三好達治





 冬の初めの霽れた空に、淺間山が肩を搖すつて哄笑する、ロンロンロン・ヷッハッハ・ヷッハッハ。「俺はしばらく退屈してゐたんだぞ!」そしてひとりで自棄やけにふざけて、麓の村に石を投げる、氣流に灰を撒き散らす。


 山端はなに出た一人の獵師は、(彼の犬は平氣でさつさと先を急いでゐる)ちやうど彼のふり反つた鼻の先の、落葉松に話しかける。「やつたぜ、また」


 高原を走る小さな電車は、折から停車場に尻ごみして、がたがたとポオルを顫はす。「これだから厭だよ、おれはもう厭だよ」そこで發車時間が五分遲れる。


 淺間山は滅茶苦茶にはしやいでゐる、赤い熔岩の舌を出して、「そらもう一度」ヷハッハッハ・ヷッハッハ。朝陽をうけて、ブロンドの噴煙がまつ直ぐに背伸びする、脊伸びする、やがてままよと歩きだす。


「はてな」熊笹から笹熊が顏を出す。


 四十雀が窓で啼く、窓によつて一人の詩人が、一っ時瞑想の後に、かくしから手帳をとり出す、「地よ、地よ、爾の諧謔よ、そは愛づるに足れり」


 郵便配達夫がやつてくる、蝙蝠傘を携へて。





 一日、私は窓外の築地の甍に、索索たる彼の跫音を聽いた。塵に曇つた玻璃窓の眞近に、彼は一羽、さも大事の使者のやうに注意深く、けれども何の臆面もなく降りたつてゐた。さも惶だしげに、けれどもまたさも所在なげに、彼は左右を顧み、わづかに場所を移り、さかしらで浮浪者染みた、その迂濶な、圓頂緇衣の法體を暫らくそこに憩はせてゐるのである。それは私にとつて、折から思ひがけない訪問者であつた。私には彼をもてなすすべはない。私はただ呼吸いきを殺して、彼の樣子を窺つてゐた。何か故あつて、恰も彼がこの窓を撰んで降りたつたかのやうに、ひそかに窓を隔てて、私はただ、その暫らくを貴重なものに感じてゐたのである。彼の肩に、太陽が光つてゐる。ふと彼は空を仰ぐ。彼は向きを更へる。彼はまた甍を跳ぶ。私に就ては、何の懸念もしてゐない……。

 けれども、時既に去つた。つと、この訪問者は、肩胛骨のあたりに音をたてて、羽風を殘して去つてしまつた。殘された私は、虚ろになつた心にひとり呟いた、「エトランジエ!」


 また一日、私は溪流に架けた橋に立つて、平和な風景の、晴れた日の山に飛んでゐる彼等を眺めてゐた。ほど近い枯萱山の傾斜を滑つて、彼等の影もまた靜かに旋囘してゐた。ひとつ時、私はこの平凡な眺望を立去ることができなかつた。ある動物學者は、鴉は二百年も、二世紀も生きると云ふ。それは私に、一つの凄慘な幻影を抱かしめる。私は溪流の上に立つて、ぼんやりと欄干に手を置いてゐた。「刑罰! この星に、我等のこの空に、如何に、彼等が二百年も飢ゑてゐるとは!」


 けれどもまた、私はその流れに沿つた小徑を下つて行つた時に、彼等の一羽が、眞近の菜園から、私の逍遙に驚いて飛びたつのを見た。俳畫のやうな後ろ姿で、彼はまた、わづかに川を隔てたばかりの向ふ岸へ、すぐに落ちつき拂つて降りたのである。見れば、その彼の兩足に掴んで運び去つたのは、半ばばかりに折れた玉蜀黍であつた。私は終ひに微笑を禁じ得なかつた。そして輕やかに、樂しく呼びかけた、「友よ! ボンジュウル・モン・コルボウ」



自畫像



   


ここに會した

翼ある空のルンペン


僕は無料宿泊所だ

天使がくる 梟がやつてくる


僕は君らに切符をあげる

君らは眠るがいい


朝の子たち

夜の子たち


君らみな

空腹のハンモックに搖られて


   


太陽の下 水の上

煙の頸環を風にくれて


僕は川波を蹴つて進む

僕はポンポン蒸氣だ


二錢銅貨よりも古ぼけた

僕は一錢蒸氣だ


人は橋に立つて

僕を眺めて微笑する


輪を描いて

僕がしなをつくつて見せるから


搖れる川波

寄る年波


けれども僕は快活だ

このエンジンはまだ𢌞る


その感情をすて給へ

橋下の僕を憐れむな


   


蝶がくる

春の日に


一人の男が息絶える

いま身まかると知りながら


一つの詩が こときれる

窓を見ながら


その窓に蝶がきて

舞ひ舞ふ 晝



機關車



 機關車がとまつた、ごくんと一つ吃逆しやつくりをして機關車がとまつてしまつた。斷崖にかけた勾配の途中。波が聞える、また波が碎ける。海は遠く煙つてゐる。客車の窓から首が出る、肩がのり出る。海の上を燕が飛んでゐる。機關車の釜鳴りが、月夜の夜蝉のやうだ。やがてそれもかすれて行く。しんと鳴りをしづめてしまふ。まるで列車が玩具おもちやのやうに思はれる。たまたま風景絶佳、草の中から蟲が啼きはじめる、巖の上に天牛蟲かみきりがゐる。……人はめいめい、自分らの到着驛をかんがへる。機關車の方で聲がする、聲がもつれる、風が吹く。少少ひまがかかるらしい。子供がデッキに立つて海を見てゐる、飴玉をしやぶりながら。渚に人が集る、五人六人漁村の男女がこちらを見て話し合つてゐる。その一人の胸から、猫が一匹ひらりと濱にとび下りる。

 軌條レールに空が映つてゐる、それを前にして機關車がとまつてゐる。淡い煙を吐いて、背中に陽炎をたてて、黒く光つた機關車に、機關手が金槌をあててゐる。そして何だか仲間に呼びかけてゐる。そいつを眺めながら、火夫が二人草の上に腰を下ろしてゐる、頸筋に手拭をかけて。

 捕鯨船ですよ、──と誰かが云ふ。なるほど變な形の船が沖を渡つてゐる。もしもあの船から、あの船の甲板から望遠鏡めがねを翳して、誰か監視者がこちらをもしも眺めてゐるとしたら……。



牛ぐるま



山は湖畔に眠つてゐる

雲は一ひら 風もない


まつむし草のむらさきに

つくつく法師の遠い歌


今ここに うつけたる

わが心ふと愕かんとす


何ならむこは……

三十年來一哀愁


わがありなしのすぎこしを

もののすがたに象どりて


牛ぐるま

秋のひなたを軋りゆく


山はしづかに眠つてゐる

雲は生れ 雲は死し



金星



海のやうな夕べの空に

耳鳴りほどの羽音をたてる

金の蜜蜂……


谿の向ふ

向ひの山の

疎林の上に休んでゐる 金星ヴイナス


やがて彼女は尾根に隱れる

私は石の上に登る

しばしの間彼女は見える


やがて彼女は尾根に隱れる

私は丘の上に立つ

しばしの間彼女は見える


彼女は隱れる 彼女は沈む

彼女は沈む 彼女は去る

地が歪む 山が傾く……



大阿蘇



雨の中に馬がたつてゐる

一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが 雨の中にたつてゐる

雨は蕭々と降つてゐる

馬は草をたべてゐる

尻尾も背中も鬣も ぐつしよりと濡れそぼつて

彼らは草をたべてゐる

草をたべてゐる

あるものはまた草もたべずに きよとんとしてうなじを垂れてたつてゐる

雨は降つてゐる 蕭々と降つてゐる

山は煙をあげてゐる

中嶽の頂きから うすら黄ろい 重つ苦しい噴煙が濛々とあがつてゐる

空いちめんの雨雲と

やがてそれはけぢめもなしにつづいてゐる

馬は草をたべてゐる

艸千里濱のとある丘の

雨に洗はれた青草を 彼らはいつしんにたべてゐる

たべてゐる

彼らはそこにみんな靜かにたつてゐる

ぐつしよりと雨に濡れて いつまでもひとつところに 彼らは靜かに集つてゐる

もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう

雨が降つてゐる 雨が降つてゐる

雨は蕭々と降つてゐる



とある小徑



 そこには甍のゆるんだ低い築地がつづいてゐる。そのむかうに枝ぶりのいい柿の木が一本たつてゐる。それは晝すぎらしい時刻の、とある小徑のとある一劃である。──はてどこだつたかしら、どこだつたらう、とにかくこんなにはつきり記憶に殘つてゐるのが不思議である。まるで杖をあげてその路の面の小石の一つを敲いてみることもできるやうに思はれる。それだのにそれがどこであつたかはいつかうに思ひ出せない。

 私はいま、燈火を消した蚊帳の中で眠らうとしてゐる。

 どこだつたらう、いつの日、いづこにて見し路のくま、はて……。しかしそれは思ひ出せなくてもいいのである。私はただかうして、その幻しのつづいてゐる間、このまなかひの、くうの空なるその空間スペースを眺めてゐればいいのである。それは別段とりたててどこに秀れた趣きのある景色でもないが、私の趣味にあつた眺めである。私はそれをいつまでもかうして眺めてゐるのは決して厭でない。けれども、けれどもただそれを眺めてゐる私の氣持は理由もなくうら悲しい。なぜだらう。

 私は睡つてゐるのではない。ゆかの下で啼いてゐる蟋蟀の聲も私の耳には聞えてゐる。

 私は夢を見てゐるのではない。それならこの譯もない悲しさは何だらう。それには理由がなくてはならない。それはすぐ手近なところにあるらしい感じがする。少し妙である。それが、やはりはつきりとは解らない。もちろんそれが私の幻しと結びついてゐるのはいふまでもない。そこで私はそれにむかつて私の仕方で問ひかける。


築地あり

柿の木あり

いつの日

いづこにて見し路のくま

…………

…………

いまははや

過ぎし日はかくも遠きか

…………

…………

われまた千里を旅ゆきて

かの小徑をふたたびは歩むとも

…………

…………

いかに

そはただ

わが愁ひを

あたらしくするのみなるか


 私の問ひかけは、こんな風に、それもやはりどうもうまくは行かないうちに、やがて、私の幻しは、間もなくそれが消え去る前の、短い時間の、最も纖細な、最もブリリヤントな、最も印象的なものとなる。私は少しもどかしい。はてさて、それはいつか遠いどこかの村里で、嘗て私の眼にした、古い記憶の一頁、果してそのアルバムの忘れ去られた一頁だらうか。それともそれは私の網膜の、ただ空の空なる戲れの幻影だらうか。それすら私には確かな判斷は下しがたい。私はそれをその何れかと決めようとして決めかねる、無駄な思案だ、どちらでもいいではないか、私はさうも自分にいつてきかせながら、依然として、理由のない──理由のわからないさきほどの悲しみを、我れながら訝らないではゐられない。さうして私は、たうとう混亂に陷ちてしまふ。

 睡りの國はまだ私には遠いのである。勝手の方で鼠が何かを覆す……。

 既に私の幻しは混亂して、そのカルタの城は崩れてしまつた。それは全く雲散霧消して空無に歸した。さうしてそれにも拘らず、その幻しの釀しだした悲しみばかりが、不思議な後味としていつまでも私に殘される。故もないうら悲しさ、私は眞暗な蚊帳の中で、暫くそれに身を任せてゐるより外に仕方もない。あの美しい、あの平和な、あの何でもない平凡な風景が、なぜこんなに私の睡眠を妨げようとするのだらう。

 ああそれは、覊旅漂泊の幽靈だらうか、ただに──。



靜夜



 稀れには、實際稀れにはこんな靜かな日もある──。

 空にはちやうど頭上のあたりに、翳りを帶びた青い星が二つ三つ、雲の斷え間に覗いてゐる、もちろん月はない。沖の方は大きな闇。いつものところにいつもの𢌞轉燈臺が遙かに點滅してゐるのが、かういふ時にはかへつて邪魔つ氣なくらゐ、見渡すかぎり黒一色の深い闇。

 少しは風も騷いでゐた晝間が、どうしてかういふ靜かな夜になつたのであらう。街燈の下の艸の葉一つ動かない不思議に靜かな夜である。こんな夜の渚にきて、平らにつづいたその遠淺の砂の上に、遠い道のりを擔いできた肩の荷物をそこに下ろして並木の蔭に憩ふ旅人のやうに、さも屈託らしく、婆娑と碎ける波。その波の音は、海邊に暮してふだん波の音をきき慣れた私の耳にも珍らしい。

 私は橋の上に佇んで暫く耳を傾けてゐた。

 波はいつまでも同じものうい聲で碎けた。碎けた後にそれは暫く低い聲で囁いてゐる。その囁きは渚にそつて遠くの方へひろがつてゆく。その後の長い沈默の休止の時間。

 ふと氣がつくと我れながら少し不審なくらゐ、私はそこに暫くの間たちどまつてゐた。

 別段何を考へてゐた譯でもない。こんな闇の中でひとり心を動かして感興を覺える、人生のさういふ季節を私は既に遠い日にうしなつてゐる。私の心は既に年ごとにさうしてまた日ごとに退屈なものに變つてきてゐる、その變化に氣づいてひそかに愕いたのももはや近頃のことではない。私はその時分から、單調な道のりを重い荷物に耐へる駱駝のやうに、さうして終日自らの影を地上に見つめる駱駝のやうに自分を考へて暮してきた。


 ──意を安んずるがいい、お前もさうではなかつた、この世には實は怠け者といふものは一人もゐないのだ。

 ──なるほど神さまのみ心にかなひさうな人も見當らないからね、誰が怠け者だらう。


 私はその時何もはつきりとさういふことを考へてゐた譯ではなかつたが、強ひていへば或はさういふ言葉となつたかもしれない風味の、妙な感情のうちに佇んでゐたのである。

 波は靜かに高まり、靜かに飜り、靜かに碎けて、同じ一つの言葉を、同じ聲で、闇にむかつてくりかへし呼びかけてゐる。──海、鹹からい水にすぎない海、その水の果しない起き伏し、その非情の聲は、しかしなほその上にも暫く私をひきとめた。


かかる夜も

時をしふれば

あまき酒にかかもされむ

…………

遠き日も

にがかりけるよ

…………


 さうして私は、なるほどさう思へば我れながら駱駝のやうな足どりで、埃つぽい路の上に徐ろに歩みを移した。そのすぐ先の丘の上の私の住居には、私を待つてゐる家族がゐる譯でもない、急ぐ理由もないのである。



烟子霞子



壁には新らしい繪を掲げ

甕には新らしい花を揷し

窗には新らしい鳥籠を吊るした

これでいい さあこれでいいではないか

今日一日私はここにおちつかう

今日一日?

ここはお前の住居ではないか

私の心よ

お前の棲り木を愛するがいい

お前の小鳥と同じやうに そこでお前も歌ふがいい──


さうして日が暮れる

松の林のむかうの尾根にしばらく夕燒が殘つてゐる

明るい廊下がしかし間もなく暗くなる

靜かな夕暮れ

波の音が追々近く高くなる


烟子霞子 二人の豎子こびと

──こんな時 どこかの谿間で

私のために笙を吹く かくを吹く

兎のやうに とんぼがへりをして踊る

私にはそれが解る

そらまた手を拍つ 足を踏む


行雲流水 い往きとどまるものはなし

わがよたれぞつねならむ……

それなら私はどこへ行くにも及ぶまい

ここにかうしてゐるとしよう

ここにかうしてゐるとしよう

とまれ

今日一日は

底本:「三好達治全集第一卷」筑摩書房

   1964(昭和39)年1015日発行

底本の親本:「定本三好達治全詩集」筑摩書房

   1962(昭和37)年330

初出:霾「作品 三卷一號」

   1932(昭和7)年1

   鴉「改造」

   1931(昭和6)年5

   自畫像「セルパン 一二號」

   1932(昭和7)年2

   牛ぐるま「文學界 三卷一〇號」

   1936(昭和11)年10

   金星「文藝雜誌 一卷四號」

   1936(昭和11)年4

   大阿蘇「雜記帖」

   1937(昭和12)年6

   とある小徑「改造 二〇卷十一號」

   1938(昭和13)年11

   靜夜「改造 二〇卷十一號」

   1938(昭和13)年11

   烟子霞子「改造 二〇卷一一號」

   1938(昭和13)年11

※「霾」の初出時の表題は「地異」です。

※「自畫像」の初出時の表題は「肖像戲畫」です。

入力:kompass

校正:榎木

2018年127日作成

青空文庫作成ファイル:

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