銭形平次捕物控
初姿銭形平次 八五郎手柄始め
野村胡堂



 明神下の銭形の平次の家へ通ると、八五郎は開き直って年始のあいさつを申述べるのです。

「明けまして、お目出とうございます──。昨年中はいろいろ」

「待ってくれ、その口上はもう三度目だぜ、ごていねいには腹も立たないというが、お前の顔を見るたびごとに、一つずつ年を取りそうで、やり切れたものじゃない、頼むから世間なみのあいさつをしてくれ」

 もっとも、三度目の年始に来た八五郎は、かなり酔っております。

「相すみません。悪気じゃなかったんで、余計ぶんの口上は、来年の年始に回しておいて下さいよ、何しろ、目出たいの目出たくないのって、今年の正月は別あつらいで──」

「正月に出来合いも別あつらいもあるものか」

「そうともいえませんよ、今年の正月は、滅茶滅茶な大当たりで、あっしはもう」

 八五郎はなんがいあごをなでまわして、髷節まげぶしでのの字を書くのです。

「大層なきげんじゃないか、新いろでも出来たのか」

「そんなものは珍しかありませんよ。古い借金と新色はついて回るが、小判なんというものは、滅多なことじゃこちとらの身についてくれません」

「なんだと、お前はまさか、小判を手に入れたわけじゃあるまいな」

「ところが、確かに小判を手に入れたに違いありませんよ。天道てんとう様に照らされても、とたんに木の葉にもならず、両国で一杯飲んだのが崩し始めで、柳原の土手を酒屋と小料理屋を一軒一軒飲み歩いて、七、八軒目にここへたどり着きましたが、小判というものはつかい出がありますね、親分」

 ペロリとくちびるをなめて、両を宙に泳がせる八五郎です。

「あきれた野郎だ。そんな金をどこで拾った、まさか、盗んだわけじゃあるめえ」

「あれ情けない。たまたま稼いでもうけた金を持っていると、こうもうたぐられるものですかね、貧乏人は」

「一両は大金だ。お前にそんな働きがあるわけはねえ」

「いよいよ驚いたなア。こう見えても、智恵を働かせて稼いだ金で、どこへ出しても、きまりの悪くない一両小判ですぜ」

「それじゃ、聞いてやろう」

 平次はむずと腕を組みました。八五郎の人の良さはわかりすぎるほどわかっておりますが、万一にも間違いをさせたくない、平次の潔癖さの現われです。

「わけを話すとこうですよ。本所花町、三つ目通りに、江島屋という万両分限の材木屋のあることを親分もご存じでしょうね」

「知ってるとも、先代は七兵衛、──良い男だったが、仕事に熱心な男で敵を作りすぎたから悪七兵衛と言われた。なんでも一年ばかり前に、日光山御造営のことで間違いがあったとかで、行方不明になったはずだが、たれでも知ってるよ」

「その七兵衛の義理の弟──半三郎というのが今の主人で、相変わらず材木屋をやっているが、昔のようなことはありません。──ところで、その先代七兵衛の娘に、おさめさんという、とって十八になる娘がある。母親は三年前に亡くなり父親は一年前から行方知れず、叔父の半三郎の厄介になっているが、近ごろはいろいろのわけがあるらしく、花町の江島屋を出て、父親の七兵衛が好きだった、亀戸の天神様の近く、亀戸町のたんぼの寮に一人でさびしく暮らしている、──というが、それが大した良い娘で」

「お前にいわせると年ごろの娘は皆んな美人だ」

「ところで、この間亀戸の天神様へ初もうでに行ったとき、──今年の恵方は東の方でしょう、久し振りに臥龍梅がりょうばいでも見ようと、たんぼ道を入ると、江島屋の寮の庭へ出た。私と一緒に行ったのは三つ目の竹の野郎で、──あとで聞くと、かねて銭形の親分か、その子分の八五郎を誘って来るようにと、江島屋のお嬢さんに頼まれていたんですって」

「で?」

「竹の野郎は、銭形の親分には言いにくいからと、あっしで間に合わせたと言いますがね、間に合わせは気になるじゃありませんか」

「まアいい、その先を話せ」

「お嬢さんに逢いましたが、良い娘ですぜ、少しやつれてはいるけれど利口そうで、愛敬があって、縁側へ向かい合って掛けると、日陽ひなたで梅の花がプーンとにおう」

「話はくどいな」

「お嬢さんは、あっしに一枚の紙をひろげて見せるのですよ、一年前に行方知れずになった父が、姿を隠す前に、私にこの紙片をくれて、一年経ってから見ろ──と言いました。一年経って見たけれど、私には、何が何やら少しもわからない、お願いだからこのナゾを判じて下さいと」

「何が書いてあったのだ」

「文字はたった十一、こいつはみんな日本の字だから、あっしにだって読めまさァ。──たしのしい、けたはのらう──とね」

「何だ、そんなことか」

「親分なら、すぐわかるでしょう。あっしは小半刻(一時間たらず)考えましたよ。幸いお嬢さんと向かい合っていたので、その紙片を逆に見たら、一ぺんにわかりました。何だ、下から読めばよかったんで」

「なるほどな。──裏の畠、石の下か──まるで子供だましじゃないか」

「でも、このナゾを解いてやると、お嬢さんは喜びましたよ。今まで二、三人に見せたが、たれも解けなかった。それでは裏の畠の石灯籠いしどうろうの下に父親が、なんか埋めたに違いない。日光山御造営のことで、江島屋取潰とりつぶしのうわさのあったころだから何千両という金を埋めたかも知れないと」

「それは大変なことだな」

「早速お嬢さんにすすめられてあっしが、くわ始めに掘りましたよ」

「なんか出たのか」

「石灯籠の下から出たのが、小判が一枚、お嬢さんに差上げると、これは八五郎親分の智恵と働きで掘ったものだから、骨折り賃に収めてくれと、どうしても受取らない」

「なるほどそれで両国から明神下までハシゴ酒をやったのか、あきれた野郎だ」

「ところが、それからが大変で」

「何が大変だ」

「お嬢さんが、裏の畠を勝手に掘っても構わないと言いだしたからたまらない。本所中の野次馬が、二、三十人も押しかけ、くわまで持出して、江島屋の寮の裏を掘り始めましたよ。世の中には、欲の深いやつは多いもので」

「お前だって浅い方じゃないぜ。その一両は江島屋へ返して来い」

「二分きゃ残っていませんよ」

「使った二分は俺が出してやる。──ところでお前は、その謎を書いた紙片を持って来たのか」

「これですよ、いい手でしょう」

 平次は八五郎が懐から出した、もみくちゃの紙片のしわを伸ばしました。半紙一枚、細い文字で優し気に書いた仮名文字は、妙に平次の神経に響きます。

「これは女の書いた字だよ。それにに落ちないことばかりだ、お前が行ったのは何日のことだ」

「今日ですよ、──ほんの今朝ほど」

「まだ陽は高い、ちょいとのぞいてみよう」

「江島屋の裏は大変ですよ」

 平次は八五郎に案内させて、亀戸まで飛びました。


「あの通りだ。親分」

 亀戸へ着いたのはもう夕方、薄暗くなりかけた江島屋の寮の裏、畠の中にかがりまでたいて、五、六十人の野次馬がひしめき合っているのでした。その野次馬の中にはくわまで持ったのがあり、それぞれの道具を持ったのや、それとはなしに棒切れなどを持ったのや、老若男女をこみにして、石灯籠を中心に、二、三反歩の畠を、メチャメチャに掘り荒らしているのです。

「さアさア帰ってくれ、たれに相談をして、人の土地を掘り荒らすんだ。もぐらの真似はもうごめんだ、さっさと帰らないと、お上の手をかりて退散させるぜ」

 縁側の下に突っ立って、ふんぷんたる声を張り上げるのは、江島屋の当主の半三郎でしょう。四十前後の精力的な赤い顔、こんな男は、本当にどんなことでもやりかねないでしょう。

「お前が悪いのだ、なんだってこんなことをさせたのだ。今時の畠の中からはみみずも出るわけはない。さアなんとか言えッ」

 振り向くと半三郎の後ろには、打ちのめされたように、若い娘がふるえております。先代の娘──八五郎に謎を解かせたおさめというのでしょう。青白いが品の良い顔、打ちしおれておりますが、顔をあげるときっとした英智が眉の間をはしって、美しくはあるが、何さま一とかどのものを感じさせる娘です。

「さア、皆様、叔父さんがあんなに申します。どうぞ帰って下さい、そこにはもうなんにもありません」

 という声も、半三郎にしいられて、幾度くり返したことか、もうたえだえです。

「いや、つづけてもらおうか、その石灯籠の下にはまだくわは入らない、灯籠はどかせてもいい」

 こう声を掛けたのは平次です。ここへ飛込んで平次は、野次馬の群れを前から手をあげてこう言うのです。

「お前はたれだ、なんのわけがあって、そんなことを言うのだ」

「明神下の平次だよ。──さア、皆の衆、もう一といき」

 石灯籠は引っくり返されました。四つ五つ提灯ちょうちんが集まりました。石灯籠の真下を二尺三尺と掘り下げると、

「あ、出た」

 それは小判でも千両箱でもなく、荒むしろにつつんだ人骨、半ばさらされた、浅ましい死骸ではありませんか。

 野次馬の大群はドッとちりました。

「八、江島屋七兵衛殺しの下手人、半三郎を逃すな」

 平次は声を掛けると、

「御用ッ」

 八五郎は猟犬のように飛びついて、威張り返っている半三郎を取って押さえたことはいうまでもありません。

「…………」

 振り返ると、縁側に降りた先代の娘のおさめは、平次の方をふし拝んでおります。何が何やら、わけもわからぬ野次馬は、八五郎の声に驚いて夕やみの中にバラバラと散って行きます。


     *


「これは一体どうしたことなんです親分」

 半三郎を土地の御用聞に引渡して帰る途、八五郎はたずねました。

「一年前の日光山御造営の間違いは、半三郎のこしらえ事だったのさ、あとで七兵衛の無実はわかったが、その時はもう七兵衛は行方知れずで、江島屋は半三郎が乗取っていたのだよ。娘のおさめは、父親が半三郎に殺されたに違いないと思い、──一年前寮へ半三郎と一緒に来たっきりから行方知れずになったので、裏の石灯籠の下の土まんじゅうが怪しいとにらんだ。小娘の力ではそれを掘るわけに行かず、その上近所には半三郎がにらんでいる、そこで、へんな謎をこしらえてお前を呼寄せて、謎を解かせた上、石灯籠の下を掘らせたのだよ。あの謎はあんまり下手すぎたし、字は優しい女の子の手だ。──お前でも解ける謎は、まずあんなものだろう。──そして多勢の野次馬を呼んで、石灯籠のまわりを掘らせたのだ」

「ところで半三郎は?」

「七兵衛殺しの大悪党だ。それも器用にしばらせたおさめという小娘は大したものだよ」

「あっしの初手柄も大したものでしょう」

 相変わらず、アゴをなでる八五郎です。両国の橋の上、夜の水を渡って、筑波おろしが頬をなでます。

(昭和三十年一月三日付「西日本新聞」)

底本:「銭形平次捕物控(九)不死の霊薬」嶋中文庫、嶋中書店

   2005(平成17)年120日第1刷発行

初出:「西日本新聞」

   1930(昭和5)年13

入力:山口瑠美

校正:noriko saito

2015年1213日作成

2019年1123日修正

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