日本名婦伝
谷干城夫人
吉川英治
|
白い旋風を巻いて「戦」が翔けてくる。──五十年めの大雪だという雪かぜと共に、薩摩と肥後の国境を越えて。
明治十年の二月だった。
時の明治政府へ、
「具申尋問のため」
と唱うる薩南の健児たちは、神とも信頼している西郷隆盛を擁し、桐野・別府・篠原などの郷党の諸将に引率されて、総勢三千四百人を、二大砲隊十六小隊に組織し、
「百難道をさえぎるとも!」
と、決死の誓の下に、上京の目的を抱いて、すでに鹿児島を立っていたのである。
が、この熊本には、官の鎮台がある。彼等の通過をゆるすべきか拒むべきか。鎮台の意志は問題なく、
「たとえ陸軍大将であろうと、西郷はすでに閑職の人である。のみならず私兵を組織し、純然たる軍備をもって上京するなど、由々しい国憲の違反だ。正当な下意上達とは認められん」
というに一致していた。
また、──箇々の感情としては、
「薩南の健児に血があるというなら、熊本の男児にも鉄石の心胆がある。憂国の赤心は、彼のみのものではない」
とも云って、各〻、悲壮な決意を、鎮台の司令部──熊本城のひとつに蒐めていた。
──こうした中に、熊本の町は、十八日の黄昏れを落した。人影はおろか、いつもの灯も見えない。ただ暗い雲の吐く粉雪のけむりに全市は霏々と顫いていた。
「お支度はできましたか。もうやがて七時に近うございましょう」
もう数日前から市民はあらかた避難し尽している。この宵、人声の聞えたのは、鎮台将校の官舎となっている士族町だけだった。
「お宅様も、お片づきですか」
「はい。まるで旅立ちのように」
和やかな笑い声さえ聞えた。恐いとか、悲しいとか、寒いとか、そんな日頃の観念は誰の頭にもとうになかった。
今日、鎮台からの達しには──
と、あった。
鎮台の軍議は、籠城と決定らしい。良人の方針を見とどけないうちはと、将校たちの夫人は、最後まで家庭に踏み止まっていたのである。そしてわずか半日の間に、各〻、一切の後かたづけをすますと、
「もう心残りはない。後は、良人と共に」
と、心のひとつな婦人ばかりが結束して、頭巾や簑笠に身をつつみ、命令の時間までに、鎮台へ行こうと誘い合せているのだった。
その中に、鎮台司令官の夫人、谷玖満子もいた。
玖満子は、自分の邸のことといっては、何も顧みている間もなく、毎日、良人の同僚の家庭を見舞っていたが、今日はなおさら、大きな責任を感じているらしく、
「おや、与倉様の奥様が、まだこの中に、お見えにならないではありませんか」
と自身で、少し先の門まで、様子を見に行った。
第十三聯隊長の与倉知実中佐の夫人は、妊娠していて、折も折、臨月に近いからだであった。
「田舎へ避難あそばして、お健やかに、お産をお果しになるのも、御主人への貞節ではございませんか」
と、玖満子をはじめ、人々はみな切にすすめたけれど、与倉夫人鶴子は、
「だいじょうぶです。武人の子ですから、胎内にいるうちに、大砲の音を聞かせておくのもよいことです。籠城中の良人もまた、いつ戦死なされるか知れませんし、誕生の時、一目でもお見せできたら、父も子どもも、どんなに満足か知れますまい」
そういって肯かなかったのである。
けれど、何といっても身重なので、支度に暇がかかったとみえる。
──玖満子が、門前から声をかけると、
「はいただ今、妹に藁沓をはかせてもらっておりますから、すぐに参ります」
と、玄関のあたりで、返辞が聞えた。そして間もなく、
「お待たせいたしました」
と、妹の幹子に援けられながら、雪の中へ歩いて来た。肩を丸くつつんでいる簑の厚さにも、雪の冷えを胎児に及ぼすまいとする心づかいが見えていた。
城の近くまで来ると、下馬橋の濠外に、一小隊の兵が迎えに出ていてくれた。
白鷺の群れのように、婦人たちの一隊は、鎮台の山にかくれた。
城内の一廓には、彼女たち以外の婦人や将士の家族もたくさん引揚げて来ていた。広い床に莚をしいて雑居していた。
「これからは、お城中が一家族ですね」
「たいへんな大世帯ですこと。どうぞよろしゅうお指図くださいませ」
何か冗談のようでさえあった。お互いに心を明るくするように努めているのかも知れない。和やかな笑いが急に増した。
「ここは陽気でいい。女子たちのほうが元気じゃないか」
大きな声が室外にひびいた。振向くと、司令官の谷干城少将が、参謀の児玉源太郎少佐、樺山資紀中佐など幕僚五、六名といっしょに、廊下に立っていた。
聯隊長の与倉中佐も後ろにいた。大勢の婦人たちの中に、中佐の眼はすぐ妊娠している妻のすがたを見出していたらしかったが、気づかない顔していた。
いや、谷将軍のすがたに向って、婦人たちは一斉に両手をつかえていたから、鶴子夫人も良人の中佐へ眸を上げていられなかった。
谷干城は、その礼を、にこやかな眼にうけて、
「この度は、ぜひなき場合となりました。私情としては、誰方へも等しくお気の毒にたえんが、武人の妻たる高い理想からいえば、一死を倶に邦家へ捧げ得る機会に恵まれたことはむしろお互いの歓びとも申したい。──国憲擁護のため、国体の本義に立って、われわれは城と共に最後の最後まで戦わずには措かん。賊軍の一兵も台下を通過させん覚悟でいます。……が、孤城よく幾日を支えうるか。籠城戦は根気だ、また、食糧その他一切は自給自足だ。日常、家庭での御内助をここ一城に集めて、あんた達のお力にまつ任務も多い。元よりこれへお越しの上は、疾く決死の覚悟は極っておられようが、不肖、鎮台司令官として一言申しあげておく」
重厚な彼のことばが結ばれると、しいんとしていた人々の中に嗚咽の声が微かに流れた。
「では。参謀副官──」と、将軍は、児玉少佐を顧みて、
「病院とか兵站部とか、婦人たちは、それぞれ適宜な部署へ分けて、なるべく、危険に曝されんように、明日でも配置してくれんか」と云った。
「承知しました」
「妊娠中であるとか、乳のみ児を抱えているとか、また、老年の婦人には、特に注意してやってくれい」
「はっ。……自分も充分注意しますが、婦人たちの統率はやはり婦人がよいかと思われます。閣下の奥様ともよく打合せてやることにいたしましょう」
すると、与倉中佐が傍らから云った。
「──だが、児玉少佐、閣下の奥様はどこへ来ておられるのか。お姿が見えんじゃないか」
「えっ、この中に、お在でがないって?」
「ウむ。先刻からそれとなく見ておるんじゃが、何処にもおられん」
急に人々は顧み合った。将校たちも大勢の上をつぶさに見廻した。
「わたくし達と御一緒に、お濠の下馬橋までは、与倉様の奥さまを宥りながら確かに歩いておいで遊ばしたのに」
と、共に邸を出て来た婦人たちもさわざ出して、もしや途中で何か禍いにでも遭ったのでないかと憂い合った。
そこへ聯隊副官の平佐中尉が駈けて来て、
「閣下。ただ今、岡本軍曹が帰って参りました」
と、告げた。
「何。岡本が帰って来た? 一人か」
将軍は、そう聞くと、人々が憂えている夫人の事は、意に介しないもののように、司令部の方へもどって行った。
雪や泥にまみれた姿のまま、岡本軍曹は司令部の一隅に直立していた。
彼は俥夫の身装をしていた。川尻方面の動静を探るために、三等出仕の烏丸一郎とふたりで、昨日から敵のなかへ深く這入って行ったが、烏丸が薩軍の哨兵に発見されて追われたため、彼はひとりとなって辛くも復命に帰って来たのであった。
「賊軍前衛の別府隊は、今夜、水俣に宿泊し、あすは川尻まで前進するかと思われます。第六第七の二箇大隊で、千六百人の主力です。──一方、桐野・篠原・池上隊などは、玖満(球磨)川を下って八代へ向っています。西郷殿の所在は確とわかりませんが、横川に宿営したのが事実のようであります。──そして薩軍がこの熊本の市中へ侵入して来る日は、多分、二十日の午前中になるかと考えられます。──以上、終り」
谷将軍と幕僚のすがたを前に、岡本軍曹は一息に報告した。
「御苦労だった」
将軍は、彼の労を宥ってから、
「烏丸はどうしたか」
「賊兵に発見されて、追い廻されましたが、貴様だけ逃げろ逃げろと、彼が叫ぶので、報告も大事と、先へ走って来ました」
「では、捕虜になったか」
「いえ、敏捷な烏丸のことですから、逃げきったろうとは思いますが、もう到る所に、賊軍の偵察隊や哨兵が出ていますから、どうかと、途中が案じられます」
その時、司令部の窓外で人声がした。下士官や婦人達が、樺山参謀を呼び出して訴えているのである。将軍の夫人玖満子がどこを探しても見当らない。どうか鎮台の外へも兵隊を出して、手分けして探していただきたいという一同の嘆願を伝えて来たものだった。
その声を小耳にはさんだか、谷将軍は次の室へ足を移して来た。そして副官に告げて一小隊の兵をそれぞれ変装させて、城外へ急派することを命じた。
が、それは、玖満子夫人の捜索にではない。──三等出仕の烏丸一郎を救援のためにであった。
「はっ。承知しました」
高橋少尉の小隊が去ると、樺山参謀は谷将軍へ向ってすぐ進言した。
「奥さんの身も、一同が心配しています。誰か数名、城外へ見せにやりましょう」
「要らんことだよ」
谷将軍は笑った。
「あれは君も知っとるように、存外、暢気者じゃからね、何か、気まぐれに道くさでもしておるに違いない。ア。──それよりは、児玉君、奥君、林大隊長も、参謀室へ集まってくれんか、作戦上ちと協議したいことがある」
蝋燭の灯を置いて、卓上には一面の地図がひろげてあった。谷将軍を中心に、幕僚の顔がそれに集まって、小声に何か熟議していた。
と、背後の仄暗い隅で。
誰か、人の気はいがするようだった。そしてバチバチと炭火の刎ねる音がした。
樺山中佐は、卓上の地図に寄せていた眼をちらと振向けて、
「誰だ。──弁蔵か」
「はい。小使でございます」
老小使の弁蔵は、炭バケツを下に置いて、姿勢を改めていたが、それきり何も云われないので、また、大火鉢の薬鑵へ水をさしたり、番茶道具を運んで来たり、物静かに用をしていた。
小使の弁蔵爺やは、将軍がまだ高知県少参事だの台湾総督参謀だのを、転々と歴任していた頃から、馬丁として家庭に仕えて来た忠実者だったが、もう年を老って、馬の先にも駈けていられなくなったし、機密の多い司令部付の小使として使うには、安心できる人間なので、去年将軍が台湾から熊本へ赴任して来た時から鎮台の方で雇うことに改めてやった者である。
だから弁蔵爺やだけには、幕僚たちも何の警戒の必要をも感じなかった。とはいえ、その晩の協議は、作戦上重大な機密でもあるので、彼がそっと出入りするごとに冷たい外気が入口から流れこんで蝋燭の灯がゆれると、そのたびごとに幕僚たちは知りながらも、つい後ろへ眼をくばった。
「弁蔵、用事があったら呼ぶから、小使室へ退がっておれ」
「……はい。はい」
弁蔵はすぐ室外へ出て行った。けれど小使室には戻らないで、まだ粉雪の舞っている闇の夜空をながめていた。そしてしばらくは参謀室のほうに心をひかれているふうだったが、突然、厩の手綱を断った悍馬のように、鎮台の丘から下へ向って駈け出した。
小使室を借りて、手足を洗ったり、軍服に着更えたりしていた岡本軍曹は、さっきから弁蔵爺やの挙動に不審を抱いて、司令部の横に佇んで、彼の様子を監視していた。
岡本軍曹も、日頃ならそんな心はうごかなかったかもしれないが、自分自身がおとといから敵地にはいって、密偵の重任を果し、九死に一生を拾って帰って来たばかりの昂奮がまだどこかにあったので、弁蔵爺やの行動にも、すぐ同じことが考えられた。
「あっ、変だぞ」
呟くと、崖の際まで駈けて、木の間から見送っていた。
爺やの影は、老人とも思われないほど、精悍でまた迅かった。壮年の頃から長年、馬の後前について駈けた脛の面影がある。しかし、その敏捷さは、岡本軍曹の疑いによけい自信を抱かせた。
軍曹は咄嗟に、
「彼奴。敵へ何か漏らしに行ったな!」
賊軍のまわし者と信じたのである。軍曹もすぐどこかへ駈けて行った。と思うと、一挺のスナイドル銃を持って、大手の坂道を駈け降りていた。
参謀室の地図の面に、白い息を見せて、静かに協議していた人々は、ふと、蝋燭の光から顔をそむけて、
「おっ、小銃の音が?」
と、耳をすました。
どこかで一発の銃声はたしかにしたようだったが、それ限りもとの静寂に返った。
「……この際です、見て来ましょう」
与倉中佐は出て行った。
小銃一発といえ、鎮台の全神経は忽ち沸いていた。中佐の眼には、駈け集まった大勢の兵に擁せられて、昂奮しながら坂を上がって来た岡本軍曹の影が見えた。
「今の小銃はどこで撃ったのだ。賊兵か、鎮台の者か」
「わたくしが撃ちました」
岡本軍曹は、毅然と前へ出て、小使の弁蔵を間諜と認めたという理由を陳べていた。
谷玖満子夫人は、夕方誘い合せた人々が、無事に鎮台へはいったのを見届けると、またわが家の方へ引っ返して、それから約二時間も経ってからただ一人で再び熊本城の丘を登って行った。
飯田丸の下まで来ると、小銃の音が聞えた。べつに心にかけなかったが、少し行くと、石段の下に倒れている人影があった。雪のなかに踠いている様子が苦しげに見えた。
「あれっ、おまえは、爺やではありませんか」
彼女にはすぐ分った。多年、家に召使っていた弁蔵である。弁蔵もその声を聞くと、
「奥さまか」
と、大きな眼をしてさけんだ。
勿体ない、勿体ない、と振踠いて肯かない爺やを無理に肩に援けて、彼女は雪の石段をようやく上がって行った。
小銃の弾は、弁蔵の腰か太股にあたったらしい。子どものように痛い痛いとさけぶのを、肩越しに、
「何です、鎮台の一員のくせに」
と、玖満子は叱りながら負って来た。
司令部の前に立群れていた人々は驚いて、彼女と弁蔵を取囲んだ。彼女は医官を呼びにやって、取敢えず弁蔵を小使室に寝かせた。
一時は疑われたが、幸いに弁蔵は口がきけるので、その口述に依って、誤解はすぐ闡明になった。
まったく岡本軍曹の勘ちがいで、弁蔵が小使勤務の隙を見て、鎮台から出て行こうとしたのは、玖満子夫人の身を誰よりも心配していたからであった。旧主を思う情の余り、将軍にも無断で、その邸まで一走り行って安否を糺して来るつもりだったのである。
与倉中佐から理を聞いて、谷将軍も小使室の外まで来た。そして妻の玖満子を見ると、
「何していたか」
と、一言叱った。
「御心配をおかけして申し訳ございません」
玖満子はそう人々に詫びてから、
「実は皆さまのお立退きの後、邸へ戻って、し残していたお掃除などして参りました。いずれ賊軍が熊本の町へはいると、官舎なども家捜しするに違いございませんから、お手紙や書類を焼捨て、また、取乱して逃げたと嗤われぬよう、お雑巾がけまでして来たのでつい遅くなってしまいました。──それからこれは与倉様の奥さまに差上げようと思って、先頃、錦山神社へお詣りした時いただいておいた安産のお神符ですが、神棚から下ろして持って参りました。どうぞ、お後で奥さまにお上げ下さいまし」
と、与倉中佐の手へそれを渡した。
将軍は、無表情に聞いていたが、彼女のことばが終ると、
「玖満子。おまえに云い渡しておくが──また、おまえから営内の婦人方へ伝えてもらいたいが。──今日以後、鎮台全員は一体になって戦争状態に入る。一体とは五体の爪の端、髪の毛一すじまでも云う。爪、髪、手、脚、各〻は各〻で生きていない。常に主体あっての手であり、脚であることを知れ。──今夜のおまえの行いの如きも、武人の妻として平素の心がけが働いたのだろうが、すでに主体の組織に参加したのだから、今までの単なる家庭の主婦というだけの観念ではならぬ。一家とか良人とかが主体ではなく、それは一単位にすぎぬ。もっとその上にある大きな主体に奉じることを念としてもらいたい」
と、諭した。
「よく分りました。私の戴いたお叱りですが、皆さまにもその通りお伝えいたすことにいたします」
その後を、担架にのせられた弁蔵爺やが、静かに通って行った。鎮台内の聯隊病院は、今夜から戦時病院に編成されていた。
「爺さんが初入りの患者だぞ」
担架の毛布をのぞいて、兵隊は笑ったが、弁蔵は笑えない顔していた。
いや、それよりも、深刻な悔いを面にたたえながら担架のあとから悄然と従いて行ったのは、岡本軍曹であった。──将軍が玖満子に告げた言葉は、そのまま彼の脳裡にも深く自省を与えていた。
翌十九日の朝になると、薩軍の前進は、刻々と報告され、一挙、熊本を席捲して、北上しようとする颱風のような全軍の相貌と殺気は、もう鎮台兵の肌近くひしひしと迫って来た。
ところが、その朝の十一時頃である。
谷司令官以下、幕僚たち数騎で、市中へ巡察に出ていると、その間に、二の丸天守閣の附近から失火が起った。
雪は霽れあがっていたが、金峰颪しの烈しい日だった。
炎は瞬くまに拡がって、本丸から飯田丸、嶽丸の重要な建物を舐めつくした。一ノ天守、二ノ天守の高楼も焼け落ちた。城下の坪井町、藪之内、京町、塩屋町などは、飛火を浴びて一円の火の海と化してしまった。
「……ああ、何たることだ。戦の前に」
ようやく、夕方には鎮火したが、消火の指揮に疲れ果てた将校たちは、焼けあとを眺めて、一時は茫然としてしまった。
──司令部ハ即時「宇土櫓」ニ移ス!
──電信ノ修復ヲ急ゲ!
──糧食課員ハ至急残存ノ在庫額ヲ調査シ参謀部ニ集合セヨ!
──各隊交代制ヲ布キ二時ズツ休眠セヨ!
──各防禦陣地ノ部署ハ寸毫変化アルベカラズ、猥リニ動クモノハ厳罰ニ処ス!
司令部付の伝令は駈けまわる。信号喇叭は高鳴る。
仰ぐと、僅かに焼け残った城廓の一端、宇土櫓のうえ高く、白い司令旗は不動の意志を示して翻っていた。
「そうだ! 火災ぐらいに気が挫けてどうする」
将士はわれに帰ると、忽ち各〻の任務について、最高度の活動を起した。電信は夜までに通じるようになった。兵站部は炊煙をあげた。婦人軍は病院に詰めたり急拵えの営舎に立働いた。
徹宵、焼けあとに働いていた工兵たちは、夜が明けると、傷ましそうに、真っ黒な喬木の梢を見上げて嘆き合った。
「……ああ、この大銀杏も、焦げてしまった」
それは幹の太さ五ツ抱えもある本丸前の大銀杏で、名城熊本の象徴として聳え立ち、秋となればこの大木の金葉が燦々と城下町から遠望されるので、熊本の城を称んで一名「いちょう城」とも唱えられたほど由緒ある樹であった。
「人にも寿命がある。この際、樹など惜しむに足るものか。われわれの骨を焼いても、亡ぼしてならないものは国憲の大則だ、国体の擁護だ。そのためにはあらゆるものを戦に投げても惜しくはない」
若い工兵将校が絶叫した。工兵たちは、巨大な一本の炭と化した銀杏の樹に万歳の声を献げた。
それに答えるように、川尻方面で大砲の音がとどろいた。城下の各所からもバチバチ小銃の響きが起った。
薩軍の先鋒隊はすでに市街へ入って来たとみえる。
「鎮台司令官は、防備にのみ専念されておられるが、なぜ、進んで三太郎峠の嶮を擁し、積極的に敵を撃破するの策に出なかったか」
これは県権令の富岡敬明が、最初、谷将軍へ詰問したところである。
同様な異論は、当然、幕僚のあいだにもあった。
──が、谷将軍には、正しい理由と信念があった。
「鎮台兵は皆、徴兵の制で集めた民兵である。百姓商人の子弟でまだ訓練も充分でない。精鋭な薩南の兵と戦ってひとたび潰乱したら殆ど脱走してしまうだろう。退いて鎮台を守るとなってはすでに遅い。──しかも征討総督の海陸軍は、まだ遠い神戸の埠頭にあって、その到着を遽かに待つことはできない」
近くの小倉聯隊へも、援軍を急派せよと、電信は打ってある。それに対して、聯隊長心得の乃木希典少佐から、第三大隊と第一大隊とが出動して、もう久留米まで進んでいるという返電はあった。しかし薩軍が全力でそれを阻めることは目に見えているので、果たして鎮台へ合体できるか否かは、聯隊の兵力ぐらいでは多分に疑問としなければならなかった。
孤塁。
恃むはただ、二千五百八十名の鎮台内の者が、一心一体となって、命を国土に帰すという心になりきることしかない。それしか恃むものはない。
「開戦に前だって、火災に罹ったのは、ともすれば他を恃みたくなる雑念を焼き払って、一層、われわれの信念を強固にしてくれたようなものだ。その意味で祝杯をあげ、敢えて守勢の苦戦に臨もうではないか」
その朝、将軍は、一本の葡萄酒を空けて、幕僚一同と共に乾杯した後、宇土櫓のうえに登って行った。
焼けあとの黒銀杏の辺で、工兵が万歳の声をあげた時刻である。
他の工兵部隊は、鎮台の麓の要所要所に地雷を埋め、防柵を組みまわしていた。眼で見ただけでも、市民のいない市街の屋根と、この鎮台の山とは、濠と柵と地雷とで、はっきりと区切られた攻防線に別れていた。
「……あ。糧食課の将校と輜重隊の兵か。お、だいぶ曳いて来たな」
将軍の眼にあてている望遠鏡に、遠い市外端れの土橋や街道が映っていた。十五、六輛の車と二千頭ほどの馬の背に、米叺を積んで来る人馬の縦隊が見えたのである。
それに向って、田圃や人家の陰からびゅんびゅん弾が飛んでいた。薩兵のすがたが見えた。偵察隊であろう、薩軍のほうも人数は少ない。しかし、味方の輜重隊は彼の抜刀群に斬りまくられて算をみだし始めた。
「与倉中佐っ、与倉中佐」
櫓から下へどなった。──が、居合せないとみえて、奥少佐が駈け上がって来た。
「おっ、君でもよい、すぐ中隊をやって、今朝、市外へ糧食の徴発に行った輜重隊を援護してくれ給え。もう彼処の土橋まで来ておるが、賊軍の偵察隊に阻まれて危機に瀕しておる」
地点を望遠鏡で見とどけて、奥少佐が駈け降りてゆくと、将軍は眼を転じて、鎮台内の西のほうを見下ろした。
野戦病院の屋根の雪も解けた。その横の丘が山砲台、その前の広場は射撃場である。つづいて西出丸の建物がある。
その辺りに、婦人たちのかいがいしい姿がたくさん見えた。ある者は白木綿で髪止めをしている。ある者は紅の襷をかけ、ある者は鯉口を着て、兵と共に、働いているのである。
焼けあとから工兵が掘起した味噌とか米俵とか、原形もなくなっている食糧の山から、なお幾分でも食べられそうな部分を選り分けているのだった。
将軍は急に胸が迫って来た。
火災はむしろ天祐と先にいったが、食糧課員の調査表によると、出火前は、貯蔵精米が五百五十余石、玄米百十六石一斗とあって、一日の消費額二十九石として、今後、約二十日間は充分支えがつくことになっていたのが、火災のため、そのうち五百石余という大部分は焼失という赤線で消されていた。
この補給をどうするか?
薩軍は怖れないが、彼の最も憂惧したのはその問題だった。兵隊ひとりに七合二勺五才ずつ、二千五百八十名への割当を、どこから持って来て供与したものか。
現状の程度で幾日あるだろうか。
「──司令官、ただ今、征討軍本部から電信がありました。陸軍卿の山県有朋閣下からであります」
うしろに電信課の書記が直立していた。
「お。そうか」
受取って見ているところへまた、
「いやどうも、たいへんな中で大変なことが持上がりました」
と、児玉少佐が、快活な笑い顔して上って来た。
「何じゃね、大変な事が持上がったとは」
「与倉中佐の奥さんが、病院でお産したのです。男の子が生れました」
「ほう! 今朝の大砲の音で産気づいたな。……めでたい。早く与倉君に知らせてやりたまえ」
「先程から兵卒をやって、すぐ嬰ン坊の顔を見に来いと云ってやったんですが、段山の陣地で軍務についておる身だから、そんなものは見に行かれんという返事です。……見たくてしようがないくせに負惜しみしとるんですな。はははは」
「ありがとう」
将軍は、段山の方へ向って、心もち頭を下げたが、屹と胸を正して少佐に云った。
「児玉君。わしもお見舞に行ってあげたいが、寸時もここは離れられん。……家内は経験があるからよく産後を看ておあげするよう、君からも云うてくれんか」
昼近くなるにつれて、砲声はいんいんと震撼しはじめた。薩軍の包囲態勢はすでに整ったとみえて、着弾はかなり正確となり、今し生れた呱々の声する産室の附近にも、幾つか落ちて土けむりを揚げた。
夜になると病棟の窓々は、染硝子でも嵌めたように真赤になった。
昼間ほどではないが、相互の砲声はまだ熄まない。市街には数ヵ所から火災が起っている。鎮台側の諸所の防禦陣地にも火の手が望まれる。
ここの鎮台野戦病院の近くでは、樹や藪が焼けていた。だが、この大きな兵火を八方に見ている眼には、煙草の火が落ちているほども誰も気にはしない。生木のバチバチとはぜる音が白い寝床の耳ちかく聞えてくる。
「……粥湯を召しあがりませんか。お姉さま。谷将軍の奥さまが、粥湯を煮てここへお持ちくださいましたが」
幹子は、産婦の姉の枕元へ、そっと告げた。
与倉中佐夫人の鶴子は、幸いにも安産であった。今朝、味方の熊本軍、敵の薩軍、相互の砲弾がいちどに鳴りとどろく中に産気づいて男の子を生みおとしたのである。もとより籠城中だし、軍病院ではあり、産婆などはいないので、あか児をとりあげた時の皆のあわてかたといったらなかった。
「鶴子さま。お起きになってはいけませぬ。そのまま。そのままで。……幹子さま、粥湯は匙でお唇へいれておあげなさい」
玖満子夫人のそういう姿へ、鶴子は、眸だけあげて、
「すみません、戦の中で、こんなお手数を皆さまにおかけして」
「何を仰っしゃいます。それは平常のお気がねです。この鎮台にたてこもって一体となった城中の者には、もう自分一個というものはないはずです。あなたは、陛下の赤子をお生み遊ばしたのではございませんか」
「はい。……ありがとうございます。戦のもようは、どんなでございましょうか」
「御安心なさいませ。段山、藤崎台、法華坂などに迫った敵も、もう撃退されました。お宅さまの御主人与倉中佐どのは、午前九時ごろから薩軍の別府大隊の猛攻に当って、片山邸の丘を死守しておいでになります。……あの弾音がそれでございましょう」
「主人は、わたくしの安産したことを、知っておりましょうか」
「樺山中佐どのが、すぐ陣地へ行って、お知らせ申しあげたそうです。……やがて、あの方面の賊軍が退却すれば、きっとすぐに、嬰児のお顔を見に飛んでいらっしゃるに違いありません」
「奥さま。わたくし……それを待っているのではございません。却って、そんな私事が、良人の耳にはいっては、すこしでも、賊軍に当る勇気を怯ませはしないかとぞんじまして」
「そんな思い過しを遊ばしていらっしゃいましたか。ホホホ、ではほんとうのことを申しあげますと、樺山参謀どのが、お宅さまの御主人へ、陣地の防戦は、一刻交代していてやるから、生れた嬰児の顔を、ちょっと一目、見て来ないかと、おすすめになられたところが、ばかを云い給えと、反対にひどく叱られたと、仰っしゃっておいでになりました。それほどな御主人さまの御意気ですのに、何で」
──その時、扉の外へ、何かぶつかって来たような大きな音がした。産衣につつまれている赤い小さい顔は衝動をうけて突然泣きだした。
「誰ですかっ? ……。ここには、産婦がいらっしゃいますから、静かにしてください」
玖満子夫人が、扉へ向ってたしなめると、その外で、
「お、奥さま。弁蔵でございます。ちょっと、ちょっと、ここへお顔を……」
「えっ、爺やですって?」
別の病棟に入院している老小使の弁蔵が、何しに、患者のくせに、あわただしく来たのか。玖満子はあやしみながら、ひとり扉の外へ出て行った。
まだよく歩けもしないくせに、杖なしで、廊下を転げまろんで来たので、扉へぶつかると、弁蔵は坐ったきりになってしまった。
「ま。どうしたんです。おまえは」
抱き起してやると、爺やは、起されながら、
「行って……行って見てあげて下さい。おはやく、間に合わないといけません」
「どこへ。何ですか。いったい」
「わたくしのいる病棟のいちばん奥の病室へ、た、たった今、与倉中佐どのが、担架で運ばれて来ました。重……重傷だそうです」
「えっ、与倉さまの御主人が」
「御産婦に知れても、いけないだろうし、御重態の中佐に、嬰児さまの泣声が聞えてもいけまいと、わざと、わたし達の病棟へ持って来たらしゅうございます。樺山参謀も、どこか負傷なされたとみえ、軍服を真赤に染めておいでですが、中佐の枕元で、与倉っ、しっかりしろと、励ましていらっしゃるようで」
みなまで聞かないうち、彼女は長い廊下を駈けて行った。
四号病舎のかどまで来ると、副官を伴って、大股にそこへ入ってきた良人とばったり会った。鎮台総司令官、谷干城少将である。
はたと、眼を見あわせたきりで。──彼女はだまって、副官のうしろについて歩んだ。
病室の内は、ひそとしていた。軍医の手当が終ったところらしい。終日の激戦に、血と泥にまみれ、さらに自身の新しい血しおに濡れた患者のうえに、手洋燈をかかげていた看護卒は、ホヤの上からそれをふき消して、後へ退がった。
「どうかな? ……助かりそうか」
谷将軍は、そこに凝然と立っている樺山参謀へ、顔をよせてそっと訊ねた。
「いや。どうも、むずかしいそうです」
「いかんか……」
瞬間、誰の呼吸もないようだった。将軍は、静かに枕元へ寄って、二度三度、ことばをかけた。答えもない。ただ唇がうごいた。そして寝床のうえの右の手がすこし動いた。挙手の意志を示すように。
「ひと目、見せてやるわけにゆかんかなあ」
将軍はふいに大きな声で人々を顧みた。声というよりは長大息であった。寝床の上の顔にはもう変化が来かけている。秒間をあらそうものが皆の胸をつきあげて来た。
「おい。ちょっと──」
将軍は夫人を眼でまねきながら、廊下の外へ出た。樺山参謀も児玉少佐も、軍医正もしずかにそこへ影をあつめた。
「玖満子。おまえはどう思うね。もう与倉君も覚悟のていだが」
「嬰児さまのことでございますか」
「そうだ。今しかない。与倉君父子が、ひと目会うのも、別れるのも」
「あとに遺るお子が御成人の後のためにも、やはりここへお抱き申しあげて来たほうがよろしいかとぞんじますが」
「ただ、案じられるのは、お産婦の奥さんだ。……どうじゃろう?」
誰も答えない。軍医正の面には、むしろ反対の色さえうごいた。しかし樺山中佐は、やはり将軍と同じ気持で云った。
「こうしては如何でしょう。いずれお産婦の日経がすぎれば、お告げしなければなりませんが、今は、やはり隠しておいて、何か方便をもうけて嬰児さんを抱いて来ては」
三浦軍医正も、そう聞くと、賛意を示した。
「それならよいでしょう。本官も憂いとするのは、何せい、今朝お産されたばかりですからな。いかにお気丈でも」
すると、玖満子夫人は、慎しやかなうちにも、信念をもって、
「いえ、隠しても、すぐお覚りになりましょう。それよりは、奥さんにも御名誉を分けてあげて下さい。最大なお悲しみには違いありませんが、女だからとて、すぐ血があがるように御心配あそばすのは、如何かとぞんじます。籠城の者は、総力一体とちかいながら、それでは女子だけが、まだ数のうちに入らないことにもなりましょう」
「むむ、やはりお告げすべきだろう。武人与倉知実中佐の妻を辱めるべきでない。──玖満子、おまえ行け。三浦軍医正といっしょに」
玖満子は、鶴子夫人の産室までゆく間、神を祈った。
最前、鶴子夫人の健気な心構えも聞いているので、信じてはいるが、もしまちがえば、産婦の一命にかかわるかも知れないのである。
女同志の慰めは、ずっとずっと、後にしよう。自分から先に泣いたり取乱れたりしますまい。今はただ与倉中佐の危篤を告げるのみでよい。最高な誉れを伝える厳かな軍務のひとつとして行えばよい。──が、そうできるか否か。
神のちからを彼女は祈った。──そして産室へしずかに入って、鶴子夫人の枕頭に立つと、彼女はまったく自我もなかった。国の御為にのみある生命の一つに、同じ生命の一つが、天に代って、冷静に、ありのままを伝えるという姿となり得ていた。
「奥さま。……与倉知実中佐の奥さま。中佐はいま、庭向うの病棟に運ばれていらっしゃいました。御戦死です。……が、かすかにまだ御意識はあります。嬰児さんを見にここまでお立寄りになったのでございましょう。あなたは動いてはいけません。そのままで中佐の名誉な御最期へお胸のうちで万歳をおとなえ下さい。嬰児さんを、あなたの代りに抱いて行かせましょう。そっと軍医正におあずけください」
「…………」
二十秒ほど、産婦は睫毛もしばだたかなかった。──やがて、そのまま、
「どうぞ」
と、かすかに頷いた。
軍医正は、散らんとする花にでもさわるように、産衣にくるまれた子を、産婦のそばからそっと取って抱いて行った。
あまりの寂けさに、床へ泣仆れた産婦の妹の幹子は、袂を口にいれたまま、咽び出ようとするものを噛みころしていた。鶴子は水のような声で、
「幹子……幹子……」
と、呼んでいた。
答えれば、わっと泣声も出てしまうであろう。幹子は起てなかった。返辞もできなかった。
「なんですか」
玖満子がたずねると、
「主人の御病室は? ……」
「中庭の向う側の病棟です。燈が見えませんか」
「……見えません。おそれ入りますが、そこの見える窓をお開けしてくださいませ」
玖満子は、うなずいて歩み寄った。窓がひらく。彼方の病棟の燈が見える。
軍医正の影がそこの扉の内へ入った。扉は開かれたままとなり、室内と廊下にかけて、粛然と無言の影が整列していた。すこし離れて、枕頭に立っている影は、谷将軍らしい。──良人の将軍は、逝く良人の枕元に、妻の玖満子は、遺る妻の寝床のそばに。
──遠く、撃ち交わす小銃のひびきが谺する。やがて熄む。一瞬の寂寞が夜をつつむ。
すると、彼方の病室で、
「日本、帝国っ……日本男児っ、……ば、ば、ばん、ざい」
語音は異様であったが、はっきり聞えた。与倉中佐が、最期のひく息でさけんだのである。同時に、今朝の産声よりも高い嬰児の声がそこに流れた。後で聞けば、中佐はこの世の最後のひとみに、わが子を見ると、刮と一瞬眼をみひらき、手をもすこし挙げて、日本男児万歳をさけぶと、同時に寝床から下へその腕をだらんと垂れてしまったのだそうである。
二月もすぎ、三月もこえ、四月に入ったが、鎮台はなお籠城兵に死守されていた。
「熊本を抜けば、天下の大事はわれにうごく、屍、屍、また屍を踏みこえてつき破れ。われわれの浮沈は今ここだ」
すでに郷国を立つ時、死別の杯をふくみ、西郷と共に、一死を誓って来た薩南の健児たちが、時には白刃を手に手に身を投げこみ、時には風を利して炎と共に迫り、時には山砲・野砲・臼砲を焼き爛らして、猛攻また猛攻をつづけて来たが、頑として、鎮台は陥ちない。
「ふしぎじゃ、ろくに喰べ物も喰っておらん城兵が、こう頑張るとは」
薩軍の池辺吉十郎は、試みに、勧降状を矢にむすんで、諸所の防寨に射込ませてみたが、ひとりの城兵も、降伏して出て来なかった。
また三番大隊の辺見十郎太は、植木坂の戦で官軍から獲った第十四聯隊の軍旗を、竿のさきに翻して、
「これ見よ」
と、攻囲軍の武威を誇示し、官軍の弱さを嘲弄したところ、城兵の士気はかえって反撥され、
「軍旗は、私のものではない。国家の軍隊の旗だ。不臣な賊軍輩め、国家を辱めるか」
と、激烈な小銃弾や砲弾が辺見隊へ集注され、さすがの辺見隊も一時沈黙してしまった。
「城内にはもう役に立つ大砲もないらしいぞ」
大木の上によじ登って見物した村田三介は云った。
「鎮台内の大檜を伐り、それで木砲を製造しておる。糧食もとうに無いはず、木の皮でも喰っておるにちがいない。もう一押し、もう一押しだぞ」
包囲軍はまた、井芹川やその他の河流を堰いて、鎮台のふもとの一方を濁水で浸した。
段山の丘ひとつの争奪戦に、一日のうち、薩軍の死傷百余、籠城方の死傷二百二十五名というような、無茶な肉弾戦も繰返されたが、依然、そこの防禦線は、死守する台兵の手にあった。
西郷以下の幕僚が当初から即戦即決を期してかかった作戦は、根本から誤算となった。薩軍の急迫は、むりもない焦躁であった。なぜならば、こうして思いのほか長びいている間に、すでに、官軍の征討総督軍は、東京・大阪・諸師団の優秀な装備をもって、疾くに南下の途についていたからである。
それに、籠城方よりは遙かに優勢な立場にはあるが、攻囲軍全面にわたって、攻めあぐねた疲れの来ていたことも蔽い得ない。三番大隊・四番大隊・五番大隊、どこを歩いても酸鼻を極めていた。意気はなお旺なものがあったが、一戦ごとに、一日何度となく、死屍負傷者は運ばれてくるし、病人はふえる。いま見る友も夕べにはいないのであった。大砲小銃もほとんど使い壊してしまい、近頃はもっぱら抜刀隊と鎗隊でぶつかってゆく。そのためにまた、犠牲は激増している。
「ここだ。鎮台の命脈もここ四、五日と見た。もう一押しだ。踏ん張れ。おぬしらも目に見ていよう。目立って、台兵の痩せちょろけて来たことはどうか」
指揮官の池上四郎は、そう云って、血ぐさい陣地の味方を激励してあるいていた。途上、四番大隊長の桐野利秋に出会うと、利秋も、
「むむ、おれもそう思う。塹壕におる兵のはなしによると、敵の坑へ、芋や握り飯など抛ってくれると、痩犬が跳びつくように、台兵のやつが幾つも首を突出すそうじゃ。そこをぽんぽん狙い撃ちするんじゃという。ははは、谷干城がいくら宇土櫓に頑張っても、もう間はないぞ」
と、哄笑していた。
西郷以下、本陣にある幕僚も、もう時間の問題としていた。敵が鎮台を出て降るか、全山を自爆して玉砕と出るか。今日にもあり得ることと信じていたのである。
蜂の巣のような弾痕だ。狭間の壁に、太い柱に。なお、屋根の鯱や廂の瓦などが吹飛んでいるのは砲弾の炸裂によるものであろう。
「児玉少佐。花は咲いたが、今年だけは、春爛漫という辞句は当らんな。満目の春泥みな荒涼じゃ」
司令部の宇土櫓に立って、久しぶりに晴れた視野をながめていた谷将軍は、児玉参謀を顧みて、髯だらけな中から白い歯を見せた。
「将軍のお顔もですな」
「髯か。いやこうなると、自分に顔というものがあることすら忘れとる」
「私は、胃袋のあるのも忘れとります」
「ははは、近頃はほとんど、金の粥(粟粥のこと)も、銀の粥(米の粥)も入らんからのう。病院の傷病兵へはどうしておるか」
「病人負傷者だけには、極めて少量ですが、日に一度は金の粥を給与しております。御安心下さい。──が、三千の人間で喰べるというのは怖ろしいものですな。この山には青い木の芽もありません。死馬の肉も尽きました。今に畳も壁も喰わねばなりますまい」
「谷村はどうしたろうか。途中、薩軍に発見されて捕われておるんじゃあるまいか」
「さあ、谷村伍長の結果だけが、今はこの孤城と、南下の途にある総督軍とをつなぐ一縷の希望ですが……その谷村計介が変装して鎮台を脱出してからも早一月の余にもなるが、杳として消息はなし、総督軍とも依然、何らの聯絡もとれません」
「ああ……味方の援軍がここに到る時は、遂に、三千の城兵は餓死した後か」
「もう着く頃でしょう。どこかに上陸中かも知れません」
「恃むまい。天ばかり見て待ちこがれても始まらん。兵隊が可憐しいが、餓死するまで戦おう。君も孤塁の鬼となってくれ」
「いうまでもありません。ただ如何せん、防禦に当っている兵も、供与してやる食糧がないので、きのうあたりから、生色なしです。弾音もまばらで力がない」
「……ぶつッ」
突然、児玉少佐も将軍も、凄じい爆風の土に顔を噴かれてよろめいた。近くの壁に砲弾が落ちたのである。
間歇的に起る午後の猛攻撃が始まったらしい。鉄砲弾の音響は、圧倒的に、包囲軍から発しられるものだった。
櫓は、常に標的になった。忽ち、驟雨のようにばしゃばしゃ撃ち注いでくる。
「あっ。いかん」
「どうなさいましたか、将軍」
「望遠鏡に弾の破片があたった。レンズが割れたらしい」
「天祐ですなあ。お取換しましょう、私のと」
「いや、それには及ばんが君……。西出丸の何もない焼け野原や射撃場の辺に、女どもが出ておるが何をしておるのか、見てくれんか」
「え、あんな方にですか。……あっ、成程。……将軍、御夫人です、御夫人です」
「玖満子か。ほかのは」
「嬰児を背に負っているのは与倉未亡人らしいです、お妹さんの幹どのもおられる。そのほか、共に籠城中の将校や下士や巡査の奥さん達から家族たちまで交じっておるようです」
「何しとるのかね、いったい」
「御夫人以下、みな手籠や笊を持って、草を摘んでおるらしいです。摘草ですな」
「なに、摘草?」
「あっ、文庫址へ、砲弾が落ちた。……おお、小銃弾も、ぶすぶすと、近くの土を刎いている。これは見ておれん」
児玉少佐は、穴蔵のような階段の下をのぞいて、
「高井軍曹っ、おるかっ、高井軍曹」
「はーっ。参謀、お呼びですか」
「西出丸の先の空地に、婦人たちが出て摘草しとるが、旺にその附近にも弾が飛んでる様子だから、建物の内へかくれるよう云うて来てくれんか。──将軍の命令だと云えっ、早く行け」
「いや、児玉少佐、抛っといてくれ」
「なぜですか、将軍」
「女子たちも、歓んでしておることじゃろ──歓びをもって」
「はっ、私も、そうとは思いますが。……でも、強いて危険に身を曝さなくても」
「弾丸に身を曝すも、飢餓にただようも、同じじゃ。ただ、与倉未亡人までが、乳呑児を負うて出ているのは、余りにもいたいたしい。それではわれわれ男児が、かえって断腸の思いにたえん。愧死せねばならなくなる。──と、わしが云うとると伝えて、未亡人だけは安全な場所へ連れて行ってくれい。済まんが、君、行ってくれんか」
「承知しました」
高井軍曹が駈けて行った後から、児玉少佐も宙を飛んで行った。
粟粥を金の粥、玄米粥を銀の粥などと洒落ていたのは、もう二十日も前の夢で、焼け跡の味噌や沢庵漬も掘りつくし、馬糧の燕麦も喰べてしまい、およそ喰えそうなものは、土をふるい、木の皮を剥がしてまで胃に入れてしまった。
「弾が一発あると、敵を撃とうか、雀を撃って喰おうかなんて、考えちまうことがあるよ」
頬のこけた籠城兵と、眼のくぼんだ籠城兵とが、塹壕のなかで、土蜘蛛みたいに首をひそめて語り合っていた。
籠城兵はすぐ、
「ああ、どうしたんだろ、援軍の到着は。おれたちを見殺しにするのか。来るのか、来ないのか」
と、空を仰ぐと嘆息となった。
「もう、来なくてもいい。おれは、煙の出る飯を一杯喰いたい。それを喰ったら死んでもいい。仏壇に上げる飯を、何とか今のうちくれないかなあ」
「ばかっ、日が暮れたぞ。また、今夜も敵の夜襲だ。しっかりせい」
「今夜あたりは、意地でもうごけまい。腹がすいて、胃ぶくろの暴れぬくうちは、まだ体をうごかすとそれを忘れて戦えたが──」
暮れかけている塹壕の上へ、凛々しい髪止めをし、襷をかけた婦人たちの一群が、数箇のバケツをさげて降りて来た。
「皆さん! 兵隊さんたち! お味噌汁ですよ。腹いっぱい召しあがって下さい」
「えっ、味噌汁?」
わっと歓声をあげた。バケツと柄杓、婦人たちの配る椀など、間にあわないほどである。
焦くさくて土の交じっているような塩気のうすい味噌汁だ。だが、何か実もはいっている。夢中でふウふウ啜っていた兵隊も、意外な汁の実に出会って一層どよめいた。
「何だ、何だ、この汁の実は」
「青い菜でございます。皆さまが、さだめし青い物に渇いていらっしゃるであろうと、谷司令官の奥様が、わたくし達を励まして、きょうの激戦の中を、西出丸の空地まで出て、懸命に摘みあつめて来たのです。──芹・嫁菜・野みつばなどを」
「えっ、司令官の奥さまが」
「御戦死なすった与倉中佐の奥さままで、まだ五十日に満たない嬰児さんを背に負って、弾の来るなかを、芹を摘み、菜を摘んで、あなた方にあげたいと」
「…………」
喊声も、どよめきも、しいんと熄んでしまった。そして彼方此方の暗がりで、洟をすする声がながれた。手放しで泣いている兵もあった。
突然、敵の夜襲を告げる喇叭の音が藤崎台でつんざいた。だ、だ、だッと、赤い火光が闇を翔け狂う。どこかで獣群の吼えるような谺がする。
「来たっ。来るぞッ、ここへも」
「畜生っ、御座んなれだっ」
「ゆうべとは違うぞ」
塹壕の兵は、一斉に部署についた。
──来ない、来ない、味方の援軍は来ない。
それとも、熊本附近まではすでに上陸していても、薩軍に遮断されて、こことの聯絡がとれずにいるのか。
いやそんな筈もない。援軍の総督軍はすくなくも何万という大軍であるはずだ。政府の陸海軍である。何で三千に足らない薩軍に阻まれていようか。
孤城の命数はもう旦夕に迫った。野戦病院の病棟も、その他の建物という建物も、傷病者の呻きでみちている。もうその人たちに与える食物すらない。もちろん薬品や繃帯は疾くにない。
「皆さま。御苦労ですが、お手のあいている方は、わたくしと一緒に、兵糧蔵までお運び下さいませんか。兵糧蔵まで」
谷玖満子夫人が、外で声を張っていた。
病棟で働いていた婦人たちのうちから十数人がそこへ集まった。
他の棟からも出ていた。何十人かの婦人部隊がすぐ編制された。玖満子はその人々をつれて、焼け残りの兵糧蔵へ向って行った。
二月十九日の開戦一日前の火災で、食糧の倉庫はほとんど焼失していたが、一部の穀倉長屋は、救われていた。
と云っても、勿論、その中のものは、籾一粒あまさず喰べ尽してある。経理課属糧食係の柳川中尉は、きょう夫人が突然、その空屋にひとしい穀倉長屋を開けてくれと申し出たので、不審な念にとらわれながら、全部の戸を開いて、
「この通りです」
と、云わぬばかり実証を示していた。
しかし、玖満子夫人は、経理課員や糧食係の怪訝っていることなど、少しも意にかけず、婦人部隊の全員に、そこへ入って、食物を獲ることを命じた。
「あるのでございましょうか、何かこの中に」
婦人たちのうちでも怪しんで問う者があった。
「あります!」
彼女は明言した。
作業が始まった。
誰の眼で見ても一粒の玄米さえないと思われた穀倉から、一石八斗に余る糯米・小豆・大豆・籾・焼き米、いろいろな物が出た。実に山をなすばかり取出された。
どこからそれを出したろうか。無から有が生れたろうか。
理由は簡単であった。兵糧蔵の屋根裏には、巨材の梁が縦横に組まれてある。梯子をかけて、婦人たちは、梁のうえをのぞいた。鼠糞や塵に蔽われているが、こんもりと盛上がっている小豆やら籾やらが、手で掃けば雨と降った。
羽目板の目だけを掃いて集めた糯米だけでも、驚くほどな桝に盛られた。
人々が何十年も、土足で踏みつけ踏みつけして、凹凸を作っている倉内の地面にも、掘れば、なお食するに足る物が蔵れていた。箕でより分け、篩にかけて、洗いあげる。
突然。天からでも降ったように、次の日には、塹壕や防柵の陣地にある兵隊たちの手へ、時ならぬ牡丹餅が、幾ツずつか配給された。
「皆さま。ご苦労様でございます。ありがとうぞんじます。御国のためのあなた方の御苦労は、きっときっと、万倍、億倍にもなって、同胞の上に燿きましょう。大君もおくみとり下さいましょう。神々もみそなわしましょう。やって下さい! もう一息です! 百里の道を歩む者は九十里をもって半ばと思えといいます。あと一押しが勝つか負けるかです。九十九日勝っても、一日敗れたら何もなりません。わたくし達女も、何はできなくても、あなた方が戦っている限り、あなた方のうしろにいます。陰にあって働きます。……さあ甘くはありませんが、僅かずつですが、この萩の餅は、わたくし達の精いっぱいな心をこめたもの。……召上がって、戦って下さい。戦って下さい」
餅を配る間に立って、玖満子は、ほとんど兵隊の一人一人へ告げてまわった。心のうちで伏し拝まぬばかりな真心は、そのひとみから兵のひとみへ燃え映らずにいなかった。
俄然。城兵の戦闘力は、ふたたび燃えあがって来た。命旦夕と思われた孤城は、翌日も落ちない。翌々日も落ちない。
「奇蹟だ! ……」
と、さすがの薩軍も、その革まった敵の士気が、何に原因するかを知らなかったという。
遂にそれからなお、四日も城は保った。
その日は、病棟の人々へも少しずつ頷けるため、婦人部隊がまた萩の餅をこしらえたが、玖満子夫人は、その幾つかの残りを持って、ただひとり何処へやら出て行った。
「さだめし、最後に、宇土櫓のうえにある司令官へ、御自身でお持ちあそばすのであろう」
そう誰しも見ていたところ、彼女は、旧本丸のほうへ歩いていた。そこは惨たる焼け跡であったが、以前から大玄関の前にあった「いちょう城」の名のある大銀杏の焼け肌だけが、今はあたりがすべて瓦礫なので、突兀とひとり聳えていた。
──見ると、今日も。
跛行をひいた老小使の弁蔵が、深い井戸から水を汲みあげて来ては、その焼け銀杏の根元へ、水をやっていた。
跛行の老人が汲んでくる水の量は、その大木の根にはまるで灰埃を沈めるぐらいにしか濡れなかったが、彼はこれを、晴天でさえあれば、一日でも繰返していた。根気よく根に注いでいた。
「爺や……爺や」
「おお、奥さまか」
「ご苦労ですね、おまえの丹精で、きっと、焼け焦げたこの銀杏も、新しい芽をふきましょう。おまえの愛だけでもね」
「奥さま。おらは恥かしくってなりませぬだ。兵隊さんから女衆まで、喰う物も喰わず戦をしていなさるに、この爺は、いつかの雪の晩、鉄砲弾をくらってから、満足に歩くこともできず……というて、ただ死んだら片輪になって弁蔵は気が変になっただなんて云われてもつまんねえ……。そこで思いついた水撒きだあね。この大銀杏は、誰も知ってるとおり熊本城の名物じゃで、ひとが皆、惜しがっているにちがいない。戦はいつか熄むものだしなあ、こんな名物根杏は、何百年もかからなけれやあ、こうは伸びるもんじゃない。……せめて、こいつでも、おらの丹精で、甦えらせてみよう。そう考えたまででございますよ」
弁蔵は、バケツを置いて、めっきり曲りかけた腰をのばして、その巨木を見上げていたが、その眼からふいにぼろぼろ涙がこぼれ出した。
「あっ、あっ……あそこの枝に、青い芽らしいものが、出て来ているんじゃねえかの。奥さんっ、おらは眼がわるいだに、見てくだせえ。奥さんの眼で」
「爺や、やはり青い芽がちらと出かけているようですよ」
「そうかあ……。おらも、与倉の奥さまのように、子を産んだようなもんじゃねえかよ。奥さん、おらも子を産んだ」
「ご褒美をあげよう。爺や、わたしの製ったお萩餅をおあがり……爺や」
「勿体ねえ。おらには、そんなもの喰う資格はねえ。兵隊さんにあげてくらっしゃれ。……いや、それよりも、奥さまはきっと、櫓の上にはまだ持って行かっしゃるまい。あの旦那さまだ。この奥様だ。そうだ、きっとそうにちげえねえだ。……叱られてもかまわねえだ、旦那様のとこへ、ひと口、持って行かっしゃりませ」
弁蔵に、心のうちをいい当てられて、彼女ははっとしながら宇土櫓の司令部を遠く振仰いだ。
狭間に、良人の影が、小さく見えた。
望遠鏡を眼に当てて。
──が、その望遠鏡は、自分の方を見ているのではなかった。遙か、遙か、熊本の街の西南──昼霞と空のぼかされた果てを、いつまでも、いつまでも、凝視しているのであった。
「味方の援軍の先鋒、山川中佐の別動旅団兵、薩軍の包囲を突破して、川尻方面から驀ぐらにこれへ来るぞっ! わが征討総督軍は到着したっ! もう鎮台はゆるがんぞッ──」
児玉源太郎少佐が、満身の声をふりしぼって、将軍のかたわらから告げ渡ったのは、それからわずか後、実に、十四日の午後三時頃であった。
喨々、鳴りわたる喇叭、全山木々にいたるまで、どよめき、狂喜、喊呼。──そして鎮台中、生命あるものすべて、声をあげて泣かぬはなかった。
底本:「剣の四君子・日本名婦伝」吉川英治文庫、講談社
1977(昭和52)年4月1日第1刷発行
初出:「主婦之友」
1941(昭和16)年1月号~2月号
入力:川山隆
校正:雪森
2014年8月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。