芥川の原稿
室生犀星
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まだそんなに親しい方ではなく、多分三度目くらいに訪ねた或日、芥川の書斎には先客があった。先客はどこかの雑誌の記者らしく、芥川に原稿の強要をしていたのだが、芥川は中央公論にも書かなければならないし、それにも未だ手を付けていないといって強固に断った。その断り方にはのぞみがなく、どうしても書けないときっぱり言い切っているが、先客は断わられるのも覚悟して遣って来たものらしく、なまなかのことで承知しないで、たとえ、三枚でも五枚でもよいから書いてくれるようにいい、引き退がる様子もなかった。三枚書けるくらいなら十枚書けるが、材料もないし時間もない、どうしても書けないといって断ると、雑誌記者はそれなら一枚でも二枚でもよいから書いてくれといい、芥川は二枚では小説にならないといった。先客はあなたの小説なら、元来が短いのであるから二枚でも、結構小説になります、却って面白い小説になるかも知れないといって、あきらめない、一種の面白半分と調戯半分に、実際書けそうもない本物の困り方半分を取り交ぜて、どうしても芥川は書けないといい、先客はやはりねばって二枚説を固持して、何とかして書いてくれといい張った。断る方も、断られずにいられないふうが次第に見え、何とかして一枚でも書かそうという気合が、この温厚な若い雑誌記者の眉がぴりぴりふるえた。こんな取引の烈しさを初めて傍聴したが、私はまだ小説を書かなかったから、流行作家というものの腰の弱さと、えらそうな様子に舌を捲いていた。恰度、私自身もひそかに小説を毎日稽古をするように、三、四枚あて書いている時だったので、芥川と雑誌記者の押問答に、芥川という作家がどんなに雑誌にたいせつな人であるかを、眼のまえにながめたのである。こんな頑固な断り方が出来るという自信が、私には空恐ろしかった。しかも、芥川の断り方は余裕があって、らくに断っていて心の底からまいっているとか、遠慮しているとかいうところがなく、堂々としてやっていた。
実際どんなに忙しくても、雑誌記者の訪問をうけると、その日の芥川のように高飛車に断われるものではない、断るにも、どこか謝まるような語調を含めるのが礼儀であった。芥川は旭日的な声名があったし、雑誌には、その二枚三枚の小説でも、巻末を飾るためのはればれしさを持っていたから、この雑誌記者の苦慮がおもいやられた。最後に記者は、では来月号に執筆する確約をうけとると、やっと座を立った。怒りも失望もしない真自面一方のこの人は、「改造」にいまもなおいる横関愛造氏であることを、あとで知った。その時代でもこんな烈しい断り方を誰もしていなかったし、いまの時勢にもこんな断り方をする作家は一人もいないであろう、雑誌記者は原稿をたのむときはどうかお願いするといい、書いて原稿をうけとると有難うといってお礼をしてゆく人である。その場合、作家が上手のようであるが、実際は作家というものは雑誌記者が怖い者の一人であり、一等先きに原稿をよんで原稿がよく書かれているかどうかを、決める人なのである。作家という手品使いが最初につかう手品を見分ける雑誌記者に、いい加減な手品をつき付けるということはあり得ない、雑誌記者は原稿の字づらをひと眼見ただけで、内容とか作品の厚みとかをすぐ読み分けるかんを持っているから、油断がならないしおっかない人なのである。流行作家芥川龍之介はその名前の変てこなのが、逆効果を見せて隆盛をきわめていた。その日、そこに居合せた私の手前、私にちょっとくらい偉さを見せてやろうという気なぞ、少しも持っていない、書けないものを断るまじめさと、次第に昂じる困惑さをみせていた。横関愛造氏があれほどねばっていたのも、山本実彦氏の厳命をうけていたからであったろう。
中央公論の滝田哲太郎氏ほど芥川の原稿を喜んで読んだ人は、稀であろう。毎日三枚か四枚かを夕方使に取りに遣り、その原稿を大切にしまい込み、有名な画家の絵のようにこれを愛撫していたことは、原稿というものの歴史の上にも、これまた稀なことであった。手垢のついた指ずれの少しよごれた原稿は、かさだかにいえば、滝田氏には乱鶴乱雲の間をさまよう体に見え、一代の文学者というものの原稿の貴とさをみきわめた人であったろう、彼はこれを経師に裏打ちをさせ、一冊の書巻として保存していた。私はこれをいちど見たが、ああいう製本された原稿は、いまは何処の誰が所有しているのだろうか、その装本には、たしか芥川は表題をいちいち書きしるし、滝田氏は後代にそれが何万金の値打ちのあるものに、ひそかに思いを潜めていたものであろう。そしてそれらは此頃では実際に於て何万金も投げなければ、入手出来ないのかも知れない。
芥川の原稿は継ぎ張りを施したものもあったが、原稿紙の上で戦った感じをよく出している「かぎ」や「消し」や「はめこみ」もあって、壮烈感があった。すらすらと書きながしの出来ないためか、一度、書き損じると何枚も書きなおしているのもあった。書き損じの原稿は成稿した枚数よりもたくさんあって、芥川はそれを破棄しないで、重ねて机の端の方に置いてあった。夏目漱石も書き損じは取って置いたそうであるが、漱石の故事を学んでそうしていたのかも知れない。
底本:「エッセイの贈りもの 1」岩波書店
1999(平成11)年3月5日第1刷発行
底本の親本:「図書」岩波書店
1954(昭和29)年11月
初出:「図書」岩波書店
1954(昭和29)年11月
入力:川山隆
校正:岡村和彦
2013年5月16日作成
2013年7月29日修正
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