久保田万太郎



 おやくそくの萩の根、いつでも分けてさし上げます。おついでのせつ御来園まち上げます、と百花園の佐原平兵衛君からはがきが来た。四月のはじめのことである。……さういはれたからとて、右からひだり、おいそれとすぐ出かけて行けるいまの身の上ではない。……そのまゝ、返事も出さず打捨りッぱなしにしておいた。

 と、その月のなかばすぎ、田圃さんこと沢村源之助さんが死んだ。たまにしか逢ふ機会をりはなかつたものゝ、わたくしにすれば、十四五年にわたる古い附合である。そして、逢へばいろ〳〵と、いつもいゝ話を聞かせてくれた人である。勿論、わたくしはくやみにも行けば告別式にも行つた。……しづかな、しんみりした、けば〳〵しいところのちッともない告別式だつた、……わたくしの記憶にもしあやまりがなければ、その日、曇つて糠雨がふつてゐた。……それで、一層、わたくしにさう感じられたのかも知れないが、とにかく、ほとけのその晩年にいかにもそぐつた、……しんみりした……といふことはまた、たま〳〵ときは春の末の、花の散つたあとの、やさしい、可懐なつかしい感じのする告別式だつた。

 初七日の来たとき、わたくしも、東京会館の法事の席にまねかれた。その席で、同時に、亡き人の目のなかに入れても足りないほど可愛がつてゐたむすめさんと、木村錦花君のむすこさんとの結婚が松竹の大谷さんによつて披露された。これで田圃さんも安心して行くところへ行けるだらう。わたくしは胸のひきしまるのを感じた。……主卓の花の白いあやめが、そのかなしみと喜びにむかつて、しづかに、つゝましく、その花びらを垂れてゐた。

 だれも無言で珈琲を啜つた。そして、やがて、無言のまゝそれ〴〵の席を立つた。

 わたくしは小村雪岱さんと一しよに東京会館の階段を下りた。

「どうなさいます?」

 小村さんはいつた。

「とにかく銀座まで出ませう。」

 わたくしはこたへた。で、そのまゝ、ぶら〳〵、銀座のはうへ向いてあるいた。しら〴〵とした感じに曇つた午後だつた。時計をみるとまだ二時すこしすぎたばかりだつた。

「こんな時間に、こんなところを、こんな暢気にあるくなんてことはとても考へられないことです。」

 と、ほと〳〵述懐するやうに小村さんはいつた。……新聞の続きものゝ挿絵を二つも三つも描かなければならない小村さんにとると、夜の、それこそ、九時、十時にならなければ、自分の好き自由につかへる時間といつてはもてないのだつた。

「それァさうですよ。……こんなときでゞもなければ……」

 それにこたへてわたくしもいつた。「こんな時間に、こんなところを、わたしだつてうそ〳〵あるいちやゐられません。」

「そんなに、いつも、おいそがしいんですか?」

 小村さんは、信じられないやうに、わたくしの顔をのぞいた。

「いゝえ、いそがしいといふよりも。……矢つ張しばられてゐるんです。……つまりさうなんです。……あなたがお仕事にしばられてゐるやうに、こッちは、その日〳〵の義務にしばられてゐます。……ある時間から時間までのあひだ、いやでも、身についたわがまゝを封じこめなくちやァなりません。」

「楽ぢやありませんね、おつとめも……」

「もと〳〵野育ちに育つた人間です。……さういふ風に出来上つてゐる人間です。……いゝんだらうか、こんなことをしてゐて。……とき〴〵さう思ふことがあります。」

 ……四五年まへ……だつたと思ふが、もッとになるかも知れない。新派の伊志井寛が、大阪のあるあちやば芝居へ上置になつて行つてゐたことがある。そのとき三宅周太郎君が、かれのためにふかくそれを惜しみ、ある雑誌に一文を草し、オンミキトクスグカヘレ、さうした電報の文句でそれを結んだことのあつたのをわたくしは覚えてゐる。……オンミキトクスグカヘレ。……それとこれとは違つても、わたくしにも、さういふ警報がもう発せられていゝのである。

 銀座へ出て、小村さんの知つてゐる店で一休みしたあと、……小村さんはいろんな店をよく知つてゐる。……仕事のなかへ帰つて行く小村さんと別れたわたくしは円タクを拾つた。

「向島。」

 小村君と話してゐる間、今日のやうなとき行かなかつたらいつまた行けるか分らない、とわたくしはさう思つたのである。すなはち、そのまゝ、モーニングなりでわたくしは百花園へ乗込んだのである。

 いゝ塩梅に佐原平兵衛君はゐてくれた。「お待ち申してをりました。」とわたくしの顔をみるなり、すぐ園丁にいひつけて、大きな萩の根かぶを三つほど掘つて来させた。そして、自分は、どこからかみかん箱をもつて来て、園丁とふたりでそのなかにそれを入れ、さげることが出来るやうに荒縄までちやんとかけてくれた。

 が、いくら下げることの出来るやうにしてもらつても、とても下げてあるけるものではなかつた。重いことも重ければ、嵩も大きかつた。……わたくしは、自動車をよんでもらひ、事務のやうにそれを積みこみ、そのまゝ事務のやうに家に帰つた。……さうした行動のまへにどんなにモーニングの役に立つたことだらう。

 家へ着くともうあかりがついてゐた。夕闇の中、わたくしは女中に手伝はせて、その根かぶをそれ〴〵庭の土のなかにうつした。源之助わすれじの萩植ゑにけり、さうした句がその時わたくしの口に上つた。

 半月ほどすると、ちら〳〵とそのかぐろい根かぶのあひだに、青い、あかるい芽のひかりがさして来た。

「しめた、ついたぞ。」

 それをみつけたとき、ある朝、わたくしはおもはず高い声をあげた。

「大丈夫さうですね。」

 縁側に出て来て妹もいつた。

「大丈夫だ。」

 それにこたへると一しよに、たま〳〵箒をもつて庭に下りてゐた女中にわたくしはいつた。

「わすれないで水を遣つてくれよ……それから油ッ粕……」

「油ッ粕はあんまりやらないはうがいゝんださうで御座います。」

「どうして?」

「この間、植木屋さんがさういつてをりました。」

「ぢやあ、まァ、まかせる。……いゝやうにやつてくれ。」

 それ以来、わたくしは、朝、起きるとすぐ庭に出た。そして、夕方、勤めから帰るとすぐ、洋服を脱がない前、まづ縁側に立つた。それにこたへて萩のはうも日毎に成長した。そして、そのあとまた半月ほど経つたとき、一株の如きは、伸びて、水を遣る女中の肩さきをさへ越すまでになつた……しかもその伸びざまの水々しさ。……風にからまるその青白い影の、すでに、早くもそこに「夏」のそよぎをみせてゐるのがはッきりわたくしに感じられた。

「もッたいないなァ、むざ〳〵これを切つてしまふのは……」

「切つてしまふんで御座いますか?」

 女中は目をまるくした。

「梅雨に入るまへに、一度、伸び切つたところをかまはず、一尺ぐらゐに切つてしまはなくッちやァいけないんださうだ。……さうしなければ、秋になつて、花がよくつかないんださうだ。」

「さうなんで御座いますか。」

 信じられないやうに女中はいつた。

 五月の末から六月にかけて急にわたくしはいそがしくなつた。うそのやうに、つゞいて、いろんな人がわたくしのそばから死んで行つたのである。今日も告別式、明日も告別式、わたくしはモーニングでばかり毎日の事務を執つた。なかには勿論、通り一ぺんの顔出しだけではすまないもッと身近な人たちもゐた。……南部修太郎君のやうな、鈴木三重吉さんのやうな、内山理三君のやうな、……が、こんなに人の死にあふといふのもつまりはそれだけ、こッちが年をとつたんだ。ぐづ〳〵しちやァゐられないんだ。……わたくしはわたくしにいつた。

 その間に、萩は、一尺ほどの高さの丸坊主にされた。そしてぢきに梅雨が来た。陰気な雨が倦きずによくふつた。

「大丈夫でせうか?……のびるでせうか、また?」

 心配して妹はいつた。

「大丈夫だよ、伸びるよ。」

 さうはいつたものゝ、その雨に濡れそぼちたみじめな丸坊主のけしきをみると、失敗しくじつたんぢやァないだらうか、このまんま枯れてしまふんぢやァあるまいか、わたくしにもありやうは心細くさう思はれたのである。

 が、そんな心配するがものはなく、間もなく萩は伸びはじめた。しかも今度出て来た葉は、茎は、まへよりも、もッとしなやかに、もッと柔かに、しッとりとした手触りをさへもつてゐた。……やがて梅雨があがり、日ざしの溢れの濃くあかるい七月の来たとき、縁さきにかけた葭すだれの裾に、くッきりと、その葉の、その茎の、こま〴〵とした影のむらがりが染めだされた。……その前後、神明さまの森に、遠く、しづかに、蝉の声が聞えはじめた。

 その蝉の声のなかに盆は来た。ことしはわたくしのところは新盆である。いまゝで、わたくしのところ、仏壇といふものをもたなかつたが……先祖代々の位牌の入つてゐるそれは両親のうちの方で保管してゐる……新盆をむかへるのを機会にこんど新調した。そしてわたくしの部屋の一部に手を入れて、それをそこに置けるやうにした。……それと、白地に胡粉ですゝきを描いた盆提灯を百貨店の家具部でさがして来て、わたくしの部屋のまへの軒さきに下げ、毎晩それに火を入れた。……ほんたうにすると、全くの無地でなければいけないのださうだが、それではすこし淋しすぎる、さう思つて、わざと、さうした絵のあるのをわたくしはえらんだのである。

 しかし、そのあと、それよりも、もッと立派な提灯をはう〴〵からもらつた。新盆にかぎつてのさうした仕来りのあることを知らなかつたわたくしはめん喰つた。いそいで、一つづゝ、はう〴〵の座敷にわけて下げた。どれにも、すゝきが、桔梗が、女郎花が……秋くさが美しく描いてあつた。なかに一つ、死んだ女房に一ばん因縁の深かつた親類から来たものに小さな切子灯籠があつた。世にも真つ白な房をたれた、清浄そのものゝやうなすがたをそれはもつてゐた。……わたくしは、真菰を敷き、蓮の莟をそなへた仏壇のまへにそれを下げた。

 十三日が来た。お精霊さまの来る日である。わたくしはふだんよりやゝ早めに勤めから帰り、迎火を焚いた。……妹がはうろくと苧殻とを格子さきにもちだすと、こゝろえて女中が大きな門をあけた。……急にその門のそとの夕あかりがながれこんだ。……朝からふつてゐた雨の止みかけた、折からのそのあかるい夕あかり。……そこに、たま〳〵うそのやうに人通りがたえてゐたのである。

 迎火は燃えた。

「さァ来るぞ、ママが……」

 わたくしは子供にいつた。「ちらかッてゐると機嫌がわるいぞ。」

「ふん。」

 子供はさびしく目でわらつた。

 迎火は消えた。

 わたくしは家のなかへ入つた、……家のなかにあかりがあかるくついてゐた。……なぜかわたくしに安心に似た気もちが感じられた。

 子供と、妹と、大きい女中と小さい女中、楽屋惣出でもそれだけの、迎火を焚いたときはさびしかつたが、十五日の晩、送り火を焚くときには、突然のお客さまがあつたりしてにぎやかだつた。すなはち前々からの約束で、夕方早くから、真船豊、大江良太郎の両君がみえ、枝豆だの、トマトだの、けんちん巻だの、芋茎和だの、茄子の揚出しだの、さうした盆らしい、簡素な感じのものばかり載つた食卓のまへに、わたくしと三人、ビールをぬいてすわつたとき、おもひもよらない永井龍男君が、新盆だからと、わざ〳〵社の帰りによつてくれたものである。……わたくしたち夫婦は永井君の結婚のときなかうどとして立合つた。……といふだけで、その後、なかうどらしいことを何一つこッちではしてゐないのである。……にもかゝはらず、永井君は、あくまで義理堅かつた。……さうした折りめ切れ目をはッきりさせなければ気がすまないらしかつた。……

 勿論、永井君にも、ビールをのむ仲間に入つてもらつた。話は弾んだ。前記、分けて下げた盆提灯の、そのどれにも入れた火のひかりが、暑いのですだれは巻いてあり、夕方まだあかるいうちに打つた水のなほ乾き切らない庭の上に、さうした場合の風情をみせてほのめいた。

 と、やがてまた、玄関のベルが鳴つた。

「伊志井さんがおみえになりました。」と女中がつたへた。……役をすました伊志井寛が芝居から駆けつけて来たのである。

 かれのわらひ声をえて食卓のまはりの人かずは倍加した。……かれはさういふ陽気な存在なのである。……が、同時に、葛の葉のうらを返せば、かれにとつてもことしは「さる人」の新盆なのである。……その「さる人」のために、どんなにかれは、しなくつてもいゝ苦労をしつゞけたことだらう。……だから、かれの、さうやつて陽気にわらへるのは、いまなほ、人のまへでだけかも知れないのである。……

 送火を焚く用意が出来た。わたくしたちは立つて玄関に出た……土間に下り、格子のそとに出て、はうろくのまはりをおもひ〳〵に取巻いた。……送火はあか〳〵と燃えた。

 盆をすぎるとゝもに日にまし暑さはつのつた。……その暑さに怯げたかたちに、日にまし、萩の勢ひはおとろへて来た。

「どうしたんだらう?……矢つ張、駄目なんぢやァないかしら?」

 と、子供はいつた。

「まだ分らない。……百花園のだつてまだこんなものに違ひない。……ほんとに伸びるのは九月だ。」

 わたくしは強情を張つた。……が、それから十日ほどして、浅草まで行つたついでに、百花園へまはつてみたとき、そこのはもうわたくしのうちの萩の五倍も六倍もの高さに伸びてゐた。そして、その間に、紅蜀葵だの、女郎花だの、男郎花だのがすでに秋のあはれを咲きいでゝゐた。

 佐原平兵衛君は留守だつた。

 結局、わたくしのうちの萩はわたくしのうちの庭の土になじまなかつたのである。……わたくしの毎日の、いまのわたくしの生活に、哀しく何んとしてもなじまないやうにである……

底本:「日本の名随筆 別巻14 園芸」作品社

   1992(平成4)年425日第1刷発行

   1996(平成8)年1030日第4刷発行

底本の親本:「久保田万太郎全集 第一一巻」中央公論社

   1968(昭和43)年3

入力:門田裕志

校正:noriko saito

2015年38日作成

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