山浦清麿
吉川英治
|
『のぶ。──刀箪笥を見てくれい』
袴の紐を締め終って、懐紙、印籠などを身に着けながら、柘植嘉兵衛は、次の間へ立つ妻の背へ云った。
『──下の抽斗じゃ。この正月、山浦真雄が鍛ち上げて来た一腰があるじゃろう。二尺六寸ほどな物で、新しい木綿に巻き、まだ白鞘の儘で』
『ございました。この刀ではございませんか』
『それそれ』
と、嘉兵衛は手に持つと、座敷の中ほどに、悠ったり坐り直した。
今朝──
この信州松代の城下、長国寺の境内で、藩のお抱え鍛冶、荘司直胤が主催で、大がかりな刀の「試し」がある。
それはもう、明け方から始まっている筈とあって、気短かな嘉兵衛は、
(はやくせい。はやくはやく)
と、食事も急き立てるので、彼の妻は、良人を送り出すのに、うろうろして急いだ程だった。
で、もう玄関には、草履を揃えて、供の仲間も先刻から待っているというのに、嘉兵衛は、白鞘の一腰を払うと、
『のぶ、打粉を出せ』
と落着き直して、悠々と又、刀の拭いをし始めた。
ゆうべも、独りで取出して夜更けまで、眺め入っていた刀である。
よほど、気に入っているらしかった。
『うむ。……いいところがある。直胤の鍛刀などよりは、無名のこの作者のほうが、遙かに、魂がはいっておる』
呟いて、木綿袋へ巻き直し、
『では、行って来るぞ』
と、膝を起てかけた時である。
折も折、客とみえて、玄関に控えていた仲間が、そこから告げた。
『御新造さま。山浦の御舎弟がお見えでござりますが』
声を聞いて、嘉兵衛が直かに、奥で云った。
『なに、真雄の弟が見えたと。……むむ、大石村へ養子に行ったとか聞いていたが、あの環と申す次男であろう。いい所へ来た。ちょっと上げろ』
山浦環は、又の名を内蔵助とも称った。まだ二十歳ぐらいで、固く畏まって坐った。黒い眸には、どこかに稚気と羞恥みを持っていた。
藩士ではない。小諸に近い山里の郷士の子である。だから城下へ出て来る時など、殊に身を質素にしていた。粗末な木綿の着物に木綿の袴──どこと云って派手気のない田舎びた青年だった。けれど、それで居て、肩の薄い肉づきだの、整った目鼻だちだの、天性の端麗が、どこやらに潜んでいた。
『……そうか、御年貢の事で、お蔵役所まで参ったのか。よく寄ってくれた』
『序と申しては、恐れ入りますが、以来、御無沙汰いたしております。常々兄の真雄が又、一方ならぬ御庇護に預かっております由で』
『いや、そちの兄も、ぐんぐん腕が上って来てな。後援てしておるわしも、世話効いがあるというものよ。──時に、そちはもう、近頃では、刀も鍛つまいな』
『はい、養家先では、刀を鍛つなどという暇はおろか、刀を観るまもございません。庄屋の雑務やら養蚕やらで』
『百姓もいい。そちのような者が、庄屋の跡目を継いで励めば、あの辺の村々もずんと好くなるに違いない』
環は、ふと、淋しげな顔をして、
『近頃も、兄は相変らず、お宅様へは伺っておりますか』
『ム。稀に見えるが、今年はまだ、正月に鍛ち上げた此の刀を持って見えたきりじゃ』
『お。それは、兄の鍛えでございますか』
『見るがよい、懐しかろう』
『はい』──と、手を差し伸べかけたが、
『いや、止しましょう。刀を見ると、又、鍛冶小屋が恋しくなって、兄のように、自分も鎚を持ちたくなります』
『そちも、刀鍛冶が、好きとみえるな』
『兄は、上田の御城下に住む、河村寿隆の門に習び──私はその兄から、十三四歳の頃より、鎚の打ち方、重ね鉄の仕方、土取り、火入れまで教わりました』
『では今迄には、兄弟して、鍛った刀も多かろうな』
『いつも、兄が本鎚に坐り、私が、対う鎚を把って、夜の白むのも知らず、鍛ち明かしたもので御座いました。……けれど、他家へ養子に参ってからは兄に会うのも、年に一度か二度。鎚の音さえ、此の頃はとんと、耳から忘れた気がいたしまする』
出前らしい容子に気づいて、環は、急に長座を詫び、携えて来た土産物の山繭織一反と、山芋の苞とを、奥へ渡して、
『又、伺いまする』
と、辞しかけた。
主の柘植嘉兵衛は、袋巻の白鞘を提げて、一緒に立ち上りながら、
『帰るのか。──ではその辺まで、同道しよう』
と、一緒に門の外へ出た。
家毎の杏の花から、淡い朝霧が立ちのぼっている。
川中島の洲を繞る疎林や、丘の草にも、仄かな緑が萠え出して、信濃の春は、雪解を流す千曲川の早瀬のように、いっさんに訪れて来た。
兄の鍛った刀を持って、嘉兵衛が家を出て来たので、山浦環は、
『きょうは、どちらへお越しでござりますか』──と、其刀が気に懸かるように、訊ねた。
『知らぬのか』
と、嘉兵衛は、長国寺の境内に今朝ある「試刀」の催しを話して、
『誰が云い出したか、お抱え鍛冶の荘司箕兵衛直胤の鍛つ刀は、折れ易いといううわさが専ら立ったものじゃ。で、直胤やその弟子共が、怪しからぬ中傷と怒って、自分たちの鍛つ刀が、噂の如く折れる物か、折れない物か、衆人の前で試してごらんに入れる。折れる折れるといわれる刀は、おおかた、近郷の名も無い雑鍛冶の拵え刀に違いない。左様ないかさま刀と混同されては心外である。禄を頂戴しておる藩公に対しても、闡明にする義務がある。──などとひどく力んでな、大懸かりな試刀をいたすというので、これから出向いてみるのじゃよ』
と、説明した。
環は、聞くと、更に眼をみはって、
『では、お持ちになった兄の刀も、そこで試すおつもりですか』
『うむ。直胤の弟子共は、天下に直胤ほどな名人はないように云い居るでな。──無名の、しかも、刀鍛冶とも名乗らぬ、素人の中にも、かくの如き、隠れた上手がある事を、見せてやろうと思うのじゃ』
『では先刻、見よと仰っしゃった時、私も、見て置けばようございましたな』
『なに、この、真雄の刀か』
『はい』
『そんな心配はいらぬ、見事なものだ。──いつぞやも、わしはこれを自慢に持って、寺社奉行の山寺源太夫様のところへ行き、お見せしたところ、殊のほか、お褒めに預かった。そこで、ぜひ源太夫様にも、一腰、真雄へお吩咐け下さるようにとお願いしておいたところ、快く御承諾で、其後、大小一揃い、真雄方へ、御註文があったという知らせで、わしも面目を施し、真雄に取っても、愈〻、世に出る時が来たと、欣んでおるところじゃよ』
と、嘉兵衛はまるで、わが事のように、嬉しそうな顔なのだ。その顔つき通り、真雄の鍛った刀といえば、信仰的な自信を持って、斬れる、折れない、曲がらぬと、彼は、人にも広言して憚らなかった。それほど熱心な後援者であった。
──だが、嘉兵衛は、貧しい侍である。金や顔を以て、後援はできなかった。
ただ努めて、真雄の人物と作刀を、重臣たちの間へ推賞したり又、真雄自身へは倦まざる精進を、鞭撻して来ただけだった。
ところが。
松代藩では、それより数年前に、家老の矢沢監物の周旋で、初代水心子正秀の直門、荘司箕兵衛直胤を、かなり高禄で、招聘していた。
人情は、当然、双方を、比較する。
(何つ方がよいとも云えんなあ)
と、いう評が、密かにあった。
(いや、むしろ真雄のほうが、出来はむらだが、良い刀があるぞ)
そんな観方をする者もあった。
そこへ、近頃、
(直胤の刀が折れた。──どうも直胤の刀は、折れ易い)
と、いう噂がぱっと立った。
事実、川中島の辺で、若侍同志の喧嘩があった時、一方の持っていた直胤の刀が、折れた事件もあったのである。
又、家中の北沢某も又、
(自分も、試してみたが、やはり折れた──)
と、云ったとか、云わないとかで、揉め事があったりして、直胤一門は、とにかく、噂に対して、激怒していた。
そこで、公開して見せるとなった、今朝の長国寺の「試し」である。折れるか、折れないか、自分等の作刀を試す会だとは称っているが、その目標が、無名鍛冶の山浦真雄にあることはいう迄もない。──途々、嘉兵衛の口から、そんな事情を聞かされると、環は、
(これは、兄の名誉ばかりではないが)
と、遽に心配になった。
元々、兄は刀鍛冶ではないのだ。山家の一郷士に過ぎない。性来、刀を鍛つのが好きで、人に頼まれるまま鍛って来たが、まだその道の専門家とは決していえる腕ではない。
その兄の鍛刀と──一世に名匠の聞えの高い水心子正秀の高弟直胤の刀と──何うして較べ物になろう。
(大丈夫)
と、嘉兵衛は思いこんでいるが、環は内心、案じずにいられなかった。少年の頃、兄の対う鎚を打ったことのある環には、兄の腕が、たとえ其後、上達しているにせよ、どの程度か、分っていた。
『嘉兵衛様、その「試し」の場所へ、私もひとつ、お連れ下さるわけには、行かないでしょうか』
『なに、其方も来る? よかろうとも。家中に限るという規則はない。直胤一門の方では、むしろ一人でも大勢に見てもらいたがっている程だからな』
『では、他ながら、お供として』
『何を憚ることがある。山浦真雄の弟として、威張って来い、大手を振って従いて来い』
長国寺の広い境内は人で埋っていた。
然し皆、武士ばかりだし──厳かな刀試しなので、自然、見る者も立会い人も、静粛だった。
据斬、試し物目録
一 陣笠、厚味三分七厘。お武具方御不用物。
一 四分一鍔、厚サ一分二リン透シ彫
一 俵菰二枚たばね。五寸廻シ青竹入
一 鹿の角三股
一 鉄砂入り混粘張り陣笠。
一 古革銅、倉田猪之助所持。先祖大坂陣ノ節、着用ノ品。
一 兜。柘植嘉兵衛所持。重量七百五拾匁。八幡座鉄厚ミ一分余。古作、鍛エ宜シ。
こう、墨黒々と書いた貼紙の立て板が、どこからも眼につく幕の前に建てられてあった。
──見ると今。
選ばれた斬り人の一名が、業物をふり被って、土壇の上の干藁を斬っていた。
『この通り!』
藁十本ばかり残って、見事に斬れた。
斬り人は、使った刀を翳して、
『直胤の作。刃こぼれ、曲がりなし』
と呶鳴って、立会い人の方へ渡して、引き退がった。
陣笠、鹿角、古兜。
と次々に、べつな刀を持って出て、べつな斬り人が試みた。
皆、直胤の刀だった。
そして、かなりな斬れ味を見せ、二太刀、三太刀でも斬れなかった刀でも、折れはしなかった。
直胤の悪評は、訂正された。
まだ、鉄杖を斬るとか、鎧の鉄銅を斬るとか、だいぶ項目が残っていたが、
『そう時刻があるまい。この辺で、ちと他の刀を試しては』
と、立会い人から、当日の主唱者であり、また今まで試された力の作者──箕兵衛直胤へ、相談があった。
直胤は五十四、五歳の老人だった。勿論、熱心に眼を光らせて、床几に掛けて見ていた。
『いかがで御座ろう。──もうこれくらい試せば、もはや、あらぬ世評が、貴公を中傷する為の嘘であったという事は、誰も承認したであろうと存じますが』
立会い人が、そう云うと、直胤は、磊落そうに笑顔をくずして、
『いや、御苦労でござった。わしは最初から、何も大して気には懸けておらんがの。……弟子共さえ、承知なら』
『では、近頃、頻りと名の聞える、山浦真雄の作りを、四、五本ここで試しますが、御異存はございますまいな』
『まあ、余り角目立たんがよいが』
『いや、持参して、望む者もございますから』
『望まれれば、試合を挑まれたも同じこと。嫌ともいわれまい。──何事も、お世話人と、弟子共に、おまかせいたすで』
『然らば』
と、立会い人が、席へ退がると、斬り人は又、名を呼ばれて立った。
『山浦真雄の作!』
一刀を払って、斬り人が、こう刀を衆に示して、据物に向うと、観衆も斬り人の呼息と一つになって、しいっとなった。
『…………』
わけても、環は総身を固くして、斬り人の手元を睨んでいた。
呼吸もせずに。──手にも、われとなく、汗をにぎって、
──ええいッ!
と云う声を、耳というよりは、彼は、心臓を突き貫かれたように聞いた。
据物の鹿角から──どすっ──と鈍い音が刎ね返った。斬り人は、二太刀目を下ろした。そして三太刀目。
『曲がったッ』
と、さけんで、身を退いた。
環の側にいた柘植嘉兵衛は、ぐらぐらとしたように、前へ出て行った。
『あ。暫く』
『なんじゃ』
『失礼ながら、今の試しは、斬り人の手元に、少し御無理があったように見受けられた。──この一刀で、もう一応、お試しがありたい』
『心得た』
と、嘉兵衛が携えて来た一刀を受け取って、斬り人は、前のようにそれを観衆の眼からずっと直胤一門の控えている方に迄、手元を徐々にまわして見せた。
『ムム。見た眼には、相のいい刀だ』
直胤の弟子が、呟いた。
冷侮の色が、その辺りで漂った。
だが、直胤は、その刀へ床几から礼儀をして、
『大事に』
と、注意した。
白鞘なので、斬り人は、仮鍔を入れ、白布で柄巻して、揮り被った。慎重な構えと、澄み切った気息の合致したせつな、やッと満身から喚いて、壇の上の鍔を斬った。
鍔は七分まで斬れた。然し、びんと異様な音が、誰の耳にも触った。
斬り人は刃を挙げて、
『鎺から一尺上、刃こぼれ有り──。硬い』
云いながら、無造作に、立会い役の手へ渡した。
嘉兵衛は、蒼白になってしまった。怪我をした我が児でも見まもるように、手から手へ、渡されて、冷侮の眼に弄れてゆく愛刀の方を眺めた儘、茫然としていたが、突然側にいた環が、何かさけんで、ばっと人々の環視の中へ駈け出して行ったので、
『あッ。──オオ』
止めるとも、励ますとも、何ッ方つかずな声をあげて、自失の我から、愕きの我に回った。
『公平でないっ。今日の刀試しには、公然と、奸策が行われていると存じます!』
山浦環は、こう周囲へ向って、訴えていた。
静かだった空気は、彼の凄まじい声も打消すほど、途端に、喧騒の坩堝に落ちていた。
今、斬り人の手から、立会い役の手へ渡された、兄真雄の作──柘植嘉兵衛が持参の一刀を──無下に環が奪ろうとしたからである。
『何をするっ』
『場所がらも弁えず』
『不正があるとは、何を吐ざくか』
蔽い被さって、環を阻めた直胤の弟子や、斬り人の侍たちは、その襟がみや、両腕を把るなり、
『この青二才めが!』
引戻して、試し場の中ほどへ、蹴仆した。
踏まれても、蹴られても、環はすぐ、刎ね起きた。そして、
『卑劣があると観たっ。不正があるっ。行り直せっ』
と、叫んで歇まなかった。
直胤の弟子たちは、
『抓み出せっ』
と、息まいたが、その時、環の叫びへ、木魂して答えるように、観衆の中からも、
『そうだ、不正が見えたぞ。行り直せっ』
という声が、所々に起った。
それを又、打消すべく、
『だまれっ、喧ましい』
『刀は、正直だ』
云い返す者があると、更に、それを圧伏して、
『行り直しっ。行り直しっ!』
と、宣言するように、云って歇まない見物もあった。
俄然、平常、直胤の一派を支持している者と、ひそかに、それへ反感を抱いている者との感情が、環の一投石に依って、露骨な波瀾をよび起したのであった。
そのうちに誰からともなく、
『あれは、山浦の舎弟だ』
と云う声が伝わったので、直胤一門は、
『何、真雄の弟だと?』
と、眼をみはり直して、愈〻、事態は険悪な対立の相を呈した。
今の環は灼熱した鋼であった。
誰の言葉も、その赤い耳は刎ね返して、
『行り直さぬうちは』
と一歩も退かなかった。
『云い条は、それか』
と、中へ這入った世話人たちが云った。
『それだけです!』
純情な眸を光らして、環は猶、繰返した。
土気色な面をして、先刻から見ていた箕兵衛直胤は、
『お世話役、望みにまかせてやらっしゃい』
と、床几から云った。そして、
『今の刀を、その若者に持たせ、同じ鍔を、斬らせてみるがよう御座ろう』
と追け加えた。
世話人たちは、環へ詰め寄って、
『見事、斬るか』
と、糺した。
『斬る』
環は、昂然と、唇を噛んで答え、
『いざ!』
と、自分を叱咤するように、即座に、袴をくくり上げ、下緒を解いて、袖を片襷にからげた。
──だが、先に鍔を斬った真雄の一刀を受けてみると、故意に斬り人が無理をした痕が歴然とその刃こぼれに読める。たとえ、何んな伝世の銘刀でも、邪心をもって、折ろう曲げようとすれば、傷つかぬということはない。
刀は名鏡である、人は、止水の相でそれに溶け合わなければならない。一点の曇り、一点の揺るぎでも、心が動じれば、刀も狂う。
環は、まず怒りを鎮めた。
そしてただ、
『八幡』
と、念じて壇上の鍔へ、発矢と刀を入れた。
鍔は真二つに斬れた。
しかも刀は、元の儘だった。
『──ア。斬れた』
と、人々の間から流れた感嘆の声を聞くと、環の眦は、たらたらと、湯のような涙を垂らして、一筋の歓喜を、頬へ描いた。
兄の名は、雪がれた。──これでいい!
環は、刀を返して、すぐ身を退きかけた。
すると箕兵衛直胤が、
『待たっしゃい』
と、声をかけた。
『何ですか』
『おぬしは、山浦真雄の弟じゃそうだの』
『そうです。それが何うかしましたか』
『いや、賞めてあげるのだ。そう恐い眼でわしを睨むことはない。兄思いな情は、見上げたもの』
『未熟ではあるが、兄の刀も、そう鈍作でないことは、お認めになったろうな』
『いや、分らぬ』
箕兵衛直胤は、首を振った。
『──一振ぐらい試したとて、そう易々、折紙は付けられん。過ちの功名ということもあるからの。今、見事に斬れたのは、おぬしの一念が斬ったので、刀が斬れたのではあるまい』
『ば、ばかな』
『今朝から、わしの作は、十幾振も試しておるのじゃ、それと互角には申されまいが、口惜しくば、猶、二刀三刀、数を重ねて、試してみよ』
『おお、幾らでも』
『門人──真雄の刀を取り寄せて、次の据物を斬らせてやらっしゃい』
『それには及ばぬ』
環は、自分の腰に横たえている刀の柄を打って、
『兄の作は、ここにもある』
『ムム、自身の差料か。猶よかろう。──して、据物には、何を置くか』
『何なりとも』
『よし』
直胤は、古兜の鉢金を、壇に据えさせた。
そして自身、起って来て云った。
『あの目録にも見える通り、わしの作でも、此品ではないが、他の鉢金を斬っておる、おぬし、口ほどならば、これが斬れぬことはあるまいが』
『…………』
何の! と環はそれを見つめた。
『どうじゃ、行るか』
『致します』
『然らば──』と、直胤は身を退いて、『拝見しよう。やらっしゃれ』
と云い放った。
環は再び、身構えを取った。
身ではない、心である。
こういう感情の中で、すぐ心を無念無想に取り戻すことは、難かしいことだった。
けれど直胤が、わざと若い彼の心を怒らせるような事を云ったのも、一つの術策である。環はそれと察したので、努めて、微笑をもって、心を紊さなかった。
(これしきの物が斬れないで何うしよう)
環は、自分の差料へ手をかけながら、強い、信念をふるい起した。
身に帯びているこの刀こそ、自分が十六、七歳の頃、赤岩明神に祈誓をかけ、兄は本鎚の座にすわり、自分は相鎚に対って、夜となく昼となく、兄弟ふたりの魂を火として、打ち鍛えた刀なのだ。
兄と自分との合作である。
しかも、この焼刃の中には、母の真心さえこもって居た。兄弟ふたりが、一心不乱になっていると、母は絶えず、仕事場へ宥わりに来て、
(オオ、精が出るのう。兄弟の合す鎚音は、御先祖様の御座らっしゃる土の下まで響いて行こうぞ。今でこそ、赤岩村の佗しい郷士、鍬を片手に、飼蠶と共に起臥している土侍じゃが、お許たちの御先祖様はといえば、足利の世の頃まで、今も昔のままに居るこの辺り一帯を砦として、南朝方へお味方した山浦常陸介というた名だたる勤王の名将じゃぞ。──刀を打つなら、御先祖様のような、お心になって打て。──鍛冶屋職人になる程なら、鍬を持って、土を耕した方が、どれほどましか知れぬぞ。──侍のたましいを打つ身は、侍以上のたましいでなくてはなるまいが)
と、骨休めにと、茶を入れて、宥わり慰めてくれる間も、母はそうした訓誡を、兄弟に対して、忘れなかった。
その後。
故あって、自分のみは、刀鍛冶を断念して、大石村の郷士庄屋長岡家へ、養子に行ってしまったものの──今も、母の訓えは、心にある、兄の鎚音は、耳にある。
そして、自分の当時の一心と。
こう三つのものの結晶が、この刀ではあるまいか。
(どんな物でも、斬れぬはずはない!)
彼の信念はそのまま、不動の体になって、刀は、静かに頭上へあがった。
──そして、ぐっと、下腹に、宇宙の気を呑むように力がはいる。
その丹田の力が、満身の気となって、ええいッと、一声の下に肱が下ろされようとした間髪──
『あっ、待った!』
と、箕兵衛直胤が、ふいに、声をかけて、彼の切先の前へ迫った。
──はっと思わず気を弛めると、直胤は、据物の古兜へ手をかけて、少しその位置を直した上、
『かんじんな的が少し曲がっているげな。さ、改めたぞ。やらっしゃい』
と、身を退いて、又、じいっと環の手元を見つめていた。
(要らざる介錯)
と、思いながら、環は、刀を持ち直して、一気に、兜の上へ斬りつけた。
ばん! と異様な音響がして、何事ぞ、刀は二ツに折れて飛んだ。
利鎌のような刀の欠けは、宙へ上って、ぶんと、観衆の中へ落ちた。
──どっと、そこの人々がうごく。
同時に、直胤の弟子、そのほか、かかる事あれかしと密かに祈っていた連中は、手を打って、わっと嗤った。
『……し、しまった!』
鍔からわずか一尺ほどしか残っていない半身の刀をみつめたまま、環は、茫然──われも無くなってしまった。
動くことすら、忘れていた。いつ迄も、折れた刃を、その儘、身を硬ばらせて、髪をそそけ立てていた。
唇は、見るまに、色を失った。慚愧の眼からは、とめどなく、ぼろぼろと涙がつたわってくる。──周囲の嘲罵も、侮蔑の眼も、頭が痺れて、聞えなかった。
『──環っ、環っ、退がれっ。……もうよい、引き退がれ』
誰か頻りと、自分の腕を組んで、引っ張る者があった。
彼の脚は、墓石みたいに、動こうともしなかったが、ふと、その人の顔を見ると、柘植嘉兵衛であったので、はっと弛むと、
『これッ──見苦しいっ』
嘉兵衛は、共に泣きながら、酔いどれでも引っ掴むように、無理無態に人混みから山門の方へ、彼を拉して行った。
『す、すみません! ……。嘉兵衛様』
山門の下まで来ると、環は、声をあげて泣き出した。
嘉兵衛も、肱を曲げて、顔を蔽いながら、
『な、なにを泣く。泣くことがあるものか。お前たちはまだ若い。いくらでも……いくらでもまだ……将来はあるんだ』
『屹度! ……屹度! ……今にあなたのお顔は立てます』
『ケチなっ。馬鹿っ』
嘉兵衛は、嗚咽しながら、怒った。
『わしの面目など、何うだっていい。口惜しいのは、もっと大きな事だ。兄に会ったら明らさまに、きょうの仔細を伝えておけよ。……よ! よ! ……穿き違えて、遺恨を含んじゃならぬぞよ。自分を励ます鞭として、一層、精進してくれとな……。そう伝えるのだぞよ』
『わかりました。……わ、わかりました。じゃあ、柘植様、又何日か、お目にかかります』
いい捨てると、顔も見ず、嘉兵衛の手を振り切って、環は一散に馳け去った。
真昼の道も、真っ暗だった。環は、恥に打たれて、陽も見られなかった。往来の人に、顔も見られるのも嫌だった。
『おおーい。おおいっ……待てようっ』
誰か、後から追いかけて来る者がある。編笠を被って、干飯袋に旅の持物を入れ、短い義経袴の袴腰にくくり付けている若者だった。
町の辻で、若者は環に追いついた。
後から肩を掴んで、
『待てと云ったら。──聾か、貴様は』
『何!』
気が立っているので、環も、きらっと眼を研いで振向くと、編笠の中の顔は、自分よりもっと若い──まだやっと十七、八歳かと思われる少年武士なのであった。
が──年上の環よりは、どこか沈着で、大人びている口吻であり、態度も鷹揚に、
『何を怒るのか。わしは貴様に好意を持って、わざわざ追いかけて来た者だぞ』
『怒ったわけではないが、つい、気の紊れていた矢先なので』
『そんな事で何うする』と年下のくせに、少年はそう窘めて、
『長国寺の刀試し──どんなものかと、わしも見ていたのだが──貴様はうまうまと、箕兵衛直胤の手に乗ったのだ』
『えっ、ど、どうして?』
『二度目だ。──あの時、貴様が最初に気合をこめた儘、やってしまえば、古兜の鉢金ぐらい、きっと斬れていたに違いない。老獪な相手方は、その鋭い気を抜くため、わざと待てと声をかけ、何の必要もないのに、兜の位置を少し直したりしたのだ』
『ああ、そうだったか』
『もいちど帰り給え。こんどは拙者が斬り人に立ってやる』
『いや、御好意は有難いが……止そう』
『見ていた他人の拙者でさえ腹が立つのに、残念ではないのか』
『もう、古兜など、斬りたいとも思いません。他日、もっと、もっと、大きな望みを斬り落してみせる。……だが、先刻の取乱した失礼は、おゆるし下さい。御好意は忘れずに置きます。貴方の御尊名は』
『拙者は、長州の藩士、金子重輔という者。この松代藩で有名な佐久間象山先生の名をお慕いして、遙々、江戸から廻り道して立ち寄ったが、生憎、象山先生は御不在、むなしく帰って来たところだ』
『わたくしは、赤岩村の郷士、山浦環。又どこかでお目にかかる折もございましょう』
『じゃあ、何うしても、もう試し場へは戻らんのか』
『はい。たとえ先に奸策があったにせよ、不覚はどこまでも不覚です。これから行って、長国寺の大吊鐘を斬ったところで、まだまだ、きょうの自分の気持は拭われません』
『こんな山国の藩に、象山先生のような新知識が生れたのは、不思議と思っていたが、信濃にはいろいろ変り者が居るのだな。……それもよかろう、では、おさらば』
と、金子重輔は、すたすた去ってしまった。
父のない後は、長男が家の柱だった。
母でも、老いての後は、家長の彼に、気がねをした。どんな事でも、彼が頷かなければ、決めなかった。
だから、半農半武士の郷士に過ぎない、ここの小さな家族制度でも、一国に喩えれば、長男のことばは、主君のことばみたいであった。
足利以前から、この信濃の山間、小諸在の赤岩村に、十何代も続いて来ている旧家の──逞しい梁や、黒光りな柱などと共に、──それは今でも厳として、失われていない山浦家の家風なのであった。
『真雄や、ことしは、雪菜がよう漬かったぞよ』
ひろい鍛冶土間の片隅に、六畳ほど休み場がある。
母のお菅は、茶盆をそこへ置いて、鞴に向っている長男の真雄へ云った。
『すこし休まぬかの。茶を入れて来ましたがな』
真雄は、刀の地鉄にする、玉鋼を熔かす仕事に、顔まで、炎にしているので、
『後で』
と、云った儘、母の方も見なかった。
お菅は、すこし耳が遠かった。もう茶を注して、
『今の、去年の漬込みを、一樽開けてみたところ、よい色に漬かっているわの。じゃが、其方が箸をつけぬうちは、誰にも、喰べさす事ができぬによって、一箸、喰べてみておくれ。──余りそう精をつめても、体の毒であろに』
体──母にそういわれると、真雄は、自分だけの体とは思えなかった。
『や、すみませんな。では、戴きましょう』
手桶の水で、ざっと、手を洗って、休み部屋へ、腰かけた。
『今、かかっている仕事は、誰方様のお刀じゃの』
『松代藩のお寺社奉行、山寺源太夫様の御注文でござります。他ならぬ柘植様のお口添えで、素人鍛冶のわたくしなどには、身に過ぎた御下命と、冥加に存じて、玉鋼から、吟味に吟味を致しておるのです』
『まあ、そうかの』
と、母は欣しそうに、歯の抜けた口に、雪菜の一茎を入れて、もぐもぐ唇をうごかしていたが、真雄の顔つきの好いのを見て、そっと云い出した。
『又かと、うるさく思わっしゃろが、弟の環のう、もう、養子先の家を出てしもうた事じゃに。……何とか、怺えて、もいちど家へ入れて下さらぬか。そなたも慥乎りした相鎚の打ち人がないと、常々、云い暮している折ではあるし……。真雄よ何うじゃな?』
長国寺の噂は、松代から、四、五里しかない赤岩村へは、すぐ聞えてきた。
それから間もなく、環が、養子先の長岡家から、飛出してしまったという噂が、大石村から、近郷に伝わった。
(よもや?)
と、兄の真雄も、母のお菅も、強いて心で打ち消していると、環は、或る夜そっと、裏口から生れた家へ帰って来た。
そして、裏の納屋で、長いこと母と密々話した揚句、彼の母は涙ながら、真雄の所へ来て、その気持を訴えたが、
(家へ入れるわけには行きますまい)
と、真雄は、養子先へ義理を立てて、肯かなかった。
元々、環と、養子先の娘とは、尋常な縁組ではなく、若い彼と彼女との、恋の始末を、強いてそこに正式化して落着けたものであった。
それまでにするには、仲へ入った人々にも、娘の親、親類にも、悲嘆や苦労を随分とかけさせている。曲げられない旧弊の家憲や、困難な事情も、どちらも可愛いい一人娘と、息子の為にと、曲げさせた上、やっと纒った両家の縁組なのだった。
それはまだいいとしても──。
環が、家出したなら、では生家へ入れようとは、何うしても真雄として云えない理由が、もひとつある。
環の妻には、もうこの春、生れたばかりの子があるのである。
その子を捨て──又、飽きも飽かれもせぬ恋妻を捨てて──何で環は養子先を飛び出してしまったか。
弟のその気持を考えると、真雄としては、涙があふれてくる。掌をあわせて、兄思いな、その情熱へ、伏し拝みたい。
『……おっ母さん、折角ですが、何度仰っしゃっても、環を家へ入れるなどという事は、許されるものではありません。もう、云わないでください』
真雄は、わざと、膠なく云った。
そして、辛いその胸を、鎚と鞴へ打ち込んでしまおうとするもののように、休み部屋から、腰を上げると、
『あ。お待ち……待っておくれ』
彼の仕事着をつかんで、彼の母は、嘗つて一度も、子に見せた事のない程な、悲しい声を顫わせて縋った。
『でも、真雄や。……彼れの胸も察してやったがよい。環は、吾儘や自分の移り気で、養家を出たのではありませぬぞ』
『何であろうともです。──あれ程、御苦労をかけた媒人方や、先の長岡家に対してだって、今更』
『それは、この母が、長岡家の門前へ行って、土下座しても詫びましょう。彼の子の、気持を聞けば……わしの命は縮めても、望みのように、家へ入れてやりたいと思うのじゃ』
『ば、ばかな事を、仰っしゃいませ。おっ母さん、そのように甘いからいけないのです。何で叱りつけて、追い返して下さらないのですか』
『どうして、追い返せよう。──飽きも飽かれもせぬ妻を捨て、生れたばかりの嬰児も残して、此家へ戻りたいという環の心を、そなたは何うして酌んでやらぬのじゃ』
『……馬鹿です、彼弟は』
『な、なにをいうのじゃ』と、お菅は、懐中の乳呑みでも庇うように、又、母性の聖厳を、髪の毛に逆だてて、叱咤するかのように、
『それへ、坐りなされ! ……真雄っ、坐りなされっ』
『なんですか』
『何といやった。──そなたは、弟の罰が中たるとは、思いませぬか』
『思いませぬ』
母が、本能の愛に、乱れれば乱れるほど、真雄は冷静になって、鍛冶土間の大地へ畏まったまま、冷ややかな面でそう答えた。
『ようまあ。兄の身が、そのような無慈悲な言葉を』
お菅は、声を励ましたが、子の冷然として、強い顔を見ると、すぐ気も挫けて、むしろその不機嫌を取做し加減に、
『そなたに、環の心が、解けぬ筈はないじゃろが、よう聞いて賜も、……環はな、もいちど、兄の片腕になって、其方を松代の直胤にも勝る刀工にしてみせると云うのじゃぞ。……御先祖山浦常陸介様以来の家名を、踏みにじられて、それを雪がいで措こうかと、健気にも、念じているのじゃ』
『おっ母さん』
『なんじゃ』
『あなたは、環を、何処の子だと思っているんですか』
『此身が生んだ子。何をいうのじゃ』
『さ。──それが大きな間違いです。環はすでに、山浦家の子ではありません。長岡家へくれた養子です。長岡の家の恥辱なら、そうして、雪ぐもよいでしょう。──だが、山浦家には、不肖ながら、真雄という者が居りまする』
『オオ、それは道理の。……じゃが真雄や、環とても、この儘、妻も子も、生涯捨て切るつもりではあるまい。何よりは、そなたに取って、共に鎚を持ち、刀の鍛錬を究めるに、よい相手がない。弟子もない。それを環は苦にしていやる。──今、早速に、其方が鍛ちにかかっている山寺源太夫様の御下命の品にせよ、ここで一際、優れた刀を鍛ち上げねば、名折れの上の名折れになろうと』
『よ、よけいなことだ』
『では、そなたは、長国寺でうけた恥かしめを、口惜しいとも、家名の恥辱とも、思わぬのか』
『こちらは、元より百姓郷士、農事の片手間に、鍛っている仕事です。──先は、天下の刀匠水心子の高弟として、藩から高禄をいただいている本業の刀鍛冶ではございませんか』
『猶のこと、そのような名だたる者が、卑劣な、刀試しを開いて、しかも大勢の前に、こちらの恥を曝しなどする事が、黙って、捨て措ける事であろうか』
『知らぬ顔していればよいのです。それを環ごとき若輩者が、要らざる出洒張りをしたればこそ、恥の上わ塗りをしでかしたのだ』
『なんで、そのように、環を、憎く憎くと取りなさるのじゃ』
『腹の立つのは、直胤の一門より、てまえに取っては、むしろ出洒張り者の弟です。子供の時から、血の気ばかり多くて、困り者だと思っていたが』
『そう云わないで後生じゃ、この母に免じて、彼の子を家へ』
『いけません。てまえが、此家の主でいる以上は、一足でも』
『入れることはならぬか』
『知れたこってす。折れる刀、曲がる刀、どんな鈍刀を作ろうと、わたしはわたしだ。いちど養子に行った者を戻して、その弟の腕など借りたくはありません』
『でも、養家を出ぬ先なら兎に角、遺書までして、出て了うたもの』
『勝手にするがいい。……相談ずくで、飛出したなどと思われては、猶更、世間へも、先へも義理がすみますまい』
『頼むっ……』お菅は遂に、がばと、泣き伏して、畳へついた掌を合せた。
『真雄。そなたには、内密でいたが、彼れが家出して、わしを訪ねて来た夜から、実は、裏の納屋の中へ隠して、そっと、飯をくれてあるのじゃ。……今更、どこへ追いやられようぞ、どうぞ量見して、この仕事場へ、入れてくだされ』
『おっ母さん! ……』
『…………』
『そんな事、聞かないでも、真雄は知っております。──毎夜のように、家の近くを、うろうろと彷徨っている嬰児の泣き声でも分っている。あれは、環が捨てて来た妻のお咲が、子を抱いて、見えない良人を、探しに歩いている声ですぞ。おっ母さん!』
『……おいのう』
『あなただって、あの嬰児の声は、お聞きでしょう。新妻の痩せた姿もわかるでしょう。子を抱いて、捨てられた若い女房が、どんな思いでいることか』
『…………』
お菅は、咽び泣いて、薄い体を、よよと畳に顫かせた。
『たとえ、この上、山浦真雄が、いかに人から唾をうけようが、弟を、入れる事はできません、断じて出来ない! ……ああ、もう止そう、おっ母さん、お体に障ります、やめて下さい、やめて下さい』
真雄は、鞴の前へ馳け寄って、どっかと、筵の上に坐ると、金火箸を把って、真っ赤な溶鉄となった玉鋼を、火土の中から引き出した。
そして、鉄敷のうえに、それを置くや否、小鎚を把って唇を噛みしめ、一念に鍛ち初めた。
ばッ、ばッ、ばッ──と鎚の先から焔の屑が飛んだ。眼にもいっぱいに赤い涙がたまっている。涙はこぼれて、鋼を冷まし、冷めた鋼は又、火土の中へ投げ込まれて、彼の苦しい胸の喘ぎを吐くように、鞴の呼吸にかけられた。
──と、すぐその鞴の上の竹窓越しに、ちらと、人影が映した。
弟の環だった。
『兄貴、兄貴』
『あっ、環だな。──まだ居たのか。そこらにうろついていると、砥水を浴びせるぞ。とッとと、大石村へ帰れ』
『もう、会わぬぞ』
『何ッ』
『──おっ母さん、お達者で』
お菅は、駈け出して、
『環やあーっ』
さけんだが、彼の姿は、もう先祖以来の大欅に囲まれた家の外へ走り出して、千曲川の上流に沿う断崖の道を──その故郷の少年頃から馴れた道を──奔流の流るる方へと、ただ驀しぐらに、顧みもせず、どんどん駈けて行ってしまった。
春は去ったが──
又、やがて、彼女の彷徨う夜の数も減ったが──。
でも猶、折々に、時鳥の啼きぬく闇の夜など、山浦家の裏に、ぽかっと、白桔梗の花のような、女の顔が、悲しそうに佇んでいることがままあった。
環の妻のお咲だった。
乳呑み子の名は、梅作といった。
稀れに又、その梅作のかなしげな泣き声が、千曲の水の咽びかとも聞えることがある。
そんな晩──
夜業の鎚を投げ出して、真雄は、そっと闇へ抜けて行った。
そして、彼女が、やがて悄々と、家路の方へ帰るのを、見届けると、ほっと胸を撫でて、
『馬鹿め! 血の気が多すぎる!』
やり場のない怒りを、彼は、星へ向って罵ったりした。そうかと思うと又、
『──弟よっ。帰って来いっ。ここは山家だ。こんな平和なとこが何処にある。──世間にかまわず、帰って来いっ。母が丈夫でいるうちに、帰って来てくれ。ようっ、弟っ……』
争闘の世間へ、人中へ、とうとうと絶えまなく奔ってゆく千曲川の激流に声を託して、家の前の断崖から、独りでこう、おろおろと、叫んでいる夜もあった。
秋になると──ぱったり、お咲のすがたも、児の泣き声も、しなくなった。
『もしや、煩病っているのじゃないか。ひょっとして、首でも縊って?』
と、そんな不吉まで、案じられて、或る夜、真雄はそっと、環の去った養家の垣の外に潜んでみた。
もう寝しずまった夜更けであったが、月の白い縁先に、お咲は、砧を打っていた。
打っている衣は、嬰児の冬着らしかった。
恋妻は、やがてよき母となってゆく。──だのに、環は、どこにいるのか。
真雄は、月の下を、黙々と帰って来た。
その年──天保六年
秋もすぎ、雪に交じって、木々の冬葉が舞う空になっても、真雄は、とうとうまだ一作も、刀を鍛ち上げていなかった。
『内蔵さん。……どうしたのさ。内蔵さんてば。……弱いくせに、飲めもしないお酒を、自暴に飲むんだから、困った人ねえ』
湯女のお寿々は、持て余したように、上り口へ打っ伏したままでいる若い浪人の体から手を離して、呆れ顔に、ただ眺めてしまった。
浪人は、環であった。
ここは、上田の城下に近い別所の温泉場であった。まだ故郷に遠くないので、身を恥じてか、環という名を捨て、別名の内蔵助をもじって、内蔵吉と名乗っていた。
お寿々は、通い湯女で、小さいながら、湯町の裏に、一軒持っている。──去年、家を去って、一先ずここの温泉宿に沈湎していた環は──いや内蔵吉は、その宿でお寿々の世話になったのが縁で──金がなくなった頃からつい女の家へ移っていた。
お寿々は、彼の苦悶を知るよしもない。じっと、沈湎しているかと思えば、ぷいと出て、酔って帰る。
湯町に巣喰う遊び人の仲間に入って、博奕をしているのも知っていたが、それでも男に、愛想が尽きたとは思わないお寿々だった。
『風邪をひいても、知らないからいい。──ほんとに、この人は』
口が酢っぱくなったように、すぐそこの鏡台と長火鉢の間へ、つんと坐りかけたが、やはり気に懸けずにはいられないで、
『ね……起きて、座敷で楽に、横におなんなさいよ。後生だから』
肩を揺すぶると、上り框にしゃがみ込んで、踏み板へ、涎れを垂らしていた内蔵吉は、
『う……うるせえなあ』
『うるさいじゃありませんよ』
『水をくれ。……水、み、みずだ』
『上げますから、家へ上りますね』
茶碗に、汲んで渡すと、ぐっと飲みほして、
『お寿々、いろいろ世話になったなあ』
『何を云ってるのさ、この人は』
『いや、酔っちゃあいねえ』
『それだけ酔っていればたくさんでしょ』
『五合や一升で、性根を失ってたまるものか。本性だ。お……おらあ、本性で礼をいうんだぜ』
『そのうち醒めるでしょう。何でも、仰っしゃいよ』
『此家へ来たなあ、去年の春の末だったかなあ。あれから、一年半、もう秋だ……早いなあ』
『ホ、ホ、ホ、ホ。……それから』
『洗濯物の世話、小費いの世話、年月は短けえが、浅い恩たあ思わねえ。別れた後も、年上のおめえだから、姉さんだと思って、忘れずにいるからな』
『いやだねえ、手なんぞついて。格子口から見えるじゃないか。見ッともないから、もう引っ込んでくださいよ』
『引っ込むんじゃねえ、こ、これから、おらあ旅立ちだ。……じゃあ、姉さん御機嫌よく』
『あらっ──』と、お寿々は、土間へ飛び降りて、
『どこへ行くんですよ。そんな、だらしのない恰好して』
『旅へさ』
『えっ……。本気かえ、おまえさん』
酔うと青白くなる酒の性である。
内蔵吉は、じっと、お寿々を見つめた。お寿々には、男が、冗談なのか、本性なのか、解らなかった。
『いつも、与太ばかり云っているから、今日も、それかと思うだろうが、実あ先刻、湯宿の二階から、いきなり名を呼ばれたので、はっと仰ぐと、松代藩の柘植嘉兵衛というお人。おらあ、夢中で逃げ出した』
『仇とでも、狙われているんですかえ』
『仇どころか、寝るにも、足を向けねえつもりの御恩人だ。だが、その御恩人に、この姿は、見せられねえ。──総身に汗をかいて、沁々と、おらあ今日は、考えたのさ』
『考えたとは?』
『こうしちゃ居られねえ身だ。何処ぞへ行って、おらあ生命がけで、日本一の刀鍛冶に成って見せなけれやアならねえ。──身の出世に、あくせく足掻くわけじゃあねえよ。──そうしなけれやあ、済まねえお人が、柘植様、おふくろ様、兄貴、それから……それから未だ……幾人となくこの世にいるんだ』
『だから、わたしを、捨てるんですか』
『──と、大概、極めつけて来るだろうと思ったから、何もいわずに、行こうと思ったが、酔いつぶれの仮面をかぶって、一言、礼に来ただけでも、可憐しいと思ってくれ』
『嫌です。何が、そ、そんな口が、可憐しいものか』
『堪忍しろ! お寿々』
とんと、女の胸を突いて、内蔵吉は格子の外へ、すばやく姿を消してしまった。
お寿々は、甲だかい声をあげて、往来まで走ったが、すぐ人目を思って、裸足で泣く泣く帰って来た。
その翌日、彼女の家は、戸が閉まっていた。家財も、前の晩に、こっそり道具屋の手に移されて──。
あの後は、恩人柘植嘉兵衛も、さだめし辛い立場にあったろう。
或は、藩の中で、軽輩の身では、自分以上の、苦境だったかもわからない。家老の矢沢監物が後援する直胤一門の圧迫もあったろう事は、想像に難くない。
(その恩人へ!)
と、思うと、内蔵吉は、済まない──と胸で掌を合せたぐらいでは居られなかった。
湯町の長脇差などと、酔い歩いている醜い姿を、その人に見せた儘、振向きもせず、つい逃げてしまったが──それでいいだろうか。
(たとえ、十年先、二十年先に、一人前の剣工となって、詫びをするにしても、その長い月日の間)
と、恩人の惨心を思うと、居ても起っても、いられない。
ひょっとして、嘉兵衛が、その消息でも、赤岩村に残してある、老母の所へ便りでもしたら、母は嘆きのため、寿命をちぢめるかもしれない。
『そうだ……せめてこの気持を……柘植様だけにでも、洩らして去ろう』
冷たい秋の夕霧が、そう呟いてゆく、彼の面を吹いた。
千曲の水に添って、彼は、野を歩いた、河原を歩いた。
そして、故郷の山へ、辛い顔を反向けながら、もう一度と、眼をつぶる心地で、松代の城下に近い、川中島の小島村まで来た。
そこの満照寺には、知っている坊さんがある。七日ばかりの逗留をたのみ、身を潜めて、柘植嘉兵衛へ宛て、自分の心を披瀝した審さな手紙を認めた。
『浄明さん。誰方か、この手紙を持って、御城下まで、お使に行ってくれる人はありませんかな』
『子供でよう分るお使ですか』
『ええ、お小僧で結構です。ただ、名宛の柘植様は、先頃、別所でお見かけしましたから、ひょっとしたら、お留守かもしれません。そしたら御新造様へお渡しして、よくお願いしておいてもらいたいので』
『承知いたしました』
その使が出た後で──
『お世話になったが、明日、出立しようと思います。寺に有合せの、古笠古脚袢で結構です。お恵みねがいたいものだが』
『お易いこと。……だが一体、どこへ行くんです』
『皆目、的はございません』
『的もなくて』
『どうか成りましょう。江戸でいけなければ上方、上方で人間になれなけれあ、中国、九州。──土と鉄気のある土地なら、鍛冶小屋の一軒ぐらいは、どこかに建ちましょう』
浄明はその晩、彼を炉ばたに招いて、芋粥に一杯の酒を温めてくれた。
(人に顔を見られぬうち──)
と、翌る朝は、暗いうちに起き、浄明にも黙って、そっと庫裡の横から戸を開けて出た。
朝の月が、まだあった。
虚空山も、戸隠山も、黒姫も、眠たげな霧につつまれている。ポトポトと、そこらの松や破れ廂から、露が降っていた。
──二足、三足、歩き出した時だった。
露の音すら耳だつ暁方の静寂を破って、ふいに、ぐわあん!──と大空が鳴った。
『おやっ? ……何だろう』
川中島の疎林の上へ、ばッと、小鳥の影が埃みたいに立った。
と、思うまに又、
轟ン──轟んっ──
朝の雲が、裂けるかのような、強い響きである。
彼は、その音響に、気をとられながら、仄暗い山門の下を潜った。そして石段を降りて、十歩も歩み出したかと思うと、
びゅるっ──
どこかで、烈しい弓鳴のするように、空気が鳴って、轟然と、十間ほど先の大地に、大砲の弾が炸裂した。
地を揺り上げられた心地で、はッと恟んだ途端に、小石交じりの土が、焔硝のけむりと一緒に、びしゃッと、飛んで来た。
『──あっ』
と、内蔵吉は、両手で、眼を蔽った儘、大地へ俯っ伏した。
──暫くは、耳も気も、遠くなっていた。
と、程なく。
野駈け支度の藩士たちである。ひどく狼狽した態で六、七名ほど、ばらばらとここへ駈けて来るなり、内蔵吉の姿を認めて、
『やっ、怪我人が』
『深傷か』
走り寄って、彼の体を抱き起した。
石交じりの土砂に飛ばされたのである。腫れ上った顔を抑えながら、
『何、大した事じゃございません』
内蔵吉は、やっと、気がついて首を振った。
『お離しください……大丈夫ですから』
『待て、手当をして遣わす』
『それには及びません』
『駄目だ、顔から、血しおが流れておる、脚も、何うか致さんか』
『ようござんす、離しておくんなさい』
『待てというに』
よほど、責任を感じているとみえ、藩士たちは、無理に、彼の血を拭い、そして薬を塗りなどしていた。
『何うじゃな、怪我の容子は』
そこへ又、一人の組頭らしい藩士が加わって、心配顔に、内蔵吉へ直かに訊ねた。
塗の陣笠に、金箔摺の紋が、朝露に濡れていた。大きな口、濃い眉、そして滅多にない長面の人物である。年ごろは三十がらみとしか見えないが、烱々と光る眼が、むしろ底気味わるいほどだった。
『砲術調練中の過失じゃ。鳥打峠の岩鼻を的に狙撃しておった反れ弾が、射手の未熟のため、こんな所へ落下した。──許されよ。御浪士』
丁寧な謝罪なので、
『はっ』
と、内蔵吉は、思わず、大地へ手をついてしまった。いや何かそういう人物の、威圧に打たれた感じだった。
『幸に、傷が軽微で、此方も重畳じゃ。……歩行におさしつかえはないか』
『お案じ下されますな、さしたる事はございませぬ』
『どこかで、お見かけしたようだの。……はてな? ……拙者は、松代藩の学問所頭取、佐久間修理じゃが』
『あっ、では貴方様が、象山先生でございましたか』
『御浪士は?』
内蔵吉は、はっと、言葉につかえた。
蘭学、医学、海防、砲術、植林、化学と、あらゆる新時代の知識と、東洋の儒学とを併せて、今の時代的風潮の中に、巨人のように、諸藩からも仰がれている人が、正しく、礼儀をもって先に名乗っているのに──嘘は云えない気がしたのである。
と──象山の次の言葉は、苦もなく、彼のためらいを救ってくれた。
『ウーム、思い出した。昨年じゃったか、長国寺の寺内で、刀試しの折に見かけたことがある。──その折の山浦真雄が舎弟ではなかったかな』
『はいっ……』と、是非なく、
『山浦の愚弟にござりまする』
と、内蔵吉は、又、面伏せに、頭を下げてしまった。
今の姿は、誰にも知られたくなかった。然し佐久間象山ほどな人が、兄の真雄の名を知っていてくれたのは欣しい。
象山も、兄の作刀を持っているのだろうか。持たない迄も、観ているに違いない。
刀試しの日も、居合わせていたといえば、刀の鑑識もあるに相違ない。訊いてみたいものと思った。
──が、内蔵吉は、体の痛みを覚えるとすぐ、
(この人に、そんな事を訊いたら、きっと笑い草だろう)
と、怯んでしまった。
此の人の家には、世界の海陸を画いた大きな地球儀があるという。又、軍艦を造る造船学の書、西洋兵術から砲術火薬の書物──そんなもので室が埋まっていると聞いた。
三尺に足らない刀の──刃がこぼれたとか、曲がったとか──そうした問題は、此の人の眼からは、蟻に歯が有るか無いかを、争うような、小さな問題としか聞えまい。
『旅支度の様子らしいが、どこへお出での途中じゃな』
『はい……』と、これにも又、内蔵吉は正しく答えかねて、唯、
『江戸表まで参りまする』
と云った。
象山は、聞くと、
『ほう、江戸へか。偖は、遊学かな。いい事じゃ。若い者はどしどしと、中央へ行って、日本が今、世界の中でどう動いているか、又いかに我が国が今──又将来、多事多難な時代の潮に向いかけておるか。そういう事にも、篤と、眼を啓いて来なければいかん。餞別いたそう』
と、矢立から筆を出して、自身の扇子へ、さらさらと、一枝の桜花と、一首の歌を書いてくれた。
人みなも
咲きいづる時を
あやまらで
さくこの花に
ならえとぞ思う
『今だ。咲き出づる時は今だ。おれの年頃も、世の中の黎明るのも。……何だか、そんな気がするなあ』
彼は、跛行をひきひき、峠を越え、又、峠を越えて、東へ行った。
休むたびに、象山から餞別にもらった扇子を出して見ては、
『──人みなも、咲きいづる時をあやまらで、さくこの花にならえとぞ思う』
を、何度も口で誦ってみた。
深い谷をのぞいた。そして、高い秋の天を仰いだ。
『なんだ! 意気地のない』
彼は、勃然と、自分に肚が立った。象山が何者だと思うのである。こんな扇子をもらって、有難がっているような事で、何うして、大志を抱いて成すことが出来よう。
彼は、扇子を、谷へ投げた。
白い蝶みたいに、それは千仭の底へ、吸われて行った。
『おれは、おれの道を、歩いてみせる!』
そう思って、高原にかかった。雲は、跛歩をひく足よりも低かった。
芒の果から、濛々と、黄色い砂塵が立って来た。
近づくに従って、それは一隊の牛に曳かせてくる鉄車だと分った。およそ二十台もあった。菅笠、陣笠、布笠など、汗にまみれた武士や足軽が叱咤して、牛と人足とを励ましてくるのである。
車の一台一台に、木札が打ってある。
今日も、彼は又見た。それは大砲や西洋式の小銃や、火薬箱を積んだ輸送隊である。
上田、松代、松本の諸藩、榊原家の隊伍にも、これで会うのが二度目だった。──彼はその砂埃りを浴びて摺れ違うと、急に心が暗くなって、道にも迷う気がして来た。
『これからの戦争に、鎚の先で打つ刀などが、物の役に立つだろうか?』
そう考えずにいられなかった。
『調練場で撃つのでさえ、あれほど威力のある大砲。──それにひきかえて、鎚の打ち方の、火加減の、湯の秘伝のと、一本の刀にも、血を吐くような苦しみをして、あげくに、折れ易いとか、曲がるとか、死んだ末代の先までも、とやかく云われる刀鍛冶と──』
彼は、ふと、
『止そうか』
と、嘆息ついた。
そう思うと、一歩もあるけなかった。道ばたの草叢へ、どっかり腰をくだいてしまう。
うつろな眼で、雲を見ていた。──と、母の顔が思い出された。兄の姿、妻の窶れ、子の泣く声。
『──ああ、解らなくなった。象山先生も、何とか云った。日本は今、うごいている。行く手には、国難が横たわっている。──そんな意味だった。何だか、おれの身を云われたような気がしたが』
いくら雲を見つめていても、彼には、時勢が映らなかった。日本の土の上に享けた生命である以上、その身自体が、一つの小さな国体であり、国の迷い国の悩みと共に在ることを──その時まだ、彼のうつろな頭には自覚できなかった。
『もしもし、間違ったら御めんなすって』
と、彼方から急ぎ足に来た足ごしらえのよい町人が、ひょいと、疲れた彼の顔の前で、足を止めた。
『もしや貴方様は、山浦内蔵助さまと仰っしゃいませんでしょうか。てまえは、松代の飛脚でございますが』
『え、飛脚屋。──いかにもわしは、山浦だが』
『柘植嘉兵衛様からの御手紙でござりまする』
『おお、嘉兵衛どのから、追いかけの御返事か』
飛脚は、江戸へゆく途中とみえ、それを渡すと、鳥影のように、高原の道を先へ行ってしまった。
いそいで、封を切ってみると、細々と、故郷の消息が誌してある。
『……ああ、まだ母は、生きているな』
すぐ彼の眼は、潤みだした。
(──兄の真雄も無事、妻子も無事、赤岩村には、何の後顧もない。然るにそちは、何とした事だ。別所の湯町で、ふと姿を見た時、わしは泣いた)
手紙の途中で、彼はそれを拝んで、
『おゆるし下さい。おゆるし下さい』
声を出して云った。
(──だが、満照寺からの、消息に接して、わしの嘆息は、欣びに一変した。当初の志を抱いて、江戸へ立つ由。大慶この上もない。その初志を貫かねば、そちが養家を出た苦衷も、何の意味もなくなってしまうであろう。何事も、顧ずに行け。そしてよい師に就くことが肝腎だ)
と、懇切なことばの後に、江戸へ出たら、同封の紹介状を携えて、幕府のお旗本、窪田助太郎どのの門をお訪ねしてみるがよい──と結んであった。
彼は、迷いの霧を、払われた心地がした。この一人の恩人に酬いるだけでも、剣工として立つ意義がある。
『そうだ。たとえ一振でも、末代に残る銘刀と称われる刀を鍛たぬうちは、この足を、二度と、信州へは向けねえぞ』
彼は再び、傷む脚を鞭打って、碓氷峠を、東へ越えた。
砲や銃を積んだ牛車は、次の日の途中でも、西へ西へと、轍を軋らせて行くのを見かけた。
騒がしい時勢の中に、月日の流れは、殊に早く思われた。
上方には大塩平八郎の乱がある。忘れやすい世間の脳裡から、それが消えると、沿海の諸国から、頻々と、露艦を見た、英艦がうろついている──などと黒船の飛報がはいる。
市井には又、高野長英だの、渡辺崋山だのの、市民を戦慄させるに足る国禁事件が、降ってわく。
──でもまだ、日本は醒めていなかった。むしろ、江戸文化の終りに来ている頽廃的な風は、吉原に、陰間茶屋に、歌舞伎町に、役人の裏面に、町人の遊蕩に、鼠小僧の出没に──いろいろな社会層へ亙って、腐えたる物の美しさと、醜悪を彩る絢爛さに、都会も酔い、人も囈言を云って日を送っていた。
だが。
天保十一年、十二年となると、支那の鴉片戦争のうわさは、海をこえて、日本の上にも拡がって来た。
西洋文化を載せて──偽装した平和の侵略艦隊が、東洋を嗅ぎ歩いて、もう香港、上海まで襲せて来たのだ。
支那は、鴉片を売りつけられ、支那自身が、鴉片の害毒を知って、その洋商を排斥し、その物貨を焼いたのが原因で、侵略艦隊を降りた紅毛兵は、平和の仮面をかなぐりすてて、長江を溯江し、南京城まで攻め上った。
為に、支那は、香港を奪られ、上海を割かれた。
味をしめた利権占領軍は、南風を窺って、次の獲物──日本の近海を、游弋しつつあると、説く者がある。
海防の警鐘は、頻りと鳴って、
(日本、準備せよ)
と、憂国の声は、しきりと伝わる。
だが、江戸は醒めない。
ここの民衆は、余りにも、幕府だけを知っていて、日本そのものの本来の相と、日本全体が見えなかった。
──そうした今年の江戸の夏。
山の手の四谷の一劃は、屋敷町の閑寂な木立に、蝉しぐれが啼きぬいていた。
ただ此頃のこと、この界隈に、炎天の真昼も、時には深夜でも、異様な音が、左門町の木の間から流れてくる。
カーン!
テーン! カーン!
冴えた鎚の音であった。
『窪田先生。あれは、お宅ではないのか』
庄内の酒井家の臣、加藤宅馬と松平舎人の二人が、ふと客間の書院で、耳を欹てて訊ねた。
主人の窪田清音は、
『ム。あの鎚音でござるか』
と、微笑をうかべた。
『そうです。時節がら、鎧でも打たせておいでなさるとみえる』
『刀鍛冶じゃ』
『ほ。──御邸内に、刀鍛冶がおるとは御重宝な』
『そう、重宝でもない。見所のある者故、物置小屋を直して、鍛冶小屋に与えてはおるが、若いし、容貌はよし、天才肌な男なので、女に好かれて困る』
『はははは。そう三拍子揃ったのも、厄介かも知れぬ。何と申す者で』
『信濃の産で、山浦内蔵助、環ともいい、刀銘には、そのほか正行などとも彫っておるが』
『お手許に、作刀がござりましょう』
『ござる。見てやってください』
窪田清音は、立って、床脇から、彼の鍛った一振を取ってそれへ差出した。
鍛ちおろしの中身を一見して、二人は、交〻に、驚嘆した。殊に、加藤宅馬は、鑑刀の眼もきくし、愛刀家といわれていたが、これは、古刀の名だたる銘作と比較しても、遜色のない物とまで──口を極めて賞めた。
『そうかなあ』
窪田清音は、にやにや笑った。
彼自身も、刀には眼利と、人にゆるされておりながら、そう云うのだった。そして、欣しそうな容子がつつめなかった。
『一体、こんな名刀が、どうして、お宅の物置小屋などに、埋れているといっては失礼ですが、世間にも知られずに居るのですか』
二人は、数年前の、兵学の弟子だったが、今度の出府に、挨拶に来たものだった。
だが、今の一刀を見ると、もう他の話は忘れて、熱心に、膝をのり出した。
一片の紹介状を持って、山浦内蔵助が、ここの門を叩いたのは、もうすでに六、七年前になる。
(働いてみい)
窪田清音が、彼に与えた仕事は、ここの足軽奉公だった。
仲間仕事を、二年やった。
(書生に取立ててつかわす)
次の一年は、玄関の取次番に坐り、朝夕、雑巾をつかんだ。
三年目に、初めて、
(何が希望だ)
と、訊いてくれたのである。
内蔵助は、抱負を話した。
(では、見せて遣わす物がある、尾いて来い)
土蔵へ伴なわれた。
(毎日、ここへ籠って、当分、勉強いたすがいい)
と、清音は云った。
刀長持の中には、古今の銘刀が何十振とあった。相州物、備前物、肥前その他、彼がまだ接したことのない稀な名匠の作もあった。
彼は毎日、土蔵の中で、その作品作風を見て、自己の工夫を凝した。そして今──初めて松代の長国寺内でやった自分の行為や言葉を、冷静に振顧って、
(若かったなあ)
と、自分の未熟を、はっきり覚ることができた。
そして計らずも江戸へ出て、良い恩師に就いたことを感謝した。
旗本窪田助太郎は、お広敷番から弓矢奉公まで勤めた人だった。清音と人が称ぶのは、千蔭風の書をかいたり、和歌を詠んだり、国学に通じていたりするので、その方の名が、通称となったものらしい。
講武所取立の折、兵学の講義をうけ持ち、御留守番まで進んだが、もう身を退いて、閑役となっている。年配は六十二、三。──然し、がっきとした体質で、壮年から田宮流の剣道、無辺無極流の鎗術、中島流の火術──とみな一派の師となるほどな腕があったという面影も今、偲ばれる。
で、邸内には、講堂もある、道場もある。
内蔵助は、その文武二つの床に、この数年、いかに教えられて来たか、知れなかった。
その上にも、今また、土蔵の中で、親しく巡り会うことのできた──無数の古人の師。
(ああ、ここはおれの、大蔵経の経蔵だ)
彼は、自分の多幸に、思わずそう云って、感謝した。
その間に、邸内の物置小屋を、少しばかり改築して、鞴をすえ、火土を築き、鍛冶道具も窪田清音が備えてくれた。
土蔵から、彼は、物置小屋へ移った。
然し、彼の人間には、知識の光りと、技倆の上達が、清音の眼にも分るほど付いて来た。
『内蔵助、ちょっと参れ』
『お召ですか』
と、彼は、清音の前へ呼ばれて来た。
今し方、客の酒井家の家臣たちが帰って、間もない後だった。
『近頃、夜は鍛たんようじゃな』
『はい』
『邸にも居らぬ事がままある。どこへ参るのか』
『はい』
『近所の酒屋その他へ、だいぶ借財もあるとの事だが、何でそのように、金費いが荒いのじゃ』
『はい』
『酒は好きか』
『好きです』
『酒だけにしては何うか』
『はい』
『貴様の瑕は、とかく、女子とのうわさが絶えんことだ』
『心得ております』
『心得ながらなぜ自誡せぬ。まだ、これからという分際で』
『女子の方からうるさく付き纒うのです』
『だまれ。莫迦』
『はい』
『──改めて、今日かように、そちの身持について申すのも、実は、其方に取って、大事な機会が参ったからじゃぞ』
と、誡めた後で、清音は、自分の吉事のように、次のような目企みがあることを、彼に告げた。
それは先刻帰った客の──加藤宅馬、松平舎人の二人が発案で、物置小屋の隠れたる名工、山浦内蔵助を世に出すために、武器講という会を立てようというのであった。
つまり山浦内蔵助作刀頒布会なのである。口数を百口として、酒井家は勿論、旗本仲間、各藩の有志に、刷物を廻して、会員を募ろう。額は一口三両とする、そしてその半額を前納してもらい、やがて、内蔵助が本格的な鍛冶小屋を持つ資金としておいたなら、彼の将来には、刮目するものがあるにちがいない。これは、隠れたる天才を世に送り出すものだ。同時に、少額な金で、すばらしい新刀が手に入れば、時節がら、武士の腰にも、精彩が加わろう。──と、そういった趣旨の計画なのである。
『どうじゃな、貴様の心底は』
清音は、彼の為に、又とない機会と、この企てを、欣んでいうのであった。
『結構です』
『結構だけでは心もとない。この企てには、責任があるぞ』
『やります』
『万一の儀があると、発起人、世話人など、連名していただく方々のお顔に、泥を塗る事になるぞよ』
『はい』
『──と、まあ、わしの老婆心じゃ。然し、そちの技倆も、加藤殿のようなお目利が、認めて下さるように迄なって、わしも共々欣ばしい』
『皆、御高恩による所でございます』
『何の、そちの天質と努力のいたす所。今日となっては、もうそれを世に問うて見るも早くはなかろう。滅多にそこらのお天狗な刀鍛冶たちに負けはとるまい。この上とも、精進一途に、大を成すように心懸けい。それには、身も慎んでな。──よいか』
『……はい、はい。分りましてござります』
清音の愛は、師恩を超えていた。情誼に感じやすい彼はすぐ涙になってしまう。誓っていい刀を鍛って酬おうと思った。酒も慎しみ、女も断ち、あらゆる慾望や誘惑にも打ち克って──と、胸のうちで、繰返して念じた。
それから間もなく、「武器講百刀会」は生れた。彼は、その時から、優れたる剣工として、社会へ送り出された。
発起人には、窪田清音や知名の旗本や、酒井家の藩臣たちだの、巣立ちの一剣工にはむしろ過ぎた位な人々の名が連ねられた。
百口の申込みは、瞬くまに、加入者で満たされてしまった。──同時に、物置小屋の鍛刀所では、何かにつけて不便なので、清音の屋敷から遠くない、四谷北伊賀町に一軒借りうけ、そこで、彼が江戸に於ける第一声の鎚音を、初めて、揚げることとなった。
一刀、一刀、又一刀──と、彼の作品は、そこから生れて、百刀会の加入者たちに、籖引の順で渡されて行った。
その裏には、彼の凄まじい精進が、赫々と溶鉄の炉に燃え、骨を削り血を吐くような苦心と研究が潜んでいた。
仕事場に立って、鎚を把ればさながら鬼、深夜、土や焼刃の思念に痩せ苦しむ影はまるで現な幽人であった。そして、朝に、自己の会心の作を研ぎあげて、
しめた!
と、彼自身がさけぶ折などは、まったく神か、嬉々たる児童のような、歓びの姿だった。
──人は、そこまでの彼は見ない。
彼の作刀を見た者は、唯云った。
『これはすばらしい。国広、康継、虎徹、水心子、それから近頃の直胤──なんどにも劣らぬ作だ』
『いやいや、そんな新刀鍛冶の作振とは、懸け離れて、室町、鎌倉期あたりの古人の名作へさえ迫るほどな所がある』
『何しても、格が高い、気品がある。鉄味のよさ、刃作りの妙、相の麗わしさ、又この匂い。師匠譲りの、生やさしい技や口伝だけで、鍛てるものじゃない』
『新刀鍛冶は、みな堕落したといわれておるが、えらい鍛冶が出て来たものだな』
『近来の正宗だろう』
『ム。四谷正宗だ』
彗星のように現われた彼の名声は、ただ秘伝口伝や門流の殻にかくれて、偉そうな切銘と見てくれで無事泰平な鈍刀ばかり叩き馴れて来た無数の刀鍛冶たちへ、
──こいつは?
と、大きな狼狽と、衝動と、刺戟とを齎した。
そこに又、彼に対する、嫉視、中傷の反動も挙がらずにいない。
当時、江戸で巨匠といわれる鍛冶には、二代水心子正秀の一門があり、又、荘司箕兵衛直胤も松代から移って、秋元侯を背景に、下谷御徒町に、堂々たる門戸を張っていたが、そのほかの群小刀鍛冶に至っては、無数と云っていい程あった。それ等がみな、一弦月懸かって萬星滅す──四谷正宗の名声と共に光りを薄くしてしまった。
然し、その名声を慕って、四谷北伊賀町の彼の仕事場を訪ねて行っても、鎚音のしない日は、見つけ出せないほどそこは小かな家だった。
又、彼の刀の切銘は、従来、「信濃国正行」とか「山浦内蔵助」とか又ただ「環」とか、その時々で切っていたが、やがて四谷に住んでから、
源清麿
と、作品に切るようになった。
清の名乗は、勿論、恩師窪田清音の一字。一刀一刀鍛つごとに、鉄へ切り込む鑿のごとく、その人を忘れまいとする彼の気持から選んだ名であることはいう迄もない。
そして、近頃、取った一弟子にも、清人という名をつけてやった。
弟子は、他にも二、三名は取ったが、師匠清麿の烈しい精進に寄りつけないで、よく出たり這入ったりしていたが、清人だけは離れなかった。
清人は仙台生れで、出羽某とかいう田舎鍛冶に就て、修業の下地はあったし、鈍な代りに、正直で朴訥だった。清麿も、仕事ではよく怒りもするが、特別、可愛がっていた。
『師匠』
と、その清人が、或る日云う。
『なんだ、いやに改まって』
『お願いがあるんです』
『おれに?』
『へい。……他じゃありませんが』
『何をもじもじして居るのだ。どうも汝は煮え切らねえ男だ。刀鍛冶が、そんな鈍じゃあ駄目だ。もっと、すっぱりと、歯切れをよくしろよ、歯切れを』
『じゃあ云います。……云い難い事なんですが、今朝、師匠が井戸端で、顔をお洗いになった後、ひょいと流して見ると、師匠の吐いた痰唾の中に、赤いものが交っていました』
『……ム。血だろう』
『じゃあ、御自分でも、知っているんですか』
『いちど、もっとひどく、血を吐いたこともあるから』
『何で、それを打っ捨っておくんです。実あ私は、ずっと前から、お次さんに注意されて、気をつけて見ていたんですが……此頃は、殊に師匠のお体が痩せて来るし──心配で堪りません』
『お次が……そう云っていたのか』
『どうか、御意見をしてくれと、お次さんから頼まれたし……私もそう思うんで、叱られるのを覚悟で申します。──どうか師匠、余り仕事で無理をしないで下さい。それと、お酒を……もう少し減らして飲むわけにはゆかないでしょうか』
清麿は、黙って、俯向いたまま、聞いていた。云われないでも、胸の痩せ、膝の痩せ、病魔に蝕まれている体は、自分の手で撫でてもわかる。
百刀会の百口鍛ち上げにかかると共に、一時は杯を捨ててもみたが、鬼となって、仕事へ打ち込む情熱は、酒へもつい燃えつき易く、一唇触れれば、ままよとなって、一升二升、暮れても明けても、分らない彼の酒だった。
それが、病躯を削ってゆく──
清麿は、知らないではない。
だが、人には云えない、心の内には、人間の誰にもある苦悶の巣がある。──故郷の事ども、其後の母の死、残して来た妻や子や、兄真雄の境遇にも。
『…………』
沈湎と、今、弟子の前に俯向いている清麿の青白い面には、それがありありと刻まれていた。
いつか、十年はあれから過ぎた。その後、故郷に起った禍も皆、自分が残して来た禍根のように責められるのだった。長国寺の事以来、藩老の矢沢監物から睨まれて、恩人柘植嘉兵衛の失脚──兄真雄へのさまざまな迫害──妻のお咲や梅作の身にも、前の養子先の縁者たちを繞って、種々うるさい事情や拘束も起っていると風の便りに聞いている──。
その上に、数年前、自分の居所もまだこっちから知らせぬ間に、母のお菅も死んだとある。柘植嘉兵衛の消息も知れない。
四谷正宗の、又、清麿は名人のと、人はいう。空な名声は晴れがましく云う。
──だが、誰に今、その一剣を捧げよう。
『清人、よく云ってくれた、これから気をつける。だがな、酒だけは、たんと飲らないようにするが、少しは、ゆるしてくれ。愚な師匠と、笑うだろうが、見ないふりをしていてくれ』
裏は藪で、椿の木が多い。木立ちの向うに寺の寺内が見える。
この界隈の屋敷といえば、伊賀者衆の組屋敷だった。
お次はよく、そこの露地を、人目忍んで来る。清麿の家は、破れ垣に囲まれていた。ここも、伊賀者衆が住んでいた古家の跡かも知れなかった。木戸を開けると、空地のように、荒れた庭と鍛冶小屋が東の片隅に見えた。
そっと、台所を覗いて、
『清人さん、いますか』
小声でいう。
『あ、お次さんか。きのう持って来た小鰺は美味かったぜ。師匠も美味いといっていた』
『じゃあ、清麿さんも、喰べてくれましたか。……今日は、お洗濯物が乾いたから、綻びを縫って持って来ました』
『毎度、すまないなあ。お次さんが居てくれるので、まったく、助かるというものだ』
『お師匠様は』
『ぶらっと──出て行ったが、伝馬町の表通りで、会わなかったかい』
『いいえ』
『手紙を書いていたから、飛脚屋へ行って、故郷へ金を送りに行ったのかもしれない。そんな用事だけは、自分でそっと出かけるから』
『お故郷には、残して来たお内儀様と、お小さいのがおひとり居るんですってね』
『おれには、何も話さない。飲まないと、無口な師匠だからなあ』
『この頃、お酒は……』
『やまないよ、あれだけは』
『お体が丈夫ならいいけれど……。それが心配でたまりません』
『酒も酒だが、仕事もいけないなあ。あたり前にやっていれやあいいけれど、師匠のは、一本の刀が鍛ち上がるたび、一本の骨を削って行くようなものだ』
『百刀会の刀は、もう皆さんに渡ったんですか』
『どうして、もう二年にもなるが、まだ何本も仕上げちゃ居ない。金は要るから、あらかた取って費っちまったらしいが、どうするんだろ、いったい』
『他の刀鍛冶のように、手伝いでも入れて、早く仕上げて、次のお仕事をなさればいいのに』
『それが出来ない師匠なんだよ。あれじゃ一本、百両取っても、合やあしない』
『……つい、お喋舌りしてしまった。お師匠様のいないうちに、お部屋の掃除をしておいてあげよう』
彼女が此家へ来るたびに、家の中から、無性な埃りが払われた。
お次は、窪田清音の屋敷にいた小間使であった。まだ、清麿がそこにいた頃、ちらと、男女にうわさが立つとすぐ、苦労人の清音は、穏やかに、彼女を家元へ帰してしまったものである。
──だが、便りはそっと、つづけて居たらしい。清麿が家を持つと、彼女は、叔父の家から、足しげく、北伊賀町へ姿を見せた。
二十一、二の年ごろで、下町育ちの歯ぎれと、情操と才とが、清麿の気もちにぴったり合った。然し彼は、窪田清音の誡しめがあったばかりでなく、血を吐く胸の病竈を自覚してからは、触れてならない花のように見ていた。そして、それを冒しかける自分の心を、時には惧れた。
晩秋となると、この界隈の屋根も廂も、木の葉の雨だ。
今朝も彼は血を見た。──唇からである。
『ゆうべの酒が祟った……』
と、思う。そして慚愧にたえぬ面を井戸に洗う。
鍛冶小屋に霜が白かった。
清人が、朝早くから、一人でコチコチ仕事している。彼自身の作にかかっているのだ。
『どうだ、銘刀が出来そうか』
『あ……お眼ざめで』
『いい、いい、おれの事はいい。今度の仕事は、お前の腕が初めて世間で試めされる大事な一本だ。慥乎、鍛てよ』
『師匠のようには参りませんが、師匠の一心不乱だけは、学んでやる覚悟です』
正直者だけに、清人は、唇を噛みしめて、その一生懸命な意気を、顔つきに描いて見せた。
それは、首斬り役の山田浅右衛門から来た註文なのである。清麿に──という依頼であったが、
(刑場で使う刀は鍛たない)
と、あっさり断ったので、ならば、お弟子の内でもというので、清人を世に出してやる為に、引請けたものだった。
首斬浅右衛門が、誰の作は斬れる、と折紙つければ、剣工として、一人前の札がつく。──慥乎、鍛てよ、と彼が激励したのは、正直で鈍重なこの一弟子に、はやく一人で飯の喰えるだけの力をつけてやりたいと常々念じていたからであった。
『ちょっと、出かけるぞ』
『あ。お出かけですか』
『ム……ちょっと』
そのくせ、清麿自身は、もうここ一月の余も、鍛冶小屋に坐らなかった。
鍛てないのだ。心がそこに向かないのである。
『喰う為という目的だけで、あれ程、仕事に夢中になれる人間は仕合わせだなあ』
外へ出てから呟いた。そして、仕事の熱を求めるように、
(誰の為に、おれは鍛とう)
と、心で思った。
飯の為、酒の為、ただ生きる為だけで──彼は刀は鍛てなかった。なぜならば、彼が刀を鍛つ仕事は、自分で生命を削るのも同じだと──それが分って居るからである。
(母が生きていたら……)
と、その度に思う。思っても効いない事と知りながら胸が傷む。
そして、空虚な心は、酒の魅惑へ、つい囚われた。
──その日も、夜まで飲み歩いて、殆ど、性もなく、木枯らしの中を落葉と一緒に飄々と吹かれながら、平河天神から麹町の灯をあてに来ると、
『やいっ、田舎鍛冶っ』
『労咳病み。待てっ』
誰か分らないが五、六名はいた。──挨拶がないとか、生意気だとか、悪口を喚きながら、清麿を、袋叩きと集って来たのである。獲物の棒切れか何かが、二つ三つ、清麿の痩せた背骨や、腰に中たった。
不意ではあるし、泥酔していたので、清麿は、大勢の中へ仆れた。──然し、仰向けざまに蹌けながら抜打ちに薙いだ刀に、手応えはあった。次の瞬間、意気地なく、わっと大勢が退いたので、その背の一つへ、追い打ちに、もう一太刀、浴びせかけたのも覚えている。
わらわらと逃げて行った跫音の後は、又、ひっそりと静かになった。坂の途中の閉まっている屋敷門の下で、彼は、その儘、血刀を持った儘、いい気もちで、眠ってしまった。
血臭いので、暫くすると、犬が吠えかかった。それに、眼をさまして、彼は又歩き出したが、寒さにだいぶ酔いも醒めかけていた。坂の上まで来ると、夜鷹蕎麦の灯が見える。よろよろと屋台の中へ首を入れた。
『おいっ、蕎麦』
『へい』
『──じゃあなかった。まず先に、一本かな』
『旦那』
『なんだ』
『血がついて居ますぜ、お手に』
『ほう、成程。……手桶に水はねえか』
『御座いますが……はてな?』
『何が、はてなだ?』
凝と、蕎麦屋は、顔を見ている。清麿も何気なく蕎麦売の顔を見つめた。
見たような男なのだ。
先でも、いつ迄も眼を燿かしていた。
『ウム。思い出した。──もしや旦那は、信州の山浦という刀鍛冶の弟じゃないかな』
『お。……蕎麦屋さん、お前とは、松代で会った事があるな』
『ある』
『長州の浪士と云ったか、藩士と云ったか、忘れたが、たしか名は金子重輔』
『よく、覚えている。いかにも、自分は金子重輔だが。……おぬしは、江戸へ出ていたのか』
『夜蕎麦売とは、変った渡世をしているな。おれも、彼の日が、生涯の岐れ道になって、とうとう、つまらない刀鍛冶に成っている』
『そうか。して刀の切銘は』
『山浦清麿』
『えっ、近頃、四谷正宗といわれる清麿とは、おぬしのことか』
『面目ない。そんな大したもんじゃねえ。……ああ、あんまり意外な人に出会ったので、酒がさめちまった』
『飲もう! ……。こっちへ這入らないか。火もあるぞ』
『お前さん、まだ、本職の蕎麦売じゃないな』
『元より、これは仮の姿だ』
『ふウム……。この寒空に、粋狂な、何でこんな真似をしているんだ』
『粋狂? ……そう見えるか。江戸の人間には、そうも見えようなあ。おぬしのように、明日の日本が、何うなるかも知らず、飲んで、囈言吐ざいて、虫けらみたいに、生きている奴が大概だから』
『何。……何だと』
『まあ飲め』
屋台の裏で、空箱を腰掛けに、行火を挾んで二人は対い合っていたが、清麿は、重輔の今の一言に、さっと、冴えた顔から、鋭い眼をすえた。
彼が怒ったので、金子重輔は、
『では、虫螻と云った理を聞かしてやろう』
と、肱を張って云った。
今、日本は、開闢以来の危機にかかっている。
海の外を見ろ。支那を見ろ。
英、仏、露、など諸外国の虎視眈々と日本の隙間を窺っていることを考えてみたら慄然としようが。
だのに、江戸はこの頽廃ぶりだ。幕府は無能だ。──誰が、神国のこの危機を救うか。われわれはもう、腐えた幕府などはとうに見捨てている。
この時、これは神示だ。
われわれが、仰ぎまいらす御方は、一天の大君しかない。だのに、その御所の御衰微の様といったら何うか。
口にするのも勿体ない、涙がこぼれて云えない。
『……貴様、知っておるか』
金子重輔は、涕涙して暫く、口を緘んでしまった。
彼は又、熱心に言葉をつづけ、日本の国体から説き起して、二千余年の治乱を語り、幕府の悪政による朝廷の御式微がどんなに下々の想像もつかない程であるかを話して、
『ただ、幸には、幕府は腐っても、この国体はまだ腐っていなかった。今のうちに、尊王の大義を建て、外夷を討つ計を立てなかったら、この日本は、支那と同じ轍をふむほかない。──日本に生れながら日本を知らず、酔生夢死に世を送ってしまう奴らを、虫螻と云ったのは、おれの間違いだろうか』
と、一気に云い終って、清麿の顔を見つめた。
『…………』
清麿は、身を凍らせて、凝と、聞き澄ましていた。唇の色まで霜風にふかれて蒼かった。──然し、彼の性来多感の血は、少年のように、皮膚の下に沸り立っていた。
『ありがとう』
慇懃に、頭を下げて、礼をいうと、重輔はかえって、揶揄されたかと思って、
『何だ、それは』
『慎んで、お礼を云います。もし今夜、貴方に会わなかったら、私は、虫けらで生涯を終ったかも知れなかった』
『オ……解ってくれたのか』
『解らずに何うしましょう、胆にこたえました。──同時に、剣工として、自分がこれから鍛える心の的もつきましたが、まだ一つ、疑いがある』
『疑い? ……それはわしの云った事にか』
『いや、自分の仕事に就て』
『どういう事か』
『時勢は、移ってゆく。武器もどしどし進んでゆく。兵術も洋式になる。──そうした世の中では三尺に足らない刀など、今に、進歩した砲術の前では、針ほどな役にも立たなくなるのではないでしょうか』
『……ウウム』と、重輔も、それは深く考え込んで居たが、軈て、
『そうだ、それは佐久間象山先生に聞け。象山先生のほかに、その答を明確に云ってくれる人はあるまい』
『あいにくと、てまえはまだ、信州へは行かれません』
『何、松代まで行く必要はない。先年から藩公に従いて、象山先生は江戸へ出ていらっしゃる』
『えっ、江戸に御在府でございますか』
『内密だが、自分も密かに、出入しておるから、日を見て、一度先生のお宅で会おう。猶、いろいろと話しもあるから』
と、他日を約して、その夜は別れた。
西洋真伝兵学砲術教授所
表門に、看板がかけてあった。
木挽町五丁目の佐久間象山の江戸屋敷である。約束の日に、清麿はそこへ行った。
金子重輔は、先に来ていた。その日は、いつか見た姿とは変って、どこから見ても志士らしい侍の服装になっていた。
『十数年前、信州の小島村で、お目にかかった山浦清麿でございます』
彼の挨拶を聞くまでもなく、重輔から話を聞いていたので、象山は、
『よく来たのう』
と、当時を追懐して、今の刀匠清麿を懐しげに見た。
そして、清麿から、例の疑いを、問い出さないうちに、象山から云った。
『──聞けばそちは、将来、西洋兵術や砲術が進めば進むほど、日本刀は不要になりはせぬかという迷いを抱いているそうだが、余人の凡工なら知らず、山浦清麿ともある者が、そんなことでは困る』
と、前提して、
『剣は、武士のたましいだ。武士は国体の衛士だ。この国土のある限り武士道はある。武士のある限り、武士のたましいたる剣もなくてはならぬ。──わけても日本刀は、洋刀とは違う。それを鍛つ者の精神、それを帯びる者の精神、二つながら違う。もし、その精神が錆びたり、その精神が失われるようなことがあったら、日本は亡ぶ日だ。──だから日本の亡ぶ日まで、日本刀は朽ちさせてはならぬ。不要になるなどとは、以てのほかな夢想で、鍛て、もっと、その信念を以って鍛て』
西洋学者といわれた象山の口からそう云われたのである。清麿は、もう迷わなかった。
(剣工! ああ、よくもおれは、この天職を掴み取った。そうだ、日本の剣工でなけれやいけない)
ここへ、来る前の彼と、帰ってゆく時の彼とは、姿は同じでも、既にちがっていた。
礼をのべて、帰る際に、象山へ、
『お座右へ置くには足りませぬが、いずれ一口、その心をもって鍛ったものを持って参りまする』
と約して別れた。
──その戻り道。
木挽橋の上で、ちらと、摺れちがった年増の茶屋女風の女が、
『──あらっ?』
と、往来の人の間から、軽い驚き声を投げた。
振顧って、清麿はハッとした。別所で別れたお寿々だった。
橋向うまで馳けて、そこの辻駕へ飛び乗った。
行く先も云わずに乗ったので、駕屋は、
『旦那、急げ急げって、何処まで行くんです』
『柳橋辺りでいい』
つい、云ってしまった。
いつも飲む家の門である。──どう自分の天職に自覚を持っても、酒だけは、だめだと思った。酒とは、終生、縁が切れそうな自信もない。
『ああ、何日か会うものだなあ』
お寿々を頭に描きながら、その日の帰りも、深酔いして、家へ戻ると、夕闇の畳の上へ、ごろりと転寝をしてしまった。
と、勝手の方で、
『清人さん。……たいへんです、ちょっと来て』
お次の声がした。
清人は、仕事場から出て行った。
『なんだ、大変て』
『左門町に、固山宗次という、弟子の沢山いる刀鍛冶がいるでしょう』
『箆棒め、弟子が大勢居たって、宗次の刀なんぞ、鈍刀番附の横綱だ』
『そんなことを告げに来たんじゃありません。その宗次の弟子が、何処かで、家のお師匠様に、斬られたことがあるんですってね』
『へエ。……聞かねえが』
『その事だの、遠い前の事だの、種々と、遺恨が積っているから、清麿のやつを斬ってしまわなければならない。今夜は斬り込むのだと、ゴロ浪人まで入れて、刈豆店の居酒屋で飲んで居ますとさ。いつもここへ来る時、買物に寄る、煮豆屋のおかみさんが教えてくれたんです。……清人さん、お師匠様は』
『うたた寝していら』
『まあ……。何うしましょう』
『何うしよう』
と、清人と一緒に顫へ上って、そっと、清麿の寝顔をのぞきに来た。
清麿は、眼をあいていた。そして、清人から聞かないうちに、
『抛っとけ抛っとけ。だが、いくら蚊みたいな奴でも、沢山来ちゃあ、うるさいから、玄関の両側に、薪をうんと積んで、蚊いぶしの代りに焚火をしておけ。──いいか、そして門の戸も、裏の木戸も、残らず開けっ放しにしておくんだ』
『師匠……。お酔いになっているんでしょう』
『ばか。酔っているか居ないか、これを見ろ』
抱いて寝ていた自分の一刀を、寝たまま抜いて、ぱッと夕闇を横に薙いだ。
『──あッ、あぶないっ』
清人は、台所へ飛んで来た。
お次は、御家人の娘だけに、そう聞くと、
『仰っしゃるように、して置きましょう』
と、家の中も、表も裏も、皆開け放して、二、三ヵ所に、大袈裟な焚火をしておいた。
『どうなるんだろ?』
と、清人は、生きた心地もない。むしろ落着いているお次を力に、息をころして隠れていた。
やがて、固山宗次の弟子やゴロ浪人は、獲物を持って、襲せて来たが、がらん──と開け放してある家の中と、どかどか燃え旺っている火を見ると、
『……おやっ?』
『はてな?』
立ち竦んで、垣の外を、やや暫く、こそこそしていたが、そのうちに町廻りが来たので、わっと逃げ散ってしまった。
清人は、飛び出して、手を打った。
『わははは。ざまあ見やがれ。師匠、もう逃げちまいましたぜ』
お次は、手桶の水を、火にかけて消していた。
むっくり起き上って、清麿は、
『折角、今夜は夜半から、仕事にかかろうと寝ているのに、うるせえ奴だな』
『師匠、今、燈火をつけて持って来ますが、ひとつ鑑て戴かれましょうか』
『なんだ、鑑てくれとは』
『お蔭様で、山田浅右衛門から註文された刀が、やっと仕上りましたんで』
『ほう……』と、ニッコリして、
『出来たか。どれ見せろ』
清麿が欣んでくれたので、清人は、行燈を片手に、白鞘に仕立てたばかりの一口を持って来て、差出した。
清麿は、鞘を払って、凝と、眉をよせていたが、ずかっと起ち上るなり、
『だめだ。こんな物!』
閾の隙に突っ込んで、ヘシ曲げてしまうと、がらりと、庭先へ投げ捨ててしまった。
『あっ……師匠っ』
清人が、泣き声を出すと、
『何だ、惜しそうに。あんな物なら鍬鍛冶でも鍛つ。小手先でもヘシ曲がるような飴細工を、清麿の弟子の刀といわれては、おれの名折れだ』
『……へ。……へい。……済みません』
『刀とは、こうして作るものだ。仕事場へ来いっ』
もう、そう云った時の顔つきから、清麿の面には、ここ久しく出なかった、仕事への凄まじい情熱──あの夜叉にも似た血相が漲っていた。
その夜から師も、弟子も、厠にゆく時のほかは、鍛冶小屋を離れなかった。
夜半も、鞴が唸り、鉄敷の響きが洩れ、冬の月へ、凍て返った。
幾日も、幾夜もつづいた。
帰るにも帰られず──お次は母屋にいて、そこへ、握り飯を運んだり、表へ来る借金取りの云い訳に、手をついていたりした。
『もしえ? ……ちょっと伺いますが』
と、小粋な中年増が、門を覗いて云った。
『こちらは、山浦清麿さんのお住居ですってね』
『ええ、そうです』
『あなたは、御新造さんですかえ?』
女の眼は、妙に鋭く燃えているので、お次はすこし脅えながら、
『いいえ……』と、答えると、
『ホホホホ。そうでしょうねえ。此の家に、他に御新造様などがいてたまるもんじゃないからね。どこに居るんです環さんは』
『環さん? ……そんなお方は』
『いえさ、今の清麿さんの昔名前さ。わたしゃあ、あの人に、用があるんです。ちょっと、そう云って下さいよ』
『今は、お取次ぎができませぬ』
『どうしてさ』
『叱られます』
『いいから、そう云ってお出でなさい。別所のお寿々が来ましたといえば、何を打ッちゃっても、飛んで出て来なけれやあならない義理合いがあるんだから』
『……でも、それは、御無理でございましょう。会わないと仰っしゃっている時は、誰方が、何といおうが』
『会わせないというのかえ。──あ、あれは、鍛冶小屋の音だね。お前さんなんぞの取次ぎは待たないからいい。自分で勝手に会って来るよ』
家の横へ廻って、裏へ行こうとするので、
『あっ、いけません。──もしっ』
お次が、裸足で飛び降りて、彼女の前を遮った。
『なにさ? 出洒張って』
お寿々は、お次を突き飛ばして、小走りに駈け込んで行った。見ると、露地つづきの裏のすぐ彼方に、注連縄の張り廻してある黒い鍛冶小屋の入口がすぐあった。
仕事の権化となっている清麿には、彼女が、小屋へ這入って来たのも知らずにいた。お寿々は彼の姿をそこに見ると、くわっとして、いきなり、
『お前さん! ……。よくもわたしを、お忘れだね。いえさ。よくも、私の姿を見ながら、何日か木挽橋では、逃げましたね』
と、清麿の胸ぐらをつかんだ。
清麿は、驚くよりも、猶、仕事のうつつから醒めないで、
『え。……誰だ。おまえは』
『誰とは何さ』
甲だかく、お寿々は、泣き声をふくんで呶鳴った。
『シラを切るのもいい程におし。別所のお寿々を忘れて、お前さんは済むのかえ』
『あ……おう……お寿々か』
『さ! 話があるから、出ておいで』
『うるさいっ』
『何だって!』
『何もくそもない。注連縄が見えないかっ。ここは山浦清麿の鍛冶小屋だぞ』
『知ってるから来たんだよ。もうお前なんぞに、未練はないが、く、く、くやしくって堪らないから』
『出ろっ、出てゆけ。不浄だ。小屋が穢れる』
『穢れるだって。よくもそんな口が』
『ええいっ、出ないか。撲るぞっ』
『若い娘なぞ、引ッ張りこんで、私を、不浄なんて、口惜しい、離すものか……』
『うぬ、出て失せぬか』
『出て行って、たまるものか』
『よしっ』
清麿は、力まかせに、突き出した。それでもまだ、お寿々は、躍気とかかって来るので、小脇に引っ抱えると、裏木戸から、寺の寺内へ抛り出した。
『清人! 小屋を一度掃き出して、塩を塩をっ』
自分の鍛つ剣に、自分が抱いた新しい信念を吹きこんで、その一口を、彼はまず、佐久間象山へ贈ろうと、発心したのであった。
彼は、その一刀を。
又、弟子の清人は、鍛ち直しの一腰を。
師弟二人が、共に、対い合って、あだかも鍛ち競べをするかのように、不眠不休といってもいい精進を、十数日もつづけていた。
ふと、対い合っている弟子の鑢の音が止むと、
『清人ッ』
『……はア』
『眠いのかっ』
『い、いえ』
『なんだその眼は。てめえの作る刀の未来も分るぞ、眼からして、もう赤鰯だ。──水を浴びて来いっ』
『へいっ』
清人は、深夜の井戸端へ駈け出して、氷の棘が生えている釣瓶縄を見ながら、真ッ裸になるのだった。
『おれも浴びる』
と、清麿も来て、仕事着をかなぐり捨てた。
肋骨の出ている細い肉体に、冬の風がふきつけた。清人は、吃驚して、
『師匠、と、とんでもない。……滅茶だ、そんなお体で』
『ばかあ云え。おれの体には、注連縄が張ってある』
『後生です……止めておくんなさい。神様へ向ってなさる行ならば私が、師匠の分も浴びておきますから』
『心配するな。実あ、てめえを叱りながら、おれも眠気に襲われて来たのだ』
笑って、彼も一緒に、釣瓶の水をざっと浴びた。
鑢かけして、相造りが終ると、焼入れにかかった。弟子に教えることは懇切だった。だが、清人は清人だけの才分しかなかった。何か、気に触れた時である。清麿は、彼の脳天から、雷鳴のように呶鳴った。
『止めちまえッ! 刀鍛冶はっ』
そして、いきなり蹴飛ばして、研桶の水を頭からぶッかけた。
外へ、転がり出した上、研ぐその水に、濡れ鼠になった清人は、もうほんとに、刀鍛冶は止めてしまおうと思ったのか──冬陽の日向へ立って、男泣きに泣いていた。
張板を立てて、襤褸を洗い張りしていたお次は、気の毒そうに、そっと寄って。
『どうしたの……どうなすったの……』
『かまわないでくれ。……おらあ、唯、自分が鈍に生れたのが恨めしい』
『又、叱られたんでしょう。ここが、怺えどころですよ。何んな職業だって、修業の道は辛いものと極っています』
その時、玄関の方で、
『頼もう。──山田浅右衛門の使の者でござるが』
と、厳めしい口のきき方をした使者の訪れが聞えて来た。
催促である。
お次が、出て行って、聞くと、
『註文の刀は、ぜひ年内に欲しいのでござる。──という次第は、鍛ち下ろしを戴いた翌日──いつも朝の未明でござるが、罪人の死体をお上より申しうけ、新刀試しをいたしておきたいと主人が仰っしゃる。──それには、初春にかかっては、何かと、困り申すので』
口上は、裏の方まで、よく聞えて来た。
清人は、威勢よく、涙の顔をこすって、仕事場へ這入って行った。
『師匠。……すみません。これから、自分の愚鈍へも鑢をかけて、猶、一生懸命にやりますから、どうか、もっと叱って下さいまし』
年暮に押迫った極月の二十七日頃。
小塚っ原は、霜柱で真っ白だった。然し、空は暗く、夜はまだ、明けるにだいぶ間があった。
千住の宿場遊廓から飛んで来た帰り駕の提灯らしいのが、どう道を勘ちがいしたか、刑場の原へぶらぶら迷いこんで来る様子──
『おや、馬鹿野郎め、狐にでも化かされやがったんじゃねえか』
番小屋にいた非人の二人が、のそのそ出て行ってみると、空駕はすぐ町の方へ引っ返して、後の原っぱに、酒くさい男が一人、ぼんやり立っていた。
『御浪人、ここは通り道じゃねえぜ』
教えてやると、素袷一枚の痩せた男は、知っている──と頷いて、小判を一枚、懐中から出し、
『少いが、これは手土産だ。その代りに頼みがある。明日の早朝、ここで山田浅右衛門が、胴試しにかける罪人の死骸を、朝までおれに貸してくれないか』
と、云うのである。非人は、不審顔して、
『悪戯されちゃあ困るが』
と、金も欲しそうな顔すると、
『はははは。悪戯するどこか、抱いて寝るだけのことだ』
──こいつは、酔っぱらっている。非人は顔を見合せてくすくす笑った。金は取って置かなければ損と当然に考えた。
『その筵小屋の中に入っている死骸がそうだ。外へ持ち出しちゃいけねえぞ』
指さすと、酔いどれ浪人は、這い込んで行った。非人は、腹を抱えて笑った。程経てから又、そっと外から覗き込んで、
『あれ……ほんとに、死骸を抱いて寝ちまやがったぞ。酒くせの悪いやつもあるものだな』
と、呆れ顔を見あわせた。
一方は、
『起せ起せ』と、云ったが、
『まだ、空は暗い。浅右衛門様のお駕が見えてから、抓み出しゃあいいだろう。一両の宿賃だ。もうちっと、寝かしておいてやれ』
と、放っておいた。
辺りが白みかけると、山田浅右衛門と二、三名が来て、形の如く、死骸を土壇にすえた。ゆうべの酔っぱらい浪人は、いつのまにか、消えていた。浅右衛門は自身、鍛ち下ろしたばかりの新刀──清麿の弟子斎藤清人が鍛えた一口を試して、
『存外、斬れる』
と、評しながら、間もなく帰って行った。
正月の二日早々。
清人の所へ、山田浅右衛門の宅から、斬味を賞揚した礼状一通と、酒肴代とが届いた。
清人は、その手紙を持って、年始に歩いた。何処へ行っても、それが自慢だった。──ところがそれから一月も経ってから、彼は、お次から囁かれた。
『清人さん、あまり自慢し散らさない方がよう御座いますよ。お師匠様のお情も知らないで』
『ばかいえ。あの刀は、鋼卸しから研ぎ上まで、おれの手で鍛えたのだ』
『それはそうでしょうが、浅右衛門の手にかかって、斬れ味のよかった理を知っていますか』
『おれの腕が確かだからよ』
『そうではないでしょう。極月の二十七日の晩、お師匠様はお留守でしたろ』
『遊びに出かけて、翌日の昼間、頭の重い顔して、帰っておいでなすった。酒のことは、いくら云っても無駄だから、もう御意見は云わない事にした』
『何を云っているんです。……あの晩、お師匠様は、清人さんの刀が見事斬れるか斬れないか、それを心配する余り、家へ帰らなかったんですよ』
『えっ、神信心にでも行って下すったのか』
『いいえ。お帰りになってから、私が、着物を畳んで上げると、何ともいえない嫌な匂いがするので──オヤ、死人臭い──と迂っかり云ったら、お師匠様が、きっと私を見て、黙っていろ、と恐い眼をしてこう仰っしゃったんですよ』
『ど、どう云ったんだ』
『──浅右衛門の胴試しに会って、もし、清人の刀が、斬れなかったら、あいつの一生涯は、浮かばれない事になるから、小塚っ原の非人に金をくれて、試しにかける死骸を借り、明け方まで抱いて寝て、死骸の肌を温めておいたんですって』
『……えっ、師匠が、死骸を抱いて寝たんだって』
『わたしは、初めて聞きましたが、凍っている死骸を斬るのと、人肌に温もっている死骸を斬るのとでは、まるで斬れ味がちがうんですってね』
『…………』
清人は涙もろい。お次からそう聞くうちに、もう両腕に顔を埋めて、彼女の方へ背中を向け、しゃくり上げて泣いているのだった。
『……まあ、又泣いてしまって。清人さん、お師匠様の心が分ったら、泣かないでも、それを、胆に銘じておいて、いつか御恩返しをすればいいじゃありませんか。……お師匠様も、きょうは、去年からかかって、一心に鍛ち上げたお刀を持って、佐久間先生とやらのお屋敷へお出かけだし……さ、泣かないでよ。ね、清人さん、鶯が笑っています』
裏庭の梅花はもう綻びかけていた。
長州訛の侍、薩摩弁の侍、柳河藩の某、荘内藩の誰──と、木挽町の西洋学者の門を出入する志士風の者はかなり頻繁であった。
清麿も、その一人だった。
彼が贈った一作は、いつも、象山の座右に置かれていた。
そこで、幾多の志士と、清麿は知り合った。若い志士たちの理想や議論をだまって聞いていた。
──が、彼は同時に、世間の如才ない、刀鍛冶のように、金次第のいわゆる御差刀料などは作れなくなってしまった。
貧乏は、彼を追いつめてくる。
お次は、何という宿縁か、妻ともなく、その貧苦と闘って、
(大馬鹿者)
と叔父から云われ、勘当の身となってしまった。
彼女は、それを、むしろ幸として、
『一生涯でも、清麿さんの仕事場へ、研水を汲んであげれば、わたしはそれで本望です』
と、清人に洩らした。
清人は、嘆息をもらして、
『もう、お故郷の方に、義理立てもないのだろうが、師匠は、若いお次さんに、胸の病をうつしたくないからだぜ。女房にしないからといって、それを恨んじゃ違うぜ』
『知らない』
部屋へ走りこんで、彼女はひとりで泣いているらしかった。
『きょうは、お次さんの泣く番か』
清人が、そんな冗談を云っていると、窪田清音の仲間が使に来た。──お次は又、はっと、顔色をかえた。
(もしや何か? 自分の事で)
と、恟々していたが、そうではなかった。何か用事があるから、清麿が帰って来たら、すぐ屋敷へ来るようにという口上なのであった。
ずっと、不沙汰なのである。江戸へ来てからの恩を、忘れ果てたわけではない。
武器講百刀会の刀はまだ四半分も鍛ち上げていない。どう自身でも心を責めても出来ないのである。しかも、前取りした金はとうの昔に費ってしまっている。
閾の高い思いを越えて、清麿は、恩師の前に、面目ない顔を伏せた。
『どうした。ひどく痩せたじゃないか』
清音に、そう云われる程、彼は辛い気がした。
『──そう改まるな。今日呼んだのはほかじゃないが、武器講の一件だ。弱ったのう。彼方此方から、矢の催促はまずよいとして、余り長びくので、近頃は、そちに対して、種々な取沙汰だ』
『御恩を仇で返したような始末、何とも、お詫びのいたしようが御座いません』
『わしの立場か。……ムム、それもわかっておるじゃろう。──だが、もっと案じられるのは、そちの立場だ。近頃、そちはよく、勤王方の志士たちと、往来しておるそうだな』
清麿は、ぎくとした。恩師清音は、幕臣である。
『──で、近頃そちも、わざと足を遠くしておるなと察しては居ったが、武器講のお世話人、加藤宅馬殿を初め、多くは皆、幕府方の人々じゃ。なお、始末が悪いわい』
『おことばでござりますが、清麿は刀鍛冶でございます。天子の民、日本の一鍛冶と生れたことを、果報と思っておりますが、何処までも、てまえの使命は刀を鍛つことと、分を存じておりますから、勤王方の志士たちと、往来はいたしておりましても、幕府を倒す運動などに、組しているわけではございません。それだけは……』
『待て──』清音は、抑えて、
『その善悪を、糺すのではない。唯、お前に告げておくのは、わしの見るところ、この儘では、お前の身辺が危いことだ。そちの本心は、どうあろうと、幕吏が眼をつけて、縛り上げようとすれば、いくらでも罪悪の名目はつけるぞ』
『はい』
『ここ暫く、江戸から足を脱け。ほとぼりが冷めたら又帰って来い』
『でも、武器講の御迷惑をかけ放しでは……』
『偽りを申すな。今のそちの精神として、幕府方の侍共の腰の刀が鍛てるはずはない。江戸に居たとて、出来るものか』
『…………』
『金の方も、後の始末も、清音が身に負って致してつかわす。何処なと、当分、遠国へ行っておれ』
『……はい。死後までも、御恩のほど、忘れませぬ』
『そう感じてくれたら、一刀でもよい。大君を護り奉るに足るような銘刀を鍛て。──この窪田清音は、徳川譜代の臣じゃ。今にも、事こそあれば、喩え勤王方の兵であろうと、この老骨に、伝来の一腰横たえて、戦うやも知れぬ』
六十も越えて、眉もすでに白い人の、その眸の奥に、清麿は初めて、真の徳川武士というものを見た心地がした。
清麿が、江戸から、忽然と姿を消してしまったのは、それから数日の後だった。
窪田清音は、来訪の客を見るたびに、
『不届き至極な奴でござる。──見つけ次第に、お報らせ下さい。槍鞘払って、一突きに、成敗してくれまする』
と、非常な怒り方であった。
客は皆、
『武器講の金を蓄え置き、逐電したものでござろう』
と、云った。清音も一緒に、
『あやつ、平素から、金には汚い奴で』
と、罵った。
今になって──と、陰で清音を非難する者もあったが、始末は悉皆、清音がつけたので、日が経つうちに、人々も、問題にしなくなってしまった。
世は、愈〻騒がしい。
漸く、江戸の民衆にも、時勢の動乱が、眼にも、耳にも、解って来たのである。
弘化、嘉水と、年号の短く変るのまでが、慌しい感じを世に与えた。
どこに隠れていたのか、山浦清麿は六、七年ぶりで、ぶらりと、江戸へ戻って来た。
(家があるかしら?)
と、すら思いながら、北伊賀町へ来てみると、清人は仕事場にいた。お次は、米の磨水を流していた。
『よく鍛冶小屋を護っていてくれた。だが、二人とも、変ったなあ』
『お師匠様こそ』
三名は、お互いに、茫然として、何から話そうという事も、俄に思い出せなかった。
清麿は、今日まで、何処にいたとも語らなかった。──だが、彼の死後に現われた刀の切銘には、「長州萩城ニ於テ作ル」としたものや「村田清風先生ノ為ニ鍛ツ」と切った作刀がかなり見られるので、長州に潜伏していた事は、想像に難くない。
江戸に帰った後も、彼の生活は変らなかった。又、信念も変らなかった。
象山はあれから後、一度帰国したが、次の出府には、清麿も又、江戸に戻っていたので、木挽町に行くことも、前と変らない。
金子重輔と一緒に、吉田松陰と会ったのも、木挽町のそこの書斎であった。松陰とは、その時が初めてではない。清麿が長州にいるあいだ、幾度か、その人の風には接していた。自分よりはずっと年下であったが、清麿には、忘れ得ない人のひとりであった。
その松陰は、江戸からすぐ又、長崎へ向って立つと聞いたので、清麿は、自作の小柄一本を餞別にと持って、翌日、象山の家を訪うと、
『惜しかったの、もう今朝立った』
というので、彼は落胆して、帰りかけた。
すると、象山は、
『実は……』と、彼に松陰の旅行の大事を打明けて、
『わしも、松陰が立った後から、彼の大望を激励する意味で、一詩を書いたが、もう間にあわぬものと、ここに巻いて淋しく思うていた所だ。そちが心をこめた餞別もあるなら、今から急げば追いつけぬこともない。何とか、手渡したいものじゃが』
と、云う事なので、清麿は、
『承知しました。先生の詩を御覧になったら、猶更、感激なさるでしょう。お話をうかがえば、これが生死のお別れになるかも知れぬ門出、ぜひお渡しいたしましょう』
と、引受けて、東海道を追いかけてゆき、自分の気持と、象山の依頼とを果した。
彼を待つ大きな運命は、その日駈けた道にあった。すぐ翌年──それは安政元年となった三月──吉田松陰と金子重輔のふたりは、下田港からペルリの軍艦へ近づいて、暗夜に乗じ、密航を企てたことが失敗して、幕府の手に捕えられた。
送別の詩が、禍して、象山も国元松代で幽閉の身となった。
当然、清麿にも、疑いがかかった。然し、小柄に彼の切銘はなかった。唯、象山と彼との間に誰か、連絡をとった者があるらしいという程度であった。
その儘、夏になっても、沙汰はなかった。秋になっても、呼出しは来なかった。
──だが、彼が絶えず、何ものかに、備えている覚悟は、お次にも、清人にも、薄々わかった。
清人は、お次にそっと、囁いた。
『師匠は、この頃、いつでも懐中に、画家の川辺さんから貰って来た緑青のつつみを隠して持っているようだぜ……』
『えっ、緑青を……?』
彼女もまだ、そこまで切迫した清麿の気持とは思っていなかったらしく、そう聞くと、真っ蒼になって、唇をふるわせた。
夜もすがら、木の葉雨がわらわらと、破れ廂を打つので、時折、眼がさめる。
しいんと壁が寒い。──十一月の中旬である。
寝床についてから間もなく、
とんとんとん──
表の門を叩く者がある。
清麿は、天井へ眼をひらいた。手はすぐ蒲団の下の刀へ行った。
『──はい』
茶の間に寝ていたお次が答えてしまったのである。……しまった! と思ったがもう間にあわない。
急いで、帯をしめて、お次は出て行った様子である。遂に来る日が来たのだ。ぜひがない。
覚悟は、日常にある。
万一捕まって、白洲に曳かれ、拷問の苦痛と、幕吏から恥辱をうけるのは堪え難い。──いや堪え難いのみでなく、生身の体だ、その苦痛に克ちきれなくなって、この口から、万一にも、勤王方の不利なこと一点でも洩らしたら愧死しても足りないことだ。
又、もう一つ彼の惧れたことは、大恩のある窪田清音の身に、禍のかかる事だった。それを避けるには、自分の「死」以外に安全な道はない。
清麿は、すぐ、台所へ走った。
手桶の柄杓をつかみ、氷を割って、水を口に含んだ。
常に持っている小さい紙包みを、顔の上に逆さにして、緑青の粉を、一口に仰飲った。
そして又、急いで、水桶から水を掬い、ぐいと飲みほした。青い粉末がすこし溶けて、唇を燐のように光らした。
『いつでも来い!』
大刀を横たえると、彼は、死へ向って、こう叫んだ。
──その時、表へ出て行ったお次が、あれっと、悲鳴をあげて、ばたばたっと、逃げ惑うような跫音を立てた。
『逃げることはないよっ。──もしっ、お次さん、お次さんてば』
彼女の開けた門から、途端に、そう云って駈けこんで来たのは、お寿々であった。
台所の露地から、走って出た清麿は、うぬと喚いて、出会いがしらに、刃を抜き浴びせた。
『──あッ、た、環さん』
その絶叫は、半、死へ心の行っていた清麿を、愕然とさせた。お寿々とは、夢にも思っていなかったのである。──環さん、遠い昔の名を呼ばれたのも、彼の胸をふかく衝いた。
『……だめ、だめ。……わたしを殺しては。……わたしは、報らせに来てあげたのだ。今夜、わたしの奉公しているお茶屋へ飲みに来た岡っ引から、ちらと聞いたので』
『お寿々』
清麿はぺたっと、側へ坐った。
『お、お前とは、知らなかった。……お、お寿々……』
霜に俯っ伏した朱まみれた顔は、もう応えがないのだった。
よろよろと、立つと、彼方の闇に、凍ったように恟んでいたお次は、
『お師匠様ッ……』
と、彼の胸へ、駈け寄るなり、縋りついて、わっと泣いた。
『き、き、来ました。……とうとう、おわかれの日が』
『捕手か!』
きっと、振向くと、垣根越しに、裏隣りの寺の寺内を、チラチラと駈ける提灯の光りが、透いてみえる。
近所の屋根の上にも。そして、物の気配にも。ぎゅっと、肌を緊めてくるような一瞬が、体じゅうをそそけさせた。
笠だの、合羽だの、草鞋だの、鼻紙だの、一纒めひっ抱えて、清人も、家の中から飛び出して来た。
今夜に限って、彼は、泣きもしないし、うろうろもしていなかった。
『師匠っ、はやく、この合羽を被って、草鞋を穿いて──。あ、あたしの田舎へ、逃げましょう。お次さんも連れて』
『清人か』
『そ、そうです』
『それはおめえの旅仕度にしてくれ。……ああ、長い間、苦労ばかりさせて、済まなかったなあ』
『そ、そんな事。……さ、お次さんも、泣いている場合じゃねえぞ。はやく、師匠にこれを』
『いや、お次には、平常に話してある。決して、おれに義理立てなどするなよ。二人で逃げろ、きれいな仲の三人だ。生きてゆく先で、よく心と心で話してみるがいい、……お次には、おれから云ってある事がある』
みりっと、寺の藪で、生木の踏み折れるような響きがした。清麿は、二人を門の外へ突き出して、内から棒をかってしまった。
大地が号泣するように、門の外に、それからも、暫く嗚咽の声がしていた。
清麿は、よろぼいながら、雪隠の横の縁側から這いあがった。
御先祖と、神棚のある部屋まで、這って行こうとするらしい。
だが、緑青の毒素は、もう血の中を駆けまわっていた。がばっと、縁に、首を垂れてしまった。
──一瞬。
清麿は、あらゆる苦痛が、体じゅうから解ぐれるような心地した。然し、意識はその体を、もう動かそうともしない。
板の間へくッつけている彼の顔は、にやりと微笑したようだった。耳には遠く千曲川の水音でも聞えているらしい。きれいな小禽の音すらありありとそこらにする。
(……いいよ、いいよ。何も、謝まることはない。そなたは、わしの子ではないか)
ぼっと、虹の環のような中に、母の顔が見えた。昔ながらの温いお管の顔である。
(不孝? ……いいえ、おまえが独りで苦んでいるんだよ。わたしは、おまえに乳をあげた土ですよ。咲いた花が悪かったら、わたしという土が悪かったことになる。だのに、そなたは、天子様の赤子として、恥ない華を持ったじゃないか)
兄が側で、頷いている。嬉々として、梅作が小さい掌をひらいている、──淋しげではあるが、お咲の顔も、自分をゆるすかのような眸で、凝と見ている。
萬象、あらゆる物が、その霧の中では生きている。見たこともない白髪の老人などが、飄として、横ぎってゆく。──御先祖様かも知れない。と清麿の、意識ともつかない不思議な意識がふと思う。
恩人の柘植嘉兵衛と、窪田清音とが、破顔している。それでいいのだと云っているように。
──直胤、直胤、直胤。
と、彼の霧の意識はさがしたが、どこにも見えない。虫けらのように見えない。
ばりばりッ!
これは、現実の物音である。
垣を破って、捕手は、雪崩れこんで来た。
『あっ、戸が開いている! 風を喰らって、逃げたぞ』
清麿の俯ッ伏しているすぐ側で、こう呶鳴りながら、捕手たちは、彼を見出さずに、家の周りを、暴風雨のように駈け繞り初めた。
その声に、ふたたび此の世の肉体へ、飛んで返って来た意識を持って、はッと、首を擡げた山浦清麿は、両手を、懸命に縁の板へついて、わずかに、戸の開いている方へ、身をにじり廻した。
──そこから、彼方遙か、京都の方を望んで。御所の常盤木を胸に思って。
『…………』
十一月の夜、霜より冴えた夜、星は一つ一つ、燦としていた。
恭しく頭を下げるなり、同時に、山浦清麿の鍛った刀は、山浦清麿の喉を突き刺して、かりの世の肉体を、ふたたび永遠の溶鉱炉へと送り戻した。
〔作者附記〕山浦清麿の遺作は今日猶、不朽な銘刀として遺された物少くありませんが、彼の事歴は、死後湮滅された為、殆ど記録も稀れで、作者の推理と、想像に拠った所寡少としません。又、脚色上仮想人物の点出も云う迄もなく、主人公が近世の人物であり、現存縁故者もあるべく思われるので、敢て、お断りいたしておく次第です。猶、熱心なる山浦清麿研究家藤代義雄氏、岩崎航介氏などの作者に寄せられた御好意をも、併せて多謝いたしておきます。
底本:「吉川英治全集・43 新・水滸傳(二)」講談社
1967(昭和42)年6月20日第1刷発行
初出:「講談倶楽部 臨時増刊」大日本雄弁会講談社
1938(昭和13)年9月
入力:川山隆
校正:門田裕志
2014年2月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。