可哀想な彼女
久保田万太郎



 初七日の朝、わたくしは子供に訊いた。

『お前、おい、ママの顔をおもひ出すことが出来るか?』

『出来るよ。』

『どんな顔をおもひ出すことが出来る?』

『機嫌のいゝ顔だね。』

 子供のさういつたやうに、わたくしにも、いまは亡きかの女の機嫌のいゝ顔しか感じられないのである。……といふことは、かの女の去つたいま、わたくしに、素直な、やさしい、もの分りのいいかの女しか残つてゐないのである。……しかも、この一二年、わたくしのそばから、さうしたかの女はいつとはなしそのすがたを消してゐたのである。……さうしたかの女を完全にわたくしは失つてゐたのである。……

『だつて、ママ、体がわるくなつてからは、始終お前に小言ばかりいつてゐたぢやアないか?』

『…………』

『いつにも機嫌のいゝ顔なんかみせたことがなかつたぢやアないか?』

『…………』

『だのに、どうして?』

『だつてしやうがない。』

 子供はこたへた。……急にわたくしの目からなみだが溢れた。

 可哀想なかの女。……どうして、かの女は、その素直だつた、やさしかつた、もの分りのよかつたかの女を、自分から否定しなければいけなかつたのか?

 体のわるくなつたことによつてさうなつたのでなく、さうなつたことによつてかの女の体はわるくなつたのである。……わたくしは知つてゐる。……

 結婚して十七年、かの女にとつて最も幸福だつたのは、震災後の、日暮里に於けるはじめ五六年の生活だつたらう。

 それまで、わたくしたちは、親たち及び親たちの家族とゝもに一つ屋根の下に住みつゞけた。……といふことは、舅、姑、小姑たちの目を身辺に感じつゝかの女は、四年あまりといふもの、肩身狭く生活しつゞけたのである。

 親に早くわかれ、姉の手一つに育つたかの女にとつて、どんなに、辛い、心細いことだつたらう。

 が、かの女は、決してその辛さ心細さをどこにむかつて訴へなかつた。……一人その気苦労の無理をとほしつゞけた。……その、舅の、姑の、そして小姑たちの目を、右にひだりにそらしつゞけつゝ、かの女の眉はつねに明るかつた。

 震災を機会にわたくしたちは親たちから独立した。同時に、それまでの、一生去るまいと思ひきはめてゐた町中から、敢然、わたくしたちは去つた。……すなはち日暮里にわたくしたちだけの生活をもつたのである。

 わたくし、かの女、子供、女中。……そのとき子供は三つだつた。

 欠さずわたくしは、三度の食事をかの女と子供とのまへでした。わたくしの部屋ときめた二階八畳の机のまへで、わたくしは、わたくしの一日の大半をくらしたが、でないときは、庭に出て、雲の往来ゆききをながめたり、木の芽、草の芽の生長をみまもつたりした。それは、わたくしの、それまでにもつた三十幾年といふ月日のなかにあつて、それこそ夢にもみたことのないしづかな生活だつた。……さうしたとき、子供は、縁側で、女中を相手に積木をして遊んでゐた。そして、かの女は、座敷にあつて、黙つて、子供の著物なりわたくしの著物なりを縫つてゐた。

 わたくしも、かの女も、そこにはじめてわが家といふものを感じたのである。そして、わが家といふものゝ、安息の場所以外の何ものであつてもならないことをはツきり感じたのである。……わたくしたちは、たとへば秋の虫の草のなかにひそむやうに、わが家のなかに愉しくひそみつゞけたのである。

 かの女の眉はいよ〳〵明るかつた。……


 が、それも、いへば震災といふものゝあつたおかげだつた。震災といふものゝ襲来したことによつて「東京」のすべての崩壊したゝめだつた。……間もなくその衝撃から「東京」の立上つたとき、とも〴〵、わたくしも立上つた。……といふことは、欠さずもう三度の食事の、かの女と子供とのまへで出来るわたくしでなくなつた。……わが家のなかにばかりゐたのでは用の足りないわたくしにだん〴〵とまた返りはじめたのである。

 が、しかしなほかの女の眉は明るかつた。その間にあつて、幼稚園を終り、つゞいて小学校へかよひはじめた子供のすがたがかの女のまへにあつたからである。……しかも、事子供に関する限りに於て、だん〴〵わたくしに対し、その、素直でない、やさしくない、もの分りのよくないかの女がわたくしのまへに現じて来たのである。


 そのあと、また、三四年の月日がたつた。……かの女は、しば〳〵、わたくしにかういつて詰めよつた。

『一たい、あなたは、いつまで勤め人をしてゐるつもりなんですか?』

『分らない。』

『一年か二年といふ約束ぢやアなかつたんですか?』

『さうさ。』

『疾うにもう一年か二年はすぎてゐるんですよ。』

『知つてゐる。』

『ぢやア、どうして止さないんです?』

『止せないものは仕方がない。』

『どうして止せないんです? そんなに勤め人をしてゐることがうれしいんですか?』

『うれしかアない。』

『ぢやア止して下さい。後生だから止して下さい。あたしは勤め人のところへお嫁に来たんぢやアないんですから……』

 ……さうしたとき、わたくしは、ゆくりなくさういふ生活をもつにいたつたわたくしの出来ごころを悔いたのである。


 去年の暮だつた。職業指導のある講演会で、わたくしは、作家たらんとする人々への心構へについて話した。……そのなかで、文学では食へないとむかしからいはれてゐるが、自分一人ならどんなことをしても食つて行かれるのである。たゞ女房子を抱へてはそれが出来ないのである。従つて女房子にみせなくつていゝうき目をみせることになるのである。だから文学に精進しようとするほどの人は、つねに自分の自由を留保する意味に於てゞも決して女房をもつたり子供をもつたりしてはいけない。いやしくも家庭をもつといつたやうな世俗的な幸福を念じてはいけない。制作の歓びはさうした世俗的な幸福を償つてあまりあるであらうから……さうした意味のことをはツきりいつたのである。

 間もなくその講演の速記が印刷されてわたくしのところへとゞいた。かの女はそれを読んだ。

『ほんたうにあなたはかう思つてゐるんでせうね。』

 しみ〴〵した感じにかの女はいつた。

『思つてゐる。』

『さうでせうね。』

 ……かういつたかの女の眉は決してもうあかるくなかつた。


 可哀想なかの女。……可哀想だつたかの女、……わたくしはかの女についていまかう呼ぶより外に手はないのである。かの女は、わたくし以外、一人のかりそめの道づれさへもたなかつたのである。

 それにしても、わたくしと子供とのまへに、このさきいかなる生活の展開が待つてゐることだらう?……子供はいま中学の二年である。……いまゝでは、いつ死んでもいゝと思つてゐたが、かうなつては、めツたにわたくしは死ねなくなつた。……

底本:「日本の名随筆99 哀」作品社

   1991(平成3)年125日第1刷発行

   1996(平成8)年425日第6刷発行

底本の親本:「久保田万太郎全集 第一四巻」好学社

   1947(昭和22)年9

入力:門田裕志

校正:noriko saito

2014年12日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。