近頃芸術の不振を論ず
中原中也
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近頃芸術が不振かどうか、それからして既に軽々と決めてかゝることは出来ない。だが作家等が昔日のやうに、楽々と筆を執つてゐないことだけは事実である。そして、さうした事態を脱がれようとするものの如く、後から後から新しい主義主張が簇出しつつあることも事実である。而してそれらの新しい主義主張は、何か新しく云ひたいことが鬱勃とした所から発生してゐるといふよりも、事態の貧窮を救済しようとて案出されるもののやうである。
かくて、私は思ふに、それら新主義新主張は何の実質的な意義もないであらう。今は却々さうでもないやうに見えるとしても、少しく時が経過してみれば、まこと嗤ふべきことに過ぎないであらう。
例へば小松清氏によつて、行動主義文学といふのが提唱される。「(前略)吾々は近代生活を唯一の文学的対象とし、そのために先づ吾々自体から旧い文学精神とその方法論を棄てる。新しい造型観念が表現派、野獣派、立体派、超現実派、ピュリズムとなつて生じたやうに、新文学も新しい環境に応じた表現を発見しなければならない」云々。実以て茲には目覚ましい精神があるし、未来派発生当時のアポリネールの態度をでも想ひ出させる底の気慨が見られる。その気持は分る。然るに扨この気慨の下に実際作家達が創作する段取にはどういふことになるであらうか。アポリネールは、新しい気慨を抱いた。而もそれを抱く以前とその作品の実質に於て亳も変りはしなかつた。アポリネールは、前世紀的な最後の人と呼ばれてゐる位だから、此の場合格構な例ではないと思はれるかも知れないが、然らば寧ろ突飛な迄に斬新なピカビヤでもツァラでもブルトンでもアラゴンでもよろしい。彼等の作品を見るに、その制作心理過程に於ては少しも前世紀人と別に変つたものを所持してはゐないし、制作心理過程に於て変らぬものが新しい精神を抱いてゐたとしてもその作品の上では実質的な何の新しい精神をも実現してゐるわけではないのである。後世、彼等の作品が手法を解放したといふ位の事は考へられるであらうが、それ以上のことが考へられようわけはない。読んでみよ。そして読後そのインタレスティングを吟味してみよ。
今仮りに芸術不振の根本理由を規定してみるならば次の如きものである。即ち、人間直観層の稀薄化。直観といふ精神の実質的動機とも云ふべきものが稀薄となつては、作品も稀薄であらうし又諸々の議論も稀薄にならざるを得まい。之を普通に云へば、感じてゐること浅くして何の言論ぞである。而して直観といふものは人為的に増減可能なものではないから、直観の稀薄は直観の稀薄であり、その稀薄の由来究明は寧ろ科学に属して芸術には属してをらぬ。尠くとも作家には絶対に属してをらぬ。斯かる場合に稀薄にされた直観に気付くことなく、何とか直観濃厚の時節に於けるが如く活々としたいものだと思つて、新しい方法を講じようとして何かと議論すればする程、直観層は荒れるばかりである。寧ろ斯かる場合には、直観が稀薄になるについては一定の時間内に吾人が熟視し得ざる程多量の物をみせられたからでもあらうことに思ひを到して、個人が個人外との関係から意識上では解放される、即ち肚据えて十分に出来ることだけをするやうに心懸けるに如くまい。
自体芸術といふものは、それが研究の対象とされる限りに於ては如何にも科学的に闡明され得るものではあれ、制作される限りでは、生れるものであつて生むものではないのである。
このことは我々が芸術を制作しようとした最初の状態を想起してみれば直ちに分ることである。即ち我々は書いてみたくなつたのであつて、一定の目的のために、書かうとしたのではなかつた筈である。芸術書の読書だつてさうである。読んでみようかなと思つて読みだしたのであつて、斯く斯くの欲求を満すべくは芸術書に依るべきだとして読み出したのではなかつたのである。それよ、芸術といふものは消費の形式のものである。断じて生産の形式のものではない。
さるを現今様々なる新主義新主張の提唱者等は、生産の形式で芸術を展開しようといふ、徒な欲求を持する者ではあるまいか。仮りにそれが叶つたとしても、叶つた暁には芸術は芸術ではなくなるであらう、即ちその役を果さなくなるであらう。何故なら芸術といふものは其処で休むためのものであつて、其処で生産しようといふやうなものではないからである。
芸術といふものは、生活と平行して、絶対にそれ自体存在するものである。かくて芸術に生活上の指導原理を望むなぞと唱へる人達は、謂はば芸術を芸術の立場から引抜かうとしてゐるが如きものであつて、
もともと芸術といふものが、芸術的欲求に発祥したものであり、もし生活的欲求に発祥したものならば、生活に属するものであつて芸術に属するものではないといふことを諒解せぬのか、それともその人達が、もともと左程芸術的欲求なるものを感じたことはないかの何れかであらう。
要するに芸術的欲求の起原たる直観の稀薄を措いて、且はその直観が人為的に増減を許さぬものであることを措いて、芸術不振をたゞ不振であるからとて何とかしようとする一切の提案は、徒労に終ることに気が付かなければならぬ。
問題は、紛糾してはゐない。野望が、紛糾してゐる。
底本:「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」角川書店
2003(平成15)年11月25日初版発行
※底本のテキストは、著者自筆稿によります。
※()内の編者によるルビは省略しました。
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
入力:村松洋一
校正:noriko saito
2015年5月25日作成
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