているうちに、突然、一つの顔(六十五か七十歳くらいのよぼよぼの老人の顔)が現われてきたが、その顔は、表情が全く特異なものであったので、たちまちに私の注意をことごとく惹きつけ吸いこんでしまったのだ。その表情に微かにでも似たようなものは、それまでに私は一度も見たことがなかった。それを見た時最初に考えたことが、もしレッチ11がこれを見ていたなら、自分の描いた悪魔の化身よりもずっとこの方を好んだろう、ということであったことを私はよく覚えている。最初の注視の短い一瞬間に、その表情の伝える意味を分析しようと努めた時、私の心の中には、用心の、吝嗇の、貪欲の、冷淡の、悪意の、残忍の、勝利の、歓喜の、極端な恐怖の、強烈な──無上の絶望の、広大な精神力の諸観念が、雑然とかつ逆説的に湧き上ったのである。私は奇妙に、眼が覚め、愕然とし、魅せられたようになったのを感じた。「どんな奇怪な経歴があの胸のうちに書いてあるだろう!」と思わず私は独り言をいった。それから、その男を見失わないようにしよう──その男のことをもっと知りたい、という烈しい欲望が起った。大急ぎでオーバーコートを着、帽子とステッキとを掴むと、私は街路へ跳び出して、その男の行くのを見た方向へと群集を押しわけた。というのは、その時彼はもう見えなくなっていたからだ。多少骨を折ってようやく私はその姿の見えるところまで来て、その男に近づいてゆき、そしてぴったりと、しかし彼の注意を惹かないように用心しながら、その後をつけて行った。
私はいまやその男の風采を十分吟味する機会を得た。彼は背が低く、はなはだ痩せていて、見たところ非常に弱々しそうであった。着物は大体、きたなくて、ぼろぼろであった。がおりおり彼が強くぎらぎらする燈火のあたっているところへ来る時、私はそのリンネルの衣服が、よごれてはいるが美しい地のものであることを見てとった。そしてもし私の眼の誤りでなければ、彼のまとうている、きっちりとボタンをかけた、明らかに古物らしい外套の裂け目から、一箇のダイアモンドと、一ふりの短刀とをちらりと見かけたのだ。こういうことを目にとめたので私の好奇心はますます高まり、この見知らぬ男がどこへ行こうとその後をつけようと決心した。
もうその時はすっかり夜になっていて、濃い、じっとりした霧がこの都会の上にかかっていたが、それがやがて本降りの大雨となった。この天候の変化は群集に奇妙な影響を与え、群集全体はたちまち新しい動揺を起して、無数の雨傘に蔽われてしまった。波立つようなざわめき、押し合いへし合い、がやがやいうやかましい音は、十倍も烈しくなった。私自身はといえば、大してこの雨を気にかけなかった、──体の中にはまだ以前の熱が潜んでいて、それが湿りを多少危険過ぎるくらいに心地よいものにしたのだ。口の周りにハンケチをくくりつけて、私は歩み続けた。半時間ばかりの間老人はこの大通りをかろうじて押しわけて進んで行った。そして私は彼を見失いはしまいかと恐れて、ここではぴったり彼にくっつくくらいにして歩いていた。一度も頭を振向けて後を見なかったので、彼は私に気づかなかった。やがて彼はある横通りへ入って行ったが、そこはやはり人でいっぱいではあるが、今まで通って来た本通りほどひどく込み合ってはいなかった。ここへ来ると、彼の様子は明らかに変化した。彼は今までよりもゆっくりと、また目当てもなさそうに──もっとためらいがちに、歩いて行った。見たところ何の目的もなさそうに幾度も幾度も道を横切った。そして雑踏はやはりなかなかひどいので、そういう時には必ず私は彼にぴったりとついて行かねばならなかった。その街は狭くて長い通りで、それを歩くのに彼はほとんど一時間近くかかったが、その間に通行人は次第に減って、通常、公園の近くのブロードウェイ12で午ごろ歩いている人の数ほどになった。──ロンドンの人口と、アメリカの最も繁華な都会の人口とには、それほど大きな相違があるのだ。もう一度道を曲ると、私たちは煌々と燈火がついていて活気の溢れているある辻広場へ出た。すると見知らぬ男のもとの態度が再び現われた。顎は胸のところへ落ち、眼はそのしかめた眉の下から、彼を取巻いた人々に向って、あらゆる方向に、激しくぐるぐる廻った。彼は絶えず根気よく道を急いだ。しかし、その辻広場を一巡りすると、ぐるりと廻ってもと来た道へひき返すのを見て、私は驚いた。もっとびっくりしたことには、彼はその同じ歩みを数回も繰返すのだった。──そのうち一度は、突然ぐるりと廻った時に、もう少しで私を見つけるところだった。
こうして歩くのにまた一時間を費やしたが、その終りには最初とは通行人に道を妨げられることが遙かに少なくなった。雨は小止みなく降っていた。空気はひえびえしてきた。そして人々は家路へと帰ってゆくのであった。いらいらした身振りをして、この流浪人は割合人気の少ない裏通りへ入って行った。四分の一マイルほどあるこの通りを、彼はそんなに年をとった人間には全く思いもよらない敏捷さで駈け下り、追っかけるのに私は非常に難儀をしたほどであった。数分の後私たちはある大きい賑やかな勧工場へやって来たが、この場所はその男のよく知っているところらしく、ここでは、大ぜいの買手や売手の間を、何の目的もなく、あちこちと押しわけて歩いている時に、再び彼のもとの態度が現われたのであった。
この場所で過したかれこれ一時間半ばかりの間、彼に気づかれないようにしてその近くにいるのは、私の方でずいぶん用心を要することであった。幸いに私は弾性ゴムのオーバーシューズをはいていたので、少しも音を立てないで歩き廻ることができた。一度も彼は私が見張っているのに気がつかなかった。彼は店から店へと入り、別に値段をきくでもなく、一言も口を利くでもなく、びっくりしたような、ぽかんとした眼付きであらゆる品物を眺めているのだ。私はもう彼の振舞いにすっかり驚いて、この男について幾らか納得できるまではけっして離れないでおこうと堅く決心した。
高く鳴る時計が十一時を打ち、そこにいる人々はぞろぞろと勧工場から出て行った。ある店の主人が鎧戸を閉める時に老人につきあたったが、その瞬間、強い戦慄が彼の体じゅうを走るのを私は見た。彼は急いで街へ出て、ちょっとの間不安げに自分の周りを見廻し、それから信じられぬような疾さで、曲りくねった人通りのない道をいくつも走り抜けて、もう一度私たちは、出発点のあの大通り──あのD──ホテルの街に現われた。しかしその街はもう前と同じ光景ではなかった。そこはやはりガス燈で煌々と輝いていた。が雨は土砂降りに降り、人影はほとんど見えなかった。見知らぬ男は蒼くなった。彼はむっつりしてさっきは賑やかだったその大通りを数歩足を運んだが、それから深い嘆息をもらしながら、河の方向へと足を向け、種々さまざまなうねりくねった道をまっしぐらに進んで、ついにある大劇場の見えるところへ出て来た。ちょうど芝居のはねた時で、観客は出口からどっとなだれて出て来るところであった。私は、老人がその群集の中に身を投じている間、息をしようとするかのように喘ぐのを見た。が、彼の容貌に現われていた強い苦悶は幾らか薄らいでいるように思った。彼の頭はまた胸のところへ落ちた。私が初めに見た時のような様子になった。今度は彼が観客の大部分の者の行く方へ行くのを、私は見てとった、──が要するに彼の行動のむら気はどうも私には理解しかねるのであった。
彼が進んでゆくにつれて、その人々もだんだんちりぢりになり、彼のもとの不安と逡巡とがまたもどって来た。しばらくの間、彼は十人か十二人ばかりの飲んだくれの一行にぴったりくっついて行った。がこの人数も一人減り二人減りして、最後に、ほとんど人通りのない狭い陰気な小路に、たった三人だけが残った。見知らぬ男は立ちどまり、ちょっとの間深く思案に耽っているようであった。それから、非常に興奮したような様子をして、一つの路をずんずんたどって行ったが、その路は、これまで歩き廻って来たところとは全く違った地域の、市のはずれへと、私たちをつれて行った。それはロンドンじゅうでも最も気味の悪い区域で、そこではあらゆるものが、最も悲惨な貧窮の、また最も恐ろしい犯罪の、最悪の刻印を押されていた。思いがけない街燈の薄暗い光で、高い、古びた、虫の喰った、木造の長屋が、その間の道の見分け難いくらい思い思いのいろいろな方向へ、倒れそうにぐらついているのが見えた。鋪石は、生い茂った草のためにその道床から押しのけられて、でたらめにごろごろしていた。恐るべき汚物が、つまった溝の中で臭気紛々として腐っていた。大気全体が荒廃の気にみちみちていた。それでも、私たちが進むにつれ、人の世の音が次第にはっきりと甦ってきて、ついには、ロンドンの住民の中でも最も無頼な連中が大ぜいあちこちとよろめき歩いているのが見えるようになった。老人の元気は、消えかかろうとする燈火のように、再びゆらゆらと燃え上った。もう一度彼は活溌な歩き振りで大股に進んで行った。突然街の角を曲ると、赫々たる光がぱっと眼に射し、私たちは、あの大きな場末の放縦の殿堂──悪魔ジン酒の宮殿──の一つの前に立っているのであった。
その時はもう暁に近かった。が、まだ幾人かのあさましい泥酔漢がそのけばけばしい入口を押しあいながら出たり入ったりしていた。なかば叫ぶような喜びの声をあげて老人はその中へ押し入り、たちまち以前の態度に返って、何も明らかな目当てもなく、人込みの中をあちらこちらと歩き廻った。しかし永くこうしていないうちに、戸口の方へどっと人が押しよせてゆくので、そこの主人が夜の戸締りをしているのだということがわかった。その時、私がそれまでそんなに辛抱強く見張ってきたその奇怪な人物の容貌に認めたものは、絶望などというものよりももっと強烈な何かであった。それでも彼は歩き廻ることをやめずに、狂気じみた元気で、ただちに歩を返して大ロンドンの中心へと向った。永い間彼は疾く走って行った。一方私は、全く驚きはてながらも、いまや心をすっかり奪われてしまうほどの興味を感じているこのせんさくをやめまいと堅く決心しながら、その後を追うて行くのだった。私たちが進んで行くうちに太陽は昇った。そして、もう一度この繁華な町のあの最も雑踏する商業中心地、D──館のある街へやって来た時には、その街は前の晩に見たのとほとんど劣らないくらいの混雑と活動との光景を呈していた。そしてここでも永い間、刻一刻と増してくる雑踏の中に、私はなおもその見知らぬ男の追跡を続けた。しかし、相変らず、彼はあちこちと歩き、終日その喧囂の巷から外へ出なかった。こうして、二日目の黄昏の影が迫って来た頃、私は死にそうなほど疲れはててしまい、この放浪者の真正面に立ちどまって、じっとその顔を眺めた。彼は私を気にもとめずに、その重々しい歩みを続けた。そこで私は後をつけるのをやめて、じっと黙想に耽った。「この老人は」と私はついに言った。「凶悪な犯罪の象徴であり権化であるのだ。彼は独りでいることができない。彼は群集の人なのだ。後をつけて行っても無駄なことだろう。これ以上私は、彼についても、彼の行為についても、知ることはあるまいから。この世の最悪の心は、Hortulus Animoe13などよりももっと気味の悪い書物だ。そして‘es lässt sich nicht lesen’14というのは、おそらく神の大きなお慈悲の一つなのであろう」
1 「独りでいることのできぬこの大きな不幸」
2 Jean de la Bruyére(一六四五─九八)──フランスの著述家。
3 というのは、終りの方に出ている〝Hortulus Animoe〟のことである。
4 〝ἀχλὺν ἀπ' ὀφδαλμῶν ἕλον,ἤ πρἰν ὲπῆεν〟Homeros, Ieias, 5, 127. その意は「両眼からその上に以前に覆うていた翳を取除いた」
5 Gottfried Wilhelm Leibniz(一六四六─一七一六)──有名なドイツの哲学者。
6 Gorgias(前四八五頃─前三八〇頃)──ギリシアのソフィスト、修辞学者。プラトンの対話の一篇に〝Gorgias〟がある。
7 deskism ── desk と ism とを合せた作者の造語で、翻訳者を困らせる言葉である。ボードレールの〝genre calicot〟にならって「店者風」とでもしてもよいだろうか。その他ドイツの訳者たちによって〝Ladenschwengelichkeit〟〝Heringsbädigereifer〟〝Zopfigkeit〟などと訳されている。
8 Paros ──ギリシアの多島海の中の一小島。古来、白大理石の産地として有名である。
9 Lucien ──二世紀のギリシアの有名な諷刺家。
10 Tertullian Quintus Septimius Florens Tertullianus(一五〇?─二三〇?)──初期のラテン教会の師父の一人。主著〝Apologeticus〟の他〝Ad Martyres〟〝De Baptismo〟〝De Poenitentia〟など、宗教上の著述が多い。
11 Moritz Retzsch(一七七九─一八五七)──ポオの時代に生きていたドイツの蝕鏤師、画家。ゲーテやシルレルの作の插絵を描いた。
12 Broadway ── ニュー・ヨーク第一の大通り。中央公園からボーリング・グリーンの広場に至る。
13 グリュニンゲルの Hortulus Animoe cum Oraituuculis Aliquibus Superaditis.(原)
14 「それはそれ自身を読ましめぬ」
底本:「アッシャア家の崩壊」角川文庫、角川書店
1951(昭和26)年10月15日初版発行
1974(昭和49)年4月30日改版13版発行
※底本ではページごとに振られている訳注番号を通し番号に改めました。
入力:江村秀之
校正:まつもこ
2020年1月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。