来訪者
永井荷風
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わたくしはその頃身辺に起つた一小事件のために、小説の述作に絶望して暫くは机に向ふ気にもなり得なかつたことがある。
小説は主として描写するに人物を以てするものである。人物を描写するにはまづ其人物の性格と、それに基いた人物の生活とを観察しなければならない。観察とは人を見る眼力である。然るにわたくしは身辺に起つた一瑣事によつて、全然人を見る眼力のないことを知り、これでは、到底人物を活躍させるやうな小説戯曲の作者にはなれまいと、喟然として歎息せざるを得なかつた次第である。その頃頻々としてわたくしを訪問する二人の青年文士があつた。
平生わたくしは文学を以て交る友人を持つてゐない。たま〳〵相見て西窓に燭を剪る娯しみを得ることもあつたが、然し其人々は皆白頭にして、わたくしとは職業を異にしてゐた。然るに新に交を訂したかの二客は殆ど三日を出でず、時には相携へて、時には各自単独に来訪し、昭和文壇の消息やら、出版界の景況やらを聞かせてくれる。わたくしが平生知りたいと思ひながら、知ることを得ない話ばかりである。即ち某新聞社の小説潤筆料は一回分何十円、某々先生の一ヶ月の収入は何千円といふやうな話である。
二客はその年齢いづれも三十四五歳、そして亦いづれも東京繁華な下町に人となつた江戸ツ子である。一人はその名を木場貞、一人は白井巍と云ふ。木場は多年下谷三味線堀辺で傭書と印刻とを業としてゐた人の家に生れたので、明治初年に流行した漢文の雑著に精通してゐる。白井は箱崎町の商家に成長し早稲田大学に学び、多く現代の英文小説を読んでゐる。
わたくしは其時年はもう六十に達し老眼鏡をかけ替へても、古書肆の店頭に高く並べられてある古本の表題を見るのに苦しんでゐたので、折々二子を伴つて散歩に出で、わたくしに代つて架上の書を見てもらふ便を得た。
団々珍聞や有喜世新聞の綴込を持つて来てくれたのは下谷生れの木場で、ハーデーのテス、モーヂヱーのトリルビーなどを捜して来てくれたのは箱崎で成長した白井である。二人はわたくしと対談の際、わたくしを呼ぶに必先生の敬語を以てするので、懇意になるに従つて、どうやら先輩と門生といふやうな間柄になつて来たが、然し二人が日常の生活については、其住所を知るの外、わたくしの方からは一度も尋ねに行つたことがないので、余程後になるまで、妻子の有る無しも知らずにゐた。
木場は或日蜀山人の狂歌で、画賛や書幅等に見られるものの中、其集には却て収載せられてゐないものが鮮くないので、これを編輯したいと言ひ、白井は三代目種彦になつた高畠転々堂主人の伝をつくりたいと言つて、わたくしを驚喜させた。わたくしは老の迫るにつれて、考證の文学に従ふ気魄に乏しく、後進の俊才に待つこと日に日に切なるを覚えて止まなかつたので、曾て蒐集した資料の中役に立つものがあつたら喜んで提供しようと言つた。然し二人とも唯その計画を語つたのみで、細目に渉つた話はその後したことがなかつた。
一年あまりの月日が過ぎた。木場は北千住に住んでゐたのであるが、真間の手児奈堂の境内に転居し、表口に添ふ出窓を改作して店となし、玩具人形の外に文壇諸名家の墨蹟を陳列し、これを売つて生計のたしにしたい。屋号を鴻麓堂としたから額を揮毫して下さいと言つた。四五日たつて、白井が一人で尋ねて来たので、わたくしは
「木場が人形屋を始めたと云ふはなしだが、景気はいゝかね、素人商ひで損をしなければいゝが。」
「細君の小遣くらゐになればいゝのでせう。」
と言ふ白井の返答で、わたくしは、初て木場の妻帯してゐることを知つたのである。
「細君はきれいかね。」
「なか〳〵きれいです。」
「さうか。震災前のはなしだから君達は知らないだらうが、画家竹久夢二の細君が頗つきの美人で、呉服橋外に絵葉書屋の店を出してゐたことがあつた。繁昌したよ。鴻麓堂も店つきのいゝ美人が坐つてゐれば大丈夫だらう。」
「愛嬌には少し乏しいやうですが、色が白くて痩形で兎に角わるくありません。」
「素人かね。」
「高嶋屋デパートの売子でした。」
「さうか、それでは僕も市川まで人形を買ひに行くかな。いづれ訳があつたのだらうな。」
「坂本町のアパートにゐた時分部屋が向合せだつたさうです。」
「さうか、寒い晩に帰つて来て鍵をなくしたのが縁のはじめだつたら、まるでプツチニのボヱームだね。」
「木場は初め妹の方に思召があつたんださうです。姉さんが売子、妹は上野のPPといふ喫茶店の女給で、姉さんよりはずつとモダーンでした。わたしも時々木場と一緒で、随分通つたもんです。木場は或晩時期はもう熟した頃だと思つて、夜なかに其室へ忍び込んで、間違へて姉の方の寝床へ這入込んだんださうです。木場はそのつもりで、そつと自分の部屋に帰つて来た、ところが明る日になつて姉の様子が急に変つてゐるんで、木場は初て其門違ひを知つたんださうですが、もうどうする事もできず、結婚と云ふ事になつたのです。」
白井は猶わたくしの問に応じて、木場の経歴を語つた。木場は父が死んでから母と共に静岡の実家に行き幾年かを送つた後、一人東京に帰つて来て、一しきり××先生の家に書生となつてゐた。白井はそこで初て木場を知つたのだと云ふ事を話してくれたが、白井は自分の経歴については何も言はない。
わたくしは白井ほど自分の事を語らない人には、今まで一度も逢つたことがない。その親類が新川で酒問屋をしてゐる事、その細君は白井より一ツ年上で、その家は隣りあつてゐた。女は女学校、白井はまだ中学を出ないのに、いつか子供をこしらへ、其儘結婚したのだと云ふ事などは白井が木場の事を語つたやうに、わたくしは木場の口から悉くこれを聞知つたのである。
わたくしは白井の生活については、此等の事よりも、まだその他に是非とも知りたいと思つてゐる事があつた。それは白井が現時文壇の消息に精通してゐながら、今日まで一度もその著作を新聞にも雑誌にも発表したことがないらしい。強ひて発表しようともせぬらしく頗悠々然としてゐる。この悠々然として居られる理由が知りたいのであつた。
わたくしは白井が英文学のみならず、江戸文学も相応に理解して居るが上に、殊に筆札を能くする事に於いては、現代の文士には絶えて見ることを得ないところでありながら、それにも係らず其名の世に顕れない事について、更に悲しむ様子も憤る様子もないのを見て、わたくしは心窃に驚歎してゐたのであつた。わたくしは白井の恬淡な態度を以て、震災前に病死したわたくしの畏友深川夜烏子に酷似してゐると思はねばならなかつた。
夜烏子は明治三十年代に、今日昭和年代の文壇とは全然その風潮を異にしてゐた頃の文壇に、其名を限られた一部の人に知られてゐた文筆の士である。然るに白井は売名営利の風が一世を蔽うた現代に在つて、猶且明治時代の文士の如き清廉の風を失はずに超然としてゐる。夜烏子に対するよりも、わたくしは更に一層の敬意を払はなくてはなるまい。
わたくしはこゝに至つて、少しくこの前後の時代に於ける文壇の風潮について思ふところ、観るところを述べねばならない。明治三十年代も日露戦争の頃まで、文壇の風潮、文士の気風は明治十年、或は溯つて江戸時代のそれと多く異るところがなかつた。江戸文壇の風潮を承継したとも言へる。又前代の風潮が次第に変遷しながらも、まだ全く滅びてしまはなかつたとも言へる。その頃には小説戯曲は一種の遊戯であつて、これに従事するものは、俳優落語家の輩と同一に視られてゐた。学海、桜癡、逍遙、鴎外の諸家が文学を弄びながら、世間から蔑視されなかつたのは文壇以外に厳然たる社会上の地位があつた故である。譬へば柳亭種彦が小説をつくり、細井栄之が浮世絵を描きながら両者ともに旗本の殿様であつたと同様である。当時われ〳〵は小説家が遊惰の民として世人より歯せられず、父兄より擯斥せられてゐたが故に、反抗的に却てこれを景仰し自分達も亦その後塵を追ふことを欲した。されば成功して文名を博し得ても、その名誉は同好の人の間にのみ限られて、世間一般とは何の関係もない事は初めから承知してゐた。われ〳〵は豪然として富貴栄達を白眼に視る気概を喜んでゐたのである。
わたくしは喋々の辯を費すよりも、当時我国に於いて、学士会員及び博士の称号が学者にのみ許されて、小説戯曲の作家には許されてゐなかつた事を見ても思半に過るものがあるであらう。森槐南先生が病歿するに際し、文部省が博士の称号を贈つたのは、詩人としてではなく、生前帝国大学に於いて杜甫の詩を講じた事があつたからである。
明治三十三四年の頃だと記憶してゐる。石橋思案が文藝倶楽部の主筆であつた時、富豪大倉喜八郎が同誌に好小説を掲げた作家に、賞金五百円を贈ることを謀つた。然るに当時の操觚者は文士を侮辱するものとして筆を揃へてこの事を罵つた。かくの如き文壇の気風は日露戦争後に至り漸次に変化し、大正の初には文士は憚るところなく原稿料の多少を口にするやうになり、震災の頃になつては、文学は現代社会の一職業と見られ、之によつて産を成すものさへあるやうになつた。
わたくしは日露戦争の後、実業家の重立つたものが爵位を授けられた事、政党政治の確実に成立せられた事、帝国劇場と三越百貨店との建設せられた事等を以て、一新時代の出現と見る。文士小説家が社会の一員として認識せられた事もこの新現象の中に加へべきものであらう。政党政治は震災前後の時代より腐敗の醜状を世人の前に暴露するやうになり、文壇もこの時代より漸次に沈滞し腐敗して来た。文士も亦政治家の顰に傚ひ集団をつくり、之に依つて名を成さんことを務め、其主義理想の如何を問はなくなつた。後進の文士は集団運動に参加せざるかぎり其文を公にする道がないやうになつた。大正時代の文士中社会主義を奉ずるものの多かつたのは、これを今日より回顧すれば全く売名の方便となしたに過ぎなかつたのである。かくの如く文学が商業と化した如く教育も亦商業と化し、学校の経営者は一人でも多く生徒を吸集せんがために野球の勝負を催すの傍、文学部の教授に流行小説の作者を招聘して広告の代用品たらしめた。
世を挙げて営利に奔馳する時代に在つて、わたくしは偶然この時代の風潮に同化せざる木場白井の二青年に邂逅したのである。わたくしは喜びのあまり、二生がいかなる理由、いかなる閲歴によつて、現代営利の風潮に化せられなかつたかを深く考究する遑がなかつた。草木には偶然変り種が出るやうに、いかなる世にも畸人の出ない事はない。曲学阿世の風が盛であつた宝暦の時代にも馬文耕といひ志道軒といふが如き畸人が現れた。木場白井の二生が昭和の世に存在するのも亦怪しむには及ぶまい。わたくしは先そんな風に考へてゐた。
木場も白井も身長は普通であるが痩立の体質は二人ともあまり強健ではないらしい。木場はいつも洋服、白井はいつも和服で、行儀よく物静なことは白井は遥に木場に優つてゐた。来訪の際には必台所口へ廻つて中音に、「御免下さい。白井で御在ます。」と言ふ。その声柄や語調は繁華な下町育の人に特有なもので、同じ東京生れでも山の手の者とは、全く調子を異にしてゐる。呉服屋小間物屋などに能く聞かれる声柄である。白井の特徴は其声の低いことと、蒼白な細面に隆起した鼻の形の極めて細く且つ段のついてゐることで、この二ツは電車などに乗つて乗客を見廻しても余り見かけない類のものである。わたくしの家は静な小径のはづれにあつて、わたくしの外、人が居ないので、日中でも木の葉の戦ぐ音の聞えるくらゐであるのに、白井の声は対談の際にも往々にして聞き取れないことがある。且また語るに言葉数が少く冗談を言はず、いつも己は黙して他人の語を傾聴すると云つたやうな態度をしてゐる。然しこの態度には現代の青年に折々見られるやうな、先輩に対する反感を伏蔵してゐる陰険な沈黙寡言の風は少しも認められない。文学に関して質問らしい事を言ふ時には、寒暄の挨拶よりも一層低い声で、且極めて何気ないやうな軽い調子で「その後何かお書きになりましたか。」或は「何かお読みになりましたか。」といふのである。
丸善あたりには盛に新刊の洋書が並べられてあつた頃なので、わたくしは其年のゴンクール賞を得た仏蘭西新作家の著作などについて所感を語り、興に乗じてわたくし自身のものまで憚らず其抱負を口にした事もたびたびであつた。
「中途でよしてしまつた原稿も随分ありますよ。脚本なんか脱稿しても上演されさうもないと思つたものは其儘発表しないでしまつてあります。」
「拝見させて戴けませんか知ら。」
「読んだら遠慮なく批評してくれたまへ。」
わたくしは草稿を入れた大きな紙袋の三ツ四ツ、塵だらけになつたのを棚の上から取おろして渡したことがあつた。丁度曝書の時節になつてゐたので、三日ばかり其手つだひと共に蔵書目録の製作をも依頼した。
白井はその頃千葉県稲毛に家を借り東京へ出て来て帰りの汽車に乗りおくれる時には、木場の鴻麓堂に泊ると云ふ。わたくしは謝礼として車賃若干を贈ることにした。
白井は蟲干の手つだひをしながら、初め鉛筆で蔵書の名を手帳に記入して持帰つた後、一ヶ月ばかりして半紙に毛筆で清書した目録一冊を見せてくれた。細字の楷書で、其の能筆なることはむかし筆耕を業としたものの手に成つた写本に劣らず、洋字も極めて鮮明であつた。
「君、どこか図書館にでも勤めてゐたことが……。」
「いえ、御在ません。わたし唯本が好きなもんで、索引もこしらへて見ました。」
わたくしは更に一枚五円ヅツと計算して蔵書目録作製の労に報いた。どんな生活をしてゐるか知らないが、豊でないらしいことは問はずと知れてゐたからである。交際してから早くも二年あまりになるので、長女が女学校に通つてゐる事、細君の生家が二三年前まで箱崎町で何か商ひをしてゐた事など、わたくしは其後談話の際に聞いてゐたので、細君の方にも幾分の恒産があり、白井の家も其隣りであつたと云ふから、矢張商家で地面か、貸家の二三軒くらゐは持つてゐて清貧に甘じてゐられるだけの収入はあるものと、わたくしは勝手に臆断してゐたのである。
その頃から白井も木場も来訪する度数が俄に少くなつて来た。心づくと三月ばかり音沙汰がないので、病気ではないのかと、真間の鴻麓堂へ手紙で問合すと、安房郡××村へ引越したと云ふ返事がきた。別に是非とも面談せねばならぬ用事があるわけでもなく、またわたくし自身の気儘な性情から推察して、文士の気まぐれを責める心がないところから、それなりにして置いた。
するとそれから又半年あまり過ぎた頃である。箱根でむかしから代々旅館を業としてゐる人の息子で、嘗て本郷の大学の国文科に学んでゐた時分、折々わたくしを訪問しに来たものがある。その時分頻に明治初年の小説雑著のたぐひを蒐集してゐたので、それについて、わたくしの卑見を叩きに来たのである。名を岩田といふ。岩田は俄に手紙を寄せ数年来の無沙汰を謝し近頃不思議な写本を手に入れた。西銀座の巽堂といふ古本屋で買つたのであるが、わたくしの自筆本で怪夢録と題された小説体の著作である。書体も文体も岩田の見るところ、共にわたくしのものに相違はないと言ふのであつた。
わたくしはいつぞや旧稿を収めた紙袋を白井に貸したことを思出した。紙袋は白井の手から返付せられたまゝ、もとの棚の上に投り上げてあるので、又もや取おろして袋の中を調べて見ると、岩田生の言ふ怪夢録はちやんとその中に在つた。自筆の写本が二部あるわけはない。とすれば、彼の買つたものは何人かの戯れに、もしくは売らうが為に作つた偽書になるわけである。
怪夢録はその題の示すが如く睡眠中に遭遇した事件を筆にしたもので、わたくしがまだ牛込の旧廬に居た中年の頃の作であるが、雑誌などには出せさうもないと思つて、後に浄写して袋の中に入れて蔵つて置いたのだ。去年白井へ貸す時、一ツ一ツ紙袋の中を調べなかつた怠慢を、わたくしは後悔した。
何しろ三十年前に書いたもので、委しい事は自作ながら忘れてゐる。旧稿をよみ返して見るのも、時には他人のものを見るやうで、意外の興を催し得ることがあるから、わたくしは旧作怪夢録を開いて、巻首の自叙から仔細に全文を読返して見た。
発端に夢のことがなが〳〵と書いてある。夢には映画に見るやうに人や化物に追ひかけられ、追ひ詰められて目をさますのが通例である。小説の主人公「わたくし」なる者は多年神経衰弱のために眠るかと思ふとすぐ妙な夢に襲はれ、熟睡することができなくなつてゐる。或日夢に玉川上水の流れてゐる郊外を歩いてゐる。(夢裡に見る風景は作者が明治三十年代頃に見馴れた千駄ヶ谷附近田園の描写である。)歩いてゐる中、風景は忽然一変して蒹葭蒼々たる水村の堤になる。(作者が二十歳の頃よく釣舟を漕いで往復した小名木川、中川、隠亡堀あたりの描写である。)
夜になり川添ひの小料理屋に上つて飯を食ふ。料理屋は宿屋を兼ね、酌婦が四五人ゐる。その一人に挑まれて泊る。この酌婦の肉体には一種不思議な魅力があつて、主人公は数年来熟睡し得なかつた苦痛を、この夜初て忘れることができた。別れて家へかへるとまた眠られなくなるので、三日に上げず通ひつめる。今まで知らなかつた限なき楽しみをこの女によつて知る。借金を返してやつて妾にする。その中に夢の間にまた夢を見る。鸚鵡よりも綺麗な蝙蝠が窓に来て、あの女に接してゐると一年を出でずして殺されることを告げる。主人公は驚いて家を逃れ出で諸所をさまよひ、松林に蔽はれた小山の上の廃祠に隠れ、こゝに自炊の生活をする(風景は作者が中学生の頃夜行遠足を試みた時に見た井の頭池の近傍である。)枯枝を拾ひ〳〵崖のほとりに出ると、夕日が麓の野を蔽ふ枯尾花に映じて、見渡すかぎり火の海をなしたやうに思はれる。一人の女が小径を歩いて来る。火の中をさまよふものと思ひ、助けてやらうと走り寄つて見ると、それは彼の女である。女は金の壺を持つてゐて、これは印度に産する金の蛇を漬けた酒だから飲めと勧める。驚いて道を択ばず逃げ走る。鉄道線路に出で踏切番の小屋を見つけて逃げ込む。中に木の瘤のやうな顔をした婆がゐて、若き主人公を見るや、気味のわるい笑を浮べ、いやらしい様子で挑みかゝる。小屋の外には金蛇の酒を提げた女がうろ〳〵してゐる。絶体絶命、主人公は悶絶する自分の声に驚いて目を覚ますと、波斯小説の上に頬杖をついて転寝をしてゐる中、頬杖がはづれて目がさめたと云ふはなしである。
今日これを読返して見ると、編中の叙景は東京近郊のひらけなかつた頃の追憶に基くもので、それが執筆の目的であつたらしい。酌婦が病弱の文士にいろ〳〵生の快楽を教へたり、老婆が若い男に挑みかゝる叙事などは批評の限りにあらずだ。
読終ると共にわたくしは内心白井の行為について少からざる恐怖を感じた。偽本をつくつたものは白井に非ざれば木場である。白井は紙袋をわたくしの家から借出して木場の鴻麓堂に止宿し、二人してわたくしの旧稿を閲読して其類本を製作した。その時の興に乗じたものか。或は金に替る好餌の為か。いづれにしてもこれが商估の手に渡つて、購つたもののある以上、その罪は道徳上、並に法律上とを兼ねたものである。
わたくしはまづ其買主に面会し其物を一見する必要があると思ひ、早速箱根の岩田に返書を送り其来訪を求めた。
「その後は御無沙汰ばかりしてゐました。申訳がありません。この本で御在ます。」と岩田は縮緬の袱紗を解いて、その購つた怪夢録の一書を示した。
薬袋紙を表紙に茶半紙二三帖を綴ぢた製本の体裁から本文の書体、悉くわたくしの原本と同一で、しかも驚くべきは巻首と巻末とに捺してある印までが原本のものに似せてあることであつた。わたくしは木場が下谷三味線堀にゐた印刻師の子である事を思合せて更に又慄然とした。
「安くあるまいね、商売人の手にかゝつたら。」わたくしは偽書本を閉ぢて岩田に返し、「百円もしたかね。」
岩田は不満らしい面持で「どうして、そんな事ぢや……。」
「もつと高いんですか。それぢや雑誌なんぞに出して原稿料を貰ふよりも余程割がいゝ、僕も何か一ツ浄写して見ようかな。」
「西銀座の巽堂には一葉女史の手紙と草稿がありました。一まとめに買つてくれと言はれたんですが、一寸手が出ませんでした。」
「みんな一手に出たものだらうね。誰が持つてゐたんだらう。」
「先生のものは、先生も御存じがないんですか。」
「心当りはあるけれど……。」
「先生お願ひしたいのですが、これに先生の裏書、鑑定書のやうなものを一筆お願ひしたいんですが。」
岩田は再び怪夢録の偽書本をわたくしの方に向けて、テーブルの上に載せる。わたくしは数日前に読返したまゝ机の上に置いた原本怪夢録を取り、「君の買つた物と、これと交換しよう。この方を君の蔵書にして置きたまへ。」
「それでは、わたしの買つたのは。」
「贋だよ。」
これから後のはなしは岩田がわたしから木場白井二生の事を聞き、偽筆本をつかまされた口惜しさに、其知人で興信所に雇はれてゐるものがあるのを幸、其者に依頼して二生の身辺を探偵させた。その報告書に基いてわたくしのこしらへたものになるのである。
秘密探偵の書綴る報告書は裁判所の速記録と同じくところ〴〵古めかしい漢文調の熟語、「二人ハ奇貨措クベシトナシ」なんど言ふ語句と、極めて卑俗な口語とが混用されてゐて、時には却つて筆者の面目を躍如たらしむる処に別種の面白味がある。然るにわたくしの書直した此の物語にはヱノケンの舞台を見るやうな突飛な写実もなければ、偶然の可笑味もない。絵画よりも写真を真実となして喜ぶ人は、わたくしが報告書に基いて冗漫なる物語を綴つた徒労を笑ふであらう。或は無用の文飾と迂回した筋道とが、却て真相を誤らせるものとして、其罪を責めるかも知れない。
白井が稲毛の寓居を引払つた理由は、家賃を一年あまり滞らせ、遂に家主から追はれた為らしいが、さてその引越先をどうして安房郡××村に択んだものか、その理由はわからない。
××村の借家はその家主と隣り合つてゐる。もとは家主の住宅の離座敷であつたのを、主人が病歿した後、若い未亡人が手入をして貸家にしたのである。死んだ主人はもと深川冬木町の材木問屋で、胸の病気があるため、その妻と共に転地療養の目的で××村へ引籠り、三年ならずして世を去つた。その時年は三十、妻は二十三四であつたとやら。
白井は引越した当日、隣の家主へ挨拶をかね敷金を持つて行つて、初めて未亡人を見た時、その年の若いのと、姿形のすらりとして美しいのに、旦那の留守をしてゐる人妻だと思つた。襟付のお召に縫取をした小紋の羽織を引掛けた衣裳の好み、髪をまん中から分けて、ゆるく首筋へ落ちかゝるやうに結んだ様子、どうやら素人でもなく正妻でもないやうにも見られた。
間もなく未亡人は白井の細君と心やすくなつた。二人とも東京の下町に成長したので、田舎に移住してから互に話相手がほしくてならなかつた故である。二三度晩飯に招かれたり招いたりする間柄になつた。
或日白井は未亡人と東京へ行く汽車に乗り合せた。白井はまだ乗らない中、早くも未亡人が乗車場の壁に沿うた腰掛で本を読んでゐるのを見たのである。本は其体裁から岩波文庫でなければ春陽堂文庫中のものらしく見えたが、未亡人が自分の居ることを心づかないまゝ、二三間離れた柱のかげに立つて、列車の来るまで其姿を眺めてゐた。
××村からこの駅までは、一時間置きに出るバスに乗らねばならぬので、時候のいゝ四月中旬の午後であつたが、乗車場に列車を待つ人は四五人に過ぎず、その中の二人は洋装した女の行商人、後は法華参りの婆さんに制服の学生一人。その中にたつた一人、下町風の若い未亡人の姿は、それを中心にして駅全体と、あたりの風景にまで画趣を帯びさせるほどで。金紗のコートに蔽はれた其服装には現代風のけばけばしい染色は微塵もなく、履物は勿論日傘の柄からハンドバツクまで目に立たなくて、価の高いものらしいところ、その性情、その趣味までが、いかにも奥床しく白井の眼に映じた。
白井は引越した其日に、初て見た時の驚歎を、今更のやうに繰返すと共に、その身元、その経歴を知りたい好奇心のいよ〳〵激しくなるのを禁じ得なかつた。車に乗つても白井はわざと少し離れてゐながら、やがて女が心づいた時話しかけることの出来るやうな席を計つて、徐に腰をかけた。車が動き出しても女は見馴れた窓の風景をよそに、読みかけた小説に目を注いでゐる中、次の停車場に着きかける頃、初めて白井の予想どほり、女は本から目を離して何と云ふこともなく車内を見廻し、白井のゐるのを見て、美しく静な微笑を以て挨拶に代へた。
白井は帽子を取ると共に、女に対する礼儀のやうに見せて席を立ち「東京へお出ですか。」
「はい。ちよいと。」
「陽気もよくなりました。」と白井は車中のすいてゐるのを幸、さり気なく歩み寄つて、「わたくしは真間まで参ります。東京は丁度お花見時分で御在ますね。」
「ほんとにさうで御在ます。然しこの頃はお花見時分でもふだんと変りませんのね。」
「どこも唯込み合ふばかりで、東京は全くつまらなくなりました。」
「電車なんぞ、いやで御在ます。でも、たまに参りますと何ですか、いやだいやだとは思ひながらやつぱり懐しい気がいたします。」
「房州はもう御長う御在ますか。」
「はア、今年でもう四年になります。」
「皆さん。東京にいらつしやるんですか。」
「いえ、それなら、とうに越してしまつたんですけれど。宅は前々から主人とわたくし二人ぎりだもので。」
「それではわたくしどもと御同様です。」
「でも、お宅さまはお嬢さまもおいでで、お賑でよろしう御在ます。」
「いや、どうも。女の子ばかり三人ですから賑かすぎます。」
「お楽しみですね。大きいお嬢さん、もうぢき御卒業でせう。」
白井は長女が十八になり、しかも数日前千葉の女学校を卒業をしてしまつたのであるが、明かに答へることを躊躇した。白井は学生のころ十八で、一ツ年の多い隣家の娘と通じ忽ち子供をこしらへてしまつたので、誰にきかれても家庭の事は言ひたくないのであつた。何となく老人臭く、気が滅入つて来るからである。白井はそれにつけても、未亡人が自分の妻より一まはりも年が若く、そして子供もなく、身一ツになつた現在の生涯について、どう云ふ考を持つてゐるだらう。その胸の奥底には悲しみよりも、何か将来に希望を持つてゐはしまいか、どうも然うらしいやうな気がしてならないので、それとなく瑣細な挙動から言葉のはしばしまで、怠らず注意せずには居られなかつた。
髪はいつものやうに油気を避けた緩かな結び髪に、目立たぬやうな薄化粧ながら、鼻筋の通つた眉の濃い細面の、顎から咽喉へかけての皮膚の滑かさ。着物はぢみでも半襟の下からほの見える肌着の襟の緋縮緬、日傘の琥珀の柄を握るしなやかな指先に至るまで、今猶二十前後の若さを失はずに居る。時としてその態度の落つき、言葉使ひのしとやかさから思知られる真の年齢は、却て其人のわかかつた二十ころの美しさを忍ばせるのみならず、その美しさのやがて衰へて行かうとする間際のさびしさに、また別種の魅力が添へられようとしてゐる。秋の女の哀愁の美が窺はれようとしてゐるのだ。白井はダヌンチオが女優デユーゼをモデルにしたと称せられる小説「炎焔」中の女主人公の風貌を空想に浮べながら、また未亡人はきつと三味線の心得もあるであらう。三味線ならば小唄、琴ならば上唄でも歌はせたらどんなであらうとも思つた。
姑く話の途切れてゐる間、二人とも窓の景色に目を移してゐたが、やがて未亡人が思出したやうに袂から巻煙草を出すのを見て、白井は素早くマツチを摺りながら、
「東京はどちらです。わたくし、以前は箱崎に居りました。」
「さよですか。それでは向ひ合せで御在ます。わたくし佐賀町が生れましたところで、それから冬木町に居りました。」
「辨天さまが御在ましたな。」
「はい。辨天さまから和倉の方へ寄つたところで御在ました。宅は何しろ病身で御在ませう、わたくしが参りますと間もなく店をたゝみまして、こちらへ引越したんで御在ます。子供が御在ませんから淋しう御在ますけれど考へやうでは却て苦労が御在ません。」
白井は話題が漸く思ふところへ運ばれて来たと思つた。
「全くお淋しいでせう。然し佐賀町の方は皆様御丈夫なんでせう。」
「いゝえ、あなた。里の方はとうのむかし、わたくし、ほんの幽に覚があるくらゐですの。わたくし七ツの時から乳母の家で育ちましたの。」
列車が千葉の駅へつく。二人はとも〴〵省線電車へ乗りかへようとする急しさに、折角糸口のつきかゝつた身の上ばなしはそれなり中絶して、込合ふ電車は稲毛から船橋八幡を過ると、早くも国府台の森が見えるやうになつた。白井は名残惜しげに、
「それでは、お先へ。」
手児奈様の御宮を向うに、真直な小道の両側に並んだ貸家の中でも、平家建の一軒。出窓の格子を取りのけ板硝子を張つた中に緋毛氈を敷き、上方人形三ツ四ツ、助六や達磨様など江戸時代の玩具、飛んだり刎ねたりの、いづれも模造の品物を並べた後一面、金砂子の鳥の子紙を張つた仕切壁に、紅葉山人の俳句短冊二枚を入れた総つきの雲板をつり下げ、其下に置いた小さな釣瓶形の桶に桃の花の一枝と菜の花を投込んだ店の様子。それを白井は流し目に見やりながら、窓に添うた格子戸を明け、
「おいでですか。」といつもの低い声なのを、すぐに聞きつけて上り口の障子を明けたのは、ちゞらし髪をうしろで巻きとめ、臙脂色の目に立つ大柄模様の銘仙に、薄色鶸茶の事務服を羽織代りにした細面の、年は二十五六。もとは高島屋デパートの売子だつたといふ木場の妻よし子である。
「どうぞ。」と白井のぬいだ履物を片よせながら、「白井さん、いらしつてよ。」
「手紙を出さうと思つてゐたんだ。」と机の前から少し居ざり出で、木場は白井が坐らぬ中、「巽堂から文句を言つて来た。」
「何だつて。」と白井は気のない返事をしながら八畳の間の床に掛けた××氏の自賛の俳句、鴨居に鴻麓堂の額、押入に添ふ三尺の壁にかけた湖龍斎の柱懸などを見廻しながら煙草の烟。
「怪夢録のことさ。買つたお客から苦情が出たさうだ。」
「直接、鑑定でもして貰つたんだらう。」
「君、あつちは鼬の道か。僕もあれツきりだが。」
「どの道、ぼろの出る時分だからね。方面を変へるさ。既刊本へ署名するのが一番世話がない。」
二人は現代名家の著書を古本屋から買取り、それに好加減な寄贈者の名と、著者の署名を書く。これは白井の仕事。木場は偽印を刻つて捺し別の古本屋に売るのである。床の間の隅にはやがてさうされべき書物が積んである。
「天気がいゝから、ぶらついて見ようぢやないか。」
白井は実のところ今日は短冊色紙の偽筆、そろ〳〵時節を当込んで扇子団扇の偽筆揮毫をもするつもりで、筆も一二本用意して出て来たのであつたが、途中で別れた未亡人の姿が目にちらついて、仕事なんぞする気になれなくなつた。外へ出たからと云つて、行く当もなく見るものもないのであるが、花見時分の好天気に世間一体何となく浮立つてゐるので、遊び歩く女の中に未亡人に似た姿でもあつてくれたら目の保養になると思つたからである。
「ぢや、そこまで一所に行かう。君が来なかつたら実はこのあひだの話をきいて来ようと思つてゐたんだから。」と木場は座を立つて兵児帯を締め直した。然しこれは細君よし子の前を胡麻化すだけの申訳である。もしたゞの散歩となつたらよし子を連れて行かねばなるまい。さうなると、まづ隣へ留守をたのむ。その礼に土産物も買はなくてはなるまい。殊によれば夕飯三人前も自分が負担せねばなるまい。木場は白井とはちがつて、よし子と同棲してから四年たつても、今だに生計の真相は知られないやうにしてゐる。偽筆の事も無論である。
これに反して白井の方は隠したくても隠しきれない境涯に陥つてゐる。株式仲買人であつた其父の死んだ時、白井は自分の一生くらゐは楽に遊んでくらせる遺産は十分あると思の外、精算すると借財の方が多かつた始末。また細君の里の運送屋も震災後左前になつて、当主の兄が家族をつれて千葉へ引込んだやうな訳で、夫婦とも今は見得ばつてゐるどころではない。細君は子供の教育費だけは親類へ泣きついて、どうにかするから、生活費──家賃と食料とはあなたがお稼ぎなさいと言ふ。東京から稲毛、稲毛から房州へとだん〳〵辺鄙へ移転した訳は、要するに幾分でも家賃を安くしようと云ふ為であつた。家にゐると、年上の細君が勉強して下さいと言はぬばかりのやうに見え、時には居たたまれないやうな気がする。外へ出ても行く先のない時には白井は上野か早稲田の図書館へ行き本を読んだり昼寝をしたりして日を送ることにしてゐた。
白井は学生の時から読書はきらひでは無かつた。然し読書は実行の出来ない事を空想したり、また目的なく時間を空費する無二の方便に過ぎないと思つてから、筆を取つて物をかく気にはならなくなつた。先輩に頼まれて、初に謝礼を渡されゝば飜訳物の下ごしらへ、新聞や婦人雑誌向の小説の代作も直にやれるが、自分から立案するとなると、つまらない編纂物さへ手を下すのが面倒になる。座談なら世事人物の酷評もするが、まとまつた評論はかき得ないのであつた。
現代文士の草稿や短冊の偽筆も、主謀者木場に勧められたのがもとで、販売の方法は凡て木場がやつてゐる。仕事は木場の住ひでよし子を先に寝かしてしまつた後、二人とも酒も菓子も口にしないので唯雑談しながら遊び半分取りかゝるのであつた。
二人が最初この事を思ひついたのは三四年前、丁度今日のやうに浅草公園をぶらついた帰途、三好町の河岸通のとある天麩羅屋の二階へ上つた時張交の衝立に木場が一時書生に住込んでゐた文壇の名家××先生の名をかいた萬葉振りの短歌一首。似ても似つかぬ贋物を見てからであつた。
「これで通るなら訳はない。」
その晩白井が泊つたので、木場は所蔵する現代諸家の短冊や書簡を取出し、白井が能書の才に任して試に似たものをつくつて見た。翌日木場が以前から知つてゐる下谷西町の古本屋へ行つて相談すると、案外値をよく引取つてくれたので、それから二人は計画を立て、予めその偽筆を作らうと思ふ文士の家を訪問し其の書斎の様子を窺ひ、蔵書を借りたり、また返事の貰へるやうな手紙を出したりした。かくして二人は贋物を製作した後、虚心平然たる心持に返つて、これを打眺め、自分ながら案外だと思ふやうな出来栄を見る時、一種冷やかな皮肉な微笑がおのづから口元に浮んでくるやうな満足を覚えたのである。
この心持は二人とも未だ曾て経験したことのない新しい快感であつた。無名の身が直に原物の筆者と同様の才学名声のある者になつたやうな心持もする。現実に於いて無名有名の差別が存在してゐるのは、才学力量の相違からではなく、他の情実に因るものである事が、立派に立證されたやうな心持もするのであつた。又一変して、窃に人の妻と通じた翌日、欺かれた夫の顔を見る時の恐怖と勝利との混雑した感情も推察される。また更に一変して、言寄ることのできない片恋の苦しみにつかれ果てた暁、それと瓜二ツ、生写しと云ふやうな女を、偶然売色の巷に見出して思を遂げる時の心持が、最も適切であるやうな気がした。二人は心理上異様な衝動を覚え、抑制することのできない誘惑を感じるやうになつた。そして其誘惑が生計の足しになることが確められては猶更の事である。まじめに文筆を執ることは出来なくても、この仕事の妙味には徹夜も一向苦にはならなかつた。
「ぶら〳〵歩きも行先を考へるのが厄介だ。」
「光月町に母子で人形を拵へてゐる家があるんだ。ぢかに買ふと安いからね。行つて見よう。」
「どこだ光月町といふのは。」
「そら、お酉様の先さ。太郎稲荷の在るところさ。」
「ぢや吉原の裏だね。」
「君、××先生のところで、女中の騒があつた時分だ。頼まれて隠家をさがしに行つたことがあつたぢやないか。あのすぐ側だ。」
木場がまだ××先生の家に居たころの事。女中に無理を言掛けて逃げられながら、先生は思切れず、木場をたのみ逃去つた先をさがしてくれと言はれて、木場はその親友白井をさそひ、龍泉寺町の裏路地をさまよひ歩き、夜になつて雨に逢ひ、しやう事なしに吉原の河岸店に上つて一夜を明したことがある。
「あの晩は実に困つた。忘れられないな。」
市川の駅近くへ来ると、今しがた電車が通つたばかりと見えて、追はれるやうに後から〳〵と引きも切らず早足に歩いて来る男女さま〴〵な人の群に行き合ひ、ぶらぶら歩きの二人はおのづから片方へ道を譲りかけた時、突然群集の中から染色の目に立つ羽織と金の糸のぴか〳〵ひかる肩掛とが、風になびく花のやうに、二人の方へと動いて来て、「アラ兄さん。」といふ声。
すこし伸び過ぎたパマの髪を耳のうしろからリボンで結び、額の上にも髪を下げて口紅思ふさま濃く、眉をかいた厚化粧、鳥渡見には二十前後にも見られる明い円顔。木場の妻よし子の妹てる子である。
「いつもお揃ひね。」とてる子は五六年前、上野の喫茶店で二人を迎へた時のやうな笑顔と調子で白井へ挨拶をする。白井は黙つてゐる。
木場は鼻先のつき合はぬばかりに進寄り、「よし子は家にゐるよ。何か用……。」
「えゝ。姉さんばかりぢやないわ。」
白井は木場がその義妹の金廻りのいゝのにつけ込み、内々融通してもらふ事があるらしいので、わざと離れて一歩二歩と先へあるき出した。
白井はその後未亡人に言寄る機会を窺つてゐた。隣家のことなので、未亡人がこの間のやうに東京へでも出かけるやうな時があつたら、逃さず後を追ひかけようと思つてゐたが、それなり外出した様子もなかつた。或晩白井は家族と共に食べ終つた夕飯の茶ぶ台から立たうとすると、茶碗の中で象牙の箸をちやら〳〵ゆすぎながら、茶を飲みかけてゐた妻の花子が、
「あなた、明日一寸東京まで行つて来ます。何か用があつたら、ついでにたして来ませう。」
花子はめつたに東京へ行つた事がない。両親の命日と盆とに浅草北三筋町の寺へ墓参に行くくらゐなので、白井は不審な顔つき、
「何だえ、お盆までまだなか〳〵だよ。」
「おとなりから頼まれた用があります。」
「藤田さん?」
「えゝ。」
藤田と云ふのは未亡人の事、名は常子といふのである。
「朝から出かける?」
「さうね、お午飯、早目にして行つて来ませう。四時頃には帰れませう。」
「藤田さん、さつぱり姿を見せないが……。」
「お風邪ですつて。大して悪くもないんでせうけれど。株の払込が明日期限なんですつて。風邪でお困りの様だから、わたしでよければツて、さう言つて上げましたの。」
「そんな事なら僕でもいゝのに。」
「でも、お金の事ですもの。」
「はゝは、大きにさうかも知れない。何の株だ。余ツ程持つてゐる。」
「きかないから知りません。銀行は日本橋の第百ですつて。」
「藤田さんは深川で育つたといふ話だが、お里はやつぱり材木屋かね。旦那がなくなつて遺産があつちや、このまゝ永くあゝしても居られないだらう。」
白井は細君の花子がどういふ返事をするかと思つて、それとなくその顔を見た。
「お里は人のいやがる商売だつていひますからね。」と花子は小声になり一寸勝手の方を顧みた。
「どういふ商売だ。」
「蛇屋ですつて。」と細君は未亡人の親元はもと佐賀町で相応の米問屋であつたさうだが、父は相場で失敗して自殺した後間もなく母にも死別れた。容貌が好いので、望まれて和倉の材木屋へ嫁入をしたのだと、女中から聞いた話をつたへた。
「瓜実顔の富士額で、むかし風の美人だ。今時めづらしい。」
「いくら美人でも珍らしくつても、蝮屋だと思ふと、美人だけに猶気味がわるいぢやありませんか。」
「日高川でも思出すのか。はゝゝは。」
次の日、長女は先月女学校を出てから○○市の銀行へ、二人の妹は国民学校へ、細君花子は隣から書類を包んだ袱紗を受取り、正午頃に家を出て行つた。拠処なく留守の白井は一人縁側に腰をかけ、新聞をよんでゐると、隣の門口で郵便屋の声がしながら誰も受取りに出る様子がない。白井は勝手の木戸口から隣りへ廻り、
「お留守のやうですよ。」
「書留です。」
白井は勝手をのぞくと使に出たのか、女中もゐないらしい。
「奥さん。おやすみですか。」
台所から茶の間に入り座敷の襖の引きちがひになつた其隙間から内を覗くと、未亡人常子は仰向きになつて、顔の上に開いた小説本を載せ、羽毛蒲団を下の方に、浴衣を重ねた襟付お召の寝間着の胸に片手を置き、青竹色の伊達締の端の解けたのも其まゝ、片手を敷布の上に投出して、すや〳〵眠つてゐる。白井は襖際からすこし離れて、
「奥さん、郵便です。奥さん。」
衣摺れの音がして、二三寸あいた襖の間から常子の立つた姿が見えた。
「認印をどうぞ。」と書留の封書を差出す。
「おそれ入りました。薬を取らせにやつたもので。」
常子は寝間着の前を引合せもせず、其まゝ茶の間へ出て長火鉢の引出から認印をさがした後静に伊達締を結び直し、
「こんな風をしまして。失礼ですけど、どうぞ……。」
座布団を寝床の傍に敷き、自分は夜具の上に坐る。
「余程おわるいんですか。起きていらつしやらない方が……。」
「それ程でも御在ません。今日は奥さまをお使立てして、ほんとに済みません。」
「いえ、なに。東京なら大よろこびです。これから、どうぞ御遠慮なく。」
「えゝ、ありがたう。」と礼のしるしにと頷付く拍子に黄楊の櫛の落ちたのを取つて、結髪をかき、「白井さん、葡萄酒は。」
「どうぞお構ひなく。お酒はいけない方ですから。」
「これは甘いんですよ。酔ひません。」
常子は茶棚からグラスを取らうと、下についた片手の掌に力を入れ、膝の崩れるまで身を斜にねぢり、片手を伸す其姿と横顔とを、白井は内心好い姿勢だと感心しながら、
「あなた。余程あがれさうですな。」
「いゝえ、二三杯やつとですけれど、たまにはいゝもんですわ。」
常子は枕元にあつたポートワインをグラス二ツにつぎ、白井の飲むのを見て、自分も一口、そして敷蒲団の下から懐紙を出して口の端をふく。
白井はグラスを下に置くと共に、枕元に置かれた書物と雑誌の中から一冊を取り上げ、
「マノン、レスコー、×××訳。」と表題をよみ、「現代小説よりも飜訳がお好きなんですか。」
「別にさうとも限りません。ですけれど、その小説、わたし泣かされましたわ。」
「女のマノンが悪くつて男の方がかはいさうになるんでせう。」
「さうですわ。女が男のために苦労するのは当りまへですもの。浮気なマノンを思つてゐる男は、わたし何となく切られ与三みたやうな気がしましたわ。」
「さうですね、男が地位も名誉も何もかも捨てゝ恋人と一緒に囚人の流されるフロリダに行く──成程お富与三郎のやうです。」
「護送されて行く途中から、向へ着いてからもいろ〳〵難儀をするところなんぞ、実にかはいさうねえ。」
「与三郎のはなしは講釈種らしいんですが、日本の小説であのくらゐ男の未練をかいたものは有りませんよ。」
「お富はあれほど思はれてるのに、どうして与三郎を幸福にしてやれなかつたんでせう。わたしだつたら……。」と言ひつゞけてゐる中、常子は突然くさめを耐へようとして耐へきれず袂で口を押へ、そして襟を引き合せた。
「いけません。横におなりなさい。」と白井は促すやうに膝を進めて羽毛蒲団の端をつかむ。
常子は横になりながら額を押へて、「大丈夫ですわ。」
「軽はづみなすつちや……。」
白井はこの機会をのがさず這ふやうに折屈んで、片手を常子の額に載せて見た。体よく除けられるかと思ひの外常子はにつこり微笑み、
「熱なんぞ、もう無いでせう。」
「ないやうですけれど……。」そのまゝ暫くぢつと顔を見てゐる中、いきなり大胆に手を握つた。
常子は何とも言はず静に瞼を合せて眠るやうな振りをしたが、その頬は上気して赤らみ、胸の動悸は音するばかり俄に激しく、切迫した熱い呼吸が何事かを促すやうに白井の折屈んだ顔に触れる。白井は握つた手に力を籠め、常子の顔の上にその額を押付けた。
藤田未亡人の家には六畳三畳二間つゞきの二階がある。久しい間死んだ主人の寝てゐた処であるが、その後は折々天気の好い時風を入れるだけで平素は明間になつてゐる。常子は白井の細君に、白井さんが勉強でもなさる時には御勝手に二階をおつかひなさるやうにと言つた。女の子が三人もゐる狭さに、細君の花子は常子の深切を嬉しく思ふばかり、二階の窓際に据ゑた唐机によりかゝつて自分の夫が何をするかは、少しも心つかずにゐた。
「あの二階は静でいゝ。仕事ができるよ。この春、○○先生から頼まれた飜訳も、もう一息だ。五六百円にはなるだらう。」
白井は出放題にこんな事を言つて、その後はちつとも東京へ行かず、毎日午後から隣へ行き、夕飯に帰つて来て、夜もまた十二時過になることがあつた。
白井は常子が空閨を守るやうになつてから一年あまり、夫が病褥に就いてからの月日を加へたら三年近く男を断つてゐた挙句の事であるから、自分のために其生涯を顛されたのも無理ではないと考へてゐた。又自分に妻子のある事は、常子に取つては、却て人前を胡麻化す為のみならず、財産を押領される虞がないといふ安心を与へるものと考へた。白井は話のついでに、それとなく探索して未亡人の持つてゐる前夫の遺産は現在の土地家屋の外に麻布本村町辺に小さな貸家が二三軒、株券から年に二三千円の配当が来ると、見つもりをつけた。
二階の空間を密会所にしてから、早くも三ヶ月近くなつた。梅雨は既に過ぎて四五日たてば盆である。白井は机に背をよせかけ、両足を投出した膝の上に常子を抱きながら、
「内では毎年盆の十五日にお寺参りから親類廻りに出かけます。あなたもお出かけでせう。」
「どうしようかと思つてるの。あなた。一緒にいらつしやいよ。たまには外で逢つて見たいわ。」
「場所が変ると気分がちがふから、いゝでせう。」
「ほんとうよ。」
「それに、こゝは少し警戒の必要があると思ふんです。」
「さう。感付いたやうなの。」と言つたが常子はさして驚き恐れる様子もなく、それも当りまへだと言はぬばかり平気な顔をしてゐる。白井は女の額に垂れかゝる後毛を弄びながら、
「今朝一寸お庭へ出て見たんです。すると飛石の側に赤いものが落ちてゐるから何だらうと思つて、拾つて見ると、女洋服のボタンです。二三日前、辰子が上衣のボタンがないと言つて妹の物を貰つて自分でつけてゐたから、お庭にボタンを落したのはあの子に違ひないです。」
辰子といふのは白井が十八の時、隣の娘の花子に生せた長女である。
「辰子が何しにお庭へ来たのか、一寸不思議です。内々様子を見て来いとさう言はれてゐるのかも知れません。」
「様子を見て来ないだつて、あなたが二階で勉強してゐることは誰しも知つてる筈ぢやありませんか。」
「わたしぢやない。あなたがさ。二階にゐやしないか。そして何をしてゐるだらう。そろ〳〵そんな事が気になりだしたんだらうと思ふんです。」
「奥さん、まだ何とも言ひません。」
「あれは強情張で、何があつても口へは出しません。わかつてゐても。」
「こわいわね、祈られでもすると。」
「藁人形に五寸釘ですか。はゝゝは。兎に角一度外で逢ひませう。やつぱり東京がいゝでせう。目立たなくつて。」
「さうねえ。ぢやいつ行きませう。今日は九日ね。」
「同じ日に出かけちやまづいから。わたしは一日先に出掛けませう。先から真間の友達の家でよく泊るんですから時間を打合せて、その次の日あなたが両国の駅へつく時分、わたしは真間から出かけて落合ふことにしませう。」
「この前、あなたにお会ひしたあの時間がいゝわ。」
「ぢや、わたしは明日の午後に出かけます。あなたは十一日の午後にしますね。」
「えゝ。」
次の朝、都合よく、誂へたやうに真間の木場から手紙が来たので、白井はわざとらしくそれを花子に見せ、いつものやうに書物一冊と傘とを持つて家を出て行つた。
× × × × ×
白井の留守宅では、隣の常子がハンドバツクと頃合の風呂敷包とを持つて出かけた其日の晩方、夕飯をすませた後、花子と長女辰子との二人はいつものやうに裁縫、二人の妹は学課の復習をした後、千代紙の細工物をして先に寝てしまつた。最終のバスが生垣つゞきの表通を行過る物音も次第に遠く消去つてしまふと、やがて幽に聞える鐘の音が夏ながらいかにも寂しく、夜もふけ渡つたやうな心持をさせる。
辰子は横坐りの足の裏をしたゝか藪蚊に刺され、縁側に置かれた蚊遣の煙草盆を引寄せ、「かアさん、済みませんがお線香取つて下さい。たまらないわ。」
「そこに無ければもうお仕舞ですよ。」と花子はさして蚊を苦にしないらしく「もう何時だらうね。」
「十時よ。」と辰子は浴衣の袖口をまくり腕時計を見ながら大きな欠伸をする。
「ぢや、片づけてそろ〳〵寝ませう。」
「かアさん。明日か明後日、お墓まゐり……。」
「日曜だと、みんな一ツしよに行かれるんだけれど。」
「今日、日曜日よ。だからその次は十八日になつちまふわ。」
「あら、さう。」と花子は思出して、「うつかりして気がつかなかつた。お隣の奥さん、門の外でお目にかゝつたら銀行へ行くつて仰有つてたけれど、わたしもうつかりしてゐたよ。」
「日曜日に東京の銀行へ……。」娘の辰子はぢつと母の顔を見詰めてゐたが、いかにも口惜しさうに「かアさん、お人好しねえ。」
「何だね、この人は。」
「言はうと思つたけれど、よすわ。わるいから。」
母の花子はいよ〳〵不審さうにその顔を見返すので、辰子は漸く決心したらしく、
「かアさん、藤田さんは銀行へ行つたんぢやないわ。わるい人よ。パパもパパだわ。かアさん、今の中に何とか言つてやつた方がいゝと思ふわ。」辰子の眼は次第にうるんで来る。
「辰子、わかつたよ。」と花子は少し声を顫したが、強ひて驚かぬ風を粧ひ、「辰子、どうしてお前、そんな事を知つてるのだい。」
「このあひだ、どこの犬だか、お向の家のチヤボを追かけたのよ。お隣のお庭の方へ行つたから、わたし棒を拾つて追つかけて行つたのよ。チヤボは垣根の下をくゞつてお向の家の方へ逃げて行つたから、まアいゝと思つて、わたしそつと此方へ来ようとすると、パパと藤田さんと二階から下りて来てさ。女中さんも居なかつたもんだから……わたしハツと思つちやつたわ。それからわたし常住気をつけてゐたのよ。」
「さう、辰子、そんな事誰にも言つちやいけませんよ。」と花子は出来るだけ重々しい調子で、猶且つ飽くまで平然とした様子を見せようとした。
「えゝ、言はないわ。でも、いやらしいわね。」辰子は堪へきれず、鼻をすゝつた。
「もう寝ませう。片づけてから、お仕事した後は一寸掃く方がいゝのよ。針なんぞ落ちてゐないやうに……。」
言ひながら花子は押入から夜具と蚊帳を引出す。辰子は妹の寝てゐる次の間の方へ行きかけた時、遠くかすかに聞える船の汽笛がまた更にあたりを淋しくさせた。辰子は眠らうとしても眠られない。──かアさんも襖一重隣の座敷の蚊帳の中で矢張眠られずにパパの事を考へてゐるにちがひない。パパは今頃東京の何処でランデブーをしてゐるのだらう。いろ〳〵さま〴〵な光景が映画のやうに闇の中に現はれては消えて行く。する中に隣のおばさんとマヽの姿とが一ツになつたり二ツに分れたりして、どれがどれだか差別がつかないやうになつた。
辰子は物心づいてから、父の白井と母の花子とが自分の親になつた時の年齢が世間一般の親達よりも甚しく若過ぎてゐる事(父は丁度現在の自分と同じ年齢の時にパパになつてゐた。)それから母が父よりも一つ年上である事などについて、訳なき不安と疑問とを持つてゐた。この春女学校を出て世間の事を見きゝするにつけ、此疑問の解答を求めようとする心は日に増し激しくなつた其の矢先、辰子は隣の未亡人と父との関係を目撃したのである。辰子はいはれなく、母が自分を産んだわけも大方それと同じやうな事情からだらうと、思はないわけには行かなかつた。
この想像は辰子には非常に不愉快極るものであつた。自分がこの世に生れ出た理由が甚後暗く且つ不名誉なものになるからである。生れながら侮辱されてゐるやうな気がして、父のみならず母に対しても敬愛の念を持つことが出来なくなるからである。母もその頃にはお隣のおばさんと同じやうに父と戯れながら梯子段を降りて来るやうな事をしてゐたのかも知れない。パパにはその時分も今のやうに、母の外にもう一人女があつたとしても不思議はない。その中隣のおばさんも是亦母のやうな目にあはされるのかも知れない。辰子の目には父の白井が譬へられない程醜悪なものに考へられて来る。
こんな不快な汚い家に居るよりも、一日も早く自分ひとり独立した生活がして見たい。現在働いてゐる銀行で、もすこし給料を出してくれゝば自分は明日にでもこの家を出て行くだらう。辰子は将来自活すべき女の職業の何がいゝかを考へはじめた。
この時、母の花子も灯を消して眠つたふりをしてゐるが、冴えきつた目から流れる涙を押へることができない。自分が夫の白井と隣同士であつた事が、現在藤田さんの場合と全く同じであることを思ふと、嫉妬の念よりも、まづ先に怪しい因縁とでもいふやうな空恐しい気がして来る。白井といふ夫は一体どういふ人間なのだらう。目と鼻の間でそんな事をせずとも、綺麗な若い女がほしかつたら、家族が気のつかない遠い処で勝手な真似をすればいゝではないか。それだのに自分の娘に見つけられて居るのも知らず無我夢中で乳繰り合ひ、言合はして東京へ遊びに出かけてゐる。わたし達一家族を養つて行く真面目な考のない事は、両親が死んで、頼りにする遺産が一文もないと云ふ事が知れた時からわかつてゐるものの、これ程呆れかへつた人だとは思つてゐなかつた。恐らくあの人は妻子の行末どころか、自分の身の末さへ考へてゐないのかも知れない。あの未亡人は人のいやがる蝮屋の養女も同様なもので財産を目当に結核のある家へ嫁に行き計画通りに一年あまりで後家になり、そして人の夫を横取りするやうな毒婦ではないか。夫はその中にまた他の男に見替られて捨てられるのだらう。
花子は自分の身はもうすたり物で、今更いかに後悔しても仕様がない。みんな運命だとあきらめもしようが、罪のない娘三人がかわいさうだ。これまで既に幾度も決心したやうに実家の兄か母をたより娘をつれて出て行くより外に道はない。長女は既に給料を取る身になつてゐる。後の妹二人も二三年たてば学校を出て就職する。もう愚図々々してゐる時ではない。
花子は飛起きて荷づくりさへしたいやうな気になつたが、又思直して見ると、自分が娘三人をつれてこの家を立ちのけば家はもと〳〵隣のもので、夫はこのまゝ隣の女と一緒になり、自分達は全くあかの他人になつてしまふのだ。
口惜涙がいつか未練の涙にかはり、花子の胸には白井と馴染めた娘時分の事が思返されて来る。二人とも有馬小学校の同級生で、帰宅してからも互に往来して一ツしよに学課の復習もした。双方の親達も多年隣同士で心やすくしてゐたところから、芝居やおさらひなどに行く時にも、二人はどちらかの親達につれられて一緒に行つた。毎年七月両国に川開の花火があがる晩方、花子の家では親類の人達が子供をつれて花火を見に来るので、屋根上の物干台に花むしろを敷き、二階の座敷には茶菓酒肴を用意して置くのが嘉例になつてゐた。その年白井は十八、花子は十九になつてゐたが、家の人達からはむかしのまゝ子供だと思はれてゐたので、二人はいつものやうに来客に混つて、物干台に坐つてゐた。花火が盛に打上げられるにつれて、人数は次第に増え物干台は芝居の桟敷のやうに前に坐つてゐる人の足の裏と、後の人の膝頭とが重り合ふほどになつた。
白井は前にゐる花子を広げた膝のあひだにはさみ、初の中は軽く手を握るくらゐに止つてゐたが灯のない屋根の上、人々は空に上る花火に気を取られてゐるのを好い事に後から大胆に花子を抱きしめて頬ずりをした。花子はあたりの人達に見られまい、気づかれまいと思ふ一心に、白井の為すまゝにさせて置くより仕様がない。いやだの、およしなさいなど言つて制したら何をしてゐるかを、わざと知らせるやうなものになる。白井はこの様子に花子はもう何事をも自分に許すやうな心になつてゐると思込んでその次の日、隙を見て、中学生のよく書くやうな長々しい艶書を花子に手渡した。その頃白井の家に十六七の美しい小間使がゐた。花子は白井の要求をすげなく退けたら、その小間使が白井の愛情を奪ひはしまいか、それが嫉しく思はれたので、花子はわけもなく白井の言ふがまゝに箱崎川の真暗な物揚場で忍び会ふやうになつた。長女の辰子はこの密会の記念である。
双方の親達は花子の姙娠に驚き世間体を胡麻化す為、急いで二人を結婚させたのであつた。
夏の夜は明易く、襖の彼方と此方で母子が尽きない物思にもさすがにつかれ果て、知らず〳〵とろりとしたかと思ふ時、忽ち鴉の鳴く声がした。
白井と常子の二人連が××駅の改札口を出ると、□□行のバスが間もなく発車するとおぼしく、其辺に立話をしてゐた運転手の一人が手袋をはめながら車へ乗らうとしてゐるところであつた。白井は絶えずあたりへ気をくばりながら手にした買物の紙包を常子に渡し、
「あなた、一歩先へ行つて下さい。わたしはすこし歩いて、次の車に乗りませう。」
「さうね、一しよにのつちやまづいわね。」
「別にまづいと云ふわけもないんですが。……もし何かきかれたら汽車の中でお目にかゝつたと言へばいゝのです。」
「ぢや、一しよに乗りませう。」
常子は同じ列車から降りた四五人の旅客を先立たせて、その後から一番おくれてバスの踏台に足をかけたが、白井はやはり立止つたまゝ、
「次の停留場まで歩きます。」
「ぢや、わたし先へ行つてよ。晩に入らつしやい。御飯がすんだら。」
「えゝ。行きます。」
「待つてますよ。きつと入らつしやい。ね。」
自動車はもう動きかけてゐる。そして常子が腰をかけながら反り返つて窓の外へ顔を出して言ふ最後の言葉を風に吹き払はせ、俄に速力を増して走去るのを、白井は傘を杖にしてぢつと見送つてゐた。何とも言へない若々しい情緒が胸一ぱいに漲りわたるのを覚え、おのづから口の端に浮出る微笑に心づいて、またもや身のまはりを見廻したが、改札口には駅夫の影も見えず、バスの駐つてゐた足元には何か落ちこぼれた物でもあると見えて近所の鶏が二三羽出て来て頻に土の上を啄んでゐる。夏の夕日は鉄道線路に沿うた後方の丘陵に遮られながら、茂つた樹木の間に人家の屋根の散見する行手の眺望が、風に動く白い雲の下に鮮な夕陽を浴びつゝ遠く静に限りもなくつゞいてゐる。
白井は今まで半年ちかく、其目には何の意味をもなさなかつた田舎のこの眺望が、忽然一変して歓喜と幸福とを意味する一幅の名画になつたのを知るや否や、バスの走り行く一条の砂道が迂曲する運命の跡のやうに神秘らしく思はれて来る。白井は涼しい夕風に夏羽織の袂を吹かせながら、躬ら運命の道となした其砂道を歩きながら、昨日の午後両国駅の構内で常子と出会ひ、隅田丸で大川を溯り吾妻橋から浅草公園をあるき、日の暮れるのを待つて、尾久町の待合へ行つて夜を明した。その一日一夜の事を二度とは見られない夢のやうに思返すのである。
白井は家へ帰る前に、心のゆくかぎり一人しづかに、常子其人とも姑く別れて、唯一人しづかにこの追憶に耽つて見たくてならなかつたのである。
常子と狎れそめてからもう三月あまりになるが、誰をも憚らず二人一しよに一夜をかたり明したのは昨夜が初めてゞあつた。つく〴〵むかしを思返して見ても、これまで自分のこれはと思ひ定めた女に出会つて其人と一夜を明したのは、全く昨夜より外にはなかつたとも言ひ得られる。現在一しよになつてゐる花子と恋をした頃はいかに早熟とは言へ二十歳にならぬ少年の事で、その後夫婦になつてからは殆ど一年置きに子供が出来たやうなわけから、恋愛の恍惚も陶酔も殆ど味ひ知る機会なく、いつか年を過してしまつた。たま〳〵売笑婦に戯れた事はあつても、それは夜の明けぬ間に消えてしまふ夢に過ぎなかつた。常子は最初一目見た時の想像に違はず、男の遊び相手には最も適当したお妾肌の女で、妻の花子とは全然性情を異にしてゐる。花子は旧式の商家に生れて旧式の商人の妻になるべき女である。店にゐる奉公人と一しよに立働せたなら、このくらゐ間に合ふ女はあるまいと思はれるが、その代り小説は読まず芝居もさして見たがらないので、無駄なはなしの相手にはならない。掃除が好きで暇があれば押入の中や棚の上を片づけてゐる。白井が用もないのに家を出て、友達をたづねたり図書館で時間を潰す事などを考へ出したのも、掃除の物音を避けたいためであつた。
白井は夏のあつい時でも朝目を覚してから夜具の中でまづ巻煙草の一本くらゐ烟にしてしまつた後でなければ起上れないのに、妻の花子は──子供の世話をしなければならないので、目をさますと共に時計を見ながら慌忙てゝ起きてしまふ。それとは違つて常子は白井の誂ひどほり、用がなければ一日でも寝床の中にぐづ〳〵してゐようと云ふ女で、今日の朝なども白井の方から却つて帰りをいそがせた程であつた。
いつかバスの停留場についた。藍色した夏のたそがれも漸く尽きて、夜にならうとする澄渡つた空のはづれに三日月と宵の明星とが涼しげに輝き、生垣のつゞく道端の家からは焼肴の塩の焦る匂がしてゐる。
白井はバスの来るのを待つて、それに乗り、やがて素知らぬ振りで自分の家の格子戸を明けた。上り口の障子に火影がうつつてゐて、話声もしてゐながら誰一人出迎るものがない。黙つて障子をあけると、座敷と茶の間との間に下げてあるレースのかげに娘三人と細君花子とが夕餉の茶ぶ台を囲んでゐて、あけ放した縁側には蚊を追ふために、火燵に使ふ火入の中に杉の葉がくべられ、白い烟が立つてゐる。
白井は座敷の床の間に書物の包みと麦藁帽とを置き、机の前に坐つたが、細君も娘も白井の帰つて来たのには心づかないやうな風をして、勝手に雑談しながら茶漬をかき込んでゐる。その様子に白井はいよ〳〵昨日の事がばれたのだなと思つた。それにしても両国から行かへりの電車は勿論、東京へ行つてから浅草公園を歩いてゐる中も油断なく注意してゐたのに、不思議な事もあればあるものだと、又しても昨日から今日へかけての行動を思返しながら、白井は机に肱をついて庭の方へ目を移すと、低いカナメ垣を隔てゝ隣の庭には座敷の灯がさしてゐる。見上げると二階の裏窓にも灯影がさしてゐる。それは梯子段の降口であらう。ふと乾いた木の燃える匂と共に、風につれて勝手の方から烟が漂つて来る。白井は下女が風呂を焚いてゐるのだなと思ふと、昨夜の汗を流さうとする常子の姿や、その心持が襲ふがやうに白井の空想を刺戟した。
常子は着物をきてゐる時には首筋から肩へかけて痩過ぎたやうに弱々しく見えながら、裸体になると、下腹や腿の肉付の逞しい事、きめが細くて色の白い事。燈火の光にそれを眺めると、どうしても英泉か国芳の絵姿を思出さなくてはならない。白井はまたしても昨夜の事を思返さうとした時、突然トテントテンと三味線の調子をしらべる音につゞいて、何やら小声に唱ひ出すのに、覚えず耳をすますと、それは、
「きぬぎぬのわかれに今朝は雨さそふ。蝉と蛍をはかりに掛けて。」といふ哥沢節であつた。
昨夜尾久の茶屋で泉水の向の離座敷から大方連込の泊客らしい女が爪びきで唄を唱つてゐたのを聞き、白井は談話の中に常子が四五年芝派の歌をならつた事のあるのを知り、そのまゝ捨てゝしまふのは惜しいとか、勿体ないとか言つて頻に復習することを勧めた。白井は下座敷の床の間に三味線を見かけたことはあるが、今まで一度も其声をきいた事はなかつたのであつた。
歌は進んで「泣いて別れうか、焦れてのきよか。」といふ甲のところへ来たので、白井は身体を前に首まで伸しかけた時、
「あなた。」と呼ぶ細君の声。「御飯。上らなければ片づけますよ。」
白井は一寸その方を見返つたが、心は全く隣の歌に奪はれてゐるので、即座には返事ができない。すると、見る〳〵中茶ぶ台は勝手の方へ持運ばれ長女の辰子と、十六になる次の妹春子とが音高く皿小鉢を洗ふ音がしだして、
「むかし思へば見ず知らず」といふ最終の一くさりはそのために殆ど聞えなくなつた。すると、今度は隣の下女が勝手口へ来て、「奥様、家のお風呂がわきましたから、よろしければどうぞ。」と言ふ声。
「はい。ありがたう御在ます。折角ですが家ではみんな昨夜はいりましたから、どうぞ、よろしく仰有つて下さい。」これが花子の挨拶である。
白井はつと立上り、「ばアやさん、わたしお後で一浴び浴びさせて戴きますよ。」
洗物しながら話をしてゐた娘も、そこらを片づけてゐた細君も一度に申合せたやうに黙つてしまつて、狭い家の中は人のゐないやうに寂としてしまつた。白井は羽織を縁側にぬぎすてたまゝ、勝手口から下女と一しよに隣の台所へ上つて行つた。すると、茶の間と座敷との間の襖が明放してあつて、手拭浴衣に半帯をしめた常子が箪笥の前に横坐りに坐つてゐる姿が見える。白井は座敷へ行かうか、それとも茶の間からすぐに二階へ上つてしまはうかと、台所の板の間に立ちすくむ。その物音に常子は此方を見返り目まぜと共に二階の方を指すので、白井はそのまゝ階段を上ると、二階の六畳には電燈がついてゐるばかりか、机の側には久須と湯呑とが盆に載せられ、菓子皿には帰り道に両国で買つた干菓子までが入れてあつた。
常子は白井が坐る間もなく、つゞいて二階へ上つて来るが否や、膝の上にしなだれかゝつて、
「御首尾はいかゞ。」
「大分険悪です。飯も食はせません。」
「丁度いゝわ。わたしもまだなのよ。お湯へ入つてから一ツしよにたべませう。」
「さうもしてゐられなさうです。今夜は。」
「まア、そんなに険悪なの。ねえ、あなた、東京へ引越しませうよ。昨夜相談したやうに。アパートでも貸間でも、何でもいゝわ。一時仮越しをして、それからゆつくり落つくとこを捜しませう。」
「ぢや早速、あした行きませう。見つかり次第電報を出します。」
「さうして下さい。」と常子は始終女中の上つてくるのを気にしながら「わたしお湯に入つて来ます。一しよに入りたいんだけれど。」
半帯の解けかゝるのを後手に押へながら常子は階段の足音さへ忍ばせながら降りて行つた。
× × × × ×
白井が勝手口から自分の家へ入らうとすると、一二寸手をかける隙だけを残して雨戸はしめられ、そして家中の灯はまだ夜の九時を過ぎたばかりなのに一ツ残らず消してあつた。
手さぐりに縁側から座敷へ入ると蚊帳が吊つてある。真暗ではあるが、六畳の方には細君、四畳半の方には娘達の寝てゐることは分つてゐるものの、然し白井はどこに自分の寝間着があるのか見当がつかないので、電燈をつけようとしても、電燈は蚊帳の上につるし上げられて、手の届きやうがない。縁側のはづれの便所に行き窓から外を見ると、垣根の外の往来には夏の夜をまだ涼みながら歩いてゐる人の話声やらハーモニカを吹く音も聞える。白井は十時まではバスが通る筈なので、いつそ今の中市川まで行つてしまはうか。もし間に合はなかつたら、夏の夜の事、歩けるだけ歩いて見ようといふ気もしながら、そつとまた手さぐりに座敷へ戻つて、着のみ着のまゝ蚊帳の中へもぐり込むと、枕の上に畳んだ寝間着と兵児帯の結んだのが載せられてあるのに手がさはつた。
「あゝ、こゝに在つたのか。」
わざと聞えよがしに独言を言つて、夜具の上に坐つたまゝ寝間着をきかへながら様子を窺ふと、花子は眠つたふりをしてゐるらしく身動きもしない。白井はそのまゝ後向きに自分の夜具の上に寝ころんだが、あくる日の朝になるのをおそしと、白井は娘達の出かけた後、花子が台所の用をしてゐる隙を窺ひ、朝飯もくはず停車場へかけつけ、まづ木場の住居をたづねた。タオルを頭に細君のよし子が格子戸の外を掃いてゐる。
「お早いこと。昨晩どちらへお泊り。」
「いえ、家から来ました。夏は早い方がいゝです。」
よし子はわざとらしくバケツの音高く格子戸の外へ水を流しながら、
「あなた、もうお起きなさい。お客さまよ。」といふ声に木場は蚊帳から這ひ出し、「誰かと思つてびつくりした。早いな。雨がふるよ。」
「くもつて涼しいから今日は貸間をさがしに行くんだ。あれば家一軒でもいゝんだが。」
「また引越すのか。」
「いや僕だけさ。家に居ると、あの狭さぢや、何もできない。どこか、君、心当りはないか。」
「よし子、お前の兄さん、まだ引越してしまつたんぢやないのだらう。」と木場は古ぼけた浴衣の寝間着の帯をしめ直しながら外へ出て、円タクの運転手をしてゐるよし子の実兄清太郎といふ者が二三日前たづねて来て、自分の車をあづけるガレーヂの近所へ越したいと言つてゐた話をした。
「鉄砲洲だとか言つてたね。まだ引越しはしまいと思ふんだが……。」
「さあどうでせう。」と言ひながらよし子は座敷をかたづけに家へ上る。
「何番地だつたね。」
「京橋区湊町○丁目○○番地で加藤といふ荒物屋です。」
「荒物屋の加藤。」と白井は番地を繰返し、「兎に角一寸行つて見ませう。帰りにまたお邪魔します。」
白井は茶も飲まず、そのまゝ立去つて、午後の一時過に汗をふき〳〵還つて来た。
「兄さんは仕事に出て居なかつたがね。荒物屋のおかみさんが貸二階なら、心やすいところから頼まれてゐる。越前堀のお岩様の側で煙草屋だと言つて教へてくれた。越前堀なら八丁堀の川一筋むかうで、わけはないから行つて見たよ。電車通を大川の方へ、川沿の倉庫について曲つて行くと、突当りは大嶋へ行く汽船の乗り場だ。片側にさびれきつた宿屋が、それでも四五軒つゞいてゐる。その間を曲る横町で、一寸人の知らない寂しいところだが、しもた屋つゞきの二階には簾がさげてあつたり植木鉢が置いてあつたり、三味線の音が聞えたりして、まんざらでもない処だ。世をしのぶ隠家には持つて来いだと思つて、早速きめてきたよ。」
その晩、白井は木場の家へ泊り、次の日の昼前きのふ電報で打合せをして置いた時間を計つて、両国の停車場に常子を迎へ、円タクで越前堀の貸間に行つた。横町はお岩稲荷へお百度を踏みに来る藝者の行来に、昨日見た時よりも案外賑になまめかしく、両側に立ちつゞく人家の中には木目の面白い一枚板をつかつた潜門に見越しの松なども見える。商家の住宅、また妾宅などもあるらしい。
貸二階の窓から顔を出すと、筋向に石塀のつゞいた狭からぬ一構がお岩稲荷で、この境内に立つ樹木を圧して、住友倉庫の白い建物が横町の行手のみならず空の眺めをも遮りかくしてゐる。
「静で、さう寂しくもないし、僕はいゝと思つてきめたんです……。」
常子は頷付きながら通り過る藝者の姿をながめ、「お岩さまつて、あすこなの。話にはきいてゐたけれど、わたし初てだわ。」
「二人づれでお参りしちやいけないんださうですよ。辨天様と同じで焼餅の神様ださうです。」
間もなく正午になつたので、二人は買物かた〴〵三越へ出かけ、食堂で昼食をすませて帰つて来た。夜具は常子が鉄道便で出した一揃が到着するまで家主のおかみさんの世話で貸蒲団屋から借りることにした。
その夜二人は三越から買つて来たボイルの寝間着浴衣にきかへ、窓を閉めて蚊遣線香までつけ、すつかり寝支度をしたのであるが、風のなくなつた夜の蒸暑さは、昼間の涼しさに引替へふけるにつれてます〳〵激しくなるのに堪へかね、涼みに外へ出て見た。横町にはまだ軒下の涼台に団扇を使つてゐるものもある。気のせゐか河岸通から風が流れてくるやうに思はれるので、二人は見馴れぬあたりの珍しさに、横町を真直に川端へ出て見ると、空も水も唯真暗な中に、近くは石川島から月島へかけ、それから更に遠く越中嶋の方へと燈火の点々として続いてゐる広い大川口の夜景が横はつてゐる。永代橋の上にはまだ電車が通つてゐるので夜はさほど更渡つたのでもないらしいが、河岸通は倉庫の入口に薄暗い灯の見えるばかり、人の行来は全く杜絶えてゐるので、二人は寝間着に細帯の姿を気遣ふにも及ばず、おのづと水際に出て見たくなつて、住友倉庫の前の物揚場に歩み寄り、荷船を繋ぐ太い杭の上に腰をかけた。
石垣の下に泛んでゐる泊り船から船員の浪花節、ハーモニカ、尺八、女の笑ふ声も聞えて、水の上は河岸通よりも案外さむしくはない。石垣に寄せる漣の音がさゝやくやうに軟く二人の情緒を刺戟する。それにつれて顔さへ見えぬあたりの暗さは明い室内では言ひにくい事まで遠慮なく言はせる勇気を与へる。
白井は女の肩の上にその顔をよせかけ、
「常子さん、何だか忘れられない晩ぢやないですか。新派の台詞ぢやないですが。」
「ほんとうね、わたしこんな嬉しい晩、全く生れて始てよ。」
「わたしも、さうです。」
「これが、あなた。一生涯つゞいてくれるといゝんだけれど……そんな事思ふと悲しくなるわ。」
「それはあなたよりも、わたしの方がどんなに悲しいか知れません。あすこに大嶋へ行く船が泊つてゐます。三原山へ行つた彼等は勇気があつた。彼等は幸福だ。三十越すと心持はいくら純真でも二十代の決断と情熱がなくなります。」
「あなた。そんなにわたしの事思つてゐて下さるの。嬉しいわ。」と常子は感情の激動に身を顫せ、白井の胸に額を押しつけ、肩で息をしながら涙を啜りはじめた。
白井は女の背をさすりながら暗夜の空を仰ぎ、しみ〴〵一人前の文学者になり、原稿料でこの女と二人新しい生活をしたらばと思ふ、その傍から年は既に三十も半を越え文壇には出おくれてしまつた其身の不遇を顧み、自分もとも〴〵涙さへ出てくれゝば声を出して泣いてみたいやうな心持もする。黒幕を下げたやうな空模様の俄に変り、やがて夕立でも襲つて来るらしく、方向の定まらぬ湿つぽい風が、二人の髪の毛を吹乱さずに置いたなら、二人はおそらく夜の明けるまで動かずに居たかも知れない。
二人は貸間に戻り一つしかない枕を共にして幅の狭い貸蒲団の上に寝ころんだ。とても眠られまいと思つた夜の蒸暑さも、やがて壁隣りの家の時計が二時を打つ音のはつきりと耳にひゞき、遠くさびしげに吠える犬の声の杜絶えた頃には、常子の休みなき団扇づかひの手もおのづと休められるやうになつた。
「あした、眠いから我慢してもう寝ませう。」と常子が言ふ。
白井はぬぎすてた寝間着を引寄せながら立つて電燈を消すと、常子の方は間もなく静な寝息を立てるやうになつたが、白井は先刻物揚場にゐた時から我ながら怪しむ程感興の動くのを覚え、このまゝ起きて筆を取つて見たら、短篇小説の一篇ぐらゐは出来さうな気がしてならないのであつた。中年の男が蛇屋の娘であつた若い未亡人に愛され、痴情に溺惑して妻子を捨てた挙句、その未亡人にも別れて路頭に迷ふといふやうな筋立で。文壇に名を出しそこなつた自分を主人公にするのであるから流行おくれの所謂わたくし小説になるわけであるが、若い未亡人の淫蕩な一面を取つてこれを描写したら、この点で何とか評判を取ることができるかもしれない。この腹案を木場に話したら何と言ふだらう。××先生に頼んだら中央公論か改造の編輯者に紹介してくれないだらうか。こんな事を取りとめもなく考へつゞけてゐる中、いつの間にか夜が明けたと見えて、永代橋を渡るらしい電車の音の轟然として河水に響くのがきこえた。
常子はその夜から二晩泊つて三日目の朝、一まづ××村の家へかへり、今の女中を、安心して留守番のできるやうな者に取替へ、当分この二階へ引移りたいと言つて出かけて行つたが、その夜十時過忽ち立戻つて来た。そして白井が問ふのを待たず、
「あなた、奥さんもお嬢さんも、知らない中に引越しておしまひなすつたのよ。敷金もそのまゝだし、何かお便りがありやアしません。お手紙か電報か。」
言ひながら常子は自分の居なかつた間に、白井の家族の誰かゞこの二階に来てはしなかつたかと、様子を窺ふらしくも見えた。白井は常子の眼色と表情とに初て猜疑と嫉妬の情の鋭く動くのを認めた。
「いや何とも言つて来ません。こゝの番地を知つてゐる筈がないし……一体どこへ引越したんでせう。」
「きのふの朝トラツクで荷物を運んだんですつて。」
「千葉に実家の母が居ますからね、そこへ問合せれば行先はわかります。へえ。引払つてしまつたんですか。」
白井はさつぱりしていゝと云ふやうな気もするし、何やら出し抜かれて呆ツ気に取られた心持もするのである。「まア勝手にさせて置く方がいゝです。家に鬼がゐなくなれば何だかこの二階の必要もなくなつたやうな気がします。」
「でも折角さがしたんだから。それにわたし田舎よりやつぱり東京にゐたいのよ。あした、家をかたづけに一ツしよに帰つて下さいな。」
白井と木場との二人がわたくしの旧稿怪夢録といふものの手沢偽本をつくり、岩田といふ者が知らずにそれを買つた事を憤り、興信所に依嘱して二人の生活状態を探偵させたはなしは前に述べたとほりである。興信所の報告書は白井と藤田未亡人とが京橋区湊町二丁目○○番地に二階借りをしてゐる事、それから白井の妻花子が良人の不しだらに呆れて娘三人を連れて千葉市××町に隠居してゐる実母の許へ引越し其地の郵便局へ通勤して生活の道を立てゝゐる事で終つてゐる。猶又木場貞は玩具店鴻麓堂の収入だけでは暮しが立たないので、俗に赤本屋と称して地方新聞連載の小説や講談筆記を刊行する鰯屋書店の編輯員になつたことも報告書に見えてゐた。
わたくしはこれを読んだ当座は好奇心と不愉快と不安とを混じた心持になり、番地をたよりに其辺を歩いてない〳〵未亡人の姿なりと見て置きたいやうな気にもなつてゐたが、三日四日と日は過ぎ、半年一年と年を経るに従ひ、二人の行動は洗滌のわるい写真の薄くなつて行くやうに、次第にわたくしの記憶から消えて行つた。然るに翌年の七月、日支戦争が始つてからまた一年ほどたつた時分である。わたくしはどうしても此儘にして置くことはできない。白井か木場の、二人の中の一人に面談しなければならないと決心するやうになつた。こんどは偽書本ではなくて偽作の書簡がわたくしの目に触れたからである。
わたくしの家に出入する古書肆の中で、其主人がわたくしの嗜読する種類の書冊を能く承知してゐて、さういふものが市に出ると必ず見せに来る。或日平秩東作の随筆水の行衛を持つて来たついでに、仲間の糶市に偶然わたくしの若い時分の手紙が出たからと言つて、二通の封書を見せてくれた。二通とも新橋の藝妓に送つたものであるが、二三度読返しながらいくら考へて見ても記憶を呼返すことができない。怪しむべきは封筒の上部が無造作に破り去られてゐて、発信の年月を知るべき郵便切手の消印の見られない事で。又その書体と文体とにも疑ひがある。わたくしは三十代のころ、一時候文の書簡を嫌つて口語体のみを用ひてゐたことがある。書体はもと〳〵拙いながら、その折々の趣味と読書の方面のちがふにつれ、或時は黙阿弥、或時は桜癡、或時は南畝に似てゐると云ふやうに絶えず変つてゐるのだ。然るに古本屋の見せた手紙の書体は誰の筆にも似てゐない老年のものを模したに係らず、封筒裏の住所はわたくしが四十歳以前に居たところになつてゐる。これに依つて偽書であることが證明せられる。わたくしは白井と木場とがまた悪戯を初めたなと思ふと共に、このまゝ放棄つて置いたら、今にどんな大それた事をしでかすかも知れないと、いよ〳〵恐怖の念を深くするに至つたのである。
折好く数日の後、わたくしは偶然木場が日本橋の白木屋前で電車を待つてゐるのに出会つた。木場は狼狽へるかと思ひの外、いかにも落ちついた様子で、
「いや、御無沙汰ばかりして居りまして。」
一筋縄ではいけない男だと、わたくしは胸中憤りに堪へなかつたが、往来のまん中で面罵して見たところで仕様がない。傍観するものから見たら、大きな声を出して罵るものより、おとなしく罵られてゐる者の方が気の毒にも見え、又正しいやうにも思はれるであらう。わたくしは寧この邂逅をさいはひに彼を懐柔して二人がその後の動作を探つて見るに如くはないと思定め、何事も知らぬやうな風を装ひ、
「どうだね、鴻麓堂の景気は。暇があつたらちよい〳〵やつて来たまへ。」
「えゝ、お邪魔させて頂きます。」
「白井はどうしたね。やつぱり先のところにゐるのかね。」
「越前堀へ越しました。勉強してゐるやうです。」
「それは結構だ。時代はもうすつかり変つてゐるからね。これからは君達の雄飛する時代だよ。」
「いや、いつになつても、相変らず落伍者で、どうも……。」
その日はその儘別れたが、二三日すると木場はひよつくり尋ねて来た。取留めのない雑談から、木場は問はれるまゝにやがて白井の消息について、仔細らしく
「何もお聞きになりませんか。彼は先の細君と別れて、さう、もう何のかのと二年越し別の女と一ツしよになつてゐるのです。その事を材料にして鏡花風の小説を書かうと言つてゐました。このところ半年ばかり会ひませんから、もう出来上つてゐるかも知れません。」
「白井は鏡花を私淑してゐるのかね。」
「私淑といふほどでもないでせうが、二階借りをしてゐる場所がお岩様の横町で、その女はもと八幡前の蝮屋にゐたと云ふ事で、それから二階を貸してゐる煙草屋のおかみさんがむかし洲崎のおいらんだつたとか云ふやうな話で、背景と人物がすつかり鏡花式に出来上つてゐるんで、引越して来た当座から書いて見たくなつたんださうです。」
「うむ、成程鏡花の世界だ。「葛飾砂子」の世界だな。」
「新四谷怪談と云ふんださうです。題の方が先に出来たんださうです。」
「兎に角場面はあつらへ向だ。久しく散歩しないが、あの辺はむかしと大して変つちやゐまい。鉄砲洲稲荷はあるし、新川新堀があるし、つい此間まで大嶋行の港があつたし、東京の生活を能く知つてゐる人でなくつちや、鳥渡出来ない仕事だな。」
「時々引越すのも文学者にはいゝやうです。実はわたしも近い中に越さうと思つてゐます。家賃が段々高くなるんで、玩具屋では引合はなくなりました。」
「行先の見当がついてゐるのかね。」
「葛西町へ引越すつもりです。実は柴又か、さうでなければ篠崎辺がいゝと思つたんですが家がないので……。」
「葛西町といふのは砂町から放水路を渡つて行く……あすこの事かね。」
「さうです。城東電車で境川からバスに乗ると二十分位でせう。さびれた処ですが、往来に海苔舟が干してあつたり、茅葺屋根のカツフエーがあつたり、をかしな処です。」
木場はその中またお邪魔に上りますと云つて立ち去ると、程なく印刷した転居通知の葉書をよこした。
わたしは白井が鏡花風の小説をつくつたと云ふ事をきゝ、大に興味を催し、贋手紙の事なんぞは姑くそのまゝにして、俄に白井を尋ね怪談に関する文藝上のはなしがして見たくなつた。わたくしは鶴屋南北の四谷怪談を以て啻に江戸近世の戯曲中、最大の傑作となすばかりではない。日本の風土気候が伏蔵してゐる郷土固有の神秘と恐怖とを捉へ来つて、完全に之を藝術化した民族的大詩篇だと信じてゐたからである。葛飾北斎と其流を汲んだ河鍋暁斎、月岡芳年等が好んで描いた妖怪幽霊の版画を以て世界的傑作品となすならば、南北の四谷怪談は其藝術的価値に於て優るとも劣るところはない。然るに現代の若き文学者は此の如き民族的藝術が近き過去に出現してゐたことさへ殆ど忘却して顧ない傾がある。わたくしは白井がその創作の感興を忘れられたこの伝説から借り来つたことを聞いて、心ひそかに喜びに堪へなかつたのである。
時節も丁度怪談に適した梅雨の最中で、三四日歇む間もなく降続いた後、その日も僅に雨こそ落ちてゐなかつたが、昼間から灯のほしい程の暗さである。然し道はぬれて塵が立たず、電車も雑沓せず、風は湿つて涼しいので、町の散歩には却て適してゐた。わたくしは永代橋のたもとから河岸通を歩み、溝川にかけられた一の橋から栄橋を渡り、道を人にきいて横町に曲ると、お岩稲荷は人家の間に聳える樹木と鳥居とで直にそれと知れた。湯がへりらしい二人連の女に行き合つたばかりで、横町には雨もよひの為か人通りは途絶え、とある格子戸の前に薔薇と夏菊の鉢物を一ぱい積んだ花屋の車が駐つてゐるばかり。話にきいた煙草屋も軒先の目じるしで捜すに及ばず、すぐにそれと知れるので、わたくしは店先の様子よりもまづ二階の方へ目をつけると、雨を気遣ふ為か窓の簾は高く巻上げられ、雨戸が閉めてあつた。
どうやら留守らしいやうな気もしたので、一度通りすぎてまた歩み戻つたりしてゐる中、わたくしは突然二人が恋のかくれ家を驚す事のいかにも野暮らしく、今日はこのまゝ帰らうとも思ひ、また折角来たからには、人知れず様子だけでも窺つて置きたいやうな気もして、おそる〳〵煙草屋の店先へ歩み寄ると、硝子戸の中に、年の頃五十ばかりの顔の長いおかみさんが坐つてゐた。渋紙色に白粉焼のした顔色と単衣に半纒をかさね、長羅宇の煙管で煙草をのんでゐる様子、洲崎のおいらんだつたと云ふ木場の話が思出される。
「チヱリーを。」と言ひながらわたくしは硝子戸を明け「白井さん、お留守ですか、市川から一寸用があつて来たんですが。」
「たつた今方お出かけになりました。」
「夕方はお帰りでせうか。」
「病院へお見舞ですから、たぶんあちらでお泊りでせう。」
「奥さんですか。おわるいのは。」
「はい。」
「入院ぢや余ツ程おわるいんですね。」
「いゝえ、それほどの事でもないやうで御在ます。二三日前ちよつと御見舞に行つて見ましたが……。」
「さうですか。突然つかぬ事を伺ふやうですが実はすこし金談の事でお尋ねしたんですが、アノ、お宅さまの方は毎月間代なんぞ、お延しになるやうな事は御在ませんか。」
「いえ、こちらは、あなた。何もかも御入用お構ひなしですよ。足袋も肌襦袢もみんな洗濯屋へお出しなさるし、夕方は毎日のやうに仕出屋さん、さうでなければ御一しよにお出かけなさいます。」
おかみさんは客足の途絶えた雨もよひの薄暗い昼過、話相手がほしいやうにも見られたので、わたくしは店先へ腰をかけ、口から出まかせに、
「そんなら少しづつでも結構だから、わたしの方へも払つて下さればいゝのに。もう二年越しきまりがつかないんで困つてゐるんです。どこかお勤めですか。」
「そんな御様子ぢやありません。大抵ぶら〳〵家にいらつしやいますよ。」
「ぢや、暮しの方は奥さん持ちなんですか。どうも羨しいなア。」
わたくしは貸した金の取れない怨みがあるやうに見せかけると、おかみさんは煙管を軽く火鉢にはたき、「然し白井さんのお役もなか〳〵大抵ぢやありませんよ。よくつとまると思ふくらゐです。」
「奥さん孝行さへしてゐれば毎日遊んで居られるんでせう。こんどの奥さんにはまだ一度もお目にかゝつたことがありませんが、年でもちがつて御面相がよくないとでも云ふんですか。」
「どうして〳〵。お目にかけたいやうな、綺麗な方ですよ。然し並大抵な男ぢやつとまりません。もう、あなた。この近所ぢや寄ると触るとその評判です。白井さんも蚊細い方だし奥さんの方も薬の絶え間がないんですからね。人の噂ですから虚言かほんとか知りませんが、白井さんの方ぢや内々奥さんの財産に目をつけて病気の悪くなるのを待つてゐるんだなんて。ねえ。あなた。」
ぼつ〳〵雨がふり出して来たのと煙草を買ひに来た人があるのを、切掛に、わたくしは腰をあげ、
「わたくしの来たことは内證にして置いて下さい。どうもお邪魔さまでした。」
その年の夏は過ぎ秋もやがて末近く、町の角々には二千六百年祭とやらの掲示が目につき初めた頃になつた。木場はどういふ風の吹きまはしか、また突然、鯊の佃煮を手土産にして一人で尋ねて来た。そして
「白井も一ツしよに伺ふ筈でしたが、すこしごた〳〵した事がありまして。よろしくお詫をしてくれと言つて居りました。」
「新四谷怪談はどうしたね。まだ何処へも発表しないやうだね。」
「あれは出来ずじまひでせう。小説よりも事実がすつかり怪談になつてしまひました。」
「どうしたんだね。」
「この間。それでも何のかのと、一月ばかりになります。ふらりと葛西町の家へ尋ねて来まして、あの女(お常さんと云ふんです。)とても一緒には居られなくなつたから逃げて来た。二三日とめて貰ひたいと言ふのです。一口に言へばヒステリイの強いんでせう。それに前々から胸の病気もあるし、去年頃から一体に身体がよくなかつたさうです。夕方時々熱がでたり軽い咳嗽をしたり、夜寝てから譫言を言つたりする。それがとても凄いんださうです。先の人が死んだのはわたしが攻殺したやうなものだと言つたり、こんどはわたしが殺される番だと言つたりして、突然蒲団の上に坐り直つて泣出したりするんださうです。白井が言慰めると、ます〳〵泣沈んで、わたしが死んだら、きつと先の奥さんの所へ帰るにちがひがない。さうしたら二人とも取殺さずには置かないと言つて泣くかと思ふと、それなり眠つてしまつて、夜があけると、けろりとして昨夜の事は覚えがないやうな様子になる。そんな状態が病気の昂進するにつれてだん〳〵激しくなるんで、白井は成りたけ心配させないやうに、夜も成りたけ静に寝かして置かうとすると、女の方では飽きが来たのだと云ふ風にわるく感ぐつて、白井が自分の要求通りの事をしないと、あたり構はず怨言を並べる。いやならいやと、はつきりさう言つて下さいと言つて抱きついて離れないやうな始末なんで、一時病院にも入れたことがあるんださうですが、一晩でも白井が側にゐないと起きて帰らうとするんで、仕方がなく、退院させたんださうです。男親が相場に失敗して自殺したんだと云ふ話ですから、精神病の遺伝もあつたんでせう。家の女房はその話を知つてゐますから、もう顫上つて、家へ来られちや大変だから白井さんを泊めることは出来ないと言ふんで、仕方がないから入谷のアパートに居る妻の兄の処へ行つて貰ふことにしたんです。すると案の定、そのあくる日家へたづねて来ました。幸日曜日で、わたしが家にゐましたから、女房を紹介して、それから家中どこも見えるやうに、わざと障子や唐紙を明けたまゝにして、少し話をしてから、バスの停留場まで送つて行きました。道々話をしながら遠廻しにいろ〳〵聞いて見ますと、お常さんは白井の情熱が足りないやうに思はれ、もつと猛烈に愛されたい。三度の食事も、一ツ皿や一ツ茶碗で食べなければ満足しないと言ふやうな訳なんです。まづ何ですな。阿部お定に辵をつけたやうなものなんでせう。然し鳥渡見には、折かゞみのいゝ、物のわかつた、至極さつぱりした女のやうに見えるんです。ところが夜がふけて来てゴーンと四ツの鐘でも鳴る頃になると、まるで人が変つて、吉田御殿よろしくと云ふやうに成るらしいのです。バスがなか〳〵来ないんで話をしながら歩いて行くと、秋の日はいつか暮れかゝつて来て、葛西橋を渡りかける頃にはあたりも何やら薄暗く、見渡すかぎり生茂つた蘆のしげみに夕風の騒ぐ音や、水禽の鋭く鳴く声。長い橋の上には人通りもありません。気のせゐか、何だか戸板返しの場を見るやうな心持がして、ふと立止ると、お常さんは橋の欄干にもたれ、夕風に髪を吹き乱し、ぢつと水を見下しながら、木場さん、アラあすこにわたしの顔が映つてゐる。痩せちまつたと言ふんです。永代橋より長いあの橋の真ン中から水の中に顔の映る筈がないと思ふと、さすがのわたしもぞつと身ぶるひがして、それなり逃出さうと思つた時、折好くタキシが来ましたから、あわてゝ呼留めました。それでは又入らツしやいと言つてお別れしたんですが、それがこの世のおわかれでした。」
「自殺か。」
「毎日白井をさがして歩き廻つてゐる中、円タクに刎飛されたんです。それでも猫いらずなんか飲まれるより、まだしも寝覚がわるくない方でせう。」
その後、木場は鼬の道を切つたやうにまた来なくなつたので、従つて白井の消息もわからなかつた。日米戦争になつてからは、雑誌や新聞記者の来訪するものも全く跡を断つたやうになつたので、わたくしは年々世事に疎くなるばかり。偽書偽本のはなしも其後はさつぱり耳にしなくなつた。察するところ、白井と木場の二人も召集か、または徴用でもされて、偽書をつくる暇がないやうになつたのだらう。
底本:「荷風全集 第十八巻」岩波書店
1994(平成6)年7月27日発行
底本の親本:「來訪者」筑摩書房
1946(昭和21)年9月5日第1刷発行
初出:「來訪者」筑摩書房
1946(昭和21)年9月5日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:H.YAM
校正:きりんの手紙
2019年11月24日作成
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