雪の障子
島崎藤村
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めずらしいものが降った。旧冬十一月からことしの正月末へかけて、こんな冬季の乾燥が続きに続いたら、今に飲料水にも事欠くであろうと言われ、雨一滴来ない庭の土は灰の塊のごとく、草木もほとほと枯れ死ぬかと思われた後だけに、この雪はめずらしい。長く待ち受けたものが漸くのことで町を埋めに来て呉れたという気もする。この雪が来た晩の静かさ、戸の外はひっそりとして音一つしなかった。あれは降り積もるものに潜む静かさで、ただの静かさでもなかった。いきぐるしいほど乾き切ったこの町中へ生気をそそぎ入れるような静かさであった。
にわかに北の障子も明るい。雪が来て部屋々々の隅にある暗さを追い出したかのよう。こんなものが降ったというだけでも、何がなしにうれしいところを見ると、いくつになってもわたしなぞはまだ雪の子供だと見える。麻布飯倉に住んだ頃は界隈が岡の地勢であったから、あの辺の町中にはかなり勾配の急な傾斜があった。山国に生れたわたしは、雪が来ると自分の幼い日のことを思い出し、谷底にあったような旧い住居を出ては、よくあの植木坂へ氷滑りに走り出た。
降ったばかりの雪は冷たいようで、実は暖かい。それを踏めば歓びが湧く。わたしの郷里はそれほど雪の深い山里でもないのだが、それでも家の前の旧い街道は毎年のように白い雪道に変ったものだ。革のむなび、麻の蠅はらい、紋のついた腹掛から、鬣、尻尾まで雪に濡れながら荷馬の往来したのも、あの道だ。古いわたしの家に生れたものは、祖父も、父も、みな往時旅人の送り迎えに従事した人達であったから、雪が来るたびにわたしはいろいろなことを思い出す。そしてあの山間の雪道を踏んで働いた遠い祖先の方にまで心をさそわれる。
雪の中にはいろいろなものが隠れている。ちょっと思い出して見たばかりでも、幻のように立つ像は数え切れないほどある。あるものは血をもって雪を染め、あるものは深い雪の中に坐りつくした。
雪中の動きこそ、昔の人達がいろいろさまざまな形でわたしたちに教えて見せて呉れた生命表現のおもしろさではある。あの不死の鳥のような鷺娘の濃情が古い舞踊の一つとして今日まで残り伝えられているというのも、雪中の動きからだ。眼に入る冬の牡丹花に千鳥の啼き声をききつけ、寒苦の思いを雪のほととぎすにまで持って行った古人の想像は、やはりこの消息を語っている。
亡き川越の老母がまだ娘ざかりの頃、松雪庵という茶の師匠の内弟子として、あるところへ茶を立てに行ったという雪の夜の話はわたしの家に残っている。この師匠の前身は十年も諸国行脚の旅に送った尼僧であったそうだが、茶人として松雪庵を継いでからも、生涯つつましく暮して居られた婦人のようで、雪の夜にも炉の火の絶えない知人の許へ茶を立てに行くことを年若な弟子に命じたものであったという。髪を銀杏返しか何かに結い、昔風の質素な風俗で、白い綿のようなやつがしきりに降って来る中を急いで行った時の人は、おそらく熱い風雅の思いに足袋の濡れるのをも忘れたであろう。まだ若いさかりの娘の足は、おそらく踏んで行く夜の雪のために燃えたであろう。
まさに、この境地だ。過去にはこんな人達もあった。
底本:「エッセイの贈りもの 1」岩波書店
1999(平成11)年3月5日第1刷発行
底本の親本:「図書」岩波書店
1940(昭和15)年3月
初出:「図書」岩波書店
1940(昭和15)年3月
入力:川山隆
校正:岡村和彦
2013年6月19日作成
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