銭形平次捕物控
金の茶釜
野村胡堂




「親分、きん茶釜ちゃがまを拝んだことがありますかい」

 ガラッ八の八五郎は、変なことを持込んで来ました。

「知らないよ、金の茶釜やにしきの小袖はフンダンにあるから、拝むものとは思わなかったよ」

 銭形平次は無関心な態度で、よく澄んだ秋空を眺めておりました。見立て三十六歌仙かせん在五中将ざいごちゅうじょうが借金の言い訳を考えているといった姿態ポーズです。

「ヘエ──、あの品川の流行はやりものを、親分は知らないんで」

「金の茶釜がどうしたんだ?」

「品川の漁師町の藤六とうろくが、──親孝行で御褒美まで頂いた評判の男ですがネ、その藤六が、品川沖で網を打つと、金の茶釜が引っ掛ったんだそうで。早速金主きんしゅが付いて、八つ山下へ親孝行の見世物が出る騒ぎでさ」

「そいつは変っているな、いつの事だい」

「釜を見付けたのは十日ばかり前、小屋をかけたのは昨日きのうで」

「恐ろしく気が早いじゃないか」

「そんなのを見ておかなきゃ話の種にならないから、昨日昼過ぎから品川まで行って来ましたよ」

「達者な野郎だ」

「その代り、親孝行の金の茶釜の走りを見て来ましたぜ」

南瓜かぼちゃじゃあるまいし、金の茶釜に走りてえやつがあるかい」

 が、こんな無駄を言っても、平次にとっては、ガラッ八の骨惜しみをしないのが有難かったのです。

「変なものですぜ、親分、──ちょいと行ってみちゃどうです」

「御免をこうむろうよ。そいつは唐土もろこしの二十四孝の真似事さ、香具師やしの細工物に決っているじゃないか、『郭巨かくきょの釜掘り』てのはお前も聞いたことがあるだろう。そのうちに、『両頭の蛇』が出て来るよ」

「ヘエッ、そんなもんですかねえ。まがい物と解っているなら、踏込んで挙げちまおうじゃありませんか、諸人を惑わして、銭を取るのはふてえ野郎だ──」

「擬い物でも何でも、親孝行の見世物へ踏込んじゃ悪い。っておくがいい」

「そうですかねえ」

「親孝行は真似てもしろって言うじゃないか。八なんかも、金の茶釜を見ての戻り、叔母さんへ煎餅せんべいの一と袋も買って来る気になったろう」

「まアそう言ったようなもので」

「だから抛っておくがいい」

 平次は相手にもしません。

 しかしこの話があって三日目、ガラッ八はまた新しい情報を持込んで来たのでした。

「親分、おかしい事になりましたよ」

「何がおかしいんだ、そんなところに突っ立っていちゃ邪魔だよ」

 平次は縁側の柱にもたれたまま、天文を案ずる形になっていたのです。

あきれるぜ、親分。銭形の平次親分ともあろうものが、雲を眺めて、この結構な秋の日を暮らすなんて──」

「抛っておいてくれ、岡っ引が雲を眺めていられるのは御時世のお蔭さ。ところで、どこに一体おかしな事があったんだ」

「品川ですよ、親分」

「金の茶釜の見世物だろう」

「その通りで」

「金の茶釜の正体が張子はりこ金箔きんぱくを置いたのとでも判ったのかい」

「そんなつまらねえ話じゃありません」

「金の茶釜を盗むあわて者があったんだろう、家へ持って帰ってき込むとあかになる奴さ。銅壺どうこの代りにもなるめえ」

「親分、そんな馬鹿なことじゃありませんよ。見世物小屋に入って、金の茶釜を盗んだ上、番人夫婦を斬った奴があるんで──」

「なるほど、そいつは厄介だ」

 銭形平次は少しばかり本気になります。

「ちょいと行ってみて下さい、親分」

「俺は御免を蒙るよ」

「でも、茶釜は金無垢きんむくで、千両箱でも出さなきゃア買えないほどの代物しろものですぜ。江戸中の道具屋がわざわざ見に行ってきもをつぶしたんだから嘘じゃねえ」

「道具屋の胆のつぶれたのなんか、かんの薬にもならねえよ」

 平次は容易に神輿みこしをあげそうもありません。

「親分、そう言わずに、拝むから行って下さい」

「拝まれたくはないよ」

「それじゃ、川崎の大師様へお詣りに行きましょう、お供しますぜ」

「いやな野郎だな、誰に頼まれて来たんだ」

「ヘエ──」

「品川は少し遠すぎるが、事と次第によっちゃ行ってみないものでもない、いったい誰に頼まれて来やがったんだ」

「ヘエ──」

「ヘエ──じゃないよ、その見世物の金主は誰だい」

「品川の増屋佐五兵衛ますやさごべえですよ」

「名代の熊鷹くまたかだ、──まさか佐五兵衛に頼まれたんじゃあるまいな」

 品川の高利貸し増屋の佐五兵衛から金でも貰って、親分の出馬を引受けて来たのではあるまいか──平次はフトそんな事が気になったのです。

「とんでもない、親分。あっしは金貸しと田螺和たにしあえは大嫌いなんで」

「変な取合せだな、──それじゃ誰に頼まれたんだ」

「言いますよ、親分、こうなりゃみんな言ってしまいますよ、──金の茶釜は品川の海で、孝行者の藤六の網にかかった──」

「それは何べんも聞いたよ」

「その藤六が、毎日見世物小屋へ来て、看板になっているんだが──何にも物を言わねえ、もっとも漁師の藤六に器用な口上は言えっこはないが、──金の茶釜を飾った舞台へ出て、かみしもを着て、あちらへ行ったり、こちらへ来たり、かごの中の軍鶏しゃもみたいに歩いてばかりいる」

「嫌なことだな、親孝行なんか売物にして」

 平次は苦い顔をしました。

「本人が好きでやっているわけじゃねえ、それにも訳があるそうですよ」

「それがどうした」

「金の茶釜が盗まれて、佐五兵衛に小言を言われて弱っているのを見兼ねて、妹のおはるあっしへ頼むんです。何とか銭形の親分さんにお願いして金の茶釜を見付けて下さい。兄が佐五兵衛に責めさいなまれるのを見ちゃいられません──と涙を流して」

「よし解った、八五郎の口添えで、若い娘の頼みとあっちゃ、こいつは行かなきゃなるまい」

 平次は気持よく立上がりました。

「親分、有難い」

 フェミニストの八五郎は妙にソワソワしております。



 ガラッ八に案内されて、見世物小屋に行った銭形平次は、騒ぎのあまりの大袈裟おおげさなのに驚かされました。

 小屋は八つ山のがけの上、花時をけると、ひどく閑静な場所ですが、それでも街道から見通しで、高輪たかなわからも品川からも足場の良いところ、──そこにほう五間ほどの筵張むしろばり、青竹を廻した木戸を入ると、中はすっかり土間で、正面の小さい舞台に畳を三枚ほど敷き、一双いっそう金屏風きんびょうぶをめぐらして、真ん中ほどのところに、三尺ばかりの台を据えまして、この上に金の茶釜が飾ってあったのでしょう。

 台の上に掛けたのは、凄まじくも物々しい蜀江しょっこうにしき──もっとも、これは大贋物おおまがいものです。舞台の裏には厳重な二重箱が、蓋を開けたままになっておりますが、金の茶釜は夜分だけこの中に納められるのです。

「泥棒はこの箱をコジ開けて取って行きました」

 そう言いながら、卑屈そうな顔を出したのは、金主佐五兵衛の手代、この小屋を一切取り仕切っている米吉よねきちという五十男です。

「番頭さん、銭形の親分だよ」

 ガラッ八は後ろから黙々として来る平次を目で迎えました。

「これは、お見それ申しました、御苦労様でございます。私は増屋の奉公人で、米吉と申します、ヘエ──」

 これだけ言ううちには米吉は六遍もお辞儀をしました。こんなのは、さぞ金を借りた者には、冷酷無慙れいこくむざんなことをするだろう、──といったような事を平次は考えていました。

 小屋の裏の方、金の茶釜の箱を見張るような部屋には、番人助七すけしち、おだいの夫婦者が、枕を並べてウンウンうなっております。

「夜はこの小屋に茶釜を置いてあったんだね」

 平次はそれが不思議でたまらなかったのです。千両もするという金の茶釜を、こんな筵張りの小屋の中に置いていいものでしょうか。

「ヘエ──、番人夫婦が引受けて、万に一つも間違いがないことになっておりました」

 と米吉。

「ところが現に間違いがあったじゃないか」

「実は、毎晩木戸を閉めると、金の茶釜は裏から増屋まで運んで行き、朝になるとまた増屋から持って来ることになっておりますが、それは世間体だけで、──実はこの小屋に留め置くことになっております」

「それは誰の役目だ」

「茶釜を運ぶのは、私の役目ということになっておりますが──」

 平次も少し呆れました。金の茶釜の真物ほんものを筵張りの小屋に番人夫婦と留め置いて、得体の知れない包をもっともらしく増屋へ運ぶというのは、あまりに人をめた話です。

「そのからくりを知っているのは、誰と誰だい」

「主人と私と、増屋の若旦那の佐太郎さたろう様と、木戸番の半助はんすけと、番人の助七夫婦と、孝行藤六くらいのものでございます」

「釜は真物の金だろうな」

 平次はもう一つ駄目を押しました。

「それはもう親分さん。品川の沖で、藤六の網に入った時は、潮錆しおさびで少し汚れておりましたが、近頃はよく拭き込んで、目のさめるような山吹色でございました。そんなに大きくはございませんが、蘆屋型あしやがたと申すそうで、立派な品でございます」

「目方は?」

「八百──いえ、一貫八百目でございました」

 そんな事を訊きながら、平次は番人の部屋へ入って行きました。

「どうだい、傷は、──とんだ災難だったね」

 敷居際にしゃがんだ平次を、助七夫婦は床の中からマジマジと見上げます。

「有難うございます、親分さん」

「どこをやられたんだ」

「私は肩先でございます。女房は足をくじいただけで、これは斬られたのじゃございません」

 五十男の無精髯ぶしょうひげだらけな助七は、臆病らしくこう言うのです。

「どんな様子だったんだ、詳しく話してくれないか」

「ヘエ──、一昨日は大層よく入って、木戸のあがりを入れた銭箱を二度まで増屋へ運んだくらいでございます。それですっかり気がゆるんで、祝い心に一合つけて寝たのが間違いのもとでございました。暁方あけがた近くなってから──丑刻やつ半(三時)頃でございましょうか、舞台の方に変な物音がするのを女房が聞付け、そっと私を起しましたので、夢中になって飛起きて行ってみると、覆面をした浪人者が、金の茶釜を箱の中から取出して、逃出そうとしているじゃございませんか。驚いて大声を出しましたが、この辺は家もなく、暁方と言っても人通りもない時分で、誰も来てはくれません。それでも金の茶釜をられては大変と、女房と二人で一生懸命獅噛しがみ付きますと、浪人者が抜討ちに私の肩先へ斬付け、女房を投げ飛ばして外へ飛出してしまいました」

「…………」

 平次はうなずきました。助七は半身を床から抜出して、なかなか雄弁に説明してくれます。

「後を追っかけようとしましたが、なにぶんの深傷ふかでで、どうすることも出来ません。女房は足を挫いて、これも身動きも出来ない始末。ようやく朝になって御近所の方が来てくれましたので、増屋へ知らせて、御主人と番頭さんに来て頂いたようなわけでございます。あの茶釜がなくなっては、私は首でも吊らなきゃなりません。親分さん、お願いでございます。泥棒を見付けて、茶釜を取返して下さい」

 助七はそう言って、床の中から平次を拝むのでした。

かねを盗られたのと違って、道具は思いのほか早く出て来るものだよ。あんまり心配しない方がいい」

「有難うございます」

 女房のお大はその問答を聞いて、半身を起したまま手を合せておりました。

「ところでもう一つ訊くが、その時小屋の中にはあかりがあったのかい」

 と平次。

「いえ、灯なんかありません。番頭さんが油が惜しいと言いますんで、ヘエ」

 番人の助七はブルンブルンと頭を振ります。少しは米吉への面当つらあてでしょう。



「親分、土地の御用聞の菊松きくまつが、今朝一人挙げて行ったそうですよ」

 ガラッ八はどこからかそんな事を聞出して来ました。

「それはいい塩梅あんばいだ、──誰だい、それは?」

権八ごんぱち浪太郎なみたろうという、浪人崩れのならず者で、ちょっといい男で」

「それがどうしたんだ」

「どこの小屋へも、長いのでおどかして、ただで入る野郎です。それが孝行藤六の妹のお春に心をかけ、執念深く言い寄ってはじかれたので、藤六にケチを付けるためにやった悪戯いたずらかもしれないということですよ」

「そんな事もあるだろうな。──が、一貫八百目の釜を裸のまま抱え、番人を斬って、女房を投飛ばす芸当はむつかしいぜ」

 平次は他の事を考えている様子です。

 そこから品川の増屋までは五六町、平次は米吉に案内させて暖簾のれんをくぐりました。

「これは銭形の親分さん、とんだ迷惑でございます」

 煙草盆を下げて出たのは、四十七八のよくふとった愛嬌あいきょうのいい主人でした。

「金の茶釜がなくなったそうで」

「ヘエ、それで実は困っております。あの通り小屋まで掛けて、資本もとを入れた仕事ですから、今茶釜がなくなった──では、まるまる損でございます。何とか親分さんのお力で、悪者を取押えて頂きたいものでございます」

 佐五兵衛は如才ない調子ですが、結局自分の利益以外のことには、興味も注意も持たない言い分でした。

「金の茶釜の値打はどれくらいのものかな」

 平次はそんな事を訊くのです。

「左様、道具屋仲間は千両と申しております」

「それを海から見付けたとすると、網を打った藤六のものだろうな」

「いえ、あの、私が譲り受けました。ハイ、この増屋佐五兵衛のものでございます」

「…………」

 平次はそれ以上追及しませんでした。質素なくせに、どこかひどく金目のかかった暮しをしている佐五兵衛の家の中を、珍しそうに眺めまわしている様子などは、ガラッ八の眼から見ると、日頃の平次のたしなみにはないことです。

「毎晩あの小屋の中に茶釜を留めて置くことは、他に知ってる者はあるまいな」

「私と米吉とせがれ佐太郎の外にはございません」

「その佐太郎さんというのを呼んで貰おうか」

「ヘエ」

 つれて来たのをみると、まだ十二三の少し発育の悪い少年。これでは金の茶釜より、軽焼かるやきの煎餅の方に興味がありそうです。

「八、久し振りで潮風に吹かれてみようか」

「ヘエ」

 平次は増屋を出ると、心覚えの漁師町の方へ辿たどりました。

「面白くない家だね、親分」

「金が溜りすぎて、家の中が冷たくなっているんだよ」

「へッ、こちとらも少し冷たくなってみてえ」

「馬鹿だな」

 漁師町の孝行藤六の家はすぐ解りました。

 形ばかりの九尺二間で、雨戸の代りにむしろを下げてある有様で、その前に立っただけで、平次は胸を打たれるような心持です。

「御免よ」

「ハイ」

 筵をかかげて顔を出したのは、──平次は思わず息を呑みました、十八九の素晴らしい娘、身扮みなりの汚なさも、髪の乱れも、江戸の真ん中では想像も出来ないひどさですが、陽にけた浅黒い顔の品のよさと、娘らしい健康な愛くるしさは、これも江戸の中などでは、かね草鞋わらじで探しても見付かるような代物ではありません。

「銭形の親分をつれて来たぜ、お春」

 八五郎は後ろを振り返って、自分の偶像を拝ませるような勿体もったいらしい顔をしました。

「まア」

 お春は真っ赤になりました。どんな珍客があったところで、羽織一枚、前掛一つ換えることの出来ない暮しだったのです。

「兄貴は?」

 ガラッ八は訊ねました。

「まだ戻りません」

「少し訊きたいことがあるんだが」

 平次はこの娘だけに訊きたいことがあったのでしょう。

「母が寝ておりますから」

 お春は眼顔で半分歎願しながら、自分の家の門口かどぐちを離れて、砂浜の方へ二人を誘います。チラリと筵の間から見た中の様子の貧しさ、平次はさすがにいてとも言い兼ねました。中には六十を越して、中風で身動きもならぬ母親のおたつが、眠るとも覚めるともなく寝ているのでしょう。

「お春さんと言ったね、──あの金の茶釜は、本当に品川沖で兄さんの網に掛ったのかい」

「…………」

「これが一番大事なことなんだ、正直に言ってくれないか」

「兄からは何にも聞きません。──でも、兄はあんな小屋へ、毎日行って、顔をさらすのがつらい様子でした」

「茶釜がなくなってから、兄さんはどうしている?」

「黙って考えてばかりおります、──いつもおっさんの相手をして、賑やかな人なんですが」

「それでお前は、心配になって、この八五郎に頼んだんだね」

「え」

 非常に深い仔細がありそうですが、十八の娘には、それ以上の事はなんにも解らなかったのです。

「あれ、兄さんが帰って来ました」

 娘は手を挙げて、波打際の向うの方を指さしました。

 沖の方から小舟をいで来た若い漁師が二人、砂の上に舟を引揚げると、その一人は、妹の姿を見付けて、こっちへ歩いて来るのです。

「精が出るね、藤六」

 八五郎は声を掛けながら、手でも握るように側へ寄りました。

「ヘエ、小屋が休むと、遊んでもいられません」

 親孝行の看板にならない日は、たった一日の暇でも、漁に出なければならないほど切詰めた暮しをしているのでしょう。

「銭形の親分が、お前に訊きたいことがあるんだとよ」

「ヘエ」

 藤六は困り抜いた様子で立竦たちすくみました。小屋へ引出されたせいか、髯はよく当っておりますが、三十前後のたくましい顔は、赤銅色しゃくどういろけて、正直そうなうちにも、純情家らしい眼が人をひきつけます。

「金の茶釜は本当にお前の網に掛ったのかい」

「…………」

「本当の事を言ってくれ、藤六」

 平次の調子はひどく打ち解けておりました。

「親分さん、そいつは訊かないで下さい。私は困ることがありますから」

 藤六は泣き出しそうな顔になります。

「それじゃ、これ一つだけ聞かしてくれ。お前は見世物小屋へ好きで出ていたのかい、それとも、親孝行したさのお前が日当が欲しさに出ていたのかい」

「…………」

 藤六は唇を噛みました。深い深い苦悩が、その頬をヒクヒクと痙攣けいれんさせます。

「それは誰にも迷惑をかける話じゃない、お前の心持だけの事だ、──聞かしてくれ」

 平次の調子には、何かみ込むような思いやりがあります。

「どっちでもありませんよ、親分さん」

「と言うと」

「私は、たった一人の母親さえ満足に養えない、意気地のない男です。世間で評判するような孝行者なんかじゃありません」

「でも、お上から御褒美を頂いたことがあるそうじゃないか」

 一昨年おととしの夏、親孝行のかどで町奉行所から青緡あおざし何貫文かの褒美を貰ったことは、かなり有名な話です。

「もったいない事だが、あれはお上のお鑑定めがね違いですよ、──親孝行なんてとんでもない事だ。たった一人の母親をせめて戸も障子もある家へ入れて、うまい物でも食わせて、暖かい物でも着せて上げたら親孝行にもなるだろうが」

「…………」

 藤六ははるかの方、筵でふさいだ鳥の巣のように憐れな自分の家を眺めて、ポロポロと砂浜に大きな涙をこぼすのです。

「それが、──金ずくで動きの取れないようにされたとは言いながら、親孝行の見世物にまでされて、──私はなぶり殺しにされるようなおもいでしたよ、親分。──生れて始めてのかみしもなんか着せられて、猿芝居のお猿のように、百人千人の見物の前に、親孝行はこうでございと、この顔をさらす辛さを考えて下さい」

「…………」

「あんなイヤな思いをするくらいなら、針の筵へ坐った方がよっぽど楽だろうと思いましたよ、──私は親に三度の物もろくに上げることの出来ないような、日本一の不孝者だ、──親不孝のさらし物になるんだと、自分で自分の心に言い聞かせて、日の暮れるのを待っていました」

 訥々とつとつとした言葉に涙が交じって、自分のはらわたを叩きつけるように言う藤六の前に、お春も、八五郎も、平次も泣いておりました。

「それほど嫌なら、何だって断らなかったんだ」

 平次はようやく本題を切り出しました。

「断ると、この妹を、あの増屋の旦那に取上げられます」

「そんな馬鹿な事はあるまい、お上というものもある、世間というものもある」

「三十両の金は、細い漁師の暮しでは返す見込みも立ちませんよ、親分」

「すると」

「三年前父親が亡くなった時、思案に余って増屋から借りた五両の金へ、利息に利息が積って、三十両になりました」

「…………」

「妹のお春を奉公によこすか、金の茶釜と一緒に見世物に顔を貸すか、二つに一つの強談ごうだんです」

 藤六の顔は夕陽にカッと燃えました。

「そんなら兄さん、私が奉公に行って──」

 始めて事情を知ったお春は、たまりかねて口を出しました。夕陽の砂浜に立って、その襤褸つづれからも後光が射しそうで、増屋の佐五兵衛が爪を磨ぐのも無理のない美しさです。

「とんでもない、お前をやってなるものか。増屋の旦那は、名代の猅々親爺ひひおやじだ、──俺が見世物になるくらいの事は、何の、──親不孝のごうさらしだと思えばあきらめがつく」

「だって、兄さん」

 兄妹きょうだい二人の美しい争いを、平次と八五郎は、黙って見ているより外に工夫もありません。

「八、帰ろうよ」

 平次はいきなり言い出しました。

「金の茶釜は、親分?」

 二人の兄妹を見送りながら、八五郎は不審の眉をひそめます。

ねずみでも引いたんだろうよ、あんなものは二度と出て来ねえ方がいい」

「?」

 ガラッ八は黙って平次の意志に引摺られるより外にはありません。

 貧しい家と、美しい夕陽と、並んで帰って行く兄妹の後ろ姿を見ながら、変な心持で平次とガラッ八は街の方へ引揚げます。



 それからしばらくの間、金の茶釜の話は、おくびにも出ませんでした。

「親分、変な事になりましたぜ」

 ガラッ八がやって来たのは三日目です。

「何が変だ」

「金の茶釜の事ですよ」

「その話ならもうしてくれ、俺はもう聞きたくない」

 平次はもっての外の手を振ります。

「増屋の佐五兵衛が、金の茶釜が出て来ないのにごうを煮やして、捜して持って来たものには、五十両やると言い出しましたよ」

「本当か、そいつは?」

 平次は急に勢い立ちます。

「権八の浪太郎は帰されましたよ。あの晩は品川の茶屋で酔払って、あくる日の朝まで寝ていたんですって」

「そんな事だろうよ。ところで、八」

「ヘエ──」

「もういちど品川へ行ってみる気はないか」

 平次は変な事を言い出します。

「今度は本気になって金の茶釜を捜してみよう。俺は五十両の金が欲しくなったよ」

「ヘエ──」

 何が何やら解らぬままに、八五郎は平次について行きました。

 品川へ着いたのはもう午過ひるすぎ、平次はいきなり町内の外科へ飛込み、無理に頼み込んで、見世物小屋まで医者と一緒に行きました。

「この二人の傷を念入りにて貰いましょう」

 番人の部屋へ踏込むと、まだウンウン言って寝ている助七お大夫婦を指します。

 外科医者は少し呆気あっけに取られましたが、平次の勢いに押されて、嫌がる助七お大の容体を診ました。

「こいつはほんの引っ掻きだ。小刀でスーとやったんだろう、薬を塗ったり、晒木綿さらしもめんで巻いたりしているが、もうすっかりなおっている」

 助七の肩先の傷を見て、外科医者はニヤニヤしております。

「こちらは、先生?」

「おかみさんの方は何ともないよ、足の筋なんか、駕籠屋かごやより丈夫だ」

「それで結構、とんだ手数でした」

 平次は外科医を送り返してから、八五郎に眼配せして、いきなり助七夫婦の襟髪を取って床から引出しました。

ふてえ野郎だッ。金の茶釜がなくなった申し訳に、自分で引っ掻きなんかこしらえやがって、──浪人者に斬られたもないものだ。本当の事を申上げないと、二三百引っぱたいて、伝馬町へ送るぞ」

 平次の剣幕はいつにない猛烈を極めます。

「申します、親分さん、申します」

「さア、言え。本当の事を言わないと」

 ガラッ八も十手をひらめかして二人の鼻先に詰め寄ります。

「本当の事は、何にも知らなかったのでございます。翌る朝、金の茶釜がないことに気が付いて女房と口を合せて、あんな細工をしました。寝ていて知らなかったでは済みません、浪人者に斬られた事にして、チョイと肩先を引っ掻き、ウンウン言って寝ていたのでございます」

「何という野郎だ、──サア八、これで風向きが変ったろう。金の茶釜は、この小屋になきゃ増屋だ、床下ゆかしたも天井も、みんな捜せ」

「ヘエ──」

 平次と八五郎は、それから半刻はんとき(一時間)ばかり、舞台の下の土まで掘って捜しましたが、そこには金の茶釜などを隠した様子もありません。

「来い。ここじゃない、八」

「ヘエ──」

 二人は真っ直ぐに増屋へ──。

「お、銭形の親分さん」

 あまりの勢いに呑まれて、何が何やらわからぬ主人の佐五兵衛、その後から、ずるそうな番頭の米吉も顔を出します。

「金の茶釜に五十両の褒美をかけたってえのは本当ですかい」

 平次はいきなり問題の核心に飛込みました。

「え、本当ですとも。千両以上の値打のある金の茶釜ですもの、捜して下さる方がありゃ、五十両でも、百両でも出しますよ」

「百両でも?」

「私も増屋佐五兵衛だ、いかにも百両出しましょう。無疵むきずのままで、あの茶釜が手に入ったら」

「茶釜の目印は? 捜し出した時、これじゃないと言われては困る」

 平次はひどく用心深くなります。

蘆屋型あしやがたの茶釜。底にタガネで、増屋と打ち込んであります」

「よし、それから」

 平次は腕を組みました。

「親分」

 心配そうにのぞくガラッ八。

「黙っていろ、──見世物小屋になきゃ、この家にあるに決っているんだ。外から楽にほうり込めて、ちょっと人目につかないところというと──どこだ」

「さア」

「土蔵の中じゃないし、──店先じゃ誰の眼にもつく、裏の物置だろう、来い」

「ヘエ」

 平次と八五郎について、佐五兵衛も米吉も裏へ出ました。

 物置は二間に二間半、中はガラクタと炭俵だけで、何の変哲もなく、めるように見ましたが、金の茶釜などはどこにもありません。

「親分」

 八五郎はソロソロ心配になりました。

「心配するな、日本国中、どこへも行きようのない茶釜だ」

 平次はお勝手から、土蔵の軒下から、およそ人の目の届かないところをことごとく見ました。が、金の茶釜はまだ出て来ません。

「親分、どうしたことでしょう」

 佐五兵衛はそろそろ皮肉な調子になりました。

「旦那、──銭形の親分さんだ、見込んだ仕事にはずれのあるわけはありません。百両の金を用意しましょうか」

 米吉までがこんな事を言うのです。

「そうしてくれ」

 と鷹揚おうようにうなずく佐五兵衛。

「八、解った」

 平次はいきなり歓声をあげます。

「どこ、親分」

「あの井戸の中だ、覗いてみるがいい」

「…………」

 土蔵のそば、潮が差して使えない古井戸に、腐りかけたふたをしたのを平次は見付けたのです。

 飛出した八五郎、蓋を払って覗くと、

「あった、親分」

 海近い井戸で深さはほんの五六尺、土蔵の軒下から外した梯子はしごをおろすと、わけもなく中の物は取れます。

 井戸の外でそれを受取った銭形の平次、しばらく「諏訪法性すわほっしょうかぶと」のように、れた金の茶釜を眺めておりましたが、やがて両手で捧げて看貫かんかん(重さ)を引くと、

「御主人、──こいつが金の茶釜という代物に間違いないでしょうな」

「…………」

「底には、タガネで打った増屋の刻印もある、──お気の毒だが、約束の百両は貰って行きますよ」

「ヘエ──」

「千両の金の茶釜が、潮の差す井戸にたった五日つかって、青い緑青ろくしょうを吹いてるのは大笑いだ、こんなもので人寄せをやると、今度はお上じゃっておかないぜ。──軽くて所払い、重くて遠島、獄門」

「…………」

 平次の言葉に、佐五兵衛も米吉もあおくなります。

 金の茶釜はそのまま、井戸の蓋の上へ置き、平次は佐五兵衛の手から、百両の小判を受取りました。こんな事を大嫌いな平次が、一体それをどうするつもりでしょう。



「親分、その百両をどうするつもりで」

 ガラッ八が一番先に心配しました。

「猫ババはめないよ、心配するな」

 平次の足は漁師町の方に向います。

 やがて藤六の家の前に立った二人。

「御免よ、藤六は居るかい」

「あ、親分さん」

 お春は飛んで出ました。続いて藤六。

「金の茶釜は見付かったよ」

「ヘエ──」

「その褒美の百両、──こいつは俺が取る筋の金じゃねえ。金の茶釜を品川沖で網に掛けた、お前の取る金だ」

「そ、それは嘘ですよ、親分。みんな増屋の細工で──」

「黙っていろ、増屋はあの金の茶釜を手に入れれば文句はないはずだ。この百両はお前が取って構わない金だ、文句を言う奴があったら、この平次が相手になる」

「…………」

「そのうち三十両は増屋へ返せ、──相手が悪いから、証文を取上げるのを忘れるんじゃないぜ」

「親分」

「いいってことよ。あとの七十両で、せめて雨戸のある家へ引っ越してよ、親孝行でもするがいい。もう見世物なんかへ出るんじゃないぞ、ハッハッハッ、泣いてやがる、大の男がみっともないぜ」

「…………」

 そう言う平次のまなこも濡れていました。

「それから、お春は増屋なんぞへ行くんじゃないぞ。その金のうちからあわせの一枚も買って嫁に行く仕度でもするがいい」

「親分、こんなに頂いちゃ済みません」

「いや、親孝行の見世物に出た褒美だ。心配するな」

「親分」

 藤六とお春は、砂の上にヘタヘタと崩折くずおれて泣いておりました。

「お春はときどき神田の俺の家へ遊びに来るがいい、女房が話相手ぐらいにはなるだろう」

「…………」

「こんど来るまでに、畳と戸のある家へ引っ越してくれ。一度お前のおっアにも見舞が言いたい」

「…………」

「八、帰ろうか」

 伏し拝む兄妹を後に、妙に鼻をつまらせているガラッ八を促して、平次は神田へ向います。

 その日も秋の美しい夕暮でした。


     *


「親分、絵解きをしておくんなさい。──釜はいったい誰が増屋の井戸へ隠したんで」

 ガラッ八は追いすがりました。

「藤六だよ」

「ヘエ──」

 ガラッ八は少し予想外な様子です。

「増屋が藤六を金で縛って、親孝行の見世物なんて、あんなタチの悪い芝居を打った、──釜は金被きんきせの大贋物おおにせものさ。それを藤六の親孝行の徳で網へかかった事にし、お上のお目こぼしをいいことに金儲けを企んだのさ」

「そこまではあっしにも解るが」

「親孝行の見世物にされて、藤六はどんなに辛かった事か、あの男の口から聞いたろう。あれは本当の孝行者だけに、見世物にされるのがたまらなかったのだよ。そうかといって三十両の工面はつかず、妹も人身御供ひとみごくうに上げられず、腹の中で泣いていたが、とうとう我慢が出来なくなって、あの茶釜を隠したのだ。茶釜は偽物だという事をよく知っていたが、自分のところへ持って来るわけに行かない、見世物小屋に隠さなきゃ、増屋にあると言ったのはそのためだ。正直者の藤六は、増屋のものは増屋へ返せば済むと思ったのだろう」

「なアーる」

「解ったか、八」

「解った、何もかも解りましたよ」

「人の孝行まで金儲けの道具にした、あの増屋の野郎は憎い。が、藤六はいい男だな」

「あの娘はいいね、親分」

「何を」

 そう言いながらも平次は独り者のガラッ八に、あんな嫁があったら──と考えている様子でした。

底本:「銭形平次捕物控(九)不死の霊薬」嶋中文庫、嶋中書店

   2005(平成17)年120日第1刷発行

底本の親本:「銭形平次捕物百話 第八巻」中央公論社

   1939(昭和14)年628日発行

初出:「銭形平次捕物百話 第八巻」中央公論社、

   1939(昭和14)年628日発行

入力:山口瑠美

校正:noriko saito

2016年34日作成

2019年1123日修正

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