山果集
三好達治



仔羊


海の青さに耳をたて 圍ひの柵を跳び越える 仔羊

砂丘の上に馳けのぼり 己れの影にとび上る 仔羊よ

私の歌は 今朝生れたばかりの仔羊

潮の薫りに眼を瞬き 飛び去る雲の後を追ふ


雷蝶


らいの後 かみなり蝶が村へくる

村長邸の裏庭の 百合の花粉にまみれてくる

交番のある四辻で 彼女はちよいと路に迷ふ さうして彼女は風に揚る

椎の木よりもなほ高く 火ノ見櫓の 半鐘よりもなほ高く


海邊


雨後の

横雲

そのもとに 鳶の啼く

わが 旅の空


黎明


二つ四つ 砂上に咲いた南瓜の花

これらのランプを消し忘れて 夜はどこへいつたか

川の向うへ

夜は貨物列車になつて トンネルにかくれてしまつた


唖蝉


唖蝉よ お前は歌手の姿をして しかも音樂の否定者

お前は一つの矛盾 沈默の詩人 いま婆娑と 私の窗を訪れる

白雲の下 枝頭の禪師

お前の透明な翼に 初秋の空が映り 晩夏の林が透いて見える



土を掘つて 甕を埋め

水を滿たし 鮒を放つた

窗下の秋 芭蕉の蔭に 時たま彼らは音をたてる

假りに私は 彭澤の令 燈火を消して月に對す


燈下


書は一卷 淵明集

果は一顆 百目柿

客舍の夜半の靜物を

馬追ひのきてめぐるかな


囘花


かへり咲きの 梨花二三輪

雞頭の燃える廢園……

蝸牛 睡り

百舌 呼ぶ


石榴


風に動く

甘い酸つぱい秋の夢 石榴

空にはぢけた

紅寶玉の 火藥庫


一隅


秋の日の すがすがしい午前の日ざし 石垣の隙間から

蟹が出る 何かしら小さなものを その赤い爪は拾ひ上げる

はつきりと落ちた 自らの影の上に 爪先立ちで

彼は行き 彼は彳ちどまり さうして彼は戻つてくる


黄葉


山に向つて 犬が啼いてゐる

その一ところに畑をもつた 夕暮の黄葉もみぢの山

谺がかへつてくる また犬が啼く

自轉車が二つ 話しながら麓をすぎる


目白


蝶が一匹 新らしい窓の障子に 半日跪づき

祈祷のさまをしてゐたが 已に 仆れた

さうしてここに 今日囚はれた 目じろの眼

冬 冬である 柱時計を捲く音も


椋鳥


日ひと日 うら山の山懷ろに

おんなじことを喋つてゐる 椋鳥の群れ

松の間 椎の梢に 二羽たち 三羽たち

やがてまた 緑にかくれて……


薊の實


二つ 三つ 四つ 冬の日の微風に乘つて 海の方

青空のみどりに消える 薊の實……

ああこともなげに 健氣な 小さなものの旅立ちよ

どうかお前に學びたい 日ごろ年ごろ 心配性の私の歌も


白薔薇


秋刀魚ほす

冬の日の

野菜畑の

白薔薇はくさうび


繍眼兒


繍眼兒めじろよ 氣輕なお前の翼の音 身輕なお前の爪の音

嘴を研ぐ微かな剥啄はくたく 日もすがら私の思想を慰める

お前の唱歌 お前の姿勢 さてはお前の曲藝

それら 願くば なみされたお前の自由よ やがて私の歌となれ


薔薇


薔薇さうび一輪 風吹けばうなじ動かし

日照れば溜息つく 香ぐはしい冬の薔薇

有明月のわすれもの 手匣の祕密

旅にあつて疲れた私 私のための 朝ごとの希望の合圖


一枝の梅


嘗て思つただらうか つひに これほどに忘れ果てると

また思つただらうか それらの日日を これほどに懷しむと

いまその前に 私はここに蜘蹰ちちゆする 一つの幻

ああ 百の蕾 ほのぼのと茜さす 一枝の梅


白梅花 一


鵯どり啼く端山のほとり 聲たてる小川の上に

槎枒たる老躯をべ臥した 一株の梅

璨々たる白梅花 いま春に遇つてお前は咲き お前は薫り

さうしてお前は默してゐる 私はお前が羨ましい


白梅花 二


海が見える

船が見える

山の狹間の白梅花 枯れ枯れの藪の前に

それらの花は 一瞬 落ちることをやめた綿雪


途上


ああいつとなく 私に親しい人々も 既に半ばはみまかつた

ふと途すがら 昔の家の離家はなれにゐた 獨身ひとりみのかの老女を憶ふ

それもこの 梅の香りの戲れか 多謝す路傍の君子

──海が見える 一轉瞬の幻を 海のみどりに委ねよう


紅梅花


海のほとり 小山のかげ 今日もその農家の庭に

領布ひれを振つて私を呼ぶ 一もとの紅梅花 おおボン・ジュウル

今日はまた 昨日よりも美しい 君の木影へ 野菜畑の小徑を行かう

そこに主人は跪づいて 牛の蹄を拭いてゐる 海の聞える農家の庭


微雨


雀はみな 鳥打帽ハンティングをきてゐる

ジャケツの襟に ちよいとカラーをのぞけてゐる

さうして向き向きに 何か點頭うなづき合つてゐる

雨が降つてゐる 濡れた甍に 彼らの胸が映つてゐる


晴天


枇杷の樹に百舌がとまつてゐる

百舌も 鳥打帽ハンティングをきてゐる

闇の小窗へ 自轉車が一つ走りこむ

向うの山の 新らしく出來た隧道トンネル


皿の中の風景


水のほとりの四阿あづまやに 翁が琴を彈いてゐる

僮兒どうじは路を走つてゐる 雲の峰には鳥が二羽

霞の奧に帆が二つ ああこの 皿の中の靜かな風景

皿の外は春の宵 おほかた詩情を失つた 憐れな詩人が夕餉をする



炬燵の上に猫がゐる 眞上にランプが點つてゐる

耳鳴りほどのたにの聲 窗には雪が降つてゐる

やがてランプが光を増す 山も林も見えなくなる 猫は

尻尾を卷きかへる 風が鳴る 榾がはじける 文福茶釜に湯がたぎ


古帽子


帽子よ 年ごろの孤獨の伴侶とも 憐れな私の古帽子

私の憂ひの表情を いつとはなしに分たれた

お前もまた 私の心の影法師 そを手にとつて 頭に戴き

落葉松からまつの林を來れば その鍔に この日また 春の雪つむ


熊の膽賣り


冬の日の 海邊の村へやつてきた

熊の膽賣りの一行は いたいけな 月ノ輪熊の

熊の仔を 車の檻に入れてきた お頭は口上申す

子分らは鞄をあける 時も時 沖渡る船の汽笛サイレン


山鳩


山鳩が啼いてゐる……

去年の春 この林を通つた時も やはり啼いてゐたつけな

鞍部あんぶの小屋の煙出し ああそれも 去年のままにかしいでゐる

今日もまた あそこまで登つてみよう 眸にしみる空の色


黄鶲


櫻の花の雲間から 乙に氣取つて現れた

これはこれ 黄金こがねひたき ……ふと歌ひ

はたともだし 紺の肩さきいかめしく

木がくれの 山椒の枝に一やすみ


日沒


妙高の肩 ひうちの雪のいただき

群青ぐんじやうの雲の亂れと相鬩あひせめ

(思出よ 思出よ 爲すこともなく年を經た 百の詩情)

日沒の 黄金こがねの餘光


送水管


蜂の羽音ほど 微かな聲をたてながら 尾根を下る送水管

その逞ましい鋼鐵くろがねに はや陽炎燃え 揚羽の蝶が休んでゐる

その直線の指さす方 脚もと遙かの谷底に 發電所の白い建物

樹間がくれに駄馬が一頭 石ころ路を下りてゆく 時たま蹄の音も聞える


木兎


正午の村に 木兎みみづくが啼いてゐる あの岡の あの森で啼いてゐるのか

あの森の 山寺の 木魚の聲ではあるまいな

いや さうだ 木兎が啼いてゐる また啼いてゐる

桐の花二つ三つ散る 古い火ノ見櫓に 半鐘の新らしい村


蠅の羽音


あらい壁 二三の花卉くわき

とある農家の庭できいた 蠅の羽音

噫あのものうい音樂 思出の沖の潮騷 さては

耳鳴り 旅への誘なひアンヴィタシオン・オ・ヴォアイヤアジュ


初夏


水のほとり みづ楢の若葉の日蔭 靜かなその落窪に 鶯が鳴いてゐる

四方の山が耳をかたむけ 額をあつめて聽いてゐる その歌の

一たびは絶え 二たびは止み また三たび高音を張つて 歌ひつぐ

初夏の調べを 聽いてゐる 雲の峰も遙々と こちらへ崩れてくる樣子


鯉幟


山みちを 犬が歸つてゆく

ああその 山上の 水番小屋の

木の間がくれの

鯉幟


向ひの山


向ひの山の 山襞に 燐寸の箱をぶちまけたほど

錯落と 伐りだされた杉の丸太

やや離れて炭燒小屋 小屋のほとりに 馬が見える 人が見える

時たま 微かな音が起る 後はまた 谿いつぱいの 水の聲


山麓


とある普請場の 廣場に溢れた鉋屑

木ッ葉 大鋸屑おがくづ ここに降る ああ何といふ陽の光

雄鷄の 鷄冠とさかのさ搖れ……

初夏や小塢こしろの跡の桑畠


丘の上


櫻桃さくらんぼは 片頬ばかり赧くした

裸麥の新兵さん

夕刊賣りの時鳥

はともる 雛罌粟コックリコの航路標


水聲


通りすがりに 私は見た

人影もない谿そこの 流れのふちに

砥石が一つ

使つたばかりに 濡れてゐるのを


日まはり


日まはり 日まはり

その花瓣の海

そのしべをか

若かりし日の 夢の總計


旅人


旅人よ旅人よ 路をいそげと

海邊をくれば 浪の音

野末をゆけば 蝉の聲

山路となれば 啄木けらの歌


微風


ふと見れば 路のほとりの電柱に

小蝉が一つ啼いてゐる

その電燈の影もうすれた

明方の 土の薫り 草の薫り


囀鳥


夏日午下 時に寂寞に疲れ

途に彳つて

鳥の飛ぶ姿を見る

囀鳴 また寥爾


火ノ見櫓


路の上 土藏の壁に

火ノ見櫓の影

火ノ見櫓の梯子はしごの中に

雲を纏つた 妙高嶽


白桔梗


空しいひと日 しかし樂しいひと日

樂しいひと日 しかし空しいひと日

牛乳車はからからと いしころ道を下りてゆく

村の酒屋の 酒倉の 日蔭に搖れる 白桔梗


山泉


燈火うす暗い湯殿の隅を 五六匹 大山蟻が走つてゐる

その一匹はたちどまり いそいそと 仲間の者らと私語をかはし

また小走りに走りだす 彼等の向ふ一つの方角

この夜ふけ 何の仕事に就くのであらう 憐れにも 虔ましい生命いのちの姿


雨後


一つ また一つ 雲は山を離れ 夕暮れの空に浮ぶ

雨の後 山は新緑の襟を正し 膝を交へて並んでゐる

峽の奧 杉の林に 發電所のがともる

さうして後ろを顧れば 雲の切れ目に 鹿島鎗


新月


圓い小窗を穿たれた 立枯れの赤松の樹は

この丘の 啄木けらのアパート

はや三日月は傾いて

山山に 霧の濃淡

底本:「三好達治全集第一卷」筑摩書房

   1964(昭和39)年1015日発行

底本の親本:「定本三好達治全詩集」筑摩書房

   1962(昭和37)年330

初出:仔羊「四季 三號」

   1935(昭和10)年1

   雷蝶「四季 六號」

   1935(昭和10)年4

   海邊「四季 創刊號」

   1934(昭和9)年10

   黎明「四季 創刊號」

   1934(昭和9)年10

   唖蝉「四季 創刊號」

   1934(昭和9)年10

   鮒「四季 創刊號」

   1934(昭和9)年10

   燈下「早稻田文學 二卷三號」

   1935(昭和10)年3

   黄葉「行動 三卷一號」

   1935(昭和10)年1

   目白「行動 三卷一號」

   1935(昭和10)年1

   白薔薇「行動 三卷一號」

   1935(昭和10)年1

   繍眼兒「行動 三卷一號」

   1935(昭和10)年1

   薔薇「行動 三卷一號」

   1935(昭和10)年1

   一枝の梅「四季 三號」

   1935(昭和10)年1

   白梅花 一「四季 四號」

   1935(昭和10)年2

   白梅花 二「四季 四號」

   1935(昭和10)年2

   途上「四季 四號」

   1935(昭和10)年2

   紅梅花「四季 五號」

   1935(昭和10)年3

   微雨「四季 五號」

   1935(昭和10)年3

   晴天「四季 五號」

   1935(昭和10)年3

   皿の中の風景「中央公論」

   1935(昭和10)年5

   猫「中央公論」

   1935(昭和10)年5

   古帽子「中央公論」

   1935(昭和10)年5

   熊の膽賣り「四季 九號」

   1935(昭和10)年7

   山鳩「四季 九號」

   1935(昭和10)年7

   黄鶲「帝國大學新聞 五八四號」

   1935(昭和10)年71

   日沒「帝國大學新聞 五八四號」

   1935(昭和10)年71

   送水管「帝國大學新聞 五八四號」

   1935(昭和10)年71

   木兎「四季 九號」

   1935(昭和10)年7

   蠅の羽音「文藝 三卷七號」改造社

   1935(昭和10)年7

   初夏「文藝 三卷七號」改造社

   1935(昭和10)年7

   鯉幟「文藝 三卷七號」改造社

   1935(昭和10)年7

   向ひの山「文藝 三卷七號」改造社

   1935(昭和10)年7

   山麓「帝國大學新聞 五八四號」

   1935(昭和10)年91

   丘の上「帝國大學新聞 五八四號」

   1935(昭和10)年71

   水聲「四季 九號」

   1935(昭和10)年7

   雨後「四季 一〇號」

   1935(昭和10)年8

   新月「四季 一〇號」

   1935(昭和10)年8

※「皿の中の風景」「猫」「古帽子」の初出時の総題は「春雪」です。

入力:kompass

校正:大久保 知美

2018年326日作成

青空文庫作成ファイル:

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