夜店ばなし
久保田万太郎
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……大風呂横町と源水横町との間の、不思議とその一つにだけ名のなかつた横町の角に荷を下ろした飴屋のちやんぎり。……そのちやんぎりの一トしきりの音の止んだとき、両側の、どこの屋根の上にも、看板のかげにも、勿論広い往来のどこの部分にも、そのときすでに日のいろは消えてゐた。そして両側の、茂り交した柳の木末に早くも、「夕暮」は下りた。……といふことは、蝙蝠がとんで、水のやうに澄んだ空に早くも星の瞬きが生れた。
そのときである。すしやの屋台、天麩羅やの屋台、おでんやの屋台。……夜店へ出るそれ〴〵の屋台が誓願寺の地中から一トしきりそこにつゞいた。……たとへば泊りへいそぐそれ〴〵の船のやうに……
が、そのくせ、どこにもまだ燈火のかげはさしてゐない。
──あさアり……からアさり……
で、どこからともなく聞えて来る夕とゞろきのなかのその美音……
──大丈夫だ、この塩梅なら……
──もつよ、まだ、この天気は……
屋台のぬしは、それ〴〵の車を押しながら、をり〳〵さうしたことを言葉ずくなにいひ合つた。
蝙蝠。……夕あかり。……星。……そして夜店……
電車の行交ひもいまのやうに激しくなかつた。人通りも、また、いまのやうに目まぐるしくなかつた。そのまゝ白くその一日はしづんだ。……といふものが浅草の広小路。……二十年まへの、わたしの育つたころの浅草の広小路。……どこのうちでもまだ瓦斯をつけてゐたそのころのけしきの一部である。
その懐しいおもひでの、さうした屋台のぬしのなかゝら、何間々口かの、大ぜいの奉公人をつかひ、いまを時めく公園界隈でのすしやに経上つたものもあれば、いまなほ屋台の、色の褪めたのれんの中に、一人さびしく、むかしながらの長い箸をもちつゞけてゐる天麩羅やもある。……わからないのは人の運の、星をやどした夕ぞらを仰ぐにつけ、浅草に蝙蝠がとばなくなつてもう何年になるだらう?……いつもわたしはさう思ふのである。
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すしや、天麩羅や、おでんや、とむかしのそこのすさまじいけしきをそのまゝ、いまでも浅草の夜店は食物やで埋つてゐる。そしていまは、その鮨や、天麩羅や、おでんやの中に、支那蕎麦が入り、一品洋食が交り、やきとりが割込んでゐる。……といつたら、あるひは人は、やきとりはむかしからある、さういつてわたしをわらふかも知れない。が、以前のそれは、たとへば源水横町の金物屋の角に、目じるしの行燈をつけ、提燈屋だの炭屋だのをその環境にもちつゝ、ほそ〴〵と、ぢいさんばアさんで七輪の火を熾してゐた底のしがない店の所産だつた。いまのそれは、支那蕎麦、一品洋食とゝもに、すし、天麩羅、おでんの屋台の古風に、飽くまで強情に、色の褪めた紺のれんをうち廻すに対し、このはうは、哀しくも滑稽な時代相を語るかに、天竺もめんの白い、うす汚れたカーテンを後生大事にどの屋台もが下げてゐる……さうした店からの所産である。やきとりやは、だから、あきらかに、形態的に進化した。
が、そのけしきは、どつちにしても……色の褪めたのれんにしても、うす汚れたカーテンにしても、所詮は夜更のものである。更けてはじめて生きてくるけしきである。……といふことはその味も、あるひはすしにしても支那蕎麦にしても、あるひは天麩羅にしても一品洋食にしても、あるひはおでんにしてもやきとりにしても、所詮は夜更のものである。更けてはじめて生きてくる味である。……そこに夜店の……といつたゞけでいけなければ、夜あかしの、さうした喰物やのうきくさの果敢ないいのちは潜んでゐる。
いまなら、さしづめ、傾いた月の、明易く曳いた横ぐもの、ふか〴〵とこめた梅雨どきの蒼い靄の、さうしたいろ〳〵の触目のあはれは、夜店の、夜あかしの、さうしたいろ〳〵の喰物やの屋台の外にこれをみ出して、一層そこに強められ、あるひはふかめられるだらう。……そのいのちに触れるからである。うきくさのその果敢ないいのちにはツきり触れるからである。……といふことは、わたしをしていまいはしめよ。夜店の、夜あかしの、さうした喰物やこそ、休息した東京の、疲れ果てた東京の、見得も外聞もふり捨てた東京の、うそもかくしもないそのすがたをさういつても寂しく語るものである。
嘗て、わたしは、丸の内の、高い建物と建物との間のおでんやの屋台のまへで、ほとゝぎすをきいたといふ話をだれからか聞いた。……ほとゝぎすといふものに、わたしの、この話をきいたときほど現実感を感じたことはない……
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夜店ほどよく季節を知つてゐるものはない。ことに、この、夏に於てさうである。……といつたら、すぐに、古本、古道具、日用品のいろ〳〵、四季いつのときでもかはることのないそれらの店の、律義に、透きなく竝んだあひだに交つての金魚屋の荷をあなたは感じるだらう。虫屋の市松しやうじをあなたは感じるだらう。燈籠屋の、暗く、あかるく、月をうつしてまはるそれ〴〵のよるべない影の戯れをあなたは感じるだらう。……と同時に、風のない、星のひかりに満ちた、たかだかと霽れた空をまたあなたは感じるだらう……
が、このうち、最も早く、五月といふ声をきくと一しよに出そめるのが金魚屋である。そのあと一ト月、六月になつて出はじめるのが虫屋である。そして、そのあともう一ト月、七月に入つて、はじめてすがたをみせるのが燈籠屋である。……といふことは、金魚屋の、いやが上にもあか〳〵と宵の灯影をうき立たせるその幾つもの荷は、涼しい水の嵩は、すぐもうそこに祭礼の来かけてゐる町々のときめきを語り、虫屋の、ことさらに深い宵暗を思はせてしづまり返つたとりなしは、梅雨あけの急に来たむし暑さの、このさきいかにつゞくであらうかのことしの苦労を語り、そして燈籠屋の、前にいつたその、暗く、あかるく、月をうつしてまはるそれ〴〵の影の戯れは、真菰を、ませがきを、蓮の葉を、こればかりは昔から、一ト場所一ト晩ぎりの、ふた晩と出ない草市の果敢なさに、更けてはもう露の下りる秋めきをしづかにそこに語るのである。
──えゝ、一ぱい五十……
……むかしはかういつた。いまは、さて、何といつてゐるだらう? 四つ角の、これもまた暗いところをえらんで出るアイスクリーム屋のうり声である。
それにしても、夏の夜は、あまりに更けやすい……
底本:「日本の名随筆72 夜」作品社
1988(昭和63)年10月25日第1刷発行
1999(平成11)年4月30日第7刷発行
底本の親本:「久保田万太郎全集 第一四巻」好学社
1947(昭和22)年9月
初出:「婦人公論」
1931(昭和6)年7月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2014年1月18日作成
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