梅里先生行状記
吉川英治
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二月の風は水洟をそそる。この地方はまだ春も浅い。ひろい畑は吹きさらしている。
昼まになっても、日かげの霜ばしらは、棘々とたったままだし、遠山のひだには、まだある雪が薙刀のように光っていた。
「麦踏め、麦踏め。──芽をふめ、芽をふめ、芽をふめ」
畑のなかで独り言が聞える。寒さと風に対抗しながら、それはだんだん大声となった。麦畑で、麦を踏んでいる老人の唇からである。
むこうの方でも、ふたり程、鍬をもって麦の畝をすいていた。
「老公か。……あのお声は」
ひとりがひとりへふり向くと、鍬の手をやすめ合って、
「はははは。そうらしいな。寒さを克服なさるため、足拍子にあわせて、書物のうちのお好きな辞句でも、吟誦していらっしゃるのであろう」
「いや。……」と、ひとりは耳たぶへ手をあてがいながら、
「麦ふめ麦ふめ。芽をふめ芽をふめ。と聞えるが」
するとすぐそれは聞えなくなって、彼方にいる老百姓が、麦踏みをやめてしまい、こっちを見ているふうである。胸にまでかかりそうな白い髯が、風のなかに著しく光って見える。
「おううい」
やがて聞えてくる声に、ふたりはあわてて鍬の柄を持ちかえ、
「あ。呼んでいらっしゃる」
何はさておきと、駈けだして行った。
「お召でしたか」
ひざまずいた膝のつきよう、横においた鍬のおきよう、ただの農夫ではあり得ない。
主従ともに野良着はつけているが、老百姓のほうなど、なおさらそれに見えなかった。寒かぜに赤くひき緊っている顔は、どこか大人の相をそなえ、大きくて高い鼻ばしらから顎にかけての白髯も雪の眉も、為によけい美しくさえあった。
「林助、悦之進」
「はいっ」
「あさっては、月並の汁講の日になるの」
「左様でございます」
「今月はわしが宅をする当番であったな。みな集まって参ろうな」
「みな楽しみにしております」
「皿、杯などの数が足るまい」
「どういうご趣向にあそばしますか、お小納戸の剣持与平なども、お支度に気をもんでおりましたが」
「趣向など無用。へだてなく語りおうて、ただ一夜をたのしむのが汁講の交わりじゃ。汁には到来の猪があり、菜根にはわしが手づくりの大根、ごぼうもある。……だが、菓子は城下の浙江饅頭を用いたいな。舜水先生のお好きなものであった。先生の故国、明の浙江のそれと風味が似ておるとか。先生逝いてもう十年、お偲びする話題ともなろう」
「ではさっそくお城下の葛屋から取りよせておかせましょう」
「いやいや、自身で求めに出向こう。ここ久しく、城下にも出ぬ。ほかに用事もあるし、そちたちも供するがよい」
老公はもう歩き出している。畑は西山荘の前なので、百歩にして、そこの門までもどれる。
門といってもかたちばかりのもので、住居の屋根は茅ぶき、柱の多くは皮つきの杉丸太、竹の縁、粗土の壁、庄屋の家ほどもなかった。
「これよ、誰ぞおらぬか」
土間へはいって、中櫺子の下の水瓶から水を汲み出し、手足の泥を洗いなどしながら、老公はふり向いていた。
西山荘の主といえば、いうまでもなく、水戸家のご隠居、さきの権中納言光圀とは、この人のはずである。
誰ぞおらぬか──と呼ぶ老公の声をきくと、うす暗い厨の土間の片すみから、むくと身をひるがえして、公のそばへ馳せて来たものがある。
「おまえではない。おまえではない」
公は、左右の手をさしのべて、二頭の鹿の頭をたたいた。
西山荘には、十頭たらずの鹿がいた。みなよく家人に馴れている。老公は鹿につきまとわれながら、御物置とよぶ小屋のなかに、鍬をしまい野良着をぬぎ外して、その隣りの三畳間にはいった。
丸窓の下に、一脚の机がある。
家臣は、ここを御学問所とよんでいた。かれの書斎であり独想の室であった。
小納戸役の剣持与平が、縁づたいに急いで来てその外にひざまずいた。
「いつのまに、畑からおもどりでしたか。少しもぞんじませんでした。……ちょうどご城下よりご家中の牧野惣左衛門どのが見えられて、つい話しこんでおりましたために」
「惣左が来ていたか」
「なにかお願いの儀がありますようで」
「古いあのことであろう。毎度申しおるゆえ」
「そうらしゅうございます。──ずっと以前、老公より惣左へ、お口約束をされた由ですから」
「約束を。はて?」
「いまは会うこと成らぬが、儂が隠居でもした後には、ゆるゆる会ってつかわそう──と、かように惣左衛門どのへ仰っしゃったことがおありだそうで」
「おお、なるほど、出府のみぎり、途上の旅舎で、思い出ばなしから、ふとそんなことを申した覚えがある。──それもはや十年も前なのに、よう忘れずにおるものじゃ」
「惣左どのは忘れても、その日を待って待って待ちぬいておられるお方のほうでは、死ぬるまで、忘れる気づかいはない──と、惣左どのも、肩の重荷にしておられます」
「は、は、は、は。あれもさだめし、生涯の迷惑じゃったろうに。よいよい、こんどは約束を果してつかわそうから、そう伝えて帰せ」
「お目通りをねがいたい容子で最前からひかえておりますが」
「わしもこれから城下まで出かけるところじゃ。供をして来いといえ。途々話そう」
「え、ご城下へ」
その時、土間すそに、小姓の江橋林助と近習の渡辺悦之進の二臣が、野良着を平常のものに着更えて、迎えに立っていた。
「わらじを」
ふたりへいいつけながら、老公もすぐ立った。
ここから水戸の城下までは五里ほどある。老公の健脚にしても半日ではすこし無理。そう考えて、二臣は馬を曳きだしておいた。
老公は、それを見て、
「ひとつ、ご苦労をたのむとするかな」
と、馬へ挨拶しながら乗った。
「お出まし。お出まし」
剣持与平は、広からぬ部屋部屋へ、外から知らせた。
梅の枝の影が映しているそこらの障子や杉戸があわただしく開いて、かれこれ十人以上もある山荘の召使が、みな藁草履をはいて、門のほとりに立ちならんだ。
お下婢もいる、小間使もいる、童子もいる、若侍もいる、老用人もいる。
老公は、百姓馬の背にまたがって、そこを通りながら、
「行って来るぞ」
と、右を見、左へいった。
この西山から白坂へかけては梅の樹が多い。いちめん梅の名所だった。老公は梅がすきなので隠棲の地をここに選んだのであった。──その梅の林を出て梅のなかへ老公のすがたは小さくなってゆく。
「おう、もうあんな方へ」
後からあわてて追いかけて行くのは、本藩の家臣で、今朝から目通りの機を待っていた牧野惣左衛門だった。
江橋林助は二十歳がらみ、渡辺悦之進は二十七、八。
どちらも若い。
そして老公の側には子飼から召使われているものなので、読書の侍坐、畑の百姓仕事、また外出の折も、かならずといってよい程、ふたりが供をした。
「林助、風邪をひいたの」
老公が馬の背からいうと、林助はくさめを放った鼻口へ、あわてて懐紙を当てがいながら、
「はい、どうもすこし。……尾籠をお目にかけました」
「若いくせに、畑へ出てすぐ風邪をひくようでは、いかんのう」
「そんな些細でひいた風邪ではございません」
「ホ、憤然と、大言したな。なんでひいたか」
「寒のうちから、悦之進どのと根競べを約束して、毎あさ暁起して、てまえは素槍千振り、悦之進どのは、居合を三百回抜くという行をやっておりまする」
「ははあ、毎朝暗いうちから、山荘の裏のほうで、犢牛がうなるような声がしていると思うたら、おまえたちか」
「お眠りの邪げになりましたか。恐れいります。あしたからはもっと遠方でいたしまする」
「たわけを申せ。あの頃は、わしはもう風呂所で五体を拭いて読書しておる」
「その風呂所で、実は風邪をひいたのでございます。千回も素槍をしごくと、満身、りんりと汗にまみれて来ますので、毎朝、われわれの下風呂のほうで、水をかぶって、それから着衣いたします。──ところが今朝、例のごとく、ざんざと水をかぶって上がって来ましたところ、大事なものが、紛失いたして見えません」
「大小か」
「いいえ、武士のたましいには違いございませんが、それをつつむものです」
「つつむもの?」
「はい」
「なんじゃ」
「申しあげかねます。……ちと尾籠ですから」
「ははは。和語で申そうとするからいえんのじゃろ。漢音で答えれば何気なく聞えるに。わしが代っていってやろうか」
「お察しがつきましたか」
「犢鼻褌じゃろ」
「そうです」
と、林助は頭をかかえて、
「──そこで、はたと当惑いたし、はて、何者がかくしたかと、探し求めていますと、お手飼の鹿めが、それがしのその物をくわえて、遊んでおりました」
「さりとは、粋狂な鹿よの」
「おのれと、裸のまま、追いかけました。ところが容易に捕まりません。迅足の者を、鹿のようなとはよくいったもので、さんざんにもてあそばれ、あげくに風邪までひいてしまいました」
「秀逸秀逸。近ごろ大出来な鹿ではある。悦之進、鹿のみやげに、いつもの糠煎餅、忘れるな」
「承知いたしました。が、ただいま林助の申しあげた話だけでは、まだ沈着なところがありますが、てまえの実見では、その時、裸のままで鹿を追いかけ廻して持て余していた彼の図は、実におかしいやら、気のどくやらで、何ともいえませんでした。老公へもご覧にいれたいくらいなもので」
「そうであろうそうであろう」
老公はひどく歓んで、右手で膝をたたいた。
徒歩と馬上と、かたちは主従の他行であるが、途々のはなしは、こんなふうに、何の気ごころも措けなかった。──また老公も、こういう仲に生じる心と心の春風を愛するもののようであった。
「そうそう。わたくしのことを左様にお笑いあそばすが、老公にも、時折、お狂気じみた独り言をよく仰っしゃる癖があります。ひとつ二つ、おたずねしてもよろしゅうございましょうか」
林助はくやしがって、馬上の人の白髯へ、戯れかかるようにいった。
「なんじゃ、問うてみい」
「ほかでもありませんが、ただ今も、西山荘をお出ましの折、老公には、召される馬にむかって──ひとつご苦労を頼もうかなどと、挨拶をして、鞍へお手をかけられました」
「ウム。そのことか」
「ひとの背なかへ乗るなら知らぬこと、馬へご挨拶をなさるには及ぶまいと存じられますが」
「そうかな」
「違いましょうか。わたくしの抱く不審は」
「ちがうと思う」
馬は黙々と老公をのせて弛い坂をのぼり坂を降ってゆく。主従の問答を馬耳東風とよそに歩いているふうだった。
里近くなると、田や畑に働いている人影は、遠く老公のすがたを見る者も、近く行き交う老若も、みなあわてて土下座した。──老公はいちいち馬の背から、
「よいお日和」
と、土民同士でする会釈を、同じように気軽に撒いて通った。
「どう違いましょうか」
林助が追求すると、老公は微笑をおさえて、すこし真面目になった。
「わからんか。なんのために日ごろわしと共に百姓しておるか。──わしははや官職を退いて、公には何の益もなさぬ閑人にすぎぬ。その閑人が、わずか五里の城下へまいるに、馬の労を費やしては、勿体ないではないか。馬も日に何升かの馬糧は食うが、これを田に使えば、人以上に耕し、これに担わせれば、汗して荷駄の役をつとめる。……その貴重なるものへ、山荘の一閑人が、鞍をかけて、悠々、労さず道をあるくとはまことに、申しわけないことだ。……馬もし霊智あれば、田畑に働く領民を見よといって、わしのごとき無用人は、背からふり落してしまうであろうに」
「恐れ入りました。そういう思し召でございましたか」
「振落されるのは嫌じゃから、あらかじめ、馬のごきげんを取って乗る。しかし、傍人に怪訝られるほど、それが目立つとすればわしにも到らぬ点がある。以後は気をつけよう」
「ついでに、もう一つ、伺いますが。……きょう畑で麦踏みをなされながら大声で……麦踏め麦踏め芽を踏め芽を踏めと仰っしゃっていたようですが、あれはいかなる御意でしょうか」
「それもすこしそちの勘ちがいであろう。そう申した覚えはない。……ただ、ようやく雪をしのいで青々と伸びかけた麦の芽を、むざと踏む業の傷ましく思われたので、この芽を踏むのも、やがて根に力を蓄えさすためであり、麦の結実を豊かにするためであるぞと、心に弁えを正してやっていたゆえ、つい、芽は踏め芽は踏め、根は張れ根は張れと、声になって口から出てしまったものじゃろう」
「──芽は踏め。根は張れ。そう仰っしゃっておられたのでございましたか」
「麦の芽は、領民の芽、わしが在職中は、また退隠の後も、ここの領土は、領主に芽ばかり踏まれている。──不愍と思う。……その心も手伝うていたな」
林助も悦之進も、咄嗟に、面を厳粛にあらためた。馬上の老公の眼は、土と人に対する愛にみちあふれていた。
「百姓も町人も工人もそちたち侍どもも、さだめしこの世をおもしろおかしく、華奢に遊楽に暮したかろう。──世はいま元禄五年、江戸も京も、他領の国々も、なべてそういう風潮の世であるものを。……ひとりわが水戸だけがそうでない。厳として、芽を踏まれておる。それも久しい」
憮然として老公はつぶやいた。
「根に力を蓄え、望みは、永遠の結実に持て。──そう祷るわしの施政が踏みしめて来た領土。ここの領民は可憐しいものたちよ」
その時、後から追いかけて来た牧野惣左衛門が、ようやく追いついて、
「ご城下口まで、てまえもお供させていただきます」
と、馬上へ礼儀をしてから、馬のあとに従った。
老公はすぐ振向いて、
「惣左、惣左。鞍わきへ参れ。──わしからの返辞は、聞いたか」
「ありがたい思し召。剣持与平どのからうけたまわりました。御意のほど、伝えてあげたら、あのお方も、どんなにお歓びかとぞんじます」
「彼女は……もう幾歳になったかのう」
「五十六、七かと思いますが」
「よい婆だの。子は大勢か」
「お子にはご運がなく、二十歳ばかりのお娘御と、まだ前髪の少年と、おふたりしかございません」
「彼女が、わしの側へ仕えておったのは、わしが二十四、五の頃じゃった。もう四十年近いむかしとなる。……さすがの美人もさだめし変ったことであろう」
「ところで。──ようやくこんどはおゆるしを賜わりましたが、いつごろ雪乃さまとお会いくださいましょうか」
「──左様」
と、すこし案じて、
「早いがよかろうな」
「もとよりお早いに越したことはございません。何せい、雪乃さまのほうでは、二十年やら三十年やら、実に長いあいだを、じっと、おゆるしのあるまでお待ちになっていたことでございますから」
「あさってはどうじゃ、早すぎるか」
「結構でございましょう」
「黄昏から伴れ参るがよい。ちょうどその夜は、例の汁講で、西山の隠宅に、講中の侍どもが打集うことになっておる」
「それはお賑やかなことで、よい機に相違ございませんが、お年は老っても女は女、それに……それにまた……お目通りする事がらが事がらでもございますゆえ、いかがなものかと存じますが」
「なんのなんの、世間へ憚ることも、羞恥むことも少しもない。光圀もことし六十五、雪乃も六十路にちかい年。よも、今さら仇し浮名は立つまい」
「では、お旨のまま、雪乃さまへ申しあげておきまする」
馬の前に立って、肩をならべて歩いていた江橋林助と渡辺悦之進は、顔を見あわせてほほえんだ。
いま、うしろ耳に、聞くともなく聞いたはなしから、ふたりは同じことを思い出していた。
──もう古いことだが、今もって家中の者が、時折うわさにする、それは老公の隠れもない艶聞のひとつであった。
敢て、そのひとつと、断らねばならぬほど、老公の青年時代には、幾つもの艶聞がある。
雪乃という奥仕え女中とも、部屋住みの頃、想思をかよわせていたが、この頃から彼の心境に、著しい変化が来ていた。
(恋のために恋死なん)
と、いうような情熱が、二十歳をこえた一頃の彼には、放縦、狂躁、浮薄なかたちをもって、不良質をひどく素行にあらわしていたものだったが、それが雪乃と恋をするようになってから、
(恋は路傍の花。──恋を摘むは男の道草)
と、いう風な軽い考え方に変って来たのであった。
うち気な、純情な、いやしくも貞操を戯れの火には投げない彼女のきれいな感化にもよるが、その前後、老公の厳父頼房が、厳戒を加えたこともあり、お傅役の小野角右衛門が、
「もし、ご改悛がなければ、わたくしは腹を切って、ご先祖さまにお詫びつかまつります」
と、必死に忠諫したことなどもいたく青年の光圀を、考えさせたらしかった。
で、ふたりの恋は、きれいに終ったのである。光圀の姉、糸姫のはからいなどで、雪乃はその後、きれいな身となって、家中の白石助左衛門へ嫁したのであった。
朝まだき、水戸の上市下市は、もう喧騒な庶民風景につつまれていた。馬のいななきも、人のどなり声も、薪のけむりも、あらゆる物のにおいも、旺盛な庶民の欲望と汗から離れているものはない。
「皆はやいな。よく稼ぐ……」
老公は、往還の旅人に交じって、城下へはいっていた。
そして、町屋の殷賑なさまや軒毎の営みを見て、心からうれしそうにつぶやいた。
ゆうべは府外の久昌寺に一泊して、牧野惣左衛門はそこで別れ、今朝早く、二人の供をつれて出て来たものであった。
下町まで一緒に来た寺僧が、
「山門のお客様です」
といったので、木戸の役人も、老公とは気もつかない容子であった。
老公もまた供の衆に、こうかたく口止めしていた。
「隠居の身が、のこのこと、城下へ参って、要らざる眼をひからしておるなどと聞えては、藩主を初め、諸役人の気づまりに違いない。知れぬ限りは微行して、臨機に、さり気なく通りぬけようぞ」
西山へ退隠後、城下へ来たのは、わずかこれが二度目ぐらいなものであった。その一度は、公然お城へはいって、現在の藩主である自分の世子綱条に会って、ねんごろに向後の施政──内治外策について諭すところがあったという。
「わしはすでに世外の無用人。国力の興るも亡ぶも、一におん身の統べひとつにあるぞ」
世子綱条の襲封と同時に、こういい渡してあるので、かれは一切の政務から身を外に措いていた。
いまの藩情は、決して無事安泰なものではない。内にも外にも、多くの難事が横たわっている。けれどそうして全責任を綱条へ負わせたほうが、はやく彼を威信づけるものだし、またそれが王道の正しいすがたであるとも老公は信じていたにちがいない。
「悦之進」
老公は供の者をふり向いた。
乗馬は、久昌寺にあずけて来たので、きょうは気がるな徒歩である。西山の梅を伐って、杖としたのを突いている。けれど、杖を頼るようなお腰ではない。むしろ、途上に不測の事でもあれば、その杖は不逞の者の頭上へ、たちまち一颯、唸りそうな含みを持っていた。
「はいっ。──なんぞ?」
十歩ほど離れていたので、悦之進と林助は、老公のそばへ、大股に寄って行った。
老公は、左右の町屋を見まわしながら、
「わしが在城中と、綱条の代になってからと、城下の繁昌は、どう見えるな、さびれたか、盛んになって来たか……?」
「おそれながら、較べものになりません、何といっても領民は、大柱とたのむお方のご退隠に、気力を落しておるように見られます」
「では、さびれた方か」
「陰気になりました。以前と変りなく町々はうごいて見えますが、庶民のすがたに何か元気がないようで」
「なぜじゃろう」
「むずかしい儀で、われわれ若輩などには、お答えする知識をもちませぬ」
「ウム、む」
無理もないというように老公はうなずいた。
すると本町の辻で、はたと、目のさめるような美しい娘に出会った。白粉気はないが、凛として、しかも嫋かで、文筥を胸に抱いている姿のどこかに初々しさもあって、気品のある武家娘だった。
「……?」
老公ですら、ちょっと目をみはったほどである。なぜなら、ゆくりなくも彼は、二十四、五歳の頃の恋人の貌かたちを、そのままその娘に見て、
──似ている。
と、ふと思い出したからであった。
娘は、若い鶯のように、辻を斜めに、老公のほうへ小走りに寄って来ようとしたが、なぜか、うしろにいた渡辺悦之進が、あわてて顔を横に振ったので、はたと足を立ちすくめてしまった。
何かものいいたげな瞳を、悦之進のすがたへ注いだが、悦之進のあわてた顔いろに、彼女も顔をあからめて、道を曲ってしまった。
老公は、見送ってから、
「悦之進。いまの娘は、たれの娘か。──なぜそちは、素直にあいさつをしてやらなかったのじゃ」
と、かえって、彼の無情をとがめた。
悦之進は、まっ赤になった。恐縮をとおりこした容である。
「申しわけございません」
「それは娘にいうてやれ。わしに詫びることはない」
「路傍ではあり、お供の折、遠慮いたしておりましたが……父と父とが、極く親しくしていたので、それで」
「いずれ、家中の者の娘であろうが、その父親というのは」
「もう世におりませんが、白石助左衛門どののご息女です」
「なに、助左衛門の」
これには老公も驚いたらしい。余りにも、自分のうちに感じていた事と中りすぎていたからである。
似ていたはず。──いま去った娘のどこかに、自分の若かりし頃の恋人にそっくりな面影が見えたのは、偶然ではない。
白石助左衛門といえば、いまは亡き人であるが、雪乃の良人だった者である。
「では。……雪乃の娘か」
「さようでございます」
「そちも独身。許嫁のあいだとでもいう仲か」
「いえいえ。そんな次第ではございません」
「それに似たような程度か」
「……どうも寔に」
悦之進は途方にくれるほど、ただ羞恥んでしまっている。もう三十近いが、その容子は童貞の潔白を証明している。
槍術は天性の上手。剣は真陰流をきわめ、幼年から朱舜水に師事し、また心越禅師に侍座して、侍ひとかどのたしなみは修めた者とは──老公の眼からも、今は見えないほどな彼の困り方である。
「ははは、悦之進、ひどく閉口いたしたな。こんな折には、禅もだめじゃろ。そちの日頃よくいう禅の肚でも──」
「だめですな」
とうとう兜をぬいだ形である。悦之進は、腋の下に汗をおぼえながら、頭を掻いて、一矢酬いた。
「ご老公にはかないません。ご自身のお若いころに、人すぐれてご修行がありましたから」
「いいおるぞよ」
と老公は反らして、林助へ笑いかけながら、
「そちなどはまだわけて未熟、悦之進の学問武芸には見習うても、わき道には見習うな」
と、いった。そして、
「こう町中を連れ立って歩いては、微行も微行になるまい。中食は又左の浪宅にてしたためる。わしは葛屋へ立寄って、饅頭を誂えて後より気まかせに参るゆえ、そちたちは、人見又左の宅で待ちあわしておれ」
と、次の辻をひとり曲って行った。
気がかりにはなるが、老公の意志である。ふたりは老公のすがたが、旧い菓子舗の軒へはいるのを遠くから見届けてから、人見又左衛門の浪宅へ先に行って待つことにした。
老公は、老舗の店がまえをながめまわし、そこの黒い看板に、
とあるのを見出すと、杖を店の土間へ入れて、おおどかに呼びたてていた。
「まんじゅう屋。まんじゅう屋。──誰もおらんのか。商いはしておらんのか」
返辞がない。
そこで老公は、少々、足のつかれを思い出して、折もよしと、店框の端に腰かけていた。
するとひとりのお菰がのっそりと入って来た。裏へでもまわって物をいうのかと見ていると、そうではなく、
「菓子をくれい。おい、店番はいないのか。店番は」
と、さきに呼んだ老公と同じように、奥仕切の中のれんへ向ってどなりだした。
老公の声よりもずんと大きいので、届いたとみえ、奥のほうで返辞がした。倉皇と出て来たのは、老舗の主らしく、
「いらっしゃいませ。どうも失礼をいたしました。店の者をつい近所まで使いに出しましたので。……何をさしあげますか」
大きな塗りのかさね箱の蔭で、手をふき、たすきを外して、それへ坐って出たが、ふと仰ぐと、むさぐるしいお菰が傲然と立ちはだかっているので、
「おまえさんかえ。いま呶鳴んなすったのは」
「おれだよ」
お菰は、おれだが、それがどうしたんだ──といわぬばかり、しばらく無遠慮に主の顔を見下ろしてから、
「菓子をくんな。上菓子を。もらいに来たんじゃねえ、買いに来たんだ。この通り金はある」
と、片方のたもとへ、手を落して、銭の音をさせた。
主は坐り直して、
「売らないよ」
膠なくいった。
「なんだと」
「売らないってことさ」
「ここは商家じゃないのか。客にむかって、そのあいさつは何だ。菓子舗とかんばんをあげておいて、菓子を売らねえという法があるか」
「ある」
「おれをお菰と見くびっていやがるな。金がねえんじゃねえぞ。客に分けへだてをつけるのか、てめえは」
「つける」
「もう承知はできねえ」
お菰は店のまん中へ、片あぐらに腰をすえこんで、かぶり物のきたない手拭をとった。眼も鼻も満足にそろっている顔をたしかに示そうという気らしい。
「見損なっちゃあいけねえぜ、おい。此店のまんじゅうみてえに、白ぶくれに膨れていやがって。那珂川原の勘太郎を知らねえのか、てめえは」
「知っていますよ、だからなおさらおまえに菓子は売れない。しかもわしの家で製る上菓子などは、おまえの口にするものじゃない」
「な、な、なんだと。……白まんじゅうめ、もう一ぺんいってみな」
「金はあるぞ、上菓子をくれ。──それが乞食のおまえさんのいえることばか。菓子などというものは、三食のほかのものだ。三度のご飯をたべる人なみ以上にも働いているおひとに一番たべていただきたいと思っている。菓子舗でも働きがいは欲しいからね」
「なま意気をいうな。商人なら金にさえなれば文句はあるまい。おれも意地だ、何倍にでも買ってやるからこの店で一番の上菓子をつつめ」
「千人の商人のうちには、ひとりぐらいはそんなのもあるだろうが、人間の本性は、そんな呆っ気ないものじゃない。おまえにもその性根はあるだろう。人なみに上菓子が喰べたければ、人なみに働くがいい。人の作った米をむだにたべて、そのお百姓でも口にしない上菓子を喰おうなんて、虫がよ過ぎる、世のなかを小馬鹿にしすぎる。──見りゃあまだおまえさんも三十そこそこの若さじゃないか。その満足な手足を親からもらって、親御にもすまないと思わないのか。出直しておいで、出直して」
すごい眼の玉をむいて、いまにも吠えつきそうな顔をしていた那珂川原の勘とかいうお菰は、ふと、その眼をふせ、首をたれ、片あぐらを乗せていた店框から身を退くと、
「……お喧しゅう」
と、起って、間が悪そうに、
「また、いつかきっと、出直して買いに来る」
どう考えたものか、すごすご去りかけた。
菓子舗の主は、
「お待ち」
と、あわてて呼びとめた。
急に、虎が猫になったように、おとなしく帰り出したお菰の容子に、かえって気味も悪くなったろうし、いい過ぎたとも悔いたのであろう。
竹の皮に、あわてて菓子をつつみ、それをお菰の手に恵んでいった。
「悪くとってくれちゃあいけないよ。何もおまえを辱かしめるつもりでいったのじゃないからな。さ、理がわかれば、わしもそれで満足だ。……多寡が菓子のこと、持っておいで、なあにお代なんぞいらないよ」
「ありがとう」
お菰は、竹の皮を、押しいただいたが、そのまま上がり框へおいて、
「おあずけしておきましょう。何年か先まで──」
ぷいと、風みたいに、立ち去ってしまった。
気の毒そうな顔して、主は、ぼんやりあとの往来をながめていたが、まだもうひとり片端に腰かけていた客がいたことに初めて気づいて、
「いや、どうも、とんだところを。お待たせいたしまして」
いいながらもう主はひどくびっくりしていた。あわてて土間へとびおりている。そしてあとのことばも知らないように、
「……これは、どなた様かとぞんじましたら、西山荘の老公さまでいらっしゃいましたか」
「あるじ」
「はい、はい」
「さように人をみて、客にわけへだてしてはなるまい。いまのお菰がもういちど怒りにくるぞ」
「おそれいりまする」
「だが、そちのいったことはおもしろい。さむらいに武士道、百姓に百姓道、商人にも町人道はあるな。そちの製るまんじゅうはうまいと、朱舜水先生がいわれたのも、そこにおまえの風味もあるからじゃろう」
「何せい、ここはあまり端ぢかでございますから、どうぞ、どうぞ」
「いやいや、すぐもどる。おまえこそ上にいなさい。ここは店、ほかの客も見えように。わしの用向きも、そのまんじゅうだが、いまでも舜水先生がおこのみのように製っておるのか」
「ご註文がございますれば」
「あすの夕刻までに、西山荘へ何ほどか届けてくれい。宵をこえては味が変ろう」
「かしこまりました。……けれどつい今しがたも、あすの夕までに西山荘へそれをお届けするようにと、よそ様から同じご註文がございましたが、どうやら重なりますようで」
「なに、よそからも?」
「はい、白石様の後家で、あのきれいなお嬢さまのいらっしゃるおやしきからで」
「そうか。では、ゆうべのうちに惣左がもうわしの返辞を告げたとみえる。──わしの好物と知ってあす来る折の手みやげに、誂えたものと思われる」
「むだになっても勿体のうございますから、白石様のおみやげだけで、およろしいのではございませんか」
「それで足る。それで足る。わしの用は無用になった。無用人がたまに出てまいればこんなものか、はははは」
老公は一笑してから、
「その使いで、ここへ見えた帰りであったか、白石の後家の娘を、ついそこの辻で見かけたが、なるほど、うわさにたがわず端麗じゃな。年は、いくつかな?」
と、真顔にかえって訊ねはじめた。
自分のことでも訊かれたように、主は、光栄がって、彼女の素行から日頃のことまでを、吹聴してやまなかった。
「お年はたしか、二十歳か、もうお一つぐらいで──」
と、いうことから、
「お名は、蕗さまと仰っしゃいます。もうご婚期でございますが、嫁いでは、母御さまがさびしかろうと、ご孝養なすっていらっしゃるようで」
などと立ち入って語り、その弾みでつい、老公の問いもせぬ世間ばなしにまで渡ってしまった。
「なんでも、ひと様の申しますには、あのおきりょうだし、また女子のたしなみはもとより、薙刀小太刀まで修めているという才媛だから、縁談などは数々あっていいわけだが、それをああしているには、ご孝養のためばかりでなく、ほかに事情があるからだと──こういう人もございまする」
「あろうな。……あってよいわけじゃろ。むなしく佳人に孤愁を抱かせておくはずもない。家中の若いものどもがな」
老公も気散じに相づちを打つ。──が、主の口吻のうらには、どことなく義憤めいたものがあった。
「それなら分っておりますが、事情というのは、そんな浮いたはなしではございません。どうやら、心にもなく、さるお方の義理にひかれて、江戸へ行くことになるだろうとかいうおうわさで」
「嫁にか」
「さ。それがどうも、そうでもないらしいので」
「わけの分らぬはなしだの」
「まったく、解しかねることでござりますが、どうしても、あるお大名の奥仕えにあがらなければならないような破目だとか──実は、白石さまの召使の者からじかに伺いましたが」
「はてのう。世話人はだれじゃな。その口ききは」
「ちと……申しあげかねますが……やはりご家中の、しかも傍からは、指をさせないようなお方の」
「うむ。そうか」
「つまらぬことをお耳に入れましたが、どうぞお聞きながしに」
「いや、何を聞こうと、隠居の身、大事はない」
「粗茶でも一ぷく、奥でさしあげとう存じますが」
「いやいや、人見又左が浪宅で、何がな支度しておるはず」
老公は、身がるに立つと、西山荘へもちと遊びに来い、などといって、葛屋の店から出て行った。
主は、道にまで出て、うしろ姿へいんぎんな礼をした。髯と梅の杖は、町の春日を肩にあびて、あやうげもなく人なかへ紛れてゆく。
「……なんだか、夢のような」
あり得ないことがあったように主はつぶやいた。天下の副将軍とも仰がれたおひとだろうかと、もういちど眼をこらして見直した。
茶ちりめんの頭巾はもう彼方の辻を曲っていた。
やしき町も出はずれる。仙波沼の水が先のほうに少し見えた。水鳥だろう、胡粉を点々とおいたように白い。
「……ここじゃな」
なつかしそうに、老公は杖をとめた。樹木にかこまれた閑寂な門。卜幽居とある朽ちた木額が眼につく。
「又左はもういない」
ここに立ってから、彼はあらためてそう思い直した。卜幽人見又左──そのひとの浪宅はむかしに変らずあるが、そのひとはすでに世に亡かった。
いまいるのは、又左の一子又四郎である。けれど故人のいた頃からの口ぐせで、老公はいまも、又左の浪宅とここを呼んでいた。
柴門をあけて、
「又四郎、おるか」
その老公の声を聞くまでもなく、あなたの母屋から、三名は駈けだして来て出迎えた。
三名とは。
さきにここへ来ていた従者の林助、悦之進のふたりに、又四郎を加えたものである。
「お休み所は、書堂にしておきました」
又四郎はどしどし先へ行く。
老公は、あたりの木々や、庭のたたずまいを見まわしながら、
「結構」
と、うなずいて、家の中央を占めている書斎へ通った。
ふつうの武家の書院とちがい、そこにも次の室にも、書物がたくさんあった。春蘭の鉢、陶器、文房具など、明国物のにおいが濃い。故人卜幽軒の学風や趣味によるものであろう。
「すぐお弁当をめしあがられますか」
いま来たばかりというのに、もう性急に、又四郎は訊く。
老公はひたと坐って、
「まだ早かろう。中食には」
「もう午刻で」
「さようか。さてさて達者なようでも、やはり年よりの足かの」
「粗末な湯漬を支度しておきましたが」
「馳走になろう。……が、むだなものは並べるなよ」
「はい」
退りかけると、
「いそぐには及ばぬ。まず茶をいただこうで、しばらくそれにおれ」
「はい」
「又四郎も当年、もう三十に近いはずじゃの」
「悦之進どのと同年です。恥ずかしい至りです」
「なにが恥ずかしい。そちたちの世ではないか」
「にもかかわらず、かくの如くに、亡父の遺物の書斎に、なすこともなくくすぶっておるので」
「潜心、自分を培って、他日を期しているならよい」
「だめです。鈍才だから」
「鈍才も尊い。黙って、地下百尺にうずもれたまま、事成る日まで圭角を見せぬものは、名利の中に仰がれる才物より、どれほど、たのもしいか分らない」
「そんなのではございません」
又四郎は、無愛想にいう。
亡父の卜幽軒に似て体つきも貌かたちも恰好のよくない青年だ。
おまけにあばたがある。幼少にほうそうを病んだからである。とにかく、人好きのしない、むッつりやさんであった。
(──これでは家老の藤井紋太夫とは、まったくうらはら、合わないで排け者にされたはず……)
と老公も、その顔を、しげしげながめ入っている。
この無愛想者の将来はまだわかるよしもないが、この男の亡父、人見卜幽はとにかく偉かった。
もと丹波の人である。
苦学して、江戸に出、林羅山にまなび京の縉紳にまで知られた。
老公の先代、頼房が抱えて、侍講とし、また光圀も幼少から就いて学んだ。──いやそれよりもっと光圀として忘れがたいことは、かれが十八歳、「大日本史」編修の大業を──国業として思いたった時、
(予に力を添えてくれ)
と、初めてうちあけたふたりの学者のうちの実に一人であったからである。
それも半ばに。
卜幽は、寛文十年に死んだ。
生前、多くは、史業のため、かれは江戸の史館や私邸にいたが、光圀が国許にいるあいだは、卜幽もよく水戸にいた。
かれの死後、一子の又四郎を、報恩の意味で、光圀の家中に養っておいたが、長ずるにしたがって、持前のぶっきら棒から、たちまち藩老の藤井紋太夫と衝突してしまい、紋太夫の一派から忌まれて、ていよく排斥されてしまったものである。
──その棒は、いまも直らない。老公のまえに坐っても、棒のままであった。
このお相手は、膠も世辞もない。坐ってはいるが、いるだけである。
いつまでも、黙っている。
で、自然、あべこべに、老公のほうから話題を出しては、話しかけるようにならざるを得ない。
「又四郎。退役後は、何して暮らしておるか」
「何もしておりません」
「飽かぬか」
「左様にも思いませぬ」
「勉学は」
「学問はちと飽々です。ほどほどにしようと思いますが、何でも、ほどよくは参らぬもので、抛っております」
「なぜ、学問にあいそがつきたか」
「頭でっかちになり過ぎると、五体のつりあいがとれませんから」
「そこまで、そちは学問をやったか」
「ならないうちに、心がけておりますので」
「卜幽の子にも似あわんの」
「つとめて、おやじには似たくないものと、亡父を鑑にしております」
「どういうわけじゃ」
「儒者などというものは、くだらぬものと心得ますゆえ」
「なぜ、くだらぬ?」
「智ばかりに耽って、行が足りません。事、実行にかかると、だらしがないようです。たとえば、江戸表の彰考館──小石川のおやしきの史館などには、大日本史編纂のお係りとして、当代の学者はほとんど網羅されておるでしょうが、まあ、あの仲間をごらんなさい。のべつ末梢的な議論にばかり暮れていて」
「又四郎」
「はい」
「人見のせがれは怪しからぬ、卜幽の子は不肖だと、よう陰口を耳にするが、故ある哉、そちの言は、どうもいちいち僭越すぎるようだの。幼少からわしの側に侍していた其方のことゆえ、わしの前では、甘えていうものとしてゆるすが、人なかではいうな。めったに、そのような雑言は」
「は。いいません。けれど……老公の御まえでは、おゆるし下さい。お気にさわったら切腹を仰せつけられてもかまいませぬ」
「まだ何か、いいたいか」
「いいたいことで、おなかが膨れております」
「いうてみい」
「お家は亡びます。……いまのままでは」
急に、又四郎のからだが、ふしくれ立った。両の肩を二つの瘤みたいにして、そのあいだにふかく首を垂れてしまい、右の手の拳で鼻のあたまをこすった。涙のしずくがぶら下がったからである。
「ははは、なにをいう」
老公が笑い消そうとすると、又四郎は、ぺたと、両手を畳へ落して、
「おわらい事ではありません。お家は亡びます。老公のお目があいているうちは、或いは、ないかもしれませんが、ご老齢に、ふとしたことでもあればたちまち。……」
あとはいい得ないで、額も畳につけてしまった。
一面、棒のように見える又四郎は、その突ッかい棒が外れると、自己の感情をあざむけないむき出しの自分を見せてしまう男らしい。
短所も長所も、知りぬかれている老公のまえでは、わけてもそうらしく、嗚咽して、いつまでも顔を上げなかった。
老公は、あきれ顔に、
「なるほどこれでは、藩老の藤井紋太夫をはじめ、家中の者からも退け者にされたはず、勤め向きでも折合えまい。……さてさて卜幽は、困った駄々息子を遺したものかな」
と、嘆息をもらしたが、果ては、おかしさに、
「湯漬はどうした。又四郎。そろそろ空腹じゃ。湯漬を喰べさせんか」
と、苦笑しながら催促した。
はい、といって立つかと思いのほか、又四郎は首を横に振って、
「さしあげません。てまえの申しあげることを、お取上げくださらなければ、ご飯などさしあげるわけにはゆきません」
頑然と、いい張った。
これには老公もあきれ顔に、
「ひどい兵法じゃな。飯櫃をかくしておいて要求をつき出しおる。いったいそちは、何をわしに望むのか」
「奸賊どもをご一掃ください。さもないと、お家は危ういと思います」
「だまれ」
はじめて色を作して、老公は叱りつけた。
「奸賊とは誰をいうか。御民みな大君のおおみたから、わけても予が膝下よりそだてて労苦をともにし、いま綱条に仕えおる水戸の臣に、奸賊などと名づくるものはおらぬ」
「おります」
「おらぬ」
「ご家老の藤井紋太夫、藤田将監などの一類が、何をもくろみ、何をしているか、老公のお眼には」
「これ」
老公は、横を向いてしまう。
そこにはさっきから、侍座の江橋林助と渡辺悦之進が、又四郎の臆面なしを、はらはらしながら見まもっていた。
「はっ、なんぞ?」
「うるそうてかなわぬ。この棒をわしの眼のまえから片づけてくれい」
「棒とは」
「ここにおる棒のような男」
「はい」
林助と悦之進はすり寄って、又四郎をなだめながら奥へ連れて行った。
「…………」
黙然と、湯漬が出るのを待っているあいだ、老公の面には、棒の無礼を怒るよりも、ひとり自分を責めるような色があった。
「藩の困苦窮乏は、たれが齎したものでもない。この光圀があえて求めたものである」
かれは何事も基本をそこにおいて考えた。故に、それから生じているところの事々に、いまも深く責任を感じている。身こそ西山に退いて、藩政の一切を、嫡子の綱条や重臣たちに委しているが、決して、その自覚からのがれているわけではなかった。
かれが初めて、大日本史の編纂を思いたったのは、十八歳の時だったから、ことし六十五歳、四十七年目になる。
しかもなお、その業は、半ばであった。
それほど大がかりな、また多難な仕事であった。
初め、かれがその抱負を、人見卜幽とか辻了的などという学者たちに諮ってみても、たれもみな、
「お志はよろしいが、いかに副将軍のご威光と財力とをもってしても、そのような厖大な国史の編修など、所詮、いうべくして、できるものではありません。おそらくご成功は望み得ますまい」
と、諫めるばかりで、賛成するものはいなかった。
けれど、かれは、
「自分の一生でやりとげられなければ、二代三代をかけてやる。二代三代でも仕遂げ得なければ、子々孫々にわたっても」
と、誓って着手したのであった。
だからかれは初めから途中の多難も、今日の困苦窮乏にいたることも、知りぬいて、それを甘受している生涯なのである。
(──たれをか恨み、誰をか咎めんや)
藩臣のうちには、いまだにかれの心事もわからず、その事業に対しての不平やら、あげつらいやら、またこういう際にも、汲々と自閥の利と勢力扶植にばかり策謀しているものも多い。──けれど老公の心は、前の一語に尽きている。帰してみな自分の責めとしてながめていた。
──むずかしいもの哉。人心を一におさめるということは。
老齢六十五、何十年来藩政をみて、また天下の枢機にも参じ、いま致仕して、閑にあってもなお、かれはしみじみそう喞たずにはいられない。
わけても。
この日の本に生れ、この日の本に生れたかいを、またと持てない一命に、生きつくし、たのしみ尽し、そして享けた国恩の万分の一でも、あとの国土に遺してゆこうと思えば、なおさらにである。
その仕事も、ひとは自分にくらべて、功利と視る。
かなり有識な大名とか、幕政の参与あたりでさえも、
(水戸どのには、よいお娯みがあってよい。なかなかご財力はかかろうが)
などと、かれの修史の大業も、かれらの普請道楽とか、蒐集癖などとおなじようにいったりする者がある。
まして、より以下の者の無理解は、ぜひがないとするほかはない。
(もしご先代が、あんな途方もないおしごとに、何十年にもわたって、莫大な藩財をお費いなさらなければ、なにもこの富饒な水戸が、いま頃、窮乏していることはないのだ。かえすがえすも老公のご一代で、どれほどわれわれの生活が困苦ばかり強いられて来たことかわかりはしない)
こういう怨嗟は、いまもある。何かにつけてぶつぶつきこえる。
その輩が、いつか結び、党をなして、何かやっている。
まだ、かれ自身が、藩主にすわっていたうちは、それらの不平も策謀も、抑えられていたが、西山へ隠居すると、莚の下のもやしが陽の目をみたように、にわかに萌芽をそだて出して、わが世の春と、事々に、その一派の擡頭と、闇のうごきが、目立ってきたのもぜひなかった。
奸臣どもめ。
党主は藤井だ。紋太夫だ。
当然、その一派に対抗して、また一派が生じかけている。
が、少数だった。
なぜならば、それに激するものはたちまち、失脚するおそれがある。藤井紋太夫の忌避にふれては、江戸在住も国もと組も、その位置にあることはむずかしかった。
それと。
人はだれでも正義にくみすが、正義のために生活まではなかなか捨てて来ない。だから正義派の陣というものは、旗は多いが、人は稀である。
いちばん多いのは、筒井順慶をきめている日より見組であった。これが家中の大多数で、潮あい次第で、時には奸に阿諛し、時には正に組し、流れにまかせて筏を棹さすようにうまくその日その日を渡ってゆく。
正義派の連中が、そのてあいをさして「いかだ組」と称しているゆえんである。
いわゆる奸臣の閥にも、正義をたてとする血気な一部にも、また、いかだ組にも、老公は真実、心の奥で、
「……困ったもの」
と、思っていた。
けれど、憎いやつ、不埒な臣下どもとは、思えなかった。
ひとり罪をおのれに帰しているばかりでなく、彼の眼から見てはまったく、どれもこれも、短所があれば短所なりに、悪心があれば悪心があるなりに、可愛い者たちであったのである。
「──この日の本に生れたありがたさもわからねば、この国土に報じて、一瞬のいのちを、無窮に生かそうとする──長命の法も、さとらぬ憐れなもの、不愍な者……」
事実、そう考えるのであった。何十年来、藩にかかえておいた家臣は、身を退いても、ただ家来、ただ君臣ではなくなっていた。
老公は、大ぜいの子をもった、父という気もちになっていた。
いわんや、その子のうちでも変り者の、人見又四郎という棒のごときは、眼に入れたいほど可愛かったにちがいない。
そのうちに下婢が湯漬の膳をはこんでくる。
悦之進、林助も席にもどって、老公へ給仕する。
膳のうえは。
梅ぼし一ツ、蕗味噌、それに一椀の汁、一皿の干魚。
香のものの干大根を、老公はよい音をさせて噛む。歯はまだ壮者をしのぐらしい。胃欲もふつうである。
「棒はいかがいたしたか」
済むと、笑いながら、すがたの見えぬ又四郎の容子を訊く。
悦之進も笑って答えた。
「醜態をお眼にかけたから、自分で謹慎すると申して、一室のなかに入ったまま出てまいりませぬ」
「泣いたので、間がわるくなったのであろう」
「正言を吐いたのだから、ほかにご無礼はしていないが、つい涙をこぼしたのは、不覚だと嘆いておりました」
「呼んでこい、まいちど」
「参りますまい」
「わしの命じゃと申せ。あしたは西山荘に汁講がある。これより予の供をして来ぬかというてみい」
「はい」
悦之進は、立って行ったが、しばらくすると、それへ戻って、
「謹慎中だから参られぬといいおります」
「強情なやつ。わしから謹慎を命じたおぼえはないが、ゆるすと申せ。予に、機嫌をとらせおる」
ふたたび、奥とそこの間を、悦之進は往復して、
「──それなら、お供してまいると、やっと腰をあげました。強情者は徳です、わたくしにも、さんざん機嫌をとらせました」
と、伝えて、棒の性格についてあれこれと、おかしげに考証していると、老公が眼で、
「おるぞ、おるぞ」
と、ささやいた。
ふと縁をふり向くと、縁のそとに、背なかを屈めて、老公のわらじや杖など、黙々と、沓ぬぎ石にそろえている者がある。
「……いましたか」
悦之進は、口を抑えながら、くすりと失笑する。
棒は、こっちを見もしない。沓ぬぎと並んで、背なかを向けたまま、老公の起つのを、むッつりと待っていた。
「どれ、参ろうか」
縁へ出てもなお、又四郎は無言のままで、老公がわらじの緒を自分でむすぶのを眺めている。
従者三名、四人づれとなった。きのうより暖かい。梅一輪一輪ずつの──句が思いあたる。
久昌寺できのうあずけた馬を曳き出し、その背をかりて、日もまだ暮れぬうち、太田の里までついた。
「ほう、月並祭りか」
老公の馬はすすまなくなった。村道は人混みで喧騒している。手綱をためていると、かえって、馬が人に怯じて飴屋の傘が、老公のからだに傾くほど、道ばたに押しやられた。
「又四郎、又四郎」
老公は、鞍のそばへ、かれを招いて、何かささやいた。
棒は、ひとを掻分けて、老公の馬のまえに立った。
そして突然、彼方の里神楽も黙ってしまいそうな大声をあげて、
「よけろ、よけろっ。大高新右衛門さまがお通りあるわ。大高さまのお馬の前をふさぐのは誰だっ」
すると、馬の上を仰ぐいとまもないように、老幼男女は、いなごのように、わらわら道をひらいた。
老公は、駒足はやく、人ごみを駈けぬけて、
「又四郎、これで心地が、すっぱりしたであろう。気鬱のときは、大声を出すが妙薬である。これからも、何か鬱したら、あのような声を天に向って吐き、胸は、そっと撫でておけよ」
と、いった。
「……はい。仰っしゃるように、気がからりとしました」
又四郎は、笑い顔をふりあげた。もう棒ではない明るさである。
──若い者の気もちをよく知っておいでになる。
かれは心のうちで、頭をさげていた。だが、いまのことは、自分に与えられた意味だけではないように思われた。
率直に、かれは訊ねた。
「もし、ご老公」
「なんじゃ」
「人ごみを追うなら、どう申しても、道をひらきましょうに、何故、特に大高新右衛門の名を呶鳴れと、おいいつけなされましたか」
「その儀か」
と、馬のうえから左右を見て、同じ疑いを抱いていた林助、悦之進へもいうようにいった。
「新右衛門は、当所の郡役人、藩政と里民のあいだにあって、どれほどな威令を持っておるかと、ふと、試みてみたのじゃ。……あのぶんならまずよかろう。総じて、威なければ、令も行われぬ。一郡元締役たるものが通るとあれば、知らねばぜひもないが、知ったら四辺をはらうくらいな威がなくてはならぬものだ。──里民へ徳をほどこしても、平常、威がなければ、善政もあたりまえに思い、感謝のうすいもの。……まずこの辺は、新右衛門にまかせておいても安心じゃろ」
道は暗くなっている。
ゆるい坂。畑や藪かげの平和な燈火。
微風の折々に、薫々となにがなし匂う。野梅であった。
「おや。林助が……はて?」
悦之進がうしろを見る。老公も気づかれて、
「いつのまにか、おらんの。どこで遅れたか」
と、見まわしていた。
江橋林助は、すぐ坂の下から駈けあがって来た。何していたかと訊ねられて、
「この下の河べりに、怪しげな男の影を見ましたので、糺しておりました」
と、答え、
「油断はできぬ」
と、つぶやいた。
聞きとがめて、又四郎が、
「浪人ていの者か」
「いや、旅商人といった」
「ことばは?」
「江戸者」
「ひとりか」
「ひとり」
「何していたのだ」
「脚をいためたので、休んでいるというた」
「変だな。……そしてそのまま戻って来たのか」
「何を問うても、すらすらと答えるし、不審もないので」
「念が足らん。おれが行って、もういちど捕えてみよう」
又四郎が、あとへ引っ返そうとすると、初めて聞えたように、
「やめい、やめい。つまらぬ詮議だては」
「でも。……さきほども仰せられたように、威なければで」
「曲解すな。百姓隠居の往来に、なんの物騒があろう。さなきだに、旅はさびしいもの、故なく旅人をとがめるな」
老公は、馬を降りた。
山荘の門にも、梅が白い。一日見ぬまにもちがっていた。
馬の口輪を曳いて、悦之進は厩へまわる。
薬研を挽く音がしていたが、それがやむと、たちまち召使の影と影がかさなって出迎えに溢れ出てくる。──そして老公のすがたをかこみ、
「お帰りあそばせ」
「おつかれでございましょう」
ぼんぼりの明り、花明り、老公の白い髯を見ただけでも、家中みな明るくなった。
あくる日。
きょうは晩に汁講があるせいか、さしも閑寂な山荘にも、何となく忙しげな物音が洩れている。
たとえば、ぱん、ぱん、誰かが薪を割っている音にしても、出這入りの人の跫いろにも、忙しさがうかがわれる。
だが、こんな日でも、悠長なのは、そこここと退屈なく遊んでいる鹿と、お小納戸の隣りでする薬研の音だった。
一年じゅう薬を刻んでいるのである。お女中でも台所人でも老臣でも若い者でも、手があいている折は、任意にそこへはいって、薬草を刻む。
掟ではない。たった一度、老公からそういわれただけである。ところが、この薬研の薬きざみは、なかなかおもしろいものらしい。
「てまえにも、やらせていただきたいもので」
台所の庖丁人まで、ひまができると、ぬれ手をふいてやりに来る。
ある時、老公もここにあらわれて、居あわせた人々へ、
「みなよくやるのう。いったい何がおもしろくて精が出るか」
と、たずねてみたところ、その答えが、各〻の年齢や職によってまちまちだったので、興がられたことがある。
まず、お書物方の鹿野文八がいうには。
「他念なく、薬きざみをしておりますと、思索がまとまって、日ごろ書物のうえで、疑念をいだいていたことも、書物から離れきったこんなあいだに、ふと、ははあ……そうだったのかと、ひとりでに解けて来たりなどいたします。ですから、薬研もまた、尊い辞書だといえましょうか」
その次に、お徒士の太田九蔵がいう。
「この頃、渡辺悦之進どのについて、すこし槍術の稽古をしていただいています。一心になると、夜半でも、ふいに突き仆された気がして、刎ね起きたりなどいたしまする。──ところがそう凝りつめているときに限って、悦之進どのの、稽古槍にすぐ刎ねとばされます。それを、薬研にむかって、おっとりと、気を練りかえしておきますと、五体に柔軟自在な変通がよみがえって来て、どうも気息のぐあいがよろしいようです」
また。
庖丁人の平九郎はいった。
「てまえはその、老公さまが、このたくさんなお薬草を、ご領内の窮民にお施しになるものと伺いまして……薬きざみをさせていただいておりますと、ご仁慈のお手つだいを勤めているという気もちが、何ともいえず、有難いのでございます。……へい、自分も貧家にそだちましたので、自分の刻んでいる薬が、どんな貧しい親や子のいのちを扶けるだろうかなんて……そんなことを考えているだけでも、何か、薬研に坐っているあいだは、楽しくてなりませんので」
そのほか。
「禅にすわる心地になる」
という老人や、ふかい意味はもたないが、ただ老公さまのおいいつけだから、善い事にちがいないと思っていたしております──と答えたお下婢などもいた。
「なるほど。なるほど」
老公はさいごに、ここの係りである御薬方の鈴木元和に問うた。
「元和、そちもやるか」
元和は、恐縮して、
「いたしません」
老公はまたお医師の宗典をかえりみて、
「そちは、どうか」
宗典も同様、あたまをかいて、
「つい、仕りません」
と、正直にいった。
「そうか、なるほど。……いやそうしたものであろう」
咎めもないが、お賞めもなく、老公はその折、三度も「なるほど」をつぶやきながら書斎へもどった。
──今日、午ごろ。
その薬研の音がしている窓のそとに立って、
「江橋さん、江橋さん。猪はどこに吊るしてありますか」
近所の百姓で、碁の上手な、彦兵衛という男がたずねていた。
そこの障子も明けないで、閉めてあるまま、窓のうちで、江橋林助が、
「猪? ……。ああ、郡代の鷲尾覚之丞どのから、献上なされたあれか」
「それでございましょう」
「それなら、お台所へまわって、庖丁人の平九郎にでも訊いたらよかろう」
「どなたもおりません」
「いないことはない」
「おりませぬ。お下婢にうかがってみたら、こん夜のお客衆にあげる惣菜を、畑へ採りに行っているとかで」
「うるさいな」
口叱言をつぶやきながら、林助は薬研部屋から外へ出てきた。
「猪をどうするのだ」
「やはりこん夜のお客衆に出すのではございませんか。遠くの流れへでもかついで行って、解けと仰せつかりましたので」
「あ。料理するのか。なぜ庖丁人がしないのか」
「老公はお鼻がきくので、もしほかの器に血ぐさいにおいが移ってはいけないからということでして」
「それであんな遠くのほうに置いてあるのか、途方もなく遠くにあるぞ、こっちへ尾いて来い」
林助は、先にあるいて、庭園もほとんど尽きる所の、垣と畑のさかいまで行った。
不用な農具など入れてある捨小屋がある。その中に猪が吊ってあった。
「なるほど大きい。これはわしでもひとりではちと無理だ。江橋さん、坂の下の小川まで、片棒かついでくれませんか」
「きょうはだめだ。きょうみたいなご用の多い日に、薬研のまえに坐っているのでも分るだろう」
「? ……。そういえば、さっきからすこし跛行をひいていなさるようで」
「これでも、よほど我慢しているのだ」
「どうなすったので」
「だれにもいうな」
林助は、袴のすそをまくってみせた。
左のふか股が半分以上も繃帯されている。その白い布には血の斑点がにじみだしていた。
「刀傷のようじゃございませんか。だれと斬り合いをなすったのですか」
「ゆうべだよ。老公のお供をして、白坂の下まで来ると、変なのが、土橋の下にかがんでおる。怪しいと見たから、おれひとり、老公のお馬が坂をのぼりきるまで、土橋をふんで見張っていたところ、そいつも、これはいけないと思ったかとび出した」
「ヘエ……そんな者が、うろついておりますか。もっともこの辺は、水戸様の前は佐竹領で、いまだに佐竹家からたしかに陰扶持をもらっているらしい地侍が多うございますからな。……そしてどうなさいました」
「つい、血気にまかせ、追いかけて捕まえようとしたものだから、相手のやつに、脇差で一薙ぎ、ここを斬られてしもうたわけさ」
「腕のつよい男とみえますな」
「貴さまも敵を賞めるか。いやみんなにも、間がわるいから、外科の柳清友どののほかには、たれにもまだ隠しておるのだ……。知れたら、彦兵衛がしゃべッたと思うぞ」
「いけませんよ。跛行をひいていれば、すぐ知れてしまうことを」
「みんなに知れるのは仕方がないが、老公にわかると、お叱りをいただくからな。お叱りはありがたいとしても、ご心配をおかけするからな」
「てまえも先日、お叱言をいただきましたよ」
「貴さまは、碁が上手いので、よく老公のお相手に召されるが……碁のうえなどでも、お叱言の出ることがあるか」
「てまえのような百姓おやじを、親しくお召しくださるのも、碁ができるためですから、ここは碁盤の上だけと、行儀を守っていればよいのに、つい出すぎたお願いをしたものですからね」
と、彦兵衛は、大きな前歯で笑いながら、あたまを掻いた。
碁のうまい百姓の彦兵衛は、碁の余徳で、たびたび老公のお相手によばれるうち、ふと、欲が出てきた。
それは、日頃にはない欲だったろうが、
(ここの衆は、みんな刀をさしているし、わしもなんとか、刀をさしてみたいものだ)
と、いうことだった。
老公は、気がるなので、碁相手の彦兵衛にもよく隔てなく冗談をいう。で、それに馴れて、ある時、
(こうして、お武家方のなかへ、常々伺いますと、なんだか刀をさしていないと、妙に自分だけが、寝間着すがたでもいるように、気が怯けましていけません。……ひとつ、老公さまからお声をもって、帯刀おゆるしの儀をなんとか、仰ぎたいもので)
と、ねだッた。
老公は、いと易いことと、うなずいて、
(帯刀の手続きは、郡奉行のすること。早速、鷲尾のところへ行って、申し出るがよい)
といった。
彦兵衛は奉行の鷲尾覚之丞のところへ出かけて、老公のお声がかりをかさに、すぐにでも許してもらうつもりで申請した。
すると、覚之丞は、
(うそを申せ、老公がそんなことを、ただ口伝えに仰せられるはずはない。上をあざむく不届き者、彦兵衛に縄を打て)
と、手代へいいつけて、座席から縁先へ蹴落した。
彦兵衛は、両方の手にワラ草履を持ったままで、逃げだして来た。
そして、その足で、西山荘へ駈けこみ、
(お奉行の覚之丞ほど、不浄な者はございませぬぞ。帯刀のことを、願い出ましたところ、老公がなんだといわないばかりで、てまえが、西山荘さまのお内諾でと、かさねて申しますと、いきなり縁先から蹴落して……これこの通りでございます)
と、腰をなでてざん訴した。
老公は、笑って、
(痛いか)
(いやもう、ひどく痛みまする)
(忘れぬがよい)
と、老公は、すこし真面目づくっていった。
(刀をささぬ百姓には、刀をささずともよい境界がある。めぐまれたその気楽さや恩恵をわすれ、ふと見得に刀を身に飾ってみたくなるなど、年がいもないそちの浅慮というもの。──また覚之丞が、わしの鼻息など念とせず、そちを蹴落したのは、郡奉行の職を、大切に奉じたことで、見あげたものじゃ。わしは藩政にかかわりない隠居、わしの頼みでも成らぬことがよく分ったであろう。それで了簡せい)
(……へい。よくわかりました。もう二度とは、身に過ぎた願いはいたしません)
と、彦兵衛が、身をちぢめて、詫び入ると、
(いや、ほんとに、刀のひとつもさしてみたいと、志を立てるなら、ひとの為になるような功を積むがよい。自分のために耕す田畑を、もういちばい拡げて、村じゅうの喰えぬものはみんな自分の鍬ひとつで喰わせてみせるという誓願を立てい。それからだの、そちの望みは)
(はい。はい……)
いよいよ背に汗をうるおしていると、もう一ついわれたというのである。それは、
(彦兵衛。馴れるはよいが、総じて、馬扁で馴れるに止めておけよ。犭で狎れてはいかん。ははは、さあ一局やろう、盤をもて)
あとにも先にも、叱言をいわれたのは、この時だけであるけれど、いまでも思い出すと、ひや汗がながれて来ます──世のなかに老公ほどやさしいお方もないが、老公ほど怖いお方もありませぬ──と、彦兵衛はいま、持ち出そうとする猪をまえに、小屋の口で、そんなおしゃべりを長々していた。
おしゃべりがすむと、彦兵衛は急に忙しそうにして、猪をおろし、片棒の相手をよんで来て、重そうに担って行った。
林助はあとに残って、足の繃帯をまき直していた。すこし佇んでいると痛み出して来るらしい。舌うちして立ちかけた。
「おい。──江橋、おい」
誰か、いけぞんざいに呼ぶ。林助は思いがけない顔して、小屋の横をのぞいた。
莚のうえに、薪割の鉈が一ちょう見える。それと、読み飽かれたかたちの書物が一冊、人間がひとり、膝を抱えていた。
「……又四郎か」
「江橋、坐れよ」
「こんなところで、何しているのだ」
「陽なたぼッこ」
「のん気だな」
「することがないじゃないか。われわれ若い者の為すことがあるかい」
「あるさ、こん夜は汁講だ」
「箒をかついだり、芋の皮を剥いたり、ばかな」
「めずらしく、書を読んでいるな、唐詩選か」
「どうでもいい、そんなものは。それよりは貴さま、なぜ、ゆうべの相手を逃がしたのだ」
「ゆうべの相手とは」
「彦兵衛にはかくしても、おれにはかくせるものか」
「そのことか」
「不覚だぞ、林助。貴さまも軽く考えているか知らんが、ひっ捕えてみたら、きっとそいつの背後にある大きなものが分ったかもしれないのだ」
「逃がしたのは、不覚だったにちがいないが、何もそう大げさなものでは」
「ちがうちがう。老公のご身辺におるものが、そんなあき盲でどうする。いったい老公が、なんのゆえに、副将軍なる位置を退いて、急にご隠居なされたか、そこを弁えておるか」
「綱吉将軍は、老公がけむたいし、老公は事々に、いまの紊れきった幕政に、眉をひそめていらっしゃる。その衝突を、ご自身からきれいにお躱しになったのであろう」
「その程度ならたれも知っていることだ。お身近にいるわれわれでなくても」
「もっと微細にわたれば、綱吉将軍のお世つぎに、老公は甲府どのをおすすめになり、将軍家のご意中では、紀伊どのを望んでおられた。それへまた幕府の嬖臣柳沢吉保が、老公をのぞくために、大奥と将軍家の陰に立ちはたらき、老公をして、身を退くのほかない窮地にまで追いつめたものと──みな観ておるが」
「そんなことも、一徳川家のくだらない家庭問題、老公のあの豪気が、それしきの煩わしさに敗れてお退きになるはずはない」
「では、なんだ?」
「老公はな……」
急に声を落して、又四郎はあたりを見まわした。棒のごとく太い神経の男が、注意ぶかい眼ざしですり寄って来たので、林助はすこし気味わるかった。
「老公のご本心としてはな……林助。徳川家などはいつ亡んでもかまわんという強いお考えを抱いていらっしゃるのだ。正しく家康公のお孫にあたり、またご三家の一として、身は幕府の柱石と生れづいておいでになるが」
「……いいのか、又四郎」
「なにが」
「そんなことを、めッたに口にして」
「貴さまが、幕府のまわし者や、柳沢の刺客でなくば、いってもかまうまい。──それとも、貴さまもまた、わが水藩の毒むし、家老の藤井紋太夫にこびて、柳沢にとり入り、ケチな出世の割前にありつきたいか」
「な、なに。この麺棒め」
「麺棒とはなんだ」
「もういちど、いってみろ。拙者を、武士でないというのか」
膝をつめよせると、手に鉈がふれた。けれど林助は、鉈の柄はにぎらなかった。からだの構えが自然、居合腰になるため、鉈では用をなさないのである。
「ばかだなあ、なにも怒ることはあるまい。──貴さまに限っては、節操を売るような武士ではあるまいといったまでだ」
又四郎は坐ったまま、両股をぐっとひらいて、その膝へ、両の手をつッ張った。自然、猪首が前へ出て、林助の顔とくッつきそうになる。
刀に手はかけたが、林助はその手を、どうにもできなかった。
にらみつけているまに、又四郎のほうは、笑いを浮べているではないか。その顔にはまたなんの邪心もみえない。
「おい、林助え。どうじゃあ」
あばたの一つぶ一つぶがみな笑っているような面をしゃくッて、又四郎はささやいた。
「どうじゃ林助。おれといっしょにやらんか。貴さまの心根を、しかと、この眼が見とどけて、相談するのだ」
「……やらぬかって? なにを」
「老公のおん為に、いのちをさし上げちまうのだ。亡父の卜幽がいただいたご恩返しは、それしかない」
「……?」
「いやか」
「わからない、わしには。老公へいのちを上げるなどということは、日頃のことで、ちっとも、改まったはなしじゃない」
「む、む」
鼻のまわりを、くしゃくしゃにして、又四郎は、狆みたいに笑った。
「偉い。やはり老公のお側にいるだけのものはあるぞ、貴さまは。──その通りだ。おれの口が足らなかった」
頭を下げて、
「いまのままで抛っておけば、きっと水藩は滅亡に瀕する。老公のご安全すらおれは疑っているのだ。のみならず、老公がご一代をかけ、また藩の財力をかたむけたご事業は──あの大日本史の完璧は、まず難しい。幕府の手で、いままでのものは湮滅され、これからの仕事は、弾圧されるにきまっている」
「そうかしら」
「なぜといえばだ。大日本史を大成しようと思し立たれた老公のご主旨はどこにあるか。真の国体のすがたと、君臣のべつを明らかになさろうとしたものだろう。──それと反対ないまの世上と、国土の将来を憂えられて、一藩一身の利害などは考えられずに、あれへ生涯をおかけになったとおれは観る」
「そうだ」
「そうだろう。……とすれば、これは幕府にとって、この上もない反逆だ、家康公のお孫と生まれた老公が、宗家徳川には由々しい異端者といえるのだ。またその幕府の機構によって、子々孫々まで、うごかない官職や領土の所有を約束されている閣僚や大名などにしても、決して歓んでいる者ばかりではない」
「そういわれてみると、老公のきょうまでのご生涯には、われわれ臣下が、ことばにもいえないご苦衷があったようだ」
「それは、なおご余生のこの先までもだ。──しかもご退隠以後、眼に見えない圧力が、水戸を、老公を、押しつめている。このあやうい今を、おれは坐視していられない。いのちをさし上げよう、そう決心したのは、きょうやきのうの覚悟ではないのだ」
「それでおぬしは、無口の不あいそ者になったのだな」
「そうだろう、何しても、怏々と楽しめない。たえず曇天にあたまを押しかぶせられているようなここちから自分を救い出せんのだ。──イヤ、余事にばかり亙ったが、そこでおれの決心はただ一つしかない。江戸へ出て、柳沢吉保に近づき正理を説いて、かれの自決をせまる。もちろん肯くまい……。だからあらかじめ、老公へおいのちをさしあげる覚悟が要る」
「…………」
「江橋、嫌なら嫌といってくれ。同じ心のわれわれ仲間には、よくお家の奸臣紋太夫を斬れなどと、時々、激昂するものがあるが、それはだめさ。紋太夫ごときは、末の末だ。禍いの根本は、もっと大きなところにあるのだから」
燭台を持って出た。
明りのゆらがぬほどに、そっと位置をさだめてから、剣持与平はあとへ退った。
「みな揃うて、お出ましを、あちらでお待ちしておりまする」
きょうに限って、終日、鍬も書物も手にしなかった老公は、湯浴をすまして、夜を待っていたすがたである。
「いま、行く」
手水口へ立つ。宵ちかい軒下へ、鹿の影が、寄って来る。
老公が奥へ去ると、鹿はまたあとを追って、台所のほうへ駈けて行った。
その台所にちかい炉のある部屋から隣りの襖まで抜いて、十二、三名のひとが硬くなってひかえていた。
障子にはまだ夕明りが、蒟蒻色に暮れ残っている。褪せた黒つむぎの羽織、ごわごわな手織の袴、陽にやけた顔など、粗朴一色の座に、二つの美があった。
障子に交叉した梅の影と──客のすべてにある剛毅な風であった。
この風は、いわゆる水戸風である。おのずから老公を慕う若いもののあいだに生れた風である。
縁をしずかな足音が渡ってくる。──老公、と知ると、若ものはみな頭を下げていた。
「そろうたな、よう見えたな。日ごろはみな少将(当主綱条のこと)へ忠勤のこと、陰ながら欣しくぞんじておる」
たれもまだ老公のすがたを仰がない。いつのまにか床の間をうしろに坐ってそういう老公の声を耳に知るだけであった。
「手をあげてよろしい」
老公のことばに、初めて、いっせいに胸が伸びる。──ああお変りもなくと、人々は眼をこらして老公の健康を、その皮膚や眼ざしや髭や語音や、あらゆる容子からさぐり見るのだった。
わかれた親に会うように。
その位置は去っても、君公として、今なお、思いきれぬ敬愛を、ひしと抱いて。
「膝をくずせ、あぐらをくめ。ここは百姓家じゃ。わしもいまは少将の領土の民、おぬしたちも少将の家来、ひとつものじゃ。──それにまた、こよいは遊ぼうという一夕、わしも遊ぶ、みなも肚のそこから遊べ。さあ、くつろげ」
なお、いくらか固くなって、如何はせんという顔いろがみなに見える。剣持与平と渡辺悦之進のふたりが、老公のそばから口添えした。
「おことばにあまえて、気ままになされい。老公はこうしておいでになるのがお勝手なのです」
すると、客のなかの年長者から、
「しからば、おゆるしを」
と、平たく坐り直す。
つづいて、次々に、
「では」
「では」
と、みな膝を楽にした。
そのまえに、膳が運ばれる。幾つか銚子が要所をみて置いて行かれる。
酌人の悦之進と与平が、
「亭主どのに代りまして」
と、座の中にすわり、銚子のつるを把って、そろそろ杯陣へむかいながら、
「こん夜は、申すまでもなく、汁講すなわち無礼講ですから、どうぞ十分に」
と、酌いでまわる。
「やりますぞ、大いに」
ひとりが、うけながら、ふといい出した。
「きょうこれへ参る途中、人見又四郎を誘いに寄りましたところ、きのうのうち、西山荘へお供して来ているとのことでしたが……あの棒殿はどうしましたか」
「そうじゃ、そういえば、棒も見えぬ。林助も見えぬ。悦之進、見てこい」
老公も、もう三、四献は、白髯のあたりへ杯を通わせ出した頃であった。
悦之進はすぐ、ふたりを呼びに立って行った。それにしては、遅すぎると、人々がやや怪訝を抱きかけていた頃──また酒興もいよいよ半酣という頃、
「見あたりません!」
と、悦之進がもどって来て、老公以下、一同へ告げた。
「夕方までは、たしかに二人とも見えたと申しますが、どこを捜してもおりませぬ。新しい草鞋をつけて、ご門そとへ大股に出て行くのを見かけたと、お台所でいう者もおりまする。いずれにせよ、無断で、こよいの事を前に立ち去るはいぶかしい限りと、拙者もご門から十町ばかり出てみましたが、とんと知れないので、空しく帰って来ると、ご門の畔りに、異なものを見かけました」
「異なもの?」
「はい」
みな杯をおいて、悦之進のほうを見た。老公の眼底にすら何か予感を怖れるかのような光がみえた。
「山荘のご門へむかって、左側の畑にあるいちばん巨きい老梅の幹がです。その幹が、夜目にも白くさくりと見事に削がれております。はてなと、近づいてみますと、あざやかな斬りぐちに、
天こうせんを空しゅう
するなかれ、はんれい
と、黒々書いてある筆蹟はたしかに又四郎の書風にちがいありません。そのあとへまた附句のように、
梅のたね
どこへ飛んでも
梅が咲く
と、これはまぎれもなく江橋林助の筆ぐせ。──察するところ、何故か、ふたりして心を協せ、ご当所を逐電いたしたらしく考えられますので」
すると、座中の二、三が、
「やったな!」
当然な思いあたりでもあるように、舌を鳴らしてつぶやいた。
そのほかの者とてもみな、みだりに疑う者はいなかった。老公をめぐる若い者の心と心の結びには、ひとりの行為を、一方では解せないというような不統一なものではなかった。
もちろん老公には分りすぎるほど解っていた。若い者と若い者の結晶は、火山岩の累積に似ている。鬱蒼につつまれて一体の静かな山を成していても、その胎には火を抱いて天地に怒りやすい性情をそなえている。
もし短いあいだの無事ばかり祈って、その怒りをやたらに抑えてゆくと、土壌は去勢されて、万物を生々と繁茂させる力を失う。
また悪くすると、その情熱が、刹那主義の求欲へ走ったり、みずから惑溺を求めて、みずから逸楽に亡ぼうと急いで行ったり、とかく若さと熱と夢のやりばに限りもなく蝕まれる。
いまの元禄の江府や、諸〻の小都市は、そうした弊風に荒みきっていた。もちろん時代風紀は水戸にも蝕い入っていたが、からくもその濁風にみじん染まない若人のみは、老公をめぐって、無上の絢爛、贅たく、享楽、その日ぐらし──などとはおよそ反対な素朴を守りあっていた。
「悦之進、手燭をもて」
老公はそういうと、席を立って縁先へ出た。
はき物をと、求めるらしい容子なので、つづいて立った人々のうちから、ひとりが急いで沓ぬぎへそれをおいた。
「どこじゃ、その梅の木は」
「は。こちらです」
ぼんぼりを持って、悦之進はさきに歩いた。老公の白いひげに明りがゆれて行く。──客の大半も、それ見たさに、畏る畏るついて行った。
「この木でございます」
明りをそれへ近づけながら悦之進は、うしろの老公をふり向いた。
ふた抱えもありそうな古梅。
白緑の斑点がまるで龍のからだのように見えた。切り削がれた幹の生肌二尺あまりの痕へ、墨の文字がながれ滲んでいるのを見つめていると、木の生命が感じられてくる。──いや文字のひとつひとつも哭いているように見えた。
「…………」
老公はそれに対したまましばらく一語も発しなかった。
やや離れて、ひざまずいている人々も、その胸のうちを酌まずにいられなかった。又四郎といい林助といい、実に子飼から老公の手塩にかけられた者たちである。
老公としては、家臣とか下僕とかいう以上に、自分のたましいをふきこみ、自分の信条をもって訓育してきた子弟でもある。
それがいま、日頃の訓誡をやぶって逐電したのであった。あきらかにこれは老公が裏切られたかたちといえる。やりばのない憤りを抱いておられるか。また、老来いよいよ淋しくなるばかりな孤寂を嘆いておられるか。──いずれにせよ人々は、星の下にみな頭をさげて、あまりに老公の佇んでいることが長いので、夜風の冷えを案じたほどだった。
と。ふいに、
「不埒者っ」
大きな声が風を割った。
愕として、みな老公の手を──いや古梅の幹を凝視した。
老公は、抜きはなった脇差のひややかな鉄肌をもみ紙でそっと拭いていた。捨てられた紙に樹液のにおいがする。
又四郎と林助が書き遺したそこの文字は、ひと太刀できれいに幹から斬り除られていた。老公はもうその前を離れて、
「又四郎、林助のふたりは、もとより少将の家臣ではないが、こよいかぎり西山荘の出入りもとめる。みなもおぼえておけよ。両名は勘当した者であるぞ」
いつにない立腹らしい。語気でもわかるほどであった。──が、十歩もゆくとすぐ常の老公にかえって、
「さあ、飲み直そうな。用でもない事のために、せっかくの酒をさました。隠居もこよいは夜もすがら参るぞ」
と、若い者たちのきげんをとった。
もとより身は黄門の高貴にあるし、剛愎な性情なので、ひとに屈したり諂らうことなど知りそうもないが、若い者たちの心をよく酌んで、稀に、自分のほうからきげんをとったり聞き難いことも黙って聞いてやったりするところもある老公だった。
「……や。駕がまいりますな」
山荘の門の内へもどりかけた時である。ひとりがうしろを見ていった。
「なるほど、駕の灯が三つ。……だいぶこれへ急いでくる」
「誰だろうか」
「まだ誰か、不参のものがあったろうか」
人々が、夜風に戦いでくる遠い灯の近づくのを待ち顔に佇んでいると、さきに門内へはいった老公が笑っていった。
「あれはわしの呼んだ客じゃ。汁講は男ばかりと限ってもおるまい。女のなきは、梅の月のないようなもの。面々が余りに虎になって荒れぬよう呼んだ女子じゃ。……しかしその女子がひとりのはずだが、あとは誰かな?」
門から遠く、彼方の梅畑の近くで、駕はとまった。
そのまに老公と若い人たちは、もとの席へもどり、もうそこの明りから談笑の声がもれて来る。──あとに残って、駕の客を待ちうけていたのは悦之進だけだった。
駕の灯はもとの闇へ帰って行く。──それと反対に、三つの人影は、西山荘の門へ近づいて来た。
「おお、惣左どのか」
悦之進から声をかけた。牧野惣左衛門は、何か重箱のような包みをかかえて入って来た。すぐそれを悦之進にわたし、
「これは、雪乃さまのお手土産だそうです。老公のおすきなおまんじゅう、ご披露ください」
と、用向だけをのべてすぐ身をよけた。
見ると、
惣左衛門の退いたうしろには、ふたりの美人がつつましやかに佇んでいた。
ひとりは、たしかにうら若い佳人だが、ひとりのほうは、もう齢にしたら六十にも近い老婆であった。それを美人といっては少し当らないようだが、老婆なるがゆえに美人といえないわけは決してない。
現にいま、悦之進のまえに、すこしすすんで、
「かねがね、惣左どのに仰せくだされて、こよい来い、会うてやるとの、老公さまのおことばに甘え、お約束の頃おいと、参じました者でございまする。──白石の後家、雪乃とおつたえ下さればわかりましょう。よろしゅうお取りつぎを……」
と、小腰をかがめている老女は、美人といわずに何といおう。髪も白い、からだも細い、柳腰もやや曲がってはいる。──けれどその楚々たるすがたは、梅は老いてもなお梅であるように女らしいひとであった。
「承っておりました。老公にもおまちかねです。さあ、こちらへ」
案内に立とうとすると、こよいの紹介役について来た牧野惣左衛門が、
「こちらは、ご息女のお蕗どのです。……その由もあわせて、ご前へ」
と、口を添えた。
お蕗は、母のかげに、寄りそうたまま、黙って礼儀をしただけであった。
悦之進は、なぜか、
「はあ」
とのみで、それには強いて眼をそらしてゆく。案内して玄関から控えに通し、取次にゆくまで、何となくそわそわしていた。
「おや、老公には?」
大勢のいる元の部屋へはいってゆくと、悦之進はまごついた。まるでさっきの様子とは座の景観がちがっているからである。
各〻のまえに行儀よくならべた配膳も、思い思いなところへ運び、大きな鍋のかかっている炉を中心にかたまり合っているのだった。
「悦之進か。ここじゃ、わしもここにおるよ」
ふと見ると、若ざむらい達の黒いあたまの中に、老公の白いあたまが見えた。猪鍋をかこみあって、老公も箸を出しているのである。
「あ、そちらで」
「わしのお客は、見えたか」
「ただいま、お控えまで」
「雪乃と、惣左か」
「さようでございまする」
「まひとりは、誰か」
「ご息女の蕗どのを、お伴れなされましたので」
「ホ……あの娘か」
老公が、思いあたって、そう呟くよりもさきに、
「え、お蕗どのが」
満座の若ざむらいがみな動揺をおこしていた。急に酔が発してきたような顔も見当るし、わざと、さりげない話をとってつけたようにし出す者もあるし、露骨に、
「いよう、思いがけない美人がこのあたりへ匂って来たぞ。猪鍋に天女が天降って来るとは、むかし噺にもない」
と、手の杯を、額のうえに押しいただいて、
「帰妙頂来」
と、さけんで、ひとを笑わす男などもあった。
憂いの多い時代である。しかし憂えているばかりが憂国ではない。
こういう時、ほかの必要も大いにある。
──身命を大事にすること。
ごく手近に、この辺から憂国すべきであろう。自分自分の所有としている身命も実は国有物で、個々のいのちは国のいのちの一分子にすぎない。国の亡ぶ時、自分はない。
まして、侍は。
そこで憂いの多い若い仲間が、稀に鬱屈を伸ばすために、かつてはあったが近頃は絶えていた汁講を復活して、一昨年あたりから月々集まっていた。
ひと口にいえば、大いに喰らい、大いに飲む会である。
政談や誹謗はやらないと規定している。密会ではない、公然の会だからである。気も浩然と養おうという集まりだからである。
「それでは意味がないではないか。この藩政ご窮乏のなかに」
と、初めは、賛成しない者もあったが、それはそれとして会をつづけてくるうちに、いつかおのずから顔ぶれがきまってしまった。
形式を尊ぶものや、口舌だけの憂国家は、いつか来なくなってしまったのである。それらの君子はほかへ行って、
「あれは牛飲馬食の会だ。このご節約の世に怪しからん」
などと相かわらず口舌の憤慨をしているらしいが、その汁講にきまってそろう顔ぶれを見ると、なるほど健康な胃ぶくろばかりだが、その代りに、みな、
「──事あれば」
と、各〻の身命を、ここだけでも一つに固めて、いつなん時でも国のためには死なんというすがたが、そう口に出し合わないでも、明らかに観てとれる人たちばかりだった。
もちろんこの人々の胸にもつ盟いは水戸という一国土だったが、その国土を象として一身にもつ主君として、老公を神のつぎに崇敬していた。
ところが去年、その老公が隠居したので、一時は気落ちもしたが、その折、老公が発した藩士一統への告諭に泣いて、前よりもかえって結束をかため、汁講もつづけられて来た。
そういう若い一かたまりが、少将の家中にあると、前から聞いていた老公は、
「わしも汁講の仲間にはいりたいが、参ってよいか」
と、退隠後、いい出されたことがある。もとより光栄このうえもないが、
「あまり畏れ多いし、若い者ばかりの集まりですから」
と、謹んで断ったものである。
すると老公は、
「わしは老人ではないつもりじゃ。一百姓となっても、大日本史の業がまだあの通り若いではないか。年の数で、若いとか老人とか区別するのはちがっておる。二十歳だい、三十だいでも、幹から芽も葉も出せぬ無気力な輩もおるではないか」
そんな返辞を返して、その後人見の卜幽居に集まりのあった時、顔を出されたことがある。
その時の約束で、
「おもしろかった。そのうち西山荘でも一会やろう」
といったのが、やがて今夜に実現したわけである。生きてゆく国土のさきに、いよいよ多事多端を感じるほど、身を、命を健やかに備えておこうという気もちは、たれよりも老公自身が強かったにちがいない。
けれど所が西山荘であり、余りに老公と身近すぎるところから、初めのうちは、やや固くなっていた今夜の集まりも、折から、美人来るという天来の取次をきいていちどに和み、荒涼たる炉のまわりは、にわかに春の晩になった。
しかし意地のわるい老公は、かれらが、はしゃぎ立つのをよそに、
「そうか。……では、白石の後家も、むすめの蕗とやらも、控えに待たせておけ。茶など与えて」
と、悦之進へいった。ここへ通せとは、いってくれなかった。
すこし雰囲気が沈みかける。座の空気は微妙にうごく。老公は独りおかしく思う。
「さあ、飲まんか」
「飲んでおります」
と、誰かいう返辞までが、平凡になる。
「与平与平、酒部屋からもっと運べ。なに、まだ初めのが半分もあるというか。はて、一向にすすまんなあ。与平、これへ来て、そちも交じれ」
「はい。仰せを、待ちかねておりました」
剣持与平が、酒番をやめて、座に加わる。老公はなお、台所の次をふり向いて、
「もう一名おるのは誰か」
「きょうの猪を庖丁いたした彦兵衛にございます」
「碁敵の彦兵衛か。彦兵衛もこれへ来い。なぜ、壁の隅などへ、そう恐れ入っておるか」
「いつぞや、帯刀おゆるしの件で、失敗をやりましてから、お咳の声を聞いても、あのように恐れ入ってばかりおるので」
「はははは。困ったわからずやだの。叱られたと思うておるのか」
「ちとお薬がききすぎた嫌いでございます」
「叱言の加減も難しいのう。これ彦兵衛、来ぬか、ここへ来い」
「へい。へい……」
「なぜ閾の外などにおる」
「でも。……はい」
「わしと碁を打つ腹がまえで、もそっと入れ。それ、杯じゃ」
「おそれいりまする」
「あははは。ふるえおる。なぜそう卑下するか。そちのみが、刀をさしておらぬからとて、卑下する理由はすこしもない。武士、百姓、何のちがいがある、ただおのずから職分の礼儀だにあればよいのだ」
「はい、はい。ありがとう存じますことで」
「その卑屈癖がいかんのう。よせ、よせ、米つき螽のような癖は。第一、そういじけては、碁がおもしろうなくなる」
「いえ、碁ばかりは、老公さまであろうと、負けられませぬ」
「その気概で、酒ものめ、交わりもせよ。みなにも、昵懇を乞うがよい」
そのあいだに、剣持与平は、若いものの間へ割りこんで、
「てまえ、年は各〻よりも、すこし老っておるが、戦場と、酒の場では、まだ負れをとらないつもりでござる。さあ、端からいただきましょう」
構えると、若いひとりが、
「実盛どの、健気のお手のうちを拝見しよう」
と、座にあった大杯をひきよせて持たせようとした。
与平はすぐ銚子のつるを持って横にさし向け、
「いざ、あなたから」
と酌いだ。
「なんじゃ、おれが飲むのか。……待て待て、そう酌いでは」
「もう弱音でござるか」
「いや、弱音じゃない」
一息には飲みきれないで、二、三度、眼をつぶる。ようやく、大杯を空けて、敵手を見まわすと、与平はもう隣りから隣りへ四、五人も相手をすまして耳をうしろに何か向うと話しこんでいる。
「こら、実盛、卑怯ではないか」
呼んでもだめである。てんで耳がない。大笑いして、ひとりを薙ぎ、もう次のものへ斬りこんでいる。
「こら」
大杯を持って、そのうしろへ坐ったのが、無態に、与平のからだを抱いて、自分のほうへ向け直すと、与平はもう別人のような酔眼を、朦朧とすえて、
「うれしい。実に、こよいは何となく、うれしゅうござる」
と、あらぬことをいい始めた。
酒名人の与平が、巧みに酒のあいだを泳いで、酒と戯れているなと、老公もややほの紅い頬をして、にやにやと眺めていた。
もとより無礼講である。こういう時だと考えたか、片手に銚子鍋、片手に杯と、両方に捧げて、ふらふらと起って来た酔客がある。
「こら、どこへ行く」
側の手が、袴をつかむと、
「老公へ、一杯さしあげに」
まっ直ぐに歩いたが、そのくせ、へたんと袴腰を落して坐った。
「おそれながら」
「ほ。わしにか」
老公は素直に、杯をとって、
「ありがとう。戴こう」
「いえいえ。おあとの、おながれを頂戴いたしたいので」
「後と前、どちらでも、同じことじゃろ」
返してやると、その杯を、額にいただいて、
「時に、ご老公」
「なにか」
「……あ、あなた様は」
「どうした?」
「わかりません。ご……ご老公のお心が」
それまでも、すこしあやしい瞼をしていたが、その若侍は、こういい出すと、ふいに泣き出した。
左の手を、膝から辷り落して、べたと畳へつくと、右の肘で、顔をこすり始めた。
「……なんじゃ、泣きおるのか。はてさて、水戸の若侍には、泣き虫が多いの。又四郎ひとりかと思うていたら」
「いけませんか! 老公」
こんどは、喰ってかかっていう。
「いかにも、拙者は泣き虫です。けれど自分の事では泣いた例しはないつもりでござる。──親の死んだ時と、国を思う時だけだ」
すると、隅のほうで、
「やあ、始まったぞ、大村が。大村五郎八が、老公をつかまえてやりおるやりおる」
これは見ものと、一時はみな眼をそそいだが、酒の座の通例として、局部的な充血はゆるさない。
あっちでも何か爆笑する。こっちの壁のすみでも何か一問題沸騰している。こうなっては、政治にわたってはいけないとか、個人的な誹謗は慎みあうこととか、かねての会則などは、吹き飛んでしまっている。
もっとも、こうなって来たのは、近来の傾向で、その前には、だいぶ講中にも、正体のはっきりしないふた股武士が交じっていたが、徐々、そういうのが去って、選ばれた者だけになった今日では、もうそんな警戒や会則も要るまいというのが、みなの心理に何となく作用していた。
ところで、老公も、あえてそれを咎めず、むしろ共に興じて、
「ほ、ほう。……親の死んだ時と、国を思う時だけは泣くか。さてさて不忠不孝なもの」
「これは、異な仰せを」
と、五郎八という若侍は、変てこに威儀づくろって、
「なぜ、不忠不孝でござるか」
「おまえの泣くという意味は、涙をこぼすということか、痛心するということか」
「もとより、女みたいに、ぺそぺそすることではありません」
「では、大村五郎八は、親にたいしては、親が死なねば痛心せず、国にたいしては、泣く時しか、心をいためぬということになるの」
すると、五郎八のうしろから、
「退っこんでおれ」
と、ほかの者が、押しのけて、代りに老公のまえに坐った。
「拙者は、小西景助で」
「景助か。どうじゃ、まだ酔うには早かろう」
「まだまだ、酔うまでには、至っておりません。おながれを」
「そちも泣き上戸ではあるまいな。……おやおや、五郎八がまだそこに手をついて泣いておる。なにが悲しいのか聞いてやれ」
「てまえが、代りに申しあげましょう」
「ほ。泣き上戸の気もちが、代弁できるほど分っておるのか」
「この一堂におる者の精神は、みな一つです。──老公、あなた様は、なんで副将軍のお職をお退きになりましたか。なぜ、あくまで闘って下さらなかったんですか」
恐い眼をして、小西景助は、老公をにらみつけた。
恐らしい、執こい眼は、酒の力を借りて、なお老公へいいつづける。いや絡み出してくる。
「天下の副将軍……ふふん……あなた様の眼には、塵か芥みたいなものに過ぎますまい。名利……実にくだらんものと仰っしゃるだろう。だが、だがでござる。その任や重しだ。上は、畏きあたりから、下は、われわれ蒼生にいたるまでの、心あるものは、いかに、どれほど、幕閣にひとりの、幕臣ならぬ、純正な日本の臣たる黄門光圀公という……」
眼だけでは足らなくなって、景助はここで老公の鼻を指さして、
「すなわち、あなた様という者がおる──ということに至嘱していたか、あなた様は、お考えになったことがあるか」
と、手を膝へ返すと、一応、唇をなめあげて、ろれつを改めた。
「あるまい!」
「…………」
「ないからこそ、あなた様は、淡々と、官位栄職を、邪魔みたいにぬぎ捨てて、さッさと、こんなところへ……隠居などしてしまわれたのだ。怪しからん」
「怪しからぬか?」
老公は、笑う。そして心配そうに寄って来た剣持与平を見て、
「わしは、怪しからん隠居だそうだ。怒るなと、そちから一杯、ついでつかわせ」
「いや、いらん」
景助は、両手をいっぱいに伸ばして、反りかえった。
「たとえ、老公のお杯なりと、ここのところを、われわれに解らしてくれなければ飲まん。飲むものか」
と、手の癖で、すぐそこらにある他人の杯を手に挙げて、
「さあ、仰っしゃい!」
「なにをじゃ」
「なんで、お退きになったか。隠居などなされたか」
「年を老れば、順にひっこむ。若いものに、あとを譲る。当然じゃろ」
「いや、それは、世のつねのこと。源光圀公ご一人にかぎっては当然とは申されぬ。……な、なぜとあればだ。あなた様というものは、いまの日本に、ただおひとりしかないお方だ。ほかにも、偉そうなのは、たんといよう。柳沢吉保とか、松平なにがしとか、幕閣の諸役人が。……けれど、日本の役人、天下の臣たる人は、あなた様しかおりませんぞ。……」
「過言じゃ、そんなことはない。そんなことはない」
「いいや、そうだ、極々、少数かもしれないが、われわれとか、世の心ある一部では、そういっている。しかるにだ。その唯おひとりまで、身を退いてしまったら、これからさきの世のなかは一体どうなるのだ。……歓んでいるのは、柳沢吉保の一門だけだろう。目のうえの瘤がとれて、もうなんでもできる。……ごらんなさい、とうとう世上の華奢、淫蕩、贈賄、涜職の風。役人は役人で、下は下で、この国をここ十年か二十年で蝕い腐らしてしまいそうなほど、浅ましい世の有様を」
「…………」
寂然、いつのまにか、老公は眼をつむっている。眠っているのかと、景助は、酔眼をみはったが、そうでもないらしいと見ると、いちだん声をあげて、
「なぜ、私利私欲の賊臣と、国を蝕う世の悪風へ、敢然、闘ってくださらなかったかっ。石にかじりついてでも、副将軍というご位置に、しがみついて下さらなかったか。それまでご信念はお持ち合せがないのでござるか。日本はどうなってもよろしいのでござるかっ。……人見又四郎もそれを哭いた。五郎八も哭いた。この景助も哭きます。……水戸の若ざむらいが泣虫なのは、ご老公、あなた様がお悪いのだっ、あなた様の罪だ」
と、景助もあやうく、泣き声になりかけた。
すると──そう遠くではない、ふすま一重かふた間距てたあたりから、琴の音がもれてきた。
「……や、たれが」
「これは、優雅な」
沸いていた酒の座は、急にひそとしてしまった。侃々諤々も、景助や五郎八の悲嘆慷慨も、そこここのすったもんだも、一様に、黙りかえって、十三絃のまろぶ音につれて聞える琴歌にしばし耳をすまし合った。
いづれより
まづ咲きいづる
色を見ん
うゑて花待つ
にはの白菊
琴歌は、二度くり返された。
「オ……宮のお歌」
にわかに皆、坐り直した。
一斉だった。こういう訓練をふだんにしていたかのように、誰彼といわず、ざっと畳の音をそろえて、膝をあらため、襟を正した。
すこし間を措いて、琴の音と歌は、またひとつに流れてきた。
たゞ見れば
なんの苦もなき
水とりの
あしに閑なき
わがおもひかな
これは誰も知る老公の詠じた歌である。諸士はみな首をたれた。
まえの白菊の歌は、老公がかつて水戸の丸山に十景を選んで、淵明堂を建て、また、園をひらいて文雅の集いをした折、京のさる宮家から光圀へ下賜されたお歌だった。
光圀をめぐる若い人々は、このお歌を、どんなに胸にきざんで、愛誦したかしれない。
その情熱は、このお歌のうちにひそむ深意を拝察して、その反歌に、
醜草の いやはびこるも
醜花の 咲き狂ふとて
御門守る われら防人
つたへもつ
天の衛府太刀
すめらぎの御土ぞ御国
まかすべき 醜の世腐えに
根刈りつくして
菊植ゑん 白菊のはな
誰が作ったのか、こう長歌めいたことばに、おのずからな節をつけて、三々五々、水戸の城下を横刀闊歩、一頃は高唱して憚らなかったこともある。
それも老公から、あまり激越はやめいと叱られて、歌わないことになったが、何かにつけ、幕府へ気がねをつかうらしい老公が、彼らは歯がゆくてならなかった。
はからずも今、琴にあわせて、宮のお歌を耳にし、また、老公の自作をあわせて聞いたので、多感なうえに、酒気を沈めている彼等は、泣き虫であると泣き虫でないにかかわらず、頭をふかく垂れたまま、ひとりとして、それをにわかに上げる者はなかった。
琴の音はやんだ。
老公はふすまのほうを見、
「いまのは雪乃か」
と、声をかけた。
ふすまを隔てたまま、遠く。
「みな様のご酒興を、少しはお添えできるかとぞんじまして……。おゆるしを待たずにむすめの蕗に申しつけました。おゆるしくださいませ」
「ほ……弾いたのは、蕗か」
「はい。歌は、年がいものう、ばばが自ら歌いました」
「雪乃。いつも健勝でよいの。むかしながら気のつくことではある。よういたした」
老公は、ふすま越しにいってから、若ざむらい一同へ、
「どうじゃな、そこのふすまを除いてもよかろうか。わしが皆のように若かった頃の知り人じゃが」
と、遠慮しながら訊いた。
もちろん誰にも異存のあろうはずはない。むしろ一同は、老公の慮りを恐懼して、
「われわれどもへ、なんのご遠慮など……」
と、いいたげであった。
老公は、座をかえりみて、
「惣左は、別間か。彼女を伴うて来た牧野惣左は」
「あちらに控えておりますが」
「呼べ」と、いう。
「はい」
剣持与平が立ってゆく。与平は満座の若ざむらいを相手にずいぶん飲んだらしく思われたが、しゃんとしていた。
惣左が導かれて来た。
老公は見て、
「こよいはご苦労」
と、いった。そして、
「──隠居所はこのとおりな手狭、あらためて通す部屋とてもない。それに、いくら年経たあいだにせよ、なお老木にも色香はある。おたがい、ひとの口端に誤られぬよう、会うのも、人中こそよけれじゃ。──お許、あのふすまを開けてくれい」
と、特にいいつけた。
惣左には、その心が、よくわかっていた。
もう四十年もまえの古い恋ではあるが、そのあいだ、相見ぬ日となってからは、ほとんど一度も会っていないふたりである。
だから老公の胸にも、雪乃の心にも、その恋は、なお青春のまま、すこしも枯れずにあるのかも知れない。
また。
かつてのふたりの恋は、きれいであったという。いやきれいなうちに、別離の日が来てしまったのだ。そして雪乃は、臣下の家に嫁した。かりそめにも、ひと妻である。いまは良人も亡い後家にしてもである。
──人なかこそよけれ。
老公の思慮はわかる。あくまで、ふたりのものを、きれいに持ち終りたいのが望みにちがいなかった。
「かしこまりました」
惣左は、いちど答えてから、
「こよい来いとの仰せは、おそらくその辺の思し召もあろうと、雪乃どのにも、篤とお察しのようでございました。ただ今もむなしくお次にひかえているより、何がなお手伝いでもしようかと、私へお諮りなさいましたから、では、お琴でも蔭から聞え上げてはと、私よりおすすめ申しあげたのでございました」
「そうか。……ムム」
さすがに老公のきげんもいと麗しい。
若ざむらい達は、とりちらした膳や杯をもって、各〻、最初に着席したところへもどった。
自分たちがまだ生れない前のはなしである。──老公と雪乃の恋は。その頃、かくれもない問題だったと聞いているふたりの浮名は。
「…………」
青年たちは、どう見るか、粛然と、この古恋の再会に立会っていた。
席がひらかれると、惣左は、次の間のさかいへ寄りそい、ふすま腰へひたと坐った。
「──雪乃どの、蕗どの。ここでお会いくださると仰せられます。おすすみなさい」
そう告げて、左右のふすまを開くと、彼は身を端へ退けた。
雪乃とお蕗の母子は、畳のなかへ沈み入るばかり、両手をつかえていた。
そこの一部屋には、何もなかった。粗壁とひとつの切窓があるだけだった。
それだけに、母子のすがたは、鮮やかに、浮いて見えた。佗びた茶室のなかに、ふたつの仁清の茶碗でも置いてあるようだった。
老公の眼は、ややしばらく、母子のすがたにそそがれていた。どんな思いをなされているだろうか──とまでは考えても、居あわせた人々の若さでは、窺い知ることもできなかった。
「……やれ、久しいのう。さあ入れ。ふたりとも、もそっと寄るがよい」
やがて、老公からの、ことばであった。
ゆるされて、母とむすめは、近々と、老公のまえへ来て坐った。
手ずから杯を与えて、
「幾つになったか」
と、年をたずねた。雪乃は、羞恥ましげに、
「ご隠居さまよりも、七歳下でございましたから、いまもたしか、七歳下でございましょう」
と、ほほ笑んで答えた。
「七歳ちがいであったかなあ」
と、追憶のひとみを、ふと恍惚とさせて、
「あの頃の三、四年は、あとで覚えもないほど、わしの血気は、無我無性じゃった」
「ほんとに、お元気でいらっしゃいました」
「いやいや、元気というよりは、手におえぬ暴君、よくいう不良というほうじゃろう。わしの青年期のひと頃を思えば、これにおる少将どのの家中などは、若いに皆おとなしくて善良なもの」
「そう仰せられますと、いろいろな事どもが、思い出されて参ります。……お父君の大殿さまにおかれても、お姉君の糸姫さまにも、ずいぶんご苦労をおかけあそばしました」
「いや、わしほど親不孝なものは少ない。父頼房の側室久子を母として生れたが、生れ出る時から、父の家庭に、ひと方ならぬ煩いを起したらしい。……それがため父は、悩みに悩んだあげく、妊娠っているわしの母へ。……産むなよ、ひそかに水にして、流産してくれよ……と、泣いていいふくめ、江戸のやしきより水戸の三木仁兵衛が家に身を預けられたものじゃ」
「お産まれあそばす時から、ふしぎなご運命でございましたの」
「まこと、この光圀は、ひとの象をそなえぬうちに、闇から闇へ、ながれ去る身であった。──それがいま六十五齢、実にふしぎな生涯ではあった」
「神の思し召でございましょう」
「仁兵衛夫婦が、あえて主命もものとせずに、わしの母を力づけ、ひそかにわしを産み落させてくれたのじゃが……ひとの心は、たまたま、神業をするものかもしれぬ」
「表向き、三木家のお子と育てられても、お四歳、お五ツと大きゅうおなり遊ばすうち、どこかご気性もお容貌も、臣下の和子たちと異なるので、三木どのの千代松さまは恐ろしい和子かな──と、街でのおうわさも高かったものと、後々、よう皆さまから伺いまする」
「三歳の神童、二十歳だいの駄々馬。少年ごろまでの千代松は──自分の口から申すも異なものだが、まあ、神童のひらめきがあった。坊主の嘘物語などは、すぐ看破していい伏せたものじゃ。……いまでも覚えておるが、五歳、はじめて水戸城に入り、七歳、冠をうけて、将軍家に謁し、晴れて世子となってからは、幼心にも得意であったが、この頃、わしの乳母として、小督という女がいつも側に仕えておった」
「小督さまとは、よいお名まえ。どんなおやさしい乳母様でございましたろう」
「ところが、色が黒うて、ただ男まさりな気丈と、体の逞しいのが取得の乳母じゃ。それをいつも、奥女中たちにからかわれてな、何かにつけ、色の黒いを恥ろうてばかりおった。……ところが冬のある日、雪がたくさん降った。わしは、子ども心に、いつも乳母の卑下に同情していたので、こんな歌を書いて、女中どもの通う杉戸へ貼っておいた──
ふる雪が
おしろいならば
手にためて
小督が顔に
ぬりたくぞある
とな。それから皆、あまり乳母をからかわなくなった。それが、わしが歌を詠みはじめたいちばん最初ものであったやも知れぬ」
ふたりは、ふたり限りしかいないように、話にみが入って、あたりも忘れきッている体であった。
話は尽きない。
あの頃は。あの時はと。
(なんという睦じい景色)
(不幸の多い一生に、こうした知己があったらさぞ……)
人々は、ひそかに羨んだが、よく考えてみると、同じ地におりながら、四十年も相見ることのなかった老公と雪乃であった。
(羨ましいといえるだろうか)
若ざむらい達は、考えさせられていた。──出来るかしらと、自問してみた。
それにつけまた人々は、老公の幼年から弱冠時代の逸事を、幾つか、思い出していた。
みな藩の古老から聞いたことで、そのまま真実かどうかわからないが、まだ眼のあたりいるお方のこと、まちがいはないものと信じている。
老公がまだ八つか九歳の頃だったという。
江戸小石川のやしきの裏、ひろい後楽園のわきに、桜の馬場がある。
昼間、永野九十郎という旧家臣が、能役者の仲間に交じって、宴楽に来たのを、当主の頼房が見つけて、
(武士の体面を穢すもの)
と、手討にした。
その場所は、館から四町も離れている木立の中だった。
晩になって、
(野犬が吠えておる。あの首はどうしたろう)
と、うわさになった。
頼房は、そばにいる千代松(光圀の幼名)に、
(首を取りに行けるか)
と、たずねた。
うなずいたので、頼房は、脇差をさずけて、では持って来いと、試みた。
昼間でも女たちは恐がって行かない場所である。千代松が、そこへ行ってただ困ったことは、人間の首というものが考えていたより重かったことである。
仕方なく、首のもとどりに、縄を結びつけて、ごろんごろんひき摺って帰って来た。
頼房は、そう賞めもせず、そのあとでまた訊ねた。
(もし戦場で、わしが仆れたら、そちはわしを助けるか、どうするか)
すると、千代松は、
(お助けしません。おからだをのりこえて、その敵と戦います)
頼房は、この子はと──その頃から特に愛をふかめ出した。といっても、膝にあまやかすことではない。男親が大愛をもって、一見、愛さざるが如き苦しみを、屡〻、彼に与えたのだった。
そのひとつ。
これも千代松十二歳という夏の七月のこと。
暴風雨のあとで、隅田川の濁流は岸をひたし、壊れた家の材木だの、ひとや家畜の死骸などが流れるのみで、渡し舟すら通わない日だった。
日もあろうにわざわざである。頼房は子を連れて、やしきを出、舟にのせて、河幅のもっとも広い三叉の対岸から、
(もとの岸まで泳いで帰れ)
と、千代松にいいつけた。
随行の面々が、色を失って、
(あまりな……)
と、諫め合うと、
(これしきの苦難に負けるようであったら、世のあら波にはなお克ち得まい。さほどの不器用者なら失うも悔いとはせぬ)
と、奔河のなかへ、子を投じた。
濁浪のなかを、敢然、子が泳いでゆくのを見ると、頼房もすぐ裸になっておどりこみ、彼方の岸へ泳ぎつくまでは、さも心配そうに、身の危険も忘れて、子の闘いを見まもって行ったということであるが──彼の訓育は何事につけこうしたふうであった。
その頃はまだ、こういう大剛な父性の持ち主は、ひとり光圀の父親ばかりでなく、一般の子弟の上にも、大名の家庭にさえも、かなり多く厳存していたものである。
すこし世が下って、元禄となると、
(そんな父親があろうか)
と、誰も疑うくらいになったが、光圀の少年期から青年時代は、まだ、戦国の余風が濃かった。粗野な江戸初期の文物のなかに、尚武剛健を骨とする武人がたくさんいた。
それが、正保、慶安、承応、万治──元禄というように、世が推移してくるにしたがって、世風も士風もおどろくばかり変って来たのである。
正保、慶安は、すこし乱兆すら見えた。戦国の残存者の余憤であった。世潮はとうとうと華奢淫逸へながれてゆくのを見ながら、承応、万治、延宝などのあいだは、一般にただ懐疑的であったといえる。
それが、元禄となると。
もう反動も懐疑もない。ものすべて腐爛美を呈して来たのである。現前の逸楽に世をあげて酔いしれている。──どうにもならないもの。それが今である。
こう観てくると、光圀の父親の訓育も、実は、時代の性格であったともいえるし、少年期の光圀、青年期の光圀、それらの時期にあらわされた個性の象も、半分は、時代の風潮が然らしめたものと解しても不当ではないであろう。
たとえば。
かれが途方もない暴君であったとか、手におえない腕白若様であったとかいうことでも、それだけのものではなく、明けても暮れても、馬にのったり、鉄砲をぶっ放したり、泳いだり、喧嘩したり、剣槍の猛練習では、いつも体のどこかにあざや瘤をこしらえていたり──というような日常を半面に持ち──つねにそれを激励されていたような時代の風が、時にかれを暴れンぼにしたり、我儘者にして躍らせたりしたであろうと思われる。
だから、夜遊びして、門の潜りを閉められると、
(開けなければ、開けて押通るぞ)
と、門の鉄錠をねじ切って、門番を閉口させてよろこんでみたりまた、お附の女どもの中で、二本の火箸をねじ曲げて、
(どんなものだ)
と、威張ってみたり、多分なる茶気と邪気と莫迦らしさをも、その時分の老公には、つつみなく素行に現わされていた。
お附女中などにふれるので、民間の子弟よりも、早熟な傾向があるところへ、学問によって智恵づけるので、この「権現さまのお孫さん」は、いったいに人なみ以上、老成ていたようである。
時代のせいもあるが、年少すでに童色を談じ、小身者はよく猥褻をささやくので、それと語るのを歓び、歌舞伎のまねをしていつのまにか三味線を覚えたり、また、鷹野にでも行く時は、天鵞絨の襟にふくら雀の紋を金糸で縫わせたのを着て、見よがしに歩いてみたり──なにしろ藩中では、いや他藩までも、
(権現さまのお孫にも、とんでもないお胤があるものではある)
と、悪評やら、痛嘆やら、ひどくいわれたものであった。
お傅役の小野角右衛門が、信長の傅役平手中務の忠諫にならって、
(ご改悛なさらなければ、爺は腹を切って、権現さまにお詫びいたしまする)
と、哭いてかれを諫めたというのも、その頃のことで、光圀も共にポロポロ泣いて、
(謝る、謝る。これからはおとなしく勉強する。爺に腹を切られると、わしはさびしい)
と、以後、改悛を誓ったといわれているが、どうしてなかなかひとの諫めなどで素行の改まる彼の性根ではなかったらしい。──おそらくかれの行状に顕著な変化を来したのは、父と共に鎌倉へ旅行した寛永二十年の夏がさかいではなかったかと思われる。
寛永二十年──光圀が十六歳の八月であった。
祖母の一周忌に参列するため、父や家来と共に鎌倉の英勝寺へ詣でた。まことの母にもまさるほど、かれを愛してくれたひとである。
その祖母は、前年の八月に亡くなっていた。それからの一年間、かれは相変らずな素行のあいだにも、朝暮、何千遍、何万遍、
(祖母はもういない)
空を観じたか知れなかった。
それがこんど二度目に、鎌倉の寺へ詣でて、夏木立につつまれた伽藍のなかで、じっと、衆僧の誦経と蝉しぐれの音を耳に、眼をふさいでいたら、忽然と、
(いや、祖母さまは、いなくはない……。たしかにいる)
と、いう考えが、ぽかと、夏雲のように、胸にうかんで来た。
(……どこに?)
と、眼をひらいて、眼のあたりの台座にすわっている鎌倉期の仏さまの、伽藍の天井をつきぬくばかりな、高いおすがたを見あげてみた。
──どこかお顔が似ていらっしゃる。
けれど、かれが心のうちに見つけた祖母は、それでもなかった。
ふたたび眼をとじた時、なおはっきりと、ありかをつきとめた。
(あ、祖母君はいる。なくなったのは、おすがただけだ。ここにいる! ……ここにいた!)
そう知ると、かれは、とめどもなく膝になみだを垂れた。
衆僧の読経が終る。
焼香の順がくる。
父をのぞいては、誰よりもかれが先であった。兄なるひともあったが、その頼重をおいて、かれは幼少の時すでに、水戸家の世子と定められていた。
(光圀。立たぬか)
父に促されて、
(……はい)
あわてて涙を横にこすった。面伏せに、焼香をすまし、座にもどった。
いつになく、しおらしい。
父の頼房が、あとで、
(なにを悲しむか)
と、夜も無口でいるかれを、人なき僧院のひと間でとがめた。
(悲しむのではありません)
と、光圀はまた涙した。
(うれしいのです。祖母君でも母上でも、またお父上でもわたくしでも、人間は亡くなっても、消え失せないものだということがわかりましたから)
(それはどういう意味か)
(身近なおひとが死んでから、初めて死というものを、恐いような、あじけないような、いろいろに考えさせられましたが……きょうふと、そんな恐いものでも、あじけないものでもない。死んだ祖母君といえど、まだここにいるということをつきとめました)
(どこにいると思う)
(ここにおります)
自分の胸を手で示した。
(そちにして、めずらしいことをいう)
頼房はそう深くも問わず聞きながしたが、それからの光圀は、まるでちがって来た。
思索的になった。
九ツの時、将軍の家光から光の一字をもらい、十三で右近衛権中将に任じられていたが、その官位人爵もおかしくないほど、どことなくおとなびても来、また人品もそなわって来た。
それから二年、かれが十八歳の時という。
史記の伯夷伝を読んでいるうちに、大きな感動をうけた。
かれは、自分に兄というものがありながら、兄をしのいで、水戸家を継いでいる矛盾と不当な立場に、つよい自責を感じだした。
その解決と。
動機はちがうが、やはり同じその年、かれはひそかに、生涯の始業を、ひとり胸のなかで構想し始めていた。──のちの大日本史を生む陣痛であった。
やろう。やらなければならないことだ。
自分ならで、たれが、この大業によくあたるものがあろう。
光圀は、心をかためた。
もちろんそこへ到達するまでには、夜の眠るまも、考えに考えぬいたあげくである。
大日本史。
そういう書名はもとより後からのもので、当時、かれの抱いた構想と信条は、
──史を正に照らし、正を史に編み、一系の天子をあきらかにし、一体の国土を、民心に徹底せしめる。
もって、日本の正しいすがたを、昭々と千古に遺し伝え、後々、億兆の臣民が、世々の文化の推移にも、国系国体の大本に惑ったり見失ったりすることのないような、史林の源泉をつくっておく。いや国史の神泉ともいうべき大規模な修史をなしとげておきたい。
年少、十八の光圀が、夢にもったのは、そういう理想に醸された大望だった。
藩の抱え儒者、卜幽人見又左と辻了的のふたりは、ある折、
(どうだ、おん身方も、せっかくの学問を、この大業にうちこめば、死しても、本望であるまいか。わしの志を援けて、共々にやらぬか)
と、だしぬけにそのはなしを、光圀から相談うけたとき、実に胆のつぶれるほど愕いたものであった。
が、どの程度かと、試みに、
(歴史も、おもしろいものですから、折あれば、お筆をとって、何か、書いてごらんになるもよろしいでしょう。いったい若殿には、国史のうちのどのへんの時代をもっともお好み遊ばしますか)
と、たずねてみた。
すると光圀は、
(いや、わしは学者でも史家でもないから、自身で筆を執ろうなどとは考えておらぬ。わしは、お身方のような、博学多識をあつめて、この大業に、扶翼協力させる親柱となるだけのものだ)
(では、よほど厖大なお考えの下に?)
(もちろんである。由来、わが国の歴史としては、中古以前のものに、古事記、日本紀などがあるが、中古以後にいたっては、北畠親房卿の撰せられた神皇正統記のほかにこれというものもない。──また、世につたわる史書の幾多にも、誤れるところもあり、著者の曲筆もまま多い。それらを正して、真の大国史を編修せんと思うのじゃ。──光圀一代で成らねば、わが水藩の業として、世々累代にわたっても)
卜幽も、了的も、唖然として聞いているだけだった。
(どうじゃ、わしの考えは)
かさねて問われたので、ふたりは正直に、
(左様な思し召は、ご理想としては、しごく結構ですが、とても行われるものではありません)
と意見した。
なぜかとの光圀の反問に、人見又左がまず、三つの至難をあげた。
(記紀、六史以下、参考の書籍が世に乏しいこと。また、学者は多いが、史筆の人材は、極めて、稀であること。次に、そういう計画は、まことに当代の盛事にはちがいないが、莫大な費用を要するであろうこと──)
光圀は、すぐ、
(史学の才がないというが、いつでも、人材はないのでなく、人材の出る途がないから出ないのだ。わしがこの大業を創めれば、世をあげて、史才の学徒が輩出してくるに決っておる。次に古書典籍の史料は、案ずるに及ばぬ。わしは無限大な蔵書家を知っている。それは日本という持主である。この国にある限り古書文書はすべてこの業に用いらるべきものだ。私蔵して秘するものあれば、光圀が自身出向いて借りうけてまいる。それから費用? ……費用のことはよくわからぬが、水戸三十余万石を傾けても足らないほどか?)
夙に、この若殿の英才はみとめているが、何といっても、まだ十八の世子、部屋住みの青年である。ふたりの漢学者の眼には、乳臭の人としか見えなかった。
が、この乳臭児は、ふたつの呆れ顔を前において、なお烈々大語してやまなかった。
(まあ、費用など、案じるに及ぶまい。これが、一私人の栄華とか、城郭を飾るとかいう財なら、わしに奉行はできんが、皇国のためなら、水戸一藩が、稗粟を喰い、百姓にのぞんでは、不愍と思うことでも、強い得る信念がある)
ふたりに口をきかせない。いや何をいま意見したところで、自分の理想を吐くに急で、耳にいれるいとまないような面色に見える。
(──いや、それよりもだ。事業にかかる前に、修史の根本精神をどこに置くかのほうが、もっと重大な問題であろう。この際、わしは明らかに告げておく。いまは実に漢学ばかりだ。光圀も漢学をまなび、お身方もいわゆる儒者だが、こういう心酔学徒の手になされた国史などは、国史というも当らない。むしろ国を誤つ観方をして、得々たるふうさえある。──たとえば、林道春の編修した本朝通鑑という大部な書物などがそれだ)
あまりな大言に聞えた。人見卜幽は、たしなめる意味で、
(若殿。通鑑は、二百七十三巻の大冊。あなた様は、あれ以上なものをご編纂になるお考えですか)
(あんなものは、問題にしておらぬ。版木を焼き捨ててしまうべきものだ。なぜならば、林道春の輩には、わが神国の真のすがたが観えていない。かれらの眼に実物以上、大きく観えているのは、幕府のみである。その眼で、国史を観る……堪ったものか)
(第一、いまの儒者中、将軍家をさして、国君と称したり、甚だしきは、大君などと書して、みだりに帝王に擬しておる輩がある。言語道断というほかない。……すべてそうした過誤と歪曲を、従来の史からのぞいて、正しきに正す、それが光圀の根本である。わかったか、お身方には)
(わかりましたが……)
と、辻了的は、はじめて口をひらくと、詰寄らんばかり光圀を凝視していった。
(あなた様には、そも、どなた様のお子でいらせられますか)
(知れたこと、頼房が子じゃ)
(その頼房様は)
(徳川家康公の十一子)
(さすれば、あなた様には、権現様のお孫にあたられ、いまの将軍家とも、ご縁の濃いお血すじではありませぬか)
(それが、どうしたのか)
(ご宗家にたいし奉りまして……)
(将軍家へどうじゃと)
(……ちと、如何かと)
(何が。どこが?)
(ご推察なさりませ)
(わからん。舌の苔を洗っていえ)
(権現様このかた、幕府のご方針として、あまりに、その……国体の本義などを明らかに知らしめますことは)
(だまれっ)
(はっ……)
(などとはなんだ)
(はい)
(国体の本義などとは何事か。徳川の宗家が何だ。ひとしく臣職のものではないか。時来れば、宗家徳川も滅んでよし、尾州紀伊水藩の三家、もとより歴史の興亡にまかせて可なりである。──が、千載万代、朽ちも揺るぎもあってはならぬものはただ一系の大御裔にある。そのお在すところさえ明らかなれば、よし幕府が亡ぼうと世のみだれに遭おうと、ふかい憂いとするに足らぬ。……お身は何かその根本をはきちがえておるのではないか)
了的のひや汗は、畳をうるおすほどだった。からくも人見又左があいだを取って、ていよく、光圀のまえを退ったが、心中安からぬ思いは拭うべくもない。とうとう、ひそかに光圀の父頼房に謁を乞うて、ありのままを訴えた。
(ほう……。あれがの? ……ふうむ……)
頼房は、うなずきうなずき、聞いていた。
ふたりの儒臣が、憂いを面にあらわして、お家の大事とばかり、綿々と告げる一伍一什を。
けれど頼房の顔にはいっこう心配らしい容子も現われなかった。
むしろ、嫡子の光圀が、大言したことばや、抱いている途方もない夢にも似た事業の性質を聞くと、
(そうか。そう申したか)
と、喜悦らしいものさえ、眼もと唇もとに綻ばせているような反応だった。
最後に、ふたりの儒臣は、声を落して、
(若殿の思し召は、あきらかに将軍家へたいして、ご異端かとぞんぜられます。まさしく、水戸三十余万石のご浮沈にかかわりましょう。幸いにも、まだご世子、きっと、われわれもそれとなく、ご翻意をおすすめいたしまするが、殿よりも、何とぞ……)
いいかけると頼房は、こは意外なといわぬばかりな面持で、
(ああ、これ、何をいう。──困り者の光圀が一転して学問に心をひそめ、こんどは体でもわるくせねばよいがと案じていたが、それくらいな望みなれば、叶えて遣わしてもさしつかえないではないか)
親馬鹿とは、かかるお方のことをこそいうのであろう。嫡子も嫡子、殿も殿かな──と、ふたりの儒臣は、ここにいたって、もう何をいう勇気も失っていた。
(しかし、光圀のことばは、いちいち道理である。いや明らかな大義というものじゃ。将軍家のご制度に叛くとか、異端になるとか、そんな考えは浅すぎる。──光圀が、朝廷へ対し奉っての真心は、そのまま宗家にたいする忠節ともいえよう。なぜならば、朝廷あっての将軍家ではないか、臣職ではないか。──いや、さすがに、あれは見どころがある)
と、まったく、常には聞かない賞め方で、
(よしやそのため、水戸一藩が破滅に遭遇するならば、これは世の中の間違い事と申すもの、光圀の思慮がわるいのでは決してない。──そもそも、あれがまだ十歳かそこらの頃ですら、戦場でもし父が斃れたら如何にするかと聞いた時、父上の屍を踏みこえて敵へ当りますと答えたほどの男の子じゃ。生い育って、青年十八、わが藩の一つやそこら、潰しかねない考えを起したのもふしぎではない。お身達、学問の先輩として、よくあれを扶けて、相談あいてになってやってくれい。たのむぞ)
ふたりは、ひたと、両手をつかえて、何か急に面もあげられない気もちであった。
この親にして、あのお子があったか──初めて大きな実訓をうけたのだった。剛愎、そんなことばではいいきれない頼房の胸の寛さであった。
しかも実に明らかな達見がそのうちにある。光圀のいったところと、頼房のことばとは、まったく一であった。血はただしくひとつであった。
いやその血は、このご父子だけが一であるはずはない。この国土のうえに生業するものすべてひとつの筈であった。それを、強いて複雑に、異ならしめるものは、制度、文化、その折々の世相、個々の利害など、そういうものから来る観念の他人でしかない。
(何かわしは、学問の根柢からすこし考え直す必要をおぼえてきた)
卜幽人見又左はその帰り途で、しみじみと、辻了的に告白した。
了的もふかく考えこんでいた。
修史の大業は始められた。
もちろん準備の程度に。
明暦三年、かれの三十歳頃、ようやく具体化されて駒込の下屋敷に修史館をひらき、当時の名ある学者を史寮に網羅して、いよいよ実際的な研究と編纂に従事しだした。
同時に、あらかじめ又左などが憂いのひとつとしていた財力──出費の額は、想像以上な数字にのぼって行った。
寛文十二年というと、かれはもう四十五歳、宿志を立ててから二十七年。史寮を設けてそれに着手してからちょうど十五年になる。
その年、史寮を移して、小石川の邸内のほうへ、新たに「彰考館」をたてた。
高台の勝地であった。
後楽園のさくらや、常盤木をこえて、富士がよく見えた。江戸城も南に望まれる。
史館の大額の下には、次のような館則が、壁に貼ってあった。
一、会館ハ辰半ニ入、未刻ニ退ク可
一、書策ハ謹デ之ヲ汚穢紛失スベカラズ
一、文ヲ論ジ事ヲ考フルニ各〻力ヲ竭シ、モシ他ヲ駁ス所アラバ、虚心之ヲ議シテ独見ヲ執ルナカレ
一、席ニ在ツテハ怠惰放肆ナルナカレ
この曠世の文業に、光圀を扶翼して、蒐書や研究や編修の実務にあたった人々としては、人見又左、吉弘元常などをはじめとして、板垣矩、中村帆、岡部仙、松田効、小宅順、田中犀東など以下、筆生だけでも十余名が、机をならべて、孜々、旧記を抜抄したり、原稿の清書にあたったりしていた。
また。
佐々十竹だの、吉弘元常などは、史料蒐集のために、奈良を中心に各地を歩いてもいた。
まもなく、安積澹泊をむかえて編纂主任とし、家老の藤井紋太夫には史館の経営をもっぱら任せた。
秋山孟慶とか、丸山可澄などは、管理部として、その下に務めていた。
年を更えて。
佐々、丸山のふたりは、全国的に古文献をたずねあるいていた。
その足跡は、山陰、山陽、西海、北陸の諸道にわたっている。
民間だけでなく、ずっと後ではあるが、光圀の書面をたずさえた大串元善は、京都の菊亭内府を訪れて、宮中の秘庫につたわる貴重な文書や書籍の借覧まで熱心に願い出ていた。
元善の使命は、まだほかにもあった。光圀のむねをうけて、吉野時代の事蹟を親しく探って帰った。
秘府の御書さえ借覧をねがい出るほどであるから、公卿の諸家はいうまでもなく、どんな貴顕の家書でも、大名の蔵書でも、
(どこには何がある)
と知れば、労と日子をいとわずに求めた。
そのひとつひとつでも、みな深く秘蔵している重宝であるから、水戸家の名と、光圀の真心をもってしても、目的をとげるまでには容易なことではなかった。
もちろんそれ以外にも、
(こういう秘書古典が売りものに出た)
とか、或いは、
(どこの旧家には、云々の得がたい文献が伝わっている)
とか聞けば、史館に勤めている以外の家士でも、遠路やかねに惜しみなく派遣を命じて、それを求めてくるといったふうであった。
だから史館の書庫には、およそこの国の歴史に関する秘記珍書はたちまち充棟するほど蒐められたが、同時に、それだけの費用が、藩の財庫からどしどし吐き出されて行ったことはいうまでもない。
そればかりでなく、一方ではまた、ようやく脱稿になったものを、版にのぼすため、そこにも新しい部員やら費用もかさむばかりだった。いま元禄四年までに、やっと出来あがっているのは修史義例、彰考館総目録、それと光圀が自分で筆を入れた六国史と跋ぐらいなもので──かれが胸中にもっている全体の構想からいえば、まだまだ、その下準備と、一部分の脱稿を見たというだけで、あと何十年かかるか、何代かかるか、見とおしもつかないほどだった。
わかっているのは、どう長く生きようと、およそ知れている自分の天寿だけであった。
国家的な文業もよいが、光圀のは、余りに規模が大きすぎる。遠大すぎる。せめて、自分の命数を標準に、生きているまにその完成が見られるぐらいな程度にしてはどんなものか──
そう心からかれを思って、さる大名が、ある折、かれに忠告したところ、光圀は、
(あなたのご領内にも、杉山や檜山がおありでしょうが──)
と、まったくべつなことを反問して、そのあとで答えた。
(一本の杉や檜が、材木として伐り出されるには、尠くも何十年かを要しましょう。……ところが自分がつねに領内の山を見ておると、もう齢も六十、七十になった百姓の老爺などが、手元も暗くなる頃まで、杉の苗など、山に植えているのを見かけます。……そのとき、ふと、いまあなたが私へご質問になったおことばと同じことを、その老爺のうえに思うのでござった。……ああ、あのようにして、日の暮るるまで杉苗を植えているが、その苗が一本の材木となって世のなかに役立つまで、あの老爺は生きている気だろうか。否々、生きていられないことは知っておろう。さすれば、何のために、誰のために、老躯を曲げて植林しているかと……)
あとは説明しなかった。
ただ、そのあとで、いわずともおわかりであろう──というような面を見せて、
(死後の花見とでもいいましょうか、生けるうちはいうまでもなく、死後にもよい花見をいたしたいという人間の欲でござるよ。……けれど理も智もなく黙々と杉苗を植えている老爺の欲のごときはもっとも崇高な欲望ではありませんか。光圀も欲情甚だしきためにあんな愚かなことをいたしております)
と、つけ加えていったという。
それと似たはなしであるが、光圀はよくこういうことも、左右のひとに語った。
(よくひとは、花の美は、半開にあるとか、七分咲きにあるとかいうが、自分の思うには、花の美しきは散らんとする前にあると思う。なぜならば、散ろうとする花は自ら花粉をこぼす。──花の生命が、散ってもなお、その生命をこの地上に遺してゆこうとする──あわれにも自然な働きを作すのである。……これを人に観るとなおさらあわれ人間と思わずにおれぬ。二十歳にして志をいだき、三十にして立ち、四十にして何とか申しても、壮気と欲情は伴うものだ、どうしてわれら凡人が、私利私欲を離れ、まったく滅私の自分になりきれよう。一瞬とか、非常とかの場合はべつである。平常無事のあいだでは難かしい。……けれどよくしたもの。ようやく、齢もかさみ、天命を知り、やがてわが身も咲いた花のごとく、散らんとするときを覚ってくると、人も自然に花粉を地上にこぼしたくなるものだ。本能とでも申すものか)
かく正直にいって、
(だから人間が、ほんとうに、わたくしなき、きれいな奉公なり仕事なりができるのは、隠居の後かもしれん)
と笑って、
(──というて、壮年や初老のうちでは、真にわたくしなき奉公ができんというのでは決してない。ただ、そのわたくしが、年とともに追々違って来るのを感じるのである。青年、壮年期のわたくしには、どうしても旺んなる功利や欲情が交じって燃える。老境にはそれがひとりでに淡々となるに過ぎない。……偉くなってゆくんでも何でもないのじゃ)
ここでまた一笑を加え、さらに次のように述懐した。
(──故に、わしの志業にも、二十歳だいや四十だいには、実はわれこそ独り日本を憂うるものと──のちに思えば恥ずかしいほど自負していたが、その行いは、すこしも伴わなかった。不孝もし、放埒もやり、恋もし、毀誉褒貶にも、内々こころを煩わし、いやはやなっていない憂国ではあった。……だが、ただひとつ、その時期ならでは出来ぬことがあった。それは、到底老いては抱けない志業の夢と、万難を無視してかかる雄邁な実行。……これは尊い。だから国家にとって、やはり若い人こそ、老いたるよりも尊しといわなければならぬ)
ひとの問いでなく、みずから自分にむかって、かれは問うてみたことがある。
(いったい、自分の勤王心は、たれから培われたものであろうか)
──と、いうことを。
疑いもなく、光圀は、
(父であった)
と、いまさらに思う。
その父頼房は徳川家康の十一子として生れたが、性来、大の敬神家だった。
特に、領内の鹿島神宮には、生前何十遍、参拝されたかしれない。
わざわざ京都から萩原なにがしという神道家を招いて、神道の研究にもふかく心を入れていた。
敬神。──神への道。
そこを遡ると、自分の現し身を搏っている血をとおして、遠い大祖たちの神業と、国体の真が、いつか明らかに、心に映じてくる。
そうして神の投影を、心泉にうけていた頼房には、自身、たれより身近な幕府の親藩でありながら、幕府などというものは、しばしの便法機構か、朝廷の代務府ぐらいにしか、考えられなかった。
よく拝賀の折などに、三百諸侯が、口をそろえて、将軍家へ賀していう、
(ご政道は万代、お家は万々歳までも)
などという阿りは、おかしくもあり、苦々しくも思われて、嘘にもいえない頼房であった。
だからかれは、家康の遺法や幕府の組織なども、永久にこうなくてはならないものとは、その高い国体的見地から、考えていないひとなのである。
その親にして光圀があったといえよう。光圀が、修史の使命と眼目を、国体の闡明において、幕府の意向などには頓着せず、なおさら自藩の存亡も敢て念とせずにやるという当初の抱負を聞いて、
(わしの子だ。そうか。さすが光圀である)
と、歓んだというのを見ても、頼房が、光圀の幼少から、父として、何をもっとも注ぎ入れようとしていたか、よく察しられるのである。
幼少にうけた感化としては、光圀にとって、もうひとり、重大な役わりをした女性がある。
三木仁兵衛の妻である。──光圀の母久子が、妊娠中から身を預けられていた棚町の三木家の妻女。
そのひとは武佐子といった。
光圀は、そこで生れたので、そのまま五、六歳ごろまでは、武佐子が乳母となって侍いていた。
(うんば。うんば。おはなしをしてい。おもしろい、おはなし、していのう)
毎夜、かの女とともに、添寝しながら、幼な児はせがむ。
かの女はまた非常に、はなしが巧みであった。
「夜がたりの局」
と、いわれたこともあるほどだった。
なぜ、そんな異名があったかといえば、武佐子は、三木家に嫁ぐまえまで、京都で宮仕えしていたのである。後陽成天皇の中宮の院に召しつかわれていて、よく宮中で夜伽のおはなしをしたことがある。そして大勢の女官のうちでも、武佐女のはなしがとりわけ巧みであったので、いつか「夜がたりの局」という通り名をもらっていた。
夜ごとの寝ものがたりに、かの女は、どんなはなしをして聞かせたろうか。
おそらく、古今の史上のはなし。
この御国、この皇民。
すめらみことのおわす都のはなしなどもしたであろう。──すやすやと、神そのままなたましいに、かの女は、乳以上の乳を捧げていた。
(きょうは、わしの誕生日ではなかったか)
(さようにございまする)
(──だのに、なぜこのような馳走をたくさんに、膳部へならべてくるか)
(そのためわざわざ、那珂港の生きた鯛をえらび、お赤飯をさしあげるのでございますが)
(また失念いたしたの。光圀の誕生祝いには、かならず白粥と梅干ひとつでよいというてあるに)
(あ。左様でございました)
家臣はあわてて、膳部を退げた。
年に一度のことなので、膳部の係りも、初めのうちは、よくこんな失態を演じたが、後々には、光圀の親思いが、家臣の個々の心にも沁み入って、決して忘れなくなった。
生母の久子が世を去ってから後である。光圀は、自分の誕生日には、かならず梅干と粥ですましていた。
(産褥の母のすがたを忘れぬのが何よりの誕生日──)
と、侍臣へいった。
また常にいっていた。
(わしほど幸福なものはない。父にめぐまれ、母にいつくしまれ、さらにこの国のうえに、赫々の天つ日つぎの御子をいただいておる。しかも土には四季の花を見て──)
かれは幸福感を偽るひとではない。晩年にいたるほど、つねに何ものへも恩を思うことが深かった。
(いまの身にうけている文化の恩は、すべて、先人の遺業である。われもまた後人へ、何ものかを遺してゆかねば、着逃げ喰い逃げの人生とやいわん……)
などと戯れのことばの端にも、その心操があらわれていた。
かれが古人にたいして、ひとなみ以上尊敬をいだく風があるのも、そういうところからも依って来ている。わけてかれがもっとも景仰しておかないひとは、楠木正成であった。
目下、西山荘を去って、かれの側にはいないが、家臣の佐々十竹が、旅行さきから先頃、西山荘へあててよこした書面には、
(はからずも、河内の一院で、楠公の神牌を拝しました。それには贈三位左中将とございました)
と、なお感慨をいろいろと書いて来ていた。
楠公の事蹟も遺址も、いまはあとかたもなく忘れられていた。
足利尊氏といえば、思いあわせるが、ただことばのうえで「なんこう」といっても、ひとはちょっと思い出さないような顔をしている今──元禄の世であった。
(いたましや、何がな、わずかのご事蹟でも見出したら、草をわけ、地をかえしても、つぶさに調べよ)
とは、かねて老公から、その地方へ出張中の吉弘元常や佐々十竹にも、篤と命じてあったことなのである。
で、十竹の報告を得ると、かれは、天意というか、天縁というか、自分の至誠があるものにとどいたようなここちがして、あくる朝、
(ゆうべは、欣しさのあまり、ひと夜中、眠られなかった)
と、侍巨へいったほどである。
さっそく、老公は、旅行中の十竹へ向けて、それから二度三度、書面を送っていたようである。
楠公一族が、忠烈な碧血をもって苔と咲かせた摂河泉の石を、湊川まで運ばせて、大きな碑を建てよう──という計画であるらしく窺われた。
(そんなことをなされても、よろしいものであろうか)
もれ聞いたひとは今、大いに危惧しているところである。
*
酒も冷えよう、猪鍋も煮えつまろう。こう思い出ばなしのみ辿っていては限りもない。
汁講の夜とはいえ、すこし余談にわたりすぎた嫌いがある。もとの座しきにかえって、雪乃やお蕗などのすがたも見、やや更け白けた燭の丁字を剪るとしよう。
──さて。
雪乃は多年のねがいもとどいて、親しく老公に会い、はなしは尽きなかったが、夜の時刻には限りもあり、ほかに大勢の客もいる席とて、長居も気づかわれて、
「……もう、おいとまをいただきましょう」
と、娘のお蕗をうながして、退がりかけた。
「待つがよい」
老公は、帰り途を案じて、駕はあるのかと、惣左へたずね、
「駕をととのえて遣わすから、そのあいだ、もうしばらく、はなしておるがよい」
と、止めた。
酒部屋から新たに温めた銚子が運ばれてくる。雪乃母娘は、
「では、不つつかなお酌などいたして」
と、各〻のほうへ、あいさつを兼ねて、銚子を持ってまわった。
お蕗も、母に倣って、つつましやかに、幾人かの杯へ酒をすすめて行ったが、かの女の向ける銚子にたいして、
「は。どうも」
と、杯を押しいただくもあり、なかには手のふるえていた若ざむらいもあった。
そのうち、
「駕がまいりました」
と、表から告げてくる。
雪乃母娘は手みやげに持って来た浙江まんじゅうを、剣持与平から老公へ披露ねがって、やがて惣左とともに、さきへ帰って行った。
帰るまぎわまで、かの女は老公に、もっと何やら打明けたいようなものを、胸にもっていたらしく見えた。
察しのはやい老公は、
「また参れよ」
と、いった。
──またの折に。それを恃みに、かの女は帰ったらしいが、母娘のものを門外まで送りに行った与平が、あとで老公のそばにもどると、そっと告げた。
「雪乃どのには、ちょっとでも、ご隠居さまとおふたりきりで、おはなし願いたいご容子に見えましたが」
「惣左も、そういうたか」
「はい。……何事かいま、ご息女のお蕗どのの身について、ひと方ならぬ心配事が起っておられるそうで……。そのことにつき、何かご隠居さまのお智慧なりお力でも拝借したい考えでいたのではないかと察しられますが」
「む。おととい、城下へ出た折、そのようなうわさを、わしもちらりと小耳にはさんだが、べつに急いだことでもなかろうと考えて帰したがの……」
「それが実はひどくさし迫っている事らしゅうございます」
「聞いてやればよかったの」
「いずれまた、日をあらためてお願いに参りましょう」
ふと、老公のひとみに、気がかりらしいものが浮いた。
おととい城下の菓子屋のあるじが、お蕗のことをいろいろうわさしていたが、あのことばのなかに、なにか思いあたるものがあるらしかった。
そのまに、酒や膳は引かれて、若ざむらいたちのまえには、一個ずつのまんじゅうが配られていた。
まんじゅうは、紙につつんで、持帰ろうとするもあり、その場で喰べているものもある。
老公は、茶をのみながら、まんじゅうを割っていた。
座談は、茶となってからのほうが、まじめに弾んで、夜は更けるばかりだったが、たれもまだ帰ろうといい出すものはなかった。
そこへ、思わぬ出来事が起った。あわただしい声は、山荘の門をたたいて、ここの平和と陶酔を愕かせた。
雪乃母娘を送って行った駕の者と、近村の百姓などであった。
「ご家来さま。たいへんじゃ。すぐに。すぐに来ておくんなさい」
と、駈けこんで来て、
「はやくせぬと、駕のうちの女子方も、どうなることやら。──お附きしていた牧野惣左衛門さまも、いきなり二、三名のくせ者に不意討ちをくって、一たまりもなく斬りころされなすった」
と、口々にいう。
「なに、暗討ちに」
総立ちになった時、もう若ざむらいの頭数は、半分ぐらいしかいなかった。その余の者は、刀の置いてある控え部屋へ、さッと行ったのもあるし、寸間も惜しんで、大刀を持たずに縁を跳んで、すでに門の外へ駈け出しているのもいた。
「すわれ」
老公はたしなめた。ここの人数の半分も行けばもうよろしいというのである。
縁先では、山荘の家臣たちが駕の者や百姓たちの、ことば多くて要領を得ないはなしを、努めて取りしずめながら、仔細を訊きとっている。
そのあいだ──開けひろげてあるために明滅の烈しい燈影を、稲妻のように浴びながら、老公もほかの者も、じいっと座に耐えていた。
が、すぐに、剣持与平が訊きとったことを、そこへ来て老公へ早口につたえた。
「ご門を出てから十町ばかり参ったところ──あの増井川の桃源橋へかかるてまえであったそうです。くせ者どもは、附近の松ばやしや藪の陰に潜んでいたらしく、駕の灯を見ると、何かあいずをして一度に襲いかかり、まず惣左どの一名を目がけて斬りつけ、仆れたと見てから、蕗どのの駕へ集まっていたそうです。……駕の者や百姓たちも、それしか見届けぬうち、お知らせに駈けて来たと申しまする」
「あいては何名ほどか」
「五、六人という者もあり、もっといたという者もあり、一致いたしませぬ」
「身なりは」
「それも、すこぶるあいまいで、浪人じゃと、ひとりがいえば、いや博徒らしかったという者もありで……」
「与平。そちは悦之進を伴って、提灯をたずさえ、篤と、附近の検分をいたして来い」
「悦之進どのには、聞くやいなや押っとり刀で駈けつけまして、これにはおりませぬが」
「不届きなやつ。いかような変が起ろうとて主人のゆるしも待たず駈けゆくなど、事にあたって進退のわきまえせぬ軽忽者。……よしよし、あとで叱りおこう。文八をつれてゆくがよい」
「承知いたしました」
かれが去ると、また、ふたりの家臣へ、
「郡奉行の鷲尾と、太田村の見廻り役、大高新右衛門の両家へ、変を知らせておけ。もはやいずれも駈けつけておるかもしれぬが、念のために」
といいつけた。
入れかわりに、息せきながら二、三の者は、もう報告に帰って来た。
「惣左どのは助からん」
と、その人々は、悲調をおびた声でさけび、なお、
「蕗どのも、雪乃どのも、駕ぐるみ、影もかたちもない。──諸方、手分けしてさがしておるが」
と、絶望に近い声を放ち、ふたたび身支度を直してすぐ出て行った。
あわただしい出入りがつづいた。その中へやがて、悄然と影を見せたのは、郡奉行の鷲尾覚之丞だった。
管下の治安にあたっている責任者として、覚之丞は、自決の決意を眉にたたえていた。──庭上から老公のすがたを遠く拝して、
「申しわけもございませぬ」
と、額を地につけた。
「郡奉行か。……鷲尾覚之丞は少将どのの郡奉行ではないか。なにしに見えたぞ」
庭を見やりながら、老公は、叱るようにいった。
「……はっ」
職責を感じるの余り、覚之丞はなかば喪心の体であった。ただ割腹して、こよいの責めを負おうという決意のみが、ややもすれば先だって、思うように口がきけなかった。
「ここへ詫言などとは、なにを血迷うているか。そちは藩公の役人ではないか。わしは藩主でも何でもない。まだ事件の目鼻もつかぬまに。……去れ、去れ。はやく行ってさしずをせい」
「はっ。……さし当っての処置はすべていたして参りました。惣左どのの遺骸は、検視のうえ、瑞龍山の本堂へ運びおき、下手人の捜査には、大高新右衛門が主となって急速に手わけをいたしました」
「下手人どもは捕まりそうか」
「さ、それが……おそらく至難ではないかと思われまする」
奉行の口からなどいえないはずの弱音である。しかも割腹して責任をとろうとまで思いつめている彼として。
が、老公は、
「……だめか」
と、うめいて瞑目したきりであった。覚之丞のことばを是認しているとも受けとれる。問題は事件の表面だけのものではないらしい。
地にひれ伏している覚之丞と、明滅しきりな燈火の一室に沈思している老公とのあいだに、どこやら遠く、谺をよびあって、不敵なしれ者の行方をさがしまわっている捕手たちの声が聞えてでも来るように──夜かぜが廂にさわいでいた。
覚之丞はまた、そっと、面をあげて、
「口にこそ出しませぬが、平常に。……十分、警めておりましたが、こよいは大勢のお集まり、それに、よもやこんなことに及ぼうとは、ゆめ、思いも依らずおりましたため」
「不慮のこととは、これをいうのであろう。この隠居すら考えられぬことじゃった。ぜひもない」
「……ただ、ご隠居さまのお身になんの事もなかっただけが」
「わしの身辺へは、あまりに近づき難いため、わしへかかるべき災厄が、思わぬものへ罹ったような気がする。……禍いというものはいつでも弱いもの虐めではある」
「無念にぞんじまする。これが、表だってもさしつかえない儀ならば、かならず下手人どもは、あす一日をまたずに引っ縛ってまいりましょうに」
「やめい。やめい」
あわてて老公は顔を振った。城下を離れた寒村の一事件として、どこまでも小限度にとめておきたい意向がうかがわれる。たとえば下手人が逸はやく領境をこえて、他国の領地へ遁れてしまった場合も、あえて藩と藩との交渉によって、それを追求するようなことは避けたい程度にである。
「覚之丞」
「はっ……」
「もし、夜の明けるまでに、手際よく、下手人のかたのつかなんだときは、詮議の手は退いたがよい。そしてすべての者へ口どめせよ。藩への報告も内申ですませておくがよかろう。──いずれにせよ、死した者は回らず、攫われた二人も当分はもどるまい」
「すべては、わたくしの落度で」
「いやいや、不慮の変じゃ、神かくしじゃ。むりに追い求めれば、死なずともよい両女をかえって死なすかもしれん。その生命を断って山中に捨て、身をもって国外に逃げるなどという窮策に出るおそれは多分にある。……むしろこうなる上は、かれらがそもなんのためにかかる業をなして、清隠の閑居に祟りをなすか、しずかにそれをながめていようぞ」
帰るべき客は帰った。
眠るべきものは眠りについた。西山荘の門は閉じられ、三更、四更、雲もしずかに、山の尾根や山ふところに深く臥した。
「眠れよ。……たれじゃ、まだ灯ともしているものは。……眠れよみなの者」
お手水場の縁のほうで、老公の声がする。
まもなく、寝所のあかりが消える。
召使の人々は、
「おこころを煩わせてはならぬ……」
と、ささやきあって、みなひそと寝床へはいった。
けれど、たれも寝つかれなかった。わけて鹿野文八は、
──がたん
と、どこかで風の音がしても、首をもたげて、悦之進がもどって来たのではないかと耳をすました。
「あのひとは、狂気してしまいはせぬだろうか」
そんな杞憂すら抱いた。
いつかうち明けられたことがある。──自分とお蕗どのとは、親のゆるした仲であると。
そういう過去のあるなしにかかわらず、恋していたことは事実だった。
そのお蕗と母の雪乃が、得体の知れないくせ者に待たれて、一時に影をかくしたのである。かれの愕きは思いやられる。
老公は、さき程、甚だしく怒られて、いかに変事とはいえ、無断で駈けつけていったのは、進退を弁えぬもの──事にあたって落着きなきものであると──つねにない不機嫌をあらわされたが、これは無理というものであろう。かれとお蕗どののあいだを、ご存知ないからである。
「……もし自分が悦之進の身であったら、やはり前後もなく駈け出していたにちがいない」
文八は、心からかれに、同情しながら、寝もやらず、もし裏門でもほとほと叩く音がしたら、すぐ起きて行こうときき耳をたてていた。
──が、悦之進は帰って来ない。
べつな不安が文八のむねにこみあげて来た。あるいは、くせ者を追撃して、どこかの山林で、追いついたはよいが、かえって大勢の相手のために、返り討ちになったのではあるまいかなどと。
実際、得体の知れない敵である。この敵の正体、おそらく誰にもわかっていないのではあるまいか。
「郡奉行の鷲尾どのと、老公のおふたりをのぞいては──」
文八は、おとといの夕方、江橋林助が増井川の附近で見かけたという怪しげな旅商人のことなど思い出していた。それに関連があるのではなかろうか──と、さまざまな想像をめぐらしはじめた。
たれいうとなく、
(老公のご身辺も、よほどご注意申しあげぬと……)
などと暗に危険を示唆する声はふだんにも聞くことだった。
といって、そのひとに、
(なぜ?)
と、たずねても、誰も答えはしないのである。また、明確に分っているものもないのである。
にもかかわらず、この清隠の一高士のまわりには、なんとなく去来する暗雲のようなものが感じられた。
漠としてではあるが、
(老公は由来、幕府から忌まれておいでになる。老公の御事業は、反幕的の尤なるものと、幕府の学者はみな口をそろえて、将軍家へ讒している。また政治的には、柳営第一の権臣柳沢吉保が、肚のそこから老公を憎んでいる)
それらの事が、つねに人々の心を、なんとはなく脅かす根柢となっているらしい。文八も、それだけは、是認する。
しかし、それと雪乃母娘と、なんの関連があろう。──要するに、まったく別問題か。
「ああ、解らない。……それにしても、悦之進どのは?」
寝がえりを打った時、戸外にはもう鶯の声がしていた。
「すこしでも寝ておかねば」
と、あすの勤めを思って、文八はそれから強いて眼をふさいだ。
とろりと、したかしないか、と思ううちに、はや戸を繰る音が玄関でする。
「……老公のお目ざめ」
かれは、がばと起きた。
いつもなら悦之進が、もうお側に侍して、何かと、世話しているのであるが、けさはその悦之進がまだ帰っていない。
あわただしく、身じまいをととのえて、お座の間へ行ってみた。
老公のすがたはない。
いちばん奥の端の──三畳間へ伺ってみた。お学問所である。
「たれじゃ」
ふすまの音に、老公はふり向いていう。そこにおられたのである。
「文八にございます」
手をつかえると、そうかといったのみで、机のうえで、何か書きつづけていた。──渡辺悦之進はまだ帰らぬのか──文八は訊かれることを待っていたが、
「はやいのう、昨夜はおそかったのに。……他の者はなお寝かしておけよ」
老公は、そういっただけであった。
「ありがとう存じまする。……なにか、ご用を仰せつけください。悦之進どのも、まだもどりませぬから」
「そこの瓶掛に、湯がわいておるか」
「沸りかけております」
「茶を入れい」
「はい」
馴れない手で茶を汲んでさし出した。老公はいつもと変らない朝の顔である。しずかに苦茗をすすって、
「文八、これが分るか」
と、机のうえの詩稿を出して見せた。
文八は、口のうちでいちど読んでから、低声で誦した。
忙裏山看我
閑中我看山
相看相不似
忙総不及閑
老公はうなずいて、
「その通りじゃ。……山に対してふと思いおこしたのじゃ。わしの詩ではないが……誰でもよい。よい詩であろ」
「はい」
と、いったが、文八には、十分わかっていないようだった。
ゆうべのはなしなど、少しもないのである。老公はまた、もう一詩を示して、
「ちと思うことがあるから、きょうは終日、たれにも会いたくない。そちは、なるべく門にいて、客を謝す役にあたれ、もし、たって訪問を強請するものが来たら、この詩を示してやれ」
それを見ると、これも老公の作ではないらしいが、こんな明人の詩がかいてあった。
吏事君、怪シムヲ休メヨ
山城、門ヲ閉ズルヲ好ムヲ
コノ山、長物ナシ
唯、野ニ清鶯アルノミ
「貼っておきましょうか」
文八が伺うと、いいとも、いけないともいわず、老公はまた、窓から見える彼方の山と対していた。
文八は、外へ出た。
たれも彼も、よく寝たものはあるまい。山荘の雨戸はもうすべて繰開けられている。心なしか、いつもの朝のように、清々しくない。お台所のほうの笑い声もしない。
詩箋を持って、文八は、門のそとへ出たが、貼ったほうがいいか、また要らざることか、なお迷っていた。
すると誰か──かれのうしろから、おうっと、山犬のような声して呼んだものがある。ふり向いてみると、悦之進だった。ふり向かなければ、かれの声とも思えないほど、一夜のうちにおそろしく野性なしゃがれ声に変っていた。
いや、そのすがたや容貌は、もっと変っていた。髪はみだれ、袖は裂け、眦はつりあがって、手にさげている白刃のように眼はぎらぎらしていた。
「おう……」
「おうっ……」
ふたりは相寄って、
「どうした?」
まず文八から訊ねた。
悦之進はつかれきっているらしく、すぐには、ことばも出なかった。いや肉体の疲労もさることながら、頭も混乱していたにちがいない。
問われたことには答えもせず、面を振って鬢髪のみだれを掻きあげながら、
「……ご隠居さまには、はや、お眼ざめか。それとも、昨夜から寝もやらずにおいであそばすか」
それだけが──何かにつけ老公のことのみが、気懸りらしく、そう問い返した。
「いや、あれから、すこしばかりお寝みになった。そしてもう常のごとく、お学問所に坐しておられるが」
「……そうか」
すこし平静に返って、
「文八。わしの衣服を、あれまで持って来てくれぬか。このすがたでは、お目通りにも出られぬ」
悦之進は、裏庭の石井戸のほうへ歩いて行った。
手足の泥など洗い、髪も直して身なりをととのえるつもりらしい。
「心得た」
気がるに、鹿野文八は、奥へ駈けて行った。
そのあいだに、悦之進は、顔を洗い、口をそそぎ、髪のみだれも直していた。
衣服をととのえてから、悦之進はまたそっと、友にたずねた。
「今朝ばかりはついお側のご用を欠いてしもうたが、ご隠居さまのごきげんは悪くはないか」
「いや、べつに……。何ごとも平素とすこしもお変りは見えぬ。……だが、貴公のすがたを見ると、あいての者と、行き会ったかのように察しられるが、追いついたのか、下手人をひとりでも、捕えたのか」
「……いや。……いや」
何をきいても、悦之進は顔を横にふるだけであった。
その悲痛極まった面色は、あまりに追究すると、ついには悲涙をすらたたえそうに見えたので、文八も問うことをやめて、黙然、相対していた。
努めて平静にもどろうとしているらしい悦之進であったが、やがてやや心に自信がそなわるといつものような調子で文八に頼んだ。
「すまないが、老公へそっと、お取次ぎしてくれないか。……朝夕、お側に仕えているおれが、ひとに取次ぎをたのむなどというのはおかしいが……今朝はなんだかお叱りがあるような気がする。ゆうべ、おいいつけも仰がずに、無断で駈け出したことも、あとで不覚をしたと悔いられているし、なお、毎朝のご用を欠いて、今頃、もどって来たことも、重々、お詫びをせねばならぬ」
「そんなお心のせまいご隠居さまではあらせられぬ。……ひとりで行き難ければ、いっしょに参ろう、お縁先から」
文八は、さきに歩いた。
そして三畳間の学問所の横からおそるおそる近づいた。
ふたりのすがたを、老公はすぐ窓から見た。文八が、縁にあがって、ものをいうまで、こっちを見なかった。
「……申しあげます。悦之進どのがただいま、もどりましてございまする。昨夜、変事とともに、無断に出たことやら、今朝、夜明けてから立帰りました罪を、ひどく申し訳ない儀と」
かれに代って、文八は縷々いいわけをいいはじめたが、みなまで聞かぬうちに、
「渡辺悦之進のことか。悦之進なれば、もはや山荘へもどるには及ばん。いとまをつかわすであろう。そう伝えるがよい」
と、老公はかろくいい放して、そこの小障子を内から閉めてしまった。
ここは街道の側といってもよい近さにある畑の中なので、往還の旅人の眼にはすぐ触れる。
くわしくいえば、尼ヶ崎の城主青山家の領内で、兵庫の坂本村の畠地であるが、すぐ西南四、五町ほどさきに、湊川の流れがあり、遠く延元元年五月の楠木、足利両氏の古戦場としても知れているので、この辺は総じて、
湊川。
で通っている。
芭蕉でなくても、古戦場に立てば、夏草や──の想いはたれも深くする。
八月。まだ残暑であった。
茫々と、草ばかりである。河原のほうから焦けた風がくる。白いほこりをかぶった雑草がうごくたびに、キチキチと青い虫がとぶ。
ぼくっ、ぼくっ……
土をめくる強い鍬の音がする。ひと鍬ごとに、気合いがはいっていた。
「旦那。……旦那にそう働かれると、わしども職人は、煙草やすみもできませんよ。すこし汗でもお拭きなすってください。後生ですから」
石屋の権三郎は、大きな壇石のそばへ、鑿をおいて、顔をこすった。
ほかにも、壇石が横たわっている。それにかかっていた弟子たちも、親方のことばとともに腰をのばして、
「ほんとですぜ、佐々の旦那。さっきから眼がまわるほど休みてえと思ってるんだけど、旦那が大汗かいて仕事しているのに、一ぷくということもいえねえし、参ってしまいましたよ。あんまり人使いが悪いと、よくいわれませんぜ」
と、一しょになっていった。
「あははは。悪かったな」
鍬の音はすぐやんだ。
饅頭なりの丘のうえだった。どこを眺めても平らな畠のなかに、ここだけが明らかに古墳の址を示していた。
延元の役に、楠木正成が最期をとげた地と伝えられている。
いま、その頂きの土を、掘り起しては、下へ掻き落している人がある。石工でも土工でもない、四十がらみの色の黒いさむらいで、炎暑のために、もろ肌をぬぎ、白いさらしの襦袢も、汗と土でうす黒くよごしていた。
「やすめ、やすめ。なにもおれに遠慮はいらん。おまえたちは職人だ」
鍬の柄を立てて、胸をのばす。顔にも胸毛にも、りんりと汗が這っている。湊川のかぜは快くその鬢をなぶっていた。
この春の初めから、ここへ来たり奈良へ行ったり、住吉方面へ碑の石をさがしに行ったり、建碑の起工から一切のことを奔走して、いまも工事の監督にあたっている水戸家の臣、佐々介三郎なのである。
「いけませんよ、旦那あ」
権三郎の下職の為吉というひょうきんな男が下で手を振った。
「おまえ達は職人だから休めといわれたんじゃ、よけいに休むことはできませんや。旦那の一所懸命は、お役人の一時仕事ってやつで、こちとらの眼から見ると、いちばんよくねえ遣り口ですぜ」
「なんだ、役人の一時仕事とは」
「こちとらの仕事を見ていて、時々、これ見よがしに、手出しをして見せる。……止めたい時には止められるんだから、いくらだって、力を出せますよ。そしていいかげんな頃になると、すずしい顔をして行ってしまう」
「こいつめ、佐々さんにかこつけて、おれのことをいってやがる」
親方の権三郎が、為吉の顔を押しとばすと、為は、わざと大げさに顔をかかえて、
「広厳寺へ行って、渋茶とせんべいでももらって来ましょう。佐々の旦那、なにかお寺へことづてはありませんか」
機螽のとぶように、為は草原のなかを、駈けて行った。
「ははは、おかしな男だ。しかし、あれがおるので、ここの作業場はつねに明るいな。ああいう男は、よく小馬鹿にされがちだが、実はなかなか大事な存在だ」
塚のうえから降りて来ながら、佐々介三郎がつぶやくと、石工の権三郎も、
「旦那、為のいるところで、そんなことを仰っしゃっては困りますぜ。あのお天気を、よけいおだてるようなもんでさ」
と、ともに歩いて、そこからやや離れたところに見える丸太と四分板囲いの小屋へはいって行った。
小屋の中には、切磨きした巨きな碑の石が横たわっていた。刻文のある碑面には薄紙が貼ってあるが、なおあざやかに隷書体で、
の八字が透いて読めた。
光圀の筆になったものである。
また、この碑の下に埋める石棺もでき上がっていた。石棺のうちには、一面の円鏡をおさめてあり、それにも、
と、してある。
道理で小屋こそ粗末なものだったが、庇を見ると、注連縄がめぐらしてある。もう御霊の象はここに竣工して、あとは塚の地形とか壇石、亀石のすえこみなどを待つばかりとなっていた。
「もう、工事は、いまが半ばというところだな」
「さようで」
と、一枚のむしろを持って来て、権三郎は、彼のために草へ敷いた。
それへ、腰をおろしながら、
「いや権三、春以来、この事では、ずいぶんそちにも無理をいったが、ご費用には限りもあるのに、仕事には、やかましいことばかり申して」
「どういたしまして。そう仰っしゃられると、てまえが面目ありません」
「なぜか」
「始めのことを思い出します。……初めて旦那が、図面をお持ちになって、いくらでひきうけるかと、おはなしにお越しなすったときは、水戸さまと聞いて、あいては大名、これは取り放題のうまい仕事がころげこんで来たと──このご建碑で、正直、てまえ根性では、ひと儲けするつもりでございました」
「気のどくしたな。とんだあてがちがって」
「いえいえ、あてがちがってくれたからこそ、てまえは今日でも、いえ一生涯、いい心もちを持っていられると、真実、ありがたく思っております。……もしそれが思いどおりに行って、この碑で、悪儲けでもしてごらんなさい。生涯、どんなに寝ざめがよくないかしれません。いや、死んだのちまで、この碑にたいして、後悔がのこりましょう。石は腐りませんからね」
「そちの義心や、職人どもがみな献身的にやってくれていることは、先ごろ書状のうちにもしたためて、水戸の西山荘においであそばすお方へも達しておいたぞ」
「旦那のおかげです……。まったく、旦那が、毎日のように、この碑に彰わされる正成公というお方のはなしを、てまえのような無智無学なものにもわかるように、根よく語り聞かせてくださらなかったら、きっと、旦那の眼をかすめて、手をぬくことしか、この仕事にも考えなかったかもしれません。……それが、旦那のおはなしを伺って、楠木正成公というお方、またその御夫人や、お子たちや、ご一族などの──なんといったらいいか、ご忠義のほどを知ってみると、その日からですよ。鑿にはいる力までちがって来たんでさ。ごま化して、儲けようなんて、考えても、身ぶるいが出るようになってしまいました。てまえばかりじゃございません、ここへ来て働く下職まで、みんな人間が変ってしまうから怖ろしいものですよ。……身は石屋だし、手には鑿を持っているが、おなじ御旗の下にいる兵士のような気になりましてね。……だから正成公はまだ、どうしても、この国に生きているっていう気がしてなりませんが、旦那、どんなものでしょう」
「そうとも」
介三郎は大きく頷いて見せた。
「正成公ばかりではない。──古人はすべて死んでいない」
「……へえ、そうでしょうか」
石屋の権三郎はまた分らなくなった。
楠木正成にたいしては、彼も十分にそれが理解できたが──古人と、ひろくいわれると、解せないことになって来た。
介三郎は噛んでふくめるように、
「たとえばだよ、おまえの宗旨は法華だそうだが、おまえが艱難に克とうとするときは、日蓮のつよい意志を思い出して、自分の意志を励まそうとするだろう」
「……ええ、日蓮さまも、ずいぶんご苦労なさいましたからね」
「秀吉は、もう白骨のひとだが、逆境の若い者が、秀吉の幼少や少年のときを胸に呼び起せば、逆境何ものだという気をふるい出されよう。……どんな貧家に生れたものでも、自分をだめだと思い捨てるまえに、秀吉ほどではなくても、将来の夢を持とうという気になるだろう」
「てまえも小さいとき、うちは貧乏だし、体はよわいし、死のうと思ったことなんかありましたが……そんなときには、誰か、自分を力づけてくれるものをさがしますね、いまの人よりも古い人のなかに」
「生きているひとなら力になりそうなものだが世事雑多だ。生きている同士はかえって、ほんの心の友にも力にもなれない。──そこへゆくと、古人にそれを求めれば古人はいつでもわが師となってくれる、わが友ともなってくれる」
「だから、古人は、生きているといえるわけで」
「いやいやまだ理由がある。──国に国難がおこれば、元寇の折の時宗が世人の胸によみがえって来よう。また、浮華軽佻な時代のあとには、人はおのずから静思を求めて、遠い弘法をしたい、親鸞をおもい、道元のあとをさがすのだ──飢饉となれば、無名な篤農家の業績をあらためて見直したり、国がみだれれば忠臣の生涯をおのれにかえりみ、ひとに呼びかけあう──といったふうに」
「なるほど」
「だから、この国の土中にかくれた、過去の偉大な白骨は、この国の非常なときに応じて、いつでも、その時にふさわしい古人が、現在の生きているものから呼び迎えられる。そして文学やら絵やら口伝やら、あらゆる象をとおして、ひとの知性や血液にまではいってゆく」
「ははあ、そうですか」
「そうだろう。……知らぬまにその人のなかには、古人の意志が住んでいることになる。たとえば、おまえが半年のあいだ、正成公の碑にむかって、カチカチカチカチ鑿をもって仕事しているうちには、いつか、正成公のこころが、一滴の血ぐらいでも、おまえの意志のなかにはいって来たにちがいない。そう考えてみたら分ろう」
「なんだか、わかり出しました」
「だから、古人は白骨であるが死んではいない。つねに今の生けるひとのたましいをかりて、次の時代までの働きをしている」
「おもしろいものですね」
「いや、こわいな、ひとの生命の長さを考えると。五十年はめしを喰っているうちだけのことだ。生命の波及することは限りも知れない。次から次、次から次、国土とひとのあるかぎり、自分の生命は結果のない結果を及ぼしてゆく」
「ちと、むずかしい」
「はやいはなしが、この碑を建つという仕事にせよ、及ぼすところは、無限だろう」
「だが旦那、いったい黄門さまは、何を思い出しなすって、ふいに、楠木正成さまの碑なんぞお建てになる気になったんですか」
「いまの世のなかへ、地下の正成公を、およびする必要をお感じになったからだ。──ただ草蓬々の塚をあらためてご供養するだけなら、これはご隠居さまのお名をもってなされなくても、どこかの坊さんに頼めばいいわけだからな」
職人かたぎだ。初めのうちは、こんなはなしなどに、耳をかたむける石屋の権三郎でなかったが、佐々介三郎のそばにいるうち、いつか変ってきたのである。
ところが、その親方の石権以上に、介三郎がそんなはなしでもして聴かせていると、かならず物蔭か、うしろに佇んで熱心に聞き入っているもうひとりの男があった。下職ではない、石工の手伝いをしている人夫である。
「勘太、勘太」
と、みなから呼ばれていた。
その勘太というのは、この五月上旬、佐々介三郎がいちど国許へもどって、西山荘の老公から直接いろいろな指図を仰ぎ、またその折、老公の筆になる碑銘の「嗚呼忠臣楠子之墓」の揮毫もできていたので、それを大事に持って、ふたたび上方へのぼって来る途中──箱根の山で拾った男であった。
拾ったというと語弊があるが、彼が箱根で山駕にのると先棒をかついでいたのが、この勘太で若くて体もいいのに、ひょろついてばかりいる。そしては後棒の雲助に、
──どじめ。しっかりしろい。
と口ぎたなく罵られるので、介三郎が見かねて訊ねてみると、後棒が、
──こいつはまだ、箱根で稼ぐなんざ、無理なんでさ。なんたって、つい一月ほどまえから、初めて駕をかつぎ出した野郎ですからね。まだ一人前の雲助たあいわれませんや。靄助ぐらいな新米なんで。
それから介三郎は、宥りと、旅の興とで、
──もや助、もや助。
と、おもしろ半分に呼んで、つい三島まで乗ってしまったが、三島の休み茶屋で、そのもや助が、
──旦那がいつも、下に置いたことなく、大事そうに持っている物は、いったい何ですか。
と、たずねた。
介三郎が答えて、携えている物は、さる貴人のお筆になった碑銘の草稿であると、楠公建碑のことを、てみじかに話して聞かせるとひどく感服して、
──じゃ旦那は水戸ですね。
と、ふと、人なつこい眼をした。
空駕とわかれて、千本松原のあたりまで来ると、後棒者も駕もすてて、もや助のみが一人で、
──旦那あ、旦那アあ。
と、追いかけて来た。
そして、荷持をさせてくれというので、断ると、では兵庫とやら碑をお建てになる場所で、土かつぎでも、職人の手つだいでも、なんでもいいから使ってくれと強っていう。
つい不愍をかけたのは自分のほうからである。振切るのも、あわれと思って、そこから荷持として伴い、以来、住吉の石権へたのんで、手伝い人夫に使ってきた勘太であった。
勘太は実によく働いた。
ほかの人夫や職人とちがって、酒ものまないし、夜遊びにも出ない。だから仲間には、
──吝ッたれ。
と、蔑まれてもいるが、仕事場では、ひとの嫌がることもすすんでやるので、ほかの日傭いは解雇しても、勘太だけは建碑の終るまではいてくれるようにと、いまでは石権が手放さないものになっていた。
いまも小屋の蔭に。
その勘太はぼんやり立っていた。彼としては、介三郎が石権にはなすのを熱心に聞き入っているつもりだったが、ほかの職人たちの眼から見ると、いかにも、いるところを離れて、うつけているように見えるのである。
「やあい、もや助。水でも汲んで来い、河原へ行って」
草のなかで、煙草休みをしている職人たちの屯が、こっちを見て、大声でどなった。
勘太が、われに返って、
「へい。すみません。いま汲んで来ます」
と、小屋のうしろから、二つの水桶を荷担って、河原のほうへ立去ってゆくのを、介三郎と石権は、いま気がついたように振向いて見ていた。
水くみ桶の天秤を肩にあてがったまま、勘太は、湊川のそばに立った。
焦けている石河原から、急に氷のような瀬の水へ脛をひたして、
「おお、冷てえ……」
ふたつの桶に水をみたした。
ずしんと、肩に水の重量が加わる。勘太は、しばらく水のなかを去らずに、水底を見つめていた。
赤くさびている兜の鉢金のようなものが透いて見える。ただの鍋かなんぞかも知れないが勘太は、それをさえ足に踏むことを懼れた。
「もしかしたら、延元の戦に、ここで死んだ忠義なひとの兜かもしれない……」
佐々介三郎から聞いている楠公のはなしが頭にあるからであった。
とさいごにまで、天地にちかって戦死したというひとの心を考えて、勘太は、
「……そうだ、うそじゃない。佐々さんもいったように、死んで消えるのは象だけだ。生命は死のうたって死にきれるものじゃない。七生はおろか、いつまでも」
勘太は、身ぶるいした。
つみ重ねてきた半生の悪行を怖れずにいられなかった。
「……だが、まだおれは三十まえ、あとの半生で、とり返しのつかないこともなかろう。……ああ、そういう気になってから、おれの人相も、自分の欲目か、すこし善くなって来たような気がする」
じっと、桶の水まで澄んでいた。勘太は、水桶のなかに映っている自分の顔に見恍れていた。もう一つの桶のなかには、秋空の雲が浮いていた。
「やーい何を見ているんだようっ。もや助え、鯰でも踏んだのかあ」
河原のむこうで、大声がしたので、あわてて水を上がってみると、仲間の為が、大土瓶と何か食べ物を提げて歩いている。
「為吉さんか。どこへ行きなすった」
「広厳寺へ、渋茶をもらいによ。──きょうは和尚がいたからそいってやった」
「なんて?」
「碑ができるために、黄門様から白米やら白銀やら、何かとご寄進もあるんだろうから、たまにはおれたちにも、供養をしてもよかろうぜって」
「あははは。なんていったね」
「蕎麦でも打たせて置こうから、晩にみなで来るがよい。貰うた新酒もあるほどに──と、お世辞をいった」
「お世辞じゃ何もなるまい」
「なに、かたい約束をしてきたのさ。親方も、佐々さんも、飲ける口だからね、よろこぶだろうぜ」
ふたりは、もとの仕事場へ、いっしょに帰った。
「水が来た」
「茶が来た」
と、みな寄りたかって、冷たい水で、汗の手拭いをしぼったり、渋茶をのんだり、ようやく、残暑の苦熱を一しのぎした。そして、
「さあ、やろうぜ」
また夕方までの仕事にかかった。
介三郎も、鍬をとって、塚のうえの地形を手伝った。馴れない者の手伝いなどは、全体の仕事にはほとんど影響もないことは分っていたが、幾百年、草茫々と埋もれていた忠臣の古墳にたいして、
(土かつぎも、身のほまれ)
と、すすんで鍬をもちたくなったのである。
鍬の音、鑿の音。──それから土台に敷く大石を、てこで塚のうえに押上げる人夫たちの懸声など──夕方の草いきれは陽ざかりよりべつな暑さだった。
すこし先の街道には、旅人たちが立ちどまって、不審そうにささやき合っていた。
「なんでしょう。あんな畠のなかへ」
「何か、碑が建つらしゅうございますね」
「だれの碑で」
「さあ、たれの碑やら?」
道具片づけもすまして、為と勘太が、その仕事場から帰って来るのを見かけて、旅人たちの一名が、
「もし、お職人さん」
と、呼びかけてたずねた。
「──いったい、あれや何です。何があそこに建つんですえ」
為は、ぶっきら棒に、
「碑さ」
「碑はわかっているが、たれの碑で」
「うるせえなあ。ここを通るやつは、きっと訊きゃあがる。分らなければ分らねえでいいじゃねえか。建ったら、お詣りにおいで」
「でも、畠のなかへ、いきなり出来るものにしちゃあ、おそろしく、立派じゃございませんか。たれか、金持の地主でも、あそこに守護神を祀ろうとでもいうんで?」
「なにを、この野郎」
「……おや」
「なにが、おやだ」
「怒らなくってもいいじゃありませんか」
「怒らずにいられるか。いうにことをかいて、金持の守護神の碑かとはなんだ。やいっ」
「褒めたんだからいいじゃありませんか。すばらしい碑が建ちそうだから、それで」
「よしてくれ。こうみえても、おれたちのしている仕事は、そんなものたあものが違うんだ」
「へえ……。では、誰ので」
「謹んで聞けよ。楠木正成公の碑だ。見ろ、あの小屋にさえ、注連縄を張って、おれたちは、精進潔斎してやっているんだ」
「楠木? ……なんていうひとですって」
「正成公。正成公を、知らないのか」
「聞いたことがありません」
「あいそが尽きるなあ」
「どこのお方で」
「ばか野郎、この湊川で討死をなすった正成公を知らねえようなやつと、口をきくのも勿体ねえや」
為は、唾をするように、そっぽを向いたが、そこにも、うす汚い浪人者と、旅商人と、この辺の船持旦那らしい男と女と、怪訝な顔して、聞いていた。
「ねえ、ご浪人、おまえさん侍だから、よくご存知だろう。このあんぽんたんに、はなしてやっておくんなさい」
「なにをじゃ」
「正成公のことを」
「知らんて、……身ども、いっこうに、左様な人物のことは弁えん。幼少の折かなんぞに、寺の和尚が物語るのを聞いたことはあるが」
その尾について、船持旦那が、
「足利尊氏と戦った楠木正成だろう。軍記読の辻ばなしで、わしも聞いたことがある。……ヘエ、このへんで死んだのかね」
と、見まわした。
町人にさえ、そのくらいな知識があるとすれば、黙っておられんと、急に腰の大小を思い出したらしく浪人者は、
「あれは、足利将軍家の祖、尊氏のために滅ぼされた賊軍じゃ。父子とも、あえない最期をとげおった」
噴飯にあたいするようなことを、それから図にのって、喋々としゃべり出した。
少々、おもしろくない顔色はしていたが、まさかと思っているまに、為は浪人者のまえへ歩いて行って、
「この味噌ッ糠めっ」
大きな掌のひらで、彼の横顔を張り仆した。
半分の顔を、両手で大げさにかかえて、
「ア痛っ。──おのれ、なにをいたした」
「撲られているくせに、何をされたか、わからねえのか」
「よ、よくも」
抜く手がのろいので、そのすきに、もう一つ、ぱんと喰らわせて、
「正成公を、知らねえのはまだ我慢もできるが、知らねえくせに、与太をとばすのも程にしやがれっ。さむらいのくせにしやがって──この生れぞこないめ」
そしてすばやく、連れをふりかえるやいなや、
「勘太っ。それ、逃げろ」
と、駈けだした。
痩せてもかれても、さむらいはさむらい。浪人者は、
「こやつ」
と、赫怒して、追いかけた。
旅の者、土地の者たちは、
「あぶないっ」
と、どっちへ組すともつかず、声を放ちあった。
抜いたからである。
そしてその白い刃ものが、為のうしろへ届きそうに見えたからであった。
為は、とたんに、草むらの中へ、横ッとびに走りこんだ。
篠に絡んでいる芋のつるに、為はすぐ足をとられて、ころんでしまった。
幸いなことには、浪人者の腕がにぶい。為が蹴とばしたので、その上へふりかぶった刀まで取り落して、横仆れに、腰をついた。
「素ッ首を」
「なにを」
格闘が始まった。
しかし、そうなったところで、幾ぶんでも柔術なり竹刀の下地がある浪人者に、及ばなくなったのは当りまえであった。
「やあいっ、誰かっ、助けてくれえっ」
ついに為は、ありったけな悲鳴を出して、浪人者の下にもがいていた。
すると、その浪人者が、またかれの体のうえから見事にひッくり返った。遠くで見ていた者が笑いだした。
為の連れの者の勘太が、ひっ返して来て、うしろへ近づいていたのも知らず、浪人者は、安んじて、得々と自己の偉力を誇っていたところだったからである。
「為さん、さきへ帰んな。おれがひきうけた」
勘太が立ちむかうと、まるで闘いはちがって来た。浪人者のほうが、手玉にとられて、かかッても、かかッても、気味よく叩きつけられてしまうのであった。
「おぼえておれ」
どこかでまた、ひとが笑った。浪人者は、その笑い声にすら脅やかされて、くるくる舞いしながら逃げ出した。
「やあい、これは、置いてゆくのか」
勘太は、浪人者の落して行った刀を、街道のほうへ、抛ってやった。
そして、為をうながして、
「さあ、行こうよ。大事な仕事の終るまでは、土地の者などと喧嘩しちゃあ、佐々さんに悪い」
河原に添って、歩き出した。
為は、彼の顔を見ていた。夕星と水明りのせいか、きょうに限っていつも小馬鹿にしているもや助とは見えなかった。
「勘太。おめえは、途方もなく強いんだな」
「よせやい。あいてが弱すぎるんだよ。おれの故郷には、船頭や物売りの中にだって、あんなのは歯も立たない腕っぷしのが、幾らだっているさ」
「そういえば、いったいおめえの故郷は、どこなのか」
「東のほうだよ」
「東の方だって、広いじゃねえか」
「箱根のむこうさ」
「へんにかくすなあ」
「おう、もう来たぜ、門前町へ。こん夜は広厳寺で、おれたちを振舞ってくれるってな」
門前町といっても四、五十戸にすぎない部落である。広厳寺がその中心をなしている。
職人たちは、そこここの百姓家へ泊っているのであった。ふたりも農家の一軒へはいって、湯を浴びたり、汗くさい仕事着をぬいで、素袷となったが、こん夜は寺に振舞いがあるというので、晩飯は喰べずに、やがてぶらぶら寺内へ出かけた。
「……あ。どっちの木も、しっかり根がついてら。これなら枯れっこはない」
勘太は、ここへ来ると、きっと二本の低い木の下へ来て、見まわった。
紅梅の木と、松とであった。それはもと、誰が植えたものか、畠のなかの饅頭塚のうえにあったのを、ことしの梅雨の頃、仕事に着手するとともに、この寺内へ移植したものであった。
佐々介三郎は、尺八をよくふいた。
べつに名人の上手のというわけでもないが、素人よりはよく吹いた。
その晩も。
蕎麦切と新酒で職人たちが腹にも酔にも満足してしまうと、
「旦那、また、尺八を聞かせておくんなさい」
と、せがみたて、
「おい、お坊さん、旦那の部屋へ行って尺八を取って来てくれよ。たのむから」
と、わあわあいう。
介三郎は、この寺の一室を間借していた。夜になっても、何の刺戟とてない、この辺なので、一管の尺八は、すばらしい感興を人に喚ぶ。
「そうじゃ、持ってこよう」
聞きたいのは、職人たちばかりではない。僧たちも、共々に強いる。
「吹くよ。吹くから待て」
むりに、手へ尺八を持たせられて、介三郎は、くすぐられたように体をまるくした。四十をこえていても、酔うと子どものように、他愛なく笑うひとだった。
「旦那だって、吹きたいんでしょう。こんなに、大勢から、やんやと持てては」
「ばかをいえ。おまえたちに聞かせるほどなら、野中でただ独り吹いていたほうが、よほどよく吹ける」
「そら、始まったぞ。旦那の勿体ぶりが」
「でも。ほんとだ」
「そんなに、わしらの耳はふし穴ですかね」
「まあ……な」
「ひどい、ひどい」
親方の権三も、職人たちも、わざと息まいて見せる。竹の歌口をなめながら、介三郎は肩をゆすぶった。
すると、隅にいた勘太が、
「こちらの耳がふし穴でも、吹き人がほんとうに心を入れてふけば、通じるはずでしょう」
と、いった。
介三郎は、ぎょっとしたように振向いて、
「もや助か。生意気なことをいうなあ。どこで覚えた、そんな文句を」
「あそこに書いてあります」
「どこに」
「床の間に」
見ると、なるほど、二行の双幅に、こう書いてある。ひとつには、
もうひとつの幅には、
「もや助。おまえにはこれが読めるのか」
「……どうにか」
「えらいな」
「でも、これくらいは、わしの国では、駕かきでも、船頭でもみな読みます」
「ふム……どこだ、故郷は」
「えっ」
「生れはどこか。そちの郷里は」
「さ……その、東国のほうで」
勘太は、ひどくまごついて、後悔のいろすら見せた。
「おかしな奴だな」
一笑を放って、介三郎は身を起すと、突然、縁がわのほうへ立った。開け放した角の黒い柱に背をもたせかけ、しばし竹の歌口をしめしたり、唇を離して、瞑目したりしていた。
「みんな、寝ころんで聞いていいぞ。おれは、虚空が聞き手で、おまえたちが聞き人とは、思っていないんだから。──おまえたちは草の根にいる虫だと思っている」
「へえ……じゃあわし達は、耳はふし穴で、身はおけらですか」
「あははは。そんなに卑下せんでもいい。おれが吹きはじめようとすると、おまえたちが共に、硬くなって、息ぐるしそうに、突っぱっておるから、気楽にさせてやろうと思って申したことだ。……竹の音と一しょに、たましいを宇宙に遊ばせるつもりで聞け。よいか、気楽に」
と、尺八に眼をふさいだ。
夜の蛙みたいに、いつのまにかみな考えているような恰好していた。膝のあいだに顔を埋めているのもあるし、背をまろくして横向きになったままでいるのもある。
「……虚空という曲だよ」
そう教えてから介三郎は一管をふき鳴らしたのである。かれらは、訓えられることに素直であった。なんら、懐疑する知性に煩わされないからである。
「──竹の孔からながれ出て天界へのぼってゆく尺八の音に乗せて、自分のたましいをも縹渺と宇宙に遊ばせるつもりで聴いていればよい」
そう訓えられたことにも、その通りにしようと努めて、眼をふさぎ合っているらしく思われる。
かれらが、どう聴いているか。
それは、吹いている介三郎にもよくわかるのであった。
従って、妙音の出るも出ないも実は吹き人になくて、聴き手にあるともいえる。
吹くもの、聴くもの、いつのまにか一つになる。そのとき一管の竹は、いったい誰に吹かれているかをつきつめると、これは神でしかないことになる。
入神の技の持主とは、そういう一瞬を地上に呼び降ろすひとのことをいう。けれどどんな名人を坐らせても、一方的にそれ独りでは天界の悦楽を地上に降ろすことはできない。ただ尺八のことだけとは限るまい。名僧が法を説くにも、剣が心剣の妙を顕わすのも、政治をするものが民にのぞむにも。
──さて、それは措いて、曲が終ると、職人たちは、天上の高士から、もとの蛙に返ったような顔して、
「ああ、よかった」
わけは分らずに礼讃した。といってそれはお世辞ではない。やはり満足感であった。
にわかに彼らは立ち始めた。あとはめいめいの農家の宿所に帰って、寝ることしか考えていなかった。
「勘太、おまえは、何を泣いていた。尺八をきくと、泣く癖でもあるのか」
帰りかけるかれをつかまえて、介三郎がいったのである。どうやらそれは本当らしい。勘太はあわてて顔をそむけた。
「嘘ですよ、旦那。泣いてなんぞいやしません。……そんな変な癖なんか」
草履が見つからずに、皆よりひと足おくれて出て行った。
雨が久しく降らないので、土が乾きぬいていた。勘太は、この春塚の上から移植したばかりの梅と松が、その帰りがけにも気にかかったとみえて、庫裡から水桶をさげて来て、その根に一杯ずつの水を与え、これで寝られるというふうに独りであとから山門を出た。
部落のほうへ向って、低い石段がある。そこをかれが降りかけたときだった。蝙蝠のような人影が、ひらっとかれの側へとびついたと思うと、何か針のような光ものが掠めた。
「あっ。畜生っ」
よろよろと下の段までよろけて行って、勘太は、べたりと、坐ってしまった。山門を閉めに来た僧侶の影が見えたので、刀を片手にさげた浪人者は、
「ざまを見ろ」
と、一声の悪罵をあびせて、村道から湊川のほうへ向って逃げ走って行った。
佐々介三郎は、寺の一室へはいって、眠るべく帯をときかけていた。呼びたてる僧の声に、解きかけた帯をしめ直してすぐ山門へ行った。勘太のうけた切傷は、あいての腕がにぶかったのが倖せで、後頭部をそれて背なかを斜めに斬っていた。傷口は長いが、刀痕はふかくない、ただ血しおは一時おそろしく全身をよごした。
「だいじょうぶです、旦那。……大丈夫ですから、自分の宿へかえります」
介三郎の肩に扶けられながら、勘太はしきりに拒んでいた。いや、かれの居室へ運ばれて行くのを遠慮して身をもがくのであるらしい。
素人療治でも癒る薄傷と思われたが、寺僧は遠くまで行って外科医をよび迎えて来た。もちろん生命には別条なく、およそ半月も寝ていたら元の体になろうということだった。
しかし、夜があけて、いつものように介三郎が仕事場へ出かけようとすると、勘太もむくりと起きようとする。どこへ行くかとたずねると、
「……仕事場へ」
と、どう止めても、行くといい張って、きかないのであった。
介三郎はついに大きな声を出してどなりつけた。
「ばかっ」
そして、わざと、不きげん極まる顔つきして、さッさと出かけてしまった。
湊川の仕事場へ来てみると、まだ露ッぽい草のなかに、石権も為も、そのほかの職人も、みな腕ぐみして、茫然と突っ立っている。
「どうかいたしたのか」
様子がおかしいので、介三郎はすぐたずねた。あたりを見ると、小屋のなかに仕舞っておいた道具箱の道具が所きらわず抛り出してあるし、小屋の中も、塚の上も、踏みにじって、何者かが乱暴狼藉を働いたらしい跡がある。
「どうもこうも、ありやしませんや。ごらんなさい、小屋の裏を」
石権が指さすので、そこをのぞいてみると、小屋の背なかが半焦げになっている。放け火をしたあとが明らかに分る。
「ゆうべの、寒鴉にちげえねえ。勘太をやッつけたのも、小屋をこんなにしやがったのも、あの鼻の先のひん曲った色の黒い素浪人だ。ねえ旦那、いまも親方に頼んでいるところだが、後生ですからきょうだけ仕事を休ませておくんなさい。足を摺粉木にしても、野郎をつかまえ出して、この仕返しをしてくれなくっちゃならねえ」
為吉は息まいていった。
為ばかりでなく、職人たちはみな青すじを立てている。このごう腹が癒えないうちは、仕事になんぞかかれるか──といわんばかりな顔いろである。
「仕事を休む。そいつはいかん。……まあ、怺えて、仕事にかかってくれ」
「どうしてですえ」
「つまらんではないか。泥棒に追い銭のようなものだ」
「できませんよ、このむらむらする虫を抑えて、仕事をしろなんていっても」
「仕事をしているうちに、自然と仕事にむらむらも忘れてしまう。さあかかろう」
「いやだ。やるやつはやれ。三度のお飯をいただいている仕事道具をこんなにされ、親方が精進潔斎して彫った碑銘まで、あんなに土足で踏みにじられているのに……べら棒め、だまっていられるかってんだ。おれひとりでも、野郎をとっ捕まえに行くぜ。みんなは仕事していねえ」
為はきかない。
むっと、燃やした顔と、ことばの勢いで、すぐにも何処かへ行きそうにした。介三郎はゆうべの次第をきいているので、かれの強がりを先にたしなめた。
「為。──意気はいいが、また浪人者に追いまわされて、悲鳴をあげては何もなるまい。それに、ここらの形跡を見ると、ひとりでやった狼藉ではない。三人ぐらいな仲間はあるらしい。……だいじょうぶか貴様、ひとりで参っても」
「……へい」
「よせよせ。介三郎にまかせておけ。さあ権三、親方のそちから仕事にかからんではだめではないか。晩にまた、わしが尺八でも聴かせるから、きげんを直してかかってくれ。さあ、かかってくれい。……頼むから」
介三郎はもろ肌をぬいで、饅頭山のうえにのぼった。そして、きのうと同じように地形ならしの鍬を持ちはじめた。
「やれよ、みんな」
親方の石権はそれを見ると、急に職人たちを叱りとばした。けれど我慢のならない渋面をたれよりも濃く持っているのもその石権だった。
その日は、誰もかれも、むッつり無口をつづけて、ただ仕事だけをしていた。
あくる日も。
次の日も。
まるで嘘のよりあいのように、仕事場は気が冴えなかった。
時々、ため息のように、
「ごう腹だなあ。考えだすと、おらあ癪にさわって、たまらねえ」
為が大声を出した。
親方の石権も、職人たちも、それを聞くと、いささか慰められたように、
「忌々しいが、仕方がねえ。佐々の旦那は、喧嘩がきらいなんだから」
介三郎へ、つらあてのように呟いたりした。幾ぶんかれの武士精神を疑っているらしい口吻もある。
これだけで終っていたら、あるいはかれらのごう腹虫も、いつとなく解消されていたかもしれないが、その事あってから約七日ほど後、ここの人々がつねの如く孜々として汗と泥にまみれていると、すぐそばの街道を、昼酒に酔って、ふざけながら通りかけた三人の浪人者が、
「……あれだよ」
「あれか。……ふうむ」
「なんだい、侍のくせに、鍬をもってるなあ」
「水戸の百姓侍だそうだ」
「水戸か。なるほど」
何がなるほどなのか、顎をしゃくったり、眼まぜをしたり、鼻で笑ったりして、小楊枝のさきで歯をせせりながら見物していたが、そのうちに、げたげた笑い出した。
ふと、為がふりむいて、まっ先に眼にかどをたてた。
「あっ、あいつだ」
ほかの連中もひとしく、
「畜生。なんていけずうずうしいんだろう。勘太を斬ったのも、小屋荒しをしやがったのも、あの浪人者だ、いやあいつらが、みんなしてやったにちげえねえ」
みな後方を向いて、挑戦を示した。石権も、金槌をさげて、すわといえば、職人の先に立ちそうな構えをしていた。
いや、もっと物すごい血相を一瞬見せたのは、ついきのうから、まだ傷口の治療も十分でないのに、むりに働きに出ていた勘太だった。
ふだんの柔順を一変して、兇猛に近い眼いろにすら見えた。
けれど、その勘太は、すぐうつ向いて、石のこばを鑿でくんくん叩きはじめた。懸命に彼方を見まいと、自制しているらしいのが、鑿の音にもわかるのだった。
「おい、みんな、これ権三までもどうしたものだ。……なぜ仕事をやめる、仕事をせい、仕事を」
ひとり佐々介三郎だけは、初めから眼もくれずに、黙々、鍬の手をつづけていた。
「あれほど、わしがいってあるのに、聞きわけのない。……こうして働いている汗にも、蠅もたかれば虻も来る。そんなものに、いちいち熱り立っていては何もできん。──さあ仕事仕事仕事で忘れろ」
介三郎のことばには、たれも逆らう気になれないのである。忌々しさはべつに措いて、また一同は仕事へ向き直った。
この数日で、仕事はいちじるしく進んでいた。虫を抑えて、仕事へ癇癪をうちこんだのが、能率をあげた一因かもしれない。地形はほぼすみ、底石をしき、鏡の入れてある石棺まで埋めこんだ。
あとはそのうえに亀石をすえ、壇石に組みあげることになる。石材の磨きだの彫りだのは、すでに出来ているので、築きあげる順序になれば、眼にみえて竣工は近づく予定である。
「……あっ。ヤ、ヤ、あのけだもの」
どうも気を散らすのは、いつでも為が先であった。為はまた頓狂な声でどなった。
「野郎、こっちを向いて、尿をしていやがる。──佐々の旦那、もうなんぼ何でも、堪忍はできますまい。注連を張って、おれたちは仕事をしているってえのに、犬のような」
「為っ、うるさい、黙って仕事せい!」
介三郎はめずらしく、為のおしゃべりを、一喝して、あやうくまた躁ぎかけた一同の気をさきに圧えた。
何をやっても怒らない──いや怒れない弱虫と、あまく見たにちがいない。
三人ぐみの浪人者は、それからというもの、毎日のように大手を振って、そこの街道を往来した。
時には、遊び人ていの男を交じえて、生田あたりの怪しげな女などを連れ、真昼なかを人もなげにふざけちらして歩いたりする。
見るな、聞くな、いうな。
介三郎からそう固く封じられている職人たちは、歯がみをして、ただ仕事に精をそそいでいた。
碑の壇石は敷かれた。
九月に入っては、墓山のまわりを、毎日、土叩きしてかため、碑のまわりに神垣を結びはじめた。
十月には、碑の裏面に彫る「楠公賛」の文が、筆者の岡村元春からとどいたので、石屋の権三郎親方は、新たに京都からよんだ六人の石工を督して、それを注連小屋のうちで、彫りにかからせた。
この文章は、光圀の起稿ではない。光圀が尊敬し師事していた朱舜水の文集のうちにある楠公画賛の一文をとって、碑銘に用いたものである。
筆者の岡村元春は、介三郎の旧友だった。また、碑の正面は光圀の「嗚呼忠臣楠子之墓」の八文字でよいとしても碑陰の文がないのはさびしいといって、この事を老公に献言したのも介三郎であった。
「ともあれ、年内には相違なく、出来あがろうな」
介三郎のことばに、石権は責任をもって答えた。
「かならず、やり上げます」
「たのむぞ、明春には、老公へもよいお報らせして、およろこびを得たいからな」
「うけあいました」
十一月にはいる。
このあいだ、雨の日やら、湊川の出水やら、また墓山のくずれから、基礎の亀石や壇石に狂いが生じたりなどして、あと年内の日も、数えられるほどに迫って来たのに、工事はなかなか予定どおりにゆかなかった。
このあいだに、佐々介三郎は、京都や大坂などへ、幾たびか出かけていたが、いつも数日で帰って来ていた。
例の浪人者と、職人たちのあいだが、旅へ出ても、気にかかるからだった。
年暮の十日ごろ、碑陰の文は彫りあがった。
勘太は、湊川から、荷担いの水桶で、何度も河水を汲んで来た。たわしで碑を洗いあげるのだった。
幾百年ののち、光圀という故人も知らなかったひとが、この碑を作り、そして自分たちがこうして今、それを世に建てる前に、湊川の水で洗っている──
もし霊あれば、湊川の水は、かならず正成を再生させるであろう。七度生れかわって国を護ろうとさけんだあの霊が。
「…………」
水を汲みに通いながら、勘太はそんなことを考えていた。するともう冬ざれの草原を踏んで、がさがさと歩いて来た四、五人がある。
恟ッとして立ちどまると、勘太は背なかの刀傷に、冬の痛みを急に思い出した。
例の三人づれである。
ほかにこの土地のばくち打ちの親分らしい風体の恐いのがふたり、地所でも買うような顔して見まわしていた。
「この辺ならいいが、小屋がけにするにゃあ、石ッころが多くてしようがねえ。あの畠地の中の草っ原はいい恰好に丘の陰になっているが、なんだい、あの上におっ建った変な碑は」
花隈の熊というと、この辺の漁村や町では、恐がられている親分である。もうひとりは生田の万とかいう精猛なる懶け者であった。
たびたび通る浪人者は、こういう仲間につかわれている用心棒とでもいうものか、二本の刀のてまえもなく、それにペコペコしていった。
「そうだ、あの石屋の小屋が空いていたが。あいつを借りうけて、蓆でも張り出しゃあ持って来いだ。てまえが懸合って、三日のあいだ、あいつらを追っ払うことにしますから、親分、ちょっとここで、待っていておくんなさい」
碑は竣工に近づいている。
職人たちは、黙々と、冬日の下に身を屈めて、各〻の仕事に他念がない。
介三郎は、遠く離れて、碑面をながめていた。
石権もそばに立っていた。
──と、職人たちの中へ、ぶらりと、ふところ手や、肩をいからして、浪人者の三名が、彼方から来てじろじろ見まわしていた。
「ああ、これか」
と、ひとりが、ふところ手のまま、楠公の碑を仰ぐと、ほかのふたりが、
「そろそろ出来あがりらしいが、小一年はかかっている。つまらねえものに、金をかけたものさ。雨ざらしにするものを」
と、せせら笑っている。
職人たちは、生唾をのんで、憤りの虫をころしていた。
見るな、聞くな、いうな。
の戒めを、ここだと、我慢しあって、知らぬていをしていた。
すると、浪人者のほうから、
「おいおい、たれか、はなしの分るのはいないのか」
「…………」
いよいよみな黙りこくッて仕事に向っていると、また、
「耳がないのか。どいつも、こいつも」
為吉が、ついにいきなり、
「なんだっ」
と、腰をあげて、三人を睨めかえした。
へらへらと、ひとりの浪人者が笑い出した。そして馴々しく、為のそばへ寄って、
「やあ、いつかの大将だな、そういつまで眼にかど立てているな。よく水汲みしておる、勘太というか、あいつもあれ以来は、すっかり俺におとなしくなってしまった。武士にたてを突くなど、損得を知らぬ骨頂というものだぞ」
「ここは仕事場だ、あっちへ行ってくれ」
「わかったか。ははは」
「あっちへ行ってくれ」
「いや、きょうは俺のほうから用事があるのだ。そこの小屋が空いたようだから、三日ばかり貸してもらいたい。ついでに、貴さまたちも、三日ばかり仕事を休め」
「じょうだんいっちゃ困る。年内にやりあげるので、あとの日数も足らないところだ」
「だれが、じょうだんを申したか、まッこのとおり、俺はほん気でいってるのだ。俺のほうでも年の暮どうしてもここが要用なのだ」
「要用だって、ひとの仕事場へ来て、仕事を休めの、小屋を空けろのと、そんなばかなはなしがあるもんか」
「こら、こら、その方などでは、はなしが分らん。分る者をひっぱって来い。この辺の顔役、花隈の熊と、生田の万という親分が、この街道すじの客をあいてに、毎年の例で、野天で餅つきの盆ござ興行をいたすのだ。それには、ここが恰好な場所ゆえ、三日のあいだ、立退けとはいわん、貸せと申すのだ。わかる者をつれて来い」
この浪人たちの日常語は、無頼の徒とすこしも変るところはないが、あいてを脅かそうという意識をもつときだけ、武士言葉をつかう習性になっているらしい。同時に、ヘンに肩を張って、刀の鯉口などをひねくるのであった。
「なんだい、為」
うしろへ人の気配がしたので、浪人たちはすぐ身をねじった。石権と介三郎が、だまって聞いていたのである。
介三郎へは、さすがに少し小気味のわるいものを感じているらしく、浪人者はかれを無視して、石権へ懸合いにかかった。
「親方か、その方は」
「そうです」
「いま、聞いての通り、土地の顔役が、餅つき興行に、ここを借りたいと仰っしゃるのだ。いくらかの酒代はもらってやるから、三日のあいだ、あの小屋と、この辺に、ずっと縄を張って、借りうけるぞ。苦情はあるまいな」
石権の顔いろが変った。こめかみの辺に青すじが膨らんでいる。さすがに浪人たちも、その血相にたじろいで、すこし足をひいたが、もちろん虚勢は依然として張っていた。
そういう危険がすぐ眼に見えたので、介三郎はあわてて側から口を出した。
「やあ、てまえは佐々介三郎と申し、ここの工事を督しておるものでござるが──ただいまのおはなし、何の儀か、よう意味がわからぬが、いったいここで何をおやりなさろうという仰せか」
すると浪人三名も、
「申しおくれた、この方は柴田一角という」
「それがしは牟礼大八」
「やつがれは、浮田甚兵衛。……こう顔をそろえて来たわけは、われわれの世話になっている土地の顔役が」
「あいや、それは承ったが、餅つき興行とやら、盆ござとやら何をいたすことですか」
「いうまでもなく、野天ばくち。毎年の例で、この辺の港場の船持、漁夫、町の金持、街道すじの旅の者などみな集まる。──以前は寺を借りうけたものだが、人寄せには寄りが悪いし、町中では、年じゅう同じ場所というので、集まる顔が変らない。そこで野天が吉例となっておるが、──就いてはだな」
「あ。しばらく」
「なんだ。嫌というのか」
「すると……ばくちですな」
「いかにも」
「賭博は国法で天下に禁じてあるはずですが」
「知れきったことを」
「それを白日の下で、しかも往還に近い街道すじでやれるのでござるか」
「やれるから、やるのだ」
「役人が参りませぬかな」
「役人。……役人などはおれたちの飲み友達だ。それに今年が初めてじゃなし、ちゃんと、渡りがついておる」
「……ふふむ」
介三郎は感服のていを示して、敢て、それ以上はいうことを好まぬように、
「では。おやりなさい」
「いいな。むむ」
と、顧み合って、
「あの空小屋も借りるぞ。また蓆掛けを足すから、この辺にも、ずっと、露店の物売りが並ぶだろう。まあ三日間は、仕事のほうは、休んでくれい」
「工事は休めぬ。職人どもの仕事はこれにて続けておるから、そちらは、こっちにかけかまいなく」
「でも、雑沓するぞ」
「まさか、墳墓の地域にまで、混雑はして来ますまい」
「小屋のまわりと、通り道だけだが」
「しからば、ご随意に」
「はなしは、まとまった。……おういっ、親分」
手をあげて、彼方をさしまねくと、花隈の熊と、生田の万は、まるで亀石みたいな大きな顔を持ってのそりと歩いて来た。
「どうしたい、懸合いは」
「つきましたさ」
「ついたか」
「さっそく、蓆掛けですが」
「小屋はできているんだから造作あねえ」
「でもいろいろと、持込ませなくっちゃなりますまい」
「あさってからのことだ。あしたでいい。そうきまったら、そこらへ飲みに行こう」
「また、ですか」
「何をいう。悪くもねえくせに。はははは」
ぞろぞろと、街道のほうへ出て行った。
眼を三角にして、青すじを立てていた石権は、見送っているうちに、口惜し涙というのであろう、ぼろぼろと、こぼれるのを、あわてて横腕でこすると、
「だ、旦那っ。虫をころすのも、いいかげんにしておくんなさい」
と、いきなり介三郎の肩を突いて、喰ってかかった。
ついに親方の石権が、堪忍ぶくろを破ったと知ると、職人たちも一斉に戦ぎ立って、
「やろうっ」
「やっちまえ、やっちまえ」
「こうなれやあ、血の雨でも、槍の雨でも持って来いだ」
「佐々の旦那あ、見ていておくんなさい。しっ腰のない主持ちのおさむらいなんぞにゃあ、どうせ喧嘩はできまい」
そこらの角丸太、金づち、切れ物などを、手当り次第に持つと、あわや一かたまりの旋風になって、あとを追いかけようとした。
すると、その中へ、抛り出すように、荷担の水桶をおいて、肩の天秤をはずすやいな、両手をひろげて、一同をさえぎった者がある。
「待ってくれっ。みなさん、待っておくんなさい」
「あ、勘太じゃあねえか」
「へい、勘太です」
「ばか野郎、なんで止めるんだ。いわばてめえの復讐のようなものだ。その天秤を持って、おれたちのあとについて来い」
「いけません、いけません。仕事と喧嘩と、どっちが大事か考えておくんなさい。後生ですから、もうひとつ虫を抑えて」
と、勘太はまた、石権のまえへ来て、
「親方親方。あなたもまあ、ここんところは……」
と、口を極めて、宥めるのだった。
「お腹のたつのはもっともですが、佐々の旦那にしろ、何もあんな虫ケラどもが恐ろしくて、あいつらの難題をご承知なすったわけでもございますまい。──わしなんざ、現にあの中の浪人のひとりに、闇討ちをくらって、そのときの刀痕は、まだ朝夕の寒さにはうずいてなりません。でも、堪忍というのはここだ、大義と小義というのはこんな事にもいえるんだと、そう……いやそのたびに、楠木正成公のご一族がお忍びなすった無念さなどを思い合せましてね……へへへ、みんな佐々の旦那からの聞きかじりですが、何につけても、楠公のことを考えるんでさ。すると、なんともありませんや。……あはははは、こんな吝ッたれた喧嘩なんざあ、おかしくって、売る気にも買う気にもなれやしません」
「…………」
介三郎は、勘太の面を、じいっと見入っていたが、思い出したように、そうだ、と一つ大きく頷いた。
楠子一族のことを思えといわれたような気がしたか、石権もはっと、自分の怒りをくだらないと悟って、
「いや旦那、大きにてまえの浅慮でした。もう何もいいますまい。……それにしても勘太、おめえからお講義を喰おうたあ思わなかった。おめえもまたいつのまにか、佐々の旦那にそっくりな口吻になったなあ」
「どうも面目ございません」
「なんの面目ねえことがあるものか。おれだって欣しい」
「ここのお墓の土をふみ、湊川の水を毎日汲んでいて、身に沁みなかったら、人間じゃございません、一日ましにそう思って来たせいか、もうここの仕事も、年内でおしまいになるのかと思うと、なんだかさびしい気がします」
「てめえにそういわれると、あなにでも入りたくなった。佐々の旦那、つまらねえことに暇をつぶしました。精出して取り返しますから、旦那も気を直しておくんなさい」
その日もここの仕事場は、そこらの畑や枯れ葦に夕霜の白く暮れるまで、みな仕事から離れなかった。
次の日となると。
花隈の熊の子分らしいのが、たくさんな竿竹だの筵だの、また蒲団だとか火鉢だとか、まるで引っ越し荷物ほど、何台かの車で運んで来て、
「なるほど、ここはお誂えむきだ」
と、建碑小屋をわが物顔に陣取ってしまった。そして、そこの横や裏手へ、さらに竹竿や細丸太でむしろ掛けを張り出し、
「こいつあいい」
と、その晩から、寝泊りするらしく、夕方には、七輪で煮ものしたり、酒など燗していた。
すぐそばの墓山では、碑を中心として、介三郎以下の者が、終日、ひっそりと仕事にいそしんでいた。
この敬虔な職人たちの手によってきれいになった霊地を、無用なあぶれ者の土足に踏み荒されるのは忍びないこととして、介三郎はあらかじめ、墳墓の丘のまわりに縄を張っておいた。
そして、その四方に、
と、板ぎれに書いて、制札のように立てさせておいた。
にわかに隣り合った野天ばくちの小屋の者は、見ても無関心だった。第一、ここに立った碑にたいしてすら何の関心もないらしい。ただあしたの天気や客集まりばかりを案じて時々、聞くにたえない戯れを大声で投げあっていた。
「罰あたりめが。大雨にでもなればいい……」
と、職人たちや、為などは、帰り途でつぶやいたが、親方の石権が、
「ばかをいえ、大雨になんぞなられたら、こっちも困る」
といったので、その日初めて、みんなして笑った。
あくる朝、来てみると、仕事場の附近は、まるで景色がちがっている。馬市でも立つように、畑道や草原のなかに、煮売屋が出ているし、さまざまな露店商人が荷をひろげている。
「三日の辛抱だ。たのむぞ」
介三郎は、みなへいい渡した。
「だいじょうぶです」
一斉に答えた。我慢というものは、こうなると、自分の意地にたいしてすることになるらしい。
午ごろから、ぼつぼつ客が寄って来た。その人間がどれもこれも、無為徒食をその風体にあらわしていた。こんなに遊んでいる人間がみなどうして百姓以上に衣食できるのかふしぎな事だった。いや、それも人目を憚ったり世間をおそれてならまだしも、長い刀を横たえていたり、肩をいからして、子分や女を連れあるいたり、畑に働いている者をつかまえて、やたらに土百姓呼ばわりをしてみたり、ばくちに倦みはてたあげくは、自棄になって、飲んだり食ったりへどを吐いたり──日も暮がたに近づくと、いやはや言語道断な狼藉であった。
「……頭が痛くなった」
終日、隣り合って、黙々と、唖の行をまもり通して働いていた石権や職人たちは、はや手もとも暗くなったので、仕事をしまいながら呟いた。
寒さも夜も忘れはてて、小屋のあたりでは、焚火をし、小屋の中では、大きな蝋燭をいっぱいつけて熱していた。
すると突然。そこの蝋燭の灯が大勢のあたまの上に火襷を描いて飛び合った。
「──な、なにしやがるっ」
「野郎っ」
わけがわからない。
総立ちになって、そこにいる人間が全部、小桶のそこの泥鰌みたいに、足を揃え、頤をつかみ、ものすごい喧嘩をしはじめた。
こういう仲間の喧嘩ばかりは、いきさつも心理も局外者にはよく分るところでない。
泥鰌の格闘は、小屋の中だけかと思っていると、いつのまにか裏手のほうでもやっているし、横のほうでもやっている。
「こいつあ、おもしろい」
石権や職人たちは、帰りかけたところだったが、高見の見物とながめていた。
為は勘太にいった。
「わかった。この喧嘩は、おととい連れ立って来た、生田の万と、花隈の熊と、あのふたりの喧嘩だぞ」
「そうかな」
「そうだとも、両方でわめき合っているいい分で知れるじゃあねえか。初めはふたりの顔役が合同でやるはなしだったのを、あれから何かもつれ合って、花隈の熊のほうが、一手でやり出したものだから、生田の万の子分が荒らしにやって来たんだ」
「……ふふむ、そうかな」
「そうかなあって、てめえだって以前はああいう仲間とつきあったこともあるんだろう」
「あるから、浅ましさに、身ぶるいをしてるんだよ」
勘太のことばは、かれの心を正直にもらした唸きだった。
ところが、喧嘩の渦は、やがてこっちの縄内まで氾濫して来た。そこらの焚火も露店の火も、ばたばたと消えてしまい、野良犬の咬みあいみたいに、異様なさけびや、刃ものの光ばかりが闇に残されている。
血まみれになって、ひとり碑の丘へ逃げあがって来たのがある。おそろしい形相で、それを追いかけて来たのは、かねてから顔もよくわかっている花隈の用心棒の浮田甚兵衛と柴田一角という浪人者であった。
さっきからそこに立って、腕ぐみしたまま、黙然と見ていた佐々介三郎は、そのとき初めて、
「下司っ、退れっ」
と、かれらへ向って一喝を与えた。
甚兵衛も一角も、およそかれという者を甘く見ぬいてなめきっているので、ちょっと、気魄にはびっくりしたらしいが、すぐ恐ろしい顔つきを、見よがしに突きだして、
「だれかと思えば、てめえはここの墓番だな。邪魔すると、ついでに、ぶった斬るぞ」
「降りろっ。足が曲がるぞよ」
「な、なんだと」
「汝らの足に踏ませていい霊地ではない。降りねば、投げとばすぞ」
「こいつが、大口を」
吠え終らないうちを、大口の証明は介三郎が伸ばした両腕によってなされた。かれはふたりの浪人者の襟がみを、まことに無造作につかんでしまった。いくらトゲを立て毒を吹く悪魚でも、漁夫はそれを掴むのに何のためらいもしていないようにである。
「かッ……こ、この」
「ちく、ちくしょうっ」
ふたりは、しきりと刃ものを振ったが、介三郎の足にも腰にも触れることはできなかった。介三郎は、そのままぐんぐんと歩き、
「やめろっ、やめろっ、喧嘩はやめいっ。──この縄内からみな外へ出ろ。出ないやつはみなごろしにいたすぞ。この霊所を守る建碑の奉行、佐々介三郎が承知せぬぞっ」
と、声をからして鎮めた。
大げさにいえば梵鐘のなりわたるにも似ていた。その大声にはさしもの野良犬も敵味方をとわず一度はびくとしたようだったが、すぐもとの噛みあいがつづいて、水をかけてもやみそうでなかった。
「やめぬかっ。やめんか!」
両手に吊るしている甚兵衛と一角を振りまわして、介三郎は泥鰌の群をたたきつぶして通った。人間をもって人間を撲る。毒をもって毒を制すの程度ではない。これはよほどな腕力の持主でなければ能わぬところである。
この事態にたいしては、花隈の熊も、生田の万も、また柴田、牟礼、浮田などの輩も、もはや仲間喧嘩はしていられなくなった。
「墓守の佐々とかいう田舎ざむらいからさきに片づけろ」
「あいつをのめせ、あいつから先にたたんじまえ」
「こっちの勝負はそのうえで来い」
べつな強敵を迎えたかれらはたちまち、ならず者とならず者との団結の精神をあらわして、一たんの頽勢をもりかえし、佐々介三郎ひとりへ向って、暴風のごとく襲いかかって来た。
かくなれば、日ごろ介三郎から戒められて、我慢に我慢していた職人たちも、黙視しているところではなかった。
「見やがれ、うじ虫」
「ござんなれだ」
「ふみ潰せ」
と、猛然、それに当って、さながら甲冑のない合戦を思わすような、すさまじい死闘を展開した。
これは怖ろしく強かった。
かれらは、自分たちの腕力が、正しいことを知っていたし、半年の鬱憤をいま一度に爆発させて起った勢いである。
わけても、ふだん黙々として、だれよりも堪忍のつよそうだった勘太は、事ここにいたると、たれよりも兇暴な生命知らずの本質をあらわし、あいてのものを奪って、またたくまに四、五人の人命は、無造作に手にかけていた。
「勘太、勘太っ。そう殺すな。斬りころしてはならん。みね打ちをくらわせい」
気がついて、介三郎はそう呶鳴っていた。しかしその介三郎とて、投げても、踏みつぶしても、かわるがわるおめきかかるうじ虫勢には、ほとほと防禦の手もつきて、いまは腰なる一刀を抜きはらっていた。
「みね打ちで、みね打ちで」
自分にもいい、勘太にも注意したのである。けれど、われ知らず突く手も出るし、返す切ッさきに当る者もあるので、時折、刀のさきからぴゅっと鮮血がとんだ。
勝敗はすぐ決したといっていい短時間のうちに終った。わっと、怯みだすと、うじ虫勢は恥も意地もなく先を争った。
逃げるを追って、職人たちは、ここぞとばかり、丸太でなぐる、足を払う、金づちで叩き伏せる、天秤棒でどやしつける。ほとんど半数はあなたこなたにおいて足腰も立たない程度にのしてしまった。
そのあと……
ほっと大息を肩でついたまま、みなしばらくは、茫然と、各〻が各〻のいるところに立っていた。
墨のような夜である。
湊川の水音だけが枯れ草をそよがせてくる。小ぬか星が寒々と白い。そして、面を打つものは、風でもなく、寒さでもなかった、何ともいえない血のにおいである。
「……ううむう。ううむ」
うめいている者、うごかない者、かさこそと、血まみれのまま、這い出してゆこうとする者など──ずっと見まわしても二十人のうえはある。
「権三。おるか」
「へい」
「勘太、どうした」
「どうもしません」
「みんな来い」
介三郎は呼びあつめ、
「怪我人や、気を失っているものを、ひとまず小屋へみな運びこめ」
「へい」
「むしろや、ふとんや、何でもあつめて、寒くないようにしてやれ。──それから勘太、おまえが怪我をした時かかった医者を急いで呼んで来い」
「へい」
「それから為」
「へい」
「おまえは寺へ行って、ぼろきれや焼酎など、応急の手当てをする物やら、もっと寝具など、たくさん借りて来い。ひとりでは持ちきれまい三、四人つれて」
為も勘太ももどって来ないうちに、広厳寺の僧たちが、提灯をたずさえて、駈けつけて来た。
「たいへんな事になりましたものですなあ……」
凄愴な光景を見て、僧たちは歯の根をふるわせていた。
「どうなさるおつもりです、佐々さん」
「いま、土地の役所へ、使いをやりましたから、検視が来るでしょう」
「きついご迷惑がかかるかも知れませんな、死人もございましょう」
「四人ばかりは助かりそうもない」
介三郎は、小屋のうちをふり顧って、そこに枕をならべている怪我人どものうめきにちょっと眉をひそめた。
「──が、ご心配には及びません。いい開きはそれがしが十分いたしますゆえ」
「黒白は分りきっていますが、何分にも、土地の役人のうちには、顔役などと、かなり親しいものもいないではありませんから」
そうこうしているうちに、為と四、五人の職人がもどって来た。介三郎は人々を手伝わせて、怪我人たちの手当にかかった。
浅傷のものは逃げているので、残ったものには重傷が多い。
介三郎や石権や勘太などが、その傷負いをひとりひとり抱き起して、傷口を洗ってやったり、ぼろきれで仮の繃帯をほどこしてやっても、かれらはまだ狼のように、ともすれば噛みつきそうな顔をしていた。
「……み、みやがれ」
「忌々しいなあ」
と、うめきと共に、声に出していう者もある。
そのなかに花隈の熊も、片腕を斬られてころがっていた。番犬浪人の牟礼大八と浮田甚兵衛も血にまみれていた。
「斬ろっ、斬るなら斬ろ」
大八は、血にあがって、いうことも少し狂わしく、わめきつづけていた。
為がいった。
「佐々の旦那。寺からいろんな物は借りて来たが、いっそのこと、寺の衆に頼んじまったらどうです。こんなうじ虫」
「わし達の手にかけた者だ、癒すのも、わし達の手でやろう」
「えっ、そんな面倒まで、見てやるつもりですか。寺に頼めねえなら、村の百姓家へでも運びこんでは」
「いやいや、百姓たちの迷惑になろう。こんな血なまぐさいものを、村へ持ちこむだけでもおもしろくない」
「では、どうするんで」
「この小屋が手頃。こん夜からわしもここに泊るから、おまえ達も気のどくだが、二、三人ずつ交る交る看護にここへ泊ってくれい」
「へえ……この寒いのに、ここへ寝泊りするんですか」
「ぜひもない」
「懲らしたやつらを、またそんなに甘やかすくらいなら、やはり喧嘩しねえほうがようございましたね」
「……まあ、そんなものかな」
介三郎は苦笑をうかべた。
提灯の灯と人影が一かたまりになってここへ来た。役人とすぐわかる。小屋に近づくまでのあいだ、枯れ草に提灯をかざしていた。血が黒く光るのである。
「ところのお役人方でござるか。ご苦労にぞんじます」
すすんで介三郎のほうからいった。羽織を着たのが、上役とみえる。この辺の海からあがるトラ河豚みたいな顔をしている。横へいはこういうひとの通例だが、より以上、いやな感じを与える眼ざしで、
「おてまえは?」
「もと水戸家の臣、佐々介三郎でござる。よんどころなく」
いいも終らぬうちトラ河豚は、十手を示して、かれに縄を打てと部下に命じた。
縛れ──と命じられたが、かれの部下は、介三郎のそばへただちに寄りつけなかった。
「なに」
らんと、眼に怒りを見せた介三郎の身がまえに、反対の威圧をうけたからであった。
上役のトラ河豚は、さすがに動じなかった。悪党はあつかい馴れているぞという落着きぶりである。
「ともかく、参るがいい」
「どこへ」
「代官所へ」
「行く要はない。……それよりも、はやく死人、怪我人などの検視をすませてもらいたい。さもないと、手おくれになる重体もおる」
「なにをいう、その方が手をかけておきながら」
これはトラ河豚のいうほうが常識では正しそうだ。しかし介三郎は、屈服しない。
「逃げかくれするこの方ではござらぬ。お答えはあとでいたそう」
「いや、逃げるおそれがある。縄をうけろ」
「ばかなっ」
「なにが、ばかだ。十手が見えんか」
「この碑のできあがるまでは、死すともここを去る介三郎ではない」
「水戸家のご隠居が寄進とかお物好きとか聞いておるが、この碑はいったい何じゃ。かような場所へ、かような物を建てたりするゆえ、ところの者と、不測の争いを起したりいたすのじゃ。いずれにせよ、代官所まで参ってものを申せ」
「お役人」
「なにか」
「おてまえは、ほんとにこの碑が何人の碑たるをご存知ないのでござるか」
「知らん……こんな畑のなかの古塚などの由来は」
「ああ」
介三郎は、天を仰ぎ、面を両手で蔽って、男泣きに嗚咽しはじめた。
「……?」
トラ河豚は不審な顔をした。なにか小気味のわるさを感じたかもしれない。
介三郎の男泣きが解せないばかりでなく、かれのまわりには石権親方をはじめ、為、勘太、そのほかの職人がみな、いつでも生命をなげうちそうな血相をそろえて黙視しているのである。
トラ河豚の連れている七人や八人のものでは、所詮、うごかし得ないことをかれも逸はやく覚ったらしい。にわかに身をうつして、
「怪我人は何名か。死人は……どこに?」
などと、そそくさ、提灯を取って歩きはじめた。
そしてかなり時を費やして後、
「佐々介三郎とやら、これだけでは相すまんぞ。数日のうちあらためて呼出す。左様心得ろ」
いいすてて立ち去らんとした。
「しばらく」
介三郎は呼びとめていった。
「仰せの儀、かしこまってござるが、ひとつ、伺っておきたいことがある。──ご当所におかれては、賭博はお構いないものでござろうか。ご法令はないのでござるか」
「ば、ばかな。天下いずこに、そんな所が」
「しからばなぜ、白昼、しかも街道からさえ見えるところで、小屋がけで、かかる悪戯をしている遊徒を、お取締りにならぬのですか」
「その小屋は、そのほうどもの小屋だろうが」
「露店が出、喰い物屋がならび、きのうきょう、このような雑沓を」
「畑の中まで、見廻ってはおられん」
「左様か。……したが、あの小屋のなかに唸いておる遊徒のなかに、日ごろお親しい者はおりますまいな」
「だまれ。役人を何だと心得おるか。かならず広厳寺宛に、召状をさし向けるゆえ、相違なくその節は出頭いたせよ」
いいすてると、トラ河豚以下、足早に立ち去ってしまった。
小屋の中に枕をならべている怪我人たちが、寒くないように、また、雨でも降って来たときにも凍えぬように、介三郎は職人たちを督して、翌日も翌々日も、まるでその事につぶしてしまった。
そればかりではない。
朝夕には、粥を煮たり、薬の世話から、それぞれの尿の面倒まで見てやらなければならないのである。
ともに、むしろを被って、小屋の隣に寝ているので、夜半といえども、傷口の痛みを訴えるものがあれば起きて薬をぬりかえてやるという始末。ほとんど、毎日の看護に、職人たちも、ろくに仕事はできなかった。
「旦那、どうするんです」
石権は案じていう。
「もう年内の日も幾日もありませんぜ。このぶんじゃあ、とてもお石碑のまわりまできれいに仕事は終りませんが」
「どうも……ぜひもない」
「正月を越したくねえもんです。何とかして」
「不測の天災と思うてあきらめるのだな」
「旦那がそうお覚悟ならばようございますが……だが、あんな犬畜生みてえなのを、いくら親切にしてやったところで、癒ればまた、世間へ出てろくなことはしませんぜ。へたアすれやあ、癒してもらった手で、また旦那へ闇討ちでもするぐらいが関のやまだろう」
「まあ、そう悪くいうな。……かあいそうに、枕をならべて聞いている」
「自業自得というもんでさ」
どうせ間に合わないものと、投げ出したか、石権もこの数日は、焚火にばかりあたって仕事に手を出さなかった。どう焦心っても、年暮の日はあと五、六日しかなくなっていた。
けれど怪我人たちは、この十日ぢかくで、あらまし皆、元気を恢復していた。
ほとんど、完全にもとの体になった者も、幾人かいたが、まだ起きられないでいる者を捨ててゆくのは、さすがに彼等もしのびないところと見えて、癒った者は、まだ横たわっている者の看護をしていた。
「あれをみろ。やはりかれらとて、犬畜生ではない」
焚火のうえに、木の股を組み、それに懸けた雑炊の大鍋をまえにしながら、その夕べ、介三郎は石権や職人たちへそういった。
だが、かれほどな歓びを、面にあらわした者はなく、為などは、
「当りまえだ」
と、聞えよがしにいった。
その声を、打消すように、
「おい、みんな」
介三郎は、小屋の人々を、振りかえって、
「どうだ、小屋の中よりは、火のそばで、みんなかたまり合ったほうが、暖かそうだぞ。起きられる者は、これへ出て来てわしらと一しょに雑炊を喰わないか」
すると、半分は出て来て、
「じゃあ、すみませんが、あたらせていただきましょう」
と、職人たちのあいだへ、小さくなって割りこんだ。
その中には、浪人者の牟礼もいた。浮田もいた。
けれど、赤々と燃える火に、顔をあげているのが辛そうに、膝をかかえて、俯向いている。
ひとを見れば脅すもののように持っていたあの獰猛な眼も、いまはひとを憚り世をおそれるためにある眼みたいであった。
「ご浪人。ご両所」
「はっ……」
「雑炊が煮えたらしい。さきにあなた方から箸をつけておやんなさい。拙者もいただこう。さ、茶碗をお出しなさい」
「いや、自分で盛ります。どうもおそれ入ります。これは恐縮千万で」
まるで人がちがったように、ふたりは肩をせばめて、茶碗をうければその茶碗を押しいただいた。
焚火の焔を、大きく囲んで、みな一個ずつの碗と箸をもち、しばらくは、熱い雑炊をすすりあうほか声もしない。
そのうちに、小屋のうちから、またひとりのそっと来て、介三郎にささやいた。
「旦那、わしらの飲みのこした酒が小屋にありますが、おあがりになりませんか」
「おう、花隈の熊か。酒があると……それは好物、もらおうか」
「持って参りましょう」
熊は大きな酒徳利をさげて来た。そのまま焚火にあたためて、介三郎がまず茶碗にひとつうけ、浪人の牟礼、浮田やそのほかの者へもまわした。
けれど石権をはじめ、職人たちのほうは、かれらの飲みのこしなどをうけるのは潔しとせぬように、たれも茶碗を出そうとしなかった。
「なぜ飲まぬか。たれもかれも、眼のないほど好きではないか」
介三郎にいわれて、渋々、手を出してつぎあったが、それでもなお釈然たる空気には溶けあわなかった。
「うまいなあ……」
ひとり介三郎は舌つづみ打って、
「こうして大勢で酌む酒のうまさ。貧しいためなおさらうまいな。だがこれは、酒の味か、人の味か。……考えてみると、わからんぞ。もし、たった独りぽっち、この寒夜に、この闇の野原で、飲んでみたとして、この味はあるだろうか。ははは、分りきったこと、芭蕉や西行でもなければ、耐えられることじゃない。……してみるとこれは、酒を飲むとはしているが半分以上、人間が醸しあっているものの味であろう、そうだ人間の味」
と、飲みほした一杯を、すこし距てている浮田甚兵衛にさして、
「なんと、そうではあるまいか」
「それに違いありません。……いやなんとも、きのうまでの自分は面目ない限りでござる。何事もどうかおゆるしを」
「いやいやおたがいがその人間でござる。一日のうちでも、朝には善性をあきらかにして、善人となりながら、午には紛れて悪事に眼を血ばしらせ、夕べにはまた煩悩を追いなど──一日のまにさえ一瞬一瞬、何十ぺんも、善となり悪となり、神となり魔となり、帰するところなく漂う心を身にかくしておるのがおたがい人間でござるよ。──さように卑下めさるな、卑下めさるな」
「ありがとう存じまする。貴殿すらそうかと思うと、何やら、ほっと助かったようなここちがしまする」
「なんの、それがしなど、まだ未熟未熟。ずいぶん心がけながら、一日のうちにはまだ幾度か、ふと心が萎え、あらぬ悪心を萌してみたり、煩悩に晦まされたり、そんな弱点の隙間を心にくりかえしておる。……ただ、悪心はきざしても、それが行動までに現れぬうち、心のそこで抑えつけ抑えつけいたしておるので──何やら善い人間のように観られておるが、どうしてこれでなかなか物騒な人間なのです」
「…………」
浮田甚兵衛のそばにいて、じっとさっきから介三郎の面を見ていた牟礼大八が、そのとき初めてことばを発した。
「失礼ですが、それまでに、貴公はどこでどういうご修行をつまれたので……?」
「修行などというほどなことはしておりませんが、養家の貧したため十五歳で京都の妙心寺に小僧にやられ、名を十竹ともらい、笈を負うて、若いあいだ、南都、高野、諸山を遍参して、すこしばかり仏法をかじったり、一切経を読んでみたり、また論語にしがみついたりしましたが──ふと、国学にはいって、この皇国の真髄を明示されてから、断然、髪をたくわえて、江戸にのぼりました。──三十歳ごろですそれが。……いや壮気満々の時代で、一剣天下を治めんというような気概でしたな。はははは」
介三郎は語りつづけて、
「その頃、水戸のご当主、いまの西山荘の老公には、大日本史のご編修を思いたたれていた折、ご邸内に彰考館をたてて四方に文学の士をあつめておられると聞き、初め筆生としてはいった。──以来、こんな不才にご眷遇次第にあつく、ご隠居あそばされた後も、このようにご奉公しているわけです」
と、むすんだ。
牟礼大八が、また訊ねて、
「して、武芸はどこでご修行になられましたか」
「ほんの、たしなみ程度、何流というような、履歴は持ちません。それがしのいささか上手は、尺八だけでござるよ」
と、笑い消し、
「どうです、まだだいぶ残っていますぞ」
と、酒徳利をまわした。
焚火と酒と、たれの顔もみな赤い。けれど、酔うほどに、かれらは、きょうまで覚えたことのない情熱に沸りたてられていた。──真人間にかえりたいという欲望であった。
「ゆかしいご謙遜、いよいよ敬服しました。貴殿のようなお方こそ、真に強くてやさしい武夫というものかと、しみじみ、わが身が顧みられます」
と、浮田甚兵衛が代って、心からあたまをさげた。そしていうには、
「身の恥はもうつつめど及ばずですから、あからさまに恥ずかしいお訊ねをいたすが、それほどな貴方、また水戸の老公ほどなお方が、碑をたて、世に顕そうとまで、崇拝しておられる楠木正成とは、いったい、どれほど偉かった人物でしょうか。──この後はわれわれも心して、せめてその人の伝記なりと知ろうとぞんずるが……」
「いや、そこへ気づかれたら、ぜひ深くお学びあるがよい。何をつつもう。先頃、各〻の狼藉にたいして、自分は一たんは、憤怒に燃え、みなごろしにもせんとまで思いましたが、いや待て、ばくちに日を暮すあぶれ者とても、そのあぶれ者に飼われている浪人とても、まことに畏れ多けれど、わが大君の民くさでない者はない。なんでみなごろしに出来よう。国賊と呼ばねばならぬ不心得者でもあるなれば知らぬこと──と、そう自分を寛く大きく考え直させてくれたものも、実は、楠公のご精神が、ふと、咄嗟に胸にひらめいたからであった。楠公の嫡子正行公のなされた事だが……」
「それは、どういうご事績ですか。……もし、あの時、あなたがわれわれを、みなごろしにしようとしたら、みなごろしの目に遭ったでしょう。……数百年まえの楠公父子が、われわれ如き末世のやくざを、救うてくれたかと考えると不思議なここちに打たれます」
「では、おはなし申そうか。……たれか、焚火へ薪をもすこし差しくべないか」
「へい」
と、職人の為が、薪をかかえて来た。
介三郎が、楠公を語るときは、石権を始め、ひとみをかがやかし、そのあいだ一語も発しないのが常であった。
また、花隈の熊だの、そのほか無智な者も、碑にたいして、日頃から疑問をもっていたし、牟礼大八や浮田甚兵衛と似たような、真人間への意欲をしきりと抱いていた折なので、みな神妙に耳をすました。
「この湊川で──」
介三郎はまず、遠くを指さした。
みな振りむいた。
ただ暗い冬の夜と、寒々しい枯野のなかを、湊川の水音は淙々とすぐそこに聞える。──建武、延元の雄たけびを思わすような風の声もして。
「──小楠公が二十一のときというから、その年は興国六年ごろか。正行、正時の兄弟は、父の遺訓にもとづいて、前の年から四天王寺や和泉のさかいで大捷を博し、転じて、八尾の城を屠り、誉田の森では、足利がたの細川勢を粉砕したりなど──真に正成公の再来だ──と、敵にも味方にも驚嘆されていた」
介三郎は、杯をなめた。
さし足した薪が、新たな焔を作って、どかどかと焚火を旺んにしてくる。
「潰走する足利の大軍を追いかけ追いかけして、その頃の難波津から渡辺橋のあたりまでよせて来たのが十一月の末、二十六日の夜明け方だったという。……ちょうど今夜のように寒かったろう」
焚火のけむりの上を、千鳥がこえて行った。たれも仰ぐ者はいない。介三郎の面からすべての眸はうごかなかった。
「──暗さは暗し、うしろに敵は迫る。度をうしなった足利勢は、ただ一すじの退路渡辺橋へ、われがちにどっと乗しかかったが、馬は狂い、人と人はもつれあい、かき落されて淀川の激流へ転け落ちたものが何百人かしれなかった」
「…………」
「正行はそれを見るや、追撃の兵をとめて、あれ救え、凍え死のうにと、五百余人の敵兵をひきあげて捕虜とした」
「…………」
「夜明けの河水にひたされて、鎧の下着も凍えつらん、者ども、諸所に火を焚け、大焚火をあげよ。──小楠公はそう下知された。救いあげた捕虜たちを、まず温もらせてやったのだ。そしてなお、傷ついた者には薬をあたえ、武器や馬を失くした者には武器や馬をあたえ、大釜に粥を煮て、飢えをもなぐさめ、さてその上で、一同にこういった──」
「…………」
「あわれや兵、おたがいが武士である。勝つも負くるも時の運、敗れて辱ということはない。……だが、不愍なのはおまえたちの立場である。人の子と生れ、同じ弓矢を手にしながら、なんで賊軍の汚名の下に可惜血をながしているか。──おまえ方も生れながらの賊ではない、みな天子の赤子であるはずだ。ただ主人足利尊氏の不心得からやむなくそうなったものだろうが、主に仕えては死を惜しまぬは、また武門の臣節でもある。かえすがえすも尊氏の行いは憎まれるが、思うに、そちたちはただ不愍というほかない。憎んで斬るにも足らないものだ。──ただその忠義が、小節に止まって、大義でないことが惜しまれるものの、これもぜひなき時勢の濁りだろう。早々、京都に帰って、元の主人に忠勤するがいい。また、この中には、年老いた母や父をもつ者もいるであろう。妻もあらん、子たちも持っておりつろう。……縁あらばまたふたたび戦場で会うやもしれぬが、今日のところは放してつかわす。いざ、帰れ、いざ行けよ。──と正行がいいわたした。ところが、五百の捕虜のうち、立ち去るものは幾人もなく、あらかたの兵が、おいおい声をあげて泣き、どうぞ今日からは、菊水の御旗の下で、働かせていただきたい、大義の兵となって、あなたの馬前で死にたいと──ほとんどすべての捕虜が、誓って、小楠公の手についてしまったということだ。……なんと、これが二十歳を一つすぎたばかりの若いひとに出来ることだろうか」
「…………」
「わしは、このはなしを思い出すたび小楠公その人はもとよりだが正成公の偉さを思う。また、母なるお方の訓育に頭がさがる……」
「…………」
いくら語りつづけていても、たれひとり口をさしはさむ者もなかった。ただ鼻をすすったり、ぼたぼたと涙をこぼす気ぶりだけが無心な焚火を寂として囲んでいた。
かれの話術がうまいためではない。かれ自身が、たれにも劣らぬほど、楠公父子、また楠公夫人を、崇敬していたからである。
その信念と情熱をこめて、
「小楠公の仁慈は、もし小楠公のなした戦いが、ただの武家と武家の権力争いや、領地のうばいあいの如き合戦だったら、あの大慈悲心はわきあがって来なかったにちがいない。──自分の亡父からうけついだ戦いは、皇天皇土の御為であって、それ以外の私心はない。──そう徹していたところに、自然と、あの寛やかな大愛が持てたのだと、わしは思う」
と、いい足した。
そして、更に、
「大義とはここだ。皇軍の真ごころは大慈悲心だ。武勇はそれを仕果すために小義をころす大愛のつるぎなのだ。──聖なる戦いというわけはここにある。──それを小楠公の血のなかに遺したひとはいうまでもなく父の正成公。以て、正成公の信念もわかるし、七生報国の実もわかる。わかるだろう、みんなにも」
聞き入っている人々は、うなずくことすら忘れていた。ここだけでなく、小屋の中に残って、藁ぶとんにくるまっている者まで、みな声もなく涙をながしていた。
「……が、わしは思う。建武の聖戦のかげにも、女性の力のどんなに偉きかったかということだ。小楠公を生み育てたのも夫人なら、良人の正成公をして後顧の憂いなく忠戦させたのも夫人の内助だ。──その夫人はといえば、嫁いだ年からすでに良人は国事に私の日もない人だった。そして、嫁して十四年めに良人の戦死にあい、六人の遺児をかかえて、また、それから十二年目には、ようやく成人させた正行、正時、ふたりの愛児を、四条畷の戦いに死なせ、その白骨を抱かれた」
介三郎自身も、いつか語りながら泣いている。
そして、楠公夫人が、なお遺る幼児をいだき、三男の正儀に父の遺訓をつたえて、孤軍のなかに、忠節と貞節の生涯を完うした事など、次々と話して倦まなかった。
わけて夫人が、良人の死後、一族もみな討たれて少ない中に、よく三、四千の小勢をもって、河内の小盆地にたてこもり、正行、正時の成人を待っていた十二年間の苦節を語るだんになると、涙に顔もよごしていった。
「ひと口に十二年というが、そのあいだは、足利の大軍にとり囲まれていたも同様だったから、兵の食糧、被服、薬餌などは、みな夫人の力に拠るしかない。楠公夫人に限っては、薙刀を把って、男子とともに、闘ったというような例は一つも見えないが、それだけに、内助の奮闘は思いやられる。家庭にいては、まだ頑是ない幼な児、乳のみ児をかかえ、朝に負傷の兵を見まわり、夕べには兵糧の苦労に村中の女手や童の手まで狩りたてて指揮しておられたにちがいない。……だから、よく絵巻などに見える楠公夫人の﨟やかな肖像──あの貴夫人めいたおすがたなどは、絵そら事といってよい。──おそらくは、百姓の女房たちと同じように、裾短かにくくしあげ、手も水仕のひびあかぎれや、土いじりに荒し、髪のあぶらも眉目の粧いも、かえりみる暇はなかったにちがいない……」
かれがここまで語ってきた時だった。何か頷き合っていた浪人の浮田甚兵衛と牟礼大八とは、ものもいわず、ふいに立ち上がったかと思うと、やにわに闇を衝いて湊川のほうへ駈け出して行った。
「あっ──どこへ?」
おどろいて、介三郎が腰を立てたので、ほかの者もすべて、
「おやっ?」
と、突っ立って、湊川の闇を見まもった。
駈け出して行ったきりもどって来る気はいもない。先程からのふたりの容子を考えるとき、介三郎は、何か不安な予想を抱かずにいられなかった。
「もしや?」
次には彼が、口のうちでそう呟きながら、まっしぐらに駈け出していた。
あとからあとから、みな続いて行った。さむらいだけに、ことによると、慚愧のあまり、どこかで死ぬ覚悟でもしたのではあるまいか。
たれも、すぐ感じたことは、同じだった。果たして。
介三郎たちが、湊川のながれに近づいて、崩れた堤の一端に駈けのぼったとき、河のまッただ中にあたって、ざんぶと、白いしぶきが見えた。
「あっ、身を投げたっ」
たれかがいった。
溺れ死ぬには十分な激流の深いところもある。介三郎も舌うちして、
「ええ、浅慮なことを。はやく下流へまわれ」
と、河原へとび降りた。
すると──
そこにはふたりの衣服が脱いであった。風に飛ばないように大小が乗せてある。ぬぎすてた草履も二そく、ぴたりと揃えてあるところは、取りみだれた者の始末ではない。
「……はてな?」
河面をすかして見た。
水のうえは明るかった。
介三郎はそこに意外なものを見出したのである。水面から顔だけ出しているふたつの影だった。溺れもせず躁ぎもしない。ただじっと、十二月末の寒流のなかに怺えている首と首だ。
眼のせいではないか。
岩の突角でも、そう見えるのではないか。
疑ったが、それを見たのは、彼だけではない。河原に立った者はのこらず怪しみの眼をこらして、同じところを見つめていた。
試みに、介三郎が、
「おううい。……牟礼どの、浮田どの、ご両所か、そこにおるのは」
呼ばわってみると、初めて、寒流の中からその首は少し仰向いて、
「そうですっ。大八と甚兵衛でござる。どうぞ、お気づかいなく」
と元気よく返辞した。
いよいよ怪訝かって、
「何をしておられるのか。この寒気に、しかも夜、河の中へなど身を沈めて」
と、質問すると、ふたりは異口同音に、
「おわらい下さい。こん夜かぎり、浮田甚兵衛、牟礼大八のふたりは相果て、明朝から生れかわるつもりでござる」
「なに、生れかわる?」
「さればで」
と、ふたりは、かがめていた身を水の中にざっと立てた。胸からうえを水面にあらわして大きく答えた。
「骨髄にまで沁みこんで来た半生の懶惰や悪の垢を洗いそそぎ、もういちど神の子と生れかわる希いをいま誓ったのでござる。──凍え死なば死ね、神のおむねにまかせます。寒い、実に寒い。水は痛いほど冷とうござる。──けれどふしぎと歓びがわきあがって参ったせいか、五体のどこともなくだんだんに暖こうなって来ます。──佐々どの、これをもって、きのうまでのわれわれの罪はおゆるしください。──おゆるしくださいっ」
いい終ると、また身を沈めて、ふたりはまったく動かなかった。
「ああ、かれらは、無自覚のうちに、禊しているのだ……」
介三郎は、凝然と、しばし見ていた。
ふたりはやがて川の中から上がって来る。もう寒そうでもなかった。体を拭き、衣服を着直すと、目もくれず、楠公碑の前へ行って並んで坐った。
そして、川の中から介三郎へいったことばを、また繰返して、
「無智不遜なるきょうまでの無礼は、何とぞおゆるしくだされい」
生けるひとへでもいうように、幾たびも罪を謝していた。
すると、そのふたりに倣って、誰彼なくみな碑前にあつまり、凍てた大地に膝を折って、
「何とぞおゆるしを」
と、一せいに伏し拝んだ。
ある者は、
「きょうまでの懶惰を」
といい、ある者は、
「あしたから、たましいを入れ代えます」
と誓い、またある者は、
「ご照覧ください」
と、いった。
介三郎も皆のうしろに坐っていた。屹然と、闇の空に立っている無言の碑と、それに額ずく一同の影をながめていたが、夜目のせいか、涙をたたえていたせいか、ふと、彼の眼には、碑面の文字がこう見えた。
ひとり楠公父子ばかりか、楠公父子の持っている性情は、この国の民ならいかなるやくざ者であろうと文盲の土民であろうとみな持っている。ただ発顕することを知らないか、忘れているか、紛らされているか、歪屈されているか、それだけの相違でしかない。
その証拠には、このとき突然、もう黙っていられないように、ぬっくと立ちあがるなり、
「おうっ、みんな、よくそういう気になっておくんなすった。決して、ひと事じゃあねえ。おれが生き証拠だ」
と、どなった者がある。
たれかと見ると勘太である。勘太はみなまでいいきれないうち、おいおいと泣き出していた。
一同はあっけにとられて、かれの狂態を見まもった。かれを知りぬいているはずの介三郎さえ、唖然としていた。
「聞いてくれ、みんな」
勘太は、わめくようにいう。
「なにをかくそう、おれの前身は、お菰の親方だ。喧嘩、ゆすり、酒、ばくち、ややもすれば、人を傷つけるし、悪ということなら、何でもやらないことはなかった。若い体をもちながら、三日すればやめられねえという諺どおり自堕落にまかせて、世の中に怖いもの知らずで歩いていたものだ。
──ところがついこの春、水戸のご城下で、初めて怖い世間にぶつかった。多寡が菓子屋のおやじだが、骨身に沁むような恥をおれに掻かせてくれた。いつものおれなら、すぐ叩ッ斬ってしまうところだが、そばにじッと見つめていたご老人がある。なんと、それが、水戸のご隠居さまじゃあねえか……」
何を訴えようとしているのか、初めはよく分らなかったが、やがてかれが、水戸の城下に近い那珂川の生れで、那珂川の勘太というお菰だったことだの、上菓子を買いに行って、そこの菓子屋の主に手強く断られたときのことなど、つぶさに語って来ると、人々も初めて、かれがそのときの恥に発奮して、人なみに上菓子の喰える人間になろうと志した発奮の動機を、いまのすがたに照しあわせて、ようやく、酌みとることができた。
勘太の前身を聞いて、みな意外な顔していた。
また、かれが甦生に奮起した動機を聞いて、自分の中にも、その力はあると、何か急に、立ち上がりたいような気もちに襲われていた。
驚いたのは、佐々介三郎である。つかつかと勘太のそばへ歩み寄って、
「さては、おまえは水戸の者だったか」
「ご領民でございます。水戸のお名を汚すような」
「いやいや、前身は知らぬが、わしが知ってからのおまえは、見上げたものだ。何ぞ、身の上に仔細のある者とは疑っていたが」
「菓子屋の軒から。──ようし、いまにきっと、ここの店へ、上菓子を買いに来て、亭主に手をつかせてみせるぞ──と、そう心に誓った日から、そのままご城下を去って、あちこち、地道な働き口をさがしておりました。が、いい奉公口も見あたらず、箱根に来て、駕かきの仲間にはいっているところを……実あ旦那にお目にかかって、おすがりしたわけでございました」
「そうか。道理で……おまえのあの時の顔つきは怖ろしく真剣だった。いや、その後、ここへ来て石工手伝いしているあいだも、その心が底にあるせいだろう、どこか違っているところがあった」
「旦那っ……伺います、正直に。……こうやって働いていたら、てまえは人間になれましょうか」
「なれる!」
「菓子屋へ行って、上菓子をくれといっても、辱しめられない男になれましょうか」
「なれるとも」
「いや、ここへ来てから、もうそんなけちな意地は突っ張っておりません。……正成公と同じ皇国の土に埋まる人間です。てまえのようなものでも、皇国の民のひとりだといっていいでしょうか。そう思っていいでしょうか」
「ばかっ」
介三郎は、力ある手で、かれの肩をつかんだ。勘太は、ぺたと坐ってしまった。
「なれないでどうする! いやどんな者だって、皇国の民でないものがいるか。そんなことを、疑っているなどが、そもそも、大きなまちがい。この国に、国賊だの、人非人だの、非国民だの、そんな者はいてはならない。いや、いない、決していない!」
すると、花隈の子分らしいのが暗い大地から、
「旦那っ、あっしらでも?」
といった。
介三郎は、力をこめて、
「そうだ──もちろんだ」
右へも、左へも、問うものへ、いちいちいった。
次の日である。
この楠公碑のまわりには、戦いのような活動が起されていた。ある者は石を磨き、ある者は土盛りをいそぎ、ある者は外側の柵の杭を打ち、ある者は参道を作るなど──必死といっていいような労働に美しい一致を見せていた。
街道を通る者は、眼をみはってみな意外そうに振向いて行った。
この辺のダニといわれていたならず者が、みな神妙に働いているのである。その仲間の顔役も浪人者も、いまでは、わき目もふらない真面目な一労夫だった。
喧嘩の晩、十手を手に、かけつけて来た土地の役人も、その後、例のトラ河豚について様子を見にきたが、この現状をながめると、一驚した顔つきで、何もいわずに立ち去った。
大晦日が来た。
かれらの協力で、その前の晩までに、すべての工は終っていた。一時は年を越えるしかないと介三郎もあきらめていたものが、予定どおり完成したのであった。
「長いことだった。さだめしおまえ方の家でも、正月の支度、年暮の始末もあるだろう。ご苦労。さあ家へ帰って、ゆるりと正月をしてくれ」
竣工の日。介三郎は、石権をはじめ、職人たちをねぎらって、賃金、慰労の賞与など、十分に頒け与えた。
ただこの四、五日のあいだ、必死に手伝ってくれた博徒の仲間や浪人たちは、
「いや、そんな物をもらったんでは、わたし達のご奉公になりません。生れて初めて、善い事をしたという気持でもう沢山です。どうかそんなご心配なく」
と、頑として受けない。
「いやいや建碑のできた祝いとして、神酒をお頒けするのだ。共々によろこんでくれい」
と、介三郎もまた、強って贈ったので、ついに浪人の浮田甚兵衛が一同を代表して、
「では、ありがたく頂戴いたすが、いずれ形だけでも、建碑の祭はなさるのでございましょう」
と、訊ねた。
「正成公の命日は、五月二十五日だが、忌日にこだわる必要はあるまい。正月の五日、小やかな祭でも執り行って、関係者一同に集まってもらおうと考えておるが……」
「では、その日にまた、ここでお目にかかるといたそう。みんなも、その日には、来るだろうな」
仲間の者へ念を押すと、たれもかれも、
「やって来ます」
「参りますとも」
異口同音だった。
小屋はその前にとり払われていた。怪我人はほとんど全治して帰っていた。石権以下の職人たちも、
「それでは、初春にまた」
と、各〻、大坂や堺のわが家へひきあげて行った。
勘太は家がない。
介三郎について広厳寺へ帰ったのである。
介三郎は、あくる日、委細を書面にして西山荘の老公へ宛て、
「飛脚屋に頼んで来てくれい」
と、勘太に託した。
勘太は、町の飛脚屋まで行った帰り途、気にかかるので、街道から碑のほうをすぐに眺めた。
すると、近所の者らしい百姓が、正月の鏡餅を上げに来ていた。たれか見知らない者が二、三人礼拝しているし、通りかかりの旅の武士らしい老人がまた、いんぎんに笠を脱いで、娘とともに柏手を打っていた。
勘太は、それを見ると、飛ぶように広厳寺へ帰って行った。
そしていま方丈のうちで、住持とともに雑煮を祝っていた介三郎の所までわざわざ行って、
「もう湊川の碑の前には、朝から鏡餅をあげたり参拝している者が六、七人もおりましたよ。なかに人品のよい旅のお武家などもいました。若い女も見えました」
と、まるで自分が崇められてでもいるように、歓喜しながら告げた。
介三郎もさすがに喜色をいっぱいに湛えて、
「そうか。そうか」
と屠蘇の酔いを、顔じゅうに輝かしていた。
「日月いまだ地に堕ちずです。糜爛しているからといって、世相の一局部だけを見て一概に罵り嘆くにはあたりません。ひとりの神性の持ち主がそうした世間を歩けば、いつか五人十人とそのまわりに神性のひとが生じますから」
といいかけて、ふと和尚の顔を見て急に笑い出しながら、
「いや、あなたは、僧侶でしたな。仏性のひとに、神性を説いては、当りませんかな」
と、さらに哄笑した。
広厳寺の和尚は、首を振って、
「なんの、そんなことはありません。寺院だから、僧侶だから、神をうとんじるなどということがあってよいものでしょうか。佐々さんにも似あわない仰せだ」
と、やや憤慨にたえない容子に見えた。
「神を祭るのに、きわめて清浄を貴ぶ風習から、身親なもののうちに、死人があると、その一年は鳥居はくぐらないとか、喪のうちは神棚を閉じて、祭器にも手をふれないとか──そんなところから、神仏は仲のわるい別ものみたいに考えられて来たのではありませぬかな」
和尚の言にうなずいて、介三郎はにこやかに、
「そうでしょう、庶民のうちにはいると、神も仏も、本来のものは稀薄になって、形のうえのことが、重大に支配して来ますから」
「拙僧はこう解しています。仏法渡来までの日本には、仏教はなかったのでありますし、神は日本とともに、その発祥建国から御柱としてあるものでありますから、どこまでも、神祭は国教であり、仏祠は民教であるというふうに」
「これはまた、寺院におられながら、思いきったご解釈ですな。仏徒の方々のうちには、そうはっきり考えているひとが、ほかにも多くありません」
「まず、少ないでしょう。むしろ神事の祭と対立しているように、堂塔の大を誇ったり、権門の帰依を恃んでいるほうが、まず偽らない現実です」
「対立などは困る」
「ですからはっきり拙僧の申したように、庶民も分っていなければいけません。妙な迷信や混信の弊もそこに生じましょう。拙僧の解釈はきっと仏徒には不平でしょうが、そもそも、はっきりした国体のうえへ、中古に請来された仏教です。人間の煩悩五欲生死解脱などのうえに、非常に大きな光明をもたらして、日常生活に直接むすびつきましたから、上下を通じて、僧門の勢力は、神社のまつりなどの比ではありませんが、これをもって、神祭のすたりが来たすようでは、国体の弱まりではありませぬか」
「同感ですな。貴僧から神祭の大事をうけたまわろうとは思わなかった」
「いやどうも、佐々さんに神祭の大事を説くなんて、これなん、釈迦に説法というものでしょう。──が、その釈尊にしたところで、彼は異国の聖者ですが、法縁によって、──大和島根にまで遥々その仏典や根本教義など、すべてを舶載して来て、この国の土に新しい文化を築き、この国の民の体血をとおして、世々の歴史にまで教義の力をあらわして来たからには、すでに釈尊そのものも、異国の聖者ではありません。日本の釈尊といってよろしいでしょう。宗教に国境なしとはいいますが、国家には千古うごかし難い国体というものがありますからな。愚僧は愚僧のような考え方しかできません」
「いや、うれしい。神をもって人にふれるときは、神でない人は世界にないようなここちがする。これがこの国の国風というものでしょうか」
「とはいえ、実は楠公碑の建立で、あなたがこの寺へ泊って下されたために、朝夕、いろいろなおはなしに接し、だいぶ愚僧も、あなたから学んで来たのです」
「それはご謙遜にすぎる。……が、借問しますが、貴僧のお説によると、伽藍のうちにも、神祭があってよいわけですが、このお寺には神棚などありますか」
「神棚。……いやそれは、ありませんな」
「どうしてないので?」
「どうしてということもござらぬが、代々の住持も、ついそれは持たなかったものとみえまする。……いやいかん、矛盾しますな、自分の言と。……さっそく設けましょう、本院のうちにも神棚を奉じ、それから、愚僧の説を、ひとにも説くことにしましょう。はははは。いや何事も、人間はこの通り、矛盾だらけとみえますな」
村名主だの若い衆が、前の日からそこへ行って、掃除にかかったり白木の祭壇を供えたり、祭の支度をしていたので、その朝となると、湊川の碑を中心に、この辺で見たこともない人群れだった。
子ども、女、老婆、百姓、町人──通りがかりの旅人までが、大きな輪を作って、碑前に祭り合う人々を見ていた。
いま……神官がのりとをあげている。
両側に立ち並んでいる人々は、何かの事でこの建碑に関係のある者ばかりだった。
広厳寺の坊さんもいる。坂本村の年寄もいる。職方では石工、大工、かざり師、鏡師、さしもの屋、みんな来ていた。もちろん勘太など、手伝いの端にいたるまで。
土地の者が眼をそばだてたのは、その中に、花隈の熊だの、生田の万だのという顔役から、子分までが、その身なりから顔つきまで、人ちがいする程、真面目になって、祝詞に耳をすましていたことだった。
終って、各〻が順に、御榊をささげる。神酒をいただく。
「お礼申します。土地の方々、職方一同、おかげで目出度う出来た。ひとえに神助、また、みんなのおかげだ。かさねて、お礼をいう」
その日、佐々介三郎は、つねとは違って、新しい旅支度でここへ来ていた。祭がすむとともに、ここからすぐ水戸の西山荘へ帰るべく、一切の準備をすましていたのである。
かれが、改まって、そう挨拶をしたので、はや出立かと、
「もうお別れでございますか」
「まことに、お名残り惜しいことで」
などと交〻に、かれの前には、別辞をのべる者が立った。
「旦那、ちょっとお待ち下さい。──いつぞや頂戴した酒代で、実はきょう、みんなと相談の上、蜜柑と切餅を買って来ました。碑のできた慶びと、祭の祝いに、見物に来た女子供に、それを撒いてやろうと思いますが」
花隈の熊と、その子分がいった。
八百屋籠にはいった蜜柑、空箱に入れた切餅などが、そこに山と積まれた。介三郎は、かれらの性根から、きょうの麗らかな春の日にも勝るような光がさしているのを見た。
「やあ、ありがとう。では、わしも撒いて行こうか」
「みなさんも手伝っておくんなさい」
「よろしい」
「心得た」
広厳寺の和尚も、浮田甚兵衛や牟礼大八も、みな蜜柑や餅をかかえて、
「まつりじゃ、まつりじゃ。よろこべ、ことほげ」
「碑のまつり、人のまつり、世間のまつり、天地のまつり」
ばらばらと、陽にかがやいて蜜柑は降る、切餅はぶつかってくる。
女子供も、年よりたちも、旅人も百姓も、嬉々として、蜜柑を追い、餅と戯れた。
それがすむと、花隈や生田の子分たちは、牟礼、浮田のふたりに従って、街道のほうへ歩いて行った。
そして、介三郎へ向い、
「きょう限り、旦那ともお別れですが、こんど何処かでお目にかかるときは、きっと、生れ甦った人間となっていることを、かたくお約束しておきます。──ここにある者、ひとりのこらずお約束いたします。もしまちがったら、見当り次第、お斬り捨て下すってもお怨みはしません」
ということを、餞別のことばとして、一同見送った。
「お国許へ、何よりのみやげだな」
介三郎は、連れの勘太をかえりみてそういった。幾たびも、振返った。湊川の白いながれも自分を見送っているかと思われた。
佐々介三郎が江戸へ寄ったのは、もう二月にはいっていた。兵庫からこう日数のかかるわけもないが、途中何かと公私の用を果して来たからである。
「いよいよ旦那とも、お別れの日が近づきました」
と、供の勘太はそれが苦になるらしく、日本橋の雑鬧を見ても、どこか淋しそうだった。
浅草門まで来ると、
「旦那、どこまで行っても、限りがありませんから、お名残り惜しゅうございますが、ここで……」
と、自分からいい出した。
旅のあいだに、勘太の考えは聞いていたので、介三郎も止めようとはしなかった。ともあれ初志をつらぬいて、水戸の菓子屋の主人にも、人なみの客と扱われるまでにならないうちは、故郷へ帰る気はないというのである。
「なに、ここで別れる? ……。これからどこへ参るつもりか」
「あてなどはございません。河岸へ行って軽子をしようと、鉄砲笊をかついで紙屑買いをやろうと、無二無三にやって行けば、働いているうちに思案はひとりでにつくと思っているだけで」
「じゃあ、もう一晩一しょに送ろう。どこか、旅籠をとって」
「でも旦那は、これから真っすぐに、水戸様の小石川のおやしきへおいでになるんじゃございませんか」
「もう日も暮れたから、参邸は明朝にする。どこかその辺へ一泊して。──勘太、宿をさがせ」
「この辺には、商人宿や博労宿ばかりのようですが」
「あれでよかろう。木賃らしいが、土間に腰かけておる老爺の老爺ぶりがよい」
浅草門から横へはいった裏町であるが、片側は柳や桐の火よけ地で、江戸の中だが田舎びている。家は小さく、客もすくない。二人はそこに草鞋を解いた。
「旦那。断っておくのを忘れたが、風呂はないよ」
老爺ぶりがよいと、介三郎が特に認めたその老爺が来て──せむしのように腰の曲っているせいか坐りもせず、片手のきせるをうしろに当てたまま縁側から不愛想にいう。
「なに、風呂がない。野天風呂もないのか」
「風呂桶を繕しにやったで」
「それは」
と、軽い失望をもらすと、老爺はきせるを往来の方へさして、
「なに、すぐそこまで出れば、銭湯はいくらもある。安いのなら見附のわきへ行きなさい。太平記読の小屋と並んで『ゆ』という看板が出ておるし、もっと贅沢に、湯よりも遊ぼうというつもりなら、神田のほうへ向いて、ぶらぶら行ってごらん。丁字風呂だの、何風呂だのと、いろいろある。白壁みたいな顔した女どもが唄っていたり、蒟蒻みたいな男が出たり這入ったりしているのですぐ知れるよ」
食後。まだ宵のころ。
ふたりは手拭を持って、往来へ出て行った。
「勘太、行ってみようか」
「どこへですか」
「ちょうちん風呂とかへ」
「湯女のいるとこですか。真っ平です」
「おまえはまだ、そういう所へ足ぶみするのは、恐いとみえるな」
「何しろ、性根を入れ替えてから一年にもならないので、どうも自分でもまだ自分に保証がつきません。絃の音を聞き、白粉を嗅いで、ふらふらと、元の勘太に返っちまったりしたら──ああ思い出してもぞっとする」
「ははは。弱いやつ」
「旦那、おひとりで、見ておいでなさい」
「然らば、わしはひとりで行って来る。そちはただの銭湯に行くか」
介三郎にとっては、どっちへ入っても同じことらしい。何のこだわりもなく、色めいた町のほうへ曲がって行った。
「ああなりたいものだなあ」
勘太は、介三郎の影を、見送っていた。
「──もし、やましい気もちがあれば、ああいう風に、あっさりと湯女のいる風呂屋の軒などは潜れないはず。あの人には、どこへ自分を置こうと自分は惑わないという信念があるとみえる」
羨ましげな面もちでさえあった。そして、かれは反対なほうへ、黙々とあるいた。夜風に手拭をぶら下げて。
見附のわきまでゆくと、まっ黒に人がたかっていた。蓆掛けの中に百目蝋燭の明りがゆらいでいる。太平記読のしわがれた声が内から大勢のあたま越しに聞えてくるのだった。
「──コレヲ最期ノ参内ゾト、思イ定メテ退出アル。正行、正時、和田新発智、同新兵衛以下兵百四十三名、前皇ノ御廟ニ参ッテ、コノタビノ軍ニハ左右ナク討死ニ申スベキノ由、御暇申シアゲ奉リ、如意輪堂ノ板壁ニ、コレ今生ノ名残リゾト、各〻、鏃ヲトッテ名ヲ書キ連ネ、正行ソノ後ニ、辞世ノ歌一首……」
太平記二十六巻の住吉合戦の条らしい。
勘太は、知己に会ったように、人ごみのうしろに立ちどまった。
原書に時々我流の口語や警句を入れて読んでいるにすぎないのであったが、人だかりは熱心に耳をかたむけて、みだりに咳や私語もしない。
だが、垢くさいというか、人くさいというか、異様なにおいが蒸れている。
見まわすと、あらかたの者が、町人層のうちの貧しい者だった。子を負った女だの、感にたえて眼を拭いている老人などもあるが、いまの江戸中に溢れ歩いている華奢な元禄女や伊達男や金持らしい者はひとりもいない。で、ここで蒸れているのは貧乏のにおいということができる。
近ごろ、どうかすると、この太平記読の小屋が、上方でも関東でも見かけられたが、太平記読の声がするところ、かならず貧乏人のにおいがした。
もっとも、ほかの世間は、余りにも紛れるものが多すぎた。寛永元和の戦国期にわかれを告げて六十年余、江戸の文化は、芳醇な新酒のように醗酵して来た。いや元禄にはいっては、もうその吟醸の適度をこえ過ぎて、腐敗に近づき、麻痺と狂酔に世をつつんでいた。
奈良茂、紀文、難波屋、淀屋などという黄金の城廓によるものが、武人に対立しだしている。小成金はその下に数えきれないほど出来た。その数には入らない者でも、それらの者の黄金色な世界を挙げて羨望した。武士すらその風潮にそまり、それと妥協しそれと音物のやりとりすることを、公然と表門からしていた。
まだ春さきのうすら寒い河岸ぷちに佇んで、百目蝋燭一本のゆらぎしかない掛小屋の太平記読などを聞いていようという庶民では、もちろんかねがない人たちにきまっている。黄金があり余って、女の下駄や、花見の竹の皮までを、黄金色にしても足らないような元禄の今と、ここの人々とは、およそ縁なきあいだがらであった。
「……そうだ、さきに湯にはいって来よう」
勘太は、つい聞き入って、正行が四条畷に出陣するのを待っていたが、急に思いだして、隣りの銭湯へ駈けこんだ。
ここも贅沢とは縁なき衆生の来るところで、一枚のびた銭ではいれるが、湯ぶねはまっ暗だし、男も女も一しょである。隣りの蓆掛けを、ここは板として、湯気出し窓が切ってあるだけに過ぎない。
その湯気の中で、ひとりの男が、ひとりの男へ、こう大声ではなしていた。
「おい、水戸様のご隠居様が、この頃、気が狂ったッてよ。気狂えになっちまったんだとさ。とうとう」
西山荘の老公が発狂したとは──うわさにしても余りにばかばかしいので、勘太は軽石で足のかかとをこすりながら、苦笑をふくんで呆れていた。
「ほんとかねえ?」
と、湯ぶねの中のひとりはいう。
「ほんとだとも」
一方は流しへ上がって、
「おらあ今日、仕事先で聞いて来たのだ」
「この頃は、どこだえ」
「仕事場かい。神田橋内さ」
「じゃあまだ柳沢さまのおやしきへ行っているのか」
「お邸内のお成御殿は、おととしから去年にかけて竣工がっているが、またことしの春も、お成があるというので、庭のお手入れだ。大したものだぜ」
「へえ、また柳沢家へ、将軍さまのお成があるのかえ」
「いうなよ、あまり」
植木屋でもあろうか、自分のかかとと軽石を持ちながら、勘太をふり向いた。
勘太は、つんぼのように、体を洗っている。植木職人はすこし声をひくめて、
「水戸のご隠居が気が狂ったということも、ご家来衆の口から、そこで聞いて来たわけさ。まだ世間じゃ知らないらしいが」
「ふーむ……」と、感心して、
「えらいお方だと聞いているけれど、黄門卿ともあろう人がよ、どうして気狂いになぞなったんだろう」
「将軍家の御意にかなわないために、おととし急にご隠居なすって、水戸の片田舎に、世盛りの中納言さまとは、まるでちがった暮しをしているんで、いろいろ思いつめたのじゃあなかろうかなんて──柳沢さまの家来ははなしていたが」
「なにか、乱暴でもするのかな」
「いろいろやるらしいよ。だが、なんたって、前中納言、ご三家のうちだ。めったなことは洩れないように、極々、内密にしているらしいなあ」
果ては、見て来たようなことをいう。また、聞き手のほうも、あいての者がいよいよ図にのるようにいちいち感心して見せる。
勘太の影は、いつのまにか、体をふいて、着物笊のそばにも見えなかった。
植木職人の男は、外へ出るまでしゃべりつづけていたが、あいてが、
「じゃあ、おやすみ」
と、湯屋の軒からわかれてしまったので、太平記読の小屋をのぞいてみたが、そこの百目蝋燭もはや消されて、人影もない小屋の奥に誰やら、あと片づけをしている様子だった。
──で、また戻って、河岸をすこし歩いて来ると、自分のまえに、突っ立っている男があった。
勘太である。植木職人は、ちょっと足をすくめたが、
「なんでえ、へんにおれを、睨めつけやがって。──見附のそばで、追剥ぎなんざ、場所がわるいぜ。すこし頭を働かせろよ」
と、鼻ッぱりを示した。
勘太は感情がかくせない性分らしい。気がついて、あわてて面をやわらげた。
「ごじょうだんでしょう。追剥ぎなぞじゃございません。ちょっと、伺いたいことがあって」
「おめえはいま、銭湯のなかにいた男だろう」
「そうでございます。おはなしを聞いていましたところ、水戸様のご隠居が」
「おいおいそんな事あ、往来でいうこっちゃあねえ。何をいやがるんで」
「往来でいえないことを、銭湯で仰っしゃるのは、おかしいじゃございませんか」
「喧嘩を売るのか」
ばっと、大きな掌のひらが、いきなり勘太の横顔を打った。
口よりも手が早いのを自慢にしているここの小市民だった。不意をくった勘太はおどろいたが、相手は当然なように、
「土百姓め! 失せやがれ」
と、大きく見得を切った。
古来から極めて尊重されて来た「百姓」という称を、かくの如く、あいてを罵る場合や、軽蔑の意味につかい始めて来たのも、江戸に住む近頃の小市民からであった。
将軍さまといえば、無上のものと思い、希望といえば、やりたい三昧な贅沢という答えしか持たないかれらが、その黄金文化の中で、いちばんに卑しんだのは、百姓であったことがわかる。
だが。
今日その、やりたい三昧をやり得ている将軍家以下の武家権門の輩も、つい一世紀前までは、その百姓をしていたことを、けろりと忘れているのである。
三河武士が主君家康を扶けて、かれの大志をなさしめた要因は、三河武士すべてが一致して、農を本とし、農武ひとつに、艱苦を克服して来たからである。
家康も幼少、三河も弱小であった時代には、稗、粟さえ満足に喰えなかったのが──いまの諸大名や旗本の祖先たちであった。
今川家を蚕食し、織田家とむすんで、やや一国の体面をたもってからでも、艱苦貧乏は徳川家の守り神であり、家中の精神をたゆまず研く砥石だったものである。
こういう語り草さえ残っている。
近藤なにがしという藩士が戦功によってすこしばかり加増の沙汰をうけた。
ところが、財務の上吏が、それを私的運動の結果のように、かれに恩を着せてつたえたので、近藤なにがしは、それを潔しとせず、
(ご加増は返納申しあげたい)
と、家康へ断りに出た。
家康は、事情を聞いて、処置に困ったらしく、そのときこう諭している。
(数年前、わしが城外を見まわりに出たことがある。その折、田の畦に大小が置いてあるので、ふと田の面を見ると、その方が泥田のなかで働いていたろう。その方の妻や娘どもも百姓とともに真っ黒になって汗しているのを見た。──あのときわしが、こういう苦労も長くはさせぬぞ──と、その方の家族たちを励まして帰った。今日の加増は余りにささやかだ、その折の家康が約束の一端と思うて、受けてくれよ。何もいわずに)
と、宥めたそうである。
近藤なにがしは、感泣したきり何もいえなかったとある。
こういう例を見ても、いまの諸侯や旗本の祖先が、どんな艱難の中に、志を立てていたかがわかる。その祖先といっても、まだ決して遠くはない。いまの元禄人士からつい二代前か、三代前の人々である。
それはともかく。
勘太もまた、いまの人間だし、百姓ということばをやはり侮蔑の意味にうけ取ったことはまちがいなく、重ね重ねの堪忍も、ついにやぶれて、
「百姓がどうしたと?」
いうやいな、あいてが自分を撲ったとおりに、あいての横顔をはたきつけた。
与えた打撃の度は、もちろん勘太の手のほうが強かった。さきの十倍もある力で返した。
撲り返したとたんに勘太は後悔していた。
そのときかれの頭にはまだ十分な反省があったのである。だからすぐ次には、逃げだそうとしたものを、
「やったな」
と、あいての男は、よろめいた身を翻して、勘太のうしろに組みついた。
ほとんど自覚なく勘太は身をすこし沈めてあいての者を肩ごしに投げつけていた。
もういちど、その男は、
「やりやがったな」
と、顔じゅうを、火にして起ちかけたところを、
「見損なうな」
と、勘太も一酬して、かれのわめく顔を、草履で踏んづけた。
「みんな、来てくれえっ。この野郎を、たたんでくれっ」
必死に、勘太の足にしがみつきながら、大声でたれかを呼びはじめたので、勘太も逃げようと努めたが、離せばこそである。
「ええい、面倒くせえ」
本来の兇猛性がついにかれの中で克ってしまったものとみえる。腰の道中差を抜いたかと思うと足もとを二振りほど撲った。そしてもう声なき朱まみれなものを、うるさそうに、片足から刎ね捨てると、柳の多い河ぎしの暗がりへ向って、脱兎のごとく駈け出していた。
自分を追うものの跫音が、すでに近く聞えていたからである。
──ひとごろし。
──辻ぎりか。追いはぎか。
──逃げたぞ。河岸ッぷちへ。
そんな声々に、逃げまどった勘太は、刃を鞘にもどすひまもなく神田川の堤から河の洲へととび降り石垣の陰へ、船虫のように貼りついていた。
「居た居た」
たちまち見つけた堤のうえの人影は、かれの左右にも跳び下り、また上からは、竿や棒をもって叩いたり、石を落して来たりして、勘太は身うごきもつかなくなった。
そのうちに、石の一箇が、勘太の額にぶつかった。血は片眼を塗りつぶした。勘太は近づくものを脇差で脅してみたが効がなかった。
二、三人を傷つけただけで、かれは、大勢に組みしかれていた。堤のうえに引きずり上げられたすがたは惨たるものに変っていた。
そのうえ、かれを捕えた町人たちは、かれの処分について、また喧嘩をしはじめた。辻番所から駈けつけて来たほうは、当然、辻番所へ拉して行こうとし、町中の人たちは、これは友だちを斬った仇だから自分たちの手で存分にする。なんでもそうしなければ虫がおさまらないと、私刑を主張してやまないのである。
そうされなくても、勘太はもう十分に打ちのめされていた。もう虫の息のように、うごきもせずにいたが、まわりの囲みに、隙間を見たので、ふいに躍りあがって、驚く人々をつき仆して、猛然と町の闇へ駈け出した。
こんどは足のつづくかぎり逃げた。そして夜の更けるのを待ってようやく元の旅籠へこっそりもどって来た。
表の戸は閉まっていたが、手をかけてみるとすぐ開いた。自分の帰りのおそいのを案じて、寝もやらずにいる佐々介三郎のすがたがもう眼に見えるここちがした。
「……いま、帰りましたよ」
そっと声をかけてみたが、旅籠のおやじもその家族も、土間のそばの一室に行燈を消して真っ暗に眠っていた。──
そしてただ奥の一間にだけ、まだ寝ない明りがあかあかとさしていた。
手さぐりで小桶を土間の隅にさがした。それから雑巾を持った。勘太は落着いている。──ともあれ自分では、まださし迫ってはいないつもりであった。
こんなすがたを不意に見せて、介三郎を驚かせては済まないと考えたにちがいない。かれは土間の戸をそっと開けて裏へ抜けて行った。──井戸がある。
小桶へ水を汲みあげた。額の血をぴしゃぴしゃ洗う。手足の泥、着物の血しおなど、星明りに見つけて抓んで水に落した。
「…………」
ほっと息をつきながら見まわした。屋根をわたる小猫の跫音にもまだ神経がすぐ衝かれるらしい。が、もう追って来る者はないようだった。
小桶の水をあけて、また満たして、終りの一杯を、かれは、明りのもれている濡縁の下まで持ち運んで来た。そして片足ずつ入れて雑巾で拭いていると──
「は、は、は」
「あははは」
閉めてあるそこの障子のうちで、明りも揺らぐばかり、大きな声してたれか笑った。
一方の声はたしかに介三郎にちがいないが、もうひとりは誰だか分らない。──勘太は、そこの部屋に、客が来ていようとは、いままで、気づかなかったので、急に、身をすくめて、上がるのをためらった。
部屋の中はまた、ひとがいるのかいないのか分らないほど、ふたたび小声に返っていた。夜も更けているし、同じ棟に眠っている相客たちもあろうかと、遠慮しているらしく思われる。
だが、その憚りがちな小声も長持ちしなかった。はなしに熱しると、つい忘れてしまうらしい。介三郎のそれよりも、かれに対している客のほうがしばしば激越となり勝ちで、また声も大きかった。
「──いや何もおれとて、老公のなされているご事業にたいし、またご精神にたいし奉り、寸毫、異議あるものではない。国体をあきらかにするための浩瀚な書物の版行、湊川のご建碑、事々にけっこうなお企てと思っておる。けれど、それぐらいなご実行で、この滔々と濁りきっている元禄の時流が革まると期しておられるなら、それは大まちがいだと、おれはいうのだ」
これは客の声である。
介三郎は答えていう。
「老公がいつも口ぐせのように仰せられるのは、死後の花見ということだ。生きている短いあいだにしたことを、生きているまに、その効果をご覧なされようとはお考えになっていない」
「百年の後を待つということか。なるほどそれは、老公のご人格らしいし、またゆかしいお心がけにはちがいない。けれど、いちど根まで枯れ果てた木から花は見られまい。世の中の廃頽も、余りに度をこえて腐りきると、救い難いものとなるし、それを革めるには、乱世の惨事と地を蔽うほど血を見ねばやれなくなる」
「心配するな、又四郎、まだそこまでは元禄の世も腐ってはいない」
「いや、貴公はあまり知らないからであろう。西山荘にいなければ、古書や遺蹟をさぐって歩き、また楠公碑を建つことにも、一年あまりか没頭して、京、大坂や江戸の世相を──いやその裏面をふかく観られる機会も少ないため、いわば世俗のことにはうとくおられる」
「どれほど、世相が廃れておろうと──又四郎、おたがい、さむらいだけは、まだあるものを持っておろう。さむらいと百姓だけが、しっかと、この国の根になっておりさえすれば、何の木にも花の開落、折々の狂い咲きはある。案じるな。──だいじょうぶだいじょうぶ」
平常無口で無表情で「棒」といわれているほどだが、何か心火に触れると、たちまち激情を発しるだけでなく──それを実行せずに措かないといったような不覊奔放な性格の持ち主を、佐々介三郎は、すくなからず危険視している。
その「棒」の又四郎、すなわち人見又四郎が、
の一句を、西山荘の門前に書きのこして、去年、汁講の夜に、出奔してしまったということは、上方にいる頃、耳にして、心痛していたところだったが、まさか今夜こうして、かれと膝組みで語る機会に恵まれようとは、まったく予期もしていなかったことだった。
夕方、勘太と共に外へ出て──勘太とはべつに、湯女などのいる風呂屋の情景も、いちどは見ておこうかと、それらしい一軒の門をくぐったところ、そこの二階で、湯女をあいてに、さかんに飲んでいたのが、棒の又四郎であった。
もとよりふたりは共に西山荘に仕え、老公の直臣として、刎頸の交わりをしていたあいだである。一方が浪人したからといって、急にその友誼に変質を来たすような仲ではない。又四郎はよろこびの余り、
(ここは夜どおしでもいいのだから、夜を徹して飲もうではないか)
と、ある限りの湯女を一席にあつめ、ある限りの酒と佳肴を供えて、介三郎をもてなそうとしたが、介三郎はほどよくかれを外へ連れ出して、
(ああいう場所では話せぬこともあるから、おれの旅籠へ来てごろ寝をしないか)
と、この木賃へ連れて来たものだった。
ここには元より乏しい火の気と渋茶の土瓶しか懸かっていない。けれど、それを不平とするほど又四郎は心から堕落しているものではない。
渋茶を飲み飲み、ふたりは心のそこのものを、たがいに忌憚なく吐いて、夜の更けるのも知らなかったが──話せば話すほど──同じ心の友でありながら、その目標へすすむ行き方としては根本的に意見の相違があって、相距たること遠いものを思わすばかりだった。
「…………」
又四郎は、さっきから黙ってしまった。この男が黙り出すと、あいての根気を疲らすのであった。うすあばたのある人好きのわるい顔が、むッそりと不愛想極まる眼を反らしていると、たいがい交き合いの者では嫌になってしまうらしい。
「おい。どうしたい?」
介三郎がやがていうと、
「どうもせぬ」
という返事である。
「眠くなったか」
「ばかをいえ」
「……では一体、さいごのところ、おぬしは現状の世にたいして、どう生きて行こうというのか。まさか、湯女をあいてに、酒ばかりのんで、いたずらに大義を楯に俗衆を罵るのみを能としてみずから慰めていられるほど、おぬしの性格は、都合よく出来てもいないしな……」
「どう生きて行くと? ……おろかなことを、おれは、どう死のうかという死に方しか考えていない」
「同じことではないか」
介三郎が、かれの浅薄を、叱るようにいったときである。どこか更け沈んだ裏の遠くのほうで物音がした。──ばりばりと竹でも折れたような響きであった。
ふと、ふたりとも、口をつぐみ合った。しばし耳を澄ましていた。
──が、それきり何の気はいもなかったのでまた、介三郎のほうから、
「老公のお怒りも覚悟のうえで、西山荘を出奔したからには、いずれは──生きようなどという道を選んで出たのでないことは分るが──それにせよ何をそう思いつめたのか。又四郎。おぬしはちと行き過ぎておりはせぬか」
「自分ひとりなら知らぬこと。江橋林助まで説いて共に出郷したのだ。なんでうかつに行動しよう。いまにわかる、見ていてくれ。おれもあだには死なぬし、江橋林助にも犬死はさせん」
「江橋はいま、どこにおるか」
「やはり江戸表に来ておるが、近頃、あるところへ住みこんでおる、訊いてくれるな」
「訊くまい。それは。……しかしおれが貴公の胸を叩くぶんには、いくら問いつめてもかまわぬと思う。君とおれとの交友だ。ゆるすだろうな」
「む、む。何を……」
「およそ察してはいるが、おぬしの抱いている真底の目的を。意図を。──打ち明けられぬか」
「他言してくれるな」
「もとよりのこと」
「また、止めてくれるな」
「それほどの決心なら、止めても止まるまい。とにかく聞こう」
「老公が職におられた時から、暗に老公のご献策をさまたげて、ご退職後は、わが世の春と、いよいよ思うままに綱吉将軍の歓心を捉え、政ごとを私せんとしている人間がある。かれは幕府の廟にいながら、大奥にも威力をもって両棲の佞官だ。そして天下の弊風と百害はかれの施政から招かれているといっていい」
「その柳沢吉保を、おぬしはどうするというつもりか」
「万民のため、かれを刺す。つづいてかれと結んで、水戸家のうちに、自己の野望をもくろんでおる不敵な賊臣──藤井紋太夫をお家のためにころす。こうふたつの目的を果したらおれは死んでいいと思っている」
「……そうか。……よかろうといいたいが、世の中というものは、また、時流の赴くところというものは、おぬしが考えているほど、簡単なものではない、吉保を除いたらいまの悪弊が世上から一掃されるか。断じて、おれは否という。もっと悪くなるかもしれぬ。──また、藤井紋太夫を除いたら、水藩のうちにわだかまっているある分子が活動をやめるかといえば、これも疑わしい。かえって不測な禍いが老公やご当主のお身にふりかからぬともかぎらぬ」
「その禍いのないようにおれはすでに水戸の臣籍から浪人している」
「そんなことでは……」と、つよく否定して、
「ともあれ、血気はよせ、力でへし曲げようとするような覇気はつつしむことだ。老公のお考えは、もっと遠大なところにある」
「間にあえばいいが、間にあうまい。やがて吉保は宰相にものぼり天下を私するにちがいない」
「そうしたら、そうさせておけ。歴史をみろ、長くつづくわけはない」
「そんな世に一日たりと生きていたくはない。黙視しておれるものか」
「とにかく、いちど帰参したらどうだ。おれが帰るとき一しょに、……西山荘へ」
「ば、ばかな」
身をふるわすように、又四郎はつよくかぶりを振ったが、そのとき、二度目の物音が裏のほうで耳近く聞えた。──そこの破れ垣根からむこうは、稲荷の森だったが、さっきからその辺を、無数の蟇が這うようにうごいて来る人影があった。
十手を持ったもの、棒を持ったものなど、物々しい数だった。
「待て。……はてな?」
介三郎は手をあげた。又四郎の口を抑えるようにである。そして、行燈の灯色をじっと見つめていた。
又四郎の耳もそばだっていた──あきらかに、ただならぬ気配が、障子の外にまで迫っている。灯の気が、急に戦ぎ立つ。
「何者だっ!」
障子へ向って、膝を建て直すとたんに、かれは太刀を把って脇の下に持っていた。
介三郎もまた、さっと、うしろの壁腰まで身をひいて、刀の柄を無意識につかんだのである。
猫の跳ぶような跫音が、ばらっと、縁の上から下へ降りた。ひとりやふたりの物音ではない。
又四郎は、ふり向いて、介三郎へ小声をかけた。
「……迷惑をかけたなあ。隙を見て、外へひっぱり出すから、貴公は、そのまま坐っていてくれ。貴公を縄にかけようとはしまい」
「迷惑などかまわぬが、何だ……いったい?」
「町奉行の手先だろう」
「捕手か」
「捕手に追われる覚えはないが、罪のあるなしなど問題ではないのだ。いまの幕吏の半分は、吉保の私兵といってもいいものばかりだからな」
「もう、先にも、覚られているのか……」
「水戸浪人と聞くだけでも、吉保はおぞ気をふるう。おれのあとには、絶えず何者か眼を光らしたのがつき纏っている。──が、案じてくれるな。そんなものに、手ごめになる又四郎ではない」
いい終ると、又四郎は、身をのばして、ふッと行燈をふき消した。そしてそのまま、介三郎のそばへ寄って来て、かたくかれの手を握りしめていった。
「佐々。暴言ばかり吐いたがゆるしてくれ。どうか、おぬしだけは、老公のお側にいて、おれの分まで、忠勤をたのむぞ。もう会えぬかもしれん。おさらば」
がたっと、障子の桟がつよく鳴った。又四郎は立つやいな、勢いよく、そこを開けた。そして一足跳びに縁をこえ、外の闇に突っ立っていた。
「──何か用か、野良犬たち、外へ行こう。ここは旅籠、相客にも友だちにも迷惑。外へ来い」
あたりの暗がりへ向って又四郎は話しかけていた。井戸の影にも、木の影にも、縁の下にも尻に根の生えているような人影がうごかずにいた。又四郎はくつくつ笑いながら、裏手の垣根をこえて、稲荷の境内のほうへ行ってしまった。
だが、かれのあとを、すぐ追いかけて、組みつこうとする者も縄を投げる者もなかった。
この辺の番太や町同心や、また町内の者にとっては、人見又四郎などという人物の存在は、まったく関知しないことだった。
「……おかしいぜ?」
「神田河岸で、植木職の安をころして逃げたさっきの暴れ者たあ、まるでちがう」
「あの田舎者も、たしかにさっき表から、この旅籠へ這入ったが」
「じゃあ、ほかの部屋だろう。宿のおやじを起してみろ」
やがて、群れかたまった、大勢の影は、がやがや評議していたがふと縁の上を見ると、そこに、大刀を杖ついて、じっと自分たちを睨めすえているもう一名のさむらいがいたことに気づいて、にわかに口をつぐみ、たれからともなく、ふたり三人五人と、いつかみな垣の外へ消え去ってしまった。
「何があったので?」
旅籠のおやじが眼をさまして起きて来た。ほかの部屋でも眼をさましたらしい物音がする。介三郎は、まだ縁に立っていたが、
「いや、何でもない。わけは明朝話す。ほかの客たちにも、眠ってくれるよう、詫びておいてくれい」
おやじは、寝衣すがたを、寒そうに屈めて、内へはいって行った。ほかの部屋の人声もすぐやんで、もとの深い夜更けに返った。
介三郎は、戸ぶくろの雨戸を、引き出そうとしかけた。すると眼のすぐ下に、何やら黒いものがうごいている。縁の下からそれへ這い出して来て両手をつかえている勘太だった。
「あっ。勘太ではないか」
思わず出た大声に、介三郎は自分ではっとしたくらいである。どうしたろう? もう戻って来なければならないのに? ……と、又四郎とはなしているまも心にかけ、いまもいまとて雨戸を引出しかけながら案じぬいていたところだった。
「なんでそんな所に坐っているか。勘太、なぜ上がらないのか」
すると勘太は、
「申しわけありません」
と、ばかりいって、しばらくは顔を上げなかったがやがて、じっと仰いで、
「すぐ、お別れ申しますから、ここでお詫びだけして参ります」
「なに、別れに来たと。あしたの朝でもよかろう」
「それでは、気がすみませんから、夜の明けないうち、自分から自首してまいります」
「自首して出ると? ……何をしたのだ、いったい」
「ひとをひとり打殺しました。些細なことから、銭湯の帰り途に」
「えっ、おまえがか?」
介三郎は、耳を疑った。
今日までかれが側において見ている限りにおいて、こんな柔順な男は少ないとすら思っていた。いくら勘太自身が自分の口から前身をはなしたり、その時分の兇暴だったことを語ってもそれはいまの勘太とは違う人間のようにしか聞かれなかったのである。
「……う、う。そうか」
介三郎はうめくようにいってから、畳の上の行燈を手にさげて来て縁においた。
洗っても洗いきれない血のあとやら、惨たるかれの顔色が下に見えた。虎は飼われても山野の性はついに脱けきれないものか。かれはただ勘太のすがたに愍れみがこみあげて来るのだった。
「湊川でも、あれほどな我慢のできたそちが、なんでそんな乱暴したか。勘太、わけがあろう。何かわけがあろう」
「あとで、考えてみれば、大してわけもありません。ただ、銭湯の中で、水戸のご隠居さまが近ごろ気が狂ったと、うわさしている男がいまして、そいつが、柳沢家に出入りしている植木職の頭と聞きむかむかと、しきりに胸がわるくなっていました。……まったく、そのむかっ腹がした出来心でございます」
「なに、お国表の老公が、ご発狂なされたと、町はうわさしていたか」
「嘘か、ほんとか、何しても、聞き捨てにならないことと、その男が、銭湯を出たあとをつけて、呼びとめたのが、まちがいの因でした。つい、堪忍をやぶっちまって。……ああ、まだいけねえ。だめです。これから自首して、もし遠島か牢舎ぐらいで、生命がありましたら、もう一ぺん生れ直します。どうかごきげんよう」
勘太は何べんも頭を下げ、また何べんも介三郎のすがたを仰いでいた。
夜が明けては──と気が急くのであろう、介三郎は少しでも留めておきたかったが、いればいるほど、未練になるのを、勘太自身怖れているらしく、やがて、振り切るように立ち去ってしまった。
呉服橋内に約七千坪ぐらいな地域を擁しているやしきがある。
柳沢吉保の邸であった。
ふつうの諸侯のそれよりは倍も広い。もっともここも以前は水野、松平の二家にわかれていたのを、吉保が住むようになってからひとつに併せてしまったのである。
「いちどは、こうしたやしきの主になって、数寄を凝らしてみたいものだが」
独り数寄屋の一室にさっきから長いこと待たされていた客は、無聊のまま普請の木ぐちをながめたり、庭園の善美に見入っていたり、飽くことを知らないふうであった。
床を見れば、東山名物でもありそうな名幅がかかっていた。花器を見れば、砧青磁とおぼしき耳附の瓶に、剪って挿けたばかりのような牡丹のつぼみが笑みを割りかけている。
香炉、蒔絵もの──。また膝のまえに置かれてあるたばこ盆の火入れひとつといい、さりげなく手にとった茶わんまでが、いずれも祥瑞とかなんとかいう名品らしかった。
「どれ見ても、大したもの」
彼には、そういうものを解する数寄があるらしかった。
上流のひとと交わるには、また文化人のあいだに出る話題から埒外におかれないためには、古墨蹟や名画を解し、陶磁を品評し、料理の味覚にあかるく、衣裳にぬけ目なく、能、音曲の嗜みはもとより、和歌をよめば和歌もひとかど、俳諧をかたれば俳諧もわかり、すべてに程よく通じていなければならなかった。
いま、この客をみると、いかにもそうした社交人のあいだにおいて、五分のすきもないほど、ぴったり時勢にあてはまっているさむらいだった。
年はやがて五十にもとどこうが、そうは見えない。ゆかしげに上品に、総じて若づくりのせいもあろうが、髪はひとすじも白くなく、きれいになでつけ、面は化粧しているかのように、色白でありすこし頬紅を使っているように赤味ざしている。眉は秀才がた、鼻骨はたかく、唇もとのしまりよく、愛嬌のこぼるるようなところがあり、面、肩の肉、背丈など、一体に薄肉のたちである。
──うしろの襖が開く。
音もなかったほど静かに。
そしてひとりの美人が、かれの前に茶を改めた。
すこし退って、
「まことに、お待たせいたしました。あいにくと、お客来がかさみまして、殿さまのお立ちあそばすおいとまもございませぬので……」
吉保の侍臣からいわれて来たことばを、そのまましとやかに告げると、客は、
「いやいや、ごもっともでございますとも、深更にでもならなければ、なかなかおからだにすきもないお忙しさは、存じての推参、決して、お気づかいたまわるな。いつまででも、お待ちしておりますれば」
さきは侍女と分っているが、客はいんぎんに、やや手を膝から辷らせていう。
「では、もうしばらく……」
侍女は立ってゆく。客はながし目に見ていた。ここの侍女に不美人はいないとよく人はいうが、なるほどと頷いているかのようにである。
「……さて、表の客も、長座な客。たれであろう?」
すこし猜疑ぶかい目をした。細めると、まつ毛の陰に針のようなものが光る。
このひとのことを、世評では名家老といっている。藤井紋太夫、あれがいればこそ、水戸家の財政は、光圀があんなに費いちらしても持ちこたえているのであると、もっぱらその功を紋太夫の手腕に帰していた。
武家やしきには、ひとつの剛壮な様式があるが、ここの廻廊に立つと、多分に京風が加味されてある。
廻廊に欄のあるのがそうだし、銅燈籠の懸け連ねてあるのも優美に過ぎる。わけてその廊を奥へ行く美人、退がって来る美人──何かを捧げ持って──燈影の下を楚々と通う女性たちの色やにおいにそれが濃い。
主人吉保の好みであろう。
夕方から数寄屋のほうには、ぽつねんとひとりの客──水戸家の藤井紋太夫が来て待っているというのに──ここの客書院では、興も酣で、べつな客と主のわらい声が大どかにながれ、数寄屋の孤客にはいつ目通りを与えるのやら、気にとめているふうもなかった。
「もう、もう……」
客は酌人の美姫へ手をふった。赤ら顔は酒のせいばかりではない。肥っていてよく光る皮膚にボツボツと黒い脂肪が滲み出している。年配は五十ぢかく、近江近江とよばれて、吉保から気に入られている勘定奉行の吏、荻原近江守重秀であった。
「──近江は、牛のような」
と、吉保は笑った。
座の美姫たちも──笑う。
重秀は、わざと大仰に、
「牛とは、おひどい」
庶民に向ったら、どんなに恐い顔の幅を見せるだろうと思いやられる重秀であったが、多分にお道化もして見せられる半面の持ち主だった。
吉保はことし三十六、どこか貴族気どりに取り澄ますくせはあるが、笑うと実にきれいな歯を見せ、座談といい、すがたといい、いかにも垢ぬけのした知識人という感じを誰もうけるらしい。
「ゆるせ、もういわぬ」
かれはまたそう機智をいって笑わせた。洒落というものを近ごろどこかで覚えて来たらしい。紀の国屋文左衛門などという町人とも、格別の交わりがあるので、文左衛門をめぐる俳諧師や画家などと微行であそびに行かれた先で、そんな風に染まって来たのではあるまいかと、ひそかに眉をひそめている家臣もある。
──が、その重秀もそのなかまとみえ、決して眉などはひそめない。むしろ笑いたくない場合も努めて笑って、
「さすがのてまえも、今日の善尽し美尽したご馳走には、もう……また口ぐせ……いや十分にいただいて、これ以上は入りません。そろそろ、おいとまを」
「待て、酒はすすめぬ。湯漬なとどうじゃ」
「ありがとう存じますが、明るいうちから、まだ別間に、たれかご来客のようですから」
「……む、む、数寄屋の客か。……あれはまだ待たせておいても大事ない」
「どなた様ですか」
「水戸の……ほれ、あれじゃ」
「藤井紋太夫とやらで」
「されば」
「非常な才人だそうでございますな。よくうわさを聞きますが」
「さようか」
「失礼でございますが、水戸家における柳沢侯じゃという評をなす者などございます。おそらくあなた様につぐ才人であろうと……」
重秀はここまで調子にのっていいかけたが、かれの顔を見て急に口をつぐんでしまった。
自分と似ているような存在──対比されるような才腕の持ち主を──たれも好かないのはひとの通有性であることに、ふと気がついたからだった。
「ふム……そうかな」
吉保の返辞は果たして白々しい。
およそ泰平の世に、吉保ほど破格な出世をして来たものはなかろう。
すべて将軍綱吉の恩寵によることはいうまでもない。
いま、五代綱吉の下に、その寵遇をうけているものとして「五士一僧」ということを世間でよくいう。
その五士とは。
まず柳沢吉保を筆頭に、牧野備後守、松平右京太夫、稲垣対馬守、そして格は下がるが、荻原近江守もそのひとりだという。
一僧とは、たれも知る、綱吉の生母桂昌院が、崇拝してやまない護持院の大僧正隆光のことらしい。
だが、その五士のうちでも、はや凋落を示して来たものは、ひとり牧野備後守だけではない。
寵はいま、吉保一人にあつまっているかに見える。荻原重秀のごときは、吉保に附随しているために──五士のうちに数えられているといっていい。
もっともかれの職は、勘定奉行という要路にあったから、そして経営の才物にはちがいないから、綱吉も重んじ、吉保も利用し、身分は三千石前後だが、隠然たる一方の力量であったことは間違いない。ただ上官への諂りや依怙ひいきだけに依って保っている存在とはちがう。よくも悪くも、やはり時務にかかるとそれだけの腕はある人間だった。
吉保の出世にしても、決して、理由なく築かれたものではない。
二十三歳のとき、綱吉が五代将軍の職につくとともに、抜かれて御小納戸となってから今日まで──かれの忠誠と、かれの天質を傾けた奉公ぶりとは、綱吉をして、
(この男こそは)
と、無二の者と思いこませただけの誠を尽して来たことは、これも、ちがいのない事実である。
だが、かれの誠意は、奉公というよりも、奉私に近いものだった。天下の政務に仕えることをわすれて、ただ綱吉という人間に仕えすぎた。そういう嫌いがあるというよりも、余りにあり過ぎて、ために政治が私された。元禄といういまのあらゆる世態を当然に作りあげてしまった。
いったい、吉保もそうだが、綱吉将軍も世間に思われているような暗愚なひとでは決してない。
むしろ名君となる質があったひとといってよいのである。
壮年から好学のひとで、学問においては、おそらく臣下のたれもかれに比肩できなかったであろう。英邁な気性さえ見られ、わけて生母には孝行だった。
十何年間というもの、紛争に紛争をしつづけていたが、幕府の親藩であるため、たれも断をくだせなかった越後家の大獄を、たった二日で裁いて、明快な処置をつけたのは、綱吉だった。
しかも綱吉が、就職の第一に手をつけた時務のひとつであった。越後中将光長の封を没収して幽閉し、連累の徒をことごとく処分に付したのだから、当時の官民は、
(この将軍家が出ては)
と、戦慄もしたり、また末たのもしくも見たり、とにかく大きな期待をもたれたものであった。
ところが、だんだんちがって来た。かれの母に仕えるのは大孝でなく小孝にすぎなかった。生母桂昌院の勢力というものから、大奥の婦女政治が醸され、妖僧の進言が用いられ「畜類お愍み」などという、民を犬以下に見る法令が出て来たりした。
もっと矛盾したものは、寛永以後、前代にも、綱吉の代にも、たびたび発しられている奢侈禁止令が、桂昌院を中心とする大奥や、綱吉自身のまわりから、まるでその正反対なものを爛漫と驕りはじめて、吉保以下、君側のものまでが、おたがいに、現世享楽の唯物文化に、謳歌し出したことにあった。
名君の質のある人でも、名君といわれるまで、生涯をつらぬくには、容易な人間達成ではない。
平ざむらいや、逆境の子弟が功成り名をとげるよりも、はるかに至難である。
なぜなら、王侯の位置にいて、周囲から甘やかされ、わがままも自由にきく境遇にあるだけに、人なみな身の処し方では、名君たり得ないからである。
綱吉はたしかに、名君の質だった。けれど、将軍の職たる中途で凡君に堕してしまった人といえよう。
それが、常人ならば、かれはついに駄目だったというだけですむが、為政者の首脳だけに、一世を誤たしめてしまった。かれの焼がもどったことは、そのまま元禄という一時代を、糜爛させてしまった。
かれをそうさせた者が、輔佐の侍臣にあるとすれば、吉保の罪は個人的な罪ではすまない。
「佞臣、懲らすべし」
と、一部に義憤の声のあるのは、そのためである。
世上に聞えているうわさでは、水戸の副将軍が退いたのも、吉保の策謀だという。
いや水戸さまと綱吉将軍とは、元来がご気性があわないのである。将軍家がおきらいなのだ。ために、水戸さまは致仕し、身を西山におかくしになったものだ。そう伝える者もある。
すこし穿ち過ぎているようではあるが、恐らく真相であろう。
吉保と光圀とは、まさに正反対なひとである。
その施政方針も。
また日常も、家中の風も。
思想も──といいたいが、柳沢吉保とても、皇室、国家、というものにたいしてだけは、そう光圀と距りのあるわけはない。
かれはただ、より以上、おのれを愛しすぎる人間だった。精神のひとでなく、物のひとだった。いやそういうよりも、幕府至上のうえに立った無双の才識ある現実主義者だった。
かれには自己の家運とか子孫とかは案じられても、国家の永遠にたいしては二義的な考えしか持たなかった。
当然、光圀とは、生命観も、国体観もちがう。
さりげない座談のうちにも、ふたりは相合わぬものを、どうしようもなかったに違いない。
しかも、このふたりも、君側にあった、綱吉の補佐だった。
綱吉は、光圀を避けたのであった。吉保に傾倒したのである。──この大きなわかれ目から吉保のほうへ傾いた綱吉には、元来からそれだけ脆弱な素質があったことは否めない。──もし逆境の世にのぞんでいたら、もし輔佐の臣が良かったら──あるいはある程度までのひとには成れても、到底、偉なる主君ではあり得なかった。
吉保は、事々に、光圀を讒したろう。
親藩の、しかも副将軍たるひとを、讒するなど、むずかしいとも思えるが、直接、声をひそめるには及ばないのである。
桂昌院も、光圀はきらいであったし、大奥の女性群はほとんど、光圀の国策はよろこばなかった。吉保の幕政を支持した。ここの声は、将軍家をうごかし、副将軍をのぞき、政治をゆがめることなど、易々たるものであった。
わが世の春は、いまや吉保に来かけている。大奥の女性には女性らのほしいままを、将軍家の小欲にはまたあらゆる栄華を、それから自分にも。一門にも。
さて、その夕べ。
客の荻原重秀は、まもなく席を辞して立った。夥しい燭と人影が、廊下から表へ送ってゆく。
いかにも内輪の客あつかいである。将軍家の寵臣同士が、こう親しいのは当然であるが、一は綱吉の側用人にして宰相にひとしい権勢のひと。一は勘定奉行という特殊な職務にあるものである。怪しめば怪しめないことはない。
のちに思いあわせると、それから二年と経たないうちに、悪貨濫造という思いきった政策が、将軍家のゆるすところになって実現し、騒然と、世の物議をかもした。
幕府に金がなくなって来たのである。綱吉の栄華や大奥の奢侈に費やされたことももちろんであるが、大奥の女性を経て、護持院の建立とか、そのほか無用な喜捨享楽に投ぜられた額も莫大であった。また、綱吉の奢りはひとり、綱吉にとどまらないで、直臣諸侯に及ぼして行ったことはいうまでもない。
ひいては、世をあげて、贅美と逸楽の坩堝と化し、物はあがり貨幣価値は低くなった。
重秀は、勘定奉行の当路者として、
(これは、貨幣が足らないからである。質よりは数の問題だ。寛永このかた、文物の進歩や社会の推移は著しい。にも関わらず、貨幣はそのままになっている。──当然、改鋳して、質を更え、数をふやして、流通を活溌にしなければならん)
こういう経済観の下に、断行されたものであった。
純良な金質に、銀や銅を混ぜ、銀貨には錫や銅を加えて、新貨幣が発行された。
分りきっていた結果は、そのあとで、当然にあらわれた。物価の狂騰と、庶民生活の困難である。
(これは柳沢どのと、荻原近江守とが、改鋳のあいだを掠めて、私利を獲んためにした策である。それにちがいないのだ)
とまで、諸人の怨嗟は露骨であったが、赫々たる時運に乗った寵臣の耳には、聞えもせず、聞えても、おそらく何の反省もなかったであろう。
それは後のことだが、下地の相談は、すでにこの頃からあったかも知れない。──吉保は、重秀が立ち帰ると、
「ああ、ちと酔うた」
と、ものうげに、両手をうしろへ落し、大廂の外に、わが世の春を飾るがごとくある星を仰いで、大きく酔後の息を吐いた。
「殿。……昼からのお客つづき、おつかれでございましょうが、なおおひとり数寄屋のほうで、久しくお待ちでございますが」
もしや忘れているのではあるまいかと、侍臣がおそるおそる促すと、吉保は、はっきり覚えているらしく、
「水戸家の藤井か。……どうせ夜に入ったことじゃ。まあよかろう」
と、なお悠々憩いながら、
「検校は招いておいたか」
と、たずねた。
かれが、つかれるとよく鍼をさせたり体を揉ませている杉山検校のことで、紀の国屋文左衛門と吉保とのあいだを紹介したものも検校であるといわれている。
「は。早くから呼びおいて、別室で夜食を与えておきました」
さりげなく、侍臣はいったが、ふと「夜食」ということばを、用いた者当人が、はっとした容子であった。
吉保のことを、世上で「夜食の少将」とあだ名していることをふと思い出したからである。けれど吉保には何の気ぶりも出なかった。
「……どれ、会ってやろうか」
やがて、身を起すと、廊下を遠く渡って、数寄屋のある新殿のほうへ歩いて行った。
錠口がある。それからが新殿への境であった。
新殿は御成御殿ともいう。折々、将軍綱吉が遊びに来るので、莫大な納戸金を借出して、増築したものである。設計の贅、善美、いうまでもない。
数寄屋もそれに附随していた。
本殿はみだりに平常用いないが、数寄屋は吉保の安息所として、夜は燈り、昼もよくここに寛ぐ。
「お。……お見えらしいな」
水戸家の臣、藤井紋太夫は、遠く夜を囁くものの気配に、吉保がようやくここへ来たのを知った。
「お待たせいたしました。こちらへお通りくださいませ」
美しい侍女が、やがてかれを誘った。遠からぬ一室に、吉保は待っていた。眩いばかり明るい左右には腹心の者らしい侍臣が二名いるほか、すべて女子が侍していた。
遠く、紋太夫は座をとって、時候のあいさつから始まって、目通りのかなった歓びなど、礼儀はいんぎんを極める。
吉保は、あっさり、
「待たせて、気のどくであった」
と、いったのみである。
それから雑談にうつるとすぐ、
「みな、遠慮せい」
と、左右の者、すべてを、遠く退けてしまった。
親藩の家老とはいえ、格からいうと陪臣である。吉保とは、身分の差がありすぎた。しかし、たったふたりきりになると、主客のあいだは、まったく私交的になっていつか膝を寄せあい、親しげな小声を交わしていた。
「その後、西山のほうは、変りはないか。隠居の動静は、近ごろどうじゃな」
「まったく、百姓めかして、他念なげにはお見うけされまするが、本来、豪毅なお気性、あのままとは存じられませぬ」
「もとよりのこと、ゆめ、あの隠居には、油断はならぬ。天下に怖いものはないが、この吉保にも、あの老人だけは苦手である。思えばそちはよくもよくも、ああいう主君の下に三十年も無事に仕えて来たものじゃ。それも、ただ凡々ではなく、無二の者と、重用されて来たところは、そちも隠居以上、油断のならぬ男とみえる」
「おからかい遊ばしては困ります。そういう論法でいえば、あなた様が将軍家や大奥をうごかされる才腕など、何とお称えしてよいか、適当なことばもちょっと見当りません」
「ははは。さほどでもない」
「ご謙遜です」
「いうな。口舌では、所詮かなわん」
「──が、てまえの望みは小さく、あなた様のお希望は、いわゆる大望です。当然、格のちがいは是非もありません」
「何しても、助力してくれい。わしの望みの成るは、そちの望みが成るも同じと思うて──」
「さればこそ、水戸家だけでも菲才には重荷にすぎる身を、こうして、ご当家のお為には、粉骨砕身を誓っておりますが、なお、ご不満でございましょうか」
「いや、いや。不満どころではない。水戸殿をして、隠居のほかなき窮地へまで追い陥したのも、内部にあって、そちがよく吉保と呼吸を合せてくれたからだ。──また、その前後から揉めておる将軍家のお世嗣についてもな」
「水戸のご隠居には、ご在職中から、甲府綱豊さまを擁し、あなたのご意中は、紀伊綱教さまにありました」
「そうだ、今とても。……将軍家のお心もまた」
「……ですが、ほんとのところは」
紋太夫は急にあたりを見まわし睫毛の濃いせいか、その眼は白眼がちに恐く見えた。
「ほんとのところとは?」
吉保も、要心ぶかい眼をちらと光らせた。奸智は奸智を知る。ふたりは共に、乱世の臣なら一方の奸雄たり得る敏才を持ちあっている。
紋太夫は、うごかさぬ程な唇から、にやりと囁いた。
「……打割ったお胸のなかを、敢て、臆測しますならば、あなた様が、将軍家のお世嗣として立てたいお方は──甲府どのでも、紀伊どのでもございますまい」
「では誰じゃというか」
「まだお八歳にしかおなりなさいませぬが、ご当家において、ご養育あそばされている、吉里君ではないかと」
「なに。なに」
これほどあわてた顔色をひとに見せたことがこの人にあるだろうか。それを紋太夫は、すこし身を低めにしながら、じっと、仰ぎ見ているのであった。
「ばかな。……めったなことをば」
うち消そうとするのを、
「おかくしなさいますな」
小声だが、強い語音である。吉保には脅迫と聞えるぐらい、何か、底気味のわるいものすらふくんでいた。
「──すでにてまえは、水戸家の重職にありながら、先主光圀公を、将軍家の君側からも、大奥からも、ご政治向きはもちろん、あらゆる所から排斥なされようとしたあなた様の画策に与した者ではございませんか」
「たれが、そうでないと、そちを疎外したか」
「ご銘記ください……」
紋太夫は、凄味のある眼を、すぐ潜めて、柔順に首を垂れた。
「──てまえにしてみれば、その事は、実に、職を賭し、一命を賭したうえでいたしたことです。ご当家の老職、藪田五郎左衛門のむすめは、てまえの妻であり、舅の仕えるご主君なればまったくの他家とは思われぬ情もございましたが……さりとて、軽々には、荷担申し上げられぬ大事でございました」
「さればこそ、儂とても、そちを他人あつかいはしておらぬ」
「なぜ、もう一歩、吉保のために、あらゆる智もかせ腕もかせと、てまえをお用い遊ばしてくださらないか。ひがみでもございましょうか、紋太夫はそうおうらみに存ずるのです。──あなた様のお望みが、老中の職や、諸侯並ぐらいなもので、ご満足あろうとは、てまえには信じられません」
「…………」
吉保は、斬りこまれたかたちである。が、大きく抛り出して、いわせているという体にも見える。しばし黙っていたが、突然、歯で噛み刻むようにくつくつと笑い出した。
「……惜しい男だ。紋太夫、そちが水戸家の老臣でなかったら、いまでも、もっと要職へ登用してやれたろうに」
「おことばですが、てまえにも望みがあります。あなた様のお望みを小さくしたようなものが。……それを知るものは、あなた様よりないはずです。また、あなた様の遠大なお胸の底もおそらく、紋太夫しかまだ知りますまい」
「油断のならぬやつ。もういうな」
「いいますまい。──が一言、お諫めしておきたいのは、大事をお急ぎあってはいけません。まず紀伊どのを、お世嗣に立てられ、その次代の将軍家に、吉里君をお立てあそばすぐらいなお気長さで徐々、お計りなさいませ」
「……。シイ」
吉保は、手をもって、彼の口を制しながら、脇息から身をねじまげた。
庭面の木々へ明りが青くさしている。ほかは、墨のように暗かった。白く揺れているのは卯の花らしい。
ふすま越しに次の間から小姓の声がしている。遠慮を命じられているので無断に開けないのであった。吉保はふと気づいて、
「なにか。開けてもよい」
と面を向けていった。
「検校が、おいとまを戴いて帰りたいと申しておりますが」
小姓のことばを聞くと、吉保は急に思い出したらしく、
「そうそう、夕方から待たせてあったな。待ちくたびれたと見える。もう暫し怺えておれと申せ。間もなく、寝所へまいるほどに」
ふすまが閉まる。
小姓の跫音が静かに遠ざかると、紋太夫はかれに訊ねた。
「杉山検校でございますな」
「そうじゃ、時折、眠りにつくまえ療治してもろうておるが、老人気短か者で、よう渋面を作る」
「諸家から招きが多いようですから、むりもございますまい。長座いたしましたが、てまえも程なくいとまいたします」
「そちの長座ではない。吉保の身勝手じゃ。まあ話せ」
と、かれにもなお、紋太夫を通して、訊きたいことがあるらしい容子だった。
吉保の気にかかるのは、何といっても、光圀という存在である。その後、まったく世を遠く離れて隠棲しているに違いないが、かれには、むしろそのほうが捕捉できない気味悪さであった。
柳営にあるときの光圀のすがたは、いつも柳営いっぱいに感じられたように、野にかくれるとその存在は、かえって日本中にある気がされる。そして自分の行政ぶりから、する事なす事まで、あの静かな眼でじっと見ていられる気がしてならないのである。
「西山の隠居には、昨年から、兵庫の湊川とやらに、楠公の碑を建てにかかっておるとか聞いたが、もう出来たのかな」
「係りの佐々介三郎なる者が、先頃、西山への帰途、小石川のお館にも立ち寄って、委細報告して帰りましたが、それによると、はや竣工した由にございまする」
「どういう本心かの」
「本心とは」
「隠居の考えのあるところは。──水戸の田舎にひき籠って、鍬など持っているかと聞けば、古文書や史籍を借ると称して、堂上や諸侯へ使臣を通わせ、また、碑を建つなど。……湊川へはそのあいだ自身で出向いてはおらぬのか」
「一切、お微行はございません。もっとも、お若い頃には、よく諸国を飛び歩かれたものですが」
「いつか柳営で、その旅のはなしが出た折、将軍家の問いにたいし黄門光圀が答えられたことばには、自分ほど世間を歩いていないものはない、東北では、将軍家のお供をして、日光の御廟へ詣ったのが、ただ一つの思い出であり、東海道筋では、幼年のとき鎌倉の菩提寺へ参詣したことがある限りじゃ。──この老齢にいたるまで、旅といえば、そのふたつが、最も遠方に行った旅でしかない──などと喞っていたが」
「それは公儀へも、ちゃんとお届けした上の公然なる旅だけを仰っしゃったのでしょう。どうして」
と、紋太夫は失笑をもらして、
「なかなかそんなものではありません。三十四歳で当主につかれるまでのあいだは、何分、ご自由でしたから、お部屋附の若ざむらい五、六名を、お頭巾組と称して、みな、つねに黒い頭巾をよく被られて、時にはその影武者をお部屋の主に見せておき、ご自分は一、二名のものを連れたきりで、ぷいと出たまま、ふた月も三月もお館へ帰られないことなど、屡〻であったように覚えておりまする」
「どこへ行ったのか」
「天海を翔けあるいて来たなどとよく冗談をいっておられましたが──恐らくあのお方は、日本じゅうご存知ないところはございますまい」
「ふム……。その頃、そちは?」
「まだ、お小姓の端、ちょこなんと、加えられたばかりの幼年でございました」
「その影武者めいた幾人もの家臣は、いまでも、西山荘の隠居の身近におるのであろうか」
「いや、お若い頃のことです。その後はもう……」
「とにかく、正面を見ただけでは、解り難い人だ。柔和かと思えば剛毅、無策かと思えば遠謀家。あの隠居だけは、端倪できぬ」
「あなた様とは、よい太刀打かな──といわれた大名があるそうですな」
「そうか」
「いまのところでは、たしかにあなた様のご勝利といえましょう」
「……紋太夫」と、吉保のあたまはべつの方へ向いていたらしく、
「──そうして、水戸どのが若い頃には、頭巾組などという影武者をおいて、諸国を微行の旅していたとあるが、一体、何を目的に歩いていたものであろう。まさかただの遊びや見物の廻国ではあるまい」
「もとよりです。ちと口外を憚りますが……」
「かまわぬ。邸内の深殿、ここには、ひともおらぬし」
「極秘ですが、備前の池田新太郎少将などと、密かに、お会いなされたこともあります。そのほか、有力な西藩の諸侯や、公卿堂上中のさる方々とも」
「何のために?」
「ご烱眼も届きませぬか。青年からご壮年になるまで、或いはいまも──光圀公のお胸にひそんでいることは──幕府の権、政一切をあげて、天朝へお還しさせ申さんという恐ろしいお望みにあるのです。これを知るものは、同藩の一部のほか、外部へおもらしいたすのは、いまが初めてでござりますが」
「でも、水戸は三家の一、また黄門光圀は、権現さまのお孫でないか。何不自由ない身分にありながら」
「いや、あの方には、そういうご思慮はとんとありません。何を仰っしゃるにも、大義と国体です。権現さまの幾多のお子お孫たちのうちにも、たったひと方、とんでもない変り種をおのこしになった──と申すしかございません」
「何しても物騒な人物。この上とも要心に如くはない」
吉保はそろそろ寝所を思うて、杉山検校の療治の手に、安々と身を横たえたくなって来たらしい。眠たげなつかれを顔色に漂わせた。そして急に、
「時に。……紋太夫」
と、話題をとばした。
「いい忘れていたが、昨年、そちの手から贈ってくれた献上の名花は、においといい、色といい、稀な名花には違いないが、ただひとつ、困った癖がある。あれには、ほとほと困じておるが」
「名花? ……。あ、あの、てまえよりさしあげた女子、お蕗のことを仰せられますので」
「そうじゃ。当館へ将軍家のお成りを仰ぐたび、歌舞にお給仕に、何かのお目なぐさみにもと、年来、眉目麗わしいものは召抱えて来たが、さてさて天下にすくないのは美人であった。わけて将軍家には、大奥の花にも見飽いてもおられようし、その眼にかなう程なとなると、容易ではない。──いや世間に絶無かもしれぬと、わしが嘆じた。それを、そちがふと耳にして、いやひとりある。かならず自分の手よりさし出すとて、やがてお蕗を見せてくれたが、なるほど、絶世の美といえる。けれど如何にせん、実は、もて余しておる」
「お困りとは、どういう点で」
「あれが当家に来てから、はや一年近いし、そのあいだ、将軍家のお成りも、一、二度ならずあったが、如何なる貴人のまえに出ても、平常もそうだが、口をきいたことがない。──彼女は唖かと、将軍家もいぶかられて、そっとお訊きになったことすらある」
「ははあ。すがたに似あわぬ強情者と見えますな」
「何せい、いくら美しくても、唖では困る……」
「すこしご折檻を試みては如何でしょう」
「そうもなるまい」
「てまえが責めましょう、折を見て。……いや、いまでも、これへお呼び下されば」
「実は、お蕗の身は、惜しいものだが、そちの手へ戻すしかないかと、あぐねていたところじゃ」
「もう一応、説きもし、責めもして、その上におきめください。てまえの手に帰って来れば、不愍ながら生かしてはおけません」
「生かしてはおけぬ?」
「何せい、彼女なれば、あなた様の御意にも召し、将軍家のお眼にもとまろうかと──実は少々無理をいたして、国許から連れ参ったもので、いまとなって、世間へ出すわけにはゆかぬ事情にありますので」
「無残、無残。ころしては可哀そうだ。……」
と、吉保は急に冴えた面に返って、
「では、呼んでみるか。……これへ」
「そう願えれば」
「しかし、わしは検校を待たせてあるが。──こういたそうかの。お蕗を隣室へ呼んで話せ。わしはここに寝ころんで、検校に療治してもらう」
「検校は盲目ですが、耳は聞えましょう。大事ございませぬか」
「盲人には、隠してもむだじゃ。わけて勘のよい杉山検校、諸家の内事は、みな知っておる。しかし、わしへ叛くようなことはない。紀の国屋文左を、当家へ伴れて来たのも彼。案じるに及ぶまい」
吉保は、小姓を呼んで、
「検校をここへ」
と、いいつけ、また、べつの家臣には、女部屋の錠口を開けて、お蕗をつれて来るようにと命じた。
出入りの自由を禁じた特殊な一棟があるとみえる。錠番の者もついて、やがてひとりの女性がここへ呼ばれて来た。──というよりも監視附で拉して来たというほうが実際に近い。
そのとき藤井紋太夫はもう席を次の間へ更えていた。かれは、お蕗のすがたをじっと見てから、
「暫時は、てまえがお預り申しておる。どうぞ、お退り下さい」
と錠番の者や、ほかの家臣をしりぞけた。
ふすまを隔てて、吉保は、白絹の小蒲団に枕をのせ、暢々と寝ころんでいた。そのからだに手をかけている老人は、鍼按摩の大家で杉山流とみずから称えている杉山検校だった。
検校はもう七十近いので、耳は遠く眼はもとより盲いているので、近ごろは何もわからないと、自分の耄碌をよく口癖に喞っているが、
(恍けることも名人)
という世評があるので、吉保は、そのままを信じてもいなかった。だが常々、かれには十分な恩恵をほどこしてある。諸家の内事を訊ねたり、何かの流説を行わせたりするには、恰好な老人であった。
「検校」
「はい」
「凝っておろうが」
「はい」
「そのへんを、ちと強く」
「ここで……」
「むむ。待たせたの、こよいは」
「困りました。他家へまわるお約束がありましたので」
「他家とは、どこか」
「ご老中の……」
と、いいかけて、検校はふと、見えない眼を、ななめに天井へ上げた。ふすま越しに、紋太夫の声がしたからであろう。
あり得ないことが世の中にはままある。柳沢家の奥ふかくに、水戸で行方知れずになった佳人がいるなど、ふしぎというほかはないが、たしかにいま、ここの灯影を横にして、泣きもせず笑みもせず、唖のように坐っているのは、雪乃のむすめ、西山荘の帰り途、駕籠ぐるみ、母と共にすがたをかくした──あのお蕗にちがいない。
どうして、かの女がここに。
また、かの女の母は、いまどこにあるか。
それらの経路を知るものは、お蕗自身と、藤井紋太夫しかないようである。
紋太夫は、はなしかけた。
「蕗どの。体でもすぐれぬか。ちと顔いろがわるいが」
「…………」
「折入って、ちとはなしたい儀がある。もそっと寄らぬか。──何を遠慮。そなたの亡父、白石助左衛門とわしとは、生前、水魚の交わりをしていたもの。いうては、恩きせがましいが、どれほど紋太夫が、役向きにも、君前へも、陰となり陽なたとなって……。いや、やめよう。そういうことを語ろうというのではなかった。実は」
と、自分のほうからにじり寄って、かの女の眸を正視した。
「蕗どの」
「…………」
「こよい、所用あって、吉保様にお目にかかって、何かのおはなしの末、聞けば、そなたはここへ来てから、とんと物をいうたことがないそうではないか」
「…………」
「将軍家のお成りにも」
「…………」
「将軍様が、怪しまれて、彼女は唖かと、吉保様へおききになった程だという」
「…………」
「それは、まったくか」
「…………」
「蕗どの」
「…………」
「これ」
「…………」
何たる無反応であろう。ひとみも動かさない、顔いろも変えない。冷々水のごとしというが、水ほどな揺らぎもない。
ちと、焦れて来たらしい。紋太夫の眉のあいだに、針のような皺がひとつ立った。これは紋太夫が日頃はふかく慎んで秘している神経の思わずピリッと出たものにちがいない。その針ひとつが眉間に立つと、かれの人相はまったく変って、何ともいえない凄味を呈して来る。
「──蕗。そなたは、この紋太夫にも、唖のまねを守ろうとするか。藤井紋太夫を、あまい人間に見ておるのか。かりそめにも、そなたの亡父助左衛門の恩人、ひいてはいま、そなたの母、雪乃の身まで引取って、わしの手許に養育させてあるものを……その恩人に、そちはそのような態度をとって、すむと思うのか」
「…………」
「返辞をせい。蕗」
「…………」
「口を開かぬかっ」
「…………」
「いわぬ? ──何としても口をあかぬな。……そうか、もう強いまい、きっと、唖を守ってみるがよい。紋太夫にも、考えがある。……不愍なのは、そちの母ということになるだろう」
「…………」
「ぜひもない。この上はせっかく其女をおおすめしたご当家に対しても、紋太夫の立場がない。立ち帰って、そなたの母を責め、母の口から、ものをいわすぞよ。老いたる母に、憂き目を見せても、そちはそちの強情が通ればよいとするか」
「…………」
依然、ものはいわなかったが、ついに、たもとを噛んで、がばと俯っ伏すと、黒髪の下からよよと泣く声がもれた。
さっきから闇の中にじっと背をかがめていた男がある。園内は広いし、そこここに樹々があり下草があるので忍んでいるには恰好であった。
中間者の着る腰切の上着に三尺帯をしめ、木刀をさしている。柔軟で健やかな体つきから見ても若さが知れる。するどい眼をたえず前後にはたらかせ、そしては、彼方の室内へ眼と耳と、いや全神経をすまして、そこの主客を窺っていたものである。
やがて、主客ふた間に別れて、その一間のうちへ、お蕗のすがたがかくれ、程なくそのひとらしい忍び泣きが、微かに、庭面の静寂をふるわせて来ると──男はやや焦躁り気味に──なお聞きとり難い声をも聞こうとするように──前後もわすれていつか物蔭から這い出していた。
「あっ」
彼自身、その居どころを告げるような大声を不意に発して、全姿を鹿のごとく躍らせたときは、もうその影を庭番の武士に見つけられて、うしろから組みつかれていたときだった。
だんと、地ひびきがした。
羽がい締めに組んで来たうしろの者を、肩ごしに前へ投げ出したのである。
いうまでもなく、ふたつの部屋の灯もただならぬその物音に揺れうごいて、
「何者だっ」
「何事?」
とすぐ縁へ立ち出で、あわただしく家臣を呼ぶ吉保の声もした。
男は、すばやく木の間へ逃げこみ、追いかける者を、なお二、三投げとばしていたが、たちまちそこは、むらがり寄る家臣の包囲するところとなって、嵐のごとく暫し木々や草の騒いでいるうちに、
「出ろっ。──出ぬかっ」
と、縄の端を持って、家臣たちが無理無態に引っぱり出したのを見ると、すでに男は高手小手、鞠のように縛められていた。
「手燭を持て」
吉保は庭へ降りて来た。
そして、男のそばへ近づいた。
「──明りを」
と、もう一度、それを促して、俯向いている若い男を、しげしげと眺め入った。
「だれぞ、この者に、見覚えはないか。どこの小者か」
すると、家臣のひとりが、
「やっ、この者は、いつも検校の供をして、ご当家へもたびたび来ておる中間でございます」
と、さけんだ。
「なに、検校の?」
ひとしく愕いて眼をみはった。ちがいない、そうだ、と口をそろえていう。
そして意外ともしなかったのは吉保だけであった。むしろこの獲物をよろこぶ色さえ顔に見せて、
「その辺の樹に縛り付けて、二人ほどで見張っておれ。あとはみな部屋へひき取れ。立ち躁ぐほどのことはない」
かれは、静かに室へもどって、ふたたび検校へ背を向けて坐った。
「もうすこし、肩をたのむ」
検校は、すぐかれの肩へ手をのべたが、指先にみだれがあった。
「……何があったのでござりますか。お庭先で、曲者でも捕まったような?」
「検校、曲者は、そちのいつも連れておる者だという。物騒な人間をそちは供に連れあるくな」
「えっ? ……わたくしの」
思わず腰をついて、検校は吉保の背で大きくためいきを洩らした。すると、そこのふすまを開けて紋太夫がまた告げた。
「検校には、おそらく近ごろ雇い入れた新参でござろう。いま、てまえが見て参ったところ、案のじょう見覚えのある者でした。──曲者は水戸の者です。しかも西山荘のお側近くに仕えていたさむらいの一名にちがいございませぬ」
検校は、見えぬ眼を開きそうな顔して、しばしは唖然と、愕きに打たれていた。
日頃、まめやかに、盲人の自分に仕えて、よく気づくので、愛していた若い小者が、水戸のご隠居の直臣であると聞いては、自失するほど愕いたのも──いや恐怖に襲われたのもあながち無理ではなかった。
「ありそうなことだ」
吉保は冷静を欠かない。むしろこの際は検校を咎めず、検校を利用するのが賢明としているらしかった。
「吉保の身辺に危害を謀む刺客の影のさすことは、きょうまで一度や二度のことではなかった。吉保もいつか馴れて来たほどである。……だが、西山荘の隠居には、そも何の憎しみをふくんで、かくは吉保の生命をちぢめんと狙けまわされるのか。物好みというには余りに怖ろしい執念ではある」
と、ひとり慨然としていった。
検校の落度をここで咎めるよりは、検校の恐怖心をたくみに捉えて、自分の流布したいことを、この盲人の口から世間へいわせたほうが賢明である。そう吉保はすぐ考えていたらしかった。
紋太夫もすぐかれの意中を読んでいる。で共々、口をあわせて、検校に聞かせるためいった。
「さだめし、ご不快でしょうが、どうぞてまえに免じて、お忘れください。ご隠居の狂暴はきょうに始まったことでなく、西山へのご退隠も、すべてあなた様のさしがねのように、逆恨みを遊ばしておるにちがいございませぬ。──それをまたご意見もせず、かえって使嗾する側臣などもおりますために」
それからなお、過去にまでさかのぼって、光圀の在職中に、叛意のきざしがあったのを諫言したとか、また後嗣の当主も、病弱でほとほと困るとか、吉保へ詫びるがように見せかけて、実は検校に虚構を信じさせるべく努めた。
「はや、夜も更けよう。帰ったがよい」
吉保にいわれて、検校は、檻から放たれたような気がした。
倉皇、立ちかけたが、
「こよいのことは、何とぞ……」と、思い出したように、何度も詫び入った。
「まさか故意に、あのような供を召連れて来たわけでもなかろう。ただあの男の──水戸の江橋林助とか申したの──身がらは此方に申しうけるからそのつもりで」
検校が帰ってゆくと、
「てまえも、はや」
と、紋太夫もいとまを告げ、また幾日かをおいて来ることを約した。
彼の帰るのを機に、お蕗も家臣にまもられて、奥の棟へ立って行った。ついに一言もものをいわずに。
──が、長い廊下を遅々と歩いてゆくあいだ、かの女は庭のほうを、面伏せな眼のすみから、どれほど懸命に見たか知れなかった。
老公の家臣が、水戸のひとが捕われている。ということを知っただけでも、彼女の胸はさっきから狂瀾に似て鳴りさわいでいた。
けれども、庭面は暗かった。
大きな木の影は星をかすめていたが、木の根がたの人影は分らない。ただあのあたりにと、眸をいためただけで通りすぎた。
しかし、そこに縛りつけられている江橋林助のほうからは、たしかに見えた。彼女のすがたが。愁然とゆくその影が。
「あっ。……おおお蕗どの」
思わず立って、声をあげようとした時である、うしろに番をしていた武士が、すぐ大きな手でかれの口をふさぎ、もうひとりの番の者へ、
「おい、手拭をかせ、手拭を」
と、締めつけながら、あわてていった。
初袷を着、風も秋めくと、毎日のように、江戸のどこかしらで、笛太鼓の音の聞えない日はない。わけて浅草界隈は、祭というと、裏店まで綺羅美やかに賑わう。
おもての魚松のおかみさんは、髪の生えぎわに汗をにじませていた。残暑の昼下がりである。やっと店の手がすこし空いたところらしい。前垂れの下に、何か持って、狭い路地を、小走りに曲って行く。
どぶ板が鳴る。どぶの下から蠅が立つ、それがみんな肥ったおかみさんの体にたかった。魚のにおいがするからであろう。
「人見さん。人見さん。──あらあら、寝てるんだね。大の字なりに」
格子も開けるには及ばなかった。狭い土間は開け放しだし、ふた間しかない家は、裏縁のすだれ一枚が揺れているだけで、風の吹き通しにまかせてある。
おかみさんは、上がって来た。
人見又四郎の浪宅である。
主人公は、破れ畳のうえに、眼も唇も流して眠っていた。毛脛の端に西日がさしている。感心なことには、昼寝の枕にも、書物を重ね、大きな刀をわが子のように抱いて寝ている。
「まだ起きるのは嫌かい」
自分の息子でも呼ぶように、おかみさんは側へ坐った。前垂れを被せて持って来たのは、刺身の出前ではなかった。お重につめた赤飯と煮しめである。
(どこへ置こう?)
と、茶箪笥ひとつない家のなかを見まわしていると、もう縁がわに猫が来て眼をすえていた。
「しいッ」
猫が下へ跳ぶと、又四郎は大きな眼をして、
「おばさんか。──う、うっ。ああいいところへ来てくれた。水を一ぱいくれないか。汲み立ての冷たいのが欲しいな」
と伸びをする、眼をこする、なかなか体は起こさない。
「お祭だからいいけれど、あんまり飲むと、体をこわすよ又さん。──おまえさんだけは毎日お祭なんだからね」
うしろへ廻って、大きな体を押し起してやる。又四郎は、やっと坐って、
「よく寝たなあ」
「寝られるはずさ、蝙蝠なんだもの」
「晩になると出かけるか──。あははは」
「笑い事じゃないよ、おまえさんは」
「うるさいな、おふくろみたいに」
「まだ、お赤飯は喰べていないだろ。飲んでばかりいて」
「おりません」
「おや、いやだね、この人は、急にお辞儀などをして」
「おふくろみたいにといったが、思えば、おふくろも及ばぬご親切。申しわけない」
「まだ酔ってるのかい」
「ははは。だから早く水をください、それから、赤飯にとりかかる」
「いま喰べるなら、お湯を沸かして、お茶でも入れてあげよう」
「葉茶がありますか」
「ないだろうね。……ええ面倒だから、もう一走り行って、お湯もお茶も、家から持って来させよう」
「では、その間に、顔を洗おう」
「そうおし、そうおし」
おかみさんは、体の巨きなわりにまめだった。路地を出て、またすぐ路地のどぶを鳴らして来る。
「又さん、顔をお洗いかい」
「台所の桶も煎餅みたいに乾いてしまった。タガの外れた桶では水も汲まれない」
「何から何まで、独り者って、しようのない者だね」
おかみさんは、壊れた桶をそっと井戸端まで持って行った。やがて、冷たい水手拭をしぼって来ると、又さんの頭を抑えて、その顔をうしろから子どものようにぐるぐる拭いてやった。
それから、膳を出して、魚松のおかみさんは、お重の赤飯と煮しめを置く。
又四郎は、さっそく箸を取って、頬ばりながら、
「ありがたいなあ」
と、むしゃむしゃいう。
「なにがさ」
「渡る世間というものが」
「時々おまえさんは、しおらしそうなことをいうね」
「時々か。ははは」
「酔っぱらって、憎ていなことをいったり、あんまりわがままをいうと、もう関ってやるもんかと思うんだけれど」
「そんなはなしをすると、また飲みたくなってくる」
「晩におしよ」
「あ。……神輿が通るのかな。往来はたいへんな騒ぎらしい」
「路地の口で、いつまでお神輿が揉んでいると、お次が困っているだろう。お茶を持って来るようにいいつけて来たけれど、若い女と見ると、おもしろ半分に、通すまいと、からかうからね」
「お次さんも、祭でお暇をもらって来たとみえるな。しばらく、お次さんの顔も見なかった」
「実はね、又さん」
おかみさんは、真顔になって、急に声をひそめ出した。
「うちのひとが事情のよく分るまで、おまえさんの耳に入れるなというものだから、きょうまで内緒にしておいたけれど、お次は、もうとうに、杉山検校さまのおやしきから、お暇を出されて、家へ帰っていたんだよ」
「えっ。お暇になったって」
「世間に見ッともないから、しばらくは親類の家へ置いといたけれど、きょうはお祭なので、そっと遊びに来たのだよ」
「お次さんが奉公している縁故から、弟の林助も、検校のおやしきへ、住み込むようにしてもらったわけだが……実はその林助からは、ここ二月余りも便りがない。どうしたのかと、案じぬいていたところだが……おかみさん、何か、林助が不始末でもしたのではないか」
「いい難いけれど、娘が出された理も、何だか、林助さんの事になるらしい。けれど、おやしきでも、一切、事情を仰っしゃって下さらないし……」
「はてな」
又四郎は箸をおいて、その腕を胸に拱むと、大きな眼を壁の一方にすえてしまった。
その眼を見ると、おかみさんはふと怖くなった。この人はおさむらいであったと、改めて思い直すのだった。
又四郎の眉に、いよいよ憂いの濃いものがある。今も今とて、昼寝の手枕に、江橋林助の夢をありありと見ていたほどである。
よく林助の夢を見る。けれどそれは、余りに彼の消息を案じているせいだとのみ、いつも、いい夢占にせよ悪い夢占にせよ一笑に附していたが──何だかそういいきれないものが日の経つほど感じられてくる。
何よりの懸念は、彼は、いわば敵地ともいうべき柳沢家へ、検校の供をしては、たえず出入りしている点だった。もちろんそれは、林助から進んで、二人の誓っている目的のためには──と、危険も覚悟の上でかかっていることではあったが、──その林助の身に、もしもの事でもあると仮定すれば、又四郎としても当然、坐視していられない立場にあった。いや、情としても忍び得ない仲であった。
「……おっ母さん。うちのおっ母さんは、来ておりましょうか」
外で、女の声がした。
お次と又四郎とは、その母親以上、よく知り合っていた。
江戸に来てから、転々、住居も定らないでいる頃、お次が使いの帰途、武家の次男坊の群に捕まって、困りぬいていたところを、又四郎が上手に裁いてやった事などがある。
お次の親の魚松は、たださえ親切者の聞えがある程だったから、
(むすめの大恩人)
として、かれを遇すること、一通りでなかった。
かれが、何とはなく、世間の目を忍ぶらしい身の上にある事を知っても、かれを疑わないばかりか、ここの裏店も、夫婦して借りうけ、朝夕の洗いもの、酒屋の借金にいたるまで、
(又さんは困り者だよ)
と、いいながらも、その困り性を愛して、世話してくれるのであった。
お次が、杉山検校のやしきへ、長年、お針奉公していると聞いたとき、又四郎はひそかに、
(この機縁を)
と、深く期したのであった。
検校と柳沢家との関係を夙に知っていたからである。
水戸出奔のときから生死を誓っている江橋林助を、弟と称えて、お次の縁故から、検校のやしきへ、小者に住み込ませたのは、それから間もなく、はなしも至って早くまとまったものである。
が、いまとなってみると、魚松の親娘には、気のどくな目に遭わせたことになる。もし、お次が暇を出された理由が、林助のためであるとすれば?
しかし魚松の夫婦は、今日まで愚痴らしいこと一つ聞かさなかった。とりわけおかみさんの親切は以前にまさるとも変らなかった。
「──お次だろ。ばかだね。なぜそんなとこに隠れて、蚊みたいな声を出しているのさ」
坐っている所から、すこし身を曲げて、おかみさんは門口の外へいった。
鹿の子流行である。帯か袂か、その鹿の子の端が、さっきからちらと見えていたが、母親に大声で笑われると、お次は、
「……あの。お茶を持って来たんですけれど」
と、ようやく、全姿をせまい土間に見せて、そこへ茶盆と土瓶の湯をおくと、もうあわてて帰ろうとした。
「なんだえ、そんな所へ、置いて」
おかみさんは、たしなめた。──というよりも、この祭に着飾らせたわが娘のすがたを、又四郎へ見せたいのであった。
「上へあがって、お茶でも入れておいでなさい。十九にもなって、三年も人中で奉公もして来ながら、どうしてこの娘はこういつまで、嬰ンぼみたいなんだろう」
母親に叱られてばかりいるつつましい娘は、端目には、その羞恥らいが、なおさら美しく見えた。
お次は、口ごたえもせず、破れ畳のうえに坐って、茶を入れ、茶卓を拭い、やがて又四郎のわきへ、
「すこし、お温うございますが……」
と、そっとすすめてから、
「その後は、ごぶさたばかりしておりまする。いつも、おすこやかで、何よりでございます」
姿態、ことば、水々しさを、その母親たるおかみさんは惚々と見ているのだった。
又四郎も、坐り直して、
「いや、その後は、ついお目にかかる折もなかったが──いま聞けば、もう検校のおやしきにはおられないのだそうだな。それについて、詳しく訊ねたいこともあるが……」
いいかけるとすぐ、おかみさんは立ち上がって、思い出したように、土間口の下駄へ足をおろした。
「たいへんだよ、わたしはまあ。夕方になるのに、お花客先の注文を、みんな独りのみ込みしていて。──うちのおやじさんにまた呶鳴られなければならない。お次、おまえは遊んでいて、あとでまた、お夕飯の支度でもしておあげ。その頃に生きのいいお刺身でも届けてよこすから」
茶をのむ。茶碗をおく。
又四郎も、ちと所在がない。
「…………」
なおさらお次は身のおき場に困った。といって、帰りたそうでもなかった。
往来のざわめきが手にとるように聞えてくる。神輿のあとをまた花車や囃子屋台がつづいて行くのであろう、太鼓、笛、ちゃんぎり、世間は浮いていた。
「……あの。何かわたくしに出来ることならさせていただきます。お夕飯は、もっとあとでようございましょうか」
お次の胸も何か奏でていた。声がふるえるのである。又四郎のぶっきら棒も、無心ではあり得ない。
「あとで、よいです」
すこし硬くなって、
「お次さん、聞きたいことがある。もすこし、寄ってくれい。壁にも耳という。ちと憚ることだから」
「はい。……何かわたくしに」
「林助のことだが、実は、この日頃、案じているせいか、夢見が悪い。それにぷつりと便りも断えている。それについて、お次さんは何か聞いていないだろうか」
「…………」
お次は、俯向いたまま、畳の目を見つめていた。その微かな顫えを、又四郎はじっと見まもりながら問いつめた。
「──何か、小耳に挟むとか、こんな事があったとか、お次さんが、検校のやしきから出されるまでに、変った事はなかったろうか? ……訊きたいというのはそこだ。思い出してくれ。何か、あったろう。第一お次さんが、長年、何の落度もなく奉公しておりながら、理由もいわずに、暇を出されたというのがいぶかしかろう」
「…………」
「宿元へさがっても、決して、ひとにはいうなと、何か検校から口止めされた事でもないか」
「……又四郎さま」
お次は、急にうしろを見まわした。そして物に怯えるように、
「そう仰っしゃるのは、あなたにも何か、思い当りがおありなんでしょう」
「ないこともない。そなたが打明けてくれるなら、わしも秘し立てはせぬ」
「申します。いいえ、一度はお話してしまわなければ、身が疼いてなりませぬが、今日までこうしてお会いする折もなかったので」
「たのむ。……して、仔細は」
「わたくしがお邸を出される前の日と思います。いつものように、林助さんは、検校様のお供をして、柳沢様のお館へ伺ったはずですのに、検校様だけは夜おそく帰られたのに、林助さんはその晩限りすがたが見えませんでした。──朋輩の召使たちも不審がって、その晩、一緒に行った駕の衆などといろいろうわさしておりましたが、そのうちにわたくしは、検校様に呼びつけられ、宿元へ帰れとお暇をいい渡されたのでございました」
「そのとき検校は、何か、特にいったか」
「あなたのお察しどおり、決して世間に口外はならぬぞ、もしひょんな事が、そなたの口から出たと知れたら、怖ろしい禍いが身にふりかかろう。そなたばかりか両親の身にも……と、きつくいわれました」
「口外するなとは?」
「林助さんが帰らないことです」
「その林助は……柳沢家へ供をして行ったまま、どうして検校のやしきへもどらないのであろう」
「お館の奥へしのびこんで、柳沢様のご家来に見つけられ、縛られたというひともあり、殺されたという者もありまする」
「なに、殺されたと」
そのとき門口で、急調な笛太鼓が突然鳴り出した。町内の若い者の懸声といっしょに、獅子頭がおどりこんで来たのである。彼女はびッくりして、きゃっと、部屋の隅に小さくなっている。
祭の宵となった。軒ならび祭提灯の灯がそよぐ。
魚松のおかみさんは、約束の物を岡持に入れて、ふたたび路地の侘住居を訪れた。けれど、又四郎もお次もいなかった。
「どうしたんだろう?」
明りもついていない家の中を覗いてつぶやいていると、隣りの女房が汗もだらけな児を抱えて、門口から門口へいった。
「今しがた、ふたりで、他人みたいな顔して、出かけて行ったよ。他人みたいな顔してさ。ホホホ」
「まあ、そうですか」
おかみさんも、一緒に笑った。この界隈は気楽な世間だった。ありがちな事としているのである。
──どっちからいい出したともなく、宵にふと、ここを出た男女は、祭の賑わいをわざと避けて、大川の岸をあるいていた。
又四郎が先だった。
お次は五歩も十歩もあとから、黙って、かれの影を慕ってゆく。
「…………」
かれが立ちどまれば、お次も立ちどまった。もちろん又四郎は知っている。けれど強いて誘い出したのでもない。また強いて従いて来たわけでもない。
「……殺されたろう。もうこの世のものではあるまい。かわいそうな事をした」
たれもいない。
又四郎のつぶやきが、呻くようにお次に聞えた。足もとの堤の下を、たえず河波が咽んでいる。
古材木が揚がっている。それを見ると急に足のつかれが思い出された。又四郎ですらくたびれた程なので、お次は思いやられるが、かの女に休もうともいわなかった。ひとり、そこらに落ちている莚をひろって古材木の上に敷き、むっつり腰を下した。
「…………」
お次は、岸へ寄って、河波をのぞいている。しゃがみ込んだすがたの上に、茂りきった柳が枝をひろげている。
「……ああ。きれいな晩」
まったく、問題は別である。
かの女のつぶやいている事、仰いでいる眸のさき。それと又四郎のうめきとは、ふたりの位置のように、何のつながりもなかった。
夜空を斜めに、銀河がかかっていた。一つ一つ、その無数な大小の星を、数えているのではなかろうかと疑われるほど、根気よく、かの女は顔をあげていた。その白い顔もまた、星のひとつと、見れば見られないこともない。
「死なしたか。あの惜しい若さを。……おれのためではないにしても」
又四郎の眼にはいま、満々たる大川の水も見えない。天をつらぬいている銀河も映らない。足もとの河原草もさえぎらない。
ただあるのは、朋友江橋林助の面影だった。
自分さえ誘わなければ、かれはなお西山に仕えていたろうに。
この江戸へ来て落命することはなかったろうに。
罪をすべて、自分に帰して、痛恨するのだった。自分のなさんとする目的も、かれの向って行った目的も、決して、自我のものではない。──そう分りきっていながらもつい小さく責められるのだった。
「……又四郎さん。こんな晩に死んで行ったひとが皆、あんなお星さまになっているんじゃないでしょうか」
いつかしら、かの女はかれの横顔を、遠くから見つめていた。
死──という呟きが、ふと、かの女の耳に聞えて行ったからであろう。
「? ……」
又四郎は、怪訝な顔して、かの女のほうを振向いた。
「お次さんか。……まだいたのか、そんな所に」
「だって、あなたが、帰れともいわないのに」
「来いとも、いわなかった」
「又四郎さんは、おひとが悪い。だまって、家を出ておしまいになって、私ひとりが、ひと様のうちに、残っていられやしないじゃありませんか」
「は、は、は」
又四郎は、起ち上がった。
また、歩き出すのかと、かの女もすぐ起ちかけたが、そうではなかった。
寄って来て、肩を抱いた。
お次は、おののいて、
「ひとが来ます。……みっともない」
「来てもいい。ふたりはきれいだ、何でもない」
「……けれど、わたしの心は」
「人目を咎める?」
「ええ……何ですか、あの」
「お次さんは、わしが好きか、ほんとに好きか」
又四郎は怖い顔した。
かれが手を離すと、お次はかえって、すがりついた。
「……いけませんでしょうか」
「ばかっ。泣くな」
まるで突っ放しているいい方である。けれど、馬鹿といわれても、何をいわれても、女性はその中につつまれているものは知っている。お次は、かれの胸から顔を離さなかった。
「わしは、嫌いなんだ、大っ嫌いなんだ、泣くことが。──なぜならば、自分もすぐにつり込まれるから」
背をかろくたたいて、
「泣くのはよせ。しかし、ほんとうの話をしよう。こういう夜は二度ないだろう──。え、お次さん」
「…………」
「わしがどこのさむらいで、どなたにお仕え申して、また、なんの為に江戸へ来たか、何も知るまい。……が、それは順にはなそう」
「いいえ、知っています」
「知っている」
「林助さんでも、ただの小者や中間ではありませんでした。あなただって」
「女の眼は怖い。そこまで読めていたか。ではいう、わしは水戸のものだよ」
「黄門さまのご家来でいらっしゃいましょう」
「そうだ。──わしのことを、ひとは皆、棒だという。棒の又四郎と綽名している。無口、鈍重、たれもそれが性根と思っているらしい。ところが、何ぞ知らん、わしはわし自身の激し易さ、泣き虫、多血な性分をもてあましている。……どうかして何事にも、胸をなでていよう、眼を閉じていよう、逸るまいと、自戒に自戒して、棒の如く、身の癖をつけているのだったが……ついに駄目だった。おれは江戸へ来た」
「…………」
「分るまい、こんなはなし」
「いいえ、分ります」
「分ればそなたは、おれが観ぬいていたとおりの女子だ。更にもう少し深く分って欲しい。江戸に来てからのわしは、わしの信念を強めるばかりとなった。悪政の下の奢侈遊惰、無自覚、いったいこれは何たる世間だ。──いや難しかろう、女子にはむりなはなし。ただこういおう、林助とわしとは、ともに血をすすって、この世を浄めようという大願をもっている者だと。──浄めるとは、どうするか、それは」
と、又四郎はふと、身を退けた。そして元の古材木の端に腰を正しくすえて、昼ならば筑波の見えるほうの空へ心もち頭を下げてからいった。
「わが老公のお考えあそばしているように、この国を正しく建て革める。老公ご一代にかなわねば、三代四代幾代かけても、かならずそうせずにはおかないわれわれの誓文のために……お次さん、おれは捨石になる覚悟だ。それが江戸に来たわしの望みだ。わかるかい、さむらいのこんな気もちが」
銀河の夜には、ふしぎな男女の出来事が多いという。平常の心理では理解できない心中沙汰などがそれである。
「まったく、若いものの料簡なんて、親のわたしでさえ、わけが分らない。家中誰ひとり、あの娘にむかって、いけないとも、思いきれとも、いいはしないのに」
魚松のおかみさんは、毎日のように、掻口説いていた。お次と又四郎のふたりが、祭の晩に、大川端から身投げしたと、この界隈で、いま、かくれもない評判の中に──。
あの晩、ふたりの穿物が、星の更けた河ばたに揃えてあった。そして翌日になっても、ふたりの影はどこにも見あたらない──と、それからの騒ぎや、うわさであった。
元禄という当時の庶民は、こういう奇行をなす男女があると、唄にしたり、劇に仕組んだり、大仰に美化して、それを麻痺した生活の刺戟にしたり、酒のさかなに興じたりした。
けれど浮薄な世態は、それを飽きるとすぐ捨てて、また次の興味や刺戟をさがしていた。──だからふたりの死を、今から疑ってみるなどというはおろか、そんな男女が、いつどこに、生きていたか消えて行ったか、親身の親でもなければ、思い出してみるひともいなかった。
ところが、その後、駒込辺の一寺院に、似ているというもおろか、実にそっくりな女性が、時折、貴賓があると、客室へ茶を運んだりして、楚々たるすがたを見せていた。
お梵妻の姪で名は小枝という。そう聞けばやはり違うかと思うものの、見れば見るほど瓜ふたつである。
もっとも、かの女を見たり素性を訊ねたりした者は、数ある客のうちでも、藤井紋太夫ひとりしかなかった。紋太夫の来た時しか、給仕にもあいさつにも出なかったからである。
程なくかの女は、此寺からもすがたを消した。檀家先の藤井家へ好まれて小間使にさし出したという。それだけは確実らしい。以後、かの女のすがたをここで見た者はない。
すると、それから後、いく度か、ここの住持をそっと訪ねて来た浪人者がある。いぶせき編笠に、埃まみれの肩を蔽い、来ると住持の部屋に入って、碁を打つでもなし、酒をのむでもなし、かなり長座だが、何かぼそぼそ話してゆく。やっと帰ると、住持はやれやれといわぬばかりな面持で、
「紀州の本山にいた頃の友だちなので、いやな顔もできぬが、ひとの顔さえ見れば無心、浪人しても心までああ落魄れてはさむらいの仕舞いじゃなあ」
と、聞えよがしに喞った。
だから納所にいるお小僧までが──もっとも小寺なのでほかに住僧はないが──びたびたという尻切れ草履が寺内に聞えてくると、
「来たよ、またあの薄あばたが」
と、小ばかにした。
編笠をぬいでも、そのさむらいの顔は、あまり立派でないらしい。年の暮にもやって来た。
「歳暮をもらいに来たのだろう」
お小僧と寺男は、落葉を焚きながらささやいた。帰るすがたを見るとこの寒さを袴一枚、裾のほころびも、見るからに見すぼらしい。
「いいあんばいに、この頃、ちっとも来ないね」
住持の身になって、うわさしていた。それがもう、年をこえて、梅のつぼみのやや白くなりかけている二月だった。
元禄八年である。
「いけないよ、うわさなどするもんだから、とうとう来たよ」
寺男が、厨の口をのぞいていった。飯炊だのお小僧は、
「どれどれどこに」
久しく見ないと、なつかしくもあるのか、首を出して覗き合っていた。
奥まった方丈の一室を閉めきって、住職はその日はいとど細心に、誰が来ても留守と断らせ、ただひとりの客、人見又四郎と会っていた。
「恐らく今日が、こうしてお会いする最後でしょう」
と、又四郎はいった。
住職もまた、その語をあえていぶかりもしない。惜別の情はありあり面に示していたが、ぜひもなげに、
「ご一心をつらぬかれるよう蔭ながらお祈りしている」
と、いったのみである。
後に思い合せると、ここの住職は、又四郎の父卜幽の門下だった経歴があるし、又四郎の母方の実家ともかなり親しい関係があった。
父の門人として信頼のおける点からも、又四郎はその抱懐をこの老僧には打明けていたらしい。
もちろん、去年、この寺にしばらくいて、後に、藤井家へ小間使として入った小枝という女性は、寺の縁故でも何でもない。銀河の夜から見えなくなった魚松のむすめ、あのお次だったのである。
筆まめな女文字の便りは、この寺へも来、又四郎の手許へも、いろいろな方便をもって、たえず届いていた。
彼は藤井紋太夫と柳沢吉保との関係について、確証を得た。また、紋太夫が自藩の内部にたいして、何を策しているか、はっきり知ることができた。
みなお次の功といえる。
そればかりでなく、いまなお、柳沢家のうちに、盟友江橋林助は、生きていることも分った。
やがて、水戸家に対して、重大抗議をなすべき生証拠として、殺されずにある──という消息なのである。
しかも、次の将軍家臨邸の機会には、直接、それらの事も訴え、また、紋太夫から献じてあるお蕗を責めてその口から、黄門光圀は乱心されている──乱心でなければ、幕府を仆そうと謀んでいることは本心になる──などという讒言を、直々にいわせようと、あらゆる画策に怠りない様子であるとか告げている。
水戸の当主綱条は病弱、老公は乱心か叛心か、いずれにしてもそのままにおけない存在とすれば、幕府はここに否応なく大きな処断を強いられよう。しかも三家の一とあっては取潰しもできない。根本から改革を命じて来よう。当主の隠退と、次の擁立はここに実現する。そして、その任にあたる者は誰かとなると、藤井紋太夫以外にはない。
「まず、元兇を。──次に藩の害賊を」
又四郎はみずから固く誓って、機を窺っていたのである。
その日は来た。お次からの知らせによると、この春にはまた柳沢家へ将軍家の臨邸があるらしく、その準備のうわさも聞くが、それを前にして、近頃、紋太夫が柳沢家へ行くことも足繁くなっている──と。そして一夜の機会を教えて来た。
それは彼が寺に姿を見せてから、数日の後だった。
彼は単身、柳沢家の塀をのりこえ、邸内へ潜入した。
もちろん人目立たない軽装をし深く面をつつみ、まず平常はすべて戸閉している新殿のほうに隠れて、徐々、夜更けを待って、目的のものへ近づいたのであった。
かれが第一に求めたのは、林助の監禁されている邸内の牢獄だった。
屋外か邸内か。それとも、どこかに牢獄らしい一棟でもあるのか。
その辺のことは、かれには皆目予備知識がない。遠まわしなお次の便りからそれを突きとめておくなど、求めても無理であった。
「知れないうちは、五日でも七日でも、ここの床下へ潜もう。紋太夫が訪れている晩は今夜に限るまい」
又四郎はここへ来てから、そうも考え直した。邸内に入ってみると、雉子や野狐もいそうなほど広大である。十分に身をかくす余地はある。ただ食物には方法がない。しかしこう悠々と潜めるくらいなら夜半か暁を見ては、外へ出てまた戻って来てもいい。
「市の中に、野外がある」
ともすれば、危険な敵地であることさえ忘れがちになった。又四郎はそこここと、逍遥していた。
すると林泉の奥に、チラと灯が見えた。こつん、こつん、と六尺棒を突いて来る音がする。
石橋の上を、三名の影が渡って行った。提灯をたずさえている。いうまでもなく、庭番であろう。高声ではなしながら去った。
「まったく、ものをいったことがない。たれもあの女の声を聞いた者はないだろう」
ふと、そんな片語だけが耳に残った。又四郎には、もとより何の事か、解せなかったであろう。
けれどかれは、その一語から直覚をつかんだ。庭番たちの影がいま審さに見廻っていた奥の一棟である。そこは橋廊下があるのみで本棟と絶縁され、ちょうど浮御堂のように木の間の中にぽつねんと建っているが、そんな人もいないような所を、なぜ厳密にしているか、不審をおぼえた。
「もしや、ここに?」
かれはいつか、その浮御堂を巡っていた。そして窓を仰いだり、橋廊下の上の戸を窺ったりしていた。
そこは厚い板戸で錠がおりている。窓も閉まっているし、灯影も洩れていない。
「……やはり誰もいないのか」
と、思うほかなかった。
ところが、微かな音がした。たれか小窓の戸を内から細目に開けたらしい。又四郎は、下に這って、のぞき上げた。
──林助か? 胸おどらせて。
白い顔が見えた。男ではない。江橋林助ではなかった。
白い顔は風の音を聞いている。又四郎の眼はらんらんと自然身は伸びあがっていた。
そして両手で口をかこい、できる限り、声をひそめて、窓の白い顔へいった。
「お蕗どのか……」
ふいに、小窓の戸は閉まった。それほどな小声もかの女をいたく驚かせたらしい。又四郎もふたたび身をその下にかがませていた。
しばらくすると、また、小窓の戸は、一寸ぐらい開いた。注意ぶかく、次には、五寸ほどあけた。そして、みな開けた。
「どなた?」
唖のひとは、初めて小声を発した。又四郎は伸びあがって、
「わしだ。……人見」
「お、お」
「蕗どの。出られないのか。どこか、破っても」
「出してください」
低い──歯の根でいうような小声ながら──その微かな中に、俄然、眼をさました魂のさけびが、必死にもがきたてていた。
「よし」
非常に簡単なことのように、又四郎は脇差を抜いて、橋廊下を跳びあがった。この厚い板戸を切抜こうとするらしい。
かの女は、内から告げた。そんな所にいてはたちまち人目につく、床下へ床下へ──と教えるのだった。
お蕗は畳をあげて位置を示した。又四郎はその下へ来た。まもなくかの女は外へのがれ出した。夜はまだそう更けてはいない。本棟の客殿には、なお明々と灯がかがやいていた。
それからの約半刻ほどを、ふたりはどこに潜み、どう諜し合せたことか。知るよしもないとはいえ、後の又四郎とお蕗の行動を辿れば、察しるに難くはない。
では、それからのお蕗は、どう方向して行ったかを先に見ると、かの女は、又四郎の庇護の下に、ここの高い囲いを脱し、その夜、元の世間へのがれてしまった。これだけは確かである。
一方、又四郎はというと、かれには初めからの目的がある。吉保と紋太夫の身辺へ迫るまえに、どうしても盟友江橋林助を救っておきたい望みに燃えている。そしてかれのいる所も、いまはおよそ突きとめていた。
かれがお蕗の口から知り得たところによると、新殿の数寄屋に近い路地の植込の蔭へ、朝夕さむらい達が立ち寄っては、何ものかを警戒しているように思われる。林助が捕われた場所もその辺であったし、当夜、ほかへ引き立てて行った様子もなかったから、林助の身は、いまなお、あの周囲をそう遠く隔てぬところに隠されているのではなかろうかというのである。
かの女の想定の下に又四郎は根よくその辺を捜し歩いた。けれどそこには、小屋らしいものもない。ただ釣瓶を上げた枡形の石井戸に桟蓋がしてあって、美男葛のつるのからんでいるのが妙に心をひく。
なぜといえば、この風雅な井戸のうしろに、一本の六尺棒がおき忘れてあるのを見出したからである。それは、美男葛の巻いている井戸屋根の柱に立てかけてあった。
又四郎は手に取って扱いてみたりした。さっき物陰に潜んでいる間に通った庭番の持物などであろうが、
「……それにしても、こんなところに?」
と、不審を禁じ得ない。
──なにげなく。
かれは六尺棒の先で、井戸のそばの地上を二つ三つコツコツと突いていた。心のうちの焦躁が突かせたのである。
すると、驚くべきことには、それに対して井戸の中から答えがあった。井戸の底から確かに聞えたのである。
「おういっ」
と、呼ぶ声が。
又四郎は、棒を投げ捨て──恟っとわが耳を疑って立ち竦んでいた。──するとまた、
「おういっ、番人っ」
と、あきらかにいう。
井戸蓋をあげて、もう一度、耳を傾けた。──その影が、下からは見えるのではあるまいか。
「番人、釣瓶を下げてくれ。夜食の器を入れて返す。下はせまいから邪魔でならぬ。おい釣瓶を降ろせ」
空井戸とみえる。水も見えぬ、星も見えぬ。
われを忘れて、又四郎は、その中へ身を屈した。そして、洞然たる暗闇の底から面をなでて来る人間のにおいを嗅いだ。
「江橋っ」
「……?」
「林助え、林助か?」
「……だ、だれだ」
「わしだ。人見又四郎だ」
「えっ……?」
「そこは、空井戸か」
「そうだ」
「ずっと、そこにいたのか」
「夜も昼も」
「待て、いま、釣瓶を降ろしてやる。上がって来い」
いいながら、背を起そうとしたとたんであった。うしろへ這い寄っていた二人の番の者が、かれの足を掬った。又四郎の足は、宙の美男葛を蹴って、井戸のなかへ身を逆さまに堕ちて行った。
地の底には、一息のうめき声のほか、何も聞えなかったが、地上はそれからの一刻を、あわただしい人声や跫音に更けていた。
年毎の梅はことしも恙なく咲きみちている。日々是好日、西山荘の無事な門にも、きのう今日、人の足が繁くなった。
そのほとんどが、近村の農民であった。孫に手をひかれた老人もあれば、子を負いながら片手に馬を曳いて来る百姓の女房もある。そして、そのすべてのものが、かならず自製か自産の何物かを携えて、
「これは、畑で出来たことしのお初物でございまする。どうぞ、老公さまにさしあげて下さいませ」
と、厨へ置いてゆくのもあるし、
「きょうは、お蔭さまで、うちの馬が仔を産みましたで、少しばかり草餅を製りました。お口にあいませぬが、お慰みにもと、少しばかり持って参りましたで」
と、取次ぎを仰ぐ者もある。
初ものや四季のめずらしい物。祭や盆や正月の行事など、何かにつけて、百姓たちは、神棚や仏壇へ上げるのと共に、西山荘へも持って来て、取次ぎの者からたった一言でも、
「およろこびであったぞ」
とか、また、
「珍しいと仰せられていた」
とか聞くのを、無上の楽しみとも歓びともしている風であったが、この四、五日は特に、かれらのうちでも日頃ここへ見えない女子供や老人までが、訪れて、
「──ありがとうござりました。おかげ様でこの通り達者になりました。きっと精出して働きます」
と、ある者は、老公のいる住居のほうへ向って、門前に額ずいたまま立ち帰る者もあった。
一把の野菜、一苞の山芋でも、家臣は老公の前に披露した。
老公もその献物にたいして、かならず心もち頭を下げ、
「ありがとう」
の意を示すのが常であった。
おととしから去年にかけて、ここで製した「救民良薬」を諸所へ配布して以来、その施薬の効によって、病が癒えたと、礼に来る農民がひきもきらない程だった。
また老公が多年に亙って、奨励して来た産業や善政のたねも、近年にいたってようやくその実を結び、庶民の生活のうえに、明らかな余徳となって顕われて来た感謝もある。
たとえば、松や杉の植林にしても、初めのうちは、労力を徴発されるので愚痴の声もあったが、すでにその木々は五尺、七尺と伸びていた。そして、
(山の繁りは国の栄え)
を事実に示していた。
漆の木など、この領地には、なかったものだが、初め苗をやって、五畝毎に一本ずつ植えさせた。そして育つと、漆十本のうち二本を藩に納めさせ、あとは農民の収益とした。
落花生、さつま人参、朝鮮茄子、葡萄、蓴菜、そのほか薬草、食糧、染料などの資になる植物などもみな、老公が学問を学問するに止まらず、農民の生活と、藩の生産を考え合せて、実政策に具現したものであった。
新しく殖えた果樹もずいぶん多い。湖沼を利用して養魚をすすめることも忘れなかった。小禽、獣のたねまで、益するものは、山野へ放った。
製紙、製茶、養蚕、織物などいうまでもない。非常な進歩を示して来た。殊に殖えたのは馬である。馬産を奨励した結果、どんな農家でも、牛馬を持ち、若草があるところ、仔馬の群が遊んでいた。
「まあ、可愛らしい。……お蕗さま、あんな小さい仔馬が」
旅すがたのふたりは、時折、そんな平和な風物に、杖をとめて見惚れていた。
わけて、江戸むすめのお次には郷土人の生活は元より、畦の野菜の一茎まで、眼に珍しくないものはなかった。
どうしてこの両女が、こんな所を旅しているのだろうか。お蕗とお次とが、あたかも姉妹のように、連れ立っているさえ、不審でないことはない。
後では自然分ることであるが、一応その経路を説いておくほうが順序であろう。
又四郎に扶けられて、柳沢家を脱した後、お蕗は、又四郎の最後のことばを伝えるため、魚松のおかみさんを訪れて事情を打明け、藤井家の奥に仕えているお次を、ある手段の下に呼び出した。
お蕗からの言伝をうけるまでもなく、お次はすでに何もかも知っていた。紋太夫の口から聞いているのである。又四郎の決行が失敗に終って、江橋林助とともに空井戸の底に陥ち入ったまま、空しく天を恨んでいるということまで、かえって、お次からお蕗が聞かされたほどであった。
(何しても、たいへんな事に関りあったもの。いったいどうする気か)
と、顛動して躁ぎかけたのは、もちろん魚松の夫婦である。
それをたしなめて、
(わたくしの身は去年の秋祭の晩に、もう死んだものと思ってくださいませ。又四郎さまがもう一度生きて来ないうちは)
と、飽くまで躁がないのも、その夫婦のむすめだった。魚屋のむすめとも思えないほど、これがわが娘かと疑われるほど、お次はさむらいの妻になりすましたように落着いていた。すきな男性の感化というものが、女に対してはこんなにも強いものかと、親たちは自分を淋しがりながらも、その健気さに感じ入った。
また、そのお次を力づけて、
(もう一度人見様が、この世へ立ち返らないとは限りません。又四郎さまといい林助さまといい、空井戸の底に生きていることは確かですから)
と、あらゆる思案も憂いも共にしてくれるお蕗という者がいるので、お次はよけい心づよかった。
そしてこの上は、一部始終の経過を、西山荘の老公へお訴えして、老公のお力にすがるしか途はないという最後の考えに行きついたのであった。
ふたりが身を旅すがたにつつんで、江戸から府外へ脱け出して来るまでにも、実に一方ならない苦心があった。なぜならば、すでに柳沢家でも、また藤井紋太夫の方でも、事態の輪廓が分ってくるにつれて、
(これは容易ならない問題)
と、両女の行方をさがすことに町方の手先はもちろんのこと、あらゆる方法をもって、狂奔していたからである。
(当然、水戸へ)
という見当はすぐつけたであろうから、恐らくは両女のあとを、刺客も追いかけたにちがいないが、天の加護といおうか、何事もなく、かの女たちは、水戸領に入ってからはすっかり安心して、途々、雲雀の声を仰ぎ、そこここの梅の花や麦の青に眼をたのしませながら、もう西山荘をそこに見ていたのである。
お蕗はもとより老公と面識があるし、老公の近侍で、また心のうちの人でもある渡辺悦之進もまだそこにいるものと思っている。
「雪乃のむすめ、蕗でござりまする。折入って、ご隠居さま直々にお目にかからせていただきたく、夜を日についで、江戸表からもどって参りました。お取次ぎをねがいまする」
折ふし厨の外で、献上物の芋の俵を解いていたさむらいを見かけ、被り物を手に、しとやかにいうと、
「えっ、お蕗どのですと?」
さむらいは穴のあくほど見ていたが、やがて土間へ駈け入って、奥の方へ、
「与平どの。剣持どの。ちょっとお越し下さい」
と、一大事でも降って湧いたように呼びたてた。もっとも、おととしの春、汁講の一夜にあったあの事件を思い起せば、お蕗が生きていただけでも、大きな驚異には違いなかった。
その日、老公は留守だった。数日前から那珂湊の夤賓閣に在って、なお逗留中とある。
那珂の月は、老公の好きなものの一つであった。月といえば世人は秋の月を賞するが、老公にいわせると、
「春にも名月あり、夏にも名月はある」
のであった。
月ばかりでなく、人を観、人を賞するにも、その見方があるらしい。
貴人なるがゆえに貴まず、貧賤だからといって賤しまない。たとえ愚鈍であろうと、愚鈍のうちに人間の光を見れば、みずから訪うて拝すことさえ惜しまなかった。
茨城郡の一村に、弥作という愚鈍がいた。たれにいわせても、まちがいなく愚鈍な性とされていたが、この男、ひとりの母親だけには、実に孝養をつくしている。
妻はあったが、貧農だし、その妻がまた病身なので、母への孝養が怠りがちとなるのを惧れて、飽かぬ仲だったが実家へ帰し、田へ働きに出る時は、背に老母を負い、片手に農具を抱えまた、べつの手には母の好きな食べ物やら土瓶やらを提げて、畦を行くのが常であった。
村のひとは、これを見ると、
「中の浜の弥作は、荷駄馬の性とみえる。体じゅう空いている所はない。背にも負ったり、手にも持ったり、首にもぶら下げて、しゃんしゃん歩く」
と、笑った。
田へ出て来ると、弥作は、老母や荷物を、やおら降ろす。そして春なら柔かい草のしとねに母を置き、夏ならば木蔭の涼しい所に、冬は風除を竹で編んで陽の暖かな所に母をおいて、終日、自分は働いている。
田を鋤き、畑を打ちながらも、かれは時々母のほうを見て、母が楽しんでいれば楽しみ、母が淋しそうにいると淋しくなる。
かれの母は、何よりも酒が好きなので、酒の買ってやれない日は、そのすがたを畑から見るのも恐ろしかった。
「早く伸びて酒になれ」
麦を耕すにも、稲を植えるにも、弥作はそう祈るほど、それを楽しみに働いた。
ある日、弥作の貧しい家に、飄乎として、白髯の一高士が杖をとめた。
「弥作さんというのは、おまえかい?」
「はい。わしが弥作でございますだが」
「いくつだね、おふくろどのは」
「もう七十二になりますだ。あの通り背もまるまッて、まるで子どものようで」
「これで、酒なと買ってやるがよい」
一封の金をおいて、供の人でも待たせてあるのか、家の横ではなし声がしたと思うと、すぐ見えなくなってしまった。
あとで、なにげなく、封をひらいてみると、燦然たる黄金の板があらわれた。こんな金をかれは眼に見たのも初めてである。仰天して、所の代官所へ訴え出た。
「弥作。そちは何と見たか、勿体なくも、そちの茅屋をおのぞき遊ばしたのは、西山のご隠居さまじゃ。黄門さまでいらせられる。……そのお帰りに、わざわざ役所まで馬上お立ち寄り遊ばされ、なるほど、愚鈍そうな正直者、与えた金子も、人に欺かれて取られてしまう惧れがある。役所において、田畑を買わせ、この上孝養のできるよう、懇切に見てつかわすがよい──と、後々のお心づかいまで仰せつかれて、お帰りになられた。……いまも同役どもと、うわさを申し上げていたところ、そちは、何という果報者か」
弥作は聞くと、声をあげて、泣き出した。そして、西山の方角へ向って、顔に土がつくばかり何度も何度もお辞儀をしていた。
老公も、帰ったあとで、
「きょうは人中の人を見た。一世を率いる宰相も国の宝だが、一畝の田を守るかれの如きもひとしく土の宝じゃ。愚鈍はまま神にも近い」
と、いかにもその日は、老公までが楽しげであったという。
自身、農屋を訪れて、貧しいものを見舞ってやるなどという例は、老公としては、決してめずらしいことでない。
那珂郡の山形村に、武右衛門という百姓がいた。両親は老い、また兄も盲目だったので、
「わしには、親が三人ある」
といって兄にもよく仕えていた。
かれの母は喘息持だった。老衰しているので、喘息がひどくなって、夜どおし苦しむと、痰を吐く気力もなかった。そんなときには、武右衛門が自分の口で、老母の痰を吸い取ってやるのが常であった。
母親が神まいりや寺詣でを望むと、かならず背なかに負って歩いた。かれの妻はまた盲の兄の手をひいて行くので、知らないものは兄の妻かと思うほど仲がよかった。
老公は、この家族の家へも、何の前触れなしにすがたを見せた。
そして炉ばたで、半刻も家族のものと話しこみ、後、藩主の綱条へ書を送って、褒賞あるよう促したということである。
与治右衛門という百姓にも似あわない極道者は、道楽のあげく、醜い片輪になってしまった。けれどもかれの妻が余りに貞節なので、与治右衛門も懺悔のなみだを流し、
「まだおまえは若いし、わしには子のできる望みもない。わしはやりたい放題をやった身だから、おまえが去っても決して恨みには思わない。どうか今のうち他へ縁づいてくれ」
と、頼んだが、かれの妻がいうには、
「あなたがそんなやさしい良人になって来たところを、わたしに去れなんて、わたしの方こそお恨みにぞんじます。まして年老ったお姑さまとどうして別れられましょう」
かの女が一家の計を細腕に支えて、田を打ち畑を耕しているすがたは、悲惨というよりはむしろ美しくさえあった。老公が、かの女の家へ、無税の田を与えまたその家を訪うたとき、
「まことの美人である」
と、いったというので、居あわせた郡吏や庄屋は、ひどくまごついた顔をしたということである。
こういう例は数えきれない。
仁を施すとか、仁政を布くとか──口のさきでは余りいわないそうだが、老公の仁は、老公のする事なす事が自然それになっていた。
土民に対してすらそうである。士に対してはもっと濃いものがあった。かつて家臣三木高之が老病のときその家に臨んで、枕辺に坐ると、ふところから杯をとり出して、
「そちも酒好きであるから、後刻、酒肴を送らせるよういいつけておいた。酒が参ったら、この杯にて、子供らと共に酒を酌み、しばし病苦を忘れたがよい」
と、携えて来た酒杯をのこして帰ったことなど、いかに日頃酒好きな藩士の士気をふるいたたせたか知れない。
また、こんな事もある。
若ざむらい四、五人して、武芸の猛稽古をやった後、雑談にも倦み、ついみんなで昼寝してしまった。眼が覚めると、一同顔色を失った。みな大刀を盗まれてしまったのである。
「不覚不覚。何のための武芸の鍛練か」
「武士のたましいを!」
「自分らの士道は廃った」
悲涙をたたえ、愁然と藩へ訴え出た。──願わくば死を賜わらんことを、一同、自決を覚悟してである。
すると、老公は、これに厳戒を下すかと思いのほか、切腹などには及ばんと沙汰した。老公のいう理由はこうであった。
「熟睡中で知らなかったものは仕方がない。ただこの後は、夢寐の間といえども、士道を忘れぬよう、一そう猛稽古をせよ」
人間の性を、寛く観て、その瑕瑾をとがめず、たいがいな事は「ゆるす」ということも、老公の上に見られる最も著しい性格のひとつであった。
時には、
「ご寛大にすぎる」
という非難すらある程である。
極言する者は、
「それだから、藤井紋太夫のごときが、憚らず増長するのだ」
と、までいった。
けれど老公というひとは、国を愛するがように、個々の人間をも、どうしても憎みきれない天性らしい。月に憂い、酒に放ち、花に悲歌し、老来いよいよ多情多恨な凡人面さえなお若々しいところさえある。
おたがいは人間である。ゆるす──ゆるしあう。
ただそれこの皇国を害するほどな稀代な悪人でない限りには、たとえいま小罪があろうとも生けるうちに一善をもなして国のために奉じる日もあろうかと思われる人間は。
すべてを寛く抱いておきたい。この神国の民にはそうしてもなお死ぬるまで自己の神性に眼ざめないものは、乞食にいたるまでないとかれは信じている。いや信じたいのがかれの性情であった。
だから前に誌した百姓にたいする憐愛や、士にたいする寛大などはまだおろかな例で、その愛は、囚人や畜類にまで及んでいる。
死罪をいい渡された二名の囚人があった。よくある例で、前々から新刀試しを心がけていた目附役の三木松兵衛と某が、それぞれ囚人の身がらをもらいうけて、これを斬った。
一方の目附役は、
「二つ胴にして、見事な成績を得ました」
と、藩庁に届け、且つ斬れ味を衆に誇って、死骸を取り捨てさせた。
三木松兵衛は、
「まず、相当に斬れました」
とのみで、わずかに斬った髪の毛だけを証に見せ、死骸も自分で始末したと称して、多くを語らなかった。
「松兵衛は、囚人を逃がしたらしい」
と、問題になりかけた。事実、かれは殺すにしのびず、囚人に衣服路銀を与えたうえ、懇ろに意見を加えて国外へ放ってやったのである。
為に松兵衛の身が罪に問われそうな形勢であったが、すぐ翌々日、光圀は家臣のいるところへ彼を召して、
「松兵衛、おとといの試し斬りはまことに上出来であったぞ」
と、称讃したため、ついに事なくすんでしまった例などある。
また、農夫の長作という者が、禁断の鶴の池の鶴を殺した事件があった。もちろん打首である。光圀は折ふし那珂の夤賓閣にいたので、庭の砂上に縄付を曳かせ、自身刀を取って、長作のうしろへ迫ったが、ふと、従士中村新八をふり向いて、
「この首が落ちたら鶴が生きるかの?」
と、たずねた。
光圀は、刀を下ろして、刀の平をひたと長作の頸に当てがい、
「これから法は犯すな」
と、諭し、また家臣へ向っては、
「禽獣のため、人を殺すは不仁である。法も行き過ぎてはこれを明かに処すこともできず、法なきほうが勝るようなことになる」
長作の身は、命じて長屋で飯を食べさせ、領外へ逐放してすましてしまった。
かれの仁は、死罪とされた無名の白骨にも及び、毎年、久昌寺で供養させた。──領主は国法によって大罪の者を殺すもぜひないが、隠居の自分がその後生を憐れんで供養するはよかろうと、自らいった。日ごろ乗っていた馬が死ねば馬も久昌寺に弔うてやった。
──もののあわれを解さぬさむらいは、たとえば香も色もなき花にひとしい、とは老公のよくいうところであった。
かれの寛やかな「人をゆるす」心もそこから湧き出るものであろう。おたがいは人間──かれは実におのれの凡も愚もわきまえて、ひとしく衆の煩いへも、その同情を分け思い遣るのである。
月の夕べ、花のあした、多感な老公はおそらく魂魄となるまでそうした人の悩みを身の患いに悩むであろう。時に酒を呼んで、那珂の夤賓閣に、人間の至楽を極めるかのような閑日にあってもである。かれの想いは、田野の貧屋に馳せ、ままならぬ世態と、国の久遠の先の先まで、憂いかなしみ、また信じたり希望したり、そして酒も尽き興もつきれば、詩を吐いて、いまこれを解するもののないことをまた独りさびしんだ。
「申しあげます」
「なにか」
「ただ今、西山から剣持与平どのが、早馬で参られました」
「与平が。……早馬とは」
「すぐお目通りいたして、何か火急にお耳に達したいと申されておりますが」
「呼ぶがよい」
「はい」
「あ。これこれ」
「はっ」
「そちではない」
と、左右を見て二、三の従士に、
「そちたちもしばらく遠慮しておれ。わしの呼ぶまで」
「はっ」
取次ぎにつづいて、人々も退った。入れ代りに与平がすがたをあらわした。めずらしくも、与平は額に汗している。ただならない問題が起ったらしいことは、その面を見ただけでも分った。
「何事だ、与平」
「実は……江戸表から今日」
「待て待て」
「……はっ」
「ゆるりと聞こう。そちも、白湯なと一ぷくのんでから話せ」
いちど遠ざけたが、掌を鳴らして、家臣を呼び、
「剣持にぬる茶をやれ」
と、いいつけた。
与平は反省した。これは少し自分があわてているなと。──で、かれは十分な落着きを一碗のぬる茶にとりもどしてから、あらためて火急なる用件の内容を順序を追ってはなした。
まず、西山荘へ、お蕗とお次の訪ねて来たこと。
汁講の夜、お蕗が母とともに姿を消したのは、さる悪人の謀計でそのまわし者の手にかかったのであるということ。
また、その悪謀の元兇が、意外にも藩の老職たる藤井紋太夫であり、以後、母は紋太夫の江戸のやしきに囚われ、自分の身は柳沢家へ一個の贈り物として、移されていたということなどから──
柳沢家の内部、柳沢家と紋太夫との関係、ふたりの黙契している野望──あらゆる審さに亙って、近頃その邸内に起った顛末から、人見又四郎と江橋林助とが、正義の剣を磨いで、かれらに迫ろうとしてかえってその陥穽に落ち、いまは生死も知れないという仔細までを、のこる事なく告げて、
「以上は、お蕗とお次とが、辛くも江戸をのがれて来て、このうえは老公のお力にまつほかはないと、けなげにも訴えて来たままを述べたのでございまする」
と、むすんだ。
「そうか」
常のとおりな頷きであった。
けれど、常とちがっていたことは聞きとるとすぐ、褥を起って、さきに遠ざけたさむらい達の方へふいに放った音声の大きなことであった。
「西山へもどるっ。馬の用意、すぐ馬の用意っ」
夜はかなり更けていた。時ならぬ馬蹄の音がする。西山荘の門には、紛々と白く梅花がこぼれた。
「お帰りっ」
「お帰りですぞっ」
いつになく駈けこんで奥へ告げ渡る従士の声にもただならない響きがある。と、もう一同が迎えに出揃わぬうちに、老公は剣持与平を従えて奥の居室へ通ってしまう。
「湯漬を」
と、いう所望。
それから間もなく鹿野文八が呼ばれ、旨をうけて、近くの不老沢に住んでいる西山の老職格たる大森典膳を夜中ながら呼び迎えに駈けてゆく。
その間にまた、
「佐々介三郎をこれへ」
と、召す。
介三郎は、湊川の工を終って、その帰るさ、江戸、藩邸に立寄って、当主の綱条に謁し、綱条から篤と、
(西山のお守をたのむぞ)
と、懇ろなことばを賜わってここへ帰山して以来、ずっと老公の側に仕えていた。
さっき、老公が玄関をあがって来たとき、板敷に手をつかえて、すがたを迎え、その面を見たとたんに、かれはすぐ老公の胸にいま何かたいへんな決意がひそんでいるのではないかと思った。
なぜならば老公のこよいの眉には、長い奉公のうちにもまだ見たことのない剛毅な気宇がみなぎっていたからである。
側に仕えている者でも、日常は老公のやさしい仁愛のみに触れているので、つい老公の剛気や武断な一面を、もう冷えた灰を見るごとく忘れてしまう傾きがあった。
介三郎も、はっと、せつなにそれを老公の眉に思い出したのである。
呼ばれると、かれはすぐ老公の居間へ伺った。与平も側にあって、何やら熟議しているうちに、不老沢の大森典膳があわただしげに来てここに通る。
依然、障子は閉められたままである。気のせいか室内の灯はいつもより明々と戦いでいる。
誰の気くばりか、庭口にも遠い垣のあたりにも、見張の者がおかれている。夜はいよいよ更けてゆく。
お蕗が、そこへ呼ばれたのは、時刻にして、もう丑の頃に近かった。お次のことばも、お蕗が代って訊ねられたのであろう。そこに入ったのはかの女だけであった。
おそらく微に入り細に亙って問われたであろうことは疑いない。時々の人の気はいもないような沈黙がつづくかと思うと、諄々と、また密かな声が洩れる。
すでに、五更にも近くなると、小納戸の者が、火桶を代えに来た。しんしんと寒さが覚えられたからである。また、燈芯の灯を剪って、新しく油皿へ油を注ぎ足された。
しかもなおそこの席は終らなかった。お蕗が退って行ったときは夜が白みかけていた。典膳がもどった頃は、朝の陽が、縁にさし始めていた。
やがて、介三郎や与平も退って出る。そのあと、老公はつねの如く、うがい手水をつかい、遠く皇居の空を拝し、祖廟に礼をし、静かに朝食を摂った。
侍医の鈴木宗典が、それのすむのを待って、すぐ罷り出た。侍医はいるが健康になお自信のある老公は、今日はよい、という日もあり、黙って脈を診させる朝もある。
「昨夜は一睡もおやすみにならなかったようですが、お脈には何のおかわりもございませぬ」
むしろ不思議そうにいうと、きのうから初めての一笑をふと口のあたりに洩らして、
「わしはまだ六十七。ひと夜ぐらい眠らぬとて、脈がみだれるほどな年ではない。いま光圀の気脈がみだれてはなるまい。そう思うているせいであろうか」
と、いった。
「生来、ご長命の質でおいで遊ばしますから……」
と、宗典は医家らしく、かろく受けても、心のうちでは、老公の今朝の健康に、決して安心はしていなかった。
「──ま。ともあれ、これからお寝みなされますよう、おすすめ申し上げまする」
「ウむ。一睡しよう」
老公は、素直にうなずく。
宗典はそこを退るとすぐ、寝所にしとねの用意をするようにいいつけていた。
朝の陽は高くなる。
縁に、障子に、壁に、梅の木々は、のどかに影を投げていた。ひと間、静かに閉めきってある所が老公の寝室らしい。
やがて大きないびきが洩れていた。鶯がどこかで啼きぬく。
表面、この日も西山荘は、つねと変りはなかったが、一部の人々は、ひそかに旅立ちの支度をしていた。
馬には糧草を喰わせ、また、納戸部屋のすみで、ただひとり刀を検め、打粉を打っているさむらいもあった。
そこを、そっと覗いて、
「介三郎どの」
鹿野文八が声をかける。
介三郎はあわてて、打粉ぶくろを小筥にしまい、刀を拭いて、鞘におさめた。
そして初めて、膝をうしろに向け、
「文八どのか。何だ」
「……あなたに、お会いしたいと申して、ご門の外に、待っておるお人がいる。ちょっと、お顔をかしてあげて下さい」
まるで頼むような取次ぎである。
「わしに会いたい者が? ……。はて、お玄関へ訪れぬのか」
「そこは、ちと……参りにくい事情があるのでしょう」
「だれだ、いったい」
「…………」
文八は、入って来て、かれの側に膝を折った。そして、何か耳へささやくと、介三郎の眼うちにも、明らかに愕きの色がみちた。
「……そうか!」
すぐ起って、介三郎は文八より先にそこから出て行った。裏口から草履を穿く。そして庭ごしに、老公の眠っている部屋の明るい障子を遠く窺いながら、また、すたすたと表のほうへ迫って行った。
大股に、門を出て、十歩ほどで立ちどまった。
右を見、左を見る。
すると、彼方の麦畑のそばにある梅の木の下に、ぽつねんと佇っているひとりがあった。鼠色の着物を裾みじかに着て、わらじ穿き、そして天蓋を被っている。手の尺八を見るまでもなく虚無僧であった。
介三郎も青年の修行時代、かつては長く虚無僧寺に籍を置いていたこともある。佐々十竹という別号は、そのときからのものである。かれはすぐ自分の弱冠の頃を思いうかべていた。
「おお」
かれが足を早めると、
「おうっ」
彼方の影も、駈け寄って来た。
「佐々どのか!」
と、まずいう。
なつかしさに溢れている声であった。
介三郎はいきなり手をのばして鼠色の手甲をかけた相手の手をにぎって、
「悦之進か。どうした?」
と、笠のうちを覗いた。
渡辺悦之進の眼には涙があった。──お蕗母娘が行方知れずとなった汁講の夜、老公のさしずなく、母娘のすがたを翌日まで探し歩いたという科で、老公の勘気をこうむり、悄然、西山荘を去った悦之進だった。
「はなしたい事があって、実は、江戸表から急いで来た。どこぞ、人目にかからぬところへでも」
「なに。貴様も江戸から?」
ふたりは、西山荘の門をうしろに、どこへともなく歩き出した。
道から離れた梅林の中。古い木の切株も腰かけるに手頃である。渡辺悦之進は被り物を脱った。
「佐々氏、お久しゅうござった」
「変ったお身なりで……以来どうしておられたか」
「ひたすらご勘気のゆるされる日を待つのみでした。その間に、藤井紋太夫一味のしていることも、およそ調べあげました」
「いうてはいいか悪いか知らぬが、お身とは親もゆるしているとか聞く蕗どのも、きのうにわかに西山荘をたずねて来ておるが、ご承知か」
「存じておる」
と、やや顔をあからめて、
「両女が江戸からこれへ参るまで、何事もなかれと、実は、見えかくれに守って来ました。……そしてすぐ自分は、ご城下に立ち入り、江戸の藤井と呼応して、怪しからぬ企みをなしている藩中の賊臣二、三の行動をたしかめていたわけです」
「ではお身も……人見又四郎と共に?」
「いえいえ、又四郎とは会いません。人見の犠牲的な挺身も悲壮ではありますが、拙者はあくまで、老公のご意志を尊重してまいりたいのです。すなわち老公の思し召としては、どこまでも覇力を用いず血で血を洗うようなことは避け得られる限り避けねばならぬと──あのご老躯に、あの豪毅なご気質をもじっと抑えて、あらゆるものに耐えておいで遊ばすものと恐察しておりますれば……同じ憂いと同じ目的は抱いても、人見と行動をともにすることは、拙者の節義がゆるしません」
「蕗どのの危うい境遇を知りながら、なぜ、お身が救うてあげなかったか。ことばの一つもかけてやらなんだのか」
「頑なとお笑いになるかもしらぬが、ふたりはまだ公にゆるされている間ではありません。殊に拙者はご勘気をうけておる身……。そのご勘気をこうむったのも、汁講の夜、あの騒動につい蕗どのの安否に心をひかれたため──忘れたわけでもありませんが、老公のおさしずもまたず、勝手に夜明け方まで、血まなこになって、時ならぬ時刻、茫然、山荘へ立ち帰って来たことがご機嫌を損じたによるものです。……ですから、いささかご奉公の真を尽し、お側へ帰参をゆるされるまでは、たとえ顔と顔を合せても、蕗どのとことばは交わさじ──と、ひそかに自分へ誓っておりまする」
「では蕗どのが何を告げるため江戸からこれへ参ったかそれも?」
「ことばこそ交えませんが、蕗どのの生命は、先にも申したとおりよそながら守っていたつもりです。苦しくはあろうが、柳沢家にあるうちは、まず一命にかかわらぬものと、遠眼に見まもっていたわけでした。──ところが例の又四郎が、一途に目的をとげよう為、邸内に入って、かえって相手方の陥穽に落ち、いたく吉保や紋太夫を仰天させたことは当然です。──かくては、慄然、日ごろの不安を、いやが上にも募らせた吉保は、奸佞の本質をあらわして、紋太夫と謀り、にわかに老公へ対して、ある決意をかためたらしく存ぜられます」
「──ある決意とは?」
「それこそ、吉保が年来胸底に秘めている最後の匕首です。切札です。……前中納言光圀卿こそは、西国の某大藩の主とかたらい機を計って幕府を仆し、政治を朝廷に回し奉らんとする大それた陰謀の首魁であったと綱吉将軍の前へ、生き証人を拉して、いわせることです」
「ううむ、怖ろしい相手ではある。……しかし、そんな生き証人になる者がいるだろうか」
「おりますとも」
「それは、どこの何者」
「あまりに近いので、よもやと誰も思うでしょうが、藤井紋太夫、かれこそその切札となる漢です」
「まさか、ご主君を」
「かれに君臣の道が明らかに見えているくらいなら、今日の禍いは起りません。かれはもう道義の盲、人倫の外道と化しておる者です。人として考えるわけにはゆきません」
人として考えられない人物などを家老に持っている一藩の不幸はいうまでもない。
そんな人物ならすぐ除けばいいようなものの、かれには牢固たる勢力がある。無理に抜きとろうとすれば、当然、藩の生命取りになるくらいなものを握っている。
加うるに、どういうものか、老公の鍾愛はいまもむかしも変らない。まったく、むかしといっていいほど、それはかれの幼少から今日にいたるものであった。
かれの戸籍を見ると、かれは幕府の旗本荒尾久成というものの四男に生れている。母は木下氏とある。家庭の事情か何か、幼少から寺院の小僧にやられていたものである。一を聞いて十を知るという才長けた天性はその頃から見えていた。光圀が知っていたくその才を愛し、のち老女の藤井の養子にさせて小姓として側におき、順次士分に取りたてて来たものであった。
よく学問し、よく人と交わり、諸史に通じて、弁論にやぶれたことがない。殊に、とかく武人の中には乏しい経済財務にも通じて、何かと重宝なので、光圀がかれを登庸して、三百石、五百石、千石と加増して行っても、藩中不平の声などはなかった。
けれど、次第に出世して、彰考館の総裁にあげられ、転じて、嫡孫菊千代の傅役となり、ついには江戸家老にまで登ってゆくあいだに、そろそろ紋太夫のうちにふかく流れていたべつな本質もあらわれ出して来た。
篤実謹厚と見えたが、その裏には、邪智佞才もあった。上下に気うけがよかったが一面には自分へ追従軽薄をなすものを歓ぶふうもあった。藩の理財にいい腕を示しもするが、半面、おのれの利欲にも強かった。行くところ可ならざるなき才をもって、権門に近づき、また、一藩の家老ぐらいな生活では甘んじきれない不足なども抱き始めて来た。
現在千八百石を給されているが、日常、柳沢吉保の豪奢なる生活を見たり、元禄の世態の中に、紀文や名もない成金町人などの暮しぶりを見るにおよんでは、いよいよかれの不足は大きかった。
(この才能をもって生れ、たかだか千八百石がせきの山とは)
と、みずから不満を喞っていた。そして、その欲望を飽満させなければ、生きた効いもないとすら考え出した。かれの胸中いつか包蔵された陰謀の設計は、そうして次第に大胆になって来た。
(あれはお用いにならぬがよい)
と、光圀の師朱舜水は、まだ紋太夫の少年のうちから、かれの将来を案じて、ひそかに注意したこともある。
けれど光圀は、
(人にはかならず短がある。短があれば短を補い、悪癖があれば悪癖を矯正し、ひとかどにして用うるのが主の勤めでもある)
と、なおさら眼をかけて、ときには師のごとく臨み、ときには骨肉のごとく語らい、ときには良友ともなってやるなど、かれを一個の家老とまで仕上げるには多年の愛と主たる心を労ったものであった。
が、その結果は。
老公の今日の気もちは。
それを思うと、介三郎も悦之進も、涙なきを得ないのである。
だから一たび、はなしが藤井紋太夫のことにおよぶと、思わず鬢髪はそそけだち、悲涙は滂沱として止まることを知らない。憤怒の底から、
(刺しちがえて!)
とは、老公をめぐる臣下の誰もがすぐに思うことだった。
それをばなお、どこまで家臣に寛大なのか、甘いのか、老公は、
(めったな血気に逸るものは、かならず勘当であるぞ)
と、かたく封じ、たとえば人見又四郎が出奔の後も、又四郎の名は、おくびにも口にしないほど、厳として家臣たちの勝手な行動をゆるさないのであった。
ふたりは、人目を避けて、余りに旧情をあたため過ぎていたが、やがてお互に、そうしてはいられないいまの場合を想起して、
「ときに、今日これへ来たわけは?」
と、介三郎から質問した。悦之進は、それに答えて、
「この際、にわかに、老公には、江戸へご出府あると聞いて、愕然、近側の其許まで、自分の考えをお告げに来たのだが?」
「えっ。……老公のご出府を、もうお身まで知っているのか」
「かねてから、江戸表のほうにも、しきりと風聞されていた。──たびたび、将軍家より老公へいちど出府あるようにと、慫慂されておらるる由を」
「そのお沙汰は、とくからあるにはあったが……いま、にわかに出府あるとは、まだどこへも触れていないはずだが?」
「昨日、那珂湊の夤賓閣で、ご決心をつけられ、即刻、早馬でお帰りになるやいなや、老臣から各〻を集められ、固いご意中を告げられたであろうが」
「それとて、つい昨夜から明け方までのあいだ、殊には、極秘の事、外部にもれるわけもないのに」
「いやいや、悪徒の奸智とは、そんな手薄なものではありません。かれらの内輪にはいって、深くその組織を知ると、真に驚くべきものです。絶対に密偵などはおらぬはずの所にも、藤井紋太夫の息のかかった者がきっといると思わなければなりません。どんなに安全な地、安全な食物にも、刃があり毒があるものと、一応は疑ってみらるるのが、ご側近のお努めかと存じます」
「……ではもう昨夜のことまでも」
「もとよりご城内の、かれらの一組には知れています。そして直ちにそのことは江戸表の紋太夫の耳にも居ながらに分っておるわけで」
「それをまた、貴公がどうして逸早く、ご承知なのか」
「獣の生活を知るには獣の窟に入らねばならぬ。おはずかしいが……」
と、悦之進はさし俯向いて、
「……実は、老公からご勘気をうけて、ここを追放されたことは、かくれもなく知れているので、それを幸いに、わざと、老公をお恨みするかのごとくいい構え、藤井紋太夫のところへ、暮夜ひそかに訪れ、かれらのふところへ入って、それがしも悪徒の誓約に連判いたした。……嗤ってくれ、蔑んでくれ。介三郎どの、拙者はいま、大不忠、大不義の臣となって、反老公の陣営に、辛い飯を喰って生きています」
「う、うむ……。そうだったのか」
「──だから、ここにも長居はできん。ひと言、これだけを貴公に告げてゆくから信じてくれい。きっと、拙者のことばを、疑ってくれ給うな」
「なんで疑おう」
「この際、老公が江戸表へのご出府は、断じてお見合せねがいたい──ということだ。仔細は、強いて、ご出府あるにおいては、紋太夫一味の者が、ために、老公のお口よりいかなる問題が、柳営に於いていい出されるやも知れず、また、自分等のたくみも、いまや老公のご存知あるは必然と見、かならずこのたびのご出府を機として、果断なご処決を執られ、ひいては藤井一味の陣営は掃滅さるるものと──極度の恐怖をいだいておりまする」
「もとより老公におかれても、このたびこそは、それくらいなご決意にはちがいないが」
「──ですから、お止めしたいのです。悪徒も、悲壮な決意をただよわせています。万一、老公がご出府ある場合は、その途中を擁して、お乗物を襲い、おいのちを縮め参らすか、あるいは、途中手をまわして、毒をさしあげ、世間へ狂死といい触らさんかなと──いまやかれらも、惨憺たる苦心の下に、悪計をめぐらしておりますゆえ……」
急に、かれは口をつぐんだ。
梅林の小道をだれか来るような跫音がうしろでしたからである。
ふり向くと、ふたりは、愕然と立って、身を退けた。
すぐうしろへ来ていたひとは光圀であった。
とりわけ、愕いたのは、渡辺悦之進だったことはいうまでもない。
木の根がたに、平伏したまま、面も上げなかった。
「虚無僧……虚無僧。なぜ返辞をせぬ」
「……はいっ」
「久しぶりであったな」
「おこたえを致しまするにも、畏れ多うござります。以来、拙者めは、かりそめとは申しながら、藤井紋太夫の徒に」
「いうな」
横を向いて介三郎のうえを見た。──梅の花で埋まった空の木洩れ陽が、ふたりの肩にも、老公の白髯にも、光の斑を静かに撒いている。
「申しつけておいた支度は調うておるだろうな。出府の駕や供の用意は」
「はっ。──悉皆、相済ましてはおきましたが、ただいま、これにおる悦之進がことばには」
「これこれ、悦之進とは、だれをいう。渡辺悦之進なれば、とくに勘当申しつけてある者。これに来るわけはない。──それにおるは、そちが虚無僧寺にいた頃の旧友、格外という者と思うが、ちごうたかの」
「あっ……そうです、仰せの通り、てまえが佐々十竹の頃の友、渡辺格外に相違ございません」
「そうだろう。──格外」
「はい」
悦之進は、感涙につきあげられていた。
「ふたりで、供をせい。格外もわしに従いて来るがよい」
「えっ、従いて来いとの仰せは?」
「もとより江戸表へ」
「……お! お待ちください。──その儀については、いささか、ご注意申しあげたいことがござりますれば」
「途中のことか」
「万一にも」
「道中の不安ならば案じぬがよい。──いや、このたびこそは、たとえ西山から江戸までの途すがら、いかなる障壁、いかなる危害が、待ちもうけておろうとも、光圀はかならず参る。参らんと我れ思い立ったからには、我れを阻める百難もあろうや。光圀は行くぞ」
「──とは申せ。大切なおん身にござりまする。何とぞ、ここは」
「しかし光圀とて、暴虎馮河の愚は振舞わん。格外も供せよというからには、いささか存ずる旨もあればこそじゃ。──介三郎、そちはな、すぐ光圀が旅立ちを玄関の者へ申し触れよ。供ぞろいせよといいつけい」
「はっ。……して、ご隠居さまには」
「しばし、この梅ばやしの奥で、梅の花でも観ていよう」
「お支度などもございましょうに」
「供人を連れ、医師をつれ、出府の道中して参る光圀は、もう支度もすまして、はや乗物の内におろう」
「えっ……? では」
「ひそかに行け」
光圀は、なおも木蔭の密な林の奥へ、そぞろに足を移していた。
介三郎はすぐ察した。
老公は、老公の身代りを駕に乗せて、世間の眼を、それと信じさせ、自身はあとから、べつに密かな行動をとる考えでいるにちがいない──。
不老沢には、なお数名の老臣たちが、生涯扶持をもらって、養われている。その中には、老公が青年時代の黒頭巾組にいて、老公の留守中には、老公の身代りをやっていたいわゆる「影の者」がまだ生き残っていた。
もちろん、その「影の者」なるものは、呼べばいつでも山荘へ来る。そして、どっちが本物の老公なりや、側近でもちょっと見たぐらいでは分らないほど、容貌もすがたもそっくりに似せて来るのであった。
それから小半刻ほど後。老公の「影の者」を乗せて、ふかく内を秘した塗りの乗輿は、大勢の旅装した家臣に守られて門を出た。
大勢といっても、医師、茶道の者、その他の小者を加えても、二十名は出ない。
「ご隠居さまが、江戸へお上がりじゃそうな」
「いつ、お帰りやら?」
伝え聞いて、路傍にも、野辺にも、畦にも、うずくまって、それを見送る百姓老幼の影が、夥しいばかりだった。
まぢかに、そのお駕籠を路傍から拝した者が、あとで語りあうことには、
「塗駕籠の御簾ごしに、白いお髯と、鼻ばしらの隆いお顔が、何やらきょうは、神々しげに拝まれたぞよ」
──が、その駕籠の列が遠く去るのを、岡の梅林からひそかに見送っている人にも、白い髯と、鼻すじの隆い横顔とがあった。
もちろん、ほんとうの光圀は、決して去った駕籠の内ではない。
「格外。……何しておる?」
「いや、ちょっと」
格外渡辺悦之進は、樹の数にして、七、八本ほど前のほうへ這いすすんで、西山荘の裏門から一路この林の中を抜けてゆく小道へじっと眼を向けている。
「ご隠居さま──」と、身構えのまま、手を振って、
「おそれ入りますが、お屈みください。あの裏道の方から、おすがたを見られぬように……」
「なんじゃ、屈めと?」
老公は、いわれるまま、すぐ身をかくしたが、何のために格外が、鷹のような眼をしているのか、まだ分らなかった。
するとやがて、西山荘の裏門から、ひとりの男が、おそろしいす迅さで走って来た。──ところが、それ以上に脚の早いものがまた、そのあとから跳んで来て、かれの前や後ろを繞り、その敏捷を邪げた。
「しっ、畜生っ。……帰れっ」
男は、石を投げたり、鼻面を蹴とばしたりしていた。よほどその男に馴ついているに違いない。いくら邪慳にされても帰ろうとはしないのである。──西山荘に飼われている、四、五頭の鹿だった。
「ちぇっ。……日頃の恩を、仇で返しゃあがる」
矢のように、先へ心は急くのにと、男はついに脇差を抜いて、鹿を脅かした。
白刃を見ると、鹿もぱッと遠く跳んだ。ところが、それとともに、男は異様な呻きをあげて、勢いよく草むらへぶっ仆れた。そして、手足をばたばたさせていた。
もう、鹿も寄らない。その代りにすぐ側へ駈け寄っていたのは格外渡辺悦之進だった。老公もつづいて側へ行ってみた。
「この面体は、よくご存じでございましょう」
と、格外は、傷負のうえに馬乗りになりながら、老公のひとみを覗きあげた。男のこめかみには小柄が深く突き刺さっている。血と泥にまみれて、それはふた目と見られない形相に変っていた。
「おお……日ごろ台所におる庖丁人のひとり。格外、なんでむごい手を下したのじゃ」
「見過ごせば、たちまちすべてを、ご城下のさる場所まで、密告しに走りましょう。この庖丁人も、紋太夫の息のかかった一名です。幸いに、その後の渡辺悦之進は、ひとつ穴のむじなと化してこやつの顔を見知っておりましたから、未然に防ぎが出来ましたものの、ご身辺諸事、およそかくの如きものと思し召し、ゆくゆくご油断あそばさぬように」
老公は憮然としていつまでも唇をつぐんでいた。その唇は白髯につつまれながらやや顫いているかに見えた。──けれど相変らず慈愛にみちている眼は、格外の脇に組み敷かれている庖丁人の男の顔を、傷ましげに見つめながら、
「格外、その者をころすなよ」
と、注意することを、なお忘れなかった。
格外は、老公の寛大に、むしろ呆れたが、気がついてみると、庖丁人の男の抵抗は、もうぐったり弱まっていた。
急に、起って、
「小柄は急所を突き刺しました。助からないかもわかりません」
と、傷負の顔をのぞき直した。
「手当しても、助からねば、天命といえよう。ただ手当だけは、加えてつかわしたいが」
佐々介三郎が、一頭の駒を曳いて、この林へはいって来たのは、ちょうどその時であった。
介三郎は、わらじ脚絆などすっかり足ごしらえまですまして、
「ご隠居さま、お身まわりのものすべて、持参いたしました。ここで遊ばしませ」
と、べつに鞍へ着けて来た老公の旅の物を、何かと、草の上に展げた。
「よし、よし」
老公も草のなかに坐った。
そして、脚絆をつけ、わらじを穿ち、懐紙その他、道中用のものを、悉く身につけた。
「それでおよろしゅうございましょうか……まだ何ぞ」
「これでいい」
と、愛馬の鼻づらを撫でて、
「ご苦労をたのむぞ。このたびはちと遠方──」
と、つぶやいて、また、
「介三郎」
「はっ」
「もういちど、留守の者へ、いい残してまいれ。これに仆れておる台所庖丁人、不愍なればよく手当をしてつかわせと」
「承知しました。──では、そのうちにお支度を」
「よし、よし」
老公は、鞍のそばへ寄った。何といっても老躯である。介三郎と格外は、左右から身を扶けた。けれど、あぶみへちょっと足が掛かると、さすがに鍛練されたからだはまだ残っている。あざやかに鞍上にまたがり、すぐ馬首を立てて春風に道を求めている。
山荘の方へ駈けて行った介三郎は、垣の陰に並んで、よそながら老公を見送ろうとしている留守の衆へ、早口に、老公の伝言をいいのこして、すぐ西の方へ駈け出した。
余りにうららかな日であった。
その細道をいま、旋風のような馬けむりが、わき目もふらず駈けて行った。もちろんそんな方向は耕す人のほか往来する道ではなかった。その駈ける砂塵の中に、留守の衆は、蹄をあげてゆく悍馬と、その上にある老公のすがたとを、もう遠くに去ってから初めて見出している。
そのあとから、ひとりの虚無僧が、おくれじと、従いて行った。虚無僧の天蓋が畑へ素ッ飛んだが、虚無僧は、拾っているまもなく、馬のあとにつづいて行った。
距離にして、小一町ほども後から、またひとり追いかけてゆく者がある。いうまでもなく、佐々介三郎であった。
畑の向うは、傾斜になっている。そこを降りると村がある。馬上のひと、つづいて行く鼠色の衣服の影──たちまち畑の果てに没して行った。
「おういっ、悦之進っ。……すこしやすめ。待ってくれい」
介三郎は、手を振っていた。こういう急場となるとつい、格外というかれの仮名は忘れてしまった。
小石川の本邸でさえ、その不意打にうろたえた程だった。西山を出た老公が江戸へ向われたとは、早速、水戸の藩庁から通告はあったが、道中の日程を計ると、その到着はまだまだ数日の後と考えられていたからである。
表門から、また玄関からも、事の不意に驚いた諸士が、
「ご隠居さまのお着きですっ」
「ご老公がおわたりになられましたっ」
と、あわただしげに告げてもなお、奥のほうでは、信じなかったくらいだった。
二名の供と一頭の馬は、汗と埃にまみれたまま、大玄関へ上がってゆく老公のすがたを見送っていた。
右往左往という文字どおりな跫音と出迎えの家臣たちの顔の中を、老公はずんずん奥へ通って行った。
そして、一室へ落着いた。
陽にも焦け、埃にも汚れ、いかに道中を急速に上って来たか、その容子にも窺われたが、顔容にはさしたるつかれも見えない。静かに、白湯をひと口のんで、
「少将どのには変りないか」
と、まず綱条の安否をたずね、さてまた、思い出したように、
「紋太夫は見えぬが、いかがいたした。紋太夫は不在か」
と、あいさつの為、次々に、ここへ来ている家臣たちを見ていった。
「いや、たしか今し方まで、おられたはずでございますが」
と、ひとりがすぐ、彼のすがたを求めに起ちかけると、
「いや。呼ぶには及ばん」
と、老公はなぜか制して、しかもそれが不自然にひびかぬように、
「何ぞ、忙しいことに紛れておるのであろう。後刻、ゆるりと会おう」
しかし、間もなくその紋太夫は、主君綱条に侍して、これへ見えた。──わが子ながら綱条は当主である、老公は席を分けて、上座を与えた。
綱条は、あえてその席を占めなかった。やはり子として厳父の下に手をつかえたいのである。近況をたずね、気候の障りを見舞い、そして、
「どうしてお供もわずかしか連れず、かくは遽に、早馬に召されてご出府でございましたか」
と、いぶかし気にたずねた。
藤井紋太夫は、その綱条の陰に慎んでひかえていた。どう見ても忠良な側臣である。また一藩の国老として見劣りもなく、叡智で物静かな人品である。──老公の眼は、時折、かれのほうを見た。紋太夫は、終始、うつ向きかげんに控えていたが、決して、躁がしい眼はしていなかった。
「……ともあれ、ここはご休息なさるにしては端近です。綱条の室までお越し遊ばしませぬか」
太守自身が案内に立つ。老公はうなずいてそのあとに従いてゆく。儀礼の上では君臣でも、情においてはやはり父子であった。その睦じさはつつみきれない。
──ただ、そのあとから、黙然と追従してゆく紋太夫のすがたには、いかに冷静を誇示して見せても、蔽い得ないものがあった。かれの面と胸の衷とは、ちょうど土用波のようなものだった。表面は至極穏やかに見えるが、底波のうねり大きく荒れ躁いでいたにちがいない。
父子、一室にはいってからは、まったく家老も近習も遠ざけて、夜の更けるまで語りあっていた。そのあいだ、紋太夫のひと知れぬ焦躁といったらない。目に見えぬ金剛縄と太柱に身をくくりつけられているのと同じであった。ただ歯の根をかんで、事の手違いを、悔い憤るしかなかった。
あくる日。──多分そうあることとは予想されていたが、果たして、老公は柳営へ登城した。
破綻、敗北、すべて画策が画餅に帰したと覚ると、
(ついに事ここに至ったか)
と、さすがの藤井紋太夫も、悲痛な覚悟をきめたらしく、式台に列座して、当主綱条以下家臣一統とともに、老公の駕籠を見送るときは、その眉宇に生色もなかった。大勢のなかに、かれの顔ひとつが、際だって蒼白だった。
その朝、あらかじめ内意を仰いだことはもちろんであろうが、将軍以外、柳営の人々にとっても、老公の登城にはみな唐突な感じをうけたらしい。
致仕したひととはいえ三家の長者、前副将軍黄門である。閣老や側衆たりとも甚だしくあつかい難いのである。ことに春雷一震のような畏怖をおぼえたのは大奥の女人国だったにちがいない。
将軍綱吉とても、多分に心を震撼されたここちであった。腫れ物にさわるような鄭重さが、この一隠居と将軍家との対面に無言の気づかいを終始くばっていた。──が、そのうちに、さほどでもない光圀の、ここへ来ても百姓然たる洒落な風にようやく親しみ出すと、初めて君臣眉をひらいて、やがて、善尽し美尽した饗応をもって、光圀を歓待しようとした。
「忝うはあるが……」
と、光圀は一応謝して、
「そのまえに上様へこの田爺からおみやげを献じたい。何ご不自由もない柳営へ持ち参らするような産物は水戸にもない。そこでこの田爺が持つものしか差上げられぬわけじゃが、ついては、上様をご案内して、学問所までお運びをねがわしい」
と、いった。
綱吉は好まないふうだったが、否みもならず、学問所へ行って着座した。
光圀も対して坐った。
そのきびしいすがたは、将軍家の高きに在りながら、綱吉の眼はよく正視することができなかった。
「…………」
黙然、頸をすこし垂れた。
光圀はいった。
「上様には、近頃だいぶ、このお学問所にも、ご着座がないとみえますな。梁には煤、柱には塵、なんとのう艶やかな気はいがない。洞然、光なく声なく道なき空洞に似ております。故あるかな、世上一般、また真実の光なく声なく、あるはただ、浅ましい快楽の明滅、淫風のすさび、欺瞞の唖、阿諛の声、吏民ともに廃頽にまかせ、自壊をいそぎ、滔々行くところも知らぬありさま……」
──嘆いて、なおいう。
「平常、あまり琴曲三絃の音ばかりにお親しみでも耳飽きましょう。稀によかろうと存じ、きょうは田爺光圀がいささかご学問をおすすめ申しあげる。江戸の俗でいう野暮とやらでおざろうがすこしお我慢なさい」
かれは、容をあらためて、大学の講義をしはじめた。綱吉はその長時間、ついに面をあげてひとみを和めることができなかった。
講義が終ると、光圀は、
「おそれながら、あなた様は、この天下をたれのものと思し召すか」
と、たずねた。
綱吉がいつまで、答えずにいると、
「将軍職なるものは、そも、どなたからお授けをうけたものか。天下は一箇将軍家のものでないこと、その一事を顧るもあきらかでしょう」
と、釘を打ちこむような語気をもって、最後に、なお、
「ひが目の輩が、光圀の志を誤り、光圀に叛心ありなどといい触るるもあるやに聞き及んでおるが、たといそれを真なりとするも、天下は無窮の天下であって、なんで、光圀ごとき下賤のままになりましょうや。──もし仮に、光圀をして強いて行わしむるなれば、ご返上申すところへご返上申しあげるまででございましょう」
と、臆面なく述べた。
衷心のものを吐いて、いうべきこともみないい終ると、光圀は座を退って、あらためて将軍家を拝し、
「それもこれも、邦家を思う余りに出たことばと、田爺の無礼をおゆるしあそばされい。この国あっての将軍家、百姓あっての宗家、ゆめ、順逆を誤りたまうな。年老るほど、苦労性になるものでござる。ご機嫌を損ぜられぬように」
と、綱吉の気色をなだめ、程なく暇を告げて退出した。
別間のほうに饗応のしたくをして待っていた将軍家の側近たちが、追いすがるようにして、せっかくの賜餐をすすめると、光圀はいんぎんに恩を謝して、
「田舎にひき籠ってからは、とんと美食に馴れぬせいか、たまたま食べつけぬものをいただくと腸を驚かせて、かならず工合がわるうなるので」
と、一笑して去った。
大久保加賀守忠朝が、ふと大廊下でそのすがたを見かけ、挨拶をのべたあとで、伴って一間へはいった。
たれも居合せなかったので世間ばなしの末、忠朝はこんなことを話し出した。
「どこから出た虚説やら、ひと頃、水戸どののご隠居には乱心されたそうな、さてもお気のどくよと、真しやかに老中たちの列座の席でも、うわさされたことがありました。柳営のみでなく市井のうちでもよく聞くから、専ら評判でございましたが、ほどなく阿部豊後守が実相をただされて、さる事実なしと、明らかにされたため、いつか、うわさも止み、お変りのない体を眼のあたりに拝し、内心、驚愕した者もありましょうが、また、歓んだひとも多くございましょう。忠朝も同様、大慶にぞんじまする」
すると、光圀は、
「は、は、は、は。いや火のないところに煙はたたぬと申せば、多少は隠居にもそんな乱兆が見えたやも計られませんな。自分では何の症状も覚えず、つねに歪められざる正気と昭々の眼をもって、世を観ること、国を思うこと、忘れぬつもりではいても……。さて、傍目には如何なものやら」
と、あとは雑談などにまぎらわして、その事については、べつに深くも訊かず袂を分った。
綱条の世子で──光圀には孫にあたる──吉孚の夫人八重姫は、京都の鷹司家から嫁いていた。大奥には由来、京出身の女性が多く、文筥のやりとりや往来も自然に繁かった。従って八重姫を通じていろいろ裏面のことが伝わって来たし、それが光圀の耳へもよく聞えて来たが光圀はそれを取りあげたこともない。
いま、忠朝が世間ばなしのうちにした事なども光圀はもっと審らかに知っているはずであった。──いつか柳沢吉保が、老中列座のなかで真しやかにいいふらしたのを、阿部豊後守がつよく否定したとて、両者の間に、あわや日頃の感情まで爆発しかけた事件などもあって、そのうわさは、当時逸早く、西山荘にも聞えていたが、きょうの光圀は、とんと忘れ果てているようだった。
城を退って、小石川のやしきへ、老公の駕籠がもどって来たのは、まだ陽の高い頃であった。邸内はきのうきょう著しく清掃され、庭番や門衛は、いつ老公が帰られても爽やかであるように、のべつ玉砂利や苔や木々に打水していた。
奥へはいった老公は、そのまま一室を閉じて、いと物静かなままなので、表の者は、
(お昼寝か)
と、思っていたが、やがて湯殿に湯の音が聞え、そのまに燭台が運ばれて行った。そして夜食も手軽く終ったかと窺われる頃、
「──ご家老。ご家老はどちらにおられますか。藤井紋太夫どの、ご隠居さまがお召しでございまするぞ」
と、奥の家臣が、あなたこなたの部屋をさがし歩いていた。
まだ明りも燈さず──墨のような夜気をとざしたひと間に──かれは独り寂然と坐っていた。
「ご家老さま」
自分をさがしに来た者の声に、紋太夫ははじめて、腕を解き、面を上げて、
「何か」
と、その中でいった。
「あっ、ここにおいででしたか。──先ほどからご隠居さまが、しきりと、お呼びでございます」
「……そうか」
と、重い息のように答えて、
「ただ今、お伺いいたしますと、御前へ申しあげてくれ。……ちと風邪心地のため、わざと、ご遠慮していたが、すぐ参りますと」
「かしこまりました」
跫音の遠く去るまで、かれはまだそこに坐っていた。
ようやく、ひとり心をとり直したように、どこかへ立って行った。
髪の毛を撫で、鏡をとって、顔容をただして来たようであった。
「どこにおいで遊ばすか」
と、近くに勤仕しているさむらい達に聞くと、ゆうべから寝所と居間に宛てられている橋廊下のあなたの一棟に、もうご書見しておられる容子です──という。
静かに、かれはそこを、渡って行った。そして、焔の白くゆらぐ障子の内へ、縁側から両手をつかえて、そっといった。
「紋太夫にございまする。お召しの由、参りおくれましたが、何ぞ、ご用でございましょうか」
「紋太夫か。はいれ」
かれが、そこを開けると、老公は書見台を横へ押しやって、膝の角を折っていた。
「あとを、閉めたがよい」
「はい」
ふと、次の間をふり向いて、老公は、明りの影から遠くひかえている者へ、
「介三郎。そちは、退がっておれ。──境の杉戸は、たれも来ぬように、固く閉めてまいれ」
と、いいつけた。
次のその部屋の薄暗い加減もあろうが、介三郎の白眼が、らんとして紋太夫のすがたを睨まえているように見えた。
介三郎は、ちと、立ちかねて、もじもじしていた。佞猛な野獣の前へ、老いたる主君をあずけてゆく気持が、何としても、不安でならないらしいのである。
「立たぬか」
再度いわれて、
「はっ」
介三郎は縁へ出た。そして橋廊下との境の杉戸もあとから閉めて行ったようである。
「…………」
ややしばし、燭の影が、畳にかすかな揺れを落しているだけだった。
「紋太夫、もすこし寄れ」
「……はい」
「いかがいたした?」
「は」
「顔いろが悪いのではないか」
「実は、両三日前からちと、風邪をこじらしました気味で」
「それは生憎な……。さだめし体も気懶かろう。では、手短に申すとして」
と、白髯の先が、膝がしらに触れるほど、やや身を前に折りかがめて、
「世捨て人にもひとしい隠居ながら、さて、後々の愚痴は捨て難きもの。それにつけ、何かとそちの事は思い出しておるぞ。主従は三世というが、さて、わしと、そちとも、久しいのう」
「……はい。夢のまに」
「三十年。いや、もっとになろうわえ。そちは、幾歳になった。光圀もはや……」
こよいそも、何をいおうとする老公なのか。紋太夫はそれのみ怖れて、耳は熱して口は渇いた。夜も静か、老公の声もいと穏やかなのに、ひとり胸の中で七顛八倒していた。
影を描いてひとり影に恐怖しているのである。蒼白なかれの面には、あぶら汗がにじみ出ていた。
けれど、老公のことばは、依然、平常と変りはなかった。いや、常よりも沁々として情味さえこもっていた。
「──いわずとも、その方とて、よく心得ておろうが、譜代の臣も多い中で、そちほど、光圀が一存にて、思い切って登用して来た家臣はない。また時には度の過ぎるほど目をかけて来た家臣はない。とはいえ、光圀が恩ぞとはいわぬ。それあるは偏えに、そち自身が、他の持たぬ経営の才をもち、ひと優れて有能な生れ性なるがゆえにである。──一寺小僧からわしの小姓となり、やがて、二、三百石の士分より千八百石を給され、今日、当主の輔佐に任ぜられて、水戸一藩の切りまわしを、その双肩に担うようになったのも、みなそちの天質と働きによるところではあるが、じゃ……紋太夫」
と、いよいよやさしく、
「ひとは誰でも、順調に狎れると、むかしを忘れ、いまに思い上がるもの。そちばかりではない、有能の士、才腕の士、みな過るところは、ひとつ石に躓くのじゃ。いまは藩内政外務ともに、このうるさい隠居のさし出口もないことゆえ、ほとんど衆みなその方の威権に慴伏し、あえてその非を鳴らす者もなかろうが、かかる時こそ、そち自身は、一そう慎まねばなるまいぞ」
「……はい」
「媚びる者に惑わさるるなよ。駁す者を敵視するなよ。おそらくそちの意志ではなく、無根の風説とわしは信じておるが、柳沢吉保に頤使されて、諸方に奔走するなどといううわさも聞く。また、そちの仕えまいらす当主の世子吉孚を、病弱にて、世嗣はなり難しなどと、吉保をもって柳営にいわしめ、他より養子を迎えておのれの功となし、水戸一藩を気ままにせん下心なりなどと──もっぱら真しやかに憂うる人々もないではない」
「…………」
「紋太夫」
「……はっ」
「わしを信じろ。わしはまた、飽くまでそちを信じよう」
「…………」
畳に汗の音がするばかりだった。紋太夫の膝の両手は、いつか下へ辷り落ちていた。
「……のう。主と家臣とは朝に更り夕べに変ずるような、そんな軽薄なものではあるまい。隠居はしても、光圀のそちに対する愛、また信、すこしも変らぬつもりである。たのむぞ、この上とも、当主の輔佐や、吉孚の将来を」
「…………」
「武骨者の短所といおうか。光圀かつて、大藩の主にありながら、しきりと思いを国のゆくすえにのみ患い、財を散じ、臣を労し、なおその業は中道にある。ために家士一統には破衣粗食を給しながら、見れど見ぬが如くし、また、家老たるその方などにも、財務内政の経営に長年の辛苦をかけ、これも知りつつ知らぬがような体をして過ぎ、ひたぶるに唯、わが願いたるところへ微力をつくして参った。──いや、そうして来られたのは、すべてとはいわぬが、その方の働きによるところ寔に多かった。そちに財賦の才なく、経営の巧みなければ、おそらく藩政の破綻、百姓への苛税など、まぬかれぬところであったにちがいない」
大いに、彼の功を称し、また一転して、こういいたした。
「人生、四十五十の境ほど、過ち多いときはない。世の信望、地位の得意、みなこの頃にあるが、ひとたび辷ると、若い時代とちごうて、出直しの難しい山坂じゃ。──そちも大成を心がけてくれよ。光圀を世の笑い者としてくれるな。よいか……よいか、紋太夫」
──わなないている。
紋太夫は、それをかくせない。
始めは、心のうちで、あらゆる弁抗を考え、また、
(なんの、世事、時務にくらい、この老人が)
と、生来の才智が、あくまで自己の非を蔽う理論を立てて、強いて、心のそこで嗤おうとしていたが、諄々、その硬直がくずされてしまった。
かならず、いまに老公の激烈な詰問があろう、叱責がいい出されるだろう。そう予期していたところが、それはちくと触れたのみで、あとは、数十年以来変らない温情にみちたことばのみである。
あまつさえ、この後とも、頼むぞと、すこしも主君顔をされない老公の真情にいたっては、さすがに狡智厚顔なかれも、
(ああ、罰が中ろう)
と思わず身がふるえて来たのである。どうしてこんなお方に叛いたろうかと、身のほどがそら怖ろしくなるのだった。慚愧にうたれて、詫び入ることばも見つからなかった。
「…………」
かれはやがてさんさんと流涕していた。悔いの涙を見せてしまうと、かれはようやく自分をとり囲んでいたあらゆる防塞から自らのがれたような気がした。むしろ救われたようにほっとして流れる涙をかくさなかった。
涙はおろか、洟をたらしていた時代も、幼少、寝小便の癖があったことまで、この老公には自分の生い立ちの何もかもよく知り抜かれているのである。──何を苦しんで今日まで、さかしらな顔してこの偉いなる大人にたてを突いて来ただろうか。
「……おっ……お……おゆるしください。紋太夫、いまさらの如く、夢のさめたここちにございまする」
かれは我ともなく咽び出していた。──我となく──むしろそれがかれの、真実にちがいない。
つかえている両手のうえに、がばと、面を伏せて、
「小人……小人の浅慮さ。……仰せのように、いつしか、思いあがっておりました。……その紋太夫の心に乗じて、おそらく魔などが憑したものにござりましょう。こよいを限りに、きっともとの紋太夫に立ち帰りまする。その証には」
つと、かれは胸をあげた。やにわに後へ退がったと思うと、障子へ向って、ご免といいさま、胸元をひろげかけた。脇差を手に、腹を切ろうとしたのである。
「おろか者っ」
老公が大喝したとき、たれもいないはずの次の間からも、
「──あっ、何を召さる」
跳びかかって、ぱっと、紋太夫の小手をつかんだ者がある。
虚無僧の渡辺格外だった。
「──腹を切れと、おいいつけならぜひもないが、私の自害は、犬死でしょう。紋太夫どの、あなたの悔いは、それでは意味がありますまい」
「や。……お身は、悦之進だな」
「そうです」
「…………」
紋太夫は一語もなく、また自刃する力さえ失ったように、黙然、うなだれてしまった。
格外は、なぐさめて、彼にひとつの暗示を囁いた。真に証を立てられようとするならば、ここにあなたの為す途がある。──某家の空井戸に囚われている老公の二臣を救い出して来るものは、あなたを措いてほかにないではないか──と。
聞くと、紋太夫は、
「明朝、水戸へお立帰りの真際まで、何とぞ、お暇をたまわりますように」
そう告げて、悄然、どこへか立ち去った。もちろんその夜、かれのすがたは、邸内にそれきり見えなかった。
ときならぬ春雷は、一瞬、地を震わせ、人々の胆をおどろかせたが、落花微塵な威も見ぬまに、花の道中を、次の日はもううららかに、水戸へさして帰っていた。
「こういう日を、駕籠のうちに、とざして行くは惜しい」
好んで馬の背にゆられてゆく老公を、宿々、誰あって、老公と知るひとはほとんどない。
べつに、一挺の塗駕籠は、小石川の邸から添えられている。馬の背に疲れたらそれへ移ればよいわけである。ところが、その塗駕籠のうちには、途中からそっと乗ったひとがある。
また、そのとき供の内へ、ふたりの者が途中から加わった。ふたりとも笠をいただいて、始終うつ向き加減に、一言も発せず、供に従って歩いているだけなので、佐々介三郎、渡辺格外のほかには、何者やらいっこう知れなかったが、水戸にはいって後、誰にも分った。
一名は人見又四郎。もうひとりは江橋林助だった。
そして、駕籠のうちの老美人は、雪乃であった。
こう三人は、老公が江戸を立つ朝、時刻をはかって、府外のさかいに待ちあわせていたのである。すでにこの世の者ではあり得なかった三人が、こうしてつつがなく、しかも同時に、老公の帰山の供に加わり得たということは、もとより自然の運命ではない。老公に助けられたものだった。老公の偉きな手のみがよく無事に救い得たといってもいい。
この急速な計らいはまた、もちろん藤井紋太夫の悔悟の実証と、夜来からの奔走を明らかに語るものだった。夜前、惨として、老公の前を去ってからおそらく紋太夫は一睡もしなかったであろう。柳沢吉保に乞うて、又四郎、林助の身をもらい受けて来るまでは、必死の弁と生涯の智恵をしぼり尽したことであろう。いかなる利害を説き、いかなる条件のもとに、吉保をして、それを承諾させたかは──紋太夫自身のほか知るよしもないことである。
かれが痛感したにちがいないであろうことは、十年の快楽も、この一夜に償いさせられたという覿面な報いであったろう。それかあらぬか、老公が西山へ帰ってのちも、江戸にあった藤井紋太夫は、およそ二十日余りも、病気ととなえて自分のやしきにひき籠っていた。事実、薬餌に親しんでいたらしい。
春雷一過。
留守のまに、西山の梅は散っていた。けれど、大根の花、菜の花、朧夜の微吟も主の好むところである。
「久しぶり、また汁講を催そう。このたびの世話役は、又四郎と林助に申しつける。近日のうちに廻状、支度など、胆煎せい」
帰山後まもなく、老公からいい出されたのである。それが、ふたりへことばをかけられた初めのものだった。
ふたりは、雀躍りして、介三郎のところへ告げに来た。
「きょう直々、こういう仰せ付けをうけたが、これは勘気をゆるすという御意だろうか。無言のおゆるしと解していいだろうか」
「もちろん、お咎めのある者へ、そんなご用を仰せ出されるわけはない。……だが、悦之進にはまだ何のお沙汰もないな。悦之進は、ここへ帰ってからも、毎日、薬研部屋にはいったまま、あの通り謹慎しているのに」
「いや、今しがた、お召しをうけて、お部屋へ伺っていた。恐らく同様なおことばを賜わっているだろう」
うわさをしているところへ、その渡辺格外が、老公の部屋から退がって来た。何も語らぬうち、聞かぬうちから、かれの明るい笑顔が、すべてを友に告げていた。
汁講の廻状はまわった。期日の夜は来た。久しぶり西山荘の一席には、おととしの一夜と同じように、君臣水魚の集いが見られた。
いや、歳月の行くところ、人のあるところ、いつの場合でも、まったく同じということはあり得ない。
この足かけ三年のあいだに、歿している老人もあった。なぜか、来ない二、三の顔もあった。多少なりとも藤井紋太夫の問題は、ここにも無影響とはいいきれないものがある。
そのかわりおととしはいなかった佐々介三郎がおり、また女性では、お次がいた。平常、女手の足らない山荘のこととて、お次は調法がられていた。もちろん雪乃、お蕗の母子も見えている。
又四郎も今夜はおとなしい。棒のごとき無口は相かわらずだが、空井戸の底の哲学と、都会の実世態とは、だいぶ彼を学ばせたらしい。
かれに比して、林助のほうは、そう変らない。ちょっと、小さな戦いの前線へ行って、いまは帰って来ているというふうだ。こんな夜なども、嬉々として友と飲んでいる。
「吉例だそうですから、茶を煮て、老公のお好みのまんじゅうをさしあげよう」
ひとまず、酒のかたづいたあとで、介三郎は客一同へそういった。例の老公好みの浙江まんじゅうが一個ずつ各〻、盆に載せられて茶とともに供された。
「また、雪乃のみやげか」
老公がたずねると、
「いえ、これは別人の献上でございます」
と、介三郎から披露した。
「てまえが、湊川のご建碑を奉行しておりますあいだ、終始、懸命に働いてくれた人夫のひとりに、勘太という者がおりました。もと那珂河原で、無宿者や物乞いどもの頭をしていた男でございますが……」
そのはなしは、老公も、介三郎からとくに聞いていたし、家臣たちも聞きつたえて、近頃の異聞とみな記憶に新たなことであった。
けれどその勘太は、介三郎がここへ帰山した当時、過って江戸で人を殺し、自首して出たということを聞いている。
「いきなりこう申しましては、ご不審でございましょうが」
と、介三郎は、つぎにそれをいい足した。
その言によると、あの折、勘太は自首して出たことが、かえって幸いして、奉行の公平な裁断の下に罪を問われずに放された。罪はかえって死んだ男のほうにある事理が明白にされたのである。
まま、かれ自身が懺悔するところの、かつての前科も、その前非をふかく悔いている真情が認められて──これはまた江戸以外の他領における問題でもあるせいか──おかまいなしということになり、勘太は、介三郎のあとを慕うて、その後、水戸に帰っていた。
(心から生れ変ってやり直す気なら、なにも他郷をさまよう必要はあるまい。嗤わば嗤えと、一時、辱など忍んで、自分の郷土で働くのが真ではないか)
介三郎に諭されて、その後は水戸の町にとどまり、以来問屋場の駅夫のなかに交じって、黙々、真面目に働いているので、かれをよく知る町の者は、非常な驚きをもって眺めているというのが、いまの勘太の境遇だった。
「こよい汁講のある由を、どこで聞きおよびましたか、てまえまで、一折のまんじゅうを持って、お取次ぎを仰いで参りました。自分を人間にしてくれたものは、このまんじゅうであると、平常、暇があれば、あの葛屋という菓子舗へ行き、薪を割り、箒を持ち、水汲みの手伝いなどまでしておるそうですから、それをご隠居さまがお好きなことなど、菓子舗の亭主から聞いていたものでございましょう」
終始、老公は感動のうちに聞いていた。その勘太は、まんじゅうをこれへ届けると、すぐ立ち帰ったのか、とある老公の訊ねに、
「いえ、まだお台所の外におりましょう」
と、介三郎は答えた。
「こよいは、大ぜい様のお集まり、何かのご用もありましょう、ぜひ手伝わしてくれいと申し、お台所の外に佇んでおりましたが」
聞くと老公はすぐ、
「呼べ。これへ呼べ」
と、かさねていった。
鹿野文八が出て行った。まもなく庭面のほうに恟々した人影が立った。勘太は、貴人に対する礼を知らない。文八に教えられて、いわれるままに地へ坐った。
老公は自身、縁がわまで出て、縁柱へ背を倚せて坐った。そして、杯をさしまねき、
「勘太にも、一献与えよ」
と、いった。
人々は、かれの光栄を、かれの身になって歓び合った。ところが勘太は、強って、お杯を辞退した。
「ご酒ばかりは戴くわけにはまいりません。実は、湊川のお石碑へ約束してしまいました。あそこの土担ぎをさせていただく前に。──一生涯のうちには、きっともう一度、お詣りにまいります。自分にも人にも恥じない人間になったらばと。へい。……で、その時まではご酒は飲まないと、正成公へ誓っておりますんで」
「ははは。そうか」
老公は、哄笑して、
「偉いお方と約束したの。しかしおまえも神と語れる人間になったわけじゃ。めでたい。めでたい」
「ご褒美をください。……ご隠居さま、勘太に、おねがいがございます」
「褒美をくれと」
「はい。……まだ人間の端くれでございましょうが、この頃はもう怠けてはおりません。へい。遊び暮してはおりません。また、悪い事はしていません。湊川の土かつぎを、いつもしている気で、働いていることは慥でございます。佐々の旦那も、それだけは証人になって下さるだろうと思います」
「だから? ……。何を望むのであるか」
「その、おまんじゅうを一つ、ご隠居さまのお手から、拝領させてくださいませ」
「……あ。これか」
老公は、盆のうえの、仄かに黄いろいまんじゅうの山を見まもった。
介三郎も。──また介三郎から、かねて勘太の身の上を聞いていた人々は、ひとしく勘太の心根に眼の熱くなるここちがした。
かれにとって、一個のまんじゅうは、いま最大な希望にちがいない。人間の段階を、諸人とともに踏み上って行こうとする最初の自信と、よろこびとを、かれはまんじゅうの味から身に訓えて行こうと望むのであろう。
(うまい菓子が食べたければ人なみになって来い。わしの店で売る菓子は、おまえ方のような怠惰な者に食わせるため製っている菓子ではない。人なみの働きもせず、人なみの物を食べて、しかも悪さばかりしてこの世を送ろうなどとは、それがほんとの非人根性。口惜しかったら、わしの家の菓子を、威張って食べられるようになって、出直しておいで)
おととし、菓子舗の主に、その店さきでいわれたことばを、勘太は、真人間に立ちかえる護符として来た。今日まで、一心、それを一つの目標として来たものだった。
「介三郎」
「はっ……」
「勘太へ、まんじゅうを取ってつかわせ」
「ありがとう存じまする」
介三郎はわが事のように礼をのべた。そして自分の懐紙をひろげ一個のまんじゅうを取り頒けて、
「勘太……。いただいたぞ」
と、縁先へすすみ出ていった。
勘太はまんじゅうを喰べた。
押しいただいて、それを二つに割って、口へ入れるまでの間に、数行の涙が、かれの頬をぬらしていた。
「…………」
一瞬みな、厳粛に、かれの喰うまんじゅうの味を思いやっていた。
「みなも喰べんか」
ふと、老公は、席を顧みて、一同へいった。老公も喰べた。
遅桜の幾片が、どこからか風に送られてくる。晩春、月はまだ暈し、木々の芽のにおいは仄かだった。──と、誰か、徐々、膝拍子をたたきながら朗吟する者がある。
先生は常州、水戸の産なり、その伯疾み、その仲は夭す。先生夙夜膝下に陪し戦々兢々たり。
その人と為りや、ものに滞らず、事に著せず、神儒を尊んで神儒を駁し、仏老を崇めて仏老を排す。
常に賓客をよろこび、ほとんど門に市る。暇あるごとに書を読みかならずしも解するを求めず。よろこべど歓びを歓びとせず憂へども憂ひを憂へとせず……
誰かと、吟ずる人を見ると、座中もっとも沈黙をまもっていた人見又四郎であった。
みな襟を正し、みな心耳を澄ました。
この一篇の文章はたれも暗誦じているものだった。三、四年ほど前、ここから近い瑞龍山の境内に建てた老公の寿碑へ、老公自身が起草して、それに刻ませた一文である。
石は朽ちない。朽ちないものへ、あえて自分で自己を書いた老公の心理には、寿碑を建つほど生きてもなお──何かなおこの世に息吹きれないものを、抱いておられるのではないかと人々は察してみた。否々、もっと深いものがありそうにも思われた。で、いつかそれを暗誦じ、それを自分の息として、朗々吟誦することにより、老公のたましいへ触れようとした。
──月の夕、花の朝、酒をくんで、意に敵すれば、詩を吟じ情を放つ。
声色飲食は、その美なるをこのまず、第宅器物はその奇なるを要せず、あれば則ちあるに随ひてこれを楽しみ、無くば則ち無きにまかせて晏如たり。
蚤くより史を編むに志あり、されど書の徴すべきもの罕なり。ここに捜りここに購ひ、之を求めて之を得たり、微しく選むに稗官小説を以てし、実を摭ひ、疑ひ闕き、皇統を正閏し、人臣を是非し、輯めて一家の言を成せり。
元禄庚午の冬、しきりに骸骨を乞うて致仕す。はじめ兄の子を養うて嗣となし、つひにこれを立て以て封を襲がしむ。
先生の宿志、ここにおいてか足れり。すでにして郷に還り、即日、収を瑞龍山先塋の側に相し、歴任の衣冠魚帯を瘞め、載ち封し載ち碑し、自ら題して、梅里先生の墓と曰ふ。
先生の霊は永くここにあり嗚呼、骨肉は天命終るところの処に委せ、水にはすなはち魚鼈に施し、山にはすなはち禽獣に飽かしむ。何ぞ劉伶の鍤を用ひんや。
その銘に曰ふ。
月は瑞龍の雲に隠るといへども、光はしばらく西山の峰にとどまる。
碑を建て、銘を勒するものは誰ぞ。源光圀字は子龍。
*
むかし、孔孟以後、劉伶という賢者がいた。この賢者、つねに鍤(鍬)を杖として、天下に道を説いてあるき、
(わしが死んだら、この鍤で穴を掘り、骨を埋めよ)
といっていた。
「劉伶の鍤」それに対して、老公はここで曰っている。
(わしが死んでも、それには及ばんよ。ねがわくは魚鼈に施し、禽獣に飽かせてくれ)──と。
月ハ瑞龍ノ雲ニ隠ルトイエドモ、光ハ暫ク西山ノ峰ニトドマル。──その老公も、この夏はめっきり暑さにお弱りらしいという。
ただしこれは、里のうわさと、何かにつけ、老公の健康を案じる一部人士の取沙汰にすぎない。
余りに、老公のすがたを見ないからであろう。また、折々の客を辞して、西山の門は、いつも変らない蝉時雨と、寂たる夏木立に委せられていたからであろう。
秋もすぎ、やがて冬も、人目立たない間に、いつか梅紅葉、桜紅葉を、しとどに、山荘へ降りこぼしていた。
十一月の中旬。
霜の白い朝だった。
庭の一隅で、渡辺悦之進が、落葉を焚いていると、
「きょうはちょっと、城下まで行って来たい。留守をたのむぞ」
と介三郎がその出がけに立寄って、共に焚火へ手をかざした。
「いいとも。──が、ご隠居さまへは?」
「いま、お願いして来た。十年一日のように、あの茶頭巾を召され、冬日の障子のうちに、じっと、端座しておられるおすがたを拝すと、やはりお年齢が思われる」
「むむ。……わけてこの、一、二年のお悩みは、さすがにお体にこたえたらしゅう拝される」
「憎いの」
と、介三郎は、ふいに、きっと下唇を噛んで、
「それもこれも、みな藤井紋太夫と一味の悪徒がなす業だ。彼奴らの跳梁が、ついにご隠居さまのお生命取りとなりおったか」
「いまとなっては、老公もすでに余りに老境。当主綱条様には、そのお力はなし、世子吉孚さまは、なおお若くてあらせられるし──藩中に多くの徒党を擁している紋太夫の勢力を圧え得るものはたれもない。──やんぬるかな、水戸の内政は、正邪相搏って、瓦崩玉砕するか。眼をねむって、彼奴らの手に委するしかない有様とはなった」
「なぜ、この春、ご出府のとき、ひと思いに、悪徒を裁き、紋太夫に腹を切らせなかったか……。ああ、老公のご仁慈も、かかる結果を見ては、お恨めしい。もどかしい。──考えると夜も眠られん」
「佐々どのに於いてすら、そのように思われるのだから、正義に拠る一部の若ざむらいどもが、牙を噛んで、無念がるのもむりはない。──また、棒の又四郎が、ここのところ、影も見せぬし、ひそという気配も見せぬゆえ、そういう血気な若者と血をすすり合って、何か、一挙に事を決せんと、鳴りをひそめているのではあるまいか。──それもご隠居さまの憂いのおひとつだが」
「ひとり又四郎に限らず、いつ何が起るか、予測はできぬ。悪徒の一味はまた恐らくそれを待っていよう。──うかつに起てば、暴徒、逆徒などと、あらぬ汚名をきせられるのは当然だ。如何せん、彼奴の背後には、柳沢吉保というものがある。大奥も将軍家もうごかし得る立場にある」
「やめよう。……ああ煙たい」
悦之進は、棒のさきで、落葉の火を掘りながら、顔をそむけた。
「いかになりゆくやら。──要するに水戸も腐えた時代の外ではあり得ないというに尽きる。世は元禄──ここも元禄の世間のうちだ」
「悦之進。では、行って来る」
「帰りは、夜か」
「さあ、分らぬが」
「夜にかかったら、途中、油断を召さるな」
「ははは。それだけは、だいじょうぶ。……きれいに染まったなあ、漆の葉が」
呟きながら介三郎は、もう解けかける霜の道を、ひとり淋しげに出て行った。
どこかで脂の濃い魚を夕餉に焼いているとみえる。庭園の疎林や泉石は閑雅だが、立ち迷うけむりは、ひどく実生活を思わせる。
「女房。──女房」
卜幽軒の主は、その魚のけむりに閉口したものの如く、書斎の障子をひらいて、例の、棒の如き一身を、黙然と、暮るるにまかせて独座していたが、ふと、奥へ向って、なおこういった。
「鳴子が鳴っている。柴門の鳴子ががたがた鳴っている。たれか来たのだろう。開けてやれ」
「はい」
魚を焼いていたひとであろう。勝手口から出てゆくすがたが見える。荒涼、廃園にひとしいほど、あるじの又四郎が住み荒していたこの家も、どこか艶が出ていると思われたら、故あるかな、このひとがいた。
このひととは、いうまでもなく、かれが呼ぶところの女房である。お次であった。
(ぜひ娶れ。あれをもらえ)
これはその後、老公の命によるものである。
(棒に花が咲いた)
と、かれの友はからかったが、又四郎としては、そうてれてもいない。
お次の親たちが江戸から来て、いとも質素に、内祝言をすましたのは、晩春汁講のあった頃からまもない後のことだった。
けれど、棒は相かわらず棒を脱却していない。書斎を閉めれば、読むか、寝ているかである。書斎をひらけば、独座、鼻くそを掘りつつ、雲を見ているか、毛脛を撫でているかぐらいなものである。
ひとりぶつぶつ何か呟いていることがある。お次は一緒になってからよけいに、
(変なひと)
と、思っているらしいが、銀河の晩、大川端をさまよい歩いたあの当時から見ても、その愛は、決してそれ以下にはなっていなかった。
(空論の徒を嗤ったが、軽忽な実行家も嗤われて仕方がない。おれは後者のほうで、まず見事にしくじった。もっとも、しくじっても無意味ではなかった。実行は非常に早わかりがするからな。……だがこの轍を二度踏むとすれば、おれは馬鹿である)
棒のひとり語とは、大体こんなものであった。
(これからは、大いに学問もしてみよう。同時に、実践も併行してだ。──人生しつつ人生に学ぼう。もっと世間に対して謙虚に教えを乞おう。……まず女房をもってみるなど、至極いいことだ。家庭をもたないうちの国体論など、いまにして思えば、その唾は、霏々繽粉の花、勇壮できれいだが、どこか根がない、幹をなさない。……進んで、子どもも生ませ、父ともなって)
いまも夕雲の赤きに対して、かれはそんな独語をもらしていたのではあるまいか。
やがて、妻のお次が、庭石づたいに、客を誘って来る木履の音にも、そのふたりがすぐ縁先へ近づくまで気づかなかったふうである。
「又四郎。何しておる?」
「おう、佐々か」
「寒いのに。……禅か」
「禅?」
苦笑して、
「なあに、女房どのが、夕餉のしたくに遅々としておるので、腹がすいたゆえ、呆うけていたのだ。……焼き魚のけむりもようやく逃げた。まあ上がれ」
「では、玄関へまわろう」
「迎えに立つのが億劫だ。ここから上がってくれ。お次、また犬がくわえて逃げぬよう、すぐお客の履物を、玄関へ入れておけよ。……おおそれから、燈火と、敷物と。そのあとで、酒をな」
──夜寒の灯を閉じて、障子の内には、鍋のたぎりが温かそうにする。
「何も、ございませぬが、お寒さしのぎに」お次はそこへ酒を出しておいてから、何くれとなく、主婦の仕事を片づけていた。そして、程経て、
「控え徳利のお酒はまだございましょうか。……鍋のお火加減は?」
と、客に馴れないすがたを、部屋の端に見せた。が、又四郎も客の介三郎も、かの女に、一顧を与えるでもなく、杯を下に、凝視と凝視をむすんで、無言をまもり合っている。
──見れば、酒も減っていない。もちろん、減らない酒に酔っているはずもなく、ふたりとも、澄みきった感情の中に、ただ昂ぶるものだけを何か面に漲らせている。
「なぜだ。なぜ不同意か」
激越な語気である。かつてこんな語気を吐かない介三郎の口からそれがいわれているので、主客の感情が、凡事でないことはわかる。
「理由はない。嫌なのだ。ただそれだけだ」
噛んで吐き出すように又四郎は酬う。由来、又四郎は理論ぎらいだ。その嫌いを強いられたからであろう。
「……では、おぬしが、かつての情熱は、うそだったのか。お家を泰山の安きにおき、老公の意を安んじ奉るには、身をすてて、奸を討つしかないと、眦をあげていったことばは……」
「佐々。……嘘とはなんだ」
「わるいか。こういったのが」
「嘘も、ただの嘘はまだ流しも出来ようが、情熱を虚偽した者といわれては黙しておれぬ。──では訊くが、江戸で会った折、そういったおれを止めたのは誰だ。諫めたのは何者だ。──貴公自身ではないか。わすれたか」
「…………」
介三郎は駁すことばに窮して口を閉じてしまう。そして、ここでまた、無言と無言の前にもどる。
否か応か。介三郎が求めるものに対して、又四郎がどうしてもうんといわないのだった。そのあいだの論争はもう尽きての挙句らしい。
介三郎が、これへ坐るなり、胸のそこを割って、かれに求めたのは、要するに、
(もう事態は最悪だ。われわれ側臣の隠忍にも限度がある。貴公がつねにさけぶ一剣掃奸を決行するときは来た。おそらく君もそのときを待っていたのだろう。又四郎、ともに死のう。西山の側臣中でも、老人はのぞいて、壮者六、七名は参加できる。藩中の若ざむらいからも二、三十名は馳せ参じよう。貴公を加えて、ざっと三十名、それだけが一束になって死ねば、紋太夫以下の奸党、目ぼしい者は、誅殺できる。──日、時を期して、江戸表と国元のふた手にわかれて同時にそれを断行するのだ)
と、いうことであった。
又四郎に否やのあるはずはない──と、会うまえから、信じきっていた介三郎は、かれの一言に茫然とした。
(いやだ。そんな無謀は)
膠もない。素ッ気もない。
それからの論争なのである。
かつては、又四郎の行為を、粗暴といい、無謀とわらった介三郎が、位置をかえて、又四郎からたしなめられた。
(行ってみない前なら知らぬこと。血気の赴くままを行ってみて、その結果を眼に見、その浅薄を慚愧している自分には、生憎ながら、もう熱情が乏しい。雷同はご免こうむる)
良人と客のけわしい対座のあいだへ、やがて、お次は怖々すり寄って行った。
そして杯を洗い、
「佐々さま。いかがでございますか。何もございませぬが、まずおひとつ」
と、すすめ、良人の又四郎へも、
「ちと、冷えましたが、お酒をあたためるまで、あなたも、すこしお客さまへ、おすすめして上げてくださいませ」
と、双方を程よくなだめた。
介三郎は、快くのみほして、
「お内儀、とんだ客で驚かれたであろう。この客は、あなたの良人へ、生命をすてろと、すすめに来たのだが、なぜか、又四郎はいやだという。……考えればむりはない、あなたのような美しい新妻を持っては」
と、笑ってすぐ、
「又四郎、さらばだ」
と、席を起った。
又四郎は、そのまま、
「帰るのか」
「友ならぬ異心の友と、酒を飲んだところで酔いもせぬ。おそらく今生の事はこれ限りだろう」
「そうか」
「──が、もう一言又四郎へ贈ろう。棒はついに棒でしかなかったな」
「なに」
「貴公はしきりと、いちど失敗した轍を二度は踏まんといったが、その失敗は、棒自身が、棒であることを知らず、剣のごとき気をもって、浅薄な計画で敵へ近づいたからだ。──その折、貴公をいさめたのは、貴公のそうした浅見を誡めたのだ。……今日、それを口実に、最後の一挙から逃げるとは余りに性根のない心底が見えすぎて、むしろ愍然を感じる。せっかく美しい女房を可愛がってやるがいい。……ははは、これが訣別の辞だ。又四郎、悪く思うな」
さっさと、部屋を出て、介三郎はうろたえるお次より先に、ひとり玄関へ去ったかと思うと、もう庭の闇で、門の鳴子が鳴っていた。
ちびり、ちびり、又四郎はそのあいだを、手酌で二、三杯飲んでいたが、ふいに起って、
「お次、穿物を出せ」
と、障子をあけた。
帰った客のことばといい、良人の顔いろといい、お次は、胸さわぎに、答える声も出なかった。
「出さないか。草履だ。はやく持って来いっ」
どなられて、はいと、うろうろ立ったが、また叱られた。
「玄関へではない。ここへ持って来ればいいのだ」
大刀を腰にして、かれは沓ぬぎへ足を落した。──が、十歩ほど先からまた振向いて、
「戸を閉めて、さきへ寝め。もし遅くなっても、心配いたすな」
門を出ると、又四郎は急に足を早めた。元より介三郎のあとを追って。
「おういっ」
暗い冬の風のなかに、先の影は立ちどまった。──振り向いて近づく跫音を待っている。
もう町に近い枯れ野だった。道の曲りかどに高い夫婦松の梢が蕭々と星にうごいている。
「佐々。待て」
「……お。又四郎か」
「はなしがある、いいのこしたことをいいに来たのだ。そこの木の根へでも腰かけてくれ」
「もうはなしはないはずだが」
「──と、おれも思ったが、つらつら考えてみると、同じお方を主君と仰ぐ同僚の縁は浅くない。行きずりの友などとはわけがちがう」
「その友を裏切っても、おぬしは独り無事でいたいといったではないか。にわかに恥じて、追いかけて来たか」
「いや、その考えに、変化はない。……が、以前、貴公に諫められた誼みがある。もう一ぺん、誠意をこめて、おれは貴公を思い止まらせに追って来たのだ」
「無益だ。拙者のかたい……」
「ほかならぬ佐々介三郎の思い極めたこと、おれの諫めなどは、むだとは思うが、可惜、犬死する愚を、見ているに忍びぬ。──しかも貴公だけならよいが、老公の側近から家中の正義の士がことごとく全滅の憂目を見るに知れきっているものを──晏如として、見ているのは信義ではない」
「おぬしにも信義はあるのか」
「何とでもいまはいえ。いわばおれは敗軍の将、甘んじて唾を浴びよう。──けれど敗軍の将でなければわからない心境もあるぞ。いかに貴公が、日頃の温厚と隠忍をやぶり、いまはと、火の玉になって打つかっても、勝てないものには勝てない。やはり敗れるのみだ。──敗れた結果はどうなるか。──それを思えばこそ、おれは空井戸の闇から生き恥を世にさらしながらも、唖の如く、木偶の如く、腹も切らず、ただ生きている。……この辛さ。わからぬか。貴公がおれの友だというならば」
「その態度は、きのうまで、われわれがじっと取って来たものだ。貴様がいまになって、そんな事をいい出すのは、口実としかうけ取れん」
「まだ早い。そう思うのだ。ほんとに堪忍をやぶるのは、老公をお見送りしてから後でもよいことだ」
「お見送りして? ……」
「はや、ご老齢。お待ちするわけではないが、天寿にはかぎりがある」
「気のながい」
「いや、短い人命なればこそ、長い先を考えるのだ。老公を見たまえ、百年はおろか、千載の先を考えておられる。……眼前のうらみはすべて涙と共に嚥んでいようじゃないか」
「しかし、お家の危機をどうするか」
「それだけを、何とか、必死に支えよう。おたがいが力を協せて」
「その方法があるくらいなら、なんで佐々介三郎がさきに立って、おぬしに大事を諮るものか」
「ないか」
「ない。断じてない。……おぬしはその後の江戸の事情を知るまいが、この春、藤井紋太夫が改悛を誓ったのは、やはり彼の本心ではなく、一時のがれに、老公をあざむき奉ったものでしかない。藩中の一味は、かれの勢力と徒党をたのんでいよいよ藩務を紊し、紋太夫はますます権門柳沢に接近し、大奥の縁故を通じて、その陰謀をあらわにし、まずご当主を退けてから、世子吉孚君には、病弱の名を負わせ、自身のえらぶ世子を他家から迎えて権をほしいままにしようとしている。──しかも急速にその実現をはかり、猛烈な暗躍を行っている形跡があるのだ。──それにたいして、いったい、われわれご隠居附の閑役に置かれている微臣が、何で対抗する力があるか。なにを頼んで、お家の危機を支えられようか」
もちろん又四郎には良策はなかった。といって彼は、自分の考えに、毛頭、訂正の必要をも感じていない。
もうだめだ! とか。
いまが最後だ! とか。
こういうことばにも、又四郎は近来、そうすぐ悲痛に打たれなくなっていた。なぜならば、かれはかつて空井戸の底で、毎日毎日、それを呻いていたものだった。そしてそれが決して、最後でもなく、だめでもなく、天佑にせよ、何にせよ、こうしてその後も生きているからである。
最後だとか、だめだとか、そんな絶対的な声を、同じ者の口からも、世間のあいだにも、たびたび耳にする事実に見ても、それが真実のだめや最後でないことが分る。
真実のだめ、ほんとうの最後、そんなものは、意識の間に迎えられるものではない。
いや極言すれば、この世の悠久を信じる人間には、最後もだめもないはずである。すくなくも老公を中心として、生涯を国史の編修に捧げた者の心のそこには、それがなくてどうしよう。──老公の寿碑の文が明らかに久遠へ向っていっているではないか。
「…………」
又四郎は、そういう意味のことを、介三郎へ答えたかった。けれど平常から思慮の深さでは自分などの遠く及ばない人である。その思慮深い介三郎へ今さら何をいおう。釈迦に説法でしかない。──で、彼はやにわに介三郎の手くびを把って、
「果てしない押問答、むだな争いというものだ。このうえは、西山荘へ参って、老公に是か非かのお裁きを仰ごう。さあ、歩け」
と、促した。
「ばかな」
振払って、介三郎は、
「かような事は、老公のお耳に入れてすべきことではない。たださえ憂いのお深いところへ」
「お耳に入れても、入れないでも、結果は同じだろう。ご心配をかける点も同じだ。凡庸なご隠居さまなら知らぬこと、老公ほどなお方、べつに仰天はなさるまい。──やるがよいと思し召せば、眼をおとじ遊ばしても、やれと仰っしゃるに相違ない。また、拙者の考えと同じなら、よせと御意なさるかもしれぬ」
「……むむ。そのことばには一理がある。事ここに至っては、老公におかれても、はや是非なしと仰せられよう。又四郎、来いっ」
意を決したか、介三郎は敢然、大股にあるき出した。
否やはない、又四郎も歩いた。
町へ出る。街道すじは、寝しずまっている。
夜半の風は、針のようだったが、ふたりは寒いとも思わなかった。いや二里もあるくと、肌に汗をすら覚えた。
明判を仰ぐと決めた以上、ことばの端にも、もう無益な論争は避けようとするらしく、どっちも口をきかなかった。
飽くまで無言のまま歩いた。
いつか、道はほの明るい。朝霜のうえに、田の薄氷のうえに。
「お。……夜が明けた」
急に、はなしかけたわけではない。一方の独言である。
そして、増井川の桃源橋まで来たときだった。こんどは、ふたりともが、一緒に驚きの声を放って、
「やっ? ……。彼方から来るお駕籠の列は」
「老公のお出ましらしいぞ」
「はてな。乗換馬まで曳かせて」
「もしや、ふたたび」
共に身を橋の傍に避けて、霜の大地にひざまずいていた。
供の顔ぶれはいつもより目立って多い。井上玄桐という侍医、大森典膳という老職、そのほか、御物書の鹿野文八、用人の剣持与平にいたるまで、日ごろ側近く召使われている顔はことごとく列に見える。
──といっても、駕籠、乗換馬を曳く小者まで加えても、せいぜい三十人は出ないが、老公の他出に、これだけの列が下って来たことは、西山開かれて以来の壮観である。
桃源橋の霜をふんで、その先に立って来た御歩行の樫木万右衛門は、ふと渡りこえた橋のたもとへ笠を向けて、
「やっ? ……。佐々、人見のご両所ではないか」
と、さも驚いたように、立ちどまった。
駕籠のうちで、老公の声がした。──停めよとある。そして、塗戸がひらいた。
霜より白い髯があらわれる。心なしか去年あたりより幾ぶん肉の削げたかに見える眼もとではあるが、烱とした威はむしろそれゆえに多くを加えている。
「介三郎でないか」
「はっ……」
「又四郎もいたか」
「……はい」
ふたりとも、ただそれしか、答え得なかった。
老公の裁きを仰いだ上と、ゆうべから五里の道をあるき通して、ここまで持って来た是か非かの生命がけな論議も、ここでは口に出すすべもなかったし──より以上、老公のいつにない堂々たる行装の出先にたいして、大きな疑いと不安を抱かずにはいられなかった。
駕籠をあけて、寒い外気に触れたせいか、老公の鼻はすぐ赤らんだ。しばし咳声にむせびながら、
「にわかな出府にかかわらず、両名とも、よう待ちうけたの──おそらく、このたびの出府が、光圀の終りのものとなるであろう。そちたちも供をせい。──そのままでよい。足拵えなど、中食の折に茶屋などでととのえたがよかろう」
と、いって、すぐ駕籠の塗戸をしめさせた。
「…………」
ふたりは、顔を見あわせた。
もう駕籠はさきへすすんでゆく。
主命である。主君の行動だ。いささかの自我もここではゆるされない。
歩行の人々のなかに加わってから、介三郎は、鹿野文八にそっとたずねた。
「すこしも知らなかった、ご出府とは。……お支度にあたって、ご隠居さまには、拙者の帰りの遅いのを、お怒りではなかったか」
「そんなご容子はいささかも窺われなかった。渡辺悦之進どのからも、おとりなし申しておったし」
「悦之進といえば……悦之進だけが、お供のうちに見えぬが?」
「ゆうべ、先に、早馬で立った。──小石川へお先ぶれに」
「そうか……」
と、ふと、また、駕籠のうちから洩れる咳声を気にして、
「すこしお風邪気味のように窺われるが、どうして、かくは急に」
「侍医の井上玄桐どのも、そう案じて、ご延期をおすすめしたが、何か、ゆうべは固くご決心のご容子で、押してご出発を仰せ出された」
「──おそらくこれが、出府の終りであろうなどと仰せられたが」
介三郎は、胸のうちに、素足で霜をふむような傷さを覚えた。
人見又四郎も鬢の毛をそそけさせていた。江戸に着くまで、彼と介三郎のあいだにも、もう一言の論争もなかった。おたがいに、ただ憂いと憂いを見かわしているのみだった。
幸い、天候にも恵まれ、道中はつつがなかった。
江戸表に着いて、小石川のやしきに入ると、老公は、風邪ごこちやら、多少つかれ気味ともいわれて、四、五日は陽あたりのよい南の一棟に静養していた。
「ご隠居さまが渡らせられると、何となくこの上屋敷全体が華やぐような」
と、小石川の家臣たちは、お下婢や小者の端にいたるまで、忙しさをみな歓んでいるふうだった。
そういう空気を観ても、この邸内の平常には、何か明るくない陰が、立ちこめていることは、老公によく分るのであった。
日頃は開けない部屋も、老公が来ると、隈なく開いた。
障子にも、廊下にも、冬日はいっぱいに映しこみ、行き交う家臣たちも、寒そうでない。
「玄桐どの、玄桐どの」
侍医の井上玄桐は、たれか? ──とうしろを振りむいた。そしてやや曲り加減の腰を急に伸ばし、
「やあ、紋太夫どのか」
と、若い者みたいに、元気に笑顔を示した。
紋太夫は、歩み寄って、
「今朝がたは、どんなご容体でございますな。夜前はちと、ごきげんにまかせて、お相手とはいえ、長居を仕りましたから、どうかと、あとでお案じして退がりましたが」
「いやいやご隠居さまには、今朝ほどはもうお床を払っておいでなさる。まだ、お咳は多少あそばすが、何せい、平常からお横になっているのは、大嫌いなご性分じゃし……」
「やはり軽いお風邪の程度とみえる。壮者もしのぐお元気、ご心配はないでしょう」
「が、何といっても、お年齢ばかりは……な」
「多少は、お弱りが、窺われますかの」
「おととしよりは去年、去年よりはことし、あれほどお好きな謡曲にしても、近ごろは、お謡いも極く稀じゃし、興にのって、仕舞をあそばすようなことも、とんとないのを見ても」
「このたびのご出府には、何ぞにわかに思い立ち遊ばしたことでもおありなのであろうか」
「いや何、別して、ご用のあるわけはない。──やはり仰せられている通りでおざろう」
「どういうことを仰せられているので」
「申すもちと辛いが……ご自身でも、はやご老齢を観念あそばされたか、このたびが、江戸表の出納めよと、西山をお出ましの節も、道中でも、仰せられた」
「では、こんどを、最後のご出府として?」
「お胸のうち、ひそかに、このお館にも、ご家中へも、お名残りを惜しんでおいで遊ばすような」
「…………」
長年仕えている井上玄桐は、ふとかなしげな眼をそらした。紋太夫も、面を反向けた。けれど、老公の健康にたいするふたりの希いは、正反対なものであった。
ふたりは、相伴って、老公の部屋へ行った。拭き磨いた廊下に、冬日が眩いほどよく映している。その光は、温かい部屋に安座している老公の白髯にまで反射していた。血色もめっきりよい。紋太夫は、あいさつを述べながら疑った。
(どうも、さして、ご老衰ともお見うけされないが……)と。
ゆうべも、一刻あまり、お相手をして、何かと話しこんで帰ったが、今朝も老公は至って機嫌よく、
「紋太夫か。そちの見えるのを、心待ちにしておった。そちならでは、かなわぬ儀もある。ちと相談じゃ、もちっと寄れ」
と、いった。
思いもうけぬ相談事であったらしい。まもなく紋太夫は倉皇として老公の居間から退って行った。
けれど悪いことではなかったとみえ、かれの面にはすこしも不安らしさがない。おとといより昨日、きのうよりは今日と、安心がすわっていた。
(──まず、この分ならば)
と、肚のそこで、ひそかに多寡をくくっているらしいのである。
かればかりでなく、かれと摺れちがいに、あるいは、用事を聞きながら、または、目礼などする家中の輩のうちにも、かれと同様なしぶとい落着きぶりを構えているものが無数にある。
もちろんそれらの輩は、紋太夫の一味であって、紋太夫と同じものを抱いて老公を視ているに間違いはない。
それはともかく、数日の後、在府の家中一統の者へ、老公の名をもって、それぞれ案内状がまわされた。
能楽の招きであった。
小石川の邸内には、以前から一閣をなしている能舞台がある。
先々代頼房も、よく能はたしなんだが、光圀も好きである。こんどの案内には、特にこういう意味のことばが添えてあった。
予もはや六十有余、この歳寒をこえては、ふたたび出府の儀もおぼつかなく思われる。
就いては、このたびを江戸への出納めとし、また家中の子弟どもへもそれとなく名残を告げたく思うにより、一日、妻子眷族をみな連れて、能楽堂に寄るがよい、予も、舞い納めに舞うであろう。
そして月日は、元禄七年十一月二十三日とあった。
その日にいたるまでの数日間というもの、紋太夫やその他の家臣は、当日の支度に忙殺された。
「……天気はどうかなあ?」
それも案じられたひとつである。
何分、家中の家族ばかりでなく、九条家の諸太夫や、親戚の諸大名や、老中たちの二、三へも案内を出してあり、未曾有の雑鬧が予想されるので、
「もし降りでもしたら?」
と、万一の場合までを考慮して、手配は万全を期していた。
二十三日の朝は、幸いにも、好晴であった。しかも風さえなくて、あたたかな冬日が、邸内の樫林を透いて能楽堂あたりの幕囲いや芝生の茶屋などにこぼれ、きょうの催しを祝福しているかのようであった。
定刻に近づくと、さだめられた門から庭づたいに、拝観者の家族は一群一群、其処此処の庭を荒さぬように、秩序よく、またつつましく流れ入って来た。
子の大勢なものは大勢を従え、祖父母や両親のあるものは、祖父母両親にかしずき、きょう初めてご邸内を観るという新妻も、娘たちも、また縁類のものも、悉く今日はここに集まったかと思われるばかりだった。
同家中なので、その一組一組とのあいだに、日頃の疎遠のあいさつが交わされていたり、大きく成った子を賞めあったり、真に君臣一家族の和やかな景色がそこここに眺められた。
「……あ。もし」
歩行目附の海野三右衛門と秋山村右衛門のふたりが、そうした中に囲まれている一家族のそばへ寄って、ていねいに頭を下げた。
「──皆さま方は、藤井紋太夫どののご家族でいらっしゃいますか」
すると、他家の女房たちと、何か睦じそうに話していた三十ぐらいな眉目美い婦人が、
「はい。これにおりますのは、紋太夫どのの母御、また子息たち。わたくしは、妻でございますが」
と、しとやかに礼を返して、用向きをたずねた。
「お迎えに参ったのです」
海野三右衛門は、紋太夫の妻へいった。
「──特に、老公のお旨で、ご家老のご家族だけへ、あちらでそっと、お目通りをゆるされるそうでござる。てまえどもに従いてお越しください」
と、秋山村右衛門と二人して、先に立った。
「えっ、お目通りをたまわりますとな」
紋太夫の母は、光栄にわなないて、もう涙ぐんでいる。妻は、その手をとり、ふたりの息子は、あとに従った。
息子はどっちも父の紋太夫に似て端正の面ざしをしている。泉之助十三、弟の桐次郎が九つだという。
「可愛いさかりですな」
歩行目附の海野三右衛門にも、西山の田舎に子どもがある。こんど老公の供をして来ているまも、思い出すのは子どものことだけだった。
そのせいか、三右衛門は、案内に立ちながらも、その二少年ばかり見ていた。少年たちの母は、かれの世辞を笑って、
「どういたしまして、可愛いさかりなどは、とうのむかしでござりまする。ふたりとも、きょうばかりは、夜前、父上から懇々いわれましたので、至極、とりすましておりますが、もう仕方のない悪戯やら、憎ていばかり申して母を困らせておりまする」
「ご老母は、おいくつか」
「六十になりまする」
「紋太夫どのの……?」
「いえ、わたしの」
「ご家老には、こう打揃ってご家庭でもめぐまれておられますな」
「いえいえ、年じゅう忙しい身なので、わたくし達と、夕餉をともにすることも、家に落着いていることもご病気でもないときのほかには……」
よく語る夫人である。それに今日は気も浮々しているらしい。なお何かいいかけたが、老母がそれとなく袂をひいたので、ようやく口をつぐんだ。
かの女の口が結ばれたとき、かの女は、思いがけない方へ自分たちが来ていることに気づいた。
奥庭だろうか。木立のなかに、五輪の高い石の塔が見えるほか、ここらにはきょうの客も見えないし、家臣の影さえ見当らない。
「……おや?」
ぎょっとした。──かの女の唇は白くなった。すぐそこに、不浄門の口が見えたからである。
「おそれ入るが、あれへお乗りください」
三右衛門と村右衛門は、そこに並んでいる空駕を指さした。駕の数も、あつらえたように、ちょうど家族の頭かずだけ揃えてある。
しかも、その側にまた、べつな侍が三人、厳かな顔して待っていた。それも西山荘のお抱え鹿野文八、剣持与平、もうひとり樫木万右衛門である。
「やあ、ご苦労でした」
「お待たせ申した」
双方のあいだに、こう会釈があって、三右衛門はふたたび、紋太夫の妻をうながした。
「ともあれ、これにお乗り下されば、委細はあとで分ります。──老公のご命令であります」
「……はい」
老母の顔を見、また、うしろにいる二人の息子を顧みた。
息子たちは、何のためらいもない。母に従いて、
「これに乗って、どこへ行くんだろ」
それだけが不審そうであった。
剣持、鹿野のふたりは、老母を介添えして、駕のうちへ移し入れ、やがてほかの三挺も納まると、
「駕の者。急いで行け」
と、不浄門の陰へいった。
駕は、門の外へ出た。──剣持、鹿野のふたりは先に立ち、ほかの三名は、後に尾いて駈けて行った。
そう遠くではない。時間にしても短かった。──赤城下あたりの坂道。
紋太夫の妻が、そう思っていた頃、駕はふいに、坂道の途中でとまった。
「あっ。此家は」
駕のうちから出されると同時にかの女は口走った。藤田将監の家のまえではないか。
将監というのは、藤井家の親戚で、紋太夫には伯父にあたるひとである。
「ご子息たちも降りられい。ご老母も……」
ここまでは、海野三右衛門や秋山村右衛門も、至極、鄭重であったが、紋太夫の家族四人をそうして、門の内へ突きやると、
「──お渡しいたしたぞ」
と、もう囚人に扱った。
門内には、十名ばかりの役人が、奥の出入口を監視していたが、
「おう、たしかに、受取った」
と、その仲間で答える。
断るまでもなく、みな水戸家の臣だ。家宅捜索でも行ったらしく書院などに、反古やら調度の散らかっているのが外からも窺われた。
紋太夫の家族たちが、そこの奥へ引っ立てられて行ったかと思うと、やがて、わっと泣く少年たちの声と、すすり泣く女の声とが一瞬、洩れて来た。
「裏手の戸、通用口、勝手元、すべて外との往来を禁じるのだぞ。戸などは、釘づけにしてよろしい。将監の召使たちも同様のこと。──よろしいか怠るな、監視を」
上役の一名が、何か、見つけ出した手紙の束や書類など、一抱えにしながら、あとに残る部下へいいつけながら門を出て来た。
「やあ、ご苦労」
あいさつを交わしながら、海野三右衛門がたずねた。
「どうしたのだ? ……だいぶ泣き声がするが」
「いや何。奥の一室まで来たら、覚ったとみえて、急に紋太夫の妻女が取乱し始めたし、子どもらがさわぎ出した。自殺をする惧れがあるから、縄目をかけると、なお泣き咽んで、ちともて余したが」
「そうか。するとやはりきょうのことは、虫も知らせていなかったとみえるな」
「知ろうはずはない。……けれど老母はさすがに、立派なものだな。──こういう日が来るのはむしろ遅すぎるくらいだとつぶやいていた」
「むむ。そういっていたか」
「もし、何の事もなく、きょうのご隠居さまのお能を拝見していたら、そのほうがかえって、心のうちは苦しかったろうに……。そういって、泣き狂う紋太夫の妻をなだめておった」
話しているうちに、もう邸の中の小役人たちは門の扉を閉め、小さい方の出入口も青竹で矢来を結っていた。
「これから、どこへ?」
「そうだ、時をたがえてはなるまい。すぐ藤井紋太夫の邸へまわる手筈になっておる。──ご免」
駕について来た人々は、ふた手にわかれた。一方は飛ぶがごとく元の道へ、また、海野三右衛門、剣持与平、鹿野文八の三人だけは、べつな道へ急いで行った。
江戸川の片側町から横へ曲がる。高台へ拠ってかなり大きな構えである。藤井紋太夫のやしきはそこだった。
そこの表門へ向って、四、五軒ほどてまえの屋敷塀の角まで来ると、
「待てっ」
と、横からとび出して、両手をひろげた男がある。
何者かと、遮られた三名が、ひとしく飛び退いて、ひとみを凝らすと、それはいつかの汁講の晩、満座のなかで、泣いて饅頭を喰べていた男──あの勘太であった。
「やあ勘太、そちもここへ、何かしに来ているのか」
剣持与平は、かれの物々しい足ごしらえや、道中差を落したすがたを見て、不審にたえないような顔をした。
勘太は、剣持与平らの不審にこたえていう。
水戸表でもこんどの老公の出府に不審をいだく者がすくなくない。
ある者は、
(きっと、大事件が起る)
と、風説し、また一部では、
(こんどのご出府こそ、老公がさいごのものとなるであろう)
といっている。
宿場問屋に働いている自分ごときものには、這般の事情はもとより分らないが、何となく、安からぬ思いがして、
(何か、自分のようなものにでも、出来ることがあるなら、お役の一端にでも立ちたい)
という気持がおこり、急に江戸へ出て来て、佐々介三郎をたずね、その通りな心を訴えてみたところ、
(べつだん事件も何もありはしない。また、志はありがたいが、そちなどの力をかりることもない)
とあっさり断られたので、この前、泊ったことのある浅草見附の木賃に落ちつき、二、三日は見物でもして水戸へ帰ろうかと思っていると、今朝早く、介三郎がふいにたずねて来て、
(すこし手が足りないから、貴様も来い)
とのことに、どこへ何しに行くのやら分らないが尾いて行くと、途中から渡辺悦之進と江橋林助が加わり、三名とも、ここへ来ると、裏表の門から邸の中へはいってしまった。──そしてそのまま、いまもって、何の事もないので──と、勘太も不審顔するだけであった。
与平は、苦笑して、
「そうか。ではそちは、ここに立って、見張をしておれといいつかったのだな」
「へい。たれか、不審な者でなくとも、この邸へ来る客とか、また、柳沢家の家来らしい者でも来たら、すぐ門外から礫を投げて中にいるわれわれに合図をしろ──と、そう申しつけられておりましたので」
「大事な役目だ。ぬかりなく頼むぞ」
「承知しました。……では、旦那がたも」
「ムム、暫時」
と、剣持与平と海野三右衛門のふたりも、勘太をのこして、土塀のみねをこえ、邸の内へすがたを隠した。
白昼、どうしてそんな行動をとるのか、内部でどんなことが行われているのか、彼自身正直にいっているとおり、勘太には皆目わけが分らなかった。
ただ、うっすらと、察しのつくことは、ここが藤井紋太夫のやしきである点から推して、いよいよ最後の断が、悪人の元兇に下されて来たにちがいないということだった。そして、その正義の使に、たとえ見張の役でもいいつけられているという生きがいを──大袈裟ではあるが彼にとっては──初めて正義の陣営に組した自己を見出して、正直に、武者ぶるいほどな歓びを、ひそかに感じて立っているのだった。
一方。
邸内に飛び降りた剣持与平は、すぐ表門の小屋をのぞいてみた。門番一名と、中間ふたりがうしろ手に、縛りつけられている。
「…………」
与平たちの姿を見ると、かれらは大きな恐怖の眼をして、たちまち顔を土気色にした。すぐそこを立ち去って、裏門のほうへ廻ってみる。──途中、ふた棟ある土蔵路地のそばに、紋太夫の家臣であろう、刀をにぎったまま斬り伏せられている死骸があった。
裏門は、閉まっているきりで、異状はない。だが、庭へはいると、そこここに、朱になった侍の死骸が横たわっている──三人、四人、中には、手槍をもって、鮮血のなかに伏しているのも見えた。
「だいぶやったな。……それにしては静かな」
と、つぶやきながら、書院の縁に近づくと、すぐそこの障子の蔭から、
「やっ、あぶない。貴公とは知らず、すんでに」
と、太刀を片手にした渡辺悦之進が、忽然と笑い顔を出した。
「思いのほか、留守には、家来やら用心棒やら、さむらいどもも大勢おったらしいのに、よく手際よく……」
出あいがしらに、剣持与平が称えると、悦之進は、顔を振っていう。
「いやいや、刀槍を押っ取って、出て来た者は片づけ易かったが、悲鳴をあげて逃げまわる召使の女たちや老婆には困じ果てた。そのほうがよほど始末に弱った」
「して、ほかのご両所は」
「江橋林助はいま、その女たちを、奥の一室へ閉じこめて、立ち躁ぐな、そち達の身には、危険もないことと、よくいい諭して、抑えておるし──佐々介三郎は早、主、紋太夫の居間や、奥の室を、懸命にさがしておる」
「まだ、見つからぬか」
「柳沢との往復の文書が、その交い棚のうえの手筥から、二、三通出て来たほかは──」
「まだ、お国許におる一味の者とやり取りした手紙が、たくさんになければならぬはずだが」
「用心ぶかい紋太夫のこと、そういう後日の証拠となるようなものは、ことごとく焼きすてておるのではあるまいか」
「土蔵を見たか」
「まだ見ない」
「よし、われわれは、土蔵へはいってみよう」
「だめだ。鍵のありかが知れない」
「用人が心得ているだろう」
「その用人が、頑強にてむかいして来るので、介三郎が、斬ってしまった」
「……ちと、早まったな」
すると、奥のほうで、
「悦之進、悦之進」
と、その介三郎の声がし、すこし間をおいてから、また、
「あったぞ、だいぶ」
と、狂喜しているのが聞えて来た。
みな、そこへ駈けて行った。ふた間、三間ほど、家捜しして、足の踏み場もないほど家財調度のちらかっている中に、一個の鎧櫃のふたを開けて、佐々介三郎と江橋林助のふたりで、古手紙の束や、書類を選りわけていた。
「おお、それがみな、一味の往復したものか」
「急場だ。つぶさに、選り分けてもおられぬが、だいぶそれらしい者の名が見あたる……」
「およそに、持って参ろう。仰せつけには、多分なものは要らぬ。ただ、かならず見つけて参れとご注意のあったのは、ただ一点」
「おお、連判か」
「それはないか」
「ない。……どこを捜しても」
「あとの反古はもうよい。それを捜せ。それひとつが欠けては」
かねて、紋太夫の手許には、かならず一味徒党の連判した冊か巻かがあるにちがいないことを、老公は信じて疑わないように一同へ告げおいてあった。
しかし、ふつうの物とちがい、常識でもそういう重要なものを、平常の居間や客の通る書院などにおいているはずはないことは分っている。──天井かとも思い納戸かとも惑い、人々は気ばかり無性にあせるのだった。
「土蔵だ。土蔵にちがいない」
こう信じて、江橋林助と与平は、土蔵の扉や窓へ寄って破壊を試みたが無益だった。
──すると、それまで、いたのかいないのか分らないほど、薄暗い一間に佇んで、しんと口を閉じていた人見又四郎が、血に飽かせたような片手の刀を上げて、
「わかったっ」
と、ふいにその血刀のさきで、茶の間らしい大炉の切ってある一室を指した。
紋太夫の手飼の家来やら食客らしい者など、約十名あまりも出合ってよく防いだが、わけても、最後の最後まで、奮戦に努めて死んだ用人がある。
その用人は、五十がらみの小男だったが、非常な敏捷さで、佐々、人見、江橋などが闖入して来ると、いったん玄関に出て、防戦に努め、そのうちに身をひるがえして、そこの炉のある一室の前に立ちはだかり、追撃して来た佐々、江橋などを相手に、一歩も退かず斬りむすんで、ついに斃れたものだった。
──又四郎はふと、その用人の行動を思い出して、
(なぜ彼が、わざわざここへ引っ返して、最後まで、その室をうしろにして、斃れたか?)
を考えていたのであった。
そう疑いながら、何気なく、その用人の死骸の位置を、ふた間ほど隔てた一室から見直していると──まだ虫の息ほどな余命をもっていたらしく──かれの最初斃れたところにその姿はなく、いつのまにか、六、七尺も室内のほうへ向って居どころが変っていた。
──のみならずである。
その用人は、見ているうちに、二寸、三寸と、畳に血のあとを引きずりながら、大きな炉のそばまで、這いすすんでゆき、しかも、時々必死の眼をつりあげて、右手の刀で、炉の上に懸かっている自在鉤の煤竹を斬り落そうとしているのである。
もとより虫の息なので、かすかに首を擡げるのもやっとだし、手の刀も、戞と、自在の竹を掠めたに過ぎないが──その意志たるや、いまにも絶えなんとする気息とは反対に、恐ろしい断末の懸命なるものが、そのもがきに見てとれるのであった。
「……?」
又四郎が、はっとしたのは、その姿に打たれたからだった。そして、ややしばし凝視の後、われを忘れて、
「わかった!」
と、ほかの人々へ向い、刀でそれを指したわけだった。
かれの声を耳にするやいな、
「何。わかったと?」
佐々も江橋も、また剣持も、わらわらと、又四郎のいる所に寄って来た。
そして、いとど忙しく、
「どこに?」
「連判があったのか」
と、又四郎の手を見、その顔を見、口々にたずねた。
又四郎は、血刀をもって、炉のほうを指したまま、
「あれを見たまえ」
と、いった。
すでに一念のほか何もなくなっている瀕死の用人は、なおやっていた。なお自在竹へ向って重い刀をうごかそうとしていた。
「……?」
「なんだろう」
「何をやろうとしているのか」
たれにも解せなかった。
又四郎は、炉のそばへ進んで行って、一颯いきなり、自在竹の上部を斬り落した。──その戞然たる音を聞くと、用人は、自分がそれを仕果したように、とたんにがくと首を垂れて、すぐ息をひいてしまった。
竹の斬り口は、炉の中に落ちこんでいた。炉には、勢いのいい火があった。又四郎はすばやく手をのばして、あわや焔になろうとする真っ黒な一巻を救いあげた。
「これだ。──一味の連判はこれにちがいない。ご一同、念のため披見してごらんなさい」
又四郎からそれを渡された。人々は、佐々介三郎の披く手へ、ことごとく顔をよせ集めた。
果たして、陰謀組の一味、在府国許の士をあわせて、総計三百余名の氏名は、藤井紋太夫、藤田将監以下、その筆蹟と血判をつらねて繰れども繰れども、驚くばかり秘巻の奥からあらわれて来た。
「……ああ、彼も」
「あの者も」
むしろ意外な名が多い。人々は一瞬、窒息したように、ただ面と面をつき合せていた。
「よそう」
介三郎は、途中でふいに、連判の巻を、くるくると巻き納めていった。
「まだ、老公のお手もとにも出さぬうちに、つぶさに披見するも如何。また、その必要もない。──ただこれが連判状なることゆえ、確かめて参ればよいのではあるまいか」
「もっともだ」
と、人々みな、異存はない。
「さらば、引揚げろ」
とばかり、さきに手文庫やその他から捜索した往来の書簡反古などと共に、介三郎が確固と護持して、どやどやと、踏みあらした玄関から門のほうへ歩み出したが、ふと、
「又四郎は、どうしたか。──又四郎がまだ残っているらしいが?」
と気づいて、そうだと、急に足をとめて、しばらく出口に佇んで待っていた。
が、容易に見えないので、
「何をしているのやら?」
「日頃も、こんな時も、変りのないのろまさだからなあ」
「あれでは、単身、柳沢家へはいっても、空井戸へとびこんでしまうわけだ……」
などと、はや幾分の余裕を生じたので、苦笑しながら待っていたが、依然、あとから出て来る様子がない。
「けたいな男」
と介三郎は呟きながら、ついに家の中へもどって行った。剣持与平も従いて行った。その他の者も、何気なくみな元のところへ帰ってみた。
──見ると、
あとに残った又四郎は、ただひとりで、炉べりにあった用人の死骸を、次の仏間へ運んでゆき、藤井家の仏壇の下に、敷物まで与えて鄭重に寝かしている。
そして、こんな急場というのに、香炉を移して、死者の前にすえ、焚香合掌して、その前に、黙祷をあげているのだった。
「ああ……さすがだ、又四郎であろう」
一刻もはやくここは去るべき場合とは知りながら、又四郎は、あわれと、それに一掬の涙をそそいでやらずにいられなかったらしいのである。
介三郎も、思わず用人の死骸に手を合せた。誤まった道にこそ立て、その主を裏切らず、その主従の道に殉じていった心根をあわれな限りに思った。
「又四郎……」
と、合せていた掌を解いて立ちあがりながら、佐々介三郎は、もう一度、かれへ向って頭をさげた。
「──真に、老公の唱える大義の武を解するものはやはりおぬしだった。水戸士道もわれらの学問も、そこを泉として湧きあふるるものでなければならぬ。……いつぞやの夜の論議は、おぬしに上座を譲ったぞ。……いや、思わぬ余事を。さあ、急ごうか」
その日の組能の何番目か、もう舞台はひらかれているらしい、遠く笛の音が聞える。大鼓や小鼓の大らかな響きが流れて来る。
その能舞台のある建物の位置は、大書院と対いあって庭園の一面に独立して離れているが、演舞を見る日は、こちらの大書院その他の母屋が、そのまま貴賓や太守や奥方などの席となり、近衆の人々も侍女の群もみな左右に居流れるので、広書院はちょうど恰好な桟敷となる。
一段低く、そこと能舞台とのあいだの庭は、すべて、幕囲いと莚敷きに依って清々しい陪観席となっている。青竹で区切られたそれぞれの席に、家中の老いたる者や幼い者までが、行儀よく、静粛に拝見しているのを、太守や奥方は、舞台につかれた眼の遊びに、其処此処の団欒を、微笑ましげにうしろから眺めている容子であった。
そのどこにも老公のすがたは見えなかった。が老公は、きょうの観客ではなく演者であるから、たれもそれを異として怪しむものは一人もない。
ところで、光圀その人は、まだ楽屋の鏡の間にも来ていなかった。これも出番にはまだ時間があるので、ふしぎではない。──かくて、かれのいるところが、奥の平常の居間とは、あらためて詮索するまでもなく知れきっている。
そこをさして。
いま、大玄関を上がった一組のうちから、佐々介三郎ひとりだけが、かなり大股な足運びで、廊下を曲がって行った。
玄関に上がった一組とは、いうまでもなく、藤井紋太夫のやしきから引揚げて来た、渡辺悦之進、人見又四郎、江橋林助などの面々である。
介三郎ひとりが、紋太夫の家から押収して来た例の書簡や連判をひと抱えに持って、奥へはいって行った後も、悦之進や林助や与平たちは、壁の陰からのぞいて、
(首尾如何に?)
と、奥のほうを、いつまでも窺っていたが、かく、事ありげに、立ち群れているのはよろしくないと、人見又四郎に注意されて、
(いかにも)
とばかり頷きあい、にわかに、そこらのさむらい部屋のほうへ、各〻すがたをひそめてしまった。
一方の佐々介三郎は、勝手を知っている老公の居間なので、いつもの通り錠口までかかると、杉戸の陰から、ふいに、
「何者だっ」
と、烈声をひとつ喰った。
見ると、侍側の加治与惣兵衛と、老臣の河合寸阿弥である。顔見あわせるなり、詫びるように、
「おお、佐々どのか」
と、声をひそめて、かさねていう。
「……お待ちかねだ。二度ほど、介三郎はまだかと、御意があった。……早く」
と、促す。
「ご免」
と、介三郎は通ってゆく。
ふたりはまだ後にのこって、錠口の出入りを、厳然と見はっていた。
「ただいま、もどりましてござりまする」
介三郎が、縁に手をつかえていうと、すぐ物のひびくように、
「帰ったか」と、老公の声であった。
「はいっ、ちと、遅う相なりましたが、諸事つつがなく」
「つつがなく運んだか」
「まずは」
「やれ……」
と、初めてほっとしたように、老公はつづいていった。
「大儀であった。はいれ、介三郎ずっとはいれ」
そこには介三郎より前に他のふたりの臣が来ていた。
さきに、藤田将監のやしきへ向った組のひとり、秋山村右衛門と、綱条の重臣、阿部七兵衛であった。
ふたりの協力によって、将監の家から没収して来た古手紙や覚え書らしいものが、老公の膝のまえに、夥しく、選り分けられていた。
そこへ、介三郎が、縁からにじり入ると、老公は、わずか二、三の書簡だけをべつにして、
「村右衛門、あとはみな、一束にからげておけ」
と、命じ、すぐ膝を向けかえて、
「介三郎、そちが持参のものを見せい」
と、急いだ。
彼方の舞台から聞えてくる能管や鼓の急拍子によって、老公には番組の進行がわかっているらしいのである。そしてここに身をおいている限りのある時間に胸は急かれてくるらしかった。
──と、察して介三郎も、
「はっ」
と、要らざる辞儀作法をとりのぞき、ツツと身を進めて、手に携えて来た渋紙づつみの紙縒をぶつぶつと断ちきった。
そして、老公の調べに手伝いながら、反古書簡など、一通一通、披いては渡し、またすぐ披いては渡し、またたく間に、見せ終った。
老公は、その数あるうちから、たった一片の覚え書と古手紙とをわきへ取りのけたきりだった。
が、やや不満そうに、
「これだけか」
と、問うのを、介三郎は、
「いえ、なお、もう一品」
と、最後に例の連判の一巻を、前にさし出した。
老公の頬に、すこし紅がさした。巻の紐爪を解き、くるくると繰りひろげる。らんとした眼がずうっと、それに、並ぶ名を一瞥した。──かと思うと、巻は、巻き馴れたひとの手で、颯々と鳴って、もとの短い棒に返っていた。
「よし」
うなずいて、
「……これだにあれば」
と、独りいった。
そして、村右衛門と、阿部七兵衛にむかい、
「選りのけたほか、それらの反古や古手紙は、介三郎のぶんと併せて、散らさぬよう、ひと纏めに、どこぞでじきに焼き捨てい。──小者どもなどに命じては相ならぬ。両所自身、責任をもって、焼けのこりの一紙片たりとも風に失わぬように、きれいに灰にいたしてくれよ」
といった。
ふたりは、頭をそろえて、
「かしこまりました」
と、礼をして、それを機に静かに退出した。
「…………」
その後、老公は、ややひとみを和ませて、遠い能囃子に、ふと耳をすましていたが、静かにたばこ二ふく程くゆらせて、やがて前にある介三郎へいいつけた。
「この一巻と、三、四通の文章とを、帛紗につつみ、しかと、そちが肌身につけて持っておれ。──そして予が、羽衣を舞うて、舞い終る頃、午の中食の休みとなろう。それまで、楽屋の鏡の間の袖部屋か──うしろの用部屋において、ひかえておれ。どこへも、決して、起たぬように」
「心得ましてございまする」
「では、供をせい。……ぼつぼつ彼方へ参ろう」
いいながら、老公は、しとねから起った。
夜来、側近の者どもすべてに、きょうの物々しい手配は水ももらさぬように命じられ、ここまでは、ただ老公の命のまま仕果して来たが、これからのことは──老公の意中は──那辺にあるものやら、介三郎にもとんと解っていなかった。
舞台はいま、うしろに画いてある一幹の老松のほか、何もない空間となった。
志村金五郎のワキで羽衣を舞った老公のすがたが、あざやかに橋がかりから鏡の間へかくれ、つづいて囃子方、地謡が静かに退いたあとである。
ほっと、観衆の息が、大きく放されると、ゆるい波のように、おちこちの囁きがわいた。
「何というお健やかな」
「お年齢とも思われませぬ」
「芸のお力……」
「いえいえ、天性のご気品」
「いずれにしても、いまのお舞振には、拝見のものが皆、めでたさに、瞼を熱うしたでございましょうな」
ちょうど、時刻は午。
家中の家族たちへ、殿よりとして、弁当の折と、打ちものの菓子の包みとが、ひとりひとりに頒け与えられた。
うしろの大書院の見所を見ると、いつのまにか、太守も奥方も侍女も、すべてほかへ移っていた。
また、その日のお客、九条家の諸太夫や、閣老の阿部豊後守、中山遠江守、ほか親族方も、別室の饗応に立って、あとにはわずかの家臣だけしか見えなかった。
一番の能には、絶倫な精力をついやすものとは、観るだけしか知らない者でも聞いているので、きょうの老公の舞いぶりを見て、その健康を祝しあう声に満ちていた。全藩の家族が、一家のように、中食をとりながら、そのはなしで持ちきっていた。
事実、非常なる気力と体力を消耗するにちがいない。老公は、楽屋に入って天冠をとらせ、上の古代紗の舞衣をぬぐと、ややしばし、床几に寄ったまま、大きな呼息をついていた。
「水を」
と、求めると、鏡の間のひかえから、佐々介三郎、つと寄って、盆を捧げた。
それへ、手をのべながら、
「水か……」
主従は、眼を見あわせた。
何かに、はっとしたように、介三郎は老公が干した器を盆にいただいて、ふたたび控えに退がった。
「おつかれにございましょう」
紋太夫が、それへ来て、平伏する。ほかの家臣も、ぞろぞろと並び出て、同様に、老公の疲労を気づかっていう。
「さしたる事はない」
平常の呼吸にかえっていた。手ずからそっと襟や額の汗をぬぐう。
人々が寄って、衣裳を解いた。老公は身をまかせている。そして、終ると、
「次の龍神の出までには、間もあること、そちたちも、中食せい」
と、ねぎらった。
「──ご隠居さまには」
と、ひるの支度を訪ねると、
「いま喰べては舞うによろしくない。切能のすむまでは、茶で足りる」
と、いう。
「では……」
それぞれ礼をほどこして退がった。藤井紋太夫も出て行った。
「…………」
光圀は、黙然と、ただひとりそこにいた。
鏡の間のひかえにいる佐々介三郎は、いまに老公が呼ぶか、何か、命じるかと、じっと、それのみ待っていた。
藤井紋太夫一味の連判と、証拠のもの四、五通をふくさにくるんだのを懐中に持って。
しかし老公の声は、いつまでたってもしなかった。
ようやく、聞えたと思うと、
「介三郎。ぬる茶を一碗」
と、いう声だった。
「はっ」
と、それにさえ、何か胸おどらせながら、側へ寄ると、光圀はすぐ、
「ふくさの物をわたせ」
と、早口に求めた。
介三郎の護持していたふくさづつみの品は、かれの懐中から光圀の懐中へ手ばやく移されていた。
それから一碗のぬる茶を飲んで、次に、
「料紙とすずり筥をこれへ」
と、命じた。
水滴の四、五滴を硯へ落して、介三郎はやわらかに墨を辷らせた。光圀は床几のまま料紙を把って、何事か筆を走らせていた。
それは一ツ何々というふうに箇条書にかきつづけ、料紙二枚半にも亙った。
「退げてよい」
と、介三郎へ筆を返すと、自身認めたものを折りたたんで、それも袂から肌の奥へ納めた。
介三郎は硯筥をもとの位置へおくと、そこから両手をつかえて、無言に、
(まだ何ぞ、ほかにご用はありませぬか)
という意味を、眼をもってたずねた。
(…………)
光圀も、無言のまま面をそっと横へ振る。──もとの控えに退がってよいという意らしくある。
礼をして、介三郎は静かに鏡の間の控えにすがたを消す。……だいぶ時経ってからである。装束方と後見の者が来て、末座から、
「そろそろ、おしたく申しあげて、およろしゅうございますか」
と、伺った。
光圀は、うなずいてみせる。
装束方も後見も、能に心得あるお抱えの人々である。光圀は厳かな大人形のように、身をまかせたままだった。
切能の出しものは「龍神」である。厚板の着附に、赤地に銀の青海波模様のある半切を穿かせ、なお上から紺地金襴に葵紋の龍神巻──法被ともいうものを着せかける。
「頭や面はまだつけるに及ばぬ」
と、とどめて、
「時刻は」と、訊く。
なお余裕のある旨を答えると、さらばと起ち上がって一同を顧み、
「少々存ずる旨あれば、鏡の間より予が呼ぶまで、其方たちもここを出て随意に休息いたしておるように」
と、いった。
いい終るとすぐ光圀は隣の鏡の間へはいった。
ここは舞台と同じように拭きみがいた板敷である。一隅に装束をあらためる鏡がすえてある。橋がかりへ出る口には幕が垂れているし、角の奉行窓からかすかな明りはさしているが、塗籠のように仄暗い。そして一面の鏡だけが冷たい光をたたえている。
遠ざけられた人々も、静かに楽屋を出て行った。その人々のひそかに思うには──おそらくこの切能の春日龍神の後ジテをもって、生涯の舞いおさめと期しているらしい老公は──心ゆくまでそれを果すため、舞台へかかる前のしばらくの時間を、独り鏡の間にあって、芸に対する丹心と工夫を凝らしていたいのではあるまいか──そう当然のように察していたのである。
が、光圀は、そこにすえてある鬘桶に、ゆたりと、腰を掛けると間もなく、
「介三郎介三郎」
と、ふたたび呼びたて、
「下段の間には誰と誰とがおるか」
と、訊いた。
介三郎が、
「お医師井上玄桐どの。秋山村右衛門どの、剣持与平どのなど、四、五名おひかえにござります」
と、答えた。
すると、光圀は、
「玄桐をよべ。そちは、起たんでもよい。そこからよべ」
鏡の間から廊下へ通じるあいだにも、一段低い部屋がある。介三郎はそこへ向って、玄桐どの、老公のお召しですと、声をかけた。侍医の玄桐は、役目がらすぐ鏡の間へはいった。入口にまわしてある屏風をかわして、両手をつかえると、光圀はふり向いて、
「そのへんに藤井紋太夫がおるであろう。紋太夫にこれへと申せ」
と、いいつけた。
藤井紋太夫はまだ何も知らない容子であった。
自分のやしきに起っている出来事も。
また、ここに招かれて来ているはずの妻子や老母が、きょうの見物のうちにはいなかったことも。
虫の知らせも覚えぬらしい。
中食のときには家中の席へ交じって、かれも拝領の折弁当を手に楽しげに箸をつけていた。
庭へ毛氈をしいて、茶をのみながら、食後の談笑に耽っているのが、幾組となく、その辺にわかれていた。
「おや、ご家老は、どちらへ行かれたか、今し方、ここにお見えであったが」
井上玄桐は、さがしていた。
「ご家老。──ご家老ならあれにおられますよ」
毛氈の上から一人が指さした。見るとなるほど、彼方の廊下のかどに、陽溜りの鴨のように、庭へ向って、しゃがみ込んでいる者がある。
ひとりは鈴木安心という家中の士。並んでいるのが、家老の藤井紋太夫。
紋太夫は、食後なので、楊枝をつかいながら、何か頷いている。鈴木安心が耳のそばでいうのを、しきりに、頷いては、歯をせせっている。
玄桐は、うしろへ寄って、
「紋太夫どの。老公のお召しですぞ」
と、告げた。
紋太夫は、ふり向いて、
「は。どちらに?」
と、すぐ起った。
「はやご装束を直されて、鏡の間においで遊ばされる」
と、聞くと、紋太夫は、小走りに廊下を渡って、下段の間にいる人々のうしろをよけて鏡の間へ通り、そっと、屏風のうちを窺って両手をついた。
「……お召しでございましたか」
鬘桶に腰かけたまま、さながら舞台に在るかのように、じっと、胸を正していた光圀は、
「紋太夫か」
と、横を見た。
「はっ。……紋太夫にござりますが」
「寄れ」
「はい」
「もすこし寄れ」
「……はっ」
板敷のうえである。身ごなしのよい紋太夫は、居ずまいを崩すことなく、つつつつと辷り寄って、更に、ぴたと手をつかえ直した。
──と、同時に光圀の体も、鬘桶に乗せている半切の裾をややひらいて、ずっと、紋太夫のほうへ向き直った。
「…………」
敏感な紋太夫は、このとき初めて、何かを感じたらしい。──それまでの何気なさに、ぎょっと、内面からの脅迫をうけたらしく、ぶるっと鬢の毛をふるわせた。
「…………」
畏る畏る見上げると、光圀の面は、さながら龍神の面を、もうつけているのかと疑われた。眼はつねになくらんとしてかがやき、雪の眉は一すじ一すじ針のごとく立っている。
「……何ぞ。……なにか、ご用にございましょうか」
「紋太夫。いま申すことが、光圀さいごのことばであるぞ。胸を落着けて聴けよ。──この春のころ、あれほどにまで、予が、自身のいかりを宥めて、心の底より諭しおいたるに──汝、なお迷妄を醒まさず、前非を悔いず、前にも増して悪行を謀みおるな。天を惧れぬしれ者めが」
「……あっ。な、なにを御意あそばすかと思えば」
「いうな」
「おまちがいですっ。……何者かの、讒に相違ございませぬ」
板敷を叩かんばかりに、紋太夫は必死となってさけんだ。
「醜しいっ」
と、叱りつけて、光圀は、
「なおなお、今日に至っても、この光圀を、讒者の弁のごときに惑わさるるものと、観ておるのか。──汝の眼は、主君を見るに、なべて世にうとく、甘言によくうごき、下情には暗く、人の肺腑を視るにはその明なきものと、一様に心得おるらしい。──それがそちの敏才と悪能をして、飽くまで大胆にさせた根柢のものであろうが」
と、睨めすえた。
しかし紋太夫は、耳も貸さぬ勢いで、すぐ抗弁をつづけた。
「何とて、ご隠居さまをば、凡眼などと見奉り横着を仕りましょうや。幼年よりお側に仕えたれよりは」
「多言は無用」
と、一圧して、
「とまれその方が、わが寛仁に甘え、すこしも改悛の色なく、将軍の寵に驕るさる人物とこころを協せ、二奸一体となって、不逞な謀みをつづけ参ったことはいいのがれあるまいが」
「な、なにを、証拠」
「さこそ──」と、苦笑をゆがめ、
「おおかた、証拠よばわりなど為しつらめと、それはここに握って申すことじゃ。まず、この箇条箇条の罪状について、遂一言い開きあるか」
と、ふくさを膝に解き、さきに認めておいた十数箇条をつきつけて詰問した。
紋太夫はそれを、板敷のうえに展げ、両手をついたまま読み下していたが、そのうちに、恐れ入るかと思いのほか、傲然、胸を正して弁舌をふるい出した。
ここ生涯のわかれ目と、懸命なせいもあろうが、由来、機智縦横な彼ではあり、満身の智恵をしぼって、自己の正当を述べ、自己の罪条をいい晦すに努めると、正に、懸河の弁舌というもおろか、思わず聞き恍れるばかりだった。
「待て」
黙って、数箇条の言い開きを聞いていたが、光圀は、途中で制して、
「さらば、これは何か」
と、連判の一巻を、かれの前においた。
「繰り展べて見い」
促されたが、紋太夫は、さすがに面色を失ってしまった。
強いて、真っ直ぐに、張っていた胸も、いたずらに胴ぶるいを示すだけであった。
光圀は、ひややかに、
「一見にも及ぶまい。その方としては内容の、一行一行、諳んじているほどの物。──そちがやしきの炉の上に懸けつるしあった物。……紋太夫、そちの弁舌も、はや無用と、覚ったであろう」
「……いえ! いえっ」
襟すじからさっと面上いっぱい蒼白の気を漂わせながら、かれは強く首を横に振り出した。
その動作とともに、急に、眦がつりあがった。鼻腔で呼吸しはじめた。そしてうわ言のように、
「ぞんじませぬ! お、おそれながら、御意、またこのような品、いっこう何のことやら覚えも……」
「ないかっ」
「ああ、余りと申せば」
「余りとは」
「ご、ご無体な!」
と、いうやいな、紋太夫の手は、連判状をつかんで、颯ッと、野獣の身をおどらすように、跳び退こうとした。
折返してある屏風の一端に、どっと、背をぶつけた。より早く、鬘桶を起った光圀の手は、かれの襟もとを固くつかまえて、
「悪人とは申せ、そちも一藩の国老ではないか。……卑怯はすな。醜しいまねはすな」
と、半ば、諭すように、半ば怒り哭くように、光圀もやや声をふるわせて、ふたたび鬘桶の下まで引き戻した。
下段の間に詰めていた井上玄桐以下の人々は、鏡の間の物音に、
(あっ、何か?)
と、色をなして、そこを窺い合った。
と、光圀の声で、内から、
「何事でもない。各〻、物静かにさし控えておれ」
と、聞えた。
ぜひなく、人々は固唾をのんでいた。
そのあいだといえ、光圀は、左の拳にあつめた藤井紋太夫の襟元を、弛めもしなかった。
「おしずまり下さい」
反対に、紋太夫のほうからいった。
いちどは、身を退いて、逃げかけてみたが、考えてみると、鏡の間は、次のひかえ部屋と、一方の下段の間とに、囲まれているのである。所詮は、逃げ終わせられぬものと、観念したらしいのである。
「……事、ここに至りましては」
紋太夫は、つかまれている襟元を、切なそうに伸ばして、がくと、面を振りあげた。
「さいごのお慈悲を仰ぎまする。ねがわくは、紋太夫にお手討を賜わりますよう……」
「本心か」
「紋太夫が生涯の言はみな嘘であろうとも、この一言に偽りはございません」
かれの面には、涙が垂れていた。この涙も、一度や二度のものではない。けれどもいまは、真実、さいごを知って、悔いの頬をぬらしているらしく思われた。
「──われながら、私は、私という人間を持て余しました。幼少、ご恩顧をこうむってからのご奉公も勉学も、決して、君を騙かんなどと思ってして来たわけでは毛頭ありません。けれどいつか、才走るの余り、奉公人たる身分を逸脱して、外には権門とむすび、藩中にまた自己中心の一藩をつくり、いつか際限なき欲望をいだいて不逞な謀みをいたすようになりました」
「…………」
涙の眦をふさいで、紋太夫は、うわ語のようになお訴える。
「八幡ご照覧あれ、この春、ご隠居さまの御前で、誓ったことばも、決して、虚偽ではなかったのです。かく申せば、なお太々しき虚構をと、お憎しみもございましょうが、あのときは、本心、あの通りな善心でありました。まったく悔い悩んでいったことに相違ございません。……にもかかわらず、日の経つほど、もとの紋太夫に返ってしまうのを如何ともすることが出来ません。……と共に、さる権門のお方との、悪因縁も断ちきれませぬ。また、ひとたび血判連名までさせた一味徒党をも、にわかに振り捨てることもでき難く、とやかく悶々たるうちに、いつか前にも増して、大胆なる悪謀の遂行へ踏みすすんで行く紋太夫でござりました」
「…………」
「ご隠居さまのご仁慈をもっても、ご意見をうかがっても、なおかつ、自身のそれほどな反省を以てしても、この性根と悪縁は生れかわらぬ限り癒らぬものと思われます。──あわれ、この上の大慈悲には、お手を以て、この紋太夫の一命をお断ちください。はや、逃げもかくれも仕りませぬ」
「よくぞ申した」
光圀は、離した手をうしろへ伸ばして、佩刀を把った。それは法城寺正弘の作という。抜くやいな、
「不忠者っ」
と、叱って、一刀のもとに切り伏せた。
とどめを刺して、絶命したのを見とどけると、紋太夫の袴で、刀ののりを拭い、鞘に納めて元の位置へ立てかけた。
「介三郎、毛氈を」
ひかえの毛氈を持って来て、介三郎が、死骸へかぶせていたときである。あわただしく、後見たちが楽屋からはいって来て、光圀を促した。
「はや、舞台のお時刻でござりますが」
「──時刻か」
「はっ。おしたくは?」
後見や装束方、そのほか、鏡の間の異変に、期せずして混み入って来た家臣たちは、毛氈に蔽われている紋太夫の死骸よりも、まず光圀の面を仰ぎ合って、ひとしく生唾をのむばかりだった。
「よかろう」
光圀は、鏡の前に立って、半切や龍神巻の袖をあらため、
「介三郎、うしろは?」
返り血はかかっておらぬかと訊ねたのである。介三郎が、何の汚れも見えませぬというと、うなずいて鬘桶にもどり、
「仮面をつけい」
と催促した。
後見と装束方が寄って、光圀の顔に仮面を当てる。また、龍神の赤頭をかぶせる。
「中啓を」
「はっ」
手渡すと、もう光圀ではない。春日龍神そのものだった。
囃子方の音調べとともに、ゆらりと龍神は立った、足袋のつま先が上がる、すべるように踵がすすむ。
「──お幕っ」
声とともに、龍神は橋がかりへ出ていた。すでに水を打ったように出を待っていた、見物の眼は、ひとしく舞台にこころを奪われていた。
たれか知ろう、この舞手がたったいま、一殺の利剣をもって、幾生のいのちを救って出て来たものとは。
無心に能を見物している藩士の家族のうちには、紋太夫の連判に名をつらねている者の妻や母や子達もかならずいるはずだった。──が、春日龍神は、その罪を追おうとはしなかった。いやそれらの家族たちまでも、ひとしく今日の一日を楽しませていた。
*
楽しまずして何の人生ぞや。老公の口ぐせである。
楽しみある所に楽しむことはたれもする。が、そんな浅い楽しみ方ではまだ人生を真に噛みしめたものではない。
楽しみなき所にも楽しめる。
苦しみの中から苦しみの楽しさを汲み出せ。
こんこん人生の楽しさはそこから無限に湧いて来よう。
なぜならば、人生とは、母胎の陣痛から始まって、すべての快は、苦を越えなければつかみ得ないものになっているから──というのである。
「……介三郎、悦之進。落葉をかぶせて火をかけい」
ここ西山荘の庭の一隅。
江戸表から帰来早々、老公は一夜人々をあつめて酒をもてなした。何かこころに一快を覚えるものがあって、家臣やその家族をねぎらう意味らしくあった。
その席につく前に、老公は庭へ出て、左右の者にかく命じたのである。ひと山の落葉はすぐ美しい焚火となって冬の月を焦がした。落葉の火の下には、藤井紋太夫以下、紋太夫に組した者の名と血判をつらねた連判状が息のない大蛇のように燃えていた。数通の書簡も一片一片の火と化し、やがて冷やかなる灰となった。
「……これでよい」
老公はにことした。
藩中の加盟者三百余名、もうたれ一人とて罪に問われる心配はない。清風来って竹を払う──である。その一箇一箇の生命が、いかに自覚するか、それらの無数の家族たちがいかに将来へ結果してゆくか、老公のねがうところは、
「みな、わたくしの臣ならず、一藩のものではない。世の大民草よ、栄えあれや、この邦とともに」
それしかなかった。
折ふし、落葉のけむりを仰ぎ、ひとり逍遥しながら、吟じているものがあった。人見又四郎かも知れない。
月は瑞龍の雲に隠るといえども、光はしばらく西山の峰にとどまる、碑をたて銘を勒する者は誰ぞ。
源光圀あざなは子龍……。
底本:「梅里先生行状記」吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年10月11日第1刷発行
初出:「朝日新聞」
1941(昭和16)年2月18日~8月24日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※誤植を疑った箇所を、「吉川英治選集 第17巻」講談社、1971(昭和46)年5月10日発行の表記にそって、あらためました。
入力:川山隆
校正:トレンドイースト
2019年7月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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