艸千里
三好達治
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もとおのれがさえのつたなければぞ、集ならんとする夜半……
私の詩は
一つの着手であればいい
私の家は
毀れやすい家でいい
ひと日ひと日に失はれる
ああこの旅の つれづれの
私の詩は
三日の間もてばいい
昨日と今日と明日と
ただその片見であればいい
私の詩は 明け方西の空にある
昨日の月
やがて地平の向ふに沈む 昨日の月への
餞けだ
既に私はそこにない
それは私の住處でない
讀む人よ 憐れと思へ
私の詩が私を驅る
私を驅る
涯しない流沙のうち
セミといふ滑車がある。井戸の樞の小さなやうなものである。𢌞船の帆柱のてつぺんに、たとへばそれをとりつけて、それによつてするすると帆を捲き上げる時、きりきりと帆綱の軋るその軋音を、海上で船人たちは蝉の鳴聲と聞くのである。セミ、何といふ可憐な物名であらう。
今年五月十日、私は初めて、私の住む草舍の前の松林に、ひと聲蝉の鳴き出る聲を聞いた。折から空いちめんの薄雲が破れて、初夏といふにはまだ早い暮春の陽ざしが、こぼれるやうに斜めに林に落ちてきた、私はそれに氣をとられて讀んでゐた本を机の上に置かうとしてうなじを上げた、その時であつた、天上の重い扉が軋るやうに、ぎいいとひと聲、參差として松の梢の入組んだとある方に、珍らしや、ただひと聲あの懷かしい聲を風の間に放つものがあつた。
蝉! 新らしい季節の扉を押し開く者!
私がさうひそかに彼に呼びかけた時、空は再び灰色雲に閉ざされた。さうして蝉はその日はそのまま鳴かなかつた。三日ばかりうすら寒い日がつづいた。蝉はまた四日目の朝、同じやうに雲の斷れ目をちらりと零れ落ちる陽ざしに、いそいで應へかへすやうに、あのおしやべりの彼がしかし控へ目に、おづおづと、短い聲でぎいと鳴いた。さうしてひと息ついてもう一度念を押すやうにぎいいと鳴いた。それは何か重たいものを強い槓杆で動かす時のやうな聲であつた。私は鳴きましたよ、私は鳴いてゐますよ、蝉は恐らくさういふつもりで鳴いてゐるのであらう、ほんのそのしるしだけ。陽ざしが翳れば、その聲はすぐにやんだ。さうしてそれはもう一度陽ざしが新らしくこぼれ落ちるまで、いつまでも辛抱強く沈默を守つてゐた。だからその聲は、そんな風に蝉が鳴いてゐるといふよりも、寧ろ松の間で初夏の陽ざし自らが聲をたててゐるやうな風にも聞えるのであつた。
私の祖母は蝉のことをセビセビと云つた。
──ああ、セビセビが喧ましくつてねられやしない……
晝寐の夢をこの騷々しい連中に妨げられて、そんな不平をこぼしてゐたのもまだつい昨日のやうである。私は丁度今時分の頃になつて、毎年蝉の聲を聞きとめた最初の日に、きまつて祖母のことを思ひ出す、それからあのセビセビといふ妙な言葉を。
蝉が鳴いてゐる。蝉はその後ひきつづいて毎日鳴いてゐる。そして今日は六月朔日である。私は今日外から歸つてきて、松林の丘を登りながら、その小徑の踏段の一つに、まつ黒に集つた數百匹の蟻によつて運ばれてゐる、小さな蝉の遺骸を見た。羽の透明な、小指の頭ほどの蝉である。五月十日から今日まで、假りにその小さな昆蟲の命を三週間ばかりのものとするなら、私は既にその幾倍の時間をこの地上に生きてきただらう、そんな計算をつづけながら私は丘の小徑を登つた。──七百倍。さうして私の愕いたのは、そんな大きな數字ではない、七百倍にも餘る私の長い過去の、何と空しくあわただしかつたこと!
南の海のはなれ小島に
色淡き梅花はや兩三枝開きそめたり
まだ萌えぬ黄なる芝生に 古き椅子あり
われひとり腰をおろさん……
遠くふくらみたる海原と
空高く登りつめたる太陽と
土赭きひとすぢ路と
彼方の村と
われはこのかた岡に いま晝は
色こまやかに描かれたる風景を見る
渚にいでて
網を繕ふ人かげあり
壁白き小學校の後庭に
鞠投ぐる童兒あり
波は
磯に碎く
われは聽く
われは耳かたむく
されどわが聽くはかの波の響きにあらず
枯草の葉ずゑを過ぐる風の歌にもあらず
そは一つの聲 われを伴ひてここに來りし
一つの聲なり やさしく肩により添ひて
わが見るものを指せる その聲はかく呟く
──時は來たり 時は去る 沖渡る汽船は遠音に
呼ばふとも はやわがためには
新らしき風景も老いたるかな……
とある朝 一つの花の花心から
昨夜の雨がこぼれるほど
小さきもの
小さきものよ
お前の眼から お前の睫毛の間から
この朝 お前の小さな悲しみから
父の手に
こぼれて落ちる
今この父の手の上に しばしの間温かい
ああこれは これは何か
それは父の手を濡らし
それは父の心を濡らす
それは遠い國からの
それは遠い海からの
それはこのあはれな父の その父の
そのまた父の まぼろしの故郷からの
鳥の歌と 花の匂ひと 青空と
はるかにつづいた山川との
──風のたより
なつかしい季節のたより
この朝 この父の手に
新らしくとどいた消息
なつかしき南の海……
なつかしきは伊豆の國かな
二日三日 わがのがれきて
ひとり愁ひを養へる
宿のうしろのきりぎしの
ほのぐらき雜木まじりに
ひともとたてるやぶ椿
いま木洩れ陽のかげうごく
ふとしも見れば
ここだくの花は古りたる もも枝の
そのひと枝ゆ
この朝さきしばかりの 新らしき紅花一輪
廊わたるわれにむかひて眼くばせす
神在す──
わが心既におとろへ 久しくものに倦んじたり
神在すとは 信うすきわれらが身には 何の證しもなけれども
われは信ず
ただにわづかに
われは信ず
かの紅花一輪 わがためにものいふあるを
如何に 如何に
人人百度もわれをたばかりあざむく日にも
われは生きん
われは生きん
──かの一輪の花の言葉によりてこそ
私は今日 裏山の小徑を歩いた
何といふ目あてもなしに 赭土山を歩き𢌞つた
歩き𢌞つた
松の林を
池のほとりを
人影もない寺の庭を
私の影は 愚かな驢馬のやうに見えた
私は少し愕いた
人生の 感情の 噫 何といふ季節であらう
淋しい臥床の中で聽く耳鳴りのやうに
蝉はどこでも啼いてゐた
蝉はしんしんと鳴いてゐた
私はしばらく草の上に坐つてゐた
そこからは海が見えた
煙の流れる海のむかふに 名も知れぬ島が見えた 山が見えた
ああその一つの古い思出
古い一つの思出の方へ
この炎天の草の上から 山峽から 今日もなほ
羽ばたくものは何だらう 愚かなことだ つまらぬことだ──
愚かなつまらぬ驢馬の影だ
それは
この草の上の私の影は
蝉はしんしんと啼いてゐた
松の林に
蝉は啼いてゐた
われ嘗てこの國を旅せしことあり
昧爽のこの山上に われ嘗て立ちしことあり
肥の國の大阿蘇の山
裾野には青艸しげり
尾上には煙なびかふ 山の姿は
そのかみの日にもかはらず
環なす外輪山は
今日もかも
思出の藍にかげろふ
うつつなき眺めなるかな
しかはあれ
若き日のわれの希望と
二十年の月日と 友と
われをおきていづちゆきけむ
そのかみの思はれ人と
ゆく春のこの曇り日や
われひとり齡かたむき
はるばると旅をまた來つ
杖により四方をし眺む
肥の國の大阿蘇の山
駒あそぶ高原の牧
名もかなし艸千里濱
山山に 雪ふれり
秋ひと夜
山山に 新らしき雪はふりけり
この現つこそかなしけれ
岨みちに
年老いし馬は嘶き
鳥のまねする落葉らは
ななめに溪を下りゆく……
宴にいそぐ風情かな
山峽のこの山の間ゆ
見はるかす
國原遠く
稻の穗はいま熟すらむ 遠ちのしじまや
かぎろへる 遠ちのしじまをとりかこみ
ひとひらの雲もあれざる 鋭き峰に
鋭き峰々に 雪ふれり
雪ふれり 秋一夜
一夜へて 新らしき雪はかがよふ
信濃路や
みすず刈り刈る 鎌の音に
鶫どりはたとたちたり
木の間がくれをゆきゆきて
旅人なれば 石の上に
我れは憩ひぬ
うつつなき旅の心は
あなあはれ いづこにかなづさふべしや
うつつなる天地のうち
春夏すぎて
秋はきぬ
わがこころの園生に
蟲啼けり
あはれなる蟲は啼けり
木にも草にも
荒れ蕪れて また荒れ蕪れし
あかつきの わがこころの園生に
おん墓あり
その日より ここにとこしへにおん墓あり
君知りたまふや
愚かなるわれがためには そは二つなき思出の奧津城なりと
海山越えて
遠き日はいゆきさかりぬ
ゆきゆきていよよはるけく
ものなべてかへらぬ旅びと
時ふれば金石もやがて泯びん
ましてこのはかなかる君がおん墓
幻のなにたのむべき
愚かなる奧津城もりは
かくみづからにつぶやきかたり
時雨ふるこの曉を
船出する人のごとくに
夢みつつ ものおもひつつ
心さへとみにおとろへ
翁さぶここちするかな
秋深きものの秀に
鶸一羽 あはれなり
かたき木實を割らんとす
人はなし 告げまくは
かの鳥のさまを見て
わがこころけふもうごくと
ゆくすゑをなににまかせて
かかるひのひとひをたへむ
いのちさへをしからなくに
うらやまのはやしにいれば
もののはにあられふりける
はらはらとあられふりける
ここにしてあふぎたまひし
まつがえにまつめとびかひ
ここにしていこひたまひし
かれくさはかれしままなる
あきはやくくれにけるかな
ふゆのひはとほくちひさく
うらやまのはざまのこみち
はらはらとあられふりける
あられふりける
あたたかきふゆのひざしは
みちのべにくえしついぢの
はだあらきつちににほへり
かけろなく いづれのほとり
よはしづか ひるすぎて
もののかげみじかきさかひ
ゆゑなけれ ふとおもひづる
あはれふと
めづらかに ふるくかなしく
おもひづることのははあれ
わすれてをゐしとおもへば
たまよりもなほめづらかに
いよいよにふるくかなしく
おろかしやわがくちずさむ
とほきひのとほきことのは
ことなべて
いまははや
げに
うみこえて
とつくにの
みやこをこふににたるかな
遠き日
十とせあまりも遠き日に
われはも何をうしなひし
なつかしき伊豆の濱べに
鴎どりうかびただよふ
見つつゐて今しさとりぬ
われはも何をうしなひし
夢よりもふとはかなげに
桐の花枝をはなれて
ゆるやかに舞ひつつ落ちぬ
二つ三つ四つ
幸あるは風に吹かれて
おん肩にさやりて落ちぬ
色も香もたふとき花の
ねたましやその桐の花
晝ふかき土の上より
おん手の上にひろはれぬ
春逝き
夏去り
今は秋 その秋の
はやく半ばを過ぎたるかな
耳かたむけよ
耳かたむけよ
近づくものの聲はあり
窓に帳帷はとざすとも
訪なふ客の聲はあり
落葉の上を歩みくる冬の跫音
薪をはこべ
ああ汝
汝の薪をはこべ
今は秋 その秋の
一日去りまた一日去る林にいたり
賢くも汝の薪をとりいれよ
ああ汝 汝の薪をとりいれよ
冬ちかし かなた
遠き地平を見はるかせ
いまはや冬の日はまぢかに逼れり
やがて雪ふらむ
汝の國に雪ふらむ
きびしき冬の日のためには
爐をきれ 竈をきづけ
孤獨なる 孤獨なる 汝の住居を用意せよ
薪をはこべ
ああ汝
汝の薪をはこべ
日はなほしばし野の末に
ものの花さくいまは秋
その秋の林にいたり
汝の薪をとりいれよ
ああ汝 汝の冬の用意をせよ
相模灘
波はしづかに
沖の島
遠く霞めり
枯草の
ゆらぐ彼方に
鵜のとりの
ひとつ浮みて
潮かづき
嘴ふりさけし
冬の空
みどりもふかく
いよいよに
淡き半輪
消ぬがなる
晝の月はも
消ぬがなる
いよよたふとし
いまははた
かの思出も
海の上には 晝の月
膝の上には 古い琴
かれをあふぎ
これをかなで
昔のひとを おもはばや
昔のひとを おもはばや
海のうへ三尋ばかりに
半輪の月はうかみて
この岡の梅の林の
花はみな青からんとす
思ふことしげければわれ
香ばしき風にふかれて
このにがき日のひとときを
甘なふや行へもしらに
かの島のかの乙女子は
かかる日もかの船つきに
ものを賣り日を暮らすらむ
この岡の梅の林を
訪なへば梅の木の間に
その島のほのぼのと見ゆ
ふたつなき祖國のためと
ふたつなき命のみかは
妻も子もうからもすてて
いでまししかの兵ものは つゆほども
かへる日をたのみたまはでありけらし
はるばると海山こえて
げに
還る日もなくいでましし
かのつはものは
この日あきのかぜ蕭々と黝みふく
ふるさとの海べのまちに
おんたまのかへりたまふを
よるふけてむかへまつると
ともしびの黄なるたづさへ
まちびとら しぐれふる闇のさなかに
まつほどし 潮騷のこゑとほどほに
雲はやく
月もまたひとすぢにとびさるかたゆ 瑟々と樂の音きこゆ
旅びとのたびのひと日を
ゆくりなく
われもまたひとにまじらひ
うばたまのいま夜のうち
樂の音はたえなんとして
しぬびかにうたひつぎつつ
すずろかにちかづくものの
莊嚴のきはみのまへに
こころたへ
つつしみて
うなじうなだれ
國のしづめと今はなきひともうなゐの
遠き日はこの樹のかげに 鬨つくり
讐うつといさみたまひて
いくさあそびもしたまひけむ
おい松が根に
つらつらとものをこそおもへ
月また雲のたえまを驅け
さとおつる影のはだらに
ひるがへるしろきおん旌
われらがうたの ほめうたのいざなくもがな
ひとひらのものいはぬぬの
いみじくも ふるさとの夜かぜにをどる
うへなきまひのてぶりかな
かへらじといでましし日の
ちかひもせめもはたされて
なにをかあます
のこりなく身はなげうちて
おん骨はかへりたまひぬ
ふたつなき祖國のためと
ふたつなき命のみかは
妻も子もうからもすてて
いでまししかのつはものの
しるしばかりの おん骨はかへりたまひぬ
遠く砲聲が轟いてゐる。聲もなく降りつづく雨の中に、遠く微かに、重砲の聲が轟いてゐる。一發また一發、間遠な間隔をおいて、漠然とした方角から、それは十里も向ふから聞えてくる。灰一色の空の下に、それは今朝から、いやそれは昨日からつづいてゐる。雨は十日も降つてゐる。廣袤無限の平野の上に、雨は蕭々と降りつづいてゐる。
ここは泥濘の路である。たわわに稔つた水田の間を、路はまつ直ぐに走つてゐる。黄熟した稻の穗は、空しく收穫の時期を逸して、風に打たれて既に向き向きに仆れてゐる。見渡すかぎり路の左右にうちつづいた、その黄金色のほのかな反射の明るみは、密雲にとざされたこの日の太陽が、はや空の高みを渡り了つて、吊瓶落しに落ちてゆく午後の時刻を示してゐる。
今ここに一頭の馬──癈馬が佇んでゐる。それは癈馬、すつかり馬具を取除かれて路の上に抛り出された列外馬である。それは蹄を泥に沒してきよとんとそこに立つてゐる。それは今うな垂れた馬首を南の方に向けてゐる。恐らくそれは北の方から、今朝(それとも昨日……)この路の上を一群の仲間と共に南に向つて進軍をつづけてきたものであらう。さうしてここで、その重い軛から解き放たれて、
──たうとうこいつも駄目になつた、いいから棄てて行け。
そんな言葉と一緒に、今彼の立つてゐるその泥濘の上に、すつかり裸にされた上で抛り出されたものであらう。さうして間もなく、その時まで彼もまたその一員だつたその一隊の軍隊は、再び南の方へと進軍を起して、やがて遠く彼の視界を越えて地平に沒し去つたのであらう。
激しい掛聲も、容赦ない柏車も鞭打ちも、つひに彼を勵まし促し立てることの出來なくなつた時、彼はここに棄てられたのである。彼にも休息が與へられた。さうして最後に休息の與へられたその位置に、彼はいつまでも南を向いて立つてゐる、立ちつくしてゐる。尻尾一つ動かさうとするでもなく、ただぐつたりと頭を垂れて。
見給へ、その高く聳えた腰骨を、露はな肋骨を、無慙な鞍傷を。膝のあたりを縛つた繃帶にも既に黝ずんだ血糊がにじんでゐるではないか。
たまたまそこへ一臺の自動車が通りかかつた。自動車はしきりに警笛の音をたてた。彼はそれにも無關心で、車の行手に立ち塞がつたまま、ただその視線の落ちたところの路面をぢつと見つめてゐた。車はしづかに彼をよけて通りすぎなければならなかつた。
廣漠とした平野の中に、彼はさうしていつまでも立ちつくしてゐた。勿論彼のためには飢ゑを滿すべき一束の枯草も、風雨を避くべき厩舍もない。それらのものが今彼に與へられたところで、もはやそれが何にならう、彼には既に食慾もなく、いたはるべき感覺もなくなつてゐたに違ひない。
それは既に馬ではなかつた、ドラクロアの「病馬」よりも一層怪奇な姿をした、ぐつしより雨に濡れたこの生き物は。この泥まみれの生き物は、生あるものの一切の意志を喪ひつくして、さうしてそのことによつて、影の影なるものの一種森嚴な、神祕的な姿で、そこに淋しく佇んでゐた。それは既に馬ではなかつた、その覺束ない脚の上にわづかに自らを支へてゐる、この憐れな、孤獨な、平野の中の點景物は。
折からまた、二十人ばかりの小部隊が彼の傍らを過ぎていつた。兵士達は彼の上に軍帽のかげから憐憫の一瞥を投げ、何か短い言葉を口の中で呟いて、さうしてそのまま彼を見捨てて、もう一度彼の姿をふりかへらうともせず、肅然と雨の中を進んでいつた。
雨は聲もなく降りつづいてゐる、小止みもなく、雨は十日も降つてゐる。
やがて時が來るだらう、その傷ついた膝を、その虔ましい困憊しきつた兩膝を泥の上に跪づいて、さうして彼がその勞苦から彼自身をとり戻して、最後の憩ひに就く時が、やがて間もなく來るだらう。
遠くに重砲の音、近くに流彈の聲。
底本:「三好達治全集第一卷」筑摩書房
1964(昭和39)年10月15日発行
底本の親本:「定本三好達治全詩集」筑摩書房
1962(昭和37)年3月30日
初出:南の海「新潮 三三卷一號」
1937(昭和12)年1月
涙「中央公論」
1937(昭和12)年9月
艸千里濱「むらさき 三卷九號」
1936(昭和11)年9月
新雪「文藝懇話會 一卷九號」
1936(昭和11)年9月
廢園「四季」
1937(昭和12)年10月
あられふりける 一「文體 二號」
1938(昭和13)年12月
あられふりける 二「文體 二號」
1938(昭和13)年12月
とほきことのは「文學界 六卷一號」
1939(昭和14)年1月
鴎どり「文藝」
1938(昭和13)年8月
桐の花「文藝」
1938(昭和13)年8月
汝の薪をはこべ「知性 創刊號」
1938(昭和13)年5月
花間口占「文體 六號」
1939(昭和14)年4月
又「文體 六號」
1939(昭和14)年4月
おんたまを故山に迎ふ「文學界 五卷一〇號」
1938(昭和13)年10月
※「おんたまを故山に迎ふ」の初出時の表題は「英靈を故山の秋風裡に迎ふ」です。
入力:kompass
校正:杉浦鳥見
2019年7月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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