測量船拾遺
三好達治



玻璃盤の胎児



生れないのに死んでしまつた

玻璃盤の胎児は

酒精アルコールのとばりの中に

昼もなほ昏々と睡る


昼もなほ昏々と睡る

やるせない胎児の睡眠は

酒精のしろがねの夢に

どんよりと曇る亜剌比亜数字の3だ


生れないのに死んでしまつた

胎児よお前の瞑想は

今日もなほ玻璃を破らず

青白い花の形に咲いてゐる


祖母



祖母は蛍をかきあつめて

桃の実のやうに合せたの中から

沢山な蛍をくれるのだ


祖母は月光をかきあつめて

桃の実のやうに合せた掌の中から

沢山な月光をくれるのだ


短唱



木の枝に卵らみのり

日に日にゆたかにみのり

いつしかに心ふるへて

しらじらと命そだちて

木の枝に卵らみのる




魚の腹は

白ければ光り

魚の腹は

たそがれかけてふくらむ


魚のこゑ

ちいちいと空にきこえ

光れる腹をひるがへす


雲間に魚の産卵をはり

魚はうれしや

たらたら たらたら

風鈴のやうに降りてくる


王に別るる伶人のうた



空に舞ひ

舞ひのぼり

噴水はなげきかなしみ

ひとびと

うなじたれ花をしくなり


哀傷の日なたに

花はちり

花はちり

見たまへかし

王がいでましのすがたなり


風に更紗さらさのかけぎぬふかせ

ゆるやかに象があゆめば

くらゆれ

ゆれ光り

金銀の鈴がなるなり


象の鼻

をりふしに空にあげられ

のびちぢみ

楽しげに

楽しげにみゆきするなり


しづしづと

撥橋はしはおろされ

くるるなりきしみ

ひとびと

うつつなる眼をぬぐふなり


かくて

日はかげ

日は沈み

影青く丘を越えゆく

王がいでましのすがたなり


いやはての

いやはての

王がいでましのすがたなり


夕ぐれ



夕ぐれ

ほの白き石階きだはしをのぼり

女こそは

しぬびかに祈りするなれ


眼をつむり

ほのかなる囁きをもて

せなまるう

み仏に祈りするなれ


ひとりなる

皮膚あをきみ寺のわらべ

かかる夕ぐれ

人霊のあゆみを知りけり


ニーナ



ニーナ

眼の隈の青いニーナ

ニーナはゆうかりの葉


その肩も痩せてゐて

いそがしいあしどりで歩いてゆく


ニーナ

ニーナに

誰か虔ましい恋をしませんか


物語



私の読んでゐる長い長い恋の物語──

それがききたいのか

夜ふけの屋根へ鳥がきてとまつたやうだ

月の光にぬれながら静かに休んでゐるやうだ


私の読んでゐる長い長い罪の物語

それをきいてゐるのか 鳥の身もこんな夜頃は

ぢつと頸をすくめて

いつかしら苔のやうに泣いてゐるやうだ




太郎

夜ふけて白い花をたべる

太郎

太郎よ

その花はうまいか


うまければ露にぬれ

夜ふけて白い花をたべる

太郎

太郎はまことに淋しいのです


私の猫



わたしの猫はずゐぶんととしをとつてゐるのだ

毛なみもよごれて日暮れの窓枠の上に

うつつなく消えゆく日影を惜むでゐるのだ

蛤のやうな顔に糸をひいて

二つの眼がいつも眠つてゐるのだ

わたしの猫はずゐぶんと齢をとつてゐるのだ

眠つてゐる二つの眼から銀のやうな涙をながし

日が暮れて寒さのために眼がさめると

暗くなつたあたりの風景に驚いて

自分の涙をみるくとまちがへて舐めてしまふのだ

わたしの猫はずゐぶんと齢をとつてゐるのだ


失題



しづかにしづかに

永劫のタイムを歎いてゐる谷まの傾斜に

年月とても忘れて私はたたずむでゐた

手はしなへ

衣服きものは海藻のやうに濡れて

めしうどのやうに停むでゐた

さみしい銀色の光につつまれ

そのうす青い光のなかで

いつしらず私は年おい

私はあやしげな樹木になつてしまつてゐた

苔いろをした二本の枝を張つた

葉のないあやしげな樹木になつてしまつてゐた

夜になると

樹木はさみしい瞳をすゑ

しづかに星のならんでゆく空を眺めてゐた

風もない空の不思議な一隅から

頭の青い小さな兀鷹のやうな鳥が生れて来ては

皿のやうにまひ降り

しきりに集つてきて翼を休めた

それらの眼はうるむで卑しげに光り

鱗のかさなつたきたないはぎをこすりあひ

脛の間からは白い唾きのやうなものを滴らせてゐた

これらの鳥は馬鈴薯のやうな形の頭をかしげ

癒しがたい空腹のためにたえずからだを顫はせてゐた

鳥の心は羊のやうにものほしげで

その皮膚からはたへがたい悪臭を漂はせてゐた

それゆゑに樹木の心はかなしみ

しだいに言葉をうしなひ

明けがたには

たとへやうもない懶い心を虹のやうに橋かけてゐた


黒い旗



 私は、しだいにその穹窿を鋭くする頭蓋骨をもつた。日ごとに高まり聳えてゆく鵜の肩をもつた。額に冷めたく切れる眉の根をたのしみ、薄暮の蟹の如くに己れの肢体を嗜み磨いた。水流の音を聞いては、夜陰、蟷螂の装束をなして石橋の欄干を渡つた。もの音に愕いては、壁に滲透して、蝙蝠の視聴をひそめた。そして明け方には、足跡を消し、舟虫の如くに汀を疾走した。


 見給へ──

 今日もあの市には、夜、無惨な横死をとげた幾人かの市民のための、黒い旗がその塔に樹てられて、静かに翻つてゐるではないか。


梢の話



 深い落葉を踏むで、深夜、その背中に一本の白い蝋燭をともし、身を揺りながら、銀杏樹の方へ一頭の熊が近づいてゆく。四囲に籠つて、その荒荒しい呼吸の音が、林の静寂に消えてゆく。


 銀杏樹の梢から、豊かな毛並をもつた、この不思議な獣ものを、ロシア人らしい一人の男が眺めてゐる。


パパ! ママだよ!

パパ! ママだよ!


 死んだ子供の声が鳥になつて、空から聞えて来る。死んだ妻が熊になつて、林へ歩いて来る。──そんな事はあり得ない事だ。そんな事はあり得ない事だと、梢で彼は考へてゐる。


昨日はどこにもありません



昨日はどこにもありません

あちらの箪笥の抽出しにも

こちらの机の抽出しにも

昨日はどこにもありません


それは昨日の写真でせうか

そこにあなたの立つてゐる

そこにあなたの笑つてゐる

それは昨日の写真でせうか


いいえ昨日はありません

今日を打つのは今日の時計

昨日の時計はありません

今日を打つのは今日の時計


昨日はどこにもありません

昨日の部屋はありません

それは今日の窓掛けです

それは今日のスリッパです


今日悲しいのは今日のこと

昨日のことではありません

昨日はどこにもありません

今日悲しいのは今日のこと


いいえ悲しくありません

何で悲しいものでせう

昨日はどこにもありません

何が悲しいものですか


昨日はどこにもありません

そこにあなたの立つてゐた

そこにあなたの笑つてゐた

昨日はどこにもありません


水のほとり



 この水のほとりに立つてゐるのは誰でせう。この、林の中を通つてきたのは誰でせう。(──林の中の小径では、晴れた空路が見えてゐた。)

 この夕暮の中にたたずむのは誰でせう。この、うつむいて煙草を喫つてゐるのは誰でせう。(──煙草の煙は、二度とは同じ形にのぼりません。)

 山と山との間ではほんとに一日が暮れ易い。暮れ易い空を眺めて、そこを流れる小さな雲に、まだ今日の太陽が映つてゐると、あすこにはまだ昼があると、ぼんやりと、この懐ろ手をしてゐるのは誰でせう。この青年は誰でせう。

 林の中を人が通る。林の中を犬が通る。もうこんなに吹曝しの冬になつては、旅芸人の群も渡つてこないし、小舎掛芝居の太鼓の音も聞えはしない。実に静かだ、静かなものだ、と、この落葉を眺めてゐるのは誰でせう。この青年は誰でせう。──いいえ僕ではありません。

 いいえ僕ではありません。この夕暮にたたずむでゐる、この青年の肩の上に、空路から舞ひくる落葉。梢から舞ひくる落葉。舞ひくる舞ひくる舞ひくる落葉。くるくる、くるくるくる。くるくる、くる。くる。ああ空は高い。水は流れる。


夕ぐれ



夕ぐれになると

渚はしだいにつめたくなり

むかふの島から狐火がながれてくるのだ

孔雀の尾のやうに光り

しづかな島蔭をめぐつては

いくつもいくつも

浪の穂に戯れてながれてくるのだ

岬の海鳥にまじり

わたしも海鳥の眼つきをして

このながれよる灯火をかぞへてゐると

放埒にすさみはてたわたしの運命の

うらぶれてわびしいありかが

いきものの呼吸のやうに

ほとほと、ほとほとと瑠璃いろに光り

夕ぐれの渚にただようてくるのだ




秋の叢に糸を垂れて

青いきりぎりすを釣つてゐよう


風雅を好む皇帝になつて

たくさんの宦官のを釣つてゐよう


昼すぎの野原に糸を垂れて

青い宦官の瞳を釣つてゐよう




遠き渚に

のがれきて睡蓮の花

花青み人は訪ひ

草の穂に白粉おしろい蜻蛉とんぼ

まんまろき雲はあがり

まんまろき雲はあがり

夏の日の

かなしきはいづれの方ぞ

日もすがら雲はながるる


消息



都には秋きざしそめ

朝夕の空に人魚ら游ぎたなびけり と

かくまことにしたためまゐらさば

父母もかなしうて泣き給はむものを

ふる郷よりの音信に

いくたびかわが返す文は怠る




星を掌のひらにのせれば

玲瓏と掌のひら痛む


渚ゆき

渚ゆき


足跡は空に浮みぬ




岬の病院へ行つて見よう

もうあの女のには

蒼鷺が棲むでゐるかも知れない


ボナパルト



黄昏の食事を終つたボナパルトは

寂しい山路を散歩なさいます


皇帝センチメンタル・ボナパルトは

日記の文章をお考へです


真白い犬も散歩いたします




草原は海に傾き

海のはて太陽渡る


荒涼たる夕にありて

慇懃にもつかれかなしむ

黒き二匹の犬──


鋭き鼻を空にあげ

金のなみだをしたたらす




眼の見えない王様は

美しい后に手をひかれて

長い廊下をお渡りになる

日向で小姓達は遊んでゐる


白い水どりと黒い水どりと

お尻を空ざまにして

かはるがはる

その長い頸を水底へさしのべる


なくなつた王様の眼は

そこにも落ちてはゐない

遠くの御殿で

今日も水盤に新しい花を盛り

王子は謹慎してゐられる


ある日



夕暮は子供らの遊びほほける時、女らの化粧を嗜む時。

夕暮の坂で谺を呼むでゐる一人の少年。

   a  a  ï…………

   a  a  ï…………

煙突ばかりを空に残して、此頃の日暮の早さは撒かれた網の落ちるやうだ。

紙切り遊びにたいくつして、山茶花も散つてしまつた。




 山の間で、鹿の脂肪層にいもむしのやうな寄生虫がわきはじめると、国境にも春が来たのだ。河原の楊はいつせいに煙り、鵲は朝から、遅まきながら長い尾を振る。


 彼のまもつてゐる梁に今日は何びきの魚があがつたか。日向にうづくまつてゐる彼に近づいてゆき、私は砂の上に一ぴきの魚を描いた。と、すぐ、その大きさの誇張にすぎたのに気がつきさらに小さなのを描いて、あらためて彼の瞳をのぞいた。彼と私は共通の言葉をもたなかつたのだが、彼は笑ひながら、その足もとに、私のよりはずつとずつと小さなのを一ぴき描いて見せた。


 日日に空晴れ、このごろれる魚は小さい。


島の話



 島では白い大きな豚を飼つてゐました。島は七つならんでゐました。どの島でも椿の花がいつぱい咲いてゐました。その花がいちめんに地に落ちてゐました。そのある一つの島へ神経衰弱に陥つた飛行家が治療にきてをりました。病気が段々と快方にむかつて参りますと、追々と彼は乱暴な性癖を現すのでありました。といつても豚と椿の花と以外に何の対象もない島では、勢ひ彼の乱暴の不幸な相手役をつとめるものは、その白い大きな豚でありました。彼は手に余るほどの丸太ん棒を捜してきては、「日向で眉毛を剃りおとして笑つてゐる」──とでも云つた風の、無邪気な白豚の、まんまるく四角い弾力に富むだお尻を、力まかせにぶんなぐるのでありました。もとより日頃お人好しの豚は、そんなこととは知らずに、不意を喰つて悲鳴をあげるいとまもなく、ぶうんと風を切つて空中へ飛びあがり、暖炉ストーブのやうに、木柵を飛び越えて遠くへ疾走してゆくのでありました。やがて悲しげな鋭い鳴き声のきこえてくる頃には、その乱暴な飛行家は、また、さあらぬ体で次の豚に近づいてゆくのでありました。彼にはそれが大変に面白く、かうして毎日何の目的もなく豚のお尻をなぐり廻ることによつて、目にみえて速やかに健康を恢復してゆきました。


梅の実



梅の実は、輪廓に黄いろを含み、はや蝕まれてゐる。

絵本の赤と緑が、少年の顔に反射してゐる。

蜻蛉が、ついと鋭い角度にひきかへして、行つてしまつた。

曇り空と、閉め忘れられた二階の窓と。

五位鷺がとびながら、ふと、太陽の沈む方へ顔をむけた。


祖母



夕暮の祈祷がすむと、祖母のあける窓から、閼伽棚の器をとつて、私はいつぱいの水をまく。夜、亡霊がきてそれを舐めるのだと、祖母が教へた。私はいそいで窓をしめる。そして夜、なぜか、私はさめざめと泣いてゐた。


暗い城のやうな家



 私は暗い城のやうな家の門に立つてほとほとと扉を敲いてゐる。

 ──この扉をあけて下さい。私を通して下さい。どうぞそつと私をこの中へ入れて下さい。

 すると中からしづかな声が答へる。

 ──お前はそもそも何ものだ? もう今夜の人々はみんな入つてしまつた筈だ。お前は誰に呼ばれてきたのだ?

 ──いいえ、私は詩人です。私はひとりでまゐりました。

 ──それはいけない。この扉は、呼びよせられた者に向つてのみ、開かれることが許される。その他の者にはいつもとざされてあるのだ。お前は帰るがよい。

 ──私には帰るべき家がありません。それに私はひどく疲れてゐます。どうぞこの入口を通して下さい。

 ──なほお前にのこされた詩人の名誉と、そのためのあの華やかな都会とを思ひ起すがよい。

 ──年若い詩人の名誉のために、この扉をあけて下さい。

 ──お前の年とつた母と、お前の弟と、お前の友人たちと、彼らがお前を待つてゐる。彼らがお前を愛してゐないと思ふのか。それにお前の恋人もお前を愛してゐるではないか。

 ──私は彼らを愛してゐないのです。

 ──お前は人生を愛さなかつたのか! お前は人生を愛してゐないのか!

 ──……

 ──いやお前は人生を愛してゐる。

 ──もしも私が人々を愛してゐるのなら、この静かな家の中で、私は彼らを待つてゐたいのです。街の中で、人々の間にあつては、私には、彼らを愛することが出来ないのです。

 ──さらばもう一度お前は帰るがよい。そしてお前の無為と、お前の不眠症と、及びお前の憎悪とで、人々を愛してゐるがよい。お前は詩人だから。

 ──しかしそれは、才能のない私にとつて、二つのものの相等しいことを教へるだけです。そしてその一つには、その上にたゞ苦悩のみがあるのです。

 ──だまれ! お前は何の恥辱もなしに私と会話することが出来るのか。お前は臆病であり、お前はたゞここの扉を敲くためにのみやつてきたのではないか。帰れ。お前は人生を愛してゐる。

 ──いいえ、帰りませぬ。

 ──お前はこの家にはいることが出来ないではないか。

 ──私には帰るところがありません。

 ──さらばそこにをれ。何ものもそれを妨げることは出来ないだらう。


囁き




鵜──オモシロクナイナア……。

谺──……シロクナイナア……。



鶺鴒──川の石のみんなまるいのは、私の尾でたたいたためです。

河鹿──いいえ、私が遠くからころがしてきたためです。

石──俺は昔からまるかつたんだ。



鯉──いくたびか鮒たむろする今朝の秋

鮒──二三枚うろこ落して鯉の秋



駱駝──俺はそんなちつちやな孔をとほらなけや天国へゆけないのかなあ。

針──いいのよ、私がとほつたと云つてあげるわ。


Enfance finie



今日の命の囁くは何れの方か恋しきと

夢は静かに漕ぎ下るあやなき春のさくらばな


君が心は木の間より流れて見ゆる野の景色

空は凋みて知りがたきものの行衛にうつろひぬ


それとし見れば人の住む草より月の上りたり

貴き声よわが手よりはつかに蝶を舞はしめよ


これや潮満つ野の川のかなしき星を沈めつつ

風吹くと知り眠りしが夢はしづかに漕ぎ下る


あやなき春の菜の香り、あはれそは、誰が夢にしてかくもかなしき──


日記



──マンマン、よかつたね!

──なあに?

──夕焼が明るくなつたんだもの。


 夕焼が明るい。幾日も降り続いた霖雨が今朝からの嵐にかはつて、それがやつと夕暮になつてからりと晴れた。ママンのコリーヌさんは押入れに雨漏りがすると云つて騒いでゐたが、さつきからミシンを踏んでゐる。そして窓硝子に緑が映つて、ぱつと部屋の中は明るくなつたが、それもまたすぐに暮れてしまつた。


──北川冬彦に手紙でも書かうかな。


 僕は幾度も小説を書き損ねて、この一週間を無駄にしてしまつた。それは憂鬱なことだつた。ああこの孤独を、僕はどうすればいいのだらう、この薬のやうな孤独を。濡れた庭で蟋蟀が啼く。僕は本を開く。


 僕は一人の女を思ひ出す。三日みかと云ふ名の、彼女に僕は会ひたい。それに、しかしちつとも愛してはゐないのだ。ただ、あの川の向ふの街──。


 雨はすつかり霽れてゐる。


故き胡弓



秋なり

ふるき胡弓を弾かましか


秋なり 秋なり

いとちひさなる草の実も 日ねもす秋を飛びゆくかな


今し季節の船出する

湊の鐘を聴けよかし


空に銅羅は叩かれて

落ち葉は谿をわたりくる


秋なり 秋なり

ふるき胡弓を掻い鳴らせ


何の情緒かとどまらん

あわただしくも流れくる 落ち葉の舞のひとつら


峡の小村をむらをよこしまに

越えまくほりし あはれまた索落とこそは散りうせたれ


ものの風情をかつはけち かつはゑがきつ うつろふ雲

雲もはだらに飛び散らふ 秋なり 秋なり


逆さおとしに鵲の

戞と啼き 来よとは呼んで谿間に落つ


狩の血しほは小径にあり──

何の憂ひか手にあらん 手もて歌をば奏でつつ


黄葉離落の小禽らを踏みもて行けば

巌が根にそそと声あり


声ありて橡の葉は散る

うち湿めりたるそばづたひ


くきをめぐれど はや秋の 軍兵どもの影だに見えず

虫の翅音のまれまれに 幕舎のあとのみ狼藉たり


ふりさけ見れば空遠し

空のみどりに手を染めん


弾かまし歌のありやなし

今は転歩に耐ふべしや


秋なり 秋なり なほ秋風のいくめぐり

地にあるものを舞はしむる


ここのなぞへの日溜りに

命とこそはうちまもる歌の器のいと古りにたり


白い橋



 私は何をこんなに意味深く逡巡してゐるのだらう? 私は何ものをこんなに怖れ心配してゐるのだらう? この暗い夜更けになほ眼ざめて、路上に停むでゐるのは私一人ではないか! この河岸に立つてゐる私の姿や影は、そして実に誰との関係もなく、自由にどこを歩いて行つてもいいではないか! 私は何を考へ、何を後悔してゐるのだらう? 私はなぜこんなに身を凭せたままぢつと立どまつてゐるのだらう? 私は私の肉体が疲れ易く、空に浮んだ雲のやうに毀れ易く、やがて果実のやうに腐り易いものだと知らないのだらうか? それともこの自分の肉体の中から、永遠の時間を聴かうとしてゐるのだらうか? そして聞えて来るのは、夜空で時々啼いてゐる鳥の声ばかりではないか! この吹きすぎる風も、この橋の下を流れてゆく水も、微かに海の匂ひを湛へただけで、いつまでも黙つてゐるではないか!

 私はまたいつたい誰のことを思つてゐるのだらう? あんなに優しかつた恋人でさへ、この月のない淋しい夜の風景ほど、私に忠実ではなかつたではないか!

 私はこんなにして何をしてゐるのだらう? 私はなぜこの橋を渡つて行かないのだらう? ──この橋は不思議に淋しい形をして、遠く、何かしら私には腕のやうに思はれる建築を水の上に伸してゐる。私の眼に灯火が流れ、その灯火が水に流れ、あたりいちめんに静かな風が吹いて、晴れた夜空から私の心にどんよりと大きな暈が薄青く堕ちて来る──。しかし私はこの橋を愛してゐる。私はまた、私の破れた帽子や靴をも愛してゐる。それだのに、私は永くここにぼんやり停むで何をしてゐるのだらう? なぜこの白い橋の上に、この静かな夜頃を楽しく渡つて行かないのだらう?

 私は嘗て、こんな空想を描いたことがある。この橋を渡つた向ふには、実に僕らのどんな経験にも遥かにまして静寂な、寧ろ死滅とも云ふべき寂寞の街があつて、厳そかに窓や扉の重たく閉された家並が続いてゐると。そして私の進んで行く広い道の四辻から、同じくどこまでも人気のない遠い方角が見え、そこには誰も知らないままで炎炎と燃え上つてゐる家屋や、その焔の明りの中を、嘶きながら、馳けりながら、やがてまた闇の中に消えてしまふ幾匹かの馬の、黒い逞ましい姿が見えるのだつた。


「師よ、この橋を一緒に渡つて行きませう。」

「師よ、もはや誤解や裏切りや、耐へ難い屈辱や、そんな愚昧さのない街へもう今宵は我らの歩みを移しませう。」

「師よ……。」


 しかし私の言葉には何の答もなく、私はいつも一人で、ぢつとこの白い橋の袂に停むでゐる。もとより私の散策のこの懐かしい橋を渡るのに、私は何の恐怖も感じはしないし、よしんば、私がこんなに不思議にしんみりする楽しい空想を頭に描いたとしても、別にそれの毀れるのをどうして護らうと思ふのでもないのに、それだのに、私はいつまでもこの未知の対岸へ渡つて行かうとはしなかつた。

 そしてしかし、私はまたこんなにも思ふのだつた。──いつかの過ぎ去つた日に、私は自分の乗つた馬車の、蹄や車輪の音を聴きながら、この橋を渡つたことがあると。そして私は、その夜一人の、もう、女であつたか或は女でなかつたかさへも忘れてしまつた不思議な人に会つて、まるで恋人同志のやうにやさしく話し合つたことがある。それは私の夢ではなく、それから後、私はほんとにこの橋を幾度も馬車に乗つて渡つたのだと。

 ──それだのに私はこんなにして何を考へてゐるのだらう? 今日もこの白い橋の袂に立つて、ぢつとまた杖に身を凭せたまま……。


ひなうた



ほのかににがきひるすぎの

ここのつゆくさほたるぐさ


ふなのせすぢのわかれては

またかへりくるあきのみづ


くさのあなたにてをのべて

かひなくなにをよぶべしや


ひとはとほくをすぎゆきて

いまはたびぢをへだたりぬ


やまかひむらのなるかみの

なりのかすかやひでりあめ


うをはしたしくむれきたり

われがねがひをついばめり


他をいふ
人に論戦を求められて、議論はできず──


さまざまのうたの議論がやかましい

ああ風雅がはやるはしかがはやる


お上の詮議がやかましい

お米はキログラム酒はリットル


ムシュ・ペケレッツのしやぼてんと

ムシュ・ケペレッツのしやぼんと手拭


 ──僕には臍がある、君には尻尾がない

 ──君には尻尾がある、僕には臍がない


うたの議論のやかましや

さてみなさま


商標に御注意あれ

巷間に贋物あり


写生



冬至

老婆は空気枕のやうに軽い

居睡りながら笑つてゐる


夕暮

しんとした山から

大きな木の葉が落ちて来る

蛙のやうに啼いてゐる水禽

さく さく と、街道を透明な兵隊が通る


岬の話



(敵の艦隊、芭蕉の葉のやうな浪をかきわけ、大きく印度洋を迂廻してゐる。)


一人の兵士が一頭の羊を、一頭の羊が一人の兵士を愛した。兵士の群が羊の群を、羊の群が兵士の群を愛した。彼等は日曜日の日向で、華やかにも慇懃に、緑の制服と白い毛並とを入りまじらせ、ぺきぺきとビスケットを割つて食べあつた。年とつた羊は、遠い処で、蒲公英のほほけて散るのを眺めてゐた。


軍紀を紊すものとして、とある夕暮、羊の群は涯から海へ追ひ落され、鞭が風を切り、明方、薄桃色に腹を膨ませて、もう愛しい空色の眼は閉ぢなくなり、累々と渚へ打ちあげられた。

要塞司令官は、入港した運送船の甲板で、その朝、大小の砲弾を数へてゐた。


(敵の艦隊は、芭蕉の葉のやうな波をかきわけ、大きく印度洋を迂廻してゐる。)


蝙蝠と少年
丸山清に


少年よ、父母がお前を見喪つたのか、または、

お前が父母を見喪つたのか──。



靴の踵で古めかしく磨り減らされてゐる、海岸近い居留地の鋪道の上で、私はその夜支那人の一人の少年を拾つた。狭い額につり上つた眉をもち、皮膚に青い脂肪の沈澱したこの少年は、よごれた浅葱の胴着ちやんちやんを着せられ、柳の影で、冷たい手のひらで泣いてゐた。


桟橋へ来たとき、真白い月が、林立する帆檣の間に濡れてゐた。瞳があたりの風景に慣れると、沢山の蝙蝠が飛むでゐた。(微かにそれは鳴いてゐたやうだ。)そのとき、ふと顧みた四方に、どうしたことか、私は少年の姿を見喪つてゐた。呼ぶべきその名も知らなかつた。そしてその瞬間、はたはた はたはたと、私の左右の衣嚢かくしから、幾度ともなく蝙蝠が翻り、夜空の中へ飛び去つていつた。それは何といふ種もない憂鬱な手品であつただらう──。


蝙蝠の鳴いてゐる海のほとりで、嘗て、と私は思ふのだ、その父母も私と同じやうに、あの少年を蝙蝠にしてしまつたのだと。そしてまた海近い街の柳の影で、今日もあの少年は、冷たい手のひらで泣いてゐると、私は思ふのだが──。




 晴れた日の午後、なにか心せはしげに、お濠に二羽の鵜が游いでゐた。太郎はそれを眺めてゐた。太郎がそれを眺めてゐると、鵜はふと沈むだまま、いくらたつても泛びあがつてこなかつた。──水の底で獲物をとりあつて喧嘩をしたのかもしれない──さう思ひ、太郎は瞳を空へ移した。すると、お城の隅の櫓のうへに、ちやんと二羽の鵜がならむで、ぬれた翼を扇子のやうにひろげ、それを顫はせ光らせてゐた。曲つた嘴は空ざまにして。夜、太郎はあの真黒な鳥にだまされたことが口惜しく、その鳥も飛びさつてしまつたあとの櫓の姿を、寝床の中で、はてもなく思ひ泛べてゐた。




雪ふりつもり、足跡みなかげをもてり。

いそぎ給はで、雪はしづかにふみ給へ。




鴉は浪のやうに啼き

雀は貝殻のやうに啼き

自動車は帆前船のやうにも啼く

それらみな海をつくりて

ゆふぐれの都の空にて啼く


島国



 少年は柳に、少女は雪と鸚鵡に、そして女乞食は亀に、春、みんな憑かれてしまつた。夏、青い雲、白い雲、国立銀行では古い紙幣を焼いた。秋になると遠くで祭りの太鼓が鳴り、日の暮の渚で鵜が吃逆しやつくりをする。冬、やがて島の人人は、指が蜻蛉になつて飛んでゆかないやうに、みんな日向でふところ手をする。


五月の郊外



樹蔭に人なく、
昨日、樹蔭に人なく、


 ひそかにここの野景に停んで、遠いり畑に見え隠れする犬を私は眺めてゐる。風は藪影を吹きすぎて緑に染まり、坡坨たる郊外の澄んだ一日の上に、小さい雲のロンドが幾組か巧みな布置に漂ひ流れてゐる。もう既に転歩に耐へず、追憶の視線はそぞろにも杖のとどまるほとりに還りて落ち、また五月は、ただ、草の葉の間に拾つて見る桐の花。

 ああ、あの雨の霽れた午後の黝土に、ながく堕ちてゐたやさしい人影! (しかし私は、その日にもそこに遠く続く、花の咲き乱れた哀切の小径ばかりを見たのだつたが?)──今日私はひとり遠くを行き、永くまたこのんだ額をあげないであらう。


樹蔭に人なく
昨日、樹蔭に人なく。


詩集『雪明りの路』



 君の恋愛には夜鶯が鳴いてゐる。お伽噺の瓜姫は、黒い髪の毛を残して食べられてしまつた。それだのに、峠を登りつめた馬車馬が、またしても、過ぎし日の典雅な足なみを思ひ出す。そしてその眼の下に、吹雪の忍路おしよろの村が覗かれる。君のロマンチシズムには、枝移りする夜鶯の羽音が聴える。優に愛しいこのフェアリーランドの音情は、まことにユニックな青白いはなびらの光沢に満ちてゐる。粗暴な気象の後の、憧憬に顫へる青空のやうな、ややにチエホフ先生式な、厭世思想と(その為に、君は屡々正しい憤怒を洩らしてゐる)犀利な観察。(それによつて、ともすれば忘られ勝ちな些細な出来事の美しきを、君は巧みにノートして呉れた。)


 黒土の穴に

 真白い豆を一つ一つ並べてゐる


かうした君の無造作な明瞭な表現に幾度か私は感歎した。的確な写実的の手法がロマンチシズムの採光によつて、温藉なリズムを奏してゐる秀れた詩篇を、一丈にも及ぶ虎杖いたどりの北国から、伊藤君、君の齎して呉れたものを、限りなくいまは懐しむ。


太郎



「太郎さん舞鶴へは帰りたくないの?」

「帰りたいだよ姉さん。病気が癒つたら僕は迎ひにきて貰ふんだ。内緒だけれどもね、僕はこの間葉書を出して置いたんだよ」

と云つて太郎は飛白の膝で手の平を拭き拭きした。

「誰にも云つてはいけない!」

「云ひやしません。太郎さんはここよりも舞鶴の方が好きなんでせう。あちらではみんなしてあなたを可愛がるんだから──」

「それにあなたは悧巧だし、舞鶴のおうちはこんな村には一軒もないほどのお金持だつて、お祖母さんも云つてゐらつしやつたが、あんたは大きくなつたらきつと偉い人になれるわね」

「その葉書には何を書いたの?」

 太郎はだまつて人形の猿を縫つてゐた。内気な病身のこの少年には友達がなかつたので、こんな手なぐさみをいつかしら覚えてゐて、端布をねだつては日に幾つも様々な色の小猿を作つた、秋の日あたりのいい障子を背中にして。

「葉書かね、云つてはいけないよ、僕は帰りたいから迎へにきてくれ。病気もよくなつて汽車には乗れると思ふ。毎日叱られるのがいやだから、そんなことを書いてやつたんだ」

 太郎は云ひ終ると額に相手の強い視線を感じて瞳をあげた。太郎はこの相手が自分に対して特別に親切にして呉れる時には、その前にかならずこの視線を感ずることを知つてゐた。そして太郎はそれを求めるためにときどき自分が拗ねてみせることのあるのもうつすら意識してゐた。

「お祖母さんはすぐ僕を叱るんだ、僕が悪くないときでも」

「お祖母さんは豊子ちやんの方がすきなんですよ。喧嘩なんかしない方がいいのに、あなたはすぐ怒るんだから、でも豊子ちやんは一寸ずるいわね」

 豊子はずるい、豊子はよく嘘を言ふ、と思ふと太郎はもう母家の方へ帰るのがいやになつた。いつまでもこの離れの狭い部屋で、一日中裁縫をしてゐるこの相手と、そこを自分の家と思つて一緒に自分も暮してゐたいと思つた。


春秋



 煙の風に散るごとく都の栖居を捨て、故里をさす旅路は悲しみ、夜のあけしはいづこなりけむ、米原、彦根、湖見ゆる朝の心、なほ父母をば恋ひ慕はなくて、うたてや空を眺む。


稲刈や湖に虹立ちのぼる


 都にありて永く思想の病めりしこと、静かに思ひかへすになほ早く、帰心まづ泪ぐむも、我れにはつらき故郷の人人。かかる旅路のくりかへす、幾年よりの慣ひもかなし。

 いづれの春か、汽車のこの湖辺を過ぐるとき、


菜の花やついと水鶏のかくれたる


 かくいひし句の表は知らず、されどそは我れのみに、永くかなしき思惟をかくしたり。


新秋の記



 私はもうハーモニカを噛むよりも唐玉蜀を噛ぢるのを喜ぶ年になつた。皿の上にはもう一つ、そのつぶつぶに空が映つてゐる。私の昼寝を驚かした少女よ、なんとこの南蛮のかたくてうまいことか。私はあなたに感謝する。私はあなたに一つの噺をきかせよう。


 唐玉蜀が云ひました。

 お月さま、きりぎりすが卵を好きだつたのです。昨夜きりぎりすが卵に云つたことを、お月さま、秋もこんなに日数が重つてくるし、私はあなたにうちあけませう。草の葉に隠れるきりぎりすよりも、私の脊丈のやうに、私は自尊心が高いのです。私は卵よりもどんなに沢山あなたの方を好きでせう──。

 月が云ひました。

 私はあなたからこんなに遠いところにゐる。それにあなたの運命は、明日になれば茎からあなたを折りとるでせう。私よりもずつとずつとあなたの近くにゐる、一人の男が顔に蠅をとまらせて昼寝をしてゐる頃に──


秋夜弄筆



 我がさがは生れて粗野なりければ、初めは嗜むでものを感ぜしが、いつしかその嗜は病の如くに、心はともすれば顫へて止まらず、幾たびか人に軽んぜらる。人人の我を軽んずること、凡そは我れの愚かしきによるとはするも、また激しきに過ぎんとす。怒りて額を打つべきか。争ひて勝たんと願ふ心乏しく、いつとなくいとはしきもの愛しきもの、みな遠く渚をすぎゆきけり。夜の眠りはあさはかに、昼は昼とて遊べども花実もあらず、まことにかく世の努力をいとふ心こそわりなく悲しけれ。我が要なき生涯は要なき故に短からむ。風の日の旗よりも草の葉よりも動き易い、我があはれに短命な行手を知り、思想に煙のごときものを感じ、野山を愛し季節を愛し、都会を愛し、また女を愛し、鳥や魚や草木に心をよすれども、我が言語はつねに飄零にして、我が額はつねに快き色をもたぬために過ちてまたその心を伝へず。

 されども我はまた今我が春秋の短きを知り、日日に明らかに身を知るが故に、力むる如くにも、ただ一日の歌を要なき生涯に与ふるのみ。


公園



 私は公園が欲しい。

 仄かな草の匂ひやしめやかな木立の薫りや眼には見えない虫の気配のある中を静かに樹蔭を歩いてゆくと時どきあちらにもこちらにも噴水が見えて、この人工の小自然は疲れて怡しさを喪つた人の心を絶えまなく水盤に落ちるそれの言葉で誘つてゐる。

 噴水の方へ行かう。そこへ行つてごらん。そこであなたが最初に聞くのは空から身を投げて砕けて落ちてくる小さい透明な数のボールが金属や石や水の面にあとかたもなく消え入る合図の言葉でせう。そして円周や弧線の上に続いてゐる絶えまもないそれらの瞬間の風に揺いでゐる帷のやうな中心にやがてあなたの落ちついた耳は颯々と迸りただ一すぢに疾走するその健気な意志のありかを聞きとらないでせうか? そしてまたそれの努力の頂点に華やかな円天井の頂きに代るがはる立ち現れては死んでゆく水の作つた小さなオレンヂのころころと閃めいて触れあふ微かな響をも間もなくあなたの心は捕へたいと願ふでせう。

 噴水はいつもその日の言葉できまつて私らに空を教へる。青く澄んだ空の高いところをハイカラな小ささに切れた雲がゆつくり安心して一つづつ一つづつ流れてゆく。静かに私らの午後が消えてゆく。手をとりあつて幸福な散歩に歩調を合せてゆく人はやさしい眼つきでふと無関心に私を眺めてゆく。ここでは女の子も男の子のやうに活溌であり男の子も女の子のやうにしとやかでありもとより芝生に落ちる鳥影などには頓着なくまた私の顔は知つてゐても私の名前は知つてゐない。そして緑の中にシーソーや鞦韆の水色のペンキが新しい。

 林は私の廊下であり花壇は私の絨毯であり耳を澄ませば鳥の音や木の葉のそよぐむかふから遠い自動車も聞えてくる。そこで私は指を組むで誰にも秘密な私の追憶に耽るだらう。たとへ私の心になにか人知れぬ名誉があるやうでほろりとしてもいいえ私は悲しくない。

 私は公園が欲しい。私の親しみがたい部屋を逃れて私はそこで行衛の知れなくなつた父のことや死んだ妹のことや嘘つきだつた私の恋人のことを忘れよう。過ぎ去つた日の記憶や生活の努力から遁れてひとりで私は午後の日影をうつらうつらと睡りに落ちよう。けれども人人は絶えず私の周囲を散歩してゐて私は決して淋しくないだらう。


失題



走つてゆく三輪車の、薔薇の四鉢五鉢──。

人浪をかき分けて、移動する小さな花園。

僕といつしよに止まりませう、

踏切が堰められました、貨物列車が通ります。


十二月



 ──それでどうなの? もうすつかりおしまひぢやなくつて、そんな風に? まるで、そんな風にあなたはお馬鹿さんね。そして、それからどう?……もうね、さつぱりお忘れなさいよ、でも。

 ──ほんとにそれでおしまひ! そのうちにお忘れになるでせう。(彼は机にある辞書をとつてぱつと開く。)それ、これくらゐ? 四百二十頁ですつて。

 ──何のこと?……あらあら、大変ね。それぢや、一日に一頁づつ減つていつても、なかなかなくならないわ。それに、ときどきはあと戻りもするし、でせう? 手間のかかる人ね。そんなにしてて、どうとかもつとはつきりなさいよ。私だつたら、あなたのやうにはしてゐないわ。

 ──あなただつたらねえ……。さう、あなただつたら、この表紙もすつかり入れて、一冊ではまだ足りませんが。

 ──あら、うれしい。お上手ね。

 ──あのね、かうなんですよ、たとへば──。

 秋子さんはね、お聞きなさいよ、知つてゐますか? 自分の部屋ではないしよで、編物をするときなんか、眼鏡をかけてゐるんですよ。それで、たとへばね、その靴下の片方が出来上ると、その頃には、きつと、いつも、もうすつかり外のことが考へたくなるのですつて、病気ね! お月さまのやうに気まぐれで、ちよいと、はいからで悲しいでせう。

 ──メルシイ。それではその残りの片方を、私が編むであげればいいでせう。

 ──それは大変うれしい、けれど、でももしかすると、どちらがどちらだか分らなくなりさうですね。

 ──おや、ほんと? まあ図々しい。顔を見てあげるわ。お気の毒さま、それなら勝手におしなさい。やめておきますわ。

 ──ごめんなさい! 何もそんなにおこらなくたつて、またこの次に、僕が毛糸を買つてきたときに、作つて下さいね。

 ──作つてあげますわ、ひまなときに!

 ──……

 ──可笑しいわね。

 ──……

 ──でも、そんなことでは、あなたは、やはり駄目ね、人のご機嫌なんかとれないわ。ほんとに、少し教へてあげたいくらゐ。

 ──教へて下さる? 教へて下さいね。……でも、ほんとはね、ご機嫌をとつて欲しいのは、僕の方なんだけれど。

 ──とてもとても、駄目。あなたのやうに、そんなに云つてたんでは、誰だつておこつてしまふわ。女といふものはね、…… ……

 ──ええ解つてますよ。解つてますよ。僕には何もかも解つてたつて、結局は駄目なんだから、もうその話はよして下さい、ね。つまり、解りきつた効果を見越して、僕にはおしやべりが出来ないんですよ。……子供をあやすのは上手なんですが。

 ──そして、いつもそんなに悲しさうにして、私にばかり気ままを云ふぢやありませんか。あなたは私のお仕事を、たくさん邪魔してゐるのよ。

 ──さうです。いけませんね!

 ──あれあれ、こんなにお湯がさめてしまつてゐるの。熱くしてからお茶を淹れませうね。

 ──ぬるくたつてかまひません。


『昆虫記』を翻訳しながら



 一日散歩に出た僕は、下駄やくくり枕や膨らんだ鼠の屍体や玩具のピストルの引鉄などの転がつてゐる泥の渚で、蘆の根方から指の爪ほどの小さい蟹が、充分に逃げ腰を張つて、その穴の入口でまづ躊躇してから、爪先立ちで(勿論!)徐ろに爬ひ出してくるのを眺めてゐた。まるでお伽噺の小人国の燐寸のやうなその眼玉が、直立してテレスコープの役目を果してゐる。何が映つてゐるのだらう? 僕は息を殺して静物になり、努めて風景の一部分になる。僕の帽子の影の方へ、蟹は歩いて来る。そして仔細らしく立ちどまつて、尖の方の白い左右の爪で、脚もとの泥を無雑作にすくひ上げ、さも満足げにそれを頂戴する。そしてそれをたまに小さな一と塊りづつ吐き出してゐる。水の向ふで工場は汽船のやうに呻り、だくだくと不逞な煙を流してゐた。僕は考へた、この甲羅を干しながらあり余る食料をば──大袈裟に云へば地球をば噛つてゐる小動物の、何と云ふ泰平な、しかもつつましい醇朴な生活だらう! 大きな食卓の上の、何と云ふ小ぢんまりとした主人公だらう! と。そして彼の食事の咀嚼の音でも聞えるかと思つて私は耳を傾けた。そして時間がたつた。けれども不思議なことに、最も野性的な、最も微かな鈍痛を伴つて、どこからともなく私に憎悪が襲ひかかつてきた。蟹を眺めてゐる私の眼は、既にこの小動物を極度に憐れみながら、それに耐へてゐるために充血してくるやうに思はれた。私には、自分の心理状態の理由を尋ねるべく、沈着がも早や欠けてゐた。私は立ちあがつた。蟹は穴に帰つた。私はまだ、激しい感情に、憎々しく胸を膨らましてゐた。如何にあの小動物の生活ぶりの、愛すべき可憐な理由を自分に云ひきかせても無駄であつた。──去年の秋、枯草に火を放つて蟷螂を焚き殺した記憶を私はまた思ひ出した。


あとがき


 長谷川巳之吉さんの第一書房から、『測量船』の出たのは昭和五年末、これが私の詩集第一冊であつた。丁度このあとがきを認めてゐる時からいつて、まる十七年以前になる。だから詩集の内容のあるものは、二十年の余も以前の旧作になる訳である。「測量船」はそつくりそのまま、後に出した創元社の選書中の一冊『春の岬』にをさめてある。私としては従つて改めて本書を出す必要も認めないのであるが、南北書園の需めによつて、この集を単独に一冊としてみることにした。そしてこの機会に、『測量船』をまとめた当時、自分の考へから集中に省いて入れなかつた当時の作品十数篇を、今度は拾遺として巻末に加へることにした。今日から見ると、当時の自分の考へなるものが、たいして意味のあるものとも思へなくなつたからである。なほそれでも、その時分の作品中既に散逸して見出し得ないものや、また幸ひ手元に存するものでもあまり見苦しいものは、ここには省いて入つてゐない。この後もうこの種の集をまとめるやうなことは、再びあるまいと思はれるから、これが二た昔以前の私の記念物としては、最後の形のものとなるであらう。今度の編纂では、一二辞句の明らかな誤謬──当時の無智や不注意からをかしたものを訂正した外、また数箇の誤植を正しておいた外、作品に手を加へることはしなかつた。過去の私を訂正することは、この書中に於てではなく、当然他の場処に於て私のなさなければならない仕事と考へるからである。

 しかしながら、かうして遠い以前の作品をもう一度そのままで世に出すことは、私としてはたいへん心ぐるしい気持がする。作品として、相当の評価を以て今日の私にうけとれるものは、殆んど集中に一篇も見当らない。私としては、これら過去はすつかり抹殺したい気持が強いのである。校正の筆をとりながらも、まことに冷汗三斗の思ひをした。けれどもそれは、今となつては致し方のないこととして、我慢をしておく。私がこれらの作品を書いた当時の詩壇は、今日からは到底想像もつかないやうなひどい混乱状態に在つて、見識もなく才能も乏しい私のやうなものは、周囲の情勢にもつねに左右され、五里霧中でひきまはされたやうな感がなくもない。その点ででも私は今日たいへん恥かしい思ひをしてゐる。その当時の情勢は、事情の全く異つた今日からは、容易にくはしく説くことを得ないし、それはまた他に人があつて、他のところで説明されることもあらう。私の作品には、さういふ時代の混乱の影がふかく、支離滅裂の感がいちじるしい。用語も浅薄で、気まぐれで、しつかりとした思想の支柱がなく、また無理な語法を無理にも押通して駆使しようと試みた跡が、今日の私には甚だ眼ざはりで醜く見える。それは勿論時勢のせゐといふばかりでなく、私個人の用意の到らなかつたのがその専らな理由で、それやこれや思ひあはせてまことに慚愧に耐へないことが多い。そのやうな無慚なわざをくりかへしながらも、しかし当時の私は、新らしい詩歌の可能性を、貧しい私の才分なりに、力をつくして摸索しつづけたやうに記憶してゐる。これも亦時勢がさういふ時勢であつたといつてもいいかとも思はれる。ともあれさうして新奇を一途に追ひながらも、果してどれほどのものを発見し得たであらうか、答は甚だ心細いが、それはここではもう問題でない。時は去つた。──時は遠く去つた、しかしそれはまた「今日」となほ全く無関係ではないかもしれない。

 もしもこの詩集が、今日の最も年若い時代の詩歌と、全く無関係の、無縁のものと化し了つてゐないならば、幸ひにこの書の再刊もいささか自己弁護の辞を得た訳になるだらう。腋下にひややかな汗をおぼえながらも、私が書園の需めに応じて、この書の再刊を自分に許したのは、凡そ上の一語に理由は尽きてゐる。

 私は今校正の筆を投じて、改めてまたいろんな意味で羞恥や気おくれを覚えるが、併せて謙虚な気持で書園の主にその労を感謝したい。


昭和二十一年歳晩
著者記


ふたたび あとがき


 冬至書房の中島さんが私の『測量船』を再刊して下さるといふ。私としては素直にお言葉に従ふのが、この際自然であらうと思つた。また一つには、「測量船」の手さぐりの意味は、今ではもう死灰に帰した、無用々々とも考へた。友人石原八束さんは、同書当時、私の廃棄した旧稿をくさぐさ拾ひ集めて下さつた。これにはいささか驚きつつご好意に感謝し、また面映ゆい思ひが少くなかつた。再刊本の「拾遺」がそれである。とり集めていただいて、私には反省のしろが眼の前に堆く置かれた。就ては、といつて、唯今感想をのべる勇気はない。私にのこされた余日を、空しくしないための、鞭といたします。不尽。


昭和三十九年三月
三好達治

底本:「測量船」講談社文芸文庫、講談社

   1996(平成8)年910日第1刷発行

   2004(平成16)年23日第2刷発行

底本の親本:「三好達治全集 第一巻」筑摩書房

   1964(昭和39)年1015日初版発行

入力:kompass

校正:門田裕志

2015年118日作成

青空文庫作成ファイル:

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