梟娘の話
岡本綺堂
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天保四年は癸巳年で、その夏四月の出来事である。水戸在城の水戸侯から領内一般の住民に対して、次のやうな触渡しがあつた。それは領内の窮民または鰥寡孤独の者で、その身がなにかの痼疾あるひは異病にかゝつて、容易に平癒の見込みの立たないものは、一々申出ろといふのであつた。
城内には施薬院のやうなものを設けて、領内のあらゆる名医がそこに詰めあひ、いかなる身分の者でも勿論無料で診察して取らせる、投薬もして遣るといふのであるから、領内の者どもは皆その善政をよろこんで、名主や庄屋をたよつて遠方からその診察を願ひに出てくる者も多かつた。
ところが、眼のさきの城下に不思議の病人のあることが見出された。それは下町の町人の娘で、文政四年生れの今年十三になるのであるが、何ういふわけか此世に生れ落ちるとから彼女は明るい光を嫌つて、いつでも暗いところにゐるのを好んだ。少しでも明るいところへ抱へ出すと、かれは火のつくやうに泣き立てるので、両親も乳母も持余して、よんどころなく彼女を暗い部屋で育てた。それが習慣になつたかして、彼女は起つてあるくやうになつても矢はり暗い部屋を離れなかつた。しかも彼女は決して盲でもなかつた、跛足でもなかつた。殊にその容貌はすぐれて美しかつた。赤児のときから日の光をうけずに育つたにも似ないで、かれの顔は玉のやうに輝いてゐた。戸障子を立て籠めて、その部屋はすべての光を防ぐやうに出来てゐるばかりでなく、かれは厠へ通ふ時のほかは他の座敷へも廊下へも出なかつた。厠へゆく時でも、かれは両袖で顔を掩ひかくすやうにしてゐたが、どうかして其袖のあひだからちらりと洩れた顔をみせられた場合には、誰でもその美しいのに驚かない者はなかつた。
彼女はひとり娘で、しかもその家は城下でも聞えた大商人であるので、親たちは彼女が好むまゝに育てゝゐた。七つ八つになつて、かれは手習をはじめたが、勿論師匠について稽古するのではなかつた。かれは親達からあたへられた手本を机の上に置いて、いつもの暗い部屋で書き習つてゐたが、その筆蹟は子供とも思はれないほどに見事なものであつた。どうして暗いところで文字を書くことが出来るか、それも一つの不思議にかぞへられてゐたが、おそらく幼いときから暗いところに育つたので、かれの眼は暗いのに馴れたのであらうといふ説であつた。それから惹いて、かれは暗いところで物をみることは出来るが、明るいところでは見えないのではあるまいかと云ふ噂が立つた。誰が云ひ出したとも無しに、かれは梟娘のあだ名を呼ばれるやうになつた。しかもその梟娘の正体を確かに見とゞけた者は、この城下に一人もなかつた。
今度の触出しについて、梟娘は何うしてもいの一番に願ひ出なければならないのであつたが、その家が富裕であるので、親たちも遠慮して差控へてゐるのを、町役人どもが相談して先づ親たちにも得心させ、その次第を書きあげて差出すと、係りの役人も額を皺めた。なんにしてもこれは一種の奇病である。兎もかくも明日召連れてまゐれと云ふことになつたので、あくる日の朝、町役人どもが打揃つて梟娘の家へ迎ひにゆくと、親たちは気の毒さうに断つた。
『なにぶんにも娘が不承知を申します。いかに説得いたしても、左様な晴がましい御場所へ出るのは嫌だと申しますので、わたくし共も困り果てゝをります。』
併し一旦とゞけ出た以上、今更それを取消すわけには行かない。殊に藩侯もその不思議な娘をひそかに御覧になるかも知れないといふやうな内意を洩れ聞いてゐるので、町役人どもは何うしても彼女を召連れて行かなければならないと思つたので、かれらは暗い部屋にかくれてゐる娘をたづねて、親たちに代つて色々に説得したが、彼女は矢はり得心しなかつた。どうしても明るいところへ連れ出すのは免してくれと云つて、かれは声をたてゝ泣いた。これには彼等もほと〳〵持余したが、まへに云ふような事情であるから、彼等は自分たちの責任上、無理無体にも彼女を連れ出さなければならなかつた。そのうちに、彼等の一人が斯う云ひ出した。
『この上は縛りからげても引つ立てゝ行かなければならぬが、それもあまりに無慈悲で、当人は勿論、親たちにも気の毒だ。所詮は世の光を嫌ふのだから、眼を塞いで置いたらば、暗いところにゐても同じことではないか。さうして、上の御恩によつて、不思議の病気が平癒すれば、この上の仕合せはあるまい。』
『そうだ。それがいゝ。眼を塞いで行け。』
娘の机のうへには手習草紙のあるのを見つけて、これ屈竟のものだと彼等はその草紙の一枚を引き裂いて、娘の顔をつゝむやうに押しかぶせた。あるものは更に智慧を出して、草紙の黒いところを丸く切りぬいて、膏薬のやうに娘の両眼に貼りつけた。
これで娘もやうやく得心したので、親たちも町役人共もほつとした。今年十三の美しい少女は、真黒な手習草紙の紙片に眼をふさがれて、生れてから初めて自分の家の敷居をまたいで出た。かれは大きい黒眼鏡をかけてゐるやうに見えた。
『梟娘がお城へ行く。』
この噂が忽ち町々にひろがつて、見物人が四方からあつまつて来た。ふだんから梟娘の名ばかりを聞いてゐる町の人たちは一種の好奇心に駆られて、その正体を見とゞけようとして群つて来たのであつた。町々の町役人は鉄棒でそれらの群衆を制してゐたが、見物人はあとからあとからと押寄せてくるので、迚もそれを追ひ払うことは出来なかつた。町役人どもは声をからして叱り制しながら、わづかに娘の左右だけを鉄棒で堰切つてゐたが、その鉄棒の堰もうづ巻いて寄せる人波に破られて、心ない見物人は娘の肩に触れ、袖に触れるほどに迫つて来て、しげ〳〵とその顔を覗くのもあつた。
たとひ両方の眼は塞がれてゐても、このありさまを娘が知らない筈はなかつた。かれは途中で幾たびか立ちどまつて、自分の家へ帰してくれと訴へるのを、附添つている人々が色々になだめて、兎もかくも城のまへまで行きつくと、娘はまたもや立ちどまつて、これから先へはどうしても行かないと云ひ出した。
『こゝまで来て何うしたものだ。お城はもうすぐだ。』と、人々は右左から賺したが、娘はもう肯かなかつた。
『わたしは帰ります。』
『いや、帰すことはならない。』
かうした押問答をつゞけてゐるうちに、娘の気色はだん〳〵に変つて来た。彼女は遮る人々を突きのけて、だしぬけに駈け出さうとしたので、もう腕づくのほかはないと思つた彼等は、右左から彼女の晴着の袖や袂を捉へて引き摺つて行こうとすると、娘はいよ〳〵すさまじい気色になつて、支へる人々を払ひ退け押し退けて、自分のまはりを隙間なく取りまいてゐる見物人の頭や肩のうへをひら〳〵と飛び越え、跳り越えて駈け出した。不意の出来事に人々は唯あれ〳〵といふばかりで、そのうちの一人が娘の帯を引つ捉へようとしたが、手がとゞかないので取逃してしまつた。
両方の眼を黒い紙でふさがれてゐる娘は、見当が付かずに走つたのか、それとも初めからそこを目ざして走つたのか、彼女は城門外の堀際へ真驀地に駈け出したかと思ふと、およそ五六間もあらうと見える距離を一と飛びにして、堀のなかへ飛び込んだので、その騒動はいよ〳〵大きくなつた。大勢はつゞいてその堀際へ駈け寄つたが、水に呑まれた娘の姿はもう見えなかつた。城の堀へみだりに立入ることは国法で禁じられてゐる。殊に要害堅固な此城の堀は非常に深く作られてゐるので、誰も迂闊に這入ることは出来なかつた。町役人から重ねて其次第をとゞけ出ると、藩侯も頗る奇怪に思はれて、早速に堀のなかを詮議しろとの命令を下された。
藩中でも屈指の水練の者がかはる〴〵飛び込んで探りまはつたが、水の底からは女の髪の毛一筋すらも発見されなかつた。なまじひのお慈悲でわが子を召されなければ、こんなことにもならなかつたであらうと、娘の親たちは今更に上を恨むやうにもなつた。町役人共も由ないことを届け出たのを後悔した。
梟娘の死──その奇怪な噂がまだ消えやらない其年の八月朔日、巳の刻頃(午前十時)から近年稀なる暴風雨がこの城下へ襲つて来て、城内にも城外にもおびたゞしい損害をあたへた。その大暴れの最中に、外堀から黒雲をまき起して、金色の鱗をかゞやかしながら天上に昇つた怪物のあることを、多数の人が目撃した。人々はそれを龍の昇天であると云つた。さうして、それは彼の梟娘が蛇体に変じたのであらうと伝へられた。併し彼女は最初からの蛇体であるのか、あるひは入水の後に龍蛇と変じたのか、その議論は区々で遂に決着しなかつた。
上田秋成の「雨月物語」のうちに「蛇性の婬」の怪談のあることは誰も知つてゐるが、これは曲亭馬琴が水戸にいた人から聞いた話であるといふことで、その趣がやゝ類似してゐる。「蛇性の婬」は支那の西湖佳話の翻案であるが、これは馬琴が自ら筆記して、讃州高松藩の家老に送つたものであるから、まさかに翻案や捏造ではあるまいと思はれる。龍の昇天は兎も角も、かうした奇怪な娘が奇怪な死を遂げた事実だけは、たしかに水戸の城下に起つたに相違あるまい。
底本:「青蛙堂鬼談 ──岡本綺堂読物集二」中公文庫、中央公論新社
2012(平成24)年10月25日初版発行
底本の親本:「婦人公論」
1923(大正12)年9月号
初出:「婦人公論」
1923(大正12)年9月号
※表題は底本では、「梟娘の話」となっています。
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:江村秀之
校正:noriko saito
2020年2月21日作成
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