丘の銅像
新美南吉
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丘のふもとの、うつくしい平和な村に、ハンスという、詩人が住んでいました。
丘の上に立って、うつくしい村をながめては、歌にうたい、牧場にいって、やさしいひつじのむれをながめては、詩をかくのがつねでした。ハンスのつくった詩は、国じゅう、だれひとり知らないものはないほどでした。
あるとき王さまは、この村のそばを通りかかりましたが、ハンスがこの村にいると聞いて、わざわざ、この名高い詩人に、あいにこられました。王さまでさえ、そんなに、ハンスをたいせつに思っていられるのですから、村の人たちが、ハンスをうやまったことは、いうまでもありません。そんなわけですから、このハンスが年とって、天国へめされていったときには、村の人たちは相談をして、ハンスをいつまでもわすれないように、銅像をたてることにきめました。
三か月ほどのち、丘の上のにれの木の下には、りっぱなハンスの銅像がたちました。ちょうど、ハンスと同じ高さで、顔から形から、生きてるときの、ハンスそっくりでした。村の人たちは、その銅像を見あげては、生きてたときのハンスが、牧場のさくのそばで、ひつじのむれをいつまでも、じっと見つめているすがたを思い出すのでした。
ながい年月がたちました。
ハンスの生きていたころ、まだ、ほんのあかんぼうだった人たちが、今はもう、かみの毛が雪のように白くなって、まごたちのおもりをしていました。まごたちのおもりをしながら、ハンスがつくった子守歌をうたっていました。まごたちが「むかしばなし」をせがむと、その老人たちは、ハンスの話をして聞かせるのでした。
それからまた、ながい年月がたちました。もう村には、ハンスのことを知ってる人は、なくなってしまいました。けれど、丘の上にはまだ、ハンスの銅像が村のほうを見おろして、ほほえみながら立っていました。
ある日、村の百しょうがひとり、教会へいって牧師さまに、こうたずねました。
「丘の上に立ってござらっしゃるお方は、いったい、どなたでござんしょう。」
すると年とった牧師さまは、
「あれはハンスといってな、わしのおじいさまのおじいさまが生きてござらっしゃったときより、もっといぜんに、村に住んでいらっしゃった、えらい詩人じゃ。」
と、答えました。
そのころ、その国では、わるい伝染病がはやっていました。伝染病は丘の下のうつくしい村へも、くろい大きな鳥のかげのように、やってきました。村の人たちは、どんどん、死んでいきました。もしも、ヘンデルという、えらいお医者さんが、一生けんめいにはたらいてくれなかったら、村の人たちは伝染病のために、ひとりのこらず、死んでしまったかも知れません。このヘンデルが、伝染病のばいきんを見つけてくれたので、村の人たちは、病気からすくわれるようになりました。村の人ばかりでなく、国じゅうの人がすくわれました。そこで、村の人のよろこびようといったら、ありません。
ところが、そのよろこびのまっさいちゅうに、ヘンデル先生は、ふとした不注意から、ばいきんが目にはいり、それがもとで、死んでしまいました。
村の人たちは、あつまって相談しました。
「ヘンデル先生のようなえらい方は、いつまでもわすれてはいけない。」
「ヘンデル発生の銅像をたてておこう。」
そこで、ヘンデル先生の銅像をたてることにきめましたが、なにしろ、伝染病という大さいなんのあとだから、村はびんぼうになってしまって、だれもお金を出すものがありません。お金がなくては、銅像をたてることができませんので、村の人たちがこまっていると、くつ屋のじいさんが、
「それじゃあ、あの丘の上に立ってる銅像を、あのまま、ヘンデル先生の銅像にしてしまったらどうだ。」
と、いいました。
村の人たちは、なるほど、これは名案だと思いました。これなら、ちっとも、お金がいりません。それに、あの、だれだかわけのわからない銅像なんか、なくなったほうがいいのでした。
一週間ほどすると、丘の上の銅像のあごに、あごひげがくっつけられました。ヘンデル先生は、あごひげをもっていたからでした。村の人たちは、その銅像を見あげては、沼のほとりで、薬草をさがしていたヘンデル先生のことを、しみじみ、思い出すのでした。
十年にひとりぐらいは、村で、わるい伝染病にかかるものがありました。村の人たちは、ヘンデル先生の教えてくれた薬草を、さっそくせんじて、病人にのませました。すると病人は、二、三日のうちに、なおってしまうのでした。村の人たちはこの薬草を、ヘンデル草とよぶようになりました。
ヘンデル草は、春になると青い芽をふき、秋になるとかれていきました。そうして、なん十年か、なん百年か、すぎさりました。丘の下のうつくしい村は、むかしのとおりの、小さな村でした。けれど、村の人たちは、もうすっかり、かわっていました。ヘンデル先生のことを知ってる人は、もう、いなくなりました。ヘンデルといえば、すぐ草のことを思い出すばかりで、丘の上の、ひげをはやした銅像のことも、むかしのヘンデル先生のことも、思い出すものはありませんでした。
しかし銅像は、むかしとちっともかわらずに、にれの木のかげに、ぼっそり立って、村のほうにほほえみかけていました。
そのころ、この国ととなりの国とが、はげしい戦争をはじめました。村からも、じょうぶなわかものたちが、おおぜい、戦争に出ていきました。けれど戦争は、なかなかはてませんでした。となりの国は、この国より大きくって、新しい兵士を、どんどん、戦場へ送ってよこすので、この国のほうは、だんだん、負けぎみになってきました。おおぜいの兵士たちが、大きなばくだんの下で、紙っきれをふっとばすように、いちどにたおれたりしました。しかし、こうしてこの国のほうが、負けそうになっていたときに、ペテロという、ひとりの馬にのったわかい指揮官が、めざましいはたらきをしたおかげで、みかたは元気をもりかえし、とうとう、敵をうちやぶってしまいました。
しかしペテロは、戦いのあと、馬とともに死んでいるのが発見されました。ペテロ、ペテロと、わかいペテロは、いちどに有名になってしまいました。このペテロは、ほかでもない、丘の下のうつくしい村から、戦争にいったわかものたちのひとりでした。
みかたの勝利が、ペテロのおかげであったということが村に知れると、村では、大さわぎがはじまりました。そして、今か今かと、ペテロや、ほかのわかものが、がいせんしてくるのを、まっていました。
丘の上の銅像のところに見はりがいて、遠くのほうを、目をほそくして見ていました。けれど、その見はりの目にも、ついに、わかものたちががいせんしてくるすがたは、うつりませんでした。そして、ある夕方、よわよわしい赤い夕日の道を、ながいかげをひきながら、松葉杖にすがって、ちんぎりちんぎり、やってくるひとりの男のすがたが見えました。これは、村から戦争にいったわかもののひとりで、居酒屋のむすこでした。
この居酒屋のむすこから、「戦争にいった村のわかものは、みんな戦死してしまった。ペテロも戦死してしまった」と聞いたとき、村の人たちは、かなしい芝居を見たあとのように、首をふって、ささやきあうばかりでした。
「ペテロのおかげで、わが国は勝ったんだ。ペテロは、わが国の英雄だ。」
「ペテロの銅像を、つくろうじゃないか。」
「おお、そうだ。」
と、村の人たちはいいあいました。
しかし、ペテロの銅像には、ぜひ、馬が必要でした。なぜなら、ペテロは馬にのって、戦場にかつやくしました。そして、馬といっしょに、死んでいました。しかし、もし、馬にまたがったペテロの銅像をつくるとなると、費用がたいへんで、とうてい、そんなにたくさんのお金は、あつまらないにきまっていました。そこで小学校の先生が、すばらしいことを考え出しました。
それは、丘の上にたっている銅像を、そのままペテロにして、馬だけを、新しくつくるということでした。みなさんは、そんな考えなら、なにもおどろくほどでもない。ハンスの銅像をそのまま、ヘンデル先生にしたのと同じようなことじゃないかと、お考えでしょう。しかし、今の村の人たちは、むかし、そんなことがあったとは、ちっとも知らないのです。ヘンデルも知らなきゃ、ハンスも知りません。ましてハンスの銅像が、ヘンデル先生の銅像になったことなど、知ろうはずがありません。
さてそこで、村人一同は、小学校の先生の考えどおりにすることにして、まず、馬をつくるために、村じゅう、一けん一けん、寄付金をあつめにいきました。
「ペテロのおかげで、わが国は勝ちました。ペテロは戦死しました。馬といっしょに、戦死しました。ペテロは、なんという、えらいわかものでしょう。ペテロの銅像をつくるために、お金を寄付してください。」
といいながら、一けん一けん、まわりました。人びとはよろこんで、お金を寄付しました。
しかし、村人のなかには、戦争のために、じぶんのむすこをうしなった親たちが、たくさんいました。その親たちのところへ、お金の寄付をたのみにいくと、親たちは、ぷんぷんしていうのでした。
「なんだ。ペテロ、ペテロって。ペテロひとりが、国のためになったと思ってるのか。うちのむすこだって、りっぱに戦死したんだぞ。馬といっしょに死んでいたって、それがどうしたというんだ。馬にのってりゃ、それだけらくなわけだ。うちのむすこは、馬にものせてもらえず、足をぼうのようにすりへらして、あげくのはて、戦死したんだぞ。うちのむすこの銅像でもたてるというなら、いくらでも金を出すが、ペテロなんかの銅像に、一文だって出すもんか。」
そんなわけで、はじめに考えたほど、たくさんのお金があつまりませんでした。だから、はじめは、ほんとうの馬と同じ大きさの馬をつくるつもりだったのが、犬ぐらいの大きさのものしか、つくれないことになってしまいました。
ひと月ほどもすぎますと、丘の上には、ふしぎな銅像ができました。一ぴきの、小さな馬をまたいで立っている、わかい軍人の銅像でした。馬が小さくて、人間が大きいので、馬はまるで、人間のまたの下をくぐっている犬のように見えました。
わかい軍人は、ヘンデル先生から、いっぺんにかわってしまった、ペテロでした。ペテロにはあごひげがなかったので、ヘンデル先生のあごひげは、けずりとられてしまいました。そのかわり、軍人らしいカイゼルひげを、ぴんとはやしていました。
村人たちは、朝ばん、その人間と馬との銅像を見あげては、砲火のみだれとぶなかを、馬のしりにむちをくれながら、
「すすめ! 祖国のために!」
とさけんでいる、ペテロの心を思いうかべ、「おお、神よ」といって、朝飯や夕飯にとりかかるのでした。
ペテロの命日は、十月四日でした。その日になると、毎年、村の人たちは仕事をやめて、教会にいったり、聖書を読んだりするのでした。その日を、ペテロの日といいました。
そしてまた、ひじょうにながい年月が流れ去ったので、ペテロのことは、門にうたれた一本のくぎのように、わすれられてしまいました。小学生は学校で、先生から「ペテロというえらい人が、むかし、たいへんりっぱなはたらきをして、みかたに大勝利をもたらした」ということを、教わりました。そこである日、先生につれられて、丘の上へ遠足にきたとき、小学生のひとりが、にれの木かげの銅像を指さして、
「先生、この人が、ペテロじゃないでしょうか。」
と、たずねました。
「こんなペテロが、あるものか。ペテロは、こんな犬にまたがって、ニヤニヤとわらっているような、へんてこな軍人じゃない。アレキサンドル大帝のように、どうどうとしているのだ。」
と、先生は教えました。生徒は、先生のいうことが、もっともだと思いました。
ペテロのことは、わすれられてしまいましたが、村人のあいだには、まだ「ペテロの日」というのが、のこっていました。それはちょうど、ハンスやヘンデルがわすれられてしまっても、まだハンスのつくった子守歌や、ヘンデル草がのこっているようなものでした。
十月四日になると、村人たちは、「ペテロの日」といって、仕事を休みました。水車はそのにぶい音をやめ、馬車屋は村のはずれで、角笛をふくのをやめるのでした。
けれど、なぜ、この日をペテロの日というのか、それを知ってる人は、ひとりもありませんでした。村でいちばん、ものしりの牧師さんでさえ、それには、あやふやでした。人にきかれたときには、たぶん、むかしペテロというキリストさまのお弟子が、ギリシアへ伝道に出発した日であろうというのでした。
あるばん、村じゅうがねしずまったころに、霧のおくで、一ぴきの犬が、ぼうぼうとほえつづけました。朝になってみると、さく夜、村でいちばん金持ちの地主さんのやしきに、おしいり強盗があったことがわかりました。強盗はひとりでした。カイゼルひげをはやした、ものすごい男で、火のきえたえんとつから、サンタクロースのようにはいってきたので、顔が銅像のように見えました。強盗は、地主さんの寝室のドアを、コツコツとたたきましたので、地主さんは、女中でもなにか用事があってきたのかと思って、知らんふりしてねていました。
「ところが、あにはからんや、それが強盗でした。」
と、地主さんは、あとで村の人たちに話しました。
強盗は、地主さんから札たばをうけとると、こんどはげんかんから出ていきましたが、そこで地主さんのゆうかんな番犬、ナハトに見つかってほえつかれたので、すっかりあわててにげ出しました。が、犬はなおも追っかけましたので、強盗はついに、それをけころしてにげのびました。忠実な番犬ナハトは、じぶんのいのちをうしなってまで、強盗をとらえようとしたのでした。
地主さんは、すっかり、感激してしまいました。あのときの強盗が、銅像に似ていたことから思いついて、地主さんはぜひ、忠犬ナハトのために、銅像をたてたいと思いました。そこで、村の人たちに相談をかけてみると、村の人たちも、それはもっともなことだ、そんなすばらしい番犬は、あとあとの代まで、かたりつたえるべきであると思いました。
「そこでみなさん、ものは相談だが。」
と、地主さんは村の人たちにいうのでした。
「あの丘の上に立っている、あの、わけのわからぬ銅像じゃが、あれをわたしに、まかせてくださいませんか。すればわたしが、そのあとに、忠犬ナハトの銅像をたてますから。」
村人たちのなかには、すぐ、ははあ、よくふかの地主めが、あの銅像をつぶして、その銅でつくるつもりなんだなと思いましたが、地主からは、田や畑をかりているので、反対でもして、もし田畑をかえせといわれたら、それこそたいへんですから、だまって、うつむいていました。
ひと月ほどあとの、ある日、丘の上に、忠犬の銅像ができあがったというので、村人たちは市日のように、いそいそと、丘の上にあつまっていきました。銅像には、まっ白な布が、すっぽり、かぶせてありました。村人たちはそれを見て、犬にしては大きいと思いました。
やがて地主は、えんび服をきて、シルクハットをかぶって、かた手に竹のむちを持ち、銅像の台の上にあらわれました。そしてパラリと布をとりさると、犬ばかりではなく、強盗までが銅像になっていました。
「さて、心のうつくしい村人たちよ。」
と、地主さんは村人たちにむかって、いいました。
「わたしは、あの夜のありさまを、はっきりとあらわすために、また、忠犬ナハトがどんないさましいはたらきをしたかをしめすために、強盗も銅像にきざみました。よく、ごらんください。これが強盗です。ものすごい顔をしています。かくのごとき、カイゼルひげを、ぴんとはやしていたのであります。」
といって、地主さんは、むちのさきで、カイゼルひげをしめしました。村人たちは、
「ほーう、おそろしいやつですね。まるで、悪魔ですね。こんな、ものすごいひげは、見たことがない。」
と、ペテロのひげを見て、ささやくのでした。この強盗は、まえのペテロの銅像でした。
「これを、よく見てください。これがわたしの愛犬にして、しかも忠犬なる、ナハトであります。このゆうかんなるありさまは、どうですか。今まさに、強盗の足にくいつこうとしています。よく見てください。これが目です。これが耳です。これが前足で、これがあと足です。」
村人たちは、強盗の横からとびかかっているナハトのすがたに、見いっていました。
「みなさん、ナハトはまったく、よい犬でした。足がほそく、首はぴんとしていました。」
といって、地主がむちでさししめした首のところには、まだ、たてがみがのこっていました。それはペテロの馬に、すこし、手をくわえたものだったのです。
「そして、さいごにみなさん、このまえは、あまりにわたしがのぼせあがっていたために、みなさんに、お話しするのをわすれてしまっていたことを、今ここで、お話ししなければなりません。それは、わたしがいたずらに、金をとられただけで、だまっていなかったということです。みなさん、一歩まえにすすんで、目を見はって、よく見てください。この強盗のひたいを。」
ペテロのひたい、今は強盗のひたいに、深さが五センチメートル以上もあって、あきらかに、致命的な長いきずが、ぐっと、くいこんでいました。
「わたしは、金をわたしながら、左手にかくし持っていたおのでもって、ガンとひと打ち、強盗のひたいにくれてやったのでした。」
こうして、忠犬ナハトの銅像は、丘の上に立ちました。それからというものは、村ではよい犬のことを「ナハトのような犬」と、よぶようになりました。
けれど、こうした忠犬ナハトや、強盗や、地主さんの記憶も、ながい年月の流れには負けてしまうのでした。いつのまにか、そうしたものの記憶は、村人の間から、月夜のかげのように、きえていきました。ただ、「ナハトのような犬」という、ことばだけがのこりました。けれど人びとは、ナハトがいったい、なんのことやら、いっこうに知りませんでした。また、知ろうとも思いませんでした。それはちょうど、ハンスの子守歌や、ヘンデル草や、ペテロの休日と、同じようなものでした。
村の教会は、村じゅうの建物のうちで、いちばん、古いものになりました。ステンド・グラスはすすけ、天上のキリスト降誕の壁画のそばには、古いつばめのすが、へばりついていました。塔の階段も、あまりひどくきしむので、だれもきみわるがって、のぼらなくなりました。そこである年、村人たちは、教会をたてなおそうという、相談をしました。そのころ、村はかなり大きくなっていて、大むかし、ヘンデル先生が薬草をさがしていたあたりまで、家ができていました。そしてまた、村人たちは、なが年の平和で、たいへん、ゆたかになっていました。
そこで相談の結果、新しい教会を、丘の上の銅像のあるところに、たてることになりました。
あやしげな銅像は、とりのぞかれることになりました。が、まったく、すてられたわけでは、ありませんでした。というのは、塔につるす鐘をつくるのに、この銅像を、つかうことになったからでした。
銅像は、馬のひく荷車にのせられて丘をくだり、となり村の鋳物師のところまで、ごとごとと引かれていきました。鋳物師のところで、強盗と忠犬ナハトは、一つのるつぼの中にたたきこまれて、一つにとけあってしまいました。そして、それから七つの、そろいの鐘がつくられました。
はじめ、詩人ハンスであった銅像は、医者のヘンデル先生にかわり、つぎは軍人のペテロにかわり、つぎには、おそろしい強盗にかわり、ついには、とけて七つの鐘になりました。そして、丘の上に、りっぱな教会がたって、その塔の上につるされたとき、七つの鐘は、うつくしい音をひびかせて、村人たちの心に、神の国をおもわせたのでした。
底本:「新美南吉童話全集第一巻 ごんぎつね」大日本図書
1960(昭和35)年6月20日初版発行
1975(昭和50)年5月10日31版発行
入力:江村秀之
校正:小林繁雄
2013年7月6日作成
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