その一週間
──不真面目なわが心……
中原中也
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「御暇でしたら、一寸御相談したい事等御座居ますので、私の動く事についての事ですが、岩山さんともいろいろ考へたのですが、で、考へをおかし下さいませんでせうか、お待ちします、御目文字の上、」
かういふ、女からの葉書が舞ひ込んだのは、水曜日の正午であつた。私は前夜の飲過ごしでぐつたりして、少し卓子の割合には高過ぎる椅子に腰掛けて、煙草を喫つたり本を読みかけてみたり、と、急に思ひ出して此の日頃方々で受取つた名刺の整理をしたり、──要するに何の野心もなく、その日第一回の食事を済ましたばかりのところであつた。新聞も読まず、これといつての読書もせず、秋風のやうな気持になつてゐる此の頃であつてみれば、その、女の葉書といふは一大事件であつた。
まづ最初、その葉書を手にとつた時、私はにつこり笑つたものだ。「チエツ、またこのまづい字か……」といふ程の意味で、それでもその文字がいかにもその女らしいことには、私は何時でも微笑むのである。
だが、読み出して、「一寸御相談したい事等」の所へゆくと、私は額に重い力を感じるのであつた。別に面倒なことを避けようといふのではない、避けたいことはいつ何時だつて避けたいのだが、而も事に面前すれば、どうせ理想家の私のこと、どうせへとへとになるまでは打つ衝かることは知れたことだが、まあなんとしても、その時は額に重い力を感じた。勿論、月曜日には飲み過ごしの後、銀座の酒場で、乱暴を致し、その翌日は心佗しく、独りでゐるに絶えられず、而もその銀座の酒場に一緒に行つた、津濃といふ友人の所へどうも行つてゐたく、勝手なこととは承知しながら、出掛けて行つて、ぐづぐづしてゐた。その朝は、今日は絶対酒は飲むまいと心に誓つたものを、また夕飯には可なりの酒を出され、出されてみればもう嬉しくて、ついまた飲んだ火曜日の宵、それからそのあとまたほつついて、九時にまた別の友人宅を訪れ、その穏やかな友人の、諫めるやうな顔をみては、なんとか答へねば気が済まず、しどろもどろな弁解哲学を開講し、でも結局は詫びたい気持で其処を辞したが十時半、それからまたおでん屋の提灯をみては、ひよろ〳〵つと這入つたのが初まりで、財布も底をはたいてしまひ、おかげでその翌日は電車賃もなく、──といふ所へ舞ひ込んだ「相談したい事等ありますので」だから余計に重い力を額に、感たのである。
「あああ」と私は、椅子から起つて、欠伸をした。「ではさてこれから行かずばなるまい。」
私は服を着、怯々しながら隣の部屋にゐる友人の弟に金を借り、──でも、この月曜からは勉強しよう、浪費しまいと、そのやうなことを偶々思つた翌々日であつてみれば、私は読みかけのシュニッツラー選集を一冊持つて出掛けるのであつた。
電車の中で、私はそれを読み出しながら、さてどんな相談したい事等あることかと、その方のことが思ひ出されるのであつた。「でも予想してみてもつまらない」、で、私は遮二無二読み始めたが、殆んど頭には這入つて来なかつた。
「そんなことをするから不可ないんだ。頭によくも這入らない時なぞ読書したりして、だからおまへのやることはみなヂグザグになつちまふんだ」。私は私にさう言ひきかせた。「でもな、なんでもがつがつやることの他には、──大体じつくりと勉強なんぞ出来る性ではない。でまあ、このやうに悲愴げに読むところで、まあ俺らしい勉強なんだ。──制限なんざあ楽なこつた。自分を制限することの中には何時でも不純は多いものだ」。
あゝ、何時もするこれらの自問自答、私は既に鳴子馴れてる。
ケチなこつたと云つて呉れるな、子供つぽい考へだとも云つては呉れるな、誰でもが各自持つてるおきまり自問自答の二つ三つ、それこそは生きた詩であらうから。
私は下高井戸駅──玉川電車の終点で車を棄てた。良いお天気で、幅二間程の、下高井戸駅通りは秋の日をうけて黄色く乾いてゐる。商店の赤地に白く染め抜いた幟は影を落としてる。此処らでの高級酒場たる酒場の中はひつそりして、客がゐないので小さな窓はみんな開放つてある。中にみえる杉の植木は、いといとしめつぽくは感じる。
「いや、俺のこの宿酔の頭では、一杯ひつかけてから行かなければ、とても相談にはのられやしないぞ」といふやうなわけで私はまたも其処に入り、どうせこんな所の日本酒はまづいからと思つたのでビールを註文。二階に昼寝してゐた汚ない顔の女給が、目をこすりながらいやみつたらしく出て来たのだ。
一本飲み終つた頃、また後から一人来た、今度は先のよりは少し綺麗、デツプリ太つて自信がおありだ。先のが自分のコップを持つて来て飲んでゐたのを見るや、「あたしも」といつてコップを取りに行つた。やれやれ有難い仕合せである。
で、私が其処を出たのは、もはや夕陽がわびしく甲州街道の上に落ちゐる頃であつた。街道を折れて、少し下り坂になる道をスタコラと歩いてゆくと、街道でしてゐた豆腐屋の喇叭の音は急に聞えなくなり、道の傍の、森の葉擦の音に私は淋しくなるのであつた。左手の籔が切れる所に来ると、右手の方に養漁場がみえ、その他は一面の田で遠く神田上水源の方の森並に縁取られてゐる。此処の景色を私は好きである、坂は段々勾配を増し、酔つて夕陽に照らされてスタコラゆけば、まるで我が身か、我が身が運ぶ箱か分らず、多分今飲んだビールを運ぶ容器であるに相違なからう。
遠くに白い家と緑や赤の屋根がみえる。まるで計算尺をでも置いたやうに。
歌ふとし歌ふ歌ならみな讃歌たれ!
酔つて疲れて私の瞼はイラ痒いとは云へ、人よ汝がそのやうなことを気にするのであれば、あゝ、それは世間をばかり心の中に相手として置いてゐるからだ。イラ痒い瞼、ひえびえとする野面の風にひえびえとしたみすぼらしい顔の中から、この遠近を嘆賞するもないもんだなぞ、云つては呉れるな人々よ、自然の与件は、何時でも生理のまゝに享受してゐる者でこそあれ、希望を持つて生きてゐるとも云へるので、其の他はすべて、謂はば野心で生きてゐるのだ。
底本:「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」角川書店
2003(平成15)年11月25日初版発行
※底本のテキストは、著者自筆稿によります。
※()内の編者によるルビは省略しました。
※底本巻末の編者による語註は省略しました。
※中見出し「1」がないのは、底本通りです。
入力:村松洋一
校正:noriko saito
2017年12月26日作成
2018年4月25日修正
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