大江戸黄金狂
野村胡堂



第一の手紙


 山浦丈太郎やまうらじょうたろうは、不思議な手紙を受取うけとりました。その意味は──。

其方そのほうは人を殺した。それはお家の奸臣を除くためであったとしても、人間一人の命を絶ったことにはんの変りもない、其方も武士なら、きたる八月の十五日箱根はこねの間道を登って、太閤道の辻堂の前に、日没と一緒に立つがよい。その方を親の敵と狙う、万田龍之助まんだりゅうのすけは父祖由緒の地に其方を迎えて、かたき名乗をあげるだろう。最早主家帰参ののぞみも絶えた其方だ、いさぎよく龍之助に討たれて、孝子の志を遂げさせるがよい。し逃げ隠れするにおいては、この旨日本六十余州の津々浦々に伝え、百代の後までも、其方を卑怯者の見本として、物笑いの種にするであろう。

 かなり手厳しい文句ですが、真四角な字を書いているくせに、何処どこかに優し味があって、女文字らしい匂いがあります。

「馬鹿ッ」

 山浦丈太郎は、その手紙をてのひらの中で揉んでポイと捨てました。腹の底からコミあげて来るのは、我慢のならないいまいましさです。

 三年前まで、小田原の城主大久保加賀守おおくぼかがのかみに仕えて、百五十石をんだ山浦丈太郎は、箱根の関所の役人をしている時、同役万田九郎兵衛くろうべえの容易ならぬ非曲を発見し、面責して恥しめられ、訴えて聴かれなかったので、腹を据え兼ねて万田九郎兵衛を斬って捨て、江戸に飛出とびだして、心細い浪人生活を続けているのでした。

 その後、役人の取調とりしらべにつれて、関所手形を贋造して、小田原の旅籠屋はたごやの怪し気な客引きに売らせ莫大な利益を取り容れていた、万田九郎兵衛の非曲はことごとく知れましたが、山浦丈太郎の功をねたむ者があって、「山浦も同じく関所役人だ、万田と同腹で悪事を企て、利益の割当が少なかったので、万田を斬ったに違いない」と言い触らされ、何時いつまで経っても大久保家から召し還しの使者が来ないばかりでなく、反対に刺客を放って、山浦丈太郎をねらっているという噂さえ立ち始めました。

 そんなに曲解されなければならぬ境遇や、その日の物にまで事欠く、三年越の浪人生活に、山浦丈太郎悉く嫌気がさしている矢先、この不思議な手紙を受取ったのです。

「よし、それならば、討たれて死んでやろう。俺の言い分の通らない世の中に、貧乏しながらビクビク生きているより、悪人のせがれでも親の敵を討とうと言う、殊勝な孝子の刃に掛って死ぬのも武士の本懐だ」

 山浦丈太郎は、物事をそんな風に考える男でした。

 取って二十八の良い男、箱根けのした浅黒い顔、見事な恰幅、羽織も袴も七つ下りですが、腰の物だけは親譲りの立派な相州物、何もも叩き売った一両二分の金を懐にして山浦丈太郎悠然として、敵討たれの旅に上ったのです。

 時は正徳三年八月の初め、七代将軍家継いえつぐの時代、江戸は驕者の坩堝るつぼとなって、何処どこの社会でも、金が慾しくて慾しくてたまらなかった頃のことでした。

 浪人者のみじめさは、こんな時ほど身に染みます。腕におぼえがあったところで糊米ほどの祿を出して召抱めしかかえる大名もなく、棒振剣術の道場は、稲荷の祠と数を争う江戸の街で、浪人者の生活の足しになる仕事などは、金の草鞋わらじで捜しても見付かりません。下手な謡曲などをうなって、一文二文の合力に命を繋ぐより、思い切った敵討にでも出逢でくわして、威勢よく死んでしまえ──。

 山浦丈太郎ならずとも、落ち果てた浪人者が、そう言った心持になるのは無理のないことでした。


第二の手紙


 武州八王子にこれも佗しく暮している浪人者、万田龍之助も、同じような手紙を受取りました。

其方も最早十八歳ではないか、親の敵の山浦丈太郎が、目と鼻の間に居るのに、何んという不甲斐ふがいのないことだ。父親の九郎兵衛に少しばかりの非曲はあったかも知れないが、それを洗い立てた上に、手に掛けて殺したのは山浦丈太郎だ。その敵も討たずに、おそめの愛に溺れ、八王子から一歩も踏み出す心の無いのは、何んという見下げた性根であろう。それほどお染の傍を離れるのが嫌なら、一緒につれ立って、敵討の旅に出るがよい。来る八月十五日の日没頃、其方のためには不倶戴天の敵山浦丈太郎は、箱根の間道太閤の辻堂の前に立って居ることになっている。夢々疑うまいぞ。この折を取逃しては、親の敵を討つのぞみはまずあるまい。穴賢あなかしこ、人に語るな。

 人をめたような調子ですが、ひどく真実性があります。これを読んでいるうちに、万田龍之助は、背中へ一斛いっこくの冷水をブッかけられたような心持になりました。

 わずか三年前の出来事で、龍之助も悉く事の経緯を知って居ります。父親九郎兵衛は同役山浦丈太郎に殺されたには違いありませんが、非は悉く父親九郎兵衛にあって、斬った山浦丈太郎には、何んの怨む筋もありません。関所役人の端くれに連なりながら、関所手形の贋物を造り、莫大な不義の金を積んだ父親の悪事は、生きているうちに罪に問われると、礫刑になっても足らなかったでしょう。それを斬った山浦丈太郎に、敵名乗をあげる顔は、万田龍之助には無かったのです。

 だが、敵の所在が判然はっきりわかると、人の子として、萬田龍之助はっとして居るわけに行きません。

「よし、敵山浦丈太郎を斬って、父親と一緒に、八寒地獄へ真っ逆様に落ち込んでやろう」

 そう言った無法な心持が、万田龍之助の若い血潮を湧き立たせたのも無理のない事でした。


「龍之助様、何処どこへいらっしゃいます?」

 旅仕度もそこそこ、八王子の町を飛出した万田龍之助の後から、う声をかけたものがありました。

 龍之助が三年前小田原を追われてから、世間を狭く身を寄せた、遠縁の高山たかやま某の一人娘お染、龍之助より一つ年上の十九ですが、郷士の子に生れて、都振りの華やかな空気の中に育ち、取なしが初々しいうちにも、なまめかしく愛くるしいところのある娘でした。

「いや、なに、ツイ其処そこまで」

 龍之助は少しヘドモドしました。

「龍之助様、箱根へいらっしゃるのでしょう」

「え?」

「私も一緒におつれ下さい、お願いでございます」

「────」

 町外れの木下闇このしたやみへ誘い入れると、顔を染める青葉の蔭にお染は可愛らしく手を合せるのです。

「龍之助様、私にもこんな手紙が参りました。御覧下さい」

 お染が懐から取出したのは、龍之助が受取った不思議な手紙と全く同じ筆跡で、う書いてあるのです。

──万田龍之助は、親の敵を討つために、箱根の間道へわけ入ることになっている。相手は山浦丈太郎という勇士、龍之助一人では討ち取ること思いも寄らない。龍之助を助けいと思うなら、ぐ様後を追うがよい。南蛮渡来の短筒を一挺貸してやる。これさえあれば、女の細腕一つでも大の男に向うことが出来るはずだ──。

 あまりにもよく行届ゆきとどいた文章、誰の仕業しわざともわかりませんが、万田龍之助ゾッと肌寒さを覚えました。

「短筒というのは?」

「これでございます」

 お染は重そうに持って来た包を解くと、中から現われたのは、金銀の象眼を施した、南蛮物の凄まじい短筒が一挺、万田龍之助は、自分がひきずられて行く運命の恐ろしさに、何んとなく身内のふるえを感じます。

 短筒を取上げて、巨大なむしででもあるように、無気味な心持で見極めた龍之助は、

「何が行手にあるか少しも解らないが、かく私は行って見るほかはあるまい。お染殿はなるから戻るのだ」

「でも龍之助様」

 お染は鉄砲を掻い抱く恰好で、クネクネと身体からだを振ります。

「母上が御心配なさるだろう」

「いえ、母様へもそう申して参りました。母様は──龍之助様先途を見届けるのはお前の役目、私は決して止めはしない──とおっしゃいます」

「────」

 龍之助は涙ぐましい心持でうなずきました。


厄介の貝六へも


 人呼んで厄介の貝六かいろく、海道筋でよくない事ばかりしている中年男のところへも、仮名書きの不思議な手紙が届けられました。

小父おじさん、やっけえのけえ六というのはお前さんだね」

 大磯の居酒屋でとぐろを巻いているところへ、十二三の可愛らしい小僧が声を掛けたのです。

「何? やっけえのけえ六? ──馬鹿にするねえ、そんな珍毛唐見てえな名前なんか持って居るものか、畜生ッ、人のつらジロジロ見やがると目玉をくり抜いて、田螺合たにしあえにして食っちまうぞ──驚いたか小僧ッ」

 粕臭い息をフーッと吹いて、クルリと向うを向いてしまいました。

「だって、左の耳朶みみたぶが無くて、黄色い大きな歯が二本飛出してるのが、やっけえのけえ六だって教わったんだぜ」

「やいやいやい、人の面の棚おろしなんかしやがって、耳朶なんか、喧嘩で食い切られたんだ。こんなものを右左へくっ付けて置くことがあるもんか、とんだ清々せいせいして良い心持だ。嘘だと思ったら、手前も取払って見ねえ」

「御免だよ、耳朶を取払った代りに、歯が飛出しゃ元々だ」

「抜かしたな小僧」

「怒ったって怖くも何んともないよ、それより、やっけえのけえ六なら白状した方がいぜ。綺麗な女の人から手紙を頼まれて来たんだから」

 様子が滅法可愛らしい癖に、言うことは恐ろしく憎体にくていです。

「何?」

「だから白状しねえ、やっけえのけえ六ならやっけえのけえ六と──」

「貝六は俺だよ、江戸から箱根までの間に、はばかり乍ら貝六という人間は俺より外にはねえ筈だ。厄介のけえ六なんて、人面白くもねえ、誰がそんな名前を付けやがったんだ」

「それ見ねえ、やっぱり厄介の貝六じゃないか。それよ、手紙は確かに渡したよ。お駄賃がうんと出ているんだ。あとで受取らねえなんて言っちゃおいらの落度になるぜ」

「何を小僧

 厄介の貝六は小僧から手紙を受取ると、クルクルと巻き込んだ半切を開いて行きました。美しい仮名文字が五六行、

「読めるかい、親分」

「何をッ」

「その手紙が読めるか──てんだよ、んな仮名で書いてあるじゃないか、そいつが読めなかった日にゃ──」

 小僧は傍を向いて赤い舌をペロリと出しました。

「何をッ、陽がかげって、少し薄暗いから読めねえや」

「うまく言うぜ、──読んで上げようか親分」

「何をッ」

 厄介の貝六は負け惜しみを言い乍らも、小僧の手に手紙を渡す外はありません。

「面白いことが書いてあるぜ、けえ六親分」

「何を」

「親分は見かけにらない色男だね、ウ、フフフ」

「一人で笑って居ずに、さっさと読みやがれ。何時いつまでも眺めて居ると、手前のよだれで手紙の字が伸びるぜ」

 そう言い乍らも、貝六はすっかりじれ込んで居りました。

「こんな手紙を、ただで読んじゃつまらないねエ、少し何んとか色をつけなよ、親分」

「何をいいやがる」

うだよ、親分、──『ちょいとけえ六親分、私と世帯を持つ気はないかえ、気が向いたら箱根へ来なよ、たいこう道の辻堂の前へ、十五日のお月様の晩、日の暮れるころ、良い男の親分の顔を持って来なよ、──小田原のあの子』とね」

「小田原のあの子、はてな?」

 貝六は小首を傾げました。小田原の飯盛に嫌がらせをしたのは幾人もありますが、箱根の山の中へ呼出よびだされるほどの深間は一人も無かったのです。

 厄介の貝六は狐につままれたような心持でフラフラと外へ出ました。


赤崎才市へも一通


「貝六」

 押しかぶせるように野太い声、

「何をッ? 間抜けッ」

 反抗的に肩をそびやかせて、ヒョイと顔を挙げると、眼の前にヌッと立ったのは、定九郎を素で行ったような、恐ろしく自棄な浪人者でした。

「大層な機嫌だな、貝六」

「おや、赤崎あかざきの旦那で?」

 貝六は拳固でペロリと顔を撫で廻しました。この凄味な浪人者赤崎才市さいいちには頭の上らない理由がありそうです。

「旦那って程の面じゃねエが、間抜けは挨拶だな」

 三十五六、色白で、長身で、腐った羽二重はぶたえ、五十日月代さかやき、禿ちょろの朱鞘、麻裏を突っかけて、裾を少しつまみ上げ乍ら片手の妻楊子つまようじで歯をせせっている図は、どう見てもあまり結構な人柄ではありません。

「勘弁しておくんなさい、その朱鞘が目に入らねえほど面喰って居たんで」

「ハテネ」

 赤崎才市はプッと楊子を吐きました。

「ところで御用は? 旦那」

「外じゃねえ、手前がツイ今しがた、小僧の手から受取った手紙があるだろう」

「ヘエー」

「お易い御用だ、ちょいとそれを見せてくれ」

「お易い御用じゃありませんぜ、旦那、一生に一度の女運をさらわれた日にゃ、あっしは浮ぶ瀬が無くなりまさア」

「馬鹿だなア、──女運だと思ってやがる、そんな気でうかうかと太閤道へ行くと、運がよくて関所破り、悪かった日にゃ、そのガン首が一ぺんに飛ぶぜ」

「おどかしっこなしに願いやしょう。こんなに見えても、あっしは臆病者で、ヘッ、ヘッ」

「厄介の貝六が臆病だった日にゃ、世の中に肝の太い人間が無くなるよ、──まア宜い、俺を疑うなら、ボンヤリ太閤道へ、行って、その薄汚いガン首を無くして来るが宜い」

 赤崎才市は、んな事を言って、クルリと背を見せるのでした。「待っておくんなさい、旦那、あっしの首を取って何んの禁呪まじないになるんで、懐には百だってありゃしませんよ」

「望みは金じゃないよ」

「ヘエー」

「先刻手前へ女文字の手紙を渡した小僧は、俺にも一本渡して行ったんだ、──隠すものか、俺はそんな料見の狭い人間じゃねえ、これだよ、ほら」

 赤崎才市は、懐から分厚の手紙を一本取出して、何んのわだかまりもなく貝六の手にのせてやりました。無意識に開くと、中はつかしい字で一パイ。

「こいつは読めませんよ旦那、自慢じゃねえが仮名でせえ小僧に読んで貰ったあっしだ」

「そんな事が自慢になるものか」

「読んで下さいよ旦那」

「読んでやっても宜いが、今日、たった今から、お前は俺の仲間になるか」

「ヘエー」

「驚くな貝六、──仔細あって俺は、この機関からくりの裏を知って居るが、こいつは七万両という大金の仕事だぞ」

「七万両──、待っておくんなさい旦那、七万両というと、一体どれ位の金で?」

「一両小判が七万枚だ、──そいつを一人占めにする手段も知って居るが、向うに廻る人間が恐ろしく手剛てごわい、貝六風情に七万両山分けでは少し甘過ぎるが、猫の子の手でも助太刀に欲しい時だ、どうだい俺の仲間になって、大山を張る気はないか」赤崎才市の話は恐ろしく奇っ怪です。

「そいつは旦那」

 貝六はゴクリと固唾かたずを呑みました。あまりの事に続く言葉も出ません。

「七万両と聴いて肝を潰すなんざ、厄介の貝六に似気ないことじゃないか」

「驚きやしませんが、そいつはあんまり話が大きくて本当らしくはありませんぜ旦那」

「よしよしそれじゃ嘘だと思って来て見るが宜い、今から八月の十五日まで──三日の間俺に手伝ってくれたら、日当一両ずつ出すよ。その代り七万両の金が入ったって、手前には一文もやらないよ」

「日当一両も悪くねえが、七万両の山分けの方が、少しばかり分が良いようだ。乗りますよ、旦那その割勘の方に」

「人間はあまりかしこくねえようだが、勘定は確かだな、三万五千両の方が多いってことを、ちゃんと心得てやがる、その気で今日から仲間付き合いだ、宜いか貝六、前祝に一杯やりえが、手前五百や一貫は持ってるだろうな、男のたしなみだ」

「ヘッ、自慢じゃねえが空っけつだ」

「顔で呑める店は無いのか」

「八方塞がり」

「呆れた野郎だ、その絆纏はんてんを脱ぎな」

「ワッ、この一張羅を剥がれちゃ道中がならねえ、そいつは殺生過ぎるぜ旦那」

「何を言やがる、人に訊かれたら雲助の真似まねをしろ」

 性格の破産者と信用の破産者、何方どちらも触れば棘の突ささるような二人が、うして共同戦線を張ることになったのです。


七万両の宝


「もう少し詳しく話しておくんなさい。絆纏一枚が惜しいわけじゃねえが、七万両の夢を見て、風邪を引いちゃ割に合わない。これは一体どうしたことなんで? 旦那」

 厄介の貝六は、店の中に誰も居ないのを見定めると、盃を置いて赤崎才市の方へ膝を寄せるのでした。小田原の町外れ、上り下りの客に、一番安くて盛沢山もりだくさん中食ちゅうじきを食わせようという、一ぜん飯屋の奥、煮しめたような茣蓙ござの上にならんで坐って、宜い加減陶然とした二人でした。

「誰も聴いちゃ居まいな、貝六」

「時分時でないから大丈夫でさ、猫の子が一匹耳をすまして居るだけだ、勘定が済んだら、親父は安心して奥へ引込んだし、小女はつまみ食いで大童おおわらわだ、耳なんか節穴ほどの役にも立たねえ」

 店の内外をとわたり見極めて、貝六は元の席に帰って来ました。

「それじゃ話して聴かせる、驚くなよ、貝六」

「驚くな──たって、眼なんか据えて乗出のりだされちゃ大概肝を冷やすぜ、旦那、あまり結構な人相じゃねえ」

「無駄を言うな、──手前の守り袋か臍の緒書きの中に、得体の知れないものを描いた、変てこな紙片かみきれが入っちゃ居ないか、──ずそれから聴こう」

 赤崎才市は物々しく始めます。

「ありますよ、旦那、死んだお袋が肌守の中に縫い込んでくれたんだが、何んでも三寸四方ほどの小さい紙片で、蜘蛛の巣のようなものと、六つかしい字が書いてある筈だが──」

「それだよ、貝六、それがありゃ、手前も大久保石見守おおくぼいわみのかみの子孫の一人だ、七万両のうち一万両だけは威張って貰える」

「ヘエ、一万両」

「宜いか、よく聴くんだぞ、──今から丁度ちょうど百年前、慶長十八年八月十五日に亡くなった、大久保石見守という人は、若い時分は能役者だったが、東照家康いえやす公の御眼識おめがねに叶って、金山奉行を承り、日本中の金銀銅鉄鉛の坑領り、一時は天下の租税を管して、威権宗臣を過ぐと言われた。──話は六つかしくて判るまいが、兎に角、日本中の金山を一手に引受けたんだから、自分の懐へもどれだけ金が入ったかわからない」

「ヘエー」

 話の重大さに貝六はすっかり圧倒されました。

「その大久保石見守は、武州八王子で、三万石を食んで亡くなったが、死んだ後で大変なさわぎ持上もちあがった。──それは、遺書に七万両の大金を、七人のめかけに形見としてわけてやると書いてあったからだ。妾から早速七万両の金を引渡すように総領の藤十郎とうじゅうろうに迫ったが、藤十郎はそれを聴き容れない。さんざん揉み抜いた揚句、公沙汰になって、公儀役人が八王子の屋敷へ乗込んで調べると、驚いたことに、屋敷のくらも、石見守が生前役得として取込んだ金銀珠玉の山だ。その上禁制の切支丹きりしたんの伝書や、異国交易の文書があったので、領地を召上げ、財貨を官没し、長男藤十郎以下、外記げき権之助ごんのすけ雲十郎うんじゅうろう等七人の子女は、一人残らず斬られたり流されたり、大久保石見守の遺した財宝は一ぺんに形無しになってしまった」

「────」

「ところが不思議なことに、七人の妾に分けてやると言った七万両の金だけは、何処どこを捜しても出て来ない。公儀役人も、手を変え品を代え捜し抜いた。が、どうしても判らない」

「────」

「無い筈だ。その七万両というのは、大久保石見守が、家康公の命令で、最初に伊豆いずの金山を掘った時、後日のために、掘った黄金の一部を割いて箱根の山中に隠して置いたのだ。その頃箱根にはまだ関所はなかった。石見守は腹心の家来石坂左門次いしざかさもんじに命じて、その黄金を箱根山中の何処どこかに隠させ、後口実を設け、黄金を隠した家来──石坂左門次を斬り、絵図面だけを手筐てばこに入れて、寝間の床下に埋めて置いた」

「────」

「その手筐は公儀役人に没収されたが、役人に見付けられる前、総領の藤十郎はそっと絵図面だけを抜出ぬきだし、恐ろしい災禍の身に及ぶのを覚って、七つに切って七人の兄弟にけ、ひそかに七人の子孫に伝えて、何時いつかは七枚一時に世に出て、秘めた七万両の宝が、大久保家の再興に役立つように念じて刑死した」

「────」

「七つに切った絵図面は、大久保石見守の百年忌に、箱根の山の間道で一緒に集まることになったのだ。こいつはまぐれ当りや、物のはずみじゃ無い。死んだ石見守の導きか、──いや、そんな事でもあるまい。俺達の眼にも止らない恐ろしい人間が、逞ましい智慧を働かせて、絵図面の切れを持った大久保石見守の七人の子孫を、糸をたぐるように、日本国中から箱根へ集めているのだ」

 そう言う赤崎才市も、不敵な眉をひそめて、逞ましい肩をゾッと顫わせました。

「で──」

 貝六は何んべん固唾を呑んだことでしょう。

「大久保石見守の子孫は、四方八方に散って居る。勝手な苗字で勝手な仕事をして居る。この赤崎才市もその一人なら、お前──厄介の貝六もその一人だ。七人の子孫が集まって、仲よく一万両ずつ分けるなら物事は穏かだが、──俺から始め、そんな事じゃイヤだ。七万両みんなか、元の杢阿弥もくあみかだ。七人のうちには太い奴も居るだろうが、七万両皆んなさらってやろうと、爪を磨いで居るのはこの俺ばかりじゃあるめえ」

 赤崎才市の話は、厄介の貝六の肝を奪いました。二朱や一貫の強請ゆすりを大きい事にして居る貝六に取って、七万両の世界は、何んと言う途方もない──想像を絶した境地だったでしょう。

「旦那、──そ、そいつは驚いたね、あっしなら、七万両が七十両でもオンの字だが、うなりゃ意地だ、見事七万両を手に入れて、山吹色の山の上で昼寝をして見たくなったよ」

「好い心掛だ、その気で一つやってくれ」

差当さしあたり何をやらかしゃ宜いんで、旦那」

「ちょいと、女の子を一人さらって、若い武家を一人ねむらせるんだ」

「ヘエー、安く言うが、そいつは大仕事だぜ」

「そんな気の弱いことじゃ、七万両の夢を見るのも六つかしいぞ、宜いか、貝六」

 赤崎才市は貝六の耳に口を寄せました。

「お、くすぐえ」

贅沢ぜいたくを言うな、汚ない耳だなア、たまには掃除をしておけ」

其処そこまでは届かねえ」

「寝物語なんてものを用いないからだよ」

 無駄を言いながら、何やらささやく二人、それを奥の一と間から、じっと耳を済まして聴いて居る旅の雲水のあることには気が付きませんでした。

 旅の雲水、名は空善くうぜん、これも同じような不思議な手紙を貰って、箱根の間道へと急いで居たのです。

 雲水空善は腹痛を起して、店の奥に横になって居るうちに大変な事を聞込ききこんでしまいました。店を出て行く二人の後ろ姿を見送りながら、頭陀袋ずだぶくろから手紙を取出して読み直すと、

「──名月の宵、箱根間道太閤道の辻堂にて、非業に相果つる五或は七のしかばねを見る可し、いずれも救いがたき五悪の輩乍ら末期の引導頼み入るもの也──」と美事みごとな筆跡で書いてあるのです。


女妖白糸のお滝


「ちょいとお待ちなさい、旦那」

「────」

「旦那」

 二度まで呼ばれると、山浦丈太郎は静かに立ち止りました。畑宿を越えて、左へ一と足、箱根笹の凄まじい茂りの中へ分け入ろうとしたところを呼び止められたのです。

「拙者に用事か」

 四方あたりを見廻しましたが、人の気配もありません。馴れた箱根道ですが、狐につままれたような心持で、しばらくは立ち尽します。

 丁度真昼時分、不思議に人足が絶えて、間道に分け入るのは、今をいて機会があろうとは思われません。長い間関所役人をして居た山浦丈太郎は、何も彼も心得て居る癖に、フト不安な心持になりました。

其処そこを入ると、関所破りになりますよ、御存じですか、旦那」

 振り向くと、思いも寄らぬ近々に女の首、草叢くさむらの中から半身を出して、溶け入るように莞爾にっこりするのです。

「心得て居る」

 山浦丈太郎は悪びれた色もありません。

「まあ。──もっとも、関所の御役人だった旦那が、そんな事を御存じがない筈はありませんわねエ」

「何?」

 山浦丈太郎はさすがにギョッとしました。

「それを承知の上で、間道へ踏み込むのは」

「お前は何んだ、──見たことがあるような」

「お忘れになりまして」

 又ニッコリ、浅黒い顔、美しくもない髪かたち、木綿もめん物の地味なあわせを着て居りますが、ニッコリすると、箱根中がカッと、明るくなるような魅力です。

「白糸のおたきではないか」

 この素晴らしい笑顔で、山浦丈太郎はようやく思い出したのです。滝見の茶屋で、愛嬌を売物にして居た、箱根名物のお滝、小田原の家中の若侍が、どんなにこの女一人を話題にして騒いだことでしょう。

 それにしても、以前と少しも変らぬ若さと愛嬌は何んとしたことでしょう。三年前のお滝は十九か二十歳に見えましたが、三年後の今近々と顔を合せても、二十歳よりあまり上とは思われません。

「まア、嬉しいワねエ」

 そう言って又ニッコリする様子は、かつてのお滝より、少しばかり物馴れて見えるだけのことです。

何処どこへ行くのだ、いきなり藪から顔なんか出して、驚くじゃないか」

「藪から棒でなくてよかったでしょう」

洒落しゃれを言うな、──俺は少し急ぐことがある」

 山浦丈太郎はお滝をかきのけて、箱根笹の藪へ──杣道そまみちを辿って飛込もうとするのです。

「まア、本当に関所破りをなさるつもり?」

 お滝はフイと身を開きました。

「心願の筋があって、を登らなければならないのだ」

「どんな祟りがあっても」

「くどい」

「箱根関所の元御役人が、何も彼も心得て関所破りをなさると、容易のことでは済みません──命にかけてを登る御用と言うのは何んでしょう?」

「それを聞いてどうする」

「まア、そんな怖い顔をなすって──、私は、あなたのお為を思って申上もうしあげるのですよ。悪いことは申しません。黙ってからお帰りなさいませ、──あなたのおのぞみは、私が代って果して上げます」

「俺の望み? 俺の望みは命を捨てに行くのだよ、敵を討たれに行くのだ」

「まア」

「それをお前が代ってくれると言うのか」

 山浦丈太郎の頬には、皮肉な微笑が浮ぶのでした。

「たったそれけ? 山浦様」

「命を捨てることが、たったそれ丈けというほど手軽か」

「これは? 山浦様」

 お滝は帯の間から、錦の守袋を取出して、目の前にチラチラさせるのです。

「あ、それは俺の守り袋だ、いつの間に──」

「ホ、ホホ、麓の茶屋で、これを抜かれたのを御存じなかったのでしょう」

「お前か」

「まア、まア、私が泥棒や巾着切に見えます?」

「外に誰も居なかった筈だが──」

「厄介の貝六という、日本一の厄介な男が、あなたの側でドブ六を呑んで、絡みついて居た筈ではありませんか」

「フーム」

「この守り袋の中に、命と釣替の大事なものが入っていることを御存じでしょう」

「いや、その中には臍の緒書が入って居るだけだ。今死ぬ身に用事のない品、親切気があるなら、そこらの草の中に埋めて人に跨がれぬようにしてくれ」

 言い捨てて、山浦丈太郎は箱根笹の中に分け入るのです。

 その巌丈がんじょうな後ろ姿をてらして、赤々と照る秋の陽、箱根全山の緑は老いて、何んとなく裏淋しい昼下りの風物でした。

「その臍の緒書きの上を包んだ紙片に御用はありませんか」

「要らない、そんな反古ほご紙──」

「まア、これが反古紙、何が書いてあるか御存じもない?」

 男の気楽さに、お滝も少し呆気あっけに取られた様子です。

「知らない、もう俺に構うな」

 山浦丈太郎は箱根笹を分けて、次第にその深みへ没し去ります。

「何んと云う呑気のんきな人だろう、──お待ちなさいまし、旦那、山浦さん、──ね、あなたの力を貸して下されば、この勝負は此方こっちかちなのに、──ちょいと」

 お滝の声も、チラホラ見え初めた旅人の姿に遠慮して、それっ切り呑込のみこむ外はなかったのです。その間に山浦丈太郎の姿は、心得切った杣道を、谷の方へ降りて行った様子、からはもう何んにも見えません。

「チェッ、仕様が無いねエ」


龍之助とお染


「お武家様、其処そこは道が違います。お山見張のお役人衆が、峠の上から遠眼鏡で御覧になって、一応弁解が承り度い、御案内するようにとのことで御座います」

 言葉は丁寧ですが抜きも差しもならぬ命令です。万田龍之助はお染と顔を見合せてハッと立ちすくみました。

 関所破りは磔刑が定法、その素振りや計画があった丈けでも無事には済みません。──そう気が付いた丈けでも、唇が痺れて、頬からサッと血の気のくのが感ぜられます。

「馴れぬ旅に近道をしたばかりに、道に迷ってこの仕儀、んだところへ踏み入ってござる、敵討つ身に寸刻を争う場所乍ら、一言申開き致そう。御案内を頼み入る」

 万田龍之助は長いものにかれる積りで、丁寧に小腰を屈めました。相手は雲助風の汚い半裸体の男、見識も威厳もありませんが、で争っても仕様がないと思ったのです。

「それじゃ、こうおでなせえ」

 万田龍之助は、お染を振り返って「安心して待っておいで」と言わぬばかりのまばたきをして見せ、男に従って、元来た小路を戻りました。

 湯元から間道を入って、谷川を宜い加減さかのぼった龍之助は、後ろに残したお染のことを気にし乍ら、何処どこともなく導かれて行くのです。「出女入鉄砲」と言われた箱根の関で役人の前へ女を連れて出るのは、山路へ一人残して置くよりも危険だと思ったのでしょう。

「まだかな」

「もうきですよ」

 山裾を廻る時たった一言交した切り、それから又十二三丁、道は草叢に没して、次第に街道から遠くなる様子です。

「おや?」

 気が付いて見ると、何時いつの間にやら、案内の男が見えなくなって居るではありませんか。山裾を一つ二つ廻るうちに、何処どこかの小径こみちへ外れてしまったのでしょう。

「案内の方、案内の方」

 二三度、その辺をったり戻ったりしましたが、何処どこにも見えません。

「若しや?」

 万田龍之助は立ち止って後ろの方をすかしました。山路に残して来たお染の事を思い浮べると、不気味な戦慄がゾッと背筋を走るのです。

 龍之助は咄嗟とっさの間に身を翻すと、元の道を疾風の如く取って返しました。山も木も、岩も見えません。幾度かつまずいて、爪先に血が浸み出した様子ですが、そんな事を考えて居るいとまもないほど、お染がさらわれ、縛られ、さいなまれて居る幻想が、白日の眼の前にチラチラするのです。

「おッ」

 万田龍之助は立ちすくみました。ツイ先刻、お染が淋しそうに見送って居た、ささやかな空地には、秋草がハタハタとなびくだけ、四方あたり隈取くまどった箱根笹の海に呑まれたか、其処そこにはお染の影も形もなかったのです。

 道はたった二本、今龍之助の来たのと丁度反対の方へ伸びて居る杣道を、滅茶滅茶に駆けました。時々大きい声で「お染」と呼び度い衝動に悩まされ乍ら、ひしと唇を挟むんで──。

 がそれは全く無駄な努力でした。何処どこまで行っても箱根笹の海で、その間を縫う杣道は、からかったように、ヒョックリ元の場所へ龍之助を導いて来るのです。

 四半刻ばかり、傷ついた獣のように駆け廻った龍之助は、ハッと、草地の上に膝を突きました。

「あ」

 赤い、燃え立つような扱帯しごきが、長々と草叢の中を這って居るではありませんか。

 絞りの麻の葉も、龍之助に取っては忘れようのないものです。紛れもないお染の品──と思うと、ツイ抱き締めるように立上たちあがりました。お染はを通って、何処どこへ行ったことでしょう。

 途方に暮れて、暫く立止っていると、サラサラと耳に爽やかな水の音が聴えます。龍之助はそれを聞くと、恐ろしい渇きに、喉がただれるようになって居ることに気づきました。

 這い寄って見ると、崖の上から落ちる一筋の山清水へ、誰が架けたか、青竹のといが仕掛けてあって絹のような流れがチョロチョロと下へ落ちて居るではありませんか。

 手でむすんで一と口、た口、三口目は少し苦いように思いましたが、構わずに五口、六口と呑んで、ホッと息をつくと、

「あッ」

 くらくらと眩暈めまいがして、思わず草叢の上へ腰が落ちます。

 ジーンと鳴いて行く秋の蝉、──側腹のあたりに、龍胆りんどうと梅鉢草が咲いているな──と思った切り龍之助は正気をうしなってしまいました。


蔭から糸を引く者


 やや暫く経つと、同じ清水の傍に、山浦丈太郎が差かかりました。

 山路は馴れた強健な足取りですが、秋の陽に照り付けられて、さすがに喉が渇いたものか、水の音を聞くと、吸い寄せられたように、岩清水の下に腰をおろしたのです。

 山馴れのした丈太郎は、直ぐ側にあるふきの葉を一枚取って、裏表を透して汚れのないのを確かめると、器用に曲げて、盃を作りました。樋の下へそれを差出して、チョロチョロと溜る水を享楽する風情でしたが、一杯になると頤の方を持って行って、ガブリと一口、

「────」

 首を曲げて、プーッと吐き出しました。

「あいや、御武家」

 後ろから声を掛けられると、

「拙者か」

 ギョッとし乍ら、悪びれた色もなく振り返ります。

「その水を呑んではなりません」

 六十近い雲水の僧、何時いつの間にやら飛付いて山浦丈太郎の腕を止めて居るのです。

「御僧、なぜお止めなさる」

「その清水には、毒が投じてござるぞ」

「えッ」

「現にツイ今しがた、その水を呑んで毒にてられ、重態に陥った旅人がござる。幸い愚僧が通り合せ、木蔭に抱き入れて介抱いたしたが、まだ正気が付かぬところへ、又もや人の気配、驚いて飛んで参ると、御貴殿がその水を呑もうとして居られる」

かたじけない」

「病人はそこの木蔭に寝かせて置いたが、愚僧一人では何んとしても手が及ばない。貴殿も暫く看護みまもって下さらぬか」

「心得申した」

 指さす一と叢の木立の中へ、

「御僧、病人は何処どこで御座る」

「それ、その木の下」

 二人は大きな日影を作る木の下へ入りました。が、差覗くまでもなく、其処そこには何んにも見えません。

「あッ」

「どうなされた御僧」

「確かにに寝かして置いた筈だが、ハテ、不思議」

「どんな方?」

「十七八の、まだ前髪立の若い武家で」

「フーム」

 山浦丈太郎は妙に思い当ります。箱根の間道へ、今日に限ってわけ登る十七八の若い武家、それが自分を敵とうかがう、万田龍之助でないと誰が保証するでしょう。

 丁度その時、其処そこから少し離れた草叢の中、大きな断崖を一つ隔てたところに、正体も無い万田龍之助を寝かして、しきりに介抱している女がありました。

「お滝さん、ヘッヘッヘッ、うまくやっているぜ」

「あッ──けえ六親分かい、おどかしちゃいけない、そんなところへ、汚ない面なんか出して」

「汚い面は御挨拶だね」

「こんなところへおびき出して、この若いのを締めたのはお前さんだろう」

 白糸のお滝は、美しい顔を挙げて、押っかぶせるようにめつけました。

「冗談だろう、その武家をおびき出したのは俺だが、締めたのは俺じゃねえ」

「はてね」

「雌の方を知ってるかい、お滝さん」

「知らないよ」

「はてね」

 厄介の貝六も仔細らしく雁首を曲げました。

「こいつは油断が出来ないよ。手柄争いは私と親分達ばかりじゃない。蔭にもっと凄いのが居て、恐ろしい事を企らんで居るに違いない」

「────」

「私も、赤崎さんも、お前さんも、その糸で操られて、銘々一番賢い積りで見得を切って居るのさ」

「誰だい、その糸を引いてる野郎は」

「判らない、少しも判らないから口惜くやしいじゃないか」

 お滝はそう言って二子山ふたごやまのあたりを仰ぎました。もう傾きかけた陽、約束の八月十五日の日没へ一刻半ともありません。


お染の災難


「お女中、待たれい」

 恐ろしく錆の乗った声、おそめはハッと立ちすくみました。

「ハ、ハイ」

何処どこへ行かれる、──は箱根の裏道、女人の身で押し通ると、磔刑柱を背負わされるが承知かな」

 五十日月代、腐った羽二重、朱鞘を落して、麻裏草履ぞうりを浅ましく突っかけた姿は、言うまでもなく浪人者赤崎才市あかざきさいいちです。

「────」

 お染はんと言っていか解りませんでした。とも万田龍之助まんだりゅうのすけが、雲助風の変な男に連れて行かれてから、幻に誘われるような心持で、山から山へ、谷から谷へ、幾里さ迷い歩いたことでしょう。フと気が付いた時は、とある屏風びょうぶ岩の下に崩折くずおれて、無気味な浪人者にマジマジと見おろされて居たのでした。

「ところで、お前のつれの若侍──万田龍之助とか言ったな、──あの男は首尾よく罠に落ちてしまったよ」

「えッ──敵は、敵討は?」

「何を隠そう、俺がその敵だ」

「山浦丈太郎?」

「そうだ、山浦丈太郎とはこの俺のことだ。今では、万田龍之助を生かそうと殺そうと俺の心持一つだ」

「────」

 ヌケヌケとこんな事を言ってのける、赤崎才市の掛引沢山かけひきたくさんな言葉に圧倒されて、お染はただもう轉倒てんとうするばかり。

「あんな小僧をひねっても大した誉れにもなるまい、返り討は日延べとして、随分助けてやらないものでもないが──」

「助けて下さい、あの人を、お願いだから助けて下さい」

 お染は後前の分別もありませんでした。万田龍之助が助かることなら、どんな犠牲でも忍んだことでしょう。

「随分助けてやらないものでもないが、それには望みがある」

「?」

「お前の持っている肌守の中に、蜘蛛の巣のようなものを書いた、絵図面の切れがあるはずだ。それを渡して貰おうか」

「────」

「どうだ、お易い事ではないか、その絵図面一つで、お前の許婚いいなずけが助かるのだ」

「でも、これは母さんが、誰にも見せてはならないと──」

 お染はひしと胸を抱くのです。

「よしよし其処そこに隠してあると言うのか、──見せて悪いものなら、眼をつぶって受取うけとろう、どうだ、これでは?」

 赤崎才市は子供をからかう調子で、眼までつぶって見せるのです。

「いえいえこれは」

 お染は懐を抱いたまま、後に断崖が口を開いて居ることも忘れて、ジリジリと下るのです。

「さてもしぶとい」

 赤崎才市は、長いのをギラリと抜きました。鞘は大禿げちょろですが、中味は思いの外物凄く、夕陽を受けて、焼金のようにギラギラと光ります。

「あれッ」

 お染はもう一歩退きました。

「危ないッ、後は谷だ、──この刀の方が、まだしも極楽だぞ」

 ニヤリと笑う笑いがコビリ付いて、赤崎才市の苦渋な顔に、残酷な悪相がパッと拡がります。

「あれーッ」

 町娘のお染は他愛もありませんでした。

 前後の分別もなく、脅かされた鳥のようにパッと起上おきあがって、麓の方へ──、

「待て待て、聴きわけのない女だ」

 赤崎才市の手が伸びると、お染の帯際を取ってグイと引戻ひきもどしました。パッと燃ゆる紅のもすそ、夕陽が紅葉に反映して、才市の血を好む心をいら立たせます。

「ヒ、人、人殺しッ」

「馬鹿ッ、本街道は近い」

「た助けて──ッ」

 若い最高音を本街道が近いと聴くと、手加減もなく張り上げるのです。

「えッ、面倒、俺を怨むなッ」

 赤崎才市は小手を振りました。紫電一閃、お染は飛び散る血潮の中に、声もなく崩折れます。

 赤崎才市は血振いをして一刀を鞘に納め、娘の死骸を引起して、帯の間をさぐりました。

「無い」

 振り上げた顔、疑惑と失望に歪んだ小鬢こびんのあたりを、シュッとかすった物があります。間髪を容れずに、ダーンと木精こだまを返して鉄砲の音、

「あッ」

 顔をかすめて、プーンと焔硝が匂うのです。

「驚いたか、御浪人」

 近々と高鳴る若い声、振り仰ぐとツイ頭の上、二十尺ばかりの屏風岩の上に、短筒を片手だめしにして、十三四──とも見える少年が笑って居るではありませんか。

「何者ッ?」

 赤崎才市はカッと眼を剥きました。

「箱根近くに住んで俺を知らなきゃもぐりだよ。大磯へ変な手紙を持って行ってやったじゃないか」

「あッ、あの小僧か」

 いつぞや厄介の貝六かいろくと赤崎才市へ、変な手紙を持って来た小僧は、この小柄なくせに妙にませた憎体にくていなくせに何処どこか可愛らしい小僧だったことを思い出しました。

「箱根の海道丸かいどうまるてんだ、──覚えて置いて貰おうか」

「何を小僧

「怒ると上から小便をひっかけるよ、ハッハッハッ、驚いたろう、あわてて逃げたって駄目だよ」

「己れッ」

「そんな女の懐なんか捜ると、鉄砲が物を言うぜ、見るが宜い、南蛮の短筒だ、──その女は、こんな結構なものを持っているくせに、使うことを知らなかったんだ」

「馬鹿ッ」

「俺は鉄砲の撃ちよう位は知ってるぜ。今のは小手調べさ、小鬢をちょいとかすって、傷をつけないところが手際だろう、本当に撃つ気なら、眼玉でも鼻の穴でも喉仏でも、望み次第に撃ち貫いてやる──屏風岩の根を廻って来ようなって駄目さ、大きな声を張り上げりゃ、畑宿まで筒抜けだ、ものの百も数えぬうちに、お役人が五六十飛んで来るよ、今の鉄砲の音で、宜い加減驚いてるんだもの」

「────」

「驚いたか御浪人、尻尾をいて引揚げる方が無事だぜ」

 海道丸の啖呵たんかは虹のようでした。柄も顔も十三四ですが、言うことを聴いて居ると、全くすれっからした大人です。手織木綿もめんの半裸、縄の帯、膝っ小僧を出して、馬の草鞋わらじのようなでっかい草鞋をはいて、足柄山あしがらやまの金太郎を世話に崩したような少年のくせに、んと言う恐しい口でしょう。

 赤崎才市は黙って引揚げました。お染の懐に、狙った密書が無いとすると、この上小僧をからかって、つまらない破綻を招くのは、いかにも馬鹿気て居ります。


貝六の睨み


「大層な勢いじゃないの」

 後から柔かい声、

「あ、姐御か、何時いつの間に来て居たんだ」

 振り返った海道丸の鼻の先へ、近々と白糸のおたきの肌が薫じます。

「鉄砲の音に驚いて来て見たのさ、でも危ないネエ、そんなものを玩具おもちゃにしちゃ」

「大丈夫さ、弾丸たまなんかありゃしないもの」

「まア」

「たった一つ入って居たんだよ、そいつが外れて、あの浪人野郎の鬢の毛を少しむしっただけなんだ、──こんな鉄砲なんか、鳥脅かしにもならないや」

「あッ」

 お滝が止める間もありません。海道丸の手があがると、短筒は大きく弧を描いて、千仞の谷底へ放り込まれたのです。

清々せいせいして宜いやな、──ところで、姐御に頼まれたものを二枚」

 海道丸は腹掛を探って、二枚の絵図面の切れを取出とりだし、皺をのばすように岩の上に並べるのでした。

「まア、うして手に入ったの?」

「一枚は、毒にてられてウンウン言って居る若いお武家の懐から抜いたのさ」

「まア、お前だったのかい」

「一枚はその女が夢中になって、巾着を落して行くから、後をつけて行って拾ったんだよ。それから、山浦やまうらとかいう武家から抜いてやったのと、姐御が自分で持っているのを勘定すると丁度ちょうど四枚だろう、あと三枚──」

 海道丸は小さいてのひらを出して指を折るのです。

「まア、いやに行届ゆきとどくんだね」

 お滝も少し呆気あっけに取られました。

「いやに物驚きをするぜ、もっとも姐御がそうやって、まア、まア──と眼を一杯に見開いたところは馬鹿に可愛らしいんだが」

「まア、呆れたよ、この子は」

精々せいぜい呆れているが宜い、あとの三枚を持って来て、立て続けにそのまアまアって奴を聴かして貰うぜ」

「────」

 お滝も口がきけなくなりました。

「もう陽が落ちるぜ、辻堂の前へ行って待ってるが宜いや、あばよ」

 ヒラリと身を翻すと、屏風岩から一足とびに降りて、あっと言う間もなく、小僧の影は杣道そまみちに消えました。

「姐御、甘くやって居るぜ」

「誰だい」

「貝の字」

 入れ代って、ノソリと立ったのは、厄介の貝六の半裸体、自分の鼻を指してニヤリニヤリと笑うのです。

「貝の字も無いものだ、臭いよ、風上からじゃ、お目通りは叶わないよ」

 お滝はもってのほかの見幕です。

「いやにツンツンするじゃ無えか、ぜいは言わない、あの小僧に振舞ふるまった半分も笑顔を拝ましてくんねエ」

 厄介の貝六はそんな事を言いながら、蟲喰むしくい頭と大きな鼻を、心持前へ突出つきだしました。

「お前さんにはお職過ぎるよ、──退いておくれ」

は箱根の裏道だぜ、お滝、あんまり増長すると──」

「脅かす気かい、おしよ、白糸のお滝には棘があるよ」

「その棘にさされてたいよ、んだ逆上引下のぼせひきさげだ」

 お滝は袖を楯にして、さすがに一歩退きました。

「口説きもうもしねえ、安心して話を聴くが宜い、──な、おい、今あの小僧から受取ったのとその帯の間にあるのと、合せて四枚の絵図面、そいつを吐き出して貰おうじゃないか──」

「────」

「ね、姐御、いやさお滝さん、七万両の小判を一人占めにしようたって、そうは行かねえ。素直にその四枚を投げ出しゃ、俺もあとの三枚は工面するよ、物は相談だ。どうだい」

 貝六は大きな手を頤の上に泳がせて、ジリジリとにじり寄るのです。

「あとの三枚がお前の手にあると言うのかい」

「今は無い、が、持ってる奴は俺の外に二人、んな当りが付いているんだ。七枚集らなきゃ読めない判じものなら、二人持寄もちよって、七万両を手に入れる外はあるめえ、たんと欲しいとは言わねえ、三枚持って分配は三万両、どうだい姐御」

 貝六はひどく下手に出ました。赤崎才市が口ほどにもなく働きの無いのに比べて、お滝は海道丸少年を手先に使って、半日の間に四枚の絵図面を集めた手際の素晴らしさに面喰ったのです。

「御免こうむろうよ、お前さんが当てにしている三枚も、いずれは私の手に入るんだから」

「何を?」

「怒ったって駄目だよ、しっかりふんどしの三つへでも入れて暖めて置くが宜い、お前さんのは一番先に貰うことにして居るから」

「何をッ」

 厄介の貝六も一向睨みがききません。お滝の舌に翻弄されて、掴みかかるほどの勇気もなく、スゴスゴと引揚げてしまいました。


龍之助と名乗る男


「あれが太閤道の辻堂で御座ろうな」

 旅の雲水空善くうぜんは頭の上を振り仰ぎました。巍峨ぎがたる路の果、本街道から木立と山の背に隠れて、ささやかな辻堂が、岩の上に建って居るのでした。

「左様、まで来ればもう大丈夫、失礼乍ら御坊はこれにてお待ち下さらぬか」

 山浦丈太郎じょうたろうは、敵討たれの場所へ、仏弟子をつれて行くことの不穏当さを思って居る様子です。

「どうしても行かれるか」

「いかにも」

「今宵、名月の光に照されて、太閤道の辻堂の前に、五、あるいは七の死骸を見るべしと予想したものがござるが」

 旅の僧が丈太郎のたもとを押えました。

左様さようなことも御座ろうか」

「そこで、御武家の面体には、不祥な事を申すようだが、明かに死相が──」

「敵討たれに行く拙者、死相は当然のことで御座る。武士に取っては、誉れの吉相」

「何んと言われる、敵討たれ?」

 雲水空善は、丈太郎の言葉の意外さに、押えた袂を離して、正面に廻りました。

「今から三年前、この箱根関所役人として、朋輩万田某を斬って立退たちのいたこの山浦丈太郎を斬るには斬るだけの理由があったが、左様なことは孝子の志を妨げる口実にはなるまい、万田某の子龍之助、当年十八歳に相成るのが、八月十五日夜の月の出潮を合図に、あの辻堂にて親の敵が討ちたいと申す、──この上申上もうしあげることは御座らぬ、武士の最後、お妨げ下さるな」

 山浦丈太郎は雲水をかき退けるように、ツイと出るのです。物ごしの静かさ、恰幅の見事さ、人柄の上品さ、雲水空善は、長大息して、この死にに行く武士を見送るばかりです。

「武門の意地とあらば、最早お止め申さぬ、御片付けは出家の役、いずれ骨を拾って進ぜましょう、南無」

 空善は法衣の袖を合せて何やら念ずるのです。

「さらば、頼み入る」

 一礼して山浦丈太郎は、箱根に馴れて健やかな足取り、果し合いの場に臨むたしなみには無いことですが、岩を踏み越えて、一気に辻堂の方へ登ります。

 が、辻堂の前にたどり着いた丈太郎は、まだ誰も来て居ない事に気が付くと、捨石に腰をおろして、暮れ行く相模灘さがみなだを眺めやりました。黄金色こがねいろの夕陽を浴びた山々、その先に碧をたたえた海、すべてが此世このよとも覚えぬ美しさの裏に、次第に明るさを失って、東の空から、薄紫の夕陽を破って、大きな名月が、ツ、ツ、ツと豊かな姿を現わすのです。

「山浦丈太郎、よくぞ参ったな」

 辻堂の後、夕闇を染め出した中から、ヌッと出て来た男の顔は、覚悟を決めて居た山浦丈太郎を驚かすに充分でした。

「貴殿は?」

「万田龍之助──不倶戴天の親の敵、覚えたか」

「何? 貴公が万田龍之助」

「いかにも」

 五十日月代、腐った羽二重、禿ちょろの朱鞘、長刀になった麻裏を突っかけた、三十五六の万田龍之助があって宜いものでしょうか。

「万田龍之助氏は、拙者はまだ対顔しないが、十八九の前髪立の美少年と聞いたが──」

「いや、ツイこの間まで若衆であったよ、前髪を落して急に老けて、こんなに小汚なくなったがのう──」

 ヌケヌケと青髭の跡をさすって笑う不敵さ、

「何んと言う」

「いつまでこの顔を眺めて居ても、老けたものは若くはならぬが、拙者は正に万田龍之助、親の敵だッ、来いッ」

 ギラリと抜いた一刀、万田龍之助と名乗る赤崎才市は、片手上段に振りかぶって、ニヤリと笑うのです。

「意趣を言えッ、次第によっては、相手になろう」

「親の敵──で悪ければ兄の敵、それで気に入らなきゃ朋輩の敵だ。おくれたか山浦」

「それ程に言うなら相手になろう」

 山浦丈太郎は相手の顔色から、兇悪なたくらみを読んで取ると、心にうなずいて一刀を引抜きました。

「いよいよ抜いたな」

おうッ」

「行くぞッ」

 刃の切先と切先が噛み合いました。夕映と月明りとが、中空に入れ代る淡藍色の大気の中に、二条の毒蛇は、伸び、縮み、絡み合い、死闘の一瞬を享楽しているのです。

 その後から、ヒョイと首を出した厄介の貝六、岩を小盾に何方どっちに味方をしたものか──フト迷った様子です。が、丁度山浦丈太郎の背が、自分の前へ無防御のままにさらされると、ツイと小石を拾って、丈太郎のうなじを狙いました。

 それが急所を外れたにしても、小鬢こびんや頬をかすっただけでも、丈太郎の構えに破れが出来て、赤崎才市の邪剣に付け入られるでしょう。

 あわや、──真に危機一髪という時でした。

「あッ」

 何処どこから伸びたか、藤蔓でこしらえた粗末な投げ罠、貝六の首にパッと絡まると、夕闇の中へ、グイと引きます。足元は五六十尺の谷の口、ひとたまりもなく貝六の図体は、崩るる小石と共に、その中に落込おちこんでしまいました。後を静かに塗り潰すのは、音もなく襲い来る夕闇。


七枚の絵図面


 山浦丈太郎と赤崎才市の果し合いは、しばらく続きました。二人とも薄傷うすでを負ったらしく、山浦丈太郎はわけても、頬や腕のあたりにかすり傷を受けましたが、蘇芳すおうを浴びたようになり乍ら、気力を励まして、必死ひっしと切り結びます。

「待った」

 誰やら、谷底から這い上る気合、

「その勝負待った」

 あえぎ喘ぎ、剣戟の中へ割り込んだのは、瀕死の少年を肩にかけた雲水空善でした。

「お、御坊」

 一歩下った山浦丈太郎、それへ噛んで含めるように、

「暫く、その勝負の相手は、これなる若いお武家でござる、まことの万田龍之助殿は、この仁でござる」

 空善は月の中に、死に行く少年武士の顔を曝して見せるのです。

 ドキリとした様子で、少年を避けた赤崎才市、それがうっかり、山浦丈太郎の身近だった事には気が付きません。

かたり者ッ」

 踏み込んだ丈太郎の一刀、赤崎才市を袈裟掛に切って落しました。

「万田殿」

 空善は、心せわしく少年武士を抱え上げます。

「いざ、この首を進上しよう。本懐を遂げられい」

 山浦丈太郎は一刀の血ぶるいをして、雲水の腕の中の少年武士を覗くのでした。

「もう息が無い、一念の力で、瀕死の身を辻堂近く這い上ったのを、幸い拙僧が夕闇の中に見付けまで担ぎ上げて進ぜたが」

「────」

 空善は龍之助の月光にカッと見開いた眼をとざしてやり乍ら、感慨深く言うのです。

「道々、苦しい息の下から、素性を打ち明け、敵討つために辻堂へ──と繰り返して言われたが──南無」

 空善は涙を念仏に紛らせました。月明りに浄化された万田龍之助の死顔は、この上もなくきよらかに見えたのです。

「敵の顔も見ずに──不憫な」

 山浦丈太郎も裏淋しい心持でした。

「何事も約束でござるよ、──討ち兼ねるのは、討ち兼ねるだけの仔細があろう」

「生きて、も一度下界へ還る望みは無い。死出三途の道づれは、この山浦丈太郎が──」

 ハッと思う間に、丈太郎は血刀を逆手に取直して居りました。

「ま、待って、山、山浦様」

 ころがるように飛出したのは、白糸のお滝でした。矢庭に丈太郎の刀持つ手にすがると、

「私も、私も殺して下さい、──この細工をしたのは皆んなこの私、──さる人から聴いた七万両の謎、六本の手紙を書いて、皆んなに集めたのは、この白糸のお滝の仕業しわざでした。七万両の小判を私の手に握って、──三年目で山浦様に逢いたさ」

「────」

 恋と慾との両天秤で、お滝は此大芝居を書いたのでした。その気違い染みた述懐はまだ続きます。

「大久保石見守の子孫が七人、それぞれ祖先からの言い伝えで、七万両の事は知ってる筈、でも、その七人の居る場所が判らなかった、──幸い私に教えてくれる人があって、六人六様の手紙を書くと、案にたがわず皆んな集まって来ました。その六人から六様の絵図面を巻き上げ、私の持って居るのを加えて七万両の隠し場所を捜し出し、──」

 がくりと俯向うつむくお滝、さすがに後は言い兼ねた様子です。

「山浦氏一人を助け、この山をけ出すつもりであったなっ、毒婦、毒婦」

 雲水空善は、珠数をあげてサッと空を払います。

「それに違いはありませんが、山浦様は私如きに目もくれません、それから七万両の金にも、──そして敵を討たれて死ぬ事ばかり考えて来ました」

「三四人の命を虫けらのように断つ女に、山浦氏が目をかけようか、外面如菩薩げめんにょぼさつ

「いえいえ違います、私はいかにも絵図面を手に入れました、が、一人も人をあやめた覚えはありません」

「何?」

 お滝の言葉は予想外でした。

「四人の人は誰かに殺され、絵図面は独りでに私の手に集ったのです。この通り」

 お滝は帯の間から、六枚の絵図面を出して、石の上に並べました。月明りが便たよりですが、六枚は今ったもののようにピタリと合って、真ん中のが一枚だけ欠けて居るのです。

「その一枚はこれだ」

 雲水空善が、懐から出した一枚の絵図面を真ん中に置くと、絵柄はピタリと合って、嫌応いやおうもなく三人の眼を吸い寄せます。


骸骨と黄金


「これが辻堂だ」

 山浦丈太郎は初めて口を開きました。美濃紙一枚ほどの絵図面が、退引のきひきさせず見る人の注意を引き摺って行くのです。

「これが辻堂の後の筍岩たけのこいわだ」

 と空善の指は絵図面を這います。

「──(仲秋望の夜いぬの刻、石筍の影地に落つるところ)──とある」

此方こちらには──(戌亥いぬいに五歩、丑寅うしとらに七歩、石猿を叩いて道自ら開くべし)──とある」

「御坊」

「山浦氏、もとより不浄の宝だが、大久保石見守の血を引く我々をまで導いた上は、このままにもいたしがたい。祖父の罪を償うため、隠したものは世に出し、闇の中のものは天日に曝して、その所を得せしむるのが道で御座ろうか」

 空善は寒々と袖をかき合せるのです。

「参ろう、御坊」

「お滝も来るが宜い」

 二つの死骸に羽織をかけて片手拝みに、三人は辻堂の後に廻りました。時刻も丁度戌刻、筍岩の影の落ちたあたり、わざわざ敷いたらしい一枚石の上から、示された通りの足数を辿ると、道はハタと屏風岩にき当ります。

「お、三猿が刻んである──苔がひどいから、一寸ちょっと解らないが」

 空善は屏風岩の正面の苔を払って、ほのかに見える三猿を指さしました。あまりの薄彫りで、昼の強い光線の下では、却って紛れて見えなかったかも解りません。

「叩いて見ましょうか」

 と丈太郎。

「いや、叩くのは言葉の綾だろう、押して見られるが宜い」

う」

 山浦丈太郎は肩を三猿に当てて、ウーンと押しました。薄傷うすでながら数ヶ所の手傷を受けて居るせいか、なかなか思うような力は出ない様子です。

 とみう見して居た空善は、ハタと膝を叩きました。

「唯押しただけではいけない、この岩は一枚扉になっているが、龕灯がんどう返しの仕掛けだ、だが、樵夫きこりや狩人に触られて、扉が開いては何んにもならない。唯触った位では開かぬように、この通り岩扉の根にゴロタ石が積んである」

 雲水空善は、早くも扉の仕掛を見破ったものか、三猿をきざんだ大岩の前に積み重ねた、ひと抱えほどの岩を幾つも幾つも取除きました。

「これでよし」

 と言った時は、三猿の岩はその根のあたりに、少しばかりの隙間さえも見せて、明かに龕灯返しの一枚扉ということが解ります。

「どれ」

 山浦丈太郎が立って、三猿の左の方、何んにもきざんでないところを押すと、岩はキシミながら動いて、人間がようやく通れるほどの口を開けました。頭の上からは、バラバラと散る小石、土くれ、苔のかたまり。

「灯が欲しいな」

 空善は真っ暗な空を覗きながら言いました。

「今頃で火を点けて、遠方からでも関所役人に見付けられるとうるさい。中へ入って工夫をしましょう。幸い火打道具の用意はある」

 山浦丈太郎は何んの恐れ気もなく、穴の中へズイと入りました。続いてお滝、最後は空善。

 入口に背を向けて、丈太郎は早くも火打鎌を鳴らします。その頃の武家のたしなみで、火打袋と懐中蝋燭ろうそくは持って居たのです。

 心細い灯ながら、それでも四方あたりの様子だけはおぼろ気に判ります。多分火山岩の堆積の間に出来た自然の風穴を利用して、その口をふさいだものでしょう。中の空気なども、やりとして思いの外に爽やかです。

「お」

 真っ先に立った山浦丈太郎が、凝然ぎょうぜんとして立止りました。

「何んじゃな」

 後からさしのぞく空善の眼に映ったのは、白々とさらされた骸骨──しかもボロボロの着物を着け、刀を抱えて悠然と何やらにもたれて居るではありませんか。

「あッ」

 お滝はさすがに悲鳴をあげました。が、次の瞬間、骸骨の凭れて居るのは、幾十とも知れぬ千両箱のうちの一つで、その箱も大方腐って釘が緩んだものか、一方の隅から、吹き立てのように見える小判が、ゾクゾクとハミ出して居ることが判りました。

「あ、灯が尽きた」

 山浦丈太郎は、燃え残る懐中蝋燭を捨てました。細い紐のようになった懐中蝋燭が、今まで燃えて居たのが不思議な位です。

「右の棚──石の凹みの中に、蝋燭がある、百年前のものかも知れないが」

 空善は早くもそんな事まで気をくばって居たのでしょう。丈太郎は大急ぎで手をのばすと、石の凹みにあった二三本の白いものを掴み、まだ足元の岩の上で燃えて居る懐中蝋燭から、灯を移しました。

 百年前の蝋燭が首尾よく燃えると、パッと一時に眼界が開けて、半ば腐った千両箱──三四十もあろうと思うのが、目に入ります。

ず考えよう、いろいろの罪を作って、百年間眠った黄金だ、百年間のねむりから醒めるだけでも、もう四人の生命を犠牲にして居る、この先、幾人の血を吸う事か──」

 空善は冷たい岩に腰をおろして、こんな事を言うのです。


百年越の怨


「ハッハッハッハッハッ」

 不気味な笑いが、何処どこからともなく響きます。三人はお互の顔を振り返って見ましたが、空善も丈太郎も、お滝も、笑うどころの沙汰ではありません。

だよ、解らないのかえ、間抜だなア」

 お滝にはわけても聴覚ききおぼえのある声です。フト天井を振り仰ぐと、二丈ばかり上、岩と岩との隙間から青白い月の光が洩れて、その月の光の中に、面白そうに少年の顔が笑って居るではありませんか。

「まア、海道丸」

 お滝の声には救われた喜びが響きました。こんな陰惨な空気の中で、悪戯いたずらで横着者だった海道丸に逢うのは、決してイヤな事ではなかったのでした。

「安くして貰うまいよ、姐御」

「えッ」

「海道丸には相違ないが、もうお滝姐さんの子分や手下じゃない──相対ずくで物を言うぜ、え、おい、三人」

 海道丸の顔には、不思議に威圧的なところがありました。月の光のせいか、可愛らしい顔が妙に硬張こわばって、表情にも、調子にも、少年らしさなどはもう微塵もありません。

「何を言うんだえ、海道丸」

「フ、フン、まだ気が付かないのかえ、こんな芝居を打ったのは、姐御は自分だと思って居るだろうが、よく考えて御覧、大久保石見守の子孫が、百年後にどうして居るか、一々教えてやったのはこの俺じゃないか」

「────」

「六本の手紙だって、姐御が書いたに違いないが、文句は皆んな俺が教えてやったろう、──その坊さんに、今晩で、五人か七人の人間が死ぬと言ってやったのも俺だ」

「お前は──」

「黙って聴いておくれ、七人へ集めたのも俺なら、七人のうち、若侍の万田龍之助と、厄介の貝六を殺したのも俺だよ、──お染を才市に殺さしたのも、才市をその丈太郎に斬らせたのも、俺の筋書の一つだったんだ」

「海──」

 あまりの事にお滝は立上って手を振りました。月光に半面を照された海道丸の顔は、悪魔的で高慢で、もう先刻までのおもかげもありません。

「第一俺は十三や十四じゃ無えんだぜ、百年越のうらみはらすように、餓鬼のうちから吹込ふきこまれて、根性曲りに育てられたから、一向身体からだは伸びないが、これでも取って十九よ、いい若い者だよ」

 一瞬淋しそうな苦笑いが、海道丸の頬をよぎります。

「お前は誰だ」

 雲水空善は一喝をくれました。

「早くそれに気が付きゃよかったんだよ、坊さんはさすがに智慧がありそうだ、──考えて見るが宜い、大久保石見守の子孫、七家の人間を百年も見張って、敵を討つ折を狙って居るのは、一体誰だと思うんだ」

「────」

「解らないのか、その骸骨の五代目の孫だよ」

「それじゃ、話に聴く石坂左門次の──」

 空善は、何んとなく、ぞっとしました。丈太郎もお滝も、あまりの事に、口もきけません。

「その通り、へ七万両の金を隠してやったばかりに、此穴の中で、大久保石見守に殺された、石坂左門次の孫の子の子だ、──石坂左門次の配偶は、この怨を忘れないように、代々子から子に言い伝えて、大久保家の子孫七人の身の上を調べ抜き、百年目の俺の代になって漸く望を遂げたのだ」

「────」

「お滝姐さんはかしこいようでも人が好いから、俺の考え通りに仕事を運んでくれた。この山におびき寄せて、七人が互に殺し合うように仕向け、あとで七万両を俺がさらって行く積りさ──、七枚の絵図面が無きゃ、俺だってこの穴は解らない、だから、お滝姐御のところに絵図面を集めてやって、その坊主に絵解きをさせたんだ、──穴の入口を開けるのは難しいが、穴の天井には、息抜の小さい穴があると言い伝えられて居るから、お前達がへ入るのを見定めると、俺は外から廻って息抜を捜したんだ、四辺あたりが暗いもの、足の下から灯が射すところを捜し出すのは、わけの無い仕事だぜ──どっこい、飛び付こうたって無理だ、下からまで三間以上ある上、岩の出来が馬鹿に頑丈だ」

 海道丸の言い草は冷酷で高慢でした。

「己れッ」

 我慢のなり兼ねた山浦丈太郎、入口から飛び出そうとしましたが、何時いつの間にやら龕灯返しは外からとざして、岩の扉の外に、先刻さっきの石をしっかり積んでしまった様子です。

「ハッハッハッ。駄目だよ、其処そこから外へ出られるものか、三十人ぐらいかかって、三日も押したら開くかも知れないが──」

 海道丸は、顔を歪めて面白そうに笑うのです。


恐ろしい結末


「十日も放って置くと、三人共餓死するよ、それが嫌なら、一つだけ助かる工夫を教えてやろう」

「────」

 あれからもう一刻位は経ったのでしょう。天井から吐き散らす、呪いの言葉も大方尽きて、深くなり行く夜だけが、穴から射し込む月光の角度でハッキリ読めます。

「俺は、先祖の百年目の命日に、で七人の命をとる事に決めたが、三人の餓死するのを待っているのも馬鹿馬鹿しい。うしようじゃないか」

「────」

「三人のうち、一番後まで生き残ったのを一人助けてやろう──餓死するのを待って居ちゃつまらない、二人を殺したのが助かる事にするんだ。三人でお互に殺し合うんだよ、素晴らしい観物だぜ。大久保石見守の子孫には、丁度宜い仕事だ」

「────」

「どうだい、──一番強そうな山浦丈太郎は、二人をやっ付けて、助けられる気は無いかえ」

「馬鹿ッ」

 丈太郎のいかりは爆発しました。一喝と共に、落ち散る小判を拾って、パッ、と投げましたが、ヒョイと顔を引っ込めてその手には乗りません。

「フ、フ、やるぜ、でも、そんな事をしても無駄さ、姐御はどうだい、その武家と坊主を締める気はないのかえ」

 お滝は悲しそうに上を見やるばかりです。

「坊主でも宜いよ、こいつは見物だぜ」

 空善も黙って袖をかき合せました。

「二人を退治した者に、その七万両の金の半分をやるとしたらどうだ」

「────」

「えッ、免倒めんどう臭い、七万両皆んなやっちまえ、こいつは少し高い木戸銭だが──」

 悪魔の顔は又笑います。

「小僧、黙らぬかッ」

 丈太郎はたまりかねて叱咤しましたが、それはしかし、何程の威嚇にもなりません。

「怒ったか、お武家、それなら頼まない、三人一緒に退治してやる。──気が付くまいが、此天井には仕掛があるんだ、七万両を盗みに入る者のあった時、そいつをひと潰しにするように、四本のくさびを抜けば、岩の天井が一ぺんに落ちるようになって居る筈だ、有難ありがたいことには、先祖の石坂左門次様が、皆んなそれを書き遺してくれたよ」

「────」

「楔は四方に立っている、四つの小さい地蔵様だ。こいつを一つ一つ抜けば宜い、宜いか、そら、一つ、二つ」

「────」

「念仏でも称えるが宜い、これが三つ目だ」

 何やら大きな音をさせて倒すと、小石が天井から雨のように降ります。

「四つ目を抜くよ」

 海道丸の声と共に、お滝は丈太郎にすがり付きました。

「山浦さん、三年越、私は忘れ兼ねました。たったひと言」

「お滝」

 山浦丈太郎の手は、お滝の肩を引寄せて居たのです。お滝の思いの外の善良さが判ると、丈太郎の心の中に、関所役人時代のよしみがえったのでしょう。

「嬉しい、山浦さん」

 二人の激情には構わず、

「いいか、四本目だぞ、こいつは少し固いや」

 海道丸の声と共に、ひとしきり又小石の雨が降りますが、一瞬の後に迫る死も忘れて、丈太郎とお滝は夢心地に顔を見合せて居りました。

「入口の扉の側が宜いぞッ」

 空善は天来の啓示にハッと気が付くと、男女二人の陶酔を破って、グイグイと岩の扉の下に押やりました。

 同時に、ガラガラドシンと天柱地軸も崩るる音、立昇る土けむりに、暫くは何が何やら解りませんが、間もなく、山浦丈太郎とお滝は、自分達だけは無事だった事に気が付きました。

「御坊、御坊」

じゃ、手を、手を貸して下され」

 見ると、岩と岩との間に挟まって、雲水空善は身動きもならぬ有様です。幸い天井が落ちたので、中天の月が明る過ぎるほどよく照して居ります。

「御坊、お怪我けがは?」

「少し重過ぎた、腰が砕けてしもうたらしい」

 振り仰ぐ青い顔、淋しい笑はコビリ付いたまま、死の色が次第に濃くなり行きます。

「御坊」

「約束事じゃ、大久保石見守の子孫の末、七万両の金が身近にあると聴いて、理窟りくつをつけて引寄せられた愚僧に、私心は無かったにしても、出家の心構えでは無かった」

「御出家様」

 千貫の岩に挟まれて、腰から下を泥のように砕かれた雲水空善の手を取って、白糸のお滝は泣くのです。

「石坂左門次の子孫も可哀想であった、が、海道丸は才智に任せて敵を討ち過ぎた、あれ」

 空善のふるえる指先の方を見ると、天上の大岩と一緒に落ちた海道丸は、その岩にひしがれて、襤褸布ぼろきれのようになって死んで居るではありませんか。

「解ったか、お滝殿、山浦氏、これが因果の理法だ──仲よく暮されい、──お二人だけが許されたのだ」

「御坊」

「もうお別れじゃ、さらば」

 二人の縋るに任せたまま、手を合せて仏の名を称える空善の声は、次第に四方あたりの蟲の声に没して行きます。


 七万両の黄金が、江戸へ持出されてうなるか、それにもいろいろ話がありますが、暫く私は、箱根の夜の伝奇に止めようと思うのです。

底本:「野村胡堂伝奇幻想小説集成」作品社

   2009(平成21)年630日第1刷発行

底本の親本:「女軽業師」東方社

   1957(昭和32)年9

初出:「新青年」

   1939(昭和14)年11月~12

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:門田裕志

校正:阿部哲也

2015年69日作成

青空文庫作成ファイル:

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